哥哥是姐姐

Voigtlander 20.5cmF3.8
思い出深いタイ北部の旅から帰って来てから、わたしは中国と大きく関わるようになりました。
英語がまったく通じない彼の地で中国語をしゃべれるようになるか、毎回通訳を雇うかとの選択肢を突き付けられて、前者に挑戦することになります。
大学時代に第二外国語でフランス語を第三外国語でロシア語を学んで以来の、言語への挑戦です。
まだどうにか頭が柔らかかった学生時代ですら言語はものにならなかったのですから、中国語ができるようになるとは思っていません。
ただ、中国語を勉強すると、日本語との類似点と相違点とか、興味深いことがいくつもでてきて、さらにはフリートークの相手としてとても美人の中国人と知り合うなどして、片言程度にはしゃべることができるようになりました。

縁ができかかったタイですが、そのタイミングで中国との関係ができたことでタイへの関心は徐々に薄れてしまいました。
その後タイに行ったのは、友だちとの旅と交際していた女性の旅の2回だけで、ひとりで行く機会もディープなタイの旅をする機会もありません。
にも関わらず、旅の中で奇妙な体験をすることになったので記しておくことにします。

友だちとのタイ旅行で、初日の夕食時に隣のテーブルの女の子3人組といい感じになって、そのままいっしょに食事をして、その後カフェに行くというすばらしい展開になりました。
そのうち英語が比較的できる女の子が、このあとよければウチに来ないかと誘ってくれたのです。
友だちとふたり期待に胸ふくらませて、もしかしたらやばいことになるのではとの不安も抱えながら彼女に付いて行きました。

その期待も不安もまったくの的外れで、単に小さなアパートに連れていかれた部屋にはお母さんとお兄さんがいて、友だちの日本人ですと紹介してちょっとおしゃべりして、それではと帰るような算段だったようです。
両親は離婚したそうで、温和そうなお母さんが女手一つで子どもふたりを育てたそうで、そんな話を彼女の通訳を介してしていました。
しかし、両親が分かれたという以上に彼女の家庭には、普通と違う状況がありました。
彼女のお兄さんというのが、お姉さんだったのですと言うか、もともとお兄さんだったのが、今ではお姉さんになっていたというのですと書いて意味が分かりますでしょうか。

顔は化粧していましたが、髪は角刈りに近い短髪で外ではカツラらしく、Tシャツの下の胸は少し膨らんでいました。
仕草もしゃべりも女性そのものですが、母親も娘として扱っているのが分かります。
夜、どこか飲み屋さんのようなところで働いでいるようでしたが、日本人のお客さんがふたり来たからという理由で、今日は出勤しないと行っているようです。
8時くらいだったでしょうか、もう遅いしわれわれは帰るのでとびびりながら言うと、たぶんこれは本物の女性だと思われる連れて来てくれた女の子が、いつの間にかビールを買ってきたからと、家族3人プラスわれわれの計5人で飲むことになってしまいました。
ビール瓶は10本近くあって、あれどうやって持ってきたのという感じです。

翌朝、わたしはその部屋で目を覚ましました。
1部屋しかないのでみんなで雑魚寝したようですが、友人と姉(兄)がいません。
友人はタクシーでホテルに帰ったし、兄は飲んでから仕事に行ったとのこと。
わたしは酔いつぶれていたので、お母さんたちが介抱してくれてそのまま寝付かせたらしい。
わたしは冷静にその話を聞いてから、ちょっとトイレにと言って、慌ててパスポートや財布を確認しました。
しかし、何も触られた形跡はなく、帰国後も使われたカードの請求書が届くなどのトラブルもありませんでした。
友人も彼女たちが言っていたとおり、おまえが動けなさそうだったのですまんがひとりで帰ったと笑っていました。

不思議なのは、わたしは酒に弱いので、限界の手前でセーブする習慣ができているので、未だかつて酔いつぶれたということはないにも関わらず、この時はビールだけで前後不覚になってしまったことでした。
何か一服盛られた可能性も考えましたが、最終的に被害はなかったばかりか、ビール代も払わずご馳走になったくらいでなので本当はどうなのか分かりません。
お兄さんに性的暴行を受けた可能性を考えて、自分のお尻を触ってみましたが、それもなさそうです。
タイでは日本人旅行者が現地女性に騙されて旅行中の全財産を失うという事件がしばしば起きていたようですが、その未遂事件だったのか、単なる外国人へのタイ流のもてなしだったのか真相はもはや闇の中です。
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF3.8 F3.8】
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thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander 20.5cmF3.8 | trackback(0) | comment(0) | 2014/05/31 Sat

不是泰国人

Thambar 9cmF2.2
タイの山岳民族を訪ね歩くトレッキングはとてもエキサイティングでしたし、3日間かなりのアップダウンを歩ききったことで達成感もありました。
ただ、このトレッキングを通してもっとも印象に残ったのは、チェンライに戻ってからの食事でガイドが語った話でした。
彼のことはてっきり地元の少数民族だと思っていたのですが、彼の人生はとても波乱に満ちたものだったのです。

彼は地元どころかタイ人でもなく、カンボジアで生まれたとのことです。
わたしの顔を見てくれと言います。
彼の眼窩は東洋人には珍しく少し窪んでいるのですが、彼はこれがクメール人の顔の特徴だと教えてくれました。
カンボジア人だと聞いたときはピンと来ませんでしたが、クメール人でいまタイにいると聞くと察するものがありました。
やはり彼は、少年時代に両親を失って、タイまで逃げてきたということでした。
クメールルージュが猛威を振るっていたということなのでしょう。

聞きませんでしたが、恐らく陸続きのタイには蜜入国したのでしょう、その後独力でタイ語を身に付け、身寄りがなかったことから外国人相手の商売に転じ、英語も習得していったと言います。
欧米の旅行者の親切に触れているうちに、そこに自分の生きる方法を見つけたのだとも。
このときは、夕方チェンライの町に戻って来て、ひとりで夕食も寂しいので、彼を夕食に誘ったのですが、暑さの引かない黄昏時にふたりでビールをちびちびやりながら旅のことなどを語らっていると、彼は唐突にそんな話を始めたのでした。
彼は、もちろんそんな話を旅行者にしたのは初めてで、そろそろ歳も歳で、あと何回こうしてガイドをすることができるか分からず、家族もいないので話をするとしたら、いま、あなたにしかなかったのだと言いました。

もともと旅は一期一会とか感傷的になりやすいものですが、このときほど旅をしていて心臓をえぐるような切ない気持ちになったのは初めてでした。
その後、わたしは有名なゴールデントライアングルに足を運び、神秘の国だったラオスに半日だけ滞在し、さらにはミャンマーにも同様の体験をしました。
さらにはミャンマー近くの村ではパダウン族の村を訪ね、首に首輪をいくつも重ねて首が長くなったように見える女性の撮影をしたりしてチエンマイからバンコク経由で帰国しました。

しかし、それらは山岳トレッキングのおまけのようなもので、何も感じるものがなかったばかりか決められた観光ルートをなぞっているだけのようで、あのガイドのことばかりが気になってとても楽しむことができませんでした。
帰国後、手紙を書きましたが、彼に届いたのか返事は来ませんでした。
ただ、彼がタイ北部の地で今でも元気に暮らしているのを願うばかりです。

さて、今日の作例のみいつものペッツバールではなく、タンバールを使用しています。
なぜ急にタンバールなのかと言えば、別に韻を踏んだとかいうことではなく、ksmtさんがセンターフィルターを貸してくれていたのに使用機会がなかったので、返却直前に1度使ってみたということに過ぎません。
従って、これがわたしのタンバールの作例中、唯一のセンターフィルター使用作例ということになります。
しかし、フィルター使用にも関わらず、なぜかそれほどソフトではありません。

不思議ですが、安定した室内光でソフト効果を導き出せなかったことがひとつと、ピントの問題があるのではと考えています。
ソフトフォーカスレンズは簡単なようでピントに失敗することが多い、というよりは今回のわたしは全滅のようでした。
というのは、よく言われるようにピント合わせをコントラストのピークでしてしまいがちで、その山をひとつ越えたところにピントが存在するというのをなかなか掴めないのです。
MFアシストも駆使して確認すると、これは間違いないと思えるのですが、試しに少し後ろにピントをずらすとそちらが合っているように見えて、最終的には双方で撮影しておくのですが、それでも前ピンだったりして訳が分からなくなるのです。
とくに一眼レフでは手に負えないレンズだということがようやく分かって来るのですね。
【Alpha7/Thambar 95cmF2.2 F2.2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Thambar 9cmF2.2 | trackback(0) | comment(0) | 2014/05/30 Fri

第三次泰国旅遊

Voigtlander 20.5cmF3.8
釣りで惨敗したピーピー島の旅の翌年か翌々年、3回目の旅行を敢行しました。
今度は1週間の夏休みで、タイ北部の少数民族の村を訪れてみたいというのが目的でした。
タイは1年中暑い国ですが、北部の山岳地帯は比較的凌ぎやすく、そんな山中にぽつりぽつりと高床式の村があって、自然の中の生活が営まれていると聞きました。
アカ族、リス族、カレン族をはじめ多くの民族か独自の生活様式と文化を継承しながら暮らしており、とくに女性は華やかな民族衣装をまとっていて、当時カメラを始めたばかりのわたしは彼女たちを撮影しながら親しくなりたいという夢をもってまずは北部の玄関であるチェンライを目指しました。

チェンライはタイの最北部の町ですが、すでに町中には多くの民族衣装の女性がいて、到着するや早くも気分が盛り上がりました。
山岳の村を訪れるにはツアーに参加するのが簡単で良いとガイドブックには出ていますが、それではお決まりのコースを回って用意された少数民族ショーを楽しむばかりで彼らの生活を見たことにはならないという意見もあって、わたしはそれら意見を尊重してツアー参加ではなく、観光案内所でガイドを紹介してもらって彼の案内で山の中をトレッキングしながら少数民族を訪ね歩くというかたちを選びました。

紹介されたのはベテランのガイドさんで、2泊3日の費用は6000円ほどでした。
1日あたり2000円というのはとんでもなく安いですが、まず宿泊や食事は村人の善意で泊めてもらったり食事をわけてもらうので、費用は心付けをわたすだけだということと、当時のタイの田舎の物価がかなり安いということからくるようでした。
出合って自己紹介しあってから、さあ、出発と思ったら、まずは市場へ出向きます。
まず、わたしの服装がダメで、いくら暑くても山には蚊や毒虫がいるので長袖のシャツを着ろと市場で購入し、トレッキングするのにショルダーバッグではダメだとリュックも買わされました。
しかし、ニセのリーバイスシャツとリュックで5~600円ほどと、何しろ物価の安さとガイドさんの価格交渉術の洗礼を受けることになります。

市場では大量のお菓子や飴にたばこも買い込んでいます。
日本の登山やハイキングでも休憩時に甘いものをとるのを見ますが、これらはお世話になる家の心付けにするとのことです。
山岳の村人は、現金収入がそうそうあるわけではないので、子供向けのおやつなどが喜ばれるということでした。

山に入ってさっそく手荒い歓迎というか、恐怖を味わいます。
歩き初めでいきなりガイドに腕を掴まれ止まれと言われました。
ガイドの即席杖の先には保護色のようでほとんど気付くことが不可能のような小さなヘビが横たわっています。
あれに噛まれたらお前は終わりだと実に真剣な顔で説明してくれましたが、あのときガイドがよそ見でもしていれば、わたしはトレッキング開始早々少数民族との交流もないままに、無言の帰国となっていたかも知れません。

いきなり猛毒のヘビに遭遇して今後どうなってしまうのだろうと心配しましたが、あとはスズメバチの巨大な巣とか蚊の大群を見かけた程度で命を脅かすようなものはなく安心です。
気温が下がるくらいの高さまで登るのでヘビも生活できないということかも知れません。
体力のないわたしにはかなりハードでしたが、道もそれほど険しいと言うほどでもなく、1~2時間歩くと小さな集落がひとつあってお茶をいただきながら休憩するという歩きやすいペースでした。

そうして夕方着いた村で泊めてもらうことになりました。
他も多くがそうでしたが、集落には家屋が7~8軒ほど距離を置いて建てられていて、その中で比較的大きな木で組まれた高床の家に招じ入れられました。
さっそく子どもたちが集まって来て買ってきた飴をプレゼントすると、年長の子が年下の子に配って礼儀正しく食べているのが印象的でした。
それに、どの子どもたちも目がキラキラしていて日本の子どもやタイでも都会の子とはまったく違うような気がしました。

ただ、残念だったのは民族衣装を着ているのは長老の奥さんと思しきおばあさんくらいで、あとはみんなわたしと同様町で買ってきた服で生活していることです。
チェンライから日帰り圏内のこのあたりの村は、すでに民族衣装は過去のものとなってしまつたようですし、映りは悪いですがテレビでふつうにアニメや国内ニュースを見ている姿にも予想と違った当地の生活を知りました。

タイで生きている虫をご馳走だと食べている映像を見ていたので食事が心配されましたが、このあたりは米や野菜を作っている農家ですのでごく普通の食事で、とても美味しくいただけました。
わたしたち客人をもてなすと言って、自家製のお酒をみんなでしこたま飲んで熟睡します。
じつは、このあたりの名物にもなっている阿片はどうかと勧められましたが、これはガイドが反対して体験することはできませんでした。
わたしはタバコを吸わないので、うまく吸引できないだろうというのと、阿片にも質の違いが大きく、西洋人などが時おり悪いものを吸って体調を悪くして病院に直行というケースがあるからということでした。
わたしとしても、すっかり打ち解けた子どもたちの前でそんなものを吸って、せっかく芽生えた小さな友情のようなものを壊したくないとの思いがあったので手を出すのは遠慮したのです。
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF3.8 F3.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander 20.5cmF3.8 | trackback(0) | comment(0) | 2014/05/29 Thu

皮皮島釣行記

Voigtlander 20.5cmF3.8
混沌とした状態のうちに時間が過ぎ去った初めてのタイ旅行の翌年、2度目のタイへの旅を計画しました。
まだ、カメラなどはやり始める前で、当時の趣味は釣りでした。
地元の相模湾や駿河湾で船のルアーフィッシングや相模川の河口でシーバスフィッシングにのめり込んでいた時期で、小物はぽつぽつと釣っていたものの、目標とするような大きなヤツは見たこともありません。
海外の海なら大モノも夢ではないのではと誤解して、今回はバンコクをバスしてプーケットまで行ったのでした。

その頃はまだインターネットで情報が得られるような便利な時代ではなかったので(もしくは貧乏でまだPCが買えなかったのかも知れません)、例によって予約なしに現地でビッグゲームの船探しをしないといけません。
そして、現地についてみると、船は見つかったもののフィッシングツアーは最低1泊からで、チャーター船なので7~8万円もしてしまいます。
とてもひとりでチャーターする気にはなれず、その旅行社で教えてもらったピーピー島へ移動します。

ピーピー島は、プーケットから船で2~3時間の沖合の島ですが、切り立った崖のような対岸の小島とエメラルドグリーンの海の対比があまりに美しかったうえに、ここからなら日帰りの船で釣りができるという有力情報ももらい、居ても立っても居られなくなりました。
何よりピーピー島というイージーな名前が気に入りました。
宿も、浜辺に並ぶバンガローのひとつだそうで、おとこひとりで泊るのにはロマンチックすぎるくらいです。

しかし、実際に上陸してみるとイメージしたのとは違う島の姿が目につきました。
ピーピー島は、当時すでにリゾートとしてかなりメジャーで、安く滞在できることから特に欧米人のバックパッカーなどに人気が高く、島中を彼らに占拠されているような状況でした。
海がきれいで費用が安くアクセスも悪くないのですから人が集まって当然なのですが、どうやらわたしには観光客が想定以上に多いと文句を言うクセがこのころからあったようです。

早速釣りを申し込みに行ったのですが、ちょうどその日釣りに行っていた青年が戻って来て、なんとバショウカジキが釣れたと自慢げに見せてくれました。
1メートルに満たない小型でしたが、生まれて初めてカジキを見てイヤが上にも気分が高まりました。
しかし、翌日約束よりも早く5時半に船着き場へ行くと、船長が首を振って風が強くて沖へは出れないので、近場で様子を見ながらやってみましょうと申し訳なさそうに言います。

船長のこういう顔を見てしまうと、釣り人というのは今日はダメなんだなと悟ってしまうものです。
結局、海がよくなることはなく浜辺が見えているリーフの内側の水深5~6メートルのあたりで2時間も闇雲にルアーを投げて、諦めることになりました。
外海が荒れているせいかリーフの中には小さな魚が集まるようで、船長の餌釣りにはアジのような魚が入れ食い状態です。
わたしが1万円近い船代を払っているのに、船長は釣った魚をレストランに売るようで、こういうのも漁夫の利というのかと腹立ちまぎれに考えました。

アジを狙って回遊魚が入って来ているかもとジグを落とし込んでいると、グッとアタリが来ました。
来たと叫んで、リールを巻きますがほとんど魚の引きが感じられません。
上がってきたのはイカで、これはアオリイカではありませんでしたが、やはりアジを追いかけて群れが時々来るそうで、漁師は日本製の餌木で狙うそうです。
ジグで釣れてしまうのですからイカは数が多いようで、もう2~3杯追加しましたが、釣果はそれだけでした。

翌朝がラストチャンスだったので予約しましたが、天気予報が悪く船は出せないとなって、わたしの初めての海外での釣りはイカと戯れただけで終了です。
海がさらに悪くなって心配しなくてはいけないのはプーケットに戻る船の方でした。
時間遅れでどうにか出港してくれて日本に戻る航空機には間に合いましたが、船が揺れに揺れて乗客のほとんどが船酔いでオエーっとやって修羅場のようになっていたのが、ピーピー島の美しい景色以上に記憶に残ってしまいました。

その後、スマトラ沖大地震の津波でタイのビーチの多くは破壊されました。
とくにピーピー島では、津波が押し寄せてビーチ周りを破壊する様を写した映像が日本でも繰り返し報道され、島国日本も他人事ではないと津波の恐怖が認識されたはずでした。
しかし、そのおよそ6年後の東日本大震災の津波では残念ながらピーピー島の映像は教訓とはならず、残念なことに多くの犠牲を払うことになります。
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF3.8 F3.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander 20.5cmF3.8 | trackback(0) | comment(0) | 2014/05/28 Wed

泰国美女

Voigtlander 20.5cmF3.8
わたしはタイには5回旅したことがあります。
うち4回は数日間の短期滞在でしたが、1度だけ北部を1週間さまよったこともあります。
もう以前のことなので、状況は今とはまったく違うかも知れませんが、懐かしさもあるのでエピソード的に記していこうと考えています。

初めてタイを訪れたのは10数年前のことでした。
タイはもともと観光立国のようなところがありましたから、政府観光局の宣伝も力が入っていて、タイは若いうちに行けという観光キャッチフレーズは旅好きの間では当時の流行語のようになっていました。
いまこんな言葉を聞いたら、おじさんおばさんは行っちゃいけないのかと怒るかも知れませんが。

とくに若者の間にアジアを旅することが流行し出したころで、アジア方面の航空券がずいぶん安かった記憶があります。
まだ9.11はずっと先のことで、燃油サーチャージという言葉はありません。
アメリカの航空会社の成田-バンコクは25000円程度だったように記憶しています。
おかげで週末の予約は入りにくかったですし、いつも満席で狭い座席で長時間小さくなっていなくてはいけませんが、若さゆえにみんなそんなことはお構いなしの雰囲気がありました。

まずは安さに惹かれて、タイは行けば嵌まるという噂に釣られて、わたしも格安航空券を握りしめて当時それが当たり前だったジャンボジェットに乗り込みます。
格安なだけにスケジュールが悪くて、往路は、夜の7時くらい成田発、深夜11過ぎにバンコク着、帰路は、朝の8時くらいにバンコク発、昼の3時くらいに成田に帰着する感じでした。
例えば木金と有休を取って4連休にしても、初日はホテルに直行して寝るだけ、最終日は5時前にホテルをチェックアウトするという、実質、中2日間だけ行動できるだけです。

安いのは航空券だけではなく、現地のホテルや食事も日本の物価と比較すると、現地の人に申し訳ないと詫びたくなるほど安く感じられます。
当時で1泊1000円から1500円くらい出せば、日本でいうビジネスホテルくらいのしっかりしたホテルに泊まれて、食事はシーフードレストランにでも行かない限り500円も出せばビール付きでそこそこ豪勢に食べられます。
長期滞在の旅行社はドミトリーという大部屋に1泊200円程度で泊っていると聞きましたが、そこまでする必要もなく1日の総費用が2500円程度で済んでしまい、お土産すらけちったわたしは空港の銀行で10000円両替したタイバーツを使いきれなかった記憶があります。

滞在中に何していたのかと言えば、今では考えられないですが、ガイドブックに従って忠実に観光していました。
学生時代に読んだ三島由紀夫の中に出てきたエメラルド寺院とか、チャオプラヤー川とか、謎のタイ美人(そんな表現はなかったと思いますが)といった言葉のエキゾチックな響きに魅了されていて、日本とは違う世界を求めて次々と観光名所を渡り歩いていました。
すでにヨーロッパには数回、あと韓国と香港や中国には行ったことがありましたが、東南アジアは初めてで、見るものすべてが新鮮ですので、観光名所など行かずとも町歩きしているだけで興奮していることには途中から気付くことになるのですが。

首都バンコクでは町中でほとんど英語が通じずしばしば往生したこともあって、言葉が通じた宿の従業員と親しくなりました。
彼らがわたしのタイに対する質問に答えてくれる先生でした。
わたしの最大の疑問は、ガイドブックに載っているようなタイの美人や可愛らしい女の子をまったく見かけなかったことです。
彼らの答えはやや意表をついていてわたしの記憶に残り、それがタイフェスティバルに行ったときも思い出されたのですが、その答えとはこういうことでした。
タイで美しい女性の定義とは、色白であることとされています、だから女性は日中日焼けしないように建物の中でおとなしくしているのです。
夜になったらここへ行けば、美人を見ることができるでしょう、そう教えてくれたのはバンコクで有名な夜の繁華街でした。
なるほど、そこには美女がたくさんいました。
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF3.8 F3.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander 20.5cmF3.8 | trackback(0) | comment(0) | 2014/05/27 Tue

這次泰国

Voigtlander 20.5cmF3.8
ベトナムに続いて今週はタイの作例を掲載することにします。
といってもタイを訪問したわけではなく、写真はすべて先週に東京で行われたタイフェスティバルにて、今回もksmtさんとともに撮影してきたものです。
しかし、このタイフェスティバルに来日したタイ人は美女ばかりで、わたしがタイに行ったとしてもほとんど美人ポートレイトは撮れなかったでしょうから、現地に行くより日本で待っている方がわたしの今のスタイルには合ってるのかも知れません。

タイフェスティバルは大人気のイベントだそうで、当日は午前中からすごい人が集まっていました。
舞踊や音楽のステージがあって、伝統工芸などを紹介するブースが開かれているからというわけでもなくて、ほとんどの来場者の目的はずらっと並んだ屋台で出されるタイ料理のようです。
というよりも、多くのグループがビニールシート持参でやって来ていて、タイ料理をつまみに昼間っからビールががぶがぶ飲みまくっているところを見れば、目的は太陽のもとで飲むことで、この日はタイフェスティバルなのでタイ料理も食べられると考えている程度ということのようです。

それに比べれば、わたしたちがしっかりタイ人を撮影したり、撮影後に「コープクンクラーップ」などとあいさつしてコミュニケーションを取っているのは、フェスティバルの趣旨から言えばずっと健全です。
ただ、わたしたちはグリーンカレーとシンハービール1本ずつしか飲食していないので、主催者の胸算用からすれば貢献度は低かったと言えるのでしょう。
また、ステージの撮影をしているとき、となりに座っていたのは、日本在住と思われるタイ人の女性のグループでした。
彼女たちにとって、タイフェスティバルは懐かしい故郷を思い出すための、大切な機会となっていることを教わりました。

ベトナムでは帰国後に中国と摩擦が起きたことを書きましたが、韓国に行った後にも、だいぶ経ってからですが、旅客船の沈没をきっかけに韓国内にいろいろな問題が起きています。
今回のタイフェスティバルの直後にもタイで軍部によるクーデターが起きました。
行く先々で国内問題が起きるようで心配になってしまいます。

ちころで、クーデターが先に起きたら、フェスティバルは中止になったでしょうか。
答えはノーのような気がします。
常識的に考えれば政変が起きているときに他国とは言えお祭りというのはあり得ないと思いますが、タイという国はゆるやかな空気が揺らぐことのない国で、中止しようかどうしようかとなったとしても、いいよ、やっちゃおうよと決めてしまうようなところがあるようです。
フェスティバルのことだけで1週間何か書き続けるのは厳しいものがありますので、明日からはタイを旅した時の話でもしようかなと考えています。

さて、今日の作例は、タイの伝統舞踊を踊るお姉さんです。
最初は男性のグループが農作業のような踊りを見せて、続いて女性のグループが華やかさを表現、ふたつのグループは最初は恥ずかしさからか距離を置きますが、ついには親しくなって愛を紡ぐ、のような単純なストーリーを表現しているように見えました。
しかし、分からないのは正装のような服装をしているのに、指に不思議な装飾をしていることです。
タイ舞踊では指先の動きが大切とよく聞きますので、遠くからでも分かるように付けでいるのでしょうか。
付けていない人の踊りも撮影しましたが、結果だけ見ると、指に何もない方が指先の微妙な動きが捉えられて繊細に見えます。
これって蛇足のようなものでしょうか?
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF3.8 F3.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander 20.5cmF3.8 | trackback(0) | comment(0) | 2014/05/26 Mon

帯妹妹撮影

Lerebours et Secretan 12.7cmF3.5
ベトナムのシリーズは今回が最終回になりますので、今回の旅で見かけたいちばんの美女だと思われる女性のポートレイトで締めくくりたいと思います。
せっかくモデルなってもらったので、ピントを完璧にしたかったのですが、どうも胸あたりが合焦していて肝心の顔の方はあまくなってしまいました。
目の悪いわたしは、慎重になってMFアシストの拡大画面を女性の目に向けて合わせてからフレーミングして撮ってしまうのですが、これがそもそも間違った手順だと分かっていながら修正できません。
目にピントを合わせてそのままシャッターを切れば問題はありませんが、そこでレンズを下に向けた瞬間にピントが狂ってしまうのは何度となく経験してきたことです。

ハイフォンのレストランで知り合ったふたりに寺院に連れて来てもらったときに、たまたまこの女性と出合ったのですが、彼女の方もポートレイトを撮るために寺院に来ていたのです。
といっても彼女を連れて来ていたのは彼女のお兄さんで、大学生だという彼は写真が趣味で、入手したばかりだというヘリオス135mmレンズを試すために妹にモデルを頼んだのだそうです。
そればかりか同級生も連れてくるよう言い、ふたりの美女と存分に撮影するというまったく羨ましい限りの大学生でした。

この大学生は写真が趣味だと言いながら、デジタルではなくモダンクラシックとも言える戦後のオールドソ連レンズを使うという不思議な青年でしたが、現行レンズの写りが好きでないという共通点からか話が合って、いつまでもしゃべっていたのですが、連れて来てくれたふたりに悪かったので、その場は早々に引きあげたのが残念でした。
彼の方でも、インターネットで古いレンズを調べているようで、日本がひとつの中心であることは承知しています。
またベトナムの大学生とあっては、なかなか欲しいレンズを入手できないという現実もあるので、この突然現れた日本人とは交流したかったでしょうし、もちろん可愛い妹がモデルになってくれるようなレンズ仲間を私だって必要としないわけがありません。

やはりふたりは、わたしが勝手に自分たちの知らない奴としゃべっているのは面白くないようでした。
わたしは今回使用しているレンズは人物撮影用で風景を撮ることはできないので、なるべくアオザイなどの美しい衣装を来た現地の人を撮影したいと考えていたのだなどとでまかせの言い訳をします。
すると、それなら次回来るときは、わたしたちの知り合いの女の子たちにアオザイを着せてモデルをやらせるからと約束してくれました。
またハイフォンまで来ることになるかは分かりませんが、その機会があればぜひ約束を果たしてもらいましょう。

ところで、急遽どこか郊外へと考えてハイフォンはどうかと教えてもらったとき、わたしは勝手にハイフォンは漢字で表記すれば海風だろうと想像して、その涼しげな感じにも惹かれてこの地を訪れる決断をしました。
ところが、帰国後中国語の地図を見ると海防となっていました。
白藤江の戦いの勝利を記念して付けられた名称なのかも知れません。
それにしても、偶然に行ったハイフォンが、帰国後のベトナムと中国の緊張関係を暗示するような意味を持っていることに因縁を感じずにはいられません。

今回はほとんど会うことができなかったフオンは、夏休みには実家の方まで遊びに来てほしいとメールをくれました。
その実家とは、ラオカイというベトナム北部の町で、彼女自身が少数民族なのですがラオカイを玄関にしたサバ地方は、昔ながらの生活を続けるベトナム少数民族の宝庫として旅行者に人気のエリアで、わたしも機会があれば訪れたいと考えているところです。

そのラオカイにはもうひとつの顔があって、中国雲南省の河口という地と接する国境の町なのです。
一部ニュースでもベトナムとの緊張が続く中国では、雲南省に軍隊を集中配備したと報道されていますので、もし、本当に戦争にでもなれば、たちまちそのラオカイあたりから中国軍が雪崩れ込んでくるのでしょう。
そうでなくても外国人の出入国が禁止されているかも知れず、各種問題が解決するまではラオカイに行くのは控えるべきかも知れません。
いや、先日のデモから暴動に発展した映像を見る限りでは、中国人と区別がつかない日本人は、ベトナムへの渡航そのものを自粛すべきと言った方がよいとも言えます。
今回の滞在で身近に感じられたベトナムですが、その後の1ヶ月でとても遠くになってしまったと言った方が正しいようです。
【Alpha7/Lereboures et Secretan 12.7cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/05/25 Sun

白藤江之戦

Lerebours et Secretan 12.7cmF3.5
思いのほか寺で写真を撮っていたからでしょう、彼らはわたしをあちこち案内してくれました。
古い寺院3か所をはじめ、伝統工芸品を作る家、ハノイでも見た鳥屋さん街、友だちが働いているリカー工場、買いたいと行ったら連れてってくれたCD屋などなど。
つねにバイク2台で向かうのですが、ベトナムのバイク事情を考えると後部座席に座っているだけで怖いのに、彼ら2台のバイクはしゃべりながら走るのは当たり前で、ときどき超接近したりで、どこかで転倒するのではと体を踏ん張っていなければなりません。

もちろん事故は起こらなかったのですが、彼らに救われたことがあったのは書いておこうと思います。
後部座席で撮影しようとしたとき、うっかりカメラのレンズ脱着ボタンを押してしまったらしく、大切なルルブールがぽろっとなり掛けました。
あわてて手で掴もうとしましたが間に合わず、運転しているベトナム人の腰に当たって前に転がりました。
やばいと地面を見ましたが落ちてきません。
奇跡としか思えないのですが、直前に彼が買っていたお菓子の包みの上にレンズはしっかり乗っかっていたのです。
のちほど、その話をしながら、レンズを救ったお菓子をありがたくみんなで頬張りました。

夕方になってわたしはハノイへ戻ろうとしましたが、彼らはいちようにウチに泊って行けと帰してくれません。
夕方にはビアホイという酒場に繰り出してビールを飲み始めていたので、ハノイへ戻るのはあきらめましたが、さすがに泊めてもらうのははばかられて安い宿を取ってもらいました。
心置きなくビールを飲むことにします。
そこで飲まれているのはハイフォンビールというご当地ものでしたが、だいぶ薄味に感じられますし、アルコール度数も低そうでした。
だからといって油断したという訳ではないのですが、ジョッキで20杯近くも飲んだのはわたしの人生における記録と言って間違いありません。

中国でもそうなのですが、ベトナムにもアジア式とも呼べる飲み方の流儀があるので、もし同じような機会があったときは次のことを覚えておいてください。
お酒の席では、お酒を飲むときは自分だけで飲んではいけないというのが、その流儀です。
自分が飲むときは同席の人全員と必ず乾杯してから飲むのですが、逆に誰かが飲むときも乾杯を求めてくるので自分も合わせて飲まなくてはいけません。

乾杯といっても全部飲み干す必要はありません。
しかし、ときどき男意気を見せるためか、一気飲みするヤツがいてお前も付き合え的に何か言われることしばしばです。
今回、わたしをビールに誘ったふたりはふたりとも酒豪で一気の連続でした。
さらにトイレに行ったときに、となりのテーブルの3人組に腕を掴まれて、日本人かいっしょに飲もうとジョッキを渡されてしまいました。
ふたりにヘルプを求めましたが、知らん顔されて、言葉の通じない連中と延々飲み続けます。
みんなベトナム人らしくひょろっと痩せ細った男ばかりですが、なぜあれほどの量のビールがすべて胃の中に納まるのか人体の不思議を感じないではいられませんでした。
帰りの酔っ払い運転のバイクはベトナムでも違法のようですが、みんながやるので見逃されているようです。
しかし、そんなに遠くでもないにも関わらず、2か所に停止して3人並んで飲んでいたものを放出しなくてはなりませんでした。

彼らのうちレンズを救ってくれた彼がホテルまで送り届けてくれました。
しかし、部屋で何やらしゃべっているうちに気付いたら眠っている状態で、朝起きると、もうひとつのベッドで彼がぐっすり寝ているのが何とも間抜けでした。
これなら彼の家に泊めてもらえばよかったですね。

作例は、最後に連れて行ってもらったベトナム古刹での1枚です。
ベトナム独立の英雄であるゴ・クエンを祀った寺でもあるのですが、西暦938年の白藤江の戦いで、当時南漢だった中国軍が海側から船で攻め入った際、戦力的に劣勢だったベトナム軍は河口域に大量の鋭く尖った杭を打ち、船が集まるように誘って、干潮時に転覆させるという作戦でベトナムを守ったという記録があるそうです。
寺にはその時の杭とされるものが祀られていました。

なんだか帰国後に起きたベトナムと中国との緊張を予言するような、この寺への訪問でした。
この杭がベトナムを守ってくれたのだとみんなで手を合わせましたが、それを解説してくれたのが寺院を管理するこの老人です。
威厳たっぷりの老人は、ゴ・クエンの末裔のように見えました。
白藤江の故事のように、ベトナム人は中国との海の戦いを征することができると信じているようにわたしは感じています。
【Alpha7/Lereboures et Secretan 12.7cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(1) | 2014/05/24 Sat

聖書或者経典

Lerebours et Secretan 12.7cmF3.5
ハイフォンを歩き回るまで、ベトナムと中国の違いで不覚にも気付かなかったことがありました。
それは、中国にはどこに入ればいいか困るくらいに存在するレストランというものが、ベトナムにはほとんど見当たらないのではということです。
バスターミナルに到着したのが昼少し前くらいだったので、途中、レストランを見かけたら昼食にしようか考えながら歩いたのですが、少なくとも1時間はレストランのレの字すら見つけられませんでした。

飲食店が無かったという訳ではありません。
よく知られるベトナムそばのフォーの店はいくつかありましたし、それ以外にもお客さんが6~7人で満席になってしまうような軽食堂的な店は散見されました。
わたしが言うレストランというのは、店に手書きでもなんでもメニューがあっていろいろな選択肢からオーダーして2~3品注文できる、できればビールも飲める程度の規模の店のことです。

ハイフォンでもきっと飲食店街のような通りがどこかにあって、不運にもそれを見つけられなかっただけなのかも知れませんが、それにしても都合5キロ以上歩いたはずですが、それだけ歩いてレストランの1軒も無いとはどうしたことでしょう。
よく言われることですが、ベトナムは先ほど言ったフォーや春巻きなど日本でも馴染みのあるものをはじめ、フランス植民地時代に当地の食文化も吸収した、食を求めて旅する人もいるくらいの国なのです。
サイゴンやハノイの中心は旅行者が多いからか、レストランは普通にあって気付きませんでしたが、一歩郊外に出てしまうと意外な現実を見たように思いました。

ようやくオープンしたばかりのきれいなレストランが見つかったときは、だいぶ空腹に耐えかね欠けているときでした。
そこは木のテーブルが並んだ内装が凝った、ベトナムのビストロともいうべき雰囲気の良いお店でしたが、メニューは無く出された食材を指さしオーダーするしかない、残念ながら内容的には屋台とそう変わらない店に思われました。
揚げ春巻きに腸詰、豆腐(ベトナムでは豆腐はポピュラーで名前もトーフと言う)などは前日のランチとほぼ同じになってしまいましたが、味はなかなかよくて、もしかしたらもともと評判の屋台が儲かったので店を出してしまいましたという出世パターンだったのかも知れません。

小さい店ですが店員が7~8人もいて、言葉の分からないわたしを心配しているようでしたが、テレビのチャンネルを変えてNHK-BS放送にして、見ろ見ろという仕草をしてわたしがうなづいたので、やはりこいつは日本人だと全員が納得したようでした。
食事を終えて会計すると、中でいちばん若い青年がこっちへ来いこっちへ来いとわたしをどこかへ連れ出そうとします。
訳も分からず3分ほど歩いて付いて行くと、そこには3階建ての立派な彼の自宅があり、ここでしばらく休んでとヨーグルトを出して誰かと連絡を取っています。
しばらくして現れたのが英語のできるともだちだという青年で、彼を介して質問攻めにあうことになりました。

あまり観光するところのないハイフォンになぜ来たのか? 何もないから来たのだが、古い町並みがあると聞いたのでこれから行きたいと思っている。
なぜわたしのレストランにいきなり来たのか? バスターミナルから歩いて最初に見つかったレストランだったので。
今日はこれからどうするつもりだ? いま言ったように古い町並みを歩いて写真を撮ったりしたい。

このようなやり取りがあって、ふたりはすっかり考え込んでしまいました。
どうやらハイフォンに古い町並みなんてないということのようです。
家の屋上に案内してくれ360度のパノラマを楽しませてもらいましたが、確かに古い町並みというのはありそうにありません。
しかし、すぐ近くに塔が見えたので、あれは何かと尋ねると古い寺院だとの回答で、行きたいなら連れてってやると、歩いてもすぐのところを彼らのバイクで乗り付けます。

30メートルはありそうな高い塔の他にも、木造の美しい建物や、一本柱で建っているハノイのそれとよく似た祠があって有鬚ある寺だと感じさせます。
建物の横に分厚い鉄の扉があって納骨堂が何かかと思えば、彼らの案内で中に入って行けて、階段で地下に降りて行くような構造だと分かりました。
やはり死者のための施設かと思ったのですが、反対側の出口に説明文があって、そこは米軍の北爆がひどかったころ作られた防空壕と書かれていて、お寺の中にそんなものがと驚いてしまいました。

寺では法事が行われていて、お坊さんに合わせてみんなが一心にお経を読んでいました。
文字がアルファベットですし、リズムが日本でなじみのお経とは違うので、聖書を読んでいるのではと錯覚しそうになりましたが、やはりお経のようです。
不思議なのは、参列者はみな作例のように床に跪いて、経本を椅子に載せてお経を唱えていたことです。

お経がまったく違って聞こえたので、東南アジアは上座部仏教だからだろうとそのときは思いましたが、現在のベトナム仏教は中国経由でもたらされた大乗仏教がほとんどとのことでした。
阿弥陀経の南無阿弥陀仏だと言いますから、最初から聞いていれば、ところどころそう聞こえたのかも知れません。
横書きの経典というのも珍しいのではないかと思うのですが、いかがなものでしょう。
【Alpha7/Lereboures et Secretan 12.7cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/05/23 Fri

没有列車

Lerebours et Secretan 12.7cmF3.5
翌日はフオンと郊外を散策する予定だったのですが、またしても不測の事態というか、中止になってしまいました。
彼女は8月に卒業する大学4年生なのですが、未だ就職が決まっていません。
専攻が英語ということもあり、中学校で教育実習をすることになったのですが、その日程がわたしの滞在した週にあたってしまったということでした。
中学校の実習見学に誘われれば間違いなく行ったと思いますが、さすがに彼女のこれからの人生が決まるかも知れない場面に外国人を呼ぶということはありませんでした。

それがベトナム式に突然のことだったのか、わたしへの報告が遅れたのかはよく分かりませんが、前日にそう告げられてどうすればいいのかよく分かりません。
ホテルのレセプションでハノイ近郊で面白いところはないだろうかと相談してみましたが、彼らはツアーの斡旋もしているので観光地を紹介するばかりです。
そうではなくて、あまり観光客は来ないけれど、古い町並みとかあって散策して何となく面白いところに行きたいという頼りない説明をしたのですが、彼らはわたしの言いたいことの意味を捉えかねているようです。

そこで出たのがハイフォンという町でした。
先日の古い橋に列車が向かってくる作例のその列車は、ハノイとハイフォンという町を結んでいるということです。
ひとりがそのハイフォンに近いところの出身で、それほど感光するところはないが古い町並みがあるからわたしのリクエストしたところに近いかも知れないと太鼓判というよりは三文判くらいのをポンと押してくれたので、それではと行ってみることにしました。

すると勤務時間が終わり家に帰るという青年が、それなら通り道みたいなものだからバイクで駅まで送ってくれると言います。
アジアでこのパターンは幾ら出せと言われるパターンですが、ここでは善意で言ってくれているようです。
ところが駅まで着くと電車の時間が合わなかったので、あきらかに通り道ではない、バスターミナルまで送るからと申し出てくれます。
10分近くも走って着いたので、さすがにこれでは申し訳なくチップだと言って200円ほどわたしたところ、最初は断りながらも無理やり手渡すとかなり嬉しそうな顔をしていました。
これに味をしめてということになっては困りますが、親切にすれば相手も応えてくれるんだということで、ゲストへのサービスがより向上してくれればと思う次第です。

ハイフォン行きのバスは15分とか30分くらいの間隔で走っているようで、チケット売り場に行くと、バスの中で金を払ってくれと言われました。
と言っても、英語はすでに通じない世界で、ただバスへ直接行けと言われただけなのですが。
バスには乗客が4分の1くらい乗っていて、近づくと案内のおじさんがハイフォンかと聞いて、すぐに乗るようにうながします。
もしかしたら複数のバス会社が運行していて、客の争奪をしているのかも知れません。

2時間半ほどでハイフォンのバスターミナルに着きましたが、発車後、中国のバスでもしばしばあるように客をひとりでも多く乗せようとしばらく超スローで動き出します。
わたしはこれを運転手の牛歩戦術と呼んでいて、実際それで座席は半分近くまで埋まるのですが、そんなことをせずにすぐにスピードを出せば2時間以内で着いてしまうでしょうからその方が乗客サービスというものだと思います。
もっとも、中国でもそうですが、バスの乗客に急いでいる者なんて皆無という事実もあって、これが改善することは今しばらくはなさそうです。

さて、今日の作例は、ハイフォンのバスターミナルからのんびり歩くこと20分、仏具屋や家具屋が並ぶ通りに出たときのものです。
平日の昼間ということで人影はまばらでしたが、この店では尼さんが仏具を嬉しそうに品定めしている姿を見ることができました。
台湾や中国の僧は黄色か茶色の服を着ているのをよく見ますが、ここではグレー系に変わるようです。
ニットの帽子をかぶっていますが、これは大仏さんの頭のようにも見えますね。
【Alpha7/Lereboures et Secretan 12.7cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2014/05/22 Thu

越南的瑞士人

Lerebours et Secretan 12.7cmF3.5
昨日くらいまでは、ベトナムと中国の間の西沙諸島を巡る緊張、そしてベトナムでの反中デモから、南沙諸島での緊張を抱えるフィリピンとの連携などが日本のニュースでも多く取り上げられていました。
並行して日本では集団的自衛権の解釈を巡って大きな動きがあり、アメリカが解釈変更を歓迎するとしつつASEAN諸国との結びつきを強めようとし、一方で中国軍のハッカーを訴追するというニュースもありました。
時を合わせて、上海ではアジア信頼醸成措置会議という会議が開かれて習近平とプーチンが仲睦まじき姿を誇示しつつ中国主導でアジアの平和を維持するというような演説をしたと報道されています。

今日の大きなニュースは3つありましたが、いずれも国外のもので、ひとつはタイで陸軍が戒厳令を敷いたとニュースになった矢先、反政府勢力に肩入れする形でクーデターを宣言してしまったというものでした。
クーデターというものは、政治不安定な中米やアフリカで起こるものだと思っていましたが、まさか身近なタイで、しかも何年か前にあったばかりなのに立て続けというのが、この国はどうなってしまうのかという不安を感じさせずにいられません。

次のニュースは北朝鮮が韓国軍の艦艇に付近に向けて砲撃し、韓国側でも応戦したというニュースです。
北朝鮮の挑発はこれまでもたびたびニュースになっていましたが、今回は旅客船の沈没事故で韓国政府が動揺して閣僚更迭などをおこなっているさなかのこととて、示唆的な行為なのだと言えるでしょう。
極度の緊張関係ではないかも知れませんが、日本国内で対岸の火事のように報道するのもまた違うように思えてなりません。

最後は、中国の新疆ウイグル自治区ウルムチ市で起きたテロです。
中国の歴史教科書では、日本と違い中国は他国を侵略したことが無いと教えているらしいのですが、もちろん新疆ウイグル自治区は独立していた時間の方が長く、何度も侵略を受けてきたわけです。
チベットも同様ですが、新疆が違うのは同民族のトルコの支援があるし、一部過激なイスラム勢力が支援していると目されていることです。
今後、宗教弾圧が強まれば、イスラム世界対中国という構図に変わって来る可能性があります。

たまたま大きなできごとが3つだけアジアの東側で同じ日に起こったということであれば、それほど心配するほどのことではないと言えるのかも知れませんし、ましてやわたしが注意喚起するまでのこともないと思います。
ただ、わたしが心配するのは、ことが起こったときに犠牲になるのはほとんどの場合、無関係なものだということです。
日本も有事に巻き込まれれば、それを阻止できなかった為政者は何ら被害を受けず、彼らの身代わりがでることは避けられません。
対話でしか解決しないということも、その扉はいつでも開かれているというばかりで、対話そのものが存在していないのですから。

さて、今日の作例も、ホアンキエム湖の散策の場面からで、なおも歩いていると大きな人だかりがあり、何だろうと覗いてみると、眼鏡のおじさんが剣道を教えています。
おじさんは、どうみても日本人ではなく、しかし、英語を使いつつも「面! 籠手!」などの言葉を交えながら、ベトナム人に剣道をレクチャーしていました。
合間にあいさつすると、この方はストッキ・アルベルトさんだと名乗り、スイス出身で九州に住んでいるのだと教えてくれました。
日本の文化をスイス人に広めていただき恐縮です、きっと有名な方なのですねと聞くと、そうですよ、わたしはとても有名人ですと、ウィンクしてくれました。

どういうことかは、帰国して検索してみて分かりました。
ストッキさんは、10年前、仮釈放中だった放火魔に自宅を放火され、妻と娘を失うという悲劇を経験していました。
犯人はすぐに捕まり無期懲役判決を受けますが、ストッキさんは無期ではやがてまた仮釈放されて同じような悲劇を繰り返すと、終身刑制度の創設を訴えて活動していると書かれていました。
終身刑創設は死刑制度廃止とともにむかしから議論されている問題ですが、いまだ具体的な話にまで進展していません。
ふたつが組み合わされて議論されれば進展しないのも避けられないでしょうが、終身刑だけならどうにかなるのではないかと思うのですが、どこかで利権が絡むのでしょうか、まったく話題にもなっていないのが悲しい現実だと言わざるを得ません。
【Alpha7/Lereboures et Secretan 12.7cmF3.5 F3.5】
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/05/21 Wed

越南襖𨱽

Lerebours et Secretan 12.7cmF3.5
日本の着物、韓国のチマチョゴリ、中国の旗袍(チャイナドレス)、、ベトナムのアオザイといえば、国民服というか、正装というか、その国の女性をもっとも美しく見せる服などと呼べるようなものです。
ペッツバールての撮影をするようになってからは、とくにこれらの衣装を着けた女性を撮影することは、その国を訪れる愉しみになっています。

旗袍はもともと漢族の服ではなかったからでしょう、市民が普通に来ているという姿はまず見かけませんでした。
見かけたのは高級なレストランなどで、案内係の若い女性が赤いチャイナドレスに店名の入ったタスキで接客するシーンでしたが、それも今やほとんど見なくなってしまいました。
チマチョゴリは県内に朝鮮学校があったので国内では見る機会が多かったですが、韓国を訪れて見かけた記憶はありません。

ベトナムに初めて滞在したのは10年くらい前だったと思いますが、サイゴンの町ではアオザイを見たことを覚えていますが、今回の滞在ではお店で働いている女性の制服以外ではほとんど見ることはありませんでした。
地方に行けばまた状況が違うのかも知れませんが、日常のアオザイももはや絶滅危惧服のひとつとなってしまったようです。
こうなると少し意外ですが、着物こそ一般にもっとも広く着られている服で、浴衣も入れれば場所を選ぶことでほとんど日常的に目撃可能です。
これを凌ぐとすれば、アジア各地の山岳少数民族が民俗衣装を着ていることということになりますが、こちらの方も地域が豊かになるにつれて緩やかに減少しているのが現状でしょうか。

アオザイに関しては、ベトナム女性は捨て去ってしまったということではないようです。
フオンやホテルのレセプションのアンは持っていて入学式とか特別の機会に着たということでしたので、やはり日本の振袖のような用いられ方をしているようです。
今回は見つかりませんでしたが、基本的にアオザイはテイラーメイドするもののようなので、仕立て屋さん街のようなところがハノイにもあって、若い女性が真剣に生地を選んでいたり仮縫いで来ている姿などがきっと見られるでしょう。

そういえば、ベトナムで反中国デモが発生した時、多くの台湾の工場が破壊されていましたが、ベトナム人にとって台湾と中国の区別がないからだという報道がされていました。
台湾はベトナムに対してかなり友好的なことは知られているので、そんなことがあるのかなと思っていましたが、ある報道でもこのように書かれていました。
台湾の一部工場ではベトナム人労働者を時給わずか40円で働かせていて、地域住民の一部には台湾人経営者や台湾そのものへの不信感が強くあってそれが爆発したのではないかと。
わたしに経営を任せてもらえるなら時給を少しは上げて我々は中国とは違うと主張したでしょうし、ついでに労働者の制服をアオザイにして、自ら毎日男性用アオザイ姿で仕事するなど現地との摩擦が極力無いよう努めていたはずです。
反中のはずが、台湾や日本の企業にまで影響があったことはとても残念でした。

作例は、昨日の写真家に続いてホアンキエム湖の畔を散歩していていた時に見かけた女性です。
彼女もそうですが、みな穏やかな明るい顔を見せていて、1週間後にあのような事態が起こるとは想像もできませんでした。
ただし、暴動まで発展したのは南部や中部が多かったようで、ハノイで暴力があったというようなことは報道の中では見ていません。
ハノイには中国大使館もあるのですから、暴力ではなく民族の誇りを示す意味でみんなでアオザイを着て整然と反中デモを行えば、世界的な注目と支持を得られるのではないかと思います。
【Alpha7/Lereboures et Secretan 12.7cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/05/20 Tue

黄公崴的照片

Lerebours et Secretan 12.7cmF3.5
ハノイの中心、ホアンキエム湖のほとりを散策していると、向かいからライカを提げたおじさんが歩いてやって来ます。
ブラックボディですが、赤丸ライカロゴはM6のようですし、クロームの広角レンズが付いているのは、ズミクロン35mmF2かズマロン35mmF2.8のようです。
観光客かとも思いましたが、雰囲気は完全に地元の人ですし、となりを歩く男性もニコンのデジタルですが、ふたりで独特な鋭い雰囲気を醸していました。
声を掛けてみることにしました。

こんにちは、ライカですね、地元の方ですかと聞くと、突然のことにも、そうですよと丁寧に返事してくれました。
レンズは古いものをお使いのようですがズミクロンですか、例の8枚玉ではないですかと続けると、そうです、よく写りますよと相好を崩しています。
しかし、そんな談笑の中でもふたりから溢れる独特の空気は消えることはありません。
彼らがカメラを持っていなければ、ベトナムの秘密警察か何かではと誤解していたかも知れません。
ただ、わたしは、もしかしたらと思うところもあって、お願いしてふたりの写真を撮らせてもらいました。
立ち話から撮影まで2~3分で散歩のちょっとした邪魔をしたかも知れませんが、互いに手を振って別れます。

わたしはこの時ある写真を思い出していました。
ベトナム戦争時に撮影されたとても有名な写真です。
ベトナム戦争の写真と言うと、沢田教一の安全への逃避が真っ先に思い浮かぶかも知れませんが、もう一枚よく知られているのがフィン・コン・ウトの「戦争の恐怖」という写真で、名前ではピンと来ないという人がほとんどだろうと思いますが、数人の子どもが鳴きながらこちらに向かって歩いてくるのですが、そのうちの女の子は服を着ていない状態と言えば、あれかと思い出される方もいるかも知れません。

わたしが覚えていたのは、この写真を撮ったのがベトナム人の従軍カメラマンだということだけでしたが、いまちょっと会話しただけのライカのおじさんこそ、そのカメラマンなのではと根拠もなく思ったのです。
この写真も沢田と同様にビューリッツァー賞を受賞したのですが、さすがにカメラマンの名前までは覚えておらず、あなたがそうですかなどと面と向かって聞くような愚行はせずにすみました。

帰国後に:検索するとカメラマンの名前はすぐ分かりました。
先述のフィン・コン・ウトがそれですが、ニックという文字通りのニックネームもあるように、アメリカ国籍を取られているようで、ベトナムには暮らしていないかも知れません。
しかし、沢田教一や一ノ瀬泰造が戦地に倒れたのに対して、ウトは存命のようです。
比較的最近の写真を見ましたが、ちょっと作例の男性と似ているところもありますが、やはり別人のようでした。

それにしても、おふたりとも実に好い顔をして写ってくれています。
ライカのレンズは良いという話をしたのが効いたのか、あるいはわたしのペッツバールレンズに感心しているのか、恐らくその両方が作用したのだと思います。
それと、彼らも新聞社勤めなどでベトナム戦争では報道カメラマンをやって来た人なのではないかという想像は、今になって確信に変わりました。
カメラをずっと使い続けてきたからこそ、レンズを向けられてもこんな表情ができるはずだからです。
【Alpha7/Lereboures et Secretan 12.7cmF3.5 F3.5】
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/05/19 Mon

可愛鏡頭

Lerebours et Secretan 12.7cmF3.5
今日はレンズのことを少しだけ触れておきたいと思います。
なぜ少しだけなのかは、少ししか分かっていることが無いからで、探せど探せど19世紀半ば頃のレンズの資料は見つかりません。
あるいはフランス語に絞って調べていけば、いろいろと発見があるかも知れないのですが、残念ながら言語知識の壁は高くてまだそこまで足を踏み出せていません。
辞書を引き引き訳していくよりも早く、優れた自動翻訳ソフトが現れてより完璧な日本語訳を勝手にしてくれる世の中になるのではと期待するばかりです。

レンズはいつも通りksmtさんにマウント部分の改造をしてもらってるので、外観等はwww.ksmt.comにて確認可能です。
鏡胴には手彫りで"No 9692 LEREBOURS et SECRETAN a Paris"と刻印されています。
わたしのもう1本のルルブールレンズには製造番号は記されていませんが、こちらにはあるのでわずかながらに素性の確認の可能性を高めています。

しかし、製造番号表はもちろん存在しないので、いつものようにダゴスティーニ氏の本を参照しますと、№8519のペッツバールが出ていて1855-58年の製造であろうと推定しています。
他に№11569と№11773があって、こちらは1858年以降と記載されています。
前者と後者の1858年以前以降の違いは、1858年にウォーターハウス絞りが登場したことによります。
ウォーターハウス絞りのスリットが無い前者の製造番号が8519でわたしのものが9692と1173差がありますが、当時のルルブールの年産本数が1200本以上であれば1858年製造と断定してよいでしょう。

しかし、この時代はフォクトレンダーですら年産600本程度ですので、レンズの出現程度で比較するとルルブールは少なくとも半分以下になりそうです。
ところが、ルルブールは1839年頃から写真用レンズを製造し始めているので、1858年に9692番が製造されていたとすると、19年間で割って1年あたり500本程度と推定することが可能です。
そのあたりを根拠に製造年を特定すると1858年から1860年という数字になります。
ksmtさんの推理では1856年製造だとのことですが、その根拠については確認してみたいと思います。
もちろんウォーターハウス絞りは後からでも開けることは可能なので、そうであれば1855~1858年である可能性も当然あるわけです。

焦点距離は、当時のレンズの常として記載がありませんので自分で確認するしかありません。
ズームレンズがあれば、それとの比較である程度まで正確な焦点距離が導き出せるのですが、わたしはズームレンズというものを持っていないため測定できません。
およそ135mmくらいとのことでしたので、ライカ用135mmレンズと比較したのですが、わずかに画角が広いことが確認できました。
当時はミリではなくインチを単位としていたことを考えると、5インチというキリのいい数字が焦点距離なのではと考え、センチに換算した12.7cmを焦点距離と記載させていただくことにしました。
ksmtさんもおよそ130mmと書かれているので、まあ、よしといたしましょう。

F値も比較によっておおよそのところを出すしかありません。
これも135mmF4レンズとの比較でややシャッタースピードが速かったことを根拠にF3.5としました。
ペッツバールタイプのレンズではF3.5とかF3.6などと正確に計測して記されている方もいますが、わたしにはどちらでも大差ないことなのでF3.5としておくことにします。

スペックの比較では、焦点距離11cmほどのレンズとしてロス、ダルマイヤー、アンソニーを所有していますが、その3本はほとんどレンズと鏡胴の大きさが変らないのに、なぜかこのルルブールは焦点距離が長いのにふたまわりくらい小さいのです。
どういう設計変更があるのか、あるいはないのかとても気になりますが、やはり描写に関しては、ロス、ダルマイヤーの両者の類似性に対してかなり違った性格を持っているように思われます。
小柄な美人は性格もとてもよく、わたしのお気に入りとなっています。
【Alpha7/Lereboures et Secretan 12.7cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/05/18 Sun

安小姐的照片

Lerebours et Secretan 12.7cmF3.5
ベトナムには大型資本のホテルは進出していて、検索するとインターコンティネンタル、ソフィテル、マリオット、ヒルトン、ニッコーと大型高級ホテルはいくらでも見つけることができます。
しかし、わたしは日本の地方を旅するなら○○観光ホテルよりも小さな旅館や民宿・民泊を好みますし、ヨーロッパではデザインホテルとかブティックホテルと呼ばれる小規模なホテルに泊まりたいと思います。
その点ハノイでは、客室数20以下くらいの小規模で、旧市街の古い建物の内装をリノベーションした個性的ホテルが林立していて宿泊環境は実に充実しています。

ハノイのホテルで素晴らしいのは、客室数が供給過多のせいかかなり安く泊まれることと、スタッフがみな親切で暖かなホスピタリティを感じられることです。
1976年にはベトナム社会主義共和国が樹立していますので、30年以上情報統制された中で欧米文化に対する憧れがあってか、ヨーロッパスタイルにインテリアを飾るのは美の象徴と見なされているようです。
個性的で美しい装飾とアジア的ホスピタリティ、格安料金と、ハノイに滞在してブティックホテルに滞在しない手はありません。

わたしの宿泊したホテルは1泊2000円でしたが、シャワーのお湯はずっと出ていましたし、エアコンと扇風機が付いていて暑さを凌げるばかりか寝ている間も寒すぎることはなく、キングサイズのベッドのマットレスはしっかりと固く寝心地良好、テレビはローカル局からCNNやNHKBSまで放送しているなど何ら不満はありません。
以前にも書いたようにホテルを出ればすぐに旧市街でロケーションとしても最高ですし、わたしの部屋は細長くて奥行きのある建物の奥の方だったので、窓を閉めれば意外なほど静かでした。

作例の女性はレセプションで働いていたアンさんです。
客室が15ほどしかないホテルのレセプションにはふたりが常駐していているためかなりヒマなようで、ずっとわたしの話し相手になってくれました。
彼女は昨年夏にハノイの大学の英語学科を卒業してこのホテルに就職しましたが、当初は欧米から訪れる客の話すことがさっぱり分からず苦労したとのこと。
挫折しかけたものの、頑張って毎日会話することで半年経ったころからようやく対等にやり取りできるようになったので、島でもゲストと無駄話をするのは仕事だと思うし、楽しみでもあるということのようです。

彼女はわたしの持つルルブールに興味を示したので、ホテルのPCでwww.ksmt.comをチェックしたうえで説明しました。
ksmtさんのサイトでは多くで英文訳も併記されているのですが、このルルブールレンズにはそれがなく残念でした。
わたしが、実際どのような写りか試してみましょうと彼女を撮影しました。
さっそくPC画面で見て、すばらしいと喜んでいます。
彼女もそうですが、ベトナムの若い世代が写真を撮るというと携帯電話での撮影を意味するので、作例写真のように前後がボケて自分だけシャープに写った写真がとても良いものに見えるし、ましてや150年も前のレンズでそれができるというので驚き以外なかったということのようです。

その日の午後ホテルに戻った時に彼女にちょっとちょっとと手招きされました。
PCはフェイスブックの画面で、彼女の写真とレンズの説明に2時間ほどの間に70件あたりの「いいね!」が付いて、いろいろなコメントが寄せられたそうです。
少なくともこの日は、www.ksmt.comへのベトナムからのアクセスがそれなりにあったかも知れません。
アンさんの友だちも撮ってほしいと言っているとのことで、了承するとほどなくバイクで現れました。
友だちだと言うので女の子が来ると思っていたのですが、やって来たのはアンさんの彼氏を名乗る男でした。
【Alpha7/Lereboures et Secretan 127cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/05/17 Sat

珈琲餐是入口

Lerebours et Secretan 12.7cmF3.5
わたしはハノイの大学に通う薬学の学生、よろしければハノイを案内するけれど、どうかしら。
歩いていたわたしの前にホンダのバイクが停まって、女子大生を名乗る女性からいきなりそう話しかけられました。
もちろん好意でとかボランティアなどという話ではなさそうで、いくらですかと聞くと、あなた次第と即答してきます。
それでOkすれば、後でトラブルになるのは目に見えているので、1時間500円でどうと聞くと、それでいいと言ってわたしにヘルメットを手渡しました。

シンプルな地図を見せながらこことこことここに行くわと言いますが、ハノイ最大の湖のウェストレイクに有名な寺院があるとホテルで聞いていたので行きたい旨告げると、そこまでだと遠いので1000円欲しいと率直な要求を出してきました。
大した距離でもないので、タクシーでも500円もしないだろうと思いましたが、そうやって相手が希望を言うと値段を吊り上げるというやり取りに慣れているなという印象を感じました。
そんなに高いならやめたと言ってヘルメットを返せば、たぶん500円でいいと言いなおすとも思いましたが、ここは敵の術中にあえて嵌まってみることにしました。

わたしはバイクの二人乗りには慣れていませんが、それでも中国で何度も経験しているので一般的な日本人よりは怖さは感じないと思います。
しかし、わたしは余分に払った500円を取り返すべく、バイクの二人乗りなんて初めてだとか言いながら、彼女の腰を抱え込むようにして、抱っこちゃんのようになってしがみついていました。
振り落とされるかとも思ったのですが、意外に何も言われず、ずっとそのままの姿勢でバイクを走らせていました。

西湖の寺院や昨日の作例のハンダウ給水塔とともに連れて行ってくれたのが、今日の作例の場所なのですが、ここが何というところか特定できていません。
戦車や戦闘機、艦載機などが展示されていて、それで検索するとB52戦勝博物館というのがヒットするのですが、その説明にはB52を撃墜した機体が展示されているとあったのですが、わたしはそのようなものは見ていません。
B52を移設してしまったのか、あるいはベトナム戦争の残滓が多く残っているので、こういう展示はあちこちにあるのかも知れません。

その展示施設の前に野外カフェがあって、バイクの女子大生はそのから入るよう言うのですが、カフェに用はないので回り込もうとすると、怒ったようにカフェから入れと怒鳴られました。
帰りはカフェでなく正門のような所から出たので分かったのですが、この施設は入場料が必要ですが、カフェを突っ切るとそのまま入れてしまうということのようでした。
中学生の課外学習か何かがあったようで、少年少女が真面目に見学している中で、タダで見て廻ったわたしはバツの悪い思いでしたが、女子大生に対してはそのことには気付かなかったフリを通しました。

またバイクに跨って彼女にしがみついてホテルまで送ってもらいました。
ずっと会話している中で日本人だとバレてしまったので、記念に日本のお金が欲しいと切望されたので、1000円札を渡してこれが約束の料金とほぼ同額ですとわたしましたが、これは記念で料金はベトナムの通貨で払ってくださいとケロリと言われてしまいました。
これが不謹慎な姿勢でバイクに乗った代償でしょうか、結局トータルで2000円取られて文句も言えません。

ただ、旅先のわたしは転んでもタダでは起きないというところがあって、彼女の携帯番号を教えてもらいました。
旅の間中、彼女に対してメールしたり電話したりして、食事に誘ったり誘われたりしましたが、なぜか時間がうまく合わず再会は果たせませんでした。
日本人の友だちができたと喜んでいましたが、カモだと思っただけだったようです。
帰国後、彼女の写真を見ましたが、どうみても22歳女子大生の顔ではありません。
あきらかに一回りはサバを読んでいて、わたしはそれに気付かなかったのでした。
【Alpha7/Lereboures et Secretan 127cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2014/05/16 Fri

華春瑩

Lerebours et Secretan 12.7cmF3.5
帰国した直後くらいから、ベトナムが一躍話題に上るようになっています。
ひとつは、なでしこジャパンがアジアカップをベトナムで戦っているためで、確かにハノイはそこそこ涼しかったので、あれならサッカーの大会もできるだろうと思いましたが、大会はホーチミンで行われていると聞いて、気温35度を超えている熱帯の地で無理するなあと言わざるを得ません。
ホームアウェイでの1試合なら仕方ないですが、ホーチミンでサッカーの大会を行うとはちょっと無理し過ぎています。

もうひとつの話題は、西沙諸島の領有権を巡る問題です。
中国船との小競り合いに端を発した問題は、在ベトナムの中国人の死亡者を20名以上出すという暴動に発展したと、NHKでもトップニュース扱いです。
ベトナムと中国の間には何度も紛争が繰り返されていて、中越戦争が起こったのは1979年と比較的最近の話です。
中国が反日教育をして対日感情を醸成するような必要もなく、ベトナム人には反中感情が残っているのかも知れません。

ただ、旅で出会った若者何人かに、わたしは西沙諸島の問題をどう考えるか聞く機会がありましたが、いずれも悪い感情は持っていないとの回答でした。
そもそも中国船の体当たりや放水のあった以前のことなので、今聞けば違う答えが返って来る可能性はありますし、聞いたのはみな中越戦争以前に生まれた若い世代ばかりなので、国民全体を代表した意見ではありません。
それでも彼らの声を聞くと、経済発展した中国に憧れのような感情があるのだろうとは察せられます。

日本が尖閣諸島を国有化した時に、中国各地で反日デモや暴動が起きたことが思い出されます。
あのときは日本企業の工場やデパート、レストランなどが襲われましたが、一方で毛沢東の肖像画を掲げたデモ隊もいて、反日デモに名を借りた反政府デモだったのではないかとも言われていますし、中国政府も自分たちに向けられた不満のガス抜きに利用したのは間違いないようです。

これ以上は政治分野になるので立ち入らないことにしましょう。
ただ、中国外務省報道官が「暴動を黙認した」と言ったり、翌日には「損害を賠償するよう求める」と言うなどベトナム政府を非難しましたがが、これらコメントは尖閣の対日暴動の時に発した菅官房長官の言ったことそのままなようなので、彼らは日本から学んでいるのではと思ったことのみ記すことにしましょう。

この報道官は出てきた当初、中国の報道官らしからぬちょっと可愛い感じのやわらかなイメージだったのですが、最近は中国が周辺国に問題ばかり起こしているので、今までの報道官と同様の中華思想的発言ばかりになってしまい、顔も不細工になったように見えます。
ベトナムデモ隊に対しては、「最も声高に叫んでいる者が必ずしも正しいわけではない」との発言も出ましたが、これは何かの折に中国に対するコメントとして引用されることでしょう。
報道官のコメントなんて、国家間で使い回しているだけなのでしょうか。

技術が乏しく、人件費の安いベトナムでは中国から原料を輸入して製造後、中国に製品を輸出するという一方的に中国に依存する体質が、中国に西沙諸島の石油掘削を許す原因になっていると報じられています。
作例を見ていて思ったのですが、ベトナム政府は中国政府宛にベトナム製マスクを送ってはどうだろうと思いました。
習近平はベトナム同朋がPM2.5を危惧して我々のためにマスクをプレゼントしてくれたと喜びますが、ベトナム政府はあなた方があまりに声高に叫んでばかりいるのでマスクで口をふさいだのですとやり返してください。
【Alpha7/Lereboures et Secretin 127cmF3.5 F3.5】
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/05/15 Thu

世界第二古鏡頭

Lerebours et Secretan 12.7cmF3.5
世界最古のレンズメーカーがどこなのか気になります。
真剣に調べればどこかに記述があるかも知れませんし、もしかしたらギネスブックに出ている可能性もないではないですが、写真術が始まる以前に望遠鏡や顕微鏡が存在していることを考えると、これは畑違いということになってしまうでしょう。
では、写真用レンズを最初に作ったのはどこかなら分かるでしょうか。
写真術の発明はフランスのニエプスのヘリオグラフィーと言われていて、屋根裏の風景のような写真のコピーが現存するのですが、確かこれはニエプスのレンズが破損してしまって望遠鏡用のレンズをパリのシュヴァリエに送ってもらっているので、シュヴァリエこそ最初の写真用レンズ製造者ということになりそうです。

しかし、先日わたしが東京都写真美術館にワークショップに参加した時は、ダゲレオタイプが写真術の始まりという説明でした。
なぜニエプスではないのかを聞きもらしましたが、ニエプスの研究に賛同したダゲールが別々に共同研究するようなかたちでニエプスの死後発表したダゲレオタイプは、未だぼんやりと未完成だったヘリオグラフを写真術として完成させたからだとの考えからなのではないかと思われます。

ダゲールもシュヴァリエと親交がありましたし、ダゲレオタイプの発表後にいとこのジルーにカメラを作らせて売り出した最初のカメラのレンズはシュヴァリエでしたので、ここでもやはりシュヴァリエこそ最初の写真用レンズ製造者の称号を得ることになります。
1839年のことです。
ちなみに「世界最古のレンズメーカー」と検索してもそれはヒットしませんでしたが、「世界最古のカメラメーカーはフォクトレンダーと書いているサイトがいくつかありましたが、ペッツバールを付けた有名な金属製円錐型カメラは1840年ですので、ジルーよりも1年後のことになります。

ルルブールも同様に古いメーカーであることは知っていましたが、ダゴスティーニ氏の本に興味深いページがありました。
それによると、ジルーカメラのレンズは、シュヴァリエの後にルルブールによって供給されたと記載されているのです。
それがいつのことかは分かりません。
ただ、ルルブールの最初のレンズはウォラストンの1枚玉となっていて、1839年にはウォラストンの改良レンズである貼り合わせ色消し2枚玉が出ていることから、1839年とみなしていいのではと思われます。
少なくともフォクトレンダーよりは先で、シュヴァリエに次ぐ世界で2番目に古い写真用レンズメーカーである可能性が高いと思われます。

今回、使用したレンズはわたしの入手した2本目のルルブールです。
1本目はたいへん美しい外観のレンズですが、非常に残念なことにピント範囲がとても狭く、35mmフォーマットで使うにはかなり厳しいレンズでした。
そこで、ずっとルルブールを探していたのですが、なかなか市場に現れず、紆余曲折あってようやく手にしたわたしにとって感動をともなったレンズです。

シャープネスや解像度は、フォクトレンダーにわずかに劣るようですが、ほとんど同等レベルで不満はありません。
むしろ特徴的なのは、前後のボケが甘いことで、芯を残しつつふわっとした魅力的なボケを楽しめるレンズだと思います。
まさにポートレイト向けですし、このレンズの写りには以前に使っていた大口径レンズに見られた、特徴ある描写に通ずるところが感じられて、長く探し求めた苦労が報われた思いが沸き起こります。

さて、今日の作例は、ロンビエン橋付近で見かけた少女をとらえたものです。
ハノイで出合う女性はどちらかと言うと押し出しが強そうな気配の人が多かったのですが、これだけシャイな雰囲気に包まれた女の子は、ハノイと言わず世界的に見て希少価値のような気がします。
旅の間でいちばん最大の発見だったと言えるかも知れません。
しかし、そんな世界一のシャイ少女を望遠レンズで隠し撮りしていたわたしは、やはり世界一・二を争う小心者だったと見なせるでしょうか。
【Alpha7/Lereboures et Secretin 127cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(4) | 2014/05/14 Wed

艾菲爾鉄橋

Lerebours et Secretan 12.7cmF3.5
翌日は、フオンが朝から来て郊外にでも出かけようとなっていたのですが、ショートメッセージが来て、都合が悪くなって午後にしてほしいとなりました。
昨日の遅刻に続いてのドタキャンに言葉を失いました。
そもそも彼女が来てと熱心に誘うので、ハノイを選択したのですが…。

ところで、なぜショートメッセージがと言うと、中国で使っているIphone風スマートフォン風携帯を使えないかと思って、宿のスタッフに聞いたらSIMカードがベトナムでは安いからと教えてくれたのです。
欲しいと言ったら、ホテルの目の前でタバコを売っているおばさんのところに連れていきます。
屋台とも言えないちっぽけな露店で60歳近いおばさんにも関わらず慣れた手つきでSIMを差し込み開通させてくれました。
日本のたばこ屋のおばあちゃんが、突然持ち込まれたスマートフォンをさっと掴むや、あっという間にSIMカードを差し替えて、ほらっと客に手渡すようなことはちょっと想像できません。

SIMカードと通話料をセットで購入してわずか500円でした。
名前は忘れましたが、ベトナムの大手通信会社のもので、さすがにハノイなどでは伝播状況はすこぶる良好でした。
通話時間がどのくらいなのかはよく分かりませんでしたが、たぶん、1日数回の通話とショートメール程度の使用なら1ヶ月とかもつのではと思われます。
ということはまだほとんど使っていないも同然なので、またベトナムに行かなくてはいけないということになるでしょうか。

それはともかく、ハノイ到着の翌朝にはいきなり暇になってしまいました。
同じく暇にしているレセプションの女の子とずっと雑談していましたが、そればっかりでも侘しいので旧市街の散策を試みます。
とは言っても、ホテルがすでに旧市街の中にあるので、近くをぶらぶらしているだけでそれなりにけっこう楽しめます。
バイクが巻き上げる排気ガスのため空気が悪いのが難点ですが、その大量に走っているバイクを見ているだけでも、4人乗りあり、過剰積載あり、足のすらっと長い若い女性のふたり乗りありと、飽きることはありません。
また、すぐ近くに墓碑を石に彫る専門店街があってベトナムならではの習慣を知ることができましたし、そのときわたしの頭の中では、キング・クリムゾンのエピタフが静かに流れ出しました。

いちおうホテルでくれた地図を見ながら歩いていたので、ひとつ行ってみようかと考えたところがあります。
今日の作例のロンビエン橋です。
ハノイ旧市街のすぐ東側をホン河という大きな川が流れていて、ハノイと南部の町を鉄道でつなぐためにフランス植民地時代に建設されました。
エッフェル塔に似ていると言われ、エッフェルが設計したと書かれた本もあったようですが、そうではないようです。
確かに横から見た姿は、エッフェル塔の基部だと言われれば信じてしまう人も多いかも知れません。

大量輸送に向いている鉄道が通っているので、ベトナム戦争では格好の標的でした。
北爆で何度も狙われましたが、致命傷まで受けることはなかったようで、その都度修復して今日でも現役で使われています。
この橋が面白いのは、中央を単線の鉄道がとおっていて、その左右はバイクや歩行者が通れるようになっているものの、車は通れないほどの幅しかないことです。
遠くからだといかにも歴史ある大きな橋という風格が感じられるので、いざ橋のところまで来て車では通れないことを知ると拍子抜けしてしまいます。

単線ですが1日4往復列車の往来があると書かれていました。
幸運なことにわたしが着いて間もなくして列車がやって来ます。
しかし、橋のたもとに駅があるせいもあって、列車は恐ろしく遅いのです。
列車を取り入れて橋を撮る絶好のチャンスですがどう撮るのがいいのか、列車が近づくまでの間考えました。
脇まで降りていって斜め上に見上げるかたちが好いと咄嗟に考えましたが、いかにも平凡ですし、わたしの足では間に合わないかも知れません。

線路へは当然立ち入れないようになっていましたが、細い隙間が空いているところがあるのに先ほどから気付いていたので、これしかないと線路に侵入を試みました。
さすがに少々おっかなびっくりで撮影します。
この時には、このシチュエーションでは当たり前のスタンド・バイ・ミーが頭の中に流れていました。
ただし、わたしの場合はジョン・レノン版です。
轢かれる直前までシャッターを切り続けられればそれがよかったのですが、へっぴり腰で道路に戻りました。
いまになって考えれば、のんぴり走る鉄道よりも、舞い戻った道路のバイクの方がよほど危険だったと気付きました。
【Alpha7/Lereboures et Secretin 127cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2014/05/13 Tue

第三次河内

Lerebours et Secretan 12.7cmF3.5
ゴールデン・ウィーク後半は4連休です。
半年も前に、無料航空券で香港までを予約してありました。
いつものように中国に行ってもいいですが、香港はヨーロッパ、中東、東南アジアへのハブとして乗り継ぎが充実しているので、期間を考えるとどこか東南アジアを旅しようと考えていました。
滞在先候補23ヶ所もあって、サプライズ選出はあるのかと注目を集めましたが、結局、1月に行ったはがりのハノイにまた行くことになってしまいました。
有力候補地のブルネイ、ミャンマー、カンボジアなどのフライトがことごとく接続が悪いうえに高かったので断念せざるを得なかったからです。、

ハノイにした理由がまた軟弱で、昨年知り合った当地の女子大生とその後もずっとメールの交換をしていて、ぜひ遊びに来てくださいと誘われたからでした。
しかし、これはよくある社交辞令的なお誘いだったようで、そうと気付かなかったわたしはやや痛い目に合うことになります。
とは言え、ハノイの雑然とした熱気ある町並みは独特で、空気が悪いことを割り引いてもまた行ってみたいという気持ちでしたし、郊外にも足を向けたいと思っていたので、それはそれで楽しい滞在ではありました。

前回同様、女子大生フオンは空港まで迎えに来てくれると言います。
そして、思ったとおり前回同様30分遅刻して現れました。
期待していた想定では、空港の入国審査と税関を抜けて出口のところへ来ると、フオンが笑顔で待っていてハグしつつ、長旅疲れたでしょうとわたしの荷物を持ってくれるという流れだったのですが、思う通りにはならないものなのです。
もしかしたら違う場所で待っているのではとあちこち空港内を捜し歩きましたが見当たりません。
ハノイ空港には公衆電話が無いことは知っていましたので、前回同様売店で電話してもらって50円くらい取られるのかとお願いしに行くと、今回は優しそうな女性が対応してくれて、自分の携帯で連絡してくれてお金もいいと、フオンよりもその子とその後の行動をともにしたくなるような対応をしてもらいました。

もうすぐ空港に着くそうですよと教えてもらい10分ほどで到着しましたが、どのくらい待ったかとか、ごめんなさいとかという言葉はありません。
もっとも、これは彼女の問題ではなく、ベトナム全体が万事こんな様子のようです。
急速な経済成長を遂げつつあるこの国も、時間を守るというルールができるのは後回しということなのでしょう。

フオンはひとりではなく、同郷のともだちで大学で法律を学んでいるという女の子を連れて来ていました。
眼鏡をかけた頭の良さそうな顔立ちで、遠慮がちにしているのが、なおのこと彼女の優秀さを示しているかのような気がします。
しかし、いろいろと話しかけてみたのですが、まったく反応がありません。
フオンがすかさず言うには、彼女はまったく英語ができないとのことでした。
何しに空港まで来たのか気になりましたが、空港も外国人も初めてなので、好奇心で着いて来ちゃったというところなのでしょう。

ホテルまでタクシーで向かったのですが、道中はほとんど助手席のわたしが後部座席のフオンと英語で話し続け、それを理解しないフオンの友だちと運転手が会話し続けるという奇妙な状況でした。
これだったら彼女が助手席に行った方が、首が疲れずにありがたいと言いたいところですが、結局は1時間近くその状態のままでした。
ホテルにチェックインするときも、レセプションの女性に外国人が女子大生ふたりといっしょに泊まりに来たのかとびっくりしたと笑われる始末でした。
夕食も3人でとりましたが、ウエイトレスや西洋人の客たちからずっと奇異の目で見られているようで、どうも落ち着きませんでした。
【Alpha7/Lereboures et Secretin 127cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Lerebours et Secretan 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/05/12 Mon

夏威夷女孩子

Anthony 11cmF4
今回のシリーズ最終回で、ポートレイトもラストになるのですが、最後を飾るにはモデルになっていただいたふたりにたいへん申し訳ない結果になってしまいました。
わたし自身も、アイドルのようななかなか撮影機会が訪れないふたりをうまく撮れずに残念です。
それにしても、じっとしてくれているモデル相手にどうしてこうもちゃんと撮れないものなのか、我ながら未熟さに失望させられます。

前にも少々書いたように、祭りは2時頃にお開きになり、わたしは7時くらいの米原発の新幹線の座席を予約していたので、草津からより米原に近い近江八幡、彦根、長浜あたりに移動して散策するという計画を立てていました。
しかし、美味しいお猪口の試飲と美少女の注ぐビールでksmtさんとふたり酔っぱらってしまって、車を動かせなくなり、祭りそのものは終わったものの、本陣や交流館を見学したり、関連イベントを見たりして時間を過ごすことにしました。

最後に駅前で見たのがフラダンスでした。
出演者は多く年齢層も幅広く感じられましたが、どちらかと言えば熟女という感じの方が多めのように見えます。
そんな中で体の動きに特に精彩が見られて、ちょっとエキゾチックな雰囲気のある女性の踊りが目立っていました。
もしかしたら本国から来ているのかも知れないなどと思いながら見入っていました。
もっとも座席はすべて埋まっていて、サイドのスペースに腰掛けて見ていたので、その女性と前後の人くらいしか見ることはできなかったのですが。

そのステージも終わって、祭りの関連イベントもすべて終了となってしまいました。
ksmtさんとはどこかでお茶でもしましょうとなります。
そう思って歩き始めると、さきほどのハワイから来日したと思しき女性がにこやかに仲間と談笑しています。
普通に日本語で話しているので、ハワイから来たという訳ではなさそうでした。
レイとトロピカルな衣装が可愛らしいし、とてもきれいな顔立ちなので、最後のポートレイトを撮らせてもらおうと声をかけたのでした。

手前だったし、素敵な踊りだったので見てたのですが、ハワイから来ていたのかと思っていました、とわたし。
いえ、違います、バリバリの関西人です、と彼女。
思ったより若かったんですね、高校生くらいですか、とわたし。
いえ、違います、中学生です、中学校1年生です、と彼女。
二重に驚かされましたが、バリバリの関西人という表現は、彼女のような美少女から発せられると意外性も増して、思わず苦笑してしまいました。
(この作例では普通に日本人にしか見えないかも知れませんが、ksmtさんの撮った写真ではかなりトロピカルな雰囲気でわたしの誤解も多少は理解していただけるかと思います)

今回の小さな旅は好い出合いに恵まれてとても愉しかった反面、撮影においてはいくつもの問題を露呈させてしまいました。
まだまだ集中力が十分ではなかったこと、アンソニーのペッツバールをかなり軽く扱ったことなどが敗因だと反省しています。
11cmF4は、今では大口径とまでは言えないかも知れませんが、それに次ぐ準高速レンズであれば慎重なフォーカシングは当然のことです。
製造当時は超大口径レンズだったわけですし。
来年またリベンジに来たいと思いますが、また、彼女たちと会うことはできるでしょうか。
【Alpha7/Anthony 11cmF4 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Anthony 11cmF4 | trackback(0) | comment(2) | 2014/05/11 Sun

金時坤是鏡頭?

Anthony 11cmF4
旅のポートレイトシリーズは続きます。
2回続けて怪しい作例が続いてしまい、これではアンソニーの性能が疑われる恐れを感じたので、時間が前後してしまいますが、京都で撮った美人に登場いただくことにしました。
ただし、この写真も目の位置でファインダー拡大してピント合わせしたものの、顔の位置を上にずらしてフレーミングしたために像面湾曲の影響を受けて若干前ピンになってしまっていると思われます。
わたしとしては許容範囲ですが、肖像写真家の方には許されないことでしょう。

わたしにとってこの写真でがっかりだったのはピントよりも、顔や首に黒い影が出てしまっていることです。
太陽光のある中で撮影すれば影は避けられませんが、日陰に移るとか、逆光で撮るとか余裕があれば試してみるべきことはあります。
次回ksmtさんと同行の折には交互に撮影して、一方はレフ板を構えるなどの工夫をしてみようかと考えています。
モデルになっていただいた方にはよく撮れてると思ってもらいたいですが、基本的には撮影後に修正したりは避けたいので、撮影時にできることはどしどし実践しなくてはなりません。

ところで話は変わりますが、先般韓国に行って当地の人に親切にしてもらったことで、韓国の人や文化を理解しようとおぼろげに考えているのですが、先の韓国船沈没事故により少しだけ分かってきたことがあるような気がしてきました。昨夜の報道で、韓国国営放送KBSの報道局長が船の犠牲者300人は交通事故の犠牲者数に比べれば多いとは言えないというような趣旨の発言をしたことで、被害者の遺族らが遺影を掲げてKBS前に集結して抗議活動をする様子が映し出されました。
遺族の怒りはもっともなことだと思いますが、テレビ局に集まって大声で抗議したり、翌日には大統領府に出掛けてさらに責任追及するというのは、ちょっと日本では考えられないと思います。

結局、報道局長は(キムシゴンという名前だと書かれていましたが、ツァイスの広角レンズに採用されそうな名前です)辞任に追い込まれます。
そういえば、自己早々にも救出の不手際を被害者家族から糾弾され韓国首相が引責辞任しましたが、直後には問題を明らかにする前に逃げるとは無責任と糾弾を受けています。
また、船長、船員、船会社社長と逮捕者が出るごとにテレビカメラの前で謝罪するよう求められています。

韓国では、問題が発生するとただちに責任が追及され、その結論はその場で出されなければ納得されないということがよく分かりました。
被害者感情ということを除けば、日本でなら綿密な調査を行って原因や責任を明確にしてから、相応の処分を望むというようになるというのと実に対称的です。

安倍首相がいくら対話の扉は開かれていると言っても、慰安婦問題が韓国の主張通りに謝罪され、靖国神社参拝もやめない限り、それらを棚上げして首脳会談とはいかないという理由がようやく少し分かったような気がします。
朴大統領が日本との首脳会議を拒否しながら中国に接近するのは理解できない行動でしたが、韓国世論や支持率を踏まえると苦肉の策を取らざるを得なかったのかと考えるようにしています。
地域のパワーバランスを考えると、中国の台頭が日韓の結びつきを強めると考えるのが普通ですが、中韓が結託するのだとすれば、日本の力がずっと上回っていることを証明することになっているのかも知れないのですが。
【Alpha7/Anthony 11cmF4 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Anthony 11cmF4 | trackback(0) | comment(2) | 2014/05/10 Sat

安東尼概史

Anthony 11cmF4
アンソニーの会社の概要について書かれた短文を見つけましたので、全文拙訳でご紹介します。

アンソニーは、アメリカ写真工業界でもっとも古い名前です。
サムエル・モース(モールス信号のモールス=訳者注)はアメリカでいちばん最初にダゲレオタイプの撮影をしていた人ですが、1840年にエドワード・アンソニーはモースの最初の生徒として写真術を学びました。
翌1841年にエドワードは自らのダゲレオタイプのスタジオをオープンし、同時にダゲレオタイプに関するアイテムを販売するE.Anthonyという会社を創設します。
販売会社の急成長によって、スタジオの方はすっかり影が薄くなってしまったので、1850年代にはダゲレオタイプ関連品の製造と供給に傾注することになります。

1852年にエドワードの弟のヘンリーが会社の共同経営者になり、1862年には今でもよく知られるE.& H.T.Anthonyとへと名称変更しました。
この名前は1901年まで続きますが、この間に、アンソニーの会社はアメリカの写真業界で最大かつもっとも傑出した存在でした。

1870年代までは主に職業写真家やスタジオのための写真用品を製造していました。
しかし、その頃からアンソニーは一般に使われるために設計した製品の製造をしはじめ、1881年には、100万人のための写真と銘打ったキャンペーンのために設計された製品を展開していきます。
その後の20年の間にもっとも特徴的で技術的に興味深い製品が作り出されました。

1901年、アンソニーは、Scovill & Adam’sはじめアメリカの歴史ある優れた会社と合併して、Anthony & Scovillとなり、1907年には名称を短縮してAnscoとなります。
さらに1928年には、ドイツのアグファと合併して、Agfa-Anscoに変更されました。
第二次大戦の結果、アメリカには多額の利益がもたらされるのですが、この時にAgfa-Anscoは、GAFの略称で知られたGeneral Aniline and Filmの一部門になり、それが1967年まで続きます。
GAFの写真部門は衰退し、1970年代後半にはその痕跡すらしぼんでしまいます。
1981年までにGAFは写真関連の業務をすべて売却してしまい、アメリカ写真史の創生期と発展期におけるもっとも有名な名前はすっかり姿を消してしまいました。
その精神を宿しているANSCOの商標は香港のHaking社に買い取られ、今でも高価ではない写真用品を製造しています。


アメリカ人にとって写真機関連のメーカーと言えばコダックを意味すると思うのですが、コダックの創業は1880年ですので、アメリカに写真がもたらされた直後に始まるアンソニーよりずっと後のことです。
コダックが1ドルカメラを発売して写真を大衆に広めたのは、アンソニーの100万人キャンペーンに範をとったのかも知れません。
アンソニーは最初カメラやレンズをヨーロッパから輸入して、小道具やアクセサリーを自社生産していたことから、日本で言えば小西六に相当するメーカーでコダックはキヤノンに相当すると言えば、かなり強引とはいえ分かりやすい例えではないかと思いました。

ライカやコンタックスなどをはじめとしたドイツのカメラ業界は、1960年代に安価な日本製一眼レフが席巻したことにより一気に衰退してしまったとよく言われます。
上記文章にはそのことは触れられていませんが、同じような影響があったと見て間違いないでしょう。
アグファ製のレンズシャッターカメラやゾりゴンなどのレンズは1950年代までは存在しましたが、アグファはその後フィルムに名を残すメーカーでした。
そのあたりのところを調べていくととても興味深いことがいくつもありますが、時間がとても足りません。
ひとつだけ書くとすれば、アグファの創業者はあの作曲家メンデルスゾーンの息子だということで、これは案外と知られていない事実だと思います。

さて、今日の作例は居酒屋前でビールとから揚げを売る、浴衣の少女です。
この日祭りを見物したお父さんの多くは、この前を通過するときに思わずビールを頼んでしまったのではと想像させる可愛らしい女性でした。
昨日のピンボケに続き、今日はわずかに手ブレしてしまっています。
ビールの影響だと言っておきましょう。
ksmtさんとは、来年は車で来ないで、締めをこの居酒屋でやるべきと意見一致しました。
【Alpha7/Anthony 11cmF4 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Anthony 11cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/05/09 Fri

不管国民党

Anthony 11cmF4
肖像撮影をするためのいちばんの問題はモデル探しだと言ってよいのではないでしょうか。
本来であれば、愛用のレンズのためにモデルさんを雇うべきなのだろうと思います。
しかし、それはそれで面倒があるようで、例えばブログに写真を掲載するには許可を取らなくてはいけないというのがあると聞きましたし、わたしのブログに同じモデルさんが同じ衣装で1週間登場するというのはおかしなことのように感じます。
ksmtさんが考え出した(というより皆さんやっていることなのでしょうが)お祭りとか京都のような観光地で、ハレの服を着た女性に声をかけて撮影させてもらうというのは、とても好いやり方だと気付きました。

とは言え、これにも大きな壁があります。
知らない人に声を掛けて撮影するというのはなかなか勇気がいる行為だということです。
小心者のわたしにはとてもできることでは無いように思われました。
にも関わらず、わたしでも声をかけられるのに気付いたのは中国でした。
中国だと理由不明ですが、躊躇することなく声をかけて撮影することができるのです。
国内だと、あるいは日本語だと、どうも周りの目が気になってしまうということなのかも知れません。

今回の京都で気付いたのは、相手が中国人ないしは台湾人だと、それほど気にならずに声をかけられるということでした。
だから国内でも中国語でなら声をかけられるということになり、日本人に日本語で声をかけるのができないのだと、原因がやや特定できました。
日本人に対しては、中国人の振りをして中国語訛りの英語で声をかけるというのであればどうにかなりそうです。
ちなみに昨日の作例は、「本物の舞妓さんですか」と間抜けなことを聞いてしまったことがきっかけで撮影できたというケースでした。

今日の作例は、台湾から観光に来た美少女なので撮影依頼できたというパターンです。
彼女たちは3人組で中国語で話しながら歩いていて、すぐに台湾人だと気付くことができました。
大陸とは若干違う聞き取りやすさと、彼女の可愛らしい感じが台湾的だと感じたからですが、これはあまり根拠のあることではありません。
撮影時には興奮したのか前ピンになってしまったのが残念ですが、独特の柔らかな雰囲気はやはり大陸ではなく台湾から来た親日の少女だと思わせる何かがあると言えば、ただの思い込みに過ぎぬと笑われてしまうでしょうか。

そういえば、わたしが写真をはじめたころ、若者の旅ブームが起きていて、毎月のように旅本と呼ばれる旅行記や旅のエッセイが文庫本で出版されていました。
中では、日比野宏さんという写真家の本が、旅の面白さで突出しており、さらには本業が写真家でライカで撮影した写真が本にはちりばめられていて、まだ若くてライカを試行錯誤使っていたわたしはたちまち彼のファンになってしまいました。
彼の本でエイジアン・ガールという旅先で撮った女性の写真とショートエッセイで構成された本は、わたしの旅のバイブルとも言える本でした。

韓国、中国、モンゴル、フィリピン、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマー、インドネシア、インド、スリランカとインドより東のほとんどの国の女性が出ていましたが、そのなかで台湾は一度しか登場せずその理由もわずか2行を使って明確に述べられています。

「台湾には国民党とともに大量のブスが流入してきた」と、ある台湾研究家がいっていたが、なるほど。

おまけにその写真の説明は、1987年11月に、高雄の六合夜市で唯一シャッターを押した貴重なものである、となっていました。
さすがに四半世紀も経てば状況はまったく変わるということでしょう。
少なくとも来日する台湾の女の子に関しては、美少女の宝庫と言えるからです。
【Alpha7/Anthony 11cmF4 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Anthony 11cmF4 | trackback(0) | comment(2) | 2014/05/08 Thu

這週開始

Anthony 11cmF4
今回は京都と草津を旅してきて、2週間にわたり1日1枚ずつ作例を出してきました(更新が追い付かず毎日になっていないことは申し訳ありません)。
これは何年も続けてきたパターンと変わりありません。
しかし、ペッツバールをメインに据えてからかれこれ1年が経ったので、ポートレイトを積極的に採り入れようと考えました。
と言っても、もともとポートレイト風の作例は出すように努めていましたので、その数をなるべく増やしたいという消極的な変更にとどまります。
今回は、かなり声をかけて撮影することができたので、今日から5日間、ポートレイトの美女をご覧いただければと思っています。

1枚目の作例は、京都東山の八坂付近で偶然出合った舞妓さんです。
老カメラマンをともなっていて、この人が非常に細かく指示を出しては撮影していました。
初めて見る舞子にわたしはドギマギしていたのですが、声をかけると、やはり本物ではありませんでした。
カメラマンの方も知らない人でいつの間にかくっ付いて来たと彼女たちは笑っていました。
とは言え、謎のカメラマン氏は、このあたりでの撮影を熟知しているようで、例えばこの作例では、格子戸のこのあたりにふたりがこういう向きで立つといちばんきれいになるなどと的確に指示を出しながら、次々と撮影していました。

この日だけで、恐らくは100人近い着物女性を見たと思います。
そのうち撮影したのは30人くらいで、お願いして撮らせてもらったのはその半分くらいというところです。
おしろいの舞妓さんは20人くらい見かけましたが、最初に出合った彼女たちがいちばん本格的に思えました。
分かる人が見ればよく分かるのかも知れませんが、彼女たちだけを本物だと勘違いしたくらいだからで、他の舞妓さんたちは見るからになんちゃってです。
それは彼女たち自身のせいではなく、着付けやメイクをした人たちの技量か真面目具合の差だと思いますが、そう考えると作例のおふたりがどこで着付けしてもらったのか聞いておけばよかったかと後悔しました。
どこか分かれば、次回の京都での撮影ではその店の近辺で待っていれば良いからです。

ところで、おしろい女性で困るのが露出の決定です。
おしろいでなくても、露出ではいつも困っていますが、特に濃い色の着物の女性の場合、何段階にも撮って後で見比べないと少なくとも本人に良いと思ってもらうのは難しいかと思われます。
そこで問題になるのが、撮影スピードです。
iPhone時代の現在では、カメラを構えたらすぐ声を出して撮影しなくては格好がつきません。
しかしわたしの場合、カメラを構えたとき、場合によっては近すぎるからと後ずさりしなくてはならず、かつピントを正確に合わせるべくファインダーを拡大するMFアシスト機構を使います。
そしてそのままでは顔が日の丸になってしまうので若干のフレーミングをして、それから1,2,3などと声をあげてやっと1枚です。

露出が問題なので、そのままもう1枚お願いしますと言いながら、露出補正ダイアルをひとつ回すのですが、カメラ本体の方が撮影した1枚の読み込みタイムに入っていて、なかなかスタンバイになりません。
できれば同ポーズで露出を変えて3枚撮りたいのですが、これをやっていると時間貸の着物レンタルの女性をイライラさせてしまいそうで、何だかあせってきます。
速写性が高まってくれるといいのになあと自分の遅さを棚に上げて、カメラに文句を言ってしまうのですが、そんなことを考えるより、レンズの焦点距離に応じた被写体との距離感を掴むのが先ですし、ピント合わせの速度も鍛錬しなくてはなりません。
そして何より、1枚ないしは多くて2枚で終わらせる露出感覚を習得する必要があります。

理想的には、撮影させていただいてよろしいでしょうかなどと声をかけた段階で位置決め完了していて、はいと返事をもらった瞬間にはカメラを構えてピント合わせも1秒以内、そんな撮り方をしていかないとだめですね。
でも、時間があるシチュエーションだったら、もっとじっくり構えて、これが江戸時代の撮影のペースなのでとか言い訳しながらこちらのペースに乗せてしまうというのがよさそうです。
気の利いたセリフも吐いて自然に笑わせられれば、はい笑ってくださいなどと言って固い顔にしてしまう必要がなくなるでしょう。
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Anthony 11cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/05/07 Wed

哈默尔恩的捕鼠人

Anthony 11cmF4
天井川の土手を歩いていると、一瞬、人ごみの中で気になる女性を発見しました。
正確に言うと、申し訳ないですが、気になったのは女性ではなく、彼女が提げていたライカの方です。
これだけの人が繰り出しているのですからライカで撮影している人がいても不思議ではないのですが、女性というのはやはり珍しいことですので思わず立ち止まりました。
さらに言えば、その女性はわたしより年上という年代でしたので、こういう出合いはまずはないだろうと思われ、こんにちはと咄嗟に声を掛けてしまいました。

先方はいきなりのことできょとんとされたと思いますが、そういう場合はわたしもライカですと見せればよいところです。
しかし、手許を見るとわたしはソニーのデジタルカメラですし、レンズもライカのものではなかったので、今回は持参していませんが、わたしもライカ愛好家なのでつい声をかけてしまいましたと照れ笑いで話して終わります。
ところが、またしばらくしてその女性を見つけるのですが、今度はペンタコンシックス一式を大抱えしたご主人もいっしょです。
撮影の合間ということでいろいろと話を聞きましたが、神戸の震災でご苦労をされてからカメラの道を究めたようでした。

かなり写真については勉強されたとも聞きましたが、そこでいきついたのがライカやペンタコンシックスだとしたらすごいことです。
ペンタコンシックスのことはよく分かりませんが、巨大なゾナー180mmF2が付いていて、66判の標準レンズに80mmくらいのものが多いことを考えると、わたしが35mm判で110mmのペッツバールを付けているのと同程度の画角ということになるので、この方は同じような撮影をするのかななどと想像したら親しみがより深まります。
恐るべきは奥さんの方で、ライカM6に付けていたレンズはマウント改造されたイエナ・ビオゴンでした。
聞かなかったことを後悔しましたが、おふたりともかなりのツァイスファンだったのでしょう。
ではまたと立ち去ったときのおふたりの仲睦まじき後姿が印象に残りました。

もうひとりユニークな活動をしている方がいました。
動物の小さなマスコットをいっぱい背中のリュックにずらーっと取り付けています。
後姿はマスコットを無数に付けたかなりマニアックな人に見えますが、正面から見ると普通に祭りを撮影に来たカメラマンです。
ksmtさんが声をかけると、仕事の関係で小さなものを作る技術があるので、自らいろいろとデザインしてマスコットをこつこつ作っているそうです。
なるほど、それらはとても好くできていてお店で売られていたとしても何の違和感もない、何より見た目に可愛らしいものばかりが並んでいました。

実際、この方が歩いていると子どもたちが何だろうと興味津々で後に続いてマスコットたちに見入っているシーンを何度も目撃しました。
その姿は、ハーメルンの笛吹の童話を思い出させるものがあります。
この方は、苦労して自作したマスコットを時々子どもたちにプレゼントしていました。
子どもたちが何種類もある中から、いちばんのお気に入りを探している嬉しそうな顔が良かったです。
祭りには子どもがいっぱいいるので、いくらいっぱい持ってきていてもうっかり集まってしまうとたちまちなくなってしまうでしょうから、プレゼントの仕方にもコツがいりそうです。

写真の撮り方はだいぶ違っていてちょっと残念なところもありましたが、人物写真を撮るのが好きなように見えたのでマスコットの活動も、周囲の笑顔を見たくてということがあるのでしょう。
ただ、マスコットを配布しているときに自ら写真を撮ることはできません。
代わって、わたしがその様子を今日の作例にさせていただきました。
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Anthony 11cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/05/06 Tue

天井川在這裡

Anthony 11cmF4
成績のことはさておくとしまして、わたしは小学校の教科では社会がいちばん好きでした。
本を読むのが好きだったので国語が好きでしたし、社会では政治や経済のことはとんと分からないし、歴史では人名や年号が覚えられずで両方嫌いだったにもかかわらず、ただ地理が好きだったことでマイ・フェイヴァリット授業が社会だったのです。
中学以降になるとそれも忘れて勉強全般がダメでしたが、社会人になってから旅好きになったのは小学校時代の地理好きが回帰したのかも知れません。

そんなことを思い出させたものが、この作例に写っていると言ってもまずは分からないと思います。
江戸時代の女性たちですか、これはまったく関係ありません。
後にある土手がそれです、と言えばますます分からないかも知れません。
しかも、女性たちが写っている場所は川なのですといえば、何のことだかいよいよ訳が分からないでしょうか。

答えは、ここの地名にもなっている天井川です。
今では放水路を開削したため水の流れがないので、旧草津川と呼ばれているのですが、川があったところは天井川という地名になっているのが面白いのです。
天井川のことをここで説明する必要はないと思いますが(何しろ小学校で習うものなので)、簡単に言えば、上流から大量の土砂を流出させた川が氾濫するため堤防を築き、毎年増水期にそれが繰り返されるために位置がどんどん高くなってしまった川のことです。

面白いのは、天井川と呼ばれるほど高い位置を流れているため、道路や鉄道を川の下にトンネルを掘って通していることで、わたしが小学生時代に天井川でインパクトを受けたのは、川の下を電車が走っている光景を想像して、何としても見てみたいと考えたことによります。
結局、それを見ることはなく歳を取り続け、ようやく初めて天井川を見ることになったという訳なのです。

川は12年前に無くなってしまったということですが、在りし日の面影はそのまま残っています。
ほぼ町中を流れていた天井川の跡地は、住宅やショッピングセンターなどに開発されておかしくないはずですが、未だ手付かずの状態です。
もともと川だった土地は地盤が弱くてマンションなどの大型建築に向いてないとか、地震が起きると液状化しやすいなどの理由で、手を上げる業者が無いのかも知れません。
川底部分が芝になっていて、両脇が堤防で盛り上がっているので、今回の草津時代祭りなどのステージにはぴったりでした。

個人的にはサッカーコートを作れば何面でもできそうなので、ぜひそうしていただきたいです。
ザスパ草津というサッカーチームがあったと思いますが、これは確か群馬の草津温泉の方のチームだったと記憶します。
実際、滋賀県草津草津温泉を混同する人はけっこういるのだとも聞きました。
それを皮肉ったのか、天井川のすぐ脇にスーパー銭湯があったのですが、看板にはその名も"KUSATSU ONSEN"と書かれているのです。
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Anthony 11cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/05/05 Mon

旅人先生的博客

Anthony 11cmF4
金色のレンズを付けていて注目してもらえるのは被写体の皆さんだけではありません。
同業者というか、撮影に来ていた他のカメラマンの方からも、ときどき声を掛けられることがあります。
"風に吹かれて旅人さん"はそんな風にksmtさんと知り合った方だそうです。
活動範囲が近かったために立て続けに出合ったことで、顔見知りになったようですが、そのきっかけはksmtさんが金色に光るペッツバールをいつも付けて撮影していたことでした。
あれ、またあの人だとすぐに気付いて声を掛けてもらうことが数度あり、それなりに親しい関係を築いたのです。

その話は聞き知っていましたが、まさに草津時代祭りを撮影しているとその風に吹かれて旅人さんがksmtさんに、どうもーという感じで声を掛けてきました。
もうすっかり顔馴染みの雰囲気で、あなたも同じようなレンズを使っているのですねとあいさつをもらい、わたしも仲間入りさせてもらいました。
先日は、京都のぷう吉さんのことを書きましたが、京都も草津もさすがksmtさんのホームグラウンドだということを実感します。

先日、ksmtさんからメールがあって、風に吹かれて旅人さんのブログを紹介していただきました。
リンク先を見ましたが、これはブログではありません。
このハンドルネームと撮っている写真を見れば、ああなるほどと思うのですが、ブログではなく"4Travel.jp"という旅行サイトの中に旅行者が開設できるページに写真や文章を掲載しているのです。
1回の撮影をどこどこへの旅行としてアップしておくと、そのエリアなり行事なりを検索してきた訪問者が行きついて、自由に写真等を閲覧できる仕組みなので、感想を書き込まれたり、逆に旅行を検討しているがお薦めは何かと意見を求められたりと活発な掲示板のようになっていました。

旅行全般のコミュニティサイトのような性格も持っているところなので、旅行情報を得るための訪問者はかなり多いようですし、同じような活動をしている人たちとは相互訪問が確立されているようです。
旅という範疇で活動しているのですから、ブログをやるよりもうまく自分を表現できていると言えます。
すばらしい発想だと感心しました。

わたしも、同様の活動をしていて、写真のほとんどは旅先のものだと言えますし、毎日更新がかなり苦痛になっていることもあって真似してみようかなどとも考えています。
中国に関してはかなりマイナーなところを歩いて来たので、そんなものに関心がある人はほとんど皆無でしょうが、資料として残すにはブログよりもずっと価値があるからです。
ただ、それ以上にレンズに特化してブログを続けていますので、その部分については弱くなることを避けられないでしょう。
何か良い手があるかも知れませんので、ペッツバール抱えた旅人のようなスタイルで転身できないか検討してみたいと思っています。
いずれにしても、着物の美女の写真を中心にしたわたしと同じような写真を撮っておられる、風に吹かれて旅人さんが発表の場としているところは写真の良さも含めて素晴らしいと賛辞を送らなければなりません。

さて、今日の作例は、パレードが時間調整的に一旦止まっていたところを撮影させてもらったものです。
係員さんがきれいな女性の髪を直しているのですが、パレードもだいぶ進行して慣れてきたせいか、お姫様が家臣に直させているような雰囲気がなくもなくて、わたしにはお気に入りのカットになりました。
撮影地点は、商店街のアーケードの中で、アーケードの天井部分が半透明のガラスのような素材だったため柔らかい光が届いていて、真横の店がグレーのシャッターを降ろしていたことがうまい具合に光を拡散しているようでした。
偶然できた完璧なライティングのスタジオのような空間が、女性の表情を実に際立たせていて、この場所で待っていた甲斐があったと思います。
もちろん、もともとこの女性が美しい肌の持ち主であったことがこのような写真になったことは一筆書いておかなければいけませんが。
【Alpha7/Anthony 11cmF4 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Anthony 11cmF4 | trackback(0) | comment(2) | 2014/05/04 Sun

看金色的鏡頭

Anthony 11cmF4
ややほろ酔い加減で、江戸時代のパレードが出発する市役所に向かいました。
通りの東西南北の関係で、メインストリートを行進するときは逆光になるのですが、市役所からは逆方向なので順光になるとのksmtさんの計算もあります。
なるほど、計算通りに順光になりますが、順光は順光で顔に影ができてしまうので、うまく撮らないとポートレイトとしては今一つになってしまいます。
人物写真を撮るのもなかなか難しいものです。

パレードが始まるまでのひととき、江戸時代のコスチュームの参加者が黙々とスタンバイしていました。
こういう催しではよくある風景ですが、わたしたちには絶好の撮影チャンスです。
これからパレードがスタートするというやや緊張感のある中で、それを和らげるべく、何人にも声をかけて撮影させてもらいました。
もちろん、レンズの紹介をすることも忘れずにです。
江戸時代のレンズです、150年以上前のレンズですと、ペッツバールを見せると、さすがに江戸時代のコスチュームの皆さんは関心を示してくれます。

そのレンズですが、ksmtさんはわたしが最近入手した2本のフランス製ペッツバールを試してくれています。
フランスでは老舗中の老舗と言えるルルブールと、知名度はいま一つですがルルブールやダルローよりも新しく参入したフランセの2本です。
2本とも期待通りの写りを見せてくれましたが、近いうちにわたしも使用予定ですので大きな楽しみができました。

一方のわたしは、アメリカ製のペッツバール、アンソニーを持ってきていました。
ボケがややソフトになるのでポートレイトに特に良さそうですし、わたしの持っているペッツバールの中で外観がいちばんきれいなので、声をかけて撮らせてもらうのにウケがいいだろうとも考えたのが選択理由です。
わたし自身は、金ピカの状態良好のものよりも、いい感じに真鍮の鈍い輝きが出ている古びたものの方が好きなのですが。

さて、出発前のロビー活動(?)は、その後の撮影で大きく力を発揮してくれたようです。
パレードがスタートしたので、わたしたちもメインストリートに移動してのんぴり撮影したりおしゃべりしたりしていました。
パレードは一気にスタートしてしまうとあっという間に終わってしまうので、一定間隔を置いてグループごとに出発し、ときどき時間調整のために立ち止まってくれたりするからです。
そんな中で、作例の篤姫はじめ、多くの主役クラスの人たちが、わたしたちの前を通るときに目線をくれたのです。
これはまさに、江戸時代のレンズだと自慢して見せていたペッツバールは金ピカなので遠くからでも目立ち、わたしたちのことを思い出してくれてこちらを見続けてくれたということに他ならないでしょう。

篤姫さんはご覧のとおりの美人でしたので、パレードが通り過ぎてもまた先回りしたり、ステージに上がったときにもまた撮ったりとしましたが、そのすべてで視線がこちらを向くというサービス振りでした。
視線があればけっして良いという訳ではありませんが、すべてアンソニーを見つめているというのは実に気持ちの好いものです。
もっともその割にはロクな写真が撮れてなくてたいへん申し訳ないのですが、それは先にも書いたように全般に逆光ということもあったり、人ごみの中から撮るので制約があったり、マニュアルの望遠なので動くもののピント合わせはたいへんで、などと言い訳しておきましょう。
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Anthony 11cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/05/03 Sat

上午喝酒

Anthony 11cmF4
ずっとksmtさんにお世話になったあくる日は、草津宿場祭りを楽しむことにしていました。
朝、ちょっと草津をぶらついてから、祭りを見物して、午後には近江八幡や彦根、長浜などの古い町並みを散策して、わたしだけ米原から帰宅するという段取りです。
今日も天気は上々で、楽しい1日なるだろう予感を感じました。

去年、品川と大磯の宿場祭りを見物しました。
規模の違いこそありますが、この草津も含めて、旧東海道の面影を残す通りで、かつての宿場町の頃の江戸時代のコスチュームになって盛り上がろうという共通点があります。
パレードがありますが、普通に言えばそのパレードそのものはそんなに面白いものとは言えないように思います。
しかし、ksmtさんもわたしもペッツバールという江戸時代のレンズを使いますので、その頃の恰好で歩く人をつかまえてはポートレイト撮影するというのは、なかなかに楽しいことになります。
草津では公募で選ばれた市民がボランティアで江戸時代の服を着ていますので、これは江戸時代のレンズでしてと持ち掛けると誰もが関心をもって快くモデルを引き受けてくれます。
本当は、カメラも1850~60年代のものが使えればベストですが、レンズだけでも凄いことです。
デジタルに感謝しないといけません。

スタートは10時過ぎというので、朝一番で草津本陣を見学しました。
宿場町にはどこにも本陣があったと思いますが、どこもここが本陣跡として残っているだけです。
草津の本陣は、ほぼ完ぺきな状態ではと思えるほどきれいに整備されているところを見学できます。
学芸員の方がいて詳しく解説してくれました。
殿様の宿泊施設だった本陣は公設ではなく、どこも個人所有だったそうで、もともと街道沿いの良い場所にあったので文明開化で新しい建物に変えられてしまうケースが多かったそうです。
草津の所有者は歴史的を認識されていたのでしょう、壊したり改築したりせずに保存して、平成になってからの大修復を経て一般公開されています。

かつて殿様が泊った部屋は一段高くなった角部屋で、家臣はすぐ隣の部屋に寝ていたようです。
その他家来も大勢いたことを証明するように、竈が7つ8つと並んでいたのが圧巻でした。
お風呂は離れでしたが、五右衛門風呂のようなものを想像しましたが、どうやら桶に竈で炊いたお湯を運んでいたようで、竈がいっぱいなのはお殿様がくつろぐためだったのではと想像されました。

こんな風に見ていくと少しずつ江戸時代の気分に浸ってくるような気がします。
さらにそれを盛り上げてくれたのが、作例の造り酒屋さんでした。入り口にお猪口がずらっと並んでいて、入場者ひとりひとりに手渡されるのですが、お猪口は試飲用で使った後はどうぞお持ち帰りくださいと言う太っ腹です。
日本酒は樽からあけたばかりの未発売のものや、商品になっているものなど何種類も試飲可能です。
フルーティなものややや辛口なものなど、日本酒があまり得意でないわたしにも美味しく感じられるお酒ばかりでした。
何本も買って帰る人がけっこういたので、これとお祭りの両方を目当てにしていたのではと思われました。
わたしは、荷物になるので申し訳ないですが、焼酎を1本だけいただいて帰りました。

お猪口で3杯飲んだだけですが、ksmtさんもわたしも顔を赤くしていい気分になっています。
あと2~3杯も飲んでいたら、わたしは撮影どころではなかったかも知れず、ぎりぎりのところで自制が働いてよかったとと思います。
しかし、午後にはその自制力もなくなることになります。
祭りの後、ksmtさんの車で先に挙げた、近江八幡、彦根、長浜に向かう予定だったのですが、暑さに耐えきれずふたりでビールを飲んでしまい、運転を見合わせなくてはならなくなってしまったのです。
本来なら、それら古い町を歩けずにがっかりとなるところでしたがそうならなかったのは、草津時代祭りが予想以上に愉しかつたからに他なりません。
【Alpha7/Anthony 11cmF4 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Anthony 11cmF4 | trackback(0) | comment(4) | 2014/05/02 Fri
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