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中年はインドを目指す

Voigtlander 20.5cmF4
前回のマレー半島縦断の旅は、わたしの考える世界一周とは一線を画するものでした。
できる限り陸路か航路で西に向かって進んでいき、立ち寄る町や村が線になって繋がっていくようにしないといけないのです。
しかし、シンガポールはマレー半島の南端でさらにインドネシアの島嶼部を西進することは不可能ではありませんが、時間的に難しく、結局、掟破りですがシンガポールから飛行機でバンコクに戻るしかありませんでした。
こんなことになってはルールも何もなくなってしまいますが、オペラの幕間で間奏曲がかかるのと同様に、今回は例外的なインテルメッツォとして特別許可することにします。
器楽コンサートでは、その間奏曲を前プロとして演奏されたりもする訳ですから、これも重要なのです。

言い訳の前奏からブログを始めてしまいましたが、世界一周の第4ラウンドも今日からスタートしました。
成田からバンコクに戻って、今度は西に向かって進んでいくことになると思いますが、成田でさっそくつまずきました。
チェックインの際、わたしのチケットがバンコク-成田-バンコクの往復になっているのでバンコクに住んでいるのかと聞かれそうだと答えたのですが信じてもらえないのか、ビザもないようだし、タイで入国拒否された場合自費で日本に戻りますと言う書類を渡されサインさせられました。
態度もやや横柄で気分を害したので、英文をきちんと理解したうえでなければ安易にサインはできないと10分くらい書類をじっくり読む抵抗を試みましたが意味はありませんでした。
逆にその報復か、座席が頼んていた通路ではなく窓側になっていました。
今回は何とかしてインドのカルカッタまで到着して、東アジア、東南アジアと進めて来たエリアを南アジアまで伸ばさなくてはいません。
東南アジアは居心地よく、南アジアはわたしの不得手とするエリアで、できることなら東南アジアばかりを彷徨っていたいのですが。

インドまで向かうにあたり準備すべきことがありましたが、これに失敗していました。
インドのビザ取得で、これがなかなか一筋縄でいかないようだったので、事前に必要日数を計算して取得に臨んだのですが、申請にまで至りませんでした。
インド大使館から業務委託されていたビザセンターに行ったのですがそこに存在しなかったのです。
電話すると移転したとのことで、新しい場所を聞きましたがこれから行ったのでは午前中には間に合いません。
午後の申請で金曜までの発給は可能か聞きましたが、お決まりの約束はできかねるとの返事で諦めざるを得ませんでした。
ビザ申請にはパスポートを預けるので、出発日までに発給されないことはパスポートも戻らないことを意味します。
ビザの発行まで5日はかかると言うので逆算して航空券の日程等を組んでいたのが水泡と化してしまいました。

インドまでには、タイ、ミャンマー、バングラデシュと通るので、そのいずれかで1週間以上滞在してビザを取得しなければいけませんが、タイは早々に出国したいので、ミャンマーかバングラデシュのどちらかになりそうです。
経済発展著しいインドですのでもはやだいぶ変わっているとは思われますが、かつてわたしがトランジットで唯一滞在したときは、あらゆる人からバクシーシ、チップと求められたのが悪夢のように思い出されます。
傲慢な人がとても多くて、金をくれと横柄に言う奴がいれば、わたしを撮りなさい写真ができたらここに送るんだぞと住所を書いてよこした中年男性がいて、いっしょに書かれていた称号のブラーマンというのがカーストの上から2番目と分かって、国内で偉い人は外国人に対してもこれほど傲慢なのかと後で住所の書かれた紙を破り捨てました。

たぶん彼らには悪気は一切ないのだと思います。
これこそがインドという国の伝統で、その国を訪れた人の方がその伝統に従うしかないのです。
もちろん日本を訪れたインド人も同様に日本の習慣を尊重しているはずです。
それができなければ相手国を訪れる資格はありません。
わたしはそうする自信がないので、正直、あまりインドに行きたくありません。
では迂回するとなると、ロシアか中国(チベットや新疆)を通ることになりますが、ロシアはウランバートルから向かえないか挑戦したことがありましたが寒さで挫折、中国のチベットや新疆をとおるには確か基本的にツアー参加のようなかたちにして入境許可証を取得するなとの費用と時間の無駄が待っています。
それにしてもなぜ、日本から西に向かうと、ロシアか中国かインドと言う、わたしにとってワースト3としかいいようのない国家が通せんぼするように立ちはだかってしまうのでしょう。

さて、今日の作例はジュース屋で働く女の子です。
歩いているとカップに入ったドリンクを飲みながらこちらに向かってくる西洋人の青年とすれ違いました。
近くにジュース屋があるに違いないと踏んだ通り5分ほど進んだところにその店はあり、わたしの好きなパパイヤはなかったので、マンゴースムージーをオーダーしました。
4分の1くらいのマンゴーと氷、水、コンデンスミルクをミキサーでかき混ぜただけの飲み物ですが、暑いバンコクにこれほど合うものはないでしょう。
繁華街の中なのにLサイズのカップに入って120円ほどですので、日本でのマンゴーの値段を考えるとおかわりしたくなります。
それだけでも嬉しいことなのに、売り子がとても人の好さそうな女の子で写真を撮らせてというと喜んでくれ、撮り終わるとサンキューとわたしが言うべきことを先に言うのですからすばらしいです。
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF4 F4】
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thema:ペッツバール genre:写真
Voigtlander 20.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/31 Sun

いとしのオードリー

Jamin et Darlot 15.5cmF4
父が女優の名前をとって付けたみたい、そう彼女が言うので、それはオードリー・ヘップバーンだね、同じくらい美人だからお父さんの希望通りになったじゃないかと冷やかすと、オードリーは照れて大笑いしました。
若いモハンメドはオードリー・ヘップバーンを知らないらしく、何のことか説明してなどと言います。
残念ながら作例写真では伝わらないでしょうが、オードリーはわたしが旅の間見かけた西洋人の中では1、2を争う美人で、性格はフランクで日本女性とはだいぶ印象が違うもののしっかり優しいところもあって、男女問わずからも好かれるタイプだと思います。

眼の美しい女性で薄金色というか黄色のような瞳についつい見入ってしまい、照れ隠しにわたしは日本には黒い瞳の人しかいないので…と言い訳しなくてはいけませんでした。
シャンパーニュ地方の出身だそうでReimsという町だと教えてくれましたが、これを何と発音するのか何度言いなおしてもらっても聞き取れませんでした。
大学はストラスブールにあるというのでドイツ国境に近いところでしょうと言うと、なんで知っているのか聞かれました。
第二次大戦でドイツに併合されるときに、学校の授業でわれわれは併合されてもフランス人のままだと先生が教えるVive la Franceという話を中学校の時習ったからと説明すると、日本でそんなことをと驚いていました。

たまたま持参していたレンズがジャマン・エ・ダルローとアンジェニューだったので、フランスレンズのすばらしさを力説しましたが、彼女はまったく関心無いようでした。
ニエプスやダゲールも聞いたことがないと言います。
しかし、ジャマンのレンズを見ていてPaysageと書かれているのに気付き風景用かと聞くので、当時のレンズは人物撮影用と風景用の2種類しかなく、このレンズは人物用だが前のレンズを外すことで風景も撮影できる工夫されたレンズなのだと説明すると少しは関心を持ったようです。
発音の確認もしてもらいましたが、やはりジャマン・エ・ダルローとアンジェニューで問題なさそうです。
アンジェニューはオンジェニゥとした方が聞いたままに近いですが。

わたしは旅をしながらローカルの人々を撮影したいのでこのレンズを持ってきたのだが、君はレンズと同じフランス出身だから特別に撮影してあげようと言って本人が嫌がっているのを無理やり撮ったのが今日の作例です。
はさみを持っているのは草刈りの最中だからで、わたしからの護身用というわけではありません。
写真を撮られ慣れていないようで、女優風の表情をとお願いしたのですが、すっかり照れてしまっていました。

もうひとりモハンメドの方の写真は残念ながらありません。
バッテリーのトラブルもあって撮影自体ほとんどしていなかったですし、バッテリーが復活したときは町に行ってしまっていたりでタイミングが合わなかったからです。
彼もニコンのカメラを持って来ていて、しきりに撮影していましたがわたしの写真を自身のフェイスブックに勝手にアップしていたのには腹が立ちましたが、いい奴だったので許したいと思います。
町に出るときに携帯でネットを使いたいので貸してくれと言われてわたしたのですが、勝手にイスラム関連アプリを3つもダウンロードしていたのには閉口しました。
ひとつはメッカの方向がどこにいても分かると言うコンパスで、もうひとつはコーランが聞けるアプリ、もうひとつは不明ですが、危険なものではないことを祈りましょう。

彼によればパレスチナの名物料理は砂漠に棲むという野生のウサギだそうで、この世にこれ以上美味しい食べ物は存在しないので、とても高価だがパレスチナを訪れた際にはぜひとも食べてほしいと言っていました。
後藤健二さんの一軒があった時ジョルダン政府が何々族のパイプを利用してISと接触しようとしたという報道がありましたが、その何々族に相当するものが彼にもあって、彼はわたしたちのファミリーと称して親戚のことと言っていましたが、総勢1万人を超えるそうです。
1ヶ月にひとりはファミリーの誰かが結婚すると言って笑っていました。
彼自体がとてもいい奴ですし、アラブの文化は聞くことすべてが新鮮で、彼の言うことをそのまま日本語にしていったらパレスチナを紹介する本が簡単に1冊書けてしまいそうです。
確かにいい奴だったとはいえ、人の携帯に毎日コーランが流れるようなアプリ設定をするのは止めて欲しかったです。
解除するのに3日かかりました。
【Alpha7/Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 F4.5】
thema:ペッツバール genre:写真
未分類 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/30 Sat

食事のツールは文化なり

Jamin et Darlot 15.5cmF4
韓国や中国では箸を使うことは誰でも知っているでしょうが、他のアジア諸国はどうなっているのかご存じないのではないかと思います。
実はわたしもよく分かっていません。
タイやベトナム、マレーシアでは華人が多いせいか少なくともソバを食べるときには箸を使うようです。
ツリーハウスの食事ではナイフとフォークが用いられていましたが、華人のレイチェルとギョンは箸を使っていたので、わたしも箸に取り換えてもらいました。
モハンメドが箸を持ったことがないというので使い方をレクチャーしましたが、案の定なかなかうまくいかず、もどかしさに悶絶していたのが印象に残っています。

日本の箸と中国の箸の違いはご存知でしょうか。
日本のは全体に細く、さらに先端はかなり細くてかなり小さなものでも簡単にとらえることができますが、中国のは先端が太いので慣れないとなかなかものをつかめません。
ソバを食べるときは問題ないのですが、魚などを食べるときはたいがい難儀します。
マレーシアは華人の影響で箸を使うと思ったので、中国式ばかりかと思っていたのですが、日本式のもよく見かけました。
ツリーハウスには両方あったので、ふたつを示してこちらが日本式あちらが中国式と説明したのですが、レイチェルやギョンはそういう認識はなかったようです。
ただ、子どものころ箸の使い方を練習するためにマメをつかんで移す練習をしたものだと話したら、ギョンもそうだったと言っていました。

ベトナムがどうだったか思い出せず申し訳ありませんが、タイやマレーシアでは普通に食事するときはフォークとスプーンを使います。
洋式でナイフとフォークを持つのと同じように、左手にフォーク右手にスプーンを持って両手で食事するのです。
スパゲティを食べるときスプーンを補助にフォークに巻き取って食べますが、タイ、マレーシアでは逆にフォークでサポートしながらスプーンに乗せて食べると言うやり方のようです。
東南アジアでは汁物が多いですが、このやり方だときれいに食べることができるので、うまい方法だと感心しました。

レストランにいけば、それがテーブルマナーとばかり皆そのやり方で食事していますが、食堂のようなローカルな場所でもそれは同じでした。
見ていると実に器用に食べるので、日本人の箸と同様に子供のころからしつけられるのでしょう、その姿は格好よく決まっています。
確かラオスで出合った竜クンもアジア通らしくフォーク・スプーンを使いこなしていましたが、ナイフ・フォークが苦手なわたしは不器用なこともあってどうも上達しません。
今度、タイ人に使い方をレクチャーしてもらおうと思います。

ラオスでは箸を使ったか思い出せないのですが、やはりフォーク・スプーンを使っていました。
しかし、ラオスで食事と言えば手で食べるのが主流です。
主食のご飯はタイ米ではなく、スティッキーライスと言われるもち米で、パラパラとならないので手でも比較的簡単に食べることができます。
とはいえ、ラオスの食べ方は、まず米を適量右手にとって少し捏ねてばらけないようにしてからおかずを一緒につかんで食べるのでそれなりに慣れが必要です。
ちょうどお寿司と似ていて、お米の量は寿司と同じくらいにしてネタを乗っけるようにおかずをご飯にくっ付けて食べるような感じです。
動作としても、寿司を手で食べるときに、ネタの方に醤油をチョンと付けるのに似ているといえます。
たぶん手が汚れるので、それを嫌ってタイやマレーシアでは件のフォーク・スプーンの手法が編み出されたのではないかと思います。

タイでもマレーシアでも手で食べる人は少なくないようで、何度かそれを目撃しました。
恐らく寿司でも同じことが言えると思うのですが、手で食べると言うことは口の中だけでなく手でも味わっているということではないでしょうか。
谷崎潤一郎がどこかで書いていたと思うのですが、日本食は目で味わい舌で味わいするものですが、さらに手で食べることでより五感を駆使しているということになるのです。
日本らしいすばらしい文化ですが、アジアに同じ発想が生きているのではないかと思うと嬉しくなります。
さて、今日の作例は何だと聞かれそうですが、食事の話とは一切関係ありません。
ふたりで向かい合って遊ぶトランプの数当てゲームのようです。
器用にカードをおでこに貼り付けていましたから、彼らに箸の使い方を教えればすぐ食事ができるようになるでしょう。
【Alpha7/Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 F4.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Jamin et Darlot 15.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/29 Fri

去る者は追わず

Jamin et Darlot 15.5cmF4
バンコクを出発してハジャイ、リペ島、キャメロンハイランド、クアラルンプール、シンガポールとマレー半島を駆け足で縦断する旅をして、旅の携行品リストに加えないといけないと思ったものが2つ出てきました。
先日、要るかどうか悩むようなものは持って行かないと書いたばかりですが、この2つは若干かさばるものの重量的には大したことがないので、次回の旅に持って行くつもりです。

ひとつは、リペ島の白い砂浜で痛感したのですが、サングラスは絶対に必要だと思いました。
わたしは目が悪いせいか強い日差しでも割と目を開けてられるのですが、白い砂の太陽の反射は並大抵ではありません。
砂浜を歩くときは、辛くて辛くて目を閉じたり開けたりを繰り返していました。
これだけの刺激ですから、目にも悪いはずです。
4000円の安物ですが、ツァイスのレンズを使っているというサングラスを探し出したので早速購入しました。
わたしは世にサングラスとして売られているものを信用しておらず、光学的にUVやら目に刺激的な光線やらをきちんとカットしてくれているだろうツァイス製を選択したのです。

瞳が黒い日本人は目そのもので太陽光をある程度遮っているが、色素の薄い西洋人の眼はそれができず、日中は基本的にサングラスが必需だと聞きました。
そういえば、彼らは蛍光灯の光も苦手だという話で、ヨーロッパのホテルの部屋で蛍光灯を見た記憶がなく、室内はどこも薄暗いです。
この薄暗さは逆に瞳の黒い日本人には見づらいということになるのかも知れません。
ツリーハウスでいっしょだったオードリーは瞳が薄い金色をしていてそのことを指摘するとグリーンなのだと本人は言っていました。
金にしろ緑にしろ、瞳の真黒なわたしと彼女が同じものを見ても、同じ色には見えていないということなのでしょう。

もうひとつの新規携行品は単眼鏡です
双眼鏡の方がよりよいと思いますが、場所をとって重いですし、わたしはコンパクトなのを持っていないので、単眼鏡としました。
理由のひとつは、わたしは乱視で細かいところを読むのが苦手なのですが、日本語の表記ですと完璧に見えなくても状況判断で何が書いてあるか察することができます。
しかし、英語ではそういうわけにいかず、アルファベットや数字はしばしば何と書いてあるか見誤ります。
クアラルンプールのセントラル駅の出発時間の掲示がどうしても読めず、いったんカメラで撮影して液晶で拡大するということがありました。

また、ツリーハウスでは、幸運なことに野生のサルを見る機会に3度も恵まれました。
1泊で帰ったインド人ファミリーは見ることがなかったので、申し訳なかったくらいです。
サルは恐らく10匹以上が群れになって木の実などの餌をもとめてジャングルを移動しているようですが、当然、警戒心がとても強く一定の距離以上には近づいてきません。
彼らは50メートルほど離れた木に姿を現したと思うと我々に気付いて、木の葉などに自分の姿を隠してじっとこちらをうかがっているようです。
最初は、サルが来たとばかりカメラを取り出したり少し近寄ったりしたものですから、サルはますます隠れて写真撮影は困難になっていました。

2回目以降は無関心を装って放っておいた方がいいだろうとその場で観察したのですが、思った通り徐々に警戒心を解いたサルが彼ら本来の行動をするようになりました。
しかし、それでも彼らの安全距離のようなものがあって一定程度以上は近づかないのですが、そんな中でのサルの行動がオードリーにははっきり見えて、いま何か木の実を食べているとか説明してくれるのですが、わたしにはサルの動きは分かっても何をしているかまでは見えなかったのです。
双眼鏡を持っていればと悔やまれ、今後はこんな機会はないかも知れませんが、せめて単眼鏡も旅に持参するべきだと決意させたのでした。
作例は、最接近した状況でのサルで、建物の隙間から見えたのですが、しばらくして彼もこちらの存在に気付いて逃げ去ってしまいました。
その距離10メートルほどでしょうか。
こんなに近くても彼らの表情を見るためにわたしには単眼鏡が必需でした。
【Alpha7/Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 F4.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Jamin et Darlot 15.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/28 Thu

頭のてっぺんからつま先まで

Jamin et Darlot 15.5cmF4
先日初挑戦した大判撮影は、成功とは言い難いものの結果に対しては一定の満足をしています。
とにかく撮影はできることが分かりました。
次回へのテーマとして、ピント精度を上げることと、フレーミングをもう少しどうにかしたいと考えています。
これは技術的な問題ですので、かつて王貞治氏が1本足打法を完成させるために自室でひたすら素振りを続けたように、わたしもフィルムを入れないカメラで撮影行程を繰り返してフォームを固定できるようにしたいと思います。

ペッツバールを使用して人物撮影している以上は、ダゲレオタイプ期のポートレイト写真がイメージとしてあります。
ダゲレオタイプの写真を見ると笑顔で写っているものはほとんどありません。
当時の写真は肖像画の代替物ですから、家のいちばんよい場所に飾られる肖像画はニコニコしているのではなく、威厳に満ちていなくてはいけないからです。
自分が死んだ後も子孫が代々受け継ぐのです。
ダゲレオタイプの写真はみな神妙な顔をして見えるのですが、わたしも次回はそういう表情を引き出すよう挑戦してみたいと考えています。

その代わりではないですが、旅に持って行くペッツバールはいつもどおりに適当に撮って楽しむつもりです。
作例写真は、普通に歩いていた子どもがカメラを向けた途端に、なんとも楽しい表情をつくってくれました。
子どものリアクションなんてリペ島に限らず日本でもどこでもそう変わらないのでしょうが、やはりその時の旅の気分や光景などとも結びついて自分にだけ感じられる思い入れを作ってくれると思います。
この子の場合、顔の表情もそうですが、左足つま先の反り具合が実によろしい。
注目されたり、緊張したりすると足先を反らすのが癖になっているのかもと想像します。

昨日の荷物の話のときにも痛感していたのですが、例えば今回持って行ったジャマン・エ・ダルローのペッツバールだと、バッグの中でライカのレンズ3本分以上のスペースをとります。
性能でいえば、ライカのレンズはペッツバールの3倍優れているだけでは足りないかも知れないくらいです。
しかし、注目度ということになれば立場は逆転します。
ライカレンズは知っている人なら惹きつけて止みませんが、ペッツバールはおよそカメラに関心があるなしに限らず反応してもらえることが非常に多いのです。
普通ならそれでどうということもないのですが、わたしの場合は人物の写真ばかり撮っているので、撮らせてくれというお願いの行程が大幅に短縮することができるわけです。
こんな便利なものはありません。
3倍のスペース以上の価値があると言って疑いません。

また、ポートレイト撮影時にわたしが声をかけた人から遠ざかるのも、彼らにしみれば不思議なことのようです。
カメラをやっている人なら、ははあ、かなり焦点距離の長いレンズなんだなと察してくれますが、携帯の広角レンズしか知らない一般の人から見れば、わたしの後ずさりは不可解な行動です。
手っ取り早く最初の位置だとこの通り顔も収まりきらないくらいのアップになるのでと見せれば理解してもらえますが、むかしのカメラはこのくらいの大きさの木の箱で、フィルムも大きかったので長いレンズがなどと説明してしまうと、相手はきょとんとするだけです。
昔のレンズは凄かったんだぞということを示すためには、超アップ、胸像、全身像の3枚を撮ってどうだと見せてあげればいいだけです。

こんなことがきっかけで親しくなったりするのもまた楽しいものです。
ラオスのバンビエンではカナダ人の若いカップルがたいへん興味を示し、この後タイ経由で日本に行くので東京で会おうということになりました。
写真もぜひ送ってくれと言われますが、普通の現代のレンズで撮ったのではこういう展開にはならないでしょう。
ダゲレオタイプから湿板の時代になるとカメラを持って旅する人が現れるようになったそうですが、そんな時代にも同様のことが起こっていたのかも知れません。
ペッツバールレンズにはパスポートと同じくらいの力があるように実感しています。
【Alpha7/Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 F4.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Jamin et Darlot 15.5cmF4 | trackback(0) | comment(2) | 2015/05/27 Wed

荷物考ふたたび

Angenieux S5 50mmF1.5
前にも書いたような気がしますが、長旅では荷物をいかに減らすかは重要な問題です。
昔からの金言は、持って行くかどうか悩むようなものは、持って行くな、です。
わたしはバックパックではなく、キャスターの付いたスーツケースでもなく、持ち手が付いただけの古いトランクで旅しているので、荷物の重さはそのまま自分の手と肩あたりの負担になります。
重量は11キロくらいでしたが、それを手持ちで運んでいたら手にマメが2つできてしまいました。
いつも右肩にはカメラ等の入ったトートバッグを提げていたので、左手でばかりトランクを持ったためのようです。

痛くはないのでそりままでもよかったのですが、旅行鞄でできたマメですという自慢もできないし、やはり楽したいので折り畳み式のキャリアーというんでしょうか、荷物をゴムのひもで固定してキャスターで引いて歩くアレというので通じるものなのか、を買って愛用しています。
初代は、南陽駅の売店で値切って買ったのですが、すぐにキャスターがぐらぐらになったと思ったら、ゴムを留めていた部分が割れてしまい使い物にならなくなりました。
さすが中国のローカル製品です。
2代目は日本の通販で見つけたもので、プラスチック製で軽量、ハンドル部分はスーツケースのように長く伸縮するというので試しに買ったところ、使い勝手は格段に良く気に入っています。
奈良の友達の女性がそれに気づいて、荷物が進歩してる!と指摘したのはさすがだと思いました。

2月に世界一周をスタートさせる前は、カメラが壊れて撮影できなくなったらまずいので、予備のα7をもう1台持つべきか真面目に検討していました。
旅の前にカメラを新しく買うのは厳しいので、ではライカM6にするかなどと考えてもみました。
機械式カメラはバッテリーを気にしなくていいですし、タフなライカが壊れることが想像できません。
実際、フィルムの時代に旅していた時は、ライカ2台にレンズ3本ということもしばしばだったので自然な発想なのですが、そのころはPCや携帯を持って行くことはありませんでした。
PCや携帯は周辺の充電器、コード、マウス、アダプター等々を含めるとバッグのスペースを大幅に占拠します。
ライカ1台とレンズ1本が減ったスペースにそれらが加わったと考えて、カメラ2台はあきらめることにしましょう。

前回の旅で携帯のカメラ機能が壊れてしまい、α7もおかしくなったらどうしようと少し心配にもなっています。
中国の順平さんのように、世界各地には修理のプロフェッショナルがあちこちにいて助けてもらえそうな気がします。
しかし、うまい具合に修理屋さんがあってその場で直ればいいですが、カメラ修理店などというものがそうそう簡単に見つかるとも思えません。
がちゃがちゃといじった挙句、こちらは早く出発したいのに、数日預からせてくれということもあるでしょう。
旅の途中から一切撮影行為ができないというのは、手足をもがれたような気分でしょうし、そんなときに限って超絶美女が現れてペッツバールの自慢をするものの、カメラが壊れていて撮影はできないんですけどね、と肩を落とす姿を想像してしまいます。

そこで思いついたのは、カメラをちょっとだけ借りてブログ更新用の写真だけでも撮らせてもらうという作戦です。
α7を持っている人が見つかればいちばんいいですが、わたしのペッツバールはksmtさんにEOSマウントへ改造していただいているので、EOSを持っている人ならあちこちいるでしょう。
タダで借りるのは図々しいですが、代わりにその歴史的レンズであるペッツバールのことを説明して撮ってみてくださいとやれば、十分に理解してくれると思います。
今まで、旅先であった人は、モンゴルの一部を除いてみな、ペッツバールに高い関心を示してくれています。
こちらが自慢しなくても、不思議なレンズに気付いた好奇心旺盛な人は惹きつけられるようにやって来て、それは何だねと尋ねてくるのですから。

さて、今日の作例はリペ島の土産物屋さんが並んだ通りでの1枚です。
ランチタイムや夕方以降、船が到着したときなどは賑わうのですが、それを除くと小さな島ではみなすることもありません。
同僚の女性の体形を見て、暇なときは何か運動でもしなくてはと考えるのも当然の成り行きでしょう。
いちばんいいのはきれいな海で泳ぐことですが、タイ女性は水着になるのがとても恥ずかしいことだと思っていると聞いたことがあります。
それに何より日焼けして肌が黒くなることを恐れているそうです。
観光客に撮影までされて恥ずかしいですが、やはりフラフープれがいちばんのシェイプアップと判断したのだと思われます。
【Alpha7/Angenieux S5 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Angenieux S5 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/26 Tue

何もない島の暮らし

Angenieux S5 50mmF1.5
リペ島はたしか自動車は走っていませんでしたが、タクシーは存在しました。
といってもバイクタクシーのことではなく、作例のようにバイクの横に荷台を括り付けたサイドカーのようなタクシーが恐らく20台くらいは営業しているようでした。
狭い島なのでわたしは利用する機会がありませんでしたが、西洋人のお年寄りカップルが肩寄せ合って乗車しているのを見ましたし、本土からの船に乗って来た荷物の多い旅行者がホテルまで行くための便利な交通手段として活躍しているようでした。

日中どこかに移動する人は少ないので、流しのタクシーと言うものは存在しないようですが、木陰などに待機していて通りかかるとタクシー?と聞いてきます。
これだけだと物価の高いリペ島では生活費を稼げそうにないでしょうから、荷物運搬とかバイクを活かした別の仕事も兼ねているのだと思われます。
ガソリンをどうしているのか気になりましたが、これも本土からタンクなどで運んでもらい手間賃を上乗せした値段で買っているのでしょう。
そうなるとリペ島のタクシーは本土よりずっと高くなることは免れないでしょう。

バンコク市内などのトゥクトゥクもそうですが、料金相場が分からないと貧乏旅行者にはなかなか利用しづらい交通手段です。
どうしても使わざるを得ない時はわたしの場合次のように料金交渉しています。
「○○まで幾ら?」
「50バーツ」
「高すぎる20ハーツで頼むよ」
「それは無理、では40バーツで」
「いや20バーツでなければ乗らない」そう言って立ち去る。
これで、相手があきれたりするようなリアクションだったり、それ以上声をかけなけれぱ40バーツは法外ではないと判断して、35バーツを目標に他の人と交渉します。
さらに下げてくるようなら、最悪30バーツとみなし、その人とは25バーツ以上はOKしないようにします。
折れなければ別の運転手と交渉します。

5バーツは約20円なので、そんな単位までせこく交渉するのかとあきれられるかも知れません。
わたしもそこまでこだわるつもりはありませんが、生活のための交渉事だと考えると、その5バーツの積み重ねが昼食代に化けることを意識せざるを得ません。
ちなみに屋台のソバは30バーツくらいからです。
また、現地の人はそこまでシビアに交渉したり、金銭感覚を持っているはずですので、同様に対応することはそこで生活している感覚を身に着けさせることに役立つと思うのです。
短期旅行では多少のお金より時間の方が大切なケースが多いですが、時間にゆとりのある場合は、価格のやり取りを含めて旅なんだとそれを楽しむ姿勢が大切なのです。

ところで、リペ島はお金に固執するような人も少なくないのでしょうが、多くは南の島らしくのんびりと無駄話を好むような人が多かったのが気に入りました。
レストランはどこも高くて辟易しましたが、外れに個人経営の食堂を見つけたので地元の人が酒を飲む中に紛れて、高い外国人向け料理をいただきました。
しかし、ここはとても美味しくて翌日のランチにも利用することになります。
場末のレストランなのでほとんど利用する人がいないんじゃないかと心配するようなところなので、2日続けて来てくれたというのは美味しいから再訪したということが相手にも分かります。
言葉の通じないおばさんが昨日にも増して張り切って調理しているように見えました。

また、夜の12時までやっていたバーは、わたしの泊ったバンガローの並びの半分砂浜と言う格好のロケーションだったので覗いてみたのですが、弱冠20歳のハジャイから来た若者が経営者でした。
2年前に来て始めたというので、未成年にしてバーテンダーデビューということになりそうです。
ご自慢のカクテルは高かったので、ビールを注文したのですが、流暢な英語に感心してどうやって覚えたのか聞くと、ここへ来る前にはほとんどしゃべることができなかった、2年間ここで客と会話しているうちにどうにか会話できるようになったとのこと。
すごいなあと感心しますし、最初はそうとう苦労したのでしょうね。
わたしもここで働けば英語ができるようになるのかしらと思いつつ、バンガローに戻りました。
【Alpha7/Angenieux S5 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Angenieux S5 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/25 Mon

ストップオーバー・ラブイズオーバー

Angenieux S5 50mmF1.5
今日、バンコクから3度目の帰国をします。
ホテルは空港からの列車が着く駅の真ん前に取ったのですが、このあたりはインド人街のようで街行く人は南アジア系ばかりの不思議な空間でした。
レストランもインド料理ばかりで香辛料の匂いが鼻をくすぐりますが、来月にはインドに入るつもりなのでここは我慢して、小さなしかしやはり高いタイ料理の食堂で食事しました。
やはりここもツーリストエリアのようで、何軒かあったメニューを店頭に掲げるタイ・レストランはどこも高く、メニューが見られない安そうな店を選んだのですがダメでした。
円安もあるとはいえタイで1食900円と言うのはかなり堪えます。

翌日のブランチはさらに歩いてローカルなタイ料理かつ店頭のおかあさんが英語を話す店を見つけました。
いい店を発見したと喜びましたが、正直このエリアにまた泊まりにたいとか来たいとかという気にはなれないので、この店に再訪のチャンスはないでしょう。
そういえば、ホテルの荷物係はパキスタン人だと言うのでいろいろと聞いたところ、カラチ出身なのにクリスチャンだと言っていました。
パキスタンにもクリスチャンが存在するということを初めて知りました。
やはりカラチには居づらいそうで、もう少しバンコクで働いてカナダに移住したいと言っていました。

ブランチの後はホテルに戻って荷物を受け取り空港へ向かいます。
前回はバンコクから戻って香港に立ち寄ったりしているので今回もそうするつもりだったのですが、ベトナム航空のハノイ経由成田行きが最安だというのに気付きました。
このチケットは安いのですがハノイで7時間ほど待たなければいけません。
しかし、わたしにとってはこのハノイでの7時間は逆に絶好のチャンスでした。
先月、会ったフリーハグの仲間たちと短時間の再会をすることができると思ったのです。
このアイディアを思いついてやはりフェイスブックでやり取りすると、わたしのために飲み会を開いてくれることになりました。
ただしハノイ空港には夕方6時に着いて深夜12時50分の便で成田に向かいます。
空港から町中まで1時間近くかかるので、7時から11時までハノイに滞在できるからと伝えておきました。

航空機から降りると空港は新しくなっていて感心したのも束の間、入国審査の列は並びきれずに人があふれていました。
これではうまくやっても1時間以上並ぶことになり、待っている彼らに迷惑をかけてしまいます。
よく見ると短い列のところがあり、そこまで通してもらうとベトナム人用のレーンでした。
しかし、その隣のアセアン用のレーンと言うのも同様に短かったので腹を据えてそこに並んでしまいます。
ジャカルタかどこかからの便が着いたばかりなのでしょうか、色黒のイスラム風の人ばかりが並んでいて、その中に混じったわたしは浮いた存在だったはずですがそんなことは気にしていられません。
いざ係官にここはアセアンのレーンだと言われたら、えっ、勘弁してくださいアジアンて書いてあるのかと思った、今更並びなおしはできませんととぼけるつもりでしたが、何事も言われず通過でき、ガッツポーズです。

しかし今度は悲運で、タクシーに乗ると運転しているのは英語の一切できない若者でした。
住所のコピーを突きつけると顔色を変えてどこかに電話していますが、ベトナム語は一切分からないのでなに言っているのかさっぱりです。
道が分からないなら別のタクシーを探すからというわたしの言葉も通じず、タクシーは不安げに出発してしまいます。
市街に入ったところでわたしの友人に電話させて道を聞いたりしてもらいいますが要領を得ず、繁華街を行ったり来たりでまいりました。
結局、空港から1時間半かかり、料金も帰りの2倍でした。
外国人が乗った時料金をボッタクルための英語が分からない振りをする新手の詐欺なのかも知れません。

タクシーが停まったところで彼らは待っていてくれて、若干遅れたもののお気に入りだという日航ホテル裏のベトナム料理のレストランに急行しました。
来られない人がいたり新顔がいたりで総勢7名が集まっていました。
友人はこの日のためにとベトナム北部の美味しいお酒を取り寄せてくれていましたし、隣には女の子が座ってやさしく料理をとってくれます。
この子はわたしに気があるのかなあと思っていたら、ごめんなさい、これからデートなのと言って途中で帰ってしまいました。
3時間の宴はあっという間に感じられます。
今度はゆっくりベトナム各地を旅したいとわたしが言い、彼らの何人かは真剣に日本旅行を検討しているらしく、ホテルやレストランの料金をわたしに確認していました。
これにて世界一周の第3ラウンドが終了になります。
目的地だったシンガポールでは何もせずに、ストップオーバーのハノイで盛り上がってしまうのがわたしらしい旅だったと言えるのではと思います。
【Alpha7/Angenieux S5 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Angenieux S5 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/24 Sun

さすが明るい北朝鮮

Angenieux S5 50mmF1.5
バスの行先はクアラルンプール市内に2か所あるそうで、わたしはそのまま中心になっていたセントラルという方で下車しました。
ツリーハウスに3泊したためもう翌日の夜にはバンコクに着いていなくてはならず、できればそのまま夜行列車でシンガポールに向かうためです。
セントラルは名前の通り大きな建物で、降りたところに空港行きのバス乗り場がありましたので、鉄道駅行きもあるだろうと思い聞いたら、まさにここセントラルが鉄道駅だということが分かりました。
人の波をかき分けて切符売り場に行くと、そのシンガポール行きが夜11時発で翌朝6時頃に到着であるとのこと。
さいわい寝台車もあったので、下段ベッドのチケットを買います。

出発まで5時間近くあったので、荷物を預けて食事します。
セントラルは、地下街とショッピングモールが合体したような巨大商業施設でもあるようで、寿司屋を含めたレストランやカフェがたくさんあって、どこに入るか悩みます。
充電OKの店で食事と携帯のチャージを行いました。
久し振りにメールのチェックもしますが、さすが3日もジャングル生活で受信していないとスパムを含めてすごい数のメールが着いていました。
ここはマレーシア料理の店でしたが、こういうところに入っているのは日本同様ファーストフードタイプで、ツリーハウスでさんざん美味しい野菜料理を食べて来た後では何とも味気ない夕食になってしまいました。

イヤホンも紛失していたので電気量販店で日本製の1000円ほどのものを購入します。
以前は1万円もするイヤホンを愛用していましたが、どうせ耐用性がないですし、失くすことも考えると1000円台の国産品で十分と考えるようになりました。
携帯にダウンロードされているのは懐かしのロックとポップだけでクラシックは入っていないので、音にこだわる必要を感じません。
ノイズキャンセリング仕様などヘッドホンタイプも以前は考えましたが、旅には荷物になると諦めました。
カメラ用のバッテリーも置いてありましたが、8000円もすると聞いてびっくりします。
今回の旅はもうあと何日もないので帰国時に日本で買うことにしましょう。
オードリーという名前のランジェリーショップがあって、西洋人モデルが下着姿でポーズしているポスターにタナメラでハグした彼女の残像を見た気分になりました。

列車は中国式の進行方向に横を向く並びではなく、縦に左右2段並ぶタイプで枕はあるのに毛布が付いておらず寒い思いをしました。
乗車率は高く、わたしの車両には空席がありません。
荷物置き場もなく、みな通路にスーツケースを置いていますから、中国のように車内販売のカートが通ることはありません。
食堂車もあると聞きましたが、23時発6時着の夜行で利用する人はまずはいないでしょう。
5時頃ジョホールバル駅に着いて全員降ろされ出国検査を受けました。
寝ぼけていたわたしはシンガポールに着いたと思い、入国審査はと聞いたところ、また列車に戻ってシンガポールまで行ってからだと言われ、ここがまだマレーシア内のジョホールバルだと気付きます。

シンガポールの駅はセントラルではなくウッドランドとか言う名前のマレーシアよりの外れにありました。
駅前は住宅街で、食堂が見えたので聞くと近くにATMがあり1500円分ほどキャッシングして朝食を食べました。
雨が降っていて、シンガポールで何をするかも考えておらず、荷物を預けるところも見つからずで、地下鉄駅まで出てスターバックスで再度充電をすることにしました。
この日の夜にバンコク行きのLCCを利用することにしていたのですが、航空会社や時間が思い出せずEチケットを確認のためメールを見る必要があったのです。
受信から時間が経ってしまったせいかメールの内容が読み込めなくなっていて、どうせシンガポールも行くところがないしと、お昼前に空港へ向かいました。

空港のWIFIと職員は優秀なようです。
インフォメーションで事情を説明すると、わたしの携帯を取り上げて内容確認しながら、スクリーンショットで保存までしてくれ、好い旅をと言ってくれました。
まだ出発まで何時間もあり困るところでしたが、昨日、今日とだいぶ充電したはずなのにもうバッテリーがなくなりかけていて、容量の足りないキーボード用のケーブルで充電していたことに気付きました。
バッテリーやヤホンを失くしたり、PCがずっと使えなかったり、メールがチェックできなくなったりとロクなことがありません。
旅の疲れがこんなところに出てしまうのだと解釈することにします。
作例は、この日唯一撮影したシンガポールの地下鉄内の風景です。
子どもは靴を脱がないまま座席の上に立ち、若者たちは会話せずにそれぞれの携帯ゲームに夢中、イスラムの女性はヘジャブの上からヘッドホンで音楽を聴く、とみんなそれぞれにわがままなシンガポール人が並んでいましたとさ。
【Alpha7/Angenieux S5 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Angenieux S5 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/23 Sat

3度目のお別れ

Jamin et Darlot 15.5cmF4
レイチェルは今の仕事環境にたいへん満足していますし、毎日、山の中にいても退屈することはないと言いきります。
しかし、あまりに理解のない客が来ることが辛いそうです。
電気は何時間も使えないので懐中電灯を用意してくださいね、バスタオルはないので自分で準備してと注意喚起しているのに、充電できない、体を拭くものがない、真っ暗で怖い、虫が出た、料理に肉がないのか、ビールがないのか…等々不平不満を言う客が結構いるのだそうです。
こんな山の中で熱いシャワーと水洗トイレが使えるだけで奇跡のようなものだと思うのだけどと言うと、現代人は快適な生活に慣れ過ぎてしまって、どんなところでも自宅の生活と同じものを求めるようだということでした。

ストレス社会から逃れてせっかく大自然の中に生活していると言うのに、お客さんのクレーム処理でストレスが貯まってしまうというのは皮肉です。
とはいえ、静かに環境を楽しんでくれるゲストは少なくなく、そんな人たちがまたここに来るからねと言ってくれることに何よりも救われるそうです。
そんな話をしていると、出発前日に奈良でゲストハウスを経営する友人に会ったときに宿泊者からいろいろと注文があったり、メールの問い合わせに対応するだけで何時間もかかってとても疲れるのだと言っていたことを思い出しました。
またリペ島で、イタリア人のルカが毎日の仕事に疲れて、シーズンオフにホテルを閉めてバカンスに出ると言っていたことも。
なんだかホテル経営者がたいへんだということを知るための旅のようになってきました。

ギョンとはふたりで旅の話をずっとしていました。
クアラルンプール郊外の出身ですが、祖父母は海南島出身の華人だということで、クアラルンプールで仕事をした後、マカオのカジノで働いていたこともあると言います。
ディーラーかと聞くとマーケティングだとのことで、わたしはトランプもできないと笑っていました。
その時にフェリーで沖縄までクルージングしたことがあり、それが唯一の日本体験なので今度は東京に行きたいと言います。
彼女の携帯には旅した先のアジア各地の写真があって、その説明を聞いているだけでもわたしの興味は尽きません。
ギョンというのは不思議な名前ですが、これはマレー語で、中国語名ももちろんあります。
静かな彼女はみんなで話しているときも積極的に話すことはありませんでしたが、性格や考え方などはわたしに似ているような気がして、妹のような存在でした。

ホテルの農場は小さいですが、部屋の目の前に段々畑のように開けています。
ここで働いているのはミャンマーから来た労働者とのことです。
ミャンマーのこんにちはは何て言うんだっけと思いだし「ミンガラーバ」とあいさつすると嬉しそうに「ミンガラーバ」と返って来たので間違いなさそうです。
安い労働力としてミャンマーの難民とネパールの労働者が以前から多くキャメロンハイランドの農場で働いているそうです。
レイチェルにイスラム系のロヒンギャではないかと聞くと、彼らは山岳の方の民族だそうでクリスチャンだとのことです。
難民ですが、政府の労働許可証を持っているのでイリーガルではないですし、長い人は8年も働いていて、ここで知り合って結婚したカップルまでいて、奥さんの手には数ヶ月前に生まれたばかりの赤ちゃんが抱かれていました。

さて、朝食を食べた後もいつものようにまったりした時間を過ごしますが、11時になると出発しないといけません。
事態を理解していなかったモハンメドはどこか掃除にでも出掛けてしまいわたしを見送ってくれません。
別れが辛くて陰で泣いていたのだと解釈します。
昨日は彼が町に行ったので、今日はオードリーがレイチェルとギョンに付き添って、わたしを送りがてら買出しにいっしょの車で向かいました。
来た時は大雨であまり気付きませんでしたが、確かにこれは四駆ではないと走破できないようなアップダウンが半端でないダートロードでした。
待ち合わせしたブリンチャンを通り過ぎてキャメロンハイランドの中心の町タナメラまで着くとバスターミナルがあります。
クアラルンプール行は複数社で運行していて本数は豊富なので、お昼を食べる想定で1時間半後のチケットを買いました。

ここで3人ともお別れです。
個々に写真を撮って、ハグして別れました。
旅をしていると必ず訪れる瞬間ですが、このときはいつも以上に胸に強い締め付けを感じるものがありました。
すぐ前をバスが通り過ぎようとしていましたが、見るとスクールバスです。
バスがBUSではなくBASになっていて、SEKALAHというのはSCHOOLERということでしょうか。
マレーシアでは英語からの借用単語が多いのですが、スペルまでマレー語化しているのが面白くてタクシーはTEKSIとなっていました。
感心しながらレストランを見つけて入ると、いま別れたばかりの3人がいて、こっちでいっしょに食べようと手招きしています。
昨日の朝は、オードリーがお別れのハートのクレープを焼いてくれ、いまさっきハグしたばかりだと言うのに。
彼女たちには3度もお別れを言うことになってしまったのでした。
【Alpha7/Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 F4.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Jamin et Darlot 15.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/22 Fri

ハートの贈り物

Angenieux S5 50mmF1.5
朝起きて、少しのんびりしてからシャワーを浴び、朝食に向かいます。
メインのオープンデッキの建物で時間を決めてみんなで食事するのです。
インド人ファミリーは昨日立ち去ったので、今朝は、レイチェル、ギョン、オードリー、モハンメド、そしてわたしの5人だけです。
今日の朝食係はオードリーだったそうで、小麦をこねてツリーハウス風のクレープをつくったと自信満々に語りながら食器を運び込んでいます。
今日、宿を去るわたしからどうぞとクレープを取り分けてくれたのですが、それはハート形をしていてスマイルマークも描かれていました。
わたしのために愛を込めてハート形にしてくれたのだそうで、思わぬ演出に泣きそうになります。

朝食を始めるとモハンメドがどうしても今日出発しなければならないのか聞き、いやけっしてそんなことはないがと答えると、ボランティア2日間ですっかりスタッフの一員気取りの彼はそれならもう1泊滞在を許可しようと言って、結局もう1日滞在することになってしまうのでした。
オードリーに明日もハートのクレープを作ってくれと頼みますが、ダメだと断られました。
体育の先生はときに優しいですが、ふだんはとても厳しいのです。

ツリーハウスがあるキャメロンハイランドは、クアラルンプールからバスで5時間ほど、標高1500メートルの高原のため涼しい気候と美しい自然が堪能できると、マレーシアでは人気の避暑地になっています。
ツリーハウスは中国系のオーナーが始めたオーガニックの農園の一部に仲間の大工さんが建てたもので、自慢の野菜を使った料理が楽しめ、自然に親しむことができるアウトドア派のためのホテルとして3年前にオープンしたのだそうです。
IT企業に勤めながら自分の人生を見つめなおそうと考えていたレイチェルが知り合いからオファーを受け、これを転機にとホテルの管理を買って出て、さらにひとりでは管理しきれないと旅行好きで自然を何より愛するギョンにも加わってもらって、どうにかツリーハウスを運営して来たそうです。
食材は農薬を使わない畑から供給されますが、コメや麺類、小麦粉、調味料その他はなるべくオーガニックにこだわって取り寄せ、それらの入れ物にはオーガニックかそうでないかがマジックで明記されています。
それを求めてやってくる外国人、マレーシア人が多いということでしょう。

自然や有機野菜にこだわるくらいですので、下水処理や電気などにもそうとうな気配りをしているようです。
電気は発電機を使いますが、発電時間は午後の6時から10時までの4時間だけで、何かのトラブルで点かないこともありました。
そのため電気が点くとみんなでやったとばかり拍手します。
実は、カメラの予備バッテリー4個をそっくりリペ島に忘れてきてしまっていて、初日に充電できなかったのでこの日撮影したのはこの1枚だけになってしまいました。
おかげで、わたしは写真撮影を全然しないのに150年前の古いレンズだどうだと自慢ばかりしている変人扱いです。

せっかくまた延泊したのですが、とくにやることはありません。
再度、滝探しに行く約束でしたが、午前中はずっと雨で、午後にはレイチェル、ギョン、モハンメドの3人が町に買出しに出掛けたのでわたしはついに滝を見ることはありませんでした。
オードリーとふたり残っておしゃべりをしたり、彼女が草刈りに出るとハンモックに横になったり、端材で看板作りに挑戦したりして過ごします。
前日、オードリーが花をデザインした見事な看板を木切れに彫ってこれは目立つところに掲示しなくてはと評判だったので、わたしはサルの看板に挑戦したのですが、床板用の硬い板しか残っておらずまったく彫れなかったので、仕方なしに滝はあちらという矢印を作成しました。
レイチェルのメガネにかなえば、滝の入り口付近の木に貼り付けられることでしょう。

森には10年前くらいまでときどきヒョウがやってきたそうです。
わたしはサルの群れを3回も見ることができました。
姿は見えませんが、いつも聞いたこともない美声で鳴くさまざまな鳥や虫たちがツリーハウスのまわりを取り囲んでいます。
蚊がとても多いのですが、なぜか活動するのは朝と夕方の短時間だけで、それ以外はどこかへ行ってしまいますし、動きが遅いので簡単にはたくことができます。
また、蚊はレモングラスが苦手だそうで、これを混ぜたお手製クリームを塗ってもらうと近寄って来ませんでした。
雨がちなので、なかなか見られませんが、星はとても大きく輝いていますし、夕日が見えたときは雲が紫になってとても幻想的でした。
マレーシアで生まれ育ったふたりは夜を寒がっていましたが、フランス出身のオードリーとわたしは自国のいちばんいい季節と同じくらいの気温だと喜んでいたくらいです。
リペ島に楽園を感じたわたしは、ここにもうひとつの楽園を感じていました。
【Alpha7/Angenieux S5 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Angenieux S5 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/21 Thu

鳳先生と模範目処先生

Angenieux S5 50mmF1.5
ツリーハウスは全部で6棟あり、1棟だけファミリー向けの大きな建物で、逆にそこだけは崖に沿っているので高台ではあるものの木の上の家ではありません。
わたしが宿泊したツリーハウスは大きなダブルベッドがひとつ置かれていて一見ダブルルームですが、足元にもうひとつシングルマットレスがあり、はしごで上がれる屋根裏のようなスペースにも同じものがあったので、最大4人が泊れるようです。
夫婦に子どもふたりの組み合わせならちょうどよさそうですが、ひとりかふたりで泊まるのがベストでしょう。
他の4棟も多少大きさは違うようですが、同じようなつくりでした。

てっきりカップルだと思っていたオードリーとモハンメドは、そうではなくて、同じ寮に住んでいる顔見知りのような存在ということでした。
オードリーは大学のインターンシップでマレーシアに滞在していて、モハンメドはマレーシアの大学で機械工学を学ぶ留学生でした。
オードリーは22歳、ひげ面が一見ごついモハンメドはよく見ると少年のようなあどけなさで20歳とのことです。
ふたりは部屋が2つあるツリーハウスに泊っていますが、通常のゲストではなく、ボランティアとして来ているとのことです。
スタッフは荷物運びを手伝うミャンマーからの農夫が数人いましたが、それ以外はレイチェルとギョンのふたりだけなので、部屋の掃除、洗濯、草刈り、それに食事の支度までして、恐らく宿泊はタダなのでしょう。

初日はファミリー棟にインドからの3家族が滞在しました。
クアラルンプール在住のインド人夫婦が故郷の親戚を呼び寄せて、総勢13人でマレーシアをあちこち旅しているのだそうです。
みんなきれいな英語を話していたので教養ある家庭のようですが、子どもたちに話しかけられると早口で聞き取れずわたしは付いていくのに苦労しました。
天気があいにくで1泊しかしなかった彼らが滞在中学んだのは、日本人は英語が苦手らしいということだけだったかも知れません。
また体を柔らかくするヨガの方法をみんなに伝授してくれましたが、わたしのみ手が床に着くようにならず、日本人は不器用だという理解もさせてしまったようなのも残念です。

ホテル予約システムでは2日目は空いていなかったので、わたしも1泊で帰るところでしたが、このツリーハウスは週休1日制をとっていてその日は宿泊できないと言うシステムだったのでした。
別にわたしだけが連泊しても食料が足りなくなることはないし、わたしの部屋のベッドメーキングや掃除を1日ずらせばいいだけなので、延泊させてもらえることになりました。
実はこれは、オードリーとモハンメドがわたしが1泊だけで帰ってしまうと聞いて、レイチェルに確認してくれ、泊まりたいならぜひどうぞとなったのです。
ツリーハウスへ向かう激しく揺れる車の中から、到着しての憩いの時間、食事のひととき、さらには床に就くまでの時間とずっといっしょにおしゃべりをしていて、わたしのみ語学力が無くてついていくのが精いっぱいながら、仲間に入ろうとしているのか必死に聞いているようなところに好感を持たれたようで、彼らとは年齢や国籍、宗教の違いを超えて(むしろ違っていたからこそ面白かった)友情のようなものをすぐに感じ会うことができるようになっていました。

翌朝、近くに滝があると言うのでいっしょに行かないかと、オードリーとモハンメドが誘ってくれました。
ところが早々に道にはぐれてしまいます。
怪しい矢印に沿って進むとけもの道のようなジャングルの中へ入り込んでしまったのです。
前夜の雨でぬかるんでいてサンダルがつるつる滑って危険ですし、道を間違えているのは明らかなようで引き返すと思いました。
しかし、オードリーは滑るサンダルを脱いで裸足になってどんどん下っていきます。
モハンメドは身長180センチの体格のいい青年ですが、さすがにひるんでいて大丈夫かを連発しますが、彼女はわたしの勘ではこの下に滝があると先頭を行きます。
わたしはついに滑って1メーターもスライディングしたところで木につかまって滑落の危機から救われると、オードリーが見かねてわたしたちのガイドをかってでました。
この木をつかんで右足はここに置く、左足はあっちと事細かに指示するのですがすべて的確です。
まるで、わたしたちはツリーハウスにやって来た子どもたちで、そのリーダーはオードリー、それにしたがう子分がモハンメドとわたしで、ぎこちなく言われるままにくっ付いていくばかりです。

結局、滝は見つからなかったものの小さな清流があって、水を飲むととても美味しかったので、この小さな冒険は救われました。
後で聞くとここは水源だったようで、ここまでの危険な道はオードリーズ・トレイル、水源はオードリーズ・ウォーター・ソースと名付けられました。
それにしてもオードリーはジャングル歩行に慣れていたようだけど経験があるのと聞くと、もちろん初めてだし、わたしはこういうことにはクレイジーだからと済ましていました。
夜は、モハンメドがパレスチナとアラブの事情を説明してくれました。
パレスチナは安全なので旅行可能、アラブ連合は22か国あってイランはアラブではない、イスラエルはパレスチナの女性や子供を何人も殺しているがパレスチナ人はイスラエル人の兵士以外殺していない、イスラム最大の国はインドネシアだが誰も布教していないインドネシアやマレーシアではイスラムの教えに感銘して進んでイスラム化したのだ…、話は際限なく書ききれません。
まるで、オードリーは体育の先生、モハンメドは社会の先生、わたしはできの悪い、しかし好奇心だけはいっぱいの生徒でした。
【Alpha7/Angenieux S5 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Angenieux S5 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/20 Wed

木の上に眠る

Angenieux S5 50mmF1.5
リゾートアイランドに続いては山岳少数民族の村かと作例から思われたでしょうか。
いいえ、これも一種のリゾートで、続いてわたしはツリー・ハウスに宿泊したのでした。
ツリー・ハウスは文字通り木の上の家で、そんな建物に宿泊できるところを見つけたので珍しく予約までして訪れたのです。
きっかけはベトナムのサパを旅していた時、現地で知り合ったイスラエルの少女たちがラオスにツリー・ハウスがあって泊れればよいが見るだけでも価値があると教えてくれたことでした。
場所を聞くとラオス南部のタイに近いところだと言います。
調べてみると、ラオス南部はずっとタイと国境を接していて特定困難です。
ネット検索してもラオスのツリー・ハウスは自然体験施設のようなものが見つかるばかりで、彼女たちの言っていたものとは違い、ラオス滞在中そこを訪れることは諦めざるを得ません。

しかし、ツリー・ハウスの検索をしていた時マレーシアのキャメロンハイランドにも同様のものがあるのを見つけました。
ツリーハウスというと、1本の木の上に枝を利用して簡易な建物をつくるイメージなので、作例のようにマレーシアのものはアプローチが会談になっているなどちょっと立派過ぎましたが、それでも木の上に作られた建物であることに違いはなく、説明では4輪駆動車でないと入れないジャングルの奥地に位置していて素晴らしい自然を満喫できるとありました。
少年時代誰しもが憧れたような木の上に住むことを体験するチャンスでした。
ただし、最低2泊はしたかったのですが、予約サイトを見ると1日しか空いていませんし、日程上、ハジャイ行きが遅れるとリペ島も1泊になると危惧した通りの結果になってしまったことはこれまでに書いた通りです。

リペ島から行きと同じルートでハジャイに戻ります。
ハジャイから国際バスがクアラルンプールなどに出ていることは町中の旅行会社の看板などで承知していましたが、ちょうどキャメロンハイランドにほど近いイポー行きのバスも記載がありましたので、それに乗っていくことにします。
バスは夜の7時出発でイポーまで6時間とのことでしたが、マレーシアはタイより1時間早いので夜中の2時と言う中途半端な時間に到着することになのます。
バスで夜を明かして早朝到着になると期待していましたが、2時ではホテルを利用せざるを得ません。
タイ国鉄のように遅れることなく到着してしまったため、わたしはバスの運転手があそこに行けと指さす薄汚い安宿に泊まらざるを得なくなりました。

汚いということでは、翌日に乗ったタクシーの方がずっと上を行っていました。
タクシーにはメーターが無く、キャメロンハイランド行きのバスターミナルまでというと、バスがあるか分からないので直接タクシーで行った方がよいと言い料金を聞けば5000円以上なので断ると、ターミナルまでは600円ほどだというのでOKしました。
昨夜、陸路越境してマレーシアに着いたので現地通貨を所持しておらずATMに寄ってくれというと待っていた間の分だと100円近く上乗せを要求されてしまいました。
そして驚いたことにバスターミナルは歩いて5分ほどと思われる至近だったのです。
すっかり騙されてしまいました。
ただ、到着後1日3本しかないキャメロンハイランド行きのバスがすぐに発車して、歩いていれば銀行に寄っている間に発車してしまったでしょうから、それでもタクシーで来て正解だと言わざるを得ませんでした。

バスはすぐに山道に入って左右に揺られますが、1時間半ほどでブリンチャンという町に着き下ろしてもらいます。
先述のように四駆でないと行けないところなので、ブリンチャンにあるホテルの前で待ち合わせて連れて行ってもらうのです。
リペ島同様、モンスーンの影響でしょう大雨が降ってきました。
傘は持参していたのですが、ハジャイの大雨で壊れてしまい、どこかで買おうと考えたままここへたどり着いたので困ったもののちょうど食堂があってランチをとりながら待つとすぐにあがりました。
近くの市でとうもろこしをバターを塗りながら炭火で焼いていたので1本買いましたが、これが全然いただけません。
とうもろこし自体旨くない上に、バターは味が無くぎとぎとしているばかりです。
みんな美味しそうに食べていたので、ぜひ彼らに日本のものを食べさせてあげたいものだと願わずいられません。

待ち合わせの時間に現れた四駆にはふたりの女性が乗っていました。
マネージャーのレイチェルとスタッフのギョンです。
ふたりとも中国系の顔立ちでしたが、やはり中国語で会話していたのでわたしも割って入ると中国語ができるのと驚いています。
もっとも、これは後でわたしは英語も中国語も少ししかできず、みんなの会話になかなか付いていけなくなるので、あまり自慢になることではないのですが。
もうふたりやって来る予定と言うので車の中で待ちますが、なかなかやって来ません。
しびれをきらしたレイチェルが電話すると、まだクアラルンプールからのバスの中で30分ほど遅れるとのこと。
やれやれです。
レイチェルは事前にメールで集合場所と時間を指定し、みんなに迷惑がかかるので絶対に遅れないように強調していたのですが、それすら守れないやつらといっしょになるとは…。
やがて到着したのはずいぶんと若い二人組でした。
女性はフランス人のオードリーと名乗り、もうひとりはモハンメドと名乗り国を訪ねるとパキスタンと言います。
えっ、パキスタンと聞き返すと、いやパレスチナだと言うではないですか。
えぇっ、パレスチナ? わたしは生まれて初めてパレスチナ人と会いました。
遅刻しやがってもうと言っていたふたりは、そのわずか後には自己紹介後にはすぐに親しくなってしまいます。
そしてレイチェル、ギョン、オードリー、モハンメドの4人は、わたしにとって最高の存在になるのでした。
【Alpha7/Angenieux S5 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Angenieux S5 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/19 Tue

海のジプシーの島

Jamin et Darlot 15.5cmF4
リペ島のバンガローは快適で、デッキでは犬がうたた寝し、部屋には1匹の蚊すらいません。
ダッシュすれば10秒で海に飛び込むことができ、泳いで砂まみれになっても部屋のシャワーですぐきれいになれます。
こんな条件で宿泊料が安い理由は、シャワーに温水がなく、エアコンがなく扇風機が2台まわっているだけ、バルセロナが優勝を決めた試合もテレビがないために見ることができないからのようです。
リゾートは繁忙期と閑散期で極端に料金差があるものですが、閑散期料金をさらにクローズド割引してくれたと解釈することにしました。

中国語の文字を多く見かけて絶望したのはわたしの早とちりでした。
大陸中国人が来るわけではなく、マレーシアとタイの華人が訪れるために書かれていると分かりました。
なるほど見かけた中国人風の人たちはみな礼儀正しく、大声で話をしていることもありません。
レストランはバンコクよりも高かったのですが、岸まで2時間もかかる離島では水1本だって内地より高いのは当たり前で、野菜やコメを船で運んでいることを考えれば仕方ないと納得できます。
島の人やルカと話をすればするほど、リペ島に対する失望感はなくなり、予想とは違ったもののなかなかいいところである、今度はもっといい季節に来てみたいと思うようになりました。
何しろバルセロナ戦はどこかバーで見ようと思ったのに12時にはどこも閉まってしまうという健全な島なのですから。

島はたぶん数時間で1周できるくらいの大きさのようです。
朝からダイビングやスノーケリング、フィッシングなどのツアーがあって多くのツーリストは島外に出掛けますが、1週間以上滞在している人も多いので、そんな人たちは砂浜で泳いだりのんびりビーチの木陰で本を読んだりしている姿が目につきました。
島には小さな村があって子どもたちもけっこういるなと思えば、ちゃんと小学校もあるとのことでした。
ルカのように西洋人が経営するホテルやレストランがあり、バンコクなどから来たタイ人によるものも多く、恐らくローカルが直接経営しているのはほとんどない、そういう事情は中国の古鎮と似たところがありそうです。

ルカによれば、現地の人はシージプシーと呼称される海洋少数民族で、フィリピン、インドネシア、タイ、マレーシアに散在する海上で暮らす人々が100年以上前にこの島に定住するようになったのだそうです。
タイの南部はイスラム圏で、多くの島はイスラム教徒が住民ですが、この島のみそういう事情があったので、海をよく知る彼らと西洋人・タイ人が協力して自然を残す形でリゾート開発に成功したとのことでした。
実は、ルカは大学で民族学を学んでいて日本のアイヌも知っているくらいなので、ここに来る前からシージプシーについて強い関心を持っていました。
さらにイタリア国内で条件の良い仕事を見つけることが簡単ではなかったことから、15年近く前に休暇で訪れたこの島を気に入って地主や地方政府と交渉して20年契約でリゾートホテルの経営に挑戦する権利を得たのだそうです。

夕食から戻って聞いた彼の話はとても興味深いものでした。
まず、この島で営業を始めた数日後にスマトラ地震があって、津波がこの辺まで押し寄せたのだそうであわや開業早々にして失業するかもと思ったそうですが大事に至らず、映像で見た周辺地域の津波の惨状に胸を痛めることになった、しかし、それ以上にその後の日本の津波は見ていて耐え難かったと真顔で言います。
それから、専門だと言うアフリカにはどれだけの民族がいるか知っているかと、訪れた国でのいろいろな体験談をしだしました。
将来はモーリシャスに移って、またホテル経営をしたいとも。
また、アジアとタイがいかに経済力を付けて来たかを語りだしました。
彼がタイに来ていたころは、ヨーロッパ発バンコク行きのタイ国際航空の90%はヨーロッパ人でタイ人はわずかしか乗っていなかったが、いまはそれが逆転してヨーロッパ人はみな安いカタール航空などでタイを訪れている、などなど

ヨーロッパの経済危機の話をしていた時でした。
イタリアはなぜドイツやイギリス、フランスを追い抜けないのかと言う話になり、わたしはイタリア人の性格に起因するのではと自説を述べたのですが、あっさり一笑に付されてしまいました。
すべてはマフィアのせいだと言います。
せっかく政府や自治体がすばらしい政策を打ち出しても、それが軌道に乗ったところで、そこから収入を得ようとするマフィアが市民や労働者をコントロールしてストライキ状態にして、もとに戻したければマフィアにお金が流れるシステムを増設しろとやるので、折れて従うか政策がうやむやになるかでそれが繰り返されるばかりだからだということでした。
確かにその通りかも知れません。
しかし、やはりこれだけのインテリの彼が、たくさんのお客があることを知りながらホテルを長期間閉めてしまう発想の方にも、ドイツに追いつけない根本原因があるのは間違いないような気がしてしまいます。
【Alpha7/Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 F4.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Jamin et Darlot 15.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/18 Mon

誰もいない宿

Angenieux S5 50mmF1.5
念願だったリペ島へ向かう朝がやってきました。
リペ島なんてよほどのタイ痛でないと知らない名前だと思いますが、実は、わたしもこの島について何一つ知っている訳ではありません。
タイにはプーケットやクラビをはじめ、サムイ島、サメット等、ピーピー島などなど多くのメジャーな海のリゾートが点在しています。
しかし、ものの本によるとそれらリゾートは押し寄せる観光客の波と業者による乱開発で荒れ果てていて、実は海もそれほどきれいではないとありました。
手つかずとは言わないが、海が透明度を保っていてそれほど観光客も訪れない最高に美しい島がある、それがリペ島だと本は紹介していました。
それを読んだのは10年以上前でしたが、リペ島の名前は記憶にずっと刻まれ、このたびついに上陸する機会を得たのでした。

ハジャイからは旅行社のワゴンで2時間かけてパクバラ港へ、そこからスピードボートでまた2時間で待望のリペ島に到着します。
わたしは未知のところへ行く場合、事前になるべく調べないようにしています。
ネットで写真を何枚か見てしまうだけで、うっかりするとそれを確認するために旅するようなことになり、新鮮味が大幅に失われてしまうからです。
リペ島も写真はまったく見ずに向かったのですが、想像通り海辺の水は絵の具を流したようなエメラルドグリーンで、それが打ち寄せる砂浜は眼が開けていられないほどに真っ白でした。

到着直後は期待通りだと感じたのですが、だんだんとおかしいと思うようになります。
まず水は透明度が今一つでこれよりきれいな海は何度も見ていましたし、スピードボートに大勢が乗っていたので想像はしていましたが、島は多くの観光客であふれている雰囲気です。
上陸してすぐに土産物屋とレストランが並んだ通りが島の中心に向かっており、多くに中国語表記があるのを見て、想像していたものが音を立てて崩れていくのを感じました。
宿は自分で見つけなければならなかったので、WIFIありと書かれたレストランでお昼を食べながら、検索しようとしたのですがまったくつながりません。
何もないような島を目指して来たのにインターネットに頼ろうとしている自分に気付いて情けなくなり、宿に直接あたって探すことにしました。
見るからにリゾートアイランドですので、値段はともかく、ホテルが見つからないなんてことはないでしょう。

聞けば、ほぼ島一周にホテルが100軒近くもあるとのことです。
重たいトランクがあるので、明日また船で戻ることを考えて船着き場付近の宿からあたることにしましたが、ビーチまで徒歩30秒とはいえボロボロのバンガローがいきなり1泊6000円と聞いて泣きたくなりました。
断って隣の宿に行くと妙に閑散としています。
オーナーらしき人物があれっと出てきたので、泊れるか聞くと、実は今日からシーズンオフで休みに入ったんだと言います。
がっかりとしたのを見たせいか、でもあなた日本人でしょ、いいですよ泊ってくださいと優しく勧めてくれました。
オーナーのルカさんは、イタリアはパルマ出身で、モンスーン期に入るころからバカンスをとって宿を閉めてしまうそうなのですが、とりあえずイタリアへは数日後に出発するので泊めても構わないし、そんな事情なので1泊4000円のところを2800にしてくれました。
しかも、宿は木の戸建てで、さきほどよりずっと立派なバンガローです。

ルカさんによれば、昨日1日大雨が降って海も荒れ、海水が濁ってしまったのですが、それがモンスーンに入った合図なので、例年通りバカンスをとることにしたとのことです。
わたしが海水が美しいと聞いていたのに、期待通りではなかったと言ったところ、もしおととい来ていれば、世界有数の海が見られたのにねと同情してくれます。
シーズンオフに入ったとはいえこれだけ観光客が訪れているのだから、営業続ければいいのにと言うと、この仕事どれだけたいへんか知っているかい、1年の3/4を1日の休みもなく働き続けなければいけないんだぜと、うんざりした顔で説明してくれます。
なるほど確かにそれはたいへんでしょう、しかし、他の宿は営業を続けるのに構わず休んでしまうのがイタリア人なんだろうなと納得しました。

スタッフも今日まさに暇を与えたばかりなので、周囲が賑やかな中で唯一閑散としたビーチリゾートにひとり泊る贅沢を期せずして獲得したことになります。
レストランも当然閉まっていますが、ここの料理はナポリ出身パルマ在住のルカのママ直伝の最高のイタリア料理が味わえるそうで、イタリア料理はイタリアよりも日本の方が美味しいと聞いたことがあるがと突っ込むと、ベネツィアやミラノなどの観光客が多い町のレストランは全部日本に負けるだろう、でも食の伝統を守り続けているすばらしい町はいくつか存在する、それがナポリやパルマさと自信満々に答えていました。
ちなみに今日の作例に写っているのはどちらもルカではありません。
ひとりは、休みの間も建物を管理する現地スタッフで、もうひとりは母親を亡くしたために引き取られたサルです。
わたし以外にももうひとりだけゲストがいたということですね。
【Alpha7/Angenieux S5 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Angenieux S5 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/17 Sun

寝るには最高タイ国鉄

Angenieux S5 50mmF1.5
バンコクから乗った列車は思ったよりも快適でした。
チェンカーンからバンコクまで乗車したバスのように毛布を貸してくれ、ウェルカムドリンクや朝食と昼食のサービスまでありました。
それで料金は2000円しないくらいでした。
ハジャイまでの距離はおよそ950キロ、深夜11時出発して翌日の昼1時頃着く予定だと言います。
それが本当なら平均すると時速73キロほどで走ることになり、わたしが思っていたほど遅くありません。
切符窓口で聞いていたようにリクライニングがかなり倒れるので姿勢も楽ですし、乗車率も半分程度で隣席が空いたままなのも助かりました。

とはいえ懸念がありました。
ハジャイからツアーを利用してリペ島と言うところを目指そうと考えていたのですが、どうもそのツアーが2時出発らしいのです。
定刻の1時に着けば問題ないですが、列車のスタートがすでに30分遅れているので、2時出発は厳しいかも知れません。
前々日に徹夜して、前夜も大阪の激安宿で数時間寝ただけでしたので、列車の中でわたしは爆睡でした。
ランチを食べてもまた熟睡して、また起きると到着予定の1時を過ぎていましたが、まだハジャイは先のようです。
結局、2時半頃ハジャイ駅に到着しましたが、列車はスタートの30分の遅れを取り戻すどころか、さらに30分遅れてようやく着いたことになります。
日本なら乗客からのクレーム必至でしょうが、もちろんタイで怒っている人はなく、わたしも予想外の爆睡でむしろすっかり上機嫌でした。

駅前の旅行代理店に駆け込んで念のためリペ島に行けないか聞きましたが、やはり今日はもう船に間に合わないと断られます。
仕方なくひとまず荷物を引きずりながら、喉が渇いたので何かないか駅周辺を歩いてみました。
眼が開けてられないくらいの快晴でしたが、ハジャイはバンコクよりもずっと南で気温も高いのでしょうか。
すぐに歩いているのもつらくなってきます。

ようやくWIFI環境のあるカフェを見つけて、ネットでハジャイ駅に近いホテルを予約して向かうと、小さなホテルなのにツアーデスクがあります。
あらためてリペ島に行きたいと告げますが、やはり明日の朝8時にホテルを出て、11時の船に乗るのが最短とのことで、それを予約します。
もともとリペ島には2泊のつもりで、本日の到着が間に合わなかったので、1泊だけして翌々日にハジャイに戻る船とバスも予約しようとしたのですが、リペ島に1泊しかしないなんて間違っていると言ってチケットを売ってくれません。
その2日後にマレーシアのホテルを予約してしまっているので、日程は動かせないのですが、ツアーデスクのおじさんは頑固者でその程度の説明では自説を曲げず、やはりチケットを売ってくれないのでした。
リペ島ってそんなに良いところなのでしょうか。

ハジャイは地方都市で物価はバンコクより少々安いのではないかと思うのですが、あろうことか、小さなレストランに入るとまたしても英語メニューが出てきて昨夜同様のバカ高い夕食をとる羽目になってしまいました。
タイ語ができれば、タイ語のメニューを持って来いと言って注文したいところですが、一文字として読めないのですからここは素直に安めのものを最低限だけ食べることにします。お腹が満たさなければまた屋台を探して、ソバか何かすすればいいでしょう。
性懲りもなく昨夜と同じ好物のグリーンカレーとライスをたのんで、我慢できなかったのでいちばん安いビア・レオも追加しました。
これでけっこうお腹いっぱいになってしまうものです。

さて、作例は夕食の帰り道、ホテルの手前で見つけた母娘が切り盛りするスイーツの屋台での1枚です。
お腹が空いていた訳ではないのですが、こういうところがあるとついつい寄ってしまうのですね。
この日はほぼまったく写真を撮っていなかったことを思い出して撮らせてもらったのですが、日が進むにつれて撮影枚数が減少するというのがタイの旅の不思議です。
こういう屋台では言葉が通じないことが多いですが、反面で英語のメニューはなくて、安心して指さしオーダーできるのがまた好いのです。
【Alpha7/Angenieux S5 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Angenieux S5 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/16 Sat

寝台のない夜行列車

Angenieux S5 50mmF1.5
関西からバンコクの便といっても直行ではなく、いつもと同じ香港経由便です。
新今宮の安宿は予想に反して外国人の宿泊者がとても多く、そのためか翌朝シャワーを使おうと5時に起きたのにもかかわらずずっと使用中で、結局、使用できないままに旅をスタートしなくてはならず、乗り継ぎ時間の長い香港でようやくシャワー室を借りて人心地つくことになります。
たぶんこの乗り継ぎの悪さこそが、航空券の安さの理由でしょう。
おかげて、わたしは旅の前夜祭を楽しむことができ、マイルも貯まって、シャワーでリフレッシュもできで悪いところはありません。

バンコク到着は夕方ですが、今回はそのまま夜行列車で南へ向かうことにしていました。
本来は西を目指さないといけませんが、月末近くに日本で用事があるため時間が長くとれないので、このまま西進してしまうと帰国が困難になると考えて、今回はシンガポールかできればその先のインドネシアの島まで行ってバンコクへ折り返してくる旅にするつもりでした。
そうすれば、翌月はまたバンコクからミャンマーを経てバングラデシュかインドのどこかの都市まで行って帰国するルートが組めるでしょう。

バンコクの鉄道の拠点になるホワランポーン駅に行って、タイのほぼ最南端のハジャイまでの寝台券を購入しようとしました。
窓口では英語のできる女性がいて、寝台券はないと言います。
旅の早々から寝台券が売り切れているとは、この先思いやられると思い、キャンセル待ちとかできないか聞くと、ハジャイ行きの列車にはそもそも寝台車は連結されていないとのことでした。
絶望的な気持ちになりましたが、シートバックがだいぶ倒れるから眠れますと太鼓判を押してくれたのでチケットを購入して、夕食をとりに出掛けます。

駅前にWIFIありと書かれたレストランがあったのですが、食べ物がみな高いです。
店員はみな流暢な英語を話すので、外国人観光客向けのようでした。
ここではマンゴーシェイクだけ頼んで、ハジャイに着いてからの行動をインターネットで確認します。
駅周辺は中国人街でたまに見かけるレストランはみな中華料理でした。
久し振りのタイでのディナーなのですから(と言っても18日前にはバンコクで食事している)タイ料理レストランを求めてさまよい続けます。
子どもたちが集まっているところがあって学習塾と思われたのですが、すぐそのさきには何と立ちんぼの女性何人もいて、通りがかるや何やら声をかけられました。
これはまずいと踵を返して駅方向に戻りますが、夜の学習塾と夜の女性たちが隣接していると言うのはいかがなものでしょうか。

そうして歩くこと30分、屋台街を抜けたところに小さなタイ料理屋を見つけて飛び込みました。
ローカルチックな外観ですが、渡されたメニューは英語表記で、料金は駅前の店とどっこいどっこいです。
もしかしたらこの辺りは、外国人用とローカル用の二通りのメニューが用意されているということなのかも知れません。
こんなところにはそれほど外国人は通らないでしょうし、タイ人はこんな高くては利用しないでしょうから。

激辛カレーでお腹いっぱいにして、セブンイレブンで飲料関係の調達をしてから駅に到着しました。
11時発の列車は、遅延で30分以上遅れてやって来ました。
ここが始発駅だと言うのに、到着した列車も折り返し運転ではないと言うのになぜこんなに遅れるのかが理解できません。
この列車が最終なので構内の店は全部閉まっているし、案内放送がタイ語のみで何言っているか分からず、駅員に聞いてもいつ列車が来るかは分からないと言われるばかりで何もできませんでした。
他の乗客もプラットフォームに直に座り込んで、ぼんやりするばかりです。
作例写真は、チケット購入後に撮ったひとり旅の東洋人女性ですが、バンコクの駅では椅子の設置が少なく、どこでも直座りが当たり前だと理解してもらえるでしょうか。
【Alpha7/Angenieux S5 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Angenieux S5 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/15 Fri

恭喜卒業

Jamin et Darlot 15.5cmF4
世界一周の旅は第3ラウンドに入ります。
第1ラウンドは、自宅のある藤沢から京都、奈良を経て大阪港でフェリーに乗り韓国・釜山着、仁川からまたフェリーで青島へ、北上して北京からモンゴル・ウランバートルまで行きまた中国に戻って、西進しを続けて昆明で終了して帰国しました。
第2ラウンドは、昆明まで戻ってから南下してベトナムのラオカイ、サパに滞在してハノイへ行きバスでラオス・ビエンチャンへ、さらにバスでルアンババーンからタイのチェンカーンまで行って、バスでバンコクに到着して2回目の帰国をしています。
ですから、今回はバンコクから続きをスタートします。

旅を始める前に、バンコクまでのルートが今回は関西空港出発になってしまいました。
航空券が安かったからですが、また大阪に行くならお気に入りの奈良に寄ることができるとかえって楽しみに感じていました。
関西発は早朝になるので前泊するつもりでしたが、奈良の頼みの宿は人気でその日も空いていません。
前回泊った新しい宿も満室で、それだったらと空港にアクセスの良い大阪の中心部のホテルをとることにしました。
予約サイトで安い順にソートをかけると1泊シングルで何と1500円くらいからあります。
よく見ると空港まで南海急行1本で行ける新今宮駅徒歩5分圏内に安宿が何軒も連なっているので、条件のよいところを予約して準備完了です。

奈良には自由人のレンズ友がいるので食事でもいかがかと連絡すると、それなら写真を撮りに行きましょうと嬉しい歓迎をしてくれることになりました。
それならわたしも朝早くから行かなくてはと、バスなどのバジェットな交通手段は諦めてJALのいちばん早い伊丹行きを予約します。
これは羽田6時発で自宅からはどうやっても乗ることができないので、夜のうちに出発してネットカフェで一夜明かしました。
熟睡して翌日に備えたいところですが、この夜チャンピオンズリーグのバルセロナ・バイエルン戦の民放放送があるのでそれを見ていたら興奮して眠れず、自分でも不思議な徹夜しての撮影行になってしまいました。

何回か来ている奈良ですが、さすが路傍に通じた案内名人がいっしょですので、思いがけないことやら何やらとあって飽きることはまったくありません。
期待していたランチの店がお休みでも、近くにあった外国人の多いコンドミニアムにカレーのランチがあったので、入ると中国人を観察しながらの夏野菜カレーを楽しめ、奈良の少々前の話などをずっと聞かせてもらいます。
途中休憩で入った喫茶店ではアマチュア写真家の作品が展示されていて、感想を求められます。
わたしは楽しく撮影している姿勢に好感を持ちましたが、同行の写友は問題点をズバリ指摘してそれを直せばもっと腕を上げるだろうと愛のこもったアドバイスをしているのに感心します。

突然、天気が悪くなって困ったりもしますが、それこそどこかに入ればおしゃべりのチャンスで、ペッツバール賛歌に花を咲かせます。
奈良公園をかすめれば修学旅行の学生の多さに驚かされ、逃げるように進んでいくと、作例のお嬢さんがいたのですかさず撮影させてもらいました。
彼女は台湾人で、卒業旅行に日本に来ていたのですが、彼女が来ているのが卒業式に着るマント(?)です。
ちょうど直前にksmtさんのサイトで大阪にて撮影した台湾人の女の子が同じ服装で紹介されていたので、あっ、わたしも見つけたと思ったのですが、なぜ彼女がマントを着て日本を旅行しているのかはっきりした理由は分からず仕舞いでした。

とまあ、そんなこんなで夜の食事までずっと愉しい時間を過ごしました。
泊れなかった宿のオーナーのところにもあいさつに行って、ビールをご馳走になりながら旅のこととか宿のこととか話をしました。
よろしければわたしの部屋に泊って行ったらどげんどす、などと言ってもらえることはなく、安宿の門限があるからと泣く泣く立ち去ったのですが、見送ってもらった交差点でハグしてもらってのお別れが何とも後を引きます。
ずっと寝ていなかったのですから、とても長く感じる1日でしたが、1日いろいろあってちっとも眠くなることはありませんでした。
【Alpha7/Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 F4.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Jamin et Darlot 15.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/14 Thu

大きくて小さいフォーマット

Voigtlander 12cmF3.6
旅の話から少し外れますが、先日、大判に初挑戦したので、今日はそのことを書き残しておきたいと思います。
ペッツバールで遊び出してからすぐに思ったのが、レンズ本来のフォーマットのカメラでの撮影でした。
像面湾曲がペッツバール最大の収差なので、それが現れる周辺部分を使わないフォーマットの撮影ではレンズの特徴が分からないと考えるのは当然のことです。
最初に入手したダルマイヤーのペッツバールの焦点距離が12cm弱で、この5inch前後のものはその後も何本か入手しましたが、これらは4×5用のレンズだということでしたので、ピッタリのカメラがありました。
スピードグラフィックです。

スピードグラフィック(以下スピグラと略す)は製造期間が長くバリエーションが多いのでどのタイプと言わなくてはいけませんが、旅先でその辺が調べられないことをご容赦ください。
ペッツバールを使用するうえで重要だったのはカメラ本体にフォーカルプレーンシャッターの付いたタイプでした。
使いたいレンズは何本も持っていますが、その都度シャッターを付けるよりレンズボードに付ける手間だけでシャッターはカメラにあればずっと楽に撮影できます。
製造数の多いスピグラを探すのは簡単ですので、せっかくだからと米軍仕様のオリーブ色で三脚やストロボガンその他がケースにセットになったものを購入しました。
送料だけで1万円かかってしまいましたが、さらにシャッターが壊れていて修理に出さなくてはならず、中国の順平さんのところに持って行ったので時間がかかったもののようやく修理完了し、半ばあきらめていた連動距離計はやはり直せないとのことでした。

三脚付と書きましたが、わたしがやりたいのは大口径のペッツバールでカメラにシャッターも付いているのですから手持ち撮影です。
Ksmtさんは、8×10をものともせず、三脚にレンズキャップで1秒シャッターを切る豪快な撮影法を駆使していて、なるほど大判では大仰なほど好いのかと気付かせてくれました。
しかし、報道カメラマンがストロボも使いながら手持ちで撮っていたスピグラでは同様の撮影法で頑張ってみたいと考えました。
あいにくカメラが修理から帰って来た時には旅が始まっていて、フィルムや現像システムの準備かできなかったのですが、すでに初心者の域を抜けて順調に撮影活動していたksmtさんがそれらを用意してくれました。
ちょうどknpmさんも時間がとれるというので、3人で古典レンズを楽しむ会的な撮影に繰り出しました。

knpmさんは最近入手したという幻のゴーダンのペッツバールをペンタックス6×7で、ksmtさんはジャマンのコーン型ペッツバールをディアドルフ8×10で、わたしはフォクトレンダーのペッツバールをスピグラ4×5でと、このメンバーで初めて全員がフィルム撮影するという記念すべき日になりました。
3人とも人物撮影ですので、バラバラに行動するより一緒に撮影する方が効率的です。
大判や中判はかなりの手間がかかりますし、撮影後に同一被写体をそれぞれのレンズやフォーマットで比較する楽しみもあります。
こんな奇妙なカメラ集団がいたので、人が集まったり、撮影の仕方を理解してもらえずで苦労しましたが、さすがに被写体選びは楽勝で、みなさん喜んで協力してもらえ、フィルムがアッと言う間になくなってしまいました。

スピグラの撮影法ですが、自分への備忘録も兼ねて以下に書き出しておきます。
レンズやフィルムはセット済みの状態です。
① シャッターを開けてピントグラス越しに肉眼でピント合わせ
② ピントが決まったと思ったら念のためルーペで確認
③ カメラを動かさないままでシャッターを巻き上げ
④ フィルムホルダーをカメラにセット
⑤ ホルダーの引き蓋を抜く
⑥ ピントグラスのフード部分を畳む
⑦ 縦位置で撮る場合カメラを寝かせる
⑧ ボディのファインダーで最終フレーミング
⑨ (被写体に声をかけてから)シャッターを切る
ただでさえ物覚えの悪いわたしはこの行程をやりきる自信がなかったのでそれなりに練習していました。
おかげで1枚を除いて何かを飛ばしてしまうような失敗はなかったのですが…。

今日の作例は、その中のいちばんよく撮れた1枚です。
マニラから留学に来ていると言う女の子で、名前を聞き忘れましたがロリータという文字の入ったネックレスをしていたのでロリータちゃんと呼ぶことにいたしましょう。
これはどうにか見られますが、とにかくピントが外れていたので、③以下の行程でカメラを動かしてしまうようです。
三脚がイヤなら一脚で軽量のものが出ているのでどうかとのアドバイスをもらったので、次回は一脚使用を検討します。
新しい挑戦は6打数0安打1エラー出塁という程度の結果で、現像してもらっているのに申し訳なかったのですが、逆にこの結果が闘志に火を付けました。
また旅から戻ったら再挑戦したいですし、いずれは旅にスピグラを持って行けたらとも考えています。
デジタルがどれだけ高性能になっても、未だ古い大判を愛好する人の気持ちが少しだけ理解できたような気になれた1日でした。
【Sped Graphic/Voigtlander 12.5cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Voigtlander 12.5cmF3.6 | trackback(0) | comment(10) | 2015/05/13 Wed

重荷を背負って

Nokton 50mmF1.5
PCが不調で困りました。
タフな旅に備えて、ノートPCではひ弱なのではと考えて、キーボードが付けられる大きめのタブレットを購入したのですが、どうも思うように使えません。
当初、マイクロソフト・エアが欲しかったのですが容量の大きいものはとても高価だったので、同スペックが半額以下になるレノボ・ヨガを選択しました。
最初こそ好調でしたが、旅を続けるうちにあちこち問題がでてきます。
このPC、どうもあまり旅が好きではないようなのです。

長時間バッテリーがウリの機種でこの点はまったく問題ありません。
しかし、ブルートゥース経由で接続されるキーボードはときどき動かなくなり、設定画面から一旦削除して接続しなければならなくなります。
薄っぺらなキーボードながらタッチ感が秀逸で気に入っていただけに残念です。
また、長時間使用していると画面がホワイトアウトすることが多いのも困りものです。
これも再起動すれば問題なくなりますが、どうにかならないものでしょうか。
プリインストールされていたワードは、やはり長時間使用していると文字が消えていく怪現象が起こりあせりますが、これもその場で保存してから再起動するとおかしくなる直前の状態に戻るので問題とはしません。

バッテリー容量確保のために重たく設計されているのが難ですが、以上のようなトラブルがなければ、サイズが手ごろですし、リーズナブルに買えたのでお気に入りになっていたはずでした。
さらに最近になって、電源を入れても起動しないという問題が発生するようになりました。
なぜかPC修復画面になって、再起動をうながす画面に行き、また修復画面、再起動の繰り返しになってしまうのです。
何度やっても同じなので、壊れたと思って3日くらいほっといたら普通に起動するようになったので、いまはこうして入力ができています。
早く日本に連れて帰ってくれと言う抗議だったのでしょうか。

PCやカメラもそうですが、電子機器は動かなくなったらもうどうにもなりません。
長期の旅ですので、現地の修理屋に持ち込む手もありますが、言葉の通じない国では症状を説明するのに難儀しますし、修理代をかなりボラレそうで心配です。
今のところカメラは壊れていませんが、バッテリーを充電せずギリギリもったということは何度かありました。
カメラの使用頻度が日が進むにつれて減ったため、充電などもついつい忘れがちです。むかしは、旅にPCなんて持参しなかったのでそんな心配はなかったですし、カメラはライカだったので電子的故障ということはあり得なかったことを考えると、いまの旅は便利になったのか考えさせられるところです。


PCもカメラも携帯電話も故障しないまでも電池がなくなっただけで動かないですし、動かないということは旅している間は重石をもって移動しているようなものでばかばかしくなります。
修復と再起動を繰り返すPCをホテルのゴミ箱に何度放り棄ててやろうと思ったことか。
カメラも同様の事態になれば同じ感情が沸き起こるのでしょうが、カメラの場合はレンズを取り外してから捨てようとするだろうと自分の姿を想像すると、何だか滑稽な気がしてきます。

今日の作例は、チェンカーンの夕日です。
撮影枚数が極端に減っていましたし、ましてや風景的なものはあまり撮らないのですが、この美しさは記録に残したいと思いました。
夕日撮影スポットとして有名なのでしょう、大きな一眼レフを持ったタイの女の子が何人かいて、それぞれのポジションで機材を扱う姿が印象的でした。
タイもだいぶ変化して中間層のひとびとが一眼レフとかノートPC、スマートフォンを持つのは当たり前のことになったようです。
見ている限り、撮影技術に関してはどの子もわたしなどよりずっとレベルがずっと高そうに見えました。
タイも日本も写真については女性が先んじているような気がしました。
それでわたしも、手前にあったバナナの木にピントを合わせた無理やりなフレーミングで撮影して対抗したのですが、ペッツバールの使い方としてはあきらかに邪道です。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(4) | 2015/05/12 Tue

旅のご馳走

Nokton 50mmF1.5
もう何年も前(ここのところ昔話ばかり書いているようで申し訳ないですが)、ペルーを旅してクイという料理を食べました。
クイはペルーの名物として有名で、物価の安い当地でそこそこの値段だったと記憶しています。
最初は旨いと思って食べ始めたのですが、途中でフォークとナイフがピタリと動かせなくなりました。
そのクイとはネズミのことで、最初はワインの酔いと好奇心が優っていたので食べられたのですが、途中から落ち着いてしまい現実に引き戻されたからのようです。

タイやベトナムでは田んぼのネズミが人気食材だと聞いたことがありますが、たまたま通りかかった市場のそばの家の前でその調理シーンを見かけてしまいました。
わたしが食べたクイは全長30cm近くある大きなネズミでしたが、タイのはだいぶ小さくて食べるところが無いんじゃないかと思うほどでした。
見ているうちに、昔食べたクイが思い出されて気分が悪くなってきたので、調理を最後まで見届けられませんでしたが、から揚げか何かにして食べるのでしょうか。
イタズラ好きなタイ人の友達がいたら、食べた後に、お前が食べたのはネズミだよとやられるかも知れないのでこのあたりを旅するのは用心が必要です。

小学生のころ、埼玉の親戚の家で自家製のイナゴの佃煮を食べたことがあります。
これは姿が分かりにくくなっていたものを出されて、知らずに食べたところ甘辛くて美味しいと思ったのですが、あとで原型をはっきりとどめたヤツを見せられておえっとなりました。
美味しいと言ったんだから食べられるよと勧められましたが、半泣きで拒否したことを思い出します。
イナゴとバッタの違いがよく分からないのですが、その時以来、仮面ライダーを見てはあの味を思い出し、アフリカで大移動するイナゴの大集団の映像を見ては吐きそうになったりしました。

タイではより恐ろしい映像をテレビドキュメンタリーで見たことがあります。
東北タイは土壌が悪いためコメや野菜が思うように収穫できず、貧しい家庭では蛋白源として昆虫が欠かせないのだとやっていたのです。
わたしはてっきり日本同様に佃煮のような食べやすい調理法をとっているのだと思ったのですが、画面には夜の林に懐中電灯を照らした桶を置いて、水の中に突っ込んでくる蛾などの虫を羽をバタバタさせている状態のままむしゃむしゃ食べる子どもたちの姿がありました。
仕方なく食べているのかと思えば、子どもたちが口々に美味しいと喜んでいるのを見て、その時はさらに気持ち悪く感じたものです。

しかし、先のネズミと同様、虫を食べるのは土地の必然から生まれた食文化なのだろうと今では思います。
イスラム教でブタが禁忌なのも、太地町のイルカ漁も、アジアでの犬食も他人が避難するものなのか。
昆虫の場合、生でというか生きたまま食べて衛生上の問題はないのか少し気がかりですが、あれだけ美味しそうに食べていたのです。
実際、アフリカなどの貧困地域で虫を食べることで栄養を確保できると研究がされているというのを聞いたことがありますし、日本にも虫のてんぷらが食べられる店があったと思います。
韓国ではカイコの幼虫のサナギがよく食べられますし、中国でも芋虫を食べる地域があり、北京の屋台街ではムカデやサソリその他の串揚げが普通に売られています。

もうひとつタイではタガメを食べるのがよく知られています。
これもテレビの旅番組か何かで見たのですが、タガメを丸々食べるのではなく、尻尾をちょん切ってそこから出てくるエキスを美味しそうにすすっていました。
合わせてタガメは鋭い前足を使って小魚も食べる獰猛な虫だと紹介されていました。
そんな虫をてんぷらなどでなくエキスだけいただくというのは誰の発明なのでしょう。
フグの調理法同様、最初にこれを発見・確立した人は偉いなあと感心せざるを得ません。
日本では蜂の子が高級食材だと言いますし、蛇を食べたりもします。
刺身とか寿司だって、生の魚を食べると言うと気味悪がる外国人は未だに少なくないですから、タイと日本の特殊食事情は近いものがあるのではと思います。
しかし、4本足では机以外、2本足では両親以外何でも食べると言う中国にはまったく勝ち目はないでしょうね。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/11 Mon

ビア・シンは普通だった

Grubb 20cmF3.5
昨日のビールの話は中途半端にベトナムとラオスで終わってしまいました。
東南アジアでよりメジャーなのはタイのビールなので、少しでも触れておかないと片手落ちです。
チェンカーンではローカル・ブリューワリーがあったのですが、あいにく飲むことができず、恐らくわずかに存在する地ビールを除くとタイにはビア・シン、ビア・チャン、ビア・レオの3種が存在するのみのようです。
値段は日本のように3社横並びではなく、書いた順番に高いのですが、味も人気もその順番のように感じました。
ビア・シンが350mL缶で160円くらいだったと思います。
さすがに100円以下のベトナムやラオスより少し高いです。

ビア・シンは外国ではシンハー・ビアで通っていますが、タイ語ではビア・シンになるらしく、この方が言葉の通じない相手にもオーダーできて確実です。
ビア・チャンのチャンとは象のことで、向かい合う象のロゴはマンチェスター・シティのスポンサーとして有名になりました。
ビア・レオのレオの意味は未確認ですが、レオ・メッシを連想させる名前なのでわたしはこれをよく飲んでいました。
もうひとつビア・クロイスターとかそんな名前のビールがあったと記憶しているのですが、なくなってしまったのか見かけませんでした。

タイに限らず東南アジアではどこでもそうですが、レストランなどでビールを頼むと一緒に氷が出てくるのが普通です。
ウィスキーのオンザロック用セットのように一揃いの氷が出てくることもあり、その場合は追加料金をとられるようです。
一般にはグラスに氷が入った状態でビールとともに出てきます。
ビアマグでがぶがぶ飲むのが好きだと言う向きには氷は邪魔ものでしかありませんが、現地の人はおおむね氷の入ったビールをちびちび飲みます。
当然、氷は少しずつ溶けるので、ビールを水割りで飲んでいるような感じになります。
また、コーラなどと同様にストロー付きでビールを出すところも多く、ビールをストローで飲む姿はタイの風物詩と言えるかも知れません。

そういえば、かつて何かの本で、ビア・シンは氷で飲み少しずつ濃度が薄まることを前提にアルコール度数が高く設定されていると読みました。
飲むと酔うのが早いのはそれが理由かと信じていたのですが、この度それを確認してみるとアルコール度数5度となっていました。
普通のビールと変わらない。
これはいったいどうしたことか、一般家庭に冷蔵庫が普及したので本来の味を楽しむために氷で飲むのは止めにしてくれと、アルコール度数を下げたのでしょうか。
それとも、ガセネタに踊らされて、わたしは勝手に酔っぱらっていたのか…。

もうひとつ、タイではメコンウイスキーという怪しい飲み物があったのですが、今回の旅では見つけられませんでした。
10年以上前のタイの旅で飲んだ時はアルコール度数の高い薬臭いお酒と言う印象でしたが、もしかしたら、飲み続けると健康上の問題があるとかで製造禁止になったのでしょうか。
それと、泡盛はわざわざ輸入したタイ米を原料にしてつくられていると聞きましたが、同様の酒はタイにないのかいつか探そうと考えていて今回もそれができなかったのが心残りです。

さて、今日の作例はチェンカーンのメコン川沿いで見つけたオープンバーのお嬢さんです。
さわやか風がたなびく川べりでのんびりビールが飲めて、こんな子の撮影までできて幸せいっぱいでした。
髪の色や雰囲気からアニメオタク少女なのかと思ったのですが、わたしはそちら方面不案内なので誰かの真似をしたものだとかよく分かりません。
ポーズを決めていた時の硬い雰囲気より、タイミングをずらしたこちらの表情の方が自然体でよかったので採用しましたが、むしろアニメっぽい不自然さの方をとるべきだったかも。
撮ってから気付いたのですが、店主のお兄さんが同じような髪をしていて、どうやらご夫婦だったようでした。
ちょっとお誘いしようかとも思ったのですが、彼女が英語ができなかったために却って難を逃れたのでした。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/05/10 Sun

マイケル・ジャクソン賛歌

Nokton 50mmF1.5
たぶん20年ちかく前だったと思いますが、世界のビールを紹介するテレビ番組が数回シリーズで放送されました。
それが確かNHK教育での放送だったと思うので、ビールと青少年教育との関係が気になったりしましたが、解説していたのがマイケル・ジャクソンというビール評論家で、番組の内容はすっかり忘れた今でもその名前だけは忘れていません。
とは言え、わたしのビール知識のすべてはこの時のもので、その後、長いあいだビールは飲むばかりでその後まったく進歩していません。

番組の中ではアジアのビールは取り上げられなかったような気がします。
欧米での制作だから主にヨーロッパのビールばっかりだったと記憶していますが、マイケル・ジャクソン氏の著書自体ではアジアのビールも日本のビールも美味しいものは高く評価しているように、東南アジアのビールもけっして負けていません。
ベトナムやラオスはフランス領だったことから、いち早くヨーロッパの技術が入っていたようですし、タイの有名なシンハービールもドイツ系だと聞きました。

ドイツの租界があった青島の青島ビールもドイツの会社が元で、現在発売している、青島純生というちょっと高いビールはホップが効いていてなかなか美味しいです。
しかし、それ以外は中国で飲むビール飲むビール、日本の第3のビール並みの味でした。
地方のビールは大瓶で3~4元ですから60~80円と安いので、仕方なしというところでしょうか。
中国にはエリアごとにビールメーカーがあって、訪れた町でそれを見つけるのが楽しみでしたが、今回の旅でどうも各地の銘柄が減少しているのではと感じました。
タクシーの運転手にそのことを聞くと、雪花ビールというメーカーが台頭して地方ビールをかなり吸収したからとのことです。
以前は青島ビールが中国の全国ブランドでしたが、今や雪花が出荷量ナンバーワンかも知れません。
もちろん日本でと同様、ビールの出荷量が味や人気をそのまま反映しているわけではありません。

そんな中国からベトナムに陸路で入って、最初に飲んだビア・ハノイにおやっと思いました。
からり美味しく感じたからです
飲み物と言うのは湿度とか一緒に食べたものなどに影響されるのでそういう理由かと思ったのですが、チェコからの旅行者と話をしていた時そのことを聞くと、ビア・ハノイをはじめベトナムのビールは旨いと太鼓判を押していました。
彼はビールの聖地と言える、ピルスナーの語源になったピルゼン出身のビール好きなのでこれは信用できます。

一方、ラオスで飲んだビア・ラオもビア・ハノイに負けない味でした。
ビエンチャンのコンビニに行ったとき食品を見ると、多くのものがタイ製か中国製だったので、このビア・ラオは唯一、ラオス国内の製造物かも知れないと他の旅人と笑い合ったりしました。
このビールもタイのチェンカーンで出合ったレストラン経営するスウェーデン人が絶賛していて、少なくとも自国のビールやカールスバーグ、ハイネケンなどのインターナショナルなものより上だねと言っていたので信用することにしたいと思います。
ビア・ラオにはダークタイプもあって、これも絶品でした。
ベトナム、ラオスのビール恐るべしです。

ところで、中国やタイでは白昼ビールを飲む人々の姿をよく目にしますが、ベトナム、ラオスではツーリストを除くとまずは見ませんでした。
アルコール類は夜飲むものだと決めつけているところがあるのではと思いますが、もちろん日中暑いところでは、ランチ時などに喉を潤すのは最高の気分です。
作例は、ラオスのルアンプラバンからタイのルーイへ向かうバスのお昼休憩時に撮影したものです。
乗客のうちここでビールを飲んだのはわたしだけ。
ビア・ラオを飲める最後のチャンスと思ったから飲んだのですが、前述のとおり到着したルーイの先チェンカーンでも愛好されていると知らずひとり悦に行っていました。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/09 Sat

性的マイノリティとは

Nokton 50mmF1.5
LGBTという言葉が定着しつつあるそうです。
ヨーグルトか何かと思ったら、それぞれレスビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの頭文字で、性的マイノリティーの人々を指す言葉だと先日知ったところです。
ニュースなどで性同一性障害が取り上げられたりで漠然とその存在は知っていましたが、身近に該当する人がいなかったのでピンと来るものがありませんでした。
知ろうとすることは何に於いても必要ですが、LGBTに関しては問題が問題なだけに、何か聖域のような安易には調べられないような感覚があって関心も持てなかったと言うのが事実です。。

しかし、よく考えてみると、タイを旅するたびにTに該当する人たちを多く見かけていました。
レディボーイと呼ばれる人たちです。
以前、中国人の友達とタイを旅行することになったとき、行ってみたいと言われた場所のひとつが、ニューハーフショーと呼ばれるレディーボーイのステージでした。
なるほど出掛けてみると美人が多く、総じて女性より長身のうえにスタイルがすばらしく、たいへん申し訳ないですが、昨年見たミスタイランドより軽く上を行っていたように思います。

また、バンコクのツーリストエリアにはバー街の様な地域があって、その中にかなりの比率でレディーボーイが混じっています。
混じっているという言い方になってしまうのは、わたしには完全に判別ができないからです。
明らかにそれであるとみなせるボーイたちも少なくないですが、声が低いのでそうだろうとか、直感的に女性ではないようだとか、そんな判断をしてレディーボーイ認定するしかありません。
タイ人の長身女性はレディボーイと勘違いされやすいのではと余計な心配をしてしまいます。

以前、タクシーで移動中、交差点にドレスの美女が数人いて見とれていたら、それに気付いた運転手にあれはレディーボーイだよと笑われたことがあります。
後でこっそりその場所を訪れてみたら、確かにそうではないかと思われる人がたくさんいてびっくりしました。
普通ならポートレイト撮影をお願いするところですが、彼女(?)たちは商売中なので、声をかけたらお客さんとしてどこかへ連れて行かれるリスクを考えるとそれができませんでした。

どうしてタイにはTの女性が多いのでしょうか。
噂では男性の大切な部分を削除手術する医療技術はタイが世界一で、世界各国からそれを望む人々が集まると言いますが、それがレディーボーイの増加と関係はありそうです。
関連するかどうか、浮気が絶えない旦那のそれを奥さんがはさみでちょん切ったが、男性はそれを手にして病院に駆け込んだところ無事再生されたという話も聞きました(機能が戻ったのかは知りません)。
タイ社会自体がいち早く男性の性同一性障害を受け入れて来た事実があり、少年にして公表しても友達や学校がそれを認めていたと言うことも聞いたことがあります。
また、タイ人のDNAがそうさせているなどの生物学的な理由が存在するのではと思っていますが、その方面の報告は未確認です。
旅行者は美女が向こうから近づいてきたら詐欺を警戒するようよく言われますが、タイに限ってはそれがレディーボーイであることを心配せよと言う金言があるのは有名です。

さて、ビエンチャンでは歓楽街を見なかったので、レディーボーイが存在するのかはよく分かりませんでしたし、そもそもそんなことを確認するために旅しているわけではありません。
しかし。とある中国系学校の前で、たいへん見てくれのよろしい少年に写真を撮らせてと声をかけたところ、そのお仲間の中にレディーボーイがいることに気付きました。
正直、怖い感じの女性(???)でしたが、撮影後に礼を言うと丁寧に礼を返したので、心優しい人だったようです。
社会主義のラオスでTの人々がどの程度の市民権を得ているのか分かりませんが、一般には厳しいことが想像されます。
ただし、ラオスはタイとほぼ同一民族であるため、先の生物学的理由説が正しければ、まだまだ潜在的に多く存在することでしょう。
ちなみに個人的な感想ですが、そのこととはまったく関係なく、ラオスは可愛らしい女性がとても多い国だと思いました。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/08 Fri

未だに見つからない旅の理由

Grubb 20cmF3.5
ヨーロッパの旅をし始めた二十何年か前、よく、なぜ旅をするのか聞かれたものでした。
確固とした目的を持って旅していたわけではないので、これはなかなか答えにくい質問です。
音楽や教会建築、ワイン、サッカーなどが好きだったので、本物のそれらを楽しむためになどと真面目に考えて回答していたのですが、相手はともかく自分としてはどうもしっくり来ないような気がしていました。
なぜ山に登るかと聞かれてそこに山があるからというのと同様な名回答がないものかと考えてみることにしました。

そこで思い当たった回答が、次の文句でした。
人間誰しも日常の生活と言うものを持っているものだが、それが長く続くと非日常を手に入れたくなる、だから旅に出るのだ、と。
大した回答ではありませんが、そこに山があるからのように、質問者を煙に巻きつつ、一定程度納得してもらえるような、話の展開のとっかかりになっているとは思っていました。
そもそもが、非日常を求めての旅と言うのがいかにもありそうですから、少なくとも問題はないだろうと。

しかし、今回2月から長い旅を続けて気付いたのですが、この間わたしはまったく非日常など求めていませんでした。
旅のスタイルはこれまでと変わっていないのですから、今までの旅もきっと非日常を求めていたと言うのとは違うということでしょう。
毎日が仕事に忙しくて、本当にリラックスのためにリゾート地を訪れると言うのは、非日常を求める旅と言えるのかも知れませんが、わたしはそうではなかったということですね。
そこに山があるからをまねて、そこに行きたいところがあるからとすれば正しかったようです。

1ヶ月前後旅を続けていても、家に帰りたいと言う気持ちにならないことにも気付き、これもわたしにとってたいへん意外でした。
長く旅をしていると疲れるので、きっと帰国したくなるだろうと思ったのですが、実際には、旅の中で疲れを取れれば自然とそれで好しとしていました。
旅の期間が長くなれば状況は変わると思いますが、いったいどのくらい長くなれば、帰りたくなるものなのかはよく分かりません。
何かしたいことがあるからなどというのを除いて、旅に飽きたから、旅に疲れたからという理由で帰りたくなるとすれば、半年くらいがその期間なのかなあと漠然と考える程度です。

そんなことに思いを巡らせていたら、バンコクからの機内映画でたいへん面白いものを見たことを思い出しました。
インターステラーという映画で、人類滅亡の危機から救うために宇宙船で新しい惑星を目指すというストーリーのSFです。
乗組員はまた地球に戻りたいと思いつつも、人類の未来を考えてこれが片道切符になるだろうと半ば悟っていますが、主人公は残した娘との再会のために惑星をいち早く見つけてなんとしても帰還するんだと強い意志を持ち続けでいます。
ぜひ見ていただきたい映画なのでこれ以上の内容への言及は避けますが、映画の中の世界とは言え、帰ることができないかも知れない旅があることや、出発後なるべく早く帰りたいと思ってする旅があるということを気付かせてくれました。
旅の動機や旅しながら考えていることは千差万別で、そういったことまでを踏まえて、なぜ旅するのかの回答をもう一度考えてみなくてはいけないかも知れません。

さて、今日の作例はラオスの首都ビエンチャンの郊外に見つけたお寺での情景です。
ふたりの関係を想像すると、こんな感じでしょうか。
兄弟で兄は家を助けるために僧侶になる道を選んだが、それは弟を学校にやるためでもあった。
弟は、兄の自己犠牲をうすうす気付いており、けっしてそのことを口にはしないものの、できる限り寺を訪れ兄を心から慕っていることを懸命に伝える。
ふたりの心は信じ難いまでに力強い絆で結ばれるにいたる…。
いや、顔があまり似ていないのを見れば単なる友達じゃないかと思うがと言われれば、その通りかも知れませんし、カメラの前なので仲良しを装っただけかも知れません。
旅に出て、心揺さぶられる映画を見たりすると、妙に感傷的になって空想家になってしまうものなのですね
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/07 Thu

ちょっとだけフェイスブックなど

Nokton 50mmF1.5
ベトナムのラオカイに滞在するにあたってフェイスブックを利用して待ち合わせなどをしてきたことを以前書きましたが、もちろんわたしはSNSなどとはまったく無縁で、ツイッターやLINEを含めて登録だけしてまともに使ったことなどありませんでした。
どういう仕組みなのか、フェイスブックではログインすると知り合いかもと何人もの名前と写真が表示されますが、実際にその中に知り合いが何人もいて、ということは相手にもわたしの写真が見られている可能性が高いのだと気付いて、フェイスブックなんてやらなければよかったと思っていたくらいです。

その後ハノイでもフェイスブック経由で別の友達と会って、彼の仲間とフリーハグ活動をしたこともどこかに書いたと思います。
その仲間たちと言うのが15人くらいなのですが、その全員とフェイスブック上の友達になりました。
フェイスブックは強制力がないとはいえず、誰か友達になっている人が書き込みしたりするとそれを通知するシステムができていて、フェイスブックを日常使用している彼らからのアクションですっかり賑やかになってしまいました。
こちらも「いいね!」ボタンで応答したり、ときどきコメントしたりでフェイスブック浸透度が高くなります。

さらに、旅の心配をしてくれた彼らに、こちらからも旅の一服などを発信してみることにしました。
食事のメニューとか風景を携帯で撮影して、一言コメントを入れて投稿します。
ラオスに入ってここがメコン川ですとか、ランチで食べたトムヤンクンが美味しかったとか他愛もないことですが、友達から義理いいね!や義理コメントが来てという具合にフェイスブックのコミュニケーションが続きます。
しばらくそんなやり取りをしているうちに、ひとり旅をしていると、どこかにつながっているということは、案外悪くない感覚だなと思えるようになってきました。

しかし、うっかりと何度も投稿すると自分の行動が筒抜けですし、友達に見ることを強要するようなところもありそうです。
ブログの場合は、投稿するときに時間のズレをつくることが可能ですし、勝手に投稿するだけで誰かに読むことを強制することもありません。
フェイスブックとブログのどちらを選択するかは好みや行動パターンによるでしょうし、わたしのように旅をするなら両者を併用してうまく付き合うのがいいような気がします。
幸いなのは、ベトナム語がさっぱり分からないので、彼ら内のやり取りにまでは参加する必要はないということで、日本人のつながりに入っていると苦労は絶えないようです。

安価に旅を続けようとすると、WIFIがなかったりあっても電波が脆弱でインターネット接続困難ということがしばしばです。
そういうものだと割り切っているので構わないのですが、フェイスブックの更新は待ってくれず、久しぶりに開くと状況が大きく進展しているのにわたしは無視しているようにとらえられるようになっていたりなかなかたいへんです。
また、お気に入りの女の子に少々気持ちの入ったコメントをして、あいつはあの子を狙っているらしい的な空気を作るヘマをやったことがありました。
まさか、この年で20歳そこそこの女の子をどうこうしようという気はないのですが、コメントと言うのは誤解とか拡大解釈とか怖さがあるというのを実感しました。

さて、今日の作例はフェイスブック友達とのフリーハグの活動の一コマです。
白めがねの女の子はわたしが声をかけたのですが、手にしているはさみでゴミを拾ってもらい、男の子が持った”YOU ARE THE HERO”と書かれたボックスに捨ててからメンバーとハグしてもらいます。
公園美化活動なのかハグによる平和活動なのかよく分かりませんが、フェイスブック上でも仲間の活動が出てきたりして、同じ活動をするグループがベトナム全土にあることが分かります。
あるいはそのフェイスブックの記事を遡って読めば、活動趣旨が理解できるかも知れませんが、そこまでフェイスブックに付き合うつもりはありません。
現在、フェイスブック上に友達が31人いて、内訳は、日本人5人、タイ人2人、モンゴル人1人、ラオス人1人、ベトナム人19人です。
ちなみに中国では政府の方針で、フェイスブックは閲覧できません。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/06 Wed

白いスーツの美女

Grubb 20cmF3.5
ノクトンともう1本持参したレンズはグラブのペッツバールレンズです。
長い旅をするときは荷物の心配をしますが、長旅のためにレンズをいつもの3本から2本に減らしています。
にも関わらず、わざわざこんなに大きくて重いレンズを選んだのは、元の木阿弥です。
ただ、せっかく持ってきたので、20cmという使いづらい焦点距離でもかなり積極的に使用してきましたし、そのために何度も人に声をかけてはポートレイトを撮影して元を取ろうと必死でした。

グラブ社はアイルランドにあった光学機器メーカーで、現在でも老舗として望遠鏡を製造しているそうです。
アイルランドの会社と言うとギネスとキルケニーくらいしか思い出せないわたしには、この国で歴史的レンズが製造されていたことが新鮮な驚きでした。
キングスレークの本にはグラフのアブラナートと言うメニスカス貼り合わせのいわゆるアクロマチックレンズが紹介されています。
このレンズは懸命に探して、推定90mmF11というスペックのものを入手しています。
歴史的レンズでしかもライカでも使えそうな短焦点という珍品が某オークションに出品されたのですが、出品者はその価値を知って高めのスタート価格だったものの、入札者は想像通り現れずにその価格のまま落札しました。

そのアプラナットは製造番号が245番となっていてたいへん古いレンズと分かります。
1850年代中ごろから後半くらいにつくられたいうことは間違いなさそうです。
実は、今回のペッツバールには800という興味深い番号が刻印されていました。
アプラナットの方はNo.の後に番号なので製造番号と分かりますが、ペッツバールの方は番号だけが入っていて、それが製造番号なのか何か別のことを意味するのか判然としません。
ksmtさんによれば、№2603のグラブレンズが1862年製造と言う例があるので800が製造番号だとすれば1850年代だろうが、1857年に始まるウォーターハウス絞りの溝がオリジナルと思われる状態で開いており、このあたりの年代の製造かも知れないと推測しています。

1850年代すでに高性能レンズを製造できるメーカーがあったとすれば、アイルランドは進んだ国だったということでしょうか。
正確に調べてみないと分かりませんが、オーストリアとフランス、イギリス以外でこの年代にペッツバールを製造できた国はなかったように思われます。
ブラウンシュバイクに工場を新設したフォクトレンダーを例外とすれば、シュタインハイル、ブッシュがペッツバールを製造開始するのはずっと後のことのようですし、あとはアメリカのハリスンがあるくらいでしょうか。

ダブリンとロンドンの間には高速船と急行列車で18世紀半ばには結ばれていたそうですが、ガラスはロンドンから供給されていたのではなく、自社で製造していたかも知れません。
こういった資料は極端に少なくて、確認が難しくなっています。
グラブのペッツバールレンズは製造数がかなり少なそうですので、現在の感覚からすれば部品を自社製造するよりは、どこかから調達してきた方がコスト面で助かりそうですが、もともと一点物の手作り品なので、コストがどうこうということではなかったのだろうと判断したいと思います。
グラブのレンズはすべてロスで作っていたから、ロスを持っていればグラブのを買う意味はないとなったら面白くないですし。

さて、今日の作例はサパのホテルに勤める美女です。
この女性が親切だったので、泊る予定のなかったサパに1泊してしまったといことはすでにどこかで書いたと思います。
25歳独身、ベジタリアンと言っていたのが少し気になりました。
彼女にはよく似た妹がいて、翌朝、彼女と間違えてしまい恥をかくところでした。
作例の彼女は妹ではないと思うのですが、もしかしたらそれも間違いだったとすれば、また恥の上塗りになってしまいかねません。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/05/05 Tue

ラジオ体操に非ず

Nokton 50mmF1.5
今回は、実に久し振りにフォクトレンダーのノクトンを持参しました。
ブログの記録によれば、前回の使用が2010年8月となっているので、およそ5年ぶりに手にしたことになります。
レンズを所有し過ぎているのでこういうことになってしまうのですが、このレンズの場合はもうひとつ事情があって放置されたままでした。
わたしはF1.5のレンズを集中して使うと言う意味のないこだわりを実践していたのですが、それでも使用できない理由があったのです。

わたしのノクトンはオリジナルのライカマウントではなく、プロミネントというカメラに付いていたレンズのため、MSオプティカルのアダプターでライカに使用できるようにしています。
このアダプターにもう1枚L/Mリング(ライカ・バヨネット。アダプター)と言うライカスクリューマウントからMマウントに変換するアダプターも付けているのですが、これが工作精度の低いもので通常より薄いらしく、それに合わせて連動カムも削ってあるそうなのですが、いったんそのL/Mリングを外したらどこかに紛失してしまい、以降、他のリングを代用したもののライカの距離計とは正確に連動しなくなってしまいました。
プロミネントにはノクトンの他にウルトロンとカラースコパーといういずれも個性的な名玉があってそれらも所有していることから、安いアダプターを買いなおして使おうかと思っているうちに時間ばかりが経過してしまっていました。
そのうちにライカをやめてα7をメイン機にしたところ、普通に無限が出て使えるということが分かり、このたびの再使用になったという次第です。

使用してみると、どうも描写が思った以上にやわらかくて好い感じに思いました。
しかし、ちょっとヒントを外れたところのハイライトが滲んでいたり、逆光のフレアもひどかったりなど、どうにもおかしな気がしました。
一見するときれいなレンズですが、光を透過して見ると中玉の周辺部にカビが出ていました。
どうにかならないかと鏡胴を捻ると前群部分がスクリューになっていて外れたのでクリーニングできるかと思ったのですが、カビは前群の内側だったためどうにもなりません。
専用工具がなければクリーニング不可のようで、少なくとも旅の間はそのままで撮るしかありません。
ハノイには古いカメラを扱う店もあったのでそこで開けられるかとも思ったのですが、時間が取れませんでした。
まあ、こういう描写も旅のノスタルジーが写るようで好しとしましょう。

カビに気付く前、サパのパオさんの家の隣の学校で授業が始まり、みんながお行儀よく並んで体操を始めました。
ちょっとだけ日本のラジオ体操と似ているところがありましたが、ベトナムのそれは省略型のようで、せっかくならラジオ体操を音楽ごと進呈してウォーミングアップに使ってもらったらいいのにと思います。
そんな姿を撮影しているとき、全体が写るようにと珍しくF4に絞って撮影したのが今日の作例です。
隅々までシャープに写っているのに感心しました。
いま思えば、レンズのカビは周辺部だけなので絞ることでカビ部分を避けるという効果もあったということで、レンズ本来の性能が発揮できたようです。
ただ、絞ってしまうとシャープなばかりで普通によく写っているだけと感じてしまいます。
フレアっぽい方が好いとは言いませんが、やはり開放の方が面白いなとは思います。

フォクトレンダーはペッツバール博士の設計に基づいて、最初にペッツバールレンズを世に出した会社ですので、わたしのとっては神のような存在です。
しかし、ペッツバール博士とは仲違いしてしまい、本拠ウィーンを離れれば特許が及ばないことを示したことで、他国メーカーにも多くのペッツバールレンズを製造させる功績があったと言えばペッツバール博士に怒られてしまうでしょうが、実際、わたしの所有しているペッツバールレンズのすべてがそうして製造されたものだと言えます。
しかし、日本におけるフォクトレンダーに対する認識は、ベルクハイルやベッサ、ヴィテッサ、そしてこのプロミネントなど、先進的なアイディアの詰まったカメラを世に出し続けたカメラメーカーとしての評価が圧倒的です。
レンズでいえば、少なくとも35mmではノクトンとウルトロン、セプトンくらいしか人気がないこともそれを裏付けています。

フォクトレンダーの代名詞と言えば、ハーティング設計のヘリアーですが、このレンズには35mm用がないので中判以上をやらなければ使う機会がありません。
性能はどうなんでしょうか。
シュナイダーのクセノンなどもそうですが、製造数が多過ぎて手に入れるのが簡単な割にはそれほど安くもなくてどうも手を出す気になれません。
プロミネント用ノクトンも数が多いために安いレンズで、プロミネントのボディ付きで2万円くらいで売っていることがよくありました。
しかし、今やプロミネントのボディを欲しがる人はいませんが、レンズはとても人気があって価格が高騰してしまったようですし、かつてのようにどこにでもあるようなものではなくなりました。
検索してもNoctonと入力するとまったく別の新しいレンズが引っ掛かるばかりで、いらいらさせられるのは、他のフォクトレンダーのレンズと同じです。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/05/04 Mon

他人の関係

Grubb 20cmF3.5
中国を旅している間は旅行者には滅多に会いませんでしたが、ベトナム、ラオスと進むにつれて非常に多くの旅人に出合いました。
国籍はさまざまで、すべての人に聞いたわけではないですが、ヨーロッパの人が圧倒的でしたし、旧宗主国であるフランス人の比率が高かったように感じました。
ヨーロッパ以外ではトレッキングでいっしょになったイスラエル人やラオスのバンビエンで少し会話したアルゼンチン人がいましたが、アフリカ人にはひとりも会わず、北アメリカの人もあまり見ませんでした。
ヨーロッパでインドシナ旅行が流行しているのかも知れません。

とは言っても、ヨーロッパ人をひとくくりにすることはできません。
彼らは傍から見ると同じような行動をして類型的に思えてしまいますが、ちょっと話をしてみると旅の目的とか感じ方とかさまざまで、国籍とか年齢を超えて彼らの個性のようなものが感じられました。
残念なのは何度も言っているようにわたしの語学力の問題で、彼らにしてみれば、日本人がどういう旅をして何を感じているか多少は興味があったはずですが、その期待に応えられるほどの会話はできませんでした。
唯一、カナダ人のカップルがラオス、タイと回った後日本に来るということで、メールをくれたのがいちばん深い交流になったというところです。

作例のふたりは、ホテルの野外のカフェでお茶を飲んでいるときにチェックアウトで出て来て、彼女のカメラがわたしと同じα7だったのでペッツバールを見せて撮影させてもらったものです。
彼女のカメラにレンズを付けてあげたら、よく写るのでアメイジングだを連発していました。
このふたりはバイクでハノイに向けて出発してしまいましたが、もともとは赤の他人だったそうです。
男性がサイゴンで中古のバイクを買ってひとりベトナムを北上している途中で彼女と出会い、いっしょに行動するようになったんだと言っていました。
彼はハートブレイクだと悲しい表情をするので、どうしたんだと聞くと必死にアプローチしているのに彼女はわたしを理解してくれないと肩を落としています。
今は彼女の心は旅に奪われているけど、帰国したら急に君のことを思い出すだろう、そしたらきっとうまくいくよ、と慰めの言葉をかけます。
ふたりはもう帰国しているのではないかと思いますが、わたしの言う通り進んでいるかどうか。

前にも書きましたが、旅の間、少なくとも中国昆明からタイのチェンカーンまで、日本人にはたったひとりにしか会いませんでした。
竜クンと言う青年でしたが、彼はわたし以上に激しい移動に耐えられる体質のようで、タイ、ミャンマー、タイ、カンボジア、ベトナム、ラオスそしてまたタイとかなりのエリアを短期間に旅していました。
多くの場面で夜行バスを使い、宿は1000円未満の安宿を泊まり歩いていたようです。
大学、大学院と中国やタイの留学生の友達がいて、言葉を教えてもらったりしたそうで、タイ語に近い言葉を話すラオスでは道を聞いたり、食堂でオーダーしたりするのに彼の語学力に大いに助けられました。
彼がやりとりするのを見ていたら、タイ語も中国語の影響を受けているのが分かり、わたしは性懲りもなくタイ語を学習してみたいと言う気にさせられました。

ラオスでは韓国人を多く見かけましたが、ハノイでも何度か遭遇して簡単に会話もしています。
平均的な韓国人の若者が話す英語はわたしのそれと似たり寄ったりなので、話がよく通じるのでついつい長話してしまうことがあります。
ヘイトスピーチの報道の影響で韓国の若者は日本人の多くが嫌韓だと誤解しているケースが多いそうです。
ラオスまで旅行するような若者は、世界や日本に関心を持っているのでそんなことはないと知っているのですが、逆に慰安婦問題で謝罪しろと大声を張り上げているのもごく一部の韓国右翼だそうで、お互いに極端な連中がクローズアップされることで印象を悪くし合っているのは愚かなことだと言う話も出たりしました。
日韓関係の悪化は両国首脳のせいだとの論調が強いですが、市民レベルでいえば扇動しているマスコミの方が悪いというのがわたしと話をした韓国人との共通認識でした。

昨年の西沙諸島の問題以降、ベトナムから中国人は撤退した感があります。
ハノイの友人ベトアン君は食品を扱う会社を起業したので、日本ではここ何年も中国から輸入した食べ物や野菜から農薬が出たとかいう話をしたところ、日本は中国をボイコットすべきと一言で切り捨てたのが印象に残りました。
一方でラオスやタイへの中国の企業進出は激しいものがあります。
同時に旅行者も急増しているようで、彼らはグループで行動していて大声なので遠くからでもすぐに分かりました。
バンコクでも見かけるのは中国人ばかりです。
繁華街を歩いていると大きな買い物袋やスーツケースで歩いているのは、みんな中国人旅行者でした。
中国人はみな日本に旅行して買い物してくれていると思っている向きがあるようですが、そんなことはなく、彼らを受け入れるあらゆる国のショッピングエリアで見つけることができます。
少し前まで中国で製造されたものが世界に拡散していたのに、今やそれが逆になっていると言うのです。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/03 Sun

ベトナム語に惨敗

Nokton 50mmF1.5
この旅に出る前、わたしはベトナム語学習本を買っていました。
英語もダメだと言うのにベトナム語を勉強しようとしていたとは、いま考えると恐ろしいことです。
先日も書きましたが、可能であればフオンの実家付近で小さなホテルでもやれないものかと密かに計画していたので、もしそういうことになれば現地語がまったくできなくてはどうにもならないと考えたからでした。
さらに彼ら少数民族の言葉も覚えなくてはと、少なくともその時は思案していたのですが、現地に着く前にすべて挫折してしまっていました。
言葉は簡単に身に付くものないということを以下に記そうと思います。

日常会話レベルですが、中国語をどうにかしゃべれるようになるとわたしの中国への旅は劇的に変わったと確信しています。
異文化の地を歩いていると疑問だらけで、それを放っておいたのがそれまでの旅でしたが、現地の人と言葉のやり取りができるようになるとその場で確認することができます。
その人も自分たちの言葉をしゃべる外国人と分かればわたしに興味を持つようになり、お互いの会話がつながっていきます。
かなり怪しいレベルの会話ですが、関心をもっている内容なので、繰り返し話をすることで自分の語学力が徐々に向上するのが分かります。
それを自覚するので、また次の機会にも中国を旅したくなります。
これを何というのか、デフレスパイラルの反対ということがわたしに起きていたのですね。

とはいっても同じようなことをベトナム語でできるかといえば、無理だろうともちろん自覚はしていました。
中国語の場合、共通の漢字を使っているからと言うとっかかりがありましたし、毎月中国に行かなくてはならないと言う個人的事情が後押しもしてくれていましたし。
ベトナムにはそういうところは一切なかったのですが、ハノイに2回目に訪れたときあることに気付いて、これはどうにかなるかも知れないと期待を抱くようになりました。
というのは、ハノイは河内(ホーネイ=中国語読み、以下同)、ホーチミンは胡志明(フーシミン)など中国語に発音が近いことは知っていましたが、ベトナム語は日本語と同様、関係の深かった中国から多くの言葉が伝わって来て、もともとあった自国の言葉と組み合わせるようにして言語が成立していると聞いたのです。

上に書いた例でいえば、「とはいっても同じようなことをベトナム語でできるかといえば」というところは大和言葉ばかりなので話になりませんが、「中国語の場合、共通の漢字を使っているからと言う」というところは中国語、共通、漢字という中国由来の単語が入っているので、これらは中国語の読み方が分かるため他の部分のみ覚えれば何とかなりそうと考えたのです。
ベトナム語も日本語と同じ程度に中国由来の単語が使われているとすればの話ですが、地名でハイフォンは海防(ハイファン)、ホイアンは会安(ホイアン)、ホアンキエムは還剣(ホアンチェン)ということをその時知って、これならいけるぞと来たいしました。
しかし、購入した学習本の巻末の辞書を見ると中国語由来と分かる単語は、家庭を意味するジャティンだけで他の100以上の単語はすべてベトナムで生まれた言葉のようでした。
これでは中国語を学んだことがあると言うわたしのアドバンテージは生きません。
それでも第一章の自己紹介のところだけでも覚えようとしましたが、惨敗に終わりました。
わたしには語学力と記憶力の両方が著しく欠如しているのです。

ベトナムは南北にえらく長い国で、やはり北と南ではだいぶ言葉が違うようで、わたしが買った本にはハノイの正統派ベトナム語を学べるなどと書かれていました。
南北にどういう差異があるのかは分かりませんが、地理的に見ると、中国と隣接する北部はより中国語の影響を受けているだろうと想像できて、それならわたしにも馴染みやすいはずなんだがと思わずいられません。
旅の途中で中国人に出合ったので話を聞くと、まさに隣接する広西壮族自治区から来てベトナム語を勉強しているとのことでしたが、中国語の普通話ではなく広西の言葉に似ているのでなじみやすいと言っていました。
そうだとすれば、わたしも広西に行って彼らの言葉を聞き取る練習をすれば、彼女と同様になじみやすいとなるかも知れません。
まあ、そんなに甘いことはないとは思いますが。

そういえば、サパなどの少数民族のエリアでは、日常の会話は彼ら民族の言葉で、学校ではベトナム語学習でテレビもベトナム語オンリーなので、子どものころからすでに2つの言語を身に付けなくてはなりません。
昨日の通り、女性が物売りをするようになれば、それに英語が加わります。
フオンのおばあさんのように高齢の人たちは、学校に行かず、ずっとテレビなどない暮らしをしていたので、ほぼベトナム語はできないそうです。
そんな事情は中国の少数民族とそっくりでした。
今までの話とはまったく関係ありませんが、作例は少年が田んぼで取って来たドジョウを通りかかった車に売ろうとしているシーンをたまたま撮影したものです。
車に乗っているのはたぶん少数民族ではなく彼らはベトナム語でやり取りしているようでした。
ドジョウが売れるかと固唾を飲んで見守りましたが、残念ながら取引は成立せずに車は行ってしまいました。
少年はさぞかし残念がっているのかと思いきや、慣れっこなのでしょう、まったく意に介することもなく隣に座る弟と何やら遊び始めました。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(1) | 2015/05/02 Sat
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