双爐

Ektar 50mmF1.9
言葉の壁があってなかなか現地の人の話を聞くことは難しかったはずですが、金さんがことごとく解決してくれました。
彼は不思議な才能があって、とても気の利いたツアーガイドとインタビュアを兼任するかのように、適宜、村人に声をかけては生活の様子などを質問して、すぐに翻訳してわたしに教えてくれます。
わたしの興味のあるところを感じて聞いてくれているというよりは、自分自身が関心あることを率直に尋ねているということのようです。
日本語ができるだけでなく、頼りがいのあるパートナーでした。

作例の場面は、日も落ちてきてさあ帰ろうかというときに、竈で何かを作っているのを見かけ、わたしが覗き込んであいさつしたのをきっかけにその様子を見せてもらった多ときのものです。
村の塀は低めなので、少し背伸びすると中の様子が見えるので、図々しく声をかけたのですが、金さんがすかさず取り次いでくれて内側まで招じ入れてもらいました。

鍋でぐつぐつ煮ているのは米だそうで、焦げないように仕切りにひしゃくで撹拌しています。
少し甘い香りが漂っていますが、何を作っているのか分かりません。
尋ねると、飴だと言います。
韓国の米処では、あちこちで同様の飴が作られるそうで、むかしからある素朴な味が懐かしいお菓子として老若男女問わず好まれているとのことです。
しかし、家ごとに秘伝の味付けがあるそうで、甘い香りの正体は教えてくれませんでした。

ふだんは、夕食後に作るのだけど今日はたまたま食事前から作り始めたそうで、写真に撮られるのは初めてだとおじさんが照れていました。
譲ってほしいと頼むと、今日が最初の仕込みだったのか前に作ったやつだけどと家から大きな袋でおばちゃんが持ってきてくれました。
袋一杯買って日本円で1000円です。
金さんとお互い1つずつ食べて、残りは半分こにしてお土産にしましたが、確かに素朴な美味しさです。
米とは思えないほのかな甘さは飽きない味です。

すっかり話し込んで真っ暗になったところで、そろそろお腹が空きましたねとそのまま食事に繰り出します。
古民家でそのまま土地の食事ができるのですが、一人だとしてもそこへ行ったでしょうが、ハングル文字のメニューはまったく読めず、言葉も通じず、他の客がいないので周りの人が食べているのを指さしオーダーもできずでかなり限定的な食事になっていたことでしょう。
ふたりだとオーダーできる品数も増えるのもありがたいことです。
もち米のちまきのような土地のごはんに、ブタや野菜に麺類と今まで食べたことが無い、地方料理はすべて大当たりでした。
金さんは、海藻の麺が甘くてダメですと言って、ソウルにもっと美味しい店があるので、今度連れていきますよと、将来の約束もしてくれます。

韓国の薄味ビールにすっかりいい気分になって、あとは帰って寝るだけだと思ったのですが、韓国の週末の夜は長いのだということを忘れていました。
わたしは、慶州がマッコリやドンドンジュというお酒で有名なことを知っていたので、部屋でひとり飲もうと古民家のレストランのおばちゃんに売っていないのか聞いてもらったところ、自分たちで作ったマッコリがあるそうで頼みましたと金さんが嬉しそうにしています。
会計をすると、おばさんが携えていたのは、2リットルのペットボトルに入れられた白い液体でした。
【Alpha7/Ektar 50mmF1.9 F1.9】
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thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kodak Ektar 50mmF1.9 | trackback(0) | comment(0) | 2014/03/31 Mon

黒和白

Anthony 11cmF4
宿の奥さんの李さんが向かいの小山を指さして、あそこに登れば村全体が見渡せますよと、言っていましたが登って見ませんかと金さんに誘われました。
これを断っては体力がないのかとバレてしまい、日本男児の名折れです。もちろん行きましょうとふたりして山道を歩きました。

道々、金さんのことをいろいろ聞きましたが、やや長髪でハンサムな彼はどうみても30代半ばくらいにしか見えないのに、それより10歳も歳がいっているそうで、わたしとほとんど変わりませんでした。
韓国の景気はいま悪くなっているので、写真スタジオの経営は厳しいようで、業界の仲間とは転身してレストランとか喫茶店とかやろうかなどと話していると笑っていました。
だったらここで、写真館付の喫茶店でもやってはどうかと提案しましたが、ここでやれたら楽しそうですが、地元の人がよそ者が商売することを許さないでしょうと言います。
韓国はかなり閉鎖的なところがあると聞きますが、社会の中でやっていくには難しいところがあるということなのでしょう。

彼の日本語はとても素晴らしいのですが、一部の発音は他の日本語が達者な韓国人同様、発音ができないのですと笑っていました。
例えば、"どうぞよろしく"が"どうじょよろしく"に、"ありがとうございます"が"ありがとうごじゃいます"になってしまいます。
そういえば、釜山への機内アナウンスでも、"おじゃ席におかけの際はシートベルトを…"とアテンダントが言っていたのを思い出しました。
金さんによれば、韓国語には"ザジズゼゾ"の発音がないのだそうで(ジはあつたかも知れません)、自国語にないのですから外国語では発音できないのですとのことです。

"ツ"の発音もできないと教えてくれました。
なるほど"ひとつ"が"ひとちゅ"になっていますが、これなんかは赤ちゃん言葉みたいでむしろ可愛く感じてしまいそうです。
韓流スターが"ひとちゅ、ふたちゅ、みっちゅ"などと言えば、日本のファンは痺れたりするのかも知れません。
もっともわたしだって英語や中国語の発音は滅茶苦茶で、一昨年、スペインから来日したダヴィドと行動を共にしていたとき、"see"の発音を、"シー"ではなく"スィー"だと注意されたことを思い出しました。

おしゃべりしながら急坂を登ることおよそ10分、大パノラマを期待していましたが、山頂に着いても残念ながら木が邪魔して視界良好ではありませんでした。
長身のわたしが背伸びしてやっと撮ったのが、今日の作例です。
小柄な女性や子どもでは、あまり景色が楽しめないかも知れません。
しかし、わたしは中国をはじめ日本でも、展望台のようなところでは無理に視界を広げるようなところを何度も見てきており、良洞村が自然のあるがままに眺望を見せているところに好感を持ちました。
無理に観光客に迎合することはないというポリシーがあるのではと感じられたのです。

黒い家と白い家が見られますが、黒は瓦屋根で白は藁葺の屋根なのだそうです。
日本の茅葺は何年も耐久性がありますが、藁は基本的に毎年葺き替える必要があるそうです。
米の収穫が終わって農閑期に入る初冬くらいが、葺き替えのシーズンです。
まだ葺いて半年も経っていないので、白いままなのですね。
冬場に来ればきっと葺き替えの様子を見学することができるでしょうし、その頃はきつと新米が美味しいでしょう。
紅葉もあると聞きました。
今冬の再訪を検討しなくてはいかなくなりました。
【Alpha7/Anthony 11cmF4 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Anthony 11cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/03/30 Sun

他也住在老房子

Anthony 11cmF4
カメラマンの青年は金さん、宿の奥さんは李さんと言います。
韓国はもともと姓の種類が極端に少ない国だと聞いたことがありますが、それにしても韓国でキムさんやイさんは日本の鈴木さん、佐藤さん以上に一般的な名字ということになるでしょう。
Kさん、Lさんと伏字にしようかとも考えましたが、その必要なしと判断することにします。

金さんは日本で4年間写真について勉強してからソウルに戻って就職し、今では独立してスタジオを経営しています。
韓国帰国後9年が経ち日本を訪れたのはこの間2度だけで、いまの仕事も日本とは関わりがないので、日本語をどんどん忘れていると本人は笑っていますが、どうしてどうして、彼の日本語はかなりレベルが高いです。
小学校のとき、友だちがオンドルの練炭が原因で亡くなったのですが、日本語では一酸化炭素中毒と言いますかと正確な発音で聞いてくるくらいです。
一方、李さんは日本を何度か訪れて、特に山口県や九州の家屋が自分の家とよく似ていて気に入っていると言ってはいましたが、日本語はもちろん英語もまったくしゃべれません。
伝統的儀式を体験した一家も英語がさっぱりでした。

すると、李さんが思わぬ提案を金さんにしました。
誰も日本語も英語もできないので、この日本人コミュニケートできず困るので、金さんもタダでいいから泊って行ってくださいと。
金さんは良洞村に始めてきたばかりかこんなところがあることを知らなかった素晴らしいですねと喜んでいたくらいですので、翌日の日程をやり繰りして、李さんの申し出を受けることにしました。
わたしとしても、言葉が通じるのとそうでないのとでは、こんな古民家に泊るとすれば雲泥の差があるので金さんの同宿は大歓迎です。
伝統儀式体験の企画をして会社のふたりは早々に帰ってしまい、それではみんなで少し散策でもしましょうと、当初とは予期できない方向に進んでいきました。

さて、今日の作例は小さな祠堂の前で撮った一家の額縁写真です。
前列左手の女の子は、歌手志望だそうです。
翌日、わたしが日本から持参した飴を進呈したらとても喜んでくれ、リクエストに答えて熱唱してくれました。
たいへん流行した曲だそうですが、韓国ファンでないないわたしにはよく分かりません。
いずれまた訪韓するときに備えて、何かK-POPでもじっくり聴いておいた方がいいかなと思いました。

今回使用したレンズは新しく手に入れた、E.アンソニーのペッツバールです。
アンソニーはアメリカのカメラ機材商社で、ダゲレオタイプが開発されて比較的すぐに事業を展開した、アメリカの写真史では重要な位置を占める会社のようです。
初期にはフォクトレンダーのニューヨークにおける代理店のような役割を果たしたようですが、1870年頃にはカメラを自社製造しており、今回のペッツバールはそのカメラに付けられていたものではないかと想像されます。

レンズは自社製造していたとの記述を見つけられなかったので、もしかしたらフォクトレンダー製のレンズに自社のマークを付けて販売した可能性があるのではと推測していました。
しかし、ダゲレオタイプ期のフォクトレンダーやダルローなどのレンズは、アメリカではヨーロッパの高級レンズとして別格扱いで、国産とは同列には扱われなかったようです。
そのようなブランド品にわざわざアメリカ製と見間違われるような刻印を入れるはずもなく、これはやはり自社製のレンズと見なしてよいようです。

描写性能を見れば、それはさらに裏付けられます。
フォクトレンダーのペッツバールはさすがに本家で、すばらしいシャープネスと解像力の高さを誇るのに対して、アンソニーは若干見劣りがするのは否めません。
アンソニーの方はやや柔らかな描写をするのは収差の影響だと思われますが、むしろそれがポートレイトには向いていると言えそうです。
また、ボケにはより柔らかさが表現されるので、これも好みと感じる人が多いのではないかと思います。
シンプルな3群4枚構成のペッツバールはどれも同じような写りをするのだろうと以前は考えていましたが、レンズごとに個性があるようだということが分かってきました。
シンプルなものほど個性が大きいということなのてはと、今では考えています。
【Alpha7/Anthony 11cmF4 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Anthony 11cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/03/29 Sat

可以住在這裡

Soligor 35mmF3.5
旅において誤解していたり思い込みで失敗することはときどきありますが、良洞村の宿もそれに該当するでしょうか。
アゴダという国際的な宿泊予約サイトで取った宿で、わたしは6000円のいちばん安い部屋でしたが、高い部屋は2万円以上したと思いますので、そんなところで英語が通じないはずがないと考えるのは自然なことです。
しかし、この宿を切り盛りしている奥さんは外国語はまったくダメですし、もともと基本的に宿泊はひと組しか取らない方針で、家族連れの予約が入っていたので、その後のわたしの予約などまったく見ていなかったそうなのです。
厄介なことになってしまったかと思われました。

しかし、旅では不運と幸運は交互にやって来るという法則があると言った人がいて、このときのわたしがまさにそうでした。
なぜか建物の中にいたカメラを提げた青年が、日本語をしゃべることができて、宿の奥さんとの間で翻訳してくれます。
青年の説明では、韓屋と言われる古い家屋は隣の部屋でしゃべる声が聞こえてしまうので、基本的に宿泊は1組に限定しているとのことですが、あなたはひとりだけだし、予約の確認をしていなかったのはこちらのミスなので、どうぞ泊って行ってくださいと、奥さんが言っていますと訳してくれました。

やれやれとホッと一息ついていると青年の説明が続きます。
青年はスタジオを経営するプロのカメラマンで、今回、企画会社の仕事でソウルから企画会社のふたりとともにやって来ました。
仕事は応募者の中から書類選考された家族が、いろいろな体験をしてそれを記事にするということでした。
今回の企画は、この500年前の古民家で韓国の伝統的な家族の礼儀作法を子どもに教えるというようなことだったようです。
よければ、いっしょに見学してくださいともお誘いいただきました。

この思わぬ展開にデジャヴのような感覚を感じました。
釜山経由でワールドカップ日韓大会を見に行ったとき、ソウルで1泊してから帰国したのですが、ちょうど光州で韓国がスペインをPK戦で破るという番狂わせを起こした夜のことだったので、ソウルの街中に赤いTシャツを着た若者が繰り出していてたいへんな盛り上がりで、レストランで隣のグループからいっしょに飲もうと引き込まれ、韓国焼酎をがんがん飲まされ、連れがそもそも在日韓国人だったということもあって、韓国のベスト4進出をいっしょにお祝いすることになりました。
彼らとは親交が続いて、その次に訪韓した時にリーダー格の青年の甥っ子が満1歳の誕生日のパーティに呼ばれ、子どもの目の前にお金や鉛筆、楽器その他が並べられ最初に手にしたものが、お金なら将来お金持ちに、鉛筆なら学者になどという韓国伝統の占いの様な儀式を眼にすることができたことを思い出したのです。

韓国では年上の人と盃を交わすときは、横向きになって手で覆いながら飲まなくてはならないというのはよく知られています。
今回の旅でもそのような場面を何度か見ましたが、韓国では伝統が重視されていることが理解できます。
奥さんの指導で子どもたちが礼儀作法を学んでいきます。
手の組み方や仕草にひとつひとつ意味があることを、青年が写真を撮りながら翻訳してくれました。
それにしても、子どもたちが何と可愛らしく、それを見つめる両親の表情に愛が満ちていることでしょう。
韓国の伝統が大切でこのような儀式が行われるのではなく、家族の絆を高めるために伝統を利用しているのではと、見学しながら思わずにはいられませんでした。
【Alpha7/Soligor 35mmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Soligor 35mmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/03/28 Fri

半世紀的房子

Anthony 11cmF4
急遽、釜山行きの航空券を買ってはみたものの、釜山のどこへ行ったらいいかなどはまったく分かりません。
釜山には、12年前、友人と訪れたことがあります。
日韓ワールドカップ観戦のため釜山に降り立ち、蔚山でドイツ-アメリカ戦を、翌日は光州でスペイン-韓国戦を見ました。
このときのサッカー以外の記憶はほとんどなくて、釜山ではホテルがほとんど空いてなくて、どこかの観光ホテルの最上階のスイートルームになってしまったものの料金は1万円ほどと妙に安かったこと、ランチは有名なジャガルチ市場で海鮮三昧だったものの刺身はゴムを噛んでいるような味気なさでがっかりしたことくらいしか覚えがありません。

今回の韓国滞在は実質丸2日間だけなので、半日は釜山の町中を散策してみようかと考えました。
残る日程では、中国でずっとそうしてきたように、古村落とか古い町並みがあればあれば訪れたいと調べてみます。
古い町並みが点在するところは各地にあることがすぐに分かりましたし、戦前に日本人が住んでいた日本家屋の並んだエリアがある町もいくつもあります。
しかし、よく知られる安東の河回村のように、藁葺屋根の伝統家屋が残る民俗村が慶州や順天にもあることが分かり、そのいずれも釜山から2時間程度で行けるようですので、いずれかひとつに行くことにしました。

釜山の安宿を予約したアゴダというサイトで、慶州の民俗村の中の宿が予約できることが分かったので、残り1部屋となっていたのを即予約して行先を慶州の良洞村に決めました。
安東も順天も古民家の民泊施設がいくつかあることが分かっていましたが、韓国語しか通じないとありました。
言葉が分からなくてもどうにかなるものですが、せっかく古民家に泊れるのであれば、家主の方と語らうなりして村への理解が深まるに越したことはありません。

昨夜の失敗があったので、宿のアドレス等メモしておきましたが、村では住所が分かってもどこが宿泊施設なのかはまったく分かりません。
入場券を買った入り口に戻って観光案内所に行くと、日本語がしゃべれるガイドの方がいて、電話でやり取りしてその施設まで送ってもらいました。
わざわざ送ってくれるのは、同じような古い建物が並ぶ村ではどこそこだと説明しても、そこに辿り着くのが困難だということだと思うのですが、到着してみてもうひとつ理由があることが分かりました。

村の建築はいちばん古いものでは500年も経っていていずれも文化史的価値が高いのですが、すべての家に住人がいて多くの歴史的建物が公開されています。
じつはわたしが予約した施設こそ500年前の古民家だったそうで、しかも一般公開されていないとのことで、日本語ガイドの洪さんは一度も中を見たことが無いと言っていたので、中を覗いてみたかったということではないかと思われました。
ここがそうだと洪さんが連れて来てくれたところは、最初におばあさんと歩いていた時にすごく立派な家だと感心して撮影していたまさにその家でした。

インターフォンなどなく洪さんが大声で呼びますが、誰も出てきません。
電話して今から行くと言ってあったのにと首を傾げていると、カメラを提げた青年や若い女性が飛び出してきて、何やら言うとわたしのスーツケースを持って中へ招じ入れてくれたのですが、後から現れた家主の奥さんだという女性はわたしの予約がないと言っているようです。
何だかまったく分からない状況になっているにも関わらず、洪さんは帰って行ってしまいました。
【Alpha7/Anthony 11cmF4 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Anthony 11cmF4 | trackback(0) | comment(2) | 2014/03/27 Thu

韓国老太太

Anthony 11cmF4
玉山書院は慶州中心部に向かう203路バスの始発ですので、観光案内の女性が次は今から1時間後の何時何分と教えてくれました。
だいぶ時間があるので周辺を散策してみましたが、農家が点在していてとかにも韓国の田舎の村だなあという雰囲気を味わうことができました。
家はみな塀で囲われていて門のところには漢字の表札が出ています。
建物も多くが瓦葺の大きな平屋で、このあたりは都市部の農村だからか比較的豊かであるだろうことが立派な家々から想像できます。

慶州は奈良市と姉妹都市なのだそうですが、確かに両者は似ているところが多いような気がしますし、建物の造りなどを除くと玉山書院周辺は奈良市郊外などとそっくりなのではと感じました。
奈良に韓国通の友人がいますが、慶州に行かれたことがあるかどうかは聞きそびれました。
行ったことがないということであれば、訪問をお勧めしますし、どのように思われるか聞いてみたいと思っています。

バスは定刻通りにやって来て乗り込んだのですが、座席配置がとてもゆったりしていたのにはスーツケースを持った身には助かりました。
シートのことで言えば、成田から釜山まで乗った大韓航空、釜山から新慶州まで乗った韓国新幹線のKTX、慶州郊外の路線バスと、料金に反比例してどんどんゆったりになったのが不思議でした。
大韓航空は足が収まり切らず間違えてLCCキャリアに乗ってしまったかと思いましたし、KTXは空いていたので斜め掛けしましたが日本の新幹線よりだいぶ狭いです。
韓国人は大柄な人が多いのでたいへんだと思いますが、韓国は中国と日本に挟まれて縮こまらざるを得ない歴史の名残がシートピッチに表れてしまったということでしょうか。

KTXといえば、ただいまこの近辺で新路線の工事が急ピッチで進められており、10月に開通予定とのことでした。
玉山から数キロの安康に駅が新設されるそうで、その暁にはソウルからのアクセスがぐっとよくなります。
地元の人には念願かも知れませんが、すでに新慶州駅がありますし、慶州自体が毎日多くの観光客をさばいていることを考えると、少し心配にならないではありません。
鎌倉が世界遺産の候補地になった時に落選してくれと願いましたが、もはやKTXの駅が安康にできないでくれと言っても手遅れですので、周辺が無理に開発されたりしないようただ祈るばかりです。

バスは10分ほども走って、今回の旅の目的地である良洞村の入り口に到着しました。
ほぼ満席になっていたバスの中で下車したのはわたしともうひとり地元のおばあさんだけでした。
降りるときに荷物を持ってあげたことから話しかけてきたおばあさんですが、わたしが韓国語ができないと分かると日本人?と日本語で聞いてきました。
そうですと答えると、良洞村までいっしょに行きましょう、と案内してくれました。
子どもの頃大阪に暮らしたことがあるとのことで日本語を覚えていましたが、もうそれは半世紀以上前のことのはずで、申し訳ないことに多くの言葉が聞き取れませんでした。
当時の大阪でおばあさんが幸せな暮らしをしていたとは考えにくいですし、安倍政権の対韓国政策にも腹をたてているかも知れません。
言葉が通じかけている状況だっただけにいろいろと聞きたくてもそれが果たせずもどかしい思いでした。

何年か前に、韓国の高齢の女性が運転免許を取るべく試験を百回以上も受けて落ち続けているというのが、話題になったことがありました。
冗談とかではなく一生懸命に取り組んで自信はあったのにまた落ちてしまったという、真面目なのにユーモアが漂うというような少し心温まる話だったと記憶しています。
良銅村のおばあさんとの間には、意味は違いますが、この試験に落ち続けるおばあさんとどこか通じるようなところがあるような気がして、何か心を動かされるような思いに駆られていました。
【Alpha7/Anthony 11cmF4 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Anthony 11cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/03/26 Wed

玉山書院

Anthony 11cmF4
昨日はついついホテルに泊まったとウソを書いてしまいましたが、実際にはモーテルに宿泊しました。
韓国でのモーテルとは日本と同様、男女で利用すべき宿泊施設なのですが、旅行者がひとりでとか男同士や女同士で利用することも問題ありません。
ツインの部屋もちゃんとあるくらいです。
1時くらいの到着で、そのモーテルの受付のおばちゃんはいかにも寝ばなを起こされたという雰囲気でしたが、日本人の扱いには慣れているようで、アゴダで予約したと言うと、名前も確認せずにキーをわたしてチェックイン終了でした。
翌朝は7時半に出たのですでに起きていましたが、キーを渡すと部屋を確認するとか何もせず、サンキュー、バイバイ、でチェックアウト完了でした。

釜山駅前に宿をとったのはほかでもなく、駅から韓国新幹線のKTXに乗って慶州に行くためでした。
釜山から新慶州までは約80キロ離れていて30分ほどで着きます。
金曜の朝のKTXはガラガラで、わたしの乗った車両にはわたしを入れて8人しか乗車していません。
日本で言えば、新大阪発の平日朝の新幹線にはビジネスマンがいっぱい乗っていると思うのですが、韓国では単純に比較できないような事情の違いがあるのでしょう。

新慶州に8時58分に着き構内のインフォメーションでバスのことを聞くと9時発がたった今出てしまっていて、次は1時間半以上待つのだと言います。
なぜ、KTXの到着に合わせてバスの時刻を組まないのか不思議でしたが、市内へ行くバスはいっぱい出ているとのことで、一旦町中へ出て軽く朝食を摂り、再度バスに乗って最初の目的地である玉山書院を目指しました。
玉山書院は16世紀に建てられた儒学者の祖廟をもとに、講堂などを整備して学問を収めるための当時の大学の様な役割を果たした施設で、現在では朝鮮王朝時代の貴重な建築群として公開されています。

慶州は、紀元前1世紀から10世紀まで栄えた新羅の都だったため当時の遺跡が点在しています。
石窟庵と仏国寺はその代表で、アド街風に見どころをランキングしていくと、玉山書院はベスト20にぎりぎり入るかというところになってしまうようです。
まだ寒さの残る3月中旬の平日の午前中に訪れていた人は、昨日の作例の市内在住何ではないかと思われたおじさんがひとりいるだけでした。
少し冷たい空気の中で、満開の梅の香りも楽しみながら、静かな玉山書院を独り占めできたのはたいへんな幸福ですが、残念ながらブログ用の写真を撮るということに関しては難しいものがありました。

今日の作例の女性は、観光客がほとんどいないにも関わらず、玉山書院の入り口の観光案内所にいた女性で、案内パンフレットを分けていただきました。
さらには、徒歩10分のところに独楽堂というやはり16世紀に建てられた古建築があり、そこまでの道を案内してくれました。
一生懸命になって英語で説明してくれる姿のいじらしい中年女性でしたが、今回はところどころで中高年の女性に助けられ、韓国女性の優しさを感じる旅になりました。

玉山は韓国語の発音ではオクサンとなるのですが、玉山書院の前に玉山モーテルという宿泊施設があって、このモーテルはアメリカ式のモーターホテル程度の意味の普通のホテルだったのですが、オクサンモーテルと韓国読みすると、ついつい不謹慎なことを想像してしまう名前です。
ただ、玉山の発音はクがかき消されるようにオッサンと聞こえますし、実際日本のポータルサイトで検索するとオッサンと表記しているところもあります。
こうなるとオッサンモーテルとなってまたさらに妙な想像が膨らんでしまうのでした。
【Alpha7/Anthony 11cmF4 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Anthony 11cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/03/25 Tue

像中国的房子

Anthony 11cmF4
また、中国ですかと尋ねられるでしょうか。
作例は確かに中国に見えますが、実は韓国の慶州郊外で、先週末からの3連休で旅してきたときのものです。
今月も、深圳に出掛けなければならず、先月フライトの遅れで深圳に立ち寄る計画が立ち消えになってしまったのでやり繰りするつもりでしたが、来月に控えた消費税増税やその他諸事情あって仕事を休むことが不可能になりました。
3連休で香港までの航空券が取れればよかったのですが、料金がいつもの月の倍くらいになってしまっていて、購入はあきらめました。
3月は卒業旅行のシーズンだからか、前後の月よりも航空券が高く設定されているのです。

念のためマイレージによる無料航空券も問い合わせましたが、当然、空きはありません。
しかし、何気なく検索していると、3月の3連休中だというのにぽっかり空いている目的地もあるのです。
大韓航空の成田~釜山路線でした。
しかも、中国などでは2万マイル必要なのに、韓国までの無料航空券は1万5千マイルしかかかりません。
そもそもが深圳に行かなければならないところですが、かまわず釜山行きを予約してしまいました。

それにしても、どうして釜山行きだけが空いていたのでしょう。
日韓関係はかつてないほど冷え込んでいると言われていますが、一般の観光客までもが冷めきってしまっているのでしょうか。
2002年に日韓共催のワールドカップがあって、その後韓流がもてはやされるなど、日本と韓国には蜜月の様な関係が築かれていたと思っていましたが、李明博前大統領の竹島上陸と天皇が韓国に来いというような発言が日本国民の怒りに火をつけて、以降訪韓者が激減したとは聞いていましたがこれほどまでとは。

航空機はガラガラなのではと、木曜の夜に仕事を終えて成田に行くと、すでに通路側窓側の席はなくなっていて、搭乗してみれば満席です。
結局のところ、たまたま無料券の枠が1枚だけ空いていて、釜山を訪れる日本人も東京を訪れる韓国人も少なくはなっているものの、激減することなく民間の交流は続いていると判断してよろしいものなのでしょうか。

わたしはいつものように、小型のスーツケースとトートバッグを機内持ち込みしていますので、到着するや一目散に入国審査を潜り抜け、両替して釜山の町を目指します。
インフォメーションで聞くと10時半ですでにバスは終わっていて、タクシーか地下鉄しかないとのことですが、ひとりですのでもちろん迷わずに地下鉄に乗りました。
空港駅は、地下ではなく地上駅で、やってきた電車もゆりかもめの様な無人自動運転です。
5分ほどで終点に着き、その駅から本当の地下鉄に乗り継いで30分強で釜山駅に到着しました。

アゴダというホテル予約サイトで駅前の安宿を取っていたのですが、バウチャーをプリントするのを忘れ、PCで地図を見ていたらバッテリー切れしてしまいました。
ホテル名すら覚えていないので、深夜営業のレストランに入ってオーダーしてから、PCの充電をお願いしました。
充電しようとして驚いたのは、プラグの形状が日本とは違うことで、これでは充電できないと諦めたのですが、何たる幸運か、先月行ったインドネシアに持っていっていた交換プラグがぴたりと一致して事なきを得ました。
先月インドネシアに行っていなければ先払いしてあったホテルにはたどり着けなかったことでしょう。

バウチャーメールでホテル名と住所は分かりましたが、ネット環境が無かったため地図での確認ができません。
レストランからすぐそばだということは分かったのですが、わたしがホテル名を告げてもレストランの人は誰も知りません。
安宿があまりに多くて、地元の人でもいちいち名前までは覚えていられないようです。
絨毯爆撃のように1軒1軒見ながら1時間以上探したのに、ホテルは見つかりませんでした。
しかし、ここでも幸運なことに町の外れの警察署があったので、半泣き状態で尋ねると10人くらいのお巡りさんが、日本人か、どうしたんだと集まって来て、すぐに場所を確認してくれました。
歩いて5分もかからない至近でしたが、パトカーに乗せて送ってくれました。
韓国の警察はとても親切だというのを知ったということが、旅の初日の収穫でした。
【Alpha7/Anthony 11cmF4 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Anthony 11cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/03/24 Mon

百年老店

Jamin et Darlot 15.5cmF4
江の島春祭りの最終回は、祭りにふさわしいポートレイト風ということで、江島神社の巫女さんを選択しました。
稚児行列のときに、稚児を先導していてなんと美しい巫女さんだと思い、そのことをknpmさん、ksmtさんに告げると、それなら神社までお参りにいかなくてはとなったのです。
江の島の参道から神社までは目と鼻の先ですが、坂がきつくて有料のエスカレーターが設置されているくらいですが、わたしの言葉を信じたふたりはいつも以上の健脚振りで坂を上り切って神社に到達してしまいました。

もしかしたら、稚児行列のみに動員された臨時の巫女さんでもういないかも知れないという心配を裏切って、おみくじとお守りのところで仕事中でした。
マレーシア航空が謎の失踪をして1週間、わたしも飛行機に乗る機会は多く、旅先でも安全により注意しなくてはと考えていたところだったので、地元の神社のお守りをいただくこしました。
カメラバッグに付けて安全祈願します。

その時少し話を聞くことができ、地元出身でなんとしてもこの神社に勤めたいと就職したことを教えてもらいました。
神に仕える巫女さんに失礼な言い方かも知れませんが、とても可愛いくてしっかりした考えを持った女性だと分かり、頑張って登って来た苦労が報われたと思いました。
いろいろとお好みはあるので、おふたりがわたしと同意見だったかどうかはよく分かりませんが。

3人ともお昼がまだだったので、さらに参道を歩いて先の食堂でランチを食べることにしました。
そういえば、4人を誤認逮捕という謎かけの様な事件以来、容疑がかかると心配しているのか江の島の猫をすっかり見なくなってしまいました。
誤認逮捕された4人同様に、江の島の猫たちも被害者だったのかも知れません。

西浦を見下ろす食堂で名物のシラスのどんぶりをみんなで食べましたが、ksmtさんが指摘するようにまだこの辺りはシラスが禁漁のはずです。
禁断の魚を食べてしまったのか、他所から買ってきたシラスをありがたがって食べたのか、どちらにしてもわざわざここまで坂を登るまでするほどの価値があるとは言えません。
次回は、シラスが解禁になった時期に美味しくいただくことにしましょう。

食堂のすぐそばに夫婦饅頭の中村屋さんがあります。
1個100円でささやかなスイーツをいただくことにしました。
ここは喫茶コーナーもあって休憩にも利用いただきたいところで、お店も江の島岩屋を参拝に訪れた人の楽しみだった老舗とのことです。
何年くらい経つのかと聞けば、何と今年創業111年と言うではないですか。
100年の老舗が藤沢市内にもあったとは知りませんでした。
しかし、わたしは頭の中でこうつぶやいたのでした。
まだ111年ですか、わたしの使っているレンズは製造されて154年経っているのですがね、と。
【Alpha7/Jamin et Darlot 15.5cmF4 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Jamin et Darlot 15.5cmF4 | trackback(0) | comment(2) | 2014/03/23 Sun

為什麼女性

Jamin et Darlot 15.5cmF4
ミスたちの美しさに目をしばたたかせ、太鼓の響きに心を震わせ、稚児の初々しさに気持ちを奮い立たせしているうちに、ようやくksmtさんが遅れて到着、ややしてからknpmさんも合流しました。
春祭りの中でひとり興奮していましたが、レンズ仲間の集結でやっと落ち着くことができました。
とくにknpmさんは2時間もかけてはるばる来たのですが、稚児行列は終わってしまいましたので、他の催しを楽しんでいただけるか心配です。
しかし、到着早々にミス鎌倉、海の女王(藤沢)、スマイル茅ヶ崎、ひらつか織り姫の湘南4市の美女を次々と撮影して、まずは来訪の目的を達成した感が得られたのは幸いでした。

そのknpmさんが持参していたレンズには、思わずやられたと手を打たなくてはならなくなります。
数年前から探していて2度ほど市場に出てきたもののあまりに高価で購入が果たせなかったレンズを、knpmさんは今回のメインのレンズに使われていたのでした。
いずれ近いうちに、www.oldlens.comで紹介されるはずですので、わたしがそのレンズ名を明かすのは差し控えますが、このレンズを入手してしまうとはさすがと言わざるを得ません。
どんな描写をするのか、その発表を愉しみに待ちましょう。

続いて、太鼓演奏を見学することにしたのですが、knpmさんはそのレンズでの撮影に張り切り過ぎたのでしょう、最前列までいって撮っているうちに太鼓の想像以上の大音量と激しい振動に耳をやられて早々の撤退となったのでした。
太鼓奏者に美人がいたのでポートレイト的に撮影しようとなるべく前に出たのですが、わたしは150mmクラスの長焦点なのでそこまでする必要もなく、太鼓演奏ではペッツバールでの撮影が適していると言えるかも知れません。

それにしても、今回の演奏でもそうでしたが、太鼓奏者に女性が多いと言うのはどうしたことでしょうか。
太鼓というのは男性的な楽器というイメージがあったのですが、もはやそんなことを言っては笑われてしまいそうです。
わたしは、男性よりも女性にリズム感が備わっているからではないかと思っていて、とくに自分自身がまったくリズムの取れない人間で、学生時代弦楽器をやっていたのですが、いわゆる裏打ちをやろうとしてもいつの間にか頭打ちになってしまっていて、とても打楽器奏者にはなれないと感じていました。

ksmtさんは、そうではなく、パフォーマンスなので見栄えのする女性が向いているからだと明確に答えてくれました。
なるほど、いまや和太鼓の世界でも体の動きや表情の変化にもクリエイティブな発想が生きていて、男性だいや女性だなどということは不毛な論議なのかも知れず、そうであればダンスと一体となった部分で女性の力が発揮できるということでしょうか。

リズム感がないということが逆に作用するのか、わたしは打楽器を聴くのが実は大好きで、管弦楽のコンサートでもいつの間にかティンパニを集中して聴くことがあるくらいですから、太鼓のパフォーマンスだって嫌いではありません。
そのうえ、女性が奏者の中心なのでしたら、ペッツバールもっていかない手はないではないですか。
ペッツバールでのポートレイト撮影は、被写体探しが大きな課題になっているので、この発見は大きな収穫です。後から現れたknpmさんとksmtさんから嬉しい示唆をいただきました。
【Alpha7/Jamin et Darlot 15.5cmF4 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Jamin et Darlot 15.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/03/22 Sat

J&D的略歴史

Jamin et Darlot 15.5cmF4
ジャマン、ジャマン・エ・ダルロー、ダルローの3つの刻印のレンズに共通するタイプのペッツバールレンズがあります。
有名なコーン・サントラリザチュールと呼ばれるレンズで、コーンと付くとおり下半分ほどが先広がりの円錐形の一部のようになっていてユニークな外観です。
キングスレークによれば内面反射防止からこのようなデザインになったということです。
しかし言及はされていませんが、下広がりな分レンズ径も後群の方がひとまわり大きくて、レンズの有効径は同じながらレンズ周辺部を使わないことで後群の性能を高めでいると言えそうです。

わたしもコーン・サントラリザチュールを探していますが、かなり高価で入手には至っておりません。
ただ、今回のジャマン・エ・ダルローは形状こそコーンではないものの、後群レンズの径が前群よりひとまわり大きいことから、コーン・サントラリザチュールと同じ設計のレンズであると想像できます。
レンズの有効径は前後同じなので、それもコーン・サントラリザチュールと同じであることを裏付けています。
性能面で前後群が同径のレンズとどういう差があるのかが分かりませんが、適度にシャープで柔らかさを感じさせる描写はポートレイトで如何なく力を発揮してくれて、すばらしいレンズと気に入りました。

もうひとつの特徴が、鏡胴に"Vis a Portrait"と"Vis a Paysage"の刻印があって、このレンズだけで人物撮影用と風景撮影用のふたとおりに使い分けられることを示しています。
人物撮影用はこのままペッツバールとして使っている状態を意味しますが、風景用ではどちらか1群のみを使った場合焦点距離がむしろ長くなってしまうので、風景用とは呼べなくなってしまいます。
ksmtさんの推測では、後群を風景用の前群と入れ替えて前後逆転させて使うというものですが、なるほどそれなら刻印の意味がよく分かってきます。
残念ながらそのようなレンズは手許になく、風景用の撮影をすることはできません。
今のところ風景を撮ることにあまり関心がないので、現状のままでまったく差し支えないのですが。

わたしのレンズはさいわい年代特定ができていますが、キングスレークの本にもうひとつ製造年を知るヒントがありましたので書き出しておきましょう。
それは、刻印の中にあるジャマンの所在地です。
いずれもパリなのですが、さらに通り名と番地まで刻印されていて、事務所が移転したからでしょう以下の年表のように移転しているとのことです。

1822年 設立。
1849年 サン・マルタン通り71番地。
1850年 サン・マルタン通り127番地。
1856年 シャポン通り14番地。
1860年 ダルローに経営者交替。
1877年 ボルテール大通り125番地。
1895年 ダルロー逝去、チュリヨンが跡を継ぐ。

今回のレンズにはシャポン通り14番地の刻印が入っていて、1860年くらいの製造であることを裏付けています。
ただ、この所在地刻印はいつのころからか無くなってしまうようで、わたしの所有する他の2つのダルローレンズにはパリとまでしか刻印がありません。
もしサン・マルタン通りの刻印入りのレンズが見つかれば、それは初期のジャマンということになりますので、ぜひそういうレンズを積極的に探したいものです。

さて、計らずも今週は美人(美少女?)ポートレイトシリーズになっていますが、今日の作例はミス鎌倉です。
去年のミス鎌倉関連のサイトを見ると彼女のことはすぐ分かりました。
葉月さんですね。
昨年の鎌倉祭りにわたしもksmtさんも出掛けているので、その場で彼女を見ているはずですが思い出せないのが残念です。
わたしにできるのは、どうやら美人かそうてないかというところまでで、その美女たちを個別に認識するという能力は無いようです。

【Alpha7/Jamin et Darlot 15.5cmF4 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Jamin et Darlot 15.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/03/21 Fri

覚得一様公司

Jamin et Darlot 15.5cmF4
ライカからミラーレス一眼に転身して、レンズ側の距離計連動機構は不要になりました。
大きなメリットは、既存のヘリコイドを使ってテープで張り付けるなどすればコストをかけずに、新しいレンズを試すことができることです。
しかし、今回使用したジャマン・エ・ダルローは500グラム以上あるので、素人改造ではうっかりすると撮影中にぽろっとレンズが外れてしまうかも知れません。
的確な技術でマウント改造してくれるksmtさんに今回もお願いすることにしました。
重たいレンズがびくともしない改造は安心して使えますし、既存のヘリコイドにスクリューで取り付けますので、レンズ交換は容易でヘリコイドも他のレンズと共有できて経済面でも助かっています。

ksmtさんは、レンズを分解掃除してくれますし、スペックの計測もしてくれます。
それだけでもたいへんありがたいことですが、このレンズではコバ部分に"Jamin Darlot a Paris 1860"と鉛筆書きされているのを発見してくれました。
1860は製造年が1860年なのではないかと推定されています。
ボディの刻印には"3910"と製造番号が記されていますが、残念ながらこの番号からは製造年の裏付けが取れません。

そこでキングスレークのいつもの本が登場します。
人物略伝にジャン・テオドール・ジャマンのことがごく簡単に記されていて、次のように書かれています。

1860年に、ジャマンは会社を引退し、経営を社員のアルフォンス・ダルローに譲った。そこで1年間は、レンズに”ジャマン・エ・ダルロー”と書かれてあったが、その後、ジャマンの名は消えた。

なるほど、コバに書かれた1860が製造年であることの裏付けが取れました。
性格に製造年代が判明するペッツバールはそれほど多くないのが実情ですので、これは実に気持ちのいいことです。

ここで疑問に思うことが2つあります。
Jamin et Darlot の刻印は1年だけだったにも関わらず比較的よく見かけることと、ジャマンとダルローはこれまで別々のメーカーと認識していましたが、経営者が変わって名称変更した同一のメーカーと見なすべきではないかということです。
1800年代フランスのレンズの中でダゴスティーニ氏は、ジャマン・ダルロー銘のレンズでも1861年製造と1862年年製造だという2本を掲載しています。
製造年特定の根拠は分かりませんが、キングスレークが1年としたダブルネームは2~3年続いたということかも知れません。

一方、ジャマンとダルローが同一メーカーかという点には、ダゴスティーニ氏はそれぞれ分けて取り扱うことで、違うメーカーという立場をとっているようです。
ただ、日本光学とニコンは違う会社かと言えば、普通には1つの会社だとみなすでしょうから、やはりジャマンもダルローも同様に考えるべきでしょう。
ダゴスティーニ氏の判断は理由あってのことか便宜的な理由かは分かりませんが、ジャマン・エ・ダルロー銘レンズをジャマンのページにもダルローのページにも入れているのが苦肉の策のように思えてなりません。

さて、今日の作例は、稚児の貝供養の様子です。
江の島ではサザエやハマグリなどの貝類が特産で、むかしから貝供養のために稚貝を放流する行事が行われていたそうです。
名物のサザエのつぼ焼きを食べたら稚児が放った稚貝が成長したものだったりすれば縁起物です。
ぜひ、江の島を訪れて、サザエやハマグリを味わってみてください。
【Alpha7/Jamin et Darlot 15.5cmF4 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Jamin et Darlot 15.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/03/20 Thu

琉球跳舞

Jamin et Darlot 15.5cmF4
ペッツバールを付けたカメラで江の島をうろうろしていたら、少し年上な感じの男性から声をかけられました。
これはペッツバールという19世紀フランスのレンズでなどと説明しようとすると、よくご存じのようで、やはりペッツバールでしたかと感心されているようです。
ペッツバールをよく使われている方のブログを見ているのですが、もしかしたらあなたではと聞かれますが、そういう人はけっこういると聞きますのでと返すと、よく中国に行かれる方なんですと言われ、どうやらそれはわたしのことのようだと分かりました。

その方もCマウントレンズを集めて使われているとのことでしたが、どうもこういう時にうまく会話ができないのがわたしで、お連れの方がいたこともあって、少々お話ししてからそれではと別れてしまいました。
名前も名乗らず、尋ねずにです。
もし、これを読んでいらっしゃるようでしたら、よろしければご連絡をお願いします。
こちらから出向かせていただきますし、いっしょに撮影散歩などはいかがでしょう。思っています。

昨日、ペッツバールの最高入札額は5万円と書きましたが、これが多くのレンズの落札ラインになっているようです。
ただし、珍しいメーカーなどになると3倍~5倍に上がることがありますし、逆に珍しすぎて知る人がほとんどないとなるとやはり5万円未満で落ち着くことが多いような気がします。
それでもコンディションが良いものだとやはり10万円くらいは楽に突破してしまいます。
コレクターは特に状態にうるさいからです。
鏡胴が汚いもの、フードがないもの、ラックアンドピニオンの部品が欠落しているものが値段が上がりにくく、狙い目だと言えるでしょう。

今回使用しているジャマン・エ・ダルローは、フードやラックアンドピニオン機構などは問題ありませんが、鏡胴全体に錆が出ているなど汚らしく、レンズにも端の方にカケがあるなどしていて、2万円ほどととても安く落札することができました。
その状態で2万円は高いのではないかと思われるかも知れませんが、カケは撮影結果には影響しない位置でしたし、汚いのもわたしは我慢できる範囲ですので、実用するレンズとしてやはり安かったとわたしは考えます。

実は、ネットオークションで安いレンズを探すにはいくつかの裏ワザのようなものがあります。
すべてに通用するワザではありませんが、このおかげで格安レンズを何本入手できたか思い出せないほどです。
ぜひお教えしたいところですが、これを開示してしまうと自分の首を絞めることになりますので、秘密ということにさせていただきます。
これが中国人に知られてしまったら、もはやレンズ入手を完全に諦めざるを得ません。

さて、作例ですが、江の島祭りでのもうひとつのメインイベントに太鼓によるステージがあって、30分きざみで7~8つの楽隊の演奏を楽しむことができます。
わたしは、演奏を聴きつつも撮影したいという真剣に聴いている打楽器ファンの邪魔者でしたので、ステージ脇の人のいないところにペタッと座っていました。
しかし、ステージを降りて踊りながら演奏する沖縄音楽の美女が目の前で披露してくれたのは、とてもラッキーでした。
彼女の視線の先は、わたしではなく、わたしの構えるペッツバールのようです。
【Alpha7/Jamin et Darlot 15.5cmF4 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Jamin et Darlot 15.5cmF4 | trackback(0) | comment(1) | 2014/03/19 Wed

少年有点緊張

Jamin et Darlot 15.5cmF4
大判用レンズ、バレルレンズを多く扱うカメラ店は残念ながらあまりありません。
ましてや19世紀のレンズが揃う店というのは聞いたことがありません。
コレクター同士のトレードなどを除くと、いまのところ、ペッツバールを手に入れたいと考えた場合いちばんの手段がオークションということになりそうです。
それも、ペッツバールの出現頻度ということを考えるとネット・オークションが最大のマーケットになります。

以前は、ライカで撮影するための大口径レンズや珍しいレンズを求めてオークション界を徘徊していましたが、そういったレンズはもはやあまりに高価で入札してもまったく歯が立ちません。
そこでレンズ蒐集など止めてしまえればよかったのですが、自分でも意外なことにペッツバールなどの古典レンズに関心を持つようになってしまいます。

ペッツバールタイプのレンズは、写真術のほぼ黎明期に製造されたにも関わらず、すでにかなり完成されていて、周辺部はかなりシャープです。
一方で周辺は非点収差と像面湾曲の影響でフォーマット次第で暴れるものが見られます。
中心部がシャープで周辺が怪しいと言うのは今まで集めていた大口径レンズとある意味共通すると言えます。
よく考えれば、200mmでF3.5とかF4となれば名実ともに大口径なわけですから、違和感なくこの世界に入れたのは当然のことだったのかも知れません。

時期的にもちょうどライカM8が壊れて、つなぎにミラーレス一眼を入手したころと被ります。
言うまでもなく、レンジファインダーでは、距離計連動の問題とファインダー内のフレーミングの問題があって、長焦点レンズをそれほど使う気にはなれません。
それらを同時に解決する一眼レフは、ペッツバール蒐集に拍車をかけることになりました。

200mm以上の長焦点はミラーレスでの使い勝手の悪さを実感できましたで、150mmより短いペッツバールを探すことになるのですが、これがなかなか姿を現しません。
ようやく出たと思っても個体数が少ないパイの奪い合いというところもあって、落札に至らないことしばしばですが、そこはのんびり構えようと思います。
落札上限額を5万円に設定して出品されるのをひたすら待ちます。
5万円はとても高いと感じられるかも知れませんが、大口径がその5倍とか10倍、とくに珍しいものが100万オーバーとなると、5万円くらいに設定するのが写真レンズの嚆矢と言えるペッツバールへの礼儀ということにしました。

さて、江の島春祭りの伝統行事部門の目玉は稚児行列で、江島神社の稚児の前には多くのカメラマンなどが陣取っています。
しかし、よくよく見るとそれらは稚児のご家族なのですね。
ローカルなお祭りですから、両親と兄弟におじいちゃん、おばあちゃんも加わって稚児ひとりあたり5~6人が見守っているので周囲が人で埋まってしまうわけです。

もちろん伝統行事を見学したいというカメラマンもそれなりの数が来ていて、さらには観光に来てたまたま通り合わせたという人の方がよほど多いということもあって朝の満員電車のような状況です。
最前列の男の子たちは、次々にカメラを向けられてかなり緊張した面持ちですし、ずっと立っているせいでか顔色も悪くなっているように見える子もいます。
一方で、作例のように、女の子は着飾っているところをカメラを向けられて嬉しさかにじみ出ているように見えました。
稚児の年齢にして、日本人の男女の違いが見て取れるものなのだなあと感心しました。
【Alpha7/Jamin et Darlot 15.5cmF4 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Jamin et Darlot 15.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/03/18 Tue

她是誰

Jamin et Darlot 15.5cmF4
今日から、この日曜に見物した江の島春祭りのポートレイトあるいはポートレイト風の作例を見ていただくことにします。
先週の浅草シリーズに続いてkpmtさんとksmtさんとご一緒いたしました。
ksmtさんとは、その前の週の熱海のシリーズでも同行していますので、ブログの上では3週連続でご一緒、ということになります。

オールドレンズの蒐集というそれほど前例の多くない趣味を続けていくには、このおふたりが身近にいてくれたことはわたしにとって重要なことでした。
レンズの話をできることはもちろんですが、何か不思議なレンズを付けて楽しそうに撮影しているおふたりを眺めているだけでも幸せな気持ちになれるからです。
まったく個人的な愉しみであっても、傍らに理解者がいるのといないのとでは、気持ちを維持していくだけのモチベーションに大きな違いが出てしまうでしょう。

今回は地元、江の島におふたりが来てくださるということで、早めに現地入りして祭りの運営や鎌倉、藤沢、茅ヶ崎、平塚から終結したそれぞれのミスを事前リサーチすることにしました。
というよりは、抜け駆けで先行撮影していたという方が正しかったかも知れません。
ちょうど神社への参道を歩いていたら、美しい女性が佇んでいるのが見えてきて、海の女王というタスキを付けていたので撮影させていただきました。

もう何年も前のことだと思いますが、ミス○○コンテスト花盛りの頃、女性団体などからミスコンテストは女性を商品化するものでけしからんなどのクレームが出て、ピンチに立たされたことがありました。
コンテストにはだいたい水着審査というのがあって、スケベ親父を喜ばすようなミスコンテストは中止すべしとのストレートな意見も強かったと思います。
時代の趨勢ということでもあったので、そのまま廃止に追い込まれてもおかしくはなかったのですが、自治体主催のミスコンは市の有力者の楽しみという一面があることは否めないものの、むしろ観光PRが主要な仕事で簡単にはなくせない事情があったと推測できます。

そこで考え出されたのが、ミス○○という呼称を止めることでした。
各自治体は知恵を絞ってそれぞれにふさわしい名前を考え出します。
地元藤沢は海の女王というネーミングになったのですが、湘南からイメージするところでは悪くないですし、水着審査の口実にもなったのでしょうが、わたしにはモーツァルトの夜の女王のアリアが思い出される名前で、ついつい夜の女王と間違えて呼んでしまいそうです。
例のえらく高い声を出す難曲です。

さて、撮影に応じてくれた海の女王ですが、おじさんにも気軽に話を合わせてくれる心根の優しい女性で、かつ写真を始めたところだと言って、ペッツバールにもたいへん興味を示してくれました。
江戸時代にフランスで作られたレンズだと言えば、大概の人はとても驚きますがその後の説明は関心度はそれほど高くないという人が、ましてや若い女性では多いのではないかと想像しますが、彼女のリアクションは強い興味を示しているように思えてとても好感を持ったのです。
それに、出身がわたしの住んでいるところの隣町のようなところで、ほぼ地元ということでも応援したくなるような気持ちになりました。
何より、品のあるとても美しい女性です。

ところが、彼女のプロフィールを調べようと海の女王のサイトを開いてみたのですが、彼女が見当たらないのです。
当日、彼女を含めて3人の海の女王を見かけて撮影させてもらいましたが、他のふたりは写真とプロフィールが出ていて特定できるのに、なぜか作例の女性が出ていないのです。
3人選出されているので、残るひとりが彼女であるはずなのに、写真には別の女性が写っていました。
まさか、何かの事情で顔が変わってしまったということも韓国ならともかく、ちょっとありえないでしょう。
いきなり1枚目の作例から、ミステリーになっしまいました。
彼女のことが気になって仕方ありません。
【Alpha7/Jamin et Darlot 15.5cmF4 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Jamin et Darlot 15.5cmF4 | trackback(0) | comment(2) | 2014/03/17 Mon

一半和一半

Lereboures et Secretin 85mmF3.4
ルルブールは、シュヴァリエなどと並んで世界最古の写真用レンズのメーカーです。
写真術が発明される19世紀初頭には望遠鏡や顕微鏡などの光学機器を製造していて、ニエプスがその研究を進めていた時にはシュヴァリエから望遠鏡用の単玉レンズを購入していますし、パリに出掛けたときにはルルブールとも接点ができたようです。
ニエプスとの共同研究からダゲレオタイプに発展させたと言われるダゲールもシュヴァリエ、ルルブールと交流しており、最初のジルーのカメラにはシュヴァリエのレンズが付けられましたが、かなり早い段階でルルブールも写真用レンズを製造していたのは間違いありません。

シュヴァリエやルルブールのレンズを使うことは、写真術の発明に思いをいたすことになると考えます。
両者のレンズはそう多くが市場に出てくるわけではなく、ようやく入手したルルブールには大いに期待をしていました。
しかし、もともとが写真撮影用のレンズではなかったのか、見た目の美しさとは逆にまともに写らないレンズとして失望させられます。
特に、その後に入手したダルロー、ゴーダン、デュブローニとフランスの後続メーカーの写りが素晴らしかっただけにルルブールの復権を図る必要があります。

ずっとネットオークションをチェックし続けたところ、ついに今年の初めになってルルブールのペッツバールの小型のものが出品されました。
このようなレンズは、年に1~2回でるかどうかではないかと思われます。
同じようにこのレンズを落札しようとする人と一騎打ちに熱くなってしまい、かなり高額の落札となりました。
しかし、ここでトラブルが発生しました。
オンラインでの支払いがどうしたわけかできず、送金も手間だったことから、泣く泣く落札をキャンセルすることになったのです。
フランスの出品者でしたが、たいへん申し訳ないことをしてしまいました。

こういう場合一騎打ちだった相手に権利が移りますので、その人が購入したものと思っていました。
ところが、それから3か月経った先週のことですが、同じレンズがまた出品されてきました。
質問欄に何やらフランス語での質問と回答が出ていたので、翻訳サイトで訳してみると、「以前にも同じレンズを出品していたのにまた出品とはどういうことか?」「日本人が落札したのだが、支払いをキャンセルされた」のようなことが書かれていました。
わたしのせいで、日本人全体のイメージを落としてしまったようです。

さて、それを払拭するにはわたしが再度落札して即座に支払いのうえで信頼してもらうしかないと思いました。
支払いシステムは問題なくなったことを確認しています。
そして、今回は競り合う相手が現れず、前回の半額以下で落札してしまいました。
すかさず、前回は申し訳なかったと連絡して、同時に支払いも完了させました。
返信には、どうもありがとう、でも前回の半額で買えてよかったね、と賛辞か皮肉か分からない言葉があって、前回以上に申し訳ない気持ちになりました。
月曜に発送したと書き込みがあり、レンズはまだ届いていませんが、このレンズでルルブールの復権を果たすことができるでしょうか。
とても楽しみにしているところです。

さて、今日が墨田~浅草の作例の最後になります。
まだ先週の雪が残る寒い浅草で、浴衣姿の女性がいたので、これは外国人だろうと思い、写真を撮らせてもらおうと声をかけました。
ふたりが中国語を話していたので、こちらも中国語で台湾から来たのですか大陸ですかと聞くと、ひとりがいえ韓国ですと答えるのでわたしは返事に窮してしまいました。
えっ、でもいま中国語で話していましたよねと中国語で確認すると、そうですと中国語でやはり答えが返ってきます。

どういうことなのか聞いてみたかったのですが、どうも先を急いでいるようでしたし、あの格好で立ち話していたら風邪をひかせてしまいます。
2枚だけ撮影して、礼を言って別れました。
当てずっぽうを言えば、中国語でわたしに返事した女性は韓国人で、もうひとりは中国人だったということかも知れません。
今となってはそれを確認するすべはないのですが。
レンズのことを考えて、日の丸構図で撮ったのですが、それでもふたりの顔の中心から離れる側はボケかかってしまっています。
このレンズはひとり撮影用ということですね。
いずれにしても、新しいルルブールが無事到着することを首を長くして待つしかありません。
【Alpha7/Lereboures et Secretin 85mmF3.4 F3.4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Lerebours et Secretin 85mmF3.4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/03/16 Sun

非常奇怪

Lereboures et Secretin 85mmF3.4
話題としては鮮度を失ってしまったかも知れませんが、Jリークの試合中に差別的な横断幕が用いられたとして次の主催試合を無観客とするという採決が浦和に下りました。
サッカーがニュースのトップを飾るなどということは、日本代表がワールドカップ出場を決めて時にあったかどうかというくらいで、1クラブチームのことで各局がニュースの最初に報道したということからも重い事実なのだと分かります。

有力選手を外国から補強するサッカーでは、常に人種差別の問題が付きまとっていました。
とくにヨーロッパでは対戦相手の黒人選手(ときどきアジア人選手)が存在するとその標的になることはしばしばです。
もともと有色人種に対する差別が残っているところに、とても優れた相手の黒人選手が活躍しているということがサポーターの攻撃対象になりやすかったということでしょう。
選手やクラブからの要請もあって、FIFAでは人種差別に対する厳しいルール作りを直ちに作成したという経緯がありました。

確かイタリアだっと思いますが、相手黒人選手に対する差別的なサポーターのチャント(本来は応援歌のようなものです)があったときに、選手がプレイを続ける意思が無いという行動に出て試合が中止になったということがあり、無観客試合になったかは不明ですが、少なくとも差別行為をしたサポーターはスタジアムに生涯入場できないというペナルティを科されています。
また、一昨年のヨーロッパ選手権ではすべての試合前にキャプテンが人種差別の撲滅を宣言していたのが印象に残っています。

浦和で問題になった差別とは、「Japanese Only」という横断幕が客席へのゲートに掲示されたことだとされています。
たしかにこれは日本人以外を差別するということで言えば差別なのでしょうが、差別対象が広すぎて具体性がないですし、イタリアなどの人種差別ということとはあまりに違いがあって首を捻らざるを得ません。
ニュースもトップで扱う割にはよく分かるような説明はなく、過去にも問題があったので重大性を鑑みて無観客試合にしたという理解しにくい報道がなされていました。

知識不足わたしで考え付くことはひとつしかありません。
ヘイトスピーチとの関連です。
横断幕を掲げたのはヘイトスピーチの活動家でその一環としてのジャパニーズオンリーだったか、もしかしたら、もっとえげつない横断幕もあったのにそれは報道では伏せられて、無難な日本人だけというフレーズだけを流したということなのではとも想像してしまいます。
それなら、より攻撃的な人種差別と言えるからです。

スペインのリーグで今季バルセロナに初めて土を付けたアスレチック・ビルバオは、バスク人のみしか入団を許されないバスクを象徴するクラブとしてよく知られています(今では、バスク在住であればバスク人でなくても入団できるように緩和されているようです)。
このチームが外国人選手の補強をせずに100年の歴史の中で一度も2部落ちを経験していないクラブとして内外の尊敬を集めていますが(バルセロナとレアル・マドリードとビルバオの3クラブだけがスペインで2部落ちしたことが無い)、バスク人オンリーだからと言って人種差別クラブだと言われるのを聞いたことがありません。
日本人だろうがバスク人だろうが言っていることは同じなのですから、背景が違うということだとしか考えられません。

極端に言えば、Jリーグ側が政治問題に発展することを避けるためにこのようなかたちで決着させたか、ヘイトスピーチを政治利用したい組織が問題を伏せたかしたと考えてみたくもなるというものです。
常にホームで大観衆が集まる浦和は無観客試合で経済的に大きなダメージを受けますし、大切な試合を観戦しに行けないサポーターもやりきれない気持ちのはずです。
ニュースでのサポーターの反応は、あんな横断幕を許した以上仕方ないという、これもわたしには理解を超えたものでした。
まるでデリケートな問題なので、浦和球団側がテレビのインタビューに対する回答を用意していたように。
【Alpha7/Lereboures et Secretin 85mmF3.4 F3.4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Lerebours et Secretin 85mmF3.4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/03/15 Sat

演奏家的肖像

Lereboures et Secretin 85mmF3.4
東武線に乗って浅草に移動してきました。
先週の三味線、3日前の琴と演奏者の作例がありましたが、今日は演奏中ではないので分かりにくいのですが、サクソフォンを持った女性の作例です。
背中に看板を背負ったちんどん屋さんなのですが、ビラ配りとの合間にきちんとした音楽を奏でる彼女たちも、広告業というよりは音楽家と言っていいのかなと思いました。

ここのところずっとペッツバールを主体に撮影しているので、ポートレイトを撮りたいと考え、ときどき町中でお願いしては撮影させてもらったりしています。
ただ、ポートレイトを撮らせてもらう相手は限られています。
外国にいるときは自分が外国人だという立場からお願いしやすいのですが、国内ではただでさえ小心者で優柔不断でなかなか声がかけられません。
まずごく普通の人には声掛け不可能で、晴れ着の人など通常とは違う服装をしているという事実がなくては写真を撮らせてくださいと言うのが、怪しいナンパか勧誘と見なされてしまうでしょう。

ペッツ友のksmtさんは、ここのところポートレイトばかり撮っていて、撮影依頼には苦労していないのかと思ったのですが、話をうかがえばやはり苦労されているようでした。
サイトには多くの着物女性が登場しますが、その多くが台湾や中国など外国人だと聞き、外国人に対する方が声がかけやすいんですよねと納得しあったものです。
レベルは別として、ksmtさんもわたしも英語と中国語で撮影依頼できますが、自国語でなく第2外国語、第3外国語を使うことで、気恥ずかしさが大幅に緩和されるということらしいです。

もうひとつ、ペッツバールのことを紹介していつ頃どの国で製造されたかなど、レンズについて説明することは忘れません。
モデルになってもらう方に対して興味を持っていただきたいという気持ちからですが、自分が撮りたいからではなく、このレンズのテストのために仕方なく依頼しているのですと言う照れ隠しに利用している感、無きにしもあらずです。

さて、そこで最初に書いた演奏者のことになります。
町中やイベントなど、楽器を奏でている人は意外と多くいるものです。
撮影依頼を演奏者の方々にも広げてみようかなと考えてみました。
ペッツバールで撮る音楽家シリーズ企画です。
演奏中の撮影ができればとても面白いですが、なかなかそうもいかないでしょうから、ここでもペッツバールの紹介をしながら、そのペッツバールで音楽家の写真を撮っているのですとお願いしてようかと考えています。

もうひとつは、特徴あるカメラやレンズで撮影している人のポートレイトを撮って、こだわりの機材について語ってもらうということもやりたいと思っています。
撮影して歩いていると、ときどきですがあまり見かけないクラシックカメラで撮影する人、ライカに珍しいレンズを付けている人とすれ違うことがありました。
同じような趣味の人だとひと目で分かるのになかなか声をかける機会がありませんでした。
そういう方ともペッツバールを介して交流が持てるかも知れません。
いずれにしても、何か新しいアクションを起こしていかないと、レンズが好きというだけではブログを毎日更新していくのが辛くなってきました。
【Alpha7/Lereboures et Secretin 85mmF3.4 F3.4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Lerebours et Secretin 85mmF3.4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/03/14 Fri

古民家水族館

Lereboures et Secretin 85mmF3.4
香梅園の入り口脇の電柱に、立花大正民家園は向うと矢印の付いた表示が出ていました。
2キロ近く離れているようですが、途中、ランチを食べて、腹ごなしに歩いて行くのにちょうどよいくらいです。
もともと香梅園での撮影以外これといった予定もたてていなかったので、意見一致で出向いてみました。

川崎にある日本民家園はたいへん規模の大きな全国の古建築が楽しめる施設ですが、こちらの民家園はもとから存在していた1棟がそのまま保存されているだけです。
とはいえ、墨田区周辺の古民家はほぼすべて取り壊されている中で、ここだけが墨田区に寄贈されて建てられた当時の状態を保持しつつ見学できるというのはすばらしいことだと思いました。
香梅園を訪れた方は、ぜひ、立花大正民家園の方にも足を延ばしていただきたいものです。

桃の節句が近い時期でしたので、古い雛人形が飾られていたのですが、それを撮ろうと庭に回り込んだところで、社会科の課外授業に来たのか女の子が現れて、わたしたち以上の熱心さで古い家のことを調べていたのが印象に残りました。
管理されている方も、ここぞとばかり張り切って説明されていましたが、将来、彼女たちが民俗学者になって、当時の生活や今では廃れてしまった道具などを再現してくれるようなことを期待してしまいます。

そういえば、わたしたちも詳しく説明いただいた中で、この引き戸の窓ガラスは建築当時そのままのものだと言われていたのを思い出しました。
少し歪んだ窓ガラスは日本では珍しいもので、1917年に建設されているのでほぼ100年前のガラスだということになります。

そういう話になると俄然盛り上がってしまうのが、オールドレンズ愛好家の宿命で、1917年に製造されたレンズに置き換えて考えたくなってしまうのです。
1895年のプラナーから1902年のテッサーまで、世紀の変わり目の前後には近代的レンズの創世記の感があるのですが、1917年のレンズで思い出せるものが無く、若干遅れますが、1919年のエルノスターと1920年のオピックが、ほぼ同世代のレンズということになるでしょうか。

エルノスターよりも2歳年長のガラスかと思うと頬ずりしたくなってしまいますが、このガラスは触れることが禁じられています。
この家の持ち主である小山家では、ガラスを守るために子供をそばで絶対に遊ばせないように徹底していたくいだということです。
ガラスが基調だったということはもちろんですが、建物内部に古いこの家の写真が掲示されていて、もしかしたらここのご主人はレンズが好きで、ガラスにも敬意を払ったのかも知れないと想像を膨らませました。

しかし、それより半世紀も古い今回のルルブールでは、その窓ガラスをうまく捉えることができません。
ガラス上にクラゲのような白い熱帯魚のようなハイライトの跡をいくつも残してしまいました。
コマ収差と非点収差の合作でしょうか、窓ガラスの歪みがそれらに変化をつけて、水槽の中を泳ぐ魚を見るようで何とも奇妙というほかありません。
【Alpha7/Lereboures et Secretin 85mmF3.4 F3.4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Lerebours et Secretin 85mmF3.4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/03/13 Thu

胶巻200円

Lereboures et Secretin 85mmF3.4
昨日、酒と旅のことを書いていて思ったのが、写真も酒に似ているということでした。
わたしがヨーロッパを旅して歩いていた頃はまだデジタルカメラというものが無く、フィルムで撮影していたのですが、ボトルに入ったワインを愉しみに日本に持ち帰って開栓するのと、パトローネに入ったフィルムを帰国後DPEに出して愉しみに持ち帰るというのがよく似ていると考えたのです。
わたしは旅先であまりお土産を買う方ではないので、唯一のお土産だったお酒と現地を写してきたフィルムは同じようにとても大切なものでした。

もうひとつお酒(特にワイン)とフイルムの共通点は、飲んだり見たりしなければ内容は分からないということです。
試飲したときはまあまあという程度だったのに。帰国後に飲むととても旨く感じられたり、我ながらよく撮れたはずとプリントを見てがっかりなどということが、あるいはその真逆が普通に起こります。
だからこそ、お酒もフィルムも愉しみがそこに凝縮しているように思えてくるのです。

デジタルになってその愉しみは失われてしまいました。
と思ったのですが、撮影結果を後になって楽しむということであれば、デジタルだって帰国するまでずっと結果を確認せずに我慢し続ければ同じことです。
結局のところ、フィルムで撮るという儀式的性格にわたしは洗脳されていたに過ぎなかったのかも知れません。
デジタルの手間いらずと経済性は、フィルムの魅力を凌駕してしまっています。
もつともそれはわたしの場合であって、フィルムの方が画像が美しいので金銭には置き換えられないと考える方もいますし、フイルムカメラの手間こそが愉しみという方もいるので、それは人それぞれということになります。

ところで、1週間ヨーロッパに旅行するときは14本のフイルムを持って行ったものです。
1日2本72枚撮影するためだったのです。
この2本というのは経験上妥当な数字として落ち着いたもので、例えばヨーロッパの田舎町を朝から晩まで歩いたり憩ったりするとだいたいそのくらい撮っていたので、わたしの撮影定数としました。
もっとも、すべてAE任せで撮って露出の失敗が多かったので、ブラケット露出などの概念を知っていれば、2本では済みません。

フィルムが足りなくなっても現地調達は可能でしたから、その撮影ペースを守れば良さそうなものです。
しかし、現地のフィルムは高く、行先も田舎の方が多かったので、最終日に撮りたいものに出合ったのにフィルムが尽きていたというのを避けたくて、いつもややセーブして撮っていたというのが実際のところです。
だいたい1本か2本は未使用フィルムを持ち帰ることになりましたが、それなら十分に想定の範囲と言っていいでしょう。
最終的に500枚近い写真は取捨選択の上アルバムに保管して、写真毎にメモを書いたりしたものです。
思うに、それって今やっているこのブログそのものですね。
当時から進歩が無い。

当時の使用カメラは、確かキヤノンのオートボーイという名前だったと思いますが、当時のAFコンパクトのはしりのようなカメラで性能は知れていましたから、フィルムも量販店で10本2400円くらいだったか、フジのイタリア逆輸入もので済ませていたように記憶しています。
現像とプリントは近所の安い洗濯屋さんですから、写真のできは言うまでもありません。
友人たちにはぜひ見せてと言われましたが、どうも写真の評判は良いとは言えませんでした。
このことも、いまのブログの写真レベルはその頃から変わらず、周囲の評価も同様だということなんですね。
【Alpha7/Lereboures et Secretin 85mmF3.4 F3.4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Lerebours et Secretin 85mmF3.4 | trackback(0) | comment(2) | 2014/03/12 Wed

勧君更盡一杯酒

Lereboures et Secretin 85mmF3.4
わたしはお酒にとても疎い人間ですが、それでも飲むことは嫌いではありません。
知り合いには酒好きが多く、影響されて飲んでいるのが実情です。
その知り合いたちのお酒の嗜好がさまざまなところが面白いなあといつも思います。
ひたすらビールしか飲まない先輩がいると思えば、ワインに人生を捧げるような友人がいます。
東北の仕事で知り合った人たちはやはり日本酒こそ酒だと言って譲りませんでしたが、東京で1か月の研修を受けたとき鹿児島からの参加者とは毎日芋焼酎のお湯割りで鍛えられました。

見るからに凝り性の知り合いは、何かの機会に飲みに行って、スコッチ通だと分かりました。
シングル・モルトの話を延々とするので感化されやすいわたしは、翌日にはさっそくディスカウントの酒屋でスペイサイドとハイランドの安いのを1本ずつ買って飲み比べしたことを思い出します。
次に会った機会に、シングルモルトはストレートを常温で飲まないとダメだよねえといい加減なことを言ったところ、水割りの方が香りが引き立つんですよ、最高のカクテルってなんだか知ってますが、シングルモルトの水割りなんですと、ちくりとたしなめられましたっけ。
マレーシア航空機消息不明のニュースを見て、インドネシアからの帰り道に機内販売でハイランドのシングルモルトを買っていたことを思い出して、いま、それをちびちび舐めながらPCに向かっています。

思い出しついでて言うと、わたしは若い頃旅をすると現地の味覚を帰国後にも味わえるようにと、土地のお酒を必ず買うようにしていました。
いまでは世界中のお酒がいながらにして入手可能ですが、当時は、旅の自分土産としてはいちばんだったのだろうと思うのです。

最初の旅でウィーンに着いたときモーツァルト・リキュールというのを見つけて興奮しましたし、ハンガリーでは日本で買うと高いトカイワインとウニクムという薬草のお酒を持ち帰りました。
カタルーニャの旅の帰り道はパリからのフライトだったので、無い知恵を絞ってトゥールーズに近いカオールまで出てこの地の有名なワインを手に入れました。
南仏でも足を延ばしてシャトーヌフ・デュ・パープのシャトーを訪問したりしています。
イタリアではモンプルチーノですが、むしろ気に入ったのは現地の人に勧められたグラッバでした。
白ワイン好きの友人が結婚したときわたしはヨーロッパに行ったのですが、帰りをフランクフルト経由で1泊してラインガウまで日帰りしてトロッケンベーレンアウスレーゼからQBAまで何本かずつを木製ケースに詰めてもらって空輸してもらったところ、涙を流して喜んでもらいました。

現地のスーパーで済ましたこともありますが、多くのケースで醸造所を廻ったりとか、葡萄畑が見えるような位置のレストランでワインを譲ってもらったりとか、なるべくそのお酒が育ったのと同じ空気を吸えるような環境で購入しています。
そうしたからと言って味が良くなるわけではないのですが、旅を瓶に詰めて持ち帰ったという気持ちになれるのがよいのです。
瓶の中の液体に、その土地だけではなく、旅の全行程が溶け込んでいるように思えてくるのです。
帰国してすぐはまだ夢見心地ですが、時間が経つにつれて気分が薄れていき、1か月もすると遠い過去の出来事のように思えてきます。
そのとき、現地で買ってきた酒があったということを思い出し、夜な夜なその封を切るのです。
飲むほどに旅の感情を甦らせ、夢の中で旅を続けることだってできるかも知れないのです。
【Alpha7/Lereboures et Secretin 85mmF3.4 F3.4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Lerebours et Secretin 85mmF3.4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/03/11 Tue

位置正中

Lereboures et Secretin 85mmF3.4
今週は、2月22日にknpmさん、ksmtさんと散策したときの作例を上げさせていただこうと思います。
昨日までの続きのような写真ですが、今日からは場所が東京都内に変わっています。
時間にいたっては先週までの熱海より1週間遡ってしまいます。
作例に変化がないこと、撮影順の紹介になっていないことをお詫びしないといけません。

たすきに「すみだ」と書かれているとおり、墨田区の香取神社内にある香梅園で開かれた梅祭りを3人で見学に行きました。
香取神社の梅祭り見学はほぼ恒例行事となっていて、去年も、あるいは一昨年も、同じメンバーで訪れています。
墨田区の観光大使のお嬢さんの撮影ができるので、ブログ更新にはもってこいですし、その他にも野点や琴、尺八の演奏があったり、甘酒の販売があったりでぼんやりしていても楽しめるのがよいです。
梅園というと広大な敷地に目一杯梅の木が植わっているところが多いですが、香梅園は小さな庭園風でそれ自体に味がありますし、何百本をさっと見て廻るより、1本1本を愛でるように観賞する方が梅の楽しみ方として本流なのではという気もします。

毎年同時期に行われる香梅園の梅祭りですが、じつは今回初めて満開の梅にあたりました。
去年も花が見られましたが、5分咲きとかそんなものではなかったかと思いますし、それより前はつぼみだけで花はどこにあるんだという梅祭りもありました。
今年は2週続けて大雪が降ったり、その後も寒い日が続いているのでとても寒い冬のように思いがちですが、1~2月のある時期はけっこう暖かい日が続いたりして、梅の開花を例年より早めていたのですね。
梅祭りの日程はほぼ毎年同じ時期だと思うのですが、開花時期がこうも不安定だともう少し柔軟にスケジュール決定してもいいのかも知れません。
梅の咲いていない梅祭りでは、来場者が呆然としてしまうでしょう。

それをカバーするのが親善大使の存在なのかと気付きました。
梅はまだですが、わたしたちの笑顔を楽しんでいってくださいね、ということかと。
そのせいか、各地のミス○○に比べて、すみだ親善大使はよりフレンドリーです。
撮影時にお願いしますと声をかけると、しっかりこちらを向いて笑顔をくれるのは他と変わりませんが、撮影直後にありがとうと言うと、きちんとお辞儀しながらありがとうございますと返してくれます。
タダで写真を撮らせてもらって、ちょっと後ろめたい気持ちがないではないのですが、そんな対応をしてもらえると救われた気分になるものです。

恒例の撮影となっているので、逆にレンズはあまり持ち出さないものをと考えてルルブールのペッツバールを引っ張り出してきました。
ど真ん中以外が流れまくるので、中央に被写体を置かないといけないのですが、わたしにはなかなかそれができないので苦手レンズなのです。
今回も、意識しながらなかなか顔をど真ん中に持って来ることができず苦労しました。
ようやく撮れた今日の作例ですが、日に当たっている梅が花火のようになっているところが気に入っています。
右袖の滲み具合はそれ以上に好いですね。
【Alpha7/Lereboures et Secretin 85mmF3.4 F3.4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Lerebours et Secretin 85mmF3.4 | trackback(0) | comment(2) | 2014/03/10 Mon

小狗的後面

Meyer OminI 20cmF3.5
芸妓さんの舞を堪能してからいつもの梅園に向かったのですが、残念ながら雨は止むことなくむしろ雨脚を強めたようでした。
ミス熱海の撮影は中止だったどころか、その姿すら見かけません。
風邪でもひかれたらたいへんですので当たり前です。
ステージでは大道芸が行われていましたが、恐らくは梅の盛期に多くのお客さんの前でステージに立てると張り切っていたであろうパフォーマーは、わたしたち以上に雨を呪っていたことでしょう。

梅園には韓国式の庭園がありますが、梅の期間中、韓国伝統茶の販売が行われると表示されていたので行ってみましたが、これも中止になっていました。
日韓共同開催のワールドカップの前後にソウルを訪れ、仁寺洞の喫茶店で伝統茶を飲んでいたわたしは12年振りに飲めると期待しただけにとても残念でした。

予報から悪く、当日朝から雨だった熱海ですが、梅園にはけっこうな人が訪れていました。
雨の中で見る梅はより風流だからとやって来たファンもいたのかも知れませんが、多くはこの日熱海に行くと前からスケジュールを立てていて、当日の天気に関わらず翌週末は別の予定があるからとここまで来たということなのでしょう。
雨は雨で確かに風情がありますが、傘をさしての観梅は不便ですし、青空を背景にメジロも羽ばたく中での梅という方が定番でしょうから、そういう状況下で観ていただきたかったです。
梅の時期には何度も足を運んで、熱海の行政や旅館業、芸妓の皆さんまで、一体となって盛り上げようとする姿を幾度となく見てきた身にとっては、自然とそんな感情が起ころうというものです。

わたしたちは、早々に引きあげて途中にある温泉で疲れを癒しました。
ksmtさんは余裕だったかも知れませんが、わたしは何しろ使い慣れない重たくて長いレンズを振り回して、肩と腕が悲鳴をあげていました。
源泉かけ流しと明記してあった露天風呂で肩と腕を揉みほぐして生きた心地を味わいます。
生きていると言えば、体がふやけるほどの長風呂に浸かった後、畳の休憩所でごろんとなりながら飲んだビールの旨かったこと、他に変えられる心地よさは思い当たりません。

さて、温泉と言えば、梅園の中にも足湯があって訪れた人々の憩いの場となっています。
わたしたちは最初から温泉を利用するつもりだったので足湯はパスしましたが、寒い中で湯気を立てておいでおいでしているような雰囲気は魅力的に見えました。
そんな中に薄着でご主人様を待っていたと思われるワンちゃんが熱海最後の作例です。
言うまでもなく全体に白っぽいのはフレアではなく足湯の湯気であることをレンズの名誉のためにも明記しておきましょう。
そういえば、このレンズのオーミンの意味は前兆であり、オーメンのような超常現象が写るレンズかもなどと書いてしまいましたが、ワンちゃんの真上にそれっぽいものが写っていてギョッとしてしまいました。
たまたま人間のように見えているだけのようであり、あるいはたったひとりで足湯に浸かる女性のようにも見えます。
しかし、これは足湯なのですから、足の無い例が浸かれるはずはないことを考えれば、オーメンではないということでしょう。
【Alpha7/Meyer OminI 20cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Meyer OminI 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/03/09 Sun

温柔鏡頭

Meyer OminI 20cmF3.5
ピントの良いレンズという言葉があります。
本来の意味は調べてみてもよく分からなかったのですが、恐らく、各種収差がよく補正されていることで、合焦しているしていないがはっきりしたレンズのことを意味しているのではないかと思われます。
初期のペッツバールレンズは非点収差や像面湾曲は大きく残っていますが、球面収差はよく補正されているものが多く、押しなべてピントの良いと言えるレンズが多いと考えられます。
したがって、乱視のわたしでも一眼レフでピント合わせがしやすいと感じられます(その割にはよくピントを外してしまいますが)。

ところが、マイヤー・オーミン(このレンズをそう呼ぶことにします)ではずいぶんと勝手が違いました。
重さや長さによってピントを外しまくったということを書きましたが、理由はそれだけではなかったようです。
どうもファインダーの中でピントが合っているのかそうでないかがはっきりせず、MFアシストも使ってみるのですが結論に至らずで、あいまいなままシャッターを切るようなことばかりでした。
作例では梅の花にない青い線が出ているのは色収差だと思われますが、それ以外にも若干のフレアっぽさに球面収差が残っているような感じがしますし、どうもそれら収差がファインダー内でのすっきりしない感になっているようです。

レンズはよりシャープでコントラストが高く、対象をはっきりと写し出せるものが高性能だったのですから競ってそういうレンズが製造されていました。
しかし、ペッツバールは画角が狭くて周辺は像面湾曲でピントが合わないのですから風景や建物を撮るには向かず、ポートレイト専用になります。
写真館にとって重要な顧客だった貴族やお金持ちのご婦人が、あまりに自分の顔をはっきり写し出されるよりは、少しソフトで小皺やシミを隠してくれるレンズを好むようになるのは必然だったでしょう。
マイヤー・オーミンはそのように設計されたレンズだったのかも知れません。

ペッツバールは分類上3群4枚構成になりますが、貼り合わせの前群と分離した後群の2つが一定の感覚で配置された2つのユニットからなる構成と言った方が分かりやすく、焦点距離が長くなるほどいずれのレンズの径も大きくなりレンズ間隔も広がって行きます。
しかし、マイヤー・オーミン20cmでは、ジャマン・エ・ダルロー15.5cmよりもレンズ間隔が狭くなっています。
両者のレンズ径はマイヤーが大きいので、レンズ口径比と同様にレンズ間隔を広げれば、焦点距離が変わるものの同程度のスペックと描写性能のレンズになったのではないかと想像できますので、マイヤーは意識して違うタイプのレンズにしようとしたということでしょう。
女性に優しいレンズを作るメーカーだったということかも知れませんね。

ところが、いまこれを手持ちで使おうとする男性諸氏に対しては厳しいレンズとなっているのは、これまでも何度か述べたとおりです。
このレンズのために使用したアダプターとエクステンションチューブの重さを列挙しましょう。
1.ライカM=NEX・アダプター 44g
2.EOS=ライカMアダプター 77g
3.M42=EOSアダプター 18g
4.M42エクステンションチューブ1 17g
5.M42エクステンションチューブ3 39g
6.M42=M52ヘリコイド 197g
7.レンズ本体(マウント加工済) 792g
合計 1184g
ちなみにストラップを付けたカメラボディの重量は538gとレンズの半分にも満たない重量でした。
筋力付けて、再挑戦いたします。
【Alpha7/Meyer OminI 20cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Meyer OminI 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/03/08 Sat

刻印的秘密

Meyer OminI 20cmF3.5
ペッツバールレンズがまた少々増えましたので、リストを更新しておきます。
もともとブログを始めた理由のひとつがレンズの一覧化を目的にしていて、左側にレンズ名を並へるようにしているので屋上屋を重ねることになりますが、ペッツバールだけ抜き出して整理しておきたいと思います。

No. Manufacturer Nationality Focal lengs F No Years
1. Dallmeyer England 11.4cm(4.5in) F3.6 1861
2. Voigtlander Germany 10.0cm(4in) F2.3 1901
3. Lerebours et Secretan France 8.5cm(3.375in) F3.4 1860ca
4. Darlot France 10.0cm(4in) F3.5 1860ca
5. Gaudin France 10.0cm(4in) F3.5 1842ca
6. Dubroni France 10.0cm(4in) F3.5 1860ca
7. Vallantin France 7.0cm(2.75in) F3.5 1860ca
8. Holmes, Booth & Haydens USA 14.0cm(5.5in) F3.6 1857
9. Ross England 11.5cm(4.5in) F4 1862
10. Jamin & Darlot France 15.5cm(6in) F4 1860
11. Dallmeyer England 11cm()4.5in) F4 1861
12. Meyer Germany 20cm(8in)F3.5 1899ca

12番が今回使用したフーゴ・マイヤー、10番のジャマン・エ・ダルローは手許にありますがまだ使用していません。
前回の整理時同様、12本の平均値を計算してみましょう。
・平均焦点距離、13.90cm (10.78cm)
・平均F値、F3.50 (F3.49)
・平均製造年、1864.5年 (1862.3年)

括弧内は前回10本時の調査の時の数字で、焦点距離は大きく長くなり、F値はわずかに暗くなった程度で、製造年が2年少々新しくなっています。
35mmフォーマットで使うには100mm程度くらいまでの焦点距離が使いやすいですし、口径も大きいほど良く、製造年も古いものの方が嬉しいということで言えば、いずれも理想から遠ざかりつつある現状が分かります。

オークションサイトを眺めていると、ときどき19世紀後半くらいの湿板時代のカメラが出品されることがあります。
レンズにはペッツバールタイプのものが付いているのですが、それらには250mm以上の大きなレンズが付いているのが常です。
レンズ単体で売られているのも同様で、なかなか焦点距離が150mm以内のものは出てきません。
もっとも19世紀のペッツバールタイプのレンズには焦点距離の表示はありませんので、説明文にある出品者が計測したものを信用するしかありません。

オークションの説明文に正確な焦点距離が書かれているとは期待しませんが、高価に取引されるものなのでできる限りの実測結果は記載して欲しいものです。
バックフォーカスの計測はそれほど難しいことではありませんし、鏡胴の前玉から後玉までの長さも測ってもらえれば、ペッツバールの場合そこそこ精度のある焦点距離が分かります。
焦点距離に触れない場合は、レンズ径や鏡胴の長さをせめて記載してあれば、レンズ設計に差異の小さいペッツバールでは他のレンズとの比較で焦点距離が推定できます。
レンズ径ではなくフード径が、鏡胴の長さもフード込のものがそれとことわりなく記載されていたり、定規が添えられたレンズの写真があって径が3cmと小さいと思ったら3インチの巨大なものだったとか、手許に届いてからそれと分かったケースもありますので、それらはよく確認する必要があります。

さて、20cmF3.5と刻印されているフーゴ・マイヤーのペッツバールですが、これにも落とし穴がありました。
マウント部の製作をお願いしたksmtさんがレンズをチェックして刻印のスペックがおかしいことに気付き、次のように書いておられます。

「1:3.5 F=20cmと刻印されています。しかし、今の基準で言うと、F5.0, 220mm程度のようです。Canonのズームレンズで同じ画角、同じ明るさの写真を撮って、焦点距離とF値をEXIFから読み取っています。1:3.5とは単に焦点処理を前玉の直径で割っただけの口径比でF値ではありません。しかし、どうみても口径比は1:4.0くらいでして、ちょっと誇大表示のような感じです」

ペッツバールを蒐集しようとするならば、売り主の説明が信用できるとは限らないのは当然ですが、メーカー自身の記載することすらあてにはできないことを知るべきということのようです。
【Alpha7/Meyer OminI 20cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Meyer OminI 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/03/07 Fri

前兆鏡頭

Meyer OminI 20cmF3.5
どうもピントが来ません。
今日の作例では、前ピンか後ピンだったかも不明です。
500mmくらいのレンズで使い回しが厳しいと言うのを聞いたことがありますが、わたしにはペッツバールタイプで使う200mmがα7で使う限界のようです。
200mm(8インチ)以上のペッツバールにはもう手を出してはいけないと決意したわけですが、実はすでにこのほか2本の200mmペッツバールを購入してしまいました。
合計3本の200mmペッツバールが使いこなせるように、肩や腕に筋力をつける必要がありそうです。

さて、そのレンズですが、金色の真鍮ボディにフォーカシングのためのラックアンドピニオン機構とウォーターハウス絞りのためのスリットが開いた典型的なペッツバールのかたちをしています。
ボディには次のように刻印されています。

OminⅠ 1:3.5 F=20cm
HugoMeyer&Co
Gorlitz No9001

字体が工業的なブロック体で高級感がないのは残念ですが、製造番号が9001というのはたいへん魅力的です。
フーゴ・マイヤーのレンズでこんなに若い製造番号のものを見たことがありませんでしたし、00とは違うここからスタートするというキリ番なので、シリーズ1番目のレンズとか、プロトタイプとして製造されたレンズなのではと想像が膨らみます。

残念ながら、マイヤーの製造番号表が見つかっていないので製造年の特定は困難です。
そこでフーゴ・マイヤーの歴史は分からぬものかと検索すると、ウィキペディアのドイツ語版に略歴が見つかります。
それによれば、1863年に生まれた光学技師のフーゴ・マイヤーは、1896年に商人のハインリッヒ・シュッツェとHugo Meyer & Coを設立したとあります。
その後、有名なアリストスティグマートが成功して1901年に工場を拡張したなどとの記載もありますが、1905年に亡くなってしまい、事業が奥さんと息子に継承されたとしています。
Ominやペッツバールタイプレンズ等の記載はありません。

一方、「ツァイスの電話帳」の著者として知られるティエーレが著した「Markennamen der Deutschen Photoindustrie」というドイツカメラとレンズなどの名称一覧には、1903年のアリストスティグマートの製造番号59250の記載があります。
1896年の創業から8年ほどですので、平均すると年間7000本くらいの製造ということになります。
前述のとおり1901年に工場を大きくしてるので、それまでは年産3000本ほどだと推定すると、9001番のレンズは1899年の製造ではと考えられます。

Hugo Meyer Ominと検索してヒットしたのはカメラペディアの1件だけで、そこにはプロジェクター用レンズと記載されています。
しかし、このレンズにはウォーターハウス絞り用のスリットがありますし、ティエーレの本にも写真用レンズとして148657番1911年製造が記載されています。
当時の木製カメラ用レンズとして製造されたものとみなすことにします。
もちろん部分的にはプロジェクョンレンズとして使われたものがあったのは、当時のマジックランターンがペッツバールを使用していることから当然のことです。

レンズの刻印にはOminIとなっているので、OminのシリーズⅠという意味であると想像します。
恐らくIはペッツバールタイプでⅡ以下も存在しているのだろうと思いますが、手掛かりはありません。
Ominの意味もドイツ語辞書で見てもよく分からないのですが、Ominという単語はないようなのですが、Ominaというのはあって前兆の意味のようです。
これは英語にするとomenとなり、とても怖い映画オーメンのことです。
前兆が写りこむという何か霊的なレンズということだとしたらちょっと怖いのですが、少なくとも今回撮った写真にそういうものはなかったようです。
【Alpha7/Meyer OminI 20cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Meyer OminI 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/03/06 Thu

伝統楽器

Meyer OminI 20cmF3.5
昨日に続いて、熱海で見学した"華の舞"というステージから、楽団を写したものです。
なかなかピントが合わずに苦戦しています。
おかげで、譜面台の木目がはっきり見えることになって、これが手作りではないかということに気付かせてくれました。
座敷にあぐらで見学したのでもう少し慎重にピント合わせできそうなものですが、何しろレンズとそのコネクター類が長くて重くて一定時間以上は持っていられません。
長焦点のレンズは難しいという言葉は、使ってみて初めて分かるものなのですね。

三味線といえば前から疑問だったのは、この楽器の奏者は女性ばかりということです。
津軽三味線や三線は男性奏者が多いですが、三味線で男性が演奏しているというのを見たことが無いような気がします。
琴もそうです。
逆に尺八は男性の世界のような気がします。
邦楽器の中には性別制限があるのでしょうか。

わたしの学生のころはまだワープロが出てきたくらいで、パソコンを個人で所有できる時代ではなかったので、こんな素朴な疑問も図書館に行くなど半日掛かりで調べるしかありませんでしたが、今では検索すれば一瞬で問題解決してしまいます。
ありがたみが無いと言えば無いのですが、多くの疑問を解決してこなかったことを考えると、少なくとも半歩は前進したと言えるかも知れません。
上述の素朴な疑問に対する解答は、次のようなことになるようです。

まず三味線が女性のみというのはまったくの誤解でした。
絶対数が多い少ないということはありますが、三味線には男女格差はないとのことです。
尺八は、虚無僧が修行のための道具としていたことから女性が吹くことは忌避されていたということだそうです。
琴も三味線と同様でした。
有名な「春の海」の作曲者である宮城道雄は箏曲家の第一人者ということだけでも、男女がどうこうという問題以前です。
ちなみに、その春の海は新年のテーマ曲のように扱われることが多いですが、8歳で失明する前の道雄が父の故郷である広島の鞆の浦を見たときの記憶をもとに書いた曲とのことです。

単純化して言えば、男の子は野球やサッカーを、女の子は音楽の習い事をという割合が高くて、それが三味線や琴の男女比に繋がっているということなのでしょう。
団塊の世代が定年を迎える昨今では、仕事を引退してピアノやヴァイオリンなど西洋楽器を始めるという人が結構いると聞きましたが、三味線や琴はどうなのでしょう。
琴はかなりの本格派向きだと思いますが、持ち運びできる三味線は割と入りやすいのではないでしょうか。
密かに始めてみましたって人も周辺にいるのかもと想像します。
いずれにしても、なかなか機会のない三味線の生演奏を聴くことができたのも、熱海に行った甲斐ありだと思いました。
【Alpha7/Meyer OminI 20cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Meyer OminI 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/03/05 Wed

観音光臨

Meyer OminI 20cmF3.5
今日から、南国の開放的世界から思いっきりドメスティックな世界に戻りたいと思います。
この日曜にまた熱海に、またksmtさんと出掛けてきましたので、その作例を出させていただくことにします。
あいにくの大雨と慣れない200mm長焦点で撮影枚数自体が少ないうえ、今日の作例を含めてピントが合わなかったり手ブレしたりの連続で、写真に真摯に取り組む方であれば1週間ブログはお休みだと諦めるとところですが、良心の呵責すら感じないわたしは構わず更新を続けていく道を選択することにしました。

熱海には先月行ったばかりですが、ksmtさんが熱海の芸妓さんを観光客向けのステージで安く見ることができるので行ってみませんかと誘ってくれ、合わせて前回雨で中止されたミス熱海の撮影会にも足を運ぼうという計画を立てたのでした。
しかし、この日はまたしても天気が悪く、残念なことにミス熱海の方は今回も中止になってしまいました。
それだけに芸妓さんの撮影にはいつも以上の気合が入っていたのですが、気合だけではどうにも補えないものがあることを思いきり知らされることとなりました。

今回のレンズは、20cmのペッツバールですが、客席からステージに向けるにはちょうど好い焦点距離と明るさのように思っていました。
しかし、レンズ自体が真鍮で重たいうえに、レンズマウント部分のコネクター、ヘリコイド、エクステンションチューブ、キヤノン→ライカ・アダプター、ライカ→NEXアダプターと数えきれないほどの中間リングを経由しているためやたら長大なレンズになってしまいました。
何でも刻印は20cmとなっていますが、実際には22cmくらいの焦点距離があるそうで、いずれにしてももっているだけで腕が疲れてしまうようなエクササイズ兼任レンズでした。

20cmくらいの焦点距離になるとピント合わせも微妙になって来るようで、ファインダーを見ていてもなかなかピント合わせは厳しいです。
そして、持っているだけでカメラを支える腕や肩も震えて来るほど辛いということが分かってきました。
テクニカルにもフィジカルにも優しいとは言えないレンズなのですね。

それでも撮影し続けたのは、何より熱海の芸妓さんが良かったからです。
とくに作例の愛千代さんは、ひと目見て痺れました。
芸妓さんといって親しみを感じるという人は今の世の中少ないのではないかと思いますが、わたしもイメージするところは明治の文豪とか政治家が遊んだり、それを超えて恋に落ちたりとか、いずれにしても現代ではない世界のとても縁遠いところに位置する崇拝の対象のような感覚を持っていました。
愛千代さんのステージに舞う所作や振る舞いはそんなイメージ通りの、例えば観音様が光臨してきたかのような現実離れした残像をわたしの頭の中に残したのです。

20cmレンズでこの大きさですからわたしの位置から彼女までは8メートルくらいの距離があったはずです。
客席には100人以上の観光客がいずれもステージを食い入るように見つめていたはずですし、わたしのすぐ隣にはksmtさんが座ってわたしと同じようにステージを、というよりはやはり愛千代さんを見つめていたはずです。
にも関わらず、わたしには彼女を独占して見ていたというような不思議な感覚がありました。
ここのところコンサートなどに行っても音楽に入り込めず、客観的に音楽を聴いているというようなことが続いていたのですが、なぜかこの日は舞台の彼女にすごく集中できたようだったのです。
【Alpha7/Meyer OminI 20cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Meyer OminI 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2014/03/04 Tue

印尼女子高生

Honor 50mmF1.9
ビンタン島シリーズは昨日が14日目の最終回のはずでしたが、もう1日だけ延長させていただきます。
本来今日からの写真が足りなかったのです。
いつも、土日に撮影して月曜から翌日曜まで1週間スパンで後進するスタイルですが、数日以上の旅行の時は倍の2週間に延ばしますし、撮影数が足りないときは微調整もしなくてはなりません。
一定の決め事を作りつつも、フレキシブルに対応しないと、ブログの毎日更新はまずは無理です。

そういうアデイショナル・フォトにうってつけの1枚がありました。
シンガポールに戻るためにフェリー港に向かって歩いていたところ、隣接するペニェンガット島行きの船が出る埠頭の入り口で女の子ふたりが歩いているのを呼び止めて撮影させてもらったものです。
このシチュエーションならダルマイヤーのペッツバールで撮影したいところですが、スーツケースを引いて歩いている中で、ペッツバールもカバンの中で取り出す時間がなかったのが残念でした。

ふたりはペニェンガット島に住む友達同士だそうで、島には高校が無いので毎日船で通学しているのだそうです。
左の女の子が着ているのがどうやら制服のようですね。
緑の校章と思しきワッペンが光っています。
右の女の子もジャージ姿なので、高校では制服でもジャージでもどちらでも通学してよろしいということなのでしょう。
双方を同時に見られたわたしはラッキーだったと言えそうです。

女の子はふたりともなかなか可愛かったです。
特にすてきな眼の持ち主でした。
ふたりともとてもシャイで、よく撮影を承諾してくれたなと思います。
はにかみが、右側の女の子の不思議な手の所作に表れています。
ほとんど英語が通じなかったビンタンの旅で、さすが現役高校生たちとはコミュニケーションには問題ありません。
もっと早く親しくなっていれば良かったです。

写真を数枚撮っていたところで、バイクのおっさんが通りかかったのですが、彼が何か言うと女の子たちはわーっと船の方に走って行ってしまいました。
イスラム女性は写真はご法度とかそういうことではなく、たぶん、顔見知りのおっさんに写真を撮られていることを冷やかされて恥ずかしくなっただけだと思います。
余計なことしやがってと腹が立ちましたが、案外、こんな幕引きも悪いものではないなと思いなおします。
彼女たちの背中にサンキュー!バイバイ!と叫ぶと、一瞬止まって手を振り返してくれました。
ほんの2~3分のごとでしたが、旅の最後にビンタン島のイメージをずいぶん高めてくれた出来事です。
さらに数分後、わたしはスーツケースをごろごろと転がしながら、作例の前方に見えているはしけを歩いて出国審査の列に並んだのでした。
【Alpha7/Honor 50mmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zuiho Honor 50mmF1.9 | trackback(0) | comment(0) | 2014/03/03 Mon

請找真的人

Honor 50mmF1.9
町中のマーケットで見かけたマネキンです。
イスラム女性の付けるヒジャブというスカーフのような衣装を展示しています。
マネキン本体から首だけ外してディスプレイするというのは、ヒジャブがインドネシアの女性にとってとても大切なものだということを示しているように見えます。

ところで、この中にひとつだけ本物の人がいるのが分かるでしょうか。

撮影したわたしにも店員さんがなんでこんな位置にいるのかとても不思議です。
このでディスプレイを見たときに面白いと思って、目が合った店員さんに撮ってもよいかとカメラを見せつつアイコンタクトを取って、彼女から笑顔のOkサインをもらったのです。
マネキンヘッドにカメラを向けたときに、恐らく彼女はわたしが座ったままでは邪魔になってしまうと感じてマネキンの陰に隠れようとしたとしか思えません。
お尻隠して頭隠さずになってしまったようですが。

ペッツバールをずっと使っていましたが、今回のダルマイヤーの11cmはペッツバールとしては焦点距離が短く使いやすいレンズです。
それは20cmのものなどと比較すればすぐに分かるくらい、使い勝手の良さを実感できます。
しかし、50mmレンズに切り替えた途端、撮影対象の距離感がぐっと縮まるのが体感できました。
50mm標準レンズの距離感覚というものが存在するのです。
これが、旅先で愉しく感じられる距離なのだろうなと思うのです。

ただ、カメラがレンジファインダーからミラーレス一眼に変わっています。
しっかりと調整されたレンズなら距離計で合わせる方が、ピント合わせはずっとスムーズのようにも感じます。
それに、α7の外観デザインはいかにもカメラ的で、スナップにはライカの方が適しているような、そんな気がしないではありません。
とは言え、大型の一眼レフに比べるとコンパクトカメラで何となく撮っているような臭いが濃厚ですし、わたしなどは手がでかいのでカメラを覆うようにホールディングしてよりカメラを小さく安っぽく見せることができ、カメラで狙われている感はぐっと抑えられるかなと思います。

一方で、声掛けしてポートレイトを撮るときはそれが逆効果で、より大型で高級なカメラで撮った方がモデルになった方の気分も乗るでしょう。
そこで、効果を発揮するのが金色で大型のペッツバールレンズです。
さらに製造年などを伝えると、驚きと強い好奇心を持ってレンズを見つめてくれるのです。
国内の撮影では江戸時代に製造されたレンズですと言うとよりインパクトが強いのですが、さすがにインドネシアでそう言っても通じません。
その国の歴史を調べておいて、○○王朝時代のレンズとか、ビクトリアン・ピリオドの製造とか、シビル・ウォーの何年前とか説明すれば、やはりインパクトが強くなるでしょうね。

インドネシアの年表では1873年にアチェ戦争が起きていて、このあたりがダルマイヤーの製造年に近く、ペッツバールの製造年代に合致します。
アチェ戦争は、スマトラ島北部の当時のアチェ王国に対して、植民地支配を強めようとオランダが起こした戦争です。
戦いは40年にわたって続き、オランダが平定したかたちですが、インドネシア側の試写は5万人以上、負傷者は100万人を超え、オランダ側も1万人の戦死者を出したと記録が残っているそうです。
今ではアチェ州となってインドネシアからの独立運動を続けた経緯があって、一般のインドネシア人にはアチェ戦争がどのように伝えられているか、あるいは知らされていないのかはよく分かりません。
その意味でもアチェ戦争の時代のレンズだと言って、相手のリアクションを見るべきだったかも知れないと思ったりしています。
【Alpha7/Honor 50mmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zuiho Honor 50mmF1.9 | trackback(0) | comment(2) | 2014/03/02 Sun
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