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畑の天使たち

Grubb 20cmF3.5
ムオンコーンでもサパでもそうでしたが、ベトナム少数民族の子どもはよく働くなあと感心させられました。
サパに到着したとき物売りの子どもたちに次から次へと囲まれましたが、小学校低学年くらいの女の子もけっこういます。
その日は日曜だったので、学校が休みだから子どもがいっぱいいるんだよと地元の人は言っていましたが、翌日トレッキングに出掛けたときも午前中から何人もの小学生物売りたちに遭遇しました。
彼らは、”Buy one for me”と数人で声を揃えて物悲しい声で歌っていましたが、その美声を活かして合唱団を結成して教会でコンサートを開いた方が、より高収入を得られるのではと余計なアドバイスをしたくなります。
トレッキングする人に対して子どもの数が多すぎるからです。

トレッキングの最中は農作業する子どもを多く見ました。
これは家の仕事を手伝っているということなのでしょう、親たちからしてみれば、家事をやらせている感覚で、当たり前のことだと考えているのではと感じました。
子どもにとって体力をつけたり健康面でのプラスになるということはあるかも知れません。
また、いずれ自分たちが主体になって農業を継ぐのですから仕事を覚えるということもあるでしょうし、両親が一生懸命に働いている姿を間近にすれば、親子の関係も良くなるということがありそうです。
しかし、物売りが子どもであることをそれこそウリにして大人より稼げる可能性が多少なりとも高まるのに対して、農作業の方は小さければ小さいほど不利であることは言うまでもありません。

わたしには子どもの人権がどうだとか、そういう話はできません。
しかし、やはり子どもたちから教育を受ける機会を奪うのは残念なことだとは思います。
少なくとも小中学校は学費がタダだと聞いたので、教科書代とかその他いろいろと費用はかかるのかも知れませんが、小学校までは出してあげられないものでしょうか。
ほとんどの家庭が専業農家ですので、現金収入はわずかだということであれば、それさえも厳しいのだろうかと考えざるを得ません。

サパでは、ガイドをしてくれたパオさんの家に2泊したのですが、家のすぐ隣が小学校で、それこそ遊びまわる子どもたちがパオさんの家にまで入り込んでくるくらい、小さな子どもを間近に見る環境でした。
小学校は村の入り口近くなので観光客も多く訪れていて、西洋人の家族連れや若者たちがどのような授業をしているのかと熱心に見ている姿をよく目撃もしました。
わたしも朝は子どもたちの歓声に導かれるように徒歩10秒の学校に行って、始業前の彼らをじっと観察していました。
ひとり大声でずっと泣いている子がいて、まわりの子どももあいつ泣いてるぞと言うようにはやし立てるので、ますます大声になるというような状態になっていたので、どうにも我慢できずにわたしはあやしに行きました。
手ごわい相手でなかなかなつきませんでしたが、最後には打ち解けてぐしゃぐしゃな顔のまま笑顔になったのが余計にいとおしく思えてしまいます。

翌朝も彼女を探して、すでに泣きそうな顔をしているところを一緒に遊び、最後には写真を撮ったりもしました。
しかし、もうわたしは出発するので明日以降彼女はもとの泣き虫に戻ってしまったかも知れません。
もしかしたら、そうして学校になじめないでいると、それなら家を助けるために学校をやめて自ら物売りになったりするのではないかと思いました。
Buy one for meの女の子たちが冷め切った歌声と、悲しげな眼をしていたのは、そういったことと関係があるような気もしてきました。
泣き虫少女と出会ってからはそれが気になって、彼女たちから何も買わなかったことを少し後悔もしました。

物売りは女性だけの商売でそれは子どもも変わりませんが、農作業は男女に関係なくみんながやっています。
小さな女の子が直射日光をものともせずに畑仕事している姿には胸が痛みます。
日本とは少し違う意味で、女性が少し不利益を被っている社会のように思えてきました。
さて、今日の作例は、ひと休みする農作業中少女です。
トレッキング中に見かけたのですが、かなり遠くからでも小さな少女が大人たちに混じって鍬をふるっているのが見え、ちょうど畑の真下に来た時に彼女が疲れたとばかり腰を降ろした時に撮影しました。
推定年齢11歳。
放課後から手伝いに合流したのだと思いますが、華奢で民族衣装姿の可愛らしい彼女は、農作業よりも友達と遊んでいる姿の方がずっと似合っています。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
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thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/30 Thu

伝統を考える

Grubb 20cmF3.5
作例の写真を見ても、これが何だかわかる人はまあいないでしょう。
まずがったのは、たまたま通りかかった牛が入り込んでしまったことで、これのせいで牛が臼を曳いているように見えてしまいますね。
答えは糸を紡いでいるところです。
背中の女性が植物の茎からこよって糸にしたものを継いでいって長い糸にして、巨大リールに巻き取っていっています。
あいさつすると笑顔をこちらに向けながらも、手は止めずにそのまま淡々と作業する様子は職人のようでした。

トレッキングコースにある観光用の施設なのかとも思ったのですが、そうではないとパオさんは言います。
別の家には滑車で木の棒を前後させる臼を曳いている女の子を見かけましたし、パオさんの家のそばでは大きな樽で布を濃紺に染める藍染をしているところも見せてもらいました。
いずれも誰かに見せるためではなく、あくまで生活のため、商売のために伝統的におこなっているとのことです。
どの家でもすべて行われている訳ではないようですが、少なくとも村単位では伝統が生活の中に残されていることを目の当たりにすることかできました。

高台で棚田を一望できる展望台のようなところがあって、そこには物売りの少女やらおばさんが多く陣取っていましたが、彼らは仲間同士でおしゃべりしながらも、先ほどの糸を使って器用に手を動かしながら縫物をしていました。
その完成品などを観光客に売っているのです。
普段みやげ物をほとんど買わないわたしがところどころで小さな入れ物や敷物などを買ってしまったのは、工場生産品ではなくそれら光景を見てきたことが理由です。
そういった背景を知らなければ売られているものはあまり面白くもないので、人に差し上げても受けそうにないのが残念です。

村では、石に彫刻した置物を製造販売しているところが何軒か見られました。
これはもともと伝統手工業ではなく、観光客が多く訪れることから地元で採れるやわらかい石を利用して商売に結び付けたということのようです。
彫刻のモチーフには伝統的な事柄や仏像、自然風景などを扱っていて、村と無縁のものだと言うことでもありません。
石が素材なので重たい荷物になるのでわたしは興味を持てませんでしたが、欧米人には一定の人気があるようでした。
木や竹を加工した道具や家具などを手作りしている民族なので、そのような技術でカップなどの食器や小物を作ってもらいたいですし、Tシャツが観光地風のものしか売られていなかったので彼ららしいデザインのものを何種類もつくれば確実に売れるのではと思いました。

また、歩いているときにイヌを絞めているところを目撃しました。
人によっては目を剥くような話かも知れませんが、ベトナムも中国や韓国同様に犬食を伝統的に行ってきた国です。
彼らの価値観からすれば、ウシやブタはよくてイヌを食べてはいけない理由は何なのか教えてほしいとなるでしょう。
むしろ、イヌに服を着せて話しかけたり自分たちの食事よりはるかに高価なペットフードを与えていることを知れば、その方がよほど尋常でないと彼らは主張するのではないかと思います。
日本の一部で行われている伝統的な漁業に対して避難している不快なグループにも同様のことを言いたくなります。
彼らがもともとの先住民の文化を破壊して国全体の支配者になった歴史をよく顧みるべきと教える必要があります。

日本の例といえば、わたしがヨーロッパに行っていたころ、しばしば日本では生の魚を食べるんだってと好奇心いっぱいに聞かれたものです。
インターネットがなかった20年前、日本を訪れる観光客はあまり多くなく、日本食レストランも大都市の一部を除いてそれほどなくて利用者もごく一部限られた人だけだった時代でした。
当時は、調理していない魚を生のまま食べるなんてと、口には出しませんが野蛮人扱いだったのではないかと思われます。
しかし、今や寿司や他の日本食は世界中に広まり、各国でもっともポピュラーな外国料理の地位を得ています。
犬食が世界で人気になるということはないでしょうが、理解が進んで偏見がなくなる日が来ることは期待します。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/29 Wed

起業諦めるも

Grubb 20cmF3.5
すでに帰国しているので、しばらく自宅から旅を振り返ってのブログ更新をしていく予定です。
中旬くらいにまたバンコクから旅を再開するまで、しばしの充電期間にしたいと思います。
帰国したらずっと暇になると考えていたのですが、日本社会の常識から考えれば確かに何もしてないも同然とは言え、それなりにやらなければいけないことだらけでかなりバタバタしています。
18日間も家を出てふらふらしていたのですから当たり前です。
アジアモードから切り替えて、少し気合を入れていかなくてはと思います。

中国からベトナムに入って最初に滞在したムオンコーン村は、期待に反して風光明美ではなく特徴のない地味なところでした。
ラオカイ近くにはそのあと訪れたサパと言う有名な村があって、過去に何度も写真を見てすばらしい景観だということを知っていました。
谷の集落は周りを棚田に囲まれ、さらに前方を見ると急峻な山があったり、渓流が流れていたり、そんな中を独特の華やかな衣装を身にまとった人々が素朴に生活を送っている、そんなイメージの写真です。
フオンが住む村もそんなところだろう、そうわたしは考えていたのでそのギャップが大きすぎたようです。

実を言えば、もし可能であれば日本を離れたところで何かできないかと考えていて、フオンの実家付近で小さなホテルでも開くことが可能かを確認するつもりでいました。
しかし、村に着いて間もなく、これは無理だと分かりました。
まず、このあたりはコメをほとんど作っておらず美しい棚田がないばかりか、当地の作物の主流であるパイナップル畑は樹木の色がなぜか人工的で、見た目が良くありません。
そして、村の人々はほとんど民族衣装を着用していないと言うのが、人を呼び込むには絶望的に思いました。
サパや周辺にある村にはモン族が暮らしていて、彼らは民族衣装に誇りを持っているのと大きな違いです。
家屋にも特徴がなく、お茶が特産と言う以外に名物と呼べそうなものもありません。
これらは、比較的都会であるラオカイから30分と至近にあることと関係あるのでしょう。

ゲストハウスをオープンして、フオンたちを雇用してあげようと言う計画は到着早々立ち消えになりました。
高原性の気候で日本より夏涼しく冬暖かい緑豊かな地でのんびり暮らすという考えも、少なくともこの地では夢と消えました。
もっとも地図を見ると、ムオンコーン村は案外と中国国境から近くて、中国側は国境警備の軍隊を手厚く布いているらしく、ベトナムと中国の関係がよろしくない現在ではあまりのんびりとは暮らせないところなのかも知れないですが。

ホテル経営のことはともかくとして、翌朝、フオンが連れて行ってくれた市場でわたしは少しホッとすることができました。
フオンの家の周囲を散策して、家族とともに食事して、泊めさせてもらっても、彼ら民族の特徴を見出せず、わたしが訪れた中国の漢族の農村と違いがないとまで言えるくらいでしたが、市場にはそれほど多くはなかったものの華やかな民族衣装を着た人を散見することができました。
彼女たちのほとんどがムオンコーンの村からさらに徒歩で何十分歩くとか一山超えたところに住んでいる人たちだとのことです。
ムオンコーンには2軒の商店がありラオカイの町までバスの便もありますが、民族衣装の女性が買い物をするのは週2回開かれる市以外に物を売り買いする機会などないようです。
そんなところに住んでいる人たちは、きっとムオンコーンとは違う伝統的な生活を続けているに違いないと想像できました。

中には作例の少女のように中学生なのに美しい民族衣装で着飾った女の子までいました。わたしは狂喜乱舞して撮影の依頼をしましたが、当然ながら言葉が通じません。
カメラを見せて撮らせてくれというジェスチャーをしたところかなり困惑していて、もしかしたらカメラを知らないのではと逆に不安になるくらいでした。
焦点距離200mmのレンズなので、全身を撮ろうとするとかなり後ずさりしなくてはなりませんが、少なくともわたしがそうした意味を彼女は理解してくれず、だいぶ離れたところで振り返ると立ち去ってしまっていて、また捕まえてそこにいてねということを分かってもらうのに苦労させられました。
しかし、あらためて彼女の笑顔を見ると、民族のプライドとそれを記録してもらう喜びに満ちているようで、苦労も報われたなあと言う思いになります。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/04/28 Tue

箱にサインを

Grubb 20cmF3.5
朝の航空機に乗った時点で、今回の旅も終了になります。
2月23日にスタートした世界一周を目指した旅は、間に休みを挟みながら今日で50日になりました。
一旦、所要を処理するために帰国し、準備を整えたうえでゴールデンウイーク明けには旅を再開させるつもりです。
バンコクから東京へはLCCのチケットを買うのがいちばん安上りのようです。
しかし、バンコクの旅行会社のサイトで格安航空券を探すと、LCCの往復プラス数千円程度でベトナム航空やキャセイ航空のチケットが入手できます。
ベトナム航空はハノイで11時間の乗り継ぎ時間があるので、その間に友達になった人たちと食事に行ってつかの間の再会を楽しむことができますが、ラウンジ利用やマイル積算などのメリットを考えてキャセイを購入しました。

キャセイだと香港経由になりますが、乗り継ぎ時間が5時間もあったので空港にずっといるのはやめて香港に入境します。
時間が短すぎるので今回は深圳に行くのは諦めて、久しぶりの香港街歩きをしてみることにしました。
香港から町中へは速いが高い空港快線という鉄道や2階建てバスが有名ですが、今回は貧乏旅行の延長で東涌までバスで地下鉄に乗り継いで向かってみました。
お昼近かったので、まずは6~7年前によく通ったソバ屋に行ってみることにします。
香港の中環にある店ですが、勘違いして隣の上環まで行ってしまったため、歩けど歩けど店が見つかりません。

しかし、午前中の香港島をさまよったおかげで、美女の撮影会に出くわして便乗で少々撮影させてもらいました。
さらにその近くでは、またしても映画撮影のロケをやっているではないですか。
本当に映画関係によく出合う旅です。
町中のロケには映画撮影中と書かれた車が停めてあって他の車を迂回するように警備が配置されていました。
日本なら警視庁の許可をとるのに時間がかかりそうですが、映画産業が町に根付いている香港では無許可でこのような撮影ができるのかも知れません。
どうして日本人と分かったのか、警備のスタッフに日本語でどうぞどうぞと道を通してもらいました。

作例は、その時に撮影したものですが、俳優らしき人が写っているものの知識が無くて名前不明です。
顔を拡大するとちょっと怖そうで、香港マフィアの役柄のように思われます。
それで思い出したのがもう6年も前のことですが、深圳にある日本の居酒屋チェーンに食事に行ったときに、香港の俳優、張耀楊さんがいてサインをもらったことがありました。
わたしは香港映画なんて全然知りませんが同行の女性がファンだったため、あの人は俳優だと言うので彼女のためにサインをもらってきたのです。
日本から来たものですというと、外国人にも認知されていると気を良くしたのか快くサインと握手に応じてくれたことが印象に残っています。
当時流行したインファナル・アフェアにも出演していたようですが、どの映画にもマフィアなどの役で出ているそうです。
悪役だから日本のブラック企業の居酒屋の深圳支店で食事していたのかも知れません。
香港のロケはともかく、大都会の深圳でなかなか香港の映画スターに会うなんてことはないでしょうから、その当時からわたしは映画付いていたということでしょう。

ようやく着いたソバ屋は昼時にぶつかってしまい行列ができていました。
オフィス街にあるので勤め人たちが昼休みにやってきているようですが、香港のソバは小さなどんぶりで大盛りなどと言うものもなく、あれ1杯で夜までもつのか不思議です。
わたしは以前同様に雲吞麺をオーダーして、おかわりするつもりでいましたが、一口食べて大いなる失望を味わいました。
雲吞に以前のような弾力に富んだぷりぷりの食感が失われていたからです。
ただ、わたしが魔法の調味料と呼んでいた秘製辣椒油は健在で、2~3滴垂らすとちょっと辛くなりますが、味が一気によくなります。
とは言え、雲吞が不発だったのでおかわりはせず、販売もしている秘製辣椒油の方を買って帰るにとどめました。

それから空港に戻るときにまずいことに気づきました。
購入した2瓶の辣椒油は液体ですので機内持ち込みできません。
わたしの航空券はバンコク-香港-羽田の往復で、トランクは搭乗券同様すでにバンコクで羽田までチェックイン済みです。
勝手に香港で空港外へ出て買ったものを香港にて追加で預けることは可能なのでしょうか。
わたしがキャセイ航空の上級会員になっていることと関係があるのか、答えは、可能、でした。
専用のボックスを持って来て梱包までしてくれ、わたしはその箱に名前を書き込むだけでした。
航空券は一般に高価なものですが、電子チケットになってありがたみがなくなりましたし、カウンターのチェックイン手続きも、呼ばれてからあいさつしてパスポートを手渡すだけ、係員は黙々とコンピューターに向かっていて印刷された搭乗券を手渡して好い旅をなどと言うだけで終了してしまいます。
何枚綴りもなっていて専門用語が書かれた航空券を手渡しして、1枚切り取られたそれをまた受け取る行為にありがたみを感じていましたが、わたしが専用のボックスにサインする作業はあの時代の手続きを懐かしく思い出させてくれました。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/04/27 Mon

ママと買い物に

Grubb 20cmF3.5
バスは予定より少々早い5時前にバンコク北部のバスターミナルに到着しました。
モーチット・バスターミナルというそうですが、もうちっと遅い時間に到着してくれればもうちっと寝られたのにと名前に不平を言います。
とは言え、今までの長距離バスの乗車体験中いちばんの乗り心地の良さで熟睡できたので10時間のバスはまったく苦痛ではありませんでした。
到着するバスが列をなして乗客を吐き出し、これから出発するバスの客引きが大声を張り上げと、こんな時間にもかかわらずターミナルは活気にあふれています。
ラマ4世の写真が入ったアクセサリーを手渡してくれた男性が、市街地行きの路線バスがあるからと教えてくれた通り、こんな時間でも公共交通機関が使えるのは助かりました。
すでに予約済みの安宿のある地名を告げると、何番のバスで途中乗り換えだと教えてくれます。
料金徴収に来た車掌に同じように告げると、乗り換えるところで教えるからと親切な対応でした。

バックパッカー向けの安宿はずいぶんと入り組んだところにあって、途中乗り換えた土地勘のあるタクシーでもなかなか見つかりませんでしたが、GPSを駆使してようやく到着することができました、
しかし、その宿は7時にならないとスタッフが来ないらしく、警備員と雑談したりして1時間も待つことになります。
7時きっかりに英語の流暢な青年が現れて手続きしてくれ、ちょうど1部屋空いているのでもう部屋に入っていいと言います。
宿のチェックイン時間は2時となっていましたが、バックパッカー向け宿だけにこういうところがフレキシブルです。
こんなに早く町中に出てもしようがないかとベッドの上で考えているうちに眠ってしまいました。

目を覚ますと9時でした。
今日が今回の旅の実質的な最終日で、翌朝6時半にまた日本に戻ることになっています。
バンコクではまったく予定はありませんが、バンビエンであった青年とはフェイスブックのやり取りで、市内を案内してもらうことになっていて、早速、到着したとメッセージを入れてからシャワーを浴びました。
部屋はツインルームですが、安宿だけにシャワー・トイレは共同です。
ただ、朝の中途半端な時間だからか2つあるシャワーはどちらも人影なく、真新しい施設は清潔で、快適に利用することができました。
シャワーから戻ると返信が届いていましたが、そこには、申し訳ないが、今日はママと買い物に行くのであなたを案内することができなくなったと書かれていました。
いかにもありがちな展開ですが、むしろ案内してもらった後に家で食事をなどとなって、弁護士一族の前で緊張の時間を過ごさなくてはいけないかもという心配がなくなったことを喜ぶことにしました。

ホテルを出てしばらく歩くと屋台があってドリアンが売られていました。
でかい鎧のような身をナタで器用に割ってパック詰めしている最中でしたが、いちばん安いのが100バーツでしたので、朝食にと購入しました。
最初の1個は美味しくいただいたものの、ドリアンはそうまとめて食べられるものではなく、2個食べるのが精いっぱいで、残りを持ち歩くわけにもいかず、店に返却しました。
大通りに出ると最初に来たバスに飛び乗ります。
行先不明ですが、車窓から景色を眺めつつ面白そうなところで下車して歩く作戦です。
テレビ番組でも似たようなものを最近見かけますが、旅行者が知らない町でよく使う手を参考にしたのでしょう。
もっともテレビ番組ではほとんどが下調べに基づいたヤラセなのだと思いますが。

路上にまで張り出した市場が見えたところが庶民的でおもしろそうで降りて散策開始すると、小運河に船が走っていました。
バンコクの船は未体験だったので乗ってみるとバンコクの中心付近まで一気に行きます。
こんな交通機関があったのですね。
暑かったのでデパートのカフェに入り涼んでいると、自分ではイケていると思っているのでしょうがわたしの眼には奇抜にしか見えないサイド高露出黒づくめファッションの美女を発見したので、撮影させてもらおうと後を追います。
外に出るといつの間にか激しい雨が降っていて女性はダッシュでタクシーに乗ってしまったのが残念でした。
暑いうえに雷雨で何をしていいかわからずにいるとマッサージ屋さんがあったのですが、市の中心部ということで先ほどの市場付近で見かけた店よりよりだいぶ高かったのでやめて、だったら市場方面へ戻ろうかとも思ってまた船に乗りましたが、どこから乗ったか忘れてしまっていてまた別のところをさまよいます。

去年来訪したときに宿をとったスクンビットというエリアに行くと、公園で音楽祭のようなイベントをやっていました。
高級マンションもあるところなので、そんな家から子供と遊びにきていると思われる身なりのいい家族連れが目立ちます。
作例は、やはり近くに住んでいるのではないかと思われる女性で、先ほど大物を逃していたので日本から来たカメラマンでバンコクの美女を撮影してますと必死で出鱈目を言って撮らせてもらいました。
そろそろ疲れて来たので、去年も利用したフットマッサージの店に入りました。
去年来たときは安かったとの記憶があってまた利用したのですが、再び来てみると料金はさきほどのデパートのそばの店よりさらに高かったので少々混乱しました。
値上げしたのかと思ったのですが、そうではなくて、長い旅をしているうちにわたしの金銭感覚の方が去年来た時とは違っていたということなのでしょう。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/04/26 Sun

チェンカーンの贈り物

Nokton 50mmF1.5
チェンカーンは本当に小さな町で、メコン川に並行する狭い通りに沿って作例のような古い木造家屋の街並みが続いています。
家屋はほぼすべてが商店やゲストハウスに改装されてしまっており、昨夜到着したときは、古い街並みと言う気配も感じられなかったのですが、日中、門を閉じたままの閑散とした家並みを見るとなかなか風情があります。
観光地化しているので近郊の町より物価は高いのかも知れませんが、タイ人向けのせいか、わたしには価格はどこもリーズナブルなように感じられました。

日程が厳しくなっているので、まずはバンコクへの足の確保が必要です。
ルーイにはバンコク行きのバスがあるだろうと思っていましたが、そのバスはここチェンカーンが始発だというので、またソンテウに1時間揺られる必要がなくなったのが助かりました。
バンコクまで10時間で昼行と夜行があると言います。
もちろん夜行を選択しますが、その夜行は2種あって、普通バスとVIPバスのどちらにするかと聞かれたので、500円くらい高かったのですが、7時出発、3列シートのVIPのチケットを購入しました。
小屋のようなチケット売り場でしたが、さすがタイともなるとしっかりコンピュータを備えていて、座席指定ができるようになっています。
クラクション音の影響を受けにくく、後ろに気兼ねせずにシートを倒せる最後尾の席をとりました。
これで出発時間までゆったり過ごせます。

前夜にゲストハウスの主人にどこかよいレストランがあるかと聞くと、隣が値段が安いし美味しいと教えてくれて行ってみると実際その通りでした。
外国人はそれほど多くないし、お隣の紹介とあってか、自分たちが食事を始めるといろいろと取り分けてくれて、わたしにおすそ分けしてくれます。
そんなこともあって夜、昼、夜と3回も利用させてもらいましたが、毎回料理2品とビールを頼んで300~400円くらいと安く、ベトナム、ラオスの共産圏から自由のタイへ来て物価も上がると懸念していたのに、財布が痛まないままに旅できることを理解できました。
最後の食事の後はこれからバスでバンコクへ向かうと言うと、バス停までバイクで送ってくれる親切ぶりでした。
英語はあまり通じない人たちでしたが、田舎の人がみな親切であることは韓国から中国、ベトナム、ラオスと一貫して感じてきたことです。

わたしはレンタサイクルを借りようとしたのですが、これもレストランのおじさんが出てきて、自転車なら宿のがあるのだからそれを使えばいいよとアドバイスしてくれ、主人不在で無断借用でしたが、自転車で郊外まで走ったにも関わらず、返却時に文句を言われることもありません。
近くにチェンカーンイミグレーションというのがあって気になっていたのですが、メコン川の渡し船の出入国管理がなされているものの、ラオスに行きたいと言うと外国人の利用は不可なので、申し訳ないねと言われました。
反対方向に走るとお寺があって英語の達者なお坊さんがいました。
子供さんを交通事故で亡くしたことをきっかけに仏門に入ったとのことで、いま一生懸命勉強しているところだといろいろな話を聞かせてくれます。
しかし、さすがに外国の仏教事情までは知らなかったようで、日本のお坊さんは結婚して子供をつくるし、お酒も飲めるんですよと言うと、本当かと目を丸くしていました。

今日は前夜の雨の影響あってか割と涼しかったのですが、午後には日が出て暑くなってきました。
そうなることは織り込み済みで、宿にハンモックが吊ってあったのでビール片手にまどろみました。
猫とじゃれたり揺られているうちにいつの間にか眠りに落ちたのですが、この体験が今回の旅の中でいちばんアジア的な時間を過ごせたと言えるのかも知れません。
そのあとメコンの川岸に出て見た向こう岸に落ちる大きな夕日がきれいでした。

チェンカーンからバスに乗ったのはわたしの他に前方に男性がひとりいるだけでしたが、遅れてもうひとり乗り込んできました。
チケット売りの男性でした。
チケットを買いに来たのがふたりだけだったからでしょう、わたしのことをよく覚えているようで、乗り込んでくるや親しげに話しかけてきます。
バンコクからホテルまでの行き方を教えてくれたり、何かと世話好きな人のようです。
あなたもバンコクへ行くのかと聞くと、そうではなくて住まいがルーイなのでこのバスでルーイまで戻るのだとのことです。
フェイスブックで去年生まれたという子供の写真を自慢げに見せてくれたりして、お互いにアドレスを交換しました。
バスは30分ほどでルーイ市街に入り、ここがわたしの家だと彼は去っていきました。
続けてバスターミナルに到着し、10人近くが乗り込んできましたが、バスはまだすいています。
となりにもバンコク行きのバスが停まっていて、選択しなかった普通バスのようでした。
後部座席の子供がこちらを見ているので手を降ると答えてくれて、互いにベロベロバーとか窓越しにキッズ・コミュニケーションしていたところ、彼らの方が30分早い発車で行ってしまいました。
こちらのバスもそろそろ出発かという時間になって、わたしを訪ねてくる人がいました。
それはチケット売りの男性で、いちど家に戻ってからわたしにプレゼントを渡しに来たんだよと小さなアクセサリーを手渡してくれました。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/25 Sat

タイ唯一の古鎮へ

Grubb 20cmF3.5
ここに書くのは恥ずかしいのですが、わたしは日程の計算違いをしていました。
ルアンプラバンに2泊、あるいは近郊の村に泊るつもりでいたのですが、すでに予約したバンコクから羽田への日付を見ると、今日にはラオスを出ないと航空券が紙くずになってしまうということに気づきました。
それが夜のことだったので宿の兄さんのミャー君に相談すると、タイのルーイ行きのバスを予約したので朝7時にここから出発するよう言われました。
普通朝7時出発だと荷物をまとめるくらいしかできることはなさそうなものですが、ルアンプラバンには去年も見ている有名な托鉢があります。
5時から6時まで行われるので、せめて見学に行こうと思いました。
前夜排水用の溝に足を落としてくるぶしを切って足が痛かったため、到着が大幅に遅れましたが、どうにか最後の一瞬だけ托鉢の様子を見ることができたという感じです。

7時きっかりにトゥクトゥクが迎えに来てバスターミナルへ連れて行ってくれました。
到着後、運転手は降りずに待っているようにと言いチケットを買っていたのですが、どうもおかしいと後で確認してみると、わたしが聞いた金額より500円ほどバス代は安いようです。
トゥクトゥク代はせいぜい100円でしょうから、残りがミャー君と運転手のコミッションになったというわけですね。
またバスの出発自体は8時とのことで、ずいぶんと待たされることになりました。
暇している間見学していると、ここからハノイ行きやビエンチャン行きの他、ディエンビエンフー行きや昆明行きなどというものもありました。
前夜、中国人を何人か見かけましたが、まさか彼らはバスで昆明から来たわけではないでしょう、ルアンプラバンには国際空港があるのですから。
いったいルアンプラバン発昆明行きって、どんか人が利用するのでしょうか。

バスは7割がた埋まっていましたが、西洋人はひとりも乗っておらず、韓国女子3人とわたし以外はタイ人のようです。
タイの東北部はイサーンと言いますが、イサーンにはラオスに親戚がいるという人が珍しくなく、バスやメコン川を渡る船で行き来するのはよくある光景だと教えてもらいました。
バスには車掌がふたりも乗っていていろいろと世話を焼いてくれるのですが、まずジュースとビスケットが配られたと思ったら、途中で寄るレストランの昼食もチケット代に含まれているからと、写真入りメニューを出してどれがいいか注文取りしていたのにはちょっと驚かされました。
このバスもご多分に漏れず、途中の町で乗車したり下車したりできるので、少しゆっくりな印象で、ルーイまでは10時間もかかるとのことです。
ラオスの出国審査は少し時間がかかりましたが、ハノイから入国したときのように1ドル出せとは言われず、やはりあれは胡散臭いものだったのだと確信させます。
ラオス出国審査が全員終わるとまたバスに乗りしばらく走ってタイの入国審査に向かいますが、ここのみ全員荷物を持たされてX戦による荷物検査も受けます。
麻薬類がこの検査で見破られるとも思えないので、銃器類をチェックしているのでしょうか。
もう沈静化していると思いますが、隣国ラオスやミャンマーでは武力行使している少数民族がいるということですので、このような措置をとっているのかも知れません。

ルーイはラオスに国境を接するタイ北部の町です。
ルアンプラバンからはチェンマイ行きのバスもあって西洋人はみなそちらに乗っていましたが、わたしがルーイを選んだのには理由があります。
以前、タイで古い街並みがあるようなところを探していて、チェンカーンというルーイ郊外の町があることを知りました。
バンコクから気軽に行けるところではなかったので、なかなか訪れるチャンスがなかっただけにルアンプラバンからルーイ行きがあると聞いて飛びついたのでした。
世話になった車掌に礼を言ってチェンカーン行きのバスはどこから乗るのか聞くと、バスは無いので、ソンテウという乗り合いトラックで行けとのことでした。
チェンカーンはタイ人の間では有名な観光地だと聞いていたのにバスもないと聞いて、逆に期待感が高まります。
ソンテウはちょうどすぐに出るところでやはり人を乗せたり降ろしたりがあるので、1時間ほどかかりましたが、同乗していた女子大生が場所を教えてくれたりしてどうにかたどり着きました。

到着が7時ころなので古い街並みは閑散としているかと思ったのですが、完全に観光地化した古い街並みのはずの通りは、ミニ鎌倉小町通りのように賑わっていました。
一瞬がっかりですが、よく見ると店の表示はほぼタイ語オンリーで、外国人がほとんどいないことが分かり、これは面白いと思いました。
中国を後にしてから、サパ、ハノイ、ビエンチャン、ルアンプラバンと外国人だらけで、バンビエンにいたっては韓国人ばっかりと言う状況でしたから、観光化しているといっても自国民だけというのは新鮮な印象です。
宿を探すべく英語が通じるカフェに入ってネット検索していると、そこには珍しく西洋人がいて、スウェーデンからもう何年も前にタイに来てどこだかのビーチでレストラン経営しているが、海がシーズンオフになったので旅しているとのことでした。
彼は、宿を探しているのならここへ泊ればと勧めてくれます。
てっきりカフェだと思っていたそこは、ゲストハウスも兼ねているということでした。

学生時代をアメリカに過ごしたという主人は、また驚くべきことに元映画プロデューサーで、まだ若いのにリタイアしてのんびり宿を始めたとのことです。
韓国で最初に訪れた地でドラマの撮影をしていて持参のペッツバールがスタッフに大うけし、ソウルではカメラマンのキムさんと会い、青島からの列車では隣が写真学校を受験する女子高生で、ウランバートルからの列車のコンパートメントでは内蒙古人の映画監督といっしょになり、タイでは映画プロデューサーの宿に泊まりというのですから、わたしの旅は写真や映画に縁があるということを言ったら、彼のガールフレンドはバンコク在住の日本人フォトグラファーだよと、縁をもうひとつ追加してくれました。
この宿、もともとベースになる家があって、それを手仕事で増築。改装していったともてユニークな外観をしています。
窓からはメコン川が見えて対岸はラオスとのことでした。
夜遅くなって雨が降ってきて主人は雨漏りするかもと気にしていましたが、雨は何ともなかったものの、蚊帳の中まで潜入してくる蚊に悩まされました。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/04/24 Fri

アベノミクスを英語で何と

Grubb 20cmF3.5
夜中に大騒ぎする声が聞こえて目覚めたりしたのですが、何かあったのでしょうか。
朝食時にあらためて宿の主人に聞くと、韓国人の若者たちが酔っぱらって3時頃大騒ぎしながら戻って来たので、叱責して静かにさせたそうです。
起こしてしまったとは申し訳ないと詫びられますが、あなたのせいではないし、恐らく騒いだ若者はこれから兵役に行くと言っていた連中だと思われるので、これから2年近く辛い訓練生活が待っているので、迷惑かけるのはいかがなものかと思うが、でも許してあげましょうなどと会話を交わしました。

ハノイのリーズナブルなホテルは予約サイトの評価を見ると、どんなに高評価の宿でも朝食の評価はぐんと下がるのに対して、この宿は朝食が絶賛されていたので期待していました。
3種ある中からわたしはパンケーキをチョイスしましたが、焼き立ての生地に何か練りこんであるのでしょうか、いままで食べたことのない味で確かに美味しくいただきました。
ハノイはどこも朝食がビュッフェで、これは高級ホテルを意識したのだと思いますが、いかにも作り置きの感じで不味く、この宿のようにひと手間かけたオリジナルの朝食で勝負した方がずっといいのにと思いました。
いや、高価なホテルだって1泊5万円するようなところは知りませんが、一般にビュッフェの朝食で旨いと思うようなところはないので、多くのホテルがこの小さなゲストハウスの朝食を見習ってほしいと思いました。
もっとも客室が100を超えれば、そんな細かいサービスはやってられないのでしょうが。

このゲストハウスでもルアンプラバン行きのバスが予約できるというので、他の看板を掲げている旅行社と価格比較してみましたが、まったく変わらないので手配をお願いしました。
ルアンプラバンまで5時間というので数本ある中から夕方着の1時発を選択すると、それまでブルーラグーンに行ってみてはと主人が勧めてくれました。
どうやら件の韓国で紹介されたいちばん人気の場所らしく、それこそ韓国のどこかの観光地のように韓国人だらけの心配がありましたが、それはそれで仕方ありません。
困ったのはマウンテンバイクを借りていくべきと聞いたのに、近くのレンタサイクル屋にはママチャリしかなかったことですが、これも仕方なしです。
ここでも12時に戻るからと料金交渉して少し負けてもらって出発します。
漕ぎ出すとバギーで同じ方向に向かう韓国人集団がいました。
バギー自体は面白い乗り物ですが、轟音と砂埃がすごいので静かなバンビエンにはふさわしいとは思えません。
バギーは専用コースで遊ぶとかしてもらいたいものだと思いますし、韓国人以外はみな自転車に乗っていたので、みな同じように考えていたと思います。

未舗装の緩やかなのぼりが続く10キロほどのブルーラグーンへの道をママチャリで行くのはつらいものがありました。
わたし以外見かける人はみなマウンテンバイクで、自転車のせいばかりではないでしょうが、何人かに追い越されていくのは情けない思いでした。
そんな中、前方にママチャリをとろとろと漕ぐ若いカップルを発見。
もうちょっといい自転車借りればよかったねと声をかけて、いっしょに走りました。
カナダ人のカップルですが、この後日本に2週間ほど滞在して帰国すると言うので、東京で落ち合う約束をしました。
わたしのペッツバールにも興味を持ってくれたので、ひげが立派な青年は着物とか着せて、帰国後ksmtさんに8×10で撮影してもらおうなどと考えました。
ブルーラグーンは小さな池ですが、水の鉱物成分の関係か不思議な色をたたえていて魅力的でした。
韓国の若者たちが騒ぎながら飛び込んだり泳いだりしているのがまた残念でした

バスと聞いていた車は9人乗りワゴンでした。
車がなかなかやってこないので、昨日のバスのように最後だと席が真ん中になると危惧していたとおり、最後尾の真ん中で両隣はドイツ人とフランス人。
最後列はよく見るともともと荷物置き場にシートを後付したもので、前の座席まで近く、大男がくっつくようにして3人並ぶとても厳しい環境でした。
車に9人乗りと書いてあるのに総勢12人乗っているねと指摘すると、みんな1、2と数えてから本当だ、うわーなどとあきれています。
ドイツ人の青年は、ギターを持っての旅で早々に音楽を聞き始めたので、わたしはフランス人と延々会話することになります。
最初のうちは旅のルートとか、コメの種類の説明とか、日常会話レベルでやり取りが成立していたのですが、彼がおもむろにフランス紙のタイ版を取り出して読んでいる中でアベノミクスの記事があると言って、アベノミクスとはなんだ説明してくれと言われたところから一気に雲行きが怪しくなり、全然説明できず逆にフランスでは右翼が盛り返していると聞いたがというような余計なことを話したところ、彼の説明が理解できずで、ついに相手にされなくなってしまいました。

車はずいぶんとろとろ走って6時頃ルアンプラバンに到着しましたが、もう少し時間を意識して運転してくれれば1時間以上短縮できるはずです。
ちょうど暗くなってからの到着なので、宿を予約していた韓国女子3人組を除いた全員が停車したところのゲストハウスに泊りました。
わたしは、隣に座っていたフランス人を誘って夕食に行くつもりだったのですが、それまでのやり取りであきれられていた上に、彼らがドミトリーを取る中でひとりシングルの部屋に行ったことで見限られたようで、以降彼の姿を見ることはありませんでした。
わたしは竜クンが宿泊すると言っていた宿を探し出したのですが、彼は6時のバスでビエンチャンに行ってしまったと聞きました。
とても残念ですが、彼は思い出の人と再会することはできなかったようです。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/23 Thu

逆韓流または韓逆流

Grubb 20cmF3.5
前日、竜クンがルアンプラバン行きのバスチケットを買った旅行代理店で、わたしもバンビエン行きのバスのチケットを買うことにしました。
ハノイからビエンチャンまでのバスチケットをボラレたと憤っていた彼は、今度はかなり慎重にバス料金をチェックしていて、ここが間違いなくいちばん安かったですと教えてくれたので、彼を信用することにしたのです。
バンビエン行きのバスは8時にその代理店に送迎車が来るとのことでしたが、20分も遅れてやってきて昨日のサッカー競技場のわきに停車していたバスはすでに満員で最後尾の中間のシートしか空いていません。
両隣の若者はふたりしてわたしにもたれかかって眠るので、わたしが眠れませんでした。
チケットはたぶんいちばん安かったのかも知れませんが、その代償でバスの中で苦労することになりました。

途中のレストランでの休憩をはさんでバンビエンには12時に着きましたが、途中から雨が降ってきていました。
石屏で少々の雨にたたられた以外はずっと天気に恵まれていましたが、今回、乾季のはずのラオスで本格的な雨に見舞われました。
カメラバッグに突っ込まれたままだったほとんど使っていない折り畳み傘を開いて、バス停の向かいにあったレストランまで移動します。
ハノイにいるときに胃が苦しくなって食事できないような時もあり、ビエンチャンで復活したのでラオス通の竜クンの勧める激辛のソムタムを食べたりもしたのですが、ここではパンプキンスープとスパゲティボロネーゼという胃に優しそうな洋食をいただきました。
あわせてホテル予約サイトで、格安ながら評価の高いゲストハウスを予約しました。
狭い町なので歩いて宿を探すつもりでしたが、雨とあって食事同様無理のない手段にしたのです。
ここへきて真面目な貧乏旅行者としては自堕落な道を選んでしまいました。

重たいトランクをレストランに預かってもらい、地図をたよりに宿を探しました。
安いだけに町の完全にはずれに位置していましたが、趣ある建物で何より静かなよいロケーションが気に入りました。
部屋はいくつか空いている中で好きなところを選んでよいと言われ、玄関のわきにテーブル付きのベランダがあるバンガロータイプを選択しました。
そんなやり取りをしているうちに首尾よく雨が上がったので、散策に出ることにしましたが、宿で地図をくれて近くに洞窟があるので行ってみてはとの勧めに応じて歩き出します。ぐるりを桂林のような不思議な形状の山に囲われた風光明美を味わいながらの15分ほどの散策は、ビエンチャンではなくここに2泊すべきだったと後悔させるだけの魅力がありました。

川を渡る吊り橋のところをふさぐようにして記念写真を撮っているグループがいて、中国人かと思ったのですが、バンコクから来た家族連れだとのことでした。
わたしが日本人だと分かるとみなとても友好的で、とくにいちばん若い青年がしきりに英語で話しかけてきます。
間もなく高校を卒業するというブリス君は、父親と同じ弁護士を目指して大学の法科に通う予定だそうです。
彼らは明日バンコクに戻るのですが、またバンコクで会いましょうとフェイスブックで連絡を取り合うことになりました。
それとツアーの車で来ていたので、わたしをトランクの預けてあるレストランまで送ってもらえたのも助かりました。

バンビエンの町には韓国人が多くいるのが気になっていたのですが、兵役前に旅行に来たという青年がその理由を教えてくれました。
韓国の人気芸能人がここバンビエンを紹介する番組をやってから、韓国人の間にビエンチャン、バンビエン、ルアンプラバンと旅するのが一大ブームになったのだそうです。
レストランのメニューにもハングル文字があったり、夜に行ったマッサージでは韓国人かと聞かれ日本人だと答えたらがっかりされたり、宿の宿泊者も半数が韓国人だったり、そういえば来る時のバスの隣も韓国人の兄ちゃんだったなあと思い出したりしました。
昆明からここまでのルートでは韓国人を見たのはハノイとビエンチャンで若干という程度で、日本人にいたってはハノイからのバスで知り合った竜クンだけでしたので、バンビエンという小さな町がコリアンタウンと化している姿はいかにも不思議なことでした。

さて、作例は、バンビエンのちょっとはずれにある民家の軒先で撮影したものです。
美しい山村として外国人が訪れるようになり、さらには韓国人のバンビエンブームが拍車をかけて、メインストリートにはレストラン、ホテル、旅行代理店などが盛況の様子ですが、少し離れただけでもそんな恩恵を受けられないまま以前と同じ生活をしている家がところどころあることに気づきます。
たぶんそれこそがバンビエンはすばらしいと訪れた外国人が本来見られるものだったのだと思うのですが、いま訪れている旅行者は誰もそれに見向きもしていなさそうです。
彼女の額には何かおまじないのような書き込みがありましたが、言葉が通じなくてそれが何を意味するかは分かりませんでしたが、外国を旅していれば疑問が解決しないままなんてことはあたりまえです。
言葉が通じるところばかりを旅していたことを逆に疑問に思うべきだなどと考えながら寝床に付きました。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/22 Wed

粘土の仏様

Grubb 20cmF3.5
ハノイからビエンチャンへは南西に700キロほども離れていますが、この距離を実感したのはバスで過ごした時間よりも、気温の高さによるものの方が大きかったといえます。
気温を記録しているわけではないので感覚的なものですが、夏日のハノイから猛暑日のビエンチャンに移動したような感覚です。
確かラオスの正月もタイ同様の水かけ祭りソンクラーンで、先週のことだったはずです。
ソンクラーンは乾季のいちばん暑い時期に雨乞いの水かけが起源だったはずなので、酷暑の時期にラオスに来てしまったということでしょう。
朝起きてから外に出るとすでにじりじりと暑くて、半ば涼むために入った国立博物館には扇風機すらなく、なぜか1室だけ設置されていたエアコンの前でしばらく休憩してしまいました。

隣にはナイター設備のあるサッカー場があって中に入ってみましたが、さすがにこの暑さの中では練習する人すらいません。
ワールドカップアジア予選でラオスと同じ組に入ればアウェイ戦はここで試合することになるのかも知れないスタジアムですが、芝生のコンディションの悪さはこの暑さが続くのだから仕方ないだろうなあなどと同国サッカーに同情したくなります。
ただし、欧州サッカーの観戦はとても人気があって、ベトナムでもそうですが、日本より2時間遅れの時差が中継時間も日本より見やすい時間にしてくれることにも一因するように思います。

昼はバスがいっしょだった日本人青年の竜クンと待ち合わせして食べました。
彼は20代後半の若者ですが、すっかりアジアに染まってしまい、何度も旅を重ねる猛者でした。
言語センスに優れていて、タイ語、ラオス語、中国語を少々操ることができます。
旅においてもっとも重要なツールは言葉だと考えるわたしには、羨ましい能力でした。
彼は昨年ラオスを訪れたときにルアンプラバンですばらしい出会いがあったそうで、そのこともあって今夜のバスで当地へ向かうことに決めていました。
わたしもその話の内容を聞いて同行したくなりましたが、彼の邪魔にならないよう遠慮します。
わたしもいずれルアンプラバンには行くつもりですが、10時間もかかるというので、その中間のどこか田舎に寄ってから向かいたいと話すと、バンビエンというところがよいですと教えてもらいました。

昼食後また別れて、わたしは近くにあった骨董屋を見に行きました。
アジアの骨董はどうにも胡散臭いのですが、この店には大量の小型の仏像が置かれていて、安いものがけっこうあります。
まっ先に10センチに満たない木彫りの像に惹かれましたが、これは20年ほどしか経っていない骨董とは言えないものだと親切な店員が教えてくれました。
値段も2000円程度でしたが、ただいまセール期間のため20%引きだとのこと。
もうひとつ気になったのが軽石のような素材の仏像で、これはクレーでつくられていて90年前にシエンクワーンという町のものだとのことです。
古さや希少性にもかかわらずこちらも30ドルほどで、それは状態がそれほどよくないことによるとのことでした。
なるほどクレーでもきれいなものが100ドルくらいであって、わたしが骨董マニアであればそちらを選択するのでしょうが、旅の記念程度に考えているので安い方で十分、先ほどの木のものと二体いただきました。

3時くらいになってやや涼しくなってきたので、自転車を借りてあちこち走ってみることにしました。
レンタル料が300円ほどだったのを、もうこんな時間だからと100円まけてもらって、メコン川とは反対に北へ向かって漕ぎ出します。
ビエンチャンは一国の首都でありながら都会的な雰囲気が微塵も感じられない可愛らしい町のようで、自転車でうろうろするにはうってつけでした。
すぐに市場があって売り子のおばさんにカメラを向けても全然嫌がらないのがよいです。
向かいには学校があって終業時間と重なったらしく学生が大挙して出てきます。
小さな店で飲み物を買う子が大勢いて、これは日本だと買い食いだと叱られそうですが、猛暑の中勉強していた彼らには許されるでしょうし、暑さに不慣れな旅行者のわたしも列の後に並んでメロンのスムージーをたのみました。
外国人の多いエリアでは150円くらい、町中では100円くらいしますし、東京だと500円はとられそうですが、ここでは70円とさすが小学生価格で安さに笑ってしまいました。

さらに走るともうひとつ学校があり、ここは華僑の学校でした。
作例の少女は校門前で声かけて撮ったものですが、日本でそんなことすれば即刻警察を呼ばれてしまうところでしょう。
これはラオスに限らずですが、東南アジアで写真を撮らせてといって断られることはほとんどありません。
撮ってもらえることを感謝されて、撮影後にサンキューと言われるほどです。
彼女も中国系だそうで、中国語ができるというのでしばし英語から切り替えて会話しました。
来年には上海に留学するつもりだと言っていたので、ラオス人としては裕福な家庭の子供のようです。
またしばらく走って寺院を見物してから宿方面に戻りました。
ちょうどルアンプラバンに向かうという竜クンの出発に間に合い、見送りすることができました。
彼が思い出の人と再会することをクレーと木の仏様にお祈りしながら。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/21 Tue

20時間のバス旅

Nokton 50mmF1.5
わたしをバスに送り届けた女性の名前はフオンでしたが、これは奇しくもラオカイの少数民族の友達と同じ名です。
彼女は昨日公園でフリーハグ活動をしたときも、食事の時もつねにわたしのそばで何かと気遣ってくれていました。
わたしに個人的に関心がということなら非常に嬉しいですが、そうではなくて彼女の面倒見の良い性格と日本に対する強い興味が理由のようです。
彼女のフェイスブックを見たらテレビ局の仕事で少数民族の村を訪ね歩いている写真が何枚かありました。
内容はよく分かりませんが、村の置かれる現状をリポートして早急に解決をとリポートしているように感じられ、そんな問題解決の糸口を先進国・日本に見出そうという意識が自然と働いていたのかも知れません。
わたしがサパで感じたことを話した時も、熱心に聞いてくれたように思われました。

そんな真面目な彼女が必死で捕まえてくれたバスだったので本人には申し訳なくて言えなかったのですが、行先が違っていました。
わたしが次の目的地に考えていたのはラオスの京都とでも言うべきルアンプラバンでしたが、このバスの行先は現在の首都ビエンチャンでした。
また回り道になってしまいますが、そんなことよりぎりぎりのタイミングでバスに乗れたことの方がいかにもわたしの旅らしく重要です。
バスは中国式の3列寝台タイプで、ありがたいことに半分くらいしか乗客がなくゆったりしています。
イギリス人はじめ西洋人の男女の若者たちが8人ほどいましたが、せっかく上下二段になっているベッドの下段が空いているにも関わらず、上段に陣取っているのが半分くらいいます。
彼らは、バックパッカーらしくあえて過酷なベッドを選ぶのでしょうか。

わたしが下段のベッドに横になり、そのままでは膝を曲げているしかない足を通路に伸ばしていると車掌がやって来てチケット代550000ドンを出せと言ってきます。
500000だときいたがと言うと、いや550000だと押し問答になりました。
差額の50000ドンは約300円ほどですが彼のポケットマネーになるのでしょう、だったらチケットを発行しろと言うと、分かった500000ドンでいいとあっさり引き下がりました。
休憩時にもうひとり日本人が乗っていることが分かり、この1件を話したところ、チケットはそんなに安かったのですかとショックを隠せないようでした。
わたしがホテルで言われたのと同じ62ドルで彼はチケットを買っていたのでした。

わたしがハノイの高速道路下でバスに乗り込んだのは夜の7時で、到着予定を聞くと夕方4時ころだと言うので21時間もかかることになります。
ほぼ丸1日近くバスに乗っているのでさぞかしきついと思われるかも知れません。
しかし、今回、下段ベッドに寝られたことで足を通路に置くなど姿勢が自由になり、懸念された未舗装などの悪路もなかったようで、ほとんど楽に感じられるバスの旅でした。
同じようなバスに乗った北京から二連浩特のバスは上段だったため姿勢が変えられず(姿勢を変えた瞬間前の人の頭を蹴っ飛ばすか、自分が落下する)、後ろのやつらの足が匂って地獄のようなバスでしたが寝る位置によってはそうはならなかったでしょう。
移動が快適かどうかは、案外と紙一重なのだと感じます。
わたしは陸路移動がポリシーなので使いませんが、ハノイからはビエンチャンにもルアンプラバンにも航空便があってしかも安いので多くの旅行者はそれを利用します。
しかし、以前機内で隣に乗り合わせたインド人の香水(?)があまりにきつくて耐えられず、座席を移ったことがあるので、短時間の飛行機がバスより快適とは言い切れないことも申し添えておきたいと思います。

バスは早朝にベトナムとラオスの国境に到着しますがイミグレーションオフィスのオープンが7時のようでしばらく停車してタイミングを見計らって車掌が起こしてくれます。
ベトナム出国審査を終えて、徒歩約10分で国境の緩衝地帯を過ぎ、ラオスの入国審査を受けました。
陸路越境の洗礼なのかいずれも1ドル手数料を請求されたのですが、これも係官のポケットマネーではないかと疑われるもので、ここで出し渋って出国拒否、入国拒否になっては一大事なので笑顔で支払します。
わたしはドルの持ち合わせがないので余っていたベトナム紙幣を渡しましたが、だいぶ足りないのを負けてくれたりしてくれたところをみても、公式のものでないのは明らかです。
その後、昼食休憩をとったりしながらバスはビエンチャンに到着しましたが、なぜか予定より1時間も早い3時に到着しました。
バスターミナルは市街から離れているようで、路線バスを探していたところイギリス人たちが10人まとめて10ドルで乗り合いバスに話を付けてくれました。
距離が分からないので何とも言えませんが、5ドルとかでもいけたのではと思われます。
運転手のほくほく顔がそれを証明していました。

もうひとりの日本人の竜クンはバックパッカーなので安宿に荷を下ろしましたが、わたしはもうちょっといいところがないかと探して、高級リゾートホテルのようなところで1泊28ドルと言うのを見つけました。
予算オーバーですが、この施設なら大満足だと支払しようとすると128ドルとなっていました。
さっき28ドルと聞いたがといって少し揉めましたが、さすがにいくら物価が安いラオスでもここが28ドルはあり得ません。
ワンハンドレットの部分を聞き落とすとは考えにくいので、ちょっと胡散臭い感じがしましたが、わたしが聞き間違えた申し訳ないと詫びて、ウェルカムドリンクまで飲んでいたのを無罪放免してもらい、別の安宿に落ち着きました。
ハノイのホテルもそうでしたが、どうもアジアの都会のホテルは一筋縄でいかないところがあるようで、以降気を引き締めたいと思います。
さて、作例はホテルから徒歩10分ほど、夕涼みにメコン川まで出てみると多くの人たちが遊んでいたので、女性に声をかけて撮影させてもらったものです。
対岸はもうタイです。
それはともかく、この女性のスカート、少し短すぎやしないでしょうか。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/20 Mon

今度はハグする

Nokton 50mmF1.5
そろそろ帰国の日程を意識しなければいけなくなってきました。
もともとはハノイに立ち寄る予定はなく、中国・雲南からベトナム・ラオカイに入り、サパで憩ってからディエンビエンフー経由でラオス・ルアンプラバンへ抜けようと考えていました。
このルートは地図を見る限り昆明から石屏を通るバンコクへの最短ルートであって、ハノイまで足を延ばすのはかなりの迂回になります。
もともとラオカイのフオンから実家に遊びに来てほしいと言われていたので、上述のルートで旅脛中で立ち寄ろうと思いフェイスブック上でその旨やり取りしていました。
しかし、どこで漏れてしまったか、昨年、ハイフォンでビールを散々飲んだ友人からラオカイまで来るのならハノイにもぜひ来るようにと直前になってオファーがありました。
断る理由はないですし、もともと予定あっての旅ではないので、このようにルートが変わることは歓迎します。

昨夜、酒の席とはいえ、若者たちは口々に日本を賛美して、私を日本に連れて行ってと真面目な顔で言う子まで出てくる状況でした。
逆に中国に対してはブーイングで、去年同様のことが話題になった時に中国を悪く言う人がいなかっただけに、西沙諸島の問題以降の対中感情の悪化がよく理解てきました。
とにかく日本好きというか尊敬している部分が大きく、中国に反感が強くて、自国を愛しつつも自虐的になっているので、みんな熱心な親日家として接してくれて居心地が抜群に好いのです。
ただ、それに甘えてズルズルとハノイに滞在していては先に進むことができないので、昨夜、明日の夜にはハノイを出発してラオスに向かうと宣言していました。
すると、では明日お別れ会をやるから出席てきる人は集まるようにとなったので、翌朝、のこのこと友人宅にタクシー(やはりバイクタクシーには乗りたくない)で出向きました。
友人とふたりだけになるかなあと思っていたのですが、他に女の子が4人来てくれ、中にはハグしてくれたテレビレポーターの子もいて感激です。

総勢6名なので、昨日の食事はご馳走になったこともあり、日本食のレストランでご馳走しようと申し出たのですが、それはまたハノイに来たときにねと言われてしまいした。
カフェでおしゃべりしたあと、友人宅のそばの市場にみんなで買出しに行き、女性陣が調理して食事することになりました。
出てきたのは生春巻きでした。
ちょうど日本の手巻き寿司のように、調理時間のない時などこちらの人は仲間内でよくやるのだそうです。
具材は10種類以上あって、手巻き寿司ならかなり悩むところですが、生春巻きは巻けるものは何種も巻いてしまうので、好きなものをがんがん取ってという感じです。
わたしが巻くのは不器用で遠慮がちにしていると見るや4人の女の子たちがかわるがわる巻いては手渡ししてくれて、ほとんどハーレムというか介護されているような状態でした。
これでは絶対にまたハノイに来て、彼女たちに日本食をご馳走しないといけません。

少し困ったことがありました。
ベトナム料理が好きかという話になって、もちろん大好きだ、旅の初めに奈良でベトナム料理を食べてきたくらい、と答えたのですが、では何という料理が好きかと聞かれて、うっと言葉に詰まってしまったのです。
ベトナム料理の名前と言われて知っているのは、わずかにこの春巻きとフォーくらいのものです。
これではいま好きだと答えたのに矛盾しています。
さらに、いま食べているのは春巻きではないとまで言われて愕然としました。
日本では揚げ春巻きと生春巻きと言いますし、途中のレストランの英語メニューでFried Spring Roll or Fresh Spring Rollという表記を見ているので、他の外国人も同じように春巻きを認識していそうですが、どうやら当のベトナム人は生春巻きには違う名前を付けて別物として区別しているようです。
そのあたりがよく理解できなかったので、こんど日本語堪能なベトナム人に確認してみたいと思います。

そんなどうでもいいことも含めて楽しい時間を過ごしましたが、ラオス行のバスに行く時間になりました。
みんなとはお別れですが、ハグの子がバスターミナルまでバイクで連れて行ってくれると言います。
ホンダのスクーターに体重の重いわたしと機内持ち込みサイズより一回り大きなトランクを載せてもらうのは申し訳ないを通り越して危険なような気がしたのですが、彼女も義務感にかられたように大丈夫だと言い張っています。
他のメンバーたちとはここでお別れして再会を誓いました。
彼女にギュッとつかまっていたいようなセンチメンタルな気分ですが、トランクは彼女とわたしの間に縦にしておくので、わたしはトランクを抱く形で出発します。
しかし、こんなに重たいものを積んで走ったことがなかったのでしょう、いきなりバイクはバランスを崩したためにわたしの肩が路上の屋台にぶつかり、乗っていた食べ物の半分くらいが落下してしまい、わたしと彼女は顔面蒼白になりました。
見送りに立っていた友人たちが飛んできてくれて、慌てふためく売り子のおばさんを取り成してくれ、わたしは意味もなく中国語で対不起、対不起と詫びながら、立て直したバイクにしっかりつかまって走り去りました。
悲しい別れが一転、振り返ると、コメディドラマのような状況にみんなが大笑いしているのが見えました。

ところが、この後すべてがうまくいったと言うわけではありません。
前夜、ホテルでラオス行のバスチケットを代行販売しているというので予約しようとすると62ドルだと言われ、ちょっと高すぎると思い購入を思いとどまりました。
コミッションとバスターミナル送迎料をかなりボッテいるように思えたのです。
検索するとラオス行のバスが出るターミナルが分かったので、直接行ってチケットを買うことにしました。
しかし、そのターミナルにバイクが着くと、ここからはラオス行は無いと言われます。
少し動揺しましたが、たぶんわたし以上に動揺したのは彼女の方だったと思います。
わたしにしてみれば、バスに乗れなければもう1泊して明日向かえばいいし、むしろ彼女を誘ってこのままふたりで食事に行く手もあると呑気に考えたのですが、彼女の方ではこれからベトナムを去る人を送り届けることができなくてはベトナム人の名折れだとでも思ったのか、必死になってあちこち電話してラオス行のバスを追跡してくれたのです。
今いるところから比較的近くに高速の入り口があるので、そこを経由するようにとでも指示したようで、そこで無事にバスを捕まえることができました。
そして料金は50000ドンだというので、20ドルほどでした。
やはりホテルでは3倍もの料金を吹っかけてきていたのです。
高速のガード下にはバスがすぐさまやって来て、いよいよ彼女ともお別れのときになりました。
わたしはトランクを足元に置き、無言で彼女にハグします。
それは10秒ほども続きました。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/19 Sun

恥をかき捨てられず

Nokton 50mmF1.5
ラオカイのバスターミナルと駅前からは多くのハノイ行のバスが出ていました。
もともとあった路線に、高速道路の開通もあって多くの会社が参入してきているようです。
多くがハノイ郊外のバスターミナル止まりなのに対していくつかのバスが中心まで行くのに料金は全社一律なことから、そんなバスを選択して乗り込みました。
バスは中国のものと同様の3列スリーパータイプでしたが、乗車率は3割程度なのでかなり楽ちんです。
出発してすぐに高速に乗ったので、一気にハノイまで突き進みそうでしたが、やはりそうそう甘くはないのが東南アジアのバスです。
高速の路肩にはときどき人が立っていて、それを認めるとバスは停車してハノイに行きたい人は拾っていくという仕組みなのでした。
何度かこれを繰り返して合計15人くらい乗ったり降りたりしたので、せっかくの高速道路の威力も半減してしまったかのようでした。

さて、そうしてハノイに着いたのですが、このあととても恥ずかしいミスを2つ立て続けにヤッてしまいます
最初はまずホテルですが、ハノイも3度目なので安宿で交渉しようとホテル予約サイトで目ぼしいところの価格を調べてそこでは予約せず、直接ホテルで交渉して価格を下げようとせこい試みをしました。
Aurora Hotelというのが23ドルとなっていたので、サイトを通さないことで20~21ドルで宿泊しようとしたのですが、あっさりそれは成功します。
しかし、部屋に入ると妙に埃っぽいし配線とかむき出しで、とても口コミ評価の高いホテルには思えません。
ハノイの友人が迎えに来てくれることになっていたのですが、いつまで経っても来ないのも不自然でした。
おかしいと思ってロビーに降りてみると、ホテル名はAllura Hotelとなっていました。
通りに出ると7~8軒先に本来泊るべきAurora Hotelがあって、中では友人があれっという顔でわたしを見つめているのでした。

ミスは立て続けに起こります。
その友人のお宅で食事することになり、彼は自転車でわたしは彼が行先を告げたバイクタクシーでその家を目指します。
てっきりバイクがゆっくり走っていっしょに行ってくれると思ったのですが、バイクはあっという間に先を進んでしまいました。
そして、ここだと言って卸されたところで最初に言われていた50000ドン渡そうと財布を見ると200000ドン札しかありません。
150000ドン釣りをくれと言いながら手渡すと、何か大声で叫ぶや否やそのままバイクは走り去ってしまいました。
勢いよく走り去るバイクに追いつけるはずもなく、わたしはすっかりやられてしまったのです。

これだけでも恥ずかしいことですが、それからがまた恥の上塗りでした。
当然バイクがわたしを降ろしたところは友人が言った場所とは違っているでしょう。
わたしは友人のところに行かなくてはと思いましたが住所が分かりませんし、電話もなかったので、まずは警察に行くべきと判断しました。
英語の通じそうな高校生に警察はどこか聞きましたが近くにはないと言います。
その次にインテリ風の男性に声をかけましたが、その人は英語が通じないようで、こちらで失礼しましたと頭を下げると、男性がちょっと待てと言う風に店の中にいた青年に声をかけてくれました。
彼は英語ができるのだろうと同じように警察はと話しかけるも英語はダメでした。
がっくりしてありがとうと言うと、あなた日本人?と日本語で聞かれました。
なんと彼は日本に留学している学生だと言い、わたしの説明を聞くと友人に電話して呼び寄せてくれました。

そこで、わたしは申し訳ないがこれから警察まで付き合ってくれ、150000ドンも持ち逃げされて泣き寝入りはできないと言いますと、ふたりは、えっ、という顔をしています。
わたしは15万という単位をよく考えずに大金を持ち去られたと動揺していましたが、それは800円程度に過ぎなかったのでした。
物価の安いベトナムではそれなりの価値のある額ですが、その程度ならベトナム人でも諦めるよと友人に笑われながら友人宅に向かうことになりました。
1キロくらい離れていましたが、もちろんバイクで行くのは拒否して歩きます。
ちなみにその青年は、一時帰国していたものの翌週、新宿の学校にまた通い始めるとのことで、日本で再会することを約束しました。

友人は、昨年ハイフォンを訪れたときに知り合った青年で、彼はその後、ハノイで食品商社の事業を始めたそうです。
自宅がオフィスで弟や親戚が従業員している規模ですが、しっかりと登記してオリジナルのロゴ入り製品も出していました。
自宅は市場のはずれの庶民的エリアですが、野菜や肉が安く手に入るからと、彼の会社の腸詰も入れて鍋の食事を楽しみました。
遅くなって帰るときは、ビア・ハノイでかなり酔っていましたが、バイクタクシーは嫌だと言うと思ったのでしょう、わざわざ知り合いを呼んで送ってもらいました。
バスの移動、ホテル間違い、バイクの持ち逃げ、再会祝いの鍋とどたばたの1日で、撮影はそのバイクの後ろから撮った数枚だけでした。
こんなに混沌としている中を飛ばしていたのですから、やはり胡散臭い運転手と気付くべきでした。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/04/18 Sat

ハグされる

Grubb 20cmF3.5
翌日もハノイの友人から誘われていました。
土曜は仕事が半ドンとのことで、午後またホテルに迎えに来てもらい、それから仲間たちが集まるイベントがあるので参加してほしいとのことです。
わたしは早目に起きてシャワーを浴びるとホテルを移ることにしました。
去年泊ったホテルで受付の女の子と盛り上がり、ペッツバールにも関心を持ってもらったことを思い出したからです。
しかし、訪れてみると彼女はすでに辞めてしまっていて、気の強そうな女の子に替わっていました。
それならと遠慮なしに昨日と同様の予約サイトより若干安く泊めて交渉をして、2ドル安くしてもらいます。

ホテルで地図をもらって、散策開始します。
昨日あたりから暑くなったそうで散策には厳しい陽気ですが、適当に歩いてはカフェで休憩を繰り返しました。
ベトナムといえばコーヒーが有名ですが、カフェにはフルーツを絞ったジュースとか氷といっしょにミキサーにかけるスムージーなどもあって、この天気だとそちらを飲みたくなります。
マンゴージュース、アボカドスムージー、パパイヤスムージーといただきました。
ただ、カフェはいわゆる冷気開放のエアコン付ではなく、路上に並べた椅子か店内では扇風機にあたるしかありません。
外だとバイクが多いので騒がしく空気も悪いですが、そんなバイクを狙ってカメラを構えているといろんなのが通りかかって退屈しないので外の方がおすすめです。

先日、深圳在住の福建の友人の鉄観音茶をおすそ分けでお持ちしたらたいへん美味しいとおっしゃってくれたご夫婦がいました。
今回は深圳に寄らないので、お茶の代わりにハノイのコーヒーを試していただくべく店に立ち寄りました、
たいへん美味しいと以前教えてもらった店で、コーヒーが苦手なわたしをコーヒー好きにしたところなので、お土産用に少量購入してみました。
本当はまとめ買いしたいところですが、トランクの空きスペースがなくて、移動を続ける旅ではなかなかものを買うことができません。
コーヒー屋さんのそばに高校があったので、青春を謳歌する若者たちに声をかけて撮影させてもらいました。
作例を見る限り、ふたりにピントを合わせられていないですね。
どちらの子でピント合わせしたのかがバレてしまい、自分の趣味が見透かされるようで恥ずかしい限りです。

午後になって約束通り友人がやって来て公園に向かいました。
仲間たちと待ち合わせして活動を始めるといいます。
どういう趣旨かとの説明はまったく理解できなかったのですが、公園でゴミ拾いの美化活動をして協力してくれた人にはハグするということのようです。
段ボールのゴミ箱や”FREE HUG”と書かれたプラカードが用意されていて、それらを手に総勢10名ほどの若者が公園を歩きます。
園内でブックフェアのようなイベントが開かれていて、土曜の午後ということもあり多くの人が集まっていました。
そんな若者に声をかけては手近なところのゴミをひとつ拾ってもらい誰かがハグします。
ベトナム人はシャイな人が多いので、声を掛けると恥ずかしがりますが、意外にみんな協力的で、ハグにも普通に応じてくれます。

わたしは当初ハグ係りを命じられましたが、暑さで汗だくだったので辞退して、声掛け担当を買って出ました。
最近の撮影で人に声を書けるのには抵抗がなくなっていますし、若者が多いのでわたしの英語でも何とか理解してもらえます。
30人くらいに協力してもらったでしょうかそろそろ次にと言うことになったら、お疲れさまと言っていっしょに活動した女の子がわたしにハグしてくれました。
最後まで趣旨が分からないまま活動に参加していましたが、宗教とか、政治的な意味はないそうです。
その後、英語の先生が現れて英語でみんなで自己紹介し合います。
約半数が学生でしたが、先ほどハグしてくれた女の子はテレビ局勤務でレポーターの仕事をしているとのこと。

食事にはみんながバイクに分乗して繰り出します。
友人が自社の食品を降ろしているという炭火焼肉レストランでした。
焼肉といえばビールかと思いきや、農村でつくられたコメの酒をお猪口のようなグラスでみんなで飲みます。
わたしもフォンの家で飲んだアルコール度数の高いやつで、みんなバイクで来ているのに女の子も含めてけっこう飲んでいました。
日本でなら石焼ビビンバかお茶漬けで締めるところを、さすがベトナム、網の上でフランスパンを焼いてはちみつ塗って食べて終了になりました。
店のオーナーの奥さんが日本ファンだそうで、ここでもみんなでハグしてお別れです。
ベトナムではツイッターはまったく不人気ですが、フェイスブックはみんなやっています。
ホテルに戻ると先ほどの彼らから友達リクエストが大量に届いていました。
学生時代に戻ったような1日でした。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/17 Fri

軋轢の構図

Grubb 20cmF3.5
やはりスイス山荘風のホテルは快適でした。
いちばん安い20ドルの部屋を選びましたが、50ドルの部屋でもベランダがあって広さが違うだけなので大差なくわたしには十分でした。
設備は完璧で特にマットレスの硬さが心地よく、熟睡することができました。
薪をくべる暖炉があって、次回は敢えて真冬に来たいと思わせます。
宿泊客も落ち着いた年代のヨーロッパ人ばかりで、みな静かにこの環境を楽しんでいるように見えました。
何にも増してよかったのは、バスのことを教えてくれたりした女性で、この夜サッカー中継が見たくて何時から始まるか聞きに行ったところ、すぐさま調べてくれた上にわざわざ部屋までチャンネルを合わせに来てくれました。
しかも、彼女はベトナム出合った中でいちばん可愛い女性だといえば、次回はこのホテルに泊まるためにベトナムを訪れたくなるではないですか。

寝心地良すぎて(何しろこれまでは夜汽車とか夜行バスから、激安ホテルの臭い部屋に山奥の村のホームステイですからたいへんなグレードアップです)寝過ごしてしまい、せっかく付いていた朝食をフイにしてしまいます。
食事を求めてサパの中心に向かうとモノ売りの女の子たちにつかまってしまいました。
初日にも私に会ったが、また今度と言ってではないか、何か買ってほしいと迫られましたが、確かに彼女たちに会って次回とまで言ってしまったのを覚えています。
また、必要のないテーブルクロスや財布が増えてしまいました。
女の子は生活のために必死でモノ売りをしていますが、根は善い子たちのようで、午後には自分の村を案内してくれると言いますが、今日はラオカイからハノイに行くつもりだと言うと残念そうにしていました。
それなら歩いて30分のところにモン族の村があるのでそこまで行って、帰りはバイクで戻って来るといいと教えてくれたので従うことにしました。

さっそくその村に行きましたが、さすがにアクセスのよい村だけに訪れる人が多いようですし、入場料も取るようなことをいうので素通りしてひとつ先の村まで行ってみました。
サッカーしている子供たちがいて、彼らの仲間たちと並んで観戦していると、それが昼休みのことだったようで、午後の授業がもうすぐ始まると学校に行ってしまったので、ついていってみました。
先生に歓迎されて職員室に案内されお茶をご馳走になります。
そこは小学校で生徒数は80人くらい、遠くの村の子供は校内で寮生活しているといいます。
おもしろいのはこの学校では授業にチェスを取り入れていて、クラス全員で対局していました。
作例はその時のものですが、両棋士のポーズがなかなか決まっています。
ただ、わたしの将棋の知識ではどちらが優勢なのか強いのかさっぱり分かりません。

続いてサパに戻り足を延ばして市場を訪れてみました。
一部野菜なども売られていましたが、ほとんどが観光客向けアイテムばかりで、昼日中にこんなところを訪れる人はないようで、閑古鳥が鳴いていました。
ショックだったのは、昨日、手製と思って買った渋いシャツが市場で普通に売られていたことです。
町中の店でミシンを踏んでいたおばさんが、糸を見せながらクオリティの高い綿を使っているなどと説明していかにも自分が縫製していると見せていたのに騙されました。
市場には草木を切ったり動物の解体にも使う万能小刀を竹の鞘付きで売っていたので思わず欲しくなりましたが、これを日本で何に使うのかと我に返って買うことを差し控えました。

さて、これは何かの裏付けがあるわけはない一旅行者が期滞在で感じた程度のことなのですが、どうも現地少数民族とマジョリティのベトナム人との間に対立的構造がありそうなのです。
サパにももともとベトナム人は住んでいたのかも知れませんが、ほとんど少数民族の土地だったはずで、そこでホテルやレストラン、商店などお金が大きく動くところはすべてベトナム人によって仕切られています。
状況は、先日書いた中国の古鎮と同様のようで、このことは少数民族が快く思っていないようなことを何度か聞きました。

そもそもわたしがサパに着いてホテルにチェックインしたとき、バスを降りた場所にいたパオがわざわざ追いかけてきたことにもそれが現れています。
少数民族の地を訪ねて来た外国人をベトナム人に取られてたまるかという執念でやって来たという。
サパには高速の開通もあってか多くのベトナム人が観光に来ていましたが、モノ売りたちはまったく相手にしません。
たぶん西洋の若いバックパッカーよりもよほどお金持っているんじゃないのと聞きますが、彼らは買い物しない、ベトナム人だからと15歳の少女が吐き捨てるように言ったのが印象に残っています。
また、最初に訪れた教師のフオンも別の少数民族で、就職の際に差別を受けていたようなことをほのめかしていました。
今日までは少数民族の多い地域を旅しましたが、明はベトナムの首都に行きますので状況が変わります。
民族同士の問題についてはこれ以上聞くことは止めておきましょう。
むしろ聞きたいのは、去年から大きく状況が変わった対中感情についてです。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/16 Thu

わたしから買ってください

Nokton 50mmF1.5
「コン・ニオン・ハーイ」。
これが、わたしが覚えた唯一のモン族の言葉で、こんにちはの意味だそうです。
何しろ出合ったモン族の人は英語を器用に操るので、彼らの言葉を知ろうとする旅行者はみかけず、わたしのみが連発していました。
最後のハーイは、英語でハーイと伸ばして挨拶するのと同じイントネーションでしたので、発音しやすかったのですが、あるいは外国人の挨拶を聞いて自分たちの挨拶にも採り入れたのかも知れないなどと思いました。
ちなみにベトナム語のこんにちはは「シン・チャオ」ですが、このチャオの部分もイタリア語から採られたのではと勝手に想像しています。
また、日本語のはい・いいえのはいは、広東語から採用されたそうです。
すれ違うモン族の人々にコン・ニオン・ハーイとやると、だいたい7割くらいの確率でコン・ニオン・ハーイと返ってきていましたので、FCバルセロナのボゼッションと同じ程度の率で迎え入れてもらっていた感覚でした。

モン族はとても温厚で真面目な民族であるとの印象を持ちましたが、もちろん良いことばかりではありません。
これは本来彼らの責任ではなく、観光化に伴い外国人が多く現れてモン族の価値観を一変させるほどの現金が持ち込まれたことに起因するものでしょうが、あらゆる人々がモノを買ってくれとしつこく迫ってくるのには苦しめられました。
サバ到着日は日曜で学校が休みだからでしょう、それこそ年端もいかない少女から老婆までが観光客を見かけると、わっと近づいていってブレスレットだ刺繍の財布だと言って、買ってくれ買ってくれと複数人に囲まれます。
脈ありと見られるとかなりしつこいので、お金がないのでごめんねとか言っても、1個50円のもあると言って離してくれません。
ようやく解放されても、10歩も歩かないうちに別の物売りに囲まれてでなかなか前へ進めません。

ハイキングの途中の村では小学生くらいの女の子が4人並んで低い声で歌いながら現れました。
讃美歌のように美しい響きでしたが、よくよく聞くと「Buy One For Me. Buy One For Me.」をひたすら繰り返していました。
それが懇願するような顔ではなく、まったく無表情だったので何かその旋律とあいまってハイカーの悲しみを誘うようなところがあります。
いつまでも耳から離れませんでした。
ガイドのパオ自体がまたモノを売りたがっている雰囲気でしたので、通りすがりの人から何か買ってしまうと、後であの少女から買ったのにわたしからは何にも買ってくれないのと言われそうで、彼女の家に着くまでは耐えるしかないと思っていました。
案の定、到着早々何か買ってくれると嬉しいと来ましたが、それは彼女自身だけでなく、パオの妹だという女性と仲良くなった14歳の娘からもあり、必要のないテーブルクロスとカメラのバッテリー入れに転用できそうな財布、これはまったく使い道の思いつかない唇の間に挟んではじくことで妙な音を出す伝統楽器をそれぞれ購入せざるを得なくなりました。
テーブルクロスは、それを使って食事しているようなおしゃれな生活する誰かへのお土産にしたいと思いますが、そんな知り合いを思いつきません。
藍染の手製のものですが、どなたかもらっていただけないでしょうか。

さて、今日がハイキングの最終日ですが、依然としてパオの顔色が冴えませんし、昨夜も4歳の孫が調子悪くなって夜中に泣き叫んだこともあって、無理せずそのままサパに向かって歩いてもらいました。
夕方のバスでラオカイに行って、夜汽車でハノイに行くか、ラオカイに1泊して朝のバスでハノイに向かうかすることにしたのです。
お昼はサパの食堂でしたが、体調不良で日程が短縮されたようなかたちになったので、パオがご馳走してくれました。
ただ、料金は約束通り3日分30ドル相当のベトナム紙幣を支払います。
中日は3食付で、初日の朝食と3日目の夕食はなかったので、一律1日10ドルというのも変なのですが、それ以上に楽しませてもらっているので何も文句はありません。

道すがら、ホテルの並ぶ通りからわずかばかり離れてポツンと建つ1軒のホテルが気になっていました。
各部屋にベランダがあって花が飾られており、そのベランダの正面には山々が対峙していて、目隠しでここに連れてこられたらヨーロッパ・アルプスのどこかのホテルと間違えてしまいそうです。
時間に余裕があったので、ここでビア・ハノイをいただきました。
ビールの国のチェコ人、ヤコブもこのビア・ハノイを絶賛していましたが、ビールのまずい中国から来ると最高の幸せを感じられます。
ビールを飲みながらホテルのレセプションの女の子に、ハノイへの列車の時間を調べられるか聞いてみました。
すると、どうしても鉄道で行きたいのですかと尋ねられます。
フオンから鉄道もバスも時間はあまり変わらないので、寝台列車で行った方が楽だと聞いていたのでそのように言うと、何でも少し前に高速道路が開通したのでバスならそれまでの10時間が半分の5時間で行けるようになったとのことでした。
それはたいへんな朗報です。
時間が短縮した分徒歩では行けなかった奥地の村を訪ねるべく、その情報をいただいたホテルに敬意を表して宿泊することにしました。

村への訪問についてもレセプションの少女は手を貸してくれて、そこまで行くならバイクがいいとスクーターを手配してくれました。
さっそく跨りましたが、ビールが効いてふらふらしていて、それではバイクは危険だと止められてしまいました。
そもそもわたしはスクーターを運転したことがなくどうやるのか聞いたことが、事故ってバイクを壊されると不安にさせたのでしょう、結局、運転手付きのバイクがやって来て彼の後ろに乗っていくことになりました。
30キロ近く離れたタイ族の村まで行きましたが、これだけ奥地まで行けばより素朴な生活が見られると期待したのですが、確かに観光客やモノ売りはまったくいないものの家屋も村の雰囲気もそれほど変化なくちょっと期待外れでした。
作例は19歳の美少女ですが、ここまてで来た甲斐あったと盛り上がりましたが、よく見れば背中にはしっかり彼女の子がすやすや休んでいるのでした。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(6) | 2015/04/15 Wed

家庭事情にまで踏み込む旅とは

Grubb 20cmF3.5
この日も引き続きハイキングです。
当初、山歩きをトレッキングとわたしは呼んでいましたが、パオがハイキングと言っていたのに英語達者の他の4人もならっていたので、わたしもハイキングと言うことにしました。
トレッキングとハイキングが正確にどう違うのか分かりませんが、わたしにはトレッキングの方がより重装備的なイメージがあるので、パオ自身がサンダルで歩き回っていることを考えればハイキングの方が似つかわしいような気がします。
今日は、イギリス人のルークとチェコ人のヤコブがいなくなって女性ばかりなので、なおのことハイキング的でした。

そういえば、わたしは20年も前に旅行したよとヤコブに話したら、そんな前にチェコに来たのと驚いていました。
どこに行ったのか聞かれたので、まずプラハと言うとわたしがいま住んでいるところだと答え、次にきれいだと聞いてチェスキー・クロムロフに行ったと言うと、そうだろうあそこは俺の彼女の出身地だと答えます。
もう1ヶ所ビールを飲みにプルゼニュにも行ったと言うと、それは俺の出身地だ、同じコースをまた旅すれば今度は完璧に案内してあげられると答えながらふたりで笑ってしまいました。
そのヤコブが言うには、ベトナムのあちこちで売られているシュガーケーン(サトウキビ)はチェコでは見たことがないので、これを輸入したら大もうけできると鼻息が荒くなっています。
シュガーケーンは竹と似た外観ですが中には水分を多く含んでいるようで、器械で絞ることでいかにも精製前の野性味あふれる砂糖の原型という感じの飲み物がとれます。
確かになかなか旨いものとは思いますが、これで大もうけと言うのも無理がありそうでいて、チェコ人のこういう発想にはなぜか惹かれるものもなくはありません。

山歩きの方は前日のアップダウンがたたってスタートから足がパンパンでした。
しかし、それ以上にパオの調子が悪いことが、その顔色から見て取れます。
実は、昨夜、4歳の孫娘が夜に具合が悪くなり、家中で大騒ぎになりました。
薬のようなものを飲ませていましたが、なかなか効果が出ないと見ると、彼らの伝統療法なのか本人が痛がるくらいに首を激しく摩擦したりしています。
一見すると熱があって頭痛がしているのではないかと見えたので、暖かくして寝せるべきではないかと思えたのですが、彼らの行為を否定するようで余計なことは言えず、黙って見守るばかりです。
ようやく子供が落ち着いた頃、昨夜の作例のようにパオがバッファローの角で我々に見せるように民間療法のようなことをしたので、あれは彼女も同じ病気で苦しんでいたのかと思わせました。
大丈夫か今日は中止しようと何度か言いましたが、大丈夫と微笑む顔を見て痛々しく感じました。

体調が悪くても無理して歩くのは、キャンセルになってわたしが支払う予定の10ドル/日を取りっばぐれると心配したのではないかと思ったのですが、どうやらそうではないようでした。
別の村に向かうダニエラたちと別れて、パオとふたりで歩いていると、途中の店で何か買い物をしていました。
その後、奥まった村に着いた時、駆け寄る少女がいて、買い物した包みを彼女に手渡します。
それはお菓子でしたが、少女はお菓子をもらったことよりもパオに会えたことを喜んでいるのは明らかで、こんなに嬉しそうな笑顔の子供はなかなかいないと思えるほどで、実際そのように彼女たちに告げました。
その後、いっしょに歩き続け学校の前では彼女の兄だとすぐに分かる少年も合流して、しばらく話した後、ふたりとも学校の方に去っていきました。

ふたたびふたりで歩き始めたとき、あの子たちはパオの子供なのかと聞くと、そうだと彼女は首を縦に振りました。
彼女は比較的最近になって再婚したそうで、いまの家は新しい旦那さんのものだと言います。
旦那さんは英語がまるっきり分からないので、もともとシャイな性格もあってわれわれとはあまり接触しなかったので分かりませんでしたが、再婚にもいろいろと事情はありそうでした。
前夫はたいへんな酒飲みで暴力も振るうことから、ずっと耐えてきたもののついに離婚したとのことでした。
その際、さきほどの子供二人が前夫のもとに引き取られたそうで、このハイキングをきっかけに親戚に連絡をとって久し振りに子供たちに会ったのだと語りました。
別世界に住んでいるかのように見える彼らの社会にも、我々同様の問題があることを教えられたような滞在になりました。

話が重たくなってしまったので、作例は、シンプルな風景にしようと思います。
散策した一帯はすべて棚田で、開けていない斜面はトウモロコシ畑だと言うことでした。
パオの家は彼女の頑張りで現金収入に余裕があるからか、器械が導入されていますが、まだまだ多くの家ではバッファローに大きな鍬のような装置を引かせて土を耕しています。
これから始まる大仕事のまえにバッファローを慣らしておこうというのか、このような光景は何度か見かけました。
コメはすべて自家消費で一部の農家は市場で売ったりもしているとのことですが、これだけの棚田を擁していても、なかなか現金収入にまでは結びつかないものだと知らされました。
このあたりも中国の春節と同じ日付が正月でテトと呼ばれていることは、ベトナム戦争の北軍のテト攻勢で知られていると思います。
そのテトの楽しみのひとつが餅つきだそうで、中国の少数民族の村でも同じことを聞いたので、日本の正月の餅つきの起源がもしかしたらこのあたりにあるのではとの想像も膨らみました。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/14 Tue

みんな英語が達者

Grubb 20cmF3.5
パオさんのハイキングツアーに集まったのは、チェコ人のヤコブとイギリス人のルーク。
ヤコブのガールフレンドと妹は前日、バイクで怪我したらしく不参加になってしまい残念。
ヤコブ自身がいかにも伊達男なので、ふたりともかなりの美女と想像されたし、女性が同行すればトレッキングのスピードも遅くなって最長老のわたしにはありがたかったので。
しかし、ヤコブもルークも30代前半のとてもいい奴と呼びたくなる青年で、道々楽しく会話しながらハイキングを楽しみました。
問題は、わたしの英語力で、こればかりはどうにもならないのですが、彼らの会話からいくつか単語や表現を学ぶことができたし、勉強になるツアーでした。

わたしは短期のトレッキングツアーに2度参加したことがあります。
タイのチェンライとペルーのイキートスというところですが、いずれもツアーはわたしの単独参加で、現地ガイドとのマンツーマンになりました。
習慣や気候、植物、動物その他もろもろ聞くべきことは山ほどあるので、ガイドとコミュニケーションが取れれば、他の参加者がいるのは邪魔なことのように思っていました。
しかし、異文化の若者がいっしょになると話の方向があちらこちらと広がります。
特に彼らの視点から現地の文化をどのように感じているのかを聞くのはとても興味深いことでした。
彼らは当地の人たちの生活のいろいろなところを驚きをもって見つめていましたが、けっして蔑視したりということはありません。
価値観の違いとして一目置いているのがよく理解てきました。

ハイキングは、過去の経験から、ジャングルのようなところを歩くようなイメージでいたのですが、高原のサバでは植物が密生しているという感じではなく、みちもしっかりしていて、本格的トレッキングというのとは違うのかも知れません。
そもそもガイドのパオもサンダルで歩いているし、ヤコブとルークは短パンです。
もっともわたしも革靴で歩いているくらいで、こんなんではそもそもハイキングともいえなかったでしょう。
ただ、アップダウンはかなりきつく、前々日まで雨だったという道はところどころぬかるんでいて、急な下りでスリッピーな個所はかなり危険でした。
一方で、高度2000メートル近くあるために強い日差しの中でもそれほど暑くなく、時折吹く山の風が爽やかで、景色の美しさと相まってこんなに気持ちのいいこともないと感じました。

少人数のツアーはいくつも出ているようで、20組くらいの人たちと会いましたが、すべて西洋人でした。
ガイドの現地人を除けばわたしが唯一のアジア人です。
しかし、現地の人たちは英語が堪能で、子供たちを含めて、サバにいる人々の中でわたしがいちばん英語力がなかったようです。
途中、合流したふたりのイスラエル人ギャルまで完璧な英語でわたしに質問するのですが、半分も聞き取れないのに、パオは何でもないように会話していました。
ラオチャイ村のパオの家でみんなでランチを食べ、隣村のタヴァンまで歩くと、日帰り参加のヤコブとルークはバイクでサバに戻りました。
絶妙なタイミングでヤコブの彼女と妹が現れ、やはりふたりとも美人で、このふたりを引き連れて旅するヤコブが羨ましくてなりません。

夜はイスラエル人のダニエラたちと泊りましたが、彼女たちは5ヶ月間かけてタイ、ミャンマー、カンボジア、ラオス、ベトナムと旅して来たそうです。
ふたりとも二十歳で初めての旅だそうですが、すでに風格も出てきていて旅のベテランです。
彼らをすばらしいと思ったのはコミュニケーション能力で、英語力があるので旅行者同士ではすぐ親しくなるし、言葉の通じない現地の子供たちとも仲良しになっていました。
ふたりとも通じていないのを承知でしっかり目を見ながらゆっくりした英語で話しかけていました。
子供たちは、分からないまでも一生懸命聞くことで何とか意思の疎通を図ることを成立させていました。
言葉が通じていなくても語り掛けることでなんとなく意味を通じさせられるということを理解しました。
そのほかこのふたりからは学ぶことが多くあって、わたしもローカルの子供の一人だったように感じました。

作例はパオさんです。
モン族という民族ですがモン族は3つの系統があって、赤っぽい服を着ているレッド・モン、華々しい服のフラワー・モン、そして彼女たちは黒っぽい衣装のブラック・モンです。
ブラックと言うとブラック企業のようにダーティなイメージですが、そのようなことはないので安心ください。
角が生えているように見えますが、これはバッファローの角に炭を入れて真空にしてから額につけています。
頭痛によく効くのだそうです。
彼女は36歳にしてすでに3歳と4歳の孫がいますが、彼女自身の子供にも6歳の子がいて、このへんの家族関係を理解するのに2日かかってしまいました。
わたしよりずっときれいな英語を使いますが、彼女は英語を勉強したことがないそうです。
外国人とやり取りするうちに自然と覚えたそうです。
逆にわたしのように発音が悪いと、彼女にはなかなか理解してもらえませんでした。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/13 Mon

売るものさえあれば市場へ

Grubb 20cmF3.5
山間の村なので、4月の夜はけっこう冷えるようです。
わたしは薄手のトレーニングウェアに着替えて眠りましたが、用意してもらった布団をすっぽりかぶっていました。
朝のひんやりした空気の中、シャワーのない彼女の家で冷水を浴びることはできず、かといってお湯を用意してとも言えず、体を洗うことは諦めました。
水自体は山の泉から引いているようで、清潔ですし飲み水としても使っています。
電気はだいぶ前から通っているそうですし、調理には薪の釜とプロパンガスを使っていました。
トイレは離れたところにありますが、手動による水洗式ですので、なかなかに清潔です。
ベトナムの少数民族の山奥の村といっても、それほど不自由があるわけではないことがよく分かりました。

本日は日曜で、地域の中心の集落で市が開くそうで、見に行くことにしました。
本当は、ここから1時間ちょっとのところにバックハーという日曜市でよく知られた村があるので行ってみたかったのですが、遠いというのでとりやめになってしまいました。
もっともバックハーは外国人向けのツアーが組まれる人気スポットなので、個人的にはローカル市の方により関心が向いたたのでそれはそれでよかったと思っています。
市は6時には始まるそうで7時前の到着にも関わらずかなりの賑わいです。
ただ、規模はそれほど大きくはなく、民族衣装の人は中年以上の女性に限られていて、それほど多くないのが残念でした

ウシとかブタなども商われているかと期待しましたが、扱われているのは普通の市場と変わらず、少々期待外れでした。
しかし、それでも市の雰囲気は独特で、いくら見ていても飽きません。
あらゆるものに関心を示して動かないわたしに、フォンは仕舞にはあきれてしまいました。
人々も最初は遠くから心配そうに眺めている感じですが、わたしが楽しそうにしているのに気付いたからでしょう、好奇心をもつていろいろと聞いてきます。
日本人はどんなものを食べているのかとかそんなことですが、ほとんど肉も野菜も同じだというと、嬉しそうに微笑んでいました。
作例は民族衣装の女性ですが、わずかにニワトリ1羽を売ろうとしていて、こういうところにもローカルな市の好さがにじみ出ています。

フォンはせっかく地元に就職したのですが、学校は40キロも離れたところだそうで、通勤不可能のため寄宿生活していると言います。
土曜の午前の授業を終えてからバイクで実家に戻り、日曜午後には学校にUターンするそうです。。
市場を見た後、いったん家に戻ると、フォンが外国人を連れてきたらしいと集まった親戚らと、写真を撮ったり、お昼を食べたりするうちに、もう学校に戻らないということになり、わたしもラオカイまで連れて行ってもらうことになりました。
当初、フォンの学校で生徒たちと彼女が教えている英語で会話をするという予定だったのですが、学校の許可を得ていないというので中止になってしまいました。
生徒と会話するのに許可がいるとは思えないし、事前に分かっていることなのにやっていない彼女の行動が理解できなくなってきました。
ぜひ、家に来てと言いつつ、食事を振る舞ってはもらったものの、連れて行ってもらったのは日曜市だけと、わざわざ出向いた意味が分かりません。
少々不機嫌になって彼女とラオカイで別れました。

ラオカイ駅前からバスでサバに向かいました。
サバは少数民族が暮らす風光明媚な土地として、ベトナムが外国人に開放されたと同時に有名になったところです。
話はかなり以前から聞いていたので、いつかは行ってみたいと思っていました。
1時間ほどして到着するとバス停にホテルが決まっていなければウチに泊ってという女性がいて、彼女のバイクで連れて行ってもらいました。
8ドルと安かったので即決します。

バスを降りたところに実はもうひとり女性がいて、わたしと話がしたいと言っていました。
民族衣装を着たおばあさんで、あの年齢できれいな英語を話すと感心して了解したのですが、彼女はわたしを追ってホテルまでやってきていました。
彼女はツアーガイドをしていて、よければ明日いっしょにわたしの村までハイキングをしないかと誘ってくれていたのですが、あいにくホテルで翌日のトレッキングを申し込んでしまっていました。
しかし、彼女の方が値段がずっと安く、ホテルの方はコミッションを取るだけなのでキャンセルすることにしました。
わざわざ歩いてわたしのところまで来てくれたおばあさんは笑顔が可愛らしい人で、名前をパオと名乗りました。
わたしは山歩きに自信がありませんでしたが、いくらなんでもこのおばあちゃんといっしょなら遅れることはないだろうと思ったのです。
しかし、後で彼女の年齢を聞いてわたしは愕然としました。
60近くに見えた彼女の年は36歳。
わたしよりずっとずっと若かったのです。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/04/12 Sun

雲南から越南へ

Nokton 50mmF1.5
携帯にPCまで持って旅していると、俄然それらをフルに活用したくなります。
しかし、それではずっとネット情報にコントロールされたような旅になってしまうような心配があります。
特に少しずつ移動していくような旅は多くの人が似たようなルートを取るので、誰かの旅のブログを読んでしまえば、それをなぞるような旅になってしまいかねません。
ネット検索はなるべく控えて、情報はできるだけ現地で、を鉄則にしたいと思います。
実際、建水ではそれが奏功して、少し前に鉄道が開通したという話を聞いて、ピカピカの新車両で河口まで行くことができ快適でした。
確認してみましたが、ネット検索してもそんなことはどこにも出ていませんでした。

河口、ラオカイ間の国境はすでに前回、中国滞在をオーバーステイしないためだけに越えています。
陸路国境越えは新鮮味や緊張感があってもいいはずですが、新宿駅の改札を通るような感覚でした。
今回は、ベトナム側の入国審査を終えたところに待ち人がいます。
以前にハノイで知り合いになったフォンとここで会うことになっていました。
当時、大学生だったフォンは昨年の夏に地元の学校教師として就職を決めました。
わたしが中国からベトナムに陸路入国すると知って、ぜひ、ラオカイの実家に来てほしいとメールしてきたのです(実際はFacebookのチャット)。
2時半の待ち合わせでしたが、前回、ハノイの空港に遅れてきた彼女も、さすが地元だけに時間通りやってきました。
実は、わたしの方が、中国・ベトナム間の時差のことを忘れていて、1時間早く着いてしまっていたのです。

少数民族の彼女の家はラオカイからさらにバイクで30分のところだといいます。
実際には、重たいわたしとトランクを載せているので彼女のバイクで1時間近くかかりました。
ムオンコーンという村のいくつかある集落のひとつだそうで、少なくともその集落を訪れた最初の外国人ということだそうですし、外国人を連れてきた最初の村民ということで彼女の鼻も少し高くなっているように見えました。
彼女の家は周辺一帯ではよく見かけた、畑仕事用の牛(いわゆるバッファロー)や豚の小屋を併設した平屋建てで、キッチンが別棟になっている典型的農家のようでした。
夕方近くでしたが両親は畑から戻っておらず、80歳だというおばあちゃんが何やら歓迎の言葉をかけてくれます。
この年代の人は民族の言葉をしゃべれても、標準ベトナム語は理解はできるが話すことはできないそうです。
もっともベトナム語を話されてもわたしにはちんぷんかんぷんですが。

夕食までの間、裏に広がる畑を見に行きました。
ベトナムというとコメどころとして有名ですが、このあたりは緑茶で名高く、ベトナム人もコーヒー同様、緑茶をよく飲むのだそうです。
静岡の茶畑と同様に斜面にずらっとお茶の木が並んでいますが、さすがに静岡ほどきれいに並んでいません。
お茶は彼女からもらってきたので帰国後試しますが、日本のお茶と比べてどうなのか、クオリティ的には厳しいでしょうか。
また、パイナップルも周辺の名産で、道々で路上販売されていたので買って食べましたが、適度な甘みで美味しいです。
しかし、斜面に大量に植わったパイナップル畑は葉の色が紫っぽくてきれいとは言えず、山に人工物を植えているような醜さを感じてしまいました。

夕食は、ご馳走やら手製の酒やらと振る舞っていただき、みな美味しくいただきました。
ただ、何しろ言葉が通じません。
中国の少数民族の村には幾度となく泊って、曲がりなりにもコミュニケーションが取れてきたことを考えるととてももどかしい気持ちです。
というのも、唯一通訳可能なフォンがまったく気が利かず、意思疎通の手助けをするとか、そんな配慮が微塵もないのです。
もう少し何とかしてくれと文句も言いたいところでしたが、両親の手前そういうこともできず、アルコール度数が高そうなトウモロコシの酒が全身にまわっていくのを抑えられない自分もまあ似たようなものかと朦朧と考えながら、宴が早く終わるのを期待するばかりでした。

さて、作例ですが、妹が思いのほか可愛いかったので、撮影依頼したのですが、恥ずかしがって逃げ回ってしまったので、逃げなかったおばあちゃんを載せさせていただきます。
おばあちゃんもちょっとシャイに微笑んでいて、やっぱりフォンの一家はそろって恥ずかしがり屋だと分かります。
木の幹をシャキッ・シャキッとスライスするように切っていたので何かと聞くと、バナナの木を切っているとのことでした。
バナナの木も甘いのだろうかと、今夜のご馳走を想像したのですが、これはブタのエサだよと大笑いされてしまいました。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/11 Sat

戻ったことが好い方向に

Nokton 5cmF1.5
前回までの大阪から昆明までの行程では、最終日に昆明で雨にたたられたものの、それ以外に雨はなく、自分は晴れ男だと自画自賛だったのですが、とんだ誤解だったようです。
今回は到着翌日が早くも雨降りでした。
いままでのルートが冬の乾期の乾燥地帯中心でしたので、雨が降るはずもなく、雲南は名前の通り雲が多くその分雨の確率も高いということでしょうか。
傘をささないでもどうにかなる程度でしたので、石屏に近いもう一つの古鎮、団山民居に向かうことにしました。

団山は石屏の隣町の建水にありますが、隣と言っても両者は50キロ近くも離れていて、一見すると簡単には行けそうもありません。
しかし、前夜、石屏に向かうバスから、団山民居はここで降りよとの高速道路の案内が見えていて、地図と照合すると高速出口から4キロ程度しか離れていません。
長距離バスを高速出口で下してもらって歩いていけばどうにかなりそうですし、運がよければ降りたところで路線バスや白タクがあって歩かずにすむかも知れません。
それを念頭に朝一6時半のバスで行くことにしました。
不運なことに、そのバスは高速を走らずしばらく下道で村人を拾いながら進みましたが、その後は目論見通り、高速出口からしばらくのところにバスがあって2時間ほどで団山民居に着くことができました。

しかし、団山民居は入場料50元とメジャー古鎮並みの高さで、貧乏旅行者には厳しいところでした。
とは言え、細部の装飾まで凝った美しい民家が、ほとんど手を加えることなく何軒も残されていて、わざわざ出向く価値のある古鎮に思えます。
途中から雨も上がり、立派な建物を左右に見ながら古い石畳を闊歩して歩きます。
マイナーな古鎮だと思っていたのですが、いろいろなメディアに取り上げられていて、欧米人や日本人の訪問も多いと聞きました。
ところどころ訪問者自ら手書きしたと思われる英語やフランス語の道しるべがあったのがユニークでした。
感心しつつ石屏に戻ります。

ランチのために石屏に戻ると、ほとんど望み薄だと思っていた、前回親しくなった女の子に再会することができ、2時間以上も話をしてしまいました。
思惑通りの旅の再開になってきましたが、きっと親戚の女性がこの前の日本人がまた来て、明日も来るって言っていたと教えたので、自動車学校を休んできてくれたのだと信じることにします。
世界一周から帰ったら、また石屏に来て彼女の運転でドライブすることになりましたが、実現の日は来るでしょうか。

石屏にもかなり古い家が残った古鎮があるので、女の子に古鎮本のコピーを見せると歩いていけるところだと教えてくれました。
こちらは町の中心に古い家並みが残ったままというところなので、入場料不要ですし、何より庶民の生活と密着しているようなところが気に入りました。
古建築の軒先では近くの村から出てきたと思わせる少数民族の女性が笑顔で野菜を売っていたりします。
そっとカメラを向けると別の女性が気付いて、何か冷やかすようなことを言ったようですが、本人は照れつつも顔を背けたりしません。
観光客がほとんど来ない素朴な町らしい、好い雰囲気を楽しみました。

団山民居と石屏は甲乙つけがたい古鎮ですが、今日の作例は石屏の方にします。
天秤男性も、ずっとカメラを構えられながら意に介せずとまっすぐ歩いてくるところがいいではないですか。
団山民居は古民居を広角レンズなしで撮るのに苦戦しましたが、旅を中断して日本に戻ってきたときのインターバルに紹介できればと思っています。
親しくなった女の子の作例も出す予定です。
相変わらず撮影枚数は少ないですが、こんな旅をしていると写真も書くこともどうにかなってしまうのが大いに助かるところです。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(8) | 2015/04/10 Fri

再開するも再会できず

Nokton 5cmF1.5
旅を再開しました。
3月25日、昆明で一旦旅を中断させて帰国しましたが、4月8日、また昆明に戻って旅の続きがスタートします。
中断後も旅のあれこれを毎日続けてしまったので、旅が続いているように思わせてしまったかも知れません。
申し訳ありませんでした。
もう少しそのことが分かるように書くよういたします。

以前も記したとおり、できることならば何ヶ月と続く旅を継続させながら完結させたいのですが、1ヶ月のうち数日はどうしても日本でやらなければいけないことがあります。
これはあまり認めたくないのですが、もはや20代の頃の体力もバイタリティもなく、安宿を泊まり歩くような旅を何ヶ月も続ける自信もありません。
そこで次善策として1ヶ月の時間内で行きついた先で、日本行の往復航空券を買って戻り、日本で用事を済ませてからまた当地に戻って旅を続けるという方法による世界一周を考案しました。
そんなのは世界一周ではないと言われればそれまでなのですが、各地で飛行機を乗り継いで2週間で世界一周したとかいうのよりはマシだと言ってもらえるような旅をすることでカバーしたいと思っています、

そのための自己規制になるべく航空機を利用しないというルールを科すことにしています。
極力陸路を使って、長時間の厳しいバスや列車の旅に耐えるようにします。
陸路が無いところは航路を使います。
旅の最初と2回目の国境越えが大阪~釜山、仁川~青島のフェリーでしたが、南欧から北アフリカにも航路はあるようですので、これも利用することになるでしょう。
しかし、ヨーロッパから南米、北米からオセアニア、オセアニアからアジアへは定期航路が無いかも知れません。
以上は大分先の日程になるはずなので、現時点で詳細を調べることは避けますが、船が出ていなければ空路に頼らざるを得なくなります。
貨物船に乗せてもらうとか豪華客船を利用するとか手段はあるようですが、もう少し旅が先に進んでルートが見えてきたところで調査することにします。

もっと大切な自主規制があることにも触れておきます。
危険なエリアには立ち入らないということです。
たとえば、現時点でシリアやイラク、ウクライナ東部へは絶対に立ち寄ることはしません。
ただでさえ周囲に面倒をかけるようなことをしているのに、さらに広い範囲に大迷惑をかけるようなことはさすがにできません。
ただ、治安の悪化が言われる地域、テロが起きた地域、例えばパキスタン、エジプト、チュニジア、ペルーなどはどうするか。
やはり最新の情報を調べることが必要なので、そこまでの道程が近くなったところで、確認するしかないでしょう。

さて、再開した旅ですが、昆明空港到着が3時半で、市の中心まで移動すれば通常はその日はもうすることがなく宿に入ることになります。
しかし、今回は考えるところあって石屏まで移動します。
空港から南部バスターミナルまで1時間、さらにバスに4時間も揺られて石屏に到着しました。
すでに9時ですが、どうにか間に合いました。
石屏は前回訪れた際、新疆人テロリストと疑いをかけられて、警官に囲まれるという怖い体験をしたところですが、その夜食事した食堂の女の子と親しくなっていたので、その夜もそこで食事して旅の再開を祝ってもらおうと考えたのです。
前回の旅では重慶や鶴慶で再会しようと訪れた人たちにことごとく会えず、苦い思いをし続けました。
今回は、いくらなんでも2週間ほど前に会ったばかりの女の子が行方不明とか店がなくなっていたりとかということはないでしょう。

食堂には閉店ぎりぎり間に合って、入っていくや親しくなった女の子の親戚の女性に、あれっ、日本に帰ってなかったのと言われます。
彼女まで私のことを覚えていてくれたのかと少し嬉しくなりました。
ところが、肝心の女の子の姿が見えなかったので、どうしたのかと恐る恐る聞きました。
すると、彼女は自動車教習所へ通い始めたからしばらく店には来ないんじゃないかねえという恐るべき返事が返ってきました。
わたしは言葉を失いつつも、前回同様美味しく食事をいただき、また明日も来ます、明後日からベトナムに入るのでと、平静を装いつつ告げました。
本来はその彼女の写真で再開させるつもりでしたが、この日はずっと移動だったので、ほぼ唯一の作例を出すしかありません。
昆明のバスターミナルで見かけた女性ですが、かなり美人で手前の大荷物からファッション関係のビジネスをしているように見えました。
それにしては、着ているものやバッグのセンスはもう少しどうにかならなかったのでしょうかと、残念な雲南美人でした。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/09 Thu

人生で大切なものはいつも目に見えない

C.C.Harrison 14cmF4
昨日は韓国雑記でしたので、今日はモンゴルにいたします。
ベトナムについては1分間の滞在でしたので、今回は何も書きません。
モンゴルで悩まされたことが3つあって、ひとつは零下20度の寒さ、続いて気の強い国民性なのか何度かそれによってイヤな思いをしたこと、最後がこれは昨日と同じになってしまいますが、ことばの問題でした。
今後、世界一周を続けていけるとすれば、この言葉の問題はずっとついてまわるはずで、わたしの語学力を向上させるのは不可能なので、対処法等を考えなくてはと少しずつ思い始めています。
少なくとも通るであろうスペインと中南米のためにスペイン語を即席勉強する必要性は強く感じます。

わたしは始めて行く国では入国後すぐに言葉を教わるようにしています。
と言っても、こんにちは、ありがとう、すみません、さようならの4つだけです。
とにかくこの4つだけでもしゃべれないと、その国に個人で行ったという気持ちになれません。
小学校の頃ですから大昔の話ですが、世界のこんにちはが書かれた下敷きを持っているクラスメートがいて、その中にはニーハオとかブエナスタルデスとかあったのだろうと思いますが、私たちがこれは面白いと受けたのが、ドーブロエー・ウートローでした。
小学校時代、まさか自分が生涯に海外旅行する機会があろうとは夢にも思っていませんでしたので、どこの国の言葉とか完全に忘れましたが、それはその下敷きがプラッシーのお客さん向けのものだったということと共に頭のどこかに記憶されたままだったようです。
と言うのは、それから20年以上経ってマケドニアを訪れたとき、現地の人はハロー的なあいさつをドゥブローと言っていたのですが、これこそまさにドーブロエ・ウートローに関係あるに違いないと小学校の記憶が雷鳴のように蘇ったからでした。
そんなことがあったからという訳ではありませんが、とりあえず現地言葉のあいさつは覚えて使ってみる。
10回くらい言えば、ひとりくらいは自分たちの言葉であいさつしてくれたと嬉しく思ってくれる人もいるはずで、そうすればわたしの目的は達成されるという程度ですが、そんなことを必ず実践しています。

中国からモンゴルの国境ではわたしたちを乗せた車の出国審査に時間がかかり、ヒマを持て余したわたしは早速、あいさつを教えてくれとノートを差し出しました。
モンゴル語の表記は、もともとは独自のものがあったのですが、利便性のためか現在ではロシア語のキリル文字を使用しています。
ロシア語表記は英語と同じものもありますが、違うものの方が多く知識が無いと半分も発音が分かりません。
サッカーの本田選手がモスクワでプレイしていたとき彼の名前の表記がХондаだったことを記憶している人はいるでしょう。

わたしは第3外国語にロシア語を取っていたので、読み方は何となく覚えていたりしてモンゴル語のキリル表記に対応できると思ったのですが、同じ車で移動した青年が書いてくれた文字に言葉を失いました。
検索してみると正しいモンゴル語は下記のようになるそうです(カッコ内はわたしの耳に聞こえた発音)。
・こんにちは Сайн байна уу? Sain baina uu サェン バイノー (サイン バイヌオー)
・ありがとう Баярлалаа Bayarlalaa バヤルラー (バイエラア)
・すみません Уучлаарай Uuchlaarai ウーチラーライ (オーチュラレー)
・さようなら Баяртай Bayartai バヤルタイ (バエスタイー)
ところが、彼が書いてくれた綴りには、аやУのような母音が1個か2個ずつ多くなっています。
たぶん母音の数分長く伸ばして発音するのだと思いますが、簡単なあいさつの単語はаやУがいっぱい並んだ長いものになっていてとても覚えられません。
カタカナでルビをふってみましたが、わたしの耳は上に書いたものとだいぶ違っているのも、今となっては苦笑するしかありません。

結局、こんにちはのサイン・バイヌオーすら覚えられず、サイン…何だっけ?のようになってしまい、一度も相手に通じませんでした。
こんにちはのミャンマー語はミンガラーバ、ラオス語はサバイディー、ベトナム語はシンチャオで、これらはそれぞれ当地で多用しましたので、忘れようと思っても忘れることができません。
逆に、日本語を知らない外国人も、コンニチハやサヨナラはパッと言える人がけっこういるのは、発音しやすいからだと思われます。
それぞれ今日は、左様ならとも表記されますが、漢字からは意味が伝わらないのは、もともと意味がなく発音しやすさ重視して作られた言葉だからではないかと考えらますし、タイ語のサワディーはまさにそういう理由で作られた言葉だと聞いたことがあります。
それら単語とは発生が違うことが、モンゴル語のあいさつ単語の聞き取りにくさ、覚えにくさから感じたことでした。

発音が聞き取りにくいモンゴル語ですが、何度か聞いているうちにわたしにはあることに気付き、さらにモンゴル語を聞いているうちにそれが確信に変わりました。
それは、GMOクリック証券のCMで、日本新の女の子が枯れた草原のようなところをバックパック姿で歩きながら、現地の老人と言葉のやり取りをするのが、モンゴルだということでした。
もともとこのCMを見ていてどこなのか気になっていたのですが、モンゴルに着いてその疑問が氷解したのです。
確認のためPCでユーチューブを再生し、ホテルの受付で見てもらいました。
ところが、受付の女性は何を言っているか分からない、モンゴル語ではない、うん、これはドイツ語だと言いました。
残念ながらわたしの耳は節穴だったようで、モンゴル語ではありませんでした。
いくら節穴でもドイツ語でないことは分かりますし、わたしはどこか旧ソ連か東欧の小国ではないかと判断しました。
この女性も適当なことを言うものです。
しかし、いま調べてみると、正解はスウェーデン語なのだそうです。
スウェーデンなら旧ソ連や東欧よりよほどドイツに近い言葉でしょう。
ホテルの受付にいるのでドイツ語を耳にしたことがあって彼女はドイツ語が似ていると判断したのであって、彼女の耳は少なくともわたしよりはずっと優れているということが、今、分かったのでした。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
thema:ペッツバール genre:写真
C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/08 Wed

間違い探し

C.C.Harrison 14cmF4
その後中国に長時間滞在したことを考えると、韓国の滞在が短すぎたかと後悔しています。
韓国には友人が留学していて遊びに行ったこともあって、10回以上渡航したことがありました。
また、最初の旅行が、学生最後の春休みに大韓航空で行ったヨーロッパだったので、韓国が最初に見た外国ですし、日韓ワールドカップでは日本でのチケットが入手困難で韓国で準々決勝を2試合観戦して韓国の盛り上がりを目の当たりにしました。
そんなゆかりのある韓国は、わたしの印象では日本より物価が3~4割安くて、日本と似て非なる独自の文化を味わえる旅先としてお気に入りの地です。
それが為替レートの変動の影響もあって、今回の滞在では日本より物価が高いということに気付いて気持ちが離れてしまい、先を急ぐかたちになりました。

今まではソウルばかりに滞在していて、東京とそう変わらない快適の中に過ごしてきましたが、昨年、釜山から地方を訪れたことでやはり田舎の方が面白いと感じました。
わたしの中国での旅のスタイルが田舎志向ですが、以前、ヨーロッパに行っていたときにすでにそれは確立していて、毎回、レンタカーを利用してあちこち旅していました。
その時からの悩みは、田舎へ行けば行くほど言葉が通じなくなることでした。
ヨーロッパで言えば、ドイツはどうにかなりましたが、フランス、イタリアではかなり厳しく、スペインや東欧では絶望的でした。
そんな中でカタルーニャで知り合ったダヴィドは語学堪能だったため、いろいろと頼ってしまい、そのことでよき友人になりました。

一方でデンマーク、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク等の人は年齢や場所関係なくみな英語をしゃべれた印象です。
人口の少ない国では、英語ができないと他国でコミュニケーションできないからなのだと実感しました。
中国人が英語を覚えないのは当然で、人口がずっと少ない韓国は英語教育が熱心で、英語がよく通じる国だと思っていましたし、実際、ソウルではその通りでした。
しかし、前回の慶州、今回の順天と地方の町に行くと全然英語をしゃべれる人に会いませんでした。
これが中国なら筆談とか漢字を見ればある程度の意味が分かるものですし、ヨーロッパ各国でもアルファベット表記で発音するくらいはできそうなものなのに、韓国ではまったく八方ふさがりでした。

楽安のバス停で順天に戻るバスの時間を調べたかったのですが、読めるのは時刻だけで、空く数ある路線でどれが順天駅行きか分かりません。
通りかかったおじさんに聞きましたがステーションという単語すら通じず断念。
続いて来た20歳前後の若者はステーションを理解して、ノーとは言いましたが、ではどれがステーション行きかと聞いても韓国語であれこれ説明するばかりでまったく何を言っているか分かりませんでした。
そのやり取りを見ていたようで、トラックのおじさんが、「スンチョン・ヨク?」かと聞いてきて、そういえば韓国語の駅はヨクというのだったかと思いだし、ネー、ネーと返すと、そのトラックで幹線道路まで乗っけてくれて、ここから乗れば駅に行けるというような言葉を残して去って行きました。
果たしてバスはすぐにやって来て、20分後には順天駅でソウル行きの韓国新幹線のチケットを入手します。

おじさんの年代は分かりませんが、少なくとも今の50歳以下の世代は中学、高校と英語を勉強していたと言います。
30年も前のことならさっぱり忘れてしまっても仕方ないと思いますが、20代の若者もこうもしゃべれないものでしょうか。
わたしだって今も片言レベルで人のことをいうような立場にはないですが、中学や高校の時に米兵らとと会話したことはありめちゃくちゃなことを言っていたと思うのですが、意志を通じさせる程度のことはできたと思います。
ダヴィドが来日した時、何度か周囲の人に切符の買い方や道順を聞いたときに、きっちり説明してもらったらしく、日本では言葉が通じるのも魅力だと言っていたことを思い出しました。
もし、彼が日本の田舎に行くと言葉が通じなくなって、わたしのように嘆いていたのかが気になります。
政府主導で外国人観光客を増やすキャンペーンをやっていてそのために何が必要かなどの議論がありますが、少なくとも国民の語学力が上がらなければ外国人のおもてなしに差し障りあるということは聞いたことがないので、観光局でも日本国民の語学力は一定レベルにあると評価しているのでしょう。
道案内程度なら最低限の語学力で十分ですので、わたしもそれでよいと思います。

さて、今日の作例ですが、楽安で韓国ドラマの撮影をやっていて、終了後に俳優陣(エキストラ?)が三々五々岐路につくところを撮影しました。
古写真っぽいのに、よく見ると7つの間違いのように、ダウンジャケットを着ている人がいたり、冷蔵庫が見えていたリガ面白いというところを狙っています。
そういえば、わたしが見物したのは、だいぶ前に作例を出した美少女が木の上で助けを求めるようなシーンで、彼女はチャン・ジャン・ピというアイドルだと聞いたのですが、タイトルの「華政」で検索すると、豪華出演者と名前が列挙されているのに、彼女の名前が出てきません。
名前の聞き違いでしょうか。
そういえば、彼女が歩いているとき、可愛いですね、写真撮ってもいい? と英語で聞いたのですが、はぁ? という顔をされるばかりでした。
すぐさま付き人が、ごめんなさい、写真はダメなんですと英語で返してくれましたが、これだけ英語が通じないというのは、彼らの方の責任ではなく、わたしの発音がひどいからなのだろうと考えざるを得ません。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
thema:ペッツバール genre:写真
C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/07 Tue

同化とアイデンティティと

C.C.Harrison 14cmF4
今回の1ヶ月の旅の間に出会った少数民族は、蒙古族、回族、彝族、納西族、白族、チベット人等の皆さんで、それら以外にも見かけたけれども気付かなかった民族の方もいるといっぱいいると思います。
モンゴルにも西にはカザフ族がいて主に遊牧生活をしているが鷹匠になる人もいると、つい先日のNHKで放送していました。
中国のことで言えば、昨日も書いたようにそこに仕事あれば漢族ありで、もともとはその民族だけだった土地にも漢族がどしどし入植して、一概にここは何族と括りづらくなっていますが、概して西側に少数民族の拠点があると言って間違いありません。
交通不便な山岳地帯に居住するケースが多いですが、もともと今の江西省あたりから追い立てられて安全な居場所として定着したケースもあって、山の斜面に暮らしているから孤立してしまったんだという風には一概には言えなさそうです。

例えば、広域の大理市には上述の蒙古族以外は居住しているのですが、外観で違いを指摘することは困難です。
回族のみイスラム信仰なので男性は白い帽子を女性はスカーフをそれぞれ被っているので見分けがつきますが、他の民族は民族衣装を見てもわたしには違いを言い当てることは困難です。
今日の作例の女の子たちは白族で16日前に出した女の子は納西族ですが、衣装のデザインがだいぶ違うのでこれなら判別可能と思われるかも知れません。
しかし、子どもはたまたまこの2組が民族衣装を着ていましたが、それ以外に民族衣装を着ていたのはおばあさんと呼べるような年齢の人たちばかりです。
彼女たちも日本人同様、一定の年齢になるとデザインが黒を基調にしたかなり地味なものに変わります。
そうなると
民族ごとに微妙なデザインの違いはあるかもしれませんが、ほとんど黒っぽい衣装をまとってしまうと、少なくともわたしにはみな同じに見えてしまい判別不能となります。

これらは普段着の民族衣装で盛装はもっと特徴が出るのだと思われます。
民族衣装図鑑のような本では、納西族と白族と彝族ではどこをとっても違う服を着ているからです。
この本の衣装をざっと暗記していざ現地入りしたら絶望的な気持ちになるでしょう。
また、地域差というのも顕著にあるようで、西昌あたりで目撃した彝族は巨大な帽子をかぶっていたので、石屏の彝族の女の子に写真を見せたら、こんなのは見たこともないと言っていました。
ついでに言うと、彝族には独自の文字があって、それは絵が変化して漢字になるその過程くらいにありそうな、言ってみれば絵と漢字の中間のような文字で、道路標識などに漢字、アルファベット表記と並んで記載があります。
出会った彝族の何人もの人に聞きましたが、その文字が読める人がいなかったばかりか、あれわたしたちの文字だったんですかと言って驚く人がいたのには、わたしまで驚かされました。
一時期チベット人が弾圧されていることを示すのに、学校での教育は北京語が使われ、チベット語を話すことを禁止するなどチベット文化を抹殺しようとしているということを聞きました。
これはチベットに限らずということなのかも知れません。

彼ら少数民族の言語は互いにまったく違うので、互いにコミュニケーションを取るときは北京語が使われます。
スペイン人、イタリア人、ポルトガル人はそれぞれが自国語を話したとしても相互にコミュニケーション可能だと聞いたことがありますが、例えば、ほとんど同じエリアに住んでいるといえる納西族と白族の言葉が単語も文法もまったく違うというのは面白いと思います。
しかし、一般に火車とか電脳とか新しい言葉などは、自民族の言葉で新たに言葉を作らずに北京語の単語をそのまま拝借するようです。
また、ほとんどの民族が名前も北京語による中国名を名乗ります。

テレビを付ければ基本的にはすべて北京語で放送されているので北京語の上達は早いのでしょうが、心配なのはその民族の言葉が廃れてしまわないかということです。
辞書だってないでしょうし。
家族の会話はすべて民族の言葉なので大丈夫と聞いても不安は拭えませんでしたが、考えてみれば日本でも普段は共通語を話しているのに、実家から電話が来ると土地の言葉をなんでもなくしゃべるのは普通のことです。
日本の方言にも辞書はありませんが、消滅の危機ということもないでしょうから、中国の少数民族の言葉をわたしが心配するのは大きなお世話だということになりそうです。

詳細はよく分かりませんが、少数民族に対する漢族の差別は厳しいものがあると聞いたことがあります。
開発に伴う立ち退きの保証金に大きな差があったり、就職に制限があったといったことですが、以前訪れた瑶族の一家は地方政府が補助すると言いながらそれがわずかなため生活が厳しく肉を1ヶ月も食べていないと語ったことを思い出しました。
ロサンゼルスオリンピックの体操で活躍した李寧のことをわたしはよく覚えていますが、彼は漢族ではなく壮族で、そのことをずっと伏せて活躍していたそうです。
今でも彼が少数民族の出自だということと知らないといういう人がほとんどでした。
もっとも、むしろ外国人はよく知っているが、国内では情報コントロールされていて知らされていないということはこれに限ったことではないですが。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
thema:ペッツバール genre:写真
C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(4) | 2015/04/06 Mon

虫が植物に

Raptar 50mmF1.5
わたしは旅行してもあまり観光のようなことはしません、そう常々言っていますが、一方で古い街並みが好きなのでよく行くとも言っています。
これは明らかに矛盾で、わたしは、古い街並みの観光はしますが、それ以外はあまりしませんと訂正すべきでした。
何度も書いているように中国には古い街並みが残っているエリアを古鎮と呼びます。
広大な中国では、山間の寒村や水郷の村など交通手段が遮断されているために、100年前の村がそのままに残っていると言うところがけっこうあったりします。
水道や電気などの最低限のインフラのみ整備して、食事やライフスタイルなども伝統的なものが継承されているケースが多く、昔の村に突然やって来たかのように錯覚を覚えることがあるくらいです。

しかし、開放政策以降中国が豊かになると、古鎮にも大きな変化が起こります。
訪れる人がどっと増え、何もないこんな村に観光客が来ると気付くと入場料を取るようになり、収入で観光客の便宜を図ろうと素朴な道がコンクリートになったり、ごみ箱や街灯が設置されたり、古さが売りだった村に新しい設備が導入されていきます。
中国人はある意味おおらかなので、そのように手が加わっても便利になれば、いいことだと訪れる人はさらに増加していきます。
こうなると立地の良い家の住民やもともと小銭を貯めていた住人などが食堂や土産物屋の商売を商売を始めたりします。
もちろん、オリジナルの村の状態こそベストですが、このくらいの段階ならまだまだ許容できます。
作例は、河北省石家荘郊外にある石頭村ですが、これを見た中国人以外の誰もが、ひらひらしている旗(?)は外すべきと考えるでしょう。

しかし、さらに観光客が増えると困った現象が起きてきます。
ここは商売なると考える外部の人が、次々やって来ては地元の人を追い出す形で村に入り込んで商売を始めてしまいます。
それでも古い建築を補修して、外観が損なわれない程度にリノベーションした商売ならよいのですが、人生掛けてこで商売やると決めてやって来た人たちは村で目立とうと建物の外観をおかしなことにしてしまうのです。
元の住人も、家賃収入で不便な村を捨てて町に引っ越してしまい、現地人不在のおかしな村へと変貌していきます。
良識ある中国人はそこまでなってしまう村の現状を嘆きますが、ほとんどの中国人には現地人空洞化の村よりもより活気づく村を評価して、より訪れるようになるという構図が出来上がります。
冬の間に地中に生まれた幼虫の成分を吸って育つ冬虫夏草を思わせるものがありますね。

虫の形なのに植物になってしまった町をわたしはいくつか知っています。
湖南省の鳳凰、広西壮族自治区の陽朔、雲南省の麗江・大理などです。
鳳凰は苗族、陽朔は壮族と瑶族、麗江は納西族、大理は白族がそれぞれ住んでいた町でした。
もちろん今でも彼らが主要な民族です。
しかし、それぞれ町があまりにすばらしかったため観光客が訪れ、よそからやって来た漢族が商売を始めて家賃が上昇して、地道に暮らすより彼らに家を貸して、自分たちは都会に家を借りたり買ったりして引っ越ししてしまいます。
民族の伝統が一気に薄まってしまい、先に書いた冬虫夏草の町に変貌していました。

残念ながら、外部から来る中国人の多くは、もともとの文化や伝統を尊重することはありませんし、商売もむしろその土地になかった本格コーヒーのカフェだったり、大音量の音楽の酒場だったりします。
土地の名物を売るみせもありますが、恐らくそれを製造している工場はやはり外から来た漢族の経営でしょう。
そんな中を貧しい現地民族の老女が伝統的なお菓子や手作り細工をとぼとぼ売り歩いている姿に胸が痛みます。
何もなかった古い街に人がいっぱい訪れて豪勢な食事に買い物、宿泊をするのですから町はうるおうでしょうし、出て行ってしまった地元民族も生活向上しているし、観光客はみんなご機嫌で何が悪いんだと言われそうですが。

前にも書きましたが、アジアインフラ投資銀行がどういうことをするか、これによって見えてこないでしょうか。
アジア開発と言って自国の企業丸々進出させて、自然破壊も辞さずに開発終了して、やって来た企業は地元の産業を吸収して居残り続ける。
あるいは中国人観光客が日本にどっと押し寄せて爆買いしているというニュースです。
買い物するのは中国資本の元日本の電気店で、働いているのも中国人、売っているのは欧米ブランドのバッグや腕時計。
中国経済が破たんすれば元に戻ると考えているのか、何か日本に対応策はあるのでしょうか。
【Alpha7/Raptar50mmF1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Wollensak Raptar 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/05 Sun

トランクひとつだけで

C.C.Harrison 14cmF4
作例は馬車ですが、交通手段シリーズで馬車ということではありません。
ここ1年でも、マニラ、バガン(ミャンマー)、大理で馬車を見ましたが、交通手段ではなく観光用でしたし、何しろわたしは乗ったことがありません。
今日は、旅のアイテムについて雑記いたします。

まずはカバンからですが、オールドスタイルの世界一周旅行をイメージしているところがあったので、いつもの車輪が付いたスーツケースをやめてトランクを持って行くことを検討しました。
現地で捨ててもいいようなボロトランクを古道具屋で探したのですが、トランクはブタ革を使っていてとても重く諦めました。
しかし、紙製の軽量トランクがあることを思い出しました。
イギリスのグローブトロッターの古いヤツですが、これはヤフオクなどで見つかるものの2万円以上して高すぎでした。
イギリスのeBayでは安いのがいくつもありますが、送料だけで1万円してしまいます。
そんなセラーの中に洋服もいろいろ一緒に売っていて、わたしの体に合うBossのジャケットを2000円ほどで出品していた人がいたので、5000円程度のグローブトロッターといっしょに購入しました。
締めておよそ17000円。
ジャケットはクリーニングに出したら新品同様とは言わないもののかなりきれいで、中古で同様のものを日本で探せば10000円はするでしょう。
そうするとトランク代は7000円ということになり、これなら貧乏旅行の相棒として許容できる価格帯です。

グローブトロッターは老舗なのでご存じの方も多いと思いますが、紙製と言っても特殊なファイバー加工がしてあって、象が踏んでも壊れないと戦前から宣伝していた、日本の筆箱メーカーを先行していた会社です。
飴に降られると融けてなくなるなどと言うことはなさそうです。
大きさは機内持込みサイズよりふた回りくらい大きいもので、そのまま荷物を詰めると中でぐちゃぐちゃになりそうなので、高さを合わせた小さな段ボール箱2つを中に入れて仕切りにし、1週間分の下着と靴下、シャツ等の衣類を詰めました。
シャツは4枚で、うち2枚は普通の人なら捨てている10年以上のポロシャツです。
この2枚は旅の後半に別れを告げて捨てています。
というのは、途中から気候が春に転じたのでコートが不要になりトランクに入れたらパンパンになってしまったからです。
ゴムで固定する折り畳みキャスターを買って途中使っていましたが、小さくて引いている最中に何度も足にあたるので不要だったかと思います。
それと石屏でテロリストとの誤解を受けたのは、ボロいトランクだったため爆弾を仕込んであると疑われたのかも知れません。

カメラやパスポート、PCなどを入れたカバンも長年愛用しているf64のカメラ用トートバッグで、これも途中からファスナーがバカになってしまうボロでした。
サイドのペットボトルを仕舞うポケットもゴムが伸びきって、よくペットボトルを落としましたが、それ以外は長年使ってきた勝手知ったる旅の道連れです。
心配なのはf64のバッグにはアメリカ国旗の小さなタグが付いていることで、中東に入るとこれを理由に誘拐されたり越されたりすることがあるかも知れません。
まだまだイスラム圏は先なので、破れてしまうまではしばらく使い続けるつもりでいます。

永旅で重要なのはカバンより靴でしょう。
わたしは長年ビルケンシュトックのコンフォートシューズやサンダルを愛用しています。
特にコンフォートシューズはフットベッドと言われる靴底の凹凸が適度な刺激で心地よく、つま先の広がりも指の負担軽減になっていて長く歩いて疲れない靴であると信頼しています。
長年旅で履いている革靴を今回も使用しましたが、ホテルでスリッパのようにかかとをつぶして履いていたのが原因でその部分が切れてしまいました。
しかし、修理屋さんにもちこむとわずか60円で直してもらえました。
靴に関しては安いのを履きつぶして買い替えるより、自分に合うものを直しながら履き続けるのが良いと確信しています。

最後に、今回の旅で役立った小物のベスト3です。
第3位は、平凡ですがスマートフォン。
わたしのは050電話のSIMカードに替えているので、日本からの電話も受けられるし、こちらからかけても日本国内と同じ料金で済んでしまいます。
長旅なのでところどころ用事があり、何度か電話に助けられました。
第2位はマスクです。
多くは書けませんが、トイレの汚い中国ではマスクは必需品で、鼻を密閉できるようなしっかりしたワイヤーの付いた医療用がお薦めです。
第1位はわたしの場合は圧倒的にイヤホンです。
音楽を聴くために待って行ったインナーイヤータイプのもので、耳に当たるシリコン部分を低反発ウレタンのものに取り換えてあります。
これがわたしの耳にフィットしてかなり外部音をシャットアウトしてくれました。
わたしのイヤホンの使い方は、夜寝るとき音楽を聴くためではなく耳栓代わりに使用したのです。
市販のイヤープラグはいつの間にか耳から外れていることが多く悩みだったのですが、イヤホンがわたしを助けてくれました。
途中で騒音に起こされることなく熟睡できたのが、昼間、あまり疲れずに行動する力になったと考えています。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
thema:ペッツバール genre:写真
C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/04 Sat

超難読麺

C.C.Harrison 14cmF4
今日は麺のことについて書こうと思います。
あらかじめ断らなければいけないのは、麺という漢字の本来の意味は小麦でつくった食品と言うような意味です。
ですから、中国では小麦を使用していない日本そばやビーフンなどは綿ではなく、逆に餃子は麺として扱われます。
ただし、ヌードル状の綿と餃子がいっしょでは、食べる方もどちらか分からないので、通常、麺といえば狭義に小麦のヌードルのことを差しますし、イタリアのパスタに長いのや短いのがあるのと同様のものが中国にもありますので、長いものだよと限定させたいときは麺条という言い方をします。

南方で主流の米で作るヌードルは紛と呼びます。
米紛ということが多いですが、米線と呼ばれるものもあり、どういう違いがあるのか分かりません。
米紛は太めの日本のラーメンの綿くらいの太さで、さらに太い紛はうどんににています。
米では技術的に難しいのか、うどんのようにコシのある紛を食べたことがなく、多くはちょっと噛むとぶつんぶつんと切れてしまって個人的には食感がもの足りません。
粉で有名なのは桂林米紛と雲南の過橋米線ですが、申し訳ないですが、わたしは両方とも好きではなくほとんど食べたことがありません。

桂林米紛の例のとおり、麺や粉は地域ごとに特色があってこれを見つけて食べるのは、中国旅の楽しみひとつになります。
これには関しては心強書籍があって、確か前にも紹介したことがあったかと思うのですが、坂本一敏さんの「誰も知らない中国拉麺之路」という本がたいへん参考になります。
これは新書でページ数が限られていますので、より体型的な中国麺のガイドのようなかたちのものも出版いただけないかと、坂本さんにはリクエストしたいのですが。

この本は数度読み返していますが、その中でも印象に残っていたビャンビャン麺というのがありました。
ビャンというのは両手で持って麺を延ばすときに出る音に由来するという説があるとのことですが、その字がすごいのです。
しんにょうのつくりの方を解体すると、ウ、ハ、月、糸、言、糸、伐、長、馬、長、心に分かれる64画もある字で、中国サイトで検索してもこの字は登録されていないためbiangbiang面と表記されています。
本には陝西省の咸陽のローカルなものと書かれていましたが、西安でたまたま見つけました。
店頭でデモンストレーションをしていて蘭州拉麺かと思ってみたのですが、めずらしく若い女性が作っているので撮影しました。
しかし、拉麺とは全然違うものを作っていて何だろうと思ったら店の看板に、上に書いたあの難しい字が書かれていて、本にあった麺だと分かりました。
昼を食べたばかりでしたが、思わず入店して食べてみました。
たぶん美味しかったのだろうと思いますが、よく覚えていません。
ただ、20元もする高いもので、観光客用のものだということだけは記憶に刻まれました。
本物のbiangbiang麺を食べたければ咸陽を訪れるべきだとも。

それ以外に食べた日本でいうところの麺を列挙します。
・北京の炸酱面
 韓国でもバリエーションのジャージャンミョンを食べていたが、タレが甘いので主食ではなくおやつの感覚です。
西安の涼紛
 ホテルのおばさんに勧められてピカピカのファーストフード店のような涼紛店に行くと朝から行列で、確かにこれは旨かった。
・重慶の雑酱面
 四川や重慶では担担麺と並んでメジャーで、味の傾向が似ていますが、汁ありとなしがあるのもそっくり。
・平楽の奶湯麺
 成都郊外の古鎮の名物のようであちこちで見つけたので食べましたが、牛乳を使っている訳ではなく牛乳のように白いスープの綿という意味とのことでした。
・西来の芝麻甜水麺
 平楽から遠くないもうひとつの古鎮ですがこちらには奶湯麺は一切なく、この店を見つけたのですが、ゴマの甘い麺という名前にも関わらず皿の下には麻辣味のスープが入っていて、甘いのと辛いのを混ぜて食べる不思議な綿でした。
・平地の涼麺
 涼麺はどこにでもあるおやつのようなものですが、時期的な関係でなかなか見つからなくて、ようやく平地であった時にはおかわりしてしまいました。
・鶴慶の把肉餌丝
 餌丝というのは米から特殊技術(?)で作る外はもちもち中はコシありの新食感ヌードルで、鶏ガラと野菜を煮込んだ超濃厚スープで食べる絶品です。
・鶴慶の名もなき麺紛
 4種類の麺と紛を客の好みで組み合わせて、辛酸っぱい不思議なタレをかけて食べるものですが、意外に旨かった。

麺粉の店はかならずどこにでもあって、安く美味しいので、上記以外にも毎日麺類は食べています。
どれも実際に美味しいものですが、わたしのお気に入りは圧倒的に鶴慶の把肉餌丝で、それも鶴翔園という店のものに限ります。
近くの麗江周辺では7月に松茸が食べられると聞きましたので、この2つを目当てにまた訪問したいと考えています。
それとは別に、今回のランダムな訪問地でも多くの種類の麺が食べられたように、下調べと現地情報に基づいた麺紀行ができないかも検討中です。
また、世界一周を再開するにあたっても、各国の麺類探求にこだわりたいと思います。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
thema:ペッツバール genre:写真
C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/03 Fri

なぜに立ったままなのか

C.C.Harrison 14cmF4
今日は食の話をしたいと思うのですが、巨大中国の食については簡単に語り切ることはできませんし、誤解も覚悟で経験談的に少々書きたいと思います。、
まずは、中国人はなぜか立ったまま食事ができるというを取り上げます。
日本やヨーロッパには立ち飲みをする場所がありますが、わたしは食べるのも飲むのも立ったままと言うのはイヤです。
むかし見た映画の影響で、ホテルの部屋のベッドに寝たままルームサービスの朝食を食べたいという夢を持っていますが、寝ながら食べるのは許しますが、やはり立ったまま食べたいとは思いません。
なぜ彼らは立った姿勢で箸を器用に使って食事するのか、謎を解明できないままです。

10年以上前、深圳で知り合った友達が勤めている会社に招いてくれたことがありました。
コンピューターの能力を活かして転職したのですが、そこは深圳の郊外にある工場の事務所で工場の前を通って行ったのですが、6時頃だったため若い工員たちが50人ほど制服姿のままで食事していました。
その50人すべてが社食の何とか丼のような食べ物を立ったまま黙々と食べていたのです。
わたしは中国を何回か旅行して九寨溝とか貴州省の棚田とかタクラマカン砂漠とかすばらしい風景はいくつも見ていますが、もっとも忘れられないのは、圧倒的に50人の若者たちが同じ服装で立ったまま食事しているその光景でした。
その時、写真を撮っていれば何かの写真コンテストで優勝するようなものになっていたでしょうし、光景に驚愕するわたしの表情を撮っても、準優勝くらいしたのではないか、そんな迫力があったのです。

レストランはもちろんボロい食堂でも立って食事する人なんていません。
なぜか勤務先とか自宅で食事をするときに中国人で立ったまま食事するケースがあるようです。
あのときも制服なのでどこかに腰を下ろして食事すればいいだけの話なのに、全員が痔で悩んでいるかのごとく立ったまま食べている理由が謎でした。
今回、重慶に近い古鎮で女の子が立ったまま食事しているのを見て、謎が解けたとは言えませんが、ヒントになるようなことが分かったような気がします。
幼い子供はイスに腰掛けてもテーブルの高さに追いつかないし、いろいろなおかずを食べるのではなくひとつの茶碗に混ぜご飯のようにするので、立ったまま食べた方が都合がよいし、それが習慣化するのではないかと思ったのです。
都会のマンション暮らし家庭なら幼児用のイスを買えばいいところですが、田舎ではそういう発想にならず、両親が出稼ぎに出ていて祖父母が面倒を見ているので、自分たちのやり方で食事させるのも立ち食い文化が根付くことに貢献させているように思いました。
この説を持って、次回、中国訪問の際に聞いてみようと思いますが、彼らは同意してくれますでしょうか。

もうひとつは辛い料理の話題です。
四川料理が辛いということは日本人でも知っていますが、四川省の場合は辣椒(唐辛子)プラス花椒(中国山椒とか言われるらしい)の辛さで、この花椒は口の中が痺れてくるものでわたしは苦手なのですが、辛いものが好きな中国人も花椒を抜いてと言うのをよく聞きます。
作例を見ながら疑問に感じるのは、四川省・重慶市の人は何歳くらいから花椒を食べ始めるのだろうかということでした。
辣椒の辛さは未就学児童でも耐えられるだろうし、段階的に辛くすれば問題ないように思いますが、花椒の痺れる辛さを小さな子どもに食べさせたら危険なのではと感じるのです。
もしかしたら四川省政府が子どもの食事に対する花椒の与え方のようなガイドラインを作っているのではないかと思うのですが、これについても質問しないといけないと思っています。

ちなみに日本の中国料理で有名な麻婆豆腐、回鍋肉、青椒肉丝などはみな四川料理ですが、これは日本に中国料理を伝えた人が四川出身だったことによると聞きます。
上記は、青椒肉丝以外は花椒たっぷりの痺れる料理ですが、日本ではもちん花椒を入れるようなことはまずはないので、同様に辛いが花椒を食べない湖南料理、雲南料理、貴州料理との区別がつきません。
じゃあ湖南料理と雲南料理との違いは何だと聞かれても、いくつかの料理名を言えるだけで、その定義付けがわたしにはできないので、四川との違いだけを云々するのはおかしなことになります。

辣椒をよく食べる地域の人たちは、他の地域で辛いものを食べないということをよく知っているので、麺類の店や食堂などではしばしば辣椒を入れるかと聞いてきます。
わたしはもともと辛いものは得意ではなかったのですが、何度か食べているうちに辛さが病みつきになって来ましたので、麺屋なら入れてくれと返事しますし、コミュニケーションがとりやすいような食堂だと、現地人が食べるのと同じように調理して欲しいとお願いします。
この返事はだいたい受けてくれるし、出て来た料理は本格的に辛くなります。
それを食べることによって、また次の食事でも辛いものが欲しくなってしまうのです。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
thema:ペッツバール genre:写真
C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/02 Thu

酒を売らない酒店

Raptar 50mmF1.5
大酒店、大飯店、賓館、酒店、客栈と書いて何のことか分かるとすれば、それは中国旅行をしたことがある人と言うことになるでしょう。
もちろん、酒屋やレストラン、要人が集まる館ではなく、どうしたことかこれらはすべてホテルを意味します。
日本でもHotelのことをホテルとそのまま訳していますが、ホテルを漢字で表現するのは簡単ではなかったということでしょうか。
中国ではさらに招待所、旅館、旅社などという宿泊施設もあって、いずれもホテルと呼べそうなものですが、記載順にランクが落ちるようで、このあたりの名前になると外国人は宿泊不可と言うところがほとんどになります。
先に書いた方も、大酒店、大飯店は確実に外国人も宿泊できますが、賓館は宿泊できないところもあり、酒店も同様です。
名称がホテルのランクを表している部分があるということは理解できたのですが、どのような基準で名前が付けられているのかがよく分かりません。

青島を散策していたら、作例のようなホテルが3つ入ったビルがあったので、これは面白いと撮影しました。
左端の故郷情大酒店とはすごいネーミングですがここなら外国人でも宿泊可です。
右端の天福旅館はゲン担ぎによさそうですが、チェックインしようとすると身份証(中国人に対して発行されている身分証明カード)を出してと言われ、外国人なのでないと答えるとウチは外国人は泊まれませんと断られるでしょう。
問題は真ん中の陸合賓館で、ここに外国人が停まれるかどうかはフィフティの確率です。
外国人が泊まれるように許可を取得しているかどうかについては、名前の問題と並んでよく分からないことがあります。
いずれにしても、作例の通り、入り口を見るとホテルの性格やクオリティは何となく理解できますので、名前云々はどうでもいいかも知れません。

タリフというのでしょうか、中国のホテルにはレセプションに料金表が掲示してあるのですが、それがまったく現実とかけ離れている金額になっていることがほとんどです。
もともとこんなに高いのに大幅値引きしているんですよと見せかけるためにそんな表があるのか、料金はたずねてみないと分かりません。
今回分かったのですが、どのホテルにも特別に安い部屋が用意されているのですが、いちばん安い部屋をと言っても教えてくれないのです。
標準房が148元、特価房が128元のように言われてしまいます(房は部屋の意味です)。
そこで100元以下の部屋がないなら諦めますと言うと、とても狭い部屋ですが、そこは100元です、それでよろしいですかと慌てて聞いてきます。
それがないケースもありましたが、もともと最低が150元以下であれば、だいたい100元程度に設定されている部屋がありました。
こういう仕組みもよく理解できません。

宿泊はできるだけ高い階で、表通りと反対側の部屋をリクエストするのが賢明です。
車はところかまわずホーンを鳴らすので、表通りに面した2階の部屋だったりすると、深夜でも早朝でも目覚めさせられることしばしばです。
もっとも8階の部屋だったとしても、同じフロアにいる客次第で静かに眠れないこともあるのは指摘するまでもないでしょうか。
ほとんどの中国人は他人のことなんか知ったことではないとばかり、夜中でも大声で会話しながら部屋に戻り、部屋のドアを力いっぱいバーンと閉めます。
中国のホテルのドアは建てつけが悪いものが多いと前から感じていたのですが、それだからみんなが強くドアを閉めるのか、みんなが強く閉めるからドアがダメになってしまうのか、わたしにはとちらか判断できません。

中国のホテルの特徴としてデポジットを支払うということがあります。
日本語では保証金というのだと思いますが、中国では押金と書いてヤーチンと読みますが、チェックイン時に何度も言われたり聞き返したりしたせいで、わたしが最初に覚えた中国湖のひとつです。
100元の宿だと200元支払い、チェックアウト時に100元返却してもらいます。
チェックアウト時にハウスキーパーが部屋の中で持ち去られたものが無いか確認してから押金を返却されるのが常で、チェックアウトが多い時間帯は待たされることも多かったのですが、最近はチェックアウト、即精算というケースが多く助かります。
クレジットカード払いの時でも押金は現金でと言うケースが多いですが、カードで押金を払うと差額を返すという訳にもいかず、一旦伝票を破棄してから、再度世紀額をカードで支払い手続するので面倒ですし、破棄すべき伝票をそのまま使われる可能性もあり、現金押金の方が安心です。

ホテルのお勧めについても言及しておきます。
中国では古建築をホテルに転用するケースがたいへん増えていて、きれいにリノベーションされた快適空間で古い建物を味わう楽しみがあって、わたしは積極的に利用しています。
天津、青島、上海、広州などは旧租界の西洋建築をホテルにしているところがあります。
天井が高く、シャンデリアが下がり、内装も当時の西洋風で、中国らしからぬ空間で、意外に料金も高くありません。
中国らしさを求めるのなら、わたしが何度も書いている古鎮に、古建築を客栈という小さな宿に転じたものが多くあります。
これまで、麗江、大理、陽朔、鳳凰、上海近郊の水郷のいくつか等々でそんな客栈に宿泊しましたが、建築やロケーションなどどれも楽しくなるようなところでした。
こういう宿を訪ね歩くような旅をいずれしてみたいと計画しているくらいです。
【Alpha7/Raptar50mmF1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Wollensak Raptar 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/01 Wed
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