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ペッツバールで入場拒否

R-Serenar 5cmF1.5
スペイン、マドリード
【Alpha7/R-Serenar 5cmF1.5 F1.5】
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thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Seiki-Kougaku R-Serenar 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/31 Sat

魔女の住む町で

R-Serenar 5cmF1.5
スペイン、タリファ
【Alpha7/R-Serenar 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Seiki-Kougaku R-Serenar 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/30 Fri

駅の泊まり心地

R-Serenar 5cmF1.5
長らく更新出来ず、大変失礼いたしました。イスラムの土地で音沙汰を絶ったことから、過激派組織に拘束されたなどととの噂も流れているとの話を聞き及んで、大慌てで写真だけでも更新することにいたしました。
旅の方は、大きなトラブルこそないものの、スケジュールはかなり乱れながらも、2016年正月現在、どうにか継続しているところです。

PC不調のため、写真のアップロードがままならず、キーボードも動かない状態が続いて文章入力もサボっていました。
写真データの移動などでどうにかアップロードができるようになったようですので、ひとまず、文章抜きで最新の分まで写真のみ掲載していきます。
タイトルと地名は入れるようにしましたので、日付、写真とそれらを組み合わせることで、旅のルートと状況等をご想像いただければと思います。

順次、文章を入れて、通常のブログの形態に修正していくつもりですが、すでに2ヶ月以上を経過してしまっていて、修復は絶望的かもしれません。
ご容赦ください。
ちなみに、今日の写真は、モロッコのフェスという町で予約していた宿がどうしても見つからず、駅で夜明かししたときのものです。
【Alpha7/R-Serenar 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Seiki-Kougaku R-Serenar 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/29 Thu

迷宮からの脱出

Meyer OminI 20cmF3.5
マラケシュを脱出することにしました。
さらに言えばモロッコから、もっと言えばイスラム圏から、離れたくて仕方なくなりました。
地図を見る限りその方法は簡単です。
モロッコ北部とスペイン南部はとても近く、フェリーでスペインに渡ることができるのです。
最接近しているのは有名なジブラルタル海峡で、ここは遠く離れたイギリスの飛び地ですが、なぜか旅していないわたしでもモロッコ側タンジール、スペイン側アルヘシラスという名前は知っていて、この間の航路でモロッコを脱出できると考えていました。
宿の夫妻に聞くと、マラケシュからタンジールまではおよそ10時間で、その途次にフェスという古い町があるとのことです。
フェスまでは8時間、フェスからタンジールまでは2時間というので、今日はフェスに泊まり翌朝タンジールから船でスペインへというプランをたてました。

フェスまでの交通手段はバスと鉄道の2通りだそうで、8時間なら夜行列車でと考えたのですが、マラケシュ発フェス行きは朝に1本、夕方2本でこの夕方の列車はいずれも深夜の到着です。
それなら、バスの方がいいかと考えましたが、バスの時間は分かりません。
バスターミナルの位置を地図にマーキングしてもらって、行ってみることにしました。
徒歩10分ほどと聞いていましたが、昨日、宿を探したときと同様のことが起こりました。
あっちだと指さされて歩いても見当たらず、別の人は案内すると言って金を取ろうと虎視眈々なのです。
そもそもバスターミナルが分かりにくい場所にあるとは思えません。
地図上でも、大通りにほぼ面しています。
それならまず大通りにでればと考えるのですが、入り組んだ道はそれさえ許さず、わたしは同じような小道をぐるぐる歩き回るばかりでした。
あきらめかけたところ、見覚えある通りに出て、ここからなら宿に戻った方が好さそうだと歩き出すと、あれよと言う間に大通りに出てバスターミナルも比較的そばにありました。
なんだか町にバカにされているようで、訳が分からなくなりました。

フェス行きのバスのことを聞くと、案内係に見えたその男性がわたしが売ってあげようと言いだしました。
しかも通常2500円のところを2000円でいいからと、誰が聞いても胡散臭いことを言います。
これはダメだと断り、会社ごとにいくつもあるチケット窓口の表示を1軒ずつ見て行きました。
アラビア文字で分からないところは無視して一通りまわると、2つのバス会社がフェス行きを出しています。
それぞれ値段を聞くと、2000円と1500円で両社とも夜行バスが複数ありました。
いちばん安いところで買おうかとも思いましたが、窓口の表示価格がすでに信用できませんでしたし、安い方がうちは安さとサービスでとても人気だというので、びっしり満員のバスを想像して乗る気が失せました。
バスより早いと分かった鉄道に切り替えることにしました。

バスターミナルから路線バスがたくさん出ているので聞くと、やはり駅を通るバスがあるとのことで乗り込みました。
座ると、他にも席はいくつも空いているのにわたしの隣にスーツの紳士が座ってきました。
カバンからPCを取り出して何やら作業を始めましたが、見るとはなしに横目で見ていると、彼の左手の位置がPCの下にあって、妙に不自然でした。
指の先からわたしのズボンのポケットの財布まではすぐそばです。
考えすぎだったかも知れませんが、マラケシュの人間が信用できなかったわたしは膨らんだポケットから財布を取り出して反対側のポケットに移し替えます。
そのとき紳士の方を盗み見ましたが、表情が変わったようには見えません。
やはり考えすぎだったでしょうか。

フェス行きの列車は16:30発、18:30発の2本で、それぞれ1:00着、3:00着でしたので、最初の方のチケットを購入しました。
チケットは800円ほどだったので、バスの料金はやはりぼったくりだったと確認できました。
宿に戻り深夜着のフェスの宿を予約してから、トランクを持って駅に向かうことにしました。
宿の奥さんが近くのタクシー乗り場に案内してくれるというので、助かったと思ったのですが、わたしにとって昨日のランチと同じ過ちになりました。
距離からして150円以下だということは明らかでしたが、奥さんが捕まえたタクシーに乗ると500円近い金額だといわれます。
奥さんが100円か、150円かキックバックを取ろうというのでしょう。
タクシーが走りだす前だったので降りてしまえばいいのですが、もう列車の時間が迫っていてすぐに次のを捕まえられるか分かりません。
タクシーは違う方向に走りだしました。
わたしが知らないと思って遠回りして、高い料金に文句を言われないようにと考えたのでしょう。
違うこっちじゃないと言いましたが、すでに人通りの多いUターン困難な道に入り、そのため前にもなかなか進まず、その後も渋滞につかまるなどして列車に間に合いませんでした。
間に合わなかったうえに倍以上も吹っかけられて、さすがに口論になりました。
最後にはわたしは300円ほどを運転手に押しつけて駅舎の中に入りました。
悪態をついていた運転手も駅まで追っかけてくることまではしませんでした。

2時間近くも空いてしまいました。
しかも到着は午前3時です。
元気があって荷物がなければ、メディナにもどって撮影するなり、空いた時間をポジティブに使うところですが、もはやそんな元気はこれっぽっちもありません。
近くのカフェで休むことにしました。
古びたカフェですが期待していなかったWIFIがあって、メールを打ったりしていると、思いの他時間が早く流れます。
しかし、悪いことは続くもので、店を出る際にカバンの脇に置いていたカメラをストラップに引っ掛けて落下させてしまいました。
何か部品が飛んで一気に血の気が引き、恐る恐るカメラを持ち上げると、電池を留めるストッパーが外れていました。
被害はそれだけで撮影にも影響無いようでしたが、電池を電池室に止めておくことができなくなりました。
そのままでは落下するので、撮影しようと思うと右手の小指か左手の人差し指で、電池を押し付けていないといけません。
少なくとも重たいペッツバールでは支えきれないですし、軽量なR-Serenarでも指がつりそうでとても何枚も撮影するなんてできそうもありません。
泣きっ面にハチですが、このあとさらなる悲劇が待ち受けていようとは、このとき、知る由もありませんでした。
【Alpha7/Meyer OminI 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Meyer OminI 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(5) | 2015/10/28 Wed

あっちで揉め、こっちでまた揉め

R-Serenar 5cmF1.5
コンサートの後、遅い夕食を食べてミラノ中央駅に戻ってきたのは12時を過ぎてからでした。
朝6時というとんでもなく早いフライトなので、空港で少し仮眠して、マラケシュに着いてから寝るつもりで宿を予約していました。
朝食にと駅の自動販売機で2ユーロのサンドイッチを買っているうちに、最終の空港行きのバスが出てしまったようです。
始発は3時半だとバス会社の親父に冷たく言われ駅の待合に行くしかなくなりました。
ホーム階の待合いベンチは、着ぶくれしてダルマのようになった黒人グループが数人いるだけです。
ホームの方から吹いてくる風が冷たく、シャツ1枚でいるのは耐え難い寒さでしたが、その寒さに堪えることが、怖そうな黒人たちがいることの心配を薄らがせました。
寝てしまうと荷物を持って行かれそうだし、自分自身も風邪をひきそうなので、足踏みしながらブログの入力をすることで時間をつぶしました。

気づくと黒人たちと警官が何かイタリア語で揉めています。
続いてわたしのところまで警官が来て、切符を見せろといいます。
翌日の切符を持たないものは、駅構内にとどまることを禁ズということのようです。
いまさっき終バスに乗り遅れて始発を待っている、上着を持って来てないので駅を追い出されたら凍死してしまうと訴えたら、分かった、バスの時間になったら必ず出ていくようにと言って警官たちが立ち去りました。
警察による駅構内一掃見回りで立ち退かされた人が多く出たおかげで、暖房が聞いている下の階のベンチが空きました。
寒さを気にせず、何度もうとうとしながらバスの時間まで座っていることができました。
高圧的な20人くらいの警官隊でしたが、結果的には感謝したいと思います。

到着した空港で、今度はチェックインカウンターで揉めることになりました。
トランクをチェックインするのに荷物預け代40ユーロ払えというのです。
わたしのチケットは、チュニス-マラケシュの発券でミラノでの荷物のことなどどこにも書いてないと抗議しましたが、認めてもらえず発券カウンターに行ってくれの一点張りです。
40ユーロ払ったら、別の便の方が安かったことになり損してしまうと言うも、そんなこと知ったこっちゃないと相手にしてもらえません。
仕方なく発券カウンターに行くと、年配の夫婦がかなりの剣幕でカウンターの女性とやり合っていました。
カウンター女性劣勢に見えていましたが、毎日同じようなトラブルに対応しているからでしょう自信満々に対応し、最後には警察を呼ぶとか、呼べるものなら呼んでみろというやり取りになり、その後夫婦がどうなったかは不明です。
こんなですからわたしに勝ち目はなく、隠れた費用を取る汚い航空会社だとかさんざん罵って少しすっきりしてから40ユーロ払いました。
この女性も毎日こんなことばかり聞いて反撃していれば、性格は歪んじゃってるんだろうなと余計な心配をしながら。
こんな航空会社はもうこりごりですが、日本にも就航してそうなので名前は出さないように、クレイージー・ジェットという仮名で読んでおくことにしておきましょう。

しかし、ミラノの空港で揉めたのは、今日1日の前座のようなものでした。
ひとつの町に1日いただけで、その国を評価するなんてあり得ないことと思っていましたが、それがあり得るくらいこのマラケシュはひどく、猥雑としながらも楽しい町という期待は完全に打ち砕かれました。
この町で20人くらいの現地人と接しましたが、まともだと言える人はただのひとりもいません。
予約した宿はメディナの中のとても分かりにくい位置にあったので、携帯のGPSを頼りに歩き始めたのですが途中で機能が効かなくなり、どうにもならなくなりました。
案内するというものが現れますが、でたらめな場所に連れて行ったあげくに案内料を寄越せという図々しい奴らで、何にも知らないで何が案内だと立て続けに揉めました。
また、迷子になったのか案内してあげようという人が現れたので、あなたはまともかもしれないが、同じように案内すると言いながら金目当ての嘘つきばかりであなたのことを信用できないんだ済まんというと、だったら買い物しないか好い店に案内すると、人の話を聞いてないんだか、さらに現地人不信に陥らすようなことを言われ、以降、多くの人から話しかけられましたが無視し続けました。

本来徒歩10分の位置にあった宿が見つかったのは1時間半後のことでした。
300年前のリヤドという古い建物を改装したオープンしたてのゲストハウスです。
わたしの泊まったいちばん安い1500円の部屋は、よくシャワールームを設置できたなと感心するくらい工夫の跡の感じられる部屋でした。
いかにも親切そうな夫婦はオーナーではなく、宿が会社の所有物になったときに、この仕事をしたいと事務員から転身したとのことでした。
古い建物も人の好さげな夫婦も宿泊予約サイトの評価がとても高かったので信用したところに落とし穴が待っていました。
お昼をつくってくれるというのでおまかせしたところ、タジンという地元の鍋料理を出されとても美味しかったのですが、食後に料金を聞くと1500円とのことです。
こんなに高いのかと驚きつつその後確認すると、高めのレストランで700円、庶民食堂で200円で食べられるものと分かりました。
あらかじめ料金を聞かなかった自分が悪いのですが、親切な宿の人ですら宿泊者をこうして食い物にする、それがマラケシュだというのがわたしの実感でした。
腹が立って宿泊サイトのレビューにはこのことをしっかり書かせてもらっています。
この他にも、自称日本人の恋人がいるという若者に30円の水を240円で売りつけられたり、骨董品屋でコーランを書くための100年前の文具を1000円で買わされてあかるいところでみたら古色をつけた新品とすぐ分かったり、土産売りにしつこく付きまとわれたり、ろくなことがありません。
いずれも慎重に対処していれば防げることだったと思いますが、チュニジアの人々がみな親切だったこと、何より現地の人と交流することに重きをおく旅にしようとしていたことで彼らのいいカモになってしまいました。
とられた金額なんてたかが知れており、信頼できる人に出合えなかったことに悲しみを禁じ得ない気持ちです。

ただひとつ、よかったと言えるマラケシュでの体験は、ベルトを買ったことでした
以前に中国で買ったベルトが、ニセ革で使っているうちにあちこち切れてみすぼらしい姿になっていました。
そんなベルトが2本あったので、ひとつはブダペストからの旅の時にしていき、ベオグラードでたまたま宿のそばに革屋さんがあって手作りのベルトを買ってボロい方を捨ててきました。
今回も同様に、マラケシュのスークでベルトをつくっている耳の不自由な青年から、やはり
ボロベルトと交換で彼の手作りベルトを手に入れました。
値切ってしまって申し訳なかったのですが、約500円でゆずってもらいました。
しっかり2枚の革を貼り合わせてあって、硬さ具合がちょうどよく、茶色の美しいベルトで、すっかりお気に入りです。
青年とはジェスチャーと電卓による価格のやり取りだけだったので、革の種類は確認していませんが、近くで日陰干し中のヒツジの革を見ていますし、革の感触がとても好いので、良質のモロッコ革だと勝手に思っています。
モロッコでは不愉快なことばかりでしたが、青年のありがとうという素直な笑顔のおかげもあって、わたしのお腹の周りを一周しているやつだけは好い思い出になってくれました。
【Alpha7/R-Serenar 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Seiki-Kougaku R-Serenar 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(1) | 2015/10/27 Tue

間奏曲をどうぞ

Meyer OminI 20cmF3.5
アルジェリア行きをあっさり断念して次の目的地にしたのが、アルジェリアの先のモロッコでした。
チュニスからカサブランカならフライトは多いでしょうし、料金もリーズナブルなようです。
しかし、いろいろ調べていると、カサブランカへの格安チケットは乗り継ぎ便で、他のモロッコの都市に飛んでも料金はほとんど変わりません。
であれば、なるべく奥地に飛んで戻ってくるようなルートの方が効率的です。
さらに見ると、バックパッカーの三大聖地のひとつマラケシュへのフライトが2000円ほどの差でいちばん安かったのですが、それがなんとミラノで1泊する乗継便でした。
今回の旅ではサッカーを2試合観てますが、1度もコンサートに行ってません。
ミラノ経由は振り出しに戻るみたいでかっこ悪いと思ったのですが、ミラノへ行けば音楽が聴けると考えてそのチケットを購入しました。

トランクを空港で預けようと思っていたのですが、5ユーロもして高いので、それよりは安いだろう駅に預けることにして空港バスに乗りました。
今夜空港に戻るので往復で買ったのですが、片道8ユーロ、往復14ユーロで2ユーロも得して気分上々でした。
前回の旅を終了して、今回の旅をスタートさせたミラノ中央駅のことは、案内できるくらいよく知っているつもりです。
ところが、荷物預かりに直行すると驚くべきことに50人以上の長蛇の列ができていました。
こんなのにとても並んでいられず、内部の作りだけ知っていても駅のことを知っているとはいえないのだと反省させられることになります
トランクを空港に預けなかったことを後悔しながら、気に入りの切符販売機のところに行きました。
購入したのは、スイスのルガノ行きです。

コンサートは8時半開演のものがあり、それまで大分時間があります。
普通であれば市内か、せいぜい近郊の町を訪れることを考えるでしょう。
しかし、今回、行きたかったアルジェリアを断念したことで、訪問国がひとつ減ってしまいます。
別に何ヶ国周れるかを競っている訳ではないので、アルジェリア1国パスしても何ら影響はないのですが、なぜか感情的にそれを取り戻そうという気持ちが働いていたようです。
1時間20分で行けるイタリア国境のすぐ先のスイスの町ルガノは、ほぼミラノ郊外の感覚でしたので、気にすることなくチケットを購入しました。

ルガノは同名の湖の湖畔にある町で、イタリア人にとってのリゾートになっているようです。
途中いくつか湖を縫うように電車は走り、定刻とおりにルガノ駅に到着しました。
天気が好く左右に次々現れた湖を見ることが、ルガノの小旅行のハイライトだったかもしれません。
永世中立国のスイスはEUに加盟していませんが、通貨もユーロでなく独自のスイスフランで、ATMでのスイスフランのキャッシングがまずは必要でした。
駅のレストランで食事するつもりでしたが、とても高くて断念しました。
並びのスーパーでサンドイッチを買おうとしたら1個700円もします。
いくらなんでも高すぎて買えず、300円の小さなハムのサンドイッチと、これはリーズナブルな150円ほどの瓶ビールを買ってお昼にしました。
スイスの物価の高さは尋常でないレベルに感じました。

帰りの鉄道の時間を見ると、ルガノには4時間滞在できます。
ツーリストインフォメーションで地図をもらって、とくに当てもなく、午後のやさしい陽光の中をのんびり歩きました。
その地図で面白かったのは、裏面全面が腕時計のカタログのような広告だったことです。
どんなものにしても生産地で買うのが安いはずですが、物価が高く、税金も高そうなスイスで時計が安いのかは疑問です。
もっとも安かったとしても、とてもスイスの時計なんて買う余裕はありませんが。
作例は湖畔にたたずむ少女です。
斜光を浴びたその横顔は、とても憂いを帯びているように見えました。
失恋でもしたか、あるいはわたしと同様、スイスの物価に嘆く旅行者なのか、たぶんわたし自身も同じような表情で歩いていたかも知れません。
唯一ルガノでしたのが、のんびりと次の駅まで歩くことでした。
来るときに気付いたのですが、ルガノの1つ手前の駅は、ルガノ・パラディソという名前でした。
パラディソは、パラダイスのイタリア語です。
期待して歩いてみましたが、名前の由来の意味は分からず、楽園なんて見つかりませんでした。

ミラノに戻ってロシア人ピアニストのコンサートを聴きました。
クレメンティから現代作曲家まで意欲的プログラムでしたが、ピアノをあまり聴かないわたしが知っていたのはドビュッシーの1曲だけでした。
それでも音楽に飢えていたわたしは退屈することなく演奏を楽しみました。
ホームの音響が素晴らしく、客が全然入っていなかったので、真ん中の最高の席で聴くことができたのもよかったと思います。
昼食が僅かで、好い音楽を聴いたとあっては、イタリア料理を堪能して明日のモロッコ行きに備えるつもりでした。
しかし、コンサート会場付近のレストランは10時半でどこも閉まっています。
残念ながらイスタンブールレストランでケバブの夕食になってしまいましたが、ビールがおいてあったのが救いでした。
レストランを出ると霧が出ていて気温もぐっと下がっています。
もう秋はだいぶ深まっているようでした。
【Alpha7/Meyer OminI 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Meyer OminI 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/26 Mon

代表がタダとは

Meyer OminI 20cmF3.5
一昨日のカフェの男性からチュニジアの言葉について解説してもらっていました。
アラブ諸国は基本的にすべての国でコミュニケーション可能ですが、国によっては違う単語が使われることが多く、スムーズにやり取りできないこともしばしばなのだそうです。
チュニジアでは、こんにちははアスラマ、さよならはベスラマ、ありがとうはシュクランで、シュクランはほとんどのアラブ圏で共通ですが、他はたぶん違うかもとのことでした。
この3つを覚えるだけで苦労しましたので、残りのイスラム圏で使えないとちょっとがっかりです。
しかし、今日1日これらの単語はフル稼働しましたし、使うことで相手の反応がすこぶるよくなるので、やはりあいさつ言葉は最低限覚えなくてはと心に決めました。

午前中の列車でチュニスに戻ったのですが、来た時と同じ2両編成なのに1等のない車両で、1等の往復チケットを買っていたわたしは損した気分です。
座席はほぼ満席でチュニスに向かってひた走りました。
今日のサッカーの会場がラデスというチュニス郊外の町で、ちょうど列車がラデス駅で停車するので下車するつもりだったのですが、車内アナウンスはなく、隣の座席の男性が言うもう少し先だというのを信じて乗り過ごしました。
それと気付いたところでちょうど同じホームの向かいに反対方面に向かう列車が停まったので、別の人に確認して乗り込みました。
10分ほどで無事ラデス駅に到着します。
カフェに入りスタジアムのことを聞くと、5キロくらい離れているので歩く距離ではないと言うことでした。
また、ラデスに泊まるつもりでしたが、ホテルはスタジアムと反対の方向に1軒あるだけとのこと。
スースのメディナには、宿泊したホテル以外にもいくつもホテルの看板を見ましたし、小さなケロアンの地図には10軒ほどのホテルが掲載されていましたので、ラデスにもあちこちホテルがあると期待したのですが、勝手が違ったようです。

タクシーでスタジアムに行きキックオフが6時と確認したあと、ホテルを目指しましたが違う駅の方が近いそうで一旦元の駅に戻って、ホテルはその駅で間違いないか確認してから切符を買いました。
すると、後にいた親子も同じ駅までの切符を買ったらしく、駅員が父親にこの外国人をホテルまで案内してやってくれと言ったようです。
言葉は通じませんが、ニコニコした顔で着いてきてというように合図してくれました。
3駅先に着くとここだというようにいっしょに降り、海の方に向かって歩き出します。
途中、子どもの遊び声のする場所があって、わずかに知っているフランス語で学校かと聞くと、公園だそうでどうも彼らはここに遊びに来たようですが素通りして、さらに歩いて行きます。
駅から10分ほどで交差点に出ると父親が、右前方の建物を指差して、オテルだと言いました。
再び笑顔になって、握手して別れました。
小さな子どもが早く公園で遊びたがっているだろうに、わざわざわたしをホテルが見えるところまで連れてきて、ずっと手を振りながら去っていったのが印象に残ります。
きっと小学校低学年くらいの子どもに、困っている人はこうやって助けてあげるんだよと言いながら公園に戻っていることでしょう。

残念ながらホテルは1万円以上でわたしの今の身分で泊まることはできません。
海岸近くにあるリゾートホテルだったからで、翌朝の空港へのタクシーも2000円くらいはかかるとのこと。
あきらめてチュニスのホテルに行くことにし、簡易カートに乗せたトランクでの移動を覚悟します。
駅近くに来るとスーパーがあったのでドリンクなどを調達して、近くの公園で休んでから駅に戻りました。
するとさっきの親子がホームにいて、また同じ電車になりました。
どうしたのかという身振りだったので、とても高くて泊れないのでチュニスで安宿を探すというようなことをフランス語っぽくいうと理解してくれたようです。
彼らは公園で遊んでの帰り道で、おもちゃとポップコーンを抱えた女の子がご機嫌そうです。
写真を撮ったり、飴をあげたり、お礼に女の子からポップコーンをもらったり、彼らの駅までは短い時間でしたがこの町の人に接することができで、高いホテルまで歩いたことが無駄ではなくなりました。

チュニス行きの列車はなぜか、1つ手前の駅で乗り換えなければなりませんでした。
しかも、乗っていた列車は8両編成で、やって来た列車は2両しかなく多くの人が乗れずにホームに取り残されました。
ずっと待っているとまたわたしの乗っていた方向から列車が到着して、ホームがラッシュ時の山手線のような状況になってしまいました。
時間のこともあっていまチュニスに行くのはあきらめました。
またスタジアムのある駅まで戻ります。
すると今度来た列車に大量にチュニジアサポーターが乗っていて、盛り上がっているのはいいのですが、駅が混沌状態になりました。
15分前には閑散としていたのに。
タクシーで行ったスタジアムでしたが、最寄り駅は一駅先だったようで、みなここまで乗車して歩いて向かっていました。
わたしはトランクを引いていたのでどんどん離されてしまい、途中サンドイッチを買ったこともあり試合開始に間に合いませんでした。
入り口でチケットのことを聞くと、不要だと言います。
アフリカネーションズカップ予選、チュニジア対モロッコの試合が入場無料だというのです。
当然、トランクなんて持って入場するなんて奴は前代未聞でしたでしょうから、拒否されるかもと心配したら、簡単にチェックしてOKでした。

試合はホームのチュニジアが2-3で負けましたが、レベルはかなり低かったと言わざるを得ません。
アフリカネーションズカップは無茶な日程を組むので、しばしば欧州のクラブでプレイする選手が帰国できずに、国内のクラブの選手のみで代表が編成されることが多く、そのためだったでしょうか。
チュニジアという国自体に親しみを感じていただけに残念でした。
タダにも関わらず観客はスカスカで、大きなスタジアムに3分の1も入っていませんでしたが、帰りの電車が心配です。
途中、チュニジアを応援してくれてありがとうと言われたりしながら歩きましたが、やはり流れに遅れてゆっくり駅に着いてみるとほとんど人はいません。
みな前の電車に乗っていってしまったようです。
今度来た列車は、途中の乗り換え不要でチュニスに到着しました。
前回泊まった蚊の多いホテル付近でチュニジア最後の食事にクスクスを食べました。
そこで聞くと、近くにホテルが5つあると場所まですべて丁寧に教えてくれます。
5つとも先日のより劣りそうなボロホテルばかりでしたが、そのうちの1軒の名前に惹かれてそこに泊まりました。
Hotel de Trans Atrantique。
翌月にはヨーロッパから大西洋を越えて南米に向かうので、あやかろうと考えたのでした。
しかし、ここでもチェックイン手続き中に早くも何ヶ所も蚊に刺されるような、きびしい宿泊施設です。
名前倒れのホテルだなあとがっかりでしたが、まさか、この蚊は太平洋を飛来してやって来たということはないだろうかと考えながら眠れぬ夜を過ごしたのでした。
【Alpha7/Meyer OminI 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Meyer OminI 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/25 Sun

人が引くより楽だから

R-Serenar 5cmF1.5
12時のバスでスースに戻るつもりでしたので、朝一番でシャワーを浴びて、散策がてら昨日出合った男性の経営するカフェにいくつもりでいました。
インフォでもらった地図をレセプションに見せながら、彼のカフェはどのへんか聞くと、今さら何を聞くんだという顔をされました。
地図の真ん中にある写真のところじゃないかと言います。
その地図にはグランドモスクや博物館など数ヶ所が観光名所として写真入りで紹介されていますが、彼のカフェはくみ上げられた井戸の水で淹れるコーヒーのカフェとして紹介される、ケロアン有数の観光スポットだったのです。
そんなカフェを所有しているのですから、彼の家は代々続く名家として地元の人に尊敬されているということだと解釈できます。
やばそうなシチュエーションから救ってくれたのが、たまたま通りかかった彼だということに何か縁のようなものを感じました。

しかし、その彼のカフェへの道のりは決して楽なものではありませんでした。
外国人のいないケロアンのスークを歩くと極端に目立つようで、あちこちから声がかかります。
昨日はこんなことはなかったのにと思ったのですが、昨日は金曜でスークの多くの店が閉まっていたからのようでした。
彼らはいきなり買い物せよとは言わず、あいさつから入って、どこからきたんだ、チュニジアはどうだ、ケロアンは好きか等々遠回しのやり取りをしてから、見てもらいたいものがあるなどと言って商品を見せつつ説明に入っていきます。
いきなり商品説明するより効果的なようですが、関心ないものに興味を沸かすことまではできません。
商品説明始めた瞬間に、わたしは表情を変えて欲しいものはないんだゴメンと言って立ち去るのが常でした。
ケロアンでもスースでも何度か体験したのが、本日はフェスティバルなので、あなたはラッキー、今日だけ全品半額ですと勧誘するやり方です。
絨毯屋、ニセモノNikeの服屋、土産物屋…、なんのフェスティバルか分かりませんが、何かが行われている気配はなし、何かをやってたとしてもその店が半額になる理由は不明…。
いずれにしても、定価がない、値札が貼ってある訳でもないものが半額というのはおかしいですし、こんな話を信じる人がいるとも思えない不思議なフェスティバル商法でした。
こんなやり方で観光客を呼び込もうとしていること自体が、この国に観光客が少ない証拠じゃないかと思ってしまいます。
もっともこの国に観光客が決して少ないということはなくて、特に海に面したリゾート地は、バカンスシーズンにはすごい数の観光客で埋まるそうです。
ケロアンの人が、ここには海がないから外国人が来てくれないと嘆いていたのが、妙に印象に残っています。

いろいろと当地の商売のことを批判的に書いてしまいましたが、実は、わたしはで絨毯を買ってしまいました。
ケロアンは絨毯の産地として知られていて、店や個人宅から絨毯を織るカタカタという素朴な音が聞こえてきます。
2畳くらいの小さなサイズの絨毯は、家の扉や窓枠に使われているような水色を主体にしたベルベル民族のファティマの手を幾何学模様化したデザインです。
日本への送料込みで18000円ほど。
かなり交渉して下げましたが、この価格が適正かは分からず、日本で買った方が安いかも知れません。
船便なので1ヶ月ほどで自宅に届くとのことでしたが、その頃には熱が冷めていて、なんでこんなものを買ったのかと後悔していそうな気がします。

やっと到着したカフェには彼はいませんでした。
オーナーだから当然でしょうが、出勤してくるのは午後だそうです。
朝から働いていると言ってましたが、カフェは朝からやっているの聞きまちがいだったのでしょう。
残念でしたが、数百年前の古建築の中でいただく井戸水のコーヒーは、雰囲気に左右されやすいわたしにはチュニジアいちばんの美味に感じられました。
このカフェが観光名所として紹介されるのは、古建築で井戸水を使っているからだけではありません。
井戸水を汲んでいるのがなんとラクダだからです。
汲み上げ用の滑車から延びた棒に結ばれたラクダが井戸の周囲を回るたびに、バケツが上がってくるという仕組みで、飼い主の合図でラクダが歩き出し、滑車がきしみながら水を上げてくる様子をコーヒー飲みながら見ていると、誰がこんなこと考えたのかと思いめぐらされ愉しくなってきます。

バスでスースに戻ってきました。
また近くの別の町に行くことも考えましたが、面倒くさくなって2泊していたホテルにまたチェックインします。
馴染みになった数軒先の食堂でスパゲティを食べて港に向かいました。
スースに戻ってきた理由は、観光船に乗るためです。
おととい港を歩いていた時に、停泊していた船の所有者があさって2時間のクルーズツアーがあって一般参加者は4000円だが特別に半額の2000円で乗せてあげるよとオファーしてきました。
それほど興味は感じませんでしたが、OKしなかったことでじょじょに値段が下がり1000円くらいまでにしてきたので、チケットを購入したのです。
そのツアー自体はちょっと沖まで出て、堤防のそばで有料の食事をしたり、マジックショーもどきをしたりの退屈なものでした。
しかし、なぜかひもに結ばれた猿が乗船していたので、彼と遊んですごすことができました。
サルは意外にフレンドリーで背中を掻いてやると持ち良さそうにしていたのですが、突然凶暴になるときがあって、わたしは2度も手を噛まれました。
歯が鋭いため少し出血しましたが、乗組員たちの手をよく見るとみなあちこち傷だらけで、彼がしばしば不機嫌になることが理解できました。
船乗りらしく気難しい奴なのでしょう。

港から歩き出すと広場前で人の集まりがありました。
マイクでしゃべっている言葉は理解できませんが、旗を見てすぐにパレスティナ支援の活動だと分かりました。
大学生が発起人になっての活動だそうで、珍しいアジア人が聞いてくれていると何人かがわたしのコメントを求めてきました。
争いのない平和な社会にということは理解してもらいましたが、それはパレスティナの人だけではなく、イスラエル人も望んでいることだ、かの地を旅して実感したというと、イスラエルはそんなことを望んでいないと話がかみ合いません。
彼らはイスラムを敵視している、市民はそんなこと考えていないと平行線です。
イスラムの若者よ、人の話を素直に聞けなければ、永遠に平和なパレスティナは訪れないぞ、という感想を持たねばならないのは残念なことです。
夕食は港の前の古いレストランにしました。
小さな店で、いつも多くの人で賑わっていて気になっていたのですが、覗いてみるとテーブルがひとつだけ空いていて、目があったウェイターにどうぞと言ってそこへ案内してもらいました。
客は見るからにローカルばかりで、さすがイスラム社会だけに男性だけしかいません。
しかし、イスラムらしからぬことにみなビールを飲んでいます。
チュニジアでは、ほとんどの飲食店でアルコールご法度ですが、一部にOKなところがあって賑わっています。
チュニジア産のグラスワインがあったので頼みましたがやはり美味しかったものの、チュニジアの物価では法外な500円もしました。
きっと、レストランで供する場合、酒税のようなものが高いのでしょう。
グラスからこぼれそうなくらい目いっぱい注いでくれたのは、珍しい外国人へのサービスだったのでしょうか。
【Alpha7/R-Serenar 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Seiki-Kougaku R-Serenar 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/24 Sat

名前に魅せられて

R-Serenar 5cmF1.5
Cairouanと書いてケロアンと読むのだそうですが、スースのツーリストインフォメーションの女性が勧めてくれたのがこの町でした。
なんと魅力的な地名でしょう。
響きがカエルのかぶり物をしたキャラクターのようですし、カイロの女性形のような綴りもいわくありげです。
日本でカメレオンを飼うようになったら、ケロアンと命名しようと思います。
スースから30キロの至近に位置していて、バスで1時間かからないとのことです。
スースのバスターミナルはホテルから5キロ離れていてタクシーで行くように言われましたが、タクシーにはメーターがついていて、料金は120円、ケロアンへのバスも180円で、都合300円の旅に出発です。

ケロアンのバスターミナルで、明日、スースに戻るバスの時間を確認して、旧市街への行き方を聞くと、やはりタクシーだといいます。
メインストリートに出てまごまごしていると、通りがかりの若い女性がどうしたのか尋ねたので説明すると、大声でタクシーを停めてくれメーターで旧市街まで行くよう話してくれます。
礼を言うと当たり前のことのように去って行きましたが、彼女がヨーロッパ人なのだったらともかく、ヘジャブの女性が異邦人の手助けなんてあまりにも意外でした。
今回の旅でいちばんの驚きだったかも知れません。
人が正しい行動ができるか否かは、宗教や地域によるのではなく、環境や教育によるのだと思いますが、だとすればケロアンは期待できるところに思えてきました。
タクシーをつかまえてくれただけで何を大げさなと感じられるかも知れませんが、過去の体験からムスリムの女性ほど他人がどうあろうと無関心な人はいないと感じていたので、目から鱗が落ちた思いでした。

タクシーはスースと同様120円で旧市街の入り口まで行ってくれました。
入り口の反対側にツーリストインフォメーションがあるのを運転手が教えてくれたので、地図をもらいに行きます。
地図の中にケロアンのすべてのホテルが一覧になってるとのことです。
インフォの前でどのホテルにするか悩んでいると、ホテルを探しているのですかと、今度は男性が声をかけてきて、安くてきれいなこの近くのホテルはこの3つと教えてくれます。
そのうちの1軒はひとつ星で、他は星なしとのことでしたので、ひとつ星に行ってたずねると、スースのホテルと同じ1800円で質的にも同様だったので泊まることにしました。
ホテルを説明した男性に礼を言うと、今までのイスラム社会の経験ではホテルに連れてって紹介料を取るなりしていたのに、マイプレジャーと言って立ち去ったのが、感動的にすら感じました。
ホテルのレセプションの青年は礼儀正しく爽やかで親しくなりましたし、お昼を食べたレストランも英語のメニューがないと恐縮しながら一点ずつ料理を説明してくれました。
ケロアンは他のイスラム社会では考えられない、素晴らしいところのような気がしてきました。

ただイスラム社会らしいというか、案内してあげようと言って観光案内しつつ土産物屋に連れて行き、最後にはガイド料を寄越せと言ってくるオヤジもいました。
土産物屋に連れて行かれた時点でいつもなら逃げているのですが、ケロアンで会った人はこれまでみな良かったので、この人も善意でやってるのかもしれないと、ガイド料請求されるのを覚悟で、おとり捜査のように最後まで黙っていたのですが、やはり全員が全員、善意だけで行動している訳ではないと確認できました。
しかし、連れていってもらった中では、カタルーニャの小さなロマネスク教会に伍するような美しいモスクが印象的でした。
また、グランドモスクという大きなモスクがあって、ケロアンの象徴になっていると聞きました。
イスラム教徒以外は中に入れないそうで、ガイドオヤジは近くの建物に連れて行き住人にお願いして屋根に上らしてもらい、上からモスクの内部を見させてくれました。
やるなオヤジと感心するもつかの間、この建物ではさっきまで善意の住人だった人がここで絨毯屋をやっていて、わたしを捕まえるやいかにハイクオリティで安い絨毯かということを延々としゃべっているのでした。

ガイドと別れた後、あらためてケロアンを散策してみます。
メディナは規模こそスースよりずっと小さいですが、建築の様式などは同様のもので、コンパクトな分歩きやすいですし、町に対する親しみは反比例するように大きくなります。
何よりスースに比べて観光地化しておらず、実際ここでは観光客の姿を1度も目にしません。
今回の旅のいちばんのお気に入りの町になりました。

ただし、ちょっとやばいこともありました。
今日は町のハロウィーンフェスティバルなので、音楽演奏があり酒も自由に飲めるから案内するという青年が現れました。
遠くで陽気な音楽が演奏されていて、わたしは興味を惹かれ彼について行きました。
メディナの入り組んだ路地を歩いて行きましたが、途中から音楽とは違う方向に向かっているのに気付きます。
彼はさらに細い路地に入って腰を降ろし、わたしにも座るよう促しながら、あらかじめ用意してあったビールをどうぞと手渡されます。
この路地は真っ暗で彼の表情がまったく読み取れないほどですが、こんなところに連れてきた理由が何か悪いことを考えているとしか考えられません。
とりあえず乾杯してビールを少し口に含んでみましたが、睡眠薬かなにかが仕込まれているような苦みが感じられるようであり、単に気のせいのようでもあり、判別付かない味でした。
疑心暗鬼になっては、ビールの味すら分からなくなるもののようです。
ただ、一定量以上飲む勇気はなく以降は飲んでいる振りをしながら様子を伺います。
ここにいても仕方ないから音楽を聞きに行こうというと、我々はビールを飲んでしまったので公衆の前に出るのはまずいと、動かない構えでした。
走って逃げることも考えましたが、複雑な道から抜けられずにぐるぐる走っているうちに彼と鉢合わせする姿が想像され、しり込みします。
トイレに行きたいと言ってみました。
するとあっさりどうぞと言って好きにさせてくれましたが、かえってそれが不気味でした。
急ぎ足でここから出ようと思いましたが、この迷宮のような場所から脱出できるのか…。
しばらく歩くと少し明るい場所があって、若い男性とすれ違いました。
どうしたのか聞かれ道に迷ったというと、ホテルの名前を聞いてその方向にいっしょに歩いてくれました。
途中に彼の家があってちょっと休憩していきましょうと、家に招じ入れられました。
先の青年がそこにいるのではとどきどきしましたが、さすがにそんなこともなく、彼のお母さんが出てきて、あら日本人なのとフランス語で言いながらていねいに挨拶してくれほっとしました。
300年前の建築だという古い家の中を案内してくれた後、コーヒーとお菓子をご馳走してくれます。
近くでカフェを代々経営しているそうでよければ明日来て欲しいといいます。
行くことを約束してお暇しようとしましたが、ホテルまで送ると言って譲りません。
メディナの中をひとりで歩くのは安全でない、わたしがいっしょなら大丈夫だとのことです。
さらには聞こえてくる音楽は結婚式のパーティーのものでハロウィーンとは関係ない、そもそも我々はムスリムなのでハロウィーンなんか祝わないときっぱり言い、だとするとさっきの青年は何を考えていたのかと気になりました。
男性は町の名士のようで、歩き始めるとすれ違う人すべてが彼に恭しくあいさつし、わたしのことを日本の友人だと紹介していました。
ホテルに着くと、レセプションの青年がここまでいらしてくれたのですかと言うようにあいさつしたのに対して、日本の友人を送りに来たんだよとでも答えて、去っていきました。
レセプションの青年はもともと丁寧でしたが、この件以来、わたしをVIP待遇のように接してくれました。
暗い路地に誘った青年、送ってくれた若者、わたしにとっての気に入りの町で、対照的な正体不明のふたりに出合った不思議な1日はこうして終わりを告げました。
【Alpha7/R-Serenar 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Seiki-Kougaku R-Serenar 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/23 Fri

女子大生よりも癒してくれる

R-Serenar 5cmF1.5
早朝にチュニス行きの列車があったので、チュニスに戻ってアルジェリアのビザ手続きをするかどうか悩みましたが、アルジェリア行きはきっぱり諦めることにしました。
ビザ取得は難しいと承知しつつトライしてダメだったので行かなかったというのと、最初から諦めたというのでは、結果は同じでも、世界一周という試みの過程に於いては、大きな違いがあると思っていました。
イタリアから船で渡ってチュニジアに着いて、次に行くべきアルジェリアが飛んでるとなると、その理由を説明できなければなりませんが、アルジェリア大使館とかけあったがビザが取れなかったのでと言えばどうにか形になると考えていたのです。
それ以前に、何かの間違えでビザが取れてしまったかも知れません。
しかし、スースという町がたいへん気に入ったのと、昨日ともにサッカーをテレビ観戦したウサマ君が今度の日曜にアフリカンネーションズカップ予選のチュニジア対モロッコの試合がチュニスであるというので、アルジェリアに行けるか気をもむよりも、サッカーの方を観に行きたくなってしまいました。
そうと決まればスースにもう1泊してのんびり過ごし、せっかくバルコニーがあるので洗濯もしてしまおうと考えます。

宿の前に気になる建物がありました。
大きなモスクがあったのですが、それとは別に高い塔のある壁で囲われた謎の建築物が存在していたのです。
入場料を600円も取られましたが、そこはリバトという名の要塞で、塔には見張りが立って十字軍の襲撃を監視していたと説明がありました。
塔の上から見たモスク越しの海が今日の作例になります。
海に近接したモスクの美麗さ同時に、リバトの高さが分かるかと思います。
海風がかなり強くて古い塔がぽっきり折れてしまうのではと不安になるほどでしたが、十字軍がいつ攻めてくるのかと警戒にあたっていた見張り番の不安はそれ以上だったでしょう。

2度あることは3度というように、リバトで女の子たちから声を掛けられました。
今度は、女子大生だという4人組です。
初日に女子高校生2人組、2日目は女子中学生3人組で、今日は小学生ではなく大学生の4人組でした。
チュニジアの若者の多くには、日本に対するリスペクトがあり、異教徒への好奇心があり、そんな相手に物怖じしない度胸があるなと感心しました。
サッカーを見たウサマ君と電車の中で会話したハンメド君を含めた8人と、一気にここチュニジアでフェイスブックの友達になってしまいました。
もっともフェイスブックの使い方は、いまだよく分かっていません。

アラブ世界には、スークと言う市場というか、ちいさなお店が集まるエリアがあります。
スースのスークには、観光客用の土産物屋と市民向けの衣類屋、食品店が多くありますが、土産屋には興味ないですし、衣類にはAdidasやNikeなどのニセモノばかりが目立ちます。
シルバーのアクセサリーを扱う店の集まる一角があって、それはスースの伝統とのことでした。
一度店員から声を掛けられ銀の説明を聞きましたが、ファティマの手をかたどったというペンダントとネックレスで6000円だと言われ高いんだなと値切っていったら1200円まで下がりました。
銀のアクセサリーってそんなに安いものなのでしょうか。
あまりに安いとニセモノのようで逆に買う気がなくなりましたが、こんなに安いのに何で買わないのかと店員に罵られました。
カメや鳥など生き物を売っている屋台があったのですが、体長5cmほどのカメレオンまで商われていて思わず見入ってしまいました。
恐竜のミニチュアのようで可愛いのですが、かごから出してもらうと動きがスローで、体をさすると気持ちよさ気なリアクションをするなどとても愛嬌のある動物です。
言い値が600円でしたので、ネゴして買って旅のお供にしようかと考えました。
持ち込み可能なら日本に連れて帰るし、ダメなら最後に誰かにプレゼントすればいいでしょう。
しかし、わたしの過酷な旅にこの子を付き合わすのもかわいそうだと、購入を踏みとどまりました。
日本でも買えるようなので、帰国したら飼ってみようか検討してみます。
あの超スローな動きに旅の疲れを癒されたいです。

ホテルから5分くらいのところにツーリストインフォメーションがあると教えてもらい行ってみました。
スースのような古い町並みの残るところに行きたいというと、近くにいくつかあるそうです。
インフォの女の子の勧める町に明日行ってみることにします。
アンティークショップがないかも聞いてみると、アンティークとはなんのことか分からないといいます。
彼女は、英語があまり得意ではないので、フランス語で何というか分かるかと聞かれました。
アンティークって、フランス語でもアンティークじゃなかたっけ?
発音が悪くて通じないのかと思い、イントネーションをいろいろ変えてみましたがやはり通じず、年かさの職員を呼んでいました。
わたしがアンティークショップというと、OK近くにあるよと連れていってくれたのですが、そこはなぜかスーパーマーケットでした。
ここではないと言えず、仕方なしにスーパーを見て回ることにしました。
国産のチョコレートやポテトチップスが80円くらいで、日本の半額程度の感覚です。
ヨーロッパの製品も並べて売られていますが、高いのですぐにそれと分かります。
アジアではおなじみの日本製品はまったく見かけませんでした。
ここにはワインやビールのコーナーが壁を隔てて設置されていて、かなりの人がまとめ買いしているのを目撃しました。
わたしも小瓶のビールとハーフボトルのワインを買ってみます。
ワインは安いながらもピノノワールのフルボディタイプで、ブルゴーニュの銘酒といわれてもわたしには分からないくらい旨いものでした。
飲酒が本来ご法度なのに、こんな美味しいものがつくれるとは、チュニジアにいくつかある不思議のうちのひとつに数えたいと思います。
【Alpha7/R-Serenar 5cmF1.5 F5.6】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Seiki-Kougaku R-Serenar 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/22 Thu

最年少記録更新

Meyer OminI 20cmF3.5
アフリカ最初の夜は戦いにあけくれ、予定していた早起きができませんでした。
ホテル最上階の4階の部屋だったのですが蚊が随分いて、10匹以上殺してもまだ何匹か飛んでいたので、あきらめて布団をかぶって寝てしまいました。
何度か刺されたり、プ~ンとうるさい羽音に起こされたりして熟睡できませんでしたが、それよりもこちらで蚊に刺されたことでデング熱だかMARSだかにならないか少し心配になりました。
チュニスは地中海に面していて、温暖な気候ですが、砂漠の熱帯のようなところと違い、ナポリより若干気温が高い程度です。
室内ということはあるでしょうが、この気温に対して蚊が大量にいるということが不思議で、チュニスに行く人がいれば、必ず蚊取り線香は持参するようアドバイスしたいと思います。

もうひとつ寝るのが遅くなった理由があって、隣国アルジェリアのビザの確認をしなければなりませんでした。
実はサレルノの港で出国審査の職員が、わたしのパスポートのページを繰りながらチュニジアのビザはと聞いて来たのですが、乗船できないことを恐れたわたしは咄嗟に日本人はビザ不要ですと答えていました。
ビザの要不要を確認するのを忘れていたわたしは、チュニスの港で入国させてもらえずにイタリアにトンボ帰りかも知れないと心配だったのですが、入国できたところをみるとやはりビザは不要だったのでしょうが、国交のほとんどないアルジェリアは間違いなく必要なはずです。
ネットで調べるとやはりそのようで、そこまで調べたくはなかったのですが、チュニスのアルジェリア大使館で取得できないかと検索すると、かなり手続きが面倒なうえに日本大使館のレターも必要で、そうなるとISISの問題もあって日本大使館が対応してくれない可能性が高く、アルジェリアへの入国は半ばあきらめざるを得ないという状況でした。
それなら治安の悪そうなこのホテルの周辺を出て、どこか北アフリカらしい町に出て落ち着きたいと思いました。

チェックアウトするときにどこか南の方の行きたいというと、南方面の列車の駅は昨日とは別のところだと教えてくれましたが、どこか好い町を知らないかと聞いても首をひねるばかりです。
とりあえず駅に行って最初の列車の終点まで行ってみようと考えました。
駅のそばで、突然、女の子に声を掛けられ立ち止まりました。
中学生だという3人組は、昨日の高校生とは違い制服を着ていましたが、やはりどこから来たのかと聞いてきました。
3人ともかなりアジアに関心があるようで、寿司や刺身が食べたいと言ってましたが、Kポップとかジャッキー-チェンとか日本、韓国、中国の区別ははっきりとはついてないようです。
それと、会話は英語でしたが、ジャッキー・チェンをジャッキー・シェンとフランス語式に発音しているのがチュニジア流のようでした。
昨日の子たちと言い、ムスリム女性は閉鎖的とのイメージを破って、とてもフレンドリーかつ積極的なようです。
作例のように、撮影にも気軽に応じてくれました。
どこか列車で行ける好いところはないか聞くと、スースというところが海のそばの歴史ある町で素敵よと教えてくれました。
フェイスブックのアカウントはないのか聞かれ、友達リクエストを送ってもらいましたが、14歳の彼女たちがアルバニアの女の子の15歳の記録を抜いて、わたしのフェイスブックの最年少の友達ということになりました。

スースまで所要2時間の急行が30分後にあるというので切符を買うと1等になっていて、
2等でいいというと売り切れだといいます。
近くでサンドイッチを買いましたが昨日の反省から半分でいいと言うと、バゲットではなくハンバーガー用のパンに具を入れてくれました。
10分前にホーム行くと列車は人で溢れています。
2両編成で、一等はその1両の半分しかなくそこまですでに人がいっぱいで、切符を見ても車両番号や座席番号の記載が見当たらず、座れるのかどうか分かりません。
車掌が通りかかったので切符を見せると、1等の記載を見たからか、それともわたしが外国人だからか、率先して人波をかき分けてわたしを通したうえ、新聞を読んでいた紳士をどかせて、わたしにそこに座るよううながしました。
わたしの席がもともとそことは思えませんでしたが、誰に文句を言われるでもなくずっと座らせてもらいます。
サンドイッチは昨日よりずっと小さかったのに、それでもわたしには大きく腹いっぱいになり、すぐ眠ってしまいました。

スース駅は終点で、乗客の流れに乗って歩いていくと城壁のようなものと海がすぐに見えました。
メディナと呼ばれる旧市街を隔てる壁が海の比較的近くに建てられていましたが、これは中世に十字軍の襲来から守るために建造されたそうで、かなり堅牢そうに見えます。
こういう旧市街の古い建物を利用したホテルがあれば泊まりたいと思った矢先、まさにそんなホテルが見えました。
やや古びていますが、ダブルの部屋が1800円と昨日のチュニスの蚊の多いホテルの半額以下で、バルコニー付きの部屋にしてくれるといいます。
ホテルのそばを散策すると、入り組んだ細い路地の左右に古い家が並んでおり、これこそ北アフリカのスークの典型という光景が広がっていました。
どの家も、壁は真っ白ですが、扉や窓枠などは水色に塗られていて、午後の斜光を浴びて輝いて見えます。
白壁が光をきらきらと反射して、夢の中の景色のようでした。
スースを教えてくれた女子中学生たちに感謝です。

ホテルのほんの先に、小さな食堂があったので夕食にしました。
豆のスープと鶏肉のドンと乗ったクスクスに缶ジュースを付けて300円ほどでした。
安いですし、トウガラシが入っているらしいスープも、久しぶりに食べたクスクスもとても旨いんです。
ただ、量が多過ぎなのと、イスラム圏なのでビールもワインもないのが、不満と言えば不満でした。
と思ったら、ホテルに戻るとバーがあって、冷えたチュニジア産ビールが飲めてしまいました。
ちょうど、サッカーチャンピオンズリーグのパリ・サンジェルマン対レアル・マドリード戦をテレビで中継していて、マドリードファンだという青年とともに観戦しました。
わたしはレアルが嫌いなので、パリを応援しましたが、両チーム不発で0-0のドローに終わり、ケンカにならずすみました。
クリスティアーノがゴールしなかったことも含めて、わたしにとって今日1日は良いことずくめでした。
長く旅しているんですから、こういう日があってもたまには好いですよね。
【Alpha7/Meyer OminI 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Meyer OminI 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/21 Wed

アフリカに到着す

R-Serenar 5cmF1.5
サレルノからチュニスまでは、所要25時間とありました。
出航は2時間遅れでしたが、長い航海のうちに遅れを取り戻す、ということはなくきっちり25時間後に到着しました。
こういうのも時間に正確というのか悩みましたが、イタリア式には正確、日本式には不正確というのが正しそうです。
日が短くなったこの時期に、1時着と3時着では大きな差があるのは間違いありません。
エレベーターが壊れた出口付近に帰りを急ぎたい人たちが列を作っていました。
こう書くと蔑視だと言われかねませんが敢えて書かせてもらいます。
どうも、ムスリムの人には自分が周りに与える影響を考える人がいないといつも思うのですが、このときも列の先頭には、ひとつでも持つのが大変そうな巨大カバンを3つも身の回りに置いた人、荷物いっぱいなのに未就学児童をふたり連れ添った家族などがいて、下船の合図が出たらどうなるかと心配していたら、案の定、階段を横に独占してゆっくりと降りて、後ろの人々のイライラなどおかまいなしでした。
マラソンの国際大会で、世界記録を狙う走者やそのライバルたちがスタートにあせる前を、そんなことは気にも留めない初心者ランナーが固まってとろとろ走っている様子が連想されます。

半歩ずつ階段を降りてようやく陸地に辿り着きました。
わたしにとっては記念すべきアフリカ大陸初上陸の最初の1歩でしたが、そんな感慨に浸る間もなく、車で到着した連中の荷物に唖然とさせられました。
人間の乗るスペースを除くと、あらゆる場所に荷物を無理やり載せた乗用車が列になっていきます。
イタリアで何年間かの労働ビザを取って働けるだけ働き、現地での家財道具すべてを持ち帰るために、最後に辛うじて動くタダ同然の車を買って、前夜に徹夜して積み込んだという感じにあふれています。
圧巻は屋根にバイクを3台も寝かして載せ、その隙間にも小さな段ボール箱がいくつも押し込まれていた車でした。
せっかく撮影したのですが、近くにいた警官に写真撮影禁止だとデリートさせられたのですが、1枚消し忘れが生きていたので今日の作例としました。

入国審査は建物の中ですが、前に並んでいたのは荷物満載のバイクに跨った青年で、わたしは目を丸くするしかありませんでした。
入国カードにはアラビア語とフランス語の表記しかなく、かつてのフランスコロニーを訪れた洗礼を受けたように眩暈がします。
予想通り入国審査の列が進むのはゆっくりで、どうにかフランス語を解読しながら書き込んでちょうど自分の番になり、結果的に写真を撮ってデリートさせられたことによって入国審査の列が長くなってしまった遅れは帳消しになりました。
その後の荷物検査ではわたしの前の青年のために、縦長の大型X線装置が稼働し出しました。
やはりバイクは車とは別に人間用の入国手続きを取るようになっているのが確認できましたが、理由は分からないままです。
さらに訳が分からなかったのが、X線検査の後、係員による目視の荷物検査も行われていたことです。
荷物を全部開けさせて細かく見ていたので、ここの列がいちばん長く、1時間は待つのではと気が遠くなりました。
税関職員がイタリアで出稼ぎしていた自国民から関税とろうとやってることなので、外国人は見逃してもらえるかもと思い列を通り越すと、何やらフランス語で聞かれます。
敢えて聞き返さず、ノンと答えると、それ以上はなにも聞かれず晴れてチュニスの地に足を踏み入れることになりました。

建物の周囲にはタクシーや車が何台か停まっているだけで、バスなどはなさそうでした。
もっともタクシーやバスに乗るには現地通貨が必要ですが、肝心の銀行や両替所がありません。
とにかく町に出ようとそれっぽい方角に歩き出すと、幸運なことに小さな銀行の支店があり、電光表示のレート表にはわが日本円も記載されています。
手持ちの1万円札を両替して中心への行き方をきくと、1キロ先の駅があるとのことです。
礼を言って出ようとすると、行内の総勢4名全員がバイバイと手を振ってくれました。
1時に着くと信じていたわたしは、船酔いから救ってもらったご恩を忘れて、高い船内の食事をとらずにいたのですが、すでに5時近くなって腹ペコです。
通りにいくつもあったカフェのひとつでサンドイッチを頼んだのですが、大きなバゲットに具満載で、食べても食べても減らない魔法サンドでした。

駅で電車を待っていると、近くにいた女の子たちが、ハーイ、どこから来たのと声をかけてきて、しばし会話しました。
近くの高校生で、少し前に授業が終わって帰宅するところだとのこと。
高校には制服がなく割とおしゃれな服を着ていますし、アクセサリーも自由に着けていました。
日本の高校ではアクセサリーは禁止されているというと、どうしてかと聞かれます。
日本の学校は制服を着て髪型なども制限して集団での規律を学ぶためだと思うけどと答え、そのかわり彼女たちは休みの日に個性的な服装で町に出掛けると説明すると興味深そうに聞いています。
日本は彼女たちにとってとても遠い国でしょうが、わたしの話やテレビなどでなく、同世代同士で話し合ったりすればどんなに互いに近しく感じられるだろうかと想像してしまいます。
そんなことを話しているうちに電車は来ましたが、仕事帰りとか学生とかでけっこう混みあっていました。
15分くらいで終点のチュニス・マリン駅に到着しましたが、埋め立てたのか、途中からずっと左右が海という幅10メートルくらいのところを通っていったのがおもしろく感じられました。

駅から数分歩くと、すぐにチュニスの中心のようなところに出ました。
すでに日が傾きかけているので、目についたホテルに入って見ましたが満室とのこと。
いちおう値段を聞いてみると7000円もすると言います。
フレンチコロニアル風のクラシックな建築で内装がきれいでしたので、人気のホテルなのでしょう。
すると、ベルボーイが近くのホテルに案内すると言って、路地裏のいかにも見劣りするホテルに連れていってくれました。
安ければ構わないのですが、ここも4000円もして見た目とのギャップや巨大サンドイッチが180円だったチュニジアの物価と比べても高すぎのような気がしましたが、面倒になってOKしてしまいました。
後から考えると、あのベルボーイが1000円くらいコミッションをとっているに違いないでしょうから、断ってひとりで宿を探すべきでした。
夕食時に少し散策しましたが、場末感の強い危険な香りの漂う町並みはあまりひとりで歩いてはいけないエリアのようです。
そういえば、駅からこのあたりまで、武装した警官の姿を何度も見ました。
博物館を襲撃される事件があったものの、チュニジアは比較的安全だと思っていたのですが、そんなこともなかったのか、などと考えながら眠りに着きます。
明日はどこか地方に移動することにしましょう。
【Alpha7/R-Serenar 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Seiki-Kougaku R-Serenar 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/10/20 Tue

ティエンポ・イタリアーノ

R-Serenar 5cmF1.5
イタリア人は時間にルーズとよく聞きます。
待ち合わせに遅れるとか、列車がよく遅延するといった話ですが、それはすでに過去のことなのか、たまたま運がよかったのか、今回は遅れがまったくありません。
宿の朝食は時間を指定できたので滞在した2日間とも8時にお願いしていたのですが、違う棟のアパートに住んでいるにも関わらず、8時少し前には食事の準備は整っていて、日本並みの周到さは時間にルーズという汚名を返上してあまりあります。
宿のオーナー、シンシアさんは日本の伝統に興味があって、生け花を習ってみたかったというので、知り合いが着物の着付けから、お茶、生け花とやっているのでと紹介すると日本に行く気満々になっていました。
この知り合いは、いろいろな国から時間にルーズな人が滞在して手を焼いてるとこぼしてましたが、シンシア夫妻なら迷惑をかけることもないでしょう。

フェリーは12時出航なので午前中は旧市街散策をと考えていたのですが、昨日、アントニオに案内してもらったので、しばし、シンシアと雑談して過ごしました。
次回来た時は、自慢の手料理をご馳走してくれるといいので、日本にはナポリ出身のチョイ悪オヤジという人がいるが、悪いオヤジなのに食事はマンマの手料理が最高などと言っていたくらいなので、ぜひ、食べさせてくださいと約束してきました。

港まではかなり距離があると思っていたのでタクシーで行くつもりでしたが、2キロ程度なので歩いても30分かからないということでした。
少し早めにと10時に宿を出ました。
すぐに海岸に出るので道に迷う心配はなく、遊歩道のような歩行者用の舗装路をてくてくと歩きます。
港は前方に見えてきて、ようやく30分かかって到着すると、警官がいてチュニジア行きのフェリーはもうひとつ先の港だと言います。
再度歩き始めますが、また前方に港が見えてきましたが、先ほどのと同じような距離に見え、それだとまだ30分かかるかなあと思いため息つきながら歩くと、やはり30分かかって、トータル1時間の行程になってしまいました。
これはけっこう堪えます。
それほど暑かったわけではありませんが、1時間ぶっ通しで歩いて汗だくになりました。

チケット売り場は20人くらいの列ができていました。
ほとんどの人はチケット予約済みのようで、パスポートといっしょにeチケットのような紙を見せて搭乗券を受け取っています。
ほぼ航空機のチェックインと同様なやり取りをするのですね。
ただ、空港のチェックインカウンターと違うのは、一人一人の手続きにやたらと時間がかかっていることです。
このままでは、出航の12時は過ぎてしまわないか心配になって来ました。
みんなはチケットを持っているので出航しかかっても乗れないことはないでしょうが、わたしは12時すぎた時点でチケット発券が締め切られて、乗船させてもらえない可能性があると考えられました。
そうなると遅々として進まない手続きにイライラしてきますし、長時間歩いて流れ出る汗が止まることなくさらに拭き出てきます。
並んでいるのはほとんどチュニジア人でしたが、窓口で手続き中の男性がなにやら電話でしゃべり始めました。
遅いのは窓口の方なので、冷静に考えれば乗客の方がしゃべっていても影響ないのですが、この人の巨大なしゃべり声がいらいらを限界にまで引き上げ、わたしは切れる寸前でした。

12時ちょうどくらいにわたしの順番が来てチケットは問題なく買えました。
窓口職員が、そんなに汗かいてどうしたんだときくのが、憎々しく感じられます。
ベッド付きの船室は4人部屋の窓付き下段で195ユーロしました。
座席のチケットがいちばん安いですがベッドで熟睡したかったですし、個室もありましたがだいぶ高いようなのでチュニジア人との同室覚悟の4人部屋にしました。
フェリーは、大阪~釜山、仁川~青島で乗船したのと同じようなサイズで、もしかしたら豪華地中海クルーズ船かも知れないとの夢は打ち砕かれました。
車と同じ入り口から乗船させられたのは初めてでしたが、エレベーターが故障中だそうで高い位置にあるレセプションまで階段を上がらなくてはなりません。
名刺サイズほどだった搭乗券はそのままカードキーになっていて、部屋に入りましたが、他に乗客はなくて実質的に個室になりました。
ラッキーと喜びましたが、楽しみにしていた部屋の窓からの眺めは、錨を巻き取るウィンチと太い縄に遮られてよく見えず、すぐに落胆させられました。
イタリアは時間に正確だったと書いたばかりですが、出航は堂々の2時間遅れでした。
やはりイタリア時間は存在するようです。

ほとんど船内はチュニジア人ばかりで、公用スペースにカーペットを敷いて、お祈りする人たちがいました。
傍で見ていると、どうか沈没しませんようにと祈っているようで、あまりいい気がしません。
フェリーはエンジンから来るのでしょうか、とても小刻みに振動していました。
わたしの部屋がその振動源と縦に一致する関係なのか、あっけなく船酔いしてしまいました。
船は細かい振動があるだけで揺れていた訳ではないので、他に酔っている人はなく、レストランで気持ちが悪いと言うと不思議がられました。
すると、いかにもベテラン船乗りというおじさんが奥から出てきて、パンを手渡しながら説明します。
パンをふた切れ食べなさい、ただし、水は飲んではいけないよ、こうすると胃の中が乾いて気分がよくなるはずだ、と。
わたしは以前、釣りによく行き、大荒れの日など酔うこともありましたが、胃を乾燥させれば治るなんて話は聞いたことがありませんでしたので半信半疑ですが、言われた通りにしてみました。
すると、あら不思議、気持ち悪かったのが5分もすると、すっとなくなっていくではないですか。
友人の子どもが釣り好きだときいてこんどいっしょにと思っていたのですが、船には弱そうでしたのでどうしようかと思ってましたが、イタリア沖で得た知恵があれば、日本の海で挑戦してみない手はないですね。
船旅は続きます。
【Alpha7/R-Serenar 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Seiki-Kougaku R-Serenar 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/19 Mon

地下鉄を閉鎖された

R-Serenar 5cmF1.5
宿を経営しているのはシンシアさんという女性でした。
ご主人のアントニオさんは公務員、写真でしか見られなかったのですがダンサーのひとり娘は美人でした。
宿は自慢の朝食が食べられるB&Bとして2ヶ月前にスタートしたばかりで、わたしは初めての外国人ゲストとのことで、記念すべき宿帳の最初の執筆者になりました。
シンシアさんと娘さんとでデザインしたという部屋は中年オヤジがひとりで泊まるにはロマンチック過ぎですが、イタリア人の色使いのセンスに敬意を表することで許しを得る ことにしましょう。
バルコニーからは城や海も見ることができ、下の道路の交通量が多いのが気になるものの、椅子に掛けてのんびりもできました。
朝食に出てきたのはパルマ産の各種ハムとフィレンツェのチーズ、それに地元サレルノのパンで、3人前くらいの量があってこんなの美味しいのに完食できないことが悔やまれました。
ポットのコーヒーとミルクを注いだだけなのに、カフェラテがとても旨くて、朝からこんなに贅沢していいものなのかと不安になるくらいです。
もっと安い宿を探して移ることも考えていましたが、ここがすっかり気に入ってもう1泊することにしました。

この日、ナポリではフィオレンテイーナを迎えるサッカーの試合があって見に行きたいと言うと、時間を確認してくれ、スタジアムへの行き方をメモしてくれます。
午前中は時間があるだろうからと、アントニオさんがチュニス行きのフェリーのチケットを買いに連れてってくれると言います。
彼らはすぐ近くのアパートに住んでいて、わたしに自慢の書斎やベッドルームを見せてくれました。
チケット買いに行くのはバイクでいいかと聞くので同意すると、ベスパを想像したのに、駐車場にあったのは中型のトライアンフでした。
人の好いおじさんだったアントニオさんは革ジャンを身にまとってチョイ悪オヤジに変身しています。
海岸沿いの道を風を切って走るのは気持ちよく、トライアンフの加速感も最高です。
思わず後部座席からヒャッホーと声を上げてしまいます。
港で聞くとチケットは明日の出港前に買えばいいとのことでした。

チョイ悪オヤジコンビはまだ時間があるからと旧市街に行くことにしました。
イタリアのチョイ悪は日曜で暇だということもあったのでしょうが、同世代でイタリア語と英語のチャンポンに理解を示し、観光名所よりも街角の人々ばかり撮影している風変わりな日本のチョイ悪に親しみを感じたのでしょう、かなり気合を入れて路地という路地までも案内してくれました。
お礼にと駅前のカフェでコーヒーをと誘いましたが、これすら払わせてもらえません。
ふたりでエスプレッソを飲んだのですが、イタリアでは普通なのか、チョイ悪式か、彼は一口で飲み干していました。
わたしはいままでエスプレッソをちびちび飲んでいたのですが、それは正しい飲み方ではないのでしょうか。
エスプレッソという名は淹れ方ではなく、飲み方からとられた名前なのかのと考えてしまいました。

乗車した列車は各駅停車で、ナポリまで新幹線で30分かからないのに、こちらは1時間20分だと言います。
しかし、料金は3分の1ですし、ナポリ中央駅の先のスタジアムがある駅まで直行するというのでよほど便利でした。
チョイ悪さんは、列車内まで送ってくれたうえ、近くの乗客にこの日本人はサッカーのナポリの試合を見にいくので、降りる駅になったら教えてやってくれと伝えていました。
その乗客は悪さの微塵も感じられない紳士で、なぜかたまたま持っていたナポリ地図をわたしにくれ、発車後も時折沿線の解説をしてくれます。
海岸に沿ってアマルフィという美しい海があり、ちょっといった先に見える山はヴェスヴィオ火山だと言いました。
そしてその先にはポンペイの駅があり、有名な遺跡には歩いて行けると教えてくれます。
しばらくして今度は反対を向けと言います。
海岸からさほど遠くない沖合に見える島を指差して、カプリ島だとつぶやきました。
カプリ島はよく聞く名前ですが何だったか思い出せません。
ナポレオンが流された島じゃないよななどと考えながら、ヨーロッパ通の才女に用事のついでにたずねると、青の洞窟があるとこじゃなかったかしらと即答でした。
あらゆる面でチョイ悪オヤジはこの淑女殿にかないません。

紳士は、ナポリの途中の駅で降りてしまいましたが、そのひと駅前で乗ってきたもうひとりの紳士がサッカーを見に行くというので、わたしをスタジアムへ連れて行くよう引き継いでくれました。
駅に着けばいかにもなサポーター連中がどっと降りてスタジアムまで連なっているはずですので案内不要ですが、こういう地元の人の親切はありがたく受け入れないといけません。
紳士はスタジアムまで案内したうえで、チケット売り場を教えてくれた上で立ち去りました。
チケットは売り切れてましたが、売り場のショップ前には、ダフ屋が多く次々と声を掛けられます。
40ユーロ定価のものが売値80ユーロと高いのでネゴすると、あっさり50ユーロまで下がり、されでも渋っているとやり取りを見ていた別の男が同じ席種のチケットを40でいいと言ってきました。
40のを40で売ってどこから利益が出るのかどうにも胡散臭いですが、ニセモノでもなさそうだし買ってしまいました。
お昼がまだだったので屋台でサンドイッチを買って入場の列に加わります。
驚いたのは、指定席券を持っているにもかかわらず、その席種は自由席化していたことで、もたもた入場したので空席が全然ありません。
しばらくうろうろしていたら見るからにナポリサポーター歴何十年というおじさんがわたしに声を掛けて隣に座らせてくれました。
彼の英語は片言ですが、サッカーというスポーツではコミュニケーションが簡単に取れるのがありがたいんですね。
首位を走っていた好調フィオレンテイーナでしたが、インシーネとイグアインのゴールでナポリが快勝しました。
陸上トラックのある見づらい競技場でしたが、盛り上がりがすごく、雰囲気最高でした。
数万人規模がひとつになって応援する臨場感は、大規模な革命を起こしている民衆の中にいるのと同じ迫力を感じられるようで、ある意味貴重な体験だと思います。

さて、作例は、試合終了後、最寄り駅に向かう人々の流れを思わず撮ったものです
見てのとおりものすごい人で、推定45000人くらい入っていたのではと聞きました。
少し遅れて駅に戻ると凄いことになっていました。
駅の入り口を群衆が取り囲んでいるのですが、なんと警察がドアを閉じてホームに行けないように入り口を閉鎖していました。
試合に勝利したサポーターたちは歌うものあり、早く入れろと罵声を浴びせるものありで、独特の緊張感に包まれています。
例えが悪すぎますが、難民の流入を閉鎖したハンガリーの国境なども同じような状況だったでしょうか。
わたしはすっかり途方に暮れてしまいましたが、来るときに紳士から地図をもらったことを思い出し、それを頼りに別の路線の駅まで歩いて無事サレルノに戻ることができました。
今日は、1日ナポリの俄かサポーターになったつもりのわたしでしたが、何人かのナポリの人たちにサポートされていたのでした。
【Alpha7/R-Serenar 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Seiki-Kougaku R-Serenar 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/18 Sun

町にひとつだけのはず

R-Serenar 5cmF1.5
朝、かなり早く起きてシャワーを浴び、ホテルをチェックアウトしました。
昨日の晩、ビールでも買おうと入った商店で、朝サンドイッチを2ユーロで作ってくれるというので、朝食にするつもりでした。
朝7時からやっていることを確認すると、店主の男性から日本人ですかと聞かれます。
そうだと答えると名刺を手渡されました。
そこには彼の名前と「日本サンマリノ協会会長」の文字がありました。
たまたま入った店の店主が日本びいきで、毎年日本を旅行していると聞いてびっくりし、日本で会うことを約束しました。
今朝作ってもらったプロシュートとチーズのサンドイッチも最高です。

始発の8時のバスでリミニに戻り、お気に入りになった切符販売機でアンコナ行きの切符を買いました。
昨日リミニに着いた時、アンコナ行きの列車が見えていて、確かロマネスクの教会がある町だったのではと思い出し、地図を見ると海に面していたので温かいだろうからと次の行先に決めました。
タイミングよく、10分後に始発列車があり、がらがらの列車が停まっていました。
アンコナまでは1時間ほど、アドリア海に面しているので、車窓風景が町並みからいつの間にか海岸に変わり、おだやかな海を見ているうちに到着します。

しかし、問題があって、イタリアの次はチュニジアに渡るつもりでいましたが、バカンスシーズンを過ぎた今は、フェリーが週1便しかないようなのです。
アンコナは大きな港がありますが、半島の東側なのでクロアチア方面はあるもののアフリカ行きは無いようです。
ジェノバ、チビタベッキア、サレルノ、シシリア島の各港からチュニス行きがあることが分かり、いちばん早い船が月曜に出るサレルノ便ということでしたので、アンコナには滞在せず、今日のうちにサレルノに行ってしまうつもりでした。
券売機でサレルノ行きをみると直行列車はなく本数も限られています。
3時半の列車のローマ乗り継ぎで9時に到着するか、夜中の2時に出て翌日午前中に着くかの二者択一くらいになってしまいます。
ホテル代が浮かせられる夜行は魅力的ですが、深夜の中途半端な時間に乗り換えなければならず、寝過ごしそうでしたし、3時半出発ならアンコナに5時間滞在できるので十分だろうとそちらを選択しました。

アンコナ駅前にはツーリストインフォメーションはもちろん、地図すらなく、道路標識のCentroの文字を頼りに歩き出しました。
中心に行けば教会でもインフォメーションでも何かしらあるだろうと考えたのですが、結果的にはこれが大失敗でした。
Centroは町の中心であってひとつの市にひとつだけあるべきものだと思ってましたが、アンコナ市の都市課の偉いさんはそうは考えなかったようで、市内にいくつもCentroを設置してしまったのです。
住民にとってはCentroであっても旅人にはそうとはいえないところに何度も行きついて、本来の中心がどこなのかさっぱり分かりませんでした。
なにしろCentroの表示にしたがって歩くと次の交差点のCentroの表示がいま歩いて来た方向になっているのですから、歩いて来たあたりが中心だということになります。
そんなことが3度もあり、教会があって旧市街があるようなイメージのCentroを探すのは困難に思えました。
やむなく港の方でも行って海の見えるカフェで休憩しようと歩き出したら、前方の丘の上に遠くからでもロマネスク様式だろうと識別できる教会が見えてきました。
そここそがわたしの行きたかったCentroで、見当違いを歩き回って1時間半も無駄にしていました。

作例は、途中で見つけたサン・マリア教会です。
残念ながら中には入れませんでしたが、ファサード部分の盲アーチや彫刻はすばらしく、久しぶりにロマネスクの教会に接した感激で、ずっと見入ってしまいました。
作例中に人物を入れるのが困難な状況でしたが、わたしのそれまでの徒労をねぎらってくれたのでしょうか、非常に幸運なことに背後のアパートのバルコニーに布団を干す人が一瞬現れて、強引に取り込むことができました。
山頂に見えていた教会は立派なカテドラルでしたが、様式がサン・マリアより少々後のもので、ファサード部は美しいもののゴシック初期とみられ、存在感はサン・マリアが優って見えました。
周辺にはローマ遺跡があり、大きな港には帆船が泊まり、古い町並みには市民の集う広場があって、どこを散策してもイタリアらしい景色が広がっていました。
少しお腹が空いたので、列車に乗る前に駅前のカフェでスパゲティを食べたのですが、本場イタリアンを食べるはずが、中国人一家の経営する店でした。
むかし中国で食べた意粉という名の自称スパゲティはフニャフニャ麺のニセモノでしたが、ここのはアルデンテの本格派で、中国人も国際的になったものだと感心します。
もちろん、わざわざイタリアで中国人のつくるイタリア料理を食べる愚かさを自嘲せずにはいられませんでしたが。

アンコナからローマへのローカル線に乗ったあと、ローマから乗車したのはイタリア版の新幹線で、ナポリ、サレルノと300キロで闇夜の中を駆け抜けました。
サレルノ駅前に手頃そうなホテルがあったので尋ねると10000円以上だったので断念して、カフェでホテル予約サイトを見ますが、安宿は見つかりません。
もともとナポリに泊まるつもりでしたが、サレルノの方が宿はずっと安いだろうと踏んでやって来たのに大きな誤算でした。
40ユーロクラスの宿が最低ラインですが、どこも駅から離れていて、唯一駅から1キロの宿を予約して歩いていきましたが、宿の表示のある建物はカギがかかっていて、インターホンにも応答がありません。
仕方なくカフェに戻りウェイターに事情を話していると、客の男性が電話してくれて宿の主人が迎えに来てくれることになりました。
このお客さんは弁護士と言うので、もしこの宿と揉めたら訴訟を起こすことにしましょう。
しかし、10分もせずに車でやって来たのは、とても感じのいいわたしと同年輩のご夫婦で、彼らの日本びいきもあって、わたしたちはすっかり打ち解けてしまいました。
優しい弁護士さんは、申し訳ないですがもうお払い箱です。
【Alpha7/R-Serenar 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Seiki-Kougaku R-Serenar 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/17 Sat

イタリアから速攻脱出

R-Serenar 5cmF1.5
およそ1週間ぶりでミラノに戻ってきました。
わずかなインターバルなので、この間の現地に変化が起きていることが想像できなかったのですが、晩夏だったミラノは初秋に装いを変えていました。
周囲がコートをまとう中を薄い生地のシャツ1枚で移動するのは、なかなか厳しい体験です。
もっとも、空港から中央駅へはバスを利用していて、ほとんど外気に触れていないので騒ぐほどのことではありません。
前に疑問を投げたようにミラノはEXPO開催中のあおりで、宿という宿が激しく値上がっていて、貧乏旅行者は根を上げるしかなくなっています。
そんな旅行者本位でないミラノに宿泊するのは馬鹿馬鹿しいので、ミラノ中央駅から早くも移動することにしました。
イタリアには個性的で小さな町がたくさんあるので迷うところですが、わたしはウクライナのレストランであったカタルーニャ人のセスクさんからサン・マリノを勧められていたので、まずは行ってみることにしました。

ミラノ中央駅は朝から利用者でごった返していて、窓口で切符を買おうとおもえば軽く30分はかかってしまいそうです。
しかし、さすがはイタリア、優秀な切符販売機がありました。
言語を選択して目的地を入力すると24時間内の列車がずらっとでてきて、希望の列車のボタンを押すとキャッシュかカードのどちらでも切符を購入できる器械です。
乗継便にも対応していますし、都市間では列車によって料金にちがいがあるので、時間と料金を見比べながら選べるのは、窓口で買うより便利と言えます。
サンマリノは、リミニという駅からバスで行くと聞いていたので、リミニ行きを見ると45分後になってしまいましたが、そのあとの列車より若干安いことが確認できて、納得のうえで切符を買うことができました。

時間がだいぶあるのでぼんやりしていると、中国人女性から声を掛けられました。
切迫した表情のふたり組で、わたしは中国人ではないですよと中国語で言ったのがかえって台湾人と間違えられたのか信頼されたらしく、切符を見せながらボローニャ行きに乗りたいがどれか分からないと言っています。
おおきな表示板の前でボローニャ行きは1時間後にあるでしょと指さしましたが、彼女たちはボローニャのイタリア語の綴りが分からなかったのです。
どうやって切符を買ったのか、そもそもホームは違う階にあるということも分かってなかったので、エスカレーターでホームまで連れて行きました。
その際荷物を少し持ってあげたら、彼女たちがとても好い人だねと言っているのが聞こえました。
あらためて何番線だと教えてから30分前くらいにホームに行ってみて、わたしは先の電車なので失礼しますと手を振りました。
やはり台湾人かと聞かれたので、日本人ですよ、日本では他人に親切にするのは当たり前なんですと言うと、日本人が中国語で案内してくれたと驚いていました。
彼女たちは河北省からで、英語もまったくだめだと聞いて驚きましたが、観光ではなく仕事を探しに来たと聞いてもっと驚きました。

わたしが乗ったのはローマ・テルミニ行きの2等指定席でしたが隣の席は空いていて、快適な移動でした。
斜め向かいは女子大生のようでイヤホンで音楽を聞きながら勉強しています。
各席分の電源があって、飛行機の移動で少なくなったPCと携帯を充電することができました。
車内販売で、万博期間中のプロモーションで8ユーロのランチが3ユーロとなっていたのを買ってみましたが、サンドイッチとドルチェがミニチュアサイズで満腹になりません。
こんなの8ユーロで売ったら足りないとトラブルになるでしょうから、プロモーションなんて最初からウソだったに違いありません。
見ていた限り車両内で購入したのはわたしだけだったのがその証拠です。
イタリア式の詐欺に引っ掛かりました。

リミニ駅からサン・マリノまではバスで1時間ほどでした。
サン・マリノなんて知らない人も多いでしょう、書き忘れてましたがサン・マリノはイタリアの中にある独立国家です。
世界で5番目くらいに小さな国だったと記憶しています。
イタリアは19世紀まで都市国家の集合体のような状況でしたから、サン・マリノはイタリアがまとまった時に仲間外れにされて都市国家のまま残ったのかも知れません。
山頂に城があってそれを取り巻くように城壁の町が築かれています。
国中が山と坂ばかりなので足腰が強くないと生活が大変ですねと他人ごとのように思ったら、旅行者もかなり大変だと到着してから気付きました。
荷物を持ってのホテル探しは特にきつく、1泊55ユーロもするホテルを50ユーロに値切っただけでは大きく予算オーバーでしたが、また坂を上ると考えるとめまいがしてしまい、そこで手を打つしかありませんでした。

さて、本日の作例ですが、ホテル付近からの夕景です。
何しろ山頂近くにいるのですばらしいパノラマを楽しむことができます。
2台のAudiはナンバーが連番なのでホテルの社用車なのでしょう、黒いのが並んでいるとマフィアのボスの車を援護する用心棒たちが下り坂をタイヤを鳴らしながらカーチェイスしていく様が想像されます。
サン・マリノはミラノよりだいぶ南ですが、標高が若干ある分相殺されて気温は変わらないように感じました。
しかし、散策しているといつもアップダウンがあるので、寒さを感じる暇なく汗をかいていました。
ジャケットでも買うつもりでしたが、サン・マリノの物価は高く、今後さらに南下するので自重して正解だったと強がりを言ってみました。
【Alpha7/R-Serenar 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Seiki-Kougaku R-Serenar 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/16 Fri

Voigtlander 20.5cmF3.6
申し訳ありませんが、文章は作成次第アップいたします。
【Alpha7//Voigtlander 20.5cmF3.8 F3.8】
thema:ペッツバール genre:写真
Voigtlander 20.5cmF3.8 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/15 Thu

Xenon 5cmF1.5
申し訳ありませんが、文章は作成次第アップいたします。
【Alpha7/Schneider Xenon 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Schneider Xenon 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/14 Wed

Xenon 5cmF1.5
申し訳ありませんが、文章は作成次第アップいたします。
【Alpha7/Schneider Xenon 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Schneider Xenon 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/13 Tue

Xenon 5cmF1.5
Xenon 5cmF1.5
申し訳ありませんが、文章は作成次第アップいたします。
【Alpha7/Schneider Xenon 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Schneider Xenon 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/12 Mon

Xenon 5cmF1.5
申し訳ありませんが、文章は作成次第アップいたします。
【Alpha7/Schneider Xenon 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Schneider Xenon 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/11 Sun

Xenon 5cmF1.5
申し訳ありませんが、文章は作成次第アップいたします。
【Alpha7/Schneider Xenon 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Schneider Xenon 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/11 Sun

Xenon 5cmF1.5
申し訳ありませんが、文章は作成次第アップいたします。
【Alpha7/Schneider Xenon 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Schneider Xenon 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/10 Sat

Xenon 5cmF1.5
申し訳ありませんが、文章は作成次第アップいたします。
【Alpha7/Schneider Xenon 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Schneider Xenon 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/09 Fri

Xenon 5cmF1.5
申し訳ありませんが、文章は作成次第アップいたします。
【Alpha7//chneider Xenon 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Schneider Xenon 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/08 Thu

Xenon 5cmF1.5
申し訳ありませんが、文章は作成次第アップいたします。
【Alpha7//Voigtlander 20.5cmF3.8 F3.8】
thema:ペッツバール genre:写真
Voigtlander 20.5cmF3.8 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/07 Wed

Xenon 5cmF1.5
申し訳ありませんが、文章は作成次第アップいたします。
【Alpha7/Schneider Xenon 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Schneider Xenon 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/06 Tue

あいつを始末してくるんだ

Xenon 5cmF1.5
昨日のうちにミラノ行きのバスチケットを買っておいたのですが、恐るべきことが分かりました。
リュブリャーナからミラノまでは鉄道だと昼行と夜行の2本があってオーストリアのフィラッハ乗り換えで81ユーロ、バスだと昼行のみで直行便で40ユーロと聞いたので、躊躇なくバスチケットを買いました。
昨夜、宿に戻ってミラノのホテルを予約してしまおうと調べると、いちばん安いものでも70ユーロもして、しかもそれは4人部屋のドミトリーの値段だったのです。
シングルだと100ユーロ以下はなく、それなら昼行よりも高い夜行列車で行って宿泊しない方がずっと安上りです。
バスチケットは10%のキャンセル手数料を取られましたが、夜行列車で行くしか手はありません。
ミラノでは万博が開催されているため宿代が暴騰しているようで、しかし、いくらなんでもドミトリーで9000円と言うのはふざけた値段で、他をざっと見てみると1泊4万、5万のホテルが並んでいるのも含めて旅行者がバカにされているようです。
東京もオリンピック期間はあんな風になってしまうのでしょうか。
万博になんて興味ない旅行者にとっては迷惑千万な話で、大きなイベントは開催してほしくないと訴えたいですね。

21時10分発の列車までぽっかり時間ができて散策でもしたいのですが、リュブリャーナはあいにくの雨模様です。
雨に濡れるヨーロッパの旧市街の町並みは美しいのですが、歩くには不便です。
とは言え、宿に籠っていても仕方ないので、荷物を預かってもらって旧市街探索に出掛けました。
15分ほど歩くとそれまでとは建物が一変していかにも歴史ある雰囲気の通りにぶつかりました。
小さな店構えの食料品店や化粧品店、本屋、アウトドアショップなどが並んでいて、日本とはまったく違う商品のディスプレイを覗きながら散歩を楽しみます。
続いて大きな広場に出ました。
宿でもらった地図を確認するとここにツーリストインフォメーションがあることになっていますが、広場が大きかったのと東西南北が把握できなかったのとで、見つけるまでに時間がかかってしまいました。
途中橋の欄干にドラゴンの像があったのですが、そのドラゴンが町の象徴のようで、マスコットキャラクターになってインフォに置かれていました。
さすがに日本のゆるキャラのような着ぐるみまではないようですが、マスコット自体は可愛らしく、日本人がデザインしたような子どもに受けそうなドラゴンでした。
インフォではコンサートがないか聞きましたがクラシックのものは一切ないそうで諦め、教えてもらったアンティークショップに向かいました。

地図にマーキングしてもらった2軒は本格的なアンティークショップで、残念ながらわたしの探しているような店とは違います。
高級なアンティークはもちろん魅力的ですが、手のひらに収まるサイズで数千円で購入できる安価かつ、その土地と生活に根差したような古道具のようなものが欲しいなと思います。
今はネットオークションを使えば世界中のあらゆるアイテムを比較的安価にいながらにして手に入れることができるのですから、旅先ならではのものを手にし、それを店主に尋ねたりして、おしゃべりしたりするのが楽しいのです。
こういう店の主人はたまに無口の話下手だったり英語がさっぱりという人もいますが、たいていは外国からの珍客歓迎で、地方の歴史とか、関係ない雑談とかで楽しませてくれます。
逆に東洋アイテムに対して質問されてしまうこともあります。
根付の使い方や印籠に何を入れていたかなど説明すると、熱心に聞いてくれ感謝もされます。
わたしの説明をそのまま他の客にするかと思うとあまりいい加減なことは言えませんが、まあ、わたしに聞くのが悪いので許してもらいましょう。

古いメガネをブダペストとコトルで手に入れていたのですが、たまたま通りがかったここのアンティークショップでも見つけて手に取らせてもらうとまた欲しくなりました。
主人に他にレンズ関係とか光学関係のものはないかと聞いてみます。
大抵こういう店では店頭に出ているものの他にバックヤードにがらくたなんかが貯まっていたりするので、聞いてみる価値はあります。
すると、主人は何やら考えを巡らせてあちこち引き出しを開けたり閉めたりして、見つけたとわたしに懐中時計のようなものを見せてくれました。
メガネの表面に押し当てると針がガラスの曲率の数値を示す計測器です。
メーカー名はありませんがたぶんドイツ製だろうとのこと。
古いメガネ屋が廃業したときに持ち込まれたような記憶があって、探したら出て来たよと笑っていました。
こういう風に見つけてもらうと嬉しくて必要なくても欲しくなるものですが、この計測器なら手持ちのレンズの前玉の曲率を調べるなりして遊べそうです。
先のメガネもオーストリア・ハンガリー帝国時代にスロベニアのメガネ店で販売されたものとケースの文字から分かったので、少し負けてもらって両方お買い上げとさせていただきました。

雨は時折強くなったりもしてきました。
100円ショップの折畳み傘を持っていましたが、いつの間にかパーツが紛失して完全には開かなくなり、ますます歩くのが不便になりました。
町中に何軒もあるカフェをはしごしてみることにします。
3軒入りましたがすべてでコーヒーを飲んでは体に悪そうなので、ビール、コーヒー、紅茶と1軒ごとに変化させました。
昔ながらの古く落ち着いた店、モダンな内装の老舗店、ファストフードのような外装の安めの店と、カフェにもバリエーションをつけます。
飲み物の味が変わってしまう訳ではないですが、やはり昔ながらの店と言うのがまったりできていちばんいいなと思います。
老舗店もよかったのですが、店員たちが慇懃すぎるのがわたしにとってマイナス評価です。
安い店は若者たちで溢れていて、それはそれで楽しい雰囲気でした。
コーヒーはだいたいどこも1杯1.5ユーロくらいとセルビアやマケドニアより倍近く高くなってしまいます。
どのカフェも店外にテーブルが並んでいてそちらの方が人気ですが、店内が禁煙なのに対してスモーキングフリーなので、喫煙者の多い旧ユーゴ圏ではわたしは利用しませんでした。

さて、本日の作例ですが、雰囲気ある通りであまりにその場にぴったりな人物を撮影しました。
雨がちな天気とは言え、それほど寒くはないのにコートを着ていて堅気の人物では無さげです。
秘密警察じゃないかと踏みましたがいかがでしょう。
いや、もしそうであれば、こっそりとではあれ撮影してしまったわたしはタダではすまなかったでしょうから、産業スパイとか薬の売人なのかも知れません。
それはともかく、スロベニアはイタリアやオーストリアと国境を接する国なのですが、少なくともリュブリャーナで難民を見ることはありませんでした。
ハンガリーがセルビアとの国境を閉ざしたことで、難民の流れがこちらに集中すると予想したのですが、見当はずれだったかも知れません。
明日の午後の便で帰国するので、今日が最後のチャンスとスロベニアの人々に難民についての意見を聞いてみたかったのですが、その機会はがなかったのが残念でした。
【α7/Schneider Xenon 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Schneider Xenon 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/05 Mon

501番線から発車です

Xenon 5cmF1.5
心配された携帯の目覚ましは今日も機能して、わたしの目覚まし音楽であるABBAのチキチータを鳴り響かせました。
宿のご家族には申し訳ないですが、早朝のシャワーを浴びてから出発しました。
バスターミナルには昨日のドブロブニクからのバスで見かけた男性の姿があって、声を掛けると向こうもわたしを覚えていて少しの間、旅について語り合いました。
香港人の彼はクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナを10日間かけてまわっていて、これからクロアチアのスプリトを目指すとのことです。
どこも団体が多いし、大陸中国人ばかりなのにも参るとうんざりしたように言います。
それなら、東洋人にはほぼまったく会わなかったアルバニアに行くよう勧めました。
ここも中国人でいっぱいになるのは時間の問題だから来年には行くべき、がわたしたちの共通の認識でした。

モスタルからザグレブへは完全な内陸部の道で、アップダウンや風景の変化はありますが、海岸を走ったここ何日かと比べると物足りなさは禁じ得ません。
早起きしたこともあっていつの間にか眠ってしまっていました。
アルバニアではワゴン車でしたが、以降はいずれも一般的な大型バスで、バカンスシーズンを過ぎているので、定員の半分も乗っておらず二人掛けを独占できるのは助かりました。
バスは途中の主要な町にいくつか停車します。
観光客用と地元の人の足を兼ねているようで、それなりに乗り降りが頻繁でした。
地方では自家用車が無いとなかなか生活できないので、バスを利用する人は女性や老人、学生風がほとんどです。
そういった人たちはしばしばバスを使うので運転手や車掌と顔見知りらしく、親しげにあいさつしたり、ずっと会話していたりするのをよく見ます。
そんなローカルのやりとりを何気なしに眺めているのも、バス旅の楽しみだと思います。
ほんとは、彼らの話の内容が理解できたり、会話に加われればもっと楽しいのですが。

国境の仕組みがよく分かりませんでした。
陸路で国境越えするときは出国審査があって、また少し先に入国審査を通るのが常識ですが、これがどちらか一方しか無いケースが何回かありました。
もとはユーゴスラビアという一つの国だったのがが分かれたので、国家間協定で省略しているのでしょうか。
バスがイミグレーションに到着すると係員が乗り込んできて、顔写真を確認しながらパスポートを回収していき、15分くらいして車掌が呼ばれてチェックの終わったパスポートの束を持って戻り、ひとりずつ名前を呼びながら返却していくパターンが一般的です。
ところが、乗り込んで来た係員がパスポートをめくって見た後、顔写真で本人確認したらその場で返却するケースや、乗客が全員バスから降りて窓口でパスポートを見せるケースもあって、どうしてやり方を統一しないのか理解に苦しみます。
出入国のスタンプは押されていない場合も多いようでした。
また、EU圏内や旧ユーゴ内などIDカードだけでパスポートを不要としているのもよく見ました。

中長距離のバスは時間帯に合わせて休憩タイムがあります。
バスにはほぼトイレが付いてないですし、2、3時間と座り続けているとお尻が痛くなるので、休憩ではみんな一斉に車外に出ていきます。
場所は郊外の街道に面したカフェ・レストランのような施設で、トイレだけ利用してもいいし、コーヒーやビール、軽食を頼む人ももちろんいます。
喫煙所があるわけではないので、無遠慮なスモーカーがあちこちでタバコを吸うのが腹立たしいです。
わたしは日本でも高速バスにときどき乗りますが、休憩はサービスエリアなので、みな土産のお菓子など買い物するのが普通で、飲み物はペットボトルのお茶を買ってバスの中で飲んでいます。
休憩時にカフェのアウトドアのテーブルでコーヒーを飲むのが当たり前のヨーロッパとは、文化の違いを感じざるを得ません。
ただ、日本では缶コーヒーからジュース、お茶、水など飲みたいものがコンビニや自販機でいつでもどこでも買えて、お茶類など無糖ドリンクの種類が豊富なのがすばらしいと思います。
ヨーロッパでは、無糖ペットボトルドリンクは水だけです。
選択肢はガス入りか無しかで、わたしはガス入りのミネラルウォーターをよく飲みましたが、お茶が飲みたいなとずっと考えていました。
伊藤園でもキリンでも、ヨーロッパで体に好いと無糖の緑茶、紅茶、ウーロン茶のペットボトルを売り出せばヒットするんじゃないかと思うのですがいかがでしょう。
寿司屋さんがあれだけ定着しているのですし。

モスタルからのバスが到着したザグレブのバスターミナルはすごいところでした。
乗り場のトラックナンバーが細かく分かれていて、リュブリャーナ行きが何番線から出るのか地上係員に聞いても分かりません。
チケットを買う時には何番から出るとか教えてもらうのでしょうが、わたしはモスタルで買ったので知りようがありません。
仕方なくチケット売り場の列に並んで窓口でたずねると、501番だと調べてくれました。
実際に500以上も乗り場があるわけではないと思われますが、それにしたってコンピューターでなければとても管理し切れないことは理解できました。
501番に行くと停まっていたのはチューリヒ行きで、バスの前面には小さな字でリュブリャーナにも停車すると書かれていますが、普通は気付かないでしょう。
もうちょっと分かりやすくできないものでしょうか。

リュブリャーナ到着はすっかり暗くなってからでしたが、そうなることは分かっていましたし、この町の宿はとても高いので安宿を事前予約していました。
携帯の地図を見ながら歩くと簡単に見つかってしまいます。
ぜいたく言ってはいけないでしょうが、簡単に宿に着くよりそれなりに苦労して好い安宿を見つけたという方がありがたみがあってこの旅にはしっくりきます。
宿に聞いたレストランは英語のメニューがなくて困りました。
しかし、スロベニア語メニューと格闘していると後から来た客が、日本人ですかときれいな日本語で聞いてきました。
新潟県の浦佐に留学していたボスニア人で、たまたまこのレストランに入りわたしが見えて日本人かと思い声を掛けたとのこと。
こんなシチュエーションで日本語のできる人に会う確率ってどのくらいでしょう。
宿探しは苦労した方が良いと書いたばかりですが、食事はすんなりしたいものというと身勝手すぎるでしょうか。
ほとんどあり得ないような日本留学経験者との出合いによって、思うような食事ができて助かりました。
さて、今日の作例ですが、1日移動でまったく撮影しなかったので、昨日の夜撮ったモスタルの橋のてっぺんからの写真とさせていただきます。
橋の段々がつくる影が人のシルエットと干渉して、奇妙な姿に変容させています。
これもメタモルフォーゼンと呼んでよいでしょうか。
【α7/Schneider Xenon 5cmF1.5 F1.5】
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Schneider Xenon 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/04 Sun

I never forget

Xenon 5cmF1.5
今日の移動先はモスタルと言うボスニア・ヘルツェゴビナの町です。
昨日確認したバスの時間は朝と午後、所要時間は3時間と言うので、朝のバスでお昼に現地着の予定です。
昨日はドブロブニク着が暗くなってからだったので旧市街はバスの窓から眺めただけでしたが、今朝も早く出るので20年も前からいつか訪れたいと考えていたこの地にはついに足を踏み入れることなく終わってしまいました。
昨日は携帯がおかしくなったと書きましたが、半日放っておいたら何故か直っていて、目覚ましも作動しました。
昨今の携帯は、壊れても無暗に触らず、放置しておくのが好いということでしょうか。
お世話になった宿には最後の最後に面倒を掛けることになってしまいました。
宿のすぐ前のバス停からバスターミナル行きのバスが7時15分に出るのでそれに乗るよう言われていたのですが、7時ころコーヒーを淹れてもらってのんびり飲んでから7時10分過ぎに別れを告げてバス停に行ったものの、バスは待てど暮らせどやって来ません。
10分待って来なかったので、宿に戻りバスが来ない旨告げましたが、大丈夫待ての返事。
さらに20分待ちましたが来ないのでもういちど宿に戻ると、おばさんがびっくりした顔をして急がないともう間に合わないと言って、車のキーを取り早く乗ってとわたしを促します。
孫のいる推定60歳のおばちゃんでしたが、レーサーモードにスイッチが入ったかのように愛車のVWポロを飛ばします。
さっと車線変更したり、前の車にぴったりくっついたり、こちらは恐怖で足を突っ張り放しでした。
5分前に着いたのでそれほどギリギリではなく、あんな運転をする必要があったとは思いませんが、いずれにしてもバスが来なかったのを救ってもらい感謝しなければ、です。

すでに東欧でのバス移動のエキスパートになっているわたしは、3時間の行程が物足りなく感じるくらい快適にモスタルに到着しました。
国境を越えているのでまずは現地通貨マルクをATMで引き出し、明日のバスチケットを購入します。
最終目的地リュブリャーナへは直行バスがなく、クロアチアのザグレブで乗り換えとのこと。
朝6時55分発、夜7時半着だと言うので実に12時間35分の行程です。
さすがにこれはくたびれそうですね。
続いて予約しておいた宿を探しますが、なかなか見つかりません。
ツーリストインフォメーションで住所を見せますが、そんな通りの名は聞いたことがないと調べてもくれないのです。
途方に暮れていると土産物屋の兄さんが宿が見つからないのかと近寄ってきます。
やはり住所には心当たりがないと言いますが、メールに記載されていた番号に電話してくれ場所はすぐに分かりました。
着いてみるとその通りはとても短く、家が数軒あるだけです。
これじゃあ誰も知らないでしょうし、グーグルマップにだって記載されていません。
宿はあらかじめ予約した方がいいのか、現地で見つければいいのか、その町によるということはありますが、わたしは現地で探す主義を貫徹すべきだったと後悔しました。

宿にはご主人がひとりいてあいさつしますが、英語はほとんどできず、逆にドイツ語ができないかと聞かれてしまいます。
ナインと答えるとナインがすでにドイツ語なので笑われてしまいます。
ブルガリアとウクライナで経験済みの片言ドイツ語による会話でしたがこんなんでも意思の疎通が十分できるものですし、いま出ている奥さんは英語が得意というので問題ありません。
この宿は一般家庭の空き部屋を貸すペンションで、旧市街まで1分の至近にありながらメインストリートの反対側に位置するためとても静かで、インフォでも住所が分からなかったことを除けば最高のロケーションと言えます。
モスタルには旧市街に高い橋があって、この町の象徴のようになっていますが、それが部屋の窓からよく見えました。
しかし、コトルもドブロブニクもそうですが、観光客があまりに多すぎます。
やはりアジア各国の団体がいっぱいになって道をふさいでいる状態では散策しても楽しいはずもなく、早々に引き上げて部屋でひとり洗濯に勤しみました。

ボスニア・ヘルツェゴビナというと、わたしは1990年代初頭のユーゴ内戦で戦場になったサラエボの映像が20数年経った今でも頭を離れません。
爆撃で半壊した建物や銃弾の跡が生々しい壁などはそのまま残されていると聞きました。
それを見にサラエボまで行くかとも考えましたが、その必要がないことに気付きました。
今いるモスタルでも市街戦があったようなのです。
旧市街が美しかったので最初は気付けませんでしたが、少し離れた場所には破壊された建築物が散見されました。
さらに外れではいくつかのまだ新しい墓地があるのにも気付きました。
近くのモスクの脇の墓地に入って墓標を読みます。
没年が1993年となっていて、隣のをみるとやはり1993年、隣も、また隣もすべてがすべて1993年でした。
一列に並んだ墓の没年表記がまったく同じということに、言葉に言い表せないショックを受けました。
前の列も、後ろの列も、墓地の中に200以上はあるだろうすべての墓が、同じ1993を示していると考えると言いようのない恐怖を感じます。
今もこの町のどこかで穏やかに暮らしていて、すれ違ったり会話していたかも知れない人たちが、わたしの足の下に眠っているのです。

宿に戻ると奥さんがいたので、もし辛ければ話を止めて欲しいと断って墓地を見たという話をしました。
しかし、彼女は遮ることなくわたしの話を聞いてから、そうです、あなたの見たとおりですと答えました。
ただし、彼女たち家族はその前年、ドイツに移民として移り難を逃れ、情勢が落ち着いてからモスタルにもどったそうです。
そう聞いて初めて、鈍いわたしでもご主人がドイツ語を話せた意味が理解できました。
彼女もドイツにいて詳細は知らないがと断りつつ、この町が爆撃に晒されたと話してくれました。
戦闘が終わってほどなくして戻った時、家は無残な姿に変わっていて、彼女は何日間も泣いているばかりだったと言います。
わたしたちはハグし、静かに涙を流し合いました。
モスタルを訪れるということは、同時に重い十字架を背負うことをも意味しているようです。

もともと胃が不調なところに、つらい話をしてもらって、とても食欲はありませんでしたが、彼女の知り合いがやっているというレストランを訪ね紹介してもらいました。
小さな店は満席でしたが、時間が遅いのでウェイトレスはすでに帰宅して女性ひとりで切り盛りしています。
彼女のつくった土地の肉料理は美味しく、お腹いっぱいになって会計すると、近くで遊んでいた10歳くらいの女の子が片付けを始めました。
ひとりではなく娘が手伝いしていたのですね。
おとなびた仕草がかわいくて、見ていて少し明るい気持ちになりました。
手元にあった日本から持参の飴をチップですと手渡すと、照れる姿がまた可愛らしい。
母子のおかげで救われた気持ちになりました。
さて今日の作例は、よく知られたモスタルの橋の風景、ではなく、左下にあったわたし宛のメッセージとしました。
なぜ、これがあったのか、なぜ、わたしはこれを見つけたのか、今となっては不思議だとしか言いようがありません。
もちろん、モスタルで見た衝撃は、けっして忘れることはないでしょう。
【α7/Schneider Xenon 5cmF1.5 F1.5】
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Schneider Xenon 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/10/03 Sat
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