スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | --/--/-- --

泥仕合のDerogy愛

Derogy 15cmF4
今回の江の島・鎌倉散策には、ラオスに持参したドゥロジーのペッツバールを使用しました。
ラオスでは久々に使った35mmレンズのズノーが主体になってしまい、ドゥロジーの作例が4枚しか出せなかったので、レンズの説明等をはしょってしまいました。
年末で忙しくてドゥロジーについて何も調べなれなかったということもあるのですが、このメーカーはダルロー、エルマジーに次ぐフランス19世紀光学界のビッグネームであるはずなのに資料があまりに少ないのです。
フランスの文献は存在するかも知れませんが、それすら見つからず、また見つけたとしてもわたしでは到底歯が立たないでしょう。

ダゴスティーニ氏の大著"PHOTOGRAPHIC LENS OF THE 1800's IN FRANCE"ではドゥロジーを8つのレンズメーカーのうちのひとつとして大きく扱っています。
ここでも情報量としては他のメーカーと比べて少ないですし、英語で書かれているのに意味が良く理解できません。
わたしの英語力の問題ではあるのですが、ダゴスティーニ氏にももう少し分かりやすく書いて欲しかったと言いたくなるくらい
意味が分かりませんでした。
何とか解釈できないかと考えましたがやはり無理でしたので、前半部分を不要部を覗いて箇条書きにしてみます。

・1820年にパスカル・ワール(Pascal Wallet)によって、パリ北部のオワーズ(Oise)地区、シュリー(Sully)に会社が設立された。
・ワールといとこは、レンズ製造を得意とする光学の専門家だった。
・エロワ・パスカル・ドゥロジー(Eloi Pascal Derogy)は、老眼鏡用のメニスカスレンズの製造で有名で尊敬もされていた。パスカル・ワールは大きなレンズを使った望遠鏡の製造で知られていた。ふたりの会社は1843年に合併され、当時まだ手作業が当たり前だった時代に半機械化による工業化された工場を新規に設立したことで評判を得ることになる。ラフにカットされたレンズは機械によって洗浄され、自宅で作業する地元の職人により研磨と仕上げが施された。
・1820年代、パスカル・ワールの兄(いとこ?)のジャン・バプティスト・ワール(Jean-Baptiste Wallet)は、パリのケ・ド・ロルロージュ(Quai de l’Horloge)73番地に光学工房を設立する。彼は、老眼鏡、双眼鏡のレンズと接眼レンズ、長焦点のレンズ、ライト・コンデンサーを専門に製造し、ダゲール(Daguerre)の発明以降は写真用レンズがそれに加わった。ダゲールのカメラ用のレンズをシュヴァリエに供給していたと思われる。
・1848年にジャン・バプティスト・ワールの義理の息子エロワ・ウジェーヌ・ドゥロジー(Eloi Eugene Derogy)は、シュリーで老眼鏡を製造していたレンズメーカーの息子とパートナーシップを結んでおり、1851年に会社の経営者になってから、パリの工房とシュリーの作業場の製造物を統合させた。シュリーの作業場はその後1800年代終わりまで、商業用レンズやカメラ用レンズの製造を目的としていた。

人間関係と時期と会社が符合しにくいので、シンプルにして解釈を加えて時系列にリライトします。

・1820年、パスカル・ワールがパリ北部シュリーに光学会社を設立。
・1820年代、パスカル・ワールのいとこのジャン・バプティスト・ワールが、パリのケ・ド・ロルロージュ73番地に光学工房を設立。
・1843年、パスカル・ワールの光学会社とエロワ・パスカル・ドゥロジーの老眼鏡等を製造していた会社が合併。
・1848年、ジャン・バプティスト・ワールの義理の息子エロワ・ウジェーヌ・ドゥロジーは、シュリーのパスカル・ワールの息子とパートナーシップを結ぶ。
・1851年、エロワ・ウジェーヌ・ドゥロジーは会社の経営者になり、パリの工房とシュリーの作業場の製造物を統合させた。

ドゥロジー社の起こりはこのようなところではないかと思います。
シュヴァリエやルルブールなどと同様に写真発明以前に発足した望遠鏡メーカーと眼鏡メーカーが合併してできたようです。
そして、シュヴァリエのダゲレオタイプ用のレンズのガラスはドゥロジー社が供給したとあり、それはダゲレオタイプの発明を考えれば1839年頃のことであると言っていいでしょう。
フォクトレンダーがペッツバールと袂を別ってブラウンシュバイクでペッツバールタイプのレンズを製造し始めるのが1849年で、この頃から特許の及ばないヨーロッパ各国にペッツバールタイプのレンズの製造が広まりましたので、ドゥロジーが自社のためのレンズを製造し始めたのもこの頃ではないかと推測されます。
ダゴスティーニ氏は、エロワ・ウジェーヌ・ドゥロジーが経営者になってからレンズ製造を始めたと別頁で記載しているので、1851年と仮定することにします。

今日はここで終わりにします。
明日は使用したレンズの製造年を推定することにします。
作例ですが、3人の美女に続いて、今度は2人の美女に遭遇しました。
左の女性は韓国からの留学生とのことでした。
韓流ドラマに登場しそうな美しい顔立ちが印象的でした。
【Alpha7/Derogy 15cmF4 F4】
スポンサーサイト
thema:ペッツバール genre:写真
Derogy 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/31 Sat
<< 黒塗りライカの名手 | home | 偶然のペッツバール >>

Comment


Comment form


管理者にだけ表示

Trackback

この記事のトラックバックURL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

| home |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。