コルカタまでの長い長い道のり

Frilon 50mmF1.5
今日から旅が再開しました。
前回はカルカッタの空港で帰国するところで旅が終わったので、今回はそのカルカッタ空港から旅が始まります。
イギリス領だったころ英語風の名前に改められていたインドの地名は何年か前に現地語名に戻され、カルカッタもコルカタと表記されるようになっています。
軽かったを連想させるカルカッタの方がなじみを感じますが、国際ルールに則ってわたしも以降はコルカタと表記します。
ラッシャヒやチェントンのところで、地名表記が統一されてなくて不便と声高に叫んだばかりなので、自分からそれを壊してはいけません。

そのコルカタへの道はまったく楽ではありませんでした。
関西→上海→昆明→コルカタという航空券どおりの順番に搭乗すればいいだけのことなのですが、それがまったくうまくいきません。
これを書いてしまってご本人にバレてしまうとあまりに申し訳ないのですが、前夜、奈良に宿泊してその宿のオーナーがわたしが関西空港へ行くためのバスを調べてくれたのですが、わたしは道を間違えてバスに間に合いませんでした。
道順も教えてもらっていたにも関わらず、途中で大きな観光地図の看板を見たため、なんだ右折するより直進の方が近いじゃないかと進み、そちら側は駐車場で乗車地点の奈良ホテルとはつながっていなかったためあたりをぐるっと1周することになり、3分遅れてしまいました。

結局、その足で駅に向かい近鉄、南海と乗り継いで空港に行くとクローズ10分前には間に合いました。
しかし、チェックインカウンターでインドビザを見せるよう言われます。
メールを見せましたが、規則上プリントアウトが義務付けられているそうで、ビジネスセンターで10分以内にプリントして来いと強制されます。
PCがあるビジネスセンターでもメールの印刷の仕方が分からず、携帯をコピーしてみましたが画面が真っ黒になるだけでどうにもなりません。
20分超過してしまい、空港内で呼び出し放送がかかったので走って戻って事情説明すると、もう時間がないので、明日の上海でのチェックイン時までに印刷しておくよう言われます。

上海は夜に到着して、どうやら自分で宿泊しなければいけなかったのですが、スリランカで航空会社持ちでホテルを取ってくれたので同じことを期待して予約していませんでした。
上海浦東空港到着ロビーにはWIFIがないので予約サイトは使えず、ホテル予約カウンターに行っていちばん安いと言う150元の宿を無料送迎付きで抑えてもらいました。
しかし、ホテルはカウンターで見せられたのとは違う名前のボロ宿です。
話が違うと文句を言って空港に戻りキャンセルしました。
これが失敗の始まりで、地下鉄の最終が行ってしまったため夜行バスに当てもなく乗り、何とか地下鉄駅というところに停まるとあったので降りてみました。
数軒ホテルが見つかりましたが、どこも外観の割に高く、結局いちばん安かったのは158元でホテルの外観はさきほどキャンセルしたのと似たり寄ったりで、送迎が付かなくなったのと時間のロスとで大損した気分です。

さらには、バスで20分で来たので地下鉄でも30分くらいだろうとタカをくくって翌朝のんびり出掛けると1時間もかかって、搭乗40分前の到着になってしまいました。
昆明までの国内線なので日本なら問題ないところですが、さすがは中国、すでにクローズになっていて、次の昆明行は夜なのでコルカタ行には乗り継げないと言い放たれます。
じゃあ、明日に振り替えてくれるのかと食い下がると、上海紅橋空港なら2時発の便があるからそちらに切り替えてやる、ただし280元手数料がかかると言われ飲むことにしました。
150元ホテルが紹介していたのと違っていたことから、こんな展開になってしまいました。
ただ、航空機に乗り遅れたのに5600円程度の損失で済んだのですから良しとしなくてはいけません。
乗り遅れた時点でノーマルを買いなおせと言われてもおかしくないのですから。
ところが、紅橋空港のカウンターへ行くと手数料を取られることなく搭乗券を発券してくれました。
手数料の件は同じ中国東方航空だと言うのに伝わっていなかったようです。

機内では大騒ぎするインド人と押し問答になりましたが、さすがの中国人でも手を焼いていたのか、わたしがインド人と文句を言い争っているとフライトアテンダントが嬉しそうにニコニコしていたのが印象に残りました。
コルカタの空港ではアライバルビザの手続きに手を焼き、ATMが使えなかったので人民元の残りをそっくりインドルビーに両替してタクシーに乗りました。
気さくな運転手がいろいろ話しかけてくる中でインドはどうだと聞くので、今までの印象では中国よりはるかに良いとお世辞を言うとご機嫌になって夜中の道路を飛ばしてくれました。
ホテルに到着すると予約サイトの写真とは似ても似つかないボロい宿に愕然とします。
運転手も、ここはキャンセルして別のところを探すべきだとアドバイスしますが、すでに支払い済みなので泣く泣く泊まりました。
これでも、いちおう長かったコルカタへの道のりが終了したことになります。
作例は、コルカタのタクシーの行列ですが、需給関係が崩れていてまったく進んでいかないのが分かるかと思います。
過去にはつらい旅と言うのは何度かありましたが、これほどまでに旅の始まりで疲れたのは初めてのことでした。
【Alpha7/Frilon 5cmF1.5 F1.5】
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Futura Frilon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/30 Tue

3K 5cmF1.5
【Alpha7/ZK 5cmF1.5 F1.5】
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Zorki ZK 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/29 Mon

Voigtlander 20.5cmF4
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF4 F4】
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Voigtlander 20.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/28 Sun

Voigtlander 20.5cmF4
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF4 F4】
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Voigtlander 20.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/26 Fri

ヤギかヒツジか

Voigtlander 20.5cmF4
バングラデシュに到着した日、ダッカの町を散策しているとき、突然、子どもを抱いた若い母親に道を遮られました。
子どもに食べさせるものがない、お金を恵みなさい、というような内容のようです。
恵んでください、ではなく、恵みなさいと表記する方が恐らく正しい高圧的な態度です。
大昔に1日滞在したインドのニューデリーでも同様だったと思いだします。
バクシーシというのだと思いますが、概念としてはやはり恵んであげるのではなく、金を持っている人は持っていない人に少額でも手渡すのが人間としての決まり事だと言うような概念があるようでした。

到着したばかりなので、今後、これが続くようなら辛いだろうと心配になって、あなたは若いのになぜ働こうとしないんだ、わたしがお金をわたしてもそれでは貧困の解決にはならない、あなたは仕事を探さなくてはならないと真剣に説明したところ、その若いお母さんはへらへら笑ってどこかへ消えてしまいました。
英語が通じているようではなかったので、こいつに言っても金はもらえんようだと判断したということのようです。
その後、ラッシャヒで金をくれと言った男たちこそいましたが、バクシーシには2度とあいませんでした。
観光客とか外国人を狙ってのバクシーシというには、あまりにローカルな場所だったので、若い母親があれでどれだけの収入を得られるのかまったく想像もできません。
説教めいたことまでしゃべったので、それならわずかでも現金を握らせてあげればよかったかと若干の後悔があります。

バングラデシュでよく見かけたのは、なぜかヤギでした。
食べ物のバリエーションが少ないバングラデシュはカレーばかり食べていましたが、だいたいどの店もマトンかチキンかビーフのカレーがあって、ときどきフィッシュもあります。
ウシもニワトリもよくいたのにヒツジは一度も見なかったので、マトンと言うのはヤギの肉なのではないかと疑っています。
ヤギの肉はかなり臭みがあると聞いたことがありますが、相当に煮詰めてカレーにして食べると気にならなくなりそうなのであり得ない話ではなさそうです。
そもそもヒツジとヤギは近い動物なのでしょうか。
ヤギは山羊と書くので、親戚のような近い動物だと何気なしに思っていましたが、そうであれば肉の質自体も近いのでしょう。

ヤギを散歩させているのをたまに見たのですが、多いときは7~8頭を鵜飼のように首にひもをかけて歩かせていました。
作例は1頭だけのパターンですね。
一見すると犬の散歩ですが、なぜだかヤギを散歩させている方がおしゃれに見えました。
もしかしたらバングラデシュの富裕層でヤギを飼うのが静かなブームだったりするのかも知れません。
そういえばイヌもネコもときどき見ましたが、イヌを散歩させているのは一度も見かけませんでした。
イヌは食べるのか聞きましたが、もちろん食べないと大きく首を振っていました。
わたしが中国で食べたことがあるといい、中国人にはネコを食べるのもいるぞと教えてあげるとオエッという顔をしました。

インドにはベジタリアンが多いようですが、少なくともわたしはバングラデシュでベジタリアン用のレストランは見かけませんでした。
一度だけベジタブルカレーを見ましたが、それ自体ほとんどないようです。
なぜインドに多いと言われるベジタリアンがバングラデシュに見つけられないのか、というよりは、なぜインドに菜食主義があるのかが気になります。
インドにはいろいろ宗教が存在するのでその影響なのでしょうか。
そういえば、バンコクにインディアン・ベジタリアン・フードと掲げたレストランがありました。
その関係の人以外で、タイ人とか旅行者など利用するのか、それともすでにバンコクにはレストランが繁盛するほどのインド人ベジタリアンが定住しているのか、妙に気になったものです。

バングラデシュの空港でキャッシュがまだだいぶ余っていたので、750円くらいもしたお菓子の詰め合わせを2つ買ってみました。
ひとつは自宅用にひとつは奈良のお世話になる宿にお土産にしましたが、どちらもたいへん不評でした。
例えるなら甘ったるいドーナツですが、味はけっして悪くないのに、とにかく滅茶苦茶甘いのです。
自宅でも宿でもはっきりそうとは言われませんでしたが、あきらかに不評だったことだけはよく分かりました。
例えば夏休みにバングラデシュだけを1週間旅したと言う日本人はそれなりにいると思うのですが、彼らはおみやげに何を買って帰るのかが気になりました。
マンゴならいちばん喜ばれますが、時間が経つとやばそうですし、何より植物検疫がたいへん面倒くさそうです。
お土産になるようなものなんてバングラデシュにはまったくないんだよと言って信じてもらえるか分かりませんが、正直にそう言うよりほかないと皆実行しているのではと思います。
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF4 F4】
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Voigtlander 20.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/26 Fri

3K 5cmF1.5
【Alpha7/ZK 5cmF1.5 F1.5】
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Zorki ZK 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/25 Thu

Voigtlander 20.5cmF4
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF4 F4】
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Voigtlander 20.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/24 Wed

Voigtlander 20.5cmF4
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF4 F4】
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Voigtlander 20.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/23 Tue

Voigtlander 20.5cmF4
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF4 F4】
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Voigtlander 20.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/22 Mon

ひとり旅の愉しみ

3K 5cmF1.5
チェントンについて記載があるちょっと古い本を読んだことがあります。
何冊かミャンマー、ビルマ関連を読んだので正確に記憶していないのですが、たぶん、アメリカ人ジャーナリストによる軍事政権真っ只中のルポルタージュのようなものだったと思います。
確かこういう記述でした。
チェントンの町並みは茶色い屋根の家が連なっていて、たいそう美しい…。
わたしは、町並みの美しいところを求めて旅しているところがなくはないので、こういう記述を読むといつか訪れたいと思い、記憶はすっかり風化してしまっても、チェントン、町並み、美しいの3つの単語は頭のどこかに残るようなのです。

現在のチェントンはその本の当時とはだいぶ変化してしまったようでした。
ここ10年くらいのあいだに建てられたのだろうと分かる、まったく魅力ない建物ばかりになってしまっています。
しかし、ところどころあの本で記載されていた茶色い屋根で白い壁のこの町の伝統を感じさせる建物が残っていて、当時の様子を想像するのは不可能ではありません。
それにしても、こんな家が並んでいたとすれば、当時のルポが言及しなければならなかったのも大いに納得します。
現地の人にだってそれだけの町並みだったら自慢だったはずで、それを壊してしまうほど住みにくい家だったのか、政治的な力が働いたのか、いずれにしても残念なことでした。

作例写真は、あまりに立派過ぎて町並みを形成するような建物ではありませんが、屋根と壁の色は他の家と同じなので、チェントンを代表する家だろうととりあげてみることにしました。
ガイドしてくれた小龍クンに聞くと、ここは法律家の家とのことでした。
この地域の裁判所のいちばん偉い人が住んでいるのか、もしかしたらここ自体が英国領時代から続く裁判所なのではとも思えます。
わたしも小龍クンも英語が得意ではないので、このような話になっても正確なところが分からないのが歯がゆいですが、この程度の解釈でもチェントンを少し理解するには十分なような気もします。

チェントンだったり、チェイントン、チャイントンとこの町の日本語表記が多すぎると嘆いたところ、ラオスで出会った竜クンからチェントンはタイ語読みからの表記から取っていると教えてくれました。
わたしはその竜クンがチェントンと表記していたのを真似したのですが、結果的にそれで正解だったと安心しました。
というのはチェントンのマジョリティはシャン族で、シャンはシャムと同語源のつまりはタイ人と同じ民族だと聞いたことがあるからです。
ガイドの小龍クン(竜クンは日本人、小龍クンはシャン人ですが、ややこしくてすみません)によれば、シャン人が日常に話すシャン語はほぼタイ語と同じだそうで、テレビもタイの放送が普通に流れていました。

竜クンからまた便りがあって、今度は昆明から南に雲南地域を周ってラオス、タイと旅して来たようです。その雲南地域は西双版と言われるエリアで少数民族の坩堝ですが、多数を占めるのが泰族です。
泰族は仮名表記するとタイ族なのでやはりタイ人、シャン族と同系民族のはずです。
彼らもタイ語に近い言葉を話すのならタイ語が得意な竜クンはコミュニケーションてきたことでしょう。
そんなことを含めて彼の旅がどんなだったか報告会でもやりたいですねと返信しました。
機会があればいいのですが、彼は中部地方在住なので簡単に会うと言うわけにいかず、まだ実現していません。

かつてわたしが旅のバイブルとして読んだ高坂知英氏のひとり旅のシリーズには、旅に3つの愉しみあり、計画する愉しみ、旅しているときの愉しみ、帰ってから振り返る愉しみ、だとのことでした。
むかしは計画するのが旅行中と同じくらいの愉しみだったのですが、情報が簡単に手に入るようになると計画はそれほど愉しみでなくなり、今では旅を振り返ることがそれに置き換わる愉しみになっています。
気分を味わうだけでも旅は十分に愉しいですが、研究すると言うことはさらに愉しみを広げてくれることに気付きました。
竜クンはまさにそういうタイプの旅人でした。
旅先で唯一出会った日本人がそういう人で、本当に幸運でした。
すぐには会えないのが残念ですが、細く長く関係を築けたらと思っています。
【Alpha7/ZK 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zorki ZK 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/21 Sun

シャン州のおいしいお酒

3K 5cmF1.5
昨日書いたようにコルカタ空港で長い搭乗待ちした後、2回航空機を乗り継いで関西空港に到着しました。
諸事情あって東京ではなく関西行きを選択しましたので、今回も奈良に宿泊することにしました。
今回、タイやミャンマーで小さな仏像を手に入れたこともあって、仏像通の青年が始めた奈良町のゲストハウスに行ってみました。
予約するのを忘れて直接訪れたところ、開口一番わたしの名前を呼びながらお帰りなさいと言ってくれました。
2月の世界一周スタート時に泊って以来2回目でしたが、わたしの名前を憶えていてくれたことに感動しました。
仏像とか中国人宿泊客のこととかそんな話で盛り上がりました。

翌日、用事を済ませてから高速バスで自宅を目指します。
奈良から近鉄線の急行に乗って40分くらい、竹田という駅で降りて高架道路沿いに10分も歩くと、高速バスの京都深草のバス停に着きます。
自宅から比較的近い東名厚木バス停まで6時間の長旅ですが、ここ4ヶ月ほどで長距離バスには何度も乗っているのでなんのことはありません。
すでに2~3度乗ったことがあるバスは、3列シートでリクライニングが深くて快適です。
ただ、バスのシートの快適度でいうと、タイやミャンマーで乗ったものも同程度に感じられますので、この分野では日本に優位性は存在しないと言えます。
ただし、中国では外観のみ豪華なサスペンションのヘタレたバスが走ってますので、北朝鮮などを除けばアジア最悪と思われます。

もう少しバスのことを書けば、わたしはJRバスを利用しているのですが、この予約システムは中国並みです。
いやもはや中国でもこんなシステムは動いていないですか。
何しろ驚くのはオンライン予約にも関わらず、夜中はお休みしてしまいます。
また、的確な路線や時間を調べるのにたいへん難儀します。
チケットもすごいことになっていて、もちろんeチケットと言う概念はなく予約完了メールが届くのですが、このリンクから発車30分前以降にアクセスしてチケットページに辿り着かなければなりません。
わたしはここまで行けたことがなくメールを見せて乗車していますが、たぶん同様のトラブルが多すぎて利用者の抗議が殺到し、車掌さんが対応に疲れてメールで良しとしてしまっているのでしょう。
このサイトに英語版があるのかは知りませんが、安いJRバスに外国人利用者を見ないのはオンラインでチケット購入ができないからではないでしょうか。

そういえば、チェントン郊外で蔵元から買ってきた酒は意外にいけました。
クセのない米焼酎の澄んだ味がします。
ひとりで飲んではもったいないので、酒好きの旧友に賞味いただこうと思います。
作例写真は、その蔵元で撮ったものです。
子どもたちが一点の曇りもない澄み切った顔をしているように見えます。
彼らのお尻の下にあるのが原料の米ですが、澄んだ味の秘密を見たような気がしました。

わたしが旅してきた地域では多くの農家で自家製の酒を造っていました。
中国の雲南、貴州、湖南、四川などは有数の穀倉地帯なので、コメ、トウモロコシ、その他の日常の穀物がそのままお酒に生まれ変わります。
ベトナム北部の少数民族の村でも同様です。
酒もどぶろくのような酸っぱいのから、日本酒のようなの、焼酎タイプとさまざまで村によって好まれるものが違っていたり、オールマイティに造ってTPOで飲み分けていたり、東アジアの人は総じて酒好きだと理解してよいのでしょう。
ところが、タイではあまり自家製のお酒のことを聞きませんでした。
沖縄の泡盛はわざわざコメをタイから輸入しているそうですが、それならタイの農家で酒造りをしていないはずがありません。
わたしの調査不足でしょう。

ただ、ミャンマーの北東部のチェントンを含むシャン族のエリアは、やはりあまり農家で自家消費用の酒は造らないようです。
作例の購入したところでは量り売りはしているし、酒好きそうな旦那さんが毎晩楽しんでいそうですが、本来は大手の酒商に卸しているそうです。
中国語のパッケージがおかれていたので見ると、雲南米酒と書かれていました。
誇り高いシャン族の酒がまさか中国の酒として売られているとは、漢字を読めない彼らには知る由もないことのようです。
今や中国とミャンマーの物価はとんでもないくらいに広がってしまったので、この酒商はかなりボロい商売になっているに違いありません。
むしろ中国製でないだけに、この雲南米酒は安心して飲めるお酒ということになるのかも知れません。
【Alpha7/ZK 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zorki ZK 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/20 Sat

日本が遠かった話

Voigtlander 20.5cmF4
世界一周の第4ラウンドは残すところ今日だけになりました。
深夜のコルカタからの便で日本に戻ることになっており、本来ならばインドビザを取得することで、昨日あたりにインド入りして今夜にコルカタ空港へ入って帰国の途という段取りのはずでした。
しかし、発給日数の関係で、ヤンゴンかダッカでのビザ取得を断念せざるを得ず、泣く泣くダッカ発コルタカ行きの格安航空券を買って、空港内で乗り継ぐことになってしまいました。
こういうところにもインドと言う国は高い壁になって立ちはかるのです。

早起きして恐る恐る駅に行きますが、昨夜の件で指名手配されているということはなく、とりあえずダッカ駅から空港駅までの乗車券を入手しました。
ただし、空港行き列車の正確な時間はつかめず、1時と2時40分には運行していそうということだけは教えてもらいました、
いずれも空港まで30分で、コルカタ行のフライトが5時20分発なので、2時40分の列車は時間的にちょうどいいですが、万一遅れでもあればやばそうなので1時が無難です。
また、ホテルはなぜか2時チェックアウト起源だというので、12時くらいまで街歩きして一度シャワーを浴びて1時の列車に乗り込もうと考えました。

オールドダッカを再訪しました。
到着翌日にハサン君の案内で歩きましたが、彼なりに考えたハイライトを歩いたということのようでしたので、今日は自分の勘をたよりにぶらぶらして何かを見つけたいと考えたのです。
結果を言えば、わたしの勘はダッカでは威力を発揮することなく、ハサン君との行動以上の収穫は得られませんでした。
ついでにいえば、計算ミスでバングラデシュ到着時のATMキャッシング額が多すぎて3万円相当も引き出してしまい、1日あたり6000円予算だったのですがそんなには使い切れず現金がだいぶ余ってしまっていました。
何か買い物できればとも考えていましたが、欲しくなるようなものも一切見つかりませんでした。
作例は、オールドダッカの路上オフィスでタイプライターを操る男性です。
路地が狭いためにこんな接近写真になってしまいましたが、PCの時代に年代物タイプライターが現役で働いているのは、ペッツバールレンズをデジタルで使うのと共通点があるようで、その後お互いの愛用アイテムを見せ合うことになりました。

何かを探そうと力を入れたのは空回りに終わりましたが、その代償でホテルへ戻るリキシャが捕まえられず、ホテルに戻ったのが1時近くになってしまいました。
慌ててシャワーを浴びてから駅に1時半過ぎに行ったのですが、2時に空港へ行く列車があるとの朗報を聞いて助かりました。
その列車は特急で、わたしが買ったチケットで乗ってはまずそうでしたが、乗車下車の改札も検札もなく、その正当性は分かりません。
空港駅で降りたのですが、空港がどこにあるのか分からず、道行く人があっちだという方向に少し歩くとせっかくシャワーを浴びたばかりなのに暑さで汗が噴き出して来たので、オートリキシャの50円で空港に行くぞという誘惑に勝てず乗ってしまったのですが、ほんの目の前が実は空港建物でわずか30秒で到着とは、最後の最後にバングラデシュ人にすっかり騙された気分でした。

コルカタから日本までの航空券は少々前に購入済みで、今回はインドのビザを取得できなかったので、必然的にコルカタまで陸路は使えず、ダッカ発コルカタ行の航空券を別途購入しました。
エア・インディアが乗り継ぎ便の2時間前到着という時間ぴったりの便を飛ばしていて、しかもそれが最安価格です。
しかし、エア・インディアは、インド事情をほとんど知らないわたしでも遅延や欠航が頻繁なやる気なき航空会社との悪名が高いことを承知していました。
航空会社側の理由で乗り継げなかった場合は、代替便に振り替えてくれるという確証があれば予約していましたが、コルカタからは他社便なのでそれは期待できそうにありません。
その次に安かったジェットエアという航空会社の便を購入しましたが、時間を見ると乗り継ぎ便の7時間も前に到着してしまいます。
エア・インディアほどではないが、ジェットエアもインドの会社のようなので、何時間かは遅れるかも知れないと選択したのですが、逆に予定より若干早く到着するような優秀な航空会社でしたので、空港で7時間近く待たなくてはならないことになりました。

ビザが無いので入国審査を進むことができず、乗り継ぎのカウンターには人がいません。
どうするのかと歩いていると、ジェットエアの地上係員が来て説明してくれました。
わたしが乗り継ぐ中国東方航空のチェックインカウンターが開くのは出発の2時間半前なので、それまでは入国審査前の椅子にじっと座って待ち、カウンターが開いたらその職員がわたしのパスポートを取りに再訪しそれをもってチェックインまで行い、搭乗券を渡しに三度来てくれると言うことでした。
わたしは4時間半ベンチで待ちましたが、昼寝するには冷房が涼しすぎ、小さな空港のため到着便があるときだけ活気づいてそれ以外は暇な入港審査の職員、両替所の職員、アライバルビザ発行窓口の職員、空港セキュリティの職員がかわるがわるやって来ては、お前は何人だ、なんでこんなところに座っているんだと、判で押したように同じ質問をしては立ち去るの繰り返しでこちらが疲れるほどでした。
さらに夕方着で深夜のチェックインまで入国審査前にいて、水はない、レストランにも行けないでたいへんひもじい思いをしましたが、それを彼らに言ってもそれはお気の毒にと言うばかりで取り合ってくれません。
うざいだけで、何の役にも立とうとしないのがインド人との覆しがたいイメージがわたしの中に形成されました。
ようやく深夜になって手続きをしてもらいこのインドともお別れできる時がやって来ました。
しかし、それは甘い考えで、コルカタ-昆明、昆明-上海、上海-関西のすべての機内に大挙してインド人が搭乗していました。
あわせて、それ以上の数の中国人までいたことも申し添えなくてはなりません。
2度と乗りたくないフライトでしたが、翌週には逆ルートでコルカタを目指し、インドを西進する旅をしなくてはいけないのでした。
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF4 F4】
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Voigtlander 20.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/19 Fri

食事ができない理由とは

Voigtlander 20.5cmF4
ラッシャヒへ来たのが鉄道だったので、ダッカへ戻るのはバスにしようと考えていました。
昨日のナトールからのバスはちょうど鉄道駅前のバスステーション行きでしたので、翌日のダッカ行のバスを探しましたが、どうもボロボロのバスばかりで所要時間も鉄道と変わらぬ6時間だと言うので考えてしまいました。
ダッカでの空港までの移動時間を考えると空港まで行って近くのホテルを取るべきと考えましたが、空港に行くバスは少ないらしく中途半端な時間ばかりです。
例えば朝の9時半発があると聞きましたが、3時半ダッカ着とすると朝はこちらで何もできず、夕方もホテルに到着して一服ついているうちに薄暗くなってしまって1日何もしないうちに終わってしまいます。
バスチケット屋は会社ごとに何軒も並んでいますが、なぜかどこも横柄で、時間の質問にすら答えないところもありイライラしてチケット購入をあきらめ、駅に行くと午後4時の列車のチケットならあると言うので購入してしまいました。
そういうわけで、今日は3時くらいまで何かすることができます。

ラッシャヒのホテルのWIFIはなかなか快調でしたので、前夜のうちに何かないか調べてみることにしました。
しかし検索すれど情報はほとんど見つかりません。
これはあとで分かったのですが、少なくともわたしにはラッシャヒと聞こえていてそう表記してきましたが、メジャー旅行サイトなどではラージシャーヒと記載されていて、さらにラシャヒと書くところまであって地名が日本語として統一されていないため情報が得られなかったのでした。
そういえば、ミャンマーのチェントンもチェイントンとかチャイントンとまで表記しているものがあります。
マイナーな地名にはよくあることですが、統一してもらわないとひとつの町が複数存在するかのような誤解を生じるのでどうにかすべきと思うのですが…。

昨日のバスの中で出合った人がバッガモスクというモスクがすばらしいと言っていたので、遺跡ではなく現役の宗教施設が見てみたいと行ってみることにしました。
しかし、どこにあるのか聞き忘れていました。
頼りにしていたホテルのマネージャーのモハンメド君は今日は出勤時間が遅いらしくいません。
代わりに青年に頼むと、バッガモスクの写真が入ったコピーを見つけて手渡してくれました。
このコピー写真1枚を頼りに、場所不明のモスクまでたどり着けるでしょうか。

少なくとも徒歩圏ではなさそうでしたので、駅前のバスステーションまで行って、リキシャが停めた目の前のバスにここに行きたいんだがと聞くと、まさにそのバスがそうだとのことです。
なるほど車掌がバカ、バカ、バカと連呼しているように聞こえるのは、行先のバッガ、バッガと言っていたのですね。
時間を聞くともう少ししたら発車だと言うし、所要1時間だと言うので安心してバスに乗り込んだのですが、これが大失敗でした。

まずバスは人が揃わないからとなかなか出ないし、1時間は真っ赤な嘘で2時間かかりました。
バッカは田舎町なのでバス本数が少なそうで、12時に到着しましたが1時のバスに乗らないと4時の列車には間に合いません。
結局、待ち時間を入れると5時間近くかかって、モスクと周辺を45分見ただけです。
作例はそのモスクの祈りのシーンですが、厳粛な雰囲気の中カメラを首から提げて立っていると、何やっているんだ撮るんだというジェスチャーのおやじさんがいたので、図々しく撮影したものです。
祈りの先には扇風機が轟音を立てていて、偶像崇拝を禁ずるイスラム教でもこういう物に向かって祈るのは許されるのだと知りました。
おまけに外国人だからと行きも帰りも運転手のすぐ後ろの席に座らされたのですが、これがクラクションがうるさくて落ち着いて座っていられないような席でした。

さて、慌ててホテルに戻りましたが3時過ぎだとどのレストランもクローズしていたので(これはあとあとでラマダンに入ったためだと分かりました)、駅に向かい向かいの露店でまたマンゴーを食べました。
今度のおやじは理解力が無く、3つカットしてくれと言っているのに1つカットした後に、何個買うんだと聞いてきます。
もう2個は何度頼んでも剥いてくれず、1個を30タカ払って駅に向かうしかありませんでした。
昼食は揚げ物を売っている売店で全6種類をひとつずつ袋に入れてもらいました。
電車の中で味わってみましたが、味覚的にはかなり微妙な食べ物でした。
来た時の列車ではアナウンスがなかったのですが、この列車では駅に着くたびに放送が流れ、お時間になるとコーランが流れたり、両隣の人が椅子に正座してお祈りを始めたりたいへんな車両でした。

空港そばに泊ろうと考えていたのですが、結局、ダッカ駅まで行って駅前の前回よりはマシなホテルに宿泊しました。
チェックインするとホテルを仕切っているのは俺だと言う態度のおじさんが、日本人か、何かあればわたしに言うようにと名刺をくれたのですが、その言葉の通り彼のおかげで大いに助けられました。
明日のフライトに合う鉄道のチケットを買いに行ったのですが、明日の列車は明日買いに来い、だったら時間だけでも教えてくれ、明日教えてやるさ、というふざけたやり取りになり窓口を閉めたのでわたしが扉をガンガンたたいたら、そのガラスの扉が割れてしまいました。
まずいと思っていたら警察がやって来て何事だと聞きますが英語が通じず説明できません。
そこで、ホテルまで同行してもらったのですが、警官が事務所までわたしを連行しようとしました。
わたしはくだんのホテルのおじさんに事情説明してちょっと叩いただけなのに割れちゃったんだよと言うと、お前は警察に行く必要はないと言いだし、警察を説得して追い返してしまいました。
あわや留置場に一拍の可能性もあったのかも知れませんが、さすがホテルを仕切るおやじでした。
駅の訴えでまた警官が戻ってくるかもと不安な夜を過ごすところでしたが、気付いたら熟睡していました。
相当疲れていたようです。
(前注のとおりわたしはこの日からラマダンがスタートしていたのに気付きませんでしたが、あるいはマンゴー屋が1個しか食べさせてくれなかったことや、駅員が早く帰りたくて窓口を閉めたことなどはラマダンと関係があったことをうかがわせます。基本的には事前に調べないことを自分の旅のルールのようにしていますが、イスラム関連についてはこれを緩めるべきかと検討しているところです)
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Voigtlander 20.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/18 Thu

握手は拒んだが

Voigtlander 20.5cmF4
ダッカのレストランのポスターにあった古い建物のことをホテルのマネージャー、モハンメド君に話すと、それはプティヤのことだと思うと説明してくれました。
ラッシャヒからバスで1時間かからないとのことで、さっそく今朝出掛けてみました。
モハンメド君はとても親切で、通りまでいっしょに降りてきてくれてバスの出発地点まで行くようオートリキシャに交渉してくれました。
こういうケースではリキシャからコミッションを取るホテルマンが多いのですが、リキシャ料金はわずか30円ですので、この真面目な青年がそこから10円ピンハネしているとかちょっと考えられません。
プティヤを通るというバスがちょうど発車するところに到着して、リキシャマンがバスの車掌に何やら告げると入り口の人がさっと道をあけて通してくれました。
恐らくモハンメド君は料金交渉のみならず、わたしが乗るバスを見つけるようにも言いさそらにバスで不便がないよう車掌に伝えろということまで指示したようです。
座席は埋まっていたはずなのに子どもが移動したりして1席空き、そこへ座ってと促されました。

そんな乗車をしたのでそのあとが少したいへんでした。
周囲の人から、ユア・カントリー? に始まり、名前を聞かれ、年齢を聞かれ、仕事を聞かれし、それは他の座席の人にも伝言ゲームのように伝わり、わたしのプライバシーは乗客全員に筒抜けなばかりか、後から乗車した人にまでわたしに気付いていないのに、その情報がもたらされてしまっているようでした。
好奇心の眼がすべてわたしに注がれているような状況ですが、どうしてこんなことになるかと考えると、それはひとえに外国人がまったくいないからということでしょう。
空港を除いて、わたしはダッカで2人西洋人を見かけたほかは一切の外国人をも目撃すらしていません。
見かけた西洋人のうちひとりはカナダから来た英語の先生でしたが、もう30年もいろいろな国で英語教師をしていると言う人で、もうひとりも別に見ましたが旅行者風でなかったので同僚だったかも知れません。
わたしはただのひとりも外国人旅行者を見ていないということになります。
これまでの東南アジア諸国ではヨーロッパを中心に実に多くの外国人旅行者を見たり、会話したり、宿が一緒だったりと接してきましたが、なぜかバングラデシュには旅行者がまったくいないのですが、その理由が分かりません。

プティヤに着くと、さあどうぞという感じで周囲の乗客にうながされ、古い建物があるのは向こうの方ですと教えてもらいながら下車します。
乗り込む人はバスが発車しかけている中なので、なんであいつにだけ親切なんだと不思議に思ったかも知れません。
テンプルはあっちと表示があったので、町の道を10分も歩くと忽然と作例の建物が現れました。
何もないようなところで突然見たヒンズー寺院は衝撃です。
いずれも遺跡なのでわたしの本来の好みではありませんが、18~20世紀に王朝もあったため建築様式の違うヒンズー寺院が10基ほども残されたというのは、歴史的に見ればたいへんなことです。
建築ファンの人、遺跡マニアの人は、知名度が低いバングラデシュのプティヤは観光客がほとんどない中でじっくり見物できることからもお勧めしたいと思います。
ラッシャヒのエリアにはこのほかにも実に多くの遺跡があると聞きましたので、併せて行かれてみてはいかがでしょう。

バスを降りたところに戻って食事をしようと考えていたのですが、暑さとバングラデシュのワンパターンの食事を考えると気が進みません。
そんな時、電車の中などでラッシャヒに行ったらマンゴーが名物なので食べるよう言われていたことを思い出しました。
道端に自分の家で採って来たと思われるマンゴーをいっぱい並べた朴訥とした農家のおじさんがいたので、マンゴーはここで切ってもらえるか聞きましたが、言葉が通じません。
しかし、この程度のことなら言葉はなくとも仕草で通じるものです。
マンゴー3個を切ってもらいその場でぱくぱくと一気にいただきました。
よく言う熟しきったものとは違うみずみずしいタイプで、癖のない自然の甘さが舌でとろけてこんなに旨い果物は何年も食べていないと思えるほどでした。
いくらか聞くと、食べっぷりのよさを気に入ったのか、金はいらないというではないですか。
いや、そんなわけにはいかないと押し問答になりましたが、ついに1円たりとも受け取ってもらえませんでした。
わたしがあったバングラデシュ人の中でいちばんフレンドリーだったと言えるのがこの人です。
このやり取りのせいで、人がわっと集まったので、この中からおじさんのマンゴーを買ってくれた人がいればよいのですが。

モハンメド君は、時間があればさらにナトールという町にも同様の遺跡があるのでいかがかと勧めてくれていました。
ナトールは地図で見るとラッシャヒの少し離れた隣町という存在で、そのちょぅど真ん中にプティヤの町があります。
つまりさっき乗ったのと同じ方向のバスに乗れば、バングラデシュの文字が読めなくても、仮に言葉が通じなくても簡単に行けるはずと気付いた通り、わたしにしてはごく簡単にナトールまで到着しました。
しかし、遺跡まで行くとゲートがあって入場料500タカ(約800円)ほどだと言います。
バングラデシュ人の料金は10タカだというので、そんな極端な二重価格を付けるからこの国には外国人が来ないんじゃないかとチケット売り場で悪態をついて、切符購入をあきらめました。
せっかく来たのですから見ない手はないのかも知れませんが、あっさりあきらめるところがわたしが遺跡に関心が薄いことを示しているのです。
仕方なく遺跡の入り口近くのお茶屋さんで紅茶を飲みましたが、支払い時に値段を聞くと4本指を立てたので40タカ(65円くらい)渡すと、違う4タカだと怒られました。
ティーバッグとは言え熱い紅茶が7円弱とは、これで商売になるんでしょうか。

ナトールでは親しげに話かけてきた人たちと話をしているうちに、ロンギーを買うことになりました。
わたしはミャンマーで愛用していたロンジーが、バングラデシュではロンギーとして愛好されていることを知ってここでも着続けていたのですが、違いがあるのか聞いたところ、それなら買ってしまってはどうかと言われたのです。
ロンギーは、ロンジーよりも2まわりくらい大きいことが分かりました。
ロンジーはウエストのところで巻いていましたが、ロンギーではお腹のところくらいで巻かないと下を擦ってしまいます。
そんなことが分かっただけでも購入の価値ありと思って彼らに礼を言って別れようとすると、我々は仕事がない金をくれと言われました。
それまで友達だなんだと言って接していただけにショックを受けて、わたしの友達には貧乏な奴もいるが金の無心をされたことは誰一人としてない、すまんが今まで話したことはすべて忘れてくれと彼らの握手を拒否して立ち去りました。
お互いにかなり後味が悪かったと思います。
お金をくれの部分はともかく、バングラデシュの地方に来れば仕事がないは現実でしょう。
貧乏旅行というレトリックに富んだ言葉が、しばらくわたしの頭から離れませんでした。
【Alpha7/ZK 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zorki ZK 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/17 Wed

ラッシャヒの女学生

Voigtlander 20.5cmF4
昨日の青年ハサンのことはわたしにとって旅のひとつの衝撃です。
彼はわたしのために町を案内すると言い、学費の足しに少額の料金をお願いしたいと言い、案内中もずっと誠実にわたしに接していました。
にも関わらず、わたしは彼のことを完全には信用せず、最後に時間外なのでいくら出せと言ってきたりとか、儲け話があるので乗らないかと古典的な詐欺に巻き込んだりとか、フィフティ・フィフティの確率で何かよからぬことを言うのではと心配していたのです。
しかし、言うまでもなく裏切っていたのは彼ではなく、信用しきっていなかったわたしの方でした。
わたしはどうすればよかったのでしょう。
今後このようなケースでは反省を込めてすべて信用するか、あくまで勘を頼りにケースバイケースで対応するか、あるいはこんなに悩むくらいなら最初から現地人には近づかないか。

少なくとも彼とはダッカに戻ったらまた会いたいと思いながら、どんどんと遠ざかる鉄道の中で考えました。
目的のある短期間の旅ならこんなことを考える必要はありませんが、旅が今後も続いていくことを考えると昨日はたいへんな試金石だったと気付かされます。
座席はなぜか寝台車になっていて、昼行なのでベッドメイクはなく、ひとつのベッドのスペースに4人が座らされる狭いスペースで快適と言えないところに大声のおじさんおばさんが休むことなく何やら話をしていたので、わたしは居眠りすることもできずに何かを考え続けずにはいられず、ハサンのことばかりが気になって仕方ありませんでした。

ラッシャヒは古都のようなところだと思っていたのですが、それはラッシャヒがあるエリア全体でかつての首都や地域文化があったということらしく、この町自体には古い町並みがあったりということではないようです。
リキシャに町でいちばんよいホテルまでと連れてきてもらったホテルは安ビジネスホテルのようなつくりで、ダブルの部屋が無かったので、近所を歩き回ると近くにすばらしいホテルを見つけました。
バンコクのそれと同様の新しくて清潔な広い部屋のホテルで、あいにくシングルがいっぱいでしたが、デラックスの部屋を500タカ下げて3200円ほどとバングラデシュの地方としては高く感じますが、ここならよいだろうと荷を解きました。
ダッカほどではないものの喧騒の通りにあって、7階にあるため静かでスタッフ全員が英語ができて助かります。

ラッシャヒに来た理由のひとつに喧騒のダッカから抜け出したいというのがあったのですが、地方に来れば静かでのんびりしているというのはバングラデシュでは当てはまらないようです。
ホテルがあるような町中はミニ・ダッカのように車、オートリキシャ、リキシャ、バイク、人があふれていて彼らは静寂は罪悪だとばかりに騒音をかきたてていました。
たぶんこの環境に育った人たちは、モーツァルトがピアノ協奏曲で美しい旋律をフォルテではなくピアノと指示した理由は理解できないでしょうし、日本に出稼ぎに来たとしたらここは故郷そっくりとパチンコ屋に入り浸ってしまうかも知れません。
日本の自動車メーカーはパングラ仕様の美しい音のホーン搭載の車やバイクを製造しても得ないものでしょうか。

近くにいいところはないかとホテルで聞くと、夕方はパッドマ川周辺の散策をしてはと勧めてくれました。
夕涼みがてら川沿いに散策する人がとても多くいて、こういうことを楽しむのはアジアのどの国も変わらないものだと思わせます。
バングラデシュで歩いていると、写真について次の3つのパターンがあるので、ここで触れておきたいと思います。
その1、こちらから撮るパターン、ポートレイトをお願いするのもこれです。
その2、撮ってくれと言われるパターン、カメラはわたしのを使い、液晶でどれどれと確認していますが、けっこう撮ってくれと言ってくる図々しいヤツが多いのがバングラデシュ
その3、撮らせてくださいと言ってくるパターン、自分たちの携帯などでわたしといっしょに写真を撮ろうとするのも実に多いんですが、へんなサイトにでも投稿されてなければと少し心配になります。

この日の川っべりの散策では、その1が作例の彼女たちのみですが、背景のパッドマ川は別名ガンジス川で、向こうに写っているのはインドだそうです。その2が5回くらいで撮れと言いながら液晶も見ずにそのままサンキューとどこかに行ったヤツもいました。
その3も5~6回あって、そのうち1組が女子大生グループだったのでよかったのですが、他の男たちで肩を組んで撮ったりした写真は、彼らの家に飾られるとか待ち受け画面に使われるとかするのでしょうかね。
写真以外にも、ユア・カントリー? とどこから来たのか尋ねられたり、もっとひどいのになるとコリア? とか、チャイナ? と聞かれるのもしばしばです。
国を聞いて話が続いていくかと言えば、オー、ジャパンと言ったきり何も言わず立ち去るのがほとんどです。
これらを指して、バングラデシュ人は外国人旅行者にとてもフレンドリーだと言われるそうですが、それはちょっと違うと思います。
わたしからすれば馬鹿にされているととれるような接し方だからです。
逆に道が分からずに聞いても、英語が分からないか、道が分からなくて固まってしまう人が多いのです。
フレンドリーと言えるような対応は、一部の人を除いてまったく期待できません。
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Voigtlander 20.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/16 Tue

シェイクスピアの青年

3K 5cmF1.5
朝、目覚ましの音で目を覚ましましたが、それ以上によく聞こえたのが雨の音でした。
気になって窓のカーテンの隙間から覗くと、前の道路が完全に冠水して川のようになっています。
このオールドホテルは川に面していてリバーサイドにあることを自慢にしていましたが、大雨で両サイドが川になってしまうとは…。
しかし、コロンボでも同じことを聞きましたが、なぜか雨が降るのは夜が多いらしく、シャワーを浴びて朝食をとっているうちに雨はあがって、いつの間にか洪水かと思っていた道路もほとんど水は引いていました。

昨日会った青年が、サッカーのワールドカップアジア予選の試合かあると言っていたので、それを観戦してから、夕食を食べた食堂のウェイターから古い建物が多いと聞いたラッシャヒという町に夜行列車で行くことにします。
スタジアムと駅は比較的近いのですが、昨日の続きでホテルから駅までが難儀しました。
タイならトゥクトゥクと呼ばれる3輪タクシーで向かったのですが、やはり渋滞の連続でわずか7キロに1時間半かかってしまいました。
この3輪タクシーがタイのトゥクトゥクと違うのは、客用の座席が細かい格子で囲われていることで、客を引ったくりから守るためか、客が支払い前に逃げないためか、いずれにしても独房に入れられたような激しい息苦しさを感じます。
何かひどいなあと気分悪く乗車していましたが、自動車やバスに邪魔扱いされながら排ガスの中をふらふら走る3輪タクシーの動きを見ていたら、もっといい仕事をしたいと考えながらも3輪タクシー以外に仕事を見出せない運転手の方が、むしろ独房に入れられて身動きできないも同然なのだと思えてまた辛くなってきました。

残念ながら当日のラシャヒ行きは売り切れていて、明日の6時の便があると言うので購入しました。
すると、そのやり取りを見ていた隣の窓口で切符を購入していた青年が、手助けが必要かと近づいてきました。
切符は買えたので大丈夫と言ったのですが、彼はこれから行こうと思っていたオールドダッカに住んでいる大学生で今日は講義がないからこれから案内すると言います。
駅でこういう手合いはあまりに怪しいので一旦は断ったのですが、意外にも向こうから学費の足しにしたいのでガイド料をくれればと言ってきたので、値段を聞くと200だというのでたった300円なのでOKしました。

彼の名はハサン、イスラムの名前はみな同じだなあと思っていると、彼は無宗教だと言います。
5年ほど前に宗教を理由に対立ばかりしているのに憤ってイスラムを捨てたそうです。
だからポークは好きだし、ビールやワインも飲んだことがある、苦手だけどと微笑んでいます。
大学の専攻は英国文学でシェイクスピアを勉強していると言いますが、もし、わたしがシェイクスピアを読んだことがあれば内容を追及するなりして彼のウソを見抜けるのではと考えましたが、読んだことはないのでこれは断念します。
とにかく、おかしなことはないか様子をみようと案内に従えば、実に的確にわたしをいろいろな場所に連れて行ってくれます。
オールドダッカにはもともと名所と言うものが存在しないのかも知れませんが、観光客が見たがるものではなく庶民の生活をというリクエストを出していなかったにも関わらず、そんな場所ばかり行くのでわたしは楽しくて仕方ありません。

まずは市場からで、野菜や果物の山は首都の市場らしいのですが、その直後に品物がどういうルートで運ばれてくるかを教えてくれます。
市場の南端は河口に面していてそこにおびただしい数の小舟がつけられ、バナナやパイナップルが荷役の頭に乗せられ次々と運ばれていました。
そのあと楽器屋街で平置きして使うアコーディオンのような楽器を弾いてもらいました。
木の本体にメーカー名が刻印してあったので大きい会社なのかと聞くと、それはウチのことだと言い、その楽器を製造しているのがまさにその店だと、裏で職人が製造しているところを見せてくれます。
さらにはヒンズー寺院に飾る神々の像を作っている人の紹介があり、これはカリー神でこちらはシバ神などと説明しながら2週間ほどでできるからあなたも何かオーダーしないかと勧められます。

こんな調子で書いていたらキリがないですね。
サッカーも彼と一緒に見ましたが、チケットはブラックマーケットで買うと言うので高いかと思えば逆に1枚150円が2枚200と安くなっていました。
先制したバングラデシュでしたが、残念ながら後半40分過ぎにフリーキックで追いつかれ無念のドローも、かなりの盛り上がりを体験しました。
サッカーが終わるとすっかり暗くなってここで彼とはお別れかと思ったのですが、ホテルの近くに仏教寺院があるからとなおも案内してくれました。
こうなると何か法外な請求があるのではと不安は高まるばかりです。
ホテルに着くやまたダッカに戻ったら電話してと連絡先をくれたので、わたしは言われた金額ですと手渡すと彼はにこっと笑いながら明日から気を付けてと暗い街並みに消えていきました。
【Alpha7/ZK 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zorki ZK 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/15 Mon

わたしの町へおいで

3K 5cmF1.5
やはりというべきかホテルのウェイクアップコールはすっかり忘れられて、迎いのバスが来たと4時25分に起こされます。
慌てて身繕いしてワゴンに乗り込み真っ暗なニガンボの町に別れを告げました。
わたしは前日にバンコクでコロンボ経由ダッカまでチェックイン済でしたので2時間も前に着く必要はありませんが、ただで手配してもらっていて文句を言えるはずもなく、空港でぼんやりしているしかありません。
フライトはさいわい時間通りで、到着後さっそくバングラデシュのアライバルビザの列に並びます。
前夜は気付いたら寝ていた状況なのでダッカのホテルは予約しておらず、ビザの前提が宿泊の確保とのことで係員と揉めますが、適当なホテルの名前を書かされ、前の中国人が支払っていたビザ代もなぜか不要で放免されました。

ホテルの予約を忘れていましたが、さいわい空港でWIFIが使えたので、ホテル予約しようとしていると、ウチは空港一ホテルが安いのでと係員が来たので、あまり期待せずに付いていきました。
やはりホテルは80ドルだと言うので高くて泊れないと言うと、60ドルに下げるがどうだと聞きますがやはり高いと断りました。
50ドルではダメかと聞き、ホテルまで送迎しての最後の価格は40ドルだと言うので悩んだ末OKしました。
しかし、着いてみるとそのホテルは最初の80ドルのホテルとは別で、そのホテルのボトムは60ドル、こちらは50ドルのところが40ドルまで値引きできる別ホテルということのようです。
老朽化激しいところでやられたと思いますが、確認せずにOKした自分の責任です。

ホテルまでの道のりがまたたいへんでした。
空港から8キロと聞いていましたが、とんでもない渋滞にはまり何と2時間かかりました。
そのワゴンには恐らく80ドルのホテルに向かっていたと思われるインド人親子が同乗していましたが、自分たちのホテルがここではなくまだ7キロ先と聞いて白目が飛び出さんばかりに驚き嘆いていたのが印象的でした。
道路では渋滞でどうにもならないのに無暗にクラクションを鳴らすのが多く、排ガス公害と合わせてイライラさせられます。
中国やその他の東南アジアでもあることですが、ダッカでのクラクション公害はより深刻です。
あまりにみんなが鳴らすので誰も音に関心を持たず、それにイライラしてもっと長くクラクションを流し続けることが輪をかけていました。
こういうシーンだけ見ていると、そこをどけ俺が通るんだとわがままを言っているガキんちょが大量にいるようなものです。
バングラデシュは小さな国家を除くと世界一の人口密度だそうで、あいつがいなくなっても次のが来ての繰り返しでメビウスの輪の真理を見たような気分でした。

こんな状況にひとり置かれてその国を好きになれるでしょうか。
もともとインドへの強い偏見があったわたしには、すぐに耐え難いまでの状況になり。
この国で何をどうするかも決めていなかったこともあって、途方にくれながら町を歩きました。
15分も騒音に耐えながら進んでいくと鉄道駅があり、さっそく特急と思しき列車が通過していきました。
線路上に多くの列車待ちの人が待機していましたが、気付いたらみんな線路脇に避けて特急をやり過ごしていました。
感心していると青年が話しかけてきて、しばらく仕事のこととか雑談をして、彼の同僚とボスだと言う人も加わって何と言うこともない話が続きました。
そこへローカル列車がやって来ました。
予想通り列車は満員で、テレビなどで見るようにドアからは人があふれて屋根にも何人かが当たり前のように乗っかっていました。
3人は隣町まで1時間半の道のりを通勤していると言っていましたが、毎日だったらわれわれの通勤の大変さの比ではありません。

手を降って見送っているとボスのおじさんが、いっしょに行こう、ヘイ・カモン!とわたしに乗るよう誘いました。
えっ、と思ってから、一瞬行ってみるかと考えました。
常識的に考えればこの状態がすでに危険ですし、更にこの後の駅もあって深刻度は増すでしょうし、明日の朝はもっとひどいかも知れません。
ところが、どうにも距離を感じていたバングラデシュに対して、カモン!と言われたときに、その間の距離が蛇腹を一気に収縮するように縮まったような気がしたのです。
彼ら3人が強く来いと言うポーズをとったところで現実に引き戻され、やはりまずいよなと思って明日また会おうと答えました。
事前にフェイスブックのアドレスを教えてコンタクトもらうことになっていたので、そのやり取りで明日ならそっちへ行ってみるかとも考えます。
彼らは、ぎりぎり辛うじてドアの手すりにつかまっている状態で、じゃあまた明日と握手したときはわたしの指先の力で地面に落とされれるのではと心配になるほどでした

帰り道は雨模様で、傘を差さざるを得ませんでしたが、意外なことにヘジャブを被っている女性で傘を差す人はほとんどなく、この民族衣装の便利さに感心したりしました。
そんな矢先見かけたのが今日の作例の風船売りの女の子です。
信号待ちのバスの乗客に売込みしていますが、商談が成立した気配です。
ここで問題です。
このあとどうなったか次の3つから当ててみてください。
①風船が2つ3つ破裂して通りが一瞬静まる
②乗客がすべての風船を買ってバスの中に無理やり入れる
③撮影していたわたしに少女から金をよこせと言われる
はい、みなさん全員正解です。
見ている間に①から③まですべてが起きて、少女に追いかけられながらこれぞバングラデシュとわたしは絶句するしかありませんでした。
【Alpha7/ZK 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zorki ZK 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/14 Sun

スリランカの中のヨーロッパ

Voigtlander 20.5cmF4
朝の9時過ぎに出発したバンコクからの便は3時間半ほどでコロンボの空港に到着しました。
入国審査官がグッドモーニングと言うのを聞いて時差があったことを思い出します。
時計の針を1時間半遅らせる言うので、ミャンマーより1時間遅い、面倒くさい30分ずれた時間が採用されているようです。
係官はわたしの名字がバイクメーカーと同じなのを面白がって、あなたが社長かなどと冗談を言いつつも、わたしのバイクはもう23年使っているが買ったときと同じように走ることができると日本製品に尊敬の念を隠しません。
わたしは隣のレーンに大声の中国人家族連れがいることを意識しながら、中国製のコピーバイクは1年たたずにどこか壊れて3年後には廃車らしいと言うと大笑いになりました。

入国審査の前にアライバルビザの取得が必要で列に並んだのですが、トランジット扱いのためかビザ代は免除されたようで、審査後にスリランカ航空のカウンターに行くよう言われます。
驚いたことにビザがタダというだけではなく、ホテル代、昼食代、夕食代、ホテル往復費用のすべてをスリランカ航空が負担してくれるとのこと。
ただ、ホテルはコロンボではなく郊外のようで、コロンボ観光80ドルもしくはキャンディ観光120ドルに参加するよう勧められましたが、そんな支払いをしてはホテル無料のメリットがまったくなくなるので体調が悪いといって断りました。
それなら観光前に病院に寄って診断と薬をタダで付けるからと言うしつこさに、かえって申しわけなくなりますがやはりホテルでずっと寝ていると拒絶します。

郊外と思っていたホテルはニガンボという海辺のリゾートタウンのようなところにあり、部屋からは向かいの建物を挟んでビーチが見えるロケーションでした。
さっそく海辺に出てみましたが、いまはローシーズンだそうで波がかなり立っていて、海水浴よりもサーフィンに向いていそうです。
隣国モルディブのような海を想像していましたが、確かにホテルから見えたように緑色の海だったもののだいぶ濁っていて日本でいえば沖縄ではなく江の島に来た感じです
いったんホテルに戻るとホテル専属だと言うトゥクトゥク運転手がやって来て、町と周辺を800円ほどで案内すると言うので、高いとは思ったものの80ドルよりは安いからと利用してみました。

特に見どころと言えるものはありませんが、運転手の説明でこの町にオランダが初めに植民を始めたことから住民にプロテスタントが多いことが分かり、今日は聖アンソニーの記念日とかで行事があると知りました。
町のお寺に案内してくれた時は、原色で塗装されたブッダの像を使って彼の功績を描いているところを示し日本でも寺は同じかと聞くので、日本のブッダや寺には色がほとんどなく、木があって金箔が貼られてほとんどそれだけというと、想像がつかないようで不思議そうな顔をしていました。
ヒンズー系の人口も多いらしく、結婚式があったので写真を撮らせてと頼むと、どうぞどうぞと食事まで出してくれる歓待ぶりです。
結婚式のカメラマンがわたしのフォクトレンダーのペッツバールに気付いて、これはすごいとレンズの撮影をしていました。
ふたりの大切なアルバムに使われたりしそうで心配になります。

トゥクトゥクの町巡りから戻ると路線バスの便があることに気付き乗ってみることにしました。
バス代は20円ほどと安く、どこまで行くか考える間もなく聖アンソニーの祝典と思われる長い行列が見えたので飛び降りました。
厳粛な雰囲気で行進が続いていて写真撮影がはばかられましたが、こんな時こそふだん若い女性に声をかけて撮影させてもらっている度胸がものを言います。
作例はその時のものですが、参列者はもとより道端の人もこの日のための衣装を着ていて独特の空気をつくっていました。
行事はオランダからもたらされたものだと思いますが、母国でも同様の祝典はあるのでしょうか。

ニガンボの町にはコンビニはなく、ドリンク類を売る雑貨屋にはビールがありません。
どこに行けばよいのか聞くと、ワインショップで買えるとのこと。
ワインショップと書かれた店は確かにあちこちで見ていましたが、どこも小さな店でまさかそこでなければビールが手に入らないなんてちょっと面倒です。
ライオンと言うのがこの国のビールメーカーのようですが、ハイネケンやタイガーなどの他国のものもいくつかありました。
子どもの飲み物にしか見えないポップなデザインの小瓶のビールが面白く飲んでみたところ、これはデザイン相応の味で失敗でしたが、ライオンラガーはタイのビアシンに劣らないしっかりした味で気に入りました。
ところで、わたしは乗り継ぎなのでチェックイン荷物は受け取らずにスリランカに入国したのですが、そのことをまったく考えていませんでした。
着替えが無かったのです。
下の方はそのままで、大汗かいたシャツはどうにかしたいと近くの土産屋でTシャツを買わざるを得ませんでした。
結局、Tシャツとビールだけがスリランカでの買い物ということになりました。
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Voigtlander 20.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/13 Sat

タイ猫の生活

3K 5cmF1.5
2月末に旅を始めてからすでに3ヶ月半が経ってしまいました。
歳のせいで時間が早くて困りますが、それ以上に旅をしていること自体が時間を加速させているようです。
これまで日本を含めると、韓国、中国、モンゴル、ベトナム、ラオス、タイ、マレーシア、シンガポール、ミャンマーと十ヶ国を旅したことになりますが、モンゴルを除けばいずれも訪れた経験のあるなじみのある国ばかりです。
これからバングラデシュを振り出しに、わたしには未知と言える南アジアと中東に入っていくことになるので心と体の準備が必要です。

南アジアにはかつて一度だけ滞在したことがあります。
アメリカの航空会社が世界一周の格安航空券と言うのを売り出して飛びついた時ですから、いまから20年近く前のことではないかと思います。
単純にヨーロッパ往復にすればいいだけのところ、東京-香港-デリー-ロンドン-サンフランシスコ-東京というチケットを買いました。
eチケットのない紙航空券の時代ですので、5枚綴りになったチケットは目的地を含めて単純な欧州往復よりも魅力的に見えました。
そのとき、デリーでは降機せずにそのまま通過ということもできたのですが、せっかくだからと次の日の同じ便に乗ることにして1泊しました。
初インドはわたしにとって耐え難いもので、あちこちで金を要求され、友達だからと案内してくれた奴にまで最後にガイド料よこせと言われ、暑さに倒れそうになり3食すべて激辛カレーと何一ついい思い出がありません。
インドは旅人に人気の高い国ですが、わたしに限っては2度と行こうという気にならない地図上から消したくなる国になっていました。

中東ではUAEに行ったことがあります。
今でこそ世界一高層のホテルとか中東きってのリゾートとして人気があるようですが、やはりわたしが訪れた20年前は未知のベールに包まれた国でした。
大きなインド人街が町中にあって労働はインド人が、公務員的なことはUAE人がと仕事が住み分けられているように見えました。
当時の日本も同様だったでしょうから偉そうなことは言えませんが、自分たちは楽なことをやって辛い仕事を外国人に押し付けている嫌な奴らのように感じた記憶があります。
英語はよく通じたにも関わらず、どうも相手が見下して話しているような感覚がつきまとって、結局、誰一人として親しい間柄になるというようなことはありませんでした。
イスラム社会に対する偏見ができた一因もこのときのUAE旅行だったように思います。

いずれにしても南アジアや中東地域によい印象を持っていないことは確かです。
経験上、相手国の人や文化をリスペクトする気持ちが無ければ、好い旅はできません。
日本を出発してからすべての国でそれなりに好い出会いを持ちそういう旅を楽しみ続けてきただけに、この勢いでバングラデシュに入ってしまうと、一気に気持ちが沈んでしまってこの国の民度はどうだとか、だから貧しさから脱出できないとか、そういう方向に旅が思い通りにならないことを言い訳することが目に見えています。
そこで気分をリセットするためのバンコクでの休息ということにもなったわけです。

さて、今日もなじみの宿を出て、なじみのソムタムを食べ、なじみのマンゴースムージーでクールダウンします。
ただ、今回はホテルに戻らず、タクシーにも乗らずで、乗合トラックのソンテオで目的もなく少し開けたところまで出てみました。
ソンテオは高架鉄道駅の少し先まで行っているようで、みんなが駅で降りる中、終点まで乗ってみました。
ソンテオの溜まり場のようなところへ出てしまい、しまったと思いましたが、そのまま道高架鉄道の下の道路を進むと、ちょっと変わった店などが並んでいて興味を惹かれました。
面白かったのは、バイクタクシー運転手が着る番号の入ったチョッキのような服の店が集まった一角で、みんなこういうところから仕入れているのかと感心しながら撮影していると、店主と思しきにこやかな男性からあなたも1着作ってみてはと勧められました。

さて、作例はそのさきにあった何屋さんか不明の店ですが、ショーケースの上の猫の居眠りに微笑ましい気持ちでいると、おばさんにケースの中を指さされました。
猫が斜めあおむけになってバンザイしながら難しい体勢のまま熟睡していました。
どうやらこのあたり一帯の名物猫らしく、通りかかる人みんなが様子をちょっと観察したりしながら通り過ぎて行きます。
わたしが撮影しようと道に出ると車が来たのですが、避けようとするわたしにいいよいいよ先に撮影しなと運転手が手で合図してくれます。
こんな寝姿アイドル猫に会えたのは、一見不便と思える旅行者が敬遠するような下町ホテルを選択したからとも考えられます。
この猫によってバングラデシュモードに入れたような気がしてきました。
【Alpha7/ZK 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zorki ZK 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/12 Fri

レンズはやめて仏像趣味か

Voigtlander 20.5cmF4
バンコクには定宿と言うほど利用していませんが、複数回泊っているホテルがあるので、前夜はそこに落ち着きました。
市内中心のシーロムや旅行者が集中するスクンビットといったエリアはホテルが高く、いまは情報が氾濫しているので、条件の良いホテルはかなり早く満室になってしまいます。
泊まったホテルは空港とスクンビットの中間にあって、普通に言えば空港からも近くはなく繁華街に遠いというロケーションのとても悪いホテルなのですが、わたしの視線でいえば観光地ではないので食事などは安く、バンコク庶民の生活がよく見え、空港へもタクシーで1000円以内で出やすい、使い勝手の良いホテルということになります。
しかも、ホテルはできたてでピカピカ、部屋は広くてキッチンはありませんが、ワンルームマンションのような使い勝手の良さを感じられます。
これで3000円しません

昨夜、ホテルの受付女性はわたしを覚えていて、先週来たばかりなのにまたチェックインに来たので、観光不便なところに好きこのんで泊るんだからビジネス客と思われたかも知れません。
また、徒歩30秒のところに小さな食堂があって、いつもここでソムタムを食べます。
ソムタムとは青くてまだ酸っぱいパパイヤをスライスさせたものにスパイスをたっぷり加えたサラダのことです。
とても美味しいのですが、東北タイ出身の店の人がいつも食べる辛さでとお願いすると、口の中が大火傷になるようなとんでもない辛さで、辛いものはけっこういけるわたしでも悲鳴をあげるほどです。
その後の楽しみは、並びにジューススタンドがあって、そこでマンゴーのスムージーが90円ほどで飲めることです。
ソムタムで火の付いた口の中を、マンゴーで鎮火させる贅沢です。

バンコクに来てもとくにすることなく、旅仏を譲ってくれたタイ人の骨董商のところに行ってみることにします。
道を1本変えて向かうとそこに知らなかった骨董通りがあって、誘惑と戦いながら進んでいかないといけなくなりました。
ただし、さいわいにもこのあたりは高価な店ばかりで、手の届かない価格帯に欲しくなるものは設定されていてかえって助かりました。
もっともわたしが買った旅仏も本来はもっと高いのをわたしのために買える値段まで下げてくれたと言う経緯があるので、気を引き締めてかからないとまたまた購入になるので
要注意です。

香港人が共同経営している骨董屋さんは、彼が長年研究してきたというラオスの仏像のコレクションが秀逸で、タイやミャンマーとの様式の違いを解説してくれます。
旅仏のタイ人もそうですが、ほんとうに好きな人が商売を超えて説明してくれているとき、そのものがいちばん輝きを放つようで、欲しくなってしまうものです。
また、別の店はなんとタイの王室と関係がある店で、王室や有名なバンコクの寺から仕入れたと言う仏像が並んでいました。
そうなってしまうともはや金額はわたしの指先にかすりもしないところを舞っていて、娘が王室の何番目だと言う話をしてくれた店のマネージャーにここは高いから買わない方がいいよとアドバイスされる始末でした。

くだんの日本仏像蒐集家のタイ人男性はさいわいにも在店していて、お帰りなさいと迎えてくれました。
もちろん、旅仏のおかげでつつがない旅を続けられたことを報告し、感謝を述べました。
前回長居したこともあって今日はそれだけで帰るつもりでしたが、またいろいろと話を聞いているうちに夕方の閉店時間まで居座ってしまいました。
もともと好きで聞きに行っている仏像の話と旅の話が次々出てくるのでまったく飽きません。
徹夜で語り合っていても退屈しない、そんな人です。
またバンコクに来る機会があれば訪れたいですが、わたしの旅程はあとは西に向かうばかりなのでここに来る機会は当面ありません。
しかし、本拠地をバンコクと横浜に置いている彼とは、無理を言えば横浜で会ってもらえそうです。
ディスプレイしてあった観音像などのことを念入りに聞いてお暇しました。

さて、作例ですが、骨董エリアに向かう途中の商業地区であるシーロムは、リッチ層のサラリーマンやOLが多いせいか、ところどころで演奏しながらお金を投げ入れてくれるのを待つ人がいます。
多いのは視覚障害の人が歌を唱うもので、聴いているとなかなかの美声で意外に惹かれるような人もいます。
障碍者の演奏は韓国や中国でも見たことがありますが、あまり関心をもってもらえていないようですし、むしろ邪魔者扱いのような印象を受けました。
タイでは信仰心の篤い仏教国であることと、何より美声がものをいってかなりの人が小銭を投げ入れているのを見ることができホッとさせられます。
バイオリンの男性も歌い手に劣らず名手だったのかも知れませんが、ひたすら調弦を繰り返すばかりで残念ながら演奏に接することはできませんでした。
もしかしたらチューニングと思っていたそれが演奏だったのかも知れないですが。
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Voigtlander 20.5cmF4 | trackback(0) | comment(1) | 2015/06/11 Thu

アイスか梅干しが原因

3K 5cmF1.5
前回も泊った宿ですが半年の間にずいぶんボロくなった印象があります。
冷蔵庫がなくなっていたり、ロビーでタバコを吸っているのがいて何度も注意しなくてはならなかったり、大声で夜中に会話する連中がいたり、どうも中国人が泊まる宿はいいと思っても次に同様のクオリティは期待できないような気がします。
ここに2泊以上するのが耐え難くなったところに食中毒でしょうか、突然お腹をやられました。1時間ほどの間、ほぼ5分に1度トイレに駆け込むような状態になりました。
無茶のできなさそうな状況で、バンコクに戻る決断をしました。

旅はもともと西に向かってなるべく陸路でと考えていたのですが、ミャンマーには大きな壁があって、先日はチェントンからタウンジーまでのバスが利用できずに高い航空便を利用せざるを得なかったのですが、今度はミャンマー西側の国境はすべて外国人には閉鎖されているとの情報を得ました。
ミャンマーの西はバングラデシュとインドに国境を接していますが、インド側は政情不安定のため通れないことを承知していました。
しかし、問題ないはずのバングラデシュとの国境も通れないとは考えていませんでした。
ロヒンギャ問題がここのところクローズアップされていますが、それと関係あるのでしょうか。

旅行社でその話を聞いて、ネット検索等で調べましたが正確な情報はなく、少なくとも日本人の旅行者は国境を抜けられないのであきらめるようにとのようなことが書かれた文章を散見しただけでした。
その時点では、とりあえず国境まで行ってみて、運が良ければ越境しダメならあきられるという程度に考えていたのですが、道のり的には楽なものではなさそうでした。
ダメな可能性が高いので、空路の場合どうなるか格安航空券についても調べてはいたのですが、体調が悪くなったことでチャレンジ精神は一気に遠のいて、楽する道に傾いてしまったのです。

鉄道にしろ航空機にしろ少し離れた目的地までの手段が複数ある場合、その最適手段を探すのがけっこう楽しくて熱くなることがあります。
ヤンゴン~ダッカの格安航空券がまさにそうで、単純に直行便ですと3万円くらいして面白くもないですが、経由便にするとバリエーションが出て楽しくなります。
バンコク経由の方が少し安いことが分かりましたが、ここでバンコクからダッカの航空券を別途買った方がもっと安いんじゃなかろうかと気付きました。
すると、バンコク発コロンボ経由ダッカ行と言うのが見つかりました。
料金的には2万円ほどであまり安くないのですが、コロンボ乗り継ぎが20時間となっていて、当地に11時に着いて翌日7時の便でダッカへ向かうようです。
わずか1日弱ですが予定になかったスリランカに寄れると言うのは魅力的です。

ヤンゴンからバンコクまでどうするかという問題があり、陸路で丸1日かけて行くつもりでいましたが、LCCで最安7千円と言うのがあるのが気になっていました。
この路線は朝と深夜に2便あり、時間の悪い深夜の方が安くなっているのですが、それでも1万円くらいして最安はだいぶ早目に予約した場合に適用されるようでした。
ところが、お腹の調子が悪くなったことでその航空会社のサイトを何気なく見ると、今日の午前便は出発済み、午後便は最安価格と表示されていました。
おそらく当日の午前便が出発した時点で午後便の価格が下がると言うシステムなのだと思われ、これはチャンスだとその場で予約し、スリランカ経由の方も数日先でしたが続けて予約してしまいました。
一般に格安航空券は当日予約は不可ですが、オンラインで管理されているLCCはこんなことができるんだと感心しました。

さて、作例はお腹に影響があったかも知れないアイスクリーム屋さんです。
前々回来た時に気付いて利用していましたが、この日に再発見して80円ほどのマンゴーのアイスを舐めながら撮影しました。
背景の建物はかなり古そうなイギリス統治時代のコロニアル建築で、それを見ながらのアイスの休憩がまた格別です。
お腹への影響の可能性ではもうひとつあって、近くのスーパーにUMEBOSHI NON SUGARという不思議なドリンクがあったので買って飲んでみたのです。
これが恐るべきことに、梅干しをごく少量の水で溶いただけのもののようで、強烈な酸っぱさに一口飲んでは水を200ccくらい飲むを繰り返して完飲したものです。
瓶の底に梅干しの種が大量に残っていたので数えてみたら45個もありました。
たぶん一気に梅干し45個食べたのと一緒の行為をしたということです。
これでお腹が何ともないはずはないでしょう。
【Alpha7/ZK 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zorki ZK 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/10 Wed

神奈中バスでヤンゴンへ

3K 5cmF1.5
昨夜乗ったバスはヤンゴン行きのVIPバスでノーマルバスとはだいぶ違いがあるようです。
料金はノーマルが2-2の4人掛けで15000チャット、に対してVIPが1-2の3人掛けで22000チャットと800円ほども差がありましたが、広さを理由にVIPを選択しました。
車内は国際線航空機のようにモニターと映画や音楽などのプログラムが設置されていて、リクライニングはたっぷりあってたいへん快適でした。
7時半出発と聞いていたのに6時半にバスはやってきて、これから夕食は何にしようと考えていたのに食事は途中のドライブインになってしまいました。
8時半にその食事を終えるとすぐに眠ってしまい、途中のトイレ休憩などで起きたりはあったものの到着の6時までかなり眠れました。
到着後すぐにタクシーの客引きが押し寄せますが、到着した場所が分からず彼らが言う10000チャットが正当なのか測りかねて、ヤンゴン中心まで行くバスに乗り込みました。
こちらは3000チャットで悩む余地はありません。
わたしの地元、神奈中の塗装そのままのバスだったのも気に入りました。

バスは6時着だと聞いたので弱気ですが、ヤンゴンのホテルを予約してしまいました。
前回訪れたときと同じチャイナタウンの安宿で、いろいろ問題のあるホテルですが、土地勘があることと、WIFIが前回好調だったことを決め手にしました。
さすがに7時に行ってもまだ部屋が空いていないとのことでしたが、荷物を預かってもらい9時頃にチェックインさせてもらうことになりました。
半年前に来たばかりのヤンゴンですが、その時利用した屋台のソバ屋やジュース屋は同じ場所になく寂しい思いをしました。
同じ場所に同じような屋台が出ているのですが、何度か利用したわたしが記憶している人にはひとりも再会できません。

さすがにバスの長旅で疲れていたので、午後はのんびりと仏舎利である聖地シュエダゴンパゴダのすぐそばにあった骨董品屋を訪れてみることにしました。
ミャンマーの仏像探しです。
タクシーで行けば簡単ですが、さすがに今回がヤンゴン3度目なので公共交通機関を使えないではダメだとバスで行くことにしました。
今度は日本のどこかの地方バスのおさがりでどこのバスかなとぼんやり見ているうちに、明らかにシュエダゴンパゴダは通過していました。
車掌にシュエダゴンと告げていたので、どうして教えないんだと言うと素直に詫びてここから歩いてくれと降ろしてくれました。
シュエダゴンパゴダの塔がはるかかなたに見えていて、やれやれ30分は歩きそうです。

本来なら大失敗のはずですが、カバンの中の旅仏が仲間を呼び込んだのでしょうか、少し歩くといかにも何かありそうな骨董屋が見つかりました。
大きな時計とか家具とかが目立ちますが、これらは戦前にビルマを統治していたイギリス人が地元から持ち込んだものとのこと。
魅力的ですが、大きなものを買ったとしてもどうやって持ち帰るか、持ち帰ったものを狭い家のどこに置くかなど最初から買いたいなどと思わない方がよさそうです。
人の好さそうな店主に小さなブッダを探していると言うと、店の奥に導いて、秘蔵ケースのような中を見せてくれます。
ほとんどが大きすぎてやはり持ち帰り困難で、小さいもの2点について説明してもらうと、1つがシャン州の100年ほど前のものだと聞き、関心を持ちました。
もちろん欲しそうな顔をすると足元を見られるので、感情を表に出さないよう注意しています。
こんなものもあると言って取り出してきたものに、仏像を飾る木彫の台座とミニチュアのパゴダのようなものがあり、その3点をもらうことにします。

3点で150000チャットとのことですが、欲しいが高くて買えないというような交渉をして粘り、それでもやっと135000チャットにするのが精いっぱいです。
説明が正しければ十分すぎるくらいに安いと思われたので手を打ちましたが、現金が100000チャットしかなく35000チャット足りません。
わたしがタイバーツも所有しているのを確認して、もう100バーツくれればよいと言ってくれましたが、70バーツしかなくそれでOKしてもらいました。
あとで計算してみると35000チャットはおよそ4000円で、100バーツは400円ですので、店主が1桁間違えて計算してしまったのか、もともと価値のないものなのでいくらでもいいからもらえれば好いということだったのか、前者であればと願わずいられません。
続いて少し先に骨董屋が2軒並んでいてやはり仏像をと言うと、ミャンマーの法律で仏像を外国人に売ってはいけないことになっていると断られました。
もう1軒でも同じことを言われたので事実なのでしょう。
だとすると、最初の店で手に入れたものはやはりフェイクか…。
ちなみに、この店にはビュッフェの油彩が店主の側からだけ見えるように置かれていて、それを自慢にしていると見せてもらいました。
ビュッフェには関心なかったですし、絵も気に入るようなものではなかったので話半分に聞いていましたが、骨董仲間が50年前にヨーロッパ旅行して手に入れたもので、つい先日フランス人が来て4万ユーロで売ってくれと言うのを断ったそうです。

さて、今日の作例は、神奈中バスがスーレーパゴダで折り返したところで、目の合ったミャンマー美少女です。
美少女なんてバスの中のどこにいるんだと憤る向きにはミャンマー旅行は厳しいかも知れませんね。
わたしは彼女のような女性が見つかれば、美少女発見と興奮していたものです。
前にも書いたような気もしますが、ヤンゴンを走るバスは路線ごとに日本の各社のバスが採用されていて、神奈中を使っている路線は複数ありそうです。
バスの前面にはそのまま日本語で運賃後払いと書いてありましたが、車掌によって先払いさせられます。
また右ハンドルはそのままですが、ミャンマーでは道路は右側通行なので、もともとあった左側のドアは開閉できなくしてあって、右側につくられた開けっ放しのドアから乗車します。
車内広告がそのまま残っているバスも多い中で、残念ながら神奈中は中に何もなく、乗車してしまうと日本のバスに乗っている感覚は起きません。
推定40年前の古い車体ですが、このあとヤンゴンで何年くらい活躍するのでしょう。
【Alpha7/ZK 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zorki ZK 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(4) | 2015/06/09 Tue

美しきバンブーハウス

Voigtlander 20.5cmF4
ヘーホー空港からのタクシー運転手もニォンシュイの政府係官もシュイニォンにホテルはないと言っていました。
ヘーホーに戻るかバスで30分のタウンジーに行くしかないとのことでしたが、シュイニオンに着くと困っている人を放っておけないミャンマーの人々は、どうしたのかと聞いてくれます。
事情説明すると車を所有する男性を紹介してくれ、その男性がホテルはあるよと案内してくれることになりました。
デラックスホテルと言う新しいホテルでしたが、値段を聞くと45ドルと高く、安い部屋はないかと言うとそれなら40ドルでいいとのことですが、それでもわたしには高すぎで案内の男性にその旨告げると、もっと安いホテルがあると連れて行ってくれたところは完全な安宿です。
それでも30ドルだと言うので、このレベルでは10ドル以下だと運転手に言うと、それなら最初のホテルに30ドルならいいかと聞くので、それならOKだと答えるとまたデラックスホテルに向かい、先ほどの受付の女の子がはい30ドルですねとなぜかあっさり値段を下げてしまうのでした。
もともとホテルは30ドルで運転手は10ドルコミッションを取ろうとしたが諦めたということでしょうか。
よく分かりませんが、善良にしか見えない運転手には300円ほどチップをわたしました。

このホテル、名前こそデラックスホテルでプール付きなものの、名前に偽りありなところ多数ありです。
ベルボーイが部屋まで案内するもドアの鍵が鍵穴から抜けなくなって用度係のおじさんを呼ぶは、夕食はレストランでと勧めながらできるのはチキン何とかという料理だけだったり、シャワーが2つ付いていてなぜかと思えば熱いの専用と冷たいの専用が別々と分かったり、パーフェクトだと言っていたWIFIはやはりダメだったり、夕方まで預かってくれと頼んでおいたトランクが戻った時もロビーに放置されたままだったり、何より他に誰もお客さんを見かけないという、怒るよりも同情したくなるホテルでした。

シュイニォンという町と言うか村と言うかは、ミャンマー中どこにでもあるようなところかも知れませんが、実に素朴で散策するにもってこいのところでした。
メインの通りには幾種もの交通機関が通り過ぎます。
数えてみると、路線バス、トラック改造の乗合バス、バイク、農耕車、サイカー(サイクルカーのことで自転車のわきの荷台と自転車の後部に人が乗れる)、馬車、牛車と少なくとも7種の車類が移動用交通手段になっています。
牛車は遅すぎ、馬車は乗り心地悪そうでしたし、農耕車は満員でしたので、乗合バスとサイカーを利用しましたが、どちらも格安でミャンマーらしい楽しい乗り物です。
ニォンシュイ方面とタウンジー方面の分岐のところが中心のようで、昨日の運転手もここに住んでいて、散歩なら目の前の市場へ行ってその裏へ出たらどうだとアドバイスしてくれました。

市場ではふかしたとうもろこしが1本30円とのことでいただきますが、やはり日本のとはだいぶ見劣りがするものの、マレーシアのキャメロンハイランドのよりは味があって美味しく食べられました。
規模の小さな野菜中心の市なので買うものこそありませんが、現地の少数民族インタ族の頭にターバン状の布を巻いてたすき掛けにカバンを持つスタイルが特徴を出していてそんな女性たちを見ていると飽きません。
市場の先は農地がどこまでも広がっていて、散見される農家に続く小道がいくつかあってどれを選択しますかと謎かけするかのようです。
作例はそんな農家のひとつです。
どの家も壁は竹を薄く編んだもので、このような家をバンブーハウスと呼んでミャンマーの農村ではどこにもあるものですが、周辺一帯の家も含めて竹の編み方で描く模様が美しく、このような壁はわたしは初めて見ました。

番犬に追いかけられながら歩いていると、農耕用の牛が道を塞ぐように昼寝していましたが、わたしは牛が寝ている姿を見るのも初めてです。
猫のように丸くなって寝息を立てていて、牛の寝姿がこんなに可愛いとは意外です。
歩き疲れたところでうまい具合に少量の食品や雑貨を商う農家があって、休憩します。
ビールが置いてあったので冷えたのはないか聞きましたが、電気が無く冷蔵庫は置けないのでとのこと。
でも電灯がりますよねと言うと、最低限の電気はソーラーで賄っていると言う返事もあまりに意外でした。
常温のミャンマービールでしたが、渇いたのどには案外いけます。
もちろん冷えていればもっとずっと美味しかったはずですが。
さらに歩くとビラタイプのホテルがあって覗いていたら、まだオープン前ですがと言いながら部屋を見せてくれました。
場所にふさわしい落ち着いたインテリアに田園風景が広がるバルコニー、わがデラックスホテルも見習ってほしいとか思っていると、1泊150ドルくらいの予定と聞いて、比較してはいけないかと苦笑します。

こんな調子で牧歌的な雰囲気を味わってから件の運転手の家に戻ります。
彼の奥さんがここに停車する長距離バスのチケットを売っているので昨日の縁もあってヤンゴンまでの夜行便を購入しました。
ほんとうはタウンジーとかにもう1泊してもよいところですが、散策で十分に満足を得られたので少し先を急ぐことにしたのです。
旦那さんがちょっと見せたいものがあるから来なさいと言うので部屋に上がると、娘さんだと言う写真が飾ってありました。
大学生だと言うその写真にはどこか懐かしい感じがするなと思った矢先、娘は日本のICUに留学してるんですと教えられました。
娘が日本にいれば日本人に対して親切なのは当然に思えましたし、インタ族という少数民族で日本に留学なんてかなり稀でしょうからそんな家族にお世話になったことにも縁を感じずにいられませんでした。
【Alpha7/ZK 5cmF1.5 F1.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Voigtlander 20.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/08 Mon

機械も休む町

3K 5cmF1.5
昨日の楽しい気分は朝まで続きましたが、その後は最悪になってしまいました。
チェントンの電力は水力で賄われていて、毎年この時期は雨期に入っているので電気はくまなく供給されるのですが、今年は日本の5月がとても暑かったようにこちらも天候不順で雨期に入りきらず、水不足から夜11時~朝5時に電力会社の方針で電気がピタッと止まるとの注意をチェックイン時にホテルスタッフから受けました。
通常の生活ならその程度のことで影響はあまりないはずで、旅行者はエアコンが突然止まったり、夜間のうちに携帯やカメラなどが十分に充電できなかったりその程度のことですむところです。
夜中に喉が渇いてビールが飲みたくなったらと言う問題がありましたが、意外と電気が停止して数時間経っても飲み物は冷たさを保持していました。

しかし、昨夜に限ってわたしや地元のファンには大きな問題がありました。
チャンピオンズリーグの決勝がミャンマー時間の午前1時15分にキックオフになるのですが、このままでは大切なバルセロナ対ユベントスの試合を見られずに泣くことになります。
たまたま別のホテルで休憩にビールを飲んだ時に、この宿の夜間勤務のおじさんとサッカーの話をしていて、チャンピオンズリークがこのままでは見れないを嘆いたら、ホテルに自家発電機があるのでそれで見るつもりでいたが、よければ1時過ぎにおいで、いっしょに見ようと誘ってくれたのです。
彼もバルセロナファンだったために偶然にも幸運を得ることができました。
結果は皆さんご存知の通り、バルセロナが勝利したのでクラブワールドカップに来日して彼らの勇士がまた見られることになります。
ただ、とても残念なことに、夜中に激しい雷雨があってテレビの電波が25分も来なくなる
トラブルがありました。
おかげで前半の1-0が2-1になったところが見られなかったのですが、雨が降らないために電気の供給が止まっていたのに、雨でテレビが中断とはあまりに皮肉です。

この日はチェントンからタウンジーと言う町へ移動するつもりでしたが、この区間は政治的紛争地域のため外国人立ち入り禁止になっていて、バスの移動ができないという情報を竜クンからもらっていました。
わたしも確認してみたのですが、手配師のような人の協力で現地人に紛れてバスで突破する手がなくはないというような情報もあって、わたしは以前に購入していたミャンマーの国民衣装ともいうべきロンジーといかにもミャンマー人が好んで着そうなチェック柄のシャツを持参して陸路移動に挑戦するつもりでした。
ところが、その手配師を見つけることができず、ホテルスタッフや旅行社で聞いてみたところそんなことは不可能と一蹴されてしまいました。
バスでの移動にも身分証が求められるからと言うので、恐らく手配師と言う謎の人物氏はその身分証を偽造してかなりの手数料を取るということなのでしょう。
タチレクからチェントンに向かう時もバス会社の人がわたしのパスポートを何枚もコピーして、2枚余分にコピーしちゃったからとわたしに余りをくれるくらいでしたので、外国人に対してシビアなのは承知していましたが…。

そこで航空便での移動になるのですが、タウンジーに近いヘーホーまで120ドル、ヤンゴンまでなら165ドル、支払いは米ドルキャッシュのみで、ミャンマー・チャットの支払いの場合不当なレートが適用されていました。
ミャンマー政府は外貨を得るために外国人のホテル代や航空券の支払いを外貨建てにしていて、旅行社の人はわたしからミャンマー・チャットで受け取って、町のブラックマーケットで米ドルに両替して政府に上納します。
いまの時期は旅行シーズンではないので、米ドルの流通量が極端に減っているらしく、公定レートよりもだいぶ高くブラックマーケットで米ドルを買わなくてはならないために、米ドルを持たない外国人はとんだ割を食うことになります。
クレジットカードで米ドル建てで支払できないか航空会社にも問い合わせましたが、ダメだとあっさり言われてしまいました。
そんなことなら、またタチレクからタイに戻ってしまおうかとも思いましたが、ミャンマーは不思議な魅力があって、120ドル相当のブラックマーケットレートのミャンマー紙幣を支払ってヘーホーに行きました。

ここで問題が立て続けに発生します。
予期せぬ出費で現金がほとんどなかったので、ATMでキャッシングしようとしたのですが、チェントンの2つの銀行は日曜は当然休みで、さらにATMまでも日曜は電源がOFFになっているということをその時知りました。
手持ちはわずかに700円ほどで、空港に行けばATMがあるのではと期待しましたが、こんな田舎の空港にそれを期待するのは間違いでした。
ヘーホーの空港はどうかとわずかな望みをかけますが、ATMはあるもののやはり日曜で動いていません。
およそ30人ほどの乗客がヘーホーで降りましたが、それを待ち構えていたタクシーが次々と客をさばいていきます。
バス等はないか聞きましたがタクシーのみだとのことで、ヘーホーへは徒歩1時間ほどと聞いて歩いて行こうとすると、他の客を乗せた運転手が30キロ離れたシュイニォンというところまで500円で乗せてくれると言うし、シュイニォンからバスでインレー湖という景勝地までいけば、銀行はやっているはずだと教えてもらい素直に従いました。

シュイニォンではインレー湖畔の町ニォンシュイまで100円の乗合バスが見つかりましたか、続いての問題は、ニォンシュイの入り口で検問があって外国人は町への入場料10ドルを支払わなければいけないと言われたことでした。
米ドルキャッシュは実のところ50ドルほど持っていたのですが、それはインドビザ取得の際米ドルが必要だと聞いていたからで、こんなところで10ドル使うとビザ取得できなくなります。
キャッシュが無い事情を話すと、荷物をここに置いて町中の銀行のATMでミャンマー紙幣を引き出してきて支払せよと言われます。
さすがに外国人旅行者が多い町だけにATMは電源が入っていて、いくばくかをキャッシングできましたが、その中からミャンマー政府のために支払するのがばかばかしくなり、博物館や寺院が入場料を徴収するのなら分かるが、なんでミャンマー政府のために金が払えるか、そもそも金を取りながら道路はでこぼこでインフラ整備もしていないのに10ドルは何のために使われているんだなどと係員に文句を言ってけんかになり、結局、また乗合バスで引き返してしまいました。
インレー湖はミャンマーでも1・2を争う観光名所ですが、このとき頭に来たためすぐ直前まで来ながら見ることを諦めました。
悔しいので、インレー湖には行くな、政府が私腹を肥やそうとしているのに加担するな運動でも展開してやろうかと思っています。
ちなみにシュイニォンとニォンシュイは5キロほど離れた隣町同士で、名前は前後をひっくり返しただけでややこしかったのですが、東京と京都もTokyo, Kyotoとなるので外国人にはやはりややこしいのだろうなと、揺れる乗り合いバスの荷台の座席でふと考えたりしました。
【Alpha7/ZK 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zorki ZK 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/07 Sun

耳飾りの人々

3K 5cmF1.5
チェントンがあるシャン州はこの国では少数民族に当たるシャン族がミャンマー政府に抵抗して、何年か前までは戦争状態で外国人の立ち入りも制限されていました。
しかし、平和協定が結ばれて外国人観光客に開放されると、一気に経済が開花したため古い建物を立て直してしまうところが相次ぎ、魅力だった古い街並みがあっという間に消失してしまったようです。
今でもところどころに白い壁に茶色い屋根の家が散見でき、当時の雰囲気を想像することは可能です。
建築様式等詳しいことはよく分かりませんが、イギリス式コロニアル様式が元ではないかと思われ、とても美しく感じられます。
誰が見ても素晴らしいものに世界遺産のお墨付きを与えて得意になっているだけではなく、こうような地方の町が景観を維持するための何かとか、ユニセフはもう少しまともな活動ができないものでしょうか。

ホテルにはふたりの若者が当直していて、ひとりは日中ツアーガイドの仕事をしているとのことでしたので、少数民族の村のトレッキング等できないか相談すると、たまたま明日からガイドに対する講習会があるため連れて行くことができないとのことでした。
しかし、もうひとりの青年も父親がガイドをしているとのことで、バイクになるがよければ
案内してくれると言います。
通常は4駆を使って60ドルのところバイクなので20ドルでよいと、むしろ条件がよかったですし、彼は勉強中でしたが中国語を話せるというのでその面でも好都合でした。

彼の当直は8時に終わりますが、ほとんど当直中は寝ているから大丈夫とそのまま出発しました。
ガイドをかってくれた青年の名は、ロン・ペ。
苗字は分かりませんでしたが、ロンはシャン族の言葉で大きなとか偉大なという意味で、彼が長男なのでこの単語が使われ、ペはルビーと言う意味で、たぶん輝きある人生を送ってもらいたいとの両親の願いが込められているのでしょう。
2月に結婚したばかりで、新婚の奥さんのお腹には子どもがいるそうです。
写真で見るととても可愛らしい顔立ちで、シャン族ではなくラフ族なのだとのこと。
結婚がきっかけで彼はモンラーという中国のミャンマーと国境を接する町で働いていて、いまは奥さんの結婚を前にチェントンに戻って来て、昼間はバイクタクシーの運転手、夜はホテルの当直と懸命です。
モンラーでは中国人が経営するケーキ屋で働いていて、数ヶ月にしてかなり中国語とケーキ作りをマスターしています。
ロン・ペのロンは中国語の龍と同じ発音なので、中国では小龍と呼ばれているそうで、李小龍を知っているかもブルース・リーのことだよと教えてあげると驚いていました。

チェントン町は小さくすぐ田んぼが広がって、遠くに山並みを見はるかす絶好の眺望が待っていました。
朝一で市場に出掛けたときは激しい雨が降ったのですが、いまはすっかりあがってさわやかに晴れ上がり、バイクを通して伝わる風がとても心地よく感じられます。
田んぼで重労働している人が多くみられましたが、小龍によれば彼らの日当は650円ほどとのこと。
暑い中での田んぼ仕事のたいへんさを考えると、割に合わない賃金だと彼は嘆きます。
ほぼ1時間かかって少数民族の村に到着しました。
少数民族と言っても、チェントンの人口の7割くらいをしめるシャン族がこの国ではそもそも少数民族で、これから訪れる少数民族は山間のところに村単位で暮らしており、マウンテンピープルと呼ばれたので、わたしも以降は山岳民族と呼称するようにします。
脇道に入るとラフ族の村がありましたがこの村の建物の屋根はチェントンの町の古い建物と同じで、家の連なりはかつてのチェントンもこうだつたのではと想像させます。
どうやらこの村の人たちは特に民族衣装を着たりなどの特徴がないようでそのまま通過し、到着したのが隣接するアカ族の村でした。
バイクを停めて山登りを開始します。

村の入り口に4~5歳くらいの少女が立っていて、小龍と顔見知りのようで、握手したり何やら会話したりしてトレッキングがスタートしました。
そのすぐさきの家を撮影していると小龍が慌てて逃げろと言うので、何事かとたじろぎますが男性が木の棒を手に小走りに来るだけです。
小龍がビーだビーだと叫んでもわたしには何のことかピンとこず後ずさりしただけでしたが、ビーって蜂かと気付き、男性が棒の先に付けていたのが蜂の巣だと理解しました。
男性が皿の上に蜂の巣を置くと、子どもたちも怯みましたがるみましたが、大丈夫と男性が何匹かのミツバチを手でつぶしていって子どもたちと我々にも食べるように言います。
1センチ大ほどの巣を手づかみすると蜜がじわっとあふれて指先を流れましたが構わず指ごとくわえて味わえば、自然の甘みが甘露と言う言葉を思い出させます。
初めて味わう蜂蜜に興奮していると、アカ族のアクセサリーはいかがかと来ました。
ベトナムのモン族のように手製のアクセサリーを買わせるのかとうんざり気分になりますが、気にいれば買って気に入らなければ買わなくてもいいからと言い、そういう姿勢ならいやな気持もしないし蜂蜜をいただいたのでと布のブレスレットを1個手に巻いてもらいます。
およそ100円でしたが、自分たちの作ったものを買ってくれたということを喜んでいるようでした。

山頂近くまで息を切らしながら登ったところにはアン族の村がありました。
アカ族は女性がヘルメットのような帽子を被ることで有名ですが、アン族は男女ともに耳飾りをすること、女性が歯を黒く塗ることで知られているそうですが、わたしはアン族と言う民族を初めて聞きました。
さつそく訪れた家のおじいさんの耳に大きな穴が開いていたので、すぐに耳飾りのことを思い出しましたが、ハンモックですやすや寝ている幼児まですでに耳飾りを付けていて、彼らは生涯耳に飾りを付けたままなのだと知ります。
歓迎にお茶をご馳走してくれましたがなかなか美味で、水は山頂付近に泉が湧いているのでそれが美味しい理由だと教えてくれました。
お昼は市場で買ってきた4種のもち米を田んぼの傍らにあった農作業者用の小屋で食べましたが、風通しがよくてわざわざそういう場所を選んで小屋を建てたのかと納得します。
わたしがあちこちでいろいろと質問したりするので時間が押して、もうひとつの村は訪れられず、最後にコメのお酒を造っている村を訪れて終了します。
アルコールが48度と90度の2種があって、90度はブレンド用でそのまま飲むと危険らしいのですが、とても好い香りがしました。
持参していたペットボトルに危険でない方(わたしには危険)をフルに注いでもらい100円ほどでした。
とても楽しく過ごした1日でした。
最大の理由は、小龍がわたしの好みを理解して、何かあるとその都度止まって説明してくれ、けっしてビジネスライクなガイドではなかったことが大きかったと思っています。
【Alpha7/ZK 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zorki ZK 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/06 Sat

ここにもフェイクの世界が

Voigtlander 20.5cmF4
6時半にイミグレーションが開くと言うのでその時間にミャンマーに行くつもりでしたが、メーサイ市内にブッダ・マーケットという仏像を扱う市場があると言う情報を聞いてしまいました。
恐らく9時オープンと思われるので、そちらに寄ってから国境越えしても遅くないだろうと判断して8時に起床しました。
ホテルはWIFIがあるものの部屋ではつながらず、レセプション付近は感度良好なものの冷房無しで蒸し暑く、6階の部屋で書き込みして1階のレセプションでネット接続して送信したりということを繰り返したため寝るのが3時になってしまったので遅起きも仕方ありません。
これでもネット接続ができるだけラオスやミャンマーよりずっとマシです。

メーサイにタイ最北端と書かれた場所があり、すなわちここがミャンマーとの国境になります。
タイ側の出国審査でペラペラとパスポートをめくるので、バンコクでミャンマーのビザ取得済みと言うとそのページを見ながらニコリと笑い、出国スタンプを押してくれます。
50メートルも歩くと今度はミャンマーの入国審査ですが、ここでは書類に記入を求められるものの名前とパスポート番号くらいのものであとは省略してサインすればよしとこちらもかなりいい加減なものでした。
ミンガラーバはこんにちはの意味ですよねと係員に話しかけ、ありがとうは何というんでしたってと聞くと、チャズティンパーテイと丁寧に紙に書いてくれました。
もうひとつお願いしてミャンマー文字で0から9まで書いてもらいます。
昨年訪れたとき、バスの何番に乗れと言われましたが、ヤンゴンのバスの番号はミャンマー文字で書かれているため、まったく読めず英語ができる人が現れるまで何本もバスを見送った苦い経験があったからです。
適当ながら親切なアジアらしい係官に感謝しました。

イミグレは列ができていましたが、行きかうのはタイ人とミャンマー人ばかりのため外国人窓口は人気が無く出入国は超スムーズでした。
しかし、いざイミグレを出るとそこには無数のトゥクトゥクやバイクタクシーの客引きが待ち構えています。
タチレクにはとどまるつもりがなかったのでノーサンキューを繰り返して客引きの波を潜り抜けて行きます。
すると目の前に4枚の写真を見せながら、トゥクトゥクで全部まわって100バーツだと言う男が現れます。
本来なら当然無視ですが、その中に写っている人物を見てしまったと思いだしました。
チェンライに着いた時必ず行こうと思っていたパダウン族の村のことをすっかり忘れていたのです。
トゥクトゥク運転手の写真に写っているのがまさにそのバダウンの人ですが、どうやら民俗村のようなところのようで行っても楽しめないのは承知しつつも、もはやタイには引き返せないので、ここに行くことで良しとせざるを得ません。
4ヶ所回った後にチェントン行きのバス乗り場まで連れて行ってくれて100バーツ、それ以上は1円も払わない、で契約成立しました。

最初に訪れた3つの寺はミャンマーやタイによくある様式であまり面白くありません。
2番目のにいたってはヤンゴンの聖地と同じシュエダゴンパゴダという名前だったので聞くと、ヤンゴンのそれをコピーして名前も同じにしたとのことで、そんなところに連れてくるなよと文句を言いたくなるような場所でした。
最後に訪れた民俗村も微妙な施設でした。
それ以上は1円も出さないと言っておいたのに、そこだけ入場料が140バーツだと今更になって言います。
正直高すぎでばかばかしいですが、いままでのに100バーツ払うことを考えるとバダウン族を見る唯一のチャンスをフイにすることはできません。
たぶん本来の入場料70バーツ、運転手のコミッションも70バーツということなのでしょう、運転手の眼はぜひ入るよう訴えていました。

しかし、民俗村をうたいながらそこにいたのは、バダウン族とアカ族がそれぞれ4家族だけと言う規模の小ささでした。
バダウン族は未だに首長族などと失礼な言われ方をしていますが、女性のみ小さいころから首に真鍮の輪を付けて年齢ごとにその数を増やすので、あたかも首が伸びているように見えることでよく知られている民族です。
人口の少ない民族で現金収入もあまりないためでしょう、このような観光用の施設で働いているケースが多いようです。
作例は、バダウンの母娘ですが、母親が首飾りをつけ続けたため顔が横長に変形しているようにみえるところが中国の纏足を連想させます。
娘の方はそれもあってか、偽の脱着可能なリングを付け外して誤魔化していて、このままではバダウンの伝統も早晩なくなってしまわないかと心配です。

バスステーションに行くと午後にあると言っていたバスは無く、運転手もわたしも焦りましたが、マイクロバスのチェントン行きと言うのを見つけてくれました。
しかし、一般が200バーツのところ外国人料金だと言って500バーツ請求され、足元見られるかたちで泣く泣く支払ます。
トゥクトゥク運転手はもともとそれを知っていて最初からキックバック狙いだったのかも知れず、してやられました。
バスの待ち時間にランチをとっていたら突然テレビでサッカーの試合が始まりました。
U20ワールドカップ予選のミャンマー対ニュージーランド戦で、レストランが異様な熱気に包まれました。
男性はもちろんですが、ふだんはサッカーに縁のなさそうなおばさんまでが、ひとつのプレイに絶叫したり、ため息をついたりで臨場感を高めています。
おばさんの願いが通じたようで、エリア内の角度のないところからインフロントキックの大きく曲がるシュートが決まってミャンマーが先制したときはこの大会に優勝したかのような大盛り上がりでした。
後半を待たずして車が来たとの連絡があり、わずか160キロを4時間かけてチェントンに向かいます。
7時間かかると言うタイ人がいたり、バスは午後にもあると言い切る地元の人がいたり、ミャンマーの交通情報は錯綜しています。
ともあれ、この車の運転手が言う通り、ぴったり4時間でチェントンに到着できてホッとしました。
隣の座席で親しくなったおばさんがここのホテルがいいんじゃないと運転手に告げて停めてもらった小さな宿にチェックインします。
フレンドリーなスタッフの態度が魅力的ですが、相変わらずミャンマーのホテルは高くメーサイなら1000円程度で済みそうなところがUS30だと聞き、がっくりしますが仕方ありません。
そのスタッフにサッカーの結果を聞いてびっくり、あの後ニュージーランドの猛攻を受けて1-5で大敗したそうです。
あのレストランで結果を知ることにならなくて正解だったかも。
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Voigtlander 20.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/05 Fri

心地よい自分の場所

3K 5cmF1.5
昨日の夜はたいへんなことになってしまいました。
ドイツ・タイハーフの奥さんの勧めでナイトマーケットとショッピングモールを冷やかしたのですが、途中でアンティークショップを見つけ、ついついそこでまた100年前にミャンマーで作られたと言う小さな仏陀像を気に入り買いました。
たいへんだったのはそのあとで、ショッピングモールにはタクシーで行ったのですが、閉店の9時までいたらタクシーがまったく通らず、仕方なく歩いたところでバーがあり汗かいたし、ビールでもと飲んだら店の女の子と客が集まって来て、言葉の通じない宴会になってしまい、かなりのビールを飲んでしまいました。
誰かがタクシーを呼んでくれたらしく、気付いたらホテルの部屋にいたような状況でしたが、ここまで飲んだのは何年ぶりのことでしょう。
朝起きたら頭がガンガンしていました。

シャワーを浴びてから昨日同様にレセプション脇のカフェに陣取って、やはり同じくカプチーノを頼みました。
昨日わざわざあいさつに来た向かいに住んでいるオーナーの男性がこれから出かけるとわたしに向かって手を降ってくれます。
ドイツハーフのリナにはもう赤ちゃんがいてわたしによくなつくベラという名なのですが、このカフェの名前がベラ・カフェとなっていたのに気付いて何だか嬉しくなってしまいました。
昨日はわたしの帰りを11時まで待っていたとのことで、顛末を話して詫びます。
アパートの住人は、タイ人、ドイツ人、イギリス人、フランス人、インド人、中国人と国籍さまざまでカフェにいるといろいろな人が出入りして面白いです。

たまたまドイツからお父さんも来ていていろいろと話をすることができましたが、当然のことリナによく似ていて、お父さんとお母さんの好いところが合わさって彼女の容姿があると納得します。
前回の旅はフランスレンズを持っていたらフランス人のオードリーと出合ったのですが、今回はドイツのレンズを持っていてドイツ人ハーフのリナと知り合いました。
何か妙な縁を感じます。
フォクトレンダーの綴りを見せて発音を確認しますが、わたしにはヴォクトレンダーと聞こえたので、日本ではフォクトレンダーというが正しいがと聞いたところ、それで好いとの返事でした。
ただし、ウィーンとあるのでたぶんオーストリアではフォクトランダーになるのではと言っていました。
またフーゴ・マイヤーを聞くとフゴ・マイヤーと発音していました。
フーゴと伸ばさないようですし、ドイツ語ではヒューゴでもメイヤーでもないそうです。

そんなのも含めて居心地よい場所で彼女たちとおしゃべりしているとあっという間に時間が経過してしまいます。
今日はミャンマーに向けて出発するはずでしたが、お昼過ぎになってしまい、旦那さんに車でバスステーションまで送ってもらいます。
国境の町メーサイ行きは20分後だと言うので、近くに見つけていた写真屋さんに行ってインドビザに必要な顔写真を撮ってもらいました。
15分でできるかと確認したのにゆっくり作業しているので再確認すると50分じゃないのかと慌てて作成してくれます。
時間は完全にギリギリで、写真を受け取ってから走ると、バスがすぐ目の前を走ってきたので強引に停めて乗り込みました。
間一髪のタイミングです。

チェンライからメーサイまではそのバスでのんびり1時間半でしたが、密教まではまたソンテオに乗り換えが必要で、昨日の失敗が頭をよぎった通り、イミグレーションまでと言ったら町中のイミグレーションオフィスで降ろされ、またバイタクに乗って国境のイミグレーションまで行かなくてはなりませんでした。
ミャンマーのチャイントンという町まで行きたかったのですが、イミグレそばのカフェで確認すると国境から7時間ほどかかるとのことで、今日はもう着けないだろうと判断し、それならいま国境を越えてミャンマーに入るよりもメーサイに宿をとることにします。
メーサイと向かい合うミャンマー側の町タチレクは特別区のようなところで10年ほど前に来たことがあります。
その時はビザ不要ですが、パスポートをイミグレーションに預けてタチレクの町のみ観光することができるというものでした。
タイとの違いも分からず、ただミャンマーに入ったと言う体験をしたという程度にしか感じられませんでした。
そこに今度は泊ると言う気持ちにはなかなかなれず、メーサイのなかなかよい宿を見つけて荷を降ろしました。

さて、今日の作例はその国境付近で目撃した珍事です。
歩いていたら爆笑が起こって人が集まっていたので、近くに行くと荷物過積載の三輪小型トラックがしりもちをついて、運転台がもち上がってしまっていました。
国境を超える車が列を作る中で、過積載車のために誰も前に進めなくなっていたので、わっと力自慢が集まって御覧のように体制を立て直そうとみんなで引っ張っていますが、車があんなになるほどの重量ですから立ち直るまでたいへんでした。
女子高生が携帯で動画撮影していたので、ユーチューブにアップすべきと勧めたら、そうしますといっていたので、検索すればこの顛末が見られるかも知れません。
【Alpha7/ZK 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zorki ZK 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/06/04 Thu

バス乗り場はあまりに遠かった

Voigtlander 20.5cmF4
バンコク~チェンマイの夜行列車はよく見ると連結部分に日本国有鉄道と書いてありました。
国鉄が民営化したのが何年前か思い出せませんが、かなり古いブルートレインが使われているのは確かなようです。
ただし、車両は紫に塗装されていましたので、もはやブルーは名乗れません。
気になるフィンランド娘たちでしたが、ベッドごとに仕切りカーテンが付いていたので、何か見てはいけないものを見たりとかということはなく過ごすことができました。
朝起きたらカーテンの隙間から下はパンツで寝ているセクシーな姿が見えたので、カーテンがなければ気になって寝るのが難しかったでしょう。
西洋人は裸で寝る人が多いと言う噂はかねがね聞いていますが、そうでなければ下着姿で寝てしまうようで、オープンなのはいいがこちらのことも考えてくれよと、隙間から覗いたくせに注文の一つも付けたくなります。

列車の揺れが比較的大きく感じられて1時間おきに起きるような状況でしたが、途中、コンビニで買っておいたすっかりぬるくなったビールを飲んで無理やり酔っぱらったりして寝て過ごすことができました。
先月、バンコク~ハジャイに乗った時は見た記憶がないのですが、列車内でのアルコール類の摂取や販売は禁止となっていました。
よく見ると小さな字で違反者は6ヶ月の刑務所行きか、1万バーツの罰金、もしくはその両方と怖いことが書いてありました。
酔っぱらいのトラブルなどがあって急遽、法律ができたのかも知れません。
見つかっていたら、今頃バンコク刑務所でこのブログを更新していたことでしょう。

チェンマイは大きな町でもうちょっと田舎町まで出ておきたかったので、チェンライまで行くことにしていました。
駅内にインフォメーションがあったので聞くと、バスステーションまでタクシーで30バーツ、そこからバスで3時間ほどだと言います。
しかし駅前にいたトゥクトゥクの運転手が200バーツだと言うので、あきらめて大通りまで出てタクシーを探します。
すると通りかかった乗り合いトラックのソンテオが停車したので、バスステーションまで行くかと聞くと行くから乗れと急かされます。
しかし、到着したのは町のど真ん中でバスの気配はありません。
道行く人に聞くと反対方向だと言うのでまた別のソンテオに乗って今度は2度3度とバスステーションだということを確認して乗ったのですが、降ろされた場所はホライゾンというリゾート施設です。
バスステーションがホライゾンと聞こえたようですが、わたしの発音は相当に悪いのでしょうか。
だいぶ行き過ぎたらしく反対方向のソンテオに乗って、今回は英語が分かる乗客もいたのでやっとバスステーションに着くことができました。

これでもうヘトヘトでしたが、バスチケット購入にも難儀しました。
最初に入った建物でこちらではなく向かいの方へ行けと言われ、そこにもカウンターが
いっぱいあったので分からず緑のカウンターがそうだと教えてもらいましたが、そのカウンターでは何やら言ってチケットを売ってくれません。
もういちど確認すると番号券を発券して待つのだとのこと。
その発券機は若干離れたところにあって、これでは一見の旅行者には見つかりません。
なんてひどいんだと言いながら自分の順番が来ると、チェンライ行きのバスは3分後に発車だと言うので、チケット窓口の女性がわざわざ発車間際のバスまで案内してくれました。
なんて好い人なんだろうに訂正します。

バスの行先はチェンライでは、ゴールデントライアングルとなっていて、途中いくつか寄るところのひとつがチェンライとのことです。
フランス人一家が乗っていましたが、彼らはゴールデントライアングルに行くと張り切っていました。
バスは、パンとミネラルウォーターのサービス付でしたが、喉の渇きが抑えられず休憩のときにまたビールを買ってしまいました。
バスの中にもアルコール禁止と書いてあって、休憩地の売店では売っていませんでしたが、ダッシュで近くの商店に行って入手したのです。
マリファナを吸うわけでもなくたかがビールなのですから禁止することもないと思うのですが、その理由を聞いてみたいものです。

チェンライに着いてから予約サイトを開いて見つけたホテルが大正解でした。
若い夫婦が管理人をしているアパートで、何部屋かだけホテルの客室として稼働させているとのことでした。
その奥さんがとてもきれいなので聞くとお父さんがドイツ人、お母さんがタイ人でずっと父方の故郷のデュッセルドルフに暮らしていたそうで、ドイツ語と英語は完璧です。
レセプションの横の通りに面したスペースがカフェになっていて、風通しの好いとてもタイにいるとは思えない涼しさと、通りがかる近所の人がみんな気さくに立ち話していく環境がとても心地よくて、これこそが本物のリゾートなんじゃないかと感じていました。
これならビールはいらず、おすすめだと言うドイツ式の大きなカップでいただくカプチーノをゆっくりのんびり楽しみました。
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Voigtlander 20.5cmF4 | trackback(0) | comment(2) | 2015/06/03 Wed

火曜日のサンデーマーケット

3K 5cmF1.5
昨日はすっかり書く余裕がなくなってしまったので今日記しますが、タイの大切なホリデイだというので聞くと、お釈迦様が悟りを開いた日で、ホリデイではなくホーリー・デイなのだということです。
そんな日に買ったわたしの仏像はますますありがたみを増して輝きを放っています。
タイの祝日なのでそのおかげで道路がずっと空いていたのは助かりました。
しかし、それ以上にたいへん困ったことがありました。
この日1日アルコール類が店でもレストランでも一切出せないということだったのです。

バンコクだから抜け道はあるだろうとタカをくくりましたが、レストランでは断られましたし、バーなどのお店は閉まっており、セブンイレブンに行くとビールの棚だけ鍵がかかって触ることすらできなくなっていました。
夜中の12時を過ぎればOKか聞きましたが、理由不明ながら昼の11時までダメとのこと。
普段家では飲まないくせに、そう聞いてしまうと無性にビールが飲みたくなるものです。
ホテルから何かないだろうかと15分ほど歩いたところに鎧戸を降ろして一見閉まったと見える雑貨屋が見つかり、頼むとビールをちゃんと定価で売ってくれました。
それにしても、年に一度しかないと言うアルコール禁止日に滞在してしまうとは、何たる不運でしょう。

今日はまた大使館に行ってビザのスタンプを押されたパスポートをヒックアップして、鉄道でチェンマイを目指します。
タイでも今は例年をはるかに超える暑さだということで日中何をするか悩みましたが、ホテルのそばのマッサージが1時間600円と安かったので朝からのんびり揉んでもらうつもりでした。
10時オープンというのでジャストにホテルをチェックアウトして行ってみましたがなぜか開いていないし、その気配もありません。
仕方ないので、気が向いたら行こうと思っていた、JJモールと言う骨董品屋や雑貨屋、その他もろもろの小さな店が集まると言うショッピングモールに向かいました。
昨日の仏像を購入した店の方からの情報で、ここには高級品しかないと嘆いたところそちらに行けば安いものもあると教えてもらったのです。

場所はモチットのサンデーマーケットのすぐそばです。
サンデーマーケットには初めてタイを旅行したときに出掛けて、タイ臭い雑貨類を買って喜んでいたのですが、自分でもそんな時代があったのだと懐かしくさせてくれる場所です。
ただ、サンデーの名前の通りオープンしているのは週末だけなので、平日は閑散としていました。
いくつかな業種の店は開いていて、ペット屋さんと作例のように花屋さんは生きているものほ扱うためかオープンしていて、客もけっこういて盛況です。

JJモールの方は残念ながら収穫なしでした。
骨董店は20件以上あったと思われますが、家具やインテリア関係が大半で仏像を置いているところはほとんどなく、あったとしてもアンティークに見せかけたフェイクだけです。
そう分かってて安ければ買ってみるのも悪くはありませんが、わたしに簡単に見破られようなフェイクでは話になりません。
もっともわたしが気付いたのは、前日に高級店で本物だと言われる仏像を何体も見せてもらった賜物と言えるでしょう。
今の状態で中国に行ったら全部が偽物に見えてげんなりするに違いありません。
中国はただでさえ文革で仏教関連の美術品がことごとく破壊されたのですから。
他の雑貨なども初バンコクの時のように心ときめくものはなく、唯一気に入った籐をとても細かく編んだ籠は旅を続ける邪魔になるだろうと断念しました。

3時になってミャンマー大使館に向かいました。
パスポートの受け取りが15時半から16時半までと決められていたので、これに遅れると今日の寝台列車の切符が無駄になってしまいます。
チェンマイ行きの夜行は人気があって下段ベッドが取れなかったのですが、駅に着くと1等寝台が連結されているのに気付いたので、変更できないか聞いてみました。
変更は可能だが、2つベッドの個室のため2つ分の料金が必要になり9000円だと言うのであきらめました。
2等寝台1枚3600円ですので。
やれやれと自分の指定の車両に向かうととても困ったことが待っていました。
ベッドは上下段2組で半個室のようになっているのですが、同室がフィンランドから来たという美女3人組だったのです。
ヘンなことを想像して眠れないかも知れません。
【Alpha7/ZK 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zorki ZK 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/02 Tue

旅の道連れを手に入れる

3K 5cmF1.5
今日はやらなければいけないことをやることから1日を始めなければなりません。
今後、西進するにあたって、ミャンマー、バングラデシュ、インド、ネパール、スリランカといった国はすべて入国にビザが必要です。
飛行機で入国すると空港でアライバル・ビザと言うものを取れる国も多いのですが、一般に高いですし、そもそもわたしは陸路での移動を考えているので、あまり意味がありません。タイにはここのところ立て続けに来ている形なので、早く抜け出るために、まずは隣国ミャンマーのビザ取得が第一の任務です。

なるべく情報をインターネットに頼らないようにしているのですが、ビザの関連は着いてから取れませんとなってはたいへんなことになります。
通常はその国の首都に設置された大使館のビザ発給セクションに行かなくてはならず、国の外れの町の入国審査でビザなしを理由に追い返されたら、もういちどそこまで戻らないといけないのです。
ミャンマービザは例の竜クンが、バンコクで安く簡単に取れたとの情報をくれたのでそれに従うことにします。
できれば次のミャンマーでバングラデシュとインドのビザを取れればありがたいですが、心配なのはミャンマーが何年も前に首都をネピドーに移していて、ヤンゴンに各国の大使館があるのかがよく分からないことです。
あったとしてもパスポートを預けるビザ申請は同時並行で2つのビザをとることはできないので、インドビザはバングラデシュの首都ダッカでということになるでしょう。

確かにミャンマーのビザ申請は簡単で、書類も書く欄が少なくあらかじめ持って行った顔写真も多少のサイズ違いは何も言われません。
申請者が多いため30分ほど待たされましたが、受け取りは今日、明日、明後日から選択でき早いほど高くなるので明日受け取りを選択しました。
ミャンマー大使館はバンコクオフィス街の中心にあたるシーロムから徒歩圏にあって、世界最貧国ながらずいぶん立派な場所にあるのだなと感心しつつ周囲を散策してみました。
すぐ隣が食堂で、もしわたしがミャンマーに行ったことがなければタイ語で書かれていると勘違いしそうなミャンマーの文字で表示があったので、大使館員も利用するミャンマー食堂のようです。
試してみようかと思いましたが、これからミャンマーに行くのに早まってはいけません。
カトマンズレストランや南インドレストランをやり過ごすとローカル向けタイ料理屋があったので、安く美味しいカレーとソバまでいただきました。

また歩きだすとキィーッという激しいプレーキ音が背後て聞こえたので振り返ると、その瞬間ガーンと激しい衝突があり2台のバイクが道路を滑っていきました。
老人と思われるひとりの方はヘルメットが投げ出されていて、道路に横たわったままピクリとも動きません。
大丈夫でしょうか、やはりバイクは怖いです。
ミャンマー大使館からはだいぶ離れていますが、骨董店がいくつも入ったショッピングモールがあるというのでさらに歩いて行ってみました。
わたしが探していたのは10cmくらいの小さな仏像で、中国で購入以来、時間を見つけてはそういうものがないかときどき訪ね歩いています。
古色を付けた偽物が多そうですのでわたしが買ったものはみなそうかも知れませんが、それを半ば承知で安価な場合のみ買うようにしています。
旅のお土産レベルですので、そんなものに1万円以上出していては勿体ないと思うからです。

バンコクのその骨董モールは確かに聞いていた通り品物豊富な店が並んでいて見ているだけで楽しめましたが、イメージしていたのはだいぶ違う高級店ばかりです。
4件ほど覗いてみたのですが、いずれも偽物は一切扱っていないと言う触れ込みで、みな10万円以上してとても旅行者が買うレベルではなく、コレクター向けのものしか扱いがありませんでした。
例をあげると、アユタヤ朝の19世紀ころのが10万円、同じようなもので金製が30万円、ジンセン朝の約300年前のものは30万円、ミャンマーの時代不詳物が20万円、カンボジアのなんとアンコール時代のものが13世紀で40万円、いずれも10センチくらいのごく小さな仏像で、大きいものはもっと高いとのことです。
ゼロをひとつ取ってもまだ高くて買えません。

ため息つきながら歩いているとショウウィンドウに懐かしいような感じのする仏像がきれいに並んでいる店がありました。
日本の仏像専門店だと書いてあり、大学教授を連想させる端正な顔立ちの日本人がレイアウトを整えているところでした。
こんなところで日本の仏像で商売になるのかと気になって、声を掛けて少し見せてもらうことにしました。
会話していると若干の違和感があって、彼が日本人ではなく日本に長く暮らした経歴を持つタイ人と分かりました。
それからがいけません、彼は日本の仏像にぞっこん惚れ込んだ蒐集家で40代後半の数年前にセミリタイアして商売としてではなく、好きでこの店を始めたとのことで、わたしは彼の仏像に関する話を聞きながらすっかり心を奪われてしまいました。
2時間も仏教、仏像、仏師、タイの仏教について話してくれ、最後にはわたしの旅の安全を祈願して旅仏という江戸時代くらいまで旅する人が懐に忍ばせていた携帯用の仏像を、わたしの手の届く値段まで下げて譲ってくれたのです。
バンコクで日本の仏像を買う必要はないだろうと言われればそれまでですが、江戸末期の旅人が実際に使っていた旅仏を持って世界一周という、こんなにわたしにふさわしいものはバンコクのどこを探しても見つからないでしょう。
さっそく幸運が訪れて、電車の乗り換えで降りた駅で喉がかわいたと思ったら、イチジクを絞ったドリンクのスタンドがあり、その売り子が作例のようにとてもチャーミングだったのでした。
【Alpha7/ZK 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zorki ZK 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/06/01 Mon
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