泥仕合のDerogy愛

Derogy 15cmF4
今回の江の島・鎌倉散策には、ラオスに持参したドゥロジーのペッツバールを使用しました。
ラオスでは久々に使った35mmレンズのズノーが主体になってしまい、ドゥロジーの作例が4枚しか出せなかったので、レンズの説明等をはしょってしまいました。
年末で忙しくてドゥロジーについて何も調べなれなかったということもあるのですが、このメーカーはダルロー、エルマジーに次ぐフランス19世紀光学界のビッグネームであるはずなのに資料があまりに少ないのです。
フランスの文献は存在するかも知れませんが、それすら見つからず、また見つけたとしてもわたしでは到底歯が立たないでしょう。

ダゴスティーニ氏の大著"PHOTOGRAPHIC LENS OF THE 1800's IN FRANCE"ではドゥロジーを8つのレンズメーカーのうちのひとつとして大きく扱っています。
ここでも情報量としては他のメーカーと比べて少ないですし、英語で書かれているのに意味が良く理解できません。
わたしの英語力の問題ではあるのですが、ダゴスティーニ氏にももう少し分かりやすく書いて欲しかったと言いたくなるくらい
意味が分かりませんでした。
何とか解釈できないかと考えましたがやはり無理でしたので、前半部分を不要部を覗いて箇条書きにしてみます。

・1820年にパスカル・ワール(Pascal Wallet)によって、パリ北部のオワーズ(Oise)地区、シュリー(Sully)に会社が設立された。
・ワールといとこは、レンズ製造を得意とする光学の専門家だった。
・エロワ・パスカル・ドゥロジー(Eloi Pascal Derogy)は、老眼鏡用のメニスカスレンズの製造で有名で尊敬もされていた。パスカル・ワールは大きなレンズを使った望遠鏡の製造で知られていた。ふたりの会社は1843年に合併され、当時まだ手作業が当たり前だった時代に半機械化による工業化された工場を新規に設立したことで評判を得ることになる。ラフにカットされたレンズは機械によって洗浄され、自宅で作業する地元の職人により研磨と仕上げが施された。
・1820年代、パスカル・ワールの兄(いとこ?)のジャン・バプティスト・ワール(Jean-Baptiste Wallet)は、パリのケ・ド・ロルロージュ(Quai de l’Horloge)73番地に光学工房を設立する。彼は、老眼鏡、双眼鏡のレンズと接眼レンズ、長焦点のレンズ、ライト・コンデンサーを専門に製造し、ダゲール(Daguerre)の発明以降は写真用レンズがそれに加わった。ダゲールのカメラ用のレンズをシュヴァリエに供給していたと思われる。
・1848年にジャン・バプティスト・ワールの義理の息子エロワ・ウジェーヌ・ドゥロジー(Eloi Eugene Derogy)は、シュリーで老眼鏡を製造していたレンズメーカーの息子とパートナーシップを結んでおり、1851年に会社の経営者になってから、パリの工房とシュリーの作業場の製造物を統合させた。シュリーの作業場はその後1800年代終わりまで、商業用レンズやカメラ用レンズの製造を目的としていた。

人間関係と時期と会社が符合しにくいので、シンプルにして解釈を加えて時系列にリライトします。

・1820年、パスカル・ワールがパリ北部シュリーに光学会社を設立。
・1820年代、パスカル・ワールのいとこのジャン・バプティスト・ワールが、パリのケ・ド・ロルロージュ73番地に光学工房を設立。
・1843年、パスカル・ワールの光学会社とエロワ・パスカル・ドゥロジーの老眼鏡等を製造していた会社が合併。
・1848年、ジャン・バプティスト・ワールの義理の息子エロワ・ウジェーヌ・ドゥロジーは、シュリーのパスカル・ワールの息子とパートナーシップを結ぶ。
・1851年、エロワ・ウジェーヌ・ドゥロジーは会社の経営者になり、パリの工房とシュリーの作業場の製造物を統合させた。

ドゥロジー社の起こりはこのようなところではないかと思います。
シュヴァリエやルルブールなどと同様に写真発明以前に発足した望遠鏡メーカーと眼鏡メーカーが合併してできたようです。
そして、シュヴァリエのダゲレオタイプ用のレンズのガラスはドゥロジー社が供給したとあり、それはダゲレオタイプの発明を考えれば1839年頃のことであると言っていいでしょう。
フォクトレンダーがペッツバールと袂を別ってブラウンシュバイクでペッツバールタイプのレンズを製造し始めるのが1849年で、この頃から特許の及ばないヨーロッパ各国にペッツバールタイプのレンズの製造が広まりましたので、ドゥロジーが自社のためのレンズを製造し始めたのもこの頃ではないかと推測されます。
ダゴスティーニ氏は、エロワ・ウジェーヌ・ドゥロジーが経営者になってからレンズ製造を始めたと別頁で記載しているので、1851年と仮定することにします。

今日はここで終わりにします。
明日は使用したレンズの製造年を推定することにします。
作例ですが、3人の美女に続いて、今度は2人の美女に遭遇しました。
左の女性は韓国からの留学生とのことでした。
韓流ドラマに登場しそうな美しい顔立ちが印象的でした。
【Alpha7/Derogy 15cmF4 F4】
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thema:ペッツバール genre:写真
Derogy 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/31 Sat

偶然のペッツバール

Derogy 15cmF4
ニエプスとダゲールの写真術の発明以降、レンズの発展は多くの必然によってもたらされていると言えます。
反射率や屈折率の違う何種類ものガラスの使用、コーティングの導入、ヘリコイドによる焦点合わせの採用、虹彩絞りによる露出のコントロール、コンピュータによるレンズ設計などは、レンズ性能と使いやすさを進歩させ続けました。
それ以外にもカメラの発展やフィルムの性能アップ、カメラマンの技術向上なども間接的にレンズの進歩に寄与しています。
一方でまったくの偶然と言うか、意図したこととは関係なくレンズが大きく進歩したと思われることも存在します。
映画が撮影されるようになってそのためのレンズを設計するとか、引退したルドルフ博士が第一次大戦の敗北によるインフレで一文無し同然になって復職してプラズマートを設計したとか、数えればいくつもの出来事に指を折ることができるはずです。

偶然がもたらしたレンズ発展の最初期の2大出来事は、フランス政府がダゲレオタイプの特許を買い取って誰でも使用可能としたことと、ペッツバールがオーストリアでしか特許取得していなかったためフォクトレンダーと喧嘩別れした以降、ヨーロッパ各国やアメリカでペッツバールレンズとそのバリエーションが盛んに製造されたことと言えると思います。
前者では、仏政府の特許買い上げが無ければ、カメラとレンズもダゲールの独占になり、しばらくの間はジルーカメラとしシングルエレメントあるいはアポクロマートのレンズのみしか存在しなかったでしょう。
ダゲレオタイプの写真術が広まったことが、フランスの国民産業振興協会の優れたレンズに対する懸賞金となり、それがウィーンに伝わってペッツバールがレンズを発明したというのは実に偶然が連鎖しているように思えます。

そのペッツバールのレンズはウィーンのフォクトレンダーによりカメラとともに製造されましたが、報酬額の問題から両者は喧嘩別れしたものの、ペッツバールの特許がオーストリア国内でしか有効でなかったため、フォクトレンダーはドイツで製造を継続し、他の欧米のレンズメーカーも追随しました。
有名な話ですが、もしふたりがケンカしなければペッツバールレンズはフォクトレンダーの独占で他のメーカーのものが存在しなくなり、もしペッツバールが欧米各国で特許申請してからケンカしていればウィーンのディーツラーというメーカーがその後のペッツバールレンズを独占製造していたでしょう。
いずれにしても、わたしがペッツバールのレンズを手にすることなどできなかったに違いありません。

歴史上のもしもは不毛なのでこの辺で止めておきます。
ただ、ペッツバールレンズは、写真史の中の必然と偶然の中で幸運にも生まれたレンズだということを再認識したことでますます愛情を感じられる存在になりました。
フィルムからデジタルに変わり写真術の世界は未だ全身を続けていますが、レンズもそれは同様でしょう。
しかし、サインのデジタルカメラに装着してもまったく違和感なく使用でき、撮影結果についてもとても150年も前のレンズで撮ったものとは思えないというのは、いつも書くことですがすごいことだと思います。
ただ、それだけ完成されたレンズがありながら、レンズ史の中ではさらに優れたレンズが設計されたことの方がよりすごいことだとも言えるかも知れません。


さて、鎌倉駅についてアメ横のようになってしまって品を失った小町通りの混雑を抜けて、いつものように鶴岡八幡宮に到着しました。
参道を歩いていると早々に着物の美女が目に留まります。
しかも、それはひとりだけではなく3人もいて、その3人が3人とも美人なので驚いて思わず撮影させていただきました。
混んでいる参道内なので、下がり方が甘く、両側が大きく切れてしまったのは残念ですし、また太陽光が眩しそうな表情なのももったいないことをしました。
冬の撮影では、低い太陽に対して順光では被写体が眩しく、逆光ではレンズが眩しく、どちらも撮影には好ろしくありません。

鎌倉にも京都のような時間貸しの着物レンタルがあって、寺社を記念撮影しながら観光できると若い女性や外国人に好評だそうで、そういうところを撮影できればと思っていたところ、彼女たちは明らかに自前の着物です。
時期的には初詣だからと言う意味もあっての着物だったかも知れませんが、最近若い女性が着物を楽しんでいる姿を目にする機会が着実に増えています。
観光客、中でも外国人の誘致に必死になっている自治体は少なくないと思いますが、例えば、鎌倉へ行けばなんちゃってレンタルでない本物の着物の女性がいっぱい歩いているとなれば、それだけで行きたいと思う外国人は少なくないということを考えれば、着物を着ようと呼びかけることから初めてみればと思います。
どこかの遊園地でゆかたで来ると半額などとやっていましたが、同じことを鎌倉市でもぜひ検討いただきたいものです。
【Alpha7/Derogy 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Derogy 15cmF4 | trackback(0) | comment(2) | 2015/01/30 Fri

フランスつながり

Derogy 15cmF4
週の半ばで中途半端になりますが、今日から東京ドームの翌週に出向いた江の島と鎌倉の作例に切り替えることにします。
最初の江の島とは毎年出向いている江の島寒中神輿錬成大会で撮影したものになります。
何といっても寒中神輿が海に入って行く勇壮たる姿がこの大会のみどころですが、どうにも長焦点のペッツバール向きの画題ではありません。
砂浜から海に向って進んでいく激しさを捉えようと28mmレンズで突き飛ばされながら接近戦を望みましたが、これも何となく迫力ありますが、今の私の好みではあまり面白い写真ではないのでボツにしました。

結局、神輿上で舞っていた新成人の振袖の女の子に声をかけて撮影させてもらいます。
いつもと同じパターンですね。
そこでご家族が手にされていたシャンパンをお借りして、祝賀的な雰囲気を高めてみようと考えてみました。
お祝いでよく用いられるシャンパンなので、祝賀的になるかと言うとそうでもないようです。
むしろ女性が酒好きに見えてしまう失敗だったかも知れません。
ペッツバールの人物撮影で、初めての小道具の導入でしたが、そんなに簡単ではないということですね。

ちなみに太陽に向いていもらったため眩しさで目を細めてしまいましたが、彼女自身もかなり可愛らしい女性でした。
何枚も撮れればよいのですが、15cmのペッツバールで着物女性を撮ろうとすると相当後退せざるを得ず、そのあいだにシャンパンの新成人が撮影に応じてるぞとばかりカメラマンが集まってしまい、それ以上手が出なくなってしまったのです。
わたしも以前はそうでしたが、日本のアマチュアカメラマンはほとんど声をかけて撮影することをしません。
シャイだからなのでしょうか、しかし、撮影してもいいよ的な状況になると我も我もと人が集まる傾向があります。
彼女も談笑しているところを声かけて2~3枚撮らせてもらうつもりが、大勢に何枚も撮られることになってしまい、申し訳ないことになってしまいました。

シャンパンにはもうひとつ意味があって、今回使用しているのがフランス製のペッツバールなので、その辺に絡めてレンズの説明をしようと思ったのです。
しかし、人だかりでそんな余裕はなくなってしまいました。
わたしのドゥロジーもモエ・エ・シャンドンのロゼに引けを取らない高級レンズだと言いたかったのですが。
そういえば、"Moet et Chandon"をモエ・エ・シャンドンと呼んでいますが、モエテ・シャンドンが正しい読み方ではないかと思うのですが、どうなんでしょう。
合わせて"Derogy"がドゥロジーでいいのかも気になります。
デロギーと書かれているのもどこかで見ました。

江の島寒中神輿錬成大会は、真冬のイベントとしてはだいぶ認知度が上がって来ていて、当日はかなりの人が集まりました。
場所柄、江の島観光や江島神社参拝に立ち寄ったという人も多かろうと思いますが、これを見るために来たという外国人もけっこういました。
ヨーロッパ、アメリカ、南アジア、南米の人が本格装備だったり、海に入るために短パンだったり(当日はとても暖かかった)、自撮り棒で上から撮ったりそれぞれに楽しんでいるのを見てわたしも楽しみました。
がっちりロシア人は上半身裸になって、日本のいかつい兄さんたちと肉体美を競うという国際交流もありました。

こうなると来年はペッツバールだけではなく50mmレンズを持って行って、日本の伝統を自国のスタイルで楽しむ外国人たちを撮らなくてはいけないと思います。
ただし、今回は作例1枚だけで、明日は鎌倉の写真になります。
錬成大会見物後は、いつものようにトン汁と日本酒をありがたくいただき、江島神社に初詣に行きました。
それから途中の食堂でシラス丼を戴いて、江ノ電に乗り込みます。
満腹になって暖かな中で江ノ電にことこと揺られていると夢うつつのしあわせ気分に浸れるのがいいですね。
【Alpha7/Derogy 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Derogy 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/29 Thu

いぶり漬けされてしまいました

Darlot(N.N.)7cmF2.3
かなり昔の話ですが、1等当選が何本も出たというので話題になった百貨店の宝くじ売り場に行って、宝くじを買ってきてもらえないだろうかと頼まれたことがありました。
仕事を終えてその百貨店に行くと、みな同じ時間帯に人が集中するからでしょう長蛇の列ができていました。
これは30分待ちくらいかと行列の嫌いなわたしはゲンナリしましたが、先頭の方を見るとどうも様子が不自然です。
窓口が2つあって1つには列が並び、もうひとつにはたまに買う人がいる程度なのです。
当選くじが出たのはそちらの窓口なんだろうなあと感じつつも、依頼した人には申し訳ないですが、面倒なので列の無い窓口の方で購入しました。
その後、そのくじが当たったかどうかは聞いておりません。

実は、その時の対応してくれたのはいかにもおしゃべり好きそうなおばちゃんだったのですが、列ができている方はきれいなお嬢さんでした。
宝くじの当選って、その店で販売されたというのは分かるでしょうが、どちらの窓口から売られたものだというところまで管理されているのでしょうか。
もしそうだとしても、わざわざ店で左の窓口で1等賞とまでは言わないでしょうから、言ったとすれば買った当人です。
そんなことを公表する場と言うものもあるとは思えず、その時のわたしの結論は、どうせ買うならきれいなお嬢さんの方から買うべしという人が多く、いつの間にか訳の分かっていない人までこちらの窓口だと右ならえしてしまった結果ではないかということでした。
本当のところはどうなんでしょう。

若い頃にはそういうことに鈍感でしたが、おじさんのベテランになった今では、どうせならきれいなお嬢さんからという行動が当たり前になってしまいました。
例えばスーパーで買い物するときは、レジが何か所かあるとさっと見て少なくともお嬢さんと言えるような女性がレジ打ちしているところで会計するようにしています。
おばちゃんから買っても値段は同じですが、若い女性から買うと少なくとも気分は違います。
そんなことを考えたりスーパーのレジで実践する中年男性ってわたしの経験ではけっこういるような気がします。

いや、そういえば学生の頃、どこそこの喫茶店には可愛いウェイトレスがいるとか、あそこの食堂の娘が意外に美人で毎週何曜の何時頃に行けば会えるとか、そんな話はいくつもあったので、少なくとも仲間内では若い頃からの行動パターンに大きな変化なしというこは言えそうです。
それならもはや言うまでもなく、きれいなお嬢さんの店員がいれば、そうでない店員さんよりも売り上げに貢献している訳ですね。
看板娘という言葉もあることですし。

東京ドームのイベントに美人が多くて、みんな愛想が良くて写真も撮らせてもらえたのはそういう理由なのでしょうか。
最初の日に書きましたが、このイベントすごい集客力のようで人いきれで疲れてしまうほどの混雑具合でした。
人気のどんぶりとか、スイーツとかには長蛇の列は当たり前です。
わたしは並ぶのが苦手なので、そういうところを避けて食べ物を購入して食してみたわけですが、旨いと言えるものには巡りあうことができなかったですし、しかもことごとく高くて、都内のランチがサラリーマン・OL向けに安くておいしいランチを提供している中で、それはないんじゃないのと文句をつけたくなるような質と価格にがっかりしました。

ブログやツイッターの時代だとどこが美味しいとかそうでないなどの情報はオンタイムで流れてしまいますので、地方から出店して来て閑古鳥にならないようにするためのもっとも手軽な手段はきれいなお嬢さん店員を雇うと言うことでしょう。
みんなそれに騙されてしまう。
と言っても、今回登場の少なくとも3人は、食事処ではなく物販のブースにいた女性たちで、そこで試食したものはみなとても美味しかったです。
その3ヶ所ともでわたしは購入しています。
もちろん今日の作例の秋田のいぶり漬けも。
別に、その女性が好みだったからとか、写真を撮らせてもらったお礼にと言うわけではありません。
あくまで美味しかったから買ったまでです。
【Alpha7/Darlot(N.N.)7cmF2.3 F2.3】
thema:ペッツバール genre:写真
Darlot(N.N.) 7cmF2.3 | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/28 Wed

気持ち揺さぶるアイドル

Darlot(N.N.)7cmF2.3
ペッツバールは一般には逆光に弱いレンズです。
当時は、スタジオでの人物撮影を主眼に製造されていたので止むを得ないことかと思っていましたが、同時期の風景用のレンズは逆光に強いとも思えないので、内面反射防止がまだまだ完璧ではなかったということでしょうか。
とは言え、1840年代製造のペッツバールでも鏡胴の内側は艶消しの黒塗装が為されていて、写真レンズは登場と同時に内面反射を問題視していたことをうかがわせます。

わたしの使用体験では、逆光で撮影しようとするとコントラストが大きく落ちてしまいますが、これはハレ切りによって概ねコントロールできます。
それらから得られる解答は、むしろペッツバールは逆光に強いじゃないかということです。
ハレ切りで逆光を免れられるということは、フードを延長すれば逆光に影響されないレンズということになるでしょう。
さらに内面反射と言うことであればコーティングが力を発揮するでしょう。
ペッツバールに光学計算されたフードとマルチコーティングで、光をものともしないレンズにすることができるような気がします。

さて、今日の作例のように、東京ドームの強い照明が原因と思われるフレアが出現してしまうケースが何枚かありました。
いずれも下3分の1程度が影響を受けてしまっていますが、あおりを受けて人物の立体感もなくなってポスターを撮ったようなまっ平らな写真になってしまうのが奇妙な感じです。
下がフレアと言うことは、撮像素子の上部にフレアが出ているということですので、レンズの下部から入った光が影響しているということになるでしょうか。
強い光線がフードの下部に当たって、鏡胴内部にて乱反射しているような状態を想像してしまうのですが、実際にどうなのか光線追跡などが必要で、わたしには判断できません。

ところで、ペッツバールレンズの外観上の代名詞のようになっているのが、ピント調節機構のラックアンドピニオンです。
ペッツバールは内筒と外筒の二重構造のようになっていて、外筒に付けられたハンドルを回すことでハンドルの先端のギアが内筒に付けられた溝を回転して前後に動かす仕組みになっています。
このラックアンドピニオンは消失しているケースが多く、付いていても経年によってスムーズさを失っていたりすることもあって、デジタルで使用する場合は別途ヘリコイドを挿入させてピント合わせに使用してきました。
当時の木製カメラの蛇腹でピント合わせするようなものですね。

しかし、この7cmF2.3の改造ではバックフォーカスが短いこともあって、初めてヘリコイドを噛ませずラックアンドピニオンのみでピント合わせする改造が試みられています。
今回初挑戦してみたわけですが、親指と人差し指でハンドルをつまんでのピント合わせは、慣れるととてもスムーズで、操作性の楽しさがたいん気に入りました。
右手がカメラをホールドして、左手がレンズの下部を支えながら親指と人差し指でピント調節します。
ハレ切りは、その要領でピントを合わせたらそのまま左手をレンズ上部にかざすという一連の動作をするイメージです。
7cmレンズはさすがに10cmと15cmと比べてずいぶんと小さいのでこの辺の動作がやりやすいのがいいです。
20cmくらいになるとハレ切りもかなり前方に手を伸ばさなければならず、右手だけのホールディングはとても不安定ですので。

さてさて、作例の美少女ですが、岩手県久慈市のご当地アイドルあまくらぶのひろみちゃんです。
名前の通り、歌って・踊って・潜っちゃう、がキャッチフレーズの5人組アイドルのひとりです。
NHKのあまちゃんと関係があるそうで、ファンだという女性が一緒に写真を撮ったりして盛り上がっている場面に遭遇したりもしました。
5人ともタイプの違う可愛らしい女性で、好みが分かれるところだと思いますが、わたしは親切にしてもらったしおんちゃんという女の子のファンになったのですが、フレアの特徴がはっきり出た作例のひろみちゃんに登場してもらいます。
詳しいことは分かりませんが、彼女たちは震災で疲弊した地元久慈を盛り上げようと志願して頑張っている健気な少女たちで、この日は歌のステージがあったのですが、それ以外の時間は久慈の特産品の販売に声をからしている姿が印象的でした。
この3月には卒業してしまうとなっていたので5人組での活動はあとわずかなのかも知れません。
影ながら彼女たちのように声をからして応援したいと思います。
【Alpha7/Darlot(N.N.)7cmF2.3 F2.3】
thema:ペッツバール genre:写真
Darlot(N.N.) 7cmF2.3 | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/27 Tue

酸っぱいはレモンのみならず

Darlot(N.N.)7cmF2.3
東京ドームにはラオスの撮影に使用したドゥロジーのペッツバールを持参しました。
わたしのドゥロジーはたいへん重厚な作りで、ドゥロジー独特のマークも輝いていて、撮影させてもらう人によく見せてその素晴らしさを共有することで、気持ちよくモデルになってもらおうと意図してのことです。
しかし、実際に当日のイベントで使おうとすると焦点距離15cmはあまりに長く、撮影するときはかなり後ずさりしなければならず、混みあったドームのイベントでは他の人の邪魔になるばかりです。
もうひとつ、階上が暗くF4クラスのレンズでは厳しいという問題もあって、レンズ選択の失敗を痛感しました。

撮影を諦めようかとも思ったのですが、途中から合流したksmtさんが、以前わたしがお願いしたペッツバールの改造を終えてわたしに手渡そうと持ってきてくれていました。
70mmF2.3と焦点距離、明るさともわたしの願いが通じたかのような理想的なスペックで、これに切り替えることで撮影続行を可能としてくれました。
ksmtさんには二重、三重に助けられた格好です。

"Darlot(N.N.) 7cmF2.3"としたこのレンズですが、ダルロー製であることは証明されていない無銘レンズです。
このレンズを入手する直前に、同じく無銘の5.8cmF2.3というよく似たレンズを手に入れていました。
レンズを譲ってくれたイギリス人によると、以前、まったく同じ外観のレンズを持っていて焦点距離等も同じだったが、そのレンズには"Darlot Paris"と刻印されていて、無名のわたしのレンズの倍の価格で売ったとのことでした。
だから、このレンズもダルローの可能性が高いと思うとのメールをもらっていたので、さらにその後に手に入れた70mmF2.3もダルローの可能性があるだろうとの希望的観測を書き入れたというだけに過ぎません。
ちなみに"N.N."は、ノー・ネームの意味です。

それにしても7cmF2.3というのは魅力的なスペックです。
35mmフォーマットは余裕でカバーしますが、ペッツバール型独特の周辺部の像面湾曲と非点収差による乱れが顕著です。
一方で、中心部はシャープですので、被写体は常に真ん中に置かなくてはいけません。
これはまさに、19世紀半ばにヨーロッパやアメリカで撮影されたペッツバールレンズによるダゲレオタイプのポートレイト
写真そのもののスタイルです。

これまで使用して来た125mmとか150mmのペッツバールというのは、いわゆるクォータープレートサイズで35mmよりだいぶ大きなフォーマットサイズです。
だからこそ画面全体を均質に撮影可能なのですが、それではペッツバールらしさが得られないという考え方もできます。
100mmクラスですとごくごく周辺に収差が現れてくるというところなので、このあたりが面白いと感じることが多くあります。
しかし、さすが70mmF2.3は、よりペッツバールらしさを味わえる楽しいレンズだということが分かりました。
この写りだと、もはやポートレイトかせいぜい中心に主題を置いたスナップしか使えず、風景を撮ろうなどと考えることがなさそうなのがまた好いと言えます。

今日の作例は背景が無く、レンズの面白さを十分に伝えられていないのが残念ですが、昨日と同様にピントが合っているのかいないのか微妙な感じに美しい女性を捉えたわたし好みの絵になっています。
昨日より照明があるのはありがたいのですが、斜め上からの光で目などに影ができてしまったのは残念です。
帽子にトマト梅と書かれているのがかすかに判別できますが、トマトとともに漬けたという梅干しの試食をさせてもらいました。
梅干し好きのわたしには新境地の味でしたが、おにぎりやご飯と供にというよりはフルーツのような感覚で楽しめる不思議な食べ物でした。
それでも、こんな可愛い女性が提供してくれるのでなければ、わざわざ並んで試食はしなかったでしょうから、素敵な人が販売したりすることがいかに効果的かをよく知らしめられたような気がします。
【Alpha7/Darlot(N.N.)7cmF2.3 F2.3】
thema:ペッツバール genre:写真
Darlot(N.N.) 7cmF2.3 | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/26 Mon

今年は北陸

Darlot(N.N.)7cmF2.3
真夏もそうですが、寒い冬に戸外で写真なんてあまり撮りに行きたくはありません。
しかし、年末年始以外は毎日更新をムキになって続けているので、わがままを言うこともままなりません。
わたし自身は寒さに強いので、外出することは厭わないのですが、撮影するものが無いという問題があります。
苦慮の末見つけたのが、東京ドームで行われた「ふるさと祭り東京」というイベントでした。
屋内で寒くないし、人も集まっているし、これなら何かしら撮影のネタはあるだろうと出掛けてみることにしました。
今日から数日はその時の作例を出させていただくことにいたします。

ふるさと祭りという看板を掲げていますが、なぜかこのイベントのメインは全国から出店しているフードブースの食事のようです。
お祭りでは入場者数を稼げないので、抱き合わせでやっているのでしょうが、タイトルに偽りありと首を傾げたのはわたしだけではなかったことでしょう。
実際、日本各地の美味しいものを食べられ、合わせてお祭りの熱気も楽しめると期待して入場した人は多かったと思います。
東京ドームはたいへんな人出でごった返していましたし、人気ブースには長蛇の列ができて1時間待ちとか90分待ちの表示が出ていたくらいです。

人の多さにすっかり食事の方は戦意を失いましたが、撮影の方はどうにかなりました。
全国から集まるイベントでしたので、多くのミス○○や△△観光大使のような美人も集結していたからです。
一方で、懸念されたゆるキャラがほとんどいなかったのが幸いでした。
一般にゆうキャラは巨体な分だけ望遠レンズではかなり後退しなければなりませんし、のっぺりした顔付はレンズの特徴を見るには不向きで、わたしにとってはまったく歓迎されざる存在です。
撮影するなら老若男女問わず、表情のある人間を撮るのがいちばん面白いと思うので、ゆるキャラ不在は大いに助かりました。
人の多いイベントなので、視野の狭いゆるキャラがうろうろしていては邪魔ですし、事故を起こしては大変だとの配慮があったのかも知れません。

ミス○○や△△観光大使は、撮影してもブログなどに画像が好意的にアップされる分には、観光PRに寄与できるということからか、撮影拒否されるということは今までありません。
今回も多くのミスや大使を撮影させていただいたのですが、販売で参加している美女たちも、お願いするとほぼ全員が撮影を許諾していただけました。
大盛り上がりのイベントでノリがよかったということがあるでしょうが、やはりここでも150年ほど前のペッツバールを使用していることが功を奏したのは間違いありません。
今回は、敢えてそういうミスや大使でない美人の作例だけを続けてみようと思います。

今日の作例は、法被が高岡の商工会議所のものですので、商工会議所が雇ったのかもしかしたら会議所の職員かも知れませんが、笑顔が素晴らしく初日の作例に即採用決定しました。
高岡はラーメンのブースを出していたようでラーメンメニューを手にされていましたが、すみませんがそれを持っていないカットを出させていただきます。
作例の笑顔は、営業スマイルではないことを祈るばかりです。

いま、北陸新幹線が3月に開業するとJRのコマーシャルをしきりに流しています。
レンズ仲間との旅に利用してみたいなどと考えているので、高岡も含めて候補地にしたいなどと考えを巡らせているところです。
さて、その北陸新幹線ですが、3月に長野~金沢間が延伸されて開業するのですが、たぶんこの区間だけだと思いますが、営業はJR西日本になるのだそうです。
長野、新潟、富山、石川が西日本と言うのがすでに違和感を強く感じさせますが、そのJR西日本のコマーシャルが物議を醸しているらしいです。
コマーシャルは3種類あって、五箇山の富山編、金沢の石川編、永平寺の福井編なのですが、今回開通するのは前述の通り金沢までで、福井開通は2025年予定でつい先日前倒しするとかニュースになっていましたが、少なくとも今回は金沢までで福井県まで行きません。
これに噛みついているのが新潟県民で、なぜ今回開通した新潟県上越市はすっ飛ばして、福井県を宣伝するのかと怒り心頭なのだそうです。
もっとも福井県もあのコマーシャルではあまり宣伝効果は望めないような気がするので、JRにまかせず北陸+新潟で大いにPRされてはいかがかと思います。
【Alpha7/Darlot(N.N.)7cmF2.3 F2.3】
thema:ペッツバール genre:写真
Darlot(N.N.) 7cmF2.3 | trackback(0) | comment(2) | 2015/01/25 Sun

ミャンマーは黙して語らずか

Boutrais 18cmF6.3
チャウタンのヒンドゥー寺院を出てからは、バスでヤンゴンに戻って食事してから空港に向かっていますので、もう写真は尽きました。
昨日で修了としてもよかったのですが、今日をミャンマーの旅の最終回として、旅の途中で見かけた少女のポートレイトで締め括りたいと思います。
人物撮影用レンズを持ち出したので、人物撮影の作例も出さなければいけません。

今回も、1860年代に製造されたペッツバールを持参していますので、写真が発明されて20年ちょっとでいかに完成されたレンズが設計されていたかを世界に知らしめるべく、現地の人のみならず、先日のニューヨークの父娘の作例のようにいろいろなところで布教する活動を続けました。
ミャンマーはカメラそのものが一般に普及しているとは言えず、現地の人には古いレンズを付けている意味はまったく理解されなかったのが実情です。
また、焦点距離が長いために撮影許可を得てから後ずさりすることの意味も、理解してもらえなかったでしょう。
今回も自分の活動と現地の人とのギャップにがっかりさせられることになります。

旅の間は10人くらいの現地の人に声を掛けましたが、断られたことはないもののレンズに関心を示してくれたのは女子大生と思われる3人組だけでした。
彼女たちがいなければ全滅だったことを考えると、感謝の意味でもその写真を使いたいところですが、とてもインパクトの強い少女がいたので、それを今日の作例とします。
ニャウンウーの宿の近くの店の前で番をしていた女の子ですが、鋭い目つきでぼんやりしていたのが印象的で声を掛けました。

しかし、英語は理解できないのか、表情を変えないまま写真を撮っていいのか分からず、構わず撮影するしかありません。
レンズ越しにも鋭い目つきのままなのが分かって、撮影していいなんて誰が言ったと怒られているような気分ですが、撮影拒否ではなかったようです。
笑顔をくださいと笑い掛けましたが、表情はまったく変わらず、3枚の写真はすべて同じ顔のままでした。
ありがとうと頭をさげても特に返事もありません。
彼女に対してはレンズの説明も何もするどころではありません。

あらためて作例を見ると、現地の人にしてはかなり服装に凝っていることが分かります。
髪の色は自然ではないですし、髪飾りも可愛らしいもので、耳飾りが見えていることも考え合わせると、かなりファッショナブルだということが再確認できます。
腕にまでタナカを塗っているのも肌に相当気配りしているということでしょうか、他に見た記憶が無く、ミャンマーでも珍しいのではと思います。
それらを総合して考えると、どうもわたしなどに声を掛けられても無視するような気位の高いイケている女性だったと判断せざるを得ません。
結果的にこの作例を最後に選択したのは、正しいことだと確信しました。

ミャンマーという国はASEANに加盟していて、自他ともに東南アジアの一員という位置づけです。
さらには仏教国と言うこともあって、非常に馴染みやすい印象を持っていたのですが、同様の国と見なしがちなベトナム、カンボジア、ラオスなどとはだいぶ違っているという印象が、この2回の短時間の滞在で高まりました。
地図を見ても、東で接しているのがタイ、ラオス、中国なのに対して、西ではインドとバングラディシュが国境線なので、東南アジア的でない何かを感じたわたしの印象を裏付けていると言えるでしょう。
国土の位置づけに加えて、イギリスの植民地から第二次大戦の混乱を経て独立したもののすぐに軍事独裁政権下で鎖国していたという時間軸の問題があって、ますます人々の生活や考え方などは理解の外に置かれてしまいました。
ところが、アジアのラストフロンティアだと騒ぎ立てられて多くの国と企業がこの地を目指して進出してきている現状では、グローバル化の波に抗い切ることはできないでしょう。
この国を訪れるとしたら今しかない、そう思いました。
【Alpha7/Boutrais 18cmF6.3 F6.3】
thema:ペッツバール genre:写真
Boutrais 18cmF6.3 | trackback(0) | comment(4) | 2015/01/24 Sat

異教徒の祈り

Summicron 5cmF2
イェレーパゴダが信仰を集めていることよりも、尼僧の托鉢の長い列にチャウタンの町が仏教の聖地なのだという印象を受けました。
パゴダを訪れる多くの人が現地にお金を落とし、そのうちの一部が僧侶に喜捨され、僧侶がまた集まり権威を高めて訪れる人が増えるという循環があるということでしょう。
町のすみずみまでに根付いた仏教の痕跡を感じられるよう散策しようと歩きはじめます。

しかし、わたしは方向を間違えてしまいました、
ほどなくして、ウェルカムと書かれた建物を覗いているとどうぞと声を掛けられて中に入ってみます。
外観はコンクリートでしたが、中は宗教施設とすぐに分かる建物です。
ヒンドゥー寺院だということでした。
案内に従って内部をひととおり見て廻ると、ヒンドゥーの神々と思われる像が置かれていましたが、中に仏陀と思しき座像もあります。
敢えて聞きませんでしたが、仏陀もヒンドゥー教の有力な修行者のひとりだと聞きますので、場所柄この像を設置しているのでしょう。

案内してくれた少女と妹は援護堪能ですが、彼女の両親はまったくしゃべることができないそうです。
おじいさん、おばあさん、親戚数名のファミリーでこの寺院を守っているとのことで、さすがにビンディーはこの町には多くないとのことです。
ヤンゴンで、2ヶ所のヒンドゥー寺院を見たと言いましたが、彼女たちはあまり関心がなさそうでした。
宗派の違いがあるのか、そのことには触れようとしませんでした。

時間があれば、よろしければお祈りをするので参加してくださいと勧められました。
土曜日は聖なる日で、毎週祭礼を行うとのことです。
異教徒の参加も認められているようですが、イェレーパゴダにも西洋人が訪れているし、わたしはキリスト教やイスラム教の礼拝を見学したことがあります。
ただ実際に参列するのは初めてですし、何か粗相が無いように少々緊張気味に彼らの指示に従いました。
聖職者も親戚とのことですが、上半身に衣服をまとわない髭と胸毛がボーボーの40代と見られる男性でした。
彼は、わたしが列の中間に位置しているのを認めても、顔色一つ変えるでもなく粛々と儀式を進めて行きました。

それらの意味はわたしに理解できたわけではありませんが、自然への感謝でしょうか、まず戸外にあった池の魚、庭の鳥などにお祈りを捧げながらみんなでエサを投げ入れます。
建物の中に戻ると、中央に祠のようなものがあってそこが祭壇で、清められた水や花、食べ物などを手渡ししながら捧げていきます。
そのとき聖者から少量の水を頭に振りかけられますが、これでわたしを含めた参列者は清められたということでしょうか。
最後に寺院の右側にあった9体の小さな像に対して、全員がその周囲をまわりながら、水や花を捧げて歩きました。
ヒンドゥーはヴィシュヌとかシヴァなどの神々を祀る多神教とは知っていましたが、ここでは9つの神を信仰しているということでしょうか。
これらの儀式の間、少女たちが一心に歌を歌い続けていましたが、あるいきこれがヒンドゥーの経典なのかも知れません。
澄んだ高い声が寺院に静かに響いてたいへんな美しさでした。

祭礼は2時間もかかり、終了後、彼らがヤンゴンへの直行バスの乗り場まで案内してくれました。
しかし、われわれが去るのと入れ替わりで、子どもたちが集まってきて、机の前に行儀よく座って勉強が始まりました。
ヒンドゥー語とヒンドゥー教を子どもたちに教えているのだそうです。
非常に細々としたかたちでヒンドゥーの火を絶やさない努力が続けられていることを知りました。
ヤンゴンの郊外の仏教の聖地で、意外な人々の生活があることも知って小さな旅を閉じることができました。
【Alpha7/Summicron 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Summicron 50mmF2 Rigid | trackback(0) | comment(2) | 2015/01/23 Fri

笑顔を失った少女たち

Summicron 5cmF2
昼下がりのビールに、今夜の便で帰国との思いが去来して、すっかりアンニュイな気分に浸っていました。
しかし、外の気配に何となく顔を上げたとき、その気分は一瞬にして打ち破られました。
何だあれは、と慌てて会計を済ませて現場に走ります。
ピンクの袈裟を着た尼僧がざっと30人、オレンジの唐笠を差して一列に行進しています。
托鉢でした。

昨年末にルアンプラバンを訪れたときに僧侶が一列になって托鉢するのを見ましたが、それは観光名物にもなっていて
観光客が施しする姿が普通で見られました。
ヤンゴンやバンコクで見た托鉢は単独で、早朝に行われていました。
その他の地域ではどのように行われるのか、あるいは行われないのかすらよく分かりません。
チャウタンは小さな町でイェレーパゴダ詣でに来る人は多いものの、一般的な観光客が訪れるところではありませんので、観光目的な托鉢ではなさそうですし、実際、この様子に興奮して見入っているのはわたしだけで、実際に施しする人を除けば、尼僧の列に関心を払う人は皆無でした。

尼僧は身長の高い順番に、あるいは年齢順に、もしくは階層順に並んでいて、先頭は高校生くらいに見える尼僧から最後尾は年端もいかない子供までその並び方はなかなかに壮観です。
みんなが若いので、もしかしたら僧侶のための学校なのかも知れませんし、あるいは両親を失ったか経済的な理由で出家した若い人たちの施設と言うことも考えられます。
というのは、ルアンプラバンでは厳粛な空気が流れているのを体感したのですが、彼女たちからは悲壮感のようなものが感じられたような気がしたのです。
笑いかけても固まったままで、笑顔が返ってくることはありませんでした。

イェレーパゴダを大きく凌ぐ衝撃でしたが、どうも酔いが頭を支配してしまっているようで体がついていかないというか撮影がうまくいきません。
正面から、真横から、ひとりをピックアップ…、いろいろと試そうとしますが、どれもうまくいかず、もたもたしているうちに町はずれに尼僧の列は去ってしまいました。
こんなところも観光とは無縁の托鉢だということを裏付けているようです。

残念だったのは喜捨している人がほとんどいなかったことです。
わたしの見た範囲では、お米を分け与えている女性と作例のバナナの女性だけでした。
この町には通りに2ヶ所バナナ屋さんがあるのがバスから見えていて、売り物がバナナだけで商売になるものかと気になっていたのですが、こうして喜捨している姿にちょっと胸を打たれました。
分かりにくいですが、彼女の後ろリアル緑のバナナは、幹と言うか枝と言うか食べない部分までスパッと切って持ち込まれていて、食用ではなく結婚式とか葬式とかに使うお供え物的なものなのかという気がしました。
さすがに与えていたのは黄色い熟したバナナだけです。

近くに修道院のような施設があって付いて行けば修行する姿が見学できるかも知れないと期待しましたが、言葉が通じないですし、撮影中ニコリともしない雰囲気では厚かましすぎるような気がします。
何よりビール2杯飲んで酩酊とは言いませんが、かなり好い気分でいることは間違いないので、あきらめました。
普通に散策してからヤンゴンに戻ればよいでしょう。
そう散策開始したのですが、何と歩いているうちに彼女たちとは似て非なるところに行きついてしまい、まったく違う方向の体験をすることになってしまうのでした。
【Alpha7/Summicron 5cmF2 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Summicron 50mmF2 Rigid | trackback(0) | comment(5) | 2015/01/22 Thu

こんな苦いの僕は嫌いだけど

Summicron 5cmF2
腹八分目のランチとじりじりと照らす太陽、こうなっては安くておいしいミャンマービールを飲まずにいられません。
わたしは栓抜きとコルクスクリューがセットになったツールを旅には必ず持参していますので、瓶ビールを買って川べりで飲んで昼寝をしてもいいかなと考えていました。
ビールを売る店を探そうと歩き始めたところ、それより先にビールを飲んでいるおじさんがいるオープンなレストランを見つけてしまったのが、ここに落ち着くことにしました。

ビールを頼むとグラスかボトルかと聞かれました。
意味がよく分からず、何となくグラスと答えましたが、これが正解でした。
日本でなら、ナマですか大瓶ですかと聞いているのと同じ意味で、グラスのビールを注ぐために店の少年がカウンターにあるサーバーでビールを注ぎ始めるのが見えました。
注視してみると、しっかりグラスを傾けて泡を抑えながら徐々に角度を戻し最後には2センチ幅ほどの泡の層をつくってから、わたしのもとに運んでくれます。

後から来たお客さんたちがボトルを頼んだのが意外でしたが、少年が大瓶を持ってテーブルに近付くと、客のひとりがそれじゃないとばかり指示しています。
そして注ぎはじめたのが作例のピッチャーでした。
思わず近づいて行って撮影させてもらったのですが、くだんの客や他の店員などにはやしたてられた少年が照れまくっています。
少年がビールを注ぐ姿も面白かったのですが、この店のビアサーバーがカウンターの逆向きで下に設置されたビール貯蔵庫(?)が客向きになってしまっているのがユニークだったのも撮影の理由でした。
確かにこの向きの方が注いでから運ぶことを考えれば効率的ではありますが、ロンドンの格式あるパブのカウンターの内側も同じようになっているんだろうなあと想像させるのが楽しいと思います。

話は変わりますが、今回、メインのペッツバールレンズ、ブートレの相棒として持参したのはズミクロン50mmF2でした。
あまり枚数は撮りませんでしたが、久々にM6のブラックペイントを持っていったので、それに合うレンズとしてズミクロンの後塗りブラックペイントを選んでいました。
正月の撮影になるので、ズミクロンで原点回帰という意味も持たせています。
それに、少々前、Neoribatesさんのブログでズミクロンを使わないとという趣旨の記事を読んで、爾来ズミクロンを使う機会をうかがっていました。

ズミクロンはすばらしいレンズで、何度か買っては売りを繰り返し、現在、沈胴の黄色いトリウムレンズ、デュアルレンジ・ズミクロン、今回使用の二代目固定鏡胴をブラックペイントしたものの3本も所有しています。
2代目ズミクロンは気味が悪いくらいに開放からシャープに写るレンズでしたが、クラシックレンズの描写ではないと判断して売ってしまいました。
上述の3本はどれも初代ズミクロンにカウントされるレンズですが、写りは三者三様でどれがいいとは一概に言いにくいものがありますが、トリウム沈胴は滅茶苦茶シャープですが白が黄色く写る欠点もあって特殊レンズ扱いとすると、
35mmのズミクロンほどボケのアラが目立たないですし、二代目固定の中庸感覚がわたしは好きです。
作例を見ても、とてもシャープなのにけっして線の細い描写と言う感じではなく、シャープ過ぎない温かみのような表現をしているように感じます。
ライカのレンズのイメージそのままですね。

しかし、これだけシャープで撮影しやすそうなズミクロンですが、α7のファインダーではピント合わせはほぼできません。
ピントの合っていない作例もいくつか出してしまいましたが、瞬時のスナップなどでは少なくともわたしの資力では到底ピントを出すことはできないと観念しています。
レンジファインダーなら瞬時にピントが来るので、このレンズはやはりライカで使用してこそ生きるのだとわたしは思っています。
今日の作例のように止まっていてくれれば、拡大するなり前後にピントをずらして何枚か撮るなり対応は可能です。
ミラーレスの優位性はこれまで何度も体験してきていますが、やはりライカのレンズはレンジファインダーあってこそで、カメラも併用するのが理想のようです。
【Alpha7/Summicron 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Summicron 50mmF2 Rigid | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/21 Wed

江島神社に参拝す

Summicron 5cmF2
ニャウンウーからは夕方の便でヤンゴンに戻りました。
ミャンマーの滞在はもう1日あるので、本当は日程をずらすなりしてヤンゴンに戻ってその足で帰国便に搭乗する方が効率的なのですが、ミャンマーの国内事情によりそれができませんでした。
ミャンマーの国内線は定時運行しないという評判が高く、さらには欠航も多いと言うので、帰国便に乗り継げなくなるリスクがあるということで1日前に戻って来る道を取らざるを得なかったのです。
最悪、飛行機が飛ばなかった場合、10数時間のバスに揺られて戻る手があるからです。
結果的には定時運行でしたが。

空港からホテルまで乗ったタクシーの運転手がユニークな人でした。
彼は自分は船乗りだと語り出し、船に乗らないときはタクシーを運転しているというので、漁師かと聞くと、イギリスの大型客船でコックをしているという意外な答えが返ってきました。
イギリスを出発してノルウェーやスペインなどを巡る観光用の客船があって、4月から11月まで毎日船に乗らないといけないが、寄港地を散策したりもできる面白い仕事だと笑いながら話してくれます。
ミャンマー、フィリピン、ベトナム、インドなど5~6人ずつ同様の仕事をする人がいて、彼らとコミュニケーションを取っているうちに英語が上達したとのこと。
イリアンなどつくるのは西洋の料理ばかりと言っていましたが、料理上手なのでしょう。
しかし、タクシーの運転は酷いものでした。

さて、翌日も好い天気で、深夜の航空機でヤンゴンを経つまでの時間を散策に費やすことにします。
ヤンゴンの町中は、前回と今回でかなり歩いているので、最終日は郊外にと考えましたが、1時間ほどバスに揺られたところにあるチャウタンという町に、水中パゴダがあってミャンマー人の信仰を集めているという話を聞いたので行ってみることにしました。
ただし、バスがどこから出ているかの情報はなくホテルで聞くと夜行バスで10時間かかるとかトンチンカンな回答でした。。
そこで、ホテル傍のバス程度聞いてみると、ミャンマー人はとてもフレンドリーで、どこそこのバス停で出ていると教えてくれ、さらにそのバス停でどれに乗ればいいのか聞くと、バスを停めてくれた上に乗り換え時に案内するよう車掌に頼んでくれました。
ミャンマーのバスには路線番号がありますが、数字もミャンマーの文字が使われているので外国人には番号すら読めないのです。

バスは終点で乗り換えで、車掌があれに乗れと言う先にはすでに満員のバスが待っていましたが、その様子を見ていた満員バスの車掌がわたしのために座席を空けさせてそこに座れと言います。
外国人が珍しいからということなのでしょうが、固辞しても座らせられるし、近くには老人が立っていたりでちょっと座り心地はよろしくなかったです。
そのバスも終点がまさに水中パゴダの真ん前でしたが、ホテル付近のバス停からトータルで1時間45分もかかってしまいました。
これだとアクセスがいいのか悪いのか分かりません。

作例がその水中パゴダこと、イェレーパゴダですが、水中と言うよりも水上ですね。
ヤンゴン川の真ん中にあって、パゴダに行くためには作例写真のように船に乗らなければなりません。
しかも外国人は専用船で料金は7ドルと高く、さらにパゴダに到着すると2ドルの入場料を取られました。
わたしは前日買っていたロンジーを着ていたので、ミャンマー人と間違えられたこともあったのですが、ミャンマー人用の船に乗ろうとしたら、監視の親父がいてすっ飛んできて降ろされてしまいました。
外国人船に乗るとミャンマー人が何人も乗っているのでおかしいと思って彼らに聞くと、みなタイ人とのことでした。
彼らならミャンマー人でも通じるでしょうが、信仰のために乗る船で金銭をけちっていてはいけないのだと気付いて反省します。

観光化していて外国人に冷たいし、作例をよく見ると鉄塔から右に電線が延びていて電気を引いているのも分かるし、個人的には好きになれなかったのですが、観光化されつつも信仰を集める島と言うことでは、江の島やモンサンミシェルと共通点があるような気がして、敢えて紹介してみることにしました。
撮影位置から2~3分歩くと、イェレーパゴダがよく見える川べりの野外レストランが並んでいます。
江の島ならシラス丼か何か出てきそうですが、ここではオーソドックスなマトンカレーとチキンを頼みました。
場所柄かビールはありません。
オーダー時にマトンカレーあると聞いたら、カレーであるのは、シープカレー、カウカレー、ピッグカレーだと言われたのには大笑いしてしまいました。
江の島のような観光価格ではと心配しましたが、料金は150円程度で、ヤンゴンの屋台よりも安いくらいでした。
【Alpha7/Summicron 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Summicron 50mmF2 Rigid | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/20 Tue

第二のチベットは嫌だ

Boutrais 18cmF6.3
ミャンマーのシリーズも3週目に入ってしまい、書くこともそろそろ無くなってきて申し訳ないですが、もう少し続けさせていただきたいと思います。
作例は、村からの帰り間際、ジョジョのお父さんである和尚さんが、お寺を案内してありがたいお経を授けてくれたのですが、そんな時に可愛らしい心身深い仏教徒が現れたときのスナップです。
和尚さんも、この姿にはよしよしとうなづいて何か声を掛けていたのがとても印象的でした。

話はこの前夜に戻りますが、バガンの遺跡見物から戻った私は、ジョジョに夕食の相談をしました。
周辺は外国人観光客用のレストランばかりだったので、地元の人が行くような食堂か、せめて現地の料理が食べられるところを教えてくれと聞いたのです。
ジョジョは待ってましたとばかり、ニャウンウーにはそういうレストランはないので、よければビールを飲みに行きませんかと誘ってくるのでした。
もちろんわたしにも異論はなく、近くのビア・レストランに行くことになりました。
この店も完全に観光客向けでしたが、仕方ないですね。

世界各地から若者が集まるゲストハウスの仕事はストレスが激しいとか、言いたいことが言えないとか想像していましたが、やはりジョジョの舌は酔う前からかなり滑らかでした。
ただ一方的にしゃべられても困るので、この夜はわたしの興味があることをどんどん聞いて答えてもらうよう仕組みました。
一部を紹介したいと思いますが、まずはビールの話題から。
ミャンマーではかつてマンダレービール一種だけだったのですが、ミャンマービールが登場して味もシェアも圧倒しているそうです。
最大の理由は、マンダレービールが中国人に買収されてまずくなってしまったとのこと。
さもありなん。

彼はミャンマーとは言わずビルマ(またはパーマ)とずっと言っていたので合わせますが、わたしが気になっていたのは、ビルマ人が日本をどのように思っているかでした。
タクシーの運転手やカフェのウエイトレスなどことあるごとにスーチーさんを好きですかと聞くと100%の確率で好きだという答えが返ってきたのですが、スーチーさんの父アウンサン将軍は英国からの独立を求め日本軍と協力体制を取りましたが、結果的に日本の敗戦もあって戦後すぐの独立は果たせず、その後アウンサン将軍は暗殺されてしまいます。
当初、ビルマの独立に尽力した日本軍も東南アジアが主な戦地になると、逆にビルマを利用しようとしていたと考えられており、それがアウンサンの立場を悪くして結果的に暗殺されたとビルマ人が日本を悪く思っているのではと考えたからです。
しかし、ジョジョの答えはノーであり、ビルマ人の考えはいろいろかも知れないがと断ったうえで、欧米の植民地支配からの解放が日本の考え方だったと理解しているし、そのことで日本を嫌っている人はいないと思うとのこと。

むしろ戦後の復興はたいへんな尊敬を集めているし、なかなか手の届かないものだとしても日本のテクノロジーに憧れも持っています。
道路を走る車のほとんど日本車ということもあって、右側通行にも関わらず村に行く道路の料金所も右側につくっているというくらいの親日国ということのようです。
逆に先のビールの例でもあったように、中国が極端に嫌われています。
理由の第一は華僑がビルマ経済の主要な部分を牛耳っていて、ビルマ人が豊かになれないという構造があることですが、ビルマ軍事政権で世界中が経済制裁したにも関わらず中国が援助してきたということにもあるのではと想像しています。
先日、タイが中国からの高速鉄道の建築許可したことが報道されましたが、ビルマは同様の話があった時拒否したそうです。
そんなことをやらしてはビルマは第二のチベットになると国民みんなが反対した成果だと、ジョジョが胸を張っていました(関係ありませんが、作例を見直すとジョジョのお父さんがダライラマに似ていなくも無いような…)。

新聞を毎日読んでいるような人なら、日本と中国が間にある小さな島を巡って関係悪化していることはよく知っているというし、南沙諸島を埋め立てて基地を作っていること、ベトナム船に衝突したり各地で傍若無人に振る舞っていることもよく知っていました。
ビルマも中国と接していてこれまでの歴史を考えれば敏感にならざるを得ないということでしょうし、日本の対中戦略はビルのみならずアジア諸国の国民が注視しているということでしょう。
ジョジョからはビルマ人の世界に向ける目のことから生活の細かいことまであらゆることを論じたりしましたが、それらを紹介し切れないことは残念です。
ビールを3杯ずつ飲んで食事は地元の料理をと言っていたのに、トムヤンクンがあったのでそれも頼んでしまいました。
わたしもジョジョも旨い旨いと食べ、なんでこんなところにまでタイ料理があるんだろうとわたしが言うと、うっ、これタイ料理と怖い顔をしています。
今回、隣国タイとの話はしませんでしたが、ビルマ人がタイに寄せる心情は想像できるので、冗談半分でわざと日本人はみなタイ料理が大好きだよと教えてあげると、彼は苦虫を潰したような顔をしていました。
【Alpha7/Boutrais 18cmF6.3 F6.3】
thema:ペッツバール genre:写真
Boutrais 18cmF6.3 | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/19 Mon

近未来的設備の中には

Summicron 5cmF2
作例を見て、これが何をしているかなんてわかる人はまずいないでしょう。
答えを先に言えば、大量のお米を焚いているところということになります。
恐らくここは、2基の大竈を備えた常設の炊き出し所みたいなところだったかも知れません。
そろそろ帰国後2週間になって記憶もあやふやになって来ましたが、簡単に説明を試みたいと思います。

まず男性の右横に銀色のたらいが見えますが、これは米とは別に湯を沸かすかスープを煮立てている物のようです。
その下にある土に半分埋まっているような黒い部分が米の入った大きな鍋のような容器で、米は長粒種、水も適量入っていますが、とくに研いだりはしていませんでした。
その下は木をくべて火がつけられています。
その火が適度に燃え続けるように男性の背後くらいに四角く穴が掘られているのが分かります。
地面を利用した竈ですね。

面白いのは、とじ蓋ではなくロケットのような金属の筒で全体を覆っていることです。
中に蒸気が発生して炊くというよりは蒸すようなイメージなのでしょうか。
わざわざこうする意味があるのではないかと思うのは、こんな筒をわざわざ作って、作例では宙に浮いているように見えますが、これは上から紐で吊って滑車で上げ下げしているんです。
相応な意味がなければここまでするとは思えないのです。
よく見ると金属の枠があるので、ここに肉とか魚とか吊るすことで燻製とかもできそうですね。
この村に伝わる万能調理器の発展型なのでしょうか。

こうして炊いている大量の米ですが何のためかと言うと、村全体の集まりがありました。
大音量で楽隊がパーカッション主体のミャンマーの民族楽器を演奏しているのが遠くで聴かれたと思ったら、案内してくれたお坊さん以外はみんなで行くぞとわたしを連れてきてくれました。
お坊さんが付いてこなかったのは、たぶん、午後は食事できないことになっているので、行ってはいけないなどあるからなのでしょう。
到着するとなぜかもうわたしの来訪を知っているような感じでどうぞどうぞと特等席に掛けるよう言われました。
まさか、わたしを歓迎する式典かと一瞬思ったところ、彼らが若い男女を連れて来て何やら説明しようとしているので、彼らの結婚式かと早合点してしまいました。

これが実は、村人の得度式というものが行われていたということをあとあとジョジョに教えてもらいました。
結婚式だとずつと思っていたのがそうではなかったのに驚きましたが、ジョジョが得度式と言う日本語まで知っていたのにも驚かされました。
得度式と言うのは、出家した人が僧侶になることを祝う式典だということだと思います。
ジョジョはそんな時にわたしの村を訪ねてくれてありがたいし、あなた自身もとても幸運だと言ってくれました。
不思議なのは、11月のカンボジアでは結婚式に遭遇し、12月のラオスでは青年が村を離れる儀式に出くわし、今回1月のミャンマーで得度式の村を訪れと、縁起の良いことばかりに出合っているということです。
自分自身はプライヴェートでロクなことがないという毎日なのに、旅に出るとそれを癒してくれるようなことが起きるのは、もうお前は日本よりどこか違う土地にいた方が良いのだと言われているかのような気がしてきました。

ジョジョは、自分の出身の村に行くこと自体は勧めてくれていたのですが、問題は食事することがないことだとポツリと言ったことが気に掛かっていました。
しかし、幸運なことに得度式が行われていたために、食事を振る舞われることになりました。
野菜主体の料理はおいしく、ご飯もいけたのですべておかわりしてしまったのですが、わたしが食べているのを不安そうに見ていた村人はそのことで、一気にわたしとの親密感を増したことが分かりました。
日本人の口に合うのかと心配していたところが、旨そうに食べておかわりしてくれた、これはもう家族のようなものだ、というようなノリを感じたのです。
ただ、食事に一切の肉が使われてなく、お酒を飲む人もひとりとしていなかったのが不思議と感じていたにも関わらず、それ以上思慮を巡らすことがなかったのは、わたしとしても大きな不覚でした。
これだけアジア諸国を旅していながら、それでも結婚式だということに疑問を抱くことなく、肉や酒のないことと仏教儀式との関連にまったく気付かなかったのですから。
【Alpha7/Summicron 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Summicron 50mmF2 Rigid | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/18 Sun

手に入れた3枚の布

Summicron 5cmF2
村まで連れて来てくれた運転手さんはゲストハウスのスタッフ、ジョジョさんの友だちだそうですが、旅行会社に勤めていて、英語ができるからと言う話でした。
しかし、英語はほぼ片言レベルで、残念ながらガイドとしては役立ちません。
ひとりで見て廻ろうと考えていたのですが、車を村の中心のお寺の前で停止させると、出てきた僧侶と何やら挨拶、すると僧侶がおばさんを呼んで来て、運転手、僧侶、おばさんの3人が片言の英語を駆使してわたしを案内しようとします。
おばさんはともかく、高齢のお坊さんに案内してもらうのは申し訳ないと固辞しましたが、なんとこのお坊さんはジョジョさんのお父さんだと言い、おばさんも叔母だとのことでした。
コミュニケーション困難なのでよくわかりませんが、息子のジョジョがお世話になっている日本からのお客様なので手厚くご案内せねばということのようです。

さっそく自宅に案内してくれ、お茶と土地の特産品ピーナツを振る舞われます。
建物は木造ですが壁の部分はバガンの遺跡方面の村で見たような竹皮を上下左右に編んだものが用いられています。
やはりこの日も日中は27~8度くらいあったのではないかと思いますが、家の中は意外に涼しくて住み心地は好さそうでした。
落ち着いたところで、今度は別のおばさんが現れてお坊さん、運転手とともに近所に移動して機織りを見せてくれました。
観光地の博物館・民芸館などに置かれていそうなものですが、これは毎日使っている現役の器械です。
案内のおばさんが実演してくれましたが、縦横の糸を組み合わせてかつ足で操作する複雑さに、かなりの熟練が必要と思われました。

1日何メートルくらい織れるものですかとありきたりの質問をしてみましたが、これがまったく通じません。
織ったものは販売するのですが、自分で使用するのですのかも理解してもらえませんでしたので推測すると、以前は着るものを織っていたが、今の村人の出で立ちは既製服を着ている人ばかりなので、もっぱらタオルとかおばあさんが着る上着を造る程度にとどまってしまっているようでした。
これがそうだよと作例のようなストライプのパターンの手ぬぐいを手渡してくれたので、売ってもらえませんかと聞いたところ、欲しいならどうぞとプレゼントしてくれました。
わたしが相当嬉しそうか顔をしたのでしょう、家の奥に引っ込んだかと思うと、違う色使いのものをもうひとつ手渡してくれるのです。
この期に別の家に移動したのですが、その話を引き継いでくれて、そこでも手ぬぐいをもらってしまいました。
現状は分かりませんが、機織り機は一家に一台、それこそミシン代わりに置かれている物だったようです。

その家には、粉挽き機というのでしょうか、中央に臼の置かれたオープンな小屋があって、ちょうど粉を挽いているのを見学できました。
オランダでは風車を動力に小麦を挽くものがありますし、川崎の民家園には水車の動力で挽く装置があったと思います。
ここのは中国の貴州省で見たのと同様の牛を動力としたもので、体を固定された牛が臼を中心に小屋の中をぐるぐるとまわることで粉を挽く仕掛けです。
中国のと違うのは、人が牛を固定する木の板の上に座っていたことで、理由は分かりませんが、家主のおじさんも牛の動きと同様に座りながらもぐるぐるとまわっているのがユニークでした。
また、挽いていたのは小麦や米ではなく、特産のピーナツで油を搾っているということでした。
大韓航空の元副社長さんは罰にここに来て牛の代わりに労働させたらいいかも知れません。

続いて隣接する小学校に連れて行ってくれました。
地元の若者が先生をしている学校で、授業の合間のようで全先生が集まってくれてわたしの訪問を歓迎してくれました。
といっても先生たちも英語は得意ではなくなかなか意思疎通できません。
生徒は300人ほどいるというので、小さな村に見えて実はけっこうな人口があるのだと知らされました。
村にあるのは小学校までなので、ゆとりがある子は町の中学・高校と進むそうです。
そういえば、前月ラオスの村を訪れたときはちょうど村を離れる子のためのお祝いをしているところに遭遇しましたが、この村でも同様のことがあるのでしょうかと、考えたところ別のお祝いをやっているところに連れて行ってもらいました(そのことはまた明日にでも書きます)。

この村を訪れる際あったら便利なものを書いておきましょう。
サングラスです。
村の道は当然未舗装ですが、なぜかそれは土ではなくほとんど砂なのです。
その砂が白浜海岸の砂かというような白い砂で、太陽が反射していて常に眩しく眼を開けているだけでも疲れるくらいでした。
村人の多くが色黒だったのは、直射日光プラス砂にバウンスした光の二重照射の力によるものではないかと考えてしまうほどです。
昨日の牛の作例はそんなことで光線状態が良好できれいに見えているのではないでしょうか。
名前をスペイン風にヴィラ・ブランカと呼びたくなる、そんな素敵な村でした。
【Alpha7/Summicron 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Summicron 50mmF2 Rigid | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/17 Sat

牛の待つ村へ

Summicron 5cmF2
話は若干戻りますが、ニャウンウーに着いて自転車で安宿探しをしたのですが、数軒ほど見つかったゲストハウスはどこも似たり寄ったり、料金までもが同じで、新館が比較的最近建ったばかりだという宿に荷を解きました。
スタッフの人が日本語堪能なのに驚きましたが、そのせいかロビーには日本人の若者が数人たむろしているのが気になると言えば気になりました。

日本人女性から声を掛けられごく簡単に自己紹介しあいます。
彼らはグループと言うわけではなく、それぞれバラバラに旅して来てこの宿で知り合い、何となく行動を共にするようになったそうです。
そういう旅の仕方もあるのかも知れませんが、わたしの旅のスタイルとは相容れません。
長期旅行ならともかく、短い旅の中で現地人ではなく、外国人の旅行者でもなく、日本人同士でまったりと話している時間と言うのはわたしにはもったいなく感じられるのです。
中国の話などを少々せがまれたりもしましたが、申し訳ないことにそれとなく断るようにわたしは外に飛び出していきました。

この宿は某ガイドブックでおすすめの宿だということがわかりました。
そういえば、彼らと少し話をしたとき、そのガイドブックは持ってますよね、と聞かれて、いいえ、わたしはアジアの旅では地図は持ちますがガイドブックを持って旅しません、情報は現地で仕入れてこそ旅の醍醐味であって、ガイドブックなんて持っていたら書かれている以上の旅ができなくなるようで嫌なんです、と答えました。
言い方は気取っているようだったかも知れませんが、ごく当たり前の旅の正論を言っただけのつもりです。
ただ、そのセリフで引いた人がいたのは紛れもない事実だったようです。

ヤンゴンの空港で、ニャウンウーの写真館について場所を確認できないかとネット検索したのですが、結局、それは分からずじまいだったのですが、何となく見たサイトの中にニャウンウーのゲストハウスでフミヤさんと呼ばれる日本語堪能のスタッフのいるゲストハウスがお薦めなどと書かれていて、こういうところには行かないようにしようと考えていました。
そして、わたしが宿泊した宿の日本人がまさに日本語堪能なスタッフをフミヤさんと呼んでいるのを聞いて、わざわざフミヤさんのいる宿を選んでしまっていたことに愕然としました。

しかし、このフミヤさんことジョジョさんは日本人と話しているときのふにゃふにゃした印象とは違ってミャンマー人らしい思慮深さを持ったなかなか興味深い人物でした。
そのことはまた後日記しますが、くだんの写真館の場所や評判がいかに高いかを教えてくれたのはこの人でしたし、翌日はもう遺跡を見に行きたくないし、素朴な村が近くにありませんかと聞いたときに、よければわたしの出身の村をたずねてみてくださいと勧めてくれたのもこのジョジョさんでした。
勧めに従って20キロほど離れているというその村に3500円で車をチャーターして出掛けてみることにしました。

この村がどれだけ素晴らしかったかは到着した時に分かりました。
幹線道路を外れダートロードをしばらく走ると線路が見えて、右に行くとマンダレー方面、左に行くとヤンゴン方面だと教わりましたが、どちらにも10数時間かかるとのことでした。
そして村の入り口に着いたと思えば、いきなり牛車が向うから来て、真正面に回り込んでも撮影できてしまうという超スローな歩みでした。
牛の歓迎に続いて、この後も続々と村人たちの大歓迎を受けることになります。
【Alpha7/Summicron 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Summicron 50mmF2 Rigid | trackback(0) | comment(2) | 2015/01/16 Fri

股間の問題

Summicron 5cmF2
翌日は5時半に起きて、また自転車でバガンを目指しました。
バガンの朝日が素晴らしい、とりわけ何とかいうとても高い遺跡から見るそれは最高、という情報を得たからでした。
しかし、2日続けて自転車と言うのはかなりしんどくて、足はすぐにぱんぱんになり、昨日から続いていたお尻の痛みがすぐにピークに達しました。
そこで体勢を変えたりしながら漕ぎ続けたのですが、その無理が体にではなくはいていた綿のパンツに来てしまいました。
お尻のところが縦にベリッと破けてしまったのです。
しかし、もはや遺跡エリアに来ていたので、構わず先を急ぎ、真っ暗いうちにここで見るべしと聞いていた遺跡に到達しました。

遺跡から見る朝日は最高で、当初は2015年最初のブログの写真はこれでいこうと考えていたのですが、帰国してから見直すと感動が覚めたからでしょう、日の出を撮った平凡な写真に変貌してしまっていました。
そういえば、朝日を見た遺跡は急こう配のピラミッドのような建築物でしたが、ここにものすごい数の人々が集まっていたことの方が圧巻だったかも知れません。
わたしは高所恐怖症なので腰が引けていましたが、西洋人の中には恐怖心がみじんもない人がいるようで、ふちのところに横向きに体育座りしているのがけっこういて、誰かが歩きざまに強めに接触したら間違いなく転落するのに何にも感じないのが不思議でなりませんでした。

そういう他人のことはどうでもよくて、わたしの綿パンは股間部分が完全に切れていて、後ろから見ると完全にパンツが露出している状態だと気付きました。
実はこれ、カンボジアの市場で買ったもので長さはちょうどよかったのですが、太めの私にはお尻がぴったりフィットで、購入時からこうなってしまうかもとの不安がありました。
ただ、暑い中はいていて心地よかったので、ラオスでもここミャンマーでも持参していたのですが、気に入っていただけに残念でなりません。

遺跡を降りて行くと、土産物売りが声を掛けてきましたが振り切って、自転車の方へ戻りかけたとき、まあ、何と言うことでしょう、わたしのはいているのと同じような綿のパンツを売る女性が声をかけてくるではないですか。
助け舟とばかりにパンツを選択し、価格を聞くと800円と吹っかけてきます。
カンボジアの価格やミャンマーの物価を総合すると300円前後が適正価格と考え、500円程度なら手を打とうとも腹を決めていましたが、いくら粘っても1円すら負けてくれません。
どうしてかと聞くと、彼女はにやりと笑って、だってこれを買わないと敗れたパンツのまま遺跡を見て歩くのと言われ、泣く泣く言い値の購入になりました。
わたしが歩いているのを見て、パンツが敗れているのに気付き、ずっと降りてくるのを待っていたそうです。

さて、新たなパンツはわたしの見立ての300円の価値もないものでした。
何と自転車に乗って30分もしないうちに破けてしまったのです。
こう書くとわたしを相当な肥満体型だと想像するでしょうが、当たっているとは言わないまでも遠からじなのかも知れませんが、いくらなんでも800円でこれはひどいなと思います。
縫製がすかすかなんですね。

そこでさらに買ったのが、ミャンマーの国民衣装と言えるロンジーです。
ロンジーはかなりゆったりした筒状になったスカートのようなものなので、さすがのわたしでもこれが破れるなんてことはあり得ません。
着物のようなもので着こなすのはやさしくはありませんが、手順に慣れれば外国人だということを割り引けば、どうにかかっこはついていると言えるくらいにはなっていると自負しています。
このロンジー、さすがミャンマーに定着している民族衣装のようなもので、見た目もフォーマルっぽいですし、何より涼しくて着心地が最高でした。
帰国してからも夏場はこれで外出するぞと決意表明したくらいです。
作例の女性が物色しいるのがそのロンジーです(女性用はタメインと呼ばれます)。
手ぬぐいのようで、とても着るものには見えないかもしれませんね。
【Alpha7/Boutrais 18cmF6.3 F6.3】
thema:ペッツバール genre:写真
Boutrais 18cmF6.3 | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/15 Thu

彼らはスクオッターなのか

Boutrais 18cmF6.3
バガン全体で遺跡がどのくらいあるのか分かりませんが(調べようとしないのは申し訳ないです)、小さなものやら崩れかけているものまで入れれば、それこそ無数にあるのではと思えるほどです。
その大部分が入り口を閉ざして立ち入りできないようにしていて、ごくごく一部の遺跡のみ内部まで見学できたり、階上に登って周囲の眺めを楽しんだりできるようになっていました。
これは宿の人に聞いたのですが、見学できる遺跡には必ず管理者がいて、見学者の簡単な案内や遺跡そのものの保全にあたっています。
彼らはみな国家公務員なのだそうですが、さすがに最貧国のミャンマーだけに給料は安く、とても厳しい生活を強いられているそうです。

そういえば、わたしが見学したところでは、その管理者に絵を売りつけられそうになりましたが、丁寧にお断りしたところ、遺跡の中にも大きな仏像があって、心身深い管理者はさすがに強要まではできないようでした。
絵は砂を顔料で溶いたものを絵具代わりにして、布のカンバスに描いたオリジナルアートだそうで、夕日に染まるバガンの風景は美しいものでしたので、生活の厳しい公務員のことを思えば1枚買ってあげてもよかったかなとやや後悔しています。
ただ、わたしが話を聞いているあいだ、他に訪れていた人たちは誰ひとり関心を示さなかったので、オリジナルアートと言うのは真っ赤な嘘で、土産物屋などでも売られているモノだったのではとの疑念もあるのですが。

とは言え、その絵の影響を受けて、あんなに夕日を受けて赤く染まる景色を見てみたいと思ったのは事実です。
宿に戻ってもすることがなかったからというよりは、途中、いい具合に夕日の風景が見られることを期待してゆっくり戻ったというのが本当です。
そして、夕日の時間となり、機体が高まる中、赤い遺跡が夕日でより赤く染まるのは見られましたが、絵に見たような夕焼け空にはなりませんでした。
これも宿の人に聞いたのですが、冬場は夕焼けの確率が高いものの、いくつかの気象条件が重ならなければならず、見られれば幸運だという程度の確率だとのことでした。
まあ、そんなものでしょう。

そんなことともつゆ知らず、夕日が沈みかけて必死になって自転車を漕いでベストポジションはどこかなどとムキになっていたのは我ながら滑稽なことでした。
一昨日の作例のように、遺跡の間にはところどころ樹があって、なかなか全体を見渡すところはありません。
やはり高台に登らなければダメだと気付いたのですが、前述の通り、登ることのできる遺跡は限られていて、帰り道の範囲では見つからなかったのです。
あらかじめ下調べすることのない旅行者にありがちな悲劇です。

どうしたかと言えば、完全に崩れ落ちた廃墟の1.5メートルほどの壁後によじ登ったのです。
これでも地上レベルよりは遠くが見渡せましたが、言うまでもなくわずかに見晴らしがよくなった程度でほとんど意味はありません。
幅の狭い壁の上でよろけながら平原のバガンの風景を撮りましたが、なお悪いことにほぼ日が沈んでいたため、日を浴びた遺跡ですらなくなっていました。
仕方ないので、180度向きを変えてすぐ手前の遺跡を撮影したのが今日の作例と言うことになります。
ふらふらしていたので水平が出ていないのはご容赦ください。

公務員が管理している遺跡がある一方で、作例の方は、貧困層に占拠されかかったとも言うべき遺跡です。
近寄ると意外にフレンドリーで子どもたちもあいさつしながら寄ってきたりしたのですが、残念ながら言葉が通じないため、なぜここで生活しているのかとか聞くことができませんでした。
ただ、遺跡に面して井戸があったので、水が確保できるというのがここにいる理由のようだと察しました。
家畜の牛とニワトリがいましたので、近くに農場もあってそれらを生活のよりどころにしていると考えられます。
ざっと10世帯50人程度が暮らしているようですが、ここに定着と言うのは無理があるように思います。
メイン道路に面したところなので、あらゆる観光客から見られることを考えると、行政も放ってはおけないはずですが、そこは仏教らしい慈悲の心で、自由にさせているのかも知れません。
【Alpha7/Boutrais 18cmF6.3 F6.3】
thema:ペッツバール genre:写真
Boutrais 18cmF6.3 | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/14 Wed

奥さんなのか娘なのか

Boutrais 18cmF6.3
時間がたっぷりあったので、さらに自転車を漕いで行けるところまで行ってみようと考えました。
どうせ早い時間に宿に戻ってもニャウンウーではすることはなさそうです。
かなり進んできたところが突き当りになって道は左右に別れましたが、何となく右に進路をとるとすぐに行き止まりになって、雄大な川を見下ろす高台になっていました。
イラワジ川です。
現在はミャンマー政府によりエーヤワディー川と名前を変えましたが、ヒマラヤを水源にミャンマーという縦長の国土を見事なまでに南北に貫く大河です。

続いて踵を返して先のT字を反対方向に進みます。
こちらはひたすら200キロ以上進めばヤンゴンまで達しているそうで、長い道のりが続きました。
途中、ちょっとした町があったので、何度も食べたソバを頼んで休憩にしましたが、ヤンゴンですら30円だったのが、こんな田舎で100円だと言われ驚いてしまいました。
残念ですが、バガンには観光客プライスがはびこってしまっているところがあるようです。

もっと残念なこともありました。
すっかり遺跡に飽きてしまって、コースアウトして素朴な村をのんびり散策していました。
民家のほとんどは所謂バンブーハウスです。
バンブーハウスと言うのは、竹を組んで建てた家ではなく、柱を木で固定してから周りを竹を薄く剥いだ皮状のものをあみだに合わせてシートにしたもので覆った家のことです。
女性が鳴れた手つきで竹の皮をくみ上げているところを遠巻きに見ることができたのですが、上下と左右の竹を隙間なくするのに金づちとノミを駆使していて、かなりハードな仕事だと感心させられました。

そんなものを見られたのですっかり村が気に入って子供の写真を撮ったりしていたのですが、突然子供からプレゼント、と言われました。
モデルになったんだからプレゼントを寄こせと言うのです。
飴を持っていたのであげたのですが、プレゼント、プレゼントと連呼していて、どうも金を出せと言うことらしいのです。
親がこういうことを教えるのでしょうか、それともかつて安易にお金を渡す旅人がいたのか。
すっかりイヤナ気分になったので、この辺で折り返してニャウンウー方面へと向かおうと考えました。

作例は、帰り道の遺跡をぼんやり眺めていた時に出合ったカップルです。
男性がわたしのレンズに興味を示したことから、撮影させてもらいました。
こんな古いレンズでちゃんと写っていると目を白黒させているのが印象に残ります。
どこから来たかと聞けばニューヨークと答えたので、わたしの語学力では会話にならないかと心配になりましたが、そんな不安を察したのかわたしのレベルに合わせてやや速度を落として話してくれました。
詳しいことは聞きませんでしたが、映画関係の仕事をされているとのことでした。

よろしければいっしょに見て歩きませんかと誘っていただいたのですが、ふたりで楽しんでいるのに申し訳ないと辞退してしまいました。
最初にカップルと書いたようにご夫婦だと思ったのですが、それにしては女性が若すぎるし、よく見ると顔つきが似ていて、父娘の関係だったのではと今では考えています。
それにしてもふたりともとてもいい顔をして写ってくれているなと感心します。
レンズに興味を持ってくれたからかも知れませんし、アメリカ人は写真を撮らせてと言ってもアジア人のように照れずに普段通りの顔をしているだけという気もします。
まさか映画関係って仕事は俳優で、撮られ慣れているからではないでしょう。
ショーン・コネリーに似ていなくもないですね。
【Alpha7/Boutrais 18cmF6.3 F6.3】
thema:ペッツバール genre:写真
Boutrais 18cmF6.3 | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/13 Tue

遺跡を俯瞰す

Boutrais 18cmF6.3
iニャウンウーを離れ続いて向かったのはアンコールワット、ポロプドールと並ぶ世界三大仏教遺跡のバガンです…、というのはちょっとウソで、実はニャウンウーこそがバガンに隣接する町なのです。
もっぱらニャウンウーを訪れる観光客の目的は100%バガンの遺跡群ですので、こんな小さな町にも空港があって、1日複数便のフライトが満席の客を乗せて飛んでいます。
早朝に着いて、宿を確保し、念願の戦時中からの写真館を訪れ、次にしたことはバガンへ向かうことでした。
わずか数キロしか離れていない、というよりは町の入り口付近に遺跡があるくらいなので、宿探しに使った自転車をそのまま漕ぎ出して見物に行けます。

自転車にはかごが付いていなかったので、トートバッグタイプのカメラ用かばんはファスナーを締めてデイパックのように背負いました。
もちろんカメラは首から提げますが、ペッツバールが付いたα7は漕ぐたびにぶらぶらとしてとても不安定です。
とはいえ、道はほとんど平坦なのでu慣れれば大したことはありません。
実際、バガン方面へ走る自転車が多くあるのでくっついて行けばよいだけです。
国籍、男女の別、年齢差と関係なく自転車組は不思議な連帯感が生まれていたようです。

到着時は長袖が欲しいくらい涼しかったのですが、日が高くなると一気に30度近くに上昇します。
お昼を食べた直後と言うこともあり、ちょうどいい具合に木陰の商店があったので、ビールを買って店の前のリクライニングチェアで早々の休憩になってしまいました。
遺跡ファンやバガンを楽しみに来た人なら先を急ぐでしょうが、先々月のアンコール遺跡の時にも書いたように、わたしはまったく遺跡に興味がありません。
遺跡かビールかと言えば、喉が渇いていれば間違いなくビールで、この休憩には必然性がありました。

途中で気付いたのですが、電動自転車とバイクの合いの子のようなeバイクという乗り物があって、それを利用している人が多いようです。
距離的に大したことがありませんし、こういう場では自分の足で行ってこそ価値があると言えそうなので、自転車選択は間違いとは思いませんが、初めて見たeバイクにも心惹かれるものがなくはありませんでした。
あとで聞くと、自転車が1ドルに対してeバイクは5ドルもするそうです。
ちなみに、ひとりではもったいないですが、ふたり以上の旅なら馬車を利用するのが楽しそうです。
地元の子がおじいさんといっしょに馬車にちょこんと腰掛けているのを見ていたら、母をたずねて三千里のマルコ少年を思い出してノスタルジックな気持ちになりました。

さて、また漕ぎ出してしばらく行くと、道路の左右に古い寺院がぽつりぽつりと見え始めて来たのですが、荒野に植物がぽつりぽつりの間に見えるそれはなかなかの迫力です。
アンコール遺跡の時は本や映像ですでに頭の中にできていたイメージそのものが現れたので感動と呼べるものはなかったのですが、バガンではどんなところかも知らなかったこともあってかなりのインパクトでした。
比較的高い遺跡には人が登ったりしているのが見えたので、わたしもぜひ挑戦してみることにしました。
廃墟ひとつひとつにも寺院名があるのですが、わたしが登ったのは何と言うところか分かりません。
それほど高いところでもありませんが、それでも寺院の上に立つと爽やかな風を肌に感じられ、また、高い位置から見渡してみるとあらためて遺跡が広い範囲に点在していることが確認できました。

望遠が得意でないはずのペッツバールにあって、このレンズはよく写っているのでやはり性格が違ったレンズことを確信できたような気がします。
古いカメラやレンズを扱う本にブートレの記載を見つけましたが、全文フランス語をうまく訳すことができませんでした。
わたしは学生時代、第二外国語にフランス語を選択したのですが、これがまったく役に立っていません。
写真史の始まりを意識している今ほどフランス語が重要な時はないと言うのに。
学生時代はまだ国外を旅したことがなく、将来の関心についても違う方向を向いていたので、外国語の重要性に気付いていませんでした。
【Alpha7/Boutrais 18cmF6.3 F6.3】
thema:ペッツバール genre:写真
Boutrais 18cmF6.3 | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/12 Mon

ネイルの達人

Boutrais 18cmF6.3
ミャンマーの地に持参したメインレンズは、Boutraisという1850~60年代の古いフランス製ペッツバールです。
発音はブートレですが、フランス語に自信のなかったわたしは、ニャウンウーを敢行していたフランス人マドモアゼルに確認したので間違いありません。
ただし、ブートレのレは、ゴエッのようなレで、フランス語に馴染みのない方には、ブウトグウェッのように聞こえます。
そのマドモアゼルも撮影させていただきましたが(実際には彼女を撮影したくて、さらには古いペッツバールを自慢したくて声をかけた)、フランスで起きたテロ事件追悼のため、その写真は出さないとにいたします。

選択理由は、昨日も書いたように写真館に持ち込んで古い日本のカメラで撮影してもらいたかったからですが、それは果たせませんでした。
8x10ですから、このクラスのペッツバールが全面カバーはしませんが、5x4サイズはどうにかなりそうでしたので、そのさいずだけでも写った肖像を撮ってもらえれば御の字と考えました。

ペッツバール・レンズの多くはF3.6~F4の明るさが採用されていますが、これで200mmもあれば立派な大口径レンズです。
昨今の大口径レンズで、50mmF1.4とかF1.2などというレンズたちが高額になってしまったのに対して、ペッツバールの大口径は価格が上がるということも特にないことがわたしの方向性を決めてしまったところもなくはありません。
ところが、このブートレは細身の鏡胴でマウント改造を施工してくれたksmtさんの計測でF6.3だというので、大口径と言うよりは中口径と呼びたいスペックです。
それでもピントを外しまくりましたが、やはり今日の作例のように被写界深度が広がっているのがよく分かる写真になります。

2絞り暗い分やはりシャープですが、描写的にはペッツバールというよりF値の近いレクチリニア系のレンズのような印象があります。
さすがに180mmの焦点距離があるとフォーマットにも余裕があって、周辺での像面湾曲の影響が少ないのもレクチリニアのような印象を高めます。
それ以外にも、スペックで無理をしていないので、非点収差の軽減などのメリットがあるかも知れませんが、それらはもっと大きなフォーマットで撮影して比較してみないとなかなか判断の難しいところです。
なお、ダゴスティーニ氏のフランスレンズの本は8メーカーが主体で、IX.SMALLER FRENCH MANUFACTURESの項にもブートレは登場せず、辛うじてSOME OTHERS...にその他大勢扱いで1行記載があるだけでした。

さて、今日の作例ですが、馬の蹄を削っているシーンを見かけました。
ニャウンウーは交通機関として未だ馬が現役で、観光用、一般用として馬車が走っている素敵な町なのですが、観光のため車も走るため主要道路が舗装されていて、蹄のメンテナンスは重要なのだと気付かせてくれました。
馬車は2頭立てで蹄の音をカッポカッポと立てて聴覚にも優雅な雰囲気を伝えてくれますし、馬車も御者の横に乗ったり後ろ向きに乗ったり人それぞれに乗車しているのが見て取れて楽しげでした。
ただ、歩みはあまり早くないので自動車の走行の邪魔になっていたのはもちろん、わたしの漕ぐ低速自転車よりも少し遅いのに幅が広いため追い越しに難儀させられました。

それにしても脚力が強いはずの馬の足を自らの足に挟んで、トンカチとのみ(?)で削り落としていくところは、馬が人々の身近にあることを裏付けてくれますし、見事な職人技と言えるでしょう。
ミャンマーでは東北部のシャン族の象使いが象とコミュニケーションをとりながら生活していることで知られていますが、ニャウンウーでは馬と同様のことをすることができるのですね。
感心しながらカメラを構えていると、お尻を向けた男性に何だろうと近付いた犬が、うわっ馬の足を切っている、とばかりオーバーアクションで驚いている姿まで入り込んで撮影を盛り上げてくれました。
【Alpha7/Boutrais 18cmF6.3 F6.3】
thema:ペッツバール genre:写真
Boutrais 18cmF6.3 | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/11 Sun

日本人が教えたまえしもの

Summicron 5cmF2
ニャウンウーの小さな町は、表通りと裏通りではっきりと性格が別れていることが分かりました。
表通りはほとんど観光客のための町で、そこから1歩内側に入ると完全にローカルの人たちの生活領域です。
表通りを外れてしまうとゲストハウスなど見つからないばかりか、外国人を意識した何かというものすら見出すことはできません。
まるで、ニャウンウーは線の町で、わたしには奥行き感がまったく掴めませんでした。

宿はまた通りに出てから適当にあたりましたが、少し引っ込んだところに新館がオープンして間もないゲストハウスがあったのでそこに決めました。
旧館は1泊2000円で何十年と泊り続けてきたバックパッカーたちの汗の臭いが染みついたような部屋でしたが、新館の方は500円プラスするだけで清潔と快適が確保されているような大きな違いが感じられます。
にも関わらず、旧館は満室で新館はいくつか空きがあるというので、若いバックパッカーは多少の条件には目を瞑って500円拙訳しているのだと分かりました。

早速、ニャウンウーに来た目的遂行の行動に移らなければなりません。
レンタサイクル屋の夫婦は知らないと言っていましたが、宿の従業員に聞いてみると、それならここから歩いて2分だよと教えてくれました。
その従業員とは日本語堪能のジョジョという名前で、向かいにある奥さんの家に住んでいるそうで、わたしは婿養子なのでと日本語で照れながら言う、性格も日本的なところのある男性でした。

お礼もそこそこに向かったのが、作例の写真館です(暗くて分かりにくいのはご容赦ください)。
ある本で読んだのですが、この小さな写真館は、戦前ヤンゴン(当時の名称はラングーン)にいた日本人の写真師に写真撮影を習い、1940年にニャウンウーでこの小さな店を始めたのだそうです。
詳しいいきさつは分かりませんが、開店時に手に入れたのは日本製のAstoriaという恐らく8x10の木製のカメラで、作例の真ん中に写っているのがまさにそのカメラです。
左横にいるのは開店時の店主の娘さんだそうで、当時の設備のまま写真館を続けてきていました。
ジョジョによれば、この写真館はミャンマー中で知られていて、ここで撮影された写真のカレンダーは特に有名なのだそうです。

戦前のミャンマーはイギリスの植民地から脱したいと願い、逆に開放するという名目でアジアの国々に侵出していた日本と共同戦線を張っていたのが、日本人写真師がヤンゴンにいた頃と符合します。
アウンサン将軍も日本陸軍の軍事訓練を受けていたりしたと聞きますが、最終的には隣のインドでのインパールの敗戦を受けて当時のビルマはイギリス側に寝返り、その時点で日本との関係は失ってしまったはずですが、一部の民間人の間にはこの写真館のようにその繋がりから日本を崇拝し続けているケースもあったようです。
この女性はまさに父親から日本人のことを聞いて育っていたのでしょう、戦後ずっと使いやすくなったカメラになびくことをせずに日本人が教えた日本製大判カメラを現在でも使い続けているというのです。
これを知ったわたしは、ミャンマーを訪れた暁にはここを訪れたいと考えて、ついにそれを成し遂げることができたのでした。

わたしはここまで来たいきさつを話し、持参したペッツバールを見せて、このレンズで撮影してもらえないでしょうかとお願いしてみたのですが、カメラへの固定が難しく断念せざるを得ませんでした。
いつも使用しているという210mmだったかのノンコートのフジノンを使用します。
また、カメラは8x10ですが、このサイズのフィルムが入手困難なために35mm用フイルムを使っていたのがとても残念に感じられました。
2枚400円で名刺サイズほどのプリントをしてもらえるとのことで撮影してもらいましたが、強いライティングが影響しているのか、あるいは古いフジノンレンズの特性か、ややソフトな感じながらスタジオで丁寧に撮影されたと分かる(被写体以外)美しいポートレイトに仕上がっていました。
ビルマが最貧国に堕していて、かつ写真館の主に伝統を守るのだという気概があったからでしょう、まるで1940年当時のまま時間が止まってしまったかのような写真館で撮影してまらえるというまたとない機会を得ることができました。
わたしの場合は、日本人が日本のカメラでミャンマー人を撮っていたということですが、このケースは、ミャンマー人が日本のカメラ゛日本人を撮ったということになるわけです。
【Alpha7/Summicron 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Summicron 50mmF2 Rigid | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/10 Sat

KBZでヤンゴン脱出

Summicron 5cmF2
代理店で航空会社名を聞いたとき、KBZ航空だと言われ、えっ、KGB?と聞き返してしまいました。
わたしはニャウンウーという町を訪れたくて、前回も日本からメールで航空券の手配をかけていたのですがあえなく失敗、今回は到着してから現地で旅行会社を探してチケット手配を試みました。
何軒かまわるうちに分かったのは、ニャウンウー行きのフライトは複数のキャリアが飛ばしているものの、すべての代理店が扱えるわけではなく、A店でないと言われても隣のB店ではありますよとの返事がもらえる可能性があることと、航空会社でも直接購入できるが、代理店では20%程度の割引があるということでした。

旅行シーズンのヤンゴン-ニャウンウー線はチケット入手が簡単ではないらしく、希望の日程で手に入ったのは行きも帰りも先に挙げたKBZ航空のものだけでした。
そのKBZも往復とも満席でしたので、幸運にもぎりぎりで座席を確保できたということなのでしょう。
ちなみにKBZは銀行の名前でもあり、どうもミャンマーの財閥が航空業界にも進出したということのようで、もちろんわたしが考えたプーチンの手下組織とは関係ありません。
また、ミャンマー国内線共通の特徴として、搭乗の前日にリコンファームが必要です。

なぜかニャウンウー線は早朝に出発が集中していて、わたしのフライトも7時発でチェックインは5時半でした。
4時に起きてシャワーを浴び、通常700円と言われるタクシーと何台も交渉して500円で行ってもらいました。
チェックインはスムーズでしたが、フライトは当然のごとく30分ほどディレイ。
国内線の待合室は、ゲート別でなくすべて一緒くたで、ほとんどのフライトが遅延のため、聞き取りづらい登場開始のアナウンスがあるたびに人が集まりみながどこの何便だと聞くような、早朝とは思えないぴりぴりした空気でした。
すべてにゆるいミャンマーにあって別世界です。

ニャウンウーの空港からの交通機関はタクシーしかないらしく、ダウンタウンまでは一律500円で値引きにも応じてくれません。
しかも、そのタクシーは宿が決まってないならこのゲストハウスがいいと町の入り口付近のゲストハウス前でとっとと降ろされてしまいました。
ヤンゴンからのフライトが集中するこの時間帯は書き入れ時で、貧乏旅行者をのんびり案内している時間はないとあざけるような勢いで空港方面へ戻ってしまいました。

ホテル予約サイトを見ていましたが、すでに町中の宿はいっぱいになってしまっていて、郊外のリゾートタイプのホテルしか予約受付していませんでした。
タクシーが降ろしてくれたゲストハウスもほぼ満室で古い建物の方なら空いているとのことですが、返事を保留して他を当たってみることにします。
町の規模は想像以上に小さいのてすが、途中朝食をとっているとレンタサイクルが見えたので、自転車で宿探しをすることにしました。
自転車は1日100円と格安ですが、宿が見つかった後も活躍してくれました。

自転車を借りた理由は、表通りのゲストハウスがビジネスライクな雰囲気に見えたので、裏通りに家族経営の民泊のようなゲストハウスがないかと探したかったのです。
そんな中で見かけたのが作例の女性たちでした。
ヤンゴンでもモノを運ぶのに頭の上に乗せているのをよく見ましたが、運びにくいものを頭に乗せるので、それを見ても面白いとは思っても違和感はありません。
しかし、カバンをわざわざ頭に乗せるというのは、どうにも不思議でなりません。
しかも、市場で買ったと思しき野菜が見えているというのにバランス崩れず、頭に吸い付いたようなフィット感は何なんでしょう。
【Alpha7/Summicron 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Summicron 50mmF2 Rigid | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/09 Fri

カチンから来た女性

Boutrais 18cmF6.3
ニャウンウー、チャイティーヨー、モウラミャイン、ヘーホー、チャウイントン、ブーターオ…。
何とも可愛らしいような不思議な響きですが、これらはみなミャンマーの地方都市の名前です。
ミャンマーでは、ヤンゴンとマンダレー、それに新首都のネピードーは名前をよく知られていますが、地方に行くと名前同様に特徴ある町が点在しているようです。
いつかそれらの町をひとつひとつ訪ね歩くことがわたしの夢です。

ヤンゴンやマンダレーなどの中心部の周囲には少数民族の民族名を冠した州があって、前述した地名はそれら少数民族の居住地域の町に当たります。
ですから、独特の響きを持つ地名は彼らの言語と関係があることが想像できます。
恐らくは、現地の人が○○のあるところのように現地語で呼んでいた名前がそのまま地名になったのでしょう。

それら州は、シャン州、カチン州、カレン州、モン州、チン州、カヤー州、ラカイン州と7つあり、民族名がそのまま州の名前になっています。
ミャンマー族も国内ではマジョリティですが、地球レベルで言えば少数民族と言えますので、ミャンマー国内には大きく8つの少数民族の括りがあると言えます。
その中に、ワ族、ナガ族、パダウン族などなど非常に多くの細分化された少数民族が存在していますが、さらに昨日書いた華僑系、印僑系、バングラディシュ系等を加えてミャンマーという国家を形成しています。

ミャンマーは典型的な上座部仏教の国で、小さな村にも寺院が存在していますが、印僑のヒンズー教、バングラディシュ系のイスラム教、華僑系の仏教(ミャンマー人は中国仏教と呼んで分けている)もヤンゴンでは盛んです。
一方、カチン州のように山間の地方ではもともとアミニズムの信仰があり、その後ヨーロッパからの宣教師の布教活動によりカトリックが根付いているそうです。
ミャンマー人と対立してきたカチンなどの少数民族は、ミャンマー人と同じ宗教を選ぶというわけにはいかないという事情もあったのかも知れません。

作例の女性は、ヤンゴンの象徴である仏教施設シュエダゴンパゴダで見かけたグループのひとりにカメラを向けたものです。
かなり暗かったのでISO感度を上げて画面が荒れていますが、特にトリミング等したものではありません。
胸に貼られたステッカーが、ツアーでヤンゴンまで来たことを教えてくれます。
どこから来たのですかと問いかけると、言葉が通じず不思議な顔をされてしまいましたが、グループの中に英語ができる人がいて我々はカチンだと教えてくれました。
服装こそ一般的ですが、髪を覆う布はすべての女性が付けていて、それがカチン族の誇りを表しているように感じられました。
手製の布と思っていましたが、作例で見るとタオルのような既製のもののようですね。
ただ、カバンはあきらかにハンドメイドのもので、売って欲しいと言いたくなるような美しい色使いでした。

カチン州は縦長のミャンマーにあって最北端の一角を占める州ですが、独立の意識が高く、比較的最近までミャンマー政府と内戦状態にありました。
前回ミャンマーを訪れたときに知り合いになった青年がカチン出身で、今回、再会を楽しみにしていたのですが、どうしたことか彼は不在で会うことができませんでした。
政府批判で投獄された経験があるので、あるいはと心配になりましたが、一旅行者では確認を取ることは叶いませんでした。
しかし、いま改めて作例を見ると、この女性の顔つきは青年のそれによく似ています。
なぜ時間を割いてでも探し出して会いに来てくれなかったのだと咎められているような気持ちになりました。
【Alpha7/Boutrais 18cmF6.3 F6.3】
thema:ペッツバール genre:写真
Boutrais 18cmF6.3 | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/08 Thu

ダウンタウンの人並み

Summicron 5cmF2
9月の滞在時もぼやいたような気がしますが、物価の安いミャンマーで旅行者を悩ませるのがホテルの高さです。
物知りの話では、軍事政権が金儲けのために、料金に100%の税金をかけているとか、なかなか新規のホテル開業を認めないとかの理由があるからだとのことでした。
前回泊ったホテルはオープンしたてで、スタッフの女の子がとてもフレンドリーと今回も泊りたかったのですが、前回がすでに7000円ほどと高額だったのに、今回は10000円以上に値上がりしていて別に探さざるを得ませんでした。

5000円以内くらいで絞り込んで、前回のホテルがダウンタウンの東側にあったことから西側にホテルを探すと、チャイナタウンエリアにオープンしたてのホテルが見つかりました。
このホテルはほとんどの部屋に窓が無く、窓付きの部屋は2000円ほど高くなるようです。
ホテルライフなどと言うものとは無縁で、寝るためだけの施設だと考えれば窓なしで十分ですし、窓から外の騒音が聞こえるかもと考えると、窓なしの方が熟睡できるかも知れません。
作例写真を見ていただくと、建物密集エリアは京都の町家のように正面は幅が狭いですが奥行きのあるビルが隣と隙間なく並んでいることが見て取れると思いますが、こういう建物では窓がない部屋ばかりになるのも大いに納得いただけるでしょう。

ホテルは浙江省出身のオーナーとその家族中心に経営しているそうで、当然中国語がよく通じますし、英語はまったくできないレセプションの人もいて、もっぱら中国系の客を主な対象にしていることが分かります。
とは言え、インターナショナルなホテル予約サイトに出でいるので、宿泊客の国籍はバラエティに富んでいました。
ざっと欧米人と、日中韓が半々と言うところでしょう(アジアは中国語ほとんどで日本はたぶんわたしひとり、韓国はゼロと見ました)。
近くにコンビニ、食堂数軒、ゲームセンター、マッサージがあってロケーションとしては悪くありません。
ただ、レストランはいずれも中国料理で、欧米の宿泊客がそんな店でミャンマー料理と誤解しながらチンジャオロースやホイコーローを食べていたとしたら悲劇と言うか喜劇です。

前回泊った東側は完全にミャンマー人ローカルのエリアだったので、レストランはもちろんローカル料理ですし、ミャンマー独特の安いカフェが多かったのにこちらにはそれがないのが残念でした。
カフェが無いのを救ってくれたのが屋台の存在で、料理の屋台の中にはフルーツジュースの屋台が混じっていて、10杯近くのアボカドジュースとパパイヤジュースを飲み干しました。
いずれも100円ほどです。
冬と言うことで、フルーツの種類が少ないのが残念でしたが。

さて、作例ですが、ホテルから東に向かってちょっと歩くとインド街、イスラム街と並んでいて、このあたりが人種の坩堝ミャンマーの典型のように感じられる地域です。
長袖を着ている人がいて、先ほど冬だとわたしも書いたので涼しげな雰囲気に見えるかも知れませんが、ヤンゴンは日中30度を超えるので、真冬の日本から来た体にはかなり厳しい気候と言えます。
ただ、夜間は気温が20度前後まで下がって凌ぎやすく、雨もほとんど降ることかないので、この国の旅行のベストシーズンと言われています。

ミャンマーの中心になぜミャンマー人、インド人、中国人そしてムスリムといるのかと言えば、これも前述の物知り氏が分かりやすく解説してくれました。
イギリスが植民地化したときに、先に侵出していたインドから召使いや警備員として大量に連れて来ていて、その後貿易が盛んになった時に中国から商人が大量に流入して華僑として定着したのだそうです。
ではムスリムはと言うと、彼らはインド人として来ていた現在のバングラディシュ(当時はインドまたはパキスタン国籍)の人たちだと言うことです。
なるほど、作例のふたりはアラブ風と言うよりは、確かにインド人的な風貌のように見えますね。
【Alpha7/Summicron 5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Summicron 50mmF2 Rigid | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/07 Wed

じっとおかずを待つ

Summicron 5cmF2
トワンテのバス乗り場に戻ってきたのは4時55分で、我ながら完璧だと考えていました。
田舎町のバスのことなので、最終が5時ちょうどか6時ちょうどの可能性が高いと踏んでいたからです。
しかし、バスの姿がなく少し心配になって真ん前の店の親父さんに聞いてみました。
するとバスはたった今出てしまってもうないから、ヤンゴンに帰るならバイクで行くしかないが紹介してやろうと1台の青年を呼んでくれました。
終バスが出てしまったのでは選択肢はありません。
料金を聞くと一律協定料金が設定されていて400円だとのことでした。
距離が20キロくらいでしたので高いとは思いませんでしたが、来たときのバスが50円でしたので8倍になってしまいました。
やはり損した気分です。

バスで1時間弱くらいかかったので、帰りは夕日の道をビールでも飲みながら行こう、暗くなったらいい気分で眠れるに違いないなどと考ウキウキしていたのが、1時間近くもバイクの後部座席では疲れるなという憂鬱に変わらざるを得ません。
もうちょっと短時間なら夕日を背に、風を切って走るバイクの後ろも悪くなかったと思うのですが。

ただ幸いだったのは、バイクの若者がスピード狂ではなく怖い思いをすることがなかったことと、ゆっくりだったので途中ですれ違った馬でトワンテ方面に走り去った青年を撮影することができたことでした。
その写真を今日の作例にしようと思ったのですが、確かに通勤か日常的な移動で馬を使うというのは驚きだったのですが、馬で疾走する人なんて珍しくもないので写真で見てもおもしろくありませんでした。

そこで対案として浮上したのが今日の作例です。
途中の集落ですが、道路と並行して小川が流れていて、その先に民家が並んでいるため、どの家にも木の板で小橋をつくって家までのアプローチにしていたのがなんとも面白かったのです。
バイクを少々待たせて何軒か見学しましたが、ここではその橋で家の人なんでしょうか釣りをしていたので笑ってしまいました。
まさか毎夕家の前でおかずを調達しているとか。
見ていたら、吊していた女の子が釣竿をお姉さんに預けてこちらに向かってきたのですが、橋が細すぎてこんな無理な体勢にならないと通り抜けできないようで、また笑ってしまい、そんなわたしを見た件の女の子もケラケラと笑っています。

そうこうダラに向けて走ること45分ほどでフェリーの港に着きました。
途中、停車してやったんだからもう100円寄こせと言われるかなと思ったのですが、400円相当のミャンマー紙幣を渡すと嬉しそうにしていました。
往復1時間半バイクを走らせ、帰りは暗闇の中だというのにガソリン代取らずに400円では申し訳なく感じてしまいます。
そういえば彼は英語がほぼ完ぺきにできないようで、サンキューは理解しているようですが、停車してもらう時に何度ストップと叫んでもこちらを向いて不思議な顔をするばかりでした。
これから、ダラやトワンテを訪れる外国人は徐々に増えてくるでしょうから、老婆心に片言でいいから英語を勉強してもらいたいと切に願いました。

すっかり真っ暗になった川を対岸のヤンゴンからフェリーが近づいてきました。
多くはヤンゴンで働いて帰宅する人でしょうが、船が沈まないかと心配になるくらいの人で溢れています。
押し合いへし合いの下船を眺め終わると、今度は我々が乗船する番ですが、もちろん乗り込むのはそれほどの数ではありません。
それに、彼らはここダラで働いてヤンゴンの家に帰るということではなさそうなのは言うまでもありません。
これから夜勤でヤンゴンに向かうという人がほとんどなのでしょう。
先ほど降りて行った乗客たちがにぎやかだったのに、こちらはすっかりしんと静まり返っていました。
【Alpha7/Summicron 5cmF2 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Summicron 50mmF2 Rigid | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/06 Tue

ヤンゴンの先のそのまた先へ

Boutrais 18cmF6.3
ヤンゴン到着は深夜ですが、翌日は早く起きてまずやらなければいけない大切な用事を済ませに行きました。
翌日の航空券の手配なのですが、5軒ほどを聞きまわった甲斐あって、ぎりぎりどうにか入手することができました。
前回はこれに失敗してヤンゴンの実の滞在になってしまったので、ホッと一息です。
屋台のそば屋で前回は食べなかった汁なしのそばを試してみましたが、これがなかなかうまくて、今回の旅ではことあるごとに食べてしまいました。
ほとんど汁の無い冷やし中華のようなもので、量は少ないですが1杯30円と安く、3時のおやつにいいですし、2杯食べるとランチにもなる国民食のような存在です。

中途半端な時間でどこに行くか考え、ヤンゴン川対岸のダラという村を再訪してみるかと思い立ちました。
前回はフェリーだったので、今回は渡し船で行ってみようと試みましたが、外国人は法律で乗せられないのだと船着き場の係員がつれない態度です。
見かねたインテリ風の男性が乗せてあげたらと、それこそ助け船を出してくれたのですが、なんでも役人に見つかると罰金を取られるとかで取りつく島なしでした。
ただ、そのやり取りで、インテリ男性からダラの先にあるトワンテという町もいいよと教えてもらいました。
情報はそれだけですが、その一言だけで本日の目的決定です。

フェリー乗り場に行くと自称ガイドという人が集まって来ます。
みなダラの村の貧しい青年たちで、中には小学生くらいの子どももいて彼らを袖にするのは申し訳ないですが、今回はダラには行かないので何人となく断らなければなりませんでした。
ガイドが不要なら絵葉書買ってと来るので一人当たり2回のお断りを繰り返します。

フェリーが数分で対岸のダラの船着き場に着くと、今度はトライショーやバイクタクシーから激しい勧誘がありますが、これらは大人たちなので無視してやり過ごします。
トワンテは町だと言っていたのでバスくらいあるのではと思っていたら、果たしてバスが停まっていて、車掌のおじさんがいくつかの地名をいう中でトワンテと聞き取れたので乗り込みました。
英語はできないようですが、ハウマッチに対してファイブハンドレッドと即答する程度はヤンゴンとその周辺では当然のことのようです。
わたしが乗っていたフェリーの人々でバスはすぐさま満席になって出発しました。
トワンテに着いたら教えてと身振りで言うとOKと笑いましたが、何のことはない、このバスの終点がそのトワンテなのでした。

町には市場があって、古い民家もぽつりぽつり、町中には子どもが遊んでいて等々カメラを持っての散歩に適した町でした。
おもしろかったのは、喉が渇いたので雑貨屋でビールを買ったら、あなたもしかして日本人と聞かれそうだと答えると、その人が家族やら近所の人やらに声をかけてその多くが携帯持ってきて、わたしとのツーショット写真を撮って喜ぶという不思議な展開があったことです。
外国人が珍しいところとは思いますが、写真を撮るという意味が分かりません。
少しアイドルにでもなった気分でした(珍獣扱い?)。

さて、その店の店主に町の見どころを聞くと特にという感じで反応はいまひとつでしたが、何でもいいから面白いところをと聞き直すと、ポタリーをメイキングしている集落があると教えてくれました。
さらに、近くにいたバイクを招きよせて50円で行けと指示してくれます。
ポタリー・メイクとはやはり素焼の窯元のようなところで、建物は藁葺で室内で焼いたり絵付けをしたりしているのを、挨拶して上がり込んで勝手に見学させてもらいました。
集落にはお寺を囲むようにそんな窯元が10軒くらい並んでいて、なるほどこんなところもあったかと感心しました。
ヤンゴンは今首都ではありませんが、ミャンマー最大でアジアでも有数の都会ですが、そこからわずかなところに鄙びた面白い町がみつかりました。
またひとつミャンマーが好きになります。
【Alpha7/Boutrais 18cmF6.3 F6.3】
thema:ペッツバール genre:写真
Boutrais 18cmF6.3 | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/05 Mon

シュエダゴンの少女

Boutrais 18cmF6.3
明けまして、おめでとうございます。
弊ブログもどうやら新しい年を迎えることができました。
日ごろお世話になっている皆さまに、お礼申し上げる次第です。

今年も年末年始は家にじっとしていることができず、外に飛び出してしまいました。
12月29日が仕事になってしまったため、9連休と言うわけにはいかず休暇は6日間で、悩んだ末の行先はミャンマーにしました。
9月に行ったばかりですが、その時は旅行社のミスで行きたかった目的地まで足を延ばせなかった点、前回は酷暑の中でしたがこの時期はとても凌ぎやすい旅行シーズンと聞いていた点、前回知り合った青年にまた会ってみたかった点などに指を折ることができますが、それにも増してミャンマーという国がたいへん気に入ったのが最大の選択理由です。

たった6日間では国土が広大で、交通インフラ未熟のミャンマーのほとんどを見ることはできませんが、それはどこの国にしても同じなので気にしません。
それは中国の度重なる旅で慣れていますし、むしろその不便さを楽しみたいと思います。

乏しいわたしの経験からミャンマーの魅力をひとつふたつあげるとすると、真っ先に思い浮かぶのが、人心の純朴さということになりますでしょうか。
人々はゆったりと自分のペースで穏やかに生活しているのが町を歩いているだけで伝わります。
例えば世界の中では怪しい人間が集中することが常識のタクシーの運転手ですら穏やかな人ばかりで、比較的英語がよく通じることもあってよく話を聞きましたが、好い人ばかりなので空港到着からホテルへ向かうタクシー運転手と会話している中でミャンマーという国が好きになる人も出てくるのではと思うほどです。

もうひとつは、それと関連しますが、ミャンマーが人種の坩堝のようなところがあって、人々の顔つきや宗教文化などが多様だという面白さをあげたいと思います。
首都ヤンゴンのマジョリティはビルマ人ですが、ダウンタウンの中にはインド人街とチャイナタウンがあって、その狭間にはモスリム居住区があり、道を真っ直ぐ30分も歩くとそれぞれの文化圏を一気に縦貫してしまうことが可能です。
さらには、それと気付かない中で、各少数民族をも垣間見ることができます。
本来はマイノリティについてはそれぞれの州に行って、その生活に触れられればベストなのは言うまでもないですが。

まだ、旅の余韻が残っているせいか、こんなことを書いていたら紙が尽きてしまうでしょう。
そのうち覚めてしまうと、書くことがなくなるのは分かっているので、調子がいい時にもっと書いておきたいところです。
さて、今日の作例は、新年の書き出しということで、大晦日の夜にヤンゴンのシンボルである寺院、シュエダゴン・パゴダで来年に向けて祈りを捧げる人々を撮った中の1枚を選んでみました。
本当は元旦のご来光をと計画していたのですが、人物をうまく取り込んでの撮影ができなかったので、こちらにしたという経過になります。
先ほど人々が魅力的だと書きましたが、それは、彼女の瞳によく現れているのではと思うのですが、いかがでしょうか。
【Alpha7/Summicron 5cmF2 F2】
thema:ペッツバール genre:写真
Leitz Summicron 50mmF2 Rigid | trackback(0) | comment(8) | 2015/01/04 Sun
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