師匠の運転で

Raptar 50mmF1.5
乗り物シリーズの最終回はタクシーです。
安心と心配、安全と危険が表裏一体になっている、それが中国のタクシーに対するイメージです。
80年代くらいの香港映画では、若く未熟なジャッキー・チェンが敵にボコボコにされてカンフーの師匠に教えを乞うというのが毎度のパターンですが、ジャッキーは師匠のことを師傅と呼んでいました。
師傅とは先生などの敬称として使われる言葉ですが、中国ではバスやタクシーの運転手も師傅と呼ばれます。
ジャッキー・チェンが師匠に相手を倒す極意を聞くときと同じように、わたしたちもバスの運転手に「師傅、このバスは何時ごろ到着しますか」のように聞かないといけないのです。

これは、開放政策が始まる前のみんなが自転車に乗っていた1980年代まで、自動車の運転ができるということは現在の飛行機のパイロット並にたいへんなことで、それだけ尊敬を込めてみんなが「師傅、師傅」ともてはやしたてたということのようです。
その後、1990年代になってもタクシーの運転手は花形職業で、たぶん中国人の子どもたちに将来の夢はと聞くと上位に入っていたのではと思いますが、現在ではもはや地位もだいぶ下がってしまったことと思われます。
タクシー自体が供給過多になってしまったように見えますし、もはや都市部では一家に一台乗用車の時代になってしまいましたので。

かつて尊敬と羨望の目で見られた師傅の中には、悪いヤツに成り下がったものが続出しているようで、空港や駅前に屯している客引きタクシーはとんでもない金額を吹っかけてきます。
相場を知っている地元の人は問題なく利用しているようですが、よそ者は始めから勝ち目はありません。
少なくとも都会であれば、少し歩いてでも到着して客を降ろしたタクシーにさっと乗り込むか、道路に出て流しを拾い、メーターで行ってくれるか確認してから乗り込むべきです。む
作例は天津の駅前ですが、ぼったくりタクシーが何台も手ぐすね引いて待っています。
そのちょっと先の地下には駅のタクシー乗り場があって長蛇の列ができていましたので、地元の人も避けるほどのぼったくりタクシーだということが理解できます。

10年近く前上海から郊外の西塘という水郷の古鎮に行くとき、タクシーの師傅は150元で行くと言ったのに途中で白タクに乗り換えるよう言われ、拒否したところ西塘まで行ったものの250元寄こせと言ってきました。
それを拒否すると、払うまでトランクを開けず荷物を出せないようにしました。
そこで揉めていると、地元の人が割って入ってくれ、200元で解放してもらいました。
この体験がトラウマになって、タクシーに乗るのは緊張しますし、極力荷物は後部座席に乗せるようにしています。
おかげで以降はトラブルもなくと言いたいところですが、その後も揉めることはしばしばです。

しかし、今回の旅で利用したタクシーではトラブル発生が無かったばかりか、よい思いをすることの方が多くありました。
四川省郊外の攀枝花のバスターミナルで郊外の平地への行き方を聞いたら、少し先の新市街から小型バスが出ていると分かりました。
時間が無いのでタクシーに乗ると、バス乗り場まで12元くらいだろうと言って走り出します。
ほどなくすると前方に雲南省永仁行きのバスが見えてきて、タクシーはバスを追い越して停止させ、この客を平地まで連れて行ってくれと頼んでくれました。
高速を走るバスで降ろされた平地インターは平地村から徒歩5分でしたので、ずいぶんと早く着くことができました。
後で分かったのは通常のバスだと客がいっぱいになるまで発車しないので、運が悪ければ1時間でもバスの中で舞っていけなければならなかったこと。
タクシーの機転で助けられたのですが、そのタクシー料金は初乗りの5元で済んでしまいました。

他にも、電話番号をくれて次回はいっしょに火鍋を食べに行こうと言ってくれた成都のタクシー、駅に行くだけでいいのに列車の時間はまだあるからと追加料金なしで長城の一部に連れて行ってくれた娘子関のタクシー、外国人だと言っているのに聞き違いで新疆人だと誤解したまま周辺を解説してくれた石屏のタクシー、現在の師匠たちもその名の通りの活躍をしてくれました。
なお、中国の都会では、メーターの料金プラス燃油サーチャージを支払うと言ったら冗談だと思われるかも知れません。
しかし、これはほんとの話で、通常は1元、深圳では2元取られます。
中国のタクシーは一部のハイブリッド車を除いてガソリン車だからですが、昨今の原油価格下落に対応しているのかはよく分かりません。
【Alpha7/Raptar50mmF1.5】
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Wollensak Raptar 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/31 Tue

中国鉄路の憂鬱

Raptar 50mmF1.5
船、バスと来たので今日は鉄道です。
バスはあちこちで乗ったので、どこからどこまで何回利用したかと聞かれても答えられませんが、鉄道に関してはよく覚えています。
日本でも、韓国でも、モンゴルでも乗りましたし、日中韓の新幹線乗り比べ体験もしたことになりますが、ここでも中国の鉄道のみに言及します。
利用した区間は、
①青島-済南(実際には溜博で下車) 119.5元
➁娘子関-井陉 2元
➂天津-北京南 54.5元
④ウランバートル-集寧 171850トゥグルグ
⑤集寧-銀川 208元
➅銀川-西安 196元
⑦南陽-重慶北 363.5元
⑧成都-西昌 139元
(1元はおよそ20円)
なぜ、料金まで書いたかと言えば、これはみな切符を見ながら書いたからで、中国では切符を回収しないので記録が手許に残るのですね。

①と➂は高速鉄道で高く、➁はローカル列車で激安、④は国際列車の一等なので高めですがそれでも1万円少々です。
⑤➅⑧は二等寝台で、⑦は一等寝台です。
こう書いたところで何が分かるというものでもありませんが、鉄道は安い乗り物だということだけは伝えておきたいと思います。
例えば、成都から西昌まで550キロあって硬臥(二等寝台)が2800円ですので、中国のちょっとしたビジネスホテルに泊まる料金で、これだけの移動ができてしまうのです。

中国で鉄道に乗るためには外国人にとって非効率と思える儀式が必要で、乗車する人の忍耐力が問われます。
まず切符の購入ですが、駅の正面に改札が見えても、切符の窓口は別の場所にあるので、售票処と書かれた入り口を探さないといけません。
改札のある建物に入ろうと思ってもその入り口に検票があるので、切符が無いと立ち入りできないのです。
事情が分からずに列に並んだあげく切符を出せ、これから買うところだ、ここじゃないあっちで買えなどというやり取りを2~3度体験しました。
重いトランクを持って、後ろにできた長い列をすみません、すみませんと言いながら戻らなくてはいけません。
そして指さされた方向に切符売り場を見つけてホッとし、中に入って窓口の長い列に気付いてまた愕然とします。
切符を買う前からドッと疲れが出てしまいます。

意外に切符購入の列の進み方は早いですが、たまに自分の希望日の切符が売り切れで、携帯で日程確認しながらいついつはあるかなどやっている人がいて、イライラさせられます。
中国人と日本人の違いを端的に示せと言われれば、日本人が背中に感じる視線が痛く感じると表現するこのような場面でも、まったく気にせずに悠長に検討しているところだと答えたいと思います。
いざ自分の順番が来たら、行先を言いますが、中国語ができなくても紙に書いておけばいいのでそれほど苦労することはないと思います。
窓口の人が行き先を入力すると、該当する列車番号と時間、料金が表示された画面を外国人に対してなどは見せて、確認させてくれます。
OKならば料金とパスポートを渡します。
切符には自分の名前とパスポート番号が印字されるので、中国旅行する人にはちょっとしたお土産にもなります。
中国らしくない配慮でパスポート番号は後ろの二けたが**と隠されて、セキュリティ上も問題なくしているようですが、今回あらためて全部の切符を確認すると全部入力されているのがあったり姓と名の順番が逆のがあったり、駅によってやり方が統一されていないようでした。

これでようやく改札のある建物に入れますが、その前に、夜行列車に乗るのだしたら食事やドリンクなど事前に済ませておくべきです。
駅併設や駅前の食堂はたいがい高くてまずいので、少し歩いてでも地元の人が利用するような食堂を探した方がいいですし、ドリンクも駅前だと2~3割高いのが普通なので気を付けてください。
車内販売のドリンクも同様ですが、最悪食事ができなかった場合は、カップラーメンを買って車内備え付けの熱湯でしのぐこができるので空腹で寝られないということは避けられます。
さて、検札を過ぎると空港にあるようなX線装置で荷物検査を受けてようやく駅舎の中に入り、列車別の候車室というところで待機します。
だいたい発車時間の10分前に改札が開くので、また切符を見せてホームに向かいます。
切符に記載された列車の車両番号がホームにも記載されているのでそこで待たなければなりません。
やって来た列車には車両ごとに車掌がいてここでも検札があり、車両番号が違うとそこからは乗車させてもらえず、荷物を抱えてホームを走らされることになります。
ちなみに発車するとドアは車掌によってすぐに施錠されます。
バスのように列車を飛び下りちゃう人がいるからかも知れません。

車内でまた検札がありますが、これで4回目ですので、いい加減うんざりです。
座席の場合は日本同様の車内検札ですが、寝台はちょっと変わっていて、車掌は切符を受け取るとベッドごとのカードに引き換えられます。
下車直前にまたカードと引き換えに切符を返してくれるのですが、カード自体は何かの役に立つようなものではなさそうなので、車掌が切符を手許に置くことで、下車駅が来たら降りるようにうながすためにそうしているようです。
寝台車は、掛け布団と枕がセットしてあってあとは寝るだけですが、おおむね乗車直後は他の乗客がざわついていて寝やすい環境ではありません。
おおむね11時頃に一斉に消灯されて、ようやく眠れるようになります。
途中駅に夜中に下車する場合でも心配無用です。
車掌が起こしに来てくれますので、安心して熟睡ください。
下車駅の改札でも5度目の検札がありますが、前述の通り切符は回収されません。
【Alpha7/Raptar50mmF1.5】
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Wollensak Raptar 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/30 Mon

中国巴士有限公司

C.C.Harrison 14cmF4
昨日が船のことを書きましたので、交通機関つながりでバスのことに言及することにします。
この旅では、奈良、釜山、順天、ウランバートルなどでもバスを利用していますが、今日はもっぱら中国のバスのことに限定することにしましょう。
中国では最近になって急速に高速鉄道網を延伸させてますし、日本で見る春節のニュースではごった返す駅と鉄道で移動する様子が映し出されるのが常なので、鉄道が主要な交通機関だと思われがちです。
しかし、同じように高速道路網が発達し、国土の広さを隅々までいきわたらせるためにはまだまだバスの方がはるかに主力であって、バスを避けていては中国を旅行することはできないと言えます。

バスは大きく中長距離バスと路線バスに分けられますが、中長距離バスはもとより市内の路線バスのようなものにも乗ることができないと移動がタクシーばかりになってしまい、長旅では無駄にお金を使うことになりかねません。
路線バスは一票制と呼ばれる一律料金の場合と区間ごとに運賃設定されている場合があって、主に前者はワンマンバスで、後者では車掌が乗っています。
車掌がいると行き先の相談ができたりするのでよそ者にはありがたいのですが、車掌はだいたい女性で相手が外国人と分かるととても親切に対応してくれることが多く、助けられたことが何度もありました。
そういえば、雲南省の田舎の路線バスで車内に料金表が貼られていたのですが、バス停が40くらいあって、そのバス停名が縦横にすべて書かれた表は巨大で壮観でしたが、外部の人があの表から乗車と下車のバス停を探している間に乗り過ごしてしまいそうです。

さて作例は、四川省西部の泸沽の町から郊外の河辺村までのバスですが、今回の旅で乗車したバスの中で一番のボロでした。
いつ発車するのか聞いたところ、河辺からのバスが到着したらというので、いつ到着するのかと聞き返すと分からないとの返事でした。
乗客は車内で携帯をいじったり、編み物をしていたり呑気なものです。
中国のバスシステムはちょっとアメリカの航空網と似たところがあります。
例えば成都から西昌に大型バスに乗り、西昌から泸沽に小型のバスに乗り換え、さらに泸沽から河辺に作例のバスに乗るというのが、成都が大きなハブで、西昌は州レベルの大きな空港、泸沽に来るとローカルな空港ということになるからです。

紀行文中でも書いたことがありましたが、中国のバスはフレキシブルなことがあるのが楽しいと思います。
例えば、高速を走る直行バスでも、高速の出口やサービスエリアで下車できてしまうのですが、考えてみれば日本でも高速バスは同様のところにバス停が設定されていたりするので、これは中国独自とはいえないかも知れません。
もうひとつは、高速道路の入り口で乗車できることですが、これとは別の面白いシステムがあります。
バスターミナルを出発したバスが外に出たとたん、すぐそばから何人も乗って来ることがあるのです。
恐らく、バス会社はバスターミナルで売れたチケット分のキックバックを払わなくてはならず、ターミナルの外から乗る人には多少割引しているのではないかと思われます。
バスの出発がその分若干遅れるし、空いていた隣の席に人が乗ってきたりで迷惑な仕組みなのですが、こんなのを見てどういうことだろうかなどと考えたりするのが、旅の楽しみの一つになってしまったりするのです。

寝台バスのことにも触れないわけにはいきません。
北京からモンゴル国境の二連浩特までその寝台バスを利用しましたが、これがたいへんな地獄でした。
バスの内部には通常の座席が無く、鉄枠の二段ベッドが縦三列になって並んでいて、わたしは最悪の中央列冗談でした。
そしてすぐ後ろが仲良しおっさんグループで、乗車時には白酒をしこたま飲んでいて酒臭いうえに、それ以上に奴らの足が生ゴミのような強烈な異臭を放っていて、それがわたしの頭のすぐ後ろにある状態ですので呼吸もできないほどきついものでした。
しかし、幸いにもマスクを持参していたので鼻部分のワイヤーをきつく鼻に密着させることで、どうにか眠ることはできました。
ところが、夜中に目覚めると掛け布団と枕が下に落下してしまっていて、とても寒いのですが、それを取りに降りて行く気力が湧かずに十としていました。
たぶんウランバートルの寒さではなく、このことが原因で風邪をひいたのではないかと思います。
それでも布団ではなく本人が落下するよりはマシなので仕方なしとしましたが、これを教訓に、以降、寝台バスと思われるバスの切符を買うときは下段と指定して買うことにしました。

以前はまったくなかったのですが、中距離以上のバスに乗るとシートベルトを締めるよう指示するようになりました。
事故が少なくないということを裏付けていそうですが、中国での安全への意識が変化していることを示しているとも言えそうです。
これはウランバートルへ向かう乗合タクシーの中で日本語堪能のチンジュルク君から聞いたのですが、モンゴルでは経済好況で車を買う人が増えていますが、中国車を選ぶ人は皆無なのだそうです。
理由は、平原のような道なき道を走るケースも多いモンゴルでは、車のサスペンションに負荷が強くかかるので、ここがしっかりした車を選ぶからだとのこと。
そうです、中国ではバスもタクシーも中国内で製造された車が走っていますが、みな足回りがへたってしまっていて乗り心地がすこぶる悪いのです。
中国でバスに乗るためには、まず最初にそれに慣れる必要があるとアドバイスすることにいたしましょう。
【Alpha7/Raptar50mmF1.5】
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C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(2) | 2015/03/29 Sun

空ではなく海を

Raptar 50mmF1.5
世界一周旅行とは言っても、通しでぐるっと地球をひと廻りして日本に戻って来ることは諸事情あって不可能でした。
フライトを駆使して一気に一周してしまう手もありましたが、できればもう少しゆっくり回ってみたい。
その考えを実現するには、やはり、旅を中断して帰国し、用事を済ましてはその地点に戻って、旅を再開させるということを繰り返すほかありません。
しかし、世界一周での常識を大幅に緩和しているということになるので、反対に引き締めもする必要を感じていて、一時帰国の往復に飛行機を使う代わりに、それ以外では極力、航空便は使用しないというルールを打ち出しました。
ひとりで旅するので、一定のルールを決めておかないと、旅はルーズになって行ってしまうでしょう。
当然、陸路においても、なるべくバスや鉄道などの公共交通機関を使い、タクシーなどは極力避けたいと思いますし、ホテルについても、リーズナブルな価格を重視することにします。

日本から韓国まではフェリーがあるのを知っていましたし、北朝鮮の通貨ができそうもないので、韓国から中国へ移動することになりますが、ここでもフェリーがあるという情報は得ていました。
アジアからヨーロッパへは中東のあたりが怪しいですが、いちおう陸路で移動できるはずです。
ヨーロッパから北アフリカへも船があるというのも、大昔にモロッコへの旅を計画したので知っています。
しかし、ヨーロッパからアメリカ大陸への船と言うのはどうもなさそうです。
あるいは豪華客船のクルーズのようなものがあるのかも知れませんが、こんなのに乗れば資金が底をついてしまいかねません。
アメリカからオセアニア、あるいはアジアへも同様ですので、今後旅が進んだところで調べてみるつもりですが、これら区間で航空機を利用するのは仕方ないと考えることにします。

ホテルについてはどうすればよいでしょう。
中国や東南アジアへは最近も渡航しているのでホテル相場の検討が付きますが、南アジア、西アジア、中東、北アフリカ、南北アメリカとほとんどの地域は未踏破ですし、ヨーロッパやオーストラリアは円高の頃の訪問なので勝手が違って感じられそうです。
いずれもホテル予約サイトを見れば相場感は分かりますが、あまり下調べしてしまうと旅の興味を削いでしまう危惧があるので、そのエリアを旅するごとに確認していくという方針にしました。
今回、慣れている中国では1泊100元以内という制限を設けましたが、これはかなり厳しいものです。
治安や衛生的な問題が感じられるようなら、このような自己規制は取り払えればいいでしょう。

船の話に戻りますが、大阪から釜山と仁川から青島まで乗船したのは、いずれも午後に出発して翌朝到着する大型客船でした。
この後に何度かお世話になる夜行列車の寝台に乗るのと似ていますが、フェリーでは起きてる間自由に動き回れるし、何よりお風呂に入れることで比べ物にならないくらい楽でした。
風を切って進む船から見える景色と言うのも、船旅ならではのものがあって旅情を誘います。
豪華客船の旅というのも一度は体験してみたいなと思わないではありません。
ただ、時化とか台風の接近とかということがあったらどうなんでしょう。
大型客船でもかなり揺れるのでしょうか。

フェリーも事前予約だと安くなる制度があるようですが、通常料金での利用ですとLCC利用の方が安くなってしまいます。
当然飛行機の方が短時間で移動できますし、食事もタダですので、ソウルから青島に行くときに現地で面倒を見てくれたキムさんがなぜ船でとの回答に苦労させられました。
フェリーにはダブルルームなどもありますが、それでは割高になってしまいます。
大阪からは4人部屋にひとりでラッキーでしたが、仁川からは蚕棚のような2段ベッドが並ぶ部屋で中国人たちといっしょでしたので、心配した通り早朝に起き出して大声でおしゃべりする連中に目覚めさせられるということになりますが、こういうことは覚悟しなければいけません。

さて、本日の作例は大阪-釜山のフェリーのカフェで働いていた女性です。
飛行機に乗ればやはりきれいなフライトアテンダントがいますが、さすがに機内で写真を撮らせてくれとは言えないでしょうから、日本語堪能な彼女とちょっとおしゃべりして撮影させてもらっただけでも船を選択した甲斐があったと思っています。
今後、韓国旅行を検討している関西の方には、片道だけでも彼女に会えるフェリーの利用をお勧めいたします。
そういえば、カフェに英語堪能な女性がいてというか、乗客は多くの韓国人とわずかな日本人だけなのに、英語でやり取りしている女の子がいて、その子はフィリピン人とのことでした。
貨物船の船乗りもよくフィリピン人やミャンマー人等々外国籍のクルーがいますが、船では外国人が乗っているのには何か意味合いがあるのでしょうか。
気になりました。
【Alpha7/Raptar50mmF1.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Wollensak Raptar 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(4) | 2015/03/28 Sat

美人は美人

C.C.Harrison 14cmF4
昨日、これは世界一周なのだと宣言しましたが、何度か帰国して寸断されるような旅を世界一周とは呼ばない、という批判があるのは間違いないと思います。
それこそ世界には世界一周するような猛者は掃いて捨てるほどいて、そのほぼすべてが1回の旅行で世界一周を完結させます。
ただ、期間についてはさまざまで、半年以上1年未満という人がほとんどだと思いますが、1ヶ月とかなかには1週間という人も少なくありません。
どういうことかと言えば、世界一周航空券と言うのがあり、そうでなくてもLCCが発達したいまの世界では、各地で格安航空を乗り継げば1週間の休暇で世界一周ができてしまうのです。

かく言うわたしもだいぶ昔に、世界一周航空券による世界一周を経験したことがあります。
当時、日本発のノーマル航空券は世界一高いと言われていたのですが、お隣韓国はその半額近い安さだったので、成田から韓へ飛び、ソウル、バンコク、アムステルダム、ミラノ、デトロイト、東京というルートの世界一周を達成しました。
社会人になってからのことなので、休みは10日ほどしかなく、ソウルとバンコクは1拍ずつで、アムステルダムは乗り継ぎのみ、ミラノには6泊くらい、さらにはデトロイトは乗り継ぎの6~7時間を町歩きに使っただけというかなりの駆け足での世界一周でした。
日程的にはイタリアの地方をレンタカーでまわる、ヨーロッパ旅行にアジアとアメリカ経由で遠回りしたということに過ぎません。
デトロイトはカナダのウインザーという町に隣接しているのでそこまで足を延ばしましたが、世界一周で訪れた国は、韓国、タイ、イタリア、サンマリノ(イタリアの中にあるミニ国家)、アメリカ、カナダと6ヶ国にもなるので、いちおう世界一周っぽいとは言っていいのではないでしょうか。

飛行機でポンポンと飛んで1週間で戻って来ても世界一周だといえるのなら、なるべく飛行機は使わないが、日程の限界まで先に進み、そこからは一旦帰国して、次の日程でその続きを再開するという方が、より世界一周的なような気が私にはします。
前述の通り、先の世界一周は世界を地域ごとに見てやろうという気持ちは一切なく、ルートが世界一周的だったということすぎないからです。
かなり以前のことですが、リアカーを引いて世界一周した日本人がいて話題になりましたし、自転車やバイクで世界一周したという人はもうかなりの数に上るはずです。
リアカーの世界一周は自転車よりたいへんですし、自転車はバイクよりも体力がいりますが、リアカーの人が自転車なんて楽してそんなものは世界一周ではないとか、自転車の人がバイクの人に向かって動力を使う旅は反則で準世界一周だとか言うことはないでしょう。
月一の世界一周も反則すれすれ化も知れませんが、るやはり世界一周なんだと胸を張りたいと思います。

1ヶ月ごとに東京へ戻るということは、そのたびに航空券を購入する必要があり、費用面ではバカになりません。
バンコクから東京への往復航空券は4万円ていどでありますが、今後、離れるにしたがって航空券代は上がって行くでしょう。
しかし、原油価格が下がったために燃油サーチャージもだいぶ安くなりました。
また、以前から貯めて来た航空会社のマイレッジがそこそこ貯まっているということもありますので、そこはうまく活用して費用を抑えたいと思います。

逆に、1ヶ月ごとに戻る意外なメリットがあることに先日気付きました。
今回持参したレンズは、ハリスンのペッツバールとウォーレンサックのオシロスコープ用レンズの転用です。
ペッツバール時代のアメリカには、ハリスンとホームズ、ブース&ヘイドンズという2大レンズメーカーがあって、ホームズのレンズは先に入手して高性能に驚いていましたが、ハリスンはそれ以上の性能と言われています。
またウォーレンサックの方は、以前に何度か使ってたいへんシャープなレンズであることを確認済みです。
ところが、両レンズとも解像度の低いレンズで、今回使ってみると、まったくよくないのです。
ハリスンは他のシャープなペッツバールに比べてだいぶ甘く、長焦点甘口ペッツバールを使うとピントがよく見えなくて困ってしまいますし、ウォーレンサックは改造ではなくコントラストでシャープに見えるタイプのレンズで、わたしの嫌いなタイプのレンズと判明しましたし、35mmフルサイズで激しい歪曲が騙し絵のようです。
どちらもイヤになりましたが、これが半年の世界一周だとすれば、ずっと使い続けるしかないところ、1ヶ月で戻るので選手交代を命じることができるのです。
次は、何を持って行くか考えるという愉しみもできるというおまけ付です。

さて、今日の作例も京都からになります。
4人は顔立ちも着物の柄もそれぞれ違っていてもみな美女であることに変わりないというのを、どんなスタイルでは世界一周であるということの象徴に見立てています。
そういえば、世界一周に出るという話したところ、ksmtさんから、ぜひ美女の写真をいっぱいアップしてくださいと依頼されていました。
しかし、韓国、中国、モンゴルとほとんど美人ポートレイトを撮っていませんし、ましてや審美眼の達者なksmtさんを満足させられるものは皆無です。
それを埋め合わせるとしたら、4人の美女が写ったこの作例しかないと思いました。
もっとも京都はksmtさんの庭のようなものです。
今後、挽回していかなければいけません。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
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C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(2) | 2015/03/27 Fri

終わったのではなく始まり

C.C.Harrison 14cmF4
1ヶ月の旅から戻って、生活ももとに戻ったかといえば、実はそうではありません。
旅は終わったのではなく、始まったところなのです、といえば妙に聞こえるかも知れませんが、冗談で言っている訳でもないのです。
日本を出発して韓国を経由して中国入りし、モンゴルに立ち寄りふたたび中国へ、さらにベトナムに向ってから再々度の中国と言うルートが分かりにくくさせていますが、わたしは、いま、世界一周に挑戦しているところなのです。


とにかく西へ西へと進み、それもなるべく陸路で、陸路がなければ航路、それもなければ航空機もやむなし。
ルートについてはあまり下調べせず、通過しそうな国でビザが必要か、それは国境で取れるのかあるいは事前に大使館に行かねばならないのか、その程度のことだけ確認しておいて、あとは地図を見ながらあまりのんびりしない程度に進んで行こうという旅です。
イスラム圏やウクライナなど紛争状態の国々がありますし、アフリカ諸国中南米には治安が悪いとか外国人旅行者をターゲットにした犯罪がしばしば起こると言われるエリアがありますので、そういうところはもちろん予備知識として認識しながら避けなくてはなりません。
他にも細かくは制約があるでしょうが、それはさておいて、少々の体の衰えを感じ始めている今のうちを逃しては、こんなことは一生できないだろうと急遽思い立ってそんなことを始めてしまいました。

諸事情あって仕事を辞めてしまったので時間はありますが、長期間働かずに優雅な旅をするゆとりはありません。
また、1ヶ月に1度程度、これも事情があって帰国しなければなりません。
どんなルートを取るかは決めずに進みますが、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、北米、南米、オーストラリアと南極を除いて6つの大陸というか地域というかがある中で、これらをすべて通るように進みたいとは考えました。
するとかなり駆け足でも最低半年は必要になるだろうと思われました。
しかし、つい先日中国でやったように3日連続で夜行列車に揺られるというのは嫌ですし、行く先々でその国や市民を知るような時間も取らないといけません。
1年まではかけないつもりですが、トータル8ヶ月、10ヶ月という期間になってしまうような気がします。

そんなことを思いながら旅を具体化しようとすると、1ヶ月に1度帰国のための日程をまず決めて、次にその町から東京行きの往復航空券を買って戻って来ることを考えて、そのエリアの大都市まで日程内で到達するということにしなければいけないと思いました。
できれば完全に自由な旅であればそれに越したことはないですし、自由度が高いほどよいという考えは変わりませんが、このくらいの制約は致し方ないでしょう。
1回目は約1ヶ月、肩慣らし程度に中国を廻り、途中で日本行きの航空券を買うかたちをとりました。

中国を西に向いシルクロードに沿うルートは魅力的でしたが、新疆の問題があって、外国人が入境できるか不透明だったことで諦め、これは最初から気乗りしませんでしたが、モンゴルからロシア、カザフスタン、ウズベキスタンと中央アジアの平原を行くルートはあまりの寒さで断念しました。
やはり楽なのは、南下して東南アジアから南アジア方面を目指すルートのようです。
再来週には昆明に戻って旅を再開しますが、次回、東京行きのフライトに搭乗する地としてはバンコクあたりが無難だろうと検討しています。
その先はどうなるのかまったく考えていませんが、進むにつれて酷暑の地域に進んでいくのでしょうから、体力的な不安が頭をよぎります。

さて、作例ですが、世界一周の最初の寄り道の京都で撮影した可愛らしい女の子です。
見返り美人ポーズが決まっています。
もうひとりも美少女だったのですが、オリジナルのポーズをリクエストすると八坂の塔ポーズをしてくれたものの、残念ながらシリアスなわたしのブログには似合わないものでした。
お願いしておきながら申し訳なかったです…。
旅の最初の写真も舞妓さんでしたが、美人を取り上げたいというのが趣旨ではなく、あくまでその国や地域を代表するような伝統的な衣装を撮影することで、そのことを伝えたいという気持ちからた゜ということは強調しておきます。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
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C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(2) | 2015/03/26 Thu

帰還命令

C.C.Harrison 14cmF4
昨夜は石屏に泊る選択肢もありましたが、昆明に戻ってきて宿泊しました。
石屏のホテルで寝ているところを警官がどかどかと入って来て、やはりお前はテロリストだったかと逮捕される心配があったからではなく、今日の3時の便で香港経由で帰国するので、事故や道路事情で乗り遅れるのを心配したからでした。
バスは7時台まであったので、その切符を買い、ゆっくり向かいの食堂で夕食をとりました。
2軒の食堂が並んでいてどちらにするか迷いましたが、1軒は六妹飯店という名前だったのでそちらに決定しました。
妹という字には文字通りのいもうとという意味もありますが、単に女性とか若い女性を意味する場合の方が多くあります。
6人の若い女性が経営している食堂なんて楽しそうというのが選択の理由です。
それは正解でした。
6人のうち5人は残念ながら言及も難しい女性でしたが、いちばん下の女性は19歳だという彝族の娘さんで、外国人がめずらしいからかバスの時間待てずっとおしゃべりして過ごすことになります。
わたしの住んでいる藤沢市は中国国歌を作曲した聂耳が海水浴をしていて溺死したところだと言うと、そんな縁に驚いていました。

昆明には、主要なバスターミナルが4つあり、それぞれ北部、南部、東部、西部客運站という名前が付けられています。
地名ではなく東西南北を使うのは外部の人でも分かりやすい秀逸なネーミングです。
わたしは、西部の大理から西部客運站に到着し、東(南)部の河口には東部客運站から出発し、南部の石屏からは南部客運站に着きと、毎回違うバスターミナルを利用したのですが、その名前のためまったく混乱がありません。
夜中に到着した南部客運站も目の前にホテルのネオンがいくつも見えていて心配はいりませんでした。
最後の夜なので少しいいホテルに泊まろうかと考えて、2軒ほどあたりましたが、いずれも安い部屋は満室だと断られて、だったらいつもの通り安いところでいいやと60元のホテルに泊まります。

南部客運站から空港まで1時間だというので、3時の飛行機に乗るには12時に出ればいいでしょう。
そう考えて午前中をフルに楽しもうと早起きしました。
勢い込んでホテルから出たのですが、雨が降っています。
1か月の長旅でしたが、この間雨も雪も一度もなく、旅の最後の最後で雨にたたられたことになります。
1-0でリードしていて後半ロスタイムに追いつかれるとか、完全試合まであとひとりというところでヒットを打たれたとか、そんな感じでしょうか。

向ったのは路線バスで4つめの停留所にある官渡古鎮です。
これは地図を見ていて偶然知ったのですが、検索すると15世紀の塔や少林寺と言う寺があるようです。
しかし、町中からあまりに近すぎると危惧していたとおり、そのふたつの施設以外は見るべきもののない絶望的なまでにつまらないところでした。
もともと何もないところに古風な建物を新築して古鎮風に仕立ててみました、というようなところです。
それでも午前中の時間を潰すにはどうにかなったはずですが、雨足が強くなってきて、行動が制限されてしまったのが致命的でした。

さらに悲劇に見舞われます。
喫茶店が見つからなかったのでドリンクスタンドのようなところでパパイヤシェイクを頼んだのですが、ここのは冷たいスムージーのような飲み物でしかもXLサイズのカップで出てきました。
半分くらいでやめればいいものを全部飲んでしまうとほどなくしてお腹がごろごろ言い始めます。
近くのトイレに駆け込みます。
大用は3つありましたが、1つめ2つめは前の人の落し物がそのままどんと残っていて、とてもそこでする気にはなれません。
さいわい3つ目は何もなかったのですが、あせってしまってファスナーを完全におろす前にしゃがんでしまいました。
ピシッという音がして、ファスナーが外れるのが分かりました。
用を達した後、必死で修理を試みますが、どうにも直すことができず、そのまま空港へ向うしかありませんでした。
シャツで隠しこそしましたが、わたしは乗り継ぎのある国際線の中、前を全開にしたまま過ごすことになったのでした。

作例は、スムージーを飲んでいた時見かけた青春を謳歌する若者たちです。
最初、人民解放軍の訓練かと思ったのですが、どうも統率がとれていなくおかしいと思ったら、店の人が近くにできた美容院の従業員が運動しているのだと教えてくれました。
なるほど旗に「髪」の簡体字が見えますね。
成人用品の店からも、何かしらと女性が飛び出してきています。
しかし、美容院の女の子たちがなぜ迷彩服を着ているのかがよく分かりません。
小笠原の珊瑚を密漁する中国船のニュースが取り上げられたとき、魚業者に軍事訓練をして海上民兵に仕立て上げて小笠原や尖閣周辺に彼らを送り込んでいると報じていました。
今度は、ハサミ使いのうまい美容師たちを陸上民兵にしようと軍事訓練を開始したのかも知れません。
わたしだって何日も中国を歩くことで外人部隊にスカウトされてしまうかもしれないと危惧して、そろそろ中国の旅を終了することにいたします。
長らくのお付き合いをいただきまして、ありがとうございました。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
thema:ペッツバール genre:写真
C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(2) | 2015/03/25 Wed

テロルの決算書

C.C.Harrison 14cmF4
バスが河口に着いたのは夜中の2時でしたが、バスターミナルに隣接して2軒のホテルがあって助かりました。
選択肢はふたつですが、まよわず安い方を選びます。
向かいに食堂がまだやっていたのでビールを買い、部屋でちびちび飲んでいるといつの間にか寝てしまいました。
朝7時にぴたりと目が覚めますが、8時にイミグレーションが開くと聞いていたのでぴったりです。
1階に降りるとフロントの兄さんはソファーに掛布団1枚で熟睡していました。
チェックアウトせずにそのままベトナムを目指しました。

こんな小さな町にも路線バスが走っていてバスターミナルとイミグレーション付近を結んでいます。
道路に沿って川が流れていましたがその向う側がベトナムなのは、建物の看板の”Hotel XX”などの表記で分かりました。
中国なら「XX賓館」か「XX酒店」です。
長い行列も覚悟しましたが、中国側出国審査もベトナム側入国審査も数人がいるだけです。
それぞれ自国民は別の列に並んでいて、その列は少々長めですが、スタンプを押すまでの時間はそちらの方が圧倒的に早いので、どちらも待ち時間は3分以内と言うところです。
この1か月の間に日本、韓国、中国、モンゴル、また中国と来て5ヶ国目となるのがベトナムです。
ただ、中越国境で写真を1枚撮っただけで、中国へとんぼ返りしました。
ベトナム滞在は1分だけです。

明日の午後の便で帰国するので今日が実質的な最終日です。
ここでもたもたせずに、昆明への途中にある古鎮に寄るつもりでした。
路線バスを待つのももどかしく、タクシーでホテルに戻りチェックアウトし、バスターミナルまで歩きます。
目的の石屏や建水へのバスは早朝だけで、同方向へは30分おきに出ている蒙自行きと言うのがありました。
蒙自と建水でバスに乗り継ぐパターンで石屏には3時頃に到着します。
建水にも古鎮があるのですが、時間的には1か所しか回れそうにないので、どちらかひとつと言われれば石屏でした。
石屏のバスターミナルからは路線バスがあるとのことですが、帰りのバスの時間もあってタクシーを利用しました。
このタクシーの運転手が面白い人で話が弾んだのですが、あなたはどこから来たのか聞かれて外国(ワイグォ)からと答えたところ、ワイコという新疆のどこかから来た中国人だと思っていたそうです。
最後に日本人だと知った彼は目が飛び出さんばかりに驚いていました。

外国人が来そうもないマイナーな古鎮に来たからそういう誤解を生んだのだと思いますが、
そのことが思わぬ展開を生むことになります。
村の入り口にあった雑貨屋でジュースを買い、代わりにトランクを預かってもらって散策を始めたのですが、しばらく撮影しながら歩いていて、ふと周囲を見ると警察官に囲まれていることに気付きました。
8人もいて妙な緊張感でしたが、ひとりがそれを打ち消すように笑顔で近付いてきました。
あなたはどこから来たのかねと、続いて、手錠をジャラジャラさせた若手警官も近づいてきます。
もしかしたらここは外国人立ち入り禁止村でタクシーの運転手にチクラレたかと思いましたが、事情説明したうえでパスポート提出すると、警官がホッとした顔をしています。
雑貨屋のところに戻りトランクを開けて中を見せたところで、一気に緊張感が緩むのが分かりました。

署長だという最初の警官の説明はこういうことでした。
カメラを提げた新疆人らしき男が村を歩き回っている、汚いカバンを放置しているが爆弾テロかも知れない、そう村人から通報があったそうです。
わたしはこの周辺の古鎮に来たかったので紹介されていた本のコピーを持っていて、それを警官に見せると、へえっと警官同士で感心しながら見ています。
それでわたしが偽造パスポートを所持したテロリストではないことを了解してくれたようです。
わたしもようやく安心して、周囲を見渡すと、驚くことに村人がざっと100人くらい、やや遠巻きにしてわたしと警官のやり取りを見ていました。
それだけでも、わたしをテロリストとして通報したのが冗談ではなかったのだと理解して、背筋が凍る思いでした。
ふたりの警官とは握手して別れましたが、よく見るとそのふたりを含めて8名すべての警官が拳銃を携帯しています。
運悪くトランクを持って歩いているところだったら、ホールドアップを命じられていたかも知れません。
万一、撃たれでもしたら国際問題への進展を恐れる地方政府によって、もみ消されていた可能性も高かったのではと考えます。
足跡を残していないわたしは、ベトナムに出国したまま失踪したとの扱いだったのではと想像は膨らみます。
そうならないためにもブログを毎日更新して位置情報を発信できればよいのですが、残念ながら中国ではほとんどの日本のブログを更新できないばかりか、閲覧すらブロックされているのが現状で、アラブの春で活躍したフェイスブックやツイッターは言わずもがなです。

それはともかく、こんなことに巻き込んでしまって申し訳ないと思ったのか、警察署長と顔見知りで村の役員を務めるという男性が、よければ村を案内するし、特別に村一番の豪商だった家の内部を見せてあげようと申し出てくれました。
ありがたい話で、わたしは彼の解説でいろいろな施設を見て回りましたが、さすが豪商の家はすべての装飾が念入りに作られていて、こんなものを現在建て直したらいくらかかるか分からないというほどに凝った作り込みに感心しました。
終バスの時間ぎりぎりまで見て廻ってバス停のところまで送ってくれたのですが、それからバスは一向にやって来ません。
男性はバスの時間を間違えたようで戸惑っていましたが、畑から戻って来た三輪のバイクを停止させると、何やら交渉して自らバイクにまたがりわたしに荷台に乗ってくださいと言います。
がたがたと20分ほど走らせると町に出て、ここからならまだ石屏に戻る車があると探してくれ、しかも料金を支払いまでしてわたしを見送りました。
彼は、漢族ではなく彝族だと言っていました。
もしかしたらこの男性が通報した本人で申し訳ないのでわたしに親切にしてくれたのかと思いましたが、きっと彝族には人に親切にする伝統があるのだろうと思うことにします。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
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C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/24 Tue

成都の解釈、昆明の解釈

C.C.Harrison 14cmF4
念願かなって昨日ようやく食べられた把肉餌丝の他にも、雲南でぜひ食べたいと思っていた食材が2つありました。
麗江の松茸と大理の乳扇です。
松茸の方は麗江のレストランのメニューにあったものの5月にならないと採れないとのことでノーチャンス、乳扇も見つからなかったのに、昨日、昆明まで行かず大理のバスターミナル前のホテルに泊まったために、ふらふら歩いた先の食堂で乳扇を発見、無事食することができました。
これがすごく旨いかと言えばなかなか素直にそうとは言えませんが、同じく名物のヨーグルトが一般的な味になっているのに対して、乳扇の方は雲南独自の味なのでわざわざ探して食べる価値があると言えます。
あと地元で名高い喜洲粑粑も再食できたのが個人的には嬉しく、小吃の宝庫で基本は抑えられたかとホッとしています。

食事から帰って寝たのが12時、バルセロナ観戦のため起きたのが3時、観戦後シャワーを浴びてそのままバスに乗ったので、バスの中では爆睡できると思っていました。
しかし、昨日高速道路を走らないと言っていたとおり、何度かのUターン有り、未舗装路有りの奇妙なルーティングになかなか寝ることができませんでした。
昆明近くでようやく高速道路に乗ったのですが、恐竜山というサービスエリアがあり、その周辺の民家の壁にはどこにも恐竜の絵が描かれていたり、たぶん恐竜の化石でも発見されたところなのでしょうが地域ぐるみで恐竜を盛り上げている姿が、オリンピック招致の時の一部の東京の人とオーバーラップして涙ぐましく感じられてしまいました。

帰国便は3日後でしたが、バスでそのまま昆明空港に向かいました。
あらためて出入国審査の職員に10日入国25日出国は15日間の扱いになるかと問うためで、やはり即答で1日オーバーステイだと言われます。
成都での経緯を説明しましたが、昆明から出国なのだから成都の奴がなんと言おうとダメだとの回答でした。
君たちは都市によって解釈が違うのかと聞きましたが、成都の間違いさと一笑に付されます。
オーバーステイは500元の罰金が科されるとのことです。
それで済めば金で解決できるので問題ないとなるのですが、その次の中国入国がどうなるか分かりません。
大丈夫だろうかと聞くと、たぶん問題ないと彼は言いますが、次に深圳で入国した際に昆明の間違いと笑われて入国拒否されたらたいへんなことになります。
このやり取りを想定した行動を決行することにしました。

昆明からひと晩バスに揺られるとベトナムとの国境の町、河口に着きます。
空港からバスターミナルに行き、河口行きの切符を買いました。
一度、ベトナムに入国してから中国に再入国すればビザなしの滞在期間がリセットされてもう15日間滞在することができます。
いま大理からの長いバス旅を終えたばかりですが、再び長距離バスで河口に向かいます。
チケットは147元で往復すれば300元ほどと、罰金よりは安いので何となくホッとしました。
ただ時間は大幅なロスですし、雲南はちょっとした田舎に面白いところがいっぱいありそうで、無駄な行動にむなしさが募ります。

出発まで3時間あったので、近くを散策しようと考えましたが、新設のバスターミナルのようで近くに町並みが見られません。
路線バスに乗ってよさそうなところで降りるという作戦に切り替えました。
バスは進めど魅力的な町並みは現れませんが、何とか寺という停留所があったので降りてみることにしました。
寺は建物が無く、いくら寄付があったとの碑が並んでいるだけのものでがっかりです。
このあたりは昆明の東南部で、恐らく経済発展とともに市域が拡大してできた新興住宅地のようでした。
バスターミナル始発の路線バスはいくつもあったのに、いちばんつまらないバスを選んでしまったようです。

作例は、その中で撮った1枚です。
近くに学校があって下校途中の子どもたちが買い食いしようとしているところを撮ったのですが、ああっ、という感じでみなこちらを見ていますね。
こんなところでカメラを提げた人間が歩いているだけで不信感いっぱいなのに、なんでわたしたちのことを撮るの、といったところでしょうか。
その後、「野生菌」と看板の出ている店を見つけて夕食をとろうとしましたが、ここは鍋の店でみんなグループで巨大な鍋をつついていて、店員にもひとりでは、と言われたので諦めました。
野生菌は文字通り自然のキノコ類のことで、ここにも小さく松茸と書かれていたので期待したのですが…。
近くの食堂で普通に食事してバスターミナルに向かいます。
河口は単なるベトナムとの国境の小さな町で何があるでもないと聞いていましたが、そのとおり、バスの乗客はわずか4人で運転手はふたり体制でした。
なんだか申し訳ない移動でした。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
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C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/23 Mon

日本のコピーかオリジナルか

C.C.Harrison 14cmF4
目覚ましの音に飛び起き、宿の前の鶴翔園に把肉餌丝を食べに行きました。
これを朝一に食べるために道路をはさんだ対面の宿に宿泊していたのです。
やはり記憶に間違いなくここは別格でした。
この把肉餌丝をそのまま日本で出したら絶対に受けると思います。
まじめにここで修行して出店させてもらえないか交渉しようか悩むくらいです。
麗江を訪れる日本人は少なくないと思いますし、そのうちの何%かは麗江市内の店で把肉餌丝を食べて美味しいと感じたことでしょう。
しかし、本物はここ鶴慶にあります。
昼前にスープ切れで閉店してしまうことも多いようですが、雲南旅行の際にはわざわざ訪問する価値のある絶品です。

寝巻のまま食事に行ったので、また宿に戻ってシャワーを浴びてシャキッと散策開始しました。
道路を渡って路地を入るとそのまま骨董品屋ストリートで、昨日に続いて冷やかしながら歩きます。
わたしのささやかな旅の愉しみで、最近、小さな仏像で気に入るものがあれば買うことにしているのです。
昨日、3つの店でこれぞという像を見つけていて、それぞれ交渉の結果、千元、千元、2千元になりました。
本日、もう一巡して再交渉したところ、800元、500元、1000元に下がりましたが、まだまだ高くて買う気になれません。
本命は最後の1000元のもので、これが500元になれば買うつもりで、ダメなら前二者のどちらかを300元くらいで買おうと思います。
さて三巡目、もともと6800元だったのを交渉して2000元にしそれでも決裂、本日また出向いて1000元まで下げたものの、わたしは500元の線を譲らず、なかなか前に進みません。
いつもの手で他店に同様のものが500元だったととぼけて言いますが、ならそちらを買えばと釣られてきませんでした。

そこへ店の奥さんが登場しました。
何と2年前に来たわたしのことを覚えていると言います(確かにこの店には以前も来ましたが、購入はしていません)。
しかもわたしを中国東北地方のバイヤーと記憶しているではないですか。
あらためて500元にしてくれないかなあと言ってみますと、ウチも商売だから800元で勘弁してよといきなり下げてきました。
ウチだって商売なんで500元と言ったけど600元でと頼むと譲歩すると、いや750元、だったら700元と決定しました。
何だかひとりオークションのやり取りのようです。
この座像は仏様だと思っていたのですが、顔がやや面長で観音様に見えます。
後日、画像送信して奈良の宿の青年に鑑定を請うたところ、恐らく文殊ではとのこと。
文殊像とはたいへん珍しいですが、鶴慶から北上するとシャングリラという雲南のチベットエリアになるので、このあたりから仏像がよく出てくるのだそうです。
この像にも底部にチベット風の文様があって、昆明行きのバスに乗り合わせたチベット僧に聞いてみたのですが、文様は古いもののようだが意味までは分からないとのことでした。
しかし、文殊像はたいへん美しく、旅の知恵を授けてくれそうで、以降はレンズケースに収めて、毎晩ホテルで取り出しては手を合わせています。
旅のパートナーです。

骨董屋から洗濯屋に行ってみると、もう仕上がっていると言います。
夕方くらいに来てと言っていたのに、午前中でOKとは早くも文殊様のご利益を得られたということのようです。
慌ててホテル方向に戻り、朝食べたばかりの鶴翔園で把肉餌丝をまたいただきました。
あら、また来たのと驚いているので、これから大理に行かなくてはならないので、最後の1杯を食べに来ましたと言うと、ああそうなの、また来てねと言ってもらいました。
ホテルで荷物をまとめて交差点に出るとちょうど大理行きのバスがやって来たので手を挙げて乗り込みます。
満席になるまでゆっくり走るバスなので少々時間がかかりましたが、2時頃には大理に到着しました。
ここから少々ややこしいことになるのですが。

大理から昆明までの夜行列車のチケットを買っていたので、大理になるべく早めに着いてこの町を散策してから昆明に向かうつもりでいたのですが、今夜、バルセロナでエル・クラシコがあることに気付きました(サッカーのバルセロナ・マドリード戦のことです)。
深夜の中継ですので夜汽車に乗っては見られないと思い、バスターミナルで聞くと、バスは5時間で着くので夜8時半のバスに乗れば1時半に到着するというのでそのチケットを購入します。
続いて駅に行って25元も払って切符をキャンセルしました。
その足で大理の古い町並みを見に行きます
あまり時間が無いので駆け足になってしまいましたが、作例は、その時頼み込んで撮らせてもらった中学生です。
日本の制服に似ているのが面白かったので撮影したのですが、左側の女の子の垢抜けしないながらも仕草の可愛らしい素朴さにちょっと惹かれたところもありました(と言う割にはピントが…)。

麗江そっくりな漢族の町と化した大理にがっかりしつつ、慌ててバスターミナルに戻りました。
ぎりぎりでソバを食べる時間しかなくバスに飛び乗り、念のため到着予定時間を聞きます。
運転手の回答はそんなこと分からない、でした。
1時半に着くと聞いたのですがと言うと、それは無理だとの返事です。
高速道路が改修工事中で一般道をゆっくり走るので、早くても6時着予定なのだそうです。
それでは、バルセロナが見られませんし、夜汽車をキャンセルした意味がなくなります。
バスが発車し出しましたが、わたしは降りると大声を出して、異例のドタキャンで切符売り場に向かいます。
夜中までに昆明に着く必要があるので、鉄道をキャンセルして1時半に到着予定のバスにしたのにと言いながらキャンセル申し出ると、出発時間を過ぎているのでと50元のキャンセル料を取られました。
切符売り場の人がウソを言うからこうなったので、キャンセル料は払えないと抵抗しましたが、それも無駄でした。
売り場の人に、どうしても夜中のうちに昆明に着かないといけないのかと問われたので、これからクラシコがあるんですよ、スペインで最大のサッカーの試合ですと説明したところ、はあ? と言われてしまいました。
そのやり取りを見ていたおばさんはホテルの客引きで、4か月前にできたばかりの新しいホテルだよもちろんテレビでサッカーが見られるよと案内してくれました。
エキサイティングな試合は2-1でバルセロナの勝利。
はあ? と言われてでもバスを降りて正解でした。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
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C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/22 Sun

そして誰もいなくなった

C.C.Harrison 14cmF4
麗江から40分ほどで着く鶴慶を訪れたのは、重慶市の松溉の時と同じような理由です。
旨い麺屋があり、親しくなった人々がいるからですが、松溉では誰ひとりとも再会できなかったので、リベンジのつもりで意気込んでやってきました。
しかし、いきなり出鼻をくじかれます。
わたしが食べた麺類の中で5本の指に入ると自信を持って言える、鶴翔園という店の把肉餌丝が、なんとわたしの直前で売り切れになってしまったのでした。
わたしが未練タラタラこれを食べるために日本から来たのにと言うと、店員が申し訳ない、明日の8時に開けるのでまた来てくれと恐縮しています。
じゃあ、明日は必ず8時に来るからと言ったりしていると、ぎりぎり食することができた地元の人たちが、麺をすするのも忘れてぽかんとわたしたちのやり取りを聞いているのに気付きました。
俺たちがいま食っているのって、わざわざ外国から食べにくるようなものだったんだと驚いたことでしょう。

続いて前回お世話になったホテルに向かいますが、外国人は宿泊できないと追っ払われてしまいました。
2年前に泊ったのにと抵抗しますが、ダメなものはダメと相手にしてくれないし、もうひとりいた従業員もこのホテルは外国人がわざわざ泊まりに来てくれる…、などとは思ってくれていないようです。
そのあと、午後に出向いたビールの店も、店はそのままありましたが、経営者が変わってしまっていて親しくなったピンピンの名前を出しても誰も知りませんでした。
ずっと会話した懐かしいおぱあちゃんの家はいくら探してもどうしたことか見つかりません。
粘って買った骨董の店は、おばさんではなく眼光鋭いおっさんが鎮座して、あのおばさんいますかとは聞きづらい雰囲気です。
とても信じられないことに、松溉同様、ここ鶴慶でも何人かいた顔見知りの誰ひとりとして再会することができなかったのです。
この旅で、まさか2度も自分が浦島太郎になったような気分を味わうとは想像もしていませんでした。

把肉餌丝はこのあたりの名物なので違う店で食べてみましたが、確かに旨かったもののやはり少々物足りなさが残ります。
やはりあの店でないとダメなのでしょう、明日は絶対に朝一で食べないと。
もうひとつありました。
2年前利用した洗濯屋さんを今回も利用してみたのですが、前回対応してくれた女性はいませんでした。
しかも、翌日仕上げはできないとの主張でしたが、アイロンがけは不要なのでと説明して無理やり受けてもらうことはできました。
ただ、襟にホチキス留めするためのタグに、洗濯枚数分自分の名前を書かされたのが中国式です。

鶴慶はとくにこれといった特徴がある町ではなく、今回、鶴慶辺古寨という遺跡があるとの情報を得たものの、バスに乗ろうとするとすでに閉鎖されているよと運転手に笑われるようなところなのですが、古民家がかなり残っていて、旨い食べ物があって、なぜか骨董品屋ストリートまであって、それらに増して人々が温かいのでわたしは魅力を感じています。
食べ物をもうひとつ紹介すると、シート状に伸ばした小麦を練ったものをのり巻きのように丸めてから1センチ幅ほどに切っていったきしめんのような麺、寒天状の塊を包丁でスライスさせて麺のようにしたもの、雲南名物の米紛と呼ばれる麺類の3種を混ぜ合わせて、独特の酸味のあるタレをかけて混ぜ合わせる新食感麺(?)です。
これにも繁盛店があって列が少々できたりしていたのですが、麺の名前を聞けば、ちょっと考えて没有、店の名前を聞いても恥ずかしそうに没有と何とも紹介しづらいものなのでした。

この日の夜は、目星を付けていた鶴慶老字号と書かれた老舗レストランに行ってみたのですが、残念ながら結婚式披露宴で貸切のため追い返されてしまいました。
仕方なくごく平凡な食堂に行くと、田舎でよくある、メニューのない冷蔵庫の食材を見て自分でオーダーする方式でした。
この中から食材をチョイスしてこのように調理してとやり取りできるほどのレベルでないわたしは、若者たちが食べている大盛りの炒飯を見て、この野菜をスープに、それからその腸詰と卵を入れた炒飯をと頼みました。
スープも炒飯も期待通りの味でしたが、炒飯に入っているはずの卵が目玉焼きになって乗っていたのには苦笑せざるを得ませんでした。
田舎で炒飯を頼むと卵をいっしょに炒めないケースが多かったのでわざわざ卵をと頼んだのですが、これからはきちんと卵は目玉ではなくご飯といっしょに炒めてねと言わなければとの教訓になりました。
さて、これで会計するとジャスト10元(200円)。
老字号の豪華な食事を想定していたのが、すっかり安く収めることになってしまいました。

さて、本日の作例ですが、鶴慶の市場辺りで見かけた納西族の女の子です。
鶴慶は麗江空港のすぐそばにあるので麗江市に属しているように感じますが、じつは大理市の北端にあたります。
麗江は納西族、大理は白族と民族がはっきり分かれているので、鶴慶も基本的には白族がマジョリティです。
しかし、漢族、納西族、彝族、傈僳族等もいて、わたしには外観の区別がつきませんが、それぞれの暮らしをしています。
少女はどこか近辺の村から出てきたのでしょう、きっと自分たちのアイデンティティへのこだわりがあって民族衣装を着てやってきてくれたのだと思います。
写真を撮らせてと言うと本人以上にお母さんが喜んでいたのがとても印象的でした。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
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C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/21 Sat

もっとも嫌いな町へ

C.C.Harrison 14cmF4
攀枝花は渓谷に沿ってできたような町で、ここで暮らすとなるとアップダウンがきついのが堪えそうです。
その代わり高台は見晴らしがよく渓谷のダイナミックな風景が楽しめます。
昨夜の宿はできたばかりのチェーンのビジネスホテルで、部屋がきれいなのはよかったのですが、安い部屋をリクエストしたところせっかく7階だったのに窓のない部屋で少々がっかりさせられました。
しかし、宿からバスターミナルは遠くなく、川べりにあるのでずっと下り坂なのが助かります。
永勝行きのバスはほとんどの人が乗り込んでいましたが、かなりのポンコツなのが気になりました。

そのバスを運転するのは30代半ばくらいの兄さんで、わたしは助手席の後ろの狭い席だったので起きている間はずっと見ていたのですが、なんともユニークな運転をする人でした。
山岳路だったので常にハンドルとシフトレバーは操作し続けるのですが、その動きが泳いでいるかのようなのです。
直進でじっとしているときも席に浅めに腰掛けていてハンドルを抱え込むようにしているし、それでいてスピードはけっこう出して前の車も追い越していくし、時おりぴったりと閉まらないドアをドンと閉めたりの動作も入って、まるでアニメのキャラクターが運転しているかのようでした。

途中、道路工事の渋滞もあったりで5時間もかかって永勝のエリアに入って来ました。
永勝は雲南省で、中国に入ってから、山東省、河北省、山西省、天津市、北京市、内蒙古自治州、寧夏回族自治州、陝西省、河南省、重慶市、四川省、雲南省と12の省級エリアを通ってきたことになります。
永勝の分岐点の先に清水古鎮というのがあって、今日の目的地だったのでアニメの運転手にそのことを告げるとその地点で降ろしてくれ、ちょうど通りかかったその方面に行くバスにこの人を清水まで連れて行ってくれと伝えてくれました。

清水古鎮がある永勝麗江の隣町の位置関係なので納西族のエリアなのですが、清水自体は漢族で形成されているというのが意外でした。
どの民族の村であろうが関係ないといえばその通りですが、少なくとも少数民族の村であれば、高齢の女性が民俗衣装を着ている可能性が高く、それだけでも旅行者にはありがたいことです。
やはり特別な衣装の人には出会わなかったので、それはやはり漢族の村だということを裏付けていそうです。
作例は特徴ある古民家を無理してペッツバールで撮ったものです。
建物がやや弧を描くように反っていることやそこをキャンパスに消えかかった模様が描かれていること、また屋根の下側にも特徴あるパターンが付けられていることが見て取れます。
道幅の狭い通りにこのような家が並んでいて、わざわざ訪れた甲斐を見出せる古鎮でした。

ローカルのバスで永勝のバスターミナルに出て、麗江を目指しました。
麗江はわたしのもっともきらいな町のひとつで、それは観光地化してしまって、建物のほとんどを他の都市からやって来た漢族に貸し出してしまい、外観は麗江のままで中身は現地人のいない空虚の町にしか思えないからですが、客栈というリーズナブルで趣のある宿があるので宿泊のための滞在をします。
2年前、白族の青年が経営する宿に泊ったので同じところに行きましたが、すでに別の女性にオーナーは変わっていました。
彼女はどこの出身か聞く機会がありませんでしたが、手続きの時にわたしがパスポートを渡すと、「アナタ、ニホンジン? ワタシ、ダイガクデニホンゴベンキョウシタコトアリマス」というので驚きました。

いまシーズンオフで人が少ないと言いますが、とんでもない、麗江の古い町並みは休日の渋谷以上の人で埋め尽くされています。
納西の文化とは関係なく若者が弾き語りするバーに人が集まり、漢族経営の土産物屋でモノが次々と売られていきます。
公安と書かれた観光地用小型電気自動車がわたしの後ろで何度も警笛を鳴らしましたが、わたしはちらっと振り返ったもののそのまま避けずにいました。
なおも警笛を鳴らされますが、諦めて彼らは道幅が広がったところでわたしを避けて追い越していきました。
宿を求めて来ただけなのだから外に出るんではなかったと後悔しました。
カフェの青年が言います。
わたしは雇われ店長なのですぐに故郷の西安に帰るつもりだったが、夏涼しく、冬暖かい天候の中にいると、こっちにいた方がいいなと感じるのですと。
そこそこ収入が得られれば、彼らがここから出ていくことはないことが分かりました。
麗江がもとの姿に戻ることはないようです。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
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C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/20 Fri

不思議な名前の村へ

C.C.Harrison 14cmF4
平地の宿から8キロのところに迤沙拉(イサラ)村があります。
彝(い)族の伝統的な家屋や生活が守られいる村だと、以前、本で読んだことがあって何年か越しの夢がかなってようやく訪問することができました。
平地からは軽ワゴンのバスが出ていますが満員にならないと発車せず、わたし以外に客がいなかったので諦めてバイクを20元でチャーターしました。
8キロばかりのところで20元はかなり高いですが仕方ありません。
ある程度町中だとバイクタクシーの相場がありますが、田舎過ぎるとそういうものすらなくバイクの言い値になってしまうようです。

村の規模は意外に大きく有名になっただけに観光客も訪れるようですが、商業的施設や食堂すらなく、村の素朴さは失われていないようです。
村の歴史は600年前に遡るそうです。
建物は先端が反り返った瓦屋根は周囲でも一般的なものですが、なぜか壁を赤茶色に塗ってあります。
この近辺で面白かったのは、周囲ではまったく米をつくっておらず、米に見えたのはすべて小麦だったことです。
主食は米で一部田んぼもあるそうですが買うケースが多く、小麦からつくる麺類は自給しているとのことでした。

なぜそんなことを知ったかと言えば、雑談した老人とちょっと仲良くなって、家に招かれお昼も食べていくよう言われたのです。
もちろん固辞しましたが、老夫婦からぜひ食べて行ってと笑顔で言われると、断るのが申し訳なくなってしまい食事への関心もあったのでいただくことにしました。
家の前が畑になっていてアヒル、ブタ、トリを買っているので食に関しては豊かなようです。
野菜のスープ、ブタと野菜の炒めものなどレストランで食べるより美味しいくらいですが、食べ終わった後は棚に仕舞っていましたので、夜、温め直して同じものを食べるようです。
老人は鉄を加工して削った木と組み合わせて簡素な農機具をつくり、1本10元で売って現金収入を得ていると言っていました。
しかし、食事のお礼を渡そうとしても頑なに受け取りません。
別れ際に20元札を無理やりポケットに突っこんで、さよならと手を振りました。

平地に戻るバスは当然やって来ません。
そこで、たまに通りかかる車にヒッチハイクを試みました。
意外にも2台目の車が停まってくれて、平地までタダで乗せてくれました。
これまでの交通機関としては、鉄道、船、バス、タクシー、バイクと利用してきましたが、さすがにヒッチハイクは初めてです。
中年夫婦が乗っていましたが、乗り込んで来たのが日本人と分かった時の彼らの驚きの表情が忘れられません。
たった8分の道のりは会話しているうちにあっという間でした。
未知の他人を信用しない中国ではなかなかヒッチハイクは難しいと聞いたことがありますが、また機会があれば再挑戦したいです。

その途中、道標で近くに白拉古という村があることを知りました。
迤沙拉は何と読むのか分かりませんでしたが、白拉古はパイラクだとすぐに分かります。
イサラもパイラクも彝族の言葉を中国語に音訳したものでしょう、後者はほとんどバラクと聞こえますので、後ろにオバマと付けても違和感がありません。
その白拉古は迤沙拉と少し似たような規模の村でしたが、壁が迤沙拉とは違って真っ白であるのが目に眩しく写りました。
ここへはトラックがタダで送ってくれたのですが、帰りもすぐにバスが来てくれて助かりました。
聞けば攀枝花からの幹線道路上だったようで、平地に戻ってから荷物を持ってまた攀枝花行きのバスに乗ります。

さて、本日の作例ですが、迤沙拉の家並みを選択しました。
壁をこんな色にした家は他で見た記憶が無く、しかも村全体が同一時期に塗装したように色が統一されています。
以前見た村の紹介では、村人がみな美しい民族衣装だったと記憶していましたが、どうやらあれはお祭りか何かハレの日の撮影だったのでしょう、華やかな衣装は見かけませんでした。
小麦やとうもろこしを収穫しているのを見たので、農繁期のため民族衣装は着ずに作業着の人が多かったと考えれば合点がいきます。
食事をご馳走してくれた夫婦に衣装だけでも見せてもらえばよかったかと、若干後悔しました。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
thema:ペッツバール genre:写真
C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/19 Thu

行き先、間違えました

C.C.Harrison 14cmF4
「ほら、起きろ。もう着いたぞ」そう年配の車掌に怒鳴られて飛び起きました。
成都発西昌行きの夜汽車はなぜか混雑していて、硬臥の上段しか空いていませんでした。
上段は天井までの高さがわずかで上半身を起こすことすら難儀しますが、もうひとつ、なぜか空気の通りがよくて寒いのです。
下段と上段の料金差はわずかですが、その乗り心地には雲泥の差を感じます。
なかなか寝付けないと思っているうちにようやく寝たと思えば、いつの間にか到着していました。
なにがあるのかも知らず着いた西昌ですが、駅前に路線バスが停まっていたのでとにかくバスターミナルまで行ってみることにしました。

ちょうど泸沽行きのバスが出るというので飛び乗りました。
泸沽湖は神秘の湖と言われ、男性が女性の寝床に忍び込むことで結婚が成立するとか、女人世界とかそんな話を聞いたことがあります。
しかし、1時間かからず到着した泸沽に湖がありません。
少々歩くと靴の修理屋さんがあって、裂けたかかと部分を修理してもらいながら湖のことを聞くと、泸沽と泸沽湖は名前こそ同じだがまったく違うところだそうで、もし泸沽湖に行くならバスで6時間かかるとのこと。
ここ泸沽には何かおもしろいところはないのか聞くと、うーんと考え込んでしまいました。
ではこのあたりらしい農村に行ってみたいというと、少し歩いたところからバスが出ている河辺はどうかと教えてくれました。
ちょうど靴の縫製が終わったので、値段を聞くと3元(60円!)、しかもわたしのトランクを預かってくれるといいます。

バス乗り場は20分も歩く町の外れにありました。
途中の道がずっと修理中でバスが入れず、このようなことになっているようです。
期待した通りの四川省の田舎のどこにでもありそうな農村は、少なくとも昨日訪れた古鎮よりは魅力的でした。
古民家の写真を撮っていると不審そうに見つめられましたが、こういうのが好きで日本から来たと言うと、どうぞどうぞと家の中を案内してくれます。
作例のご夫婦がそうですが、村人はとても親切です。

巨大な帽子をかぶったおばあさんを見かけたので、撮影させてくれとお願いしましたが断られました。
このあたりは四川省の西のはずれで、少数民族の彝族が暮らしています。
他の少数民族同様、民族衣装を着ているのは高齢の女性がほとんどで、その衣装は紺や青の生地を基調にしているようです。
巨大な帽子には何か意味があるのかも知れず、被っているのを目撃したのは数人だけで、他は作例の女性のような帽子です。
若い女性はごく普通のかっこうをしていて、顔つきに特徴があるわけでもないので、漢族なのか少数民族なのか区別はつきませんが、この村は100%彝族だけが暮らしているとのことです。

彝族といえばよく知られた村があるので行ってみることにしました。
再度、西昌のバスターミナルに戻り、攀枝花市を目指します。
攀枝花の「攀」の字も日本では見ない難読漢字ですが、パンと読むとのこと。
攀枝花は「パンチーホワ」のように発音しますが、もしかしたらパンチーの部分はパンジーを中国語に音訳したのではと思って調べましたがそのような記述は見つかりません。
そのかわり町の名前の由来が見つかって、1965年に毛沢東がこのあたりの山村を視察した時に村の名前を聞いたところ、小さな村なので名前はないと地元の人が答え、ではあの木の名はと聞いたところ、攀枝花ですと村人が回答し、毛沢東がそれはいい名前だこの町を攀枝花と改名しなさいと言って決まったとあります。
大切な地名をそんなに簡単に決めてしまって好いものなのか…。

攀枝花からは小さなバスに乗り換えて平地という村に来ました。
先ほど訪れた河辺と言い、ここ平地と言い、地形をそのまま地名にしてしまったようなところですが、それでもまだ独裁者が勝手にネーミングするよりはマシでしょう。
そんなことを考えていたせいか、村に1軒という宿泊施設に泊ろうとすると警察がやってきて、外国人の宿泊には登記が必要だとパトカーで連行されてしまいました。
先方は書類作成したのでしょうが、ただパスポートのコピーをとるだけでどうということもなくホッとしました。
古建築の1軒もない、本当に何もない村でしたが、このあたりの特産だという硯を製造販売する店が数軒並んでいました。
装飾が美しく、書道を嗜んでいれば格好のおみやげですが、いちばん小さなものでもずしつり重く、いまのわたしには不要なものです。
大きなのは畳半畳程もあるのですから、実用ではなく家に飾るためのものなのでしょう。
宿が食堂も兼ねていて、山菜の炒め物など土地ならではのものをつまみに、自分で漬けたという枸杞の酒をふるまってくれました。
ここもみな優しい人たちばかりでした。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
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C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/18 Wed

遊園地造成計画

C.C.Harrison 14cmF4
成都の出入国管理事務所で朝からイライラさせられましたが、気を取り直して市街の古鎮を見物に向かいます。
方角的には西進しているのでそのまま移動できそうですが、鉄道駅がないので、夜、成都に戻って夜行列車に乗る方がずっと便利だと分かり、荷物はホテルに預けます。
平楽と西来というふたつの古鎮を有する邛崃市は成都の西70キロほどのところにあります。
ただ、邛崃をなんて読むのか分かりませんので、地図で指し示すと「チオンライ」だそうです。
ライの方はともかく、チオンは難読漢字のように思いますが、中国人には普通に読めるのでしょうか。

いつものようにぼやいて申し訳ないですが、平楽も西来も観光化が進んだ古鎮遊園地のようなところでした。
古建築が並んだとおりは、すべて土産物屋や食堂になってしまっていて、鎌倉の小町通りのようになってしまっています。
訪れたのが平日なので小町通りほどの人はいませんが、さすが中国らしくそれなりの人がぞろぞろと歩いていました。
もはやマイカーが当たり前になった中国では、ちょっとした郊外の有名どころではこのような開発が進んでいない場所はないのかも知れません。

面白いところもあって、邛崃の町から平楽へ向かう途中には、酒街道のようなエリアがありました。
全国ブランドの酒造メーカーの工場が10軒以上並んでいたのですが、それらはみな白酒のメーカーです。
こんなところに集中しているのは、どういう成り行きだったのでしょうか。
原料の高粱がとれるとか水が良いとか、それとも税金の優遇があるとかでしょうか。
バスの運転手に聞いてみましたが、四川省はかなり訛りのきついところで、申し訳ないですが、彼が何と言っているのかさっぱり分かりませんでした。

平楽がダメと分かれば、西来も同様だろうと諦めて成都に戻ればよかったのですが、せっかくここまで来たのだからとついつい向かってしまいました。
こちらはバスに車掌がいたので相談すると、5時に邛崃に戻る最終のバスがあると教えてくれます。
それなら、成都に戻って夜汽車の時間にも間に合いそうです。
作例は、西来の外れの町並みですが、平楽に負けじと一生懸命の開発途中のようで、こんな外れまで観光客が来るのかいなと思うようなところにまで、石畳の町並みを造ろうとしていたようです。
道路はそのままに、幟と提灯を取っ払ってくれればそれだけでいいとわたしは思うのですが。

邛崃へのバスはもう行ってしまったのではと諦めかけた45分遅れで到着しました。
成都行きのバスの中で確認すると、もはや夜汽車に間に合いそうもありません。
調べるとその1時間後の夜汽車は同じ方面に行くようでしたので、それでもいいか目的がある訳でもないしと安心しできました。
もっともそれがなかったところで、成都にもう1泊しても旅にはなんら支障はないわけですが。
1時間ほどで成都のバスターミナルに着きますが、出発した時とは違うターミナルでした。
客待ちのタクシーに聞くと成都駅まで80元と言います。
それはいくらなんでも高すぎで、ターミナルの位置が不明なので料金がいくらなのか分からず交渉できないので、流しのタクシーを探すことにします。

ほどなくやって来たタクシーはいかにもフレンドリーな青年の運転でした。
まずは荷物を預けたホテルの場所を言うと、料金を指し示すでもなく黙ってメーターを倒しました。
先ほどのタクシーが駅まで80元と言われたと言うと、25元くらいのものだと笑っています。
早い方の列車まであと20分ほどですが、事情説明してホテルで荷物をピックアップして何時の電車は間に合うだろうかと聞いたところ、運が良ければぎりぎりだと言います。
切符をまだ買っていないと言うとそれでは無理だとの返事でした。
中国の主要駅では、切符窓口と改札が少々離れていて、しかも成都のような大きな駅ではいずれも行列に並ばないといけないが、改札は時間が無いと言えば通してくれるだろうが、切符を買うときにそれは通用しないだろうからと。
なるほど、彼のいうとおり、ホテル経由で駅には5分前に着きましたが、切符を事前購入していれば間に合ったかも知れない時間でした。
無理に飛ばしてくれた彼に、釣銭をチップだと言うと名刺をくれて、次回、成都に来た時は一緒に飯を食おうひとり旅では火鍋も食べられないだろうと誘ってくれました。
よく気の回る青年だなあと思いました。
こういう男がいれば、出入国管理事務所も外国人の評判が上がるに違いないでしょう。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
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C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/17 Tue

お役所仕事

C.C.Harrison 14cmF4
朝いちばんのバスで成都に向かったのですが、成都ではとてもたいせつな仕事がありました。
たいへんうっかりしていたのですが、ウランバートルから中国へ舞い戻るとき、その夜に列車があるというので勢いでチケットを買ってしまい、モンゴル入国前に絶対やってはいけないと考えていたことをまさにやってしまっていたのです。
モンゴル入国時、可能性としてロシアのイルクーツクに行くという選択肢がありましたが、ビザのことがよく分からず、ロシアに行かない場合は中国へ戻るしかなく、その可能性は高いだろうと考えていました。

実際にはその寒さと体調を崩したことで中国へ戻った訳ですが、モンゴルに4日かできれば5日滞在しなくてはいけないと考えていました。
というのは、日本人はノービザで15日間中国に滞在できるのですが、わたしは3月中に中国のどこかの都市から帰国するということしか決めておらず、航空券価格などを考えると25日か26日に帰国すべきだろうくらいの気持ちでいたので、そこから逆算すると11日か12日に中国に再入国しないといけないということになっていたのです。
結局10日に中国再入国のスタンプが押されて、その後航空券価格が上がり出して25日の帰国便を購入してしまったので、このままでは1日オーバーステイになってしまいます。
それを解消するために、成都の出入国管理事務所で滞在延長の申請をすることにしたのです。

延長ビザを発給するとのことで1週間かかるところを3日でてつづきしてもらうことになりました。
こう書くとスムーズに手続きできたように感じられるかも知れませんが、実際には3時間近くかかっています。
わたしの滞在はぴったり15日間なので延長不要だという職員がいて、それに同意するもの、違うというものと意見が割れて、わたしが10、11、12…と指折り数えて16日でしょと説明して、やはり延長が必要かという結論になったからです。
ところが、その日宿に戻ると出入国管理事務所から電話があって、翌朝いちばんに来てほしいと言っていたとのことです。
何だろうと翌日出向くと、到着日はカウントしないから延長不要と言っていた職員がその根拠書類を見つけたのだと言ってわたしのパスポートを返却してきました。
不安なので、この人の滞在は15日間なのでビザ延長不要であることを証明しますと文書を作ってくれと依頼しましたが拒否され、交渉の末、根拠書類のコピーのみもらいました。
そんなんで役に立つのか分かりませんが、ここでも1時間以上かかっていて、押し問答に疲れて退散することにしました。
この顛末については、また書く機会があることでしょう。

いずれにしても、この事務所に行ったのはわたしのミスでした。
空港に行けば、出入国管理職員がそんなことで長時間もめたりすることはないはずなので、どう対処すべきか教えてもらえたはずです。
結局、はっきりしない結論を得るためにかなりの時間を浪費してしまいました。
到着日は4時になって解放されましたが、この時間では行きたいと思っていた郊外は無理なので、そこから近い繁華街を歩いてみました。
成都も九寨溝を訪れた8年ほど前に滞在したことがありますが、当時とは比べ物にならないくらい発展していて、あまりの都会振りになじめません。

かわりにという訳ではありませんが、そのときにも行った麻婆豆腐発祥の店というのを探して再訪してみました。
なぜか自転車屋さん街に店はあって、改装したらしく、かつての面影はなくなつていました。
痺れながら食べたと記憶する麻婆豆腐もあまり辛くなく、店を間違えたかと不安になりましたが、パンフレットには清代に創設された名店だと鼻高々に書かれているだけでよく分かりません。
そういえば、お昼も成都小吃名店という店で勧められて片鴨を食べましたが、コックが目の前でスライスするところから、皮にくるんで食べるところまで北京ダックにそっくりでどこが成都小吃なのか分かりませんでした。

こんな1日でしたので、ほとんど写真は撮っていません。
作例は、翌朝出入国管理事務所に向かう途中の光景で、わたしのビザがどうこうなんてちっぽけなことはどうでもいいやと思わせるだけの迫力を感じました。
成都の町中ではバイクと自転車のための専用レーンがあるのですが、朝の通勤時間帯に赤信号になるとそこに次々と二輪族が集結してしまい、青信号に変わった瞬間に戦争がはじまります。
ツールドフランスを見に行った知り合いがすごい迫力だったと興奮していましたが、迫力だけなら成都に軍配かも知れません。
あれっ、よく見るとひとり歩いている人がいますね。
何あれ?
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
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C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(2) | 2015/03/16 Mon

前半のロスを後半取り返す

C.C.Harrison 14cmF4
早く脱出しようと考えていた松溉でしたが、もしかしたらあの少女がいるのではなどともたもたしたため、永川客運站からの午前の主要なバスを逃してしまいました。
古鎮本をみると、周辺の主な町の郊外にふたつずつくらい古鎮があるので、いちばん早く出るバスの行先の古鎮に向かうつもりでしたが、それでは2時間半待たないといけないことが分かり、とりあえず30分後に出る内江行きに乗り込みました。
内江からバスを乗り継ぐ作戦でしたが、高速に乗ると主要な町のサービスエリアなどに停車することが分かり、2つの古鎮がある隆昌に停車したので慌てて降りることにしました。

サービスエリアをどうやって抜けるかと考える間もなく、どこに行くんだとおやじさんに声をかけられます。
古鎮名の雲頂塞を告げると、そこまでは100元だがバスターミナルまで30元で連れて行くのでそこからバスで5元だからどうだいと言われ、素直に応じてしまいました。
サービスエリアから外にでるとその人の車が停めてあって、バスターミナルまで5分とかからずで着いてしまいました。
これならタクシーでも10元しなかったでしょうから30元はかなりボラレました。
それにしても、サービスエリアでこんな商売が成り立ってしまうのは、さすが中国というべきでしょう。

バスの本数は多いようでミニバスは乗車後すぐに発車し、30分も走った食堂の前でここからバイクで行くよう指示されます。
このバイクがくせ者で5元のところ(地元の人は3元‽)10元取られて、帰りも迎えに行くので電話をするよう抜かします。
雲頂塞の名前からかなり急な上り坂があってと連想する人は10元でよしとしてしまうのかも知れませんが、まさにバイクに乗るところに2キロという表示が出てしまっているので、
10元は拒否すべきでした。

明のころ移住者によって築かれた雲頂塞はT字型に村が形成されましたが、さらにその先に城塞のように石積みができていて、古民家が10軒ほど残されていました。
T字部分は古民家が軒を連ねていて、古鎮と呼べるような密集具合ですが、城塞の中は広く古民家は畑の中にポツリポツリとある程度なので、ピクニックコースのような雰囲気です。
名前の響きがいいせいか雲頂塞は有名らしく、マイカーで訪れている家族連れがかなりいるようでした。
途中、手作りのお菓子を売るおばさんがいたりして、いかにも子どもを遊びに連れてくるのによさそうです。
外国人が公共交通機関を使って来るところとはちょっと違うのかなという印象を持ちました。

作例は、T字の古鎮側ではなく、敢えてピクニックエリアの方の写真を出します。
マイナス20度で体調を崩してから5日後には春の訪れを感じられる写真に切り替わる面白さがあると思ったからです。
おばさんが犬の散歩をさせているように見えますが、これはよく見れば分かると思いますが、ヤギでした。
ヤギはミルクを採るのと、食用にもするようで、野生羊鍋とか書かれているのはヤギのことだそうです。
沖縄でもヤギはハレの料理と聞いたことがありますが、確か、かなり臭いが強いはずです。
黒いヤギはそんなことはないのかも知れませんが。

しばらく散策して村の入り口に戻ると、人の好さそうなおじさんがいて下まで戻るバイクを5元で手配してくれました。
降りたところに来るときに乗ったバイクがいたので、10元もとりやがってと睨むと気まずそうな顔をしています。
隆昌のバスターミナル近くに高層のホテルが2件並んでいましたが、いずれも外国人宿泊不可で、どうしようかと歩いていたところウチはどうだとばかり招待所のオヤジに声をかけられました。
招待所は外国人は泊れないのは知っていましたが、黙って付いて行くと部屋は新しく悪くありません。
80元だがどうだと言うのを外国人だと切り出せず、ちょっと考えさせてと言うと、なら70元にしてやるから泊れと言います。
それでも、実はともじもじしていると、分かった60元にする頼むから泊まってくれと言って鍵を押し付けてきました。
登録手続きをしなかったので、外国人だとばれないまま、安い宿にありつけました。
夕食はすぐ隣で食べればいいと紹介してくれ、そこでも安宿に泊まっている人だからと12元の晩餐を楽しみました。
ビールを買って部屋に戻り、宿泊+食事+ビールで締めて1500円で済ませられました。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
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C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/15 Sun

彼女はいまどこに

C.C.Harrison 14cmF4
白樺、青空、南風…。
北国の春を中国人とデュエットする機会があろうとは、想像もしていませんでした。
一等寝台に相応する軟臥は4人1部屋のコンパートメントですが、同室だったのは男性一人だけでした。
来年70歳になるというその男性は、雑談の中でわたしが日本人だと知ると、突然、日本語で北国の春を歌いだしたのです。
もちろん完璧な日本語とは程遠く、わたしの反応をうかがうかのようでしたので、わたしは日本語を教えるようにはっきりした発音でいっしょに歌いました。

中国で北国の春が大ヒットしたことは知っていましたが、一般の男性が日本語で歌ったことは驚きでした。
何十年も前に何度も聴いたものだが、いまだに自分のいちばん好きな曲だと言います。
一幅の絵を見るようなすばらしい音楽だとも。
確かにあらためて聴いてみると、雄大な曲と望郷の歌詞がうまくフィットしていて、日本を代表する名曲と言えるでしょう。
あまり歌い続けていると、わたしも早く日本に帰ろうかなと思うようになるのではと心配になるくらいでした。

男性は、自らも初めて来た重慶にもかかわらず、わたしが道を間違わないようしっかりバスターミナルまで案内して、切符を買うところまでしてくれてから別れました。
毅然としていながら話をすると柔らかな対応で、中国代表のおじいちゃんとも呼びたくなるような人でした。
どうか、いつまでもお元気で。

向かったのは、重慶郊外の古鎮、松溉という村です。
松溉には2年前に訪れていますが、4つもの印象深いことがあって、ぜひまた再訪しなくてはと考えていました。
1つは宿泊したホテルで若い感じの好い夫婦が切り盛りしていてまた泊まりたかったのと、もう1つは古い伝統のあるレストランでみんなに歓待してもらっていたのと、もう1つはホテルの前の家の中学生くらいの女の子と会話して親しくなり両親に食事して行ってと言われたのを泣く泣く断ったことと、最後に体が悪い少女とやはり親しくなってハンデを背負いながらずっと笑顔を絶やさない姿に胸を打たれたということがありました。
彼らに再会できれば、旅に彩を加えてくれるでしょう。

しかし、結論から言えば、悲しいことにその誰とも会うことができませんでした。
ホテルは老朽化のため改装工事中で、立ち入りすらできません。
レストランは7時前に行ったにもかかわらず、閉まっていました。
ホテル前の家は改装のあおりか、扉を閉ざしていて人気がありません。
最後の望み、障害のある少女はそのとき周囲のアイドル的存在に見えたのですが、引っ越してしまったのか姿が見えず、そればかりか近くの何人もの人に少女のことを確認したのですが、誰もがそんな子は知らないというばかりで、不思議なことに消息すらつかむことができませんでした。
そうなってみると、前回あれほど楽しかった松溉が、一気に色あせて感じられてしまうのでした。

さて、作例ですが、茶屋で立ち上がって将棋を指す真剣な姿を撮影しました。
140mmの焦点距離で離れているからということもありますが、これだけ集中していてくれると撮られていることなんかまったく気付きません。
麻雀をしている女性を撮ったりもしましたが、彼女たちは他人のことが気になって仕方ないという雰囲気で、やはり撮影していることがすぐにバレてしまいました。
本来ならここに障害の少女の笑顔がどーんと載るはずで、そのためにチョコとか飴とかプレゼントを用意していたのですが、さすがにそれをこの老人に渡すというわけにもいきませんでした。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
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C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/14 Sat

6PMのPM2.5

C.C.Harrison 14cmF4
西安まで来ると南国的な気分になれる四川まではあともう少しです。
しかし、今回はちょっと寄り道して、東へ400キロほどの南陽に向かいました。
南陽市内にいくつか古鎮があるという情報を得てのことですが、それ以上にまったく愚かな理由がありました。
わたしはまだ河南省に行ったことがなく、中国を省単位の白地図に表すと、中央部のほとんどを塗りつぶしてきており、今回の旅で山東省、河北省、天津市、内蒙古自治州、寧夏回族自治州とまわって来て、中央部分では河南省だけがポツンと白く残ってしまっていました。
ここを横切ることで、中国は周辺の地域以外はいちおうひととおり足跡を残したということになります。
だからどうという訳でもないのですが、せっかく近くまで来ているのだからと(といっても400キロも離れている)、南陽に向かってしまったのです。

西安の駅前からはバスで南陽に向かいました。
鉄道もありましたが、くだんの古鎮が高速道路のルート上にあると判明したので、バスで行って近くで降ろしてもらう作戦です。
途中バスが東進して行くと、菜の花畑が見えてきて、数日前まで氷点下20度の世界だったのが、一気に春を感じられる地域まで移動してきたことを知りました。
事前にリサーチしていた地名のサービスエリアで降ろしてもらい、少々歩くと道路が見えてきました。
ほどなくするとバスが見えたので、手を振って停めます。
このあたりの路線バスは中国でよくある、ルート上ならどこでも乗り降りできるタイプのようです。
10分も走ると目的地に到着しました。

こんなに順調に古鎮に着いてしまって不安を感じるくらいでしたが、その不安は的中してしまいました。
村人に聞いてもこのあたりに古い町並みはないというので、紹介しているサイトを見てもらうと、古いお寺で年1回伝統的なお祭りが行われているがそのことを言っているだけなのではとのことです。
確かにそこには写真が無く、建造物とかのことも一切書かれておらず、伝統的な式典がどうこうということばかり書かれていました。
通常、こういうことをおこなうだけの村を古鎮とは呼びませんが、執筆者が勝手に名付けてしまったのか、いずれにしても裏付けをとらずにのこのこやってきたのが失敗でした。
いちおう「伝統的寺院」を確認に行きましたが、山道を片道15分もトランク持ったまま歩いて行って、鄙びた古刹ではなく新築されたような大きな施設があったことを報告しておきます。

気を取り直して南陽の別の古鎮を目指しましたが、ここが巨大な南陽市の西の外れなのに対して、他の古鎮は東側にあってもはやそこまでの移動は諦めました。
お昼を食べたりバスを乗り継いだりするうちに南陽の中心に着いたのが2時半で、ここから場所を確認しながらの古鎮巡りがもう面倒でした。
無謀な白地図を塗り潰すための移動が、1日をまったく無駄にしてしまいました。
とは言え若干の収穫もあって、南陽駅近くの市場で、下着用のTシャツをゲットすることができました。
中国ではなぜかパンツは普通にあっても上半身用の下着を売っているのをほとんど見たことがありません。
西安にユニクロがあってヒートテックの下着がありましたが、1枚1000円くらいしてしまい、高価で購入を断念していました。
市場では下着屋で説明してないか聞いたところ、うちでは扱っていないと言われたのですが、たまたま通りかかった服屋の店主がウチならあるといって、引き出しをあちこち引っ張り回して見つけたくれました。
綿100%ですが、500円もして安くはありませんでしたが。

本日の作例は、南陽駅付近散策中のものです。
これが何を撮った写真なのかを見てピンと来たらすごいと思います。
大気を撮ったものです。
この間中国北部の各都市を歩いて来ましたが、どういうわけかPM2.5とか大気汚染がはっきり分かるような日は1日もなかったのです。
マスクなども用意していたので肩すかし状態でしたが、ついにここ南陽で、ニュースに見るような視界の悪いPM2.5大量飛散状態に行き当ったというわけです。
テレビで見ると霧で覆われたようになっているのでPM2.5の存在がひと目で分かりますが、スティルでは意外にPM2.5がはっきり分かるように写すことが難しいようです。
分かりやすくするのは、輪郭がぼやけて見える太陽を取り込むことではないかと気付きました。
これでも、どの程度の大気の霞み具合かは理解することは難しいでしょうが。

地元の人はめったにない現象だからなのか、あるいは逆に慣れてしまっているからなのか
マスクを付けている人すらほとんどいません。
しかし、市場などで話しかけると大気汚染は深刻だと顔を曇らせていました。
作例のバイクの後ろの女の子は呑気にどら焼き状の食べ物を手にしています。
毎日こんな天気なら、このような環境で育つ子どもたちが心配になります。
左隣のバイクのお兄さんはミラーに顔が写りこんでいますが、やはり不安そうな顔をしているように見えます。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
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C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/13 Fri

乗り鉄ではありませんが

C.C.Harrison 14cmF4
こんなことやっていていいのだろうかと心配になりましたが、今日で3日続けて夜行列車の利用です。
ホテルでの睡眠が懐かしいですが、極寒のウランバートルから早く温かいところまで移動したいという気持ちが前進を強要したのかも知れません。
銀川から約500キロ離れた西安は、間に主要都市がないせいか地図上では隣町のように見えます。
内陸部なのでまだまだ寒いでしょうが、中国の旅が始まった温暖な青島より少々南に位置していて、緯度は東京などと変わらないようです。
銀川発西安行きの夜行列車もあることから、次の目的地は西安に決めました。

寧夏回族自治州(省にまで昇格させてもらえない)・銀川から陝西省・西安行きなんてマイナー路線だとタカをくくっていたのですが、列車にはけっこうな人が乗っています。
一等寝台の軟臥は売り切れていて、2日続けて硬臥になってしまいました。
中国の長距離列車には、軟臥、硬臥、硬座の3種の車両が連結されていて、食堂車はあったりなかったりのようです。
軟臥は扉が付いていてコンパートメントになる4人用寝台、硬臥は車両全体に3段ベッドが連なったドミトリーのような寝台、硬座は一般的な座席のみの車両です。

わたしが利用した列車を検索すると、
K1087快速 银川 西安 18:20 08:26 14小时6分钟 806公里 硬座 105.0 硬卧 184.0/190.0/196.0 软卧 285.0/297.0
と表示されるサイトがありました。
最初のK1087は列車番号で、Kは快速の中国語読み「クァイスー」の頭文字だと思います。
銀川18時20分発、西安翌朝8時26分着の14時間6分もかかつているのですね。
直線距離で500キロ強くらいに見えたのですが、線路上は806キロもあるというのが意外でした。
その後に書かれているのが料金ですが、硬臥が3種書かれているのは上段・中段・下段の料金で、軟臥は上段と下段ですが、料金をおおざっぱに言えば、硬座100元、硬臥200元、軟臥300元(日本円に直すにはそれぞれ20倍してください)になりますので、1:2:3の関係だということが分かります。

ひと晩過ごすのに座席ではイヤなので、硬臥か軟臥かということになりますが、前者は4000円で後者は6000円です。
ベッド幅や寝心地は硬臥も軟臥もほとんど差がありません。
硬臥で十分だと言えますが、車両内で夜通しトランプしていた大学生たちがいたことがあって喧しかったのと、それ以上にパスポート、カメラ、携帯、PC等々のセキュリティの問題があって、2000円差はその日のホテル代だと解釈して軟臥を利用したいところです。
ベッドは進行方向に横を向いていて足が通路側に来るかたちで、185cmのわたしがぎりぎりの小ささです。
上記4点の貴重品を入れたバッグは、どうしても窓側にくる頭の側へ置かざるを得ません。
バッグ幅分足を曲げるか、構わず足を通路側に出して寝ていましたが、毎度疲れているせいか、そんなんでも眠れてしまうものです。

列車は西安駅に到着しました。
この駅がすごいのは、改札をくぐると目の前に長安の時代の城壁がドーンと存在することで、改札前に待ち構えるタクシーやホテルの客引きの迫力とともに、夜行列車で到着した寝ぼけ頭を一気に覚醒させるでしょう。
西安といえばまずは兵馬俑ですが、すでに6年前に訪れていますので、今回はやめておきます。
市内を散策し、大雁塔、小雁塔をバスの車内から見やってから、4日ぶりに動かないベッドで眠って鋭気を養うことにしましょう。

作例ですが、帽子を見るとムスリムの人がやっている屋台のようですが、わたしが来た北ルートの銀川も西ルートの蘭州も回族のエリアなので、西安には回族の人が多いようです。
烤面筋とありますが、面は麺の簡体字で小麦粉を練って伸ばしたところへ肉類を入れてくるんで炭火で焼いたスナック的な中国ではポピュラーな食べ物です。
間違いなく美味しいのですが、この肉に猫とかネズミとかが使われている疑惑が以前に取り沙汰されて、以降、わたしは食べる勇気を失いました。
また、夜に足のマッサージに行ったところ、スタート直後にスペシャルマッサージはいかがかとしつこく持ち掛けてきたのを断って逃げようとしたところ、女性3人にすごい力で制止されました。
2分程度しかいなかったのに泣く泣く50元払わされて、出てくる羽目になりました。
彼女たちすごい力だなあと感心したのですが、考えてみれば毎日何人もマッサージしているのですから手指の力が強いのは当然です。
ホテルに戻ってシャワーを浴びるとき、手やら肩やら脇腹やら、アザがあちこちにできていてびっくりしました。
もし、スペシャルマッサージを受けていたら、わたしの大切な部分もアザだらけになっていたのでしょうか。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
thema:ペッツバール genre:写真
C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/12 Thu

坊さんも眠る町

C.C.Harrison 14cmF4
集寧駅に着いたのは夜の7時。
駅員に今の気温がどのくらいか聞いてみるとマイナス10度か15度くらいかなあとの返事です。
ウランバートルほど寒くないのは体で感じましたが、それでもこの寒さはどうにかしたいと考えます。
さらに今から乗れる寝台はあるかと聞くと、まだかなりあることが分かりました。
ウランバートルからの寝台列車の中で地図をずっと眺めていて、気付いたことがあります。
寧夏回族自治州というまずは行くことがなさそうなエリアが、夜行列車の1泊圏内だったのです。
自治州の州都・銀川に行く列車もあるとのことで、思わず寝台の切符を買いました。
移動の激しいスケールの大きな旅になったと悦に入りましたが、入ってきた列車は北京発烏魯木斉(ウルムチ)行きとなっていて、この鉄道だけでわたしの移動距離より長距離を走っているので、わたしの旅はスケールダウンです。

発車は9時くらいで、銀川着は翌朝6時なので、乗車後すぐにでも眠れればありがたいです。
そのため、切符購入後に駅前で食事を済ませました。
予想通り駅前の食堂は美味しくないし、不当とは言えない程度に高くがっかりさせられます。
かつて駅前留学の英会話が給与未払いか何かで潰れましたが、中国でも駅前は利用しないのが無難です。
これまで、食事のときは途中で外国人とバレて、店内で注目されるパターンが続いていましたが、ここでは外国人も何もどうでもよいような扱いで、気持ちにゆとりのない人たちがただ淡々と働いているような姿は中国的な世知辛さを感じさせます。

早朝に着いた銀川の駅前は、新興都市の姿がむき出しで魅力のようなものがどこからも感じられてきません。
さらに困ったことに駅前で宿探しをしましたが、外国人は泊められないと断られ続けました。
外国人で泊れないというのは銀川に限ったことではありませんが、2日連続で寝台に乗った体はすぐにもシャワーを浴びることを欲しています。
外国人はダメだと冷たく言い放ったおばさんが、それならと、浴池という銭湯のような場所を親切に教えてくれました。

そこで3日ぶりに体を洗ってしまうと、この地に留まる意味が無いような気がしてきました。
わたしはもともと観光地のようなところに興味はありませんが、駅前に書かれていた表示には、○○50キロ、××70キロ、△△80キロのように書かれていて、地元には何もなくどこへ行くにもツアーで行ってくださいねと強制しているような突き離し感があります。
それでは、夜行列車の切符を買ってしまって、それまで庶民的なエリアを散策して、土地の料理を食べられればいいだろうと考えます。

しかし、その庶民的エリアがまったく見つけられません。
駅前からバスに乗りましたが、終点まで1時間近く乗り続けても新築のマンション街が途切れることはなく、どこかへ降り立つきっかけすら見つけられませんでした。
食事の方もさっぱりで、マンションの階下に入った小さな食堂は無数にあるのですが、それは中国の他の都市でもあるのとまったく変わらない風景で、看板ひとつひとつ追って行っても銀川ならではというものが見つからないのです。
回族の牛肉麺という店が4軒も並んでいる店があって、そのうちの1軒で食べてみましたが、その味が深圳で食べたそれとどう違うのかもまったく分かりませんでした。
銀川は完敗です。
やはり退散するしかありません。

作例は、海宝寺というお寺での1枚です。
バス停で停車一覧を見ていたらこの名前を発見して、あまり期待せずに出かけたのですが、由緒ある寺院のようでした。
同名の塔が建っていて、西暦400年頃に建造されたもののようだと入場券に書かれています。
ここではその塔の写真は省略して、和尚さんの姿を見ていただくことにいたします。
銀川がいかに退屈な町であるかを、和尚さんは全身を使って表してくれています。
まだまだ夜の列車の時間までだいぶ時間がありますが、どうしたらよいのでしょう。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
thema:ペッツバール genre:写真
C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/11 Wed

K

C.C.Harrison 14cmF4
ザミンウードからウランバートルの車は日本留学歴があって日本語のペラペラのチンジュルク君が道連れになってくれる幸運に恵まれましたが、さすがにそう言うことはそうそうないだろう、英語、中国語ができる人がコンパートメントの同室になる確率は低いだろう、そう考えて列車に乗り込んだのですが、またしても自分の運の好さに驚かされることになりました。
車掌に案内されたコンパートメントには三十代と思われる夫婦がすでに乗り込んでいましたが、なんと、ふたりとも英語も中国語もOKとのことです。
せっかくふたりのところを割り込むようで済まないとあいさつすると、日本人なら大歓迎と最初から打ち解けた雰囲気です。

仕事の話になった時さらに驚かされることになりました。
彼は映画監督で、カフカの「城」を内モンゴルにて撮影して、ベルリン国際映画祭に出品したのだそうです。
そのときのカードがあってプレゼントしてくれたので、サインもお願いするとモンゴルの文字で書いてくれました。
かなりの達筆です。
モンゴル国内ではロシアの文字で表記することは前に書きましたが、本来は彼ら独自の文字があります。
縦書きで書道の草書体にも似ているので美しい文字ですが、これを読んだり書いたりは簡単ではなさそうです。
一時期モンゴル文字は教育の場から姿を消してしまい、分かる人がかな減少したようですが、今では民族がひとつになるための手段として熱心に教育されているとの説明でした。

その彼は中国籍ですが、内モンゴル出身の蒙古人であって中国人とは思っていないようでした。
中国人とは中国語で会話しますが、しばしば中国語がお上手ですねと言われるんだと笑っていました。
奥さんはウランバートル出身のモンゴル人で、ふたりは同じ民族だというのに国際結婚ということになります。
彼女はウランバートルのホテルで働いていたことがあるので英語が堪能でしたが、中国語はまだパーフェクトではないと言うものの、もちろんわたしよりはずっと上でした。
振る舞いや笑顔など、やはりモンゴルであったどの人とも違う、打ち解けた国際人的なオープンさを感じます。

その奥さんが「ARRI」と書かれたトレーナーを着ていたのでこれってまさかと聞くと、数年前にフィルムを使い切ってしまったが、愛用していたアリフレックスのトレーナーを見つけたので妻にプレゼントしたのだと自慢げに話してくれました。
他にもボレックス16mmで撮影中の勇士も見せてくれて、そのカメラ名を言い当てるわたしに信頼を置いてくれたようです。
今度はわたしが自慢する順番で、アリもボレックスもかつて中古市場では当然高かったものの、レンズだけだとタダ同然で売られていることがあってそういうのを何本か集めた、35mmをカバーしないものもあったが、もともとプロ用のシネレンズなので高性能だった。
その後、同じことをする人が増え、中国人も参入して来たのでレンズは価格高騰して入手困難になってしまった、それで、いまはペッツバールを集めていると説明しました。
この話はとても好評で、ハッセルブラッドやマミヤを愛用もしているという旦那さんはもちろん、カメラを一切知らない奥さんも熱心に聞いていました。

彼らによれば、集寧は烏蘭礼布市という北京方面と呼和浩特方面に分岐する地点の駅ということです。
彼らは終点の呼和浩特の実家に帰るところで、わたしは数時間手前の集寧で降りますが、それでも夜の9時に乗車してほぼ1日がかりになります。
距離が800キロなので時速100キロ平均で走れば8時間で着いてしまいそうなものを、モンゴル内ではばかにゆっくり走りますし、出入国のパスポートコントロールと荷物検査に時間がかかり、さらに中国は世界基準広軌なのに、モンゴルがロシア式の広軌が採用されているため、国境で台車の取り換えという作業に3時間ほどを有することが時間短縮を妨げています。
しかし、この3時間のおかげで、わたしたちは駅からタクシーに乗って町に出てちょっとしたショッピングをしてから内モンゴルレストランで食事まで楽しみました。
まさか列車の停車時間中にタクシーで出掛けるなんて、銀河鉄道999の乗客にでもなった気分でした。

さて、作例にはぜひこの芸術家夫婦をお見せしたかったのですが、さすがに失礼かと思い、レンズが向けられませんでした。
しかし、列車を降りる際に互いに携帯で写真を撮り合ったので、ペッツバールでポートレイトを撮らせてもらえばよかったかとも思います。
代わりに出させていただくのは、街角の女性を適当に撮ったものですが、あるいはわたしがモンゴルで見かけたいちばんの美女になるかも知れません。
ボア付きのダウンジャケットに毛の帽子、スカーフを巻いて、両手はポケットの中というのがモンゴル式です。
この恰好ができない旅行者はただちに中国に去るしかありません。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
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C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(2) | 2015/03/10 Tue

朝青龍が闊歩する町

C.C.Harrison 14cmF4
モンゴルといって日本人が思い出すのは、今や白鵬、あるいは朝青龍ということになるでしょうか。
くだんのチンジュルク君によれば、ウランバートルで白鵬・朝青龍を知らないものはいないらしい。
その朝青龍はウランバートルではとても多く目撃することが可能です。
もちろん本人ではなく、顔が似ているだけの男女ですが、モンゴル人の30%くらいは朝青龍の親戚なのではと思える顔の人が歩いています。
2日間の滞在ですから国民性にまで言及するのは無理がありますが、性格も朝青龍タイプの人が多いのではと思いました。
初日の晩にトランプしていた連中が逆切れしていたように、どうも気の強い人が多いというのがモンゴル人の特徴のようです。

わたしが、モンゴルというと最初に連想するのは遊牧民とゲルの生活、草原でのホーミー、それに馬頭琴の演奏でした。
冬場は羊の食べる草も枯れるからなのか、少なくともウランバートル周辺にはゲルはないとのことでした。
ホーミーについては、これはインチキだけどと言いながらタクシー運転手がけっこうそれらしくウィ~~~~~…とやってくれました。
馬頭琴の演奏は聴けませんでしたが、5000円程度から売られているとのことでした。
弦が2本だというので二胡に似ているのか聞くと、弓が二胡のように弦の内側に無いことや持ち方が違うとの説明でしたが、素人にはかなり似たもののように見えるはずです。

唯一体験できたのは、馬乳酒でした。
これは専門店があって量り売りしてくれますが、庶民的なもので500mLで100円ほどと安いものです。
味は想像通り薄いヨーグルトのような酸味のある飲みやすいもので、アルコール度数も4~5度だそうです。
ただ、これを飲むと翌朝、お腹をくだすことが多いので注意するよう言われました。
わたしは幸い何事も起きませんでした。

下痢はしなかったものの、体調は悪くなる一方のような気がしました。
このまま気温零下20度の世界にいたら治る見込みはないのではと思い、再度、駅に行くと、その夜に呼和浩特行きがあることが分かりました。
北京行きは3日後だとのことで、今日の夜行に乗ることにしましたが、二連浩特と呼和浩特の間のJININという駅に停まるというので、ここまでチケットを買うことにしました。
二等寝台にあたる硬臥は売り切れだそうで、高かったですが一等寝台の軟臥のチケットを購入します。
ただ、これにより良いこともあったのですが、それは明日のトピックということで。
問題はJININがどこか分からないことでしたが、これは懸命の検索で集寧という地名ということまで分かりましたが、やはり位置は分かりません。
まあ、到着してから考えることにしましょう。

モンゴルに入ってから観光っぽいことは一切していません。
歌劇場にコンサートを聴いたくらいで、あとは2日間大浴場に浸かってサウナに入って、駅に行って、レストランで食事して、町をあてもなく散策した程度です。
それは中国でもヨーロッパに行ったときでもそれほど変わるものではないのですが、何か目的のようなものが見つけられていないというのも事実です。
市場へ行けば、遊牧民の羊や馬の売り買いが見られるのではと思いましたが、言葉が通じず、市場への行き方が分かりません。
ウランバートルは流しのタクシーもまったく見つからず、やはり町中をただ流すだけしかありませんでした。

作例は、そんな中見かけた遊牧民の親子です。
町中でも伝統的な服を着ている人はちらほら見かけましたが、ほとんどすべてが老人で、元遊牧民で今は引退して年金生活していますと言う雰囲気の人ばかりでした。
この親子は、服の馴染み具合からしていかにもな現役の遊牧民の風情です。
都会の人の流れの中で不安そうに腰を下ろしているところをお願いすると、言葉は通じないものの笑顔で撮影に応じてくれたのが印象的でした。
もっとも、ウランバートルの人々からすれば、より暗い顔でふらふらと町中をさまよっていたわたしの方が、より不安そうに見えていたのかも知れません。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
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C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/09 Mon

モンゴルの厚い壁

C.C.Harrison 14cmF4
青年実業家チンジュルク君は、観光業も手広くやっているそうで、夏の観光シーズンには日本やヨーロッパの旅行客の受入口になっていると言います。
彼は、日系ホテルへの滞在を勧めてくれましたが、タクシー代が4000円かかっているので、安宿に泊まることにしました。
これが大失敗でした。
ホットシャワーが付いた部屋が3000円という宿がすぐに見つかり荷を解いたのですが、そのシャワーからは、1時間出しっぱなしにしてもかすかに温かいかもという程度のぬるま湯が出てくるだけです。
さらに夜中になってやってきたグループがトランプを始めたので、うるさいから明日にしてくれとノックしたところ、逆にすごい剣幕で怒られました。
この連中もフロントも言葉が通じず、わたしはジェスチャーで寝られないので静かにと伝えたつもりですが、相手の言い分がさっぱり分かりません。

部屋の寒さと大声の深夜トランプに眠れなくなり、宿を出ることにしました。
チンジュルク君が言っていた日系ホテルはすぐそばに見えていたので、高くても泊ろうと移動したのです。
しかし、聞いてびっくりいちばん安い部屋は1泊4000円で、先の安宿と1000円しか変わりません。
しかも安い理由は部屋にバスがないからとのことですが、大浴場が利用できて、翌朝行くと日本の温泉宿のようで体が温まりました。
この時期、宿泊している日本人はすべてビジネスの出張や長期滞在だと思われますが、この大浴場がどれたけ彼らの鋭気を培っているか、これをつくった人にみんなで感謝申し上げない訳にはいかないでしょう。

体が温まり気力充実して、町へ繰り出す準備は整いました。
まずは駅まで行きたいと思いフロントに行き方を尋ねると、タクシーを呼ぶので少々お待ちをと言われます。
すっかり今までのペースで、何番のバスに乗れと言われると思っていたので、これには面食らいましたが、恥ずかしげにバスでの行き方を聞くと、バス会社に電話して何番に乗るということを聞いてくれました。
リーズナブルながらも日系ホテルだけあってバスで行きたいという宿泊客は珍しいのでしょう、帰って来てからも大丈夫だったかとしきりに心配されました。
そのバスはホテルのそばからウランバートル駅行きでしたので、まったく心配してもらうようなものではなかったのですが。

なぜ、それほど心配するかの理由は、モンゴル語の難しさにあったと思われます。
滞在している国では、ごく簡単なあいさつくらいできなければと考えるわたしは、中国国境での待ち時間に同行の青年に、こんにちは、ありがとう、ごめんなさい、さようならの4つを教えてもらいましたが、発音困難なうえ、全然覚えられません。
チンジュルク君から日本語は母音がアイウエオでしょ、モンゴル語はアエイオウエ(エとアの中間)ウ(ウとオの中間)の7つだけなので日本語とよく似ていて発音しやすいですよと聞きました。
それに、モンゴル出身のお相撲さんの日本語のうまさや、同じモンゴル族系として言葉も似ているのではとの期待から、高をくくっているところがありましたが、そんなあまいものではありませんでした。
さらに辛いことに、モンゴル語は基本的にロシア文字表記です。
外国人が日本に来たときの辛さが身に滲みて分かりました。

駅に行ったのは、この先国際列車でロシアに抜けられるかを確認するためでしたが、チケットを買う前にそれは断念せざるを得ませんでした。
イルクーツクまでは比較的近いのですが、駅の職員などによればウランバートルなどよりずっと寒く、セーター等を買い足すだけではダメで、ふかふかの帽子や専用ブーツも必要と警告されました。
わたしはすでに駅へのバスの中で、鼻水が止まらず、咳も出て、体調を崩しているのを感じていましたので、そんな状況でこれ以上の環境は耐えられないだろうと即時に判断します。
シベリア鉄道に乗車する夢は捨てて、しばらくモンゴルに滞在してから中国行きの国際列車で引き返すのが現実的でしょう。

さて、作例ですが、この日の夜、オペラハウスで声掛けして撮影させてもらった美女とそのお母さんです。
チンギスハンの巨大像がある広場に、ピンクの西洋建築が見えたので何だろうと近付くと、歌劇場だと分かりましたが、公演は5時からですでに開演してしまっていました。
係員にチケットはないか聞くと、もう半分以上終わっているのでと、タダで入場させてくれました。
この日はニューイヤーコンサートのような企画で、モンゴルの音楽をオペラ歌手が次々歌っていましたが、前夜はカルメンをやっていたので1日違いでオペラ鑑賞できず残念でした。
それでも、モンゴルの音楽はオーケストレーションがダイナミックなのも手伝って、ロシア音楽のような壮大さで楽しめました。
歌劇場もロシアの影響でしょうか、桟敷席に取り囲まれたオーケストラピット付きの本格的なもので、ヨーロッパにいるかのような雰囲気です。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
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C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/08 Sun

夏は鍋焼きうどんか

C.C.Harrison 14cmF4
北京からの夜行バスは、恐らく運転手の予定通りの朝5時に二連浩特に到着しました。
二連浩特は、北京から北北西に500数十キロ、中国内モンゴル自治州の北の外れ、モンゴルとの国境に作られた人工的な町のようです。
アールリェンフォトと発音されますが、内モンゴル最大の都市が呼和浩特(フフホト)というので、浩特の部分はモンゴル語の町のような意味の単語を中国語に音訳したものではないかと想像します。
二連は、わたしの想像では、中国軍の内蒙古第二連隊を略したもので、かつて内モンゴルを取り返しにモンゴル軍が侵攻してくるのを恐れて、国境沿いに連隊を配備した名残なのではと、この奇妙な地名に思いをいたします。

この二連浩特からモンゴル側のザミンウードへの越境には、3つの手段があるようでした。
ひとつは鉄道、もうひとつはバスですが、いずれも確認すると午後に1本あるだけのようで、いちばん現実的な手段である、モンゴルの車に同乗させてもらうという手段を取らざるを得ませんでした。
モンゴル人が中国へ入るのは割と自由なようで、また中国製品をモンゴルに小規模に輸入する人が多くいるようで、モンゴルナンバーの車がそこかしこに見られ、彼らに依頼して出入国審査に乗せてもらうのだと聞きました。
ひとり80元だというのを粘って70元に下げましたが、どうやら4人くらい揃わないと発車しないらしくしばらく待たされることに。
同様の車がたくさんあるので、これでは人なんか来ないのではと心配していると、手配師みたいのもいるらしく、小一時間で3人揃って無事出発と相成ります。

二連浩特の繁華街は、モンゴルから買い物に来るひとたちのための小型商店が集まったマーケットで、日本人には魅力的なところではありませんが、逆にモンゴル人が何を求めているのかが商品構成で理解できて面白いと思えるところがありました。
衣類、靴、ゲームなどのおもちゃ、携帯電話、食品…、そんな順番で店が繰り返し並んでいるように見えます。
そこで、型落ちのパジェロに乗り中国側の国境まで5分ほど、朝一の出国審査はスムーズで、やはり数分で全員通過してしまいます。
出口でまた先の車に乗るのですが、これがなかなかやって来ません。
運んでいる荷物を徹底的に調べられているのか1時間以上もかかってやってきましたが、同行のモンゴル人たちがいたから落ち着いていましたが、金を先払いしてあったのでかなり気をもみました。
モンゴル側の国境へは車で1~2分で、ここで入国カードをもらって書き込み、列に並びます。
わたしたちの車が遅かったので、同様の後からの車の人たちに追い越されたからですが、それでも列は10人に満たず、これも10分とかからず入国してしまいました。
モンゴルは、比較的最近、日本人へのビザを免除したばかりだそうで、意外と行き来しやすい国だという感想です。
今度は車もスムーズにやって来てくれ、また2~3分車を走らせてザミンウードの駅前まで運んでくれました。

ザミンウードも二連浩特と同様の人工的な町のようで、滞在する意味はなさそうなので列車でウランバートルを目指すことにしましたが夜行列車までないのでタクシーで行ってはどうかと勧められます。
地図上では600キロほどあって、いくら物価が安くてもタクシーは無理だと言うと乗合なので安いと言い1台と交渉してくれました。
なるほど、200元だというので4000円ほどですし、5時間で着くと言うので同意しました。
何の役にも立ちませんが日本語のナビが付いたエスティマですので、車中も快適そうです。
ちょうどわたしが最後の一人でしたので、すぐに出発と相成りました。

同行者が5人いたので中国人もいるかと思い中国語で話しかけましたが、中国語は分からないとの冷たい返事が英語でかえってきて、こちらもスミマセンとかえすしかありませんでした。
モンゴル語の会話が飛び交う車内での沈黙の2時間が過ぎてお昼休憩になり、メニューが読めずに運転手が勧めるのを頼むとチキンのモモ肉が出てきましたが、その運転手はモモ肉を4本も頼んでいて、きれいに平らげたのには驚かされました。
さらに驚いたのは、青年から中国のどこ出身ですかと話しかけられ、中国人ではなく日本人ですと答えたところ、あなた、日本人? と日本語で聞かれたことでした。
彼は青年実業家のチンジュルク君で、日本に8年間滞在して、現在ウランバートルでいろいろな事業に挑戦しているところだと自己紹介を受けました。
以降、わたしは彼の隣に座り、ウランバートル到着までずっと彼と話をしていました。
もともと行く予定がなく、予備知識のないモンゴルについて詳しく知ることができたのは彼のおかげです。
中国国境の小さな町からの乗り合いタクシーで、日本語ぺらぺらの現地人に会う確率とはどんなものかと聞きますが、ゴビ砂漠のど真ん中を歩いていてオアシスを見つけたようなものだろうと言ったら、そんなものかもと笑われました。

この日ほぼ撮影時間が無かったので、作例は、翌日朝に撮ったものです。
3月初旬のウランバートルの最低気温はマイナス20度と聞きましたが、天気の好い朝なので多少は暖かだったかも知れませんが、まさか、子どもがアイスを食べているとは。
これだけ寒いとアイスを食べると逆に体が温まるのでしょうか。
わたしは手袋を持っていましたが、それでも手がかじかんでしまいポケットに入れっ放しで、なかなか首から提げたカメラを構えることもできませんでした。
こんなんで風邪ひかないかなあと不安でしたが、その心配はすぐに現実になってしまいました。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
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C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/07 Sat

天安問う事件

C.C.Harrison 14cmF4
天津のバスターミナルで、前日、二連浩特行きを確認していたのに、今日買いに行くとバスはないと言います。
昨日、確認したし、バスがない理由を言えと迫りましたが、後ろに列ができていて粘る訳にもいかず退散します。
理由は、恐らく乗客がいないということのようです。
この後北京に行ってチケットを入手しますが、北京では1日2便と時刻表示されているのに、チケット売り場では後の方の便しかないと言っていました。
まだ寒いこの時期に内蒙古の二連浩特に行く人はほとんどないということでしょう。

それで慌てて北京に移動することになるのですが、朝一でチケットを入手して、天津郊外にある古鎮を散策するという昨夜考えた計画がすっかり台無しになってしまいました。
ただ、ここは天津駅のすぐ隣で、高速鉄道もあるので北京へはあっという間でした。
到着した北京南駅から二連浩特行きがあるバスターミナルへもバス1本で行けます。
出発まで数時間あるので、荷物を預けどこか古い町並みに行きたいと聞くと、天安門広場付近はどうかと言われ、そこへもバス1本で行くと言うので、この日はアンラッキーなのかラッキーなのかよく分かりません。

まずは天安門広場から散策スタートします。
広場への入り口には列ができていて、どうやら荷物チェックをしています。
そういえば、新疆ウイグル自治区の人が天安門で車を暴走させて死者を出す事件が日本でも話題になりましたが、だいぶ時間が経つのにぴりぴりした雰囲気です。
空港並みに身分証の提示が求められ、液体類の持ち込みも禁止されていて、ペットボトルの水をがぶ飲みしているひとがかなりいます。
わたしは、取り上げられたら天安門広場に入るのに水が持ち込めない理由は何だと抗議しようと考えていたのですが、係官がキャップをとって臭いを嗅いでからそのまま返してくれました。

天安門の脇を南北に走る南池子街には古い町並みが若干残っているということです。
有名な胡同があるのはだいぶ離れたところで時間が足りず、南池子の胡同を求めて歩きました。
このあたりはまだ天安門の影響か、土産物屋などが多くて、おのぼりさん的な観光客がぞろぞろと歩いていて落ち着きません。
脇に入って見つけた胡同も、入り口に住民以外立ち入り禁止の貼り紙がありました。
老舎がかつて暮らしたという建物を記念館にしているところを偶然見つけましたが、展示こそしっかりしていましたが、建物自体はあきらかに比較的最近建てられたものです。
そのことに言及していないのが不思議でした。
お腹が空いて来て北京名物の炸醤麺を食べましたが、残念ながらこれは味も価格も観光客対象だと分かるものでした。
韓国の順天で食べたジャージャンミョンの方が少し美味しいくらいでした。

また同じバスでバスターミナルに戻るつもりでしたが、バスがなかなかやって来ません。
20分も待って慌てて飛び乗りますが、今度は渋滞に嵌まり、バスの時間が刻々と迫ります。
これはやばいとタクシーに乗り換えましたが、タクシーの運転手はその時間は厳しいと渋い顔をしました。
かなり飛ばしてくれましたが、やはり2分ほど過ぎてしまいました。
しかし、これならぎりぎり間に合うのではと思い、バス乗り場に行きますが、バスはすでにありません。
係員に聞きましたが、さあ、というよく分からない返事です。
ベテラン係員に聞いてみると、夜行バスの乗り場はここではなく隣の広場だと言います。
ダッシュで行ってみると、北京⇔二連浩特と書かれたバスが停まっています。
聞けば、定刻通りに高速で行くと深夜着になってしまうので、2時間ほど遅らせて発車するとのことで、だったら定刻を2時間遅らせてくれればこんなにあせらずに済んだものをと、ホッとしつつも呆れてしまいました。
この時間感覚は中国的かと思ったのですが、よく考えると、この時期雪でも降れば2時間くらいの遅れは出るのでしょうから、天候を見て出発時間を調整しているのだろうと合点がいきました。
それならそうと事前に知らせてくれると、ありがたいのですが。

作例は、ご存じ、天安門広場での1枚です。
平日の真昼間とあって、地方からやってきた団体ばかりで、おじいさんおばあさんがほとんどでしたが、身長180センチオーバーの目立つ女性を発見して、毛沢東バックにこっそり撮らせていただきました。
誰かいないかとキョロキョロしてからすぐに撮影できたからよかったものの、強固な警備体制の中でわたしのキョロキョロは明らかに挙動不審であと何分か続けていたら、連行されていたかもというのは冗談にはならないような気がします。
この長身女性がいてくれたことに感謝しないではいられません。
いや、彼女自身が私服警官のような目付きでした。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
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C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/06 Fri

洗濯物のよく乾くホテル

Raptar 50mmF1.5
同じ町に2泊以上は避けようと考えていたので、昨日は重たい荷物を持って移動したのですが、結局、井陉の同じホテルに戻って来てしまいました。
外国人の珍しい町のことで、わたしをよく覚えていたフロントはあれつ戻ってきたのとわたしを笑顔で迎えてくれました。
恐らく町で2番目に高級なホテルですが、前日チェックインの際に交渉して128元を100元にしてもらっていました。
鉄路で終点の石家荘まで行ってしまう方が翌日の行動には便利ですが、省都の石家荘ではおなじクオリティのホテルは倍以上するでしょう。

もうひとつこのホテルに舞い戻った理由がありました。
部屋に通常の空調暖房と併設してスチーム式の暖房も据えられていたからでした。
スチーム式暖房は金属の配管がむき出しになったようなかたちで、ヨーロッパにも多く見られます。
この暖房装置のメリットは、洗濯物の乾燥機としても使えることで、もちろん本来はそんな使い方はしないのですが、むかし、卒業旅行でヨーロッパを旅した時、旅行者がみな洗濯物を乾かすのに利用しているのを見て自分も真似していました。
今回の旅も10日を超え、まだまだ先は長いのでそろそろ洗濯しなくてはと考えていた矢先にちょうどいいホテルを見つけました。
前夜に洗濯するつもりでしたが、疲れていて行動力が発揮できなかったので、今日は頑張ってまずはスーパーで洗剤調達し、洗濯開始しました。
下着に靴下をすべて洗濯するとスチームには置ききれず、エアコンの吹き出し口も利用しましたが、なんとその夜のうちにすべて乾いてしまって、寝る前にトランクケースの中に仕舞い込むことができました。

ホテルだけではなく、食堂も昨日と同じところに入りました。
とても対応よく、料理も美味しかったからですが、さすがに2日連続で行くとさらに対応がよくなります。
昨日はメニューで苦戦しましたが、そのことをよく覚えていた店員が、昨日はあれを食べたので、今日はこれとこれにしたらどうかとアドバイスしてくれました。
店主の親戚だという男性がビールをご馳走してくれながら、日本のことをいろいろと聞いてきました。
地域格差を生んでいるいまの政府のやり方に不満をもっているようでしたし、日本は農民も貧乏ではないと聞いていると感心していました。

今朝は、バスで石家荘に戻り、天津を目指すことにしました。
その石家荘行きのバスが2日前に井陉に来た時とおなじ車掌だったので、お互いあれっと驚いてしまいました。
このバスはそれこそ10分間隔くらいで出ているので、このように再会する確率はけっして高くはありません。
来るときはもう夕方だったので、明日の石頭村までのバス乗り場を聞いておこうくらいのつもりで車掌に話しかけたのですが、そのバス乗り場まで行ってその日はもう終バスも行ってしまったことを確認までしてくれた親切な人でした。
帰りもこれからどこに行くのか聞いて来て、天津だと言うと、公共バスの何番に乗ればバスターミナルに停まるからそこから天津行きに乗れるよと教えてくれました。
実は、鉄道で天津に移動しようと考えていたのですが、この親切さに負けて言われたとおりのルートで天津に向かいました。

天津に行った強い理由は特にありません。
言うまでもないですが、天津にはその名を冠した丼も甘栗も存在しません。
数日前に、モンゴルへ行ってみようと思い立ち、国境の二連浩特までどう行くのか検索すると北京と天津から夜行バスが出ていると分かったので、ではあえて北京ではなく天津から行ってみるかと考えたのです。
北京には何年も前に数日滞在したことがありますが、天津には行ったことがないというのが、唯一の理由でした。
天津のバスターミナルは郊外で、聞くと二連浩特行きは別のターミナルとのことで、移動したのですがタクシーの言い値が高く、いちばん安い価格表示をしたおじさんに付いて行くとタクシーではなく、バイクの後ろに荷台を付けたトゥクトゥクもどきでした。
後ろ向きに乗るので、後続の車から丸見えでちょっと恥ずかしい乗り物でした。

本日の、作例ですが、バスターミナル付近に宿をとって散策すると、すぐ天津駅があり、その広場あたりで見た不思議なベビーカー(?)です。
スーツケースのように後ろ向きに転がす構造ですが、これって危なくないんでしょうか。
日本にもこんなのがあるのか知りたいです。
ちなみに、駅を過ぎて古い橋を渡ると、戦前の建物が並んだエリアがありました。
中にクラシック建築を活かしたホテルが数軒あって、バスターミナル前に宿を取ってしまったことを後悔することになります。
仕方ないので、クラシック建築のアイリッシュパブを見つけてキルケニーを飲み、やはりクラシック建築の中で営業しているマッサージを受けました。
薄暗がりの中で若い女性のように見えたのですが、このマッサージ嬢は建物ほどではないもののけっこうなお年の女性でした。
【Alpha7/Raptar50mmF1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Wollensak Raptar 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/05 Thu

各駅停車は安い

Raptar 50mmF1.5
旅をスタートして今日でかれこれ10日になるようです。
振り返ると、韓国の楽安を除いていずれも都市間移動しているばかりのようで、何か目的をもってどこかを訪れている感が薄すぎることに気付きました。
長旅なので、自由度を優先させて行き先等は考えず、前日に明日はどうしようかと考えるようなスタイルにこだわったためで、もう少しここには行こう的なポイントをつくるべきと感じます。

そこで、この日向かうのが石頭村という比較的知られた古村落です。
石頭村というと、頑固者オヤジがわんさかいるようなイメージがしますが、中国語ではいわゆる石のことを石頭と言い、村全体が石でできているというようなことから付いた名前ということのようでした。
井陉からは20キロほど離れているようで、途中未舗装路もあり、小さなバスで1時間かかります。
しかし、昨日の反省もあって8時前に出たので、じっくりまわることができました。

10数キロ離れていますが、近くにもうひとつ娘子関という古鎮があります。
問題は、石頭村までが河北省で、娘子関は山西省になるので、両者を結ぶ交通機関がないということでした。
行きのバスで、娘子関との分岐になる交差点を確認していたので、バスでそこまで行って。何やら停まっている車に話しかけると、やはりそれは白タクで娘子関まで50元で行くということでした。
ところが、そのタクシーは省を超えて営業できないからと、省境付近でここで降りろ、娘子関まで行くにはもう30元出せと言います。
当然ケンカになりますが、10分間の口論で進展は得られず、人の好さそうな運転手だったのに騙されたと言いながら歩くことにしました。
しかし、やはり運転手はそれほど悪い人ではなかったようで、10分も歩くと娘子関に到着しました。
その間を30元で行くというのはどういうことか分かりませんが、河北山西の間にあるルールということなのかも知れません。

娘子関には水上人家という表示があって興味を惹かれました。
湖の真ん中にポツンと家が建っているようなイメージでしたが、実際にはそうではなく、この村は地下水がたいへん豊富にあって、一部地上を渓流のように勢いよく流れているところがあり、水中の水車を回して石臼で小麦や米、トウモロコシなどを挽いて粉にしている小屋が千年以上前から存在していて、今も現役だというものでした。
村の前は大きな峡谷で雄大でしたが、その帰り道に乗った地元のタクシーのおじさんに、ここには万里の長城があって一部その跡が残されていることを教えてもらった上に、追加料金なしでそこまで案内してもらいました。
娘子関の関という字は長城の関所を意味していたのだとそのとき気付きます。

そのタクシーを手配してくれた雑貨屋のおばさんが、娘子関には鉄道駅があって1日2往復の列車が停まり、1本は6時頃だよと教えてくれました。
石家荘行きだとのことですが、井陉にも停車するとのことで、また井陉に戻りました。
30キロも離れていませんが、1時間かかって井陉に戻ります。
なのに乗車券はたったの40円で、それでも切符購入時はパスポートの提示を求められて、切符にわたしの名前とパスポート番号が印刷されます。
もともと、春節などに切符を転売するダフ屋対策で切符に名前と身分証番号を入れる仕組みができたそうですが、まさか2元の切符にまでそれをするとは想像していませんでした。
駅員に何駅目くらいあるのか聞くと、乗り過ごしを心配して、到着した列車の車掌にこの人が井陉についたら降ろしてやってくれと伝えてくれました。
中国の列車は1両にひとりの車掌がいて、ドアの開け閉めから切符の確認からこなしていますが、ローカル路線の各駅停車でもそれは変わらず、ローカルということでとても親切なおばさんが駅に着くたびにまだここじゃないよとか言いに来るのが印象的でした。

さて、作例ですが、前述のとおり今でも残っていて、村人の通り道になっている万里の長城の一部を撮影しました。
夕方になって、鉄道があって娘子関に宿泊せずに移動できると分かったので、だいぶ暗くなってからの到着です。
門の先がちょっとした村になっていて、たぶん仕事を終えて自宅に戻ると思われる女性が自転車を押している後姿が絵になっていたので、この作例を採用することにしました。
石頭村などの作例は後日、出させていただこうかと考えています。
【Alpha7/Raptar50mmF1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Wollensak Raptar 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/04 Wed

寒さが身に滲みる

Raptar 50mmF1.5
済南と言って思い出すのは、何年か前にサッカーのアジア選手権が中国で開催されて、日本とどこか中東の国だかが、済南で試合をしたことがありました。
西安での留学生の寸劇が発端で、中国各地でデモや日系企業への破壊行為が続いた後のことで、中国の試合ではないのに中国人観客で溢れていて、それもみな物凄い憎悪の眼付きで日本チームにブーイングを浴びせていました。
そのときは、済南は反日の町だと誤解してしまいましたが、今ではあれは政府に金で雇われて怖い顔していろといわれたのだと分かります。
新興宗教でも信者をよそおう大人数が雇われると聞きますが、共産主義は新興宗教のいっしゅだということを裏付けているのでしょう。

言うまでもなく、済南はふつうの人が暮らす都会で、反日の人もいるのでしょうが、わたしが出合った人はみな、日本に敬意を持っていると感じられました。
前夜は遅い到着で宿探しに苦労しましたが、そのホテルの従業員が熱心に食事のことなど教えてくれます。
言われた通りの食堂が数軒見つかりましたが、どこにでもある快餐というファミリーレストランのような店で面白味がありません。
遠くに見えている灯りを頼りに、歩を進めてみました。

残念ながら、妙に明るかったのは病院でしたが、その先に小さな店があって入ってみることにしました。
それは青島でも何軒かあった羊湯と書かれた店で、羊のスープのようですが、中国北部では人気があるようです。
わたしは豚骨ラーメン好きで、鶏がらスープや牛骨のスープのラーメンも食べますが、羊というのはありません。
濃厚が好まれないのか、意外とあっさりしたやや甘みのあるスープで、臭みもなく美味しくいただけました。
それに、店主の陳さんはじめ、お客さんからもいろいろとご馳走してもらい、羊肉が少々入ったスープ一杯でお腹いっぱいになって帰りました。

しかし、翌日がいけませんでした。
山東省・済南から北隣の河北省・石家荘まで4時間ほどの移動だったので、石家荘郊外にあるという古鎮を目指そうと考えました。
ところが、朝の寒さでベッドから抜け出せません。
沿海の青島は割と温暖でしたが、西に200キロ内陸に入った済南は、その語感よりずっと寒い都市で、最低気温はこの時期マイナス5度くらいのようです。
加えて、今回は長旅なので安宿を選んで宿泊していたのですが、どうもこのホテルの暖房が故障していました。
ようやくベッドから抜け出して、震えながらシャワーを浴びたのが9時頃で、この遅れが命取りとなって古鎮行きの終バスに間に合うことができませんでした。

この日の移動を台無しにしてしまったので、以降は反省して朝7時までには起きることを徹底することにします。
基本的には毎日移動するので、早起きの寝不足は移動のバスなり電車の中なりで寝ることで調整可能です。
車窓の景色も魅力的な場合がありますが、広大な中国ではずっと同じような景色が続いて退屈することが多いです。
旅をしていると気付くことがあり、それを自らルール化することで旅の効率を高めることができます。
ルールは多すぎると自由度が無くなってかえってつまらなくしますが、時間的なことや予算的なことなど最低限のことは決めておくべきだろうと思います。

さて、本日の作例は、この日行き着いた井陉という町で撮影した劇の様子です。
京劇は北京の古典劇で、山東省では鲁劇というようです。
前述のように寒い夜でしたが、野外のステージで演じられ、数十人の観衆が、これはほとんどが老人でしたが、パイプ椅子に腰掛けて熱心に鑑賞していました。
これは、春節が終わって、もうすぐ元宵節(日本の小正月)ということで演じられたものだそうです。
ガシャーンと打楽器が鳴らされ、高い声で何やら歌われましたが、歌詞はいっさい聞きとれません。
しばらくじっと見ていましたが、寒さに勝てず、暖房のしっかり効いたホテルに戻りました。
【Alpha7/Raptar50mmF1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Wollensak Raptar 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/03 Tue

5D MarkⅢの少女

縁と言うものは不思議と続いていくもののようです。
租界時代にドイツがつくった塔のある牢獄を朝一で見物して、まずい麺の朝食を済ましてから乗った高鉄の隣の席はめがね少女でした。
出発して1時間もたがいに目を合わせることもなかったのですが、わたしが下車駅を確認したことがきっかけで会話が始まり、彼女が写真を学ぶ学生だということが分かりました。青島から専門学校(?)を受験のため北京に向かっているところだと言います。
取り出したカメラは5Dmark3だったのでびっくりして、自分で買ったのか聞くと、まだ17歳なので両親に買ってもらったと少しはにかんでいます。

じつはわたしはコレクターで、古いレンズを200本以上持っているとハリスンのペッツバールを見せると、彼女は目を白黒させてレンズに見入っています。
わたしがおもむろに彼女の5Dを手にしてレンズをペッツバールに交換して車窓の景色を撮ると、彼女の興奮は頂点に達したようですごいすごいと画像を見ていました。
まじめに写真を勉強する彼女には、最新のデジタルカメラに純正でない、150年前のレンズが使えて、しかもしっかりと写るということが相当のインパクトだということがよく分かりました。
いっしょに写メを撮ったり、試験問題を解いたり、ソウルのキムさんの写真を見せてライティングはこうするなどと話したりしているうちにわたしの下車駅に着いてしまい、日本での再会を約束して握手で別れました。

わたしが降りたのは溜博という駅ですが、もともとは周村古商城という古い町並みの残る村に行くつもりでアクセスを調べたところ、山東省都の済南からバスに乗るとなっていたので済南まで切付を買っていました。
しかし、周村が溜博市にあると気付き、乗っていた列車も停まると確認できたので、写真学校を受験する王英翔小姐に別れを告げてこの駅に降り立ちました。
時問はだいぶ節約になりましたが、切付購入前に分かっていればいくらかのお金も節約できたことを考えるとちょっと失敗した気分でした。

周村古商城の行き方は知りませんでしたが、駅前に田中邦衛に爪二つのお廻りさんがいてなまりが強く聞きとりにくいながら親切に行き方を繰り返し説明してくれます。
丁寧に礼を言うと、照れて笑う眼尻がまた北の国からそのもので、しばらく頭のなかにさだまさしが歌い続けていました。
このとき覚えたことは、お尋ねしますの前に、中国語があまり得意でないですがを付け加えることで、これだと大概の人が親切に対応してくれるようです。
バスはすぐに見つかりましたが、目的地まで1時間半もかかって熟睡してしまいます。

できれば宿泊しようとまで考えていた周村ですが、まったく楽しめるようなところではありませんでした。
20世紀はじめころの古建築が並んでいるさまこそ壮観ですが、それらはすべて土産物屋になっていて、それらを楽しむ家族連れでごった返していて古鎮ファンの出る幕はありません。
近くの賓館で1泊の値段を聞くと、300元と高く、ここは先に進むべきと判断します。
近くのバスターミナルに行くともうバスはないと言われ、ここでも中国語は不得手ですがと前置きして済南への行き方を聞くと、別のバスターミナルに問い合わせて高速の入り口で待たせたからと言ってタクシーを捕まえ、行先を指示してわたしを乗り込までます。
バスは確かにわたしを待っていてくれ、他の乗客から文句を言われるでもなく、無事済南に着くことができました。
未分類 | trackback(0) | comment(8) | 2015/03/02 Mon

仏の道は三度

Raptar 50mmF1.5
青島の港もそれほど中心からは離れておらず、近くのバス停から火車站を通るバスが来たので飛び乗ると5分ほどで駅前に着いてしまいました。
ホテル探しは外国人が泊れないところが多くて難儀しますが、国際青年旅舎で駅前に100元以下のところを教えてもらい、108元を88元に負けさせて荷を解くことができました。
心配だったフェリーの夜も、朝5時に起きて大声で会話を始めた老人たちを叱り飛ばした以外は静かに眠れたので、ホテル到着後はそのまま町に繰り出します。

青島と言えばビールくらいしか普通は思いつかないでしょうし、わたしもその程度のものですが、そのビールをもたらしたドイツをはじめ、西洋列強と日本が租界を建設し、その建物の多くは現在でもそのまま使用されていると聞きました。
ホテルで聞くとバスの路線番号とバス停名を紙に書いてくれました。
聞きなれない固有名詞は文字を見ないと分からないケースがほとんどで、以降その手を使うことにします。
しかし、その辺りは高級住宅地街のようになってしまっていて、それほど面白くありませんでした。
じつは、途中のバスの中から見えていた街並みがすでに古い建物のばかりで、かつ、暮らしているのは多くが庶民だろうと分かるものだったので、また、バスに乗ってそちらに引き返しました。
アップダウンがきついのですが、おばあちゃんの溜まり場あり、狭い一角の陽だまりに洗濯物を器用に干す人ありで、楽しい散策でした。

ここで、ちょっと不思議な縁を感じる体験がありました。
海洋大学という青島一の大学の前に何軒かの喫茶店が並んでいます。
ちょうど休憩タイムによいと思い、どの店にしようか考えました。
どの店にも一組ずつくらい客がいるようで、騒々しかったり、タバコを吸われたら嫌だとおもって人気のない店に入りました。
男性が出てきて、店主は外出中ですが好いかと聞くのでOKすると、お茶好きの人で、わたしが鉄観音ファンだというと、それならと店主愛飲の鉄観音茶を出してきてふたりで飲みましょうとなりました。

彼は熱烈な仏教徒で、店主の女性とふたり、チベットに先生がいて年一回店に来てもらいお経をあげてもらうそうです。
そのお茶を含めて店の中でその仏僧の先生に念じてもらっているので、あなたの旅は安全なものになるだろうと、男性が言います。
奈良で、順天で、そして青島でも、日韓中の仏教が一本の糸でつながったように、安全祈願していただきました。
いずれも、自分から進んでやったことではなく、ほとんど偶然が作用してのことです。
仏教が持つ不可思議な力を経験したように思えてなりません。

そんな男性にダライラマのことをどう思っているか、恐る恐る聞いてみました。
聞くまでもなく、尊敬しているとのことです。
政治的な話になるので、たがいに多くは触れませんでしたが、政府が必死に独立を煽る恐怖主義者だと言っても、少なくとも仏教世界でダライラマは尊敬され、政府の方に恐怖を感じています。
ただ、これは確認しませんでしたが、恐らく、チベットの独立を支持するかは別の問題になるのだと思います。

さて、今日の作例は、青島の歴史建築の一角の風景です。
一体は戦前の租界時代の住宅が立ち並んでいますが、当時の上下水道はどうなっていたのでしょうか。
例えば、今でも残る上海の戦前の建築には下水が無く、そのためトイレも設置されていないため、馬桶という箱に大便をして廃棄場所に捨てに行く習慣があると聞きました。
馬桶は中国語の発音で「マートン」で、同名のプロ野球選手が日本にいるようですが、中国棒球へ移籍しないことをお勧めしたいと思います。
緑のパイプは、たぶんマートンの不便を解消するために下水設備を後付したのではと想像しています。
ちなみに、おじさんがもっている赤い布は政治的プロパガンダ幕ではと思ったのですが、文字を読むと単に食堂の看板のようなものでした。
【Alpha7/Raptar50mmF1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Wollensak Raptar 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/01 Sun
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