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的士的問題

Francais 15cmF4
わたしがフィリピンから帰国した日のニュースで、タクシーに乗っていた日本人が銃で撃たれて死亡した事件を報じていました。
場所が、わたしも訪れた竹のオルガンのあるラスピニャス市のことだと聞いて少々驚きましたが、タクシーの運転手にやられた訳ではなく、バイクに乗った賊による犯行とのことでした。
ただし、マニラではタクシーは危険で、なるべく流しのには乗らずに、ホテルなどで呼んでもらうようにと言われているようです。

そんなこととは知りませんでしたが、幸いタクシーを利用したのは空港への行き帰りだけでしたので命を取られることはありませんでした。
しかし、空港に行こうと停めたタクシーは、走り出してもメーターを倒さず抗議すると、空港までは渋滞しているので2000円寄こせと来ました。
たぶんメーターなら500円くらいで行くはずなので、ふざけるなと信号待ちの時にタクシーを降りてしまいました。
なんとタクシー運転手はもうすぐ信号が変わるかも知れないタイミングでもかまわず、車を放ったままにわたしを追いかけてきました。
いきなり手首を引っ張られたので、刃物でも出されてはかなわないと初乗り料金を払うかと財布から札を出しかけると、初乗りの2.5倍に相当する100ペソ札を抜き取って去って行きました。
見るともみ合った際に相手の爪で切ったようで、手の甲から出血していました。

続いて乗ったタクシーもメーターを倒しません。
倒さないなら降りると言うと分かった分かったとメーターを倒しますが、動作が不自然です。
見るとメーターの数字がすでに2000円以上になっていますが、このゼロは関係ないとへらへら弁解し出しました。
あまりにふざけた芝居にまた降りたのですが、今回は追って来ませんでした。
その直後に乗ったタクシーはようやくまともな人で、今までの経緯を説明すると妙に恐縮して、信号待ちのときに売り子からお菓子を買って半分分けてくれました。
空港まで渋滞はなく10分ほどで到着し、料金も200円ほどでした。

マニラにはタクシーが多く走っていますが、まともな運転手はどのくらいの割合なのでしょう。
わたしが乗ったのは比較的繁華街から近かったので観光客を狙う雲助に遭遇する確率は高かったでしょう。
それにしても3回乗ってうち2台がやばいタクシーとなると、マニラでは流しのタクシーに乗ってはいけないというのは本当なんだとしみじみ思いました。
ちなみに到着時の国際線専用のターミナルには一般のタクシーは立ち入り禁止で、料金が1.5倍くらい高い専用のタクシーが対応しています。
入国早々タクシーでトラブッては国の威信に関わると政府が改善したということのようです。
しかし、空港へ向かうためには公共交通機関が無いので、やはりタクシーで行くしかないので、いちばん好いのは行きに利用したタクシーの名刺をもらって帰りに呼んでもらうということでしょうか。
面倒臭いです。

さて、作例ですが、イントラムロスの一角でちょっと地黒の日本人と言っても分からないんじゃないかというような女の子が歩いていました。
制服を着ていて高校生のようです。
少し離れたところから1枚撮って、声をかけてもう1枚撮らせてもらいました。
2枚を比べるとポートレイト風よりもこちらの方が雰囲気あってよかったので採用します。
女子高生ですかと聞いたところ、いえ、カレッジですとの返事でした。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
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thema:ペッツバール genre:写真
Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/31 Fri

写真師的影響

Francais 15cmF4
前月のミャンマーに行く際、この国の事情に精通している高野秀行さんの本を数冊読んでから出発しました。
情報収集と言うより、気分を高めることが目的で、それは十分以上に果たされたと思っています。
その国の現在の状況は新聞やニュースなどで表面的に知ることが可能ですが、それ以上によりディープな内情を今よりだいぶ前のことがらであっても知っておくことは、旅しているさなかのできごとにより深い意味を与えてくれる可能性を高めます。
例えば5年前、10年前のその国をニュースレベルではなく、時間をかけて旅して来た人の話を読むことから、自分のわずかな時間の旅を繫ぎ合わせて点から線に変えることが可能になってくると思うのです。

今回のフィリピンではだいぶ以前に買って読んでいた日比野宏さんのフィリピン紀行、「バハラナ」と「マガンダ」の2冊を読み返してからフィリピンに向かいました。
この2冊は1996年の出発となっているので、旅自体は20年ほども前のことになります。
高野さんの本のミャンマーとわたしの旅した時のミャンマーでは政治的な違いが計り知れないくらい大きいのですが、フィリピンの20年前は現在とどのくらい違っているのかさっぱり分かりません。
ただ、本を読み返して得た印象と旅してきて得た印象は、わたしにとってまったく変わらないものでした。

日比野さんは、本来は写真家で日本国内で活動していた方ですが、もともと仕事とは関係ないところでアジア各地を次々と旅して歩いていたようです。
それが、アジアの実情のリポートとして雑誌に取り上げられたり、エッセイを執筆したりしているうちに評価が高まったことで単行本を出版するまでになったようで、趣味で撮っていた写真や書き物を意識しない現地での出来事などが類例のない稀覯本として実を結んでいたと思います。

使用していたカメラがライカで撮るのはもっぱら現地の人々と言うこともあって、わたしは大いに影響を受けました。
わたしも観光地ではなく人ばかりを撮っていたのですが、そういう写真はなかなか人に見せても退屈されるばかりでしたが、写真の質さえ上げられれば、そのやり方そのものは間違っていないと教えられたような気がしました。
それに、当時はフィルム言うこともありましたが、日比野さんは日がなしゃかりきになって写真を撮っていたり、決定的瞬間を期待してカメラを手にしているということではなく、旅の中で写真を撮りたいという自分のタイミングを持っていて、普段は旅していることにより楽しみを感じていると感じさせるところにも共感を得ることができました。

日比野さんのフィリピンの旅は当然ながらマニラに留まるものではなく、あらゆる方面に足が向いていますし、それほど積極的な行くべき理由はなさそうでも、複数回その地を訪れているということもあって、わたしのなんちゃって2泊3日滞在とはまったく比較の対象にはなりません。
マニラのところでは、スラム地域に何度も足を運んで現地住民と親しく対等の関係になったり、繁華街ではポン引きと友人になって夜な夜な語り合ったりもしています。
わたしがイントラムロスで出合った人々に、そういった登場人物が重なり合ってしまうことは避けられなかったですが、けっしてそれも間違いではないと考えています。

イントラムロスの中にマニラ市立大学があるそうで、校門の前にオープンカフェが並んでいたのでわたしも休憩しました。
そこのドリンクは砂糖の量を選べることができたので、わたしは迷わず0%にしたのですが、それでも甘いドリンクが出てきたので、いちばん甘いのを頼んだらどうなっていたのか逆に興味が湧いたくらいでした。
作例は2テーブルくらい先にいた親しげに談笑する大学生カップルです。
モノクロ中心で表情をとらえる名手、日比野さんをかなり意識して撮影しました。
最大の違いは写真のレベルですが、レンズの焦点距離も日比野さんが28mmを愛好していたのに、わたしはもっぱら望遠好きになってしまったという違いもあります。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/30 Thu

馬尼拉的裏面

Francais 15cmF4
イントラムロスというのは、スペイン統治時代の遺構を残すエリアのことですが、今では地名として定着しています。
もともとスペイン語で、壁の内側というような意味で、城壁のような壁で囲まれており、その名残はじゅうぶんに味わうことができます。
かつてのサンティアゴ要塞は博物館として公開されていますし、マニラ大聖堂やサン・アウグスティン教会、サンタ・クララ修道院などのカトリックの施設はかつてのまま残っています。
それ以外にも西洋的な建築は多くあるので、宗主国だったスペイン人はもとより、外国から訪れる観光客や地元のフィリピン人にも受け入れられるものだと思います。

一方で、イントラムロスには、現地の生活エリアも背中合わせに存在していました。
スペイン的、西洋的なエリアなので、富裕層が住んでいると想像されがちですが、貧困層まではいかないのかも知れませんが、中間層にも満たない低所得の人々が多く暮らしているということでした。
ジプニーからここまで案内してくれた若者が教えてくれたことです。
彼は、財布を尻ポケットではなく前にしまうように、カバンもたすき掛けにして前で抱えるように持つように何度も言ってから立ち去りました。

マニラには貧困層のバラックが並ぶスラム街のようなところもあって旅行者が足を踏み入れるのは危険であると言われていますが、一方で彼らは貧しいだけで心優しき人々ばかりなので安全だったという報告もあります。
イントラムロスの生活者も所得こそ少ないものの普通に生活している人々と言う印象で、とくに危険だということはなさそうでした。
むしろ、このエリアが観光地と言うことで、勝手の分からない旅行者を狙う連中が存在していることが問題なのかも知れません。

むしろ、わたしにとって面倒だったのは、トライショーや馬車の勧誘でした。
イントラムロスがどのくらいの広さがあるのか分かりませんが、歩いてまわるのは無理なので、主要なポイントを自転車の横に客席を付けたトライショーや作例のような馬車でハイライトを巡ってあげようと誘ってきます。
わたしはそういう観光目的に来ている訳ではないので断るのですが、その先には別のトライショーが待っていてまた勧誘、また断って、またまた別のが勧誘の際限なき繰り返しでした。
トライショー利用は前月のミャンマーで体験しましたが、会計時にちょっとしたトラブルもあって懲りたこともありますし、全部を見て廻る必要もないので自分の足で歩くのに越したことはありません。

馬車で巡るというのはアジアではなかなかないことでしょうから試してみても面白かったかも知れません。
しかし。1組だけ馬車で観光している西洋人の老カップルを見ましたが、日本人がひとりで乗って似合うものではないなと悟りました。
それに馬車に乗っている人を撮影するところをよく見かけたので、馬車で観光しているというよりは、馬車で観光される側の一部になってしまっているということのように思えてますます利用したいという気になりません。

訪れたのは日曜日でしたし、最高気温が28度程と東南アジアにしては割と凌ぎやすい気候だったにもかかわらず、訪れている人はそうは多くありませんでした。
バンコクやシンガポール、クアラルンプール、あるいはサイゴンあたりの都会とマニラの違いはそこにあります。
リゾート地を別とすると、外国人観光客には支持されていない土地だということです。
アジアの他の都市とはよく似ているようで違いがあるのでしょうが、わたしにとってはそれは偏見のようで、どういうことが違うのかはこの日の滞在でいう限りさっぱり分かりません。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/29 Wed

瑪格麗塔・艾琳・戈麦斯

Francais 15cmF4
カバンの中から名刺が何枚か出て来ました。
フィリピン滞在時のものですが、昨日の作例の間もなく結婚するという女性の名前が、マルガリータ・アイリーン・N・ゴメスさんということが分かって、すごい名前だなあと感心しました。
帰国した後もバーでカクテルを飲むときにわたしの名前を思い出してねなどと、マルガリータという名前をやや自虐的に語っていましたが、それにしてもマルガリータ・ゴメスさんと聞いたら、フィリピン人ではなくスペイン人か中南米人を想像します。
彼女自身の祖先はスペイン人なのでしょうけれど。

かなりまけてもらって手に入れた木製の不動明王像をカバンに入れて歩き出すと、早速、その効能が現れたようです。
昨日の夜ビールを飲んだ後についつい現地の麺を食べてしまい、腹が張って朝食を抜いていたのですが、そろそろお腹が空いて来たかなあと思っていたところ、マルガリータの骨董品屋さんの何軒か先に古い洋風の建物があって、興味深く見ていたら、ガードマンが興味があるのか中にはレストランもあるから入ってごらんと教えてくれました。
中にあったのはレストランと言うよりバーでしたが、ランチもやっていると言って10時半にも関わらず、フィリピンのティピカルフードだというのを作ってくれました。

その料理の名前は忘れましたが、前夜食べた麺の名前はよく覚えています。
ルミというのだと教えてもらいましたが、美味しいそばの名前がルミちゃんというのでこれはこの日の夕方も食べることになりました。
検索するとルミでは見つけられませんでしたが、ローミー麺と言うのがあり、とろみのある煮込み麺だと書いてあるのでそれに間違いありません。
冷房ががんがん効いていないときついですが、かなり美味しい麺でしたので、フィリピンに行かれる向きにはお勧めします。

引退してフィリピン旅行に来ているというイギリス人男性と、そのバーで長話してしまいました。
ウエイトレスによればここ1週間以上毎日開店からディナーまでずっと座って飲んだり仕事したりしているそうです。
なんでまたと聞くと、来週からリゾートの島にくつろぎに行くのだが、それまでに仕事を片付けなくちゃならなくてね。
ここは居心地がいいんでずっと入り浸りさとウインクしています。

バーの前からは、ジプニーに乗ってイントラムロスに向かいました。
イントラムロスとは、マニラのほとんど中心にありながらスペイン統治時代の街並みを残した歴史保存エリアです。
昨日の夜のカラオケの女子大生もこの中にある大学に行っていると言っていたので、もしかしたらとも少し期待します。

ジプニーは、もともとが米軍の払下げのジープの二大を2つの長椅子に改造した、乗合ミニバスのようなもので、安価な料金でマニラ市内をくまなく結んでいる便利な乗り物です。
とは言え、行先や経由地が分かりにくいですし、治安的な不安もあるので普通の旅行者には利用しやすいとは言えません。
ただ、マニラでは、流しのタクシーに乗るべからずと言われるほどタクシーもリスクのある乗り物なので、であれば頑張ってジプニーを乗りこなすべきでしょう。

本で読んだことや自身の乗車体験では、基本的に治安面での不安はあまりないと言えます。
例えば料金を払うときは、現金を前方の人に手渡し手渡しで、リレーのように運転手に届けられます。
車内が混んでいる時も新たな乗客が乗ってくるとみな詰め合って席を作ったりということも普通にあります。
何か一蓮托生的な乗客同士の連帯感を感じられる乗り物と言えます。
わたしが乗ったときはイントラムロスと言ってお金を渡すと、まわりの何人かの乗客が、いかにも外国人が乗ってきたことに分からないことがあれば聞いてくれと言うような暖かい目で見てくれているのが分かりました。
そして実際、ジプニーには終点まで乗ってそこから少し歩かなければならなかったのですが、乗客のうちふたりがこっちだよとわたしを手招きして、イントラムロスの中心のマニラ大聖堂まで付いて行ってくれました。
作例は、その大聖堂の中での1枚です。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/28 Tue

骨董店的新娘

Francais 15cmF4
タールから戻って、ホテルのそばの安食堂で夕食をとりました。
料金は感覚的に日本の半額から3分の1くらい、内装も安っぽかったので安食堂と表記しましたが、客層は割と中間層くらいな雰囲気で家族連れなどもいて、日本で言うファミリーレストランか近所の人気店みたいなところだったかも知れません。
メニューが文字だけでさっぱり分からなくて難儀していると、そこは英語の得意なウェイトレスがやって来て、何を食べたいか、肉か魚? 肉を、ポークかチキン? 昼がポークだったのでチキン、チキンのメニューはここからここまでというようなやり取りです。

名前がいま思い出せないのが残念ですが、チキンのところに書かれたメニューも何が何だか分からなかったので、変わった名前のものをオーダーすると竈で焼いたようなスパイシーでないタンドリーチキンのようなものが出てきて美味しく、これは大当たりでした。
フレッシュジュースもあったのでビールは我慢してパパイヤのジュースも頼みました。
フィリピンのフルーツと言うと一も二もなくバナナを思い出してしまいますが、熱帯らしい季節のフルーツは豊富なようです。
これにライスを付けて400円弱だったので、ディナーとしては満足感が高かったです。

カラオケがちょっとうるさかったのですが、近くにバーがあったので入ってみました。
入ると女の子がいっぱいいて、うっとたじろぐことになりますが、怪しい店とかではないようです。
日本人でしょうと日本語で聞かれたのでボラレるのかもと、いやわたしはビジネスで来ている台湾人で、お金もあまり持っておりませんなどと言うと、片言の中国語を話す女の子が来て説明を始めます。

女の子を選んで別室でカラオケ&飲み放題ができると言います。
いやだから金がないからカウンターでいいですと答えたのですが、2時間飲み放題で3000円ほどだとのこと。
3000円も使えないし、そんなに長居したくない、カラオケはやらないし、女の子にも興味なしと言いかえしたところ、ディスカウントするからお願いだからカラオケしてくれと切願モードです。
カラオケを安くしていかがわしいことされてボッタクるんでしょと聞くと、そういう店ではありませんとなったので、まあやばくなったら有り金全部置いて逃がしてもらおうと考えました。
タール行きのタクシー代を払ったら手許には3000円ほどしかなかったので、これで全部と見逃してもらうつもりです。

最初から金を2000円だけ見せてこれだけしかないと言ったら、1時間飲み放題1000円でいいとのこと。
それでも店の女の子をひとり選んでというので、20人くらいいる中からいちばんシャイそうな可愛らしい女の子を選択します。
もしかしたら、ということもなく、ただカラオケのセッティングをするだけの女の子でしたが、聞くと彼女は女子大生で夜は健全なこの店でアルバイトしているとのこと。
わたしが昼間タールに行ったというと、そこからそう遠くない町出身だそうで、ちょっと話が盛り上がります。
大学は、明日行こうと思っていたマニラの歴史的町並みエリアの中にあるというので、明日食事でも誘いますが、これはやんわり断られました。

わたしが歌わないと言うと、もったいないからと彼女ひとりがずっと歌う状態でした。
リクエストと聞かれて、ブログサブタイトルの元になった、マドンナのライク・ア・ヴァージンを頼むとなかなかにうまいので驚きでした。
すっかり親しくなって、帰り際にまた来てねと言われて、明日の夜、日本に帰らなくてはいけないと正直に答えたところ、あれ、あなたやっぱり台湾人じゃなくて日本人だったのねとばれてしまいました。
1000円の元をとろうとビールを4本も飲んだのがいけませんでした。

作例は、その時の店ではなく、翌朝町中を歩いていて見かけた骨董品屋さんのオーナー、マルガリータさんとそのお母さんです。
木彫の小さな不動明王(?)がすっかり気に入って購入してしまいました。
フィリピンにはほとんど仏教徒がいないはずなので何であるのか不思議でしたが。
彼女のお勧めは、ポロプドール遺跡の石像でしたが、とても大きくて重くて買う気にはなれません。
そもそもポロプドールの石像持って来ちゃまずいんじゃないのと突っ込むべきだったか。

マルガリータさんは、滞在先のリゾート地で、バカンスに訪れていた年下のオランダ人男性と運命の出会いをし、交際すること1年余り、つい先日婚約したのだそうです。
結婚式は親戚だけを呼んで近く香港で挙げる予定だというのですが、その理由は、地元でやるととんでもない数の親戚縁者や知り合いが集まってしまい収拾がつかないうえに、何百万もかかるので、ようやく骨董屋の商売が軌道に乗り始めているので節約しなくてはいけないと笑っていましたが、香港の結婚式も安くはなかろうにと思うと不思議です。
さすが骨董品店の主、わたしのペッツバールを目ざとく見つけるので、写真を撮って、メールで送ることになりました。
彼女の独身最後の1枚になるのかも知れません。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/28 Tue

工事中

Francais 15cmF4
こんな道路看板に反応する人はわたしと同じ40代かそれより上の人かも知れません。
わたしが高校生の時にMen at workが流行して、Who can it be now? とかDown underなんて曲を毎日のように聴く時期がありました。
流れていたのはラジオではなくテレビで、当時ミュージックビデオが全盛でドラマもアニメも関心のない学生時代だったので、全米ヒットチャートのようなものはかなり見ていた方かなあと思います。

しかし、これは今でもそうですが、歌詞を聞き取れるだけの能力はありませんでしたし、タイトルの意味すら分からなくても平気でいたりと言うこともありました。
Men at workも、働いている人? いや、ワークは作品の意味もあるから作中の人物? とバンド名すら意味不明でした。
タールからマニラに戻る路上でこの看板を見たときも、働き人あり、という意味だと思いました。
それであっているのでしょうが、いま辞書を引くと単に「工事中」となっていました。
そんなんでよかったのですね。

わたしは、英語圏の国にはあまり滞在したことがなく、目的地として訪れたのは数年前のオーストラリアだけですが、そのMen at workの母国のオーストラリアでは工事現場を見ず、したがってこのような看板もあいにく見ませんでした。
英米などではどうなのでしょうか。
こんな看板は当たり前にあるのだとしたら、こんなものを撮っているわたしはどうかしていると思われるでしょう。

フィリピンの言語事情は複雑なようで、簡単に片づけることのできない問題でもあるようです。
そのため道路に英語の看板が立ってしまうのでしょう。
以下、依然に読んだ本や、今回聞いた話などを裏付けなしに書かせてもらいますが、確か、公用語はフィリピーノ語でそのもとになっているのがタガログですが、タガログはマニラのあるルソン島の言語です。
この関係は、中国の公用語が普通話と言って、北京語を元にしているのとよく似ていると思いました。

フィリピンは諸島国家で島ごとに言語があるようで、セブ島や周辺はビサヤ語というのを話し、使用人口はタガログより多いといいます。
他にもイスラムの島ではマレー語に近い言葉が話されていたりなど、実態はフィリピン人に聞いてもよく分からないくらいなのですが、そこを少し強引にタガログ中心にしてしまったことで歪みが生じてしまったようなのです。
フィリピンはスペインに統治されていた時代とアメリカに統治されていた時代、独立後も米軍基地が設置され続けたりと外国支配の強かった国なので、英語の通用度はかなり高いですし、各言語にスペイン語の単語がかなり混じっているとも聞きます。
123をウノ・ドス・トレスと言うとも聞きました。

加えて、多くの人が海外に出稼ぎに行っています。
これも記憶で書いているので誤りがあるかも知れませんが、ドイツの看護師やサウジアラビアの建設業、香港・シンガポールのメイドさん、もちろんかつてのじゃぱゆきさんもいて、それぞれの言葉を流暢に使いこなす人から熱心に勉強する学生まで多いそうです。
貧困ゆえに教育を受けられず語学もダメと言う人も多いようですが、押しなべてフィリピン人の語学力は高いと言われています。
この小さな旅の中でも、英語がうまくしゃべれずに恥をかいたことがありましたし、日本人ってなぜみな英語ができないんですかと聞かれたこともありました。
悔しいですが、反論できません。
英語の勉強に、Who can it be now? の歌詞の意味を調べてみようかなどと考えています。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/27 Mon

兌換鏡頭

Francais 15cmF4

タールの旅に使用したフランセのレンズは、いつものとおりksmtさんの手によって、マウント改造と素性調査を行ってもらっています。
ただし、それは今年の4月のことですので、かれこれ半年近くもわたしはレンズを放置していたことになります。
同じフランス製品でもワインなら半年の間に多少の熟成が進むかも知れませんが、レンズでは埃をよりかぶるだけです。
レンズが大ぶりで使用する優先順位を下げてしまったのが遅れた原因ですが、せっかく改造くださっているksmtさんに申し訳ないので、以降は即使いたいですが、実はまだ未使用のペッツバールが数本、机上に鎮座しています。

メーカー名のFrançaisは、フランス語とかフランスのという意味のフランス語で、英語のEnglishやドイツ語のDeutchに相当すると思います。
ただし、真のフランスのレンズを作るという意味でそういう命名をした訳ではなく、創業者の名字がフランセさんということに過ぎません。
そういえば、ソプラノの鮫島由美子さんは旦那さんは、ドイツ歌曲の伴奏で有名なピアニストのヘルムート・ドイチュさんですが、イングリッシュさんという名前の人もいるのでしょうか。

昨日、フランセは前頭クラスのメーカーのようなことを勝手に書きましたが、ダゴスティーニ氏の本でもその他メーカーのような位置づけで記載されていて、4本のレンズが紹介されていました。
フランセは、ジャン・ピエール・エミール・フランセ(1830~90年)が1865年頃始めた会社とあります。
紹介されているレンズのうち2本はコンバーチブルというレンズなのですが、わたしのフランセもそのコンバーチブルタイプのレンズになります。

コンバーチブルレンズというのは文字通りコンバート可能なレンズと言う意味で、レンズ前群や後群を取り換えて焦点距離を変えたり描写の性格を変化させたりできるレンズはこのような呼び方をされています。
フランセのコンバーチブルレンズは、通常使用するペッツバールが人物用と前群だけを使用する風景用の2通りの使い分けができます。
面白いのは、ペッツバール位置でのフランジ金具が風景用レンズとして使用するときはフード部分に付けられるようになっていることで、大判用カメラのレンズボードにフランジ金具を固定しておけば、人物用と風景用の使い分けが実に簡単です。
ksmtさんは、後群を前後逆に入れ替えるとソフト効果があることから第三の使用方法があると指摘されています。
シャープな人物用レンズと風景用レンズ、それにソフトフォーカスレンズと一粒で3倍美味しいレンズということですね。

レンズには"No,, 1638 Francais Paris"という刻印があります。
製造番号1638は、ダゴスティーニ氏の本のコンバーチブルレンズが4544と10551よりだいぶ古いことになり、この会社が1865年頃設立と言うことを考えると1866~67年あたりの製造なのではと想像させます。
しかし、レンズのコバに「1872」という書き込みがあるので、1872年製造と考えた方が正しそうです。
そう仮定すると、7年間でレンズが1638本では少なすぎるので、むしろ創設されたのが1870年くらいなのではと考えた方がよいのかも知れません。

コバにはレンズの製造元として、"Lerebours"や"Darlot"と書かれていることがしばしばあって、自社でレンズまで作っていたのではないことに気付くこともありますが、このレンズには"Francais"と書かれているので、独自にレンズ・ガラスも製造していたのかも知れません。
前にも書いた通り、このレンズのシャープネスは素晴らしいものがありますが、残念ながら解像力はルルブールやダルローより劣っていると感じていましたが、レンズのコバの手書きの文字がそのことを裏付けているということでしょう。

さて、今日の作例ですが、タール町であまり撮影もしないうちに雨が降って来てしまったので、運転手のジェフリーに頼んで20~30分市場のあたりをうろつかせてくれと頼んで、ようやく撮ったものです。
このあたりではドレスづくりの伝統があるそうで、市場の中にもウエディングドレスを中心に製造販売する店がいくつも並んでいました。
本当はウェディングドレスを試着する女性が撮りたかったのですが、さすがにそんな瞬間には立ち会えませんでした。
この子は、オーダーしていたドレスを取りに来たところだったようで、わたしは彼女の自慢のドレス姿の最初の撮影者と言う幸運に恵まれました。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(5) | 2014/10/26 Sun

前頭鏡頭

Francais 15cmF4
19世紀フランスの光学機器メーカーの実態はなかなか掴めません。
特にダゲレオタイプ期やペッツバール全盛の時代は、もっとも興味あるところなのですが、資料がほとんどなく研究はさっぱり進みません。
ひとつ漠然とながらも分かったことは、ネット・オークションなどの出現数が圧倒的なことから、ダルロー(ジャマン・エ・ダルロー銘も含めて)が最大の製造数を誇ったことが想像できます。
製造が多いといっても、わたしが所有しているレンズの描写を見れば、廉価なレンズを大量生産したということではなく、当時ほとんどが写真家のプロフェッショナル使用で、彼らの目にかなった高性能が理由だと分かります。

フランスレンズに限定しなければ、オークション出現率が高いのは、フォクトレンダーとダルマイヤーがあげられますが、それらよりもダルローはかなり見かけるので製造数が上回っているのではと考えます。
しかし、性能に於いては、恐らくこの三社は互角といえるペッツバールを製造していたと考えられるので、ペッツバール御三家と呼びたいと思います。
あるいは頭文字をとって、ペッツバールDVDと呼んでもいいかも知れません。
その後に続くのが、フランスのルルブールとエルマジー、イギリスのロスあたりということになるでしょうか。
この三社はいずれも高性能ですが、市場に出てくる機会は御三家より少ないので、製造数もやや少なくなるのかなと考えています。

話をまたフランスレンズに限定して、ダルロー、ルルブール、エルマジー以外のメーカーはどうなのかと見て行こうとすると、かなりこころもとなくなっしまいます。
名前だけで言えば、シュヴァリエという大御所がいますが、このメーカーのペッツバールは一度しか見たことがありませんし、とんでもなく高く売られていたので手が出なかったくらいなので、ほとんどペッツバールは製造していなかったのでしょう。
エルマジーに次ぐのはドゥロジーというメーカーだと思われ、さらにベルティオはその後の会社の発展でメジャーに昇格した光学機器メーカーと言えるでしょう。

さらに続くところの名前をあげると、ソレイユ、ガスク・エ・シャルコネ、オズー、デマリア、ミレー、フランセあたりがあげられるでしょう。
いずれも少なくとも2回以上ペッツバールが売られているのを見ることができたメーカーたちです。
わたしが所有しているヴァランタンやゴーダンもこのグループに入れてもよいかも知れません。
強引な例えで、フランス19世紀レンズ番付で、ダルローが横綱とすれば、ルルブールが大関、エルマジーが関脇、ドゥロジーとベルティオが小結と言うことで、以下、ソレイユ、ガスク・エ・シャルコネ、オズー、デマリア、ミレー、フランセは前頭、シュヴァリエは引退した親方と区分けすることにしましょう。

ちなみに、19世紀フランスの光学機器メーカーがそれで終わりかといえばさにあらずで、例えば、ダゴスティーニ氏の゜1800年代フランスの写真撮影レンズ」という本には全部で70ほどのメーカー名が記載されています。
それらの多くは会社存続期間が長いとは言えない弱小メーカーだったのかも知れませんが、当時最新の科学技術だった写真術から大きな産業へと転換する中で、時流に乗ろうと立ち上がったメーカーが林立したのは事実であり、そのほとんどがパリに存在していたというのも、今の日本の東京一角集中によく似た現象です。

さて、今回使用したフランセは、どうやら前頭級メーカーのペッツバールということになるのですが、一見するとたいへんシャープな描写で高性能であることを期待させるレンズです。
しかし、これを拡大してみると、どうも三役クラスのメーカーのレンズと比べて解像力が落ちるのが分かります。
たった1本のレンズを使用しただけで、このメーカーはダルローやルルブールより劣ると表現するのは問題があるので、今回使用したレンズに限ってはとお断りを入れたいと思いますが、液晶などで一見した時に素晴らしかったので少々の落胆は否めないところです。

さて、作例は、昨日少し手厳しく批判したトライシクルですが、動いていなくて、しかも少女が乗っているとあれば、なかなか被写体として魅力的のようだと気付かせてくれます。
特にサイドカー部分がメタリックな手作り感いっぱいで無骨な印象なのに、女の子がそんなことには無関心よとばかりに携帯電話を操作している対称が好いということのようです。
トライシクルの庇が濡れていることで分かるように、この時雨が降って来てしまい、ただでさえ渋滞などで短縮されたタール滞在がさらに短くなってしまうのでした。
これによって、フィリピンがいま雨季だということを初めて知ることになったのです。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/25 Sat

Taal 簡介

Francais 15cmF4
フィリピンの歴史的な町として有名なのは、ビガンという町です。
石畳の道の両側に白い石の家が並んでいてスペインの町並みがそのまま移ってきたかのように見えます。
いや、スペインの中にもこれほどにス古いペイン風の街並みのところはそうそうないかも知れません。
残念ながらマニラから400キロ離れていてバスで8時間以上かかるそうで、1泊2日でも辛い行程です。

そのビガンと並び称して、北のビガン・南のタールと呼ばれるのが、今回訪れたタールタウンです。
しかし、ビガンがあまりに有名な観光地としての地位を築いたのに対して、タールタウンの方はマニラのタクシー運転手が知らなかったくらいですから、先の例えは怪しい気さえします。
昨日も書いた通り、フィリピン人の間でタールと言えば、タールタウンのことではなく、自称世界最小火山のタール火山のことであり、またはリゾートとしてのタール湖のことを意味しています。

アクセスの悪さも問題があります。
タールタウンまではマニラから100キロ少々しかないのですが、直行のバスは無く、州都のバタンガスまでバスに3時間揺られ、ジプニーと言う小型バスを乗り継いでさらに小1時間かかると言います。
バタンガスはルソン島南部の港町で、ミンドロ島への玄関口になるため、マニラとミンドロ島を往復するたちでバスは混雑するとも書かれていました。

短時間の滞在ではバスでの往復は諦めざるを得ず、マレーシア訪問時に国際免許を取得したことを思い出してレンタカーで行くことにしていました。
しかし、以前にも書いた通り、空港から乗ったタクシーの運転手がレンタカー代とあまり変わらない金額で行ってくれると言うのでその話に乗ってタクシーで来たという訳です。
今回走ってもらったルートでは、距離表示はもちろん、交差点での表示などほとんど見当たらず、ひとりの運転では相当厳しかったことが想像されたので、タクシー利用は正解だったといえそうです。
実は帰り道でも大渋滞に嵌まってしまって、その間おまかせで眠らせてもらっていたので、それだけでもだいぶありがたかったのですが。

さて、作例は、タールの町を何気なく撮ったものです。
タール・バジリカと古い町並みが見えるもっともタールらしい風景と言えます。
タール・バジリカは、タール大聖堂と誤訳されているようですが、タールには大司教がいないので大聖堂を名乗ることはできず、町では一般にバジリカないしはチャーチと呼ばれているそうです。
東洋一大きな教会だとも言われているようですが、タール火山が世界最小の例もあるので本当だか分かりません。

バジリカ以上に作例中でタールを象徴してしまっているのが、トライシクルというサイドカー式のタクシー(?)です。
タールは坂の町なので、必要以上に重たくなったトライシクルはエンジン音をがなり立てて、白煙をもうもうと出しながら進んでいきます。
エボラ熱や感染症対策でマスク持参の方は、この町で大いに役に立つこと請け合いです。
静かさや海に近い爽やかな空気をウリにしてほしいタールなので、自転車のトライシクルが合うと思うのですが、そうはならないでしょうね。
アジアの町の宿命と考えるより他なさそうです。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/24 Fri

相機這麼大

Francais 15cmF4
ラスピニャスの教会に寄ったり、渋滞にはまったりして、8時に出発したにも関わらずタガイタイの町に着いたのが12時近くになってしまいました。
当初の予定から大幅に遅れています。
さらにタールタウンまで1時間かかると聞いてまずいなあと思い始めました。
タールタウンはスペイン統治時代の古い町並みの残る、日本で言えば小京都のような町のようで、たっぷり2~3時間は散策したいと思っていたのに、その時間がとれるのか雲行きが怪しくなってきたからです。

タガイタイはマニラから100キロほどの高原の町で、道路沿いに車を停めて湖の方を見下ろすと、世界最小の火山と言われるタール火山が湖の中に浮かんでいます。
世界最小火山でギネスブックに申請しているらしいのですが、タール火山は700メートルなのに対して、我が国の笠山は100メートルそこそこの活火山なので、全然世界一ではないのではないかと思われ、タガイタイの皆さんには申し訳ないですが、世界一の称号は難しいでしょう。

タール湖が見える位置からは、タールタウン方面へは海に向かっての下りの1本道なのですが、途中ずっと渋滞でどうやら葬儀があって車の隊列がゆっくり走っているのが原因だろうと運転手のジェフリーが冷静に分析します。
ますますまずいことになりそうでしたが、見た目よりずっと親切なジェフリーは、前方の見通しの良し悪しにかまわず対向車線をがんがん攻めて、車をどしどしと追い越しはじめました。
何度か正面衝突の危機を回避しつつ、葬儀車両をすべて追い越して一気にタールタウンまでたどり着きました。
足をぐっと踏ん張り続ける恐怖のドライブです。

タールタウンではまずしなくてはいけないことがありました。
昼食です。
市場の並びに町一番と思われるレストランが見つかったので、わたし持ちでふたりで食事します。
メニューにこの地方の伝統料理もいくつか載っているこのレストランは大当たりで、ポークのスープやら魚のフライやらオムレツやらとフィリピン料理を堪能しました。
食事の合間に隣のテーブルの団体の可愛らしい子どもたちを撮影すると、親御さんたちから感謝の言葉をもらいます。

食後に最初に行ったのがタールタウンのカメラ・ギャラリーでした。
当地に暮らした恐らくスペイン系フィリピン人の邸をそのまま膨大なカメラ・コレクションの博物館にしています。
19世紀後半くらいの木製カメラやその後の蛇腹カメラが充実していますが、1960年代くらいの日本製の機械きカメラまで網羅されていて、カメラ好きには一見の価値のあるギャラリーですし、当地での有名な観光スポットでもあるようでした。
管理者の自慢は、金色のニコンの一眼レフ(型番等忘れました)とヌルライカ(これはもちろんレプリカです)とのことでしたが、わたしがすごいと思ったのはアメリカ製のダゲレオタイプ用カメラでした。

このギャラリーで日本のカメラ博物館と違うのは、作例の8×10(?)のアンソニーを平気で来場者に触らせてくれるところでしょう。
来場者は、こんなものを生で見たのは初めてでしょうから勝手が分からず状態のようでしたので、わたしがダイヤル回してピント調整できるし、このかぶりをすればガラスに上下逆像の絵が写るよと、マニラから来たグループに解説したりしました。
暗かったのでよく見るとレンズにウォーターハウス絞りが差し込まれていて、昔の絞りはこうだったんですよと説明すると一眼レフで撮影していたお父さんが目を丸くしています。

その時あれっと気付いたのですが、彼らはレストランで隣の席だったグループです。
撮影した子どもがいたので、昔はこうやって撮影したんだよと言うと、最新のロボットでも目の当たりにしたような喜びようです。
ただ、デジタルのように簡単に撮影ができると誤解したのか、カメラの前に立って撮ってと要求しているところが、また可愛いなあと思いました。
ああそうか、こっちで撮ってあげればいいんだと撮影したのが今日の作例です。
女の子はドレスですし、男の子もワイシャツに蝶ネクタイと正装しているのが、あまりにこの場に似合いすぎていました。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/23 Thu

好好的的士

Francais 15cmF4
あまり積極的に来たくなかったフィリピンですが、早速、空港で洗礼を浴びることになりました。
夕方に到着して、到着ロビーのATMでフィリピン・ペソを引き出したまでは良かったのですが、ホテルまでタクシーで行こうと考えていたところ、そのタクシー乗り場にはすでに長蛇の列ができていました。
道路を1本挟んだ向かい側だったので気付かずに、タクシー乗り場の表示に向かって歩いて行って、ようやく乗り場付近に着いたところで行列ができていることを発見したのですが、いま歩いたのと同じくらいの距離を戻らなくてはなりません。

わたしは行列が大嫌いで、いくら旨いラーメンだと聞いても行列に並ぶくらいなら食べませんと言い切るくらいなので、バスに変更しようかと思ったのですが、バス乗り場の方にも長蛇の列ができている上に、並んでいる人に聞くとわたしが行きたい方向とは違う方に行ってしまうそうです。
それでも並ばないのなら適当なところまでバスで行って、タクシーを拾いなおせばいいと考えたのですが、出すの列はタクシーよりましなれど、並んでいるのはフィリピン人ばかりなりで、行列最後尾に付くのが気後れしてしまいました。
白タクなども声を掛けてくることもあって、結局、ずっと戻ってタクシーの列に並ぶしかありません。

行列から学ぶことは多々ありました。
ひとつは、絶対にタクシー以外の交通手段が何かないか事前確認すべきだと悟ったということです。
もうひとつは、タクシーの列は間にカートが入ったりして実際より長くなるし、家族連れなど複数で利用する人たちが多いので、タクシーが来てさえいれば進み方は想像以上に早いということです。
ただ、今回はタクシーがなかなかやって来ません。
1分に1台来るか来ないかという程度で、だから長蛇の列になってしまうということのようです。

ようやく1時間少々待ってわたしのタクシーの順番がやって来ました。
夕方着でスムーズにホテルに入れれば、マニラ湾に沈む美しい夕日が見れるだろうと期待していたのですが、残念ながら列の途中で空は真っ暗になってしまいました。
タクシーの運転手に不平を言っても仕方ないですが、彼の説明によれば、国際線ターミナルで客を乗せることができるのは黄色いタクシーだけで、料金が倍近く高いためあまり台数が多くないことと、夕方のラッシュにぶつかったためダウンタウン方面からここまでいつもの倍近くかかってしまっているくらいなので、タクシーがなかなか来ないのだということでした。

さて、今日の作例は、そのタクシー運転手のジェフリーなのですが、なぜ彼が作例で登場するかと言えば、車内の会話の中で翌日はどこへ行くかとかの話をしていたとき、わたしはレンタカー借りてタガイタイというところへ行くつもりだと答えたところ、彼がタガイタイには何度か行っているのでわたしが連れて行ってやろうという話になったのです。
さすがにタクシーで行ったらいくらかかるか分からないので、レンタカーは2500ペソで借りれるし国際免許があるので済まないが自分で行くと言ったのですが、彼はガソリン代と高速料金込みで3500ペソぽっきりでいいからとなおも誘うのでOKしてしまったのでした。

いま、あらためてジェフリーの写真を見ると、どうも誠実なドライバーと言う雰囲気はあまりないようです。
10分程度前に乗ったばかりのタクシーの運転手がこの外見だったら、失礼ながら普通は信用して翌日の貸切なんて頼まないでしょうね。
案の定、タガイタイに着いた瞬間、話の食い違いが判明しました。
わたしが本当に行きたかったのは、タガイタイではなく、その先にあるタールと言う小さな町でした。
ところがタガイタイにはタール湖というところがあって一般にはここが観光地なのです。
だから、行きたいのはタール湖ではなくてタールタウンだからね大丈夫と念押ししたのに、タガイタイに着いてタールタウンだと言い張るのでここではないと言っていたところ、タール湖ツアーに参加しないかとガイドがやって来たので、わたしはタールタウンに行きたいんだがここじゃないよねと聞いたところ、ここではなくさらに1時間くらい南下したところだとジェフリーに説明してくれてようやく納得してもらえる展開となったのでした。

やや胡散臭げなルックスのジェフリーは、3500ペソはここまでの料金だ1時間も南下するなら2000ペソ追加だと言い、わたしは昨日きちんとタウンの方だと説明したじゃないかとの口論になるだろうと覚悟したのですが、どうしたことか、ジェフリーは分かったノープロブレムタウンに行こう、料金そのままで大丈夫? もちろんOKという簡単なやり取りでそのまま南への道を突っ走るではないですか。
ついでに言ってしまえば、最後に料金を支払う段で揉めるかもとの危惧も杞憂に終わりました。
彼はとても好い人だったからだろうなと思うようにしていますが、まさか、レンタカー代に少々プラスしたタクシーチャーター料が払い過ぎだったということはないでしょう…。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/22 Wed

去日小姐之国

Francais 15cmF4
なぜかフィリピンに行ってしまいました。
ここのところ続けて、香港&深圳経由で中国のどこかへ行くパターンを止めて、深圳での用事を済ましてから東南アジアに弾丸旅行というのを楽しんでいます。
今回のフィリピン行きは、東京~香港の往復よりも、同じ航空会社にも関わらず東京~香港~マニラの方がだいぶ安いというプローションをやっていたのに便乗することにしたためです。
香港往復よりも、香港ストップオーバーでマニラに行く方が12000円くらい安かったのですが、予約クラスが下になるため半分以下になってしまいました。
にもかかわらず、香港からマニラのフライトがプレミアムエコノミーにアップグレードされたのが不思議です。

当初の考えでは香港に滞在して、抗議活動を続ける学生たちを見守ろうなどと考えていました。
何かわずかでも支援することができれば嬉しいですが、大規模な集会だけに力になることはできないでしょう。
ただ、ひとりひとりに話を聞いてみたいと思いましたし、逆に世界はあなたたちを支持しているということも伝えられたらと思いました。

しかし、これは非常にリスクを伴うことで、学生の周りには中共からの監視態勢ができていて学生の特定や接触するものの調査も進めているに違いありません。
その足で中国の入国審査を受けようとすると拒否されたり、別室に連れていかれたり、場合によっては入国後にホテルの部屋に麻薬を仕込まれるかなどして逮捕されるなどの可能性だって考えられます。
まさかと笑うかも知れませんが、数年前に尖閣沖で日本の海上保安庁船に体当たりしてきた船長の身柄を拘束したところ、すぐに中国も北京で日本人ビジネスマンをスパイ容疑で拘束して人質にするという露骨な対応をしたことを忘れるわけにはいきません。
それに、これはかなり以前のことですが、わたしのブログは中国で閲覧することができていたのですが、北京オリンピックの聖火リレーの時にフリーチベットという言葉が連呼されていたので、そのことを記事に書いた途端に、中国でこのブログは見ることができなくなってしまったということもありました。

遠巻きに写真を撮るくらいしかできないかなあなどと考えていたところで、フィリピンのプロモーションを知り、時間の関係で香港は素通りすることになってしまいました。
少し残念ですが、そんなことよりも活動を続ける彼らに危害が続けられることがなく、かつ3年後の行政長官選挙が真の民主テクなものになるよう願ってやみません。

さて、フィリピンですが、ダイビングをする方を除いてあまり好いイメージの国ではないというのが一般的なのではないでしょうか。
じゃぱゆきさんという言葉が流行したのは20年くらい前のことでしょうか。
地方の貧困の女性が来日して風俗で働いて、中間業者に搾取されたり、帰国したら旦那に金だけ取られて離婚されたりと悲劇の象徴のような印象がフィリピンにはありました。
日本からの売春ツアーも問題になっていたと思いますし、関連して現地で子供をつくりながら日本に逃げ帰って養育費を払わずというケースが相次いで、路頭に迷う母子を取り上げたニュースも多く見た記憶があります。

暴君マルコス大統領に金の猛者イメルダ夫人の名前は未だによく覚えていますが、その後大統領がいくら変わっても国はちっともよくならなかったのか、新興国としてマレーシアはもとよりタイヤインドネシア、さらにはベトナムにミャンマーまで中止されるようになったのにフィリピンの名前が上がることはほとんどありません。

治安の悪さもよく言われていて、わたしは何年か前にエルニドというリゾートに数日バカンスに訪れたことがあるのですが、島に渡る船には小銃を構えた護衛が同行したのには驚かされました。
不当な扱いを受けているとしてイスラム原理主義者がテロや殺人事件をしばしば起こしていたからでした。
誘拐もよくあって日本商社の駐在員や中国系フィリピン人がターゲットになっていたように思います。
日常の金目当ての犯罪も頻発していて、銃の規制が緩いのか、日本人が発砲されるニュースはときどき報道され、つい最近も起きたばかりですし、日本に伝えられないような暴行事件などは日常茶飯に起きているようです。

正直なところ、イメージの悪さを思うと二重の意味で行きたくないところでした。
ひとつは治安が悪いということで、自分もかっぱらいか何かトラブルに見舞われる可能性が高いのではと心配があったからです。
実際、最後の最後にトラブルに会うことになったのですが…。
もうひとつは、フィリピンに行ってきたといえば、女目当てかと白い眼で見られるだろうなと言う心配です。
女性の写真を撮らせてもらうことはみちろん考えていますが、夜はおとなしくしているつもりです。
妙な誤解を避けるためとトラブル回避のためにマニラ郊外に宿を取ることにしました。
宿泊費も安くなりますし、空港から近くなるのも助かります。
しかし。それもなかなか一筋縄でいかないのがフィリピンのようです。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/21 Tue

竹管風琴

Francais 15cmF4

作例は、鍵盤楽器が写っていますが、演奏者の頭上にパイプが並んでいるのが見えることから、ピアノではなくパイプオルガンであることが分かるでしょう。
サントリーホールか大阪シンフォニーホールで撮影したのではなく、教会の日曜礼拝を撮影したものです。
場所は日本ではないですが、ヨーロッパという訳でもありません。
たぶんアジアで唯一のカトリック国、フィリピンの教会です。

マニラの中心から30分ほど離れたラス・ピニャスという町にあるセント・ヨーゼフ教会を訪れました。
ここには世界で唯一と言われる、パイプ部分が金属ではなく竹でできたオルガンがあります。
作例に写っているパイプはすべて竹でできているということになりますが、じっさいに聴いてみると柔らかな音色は金属的なところのない、温かみに溢れたものでした。
ミサの一部分を見学しただけですが、足を伸ばした甲斐があったと強く実感します。

この教会の設立は古く、マニラの大司教によってラス・ピニャスに漁師や農民のための教会が割り当てられます。
建設にあたったのはスペインのディエゴ・セラで、教会は日干し煉瓦を積んでバロック様式によって作られます。
セラは、教会のガイドをしてくれた女性の説明ではスペインのウエスカ出身だと聞いてわたしは驚いてしまいました。
わたしは数回カタルーニャを旅したことがありますが、ウエスカ周辺にはロマネスクの教会が散在していて10年以上前に滞在したことがあるからです。
ガイドの女性にあなたたちの尊敬するセラはスペイン人ではなく、カタルーニャ人だよと教えるとカタルーニャの独立のことを知っているらしく、今度は彼女の方が驚いていました。

セラは多彩な才能を持つ司祭で、自然科学、化学、建築をものしたばかりか、オルガン演奏、さらにはオルガン製作もよくしました。
マニラ大聖堂他のオルガンを製作したのは彼です。
1816年には竣工間近だったラスピニャスの教会に竹のオルガンの製造を開始し、8年後には完成させました。
190年の歴史を持つ古い楽器だということになります。
オルガンはミサに不可欠な楽器になりましたが、1832年にセラが没した後は修復が難しくなり、長らく使用されなくなってしまいました。
1970年代にドイツのオルガンメーカーによって大規模な修復が行われ、オリジナルに近い状態に戻されて以降、バンブー・オルガンという愛称ともども教会のシンボルとして使われ続けています。

毎年、国際バンブー・オルガン・フェスティバルが開催されているそうで、教会の売店にフェスティバルのCDが売られていました。
最新の録音だという1枚を1000円で購入しました。
他のものも含めてオルガン小曲集のような内容ですが、選んだものにはモーツアルトのオルガンと弦楽のための協奏曲ニ長調のメヌエットが収録されていたからです。
モーツアルトにそんな曲があるとは知りませんでした。
また、ラスピニャス少年合唱団の合唱もフィーチャーされていますが、教会を案内してくれた女性によると、彼らは昨年度の少年合唱のコンクールで世界チャンピオンになったそうです。
そんな先入観も手伝うからか、確かにすばらしいコーラスに聴こえてしまいます。

ところで、19世紀に完成したオルガンが現役で使われている点に、少しだけペッツバールとの共通性を感じていたのですが、このCDにまた妙な符合を思いました。
古い楽器をデジタル録音してPCで聴くというのは、古いレンズをデジタルカメラで撮影してPCで見るのと同じではないですか。
そんなことを言えば、ヴァイオリンだって18世紀の名器をデジタル録音しているのを聴いているのですから、これも同じですね。
モダンの名器もありますが、トップ・ヴァイオリニストの大多数がストラディヴァリか古いクレモナの名器を愛用しているのは、わたしがペッツバールを愛用することと同じ意味があるのだと主張したいと考えています。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/20 Mon

双孔匹兹伐

Abraham 10cmF3.6
今日の作例は、数日前の敬礼の美少女とは別の軍隊研究家の皆さんと思われる方たちの整列した姿です。
ペッツバールレンズを多用していると、特にイベントなどの時には、人物撮影用レンズだということで、同じような作例ばかりを撮影しがちです。
レンズの研究と言うことでは、その姿勢こそが正しいのですが、同工異曲を避けるということで、少し趣向を変えて、露出も思い切ってアンダーにしてみました。
緊張感と言うか、軍隊的起立感が漲っているような雰囲気を意図していますが、そのように見えますでしょうか。

エイブラハムのペッツバールは、期待を裏切るほどに高性能だったわけですが、そこで思い当たったことがあります。
このレンズは残念ながらラックアンドピニオン機構のピニオンギアが消失してしまっているのですが、そのピニオンギアを固定する金具があるべきところのネジ穴が2つなのです。
通常このネジは4つあり、2つというのはかなり少数派です。
ところが、何故かフォクトレンダーのペッツバールは2つ穴のものが多く、わたしの持っている3本の同社のペッツバール中2本が2つ穴で、4つ穴のものはかなり大きいので、2つ穴では支えなれないので4つ穴にしたと解釈することが可能です。

と、これだけの理由で決めつけることはできませんが、エイブラハムの製造元がフォクトレンダーなのではとの可能性が浮かび上がりました。
このレンズがイギリス製ではない可能性が高いですし、フランスのルルブールやダルローではコバにサインが入っているものが多いので、それ以外ではと推測していました。
また、1839年に同社がダゲレオタイプの展示会と同時に機材の販売もして、恐らくロスやダルマイヤーが台頭してくるまではペッツバールレンズも販売していた可能性が高く、それは1850年くらいまでではないかとの仮説を立てましたが、その頃はまだペッツバールの初期で、弱小メーカーが参入する前の話だと考えられます。

わたしのフォクトレンダーの20.5cmは、1862年製造の比較的新しいペッツバールですが、このレンズのエイジング具合とエイブラハムのそれが妙に似ているのも、フォクトレンダー製造説を裏付けています。
初期のペッツバールはブラスの上に金ニスと呼ばれるラッカーが掛けられているのですが、これがきれいに残っているのが理想的なものの、大概は一部、または全体が剥がれ落ちています。
その剥がれ方が、部分的になってしまうのがやや汚らしく今一つの外観になってしまうのですが、フォクトレンダー20.5cmとエイブラハムは全体に金ニスが落ちた上に若干の真鍮の腐食のような茶変という共通点があるのです。

写りについては、シャープであることにやはり共通点があるのですが、ペッツバールは多くがシャープなので似ているのは当然と言うことになります。
ところが、逆光の撮影と言うことになると、フォクトレンダーが比較的強いと感じるのに対して、エイブラハムはまったく奮いません。
ペッツバールの典型はコントラストの低下が見られるという逆光に弱いことなので、それが普通のことですが、稀に逆光に強いものがあって、そういうレンズはとても優秀だなと感心します。

それにしても、新しくオールドレンズを入手すると、それについていろいろと調べて、さらに実写してと知ることはたくさん出てきます。
それを順番に書いて行くだけで1週間のブログを満たしてしまうのがオールドレンズの懐の深さであり、素晴らしいところです。
特に年代がとても古いペッツバールは情報を得るのがなかなか難しいのですが、わずかの情報から想像が大きく膨らんでいくと言う愉しみがあって、これはペッツバール・コレクター、ペッツバール愛好家冥利に尽きることです。
そろそろペッツバールの購入を控えているのですが、まだ我がレンズ庫には未使用のそれが若干残っているので、愉しみはしばらく続けられます。
ペッツバール博士のみならず、ニエプス、ダゲール、タルボット…、写真術の黎明期の偉人たちに感謝して止まない所以です。
【Alpha7 with Sanderson/Abraham 10cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Abraham 10cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/19 Sun

油火腿鏡頭

Abraham 10cmF3.6
エイブラハムのレンズは、製造年代を特定するヒントがレンズからは見つけられません。
そこで検索によって、エイブラハムの資料を探すことにしました。
ペッツバールと直結する記事ではありませんが、面白い資料が見つかってksmtさんが自身のサイトで翻訳して掲載してくれましたので、内緒で全文転載させていただきます。

『(1839年8月19日にフランス学士院でダゲレオタイプが発表されると、10月には早速イギリスのリバプールでも展示会が開催された)1839年10月の第四週、リバプールの新聞三紙にダゲレオタイプのデモンストレーションに関する小さな広告が掲載された。
三紙は同じ週の異なる曜日に発行。
23日(水)にはLiverpool Courier紙、25日(金)にはLiverpool Mercury紙、26日(土)にはLiverpool Chronicle紙。』

『### ダゲレオタイプ展示会 ###
ダゲール氏監修の元で製造されたダゲレオタイプ機材により見たものがそのまま絵になる。
Quai de la Megisserie(パリの地名…著者注)を撮影した作品と、興味深い製作方法を展示。毎日11時から4時まで58, CASTLE-STREET(飛脚屋の隣)にて開催。入場料1シリング。
ダゲレオタイプの注文は展示会で受け付け。または、20, Lord-streetのA. ABRAHAM社でも注文可能。』

ksmtさんは、この記事から、A. ABRAHAM社がリバプールの光学機器商であり、ダゲレオタイプ発表に2が月後に展示会と機材の受注を行っていたことが分かるとしています。

当初、この記事からエイブラハムはペッツバールを使ったデモンストレーションを行い、そのときのレンズこそいまわたしが
使用しているレンズなのではと早合点してしまったのですが、冷静に考えればペッツバールが完成したのは1840年5月とされているので、ここで使用されたレンズは望遠鏡用の凸レンズか、色消しメニスカスのどちらかでしょう。
ダゲレオタイプの感度が低かったことから、露光に時間が10分もかかり、それを大幅に改善したペッツバールが歓迎されたのです。

上記記事では、ダゲレオタイプの展示会を行いつつ、注文もエイブラハム社で受け付けたとあります。
写真術の発明は、肖像画家をすべて失業に追い込むと言われるほどの熱狂を持って受け入れられましたので、1回の展示会のみでその後も売り上げを伸ばし続ける可能性がある写真機の販売を止めてしまうとは考えにくいと思います。
高価なカメラがリバプールで飛ぶように売れることはなかったかも知れませんが、この地域で写真館を開業しようとする起業家や資産家の趣味などで購入されたのは、みなエイブラハム社からだったというのは十分に考えられることです。
1840年以降はペッツバールタイプのレンズが急速に普及する中で、エイブラハムも何本も扱ったに違いありません。

しかし、しばらくすると英国内でカメラやレンズも製造されるようになるので、エイブラハムがカメラを本格的に扱った期間は意外に短かったかもと想像されます。
当時の輸入品にどのような関税がかけられていたかは分かりませんが、自国製の方が安かったのは間違いないでしょう。
そういう想像が許されるとすれば、わたしのエイブラハムレンズは、ペッツバール誕生の1840年から、ロスがレンズを製造し始める1850年くらいに限定できるのではと類推できます。
したがって、このエイブラハムは、1840~50年製造のかなり初期のペッツバールということに…。

さて、今日の作例は、和茶屋娘の大正ロマン3人組です。
秋葉原のネット・カフェで働きながら日本の心を歌うアイドルでもあるそうです。
と書いてみて、わたしにもそれが何のことか分かりませんが、大正時代のコスチュームで活動しているというのですから応援しないといけません。
秋葉原のそのカフェに行けば、同じスタイルの彼女たちが迎えてくれるのでしょうか。
【Alpha7 with Sanderson/Abraham 10cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Abraham 10cmF3.6 | trackback(0) | comment(2) | 2014/10/18 Sat

利物浦鏡頭

Abraham 10cmF3.6
サンダーソンの内側に目立たずに付いていたレンズは、"ABRAHAM & Co LIVERPOOL"とこれも地味に刻印されたペッツバール型のレンズです。
ペッツバール型のレンズは真鍮製で金色の美しい外観をしていますが、多くの個体は経年劣化で真鍮独特の茶色っぽい変色をしてしまいます。
ご多分に漏れず、このレンズも茶変してしまっていますが、外観がきれいでなかったことでオークションで安く落札できているという事実もあって、これは諦めるようにしています。

ABRAHAM は、子どもの頃にAbraham Lincolnをアブラハム・リンカーンと習ったので、アブラハムと書きたいところですが、実際の発音はエイブラムの方が近いとも聞きますし、ここでは中間をとってエイブラハムと表記します。
エイブラハムというレンズメーカーがあったことなんて恐らく誰も知らないでしょう。
もちろんわたしも知りませんでしたが、リバプールとなっていたのが珍しくかったので、落札に踏み切りました。
RossもDallmeyerもWrayも、イギリスの名門光学メーカーはみなロンドンなので、ビートルズの故郷にも存在していたというのが興味深く思えました。

ただ、このレンズの刻印はあまりにショボくてがっかりするくらいなのですが、レンズが超高級品だったはずの時代にこんな冴えない刻印をするというのが不思議でした。
前述のように茶色く変色してしまっているし、ラックアンドピニオン機構も消失してしまっている、聞いたことも無いようなメーカーで、かつ本場ロンドンではなく港町リバプールで製造されたと考えると、写りについて来たいしろと言う方が無理があると言えます。
5月にはksmtさんにα7で使えるようにマウント改造してもらいながら、なんだかんだと半年近くも放置してしまっていました。
サンダーソン用にぴたりと嵌まったことで今回使用しましたが、そうでもなければもう半年もお蔵入りしていたかも知れません。

しかし、実際に撮影してみると、このレンズ、実によく写ります。
もともとペッツバールはよく写るのですが、そうでないものも多いので、そう考えるとこのレンズはペッツバール原型を忠実に再現しているということではないかと思いました。
エイブラハムには失礼かも知れませんが、このレンズは彼らが製造したのではなく、他社が製造したレンズを購入して刻印を自社のものにして販売したのではないかと考えます。

"Early Photography"というイギリスの光学機器メーカーの百科事典のようなサイトがあります。
特に木製カメラと19世紀のレンズに関してはそれほど詳述されている訳ではありませんが、記載のないイギリス光学メーカーはないのではというくらいに網羅しており、エイブラハムも載っていました。
ところがレンズのことには言及されていません。
ペッツバール型のレンズを作っていれば、はっきりそのことを記しているので、少なくともサイトの管理者はエイブラハムにペッツバールがあるとは考えていないと想像されます。

エイブラハムは写真関連のメーカーではなく望遠鏡や顕微鏡などを扱う光学機器商社のような存在だったのではと考えられ、リバプール在住の写真愛好家ないしは写真スタジオのために少量のレンズを取り扱ったという裏付けになると言えるかも知れません。
少なくとも自社工場を持って一定量のレンズを製造していたとすれば、それが前述のアーリーフォトグラフィに出て来ないのはおかしいのではないか。

では、供給元のメーカーはどこになるのでしょうか。
恐らく国内で流通ルートを確率していたであろうロスやダルマイヤーが、リバプールの田舎に卸すとは考えにくいいですし、仮にそういう状況になったとすれば自社名も刻印したでしょう。
そう考えるとダルローかルルブールかのフランス・メーカーが有力になるのですが、コバ部分には書き込みもなく証拠を見出せません。
国籍すら特定できないというのは、ペッツバールの蒐集家としては少々残念ですが、それを調べる楽しみがあると考えるより仕方ありません。

作例の女性たちは、プレートにもあるとおり、早稲田ちんどん研究会の皆さんです。
3人だけのサークルですかなどと失礼な質問をしていたので、覚えてくれていたのでしょう、軍人ではないのに敬礼であいさつしてくれました。
ちなみにちんどん研には多くのメンバーがいて、厳選された3人が大正時代まつりに参加しているのだそうです。
なるほど演奏がとてもうまくて、見た目に面白い大正時代まつりの中で、聴覚的にも楽しませてくれる貴重な存在でした。
ちんどんメイクなので、そうは見えないかも知れませんが、ルックス的にも実はレベルが高い女性たちです。
【Alpha7 with Sanderson/Abraham 10cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Abraham 10cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/17 Fri

不用電子郵件

Abraham 10cmF3.6
品川でのルルブールを付けたサンダーソンに比べると、大正時代まつりでのエイブラハムを付けたサンダーソンは機動力に於いて圧倒的な優位を得ることができました。
昨日までの3枚の作例は、かなりゆっくりとはいえ動いている人たちですので、それに置きピンではなくカメラのフォーカシング機構を使って対応できたのですから、個人的には完璧と思っています。
視力の問題はあって、ピントを外す写真も少なくなかったのですが、それはこんなカメラを持ち出すまでもなくいつものことです。

ただ、問題は外観のことで、品川の時はルルブールレンズが完全に露出していたので、ペッツバールであることが一目瞭然だったのに対し、今回はレンズが蛇腹の中に隠れてしまっていて露出しているのはフード部分だけです。
本来、写真撮影は機能が優先されるべきですのでこれで良いのですが、目的と言うことを考えるとこのカメラとレンズで目立って撮影を有利にしたり、参加者との距離を縮めるということだったので、写らなくとも見てくれ重視が本来の趣旨にかなうかということになってしまいます。
そうであれば、さらに改良を加えて、ペッツバールレンズだということがはっきり見えるが、ピント合わせはたいへんスムーズだという状態のものに仕上げないといけません。
遅くとも来年のこの祭りまでには、そのレベルまで達成したいと思います。

作例の女性は綺瑠架さんという名前です。
自前の衣装でひとりで参加しているとのことで、名前の不思議さもあって興味を覚えたのですが、一筋縄ではいかない雰囲気でした。
ではメール交換でもとなるのかと思ったら、ツイッターでやりとりしましょうと言われ、ツイッターやっていないんですがと答えると、アカウントを作ってくださいとあっさり押し切られました。
言われるがままに台風の来た月曜日にツイッター開設してみましたが、彼女の秘密を知る前にツイッターの使い方を知らないといけないことに気付きました。

大正時代まつりはとても緩い祭りだということを前に書きましたが、その緩さ故にかいろいろな人から声をかけられたり、かけたり、一緒に写真を撮ったり、撮られたりと大忙しでした。
わたしは、大正時代の服装について知りたいことがいっぱいあったのであちこち質問しましたが、逆にまつりのベテランの皆さんは、自分の知識を披露することで仲間を増やしたいという気持ちがあるからでしょう、積極的にいろいろ語ってもらうことができました。
実に好い交流の場なのですね。

しながわ宿場祭りなどでも同様のことは言えますが、よりコアなのは明らかに大正時代まつりの方で、それは江戸時代の装束になる祭りが全国あらゆるところにあるのに対し、大正時代物はここ与野が最大で、他を探してもわずかしか見つからないことから、与野が高密度になるということで説明がつきます。
調べたところでは、岐阜県に大正村があって独自のイベントがあるほかは、浅草の東京時代まつりがあったのに今年度は何と予算の都合で中止になったと言いますし、柴又に大正ロマンと言うイベントがあったのも、いつの間にか昭和になってしまっていましたし、ご存じ京都の時代まつりは明治までが対象のようです。
やはり与野が大正もののメッカと言うことですね。

大正がこれだけクローズアップされるのは、日本モダンガール協會の存在が大きいようです。
代表の浅井カヨさんは筋金入りの大正人で(大正生まれと言う意味ではないです)、当時の生活を再現しているので、家にはエアコンも設置していないそうです。
わたしも彼女の撮影を愉しみに与野まで足を運んだのですが、残念ながらうまく撮れなかったので、今回は写真で紹介できません。
しかし、この分だと彼女が出演する場にわたしもお邪魔する機会は増えることでしょう。
日本モダンガール協會の皆さんは、ペッツバールで撮る最高の被写体だからです。
【Alpha7 with Sanderson/Abraham 10cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Abraham 10cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/16 Thu

達磨自行車

Abraham 10cmF3.6
完璧とは言えませんが、何とか大正時代まつりで使えそうなサンダーソン改造の妙案が浮上しました。
まだ未使用だった焦点距離10cmのペッツバールがレンズボードにぎりぎりすっぽりと入ったので、これを活用できないかと考えたのがきっかけです。
レンズボードの先にレンズを置くとバックフォーカスが足りないことから、逆にレンズボードの裏側に置けばいいのかと思い付きそのとおりにしたところ実に具合よくレンズ先端だけが出て直後の突起でそれ以上は動かない状態になりました。
テープでレンズをボードに固定してカメラにセットすると、期待通りレール部分にセットしても無限遠は出ます。

レンズ先端部分にフードを取り付けるとそれっぽい格好になりました。
ペッツバールレンズの外観デザインが好きなので、本体部分が見えずにフードだけが外に出ているというのは、少々納得いかないところもありますが、撮影することに関してはだいぶ改善されます。
運の好いことに、カメラを畳んだ状態にするとレンズ後端がNEXアダプターの穴とぴったりサイズでアダプターに収納されるようなかたちでぴたりと収まりました。
そのこともあったので、大正時代まつりはこれで行ってみようと決断することができました。

サンダーソンのようなハンドタイプのカメラは簡易組み立て式とでも言うのでしょうか、使わないときは箱そのものです。
使用する際、上部にある小さいボタンを押すことでロックを解除しながら、前ブタを前に倒します。
前ブタは脇にあるダイアルを回すことでレール部が前に繰り出されますので、箱に収納された状態のレンズ部分をつまみ出して、レール部の後端に取り付けすることで、フォーカシングを機能させることができます。
あとは、α7をセットするだけでサンダーソンは使用可能になります。

当日は、トランクにサンダーソン、α7、フロックコート(もどき)、シルクハットを入れて与野駅まで行き、到着するや否や路地でこっそりとネクタイを巻いて、コートを着、帽子をかぶり、カメラをセットしとスタンバイしました。
ワイシャツにスラックス、革靴の普通のかっこうが、自称19世紀イギリス写真師に早変わりできました。
しながわ宿場祭りの紋次郎さんは、自宅から紋次郎スタイルで電車に乗って会場入りしていますが、根性の無いわたしは自宅から会場までは普通の人を装い、直前に変身するシャイなイギリス紳士になるのが精いっぱいです。

大正時代まつりの本当の参加者は、みな正統派なのでわたしのような中途半端な人はいないようです。
自分のこだわりを見てもらいたいという気持ちもあって参加しているので、行き帰りの電車もアピールの場になっているのだろうと想像します。
作例のクリスさんは、山梨でしたか、かなり遠くからこの自転車でやって来たそうです。

この自転車は、日本ではだるま自転車と呼ばれたそうですが、たぶん小さな後輪を上に大きな前輪を下にするとだるまの形に見えることに由来しているのではないかと思います。
一般的にはオーディナリー・サイクルと呼ばれるそうで、1870年頃にイギリス人のジェイムズ・スタンリーによって発明されました。
発明時期がペッツバールの後期と被っているのがいいですね。
検索するとレプリカが今でも手に入るようなのですが、さすがに来年はそれで参加しようかといえばそこまではできません。
そもそもわたしの小さなトランクに入らないですから。
【Alpha7 with Sanderson/Abraham 10cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Abraham 10cmF3.6 | trackback(0) | comment(2) | 2014/10/15 Wed

改不了

Abraham 10cmF3.6
サンダーソンのトロピカルカメラはしながわ宿場祭りでは好評でしたが、焦点距離10cmのレンズをそれ以上のバックフォーカスが求められるカメラに付けたのは失敗で、撮影者は大苦戦を強いられました。
翌週には草加宿場祭りというのがあって、ここには改良したサンダーソンを持参したいと考えていましたが、時間が足らずそれが果たせませんでした。
しかし、台風がやって来て祭りは前日には中止決定してしまいました。
そのため、時間が空いてしまった日曜をサンダーソンの改良に充てることができたのでした。

このサンダーソンに付けるレンズは焦点距離が13.5cm~15cmくらいがベストのようです。
もちろんレンズの形状によっての違いはあって、ペッツバールだと上述の焦点距離になりますが、扁平なレンズであれば10cmくらいからいけそうで、実際もともと付いていたレンズはそのくらいの焦点距離だったようです。
これは、レンズの主点の位置が違うという理由に寄りますが、古典タイプのシンメトリックに近いレンズはおおむね主点がレンズの中間あたりにあるので、鏡胴が長いほど主点が前に出る分、レンズ後端からのバックフォーカスは短くなってしまいます。

それなら焦点距離15cmのペッツバールを付ければ問題は解決しそうなものですが、このくらいのレンズになるともはやレンズ径が5cmくらいになってしまうため、幅が5cmしかないレンズボードには付けることができません。
それにレンズがそれだけの大きさになると、カメラとの見た目のバランスが悪すぎて、見た目で受けを狙うサンダーソンの意味がなくなってしまいます。
やはり10cmくらいの焦点距離の小さなレンズでどうにかしないといけません。

ひとつの解決策はカメラを付ける側のデジタルボードを前に出すという作戦でした。
ボードはもともとのカメラの金具で固定され交換できるようにもなっているので動かせませんが、ボードに固定してあるNEXアダプターが2cmも前に出せればだいぶ改善されます。
しかし、この部分は中国の業者に製作してもらっているので、わたしには手が付けられませんし、今の状態でカメラのグリップがくっ付きそうになっているくらいなので、1cmも前に出せばカメラのグリップを外すか削るかしないといけないでしょう。
これは現実的ではなさそうです。

望遠コンバーターを付けるというのも考えてみましたが、後部に大きなレンズを置くスペースはこのカメラにはなさそうです。
そもそもペッツバールにそんなものを付けるくらいなら、最初からラピッド・レクチリニア゛撮影した方がマシと思いなおしました。
来週の土曜日はいよいよ楽しみにしていた大正時代まつりなので、今日中に前回をしのぐカメラに仕上げて、大正時代コスチュームの皆さんをストレスなしに撮影できるようにしたいのですが…。

今日の作例は、北朝鮮の喜び組のように見えるかも知れませんが、陸軍兵に扮したきれいなお嬢さんふたり組です。
行進の途中ですが、わたしのカメラに気付いてポーズを取ってくれました。
しながわの時にも書きましたが、カメラをなんちゃってサンダーソンにしたおかげで、わたしに向かってポーズを決めてくれ寝人が多く、明らかな効果を実感できました。
この後パレードが終わった後も彼女たちを見掛けたのですが、このカメラを覚えていて、わたしのところに立ち寄ってくれました。

ちなみに彼女たちは軍事マニアとかではなく、パレードに参加申し込みしたところ、大正時代のドレスなどではなく軍服を割り当てられたそうです。
本人たちは少々不満かも知れませんが、沿道の男性観客たちは、むしろ美少女が軍服で敬礼するのがあまりに衝撃的で、みんな一斉に萌え~となってしまったようです。
【Alpha7 with Sanderson/Abraham 10cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Abraham 10cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/14 Tue

帝国海軍光臨

Abraham 10cmF3.6
江戸時代から一気に時代は下って、今週は与野で開催された大正時代まつりに"参加"してきました。
しながわ宿場祭りの時と同様にknpmさん、ksmtさんと3人で行くつもりでしたが、たいへん楽しみにしていたknpmさんの都合が悪くなってしまい、ふたりで見物することになってしまいました。
knpmさんは昨年初めて行ってこの祭りは良いですと言っていましたが、わたしも今年初参加してみてその良さがとても理解できました。
こんなに規律の取れた行進の写真を出しながら、言っていることは違ってしまい恐縮なのですが、大正時代まつりはとてもゆる~い祭りなのです。

品川では、沿道の両サイドにロープを張りながら進んで行って、中には入らないでとガードしていたのに対して、大正では、カメラマンさんは進行の妨げになるので中に入らないでなどと放送しているのに、みな、全然おかまいなしに行列に割って入って撮影している。
主催者なりが入らないでと制止してもよさそうなものなのにそんな無粋なことはしないし、祭り参加者はみな自主的に出てきている人たちなので、ぜひいい位置でわたしを撮ってくださいとばかりにポーズを決めてくれるほどです。

ですから沿道から普通に撮影するのが無意味なことに思えてしまうのですが、今日の作例のような軍人さんの行進では、逆に距離をとってななめからの隊列を撮るのがよいのでそうしました。
彼らはかなりのマニア・コレクターのレベルなので、服装がビシッと決まっているのはもちろんですが、革のベルトやアクセサリー類、勲章など、恐らくは当時の本物を入手して使っているのでしょう、実に格好良く見えます。
旭日旗は手で支えていると思っていましたが、作例をあらためて見ると、旗竿をホールドするためのベルトがあるということが分かりました。
旗や水兵服を見ると大正時代の海軍ないしは水兵部隊と言うことになるのでしょうか。
左端のサーベルを手にした男性と短時間話をする機会があったのですが、聞きたいことをいくつも聞きそびれてしまいました。

品川の時そうしたように、わたしも19世紀後半のイギリス人写真師の服装で"参加"しています。
"参加"と表現するのは、実際に行列に加わった訳ではなく、自己演出的に来日して日本の軍事パレードを写真に収める英国紳士を演じたからです。
この日も火が出て少々暑かったのですが、がんばってフロックコートもどきを着用して、シルクハットに赤いネクタイのウィングカラーシャツを決めました。
本当の参加者に比べれば完全になんちゃってレベルですが、こういう楽しみ方があってもいいでしょうし、わたし以外にも着物を着ている女性がちらほらいたので、わたし同様参加型の見学をしていたということでしょう。

カメラは、今回もサンダーソンをアダプターにしたα7ですが、前回のピント合わせが難儀したという反省から、今回はレンズを替えて自分なりの改良を施しています。
詳細は明日以降に記載することにしましょう。
しかし、その外観は今回もインパクトがあったようで、行列の皆さんが、なにあれと言うようにこちらを見てくれました。
それだけでも作戦成功です。

今回は、そんななんちゃってサンダーソンが恥ずかしくなるスピグラに航空用のヘリアーという希少レンズを付けた男性に声をかけてもらいました。
スピグラはわたしも購入してシャッター不調のため修理中ですが、いずれ使うのでいろいろと相談乗ってもらいましたが、なんとわたしが(なんちゃってサンダーソンで)撮影している姿をスピグラで撮ってもらったりもしてしまいました。
わたしが撮影していた大正女性をメインで撮影したのですが、それでもわたしの人生でスピグラで撮影してもらったなんて最初で最後のことでしょう。
こんな嬉しいハプニングが起こるのが大正時代まつりです。
来年の今ごろ、約363日後になりますが、次回の大正時代まつりに"参加"するのを今から楽しみにしています。
【Alpha7 with Sanderson/Abraham 10cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Abraham 10cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/13 Mon

双排扣常礼服

Lerebours et Secretan 10cmF3.5
しながわ宿場祭りの最終回です。
5日分でブログを書くと、長時間見物していたイベントだけに、ずいぶんと短いという気がしてしまいます。
最後は、宿場祭りといえばこの人ありの、美人女将…、ではなかった、紋次郎さんに登場してもらわないといけません。

実は、しながわ宿場祭りではカメラをサンダーソン・アダプター使用にしていただけではなく、自らも19世紀イギリス写真師に扮していたのでした。
といっても、もちろんなんちゃってレベルです。
シルクハットを被り、シャツはカフスボタンのウイングカラータイプ、ネクタイはスカーフでアスコットタイ風に締め、ウェストコートに上着はフロックコート、手荷物は白いトランクという出で立ちです。
ここまでするのも、紋次郎さんのコスチュームに影響されてのことです。

しかし、これだけ準備してみたものの、当日は半袖でちょうどいい暑さだったため、フロックコートなど着ることはできず、ウエストコート(日本語でチョッキのことです)も断念し、ネクタイもする気になれませんでした。
普段から帽子は慣れていないのに、それがシルクキットときては思いっきり頭が蒸れるは、汗がぽたぽたとカメラに落ちてくるはでかなり不快です。
そのシルクハットにトランクと言ういで立ちから、マジシャンとか怪しいペテン師と間違われたのもがっくりでした。

このフロックコートと言うのは、19世紀後半にイギリスで大流行したハーフ丈の外套です。
正面から見ると今あるコートと大きな差はないのですが、後ろ側はウェストが若干くびれてから広がりすとーんと落ちているところは、後の燕尾服に発展したと言われています。
その部分の縫製が難しいらしく、フロックコートは日本にも伝わったものの、今では縫製できる人はほとんどいないという貴重品となっているそうです。

現在、日本でフロックコートという名前で売られているものは、似て非なるものなんだそうですが、それでもかなり高価です。
それなら、安価に済ますべきだろうと、中国訪問の際にウイングカラーのワイシャツとともにオーダーしてみました。
フロックコートがどんなものか伝えるのは不可能なので、現代フロックコート風コートの写真を前後持っていってこれと同じデザインでとお願いします。
数日後の出来上がりは、正面は間違いなく写真そっくりに仕上げてくれましたが、後ろ側の難所はまったく無視されていました。
ダメ出ししたのですが、敵は先を読んでいたのか、わたしが手渡していた見本の写真は処分してしまったが、あの写真どおりにできていると言って一歩も譲らずで、泣く泣く持ち帰ってきたという顛末でした。

夕方、祭りが終わって、去年と同じように近くの公園のイベント会場で、紋次郎さんたちと1杯やることにしました。
日が落ちて少し涼しくなったので、せっかく持ってきたのだからとフロックコートもどきを着てみました。
正面から見れば普通のコートなので外観は面白くもなんともないのですが、シルクハットく組み合わさると雰囲気が無くはないようで、紋次郎さんにいいねと言ってもらいました。
紋次郎さんに受けたことで、失敗だったオーダーも少しは救われたような気がします。
何しろ外観は普通のコートなので、これから冬場には活躍してくれるでしょう。
【Alpha7 with Sanderson/Lereboures et Secretan 10cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/12 Sun

桑德森受歓迎

Lerebours et Secretan 10cmF3.5
不調に終わったデジタル・サンダーソンですが、会場に来ていた人にはとても好評でした。
それはそうでしょう。後ろにはフイルムではなくデジタルカメラが付いているなんて誰も気付かないのですから。
何度も何度もすごいカメラですねと声を掛けられましたの゛、その都度これはインチキです実際の撮影はデジタルですと説明しました。
なんだという反応の人もいましたが、それでもそのアイディアを評価してくれたり、これほど古いカメラそのものを活用していることを面白いと言ってくれる人が多かったのは意外でした。

そんな人たちには、このカメラが1890年代に英国で製造されたことや、トロピカル仕様で当時海外に旅行したり移住したりする英国人のための特別製造だったこと、そのため木の美しさを最大限に活かした職人技で作られていることを自慢します。
いつものとおりにレンズが江戸時代に製造されたという自慢を加えることは忘れません。
こんなカメラを面白がる人たちですので、話も喜んで聞いてもらえます。
若い人たちに話しかけられたときは、ほんの数十年前までこういうカメラは写真館や観光地で使われていて、三脚を立てたカメラに斜光布でピント合わせをしたカメラマンが、ハーイ、笑ってください、チーズとレリーズボタンを押すやりかたを真似てやると、映画で見たことがあるなどと言って反応してくれます。
今でもこだわりのある写真観や写真機ファンは現役で使っているよと教えてあげると、フイルムすら触ったことのない世代が興味津々に目を輝かせています。

どこかで見たことのあるおばちゃんから、うわっ、すごいカメラと声を掛けられました。
あとで考えると、自○党の片○さ○き議員のようです。
その場で気付いていたら、アベノミクスで円安になって、レンズやカメラを買えなくなったじゃないかどうにかしてくれとでも言ってやればよかったか。

行列を見物しているときは、とても多くの人が並んでいましたが、わたしのカメラはさすがに目立つので、行列している人の多くがこちらを見てくれます。
ほとんどの人をこちらも撮影しましたが、驚きの顔やら興味深そうに見る顔やら、普通でない表情を捉えています。
ただし、そのほとんどでピントは合っていませんでしたが。

いずれにしても、使いこなせなかったサンダーソンが、コミュニケーションツールになったことは間違いなく、それは見物の人たちから、行列の参加者から、お偉いさんにまで波及していたということになります。
このカメラを構えれば、行列している人もこちらを見てくれるだろうとは機体はしていましたが、これほどまでとは予想していた以上の効果です。
実際には、サンダーソンはカメラとしてではなく、カメラの外観をしたα7とルルブールのペッツバールレンズを繫ぐアダプターとして使っているに過ぎないのですが。

作例は、行列の花だった藤娘です。
こちらは、昨日の女性とは別の着物関係のグループの中のおひとりで、さすがは皆さん普段から着物を着ている方々なので、立居ぶるまいなどとても決まっていました。
ところで作例をよく見ると着物と指にピントが合っているのにその中間の腕はボケていますし、漆の傘にも同じことが言えます。
ペッツバールの像面湾曲がうまく作用しているということですね。
このレンズでこの距離で撮るときは同じようなポーズと帽子を付けてもらって撮るのが良さそうです。
【Alpha7 with Sanderson/Lereboures et Secretan 10cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2014/10/11 Sat

桑德森的限界

Lerebours et Secretan 10cmF3.5
わたしのサンダーソンには、無名のレンズとウニクムシャッター付きでしたが、たぶんF7.5とか暗いレクチリニア型レンズではないかと思います。
もちろんそのまま撮影してもよいのですが、レンズボードはカメラから外れますし、フランジなどを付けられればレンズ交換は楽勝です。
せっかくなので、マイブームとなっている愛用のペッツバールからどれかを付けてあげることにしました。

小型のハンドカメラなので、ボードも小さく大きなレンズは最初から付かないことは分かっていましたが、小さなレンズもフランジははみ出してしまいました。
ペッツバールは付けられないかと絶望的な気持ちになりましたが、試しにルルブールをボードに差してみると、もともと開いていた穴とレンズの径がぴたりと一致するではないですか。
フランジを固定しているのと違って強い力がかかるとまずそうですが、裏側をテープで固定するとしっかりと安定しました。

絶望から一転して、これでルルブールが使えると喜んだのも束の間、問題があることに気付きます。
小型のルルブールの焦点距離は10cmなので、レンズ鏡胴の中心あたりから設置するカメラの受光素子までそのくらいの距離を保てなければなりません。
サンダーソンのピント合わせは蛇腹の繰り出しですが、そのためにはレンズボードの下部にある金具を前方にあるレール部分に取り付けなければいけないのです。
レール部分まで繰り出してそこが無限遠なら問題ないのですが、その位置はすでに10cmをオーバーしているようで、無限遠が出せませんでした。

蛇腹が収納されていた少し前あたりが無限遠で、レールに固定した位置が4メートルほど、それより近距離はレールのノブを動かすことで蛇腹が前へ出て行くのでいくらでも寄ることはできます。
4メートルでは顔のアップで、これはこれで悪くはないですが、せっかくのきれいな着物を一部しか撮影することができません。
繰り出しはかなりできるようですので小さなものの接写は得意ですが、残念ながら人物撮影には不向きです。
くわえて、撮影時に気付いたのですが、せっかくのα7の液晶チルト気候は縦位置にすると使えません。
もっとも、縦位置にするというのは、ハンドカメラを横向きにすることになり、こんな不自然な撮影法は考えられないということになりそうです。
チルトしてさらに左右にターンできれば、デジタルバックをカメラが縦位置になるように付けることで解決するので、ソニーにはそういう機構に改良されたα8を発売してくれることを期待するしかありません。

ペッツバールが使用されていたのは、サンダーソンカメラが登場するはるか前のことで、その当時のカメラは箱の前面にレンズが付いていて蛇腹なしにフィルムバックの付いた内箱を前後させてピントを合わせる形態が主流でした。
サンダーソンに代表されるハンドカメラは、レクチリニアなどの小型なのに焦点距離が長いというレンズの特徴を活かして、前ブタを閉じるとレンズごと収納されたり、焦点距離が長い分レンズ後端からフィルムバックまでが長めになっています。
初期のカメラから比べればだいぶコンパクトになったといえるのです。
そんなカメラにペッツバールを付けることは最初から無理があったのかも知れません。

今日の作例では、レールぎりぎりにレンズを固定した位置での撮影です。
赤い着物がこれだけ似合う女性と言うのも珍しいでしょう。
日陰の中の木漏れ日にあった顔がとてもきれいで、露出を落として撮影してみました。
ピントが甘いですが、それでもかつらの継ぎ目はしつかり見えてしまうのが残念です。
もう少し離れることができれば、そのあたりも目立たないでしょうが、このカメラではそれができません。
【Alpha7 with Sanderson/Lereboures et Secretan 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/10 Fri

熱帯的桑德森

Lerebours et Secretan 10cmF3.5
3年くらい前だったと思いますが、イギリスのショップでサンダーソンのトロピカルカメラが売りに出ているのを見ました。
サンダーソンというのは、19世紀末にロンドンのホートン社が手作りしていたハンドカメラの名称です。
トロピカルカメラと言うのは、通常、外側が革張りになっていますが、熱帯地方の気候にも耐えうるように全体をマホガニーやチークなどの木で製造したカメラのことです。
外国向け仕様のため製造数が多くないことと、何よりも仕上げの工芸品とも言える美しさから今では人気が高く、同じロンドンにあったシンクレア社のウナ、グラスゴーのリザーズ社のチャレンジと並んでサンダーソンは3大トロピカルカメラの称号を得て、入手自体が困難です。

しかし、その時見つけたカメラはバックがマミヤの中判フイルム用に取り換えられていたためかとても安価で、むしろシートフィルムよりも120フイルムの方が使う機会があるので好都合と購入を決心しました。
たぶんサンダーソンの一般価格は15万円以上ですが、わたしの改造版は1/4くらいの価格です。
本来のフォーマットはハーフプレートサイズで、このサイズのトロピカルではないサンダーソンはそれよりも安く売られているので、オリジナルの状態にしたければ、それを買ってバックを交換すればよいのではとも考えました。

さて、中判での撮影ですが、これは残念ながら未だ実行に移せていません。
120フイルム用フィルムバックが付いているので、背後からピントを見ることができないので目測になってしまうからです。
バックを外して、レンズを蛇腹で繰り出してどの位置に来た時何メートルというスケールを作ればよいと分かりますが、無名のレンズにそこまでの労力をかける気になれず、もっぱら観賞用カメラになってしまっていました。

そこで考えたのが液晶でピント確認できるデジタルバックを導入することでしたが、中判用のデジタルバックは自動車が買えてしまうくらい高いので断念せざるを得ません。
次善策として考えたのが、35mmレンズ交換デジタルカメラ用バックを製作することでした。
一眼レフでは大きすぎてカメラサイズがはみ出してしまうし、APSサイズのミラーレスだともとの中判より小さすぎるか、などと悩んでいたところα7が登場しました。
APSも35mmも五十歩百歩だといえばそのとおりですが、これならやつてみようかなという気になりました。
ひとつの理由がα7の液晶はチルドアップできるので、ウェストレベルファインダーを見るような姿勢で撮影すれば、その方がハンドカメラの撮影フォームとしては自然のように思えたからです。

中国に行ったときに、件のサンダーソンとNEXマウントアダプターを持参して趣旨説明すると、そういう改造が得意な朋友がいるからと改造を引き受けてくれました。
サンダーソンのバックは真鍮の小さな金具で4隅を固定するようになっていて、同じ厚さの板の真ん中にNEXアダプターをはめ込むだけです。
半年近く待たされましたが、バックができたとの連絡が来ました。
木製でなかったのが少し残念でしたが、きれいな加工でNEXマウントバックが完成していました。
さあ、これでデジタル・サンダーソンで撮影できると考えましたが、もうこの頃のわたしはペッツバールレンズに深く嵌まっていて、せっかくなのでレンズはペッツバールに変えようと考えます。
実は、それからがまた少し長い道のりになってしまうのですが…。

今日の作例は、昨日に続いて江戸時代とも宿場ともあまり関係なさそうなコスチュームのブラスバンドとバトンの行列です。
これを無理に江戸時代風に置き換えると、三味線や太鼓の演奏に続いて流し踊りとなってしまうので、やはり地元の高校生たちが出演するには今のスタイルしかないでしょう。
人数も多いので、着物とか古風なスタイルで揃えるのは無理があります。
ただ、この学校の生徒は美人が多くて目が離せませんでした。
昨日の1日署長には、まだ若さで負けますが、被写体としては申し分ありません。
【Alpha7 with Sanderson/Lereboures et Secretan 10cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/09 Thu

四次都不興

Lerebours et Secretan 10cmF3.5
去年、見物に行って楽しかった「しながわ宿場祭り」に、今年も足を運びました。
江戸時代の装束に仮装するイベントとしては恐らく最大規模のもので、撮影するものもたくさんあるのですが、逆にそういう機会だからと特殊なカメラを準備したことでいつも以上に撮影に難儀してしまいます。
普通と特殊の2パターンを用意すべきだったかなと反省です。

祭りには開会と同時に到着して、江戸装束の行列を撮影しようとスタンバッていたのですが、どうしたことか先頭は江戸時代とまったく関係なさそうなアイドルが警察署の1日署長でオープンカーに乗っています。
よくいわれるアイドルでしたら、わたしレベルの審美眼には同じくらいきれいに見える女性がこのあと着物で練り歩いてくれるので無視すればよかったのですが、このアイドルはレベルが高かったです。
パレードの進み方が遅いのをいいことに、思わずしばらく追いかけてしまいました。

実は、カメラのセッティングがまずく、ほほ4メートルほどでピント固定のような撮影になってしまったのです。
4回の撮影チャンスをつくったのですが、
1回目は、ピントを合わせようと悪あがきしてかえってピント合わず、
2回目は、ピント固定で集中して車が近づくのを待ちましたが、ピントが合う位置では反対側の沿道に手を降っていて後頭部撮影、
3回目は、ピントはタイミングを撮れれば合わせられたので、こちらを向くよう祈り、それは通じたものの手を降る白い手袋で片目しか写らず、
4回目は、露出をオーバー目に臨んだのが裏目で、色だけ飛んだような写りに、
と、すべて失敗でした。
比較するまでもなく、4回目がいちばんマシなので、これを採用するしかありません(微妙に後ピン)。

肝心の彼女のプロフィールですが、すっかり忘れてしまいました。
確かエリさんという名前だったと思いますが、写真がこれでは調べたりする気力もありません。
沿道にいた女性からも、すご~いきれいとか、可愛すぎるなどと声があがっていました。
ちなみに手前にいるのは、これも調べていませんが、本物の警察署長だと思われます。
このご時世なので、警備上の理由で同乗するのかも知れませんが邪魔ですし、なにより役得が羨ましすぎです。

しかし、それにしても宿場祭りでみな江戸時代のコスチュームになることを考えると、リキシャか山車か何かに乗って着物姿で登場してほしかったと思います。
祭り前夜にはおいらん道中という催しもあったようですが、アイドルが遊郭の女性に扮するというのがタブーでなければそれがよかったのではないでしょうか。
あるいは、警察所長と言うことで、これだけの美人なら、岡っ引きのかっこうをしても案外似合ったように思われます。
1日署長だからと言って、警官のかっこうというのはあまりに芸がありません。
【Alpha7 with Sanderson/Lereboures et Secretan 10cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2014/10/08 Wed

高所恐怖鶏

Hermagis 12.5cmF3.6
今日がヤンゴンシリーズの最終回になります。
本当は2週間全14回にするつもりでいましたが、先日の国内での撮影が散々な内容で、ピントが合っている写真がほとんどなかったので、2日分を延長させてもらいました。
毎日更新できないウィークリー日刊ブログと言う形態をとっていると、このような微調整は自在ですが、僅かでもそれなりの変化がある写真を撮り続けることを考えるとやはり楽ではありません。

ミャンマーは、政治問題と民族問題を抱えていて、インフラなどは日本で言う昭和30年代を連想させるものなのに、中国、バングラディシュ、ベトナムと続いたラストフロンティアなとと呼んで日中韓の企業がどっと進出するという、ネタというネタが満載されているような国です。
地方に行けばさらなる面白さがあるのは間違いないですが、地方出身少数民族の政治犯だった青年の知己を得たことで数日の旅にしては十分な情報を得ることもできました。

ブログに文章を起こすようなことがあまりに多いと滞在中は考えていたくらいですが、あまりに政治的なことや民族間の骨肉の争い的なことも多く、わたしのブログで書くにはあまりに重く断念したものが多くありました。
いつものように旅行者が短い滞在の中で見た聞いたという程度にとどめているのが少し残念な気がします。

ミャンマーの政治・民族問題についての本はいくつもあると思いますが、難しいのを読む気がしないという向きに勧めたいのが、高野秀行さんの「アヘン王国潜入記」です。
ワ族というミャンマー辺境の地域に住む少数民族の村に友人を介して中国側から密入国して、彼らと生活を共にすることで、ミャンマーの一少数民族の実情を詳細に伝えてくれています。
高野さんはタイに留学していたことがあり、タイ語、ミャンマー語、中国語ができるのですが、滞在中にワ族の言葉も習得してしまうという語学の達人で、それがあってこそ英語なんてまったく通じないばかりか、英国や西洋の存在すら知らない現地の人との交流からあれだけの本をものすることができるということです。
大宅壮一ノンフィクション賞を受賞するだけの価値の十分にある一冊ですが、内容が砕けすぎているという評価なのか、著者がアヘン中毒にまでなったことが問題なのか、日本での評価はほとんどないのですが、何か国語にも翻訳されて海外ではミャンマーを知る重要な書としての評価を得ていると聞きます。

今回は写真をあまり多く撮れなかったことも残念でした。
ポートレイトというか人物写真を撮るのに、この国ほど面白いところも、少なくともアジアに於いてはないのではないかと思いました。
というのは、あきらかに顔立ちの違う多種多様な人々を目撃して、興味を感じたのですが、なかなかその都度撮影するということができなかったからです。

ウィキペディアにミャンマーの民族一覧と言う項目があって、そこには8つの大きな部族とそれぞれの系統に属する合計135の民族がいると書かれています。
もともとビルマと言う国名をミャンマーへ変更した理由は、ビルマはひとつの民族の名前のことで、ミャンマーは少数民族を含めた国内に住む民族全体を示すからだと言う大義名分からでした。
ビルマ人が過半数を占める支配民族ということで、周囲のシャンやカチンなどが独立を目指して内紛を起こしてきた歴史があり、武器調達のためにアヘンを生産したという側面があるということです。

さらにイギリスが植民地化した時には、先に支配していたインド人を大量に雇用して連れてきたという事情があり、貿易にたけた中国南方人が華僑として移住もしています。
隣のバングラディシュ(かつてはインドで独立してパキスタンになりさらに独立してバングラディシュになった)から流入した人も少なくないようで、彼らはイスラム教徒なので、もともとの仏教とインド系のヒンディー、イギリス人とともに伝来したプロテスタント、少数民族に普及したカトリックとともにヤンゴンは宗教の坩堝ともなっています。

そもそも、いつもの香港経由深圳途中下車の旅でミャンマーに行こうとしたとき、当初の計画では仏教遺跡が多くあって、カンボジアのアンコールワット、インドネシアのポロプドールと並び称されるバガンに滞在するつもりでした。
しかし、現地旅行社のミスで航空券の発券が間に合わず泣く泣く断念した経緯があります。
また、バス停で見かけたインド系と思われる色白で彫の深い顔立ちの美女に声をかけようとしたのですが、バスが来てしまい写真を撮れずじまいだったり、タレントのローラみたいの顔立ちの少女は何度も見かけましたが、これもまったく撮影でぎなかったこともあって、かなり後悔しています。
ミャンマーは、これから涼しくなって旅行シーズンになるとも聞くので、再訪できないものかと正月のスケジュールを見ています。
もしかしたら、この続きを来年早々に再開できるかも知れません。
【Alpha7/Hermagis 12.5cmF3.6 F3.6】
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Hermagis 12.5cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/07 Tue

東南亜洲足球之星

Hermagis 12.5cmF3.6
夕日を見に川の方へ行ってみようとヤンゴン川に向かいました。
少し蒸し暑いヤンゴンでしたが、夕方の川辺は少し風もあってどこか涼しげです。
そのせいか、若者たちを中心に多くの人が集まっていて、夕日を浴びた顔がみなきらきらしているようで印象に残りました。
ここにミャンマーの未来があると言ったら言い過ぎでしょうか。

川べりに夕日を見にというのはロマンティックなシチュエーションですが、人が多すぎるせいか意外にカップルはいません。
そのことを友人に指摘しつつ、昼間、公園で傘を差しながら抱擁&接吻しているのがいっぱいいたと言うと、少し顔を赤らめながら、ヤンゴンの若い男女は昼間から何をやっているのかと固いことを言います。
仏門に入れば、女性と接することを禁じられている彼らにとってみれば、禁欲を刺激されるのでいちばん見てはならないことなのでしょうね。

港傍の道路でミニサッカーをしている青年たちがいます。
よく見るとコンクリートの道で裸足で走り回っていて、足が痛くないのか心配になる環境ですが、真剣かつ楽しそうにプレイしているので、ついつい見入ってしまいました。
裸足の路上サッカーというとブラジルの少年の映像が思い浮かびますが、どうしてミャンマーの青年たちもなかなかのテクニシャンぞろいで、いろいろなフェイントやノールックパスなど、裸足で強くれることができないのを技でカバーするかのようでした。

その技を磨かせているのが、サッカーの周囲でいくつものグループが楽しんでいる蹴鞠のような遊びです。
タイのセパタクローと同じものだと思いますが、竹のボールをエンジンになって地面につかないようにパスしあうゲームです。
これがまた皆すばらしく上手で足の甲やひざ、ももはもちろん、頭や肩など手以外のあらゆる場所を機用に使ってボール回ししているのは見事です。

作例のように服装がまたユニークです。
まわしを着けてプレーしている訳ではなく、前にもふれたとおりロンジーと言う巻きスカートのような衣装をはいているのでこのままではプレーしづらく、たくしあげてから大事な部分が見えないようにうまくまとめています。
これを見ると噂通りロンジーの下には下着とかはかないということのようですね。
ロンジーは大事なものを出すことができないので、おしっこするときは必ず座ってすると聞いたことがあったのですが、その話を裏付けてくれています。

MYANMARと書かれた赤いシャツは恐らく代表のシャツではないかと思います。
U-19の東南アジア選手権がこの夏にあってミャンマーは見事に優勝を果たしたんだと、友人が胸を張りました。
路上のサッカーがあれだけうまいのですし、何よりミャンマーはイギリスが宗主国だったこともあってサッカー人気の高い国です。
週末はイングランドリーグをテレビ放送していて、多くの人が観戦していましたが、放送はほとんどイングランドのみで、残念ながら楽しみにしていたFCバルセロナの試合を見ることができなかったのは旅の中の残念な記録でした。
【Alpha7/Hermagis 12.5cmF3.6 F3.6】
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Hermagis 12.5cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/06 Mon

白色茉莉花

Hermagis 12.5cmF3.6
アジアには貧困層が多く存在しますが、ただ貧しいというだけでは悲劇とか不幸ということにはならないでしょう。
貧しいながらも家族が助け合うことで、幸せな生活を送っているという人も大いに違いありません。
しかし、ヤンゴンで知り合った青年は、幼くして母を事故で失い、父親も熱病に罹り病院にいけないままに死亡したと言います。
おじに引き取られた姉は、中国に渡ったと後で聞いたそうですが、そのため小学校の時に分かれて以来十数年会っておらず、今どうしているかも分からないと言います。
嫁不足の農村に売られたのかも知れませんが、そんなことは彼に対して口にすることはできません。

肉親を失った中で、貧しい親戚に育てられた彼の不幸はそれだけに止まりませんでした。
孤独を紛らわすためか読書好きの少年だった彼は、やがて文学にのめり込んでいきます。
ある日、まだ少年だった彼は官憲に逮捕されて、裁判を受けることなく投獄されることになります。
わずかに政府に批判的なことを文章にしたことがその理由でした。

地元の刑務所に収監されていたものの、政治犯の彼は専用の施設があるいくつかの刑務所を経てヤンゴン刑務所に移管されました。
鉱山の近くの刑務所では、発破作業に駆り出されていたそうで、ダイナマイトを仕掛けて点火する命がけの仕事を受け持ったこともあるそうです。
ヤンゴンではほとんど光の差さない独房で一定期間を過ごしたこともあり、同じ刑に服した何人かはその時に頭をおかしくしたり自殺したりしたということでした。
また、食事にあきらかに薬物が混入されていることがあったので、少し口にしてみて怪しいと思ったときは絶食を繰り返していました。

軍事政権の自由化への転換によってようやく解放されたので、ヤンゴンで仕事を探します。
しかし、彼は辺境で生まれた少数民族だったのでIDがなく、身分を証明できないことで仕事を見つけることができません。
収入が無く、知り合いすらいない中で、日々町をさまようことになりました。
そこで彼を救ったのが、仏教でした。
ある僧院が食事を施し、仏の教えを伝授してくれました。
彼は仏門に入る決意をし、経典の勉強を始めましたが、同時に両親を失った子どもたちのためのボランティア活動を始め、来るべき国際化に備えて英語の勉強にも力を入れています。
勉強熱心なところが僧院に認められて、間もなく仏教の大学に入学させてもらえるようになり、ようやく彼の輝ける人生が始まると言うところでした。

昨日は彼のことを書くことができないと言いましたが、記録しておく程度なら問題はないでしょう。
恐らく、上記のような人生を歩んできたミャンマー人は少なくないのではと思われます。
ミャンマーもお隣のタイと同様に目が合うと笑顔がかえってくる、微笑みの国なのですが、笑顔の裏側にはそのような悲劇が潜んでいるかも知れないと考えると、これを箇条書きでも残すことは必要かと考えた次第です。

作例は、ヤンゴン川に近いボータタウン・パゴダの前の供え物を売る店です。
女性の持つ白い飾りは近くを通るととてもいい香りがして、ジャスミンの花だと分かりました。
背景には、バナナなどのお供え物も見えていますが、食べ物は供えられた後、僧侶が食したりするものなのでしょうか。
上座部仏教では、食事は朝の一度だけ、仏門に入ったこの友人とは朝食をともにしましたが、その後はおやつすら許されません。
彼と行動を共にしたわたしも食事は我慢しましたが、彼と別れた後にレストランに飛び込んだのは言うまでもありません。
【Alpha7/Hermagis 12.5cmF3.6 F3.6】
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Hermagis 12.5cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/05 Sun

最后天的聊天

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香港がたいへんなことになっていますね。
2017年の行政長官選挙で指名委員会によって選出されないと被選挙権が得られないという、実質的に中共から長官を選ぶ選挙になることに危機感を抱いた学生たちが数万人規模のデモを1週間続けています。
返還前には1国2制度を敷くので香港市民の皆さん安心して住み続けてくださいねと、懐柔させようとした中共でしたが、信用しないものはアメリカやカナダに脱出していました。

デモの参加者のほとんどは、香港返還が決まった時には幼児だったか生まれてすらおらず、自身の意思で香港にとどまるかを決することもできなかった世代です。
彼らは4年前にも愛国教育制度を導入しようとした政府に対して、中共洗脳教育に反対として、制度の実施を見送らせた実績があります。
世界中の誰もが期待するように現行政長官が自由に選挙で選ばれるように、彼らの活動が実を結ぶよう念ずるばかりです。

そういえば、半年前には台湾でも、中国との貿易協定を進めようとしていた政府に反対するデモを学生が行って、白紙撤回させるというニュースがあったばかりです。
世界はもちろんですが、中国のごく周辺と言える台湾と香港の若者が、中国に対するNoを突き付けたということになります。
そんなおり、先週、首相の所信表明演説の中で、中国は友好国だという一文が入っているというのを聞いて、情けない気持ちになりました。
これまで毅然とした態度をとってきたのに、日中首脳会談ができないことへの圧力があるのか、何もそこまで媚びた言い方はなかったんじゃないのかなあと思うのですが。

そのようなことはあまり書きたくないのですが、ミャンマーもその中国や北朝鮮と同じように限定的な自由しかない国です。
数年前に一定程度の自由化がなされて、今は一見すると中国よりも自由があるように思えますが、依然は北朝鮮並みの自由度の国でした(こんな表現がいちばん理解してもらえるような)。
何も予備知識もなくこの国を旅すると、そんなことには気付かないまま滞在してしまいますが、以前の旅行記を読むと旅行者にはところどころで警官の尾行があり、市民に接するとわたしに危険が及ぶからともう2度と来ないでと言われたりなどの話が頻発します。

そのことを思い出させてくれたのが、現地で友人になった青年の語る話の数々でした。
まだ20代の青年ですが、わたしは彼ほどに奇想天外で、また不幸な人生を歩んだという人には会ったことがないですし、今後彼の夢が叶えばその人生は映画化されてもおかしくないほどのものです。
そうなる前にわたしが話を脚本化してハリウッドに売ってもいいのですが、残念ながらそれは許されません。
ミャンマーには限定的な自由しかなく、彼の体験を正直に書いて発表することは、たちまち彼の身に危険が迫る可能性が高まるからです。

ミャンマー最終日は、彼が時間を作ってくれて、わたしを町の名所に案内してくれました。
その間、多くは彼の話を聞く時間に費やされました。
国は違いますが、カンボジアのクメールルージュの圧政から逃れるキリングフィールドを思わせるような話だったということだけ言っておきましょう。
写真も何枚も撮りましたが、当然、アップすることはできません。
彼は、外国人に支援してもらいたくてわたしに接近したのかとも思いましたが、何も求めてくることはなく、自分たちとは視野の違う外国人と話をしたかったという意図はあったでしょうが、純粋に知り合って意気投合して友だちになったという程度のことのようです。
いくつかの話はミャンマーを知るためのエピソードとしてここに記そうかとも思いましたが、やはり何らかのかたちでそれが知れて彼に危険が及ぶかも知れないなどと思うととてもそんな気にはなりませんし、そもそも話があまりに重くて、それを文章にするにはブログと言うスペースはあまりに軽いと考えて断念しました。
【Alpha7/Hermagis 12.5cmF3.6 F3.6】
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Hermagis 12.5cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/04 Sat

老虎和水蛭

Hermagis 12.5cmF3.6
バス、鉄道と乗ってみたので、次は船です。
友人になった青年が、ヤンゴン川の対岸はほとんど開発されていない素朴な村が点在するから行ってみるといいよと教えてくれたのです。
確かにその言葉通りの恐らくはミャンマーらしい農村の風情でしたが、残念ながら到着が遅すぎました。
港の外れにある庶民の村に着いたときは真っ暗で、そのバンブーハウスはまったく見ることができません。

また、とても残念なことですが、利用したトライショーの運転手とも料金のことでトラブルになります。
トライショーは自転車に客が座る部分を取り付けたサイドカーですが(1週間ほど前のヤンゴン最初の写真に写っているものです)、短距離の移動に地元民の足となっています。
逆に観光するような場所では事情に疎い外国人を騙してやろうと手ぐすね引いて待ってるのですね。
料金を聞くと500円ほどだったので利用すると、最後になってあれは30分の料金で2時間乗ったのだから2000円出せと言われます。
そんなこと聞いてないぞと返すと、トライショー仲間に囲まれて、ここではそれが協定料金だとか何とか言って、こちらも運転手の暮らしぶりとか聞いていたので、なくなく2000円払うことになります。
3時間かかる国鉄ヤンゴン環状線をひとまわりして20円ですから、ヤンゴンを100周できる料金で真っ暗な村とか見てきたことになるわけです。

その夜、ここへ行くことを勧めてくれた友人の青年と会ったのですが、さすがにこの話をすることはできませんでした。
責任感の強い彼が、自分が勧めた場所で2000円と言う大金を取られたと知れば衝撃を受けると考えたからです。
日本の観光地の感覚なら2時間もリキシャに乗れば、2000円と言うのはむしろ安いくらいでしょうから、ヤンゴンの物価に置き換えたとしてもそれほどボラレでいるということもないと思われるくらいでしょう。
JETROの資料によると製造業作業員のミャンマーでの平均月収は78ドルで横浜市の38分の1となっています。
2000円を38倍すれば76000円ですので、そこまで高額ではないでしょうか、1万円取られたくらいの感覚は持つことでしょう。

作例は、まだ明るいときに突然のスコールがあって、カフェに入ってお茶をすすっていた時に撮影したものです。
ヤンゴン川の支流に面したナイスロケーションのカフェでしたが、地元の人はテレビの前の席に集中していて、川沿いの席には誰もいません。
紅茶を頼むと1杯20円で、やはりトライショー代100杯相当です。
雨が止むまで20分ほど運転手と休憩していたと思いますが、もちろんその時間もトライショー料金にカウントされています。

それはともかく、ヤンゴンの都会の対岸が、ほとんどジャングルのようなところで、建物は高床と言う一気に地方に来てしまったような感覚でした。
かつてはこのあたりにもワニや虎が住んでいたそうですが、さすがに今はもっと田舎まで行かないとそんな野生生物は
生息していません。
毎日最高気温が28度くらいの日が続いていたのに、わたしは蚊を1度もみることはありませんでした。
ただ、ミャンマーはデング熱が多い国だとも聞きました。

ワニも虎もいませんが、このあたりの地元民が恐れるのがヒルの存在だそうです。
ヤンゴンあたりにもヒルが多いことは本で読んでいたので、ぬかるんだジャングルには入りませんでしたが、やはり地元の人も気にしていると聞いて、足元が気になって仕方ありませんでした。
もっとも、わたしはヒルという英単語を知らず、ブラッド・ドリンキング・インセクト・ライク・ワームという言い方をしていましたが、これで通じるのが可笑しかったです。
いま辞書を引くと、leechとなっていますが、Hirudineaとも言うと書いてありますので、日本語のヒルの語源はこれかも知れません。
ヤンゴンのは、細い毛糸くらいのサイズでいるのに気付きにくいですが、足に吸い付くと人差し指大くらいにふくれるそうで、つぶすと血がドバっとなると言います。
吸い付いた跡は血が1時間も止まらないなんて聞くと恐ろしいですね。
トライショー運転手のことをリーチマンと呼んでやろうかといま思っています。
【Alpha7/Hermagis 12.5cmF3.6 F3.6】
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Hermagis 12.5cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/03 Fri

仰光幾点?

Hermagis 12.5cmF3.6
事情があって毎月1度中国に行っていますが、この習慣と引き換えに、わたしは旅の準備をしなくなりました。
いつもと同じ機内持込みサイズのスーツケースには着替えだけ突っ込めば、カメラバッグを兼ねたトートバッグにはパスポートや旅の小道具が入れっ放しになっているので、そのまま出掛けてもそれほど不便はありません。
ときどきカメラの電池のスペアやら何やらと忘れ物をすることもありますが、中国ならだいたいのものは現地調達できるので大きな問題になることはありません。

今年は空いている時間を中国国内の旅から、乗り継ぎの他国への旅に切り替えてみているのですが、それでも準備の仕方は変わらないままです。
むかしは安宿に泊まったのでホテルも到着後に自分の眼で見て決めていましたが、最近は年取って少し快適に眠りたい願望が出て、ホテル予約サイトでブッキングを入れているのが唯一の準備と言えるかも知れません。
ミャンマーはやや例外で、ビザが必要なので代行屋さんにビザ取得を依頼しましたし、米ドルを持って行った方がいいとも聞いたので羽田空港で40ドルだけ両替しています。

あまり情報を持たずに行くと言うのも準備をしないことのひとつにあげられるでしょう。
情報収集をするしないは一長一短で一概にどちらがいいとは判断付きません。
現地の行き先の情報で言えば、調べずに到着してよい所に行き損ねてしまうということがあるでしょうし、逆に細かく調べすぎることで個人旅行なのに名所巡りばかりするパックツアーのようになってしまうのが面白くありません。
わたしは観光地にはまったく執着がないので調べなくても支障なしですが、一般には軽くガイドブックを飛ばし読みして
こことここだけは行って、あとは成り行きにまかせようくらいの感覚がいいのではないかと思います。
世界遺産ファンなど、徹底的に調べ上げてからガイドブックにあるのと同じ位置からのベストショットの写真を撮るくらい徹底することに満足を得ている方もいますが、こうなると目的の違う旅ではない何かをしているのだ解釈するしかありません。

ヤンゴンに到着する直前の機内でさっそくこれは面白いということに気付きました。
東京から香港へ行くと1時間の時差があって、時計を1時間遅らせる必要がありますが、ミャンマーではさらに1時間遅らせるものかと思っていたのですが、何と30分遅らせろと機内アナウンスしています。
ロンドン標準時から1時間刻みを各国が採用していると思ったので、事前に調べていなかった私には新鮮な驚きでした。
なお、インド、スリランカ、アフガニスタン、イランも30分刻み時差が採用されているそうですが、ネパールに至っては日本が12時のとき8時45分だと言うので訳が分かりません。

また、以前にも書きましたが、イギリスが統治していたにも関わらず、ミャンマーの自動車は右側通行だったのも意外な驚きでした。
調べてみると、周辺のタイ、マレーシア、シンガポール、バングラデシュ、インド、スリランカ、インドネシアなど東南アジアでは左が通行の国が多く、この地域ではインドシナ三国のベトナム、カンボジア、ラオス、スペインとアメリカの統治を受けたフィリピンが右側通行なのは当然としても、なぜミャンマーまでもそうなのか不思議な気がします。
こういった疑問はまだまだありますが、割愛させていただきます。

今日の作例は、小学校の制服を着た少女です。
可愛らしいなと思ってカメラを構えていると、後ろから父親と思われるおじさんに怒鳴られてしまいました。
うちの子を撮るなと言っているのかと思ったら、怒鳴っている相手は子どもたちで、恐らく、せっかく撮ってもらっているんだから笑いなさいと言っているようでした。
ぎこちない笑いのふたりがますます可愛く見えて仕方ありません。
制服と肩のワッペンに少しだけ英国の影響が感じられるような気もしました。
【Alpha7/Hermagis 12.5cmF3.6 F3.6】
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Hermagis 12.5cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/02 Thu
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