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がんばれJICA

Leica Sonnar 5.8cmF1.5
安い宿に連れてきてくれて、ざっくばらんなイスラムの礼拝に参加させてくれて、かつその中で食事もさせたくれた男性はすごくいい人かといえば、わたしにはそうは言えません。
3回の待ち合わせのすべてに遅れてきて、時間を守れない人間は日本では信用されないと言っても知らん顔、観光に興味ないと言ってもツアーへの参加を勧めたり、朝食やカフェなどわたしの許可なくオーダーして支払い時に礼も言わない、日本人的感覚ではふざけた男でした。
ギリシャ正教の修道院や何とか遺跡などに連れて行ってくれましたが、そもそも観光には興味がないと言っただろと喧嘩になってしまいます。
そもそもジェリコーは標高が海抜以下の低い盆地のためとても暑く、真夏の日中に観光するようなところではありません。
昨日モスクで知り合った人たちと、冷房の効いたカフェで雑談しているとかがいちばん楽しかっただろうと思います。
この男はわたしとの会話を好まないようで、わたしのことやどういう旅をしているかなど一切聞きもしないので、話が合うはずもありません。

ちょうど書くことも何もないので、昨日予告したイスラエルとパレスティナの国境について言及したいと思います。
はっきりとは知らなかったので、現地の人に聞いたりして、ようやく状況がつかめたイスラエルとパレスティナの領土がいまどうなっているかについてです。
まずパレスティナはガザ地区とヨルダン川西岸地区(英語ではWest Bank)がイスラエルからも領土として認められていますが、パレスティナは国家として承認されていないので、パレスティナが自治は行っているものの管理はイスラエルの手によります。
イスラエルに陸路入国できるのはヨルダンからだけで、この国境の管理はイスラエルが行い、この地から西岸地区のジェリコーに行く場合、ジェリコーでパレスティナの入境審査があり、エルサレムに行く場合はエルサレムがイスラエルによっても統治されているので、とくにパスポートの検査はありません。
ところが、エルサレムから西岸地区に行く場合は、検問所のようなところはあるものの無人で、パレスティナの入境審査がありません。
なぜジェリコーにだけあるのかよく分かりませんが、恐らくガザにも入境審査があるようです。

面白いのはジェリコーを含めて西岸地区の車は基本的にパレスティナ人が運転するパレスティナナンバーですが、イスラエルナンバーの車もときどき走っていて、前者がイスラエルには入れないのに対して、後者は両国を行き来できます。
また、アラブ社会ではイスラエルを国家として認めておらず、パスポートにイスラエルのスタンプがあるとアラブ諸国では入国を拒否されます。
イスラエルではそれを承知していて、最初からパスポートにはスタンプを押さずに、別途、顔写真入りの簡易なカードをビザとして発給してくれます。
わたしが求婚したイスラエル娘も、これがビザだから失くさないでねと言って、パスポートに挟んで手渡してくれました。
むかし、何かの本で、イスラエルでは必ずスタンプは押さないよう依頼することと読みましたが、今では黙っていても別紙をくれるのがイスラエル的ないじらしさを感じさせてくれます。

そういえば、昨日の礼拝に参加していた人の中に、自分はユダヤ人で比較的最近イスラムに改宗したという人がいました。
しかし、わたしには鬚をのばしたその人の顔を見ても、アラブ人かユダヤ人かなんてことはまったく分かりません。
宗教が違うし、長らく土地を失っていたユダヤ人がアラブ人と混血しているとはあまり考えられないのですが、どちらか区別のつかない顔はよく見ました。
しかし、一般的に言って、ユダヤ人はもはやヨーロッパ人と言い切れるほど西洋的な顔立ちの人がほとんどのようですし、パレスティナ人は毛深くて足の大きな典型的なアラブ人顔がほとんどだと思います。
小銃を持った兵士をいたるところで目にしますが、そういう中には黒人の姿も多く見ました。
兵隊への志願が少ないので、外国から条件を緩めて国籍を与えることで兵士を集めているのかと思われました。
実際に去年はパレスティナと戦闘状態になったわけですし、兵隊になんかなりたくないという若者も多いでしょう。
女性兵士も多く見たので、徴兵もあるのかも知れませんが。

一方で、パレスティナの兵隊はいっさい見かけませんでした。
昨年のニュースでは、イスラエルが爆撃を仕掛ける理由としてハマスがトンネルを掘って地下から攻撃してくるのに対抗するのは爆撃だけだと言っていました。
あるいはパレスティナの軍隊というのはハマスのことになるのかも知れません。
パレスティナの友人のモハンメド君はハマスはパレスティナの政党だと言っていましたが、人々にそれなりに支持されているとのことでした。
日本ではタリバンとかアルカイダのようなテロリスト集団と思われていると言ったら、怒られてしまったことを思い出します。
あまり関心が無かったので忘れてしまいましたが、アラファトの時代に休戦協定が結ばれたはずと記憶しています。
反故になってしまったのでしょうか。
ジェリコーの街角にアラファト議長のイラストが貼ってあったので、その場の青年に彼が好きかと尋ねたら、当たり前だろうという顔でイエスと回答がありました。
彼の精神が生きているなら、和平への道も閉ざされてはいないのでしょう。

JICAが活躍してくれたおかげで、ジェリコーの町の人はみな日本びいきだと聞いていたのに、歩いているとチャイニーズと聞かれたり、ニーハオと声をかけられることが多くありました。JICAが中国の組織と勘違いされていないか心配です。
もっとも昨日子どもたちにジャッキー・チェンだとはやし立てられたように、パレスティナ人から見れば、日本も中国も違いはないのかも知れません。
わたしたちがサウジアラビアとヨルダンはおろか、イスラエルとパレスティナの区別がつかないのと同じように。
これはジェリコーに限らず、わたしが訪れたアラブ社会すべてに言えることですが、何しろタバコ好きであちこちで煙があがっているのにはほとほと困りました。
アルコールが禁じられる反動でみんなタバコを吸うようになったのか、アラブの街角で煙を避けるのは不可能です。
子どもがいてもかまわず吸っていて、たばこの害について知識がないのかと疑わしくなります。
モハンメドの教えに逆らわなければ、何をしても問題ないと言う風潮があるのかなあと
そんな気がしました。
【Alpha7/Perken Son & Rayment 16.5cmF5 F5】
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thema:ペッツバール genre:写真
Perken Son & Rayment 16.5cmF5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/31 Fri

イスラエル娘との破局

Perken Son & Rayment 16.5cmF5
またしてもツアーに参加させたいオーナーがガタガタ言ってきて、ペトラに行かなければヨルダンに来た意味がないというので、わたしは遺跡には興味がないし、意味がないなら今日ヨルダンを出て行くよと言ってあしらいました。
もともとアンマンに3泊もしたので、ヨルダンはもういいかなと思っていたところ、オーナーとの衝突で、脱出を決意することになりました。
昨日は何かあったのでしょうか、セレーナもそれがいいと逆に勧めてくれます。
オーナーの弟が通常25ディナールの国境までのタクシー代を20にしてやるからオレの車に乗れとまたしてもゴリ押ししてきたので、その料金で国境から近い死海まで連れて行ってくれと交渉します。
7キロ離れているそうで同料金は無理とのことで、必死のネゴの末22ディナールで死海を15分刊行することになりました。

歴史好きの人でもなければ死海がどこにあるかなんて知っている人はそうはいないと思います。
実はわたしもそうで、ヨルダン、イスラエル、パレスティナの中間にあって3国がそれぞれの領土を統治していることを知りました。
死海というと塩分濃度が高すぎて体のほとんどが浮いてしまうので、湖上で新聞を読んで写真を撮るというのがよく知られています。
そんな人を見つけて写真を撮ろうと思ったら、国境に近い湖岸には人気がありません。
自分で浮いて実証実験しようかと思いましたが、泥が堆積しているところへ突っ込んでしまい底なし沼のように下半身が沈んでしまいました。
情けないことにオーナーの弟に手を貸してもらい事なきを得ましたが、あのままどこまで沈んだか、まさか死海で溺死したかも知れません。
まさかと思うでしょうが、死海は沈むので行かれる予定の方はくれぐれも気を付けてください。

ヨルダンからイスラエルの国境にいるのはヨルダン人がほとんどですが、西洋人もいて一般的な国教と雰囲気は変わりません。
イスラエルはビザが必要か確認したときに、ヨルダンの出国は問題ないが、イスラエルの入国はたいへんで、長い取り調べがあって数時間はかかるので朝一で向かうべきなどと書かれているのをみました。
そのとおりヨルダンの出国審査はシンプルですが、10ディナール請求されてバスが来るのを30分待てと言われます。
実際に来たのは1時間後で、その間出国審査に来た人は多く、バスに乗れるか心配でしたが、団体は別のバスで行ってしまい取り越し苦労でした。
とはいえ、バス料金はさっき払ったのとは別で、荷物料金も取られるというけち臭い国境移動手段でした。
バスの進みはゆっくりでイスラエル側入国審査の建物まですぐそばなのに20分もかかりました。
面白いのは、建物の外側にある窓口にパスポートを提示して航空機に預ける荷物用のと同様のタグをもらい、係員にハンドル部分に貼ってもらって、建物の間にある荷物が流れるレールに乗せます。
人間の方はそのまま列に並んで係員にパスポートを見せますが、そこでは荷物検査の列に並んでよろしいというOKがもらえるだけです。
ここでは空港のそれのように手荷物と本人がX線と金属探知の機械を通りますが、さすがに問題はありません。

いよいよ次がパスポートコントロールですが、ここで数時間待たされるのだろうかと緊張が走ります。
ブースは少ないですが、もともとヨルダン人ばかりのようで、特に質問されることもなく次々と通過して行っていました。
自分の番になります。
若く美しい女性係員が厳しい顔でこちらを見ています。
入国の目的や滞在予定日数などの質問の後、ひとりで来たのか聞かれそうだと答えます。
家族はどうした独身なのかと聞かれ、独身だと答えると、なぜ結婚しないと痛い質問をしてきます。
好い女性との出合いが無かったのだ、あなたのような女性が身近にいれば結婚していたのにとヨイショで返すと、それならいまあなたはわたしと結婚してくれるのかと質問してきました。
もちろんすると返事すると、分かったわたしたちは今すぐ結婚しよう、その前に入国の手続きをするから待っててとコンピュータ操作をしています。
わたしのパスポートを手にしながら、子どもは何人つくろうかと聞くので、いまは忙しいので後でと答えると、わたしは今すぐ子どもが欲しいのにいらないならやはり結婚できないと怒った顔でパスポートを渡してきました。
わたしはイスラエル娘に求婚し、受け入れられ、その後拒絶されたものの入国審査は終了していました。
何とも不思議なやり取りでしたが、数時間どころか5分で終了したのは、わたしが彼女に気に入られたからかも知れず、再度戻って、子どもも必要なので今すぐ結婚をと言うべきだったでしょうか。

入国審査を出ると交通機関は2つしかありません。
バスで350円ほどで行けるジェリコーと1800円ほどのタクシーで行くエルサレムです。
ジェリコーがどこなのかは知りませんが値段だけで行先をジェリコーに決定します。
入国審査所から10分ほどであっけなくそのジェリコーに到着すると、そのままパスポートコントロールへ進むよう指示されます。
よく意味が分からなかったのですが、このことについては明日言及することにします。
ジェリコーのバスを降りた建物でWIFIが使えたので位置を確認し、ジェリコーのことを調べると、ジェリコーとはエリコのことだったと分かります。
エリコは世界最古の町として有名で、聖書にもしばしば登場しますし遺跡の多いところでもあるようです。
そんなことをしていると、子どもたちがわたしを指さしてジャッキー・チェンだと言って集まって来ました。
ジャッキーかと聞かれてわたしはそうだと答え、手前の子どもにアチョー、アチョーとカンフー風にチョップを見舞いましたが、あれではブルース・リーだったでしょうか。
ここから町の中心まで2キロしかないのに、タクシーの運転手が寄って来て50シュクル(1600円くらい)だというのでわたしはあきれて歩き出しました。
途中タクシーが止まって10シュクルで行くと言いましたが、最初のタクシーが50と言ったが、何も知らない旅行者を騙そうとするあなた方タクシーは信用できないので乗らないと言ったら、申し訳なさそうに行ってしまいました。
ちょうど5時ジャストに中心に着いたらツーリストインフォメーションを閉めているところで、日本人ならウェルカムと開けなおして、地図とホテルの情報をくれましたが、お勧めの古い建物を利用したホテルは満室で、別のところまで行くことになりました。
ツーリストインフォメーションの建物にはJICAのマークが付いていて、これが日本人歓迎の理由かと聞いたらそうだと笑っていました。

ホテルに向かって歩いていると、元ツーリストインフォメーションの職員だという男性が車を停めて、よければホテルまで連れて行くと言います。
胡散臭い話なので断りますが、何とか説得しようといろいろとしゃべるのがうざくて、面倒なのでそのホテルを見せてもらうことにしました。
話しは違っていて、マンションの一室を貸すホームステイのようなところでしたが、家主不在ですべての部屋を自由に使っていいと言います。
しかも、ホテルは250シュクルと聞いていたのにここは100シュクルと格安です。
町の外れにあるのが難点ですし、ホテルと違ってWIFIもありませんし、何より男性の胡散臭さが気になりましたが、価格の魅力にあらがえずここに2泊することにしました。
作例は、このマンションのそばの床屋さんで、近くを歩いていたら冷房が効いていて涼しいからと招じ入れられて、お客さんたちと雑談したりした時のものです。
オレの顔を剃るよりも、おっさんの手の毛を先に剃ったらとか会話していそうな雰囲気ですね。
夕方、件の男性が町の中心まで連れて行くというので車に乗ると、電話が入って来て、急遽モスクに行かなくてはならなくなった、いっしょに来ないかと言われ同意しました。
金曜の特別な礼拝だそうで、食事が振る舞われ、わたしも礼拝に参加していっしょに祈りました。
突然の外国人の参加に100名ほどの参加者がひっきりなしにあいさつに来て落ち着きません。
中には、イスラムの真理を説明しようとする困ったまじめ人間もいましたが、みな打ち解けてざっくばらんな話の出来た愉しい時間でした。
この礼拝で気付いたことを最後にひとつだけ書くことにしましょう。
それは、みんな足がでかいということです。
わたしもでかくて27.5センチほどありますが、わたしより身長がだいぶ低い人で足のサイズがわたしと同じくらい、180センチ以上の人は足が30センチもありそうです。
パレスティナ人はどんな人たちかと問われれば、足のデカい奴らだ、と答えれば間違いないということを知った礼拝でした。
【Alpha7/Perken Son & Rayment 16.5cmF5 F5】
thema:ペッツバール genre:写真
Perken Son & Rayment 16.5cmF5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/30 Thu

教えに背いて乾杯

Perken Son & Rayment 16.5cmF5
今朝も8時にロビーに集まって、オランダ人のクラス(クラウスではなくクラスなのだそう)とイタリア人のセレーナと朝食をとります。
クラスは弱冠22歳の大学生ですが、真面目な顔立ちにも関わらずお茶目な性格で、低く深い声で話すのをバリトン歌手みたいだと褒めたら、ことあるごとにオペラ歌手かニュースキャスターの真似して話すようになってしまい、余計なことを言わなければよかったと後悔させられます。
セレーナは、30代半ばくらいに見える女性で、母親が最近日本を旅行してすっかり気に入り、今度は桜の時期に彼女を連れて行きたがっているとのことで、来年の春にはまた日本で会えるねと盛り上がったりしました。
わたしを含めた3人は共通の趣味はなく、世代もバラバラ、しかし、こうして同じテーブルで他愛もない話を熱心にする機会をつくってしまうところが旅の一期一会的な面白さなのでは思ってしまいます。

今日は日帰り旅行でもしようと思っていたところ、死海が近くてよいのではとセレーナが勧め、それならマダバという町に立ち寄っていくのがよいのではとクラスが助言してくれました。
死海への行き方は誰もよく分からず、マダバまでは路線バスがあることが分かっていて、マダバから死海までは20キロくらいしかなさそうなので、バスがあるのではとのあてにならない情報を頼りに出発します。
マダバ行きのバスが出るターミナルまでバスに乗っていると、途中で警察にストップを命じられました。
警官が乗り込んできて、乗客の身分証明書をチェックしていきます。
ふたりの青年が降りるよう命じられ、少し緊張した空気が流れましたがすぐに戻って来て、また何事もなく発車しました。
平穏なアンマンとはいえ、ISISが実効支配しているシリアの町までそう遠くはないでしょうし、何より自国空軍のパイロットがISISによって殺害されたり、結婚式場で自爆テロがあったりしたのですから、こういう警戒を怠ってはいないということを思い出させる警察の抜き打ちチェックでした。

マダバまでは50キロほどの距離がありますが、バスは100円しないくらいと安く、路線バスなので人の出入りが頻繁で1時間半以上かかりました。
クラスが面白い町だと言っていたのでマダバを散策しますが、ここに何があるのかよく分かりません。
何人か英語ができる人に聞くと、歴史あるキリスト教会が2つと古いモスクがあるとのことです。
地下に井戸があって塔に上ることができる教会も、古いといいながら10年前に建ったばかりだよと聞いたモスクも、訪れてみるととくに面白く感じられません。
唯一、教会のギャラリーに展示されていた1900年代初頭の古写真の中に学校の集合写真があって、数人の子どもが露光時間に我慢できずに動いてしまっているのが愉快に感じられました。
20人くらいのうち4分の3の子どもはじっと動かないでいるのですが、数人が動いてブレてしまっていて、うちひとりは激しく動いていてもしかしたら写真に撮られるのが嫌で首を振り続けていたのでは、反抗心の強い子どもだったのではと自分が同じ立場でもそうしたかも知れないなどと想像しながら男女の別すら分からないその肖像をじっと見つめました。

つまらなかったモスクですが、中でぼんやりしていると老人が手招きして呼び、国籍や名前を聞きモスクに入ったのは初めてか尋ねました。
マレーシア、インドネシア、UAEなど何度か入ったことがありますが、初めてだと答えると、老人の手元にあった数珠のような宗教アイテムを手渡し、これに合わせて4種の言葉を唱えるんだと教えてくれました。
最初の言葉が3回あとの3つは33回唱えながら数珠をひとつずつずらしていくそうで、そのとおり実行すると、うんと満足そうにうなずきながらわたしにその数珠のようなものをくれました。
彼にとって、わたしはイスラム教徒として認知されたということかも知れませんし、そうやって唱えることからお前は幸せになるから毎日実践するようにということかも知れません。

ここにいるより、宿の仲間たちとおしゃべりしている方がいくらかマシだと思って、アンマンに戻るバスに乗りました。
到着したアンマンのバスステーションから2キロくらいのところにローマ劇場があるので、歩いて向かってみました。
実は前夜に、セリーナと来て、4人組のイスラムギャルから声をかけられてどこから来たのかとか聞かれました。
彼女たちはサウジアラビアから観光に来たとのことですが、サウジとか他のイスラム圏でも東アジアの人間は珍しいでしょうから気になったのでしょう。
なかなか美しい娘たちで、セレーナがいなければ写真を撮らせてくれと言っていたし、雰囲気的にOKしてくれそうでした。
同じような展開を期待して、ひとりでローマ劇場に来てみましたが、まるで昨日のことは夢の中のできごとだったかのように、人はたくさんいるにも関わらず、写真を撮らせてくれといいたくなるような女性は皆無です。
わたしは千載一隅のチャンスを逃してしまったようでした。

その後、宿に戻りましたが、仲間たちの姿がありません。
ずっと待てども誰も戻らずで仕方なく、ひとりで食事に行きました。
しかし、これがなかなかうまくいきません。
売る気が無いような店員の態度を見かねて、いらないと店を出てしまったり、混雑していたレストランではアラビア語のメニューしか置いていなかったので英語のメニューをリクエストすると、英語の方が料金が高いことに気付きました。
露骨な二重価格です。
モモとバナナとヨーグルトを買って、部屋でささやかな食事にしました。
ヘルシーな夕食にも関わらず、キッチンの冷蔵庫に免税店で買って来たアムステルが1本残っていたので、台無しにするるように、ゆっくりゆっくり味わって飲みました。
砂漠地帯なので空気がえらく乾燥していて、ビールが最高に旨いんです。
イスラム教国の真っただ中でアルコールを召すという罪悪感が、ますます美味しさを増しているような気がします。
さすが預言者モハンメドは渇いたアラブの地でビールを解放したら、みんな飲んだくれてしまうと知っていたのでしょう。
彼らには申し訳ないですが、アラブで飲むビールは世界最高です。
【Alpha7/Perken Son & Rayment 16.5cmF5 F5】
thema:ペッツバール genre:写真
Perken Son & Rayment 16.5cmF5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/29 Wed

脱税の片棒担ぎつつ

Leica Sonnar 5.8cmF1.5
ホテルにはわたしの他に、カリフォルニア在住のフィリピン人男性とオランダから来ている学生、住み込みで働いているイタリア人女性が宿泊していました。
ホテルがボロくて移動したかったのですが、彼らとすぐに親しくなったことで、延泊を決意しました。
一方でホテルのオーナーとその弟はイヤな奴らで、悪いムスリムの典型のような連中です。
しつこくパックツアーへの参加を勧めるのには閉口しましたが、もっとひどいのは犯罪への加担をさせられたことです。
別に強盗を手伝わされた訳ではないですが、ビールが飲みたくないか、飲みたければデューティーフリーショップに連れて行ってやる、安く買えるぞと、半ば強制的にどこそこのホテルの施設内の免税店に車で連れて行ったかと思うと、ビールを買わせるのを口実にわたしのパスポートを使って、大量に免税のタバコを買っていました。
いつもこうやって安くタバコを買っているのでしょう、せこい奴らです。
ちなみに免税店はヨルダンの警察が管理していて、わたしのパスポートのヨルダン入国スタンプの真下に警察のスタンプを押されていました。
出入国以外でパスポートにハンコを押されたのは初めての経験ですが、それがまさか犯罪に加担してのものだとは…。

フィリピン人のおじさんは、パックツアーに参加するらしく、今朝、出て行ってしまいました。
残されたオランダ人のクラスとイタリア人のセレーナと3人でおしゃべりしながら朝食をとります。
朝食の内容は、インドのチャパティに似た円形のパンをちぎって、ヨーグルトのようなものとかジャムとか卵を付けて食べる、典型的な中東の朝食とのことです。
これがなかなかいけますし、ふたりのヨーロッパ人も気に入ってかなり食べていました。
オランダ人のクラスは卒業レポート作成のために滞在していて、その内容とはヨルダンに逃れてきているシリア人難民を取材してまとめるというものでした。
その許可を消息筋を通して申請中だそうで、認可されれば、ヨルダンとシリアの国境の町で、シリア側にあと10キロくらいのところにある難民キャンプで活動開始するとのことです。
そんな話を聞いて思い出したのが、昨年、ISISの犠牲になった後藤健二さんのことです。
彼ももともとはシリア難民を取材していて、その後何らかの問題が起こってシリア入りして人質になってしまったということだと記憶しています。
クラスの場合は取材ではなく卒業リポートですが、例えばISISとパイプを持つ難民により詳しいリポートはわたしの実家まで来てくれればよく分かるなどとそそのかされて、シリアに足を踏み入れた瞬間にISISに売り飛ばされるなんてことがあるかも知れず、何があってもシリア側に行ってはいけないと念を押しました。
中東問題専攻の学生には釈迦に説法ですが、とにかく彼が無事に卒業できるよう余計なことでも言わずにいられませんでした。

朝食後にひとり散策を開始します。
ホテルから5分も歩くとローマ時代に造られた噴水跡があり、さらに3分歩くと同じくローマ時代の劇場の遺跡があります。
地中海沿岸の国々は、イスラムと十字軍がしのぎを削ってきたために双方の遺跡がよく残っていますが、とくにアンマンにはローマ様式のそれが多いようで、2つの遺跡を見下ろす高台にはシタデルというやはりローマ時代の神殿があって、保存状態がよくないものの、遺跡ファンにアピールするところは大きいようです。
残念ながらわたしは遺跡とか、観光名所とかにはあまり興味がなくささっと流しながら見学しただけで、レストランが少ないこの町でランチをどうするかの方が気になっていました。
どうしようかと歩いていると、ちっちゃな女の子にカモン、ウェルカムと手招きされたので入ると雑貨屋で、暑さの中をぐるっと歩いてばて気味だったので、ヨーグルトとクッキーを買ってささやかなお昼にしました。

ホテルに戻るとオーナーのイヤなオヤジが手ぐすね引いて待っていました。
ツアーを何としても売り込もうとしていますが、わたしは観光にあまり関心がないし、何しろ高すぎると断っているのに、それならいくらなら出せるかとしつこく閉口しました。
終いには、ローカル料理が食べられるがどうするかと聞くので、それならいいよと申し込むと1500円ほどと高かったのですが、めんどくさいのでOKしてしまいました。
パレスティナ人の友人のモハンメド君とはフェイスブックで連絡を取り合っていたのですが、そんな時にアンマンにヨルダン人の友だちがいるからと電話番号を送って来ました。
公衆電話はどこかにないかオーナーに聞くとオレの携帯を使えと手渡してきました。
すまないと借りてモハンメドの友人と話すと、今から行くから飯でもいっしょに食べようと言ってきました。
先ほどのローカル料理はキャンセルしなくちゃと思いながら電話を返すと、電話代1500円払えと言ってきます。
えっ、タダで使えと言ったんじゃないのかと思ったものの、強欲な男は10分ほどの携帯の通話料が1500円だと言い放ちます。
そしたら、それは払うから料理をキャンセルしてくれと頼みましたが、もう申し込んだキャンセルではないと即答したので、わたしはこいつはダメだと思い、分かった、もうここには宿泊しないから直ちにチェックアウトさせてくれというと、なぜだ理由を教えてくれと真面目に聞いてきました。
しつこいツアーのセールス、電話を使わせて後で高額請求、少し前のことをキャンセルしたいと言っても確認もせずにダメだと言う、こんなのが立て続けにあって怒っているのは明白だろうに、理由が分からないとは本当にいい加減にしてくれと言いたくなります。
ここは、やり取りを聞いていたセレーナが間をとりもって、電話代を払う必要なしとして宿泊は続けることになりましたが、料理はすっかり無駄になってしまいました。

モハンメドの友人だと言う青年はヨルダン人で割と気さくでした。
家で食事に招待すると言って、15キロほど離れた彼の家に車で連れて行ってもらいます。
アンマン市内ですが、郊外の丘陵地帯のような町並みで、ヤギを放牧しているところもあって、何より静かでのどかなところがわたしには魅力的に見えました。
放牧地にテントが張られていて、シリア人労働者の家だと教えてくれました。
難民は働けないはずで、ベトウィンは例外的に認められているのかも知れません。
青年は35歳ですが、すでに3人の可愛い子どもたちがいて、とても幸せそうです。
とくに女の子が可愛らしく、自然の巻き髪と彫の深い整った顔立ちは、有名なハリウッド女優の子どものころだと言われても信じてしまうのではと思うほどの美形で、思わずレンズを向けてしまいました。
家は、真新しくて5年前に建てたばかりだと言います。
彼は、いま夏休みでマレーシアから一時帰国していますが、10日ほど後にはクアラルンプールに戻り、来年経済博士号を取得予定とのことです。
どうやって家を建てたかと問うと、ヨルダンでは息子が卒業するくらいの時期に親が家を建ててやるというのが普通なのだそうで、この家もそうして建ててもらったのだということでした。
土地はもともとあって、建物だけで800万円ほどと日本よりは安いですが、それにしてもヨルダンの父親はたいへんなようです。

それにしても、この土地は素晴らしく、夕方の日が落ちる前に玄関前のスペースにみんなで椅子を並べて、庭のブドウを食べながらのんびりおしゃべりしているだけで、心地よい風の中で幸せな気分になります。
砂漠を少し開拓したような土地で、北に100キロも行けばすぐシリアという位置にあって、この平和な雰囲気はとても予想できないことでした。
美味しい食事をいただいていると、近くに住む親せきがやって来ては食事に加わったり、わたしたちとおしゃべりしたりします。
最後は、みんなで玄関に出て、メッカの方向に向いてお祈りしていました。
お暇する間際になって、初めて奥さんがやってきてあいさつするのですが、残念ながらヘジャブによって顔は隠れていて眼だけが確認できるだけです。
あんなに美しい娘の母親なのでさぞかし美人だろうと思うのですが、イスラムのルールでは確認することを許してはくれないようでした。
【Alpha7/Leica Sonnar 5.8cmF1.5 F1.5】
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Leica-Sonnar 5.8cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/28 Tue

わたしはアンマンが好き

Leica Sonnar 5.8cmF1.5
チェックインがクローズされてしまい、オマーン航空のオフィスに行くと明日朝の便に振り替えるとのことです。
本来は超格安チケットなので搭乗できない時点でチケットが紙クズになる可能性もありましたが、事情を説明すると同情して振り替えてくれたのかも知れません。
ただし、条件として、第3国に出る航空券を買っておかなければなりません。
オマーン航空のチェックインは第1ターミナルで、昨日エミレーツ航空が到着したのはいかにも最新設備と感じさせる第3ターミナルでした。
WIFIも第3の方がよいのではと考えてシャトルバスで移動してみると、果たしてWIFIは高速で繋がり、呆気なくテルアビブ~イスタンブールのチケットがこれまた格安で買えてしまいました。
昨日のうちに気が付いていれば、足止めを食うこともなかったのですが、もう深夜になってこれから町に出てホテルを取るのもばかばかしく空港内で一夜を明かしました。

テルアビブからの航空券を持っていればOKとの話でしたが、再度、朝のチェックインに向かうと、やはりアンマンからの航空券ではないからと言って揉めることになってしまいました。
ヨルダンのアンマンからイスラエルのテルアビブへの移動が難しいものではないことは互いに承知していますが、イスラエルに行くということを問題視しているのかも知れません。
またしてもオフィスに出向かされ、支店長さんに一から説明して目的地はイスラエルではなくパレスティナだということを理解してもらって、今度はクローズ直前に搭乗券を発券してもらいました。
この支店長はとても理解ある人で、わたしの世界一周エピソードなどを話すように言い、楽しそうに聞いてから、気を付けてと見送るように許可してくれました。
昨夜もこの人がいてくれれば状況は変わったかも知れず、少々残念な気がしました。

本来のチケッティングでは昨夜のうちにマスカットについて、夕方の便でアンマンに到着するので、オマーンに入国して短時間滞在する段取りでいましたが、マスカット着が本日になったことで、それはできなくなりました。
首都マスカットに半日滞在したところで意味があることではないかも知れませんが、同じようなパターンでスリランカに滞在したときはそれなりに楽しかったので、がっかり感は否めません。
マスカット着陸直前に見えた空港近隣の町並みは、砂漠の中に無理につくった町のようで、あまり快適な滞在はではなかったかも知れないですが。

到着したアンマンの空港は何フライトかの到着が重なったためか入国審査がごった返していました。
しかし、アライバルビザ40ディナールと書かれたカウンターは空いていて、わたしは手持ちのドルを両替してそこに向かったのですが、日本人はビザ不要だと追い返されてしまいました。
アラブ人たちが並入国審査の長い列に並ばねばならず、本来はビザ不要と知ってラッキーと喜ぶべきところを損した気分になってしまいました。
1時間並んでスタンプを押してもらい、すでにターンテーブル上に出てきていたトランクを拾い上げてツーリストインフォメーションに町への行き方を聞くとバスがあり、そのバスもすぐに出発するなど、割と順調に町まで移動できました。
到着したバスステーションでは、バスの運転手がタクシーで3ディナールでダウンタウンに行けると教えてくれたので、8ディナールだ、6ディナールだと吹っかけてくる運転手をかわしながら気さくな運転手のタクシーを拾うことができました。
しかし、その運転手にヨルダンはアラブにあって産油国ではないので、3ディナールでは厳しいんだよと教えてもらいます。

先日、友だちと肉まん派かあんまん派かというような話をしたときに、わたしはあんまん派だと答えたのですが、ドバイ派かアンマン派かと聞かれてもわたしは断然アンマン派だと答えるでしょう。
空港周辺やちょっと郊外へ出ただけで荒涼たる砂漠が広がるアンマンですが、町に広がる白やベージュを基調とした家並みが美しく、オリーブの木が多くみられるので、イタリアかスペインのどこかに来たように錯覚します。
非常に坂の多い町で、車が無いと生活はたいへんそうですが、その起伏に富んだ奥行き感が町並みの美しさを立体的に強調するかのようです。
驚いたのは日照時間と気温で、すでに8時過ぎに着いたのにまだ十分に明るく、気温も20度くらいしかないようで、心地よい風がかなり吹いていることもあって、カーディガンか何か羽織るものが欲しくなるくらいでした。
日中も日陰にいると思いのほか涼しくて、ドバイが砂漠性の気候なら、アンマンはすでに地中海性の気候なのではないかと感じました。

タクシーは、ダウンタウンの真ん中、ホテルが数軒並んでいるところに停まりました。
どこでもお好きなところにどうぞという感じですが、わたしはメインストリートに面していて車の通りの多い宿は嫌なので、坂をちょっと上ったあたりにないものかとDVDショップの暇そうにしていたおじさんにたずねると、2~3分坂を上ればホテルが1軒あるよと教えてくれました。
ロケーションとしては最高の位置で、屋上に上がると素敵な眺望が得られるのですが、いかんせんホテルはボロボロで、古いというだけではなく、メンテナンスをまったくしていませんと頑固に言い放っているようなところでした。
仕方ない、行き当たりばったりではこんなことはしょっちゅうです。
さて、本日の作例は、ホテルのすぐそばにあった、いかにも胡散臭いというか、なかなか好いセンスと言えなくもないというか、そんなお店があったので人が通りかかるのを待って撮影しました。
店の名はバルシャ・サルーンでマークの中に鋏の絵があるので、ヘアサロンであることが推測できます。
バルシャという名前だからでしょうか、バルサ=FCバルセロナのマークを完全にパクっています。
これを見たバルサファンは、わたしもそうですが、怒るよりもすばらしいセンスに思わず笑ってしまうはずです。
インターネットのニュースで東京オリンピックのマークがリエージュの劇場のそれにそっくりだと話題になっていると読みましたが、これなんかもバルサのマークのコピーだったらみんな笑って問題にしなかったかも知れないと考えると残念な話です。
【Alpha7/Leica Sonnar 5.8cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leica-Sonnar 5.8cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/27 Mon

チェックイン拒絶

Leica Sonnar 5.8cmF1.5
日本への帰国のために費やした日数を差し引くと、今日が、世界一周旅行を始めてちょうど100日目になります。
記念すべき日ですが、昨日の記載のようにロクな日にはなりませんでした。
すでに前々日からしておかしなことになっていて、関西空港への到着が1時間前になってしまったのですが、どうせ上海行きの中国東方航空はディレイだろうからと、呑気にチェックインカウンターまで歩いていたら、空港アナウンスでわたしの名前が呼ばれて至急、カウンターに行ってチェックイン手続きするようにとのアナウンスがありました。
珍しくディレイではないのかと、カウンターに駆け込んで手続きしてもらうと、やはり1時間のディレイで到着も1時間遅れてしまいました。
こんなこともあろうかと態度保留にしていたのですが、今回は午後に上海について翌朝のドバイ行きに搭乗するので、上海浦東空港から比較的近い古鎮に滞在してみようかと計画していたのですが、1時間遅れで滞在時間が短くなってしまったので、これをあきらめて素直に空港そばの安宿に泊まりました。
久々の中国古鎮訪問ができず残念です。

そして昨日になって悪夢です。
空港には離陸時間の2時間も前に到着して、東方航空のチェックインカウンターに並ぼうとしたのですが、すでに滅茶苦茶な列ができて最後尾は外にはみ出していました。
1時間前にはチェックインが閉じられる可能性があるので、正味1時間しかありませんが一見して1時間でカウンターにたどり着ける列の長さではありません。
案の定、半分も進むことができずに1時間前になったので、列から離脱して航空会社のスタッフにそのことを告げるとアナウンスするからこの位置で待っていろとの返事です。
しかし15分待っても何もなし、別の職員にもう一度詰め寄ると、間もなくアナウンスがあるからと言われ、また10分経っておかしいと思い今度は職員がいなかったので、図々しくカウンターに割り込んでいくと、ドバイ行きはクローズしましたと受け入れてくれません。
ずっと並んでいたこと、2回もアナウンスするから待てと言われたと説明するもチェックインは不可能で、スーパーバイザーのところへ行けと言われます。
次のドバイ行きに振り替えるが、ドバイ行きは明後日まで無いと言われ、それだと購入済みのアンマン行きに乗り継げないと再抗議して、チケッティングカウンターに行けと言われ、そこでもダメで、スーパーバイザーに再説明したところ今夜のエミレーツ航空を抑えたので、それでドバイに行ってくれとのこと。

やれやれですが、エミレーツのフライトまで8時間もあって、どう時間をつぶすかが次の問題になりました。
空港で荷物を預けて昨日果たせなかった古鎮まで行ってみるかと考えたのですが、レフトバゲージ料金が1000円近いと聞いて断念しました。
空港からはバスですが、バスを降りてからタクシーに乗る必要があり、タクシー代も片道1000円はするだろうと踏んでいました。
面白いかどうか分からない古鎮に3000円出すのは、ホテル代1泊3000円以下をポリシーに旅行している身にとってはいかにもアンバランスな行動です。
それでも宿泊をともなうならトータルで楽しめば良しとしますが、時間を埋めるための短時間の見物には浪費と考えました。
したがって地下鉄で適当なところに行って、またバスで違うところまで出て戻ったのですが、コストはかかってなくてもまったく面白味のない見物で終わってしまいました。

時間に空港に戻りエミレーツのカウンターに行くとまったく予想もしなかったことを言われました。
手数料とかそういうことはもしかしたらと覚悟していたのですが、そうではなく、わたしの席は確保されていなくスタンバイだというのです。
状況を聞くと、もともとオーバーブッキングのところにスタンバイの3番目とのことで、搭乗できるかはまったく分からないとのこと。
これはやられたと思いました。
東方航空のスーパーバイザーはしつこく食い下がる日本人客を振り切るために、搭乗できる見込みのない満席フライトにスタンバイで振り返る割振り裏ワザで自分の立場を守り、結局は明後日の東方航空でドバイに行かざるを得なくしたのではと。
しかし、さらに意外なことにエミレーツ航空は1日2便朝と夜にドバイ便を飛ばしていて、これに乗れない場合は明日朝なら確実に乗れますと言います。
指定した時間に確認に再訪するとキャンセルが多く出たため、オーバーブッキング分もスタンバイ分も全員、搭乗できるとのことです。
本来、前夜に到着のところを10時間くらい遅れの朝5時の到着で、今回は安くて場所の分かりやすいホテルを予約していて、前回の記録を1時間更新する、朝の6時にチェックインとなってしまいました。

チェックアウト12時までホテルに滞在して、街歩きをします。
つい先日ドバイをあてもなく歩いて収穫も乏しかったことから、前回の作例のヘリテージハウスの運河を挟んだ向かい側にバスティキヤという古い町並みがあるということを調べ、そこを目的地に歩き出しました。
例のヘリテージハウスでどう行くのか聞くと裏の通りから運河に出て、アブラに乗るとすくだとのこと。
アブラというのは20人くらいが乗れるガソリンエンジンの小型船で、アラブの国でアブラで動くアブラに乗るとはこれ如何にという感じで撮ったのが、本日の作例です。
ドバイにしては格段に安い1ディラム(40円弱)で乗れる庶民の足のような乗り物であり、観光客がこんなにいたのかというくらい乗っているのがまた特徴です。
しかし、かつてはこのあたりの町並みを形成していたであろうバスティキヤは残念ながら現在はギャラリーやホテル、レストラン、土産物屋などが各建物にテナントとして入っている観光用施設のようなエリアに成り下がっていました。
にも関わらず観光客はほとんどなく、施設も閉まっているものが多く、何より現地の人が歩いているなどということはなくて撮影の意欲も起こりません。
またホテル側にアブラで戻るとそのあたりが工具関係の店が集まる一大エリアで、大型機器を買ったりすれば自分で運べないので、その運搬を請け負う若者が台車とともに多く道を占拠していたのが印象的でした。
仕事はなかなか来ないようで、ぼんやり雑談しているところを撮影しましたが、彼らはたぶんUAEではなく近隣のアラブ諸国から出稼ぎにやって来たもののいい職が見つからずにこんな風にくすぶっているように見えました。

さて、アンマン行きのために意気揚々と空港へやって来て、またしてもひどい目に合いました。
わたしがアンマンから外国への航空券を持っていなかったので、購入するよう求められたのです。
空港内の無料WIFIで安いものを検索して購入しようとしましたが、WIFIが弱くて購入手続きになるとタイムアウトしてうまく買えません。
何度試してもダメで、チェックインカウンターに戻りますが、買えたかどうかが問題であって、そんなこと知ったことじゃないという態度です。
インフォメーションカウンターでWIFIの強そうなところを聞いて試しますが、やはりダメでこれはノーマルチケットを買ってアンマン到着後にキャンセルし、安いチケットを買いなおそうと考えました。
もう一度ノーマルチケットを買うとカウンターで話すと、クローズまで2分しかない、お前は間に合わないと言われます。
チケッティングオフィスはさいわいすぐそばだったので、ダッシュして発見してもらおうと手続きしながら、カウンターを見ると閉めているではないですか。
またカウンターに行っていまチケットを購入中なので待ってくれと言いましたが、さっきも言ったようにいまクローズしたので買っても無駄だなどと言いながら立ち去ってしまいました。
なんと、わたしは昨日の上海~ドバイに続いて、2時間以上前に空港についていながらチェックインに間に合わなかったのです。
【Alpha7/Leica Sonnar 5.8cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leica-Sonnar 5.8cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/26 Sun

2度目の挑戦も成功せじ

Lerebours et Secretan 10cmF3.5
本来であれば、本日から世界一周の旅の続きがドバイ到着と同時に始まるはずだったのですが、諸事情あって、上海で足止め状態のため、旅とは離れますが、前々回帰国したときに、ksmtさんと大判撮影して来たので、今日はそのときの作例に言及というか言い訳を書くことにしたいと思います。
前回と同じく原宿の某通りにてカメラを用意して、通りかかった理解ある女性に依頼して撮影したものです。
うーん、これはひどいですね。
撮影後のフィルムが再露光しないように引き蓋を撮影前のように差し込むのですが、どうもそれが不完全だったために光が漏れたということのようです。
また、フレーミングも我ながらよく理解できません。
レンズがかなりの広角であることは理解していたので、被写体にぐっと寄ることを意識していたはずなのですが、彼女たちが後退りしてしまったかのようです。

前回の大判初挑戦のときは、手持ちで撮ることにこだわって、ピントクラスでピント確認後フィルムホルダーを差し込み、その時にカメラが動いてしまったようで、ピント不正確な写真が出来上がってしまったので、今回はそうならないように一脚を使用しました。
一脚を使ってしまえばすでに手持ちではないので、だったら三脚を使うべきではとの指摘はごもっともで返す言葉がありませんが、それにしても一脚ならカメラ位置を固定できるとの考えはあまく、これもある程度習熟しないとカメラは平気で前後に動いてしまいます。
軽いカメラなら固定可能でしょうが、スピグラ+ペッツバールレンズの重さでは軽量の一脚はしなっている感じさえしますし、一脚が支えている以上に左手でカメラを固定していなければいけないというのが実際でした。

今回ルルブールを使用したのは積極的な理由があるわけではなく、たまたま手持ちのレンズボードの穴のサイズがほぼルルブールレンズの鏡胴の径と同じだったので、加工する必要なくテープで留めるだけで使用可能だったからです。
4×5で使うにはイメージサークルがかなり厳しく4角はケラレている状態でしたが、それでも構わないので、せっかく集めたペッツバールタイプのレンズはひととおりスピグラで使ってやりたいと考えています。
機会があれば、4×5以上のイメージサークルがあるレンズは5×7、8×10などで使いたいですが、現状でそこまでは無理なので、時間をみては4×5で各レンズを撮影していくというのが当面の目標です。

今回もフィルムのセッティングから、現像、デジタル加工までksmtさんに全面的にお世話になりました。
あれだけ世話を焼かせて結果がこれでは申し訳ないですが、次回は三脚使用も辞さず絶対に成功させて周囲をアッと言わせたいと思います。
大判をやるなら自分で現像すべきではの意見ももっともで、もちろん挑戦するつもりではいるのですが、現在の旅暮らしときどき帰国、では1日撮影に時間をとるのが精いっぱいで、そんな事情を察してくれたksmtさんに助けられています。
そんなヘルプもあってのんびり旅が続けられていることは忘れないようにしなければ。

4×5のスピードグラフィックは登場から何度かモデルチェンジしていて、そのバリエーションの豊富さも人気の一因のようですが、素人に困るのは互換性の有無などの情報がないことです。
最大の問題はレンズボードがすべて共通かどうかなのですが、というのは、スピグラ用のレンズボードは中古でも1万円近くしたりけっこう高価なのです。
たまに安く出てくるので、そういうのを見つけては買いためるのがよさそうですが、使用したいレンズの本数分集めるのは簡単ではなさそうです。
木製の新品が安く売られていて、これが使用可能なら大いに助かるのですが、たぶん互換性がないんだろうなと半分あきらめています。
形状的には周囲に溝があったりするので、手作りしたりオーダーしたりも簡単ではなさそうです。
安いボードで2500円くらいするので、30数本のレンズ分買うだけで10万円近くなって、涙が出てきそうです。
スピグラ愛好者は少なくないと思うのですが、みなさん、あまりレンズを持たないようにしたりしているのでしょうか。

話しは変わりますが、今年は写真家・浜谷浩氏の生誕100年で、確認できた限りでは少なくとも平塚や新潟で写真展が開催されます。
平塚はほとんど地元なので見学に行きますが、8月1日に浜谷浩氏をもっともよく知る多田さんの講演があるのを知って参加できないのが残念でなりません。
多田さんはわたしが旅立つ前に写真や旅について面倒を見ていただいた人でもあって、温かい人柄がそのままトークになる素敵な方です。
もしどなたか浜谷氏のファンはもちろん、写真になんとなくの興味があって見ても分かるかどうか心配という向きでも、多田さんの話付きで写真を見れば理解が深まるのは必定だと思います。
時間がある方はお調べになってぜひお出かけになってください。
【Sped Graphic/Lereboures et Secretan 10cmF3.5 F3.5】

thema:ペッツバール genre:写真
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/07/25 Sat

アツアツのピザをどうぞ

Squire & Co 14cmF3.6
UAEもそれなりに広いので、砂漠サファリとか紅海の大物釣りとかのアクティビティを考えるとけっして退屈な国ではないだろうと思います。
しかし、ドバイに限定してしまうと、世界一高層のホテルやらでのホテルライフ以外に楽しみは一切なさそうです。
そういうホテルが存在しなかった20年近く前に1度ヨーロッパの経由地としてドバイに数日滞在したことがあります。
ドバイに行ってみたかったというよりは、近寄りがたい雰囲気を発していた中東に一度足を踏み入れてみたいと思ってのことで、その時もすることがなくて思い付きでレンタカーを借りてラクダの隊商らしきものを見かけたりしながら砂漠の上のハイウェイを飛ばしてオマーンまで行って折り返して来ただけの何もない滞在でした。
そういえば、船中泊のフィッシングツアーがあると聞いて、参加できないかと船長まで会いに行ったところ、ずいぶんと大きなクルーザーで2泊3日15万円くらいのことを言われて即答で断ったことも思い出しました。

一般的に滞在中の国で見かけた人は現地人と見なせますが、UAEの場合、外国人労働者を相当数受け入れているようで、わたしが会った人がUAE人かそうでないのかなかなか判別できないのが困りました。
というより、ひとりもUAE人を見かけた可能性すらないのではと心配です。
肌の黒い南アジア系の顔立ちの人が多いのですが、これを前回はすべてインド人とみなしていましたが、宗教的なことを考えればパキスタンやバングラデシュ人もいる可能性が高いと思われます。
カトマンズからドバイのフライトもそれなりに混んでいたので、ネパール人もUAEには少なくないと推定できます。
アフリカ系と思われる黒人も多く見かけます。
モーリタニアやソマリアなど東アフリカにいくつかイスラム国があるそうなので、それらの国から来ている可能性がありますが、わたしには彼らの国籍を特定するのは不可能です。

最難関は中東風の顔立ちやコスチュームの人々です。
彼らは、地元ドバイの人なのか、UAEのどこか地方から来ているのか、あるいは周辺国から来ているのか、そういうことが一切分からないし、失礼なので聞くこともできません。
以前、何かで見たことがあるのですが、産油国UAEは税金や社会保障費が極端に安い一方で公務員なども高収入なので、労働的な仕事はすべて外国人が引き受け、現地人はもっぱらオフィスワークに従事するとのことでした。
ドバイの町中にはショッピングモールやスーパーマーケットがこれでもかというくらいに多いのですが、そこで見る警備員やレジ打ちなどには見る限りUAE人はいなさそうです。
全然お客さんがいなくて暇そうにしている店員などはUAE人っぽいですが、もちろん確証はなくこれだったら失礼でもないので聞いてみてもよかったかなどと思ったりしています。

そのUAEも20年前にはまったく見なかった中国人が大量に存在していました。
中国料理店はそこかしこで見ましたし、中国人旅行者が多いのもとても目につきました。
香辛料を多く扱う通りがあったのですが半分観光地化したそこは、わたしが歩いているとニーハオと声をかけられ、わたしでは聞き取れない恐らく何か香辛料の名前を中国語で言って中に招じ入れようとします。
わたしはアラビア語が分かりませんととぼけて言うと、今度は日本語で、こんにちはサフラン、バニラあるよと切り替えてきます。
こうなるととぼけきれず、断って逃げるしかありません。
このあたりに東洋人が来たら、彼らのファーストチョイスが中国語で続いて日本語と、日本人より中国人がずっと多く来ているだろうということを証明してくれています。

暑い暑いドバイを日中散策すると、どこかでビールで休憩したくなりますが、さすがに厳格なイスラム国だけにビールを入手するのは困難です。
外国資本の高級ホテルのバーに行けば高価だがある、という情報を得ましたが1泊だけなのでそこまでする必要はありません。
あきらめていましたが、ふと、スーパーに入ると小ビンのバドワイザーが並んでいました。
こっそりこういうものも売られているのか、それとも滅茶苦茶高くて誰も買えないような値段なのかとよく見ると、ラベルにNAと書かれています。
ノーアベイラブルかと思いましたが、言うまでもなくノンアルコールと解するべきでしょう。
130円ほどと他の炭酸飲料よりは倍くらい高いですが、思ったよりは安かったので1本試してみることに。
日本のノンアルコールビールがどんな味かはよく分かりませんが、たくあんを1日浸けておいたような何ともえぐい味がしました。
日本のノンアルコールがこんな味でないことを強く願いたいとだけ思いました。

中東らしい政治とは裏腹のアメリカへの憧憬があるためか、ドバイにはハンバーガーをはじめアメリカっぽいファストフードをあちこちで見ました。
ケバブバーガーなんかは美味しそうで、できれば食べてみたかったと残念です。
言うまでもなくマクドナルドやケンタッキーはあちこちにありましたし、日本で何年か前に大流行したクリスピークリームドーナツも見かけたのは、これでもかという甘さが現地で受け入れられていることを意味していそうです。
作例は宅配ピザですが、灼熱の中をムスリム服で正装しながらバイクというのがユニークです。
よく見るとヘルメット越しにこちらをにらんでいる様子が分かります。
気温が45度ですので、のんびり宅配したとしても、いつでも熱々のピザが食べられるのが受けているのかも知れません。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/24 Fri

同じ民族に見えません

Squire & Co 14cmF3.6
ボドガヤで出合った日本語のできるインド人の話によれば、パキスタンも、バングラデシュも、ネパールも、スリランカも民族はみなおなじインド人とのことでした。
そしたらモルディブもそうかと聞けば、彼はわたしに指摘されたのを照れながら、そうモルディブもと付け加えました。
彼の言わんとする正確な意味はよく分かりません。
例えばインド国内だけでも民族や宗教、言葉がいくつにも分かれていて、ガンジーの肖像が書かれた10ルピー札には15の言語で表記されていることで知られています。
ヨーロッパでアングロサクソン系かラテン系かと分ける分別法に照らせばそういうことになるのかも知らず、中国人が日本人、韓国人、モンゴル人はみな我々中国人と同じだと言っているのだと同様とすれば、あまり穏やかな物言いではないのかも知れません。

前にも書きましたが、インドのゴラクプールからネパールのルンピニに入ると人々の顔つきは少し違って見えました。
もちろん、ゴラクプールの人がみんな同じ顔をしていた訳ではないので、ぼんやりした印象での話ですが、それにしても相対で見ればネパール人はインド人と同じとはとても思えず、さらにポカラに行くとそれはいっそう顕著になりました。
ネパールは山岳少数民族の多い国だと聞いたので、民族ごとに顔つきが少しずつ変わってくるということがあるでしょうし、チベットと国境を接していてむかしから宗教上のつながりがあったので、血が混じったということもありそうです。
いずれにしても、先のボドガヤのインド人をポカラに連れてきて、全然違うように見えるがと問えば、そんなはずはないと不思議がることでしょう。

インド人よりネパール人の方が全体に実直でややシャイな人柄というのがわたしの感想で、人口がずっと少なく、国自体がいなかと言えるネパールの方が素朴であるのは当然のことです。
とはいえ、これはニューデリーはじめインド人に騙され続けたわたしの意見であって、ネパールで騙されてインドで救われたという人がいれば、まったく逆の感想になる可能性は否定しません。
また、外国人がまったく来ないようなインドの田舎とカトマンズのみを旅行しても、真逆の印象を持った可能性が高いと思います。
インドのコルカタ、ボドガヤ、ニューデリー、プシュカルとネパールのルンピニ、ポカラ、カトマンズを旅したうえでの感想と言えば、案外それなりに的を射ているのではと思わなくはないですが。

言語について分かることはあまりないのですが、コルカタ近辺とバングラデシュは共通のベンガル語が使われていて両者の間はよく通じるそうです。
しかし、インド全体で話されている共通語はヒンズー語で、ヒンズー語とベンガル語はわずかに似ている部分もあるそうですが、まったく別の言葉になります。
両者とも独自の文字を持っていて、一見するとよく似ていますが、これもまったく違っているとのことでした。
一方、ネパールでもヒンズー語が話されていて、インドとほぼ同じ文字で表記するのですが、発音はけっこう違うところがあるとのことです。
慣れている人はインドとネパールのヒンズーを使い分けられるそうですが、それがそう簡単なことではなかったのが、インド映画を原画のままネパールのテレビでそのまま流し続けたりしたためか、ネパールにはヒンズーのバイリンガルは多いそうです。
これは東京と鹿児島の人が会話をするようなもので、鹿児島の人は東京の人に対して標準語でやり取りできますが、鹿児島人同士の会話は東京人には聞き取れないというのに似てそうです。

わたしが会ったインド人はみなモディ首相を信頼していると語っていました。
就任直後に日本に行ったことや安倍首相と会談したこともみなよく知っていました。
一方、ネパールのトップはよく分かりませんが、政治についてはポカラで話をした人のほとんどが否定的でした。
その理由は、インドに支配されてしまっているから、でした。
ネパールでは政党も政治家もインドの政党や政治家と密接な関係があって、彼らの政策に左右されて国民を考えることはないというものです。
わたしがポカラに到着した日はタクシーの運転手がストライキを起こしていたそうですが、ネパールではストライキやデモがよく発生するそうです。
それを聞いて、わたしがネパールに入った翌日にルンピニ行きのバスが出なかったのもストライキが原因だったのではと思い当たりました。
ポカラのタクシーも全部がストライキしたわけではなく、市民に迷惑がかからないよう、部分的にストライキやデモを決行するのがネパール流なのだそうです。

さて、本日の作例はポカラの郊外の私立と思われる小学校の生徒を撮影したものです。
4人はとても似ていて全員が兄弟か、少なくとも両サイドの女の子は姉妹だと分かります。
その両サイドのふたりは彫が深くて、もしかしたら西洋人とのハーフではと思うくらいでしたがそうではなく、西洋風の顔立ちは多くはないもののときどき見かけました。
ネパールでは、土着型のインド人タイプ、北方の人が混血したと見られる西洋人タイプ、チベット人か中国移民の地が入った日本人に似ているタイプ、いずれにも該当しなそうな恐らく少数民族タイプ、の4タイプに大別できるのではと思いました。
そういえば、英語はインドでもネパールでもよく通じましたが、それは私立の学校で教えるものなのでしょうか、まったくしゃべれない人が多いですし、もっと困るのは何をしゃべっているのかさっぱり分からない人で、得意になってわたしに話しかけるのですが、わたしはほんどと理解できずで会話にならなくて、お前は英語ができないのかとあきれられることが2~3度ありました。
ヒンズー語に由来するのか巻き舌で話す人が多く、R音は特にひどいので、例えばAre you doctor?は、アー・ユー・ドクター?ではなく、アル・ユー・ダクタル?のように聞こえます。
毎回2度も3度も聞き返すので、相手も疲れて話しかけてこなくなるのですが、こちらから金を取ろうと思っている連中は、何度聞かれてもずっと引き下がらず、それだけで互いにだいぶ疲れてしまうのでした。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/23 Thu

災害に屈せず

Squire & Co 14cmF3.6
わたしの旅した範囲ではネパール大地震の影響は、少なくとも視覚的にはあまり感じるところがありませんでした。
テレビニュースでは、地震で破壊されたところや避難生活を強いられているところばかり映像で流すので、ついついほとんどのエリアがそういう現状なのかと錯覚しがちです。
しかし、地震の被害がなかったところを映像で流しても意味がないので、倒壊した建物ばかり見せていかに地震が凄かったかを示そうとする報道姿勢はある意味誇張主義で正しくないのではないかと思うのですが、いかがなものでしょうか。。
例えば、カトマンズでは市街地で推定2%の建物が倒壊していますが、都市機能はまったく損なわれておらず、不運にも倒壊したがれきをボランティアと片付けながら多くの人がこれまで通りの生活をしています、一方で近隣の農村では簡素な石積みの家、干乾し煉瓦を重ねた家など被害は甚大で、多くがビニールシートを張った仮住まいでの生活を余儀なくされており、けが人が収容しきれないこと衛生状態の悪化から彼らの救済が急がれますが、政府も全体の規模を把握しておらず、水や食料などの緊急支援物資を大目に送るよう呼びかけています、などとやれば、何となくではあれ状況が大づかみできると思われます。

わたしがネパールを訪れたときには地震からすでに3ヶ月も経っていたにも関わらず、現状を知るすべがありませんでした。
日本の旅行会社や航空会社は、もう地震から3ヶ月で安全だからどしどし旅行してくれとはまだ言えないでしょう。
まだ大きな余震の可能性があって、それによる被害が無くても交通機関がマヒして帰国が1日遅れるでもしたら、日本の場合は大きな問題になる可能性があるからです。
ましてや、旅行者本人が怪我でもしたら、お前の会社が安全と言ったじゃないかと補償問題になるので、余計なことは口頭でも言ってはいけません。
いちばんいいのはネパール政府がすべてをオープンにして、まだ絶対に安全ではないですが、観光はつつがなくできますし、大きな余震が起こる確率は我が国の気象庁予測で何%なので、これでもよければぜひ自己判断で観光に来てください、と説明することだと思います。
ネバールに行きたいけど心配と二の足を踏んでいた人たちが、それならとこぞってやってくるでしょう。

一部の報道の範囲で知るだけですが、震災後の東北を支援するという活動は、少なくとも日本国内における最大のものだったのではと思います。
地震直後はもちろん、震災から何ヶ月と時間が経過してもボランティアの活動はずっと続きましたし、東北の物産をなるべく購入したり、東北を積極的に旅行するという傾向は今でも続いています。
被災した東北の力に少しでもなれればとみな考えたからですが、これは世界の人がネパールに向ける目という意味でも同様なはずです。
東北は震災には屈していないと現地の人たちが頑張って笑顔で接することで、物産を買ってよかった、旅してよかったと思わせてくれたのが何よりよかったと思いますが、ネパールの人たちも苦しさを内に秘めつつ、笑顔で旅行者に接してもらいたいです。
旅行しようというきっかけは、現地が復興の努力をしているという情報であるし、旅行してよかったと思うのはその情報通りに現地の人が笑顔で頑張っている姿を見ることができたときだと思うからです。
現在、日本に大量に旅行者を送り出している中国ですが、ネパールに対しても例外ではなく、それに対応するためかポカラにもカトマンズのタメル地区にも10軒近い中国料理店があってその凄まじさを感じ取ったものです。
しかし、いったん危険となると見事なくらいに人がいなくなるのも中国らしいというか、一部ビジネスの中国人らしき人を見た他は、中国人旅行者はほぼ皆無でした。
危険となれば、すぐ行かなくなってしまうあたり中国らしいと言えるでしょうし、それ以上に中国が情報をシャットアウトする社会なので、なかなか地震後のネパール情報が得られずに行くことができないでいる人が多いのではないかと思います。
新聞でも、ニュースでも、ネット情報でも、すべてが官制の、つまりは中国共産党のソースからしか情報が得られないのですから、まことに気の毒な人たちだと同情しないではいられません。

中国と言えば、ポカラで食べた中国料理はなかなかいけました。
ポカラ到着後、カトマンズを経つまで、恥ずかしながらわたしは胃の調子が最悪で、見地料理、つまりはカレーを食べる気になれず、インターナショナルな料理があるカフェでスパゲティを食べたり、日本料理屋でうどんや天丼を食べたりしたのですが、一部の店のカルボナーラが美味しかったのを除けば、かなり厳しい味だと言わざるを得ませんでした。
日本に行ったこともない人が、恐らくは日本食レシピをネットから翻訳して少なくとも見た目は日本料理風に仕立てたものという程度なので、味まで追求するには無理があります。
ところが中国料理の方は、少なくともわたしが入った店は中国人がオーナーで、コルカタに着く前に昆明で食べた中国料理などよりずっと美味しかったのです。
もともと中国料理を食べるつもりはなかったのですが、店の前に置かれたメニューが写真付きでどれも本格的中国料理で、ほんとにこんなのが出てくるのか試してみようと入ったところがその通りの料理だったのですっかり感心してしまったのです。
日本の中華街の中華料理は中国人が日本人向けにアレンジして作っていますが、ネパールの方は中国人観光客向けに作っているので本格度ではずっと上を行っています。
行き当たりばったりの場合、日本料理はやめておきなさいと言いますが、中国料理はメニューの写真が美味しそうで中国人が経営と確認できれば、お勧めしたいと思います。

食べ物ついでにフルーツのことも。
今回はたまたまマンゴーの収穫時期と旅が重なったようで、バングラデシュ、インド、ネパールといたるところでフレッシュなマンゴーを食べることができました。
だいたいどこでも1キロで50~80円くらいですが、1キロと言うと大きいので3つ小ぶりなのでは4つ買うことができ、一度に食べるのに十分な量です。
マンゴー専門屋台かマンゴーも扱うフルーツ屋が至るところにあるので頼んでカットしてもらいます。
マンゴーは中心の縦長部分が硬くて食べられないので、それと並行に2ヶ所カットして3つに分けてもらいます。
左右は皮以外をペロリと食べ、中央は皮を剥いて硬い部分を避けて食べます。
それを3つ4つと食べるとけっこう満腹になるし、みずみずしさで渇きも癒される気分になります。
栄養価がいかにも高そうなマンゴーは、胃の苦しさでまともに食事ができない時の精神的な支えにもなってくれました。
ネパールの震災時に食料と水の配給が不足していると報道されていましたが、もし、マンゴーの出回っている時期であれば、それを解決する大きな手段なっていたのではないでしょうか。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/23 Thu

超父性社会か

Squire & Co 14cmF3.6
ボドガヤにはわたしがインドで唯一見たツーリストインフォメーションがありました。
インドではツーリストインフォメーションの看板を出しているのはみな旅行代理店で、おそらくホテルを紹介してくれと依頼すれば多額なコミッションを取られ、観光地の相談をすればそこへはタクシーでないと行けないから特別手配してやるなどと言われ、ようするに情報を得ることと引き換えに多大な損失を被るのがインド式のツーリストインフォメーションだとわたしは解釈しました。
ニューデリー駅のそばで、プシュカルの滞在やゴラクプールの切符の手配をしたのが、やはり表向きツーリストインフォメーションと書かれたオフィスで、わたしは途中でおかしいと気付いたものの抵抗し切れずまんまと騙されてしまいました。

ボドガヤのインフォメーションはちょっと違っていて、しっかり職員を名乗る男性がふたりいました。
日本語のパンフレットも手渡してくれ、わたしは疑うことなく公的なツーリストインフォメーションであると信用しました。
初老の男性が、近くを案内すると言います。
外はとても暑く断ればよかったのですが、着いて行ってしまいました。
徒歩圏の寺院をあまねく案内しようと、日本のお寺が建てた大仏像から見学がスタートします。
2つ目の寺院の見学中に、このままでは熱中症になると考え、そのむね伝えてホテルに戻ろうとしましたが、老人は聞く耳持たずで平然と次の寺院へ連れて行こうとします。
このままでは、わたしもあなたも体が危ないと言ったのですが、そんなことはないと聞き入れず、お寺の中で口論になってしまいました。
それでも言うことを聞かないので、もらっていた日本語パンフレットを突き返して、もうわたしに干渉しないでくれと小走りでホテルに戻りました。
ホテルにあった1リットルの水を一息に飲み干すほどに喉が渇いていました。

老人は仏教寺院を案内しながら、自身はヒンズー教徒だったのですが、インド人は仏教をヒンズーから派生した傍流とみなしているので、ヒンズー流解釈で勝手に説明してしまうようです。
インド人やヒンズー教に、身勝手さや自分中心の発想があると感じるようになりましたが、きっかけになったのがこの老人との寺院見学でした。
以降、会う人会う人、他人のことを全然配慮しないなあという印象がより高まり、それが修正されることはありませんでした。
ボドガヤでは、日本語を話すインド人が派閥を形成するようなところがあって、日本人とみるとその利権にたかりつこうと露骨に争っているということも以前のブログに書きました。
ボドガヤに行かなければ、自分のインド感は違ったものになったのではと後悔しますが、それは後の祭りです。

インドでホテルやゲストハウスに宿泊するときはパスポートの提示とともに、宿泊台帳のような分厚く大きな帳簿に必要事項の記載を求められます。
名前や住所は分かりますが、父親の名前を書く欄があってこれにはいつもとまどいました。
なにしろ台帳なので次に記載する人は、前に記載した人の住所や電話番号、年齢、父親の名前まで個人情報がバレバレです。
どうせ確認しやしないのだし、ホテル従業員を含めてインド人に情報が渡るくらいなら適当に書いてやれと、途中からいい加減な記載をしていました。
さすがにこれまでインドからDMが来るなどの不愉快な思いはしていません。

この台帳には、もうひとつ、どの町から来たかと次にどの町へ行くかも記載しないといません。
どこから来たかを書くのは容易なことですが、わたしのようなあまり計画のない旅をしていると次の行先がなかなか書けずに困ります。
中国であれば地名はいくらでも出てきますが、インドの地名を述べてみよと言われても位置関係とともに言えるのはいくつもありません。
コルカタで記載するときはつまってしまって、どうしようと思っているときにガヤという地名を思い出して、適当にそう書いたらちょうど列車で8時間くらいの距離だったので不自然ではないと分かり、ホテルの人からハウラーという駅から行けることも教えてもらい、嘘から出た実ではないですが、実際のガヤにいくことになってしまいました。
この欄だっていい加減な記載でいいと後で気付いて、以降は知っている地名を思いつくままに書くにとどめました。

さて、作例はガヤ付近の町並みの中に見た自転車の青年です。
近くに市場がありそうだったので、今夜のメインディッシュ用にトリを一羽購入したもののようで、自転車の推進力を高めるために、こんなところに括り付けているわけではないと思われます。
中国でも東南アジアでも、トリを生きたまま買ってきて足を縛って上下逆さに運搬するのはありきたりの風景ですが、自転車に括り付けているのは初めて見ました。
このエリアではほかにも、ペットボトルを頭の上に載せたまま歩いている女性を見たり、2メートル近いハンガー掛けに服を50着くらいビシッと並べて売り歩くおじさんがいたり、被写体には事欠きませんでした。
ただ、その後急速にインドに関心を失って写真をほとんど撮らなくなります。
写真が無いと、そのときインパクトを受けて眺めたちょっとした事象がすべて記憶から消失してしまうことに気が付きました。
撮影には記録するという意味があるということを俄かに忘れてしまっていたのでした。
【Alpha7/Frilon 5cmF1.5 F1.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/21 Tue

ロマンスは起こらず

Squire & Co 14cmF3.6
ジュール・ベルヌの80日間世界一周で、インドは、主人公が世界一周するにあたっていちばん重要な国でした。
シーンのひとつが、まったく女っ気がなかったストーリーに囚われの身だった未亡人美女を救出するというロマンスです。
じつは、わたしもインドでのロマンスに大いに期待していました。
恋愛感情が起こるかは別として、美女が現れてちょっと親しくなるとか、そんな展開がわたしの世界一周でも起こるのではないかと。
しかし、結論を先に言えば、それはまったくの不発で、インド女性は箸にも棒にも掛からぬようなものしか見掛けませんでした。

わたしが旅した間に見たインド人の97%がヒンズー、2%がイスラム、1%がシーク教や仏教などその他宗教という感じの割合でした。
少なくとも女性ではそんなものではないかと思いますが、なぜそれが分かるかと言えば、ヒンズー女性は必ず鼻の左側に金色のピアスをしているからで、イスラム女性の象徴であるヘジャブで顔を覆う女性とたぶん仏教徒と思われるごく一部を除いて、老若女女問わずみんなかみんな、鼻にピアスをつけていました。
ピアスの穴は幼児の頃パチンと開けてしまうんだそうです。
大きくなってからだと事故が起きたり痛みが続くことがあるが、幼女のころなら1日泣けばそれで済むからだと聞きました。
そうであるならヒンズー家庭に生まれた女の子は、本人の意思が確認できるようになる前にヒンズー女性の象徴のような穴を開けられてしまうということのようです。
子どもの人権団体からクレームが来そうな話ですが、問題になったりしないのでしょうか。

わたしがインド女性は箸にも棒にもといったのはこのピアスのことではありません。
とにかく、今回もペッツバールレンズ持参でしたので、どこかでポートレイト撮影をと意気込んでいましたが、その対象になりそうな女性はほぼ皆無でした。
少なくとも、訪れたコルカタ、ボドガヤ、デリー、プシュカル、ゴラクプールでは。
町中で見かける男女比率は、子どもや学生を除くと9対1以上の差で男性が多いのも不思議です。
理由を聞く機会はありませんでしたが、女性が社会進出するのが日本よりはるかに厳しい世界だからとか、独身女性があまり人前に出てはいけないという暗黙のルールがあるのではとか゚そんなことを想像しました。

プシュカルはヒンズーの聖地で、宗教的に重要な時期が近いこともあって、訪れている女性が多数いましたが、いずれも中年以上でした。
そしてそれら女性たちは例外なく太っていますし、それはプシュカルに限らず滞在地のいずれもそうでした。
男性も肥満が圧倒的に多いですが、インドは暑いから体をあまり動かさず必然的に太るのか、あるいは肥えていることが富の象徴のように考えられていて競って太るのでしょうか。
女性はサリーを着ていてうまくすれば体形を隠せますが、横から見るとだぶだぶのウエストがよく見え、何かの折にお腹の出っ張りも目立ってしまうので、じっとしていなければ太り具合はバレバレです。
万一、美人がいたとしてもあの体形をみるとゲンナリです。
子どもや学生でも肥満はけっこう多くて、なかなかな女子高校生くらいの子なのにもう腹が出ちゃったりで、この子に麗しき青春時代というものが存在するのだろうかと余計な心配までしてしまいました。

本来行きたかった北インドのシムラーからカシミール地方には、色白で彫りの深い美人が多いとそうですし、以前、何かの本でそのあたりの女性こそ世界一の美人の住むエリアだと聞いたことがあります。
もし、ニューデリーから入っていれば間違いなくそのあたりを訪れて実地調査の苦を厭わなかったでしょうが、コルカタ、ボドガヤ、ニューデリーと散々インド人の嫌な部分のみを見せつけられて疲労困憊になった神経には、その勤めを果たす使命感は残されていませんでした。
仮に美女がいたとしても、性格までもが北インドでは一気に変わるということはないでしょうから、がっかりさせられる前に断念しておいて正解だったと慰めを言うことにしておきます。

さて、本日の作例ですが、プシュカルで見かけた自称ジプシーの女性二人組です。
散歩中、突然声を掛けられて写真を撮れと、こんなポーズをしました。
かつてハンガリーや北イタリアに多くいたアジア系移民は、エジプト人ではとの誤解からエジプトがなまったジプシーの名で呼ばれましたが、のちにインド系であることはよく知られ、彼らが自称するロマと今では呼ばれています。
彼女たちがジプシーだと名乗る意味はよく分かりません。
いきなり手を押さえつけられ、幸せになれるという模様をハーブ素材の液体のようなもので手のひらいっぱいに描かれてしまいました。
そして終わるや否や、金をよこせ、です。
当然、拒否して揉めますが、こちらが折れないとみると、分かったもういいさっきの写真をデリートしてと言われ、オレの手のひらの絵をデリートしたら写真もデリートすると返したら、わかったそのままでいいと立ち去ってしまいました。
手のひらの絵は、困ったことに、その後1週間ほど消えることはありませんでした。
【Alpha7/Frilon 5cmF1.5 F1.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/20 Mon

下着が見えてますよ

Frilon 50mmF1.5
ドバイから帰国しました。
また、国内に数日の潜伏ののち、旅の続きを開始するまでしばらくインドで受けたダメージを回復させたいと思います。
日本の懐かしい湿度の高い暑さに到着早々苦しんでいますが、あらためてドバイの気温を調べると最高気温が45度となっていて、中東よりはずっとマシだったのかと日本の真夏が若干涼しく感じられました。
それにしても極寒の時期にモンゴルを旅して、ラマダン時期にイスラム圏に入りかけ、いちばん暑いさなかに中東方面を旅するという日程建ての悪さが我ながら悲しくなります。
3月に中東から東進して7月モンゴルなら時期は最高だったのでしょうが、計算して日程を組まずに世界一周を考えればこんなものでしょう。

ところで、今回もコルカタと同様、中国東方航空のドバイ~関西往復で日本に戻りました。
なぜか関西行きの方が成田行きより航空券がだいぶ安かったから購入したのですが、関西に旅に精通した知り合いがいるので、そこで報告とアドバイスをもらったりして、翌日の高速バスで自宅に帰ります。
こうしてしまうと宿泊代、バス代、食事代等々で関西経由の経済的メリットはなくなりますが、旅で生じた怒り・不満を聞いてもらえると精神的に楽になるので、総合評価ではやはりこのルートで帰って正解なのです。

中国東方航空で立て続けに帰国と言うと、相変わらず中国が好きなんだなあとあきれられそうですが、購入理由は圧倒的に安かったからというだけです。
中国の航空会社は日本の航空会社はもとより、中華航空、キャセイパシフィック航空、タイ国際航空、マレーシア航空などのアジアの航空会社にも大きく劣り、安いのだという理由なしに利用したくないキャリアです。
中国内の国内線は当然のこと、コルカタ~昆明、ドバイ~昆明という国際線にすらビールがありません。
この点だけでも、いくらか払えばビールを飲むことができるLCCの方がマシです。
中国と日本を結ぶ線にはなぜかビールがありますが、まったく冷やしていない青島ビールが出てきます。
ぬるくてもそれなりに美味しいビールはありますが、青島は酸味が強くて泡ばかり立ち、わたしにはちょっと飲めません。

フライトアテンダントはおおむね英語を話しますが、たまに役員の愛人か何かで採用されたかと勘繰りたくなるような美人だけど言葉がさっぱりなのもいます。
夜中にのどが渇いて呼び出したところ、英語で話しかけるとボタンを消して勢いよく逃げ去るアテンダントには苦笑しました。
アテンダントたちが悪さをすることはないですが、乗客たちには毎回毎回嫌な思いをさせられます。
まず、とにかくうるさい。
しばらくすると落ち着きますが、機内に入って離陸するまでは何デシベルあるのか、日本であれば騒音公害として十分認定されるレベルです。
その原因の一つが、彼らの多くが複数人のグループで、自分たちの番号の席の並びでは気に入らず、大声で俺はこっちであんたはそっちではどうだろうとか、席替えしては隣通しで大声で話し、違う相手と話したくなるともう席替えが間に合わず、何人か人を飛ばして話すのですからさらに声が大きくなります。
今回のドバイの便は前後の席が同じグループでしたのでわたしの頭上に会話が飛んできて、これはたまらないと最後尾の席に替えてもらいました。

それと、シートベルト着用のサインが消えるとやたらとトイレに行ったり別の仲間のもとに行ったり動く人が多いのですが、多くの人が左右の座席をつかみながら歩いています。
座席が揺れるので寝ていれば何事かと確実に起こされます。
ひどいものなると、立ち上がるときに前の座席の肩のあたりを両手でつかみますので、これを後ろの席でやられるとたまりません。
続けてやられたときにはさすがに腹が立って、これはわたしの席であなたの席はこちらなので、まず後ろを向いてから自分の座席を押しながら立つようにと言ったら、実際そうしたかはともかく、以降その人はわたしの座席をつかみはしなくなりました。
嫌がらせでやっていた訳ではなく、自分のことしか考えない人たちなので、言われてみてそういうもんかと初めて気付いたということだと思います。
こんなんですから言うまでもなく、座席の背は目いっぱい下げますし、左右の肘掛けは両方自分のものだと思って手を乗っけています。
ビールを出さないのは外国人が酔って、こういう連中とトラブルを起こさない配慮なのではと思えてきました。

ドバイから昆明空港に着いていったん中国に入国してから昆明発上海行きの便に乗るという手続きを取りましたが、その荷物検査のところで立て続けにこれぞ中国という体験をしました。
ひとつは目の前の若い女性が白いスラックスを穿いていたのですが、ピンクの下着が透けて見えてしまっていたことが、中国人って変わらないなあと思わせました。
むかしからこういうのはよく見ましたが、恥ずかしいという概念は経済発展しても、パンツの面積を含めてあまり変わらないようです。
もうひとつは、荷物検査前にゴミ箱があってどの国の空港でもそうなようにペットボトル等が捨てられているのですが、そのゴミ箱を漁る人が次から次へと現れます。
ペットボトルに手を付けないのでおかしいとおもったら、使い捨てライターを集めているようでひとつ見つけたおばさんが連れの娘にやったねと自慢しあっていました。
このエリアには搭乗券が無いと立ち入り禁止のはずですが、搭乗券を持っている人はライターを持ち込めないので拾う意味がありません。
何組もいたゴミ箱漁りの人たちはいったいどこから来て、ライターの運命はどうなるんでしょうか。
さて、作例は中国と関係なく申し訳ないですが、インドの旅をスタートさせたコルカタでの1枚です。
この男性も、子どものものをつまんだり、サングラスをかけさせてプライバシーを保護してあげたりやることがよく分からないことでは中国にまったく劣りません。
【Alpha7/Frilon 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Futura Frilon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/19 Sun

ドバイの熱い朝

Squire & Co 14cmF3.6
カトマンズからドバイへの便は夜の11時出発予定ですが、その時間をまわっても搭乗ゲートすらどこか表示されていませんでした。
悪天候のため到着が遅れていますとのアナウンスがありましたが、同時間帯のフライトはおおむね時間通り飛び立ってしまったので、言い訳臭い気がします。
昼間のニュースで読んだ、ちょうど1年前にウクライナの親ロシア派軍によって撃墜されたとされるマレーシア航空も、大量の中国人を積み込んで定刻通り飛んでいってしまいました。
結局2時間遅れの出発になりましたが、このフライ・ドバイという会社はお詫びのアナウンスすらありません。
フライ・ディレイに改名すべきと手紙でも書いてやりたいです。

到着予定は夜中の1時半でしたが、2時間遅れで3時半になってしまいました。
さらに入国審査で長蛇の列の上、わたしの順番の時、係員に顔が違うと不審がられIDを出すよう明示されたので免許証を示すと、わたしの顔、5月に作り直したばかりのパスポートの顔写真、数年前撮影の免許の顔写真を見比べて、不審な顔をしつつも入国スタンプをポンと押して、さあ行け行けと命令調に指示されました。
ここのところあまり見なくなった高圧的な入国審査員にイライラしつつも、さすがにイミグレーションの列が長かっただけに荷物はすでにターンテーブルを回っていて、すぐに両替に向かうことができます。
ATMで2000円程度の両替をするつもりでしたが、さすがUAEの銀行はそんな低額からの扱いはしてくれず、最低15000円からになっていて断念せざるを得ません。
両替商があったので、どこかの国のビザ用にと用意していた米ドルを20ドル両替しました。
ホテル近くまで行く24時間運行の100円程度のバスがあるはずでしたが、誰に聞いてもそんなのはないと言われるばかりで、700円ほどでプリペイドカードとバス代を支払って別のバスに乗りました。

バスはだいぶ高い分とんでもなく親切で、乗車した人全員の行先をひとりひとり聞いてその近くで降ろしてくれます。
わたしの予約したホテルはマイナーなため運転手は知らなかったのですが、何々通りのコマーシャルバンク裏側などと書かれていて、たぶんこの辺だろうと降ろされた通りに、CBIと大きく書かれた建物があって、これがそうではと裏に回るとまさにホテルがあったので、今回のスピーディなホテル発見には自分でも驚いたくらいです。
しかし、到着はすでにうっすら明るくなり始めた朝の5時です。
もしかしたらチェックインは拒否されるのではと心配しましたが、こういうことになれていそうなレセプションはささっと処理して、遅い到着なのでチェックアウトは14時で構わないと柔軟な対応ぶりでした。
ホテル予約サイトで4番目に安いホテルでしたが、それでも5000円もして、個人的には予算をだいぶオーバーしています。
しかし、フィードバックの高評価どおりの価格以上の対応と、新宿でこのクラスのホテルなら2万円くらいしてしまうんだろうなあという広さや設備に納得しているうちに、昼まで熟睡しました。

チェックアウトした1時からフライトの20時半まで時間がありますが、残念ながらホテルに地図はなくあてのない散策になりました。
気温は40度くらいでしょうか、時折風が吹きますがそれがまるでドライヤーの熱風のように感じられます。
最初の5分間のみこの程度の気候ならどうにかなると思っていたのですが、やはりダメで、全身から汗が噴き出したと思うとそれは止まらず、ペットボトルの水はすぐに底をついてスーパーに入らないといけなくなります。
水を飲めば渇きからは一時的に解放されますが、汗が噴き出すのでまた補給と繰り返すことになり、サウナに入っているのといっしょなので体には好さそうにも、熱中症のリスクから体に悪そうにも感じられて、考えれば考えるほど頭がくらくらしそうです。
わたしだけ暑がっているのかといえばそんなことはなさそうで、道行く人の背中は誰もが汗でぐっしょりになっていました。
つい昨日までラマダンが行われていたはずですが、こんな暑さの中で何か作業をして水も飲めないとなったら、それこそ死を覚悟しないといけないのではと深刻に考えたりもします。

歩く方向の勘が悪かっただけかも知れませんが、予想した通り歩けど歩けど関心を惹くような建物も人の溜まりも何も見つかりません。
予想できていたので散策なんかしなければよかったのですが、この暑さの中を数時間歩いたことが自分としてはアラブ体験の入門編としてちょうどよかったと納得することができます。
ドバイと言えば、世界一の高層ホテルとか海に突き出してモミの木が枝をはるように建物を配置したホテルとか有名なものがありますが、ホテルマニアでないわたしには関心が湧きません。
そういうのは日本ではハコモノと呼んで批判されるんだよと言いたいところですが、UAE人からあなたの国のオリンピック会場は何なのと反論されるでしょうから何も言えませんが。

4時間近く歩いて駅の表示を見つけてここから地下鉄で折り返そうかと思ったところ、何ともうまい具合にヘリテージハウスという1850年に建設されて今は伝統的なUAEの暮らしを再現する博物館を見つけました。
新築のように改装されていたために見落としていましたが、たまたま職員が出てきたところで何だろうと見たら目が合い、ミュージアムを探しているのかと聞かれ反射的にイエスと答えて中に招じられました。
この博物館の素晴らしいのは部屋ごとに冷房ががんがん利いていることで、そうでなければ素通りしてしまいそうな説明表示をゆっくり読むことができます。
中庭では砂場で遊ぶ子どもの様子が再現されていて、このあたりの土地はもともとは砂漠で、そのうえにドバイの町が構築されていったことを思い出させてくれました。
小一時間見学していましたが他に来館者はなく、作例になるような写真は撮れないでいましたが、建物を出るとその脇がなかなかいい具合に曲がった路地になっていて、ぴったりのタイミングで男性が歩いてきたのでどうにかブログ用の写真撮影も1発で終わらせることができ、その足で地下鉄に乗って荷物を預けてあるホテルに戻りました。
テレビの釣り番組で、全然釣れないのに終了間際の最後の一投で狙いの魚がかかって、がんばった甲斐がありましたと胡散臭く終わることがしばしばありますが、わたしのドバイはそれとよく似ていました。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/18 Sat

吊り橋怖い

Squire & Co 14cmF3.6
本日、夜のフライトでドバイに行くつもりですが、そのチケットが購入できません。
満席で予約が入らないという理由ではなく、いちばん安い24000円のチケットのオンライン決済がうまくいかず、タイムアウトしてしまうのです。
2日間何度試してもダメだったので諦めざるを得ず、近くの代理店で購入することにしました。
代理店は星の数ほどあって、ボッてくる店もあるので、1軒で決めずに何軒か比較する必要があります。
最初の5軒は同じような値段で、そこいらが相場かとあきらめましたが、ここが最後と入った店は他より4000円も安かったので購入しました。
たかが、4000円と思う向きもあるでしょうが、この地でのホテル2泊分、節約する人だったら食事代5日分といえば歩いた報酬としては十分と感じます。
しかし、航空券代は30000万円になってしまったので、オンライン決済の不調のためにこれでも4000円損しています。

ホテルに戻ってチェックアウトを済まし、夜のフライトの時間までどうしたらよいものかと相談すると、地図を手渡してくれたうえでいくつかのスポットにマークを入れてくれました。
無目的に歩いて何も見なくてもいいのですが、どこの土産物屋でもぶら下がっているTシャツなどに描かれていたブッダの眼がカトマンズの象徴だと思いだし、どこかの寺院に行けば見られるかと思い聞いたのですが、ホテルから2~3キロほどとのことで歩いて行ってみることにしました。
もちろん正式な名前のある寺院ですが、いま思い出せないので別称のモンキー・テンプルと呼ぶことにします。
このホテルのマネージャーはヒンズー教なので別のヒンズー寺院に行くことを勧められましたが、ホテルから仏教寺院とは反対方向にあって歩くのはたいへんそうです。
空港までのタクシーをホテルに依頼して支払いもしてしまったので、あとは昼食代と夕食代分くらいしか残っておらず、移動にタクシーが使えません。
もうひとつホテルから近いダルバール広場も行くべきと勧められたので、ここを通って仏教寺院で1日過ごすことにしました。

しかし、ダルバール広場に着くと職員に呼び止められて入場料を払うように言われました。
広場なのに入場料が必要なのかとしぶしぶ財布を出すと、750ルピーと言われて驚きのあまり言葉を失います。
ネパールのかつての王宮建築やら何やら、この国を代表するものが揃っているとの説明ですが、物価を考えると1000円というのはだいぶ高すぎるような気がします。
地震当初のニュースで、歴史ある建物が完全に倒壊してしまいましたと報じていたのがここだったようで、入場料はその修復に充てられるのかも知れませんが、それにしてもここで支払ってしまうとほぼ食事抜きになってしまいます。
旅行者には厳しい価格設定ですね、本日、帰国なので現金の持ち合わせがないので見学はあきらめますと言ってUターンしました。
職員も申し訳なさげでした。

地図を眺めながらモンキー・テンプルを目指すと、町中だというのに小さな川に吊り橋がかかっています。
ルンピニ~ポカラ、ポカラ~カトマンズとバスの中で何度か峡谷の中の吊り橋があって、あの高さと長さではわたしには渡る勇気は出ないだろうなとおぼろげに考えましたが、ここなら問題なく渡ることができます。
しかし、下の川を見ると真っ黒に汚れていて、落ちた場合の恐怖は峡谷の橋に勝るとも劣らずです。
絶妙のタイミングで子どもが手をつないでやって来たので、本日の作例とさせていただきました。
橋から20分ほど歩いてようやくモンキー・テンプルに到着しましたが、なるほど別称の由来でしょうサルがあちこち駆け回っています。
しかし、俺はヒンズー教だからブッダなんて知ったこっちゃないよと言う態度の現地人たちが、大きな仏像の膝や掌の上に無神経に腰掛けていました。
山頂のストゥーパに描かれたブッダの眼が悲しげに見下ろしているように見えます。
マホメットの風刺画を描かれて怒るイスラム教徒の気持ちが少しだけわかったような気がしました。

またタメルエリアに戻ると昨日、楽器演奏を披露してくれた男性にまた出合いました。
あと数日で田舎へ戻らなければいけないので朝からずっと外国人に声を掛けているとのこと。
たまたま中国語で話している中年男性がとおりかかったので、助けにならないかと中国語で楽器や学校のことなど事情説明しましたが、興味なさげに立ち去っていきました。
少し中国語ができるので説明してみたんだけど相手にしてもらえなかったと報告すると、中国人は自分のことしか考えない人たち、日本人や西洋人でないと理解してもらえないですという、返事でした。
少なくとも彼は中国人をよく思っていないのは態度からも理解できましたが、過去に嫌な思いをしたのか、ネパール人自体がそういう印象を持っているだけなのか、少し気になりました。
タメルには日本料理、韓国料理、チベット料理、イタリア料理などの各国レストランがあって、町に溶け込むようなたたずまいですが、中国料理店のみ真っ赤な巨大看板を掲げた店が目立っていてあきらかに浮いています。
こういうところからもネパール人の中国に対する反感が広がっているような気がしました。

夕方遅くなってなおも歩いていると、またダルバール広場前に出てしまいました。
チケットオフィスにはすでに人影がありません。
それを狙って来たせこいヤツのようで気まずいということもあって、写真を撮ったりはせずに建物だけ見て通り過ぎました。
絶望的なくらいすごいがれきの山と被害を免れた建物でも倒壊の可能性があるものには近寄れないようロープで規制しているのが目につきます。
がれきというと、福島県の津波によるがれきを自治体で分担して受け入れるという時に、拒否した市があったりしたことを思いますが、そういう不愉快なことを除くと、地震が日本国民の気持ちをひとつにしたというか、逆境によって向かうべき方向性を示してくれたようなところがあったような気がします。
ネパールではどうなのでしょうか。
同じようなことは言えるだろうと期待しますし、地震被害国同士で日本に親しみを感じたネパール人も多くいたのではと思っています。
しかし、インドやネパールで感じた彼らの自分だけよければという考え方が、復興の障害になっていないか心配です。
楽器演奏の男性が、家は倒れてしまったが今度は地震でも大丈夫な家を建て直したいと言っていたように、彼らの生活が地震以前よりよくなってくれることを願わずにいられません。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/17 Fri

サランギという名の楽器

Squire & Co 14cmF3.6
ずっと快適なバスであることを期待して1700ルピーの超デラックスバスでカトマンズに向かいました。
ポカラからカトマンズまでは、6時間というのでルンピニからポカラより近いですが、料金が倍以上なので倍以上よかったかと言えばそんなこともありません。
劣化が激しいバスはすでに製造メーカーも判別できず、車掌として乗務していた兄さんは英語がさっぱりできず休憩が何時までなど確認もできません、
などといちいちケチをつけていてもしようがないので、1時の到着予定が3時半だったということだけ書くにとどめましょう。
ホテル探しはポカラでの反省から近くまで来たと思しき所でカフェに入りグーグルマップで位置確認すると案外あっさり見つかりました。
ただ、少し奮発して2500円相当の宿を予約したのに、悩んだ1500円程度のホテルの方が清潔かつセキュリティがしっかりしていそうでがっかりしました。
何しろ内側から鍵がどうやってもかからないという不思議な構造のホテルでした。

ポカラのホテルの青年から、カトマンズに泊まるならツーリストが集まるタメルというエリアのホテルがよいと聞いていたのでその通りにしましたが、確かにレストランやショッピングなどには便利なものの、ツーリスト目当てにできたそんな街を歩いていてもあまり楽しくはありません。
とは言え、残りシャツの枚数が足りないことに気付き、1枚洗濯しなくてはいけない状況で乾かないことを考えて、Tシャツを買うことにしたのですが、ホテル近くの店ではオリジナルを作っていて、塔のような絵とI survive from the earthquakeという象徴的な文字が書かれたものがあったので、それをホロシャツにデザインしてもらったものを購入しました。
内容的にきついジョークのようでどうかとも思われますが、何しろネパール人自身が考えて作成したものなので、同じ地震国の日本で自らの戒めに着るのは悪くないと判断しました。

食事は今日も日本食レストランになってしまいました。
小さなレストランですが、満員に近い盛況で少なくとも手前のテーブルには日本人4人組が食事しているのが外から覗けます。
カトマンズ駐在の人か旅行者でもガイドブックで評判の日本レストランということで来ているに違いありません。
ポカラでもカトマンズでも多くのレストランがヨーロッパのように店先にメニューを置いていて、価格や何を食べるかなどを確認してから入店することができます。
メニューにあった冷やしうどんがわたしの弱った胃をとらえて、ここで食べるしかないだろうと訴えたこともあって、残り1つのテーブルに向かって突進しました。
これだけ繁盛しているのですから、冷やしうどん以外のメニューは美味しいのでしょう。
4人組は中国語で会話していて、ここのレストランまあまあだねなどというのが聞こえ、日本人ではないと分かりました。
うどん自体はひどいものでしたが、つゆはわさびとねぎを入れると懐かしい日本の味がするようで美味しく感じられ、うどんを食べ終わった後もゆっくり飲み続けました。

食後にホテルに戻る途中、弦楽器を弾く男性に楽器を買ってほしいと日本語で話しかけられました。
胡散臭い状況でネパールのキャッシュも底を尽き掛けていたのでお断り申し上げたのですが、日本円でもいいからと食い下がってきます。
パンフレットを取り出して、収益は身寄りのない子どものための学校の運営にあてられるという説明でしたが、これだって騙しの常套手段のような気がします。
本来なら完全に断るケースですが、この人はどこからどう見てもウソを付いたり騙したりというタイプに見えず、強くノーを言うことができません。
いろいろとやり取りがあった後、5000円と言っていた楽器は2000円でいいのでということで、演奏方法を指導してもらったうえで買うことにしました。

もしよければCDもと言うので、そら来たかと思いましたが、これは価格がないのでいくらでも構わないと言われます。
ネパールの伝統音楽をアンサンブルで弾いているというCDはインデックスのところにその男性の名前と顔写真までありました。
彼はプロの演奏家で地震以降できないでいるが演奏会などもやっていて、何年か前に日本に演奏旅行に来たこともあると言います。
NHKでも取り上げられたというので、もしかしたらネパールを代表するすぐれた演奏家なのかも知れません(もちろん全部作り話かも知れません)。
その後の話で、ポカラに近い村全体が地震で崩壊してしまったこと、演奏家一家だが家族にはその楽器を製造している人もいること、今は演奏家の仕事が激減してしまったのでボランティアのためにカトマンズで演奏家仲間たちと活動していることなどを話してくれました。
子どもたちの未来こそネパールの未来だという言葉を聞いて信じない気持ちにはならず、日本で必要ないくらかを差し引いて日本円を渡しCDをもらいました。

感激した彼は数曲演奏を披露してくれました。
楽器はバイオリンと同じような大きさの4弦楽器で弓で弦をこするところもバイオリンそっくりですが、音は中国の二胡のようなすすり泣くような哀調が特徴です。
この場にあまりにふさわしい「上を向いて歩こう」は、彼の気持ちを演奏したのか、それとも日本人のわたしへの単なるサービスでしょうか。
それよりも、クライスラーが作曲したかのような弓で弾きながら左手ピッチカートの難曲が魅力的でした。
最後の曲では近くにいたお茶を飲んでいた人がいっしょになって口ずさみ始めるほど国民みんなが知っている伝統的な曲です。
作例は、男性が演奏中に撮影させてもらったものです。
じつはこのとき停電していて、発電機を動かしているホテルなどを除いてどこも真っ暗でした。
おそらく、とても柔和な表情で奏でていたと思いますが、その人柄がにじみ出たような顔はとらえることができず、ましてや音楽の内容までも聴こえてくるような写真にすることは不可能でした。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/16 Thu

私立校の精鋭たち

Squire & Co 14cmF3.6
そろそろ帰国の日程を意識しなくてはならない時期になりました。
理想とするコースはインド、パキスタン、イランでしたので、イランから近く、ハブ空港であることから他の都市ともアクセスの好さそうなドバイからの帰国便を往復購入済みです。
しかし、旅はインドからネパールへ東進する形になってしまったので、空路は極力避けるつもりが、カトマンズからドバイへのフライトを使わざるを得なくなりました。
ドバイへは以前も旅したことがあって、わたしにとってシンガポールと並んで滞在する価値のない町という評価なので、1泊で十分とし、カトマンズも大都市だし震災復興の邪魔になるとも考えて1泊にして、ポカラをもう1泊増やしました。
ポカラには3泊ということになりますが、そんなに気に入ったかと問われればそうでもなく、体調が思わしくなくなってきて移動するのが面倒でついつい滞在延長いうのが本音です。

もう出かけるところがなければ、湖畔のカフェで風に吹かれながら読書をしようと考えていたのですが、オールドバザールという古い町並みがわずかに残る場所があるとのこと。
バスで行こうとしましたが、タクシーを勧められコミッションがわずかでも欲しいのだろうと察し、行きのみタクシーを使うことに同意しました。
なるほど100年ほど前に建てられたという、全体の煉瓦と窓枠の装飾的な木を組み合わせた美しい建築が数軒残っていました。
しかし、オールドバザールという名前から想像した昔から変わらない活気ある市場のようなものは見られませんでした。
かつて市場だったのか、朝一が9時にはもう跳ねてしまったのか、期待したほどではない感じです。

ヒンズー寺院の参道で休憩しようとオープンレストランに入ってラッシーを飲んでいると、いかにも人の好さそうな主人が現れて、あなたは日本人かと話しかけてきました。
今は引退したが、ずっと山岳ガイドをやっていて日本人と何回も6000メートル級以上の山に登ったとのこと。
みんな相当な登山の猛者なんでしょうが、わたしでも登れますかと聞くとまったく大丈夫と、そんなこと聞くまでもないのにという顔で返事します。
遭難の経験はないそうですが、これまでに2度グループの中で死者が出たと教えてくれました。
1度は個人のテントで寝ていた人が翌朝になってもそのまま起きてこなかった、もういちどはキャップ地に着いて腰掛けていた人がよく見ると息をしていなかったというブラックジョークのような話でした。
次回、ネパールに来たらいっしょに登山しましょうと誘われましたが、丁重にお断り申し上げました。

タクシードライバーからはこの近くにもチベット難民キャップがあってバスで行けると聞いていました。
バスとはワゴン車の中に椅子を並べた一見するとバスとは絶対気付かないようなもので、そのためか外国人が乗るはずはないと最初から無視するように何台か通るバスを停めようとしてもみんな通り過ぎてしまいました。
客を降ろそうとしていたバスに強引に乗って難民キャップと告げると、乗客全員が不思議そうな目でこちらを見ています。
オールドバザールでもそうですが、こちら側のエリアには外国人はほとんど来ないようです。
こちら側のチベット難民キャップでもチベット絨毯のショールームや民芸品売り場がありましたが、恐らく訪れる人はめったにいないのでしょうし、ここで何か売れることはまずなさそうです。
修行中のお坊さんばかりで暇そうな人と話をすることもできず、そそくさと退散しました。

ところで、5月に発生した地震についてですが、滞在中は余震等はいちどもなく予想通り危険を感じるようなこともありませんでした。
なぜ予想通りといえば、ニューデリーの旅行代理店のウソつき職員が、ネパールはまた地震が来るから危険だ行かない方がよいを繰り返していたからむしろ安全だと思ったというだけのことで、それ以外の根拠はありません。
東日本大震災でも何ヶ月にもわたって余震が続いたことを考えれば、たまたま何もないタイミングで旅行しただけで幸運だったということかもしれません。
ポカラはカトマンズに比べてずっと揺れが小さかったので、被害はほとんどなかったそうですが、山岳の村でいくつか村全体が壊滅的被害にあったということも聞きました。
一部の村では石積みと泥を組み合わせた非常に簡素な家だけのところがあって、さらに地盤が弱かったなどの理由も重なったのでしょう、そんな村ではわずかな揺れで倒壊してしまったのだそうです。
ただ、幸いなことに地震の発生が日中だったため、みんな農作業や学校に行ってたりで崩れた家に押しつぶされて亡くなるということはなかったようです。
前回の大地震も70年前の話で人々の記憶にはなく、当然、対策というものも皆無だったと思われます。
それどころか、日本でも大地震があって津波で1万人近くが亡くなっていることを知らない人が多いのには驚きました。
日本の津波でもスマトラ地震の津波を教訓にできませんでしたが、他国のできごとを対岸の火事とせず、痛みを分かち合いつつ自身の対策に役立たせるような取組が必要なのではと素人ながらに思うのでした。

さて作例は、たまたま目の前に停車したスクールバスです。
たぶんネパールでも状況は同じだと思いますので、インドで聞いた話をもとに少々説明します。
インドでは授業料がほとんど無料の公立学校と、だいたい1ヶ月5千円くらいからの私立学校が小学校から存在します。
公務員の給料が安いせいで公立学校の教師の質が低いからと、誰もが無理してでも子供を私立学校に通わせたがります。
私立学校はスクールバスを持っているので、校門前に10台くらいバスが停まっている学校があって驚くこともありました。
公立学校の生徒は授業料が不要な分、毎日、徒歩で登下校するのでしょうが、誰もが私立校に入れたがる状況で公立学校がたくさんあるとも思えず、毎日1~2時間かけて歩く子供の姿を想像すると不憫に思います。
インドでも、ネパールでもみな競うように可愛らしい制服が採用されているものの、びしっとした印象もあって、これはもともとがイギリスの古い学校の制服をもとにしているからなのではと想像できました。
子どもたちも学校や制服が自慢だからでしょう、カメラを向けると喜んでポーズしてくれました。
ところで、作例の子どもたちがなぜ手を出しているかというと、どうも右手の建物はヒンズーの聖なる祠のようで、きっと両親からあそこに停まったら手を伸ばして触りなさい、頭が良くなるからとか言われているのではないかと思います。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/15 Wed

ヒマラヤはすぐそこなのに

Squire & Co 14cmF3.6
ネットで国際記事を読んでいたら、インド北部のアラハバードと南部のラジャムンドリーというところで同日に将棋倒しによる死亡事故発生のことが書かれていました。
今さっきまで旅していた国の悲劇に謹んでお悔やみ申し上げたいと思います。
とは言え、詳細が分からないのでこう書くのは正しくないかも知れませんが、インドの将棋倒しは起こるべくして起こったことのように思えてなりません。
わたしは何度かニューデリー駅で階段を上り下りしましたが、いずれも将棋倒しか起きるのではとの恐怖を感じていたからです。
何度か書いたようにインド人は相手に道を譲ったり鉢合わせになったので相手をやり過ごしてから進むと言う発想がありません。
そのため通路で立ち話している人などがいればそこの流れが血栓のようになりますが、下りでそんな状況になってそれを知らない人が上からどんどん降りてくればたちまち将棋倒しです。
バスでも降りる人が済む前に我先に乗ろうとする人が多いですが、宗教行事でもご利益預かりたいと聖なる河めがけて殺到したのではと想像します。
この性質が改善されるとも思えないので、とにかく旅行者は巻き込まれないよう注意してくださいとしか言いようがありません。

インドでは自称「ならず者」で、さんざん不快な思いをしましたが、同様に現地人に迷惑をかけてきました。
ポカラに着いてしたかったのは、体を酷使して達成感を得られるトレッキングでした。
荒行で厄を落とすようなものですが、今後、旅がイスラム圏に入っていけばより過酷になると想像できる中で自分に自信をつけるという意味もあります。
ところが登山やトレッキングの代理店で聞くと、シーズンオフなのでツアーのようなものはなく、ガイドを雇い、入山許可を取り、ベースまでタクシーで往復し、ホテル代を払うとなると2泊3日でも3万円くらいかかってしまいます。
加えて雨季のためヒマラヤの冠雪した山々のパノラマという眺望は期待できず、悪ければカッパを着てぬかるんだ道を寒い寒い言いながら歩くような感じのようです。
ヒマラヤトレッキングと言うと、山間にテントを張ってシェルパが淹れてくれたコーヒーーをゆっくり啜るとイメージしたのに、テントどころか山小屋ですらなく快適なホテルに泊まると聞いて初心者のためのハイキングのようなもので、わたしの趣旨とは違うと断念せざるを得ませんでした。

そこで考えたのが自転車を借りて少し長めの距離を走ってみるというものでした。
ホテルのレセプションに相談すると好いアイディアだと褒めてくれ行先を示した地図をくれたり、レンタルバイクを紹介してくれました。
レンタル料は1日1000ルピーと高かったのですが、ここでも700ルピーに割引してくれ、いちばん高級だというジャイアントのマウンテンバイクを貸してくれました。
まずは南の外れにあるホテル推薦の滝を目指しましたが、近いはずなのにまったく見つかりません。
かわりにすぐ近くに洞窟があったので入場料100ルピー払って入ってみました。
ハイギア、高スピードで一気に自転車を漕いだ体に洞窟の涼しさが心地よいです。
先端まで行ってハッとしました。
ないないと探していた滝が洞窟の先にあったのです。
しかも、ものすごい水量で轟音を立てて落ちてきているのが洞窟の先に見えています。
それなのに足元の水は普通に流れているだけ。
滝の水のほとんどは別の水流になっているのでしょうが、ここからだと滝がこちらに向かって押し寄せてきているように見えます。
冒険映画を見ると、洞窟の中で財宝に辿り着く直前まで来たものの神殿の柱が崩壊して洞窟が一気に激流になるようなシーンがありますが、まさにその直前を目の前に見るような大迫力です。
ユニバーサルスタジオネパールと名付けたいと思います。
それにしても、滝というものを見て興奮したのは生まれて初めてのことです。

続いて自転車を漕ぎ出した時でした、上り坂で立ち漕ぎした瞬間、チェーンが切れてしまいました。
さいわい近くに自転車屋さんがあったので、修理代を聞くと70円とのこと。
修理依頼して最高級ジャイアントのチェーンが切れたとクレームの電話をすると、今からすぐ行くから修理を止めさせることとの返事です。
そのむね修理屋さんに伝えると、15分ほどでレンタサイクルの兄さんがやって来ました。
スクーターに乗っていましたが、後部座席の男性が重量挙げのように自転車を頭上で持って来ていて、それに乗り換えてくれと言い、チェーン切れジャイアントは同様に頭上にかかげてふたりは去っていきました。
じつは電話で場所を聞かれたとき正確な名前が分からず、滝のある洞窟のそばというあいまいな答えをしていたのですが、ポカラには洞窟がいくつもあるにもかかわらず平然とここに辿り着いた彼らにはGPSは不要なのでしょうし、次はバイクが壊れて自転車二人乗りでバイクを待ちあげて走るのを見せてくれるかもという期待感がありました。

アクシデントのあと向かったのがチベット難民キャップです。
チベット難民と言うとダライラマの住居もある北インドのダラムサラが有名ですが、ネパールにも各所に難民居住区があるそうです。
キャンプといっても仮設住宅のようなものではなくきちっとした施設のようでした。
チベット寺院があって少年僧が案内してくれました。
作例は、彼がマニ車の廻し方を指導してくれた時のものです。
マニ車にはお経が書かれていて回すことでお経を読んだのと同じ効果があるので、チベット寺院には必ずあるものです。
両親が1950年ころにここに逃れてきたという女性がいて、インタビューのようにいろいろと話を聞くことができました。
さすがに中国は許し難い存在で、独立したいということもあるが、それ以上に中国から離れたいという気持ちが強いようでした。
それなのに今やこの地を中国人がかなり訪れるようになってしまい、思いはかなり複雑です。

いったん昼食に戻ったりしながら、最後は宿のオーナーの息子が勧める湖の北側にあるハッピー・ビレッジに行ってみました。
この息子さん、香港から中国、チベットと通ってポカラまで自転車の旅をしたことがある冒険野郎で、明日は近くの村の建物が震災で倒壊したのでソーラーライトを設置しに行くと言っていた好青年でもありました。
ハッピー・ビレッジがなぜそんな名前で呼ばれているのか分かりませんでしたが、ところどころ舗装されている程度のアップダウンのある悪路をしばらく走って着いてもその理由は不明なままでした。
しかし、休憩しようと入った湖畔のカフェに、ハッピー・アワー、ビール200ルピーと書かれていたので思わず湖水までほんの1メートルの野外テーブルで乾杯してしまいました。
Happy Village, Happy Hour and Happy Throat、これが村の名前の由来だと確信しました。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
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Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/14 Tue

カワセミの中に星が

Squire & Co 14cmF3.6
ルンピニからポカラに行く直通バスがあるというので、今朝のバスで移動しました。
エアコン付のデラックスバスで、途中停車しないから早いよという触れ込みでしたが、確かにエアコンは付いているものの古くて機能できるような状態になく、最悪だったのは道端で人が手をあげれば乗降自由な鈍行バスだったことです。
もともと乗客はわたしともう一人だけだったので、申し訳なく思っていたくらいだつたのですが、そんな気持ちを後悔させるほど村に差し掛かるたびに何人か乗ってまた何人か降りるようなバスでした。
はるか下に渓流が流れるような緑の中を走るバスと言えばロマンチックな響きですが、ガードレールもない崖の上をがんがん突っ走るので、手のひらに大量の汗をかくほどの恐怖を味わいました。
もう一度乗るかと言われても辞退せずにはいられない、そんなバスでした。

到着は聞いていた時間より1時間半遅れた程度だったのはさいわいでした。
ネパールはカトマンズしか知らないと言いましたが、そういえばポカラというところも聞いたことがあると思いだしていました。
トレッキングの基地になる高原の町という知識だけで、地名もバカラだかポカラだかよく覚えていませんでしたが、地震の影響がほとんどなかったところだと聞いて安心して向かったのです。
天気が良ければヒマラヤの景色を楽しめるでしょうし、体調が悪くなければ2~3日のトレッキングにも調整したいと考えています。
今回のインドからの旅はまともなホテルには1泊もしていません。
せめてポカラでは安いなりにもリラックスできるようなホテルに泊まろうと、予約サイトで3000円ほどの評価のとても高い宿を予約していました。

実はこれが裏目にでて、ホテルではどうしてこうも試練ばかりなのかお釈迦さまにおたずねしたい気持ちになりました。
バスが到着した目の前の通りが、わたしのホテルのある通りと同名だったので、これは近いと思いました。
道行く人に聞くとあっちの方だよと言うので歩き出しましたが、10分歩いて何も見えないので、また尋ねるとこの通りは違う、バスステーションのところで垂直に交わっていた方だと言うので戻ることになります。
しかし、この情報こそ後でわかりましたが最大のウソで、まったく違う通りを反対方向に延々歩くことになりました。
やはりおかしいと思った頃郵便局があったので、これは確実と聞くと、管轄外なのでよく分からないが、たぶんあっちだろうとまた違う方向に歩き出します。
途中、ホテルがあったので道をたずねつつ、ホテル名を告げるとそれなら近くだと説明してくれましたが、そこは最初の3文字のみが同じ別のホテルでした。
ポカラは有名な山岳基地かつ避暑地なのでホテルは100軒以上あるそうですが、不運なことにわたしのホテルはバスステーションからいちばん遠くにあって、結局、あちこちと歩き回って3時間もかかってしまいました。

トレッキングしようと思っていたのはどうでもよくなってしまいました。
ポカラの町中を3時間歩けばもう半日トレッキングしたようなものです。
チェックイン時に、涼しいはずのポカラで汗だくになって肩で息をしているわたしがおかしいと思ったのでしょう、だいじょうぶかと聞くので事情説明しました。
ホテル予約サイトの予約確認メールには地図が無く、地図のリンクが付いているのですがWIFIが無く、いずれにしてもこのメールの不親切さと自分自身の愚かさが原因にも関わらず、ホテル側でいちばんいい部屋にアップグレードしてくれました。
角部屋でバルコニー付ですが、なぜかエアコンなしで、お湯が出ないためシャワーは隣の部屋のを使ってくれとのこと。
とはいえ、前日のルンピニの中国人ホテルとはまったく比べ物にならない、内装が凝っていて設備のしっかりした、しばらくぶりのゆったりできるホテルでした。
夜寝られなくなるくらい気になったのは、オーナーとの以下の会話です。
いっしょに来ていた奥さんはどこへ行ったんだ、ひとりで来ましたよ、あんたが入って来た時奥さんが一緒だっただろ、誰だそれは?

ポカラの登山やトレッキングは9月から4月までがシーズンで、もともとホテルはローシーズン価格を出していますが、さらに地震で多くいた中国人、韓国人がまったく来なくなってしまったので、かなり安い価格を出したものの本日の宿泊は4組だけとのことでした。
徒歩2分でレストラン、カフェ、土産物屋、旅行代理店が軒を連ねるメインストリートに出ます。
観光客がほとんどいないのでどこも閑古鳥ですが、タクシーもすることがなくて路上にずらーっと停まっていて、歩いているとみな使ってくれと懇願してきます。
レストランでもローシーズン価格を出していて、多くの店で20%オフとのことでそんな1軒をたずねました。
1・2階合わせて30テーブルくらいありそうな店に客はふたりだけで、普段なら早めでないと取れなそうな2階のバルコニーのような席に座ってくれと案内されました。
胃の調子が悪くて頼んだのはカルボナーラでしたが、これがパスタの柔らかいのを除けば日本で食べるのと変わらない旨さで、しかも値引きで300円ほどだというので申し訳なくなりました。

胃の状態はしばらく順調だったのですが、エアコンのない蒸し暑い満員バスが停車したランチの時に、禁ビールを解いて飲んでしまったことからまたじわじわと痛み出してきて困っています。
ビールは最安の何とかスターというラベルのもので、ネパール製だというので頼んだのですが、妙に酸味が強くて炭酸もほとんど入っていないやばそうな味でした。
こんなの飲んで平気だろうかと眺めて気付いたのですが、瓶の刻印はインドのキングフィッシャービールとなっていました。
弱小のビールメーカーなので、瓶はキングフィッシャーから供給を受けて製造しているのか、みんなが残したビールを溜めてキングの瓶に入れてそのままではばれるからマイナーなラベルを貼って出しているのか、後者だったら怖いので何も聞かず食事も途中でやめました。
さて、作例はこの日唯一撮影したポカラの少女です。
右側の子は日本人だと言われても分からないような風貌でしたが、どうやらネパールは民族が多数存在するようで、こんな親しみのある顔の人を多く見かけました。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
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Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(2) | 2015/07/13 Mon

仏の生地でヒンズーを語る


前夜は国境の町、ベラヒヤという町に泊まったのですが、なんとここからお釈迦さま生誕の地ルンピニまで25キロほどだと聞きました。
ベラヒヤから隣のシッダルタルナガル経由でバスを乗り継いで1時間かからないとのこと。
何も知らないインドでも、コルカタ、デリー、ムンバイ、ゴア等々いくつか地名が出てきますが、わたしはネパールというとカトマンズ以外の地名を知りません。
ちょうどブッダガヤでブッダが生まれたのは、インドではなくネパールのルンピニだと聞き、ネパールに行ったらぜひルンピニにと思っていたら、それが1時間圏内とはなんという幸運でしょう。

しかし、幸運と喜ぶのは早すぎました。
理由不明ですが、シッダルタルナガル(そういえばこの名前もシッダールタと関係ありそう)からルンピニへのバスが今日・明日の2日間運休とのこと。
さあ、困りました。
他に数人ルンピニに行けずに困っている人がいて、そこへルンピニまで1000ルピーで行くというタクシーが現れたので、少し高いけどシェアしていきますかなどと話していたところバスがやって来て、ルンピニへの分岐で降りればそこから2キロだよというので、みんなでバスに乗ってしまいました。
憐れ、タクシーの運転手は契約寸前で行先違いのバスに今日の収入の大部分を奪われてしまいました。

バスでは後部座席を確保しましたが、後からやって来た目の不自由な赤ん坊を抱えた若い母親に誰も席を替わらないのに腹が立ち、遠くから声をかけて席を譲りました。
続いて最後尾の人が席を立ったので、また座ったのですが、ルンピニへ向かう試練なのか今度は男性が赤ん坊を抱いて立っているのに気付きました。
そのとき隣の男性が何事かわたしに話しかけてきていたのですが、わたしは男性にまた席を譲るか、いや男にまで譲らなくてもいいかなどと考えていたので、返事しませんでした。
すると隣の男性が、あなたは英語ができないのかと言うので、はい、わたしは学校で習いましたが、あまり英語は得意ではありません、と皮肉っぽく答え、しかし、わたしは仏教徒なので子どもを抱いて立っている人に席を譲る常識は持っていると言って先ほどの男性に席を譲りました。
すると話しかけて来た男性がすばらしいことだと言うので、そうではない、ネパール以外の国では当たり前に誰でもすることで、この国の人が誰もしようとしないことが不思議なくらいだ、席を譲らないのは、あなた方がヒンズー教だからなのではないか、インドでもそうだったが、他人に対する思いやりを一切感じないのはあなた方の宗教と関係ないのですかと、ほとんど乗客全員を敵に回すようなことを言ってしまいました。
習慣的なもので宗教とはさすがに関係ないだろうに失礼なことを言ったと後悔しましたが、続けて男性が、確かにヒンズーと関係あることかも知れない、申し訳ないと言ったのに驚きました。
そのあとは男性とはごく自然な会話をして、到着時には気を付けてと握手までしてもらいました。
最初にわたしがヒンズー批判したときに数人の男性がこちらを睨むように見ていましたが、何か起こるということもありませんでした。
あとあと隣だった男性が何か言われていないか心配です。

バスを降りた地点からルンピニの町までは2キロありましたが、トランクを転がしながら歩いてちょうど30分でした。
ホテルは観光地だけにコルカタやニューデリーよりも高く、2000ルピーを1800ルピーに負けてくれた中国人経営の宿に決めました。
そのせいで、ホテルから出るとリキシャや子供からニーハオと声をかけられます。
久し振りにまともな中国料理が食べられるかと宿でランチにしたのですが、メニューを見てびっくり料金が今までの倍くらい高いのです。
中国からの旅行者ならそれくらいのことは気にしないのでしょうが、さすがにばかばかしくてチベット料理のモモという餃子風食べ物とエベレストという名のネパールのビールをたのみました。
客はわたしひとりだけなので、これだけしかオーダーせずがっかりされてしまいました。

ビールは大瓶だったので、炎天下30分歩いた体には強烈に効いて、昼寝することにしました。
目が覚めるともうちょうど3時です。
お釈迦さまの生地詣でにちょうどいい時間と思ったのですが、ビールが体内に残っているらしく、アルコールが入ったまま来てくれるなとの暗示か、体がベッドから離れようとしません。
1時間横になり続けたまま、ようやく重い体を引きずって外に出ました。
ヒンズー文字表記の地図をもらいましたが、見方が全く分からず聖地まで1時間かかってしまいました。
5時までなら閉まるタイミングですが、ネパールには9時5時という概念がないようで、平然と開いていました。
お坊さんを中心にした中国人の団体がいましたが、彼らはお坊さんでもうるさいようで、すぐに中国人だと判別できます。
生まれながらの仏教徒で今では旅の仏像コレクションをしているわたしですが、残念ながらブッダ生誕の地に来たという感動はありませんでした。
しかし、ここまで来られたと言う感慨はあります。
「お釈迦さま、あなたの生地までお導きくださいまして、ありがとうございました」

ネパール政府のアイディアなのか、お釈迦さま生誕地周辺はたいへんなことになっていました。
日中韓、チベット、東南アジア各国が聖地としてあがめているので、それを利用してうまい商売を考え付いたようです。
生地を中心に土地を分譲して、そこに寺院を建てさせるという方法です。
各国には信者からお金を集めたいお寺や宗教団体がたくさんあるということに目を付けたようで、各国ひとつずつ寺院があれば足りそうなものを複数の寺院が競って建設され、恐らく母国のお寺のパンフレットには、お釈迦さま生誕地にわたくしどもの寺院がありますと宣伝されていることでしょう。
しかし、ここからの費用が地震復興の資金源となっているなら、好いことではないですか。
黙ってこういうものなのだと考えるだけにとどめておきます。
作例は、韓国の寺院だったかの前にいたなかなか可愛い女性を撮影させてもらいました。
笑顔を、と言っても笑ってくれない、意外に厳しそうな女性でした。
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Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/12 Sun

最後の最後でまた騙され


ニューデリー発8時20分のゴラクプール行きは20分遅れて出発しましたが、到着は4時間遅れの14時でした。
ゴラクプールからインド・ネパール国境まで100キロと聞いていたので、もし国境が5時に閉まると微妙な時間に思われ、遅延証明でももらって国境のイミグレーションで言い訳しようかとか考えましたが、もちろんインドで遅延証明など出していたら、それをもらうのに長蛇の列で、遅延証明のために次の作業が遅延しかねません。
そもそも、わたしはチケットを有していない状態で、車掌の独断で乗せてもらっているので何時間遅れても文句を言える立場にありません。
しかし、このふざけた旅行代理店にはクレームをつけなければおさまりません。
支払った代金の半分以上が手数料だったと思われますが、さらに予約していない切符の分は丸々取っておいて、そのことを一切本人に伝えないのですから詐欺です。
京都の四条付近で兄弟がインド料理屋をやっていると言っていたので、何としても探し出してお前ら兄弟の悪事をバラシてやると叫ばなければ気がすみません。
 
それはともかく、ゴラクプールは名前に反して娯楽に乏しいのか、ここで降りた外国人はどうせネパールに直行するに違いないと考えられているように、駅前の人すべてがネパール、ネパールと聞いてきます。
どうもそれらの情報によれば、国境の出入国は夜でも問題ないようです。
また、最初はタクシーで行けと客引きが攻勢をかけてきましたが、やり過ごすうちにバスもあることが分かりました。
100キロをタクシーで行けばいくら取られるのか想像もできません。
まよわずバスに乗り込みました。

バスは国境を越えてネパールまで行くものではなく、単に国境近くまで行く路線バスで、雨でぬかるんだ道をゆっくり、途中、客を拾いながら走るので、予想を大幅に上回る4時間かかって100キロを走り切りました。
バスが来た道をそのまましばらく歩けば国境だとのこと。
そのかたちは、タイのメーサイからミャンマーのタチレクへ抜ける国境と似ています。
もともと1本の道に国境という線引をしたために、その場所でわざわざ手続きをしないと通り抜けられなくなったということを示しています。
と思えば、インド国境と書かれた簡易なゲートは多くの人が何もせず素通りしていき、続いて通ったネパール国境も誰も何もせずに通過していきます。
どうやらインドとネパール国籍の人は出入国審査が省略されているらしいのです。
このままくっ付いて行ってしまっては、わたしは違法出国、違法入国で両国から指名手配されかねません。
慌ててインド側の方に戻り出国手続きをお願いしました。

すると問題が発生したようで、なかなか出国スタンプを押してくれません。
もしかしたら一度そのまま出国してしまったことをとがめるのかと思いきやそうではなく、インドの入国スタンプがないと言ってきました。
わたしはコルカタの空港に着いてからのことをよく覚えていて、アライバルビザ申請ブースでビザスタンプを押してもらってから入国審査に並ぼうとしたところ、ビザ職員にもうスタンプを押しているので不要だと列の脇を通してもらいました。
その旨説明すると、それならコルカタの入国管理のミスだなと言って、出国スタンプをビザのすぐ下に押してくれました。
パスボード上、わたしはインドに入国せず出国だけしたことになっているようです。
もうインドに用はないので問題になることもないでしょうが、こんないい加減なことで済むならビザ取得の手続きをもっと簡易化してくれよと言いたいところです。

このインド出入国審査官たちがまた悪党で、インドルピーが余っているなら向かいにある両替所でネパールルピーに替えなさい、と強く勧めるのですが、どうも胡散臭いのです。
わざわざレートを示して、いまあなたが持っているのは何ルピーだから、ネパールのお金でいくらになると計算してくれたり、それだけじゃ足りないし、ネパール側の両替所はもう閉まっているから、日本円も米ドルも大目に両替した方がいいとかしつこく言ってきます。。
もちろん日本円を両替するならインドでネパールルピーに替えるのは日本円→インドルピー→ネパールルピーの二重両替になって損します。
キャッシュはないのでATMで引き出すというと、地震の影響でネパールのATMは動いていないとまで言います。
後で確認すると、聞いたレートはインチキでしたし、両替屋もやっているし、ATMも動いている、さらにはネパール側も国境の町なのでインドルピーをそのまま使えたのでした。
インドはイミグレーション職員までもが束になって、最後の最後までわたしを騙そうとするのかと考えたら、ネパールに足を踏み入れてから振り返って、もうお前たちの手の届かないところにいるぞと大声をあげたくなりました。

さて、作例ですが、本文とは関係なく恐縮ですが、
前日にデリーのどこかの駅でニューデリー駅行きの列車を待っていた時に撮ったものです。
列車がホームに入ってくると、ホーム側ではなく線路側に学生が猛ダッシュして入り口に殺到していました。
こうでもしないと乗れないのか、列車が動き出してもまだ乗れずにどうしようとなっている学生もいて、そのうちに事故でも起きるのではと心配になりました。
ちなみに、前日の作例はプシュカルで飲んだシュガーケーンを作ってもらっているところです。
いずれにしても、インドに来てから写真を撮らなくなりました。
撮影なんてレリーズボタンをちょんと押すだけのことですが、被写体に対する興味や敬意、美しいとか面白いとか思う気持ちなどがなくてはできない自発的行為です。
わたしにはこの国でそれらの事柄がほとんどなくなってしまったということのようです。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(2) | 2015/07/11 Sat

インド無賃乗車の旅

Squire & Co 14cmF3.6
仕立て屋がほんとうに友たちと言える男であれば、予定変更してプシュカルにもう1泊、さらにディープなインドの旅に切り替える気になっていたのですが、彼も所詮はインドのOne in a millionに過ぎないと分かり、予定通り予約してもらっていた5時45分の列車で
ニューデリーに戻りました。
ただ、これも簡単ではない行程になります。
同じような時間帯の同じような列車にもかかわらず、こちらには朝食も水も付いていませんでした。
到着の2時まで持参の水だけでしのぐ、ひもじい思いを体験しました。
さらには、到着はニューデリー駅ではなく市内には違いないですが、どこか別の駅でした。
最初、ニューデリー駅行きのローカル列車がすぐ来ると聞きましたが、1時間待ってもやって来ず、結局、バスがあることが分かり路線バスに揺られて1時間かけてニューデリー駅に戻りました

ニューデリーからはゴラクプールという町に夜汽車で向かいます。
プシュカルまでの切符やホテルを手配していた旅行代理店に予約してもらっていいました。
不手際続きだったので不安でしたが、そのチケットはプシュカルのホテルにメールで送られ、印刷してもらったものを手に入れたのでひとまずホッとしました。
インドはもう完全にわたしの手に負える国ではないと結論付けたわたしは出国を急ぐことしたのです。
ゴラクプールはニューデリーから東にだいぶ離れた位置にあり、本来、次に目指すべきパキスタンとは逆方向になります。
じつは、インドのビザを取るのに苦労して、イランのビザはどうしようと考える内に、パキスタンビザを取得するのを忘れてしまっていました。
大使館か国境でとうにかならないものか確認しましたが、いぢはん関係の悪いインドで発給してもらうのはまず不可能とのことでした。

帰りの航空券はUAEのドバイから戻る往復チケットで予約してあります。
インドをもう少しじっくり廻って、当初予定のシムラーやゆっくり滞在できるカシミール地方に行って帰国便の直前にニューデリーからドバイに飛ぶのがベストなのですが、心境としては一刻も早くインドを出たくて仕方ありません。
かといって、UAE行きを焦ると今がちょうどラマダン期なので、食生活が過酷なことになるのは目に見えています。
そこで浮上したのがネパールに行ってみるという案でした。
震災直後で旅行は不謹慎ではとか、そもそもカトマンズまで陸路で行けるのかという疑問があるのではないかと、当初、回避していたネパールも行けなくはないことが分かって来ていたのです。

旅行については、このような趣旨の文章を読みました。
ネパールは地震で大きな被害を受けたが、観光立国のネパールにさらに観光客が来なくなると二重に痛手になるので、危険でないところには積極的に旅行に来てほしい、と。
箱根の仙石原で火山活動が活発化していた時も同じようなことが言われ、箱根自体は安全なので来てくださいとアピールしていましたが、まったく同じことですね。
ただし、ネパールでは余震がもうないとは言えないので、万一の場合、第三国に脱出できるルートの確認は自己責任ですべきです。
ゴラクプール到着以降は地震のこと脱出路のことなどを常に確認しながら進んでいくことにしました。
また、カトマンズにそもそも行けるのかについては、ボドガヤでカトマンズ行きのバスが普通に運行されていて、毎日何人もの人が出掛けていると聞いていたので問題なしと判断します。

やっと着いたニューデリーでは特にすることもなく、先日も行ったWIFIのつながるカフェでメールのチェックなどをして時間をつぶしました。
店員にゴラクプールのことを聞いてみましたが、よく知らないが、インドで地震の被害があったのはダージリン地方なので、ゴラクプールは全然関係ないと思うとの返事に安心しました。
ニューデリー駅から雑踏を抜けたところにあるこのあたりはカフェ激戦区で数軒が軒を連ねていますが、なぜか今日はどこも人がけっこう入っています。
わたしのいる店も立て続けに2組来て満員に近くなったと思ったら、若い女性がタバコを吸い始めたので出ることにしました。
普通のタバコだとしても不快ですが、もしそれがマリファナ入りで匂いがシャツにでも付いたら日本の空港の優秀な麻薬犬にクンクンされて取り調べになるなんてのはまっぴらご免です。

あてもなく歩いたりして時間をつぶして駅に戻ると、またしてもわたしの乗る列車は遅延とのことでした。
ホームも変更になっていて危うく違う列車に乗ってしまうところでしたが、何人かにたずねてどうも違うらしいと気付いて難を逃れました。
インドでは用も無い人が何人も話しかけてくるのに、こちらでちょっとしたことを聞こうとしても誰も相手になってくれず、分からず仕舞いということがとくに駅ではよくあったので要注意です。
ようやくやって来た列車に乗ってから印刷チケットに座席番号が無いことに気付いて、乗務員に聞きますがちょっと待っててと言われます。
もう発車するという時間になって、車掌が来て何号車の何番へ行けと指示されました。
何だか分かりませんが、もしかしたらと思い再度やって来た車掌に尋ねるとやはりそうでした。
旅行代理店は切符を確保していなくて、不憫に思った車掌が空いている寝台座席にわたしを座らせてたのでした。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
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Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/10 Fri

仕立て屋にすべてを賭ける


ホテルの朝食はメニューから選べると言うので、コーンフレークを食べることにしました。
シリアルは菜食主義者の朝食の定番のような気がしましたし、毎日、辛くこってりしたインド料理を食べていれば、長らく食べていなかったコーンフレークはより美味しく感じられるように思われました。
帰国後インドでいちばん美味しかったものはと聞かれて、コーンフレークという意外過ぎる答えができるかも知れません。
しかし、しばし待ってでてきたそれは、あまりに牛乳が少なくてコーンフレークがふやけるところまでいかず、すべてぱりぱり食べなければいれないインドならではの食べ物で、うまいまずいの判定すらできないような代物にがっかりしました。

町に向かって歩き出します。
昨日確認しておいた洗濯屋にシャツとパンツを持ち込むと、昨日のおやじさんが、おお、来てくれたんだねと言うように歓待してくれます。
枚数をチェックすると225ルピーとのことです。
400円強ですが、これまでのハノイとヤンゴンのランドリーでも400~500円でした。
洗濯料の相場は国を超えて大差ないものなのだと思わせます。
本来は自分で洗濯するつもりで洗剤も中国で購入以来トランクに入ったままですが、きれいな洗面台、物干しスペース、何よりも洗濯する元気という条件が揃わないと実行する気にはなれず、中国で一度して以来、洗濯は外注になってしまいました。

プシュカルの中心には浅草の仲見世のごとく土産物屋が軒を連ねていますが、パッと見た感じで浅草同様、欲しくなるようなものは一切ありません。
聖地らしい記念品か何かでしょうしばしばインド人が買い物したり、着心地のよい綿のパンツなどを物色する西洋人が見られたりしますが、1日の売り上げゼロと言う店も多いのではと心配になります。
建物の最上階にWIFIの使えるカフェが何軒かありランチや休憩で使わせてもらいました。
コルカタで飲んだラッシーが日本のブルガリアヨーグルトそっくりで美味しいと書きましたが、それは加糖されたスイートラッシーというものでした。
ほんとに美味しいのはプレーンラッシーの方で、こちらもブルガリアヨーグルトの砂糖をいれていないものにそっくりな味でした。

人々が町の外れに向かって歩いて行くのに気付いて付いていきました。
何かあるのかと思ったのですが、逆に近隣の村人がこの日の催しにプシュカルにやって来て戻るところだったようです。
2015年7月はヒンズー教にとってとても大切な月なのだそうで、この日の朝、多くの人がお参りにやってきたのでした。
彼らについていけば小さな素朴な村を訪れることができると期待したのですが、1時間歩いても村はなく、そのうちに人々を見失って戻るしかなくなりました。
作例は、歩きながら村人の流れを追ったときのものです。
そういえば、多くの人が歩いていながら誰ひとりわたしに話しかけてくる人はいませんでした。
帰り道でバスが通りかかったので乗せてもらい近くの村までとお願いしましたが、途中でここから歩けばプシュカルに着くからと降ろされてしまいました。
パスからも乗車拒否とは。

歩いている途中、とても風通しの好いところがありました。
若干小高いところでしたが、止まることなく吹き渡る風が心地よい場所です。
その中心は砂漠のようなところなのですが、貧しい人々がトタンやビニールシートでこしらえた家に居住している広大な空間になっていました。
そこで水汲みしている少女に声をかけられました。
わたしの家に遊びに来ませんか、チャイをお出ししますよ、わたしの母は踊りがとても上手いのでぜひ見てください、そういって熱心にわたしを誘うのです。
そのあとになって金を出せと言ってもめるか、ひどければチャイに睡眠薬が入っていて気付いたら身ぐるみ剥がされて砂漠にひとり寝かされているのがオチでしょうか。
そうは思いつつもわたしは少女の誘いにあえて乗ってみようか悩みました。
しかし、バイクの青年が来て、ヘイ、ジャパニーズ、どこへ行くんだいと話しに割り込んできて、不快な気持ちになり少女の誘いも同時に断ってしまいました。
彼女のことは風の丘のナウシカと勝手に名付けましたが、せめて写真を撮っておけばよかったと後悔しています。

夕方、まだ洗濯物を取りに行くには時間があるなと考えていたころ、すごいレンズですねと声をかけられました。
その男はシャツの仕立て屋で古い足踏みミシンの自慢を始めたのが面白く、しばしレンズとミシン、古道具の話で盛り上がりました。
人とこんなに話をしたのはインドに着いて初めてのことで、すっかり信用して彼にシャツを作ってもらうことにしました。
近所の店で生地を買ってトータルで1800円と安くはないですが、2時間超スピード仕上げするしその行程を見せてくれると言うので洗濯物までの時間つぶしにちょうどよいと考えました。
普通はシングルで済ますところをすべてダブルステッチで仕上げるのが彼の自慢だそうですが、それにしてもすばらしい手捌きというか職人技と言うか、彼の頭の中には完成形のシャツが寸法ごとインプットされていて、そのとおりに手を動かすとシャツが出来上がると言った三次元プリンターの作業を見るようでした。
喜んでいたら、わたしのホテルが遠いのを知って送ってくれるとも言ってくれます。
彼はインドで出合った唯一の友人とも呼べる人物だと感動しました、が、わたしはインドをまだまだ甘く見ていたようです。
指定の料金にバイクで送ってもらった分として100ルピー上乗せしてわたしたのですが、ここから、彼の、家が貧しい、子どもの養育費が必要、父が病気だ等、饒舌な話が始まりもっと寄越せ攻撃が始まるのでした。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
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Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/09 Thu

これが聖地だ

Squire & Co 14cmF3.6
プシュカルという小さな町にやってきました。
デリーから400キロほど離れていて鉄道で6時間半かかりました。
とても静かで歴史ある町で、ツーリストもまったくいないという話でした。
日本語も話すデリーの旅行代理店の男はわたしを信用させるためか京都で弟がインド料理店をやっていると言うので、もしあなたの説明通りでなければあなたにではなく京都に行ってあなたの弟に文句を言うからと冗談を言ったのですが、京都に文句を言いに行かなくてはならなくなりました。
プシュカルも騒々しくツーリストばかりの町です。
もっとも京都にその店があるなんて保証はまったくもってない訳ですが。

プシュカルに駅はなく、アジミールという終着駅から支払った料金に含まれているホテルのピックアップのタクシーに来てもらうことになっていました。
駅を降りると数人が空港などでよく見る名前の書かれた紙を掲げていましたが、わたしの名前はありません。
タクシー乗り場に行ってみると、プシュカルまで300ルピーと言う客引きがいて、昨日代理店に35キロ離れているので1800ルピーかかるんだよと説明されたのが出鱈目だったと分かりました。
結局、ピックアップは見つからず駅のツーリストインフォメーションでホテルに電話してもらって、ホテルにはピックアップの依頼が入っていなかったことを確認して、あらためてタクシーを出してもらいホテルに向かうことになりました。

そのタクシーで人生初めての屈辱的体験をしました。
やって来たタクシーはコルカタで乗ったような英国式の乗用車ではなく、ボロボロの軽ワゴンです。
別にそれでも構いませんが、助手席に乗ってしばらく走ると途中で停車してちょっと降りてくれと言われます。
すかさず、男が助手席に座ってきて、後部座席に大型犬を連れた男が腰を降ろしてきました。
犬は床で良さそうなものなのに男の横にしっかり腰掛けています。
わたしに残されたのは運転手に背中合わせになる犬の向かいの進行方向と反対になる席です。
このふたりと1匹は運転手の友だちか何かで、プシュカルに行く仕事が入ったから連れて行ってやるよと言うノリだったように見えましたが、まさか金を払っているわたしが犬以下の席に座らされるとは、怒りを通り越して笑いがこみ上げてきました。
もちろん彼らの家の方を優先してまわって最後にホテルだったので、運転手に支払のやり取りをしているレセプションの青年に、このタクシーはすばらしかったよ、犬以下に扱われたのだからと説明しました。
レセプションの男性もさすがに怒って運転手と口論になり、見ていた限りでは支払いをせずに運転手を追い返してしまいました。

わたしが泊まったホテルだけは、代理店の説明通りとても静かで落ち着いていました。
何しろ町から遠く離れた徒歩30分のところに位置していて、宿泊者はわたしともう1組だけでしたので。
築40年くらいでしょうか、かなり老朽化していてシャワーのお湯は出ませんでしたが、WIFIの感度は今まででいちばんよかったので、一気にブログの更新ができました。
また、インド人宿泊者が夕食をルームサービスにしていたので、わたしも真似して依頼しました。
ルームサービスで食事したのは初めてのことかも知れません。
しかし、この部屋にはテーブルが無かったので、荷物の台にトレイを置いて床の上で立膝になって食べるしかありませんでした。
インド式食事法のようでそれはそれで悪くはありません。
料理を運んだボーイにチップを10ルピー渡したら、露骨に足りねえぜという顔をされたのはよりインド式でしたが。

プシュカルの中心には現地人が湖と呼ぶ、貯水池にしか見えない場所があって周辺がすべて沐浴場になっています。
ヒンズー教徒は聖地巡礼のようにここに沐浴に来るようですが、古くから聖地だったためエキゾチックな古建築が多く残っていて、そこに惹かれて西洋人も多く訪れるようです。
湖周辺は沐浴を行う聖地なので撮影はダメだからねと強く念を押されながら周囲を散策すると、沐浴を終えたヒンズー教徒たちがけっこう平気で記念撮影したりしていました。
観光地化するとそんなものなのかも知れませんし、最近の教徒は戒律が緩んでいるとか言うことかも知れません。
とは言え、インドのヒンズー聖地では大切な決まりがあると教えてくれました。
町の中では肉類とアルコールが一切禁止されているということです。
インドのレストランはどこでもメニューにVeg.とNon Veg.と欄がはっきり分かれていてベジタリアンが間違って肉入りのものをオーダーしないよう配慮されていますが、ここプシュカルではベジタリアン料理しかないので、そんな記載はありません。
聖地でビールは飲めないということはホテルの人と話しているときに聞きました。
わたしは、聖地でビールが飲めないのは理解します、しかし、聖地なのにここでは立ちションする人が多いのですが、ヒンズーの教えで立ちションは許容されているのでしょうかと、真顔で聞くと、周囲の人たちみんなが大笑いになりました。
隣町まで行ってビールを買ってきますで、部屋でこっそり飲んでくださいと提案されましたが、わたしはここではビールは飲まず、立ちションもしないと答えました。

さて、本日の作例ですが、野菜か何かを商う女性たちの姿です。
しかし、ちょっと観察すると野菜と思っていた緑のものは、隣にいるウシの餌だと気付きました。
つまり、プシュカルは聖地なのでヒンズーの聖なる動物のために餌を買って与えてやってくださいというこの土地ならではの商売なのですね。
作例をよくみたら左の女性の顔が赤いベール越しに透けて見えて、意外に美人だということもよく分かりました。
聖地、聖地と念を押されましたが、プシュカルが聖地と感じたのはこの作例の関係と食事のことくらいです。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
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Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(2) | 2015/07/08 Wed

ならず者ならず

Squire & Co 14cmF3.6
わたしはインドのことを知ろうと懸命に努力し、インド人を好きになろうと必死になりましたが、その結果と言えば、人間にはできないことがあるのだと気付かされただけでした。
人が短時間旅しただけでその国の何が分かるんだと言えばそれまでですが、わざわざ旅をしていてその国のことをまるで理解せずに帰るのはもっと愚かなことだと思います。
局面を打開するために、都会でも観光地でもない田舎に行ってみようと考えました。
また、比較的最近インドにたいへん造詣の深い方と知り合ったので、詳しくお話を聞ければよかったのですが、その時はインドの話はあまりできず、唯一聞いたのがシムラーという地名で、これは地図で見るとデリーの北でしたので、ここを目指してみようと考えました。

そう考えてニューデリーの駅に降り立ちましたが、わたしはここで人と接するごとに自分を失っていくばかりでした。
ボドガヤのチケット屋でニューデリーからシムラー方面の列車は3日間空きがないので、バスで目指した方がいいと言われていたのでバスステーションはどこかと警備員に聞いたところそのやり取りを聞いていたオートリキシャに20ルピーで連れて行ってやると言われます。
到着したのはオートリキシャの溜まり場が切れる距離にして300メートルほどの、パスチケットも売っている旅行代理店のカウンターでした。
歩いても5分かかりません。
ふざけるなと言いましたが、運転手は20ルピーと言うだけで何も答えません。
以降わたしはオートリキシャが何を話しかけてきてもまったく無視することにしました。

鉄道やバスのチケットを扱う旅行代理店のカウンターは無数にあります。
シムラーまでのチケットをお願いしようとすると、タージマハールのあるアグラはもう行ったか、ピンクの建物があるジャイプールは素晴らしい、1週間カシミールを旅してきなさいなどと頼んでもいないのに勝手に日程表と見積を作成しだします。
チケットだけ売っても利益はタカが知れているということでしょうが人の話をまったく聞かない態度に腹が立ちます。
以降、わたしがシムラーまでの鉄道の切符を買えますかと言って、タージマハールがなどと言い始めたら何も言わずに立ち去るようにしました。
どこも同じ対応なので、そんな代理店は10軒近くになりました。
そういえば、シムラーの手前の町までミニバスで行った方がいいという代理店で、そのチケットを買おうと価格を聞くと約35000円だというので、何度も聞き返してしまいました。
それでも自信満々に同じ金額を繰り返す肥満した男に、あなたの国ではレイプ事件が頻発していて、空気が悪く、騒音がひどく、乞食がどっと押し寄せして旅行者が激減している。
それでも来てくれている旅行者に対してそんなぼったくりをしていたら、今に誰も来なくなるだろうと低く冷たい声で言って、わたしはそっと出て行きました。

そもそもボドガヤからニューデリーまでの寝台列車の中から問題が発生していました。
わたしのベッドのところにはすでにでっぷりしたおっさんが熟睡していて、車掌に言うと開いているベッドに寝かせようとします。
わたしは少し高い下段のベッドのチケットで上段に寝ろと言うので差額を返してくれと言うと、その下段に寝ていた老人は本当は上段のベッドだったのでしぶしぶ上に移動していきそこでわたしは寝ることになります。
ところが夜中になって眠っていると突然カーテンを開けて男が数人こちらを見ています。
窃盗団かと思えばそうではなく上に移った老人の仲間で、代わりにわたしが寝ていたので驚いていたようです。
どけという意思表示なのか、単に物覚えが悪いのかそんなことが時間をおいて3度続きました。
さすがに3回目は切れて、カーテン開けて平気な顔をしている太った男に向かって、謝れと怒鳴ったのですが、相手の返事はノープロブレムで、わたしは相手の襟元をぐいっと握って、アイムソーリーだろと言ったところ、ソーリーと言ってどこかへ消えていきました。

最悪だったのがニューデリーのホテルでした。
ホテルがボロいのはいつもどおりですが、部屋が道路に面していて通る車やバイクがクラクションを激しく鳴らして行き交っています。
駅に近いせいか11時過ぎてもそれは変わらず、こんなんではとても眠れません。
なんでこんなにうるさいのか、玄関を出てみて理由がわかりました。
端に寄せずに中途半端な位置に停めたまま何事かやっている車がありました。
運転手に事情説明してここへ停めないでくれと言うとイエスと返事がありましたが、車を動かしません。
もう1度、どいてくれ、イエス、動かないのやり取りがあって、わたしの摩耗し切った神経は切れてしまい、後ろからその車を手で押してしまいました。
まさか動かないと思っていた車がずずっと少しですが、前に進んだのにはわたしも驚きでしたが、彼はさすがにこいつと関わるのはヤバいと思ったのかエンジンをかけてどこかへ消えて行ってしまいました。

インドに来てからというもの、わたしはすっかりならず者です。
何かを変えて行かないと思っていた時に、そのならず者という曲のことを思い出しました。
イーグルスのデスペラードという有名な曲ですが、わたしも若い時に大好きで何百回と聴いています。
正確な歌詞が思い出せなかったので、ラストの部分だけでも自分への戒めに暗記して何かあるたびに歌って乗り切るようにしたいと思います。
Desperado, why don’t you come to your senses?
Come down from your fences, open the gate
It may be rainin’, but there’s a rainbow above you
You better let somebody love you, before it’s too late
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
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Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(2) | 2015/07/07 Tue

彼なら友だちになれたかも

Squire & Co 14cmF3.6
洗面具一式を取りにホテルに戻りましたが、やはりというべきかすべて捨てられていました。
何のために苦労して戻って来たのかと悲しくなりましたが、なぜか髭剃りのみゴミ箱から見つけてきてくれました。
忘れ物は自分の責任ですが、いまからバラナシには行けないので泊っていけと言われて、お客の忘れ物をゴミ扱いするようなホテルには泊まれないと断りました。
釈迦が悟りを開いた仏教の聖地ボドガヤは地方にも関わらずバンコクからの国際線が直行する観光地ですので、ホテルはいくらでも見つかります。
日本のお寺には宿坊ありとの表示までありました。

さくらという名前のホテルに声を掛けられ、いかにも地球の歩き方で日本人におすすめの宿などと書かれていそうで気が乗りませんでしたが、受付の青年がとても誠実に対応していたので信頼して泊まることにしました。
しかし、そこに胡散臭い男が現れます。
バラナシはもう縁がなかったんだと諦めて、一気にデリーまで行こうと考えレセプションの胃年にどこで切符が買えるか聞いていたところ、デリー行の切符は2日先まで売り切れている、明後日でよければわたしの娘とそのハズバンドが車でニューデリーに行くのであなたも同乗しなさいと言うのです。
男性は日本に何度も行ったことがあり、来月も旅行する予定で何度も日本人の世話になっているのでお返ししたいと言っています。
胡散臭い話ですが、朝9時に向かいに行くのでウチで朝食を食べようと誘われましたが、やって来ませんでした。

半分期待していた車での移動は諦めて、電車の切符を買いに行こうと歩いているとガイドと鉢合わせしてしまいました。
バラナシには行かなかったのかと驚いているので事情説明すると、デリーまでのチケットを取ってあげようとチケット屋に連れて行ってくれました。
なるほどデリーまでの本日分はすべて売り切れで、キャンセル待ちが何人もいることが分かりました。
しかし、わたしにはよく理解できませんでしたが、高くなってしまうものの当日券を取る裏ワザがあるのだそうで、2Aという寝台券を5800円で取ってくれました。
たぶんチケット屋の手数料が1800円、ガイドのコミッションが1000円というところでしょうが、安く買うとかいうことよりも蟻地獄のようなボドガヤから早く脱出できればいいとだけ考えて購入しました。

しかし、ここでまたわたしは大きな失敗をします。
チケット屋の向かいが仏像を彫る工房で、創作過程を何気なく見学していました。
こんな小さな仏像もあると見せてもらった菩提樹の枝から切り出したというものを見学料がわりに買おうと手にすると、ペンダントにもできると穴を開けてくれました。
どうせ2~300円きくらいだろうと思ったそれは何と1600円。
穴を開けてもらったので、今更要らないとは言えず泣く泣く買うことになりました。
ガイド、恐るべし。
こんなちょっとした油断からも恐らくは500円のコミッションを得ています。

手数料はこれで終わりではなくもう1回取られました。
ガヤ駅まではオートリキシャで行ったのですが、ガイドが捕まえてくれて250ルピーだと言われます。
わたしがここに来た時は180元だったので少し高いと言うと、夜は当然高くなるからと苦笑いしながらガイドが説明します。
そんなやり取りをしていると別のオートリキシャが現れて、ガヤ駅なら200ルピーで行くよと言います。
たぶん、200ルピーは外国人向けの相場で、最初のオートリキシャも200ルピーと言ったのをガイドが250ルピーと意訳してくれただけでしょう。
ふたりの運転手とガイドが真剣に何やら話し合っていましたが、結局200ルピーで後から来た方が連れて行ってくれました。
最後の50ルピーのコミッションを取り損ねたか、お前のせいで損したじゃないかとペナルティで30ルピーくらいせしめたのか、わたしの知る由ではありません。
このガイドは日本人の友達がたくさんいると言っていましたが、仏教の聖地でまさか自分の支払いにガイドの手数料が含まれているとは気付かずに、ガイドさんありがとうと謝礼を別途支払っている日本人もいるのだろうなあと考えるとうら悲しい思いになります。
作例は、ちょっとピンボケですが、ガイドのお父さんの畑がある村で、重厚な家の扉を撮影していたら鉢合わせのように子どもが出てきたのを撮影したものです。
まだ調子が悪いからと断っても、村で作ったというぶどうの焼酎を振る舞われてまた飲んでしまいました。

駅には2時間も早く着いて時間をつぶすのに難儀します。
生まれつき足の悪い人が多くいると言う話は聞いていて、手で焦げるように改造された荷台付3輪自転車を何度か目撃していましたが、まだ15歳くらいに見える青年が両手をうまく使いながらホームを移動して物乞いしているのが見えました。
インドには老若男女を問わず物乞いが多く、わたしはすべて拒否してきましたが、彼がわたしの前に来た時の物腰にわたしに対する敬意を感じました。
何か衝動のようなものを感じて彼の眼を見ると、この体なのでできる仕事はこれだけですが僕は一生懸命やっているんです、理解してくださいとその瞳が訴えているような気がして、手元にあった小銭をすべて手渡しました。
彼の言うお礼もまたとても紳士的に感じました。
卑屈な物乞いでもなく、インドに多い強引なそれでもない、もしかしたらわたしがインドで会ったいちばん好いヤツだったかも知れないと思いました。
暑いホームで待ち続けた甲斐があって列車は遅れるどころか5分も早く到着しました。
インドの列車は車両番号が単純に1~15というようにはなっておらず、列車のタイプごとに記号化されていてそれがどこに止まるのか途中駅では分からないので、少し慌ててホームを移動しなくてはなりませんでした。
ようやく自分の車両のところに来たとき、足の悪い青年が物乞いしてるところでした。
その背中に頑張れよと声を掛けると、彼も振り向いてわたしに気付き、最高の笑顔で手を降りながらわたしを見送ってくれました。
やはり、彼こそがこの国で出合った最高の青年でした。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
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Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/06 Mon

マリファナか自然治癒か

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昨夜、またとんでもない目に合いました。
ガイドが夕食を食べに行こうと誘うので、途中、ワインショップでビールを調達してから彼の友人のレストランに行ったのですが、彼は油ものばかり何品もたのんで、それらがいずれもギトギトだったためか、夜中に気持ち悪くなって2回も吐くはめになりました。
胃が苦しくて眠れず、朝になっても調子は悪いままです。
ホテルのオーナーから昨日、ヤシの実のジュースを飲んだでしょう、あれを飲むとみんな下痢するんですとトンチンカンなことを言われて、そうではないと説明しましたが二日酔いで調子が悪いと解釈されたようです。
何とかいう薬を飲むよう勧められましたが、症状も理解しないのに薬を決めてしまうのはインドらしい治療法のようです。

いっしょに食事したガイドもやって来たので、胃は大丈夫か聞きましたが彼は何ともないと涼しい顔をしていました。
ただ、最後のポテトの油がすごいという話をしていたことは覚えていて、あれが原因かと理解はしてくれました。
今日は近隣の村まで連れて行ってもらって、地元の人がブドウから作る焼酎を飲みに行くはずでしたが、さすがにそれはできません。
それどころか立っているのも辛くて、ベッドの中で胃に負担がかからないよう体を丸めて横になっているしかありませんでした。
コルカタもボドガヤも排気ガスと砂埃で空気が悪くてやたらと咳が出るようになっていましたし、車とバイクとオートリキシャが我先にと鳴らすクラクションの巨大な音に頭痛を感じていましたが、ここへ来てついに胃もおかしくなり、インドという国の旅人を少しずつ疲弊させる潮流に巻き込まれてしまったのを感じずにはいられません。

午後になってもまったく食欲がなく、ときどき噂に聞く旅行者の変死はこうして始まるのではと、少し動くたびにギシギシときしる木のベッドの上で不安というよりは恐怖を感じ始めていました。
天井のファンが回転しながら大きな音を立てていますが、何かヒンズーの言葉で語り掛けているように聞こえます。
いますぐお前を楽にしてあげるよと笑っているように聞こえるし、早くここから出ないとお前は一生インドから出られないと忠告しているようにも感じます。

楽にしてあげるというのは理由があります。
夜、ガイドと食事しているとき、日本人はみんなマリファナを吸いますね、あなたはいらないですかと聞いてきました。
マリファナはタバコと混ぜで吸引するので、何よりタバコがきらいなわたしには興味の対象ではありません。
要らないときっぱり断ると少し残念そうな顔をしたので、この人は日本人にマリファナを売ることでも生活の糧にしているのかと、少し不快な気持ちになりました。
しかし、いま胃の痛みに苦しんでいるとモルヒネのように苦痛を除去してくれるのではないかと思ったりもします。
しかし、俺にはドラッグも薬もいらない、時間が経てば胃の痛みは治まるだろうし、そしたらここを出て行くよと答えると、天井のファンの音も少しピッチが変わって、分かったよ、そうした方がいいなと同意してくれました。

午後になって少し楽になって来たので、5時のバスでバラナシに移動することにしました。
ボドガヤからはブータンやカトマンズにも直行のバスがあって、国境でビザが取れるとの話を聞いて心惹かれましたが、5時間で着くバラナシという無難な選択をします。
昨日の夜から何も食べていなかったのですがまったく空腹感はありません。
無理してでも何か食べなくてはと考え、栄養価の高そうなマンゴーを3つ食べました。
夕食用にバナナも買っておきます。
バスは運転手の気まぐれで出発時間が決まるのか30分ほど遅れて、ボドガヤを後にしました。
バラナシはヒンズーの聖地で旅人にはタフな町と聞いているので、体調が悪いままなら沐浴を見に行ったりせずにそのまま移動しようかなどと考えていると、沐浴との連想で洗面用具一式をホテルのバスルームに忘れてきたことを思い出しました。
ちょっと悩みましたが、バス代の700円よりも髭剃り1500円の方が大切だと考えて、バスを途中の村で降ろしてもらいボドガヤに戻ることにしました。

ボドガヤから30分のところで気付いたので、まあ幸運だったかと思ったのですが、その行程には大きな試練が待っていました。
その村からは軽ワゴンのバスが出ていたのですか、すでに満席で他のふたりの青年とともに屋根の上に座っているしかありません。
胃が苦しいので混雑する車内よりはよいかと割り切りましたが、バスが衝突したり急ブレーキを踏めば前に投げ出されるだろうなあと不安でした。
バスは遅かったので落ちることはありませんし、夕方の風が心地よくて、高いところからの見晴しを楽しむ余裕も出て来た矢先、空が突然真っ暗になったかと思う風がすごい勢いで吹き始めました。
嵐がやってきたようです。
これはまずいと思うや槍のような雨がバス上の我々にむかって叩き付けてきて、運転手はバスを停めて中に入るようにうながしました。
しかし、満員だったので屋根に乗ったというのにどこに乗車すればいいのでしょう。
ひとりの青年はすっと助手席にすべりこみ、わたしともうひとりは真ん中の座席に入るよういわれます。
そこにはすでに許容を超える8人が座っていて座るどころか立つ場所すらなく、どうしていいか立ち尽くしました。
するとその窮状を見かねた後部座席の青年がお前はここに座れとわたしに席を譲り、真ん中の座席に入っていきました。
彼らふたりは座っている人の足の間に立って、体を90度曲げた苦難の姿勢で乗り続けていました。
最前列4人、真ん中に10人、後部に4人、軽ワゴンの総勢18人は突風にあおられながらふらふら進むバスの中で互いに体を密着させることで妙な連帯感を感じていたように思われました。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
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Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/05 Sun

派閥争いの犠牲に

Squire & Co 14cmF3.6
昨日も書きましたが、日本の某お寺さんがボドガヤで開山して、そこで現地人に日本語を教えているようで、これが困ったことを引き起こしています。
文化交流など善意で教えているのだろうとは思いますが、そういうことをするとどうなるか翌朝になって身にしみるほどに理解しました。
日本語スピーカーの間に派閥ができて、利権争いが起きてしまい、日本の政党のようになってしまうようなのです。
仏教聖地のツアーは、午後に知り合った男性がなんと無料でガイドをかってでてくれたのですが、使用する車は宿のオーナーのもので運転手も宿のスタッフとのことです。
料金は2500ルピーを負けてくれて2300ルピーになり、ガイドが車を用意すればマージンはそのまま入りますが、宿のオーナーがこの日本人はオレの客だと言い争いになったようで、ガイドはいくらかのマージンをオーナーからもらうことで決着したようでした。

熱心な仏教徒なら誰もが憧れる聖地巡りのようですが、わたしは例によってそういうところには興味がありません。
最初に訪れた釈迦が7年修行した山の近くで村人が車座になっているのを見つけて、何しているのかとガイドに聞くと、ヤシの実のジュースをみんなで飲んでいるとのことでした。
厳密にはヤシではないそうで、昨夜のうちに採ったジュースはすでに発酵が始まっていて飲ませてもらうとどぶろくのようでした。
調子に乗って2杯飲んだので朝からほろ酔い状態で、木に登るところを見せてくれとお願いして撮ったのが今日の作例です。
こんなことやっていたら今日は全部見られなくなるよと、ガイドに出だしから怒られてしまいました。

以降まわった聖地はわたしには正直あまり面白いものではありません。
仏教を学んできた人が、ようやく聖地を訪れることができたと言うのとは違うからで、ニエプスやダゲールが写真術を研究した部屋であればもっと時めいていることでしょう。
ブッダの生涯を一度でも読んでいれば、少しは感じ方が違ったかも知れないので、帰ってから勉強しなおそうという気持ちにはさせてもらいました。
この日は土曜日ということもあってかなりの人手で賑わっています。
しかし、そんな中に外国人の姿を見ることはなく、近隣から観光に来たインド人ばかりです。
そのインド人たちもみなヒンズー教徒なので釈迦には敬意を表するところがなく、そういう反応を見ているのが、むしろ楽しく感じられました。

それにしてもこのあたりは暑いです。
最高気温が38度くらいになると聞いていましたが、ガイドとも今日は40度を超えているだろうと意見が一致しました。
3月に訪れたウランバートルがマイナス40度ほどでしたので、わたしの数ヶ月の旅の中で寒暖差80度を体験したことになり自慢したいと思います。
観光に来ていたのは妙におばさんが多かったのですが、ガイドの話ではみな着替えを持って来ていて途中で洗って干すのだとのことです。
芝生の公園にいっぱい座るためのシートが敷いてあると思ったのは、シートではなく彼女たちのサリーだったのですね。
やはりインド人でも気温40度ともなれば、かなりの汗をかくのでしょう。

帰り道でたいへん惜しいことをしました。
蛇を手にしながら歩いている青年がいたのですが、ガイドが見てごらんコブラですよと言います。
わたしの眼には蛇の種類までは見分けられませんでしたが、コブラなんて手にしながら歩けるものなのでしょうか。
それともインドと言えば誰もが連想する路上コブラ使いだったのか。
当然、車を停めさせて確認すべきでしたが、暑さで気力が失われていたのと、ヤシの実ジュースで怒られていたので、止まってくれという言葉が出ませんでした。
また、動物つながりで、インドにもバングラデシュにも多いヤギですがやはり食用に買っていてメニューに書かれているマトンはヤギ肉のことでした。

さて、ボドガヤに戻ると、ガイドが土産物屋をやっているので、見て行ってほしいと言います。
ガイド料は要らないといのは何か買えということだったのですね。
とても信じられないですが、家が古い寺院のそばで12世紀の仏像が大量に出て来たのでと見せてくれました。
本当なら文化財でしょうし安くもなかったのですが、ちょっと古そうでしたので1日の努力にこたえて買うことにしました。
すると、ホテルのオーナーが買い物のコミッションを要求してくるので、絶対に買い物したことは言わないようにと釘を刺されました。
まさかと思いましたが、ホテルに戻るとオーナーが手ぐすね引いて待っていて、ツアーのことなど何も聞かずに、何を買ったのかと真顔で尋ねてきました。
ふたりが骨肉の争いともいうべき、コミッションの取り合いをしているのです。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(2) | 2015/07/04 Sat

学級委員との対話

Frilon 50mmF1.5
エアコンなしの寝台車はベッドの配置が変わっていて、右側に線路と垂直方向の3段ベッドが向かい合い、左側には線路と並行の2段ベッドになっていました。
夜中の出発ですので暑さは気にならず、4台がフル稼働する扇風機が寒いくらいでした。
インド鉄道に敬意を表したいのは、出発が35分遅れたのですが、ガヤ駅の到着もぴったり35分遅れだったので、運行は時間に正確だったということです。
インドの鉄道は時間に不正確なのではなくて、よく遅れると表現するのが正しいようです。
また昨日、書き忘れましたが、コルカタのバスのことで記しておくと、交差点に鞭のようにしなる棒を持った交通警官が立っていて、あの棒を何に使うのか見ていたら、やはり交通整理のためにバスをバシバシと叩いていました。
同じようなもので、商店主が店の前のウシを叩いていたので、インドではウシもバスも同等に扱われているということになるようです。

ガヤはヒンズーの聖地で、仏教の聖地は郊外のボドガヤというところでした。
日本ではブッダガヤと表記されることが多いですが、そういう事情を知らないインド人にはブッダガヤと言っても、はあ?という顔をされてしまうので、現地語主義に基づきボドガヤと書くことにします。
横浜の保土ヶ谷はここから採ったのではと考えたのですが確証はありません。
駅から相場の180ルピーでオートリキシャに乗れたのは、リキシャマンたちが自分のに乗せようと勝手にどんどん値段を下げてくれたからでした。
リキシャマン一人だったら400ルピーくらい支払っていたことでしょう。
ただ、このリキシャはキックバックの入るホテルに連れて行くらしく、これがただでさえうんざりなインド旅をさらに悪い方向に導いてしまいます。

世界遺産のマハボディ寺院、釈迦が修行中に娘からミルクを授かった菩提樹、その娘・スジャータの家、釈迦が7年間修業した沙羅双樹のある山(ふう、よくこれだけ思い出したものだと我ながら感心しますが、記憶違いがあればお詫びします)等々をバイクでまわって800ルピーだというのを高いと思いつつOKすると今は暑いからといくつかを省略して700ルピー請求されます。
あとで確認すると本来は100ルピーのコースだったようです。
さらに使えると言っていたWIFIが今日はダメだというので、宿のオーナーの言うことと話が違うと抗議すると、オーナーはタイに行っていて今はいないというので、分かった宿泊はキャンセルするとこちらも切れると、タイにいるはずのオーナーがまたやって来て平謝りし、宿泊料を半額にする、ただ、WIFIが使えるようになったら300ルピー追加させてくれと泣きつき、結局、WIFIの機械を買ってきて使用可能にしてしっかり300ルピーを回収していきました。

100ルピーコースに700ルピーを取ったバイクの運転手は2度と現れません。
そもそも彼らを信用してしまった理由は、オーナーが達者な日本語でわたしの妻は日本人で西脇市のお寺に子どもたちといるというような話を聞いてしまったことが原因で、さらに現れたバイクの運転手たちも含めて、ボドガヤには日本の某宗派寺院があって現地人に日本語学習を施したらしく、そのため日本人旅行者が次々と騙されている状況を生んでしまっているようです。
某宗寺院が元締めでペテン集団をつくったようなものですが、きっと中には善良な人もいて、日本人旅行者を助けたりということもあるのでしょうからこれ以上悪いことを言うのは止めておきますが。

細かいことで他にもいろいろ騙されたりしたので、すっかりインド人不審になったので、昼間っからビールでも飲んで寝ようと、ボドガヤに2軒しかないというワインショップに向かってとぼとぼ歩いていました。
すると某宗日本語学校の何期生かまた日本語で話しかけてくるバイクの男性がいます。
簡単に事情を話し、あなたがわたしを騙す悪人か善人か判断付かないので、申し訳ないがほっといてくれと突き放したのですが、40度近い暑さの中歩くのはよくない、ワインショップまでタダでバイクで送るのでとの言葉に乗って連れて行ってもらい、ホテルまで送ってもらいました。
インドで白昼飲むビールはよく効くので5時間も眠ってしまいましたが、起きてみると先ほどの男性が待っていました。
彼は日本語はヘタですが、誠実さが感じられて、熱心に勧める車をチャーターしての翌日のツアーに同意してしまいました。
さて、どうなることやら。

さて、作例は、スジャータが痩せ細った釈迦にミルクを与えた聖地にある小学校です。
その近隣は子どもを学校に行かせられないほど貧しく、寄付だけでまかなわれているとのことで、わたしもガイド料より少ないわずかな金額を手渡しました。
すると先生が、ぜひうちの生徒と会話してみてくれと、手前の少年を紹介しました。
利発そうな目の印象的な子で、学級委員的存在なのかも知れません。
名前は、歳は、好きなクラスは、友達は何人、とシンプルな質問をしましたが、残念ながらわたしの言うことは分からないようで、先生が翻訳して伝えてくれました。
教室の中には20人くらいの子がいましたが、たしかに木の中におさめられた釈迦の像ほどではないものの、みなほっそりと痩せていてこの村にはもっともっと寄付が必要なことが理解できました。
【Alpha7/Frilon 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Futura Frilon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/07/03 Fri

そっぽを向く人々

Squire & Co 14cmF3.6
ビールがこれほどまでに旨い飲み物だとはコルカタに来るまで気が付きませんでした。
ホテルに持ち帰るころにはすっかりぬるくなっていましたが、それでも麦汁とホップの味わいはビール会社の広告ではないですが十分に感じられます。
酔いもアッと言う間で気付いたら眠り込んでいました。
途中2~3度喉の渇きもあって目が覚めますが、その都度残ったビールをぐいっと飲むと幸せな気持ちとともに眠気がやってきました。
早起きしましたが、何しろ9時前には寝ていましたので10時間も熟睡していたことになります。
リゾート地ならともかく、わたしの旅でこんなに長く眠っていたのはそうそうあることではありません。

宿泊したのはハウラーというコルカタの町ですが、鉄道の大きなターミナル駅であるにもかかわらず、この町にはwifiが使うるところは1件もないとのことでした。
インドはIT王国だと思っていたのですが、実情はけっしてそうではないということでしょうか。
インドでは問題にならなかったのですが、今後、パキスタン、イランと進むにあたって帰国便のチケットを持っているか問われる可能性が高いので、とにかくwifiの使えるところで航空券を予約しなければと考え、人に尋ね尋ねしてあちこち行くとパークストリートならwifiを使えるところがあるだろうとのことでした。
バスでパークストリートに着いてから、どこにwifiが使えるカフェがあるかと聞いて歩いているうちにサダーストリートというところに出ます。
ここは以前に本で読んだことのあるツーリストが集まるサドル・ストリートと同じところのようで、外国人旅行者が散見されました。

ブルースカイというなんとも爽やかそうなカフェにwifiが使えることを確認してから入ります。
向かいのテーブルに日本人女性4人組がいました。
学生だと思いますが、ずいぶんとゆるい雰囲気を出していて、インドでしばしば報道されているレイプ事件のことを思い出しました。
西洋人女性旅行者のように緊張感のようなものを見せていないと狙われるんじゃないかと余計な心配をしてしまいます。
食事して、航空券も予約してふらふら歩いていると日本人目当ての物売りが現れて、彼によれば昨日の夜にそのサダーストリートでインド人と思われる女性ふたりがレイプされて殺される事件があったそうなので、あながち余計な心配ではなかったようです。
インドに詳しい知り合いによれば、ここでは殺人とか強盗とか目撃しても警察と関わりたくないと目をつぶってしまうことが多いのだそうです。
インド人には、しばしば自分さえよければ他人のことなど知ったことではないという態度を感じますが、強盗に合いかけても本当にみんな助けてくれないのであればそんな国を旅行してはいけないと思うのですが、くだんの女性たちはどう考えているのでしょうか。

その物売りの男は、日本語を織り交ぜながら巧みな話術でカシミアだかその上のショールを売ろうと接近してきました。
別の男が古い仏像があると言うので付いていったのですが、店に入るとそんな話は一切なしにこの男にバトンタッチして、ショールの話を始めます。
4種の布を取り出して、これはシルクの入っていないポリエステルの偽物、次はシルクと綿を混ぜたユニクロで売っている物、その次はカシミアですから触れば違いが分かります、最後はヒツジのひげから作ったもので最高級品ですがカシミヤよりふわふわでしょう、ときました。
しかし、最初のものはともかく2番目の何てこんな品質ではユニクロでは扱わないだろうというようなものだし、カシミアだって日本でかなり安いものがあるのを知っています。
最後の何とかいうのはエルメスのマークが付くと40万円するものですが、ウチならたった3万円です、何枚買いますかと聞くので、そもそもこの店に置いてある仏像はアンティークと言いながらクオリティのひくいものばかりで、このショールが本物かどうか大いに疑問だと言い捨てて店を出ました。

10時の列車に乗るので、15キロ離れたハウラーまで戻るために8時にサダーストリートを出ました。
悪いことに雨が降ってきてしまい、タクシーがつかまりません。
来た時と同じようにバスに乗ろうとしますが、どれもドアから人が数人はみ出してかろうじて掴まっているような状況なので、わたしにはとても乗る勇気がありません。
10分くらいタクシーかバスを待っているとどうにかわたしでも乗り込めそうな混雑具合のバスが来たので飛び乗ります。
しかし、すぐに渋滞につかまってしまいちょっと進んではずっと止まっているという状況が続きました。
大きな交差点に入ると、とうとうバスはまったく動かなくなりました。
観察してみると、反対側の信号が青になるとわずかなスペースに車がなだれ込んでふさいでしまうので、こちら側の車は青になっても微動だにできないということを繰り返しているようでした。
そこで、バスを降りて交差点を抜け、さらに先にも交差点が見えたのでそこまで行くと車はわりとスムーズに動いていました。
この2つの交差点が大渋滞の元凶だったようで、そこからバスに乗るとところどころ渋滞にはまるものの、どうにか9時半にハウラー駅に着くことができました。
実に15キロに1時間半かかったことになります。

荷物をとりにホテルまで行きますが、ここでまた問題発生です。
雨はすでにあがっていましたが、ホテルへ抜ける道が洪水状態で歩くことができません。
水はひざしたくらいでしたので歩いている人はいましたが、何度かそこいらで立ちションしているのを目撃していたので、衛生上絶対歩きたくありません。
ぐるっと遠回りしてホテルに着き、トランクをかかえて駅に小走りで向かいました。
どうにか5分前に駅に着いたのでホッとしましたが、わたしの乗るムンバイ行の列車のホームはまだだいぶ先のようで、また走り出します。
ようやくホームが見えて、ぎりぎり間に合ったかとホッとするも、次の瞬間わたしは愕然とするしかありませんでした。
列車は30分遅延していたのでした。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/02 Thu

グレーのドブの青年

Frilon 50mmF1.5
ゆっくり起きてから窓の景色を見て、昨日の運転手が泊まらない方がいいと言った理由が分かりました。
ホテルはスラム街に囲まれた一角にあったからです。
散策してみると、脇を流れるドブの水の色がメタリックグレーなのには驚きました。
鼻が曲がるような悪臭が漂っています。
ホテルの部屋からでも聞こえていましたが、通りかかるバス、タクシー、オートリキシャ、バイク、普通リキシャとあらゆる交通機関がクラクション鳴らしっぱなしで、鼻ばかりか耳もどうにかなってしまいそうです。

なんでこんなところに来てしまったのか、やはりインドは来たくなかったと思いかけたところ、ひとりの青年から声をかけられました。
オレの写真を撮れと言っているようですが、これはバングラデシュでもよくあったパターンです。
断る理由もないので撮影しましたが、彼はどうにもこのスラムの世話焼き兄さんだったようで、近くにいる人に声をかけては写真を撮ってもらえと言うのですが、みな恥ずかしがって逃げてしまっていました。
そんなところへ下半身裸の子どもが通りかかったのを捕まえて、もう一度撮れと言います。
その写真を見ると青年が子どものものをしっかりつまんでこちらを向かせていて何ともユーモラスな写真になっていました。
青年の行動が、わたしのイライラを鎮めてインドに少しだけ親しみを与えてくれるきっかけになったように感じたのでした。

とにかく西を目指さないといけないので、ホテルで駅は近いか聞くとバスで30分ほどだと番号を教えてくれました。
駅行きのバスは混雑していましたが、すぐに降りる人がわたしの手を引っ張ってそのまま座るように案内してくれました。
渋滞で1時間近くかかりましたが、ハウラーという大きな駅の前に着きます。
西にと言ってもどこへ行っていいか分からないので、あちこち指図されながらレフトバゲージに辿り着き荷物を預けたところでいったんホテルをとりました。
WIFIはこのあたりのホテルのどこにもなく、ガイドブックも地図もないわたしは次に行く場所が分かりません。
むかし本で読んだことがあるガヤという地名を思い出しました。
釈迦が悟りを開いた仏教の聖地だったのではないかと思います。
正しい仏教徒ではないわたしがそんな土地に行く意味があるかどうかはともかく、地名として思い出せるデリー、ムンバイ、チェンナイといった大都会に行ってもコルカタと大きな差はないかも知れませんし、そもそも仏教聖地に行けばヒンズー教が支配的なコルカタとは違った世界が見られる期待感があります。

一息ついてから、近くを散策してのんびり駅に向かいましたが、さすが大都会の駅で切符を買うのはただ事ではありません。
列に並ぶたびにここではないあっちだと行ったり来たりさせられて、ガヤ行きの切符を手にするまで小一時間かかってしまいます。
手にした切符もお前がちゃんと書かないからと不備を指摘され、期待したエアコン付ではないスリーパーのチケットでした。
しかも上段だというのですが眠れるかどうか。
とりあえずはホッとして外に出ると、駅のすぐわきに大きな川が流れていて、反対の岸で沐浴する姿があったので、恐らくここはガンジス川なのだろうと思われました。
大きな橋を渡って岸辺に行こうか迷いましたが、ガンジスには子どもの遺体が流されると聞いたことがあったので、このときは近づく勇気がでませんでした。

橋のたもと付近から市場が広がっていて真下では野菜やおそらくお供え用の花が商われているようでした。
こんな角度から市場を見るのは初めてだとカメラを構えていると、びっしり人が行きかう中を荷台を引いた自転車が通ろうとしているところが今日の作例です。
何気ない市場の風景なのでしょうが、一生懸命ペダルを漕いで前進したいのに、他人のことを介さない現地人が立ちふさがって思うように進めない様子が、自分の姿と重なって自転車の男性に強いシンパシーを感じてしまいました。
そこをどいてくれと声を荒げても、こっちは急いでいるんだと叫んでも、誰も他人のことなんて聞いてはくれません。

さらに進んでいくと官庁街のような少し落ち着いたところに出ましたが、立派な古びた建物が並んでいる町並みを眺めていると、コルカタは英国支配の影響が未だはっきり残る町なのだと理解できます。
そんな中、日本のブルガリアヨーグルトそっくりなラッシーを味わったり、基盤を直しながら客を待つ中古電卓路上販売やら、骨を接合しながら調整する中古傘路上販売やらに、インド式エコロジーの神髄を見つけ出しました。
インドでメジャーな立派なクリケットスタジアムの向かいにマイナーなサッカーのクラブハウスがあって、1889年設立と書いてあったのもこの国のイギリスとの結びつきを知らしめるのに十分です。
インドならバングラデシュと違ってビールなら簡単に飲めると思っていたのに、東南アジアのようにコンビニがあって簡単に変えると言うわけではないことを知りました。
スリランカ同様、数少ないワインショップに行かないとビールを買うことができないのです。
カワセミの絵が描かれたキングフィッシャーというのがインドの国民ビールのようでしたが、昼を食べた気さくなカレー屋でオーダーした際に、そのビールを飲みながら食べていいか聞いたのですが、あっさり拒否されてしまいました。
部屋に戻ってから栓をあけるとすでにビールはぬるくなっていましたが、それでもバングラデシュとの違いは十分に味わうことができました。
【Alpha7/Frilon 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Futura Frilon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/01 Wed
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