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我慢してる時がいちばん可愛い

Nikkor 5cmF1.5
ペンションをチェックアウトしていったん荷物を預け、午前中は旧市街方面を目指して散策しました。
ブラティスラヴァは初めてきましたが、20年前に訪れたプラハと比べて町の洗練度や快適度が随分と劣るという印象があります。
いちばん困ったのが水やビールの確保で、宿の周辺はもちろん、旧市街周辺にも10時を過ぎて営業している店が1軒も見つけられず、バーで売ってもらうしかありませんでした。
しかし、今朝あらためて散策してみると、旧市街から外れた微妙な位置に24時間営業のミニスーパーがあって、思わずもっと目立つように営業してくれなくちゃと文句を言ってしまいました。
ここでサンドイッチと水を買って朝食にして旧市街を目指しましたが、観光客が多くてあまり長居することなく踵を返しました。
ここで面白かったのは、いちばん中心の市庁舎前の広場に日本大使館があって、スロバキアの中枢とも言うべき場所に日の丸がはためいていたことで、たまたまそこに入居しただけなのでしょうが、何とも場違いな印象を内外の人々に与え続けていそうでした。

昨夜見つけていたアンティークショップに行ってみますが、土曜日・日曜日はお休みとなっていてがっかりしましたし、ブラティスラヴァに来た意味を失ったような気がしました。
ただ、幸運なことはあって、昨夜プライベートなパーティをやっていたホールで市民のバザールのような催しがあって、野菜やローカルビール、手作りお菓子など、30くらいのブースが出ていて、雰囲気を楽しむことができました。
朝からビールに行っちゃおうか悩んでいたところ、ケーキのブースのところで日本語でおはようございますと声を掛けられ、以降は英語ですが互いにどういうケーキなのかとどういう旅をしているかを話しあって、そのケーキを食べてみることにしました。
タルトのような生地にチーズたっぷりの焼き菓子で、ケーキではないのではと確認しましたが、スロバキアではキーシュという名前で英語にするとケーキの意味だと教えてくれました。
チーズケーキというよりもチーズパイに近いと感じますが、ずれにしてもわたしの旅の中でいちばん美味しいスイーツだと断言できるものでした。
わたしにとってのスロバキアはこのケーキがすべてと言っていいかも知れません。
後からやって来た母子が別の種類のケーキをセレクトしていて、女の子がとても嬉しそうな素敵な顔をしていたので、1枚失礼させてもらい本日の作例にしました。
写真には笑顔で収まっても、口元は早くケーキを食べさせてと語っているのを隠さないのがまたキュートです。

ケーキのボリュームのせいか生理現象を催してしまい、ペンションに戻ってトイレを借りたのですが、チェックアウトしているのにまた掃除させやがってとブツブツ文句を言われました。
支払いの時も予約サイトの価格より数百円高く請求されたので揉めたのですが、我々はあのサイトとは関係ないと言い切ったので、サイトのレビューにこのことを書くぞ、ああ勝手にしろ的なやり取りがあって、支払いしてしまいました。
日本好きだと言っていた太ったオーナーですが、宿泊者のために何かしてくれるようなタイプの人間とは言えず、こういう仕事には向いていないので、ペンション業が破たんするのは時間の問題のような気がします。
宿泊代をケチっていましたので、ボロい宿、臭い宿、狭い宿、遠い宿と辛い思いは何度かありましたが、これほどまでに不快な体験は珍しいです。

トランクを手に、ザッハトルテの入ったバックパックを背中に、カメラやパスポートなどの貴重品の入ったバッグを肩に、遠い駅を目指してふらふらと歩いていると途中の公園で旗を振り回している危なそうな男がいました。
当然、無視するところですが、もうひとり仲間がいて、彼の着ているTシャツにイスラムとモスクのシルエットに×が描かれていて活動の意味が分かりました。
まさに昨日、クラコフでアンドリューたちと連絡を取ってくれた友達からメールが届き、今日の報道でシリアやアフリカの難民たちがドイツ目指して東欧方面から大挙して西進しているが、そのような状況は見られないだろうかと質問してきていたのです。
難民の子どもが遺体で見つかったとヨーロッパで報道され、たちまち人権活動家たちが動いてヨーロッパでも難民を受け入れるよう国境の門が開いたところだとの説明です。
難民を見かけることはありませんが、彼らに反対する小グループをこうして見かけたので、恰好からして右翼の怖そうな連中でしたが簡単にインタビューしてみることにしました。
ジャーナリストではない日本人の一旅行者だと断って聞きましたが、彼らは歓迎してくれヘタクソな英語で説明してくれました。
それによれば、イスラム教自体を否定するものではなく、大量のイスラム難民が流入してイスラムの活動をするとわれわれの文化や伝統が脅かされるのを心配している、という趣旨でオランダとベルギーから来たのだそうです。
彼らは撮影にも応じてくれ、趣旨に賛同した地元女性とともに笑顔で写真に納まってくれました。

ブラティスラヴァ駅に着いて、特急列車でブダペストに向かいました。
この区間はまったくの田舎を走りますが、ドナウ川に沿っている部分が長くとても風光明美です。
最初はブドウ畑の多い農村の景色が続き、途中の町では山頂に城がそびえその下にドナウの流れともうひとつの城が見えるという絶景もあり、ブダペストに近づくにつれもうひとつの田園風景が楽しめました。
そして、列車がブダペストの終着駅に滑り込んで、駅に降り立つと自宅をペンションにしている女性から声を掛けられました。
今回も宿は予約済みだったのでそういって断ると、その女性は日本人かと確認したうえで気を付けてねと地図をくれました。
この地図には大いに助けられて、これがなければ宿の発見に倍の時間がかかったかと思われます。

その宿を探す前、ブダペストの駅前はたいへんなことになっていました。
若者が集まってコンサートをやっているかと思ったのですが、それはただのコンサートではなく、難民支援のための集会と募金を集めるためのものだったのです。
難民歓迎の大きな幕が貼られていました。
その様子をロイターと書かれたジャケットの男性がビデオに撮影し、それ以外にも報道と思われるカメラマン10名近くが撮影して歩いているのが分かりました。
旅行者も混じっているのかも知れませんが、ハンガリー語のステージに熱狂しているのは地元のハンガリー人で、彼らの演奏が終わるとイスラムの男性がスピーチし、司会者が英語で彼は数年前にシリアからブダペストにやって来たが、今ではハンガリー語でしゃべれるまでに国に溶け込んでいると説明します。
主催者と思われる人がわたしの近くを通ったので話を聞くと、難民は命を懸けてヨーロッパにやって来ている、われわれが支援しなければ何万人もの人が命を落とすことになるだろうと興奮気味に話しました。
後ろの男性が募金箱を示したので、わたしはハンガリーの通貨が無いがユーロの残りでよければと小銭すべてを箱に放り込みました。
半地下のスペースにはテントが大量に貼られそこにいるのは紛れもなくシリアからの難民でした。
家族で脱出してきた人が多いようで女性や子どもが不安そうにしている姿が目につきます。
体調が悪そうにしている男性がテントの中で横になって介助の人の指示を受けています。
周辺には、食料や衣料が並べられていて、ボランティア団体や個人が支援に乗り出しているところであることを示していました。
わたしは、ブラティスラヴァでイスラム流入阻止の活動を見て来たばかりのところを、まったく反対の支援活動の現場のただなかに立たされて混乱するばかりでした。
とにかく両替して宿に行き荷物を降ろさなければと考え、緊張が渦巻く中を通り抜けて、地図をたよりに歩いて行くしかありませんでした。
【Alpha7/Nikkor S・C 5cmF1.5 F1.5】
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thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Nikkor S・C 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/13 Sun
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