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紅的圓的懐念的

R-D1/Zeiss Biogon 35mmF2.8

真壁の街中を離れて15分くらい歩くと、古い家や蔵が道の左右に並ぶ、昭和30年代の田舎町の一角そのままの通りがありました。
わたしが見たことがある中では、もっとも日本的で懐かしくも美しい民家のある風景です。
真壁は筑波山から近く、足を伸ばす価値もあるところと思います。
全体の写真はここでは出しませんので、ぜひご自身の目でご覧になってください。

ビオゴンを設計したベルテレも、テッサー、プラズマートのルドルフに匹敵するレンズ設計者です。
有名なエルノスターは1922年に発表されていますので、奇しくもプラズマートと同年です。
1922年、ルドルフが引退から復帰後だったのに対して、48歳年下のベルテレは弱冠23歳というごく初期の頃の設計です。
そしてベルテレは、エルノスターを発展させてゾナーF2、F1.5と立て続けに発表していきます。
1931年、32年のことです。
さらにそのゾナーを基にして、1935年このビオゴン35mmが設計されます(発売は1937年から)。
ルドルフが1933年に引退、35年に逝去していますので、戦前の一時期に光学界でも激動があったさまが分かります。

直後の戦争が、レンズ発展の歴史に影響を及ぼすことはなかったと言えるのでしょうか。
ベルテレは戦時中にツァイスを辞していますし、その後スティル・カメラ用のレンズを設計していたのかよく分かりません。
2つの世界大戦は、ルドルフとベルテレという偉大なレンズ設計者の人生と光学発展史を翻弄していたように思えてなりません。
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thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Biogon 3.5cmF2.8 | trackback(0) | comment(4) | 2007/10/12 Fri
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Comment

コーティング技術がなかった当時は、ルドルフ博士もプラナータイプがここまで標準レンズのまさに標準になるとは思わなかったでしょうね。中将姫さんのこの記事を見ていて、自分のHPのレンズの歴史が中途半端で終わったままなのを思い出して、自己嫌悪に陥ってます。
2007/10/13 Sat| URL | kinoplasmat [ 編集 ]
本当です。今の50mmレンズが、ダブルガウスタイプばかりと知ったら、どう思ったことでしょうか。
ルドルフ博士は、プラナーの発展性の限界を感じて追求することがなかったのか、すでにダブルガウス自体が存在していたし他に追随する同系レンズがあったからプラナーに愛着がなかったのか、あわせて聞いてみたいと思ってしまいます。

kinoplasmatさんが進めていらっしゃるHPの作業は、アマチュアにはたいへんな大仕事です。
根を詰めてやっていたら嫌になってしまいます。
いろいろなことを並行して進める今のやり方がいいと思います。
ゆっくり行きましょう。
2007/10/13 Sat| URL | 中将姫光学 [ 編集 ]
こんにちは
 中将姫光学さん、こんにちは。

 ツァイスで35ミリでF2.8だと僕も持っているな…なんて思ったら、Biogonでした(僕が使っているのは京セラヤシカのディスタゴンの方です)。

 このふわっとした柔らかい感じはいいですね。
 以前、中将姫光学さんがクラシック・レンズのことを柔らかくて品があると書かれていたことが納得出来ます。
2007/10/18 Thu| URL | NOBU [ 編集 ]
ありがとうございます
NOBU さん、こんばんは。
レンジファインダー用のBiogonは、後玉がええっ?というくらい出っ張っていて、これはゾナー・タイプの広角レンズとしての完成形と言われているようです。
一方恐らくNOBUさんのディスタゴンは逆望遠型で、一眼レフのミラーあたりなどをなくすことには成功しましたが、その分いろいろと制約ができているようです。
それでもディスタゴンはすばらしい写りをすると思いますが、広角レンズのそういった問題を考えて、レンジファインダー機を愛用しているという話はしばしば聞きます。
わたし自身は、そういったことを未だ理解できずにいますので、ぜひディスタゴンの作例も多く見て、違いを認識できるようになりたいと思っています。
2007/10/23 Tue| URL | 中将姫光学 [ 編集 ]

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