山高麦わら帽の男

Xebec 5cmF2
中国広西壮族自治区、熊村
【Alpha7II/Xebec 5cmF2 F2】
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thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Sun Xebec 5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/31 Sun

高いとこから狙い定めて

Xebec 5cmF2
中国広西壮族自治区、高定
【Alpha7II/Xebec 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Sun Xebec 5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/30 Sat

アイデンティティを示す布

Xebec 5cmF2
中国広西壮族自治区、独峒
【Alpha7II/Xebec 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Sun Xebec 5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/29 Fri

最後の2キロは歩いて

Xebec 5cmF2
中国広西壮族自治区、水源頭
【Alpha7II/Xebec 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Sun Xebec 5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/28 Thu

赤提灯の軌跡

Xebec 5cmF2
昨日何もできなかったことを反省してホテルを早々にチェックアウトすると、近くにバス停を見つけて、すぐ来たバスでバスターミナルに出ました。
昨夜調べておいた大圩という古鎮に行くため、バスを探していたらおばさんに声をかけられ、わたしのバスが大圩行きで今発車するので早く来いと急かされます。
あまりに順調な移動に嬉々として付いていき、言われた運賃20元を渡すとチケットをもらいました。
しかし、それはなぜか手書きで、バスはすぐ出たものの、あのおばさんは乗ってきません。
あれっと思い別のおばさん車掌にチケットを見せるとそれは有効でしたが、あの人はただの客引きでバスの中でチケットを買えば4元だよと説明してくれました。
新手の詐欺でしょうか、バスの中では上海から来ていたカップルも同じ被害に合っていて、やられたと悔しがっています。
あのおばさん、日中合わせて3人から48元を騙し取っていて、今日の実入りはなかなかだとターミナルのどこかでほくそ笑んでいるのでしょうか。

大圩も古鎮遊広西編に掲載されていますが、規模が小さく古鎮好きでなければわざわざ来る価値があるかは微妙です。
しかし、川辺にあって景色が好く、桂林の中心から30分ほどと至近なことから、訪れる人はけっこういます。
地元の人も土産物屋やら唐辛子の瓶詰や小魚のフライの屋台などをやったりで、適度な活気があってちょっとした観光地の賑わいです。
一方で、古民家で暮らす地元の人の生活も営まれていて、何気なくを装って土地の老人を撮ったりなどもできる歩きやすい古鎮でした。
作例は、集落のはずれの方で、中国式の提灯がずらっと並んではいますが、観光客はほとんどここまで来ないようで、ローカル度が高いのが好いです。

その大圩から10キロほどのところに熊村というもうひとつの古鎮がありました。
大圩でお昼を食べたときに行き方を聞くと、路線バスがちょっと先から出てるよというので行ってみますが、表示されているバス停の名前に熊村はありません。
しばらくして、来たバスに熊村に行くか聞くと行くよというので、車内の路線図を見ると雄村という名があって、ここがそうなんだろうなと降りるとやはり村の名は熊村になっていました。
熊村も雄村も同じ発音ですが、なぜ2つの字があるのか村人に聞いても、昔からそうだからという答えが返ってきただけでした。

熊村は中心部のほとんどが新しいしかし安っぽい作りの建物になってしまっていて、周辺部のみに古民家があるだけと旅行者には魅力がないらしく、他に参観に来ている人は皆無でした。
しかし、そこには素朴な生活の匂いが満ちていて、窓を補修する人や藁を束ねる作業をする女性、ぼんやり家の前に座る老人などと気軽にあいさつを交わすことができます。
アヒルが群れで飼われ水牛が水浴びする川があり、そこから引かれた水路が村を通って田んぼに向かっているさまは、ミニ水郷と呼べる風情で気に入りました。
ただ、冷西瓜の文字につられて食堂で冷たいスイカにぱくついていたら店内で肉の解体が始まり、よく見るとそれが皮を剥がされたワンちゃんだったのにはぶっ飛びそうになりましたが。

夕方、桂林に戻ってバスターミナルのそばで食事をしました。
小さなレストランが何十件も並んでいてどこに入るか悩み、きれいな少女がひとりウェイトレスをする店に入ったのですが、桂林最後の食事としては正直がっかりな味でした。
しかし、客が途切れて厨房から若い男性が出てきて、ウェイトレスの少女と何やら親しく話をしだしてふたりが二十歳そこそこで結婚して一念発起、桂林に出てきて起業してこの店を始めたばかりだと教えてもらい、なんだか応援したくなってしまいました。
また、いつか来るから腕を上げといてねと彼に言って店を出て、行きと同じ夜行バスで深圳に戻りましたが、もうこのバスに乗ることも、桂林に来ることもないのだろうということを町並みを眺めながらぼんやり考えていました。
【Alpha7II/Xebec 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Sun Xebec 5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/27 Wed

他人の空似か

Xebec 5cmF2
困った1日でした。
昨夜は完全な民泊ではなく、宿屋を兼ねた比較的新しい木の家に泊まったのですが、家の若い奥さんは主人が外泊してしまっていてわたしは料理も下手でと恐縮していました。
しかし、窓を開け放つと夜の間は涼しく、こぼれるような星を見ながら快適に眠ることができました。
翌朝も目覚めよく7時に起きてシャワーを浴びると、お勘定は宿泊と夕食で60元と安かったのはよかったのですが、三江方面に戻る車が待てど暮らせどやってきません。
奥さんに聞いても待つしかないというので、2時間待ち続けましたが、ついに奥さんがバイクを呼んでくれて、面包車ならひとり5元なんだけど、バイクは20元もすると恐縮しています。
それは、安い方が好いけど、2時間待つならさっさとバイクで行きたかったと、文句のひとつも言いたくなりました。

そのバイクも途中でガス欠になり、持ち合わせのペットボトルに入ったガソリンを入れたもののなかなかエンジンがかからず、かなり時間をロスしました。
ようやく独侗に着いて、なかなか出ない面包車に乗り換え、工事用大型車用のすれ違いで道がふさがれたりもし、三江に着いたのは1時をまわった頃でした。
おととい宿泊したホテルの裏手が油茶街となっていてレストランが並んでいました。
油茶がなにか興味があって食事しましたが、いろいろなものを煮詰めたかなりヘビーな味で、食事とビールで満杯になったところへせんべいとか豆とかを沈めてふやかして楽しむ油茶は、たいへんきつい飲み物というか食べ物でした。

中国古鎮遊書を見返しますが、付近の古鎮はすべて制覇してしまっていて、中途半端な時間にどこへ行ったらよいやら途方にくれます。
真っ先に思い出したのは、女性は生まれてから1度も髪を切らず、長い髪を頭の上でたばねていて、早朝などに河原で髪を洗う姿が見られるという少数民族がいるとの話ですが、どこをどうやって探せばいいのか分からず、これは断念せざるを得ません。
結局、以前に出掛けたものの霧でほとんど見ることができなかった龍勝の古村落と棚田を見に行ってみることにしました。
ところが、いざバスが村の入り口に差し掛かると地方政府の役人が乗り込んできて、入山料を徴収しはじめ、2000円もすると聞かされて、ばからしくなって桂林まで移動することにしました。
冷静に考えれば、せっかくここまで時間と労力かけてきたので、2000円くらい目をつむればよかったのですが、役人の横柄さに従うことができなかったのです。

桂林行きのバスにはウィーンから来たという学生ふたり組が乗り込んできて、料金の支払いでもめているところを手助けしたことから、車中ずっとおしゃべりして過ごしました。
昨年は日本と韓国を、今年は中国とミャンマーを1ヶ月旅するという若者たちで、北京では北朝鮮行きも模索していたというので、かなりアグレッシブなアジアマニアのようでした。
わたしの手前ということもあってか日中韓の中では圧倒的に日本がよく、中国はあらゆる面で遅れているが、逆にその理不尽さを楽しんでいると笑顔を見せていました。
彼らが泊まっている安宿まで付いていきましたが、あいにくドミトリー以外は満室でオーナーが仲間の宿まで連れていってくれました。
友達料金でチェックインの必要もなしのもぐりの宿泊です。
もしかしたら、政府におさめる税金分引いてくれたのかも知れません。
さっきの役人の高圧的な顔が思い出されて、なんだか愉快な気分でした。

さて、本日の作例ですが、先に話した三江油茶街の入り口付近の風景です。
暑いのでノーへルで日傘付きのスクーターに乗るハイヒール女性が中国らしいですね。
背後のケンタッキーフライドチキン、よく見るとすこし変です。
DFCとあるので、姉妹店のデラウエアフライドチキンでしょうか。
カーネルおじさんも心なしか他店より笑って見えますが、このエリアの人々がフレンドリーなのと関係あるのでしょう。
中国を歩いているとこういう不思議はあちこちに見られます。
龍勝の入山料のときのようにいちいち気にしていたら、目的地まで到達するのが困難になってしまうでしょう。
【Alpha7II/Xebec 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Sun Xebec 5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/26 Tue

アグリー・ハウス

Xebec 5cmF2
陝西師範大学出版社という会社が中国古鎮遊というシリーズの本を出していて、旅するつもりだった貴州と広西の2冊を持って来ていました。
2005年出版なので情報としてはかなり古いですが、もともと古いものを見に行くのでアクセス情報以外はおおむねそのまま使えるようです。
今回は、貴州省まで行くのは諦めて、三江からバスで行けるという独峒と高定という村に行ってみることにしました。
その前に、先日買ったばかりのNEX-Leicaマウントアダプターのネジが2つ取れてしまったので工具屋に行ったのですが、こんな小さなネジはないと言われ、ビニールテープを買ってグラグラになったアダプターを止めました。
こんなんで、今後のタフな旅に耐えるのか不安です。

10時頃のこのこバスターミナルへ行くと2時半までバスはないと言われます。
ええっと大げさにリアクションすると、向かいの通りで面包車(軽ワゴンの乗り合いバスのようなもの)に乗れと言うので、通りに出ると独峒に行きたいのかと声を掛けられ、あっけなく辺境の地への旅が始まりました。
上記書の地図では間近に見えましたが、途中、がけ崩れが何か所もある山岳路を1時間半も走ってようやく到着します。
独峒は三江北部エリアの中心の村のせいか、適度に開けてしまっている印象で、かつてはすべて木の家だったろうに、今や半分くらい平凡な建物に切り替わってしまっています。
しかし、歩きはじめるとすぐに当地の侗族の伝統である藍染の布を染めたり干したりしている家がところどころ見つかります。
その藍を流しただろう川で、素っ裸になって水遊びしている子どもたちがいて、体が青くならないか心配になります。

1時間も暑い中を歩いてだいぶバテてきたので、小さな食堂で冷えたビールを頼みました。
朝、汁なしの米粉を食べましたが、2時過ぎてもまったく空腹感がないほどの夏バテです。
あっさりしたものがなかったので、炒飯を頼みましたが、これが一口食べて美味しくてビールで流し込みつつ完食しました。
その食事のさなか幸運なことがありました。
同じテーブルに中年夫婦が腰掛けたのですが、彼らはごはんとビールを摂りながら、侗族伝統の対歌を歌いだしたのです。
何年も前に貴州省の小さな村を訪れたときに、民泊した家の小さな子どもたちに歓迎の歌を歌ってもらったことがありましたが、彼ら侗族の歌を聞くのはその時以来かもしれません。
女性の方が何とも切ない裏声を出したので、恋愛の歌ですかと聞くと、嬉しそうにそうだと答えてくれました。
男性への思いを歌っていると、彼もその歌に引き込まれてやがて恋が成就するというような内容だといいます。
自分も切なさを共感しながら店をあとにしました。

高定までは通りかかった車を捕まえて移動します。
ヨーロッパならヒッチハイクですが、ここ中国では価格交渉して有料で連れていってもらうしかありません。
交渉といっても相場が分からないので、先に金額を言わせてその60%くらいの額で行くようネゴします。
言い値は安すぎたのか決裂しかけますが、それなら次の車を待つからと強気にいうと渋々乗せてくれました。
あまり車なんて通りませんから運転手の方が有利と思われましたが、同じ方向に行くわたしを乗せればわずかでも臨時収入になると欲をかいたのが彼の敗因と分析します。
高定に着いて、ようやく疑念が確信へと変わりました。
わたしは、独峒で妙な既視感を覚えていましたが、高定に着いてみてこの2つの村には来たことがあるぞとやっと思い出したのでした。
わずか4年前のことですが、こんなにも忘れてしまうものなのかと愕然とせざるを得ません。

さて、今日の作例ですが、この中に記憶を乱す理由が潜んでいるように思われました。
独峒のはずれから村の建物と淡水浴(?)する子どもたちを撮ったものですが、3階建てに見える中央の家の下層部分がレンガになっているのが分かるでしょうか。
侗族の家は本来は高床で、下層階は柱のみあって他は家畜の住処や物置になっているはずです。
4年前の滞在ではすべての家がそうだったと記憶します。
しかし、今回はことごとく高床の家はレンガで埋められたようになっていて、村全体の雰囲気が大きく変わってしまっていました。
家畜と同居する衛生上の問題か、1階の柱を補強する目的か、いずれにしても美しかった侗族の木の家々は、木とレンガのハイブリッドのような残念な姿に変貌してしまい、わたしの記憶の扉を開かせることなく別の村のような顔でさみしく佇んでいました。
高定の村中でそんなことを考えていると、さきほどレストランで聞いた歌のフレーズが思い出されて、ますます切ない気持ちになっていくのでした。
【Alpha7II/Xebec 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Sun Xebec 5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/25 Mon

瓢箪のような南瓜のスープ

Xebec 5cmF2
桂林直達と書かれたバスでしたが、広西壮族自治区に入るや何度も停車して乗客を降ろしていきました。
その都度灯かりがつくのは仕方ないとしても、降りる人と運転手が大声で怒鳴り合って現在地を確認するのには参りました。
他の人が寝てるから静かにしなくてはと言う発想は少なくともこのバスの乗客にはありません。
うとうとして起こされてを4時くらいから繰り返し、ようやく7時半に桂林のバスターミナルに到着しました。

桂林では南方の陽朔と北側に隣接する三江が有名ですが、いずれもすでに行ったことがあるので、今回はかなりマニアックな水源頭という古鎮を目指すことにしました。
10年も前の古鎮ガイドに行き方が書いてあり参考にしましたが、あまりに遠くてびっくりするほどでした。
まず興安という町を目指しますが、残念ながら到着したバスターミナルから興安行きはなく北駅に行くように言われます。
路線バスでおよそ30分、北駅はバスではなく鉄道の駅だったので訳が分からなくなります。
仕方なく交番で聞くと、徒歩5分程の大通りで待っていれば興安行きのバスが来るとのことで、なるほど待つこともなくすぐにバスはやって来ました。

しかし、このバスが興安に着くのに2時間、ここでも水源頭への行き方を聞くとバスでもうひとつのターミナルへ行けと言われます。
田舎町の小型路線バスでエアコンはなく吹き出す汗とともにバスターミナルに到着して水源頭への行き方を聞くと、ちょうどそのおばさんが車掌をしているバスがそうだが30分後の発車とのこと。
近くでそばをすすって戻るとのんびり出発し、田園と桂林独特の山の景色の中、40分ほどで小さな村落に着きました。
しかし、ここから水源頭まで1本道を2キロ歩かなければならないというので、炎天下の中、25分も歩いてようやく到着することができました。
この25分という時間が重要で、夜行バスが桂林バスターミナルに7時半に着いてから、目的地到着は11時58分でぎりぎり午前中だったのです。
ただただ疲れたとしか言いようのない、水源頭への長い道のりでした。

ちょうどお昼時だったせいか多くのむ乱立で人とすれ違いその都度あいさつしたので、どうも外国人が来ていると噂になったようです。
ひとりのおじさんが案内を買って出てくれました。
秦家書院という大きな古建築を中心に壁を共有するように建物が増築されていて、ひとりでも見て回れますが、解説が付くのはありがたいですし、何より食事中の家に入り込んで美しい清代の木彫りや彫刻の装飾を見せてくれたりで、さすがにそんなことは地元の人でないとできないでしょうから、幸運な体験ができたと言えます。

さて、本日の作例ですが、秦家書院の豪壮なエントランス部分と案内いただいた男性です。
四方を壁で囲われた中に遮光が降り注いだことで、全体に光がよく回ってドラマチックな表現になりました。
男性からはなおも自宅に招いていただき、昼食をごちそうになりました。
米や野菜・果物はもちろん、豚肉、お酒とすべてが自前で、飲料水や油、調味料など以外はすべて自給自足で、さすが遠路はるばる農村まで来た甲斐あるおいしい土地の料理でした。
桂林まで戻るのはたいへんだなあと思っていると、興安には高速鉄道の駅があるそうで、満席覚悟で駅に行くと少数ながら席は軒並み空いています。
広東の都市からだと満員ですが、途中駅では多少の空きが出るようです。
もしかしたらオープンして最初の外国人客だったのか、駅員がとても親切なことに感心しながら三江まで一気に移動しました。
【Alpha7II/Xebec 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Sun Xebec 5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/24 Sun

読み方からして謎だらけ

Xebec 5cmF2
入手したレンズのテストも兼ねて、今朝から貴州省の少数民族の村をいくつか訪れようと考えていました。
比較的最近だと思いますが、広州から貴州省への高速鉄道が運航開始していて、遠かった貴州省までの距離がかなり縮まっていたのです。
しかし、昨日、深圳駅で聞くとすでに今日明日のチケットは売り切れているといいます。
航空券も出発直前で割引がほとんどなく、国内線にしては高くて、貴州行きは諦めました。
念のためキャンセルが出ているかもと、今日の朝一で駅の窓口に向かいましたが、30分並んでやはり空きは無いと分かり、代替え手段と考えていた桂林も夕方に立ち席があるだけだと窓口を追い返されました。
人口13億の中国で事前予約しなかったおろかさを後悔しつつ、路線乱立で春節以外は空いていそうなバスで行くかとターミナルに向かいました。

夜行バスは貴州省南部方面行きが見つからず、桂林行きのチケットを買いました。
夜の9時発で、到着時間を聞くと、「朝」、との答えです。
中国の長距離バスの到着予定時間なんて決まった時間はないのでしょう。
その後のバスの接続のことが気になりますが、下手に計算して間に合うかヤキモキするよりは精神衛生上楽でしょうから気にしないことにします。
郷に入っては郷に従うしかありません。

ところで昨日入手したレンズですが、Sun Xebecと刻印があり、サン光機が製造したXebecというレンズで名前の読み方が分かりません。
Sunが英語なのでXebecも英語なら、XeroxやXanaduの類推で、ゼベックになると思います。
レンズは明らかにズマールの影響を受けているので、だとすればXenonのようにクセベックがいいでしょうか。
ところがこのレンズについて検索すると、上記の他にシーベック、ジーベック、クスベックなどの表記があり、おもしろいほど人によってバラバラです。

1942年頃、KOL(上代光学研究所)で発売されたKOL ゼベック5cmF2は、戦後になってサン光機のゼベックとして再度販売されます。
サン光機は、ライカマウントレンズから一眼レフ用レンズ、シネレンズ、ズームレンズと時代に則したレンズを設計して、1970年代まで息の長い活動を続けたようですが、その割には資料がほとんどなく、ましてや40年代のことはまったく分かりません。
民生用に販売されていたKOLゼベックが、ニッポンカメラ用に採用されたようだとの文を読みましたが、当時、中判用3枚玉、4枚玉しか製造していなかったKOLがライカマウントでは5cmF2のみ販売していたのはおかしな話で、ニッポンカメラ用にズマールのコピーレンズの製造を依頼されて、肝心のニッポンカメラの製造数が少なすぎて余ったレンズを民生用に回したと考えた方が自然だと思います。

ただでさえ物資が枯渇していた戦時中の開発なので、硝材が限定されたためでしょう、KOLゼベックの性能はあまり芳しくなかったようですが、戦後版のサン・ゼベックでは商材の変更などの改良があったのかは分かりません。
1949年頃にゼベックを改良したといわれるサン・ソフィア5cmF2が登場しているので、サン・ゼベックはKOLゼベックとまったく同じ設計のレンズである可能性が高いと思われます。
作例を見る限り、周辺に大きな破たんがなく、シャープネスもこの年代のレンズとしてはまずまずですが、解像力が低くて、コントラストも少し物足りない気がします。
しかし、戦後すぐの時代、国産のF2クラスのレンズはゾナータイプの5cmF2があった程度なので、ゼベックも十分に検討していると言えるのではないでしょうか。
【Alpha7II/Xebec 5cmF2 F2】
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Sun Xebec 5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/23 Sat

香港の魔窟に潜入す

Xebec 5cmF2
少々事情があって、隠密に香港に来ています。
この時期の香港はひどい暑さですが、関西が梅雨明けして奈良にいてもかなり暑いので大差ないだろうと高をくくってやってくると、やはり香港の暑さは尋常ではないと気付くのでした。
町に出てスナップして歩く計画だったのですか、とてもそんな無茶をする気になれず、行き場のない香港を後にして深圳に出ました。

香港に来た秘密の理由は2つあって、1つは香港で売りに出ていたレンズを購入すること、もう1つは深圳で修理や改造依頼していたレンズを回収してくることです。
なんだそれなら秘密にするようなことではないと思うかも知れませんが、何しろ先月ベトナムに行ってきたばかりで、完全に金欠になっているところで、自分としてはのっぴきならない事情による香港行きでした。
隠しているつもりでしたが、ブログを毎日更新するには包み隠さず行動を記しておくべきと判断して、正直に書くことにしました。
大目に見ていただきますようよろしくお願いいたします。

九龍半島の繁華なエリアの巨大ビルの高層階にレンズのショップがあり、空港からバスに乗りましたが、分かりやすい場所にあったために迷うことなく到着しました。
ショップと聞いていましたが、いつもオープンしているのではなさそうで、レンズの置き方はほとんど倉庫のような状態でした。
事前にメールをやり取りして、この時間に着くと知らせてあったので、インターホンを鳴らすが早いか厳重な扉を開けて、ずっと欲しかったそのレンズを見せてくれました。
しばし雑談すると、日本の客はしばらく来ないとのことでしたが、その理由として円のレートが著しく悪いこと、政府が大企業のために円安に誘導していることを知っていて、個人の生活を考えないひどい政府だと眉をひそめました。
アベノミクスは海外のレンズディーラーにも影響を与えているのですね。

そのまま深圳に移動して、馴染みのお茶屋さんを訪問します。
いつもの鉄観音茶をいろいろ飲ませてもらい、少しばかりもらうことにしますが、これから数日間の旅をするので購入は戻った時に、また、スーツケースは旅の邪魔なので預かってくれとお願いすると、了解してくれました。
そればかりか自分で作ってきた料理を広げ、夕食にとご馳走してもらいもしました。
夜になってホテルを探すとオープン1週間で半額プロモーション中というところが見つかりました。
食事代と宿泊費がセーブできてラッキーでしたが、このホテルは外国人を泊めるのが初めてで、張り切っている割には手続きが滅茶苦茶になり、パスポートのコピーを取るところをスタッフ個人の携帯カメラで撮影して知らん顔していたのは、仲裁裁判であなたのものではないと否定されても意に介することないこの国ならではの対応と感心するしかありませんでした。

さて、本日の作例ですが、他に撮影機会がなくて香港から深圳への移動の途中で撮った鉄道の車内の風景です。
マスクにサングラスの異様ないで立ちの女性は、面が割れることを恐れているというよりは、感染を警戒しているということだと思われます。
深圳のある広東省は新型ウィルスの発生源になっているので注意するに越したことはないですが、これは行き過ぎではないでしょうか。
とはいえ、日本では隙間だらけにマスクを着用する人が多いことと比べると、彼女の着用方は完璧に見えますので、そこは日本人も見習うべきなのでしょうね。
【Alpha7II/Xebec 5cmF2 F2】
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Sun Xebec 5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/22 Fri

1.5でなく2でもなく

Topcor-S 5cmF1.8
東京光学のレンズは、高性能の割になぜか人気はいまひとつのようで、比較的安く市場に出回っています。
トプコール-S 5cmF2などは、国産レンジファインダー用レンズ史上最高傑作と推す人も多いレンズですが、何しろ市場に潤沢なので、申し訳ないくらい価格が安値安定のようです。
東京光学のライカマウントレンズはレオタックス・カメラ用に供給されたので、標準50mmレンズのバリエーションがとても豊富で、同じ名称でも途中で光学系の設計変更をしているレンズが多くて、それらをすべて含めると東京光学のライカマウントレンズは21種類あるとカウントできると思います。

昨日と今日使用したレンズは、東京光学のトプコール-S 5cmF1.8です。
1959年発売の東京光学最後のライカマウントレンズで、レオタックスG専用に供給されましたが、レオタックスG発売前に製造元のレオタックスカメラが倒産してしまったため、少し話がややこしくなります。
債権回収のために仕掛のレオタックスGは組み立てられましたが、その数は500台ほどだったと言われています。
レオタックスGには、別にレオノン50mmF2を付けて売られたものもあり、トプコール-S 5cmF1.8付きは300本程度ではないかと聞いたことがあります。
300本しか製造されていないレンズならかなり希少ですが、探してみると数本見つかったので恐らく300本以上製造されたのでしょう。
ライカM3の対抗機種としてレオタックスGはフラッグシップ機になるはずだったので、東京光学へ相当数量発注していて、やはり債権者の手でレンズのみ売りさばかれたと考えた方が自然です。

先のトプコール-S 5cmF2と同じ4群6枚のダブルガウスですが、どのような設計変更があったのかは分かりません。
東京光学には戦後すぐにレオタックスへシムラー5cmF1.5を、その後改良されたトプコール5cmF1.5を供給していて、どちらもたいへん優秀なレンズですのでレオタックスGにも採用されるべきだったと思います。
なぜ、スペックダウンさせたF1.8を新設計までして採用するのかが分かりません。
このF1.8と後期型のF2は口径が違うはずなのに、同じ鏡胴を使用しているらしいのです。
国産ライカコピー機はすでに低価格競争の時代で、F1.5を付けてしまうと他社よりだいぶ高価になってしまうが、そのままF2では新設計のカメラで古いレンズかと評価されないので、東京光学に低コストでF2より明るいレンズの製造を依頼してできたのがこのF1.8なのではないかと想像します。

すでに一眼レフ時代のレンズですが、9cmF3.5が一眼レフ用にマウントされて製造され続けたのに対し、5cmのこのレンズはフランジバックが短く、レンジファインダー用のみだったはずです。
高性能の新しいレンズは、わたしにとって興味の対象外でしたが、今後、F2レンズとの比較などのために、思いのほか安く売られていたこともあって入手しました。
1950年代半ばになってズノーを筆頭にF1.1、F1.2クラスの超大口径レンズが各社から相次いで発売されても、そんな流行に背を向けてF2レンズの改良を続けた東京光学は誠実なメーカーとしてより評価しないといけないでしょう。

さて、本日の作例ですが、奈良公園の鹿を撮影してみました。
奈良には京都に近いこともあってかなりの外国人観光客が訪れていますが、鹿のような大きな動物が都市部の人間の生活圏に接するところで共生しているのは信じがたいらしく、しかも人々は鹿を神の化身として大切にしていると聞いてすばらしいと感動するのだそうです。
しかし、それだったら、インドのウシだって同じじゃないかと思うのですが、インドでは現地人から邪魔者扱いで、外国人も誰もすばらしいとは思っていないようです。
そんなことは露知らず、母鹿のおっぱいを無心に飲む子鹿のかわいらしさには、インド人も嫉妬するしかないのでしょう。
【Alpha7II/Topcor-S 5cmF1.8 F1.8】
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Tokyo Opt. Topcor-S 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/21 Thu

財布に優しい旅

Topcor-S 5cmF1.8
ただいま失業中のため国民の義務を全うすべく就職活動しなければならないところですが、またしても別件の用事で関西に行くことになってしまいました。
立場上、飛行機や新幹線の利用は許されないと自覚していますが、今回も昼行バスに乗るつもりが、最安だと思っていたバスのさらに半額で行ける交通手段があると分かり利用することになりました。
青春18きっぷによる鈍行の列車旅です。
鈍行で神奈川から京都はかなり辛いだろうと思いましたが、乗り換えはあるものの乗車時間は高速バスと変わりません。
それならぜひチャレンジしてみようと、朝8時半、辻堂駅から熱海行きの各駅停車に乗って旅をスタートしました。

青春18きっぷは、1日列車乗り放題が5日セットで11,850円、1日当たり2,370円と割引率国内最強の乗車券です。
名前に反して年齢に関係なく利用できますが、新幹線はもちろん、特急、急行にも乗車できず、発売・利用期間に制限があります。
片道100キロくらいの日帰りを5回すればじゅうぶん元は取れますが、わたしのようにのんびり関東から関西まで行くのを数回やればかなりのメリットがあります。
時間はあるが金はない、という人の強い味方です。

わたしは、辻堂→熱海、熱海→興津、興津→浜松、浜松→豊橋、豊橋→大垣、大垣→米原、米原→京都と6回乗り換え、8時間近くかかりましたが、本来7,340円必要なところが、3分の1以下で済んでいるのでまったく文句はありません。
今日が青春18きっぷの使用可能な初日だったせいか、昼間の鈍行もがらがらとまでは空いてなく、わたし同様スーツケースで乗り込んでる人もちらほらと見られます。
途中から乗ってきた正規料金を払っている人が座れないこともあったので、申し訳なく感じたりもしました。
もっともそんなことはごく一部で、わたしの隣には人がいない時間の方が長いくらいでし。

同様の区間を高速バスで何回か利用していますが、所要時間があまり変わらないこともあって、疲労度合いもそれほど変わらない気がします。
バスはシートがかなりリクライニングしますし、カーテンで仕切れるようになっていてプライバシーを保て、大きな荷物は預けっぱなしにできますし、Wifiがあり充電も可能などメリットが多いので料金が少し高い程度なら高速バスを利用したいです。
ただ、各駅停車の旅情というのは確かにありますし、青春18きっぷの途中下車自由を利用して、由比で降りて名物のサクラエビのかき揚げ丼とか、浜松で降りてうな重とかをランチにしたりということも可能です。
次回は沿線を研究して、例えば近江八幡の古い町並みを見に寄ったりなど計画してみようと思います。

さて、本日の作例ですが、京都祇園祭の様子を見ることができました。
といっても、祇園祭は7月まるまる1ヶ月かけて行う巨大なお祭りで、有名な山鉾巡行は前祭と後祭の2回あり、今日はその合間の後祭のための山鉾を組み立てているところの見学をしたに過ぎません。
しかし、その手際は見事で、巡行を見るよりむしろ興味深かったりもします。
前祭の日も後祭の日も、京都市内はもちろん周辺の大阪や奈良方面まで宿がまったく取れなくなるというので、結果的に組み立てをオープンに見せてくれることをありがたく感じました。
後祭宵山を明日に控えて、山鉾建は急ピッチで進められているのが伝わります。
【Alpha7II/Topcor-S 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Tokyo Opt. Topcor-S 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(1) | 2016/07/20 Wed

名前と性能は関係ないのだが

Komura 200mmF4.5
ライカ用距離計連動レンズは、焦点距離135mmまでのレンズがほとんどですが、コムラー200mmF4.5のような例外もいくつか存在するようです。
わたしが以前に海外のカタログなどで見たものの中には、シュナイダーのクセナー200mmF4.5やマイヤーのプリモタール180mmF4.5などがありました。
そういえば、わたしが所有しているレンズにもコンタックス用ですが、ツァイスのテッサー180mmF4.5がありました。
同じコンタックスのレンズでゾナー180mmF2.8がありますが、距離計連動レンズとしては合わせにくさ最強のレンズでしょう。
もっとも、大き過ぎて手持ちで使えるようなレンズではなかったようですし、オリンピア・ゾナーのニックネーム通り観客席から陸上トラックのオリンピック競技を撮影するようなレンズだったのであれば、最短撮影距離はやはり相当長かったのでしょう。

コムラー200mmF4.5の詳細な情報は調べられなかったのですが、1960年発売、3群4枚構成ということは分かりました。
前述のクセナーやプリモタール、コンタックスのテッサーは50mmのものはテッサー型ですので、焦点距離の長いものもテッサー型の可能性が高いと思います。
であれば、コムラー200mmもテッサー型でしょうか。
また、1960年とコムラーのライカマウントレンズの中では遅い発売で、同じレンズを一眼レフ用のマウントでも販売していた可能性が高いと思います。
最短撮影距離がまさか同じ8メートルだったのか気になります。

コムラーという名前は、小島さんと稲村さんから一文字ずつ取って付けたそうですが、コムラー自体が古村(小村)さんのようで、ネーミングとしてどんなものだったのでしょう。
当時カメラを買うような人たちは海外嗜好が強かったでしょうから、ミランダやペトリのような外国語風の名前にした方が、名前を聞いただけで日本製と分かるより売上には貢献したのではないかと思ってしまいます。
東京光学のレンズ名はシムラーというコムラーと似たような名称でしたが、途中からトプコールに変更しているのは同様の理由もあったのではと察します。
小島と稲村から1文字ずつ取るにしても、イナジマーの方が稲妻風で電光石火に撮影できそうな好い名前だったのではと思いますがいかかでしょうか。

わたしが日本のレンズ名でいちばん好きなのはズノーです。
頭脳からのネーミングと聞きましたが、その名称もZunowと綴ったこともどちらも知恵を持ったレンズという印象で、他のレンズでは写せないような写真が撮れそうな気になります。
もしかしたら同じ意味で付けたかも知れない、ミランダ用のレンズにオリコールというのがあると聞いて驚きました。
お利口から取ったのだとしたら人を食ったような名前ですが、せっかくミランダという無国籍的な名前を付けながら、レンズがお利口ルではすべてぶち壊しだったのではと気になって仕方ありません。
このようにケチを付けられるからか、その後日本のレンズには固有名が付けられなくなってしまったようで寂しい気がします。

さて、本日の作例ですが、よさこい祭りを開催中の広場の反対側でプロモーション活動中のアイドルを見つけました。
堀川すももちゃんと言う名前で、ルックスがなかなかかわいらしかったですが、意外に歌も上手で思わず全曲聴き入ってしまいました。
こういうミニステージにありがちなパターンで聴衆は数人しかおらず、その割に美声で歌が好かったので、ちょっと応援したくなります。
歌っているときも数枚撮ったのですが、残念ながら8メートル以内だったようでピントが来ず、次の曲の頭出しで少し後方に移動した時にたまたまぴったり8メートル離れていたようでラッキーでした。
すももちゃんという名前はなんだか好いネーミングです。
がんばれ、すももちゃん!
【Alpha7II/Komura 200mmF4.5 F4.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
SankyoKoki Komura 200mmF4.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/19 Tue

超長焦点の謎

Komura 200mmF4.5
今日は、海の日にちなんでか、県内のあちこちで夏のイベントがありました。
どれに行くかで悩むところですが、田舎にある我が家からバス1本で行けるというところに惹かれて、海老名のよさこい祭りに出掛けることにしました。
持参したのはコムラー200mmF4.5、ライカマウントでこの焦点距離にもかかわらず距離計連動するレンズです。
先日、同じコムラーの80mmF1.8を使ったときに、売り払ってなければ200mmF4.5がどこかにあったはずと探し、戸棚に目立たぬように横たわって置かれたそのレンズを見つけて早速使ってみることにしました。

昨年の海老名のよさこいの様子をチェックすると、駅前の大型商業施設の広場で割合いこじんまりと行われたようで、これはコムラー200mmレンズにぴったりだと思いました。
というのは、このレンズ、ヘリコイドが重くて重くて機敏に距離合わせすることができませんし、近距離に繰り出すときにピントリングが回らずにM/Lリングの方が回ってしまいうっかりするとレンズ脱落させますので、よさこいチームが登場した時にピントを合わせてまず撮り、踊りが始まってからは固定焦点にして、その当たりに人が来たら片っ端からシャッターを切って偶然にピントが合えばラッキーという撮影法でいく作戦にしました。

ライカの距離計連動については、距離計の測距精度の問題からライツ自身では135mmF4を限界としたのか、それ以上の焦点距離でもF値でもレンズを発表することはありませんでした。
ようやくM3の時代になって測距用の2つの窓の基線長が広がり135mmF2.8を出しましたが、これは高倍率ファインダーがレンズとセットになった構造で、実効倍率は90mmF2.8と同じになるということだったと思います。
その時にはすでに多くのレンズメーカーから135mmF3.5クラスのレンズが発売されていましたが、それらは丁寧にピント合わせすれば大丈夫、それでも合わなかったら絞って撮ってという思想だったのかも知れません。

しかし、我がコムラーはそれとは別の解決法を見出し、200mmF4.5という従来の常識を打ち破るようなレンズを発売しました。
それは、最短撮影距離8メートルとして、使い勝手より距離計の精度を優先するという、従来とは逆の発想のレンズでした。
恥ずかしながら距離計の精度のF値と距離との関係をどう計算するか分かりませんが、レンズのピントリングに書かれている距離を表す数字は近ければ近いほど細かく刻まれていて、ということは近くほど精度を求められているということになり、8メートル以上の距離ならコムラーはピント合わせ可能とするというような設定だったのだと解釈できます。
しかしどうせなら、2メートルくらいまで繰り出せるようにして、メーカーとしては8メートル以内の精度は保証しませんが、ダメもとで試してみてくださいとなっている方が、おもしろかったと思うし、今になってアダプターで一眼レフで使えて連動云々が関係なくなると、ますます最短を短く造っておいてくれればなあと惜しまれてなりません。

さて、今日の作例ですが、愛川町のよさこいチームの演舞の一コマからこれを選択しました。
この祭りは1時間の間に8チームが登場したので、各10枚ほど、合計100枚弱撮影した中でいちばんまともだったものです。
先述のとおり最短8メートルに固定して、人垣の間から1方向にしかレンズを向けられなかったので、ピント位置を固定してそこに人が来たらタイミングを見計らってシャッターを切ってみましたが、ピントが合わないもの、急に太陽が隠れてシャッタースピードを落としたためブレたもの、フレーミングの失敗、目をつむっている等々ほとんどが使い物にならず、消去法的に残った4枚のうち1枚が女の子の緊張と自信を同時に表しているような写真で救われました。
背景のボケや発色についても分かりやすい、レンズを知るにはちょうどいいサンプルにもなっていたのではと思います。
【Alpha7II/Komura 200mmF4.5 F4.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
SankyoKoki Komura 200mmF4.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/18 Mon

おみくじの裏側

Ultron 50mmF2
今日は、もう1枚江ノ島の写真です。
直前に、日本を代表するレンズ研究家の方たちとウルトロンのことが話題になったので、自分でも使ってみようと持ち出していました。
祭りの様子をテレ・タナーで撮影してまわった後に、ウルトロンに付け替えて江ノ島をぐるっと1周してみることにしたのです。

10何年か前、MSオプティカルの宮崎さんと知り合い、プロミネント用のライカ距離計連動アダプターを開発したとの報を受け、当時はアメリカのカメラ店でレンズシャッターのカメラの価格が下がり切ったような時代で、ノクトン付きのプロミネントも1万円も出せば手に入りました。
レンズの描写はすばらしく、当時愛用していた同スペックのゾナー・コピーのジュピター50mmF1.5を凌ぐ鮮鋭さを感じ、わたしの中の最良レンズの座を勝ち取ります。
安いとは言えないアダプターの価格を半分にする方法を考えたといってその後買ったのがウルトロンで、ノクトンとアダプターを共有するからという言い訳ですが、理屈をこねては新しくレンズを買う悪い癖は、ウルトロンが最初だったかも。

しかし、そこは勉強不足ありありで、ノクトンもウルトロンも銘板部分が通常の黒に白文字ではなく、銀に黒文字の初期型というのがあって、今ではなかなか見つからないやや希少なレンズになっています。
初期玉はシアン系のコーティングで、以降のアンバー系のものと発色がだいぶ違うようですし、同時期に構成の異なるレクタフレックス用のノクトン、ウルトロンもあることもあり、以降のタイプとは若干の設計の違いあるかも知れません。
また、銘板がシルバーだと逆光時などに光を反射してフレアが出ると言われています。
それらのことを確認するためにも入手したかったのですが、すでにノクトンは銘板の色にかかわらず高価ですし、少々探した程度ではウルトロンの銀銘板もなかなか出てきません。
かつて、アメリカに潤沢に在庫していた時代にそのことを知っていればなと後悔しても手遅れでした。

話が反れましたが、ウルトロンの最初の撮影の結果では被写体が日向、背景が陰というものがあり、黒々としたボケが輪郭線を太く、色を汚く見せたため、なんとなくウルトロンにボケの汚いノクトンの廉価版レンズという思い込みに至らせました。
追い打ちをかけるように、宮崎さんのプロミネント用アダプターで無限が来なくなる問題が発生します。
当時、M6とR―D1で撮影していたわたしにM/Lアダプターをセットして連動を調整して納品してくれていたのに、わたしはそのM/Lアダプターを他のレンズでも共有して紛失させてしまいました。
他のアダプターを付けるとわずかに無限は来ず、連動も滅茶苦茶でした。
すぐに再調整してもらえばよかったのですが、そのころにはいろいろなレンズが集まっていてすっかり忘れてしまいました。
わたしにとっては、ノクトンは不遇のレンズで、ウルトロンは忘れられたレンズとなってしまっていたのです。

はい、本日の作例ですが、おみくじのお金を集める様子が、おもしろくて撮影しました。
直前に短パン履いたラフな格好の若い男の子のグループがみんなでおみくじを引いて自分たちの運勢をまじめに論評し合う中、逆に神聖ないで立ちの巫女さんが来て彼らを前に淡々と代金を回収していったのが妙だったのです。
そのカットにして彼らの運命が変わっては申し訳ないですし、背景が見えずボケが確認できないので、こちらの1枚にしました。
問題のボケは2線になることも固くなることもなく、とても素直でした。
そればかりか、このウルトロン、F2クラスの中ではもっとも優秀なレンズだったようです。
冒頭に書いたレンズ研究家のLさんが、とても分かりやすく解説してくれて納得しました。
【Alpha7II/Ultron 50mmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Ultron 50mmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/17 Sun

田中光学に引導渡したレンズ

Tele-Tanar C 13.5cmF3.5
昨日、35mmより135mmの製造数が多くておかしいというようなことを書きましたが、気になっていることがありました。
85/90mmならともかく、使いづらい135mmを広角の倍も製造するのは不自然で、これは他社に供給することが目的で製造されたのだと思えるのです。
例えば400本は自社で販売し、残りは他社が買い取る約束で数千本まとめて生産したものの、135mmレンズの売れ行きはイマイチで、2000本引き合いがなかったか返品があり、止むなくそれらもテレ・タナー名で追加販売しようとしたというものです。
当初の生産計画が400本なら、135xxという半端な製造番号からスタートしたことや、15xxxは他のレンズに割り振ったために、追加分が飛び番になってしまったことの辻褄があいます。

調べてみると、135mmでF3.5というスペックの国産ライカマウントレンズは、量産されなかったオリンパスや小西六をのぞいても11メーカーが販売していました。
大手の日本光学、キヤノン、東京光学を除いた田中光学、サン光機、ヤシカ、瑞宝、三協光機、共栄光学、ディストリビューターのソリゴール、テリサーの9社ではレンズを他社から仕入れていた可能性が高いと思われます。
めずらしい国産ライカコピーとして高値が付く三鈴光学のアルタ35の標準レンズのアルタノンは、田中光学のタナ―と同じレンズではないかと言われていますので、135mmも田中光学へ発注したものの、カメラが売れなかったので交換レンズまで実現しなかったのではと睨んでいます。

アルタカメラのことは検証は難しいでしょうが、各社の135mmF3.5レンズを買い集めてテレ・タナーと同一のものがないかテストしてみる手はなくはありません。
135mmはほとんど安価なので、50mmレンズを集めるよりはコスト的な問題は小さく済みそうです。
しかし、135mmレンズがいっぱいあっても、そんなに使う機会はないでしょうし、あんなにでかいレンズを5本も6本も置く場所をどうすればいいのか考えるだけで気が重くなります。
気が向いたらやるかもという程度にとどめておきます。

田中光学が1959年に倒産してしまったのは、カメラメーカー各社が一眼レフにシフトしたことで旧式のレンジファインダーカメラが売れなくなったからだと考えられているようですが、それには異議を挟むつもりはありませんが、13.5cmレンズの在庫が経営を圧迫していたということもあったと思うと付け加えておきましょう。
無責任な裏付けのない話でしたが、めったに使われないであろう長焦点レンズを手にして、製造番号のことを知っていろいろなことが分かったり、想像できたりするのは愉しいことでした。

本日は、テレ・タナー13.5cmF3.5のシリーズの最後の作例です。
いままさに神輿が海に入り祭りが最高潮を迎える中、観覧者全員の眼が海に向いているというのに、まったく関心を示さないカップルが…。
向かい合って携帯をいじる意味が分かりませんが、もしかして、流行のポケモンGOに熱中している?
そんなのを撮っているわたしを含めた3人だけが、熱狂する祭りの蚊帳の外にいるのでした。
【Alpha7II/Tele-Tanar C 13.5cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Tanaka Kougaku Tele-Tanar C 13.5cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/16 Sat

大観衆が見守る中

Tele-Tanar C 13.5cmF3.5
写真用レンズの嚆矢であるフォクトレンダーからツァイス、ライツと、一般にはレンズは製造順に番号が振られレンズに刻印されますので、この製造番号が製造年代や製造ロット数の特定につながり、レンズのことを調べるうえで大きな手掛かりになります。
前述の3社は、製造または出荷台帳として記録が残っているので、より正確に特定でき、これらメーカーのレンズへの興味もいっそう増していきます。
初期の日本光学レンズは、製造番号の最初の何桁かが捨て番と呼ばれ、そのルールを知ればやはり製造年など分かるようですが、これはちょっと複雑で分かりにくくシンプルな方がよかったのにと思います。

タナーの場合は、レンズ種類ごとに製造番号の最初の2桁または3桁が焦点距離かF値から取るというやりかただったようです。
例えば35mmF3.5は35xxx、35mmF2.8は28xxxx、5cmF1.9は19xxxx、5cmF1.5は15xxxのように分かりやすい規則性があります。
この13.5cmF3.5は135xxですが、製造数が多かったために最終的には168xxまで続いたそうです。
しかし、先述の通り、15xxxは5cmF1.5に充てられているので飛んでいて、なぜ15xxxxと6桁にしなかったのか不思議ですね。

168xxから135xxを引いて、さらに15xxx番台もなかったとすると、13.5cmF3.5レンズは2400本くらい製造されたのではと計算できます。
同じように見ると35mmF3.5が300本くらい、35mmF2.8が1000本くらいに比べて、だいぶ多いという印象です。
1950年代半ばには、広角レンズより長焦点レンズの方が需要があったのでしょうか。

50mmと135mmレンズで徹底してコンタックスと同じレンズ構成を採用した田中光学でしたが、なぜか35mmではそうしなかったように見えます。
35mmF2.8もビオゴンコピーにしてもらえなかったのが逆に残念です。
50mmF2、F1.5、85mmF2、135mmF4のゾナーレンズ群には多くのコピーレンズがあるのに、ロシア製レンズを除いて35mmビオゴンのコピーがないのはなぜでしょうか。
Wタナー35mmF3.5はテッサー型と思われているようですが、どうも違うようです。
びっくりするような構成の可能性があって、いま調べているところです。
これについては分かり次第お知らせしようと考えています。

さて、今日の作例は、山王祭のクライマックスの海上渡御が始まる前の様子です。
この人の波は強烈で、祭りなんだからこのくらいの人は来てあたりまえなのかも知れませんが、暑さの中でわたしは耐えられず、群衆から離れて遠巻きに撮影することを決断させました。
それ以上に神輿の担ぎ手はきついでしょうから、水に入ることで清涼感を得られる海上渡御は、熱中症予防に配慮した神様の心遣いが伝統として残っている行事なのでしょうね。
【Alpha7II/Tele-Tanar C 13.5cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Tanaka Kougaku Tele-Tanar C 13.5cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/15 Fri

コンタックスの真似じゃないか

Tele-Tanar C 13.5cmF3.5
テレ・タナー13.5cmF3.5を製造した田中光学は、調べても調べても情報のない、不思議な会社です。
わずかに分かったのは、もともと川崎にあった会社で、当初はライカ用のアクセサリーや8mmシネレンズなどを製造していて、1953年から突然ライカコピーカメラを作りはじめて短期間に9機種を製造したものの、1959年にはあっけなく倒産してしまいまったということです。
ライカマウントのレンズも35mmから135mmまで9種類が販売されていますが、量産に至らなかったレンズや鏡胴、2種のコーティングの違いで分類すると、実に23種類ものレンズが作られたやはり不思議なメーカーなのでした。

特に50mmレンズにおいては、F3.5、F2.8、F2、F1.9、F1.8、F1.5と6種類ラインアップさせたほかに、試作で終わったF1.2という超大口径レンズもありました。
F2とF1.5の間にF1.9、F1.8があってそれぞれ別のレンズだとしていることにこのメーカーの執念を感じずにいられません。
ところがその2本を除くと、F3.5テッサー型、F2.8テッサー型、F2ゾナー型、F1.5ゾナー型と、レンジファインダー・コンタックスと同じ編成・同じ構成で、オリジナリティのなさにがっくりとなります。

この13.5cmF3.5は、以前も書きました通り3群4枚でコンタックスのゾナーそっくりです。
試作のみで市販に至らなかったレンズに8.5cmF2というレンズがあり構成など詳細不明ですが、まあ間違いなくコンタックス用ゾナーと同じ構成だろうと想像はできますが、もし、戦後型の3群7枚の方のコピーかもしれず、そうだとしたらかなりの驚きです。

タナー・レンズの焦点距離表示は、35mmF3.5、35mmF2.8、50mmF3.5、50mmF2.8の初期タイプのみがmm表示で、それ以外はcm表示になっています(試作レンズの多くは未確認)。
正式な理由は分かりませんが、タナ―の主要ラインアップはコンタックスのコピーであることから、標準レンズはライカの51.6mmではなくコンタックスの52.3mmが採られていて、1955年頃にそのことを理由にcm表示に切り替えたのではと想像できます。
レンジファインダーのキヤノンがmm、ニコンがcmだったのもそのことと関係あるのか、このことは調べてみたい今後の課題といたします。

さて、本日の作例ですが、おととい、昨日に続いて江島神社の参道周りでの撮影です。
地元のお祭りに遠路はるばるしかも浴衣を着てやって来てくれたことに、感謝を込めて採用させていただきした。
昨日の作例では背景の草木が流れているように見えて不安になりましたが、今日の前後の人物のボケは美しくて安心できました。
コントラストも古いレンズとしては悪くないと思いますが、現代レンズと比べれば低くなるので背後のシャドーの女性も好い感じで再現されています。
周辺の乱れもなく、さすがゾナーがお手本だけに優秀なレンズと確認できました。
【Alpha7II/Tele-Tanar C 13.5cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Tanaka Kougaku Tele-Tanar C 13.5cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/14 Thu

主役のケガで一躍躍り出る

Tele-Tanar C 13.5cmF3.5
昨日は135mmではなく35mmのタナーのことばかりになってしまいましたが、実は、その35mmタナーを落札した時に一緒に付いてきたのが、この135mmタナーでした。
10年前に35mmタナーを買ったときには専用ファインダーが付いてきたのですが、今度はレンズが1本付いてきたのでした。
もちろんオークション出品は35mmと135mmの2本を売り出していたのであって、おまけで付けてくれたという訳ではありません。
しかし、正直なところわたしは135mmの方には関心がなく、感覚的にはやはり付属品のようなものでした。

昨日の通り35mmレンズが使い物にならなかったので、今回の撮影で135mmは付き人から主役の座を射止めることになりました。
ライカM6やM8を使っていたころは使いづらかった135mmレンズも、ピント拡大やピーキング機構の付いたミラーレス一眼レフでは一躍手軽なレンズになります。
この間ずうっと100mmから200mmくらいのペッツバールを使っていたので、長焦点ということも苦になりません。

とは言え、やはり動いているものと狭い場所では、135mmの撮影は厳しいです。
離れた早く歩いている人ではピント拡大するとブレでその人を追えなくなりますし、近くの場合はフレーミング困難になることしばしばです。
江ノ島の狭い参道では、たこせんべい屋さんの行列と先頭のちゃきちゃきたこ職人を狙いましたが、2、3人がただクローズアップされるだけで、帰宅後見ても何を撮ったのか思い出せないようなものでした。
動くものを捉えるのと、どのくらいの狭さまでいけるかの見極めには、それなりの修練が必要です。

135mmレンズがおまけと言っていて思い出したのが、逆のパターンですが、オークションには非常に多くのカメラ単体が出回っているのが気になるということです。
特にレオタックスやタナック等々のライカ・コピーと言われるカメラでそれが顕著です。
要は、デジタルで使うためにレンズは取って、いらないボディを売ってしまおうと考える人が多く、一方でボディだけ欲しがる人はほとんどないので、買い手を待つそんなカメラの群集がさみしげにずっと売れ残り続けているのです。
自分も同じような罪を犯した経験があるのでこういうのはおこがましいですが、レンズだけでなくときどきでいいのでフィルムを通して、かつて日本復興に寄与した英雄たちを使ってあげて欲しいと思います。
デジタルになってからのレンズブームのつくった弊害ですが、カメラがあまりにかわいそうです。

さて、今日の作例です。
江ノ島参道を上がった付近で立ち往生状態でしたが、強引に神社方面ではなく左の階段を登っていくと、太鼓や笛の音色が近くなってきました。
民家の軒先に引っ込んでいると、和楽器奏者がちょうど降りてくるところでした。
動いていると撮りづらいというのは書いたとおりですが、急な階段を演奏しながらなので、進み方がゆっくりで助かりました。
三味線奏者と眼があったような気がして彼女にピントを合わせましたが、あいにく顔が陰になってしまったものの、指に好い光が回り込んでくれて、フィンガーリングに視線が集まるような写真になりました。
【Alpha7II/Tele-Tanar C 13.5cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Tanaka Kougaku Tele-Tanar C 13.5cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2016/07/13 Wed

10年後にまた繰り返された

Tele-Tanar C 13.5cmF3.5
ちょうど今から10年前、Wタナー35mmF2.8というレンズを手に入れました。
コンディション良好な上に格安でファインダーまで付いていました。
しかし、使ってみると全体にフレアっぽく、ハイライトが滲みます。
なぜか中玉に目立つキズのようなものがあって、これが悪影響を及ぼすと分かり、失意のうちに手放すことになりました。
修理することも考えないではなかったのですが、クラシックカメラ専科の記事でこのレンズがテッサー型と出ていて、その頃はテッサー型をどこにでもあるつまらないレンズとみなしていたので、所有欲が減退していたのです。

最近になって、またクラカメ専科の先の記事を再読して、これはおかしいと思いました。
やはり、Wタナー35mmF2.8はテッサー型と明記されていましたが、1950年代半ばでは35mmF2.8はガウス型でないと設計できなかったのではと気付いたのです。
キヤノン35mmF2.8が1951年、ニッコール35mmF2.5が1952年、トプコール35mmF2.8が1954年、ズマロン35mmF2.8はずっと遅く1958年ですがすべて4群6枚のダブルガウスです。
このWタナー35mmF2.8は東京光学とライツの中間の1956年発売ですが、テッサー型だとすればかえってすごいことだとなってしまうでしょう。

確認のためにWタナーを再度入手してみることにしました。
あちこちで目にしましたがどれも高く、10年前に2万円しないでファインダーが付いてきたのに比べて倍以上もしています。
ただ、いずれも売れているわけではないので、それが相場ということではないのでしょう。
そうこうするうちに、オークションにこのレンズが出てきましたので前回同様の2万円少々で入札すると落札してしまいました。
早速、届いたレンズで構成を確認すると、やはりダブルガウスです。
先のクラカメ専科の記事は、単に間違えだったのか、あるいはテッサータイプも存在するのか、かえって謎が深まってしまったかも知れません。

そのことをブログにすべくレンズを使おうとしておかしいことに気付きました。
ピントが合わないのです。
どうしてなのかしばらく悩みましたが、ピントリングは動いているのに無限遠から最短1メートルまでレンズの位置が動いていないと分かりました。
ヘリコイドが噛み合ってないか、なにか問題があるようで、固定焦点のレンズになってしまっています。
またしても、このレンズには縁がないのかと嘆くほかありませんでした。

さて、本日の作例ですが、祭りを前にした子どもたちの情景です。
江ノ島の橋を渡り切り、参道を抜けたあたりで太鼓の音が遠くに聞こえてきて、すでに山王祭は始まっているようでした。
江島神社から神輿が出るのだろうと察しましたが、すでに祭りの関係者、見に訪れている人たちと一般の観光客でごった返していて、前に進むことができず途方にくれてしまいました。
そんなときに、同じく手持ち無沙汰の子どもがいて、ちょうど135mmレンズにぴったり収まる位置だったので、このレンズの練習をさせてもらいました。
【Alpha7II/Tele-Tanar C 13.5cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Tanaka Kougaku Tele-Tanar C 13.5cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/12 Tue

棚からぼたもちなレンズ

Tele-Tanar C 13.5cmF3.5
昨日10日は江ノ島で山王祭があるとのことで、朝から出掛けてきました。
江ノ島は市内なので地元ですが、南北に長い藤沢市の南端に位置していて、北端に住むわたしから見るとそれなりに遠方です。
車で行くか悩みますが、駐車場が空いてないとたいへんですし、長時間停めて車に戻った時に車内が高温になっているのを想像したら、やはり公共交通機関を使うべきと判断しました。

使用するレンズは田中光学のテレ・タナー13.5cmF3.5です。
先週のコムラーはレアな大口径レンズのつもりで持ち出しましたが、世間では地味なレンズの格付けだったようで、2週続けての地味な長焦点レンズの登場になってしまいました。
2週続いてというよりは、今回の方が明らかにぐっと地味度を増していますので、先日の国産のライカマウントレンズにシフトしていくという宣言の本気度が、こんなレンズまで登場するかという意味においても理解いただけるのではないかと思います。

テレ・タナー13.5cmF3.5は、1955年に田中光学が自社のライカ型カメラの交換レンズとして発売した長焦点レンズです。
3群4枚のテレゾナータイプで、レンジファインダー・コンタックスのゾナー13.5cmF4とそっくりな構成です。
しかし、テレ・タナーはゾナーより2まわりくらい大きい感じで、F4からF3.5まで1段まで明るくならないのに、こんなにも大きさが違うんだということを再認識させてくれます。
フィルターとM/Lアダプターを付けて410グラムもある重たいレンズで、レンジファインダー用135mmレンズが不人気な理由のひとつになっています。

それ以上に人気がない理由は、135mmレンズがレンジファインダーカメラでの使い勝手の悪さをまざまざと教えてくれるからです。
ライカM3以外には135mm用の枠がなくてフレーミングには専用ファインダーが必要になり、ただでさえカメラのファインダーと外付けファインダーを交互に見なくてはならず、さらに距離を変えるときはレンズのピント合わせの後に外付けファインダーも距離の指標合わせをしてパララックスを補正してやるという作業があります。
面倒くさくて、とてもやってられません。
こうして、このテレ・タナーはじめ、ほとんどの135mmレンズはユーザーの手元を離れて、気の毒なくらい安く値札が貼られそれでも売れずに市場でそういう事情を知らないで安さにつられて手を出す初心者を待つしかないのです。

さて、本日の作例ですが、ステージイベント前のラジオ体操か何かのシーンです。
山王祭はここで行われると思って東浜の方へ出てみましたが、海水浴場なのでここではないと気付かされました。
少し戻ってツーリストインフォメーションで場所を確認し、あらためて島内の方へ移動します。。
一応のところ、ステージ上の人にピントを合わせていますが、レンジファインダーではこのあたりの距離は泣き所で、恐らくピントは合わせられなかったと思います。
というのは、数十メートルの無限遠手前のところの距離計の二重像は合っているようなずれているような微妙な見え方で、視力が良くないと見えてこずにピントリングを無限遠にしてしまいがちだからです。
人ではなく海に合焦した後ピンです。
広角や標準なら被写界深度内なので、慣れない135mmでも同じようにやって失敗ということで、じゃあと絞れば手ブレと、嫌になってしまう人も少なくなかったのではと想像します。
【Alpha7II/Tele-Tanar C 13.5cmF3.5 F3.5】
Tanaka Kougaku Tele-Tanar C 13.5cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/11 Mon

12年で残したもの

Komura 80mmF1.8
キャメロンの写真展に行ってきました。
といっても、キャメロン・ディアスを撮った写真ではなく、マーガレット・キャメロンが撮った写真を見に行きました。
ジュリア・マーガレット・キャメロンは19世紀の湿板時代の写真家で、当時、最新の機器であった現在で言う木製の大判写真機とダルロー、ダルマイヤーのレンズを使用していたことが知られています。
古典写真に対する興味に加えて、古いレンズへの興味もあって、初めて19世紀の写真家による展覧会を見学に訪れました。

キャメロンをご存知ない方は多いでしょうし、わたし自身もまったく知らないので、伝記や資料その他から概要を見てみることにいたします。
キャメロンは、1815年、東インド会社の社員を父にフランス貴族の娘を母に当時のカルカッタで生まれ、その後フランスで教育を受けますが、1838年にインドに戻り20歳年上のイギリス人法律家と結婚します。
10年後には夫の引退でロンドンに移り、サロンを通じて芸術家たちと親交を結ぶようになります。
1863年、娘たちがキャメロンに写真機をプレゼントしたことで、彼女の写真家としての人生がスタートしますが、1875年にかつて過ごした英領セイロンに戻ります。
セイロンでも撮影活動は続けますが、湿板撮影用の薬品の調達が難しく撮影機会は激減して、1879年に亡くなります。

キャメロンの写真家としての実質的な活動は、カメラを贈られた1863年からセイロンに移住する1875年までの、わずか12年間と言っていいでしょう。
写真学校で学習する機会もなく独学で始めた当時の煩雑な写真術ですが、生まれ持った才能があったのでしょう、サロンでの芸術家たちとの交流も好い影響があったようで、1年もしないうちにロンドン写真協会の会員になり、のちには著作権事務所への自作の登録をおこなっています。
セイロンでの家業が厳しいときには、展覧会を積極的に開催して代理店からのルートを確保するなどの写真販売に腐心しています。
作品を鶏卵紙プリントして販売することに力を入れていたことがうかがえます。

作品は、大きく2つのタイプに分けられるそうです。
交流あった芸術家などを撮影した肖像写真と、歴史や文学に材をとって人物を配置し寓意的に撮影した写真イラストです。
詩人のテニスンや天文学者のハーシェルなど肖像の展示がありましたが、外見的な特徴だけでなく内面の偉大さを表現しようと考えて努力していたそうです。
一方の写真イラストでは、ソフトフォーカスを多用したり、ネガにひっかきキズをつけたり、合成写真を試みたりしています。
これらの試みは当時の同業者や評論家からは評判が悪かったのですが、戦後キャメロンが再評価される際には積極的に受け入れられ、今回の展覧会でもそのような作品が多く展示されています。

キャメロン展では撮影可の展示室があったので、今日の作例にさせていただきました。
芸術作品の見方は人さまざまだと思いますので、どうか気になさらないでいただきたいですが、わたしにはこの展覧会はおもしろいものではありましたが、キャメロンの写真はあまり好きになれませんでした。
美しいポートレイトは惹かれましたが、中途半端にボケたりぶれたりしたもの、輪郭に沿って引っ掻いたもの、合成写真などの意図が伝わってこなかったからです。
親交のあったロセッティやミレーなどのラファエル前派の絵画の影響が強すぎて、それを乗り越えるためにレンズの表現力やケミカルの偶発性に頼ったように感じられます。
かつて美術館で見たラファエル前派の女性に強く打たれたことを思い出すと、キャメロンも同じような力のある写真を撮ろうと試行錯誤した姿が見えてくるような気がしました。
【Alpha7II/Komura 80mmF1.8 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
SankyoKoki Komura 80mmF1.8 | trackback(0) | comment(1) | 2016/07/10 Sun

コレクションの価値はなさそう

Komura 80mmF1.8
その後コムラー80mmF1.8について調べて若干わかったことがあるので、メモ的に記載しておきます。
このレンズの製造開始は1957年と書きましたが、1958年としている資料もありどちらが正しいかは定かではありません。
また、1958年説では3年間造られていたとあり、広げて解釈して1957年から1961年くらいの製造期間としておきます。
生産能力の問題もありますが、やはりこの当時としては短命だったレンズと言えると思います。

ライカマウントだけでなく、少なくともM42マウントの一眼レフ用にも製造していたことが分かりました。
広角や標準レンズであれば、ミラーとの接触の問題があるのでライカ用を一眼レフに転用できませんが、80mmF1.8は後玉からフランジ面まで余裕があるので、設計変更なしにマウント部の変更だけで転用していたと考えられます。
また、これは恐らく少数のみと思われますが、ニコンSマウント用もありました。
コムラーでは35mmレンズでもニコンSマウントを見たことがあり、すべてのレンズかは分かりませんが、ライカ、ニコンSで選択できるようにしていたレンズがあったのだと思われます。

30分ほどのネット検索で、製造番号が読めるコムラー80mmF1.8が16本見つかりました。
それらは鏡胴のデザインが次の3種類あるようです。
➀ピントリングがギザギザタイプ
No.230020 – 230664 (9本)
②恐らく➀と同じ鏡胴でピントリングが黒とシルバー互い違いのいわゆるゼブラタイプ
No.230671, 455018 (2本)
③デザインが変更されてピントリング部は凹凸が交互になったいかにも一眼レフタイプ。
No.3550293, 4550086, 5550157 – 5560128 (5本)
製造番号が分かってもマウントがライカかM42か分からないものなどあり、サンプル数が少なすぎるので確度は低いですが、恐らく製造番号の最初の2桁ないし3桁はマウントを表していると考えられ、以下のように推測してみました。
最初の年はタイプ➀でライカマウントのみ約700本製造。
2年目はライカとニコンSマウントを製造番号帯を変えてタイプ②で100本づつ製造。
3~4年目は製造番号を変えてライカ、エキザクタ(?)、M42をそれぞれ300本、100本、1000本製造と考えます。
合計で2300本ですが、それでは少なく見積もり過ぎでしょうか。

また、レンズ構成ですが、先日書いたように4群5枚のエルノスターであることは間違いないようですが、2群目が2枚貼り合わせとした資料を見てそう書いたのですが、4群目が貼り合わせとするサイトを見ました。
あらためて自分のレンズの反射面で確認すると、確かに絞りより前の3群に貼り合わせはなく、絞りの後の4群目が貼り合わせでした。
トリブレットの1群目と2群目の間にシングルメニスカス、最後群が2枚貼り合わせの両凸と訂正いたします。
その資料では、最初に間違えた1+2+1+1のエルノスター型の構成図が並んで紹介されていたコムラー105mmF2.5のところに付されていました。
わたしが最初に引用した資料は同じものを見間違えたのかも知れません。

さて、本日の作例ですが、レンズ仲間のスタジオ撮影会の様子です。
今回の撮影会は諸事情あって欠席だったのですが、同じ日に都内での用事ができたので、急遽覗きに寄ってこの1枚のみ撮影させていただきました。
欠席通知して会費を払ってないのに図々しい話です。
ちょうどコムラー80mmF1.8を入手した直後で、珍しいものなのでこのレンズ知ってるかとクイズでも出そうかと考えていたのですが、カバンから出した瞬間に、言い当てられてしまいました。
さすがレンズ通の集まりだと感心してそう言うと、僕もむかし持ってました、いらないんで売っちゃいましたけど、との返事にへこみました。
【Alpha7II/Komura 80mmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
SankyoKoki Komura 80mmF1.8 | trackback(0) | comment(2) | 2016/07/09 Sat

真ん中のそのまた真ん中

Komura 80mmF1.8
ライカが90mmという焦点距離を採用していたのに、なぜ、コンタックスは85mmだったのでしょうか。
むかし、その理由をどこかで読んだような気がするのですが、忘れてしまいました。
日本光学が85mm派だったのは、コンタックスレンズのコピーから35mmサイズのレンズ設計をスタートさせているからでしょう。
キヤノンも85mm派なのは、ライカマウント共用なのでライカとレンズとアクセサリーを共有できるメリットを放棄していておかしいと思ったのですが、初期の日本光学からの影響について知って納得しました。
また、ヘクトール73mmやズミルックス75mmなど、標準レンズと85/90mmレンズの間をとった焦点距離も両者に比べて少数派ですが存在しています。

それなのになぜ、コムラーはさらに75mmレンズと85/90mmの間に割り込むような80mmという焦点距離のレンズを作ったのでしょうか。
何か理由がありそうで調べましたが、関連しそうな記述は見つけられませんでしたので、想像してみるしかありません。
昨日の三協光機の概要の中で、最初のチバノン名の時代のレンズに80mmF3.5と75mmF3.5とあったので、きっとこれは蛇腹か二眼レフの6x6用に2種のバリエーションを作ったのだろうと考えたのですが、ライカ用にコムラー名となってからも80mmF3.5とその後この80mmF1.8と続けて発売しています。
F3.5の方はチバノンの転用の可能性が高いと考えられますが、F1.8をまた80mmにした理由が思い付きません。

1950年代半ばには、キヤノン、レオタックス、ニッカ、タナック、チヨカ、メルコンなどライカ以外にも同じマウントを持つカメラが多くありました。
これらのユーザーに80mmF3.5はそれなりに受け入れられていて、すでに80mmファインダーを所有してこの画角に慣れているだろうことから同じ80mmのF1.8にしたのか、あるいは、そこまでユーザー目線ではないが、メーカーとして焦点距離は統一していこうという戦略なのかなあという気もします。
キヤノンではずっと早く85mmF1.9やF1.5を、日本光学でも85mmF2とF1.5を発売していたので、同焦点距離ではこの巨人たちには歯が立たないので真っ向勝負を回避したという弱気の経営戦略の可能性もありますね。

商業的にはどうだったのでしょう。
80mmF1.8には、製造数が少なく個性的なレンズのため人気があり高価であるという定説らしきものがあって、実際、わたしが見た数本はオークションでも5万円前後とコムラーとしては異例の高価格でした。
80mmF3.5の方はより製造数がより少なくてなかなか見つからないが、知名度もないために安価であると聞きました。
工場の規模相応に製造したので、商業的には失敗でなかったかと想像するにとどめます。
昨日、80mmF1.8レンズは業界唯一の明るさをもつ大口径と自負している旨書きましたが、当時すでに35mmF1.8、50mmF1.1、85mmF1.5という大口径レンズが各社から販売されていますので、三協光機が言うのは80mmレンズとしては業界唯一ということだと読むしかないですが、80mmレンズが業界で他に存在するのか知らずに転記したことが後悔されました。

さて、今日の作例は、中野のとある交差点です。
背後の特徴ある建物は中野サンプラザのようです。
以前のニュースでサンプラザが建て替えられると報道しているのを見たような気がするので、記憶違いかと調べてみました。
やはり、1973年に建てられて40年以上経つので老朽化が激しく、中野区がより大規模で近代的なものに建て替えようとしているそうです
高浜原発、美浜原発等々、やはり40年経過して廃炉とか再稼働とか議論されてますが、サンプラザが老朽化で建て替えなんだから同じ年数経過した原発も再稼働は無理という理屈が成り立ちそうなものですがどんなものなんでしょう。
【Alpha7II/Komura 80mmF1.8 F1.8】

thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
SankyoKoki Komura 80mmF1.8 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/08 Fri

僅かに時代に遅れたか

Komura 80mmF1.8
三協光機は戦後の光学メーカーですが、調べると意外に歴史があることが分かります。
前身の島司製作所は1927年という早い時期に設立されると光学の事業が始まり、1937年にはその後の三協光機の社長として活躍する小島満氏が事業を引き継いでいます。
しかし、4年後には太平洋戦争が勃発し、カメラの製造も制限されたので、このころはレンズの設計などの成果は残せなかったものと思われます。
小島氏自身も召喚されたため島司製作所は消滅しますが、戦後のシベリア抑留から復員して裸一貫で写真用品の製造から細々と事業を再スタートさせます。
ようやく1951年になって小島は三協光機研究所を設立し、念願だったレンズの開発に取り組みます。
三協という言葉には技術、営業、資本の三部門の協力と均衡を保つという意味が込められていました。

最初のレンズは、80mmF3.5、75mmF3.5、50mmF3.5(すべて3群4枚テッサー型)、50mmF2.8(3群5枚ヘリアー型)で1953年の発売です。
翌年には105mmF3.5、80mmF2.8とリリースされますが、当時のレンズにはチバノンの名称が付けられ(Chivanon、Chibanoneの2つの表記あり)、中外写真商事から受注されたとあります。
レンズのスペックから引き伸ばし用か主に中判のレンズシャッターカメラ用に供給されたのではと想像できますが、チバノン名のレンズを見たことがなく詳細は分かりません。
中外写真商事と中外製薬、チバノンとチバガイギーと関連ありそうですが、このあたりのことも不明です。

1955年、三協光機株式会社に改組し、自社レンズの確立のためレンズ名を社長の小島と役員の稲村から1文字ずつ取ってコムラーとします。
最初に発売したのは、135mmF3.5、105mmF3.5、80mmF3.5、50mmF2.8の4本のライカマウントレンズでした。
翌1956年に発売した35mmF3.5は、初めてランタン系の新種ガラスを採用しています。
さらに1957年に発売したのが80mmF1.8で、このレンズは「業界唯一の明るさをもつ大口径で、従来の設計から飛躍してエルノスタータイプを開発したことは、当時としては特記すべき技術陣の成果」と自画自賛する、コムラーを代表するレンズだったようです。

このころから要望にこたえるかたちで8mm用レンズを発売し、さらに一眼レフ用のレンズもラインアップに加えていきます。
その後も、長焦点レンズ、大口径レンズ、レトロフォーカス28mm、中判用レンズ、大判用レンズ、ズームレンズと毎年新しい分野に意欲的に取り組んでカタログを充実させていきます。
1964年には、望遠コンバーターのテレモアを発売してたいへん人気を得ます。
テレモアにはライカマウント用も設定されましたが、すでに一眼レフ全盛時代に入っており、同年に105mmF2.5レンズをライカマウントで発売して以降、ライカマウントの新作はなくなり、順次カタログから消えていきます。
1969年には社名を株式会社コムラーレンズに変更し、なおも一眼レフ用レンズを中心に製造を続けましたが、1957年頃技術者が機械や仕掛品ごと持ち出して共栄光学を設立する騒ぎがあり、その後も労働争議問題が起こったことで、事業が好調だった1980年に突然の倒産をしてしまい、長いとは言えないその歴史に終止符を打ちました。

以上、ざっと三協光機の概略を見てきましたが、安価に高性能のレンズを提供したことでコアなファンから支持を受けていたので、倒産を惜しむ声が非常に多かったと聞きます。
わたしにとっては、あと5年設立が早く、コムラーブランドでのスタートも5年早ければ、80mmF1.8に匹敵する個性的レンズをライカマウントでいくつか設計していたのではないかということの方が悔やまれます。
今日の作例は、中野の商店街で何気なく前方のお姉さんを撮ろうとしていたところ、急に板前さんが目の前を通りかかったので、慌てて撮影したものです。
がさついたうるさ目なボケはいまひとつですが、開放から気持ちよいくらいシャープなところにエルノスターらしさが感じられるところが好いと思います。
ハイライトが滲んでないのも優秀で、このメーカーがF1.5以上の標準レンズを作らなかったのが残念です。
【Alpha7II/Komura 80mmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
SankyoKoki Komura 80mmF1.8 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/07 Thu

コムラー返り

Komura 80mmF1.8
考えるところあって、日本製のライカマウントレンズを手に入れました。
安さにつられて購入しながらまだ使っていないレンズと合わせて、がんがん持ち出してみようと思います。
国産レンズについては調べると面白いことが分かったものがありますし、さらにその関連で欲しくなってしまったものもありました。
これ以上在庫を増やす危険を承知で、国産レンズを中心にブログも続けていければと思います。

今回のレンズは、三協光機のコムラー80mmF1.8です。
三協光機はもちろんライカマウントのレンズで有名ですが、わたしには各社一眼レフ用カメラ用レンズを製造し続けたサードパーティーというイメージがあって、情報がなかったことも手伝い、あまり関心の持てないメーカーでした。
国産ライカマウントレンズのことを調べるにあたって、コムラーに28mmからヴィゾ用800mmまで20種類のライカマウントのレンズがあったことを知り、少し興味を惹かれたところです。

Komura35mmF2.8レンズはだいぶ以前からもっていて、4群6枚ダブルガウスのとてもシャープな広角として評価していましたが、黒アルマイトのアルミ鏡胴がオールドレンズらしくなくいまひとつ好きになれませんでした。
半世紀以上経過しているので、今どきの呼び名ならオールドレンズではあるのでしょうが、クラシックレンズではないという感じです。
また、200mmF4.5や135mmF2.8というライカの距離計の限界に挑戦したような望遠レンズがあって、スペックの割にとても安いので入手しましたが、どちらも経年でヘリコイドがひどく重くなっていて、安さゆえにオーバーホールする気にもなれず、すぐに手放してしまいました。

80mmF1.8というレンズがあることは、めずらしい焦点距離ということで記憶していましたが、それがライカマウントだったことは最近コムラーについて調べていて知ったのです。
コムラーレンズの構成は資料がなくほとんど分からないのですが、このレンズは古い雑誌の広告で4群5枚と知り、さらにトリブレットの2枚目と3枚目の間に貼り合わせのメニスカスを配置した典型的なエルノスター型と知りました。
製造数が少なく市場価格は高価だとの情報もありましたが、安ければ欲しいとチェックしてみました。
オークションに出てくる頻度は少なかったですが、出ればやはり情報通り価格は上がっていって、50000円以上になってしまうのでとても落札できません。
2度ほどそんなことが続き、3度目に出たものは前玉にキズがあるとの説明があったせいかあまり入札なく、どうにか2万円台で落札することができました。

レンズが手元にやって来て早々に中野駅前で撮影したのが、今日の作例です。
確かに浅い拭きキズが数本ありましたが、見ての通り順光では影響の出ない程度の軽傷でした。
オークション出品者は、キズが深刻であるかのような表記をしていましたが、後あとキズでクレームを付けられないよう少しオーバーに表現したということのようです。
また、大口径レンズですと、わずかなキズでも目立つということがあります。
もし同程度のキズが35mmレンズにあったとしたら、よりわずかなキズに見えて、出品者はそれほどキズを深刻にしなかったでしょう。
いずれにしても、この程度のキズのためにグッと安く買えたのは幸運でした。
もうひとつ、ヘリコイドが緩過ぎるという問題もありました。
グリスが切れかかっているのでヘリコイドの摩耗が心配されますが、最初のテスト撮影には、以前のコムラーレンズの重たいヘリコイドに比べればずっと快適です。
まずは、好い買い物だったとしておきましょう。
【Alpha7II/Komura 80mmF1.8 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
SankyoKoki Komura 80mmF1.8 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/06 Wed

ベトナムの美味をしみじみ思う

R-Serenar 5cmF1.5
今回の旅のベストフードはと問われたら、少し考えてブンヘンと答えるでしょう。
しかし、わたしがブンヘンを啜っていた時に友人が目の前で食べていた、コムへンの方が旨そうだったのに、以降、食べる機会がなかったのが残念でした。
ブンヘン、コムへンともフエの名物料理とのことです。

フエの町を歩いていていたときに、暑くて休憩したくなって来て、通りすがりの屋台に腰掛けました。
言葉が通じないので何の屋台か分かりませんが、ご飯と麺があったのでわたしが麺を友人が米を頼みます。
わたしはそれほどお腹が空いていなかったので麺がちょうどいいと思いましたが、友人は空腹だったようですね。
麺もご飯も載っている具は同じで、汁気のあまりない野菜やシジミ(アサリ?)などが入っているようです。
おもむろに食べようとしたら、店のおばちゃんが待てとばかり飛んできて、何するかと見守っているわたしの前で麺と具を豪快に混ぜ合わせだしました。
中国でよく食べる拌麺にそっくりです。
友人もご飯と具を懸命にかき混ぜてから、期待以上の味に満足しつつ、ふたりで旨いねを連発しながら完食しました。

ホテルでスタッフのアンちゃんに確認したところ、ご飯のがコムへン、麺のがブンヘンと教えてもらいました。
へンとは何か確認し忘れましたが、シジミの具のことじゃないかと思われ、コムは米を、ブンは麺を意味するそうです。
コムという言葉とコメという言葉は関係あるのではないかと思っていたので聞きましたが、あっさり否定されました。
ブンはフォーと同じコメの麺ですが、ブンはうどん型、フォーはきし麵型と形状の違いがあるとのこと。
ベトナム人にはこだわりがありそうですが、少なくともわたしにはスープの出汁や具の方がずっと重要で、ブンかフォーかはどっちでもいいような気がします。

フエの日帰りツアーに行って以降、屋台や食堂に入る機会はあって、やれ麺だ、ご飯だ、焼き肉だと食べながら、コムへンはないかとひそかに探しました。
ところが、帰国日までついに見つけることができず愕然とします。
コムへンはフエ固有の料理とは聞きましたが、宿泊したリゾートがあるフエのはずれの村にも、フエの隣町のホイアンにも、それを見つけることはできませんでした。
ベトナムでは地域の食文化がしっかりと守られているのでしょう。
ブンヘンを食べたのでよしとしたいとは思いますが、コムへンはついに幻の味となってしまいました。

さて、作例です。
明日は帰国というベトナム最後の晩餐は、この小さな食堂で食べました。
といっても、夕食はホテルのはからいでスタッフと食べる土地の料理をいただいていました。
満腹になって腹ごなしに屋台街に散策に出たとき、ランタンの街並みを歩きながら、これがラストチャンスとコムへンを探してもみましたが、やはりとうとうみつからず、コムヘンのことを思うあまり微妙に空腹感を感じて、屋台街にあったこの店に入ったのです。
希望の食事はできませんでしたが、見ているだけで楽しくなるようなハノイから来たファミリーが隣で盛り上がるのにわたしたちも巻き込まれたりして、些細なことを忘れて楽しませてくれたのでした。
【Alpha7II/RSerenar 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Seiki-Kougaku R-Serenar 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/05 Tue

イネからでは判別できず

Accurar 35mmF2.8
その地域で何を主食に食べているかを色分け表示した、世界主食地図という資料があります
小麦、コメ、トウモロコシ、イモ類、肉類、雑穀等の主食分布を見ると、なるほどと納得することが多く、世界夢想紀行食事編ができそうな気分になります。

世界の主流はパンや麺類などの小麦かと思っていましたが、この地図では中国北部から中央アジア、アラブ地域、北アフリカ、ヨーロッパ、飛んでチリとエリアとして多いもののそうでない地域の方がはるかに多いことに気付かされます。
穀類が育たないからかユーラシアの北部、アメリカ大陸北部のおそらくツンドラ地帯は主食が肉類となっていて、極端ですがエスキモーがアシカの肉を蛋白源にとせっせと食べている姿に思いをいたしました。
太平洋の島国や中央アフリカはイモ類となっていましたが、むかしTVで見たパプアの人々が大好きなサツマイモを思い出し、他はおもにキャッサバが主食なんだろうと想像します。
中米全体と南米のアンデスやブラジル東部、アフリカの一部では、トウモロコシが主食ですが、この分野はタコス以外なじみが薄く、中米を旅しているときはポテトが主食代わりのようなところもあって、もっといろいろ食事すべきだったと後悔しました。

コメについては、饅頭や麺が主食の中国北部や西アジアを除いたほとんどをカバーしていますが、他のエリアは飛んでトルクメニスタンの一部とマダガスカルしかありません。
アジア限定主食のようなものなので、詳細なアジアコメ分布地図はないかと探しましたが見つかりませんでした。
コメの種類にはジャポニカ米、インディカ米のほかにジャワ島などで食べられているジャバ米というのがあるそうですが、ラオスや北タイで主食として食べられるもち米を入れて、4種のコメの主食分布が知りたいなあと考えます。

今回の旅も、去年ラオカイ~サパ~ハノイと旅した時も、ベトナムで食べたコメはすべてジャポニカ米だったのですが、東南アジアでの主力はインディカ種のタイ米ですし、香港や中国広東省の多くがインディカ米を食べています。
米辞典というサイトでは、インディカ米のところにベトナムが記載されていて、ジャポニカ米の方にはベトナムはなく、これを見る限りベトナム人が食べるのはインディカと読めるのでとても不思議です。
フォーや春巻きのライスペーパーはインディカ米が原料と同サイトに記載されていました。
主食として食べたご飯はみな日本と同じように炊いていたことを考えても、主食はジャポニカ、加工用はインディカと使い分けているように思われ、機会あればベトナムの友人に確認してみたいと思います。

さてさて、作例ですが、ホイアンの田園風景です。
田植えは女性の仕事なのか、女ばかりのこんな光景を何回か見ました。
6月末に田植えというのは遅いように思いましたが、このあたりは米を三期作もするそうで、恐らくこれが二期目の田植えなのでしょう。
コメの質では日本にはかなわないかも知れませんが、年に3回も新米が食べられるベトナムもかなり贅沢な米食人類といえるのと思います。
【Alpha7II/Accurar 35mmF2.8 F2.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Accura Accurar 35mmF2.8 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/04 Mon

少ないようで多かった

Accurar 35mmF2.8
世界の国を人口順に並べると、1.中国、2.インド、3.アメリカ、4.インドネシア、5.ブラジル、6.パキスタン、7.ナイジェリア、8.バングラデシュ、9.ロシア、10.日本、というようになるそうです。
アジアばっかりかあ、ナイジェリアってそんなに人口が多かったの、ロシアは意外に人が少ないんだ等、様々なリアクションがあるでしょう。
11.メキシコ、12.フィリピン、13.ベトナムと続いていて、わたしにとってはこの3国が上位に入っていることが意外でした。
特にベトナムがそんなにも大きな国という感覚はありませんでした。

わたしはベトナムを数回訪れましたが、いずれも滞在は1週間以内の短期で、訪れたのもホーチミン、ハノイ、ハイフォン、ダナン、フエ、ラオカイ、サパのみ、ベトナムの町の多くを知っているわけはありません。
ホーチミンについては人口密集の大都会との印象がありますが、首都ハノイは都会ではあっても人口のとても多いという感じはなく、他の町ではより牧歌的な空気が漂っています。
人口の多い国というよりは、のんびりした田舎というイメージしかなかったのですが…。

気付いたことは、わたしが長らく中国を歩いていた影響ということです。
あの国では大都会はもちろん、地方のちょっとした町ですらまとまって人がいて、そんなのを行く先々で見続けることで、アジアの町の人口規模が中国基準で頭の中に刷り込まれてしまったようでした。
中国には人口100万人以上の都市が150もあって、農村に比べて都市部の人口密度の高さが尋常ではないうえに、人口に含まれない農民工などの出稼ぎ労働者がいるわけですから、世界基準とは違う物差しで測っていたということなのです。

ベトナムは、ホーチミン716万人、ハノイ645万人、ハイフォン184万人、カントー119万人までが100万人超えで、20万人以上は16市、10万人以上が37市と、やはりそれほど人口の多い国ではないという印象を裏付けているような数字です。
町村がとても多くて国全体の人口数を押し上げているのでしょうか。
ホイアンの歴史的エリアはものすごい人が町を埋め尽くしていましたが、ほとんどが中国からの観光客で、人口で言えばけっして多いと感じるものではありませんでした。
しかし、その観光客密度は市民で混みあう中国のちょっとした町の繁華街と同じレベルです。
ホイアンに着いてうんざりしたのは、そんな記憶が呼び覚まされるからなのでしょう。
かつて中国を旅していた時代は雑踏も人の塊も平気でしたが、今ではもう耐え切れなくなってしまいました。

さて、作例は、ホイアンの市場です。
歴史的建造物エリアから近く、観光客と地元の人がごったになって賑わいはなかなかのものでした。
ホイアンにはスーパーマーケットがなく、野菜や肉は日々、市場で買う人がほとんどのようで、店主と客が顔見知り同士で市場らしいネゴのようなものもなしに買い物している様子に見えます。
わたしたちはマンゴーを求めてやって来ましたが、まだ混雑しているもののピークはとうに過ぎているようで、あまりせわしないということもなく食事しながら営業している人がちらほら見られました。
広げられた野菜の残り方を見ても、彼女にとって今日の仕事は長期戦なのでしょう。
【Alpha7II/Accurar 35mmF2.8 F2.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Accura Accurar 35mmF2.8 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/03 Sun

ニッチなレンズ狙いで

Jamin et Darlot 13.5cmF4.5
数年間ずっと使い続けたペッツバールレンズのことで残念だったのは、資料がほとんど見つけられなかったことです。
ライカマウントのレンズ群に比べると、ウェブサイトや書籍、カタログなどの資料があまりなく、レンズを使っては疑問点を調べて興味を増幅させるという行程がなかなか得られなかったのは残念です。
そんな中でキングスレーク氏の写真レンズの歴史とダゴスティーニ氏の”Photographic Lenses of the 1800’s in France”に大いに助けられました。
しかし、教えられる以上に疑問点の方が多く、ペッツバールを集めて使うというのは悶々とした気分を伴うことでした。

もうひとつの問題は、35mmフォーマットにフィットする焦点距離の短いペッツバールがなかなか市場に現れないということでした。
手に入れた7cmという焦点距離はデュブローニのカメラでは直径4cmのフィルム用で、現在の35mmに近いフォーマットといえますが、この焦点距離のペッツバールは他にもう1本見たことがあるだけです。
続いて10cmという焦点距離がありますが、まれにオークションに登場するとおおむねかなり高価になって手が出ません。
20cm前後だと潤沢にあるせいか割合リーズナブルなので、長過ぎを承知で不本意ながら購入していました。

これらに反してわたしはクラシックカメラ専科を以前から買い揃えていたり、他にも国内で発行されたレンズ関連書、レンズ特集を組んだ雑誌などを何冊か所有しており、その多くで日本製のライカマウントレンズの記載があり、特に古いものはレンズ設計者のインタビューなどがあってたいへん興味をそそる内容です。
くわえて、日本にいるということは世界のどこよりも日本製のレンズを手に入れやすい環境にいるということです。
戦前から戦後間もなくは、ツァイスやライカのレンズのデッドコピーをつくっていたというので馬鹿にしていたのですが、調べると相応の理由があったり、コピーしたのに性能は著しく劣っていると当時から言われていたりと、むしろそういったレンズを集めて自分でも使ってみたいと思うようになってきたのです。

日本にはカメラコレクターが多く、貴重なカメラに付いているレンズなどはすでにかなり高価ですし、そもそも市場にはあまり出てこなさそうです。
超大口径レンズも、レンズブームが去りつつあると思われるいま現在でも超高値安定で、例えば、ズノーのピンポン玉と呼ばれる初期型の5cmF1.1など入手をあきらめざるを得ないレンズは少なくありません。
狙うは、地味スペックで安いけど何かいわくのあるような国産レンズに絞られます。
さっそく、こんなに安くて申し訳ないとお詫びしたくなるようなレンズを数本入手したので、来週以降、もともと所有のレンズに織り交ぜながら使って行こうと思います。
一般には平凡なものばかりだとは思いますが。

さて、今日の作例ですが、なんやかやと言いつつ3日続けてのペッツバールになります。
これもホイアンのはずれの路上で、ココナッツを買いに来たモデルのようにちょっとセクシーなポーズをとる女性と、そんなこと構わずに背を向けてココナッツをカットする女性の対比です。
このレンズは13.5cmの長さに比べて被写界深度が深いので、両者にピントが合っているように見えたのですが、よく見ると両方ともピントが合ってないようです。
最近になって、ピーキングと拡大を併用してピント歩留まりを上げる努力をしていたのですが、どうも夕方薄暗くなると、ピント精度が怪しくなってしまうのです。
【Alpha7II/Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 F4.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/02 Sat
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