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クラシックとクラシックカーと

Perken Son & Rayment 16.5cmF5
今から20年近くも前の冬、わたしはベルリンを旅しました。
その前にポルトガルとスペインを旅したときに、宿泊したペンションの隣の部屋がドイツ人の母子で、日本人と初めて会話したということで日本にたいへん興味を示してくれ、食事をご馳走してくれたりもしました。
その後、半年に1度くらい手紙とか絵葉書を交換しましたが、遊びに来てくださいと書いてあるのが常だったものの、ロマネスク建築にのめり込んでいたわたしはベルリンや東ドイツに関心が持てなかったのですが、1週間の冬休みにロンドン経由でベルリンを訪れてみることにしたのです。
最悪なことに、いちばんの楽しみだった女子大生の娘はスコットランドの英語学習合宿に行ってしまい不在で、そのため、彼女の下宿先を宿に使ってくれと提供されたのは、宿泊の高いベルリンで災い転じて福ではありました。
ドイツに限らずヨーロッパでは、子どもが大学生になると独立して家を出るのだということを知ることもできました。
当日はお母さんと食事してから、渡された地下鉄の最寄り駅名と住所を頼りに駅からアパートを探しましたが、地図が無いとどちら方面かも分かりません。
大学生風の青年に尋ねてみると、あっちだよと言ってくれるかと思えば、いっしょに探そうと30分近くかけて雪空の夜、アパートを見つけてくれました。
お茶くらいご馳走しなくてはと思いましたが、彼はこんなことは当たり前だという笑顔で去っていきました。
このときのインパクトが強くて、わたしも道を尋ねられたらなるべくそこまで連れて行ってあげるようにしています。

話が全然ずれてしまいました。
このときわたしがベルリンでいちばん興味を持ったのは、チェックポイント・チャーリーでの東西ベルリンのイミグレーションが残っていたことではなく、博物館に売られていた落書き入りベルリンの壁のかけらでもなく、トラバントという車でした。
トラバントは1958年から40年以上にもわたって東ドイツで製造されていた乗用車です。
この間、何度かモデルチェンジしていますが、基本的な外観や、2気筒2ストロークエンジン、プラスチックボディという基本的な部分は変更されておらず、1950年代に最新鋭の車として発売された自動車が半世紀後もほぼそのままの姿で製造され続けて、生きた化石とも呼べる共産圏の名車でした。
西ドイツでは、ベンツ、BMW、フォルクスワーゲン、オペル、アウディといった世界の先端を行くメーカーが自動車を製造していた中で、東西ドイツが統合されるや突然時代錯誤なトラバントがそれらと並走するようになり、そのギャップの楽しさが受けて、西ドイツ出身者でトラバントを愛好する人が急増したと言われています。

わたしがベルリンを旅したときは東西の壁が崩壊して10年近く経っていたはずですが、まだまだトラバントはあちこちで見ることができました。
ワーゲンビートルやシトロエン2VCと同様に準クラシックカーのような存在ですが、トラバントにはそのような洗練が無く、共産主義を全面に出したような無骨さがあって、かえってそんなところが暗い過去へのオマージュとしての支持を得ていたのかも知れません。
しかし、相当に古いものですし、排気ガスの規制等をクリアしているとも思えず、すでにほとんどが廃車の憂き目にあっていると考えていました。
今回の旅で足を延ばしてベルリンでトラバントに再会できないかと考えていたのですが、トルコからブルガリアに入ってコプリシュシティツァという田舎町に行った時に古民家の脇にトラバントがあるのを見つけてしまいました。
しかもレストアしていないボロのままにも関わらず、しっかり走行できる姿で。
喜び勇んで写真を撮っていると、そのオーナーが現れてエンジンやコクピットを見せてくれたり、実際にエンジンをかけて懐かしい音を聞かせてくれました。
ブルガリアの田舎ならまだまだ見られるのかよく分かりませんが、今回の旅で見かけたトラバントはこの1台だけでした。

話は変わって、トラバントを見たコプリシュシティツァでの夕刻のことになります。
古民家の庭の方からヴァイオリンの響きが聞こえてきました。
シューマンのトロイメライを情感たっぷりに弾いています。
何かと思い行ってみると、非常に幸運なことにこのあとヴァイオリンとピアノのリサイタルがあって、そのリハーサルを公開しているのだとのこと。
伴奏はアップライトピアノでマイクを通していましたが、両演奏者とも技術はかなり高いように見えます。
リハーサルが終了したので、周囲の人に聞くとリサイタルは30分後に始まり入場料不要とのこと。
しばらく近所を散策して戻ってみるとまばらだった急ごしらえの座席はほとんど埋まっていて、古民家の庭のコンサートにも関わらず、ざっと7~80人が腰掛けて演奏が始まるのを待っていました。
座れないのを覚悟しましたが前から3列目にひとり分のスペースを見つけて図々しく割り込みます。

演奏はとてもすばらしい、特に技術的にかなり高いことが素人のわたしにも分かるものでした。
というのは先ほどのトロイメライを除くと、小曲ばかりとはいえ、クライスラーの編曲したものを中心にブルガリアのヴァイオリニストが作曲したものなどいずれも難曲ばかりで、それらを余裕をもって弾きこなしていました。
最初は、この町出身のアマチュア愛好家かオーケストラで仕事している人の凱旋リサイタルのようなものを想像していたのですが、そういうレベルではなさそうです。
重音で倍音を慣らしたり、右手で弓を弾きながら左手ではピッツィカートしたり、わたしの耳や目では追いきれない名人芸の連続なのに、旋律を弾くととても深い音を出して聴衆を魅了します。
最後の方の曲では熱が入りすぎたのか、突然、弦が切れてしまいました。
演奏をストップさせて、弦が切れたことを示し、パガニーニであればこのまま弾き続けたのですが、わたしの技術では止めるしかありませんとブルガリア語と英語で冗談を言って場を和ませながら、庭の木の株にどんと座って弦を張り替えていました。
そんな姿も超一流に見えます。

愉しい夜になりました。
例えコプリシュシティツァがつまらない町であっても、このコンサートを聴けただけでわたしは大満足だったでしょう。
そのうえ町は美しく、食事は美味しく、翌日には民族音楽の合唱があり、ついでにトラバントも目撃できたので何も言うことはありません。
リサイタルが終わって古民家を出ると、来た時は気付かなかったのですが、そのリサイタルのポスターが貼ってありました。
ブルガリア語なので日時以外はまったく読めません。
わたしの前で熱心に聴いていた高校生のグループが来たので、演奏者の名前はなんと読むのか聞いてみました。
教えてもらった名前は失念してしまいましたが、プロフェッサーだと教えてくれました。
齢70くらい、恐らくはソフィアの音大の教授ということでしょうから、かつてソリストとして活躍して一線をしりぞいてから教授になったか、もともと大学で指導者として幾多のヴァイオリニストを育成した人なのか。
そんな人が無料で古民家のリサイタルを開くというブルガリアがますますすばらしく感じられます。
作例は、弦を張り替えるプロフェッサーの様子です。
演奏を中断されて不機嫌とか、弦の張り替えに焦るとかいう素振りは一切なく、音楽を奏でていた喜びの余韻の中にいるような表情がとても好いと思いました。
トラバントの写真にするか悩みましたが、またしばらく東欧を廻るのでこの車を見る機会はあるかも知れず、アクシデントを笑顔で乗り切る姿に自分の旅を重ねて、こちらの作例を採ることにしました。
【Alpha7/Perken Son & Rayment 16.5cmF5 F5】
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thema:ペッツバール genre:写真
Perken Son & Rayment 16.5cmF5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/08/24 Mon
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