スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | --/--/-- --

超父性社会か

Squire & Co 14cmF3.6
ボドガヤにはわたしがインドで唯一見たツーリストインフォメーションがありました。
インドではツーリストインフォメーションの看板を出しているのはみな旅行代理店で、おそらくホテルを紹介してくれと依頼すれば多額なコミッションを取られ、観光地の相談をすればそこへはタクシーでないと行けないから特別手配してやるなどと言われ、ようするに情報を得ることと引き換えに多大な損失を被るのがインド式のツーリストインフォメーションだとわたしは解釈しました。
ニューデリー駅のそばで、プシュカルの滞在やゴラクプールの切符の手配をしたのが、やはり表向きツーリストインフォメーションと書かれたオフィスで、わたしは途中でおかしいと気付いたものの抵抗し切れずまんまと騙されてしまいました。

ボドガヤのインフォメーションはちょっと違っていて、しっかり職員を名乗る男性がふたりいました。
日本語のパンフレットも手渡してくれ、わたしは疑うことなく公的なツーリストインフォメーションであると信用しました。
初老の男性が、近くを案内すると言います。
外はとても暑く断ればよかったのですが、着いて行ってしまいました。
徒歩圏の寺院をあまねく案内しようと、日本のお寺が建てた大仏像から見学がスタートします。
2つ目の寺院の見学中に、このままでは熱中症になると考え、そのむね伝えてホテルに戻ろうとしましたが、老人は聞く耳持たずで平然と次の寺院へ連れて行こうとします。
このままでは、わたしもあなたも体が危ないと言ったのですが、そんなことはないと聞き入れず、お寺の中で口論になってしまいました。
それでも言うことを聞かないので、もらっていた日本語パンフレットを突き返して、もうわたしに干渉しないでくれと小走りでホテルに戻りました。
ホテルにあった1リットルの水を一息に飲み干すほどに喉が渇いていました。

老人は仏教寺院を案内しながら、自身はヒンズー教徒だったのですが、インド人は仏教をヒンズーから派生した傍流とみなしているので、ヒンズー流解釈で勝手に説明してしまうようです。
インド人やヒンズー教に、身勝手さや自分中心の発想があると感じるようになりましたが、きっかけになったのがこの老人との寺院見学でした。
以降、会う人会う人、他人のことを全然配慮しないなあという印象がより高まり、それが修正されることはありませんでした。
ボドガヤでは、日本語を話すインド人が派閥を形成するようなところがあって、日本人とみるとその利権にたかりつこうと露骨に争っているということも以前のブログに書きました。
ボドガヤに行かなければ、自分のインド感は違ったものになったのではと後悔しますが、それは後の祭りです。

インドでホテルやゲストハウスに宿泊するときはパスポートの提示とともに、宿泊台帳のような分厚く大きな帳簿に必要事項の記載を求められます。
名前や住所は分かりますが、父親の名前を書く欄があってこれにはいつもとまどいました。
なにしろ台帳なので次に記載する人は、前に記載した人の住所や電話番号、年齢、父親の名前まで個人情報がバレバレです。
どうせ確認しやしないのだし、ホテル従業員を含めてインド人に情報が渡るくらいなら適当に書いてやれと、途中からいい加減な記載をしていました。
さすがにこれまでインドからDMが来るなどの不愉快な思いはしていません。

この台帳には、もうひとつ、どの町から来たかと次にどの町へ行くかも記載しないといません。
どこから来たかを書くのは容易なことですが、わたしのようなあまり計画のない旅をしていると次の行先がなかなか書けずに困ります。
中国であれば地名はいくらでも出てきますが、インドの地名を述べてみよと言われても位置関係とともに言えるのはいくつもありません。
コルカタで記載するときはつまってしまって、どうしようと思っているときにガヤという地名を思い出して、適当にそう書いたらちょうど列車で8時間くらいの距離だったので不自然ではないと分かり、ホテルの人からハウラーという駅から行けることも教えてもらい、嘘から出た実ではないですが、実際のガヤにいくことになってしまいました。
この欄だっていい加減な記載でいいと後で気付いて、以降は知っている地名を思いつくままに書くにとどめました。

さて、作例はガヤ付近の町並みの中に見た自転車の青年です。
近くに市場がありそうだったので、今夜のメインディッシュ用にトリを一羽購入したもののようで、自転車の推進力を高めるために、こんなところに括り付けているわけではないと思われます。
中国でも東南アジアでも、トリを生きたまま買ってきて足を縛って上下逆さに運搬するのはありきたりの風景ですが、自転車に括り付けているのは初めて見ました。
このエリアではほかにも、ペットボトルを頭の上に載せたまま歩いている女性を見たり、2メートル近いハンガー掛けに服を50着くらいビシッと並べて売り歩くおじさんがいたり、被写体には事欠きませんでした。
ただ、その後急速にインドに関心を失って写真をほとんど撮らなくなります。
写真が無いと、そのときインパクトを受けて眺めたちょっとした事象がすべて記憶から消失してしまうことに気が付きました。
撮影には記録するという意味があるということを俄かに忘れてしまっていたのでした。
【Alpha7/Frilon 5cmF1.5 F1.5】
スポンサーサイト
thema:ペッツバール genre:写真
Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/21 Tue
<< 災害に屈せず | home | ロマンスは起こらず >>

Comment


Comment form


管理者にだけ表示

Trackback

この記事のトラックバックURL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

| home |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。