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世界初を生んだ本陣

Serenar 50mmF1.5
不満の残るラーメンでお腹を満たした後、和歌山駅から単線の和歌山線に揺られて名手にやってきました。
名手は”めいしゅ”ではなく”なて”と読む紀の川市内の集落で、江戸時代には本陣が置かれ、明治に入ってからは鉄道が敷かれて柑橘類の集積地として栄えたそうです。
作例の建物は、大火で一度焼けた後、1718年になって建造された名手本陣の外観です。
本陣は大名や付き人の専用宿泊所ですが、宿場町の中心地にあったためか現存するものが全国で20軒あまりと少なく、それらも門だけが残っていて母屋は再現されたものなどあり、名手のように状態よく残っているのは珍しいと思われます。

本陣と言うと東海道五十三次のような主要街道の宿場町にあるようなイメージですが、名手は和歌山から奈良へ抜ける大和街道が通っていて、参勤交代に向かう紀州藩ご一行が和歌山を出て歩き続け1日かかって到着する地として本陣が設けられたのだそうで、もともとの宿場ということではないようです。
本陣の邸を提供したのは大庄屋の妹尾家という名家でしたが、1804年に世界初の全身麻酔手術を成功させた華岡青洲の妻・加恵はその妹尾家出身で、有吉佐和子により” 華岡青洲の妻”というタイトルで小説になり、のちに映画化、舞台化もされてよく知られるところになっているそうです。
トリカブトなどで作った麻酔の効果をみるための人体実験を買って出て、失明したとも言われています。

さて、再び和歌山線の王子行きに乗って奈良への帰途を目指します。
王子で関西線に乗り換えれば奈良に戻りますが、JR奈良駅から奈良町の宿は少し離れているので、高田で乗り換えて桜井線で京終に戻ることにし、高田の乗り換え時間40分でも近隣の古い町並みを見て歩こうと画策しました。
天気は好く、車窓から緑いっぱいの田園風景が広がっています。
ローカル単線らしく線路のすぐ両脇で稲穂が揺れていたり、武家屋敷のような立派な家や少し前までは茅葺だったと屋根の形で分かる農家など、ぼんやり見ていて飽きない風景が続きました。

列車が奈良県に入り五条駅を過ぎたあたりから、列車の進行がおかしな具合になってきました。
さっきまでこのあたりで豪雨があったそうで、この先徐行運転になるとのアナウンスです。
たまたま隣が日本語が聞き取れずきょとんとしている外国人ファミリーだったので、英語に訳して説明しました。
パリ郊外から日本旅行に来て、昨日は熊野神社に行き、今日は奈良を目指しているとのこと。
徐行運転ながらも進んでいたのにあと1駅で高田というところで止まってしまい、今度のアナウンスでは高田駅に下り列車が詰まっていて単線のためしばらく動けそうになく、1キロ先に近鉄新庄という駅があるのでそこまで歩いて近鉄に乗り換えてほしいと言われます。
高田の町並みを見る時間にヤキモキしていましたが、もうそれどころではありません。
ことの成り行き上、以上のことをフランス人ファミリーに説明したうえで、彼らを奈良まで無事送り届ける義務が発生しました。
彼らに何かあれば日本の評価を下げてしまい、日仏外交問題にもなりかねない重要なミッションです。

1日携帯を酷使したのでバッテリー切れで地図が見られず、近鉄新庄駅までの道順すら分からない状態でしたが、わたしはとても幸運でした。
列車を降りるときに声をかけた若者は鉄道関係の学校に通っていて、来春、近江鉄道に就職内定していた鉄ちゃんだったのです。
京都在住で和歌山線には初めて乗ったというのに関西の鉄道網は頭に入っていて、近鉄新庄-尺度-橿原神宮前-大和西大寺-近鉄奈良というルートをやさしく教えてくれながら、近鉄新庄駅に案内してくれました。
また、その長い道のりの間、やはり同じ和歌山線の列車に乗っていて、奈良を目指すという男性が横浜出身ということもあって、ずっと車内で話相手になってくれたうえ、本来、振替乗車が効かない青春18きっぷでも乗車できるよう駅員と交渉してくれました。
列車を突然降ろされるという危機に直面した我々が助け合いながらどうにか奈良に着いてフランス人ファミリーに感謝されたことが、東日本大地震のとき国民が冷静になって協力し合い困難を克服したと外国から賞賛されたことと少し似ているような気になりました。
【Alpha7II/Serenar 50mmF1.5 F1.5】
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thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon Serenar 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/31 Wed

ラーメンほ音楽だ

Serenar 50mmF1.5
和歌山駅の乗り換え時間の50分でランチをとることにしていました。
和歌山で食事といったらどんなものがあるのかよく分からず、ふつうに紀州ラーメンを食べることにします。
和歌山駅とラーメンで検索して出てきたいくつものラーメン屋さんの中から評価が高くて徒歩3分圏内の店が2つあったのでどちらかにしようと決めました。
1軒はとてもオーソドックスな紀州ラーメンで、もう1軒は紀州ラーメンに新風を巻き起こしたというような評価で、両者は同程度に人気があるようです。
初めての和歌山なので前者を選択しましたが、正直なところ好きではない味で、もう1軒の方にすべきだったかとがっかりして和歌山を後にすることになりました。

この失敗は奈良でも数回やりましたが、わたしが勝手に命名するラーメンは音楽のようなもの説をもって、理由を説明することができます。
つまり、一口にラーメンと言っても醤油、味噌、塩とベースの味が分かれて、さらに出汁が
豚骨、鶏、魚介とその合わせとに分かれていき、それぞれにあっさりから濃厚まで味が大幅に違うことで好みも分かれていきます。
音楽に例えれば、クラシック、ジャズ、歌謡曲その他あって、クラシックにも声楽、管弦楽、器楽などと分かれ、それぞれバロックや古典派から現代まであり、人それぞれ好みの音楽が存在します。
ラーメンは何でも好きという人や音楽は全ジャンル精通するという人もいますが、普通はブルックナーのシンフォニーが好きだという人に音楽好きならとアイアンメイデンのCDをプレゼントしても捨てられてしまうように、あっさり塩ラーメン好きにぎっとり濃厚豚骨が旨いと薦めてもしょっぱすぎると受け付けられないのは仕方ないことです。

わたしは神奈川県民なのでいわゆる横浜家系ラーメンを食べる機会が多く、それが自分のラーメンの基準になってしまっています。
鶏ガラも使っているそうですが豚骨醤油というのが味の基本で、塩では物足りなさ感が高く味噌は出汁の味が分からなくなるので好きでなく、魚介出汁は味が嫌いなので食べません。
音楽はクラシックが好きですが、学生時代はロックも聴いていたのでそのあたりは守備範囲ですが、12音技法以降の音楽はまったくダメだしへヴィメタルもわたしには騒音です。
音楽もラーメンも好きなのはごく一部で、何でもOKというわけにはいきません。

紀州ラーメンは豚骨醤油なのでストライクゾーンのはずでしたが、入った店は残念ながら魚介出汁も使われていて、完全に好みに合わない味に変質してしまっていました。
徳島では旨い豚骨醤油にありつけましたが、奈良では同じく魚介合わせで失敗、あるいは超濃厚豚骨というのでくどすぎてダメということもありました。
では、豚骨醤油で濃厚過ぎなければよいのかといえば、慣れ親しんだ味だけに味に納得いかないというところも多くあります。
先に横浜家系と言いましたが、これも店によって味が一様ではなく、まず修行した店に寄って系統が分かれますが、さらに店の特徴を出そうとして独自のアレンジをしているケースが多くそういうアレンジのほとんどはうまくいってないように思っています。
神奈川県内の横浜家系ラーメン店は30軒くらい食べていますが、ここは旨いと思えるのは数軒のみです。
実際には、お腹空かせて食べに行くのでいつもそれなりの満足感を得られるのですが、出先でラーメンを食べるということは期待感も高くその分がっかり度は高くなるということですね。

さて、本日の作例ですが、もう1枚黒江の古い町並みの写真を続けました。
昨日、たらいの中に花を飾ると書きましたが、調べてみるとやはり漆器づくりに欠かせない漆を攪拌するためのくろめ鉢という名の桶だそうで、長年使用されたくろめ鉢を景観づくり協議会とボランティアの皆さんで8戸の民家に設置したとのことです。
使われてきた道具はその土地の古民家と絶妙のハーモニーを奏でるものですね。
桶の内側の漆の黒が花を浮き立たせているのも素敵です。
また、左側の屏は道に平行ですが、右側の建物は幾分斜めになっていてのこぎり状の並びになっているのが分かります。
そのせいで路地がまっすぐにならずにアップダウンがあるように見えるようないびつな線を描いて、古民家の格子の垂直線とくろめ鉢の円とがつくる安定感に不思議な趣を与えています。
単に古いことに感動するのとは違う、町並みをじっくり見るおもしろさを教えてもらったような気がしました。
【Alpha7II/Serenar 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon Serenar 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/30 Tue

のこぎりとうるしの町

Serenar 50mmF1.5
来たときとは違う道だったので、時間も押してきてあせりつつ湯浅の駅に戻りました。
到着時に湯浅駅で下車したのはわたしも含めて3人だけで不安になりましたが、乗車時には10人ほどいてあまり意味もなく嬉しくなったりします。
今度は、和歌山駅の4つ手前の黒江駅で下車しましたが、今度も3人しか降りなくて、不安感がよみがえります。
黒江にも古い町並みがあるのですが、駅からは15分くらい離れているようです。
改札を出たところにあった地図を見ていたら、若い駅員さんがどこへ行くのかと心配してくれ、左側にしばらくずっと歩けば古い町並みですと教えてくれました。
戻ってきたときも暑かったでしょうとねぎらいの言葉を掛けてくれましたが、親切な方だというよりも、これが地方の駅員さんとしては当たり前の姿なのかも知れません。
ちょっとしたひと声でこの駅や町に親しみを感じたり好きになるということは往々にしてあることですが、この駅員さんも同じような体験をしてそれをきっかけに一言コミュニケーションを大切にするようになったのではと思いました。

黒江は漆器でたいへん有名で、加賀の山中漆器・輪島漆器、福島の会津漆器と並んで三大漆器と呼ばれる紀州漆器の本拠だということです。
古い町並みのエリアに入ると、住宅が漆器工房のようになった古民家も見られ、なかなか好い感じです。
湯浅で醤油を買いましたが、漆の器もいいなあと思いつつ、漆器は贅沢品だからと店に入るのは諦めて玄関越しに眺めるだけにしました。
旅をしていること自体が贅沢な行為ですから、旅先の買い物とかおみやげとかになるといつもブレーキがかかってくれて経済的には助かっています。

黒江は、湯浅と違い重要伝統的建造物群保存地区には指定されていません。
そのため、町並みの多くが建て替えで新しい家屋になってしまっているというか、県内で重要伝統的建造物群保存地区を検討した際にはすでに町並みのところどころが新しくなっていて選外になったというような気がします。
魅力がないわけではありませんが、やはり湯浅と比べると少々見劣りしますし、駅から遠く駐車場も設置してないこともあり訪れる人はずっと少なくなってしまうようです。

伝統の漆器と町並みをうまく組み合わせるなどして盛り上げられないものでしょうか。
和歌山市からは電車でも車でも10分少々のアクセスの良さです。
古民家カフェがありましたし、大きな造り酒屋も見えており、その向かいには古民具を展示した資料館があったようです。
古民家の軒には漆器の製造に使うたらいのような大きな木の入れ物に花を飾っているところが多く、なかなか好い雰囲気です。
まだこれらだけではインパクトとしてもう1つ2つ必要でしょうから、地場グルメでも漆器市でも追加したものでウェブサイトを開設するなりの周知をして人を集めてほしいです。
わたしは人混みが苦手ですが、ほとんど人を見ないというのもダメなわがままな町歩き好きで、黒江の町がこのまま埋もれてしまうのはもったいないと思わずいられません。

さて、本日の作例ですが、黒江の古い町並みの特徴を示しているのこぎり状の家並みです。
もっと好い名前がありそうなものですが一般にのこぎり状の家並みと呼ばれているのは、通常、家は道路と水平に建てられるところを、1軒1軒道路に斜め向きに平行に建っているため、上から見るとのこぎりの刃の形に見えるからです。
道路もギザギザなので、車が通りにくそうですね。
どうしてこんな家並みができたのかは諸説あってはっきりした答えは分からないそうですが、町の区画が平行四辺形だったからという説が有力とあり、それにしたって道に平行に建てればよさそうに思えるのでわたしにはこの説は理解不能です。
しかし、道路正面から見ると建物がみなこちら向きになるので、遠近法を無視した絵のような何とも不思議な町並みに見えるのがユニークです。
【Alpha7II/Serenar 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon Serenar 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/29 Mon

日本初醤油

Serenar 50mmF1.5
少し前に大阪に行ったとき、中之島から大阪駅方面に歩いてきて地下街に入ったところ、その名も湯浅という居酒屋さんを見つけました。
湯浅で水揚げして直送されてきた魚が食べられるとうたっていたので、古い町並みのある湯浅という地名は知っていましたが、港町でもあることと分かり俄然興味が湧きました。
お昼を食べたばかりだったのでそこには入りませんでしたが、今度大阪に行くときはランチでどんな魚が食べられるのか利用したいと思っています。

和歌山の帰りの電車で訳あって関西の方と話をする機会があったのですが、湯浅に古い町並みを見に行ったというと、あそこにそんな町があるんですか、釣りではよく行ったとこなのにと町並みの位置を聞かれましたが、歩いていて釣り船の表示を見たので、恐らく漁港からそう離れていないと思うと言うとますます意外だったようです。
意外と知られていないのですね。
作例の道路の右手はすぐ川でしたが、左側にも水が見えるので歩いているところは橋だったかも知れません。
水辺に立ち並ぶのは古い醤油醸造所の建物で、造られた醤油が水運を利用して大阪などで商われていたのが想像できます。。

建物は角長さんという醤油さんでしたが、この醸造所は1866年に建ったというので、ペッツバールレンズを使っていれば年代的にはちょうどよいと思っていたら、創業が1841年とのことでほとんどペッツバールレンズの歴史と合致する醤油屋さんです。
なんと、湯浅が日本の醤油の発祥地なのだそうです。
鎌倉時代の禅僧であった覚心が宋から径山寺味噌の製法を伝え、改良が加えられる中で湯浅の水と結びついて醤油ができたと言われています。
おみやげで買った手づくり醤油はびっくりするような美味しさで、日常使っている醤油とは別物の、調味料ではなく旨みソースともいうべき液体でした。

角長には醤油に関する資料館もありましたが、今回、見学は断念しました。
移動に時間がかかるのを分かっていながら、この後もう3ヶ所短時間のうちに見ようと、かなり無理ある計画を立てたために時間切れになってしまったからです。
和歌山方面の列車は30分に1本あるので1本遅らせてもよかったのですが、見残しておけばまた来たくなるだろうし、それも好いだろうと考えました。
醤油が美味しかったですし金山寺味噌も有名なので、今回行けなかった寺院や釣りなどと組み合わせて1泊で来れればと思います。

甚風呂の女性によれば、湯浅を訪れる外国人がここのところ増えているそうです。
特に台湾人が多いそうですが、台湾にも老街という古い町並みを愛好する人がいっぱいいるので、伝統建築と素朴な空気が味わえる湯浅の良さは口コミで広がったのでしょう。
大阪から余裕の日帰り圏ですが、南に白浜や梅干で有名なみなべもあり、1泊で訪れたいところです。
近隣も含めると温泉の宿が何軒かあるそうですが、保存地区には宿はないそうです。
そういえば徳島県の古民家宿でとても気に行ったのは日和佐でした。
日和佐と湯浅、響きが似ていますし町並みにも似た雰囲気を感じますので、ぜひ湯浅にも古民家の宿をつくっていただきたいものです。
【Alpha7II/Serenar 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon Serenar 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/28 Sun

人生初和歌山

Serenar 50mmF1.5
奈良滞在はすっかり長くなってしまい、そろそろ神奈川県の自宅に戻ることにしました。
その前にすっかり忘れかけていた残りの青春18きっぷを使いきらないといけません。
2枚あって1枚は自宅へ帰るときに使用予定なので、もう1枚を消費すべく日帰りの旅に出ることにします。
行先は少々悩みましたが、月初に徳島へ行ったときのように行き当たりばったりではなく、日帰りが無理なくでき、古い町並みの多い隣の和歌山県に行く計画を立てました。
目まぐるしい旅になりそうで、かなり早起きして出掛けます。

6:57奈良駅を出発し、天王寺乗り換えて通勤ラッシュと関空へ向かう旅行者でむせ返す快速に乗って和歌山着、さらに紀勢線に乗り換えて45分ほどで湯浅駅に到着しました。
湯浅は有田郡湯浅町なので、みかんも名産地なのかも知れませんが、広く古い町並みが残っていることで知られた歴史ある町です。
主要なエリアは国から重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けているそうですが、遺跡のような保存ではなく住居はそのまま住まいとして生かされていて、町中には人通りがあって活気が感じられるところです。

駅から保存地区までは歩いて10分かからず便利ですが、駅前には観光案内はなく、やや分かりにくいので地図を用意した方が無難です。
前述のように人通りが少しあったので、わたしは行き方を聞いて向かいました。
駅を出てすぐのところに、普通の舗装路ながら熊野古道という表示を見つけて、ちょっと驚くと同時に湯浅が歴史的に重要な町であったのだろうと想像しました。
町中にある深専寺は、大仏建立に携わったことで知られ、近鉄奈良駅前に銅像が建っている行基さんの創建というので、奈良を出発して奈良ゆかりの地へやって来たようです。

町並みを楽しみながらあちこち歩き回って、細い路地の途中に甚風呂という施設を見つけました。
江戸時代からの歴史ある銭湯を生かしてリフォームした町の資料館です。
男女それぞれ7、8人も入ったらいっぱいになってしまいそうな懐かしい感じのかわいらしい銭湯はそのまま残し、住居スペースを古道具やカメラ、金庫、レジスターなどがぎっしり展示してあって興味深いです。
管理されている女性がとても気さくで、質問には何でも答えてくれますし、彼女の話を聞いていれば湯浅の町に誇りを持っているのが伝わります。
ふいごそっくりの道具があったのでこれを吹いてお風呂の火力を上げてたんでしょうねえと言うと、みなさんそのように間違われますと彼女が蛇腹のところをぎゅっとたたむと威勢のいい音がしました。
むかしの船で使われた汽笛とのことでした。

さて、本日の作例ですが、適当に歩いて撮ったのでどこそこと特定できませんが、湯浅の美しい町並みを切り取った1枚です。
建物の多くは町家のように見えましたが、ところどころの家にあるうだつが目立っていて、奈良町とは印象がだいぶ違いました。
港町であまりアップダウンがないからでしょう、地元の方は自転車に乗っている方が多かったです。
作例に人物を入れて絞り開放で撮るのが唯一の決まりであるこのブログですが、F1.5クラスになるとどこにピントを合わせて、自転車がどこに来たときに撮ればいいのか悩みます。
もたもたしていると自転車はあっという間に通り過ぎてしまうのでした。
【Alpha7II/Serenar 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon Serenar 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/27 Sat

屋台がないと子どもは来ないなあ

Serenar 50mmF1.5
奈良県、奈良市元興寺
【Alpha7II/Serenar 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon Serenar 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/27 Sat

やっぱりみんなコピーじゃなかった

Serenar 50mmF1.5
デッドコピーとかクローンと言われるレンズがあります。
戦前のニッコール5cmF2は、コンタックス用のゾナーを分解採寸し、同様な性能になるようガラスの種類をトライアルアンドエラーで当てはめて完成させたと言われており、当時のカメラ雑誌でも性能の良さに中身はツァイスのゾナーではないかと疑ったそうですので、それが本当であれば、デッドコピーないしはクローンレンズと思われていたということでしょう。
戦後は、ニッコール5cmF2は硝材の不足もあって何度か設計変更され、最終的には新種ガラスが採用され、デッドコピーとは到底言えない設計になっていると思います。

ニッコール5cmF1.5にも同様の歴史があるようですが、詳しいことは分かりませんし、戦前は商品化されませんでしたので、1949年に初めて発売されたものはやはりデッドコピーではなかったのではと想像しました。
それでは、1952年に発売されたセレナー50mmF1.5はどうだったのでしょう。
やはり情報はさっぱりありませんが、比較にぴったりの道具を入手していたことを思い出しました。
恐らくカーブ計と言われる球面の曲率を測るためのもので、昨年、スロベニアのリュブリャーナの骨董品屋でメガネ屋が使っていたものだと言って見せてくれたものを手に入れました。
ストップウォッチのような外観で、球面に計測部を押し当てると針が数値を指し示します。
凹レンズ-20~0、凸レンズ0~20まで計測でき、0は球でなく平面であることを意味します。
0に近いほどカーブはなだらかで、大きな球ということになりますが、この数値の単位が分かりません。
例えば5.0だと曲率はいくらとか分かればいいのですが計算法不明ですので、今回は比較のため数値をそのまま記載します。

せっかくですから家にある3群7枚のゾナータイプレンズ6本で、分解せずに計測できる前後玉の径と曲数を記録しました。
ざっと径±1mm、曲数0.1程度の誤差の可能性があることはご容赦ください。
➀Zeiss Sonnar 5cmF1.5 前玉径34.4mm、後玉径24.7mm、前玉曲数9.8、後玉曲数5.0
②Jupiter-3 50mmF1.5 前玉径34.2mm、後玉径24.5mm、前玉曲数9.8、後玉曲数5.0
③Schneider Xenon 5cmF1.5 前玉径35.3mm、後玉径26.4mm、前玉曲数10.1、後玉曲数4.1
④Nihon Kogaku Nikkor 5cmF1.5 前玉径34.2mm、後玉径25.2mm、前玉曲数9.4、後玉曲数4.4
⑤Canon Serenar 50mmF1.5 前玉径35.3mm、後玉径22.9mm、前玉曲数10.0、後玉曲数5.1
⑥Tanaka Kogaku Tanar 5cmF1.5 前玉径34.3mm、後玉径23.6mm、前玉曲数9.6、後玉曲数4.4

レンズ径を誤差の範囲とみなせば、ジュピター3がゾナーと同型のまま製造されたコピーレンズということの裏付けになっていると思います。
前後のレンズ径や局数=曲率の違いが撮影結果にどの程度影響するのかよく分かりませんが、少なくとも曲数が違えば分解採寸による同型のレンズではありません。
その意味で、少なくとも、クセノン、ニッコール、セレナー、タナーの各F1.5レンズはゾナーのデッドコピーやクローンではなく、お手本にしていたとしても改良が行われたと曲数が示しています。
クセノンを除けば、改良とは新種ガラスの採用のことでしょう。
しかし、日本光学が1950年にニッコール5cmF1.5、F1.4と同じ3群7枚のレンズを立て続けに投入した中で、1952年のセレナー50mmF1.5の発売にどのような意味があったのかは依然としてよく分かりません。
もとは日本光学からレンズ、マウント、ファインダーの供給を受けていましたが、1947年に光学ガラスが不足した際にニコンカメラ用を優先させた同社と関係が冷え込み、翌年には取引関係がなくなったことで、キヤノンが敵愾心からのこのレンズを発売したのだとしたら、その後の両社の関係を象徴するレンズとして面白いですね。

さて、本日の作例ですが、元興寺の地蔵会で開かれた邦楽の演奏です。
過去に関東のお祭りなどで邦楽合奏を何度か聴きましたが、いずれもお琴教室の発表会のような内容で、曲も童謡やアニメのアレンジものばかりでじっと何曲も聴くのは辛い内容でした。
初の本格邦楽を聴く機会でしたが、カメラマンたちが演奏が始まってもずっと写真撮影を止めません。
半野外のような演奏会場なので繊細な琴の音はレリーズ音の妨害でかき消されてしまいます。
そんな状況がしばらく続いて、集中が切れたわたしは音楽が聴く努力を諦めて、他人のカメラを呪いながら会場を立ち去りました。
演奏されている方はどういう気持ちだったのでしょうか。
【Alpha7II/Serenar 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon Serenar 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/26 Fri

R4Serenar

Serenar 50mmF1.5
誤解もあるかも知れませんので最初に書いておきますが、今回のセレナー50mmF1.5と6月にベトナムで使用したR-セレナー5cmF1.5はまったく違うレンズです。
前者は3群7枚のゾナータイプなのに対して、後者は4群6枚のガウスタイプと構成が異なっています。
先日購入したPeter Kitchingman氏の大著”CANON M39 RANGEFINDER LENS”ですら、50mmF1.5レンズの項で両者はいっしょに扱われ、ゾナー型のレンズ構成図のみが付されているので、R-セレナーもゾナータイプと間違われているケースがあるかも知れません。
表の中のレンズ構成は正しく書かれていたので好く読めば間違いませんが、R-セレナーはレントゲン撮影用であってオリジナルのM39レンズではないので、構成図付きで別項を立てて記載してもらいたいところです。

同著によれば、セレナー50mmF1.5は1952年10月の発売ですが、同年12月にセレナーという名称の使用を止めるとキヤノンからアナウンスがあり、以降のレンズ名称はキヤノン・レンズ(CANON LENS)となったそうです。
そのため、セレナー銘のレンズの製造期間は2ヶ月ほどとたいへん短く、わずかに700本強しか製造されませんでした。
キヤノン・レンズでは過渡期の微妙な刻印違いが4ヶ月ほどの間に約700、その後1957年までに16500本ほどが製造されました。
わたしはすでにキヤノン・レンズの方の50mmF1.5を持っていましたが、この項を読んだことでセレナー銘の方が欲しくなり、何ヶ月かオークションをチェックする中で、今回、安価にこの珍しいバージョンの方を手に入れられたのです。

2つのレンズは、刻印が違う以外まったく同じレンズです。
すでに持っているレンズを名前が違うからと19000円も出して買う神経を疑われそうですが、より初期の型で製造数が少ない希少なタイプで、コンディションの割に安いので買ったといえば、レンズに限らずコレクションをしている人は理解してくれることでしょう。
前述書の希少度をあらわす6段階のレートでは、今まで持っていたものがR6でレア度はありませんが、セレナー銘はR4とだいぶ希少度を増しています。
過渡期タイプはR3でさらに希少ですが、これが欲しいとは思ってないのでどうぞ安心してください。

このレンズの発売時期が1952年と遅いのは、わたしにとってたいへん意外でした。
キヤノンの標準レンズの中で唯一ゾナータイプが採用されていますが、その理由として終戦直後まで日本光学からレンズ供給を受けていたキヤノンはしばらくレンズ設計で試行錯誤があって、ようやく1951年のガウス型のセレナー50mmF1.8でオリジナリティと高性能を達成したと言われています。
50mmF1.5はそれ以前にコンタックス用ゾナーを丸写ししてつくったコピーレンズだと思っていました。
大好評でベストセラーになった50mmF1.8の翌年の発売と知ると、なぜ得意でないゾナータイプをその時期にと不思議でなりません。

さて、本日の作例ですが、元興寺の地蔵会の大法要がおこなわれた様子です。
これだけのお坊さんの読経は初めてでしたが、心奪われる迫力でした。
それにしても、沈みかけている夕日とはいえ、完全な逆光でコントラストを維持してゴーストも発生しないとは、64年前の国産レンズとは思えない性能です。
昨日の作例ではゾナータイプらしい色抜けの良さが際立っていて気に入りましたが、地面を見ると糸巻き型の歪曲があるようで気になりました。
そこで、あらためて先ほどテストしてみましたが、目視で分かるほどの歪曲はありませんでした。
やはり、優れたレンズだと確認できました。
【Alpha7II/Serenar 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon Serenar 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/25 Thu

名刹に襟を正す

Serenar 50mmF1.5
昨日、今日と元興寺で地蔵会が開かれたので、今夜、覗きに行ってきました。
元興寺は、西暦588年に蘇我馬子によって開基されたとする、たいへん歴史ある古刹です。
JRで奈良のキャンペーンをやっていましたが(関西限定?)、そのポスターに使われているのが元興寺で、大阪や京都の駅でなんども見ました。
他の有名寺院ではなく元興寺がポスターに採用されているというのは、東大寺や興福寺、唐招提寺、薬師寺と同じくらい観光誘致に効果があるということなのでしょうね。
その元興寺は、わたしが滞在している友人の宿の裏手にあって、3分も歩けば着いてしまうご近所でした。
そんな場所で商売している友人の偉大さを再認識しつつ、まだ明るいうちに出発しました。

今日のレンズは、Canon Serenar 50mmF1.5です。
つい先日オークションで落札して、奈良の宿宛に送ってもらいました。
もう1ヶ月近く友人の宿にいますが、レンズ1本でやって来たのに、中国で修理や改造に預けていたレンズを回収してきて、さらにオークションなどで数本のレンズを加えて、部屋の中の置き場に困って段ボールでレンズ収納ケースを作って対応しています。
その中には、F1.8、F2クラスのレンズがありましたが、ついにF1.5レンズが加わったことになります。

到着したレンズは、オークションの説明にあったように外観美品でレンズエレメントにもくもり、カビはなくわずかな拭きキズのみです。
言及されていませんでしたが、フォーカスリングがシルキータッチともいうべき絶妙の動きで、ヘリコイドグリスが60年以上も劣化しないことはあり得ないでしょうから、比較的最近になってオーバーホールされたのだろうと想像できます。
その際レンズがクリーニングされたのであればきれいなのは納得ですが、無理な研磨がなされていたり、素人の手になる作業とすればレンズに見えないダメージや組み上げ時の偏芯があるかも知れません。
それらは、撮影結果などで検証していく必要があります。

落札価格は19000円でした。
状態の説明が信じられそうだったので、20000円までなら出してもよいと判断して入札し、結果的にはそれより少々安く終了したというかたちです。
今までそれほど関心を持って来なかったので、国産ライカマウントレンズの相場ははっきり分かりませんが、状態の好いF1.5高速レンズが20000円しないとなると、ジュピター3を除けば最安で入手できたとは言えそうです。
特に、キヤノンの50mmF1.5の中では、Serenar銘のものは数が少ないので、わたしはそれ故欲しかったのですが、好い買い物ができたと思っています。

さて、本日の作例ですが、元興寺に到着するやいなや撮った1枚です。
入り口である東門から入る手前で本堂に向かった位置ですが、絶妙な場所に浴衣の男女がいるというラッキーなシチュエーションでした。
いつもでしたらカメラはバッグの中に入れていて、しばらく歩いてからそろそろ撮りますかと取り出すのですが、今日は宿からあまりに近くてカメラを裸で持っていったのでいきなり撮影できたという次第です。
この撮影結果を見る限り偏芯やその他のダメージを受けた痕跡はなさそうで、ひとまずホッとしました。
もうひとつラッキーだったのは、5時までだったら元興寺の拝観料は500円でしたが、そのわずか後に着いたことでタダだったことです。
この2つのことだけでも幸運な1日に感じられました。
【Alpha7II/Serenar 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon Serenar 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/24 Wed

M3の前年デビューって

Tanar 5cmF1.8
法輪寺から法隆寺まではすぐ近くのはずですが、迷ってしまい移動に30分近くかかってしまいました。
歩いてもその半分ほどで行ける距離ですが、法起寺、法輪寺で三重塔をランドマークのように見ながら向かえたので、法隆寺は五重塔が見えるはずだからと進んで通り過ぎていたのでした。
法隆寺はこの2つの寺院よりはるかに広くて中央にある高い五重塔が見えないのです。
スケールの大きさもそうですが、それ以上に法隆寺の拝観料1500円というのにも驚かされました。
五重塔や金堂などの世界最古の木造建築を誇る法隆寺は、保安コストが並大抵ではないのでしょう。

田中光学のカメラとレンズの関係を記しておきたいと思います。
カメラ雑誌に掲載されたメーカー広告を集積した本がありますが、田中光学ではその時の現行カメラ1機種と(例外的に2機種の時期もあり)、選択できる標準レンズが必ず記載されていました。
カメラ機種は次の6種類の販売期間(一部は類推です)、レンズを記載しますが、最後のTanack VPは発売前に田中光学が倒産したので、広告はありません。
Tanack 35 (1953.11 – 1954.8) 5cmF2.8, 5cmF3.5
Tanack IIIS (1954.8 – 1955.2) 5cmF2.8, 5cmF3.5
Tanack IVS (1955.2 – 1958.11) 5cmF2, 5cmF2.8, 5cmF3.5
Tanack SD (1957.7 – 1958.12) 5cmF1.5
Tanack V3 (1958.12 – 1959.12) 5cmF1.5, 5cmF1.9, 5cmF2.8
Tanack VP (Unreleased) 5cmF1.8

田中光学がカメラを製造していたのはわずか7年で、そのなかで6機種製造していたのですから、Tanack IVSが3年半少々製造され続けたのを除くと、どれも1年程度の短命です。
標準レンズは、当初F2.8とF3.5というオーソドックスな2本でスタートしていますが、もっと明るいレンズをという要望はユーザーにも社内にもあったのでしょう、IVS型から待望のF2が登場します。
Tanack SDはそれまでのバルナックライカそっくりだったデザインを一新して、ニコンS2のような外観の一眼式ファインダー、レバー巻き上げ、自動パララックス補正を備えた画期的なカメラとし、それに見合う大口径のF1.5レンズを投入しました。
しかし、過度の変更のため製造はうまくいかず、スペックダウンさせたV3に変更するのですが、なぜかレンズもいっしょにスペックダウンしてF1.9になってしまいます。
さらに、VP用のレンズもF1.5かF1.9、F2で十分そうなものなのに、新レンズのF1.8を投入しようとして、田中光学は息切れてしまいました。

田中光学がカメラ事業に手を染めた1953年は、日本のカメラメーカーにこれはかなわないと根を上げさせたライカM3が発売された前年で、力のあるメーカーや決断力のあるメーカーはレンジファインダーを捨てて一眼レフに転じて、そのことにより逆に日本のカメラの一時代を築くことになるのですが、開発力の問題などでレンジファインダーカメラに固執したメーカーは悲劇的な運命をたどります。
田中光学もライカM3を見た段階でカメラ製造から撤退していれば、カメラ関連企業として生き残れたかもしれないのに、カメラもレンズも矢継ぎ早につくっていわば自分の首を絞めるようにして倒れたように見えます。
しかし、そのおかげでわたしはユニークで意外に優秀なレンズ群を楽しむことができるのですから、田中光学の努力とわずかの栄光を讃えないではいられません。

さて、本日の作例ですが、法隆寺の西院から東院へ向かう途中の境内で撮影したものです。
有名な五重塔や夢殿より、何百年も前からまったく変わらない空間が残っているように見えるここがすばらしく感じました。
目の前を歩いていた男女が手をつないでいるのかと思えば、よく見ると1つの数珠でふたりの手首を結んでいると気付き、思わずシャッターを切りました。
初めて訪れた法隆寺ですが、やはり期待通りにすばらしくまた訪れたいですが、次回はぜひ境内で柿にかじりつきたいと思います。
【Alpha7II/Tanar 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Tanaka Kogaku Tanar5cmF1.8 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/23 Tue

伝統寺院の非伝統への対応

Tanar 5cmF1.8
15日のほうらんや火祭、16日の稗田阿礼祭に続いて17日は法隆寺に参拝に行ってきました。
法隆寺は、JRの同名の駅があって奈良から10分ほどで着きますが、奈良町の滞在先からJR奈良駅まで徒歩約20かかり、法隆寺駅から法隆寺までも20分くらい歩くというので、それならばと今回も自転車で行ってみることにしました。
自転車用のオイルを買ってきて、チェーンとギア部分にたっぷり注油し、作動部の音が軽快になったのを確認してから出発します。
2日続けて借りるので大切に使わないといけません。

昨日の経験で奈良町から郡山まではまったく平坦でしたが、法隆寺はその先でしたので素直にそう行けばよかったのですが、地図でより最短のショートカットを目指したのが失敗でした。
具体的には、西の京の少し先から富雄川に斜めにぶつかる道ですが、このあたりは丘陵の住宅地帯で緩やかですが長い上り坂がきつく、奈良の最高気温が連日37度前後になっている中でくらくらになりました。
漕ぎ続けてようやく下りになって地獄から天国へ変わり、コンビニが見えてきたので飲み尽くしたドリンクの補充のため休憩をとります。

この日はトータルで500mLのペットボトル4本と1Lを1本飲みましたが、こんな暑い中で自転車に乗るのはかなり無理があるなと実感できる量ですね。
いつもお茶系のドリンクばかりですが、最近は炭酸水もしばしば飲むようになりました。
炭酸水は、無糖のお茶のペットボトルのないヨーロッパでよく飲んだものです。
むかし誰かの旅行エッセイで、ガス入りのミネラルウォーターは味がなくてまずいというのを読み、そんなにまずいものかと試してみたら冷えていれば意外にイケると感じ、以降、ヨーロッパを旅した時は必ずガス入りの水を飲み続けていました(もちろん夜はビールかワインです)。
まずいと言った人はきっとコーラ系のドリンクが好きで、炭酸水は甘くなくて味がないと感じたのでしょう。
日本ではその頃炭酸水なんて売っていませんでしたが、最近は自販機でこそ見ませんがコンビニ、スーパーでは普通に売られるようになったので、わたしのようなファンが増えているに違いありません。

奈良市内は車の交通量が多くて、それを回避したいということもあって妙なルートになってしまったのですが、富雄川にぶつかると川辺の走りやすいサイクリングロードになって、快適度が一気に上がりました。
大和郡山から斑鳩町に入ってすぐに法起寺の美しい三重塔が見えたので今日最初の参観です。
法起寺はお宮さんだったのを寺に改めた、聖徳太子建立の寺のひとつだと言われる古刹です。
シルエットの美しい三重塔は西暦708年の創建で国内最古ですし、奈良時代の十一面観音像や美しい蓮の池など、大きな寺院ではありませんが訪れる価値は高いと思います。
駅から離れているため車がないとアクセス不便で、道路沿いながらひっそりした感じも気に入りました。

続いて本日の作例ですが、法起寺にほど近い法輪寺の表門付近です。
ポケモンGOはいけませんよとわざわざ貼紙しているのは、なにかトラブルがあったのか、評判を聞いていち早く禁止とする先鞭を付けたのか気になりました。
法輪寺は、聖徳太子が病に倒れたときに御子によって回復を願って建立されたと言われる寺院で、やはり奈良時代の仏像があり、間近で見られることもあってすばらしさを肌で感じられます。
国宝だった三重塔は1944年に落雷で焼失してしまい、写真のものはその後に再建されたそうです。
2週間前に徳島を訪れた際にも同じころ大地震があって津波により町が流されたという話を聞きましたが、終戦前の苦しいときに各地でたいへんなことがあったのですね。
自然災害はむしろ増えているのですから、こうした過去の災害に学ばなければいけないと強く思います。
【Alpha7II/Tanar 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Tanaka Kogaku Tanar5cmF1.8 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/22 Mon

聡明な語り部の末裔たち

Tanar 5cmF1.8
奈良県、大和郡山市稗田
【Alpha7II/Tanar 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Tanaka Kogaku Tanar5cmF1.8 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/21 Sun

上から入れてたのでした

Tanar 5cmF1.8
タナー5cmF1.8は、100本程度の製造数だとおととい書きましたが、この数字には自信がありません。
わたしの知っているオールドレンズ愛好家二人が所有していて、さらにクラシックカメラ専科No.45と世界のライカレンズPart2の2冊にも掲載されているので、わたしのを入れると5本が現認できてしまうからです。
100本のうちの5本ですから5%で、例えばライツの初代8枚玉35mmズミクロンのスクリューマウント版は確か700本ほどの製造だったので、じゃあ知り合いや書籍に掲載分合わせて35本も出てくるかと言えば、絶対にそんなことはありえないでしょう。
100本という製造数がどうも怪しいようです。

5本のうち4本は製造番号が82118、82121、82326、82345と分かっていますが、Camerapediaというウェブサイトに82325、82426がタナックVPというカメラに付いていたと記載されています。
そのタナックVPですが、このカメラは設計が進んでいたものの1959年12月に田中光学が倒産したために、レオタックスGなどと同様、債権者ないしは修理工が仕掛品を組み上げて少数が世に出ただけの幻のカメラと言われています。
レオタックスGは500台くらいかという説がありますが、タナックVPは数台から数十台程度ではと言われているようです。

タナックVPが計画された1959年は、すでにライカM3が発表されて5年が経ち、ニコンFやキヤノン・フレックスなどの高級一眼レフが発売になった年ですから、旧タイプのレンジファインダーとしては、M3を超える高性能を打ち出すか、機能を落として低価格で勝負するかのどちらかしかありませんが、国産各社ではF2以上の高速レンズを搭載したレンズシャッタータイプの低価格カメラが普及し出したときで、もはや田中光学の余命は残されていなかったのです。
ニコンSPを思わせる前衛的なファインダーにはパララックス補正機能が省かれ、シャッターも高速と低速の2軸のままで最高速は1/500秒と、見た目と性能のアンバランスな中途半端なカメラになったのはやむを得ないでしょう。

このタナックVP用に用意されたタナー5cmF1.8は、カメラのデザインにフィットするようシルバーの深い切り込みをローレットに意匠したゼブラタイプのユニークなデザインのレンズです。
しかし、このデザインは前掲の製造番号82325以後のもので、821番台は平凡な黒鏡胴です。
821番台はVPのデザインが決まる以前のプロトタイプかも知れませんが、サンプル数が少なすぎて推測することもできません。
ゼブラタイプもサンプルは少ないですが、82325から82426まであるというので、そこだけをとらえれば100本程度になります。
何本かはカメラとセットで、それ以外はレンズ単独で、債権回収の少しでも足しになればと売りに出されたのでしょうが、まともな値段で欲しがるところがあるとも思えず、二束三文でまとめてどこかが引き取ったように思われます。
後年になって、希少価値のためにカメラもレンズも高価に取引されるようになるのは、時代の皮肉といえるでしょうか

さて、本日の作例ですが、5月に大和郡山を散策した時に面白かった、カフェにある金魚の電話ボックスを再訪して撮ったものです。
稗田阿礼祭はお昼前にいったん午前の部が終了となり、午後に子ども神輿渡御などが行われるというので、お昼を食べてから戻って来ることにしました。
こうなると自転車は便利で、近くでラーメンを食べてまだだいぶ時間があったので、電話ボックスのことを思い出して行ってみたのですが、今年から始めたというかき氷を食べて、オーナーの方からどうしてこのカフェをオープンさせたのかの話をじっくり聞くことができて充実の昼休みでした。
彼のコーヒー豆の炒り方へのこだわり、家族に対する愛情、さまざまな幸運などが重なって個性的なカフェを作らせたとのことで、そんな話を聞いたらコーヒーも飲みたくなってすばらしい深煎りを味わわせてもらいました。
倹約しているときにかき氷とコーヒーで、わたしとしては思わぬ出費でしたが、価値ある使い道でしたし、またコーヒー飲みに行きたいと思います。
【Alpha7II/Tanar 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Tanaka Kogaku Tanar5cmF1.8 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/20 Sat

1300年前の偉業を讃えて

Tanar 5cmF1.8
ほうらんや火祭に続いて、8月16日は稗田阿礼祭があると今回もUSさんに教えていただき出掛けてきました。
大和郡山市の稗田で行われるそうで、電車なら近鉄で奈良から大和西大寺経由の大和郡山駅へ出て徒歩15分くらいですが、友人が奈良町から20分で行けるからと自転車を貸してくれたので、炎天下に必死で漕いで体力不足でどうにか30分かけて到着しました。
会場は売太神社となっていて、えっ? バイタ神社かと焦りましたが、メタ神社と読むそうで失礼いたしました。

稗田阿礼は、ひえだのあれいと読みますが、7世紀後半に生まれて天武天皇の舎人となり、優れた記憶力によって天皇に関する伝承である帝紀、旧辞を諳んじたという人物です。
後年、阿礼が思い出しながら読んだ帝紀、旧辞を文官であった太安万侶が筆録して、天明天皇の命によって712年に編纂されたのが日本最古の歴史書である古事記でした。
古事記の序の中で、人となり聡明にして、目に度(わた)れば口に誦(よ)み、耳に払(ふ)るれば心に勒(しる)す、と阿礼の聡明ぶりが書かれています。

稗田阿礼祭りは、児童文学者であり夕焼け小焼けの作詞者としても知られる久留島武彦が阿礼の語り部としての功績を日本のアンデルセンと讃えて関係者に呼び掛け、阿礼ゆかりの稗田で1930年に始まりました。
今年が67回目になります。
小学生の巫女による阿礼さまの舞が奉納され、地元の子どもたちの阿礼さま音頭などの踊りがあり、むかしばなしの読み聞かせや子ども神輿渡御など当初からの趣旨が守られた祭りと言えると思います。

宿を出ていくのが遅れてしまい、わたしが懸命に自転車を漕ぎ漕ぎ到着した時には、すでに肝心の阿礼さまの舞が終わってしまっていました。
次の子どもたちの踊りを前にして円形に引かれた白線に沿ってカメラマンたちが陣取っていたので、そのすぐ後ろで待っていたのですが、白線に沿って踊るので線付近の方はもう1メートル下がってくださいとアナウンスがあり、その人たちが下がって後ろに並ぶ形になったことでわたしは繰り上げ当選のように最前列になりました。
これはラッキーと後列の人に気遣い地面に座り込みましたが、ちっともラッキーではありませんでした。

さて、本日の作例をご覧ください。
もともと逆光の位置なのに座ったことでなおも太陽の方向にレンズを向けることになってしまい、ひどいフレアが画面を覆いました。
仕方ないので置きピンにして左手をフードにしたハレ切りでやっと作例の状態ですが、竹を編んだ菅笠が鏡のように白く飛んでいてびっくりしました。
中玉のくもりの影響を思い知りました。
最前列で身動きできなかったので全体を撮ったりもできず、せっかく一生懸命練習して本番に臨んだのだろうに、カメラマンから至近距離で撮影されて緊張を隠せない子どもたちに、申し訳ないなあと詫びたくなるばかりでした。
その罰が当たったのでしょうか、その夜ローカルニュースを見ていると稗田阿礼祭が紹介され、これを見に行ってたんだと知った友人が、子どもたちの踊りの画面の奥に座り込んでぼんやり撮影しているわたしの姿を見つけてへらへらと笑うのでした。
【Alpha7II/Tanar 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Tanaka Kogaku Tanar5cmF1.8 | trackback(0) | comment(2) | 2016/08/19 Fri

祭効果で会心の写り

Tanar 5cmF1.8
当麻寺から坊城に移動して、ほうらんや火祭を見物しました。
この祭は毎年8月15日におこなわれる行事で、割り竹に藁や菜種殻、竹笹を巻き込んだ松明を坊城の16の地区でつくって、順番に神社の境内を担いで1周し、さらに2週目3週目は松明に火をつけて最後に拝殿前に奉納することで厄払いにする奇祭です。
暑い時期になぜ火のついた松明というさらに暑くなる祭りなのだろうと思いましたが、かつて1年を前後期に分けて考えていた時代に、正月の左義長火祭に対する後半期初頭の火祭との説明があり納得しました。
300年とも言われる古い歴史を誇りますが、1度だけ開催されなかった年があり、その年は災いがあったことから、以降必ず行われているといいます。

松明づくりは早朝から行われるそうです。
年に1回だけのことで、町を小さく分けた単位ごとにおこなうので、松明づくりなど細かい部分を正確に知っている人が少なく、いちばんお年を召した方が指示します。
松明の大きさに決まりはないようで、平均的なもので300キロくらい、大きいものでは500キロを超えるそうです。
いわば地区の長老がうちらは元気いっぱいだし目立たなくてはと考えると巨大松明になり、わしらの地区は高齢化が進んでるし無理せんでおこうとなれば控えめサイズになるのだとか。
担いでみればどこの松明も立派なものですが、各地区から松明が集まった段階では各地区が比較されて、巨大な松明に歓声が上がったり小さめのものは冷やかされたりで、そんなやり取りが楽しかったりもしました。

東京や大阪などへ出ていってしまった人も少なくないですが、ちょうどお盆ということもあって帰省してきて担ぎ手が揃うそうです。
松明が完成してから慣れない日本酒を飲まされてふらふらになっている若者を見ましたが、いざ松明を担ぐと祭りの厳粛さと重さ、暑さでしゃきっとなったように見えました。
法被ではなく浴衣姿なのが面白いですが、なにしろ藁がよく燃えるので浴衣や髪によく燃え移って危険と隣り合わせだとも聞きました。
ここまでしないと、災いから我が地区を守ることができないのでしょう。
ユニークで迫力いっぱいの祭りでした。

忘れないうちにレンズのことを記載しておきます。
使用したのは、田中光学のタナー5cmF1.8で、ツァイスのF2ゾナーと同型の3群6枚ゾナータイプのレンズです。
田中光学については先月13.5cmF3.5を取り上げて、謎の多い光学メーカーだと書きましたが、この間、資料探しをしたものの見つからないうちに、珍品レンズと言われるこの5cmF1.8を入手してしまいました。
前回の調査の段階では製造数が100本程度と考えられ、試作で終わった5cmF1.2などを除く量産レンズとしては田中光学最少のレンズと考えられます。

これだけ珍しいレンズですととにかく見つかればコンディションは二の次に手に入れたいと思っていましたが、キズ、くもりがあると書かれているのも構わず3万円オーバーでオークションにて落札しました。
残念ながらくもりは深刻なもので、今回はテストだと考えて構わず使いましたが、昨日の作例のように半逆光くらいになるとハイライトがフレアになってしまいます。
しかし、本日の作例のような順光では影響を指摘するのは難しいでしょう。
くもりは後群の前面に出ていますが、オーバーホールで治るのか、購入費用が高かっただけに悩むところです。
【Alpha7II/Tanar 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Tanaka Kogaku Tanar5cmF1.8 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/18 Thu

ブログの拠りどころを訪れて

Tanar 5cmF1.8
8月15日に当麻寺と橿原市坊城のほうらんや火祭を見物に出掛けてきました。
先日、東大寺や春日大社近辺を案内してくれたUSさんから、坊城のほうらんやは300年の歴史を持つすごい祭りと教えていただき、仕事で行けないUSさんには申し訳ないですが、ひとりで見てきたのです。
坊城ってどこだろうと路線図を見ると、近鉄橿原線に乗って橿原神宮前駅で近鉄南大阪線に乗り換えた2駅目にありました。
さらに5駅先には当麻寺駅があったので、午前中は当麻寺、午後は火祭の2本立てで回ってこようと計画しました。

それにしても、当麻寺も坊城も何だか読めない字です。
坊城は調べてぼうじょうだと分かりましたが、当麻寺の方は勘違いしたまま読んでいました。
奈良県には難読地名が多いように思うのですが、ちょっと読めなさそうな駅名を10個拾ってみました。
1.当麻寺、2.平群、3.御所、4.京終、5.平城山、6.掖上、7.志都美、8.大阿太、9.忍海、10.畝傍
1.たいまでら(有名なお寺の名前なのでご存知の方は多そうですがわたしはたいまじと真面目に読んでいました)、2.へぐり(こんなのが話題になってました http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160901-00000097-it_nlab-life)、3.ごせ(知らなければ普通はごしょと読むでしょう)、4.きょうばて(滞在している宿のそばに北京終というバス停がありペキンおわりかと思いました)、5.ならやま(当て字かと思ったら平城と書いてならと読むのは万葉集にも出てくるそうです)、6.わきがみ(えきではなくわきですが、前者は音読み後者は訓読みだそうです)、7.しずみ(女性の名前のような響きですが、しづみでなくしずみなのが不思議です)、8.おおあだ(県内近鉄線で利用者の最も少ない駅だそうです)、9.おしみ(葛城市のウェブサイトに寄れば、藤原京の時代にはあった地名で鉄生産技術を持って朝鮮半島から渡来した忍海氏に由来するそうです)、10.うねび(JRの難読駅名1位になったことがあるとか)。

閑話休題。
当麻寺は、7世紀に創設された、聖徳太子の弟が開基したとも言われる由緒ある寺院です。
しかし、当麻寺は、なによりも中将姫が出家した寺であり、中将姫ゆかりと言われる地に住み、厚かましくも名前を使わせてもらっている身分としてはようやく念願かなっての訪問になりました。
西暦762年、中将姫が16歳の時、毎日経典を書き写し続けて1000巻の写経を達成すると、夕日の中に阿弥陀仏が浮かび上がり空一面に極楽浄土が広がる光景を見たといいます。
あの仏さまに仕えたいと歩き続けると観音様に導かれるように着いたのが当麻寺でしたが、当時は女人禁制だったため入山を許されず、門前の石の上で一心に読経をするしかありませんでした。
すると、数日後に中将姫の足元の石に彼女の足跡が刻まれており、その奇跡に感銘を受けた住職が女人禁制を解いて中将姫を迎え入れたと伝えられています。
この石は、中将姫誓いの石として現在でも見ることができますが、彼女はかなり太めだったのかと心配になるほどの深い足跡でした。

翌年、剃髪して尼僧になった中将姫は自らの髪で刺繍しますが、蓮の茎を集めよとのお告げを受けます。
茎を集め糸を取り出して井戸の水で清めると不思議なことに五色に染まったので、観音様の化身と中将姫はその糸を使って壮大な曼荼羅を織り上げます。
そこには、出家前に見たあの夕日の中の極楽浄土が表現されていたのでした。
曼荼羅をもとに中将姫は人々に教えを説き続けますが、彼女が29歳の時にその身のままで極楽浄土に旅立たれたということです。
曼荼羅は、多くの写しとともに広く信仰の拠りどころとなり、状態が悪いため非公開ですが、当麻曼荼羅の名で国宝として保管されているそうです。
以上は、当麻寺ホームページから抜粋いたしました。

さて、本日の作例ですが、当麻寺の境内で撮った三重の塔と中之坊です。
中将姫伝説ばかりを取り上げましたが、当麻寺の建築や庭園、仏像はすばらしく、十分に足を運ぶ価値があります。
中之坊では写経や写仏も体験できるそうで、わたしが訪れたときも、写経に没頭する人の姿がありました。
帰り道にもうひとつの楽しみが待っていました。
中将堂さんという伝統のよもぎもち屋さんがあって、おみやげの他に店内で食べることもできます。
よもぎもちと煎茶のセットはたった300円で、冷たいお茶が選べました。
暑い中で人心地つけるだけでもありがたかったのですが、このもちはよもぎの風味がしっかりしていてあんこも甘すぎない、絶妙なおいしさでした。
おみやげを持ち帰ったら、これぞ本物のよもぎもち(ニセモノが奈良市内にあるらしい)とたいへん好評でした。
【Alpha7II/Tanar 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Tanaka Kogaku Tanar5cmF1.8 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/17 Wed

全身から主張がみなぎる

Nikkor Q・O5cmF3.5
奈良県、奈良市興福寺
【Alpha7II/NikkorQ・O 5cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Nippon-Kogaku NikkorQ・O 5cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/16 Tue

みんなが夕日を待ちわびてる

Nikkor Q・O5cmF3.5
奈良県、奈良市東大寺
【Alpha7II/NikkorQ・O 5cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Nippon-Kogaku NikkorQ・O 5cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/15 Mon

お水取らずに差される

Nikkor Q・O5cmF3.5
奈良県、奈良市東大寺
【Alpha7II/NikkorQ・O 5cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Nippon-Kogaku NikkorQ・O 5cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/14 Sun

このレンズから戦後が始まった

Nikkor Q・O5cmF3.5
いくつかの英文サイトがレンズの情報をもたらしてくれました。
裏が取れていないので正確性を疑わないではないですが、レンジファインダー用のニッコールレンズの研究は海外で進んでいるようですし、情報公開の姿勢も評価できるので、信用していきたいと思います。
もともと分かっていたのは、ニッコールレンズには製造番号表がなく製造番号から製造年を特定できないこと、製造番号の最初の2桁または3桁は設計出自年月に関係する捨て番が使われていたことだけでしたので、新しい情報により製造年がおおよそ明らかになったのは大きな前進です。

ニッコールの5cmF3.5にはハンザキヤノン用、キヤノンJマウント用、ライカマウント用の3種類があり、ハンザキヤノン用は1937年に、キヤノンJマウント用は1939年に製造開始していますがここでは取り上げません。
ライカマウント用は以下の4つのロットがあります。
以下に一覧にします。
460001 – 460390 390本 1944年6月 - 1945年7月頃 コーティングなし
570395 – 571060 665本 1945年7月 - 1946年10月頃 コーティング
610053 – 610433 380本 1946年10月 - 1947年5月頃 コーティング
70555 – 7052770 2715本 1947年5月 – 1952年頃 コーティング

製造番号の最初の2桁は製造出自年月と書きましたが、ここでは当該ロットの製造年の下1桁と月の組み合わせだということが分かります。
わたしのレンズは570647で、恐らく1945年の製造ではないかと思われますが、キヤノン最初のライカマウント機であるSII型は1946年10月の発売なので、レンズの製造も1946年になってからかも知れません。
なお、製造番号は確認されているものが記載されているようで、この枠に入らない製造番号の個体が存在する可能性はあります。

わたしのレンズの番号帯は銘板部分の刻印が奇妙なことで知られているそうです。
Q・Oに気を取られて気付きませんでしたが、確かに微妙におかしいので記しておきましょう。
NIKKOR-Q・O 1:3.5 f=5cm Nippon-KogaKu ToKyo NO.570647
KogakuのkとTokyoのk、Noのoがなぜか大文字表記になっています。
なんでこんなことになっているのか理由は分かりません。
Q・CではなくQ・Oと刻印されていることと関係あるのかも知れません。
もしかしたら、大文字のCや小文字のkの打刻用のフォントを紛失してしまったなどの敗戦直後らしい理由があるのかも知れませんが、上記の資料もこのことには言及していませんでした。

さて、本日の作例ですが、春日大社の絵馬を撮ってみました。
トランプ氏は春日大社の人気者のようでこれ以外にもいくつかお願いごとに書かれていました。
掲示されていた絵馬の過半数は外国人が書いていて、奈良を訪れる外国人がいかに多いかの指標のようです。
奈良では外国語のひとつやふたつでも話せないと観光関係の仕事に就くのはたいへんそうですが、神様も願いをかなえてあげるのに外国語を勉強中なのかも知れません。
最短1メートルの撮影ですが、このレンズのボケがほとんど二線にならず、意外に素直なのが新しい発見でした。
【Alpha7II/NikkorQ・O 5cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Nippon-Kogaku NikkorQ・O 5cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/13 Sat

暗号解読できず

Nikkor Q・O5cmF3.5
日本光学のニッコールといえば日本のレンズの最高峰であり、民需レンズの嚆矢といえる5cmF3.5の研究は相当に進んでいるだろうと思っていました。
しかし、いくら検索しても、このレンズの詳しいことが見つかりません。
研究は多く行われているのでしょうが、その情報は個人や愛好家間で共有されるだけで、外部からはなかなか得ることはできないようになっているということのようです。
書籍も数冊当たりましたが、レンズ個々の情報はやはり得られません。
日本光学は、S型ニコンからニコンFシリーズ、デジタルのDシリーズと続いていて、ライカマウントのレンズは主流とは言えないので、ちょっとした資料すら見つけるのも困難でした。

このニッコールQ・O5cmF3.5のことで分かったのは、Qはレンズの使用枚数を表していて、ラテン語の4を意味するQuattuorの頭文字から取られているということです。
以下に3~9枚の記号を列挙しますので、覚えることにしましょう。
3枚 T
4枚 Q
5枚 P
6枚 H
7枚 S
8枚 O
9枚 N

よく分からないのが、の後のO(ゼロでなくオーです)という記号です。
一般にニッコールではOの部分はCと刻印されていてコーティングを意味します。
このレンズはコーティングがありますので本来ならQ・Cとなるところが、Q・Oとなっているのはどういうことでしょうか。
これがいくら調べてもどこにも書かれていません。
このレンズの売主は単に刻印の間違いだと説明文に書いていましたが、製造番号が近いレンズの中にライカマウントとニコンSマウントそれぞれ1本ずつ検索で見つかりました。
天下の日本光学でそう何本もエラー刻印を出すとも思えないので、Oにはきっと意味があるのではないかと信じたいですが、思い当たるところがありません。
コーティングの反射面の色がニッコールQ・C5cmF3.5とは違って見えるので、コーティングに関する記号ではないかと考えますが、これ以上は考えつくことはありません。

日本では多くのライカ型のカメラがつくられ、同じくエルマー型の沈胴50mmF3.5レンズも何種類か販売されました。
いずれも3群4枚構成でテッサ―型と称されますが、中には絞り位置までエルマーと同じく1枚目と2枚目の間に置く、エルマー型と敢えて呼ばれるものもあります。
ニッコールレンズはもともとコンタックス用のゾナーやテッサ―のコピーからスタートしているので、ニッコールQ・O5cmF3.5の絞りも当然テッサ―と同じ2枚目と3群目の間だと思っていましたが、エルマーと同じ位置にありました。
かなり意外に感じます。
もしかしたら記号Oと関係あるのかと思いましたが、ニッコールQ・C5cmF3.5の方もエルマー型でした。
絞り位置をここにするのは、どんな意味があるのか、普段はほとんど開放しか使わず絞りには縁のないわたしでも気になってしまうのでした。

さて、本日の作例ですが、春日大社の本殿から少しだけ離れたところにある摂社を撮影しました。
春日大社のウェブサイトを見ると金龍神社さんという名で、後醍醐天皇にゆかりがあるそうです。
そう聞くと、さあ、ゆくんだ、その顔を上げてと少女に声を掛けたくなりました。
ニッコールQ・O5cmF3.5は、やはり光線状態の好さでシャープさを見せてくれていますが、光が強く当たっているのぼりのハイライト部分にはハロが出てしまっていて、恐らくはカビの影響が現れたのだと思います。
それ以外は良好な描写に見えますが、周辺部の木漏れ日の形にはコマ収差、非点収差の影響が顕著で、F3.5でもこんなに出てしまうのかと意外でした。
【Alpha7II/NikkorQ・O 5cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Nippon-Kogaku NikkorQ・O 5cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/12 Fri

セバスチャンのお兄さん

Nikkor Q・O5cmF3.5
今年から国民の祝日の山の日が制定されたこと、それが今日だということを知りませんでした。
7月には海の日がありますが、海なし県の奈良県のクレームで山の日ができたのでしょうか。
日曜日に大仏でお会いしたUSさんもお休みなので、ふたりで1日奈良市内を散策することにしました。
わたしも奈良の滞在が長くなってきてそれなりに地理にも明るくなってきたつもりでしたが、USさんの案内でいろいろなところを知ることができ感謝です。

レンズはニッコールQ・O5cmF3.5を持っていきました。
燈花会という夜の道沿いにろうそくの灯かりをともす催しまで撮影することになっていたので明るいレンズを持っていくべきでしたが、昨夜も行く機会があって試し撮りしたところ思ったようには撮影できず、夜の撮影は諦めて入手したばかりのニッコールを使うことを優先しました。
足元を照らすろうそくでは人物撮影には無理があり、昨日の作例あたりがわたしには限界と分かったからです。

ニッコールQ・O5cmF3.5は、少し前にeBayで落札しました。
いわゆるライカマウントの沈胴式でエルマーによく似た外観ですが、このタイプのニッコールは製造本数が少なめのため、だいたいがエルマーより高く、明るいレンズほど高価であるというオールドレンズの常識からは例外的な存在でもあります。
しかし、このレンズに関しては写真を見る限り外観がかなり汚く、説明の中で光学系も汚れていると明記されていたせいか、$222と想像よりだいぶ安くきれいな金額で購入することができました。
到着したレンズは覚悟していた通りかなり汚かったのですが、繰り返し汚れを取っていると銘板部分は見違えるようにきれいになりました。
しかしサイドのローレット部分の汚れはどうにもならず、正面から見るときれいだが横顔は汚いという2面性をもつレンズです。
それに、絞りには問題ありませんでしたが、フォーカスリングが重く、近距離側に回すとときどきM/Lリングの方が外れてしまい慌てさせられました。

もっとも重要だった光学系も前玉にたまっていた汚れを落とすと、ずいぶんときれいになったのでホッとしました。
カビが少々ありますが、順光なら問題はなさそうです。
恐らく最初期と思われるコーティングが見られるのは、ソフトコーティングでしょうか。その後のハードコーティング、マルチコーティングに比べて透過率にどれだけ影響があるのか知りたいところです。
室内灯でもその方向にレンズを向けるとコントラストが落ちてしまうほど逆光に弱くフードは必要ですが、滞在先に持って来ている訳ではないので、段ボールを円筒にして即席フードを作りました。

それでは、本日の作例ですが、まずは無難に順光下の鹿と子どもの写真です。
このレンズらしいシャープさですが、解像度もかなり高く、ニッコールの性能の好さの片鱗がうかがえます。
髪の長い美少女に見えたこの子は男の子だったと分かりびっくりしました。
お父さんはイギリス人、お母さんは中国人だそうですが、混血によって子どもが美形になるという話を裏付けていますね。
弟のセバスチャン君も女の子にしか見えない美少年でした。
お父さんは、初めての日本がすっかり気に入ったと、わたしに嬉しそうに話してくれました。
少年たちとも会話しますが、彼らの言うことはさっぱり分かりませんでした。
おとうさんはわたしの英語レベルに合わせてゆっくりしゃべってくれたのに、彼らはいつも通りの手加減なしだったからです。
【Alpha7II/NikkorQ・O 5cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Nippon-Kogaku NikkorQ・O 5cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/11 Thu

月見堂じゃなかった

Topcor 5cmF2
奈良県、奈良市
【Alpha7II/Topcor 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Tokyo kogaku Topcor 5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/10 Wed

トプコール銘のシムラーレンズ

Topcor 5cmF2
レンズのことを書くのをすっかり忘れていました。
四国の旅とおととい、昨日、今日と使用したのは、すべてトプコール5cmF2です(四国での女の子のポートレイトを除く)。
奈良に来るときに持ってきたトプコール-S 5cmF1.8がすばらしい写りでしたが、アルミ製の新しいタイプの鏡胴だったので、真鍮にクロームメッキのクラシックな外観のこちらのレンズをネットで購入して奈良の宿まで送ってもらいました。

トプコール5cmF2の発売年は正確には分かりません。
一説によると1956年の発売とされていますが、このレンズがレオタックスF型(1954)の後期になって標準レンズとして採用されたという事実から見て、そう仮定することにします。
4群6枚の通常のダブルガウスの後群の貼り合わせを分離させた5群6枚で、いわゆる空気レンズを取り入れたダブルガウス変形型です。
設計は丸山氏修治氏で、丸山氏はシムラー5cmF3.5の設計もおこなっており、また、富田良次氏が戦前に設計した前群ゾナー、後群ガウスの折衷構成といわれるレンズとして有名なシムラー5cmF1.5がレオタックス用標準レンズとして採用される際に修正もおこなったのも丸山氏で、恐らくは富田氏に次ぐ世代のレンズ設計者だったのではと思われます。

やや遅れて発売されたトプコール-S 5cmF2と紛らわしいですが、こちらの設計は大沢秀夫氏で、新種ガラスを採用したことで構成は通常の4群6枚のダブルガウスになり、性能は著しく向上したようです
トプコール5cmF2は早々にトプコール-S 5cmF2に切り替わってしまいました。
そのため、トプコール5cmF2の方は数の少ない比較的珍しいレンズと言われています。
なおトプコール-SのSとは、スペシャルを表しているのだそうです。

いくつかのこのレンズに関する記載で同じように誤解されていると気づいた点があるので指摘しておきます。
それは、トプコール5cmF2がレンズシャッター式カメラのトプコン35Sに付けられたトプコール44mmF2と同じ設計であるという記述です。
トプコール44mmF2はトプコール-S 5cmF2の方と同じ4群6枚のダブルガウスで、設計も同じ大沢氏です。
ですから、同じ設計のレンズというのもトプコール-S 5cmF2の方と言って間違いないでしょう。
恐らく最初にどなたが勘違いして誤記してしまい、後の方が引用し、また孫引きしとされるうちに間違いが既成事実化してしまったのだろうと思います。
資料の少ないレンズ関連の記事などではよくある話です。

さて、本日の作例ですが、奈良町のお店でのれん越しに話をする店の方とお客さんの様子です。
わたしの位置から中のお客さんが食事しているのがちょうど見えて、何気なくシャッターを切りました。
このレンズはF2ながらボケの量が少ないように感じていましたが、咄嗟でのれんの当たりに合わせたつもりのピントが怪しいものの、のれんから背後の女性にまで概ね合焦しているように見えるのが不思議です。
その意味で使いやすそうで、ピント合わせ困難な厄介レンズと言えるかもしれません。
とは言え、希少性があるようですし、新種ガラス登場前夜の東京光学最後のクラシックレンズとして大切にしたいと思います。
【Alpha7II/Topcor 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Tokyo kogaku Topcor 5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/09 Tue

大阪行きの裏ワザ

Topcor 5cmF2
所用あって大阪に出掛けてきました。
奈良に滞在していると市内がすでに散策ルートですが、京都や大阪へも1時間以内で向かうことができ、とても便利なところだと再認識しました。
京都、大阪ともJRと近鉄が競合していますが、双方の奈良駅は徒歩で10分くらい離れていて、滞在している奈良町からは近鉄奈良の方が近いので専ら近鉄を利用しています。

料金も京都であれば近鉄の方が安いですが、大阪の方は近鉄に対抗するためかJRが特別料金を設定していて、行き先によってはJRの方が安くなります。
特別料金は、奈良から天王寺の間に設定されているようで、奈良駅から大阪駅に行く場合、ダイレクトだと800円ですが、一度天王寺の改札を出てから大阪に行くと140円も安くなります。
奈良から大阪のどこかへ行くのであれば、どうやって行くのが時間的、料金的に最良なのか悩むことになります。

この特別料金は京急が並行して走る東海道線エリアにも存在するようですが、詳細は分かりません。
というのは、JRのサイトで調べたのですが、関東と関西の特別料金に関するページが見つけられなかったのです。
わたしの見落としでどこかに記述はあるだろうとは思いますが、せっかく利用者のために特別料金を設定しているのに分かりやすく周知されていないように見えるのはなぜなのでしょう。
地元の人には認知されているので知らしめる必要はないのか、それとも部分的に料金を下げて私鉄に対する後ろめたい気持ちがあるので隠しているのかよく分かりません。
しかし、こういう事実を知ってしまうと、少々遠回りでも大阪まではJRを利用したくなってしまうようです。

この日は、大阪北区の周辺を暑さに耐えながら歩きましたが、もちろん目的はいくつかあって、そのひとつが大阪韓国文化院で展示されている天然堂写真館アートプロジェクトの見学でした。
天然堂は韓国人の金奎鎭が1905年から2年間日本で写真を学んで韓国に開き当初は王室中心に肖像写真を撮影していたという写真館の名前で、当時の様子を再現しながら機材やダゲレオタイプなどの写真史の発展の展示行われていました。
もうひとつは、古書探しで国産レンズに言及した書籍を物色したのですが、なかなかそういう都合の好いものは見つかりませんでした。
面白そうな写真雑誌があったので会計をお願いすると領収書いりますかと聞かれ、それまでいろいろ会話していたので舛添要一ではないので不要ですと冗談で答えました。
すると、それは冗談どころか、この店は舛添氏が上得意客だったそうで、あんなことになってしまい今では注文が来なくなって売上がだいぶ減ったと真顔で嘆いていました。
報道ではピザ窯の本を経費で買ったとマスコミがおもしろおかしくはやしたてていましたが、そのあおりで学術書の売り上げを逸して深刻な打撃を受けている小さな古書店があることにも気配りができないものかと気の毒になりました。

さて、本日の作例ですが、散策の途中の路地で見つけたとても歴史を感じさせるお菓子屋さんです。
駄菓子ではなく、せんべいやあられ、豆菓子などを扱っていました。
袋入りもありますが、基本は量り売りで、どれが美味しいかとおばちゃんに聞いたらエビのあられがお勧めと試食させてくれました。
やめられない止まらないのあの商品とはまったく違うエビとコメの風味の効いた、手がかかっていることの分かる旨さが気に入り、小さなカメラバッグからカメラを出してこの中に入るだけ詰めてもらいました。
店は古くて小さくとも、扱ってるのは自分の舌が選んだおいしいものばかりだよと、おばさんの顔にはっきり書いてあるようで、そんな店を見つけられたこちらも嬉しくなりました。
大阪の散策はおすすめです。
【Alpha7II/Topcor 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Tokyo kogaku Topcor 5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/08 Mon

室内の方が汚れるのか

Topcor 5cmF2
中四国への気ままな旅から戻りましたが、引き続き奈良の友人のゲストハウスに留まります。
ここを拠点に時間の許す範囲で、奈良のあちこちに出掛けられたらと考えています。
関東の8月は行事関係も夏休みに入ってしまうのか、海水浴と花火大会くらいになってしまいますが、古都奈良では伝統行事がむしろ8月に多く、寺社参拝とからめて出掛けるのが楽しみです。
ただ、関西は毎日、記録的な暑さに見舞われていて、フットワークはかなり重めですが。

今日は朝から、東大寺の大仏さまのお身拭いを見に行ってきました。
奈良の好いところは、駅から徒歩圏に東大寺、興福寺、春日大社と広大な寺社仏閣が並んでいて、隣接の奈良公園も合わせて無料で広い範囲を参観できるということがあります。
その分、国宝館やミュージアム、春日大社本殿などの参観は有料でちょっと高めな印象なのですが、東大寺大仏殿も入ろうと思うと500円かかります。
東大寺では二月堂や法華堂など境内のほとんどがタダで参観できるので、普段はもっぱら大仏殿以外で手を合わせたり撮影したりしています。
お身拭いのような行事があるときが、拝観料を払ってでも大仏殿を参拝する絶好の機会です。

お身拭いは、お清めしたお坊さんや東大寺関係者が120名も集まって、大仏の全身に1年間たまったほこりを落とす神聖なる大掃除です。
年末は忙しいからでしょうか、毎年8月7日に行うそうですが、暑い中高くて足場もない大仏さんをきれいにして差し上げるのはたいへんな仕事に見えました。
公開の大掃除というユニークな行事なので見学に来るという人がとても多く、今年は日曜とも重なりすごい人出でした。
カメラが砲列状態で、正面の賽銭箱前で撮影している人を撮ってみたのですが、30個くらいの一眼レフ用ズームレンズがみな同じ斜め上の角度に向けられていてちょっと異様な光景でした。

そんな中、5月の今井町のお祭りで出合ったUSさんとばったり再会しました。
USさんは一眼レフのオールドレンズで奈良県内を撮影する愛好家で、この日もアンジェニュー等を付けたカメラ3台で撮影していたので、後ろ姿ですぐに分かりました。
奈良のような古都で入江泰吉のお膝元でもあるのでライカやローライで撮影する地元のカメラマンがたくさんいてもよさそうな気がしますが、横浜や鎌倉で見るようには古い機材を見かけません。
オールドレンズで撮影している奈良県民はホロゴンさんとこのUSさんだけなのかも知れないですね。
撮影後、お知り合いの皆さんの写真展をいっしょに見に行って、近々会うことを約束して別れました。

奈良の大仏のお身拭いを見て、そういえば鎌倉の大仏はどうしてるんだろうと気になり検索してみました。
ちょうど今年の1月から3ヶ月かけて55年ぶりに点検・クリーニングが行われたという記事が見つかりました。
奈良が毎年なのに、鎌倉は半世紀そのままだったというのは、雨ざらしがかえってほこりを寄せ付けないからということでしょうか。
奈良ではお身拭いというありがたい名前で親しまれているのに、鎌倉では点検・クリーニングという現実的な呼称が用いられています。
また、奈良では行事としてこうして人を集めているのに、鎌倉では作業中に胎内の参観ができなくなるなどむしろ観光に一時的にはマイナスだったとのことです。
東西で大仏文化に大きな違いがあることが分かりました。
【Alpha7II/Topcor 5cmF2 F2】
Tokyo kogaku Topcor 5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/07 Sun

解かりやすいみせづくり

Topcor 5cmF2
徳島県、海部郡鞆浦
【Alpha7II/Topcor 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Tokyo kogaku Topcor 5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/06 Sat

海への道はいつもドキドキ

Topcor 5cmF2
香川県、高松市女木島
【Alpha7II/Topcor 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Tokyo kogaku Topcor 5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/05 Fri

美少女が旅の道連れ

Topcor 5cmF2
温泉宿坊に泊まるつもりで訪れた日和佐でしたが、昨日ボランティアガイドの方に連れられて町を歩いていると魅惑的な宿がありました。
まだオープンして間もない古民家を改装したゲストハウスで、ここまで四国では古民家を見続けてきただけにぜひとも泊まりたい宿でした。
ガイドの方が連絡してくれ宿泊OKになり、宿坊には泊まれませんでしたが結果的にはずっと良かったと思っています。
日本在住歴の長いフランス人と日本人の奥さんの経営ですが、オーナー夫妻は帰国中で息子さん夫妻が対応してくれました。
2階に和室が3つあるだけの小さなゲストハウスですが、それぞれの部屋に独立した階段があり、床の間やふすまなどほとんどが古民家オリジナルのままの美しい部屋で、気持ちよく滞在できました。

オーナーの息子さんは素敵な青年で、美人の奥さんといっしょになって地域のことやゲストハウスを始めるいきさつなどのプライベートなことも教えてくれ、日和佐という町とこの宿により親しみを感じることができました。
残念だったのは、土地の料理を出してくれるレストランが定休日で、それならと勧めてくれたレストランもなぜかいつまで経っても開かなかったことです。
仕方なく大衆食堂に行ってボリュームたっぷりの食事ができたのでよかったのですが、親しくなった店のお姉さんにそのことを話したら、お勧めレストランのオーナーシェフは今日は疲れたので休むことにしたとここに食べに来ていたことを教えてくれるのでした。

さて、作例の女の子ですが、別の部屋に泊まっていた阿南市からやってきたという旅の道連れ(?)です。
たまたま宿の玄関でばったり会ったのですが、そうでもなければそれぞれ独立階段なので知り合うことはなかっただろう女性でした。
タスマニアや沖縄などで働いたというおもしろい経験の持ち主で、わたしが世界一周して来たというと興味をもってくれたので、時間を持て余していたこともあって昨夜はずっと話をしました。
彼女は、自宅をカフェに改造しようとしていて、近くオープンさせようと奮闘中とのこと。
根を詰めて作業を続けてきたので疲れてしまい、新しくできた古民家ゲストハウスで休息をとるためにやって来たようです。

ゲストハウスでもトーストとコーヒーの朝食はセルフでとれますが、彼女が駅のそばでおいしいブレックファストの店があるというので、チェックアウトして向かってみました。
残念ながら、昨夜のお勧めレストラン同様、その店も営業時間になっても開きません。
日和佐には南の国の時間が流れているのかも知れません。
仕方なく駅裏の道の駅に行くと揚げ物の屋台が開くところで、朝食になぜかウツボのフライを食べてしまうのでした。
ウツボは関東では嫌われ者ですが、ここではおいしい魚として珍重されているというだけあっておいしくいただきました。
その後徳島行きの鉄道に乗り、彼女は桑野でわたしはその次の阿波橘で下車しました。
彼女のカフェがオープンしたらまたここまでやって来ることにしましょう。

昨日は近距離の移動だったので青春18きっぷは使わず、本来なら今日それで奈良に戻るところですが、徳島から大阪まではバスが安くて早いと聞いて方針変更しました。
なるほど調べてみると、トイレ付3列シートが早割で2300円とびっくりする安さです。
しかも、このバス会社のオフィスが阿波橘駅近くにあるためバスの始発もここからで、日和佐から徳島まで出る必要なく、時間も費用も節約できました。
高速道路上から鳴門の渦潮と淡路島の風景を楽しむことができる、3時間半ほどの大阪駅へのバスの旅でした(徳島からだと約2時間半)。
いつもと変わらない何ともパッとしないような旅でしたが、行き当たりばったりながらも魅惑的な周遊旅行を安価に楽しめ、満足度は高かったと思っています。
【Alpha7II/Ross 11.5cmF4 F8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Ross 11.5cmF4 | trackback(0) | comment(2) | 2016/08/04 Thu

島の主には会えなかったが

Topcor 5cmF2
引田がなかなかよかったので、徳島県でも伝統的な町並みのあるところをと検索すると、見つかったのが出羽島という小さな島でした。
アクセスが牟岐港から船となっていて、昨日の夜のうちに牟岐の近くまで行っておこうと考えていたら、徳島乗り継ぎで牟岐行きの終電1本前に乗れることが分かり、徳島ラーメンの夕食を摂ってからローカル鉄道に2時間揺られてその牟岐に着きました。
無計画でも、あれも見たいこれも見たいと欲張ったりせず食事も質素で構わなければ、うまい具合に遠くまで来れてしまうものです。
例えば、徳島から牟岐までは1~2時間に1本程度しか鉄道の便はなくて不便を感じるかも知れませんが、世界的に見ればそれだけ本数があればよほど便利な方で、鉄道網の充実具合はさすが日本と感謝しながらいつも乗車しています。

高齢化の進む小さな出羽島にも牟岐港より朝7時から6往復の船があってアクセスは好いです。
出羽島は漁業の町らしく、漁港周りに古い民家が立ち並んでいて好い雰囲気でした。
一般的には、集落とは反対側にある灯台まで散策したり海水浴したりが、この島の楽しみ方のようですが、いかにも漁村という味わいの町並みが絵になっていてしばらくぶらぶらして9時の船で戻ることにしました。
おもしろかったのは、天然の水場に大きなうなぎが棲みついていて、普段は岩の陰で見えませんがカニを落としてやると顔だけ出してぱくっと食いつくのだそうです。
島の主なのかも知れません。

さて、本日の作例ですが、島の典型的な古民家です。
左端に注目してください。
小さな縁側がありますが、この部分ははね上げることができて、上部の屋根部分も下ろすとそのまま雨戸として機能します。
徳島県東南岸の限られたエリアに残る、みせづくりという建築様式だそうです。
みせづくりという名前から、かつては獲ってきた魚を並べて売るための台だったのかと想像しましたが、詳しい由来は聞き洩らしました。
木の台車は仕掛けやクーラーボックスを自宅から船に、また船から漁協に運ぶためのもので、自動車のないこの島の必需品のようです。

帰りの船に乗っていたおじさんから牟岐の町にもみせづくりの家は何軒かあると聞いたので、港に近い町役場で尋ねましたが、住民課や観光課の人がいろいろと議論して探してくれたものの集中してあるというところはなさそうで、30分ほど歩いて数件のみせづくりを見つけるにとどまりました。
しかし、その途中出合った女性から、こんな話を聞くことができました。
戦時中、大きな地震があって津波のために牟岐の海に近いエリアの家は軒並み流されてしまったそうで、わたしが見て歩いたのは戦後すぐに再構築された町だとのことです。
時代が時代だったので大きなダメージを受けたことは秘密にされ、記録も抹消されたため多くの住民は地震や津波があったことさえ知らないそうですが、女性は町の歴史を調べるうちにこの事実に突き当たりずいぶんと驚いたそうです。
戦争は日本を某国ののような情報隠蔽国家にしていたということのようです。
その後、JRの終点の海部まで行って歴史ある鞆浦の集落でもみせづくりを何軒も見ました。
昼食は海部駅の近くで、こんな贅沢は許されるのかと悩んだ末にお寿司をいただきました。
ネタのいくつかは大将自ら朝に海で釣ってきた魚だそうで、土地の味を堪能でき大満足です。

徳島方面に少し戻った日和佐に温泉宿坊があると知って泊まってみようと移動しました。
日和佐には四国第23番霊場の薬王寺があって、お遍路さんの定宿のようですが、観光客でも泊まれるそうです。
日和佐駅に隣接して観光案内所があって、地図等もらいに立ち寄ると1時間の無料ガイドをしてくれるというのでお願いしました。
日和佐にはアカウミガメが産卵に訪れる浜があって、近くにはウミガメ博物館まであり、何匹ものウミガメが保護されているのを見ることができます。
博物館に入場しなくても外側からタダで間近にカメが見られる太っ腹な施設で、ウミガメが呼吸のためかしばしば水面から顔を出すしぐさがわたしたちにあいさつしているようでとてもかわいらしいものでした。
1度見たら誰もが好きになる愛くるしさに、わたしもウミガメのファンになりました。
【Alpha7II/Topcor 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Tokyo kogaku Topcor 5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/03 Wed

3食麺旅

Topcor 5cmF2
香川県に入ったので、高松市内のうどんの名店をカプセルホテルのwifiで検索したのですが、幸運なことにホテルから徒歩5分くらいのところに1軒ありました。
うどん屋なんて高松ならどこにでもありそうなものですが、評判の店は車でないと行けないような郊外がほとんどで、こんなに近くにあるのは幸運でした。
しかも朝からやっていて、お昼時は長い列になるそうですから、ホテルをチェックアウトして真っ先に向かいました。
朝の8時からうどん食べる人がいるなんて想像できなかったのですが、のれんをくぐるとほぼ満席になっていて、さすがうどん県と自称するだけのことはあります。
初讃岐うどんでしたが旨いです。
コシが強すぎるほどのしこしこ麺は、噛みごたえあって食感がすばらしい。
うどんというと、貧しかった学生時代に腹の足しにした駅前の立ち食いそば屋のふにゃふにゃうどんの記憶でうまいなんて思ったことはありませんでしたが、遅ればせながら考えを改めないといけないと知りました。

高松ですばらしいと思うのは、駅が港湾施設の一部のような位置にあって、列車から降りるとそのままフェリーに乗り換え可能なことです。
淡路島や小豆島などのメジャーなとこまでの船もあるようですが、わたしは近くて便数豊富な簡単に行って帰ってこれる女木島を選択しました。
片道370円で所要時間20分の、高松港から目と鼻の先に浮かぶ小さな島です。
島には鬼ヶ島の伝説があって、鬼の像を置いた鬼ヶ島大洞窟が観光名所になっているそうですが、鬼ヶ島伝説は瀬戸内のあちこちにあるのに、南沙諸島に滑走路を設置してここは我が領土と既成事実化している某国のことを思い出させます。
また、周辺の島々と合わせて瀬戸内国際芸術祭が開催されていて、古民家や公共施設などを会場に芸術なるものが展示されていて1軒覗いてみましたが、残念ながらわたしには共感できるものではありませんでした。
いくつかの古民家とそれを強風から守る石垣に地域の特徴を感じつつ高松に戻ります。

昨夜、高松に着いたときはこんぴらさん参りをしようかと考えていたのですが、琴平までJRだと坂出方面へ戻りながら1時間もかかるというので諦めて、古い町並みの残る引田を目指すことにしました。
駅に着くとちょうど引田行きの各駅停車が待っていて乗り込むと、これがワンマン2両編成のディーゼル車両で、地方に向かうんだと実感します。
引田駅の近くにうどん屋さんがあったので、お昼もうどんになってしまいましたが、ちょうど麺が切れたので打ってきますと待たされたものの、朝以上のぎゅっと来るコシ最強うどんをたいへん美味しくいただけ、タイミングよく着いた幸運に感謝しました。
ラーメンではスープが切れるまで営業という店がありますが、うどんでは麺が切れたら閉店が普通だそうです。

ひけたと読む引田は香川県の東のはずれにある港町で、醤油の製造や豪商などの屋敷が集中した地域があり、古い町並みと江戸期の豪邸のつくりを楽しめる魅力的なところでした。
井筒屋はすでに廃業した醤油や酒造の屋敷ですが、歴史資料館として公開されていて町の発展や建物の意匠をガイドの方が丁寧に説明してくれました。
地元の発明家による江戸からくり人形も見せてもらい、湯呑の重量で仕掛けがオンオフしてお茶出ししてまた反転して戻ってくるからくりを楽しみましたが、木の歯車は湿度による膨張に動きが影響されるそうで、ガイドさんの思い通りとは微妙にずれたところに行ってしまうのがユニークなのでした。

さて、本日の作例ですが、井筒屋さんのお隣でこちらは現役で醤油を製造し続けているかめびし屋さんの外観です。
黒い屋根瓦、赤いベンガラ、白のなまこ壁の対称が美しいですね。
1753年創業の伝統的製法による醤油をおみやげに求めたいところですが、液体では重いし割れたらたいへんとオリジナル商品の粉末のソイソルトを購入しました。
お酒のように一気に飲んでしまうのとは違って毎日少しずつ味わえる伝統の醤油を買わなかったことを後悔しています。
お気に入りの引田で宿泊も考えましたが、青春18きっぷのメリットを最大限に生かすべく
徳島乗り換えで終点の牟岐という町までやって来て民宿に泊まりました。
【Alpha7II/Topcor 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Tokyo kogaku Topcor 5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/02 Tue
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