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馬来式竹飯

Colas 15cmF4
先日書いたように、パパールの町にはマレーシアの先住民による伝統的な生活を体験できるホームステイがあったにもかかわらず、同じ町の何もないホームステイとは名ばかりの宿に泊ってしまいました。
もっとも宿泊時には、当地のホームステイにそんな特徴があることを知らなかったので、その時は気にも留めていません
それどころか、階下で食堂をやっているスーパーマリオのようなおじさんと親しく会話したり、ふたりの孫と遊んだりしたのが愉しく、それなりに満足できる滞在でした。

さらに翌日ですが、コタキナバルへ向かって車を走らせ、何か表示が出るとそれを目指して脇道に入るような運転をしていたところ、何につられてそこへ行ってしまったのか、リゾートか何かと勘違いして警察施設のようなところに迷い込んでしまいました。
銃を持った短パン姿のおじさんが数名いて、うわっミリタリーかと聞いたところ、ポリスだと返事されてすみませんとすごすご戻ったのですが、その途中にホームステイではないにも関わらず現地の人の伝統的な生活の一端を目撃することになりました。

竹をきれいに切りそろえいて何をしているのだろうと車をそばに停めあいさつしました。
警察施設がそばのせいか、わたしを一瞬警察官と思って警戒したような空気がありましたが、カメラを持って観光客をアピールして、しかも下手くそな英語だったので、すぐに警戒感も薄れて笑顔が見られます。
竹を一定の長さに切りそろえているのは、この中にもち米やココナツミルク・肉・野菜などを詰めてから日の中に放り込んで炊くという伝統的な食べ物をつくるための準備だと教えてくれました。
名前を聴いたのですがメモが出て来ないので、検索するとレマントックという食べ物だと出ていました。
タイのチェンマイでも名物で食べたことがありますが、名前はカオ・ラームだそうで、これはとても美味しかったです。
中国の桂林のも有名ですが、ココナツミルクは使わないのでちまきそっくりの味でした。

竹のあるアジア各地で同じような料理があるようですが、自然発生的に各地に生まれたのか、どこかで生まれたものが伝播したものなのか調べてみると面白いそうです。
同様のものはどの地域に存在するか分布マップなんてありそうですし、日本では竹の笹に包むすしやお菓子などの食べ物はありますが、竹の中で米を焚くような食べ物は存在するのか気になります。
チェンマイでは名物と言うことで普通に食べられていましたが、ココナツ味の甘みはもち米と言えども、主食と言うよりはおやつのような存在のようでした。

マレーシアのサバでは、お祝い事などで大量に作られて大勢の人で食べることが多いと説明してもらいました。
だから、その時にそなえて大量に竹をストックする必要があるということです。
足元には20本くらいの竹が束ねられていましたが、まだまだ何本も作らなくてはと笑顔を見せてくれました。
服装も伝統的なスタイルでしたので、これはぜひとも撮影させてくださいと言うと、恥ずかしいから勘弁してと言われます。
作業している姿を撮りたいんですと重ねてお願いすると、了解してくれましたが、どうにも現地の人たちはシャイなんですね。
ホームステイの若い家主も食堂の一家もそうでした。
気候や食事、人々の性格はそれぞれに連動するものなのではないかとハンドルを握りながら思いました。
宗教ではなく、例えば砂漠のあれた土地に生まれ育つと、粗暴になる人も出てくるのかなあと昨今のニュースを思わずにはいられません。

蛇足ですが、いまデング熱が大きなニュースになっています。
マレーシアのボルネオ島と言うと、いかにもデング熱の多発地帯のようなイメージがあるかも知れませんし、シンガポールで流行しているとニュースを観ましたのでコタキナバルにも患者が出ている可能性はあります。
しかし、意外なことに、この旅では一度も蚊に刺されることはありませんでした。
アジアではどこに行っても蚊に悩まされてきたように記憶していますが、これはどうしたことでしょう。
ですから、わたしを媒介にマレーシアのデング熱になるという可能性はないと言えます。
ただ、帰国した翌週に代々木公園に行っているので、そちらから写る可能性は否定しません。
【Alpha7/Colas 15cmF4 F4】
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thema:ペッツバール genre:写真
Colas 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/31 Sun

馬来西亜的内馬尔

Colas 15cmF4
パハールからコタキナバルはほぼ海岸線を走るようです。
おとといブルネイに向けて走ったときは、1本山側の道を通ってしまたので、海に近い道に気付きませんでした。
そういえばさすがに地図なしで運転するのは不安だったので、コタキナバルの本屋で探したのですが、地図はないと店員に一蹴され、ツーリストインフォメーションでも渡せるものはないと無いと言われて閲覧用の地図を見せてもらって、道路が書いていない地図の付いた観光パンフレットをもらったのが唯一の頼りとなってしまいました。
もちろんレンタカーを借りる時も尋ねましたが、用意していません。

いま考えるといちばん良かったのは、携帯電話用のSIMカードを買うことで、スマートフォンにセットすればグーグルマップなりで地図を確認することは可能だったはずです。
PCを持っていっていたので、WiFiのあるカフェとか宿で地図を開いてチェックすることが可能だと考えたために、SIMカードと言う手段を見過ごしてしまいました。
初日のゲストハウスにはWiFiはなく、途中にカフェなんてあるはずもなくで、結局、WiFiを利用したのはホームステイした2泊目でした。
しかも宿を出るときに近くにWiFiが使えるところないと聞いたら、ウチで使えるよと教えてもらい、前夜確認しておくんだったと後悔しつつ、さっとPCを使ったのみでした。

神奈川県民でなければどうでもいい話ですが、今回、マレーシアでの運転に備えて二俣川にある運転試験場に国際免許を取得に行き、当地の駐車場事情が以前とはだいぶ違っているのに戸惑いました。
国際免許取得や一般の免許証更新は、通常、月から金の9時5時しかやっていなさそうなものですが、日曜も時間を短縮してオープンしているので、わざわざ仕事を休む必要はないことは知っていました。
ただし、当然のことながら、日曜はかなり混むようです。
前回ものこのこ昼頃出掛けて行って、駐車場待ちに1時間もかかったような記憶があります。
電車・バスを利用すればいいのですが、何となく面倒くさいので、終了間際なら空いているだろうと45分前くらいに着くように出向いてみたところこの読みは的中でした。

確かに空いてはいたのですが、前回の数年前に訪れたときと変わっていたのは、タダだった駐車場が有料化されていたことでした。
30分200円となっていましたが、前回、国際免許を取得した時は申請用紙の記入から受け取りまで30分くらいかかった記憶があり、1時間扱いの400円になってしまうかと観念しました。
しかし、駐車料を聴取するようになったからという訳ではないでしょうし、単に終了時間が近かったというだけかも知れませんが、申請用紙を手渡して5分ほどで国際免許が発行されたのには驚きました。
すべての手続きがスピードアップしてのでしょうか。
むかしからここの手続きは態度の悪い職員がいるうえに時間がかかると評判が悪かったのですが、今回は若い女性職員が民間企業並みの懇切丁寧対応していて、二俣川試験場は生まれ変わったかのようでした。

どうでもよいことに字数を割き過ぎましたが、パパールを出たわたしは目的も無く、車をコタキナバルに向けて走り出しました。
途中、何とかビーチリゾートの看板を発見したので、そこのバーで1缶800円もするハイネケンを飲みながら、ぼんやりビーチチェアに寝そべったりして、碧の海と白い雲を目に焼き付けます。
今日の作例はその時撮った、美しいビーチでたわむれる中年太っちょ男性ふたり組にするつもりでしたが、白い砂浜と遠くに見えているヤシの木の構図があまりにもいかにもな写真でイヤになり、こちらにしました。

この作例は、フィッシングパラダイスと書かれた看板を目当てに脇道にそれたのですが、そこは自然の入り江を利用した釣堀のようなところで、カウボーイハットのおじさんが必死にアタリを待つものの無反応と言う退屈な場所でした。
見物を諦めてさらに奥に進んでいくと、そこにも釣りをしている若者がいて、見てみようと車を停めた瞬間に釣れたぞーと大声が聞こえで、この作例をものにすることができました。
何と言う魚? グルーパー、よく釣れるの? ディス・サイズ・ノット・オーフン、とのこと。
近くにいた仲間たちが興奮して駆け寄ってきたので、やはりめったに30センチオーバーの魚は釣れないようです。
魚もすばらしいですが、わたしが作例採用した理由は、この作例ではそうは見えないかも知れませんが、彼がネイマールに似たなかなかの好青年だったということに尽きます。
そのことを言うと、少し照れながらも嬉しそうだったのは、髪形を含めて本人は意識しているからじゃあないかと密かに思ったりしてしまいました。
【Alpha7/Colas 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Colas 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/30 Sat

就在対面

Colas 15cmF4
パパールのホームステイと言うのは、、サバ州のいくつかのサイトに紹介されていました。
原住民の民家に宿泊し、希望によりゴムの収穫、果物の植林、山菜を取る、魚を捕るなど彼らとの生活をともに体験できるという、何とも愉しそうな滞在のことが書かれています。
飛び込みで行ったのでは各種体験が難しいどころか泊ることすら不可能だったかも知れませんが、事前に調べていればと後悔することになります。

一方、宿泊した宿のオーナーは三十台と見える若い男性で、英語が堪能でしたので話しかけたりしたのですが、どうも落ち着かない感じです。
どうしたのか聞くと、いま、ちょぅどサッカーのイングランドプレミアリーグの生中継を観ていたのでとの答えで、それは申し訳ない続きを観てくださいと恐縮させられてしまいます。
まだ9時で、外国に来て部屋でひとりテレビを見るには早すぎるような気がして、1階のレストランに行ってみることにしました。

本当はビールがあればありがたかったのですが、昨日も書いた通りマレー料理のムスリムレストランなのでアルコールはご法度です。
食事も済ましていたので、その旨断ったうえでメニューを見せてもらい、スープを頼むことにしました。
客は10名くらいいましたが、いずれもなじみと言う雰囲気で、みなテレビドラマを見ています。
わたしは興味がないのでテレビに背中を向けて座ったこともあって、店主がわたしの向かいに座って話しかけてきました。
最初は、わたしがどこから来たとか、何しに来たとか答えていましたが、わたしも店主始め、奥さん、息子たち、孫たちが夜にも関わらずいっしょに働いていることに関心を持ち、いろいろな質問を投げかけました。

彼は、ここパパール出身で警察官になり、しばらくして赴任したリンパンで当地の美女を見初め、それがいま料理している母ちゃんだと笑って教えてくれました、
そのリンパンなら今日通ってきたよと言うと、ドリアンは食べたかと聞くので、はいと答えるとあそこのドリアンは最高だからなあと美人も多いんだと言って笑っています。
結局、スープ1杯で2時間も話し込んでしまいました。
こんな長話はビールか地酒をおごりつおごられつして楽しむものではないかと思うのですが、スープでもフルーツジュースでもそれができてしまうのがマレーシアと言うところなのです。
原住民の生活が見られるホームステイができなかったのは残念ですが、こんな滞在もわたしには十分以上の体験になりました。

息子3人も働いているので、明日は朝からやっているからと言うので、また明日と2階の部屋に戻ったのですが、どういうわけか朝も昼も彼らに再会することはできませんでした。
テーブルの上に、彼の帽子が置かれていたので、サンキューとメモを残して日本から持ってきていたアメを置き土産にここを去りました。
朝食は、おとといの作例の古い建物がいくつかある町の食堂でカレーを食べます。
それから、彼が言っていた土日に開かれるという市に行ってみることにしました。
カレー屋でわたしのオーダーの手伝いをしていた母子に市の場所を聞くと、簡単な地図を書いてくれて助かりました。

地図を見る限りかなり近いようでしたが、そのまま車で運転していくと、何とそれはホームステイした家の道路を挟んだ向かいでした。
そういえば、レストラン店主のおじさんが市があると教えるときに、そのあたりを指さしていたような気がします。
なんでもっとちゃんと聞いておかなかったのか、市には食事できるところもあったのであちこち巡る必要はなかったのでした。

しかし、この市にもドリアン屋さんがあって、三たびこのフルーツの王様をいただくことができました。
リンパンのものではないとのことで、味的には劣るようですがもちろんまずいなんてことはなく、美味しい美味しいと食べていたせいか、それまでヒマだった店にお客さんが集まって来て、ここの店主のおばさんがホクホク顔になっています。
安くするからと言うので、ジャックフルーツもいただきました。
これも美味しかったのですが、ドリアンにはかなわないなどとぶつぶつ言いながら食べていると、不思議なことにこの店の客はさらに増えてほとんどパニックのような状態になっています。
外国人が旨そうに食べていたからではとわたしは自画自賛したのですが、客のわたしに注意を払うものはいないので、この現象の理由は説明が付きませんでした。
ジャックフルーツを食べ終わって店を出て、しばらくしてから戻りましたが、店の周囲は閑古鳥が鳴いていました。
手招きされましたが、もう食べられないと断って彼らとも別れました。
【Alpha7/Colas 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Colas 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/29 Fri

沙巴鉄路

Colas 15cmF4
6月にタイを訪れたとき、当地は雨季ということでしたが実際にはずっと好い天気で、ただし必ず1日1度だけ突然強い雨が降るという日が続いていました。
同じ東南アジアだからなどと考えるのはまったく浅はかで、コタキナバルやブルネイの雨季はまったく不規則に降ったり降らなかったり予測ができません。
ただ、少なくともタイに滞在した時よりも降雨時間・量とも圧倒的に多くて、今回の旅に影響したことは残念でした。

ブルネイからマレーシアに戻るドライブの最中にも大雨が降ってきました。
法定速度いっぱいの90キロで走り切れれば、夕方には海岸線に出られるので、海辺の宿を探そうと考えていましたが、豪雨の中では50キロで走るのが精いっぱいで明るいうちに海辺までたどり着けず、宿探しも雨の中では辛いので断念することになりました。
高級リゾートに滞在するつもりはありませんが、朝起きたら部屋から短パン一丁で飛び出して目の前の海で泳げるようなゲストハウスに泊まるなんて考えは夢に終わりました。
もっとも、そんな安くて贅沢な宿が存在するかはよく分かりません。

結局、海岸沿いの道をあきらめてひた走り、パパールという標識を見て町に入りました。
ツーリストインフォメーションでもらったパンフレットに出ていた地図にサバ州の名所が大雑把に記されていたのですが、そのうちのひとつがパパール・ホームステイの文字でした。
ビーチフロントの宿をあきらめた私は、給油の時にこの地図を見て、コタキナバルへ戻るよりこのパパール・ホームステイというところで泊ろうと考え直したのでした。

それにしてもパパール・ホームステイとは何なのかは分かりません。
パパールはコタキナバルから数十キロ手前の比較的大きな町とは知っていましたが、町をあげて観光客を呼び込もうとこぞってホームステイを受け入れているとか、この町のホームステイは宿泊者が炊事洗濯など家事を手伝うことが義務付けられているとか、何かユニークな特徴がありそうです。
個人的には、中国の少数民族の農村でそうしたように、家主と手製の酒をちびちび飲みながら、世間話でもできればそれだけで大満足です。

街道からパパールへ向かう道は、もう夜も8時過ぎだというのに何やら渋滞していました。
理由はよく分かりませんが、もういい加減に腹が空いている時間だったので、スーパーや大型ショップ、レストランなどが並んだ複合施設のようなところに入り、食事することにします。
ここがまた、日本の同様の郊外型施設そっくりで、さきほどの重体と言い、サバ州も日本と同程度の車社会なんだなあと実感させられました。
そこで食事した際に、英語堪能の店員の中国系のおばさんに英語と中国語のチャンポンでホームステイのことを聞いてみても何のことか分からぬという返事でしたが、いっしょに働く息子に尋ねると、すぐそばにホームステイをやっているところがあると案内してくれました。

レストランなどの施設の隣がガソリンスタンドでさらにその隣が案内してもらったホームステイでしたが、1階がレストランで2階より上に宿泊できるようになっていて、ホームステイと言うよりは昨晩利用したゲストハウスのスタイルです。
ただ、表札にはホームステイと書いてあって、今さら他を探すのは面倒なのでお世話になることにしました。
料金は3000円ほどです。
中国系レストランで横浜の中華街で食べるような現地味にアレンジされた食事をした後に案内された宿の1階が、典型的な土地のレストランだったのはしまったと思いますが、中華を食べなければここへは来れなかったので仕方ありません。

その時は気付きませんでしたが、徒歩10分くらいのところにパパール駅がありました。
作例は、たまたま駅があると見つけて立ち寄ったところ、偶然にも1日数本しかないはずの列車がやって来て撮影することができました。
駅の前を歩いていたのであわてて撮影しようとしたところ、駅舎のはずれの金網が破られていて、中に侵入して線路の上からカメラを構えました。
ハノイのロンビエン橋でもそうだったのですが、なぜかアジアを旅していると、本数の少ないはずの列車に偶然出くわし、撮影しようとすると入れないはずの線路内に通ずる隙間が見つかったりします。
これが中国だと本数の多いはずの電車のチケットが売り切れで買えなかったり、ローカル線では来るはずの列車が大幅に遅れて乗れずバスにしたりと、あまり鉄路とは相性がよくなかっただけにとても不思議な気がしてしまいます。
【Alpha7/Colas 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Colas 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/28 Thu

16次出入境

Colas 15cmF4
昨日に続いてコタキナバルからブルネイに車で行った感想をメモしておくことにします。
ガソリンがリッター65円と聞いて、それならわたしもボルネオでドライブしてやろうという人のお役に立てれば幸いです。
なお、コタキナバルからバンダル・スリ・ブガワンへは長距離バスと航空便もあります。
運転中、何度かブルネイ行きのバスを見かけましたので、このバスも同じルートを通っていたようですし、空の便では距離が短いので1万円程度で往復できるようです。
ただ、ブルネイ内ではタクシーや路線バスが少ないようですので、現地での移動がスムーズではないということを考慮すると、レンタカーが便利だと言えます。

マレーシアとブルネイの国境では、ドライブスルーのように車の中にいながらにして出入国審査を受けることができます。
これはごく簡単に出入国できるということを意味していて、このやり方でひとりひとりに時間がかかっていたら国境付近が大渋滞してしまうので、係員も慣れた手つきでパスポートのチェックとスタンプ押しをしてくれます。
それに彼らはみなフレンドリーで、挨拶すれば必ず返してくれますし、パスポートを手渡しながら良い旅をと言ってくれた係員もいました。
出入国審査も、リッチな国らしい合理性と、南国風のゆるやかさがうまく同居している感じがします。

1度だけ入国審査がスムーズでないことがありました。
ブルネイでの2度目のボーダーでのことですが、この書類はないかと用紙を振りかざされました。
ノーというと、車を脇に停めて記載するよう言われ、用紙を読むと車のナンバー、登録番号、エンジン番号などを書くようになっています。
慌てて車検証を探しましたが、グローブボックスに入っていません。
ナンバーを記入し、エンジン番号を探そうとボンネットを開けますが、何か所かに番号が書かれていてあせります。

係員が近くにいたので呼び寄せて、どれがエンジン番号かと聞きましたが、彼も首を捻るばかりでした。
ふたりしてあれかなこれかなとやっていると、後続の車の助手席のおばさんが身を乗り出して、番号ならそこにあるでしょと教えてくれました。
何とフロントガラスの左上にステッカーが貼られていて、必要なふたつの番号が記されていました。
エンジン番号を見るのにエンジンを見るというのはいかにも間抜けでしたが、まさかこんなところに書かれていて、係員も知らなかったということで、ふたりして照れ笑いしたという次第です。

旅好きには、パスポートに押されるスタンプの数が増えていくのを楽しみにしている人が多いですが、そんな人たちを喜ばせるような話を最後にいたします。
コタキナバルからブルネイを往復すると言えば、マレーシア出国、ブルネイ入国、ブルネイ出国、マレーシア入国の4つのスタンプが押されると思うでしょうし、飛行機で行けば実際にそうなります。
しかし、前にも書いたようにブルネイの飛び地を通り過ぎることになるので、マレーシア出国、ブルネイ入国、ブルネイ出国、マレーシア入国、マレーシア出国、ブルネイ入国、ブルネイ出国、マレーシア入国、マレーシア出国、ブルネイ入国、ブルネイ出国、マレーシア入国の12個のスタンプになると思うでしょう。
実はまだまだあって、マレーシアでもボルネオのサバ州とサラワク州は自治性が強いためかそれぞれに出入国管理を行っているので、正解は次の通りになります。
マレーシア・サバ出国、マレーシア・サラワク入国、マレーシア・サラワク出国、ブルネイ入国、ブルネイ出国、マレーシア・サラワク入国、マレーシア・サラワク出国、ブルネイ入国、ブルネイ出国、マレーシア・サラワク入国、マレーシア・サラワク出国、ブルネイ入国、ブルネイ出国、マレーシア・サラワク入国、マレーシア・サラワク出国、マレーシア・サバ入国…、合計16個のスタンプで、パスポート4ページ分の余白がなくなってしまいました!

さて、今日の作例ですが、マレーシアに舞い戻ったのですが、コタキナバルまでいかずに手前のパパールという町に宿泊しました。
翌朝、中心部まで出て散策しているとテレビ撮影しているクルーに出合いました。
町の歴史と現在を紹介する番組のための撮影だそうです。
背景の建物は、この町がイギリス植民地だった頃のコロニアルスタイルの建築なのだそうで、町の象徴なのだと言っていました。
象徴の割には保存状態がよろしくないようですが、そのことにも突っ込んだ内容にしたいと意気込んでいました。
仕事中なのに、親切に受け答えしてくれた彼らの親切さも、その番組の中に加えられたらいいのにと思わすにいられませんでした。
【Alpha7/Colas 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Colas 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/27 Wed

易碎的

Colas 15cmF4
バンダル・スリ・ブガワンの町からマレーシアに戻るべく5分も走ると田舎の風景に変わりますが、さらに5分走ったところで交通事故を目撃します。
こういう写真を撮ったりするのはどうかとも思うのですが、聞いたところ派手に車同士がクラッシュしているわりには、死傷者などないとのことでしたので教訓的に掲載することにしました。
この作例で道幅が想像できると思うのですがこれが一般的な道路で、ボルネオ島では町中以外は高速道路ではないのに最高速度が90キロとなっていました。
それ以下で走る車も多いのですが、地元の人は90~120キロくらいで飛ばす人が多く、わたしも流れに沿ってスピードを出していたので何かあれば無言の帰宅ということもあり得たのだと少々反省しているところです。

わたしはレンタカーを借りたのですが、当日になってツーリストインフォメーションに聞いた旅行代理店やレンタカーのオフィスがいくつも入ったビルに出向いても、土日が重なるためかどのオフィスでも車がないと断られ続けましたた。
特に、1000ccクラスですと1日保険付きで3000円程度で借りれるので、レンタカーは旅行者に人気があるようです。
前回来た時はあっさり借りれたので甘く見ていましたが、やはりレンタカーは予約した方が確実です。
しかし、幸運にも1軒でキャンセルが出たようで、1台空いている車があるというので3日間チャーターしました。
空港にもオフィスがあるというので出発便の時間に合わせて空港へ返却できるのもラッキーでした。
1日5000円で予定より高くなってしまいましたが、その分1300ccクラスで運転しやすかったですし、わたしが手続き中に2組車を探している人が来て、もうないと断られているのを聞いたので、かなり運が良かったことが分かりました。

車事情に詳しい人ならご存知かも知れませんが、マレーシアには自動車メーカーが存在していて、まさに今回借りたのがマレーシア国産車のプロトン・サーガという車でした。
かなり前にチェコを旅してレンタカーを借りたとき、シュコダを予約したのに、用意されていたのはオペルでガッカリということがあったので、今回はその国の車を運転できる喜びを味わいました。
ただ、エンジンや足回りなど主要部分はスズキ製という話ですし、そもそもわたしには自分の車との違いは比較できても、この車がどうであるなどの性能が評価できるという訳ではありません。

レンタカーをオフイスまで運んできてもらって早速困ったことがありました。
お決まりの外観チェックをしてから、ガソリンは"2 Bar"と書き込んで、わたしにも返却時にツーバーで返してと説明します。
このツーバーの意味が分かりません。
こちらではガソリンをプレミアムがワンバー、レギュラーがツーバーというのかなと解釈しましたが、その謎はしばらく走ってから突然理解できました。
ふとスピードメーター付近を見ていた時にガソリンが半分も無いことに気付いたのです。
普通は、満タンで貸すものなのに騙されたかと思ったのですが、その残量を表す表示が横棒になっていて、3本でハーフ、6本でフルなのですが、いまの状態が2本で、あっ、これが"2 Bar"だとひらめきました。

このツーバーでどのくらい走れるのか計算してみました。
満タンで40リッター入るとすると、ツーバーだと15リッター程度入っていて、リッター15キロ走るなら15の2乗は、いくつだったか思い出せない、人並みにおごれや? あれっ? まあ200キロくらいでしょう、それならブルネイまで到達できないので途中で給油しなくてはと、郊外に出たところのガソリンスタンドで給油してみることにしました。
様子を見ると基本セルフですが、店員が入れているところもあって店員がいる列に並びます。
その店員に聞くと、スタンドの建物に支払い窓口があって、量か金額を言って支払いすれば、その分だけ自動で給油マシンにセットされるという簡単なものでした。

感覚が分からず、約1000円に相当する30リンギットを手渡したのですが、日本だと6~7リッターしか入りませんが、ここではそれより多くの量が給油されたようでツーバー増えてフォーバーになりました。
店員に聞くと、サバ州ではどこで入れても、リッター2.1リンギットだそうです。
約65円ですから日本の3分の1近いです。
さすが産油国なので、ガソリンがとても安いということですね。

ガソリンが安く感じると長距離を走ってみたくなるのが不思議ですが、もうひとつ便利なのは、マレーシアはイギリスの植民地だったことで車は左側通行と日本と同じということがあげられます。
これは運転するときすごく楽なのですが、わたしの経験では、ヨーロッパなどで左右逆になると、後方確認の時ミラーを見るために左側を見てしまうクセが抜けないのが困りました。
もちろん左ハンドルの左側には室内のミラーはないのですが、視野の中にドアミラーが見えるので運転上はどうにかなってしまうため、以降もこのクセがなかなか直りませんでした。

マレーシアの運転でもうひとつ困ったことがありました。
信号が少なくその分ラウンドアバウトが多いことです。
ラウンドアバウトとは何か説明するのは省略させてください。
ヨーロッパにも同様の傾向があるので、わたしはラウンドアバウトには慣れていて、運転上はどうってこともありません。
困ってしまったのは、郊外に出てからFM放送が受信しなくなって、ときどき鼻歌を歌ったりしていたのですが、それが交差点に差し掛かるたびにイエスのラウンドアバウトに変わり、それがずっと頭の中で鳴り響いていたことです。
ちょっと記憶違いでしたら許してほしいのですが、わたしは高校時代イエスのファンで、こわれものや危機の主要な曲の歌詞は覚えてしまっていたのです。
そこで忘れかけていたラウンドアバウトも徐々に思い出されて、特にCall it morning driving thru the sound and in and out the valley.がエンドレスで続いたのには弱りました。
そうならないためにも、次回、ドライブの旅をするときには、差しさわりの無いクラシックのCDでも持参しようと考えたのでした。
【Alpha7/Colas 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Colas 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/26 Tue

文莱時装

Colas 15cmF4
一度滞在しているコタキナバルについてはもちろん、初めてのブルネイのこともガイドブックは持ちませんでしたし、今回は事前情報なしで行こうと考えました。
ペッツバール1本だけレンズを持った観光とは無縁の旅と割り切って出掛けていましたし、水上集落があることを以前何かの本で読んでいたので、それが見つけられればよいだろうくらいに考えていました。
しかし、コタキナバル到着の夜のホテルでついヒマで、ブルネイの首都バンダル・スリ・ブガワンの見どころと検索してしまいました。
結果は、見ても見なくても同じというものでした。

あらためて、検索すると「トリップアドバイザー」というサイトの「バンダル・スリ・ブガワン観光人気投票というページがあって、そこには1位から14位までが表示されています。
キリのいい20位ではなく14位までというのは、観光するところが14か所しかなかったということのようです。
写真と投票者のコメントが並んでいますが、それを見て行きたくなるというものはありません。
わたしも行ったカンポン・アイルを除くと、モスク、公園、美術館などが複数入っていて、写真をクリックすると詳しい情報が得られるようになっているようなのに、そうしようという気が起こるところがありません。

博物館は行っておくべきだったかと少々後悔していますが、それ以外はもしまた行く機会があったとしても訪れてみたいというものがないのです。
例えば、モスクは白さが眩しい建物に金色のドームが乗った美しいものですが、遠くから眺める良さはあっても、経験的にモスク内部や建築のディテールなど、少なくとも異教徒にとっては面白いものではありません。
数百年以上の歴史を刻んでいるというものではないですし、偶像崇拝が禁止されているので、仏教寺院やキリスト教会の内部にある人物の彫刻類が一切なく、礼拝者のための空間が機能的に広がっているばかりだからです。

公園というのも、休日を憩う地元の人が多くみられるならぜひわたしも足を運びいですが、町中であまり人に出合わなかったところから、公園に出掛ける人もほとんどいないのではと思いました。
結局、バンダル・スリ・ブガワンで訪れたのは、スタジアムで偶然見た綱引きと、長年思い焦がれた水上集落散策、あと庶民的なレストランで食事したくらいでしたが、そんなところでまあ十分だったかなと思っています。
そういえば、水上集落では女の子の写真を撮らせてもらうときに、家の内部を簡単に見せてもらいました。
リビングのような部屋でしたが、特にこれといった特徴のないシンプルな家具が置かれた佇まいは、ブルネイの一般的な国民の暮らしを象徴しているように感じられました。

食事を終えて、少し早いけどもうマレーシアに引き返そうと車の方へ歩いていた時、女の子ふたり組とすれ違いました。
可愛らしいけれど、ごく普通な若い女性くらいにやり過ごしてしまいそうでしたが、コタキナバルで見かけた女の子たちとはちょっと何かが違うと瞬時に直感しました。
すれ違って何秒かしてから、あわてて彼女たちを追いかけ、手にしたカメラを見せながら写真を撮らせてもらってもいいと声をかけます。
いきなり町中でそんなこと言われたのは生涯最初の経験だったでしょうから、ふたりは意味が分からず動揺しています。
そこでペッツバールが人物撮影用レンズなので、こうやって写真を撮らせてもらっていることを説明しつつ、特に美人を厳選してお願いしていますと言うと、ふたりは照れつつも満更でもない表情を隠さなかったのには恐れ入りました。

ふたりは17歳で高校の同級生だそうです。
ルックスだけではなく頭脳も明晰なのでしょう、とても美しい発音の英語はわたしのジャパングリッシュがとても恥ずかしくなるレベルで、スピードにもついていけずに会話を諦めなくてはならないほどでした。
左の女の子は、制服を着ているようなのですが、バッグやベルトは自前のようで、カラーコーディネートや着こなしのセンスを褒めたところ、なかなかそんなことを言うブルネイ人は存在しないのか、とても嬉しそうにサンキューと笑ってくれました。
素晴らしい笑顔で、本当はその瞬間を撮影したかったのですが、作例は本人たちにも申し訳ないほど平凡なものになってしまいました。
バンダル・スリ・ブガワンでは出合った人は多くなかったものの、半日粘れば、見どころの14ヶ所よりずっと多いBSB48を結成するくらいわけないのではないかと思っています。
【Alpha7/Colas 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Colas 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/25 Mon

水和電

Colas 15cmF4
24時間も滞在しなかったので、ブルネイの何が分かったなどということはとても言えません。
あくまで、旅の中の印象というのみの話になりますが、ブルネイの人々にはたいへん好感を持ちました。
産油国のため税金がなく、病院や福祉に関する費用は一切かからない、世界でも有数の金持ち国であると聞いていたので、成金やIT企業社長のようなあまり感じのよろしくない国民性が根付いているのではとの危惧があったのですが、接した人々は老若男女問わず飾らない親切な心の持ち主ばかりに感じます。

1年中それほど気温の変わらない熱帯の中で生活していれば、他はどうであれあわてずのんびりやって行こうという気風が生まれるでしょうし、農業国でもあるので大地の恵みに感謝するとか自然と共存しなくてはならないというバックボーンもできていると考いうこともありそうです。
どこにいても居心地の好さを感じることができました。
日本人のわたしには、農耕民族の末裔としての血が流れているからでしょうか。

レンタカーを走らせているとき、郊外ではいくつかの豪邸を見ましたが、一般的な住宅は押しなべて質素で玄関周りを花で飾ったりしているのはやはり日本やヨーロッパの一般的な民家とそう変わらないような気がして、目にも心地よく感じられましたし、熱帯の中にあって涼しげにも見えました。
どこも緑は豊富で、当たり前ですが空気が澄んでいておいしいです。
わたしが前夜泊まったゲストハウスでは、朝、いろいろな鳥の鳴き声が聞えてきて、これならFMを付けて朝のバロックを聴く必要を感じないかも知れません。

定年退職後の移住先として、日本人夫婦にマレーシアの人気が高いと聞いたことがありますが、それは首都クアラルンプールや同じマレー半島のキャメロン・ハイランドという高原地域のようです。
さすがにイスラム色の強いブルネイは厳しいでしょうが、ボルネオ島も居住するにはすばらしい環境なのではと思いました。

ところが、水上集落です。
ブルネイのカンポン・アイルは真新しいきれいな民家もありますが、ほとんどは昨日と今日の作例で分かるようなバラックと紙一重のような建物が並んでいます。
スラムかそこまで言わないまでも裕福でない層、土地を持たない層が住民なのではと考えてしまいそうです。
しかし、話を聞くとけっして貧しいからではなく、水上集落は涼しくて冷房いらずの住み心地の良さで人気があるのだそうです。
少なくともここで生まれ育った人は、土地のある住宅には住みたくないと、そう考えたくなるのだと言います。

そういえば、わたしも以前、マレーシアとフィリピンで水上ビラに宿泊したことがありましたが、確かに、窓を少し開けておくだけで冷房不要だったり、寝ている間は波音が睡眠効果を高めてくれそうだったり、とても快適な滞在だったことを思い出しました。
マレーシアで泊ったのは、コタキナバル沖の島でしたので、今回も時間があればぜひ1泊でもしたかったのですが、当時はなぜか7000円程度で泊れたのに、今ではその3倍以上の料金に跳ね上がっていました。
もっとも20000円程度なら水上ビラはもっと高価なところがほとんどなので、むしろ安いくらいなのですが、さすがに中年オヤジがひとりで泊るにふさわしいかといえば、それは言うまでもないでしょう。

さて、作例でも分かるように、ついに激しい雨が降ってきました。
少し歳の離れたお兄さんが小さな弟が濡れないよう気遣いながら、目の前の通路を歩いて来て、唯一屋根があった通路で雨宿りしていたわたしは、慌ててカメラを取り出しました。
よく見るとふたりが着ているのは小学校の制服のようですが、男性用の民族衣装を元にしているように見えて、なかなかかっこいい服を着ているなあと感心です。
さらに見ると、通路に太いパイプが通っているのはきっと水道でしょうし、電気も通っているように見えます。
ここでの生活がどんなに快適でも、やはり水道と電気は今や欠かせないものなのですね。
【Alpha7/Colas 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Colas 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/24 Sun

1文萊元

Colas 15cmF4
ブルネイの水上集落は、カンポン・アイルという名前で呼ばれているようです。
カンポンというのはマレーシア語で村とか集落のことですが、アイルが水上を意味するのか地名のようなものなのかはよく分かりません。
と言うのは、コタキナバルにもカンポン・アイルというところがあって、こちらは水上集落ではなく、アイルのスペルも若干違っています。
カタカナで検索すると両方が混然となってヒットしてくるものの、ふたつを比較したもの等見当たらず、どういう意味なのか解明できませんでした。

カンポン・アイルへは船で渡らなくてはならないのですが、桟橋にそれはありません。
しかし、推定50メートルの幅の川には中小さまざまな船が行き来していて、いずれも乗客が座っているのでその中には対岸に渡してくれるのもありそうです。
ぼんやりと数分も立っていると、ちっぽけな船が寄って来てどこまでいくのか聞いてきたので、対岸を指さすと、船頭はへさきを起用に岸に着けて乗って来いと手招きしました。

料金を聴くと1ブルネイドル(約80円)で、ボッているかも知れないと思いましたが、0.5ドルにしろなどと交渉するのもばかばかしく乗り込みます。
後で対岸に住む人に聞くとやはり1ドルと確認できましたので、リッチなブルネイ人はあまり人を騙したりしないのかも知れません。
それは、わずか1分足らずの船旅でした。


さて、昨日に続いてレンズの話を書くことにいたします。
このレンズもksmtさんによってマウント部分を加工いただいたのですが、その中でたいへんおもしろい発見をしています。
レンズ鏡胴には、「ルルブールの弟子のコーラ」という刻印があって、ルルブールの暖簾分けを強調しているのですが、それならルルブールからレンズの供給を受けているだろうから性能も期待するでしょう。
しかし、レンズのコバには"Lerebours"ではなく"Vallantin"となっていたのです。

ヴァランタンのレンズもわたしは所有していますし、この時もksmtさんが面白い刻印の謎解きをしています。
その刻印とは「ヴァランタン光学機械商-1840年から1856年までLEREBOURS親方の店の職長」と長々したものです。
つまり、コーラのレンズはルルブールの弟子を名乗りつつも、そのレンズガラスは、ルルブールの職長だったヴァランタンから手に入れていたということです。
それならせっかくの長い刻印も、「ルルブールの弟子にして、ルルブールの職長とも同僚だったコーラ」などとしてもよかったのではと思うのですが、この時代の徒弟関係にはいろいろとうるさい決め事があったりしたのかななどとも想像します。

ルルブール10cm、ヴァランタン7cm、コーラ15cmと焦点距離がまったく違って、個体差やコンディションの違いも考えられる3本を所有していますが、性能はルルブールとヴァランタンで優秀と言えるのに、コーラは明らかに劣っています。
ヴァランタンに対しては、自社名の刻印が入ることで性能チェックを行っていたのかも知れませんが、コーラではそれを怠ったのかと疑わざるを得ません。
現代に例えれば、ニコンのレンズを使った高性能カメラという宣伝文句を使っているのに設計が悪くて性能もパッとしなければニコンの沽券に関わるので、性能を確認しないはずがありません。

もっとも本家より性能が良かったらその方が困るので、性能が悪いと判断したユーザーは、それなら我がルルブール製をお求めくださいと勧めるつもりだったのでしょうか。
たまたまコーラの写りがいまひとつだったことで余計な心配をしてしまいましたが、こういう刻印のレンズがあって、コバを見ると違うメーカーだと知るという二重の驚きをもたらしてくれたのですからもちろん批判するつもりなどありません。
ライカや日本光学であれば、こういった情報は知り尽くされてしまっているでしょうが、ペッツバールではまだまだ知られざる世界が存在しています。
ペッツバールにはその描写の他にも魅力があるということをまた教えてもらいました。
【Alpha7/Colas 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Colas 15cmF4 | trackback(0) | comment(2) | 2014/08/23 Sat

他的徒弟

Colas 15cmF4
今回も持ち出したレンズはペッツバール1本でした。
旅で写真というと、風景を撮るための広角レンズを用意するのが常でしたが、以前のようにしゃかりきになって撮影ばかりしているということも無く、広角でないと撮れないようなものの撮影は諦めることにしました。
今回も、ビーチでくつろぐ時間が少々あって、白い浜と緑の海、ヤシの木に海辺で遊ぶ子どものシーンを撮ってみましたが、あまりに型に嵌った雑誌の写真か何かのようで面白味がありません。

ペッツバールは人物撮影用のレンズですから、初日の女の子の作例のように声をかけて撮らせてもらったり、昨日の作例のような距離でのスナップに力を発揮します。
一方で、像面湾曲で周辺がピンボケになる無限遠の風景は、収差を見るために撮ったような作例になります。
それが嫌であれば、広角レンズか少なくともペッツバール以外のレンズを携行すべきですが、先に書いたようにわたしはそれを放棄して、なるべく無限遠では撮らないようにしています。

今回のレンズには、"L. F. Colas eleve de Lerebours Paris No 1157"と刻印があります。
ルルブールと書かれているのでルルブールが製造したのではないかと思われましたが、この刻印の意味は、ルルブールの弟子のL.F.コーラという意味だそうです。
ルルブールから独立してL.F.コーラとだけ刻印しても無名では商売には厳しいと踏んで、光学メーカーの出身であると名乗っているところにいじらしさを感じます。
しかし、残念ながら一級品のルルブールには比べるべくもない性能のレンズだったのは、この程度の写りでよく刻印することを認めたなあと、ルルブールの心の広さを思う結果になっています。

所有しているルルブールと比較するとコーラは廉価版ではないかとの印象があります。
真鍮が肉薄ですし、ウォーターハウス絞りのための四角い窓は4隅に穴を開けてから四角く切り取ったようになっいますし、保管状態が悪かっただけかも知れませんが真っ黒になっている様子は金ニスの質が低かったからではと疑わざるを得ません。
ところが、肉薄ということは軽量で旅に持ち出しやすく、絞り窓のところは装飾のようにも見えるのがユニークで、鏡胴の黒坂玄は独特の表情があってわたしはむしろ好感を持っています。

このレンズはピントが甘く、シャープさがないのが、ポートレイトでもピント合わせのしにくいレンズでした。
その描写の甘さは、意外な効用があるということに気付かせてくれました。
このレンズで冒頭に書いた遠景を撮ると像面湾曲が目立たなくなって、甘く雰囲気のある夢のような風景写真として写ってくれるのです。
ペッツバールはシャープさが身上のレンズですが、人物撮影ではむしろ甘い描写が好まれることもあり、かなりソフトなペッツバールも後年になって登場していますが、それがそのまま風景を撮って面白いレンズになるのは想像もできないことでした。
とはいっても、やはり旅でそんなに風景を撮りたいと思った訳ではないのですが。

作例は、ブルネイ川を挟んでバンダル・スリ・ブガワンの対岸にある水上集落です。
町の外れだったのですが、車で左折しようと思ったところで仕切れずそのまま走っていたところ、この集落を見ることができました。
ただ、観光資源の乏しいブルネイではここは観光スポットのひとつだそうで、船で渡してもらうと、その船着きが水上集落の展示館になっていました。

この作例を採用したのは、実はそんなペッツバールの意外な使用法を気に入ったとか言うことではありません。
今回の旅は雨にたたられて日が出ているときも、作例のような厚い雲に覆われていることが多くありました。
雲は言うまでもなくひとつとして同じ表情を持つものはありません。
それで、この旅で見かけた、雲のポートレイトと見なしてみることにしました。
画面いっぱいに、好い表情をしているように見えるのですが、いかがでしょうか。
【Alpha7/Colas 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Colas 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/22 Fri

喝啤酒的話

Colas 15cmF4
ボルネオ島マレーシアとブルネイの間に一介の旅行者が違いを認識することは容易ではありません。
暮らしている民族や言語は同じですし、主要な宗教がイスラム教であることも同じ、食生活にも両者の違いは大きくなさそうです。
車に乗ったまま国境越えましたが、両国とも日本と同じ右ハンドル・左側通行でしたし、信号機の数が比較的少なく、日本でも導入が検討されていることで話題になっているラウンドアバウトが多いのは、宗主国イギリスの影響でしょうか。
何も知らない同行者がいたとしてもパスポートコントロールは安全チェックのためだからとウソをつけば、違う国に来ていることに気付かないだろうなと思います。

とは言え、両国の間の違いは数知れないほどあるでしょう。
旅行者にとって大切なのは、通貨が変わることがその筆頭でしょうが、もうひとつあります。
両国ともイスラム圏なのですが、マレーシアにはキリスト教徒も多くいてアルコール類も一応販売されています。
しかし、ブルネイは厳格なイスラム国としてアルコール販売は法律で禁じられているようなのです。

ブルネイ側に入った夜、宿のオーナーがフィリピン人と分かったときに声をひそめてビールを売っていないか聞いたのですが、ブルネイには一切なく、持込みに対しては厳格ではないのでマレーシアに戻って買ってくるしかないと言われました。
真剣にどうしようか悩みましたが、その夜はベッドの上で悩んでいるうちにいつの間にか眠ってしまい不要になりました。
普段でも毎日飲んでいる訳ではないので、なければないで構わないはずなのです。
ところが、ないと分かると幻覚症状といえば大袈裟ですが、欲しい欲しいとなってくるものなのですね。
以前、ドバイに行ったときは、唯一、外国人用のバーがあるのでそこへ行けと教えられて、1杯1000円近いハイネケンをちびちび飲んだ記憶があります。

もちろん食事にも制約が多いことは言うまでもありません。
マレーシアもブルネイも華僑がかなり多いのですが、彼らのレストランも含めて、今回一度も豚肉は見ませんでした。
コタキナバルは海に面した町で、海鮮レストランは大盛況なのですが、特にエビはシュリンプからプロウン、ロブスターまでいくらでも食べられるのですが、たぶんブルネイでは海の生き物は魚以外食べてはいけないんではなかったかと思います。
あとラマダンも真面目にやるそうで、暑い日中に水が飲めないのがとにかく辛いと本音を教えてもらったりもしました。

ビールの話に戻るとちょっと気になることがありました。
コタキナバルにはコンビニがあちこちにあるので、早速、ホテルからビールを買いに出たのですが、日本円で缶ビールが220円もして日本と変わりません。
高い税金を課しているのでしょうから致し方ないと思うのですが、これが屋台や食堂に行くと様子が違ってくるのです。

初日の夜は少し遅かったこともあって、英語でホーカースという屋台街で食事をとったのですが、食事を注文するとビールもどうかと聞いてきました。
でも、高いからなあと言うと、そんなことはないと説明を始めました。
1本190円だが、3本多と450円だというのです。
3本で頼むと、コンビニと同じカールスバーグの缶ビールが出て来ました。

もしかしたら、密輸品でも扱っているのかとも思いましたが、このようなビールの価格はは他のレストランでも同様のようで、そうではさなそうです。
だとすれば、ビールの販売には高税率をかけるが、飲食とともに供する場合はその限りにあらずなどの抜け道があるということでしょうか。
報告すれば、3本も飲みきれないと1本を持ち帰っても文句を言われることはありませんでした。
コンビニのビールを誰が買うのか、今度は別の不思議を感じてしまいます。

さて、今日の作例ですが、彼女はブルネイの女の子です。
たぶん、高校生。
きりっとした表情に惹きつけられて、こっそり彼女を撮ったのですが、よく見ると背後の女性もかなり魅力的です。
わたしはひとつの疑問を解決したり、1枚の写真を撮るとどうも満足してしまうのですが、より深く考えてみるべきだと、この作例は示唆しているかのようです。
【Alpha7/Colas 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Colas 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/21 Thu

全黒軍団

Colas 15cmF4
ドリアンの町リンバンからは5分とかからずブルネイ国境があり、さらに車を30分ほど走らせると、首都のバンダル・スリ・ブガワンに入りました。
適度に走っている車の流れに付いて行くと、町の中心部に出てしまいましたが、小さな国だけに中心地も一国の首都とは思えないコンパクトな町並みです。
運転しながら景色に違和感を感じていたのですが、その不思議な感じの理由はすぐに分かりました。
町を歩いている人がまったくいないのです。
車は普通に走っているのに歩いている人がいない町というのは、放射能汚染されて外出を禁じられたSF映画のような怖さがあります。

人がいないのがなぜなのかはよく分かりません。
土曜の午前中でしたが、オフィスタイムだからなのかと思いましたが、逆に、みんな休みで休日の午前中はゆっくりするからなのからというのが正しいような気がしました。
街角にカフェがあって、野外のテーブルに人影がありますが、座って話し込んでいるのは西洋人のビジネスマン風の人たちでした。
旅行者なら声をかけたりもしたでしょうが、ビジネスマンだと語学力を見透かされて相手にされなさそうで、ハローすら言いづらくなります。

金色屋根が眩しいモスクが見えてきたので、礼拝している人がいるのかもと足を向けるとサッカー競技場のようなものがあり、中で盛り上がっていました。
勝手に入り込むとそこではサッカーではなく綱引きが行われています。
しかじ見ていると、人の好さ気なおじさんが現れて、綱引きはマレー語でタリタリと言って、ブルネイの国民的行事なのだと教えてくれました。
その時ブルネイの公用語はマレー語と知りましたが、このおじさんはマレーシアのサラワク州から工事現場に出稼ぎに来ているとのこと。
裕福な国では現場作業のような仕事は外国人労働力に頼るのだなあと感心してしまいましたが、肉体を使う仕事はしないが、綱引きのメンバーは屈強な体の大男ばかりで何だか矛盾しているような気がしてきます。

そのタリタリの大会が開催されていましたが、恐らく小さな国ながらも全国トーナメントのような大会のように思われます。
少なくとも8チーム以上は参加していて、ひとチーム10人が3分間2本勝負を次々と繰り広げていました。
観客はざっと200人ほどでしょうか。
たぶん選手の家族ばかりだと思いますが、それだけに大いに盛り上がっていて、特に女性の激しい応援が印象的でした。ブルネイの意外な国民性の一端が見られたということにしておきましょう。

綱引きはタッグ・オブ・ウォーといって近代オリンピックの競技種目だったはずですが、どの時点でなくなってしまったのか、あるいはアジア大会の種目には入っていてブルネイがチャンピオンだったりするのかも知れません。
そう思って検索してみましたが、アジア大会の競技種目にはなっていないようですし、綱引き強豪国は台湾や日本のようです。
もしかしたらルールが違うのかも知れません。
ブルネイでは、立って綱を引き合うのではなく、作例のようにみな腰を落として踏ん張った状態を保ち、綱を引くときは足と綱の位置をそのままに体を前に動かしてから全員が一斉に足を固定したままで上半身を後ろに反らすことで、綱を引っ張る方式をとっていました。
そのときにみんなで「ウィッス!」と声をかけるのがポイントのようです。

相手も踏ん張っているので、力が拮抗したチームの対戦では、センチ単位での攻防でした。
「ウィッス」と声が出るたびに、わたしも一緒になって踏ん張り、観客はどのくらい動いたと盛り上がりを見せていました。
綱引きというイメージとは裏腹の、チェスのような地道な頭脳戦を思わせる競技と思われます。
試合が終わっても勝者は喜びを爆発させることも無く、互いに検討をたたえ合うように全員で握手するのが印象に残りました。
こういうところはラグビーに似ているような気がしましたし、試合前に気合を入れていた作例のチームはオールブラックスのような雰囲気を醸してもいました。
ブルネイで生タリタリ、なかなかに熱かったです。
【Alpha7/Colas 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Colas 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/20 Wed

最好吃的水果

Colas 15cmF4
サバ州の州都コタキナバルから車で西に向かって200キロほど走ると、国境があります。
マレーシアを出国して、ブルネイに入国しました。
ブルネイは、正式名ブルネイ・ダルサラーム国で、首都はバンダル・スリ・ブガワンと言うのですが、どちらもちょっと覚えられるものではありません。
目的地が首都だったので、何度かバンダル・スリ・ブガワン方面は直進か左折かと聞くべきところ、正確に思い出せずにバンダル・スリム・ワガンと聞いているような状態で、これはあまりに訪問国に対して失礼だったと反省しています。

日本ではあまり聞かない国名ですが、ボルネオ島のマレーシアに囲まれた小国だと言うと貧困国を連想するかも知れません。
ところが、ブルネイは恐らくアジアでいちばん裕福な国で、農業や漁業など一部を除くと国民のほとんどが公務員で年収は日本とそれほど変わらないと聞くと驚かれるのではないかと思います。
産油国なのでこれほどまでに裕福なのだそうで、確かに道々で見かける家は立派な邸宅が多く、中にはお城のような豪邸やフンデルトバッサーハウスのような奇妙な家まで見かけました。
通貨は、独自のブルネイ・ドルが使われていて、なぜかシンガポール・ドルもそのまま等価で使えることができると聞きました。

昼過ぎにコタキナバルを出発したので、200キロの距離ならば余裕で明るいうちに着けると思っていたのですが、途中ずっと豪雨にあい、またところどころ寄り道したこともあって、時間が押してきました。
ちょっとまずいなと思っていたのに最後には道を間違えてしまい、ブルネイ入りは夕方薄暮の時間帯でした。
小国なのですぐにバンダル・スリ・ブガワンに着けると思っていたのですが、国境からは走れど走れど集落すらあらわれず、ついに真っ暗になってから町が見えてきてホッとしました。

車を停めると親切そうな女子大生が雨宿りしていたので、ここはバンダル・スリム・ワガンかと聞くと、バンダル・スリ・ブガワンはだいぶ先です、近くにホテルがあるので今日は泊って明日の朝向かった方がいいでしょうと、強い雨足を見ながらアドバイスしてくれました。
さらには近くの店に連れて行ってくれ、宿泊のことを相談してくれ、ホテルは1万円以上するからゲストハウスなら2000円だと知り合いを紹介してくれ、さらには闇両替できる商店まで教えてもらえたのは助かりました。

紹介してもらったゲストハウスは、何とリタさんというフィリピン人が経営していて、なるほど外国人なので公務員になれず、副業が必要なのかと思われました。
7時ごろ、名前も分からない町に着いて、8時に宿に入り、9時には何もすることがなくいつの間にか寝てしまいました。
翌朝は6時にすっきり目覚めます。
値段の割に清潔で静かで何も文句のないゲストハウスだったのですが、朝、シャワーを浴びようとして水しか出ないことに気付きちょっとがっかりでしたが、いきあたりばったりの旅らしくてそれはそれで愉しいものでした。

リタさんに教えられたとおりにバンダル・スリ・ブガワンを目指したのですが、なぜかまた別の国境が現れました。
ブルネイ出国のスタンプを押され、また少し車を走らせるとマレーシアの入国審査を受けます。
すぐに町が見えてきて、町の名前がリンバンとなっています。
華僑経営のカフェでソバを頼んだときに聞くとやはりここはマレーシアの町でした。
やはり道を間違えたのかと聞くと、わたしの向かっている方向で正しいと教えてもらいました。
わたしが不思議そうな顔をしていたからでしょう、中国系の青年が英語で教えてくれたトロによれば、わたしが滞在した町はブルネイの飛び地だったのです。
しばらく行くと、またブルネイの国境だということでした。

さあ、今度こそブルネイに向かうぞと気合を入れ直して出発したのですが、すぐに市場のようなものが見えてきて決意むなしく寄っていくことにします。
リンバンはドリアンをはじめとしたフルーツの王国のようなところだそうで、作例のようにドリアンを仕入れに来る人がいるほどです。
この車がドリアン臭くならないかの心配はさておいて、わたしも久々にドリアンを試してみることにしました。
ドリアンはとても大きくてひとりでは手が付けられませんが、この市場で売られているのはほとんど小さなものだったので食後のデザートにちょうど良さそうだったからです。

小さなドリアンを指さして、これはドリアンから聞くとそうだが、このあたりではドゥリという名前だと教えてくれました。
ドゥリは棘という意味だそうで持つのも辛いくらい棘が強烈です。
残念ながらドゥリが大きく成長してドリアンになるのか、もともと別種なのかは聞きもらしました。
ドゥリは、タイや中国で食べたドリアンのような強烈な臭さはなく、これなら車内に満載するのも納得できます(タイやシンガポールでは電車やホテルにドリアンを持ち込むことが法律で禁止されている)。

ハンドボールくらいのやつを頂戴というと、計りに乗っけてちょうど10リンギットだと言います。
日本円で320円ですが、これはもしかしたらボラレたのかも知れません。
割ってもらうと鮮烈な赤い表皮が今まで食べたドリアンと違いますが、味はもう完璧に今まで食べた中で最高です。
あえて表現すれば、パルメザンチーズとバナナと少量のチョコを海鮮出汁で何日も煮こんでクリーミーな半固形状にしたような食べ物と言うと雰囲気だけは伝わるか、あるいはまったく想像もできないかも知れませんが、とにかく今まで食べたフルーツ類では圧倒的第一位の美味しさです。
コタキナバルに戻るには同じ道を通るしかないと聞いていたので、帰りにまたここに寄れる楽しみができてウキウキでした。
【Alpha7/Colas 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Colas 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/19 Tue

馬来西亜以外的

Colas 15cmF4
あまりに暑いので、清涼感あふれる少女の作例から今週はスタートすることにしました。
ヒジャブを被っているのでイスラム女性と分かりますね。
イスラムというと最近のニュースでは、イスラエルとの停戦合意を破って結果的にパレスチナ住民に甚大な被害を出しているハマスや、少数民族迫害と残虐行為で恐れられるイスラム国などがあって、9.11以降の悪いイメージが振り払えません。
イスラム全般に過激な人たちという印象を持っている日本人は多いのではないかと思いますが、まさかそんなことはあり得ないでしょうし、2月に行ったインドネシアで会ったイスラム教徒の人はみな親切で穏やかな人たちばかりでした。
そこで、あえてイスラム圏の国をちょろっと旅してこようと考えたのでした。

今回もまた、どうしても深圳には寄らなくてはならず、そこで香港経由にて短時間滞在で行けるイスラム圏というのでマレーシアに行ってみることにしました。
クアラルンプールやマラッカは一度行ってあまり好い思い出もなく、同じく一度行っているボルネオ島のコタキナバルへはまた行きたいとの思いがあったので、行先はコタキナバルです。
お盆の繁忙期のせいか、同じ航空会社なのに東京ー香港往復と東京ー香港ーコタキナバルという発券とで3000円程度しか価格差がなかったのも行き先決定を後押ししました。

そもそもチケットの購入が3週間ほど前のことで、キャンセルか何か出て残り2席という表示の中でギリギリ取れたものでした。
まあ、ラッキーだったということだと思うのですが、当日、羽田空港へ行ってみるとちっともラッキーではありません。
前日の香港が相当な悪天候だったらしく、羽田着の便が遅延したために同機材を使うわたしの搭乗する便も4時間遅れとアナウンスされています。
それでもチェックインしようとすると、香港ーコタキナバルの乗り継ぎに間に合わないので、香港ークアラルンプールーコタキナバルに振り替えるとのこと。

しかし、その便は満席でなかなか抑えられないのでとチェックインカウンターに30分待たされた挙げ句、搭乗予定より30分早い他社の羽田ー香港便に振り替えると変更になりました。
元々の航空会社の上級会員なのでビジネスクラスラウンジが使用できることになっていたのですが、他社便振り替えのため使用不可になってしまい、朝食を摂れない危機に立たされます。
他社にチェックインした時はけんもほろろで、元の航空会社のカウンターに戻り泣きついてラウンジを使わせてもらうというたいへん恥ずかしいスタートになってしまいました。

乗り込んだ座席はプレミアムエコノミーの広い席でラッキーだと喜んだのですが、それも束の間、この座席が不思議な作りで、4人が並ぶ座席が2席ずつユニットのようになっています。
わたしは通路側で、反対の通路側にもひとり座っていたのですが、時間ぎりぎりで日本人サラリーマン二人組がやってきて間の2席に座りました。
そのふたりは眠ったり、映画を観たりすることなく、ただひたすら仕事や会社の話をし続けていました。
それだけでもうるさくて迷惑な話ですが、わたしの隣の男は何かをしゃべるときも聞くときも体を動かし、笑うとき頷くときは全身を使うというオーバーアクションマンで、つまりはずっと体が動いていてそれが一体ユニットイスを通じてわたしの体に伝わってきます。
わたしはたっぷり眠るつもりでしたが、うとうとするたびにシートががくがくと揺れては起こされが続き、ずっと眠れず状態だったのです。
せっかくのプレミアムが、オーバーアクション男の動きとコストダウンシート(?)によって台無しになってしまったという訳です。

非常に些細などうでもいいことに字数を使いすぎ、肝心のことを書くのを忘れるところでした。
作例の彼女はマレーシア人ではありません。
マレーシア在住外国人という訳でもなく、わたしはコタキナバルからレンタカーでもうひとつ別の国にも足を延ばしてそこで撮影したのでした、
そう書いてその国の名前がパッと出てきたとしたら、東南アジア通と言えるかも知れません。
この国の国王はかつて世界長者番付の第一位になったことがあるほどだと言ってピンと来るでしょうか。
解答はまた明日に…。
【Alpha7/Colas 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Colas 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/18 Mon

她的签名

Perken Son & Rayment 16.5cmF5
驚くべきことに、ksmtさんには文化放送の女子アナの知り合いがいるということが分かりました。
作例の小林奈々絵さんです。
走れ歌謡曲のパーソナリティをしているそうですが、今日ははむら夏祭りのキャスターとして浴衣姿で仕事していました。
もともと歌手を目指していたそうで、普通にしゃべる声も表情があって美しく感じられますし、だからこそアナウンサーになったというとでしょう。

どうしてksmtさんが知り合いなのかといえば、去年も同じ夏祭りで会って撮影させてもらい、その時にペッツバールの話をしたのを、今年再会した彼女がよく覚えていたということだそうです。
それだけのことですが、日々業務に多忙で見ず知らずの人と会話する機会が多いであろう美人アナウンサーが、1年前の話を覚えているというのですから、やはり驚かざるを得ません。
それがksmtさんの人柄から来るのか、ペッツバールレンズの持つインパクトなのか、恐らくその両方なのでしょう。

サンバの待ち時間のあまりの暑さにロング缶ビールを飲み干していたわたしはすっかり酔ってしまっていたようです。
奈々絵さんを撮影させてもらい、雑談をする中で、文化放送といえばむかし仕事で外回りしていて吉田照美のやる気満々とかよく聞いてましたよなどと調子に乗って話してると、その吉田照美氏が作詞した曲で、奈々絵さんは歌手デビューしたと教えてくれました。
そこで、ちらしとかお持ちでないんですかとさらに図に乗って聞くと、CD持ってきているんですと返事があり、話の展開上わたしはその場でCDお買い上げとなってしまったのでした。
撮影してもらったお礼もあるし、また来年もお会いするかも知れないので、こういう流れもありかなと思います。

せっかくだからサインをしてもらおうとお願いすると、ペンがなくてどうしようとなりました。
カメラバッグをまさぐっていると、後ろに奈々絵さんのファンの男性がちょうどサインをもらおうとしていたところで、CDジャケットにサインしてもらうのにちょうどよさげなサインペンを手渡してくれました。
今度は、ksmtさんがサインしたCDとちらしを持ってくださいとお願いして、撮影しているのでわたしも真似しました。
こちらは愉しかったですが、CD1枚買ってもらうのもいろいろ注文付けられてたいへんだなあと同情してしまいますね。

今日ではむら夏祭りの作例は終了なので、Perken Son & Raymentもたった3枚の作例のみになってしまいました。
前に書いたようにこのレンズの鏡胴の真鍮はいかにも薄くて、コストダウンの廉価版のイメージが付きまといます。
薄い真鍮はいかにも弱々しくて、そのせいか購入時点でフード先端部分にアタリがあってかなりへこんでいるのも、半年も使わなかった一因になっていました。
レンズメーカーとしては一流とは言えない点とフードのへこみが幸いして、このレンズは1万円少々で購入できたのは逆に幸運なことでしたが。

当レンズの刻印が「Perken Son & Rayment Hatton Garden London Portrait Lens 4 1/4 X 3 1/4 “Optimus”」となっていることから製造年代を絞ることができました。
新しく見つけた資料によれば、このメーカーは、Lejeune & Perken、Perken Son & Rayment、Perken Son & Co.、Perken Son & Co. Ltd と主に3回名称変更していて、Perken Son & Rayment を名乗っていたのは1887年から1900年の間だということです。
これ以上製造年を特定する手段はないので、ここでもいちばん古い1887年がこのレンズの製造年だと仮定しておこうと思います。
この年は、もう江戸時代が幕を下ろして久しい明治20年で、近代のレンズのような錯覚をしてしまいます。
こう知ってしまうと、また使う頻度が減りそうで我がことながら心配になります。
【Alpha7/Perken Son & Rayment 16.5cmF5 F5】
thema:ペッツバール genre:写真
Perken Son & Rayment 16.5cmF5 | trackback(0) | comment(3) | 2014/08/17 Sun

法国還是徳国

Perken Son & Rayment 16.5cmF5
はむら夏祭りの持参したのは、Perken Son & Raymentというイギリスの光学機器メーカーのレンズです。
焦点距離はおよそ165mmですが、6・1/2インチがちょうど165mmなので、英国式に6.5インチとして設計されたレンズだと考えられます。
金色の真鍮の鏡胴に収められた典型的な3群4枚のペッツバール型レンズです。

実は、このレンズは今年の初めには入手していて、2月にはksmtさんに渡してマウント改造をしてもらっていました。
ksmtさんは早速テスト撮影していて、「コントラストが高くて、シャープなレンズです。ピクセル等倍で見ると少し収差が見えますが、実用上はまったく問題ないレベルだと思います」となかなか高評価をくだされています。
それであれば、わたしもすぐにでも使いたくなるところなのですが、どうもこのレンズは他のペッツバールに比べて真鍮が薄めでやや廉価版的な雰囲気があり、焦点距離が中途半端に長いこともあって、なかなか使い気になれないうちに半年が経過してしまいました。

ここのところ○×祭りのようなイベントでの撮影ばかりになっていたので、いい加減に使ってやんなさいよとの自分の内面の声が聞こえてきたことを契機に、ようやく今回使ってみることにしました。
ただ、はむら夏祭りでは焦点距離が危惧した通りの中途半端になつてしまいました。
ステージを撮るには距離が足らず、道端のサンバを撮るには長すぎるということで、舞台に短し路傍に流し、という恨み節が思わず口をついてしまいます。

メーカーの話に戻りますと、Perken Son & RaymentのことをksmtさんがVade Mecumで調べてくれていました。
この会社は最初LejeuneとPerkenが始めたが、全てのレンズにPerken Son and Raymentと刻印されている。この刻印は1880年から1900年ごろまでの商標。広告にはこの会社の工場でレンズの製造を行っていると書いてある。同時にレンズの輸入もしていたようで、輸入されたレンズにはOPTIMUSとだけ刻印され、メーカー名は刻印されていない、とのことです。
古く見積もって1880年の製造になりますが、それでもペッツバールタイプのレンズとしてはかなり遅い製造で、それならさきほど書いた作りが安っぽいというのも、すでに市場には多種のレンズが出ていてペッツバールは時代遅れになっていたため、廉価な作りになったのだと想像することができます。

別途調べてみますと、この会社の創業は1852年とかなり古いのですが、当社は輸入業をやっていたようで、外国からカメラやレンズを仕入れて英国の他の光学機器メーカーで販売させていたと記されていました。
その後自社でレンズを製造したという記述も見られないので、輸入販売業に転じて、他社のレンズに自社の刻印を入れて販売していたのかも知れませんが、詳細は分かりません。
輸入元も記されていないので不明ですが、あるとすればドイツかフランスになり、あるいはシャープな絵が得られるレンズだということを考えると、ガラスをダルローかルルブールから仕入れて、自国の金属加工業者に鏡胴を作らせていたのかも知れません。
19世紀のイギリス光学機器としてはよく知られている名前ですが、もう少し資料が出てくればと思うと残念です。

もう1枚サンバの作例を出させていただきますが、なるほどシャープな描写が目を惹きますし、肌の滑らかな描写やシアン系の色の美しさは特筆に値します。
ブラジル人の体型を思い浮かべると、作例の美人はスレンダーに過ぎるかも知れませんが、踊りは素晴らしかったですし、サービス精神も高く評価しなければなりません。
沿道で見ている人たちに時おりハイタッチを見せたりして楽しませてくれていました。
わたしの目の前を通ったので、もう少し引いた写真を撮ることは叶いませんでしたが、それを捨てて彼女が通りかかるときにハイタッチ要求ポーズをしたらちゃんと応えてくれたので、わたしは一気に彼女のファンになってしまいました。
【Alpha7/Perken Son & Rayment 16.5cmF5 F5】
thema:ペッツバール genre:写真
Perken Son & Rayment 16.5cmF5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/16 Sat

美女再過来

Perken Son & Rayment 16.5cmF5
経堂まつりでのサンバパレード雨天中止のリベンジという訳ではないですが、翌週にははむら夏祭りを見物に行きました。
はむらは羽村と書き東京都青梅市の南方に位置しますが、生まれてこの方東京だという知人が羽村って? と聞くくらいなのですから、かなりマイナーな町のようです。
神奈川県民のわたしもどこにあるのか知らず、特に立川駅で乗換だったのですが、何番線のどこ行きに乗ったらいいのか
分からないで右往左往したあげく駅員に教えてもらうしかありませんでした。
市民の皆様、ごめんなさい。

快晴の中、家を出たというのに、あと何駅かで羽村に着くと言うところで激しい雷雨に見舞われました。
2週連続で雷雨なので、もしかしたらわたしは雨男か、さもなくば雷男なのかも知れません。
駅前がすぐ会場になっていて、主催者や出演者の皆さんが空を見上げて、これは無理かなあなどと話し合っています。
ぼんやり待っていてもしようがないので、右手にあったコーヒーショップに行くと店は真っ暗で、雷雨のため停電したのだと説明してくれました。
暗いのは構いませんが、冷房が効いていないのはなんだか損した気分になりそうなので、コーヒーはあきらめて再び会場付近で、開催できそうなのか情報を待つことにしました。

しばらく待つとかなり小降りになって来て、ついに主催者は開催を決断します。
自宅から羽村まで2時間かけてやって来たので、とんぼ返りも嫌だなと思っており、この判断をありがたく感じました。
しかし、目の前 男性はそうは思わなかったようで、後ろ姿が動揺しているのが分かります。
やおら携帯を取り出して、大声でやり取りしています。
戻って来れない? やっぱり無理? 楽器みんな引き上げちゃったんじゃあなあ…、などとやり取りしてから肩を落としてどこかへ消えてしまいました。
プログラムに記載されていた和太鼓演奏が飛ばされていたので、やはり楽器は間に合わなかったようでお気の毒に思えてなりません。

夏祭りが始まると先ほどの雷雨がウソのように晴れ上がって、雨男の疑いも晴れたようです。
となると、中止ムードの閑散とした駅前にウソのように人が集まって来ました。
サンバが始まるともたもたしていたわたしは殺到する人々に外に追いやられてしまいます。
それにステージがあまりに遠くて撮影するのは厳しくなってきました。
撮影はいったんあきらめたのですが、ここのサンバはステージが終わると終了ではなく、そのまま駅前のとおりを少し進んでスーパーの脇で終了となるようでした。

それにいち早く気付いたので、スーパー前で構えて何枚か撮影することができました。
ただ、逆光に弱いレンズで、少しコントラストが落ちてしまいましたし、向かってくる人にピントを合わせるのがたいへんでした。
さらにはステージのダンサーの移動とともに、ステージで撮影していた人が一斉にこちらに向かってきたようで、押される、頭を小突かれる、体当たりされる…、苦行のような状態になってしまいました。

それも問題とならなかったのは、作例の女性が撮影できたからでした。
彼女は6月末に調布で撮影した女性に間違いありません。
その作例では、ぽっちゃりした姿で写ってしまい、ほんとはスリムでとてもきれいな女性だったのにと申し訳ない気持ちでいました。
唯一ピントが合ったこの作例では、顔が分かりにくいのが残念ですが、太めではないことは分かるかと思います。
調布での作例は、踊っているときに、体の肉が振動して広がった瞬間をたまたま撮ってしまったので、あのように表現されたのだということがやっと証明できました。
【Alpha7/Perken Son & Rayment 16.5cmF5 F5】
thema:ペッツバール genre:写真
Perken Son & Rayment 16.5cmF5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/15 Fri

蘿蔔跳舞

【Alpha7/Lereboures et Secretan 10cmF3.5 F3.5】
経堂まつりに行って最大の楽しみは、これでした。
東京農大と言えば、誰しも真っ先に思い出す、大根踊りです。
テレビでは何度か見る機会がありましたが、本物を見たのはこれが初めてです。
そもそも応援団という存在そのものが一般市民には隔絶された存在で、そう簡単に見ることができないものです。
野球の試合でも見に行けばごく普通に行われているのかも知れませんが、すぐ目の前で大根踊りを楽しめる経堂祭りのすばらしさを実感てきました。

それにしてもなぜに応援団で大根踊りなのでしょうか。
大根から連想される言葉には大根役者とか大根足とかあって、どちらかと言えばネガティブな意味で引用されるようなのですが、一方で大根はビタミンAやCなどの栄養素が豊富で、おでんの具としていちばん人気を誇るなど食品としては誇るべきものです。
大根の言葉としての不遇を気の毒に思った農大生が、名誉回復のために大根を応援しようとしたのではないかと考えました。

もしくは、大根踊り=無伴奏チェロ組曲説です。
大根踊りは、応援としては大根を持っているというだけで一見するとシンプルな繰り返しです。
応援団に入る人のほとんどが大学から始める初心者でしょうから、まずは基本的な動きを体に覚えさせることが重要で、単純な動きは奥行きがあってなかなか極まるということはありません。
バッハの無伴奏チェロ組曲も一聴すると練習曲のような味気なさに感じられますが、演奏を繰り返すことでそのすばらしさが体感的に分かり、その深みを知ることになるというものです。

また、あえて大根を持つことで、周りに動じない度胸付けさせようとしたのは、先輩からの心遣いなのでしょうか。
作例の大根は妙に光沢がありすぎて、ホーローか瀬戸物のように見えて、現実味がありません。
大根は冬野菜なので、農大生としては、季節違いの大根を使うわけにはいかず、フェイクを使っているのでしょうか。
あるいは、単純な動きの繰り返しだけに指先に力が入ってしまい、本物だと握りつぶしてしまうと いうことで、瀬戸物を使っているのかなどと想像もできます。

さて、この後日本酒を飲んだりして散策していると、ポツポツと大粒の雨が落ちてきて、アレッと思う間もなく激しいスコールに変わりました。
雷もかなり近くで鳴っています。
むかしはこのような現象を夕立と言ったような記憶がありますが、今は死語になってしまったのか、ゲリラ雷雨というようになったようです。
脱法ドラッグが危険ドラッグになったように、名前を変えてインパクトを持たせようという作戦でしょうか。
脱法ドラッグが危険ドラッグと名称を変えたところで物自体は変わりませんが、夕立から名前を変えたゲリラ雷雨は年々激しさを増しているという違いはありました。

しばらくお茶を飲んだりして時間をつぶしましたが、雨脚が弱まる気配はありません。
あきらめて帰宅することにしました。
大根踊りの次に楽しみにしていたサンバのパレードは、残念ながら中止になってしまったようです。
【Alpha7/Lereboures et Secretan 10cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/14 Thu

集団扮演

【Alpha7/Lereboures et Secretan 10cmF3.5 F3.5】
関東では夏から秋にかけてがお祭りのシーズンのようです。
由緒ある神社の例大祭は、神輿や場所によっては大きな山車が出るところもあって、担ぎ手たちの勇壮な姿は一見に値します。
一方で、自治体や地域の住民参加イベントとしての祭りというのも実に多く開催されています。
ダンスや和太鼓、音楽の演奏をはじめ、阿波踊り、よさこい、エイサー、ねぶた等の有名祭りの地元版を開催してしまうようなローカル祭りも多いです。

開催時期は7~8月に集中していて、夏休みの子どもさんに楽しんでもらおうという主催者の思いを感じます。
東京・神奈川だけでも、この時期は毎週末このような祭りが開催されていて、ペッツバールでの人物撮影を主体とするようになってからは被写体探しにちょうどいいとせっせと出掛ける毎週末になってしまいました。
会場に行くと演技者はとても真剣で、観覧者は楽しそうで、みんな好い表情をしているので、自然とこちらも楽しく見たり撮影したりできるのがいいなと思います。

これから秋にかけてはより楽しみにしている祭りがあります。
品川宿場祭り、大磯宿場祭り、与野大正時代祭りなどです。
いずれも、江戸時代や大正時代など当時の衣装を着こんで、かつ当時の風俗なんかを見せたりしながら楽しむ祭りです。
広く参加者を募るので、なんちゃって江戸時代的な服装の人が多いですが、骨董屋さんで買ったり写真から自作したりとかなり凝った出で立ちの人も少なくないので、そういう様子を見学するのも楽しいんです。
祭りというよりは、おとなの集団コスプレといった方がいいかも知れません。

大正だとライカや蛇腹式カメラが似合うのですが(大正時代にはまだライカは製造されていないのですが)、江戸時代ですとレンズはまさにペッツバールの出番です。
もともとが江戸時代をテーマにしている祭りの参加者なので、江戸時代のレンズだとペッツバールを紹介するととても興味をもってもらえるのがまた好いのです。

できれば、観覧者、撮影者ではなく、同時に参加者にもなれるような服装で祭りに行きたいと考えています。
実はすでになんちゃってですが、古いカメラを用意してあり、この秋にはデビューさせようと考えています。
何がなんちゃってかと言えば、小型木製カメラのシートフィルムを装備する部分を取り外して、NEXマウントのボードを取り付けたので正面から見ると古いカメラですが、実際に撮影しているのはα7というカメラなのです。
服装についてですが、幕末のころはすでに日本にもカメラがもたらされていて、日本人の写真史がいたくらいですから、着物を着ていくのがベストですが、けっこう値段が張りますし、買ったはいいが着ることができるのか自信がありません。

そこで考えたのが、当時のヨーロッパやアメリカの写真師の服装です。
それこそダゲレオタイプや湿板写真などで見たことがありますが、フォーマルな服装に蝶ネクタイと山高帽という出で立ちです。
黒のスーツとウィングカラーのシャツ、小さなボータイ、現行品の山高帽をすべて安物でいいので揃えれば恰好はつくのではないかと思うのです。
あとは、カメラバッグという訳にはいかないでしょうから、カメラを入れる小さなトランクが欲しいですね。
秋の祭りシーズンまでにすべて揃えることができるでしょうか。

夏祭りがたくさんあるのに、○×時代祭りのようなイベントはなぜみな秋なんだろうと思っていましたが、かつらだったり衣装だったり、化粧もが、夏の暑さとは相いれないからだと気付きました。
その意味で、本日の作例の女性は熱い経堂祭りの中で、これだけの衣装で涼しげでいただけで素晴らしいことだと思いました。
夕方暗くなっていて色が冴えないですが、日中にまた撮影できれば、もうちょっといい感じに撮影できると思いますので品川か与野でお会いできないものかと考えています。
【Alpha7/Lereboures et Secretan 10cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/13 Wed

毎年百万人死的

【Alpha7/Lereboures et Secretan 10cmF3.5 F3.5】
アメリカのニュースサイト、ビジネス・インサイダーが世界でもっとも歴史のある企業を発表したとのニュースを見ました。
おそらく現存する世界最古の企業という意味だと思うのですが、栄えある第一位は、大阪にある金剛組という建設業の会社で、創業はなんと西暦578年というのでびっくりです。
四天王寺建立のために、聖徳太子が百済から招いた金剛重光が創業者だそうです。
聖徳太子の時代の会社が大阪に存在するというのが信じられないような話ですが、初代の社長は韓国人ということになるのでしょうか。

この話は意外に知られていて、わたしも以前に聞いたことがありました。
しかし、2位、3位はどこだということは聞いたことがありません。
きっとヨーロッパの歴史ある企業かなと思ったら、意外な解答です。
2位は西山温泉慶雲館、3位は千年の湯古まんといずれも日本の温泉旅館で、なんと日本勢が1位から3位まで表彰台を独占です。
4位以下は、ヨーロッパ企業が続きますが、あまり馴染みのある名前はありません。
9位のイタリアベレッタ社は小型犬銃メーカーとして有名なのを除くと。

そして13位にまたしても日本の企業名が登場します。
1637年創業の月桂冠といえば、お酒のメーカーとして日本人なら誰もが知っているでしょう。
慶雲館は18000円くらいから、二番のふる万は13000円くらいからそれぞれ宿泊可能です。
世界一か二番目の宿に泊まって、世界一古い酒造会社のお酒を楽しむなんてことが、日本人ならやろうと思えばできるというのが素晴らしいですね。

以上はニュース記事で見つけたものですが、ビジネス・インサイダーのサイトを覗いてみました。
英語が得意でないので読むのが苦しい分野が多いですが、Lifeのページでは砕けていて割と読みやすい内容の上、興味深いものが多くあるのが楽しめました。
生涯見るべき21の建築物という記事では、トップの写真が金閣寺でした。
こう書くと日本びいきのサイトなのではといぶかしむ人もいるかも知れませんが、全体を見ると日本に肩入れしているような部分はまったく見られないような気がしました。

適当に見たものをピックアップしてみると…
・7つのウソのような本当の話
・パーフェクトなお肌のために毎日食べるべき10の食品
・市民から見捨てられた欧州人たちの恐るべき写真
・北朝鮮にまわる17のショッキングな事実
・生涯一度は運転してみたい世界の20の道路

最後に、中国の心を揺さぶる16の真実というのを紹介して今日のブログを修了することにいたします。
1.毎年2千万本の木が中国人の使う割りばしのために切られている
2.中国鉄道の延長は地球を2周する
3.中国が準備している石炭の重さは、5億7500万頭のクジラ並み
4.2年間に中国が作るセメントは、20世紀にアメリカが作った量と同じ
5.毎年100万人の中国人がタバコが原因て死んでいる
6.中国が用意している天然ガスの量は、オリンピックプール12億400万個分
7.中国で1年間に食べられるカップラーメンの量は、アルジェリア人が1年間毎日3回食べた場合の量と同じ
8.中国人は1年間でエッフェル塔5200分の豚肉を食べる
9.中国の20大金持ちを合わせると1万4510億ドルの資産になるが、これはハンガリーのGDPよりも大きい
10.3000万人以上の中国人が洞窟で暮らしているが(筆者注:ヤオトンのことです)、これはサウジアラビアの人口より多い
11.80億足の靴下を1年間に製造している浙江省諸曁市大唐鎮という町があり、靴下の町と呼ばれている
12.中国人の自殺率は、アメリカ人の2倍以上
13.中国の大きさはほとんどアメリカと変わらないのに、東から西まで同じ時間で時差を設定していない
14.中国の食糧はわずか7%の耕作地で、世界の25%の人を養うことができる
15.中国の消費者の購買力は2020年までに3倍になる
16.世界のブタのうち半数は中国にいる!
【Alpha7/Lereboures et Secretan 10cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/12 Tue

拡音器

【Alpha7/Lereboures et Secretan 10cmF3.5 F3.5】
今日からは、先々々週の土曜日に代々木公園でブラジル・フェスティバルを見てきた足で向かった、経堂まつりのスナップになります。
経堂と言っても、お寺さんのお経を読むためのお堂の祭りではなく、世田谷区にそういう地名があるのです。
地名の由来は、お経を収めるお堂があったとか、京都風のお堂があって京堂だったのが転じたとか諸説あるようですが、いずれも仏教にゆかりがある名称なのですが、お祭り特に仏教カラーを感じさせない他と同様の内容でした。

経堂は見るからに住宅超密集地という感じですが、そのためかメイン会場のステージがなんと小田急線のガード下に特設されていて、出演者はこの時期特有の暑さとともに、数分毎にとおる列車の騒音とも戦いを強いられるというとこが、他と違う経堂ならではの特徴になっています。
もうひとつパレードなどをおこなう商店街のメインストリートですが、ここは駅前通りにも関わらず幅員が妙に狭くてバスが通れるような道ではなく、そのため逆にパレードは手を延ばせば届くくらいのところを通る親密感があることをウリにしているようでした。

経堂を特徴づけているであろうもうひとつのことは、東京農業大学の存在のようです。
日本の農業就労人口は200万人を超えている中で跡取りがなくて廃業してしまう農家は少なくないのかも知れませんが、誰しもご先祖代々の土地での農業を子どもに継承させたいと願うはずです。
しかし、地元の大学に農学部はあっても定員の少ない狭き門であり、国公立となると、かなり勉強ができないと入学が難しいようです。
そこで比較的入学しやすい大学をとなるのですが、学生数1万人を超える農大は、入学は簡単ではないようですが、門戸は大きく開いていると言えるでしょう。
そもそも農業大学という名称を使っているのは、日本ではここ東京農業大学だけなのだそうです。

そこで、農大には日本各地の農家のお坊ちゃんが集まっているのだと想像でき、彼らは子供のころから、実家でつくられる美味しい農作物を食べて育っているので、味にはとてもうるさく、経堂の商店街のレストランもグルメの舌に認められるような店だけが生き残っているような状況が生まれます。
また、日本全国から学生が集うので、食材や飲み屋さんのお酒の銘柄なども、彼らに合わせて全国から選りすぐりが集結しているはずです。
有機農法なども率先して採り入れられて、安全な食べ物ということでも先んじているでしょう。
かくして、経堂は東京でも稀なほどのグルメの町として栄えてきたのだと、わたしは勝手に想像しました。

そんな中、代々木からの移動で小腹が空いてきたころ、おにぎりやキュウリやらを売る店を発見、小休止することにしました。
売り子のお姉さんが、浴衣にプロ用前掛けという経堂以外では絶対に目撃不可能なコスチュームで客を出迎えてくれます。
よく見たら、たすき掛けにくわえてメガホンを肩から掛けるという、経堂まつり実行委員会から特別表彰されても誰も意義をとなえないくらいのヤル気を見せているのにも打たれました。
彼女も農大せいでしょうか、とても可愛かったです。

それにしても、大学のある町というのは、独特のカラーがあっていいなと思います。
女子大のある町近くに住んで撮影活動している友人もいるので、次回会ったときにはそんな話もしてみたいですね。
年取ってくると、大学生を見て、彼らの両肩にこの国の未来が載っているんだよな、頑張ってくれよななどと考えるようになってくるんです。
【Alpha7/Lereboures et Secretan 10cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/11 Mon

心霊照片

Ross 11cmF4
本当は今日、銀座の最後の写真を出したかったのですが、もうネタが尽きているので、銀座に行く途中立ち寄った代々木公園のイベントを1枚出してその代わりとしたいと思います。
代々木公園では、アセアンフェスティバルという名称で、タイ、ベトナム、ラオス、ミャンマー、インドネシア、バリの民族舞踊が見られると書かれていたので、むしろ銀座よりも楽しみにしていました。
これらアセアン諸国の踊りを見て、それぞれの違いを感じられたら面白いと思えたのです。
いや、やはりわたしには全部が同じにしか感じられない可能性がたかいですが。

ところがいざ足を運んでみると、会場の雰囲気が想像と違います。
いつもは人でごった返している会場が閑散としていました。
真夏の暑さに人足が集まらなかったのでしょうか。
いつもは混雑に閉口していたのですが、人がいないと逆に寂しさを感じてしまうものなのですね。

タイミングが悪かったのでしょう、楽しみにしていたアセアン諸国のダンスを見ることは叶いませんでした。
ちょうどベリーダンス大会が行われていたようで、わたしがいた2時間ほどはずっとベリーダンスを踊る人たちが何組も入れ替わりで熱いダンスを繰り広げています。
それはそれで楽しいと言えるのですが、ベリーダンスはエジプトやトルコ、中東の踊りなので、東南アジアとはだいぶ地理的な隔たりがあります。
もっともわたしは東南アジア間の違いどころか、ベリーダンスを観ながら東南アジアのどの国の踊りだろうかとしばらく気付いていなかったのですが。

話は変わりますが、真夏の夜の怪談ではありませんが、ここのところ超常現象に悩まされています。
α7の設定がいつの間にか変わっていたという現象なのですが、頻繁とは言わないもののしばしばという程度の頻度で、ISO感度がなぜか10000になっていたり、1枚撮影の設定が3枚ブラケット露出撮影とかになっていたりして、悩まされるのです。
前者はシャッタースピードが追い付かずに露出オーバーの真っ白写真になり、後者はただでさえショボイ写真を撮っているのが3倍になってしまうので、帰宅後にブログ用写真を選択しようとして、写真削除に3倍の労力をかけるとなると何とも脱力してしまいます。

もうひとつは、電池が脱走しようとするのか、電池室のフタがパカパカと開いていることがよくあるのも困りものです。
電池と言えば、妙に持ちが悪く1日撮影していると2本か3本は使うので、これも必要過多に電力を奪う超常現象の仕業に違いありません。
充電時間も消耗時間同様に早いとありがたいのですが、残念ながらこの時ばかりは超常現象は現れたためしがありません。
きっと何者かがわたしの撮影に悪戯しているのですから、わたしがありがたいと思うようなことはしてくれないんですね。

アセアン・ベリーダンスの作例は、まさにいつの間にかISO感度ががーんと上がっていてシャッターが1/8000になってしまったものです。
露出オーバーは免れましたが、電子シャッターの影が写りこんでいますが、これも超常現象のひとつでしょうか。
その陰越しに超常現象を起こし続けている手が売り込んでいて、ダンサーの手を掴んで向う側の世界に引き込もうとしているかのように見えます。
心霊写真だと言うには苦しいですが、それでもやはりわたしのα7の設定が変わってしまうことの説明はつかないままです。
【Alpha7/Ross 11.5cmF4 F8】
thema:ペッツバール genre:写真
Ross 11.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/10 Sun

没買化粧品

Ross 11.5cmF4
今回、銀座でという話を持ってきてくれたのがksmtさんの友人で、わたしとは初対面になるbuneさんでした。
buneさんは静岡在住で、用事があって東京に出る際、ksmtさんと会うのに銀座の打ち水を見に行きましょうと誘い、ksmtさんからわたしにも声をかけていただいたのです。
buneさんはハンサムな青年で、日本にもアメリカにも似た感じの俳優がいるのではと思わせる雰囲気でしたが、レンズに造詣が深いと聞いていたのになぜか首からはビデオカメラを提げています。
あれっと思い近くで見るとそれはビデオではなく、なんとハッセルブラッドH4D-40で、とんでもない思い違いをしていたことを恥じなければなりません。

中判カメラと言えば、打ち水を見終わった後、buneさんの案内でリコーイメージングスクエア銀座に行ってペンタックス645Zを試用させてもらいました。
こちらは、ペンタックスがなぜリコーにあるのかピンと来ない程度の知識なので、説明も暖簾に腕押しです。
実売価格が80万円のカメラなので、とても手が出るものではありませんが、ペッツバールのイメージサークルを活かす中判にもともと関心がない訳ではありません。
しかし、かつての645はロールフィルムを横に送る構造から縦位置の写真が撮れるので、人物撮影には都合が良いと思っていたのですが、ペンタックス645Zでは横位置になるということを知って少々がっかりしました。

そもそも中判は画質を追及するプロやハイアマチュア用の機材で、わたしはそもそもペッツバールを使いたいという時点で画質には関心がありません。
むしろ記録媒体の容量を考えるとむしろ画質は並み程度の方がいいくらいと考えますし、もちろん大きくプリントということは考えていません。
ペッツバールが本来持っているイメージサークルのギリギリに近いところで撮影したいから大きいフォーマットが必要なだけだという発想は、中判カメラの存在意義とははっきり相いれないと言えます。

カメラ本体価格を考えると中判デジタルはあきらめて、なるべく安い中古のフィルム用中判カメラを探してその分フィルムと現像やプリントにお金をかけるべきでしょう。
645Zはデジタルバックで中判撮影するよりはるかに安価で、性能が素晴らしく、今までのレンズ資産も活かせると中判ファンには夢のようなカメラなのだそうです。
ただ、目的がまったく違うわたしには、ただただ無縁のカメラというだけのことです。

さて、buneさんは心優しい方で、持参されていたアンジェニューの50mmF1.5をわたしが入手が叶わなかった幻のレンズになってしまいましたと話すと、よろしければと試写の機会を与えてくれました。
某化粧品会社の休憩室の話で、そこには有名な壁画があるので撮影することにしました。
ところがbuneさんは受付の女性が浴衣を着ているので撮らせてもらってはどうかと囁きます。
店内なので難しいかと思ったものの、そこはせっかくのS21をお借りしている状況なので意を決して受付女性にお願いしてみます。
1階にきれいどころがおりますのでそちらで写されてはいかがでしょうと説明するその優しい笑顔にわたしは心奪われ、いえ、あなたをぜひ写させてくださいとお願いしてどうにかS21唯一の作例をアップできることになりました。

4群6枚のオーソドックスなガウスタイプでF1,5というのはかなり無理な設計のはずで、ゾナーF1.5と同程度の性能を出すためには、前群ないしは後群に1枚両凸レンズを追加することで収差補正する必要があり、実際わたしの所有するガウスタイプのF1.5はすべてそのようなレンズ構成になっています。
唯一の例外は精機光学のR-セレナーで、もともと間接撮影専用に設計されたレンズのためシャープネスがずいぶんと劣り色の再現性も不自然です。
S21はもっとボケ玉なのではと想像していましたが、開放でのシャープネスはわたしには十分ですし、ボケがとても素直でボケ玉とか暴れ玉の表現とは言えないと思います。
いいレンズですね。

モデルになっていただいた女性には、レンズのことを軽く説明してなぜ撮影したいかを理解してもらおうと思いました。
わたしは、F1.5というスペックのレンズを集めていて、当然、S21はすぐにも手に入れるべきレンズでした。
以前は10万円以内でも見つけることができたのに、20万円くらいになってしまい、倍以上も出せるかとケチなことを言っていたらあっという間な価格が跳ね上がって今では50万から100万円もする幻のレンズになって手が出なくなってしまったのですが、友だちの友だちが所有していて、今だけ借りることができたので、唯一の写真を美しい女性にしたかったのです、と。
この写りを見て、またS21が欲しいという病気が再発するのを恐れましたが、幸いそれが起こらなかったのは、ただいま、ペッツバールに満足しているからだと確信しています。
【α7/Angenieux S21 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Angenieux S21 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(5) | 2014/08/09 Sat

拍買的故事

Ross 11.5cmF4
20年くらい前に発刊されたクラシックカメラの本を読むと、勤務地に近いので、日々夕方になると銀座のカメラ店巡りをして、先月はあんなのを買った、今月はこんなのを手に入れたというような話が出ています。
その頃は、毎日足繁く通わないとなかなかこれというカメラを見つけることはできなかったのでしょうし、そうやって毎日見て廻ることが何よりの愉しみだったということも理解できます。
店員と親しくなれば情報も教えてくれるでしょうし、欲しいものを取り置いてくれたかも知れません。
カメラ店巡り中はカメラを持参しているので、ところどころ銀座の町をスナップもできます。
古き好き時代というほど古い話ではないですし、今でも同じようなことをしている人は少なくないのかも知れませんが、わたしはこういう話は大好きです。

しかし、前にも書いたように銀座が遠かったわたしは、ライカM6を購入して以降も中古カメラ店に行くのは1年に1回か2回程度で、そのほとんどは収穫ゼロでした。
M6購入直後にレンズが欲しくて銀座に行ったときは、ズミクロンが欲しくて、しかしあまり安くて好いものがなかったにも関わらず、せっかく銀座まで来たのだからとやや高めのズミクロンを買って後悔することになったので、素人が銀座に行くからそういうことになるんだと自戒して、銀座を遠ざけたりもしました。

ちょうどその頃、アメリカにインターネットオークションがあって安くカメラが帰るらしいとの情報を聞きつけました。
銀座で7万円もしたズミクロンが、たったの1万円とかで出ているではないですか、何ということだと興奮します。
しかし、オークションなのでスタート時や途中経過ではとても安くても落札価格はそうとは限らないということに気付かなかったので、そう錯覚してしまったのです。
その誤解はしばらくして融けて、夢のような安さというほどではないにしても、当時はまだインターナショナルではなかったので、少なくともアメリカの相場か、ほとんどがそれよりだいぶ安く手に入れることができました。

当時の戦果の一例をあげます。
マクロスイターが欲しくてアルバ6Dとセットになっているものを40000円ほどで落札して不要だった6Dを日本のオークションに出したら50000円ほどで売れてしまい、マクロスイターはタダでしかも10000円付いて来たという結果になってしまいました。
アンジェニューのレトロフォーカスを検索しようと間違えて、Angenieuxのスペルのeかuを抜かしてしまったのですが、出品者にもたまたま同じミスをして出品した人がいたようで、そのため誰からも見つけられることなく、出品価格の1000円程度で35mmF2.5を落札してしまったというのもありました。
わたしのキノプラズマート3.5cmF1.5は別の真鍮レンズのおまけに説明文なしで出品されていたのを落札したので、たったの50000円ほどで入手しています。

こういう話は枚挙に暇がないのでこの辺でやめておきますが、当然のことながらこのような夢のような話が永続するはずはありません。
口コミでバイヤーが増大したことで極端な買い手市場が是正されたことで、相場観が根付き出しはじめます。
そうすると、モノを送って来ないサギにあったり、説明にないキズがあったりなどのリスクを考えるとわざわざ海外のオークションで買う価値があるのかは大きな疑問になってくるでしょう。
銀座に戻る潮時が来たのかも知れなかったのですが、あいにくわたしはオークション激安時代にライカレンズやノンライツレンズの多くを手に入れてしまっていたので、もはや買うものの方がほとんど無いような状態でした。
やはり銀座には縁がなかったのです。

これだけネットオークションが普及して、フィルムが激減してしまった今では、中古カメラ店の経営はたいへん厳しいと思うのですが、銀座の店はわたしがM6を買った当時からとごも経営順調のようです。
企業努力しているというのが大きいのでょうが、今ではカメラ女子とか中国人が新たな顧客となっていることも影響しているのでしょう。
高級だった銀座通りにファストファッションのショップが進出したり、免税店ができたりしていのと呼応しているように見えます。
【Alpha7/Ross 11.5cmF4 F8】
thema:ペッツバール genre:写真
Ross 11.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/08 Fri

水家

Ross 11.5cmF4
2006年2月16日、わたしがブログを開始した最初の写真はズノーレンズで撮った鏡に映し出されたレンズ自身の写真でしたが、その背景に選んだのは、シャロットの女という絵でした。
イギリスで活動したラファエル前派の画家、ウォーターハウスが描いた女性は、世紀末の雰囲気に満ちた中で自らの死を悟って絶望に顔をゆがめているのがたいへん印象的です。
しかし、その最初のブログ記事が自分の未来を暗示しているとは夢にも思いませんでした。

などと書くのはとても大袈裟な言い方で、絵画とかアーサー王伝説とかはまつたく関係なく、今回の撮影でペッツバールにウォーターハウス絞りを使ったということに過ぎません。
ラファエル前派の画家は、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスというのだそうですが、差し込み式の絞りを紹介したのもジョン・ウォーターハウスとなっています。
いちおう同姓同名(異ミドルネーム?)ですが、恐らく同一人物ではないでしょう。
親戚の可能性はあるのではと思い、調べましたが言及されているサイトを見つけることはできませんでした。

ペッツバールレンズを購入するとき、そのウォーターハウス絞り板が付いているか否かはおもに次の3通りです。
①は、付いていないというパターンで、多くがこれに当たります。
➁は、革のケースに入れられていることが多いのですが、フルセットで数枚の絞り板が付属するパターン。
➂は、レンズに差し込まれている1枚だけが付いているパターンです。
フルセットで付いている➁は、コンディションが良いものに比較的多く、キャップと合わせればペッツバールのコンプリートと言えます。

今回使用したロスのペッツバールは➂のパターンで、もともとレンズに挿入される形で1枚だけ絞り板が付属していました。
開放で撮るという信念があるので、あってもなくてもどうでもよいのですが、せっかく付いてきたのだから1回だけ使ってあげようかとウォーターハウス氏に敬意を表しました。
今までの作例でもピンと来られたでしょうし、とくに今日のは特徴が良く出ていますが、f/8と刻印されたF8相当の絞りを使ってもそれほど画質は変わらないようです。
もちろん被写界深度が深くなるのは間違いありませんで、今日の作例の下部に見られる像面湾曲は全然改善されていませんし、シャープネスもそれほど上がっているようには思えません。
深度と引き換えにボケはきれいになっているような気がしないでもありませんが、そう断定するには同じ場所での撮り比べが必要です。

深度は深まるものの、昨日の作例もそうでしたが、ピンボケの頻度は開放と変わらない気がします。
現代レンズの方が絞ったときの絵の閉まり方のようなものがずっと顕著なようです。
絞ってもあまりぐっとシャープになることはないことが、ポートレイトレンズの美点なのでしょうか。
女性の顔の皺やらシミやらは、シャープなレンズだと白日の下にさらされたかのようですが、ロスではあいまいな表現が開放から少なくともF8まで変わらないのであばたを目立たせることがないのです。

こうして分かったことは、オリジナルのペッツバールには付属していたであろう絞り板のセットが、ほとんど紛失してしまっている理由です。
ペッツバールの時代にはただでさえフィルム感度に相当する値が暗いし、絞っても劇的な変化というほどのことは起きないので、当時からあまり使用されなかったのではと想像できるのです。
レンズ所有者が要らないと絞りだけどこかへやってしまったというケースがあって、今見つかるペッツバールのほとんどに絞りが付属していない理由ができたように思います。
【Alpha7/Ross 11.5cmF4 F8】
thema:ペッツバール genre:写真
Ross 11.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/07 Thu

M6的故事

Ross 11.5cmF4
まだ若かりし20代の半ばごろのことです。
クリスマスイブの夜に仕事を終えた私は、銀座へと急ぎました。
彼女とショッピングして、食事して、ムフフか…、いえまったく違います。
写真とほとんど無縁の生活を送っていたそのころ、少し本格的にカメラをやってみようとずっと考えていたのですが、最初に買ったライカIIIFは初心者には少し厳しく、いろいろと考えた末にライカM6の中古を買うことにしたのです。
当時の給料より少しだけ安いという、わたしにとっては大きな買い物でしたので、自分へのクリスマスプレゼントという自らを強引にでも納得させるだけの口実が必要でした。

銀座界隈はヤマハくらいしか知らなかったわたしは、あらかじめ中古カメラ店マップを自作し、迷いつつも数店舗見て歩きました。
銀座のカメラ店は中に入ることすら憚れるような雰囲気のようなところも多いですが、若かったわたしはそんなことにも気付かず、銀座中にあるベストの1台をゲットしようと目が血走っているような状態だったのでしょう。
M6は、当時のライカ最新モデルでしたが、発売から10年以上経って、今年こそM7がでるのではないかと囁かれているような状況で、中古カメラ店には潤沢に在庫があったようです。
価格は16~20万円というところで、事前に聞いていた情報通りでした。
こんなのをライカのラの字も知らないわたしが1台1台比べて歩く訳にはいきません。
ひとりぽつんと安かった15万円のM6をちょっと触らせてもらい、初心者とは気付かれないようにダイアルをひとつずつずらしながらシャッターを耳元で頷きながら切っていって、問題はないですねと店員に念押ししてから購入しました。

なぜライカだったのかと言えば、当時のわたしのいちばんの楽しみは旅で、コンパクトカメラは必ず持参していましたが、ヨーロッパを旅してきても名所旧跡などにはほとんど関心なく、もっぱら古びた通りとか路地裏を歩いては日本では見かけないようなものか現地の人をこっそりとか撮るばかりでした。
調べるとそんな写真を真面目に撮っている人はかなりいて、彼らは異口同音にライカの良さを褒め称えていたのです。
国産一眼レフは全部が自動でシャッターを押せば勝手にきれいな写真が撮れると聞くと、今使っているコンパクトと同じじゃんと思えてきました。
何よりプラスティックボディの国産一眼レフより、全面金属のライカの方が持ったときの間隔がすばらしく、それだけでもクリスマスの夜にひとり買いに行った甲斐があったと思います。

銀座では、もう1点イタリア製のライカマウントレンズ、オフィチーネ・ガリレオ・オグマー90mmをM6の2年後くらいに買っています。
他にも小さな買い物はしていると思いますが、M6の劇的購入を考えると、もっと銀座に足繁く通ってもよさそうなものなのにそうはなりませんてした。
インターネットでの買い物が主流になってしまったからですね。
自宅から銀座がこれほど遠くなければまた違ったのでしょうが、居ながらにして全体を俯瞰できてしまうようなネットショッピングと、高い家賃が上乗せされているんだろうなと考えざるを得ない銀座の中古店では、貧乏なわたしがどちらを選択するかは考えるまでもないことでした。

学生時代に楽譜やLPを買い求めたり、社会人なってやっとライカM6を手に入れることになった銀座ですが、その後の縁は途絶えていました。
しかし、今回クラシックな味わいのある浴衣の美人がモデルを応じてくれることになりました。
背景には、わたしが唯一知っている銀座の建築であるかつての服部時計店本店の時計塔のあるビルを選んでみます。
また、しばらく銀座とはゆかりがなくなってしまうでしょうか。
【Alpha7/Ross 11.5cmF4 F8】
thema:ペッツバール genre:写真
Ross 11.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/06 Wed

小澤的勃拉姆斯

Ross 11.5cmF4
昨日のNHKのニュースに小澤征爾氏が生出演していました。
飾らない語り口のインタビューとも対談とも言えるような話は、ひきつける力が強力で、思わず画面にかぶりつくように見てしまいました。
松本のフェスティバルで幻想交響曲を振るという話で、それはぜひとも聴いてみたいと思いますが、残念ながらチケットは入手困難でしょう。

ここに取り上げるくらいなのに、実は、わたしはオザワを聴いたことがありません。
先述のとおり、小澤征爾のコンサートは大人気でチケットがまずは買うことができませんし、社会人になると演奏会に行くという行為から離れてしまい、一度そうなるとコンサートに行っていたことすら忘れて生演奏を聴く機会がなくなりました。
レコードなどは、新進気鋭の演奏家か過去の名演奏のようなものの両極端になってしまって、ベテランの知られざる名演のようなものを買う機会がありませんでした。
いつの間にかオーケストラよりも室内楽を聴くようになったということもあって、小澤征爾指揮のCDも1枚も所有していませんでした。

ところが、何かのきっかけでサイトウキネンオーケストラを振ったブラームスの第一交響曲を手に入れました。
音楽をここにどのように書いて表現するかわたしにはよく分かりませんが、最初はとても熱い演奏に感じられ、ブラームスとしてはとてもオーソドックスに思えたのですが、何度か聴いているうちにディテールにとてもこだわって演奏しているのが気になり始めました。
他のもこんな演奏だったかと確認すべく手許にあったシャイーとかアバドとかと聴き比べてみたのですが、熱さはそれほど差が無いようなのに、細かいところを前面に押し出したような感覚はオザワにしかないように聴こえます。
この感じをどのように書き表せばいいのか分かりませんが、日本古典文学的ブラームスと勝手に名づけることにしました。

以来、サイトウキネンを生で聴いてみたいと思っているのですが、実現していません。
もともとまめに演奏会情報をチェックしている訳ではないですし、CDだって聴くのは自宅ではなくもっぱら通勤の電車の中です。
すっかりサイトウキネンオーケストラのことを忘れていましたが、NHKニュースが思い出させてくれました。
早速チケット情報を検索しますが、やはり全席ソールドアウトですね。
サイトウキネンフェスティバルは8月ですので、8月に入ってから探しても見つかるわけありません。
来年は、早く手をまわしてチケット入手して、松本まで出掛けたいと思います。

学生時代に管弦楽団に所属していたわたしは、銀座というまったく縁遠い都会に何度か足を運んだことがありました。
友人が演奏会で取り上げる曲のスコアを買いに行くというのに付いて行ったり、自分自身が楽譜を買いに行ったりしたからです。
当時、輸入楽譜を取り扱っている店はごく限られていて、そのうちのひとつが銀座のヤマハでした。
スコアはマイナーなものが結構あって、わたしは音感が無いため読むことはできませんでしたが、楽譜を追いかけながら音楽を聴くと理解が深まることは間違いないので、それなりに無理をして高価な輸入スコアを手に入れたことを思い出します。

せっかく銀座まで来たのだからぶらぶらと散歩でもすればよかったのですが、当時の私にはあまり銀座が面白いところには思えませんでした(たぶん今も)。
友人とともにらんぶるという名曲喫茶で音楽をリクエストして聴いたり、数寄屋橋の中古レコード屋でバーゲンのLP盤を買う程度です。
そのころ、卒業後に少しだけ銀座が身近になるということは、まだ想像もできませんでした。
【Alpha7/Ross 11.5cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Ross 11.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/05 Tue

夏天和服

Ross 11.5cmF4
今週は、ゆかたシリーズになります。
ゆかたで銀ブラという毎年恒例のイベントがあるそうで、撮影にでもいかがですかと声を掛けていただきました。
作例は、そのメインイベントと言える「銀座千人涼風計画」と名付けられた打ち水の様子です。
銀座でゆかたという取り合わせが受けるのでしょう、この企画は以前に何度かニュースで見た記憶があります。
わたしが出掛けたときも、キー局各社がこぞってテレビカメラを振り回しているのが目につきました。

銀座通りの一部ですが、歩道にずらりとゆたかの人が並ぶのは壮観です。
テレビ局が取材に来るイベントですから存分に撮影できるに違いないとワクワクして待ちましたが、合図あって打ち水が始まるとそれは一瞬でした。
手にしたたらいの水をバーンと放り投げて終了だったからです。
これは2回あったのですが、その瞬間をとらえたわたしの写真は、ただ画面全体に水が舞っているだけでした。
これだけですか? と隣で撮影していた見知らぬおじさんに思わず聞いてしまったのですが、おじさんは笑いながらこれだけだよと教えてくれました。

ただ、たいへん幸運だったのは、打ち水は本当はこうやってやるんだよと諭すように、手のひらで水を撒く女性がいて、例によってピンボケですが、それっぽい写真を撮ることができました。
みなさんが同じように打ち水してくれると撮影者としてはありがたいのですが、これだとテレビニュースの絵としてはおもしろくないということなのでしょう。
日曜夕方のローカルニュースとして30秒流すには、一斉にどかーんと水撒いて、とってつけたようなゆかた女性の銀座でゆかたになってこんな体験できるなんて楽しかったですというインタビューを絡めるとちょうどいいのだろうなと想像できます。
来年もと誘われましたので、次回は清涼感溢れる写真を撮るよう頑張って来たいと思います。

撮影者は歩道の向かい側に張られたロープに沿って並ぶのですが、それは思ったよりも至近です。
うっかりすると水を思い切りかけられてしまうのではと心配でしたが、足元にぴちゃっと来た程度なのは幸いでした。
ここで思い出したのがタイの水かけ祭りです。
バンコク旅行中に一度体験したことかあるのですが、これは現代用語で言うと、ハンパなかったっす。

ホテルの従業員からそれこそ不要不急の外出を控えるように言われたのですが、暑いタイで水を掛けてもらってちょうどいいくらいの軽い気持ちで出歩いたのが失敗でした。
なるほど、出歩いている人は前日よりも少ないような気がしますし、すれ違う人が水中眼鏡を付けていたり、明らかにぬれても構わないという格好で歩いています。
イヤな感覚はすぐ現実になりました。
路地に潜んでいた悪ガキどもが一斉に遅いかがって来て、バケツだ水鉄砲だと容赦なく襲い掛かってきます。
そんなのがワンブロック歩くごとにやってくる感じで、常にプールに飛び込んで上がってきたような状態で歩いていなければなりませんでした。

午前中は子供ばかりでしたが、午後になると大人も子供もなく襲い掛かってきます。
びとがったのは、給水車にホースを繫いで、道行く人すべてを砲撃し、逃げ遅れた人には情け容赦なく打ち続けていました。
地方ではもっと素朴に愉しむようですが、バンコクではみんなヤケクソになって遊んでいる感じです。
水はほとんど汚い川から汲んでくるものなので、万一飲んでしまったら、お腹をこわす危険が高いです。
それよりも危険なのが子どもたちで、中には集団でふざけているフリをしてポケットに手を突っ込んで財布を摺ろうとしている連中がたくさんしました。
ホテル従業員がなるべく外に出るなと言った理由が分かりました。

それでも炎天下のバンコクで水を掛け合うのは清涼感をともないます。
財布やパスポートをセーフティボックスに預けて、水着にTシャツで祭りに参戦するのはまたとない体験になるでしょう。
しかし、銀座の打ち水は気温を下げる効果があったのか疑問です。
少なくとも、涼しくなったという実感はわたしにはありませんでした。
【Alpha7/Ross 11.5cmF4 F8】
thema:ペッツバール genre:写真
Ross 11.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/04 Mon

不是巴西人、不是西班牙人

Lerebours 10cmF3.5
ブラジル週の最終回です。
ブラジル人、日本人、ブラジル人に見える日本人と続けたので、今度は正統派ブラジル人と思わせて、じつはカタルーニャ人のカップルでした。
スペイン人と言うのが正しい言い方かも知れませんが、カタルーニャ人の多くはスペインからの独立を求めているそうですし、独自の言語や文化を持っている彼らをカタルーニャ人と呼ぶ方がより好いと思います。

代々木の会場を後にして、原宿から表参道を散策して腰掛けたとき、隣にいたのが彼らでした、
バカンスで、はるばるバルセロナから3週間の日程で日本を旅しに来たということでした。
話しかけたのはksmtさんだったのですが、わたしがバルセロナに3回行ったことがあるということで、短時間のうちに夢中になってしゃべってしまいました。
レリダ県ボイ谷のタウールという村に友人がいて、おととし来日したときにいろいろ案内したとか、カタルーニャ語はこんにちはくらいは覚えているけどあとはみんな忘れてしまったとか取り留めもないことばかりです。

しかし、いちばん盛り上がったのはサッカーの話でした(盛り上がっていたのは私だけだったかも)。
彼の親戚にもカンプ・ノウの年間シートを持っている人がいてたまに試合を見に行くのだそうですが、FCバルセロナというクラブ自体がカタルーニャを象徴する存在ですから、サッカーにそれほど興味がない彼女の方でも選手の名前と顔はすべて一致していて、今季はどういう問題があって優勝できなかったが、来期はこういう補強をすれば優勝できるだろうというようなことは当たり前のように知っているようでした。
いま写真で見ると、長身痩躯の彼はブスケツによく似ているような気がします。
今度、バルセロナに行ったら連絡するからというと、ふたりはメールアドレスをくれ、わたしたちは別れました。

彼らの歳や職業は尋ねませんでしたが、20歳代後半くらいに見え、仕事もそれほど特殊な高給取りという雰囲気ではありません。
日本の同世代のカップルとそう変わらないのではないかという雰囲気です。
政府観光局のホームページを見ると国別月別の訪日外国人観光客のデータが出ています。
ニュースでも2013年には外国人訪日者数は一千万人を超えたと報じていましたが、国別の第一位は韓国、第二位台湾、第3位中国、以下、アメリカ、香港、タイ、オーストラリア、イギリス、シンガポール、マレーシアまでがベスト10です。

韓国は統計の出ている12年間すべてで1位ですから、政治的な冷え込みがあっても人的交流を抑えられないことが分かります。
ただし、韓国を訪れる外国人でいちばん多いのはすでに日本を抜いた中国だそうです。
台湾もアジアでいちばんの親日国家ですから2位の座も当然に見えるかも知れませんが、訪日者数は昨年からずい゛ふんと増えていて、地震や原発事故からの回復ということがあるのかも知れませんが、観光地で台湾の若者を多く見かけるのを裏付けているなと感じました。
意外なのは、タイやマレーシアで、東南アジアへのビザ緩和はニュースで見ましたが、早くもその効果が数字になっているということなのですね。
最近、新宿あたりでもスカーフ(ヒジャブ)を被った女性をよく見かけるようになりましたが、彼女たちはマレーシア人が多いということですね。

ベストテンの中には、ヨーロッパはイギリスしか入っていません。
にも関わらず、最近、東京では特に夏休みシーズンに若いヨーロッパからの旅行社を多く見るようになったような気がしています。
アメリカ人、オーストラリア人と区別がついていないのではと言われればその通りなのですが、話しかけるとオランダ人、スウェーデン人、フランス人、今回のカタルーニャ人など、むしろアメリカ人ですとかオーストラリア人ですとかと言う人には逆に会いません。

どうしてヨーロッパ人が増えたかと言えば、ひとつは円安の影響がとても大きいと思います。
わたしがスペインやイタリアを旅したのは通貨統一される前のことで、当時のペセタやリラはとても安く食事やホテルなどにそれなりの贅沢ができたのですが、ユーロ導入後にスペインに行ってみると物価が倍くらいになったような感覚で、どうしても節約旅になってしまいました。
ヨーロッパから日本に来る人たちにとってはその逆が起こっている訳で、若い彼らは贅沢は不要ですが1ヶ月くらいを旅しようと思うと今の円安状況はとてもありがたく感じられているでしょう。

もうひとつの理由は、旅先ということを考えたとき、リゾートに長期滞在なら東南アジアでもカリブ海でも、どこに行っても一定水準の滞在が期待できるのですが、異文化を体験するような旅では、アジア、アフリカ、南米などを見渡してみると、食事、言語、治安、衛生が自国と少なくとも同程度というところはほとんど考えられず、かつその国の文化に接することが旅の目的とできるような国は、日本だけなのではないかと思えるのです。
だから刺激がなさ過ぎてつまらないと考える人も多いかも知れませんが、ヨーロッパ人の旅行先が日本になるのは当然のことでしょう。
わたしたちも、彼らと接することで、日本の評価をアップさせる些細な一助となれればいいなと思っています。
【Alpha7/Lereboures et Secretan 10cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/03 Sun

巴西銀行

Lerebours 10cmF3.5
日本のブラジルと言われるのが群馬県の大泉町です。
静岡県浜松市もブラジル人率が高いことでよく知られています。
わたしの地元付近でもブラジル人率が高くて、大和市はペルー人・ブラジル人の多い町で、小田急線の周辺駅では彼らを多く見かけることができます。
週末の仕事帰りに改札を出ると、ブラジル人やペルー人のグループがペンチでビールを飲んでいる前を通ると、ポルトガル語やスペイン語が飛び交っていて、国際列車で外国に来てしまったかのような錯覚に陥ります。

大泉にしろ、浜松にしろ、大和にしろ、その他のいくつかの町でもそうですが、ブラジル人やペルー人が多くみられるのは、25年ほど前に入管法が改正されて日系人の入国条件が緩和されたことによると言われています。
バブルがはじける前夜くらいの時期ですが、恐らく中小企業や労働力を必要とする産業界からの要望もあって、外国人労働力を取り入れる妥協案で日系人に扉を開いたということだったと記憶しています。
しかし、大泉や浜松のことは分かりませんが、少なくとも大和で見かける駅前宴会の彼らには日系人の雰囲気がまったくないのが不思議です。
日系人の親戚の配偶者のいとこだからだなどと言いながら袖の下とともに申請すると、現地政府は日系三世証明書を発給してくれるからだなどという説がありますが不明です。

先日、ペルー旅行をしたことがあると書きましたが、首都リマでは日系人のお世話になったことを思い出しました。
ナスカの地上絵を見るのにリマの旅行社でツアーを申し込んだのですが、たまたま入った旅行社の店長さんが日系人だったのです。
今ならネットでサブミットボタンを押してしまえば、カード決済で旅行社はバーチャルな存在ですが、実際に足を運んだことでその日の夕食をご馳走になる幸運を得ました。

閉店に近い時間だったということで、時間があればこの後食事はいかがでしょうと誘ってもらい、同意するとまず彼の車で家まで行ったのですが、そこは町の中心部から近い一戸建てで、車のまま家に入る門は大掛かりな電動式で、思わずビバリーヒルズの豪邸のようだと口走ったら笑われてしまいました。
治安が悪かったペルーでは一定程度の収入のある家では防犯上の理由で電動式の門は当たり前だと言います。
家も立派でしたが、車は少し古いカローラで、これも普段の通勤には高級車に乗ってはいけないという当然の決まりごとのようでした。

彼は、わたしでもひとめ見て沖縄的な雰囲気が漂っていて、名刺の名前も沖縄で多い城という字が付いていたので確信できたので、そういうとやや驚いていました。
祖父母が沖縄から出てきて苦労を重ねて今のような生活をできるようになったんだと語ってくれました。
三世ですので、日常生活ではスペイン語しか話さないという彼は、日本語のレベルはわたしの英語よりはマシという程度だったか、漢字は確か自分の名前以外書けないと言っていましたし、食事中、日本語のテキストを見せてわたしに質問したりということもありました。

もうだいぶ以前の話なので、どこでどんな料理を食べながら何を話したかなどほとんど思い出すことができません。
ただ、彼が苦労してきた祖父母や両親を尊敬していると言っていたことと、近い将来に日本に行くんだと夢を語っていたことだけは覚えています。
わたしには、日系人であるという重荷を背負いつつも真面目に頑張っている彼自身のことが十分に尊敬に値すると思えました。
彼の来日の夢は果たすことができたのか分かりませんし、あるいは彼の知り合いとは大和のどこかですれ違っているのかも知れません。

作例の女性は、てっきりブラジル人だと思って声をかけたのですが、意外にも日本人で、自分の外国人を見極めるセンスの無さを嘆かされることになりました。
しかし、雑談しているときに、ブラジル人からポルトガル語で話しかけられる場面があって、ブラジル人も間違えるくらいだから、少なくともラテン的ルックスであるということだろうと安心しました。
この日見かけたいちばんの美女だったのですが、そういうプレッシャーが無意識に働くのか前ピンになってしまいました。
帽子をとってくれたカットもあるのですが、そちらはさらに前ピンで、ブラジル銀行の宣伝のようなこちらを採用します。
こんな子が店員だったらその店で食事してしまったでしょうが、さすがにブラジルリアルの高利回り商品を購入するだけの余裕はありませんでした。
【Alpha7/Lereboures et Secretan 10cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/08/02 Sat
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