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本地餐庁

Dubroni 10cmF3.5
ドォンラムは中国式の古鎮とは違って散策だけではいまひとつの村です。
というのは、200年以上前に建てられた家はいくつもあるのですが、道路側からは塀の上に屋根が見えているだけで、それほど古い家があるとは気付かないからです。
神父さんにもらった地図はその意味でたいへんありがたいもので、これがなかったらこの村はこんなものかとすべて素通りして帰ってしまっていたことでしょう。
そういえば、事前にドォンラムを調べたときにアクセス法の記載がなく、ガイドを雇うかツアーで行けとなっていたのは、この地図の存在が知られていなくて個人で行っても楽しめないよということを意味していたのでしょう。

その古建築には2軒おじゃましましたが、地図にあるとおりの歓迎でお茶とお菓子を出してもらいゆっくり見学することができます。
本当は、家の人たちとお話しできればより楽しいのでしょうが、やはり誰も英語ができないので、このあたりがガイドを雇っていくもうひとつの理由と言えそうです。
中に入ると真っ黒にすすけた柱や梁などがユニークなデザインをしていて、伝統的な家屋であることが理解できます。

中庭にはモダンな服に傘をかぶった美女がじっとしゃがんでスマートフォンをいじっていました。
恐らく古い家を利用して撮影か何かするのでしょう、その待ち時間の所在無げな雰囲気がベトナム的な感じがして、1枚撮影させていただきました。
先日の栃木の美女は顔の筋が浮き出るような写真になっていましたが、ここでも右手の筋が異様に浮き出て見えます。
デュブローニは、血管系に異常反応してしまうのでしょうか。
望遠レンズしかないので、撮るとすればどうしてもこんなものになってしまい、古建築のそれがないのは申し訳ありません。
感心があればぜひ出掛けてみてください、というより他ありません。

この日村を訪れていたのはわたしたちだけではありません。
合計7~8組のグループや家族連れに会いましたが、ほとんどがフランス人で、ドイツ人とオーストラリア人が1組ずついました。
ちょうどお腹が空いた頃、古い建物から出て来たアメリカ人と思われる女性がいて、名札にAFPとなっていたので通信社の方ですが、キャパはお好きですかなどと話をしたかったのですが、英単語がぜんぜん出てきません。
今までさんざん村人が英語ができなくてと書いてきましたが、まず己を見直さなければです。
そのAFPの女性が言うには、彼女が出て来た建物がレストランになっていてで料理がとても美味しかったとすすめてくれました。

中に入ると、伝統的家屋の中庭を改造してテーブルがしつらえられていて、一度に多くの人が食事できるようになっていました。
ちょうどフランス人のツアー客が賑やかに食事しています。
わたしたちも食事したい旨家の人に告げると、テーブルに案内してくれます。
しかし、なかなかメニューを持ってきてくれません。
忘れ慣れたかと思ったころいきなり料理がどどっと運ばれてきました。
訪れるのがガイドが連れてくるグループばかりなので、このレストランにはメニューなど必要なく1種類のベトナム家庭料理風があるだけということのようでした。

自家醸造の米酒が付いているのはよかったのですが、これは中国の田舎でよく飲んだものとさすがに同じ味でした。
肝心の料理の方ですが、申し訳ないですが、ベトナムで食べた料理のうちでいちばん美味しくありませんでした。
西洋人のグループの受け皿になるようなレストランなのでこんなものでいいということなのかなと思います。
さきほどのAFPの職員の舌はどうなっているんだと憤慨します。
会計ではひとり750円と東京で食べているランチより高いじゃないかと、また怒りがこみ上げてきました。

ここで唯一得られたことは、フランス人のグループにこれはあなた方の国で写真術の発明とともに作られたレンズですよと自慢できたことでした。
皆さん関心は示してくれましたが、それほど詳しいという人はなく、へえ、よく撮れるねえ程度に言われる程度でした。
しかし、Dubloniは、フランス語ではデュブローニですかそれともドゥブローニですかと聞くと、デュブローニ!と答えてくれます。
メルシーとお礼を言いましたが、これがわたしが使うことができた唯一の第2外国語フランス語の単語でした。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F3.5】
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thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/10/31 Thu

Joseph牧師

Dubroni 10cmF3.5
案内してもらった寺の庭から塔が見えていました。
あれは教会ですかと、キリスト教のお祈りのジェスチャーを交えて尋ねると、すぐに通じたようで笑いながらうなづいています。
では、見に行っていますと、お礼を言って寺を出ました。
言葉の通じない、しかしとても親切な方のところを辞するタイミングというのは案外と難しいものなのですが、これがうまくいくと後味すっきり移動できて助かります。

教会はほんの目と鼻の先で、扉が閉じられていましたが、庭に神父がいてどうぞどうぞと中に招じ入れてくれました。
カトリックの教会のようでしたのでもしかしたら英語が通じるかもという期待があったのですが、ベトナムの農村はそんなに甘いものではありません。
お寺のときと同様、ベトナム語とジェスチャーによる理解の難しい説明をいただきました。
ただ、ここでは西洋人の神父さんが写った新聞記事を見せてくれたのでバチカンかと聞くと、バチカン、バチカンとこの部分だけ意思疎通できたのと、この方のクリスチャンネームがヨセフさんだということだけは分かりました。

12時に鐘を鳴らすのでまたお出でと言っているのも分かり再訪すると、友人はそれのお手伝いまでしてしまいます。
垂れ下がった紐を全身を使って引っ張るとゴーンゴーンと村中に響き渡りましたが、高齢のヨセフさんにはこれがかなりの重労働らしく、期せずして一肌脱いだことになったと思います。
疲れたと言って戻ってきた友人を、あの鐘を鳴らしたのはア・ナ・タ~とねぎらいました。

ここでドォンラムツーリストマップを入手することができました。
これがたいへん優れた地図で、A2くらいの大きな紙を折りたたんだものですが、地図には見どころやレストランなどに番号が振られていて、説明欄の同じ番号のところを読むタイプです。
ユニークな点として、伝統的家屋の説明に建物の写真とともに家主の写真並んでいて、ぜひウチに遊びに来てくださいと言わんばかりの笑顔で写っていることがあげられます。
プライベートの家なので外観は見ても中まで見学するという発想にはなかなかなりませんが、これなら遠慮なく訪ねて行って写真の人に会ったりということも簡単にできます。

甕づくりや名物の生姜飴づくり、農作業、ベトナム料理の体験などが事前予約をすれば可能とも書かれていたり、村の情報も適度に記されていて、惜しむらくはあらかじめこの地図が入手できなかったことが残念でした。
地図にはJICAのロゴが印されていて、この村の開発に協力していることが分かります。
たぶん観光協会などの役所に観光マップを作らせたらこんなに利便性のある情報のつまったものにはできなかったでしょうし、ましてや社会主義の国では不可能なことに思います。
JICAのボランティアとしてやってきた旅好きの若者が、自らの体験からこういう地図があったら喜ばれるというアイディアを実現させたものなのでは想像して頼もしい気持ちになりました。

作例は、教会の敷地から撮ったものですが、神父さんがわたしから地図を取り上げて指さした表紙にウェルカムとばかりに笑顔で手を振る彼女が写っていました。
村のために教会の掃除をしているのかと感心していたら、友人がいや違うと言います。
箒で掃いているように見えた白いものは、近くに行くと生姜の香りが漂ってきて、これが名物の生姜飴づくりに使われるのですね。
地図の改訂版をつくるときはぜひともこの写真を採用してください。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/10/30 Wed

越南的摩托車

Dubroni 10cmF3.5
ソンタイ行きのバスは、わざわざバイタクがいるところで停車して運転手と車掌がふたりがかりで何やら指示しています。
あいつらをドゥオンラムに連れて行ってやってくれと言ってくれているようです。
念のため料金は200円(ベトナムの通貨で40000ドン)でいいのか、英語が通じないドライバーに車掌が書いてくれたメモを見せながら確認してから乗り込みます。
ベトナムのバイタクはほとんどがスクーターになってしまったので3人乗りできず、わたしと友人はべつべつのバイクにまたがりました。

ベトナムらしくバイクはかなりのスピードで道路を疾走します。
バイクの後部座席に乗り慣れない友人はドライバーに必死でしがみついていて、わたしは思わず笑ってしまいました。
しかし、到着してからが笑い事ではない事態になります。
それぞれがドライバーに40000ドンずつ渡そうとすると、何やら怒り出してふたりとも受け取ろうとしません。
ベトナム語なので何を言っているのか分かりませんが、もつと寄こせということは明らかでした。
たぶんガイドブックなどには、バイタクはこういうトラブルが多いから乗らないようになどと書いているのでしょうね、言葉が通じないだけに困ってしまいました。

村の広場でお互い通じない口論になって、村人が集まってきました。
飲み物を売る露店のおじいさんに助けを求めましたが、彼も英語はできず、逆にドライバーに言いくるめられて金を払えとばかりに加担するようになってしまいました。
集まった村人は誰ひとり英語はできないようで、ドライバーは全員を味方につけるべく演説する始末です。

地獄で仏ということはわれわれにもあるようです。
村の役人か公安か、いかにも偉そうな風袋の男が、向かいの建物から何事かと出てきました。
またしてもドライバーが先手を打って説明するのをふむふむと聞いています。
彼なら英語が通じるかもとこちらも説明しましたが、残念ながら理解してくれません。
するとやはり英語が苦手の友人が、恐るべき説明を始めました。
赤ちゃんイングリッシュとでも呼べばいいのか、ソンタイ~ドゥオンラム40000ドンと書かれたメモを見せながらジェスチャーでウィー・アスク・ディス・イズOK? ヒー・アンサーOK イエス40000ドンOKなどと寸劇のようなものをみせました。
するとこの公安氏は、急に怒ったような態度になると、ドライバーを叱り出して、われわれに40000ドンずつ出すように言って彼らに持たせ追い払ってしまいました。
勝利を確信していたはずのドライバーも公安には太刀打ちできないようで、退散せざるを得ないようです。

公安氏(実際の職業は不明のまま)に例を言っていると20人くらいはいたギャラリーは何だつまらんとばかり解散していきました。
村は、比較的最近になって歴史的建造物などを活かした観光に力を入れ始めたところで、せっかく来てくれた外国人旅行者を村人がぼったくりバイタクから守れなくてどうなんだと思わざるを得ません。
そんなんじゃ外国人が来てくれないよと言いたくとも、言葉が通じないのですからどうにもならないのですが。

気を取り直して村を歩き始めると、いかにも人の好さそうな老人にすれ違います。
われわれが旅行者と気付くと、彼もまた英語はさっぱりのようですが、ベトナム語で何やら話しながら仏教寺院に案内してくれました。
言葉はまったく理解できませんし、彼はそれを分かってもいるのでしょうが、それでも一生懸命に説明する姿にこれまでのできごとが吹き飛びました。
それにしても、この日出合った人たちの誰がほんとうのベトナム人なのかわけが分からなくなりました。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(4) | 2013/10/29 Tue

去唐霖古鎮

Dubroni 10cmF3.5
ハノイ3日目は深夜の便で帰国するので実質的に最終日です。
昨日は友人の要望を受けてハロン湾に同行したので、今日はわたしが行きたいと思った郊外にふたりで行ってみることにしました。
ハノイ行きが決まってから、「ハノイ郊外 古い町」と検索したところ、ハノイから50キロほど西に向かったところにドゥオンラムという名前のとても古い村があることが分かりました。
200~400年前に建てられた歴史・文化的価値の高い家屋や寺院が多く残る、と紹介されていてベトナムの古鎮と言えそうです。

しかし、どうしたわけかアクセスについてはどのサイトにも記載がありません。
ガイドを雇っていきなさいとか、ツアーがあるなどと書かれていて、確かに現地の日系旅行社なども半日ツアーを催行しているようです。
これが社会主義というものなのでしょうね。
さすがに3日続けてツアーに参加など御免なので、グーグルマップをチェックするとハノイ郊外のソンタイという比較的大きな町のすぐそばにあると分かりました。
前夜のうちにホテルでソンタイへの行き方を調べてもらって、朝一番でドゥオンラムを目指します。

前夜は夕食からホテルに戻ったのが12時で、もたもたしているうちに就寝が2時だったにもかかわらず6時に起床して、朝食をしっかりとってバスターミナルを目指しました。
ツアーなので大型ホテルお得意のビュッフェの朝食が付いていたのですが、わたしはこんなのを食べるくらいならホテルの外に何軒かあるフォー屋さんで食べた方がいいと思っていましたが、ドゥオンラムは鄙びた寒村だとの情報もあって昼食がとれない可能性もあると、ビュッフェでたらふく食べてしまいました。
ビュッフェにはフォーもあれば、よくある卵を調理するカウンターがあってサニーサイドアップ・プリーズと言ったり、香港系のホテルとのことで各種点心まであってバラエティに富んでいたのです。

腹ごなしも兼ねて、1キロ先のバスターミナルまで歩いたのですが、ここでまたこの国が社会主義であることを思い知らされることになります。
いくら探しても見つからなかったのですが、実は工事中だったようで前夜調べてもらったソンタイ行きのバスは出ていないようです。
バイタクの運ちゃんが群れていて、片言の英語でどこに行くんだと聞いてくるのでソンタイだと言うと、それなら連れてってやるとばかりにジェスチャーで示しますが、50キロもあるのにさすがにそれはあり得ません。
しつこく進めるのを何度か断ると、○○番のバスで××まで行けばソンタイ行きがあると紙に書いてくれました。
たぶん運ちゃんはその××まで連れていくと言っていたのだろうとその時気付きましたが、言葉が通じずにバスでの行き方を示してくれたので、ベトナムのバイタクは親切なんだなあと感心しました。
じつは、のちのちしっぺ返しを食うことになるのですが…。

××行きのバスはほどなくしてやって来たので乗り込もうとしますが、朝の時間帯だけにけっこう混みあっています。
ここでベトナムならではの体験をしました。
乗車するや否や車掌が来て行先を聞くので、先ほど書いてもらった紙を見せて料金を払ったのですが、車掌の存在理由は料金徴収だけではないことを知らされました。
友人とやれやれ混んでますねえなどと会話している間もなく、車掌が友人とわたしにお前はそこにお前はこっちにと立つ場所まで指定するのです。
おかげで生き別れ状態になってしまいましたが、通路の真ん中を常に開けておくよう車掌がコントロールするのがベトナム式ということのようなのです。
ベトナム社会主義共和国(でよかったか)では、立つ場所の自由すら保障されていなかった、のでした。

どこで降りるかも分からず不安でしたが、何のことはないバスの終点がバイタクの書いた××で、ミディエンというバスターミナルになっており、車掌はわたしたちのメモ紙のことをちゃんと覚えていて、あのバスに乗り換えろと指示してくれたのでした。
50キロも離れているので中距離バスがあるのかと思ったのですが、ここでも乗ったのは路線バスでした。
前面にはソンタイと書かれているので間違いないですし、乗り込むとやはり車掌が来てどこへ行くかと聞くので、念のためメモを見せながらソンタイと言うとうなづきながら切符を切ってくれます。
最初のバスに乗ったキムマーというところからミディエンまでは恐らく5~6キロで約25円、ミディエンからソンタイまではたぶん40キロくらいで約200円でした。
バスは中国より安いかなという印象です。

ハズはできたばかりに見える高速道路に並行した側道をずっと走ったのでたいへん快適でした。
ソンタイに近づいたところで車掌がソンタイのどこで降りるかとたぶん聞いてきたようだったので、ドゥオンラムに行くつもりだと告げると、バイタクで200円、タクシーで400円だと言います。
ちょっと高いような気がしたので聞き返すと、車掌は英語ができないことを恥じているようで、やはり紙にソンタイからドゥオンラムいくらいくらと丁寧な字で書いてくれました。
そこまでしてくれなくとも理解しているので大丈夫と思ったのですが、この親切があとあとたいへんな意味を持つことになります。

だらだらと書き過ぎたので続きはまた明日に。
作例は、ドゥオンラムでのものです。
典型的なベトナム美人が歩いてきたのですが、ベトナム人は例外なくほっそりしていますし、スタイルの好い女性を多く見かけました。
こうでないとアオザイが似合わないのでしょうね。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/10/28 Mon

越僑餐庁

Dubroni 10cmF3.5
ハロン湾の美しい景色の写真がアップされるのではと期待された方がいるかも知れません。
申し訳ないですが、ハロン湾を知りたい方は、ぜひネット検索してどんなにすばらしいところか確認してみてください。
数時間のクルーズでは近場にしか行けないせいか、わたしはその景色がそれほど素晴らしいものだとは感じられませんでした。
友人の調べたところでも、ハロン湾を愉しみたいなら最低でも船中泊のあるツアーでないとその良さは分からないと書いてあったというので、ぜひこの地を訪れる方は2泊3日くらいのツアーを利用していただきたいと思います。

そう言うのももうひとつ理由があって、ハノイからハロン湾まで30分の休憩を挟んでなんと片道4時間もかかるのです。
往復8時間かけて見るのは5時間ほどではちょっともったいないですね。
例えば同様の景勝地である桂林だと、同じ船でも桂林から陽朔まで川下りするので、桂林に滞在後また陽朔にも滞在するというプランならいちいち戻る必要はないので、ハノイとハロン湾を日帰りで往復するのはやはり時間がもったいないと言えます。

わたしたちは4時にクルーズを終えましたが、またハノイに戻ってきたのは8時半です。
友人が知り合い等に配るためのお土産をスーパーに買いに行きたいと言うので、帰りはスーパー前で降ろしてもらいました。
前日の市内観光の折に土産物屋に連れて行ってもらっていましたが、そのときにも触れたように売り物はみな高く感じられたので、友人はその品物と価格をチェックしておいて同じか似たようなものをスーパーで安く買ってお土産にしてしまおうという作戦でした。
友人の読みどおりスーパーでは土産物屋の半額くらいで売られていてかなり割安に購入できたようです。
ただ、もともとそれほど高いものではないので、短期間の旅ではスーパーをわざわざ探すくらいなら、その時間を街歩きに使った方がより有効化も知れないなあとひとり思ったりもしました。

ただ、当地のスーパーを訪れるということは、日本では見ないような面白いものを見つけたり、商品構成や値段から当地の生活事情を想像するなどの愉しみもあります。
わたしたちが出向いたスーパーには日本や韓国、欧米の製品がとても多く、値段が高めという印象だったので、市井の人にはあまり利用されていないだろうなという印象を持ちました。
駐在外国人かお金持ちの御用達だったかも知れません。
アジアでは、生鮮食品は市場で買うでしょうし、ちょっとしたものということになると個人経営の小規模の店が多いので、市民の生活レベルがもっと上がらないとスーパーは普及しないだろうなと容易に想像できます。

買い物を済ますと9時半になっていて、空腹もピークを過ぎているくらいでした。
しこたま買い込んだ友人は現金がなくなったと近くのホテルで両替したのですが、ついでによいレストランはないかときいたところ魅力的なところを紹介してくれました。
ところが出向いてみると、向かいの建物がこんな時間にもかかわらず工事中でうるさいのと埃を巻き上げているので入る気になれません。
夕食を求めて歩き回ることになるのですが、結果的にはよいレストランを発見することができました。

キリスト教会の見えるテラス席に案内してくれたそのレストランは、1階はデザイナーの奥さんがオープンした衣料品店で、2階が洗練された内装のカフェ&レストランで、遅い時間にもかかわらず美味しいディナーに舌鼓を打ちました。
ベトナム料理言っていたのにずいぶんと洗練された盛り付けでおかしいとオーナーに聞いたところ、ずっとカナダに暮らしていて帰国して始めたレストランなのでカナダ風ベトナム料理なんですとの説明でした。
わたしはベトナム風カナダ料理ではと反論しようかとも思いましたが、ハロン湾ツアーで英語に懲りていたので余計なことは言いますまいと黙っていることにしました。

テラス席のもうひとつのテーブルでは西洋人女性3人組が食事をしています。
ここでは、ヴァランタンからデュブローニにレンズを付け替えて、その様子を撮影させてもらいました。
その時は何を食べているのか分からなかったのですが、この作例を見れば生春巻きを食べているのがよく分かります。
さすがはデュブローニの解像力ですね。
しかし、ベトナムを代表する生春巻きを食べているということは、やはりこのレストランはベトナム風カナダ料理ではなく、カナダ風ベトナム料理だということになりそうです。
ああ、余計なことを言わないでよかった。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/10/27 Sun

英文旅遊団

Vallantin 70mmF3.5
集合場所に指定されたライジングドラゴンホテルに着いたとの安堵も束の間、100メートルほど先にもうひとつライジングドラゴンホテルという看板を見つけました。
ライジングドラゴン系のホテルがこの通りにはいくつもあるかも知れないと心配になり、さらに指定時間になっても迎えが来ないのでいよいよ不安になって、もうひとつのホテルの方に行って聞いてみました。
すると、うちはライジングドラゴンレジェンドホテルであちらのライジングドラゴンホテルとは姉妹ホテルですよ、あなたのバウチャーには住所も書いてあってそれはあちらのホテルの方だからそこで待っていれば大丈夫と教えてくれました。
ツアーを調べていてシンカフェの件でナーバスになっていたわたしたちは、住所まで書かれていたことに気付かなかったのでした。

ほどなくしてバスがやって来て、さらにバスは何軒かのホテルでピックアップを繰り返してからハロン湾を目指しました。
参加者は総勢17人でしたが、内4人は2泊3日のツアーに参加するとのことで、バスも船も随分と余裕あるツアーになりました。

しかし、ツアーそのものはわたしたちにとってとても余裕あるものとは言えませんでした。
ガイドを務める若いフォン君の英語がさっぱり聞き取れないのです。
パスポートを出すように言っているように聞こえたので、ホテルに置いて来てしまったと言うと、日帰りの人は必要ありませんと笑われ、フィッシュがプロウンがどうこう言っているのでランチでどちらを選択するのかと思いわたしはわたしと友人はプロウンが好きだと答えると、ファン君ははあっとい顔をして他の人にも聞いて回るとみんなノーとだけ答えています。
聞き直すと魚やエビにアレルギーはないかときいたとのこと。
わたしは、機内食のように魚かエビのどちらを食べるかと聞かれたのかと思ったと言うと、車内が笑いで包まれてしまいました。

その後もフォン君はガイドらしく時おりジョークを飛ばしていたようで、みんなが一斉に笑ったりするので、わたしたちは聞き取れていないにも関わらず、それと悟られないようにいつもワンテンポ遅れて笑うという繰り返しでした。
このリアクションを繰り返すのはけっこう疲れますし、何より勘の好さそうなフォン君はわたしが理解していないのを見抜いていたことでしょう。

ツアー中は数々の失態を犯してしまいいちいちここには書ききれないほどですが、ひとつだけ紹介すると、昼食の自己紹介の時、富士山は世界一美しい山だということが話題になって、それでやめておけばよかったものをじつは富士山は活火山なんです、周期的な噴火が記録されているんですなどと言ってしまったために質問されてしまいました。
何年周期で? (思い出せないが適当でいいや)300年周期です。
前回の噴火は? (いつだったっけ)ちょうどそれが300年前です。
それでみんなに心配いらない、大丈夫だよと励まされたのです。

ところがその後親しく話をしていたアメリカ人夫妻が日本通の地質学者であることが分かり、彼らにはわたしのウソは簡単に見破られていただろうことが判明して、話しかけることができなくなってしまいました。
彼らにはわたしの存在はシンカフェ以上に怪し気に映っていたことでしょう。
ハロン湾の景色はすばらしかったと友人は帰りのバスで言っていましたが、わたしにはそれを愉しむ余裕はありませんでした。
【X-E1/Vallantin 7cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Vallantin 7cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/10/26 Sat

下龍湾之旅

Vallantin 70mmF3.5
ハノイの郊外の海ににょきにょきと岩が突き出たハロン湾という有名な景勝地があります。
海の桂林とも呼ばれるそうで、何年か前にユネスコ世界遺産にも登録されたベトナム中でもいちばん人気の観光地です。
天邪鬼なわたしは人が集まるような観光地にはあまり行きたいと思いませんし、世界遺産と聞くと拒否反応を起こすくらいですが、ぜひ行きたいという友だちを放っておくほど行くのがイヤだというわけでもないので、ふたりでハロン湾に行ってみることにしました。

友人の調べによれば、日帰りのハロン湾ツアーは同じような内容ながら大きな価格差があるということが分かりました。
大きく3つに分ければ、
①日本語のガイド付きツアー 約10000円
➁英語のガイドによるツアー  約5000円
➂英語ガイドの超格安ツアー  約2500円

になりますが、ハノイから往復の車、ハロン湾内の数時間のクルージング、カヤッキング、鍾乳洞見学そしてランチが付いていることではいずれも変わりがありません。

わたしたちの語学力は最低レベルですが、それでもこの手のツアーなら日本語は必要としないでしょう。
問題は➁がいいのか➂がいいのかですが、さらに調べるとすごいことが分かりました。
➂の格安ツアーは、ハノイにあるシンカフェという旅行社が主催しているとのことだったので、"sinhcafe holong bay"と検索してみると、sinhcafetravel, sinhcafetours, sinhcafehanoi, sinhcafevietnam, sinhcafetravellers, hanoisinhcafe, vietnamsinhcafe...という具合に無数に似たような名前の旅行会社がヒットしてしまいました。
それぞれチェックすると、住所はそれぞれに違っていて、記載されたツアー内容は同じながら価格も微妙に違っていました。

シンカフェという本物の旅行社は存在していて他は存在しないという詐欺なのか、ウチが本物のシンカフェだと名乗るニセモノが多数存在するのか、あるいは家系ラーメンのようにのれん分けしたシンカフェがたくさん存在するのか…、まったく事情が呑み込めません。
各サイトには住所と電話番号が記載されているので架空旅行社の詐欺とも考えにくく、たぶんシンカフェ系旅行社がハノイにはいっぱいあって、ツアーを申し込みに行くとお好みはあるかと聞かれ、ではツアー内容濃いめでバスのシートは固めでお願いしますとか予約するんじゃないかとベトナムに行く前日まで悩まされました。

友人はなおも旅行した人のブログをチェックして、➂のツアーは格安の分だけバスや船がすし詰めだとか料理がまずいなどの話を読み、さらにはハノイ空港で➁のツアーを申し込むことが可能との情報を入手して、シンカフェはあまりに怪しいので➁で行こうと相成りました。
ちょうど我々はいちばん最初にハノイ空港の到着口に着いたので、お迎えのガイドさんにことわってツーリストインフォメーションに出向いてそこで扱っていたツアーを申し込んでしまいました。
US45ドルでした。

通常ツアーはホテルにピックアップに来てくれるのですが、我々のホテルは外れにあったので追加料金がかかるというのでこちらから出向くことにしました。
朝、ホテルからタクシーに乗ってピックアップポイントになっているライジングドラゴンホテルというところで待ちます。
そのホテルの前があのシンカフェだったので思わずふたりで苦笑してしまいました。
ところが、その後笑い事ではない発見をしてしまいました。
ひとつだけでないのはシンカフェという旅行社だけではなく、集合場所のライジングドラゴンホテルも同じ通りにもうひとつあったのです。
【X-E1/Vallantin 7cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Vallantin 7cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/10/25 Fri

他在那里

Vallantin 70mmF3.5
土産物屋に2軒も連れて行ってクレームが来ると思ったからなのか、ガイドが予定にないというホーチミン廟に連れて行ってくれました。
個人的には大きなお世話でとっとと開放してほしい気持ちでしたが、ツアーに参加している以上はグループの規律を崩すような言動は厳に慎まなければなりません。
などと考えると、社会主義の国に来て社会主義的な型枠にはめ込まれたような妙な気分で、これはこれで貴重な体験だと思えてきました。

特別に連れて行ってくれるとのことでしたが、ホーチミン廟は土産物屋のすぐそばでしたし、そもそも改修中とのことで立ち入り不可です。
作例のように建物の外観を眺めるだけで終了でした。
中にはホーチミンの遺体が腐敗しないように保存されていて、改修終了後には一般でも見学できるようになるそうですが、人の遺体を見るのは気持ちのいいこととは思えないので、中に入れずホッとしたくらいでした。

おぼろげな記憶ではモスクワのレーニンや北京の毛沢東、平壌の金日成も同様に保存されて公開されていると思います。
そのうち毛沢東はわたしも実物を見たことがあります。
アクリルの箱に安置された遺体は蝋人形のようにしか見えず、彼のファンでもないですから何の感慨も湧かなかったのですが、客観的に見れば数々の失政で何千万単位の人民を殺した大ばか者ですから石でも投げつけてやりたい気持ちでしたが、ぴったりと公安が立っていてわずかでも不審な行動を起こそうとするとその場に取り押さえられると聞いていたので、あかんべーするにとどめました。
また行きたいかとか、他の連中のも見たいかと問われれば、答えはもちろんNOです。

今後、これらの国で革命が起きて市民蜂起で町が占領されたら、ソ連や東欧、イラクなどで為政者の銅像が倒されたようにこれら遺体も散々に殴る蹴るされるのでしょうね。
毛沢東の亡骸は、その日が来るのを恐れて恐怖で顔をこわばらせているようにも見えました。
保存と公開は、死者に鞭打つ行為の様にも感じますが、生前の本人たちはそれを望んでいたのでしょうか。

遺族も心配しているのではないかと思ったのですが、ガイドの説明ではホーチミンは生涯独身だったので遺族はいませんとのことでした。
ああそうでしたかと感心したのですが、いま検索してみると、実は2回結婚したという記憶があるそうです。
ホーチミンは潔白主義だからとか国のために生涯をささげたからとか、そんな理屈をつけて国民には彼が生涯独身だったと信じさせているのでしょうか。

毛沢東が江青とただならぬ関係になったように、共産主義の為政者は女性関係にルーズだろうというイメージがありますので、ホーチミンが仮に生涯独身だったとしてもしっかりと子どもは作ってるんじゃないかと思ったのですが、まじめなガイドにはそんなことは聞けませんでした。
それよりも聞きそびれてしまったのが、ホーチミンが現在のベトナムでどれほど評価されているのかということです。
昨年の反日騒動などで中国では毛沢東の顔写真のプラカードを持った人が多数いたことが日本でも話題になったように、政府の教育のたまものなのか今でも(今だからこそ?)毛沢東を評価する人が多いようです。
北京はマオツォートンシティと改名することはなく、サンクトペテルブルクがレニングラードと名乗ったのが一定期間だったと考えると、町の名の動向を見れば答えが見えてくるかも知れません。
【X-E1/Vallantin 7cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Vallantin 7cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/10/24 Thu

英文或者法文

Vallantin 70mmF3.5
4~5時間ほどのパックツアーの市内観光だというのに、驚くべきことに、土産物屋にはもう1軒立ち寄りました。
先ほどの店より規模はずっと小さく、扱う商品は五十歩百歩とあってさすがに今回は買い物する人もほとんどいないようでした。
旅行会社の契約の問題で止むを得ないのかも知れませんが、これではツアー客にとっても店側にとっても迷惑な話だと言わざるを得ません。
もう暗くなっていたので外を散策する気にもなれず、店内でぼんやりしているより仕方ありません。
商品に少しでも関心があるような行動をとると店員が飛んできてしまうので、心の邪念をすべて捨てて自分を空にする修行のようにじっとしていなければなりませんでした。

ボケっとしながら気づいたのですが、この土産物屋は日本人ツアー専用ということではなく、韓国人や欧米人にも対応しているようでした。
試しにヒマそうにしている店員の女性をを捕まえて聞いてみました。
"Do you speak English?""Yes"、「日本語は?」「はいできます」、「ハングクマル?」「ネー」、「中文?」「可以」。
英日韓中対応のマルチリンガルではないですか。
もっとも英語と日本語は片言で、韓国語の力量は分かりませんでしたが、中国語は方はなかなかのものでした。
習いはじめて3年くらいだということでしたが、発音がじつにきれいで、わたしの実力では中国人がしゃべっているのと区別がつかないほどです。

そういえば、ツアーガイドも生粋のハノイ人でしたが、日本語がずい゛ふんと流暢で驚かされました。
日本に留学して4年間大学で勉強してもこれほどにはきれいに発音できないのではと思えるほどだったので、何年間日本に住んでいたのか聞くと、日本には行ったことがないというので驚かされたのです。
ベトナム人には語学の才能が備わっているのか、それとも彼らだけが特別なのか考えさせられるところです。

そういえば、むかし、誰が言ったのか、世界3大美しい言語は、フランス語、中国語、ベトナム語だというのが聞いたことがあります。
フランス語、中国語は発音自体がとても難しい言語で、正しく発音しようとすると、舌を上の歯の裏にくっつけるとか、舌先を丸めるとか、鼻から息を出して音にするとか複雑怪奇な世界ですね。
その難しさが美しさになっているように感じられますが、ベトナム語もそれに通ずる世界があって、だから彼らにとっては他言語の発音はどうってことないのだなと思われました。

しかし、今のベトナムでそれを確認するのは難しい作業のようです。
長らく社会主義の鎖国のような中で暮らしている市民には外国語がしゃべれる人はあまりいないからです。
道を聞くのにも簡単な単語すら通じず往生することしばしばでした。
おもしろかったのは、台湾の高齢者が日本語をしゃべれるのと同様、植民地教育の関係からか、骨董屋さんにいたベトナム老人に英語で問いかけるとフランス語はできませんかと聞き返されました。
開高健もベトナム戦争の取材でサイゴンを訪れたときは、現地の人とフランス語でやり取りしていたのではなかったかと思い出しました。

さて、買う意思のない土産物屋に30分もいられるはずがありません。
真っ暗でしたが外に出ると、お揃いの赤い服を着た子どもを連れた家族が歩いていたので、ハイっと声をかけました。
幸いなことにお母さんが英語が得意なようで、双子かと聞くとそうだと答え、写真を撮ることも快く同意してくれました。
ちんぷんかんぷんな言葉で外国人と会話するお母さんを、姉はママすごいと感心し、妹は誇らしげに思ってる、そんな瞬間の作例になりました。
【X-E1/Vallantin 7cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Vallantin 7cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/10/23 Wed

河内的走路弁法

Vallantin 70mmF3.5
航空券のみ購入してホテルを別途予約するのと半日のみとはいえ観光の付いたフリーパッケージツアーとは、価格のうえではそう差はないものの、精神的負担には大きな違いがありました。
たかたか4日間の旅なので小さなキャリーケースにカメラバッグというのは重装備なくらいなのですが、すべての参加者がそうは考えません。
機内に持ち込めない大きなスーツケースでくる人もいて、するすると入国してしまったわたしたちは、なかなか現れない他のツアー同行者を辛抱強く待たなければなりません。

30芬近くも待ったころ最後の人がお待たせしましたとやって来たところで、全員そろってバスで市内に向かいました。
ツアーでなければもう市内に入っているころに出発では、やれやれという感じですね。
ツアーに参加するということは集団行動するということであり、集団行動するということはいちばん遅い人に合わせることだということを、この時初めて気付かされました。
もっとも、この先訪れた観光スポットでは、その場にいた人に話しかけたり、アオザイ女子大生の写真を撮ったりで、みんなを待たせて迷惑をかける側にまわるのですが。

すべてのツアーがそうではないのかも知れませんが、観光地へ案内してくれるのとセットでお土産屋さんにも連れていかれるのが普通のようです。
土産物屋といっても町中にあるそれとは違って、普通の観光客が通りかかるようなところではない微妙な位置にポツンとあって、ツアーの総合土産店の関係者以外出入り禁止の体裁をとるような店でした。
ここに連れて来たツアー客が買い物した何%かが旅行会社にキックバックされるという仕組みです。

もともと土産物に興味のないわたしは、現地価格よりだいぶ割高そうな商品に興味は感じませんし、このときの参加者の8割は同様の態度のように見えました。
しかし、残りの2割は帰国後に友だちなどに渡すためでしょう、せっせと土産を買っていました。
最初は高いのを知らないからとか、店員が日本語で接するので楽なので買っているのかと思ったのですが、どうやらそういうことではなくて、格安ツアーに参加したときのガイドに対する礼儀とか、ここで購入してしまえば以降の時間をショッピングに費やさずに済むという割り切った考えで購入しているようでした。
ツアーにはツアーの流儀というものが存在するようで感心しました。

とはいえ、小さな店の中に指示された30分もとどまっているのはあまりに退屈です。
夕暮れも迫ってましたが、近くに公園があったのでそちらを散策してみることにしました。
しかし、店と公園の間には大通りがあって信号でもあれば問題ないのですが、左右どちらかにずっと歩かなければそれがなかったので、夕方のラッシュ時にベトナム名物のバイクの群れをかわしながら横断しないといけません。
友人はそれがイヤだったせいか店の中で待っていると言い、わたしひとり公園に向かうのですが、じつはわたしは、この道路横断がとても得意なのです。

バイク1台がひとりの横断者をよけるのは訳ないことですし、それが複数台になっても状況はそうは変わりません。
バイクがかたまって来ているときは、それぞれが違う意思でわたしを避けようとすればバイク同士の接触が起きて危険になるので、そこまでいかない程度のバイク量だということを見極めてから、比較的ゆっくり横断し始めればいいだけです。
バイクの方でも横断しそうな人はずっと前から見極められていて、あのタイミングで横断するのではとの準備ができているようでみな自然に回避してくれます。
そこで慌てて走ったりしてしまうのがいちばん危険なパターンです。
一定速度で歩くことでより後方のバイクにもどう避けるかを考えさせる時間を与えなくてはいけません。
ローカルの人はみなそうしていると思いますが、これができないとベトナムの町中をスムーズに歩けないと思いますので、ぜひ習得されるよう現地人の道路横断法をよく見ていただきたいと思います。

バイクはそんなに簡単に歩行者を避けられるものだろうかと疑問に思う方もいるに違いありません。
ハノイのバイクの中にも初心者は混じっているはずです。
その疑問に対する答えは訪れた公園にありました。
レーニン像の前でかわいらしいバイクで遊んでいる子どもがたくさんいました。
1時間いくらで貸してくれる電気で動くバイクですが、ふつうこういうところにあるのはカートのような4輪の乗り物なのではないかと思うのですが、ハノイではちっちゃなころからバイクにまたがるのです。
子どもたちも多くのバイクや人々にぶつかることなく公園内を自由自在に走り回っているのでした。
【X-E1/Vallantin 7cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Vallantin 7cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/10/22 Tue

越南時間

Vallantin 70mmF3.5
この週末は、2年振りに友人との旅を愉しんできました。
作例の女の子たちが着ているものがアオザイだと知って入れば、わたしたちがベトナムに行ったのだと分かるでしょう。
この友人との旅は、去年こそ諸般の事情で中止になったものの、かれこれもう10年近く続いている恒例行事です。
趣味や行動パターンのまったく違うふたりですが、逆にそれが旅先での独特の連携になって、他の人とではできないユニークな旅を体験できるのが気に入っています。

この友人との旅はだいたい3泊4日になるので、この日程で行ける国はけっこう出掛けており、実はベトナムにも10年近く前にホーチミンを訪れていました。
その時は、ぼったくりバーにかもられたり、あまりの暑さに閉口したりであまりいい思い出はないのですが、南部と北部ではだいぶ違うらしいよとの話もあって、今回はハノイに行ってみることにしました。
お互いに、前回のホーチミン以来2度目のベトナムです。

ただ、今回はいわゆる格安ツアーに参加したのですが、やはり航空券のみ買ってホテルを選んだ方がよかったようです。
というのは、散策が楽しいのはハノイの中心の旧市街エリアなのですが、格安ツアーのためホテルは数キロ離れた郊外になってしまいました。
数キロなら近いかと思っていたのですが、渋滞が激しく朝夕はタクシーでも旧市街まで30分近くかかります。
旧市街には、魅力的な小規模ホテルがたくさんあったので、やはり宿泊するならそちらの方だったと痛感しました。

ツアーにはもう一つ大きな問題があって、2日目3日目はフリーなのですが、初日はハノイ空港に着いてから市内観光までがセットされてしまっています。
両替してくれたり、現地ガイドの日本語によるレクチャーがあったりと利便性があるといえばあるのですが、貴重な時間がベタな観光に使われるのは残念でした。

ハノイまでは成田からの朝早い便でしたが、そのチェックインが不思議な体験でした。
成田空港到着時カウンターにはかなりの列ができていたのですが、その最後尾に並んだものの列は全然進んでいきません。
ツアーだったのでフライトの2時間前に集合して書類をもらってから並んだのですが、30分待ってやっと1メートル進んだというくらいゆっくりです。
しかもその時点では、列はカウンターのある位置よりも外側だったため、チェックインカウンターの様子すらうかがえませんでした。

ようやく1時間前になって蛇行ラインに到達したのでカウンターが見えたのですが、とくに何が問題ということもなさそうでした。
しかし、この時点で前方にはまだ50人くらいが並んでいて、後方にもやはり30人くらいが並んでいる状況です。
なんでもハノイ便より少々早い時間にホーチミン便があって、そのチェックインが遅れたためにハノイ便のチェックインも割を食ったということでした。

結局、チェックインできたのは30分前を切っていて、搭乗券を渡されると同時に、もう搭乗開始しているので
急いでくださいと言われてしまいました。
そうはいってもわれわれよりも後ろに30人もいるのですから、急いで登場しても仕方ないですし、あなた方こそチェックインのスピードを早めてくださいなと言いたくなります。
急ぎ足で出国審査を越えてわたしたちが座席についたのはフライト10分前でしたが、まだ空席が目立ちます。
結局、15分遅れ程度で全員搭乗してハノイ到着は定刻通りにしてしまうのですから、ベトナム空港恐るべしでした。
思えば、成田空港の列に並んだ時から、ベトナム時間が始まっていたということでしょう。
【X-E1/Vallantin 7cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Vallantin 7cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/10/21 Mon

旗袍去哪里

Vallantin 70mmF3.5
1週間近いブランクができてしまい申し訳ありません。
ブログに不具合が発生していたようでログインできず、書いておいた記事も消滅してしまいました。
現在は、記事は書けるようになるまで回復したようなのですが、なぜか「アカウントは停止中です」のメッセージが出ていて、完全復旧を待っているところです。
タダで使わせてもらっているブログなので、文句を言うこともできないでいます。

さて、作例は深圳の続きで、ヴァランタンでの強引なポートレイトもどきです。
大芬でのポートレイトが失敗に終わった夜、足裏マッサージに行ったのですが、そこの受付の女の子を撮らせてもらいました。
派手な格好をしているので夜のお仕事をしているように見えてしまうかも知れませんが、残念ながら、マッサージ店の店頭にてお客が来た時に、全身のマッサージか足裏マッサージかを確認して、その旨マネージャーに伝えるだけを専任でやっています。

簡単な仕事だけに給料が安いのでしょう、大概の女の子は何か月もせずに辞めてしまうので、次回行ってみるともういなかったということはしばしば体験します。
もっともマッサージしてくれる女の子たちだって(男の子もか)、ハードな割には安月給で定着率が悪いです。
特に若い女の子はすぐにいなくなってしまい、しばしばがっかりさせられます。
一方で、離婚などでシングルマザーになったりして田舎から出てきて働いているような女性も多く、彼女たちは背に腹は代えられないと一生懸命長く働いているケースが多くみられます。
時折りそういう女性から色仕掛けとまでは言わないものの、それとなく分かるようなモーションをかけられることもあったり、単なるフットマッサージと言えども気が抜けません。

話を戻して作例の彼女は、16歳で広東省潮州方面から深圳に出て来たばかりの一見あどけない女の子でした。
しかし、鼻の下にできものが目立つ他にも肌が荒れていて、ただ単にお肌が弱いということならいいのですが、不摂生していそうな雰囲気も見え隠れしていました。
見事にピンボケしていますが、かえって顔がはっきり写っていないのが彼女には幸いだったかも知れません。

そういえば、深圳ではマッサージ店や高級レストランなどには門口に受付の女の子がいて、お客さんを座席に案内してくれますが、その数が減少しているところに人件費の高騰などの負の要素が感じられます。
それに、少し前まではこういう女性のほとんどがチャイナドレスを着ていたものですが、最近はまったく見られなくなったのが寂しい限りです。
あの体にぴったりとフィットしている感じと、サイドのスリットから見えるすらっとした足のラインを強調しているところは女性用ファッションの最高傑作だと思います。

何年か前までは受付女性の定番コスチュームだったチャイナドレスもすっかり姿を消して、今では白いブラウスに黒スカートの味気ない事務服のような出で立ちが普通になってしまいました。
チャイナドレスの写真をもっと撮っておけばよかったと後悔していますが、それにしてもなぜチャイナドレスは姿を消してしまったのでしょう。
理由が知りたいです。
【X-E1/Vallantin 7cmF3.5 F3.5
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Vallantin 7cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/10/20 Sun

貧心青年

Vallantin 70mmF3.5
大芬油画村を訪れた目的はあくまで額縁を作ることで、写真はそのついでに短時間撮ったと言うところです。
しかし、わたしが考えるに大芬油画村はスナップ撮影の聖地とも言える場所で、広角でなくとも、ピント合わせがイマイチでも、ライカでなくても、何より撮影がヘタクソでも、どうにか短かい間にブログの1週間分くらいの写真は撮れてしまいます。
日本にはこんなところはまずはありませんし、中国といえどもここに匹敵すると言える体験は祭日の日の重慶の古鎮があったくらいです。

では、額縁づくりの方はどうだったかと言うと実は思わぬ苦戦を強いられました。
大芬ては何度か額縁を作っていますが、前回の訪問時に別の店でなかなかきれいな女の子が店番している額縁屋を発見していて、ここで額縁をつくってついでにポートレイトを取らせてもらおうと思い立っていました。
もう2ヶ月か3ヶ月前のことなので、彼女はいなくなっている可能性もありましたが、訪問してみると客もなくて退屈そうに椅子に座っていてホッとしました。
しかも、ちょっと胸元を強調したようなタンクトップを着ていて、わたしに撮影されるのを待っていたかのようでわたしの期待も高まりました。

額縁づくりと書きましたが、大芬ではまずは出来合いの額縁は売っていません。
フレーム見本が壁一面に貼られていて、その中から選択してサイズを指定し見積もってもらってからオーダーします。
オーダーと言っても作成用の機器もその場に用意されているので、15分も待っていれば作ってくれます。
したがってサイズは自由自在ですし、今回はとくに横長のフォーマットの写真用だったので、ここまで来て額をつくる意味があったのです。

フレームはざっと100種類以上はありそうで、どれを選ぶか非常に悩むところです。
できれば写真用であれば、原本を持参して実際にフレームにあてがって合う合わないを判断したり、壁との相性も検討しながら選定すべきと思います。
今回はそんな余裕がなかったので、見た目によいフレームを選んだに過ぎませんが、それでもやはりけっこうな時間を費やしました。
もともとが油画村ですので、例えば幅が10センチ以上もあるルネサンスとかロココの華美な絵画を飾るにふさわしいような装飾過多なフレームなど、写真には合わないようなものが多数ありますからそれらを消去法的に抜くのですが、やはり100種ものサンプルがトーンとあると迫力があって気圧され気味の決定になってしまいます。

自分ではスムーズに決定できたと思いますが、それでも10分近く経過していたのだと思います。
その10芬が運命を分けたのかも知れません。
いつの間にか、モデル予定の女の子はどこかへ消えてしまい、体のごつい若者がわたしが選択するのを待っていました。
当然、彼女に見積もってもらったりいろいろと会話をする中で流れをつくって写真を撮らせてもらうという段取りにしたかったのですが、当てが外れてしまいました。
ちょっと待っても戻る気配がなかったので、その青年に2種のフレームを示してサイズ指定の上でいくらか尋ねます。

電卓を何度かはじいた彼の快投は、大きい方が160元(約2500円)、小さい方が120元(約1900円)でした。
日本の感覚では割と質の良いオーダーの額ということで、安いと感じられる見積もりですが、このときのわたしはあまりの高さに、えっ、と大声をあげるほどでした。
いくらなんでも高すぎる、計算間違いではとたずねましたが、彼は再度電卓をたたきながらいや間違いない、いちばん良いフレームなのでと突っぱねます。

少し考えさせてくれと言っていったん店を出て、以前何度かお世話になった店に行きました。
先方もわたしをよく覚えていて久しぶりねとあいさつしてくれました。
そこで探すとまったく同じフレームが見つかりましたが、小さい方はもっと好みのものがあったのでそちらに変更して、同様にサイズ指定のうえ値段を聞きます。
結果、65元(約1000円)、小35元(約600円)と半額以下でした。
もちろん、額はそこでオーダーしましたが、もう一度最初の店に戻って、別の店では同じものがこれこれの値段だったぞと少し声を荒げて言うと、くだんの青年はこちらに目を向けずにウチはものが違うからと小さな声で返事しました。

これでは彼女のポートレイトはあきらめざるを得ませんが、仕方ないでしょう。
ヤツは外国人なのだからボッてやれと強引な値段を付けたのに対し、誠実に価格提示した店で購入するのは当たり前です(それでも少し外国人価格になっていたかも知れないですが)。
彼女の方で終始対応していたら、違った展開になって今日の作例がタンクトップ姿で微笑む額売りの少女になっていたかも知れないことを考えると本当に残念でした。
そんなことを残念がるよりも、この額はプレゼント用なので、わたしの選択が気に入ってもらえるかを心配した方が今はよいのかも知れません。
【X-E1/Vallantin 7cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Vallantin 7cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/10/19 Sat

Vallantin簡介 下

Vallantin 70mmF3.5
ヴァランタンは7cmとたいへん短い焦点距離を実現していますが、他の10cmとか20cmのペッツバールとどう違うかといえば、構成はまったく同じでサイズを全体に小さくしているに過ぎません。
7cmも10cmも20cmも相似形なので、サイズが小さくなる分イメージサークルも縮まっていきます。
10cmは1/4プレート(5×4)をカバーするようですが、7cmは35mmがギリギリです。
これだと同じ設計で5cmを作れば超小型のマイクロフォーサーズ用レンズができるということになりそうです。
ただ、35mmの半分で5cmF3.5ですからかなり暗いレンズになりますね。

レンズのサイズを比較してみましょう。
10cmのゴーダンはレンズ径32mmレンズ間の長さ70mmなのに対して、7cmのヴァランタンはレンズ径18mmレンズ間の長さ44mmとぐんと小さくなります。
部品が消失してしまっていてピント調節はできませんが、もともとラック・アンド・ピニオン機構が付いたレンズなので、テープなどで固定しないと鏡胴が行ったり来たりしてしまいます。
それがちょうどレンズの沈胴のようにも見えることもあって、沈胴エルマー5cmF3.5をひとまわり大きくした兄弟レンズのような印象です。

ヴァランタンは、ksmtさんがEOS5Dで撮影した写真を見ると周辺部での光量落ちがわずかに見られ、4隅の流れはさらに顕著です。
しかし、今回APS-Cサイズの撮影では周辺にわずかな流れが認められるものの光量落ちはなく、もともとこのフォーマットのために設計されたかのようなレンズだと言えます。
もっとも尋常でないボケへのこだわりを持つknpmさんなどに言わせれば、35mmフルサイズでの方が面白いということになるでしょうか。

X-E1もそうですが、小型なヴァランタンは小型カメラにとてもフィットして、前述のゴーダンなどに比べると使い勝手良好です。
逆にksmtさんの写真を見ると、5Dのような大型の一眼レフではちまちましたレンズとの印象で、取り回しがどうだったのかは聞いていませんが見た目はいかにもアンバランスです。
小型で使いやすくても35mm相当の焦点距離が105mmとあっては、そんな長いレンズは使えないとなる人が多いかも知れません。
結局、ペッツバールなどの古典レンズを使いたくなるか、好きになるかのポイントはこの部分で、多くの方が広角嗜好だろうことを考えると、やはりわたしたちのような一部の人間がありがたがるレンズなのかなと少し残念です。

わたしは以前から考えていたことがあます。
1/4プレートのトロピカル・サンダーソンで、マミヤの67バックが取り付けられたハンドカメラを格安で手に入れていました。
レンズはダルマイヤーのF4.5の5枚構成レンズが付いていて、120フィルムで即撮影可能なのですが、いかんせんピント合わせにいちいちバックを外さなければならず、せっかく中判に改造して軽快なはずなのに簡単な手持ち撮影ができない状態です。
このカメラにペッツバールを付けて、もうひとつデジタルバックにすれば液晶を見ながら手持ちで撮影できると考えたのです。

ただ、中判用のデジタルバックはあまりに高価で、現状ではとても手の出る代物ではありません。
そこで考えたのが、バックにそのままNEXなどのデジタルカメラを取り付けてしまうと考えたのでした。
それも、ペッツバールのイメージサークルが5×4ではレンズの一部を使うだけなので、わざわざサンダーソンを使う意味がないのです。
そこでヴァランタンを付けてみるというアイディアが浮上します。
レンズとカメラの大きさがしっくりきますし、前述のようにイメージサークルがAPSなのでその意味でもジャスト・フィットです。

5Dではアンバランスだと書きましたが、構想にあるヴァランタン+サンダーソン+NEXは後ろから見ればデジタルのインチキカメラですが、19世紀のカメラとレンズのシステムで撮影しているようにしか見えません。
このヴァランタン+サンダーソン+NEXという式は、ゾナー+ライカ・コンタックス・アダプター+ライカという式と同等なので、サンダーソンはアダプターということになってしまうのがたいへん申し訳なく感じるところです。
そういう意味では、先に見物したしながわ宿場祭りや来月開かれる大磯宿場祭りなどのイベントで、力を発揮するシステムだと考えています。
【X-E1/Vallantin 7cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Vallantin 7cmF3.5 | trackback(0) | comment(1) | 2013/10/18 Fri

Vallantin簡介 中

Vallantin 70mmF3.5
昨日は字数の関係で触れることができなかったのですが、このヴァランタンレンズを製造したのは、ルルブールなのかヴァランタン自身なのかという問題があります。
ksmtさんも、この点は不明であると書かれています。
推定することはできないものでしょうか。

キングスレークの「写真レンズの歴史」はいつも回答を与えてくれるオールドレンズファン座右の書ですが、今回の件でもヒントになるような記載がありました。
第5章の「光学ガラス」に以下のようなことが書かれています。
1774年、スイスの時計職人ギナンが溶融しているガラスを撹拌することで脈理がなくなることを発見し、彼自身や息子などが工場を立ち上げますがいずれも失敗してしまいます。
その後1827年になって、時計職人だったギナンのもうひとりの息子と望遠鏡メーカーだったルルブールとガラスメーカーだったボンタンの3人が共同でガラス工場をつくり、1832年にパリに移しましたが、この工場はその後有名なパラマントワとなり、現在でもソビレルの名で操業しています。

イギリスでは1824年にガラス工場を買い取って1848年に光学ガラスを製造したという記載もあり、上述のパリの工場はペッツバールレンズの時代の大陸にあった唯一の光学ガラス工場であったと解することができます。
そうであれば、当時ヨーロッパにあった写真用レンズのメーカーはここからレンズを仕入れるしかなく、1840~60年代の初期のペッツバールレンズがメーカーに寄らずいずれも均質な写りをすることに納得がいきます。
先日、いくらペッツバールがオーストリア以外で特許を取得しなかったからといって、短期間に多くの国のメーカーでペッツバールレンズが発売された不思議さに触れましたが、この工場が広めたということが明々白々になったと言えるでしょう。

では、真鍮の鏡胴についてはどうでしょうか。
さすがのキングスレークもこの点には言及していません。
ペッツバールタイプのレンズはどれも同じような鏡胴デザインをしていて、また当時の加工技術ではとても安定した鏡胴製造は難しいことだったということを考えれば、やはりレンズ同様に大きな工場から供給されたことが考えられます。
少なくとも当時の製造量を考えると、レンズメーカーでは真鍮加工をする設備や人員を自前で用意するのは難しかったろうとは想像できます。
一方で、ペッツバールタイプのレンズでは、同じ焦点距離なのにメーカーが違うとフードやフランジ金具のサイズ
に互換性がないことが多く、複数の鏡胴製造メーカーが存在していただろうとも考えられます。

イタリアの古典レンズ研究家であるダゴスティーニ氏によれば、ヴァランタンは少なくとも3576本のレンズを製造したとのことです。
この数の根拠は、同氏の著書の中で紹介されているレンズの製造番号が3576番で、これより新しい番号のものが見つかっていないからということのようです。
また、1902年のカタログに1860年に創業されたVallantinはDallozと名称変更したことが記載されているとも書いています。
ヴァランタンのレンズは、その約40年間にやや多く見積もって4000本製造されたとすると、年産100本弱となり、これは3日に1本のレンズが世に出ていたということです。
もちろんそんなペースでずっと作り続けられていたのではないでしょうが、ペッツバールの希少性は理解できる数字です。
【X-E1/Vallantin 7cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Vallantin 7cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/10/17 Thu

Vallantin簡介 上

Vallantin 70mmF3.5
ヴァランタンは焦点距離がずっと短いので距離計連動のライカマウントに改造してもらうことも考えたのですが、ひとつの目論見があって、ゴーダンやデュブローニなどと同様にksmtさんに一眼レフ用の改造をお願いしました。
マウント改造の名手ksmtさんといえども、忙しいところを次から次へと改造依頼されて困っていたのかも知れませんが、すでにペッツバールレンズのコレクターと研究者での第一人者の立場から受けていただいたのだと思います。
珍しいレンズを入手したときの最初に結果発表するという大切な役割をksmtさんにお譲りすることで、お引き受けいただいた気持ちに応えています。

レンズのことは、その"www.ksmt.com"の"10D日誌"に詳述されていますのでそちらをご覧ください、で済むのですが、ほとんどその引用になりますが自分のレンズですのでここにも書き記しておきたいと思います。
まずレンズには下記のような刻印があります。

No 2444
VALLANTIN. OPN
de 1840 a 1856 C..tre des atel..rs de
MR. LEREBOURS
Paris

最初の2444がシリアル番号で、最後のParisは言うまでもなくパリのことです。
"C..tre des atel..rs"の部分は、別のレンズでは"Cont..tre des ateliers de"となっていて、レンズ刻印ではかなり自由に単語を省略できることが分かります。
ksmtさんの調査で"Cont..tre"は"contremaitre(職長)"ではないかと推測していて、「ルルブール親方のアトリエで1840年から1856年まで職長を務めたヴァランタン光学」という刻印だと解釈できました。

19世紀後半から現在に至るまで、レンズ銘板部分に、メーカー名、レンズ名、焦点距離、F値、製造番号の5つを入れることが一般化していますが、写真用レンズの黎明期にはカメラメーカーの要望やレンズメーカー自身の裁量で決められるようなところがあったのでしょう。
ペッツバールの時代にはF値の入っているレンズは恐らく皆無のようですし、焦点距離すら刻印はされませんでした。
まったく刻印のないレンズやレンズメーカーのロゴマークのみ入ったレンズが多くあるのを除けば、通常はメーカー名は入っていますが、ペッツバールの頃にはレンズ名の刻印はないばかりかレンズ名を付けるという概念そのものがありませんでした。
製造番号は、徹底して刻印されているメーカーもありますが、概して刻印がないためになかなか年代特定ができないレンズが多くあります。

そんな中で、これだけの刻印をしているというのは、レンズ鏡堂をそのまま広告にしたようなもので、ヴァランタン氏ならではのユニークなアイディアのように思われます。
しかしそのおかげで、ヴァランタンそのものについて、少なくともルルブールが1840年からレンズを製造していたことなどの情報を簡単に得ることができました。
ルルブールの威光を借りてレンズを売りたいがため刻印なのでしょうが、むしろ後世のファンを助けるありがたいメッセージとなっています。、
【X-E1/Vallantin 7cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Vallantin 7cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2013/10/16 Wed

她的肖像

Vallantin 70mmF3.5
先週の栃木に続いて今回の深圳にもレンズは1本しか持参しませんでした。

  そのレンズとは、
  Vallantin 7cmF3.5

7年物35度のウィスキーか何かのようですが、19世紀に製造されたペッツバールタイプのレンズです。
たいへん小型軽量で、焦点距離7cmというのは19世紀のペッツバールタイプの中ではもっとも短いレンズだと言えると思います。
と言うのも、今まで使用してきたペッツバールレンズはほとんど10cmで、この焦点距離が当時の最小カメラサイズであった1/4プレート(5×4または4の5)のイメージサークルをぎりぎりでカバーするからです。

7cmのこのレンズは35mmフォーマットぎりぎりのイメージサークルしかありません。
35mmはライカとともに登場するフォーマットですから1920年以降で、このレンズと時代が一致しません。
このレンズを販売した業者はステレオカメラ用のレンズではないかと言っていたので、すっかり信じていたのですが、本当かどうかは不明です。
5×4はセンチに換算すると約13cm×10センチなので、ステレオだとして長い方を半分にしても6.5cmでは3.5cmをぎりぎりカバーするレンズでは全然足りません。

わたしは50mm、75mmという焦点距離がたいへん好きなので、7cmもとても使いやすく感じます。
X-E1で使う7cmは35mm換算で105mmだから使いやすくないのではとの指摘が聞こえてきそうですが、もともとこれら画角が好きになったのがR-D1を使いだしてからなので、やはりわたしにとっての7cmは使いやすい距離なのです。
とは言え、ここのところずっと10cmのペッツバールを使い続けていたので、5cm、7.5cm、10cmが使いやすい画角ということになってきているように思います。

さて、今日の作例ですが、大芬では多く見かける肖像画描きの看板の前に、アンニュイに佇む少女を撮影したものです。
何か考え事をしているのでしょう、カメラを向けてもまったく気付きません。
逆光の中で顔の輪郭線だけを夕日が照らしていて、絶好のタイミングでした。
結果を見ても少女の心情までをも写し出そうとしているような表現でたいへん気に入りました。
このヴァランタン、ポートレイトを撮っても看板にあるPORTRAIT以上の描写をしてくれるレンズなのかも知れません。
【X-E1/Vallantin 7cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Vallantin 7cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/10/15 Tue

坐公交車去

Vallantin 70mmF3.5
週末、深圳まで出掛けてきましたが、先月たっぷり重慶の古鎮巡りをしたこともあって、今回は古鎮・古村落歩きは中止しました。
深圳には大鵬所城を除くと古鎮・古村落と呼べるところはほぼ皆無で、近隣の町や長距離バスでの弾丸日帰り訪問などを敢行してきましたが、それもほぼ行き尽して今回は時間も取れなかったので止むを得ず近場でスナップすることにしたのです。
ちょうど額縁を作成する用事ができたこともあって、数時間を深圳市内の大芬油画村で散策して過ごすことにしました。

香港から深圳に鉄道で向かうと羅湖という駅が終点で、歩いて香港の出国審査、中国の入国審査を受けると深圳駅前の広場に出ます。
ここから大芬油画村への行き方は大きく次の3通りがあります。
①タクシーでダイレクトに向かう 約20分 約50元
➁地下鉄1号線で2駅の老街駅で6号線で6駅の大芬下車 約30分 多分4元
➂バス306路で大芬油画村下車 約35分 3元

この中でわたしのお勧めはやはり➂のバスです。
深圳のタクシーは他都市と比べてだいぶ安全ですが、それでも遠回りというのはよくありますので、中国語ができないと不安を感じることになります。
地下鉄は誰もが利用しやすい乗り物ですが、地下と途中から高架になるのでせっかくの外国の景色が楽しめませんし、大芬駅から油画村までがちょっと分かりにくいかも知れません。

バスは旅慣れた人でも避ける人が多いようです。
しかし、地下鉄とは正反対に人間目線で町並みを楽しめることやその土地の交通事情も目の当たりにできるのがよいところです。
庶民の乗り物なので、周りの乗客の様子を見ているだけでわたしなどは退屈することはありません。
ただ、朝夕の混雑する時間帯は渋滞が激しいですし、とくに座れない場合スリなどを警戒する必要があります。
あらかじめ小銭が用意してあれば、火車站という始発から乗車するので座っていけますし、車内アナウンスは中国語と英語もあるので、ぜひバスでの大芬油画村行きにチャレンジしていただきたいですね。

さて、作例は大芬に到着早々見かけたいかにも現在の中国を象徴するような1コマです。
子どもは小学校3~4年生くらいでしょうか、向かいの男性はお父さんではなくおじいちゃんです。
子どもはしっかりしていそうな顔つきで、勝手に想像するとクラスでは成績優秀な人気者のように見えますし、そうでなくったってネッカチーフは自分で結ぶことができるはずです。
ところが孫を溺愛するおせっかいなおじいちゃんは、ついつい手をだしてあげてしまうのです。
よく見るとカバンまで持ってあげているではないですか。

80後(パーリンホウ)という現代中国語は日本でもニュース等で取り上げられて知られるようになっていますが、要は一人っ子政策がしかれてわがまま放題に育てれられた1980年以降に生まれた子どもたちが成人して今度は子どもを生む世代になっています。
自分たちを育てた両親たちはやはり同じように自分の子どもに接するようですが、せめて我々は厳しくしつけないといけないなどと考えているでしょうか。
そうでなければ、いよいよ中国は30代以下が軟弱でわがままな、ますます政府に牛耳られるばかりの国家になってしまいます。
【X-E1/Vallantin 7cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Vallantin 7cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/10/14 Mon

他的照片

Dubroni 10cmF3.5
アルコールが体内を巡っている間は車を運転するわけにはいきません。
最低3時間は栃木で時間をつぶす必要があります。
いつものように古い町並みを歩き回れば3時間くらいアッと言う間に過ぎるだろうと思っていたのですが、ビールを飲んだせいで疲れどっと出てしまって歩く元気もなくなってしまいました。

さてどうするか、考えながらふらふらしていると元気なおじいちゃんカラ声をかけられました。
小さなお店で閉店セールをやっているので、気に入ったものがなければ買わなくてもいいから、どうぞ見ていってくださいとのことです。
こういうところに意外な掘り出しモノがあったりするんだよねと、ちょっと期待しながら覗いてみたのですが、見事までに興味を挽くものはありません。
聞けば、CD屋さんを長らくやっていたが、もう70も半ばを過ぎたので店をたたむことにしたのだと言います。
CDやビデオはいくつもありましたが、他にも本や印刷名画の額入りとかガラクタ類がぃっぱいあって、もともとの商品以外にも家にあったものをすべて陳列しましたという感じです。

欲しいものはないけどお話しする時間ならありますとう顔をしていたのを察したのか、ここからはおじいちゃんと世間話が始まりました。
栃木のお生まれですが、新宿の淀橋にあった会社に就職して、それが戦争の終わりの頃だったので大空襲を体験したという、60何年も前のことだというのに鮮明に記憶されているようで、たいへんリアルな話を聞かせてもらいました。

70数年の人生経験がありますので話はつきませんでしたが、わたしの話す番になってレンズが好きでとか言っているときに、おじいちゃんはそうだ思い出したと1冊の本を取り出してきて見せてくれました。
横開きのハードカバーの写真集で、示したページにはそのおじいちゃんが店の前でにっこり写っています。
近郊の町に住む写真家が栃木に足繁く通い、1冊の写真集を制作されたんだそうです。
ぱらぱらとめくってみると、どれも栃木の町中で撮ったスナップで、栃木の町並ではなく人物をメインにしているところに響くものがありました。

わたしは写真の優劣とかということはまったく分かりませんが、好きか嫌いかは自分なりに判断する法の人間で、わたしがしているように町を歩いて撮られたスナップが嫌いなはずはありません。
ここで5冊売ってあげたんですよというおじいちゃんに、じゃあ6冊目は僕がもらいますと言いました。

仮に何かいい写真集がないかとアマゾンなりで検索していて、この写真集を名だたる写真家ね評論家が褒めちぎっていたとしても、まずは購入することはなかったと思います。
街歩きをしていてビールなんか飲んでしまったので、たまたま普通は歩かないところで声をかけられ重たい空襲体験の話を聞いた。
そして、そのご本人も写っているという写真集を、何気なく見せてもらって何となく気に入り、もしかしたら今これまでの行動はこの写真集に導かれるための必然が重なっていたのではないかとも思えて来たのです。

それほどまでにすごい写真集なのか、じつはまだその感想を述べることができません。
週末にでもじっくり見ようと思って、まだあれ以来ページを開いていないのです。
それは書棚の写真関係の本の前に立てかけるように置かれています。
ちょっと古びた袋に包んでくれたのですが、その袋はよく見るとおじいちゃん宛に送られた宅配便に使われたもので、住所と名前の書かれた伝票はそのままになっていました。
来年もまた尋ねてきなさいと言っているかのようでした。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/10/13 Sun

我的名字

Dubroni 10cmF3.5
中将温泉とは、何かわたしにゆかりがあるのかと聞かれそうな名前ですがねもちろんわたしには何ら関係はありません。
栃木にある銭湯なのですが、以前当ブログにて栃木に行きましたと記事をアップしたところ、栃木にはこんなところもあると中将温泉のことを教えていただくコメントをもらいました。
これはぜひとも見学に行かなければと思ったのですが、1年後すっかり忘れて思い出し、また1年経つと忘れてしまっての繰り返しで、なかなか目的達成には至りませんでした。
目的といってもただ単に名前の似ている中将温泉の外観を写真に収めればよかったのですが、本当ならその温泉にもつかるべきところでした。
たまたまオクトーバーフェストで駅に向かった帰り道に見つけたので、来年もビール祭りでドイツビール味わってから、ゆっくり温泉で汗を流して戻るというパターンにすることといたしましょう。

中将姫光学なる奇妙なネーミングの由来を書く絶好の機会ですね。
そもそも日本における光学機器の巨人は、日本工学であり、準ずると言ったら怒られるかも知れませんが東京光学も日本を代表する光学メーカーです。
それらにあやかって、わたしは生まれ故郷である藤沢光学と名乗ろうかと考えたのですが、日本工学、東京光学と比して藤沢光学ではわたしにはスケールが大きすぎと考えました。
町名は用田なので用田光学ではどうかと考えましたが、もうひとまわり小さくすべしと再考して、字中条から中条光学くらいなら許されるだろうと決定目前のところまで詰めていました。

中条は、"なかじょう"ではなく"ちゅうじょう"と読みます。
この地に中将姫という中世奈良のお姫様が隠遁生活を送っていたという謂れがあって、お祀りする祠まであることから付いた地名だと思うのですが、そこでさらにスケールダウンして祠をピンポイントで表す中将姫光学にしようと思い立ちました。
これには、20年近くも前にライカⅢfを購入して写真を始めたころ、なかなか思うように撮影できなくて、ライカ初心者の意味でLeica Virginという言葉を作って自らそう称したことから、中将姫の姫とVirgin=乙女のこじつけで中条光学より中将姫光学の方が意味付けが多様化して都合がいいだろうと思いついたからでした。

自分としてはお気に入りの名前でしたが、周囲の評判はすこぶる悪く、理由を聞くと、中将姫自体の意味が分からない、中将から軍人を連想させる、姫は女性だと誤解されるだろう、もっと真面目に名前を考えなさい!…などなどでした。
こういうケースでは、いいネーミングだねと褒められるとどうせお世辞だろうと分かってしまって、むしろ批判的な意見が多い方がなにくそそうまで言うならこのままで行ってやらあのような半ばヤケクソな気持ちで名称決定してしまいました。

こんな名前にして今では後悔しています、ということもなく、今回の中将温泉のように関連するようなしないような名前があったり、奈良には中将姫ゆかりの寺が多くあって、銅像や屏風絵など一度は目にしたいところが点在していることなど、名前に関して調べてみたい、行ってみたい、やっておきたいことが適度にあることもありがたいと感じるほどです。
中将姫光学さんとか、中将さんと呼ばれることがたまにあって嬉しく感じるものですが、かつて姫様と呼ぶ人がいてそれは勘弁してほしいと思っていました。
2006年始めのブログ開始時に付けた名前なのでもうかれこれ7年半くらいそう名乗っているのですが、ようやく今ではいい名前だなあと感じるようになってきました。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(1) | 2013/10/12 Sat

可能徳国人

Dubroni 10cmF3.5
栃木のオクトーバーフェストには、嬉しいおまけが付いていました。
なんでも本家であるミュンヘンのそれでは、祭りを盛り上げるためのビールの女王が選出されるそうなのですが、栃木でもその部分は大切だと理解されたようで、祭りの間、ビールの女王をお客さんの投票で決めるという催しがあって、女王候補たちの自己紹介がステージでありました。

イリエちゃんたちの一家と話をしたり、昼間のビールで酔っぱらったりで自己紹介をろくすっぽ聞いてはいませんでしたが、建築学科の女子大生が優勝賞品のドイツ旅行を手に入れて、ぜひドイツの建築に生で触れたいですという趣旨のあいさつをしているのを聞いて、これはぜひとも彼女に栄冠が輝きますようにと念じました。
ところが、次の女性はわたしは間もなく40歳で、もうすぐ40歳だなんてそんなと、女王に選ばれるのに不利であろう年齢を告白した上に、それを嘆く口ぶりがみごとだったので、やはり彼女が女王になってほしいと気持ちが変り、その後にさらに年上だという女性もあいさつして会場は盛り上がり、普通のミスコンとは違う女王争いのユニークさに感心するばかりです。

出場者は全部で6人だったでしょうか、それすらよく覚えていない酩酊状態ですが、なんちゃってで出てみましたという女性はおらず、年長の女性も含めてレベルは高かったことを付記しておきます。
ただ、ビールを飲む場ということで堅苦しさを避けた演出だったのだと思いますが、ローカルなビール祭りで彼女たち自身がその場の雰囲気を意識して、笑いをとるとはまた違ったおもしろいやりとりを自然にしたのだとしたら、すばらしいことだなあと思いました。

作例の女性も女王にエントリーしていたひとりですが、ドイツ人かどうかは聞きもらしました。
昨日の作例もそうですが、魅力的な人物を撮影しようとしてその魅力をこれっぽっちも感じさせない撮影結果にがっかりされどおしです。
1発で決めるのはやはり簡単ではなく、撮影者と被写体とう関係を超えるような努力をしたうえで何枚も撮り続けないと、自然な美しさはなかなか引き出せないもののようです。
それこそがポートレイト撮影に必要な技術というものでしょう。

わたしは写真を撮ってもいいですかと英語で聞いたのですが、彼女も英語で応じてくれ撮影しようとしました。
そこへ、いっしょにいたお友達(マネージャー?)が日本語で大丈夫ですよ、彼女は日本語で切るのでと、英語でわたしに笑いながら語り掛けました。
ああ、日本語でいいということをわざと英語で言っているのかと気付いて、わたしも大笑いしました。
彼女たちの自己紹介のユーモアを引き継いでいるのか、伝播したのかなかなかやるなあと思いました。
わたしもセンスを磨いて来年はこのオクトーバーフェストに電車で行こうと考えています。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2013/10/11 Fri

不是徳国人

Dubroni 10cmF3.5
栃木の町を歩いている人が少ないなあと不安になったのですが、どうやらこんなところに理由があったようです。散策していたときに教えてもらったのですが、古い町並みがあるエリアと離れた栃木駅の広場で、オクトーバーフェストが開催されているというのです。
まさかお昼からビールを飲む人がそんなにいるものかと会場に行くと、ほんとに満員の大盛況でした。
入場料を200円取られるし、ビールもドイツ製とは言えみな1瓶1000円もして安くないのですが、この盛り上がりはいったい何なんでしょう。

わたしは車で来ていたのでビールを飲む気はなかったのですが、大瓶1本飲んでも3時間後にはアルコールは抜けているという話を聞いていたので、それを理由に1本だけ飲ませていただくことにしました。
名前は忘れましたが、ドイツからのお嬢さんのお勧めを断って、ルートヴィヒ2世の醸造所で作られたという小麦ビールを飲んでみました。
小麦のビールは意外にクセもなくてすっきり飲みやすく、昼間に屋外で飲むビールとしてはアタリだったと思います。
食べ物の屋台もけっこう出ていて食事にも迷いましたが、栃木名物のじゃがいもの入ったやきそばにしましたが、考えてみるとわたしは栃木ではこればかり食べているような気がします。

入場料を取るからなのか、ステージでは日本人による南ドイツの音楽(?)が奏されていました。
いや、バンド名はエーデルワイスだったので、オーストリア音楽だったのかも知れませんが、アルプス風日本の民謡とかでお茶を濁すことなく当地の音楽を演奏してくれていたのにはたいへん好感が持てます。
演奏技術も高かったですし、ドイツ語も堪能のようで、なぜに地方のオクトーバーフェストに出演しているのか不思議でした。
ステージはいくつも組まれているようでしたが、わたしがここに長居するということはビールを飲み続けることを意味しますので、それではほんとうに帰宅できなくなってしまうので、早々に会場を後にしたことは記しておかなければなりません。
もちろん、それから4時間後、酔いを完全に冷ましてから帰ったことも報告しておきます。

さて、会場は満員で恐らく100人くらいはお客さんが来ていたと思いますし、ステージ寄りの席は来賓ようだったようで、なかなか座席が見つからず、ちょっと相席になるようなかたちで割り込ませてもらいました。
そこで向かい合わせになったのが、オーストラリアから奥さんの実家に一時帰国されていた素敵なご一家でした。
てっきりドイツ人かと思って、2週連続でドイツ人と会うとはと驚きつつ声をかけるとご主人のヴィクターさんはプラハ生まれのオーストラリア人との意外な返事がかえってきました。

プラハには20年近くも前に旅行したが、当時まだ日本人は珍しく行くあちこちで歓迎してもらったり食事をご馳走してもらったり、町の美しさ以上に人々の温かさが記憶に残っている、そう言いたかったのですがヴァイツェンビールの酔いも手伝って英語が全然でてきません。
恥ずかしいですが、奥さんに訳してもらいながらの会話になってしまいました。

美男美女の子どもですから当たり前なのかも知れませんが、何しろ子どもたちのかわいらしさがずっと頭から離れません。
巻き毛がよく似合う末っ子のイリアちゃんは天使と呼ぶにふさわしく、ちょっとシャイなところが日本人っぽい長男のレオン君は小学生ながら実にしっかりしていて好いお兄さんだとすぐに分かりました。
これ以上のファミリーはないと、興味を示してもらったペッツバールで撮影させてもらいましたが、発色は鈍く子どもたちのかわいらしさがこれっぽっちも表現できていません。
信頼のデュブローニでしたが、ここぞというときに裏切られてしまいました。
まさかビールまで酔っぱらってしまったのでしょうか。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/10/10 Thu

不是意大利人

Dubroni 10cmF3.5
デュブローニの作例はかれこれ18枚も載せてきましたが、まだレンズ自体の説明はしていませんでした。
フード云々よりも順序が逆ですね。
例によって未知の部分が多くて知りえた情報は少ないのですが、分かった範囲のことを記しておきたいと思います。

Dubloniとはいかにもイタリア的な名前ですが、フランスのカメラメーカーです。
社主はBourdinという名前で、DubloniはBourdinのアナグラムなのですが、当時はこのようなネーミングはよくあったのでしょうか。
会社名はMaison Dubloniでしたが、メゾンは家という意味ですが、会社というような意味でも使われているようで、日本語にするとすれば、デュブローニ商会などに相当するのではないかと思われます。

Dubloniは光学メーカーではなく、設計したのはカメラの方で、レンズは他社から供給されたものにDubloniの刻印を入れたようです。
1860年代から製造された湿板用のそのカメラは、写真史に残る重要な存在です。
湿板は、コロジオン法とも言われるようにヨウ化物でつくせれたコロジオン液を塗布しておいたガラス板に硝酸銀溶液を浸して渇く前に撮影から現像プロセスまで行わなくはならず、屋外で撮影するためには馬車や簡易暗室を用意するなどカメラ以上の準備が必要でした。
Dubloniのカメラは、カメラ内部に硝酸銀用絵を流し込むことができ、また、撮影後には現像液である硫酸第一鉄溶液と定着液であるシアン化カリウム溶液を続けて流し込むことで、カメラの中でネガ作成までが可能でした。

それまで、写真を撮るためには暗室を持ち運ぶ必要があったので費用も労力も莫大だったのが、このカメラによって遠くエジプトや中東などで写真が撮影されヨーロッパに紹介されるようになりました。
機内持ち込みできるスーツケースよりもずっと小さな箱に、カメラや現像まで可能な器材一式が収まるのですから、コンパクトカメラやインスタントカメラの走りだということができるでしょう。
しかし、写真の進歩は速く、1870年代前半には乾板写真が発明されると同時に普及して、Dubloniのカメラの役割も後退してしまったようです。
カメラの製造数は不明ですが、カメラや骨董のオークションに稀に登場してもかなり高価になってしまうことから、現存するDubloniは多いとは言えないようです。

レンズについては特に製造元を示すマークなどはありません。
しかし、昨年フランスの古典レンズに関する大著を出版したダゴスティーニ氏によれば、DubloniのレンズはDarlot製だということです。
わたしはダルローの同じようなスペックでやはり1860年代の製造と思われるレンズを使っていますが、Dubloniの方がサイズ的にひとまわりふたまわりくらい小さいですし、描写も違うように思います。
同じ3群4枚のペッツバールタイプながら設計の違うレンズではないかと考えます。


さて、今日の作例も風景用のフードを付けていますが、空にはぽっかりゴミが浮かんでしまっています。
しかし、昨日やおとといの作例で見られた光の回析現象はここではなく、絞った甲斐のある作例とはなっているようです。
とはいえ、やはりペッツバール臭さや古典レンズらしさのような味わいはなくなっていて、これだったらキヤノン100mmF3.5という小型軽量の名玉を使った方がよかったのではと思えてしまうのです。
というわけで、これが風景用フードの最後の作例となります。

【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F10】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/10/09 Wed

過了6年

Dubroni 10cmF3.5
風景用のフードは中に仕切りがあって、中央にやや小さな穴が開いています。
フード効果と同時に絞り機能をもったオリジナルのパーツです。
今回のテストでは、ISO800の無限遠での町並み撮影で、人物用フードが1/2200秒、風景用フードでは1/300でした。
約4段暗くなったことになり、レンズのF値はF3.5程度ですので、このフードの絞り値は約F10くらいということになります。

古い大陸系列の絞りではF9が、通常の倍数系列の絞り値ではF11がありますからそのどちらかかも知れません。
ただ、面倒なので表記はF10としておきます。
ライカの古いレンズでのF9も、それ以降のレンズでのF11も使ったことはまずありません。
絞ったことで覚えているのは、数年前に四川省に行ったとき帰りのバスがなかなか出ないので、通りを走るバイクやら歩行者やらを流し撮りしようと目いっぱいに絞ったことがありました。
開放以外で撮ることがないわけではありませんが、絞って撮ったのはそのくらいのものでしょうか。

本来は、両方のフードでの作例を並べたうえて客観的に差異を見ていきたいところですが、2枚続けて撮ったのは絞り値確認程度のものだけなので、風景用フードの作例を昨日今日明日の3枚だけ並べてみることにしました。
まず大きな問題は、これだけ絞った状態だと画像素子部分の汚れが浮き出てしまって、画面に黒点となって表れるということがあります。
比較的それが目立たない作例ばかりですが、空や白っぽいものを撮れば黒いシミはかなり目立ちます。
困ったものですね。

もうひとつは、ハイライトがあいまいに写るということです。
一見フレアが出ているように見えるのですが、どうもそうではなくハイライトの滲み方が外に広がらない特徴があるようです。
恐らく、これは絞り過ぎたことによる光の解析によるものではないかと思います。
昨日の作例では全体をかなりシャープにとらえているのに女性の顔がふんわりとあいまいになってしまっていますし、今日の作例では店の看板等の文字がまったく読めません(もっとも今日のものはピントの甘さも影響していそうですが)。

また、絞ったことでシャープネスは若干上がったかも知れませんが、わたしにはそれほどの有意差であるとは思えません。
深度は深まっていることは分かりますので、それが目的であればあえてこのフードを使う意味があると言えるでしょう。
あるいは、絞り穴を物理的に拡大してF5.6くらいにするという使い方がいちばん好いのではないかと考えています。
たとえそうしたとしても、風景用フードの出番はまずはないかと思いますが。

ところで、この作例の古い建物は、6年前にも撮影していたのですが、当時はあまりにも古建築とは不釣り合いな違う店が入っていました。
何だと思いますか。
答はタイヤ屋さんです。
http://zunow.blog51.fc2.com/blog-entry-379.html
今では有機野菜などを売るお店になっていましたが、どうぞこの土地に根付いていただきたいと思います。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F10】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/10/08 Tue

風景鏡頭蓋

Dubroni 10cmF3.5
毎年毎年、秋に栃木県に出掛けています。
用事があってでかけなくてはならないのですが、その用事はすぐに終わってしまうので、すぐに帰らずに近隣をカメラを手に散策するようにしています。
栃木、真岡、石館、真壁、古河などはこの機会に歩いた古い街並みに特徴がある北関東の古鎮です。

まだまだ近辺には未踏の町はありますが、今年はまた蔵の街とちぎを散策してきました。
少し消極的ですが、用事があって行ったのは栃木駅から車で10分かからないところで、かつ駐車料金がかかりませんし、去年も栃木に行っていてちょうど1年経つと何となく記憶が薄れて、でも何となく覚えていて、また行ってみようかという気になるんですね。
もちろん、栃木には1年に1度は足を運びたくなるだけの魅力があるということです。

レンズは、使わないと分かっていても複数持つことが多いのですが、この日は重慶の旅以来すっかりお気に入りになっているデュブローニだけです。
栃木のように建築に特徴があるような土地でAPSサイズのカメラに100mmレンズというのは少々苦しみをともなう場面が多いのですが、そこは何度か歩いている場所なので、失敗を気にしなければいいといつも以上に呑気に構えることにしました。

レンズは間違いなく1本ですが、デュブローニには購入時にちょっとしたオプションが付いていて、その意味では1.5本のレンズ持参と言えるかも知れません。
それは、風景写真撮影用の長いフードで、もともと人物撮影用のペッツバールであるデュブローニで、風景写真を撮る際には短いフードと交換で長いフードを付けて撮影するよう設定されているようでした。
なぜ風景用なのかと言えば、フード内部に5円玉が入っているような構造になっていて、要するにその5円玉部分が絞りの役割をはたして、風景を撮るときは絞って撮りましょうということらしいです。

わたしは、基本的に開放撮影が身上ですので、余計な付属品に過ぎないわけですが、せっかくオリジナルで着いてきたとあっては一度くらいは試してもいいかなという気になります。
簡単な比較をすることで絞ることの効果が分かりますし、そのことによってこのようなフードはやはりわたしには不要だったと証明することもできるでしょう。
たぶん、このフードを使うのは最初で最後になるような気がしたので、最初は同じ場所でふたつのフードでの撮り比べをして、その後風景用フードのみで撮影するも、すくせにイヤになって通常のフードに付け替えました。

ちなみに、このレンズのマウント改造をしていただいたksmtさんも自身のサイトでこの風景用フードを紹介はしていますが、撮影にはまつたく使用していません。
使うまでもなく不要だと考えたのだと思います。
こういうオプションがあるのは一見楽しみを増すように錯覚させますが、カメラに付いている○×モードのようにまったくの無用の長物だということですね。

栃木には11時前に到着して、いつもよりずっと軽いかばんを提げて颯爽と歩きました。
このひはちょっと蒸し暑かったのですが、季節はすでに秋でこの町を歩くには格好のシーズンのはずです。
しかし、なぜか人影がとても少なくて、何か寂しい気持ちになるような散策開始でした。
散策には好適ですが、撮影には厳しいものがあります。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F10】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/10/07 Mon

Waiving Bye-Bye

Darlot 17.5cmF4
われわれ紋次郎さん一行が向かったのが、品川宿の旅籠ではなく、公園の催し会場でした。
ここはお世話になった紋次郎さんにぜひとも振る舞い酒をと買って出たのが実は大失敗で、地元のビールを見つけて来て飲んでみたところ強烈に個性的な味で、紋次郎さんはじめ飲んだ人がみな言葉を失ってしまいました。
そこで、お口直しにとまたみんなで飲んだ鹿児島のいも焼酎がまたいけませんでした。
こちらは味が絶品で、飲み口があまりにいいためにわたしやksmtさんはぐびぐひといって、飲み終わらないうちからふたりハイテンション状態になってしまいます。

ksmtさんは愉快に盛り上がる好い酔い方(?)で良かったのですが、わたしはひとり酔っぱらいのおっさんと化して、公園の中をカメラを手に動き回ります。
アルコールが入った時の行動は人によってさまざまだと思いますが、わたしの場合はふだんおとなしいのに突然饒舌になると自覚していました。
今回に至って、カメラを手にしているときは、何か撮ってやろうと徘徊を始めるのだとようやく知りました。
抑制しようとはたらきかけているのにも気付いているのですが、そうはコントロールできなくなっていたようです。
恐るべし鹿児島加世田のいも焼酎!

酩酊に近い状況下で、ksmtさんに借りたダルローでちっとも撮ってないじゃないか、わざわざ持ってきてもらって何やっているんだと怒り出すもうひとりの自分がいて、レンズ交換しました。
白昼、必死に目を凝らしてもピントが合わせられなかった175mm(35mmフォーマット換算では約262mm相当)のダルロー相手で薄暗くなった中でピントが合うはずはないですし、ISO感度もそのままだったので手ブレ写真も連発になりました。
後でSDカードをチェックすると50枚以上が連続してピンボケか手ブレかその両方という写真が続いていて、何も知らない人は意図して何かを表現しようとしているのではと誤解してしまうのではないかと思えるすさまじさです。

しかし、そんな中でもたった1枚だけ、どうにかなっているものが撮れていたりするので、写真というものは偶然の不思議の起こる世界なのだなと感心します。
インディーズのミュージシャン、MISSIWさんのポートレイトがそれです。
たぶん掌中の影響なのかも知れないですが、聴いていて頭にすうっと入っていくような声質がちょっと気になって、ライブのあとにCDを販売するというので直感的に買ってしまったんですが、その場でサインをしてくれる際に名前をいれてくれるとなって、わたしは本名ではなく中将姫光学と書いてくださいとお願いして、MISSIWさんはたぶんわたしの持っていたダルロー付のカメラを見て、何かを察したかのようにリクエスト通りの名前を書いてくれたのです。

そのときに撮ったのですから、わたしだって1枚くらいブログにアップできる程度の結果を残しても許してもらえるでしょう。
実際の彼女はもっとずっと美人だったので、こんな写真では申し訳ないですが、さすがはダルローでこの髪の毛の拍子がとてもすばらしいですね。
CDも昨日初めて聴いてみましたが、歌詞はわたしには馴染めませんでしたが、楽曲そのものは案外とすぐれていてとても耳に心地よく響いてくれました。
彼女とだけは一期一会に終わらせず、活動に注目できればと思っています。
【X-E1/Darlot 17.5cmF4 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Darlot 17.5cmF4 | trackback(0) | comment(1) | 2013/10/06 Sun

徳国和荷蘭

Dubroni 10cmF3.5
紋次郎さん、三脚付木製大判カメラを持った人、金ぴかレンズのカメラを首から提げた人が並んで歩いていれば目立つことは間違いないようです。
ちょっと磁力が弱目の磁石程度には、歩行者を時々引き寄せていました。
やはり紋次郎さんを撮影しようとする方がけっこう多いので、隣にいてはいっしょに写ってしまいますので、少し前の方を歩いて醜態をさらさないよう気を遣いました。

しかし、中には突然大物を引き寄せてしまうこともあるようです。
ドイツ人とオランダ人のかっこいいおじさんと仲良くなりました。
ふたりとも日本語がたいへん達者でしたが、古いカメラが趣味とのことでこんなコレクションがあると教えてくれたのは、みな日本のカメラでしたし、持参されていたのもマミヤのレンズシャッター機です。
日本の我々がドイツのカメラにドイツやフランスに固執していて、まるであべこべですねと言ったら大笑いになりました。

ふたりともなかなかに好いお顔をされているのでそれを活かしてか、本業の仕事のほかに、タレント的な仕事もこなしていてテレビやCMにもときどき出演しているとのことでした。
オランダ人のDさんは、イチローとともに某飲料メーカーのCMに出ているというので注目しているのですが、テレビをそれほど見ないわたしはまだ確認できていません。
それよりも、なぜ、そんなふたりをペッツバールで撮影しなかったのか、もったいないことをしてしまったものです。

もうひと方は、雑誌の編集をやっていたとおっしゃる女性です。
いま40代~50代の男性ならかつてみんなお世話になったことがあるだろう、あの雑誌なのですが、若い男性が夢中になったあの雑誌の編集に女性がいたなんて意外でした。
わたしより一回り以上年上と思われるかつての美人ですが、高校時代にお世話になったあの雑誌を、目の前にいる女性が作っていたと考えると、わたしの浅春はこのお姉さまの掌中にあったのかと少し恥ずかしい思いです。

実は、この女性もカメラ通で、ライカM5を使っていたというので驚いて聞き返すと、もともとカメラマン(ウーマン?)志望だったのに事情があってそれに近くカメラマンとも接することのできる編集の仕事を選んだのだそうです。
そうして花形とも言える大手出版社で願いどおりに篠山紀信をはじめとした写真家と関わる仕事をしていたのですから、とても能力のある女性だったのでしょう。

さすが、紋次郎さんとごいっしゅしていると股旅ものそのものの、一期一会を体験できてほんとうに旅をしているような気分を味わわせてもらいました。
ひとつはヨーロッパをまわる空間移動の旅で、もうひとつは懐かしい時に戻ったかのような時間移動の旅です。
しかも、どちらもカメラにかかわる話が付いているのですから、我々にもぴったりな話で嬉しくなりました。

さて、今日のピンボケの作例ですが、以上の話とは関係ない、ちっちゃな子どものスナップです。
後方では、しながわ宿場祭りの名物イベントである火縄銃の一斉射撃があって、その音がものすごいのなんのって、当時の銃は弾丸で殺傷するよりも、音の迫力で相手をだろがすという使われ方をした武器であったことが理解できました。
これだけ離れていても、みんなすごい音だと耳をふさいだりしながら見学していたのですが、その中でただひとりまったく動ずることなく後ろ向きで涼しい顔をしている大物がいたので思わず撮影しました。
ピントが合わなかっのはわたしが音にビビったからではなく、あくまで激しい逆光のせいですので、どうかご容赦ください。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/10/05 Sat

這不是我管的

Dubroni 10cmF3.5
宿場祭りでは実に多くの江戸時代コスチュームの人たちを目撃しました。
美男美女が多く被写体には事欠きません。
ペッツバールと勝手に略して呼んでいるこれらレンズは、より正しい呼称を用いるなら、ペッツバール博士が設計した人物撮影用レンズと同様の設計によるレンズということになるので、積極的に本来の使用目的を達成できるのはありがたいことでした。

ただし、昨日の作例の俳優さんたちのグループこそ衣装やメイキャップが本格的で映えていましたが、一般的にはこの日のための俄か変身という人たちばかりなので、デュブローニのような高コントラスト高シャープネスレンズではかつらの継ぎ目や化繊の着物生地が目立ったてしまうので、ソフトフォーカスレンズで撮影した方が良かったかも知れません。
もちろんこのお祭りでそんな無粋なことを考えているようでは失格で、レンズと同じ150年以上前のスタイルの人物を撮影できること、彼らも祭りを楽しんでいて最高の笑顔でレンズにこたえているのをこちらも楽しむことの方が大切です。

そこで、紋次郎さんです。
去年の大磯以来1年ぶりの再会になるのですが、木枯し紋次郎を独自に研究して衣装や小道具をリアルに再現し、普段着のように着こなす紋次郎さんはわたしにとって圧倒的な存在感でした。
元来がいい男ですが、表情やポーズが実に自然かつ堂に入っていてペッツバールがもっとも輝くことのできる被写体です。
作例では、ちょうど鼻のところに小さく日差しのハイライトができて、背景が暗かったのでこれだとピンとくるものを感じて撮影させてもらいました。
思い切ってアンダーにしたつもりでしたが、もう1段シャッタースピードを上げた方がよかったかとやや後悔もしています。

この日は、ksmtさんとわたしはいつものようにペッツバールをデジタルカメラに付けていてかなり目を引いていたと思うのですが、それ以上にインパクトがあったのが大判カメラと三脚を携えていたknpmさんでした。
昨日の作例にちょこっと写り込んでいるので、なんだあれはと見えたかも知れませんが、大判三脚なので江戸時代の皆さんを集合写真に収めているところだったのです。
knpmさんがなぜそんな器材で撮影していたのかわたしが自慢したいくらいですが、残念ながらここで書く訳にはいきません。
恐らくは近々、knpmさんのサイトに器材と撮影結果が登場すると思いますので、その節にはぜひご覧いただければと思います。

knpmさんの大判三脚で集合写真にしろ、ksmtさんの歴史的レンズでのデジタル撮影にしろ感じられるのは、江戸時代の人物に扮した特別の状況にあるモデルが、その時代のレンズやかつての撮影方法で撮影されることに、普通のデジタルカメラで撮られるよりも期待感を漲らせて撮影に臨んでいるようだということです。
普通と違う器材なのでどのように写るのかという好奇心がはたらくということもありますが、古いマホガニーのカメラや金色の真鍮鏡胴自体が魅力を放ってモデルの目を釘付けにしているということのような気がしています。
ペッツバールが現役の時代には1枚の写真を撮る重みが今とはまったく違っていましたので、当時のダゲレオタイプの写真を見るとその重みや緊張感が伝わりますが、それに通ずるものをknpmさんやksmtさんの撮影を見ていて感じました。

紋次郎さんには我々が品川に到着してすぐにお会いすることがてぎたのですが、その後もところどころ撮影したり、雑談したり、他の人の撮影を待ってもらったりとずいぶん遅い時間までごいっしょいただきました。
そうとうお疲れだったと思うのですが、終始にこやかにお付き合いいただいて楽しませてもらつたことに感謝申し上げたいと思います。
きっと紋次郎さんも木製カメラやペッツバールに強く惹きつけられていたのでしょう。

ちなみに、木枯し紋次郎を調べると、笹沢左保原作の股旅ものの小説で、1972年に中村敦夫主演でテレビドラマ化されて大ヒットしたものだそうです。
「あっしには関わりのねぇことでござんす」という決め台詞が流行語になったのは記憶しているので、わたしもテレビドラマを家族とともに見ていたかも知れませんがよく覚えていません。
時代設定は天保年間とありましたが、これは西暦で1830~44年のことですので、写真術開発前夜からダゲレオタイプ完成、ペッツバール登場の時代に見事に合致します。
次回、紋次郎さんに会うときにそのことをお伝えしなくては。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2013/10/04 Fri

全欧州鏡頭

Dubroni 10cmF3.5
デュブローニやダルローなど、1840~60年ころのすばらしいレンズを現在でも使えるのは、何といってもペッツバールのおかげです。
もちろんニエプスやダゲール、タルボットらが写真術を発明したことが元にあるわけですが、1880年くらいまでのレンズでペッツバールほどに明るく魅力的なレンズは皆無なので、他のレンズをわざわざアダプターでデジタル撮影するという気は起きなかったでしょう。

ペッツバールは本人の気付かないところでもうひとつの貢献をして、わたしたちに贈り物をしていてくれました。
有名なエピソードですが、簡単に記すと、ペッツバールの人物用レンズはウィーンのフォクトレンダーが一手に製造していたのですが、ふたりは仲たがいしますがドイツに移ったフォクトレンダーは変わらずペッツバールが設計したレンズを作り続けます。
ペッツバールがオーストリア国内でしか特許を取得していなかったからでした。
彼が法律に疎く、自分の発明の価値を十分に認識できていなかったことが、その後手を結んだウィーンの小規模メーカーのみの製造にとどまることなくヨーロッパ中に広まることになったいうことです。

伝達手段が限られた時代にペッツバールの人物用レンズは広まったのでしょう。
本家のフォクトレンダー以上にペッツバールレンズが普及製造されたのは、フランスの各メーカーでした。
フォクトレンダーは事実上独占販売できる立場だったので、フランスのメーカーに図面をオープンにするようなことはなかったでしょう。
国際産業振興協会のコンペディションによってシュバリエのレンズに負けたペッツバールの人物用レンズでしたが、フランスの光学発展のために振興協会がペッツバールの設計図面を公にしてしまったのではと邪推したくなります。

そのフランスがいちばんのペッツバール大国ということになると思うのですが、製造国は実に西欧のすみずみにまで広がっていて、国名や主要なメーカー名をあげていくと自分でも驚くくらいです。
フランス
 ジャマン
 ダルロー
 ルルブール
 エルマジー
 ドゥロジー
 シュヴァリエ
 ベルティオ
 ソレイユ
 オズー
 ガスク・エ・シャルコネ
ドイツ
 フォクトレンダー
 スタインハイル
 ブッシュ
イギリス
 ロス
 ダルマイヤー
アイルランド
 グラブ
スイス
 ズーター
ベルギー
 ルノー
オーストリア
 ディーツラー
アメリカ
 CCハリスン
 ホームズ、ブース・アンド・ヘイドンズ

知りうる限り、実に8か国でペッツバールの設計した人物用レンズが生産され、メーカーの数に至ってはここにあげきれない小規模なものもたくさん存在していたことが知られているという具合です。
ダゲールがダゲレオタイプを開発してそのフォーマットして選んだのが所謂8×10であったことから、それに見合う巨大なレンズが多く作られ、現在では5×4ですから大判の代表的サイズのクォータープレート用のレンズはあまり製造されませんでした。
上記メジャーメーカーで、4インチ程度の焦点距離のペッツバールが市場に出てくれば是が非でも入手したいものです。

さて、作例では美男美女がちょっと素人離れした雰囲気で撮影している場面に遭遇しました。
聞いてみると、劇団に所属されているようで、なるほど衣装が板についているわけです。
メイクや時代考証なども本格派ですし、何より女性陣がレベルが高いのに惹かれてしまいましたが、にも拘わらず当日のわたしはちょっと不満を感じていました。
そのことについては、明日、書くことができればと思っています。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F3.5】
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Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(1) | 2013/10/03 Thu

哪一个合适

Dubroni 10cmF3.5
ダルロー、ゴーダン、デュブローニといま手許に100mmF3.5くらいの19世紀半ばのフランス製ペッツバールが揃いました。
いずれも、個性的でそんなに古いレンズとは思えないようなすばらしい表現力を持ったレンズたちです。
レンズ構成が恐らくほとんどまったく同じなので、もちろん描写は似ていますが、仔細に見ればかなり違うことも分かってきました。
ブログの性格上、なかなかそのチャンスがないのですが、ぜひ、この3本を比較して共通点と相違点を見つけ出したいなと思っています。

もうひとつ試したいのがモノクロフィルムでの撮影です。
ダルローはMSオプティカルでライカ連動に改造してもらいましたが、ゴーダンとデュブローニはksmtさんによるM42マウントへの改造で、EOSアダプターをかませてX-E1に装着しているので、M42かEOSのボディなら一眼レフでそのまま撮影てきます。
そこで、このレンズにフィットするカメラボディはどれなんだろうと悩む日々が続いています。

旅に出たときはフィルムも使ってみたいとの気持ちが起きるようになって、数か月に1度程度のペースですが、ライカM6を持ち出しています。
わたしのM6はブラックペイントバージョンなのですが、旅の酷使もあって、ふちがいい感じに擦れて下地のブラスが露出し始めています。
これにブラスレンズであるペッツバールを付ければ、ぴったり合って好い感じに決まります。
同様にぴったりくるM42カメラはどんなものがあるのか知りません。
とりあえずはブラックペイントのボディならよさそうなので、どれがよいのか探さないといけないと思っているところです。

レンズこそ大事なのであってカメラボディは単なる暗箱、気にする必要はないと言うのが本来の考え方だと思いますが、M6のフィーリングの良さが好きで敢えて使っているというところがあると自覚している以上は、使用感の好い見た目もレンズにフィットするカメラはあるのかが気になって仕方ありません。
好い機種があればぜひともご教示いただければと思います。
次回の旅には、ライカではなくそのカメラを引き連れてペッツバールのモノクロに挑みたいですね。


さて、作例ですが、浅草橋から大きく、と言っても都営浅草線と京急がつながっているので一直線に着いた北品川駅まで移動し、しながわ宿場祭りを見物しました。
ただし、浅草橋でのお昼でちょっとのんびりし過ぎてしまい、祭りの華僑は見過ごしてしまいました。
作例写真はどうにか間に合った、品川寺での火渡り荒行の様子です。
当日は好天の中、品川のお祭りということで人出がとても多く、この様子も人垣越しにカメラを上にかかげてノーファインダーで撮っています。

ペッツバールの中でもシャープで切れの良い描写をするデュブローニですが、発色の好さも特筆に値すると思います。
赤はしっとり落ち着き、燃えるようなオレンジに対して、白はあくまで純白にと、逆光の悪条件化でもきちんと描き分けられています。
被写界深度のことについては話題になっていますが、ここでも無理やりなピント合わせの中で、何となく思ったようにピントが来ているように見えます。
175mmダルローの後に使うと、100mmってここんなに使いやすかったっけと驚くほどスムーズに使えました。
目下のところいちばんのお気に入りレンズで、早く相棒になるカメラを見つけないとと思っています。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/10/02 Wed
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