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沿線はなくなるも駅舎は健在

Topcor S 5cmF2
5回目にして最後の関西脱出青春18きっぷの旅は岐阜県を目指します。
関西に隣接する都道府県は消去法的に岐阜しか残っていませんのでそれはいいのですが、では岐阜県のどこに行くかとなると少し悩むことになります。
高山は各駅停車だと7時間かかるので論外。
行事関連の多そうな4月1日ですが、岐阜県内ではこれというものが見つからないので、伝統的建造物群保存地区に指定されている恵那の先の岩村と美濃市のうだつの町が最終候補になりました。
所要時間はどちらも大差ないのですが、昨年行こうと思いながら為しえなかったところに立ち寄れることを思いつき、そうなると行先は自動的に美濃に決定です。
美濃市へは、いつもよりはゆったり目の5時22分の列車で京都に出て、米原、大垣と東海道線を東進して岐阜から高山本線に乗り換えて美濃太田でさらに私鉄の長良川鉄道で約30分、10時半ころに到着します。
5時半少々ですから先週の岡山県矢掛町よりマシですが、日帰りにしてはやはりかなりの長旅でした。

1両編成の長良川鉄道に乗車していたのは30人くらいでしたが、その半数以上は外国人で、そんなに美濃は人気なのかと思ったたら、みんな手前の関や刃物会館前で降りてしまいました。
有名な関の包丁を買いに来たということのようです。
美濃の町にはアジア系の着物の女の子4人組とお連れさんたちがいました。
中国人旅行者かと思えば、ヴェトナムからの実習生だと日本語で答えてくれました。
半分は1年間働いて間もなく帰国、もう半分は代わりにやって来たところだそうです。
帰国組はそこそこ日本語ができますが、来たばかりの子たちとはさっぱりコミュニケーションがとれません。
全員が英語はできないと言って肩をすくめていました。
美濃はほとんどの古民家に立派なうだつがあって町のシンボル的存在ですが、町自体の発展には和紙産業が欠かせなかったようです。
覗いてみた和紙の灯りを製作する店でオーナーの説明を聞いて、以前に大磯の日本の伝統文化を学習する会合に飛び入り参加させていただいたとき、越前和紙の記録映画を見たことを思い出しました。
その記憶で、原料のこうぞは茨城で生産されていることとかそれを冬の寒いさなかに冷水を使って紙にまで伸ばしていく工程のたいへんさなどを話したところ、オーナーがすっかり喜んで和紙について多くのことを話してくれるのでした。
こうぞは北茨城が主産地のため福島の原発事故で畑も被爆したのではなどと言われのない風評被害を受けてますます生産量が減ってしまったそうです。
優しい光の和紙の灯りには和紙を漉いた職人の落款まであってとても気に入ったのですが、オーナーのお話が止まらずいつの間にかバスの時間になってしまい、購入の機会を失いました。

美濃から乗車した路線バスはゆるやかに岐阜駅に向かって進みました。
わたしの行先は岐阜駅ではなく、郊外の願成寺というお寺です。
運転手に聞いて長山というバス停で降りました。
バスに乗り換えてもよかったのですが、そのまま3キロの道のりを歩いて着いた願成寺には、昨年から訪問が念願だった中将姫誓願サクラがあるのです。
中将姫誓願サクラは、平安初期のころ病をえた中将姫が願成寺で治癒を祈り、完治したことから植樹したという伝説のサクラです。
他に同種のものがないそうで、2008年にそのタネが国際宇宙ステーションに送られ、戻ってから近くに植えられています。
宇宙から戻ったタネは、通常10年くらいで開花するところわずか6年で花を咲かせるし、誓願サクラの花びらが30枚ほどなのに対して5枚しかなくて、関係者を驚かせたそうです。
まだ咲き始めで寂しかったので、出張販売で大福を売っていたかわいいお姉さんに誓願サクラの前に笑顔で立ってもらって撮影し、願成寺を後にしました。
またバスに乗って岐阜市街で乗り換えて、川原町に寄ります。
川原町も町家の古民家が通りに並んだ古い町並みで知られるところです。
はずれの方に庚申堂があってサルの置物があったので撮影していると女性から声をかけられました。
奈良に住んでいて家の近くに庚申堂があるのでと言うと、ならまちの庚申さんにずっと行きたくってと目を輝かせます。
近所でお店をやっていた関係で川原町の庚申堂の管理をしていて、ならまちの庚申堂を真似てサルのお守りをつくって吊っていると見せてくれました。
活動を紹介した新聞記事や江戸末期に製作された見ざる聞かざる言わざるの木彫なども見せてくれ、よろしければ自宅までお越しくださいとお誘いいただきましたが、残念ながらそろそろ帰りの時間がせまっていてお断りするしかありませんでした。

本日のレンズは、4月のテーマ、東京クィンテットの1本目、東京光学トプコールS 5cmF2です。
本来、東京光学のレンズを4本採りあげるので敬愛する弦楽四重奏団から採って東京カルテットとしようと思ったのですが、4月の日曜が5回あるためにクィンテットとせざるをなくなりました。
白澤章茂氏のトプコンカメラの歴史によれば、トプコールS 5cmF2は丸山修治氏の設計による5群6枚のトプコール5cmF2に新種ガラスを加えて4群6枚で再設計したレンズです。
このレンズにはクローム鏡胴、全体がクロームで距離環と絞り環がブラックの鏡胴、ブラック鏡胴の3種があってそれぞれ初期型、中期型、後期型と呼びますが、白澤氏は3者に光学的な違いはないと書かれています。
ただ、中期型の時に「1957年に後群の偏芯を厳しくするために形状を変えたが、光学系そのものの変更はない」としています。
一方で、東京光学の研究で名高いトプコンクラブのサイトでは、「実は光学系も見直されたらしく、開放絞りでも若干絞りが残るようになった。これは何らかの部分が改善され、光の透過率が高くなって開放値が明るくなったため、少し絞りを残す形で開放値をf2に調節したものと思われる」と分析しています。
初期型も中期型も開放からもの凄くよく写るので、レンズの状態の問題もあって作例で単純に比較するのは難しいですが、絞りの残ることを考えると光学的な違いがないとは到底思えません。
ここではわずかな光学的改良があったのではとしておくことにします。

さて、本日の作例ですが、美濃太田から美濃市まで乗車した長良川鉄道、ではなく、旧名鉄美濃駅に展示されたトラムです。
大正12年から平成11年まで存在した名鉄美濃町線の車両や駅舎、プラットホームなどはほぼ開業当時のまま残しているそうで、左の車両のRの効いたデザインに美しさを感じました。
駅舎にあった説明では、美濃市は野口五郎の出身地で彼の代表曲「私鉄沿線」がこの名鉄美濃町線を舞台にしているのではないかと、ファンにとっての聖地になっているそうです。
わたしも野口五郎世代ではないかと思われますが、あまり歌謡曲を聞いていなかったので「私鉄沿線」がどんな曲か思い出せませんが、こんなレトロなトラムがコトコト走っているような情景を描いた曲ならぜひ聞いてみたいと思います。
ksmtさんが真空管アンプと古いスピーカーを手に入れたと自慢されていたので、この曲のレコードでも探して流してもらおうなんて考えています。
美濃市広岡町
【Alpha7II/Topcor-S 5cmF2 F2】
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thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Tokyo Kogaku Topcor-S 5cmF2 (early) | trackback(0) | comment(0) | 2018/04/01 Sun
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