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ここでは暮らせない

Xenon 5cmF1.5
温暖な海辺の町でのんびりしたのが少しは効いたようで、朝目覚めると風邪っぽさはだいぶ収まっていました。
デミトリー君とアルゼンチンから旅しているという30歳くらいの女性とともに朝食を摂ります。
パン、ジャム、バター、紅茶、ゆで卵がテーブルに大量に置かれていて、宿泊者は自由に食べていいことになっています。
ただし、食器はセルフで洗ってから片付けなくてはいけません。
パンとコーヒーの朝食をコンチネンタルブレックファストと言い、これに卵が加わるとブリティッシュブレックファストになり、さらにハムかベーコンが加わるとアメリカンブレックファストと呼ばれます。
それぞれ大陸ヨーロッパ人、イギリス人、アメリカ人はそういう朝食なのでしょうか。
コンチネンタルブレックファストでは寂しいと思われるかも知れませんが、大陸のパンは美味しく、土地によってバリエーションがあったり、コーヒーも温められたミルクを入れてカフェオレにすると抜群に美味しくなったりけっしてバカにしたものではありません。
わたしが卒業旅行でヨーロッパを周遊したときは、安宿を泊まり歩いたので毎日コンチネンタルでしたが、スーパーでチーズやハム、パテなどを買っておいて自分たちでパンにはさんだりして食べたので、さらに朝食を楽しむことができたのを思い出しました。

できれば今日は北上してモンテネグロまで出たかったのですが、サランダからは直通のバスが無いので、まずは首都のティラナに出ることにしました。
デミトリー君は、モンテネグロではコトルと言う町がおすすめだと言い、ティラナからの行き方を説明してくれましたが、バスを3回も乗り換えねばならず覚えられません。
ティラナから直通のバスが1日1本か2本あるだろうから、それがあれば乗ったらいいとアドバイスしてくれました。
昨夜、日本への帰国の航空券を予約していました。
価格やマイル関連のことを比較してミラノからキャセイ航空で帰国することにしました。
7日午後にミラノ出発のスケジュールですが、それだと今日はティラナ宿泊になったとしてもどうにか7日までにミラノに着けそうです。

ティラナ行きのバスに乗ろうとするときれいな英語であなたは日本人か中国人かと声を掛けてくる青年がいました。
日本人だと答えると嬉しそうに日本が大好きだと言い、さらに車掌がチケットの確認をすると彼とは座席が隣だと分かり、5時間の道中をともに過ごすことになりました。
彼はサランダに生まれたアルバニア人で、今は仕事の関係でティラナに住んでいます。
奥さんと4歳の娘との3人暮らしと言うと一般的な家族のようですが、彼の場合は少し違うようでした。
彼はアルバニアと言う国を見限っていて、ロンドンに留学して電気工学を学び、アテネで8年近く働いてきたそうです。
ギリシャのパスポートを取るのが目的で、EU加盟国のギリシャ国籍になれば他国で自由に働けるからということでした。
彼はキャリアと言える実績がありますが、それでもアルバニアでの現在の月収は300ユーロに過ぎません。
アルバニア人全体では平均するとそれよりさらに月収が落ち、地方の労働者などでは月に100ユーロと言うのが珍しくないそうです。

給料が安いからアルバニアを捨てるのかといえばそうではなく、この国の腐敗し切った体質に怒りを感じるからだと説明してくれました。
アルバニアは1990年に他の東欧諸国同様に社会主義から民主主義に切り替わりましたが、変わったのは表面だけで、税金だのなんだのとお金を吸い上げてポケットにしまい込む社会主義的な体質は改善されていないと言います。
政治家はまったく口ばかりで行動をいっさいしないと嘆いています。
ティラナ近くに来た時に工場地帯がありましたが、あれもそうこっちもそうと指さしながらアルバニアの主力企業の多くは未だ国営で、賃金は完全にコントロールされていると話してくれました。
しかし、ジロカステルやサランダなど見かけるのはベンツばかりで人々の暮らしはとても月収300ユーロとは思えないと言うと、みんな副業を持っていて細かいところで副収入を得ているというので、昨日、カフェの女性がホステルを紹介したことを思い出し、あれでいくらかのキックバックをもらっているのだと想像できました。
さらに恐るべきことにベンツの多くは正規品ではなく、窃盗団がドイツで盗んできてアルバニアで転売しているのだそうです。
当然正規販売店もあるそうですが、そこで買えるのは家族が海外で成功したか、政治家とその家族くらいなもので、ベンツでも同じ車種ばかりが走っているのはパーツの共有とか正規品でないゆえの理由からだとのことでした。

彼は物価のことにも言及しましたが、答えは想像していた通りでした。
ヨーロッパ最貧国のアルバニアですが、食べ物や飲み物などは日本よりずっと安いものの、セルビア、コソボ、マケドニアと比べて安いということはなく、むしろ若干高いような気がしていました。
彼はその通りだと言い、税金が高く、その税金もすべて政治家たちの懐に入ってしまう、賃金は安いのに物価が高くてどうやって生活すればいいんだと自嘲気味に話を続けました。
ルーマニアでは大型のトラックが野菜や果物を満載してドイツやイタリアに行き、工業製品を積んで戻ってくるという話を聞いていましたが、EUに信頼されていないアルバニアはルーマニア同様の農業国だが野菜の輸出は現状では難しいとのこと。
ギリシャが経済危機になったときEUから緊縮財政を求められ、そのプランを作ることで経済援助を得ましたが、アルバニアも同様に対応してもらえればよいのではないかと思ったのですが、ことはそんなに単純なものではないようですし、政治的腐敗がひどすぎてEU加盟の前の段階にすら進めないのが現状だと言います。
素朴な温かい人たちの国と皮相なところだけ見てアルバニアを評価していましたが、現実がまったく見えていなかったのはとても情けないことでした。

日本人やドイツ人、イギリス人の勤勉さ、社会システムの素晴らしさに敬意を抱くという彼は、ティラナに到着するとわたしをリーズナブルなホテルまで案内してくれました。
外観は立派なホテルながら1泊35ユーロと言うので安かったのですが、予算オーバーなので30ユーロにして欲しいとレセプションと交渉するとあっさりOKしてくれました。
しかし、外見は立派でもまだエレベーターが設置されていなくて、そのスペースがからんどうになっていたり、トイレの電気が点かなくても直せず暗い中で用足ししなくてはなりませんでした。
アルバニアの民間ホテルは建設費が行き詰まると工事をストップさせて、とりあえず使える部屋で営業開始して、宿泊料を建設費にあてたりなど完成前から自転車操業的に経営開始してしまうそうです。
彼からいろいろと聞いていたので、エレベーターやトイレの電気、その他細かいことでクレームを入れるべきところがたくさんありましたが、黙っていることにしました。
20年前、アルバニアに行こうとして入れなかったことを考えれば、真っ暗なトイレがどうしたとそんなつまらないことはどうだってよくなります。
作例は、ホテルのならびにあったタバコ屋というか喫煙具屋さんで、ショーウインドーにラギオールのナイフが並んでいたので買い求めて、ついでに撮影させてもらったものです。
ラギオールには外国のものもあるのでフランス製か聞いたり、謎の黒棒付きのナイフがあったのでどう使うのかとか聞きましたが、回答はすべて分からないでした。
ただ、喫煙具屋で働いているのだからたばこは吸うんでしょうという質問にはイエスと即答します。
旧ユーゴエリアもそうでしたが、アルバニアでも喫煙する女性が多かったのがとても残念なことでした。
【α7/Schneider Xenon 5cmF1.5 F1.5】
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thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Schneider Xenon 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/30 Wed

海に呼ばれて

Voigtlander 20.5cmF3.6
ジロカステルは面白い町で2~3日くらいなら滞在して飽きるようなところではありません。
郊外には、自然の美しい古い教会のある魅力的な村があると教えてもらいました。
アップダウンはあるようですが、自転車を借りて1日郊外の村を巡るのも楽しそうです。
昨日の夜は朝食にと小さな店でヨーグルトを買ったのですが、せっかくだからビールもと思いあるか聞くと、ちょっと待っててねと奥に引っ込んで最後の1本だと持って来てくれました。
自分が飲むために冷蔵庫に入れてあったのを取ってきたようで恐縮していると、今日は飲む予定が無いからいいよともちろん定価で売ってくれます。
支払いを済ました後、足元に野菜や果物があるなと朝食用にリンゴを1個取って支払いしようとすると、これはサービスと言ってお金を受け取りませんでした。
観光地のローカル向け商店ですが、外国人だからといってボルどころか、逆にお負けしてしまうというのはアルバニア人のお人好しぶりを示しているといえるように思いました。

本当にもう1泊するか悩んだのですが、次の町に移動することにしました。
サランダという海辺の保養地のようなところです。
乗合バスで1時間かからず到着しました。
ジロカステルは2日とも曇り時々晴れの天気でしたが、サランダはずっと快晴で気温もぐっと高くなりました。
盆地のようなところに位置するジロカステルは目まぐるしく晴れたり曇ったりときに雨がぱらついたりの山の気候なのに対して、海べりのサランダは温暖な地中海性の気候ということのようで、山越えのバスでの1時間弱のドライブがこうまで環境を変えるのかと感心させられました。
移動を決意した最大の理由はこの気候にありました。
オフリドに泊まった翌朝辺りから鼻風邪気味で体調がパッとしなかったのです。
疲れが積み重なって体にガタが来ていたということだと思いますが、歩き回っても一晩眠れば疲れが消えていたのが、おとといの朝くらいから足がだるいのが残って、歩くのがちょっと苦痛になっていました。
重症ということではないのでそのうち回復するだろうと思っていたのですが、やはり歳には逆らえないのか、2日経っても治る気配無しだったので、体を休めるための滞在をすることにしたのでした。

車が着いた真ん前にカフェがあり、店の女性が宿を探しているのかというようなことを聞いてきたのでうなずくと、どこかへすっ飛んでいき、替わって若者がやって来て流暢な英語で同じことを聞いてきたのでまたうなずきました。
彼は目と鼻の先にあるホステルのオーナーで、ドミトリーが1泊10ユーロ、シングルが1泊14ユーロでいずれも朝食付きと言うので、わたしは部屋も見ずにシングルに泊まると告げました。
彼はメッシと名乗りました。
もっと難しいアルバニア語の名前ですが、メで始まりシで終わるので覚えてもらえるようにニックネームのようにメッシと自称しているのだそうです。
しかし、顔つきもちょっとメッシ本人に似ていて、メッシのお兄さんのような感じがしますので、これはいいネーミングだと感心しました。
オランダから長旅をしているデミトリー君が彼の仕事を手伝っていて、ベッドメーキングから洗濯、朝食の準備などひとりでこなしていました。
ひげ面のデミトリーですが、いつもおだやかな顔をしていて、人生で一度も怒ったことないというような優しい表情が好印象です。
アルバニアにはすでに1ヶ月以上いるそうで、観光できそうな町のほとんどを知っていて、その行き方やだいたいの所要時間、料金などにも答えていたのが驚きでした。
彼は、あさってからここを離れて西に向かい、ギリシャ、トルコ、中東からずっと陸路で日本に向かうと言います。
彼が来る頃にはわたしの旅は終わっているはずなので、日本で再会する約束をしました。

サランダの町は小高い山に囲まれていて、海岸から遠ざかるにつれて少しずつ高くなっていきます。
だいたいどの建物からも海が見えるようになっていて、その感じは熱海に似ていなくもありません。
わたしが泊まった格安のホステルも建物の2階にあって、入り口部分のオープンなベランダからは港と海が一望できます。
到着してしばらくは疲れていることもあって、デミトリー君の横に座って海辺を眺めながらネット検索したりメールを書いたりとぼんやりしていました。
そんなとき何気なく見たサッカー関連の記事のリンクから、わたしの旅のルートに大きく影響する重大な、しかし一般には些細な記事を見つけることができました。
ドルトムントは香川を含めた主力6人をヨーロッパリーグの次の試合には帯同させないというものです。
その試合はギリシャのテッサロニキであり、ここサランダからはバスを乗り継いで5時間ほどで行けると聞いていました。
サランダに来たもうひとつの理由は、翌日ここからテッサロニキまで行ってドルトムントの試合を観ることだったのですが、そこまですると今後の旅の日程がだいぶ苦しくなってしまうので悩んだりもしたのですが、偶然、香川は帯同しないという記事を読むことができたのでギリシャ方面に行くのはきっぱり諦めることができました。
ドルトムントの試合はぜひ観てみたかったのですが、それはいつか彼らのホームゲームでということにしましょう。

海に向かって散策してみました。
暑いせいか人通りが少なく、夏のバカンスシーズンをすぎているせいかショップやレストランもクローズしているところが散見されます。
オープンしているレストランやバーでは白昼からビールを飲む外国人旅行者か゚長期滞在者がちらほら見られ、海を見下ろすロケーションで最高のくつろぎ方だとうらやましくなりました。
わたしは、この間毎日飲んでいましたが体調が冴えなくなってきたので、今日は1日ノンアルコールデイと決めて、ビールは控えることにします。
海岸まで降りると、海水は町中にしては澄んでいてきれいですが、魚の姿は見えませんし、不思議なことに釣りをしている人も周辺一帯皆無でした。
釣りは朝一で、日が昇ったらのんびりとということかも知れません。
体長1メートル近くありそうなバショウカジキを持ったおじさんがいて、市場で1000円ほどで買ったとのことでした。
鼻と言うのか角と言うのか先端部分が折られていたので最初は魚種不明でしたが、背びれが大きかったのでバショウカジキで間違いないと思います。
英語で何というのか聞かれたので、背びれが帆のようだからセイルフィッシュ、ここが高くない同じような魚はマーリンだと教えると、日本人はこれを寿司で食べるのかと聞くので、この魚はレストランで食べられるほどたくさん獲れないので、食べたことがないというとへえと感心しながら丁寧にお礼を言って去っていきました。
バショウカジキがこの辺では簡単に釣れるのだとすると、次回はタックルを持って挑戦してみたいものです。

さて、本日の作例ですが、海に近い公園で遊んでいた子どもです。
人気の多いとは言えない町なので、後ろ向きの子どもでもカメラを向けてしまうような状況だったのですが、なぜかこちら方向を向いてくれたので、わたしの水準では十分に採用されるレベルになりました。
暑い海の町でもすでに秋の気配が漂い始めていて、午後もちょっと遅くなると西日が強く長く差してきて、逆光ではコントラストを維持するのが難しくなります。
これでもハレ切りしているので、何もしないものよりだいぶコントラストは上がっているのです。
ペッツバールタイプのレンズとしては、真逆光ではこれが限界だと感じます。
常識的に写真ブログをやっている人はこんな作例を上げないか、せめてコントラストを調整してからアップするのではと思われるてぶしょう。
いや、そうではありません。
こんな1キロ以上もするレンズを持ってヨーロッパを周遊旅行するなんて、良識ある人はけっしてしない、が正しい答えです。
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF3.8 F3.8】
thema:ペッツバール genre:写真
Voigtlander 20.5cmF3.8 | trackback(0) | comment(2) | 2015/09/29 Tue

餅つきにあらじ

Xenon 5cmF1.5
コルチャにはモスクは見つからず、立派な大聖堂が町の中心にありました。
他にも見どころはあったらしいのですが、オフリドのタクシー運転手からアルバニアに行くならジロカステルに行くべきと聞いていたので、すぐに目指すことにしました。
コルチャのバスターミナルもバスが1台も停まっていない、ワゴン車が並んでいるだけの普通の駐車場のようなところでした。
ここにバスがまったくないかと言えばそんなことはなくて、市内の路線バスがときどき走っているのを見ました。
そんな大型バスを走らせるほど、国内の移動に需要が無いということなのでしょうか。
ジロカステル行きのバスは1日1本ですでに出てしまっていました。
明日出直して来いと言われますが、いくらなんでも200キロくらいしか離れていないのですから、乗り継ぐなりすれば行けるだろうと思っていたら、別の車の運転手がオレのに乗れば途中乗り換えてジロカステルに着けると教えくれました。

200キロしかないのに到着まで6時間かかりました。
地図で確認すると恐ろしく遠回りしていて、例えるなら東京から静岡に行くのに中央道に乗って、諏訪湖辺りから南下してくるような感じです。
ただ、道はずっと美しい緑の中を走り、途中、峡谷のような道も通って、景色としては最高でした。
乗り換えさせられたのはバスではなくタクシーで、最初2700円ほどだと言われ断ろうか悩んでいると、ラッキーなことにもうひとりジロカステルに行くという女性が現れたので半額になりました。
さらに幸運なことに彼女はジロカステル在住で、到着前に大学生の息子に電話して車で迎えにこさせ、わたしをゲストハウスまで送ってくれました。
車はピカピカのベンツでしたが、彼女は小学校の先生、旦那さんは弁護士とのこと。
かなりのお金持ちのようです。
彼女の名前はアイーダさんと聞いたので、ゲストハウスの玄関に入るとき、わたしの頭

ジロカステルは中世の町並みが残る美しい町で、山腹に旧市街が形成され、さらに山頂には城がそびえ立っています。
四方はさらに高い山に囲われていて自然の美しさの中に、古い町並みが溶け込んで比類ない景観を生み出していました。
しかし、町中での移動は急坂の昇り降りがかなり堪えます。
宿は山の中腹にありましたが、数百メートル先にある石畳の急坂を上って中心に行くのが一苦労でした。
地元の人が運転する車もあえぎながらどうにか進んでいる感じで、下るときも慎重に降りないとタイヤが滑ってしまいそうです。
この町で生まれ育ったら相当の足腰の強さを獲得できるでしょう。
長袖で歩いていたらすぐに汗だくになってしまいました。
水分を強く欲しているうえに空気がからっとしていることもあって、野外のレストランで飲んだビールの美味しかったこと。
銘柄を読むとコルチャとありましたので、先ほどまで滞在していた町で作られたビールのようでした。

中心部には屋台が出ていて、特産物や土産が売られていましたが、それらは近隣の村のもので、イタリアの農業団体と共同で村の伝統の品をPRするイベントとのことでした。
各種のジャムなどがありましたが、村のウリは蒸留酒だとのことでパイプのおばけのような真鍮筒を使った伝統的な製法でブドウを蒸留するところが実演されていました。
試飲しましたがワイルドな味で、それほど美味しいとは感じられません。
製品にするにはさらに精製する過程があるからだそうで、しかし、むかしはこの味のまま飲んでたんだろうなあとアルバニア製のブランデー(ラキア)の荒々しい味わいを楽しませてもらいました。
アルバニアはイスラム教国とばかり思っていましたが、町によってはオーソドックスのところがあったり、カソリックのところがあったり、それらの混合だったりと一様ではないとのことでした。
ジロカステルには3者が混在しているそうで、町の外れの方を散策していて偶然ロマネスク様式の教会を見つけたときには興奮しました。

もう宿に戻ろうかと言うときに幸運に恵まれました。
民族衣装を着た少女が歩いていたので写真を撮らせてもらったのですが、これからトルコ関連のイベントがあるので見に来ませんかと誘われたのです。
トルココーヒー団体主催の普及イベントで古城の入り口脇の古い建物のホテルが会場でした。
待っている間ペッツバールで撮影していると周囲の人たちの目に留まり、それは何だと話題になったので説明したりしました。
トルコのコーヒー文化についてレクチャーした女性が特に興味津々で、ポートレイトを撮るとこんなに古いレンズがどうしてよく写るのかと聞かれ、ペッツバールは周辺が乱れるが小さなフォーマットではその影響が出ないのでよく写るものの、乱れた周辺を含めてレンズにあったフォーマットで撮った方が面白いということも理解してもらいました。
そんなこともあって、コーヒーの試飲も特別に許可してもらいました。
トルココーヒーはトルコ旅行中に飲んでいた時は薬のようなものでしたが、さすがプロフェッショナルの淹れたものは味がまったく違ってとてもまろやかです。
美味しかった理由が作例写真に隠されています。
おばあさんが石臼のようなものと格闘して、背後の少女は煙の中で何事かしているように見えます。
実はこのおばあさんが藁の火のところでコーヒー豆をローストしたあと、石の中に入れて鉄棒で豆を砕いていたのです。
これが、大昔からこの地に伝わる伝統的なコーヒーの曳き方だそうで、その後ヨーロッパには真鍮製のグラインダーが伝わってアルバニア人のどの家庭でも使われるようになり、今ではこんなやり方をするのは特別な時だけだそうですが、何しろこうやって手間暇かけた方がずっと美味しいというのがおばあさんの弁でした。

トルココーヒーを美味しくいただいた後、旧市街の中心を歩いていた時に古いコーヒー用の真鍮製のグラインダーが何本か置いてあるのに気付きました。
今では普通のコーヒーミルを使うか店で曳いてもらうので、グラインダーも各家庭からなくなり、せいぜいレストランのディスプレイに使われるか、多くは捨てられてしまうことが多かったそうです。
見つけたのは土産物屋でしたが、半ばアンティーク扱いでグラインダーを探して売っているのだとのことでした。
何しろ一家庭一個でしたから大量生産されたらしく、モノとしては数があり新しくなればなるほど粗悪になるので、戦前に製造されたものを扱っているそうです。
しかし30センチもある真鍮の筒なのでペッツバール以上に重たくて、その手の民芸品的なものが好きな私ですら大きさと重さに閉口してしまいます。
そういうと若い店主がこんなのもあるんですよと、奥から長さも重さも半分くらいのコンパクトなグラインダーを見せてくれました。
大きい方はお客さんが来ても一気に曳けるよう大人数タイプ、小さいのは2~3人用で、製造数が少ないもののわたしのようなことを言う旅行者のために何本か見つけ出していて、これが最後の1本だと言います。
緑青が噴いていて汚らしいですが、店主が集めた中で恐らくいちばん古いもの、1910年前後の製造ではないかと言います。
そんな話を聞いていたら、先ほどトルココーヒーとの縁もあったしなどと考えてついついお買い上げしてしまいました。
トランクが重くなるのがイヤでしたし、何しろボロでしたが、持ち帰ってきれいにしてコーヒーを曳いてみたいと思っています。
トルコでは現代のトルココーヒーを、ここジロキャストルでは古典的手法のトルココーヒーを飲みましたので、自宅ではその間に造られていたグラインダーで、古き良き時代のトルココーヒーを楽しめたらと思っています。
さすがに、おばあさんのあの味には及ばないでしょうけれど。
【α7/Schneider Xenon 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Schneider Xenon 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/28 Mon

かつてヒッチハイクで来た町

Xenon 5cmF1.5
早朝に起きてシャワーを浴びようとしますが、冷水はいつまで経っても熱くなりません。
何かあれば2階の部屋のインターホンを押してと昨日の女性に聞いていたので、呼び出しますが彼女はやってきません。
苛立ちながら給水タンクのスイッチを何度かオンオフしてみるとそれまで消えていたライトが点灯してお湯が出てきそうな気配になり、数分経つと水が徐々に温かくなってきてようやくシャワーを浴びることができました。
築数十年のアパートですから、共産圏の設備らしくこういうこともよく起るのでしょう。
ドタバタで1時間もロスしてしまいましたが、すっきりして20年ぶりのオフリド旧市街を目指しました。

宿から10分歩くとオフリド湖に着きます。
昨日の女性の説明ではいちばん深いところで水深が70メートルあって、ヨーロッパでいちばん深い湖なのだそうです。
ここのマスは美味しいことで知られていて、レストランで食べると35ユーロもするそうです。
1皿の値段がわたしの1日の旅の予算にほぼ該当するのですから、わたしの旅とマス1匹の価値は似たようなものなのですね。
湖の水はとても澄んでいるので底の石ひとつひとつを数えることができ、まるで沖縄の海にいるようでした。
少し先を見ると小高い山に石の家が並んだ小さな旧市街が見えていて、20年前の記憶がわずかに蘇ってきました。
作例は、岬の先端にひとり佇むように建つマケドニア正教のSt. Jovan Kaneo教会です。
かつて、どこかでこの教会の写真だけを見てオフリドに惹かれ、当時、情報もないままにギリシャのテッサロニキからレンタカーを借りてやって来ました。
ギリシャのレンタカーはマケドニアに持ち出せないことが分かり(たぶん車取得税が高いマケドニアで売却するなどを制限するためでしょう)、せっかくのレンタカーをボーダーの駐車場に停めたままヒッチハイクでここまでやって来たことを思い出します。
その時お世話になったベラさんの家を探したかったのですが、時間がなく諦めざるを得ませんでした。

オフリド湖は対岸がアルバニアで、20年前にはオフリド中に難民を多く見たものでした。
アルバニア人はイスラムの異教徒ということもあってオフリドの人たちか嫌っていたことをよく覚えています。
可能であれば足を踏み入れたかったアルバニアは内戦状態のため国境が閉じられていましたが、今では自由に行き来できるようですので、今回の旅のハイライトに考えていました。
10時台のバスを乗り継ぐとアルバニアに入れるようでしたので、慌てて宿に戻ることにしてタクシーに乗りました。
するとそのタクシーが、近隣2ヶ所を観光しつつマケドニアのポーダーで降ろしてもらう40キロの道のりを2000円弱で行くと提案して来たので、利用してみることにしました。
たまたま近くにいたタクシーでしたが、運転手が英語堪能なうえ、見るからに好人物で信用できると判断したからです。
すぐにその勘は的中していることが分かります。
宿に荷物を取りにタクシーで戻ると、昨日あれだけ親切だった宿の女性がお湯が出なくなったトラブルで怒り出し、その仲裁に運転手が立ってくれました。
給湯装置の調子が悪いのを客が壊したことにして修理代を出させる手口かも知れないと、わたしに警告してくれたので、運転手のことが信用できると思ったのです。

タクシーでしばらく走ると水の博物館と言う施設がありました。
中世の時代に建てられた水上家屋のような建物が再現されていて当時の様子が分かります。
ダイビングも可能なそうで、推進70メートルの湖の世界がどんななのか興味を惹かれました。
国境近くには修道院がありました。
オフリドの旧市街と同様の建築で、柔らかな太陽光線を浴びて独特の淡い光を反射しています。
近くにはオフリド湖の水源の泉がありました。
泉はここだけではなく非常に多いそうなのですが、修道院と教会がすぐそばにあるここの水源はオフリド湖を聖地のように高めるのに役立っているようです。
水量はかなりのもので、これだけの水が流れていれば科学的にも湖の水が汚染されないだろうと想像できます。
チベットの聖性を湛えた九寨溝を思い出させる、もっとも清らかな水の流れる土地と感じました。
すっかり親しくなった運転手とは国境でハグして別れたのですが、わたしの人生初めての顔が右側に来るハグで、左側でしようとしたわたしはあわや唇を重ねてしまうところでした。

マケドニアの出国審査を終えて数百メートル歩くとアルバニアの入国審査があります。
いちばん近くの町までどのくらいの距離があるのか質問すると、5キロだと教えて教えてもらいます。
トランクをカートで転がして歩くので1時間以上かかるでしょうが、何てことのない距離です。
途中、ベンツのドライバーから7ユーロで行くがどうかと話しかけられましたが、徒歩1
時間にそんな金払えんと断りました。
しばらく行くと町が湖の先に見えてきて、あれなら1時間もかからないように思えました。
すぐに民家があって、おじいさんが栽培しているリンゴをもいで2つ手渡してくれます。
何か言っていますが、日本と軍隊と言う単語が判別できるだけで、わたしは元軍人で日本の兵法を学んだとか言っているように感じました。
リンゴをかじりながら歩き続けますが、歩けど歩けど見えている町は近づいてきません。
1時間歩き続けましたが、やはり町は遥か彼方で、まだ半分も歩いていないだろうと感じます。
さらに歩き続けると若いカップルが話しかけてきました。
女の子は英語堪能で、ほぼネイティブのような美しい発音で自己紹介し、彼は18歳の高校生、わたしは14歳の中学生だと言います。
確かにあどけない顔立ちですが、彼女が14歳とは信じがたいものがあります。
わたしが町を目指しているというといっしょに行こうと3人並んで歩きました。
両親に内緒で付き合っているそうで、町が近づくと彼はキスして分かれて行ってしまい、わたしは彼女の案内でようやく到着することができました。
きっかり2時間。
たぶん5キロと言うのは適当で、10キロ近く歩かされたのではないかと思います。
歩くのには慣れていますが、後半のきつい時に彼女の手前休みたいとも言えず、足がパンパンになって倒れそうでした。

到着したのはポグラテツといういかにも国境の小さな町然としたところでしたが、あまり面白そうな所とは思えなかったのでなかったので、コルチャというこの地方の小都市まで移動することにしました。
バスステーションのあるはずの場所にそれがなくてきょとんとしていると、小学生くらいの子どもがバスに乗りたいのかと聞いてきます。
コルチャ行きのバスに乗りたいと答えると、彼は通りかかるワゴンに次々声を掛けて、この車がコルチャ行きだよとわたしを案内してくれました。
このあたりはバス停と言ってもバスが走っている訳ではなく、ワゴン車をバス代わりにしていて、行先も書いてないので自分でバスを探さなくてはいけないようです。
少年がチョコレートをくれないかと言い、なぜかたまたま日本で買ったチョコがあったのであげましたが、ギミ・チョコレートなんて終戦直後の話のようです。
1時間弱でコルチャに到着しました。
ホテルを探さなくてはと歩き出すと、ここでも老人がホテルかと声を掛けてきて、1泊25ユーロの中級ホテルまで案内してくれました。
チップを渡すべきかと思いましたが、わたしが礼を言っているうちに満足そうに立ち去っていきました。
リンゴのおじいさん、道案内の中学生、バスを探してくれた小学生、そしてホテルまで案内してくれたおじいさんと、アルバニアの子どもと老人にずいぶんと助けられた1日になりました。
【α7/Schneider Xenon 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Schneider Xenon 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/27 Sun

懐かしの響きを聞こうとは

Xenon 5cmF1.5
朝の5時にアダンが鳴り響いて、バングラディシュ、中東、トルコと早朝にたたき起こされ続けたことを思い出されました。
昨夜セルビアのニシュからバスでコソボの首都プリシュティナに着いた時はモスクがあるなんて気付きもしませんでした。
それどころか、恥ずかしながらコソボがイスラム圏だということすらまったく認識してなかったのです。
ボスニアにしてもそうですが、あれだけ激しく内戦があって分離独立するのですから、まずは宗教的な対立があったということを想像できていなければなりません。
実は、独自の通貨が無くてユーロを使用しているということもその場で知ったのです
確かに独立したばかりの国が新たに通貨を発行したりするのはたいへんですし、セルビアのお金を使い続けるのも屈辱でしょうから、ユーロを通貨にするのは良いアイディアのようです。
それと、ゲストハウスのオーナーは穏やかな人が多いですが、宿泊したプリシュティナの宿はわずかに傲慢な感じがあって、それが宗教から来ているのではないことを願いたいです。
早朝から小雨のプリシュティナの町を歩き回りましたが、何一つとして関心を惹くものがありません。
宿のそばには博物館がありましたが、扉は閉ざされたままで、開館時間等の掲示がなぜかないのです。
ツーリストインフォメーションをやっと見つけたと思ったら、やはり閉じていて長い間オープンしていないのが明瞭に分かります。
旅行者に対して町が鎖国してしまったかのような印象を持たざるを得ませんでした。

プリシュティナはコソボの首都で、一通り歩いてみると確かにモダンな建築物など都会の外観ですが、人通りが極端に少なくて活気のない殺風景な町に感じられます。
コソボが独立国としての体裁を保つために無理やり大きな都市に見せているような気さえしました。
なんの収穫もなしに宿に戻ると周辺が市場ということに気付きました。
宿の門のところにまでわずかな野菜を持って来て商売している人がいて、あまり儲かっている気配もないその人にどいてもらって建物に入るのが申し訳なくなってきます。
本日の作例は、ニンジンを買いに来たお客さんに計量してパッキングする商人の様子です。
当地のニンジンはこういう品種なのか、土地が悪くて育ちも今一つなのか、ゴボウのような太さで、何となく硬くて美味しくなさそうに見えてしまいます。
上皿天秤で軽量していましたが、その分銅のでかさが気に入りました。
中学生くらいの時の理科の時間に薬品を量った分銅の小ささが懐かしく思い出されます。
ふたりの孫たちがニンジン食べて、分銅のように大きく健康に育つよう願わずにいられません。

宿でバスターミナルの位置と行き方を聞いて早々に出発しました。
プリシュティナにもきっと面白いところがあるに違いありませんが、それを探したいという気にもなれません。
しかし、今日は日曜なのでバスターミナルから少し行ったところで蚤の市があるというので、それをコソボでの唯一の楽しみにしようと考えました。
宿のそばのバス停で待っている人にバスターミナルはこちらでいいか聞くと、タクシーに乗れと言われます。
バスで行けることは確認していて、ここか反対車線側のバス停かを確認したいだけだと言いますが、英語のできる女性がすでにタクシーと交渉してこれに乗れと合図しました。
いくらか確認すると50セントだと言います。
中を見て理由が分かりました。
みな同じ方向に行く3人がすでに乗っている乗合タクシーだったのです。
ここから5分歩けばバスターミナルだと教えてもらってタクシーを降りました。
ドライバーも他の乗客も話しかけて来たりフレンドリーな雰囲気でした。

マケドニアのオフリドに行きたかったのですが直行バスは無く、首都スコピエで乗り換えだと聞きました。
10分後にスコピエ行きがありましたが、3時間後のバスにして先ほど聞いた蚤の市に行ってみることにしました。
何かを買うなどほとんど期待していませんが、せっかく週1度の市の日にあたったので、何か出会いがあるかも知れません。
オフリドには20年ほど前に滞在したことがあって、夜着になっても構わないという余裕がありました。
歩いて行ける距離とのことですが分かりにくい場所だそうで、タクシーを呼んでもらいました。
バスターミナルには何台もタクシーが停まっていますが、交渉制で高いのでと言ってメーターのタクシーに来てもらったのです。
しかし、これが使えないタクシーで、近くのスーパーまで行ってくれるもののそこからどう行くのか分からないのでと言ってスーパーで降ろされてしまいます。
道が分かりにくいからタクシーを利用したのにこれでは意味がありません。
スーパーで聞いても誰も分からず、ひとりがあっち方面だという方に歩いて行くと軍隊の基地があり遠くから撮影したら兵士が飛んできて、撮影不可だデリートしろと命じられます。
パスポートの提示も求められ小型カメラで撮影されたので、わたしも写真をデリートしたのだから身元確認後問題なければデリートしてくれと言うと笑っていました。
彼らは最初わたしの身元が分からず怖い顔をしていましたが、わたしが日本人と分かると態度が友好的に変わりました。
コソボの兵士ではなく国連軍だそうで、オーストリアから派遣されてきたとても若い兵隊でした。
結局、蚤の市はどこをどう歩いても見つからず、コソボの言葉でフリーマーケットとは軍隊のスラングなのかと解釈せざるを得ません。
無駄な3時間になってしまいました。

コソボの首都プリシュティナからマケドニアの首都スコピエまでは快適な道のりでした。
スコピエでオフリド行きのバスチケットを買おうとしていた時です。
数人並んでわたしの順番になった時、後ろからいかにも悪そうなオヤジが割り込んできて行先を告げて金を出し窓口も対応したので、こいつは並んでいないとわたしが窓口に言いましたが聞いてもらえずでチケットを手渡そうとしていました。
わたしは腹が立ってそいつのスーツケースを軽く蹴飛ばしました。
そのスーツケースは安定が悪かったようで、軽いショックにもかかわらず、バランスを失ってかなりの音を立てながら倒れてしまいました。
わたしは全身が凍る思いでしたが、平静を装っていると割り込みオヤジもまずいと気付いたのが、黙ってスーツケースを直して立ち去りました。
わたしも場の雰囲気と、そもそもマケドニアの通貨を持っていないのでチケットを買えないことに気付いていたので、その場から逃げ去りました。

バスチケットはあらためて買って、オフリドに着いたのは夜の9時過ぎになってからでした。
途中、峠道のようなところを超えてそのあたりで休憩があったのですが、バスから降りてみると気温は明らかに10度を下回っていてシャツ1枚ではかなり寒く感じられました。
オフリドはそこほどではありませんが、やはり夜の気温は10度前後のようでかなりの肌寒さです。
バスターミナルに到着するとアコモデーション? と聞いてくる女性がいて、うなづくと1泊10ユーロだと彼女の住むアパートに案内してくれました。
民泊と言うか自分の住んでいる家の空いている部屋を貸す商売をしている人は東欧には多く、彼女のようにバスターミナルや駅などで宿泊施設を探している旅行者がやって来るのを待たなければなりません。
以前なら待っていればかなりの確率で宿泊する人が来たでしょうが、今では安宿でもネット予約できるのでそう簡単には宿泊したいという人も見つからないのが現状だと思います。
住宅地にあって中心からは離れてましたが、時間が時間ですのでOKします。
紅茶を淹れてくれ、食事がまだだというとレストランまで案内してくれました。
日本のことはあまり知らないようですが、自分がわたしと一回り違う午年だということを知って、ヒノエウマと言うことまで知っているなど、驚かされました。
旅していると、意外なところに日本との接点を感じさせてくれる人がいたりするものなのです。
【α7/Schneider Xenon 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Schneider Xenon 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/26 Sat

ドラギ―、ついにあなたの町へ

Voigtlander 20.5cmF3.6
ベオグラードの中心には2つのツーリストインフォメーションがあります。
昨日書いたベオグラード市のインフォとセルビア全体を旅行するためのインフォです。
わたしはセルビアに続いてコソボを訪れるつもりでしたので、そのことについて市のインフォに聞くと、セルビアのインフォの場所を教えてくれ、そこで相談するようアドバイスしてくれました。
コソボは紛争の地として名前のみはよく知られていると思います。
紛争後にコソボ政府が独立を宣言しましたが、セルビアが認めていないのはもちろん、多くの国からも承認されていない微妙な国です。
自由の国アメリカはセルビアと戦ったこともあって、コソボを承認しており、常にアメリカ追従の日本も同様の立場のようです。
国内に分離独立の動きがあるスペイン、イギリス、中国その他の国はコソボを承認していないでしょう。
そんな状況にあって、セルビアからダイレクトにコソボに行けるのか、通貨はセルビアと共通か、治安はどうかなどを聞きに行ったのです。
そのことは後述するとして、思い出したことがあって、ついでに尋ねてみました。
ドラガン・ストイコビッチはニシュの出身ではなかったかと。
インフォの答えはイエスで、そのニシュはベオグラードからコソボに向かう途中にあるので、まずは寄ってみることにしました。

ニシュはニーシと表記されることもあるセルビアでは大きな町ですが、名前に反して東南の方角にあります。
高速バスでぴったり3時間、こんな移動が慣れっこのわたしにはあっという間の到着に感じられました。
バスターミナルでコソボの首都プリシュティナ行きのバスはあるか聞くと、毎日夕方6時発で3時間の行程とのこと。
ちなみにベオグラードで聞くとプリシュティナ行きは早朝と午後の2便で、7時間かかるとのことですから、直行するよりなぜかニシュで乗り継いだ方が乗車時間が1時間短くなります。
ニシュ到着は11時でしたので宿泊せずに、7時間ほど過ごしてそのままプリシュティナを目指すことにします。
短時間にバルカンを廻り切る日程なので、その日のうちにコソボに行けるのは助かりました。

バスターミナルの向かいが市場になっていたので覗いてみましたが、通常の野菜や肉の他に日用雑貨の店が多いのが目立ちました。
セルビアは地方に来るとモノが何でもスーパーで手に入るということでもなくて、市場が生活を支えているように見えます。
別のところでは100円ショップのような店だと思うのですが、上海市場という名前のところがありました。
運送コストを考えると、東欧のどこかで中国製品のようなものを製造できないものかと考えてしまいます。
市場の周りには車がびっしり停まっていましたが、その半数以上が20年前、30年前のたいへん古いセミ・クラシックカーでした。
この国でもかつて車を製造していて、その名もずばりユーゴという名前だったようですが、案外と小じゃれたデザインは、こういう車が好きな人はたぶんタダ同然でしょうから日本に持って帰りたくなるのではと思わせます。

市場では、ナゴヤ、ジャパンとおじさんから声を掛けられました。
わたしがすかさずドラガン・ストイコビッチ? と開けゴマのように答えると、おじさんが嬉しそうにわたしの手を取って近くの野菜売り場に連れて行きました。
パプリカを売っている男性がストイコビッチの親戚とのこと。
名前もドラギシュア・ストイコビッチと言うそうでよく似ていました。
日本からよく来たねと、手元にあったワインを開けてくれふたりで乾杯しました。
セルビアの国民的英雄の親戚が市場でパプリカを売るものだろうかと疑問に感じつつも、疑うのは止めにして、帰国したらサッカー好きの友だちにストイコビッチの親戚からワインをご馳走になったと自慢したいと思います。
ちなみに、カズの奥さんのいとこがわたしの中学の同級生で、覚えてはいませんが飴くらいもらったことはあると思うので、日本とセルビアのサッカーのレジェンドの親戚からご馳走になる栄誉を手に入れたことになります。

市場を過ぎると市の中心との境にローマ時代の遺跡を公園にした施設があって、家族連れでにぎわっていました。
その入り口にツーリストインフォメーションがあるのですが、どういう訳か土曜日が休みでした。
町中にレンタサイクルがあったので、これだと思い申し込もうとしましたが、土曜は3時までというので諦めました。
ニシュの土曜はどうも他の町とは違うようです。
対応してくれた女性に撮影させてとお願いすると快く引受けてくれましたが、彼女は地元ではなく、ドイツから友だちと自転車で旅行に来ていて自転車トラブルでここに寄ったとのこと。
ペッツバールレンズにたいへん興味を示してくれて、今度は東京か彼女の実家のあるアーヘンで会おうと約束して別れました。
その数キロ離れたところには、しゃれこうべを並べて建てた不気味なモニュメントがありました。
カンボジアのキリングフィールドを思い出させますが、こちらはオスマントルコが進行した際にセルビア軍を撃破して、兵士の首を切り落としてトルコに持ち帰ったものを返還後にモニュメントにしたそうです。
この地が戦場だったので弔っているのでしょうが、公開の仕方が社会主義のさらし首や公開処刑を連想させます。
小学生くらいの子どもたちが遠足か何かで見学に来ていましたが、これを見てどう思ったか、あるいはトルコに対する復讐心が芽生えたりするものなのでしょうか。

しゃれこうべの施設からはバスで中心に戻りましたが、まだ時間があるので中心では降りずにバスに乗り続けてみました。
錆びついたSLが置かれた線路が見えましたがやり過ごし、住宅街の終点まで行ってみました。
バス停のそばにカフェがあってサッカーの写真が額装して何枚も飾られていました。
言葉は通じませんがコーヒーを飲んでいた老人が写真1枚1枚について、説明してくれました。
中にはストイコビッチの写真もあったので、若いウェイトレスに誰だか分かるか聞きましたが知らないとあっさり言われてしまいました。
サッカーに興味のない若者にはもはや名前だけ知られる存在になってしまったようです。
知らなかった罰ゲームではないですが、セルビア人らしい美人だったので撮影させてもらったのが本日の作例です。
実際にはあどけない顔をした18歳くらいの女の子でしたが、わたしのフォクトレンダーは随分とセクシーに写るようです。
最後に先ほどのSLのところに歩いて戻って撮影していると、やはり日本から来たの、ピクシー・ストイコビッチなどと声をかけられ、ビールをご馳走になりました。
とても人の好い連中という感じで楽しかったのですが、残念ながら英語はほとんど通じません。
それにも関わらず、ひとりの男性が、日本のごま塩とシイタケは美味しいと日本語で言ったのに驚かされました。
他の日本語は一切しゃべれなかったのに。
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF3.8 F3.8】
thema:ペッツバール genre:写真
Voigtlander 20.5cmF3.8 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/26 Sat

ベオグラードに消えた約束の男女

Xenon 5cmF1.5
早朝のベオグラード駅前は不思議な空気が流れていました。
カフェに入ってじっと観察していると理由が少しずつ分かってきます。
周囲の景色は共産時代そのままの無機的な表情の建物が並んでいて、歩いているのは勤務先に急ぐ労働者風の現地人ですが、カフェ周辺にはやや東洋的な顔立ちの人がたむろしています。
3人組がカフェに入って来て、チャイとひとこと言って紅茶をオーダーしました。
わたしに気付いて日本人かと話しかけてきます。
彼らはシリアとアフガニスタンから逃れて来た難民だと自己紹介しました。
やはり報道されているようにハンガリーが国境を閉鎖したために、行き場を失った彼らは東欧の主要都市にとどまって状況を見ているしかないということのようです。
疲れた表情はしていましたがフレンドリーだったので、状況を伝えるために写真を撮らせてくれと頼んだものの、拒否されました。
写真がOKかどうかは人それぞれの考え方によるようです。

夜行列車の中で、アルゼンチン人男性、ポーランド人女性、オーストラリア人女性と知り合い、アルゼンチン人のルーカスの提案で、11時にレパブリック・スクエアを出発する無料ウォーキングツアーに参加してそこでまた落ち合おうということになりました。
わたしは駅前の雰囲気になじめずベオグラードは飛ばして鉄道で地方まで移動するつもりだと告げましたが、ポーランド人のナターリアができたら参加してほしいというのに気持ちが揺れ、彼らが去った後、カフェのwifiで駅前の安ホステルを見つけたので、ベオグラードに1泊はしてみることにしました。
宿は簡単に見つかり、老夫婦が住み込みで管理しています。
英語はある程度通じますし、わたしが日本人だと分かると以前に宿泊した日本人が一緒に撮影したという写真を嬉しそうに見せてくれました。
トルコの宿でも日本人女性が宿のオーナーと親しくなったことでその恩恵がわたしに廻って来たのですが、こんな話が出るたびに自分も日本人であるという大きな看板を背負って旅しているのだということを自覚させられます。

ナターリアたちに再会できるのを楽しみにシャワーを浴びてすっきりしてからレパブリック・スクエアに到着しましたが、彼女とルーカスはやって来ませんでした。
ふたりは親密になってどこかへ行ってしまったのでしょうか。
オーストラリア人のハウは来ていましたが、彼女の英語は早すぎて聞き取れずうまく会話ができないと思っていたら、ツアーの助手をしていた男性と親しくなって、ツアー終了後にふたりでどこかに消えてしまいました。
みんな誘ってくれながら、ひとり取り残されて寂しい思いです。
彼らとはフェイスブックで友達としてつながっているので、いつかどこかで会えるかも知れません。
アジア、ヨーロッパ、南米、オセアニアと別々の四大陸の人間が一堂に会したのですが、それはわずかな時間の中のできごとで終わってしまいました。

しかし、無料ツアーはすばらしいものでした。
歩ける範囲に主要スポットがあって3時間の中ですべて丁寧に解説してもらったので、ふたたび観光に出る必要はなくなりました。
ガイドの英語が分かりやすかったのでそれだけでも満足ですが、古くからある飲み屋街ではチェコ人がここでビールの飲み屋をやって、地元の人は初めてのビールが旨くて飲み屋街が形成されたと説明しつつ、セルビアの国民酒はラキアという酒だと言ってボトルを取り出して参加者に1杯ずつ飲ませてくれたり、ユーゴスラビアが内戦状態のとき超インフレでこんな札が発行されたと10,000,000,000(100億)ディナールの紙幣をくれたりとサービス満点でした。
作例写真で参加者が熱心に説明を聞いたり、ラキアを楽しんでいる様子が伝わるでしょうか。
そして、最後によろしければチップをと言うと、みんなバンバンとカバンにお金を突っ込んでいたので、かなりの額が集まったと想像できます。
内容が良ければ、参加費いくらのツアーよりも、無料にして人をいっぱい集めてチップをもらうシステムの方がよほど儲かるのということを気付かせてもらいました。

夜は音楽に行こうと思ってツーリストインフォメーションで聞きましたが、オペラハウスはシーズン前たしコンサートホールは情報が無いので直接聞いてほしいとあまり役立つ案内ではありません。
ホールのチケット売り場が分からず右往左往していると英語ができないのにどうしたのかと聞いてくれる紳士がいました。
ミュージック、ムジーク、コンサート、コンツェルトなどいろいろ言いますが言葉が通じず、やけくそで、第9の一節を歌うと、おお、フィルハーモニーと反応してくれそこまで連れて行ってくれました。
インフォより親切と感動しましたが、せっかくそのベオグラード・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会があるというのにチケットは売り切れとのこと。
プログラムをくれたので見るとブラームスのドッベル・コンツェルトとレスピーギのローマ三部作全曲になっていました。
いずれも生で聴いたことがないのでぜひ聴きたかったのですが、それにしてもソールドアウトのコンサートのプログラムを渡されてもどうにもならないので逆に困ってしまいます。

インフォメーションではもうひとつヤラレました。
アンティークショップの場所を聞いて地図に書き込んでもらったのですが、ようやく探し当てるとそこは古本屋さんでした。
確か古本屋はドイツ語でアンティークファリアートとか何とか言うので、セルビア語も似ていてインフォの職員が間違えたのでしょう。
文句のついでにもう一度聞きなおそうと思ってインフォに戻るとすでに閉まっていました。
仕方なく歩き出すと、隣の建物の入り口にハンドクラフト市のようなことが書いてあったので覗いてみました。
そのうちの数軒がアンティークショップの出店です。
散々歩かされて違う店に行き、それを教えた隣がわたしの行きたかったところで、どっと脱力してしまいました。
帝政ロシア時代の銀の砂糖入れというのが美しく、ベオグラードの著名な工房で作られたというアクセサリーとともに買ってしまいました。
どうにも苦労して店が見つかった時ほど購入する確率が高くなってしまうようです。
出費は痛くないとは言いませんが、気にしないことにしました。
財布には100億ディナール札が入っていますので。
【α7/Schneider Xenon 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Schneider Xenon 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/25 Fri

遠かったコンサートホールへの道

Xenon 5cmF1.5
ホステルにはめずらしく朝食が付いていました。
パンにバターとジャム、飲み物が付くだけのコンチネンタルブレックファーストですが、ここではシリアルもあって、フルに食べたらけっこう満足の朝食になりました。
向かいのテーブルに中国系の青年がいたので話しかけてみました。
台湾から来た三十代の男性で、ブダペストに仕事を探しに来たのだと言います。
詳しく聞くと、自分を磨くために海外で仕事をしたかったのですが、三十過ぎて就労ビザがもらえるのは、カナダ、ハンガリー、スロバキアの3ヶ国だけで、カナダはすでに中国人で溢れているので、ハンガリーを選択したとのこと。
着いたばかりで右も左も分からないが、台湾人のコミュニティがあるのでそれを頼って仕事を見つけると意気込んでいました。
わたしでもビザが取れるなら、この旅行が終わったら挑戦してみたいなと思わせる話です。

今回の旅では旧ユーゴスラビア諸国をぐるっと回ってみたいと考えています。
陸路の移動になるとまずは手っ取り早いのが、鉄道で目指すベオグラードなので、鉄道駅に行ってみました。
わずか1週間前にはシリア等の難民でごった返していた駅周辺は、ヨーロッパ諸国の受け入れ態勢の問題で、ドイツがこれ以上受け入れないというと、オーストリアの国境が閉じ、続いてハンガリーもというようにドミノ現象が起こるため、今は閑散としていました。
あれだけの人がいったいどこに行ってしまったのかとても気になります。
駅は若干混んでいましたが、銀行のように番号札を取って呼び出しを待つ公平な方式のため、ちょっと待って順番が来ました。
ブダペスト発ベオグラード行きの寝台が2500円ほどだったのでその場で購入します。

続いて前回行きそびれた蚤の市に向かいます。
毎日開催する市だそうで、地下鉄駅からバスに乗り換えなければならず、到着したバスに尋ねると女性ドライバーがバスの番号を書いてくれました。
しばらく待つとバスが来たので乗り込むと、その女性が運転するバスで、到着すると車内アナウンスで蚤の市はここで降りてと言ってくれました。
とても親切な女性です。
午前中の遅い時間に着いたので半分くらいの店は閉まっていたようです。
期待したほどにはこれぞというものが見つかりませんでしたが、価格は全般に安めと感じましたし、ネゴにも応じてくれます。
今度の帰国の際には大正ロマン祭りに行ってそれっぽく変装するつもりですが、それに合いそうな古いメガネが2つの店にありました。
ひとつはレンズなしで4000円、もうひとつは老眼用レンズが入っていて9000円でしたが、レンズがないことを理由に2500円まで価格を落としてくれたのでそちらを買いました。
個人的には満足の収穫です。

カメラ屋さんも2店舗ありました。
ひとつは蛇腹カメラ専門店ですが、価格は高めです。
トロピカルタイプのカメラに木製の三脚が付いていて惹かれましたが、このセットを持ってこの先旅するのは厳しいと考え諦めました。
ダゲレオタイプの写真が数枚あったものの、これらもコンディションの割に高く食指が動きません。
やはりメガネだけで十分ということでしょう。
しかし、もう1店舗の方で好いものを見せてもらいました。
ここはロシアカメラ中心の店でしたが、あなたは日本人かと店主が聞いてきて、そうだというと好いものを見せようと包みを開いて出てきたのが作例のカメラです。
ハンガリー製ポロミラー一眼レフのガンマ・デュフレックス。
一説では数百台しか製造されなかったようですが、希少なカメラを触らせてもらいました。
大枚を積めば別でしょうが、この男性の貴重なコレクションで売り物ではないそうです。

ベオグラード行きの出発する10時半まで散策していられましたが、ふと思いついてコンサートはないかホステルのレセプションで尋ねました。
Arod Quartetというフランスの弦楽四重奏団のコンサートがあると調べてくれ、会場の場所と名前を地図に書いてくれました。
7時の開演までちょうど1時間あって、徒歩圏なので十分間に合うはずでした。
ところが、25分ほど歩いて地図上の場所に着くとそこはミュージカルの劇場で、尋ねると5分くらい先とのことです。
ようやくそちらに着いてホールを見ると四重奏のはずなのに中央にピアノが置かれています。ここでも聞くとこのホールはニューアカデミーという名前で、四重奏は10分歩いたオールドアカデミーとのこと。
レセプションの兄さんは、地図上の場所は間違え、ホールの名前も間違えで、ついに開演には間に合いませんでした。

ここは分かりにくい場所にあって何度か尋ねながらようやく到着すると、1曲目のモーツァルトのディヴェルティメントはすでに終わっていて、2曲目のニールセンの四重奏曲が始まったところでした。
オーケストラだと入れてもらえることもありますが、さすがに室内楽ではダメで、楽章間でも座席に行くことは許されませんでした。
結局聴けたのは最後のラベルのカルテットだけでしたが、この演奏がすばらしく、今まで好きになれなかったこの曲がとても身近になり、一躍好きな室内楽のひとつになりました。
さんざん歩いた挙句に間に合わずで腹が立っていましたが、そんな気分が吹き飛ぶくらい演奏にのめり込んだのです。
オールドアカデミーの近くにはレストランが数軒あって、オーナーと思しき男性が声を掛けてくれた1店に入って、観光客用ではない地元料理に気分良いままに舌鼓を打つこともできました。
しかし、今度はそこから駅までの行き方が分からず、どうにか尋ね尋ねしてトラムと地下鉄を乗り継いでたどり着くことができました。
さすがに列車は間に合わなかったので、途中から乗車という訳にはいきませんので。
【α7/Schneider Xenon 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Schneider Xenon 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/24 Thu

空港到着から宿までわずか1時間

Xenon 5cmF1.5
本日ブダペストまで飛んで旅の続きがスタートしました。
ブダペスト発ヘルシンキ経由大阪行きの往復を買っていましたので、帰国時と同じフィンエアのフライトになります。
フィンエアは、かつてフィンランド航空と名乗っていたフィンランドのナショナルフラッグキャリアで、名前の響きには北欧の航空会社と言う高級感かありますが、アジア路線には質より量を優先する政策が取られているようで、航空券代が安かった代わりに、わたしにとって快適なフライトとは言えませんでした。
ビールとワイン以外のアルコールはすべて有料ですし、スナックにも値段が付けられていて、それを知らずにくどくどと質問していたら、その近くで待っていた女性が倒れて酸素ボンベを取り出す騒ぎがありました。
無事だったようなのでよかったものの、ウィスキーはタダでないことを確認したがために人命を危うくするところでした。
また、シートピッチはアジア人向けに狭めてあるようで、大阪~ヘルシンキは2シートをひとりで使えたものの、前の座席の人がシートを倒すと狭くて、トイレに行くにも苦労させられました。

わたしは香港経由で中国に何度も行った関係で、キャセイパシフィック航空のシルバー会員なので、なるべくキャセイ航空か同じワンワールド系の航空会社でそれを維持するつもりでいました。
バンコクからはベトナム航空でしたが、以降、カルカッタ、ドバイ、ソフィアと日本との往復に中国東方航空とカタール航空というワンワールド加盟航空会社を使ったにもかかわらず、送られてきたマイル明細書には1マイルの加算もありませんでした。
加算されないミスかと思ったのですが、どうやらチケットが安すぎで加算対象外だったようです。
プライオリティチェックインや優先搭乗など多少メリットはありましたが、どうせ加算されないならもっと安い他の航空会社の航空券を買った方がよかったと後悔しています。
加算されるされないの基準は航空会社によってまちまちでホームページ上に記載がないため分かりにくく、以降は購入の仕方を考えなくてはいけないと思っていました。
ところが、今回のフィンエアのフライトは便名が日本航空のためかマイルは半分になっていましたが、しっかりカウントされていました。
こうなるとマイルを優先すべきか、安さのみを追求すべきかまた悩むところです。

EU圏内に到着したとき、最初に入国審査を行った国が責任を負うというルールがあることを、アフリカの難民受け入れを行ってきたイタリアに他国から批判があるということがニュースになった時知りました。
そのためでしょう、ヘルシンキの入国審査では執拗に質問があり、短い列がなかなか進みません。
前にいた3人は若い日本人でしたが、係官の英語の質問にきちんと答えていて、わたしが若いころは必ず英語ができずにタジタジになって係官に笑われる若者がいたものなのに大したものだと感心させられました。
わたしの時も滞在期間や目的の後、帰りのチケットの提示を求められ、この時点ではまだ購入していなかったのですが、以前予約して支払いせずにキャンセルになった予約確認書を見せると日程だけ確認してOKしてくれました。
日本語の読める係官でしたら完全にアウトでしたが、さすがにそんな人はいないでしょう。
先週ヘルシンキを出国しているのをパスポートのスタンプで確認してどうしてか聞いてきましたが、世界一周中でいったん帰国したからだと答えると、それは素晴らしい、好い旅をと言って送り出してくれました。

先述のように、EU内最初の到着国がみっちり入国審査をする一方で、乗り継ぎで到着したブダペストでは入国審査はありません。
このへんがちょっと分かりにくかったのですが、EU圏外から到着した乗客は入国審査のあるターミナルに降り立ち、EU圏内からのフライトでは入国審査なしのターミナルのゲートに降ろされます。
EU内のフライトは国内線と同じということのようです。
ヘルシンキでもブダペストでも入国スタンプをもらうということはできません。
その代わりブダペスト空港ではそのまま荷物受け取りに直行でき、荷物もプライオリティステッカーが貼ってあるのですぐに出て来て、あっという間に空港から脱出することができました。
さらに、先週ブダペスト市街から空港まで地下鉄とバスを乗り継いで移動したばかりなので、逆ルートもごくスムーズに行くことができて、場所の分かりやすいホステルを予約していたこともあって、航空機が到着してから1時間もたたずにホテルにチェックインする早業を実現させました。

夕食は、ホステルに勧められたレストランに行ってみました。
伝統的な料理とライブ音楽がウリとのことでしたが、料理は好いとして、音楽はチャージされないと言っても、料理代に上乗せされているでしょうし、うるさい音楽を聴きながらの食事はしたくありません。
別の店をと考えていましたが、店の前を通ると比較的大きなスクリーンで。ウィークデイ開催のバルセロナの試合を放送していたのが見えたので思わず入ってしまいました。
しかし、思った通り料理は高く、伝統料理はスープだけだと言います。
さらにバルセロナはディフェンス崩壊でセルタに大敗します。
唯一の救いは行く前には聴きたくないと思っていたライブ音楽で、プロ級のミュージシャンがジャズ風のアレンジで弾くわたしにも懐かしいポピュラー名曲集をなぐさめにさせてもらいました。
帰りに近くのスーパーで甘口のトカイワインを買って帰ってひとり飲むつもりでしたが、10時を過ぎると法律上アルコール類の販売ができないとのことで売ってもらえません。
何か問題が起きたかしてそのような法律を作らざるを得なかったのでしょうが、事情を知らない旅行者は困ってしまいます。
バーなどでは普通に何でも飲めるので、この法律にどんな意味があるのか理解できません。

さて、本日の作例ですが、宿泊したホステルを撮影したものです。
町中のアパートを改造した宿泊施設は2パターンあって、ひとつはそのままの名前のアパートメント、もうひとつは今回利用したホステルと言われるタイプのものです。
アパートメントでは管理者がそこに常駐しているわけではないので、チェックイン・チェックアウト時間を決めて待ち合わせのうえ支払いや鍵の受け渡しが必要になり、わたしのような1泊だけというスタイルには向いていません。
ホステルはレセプションがあるのでいつでもチェックイン・チェックアウト可能なうえ、チェックアウト後に荷物を預かってもらえるし、いろいろな旅の情報をもらえたりで便利ですが、ほとんどの施設が若者向けなので居心地がよいとは限りません。
今回のホステルはドミトリールームの向かいの棟にシングルの部屋があったので、落ち着いて宿泊でき助かりました。
しかし、そんなときに限って飲みたかったワインがないのが残念でした。
【α7/Schneider Xenon 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Schneider Xenon 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/23 Wed

Holmes Booth & Haydens 20.5cmF5
申し訳ありませんが、文章は作成次第アップいたします。
【Alpha7/Holmes Booth & Haydens 14cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Holmes, Booth & Haydens 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/22 Tue

Nikkor 5cmF1.5
申し訳ありませんが、文章は作成次第アップいたします。
【Alpha7/Nikkor S・C 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Nikkor S・C 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/21 Mon

Holmes Booth & Haydens 20.5cmF5
申し訳ありませんが、文章は作成次第アップいたします。
【Alpha7/Holmes Booth & Haydens 14cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Holmes, Booth & Haydens 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/20 Sun

Holmes Booth & Haydens 20.5cmF5
申し訳ありませんが、文章は作成次第アップいたします。
【Alpha7/Holmes Booth & Haydens 14cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Holmes, Booth & Haydens 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/19 Sat

Holmes Booth & Haydens 20.5cmF5
申し訳ありませんが、文章は作成次第アップいたします。
【Alpha7/Holmes Booth & Haydens 14cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Holmes, Booth & Haydens 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/18 Fri

暫定1位はルーマニアに

Holmes Booth & Haydens 20.5cmF5
これまで訪れた国を順番に記していくと、1.日本→2.韓国→3.中国→4.モンゴル→5.ベトナム→6.ラオス→7.タイ→8.マレーシア→9.シンガポール→10.ミャンマー→11.スリランカ→12.バングラディシュ→13.インド→14.ネパール→15.UAE→16.ヨルダン→17.イスラエル→18.パレスティナ→19.トルコ→20.ブルガリア→21.ルーマニア→22.モルドヴァ→23.ウクライナ→24.ポーランド→25.オーストリア→26.スロバキア→27.ハンガリーと日本を含めた27ヶ国を旅したことになります。
それ以外に、オマーンとフィンランドが航空機の乗り継ぎで通過、チェコが夜行列車で通過と、それらまで含めれば30ヶ国になるので、何ともまあ多くの国に足を踏み入れて来たものだと感心します。
しかし、もちろん、ほとんどが短時間の滞在で、そんなのでは旅したことにはならないという批判があるでしょうし、わたしの滞在の感想が好き嫌いばかりで客観性に欠けているという非難があっても受け入れる覚悟があることも記しておきます。
わたしができる世界一周を自分なりのルールに則って時間内にするとしたら、こんなものであろうというのを実践しているに過ぎません。

これまで旅した中ではどの国が良かったか、どの国が良くなかったかとの質問を受けたことがあります。
正直、たいへん答えにくいです。
1日でも滞在すれば、たいがいは良いことも悪いこともあって、人の親切には多少なりとも触れて、それらに○×を付けたり序列を付けたりいうのはなかなかできることではありません。
一方で、どこの国にも好い面があるのでなどという八方美人な回答も、それはそれでよろしくないという気がします。
敢えて勝手気ままにベスト3、ワースト3というのを選ぶとすれば、次のようになるでしょうか。
☆Best
1.ルーマニア 会った人のほとんどがすばらしく、観光地化し切ってない好さがあった
2.スリランカ アジアの仏教国はたいがい好きだが、ここには未知の心地よさが溢れていた
3.ヨルダン 気候・風土がすばらしくイスラム圏ではあまり感じられない異教徒を温かく迎え入れる空気があった
★Worst
1.インド 常に騙されていたし、気候が厳しく、食事も辛く、滞在時にレイプ殺人まであって救いが見当たらなかった
2.モルドヴァ 行く前は期待度がすごく高かったのに、着いてみるとあまりに何もなくがっかりで、ルーマニアを旅するならここに来る必要はなかった
3.UAE 別に悪いわけではないが、出稼ぎ外国人ばかりで普通のUAEの人に会ったかどうかも定かでない

旅は一過性のものなので、その時の運不運や滞在時の気候条件、滞在場所によって感想がまったく違うものになることがあるのは仕方ありません。
そういった外的要素を除外した客観的な国の評価ならまったく違う結果になったと思います。
上記は、旅した範囲内で好かった好くなかったを主観的に判断しているだけなので、もう一度行けば間違いなく違う結果になることを承知で書いています。
このことで不愉快に感じたりしても、あいつはその程度に皮相な見方しかできていないからと思ってご容赦ください。
それに旅の余韻が残っている中なので、時間の経過とともに感じ方が変わっていく可能性が高いことも付記しておきます。

ルーマニアは、ブルガリア同様食事やビール・ワインが美味しく、物価のリーズナブルな国でした。
地方色の濃い食事を出すことでもブルガリアと似ていて、その意味で両国に優劣をつけるのは難しいと思います。
町並みの美しさや個性と言う面でも両者は互角でなかなか甲乙が付けがたいです。
人々が親切なことも同様だと思うのですが、ここにひとつ英語教育がルーマニアの方が行き届いていそうだという優位性を感じました。
合わせて、ブルガリアはキリル文字が使用されているという私たちにとってのハンディキャップを抱えていて、ルーマニア語はラテン語圏の言葉に似ているために親しみやすいということがプラスに作用しています。
旅のしやすさということではルーマニアが何歩かリードしていると言わざるを得ません。
とは言え、しゃべっているのを聞いてもまったく分からないということではルーマニアもブルガリアも大差なく、ルーマニアが一足先にEUに加盟したことも旅行者にとっては何もメリットを感じるところではありません。

これはさらに主観の問題ですが、女性の美しさではルーマニアがだいぶ優っていると感じました。
ということならたぶん男性のルックスも。
ここでも俗説を引き合いに出しますが、ルーマニアの方がブルガリアよりも接している国が多様で、ハンガリーなどともかなりの領土争いをしていることからいろいろな血が混じっているということがその理由として考えられます。
わたしの主観の物差しでは、10人女性がいれば7人が美人で3人が普通というのがルーマニア。
目を瞑って写真を撮らせてくれと言っても7割の確率で美女の写真が撮れるということになるでしょう。
少なくともわたしが訪れたことがある国の中ではもっとも美人度が高い国です。

作例は、別に目を瞑ってお願いした訳ではありませんが、明日はモルドヴァに行くという日だったので、せめてひとりはルーマニア美人の写真を撮っておこうとお願いしたものです。
実は連れに強面の男性がいたのですが、市民のための音楽祭の会場での祝賀ムードから、少なくとも撮らせてと言って殴られることはないだろうと思い頼んでみました。
さすがに最初は不審がられましたが、事情を説明すると喜んで引き受けてくれました。
市民の憩いの日ならではです。
何もない日の夜にバーかどこかでこのふたりに同じ依頼をしていたらボコボコにされていたかも知れません。
好い音楽祭でした。
【Alpha7/Holmes Booth & Haydens 14cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Holmes, Booth & Haydens 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/17 Thu

Nikkor 5cmF1.5
申し訳ありませんが、文章は作成次第アップいたします。
【Alpha7/Nikkor S・C 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Nikkor S・C 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/16 Wed

ソフィアに暮らしたい

Holmes Booth & Haydens 20.5cmF5
昨日も書いたように、いま、日本に戻ってきています。
つぎにまたブダペストに戻るまでのしばらくの間は、ソフィアからブダペストまでの旅のことで、旅の間に書き漏らしたことなどを記しておこうと思います。
とはいえ、ソフィアから旅を始めてすでに3週間以上経つので、記憶力が無く、記録を残すほどマメな性格では無く、意味のある旅をしている訳でも無く、という人間なので、それを文章にするのは相当の労力をともないます。
思い違いや恥ずかしい勘違い等あろうかと思いますが、読み流していただくか、ご指摘いただければ幸いです。

ソフィアで忘れられないのが宿泊したホテルでした。
前回の旅でソフィアから帰国する前の日に宿泊してたいへん気に入り、今回の旅でも到着時に利用したホテルです。
ホテルという名称で設備はきちんと備わっていますが、建物や構造はアパートメントそのもので、近代的なホテルを期待する人にはなんだこれはと思わせるかも知れません。
しかし、ブルガリアが気に入って長期滞在するためにアパートを借りて、一時的にだけれどソフィア市民になったと言う気分を味わうことができるという意味では最高のホテルでした。
シングルベッドが2台並行にではなく、広くない部屋に合わせてあっちとこっちと言うようにずらして配置しているのが、自分自身で工夫した結果のような楽しさがあります。
洗面とトイレは細長い別室にありますし、それをつなぐ小部屋はぎりぎりにソファや冷蔵庫などが置かれていて、アパートの住人気分を高めます。
もし、異性のちょっとした友人が来て帰りの交通手段がなくなったなんてことになれば、彼女はベッドに寝てもらって、わたしは冷蔵庫の脇のソファで休むことにするでしょう。

ホテルのすぐ並びにはオペラ座があります。
残念ながらまだシーズンではなかったのでオペラ鑑賞はできませんでしたが、お金が無いので安い桟敷席で鑑賞し、幕間の休憩ではシャンパンを楽しむ貴婦人たちを横目にいったん外へ出てからアパートへ戻り、用意していた安ワインをちびちびやりながらチーズにかぶりつき、本日の配役を再確認して採点表を作ったりしてひとり悦に入りながら第2幕開始ぎりぎりに席に舞戻るなんて芸当もできてしまいます。
一方で、ソフィアの象徴、アレクサンドル・ネフスキー聖堂はじめとした教会群や公園が徒歩5分圏内です。
毎日散策していたらずくに地元っこの友だちかできるでしょうし、慣れた雰囲気で歩いていれば旅行者から道を尋ねられることだってありそうです。
まさかソフィアで日本人が西洋人から道を尋ねられるはずがないと思われるでしょうが、わたしは以前、旅したベルリンとウィーンの2回ドイツ語で道を尋ねられたことがありますので、見た目より雰囲気が人の注意を惹くのだと思います。

ソフィアは日本料理も人気が出てきているようです。
わたしが歩いた狭い範囲だけでも寿司屋を3軒見ましたし、2度食事に行ったレストランはブルガリア料理とアジア料理の2枚看板の繁盛店でしたが、2回目の時は隣の中年夫婦が寿司のセットを楽しんでいました。
味のほどは分かりませんが、オーダーが手慣れていたし、箸の使い方も堂に入っていたのでしばしば寿司を食べているという雰囲気でした。
黒海こそありますが、基本的には海のない国ですので、寿司が自然に根付いたと言うよりも、食べ物として美味しさとヘルシーさとで人気を獲得していったという気がします。
日本食は世界的に増加の傾向にあるのでしょうか。
以前は、日本レストランと言うと、日本の若者が外国で始めるレストランと言うのが主要都市にある程度だったような気がします。
その後、大きな町では日本の回転寿司チェーンが出店したり、韓国人または中国人による日本食レストランなどがときどき見られるようになり、現在の日本食ブームのような状況が生まれたように思います。

ブルガリアと聞いて思い浮かぶのはヨーグルトくらいのものでしたが、どうもヨーグルトは酪農の盛んなブルガリアで美味しく食べられるものの、自国を代表する名物とまでは位置付けていないようです。
農家のお手製があればきっと違うのでしょうが、レストランやスーパーのそれは日本のものとそうは違いません。
その傾向は、ルーマニア、ウクライナ、ポーランド、スロバキア、ハンガリーと同じで、たぶんヨーグルトといえば、多少の差こそあってもヨーロッパで共通のものなのでしょう。
前にも書きましたが、ケフィルというヨーグルトそっくりな食べ物があって、ヨーグルトが乳酸菌を使っているのに対し、ケフィルはケフィル菌を使用したそっくりな食べ物ですが、
両者ははっきり分けられていました。
ケフィルの方が濃厚だとも聞いたのですが、味が強いということ以外わたしには違いは分かりませんでした。
同じメーカーのものでヨーグルトと比較すれば分かるかも知れませんが、それが分かってどうなるかというレベルのような気がします。

ブルガリアで美味しいと感じたのは、ビールとワインに止めを刺します。
ずっと中東を旅してトルコを過ぎ、ようやくコーランの束縛から解放されて自由に飲めるようになったのです。
加えて彼の地は乾燥していて常に喉が渇いているような状態です。
当初は昼食や夕食でもビールを飲んでいましたが、そこはリーズナブルに飲めるハウスワインに譲って、休憩時やホテルに戻ってからビールを飲むようにしました。
カフェでも安く飲めますが、ビールを売るショップやスタンドがあちこちにあるので、そろそろ喉が渇いたと思えば、その場で買って公園に腰を降ろしてでもいいし、歩きながらでもよしで飲み干します。
何しろ500mlのビールが100円しないくらいなので、日本でペットボトルのお茶を買うより安いのです。
作例は、公園で飲みながら撮った1枚です。
いかにも大学生風の女の子でしたが、新学期を前に思い詰めてるようなアンニュイな雰囲気がわたしにレンズを向けさせてくれました。
公園での飲食はよろしくないこととされているのかほとんど見かけることはなく、たまにいたのはわたしのような外国人旅行者だけだったかも知れません。
いずれにしても、住環境に食事&飲み物と、住んでみるにはソフィアは案外と好いところであることは間違いなしだと思います。
【Alpha7/Holmes Booth & Haydens 14cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Holmes, Booth & Haydens 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/15 Tue

ブダペストの思い出

Nikkor 5cmF1.5
今日の午前中の飛行機で、ブダペストからヘルシンキ経由でいったん帰国します。
昨日目の当たりにした難民の様子はとても気になりましたし、空港の比較的近くに蚤の市があって行ってみようかとも思いました。
しかし、疲れがだいぶたまっているようで気力が追い付かず、どこにも寄らないで空港を目指すことにしました。
宿から地下鉄駅までは目と鼻の先で、切符売り場で空港まで行きたい旨告げると、地下鉄は2つ先の駅で乗り換えて終点まで行き、そこから空港行きのバスに乗るようにと丁寧に説明してくれました。
さすがに空港までの道のりは前夜に調べておいたのですが、まったくそのとおりの説明に安心することができ、切符については地下鉄の分とバスの分と発券してくれ、手間が省けました
ブダペストは地下鉄、トラム、バスが走る交通至便な町ですが、地下鉄に乗車すると車内の電光掲示で次の駅名と接続するトラムやバスの番号も表示され、ここまで徹底している町は珍しいのではと感心させられます。

逆にがっかりなのが空港です。
出発ロビーが狭すぎる上に椅子もほとんどなく、人でごった返していました。
わたしはずいぶん早めに着いてしまったので、混雑の中、することもなく、椅子もなくでぼんやりするばかりでした。
しかし、いざチェックインを終えて出国審査を過ぎると免税店に直行して、ワインを物色します。
バックパックにはスペースがあって、お土産を入れて帰る準備をしていました。
ハンガリーでワインと言えば、貴腐ワインで有名なトカイがあります。
広い売り場に所狭しと何種ものトカイが並んでいて選択に悩みましたが、残念ながら最高級のエッセンシアはありません。
これでワイン通の友人を驚かすことはできなくなり残念ですが、ソムリエ風のお姉さんがに相談して数本をセレクトしました。
デザートワインなので、ワインを飲まない人にも受け入れてもらえるでしょうか、空港免税店とはいえ、めずらしく土地のお土産が買えてよかったと思います。
これで今回の旅を終了して日本に帰ることになります。

ところで、今から24年前、わたしはブダペストを旅行したことがありました。
その数年前に卒業旅行でヨーロッパを周遊していて、2回目に選んだのがウィーンとハンガリーでした。
その前の旅行でドイツやフランスなど西側世界を覗き見たので、社会人になって最初の旅行で当時民主化したばかりの東側世界に足を踏み入れてみたいと思っていました。
ユーゴスラビアとかルーマニアなどもっとディープな東欧世界もありましたが、治安などの心配もあって消極的になって選んだのがハンガリーです。
ウィーンで音楽が聴きたいと言う欲求もあって両者を組み合わせるプチ東欧ツアーをひとり敢行しました。
ウィーン学友協会のホールではロシアのオーケストラがショスタコーヴィチの交響曲を演奏した記憶があり、立見席のわたしは座り込んで目を閉じ、演奏はクライバーとウィーンフィルによるものだとその時心酔していた音楽家の演奏を聴いていたつもりになったりしていました。
そのとき立見席にわたし以外ただひとりいた地元の女性と親しくなります。
同い年の保母さんをしていた若い女性で、英語が同じくらいしゃべれない同士でコミュニケーションがとれる面白さに、半分徹夜で音楽のことや互いの文化のことを話し合いました。

そのせいか、翌日のウィーン西駅到着が遅れてしまいました。
ぎりぎりのタイミングで列車を探してやっと見つかったと思った列車が発車してしまいます。
走って追いかけて行き、最後尾の車両のドアのところで見送りの人に手を振っていた女性にわたしの手を引っ張ってもらってぎりぎり列車に乗ることができました。
終着のブダペストでは、ガイドブックに書かれていたとおり、個人経営のペンションのおばさんがプラカードを持って何人か行き交っているのが見えました。
車両から降りようとしているわたしのところへひとりのおばさんがすっ飛んできて、荷物を降ろすのを助けてくれ、わたしはそのまま彼女のアパートに向かいました。
ウィーンからブダペストの国際列車では乗るときも降りるときも女性に助けられたことになります。
地下鉄に揺られてまた15分も歩くと彼女のアパートがあり、もともと娘の部屋だったというきれいな一部屋をあてがわれました。
旦那さんと男の子もいましたが英語ができるのは彼女だけで、あいさつを済ますとふたりとも恥ずかしそうに自室に引っ込んでしまいました。
料金は20ドル。
民主化したものの自由主義の大海に放り出された政権は不安定で、自国通貨はあまり信頼されず当時存在しなかったユーロの変わりは米ドルだったのです。

アパートのおばさんはとても親切で、スーパーまで案内してくれたり、食事やフルーツなどを分けてくれたりもしました。
親切なのは彼女だけでなく、美術館の係員の老人はわたしをランチに誘いご馳走してくれまでしました。
ヘレンドの専門店のショーウインドーにベートーヴェンの胸像があって気になっていました。
モノとしてはとても安いのですが、割れ物を持ち帰る心配があったのです。
最終日にどうしても欲しくなり店に行きましたが、まだ閉まっていて、開店までまだ1時間もありました。
しかし、なぜかややすると店員が出勤してきて、わたしが事情を説明するとショーウインドーに入って行ってベートーヴェンを取り出し、開店前だと言うのに売ってくれたのです。
梱包が雑だったので、かばんには入れずにずっと抱えるようにして持ち帰ったことを思い出します。
細かい数々の親切や気持ちよいあいさつなども含めて、ブダペストはわたしにとってすばらしい町という印象しか残っていません。

最初の卒業旅行の時にも同じ気持ちだったかも知れませんが、わたしはこのときのウィーンとブダペストの旅で自分の旅のスタイルと言うべきものを決定づけられたような気がします。
つまり、観光は二の次、何となく自分の気になるところへ行き、土地の人に会い、できれば親しくなる。
こんなのでは旅とは言えないかも知れない、そんな旅がこの時を機に確立したと思えば、わたしの旅の故郷はここブダペストだと言えるのかも知れません。
さて、作例ですが、本日は写真撮影をしませんでしたので、前日に撮った1枚になります。
彼らがなんの活動をしているのかはよく分かりません。
しかし、何だかとても楽しそうだったので、写真を撮らせてくれと言うと喜んで応じてくれました。
全員の笑顔がすばらしいですが、たぶん、わたしが最初にブダペストを訪れたときも同じような笑顔で旅していたのかなあと思ったりします。
【Alpha7/Nikkor S・C 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Nikkor S・C 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/09/14 Mon

我慢してる時がいちばん可愛い

Nikkor 5cmF1.5
ペンションをチェックアウトしていったん荷物を預け、午前中は旧市街方面を目指して散策しました。
ブラティスラヴァは初めてきましたが、20年前に訪れたプラハと比べて町の洗練度や快適度が随分と劣るという印象があります。
いちばん困ったのが水やビールの確保で、宿の周辺はもちろん、旧市街周辺にも10時を過ぎて営業している店が1軒も見つけられず、バーで売ってもらうしかありませんでした。
しかし、今朝あらためて散策してみると、旧市街から外れた微妙な位置に24時間営業のミニスーパーがあって、思わずもっと目立つように営業してくれなくちゃと文句を言ってしまいました。
ここでサンドイッチと水を買って朝食にして旧市街を目指しましたが、観光客が多くてあまり長居することなく踵を返しました。
ここで面白かったのは、いちばん中心の市庁舎前の広場に日本大使館があって、スロバキアの中枢とも言うべき場所に日の丸がはためいていたことで、たまたまそこに入居しただけなのでしょうが、何とも場違いな印象を内外の人々に与え続けていそうでした。

昨夜見つけていたアンティークショップに行ってみますが、土曜日・日曜日はお休みとなっていてがっかりしましたし、ブラティスラヴァに来た意味を失ったような気がしました。
ただ、幸運なことはあって、昨夜プライベートなパーティをやっていたホールで市民のバザールのような催しがあって、野菜やローカルビール、手作りお菓子など、30くらいのブースが出ていて、雰囲気を楽しむことができました。
朝からビールに行っちゃおうか悩んでいたところ、ケーキのブースのところで日本語でおはようございますと声を掛けられ、以降は英語ですが互いにどういうケーキなのかとどういう旅をしているかを話しあって、そのケーキを食べてみることにしました。
タルトのような生地にチーズたっぷりの焼き菓子で、ケーキではないのではと確認しましたが、スロバキアではキーシュという名前で英語にするとケーキの意味だと教えてくれました。
チーズケーキというよりもチーズパイに近いと感じますが、ずれにしてもわたしの旅の中でいちばん美味しいスイーツだと断言できるものでした。
わたしにとってのスロバキアはこのケーキがすべてと言っていいかも知れません。
後からやって来た母子が別の種類のケーキをセレクトしていて、女の子がとても嬉しそうな素敵な顔をしていたので、1枚失礼させてもらい本日の作例にしました。
写真には笑顔で収まっても、口元は早くケーキを食べさせてと語っているのを隠さないのがまたキュートです。

ケーキのボリュームのせいか生理現象を催してしまい、ペンションに戻ってトイレを借りたのですが、チェックアウトしているのにまた掃除させやがってとブツブツ文句を言われました。
支払いの時も予約サイトの価格より数百円高く請求されたので揉めたのですが、我々はあのサイトとは関係ないと言い切ったので、サイトのレビューにこのことを書くぞ、ああ勝手にしろ的なやり取りがあって、支払いしてしまいました。
日本好きだと言っていた太ったオーナーですが、宿泊者のために何かしてくれるようなタイプの人間とは言えず、こういう仕事には向いていないので、ペンション業が破たんするのは時間の問題のような気がします。
宿泊代をケチっていましたので、ボロい宿、臭い宿、狭い宿、遠い宿と辛い思いは何度かありましたが、これほどまでに不快な体験は珍しいです。

トランクを手に、ザッハトルテの入ったバックパックを背中に、カメラやパスポートなどの貴重品の入ったバッグを肩に、遠い駅を目指してふらふらと歩いていると途中の公園で旗を振り回している危なそうな男がいました。
当然、無視するところですが、もうひとり仲間がいて、彼の着ているTシャツにイスラムとモスクのシルエットに×が描かれていて活動の意味が分かりました。
まさに昨日、クラコフでアンドリューたちと連絡を取ってくれた友達からメールが届き、今日の報道でシリアやアフリカの難民たちがドイツ目指して東欧方面から大挙して西進しているが、そのような状況は見られないだろうかと質問してきていたのです。
難民の子どもが遺体で見つかったとヨーロッパで報道され、たちまち人権活動家たちが動いてヨーロッパでも難民を受け入れるよう国境の門が開いたところだとの説明です。
難民を見かけることはありませんが、彼らに反対する小グループをこうして見かけたので、恰好からして右翼の怖そうな連中でしたが簡単にインタビューしてみることにしました。
ジャーナリストではない日本人の一旅行者だと断って聞きましたが、彼らは歓迎してくれヘタクソな英語で説明してくれました。
それによれば、イスラム教自体を否定するものではなく、大量のイスラム難民が流入してイスラムの活動をするとわれわれの文化や伝統が脅かされるのを心配している、という趣旨でオランダとベルギーから来たのだそうです。
彼らは撮影にも応じてくれ、趣旨に賛同した地元女性とともに笑顔で写真に納まってくれました。

ブラティスラヴァ駅に着いて、特急列車でブダペストに向かいました。
この区間はまったくの田舎を走りますが、ドナウ川に沿っている部分が長くとても風光明美です。
最初はブドウ畑の多い農村の景色が続き、途中の町では山頂に城がそびえその下にドナウの流れともうひとつの城が見えるという絶景もあり、ブダペストに近づくにつれもうひとつの田園風景が楽しめました。
そして、列車がブダペストの終着駅に滑り込んで、駅に降り立つと自宅をペンションにしている女性から声を掛けられました。
今回も宿は予約済みだったのでそういって断ると、その女性は日本人かと確認したうえで気を付けてねと地図をくれました。
この地図には大いに助けられて、これがなければ宿の発見に倍の時間がかかったかと思われます。

その宿を探す前、ブダペストの駅前はたいへんなことになっていました。
若者が集まってコンサートをやっているかと思ったのですが、それはただのコンサートではなく、難民支援のための集会と募金を集めるためのものだったのです。
難民歓迎の大きな幕が貼られていました。
その様子をロイターと書かれたジャケットの男性がビデオに撮影し、それ以外にも報道と思われるカメラマン10名近くが撮影して歩いているのが分かりました。
旅行者も混じっているのかも知れませんが、ハンガリー語のステージに熱狂しているのは地元のハンガリー人で、彼らの演奏が終わるとイスラムの男性がスピーチし、司会者が英語で彼は数年前にシリアからブダペストにやって来たが、今ではハンガリー語でしゃべれるまでに国に溶け込んでいると説明します。
主催者と思われる人がわたしの近くを通ったので話を聞くと、難民は命を懸けてヨーロッパにやって来ている、われわれが支援しなければ何万人もの人が命を落とすことになるだろうと興奮気味に話しました。
後ろの男性が募金箱を示したので、わたしはハンガリーの通貨が無いがユーロの残りでよければと小銭すべてを箱に放り込みました。
半地下のスペースにはテントが大量に貼られそこにいるのは紛れもなくシリアからの難民でした。
家族で脱出してきた人が多いようで女性や子どもが不安そうにしている姿が目につきます。
体調が悪そうにしている男性がテントの中で横になって介助の人の指示を受けています。
周辺には、食料や衣料が並べられていて、ボランティア団体や個人が支援に乗り出しているところであることを示していました。
わたしは、ブラティスラヴァでイスラム流入阻止の活動を見て来たばかりのところを、まったく反対の支援活動の現場のただなかに立たされて混乱するばかりでした。
とにかく両替して宿に行き荷物を降ろさなければと考え、緊張が渦巻く中を通り抜けて、地図をたよりに歩いて行くしかありませんでした。
【Alpha7/Nikkor S・C 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Nikkor S・C 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/13 Sun

ベートーヴェンフリース強盗計画

Holmes Booth & Haydens 20.5cmF5
10時半には寝て、到着1時間前の5時半に目が覚めたので自分としてはかなり寝たつもりでいました。
寝台より安価なクシェットというコンパートメント1室が3段ベッド向かい合いの自分でシーツ等のメイキングをしないといけない簡易寝台でしたが、疲れがたまっていたせいか、横になるとすぐに眠ってしまっていたのです。
今日は、本当はスロヴァキアのブラティスラヴァに行くつもりだったのですが、クラコフからのチケットが売り切れだったので、ウィーン行きの列車に急遽変更していました。
ウィーンからブラティスラヴァまでは100キロも離れていなかったはずで午後移動することとして、20年ほど前に来て以来久し振りのウィーンを少しだけ訪ねることにしたのです。
その時は何日間か滞在したので、ウィーンの主要なところは知っているつもりでしたが、列車が中央駅と西駅に停車すると聞いて、どちらが中心に近いかが思い出せません。
名前で判断すれば中央駅ですが、確か西駅の前からマリア・ヒルファー通りを通ってステファン寺院前まで近かったようななどと記憶がよみがえります。
マリア・ヒルファー通りなんて名前まで思い出したのにわたしの記憶は間違っていました。
おまけにブラティスラヴァ行きは中央駅から出るそうで、素直に中央駅で降りなかったことが悔やまれました。

お腹が空いたので、駅構内のベーカリーで朝食を摂ろうとして驚きました。
ウクライナからポーランドに入って物価の高さに驚きましたが、ウィーンはさらに高く東京よりも物が高価です。
美味しかったチーズクロワッサンが250円、いちばん安かったドーナツが100円、ペットボトルの水も250円で、ちょっとした朝食が600円になってしまいました。
感覚的には同じものがクラコフでは300円、リヴィフでは150円というところでしょうか。
国境を超えるたびに物価が倍になっていっているようです。
中央駅まではトラムで行くよう言われたのですが、ほんのちょっとの距離で120円もしてこれはまあまあかと思っていたら、わたしは間違って半額の子供用を買っていました。
中央駅では切符売り場が長蛇の列でブラティスラヴァ行きの切符を買うまで1時間かかりました。
しかし、ブラティスラヴァ行きは1時間毎に出ていて指定を買う必要が無く、こんなに並ばずに券売機でよかったそうです。
ウィーンからブラティスラヴァという首都同士を結ぶ路線ですが、感覚としては東京から千葉に行くようなものでした。

短時間のうちにどこに行くか悩みましたが、どこに行ったとしても地図が無いと辛いので、まずはステファン寺院近くにあるツーリストインフォメーションで地図をもらいつつ、近くのザッハホテルのトルテを買いに行くことにしました。
実は、クラコフでアンドリューとスベトラーナとの電話連絡をお願いした友人のお嬢さんがスィーツ関連の会社に就職が内定したと聞いていたので、お祝いとお礼を兼ねたお土産をそのザッハトルテにようと考えたのです。
すでにトランクはいっぱいでトルテを入れるスペースはなかったので、クラコフでウィーン行きのチケットを買ったときにこのお土産を思い付き、駅前でセールをしていた小型のバックパックを購入済みでした。
今度はトルテだけではバックパックにスペースたっぷりなので、帰国前の空港でワインでも買って帰ることにしましょう。
このあたりから確か徒歩圏だったゼセッシオーンに行ってクリムトを見るところまで、簡単に計画できました。
もう1ヶ所くらい廻りたいところで、フンデルトヴァッサーハウスに行くことにしました。
インフォメーションで聞くとゼセッシオーンからは国立歌劇場に戻ってトラム1本で行けますし、そのまま中央駅に戻るアクセスも良いことが分かりましたので。

本日の作例は、インフォメーションからゼセッシオーンに向かう途中で見かけた、映画・第三の男にも登場する下水道が走る地下の世界を見て回るツアーの人たちです。
正面木の陰に見える金色の建物がゼセッシオーンです。
ツアーのことをガイドの方に聞いていたところ、わたしのレンズに目が留まったらしく質問されたので、ペッツバールはもともとウィーンに本拠のあったフォクトレンダーで製造されていたが、ペッツバールとフォクトレンダーが仲違いしたためにドイツに移転したというエピソードを示しつつ、レンズがいかによく写るかを賛美すると、感心して聞いてもらえました。
もっともウィーンっ子にこんな説明をするのは、わたしが鎌倉散策に行ってオーストリア人に源頼朝の解説を聞かされるようなものでしょうか。
蛇足ですが、ザッハトルテは木箱に入っていて高級感があったので、美味しくなかったとしてもウィーンの人々にはハレのスイーツとしておなじみのものだと申し開きでそうです。
ヨーロッパというとお土産なんていくらでもありそうなものですが、ワインは重いし生ハムは検疫手続きがあるし、何を買えばいいのか困りものです。

フンデルトヴァッサーハウスは再訪でしたが、近くに同じくフンデルトヴァッサーが設計して彼のギャラリーになっているクンストハウスヴィーンという建物があるのは現地で知りました。
これは思わぬ幸運でした。
フンデルトヴァッサーの絵をまとめて見るのは、都内のデパートでやはり20年くらい前にウィーン幻想派展を見て以来のことですし、その前にウィーンに滞在したときにそのフンデルトヴァッサーのシルクスクリーンが12万円くらいで売られていて悩んだ末に買わなかったという大後悔を思い出させてくれました。
フンデルトヴァッサーハウスのそばに安いケバブの店があって、お昼にと買ったときに店主にクンストハウスの場所を聞いたところ、ちょっと分かりにくいかも知れないからと途中まで案内してもらいました。
その彼に出身を聞くとシリアとの答えで、国の置かれる状況と彼のやさしさのギャップに言葉を失いました。
クンストハウスのそばの建物にベンチが置かれていたので、スーパーで買っておいた200円ほどのオーストリアスパークリングワインでケバブを頬張ります。
彼のやさしさとシリア出身との言葉がないまぜになって頭の中を去来していることを割り引いても、このケバブは中東で食べたどれよりも美味しいと感じられました。

ウィーンからブラティスラヴァまで鉄道で1時間強。
2つの首都間の距離や時間としては、世界でいちばん短いものではないかと思うのですが、ブエノスアイレスとモンテビデオの距離も近いと聞いたことがありますので、自信はありません。
ウィーンよりずっと小ぶりなブラティスラヴァですが、道路名表示が分かりづらく、ホテルを見つけるのにだいぶ手こずりました。
そのホテルは住宅を改装したペンションで、周辺には何もなく、食事しに旧市街まで繰り出しました。
しかし、ここでも道を間違えてしまい、歩けど歩けど旧市街の中心が見つかりません。
地元の料理が食べられればどこでもいいやと歩いていたカップルに近くにレストランがないか聞くと、5分くらいのところに好いところがあると教えてくれました。
あったと思ったらタイレストランで、ここではないともう少し歩くとおしゃれなレストランが見つかりました。
ところが、メニューを見てびっくり、ここもタイ料理の店だったのです。
不本意ですが、グリーンカレーを頼んだところとても美味しく、スロヴァキアの赤ワインとも実によく合いました。
その店にもうひと組いた男性から日本人ですかと声をかけられ、彼と食事していた女性が日本人と分かり驚きました。
彼はその女性の息子さんの友だちで、彼女がひとりで旅行に来て合流し、スロバキアを案内しながらウィーンやプラハも含め一緒に旅しているそうです。
何ともうらやましい話です。
彼も中部の町の出身だそうで、このレストランがタイ料理とは知らなかったようです。
彼は大の日本びいきのようで、すでに2回来日していて、また近々来るとのことでしたので、その時は鎌倉でも案内するからとアドレスを交換しました。
ところが、その後ホテルへの道をまたしても間違えたわたしにこそ案内が必要だったと言わなければなりません。
【Alpha7/Holmes Booth & Haydens 20.5cmF5 F5】
thema:ペッツバール genre:写真
Holmes, Booth & Haydens 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/12 Sat

あいつは何者だったのか

Nikkor 5cmF1.5
まず、昨日の作例について記載し忘れていましたので、そのことに簡単に触れておきます。
文章の流れからすると作例の彼こそがアンドリューと誤解されてしまいかねませんが、違います。
たまたまクラコフ散策中に古い車を見たので話しかけ、せっかくですからオーナーと彼のお気に入りの同じ車種のミニカーも屋根に乗せて記念撮影しました。
フィアットのマークの上にPOLSKIの文字が入っていたので聞くと、ポーランドで生産されていた車で、最初期タイプはエンジンはイタリアから送られていましたが、以降はポーランドですべて生産されるようになったそうです。
ポーランド中で十数台しか現存しないクラシックカーだと言うのがオーナー氏の自慢でした。
さて、朝目覚めていつものようにシャワーを浴びてから、ゆっくり目のチェックアウトをしました。
このホステルのチェックアウト時間は少々早目の朝10時で、レセプションに大書するだけではなく、wifiのパスワードをcheckout10amにするほど徹底しています。
ウクライナまでの町と違って、ここでは中国人を多く見かけましたが、彼らがそういうホテルのルールを守らないからとかそういうことと関係あるのかも知れません。
しかし、ここにもうひとり時間を守らない奴がいました。
アンドリューです。
彼とは12時にこのホテルで待ち合わせていたので、チェックアウト後ずっと待っていたのですが、現れたのは1時半でした。
彼は、チェコのブルノに出張していて昨日待ち合わせたロシア人のガールフレンド、スベトラーナに英語で通訳させながら、ポーランドに入国するのに10時間かかってしまい、その間寝ていなかったから起きられなかったと言い訳していました。
そういって悪びれずにニコニコしているアンドリューをわたしは許してしまうのでした。

今日は彼らの提案で、郊外のヴィエリチカという町に世界最古のソルトマインがあるので見に行こうという話になりました。
もちろん異論はありません。
が、ソルトマインってなに? よく分かりません。
アンドリューはスウェーデンのターボ付きのスポーツ仕様車に乗っていて、運転は思っていた通り荒くてちょっと酔いそうでしたが、20分も走ると到着して、その外観を見てソルトマインとはソルト(塩)のマイン(炭鉱)で岩塩坑だということが分かりました。
すでに使用されていない岩塩坑の跡を見学できる施設ですが、多くの人が集まっていて、言語別にグループにまとめられてガイドとともに次々と地下世界へと吸い込まれて行っていました。
わたしたちがチケットを買うと20分後の英語のツアーが割り当てられ、ガイドとともにひたすら岩塩坑の最低部目指して階段を下りて行くことになりました。
最大で120メートルほども深さがあるそうで、地表をまっすぐそれだけ歩くのはどうということがないのに、同距離を真下に下るのはどうしてこれほどまでにたいへんなのでしょう(登りはどうなることかと思いましたがリフトがありました)。

岩塩坑は13世紀には開業していた世界一歴史のあるもので、見学したのは主に18~19世紀に掘削された深い部分でした。
坑内には塩を掘ったり運搬するための設備が再現されています。
そういう現場的なもの以外にも岩塩を削った空間に礼拝堂まで設置されていて、その眺めは舞踏会場のようでした。
ガイドの説明では岩塩坑の労働者の給料はとても高く、そのためサラリーという言葉の語源はソルトからとられたと説明してくれましたが、調べるとローマの時代に給料が貴重だった塩で支払われていたからとあって、どちらが本当なのか、たぶん後者が正しそうです。
ところで、あまり観光名所とか遺跡とか好きでないわたしは、途中ですっかり退屈していました。
アンドリューは英語のガイドがまったく聞き取れないのでさらに退屈なようで、開始早々から何やらわたしに冗談を言ってはグループと別行動を取らせていました。
しかし、彼に舐めて見ろと言われ壁の一部を削って口に入れると塩辛く、彼の命令で岩塩坑がインチキでないことを知ることができました。
その彼にぞっこんで通訳もしなくてはならないスベトラーナもそのうち加わってきて、わたしたち3人は集団行動が苦手な修学旅行生のようにずっとガイドから遅れて勝手に話をしながら歩く不良少年状態でした。

岩塩坑の中にはレストランもあって、見学が終わった後、3人で食事することにしました。
すると見学者の中にアジア男性がいたので声を掛けると日本人とわかり4人でテーブルを囲みました。
彼はイギリスに留学して学位を取得し、それを持って途上国での井戸や水道など、水インフラに特化したスペシャリストになるべく就職活動するが、その前に陸路を東に向かって旅しながら日本を目指すと言っていた若い猛者です。
ブルガリアからこの方初めて見た日本人で、クラコフでは中国人はじめアジア人も少なくなかったのですが、それ以前に会ったのはスチャヴァでツアーが一緒だった香港人と、ウクライナでニーハオと3人組の若者に声を掛けられて英語でわたしは中国人でなく日本人だと言ったところ、先方にひとり中国人がいることに気付いて中国語でどこから来たのかと聞いたところ、わたしは韓国人ですとたどたどしい日本語で返事されるという冗談のようなやり取りのあったその韓国人と会っただけです。
食事中はずっと日本とロシア・ウクライナの質問合戦のような展開になりました。
例えば、日本で市長と町のお寺の住職が会議に同席する場合、どちらが上座に着くのかなど答えにくい質問の連発で語学力もないだけに困りました。
夕方になってアンドリューの運転で4人クラコフの町に戻り、時間が遅くなったこともあって、それぞれ宿と駅に送ってもらって解散になりました。
ありがとうアンドレイ、スベトラーナ、そう言ってふたりとは強くハグして別れます。
アンドレイはわざとタイヤを鳴らす急発進で、あっという間に視界から消え去ってしまいました。
きっとふたりにはこの後のお楽しみがあるのでしょう。

それにしても、あのふたりはいったい何者だったのでしょう。
アンドリューはウクライナのパスポートを持っていて、かつてウクライナの軍隊にいたのですが、プーチンを好きかと聞くと好きだと答え、クリミア半島はどちらのものだと答えると、歴史的に考えれば明らかにロシアだと、ウクライナだったら殺されかねないようなことを平気で言っていました。
職業もよく分からず、クラコフで自動車部品を開発してポーランド全土に売っていると言っていましたが、それだけで家や車を持っての生活ができるとは考えにくいです。
そもそも、スベトラーナに彼って車関係の仕事だよねと聞くと違うと否定していたのです。
彼はウクライナ語はもちろん、ロシア語、ポーランド語もネイティヴなみらしく、語学力にはかなり長けていそうなのに英語は苦手だと言っていました。
ポーランド語でイエスをタークと言うと教えてくれたので、冗談でグーテン・タークと言ったら、それはどういう意味なのだと聞き返してきて、いくらなんでもこんなドイツ語の簡単な挨拶言葉を知らないなんてあり得るだろうか、英語が苦手と言うのもわたしを欺いているのかもと不審がらせました。
プライベートの家族構成も話してくれたところでは謎と言うか矛盾もあって、本当にスベトラーナが彼女なのかも疑問に感じることがありました。
これは詳しく書けませんが違法書類を持っていて、それが原因で彼はポーランド警察に拘束されていっしょに来られなかったのではと心配させるものでした。
また、彼は写真は断固として拒否で、スベトラーナも同様だったため、ふたりの写真はただの1枚も撮れませんでした。

彼らと電話のやり取りをしたわたしの友人は、やばい人たちの可能性があるのではと指摘しました。
わたしもそう思うところがありましたし、友人は勘の鋭い人なので心配になりましたが、結果的に被害はなかったので良しとしたいと思います。
冗談ですが、彼らが何者だったのかを推測してみました。
①トランスポーター説 表向きは車の部品屋を装い車のメカニズムに強いがそれは改造のためで、映画のトランスポーターのように物を運んで収入を得ている。
②運び屋説 ①よりシンプルにポーランドとウクライナの間を往復して麻薬か武器を運んでいる。彼の言うことを聞くと、ポーランドから西側の武器を親ロシア派に横流ししているなどの可能性があるのではという気が。
③人身売買業説 彼は甘いマスクでジョークが得意なので、ウクライナの田舎に住む若い女性においしい話を持ち込んで、ポーランドの売春組織に売り飛ばして荒稼ぎしている。
スベトラーナも危ないかも知れない。
④国際捜査官説 とてもそうは見えないが、国際犯罪に立ち向かう組織のエースかも知れない。そういう映画の主人公はしばしばそうとは見えない男が演じている。そうだとするとわたしは彼にテロリストか何かと疑われ接近されたものの、尻尾を出さないのでポーランド国境でトラブッたふりをしてわたしひとりを泳がせたのかも知れません
どれも突拍子もなく聞こえるでしょうが、未だわたしは可能性を否定するものではありません。
ただし、何度か書いているように彼とわたしは実に馬が合い、とても好い友達になったのも事実です。
【Alpha7/Nikkor S・C 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Nikkor S・C 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/11 Fri

助けてくれた彼を助けられず

Holmes Booth & Haydens 20.5cmF5
長く旅を続けているとその間にはいろいろな偶然を体験することがあります。
しかし、それは旅人自らが引き起こしたということでいえば、必然と言った方が正しいのかも知れません。
なぜなら、ウクライナのルヴィフから次に向かったポーランドのクラコフへの珍道中は、必然と偶然が相互作用したものと考えてしまうからです。
それは、オペラ座地下のカフェで駅への行き方を聞いたところから話は始まります。
トラムの駅があるべきところに線路はなく、反対方向に歩いたところで見つかったので、待っていた人にこのトラムは駅まで行くのかと聞くと、イエスと返事が返ってきました。
しかし、11時が終電と聞いていたのに5分過ぎてもトラムは来ません。
焦り始めていると、バスが通って来て少し離れたところに停まりました。
先ほどの青年が、あれだと指さしふたりして走りましたが、バスは我々に気付かず行ってしまいました。
わたしが呆然としていると、彼は、駅まで歩くしかないな、いっしょに行こうと平然としています。

駅まではたぶん3キロくらいですので、30分少々で着ければ、クラコフ行きの列車には間に合います。
しかし、念のため彼には、クラコフ行きの列車が12時発なのでそれに乗りたいが大丈夫かと聞きました。
すると彼はエッという顔をして、わたしもクラコフに行くがバスだ、バスも駅前から出るんだよ、何だかずいぶんと奇遇だねなどと話しだします。
駅まではやはり約30分の道のりでしたが、その間、ずっと互いに自己紹介し合ったり、わたしがこれまでの旅の話をしたり、彼がクラコフの仕事の話をしたりでほとんど時間の長さを感じないうちに到着しました。
彼の名はアンドレイ。
明日また会おうという話になり、クラコフの到着時間を互いに確認し、わたしが予約したホテルを控えて、明日はわたしが車で町を案内するからと言ってもらいました。
互いに終バスを逃して歩いた縁で、すっかり親しくなってしまったのでした。

最初の悲劇は、駅の中でわたしの方に襲いかかりました。
列車のホームが見つからないので確認すると、発車時間は11:59ではなく、10:59でした。
もうすでに列車は行ってしまった後です。
切符の購入やり取りの時に最初に10:59と聞いていて、確認時に11時だと言いなおされて時間を混同してしまったか、最初から聞き間違いだったのか、いずれにしても切符を確認していればよいものを思い込みだけで駅に行ったわたしの大きなミスです。
普通ならこれで、ルヴィフにもう1泊ということになりますが、アンドレイはむしろ喜んでいて、いっしょにバスで行こうとわたしを落ち着かせてくれました。
列車の切符も、彼が窓口に行って事情を説明したところ、半額近くが払い戻されました、
日本のシステムはよく分かりませんが、たぶん、乗り遅れた列車の切符を持って行っても1円とて返してくれないのではないでしょうか。
12:30発のバスの座席には余裕があったようで、英語の通じない運転手から切符を買っておいたからと支払いの建て替えまでしてもらいました。
バスの中では、彼は持参のPCで旅の写真などいろいろ見せて話を続け、日本には興味があるそうで多様な質問をするなど、他の乗客が寝静まっている中、ふたりで盛り上がっていました。
不思議だったのは、こんにちはやありがとうという日本語は知らなかったのに、1から10まで日本語で言えたことです。
大きな謎ですが、類推すると、ウクライナ軍にいたことがあったと言っていたので、軍隊で空手か何かを習って1から10までの掛け声とともに訓練していたのかなと考えられます。
他にも彼にはいろいろと不思議なことがありましたが、彼のプライバシーを著しく侵害しますのでここには伏せておくことにしましょう。

もうひとつの悲劇は、ウクライナとポーランドの国境で彼の方に起こりました。
ウクライナの出国はバスに乗ったままパスポートのみが回収され、しばらくすると別の係官により返却されました。
ポーランドの入国では全員が降りて、入国審査を受けます。
日本人はビザが不要ですが、隣国ウクライナの人々は事前にビザ取得してあり、なんで日本人は不要で俺たちは必要なんだとアンドリューが怒っています。
バスには20人ほど乗客がいて、簡単な質疑応答の後、順次パスポートにスタンプが押されていきますが、わたしはノルウェイから会議のために来ていた高齢の女性ふたり組のうちひとりの足が悪かったので、介助を買って出てアンドリューと別々になってしまいました。
また女性に手を貸してバスに乗るとアンドリューの姿がありません。
おかしいと思っているうちにバスが発車してしまったので、こちらは半ばパニックになり、彼がまだ乗っていないと運転手に言うものの説明するウクライナ語が理解できず困ってしまいました。
別の乗客が、彼はビザに問題があってポーランドに入国できなかったんだと通訳してくれました。
列車に乗り遅れたと分かった時いっしょに行けると喜び、バス代を立て替えてくれ、何よりルヴィフで出合った時から親しくなったアンドリューとこんなかたちで別れなくてはいけないなんて。
ひとり乗客が減ってしまったバスの中では、彼の笑顔や語ったことなどが次々と思いだされて寝ることができませんでした。
 
ノルウェイのふたりのために空港行きのバスを探し荷物を持って案内すると、目に涙をたたえてありがとうと言いながらハグして別れました。
昨夜のアンドリューとも、あそこでお別れだとしてもせめてハグしたかったと悔やまれます。
ポーランドに入るとウクライナより格段に物価が上がるため、ここクラクフでもわたしは安ホテルを予約していました。シングルではいちばん安かった若者向けのホステルですが、旧市街に隣接したロケーションは便利ですし、少々待たされたりベッドメークを手伝わされたものの早目のチェックインを認めてもらいました。
バスであまり寝られなかった分、すぐにも寝るつもりでしたがやはり寝つけず、昨夜の動揺が続いていることを実感しました。
とにかく何か手を打たないとと考え、レセプションの親切な青年に国際電話をかける方法が無いか聞いてみましたが、SIMカードを買って携帯のカードを入れ替えるしかないだろうとのこと。
中国でそれをやって日中の電話ともしばらく使えなかったことを考えると気が進みません。
何か手はないだろうかと考えて、迷惑をかけるので気が進まないものの、こういう話にはいちばん理解してもらえそうな友人から連絡を取ってもらうことにしました。
職業上、英語を毎日使っているしその他4ヶ国語もどうにかいけ、それ以上にわたしの旅のことをよく理解してくれている人なので、世界一周中でしてという無駄な説明が省けるだけでもありがたい話でした。
事情説明すると、仕事中にもかかわらず、国境で拘束されたかも知れないアンドリューとわたしの再会と言うミッションインポシブルに果敢に挑戦してくれました。
アンドリューとは今日会う約束で電話番号を交換しておいたので、そこに電話して再会のためのアポをとってもらうというウクライナ、ポーランド、日本が関係する国際問題は解決なるでしょうか。

今まで触れずにいたもうひとつの問題が引っ掛かって、さらにロシアとチェコの2国がこれに関わってきました。
実は、アンドリューは英語があまりしゃべれないのです。
わたしとはボディランゲージも交えてどうにか会話が成立していましたが、電話でそれができるのか。
たぶんわたしの友だちが日本から電話してきた理由は理解したと思いますが、自分の意思が伝えられないと考えたのでしょう、彼のチェコにいるというロシア人のガールフレンドが折り返しわたしの友人に電話で事情説明してきて、彼は何とかポーランドに入国できるように努力していて、今日中にも達成できるだろうというようなことを、こちらはきれいな英語で説明したそうです。
たぶん、彼は明日にでもホテルに直接来ることでしょう。
わたしは大いに安堵して町を散策しましたが、ちょうど教会でバッハの無伴奏チェロ組曲の1~3番の演奏会があるのを見つけて聴くことにしました。
さすがに寝ていなかったので、眠ってしまうのが心配でしたが、すばらしい演奏がそうはさせてくれませんでした。
眠ることは忘れ、申し訳ないがアンドリューのことも忘れ、バッハの深淵の世界にただ浸っていました。
近くでとった食事もとても美味しく、すっかりいい気分でホテルに戻ると、こちらを何やらじっと見つめる女性がいます。
どうしたのだろうと思っていると、彼女が脇にいた男性の背中を叩きました。
振り返ったのは、まさにアンドリューその人でした。
【Alpha7/Holmes Booth & Haydens 20.5cmF5 F5】
thema:ペッツバール genre:写真
Holmes, Booth & Haydens 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/10 Thu

誰も見ようとしないUSSR

Nikkor 5cmF1.5
物価がヨーロッパ到着以降いちばん安く、食事はなかなか、町並みもロシア臭いと言うことなく違和感がない、そんなウクライナ南部の町には親しみを覚えていましたが、旅の前半でもたもたしたことで帰国日程が押してきてしまい、国境に近いルヴィフから隣国ポーランドへ移動することにしました。
昨日眠たい目をこすりながら降り立った鉄道駅に向かいます。
駅前から旧市街のど真ん中にトラムが走っていたので、バスよりも簡単に駅に行くことができました。
トラムはかなり古い車両で、切符を運転手から買うことができます。
ほんどの町では切符は券売機か売店で事前購入が建前なので、小銭がなくてもトラムが来れば飛び乗れるこのシステムはたいへんありがたいです。
買い方も、運転席は隔離されているので、小銭が入るくらいの小窓にお金を入れて窓をトントン叩いて合図すると、運転手が小窓を運転席側に反転させてお金を受け取り、切符とお釣りを小窓に入れてから再反転させてくれるので、乗客はそれを受け取ればいいだけです。
車内混雑の時は、後ろの人から前の人へとお金がリレーされ、小窓付近の人が代行して切符購入手続きして、その切符はお金と逆方向に渡って行って、元の人に戻っていきます。
戻って来なかったり、途中でネコババされるということはないようです。
中国のバスでもよく見る光景ですが、社会主義独特の習慣なのでしょうか。

駅の窓口は何ヶ所かありましたが、1つだけインターナショナルの表示があって、残念ながら国際列車の切符売り場にも関わらずクレジットカードが使えませんし、窓口女性の英語も何だかよく聞き取れません。
夜行列車が11:59分に1本あるだけで、チケットも8000円以上して高価です。
その路線にフライトがあるのかは調べてないものの、これなら航空券と変わらないのではと思いましたが、前回の売り切れの反省からあきらめてチケットを購入します。
重たいトランクを荷物預かりに渡します。
トランクはプラスチック製の折畳みカートに載せて運んでいたのですが、昨夜のチェルニフィツィーの路上でタイヤが取れて使えなくなってしまっていました。
ヴェトナム以降数々の悪路を頑張ってくれた愛用のカートも、ついにはウクライナの石畳で耐え切れず壊れてしまったのはたいへんショックでした。
以降、フーテンの寅さんがそうしていたように手で持って運びますが、推定14キロくらい、5分も持って歩いているとかなり辛くなってきます。
辛いのは、1960年代製と思われる古いグローブトロッターのトランクそのものも同様なはずで、何だかいとおしさが増してきてしまい、寅さんのトランクで寅クンと親しみを込めて呼ぶことにしました。

夜中の列車の時間までまた町に戻って、散策を開始します。
勧められた旧市街のど真ん中にある市庁舎の塔に登ってみることにしました。
比較的新しい建物ですが、エレベーターは無く途中から狭くなった階段を上り続けると、歯車がゆっくり進む大時計の機械内部が見られるようになっています。
そこまではよいのですが、何しろ階段がきつく、屋上に到着して自分が高所恐怖症だったことを思い出ししてで、来てしまったことを後悔しました。
みんな平気で手すりのところに肘をついて眼下の町並みを楽しんでいますが、わたしにはそんなことはできません。
高所恐怖症の人がみな同じなのか分かりませんが、あの姿勢だと手すりが前のめりに倒れて下に落ちそうな恐怖心に囚われるし近寄っただけで突風が吹いて肩から提げたカバンがあおられてそれを抑えようととっさに手を伸ばして手すりを乗り越えてしまいそうな気がしてきてしまうのです。
手すりまで寄り切らずにへっぴり腰で町並みを撮影していたわたしの姿はとても人様にお見せできるようなものではありません。

広場ではセグウェイのレンタルというか試乗をやっていました。
確か10分300円とかそんなものだったと思いますが、挑戦してみようと思ったものの順番待ちしているのが子どもばかりで恥ずかしいのでやめました。
見ていると10歳くらいの子どもでもすぐに慣れて、スピードこそゆっくりですが、スムーズに動かしています。
どこかの空港で警備員がセグウェイに乗っているのを見たような気がしますが、町中で見るのは初めてのことで、石畳でも走行できるのかなど気になりました。
などと感心していると今度は公園でセグウェイのハンドルというか支柱というかの部分を取っ払ってタイヤと足置きだけの乗り物で遊んでいるふたり組がいました。
高校生くらいの女の子たちだったので、何だいそれはと声を掛けてみました(女の子だったから声を掛けたのではなく、高校生なら英語も通じるだろうと声を掛けたのであって、誤解無きよう)。
何という名前だか忘れてしまいましたが、ウクライナでは最新鋭のスポーツだそうで、先ほどのセグウェイ同様の滑らかな動きを見せてくれ、撮影にも応じてもらいました。

ルヴィフでのいちばんのお気に入りは、たまたま道を間違えたところで見つけたロシアンカメラカフェです。
この町に限らずですが、ヨーロッパの町中では看板が目立たずに通り過ぎてしまうような店が多いですが、たまたまウィンドウ内を覗いたら大きなシネカメラが置かれていて、さらに奥を見ると壁がカメラでびっしり埋まっていて、入ってみることにしました。
中はとても上品で落ち着いた普通のカフェです。
オーナーのコレクションだと言う恐らくはソ連時代に製造されたほとんどのカメラの展示がなければ。
ふたりの美人給仕はカメラに興味が無いようで話はできませんし、さすがにロシアカメラをずっと眺めていてもすぐ飽きてしまいますが、このマニアックさを全面に出した空間は同類として敬意を表さない訳には参りません。
昨日に続いて今日も出掛けて店の女の子とも顔なじみになりました。
壁から外したカメラを持って彼女のポートレイトでもと考えましたが、このお店はコーヒーが美味しいせいか人の出入りが多くて撮影できず代用の作例になり残念です。
何人も見た客の中にカメラに関心を示す人はひとりもいなかったことを合わせて報告しておきます。

カフェでケーキを食べたのがまずかったようで、なかなかお腹が空いてきません。
オペラ劇場があって何かやっていれば鑑賞していきたかったのですが、まだシーズンに入る前でしばらく日程表がブランクになっていました。
しかし、そのオペラ劇場の地下がやはりカフェになっていて、食事もできるとのことで入ることにしました。
オペラ座の地下がカフェと書いても普通のことと思われるでしょうが、ここは何かの空間を利用したちょっとしたスペースで、入り口にはキリル文字で読めない何かが書かれているだけなので、ほとんどの外国人は気付かずに見過ごしてしまうような空間です。
カメラカフェと並んでよく見つけたものと自画自賛しておきましょう。
ここにもえらい美人なお姉さんがいて、カメラカフェと互角の勝負、両方行かれた方はどちらがより美人かかなり迷うことでしょう。
いや、そんなことはどうでもよかった、食事して11時近くなったので駅に向かおうとしたのですが、わたしは悲劇と喜劇の自作オペラを演じることになります。
それについては、日付を跨ぎますもので明日のブログに記載することにいたします。
【Alpha7/Nikkor S・C 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Nikkor S・C 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/09 Wed

次はシーソーか

Holmes Booth & Haydens 20.5cmF5
さすが、7時間で120円の列車でした。
座席は垂直でリクライニングせず、向かい側にも人がいるので姿勢が崩せません。
間にあるテーブルを反転するとシートの間が埋まって簡易ベッドのようになり、最初は向かいに人がいなかったので、そうやって寝ていたのですが、1時間もしないうちに席の主が乗車してきてかなりきつめに体を叩かれ起こされました。
ウクライナ式のあいさつのようなものでしょうか、すっかり目が覚めてしまい、座席のこともあって眠れなくなりました。
車内には暖房が無く、半袖シャツの上に薄いジャケットを着ただけでは寒くじっとしていては風邪をひきそうです。
通路を挟んで隣の座席では若い男女がひとつの寝袋にくるまって寝ています。
結局、1時間半も寝たでしょうか、まだ薄暗いルヴィフの駅に着いた時には、ただでさえぼんやりしている頭がさらにボケっとなっていました。
キシナウ~チェルニフィツィーのバス、チェルニフィツィー~ルヴィフの鉄道と厳しい移動が続いています。

駅前から旧市街方面行きのバスに乗りますが、どれに乗ればいいか分からなかったうえ、乗車してからどうやら町の中心に直行しそうなトラムが並行して走っているのに気付きます。
さらには隣の座席の男性に地図を示しつつどこで降りるか教えてくれと頼んだところ、かなり先になってここだと言われたようで、20分も歩いて戻らなければいけなくなりました。
彼が単に間違えたのか、からかわれたのか、後者のような気がしてなりません。
チェルニフィツィー着のときの反省から、早朝着で眠れないことを想定して、すぐチェックインさせてもらって寝るためにホテルを予約しておきました。
正確にはホテルではなくアパートの1室を借りる形なのですが、旧市街のど真ん中にありながら2000円もせずに泊まれます。
住所のところにすぐたどり着きますが、アパートのためドアの暗証番号が分からないと中に入れませんし、どこにも宿泊施設との記載が無く困りました。
重たいトランクを持ちながら近くのカフェに入って朝食を摂り、到着したとのメールを送りますが返事は来ず、時間を持て余してブログを書いたりして、ようやく9時になったのでツーリストインフォメーションを探すことにしました。
しかし、インフォメーションは10時オープンだったので、さらに近くを見物して時間をつぶし、ようやく再訪して事情を説明するとアパートに電話してくれました。
オーナーはアパートとは別のところに住んでいて30分後に来るとのことです。
せっかく早く到着して仮眠してから行動するつもりが、11時近くにまでなってのチェックインでは意味が無くなってしまいました。

しかし、このアパートメント自体はすばらしく、狭いながらもベッドルーム、リビング、キッチン&バスルームとあってホテルのスイートルーム並みです。
インテリアがオーナーのユリアさんのセンスでまとめられていて、普通のホテルとは違う、ウクライナの若者の家に民泊するような感覚です。
シャツと下着の洗濯の必要がありましたが、暖房設備があったおかげで厚い靴下まですべてほどなくして乾きました。
そして何よりよかったのが、ルヴィフのアパートの内側の住居がどのようになっているか確認できたことで、住民との交流の機会こそありませんでしたが、どんな生活をしているのかは、それぞれの窓から想像することができました。
すぐ隣の建物がカフェで何か史跡のようなものがある人通りの激しい通りでしたが、アパートの中はいたって静かな環境です。
冬場がとても寒い土地ということもあってか、防音がしっかりとしているのでしょう。

ルヴィフは歴史的建造物がよく保存されていて美しい町並みを形成しており、そのためかなり観光客が訪れているようですが、アジア人はまったく見ませんでした。
わたしにはウクライナ人もフランス人もしゃべっているのを聞かなければ区別がつかないので、観光客がいない町も同然です。
ツーリストインフォメーションでドイツ語で質問していた男性はドイツ人かオーストリア人なのでしょうが、ひとたびそこを離れ町を歩いてしまえば都合のいいことに彼は現地人となってくれるのです。
ウクライナ全土でそうだろうと思いますが、この町の人気者はプーチンでした。
みやげ物屋の目立つところには、彼の顔が描かれたトイレットペーパーや玄関用のマットが必ず置かれていました。
汚いものを拭いたり、汚れた靴で踏みつけるべき対象ということですね。
数日前ロシア側に妥協する法案を可決しようとしているとして首都キエフの議会そばで右翼系の爆弾テロがあったと聞きました。
気持ちは分からないでもありませんが、国民の気持ちを表現しつつ外国人の観光客にアピールするトイレットペーパーやマットのようなアイディアで対抗して欲しかったと思います。

血生臭い事件があったばかりですし、ウクライナと親ロシアとの戦闘の映像、マレーシア機撃墜事件の記憶もまだ新しいところですが、少なくとも西の外れのここリヴィフではそんな気配を感じさせるものは見当たりません。
警察も軍人もごく少数いるだけで、テロや平和という言葉が不自然なほど町には不穏な空気など流れていないのです。
戦闘が報道されていた東部地域のドネツィクやロシアに奪回されたクリミア半島はどんな状況なのでしょう。
とても気になりましたが、時間が取れそうもないし、冷やかしで行くところではなさそうであきらめることにします。

さて、作例ですが、ルヴィフの繁華街で見たジャグリングする若い女の子です。
最近復活している某CM同様、可愛そうに一生懸命なジャグリングを見るものは誰もいません。
この後自宅に帰って練習して、階下のオヤジにヘイヘイと床を叩いて怒られるのでしょうか。
彼女を助ける少年がまたヘイヘイと言ってキーボードを手渡してくれるといいのですが、パートナーは現れるのか、彼女に未来はあるのか心配です。
この町で面白いなと思ったのは、店の宣伝に被り物をしてたり、ゆるキャラみたいのがいたり、ミニスカートの女子高生風の女の子がチラシを配っていたり、どこか日本と似たような光景が見られたことです。
わずかな間ですが、わたしは旅をしながらかなりウクライナと言う国が好きになっていました。
日本と似た感性があるということかも知れませんし、こちらが知らないだけでウクライナの方では案外と日本に親しみを感じているのかも知れません。
【Alpha7/Holmes Booth & Haydens 20.5cmF5 F5】
thema:ペッツバール genre:写真
Holmes, Booth & Haydens 20.5cmF5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/08 Tue

ペクトパーとカパオケ

Holmes Booth & Haydens 20.5cmF5
セスクさんからは朝に駅にチケットを買いに行くべきと言われていたのですが、ホテルの隣の部屋が若きロシア人たちで、深夜と早朝に大声で何やら話していて、何度も起こされて眠れなくなりチェックアウトが11時になってしまいました。
アジアでは中国人が、ヨーロッパではロシア人が傍若無人にホテルで迷惑をかけていると言えばそれは言い過ぎかも知れませんが、レセプションで彼らはロシア人なのでと聞いた時、思わずプーチン・チルドレンとつぶやいてしまいました。
昨日の夜もそうしたのですが、タクシーは何としても共産時代の遺物と言えるラダに乗って駅に向かおうと考えました。
ラダなどのソ連=ウクライナ製のオールドカーは10台に1台くらいの高確率で走っているのですが、そのタクシーはなかなかなくて、昨晩と今日の待ち時間から15分に1台の出現率と仮定できるようです。
運転手とは会話困難でしたが、利用した車は1983年製ということは数字のやり取りで分かりました。
下車時に撮影させてくれというとご機嫌で、発進時にはものすごいエンジン音をさせてタイヤを激しく軋ませながら去っていきました。

さて、リヴィフ行きの寝台ですが、出足が悪かったせいですべて売り切れのため、座席になってしまいました。
深夜の12時半発6時着ですので、4~500キロ離れているのだと思いますが、料金はわずかに120円。
駅に荷物を預けるとなんと切符より高い140円。
ちなみにホテルから駅までのタクシーは、確実にボラレているとは思いますが、それでも6キロほど離れていてわずか250円です。
実は、セスクさんは昨朝、1等寝台コンパートメント4ベッドすべてを買って、たったの35ユーロだと言っていたのです。
この町に長く滞在したら、自分の中の物価の感覚が壊れてしまうのではと真面目に心配になりました。

駅を出ると激しい雨が降っていました。
2月に旅を始めてから天気にはかなり恵まれていて、雪に降られたことはもちろんありませんでしたし、大雨と言うのもほぼなく、ここまで降られたのは初めてだと思います。
少々先にカフェが見えたので、傘を差してダッシュしましたが足元はかなり濡れてしまいました。
おばさんがひとりでやっているカフェで、食事できるか聞きますが困ったという顔をしています。
やはり英語ができないようですが、ドイッチュというのが聞き取れたので、ドイツ語はできるかと思い、エッセン?と聞くとヤーとの返事をもらいホッとしました。
ブルガリアのポポボのホテル以来のドイツ語ですが、単語を少しばかり知っているだけなので、それからがたいへんでした。
スープはズッペと知っていても、相手になんのスープかと聞かれても答えられないし、チキンのスープとキノコのスープのどちらかと言われても分からないでしょう。
本日のスープのつもりでズッペ・ターク、唯一知っていた料理名にポテトを加えてシュニッツェル・ミット・ボム、それにビールをとウント・ビールと言ったら何だか通じてしまったようで、どうにかそれっぽいランチをとることに成功しました(なぜ、こんな細かく記載するかと言うと、ポポボでの1件でドイツ語ができるのかと誤解を与えてしまったようなので、そうではないことを示したかったのです)。

食事のことを書いたので思い出しましたが、むかし誰かのエッセイでロシアではレストランのことをペクトパーというと冗談で書いているものを読みました。
このヘクトパーはウクライナでも同じで、PECTOPAHと書きますが、ロシア語やウクライナ語ではこれをレストランと読むので、もちろんペクトパーと言っても通じません。
読めなかったとしてもレストランなら外観で分かりますので、お腹が減ったと入ってしまうと、英語のメニューが無い限りかなり辛いことになります。
アルファベットが使われているメニューならば何語であっても、多少の間違いがあってもそれっぽく読めますが、キリル文字は知識がなければ読めないからです。
読めても読めなくても自分の意思でオーダーできないのは違いないのですが、読めないと言うのはストレスですし、メニューの上を目が泳ぐ自分に気付いてむなしさを感じもします。
仕方なくボルシチはあるかと知っているロシア料理を言ってみるしかありません。
ただ、知っているのはそれくらいで、ピロシキはカレーパンみたいなものだったでしょうし、ビーフストロガノフがロシア料理だったか、ロシア人が発明した他国料理だったかも思い出せませんでしたからほとんど意味のないことになります。

運が良ければウクライナ語もアルファベット表記もそう変わらないケースもあって、KAPAOKEという看板を見れば、日本人なら誰でもカパオケとは何だとは思わず、カラオケのことだなと気付くと思います。
ロシア語とウクライナ語はどのくらい違うのかはよく分かりませんでしたが、違うことは間違いありませんでした。
こんにちは、ありがとう、さようならは、ロシア語でズドラーストビチェ、スパシーバ、ダスビダーニャということは知っていましたが、ウクライナ語ではドブリーデーニ、ディヤクユ、ド・ポバーチェンニャというそうです。
どこが似てるんだと言う話になりそうですが、ロシア語でもドブリーデンという言い方で通じるそうですので、あいさつ等以外に共通のあるいは似ている単語があるのではと推測できます。
ただ、ドブリーデンないしはそれにかなり近い言葉は、チェコ語やブルガリア語などでも使われていて、頭のドブリの語尾変化ドブロは良いという意味で多くの東欧の国で通じます。
また、今回旅しているブルガリア、ルーマニア、モルドヴァ、ウクライナはYESのことをダーと言います。
よく電話中の人が相手の話を聞きながら、ダー、ダー、ダーと相槌打っているのを聞きますが、アントニオ猪木の1,2,3ダーの掛け声も彼は北朝鮮と親密なようなので東欧のYESから採ったんでしょうかね。

閑話休題。
ウクライナでウクライナ語やロシア語ができないとなれば、英語が通じると分かっている昨日と同じレストランに行くしかありません。
さすがに高級レストランに2日続けて行けばみんなよく覚えていて、案内はマネージャーが買って出てくれて昨日と同じ席でよいかと聞いてきました。
わたしもバルセロナの方と知り合った場所だし、彼は一足先に出発してしまったが、思い出の場所なので同じ席にとお願いしました。
ウクライナの高級レストランに自分の馴染みの席があるなんてと自慢したくなります。
昨日ダンスまで見せてくれた給仕の女の子は残念ながらお休みでしたが、替わりの女の子がわたしは英語は得意でないのと心配そうに来て、それだけしゃべればわたしには十分だと返したりしました。
ウクライナは寒いとのイメージで知らなかったのですが、彼女にウクライナにもワインがあると勧められます。
南の黒海に面したあたりはワインの産地があるそうで、なかなか芯の強いこの赤ワインはオデッサのものだと聞きました。
地図を見るとオデッサは、あのワインしかなかったモルドヴァから近く、納得できました。
機会があれば、今度はウクライナの南部を廻ってみたいなあと旨いワインに舌鼓を打ちました。
さて、作例は、マネージャーの彼女の可能性ありの美人バイス・マネージャーで、玄関ホール部分に鏡があったので、確かマネの絵にこんな構図のが無かったっけと真似して撮ってみました。
店を出るときに彼女ではなくマネージャーの男性がまたやって来てわたしに握手しながら、今夜この町を出てしまうのは残念ですが、あなたはきっとまたこの店に来てくれるでしょうと予言するかのような別れの言葉を告げました。
わたしも、ぜひまた来ますと答えます。
たた、ここの店にひとりで来るのはさみしいので、次は誰か相手を連れてやって来ますよと付け加え、まだ雨の上がらない町を駅に向かい歩き始めました。
【Alpha7/Holmes Booth & Haydens 20.5cmF5 F5】
Holmes, Booth & Haydens 20.5cmF5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/07 Mon

バルセロナから来たセスクさん

Nikkor 5cmF1.5
昨夜乗った過去最悪の夜行バスのことから書いておかねばなりません。
バスの車体自体はごく普通のしかしたぶんロシア製のものでしたが、道路の状態が悪く小刻みにかなり揺れました。
それでも、わたしの隣の座席は空いていたので二人分のシートで眠れるはずだったのですが、出発直前に20人くらいがどかどかと乗り込んできて、そこは空いているかと座られてしまいました。
ウクライナに行く国際バスのはずが、国境までは自由に乗り降りできる路線バスも兼ねているということのようです。
隣に人が座っても寝れなくはないのですが、立っている人も10人くらいいて、彼らが長時間直立しているはずもなく、わたしのシートに寄りかかったため肩に接触して、しかもしばしば動くためにとても眠ることはできませんでした。
国境に近い町に2時近くに到着したころにはようやくほとんどの国内路線バス利用者は降りていましたが、それまで眠れないのですからかなり辛いバスです。
その町で休憩したので何か飲みたかったのですが、タクシーに根こそぎ現金を取られていたので買うことができません。
カバンから1ドル札を出して両替できないかと頼むと店では断られましたが、運転手が応じてまっとうなレートで交換してくれました。
思わず買ったビールが旨かったこと。
カバンに米ドルを少々しのばせていたおかげで、干からびずに済みました。

到着したのはチェルニフィツィーという町です。
地図の地名表記を見たときチェルノブイリに見えたのでそんなところへ行ってはまずいかと思いましたが、ウクライナにはチェル何とかという町がいくつかあって、ウクライナ語によくある接頭語なのかも知れません。
後で確認すると、チェルノブイリは首都キエフからさらに東の遥かかなたでした。
まだ真っ暗な6時前に着きましたが、びっくりするくらい寒くて、暖房が効いている待合室に逃げ込みました。
半袖シャツに短パンで着いたそこは夜間の気温が10度前後しかなく、日中35度のキシナウから200キロしか離れていないのに別世界です。
やや明るくなってきた7時前に待合を出て、近くの人に中心がどこか聞きますが、わたしが乗ってきたバスの運転手が言ったのと逆の方向を指さしています。
運転手が言った方向に道は無く、彼の言う方は開けていそう、しかし念のためもうひとりに聞くと、何と今度もまた別の方角を指さしました。
町全部の人がわたしを騙そうとしているかのようで、どちらに歩き出すか悩みました。
しかし、フランス人バックパッカーが通りかかったので彼にホテルがどこにあるか聞くと、携帯で調べてくれ、またしてもいままでの3人とは違う方向に5分くらいのところにあると言うのでした。
わたしも地図を見せてもらったので間違いないはずで、彼の言う通りホテルを見つけることができました。
これはあとで分かったことですが、チェルニフィツィーの中心は5キロくらい離れたところで、バスターミナルのある町の中心はすぐそば、ここの地域の中心はホテルのあったところと、言ってみれば中心はいくつかあって、みんなの言うことはそれぞれに正しかったのです。

朝の8時にも関わらずホテルはチェックインして構わないと言います。
バスの分を取り返すべく熟睡したのですが、2時間に目覚ましをセットしたのに起きられず、目覚めたのは2時でした。
6時間も昼間に寝てしまっては、夜行バスを使う意味が無くなってしまいます。
急いでシャワーを浴びて食事しました。
ホテルの中にカフェテリア式のレストランがあり、出来合いの料理を指さして注文します。
ビンに入った白い液体がヨーグルトなら飲もうと思って聞きますが通じず、牛乳かなとモ~と言いながら乳を搾る動作をしたらそうだと言われるものの、この奇妙な行動が大うけで3人いた従業員が会計が済むまで大笑いしていました。
ここで面白かったのは、ナイフやフォーク、スプーンまで使うと料金を取られることで、3種取るのは悔しかったので、フォークとスプーンのみ取ってタイ式で食事しました。

レセプションでもらった地図を頼りに、旧市街に向かいました。
大きなパンタグラフの付いたトロリーバスで15分ほどかかり、ちょっと歩くには辛い距離です。
中心とおぼしき所で勘で降り、地図と照らし合わせようと通り名を見ると、Ludvig van Beethoven通りとなっていました。
歩いて2分の位置にツーリストインフォメーションがありましたが、信じられないことに英語が通じません。
外国人ツーリストがまったく来ないほどマイナーではないですし、実際、夕食を食べたレストランには外国人がかなりいました。
町自体がかなり気に入りましたので、インフォメーションの改善を強く求めたいと思います。
それでも町はコンパクトで地図がしっかりしているので街歩きは堪能できました。
町中あちこちで結婚式をしていて、花嫁さんからドレスの子ども、民族衣装の男性などポートレイトのモデルに事欠きません。

残念だったのは、この町のコンサートが明日あり、次に行くつもりの町で今日サッカーの代表戦が行われていることでした。
滞在の順番が逆なら両方見られただろうに、仕方ないのでサッカーの方はバーで観戦します。
ヨーロッパ選手権の予選でウクライナ対ベラルーシという隣国同士の戦いでしたが、地元ウクライナが司令塔コノパリュンカの大活躍で3-1と圧勝しました。
そのバーがレストランを併設していたのでそのまま夕食に向かいました。
半年前にできたばかりですが、かなり気合の入ったレストランで、内装がかなり豪華ですし、アコーディオンのおじさんがグループの人たちと合唱したりしています。
ツーリスティックなレストランかと思えば、お客さんの多くは地元の人だそうです。
ウェイトレスたちがフロアに並んでダンスすると言うパフォーマンスまであって、みんな大盛り上がりです。
料理もすべて美味しく、ウクライナの民族料理がウリですが、ロシア料理もあってオーダーに悩みます。
ボルシチ、ウサギ肉の煮込み、オデッサの赤ワイン、カプチーノと頼んで1000円しません。
ダンスまで披露するくらいですから、スタッフが親切なのも嬉しいです。
この町にずっと滞在したいと切に願いました。

このレストランではもうひとつ愉しい出合いがありました。
わたしが座席に着いたとき、向かいにいた男性がわたしもひとりなのでいっしょに食事しましょうとテーブルに招いてくれたのです。
バルセロナから来ているセスクさん、旅と仕事を組み合わせて東欧を廻っているとのことですが、これまで旅した国は90ヶ国とスチャヴァであったアメリカ人夫婦と同数だったのが驚きでした。
あなたは日本人かと尋ねますのでそうだと答えると、いま娘が日本を旅行しているのだと言い、なぜいっしょに日本に行かないのだと聞けば10年前に行ったことがあるからと答えます。
日本の物価は高すぎると嘆いていましたので、今はバルセロナよりもずっと安いはず、ぜひ娘さんに聞いてみて、確認できたら次は日本に来ることと勧めました。
彼もカタルーニャはスペインから搾取されていると考える独立支持派のようで、そういった事情やFCバルセロナのファンだということで話しは盛り上がりました。
このあとバルセロナに行くのだと言うと、サグラダファミリア教会の近所に住んでいるので案内するから連絡するようにと言ってくれたばかりでなく、わたしが招いたからと食事代をもってくれました。
彼はこれから夜行で、わたしが行こうと考えた町に行くとのことで、寝台が安いので朝のうちに駅に切符を買いに行くようアドバイスしてくれ去っていきました。
作例は、朝方、ホテルに向かって歩いているときに見かけた老人です。
立派なスーツの胸には誇らしげなバッジが並んでいました。
かつてのソ連の政治家か軍人でしょうか、未だにこんなものを付けて歩いているところがあるとすれば、中国と北朝鮮くらいかと思っていたので、貴重な1枚になったと思っています。
【Alpha7/Nikkor S・C 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Nikkor S・C 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/06 Sun

モルドヴァのカザフ人

Holmes Booth & Haydens 20.5cmF5
何もすることはないとゆっくり9時に起きて、料金に含まれていた朝食を食べに行きました。
食堂に入るやわたしを呼び止める人がいて、何だろうと振り返ると、昨日、ツアーが一緒だった香港人の青年がひとり食事していました。
彼は昨日から1泊2日のモルドヴァツアーでキシナウを訪れているとのことで、昨日の青年ガイドのお父さんが昨日からガイドとしていっしょに回っているとのことでした。
彼と同じ宿になること自体、首都にも関わらずキシナウにホテルが少ないことを裏付けているようですが、彼はホテル予約サイトで最安ホテルに泊まるのが得意と自慢していたので、何も知らずにここに辿り着いたわたしの嗅覚もなかなかのものだったということでしょう。
特筆すべきもののないモルドヴァで、ツアーがどこを訪れたか聞くと、近郊のワインセラーやキシナウ市内の主要建造物だそうですが、美しい教会だと聞いて着いたその教会はわずか30年前に建ったばかりだと聞いて、何だかがっかりだったと笑っていました。
ワインセラーには心動かさせましたが、かなり離れていてわざわざ行く価値は無いと断言され、諦めることにしました。

あてもなく駅方面に行くと警察官に呼び止められ、何事かと思いますが、どうやらわたしのカメラに興味があるようです。
彼の興味はカメラではなくペッツバールレンズの方で、ニューヨークと刻印があるアメリカ製だというとますます関心を寄せてくるのが分かりました。
明らかに欲しがっているようですが、言葉が通じないのをいいことにとぼけていました。
断ったりすれば、相手は何年か前までソ連の一部だった国のお巡りさんですから何をされるか分かったものではありません。
仲間の英語の話せる警官に電話して、彼を通訳に売ってくれと言ってきましたが、わたしの大切なコレクションで売れないというと案外あっさり引き下がってくれてホッとしました。
また歩きだすとすぐ先が広場になっていて、蚤の市をやっていました。
警官が売ってくれと言って来たのは、蚤の市で購入したら売ろうとしていると考えたからなのかも知れないと思われました。
しかし、この蚤の市は、もうどうにもならないくらいのガラクタ市で、申し訳ないですが、ゴミの市と言った方がいいくらいです。
例えば、おばあさんが自分や家族が着ていたと思われる衣服を並べて売っていますが、大胆にも下着まで並んでいました。
かたや、シビアな顔のおじさんは、古い車のワイパーのみを20本くらい並べて客を待っていますが、ワイパーだけを買う人がいるものなのか想像もつきません。
そんな具合なので、わたしが持っているペッツバールがいちばん価値ある骨董品で、自然とレンズに注目が集まって、いいもの持っているなとばかり数回声をかけられました。
これまででいちばんペッツバールが注目を浴びたのは、ここモルドヴァだったということになるかも知れません。

もはやこの国にいる意味がないと判断した私は、次の目的地ウクライナ方面行きのバスを探すことにしました。
キエフ行きのバスを運行している会社は見つかりましたが、キエフはモルドヴァからはるかかなたで、できれば国境を超えたあたりの比較的近い町に行くのが時間的には理想です。。
英語のできるバスチケット売りの若い男性がいて、そのような目的地なら北バスターミナルにあるかも知れないと教えてくれました。
路線バスがあって、行先がGara de Nordとなっていますが、これぞまさにブルガリアからブカレストに入った後に向かった北駅の意味ですので、北バスターミナルのことたろうとすぐに分かります。
ここでも何軒か聞くと夜10時発早朝着のウクライナ南部の町に行くバスがあると分かり、今夜のチケットを購入しました。

バスの時間までまた町中を散策することにします。
北バスターミナルからGara de Sud Vest行きのトロリーバスが出ているのに気付きました。
Sud Vestはドイツ語の類推で南西と分かりますので、これならキシナウを北から南に縦断できるのではと思い飛び乗りました。
やはり町の外れから中心部を通ってまた反対の外れへ向かう路線のようで、景色を見ながら面白そうなところがあったら下車すればいいと考えていましたが、殺風景な町並みが続くばかりで降りるタイミングがありません。
途中から田園風景になったと思ったら、広大なブドウ畑が続いています。
モルドヴァはかなりのワイン生産国のようで、昨夜、食後にスーパーに行くと、アルコールの棚が5列もあって、1列はビール、1列はスピリッツ類、残りの3列は、白とロゼ、赤、スパークリングの各ワインがそれぞれ1列を占めていました。
それほど大規模とは言えないスーパーで、総計150種くらいのワインが並んでいたのです。
思わず普段ほとんど飲まない甘口のスパークリングワインを買って部屋でがぶ飲みしてしまいました。
首都キシナウの中心から車で10分かからないところにこれだけのブドウ畑があるのですから、スーパーの棚のワインの独占も当然のことなのでしょう。

夜になって荷物をピックアップにホテルに戻るとあなたは中国人かと中国語で声を掛けられました。
いや、日本人だと答えると、先方は逆に目を輝かせて、すみません、昨日中国から来てここで働いている人たちがいたものでと言い訳しながら、自分はカザフスタン人であちこち出張で言っているので簡単な会話なら6ヶ国ができると言い、日本語はできないがいちばん好きな国だと言います。
わたしもカザフスタン人と話すのは初めてでしたが、彼は外観は中国人のようでもあり、日本にもいそうな雰囲気で、とても旧ソ連のしかもイスラム教徒の人とは思えませんでした。
空手をしているそうで、大会が大阪であったとき仕事が重ならなければ待望の日本に行けたのにと悔しがっていました。
いつか東京で会おう、いやぜひカザフスタンに来てくれなどと言いながら別れましたが、実に爽やかな好青年でした。

ずるずると話し込んでしまっているうちに、ゆっくり食事している時間が無くなりました。
近くでケバブを買ってカバンに詰め込み、タクシーを拾うと20レイでバスターミナルまで行くというので、手持ちのキャッシュもどうにかもってくれました。
しかし、ターミナルに着くとオレは20だなんて言っていない40レイだと言いはじめ、悪いがこちらはこれからウクライナに行くのでレイの残金はこれだけしかないと見せると、もう15レイあり、合計35レイで許してやると言いながらタクシーは去って行きます。
もう不要になるモルドヴァ通貨ですが、最後に水等買うつもりだったのに根こそぎ持って行かれて困りつつバスに乗車しました。
作例は、公園で撮った高校生ふたり組です。
声を掛けると最初は撮影拒否でしたが、声掛けられてまんざらでもない様子でしたので、何度か頼むと承諾してくれました。
モルドヴァの女子高生で外国人から請われて写真を撮られたというのは、彼女たちくらいのものでしょう、明日はそのことで学校中で盛り上がっているのではと想像しました。
【Alpha7/Holmes Booth & Haydens 20.5cmF5 F5】
thema:ペッツバール genre:写真
Holmes, Booth & Haydens 20.5cmF5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/09/05 Sat

知られざる国、知られざる野菜

Holmes Booth & Haydens 20.5cmF5
朝5時に起きてシャワーを浴び、バスターミナルに向かいました。
本当は3日間も世話になったペンションの一家に別れを告げたかったのですが、6時過ぎでは誰も起きている気配はありません。
スチャヴァでは、この時期、夜は8時くらいまで明るいのですが、朝明るくなるのは6時を過ぎたころからで、もともとルーマニア人は夜型人間が多そうですし、関東近郊の人が東京へ出勤するような早起きの必要もないようで、どこも静まり返っています。
バスはメルセデス製の中型ワゴンで20人くらいが座れそうでしたが、途中の降車、下車を繰り返しながら東南に向かっていきました。
途中、ヤシという周辺で最大の町で休憩した後またしばらく走ると、国境に到着して、全員係官にパスポートを手渡し、乗車したままで出国審査を終えました。
また少々車を進ませると、今度は全員降車して窓口に並び入国審査を受けます。
何を聞かれるでもなくその場で顔を写真と照らし合わせてスタンプを押すだけですので30秒とかかりません。
こうして、モルドヴァに入国しました。

モルドヴァと聞いてどこにあって、首都はどこで、どんな国かを知っている人はきっと稀でしょう。
わたしもまったく何も知らずに来た未知の国でした。
モルドヴァは、ルーマニアの東隣にある小国で、首都はキシナウといい、第二次大戦後にソ連に組み込まれた後1990年代に連邦から脱退して独立した新しい国です。
モルドヴァは戦前はルーマニアの一部でしたが、このあたりの土地は戦争による収奪が激しく、そんなドサクサに乗じてソ連に割譲されてしまったようです。
民族や言語はルーマニアと同じで、ソ連時代はロシア語も公用語されていた関係で文字はアルファベットとキリル文字が併用されましたが、今ではルーマニア語が普通に通用しています。
小国で産業に乏しいことからヨーロッパ最貧国と呼ばれ、もはや自立よりも同民族、同言語のルーマニアに吸収されることを望んでいて、実際、そういった交渉が進んでいるとかという話もあるそうでした。
以上は、スチャヴァのペンションの娘さんやドライバーのベンから聞いたことをまとめたもので、実際にはウクライナのように親ロシア勢力が東側のエリアを独立させた状態にあるとか別の問題も抱えています。
ロシアとくれば、必ずそういう問題が付きまとっているのは、中国のチベットやウィグルと同じとしか思えません。

バスはほぼキシナウの中心にあるアウトガラに到着しました。
アウトガラはAuto Garaつまりは自動車の駅、もしくはAutobus Garaの略のバスの駅の意味なので、バスステーションだということはルーマニアの経験でよく分かりました。
独立国に来たので通貨もあらたに用意しないといけませんが、他国と同様、ATMでキャッシングが普通にできます。
最低引き出し額120円からというのは国の経済状況を示していそうでした。
それにしてもこのバスステーションは激しく混沌としています。
恐らくワゴン車2台所有レベルでバス会社が設立できて、みんなが首都キシナウ発着の路線を持とうとするので、同じ行先、別会社の車がそれこそ無秩序にあちこち停まっています。
それでも、すべてを統括する時刻表があれば利用者は何とかできるでしょうが、当然そんなものはなく、利用者は勘を頼りに自分の目的地を求めてバスの迷路を彷徨わないといけません。

混沌はバスだけではなく、残念ながらわたしの身にも降り注ぐことになりました。
ホテルが見つからないのです。
普通はバスターミナルのそばなどに固まっていたりするはずですが、1軒として見つからず、酷暑の中、周囲を2時間も歩き回りましたがやはりどこにもありません。
何度か人に聞きましたが英語をしゃべれる人はひとりもつかまらず、意思を伝えるのは困難なうえ、誰もホテルがどこにあるか知りませんでした。
散々歩き回ってようやくホテルが見つかります。
途中、アパート街のようなエリアがあって、住宅地に来てしまったかと引き返したのですが、再度近くに来た時にそのずっと先に駅があることに気付いて、アパート群を超えて駅方面に歩くと巨大なホテルが2軒向かい合って建っていました。
見るからに安そうな方に入り価格を聞くと30ユーロとのことで、そんなに高いのかと交渉しようとすると向こうから25ユーロに下げてきました。
表向きの価格とディスカウント価格の二重価格にしているようでした。
ホテルはこれ以上ないくらいソ連という言葉を思い出させるものです。
当時の彼らとしては西側に自慢できる超近代的デザインの建物のつもりだったのでしょうが、どこか垢抜けないし、機能のことを無視したためか例えばベランダに鳥の糞が何年分もそのままになっているのを掃除できないままだったりになっているのが見て取れました。
そのように聞いてピンと来ない方は、北朝鮮のニュースで時折出てくるピョンヤンの建物を想像してみればいいでしょう。

こんなホテルなのにWIFIは優秀で、期待していなかったのにどこよりもよくつながりました。
数時間町を歩き続けたので、どこかへ行く気力も失ってしまい、モルドヴァには何があるのかと観光サイトをいくつか見る掟破りをしてしまいました。
信じがたいほどに行きたいと思えるような場所はありませんでした。
そもそも観光などという概念がこの国には芽生えてないらしく、例えば市外ならどこへ行くにも公共交通機関ではなく車をチャーターしないダメなようです。
たぶんチャーター料は安いのでしょうから行きたいと思える場所があればチャレンジしますが、史跡のようなものばかりでそれならこの地の人々を見ていた方が楽しそうですし、若干でもモルドヴァという国を知ることになるでしょうからその気になりません。
いくつか町を巡りながらモルドヴァを数日で北上するつもりでしたが、そういう交通手段についても分かりにくく、すでに首都にして英語が通じないのに田舎に行ってからの苦労を考えたら気力も萎えてきました。
モルドヴァについて何か伝えたいという、旅人ならではの使命感があったりもしたのですが、申し訳ありませんがその気持ちは霧散していました。。

さて、作例は市内中心部の市場で見た野菜です。
市場の野菜や果物は、ルーマニアと同じようなもので、日本であまりなじみが無いのはパプリカくらいなものかと思っていたのですが、この奇妙な形の野菜を見て衝撃を受けました。
瓢箪のようなインドのコブラ使いの笛のようなかたちのウリ系野菜に、じゃがいもがトマトのような赤い帽子を被った野菜…。
どちらもモルドヴァで開発されたハイブリッド野菜のように思えてしまいます。
もし、わたしの不見識で日本にもあるポピュラーなものでしたらご免なさい。
このすぐそばでは、言葉が通じないながらも日本人だと認識してくれたおじさんがブドウを分けてくれましたが、それはごく普通のかたちでした。
皮ごと普通に美味しくいただきましたが、考えてみる市場の売り物は洗ってないでしょうし、先のハイブリッド野菜と同じ土壌で作られているのかも知れず、今後の健康被害が心配になってきました。
【Alpha7/Holmes Booth & Haydens 20.5cmF5 F5】
thema:ペッツバール genre:写真
Holmes, Booth & Haydens 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/04 Fri

贈り物にささやかなお礼

Nikkor 5cmF1.5
今日は、ようやく修道院をたずねるツアーに参加します。
ペンションまでガイドの青年がピックアップに来てくれて、続いてすぐそばの交差点でフロリダから来たというわたしより若干年上の夫婦が乗り込んできました。
最後は、わたしが初日に泊まったホテルで日本人の30代半ばと思しき青年が乗って来ました。
日本人が参加すると聞いていたのでそう思っていたのですが、彼は香港人で、どうやら日本人とはわたしのことのようでした。
フロリダの夫妻やガイドの青年は当然として、香港人も英語が達者で、わたしひとりが会話に追いついていけない悲しい事態に陥りました。
それというのも、最初の自己紹介の時に見栄を張って早口でしゃべってしまったため、誰もわたしの語学力がひとり劣ることに気付いてくれないためです。
その後しゃべる機会が激減した私に、なんでこの人は口数が少ないんだろうと皆訝しがったに違いありません。

途中までは昨日と同じ道を通り、1時間近くかかって最初の修道院に到着しました。
わたしはこういうツアーに参加したことがなかったので、勝手が分からず、入場料等はツアー代に込みだと思っていたのですが、修道院ごとに5レイ(約150円)取られました。
さらに撮影する場合は、もう10レイ追加とのことです。
ツアーでは4つの修道院を廻るので、全個所で撮影したら1800円もかかってしまいます。
ちょっともったいない気がして2番目、3番目の修道院では撮影せずに600円浮かせました。
なんだかせこい話ですが、4つの修道院とも16世紀に当地式のゴシック様式で建築された兄弟のような建築なので、わたしにとってはすべての撮影をする必要はありません。
現在は修道院として使われていないし、収入は政府のものになるとのことでしたので、あまり撮らないのに写真代を払うのは癪でした。

20年近く前にヨーロッパを旅行していた時、重点を置いていたのがロマネスク様式の教会巡りでした。
ロマネスクの教会はヨーロッパ中にあるという訳ではなく、主にフランス、スペイン、イタリアに集中しています。
探すと他の国にも同時代のものが散在していますが、ルーマニアにあるのはそれより後の時代のもので、この国への旅には興味が持てないでいたのですが、東部にあるモルダヴィア地方の教会建築については16世紀とロマネスクよりはずっと後の時代ながら、建築の内外を覆うように描かれたフレスコ手法による宗教画の見事さから関心を持っていました。
そのことはすっかり忘れていたのですが、旅の前にたまたまルーマニア関係のことを調べていてこれを思い出し、今回の旅行の最重要事項に位置付けていたのです。
当時の記憶では鄙びた田舎にある教会で、訪れる人はほとんどなく、地元の人が熱心に祈りに訪れるばかりの知られざる存在でした。
しかし、ツアーが組まれるくらいですから教会はメジャーな存在になっていて、観光客はひっきりなしに訪れ、当時の写真で感じた素朴な美しさは姿を消していました。
肝心のフレスコ画は思ったよりも損傷が激しく、日の当たる部分はかなり消失してしまっていましたし、内部はろうそくの煤が原因で黒ずんでいるため懸命の修復が行われていました。
わたしには積年の思いがあったのでガッカリ度が高かったのですが、民衆に聖書の内容を知らせるための各場面のフレスコ画の美しさや絵そのものの面白さは秀逸で、やはり待ってまでツアーに参加して来た甲斐はありました。

昼食の時のことにも触れておきたいと思います。
ガイドの青年は、ローカルのスープを楽しんでほしいと言っていて、それはパンフレットにも書いてあり、さらにはテーブルを囲んだ時にも説明していました。
それがひとつのウリのレストランでもあるわけですが、そのティピカル・スープをオーダーしたのはわたしとガイドのみで、さらによければと言われた地元のケーキを頼んだのも同じふたりだけ。
別に奇を衒ったスープでなければ、高いわけでもないのに、他のメンバーはガイドの話を真剣に聞きながら、なぜかそれぞれに自分の好きなものを頼んでいました。
スープもデザートも、同じレストランに来たら同じものを頼みたいくらい美味しかったし、スープに付くパンがあればメインディッシュはいらないとガイドが言うとおりのボリュームだったのに。
食事中は旅の話に花が咲き、わたしが世界一周中でこれまでに訪れた国の話をすれば、香港青年はタイや大陸中国などで2~3年の生活経験があり、アメリカ人夫婦に至ってはこれまでに90ヶ国の旅行経験があって、来年にはその数が100に達するだろうと我々を驚かせていました。
そんな話をまだイタリアにしか言ったことがないというガイド青年が目を輝かせながら聞いていたのも印象に残ります。
彼はまだ大学出たての22歳だというので、同じような旅の人生を歩むことになるでしょう。

待望の教会訪問をやっと実現したので、明日は早朝にも出発するつもりです。
スチャヴァという地味な町に思わぬ長期滞在になってしまったと思っていましたが、帰って来たペンションで奥さんから今日は広場でコンサートがあるから見に行きなさいと勧められました。
ステージをセッティングしているとこを見ていたのでロックか何かかと思っていたら、地元のプロのオーケストラで、しかも入場無料とのことです。
何日もいてくれたからと、町がわたしに最後の夜にプレゼントしてくれたのでしょうか。
広場での野外コンサートですが、しっかり椅子が並べられて、たぶん千人近くが聴きに来ていたと思います。
地元出身と思われるソリストが出演したり、子どもを飽きさせないように曲に合わせたレーザーのショウのような演出があったり、途中に難病のための寄付の活動があったり、最後には花火が豪快に打ち上げられたりで、純粋に音楽を楽しむというものではありませんが、シュトラウスのワルツからルーマニアを代表するエネスコの曲、ポピュラーのアレンジまで演奏された誰もが楽しめる内容で、その雰囲気が周りから伝わってくるすばらしい夜になりました。
難病寄付の場面では、ボランティアの若者が募金箱を持って呼びかけていますが、わたしは明日には出国するつもりで現金の持ち合わせがありません。
しかし、財布を見ると1000円札が1枚入っていたので、そっと差し出しました。
集計した人たちは野口英世の紙幣を見て、きっと日本人も聴きに来ていてわれわれのために募金に応じてくれたと横んでくれることでしょう。

さて、作例ですが、教会の建物を向かいの塔から撮影したものです。
ここでは教会と記載しますが、もともとの施設としては修道院で、そのうちの教会堂部分のみが公開されているようなかたちだと思います。
近くに修道僧のための施設もあったはずですが、すでに修道院としては使用されておらず、見学することもかないませんでした。
フモール修道院という名前で、ほとんどフレスコ画は消失して真っ白になり、上部などに少々残っているだけなのが確認できるでしょうか。
見学した他の修道院も検索の形状やフレスコ画の状態はほぼ同様です、
日の当たらない北側部分は状態がずっとよかったので、できればそちらの写真を採用したかったのですが、それには広角レンズが必要でした。
恐らく、屋根の形状はそのままでもともとは藁ぶきだったのではと想像します。
フレスコ画がそっくり残っていて、藁ぶき屋根のこの検索を想像するのはたやすいことてした。
【Alpha7/Nikkor S・C 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Nikkor S・C 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/03 Thu

牧童の親たち

Nikkor 5cmF1.5
今日は終日、修道院を巡るツアーに参加するはずでしたが、予約していたアメリカ人が次の日にずらしてくれと言ってきたとのことで、ツアーは明日に順延になってしまいました。
単独でもツアーを催行することは可能ですが、その場合80ユーロ、明日まで待てばひとり30ユーロだというので、1日延ばすことにしたのです。
ツアーは9時から5時までなので、戻ってから移動することは難しくなるため、ペンションにトータル3泊することになってしまいました。
昨日のうちに近隣を廻りつくした感のあるわたしをオーナーは気の毒に思ったのか、知り合いに交渉して郊外を廻る車のチャーターを40ユーロで受けてもらいました。
わたしが農村を見たいと言ったからですが、本当はバスで往復する安上りなものをお願いしたかったものの、交渉してもらった話では往復200キロ走ってこの値段なのでかなりの破格値ですから断る理由はありません。

やって来たのは、まだ30代半ばに見える青年で、名前を何度か聞き返したので省略してデンと呼んでくれと言われました。
英語は片言程度だったのではっきり分からなかったのですが、どうやらメインの仕事は大型トラックの運転手をしていて何度もトリノまで往復しているようでした。
数日非番なところ、第2子が生まれたばかりで、ありがたい臨時のアルバイトと考えてくれているようです。
乗って来たのはSEATというスペインのメーカーのワゴンでもう15年も乗っていると言いますから、就職と同時に買って、今までずっと乗り続けているのではと思われました。
彼は日本車のファンですが、当時は安かったSEATにせざるを得ず、エンジンはVW聖なのでトラブったことはないとのことです。
さすが普段はトラックを運転するだけにスピードを出さない燃費重視の安全運転で、おしゃべりしながらでも安心して乗っていることができました。

スチャヴァからはまっすぐ西に向かう道で、これは彼が仕事でも使う通称ヨーロッパへの道だとの説明です。
目的地に着く前にオープンなカフェで休憩があり、彼はタバコを吸いだしました。
車の中など密室ではタバコを吸わない、彼なりの気遣いだったようです。
その後、最初に訪れたのがエッグ・ミュージアムです。
タマゴの殻やタマゴ型の石などにペイントしたイースターエッグのミュージアムで、あまり期待していなかったのですが、すばらしい展示でした。
個人のコレクションにも関わらずコレクションは70ヶ国にも及んでいて、日本をはじめとしたアジア各地やアフリカ各国にもイースターエッグがあるのが意外でした。
ヘッドホンによる英語の解説が牧歌的なしゃべりでわたしにもどうにか聞き取れます。
オーナーはブカレスト在住のアヤコさんという日本人女性と親交があるそうで、日本のこともよく知っているというか、かなりの日本贔屓と感じさせる方なのが、ルーマニアのこんな田舎でという意外性を高めるのがまたよかったと思います。

次に入ったのは民芸品を中心に展示するミュージアムでした。
旧ソ連の南部一帯には木の工芸文化があり、その最東端がモルドヴァなのだとの話を少し聞いていたのですが、このミュージアムがそのことと関係あるのではないかと考えられます。
主に19世紀末から20世紀半ばくらいまでの間に当地で作られた木の製品が展示されていましたが、テーブル、いす、ベッドなどの家具はもちろん、バケツや馬車の荷車のシャーシ部分などまで金属をほとんど使わずに木で作られていて、この地が森や木とともにあったことを教えてくれます。
彫刻も見事ですし、この地でよく知られたヴァイオリン製作者もいたようで、製作過程が展示されていました。
ここでデンとはいろいろな話をすることができました。
わたしが94年のワールドカップでのルーマニアの活躍は凄かったと選手の名前をずらっと10人くらいあげるとさすがに驚いていましたが、サッカーの話題はだいたいの男性なら話が弾むのでコミュニケーションを深める助けになります。
彼の話しでいちばん意外だったのが、ルーマニア人のチャウシェスクの好き嫌いはフィフティー・フィフティーだという言葉でした。
理由はよく分かりませんでしたが、あまりにあっさり処刑されたチャウシェスクは暴君とのイメージが強かったものの、好い面もあったのかも知れません。

再び出発して田舎道に入ると湧き水があり、地元の人がタンクに水を汲んでいました。
わたしも少し飲ませてもらうと、水は冷蔵庫に入っていたかのように冷えていて、しかも甘みを感じるような味でとても美味しく飲めます。
2リットルのペットボトルに残っていた水を捨てて、この地の天然水を満タンにしました。
すぐ近くにマス料理のレストランがあったのでふたりで入りました。
さすがプロの運転手、ビールなどはオーダーしないのでわたしも見習って、先ほどの天然水で乾杯します。
クリームソースのマスは美味しいのですが、ナイフ・フォークさばきは難題で、終了後の皿を見比べればふたりの力量の差が歴然としていました。
この辺りの景観は左右が急傾斜の山で、杉のような常緑樹の森になっており、木のないところは芝地で牛が放牧されていて、アルプスの山々を連想させます。
美しさに陶酔しながらも、あんな急勾配を牛が上がれるものなのか、降りるとき足を滑らせればすごい勢いで落ちてきて民家などなぎ倒すのではなどとくだらぬことを考えてしまいます。
頂上のみ二股の大岩が露出した山の入り口まで行って、登ってみるかと聞かれましたが、時間を気にして戻ることにしました。

夕方の帰り道は、こんなにいたのかと驚くほど、干し草を満載した荷馬車とすれ違います。
作例はそれでいこうかと思っていたのですが、最後の最後に車から見えて停めてもらったヒツジの群れの中にいた羊飼いの子どもたちにしました。一家4人で飼っているヒツジは800頭もいるそうです。
牧羊犬が2頭いて、繋がれた方はわたしたちに向かって盛んに吠えますが、もう1頭は尻尾を振って懐いてきます。
これではヒツジを統率できそうもありませんが、新米の犬だと判断します。
小高い牧草だけの土地に小屋がいくつかあってうちひとつは10メートルの井戸だそうです。
さきほどの湧き水もそうですが、この一帯は水がよくて、それが野菜の味を好くし、ひいては肉や魚も美味しくさせるのだろうなあと牧歌的風景を前にぼんやり考えます。
それにしても子どもにばかり作業をさせて両親はどうしたのだろうと思ったら、小屋の陰でふたりで酒を飲んでいました。
いっしょにどうだとわたしに向かってビンを振りかざしたので一瞬、誘惑にかられましたが諦めました。
真面目なデンはきっと拒否するに違いなかったので。
【Alpha7/Nikkor S・C 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
未分類 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/02 Wed
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