スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | --/--/-- --

超級摸特

Dubroni 10cmF3.5
深圳発、麗江経由、重慶古鎮の旅は、昨日の作例で終了しているのですが、今回はまったくレンズの紹介をする余裕がなかったので、それを兼ねて旅の終わりに立ち寄った古鎮があったことも付記しておこうと思いました。
それと、中国シリーズを2週間やった最終回は現地撮影の美女をご紹介というパターンを続けたたこともあったので踏襲しました。
妙齢の美女は見つけられなかったので、将来の美女、ということになると思いますが。

重慶の中心から20キロほどのところに走馬という古鎮があることは知っていて、旅の前に地図にマーキングしておきました。
ただ、本での扱いは古鎮よりも、梅林の見事さで訪れるなら2~3月となっていました。
わざわざ訪れるつもりはなかったのですが、予定外の路孔に滞在したことで状況が一変しました。
あらためて重慶に戻る高速道路を地図で辿ると、その線上に相馬出口があるではないですか。
さらに見れば、古鎮はそこから数キロのところにあります。
荣昌のバスターミナルで重慶行きのバスで走馬の出口付近で降りたらまずいかと聞いたところ、走馬に停車するバスがあるからと教えてもらいました。
確かにチケットにも走馬と記載されていました。

江津行きの高速バスに乗ると30分程度で走馬の高速出口に着いたのですがねバスはそのまま高速を降りて江津までの残り20キロを一般道を走るとのことです。
車掌に走馬古鎮への行き方を聞いていると、もうひとりだけ同じところで降りた女性が付いてきてわたしも古鎮方向に行くからと、路地を通って近くの路線バス乗り場まで連れて行ってくれました。
思ったとおりバスで5分もかからず古鎮に着きます。

古鎮は予想していた通り、建物の多くが新しく建て替えられてしまっていて残念ながら楽しいところではありませんでした。
ただ、ふたつの出会いがあって、わざわざ出掛けた甲斐があったと思えたことは小さな収穫でした。
ひとつはカメラを提げてやってきていた大学生との出合いで、青島から重慶大学にやってきたという彼は辛い料理と悪戦苦闘しながら伝統がより残っているという重慶の文化を楽しんでいるということでしたし、専攻はビジネス英語だそうで、中国人らしさの少ない美しい英語で将来はジャーナリストになりたいと熱意をもって語っていたのが印象に残りました。

もうひとつは、古びた美容院の中にいた作例の女の子です。
カメラを向けるとちょっと照れて、両手で押さえた手で椅子を左右に動かして、同時に彼女自身も腰を動かしてお尻を大きく左右にスイングさせました。
単に恥ずかしさで静止していられなかったということなのですが、わざわざワンカットごとにセクシーポーズを取るプロのモデルのようなことを無意識にやってしまうのがすばらしい。
そのうち戻ってきたお母さんと美容院のおばさんとも仲良くなって許可をもらって、ほとんど撮影できなかった走馬での写真のほとんどは彼女のポートレイトになりました。

今回の旅でメインに使用したDubloniは、フランスで1860年代に製造されたと思われるペッツバール型のレンズです。
焦点距離約10cmは、これまでに使ってきた同じフランスのダルローやゴーダンと変わりませんが、なぜか鏡胴の大きさはふたまわりくらい小さいコンパクトな設計です。
しかし、性能はたいへんすばらしく、条件をそろえられれば前々世紀のレンズとはとても思えないほどコントラストの高いシャープな描写を示します。
また、被写界深度も驚くほど深いという特徴があって、今日の作例も100mmmF3.5クラスのレンズで撮っているようには見えないのではと思います。
絞っているのではと疑われそうですが、あいにくこのレンズには絞りのスリットもないので、絞ろうと思ってもそれができないのです。

さて、重慶へは路線バスを乗り継いで行けと言われていましたが、わたしは下車した高速入り口まで行けば重慶行きに乗れるのではと考え、バイタクに聞くと重慶に行くならそれがいちばん早いと5元で乗せていってくれました。
そこには小さな小屋があってバス会社の社員が常駐していて、重慶に行きたいというとバスと連絡をとって停車するよう手配してくれました。
確か15元だったと思いますが、さすがに中心部に入るとちょっとした渋滞に巻き込まれて都会に戻ってきたことを実感しましたが、それは同時に旅が終わったことを思い知らせるということも意味していました。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F3.5】
スポンサーサイト
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/09/30 Mon

豚肉市場

Sonnar 5cmF1.5
旅の最後の夜は路孔古鎮らしいところへ泊まれないかと考えていましたが、涼麺を食べた店の割ときれいでかつ親切な女の子に聞いたところ、ここには小さなホテルが1軒あるきりだということでした。
選択肢が他にないのであれば仕方ありません。教えられたとおりにホテルに行くと、12室あるのに2室しか空いていないと言います。
見せてもらった部屋は悪くありませんでしたが、両隣が埋まっていたのでどんな人が泊っているのが効いてみると、全室とも若い男たちだとの答えでした。
何のことはない、テレビ撮影の若きスタッフたちがここでずっと寝泊まりしているということです。

彼らにばったり会ったことで、日中戦争ドラマの日本兵役で出演してくれと言われるかも知れないかもなどと冗談のように考えましたが、現実的なことを言えば、先ほどの涼麺屋にいた連中は撮影の合間だというのにみなビールをラッパ飲みしていたので、夜は夜で宴会とかはじめてうるさいかも知れないと考えると寝られなくなるかも知れないという心配が頭をもたげます。
正直にそう話してどこかほかに泊るところはないでしょうかと聞くと、数軒先の食堂が宿泊可能でしかも安いと教えてくれました。
わたしがこのホテルの1泊100元が高くて泊まれないと思って気を回してくれたのだとしたら情けないですが、比較して決めることにしました。

早速、そちらの宿を見に行くと、ちょっと太めのお母さんが調理の準備をする食堂で、空いている部屋を提供しているようでした。
当然宿泊者はなく、トイレ・シャワー付きの部屋が60元と安く、建物も200年近く前に建てられた古建築ということで、お世話になることを決めました。

この選択はひとつの失敗と2つの成功があります。
失敗はここのトイレが臭かったことで、トイレのドアを閉めても汲み取り式トイレの奥底からアンモニア臭が眠ろうともがくわたしの鼻をくすぐるように漂っています。
しかし、れは意外なことで解決します。
部屋に蚊が飛んでいたので、蚊取り線香をもらってきて付けたところ、線香の香りがアンモニアに打ち勝ってしまい、気にならなくなりました。
わたしの足先を刺した蚊のおかげでわたしは熟睡できたのですが、蚊取り線香にこのような効果があることは、このようなショボイ旅をしたことがある人間でないと気付かない事実でしょう。

成功の方のひとつめは、夕食のためにレストランを物色したのですが、どこも店の前のメニューには川魚しか書かれておらず入れずにいたところ、宿の太めの女主人がそれならウチでいっしょに食べたらどうと彼女の手料理をいただけたことです。
料理はとても美味しく、家族が食べるものをいっしょに食べただけなので料金もこれでは申し訳ないとおもうくらいの額でした。
ひとつ意味不明だったのは、目の前にどーんと殻付きのピーナツが置かれ、食事中にみんなかなり食べたことでした。
この家の習慣なのかこの地方の過程ではみなこうするのか分かりませんが、何とも不思議です。

もうひとつの成功は、その食卓で旦那さんと話していて知ったのですが、彼は市場で豚を売っているというので、見学させてもらってもいいかと聞いたところ、大歓迎だと連れて行ってくれたことです。
市場ですから朝は早く、5時ごろ出るぞと言われましたが、旅はもう終わりなので最後の記念に早起きしました。
もっとも何もないところなので、寝たのも10時くらいでたっぷり7時間眠ったのですが。

重慶は北京よりもだいぶ西にあるので、この時期、朝の6時半くらいにならないと明るくなりません。
カメラを持っていくか悩むところですが、X-E1には感度設定がかなり高いところまであるので、今回はISO3200で撮影すればどうにかなるだろうと持って行ってみました。
自分としては何かお手伝いができたらという気持ちだったのですが、豚の解体には出る幕など一切ありません。
少し前に果てたばかりであろう豚が、肉塊に変貌していく様を眼をそらさずずっと見学させてもらいました。
ほとんどの写真は作例よりもずっと明るく撮っていますが、やはりちょっと生々しく感じられますので、その時の現場の明るさ程度の露出で撮ったものを上げさせていただきます。
これならパッと見ると、溶接作業現場か何かに見えるでしょう。

恐らくこの現場を見た誰もが思う実直な感想は、肉を粗末に扱ったり食べ残したりしては絶対にいけないということです。
料理だけを見ていると忘れがちですが、長年月育てられ、売られ、屠殺され、解体され、パック詰めされ、調理されと多くのプロセスを経てわたしたちの食生活を充実させているのだということを再認識して、かつそれらにかかわる人や豚自身にも感謝の気持ちを持たなければいけません。
感謝すればそれで問題ないかといえば、それはどうなのかは分かりませんが、そうするとしないとでは考えられないくらいの大きな違いがあるのだと思わずにいられません。
最後の滞在地で大きなことを教えてもらいました。
【X-E1/Sonnar 5cmF1.5 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Sonnar(Opton) 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/09/29 Sun

血流河

Dubroni 10cmF3.5
福宝、塘河、松既と重慶南西部エリアの古鎮を巡ってきましたが、最後にやや離れた路孔に到着した感想はこの4つの古鎮はとてもよく似ているということです。
いずれも川に面したアップダウンの地形を活かした重層的な家並みが美しさが大きな特徴です。
一定距離を置いた高めの位置から見ると立体的な古鎮の景色が楽しめるはずですが、福宝を除くと残念ながらそんな都合のいいところはありません。
村を実際に歩いてそれを感覚的にとらえるしかないと言うことになります。

路孔も他の古鎮とそう変わらないと思いましたが、決定的に違うのはアクセスが抜群にいいことです。
重慶市の中心から高速道路を100キロ走って、高速出口からも10数キロなので、ちょっと飛ばせば1時間ほどで着いてしまいます。
時間間隔を例えるなら、東京都心に住んでいる人が蔵の街栃木市に遊びに行くようなものです。
週末などはけっこうな人が訪れるようですが、わたしが到着したのは金曜日ということもあってか、夜になると7~8軒並んでいるレストランはどこもけっこうな客が入っているのが見られました。
作例のように比較的大きな川が流れているので分かるように、どのレストランも川魚がウリのようです。

わたしは、正直、川魚は苦手です。
魚はどうせ養殖なのでしょうが、養殖魚はタイですごいエサを与えているのを目の当たりにしたことがあって、それ以降もう養殖の魚はダメになりました。
一方、ここに着いて好きになった食べ物があります。
路孔行きのバスの中で地元高校生が掻き込んでいた涼麺です。
涼麺は一昨年だったか湖南省の張家界で食べたものが絶品で、そのレベルには及ばないものの、スナック的に食べる麺としては最高峰と呼べます。
午後について小腹が空いていて見つけた麵屋さんは、なかなか可愛い女の子がひとりで店を切り盛りしていて忙しそうなのに、すぐにわたしを外国人と見抜いて親切に接してくれて、その後も2度通いました。

最初に涼麺を食べていた時、他に4人組の客がいたのですが、地元の人には見えないし、かといって観光客ではなさそうで不思議だったので、彼らは何者かと女の子に聞いてみました。
なんでもテレビドラマを撮影しているのだそうです。
塘河では映画を撮影した時の俳優と地元民との写真が飾られていたりしたのですが、路孔ではすぐ先でテレビの撮影をいままさにしているというのが不思議なように思えました。
覗きに行ってみると、村のはずれに祖先を祀る大きな建物があってそこを閉鎖して中国版の時代劇を撮影しているのが見えました。

もちろんその様子ははっきりとは見えません。
それを見てやろうというヒマな村民がいたり、まるで関心はないけれどこんなところに大人がいっぱいいるとちょっとはしゃいでいる子どもたちが近くで遊んでいるのを見る方が楽しく感じます。
子どもの声を気にしないということは、後で音声だけ収録しなおすということなんでしょうね。
有名な何とかという女優も出ているよと教えてくれた人がいましたが、そもそも日本のテレビもあまり見ないので俳優の名前を知らないのに、ましてや中国の俳優なんて知ろうはずがありません。
面白かったのは、撮影が終わったというので建物を見学に行ったところ、兵と書かれた服を着た兵隊役と思われる青年たちが配布された弁当をみんなで食べていたところで、若い俳優の卵たちも衣装のままで弁当とは改革開放後中国の世知辛い一面を見た思いです。

それ以上に面白かったのが、今日の作例の女の子たちです。
たぶん撮影を覗き見していたのでしょう、そのシーンを川原に出てから再現しているようでした。
殺陣のシーンなのかひとりが透明の刀を振りかざすと、もう一方の子が川の水で血しぶきをあげています。
わたしは、駆け寄って彼女を抱きかかえて涙を流すなどすればよかったかも知れませんが、このレンズは焦点距離100mm、わたしの脚力ではとても機敏には彼女の元まで追いつきません。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/09/28 Sat

茶館不是珈琲庁

Dubroni 10cmF3.5
中国ではコーヒーと言えばまだかなり高価で、飲み物というよりは嗜好品です。
マンゴーやパパイヤを丸々使ったフレッシュジュースが15~20元程度で飲める喫茶店で、コーヒーは平気で40元とか50元とメニューに書かれていて、わたしは注文したことがありません。
そもそも喫茶店というものが深圳のような大都会でも極端に少なく、たまに見つけて入っても広い店内ががらーんとしているのが常です。
通称洗脚というフットマッサージは深圳の至るところにありますが、1時間足裏を揉んでもらって気持ちよくなって30元前後で、しかも運が良ければ若いお姉さんと親しく会話できたりすることもしばしばなので、休憩感覚で利用するならわたしはいつだって喫茶店ではなく洗脚を利用しています。

しかし、もともと中国はお茶を飲む文化圏ですし、四川や重慶では特にそれが盛んです。
喫茶店がないかわりに、逆に深圳にはほとんどない茶館は、都会や田舎を問わず至るところで目にすることができます。
喫茶店も茶館も同じではないのかという指摘がありそうですが、確かに、どう違うかといえば同じなのかも知れません。
わたしが利用した範囲であえて違いをいうとすれば、喫茶店では飲み物を飲むことにより重点が置かれているのに対し、茶館のお茶はお通しのようなもので、麻雀か打牌(賭けドミノ)か将棋かあるいはテレビを見るために茶館は存在するということのようでした。

田舎の茶館ならお茶は1杯2元程度で、あとはどんなに長く居座ろうと構いません。
飲み終わってしまったらまたお湯をそそいでもらえばいいだけで費用はかかりませんし、気の利いた茶館では定期的にお湯を注ぎ足してくれます。
それが何とも古めかしい魔法瓶を使うのですが、上部にふたがなくてコルクの栓でギュッと密閉するこの年代物アイテムは不思議とどの茶館にもあって、文革の時代から何十年も使われづけているんではないかと思わせる風格を放っています。

何十年も変わってなさそうということでいえば、茶館の内装や流れる空気だって同じことです。
いや、お客さんたちの方にこそむしろ文革時代そのままのような人や文革の時代からほとんど1日もかかさず通っているという人が見られるのが面白いところです。
わたしは古鎮巡りにできれば明代の新しくても清代の古建築や街並みを期待しますが、今回のように、ほんの20年ちょっと前の光景が眼前にあるというだけでも十分に楽しいことなんだなと思わされました。

そういえば、麗江の宿で店主と雑談をしているとき、テレビに北朝鮮が何かのお祝いでパレードを行っている画像が流れたのですが、まだ30代の若い店主が自分が学生の頃の中国だってあんなんだったとポツリと漏らしたのがたいへん印象に残っています。
海洋領土問題の対応や国内活動家への圧力など、本質は何ら変わっていないのかも知れませんが、経済発展や国外の眼が行き届くようになったことで、少なくとも中国の外観は大きく変貌しています。
古鎮の中に点在する茶館を覗いてみると、本質も外観もそう変わっていないこの国らしさが凝縮されて残っているのに興味を惹かれずにいられません。


松既古鎮の次はいよいよ最後の中山古鎮に向かうはずだったのですが、困ったことになってしまいました。
塘河で中山なら松既から船を下って行かれると聞いていたので、松既到着の夜、地図を見たのですがどこかおかしいことに気付きました。
塘河も松既も中山も互いにそうは離れていないのですが、わたしの地図では中山だけ若干南にあるため違うページだったので当初分からなかったのですが、両者の傍らを流れる川は別物でつながっていないようなのです。
どうして船で行けるなどといい加減なことを言うんだと最初腹を立てましたが、地図を見ていてその理由が分かりました。
松既から30キロも下ったところに榕山というこのエリアでは比較的大きな町があるのですが、この榕山はロンシャンで中山はヂヨンシャンと読みますが、わたしの発音が悪くて間違えられたということでしょう。

榕山にはとくに何があるということでもなさそうですし、中山はよく見れば塘河の方がずっと近いくらいで戻るように向かうのが癪にさわります。
あらためて地図を見ると、これは中山よりも遠くなってしまいますが路孔という古鎮があり、逆に重慶に行くには若干近くなるので、ならばと予定変更することにしました。
路孔は重慶古鎮としては比較的有名でわたしも何度か目にしていましたが、食事した古鎮九大碗の人に聞いても行き方を知っているくらいで交通は比較的便利なようです(あくまで比較的、です)。
松既にから永川、永川から荣昌、荣昌から路孔と3本のバスを乗り継ぎ100キロ近くありますが、いずれも大部分が幹線道路なので、待ち時間を含めて2時間半で到着してしまいました。
いよいよ旅も今日明日で終わりを迎えることになります。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2013/09/27 Fri

九分之二碗

Dubroni 10cmF3.5
松既古鎮も住民が人懐っこい感じで、古鎮としては面白味にいまひとつ欠けるところでしたが、散策はとても楽しむことがてきました。
松既に向かう日から雨が上がって時おり日が差すようになったのも幸運でした。
雨が降っていた方が古鎮は趣が増すという面もあるのですが、なにより傘を差しながらとそうでないとでは撮影機会に雲泥の差が出てしまいます。

松既に着いて早々景気のいい音楽が聞こえてきて、あれっと見ていると白装束の人たちがぞろぞろと石畳の道を歩いてきたのでお葬式だなとすぐに分かったのですが、不謹慎なことに、めずらしさもあって何枚も撮影しました。
特に拒まれていることもないようだったので、向かう先に付いて行ってさらに撮影したのですが、通りに出たところで後方の人が何やら放り投げるとそれは爆竹で、すさまじい勢いでバンバンと鳴り始め、故意か偶然かそのはじけたやつがわたしの頬を直撃しました。
けっこう痛かったのですが、ちょっと赤くなる程度で何事もなかったのですが、あれが頬でなく眼だったらたいへんなことになっていたかも知れません。
いずれにしても、執拗に撮影した罰が当たったということだと反省しました。

古民家の前では飛び切りの美少女と親しくなりました。
といっても小学校の低学年くらいでしょうか、快活で笑顔が常に絶えず、陳腐な表現ですが太陽にも例えたくなる女の子です。
あまりに可愛いいので撮っていいかたずねると恥ずかしがりながらも、いっしょにいたおばあちゃんに支えられながら色々とポーズをとってくれました。
迂闊にも気付かなかったのですが、彼女は背中(脊髄?)に障害があるようで、自分の力ではまっすぐ立てないようだったのです。
でも、そんなことは本人もまわりの人も気にする感じではありません。
素敵な天使との出合いに思わず手をぎゅっと握りしめました。

一方でちょっとやばいこともありました。
通りで大声で口論している人がいて、それを取り巻くように人垣ができていたので咄嗟に1枚撮影したのですが、
誰かがケンカを止めるためにお前写真を撮られるぞとか言ったのでしょう、中年の強面の男でしたが、一瞬、わたしと目が合い、わたしに向かって猛ダッシュしてきました。
やばいと思いましたが、すぐに腕をつかまれて何事かまくしたてられました。
どうすべきかとあせりましたが、そこにいた人たちが逃げろ逃げろと言うので腕を振りほどいて走ると、男性も付いて来ようとしますが追い付いてこられません。
どうやら真昼間から酒飲んで絡んでいたようです。
なんだかおかしくなって、わたしは闘牛士のように男性が突っ込んでくるとさっと身をかわす仕草を連続させると、まわりにいた人たちから歓声があがりました。
結局、トラブルにはならず、酔っ払いに絡まれていた人を救った英雄のようにまわりからやんやと言われてその日は村の有名人です。

食事のことは書かないわけにはゆきません。
この地域には九大碗という伝統料理があります。
名前の通り大きな9つのお碗で食べるコース料理のような宴会料理のようなもので、レストランに長い説明書きがあったのですが内容はよく分かりませんでした。
戦中期に滞在していた蒋介石の奥さんの宋美齢も舌鼓を打ったというエピソードだけ覚えています。
今でも結婚式など晴れの日に供されるのですが、わたしが宿泊したホテルで紹介してくれた古鎮九大碗というレストランでは気軽に楽しめるよう1つのお椀でも食べられるようになっています。
もっともそのひとつでも2~3人前の分量なのでひとりでは辛く、もう2~3品を4人くらいで食べるのがいいでしょう。
もちろん団体で行って、全9碗を少しずつでも食べるのがベストです。

祖先を祀る祠堂という古建築を内部改造したたいへん広いレストランですが、夜の客はわたしひとりだけ。
普通ならこういうケースは嫌がられそうなものですが、店で働く全員が歓迎してくれて雑談の時に日本人とばれたらなおのこと親切にしてくれる好いひとたちでした。
料理は九大碗の第一番目の碗という料理と例祭を頼みましたが、どちらもお世辞抜きに美味しかったことを報告しておきます。
もちろん半分も食べきれなかったのですが、あまりに美味しかったので、明日朝一の出発をずらしてここで昼食をとってからにしますと宣言したほどです。

翌日も顔を出すと本当に来るとは思っていなかったらしく、さらに歓迎の度合いが強くなりました。
店主は自分の気に入りの白酒を持ってきて、アルコール60度だけどまあ飲め飲めとなみなみついでコップを差し出しますが、さすがに真昼間からそれはだきません。ひと口ふた口飲んでうがーっとオーバーなリアクションをして、これ以上は飲めませんと主人に返すと、彼は相当な酒豪らしく軽くごくごくとやってどんなもんだという顔をしました。
彼はまだ40台ですが、若いころにクアラルンプールで苦力のような仕事をしていたという苦労人です。
奥さんが、日本のお金を売ってほしいときたので、1000円札を少し割のいいレートで人民元と好感し上げました。

さて、本日の作例ですが、重慶の美術専攻の高校生たちがこの村を写生して訪れていた、そんなひとコマです。
描いている人は先生だそうで、わたしも見学しましたが確かに上手いし、何より筆が早く何秒か対象を凝視したら同じ程度の時間でかなりのパートを仕上げてしまい、このスケッチは20分とかからずに仕上げたのではないかと思われました。
ただ、気になったのが彼らの真上に垂れている垂れ幕(?)を空の空間ほとんど埋めてしまうように描いていたことで、実際にそうしたいがためにこの位置で描いていたと思うのですが、あれは省略してでも何もない空を開けた方がすっきりするし、開放感とかバランということを考えても好いのではと思いました。
よほどそう言おうかとも思ったのですが、いきなりやって来た外国人がたどたどしい言葉で先生をバカにするようなことを言う愚かさに気付き思いとどまりました。
学生たちからこんなにも愛されている先生なのですから、わたしは、とても美しいと英語でひとこと言ってその場を去りました。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/09/26 Thu

釣魚島的問題

Dubroni 10cmF3.5
福宝も塘河も場合によっては2泊するつもりでいたのですが、いずれも規模が予想以上に小さくてあまり長居をしてもなあという印象です。
ここは予定変更して、いずれも1泊だけにして付近の古鎮を廻って歩こうと考え直しました。
塘河古鎮から近いのは、中山古鎮と松既古鎮なので、食堂のご夫婦に行き方を聞いてみます。
どちらもバスを乗り継いで行きますが、松既も中山も長江沿いの町なので、まずは松既に行ってそこから船に乗っても行けるよとアドバイスがありました。
その逆だと川を遡ることになるので遅いから気を付けるようにということです。

重慶からバスを乗り継いで中山まで3時間と聞いていたので、松既、中山と1泊して重慶に戻ればその日の夜の瓶で深圳に戻るのにちょうどいいのでそのルートで行こうと決定しました。
塘河のバスは30分に1本程度の頻度ではあるようで乗り込むとすぐに発車しました。
中国の田舎のバスはだいたいそうなのですが、車掌が同乗していて行き先を聞いてきます。
わたしは聞いていた「サンフェンルー」という地名を告げました。2元と思いの他安く不安になりましたが、そこから「シーモー」行きのバスに乗れるかと確認すると大丈夫だというので、サンフェンルーはそこそこの規模の村なのだと思ったのですが、5分も走った路上で降ろされました。
そこは単に三叉路の交差点で、その時に気付いたのですが、サンフェンルーとは三分路とでも書く、地名ではなく文字通りの三叉路の意味だったようです。

車掌が右方向を指さして向うからバスが来たら行先を見て「シーモー」と書かれていたらそれに乗りなさいと教えてくれました。
しかし、ここでまた問題なのはシーモーがどういう字を書くか分かりません。
そんなんで乗り過ごしたりしていたらと考えると不安なので、バッグから地図を取り出して見ました。
これがそうだろうという地名はすぐに見つかれました。
石虫莫(虫と莫でひとつの字です)がそれでしょう。
ここは幹線道路のようで交通量は意外にありますが、行き先表示が石虫莫のバスがなかなかやって来ません。
そのうち面包車が停まったので、あれっと見ると昨日塘河まで乗せてもらった運転手です。
乗るかと聞かれましたが、昨日は古鎮入り口の手前で降ろされて損しているので、お前に用はない、しっしっと追い払いました。

30分も経ったでしょうか、どこからかおばさんがやって来てどこへ行くかと聞くので石虫莫ですと答えると、ちょうどそのバスが今くるところだと教えてくれました。
後で知ったところではそのおばさんは車掌で、理由不明ですが、間もなくしてやって来たほぼ満員のバスにいっしょに乗り込んですで料金徴収を始めたのが不思議でした。
約45分で石虫莫に到着して、人に聞きながら二渓行きのバス乗り場まで10分ほど歩きます。
二渓からはふたとおりの行き方があると聞いていたのであらためて、ここで車掌に聞くと、小さなバスの乗客全員が熱心に説明を始めました。
そして、どこから来たのだと聞かれて日本だと答えると、全員が一斉にのけぞるように驚いているのが滑稽でした。
まさかこんなローカルバスに外国人が乗ってるなんて思わなかったからでしょうが、おかげでバスを降りてからも全員が手とり足とりで松既の行き方を説明します。

そのバスの終点は町中ではなく、長江の埠頭だったのですが、もちろん埠頭と言っても立派な港という訳ではなく1本のはしけがあるだけの鄙びた川原でした。
バスを降りた人は対岸の朱楊に行くとのことで、朱楊からバスで松既にいく手もあると聞いていたのでそうしようかと思ったのですが、いや見ろ向うに船が見えてるだろ、、あれに乗れば直接松既に行けるからそうしろと説明する人がいて、他の人もそうだそうだと同意しています。
全員一致でそういうのですから間違いないでしょう、彼らを見送って遠くに見えている船を待ちます。
やがて目の前まで来た船の名は、なんと「釣魚島」。
去年の尖閣国有化以降名称変更したのかよく分かりませんが、とりあえずその写真を撮っておきました。
釣魚等は中国のものだと言われたら、この写真を見せながら、そう釣魚等という船は確かに中国のものだなあと言ってやろうと思いましたが、その機会はもちろんありませんでした。

船の中では、同じバスに乗っていたという上品なおばあちゃんから話しかけられました。
松既には泊まるのかと聞かれたので、そうですと答えると家が宿をやっていると言います。
福宝行きでもこのパターンはあって結局外国人宿泊不可でしたし、塘河ではクモのシャワーで鳥肌が立ったので、申し訳ないが今夜はまともな宿に泊まるつもりでいたので、ああそうですかと木のない返事をしてしまいました。
30分もして松既に着いて料金の8元を払って釣魚島を降りると、おばあちゃんといっしょに歩き出しました。
おばあちゃんはちょっと荷物を持っていたのでわたしが持ちましょうと言ったのですがかたくなに誇示するし、途中、わたしはゆっくり行くから先にどうぞと座り込んでしまったので、申し訳なかったのですがクモがいるかも知れない宿に連れていかれずよかったと先を行きました。

食堂があったのでひとまずチャーハンの軽いランチを済ませて、よい宿はないかと尋ねました。
松山賓館がいいよと教えてくれたので、まあまあ立派な外観のホテルながら古鎮の中にあることが気に入って、さらに受付のお姉さんもきれいだったので、荷を解くことにします。
ちょっと古びていますが、立派なツインの部屋が100元でした。
昨日のクモの宿が80元だったので、かなりお得感がありましたし、ここではクモはもちろん蚊すらいなくてひとり寂しいくらいです。

さて、人心地つく間も惜しんで古鎮散策に飛び出しますが、福宝や塘河が山の中にポツンとあるのに対して松既は長江の水運に頼ることができたからでしょう、モノや人の行き来が活発な分、町として少し開けている印象です。
少し先には火力発電所だという社会主義的なぶっきらぼうな建物が不気味に見えていましたし、すぐ目の前の長江では大きな橋を建設中でした。
橋は来年には完成して、重慶の循環高速道路が通るようになり、以降は重慶から1時間で来れるよと地元の人が胸を張っていました。

古鎮のことはまた明日書くことにして、ひとまず夕方宿に戻ってきたときま話です。
ちょっといい感じだった受付のお姉さんは、今度は子供を抱いているではないですか。
この家に3年前にお嫁に来たのだと説明し、さっき顎で使っていたおじさんが実は旦那さんだと知って、仕事が終わったら食事にでも誘おうかと思っていたので大いにがっかりです。
さらにお母さんが返ってきたわと言うのであいさつしようとすると、それはまさに釣魚島に同船していたあのおばあちゃんだったので大いにびっくりです。
当のおばあちゃんはと言えば、やっぱりうちに泊るんだねと自分の勧誘のおかげだと言わんばかりのご機嫌顔でした。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(4) | 2013/09/25 Wed

老鼠愛吃餐庁

Sonnar 5cmF1.5
困った連中がやって来ました。
そろそろ夕食の時間だと案内してくれた女性の食堂でオーダーしようとしていると、30代半ばと思しき3組のカップルがテーブルにつきます。
男性3人はすでにアルコールがかなり入っているのか上機嫌で、やたらとでかい声で何か言っては他の人も大笑いしていて迷惑甚だしい。
彼らがビールを飲み始めたので、わたしは女性とご主人にひとこと詫びて、あいつらの食事が終わるころまた戻りますと、すっかりうす暗くなった外に飛び出しました。

じつは、この食堂の隣の大きな古建築が宿になっているのですが、部屋は建物の大きさなりにいっぱいあるのにトイレ・シャワーが付いていなかったので、シャワーはないのかと聞くとないという返事でした。
シャワー付きの部屋は3部屋あるのだが、お客さんが3組来たので空いていないのだということです。
けっこう汗をかいているのでシャワーは浴びたかったので別のところへ泊まりますと断ったのですが、一端は了承したものの書道に戻って別の宿を探さないといけないなどと敬意を説明していたところ、宿の主人がやって来て以前使用していた離れのシャワーを使えるようにしたのでと言うので、結局泊まることになりました。

そんな矢先わたしが泊まるべきシャワーの部屋を独占した連中が戻って来て、大声でがなり立てるものですから怒りが込み上げてきて、それを紛らわすために外へ出ていったのでした。
ちょうど階段の上の民家の軒先で先ほどもおしゃべりした美女が夕涼みしていたので、また横に座らせてもらいます。
頭を冷やすには絶好のシチュエーションでした。
もっとも、この美女の膝の上にはかわいらしい1歳のお子さんが鎮座していたのですが。
旦那さんは重慶で働いているとのことでしたので、宿がダメだったので泊めていただけませんかと聞いたら、OKしてくれるのかななどと想像したりしてみました。

うるさかった連中の食事がどうやら終わったので食堂に戻ると、一転してわたしひとりの静かな宴が始まります。
五十台の夫婦が切り盛りする食堂というのは日本も中国もそう変わらないのかと思わせるような真面目な仕事ぶりで、6人用の料理にもわたしひとりのための料理にも手抜きは一切なしを印象付ける美味しい四川料理に舌鼓を打ちました。
心配していた宿も、うるさい先客から部屋を離してくれ、もともとが大きな建物ということもあってまったく静がでした。
食事はたいへん美味でしたし、宿だって清潔で静かとけっして悪くありません。
今日1日のドタバタを忘れて気付くと熟睡していました。

しかし、満足感を表明するのは出発の時まで待つ必要があるということを今回学びました。
朝起きてから、わざわざわたしのために復活させてくれたという離れのシャワーに行って、わたしは愕然としてしまいました。
お湯が出るようにすることにしか手が回らなかったのでしょう、壁に何か所か黒いひも状のものが垂れているのを見てやれやれと思ったのですが、よく見るとそれは大きなクモの死骸が巣から垂れ下がっているのだと気付きました。
4方の壁のうち3方からぶら下がっているのでうっかり大きく動くと体に触れてしまいそうです。
わたしは虫系が大の苦手ですが、ここまで来て裸になってスタンバイ状態でシャワーを浴びずに戻れるかと、意を決して唯一クモのいない壁を凝視するようにして頭や体を洗い、髭剃りまで済ませました。
よくやったわねと、やさしかったおばあちゃんが天国で褒めてくれていそうな気がしました。

ある意味もっと辛い出来事がこのあとあるとは、この時想像すらできませんでした。
その後いただいた麺の朝食もまた美味しくて、すっかりシャワーの悲劇を忘れていたのですが、ちょぅど食事を終えたときご主人が、あらあらこんなのがいたよと指でつまんで持ってきたのはネズミの死骸です。
食後に見たものとしてはあまりにショッキングでした。
ご主人にはわたしの気持ちは伝わらないようで、ニコニコしながらこちらに見せつけるようにして、ゴミ箱に放り込みました。
厨房のどこにいたのですかなどとはとても聞けず、ただわたしは胃を手でさすることくらいしかできませんでした。

さて、今日の作例は塘河古鎮の美しい建築群です。
この光景が見たくて、がんばって川の対岸まで歩いていって撮影したのですが、土曜の建築群は前にも書いたように先に訪れた福宝にもあってむしろそちらの方が有名です。
ただ、福宝のその写真ははわたしが訪れるきっかけになるほど美しいものですが、古鎮ファンには有名過ぎるのであえてマイナーなこちらを選択しました。
連日の大雨で川の色がチョコレートのようになっていますが、そんな中で選択する人がいたのには驚きました。
この村の生活哲学は、川が濁っていても洗濯物はきれいになるし、クモの死骸があってもシャワーすりゃすっきり、食事はネズミがやってくるくらい美味しいのだから文句言うな、というところなのかも知れません。
【X-E1/Sonnar 5cmF1.5 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Sonnar(Opton) 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/09/24 Tue

電影古鎮

Sonnar 5cmF1.5
福宝での宿泊は叶わず、わたしは次の目的地と考えていた塘河という村を目指すことにしました。
地図上、両者はほとんど隣町のように見えるくらい近いのですが、山に寸断されているのでしょう大きく遠回りしなければ着くことができません。
福宝から近隣でいちばん大きな町である合江までのバスは20分間隔くらいで出ているようで、バスに乗り込むとものの5分でほぼ満員になり、すぐ出発しました。
このバスに乗り続ければ、40分ほどで外国人にも宿泊が許可された村まで行くことができますが、何としても今日中に塘河まで行きたいので、車掌に塘河への行き方を聞くと途中の白鹿で塘河方面行のバスに乗り換えられるが、夕方5時近いこの時間にまだバスがあるかは分からないということでした。
30分かからず白鹿に到着すると、親切な車掌は十字路のあちら側が塘河方面なのでそこで待つよう教えてくれました。

しかし、バスはすぐにはやって来ず、終バスが行った後だとすれば待つだけ時間の無駄なので、歩いていた人にバスはあるのか聞いたところ、そもそも塘河方面のバスなどないという困った答えが返ってきました。
十字路のところに停まっている面包車で行くしかないと言うので、仕方なくその運転手のもとに行き聞くと50元で行くと言います。
正直相場は分かりませんでしたが、反射的に高いとつぶやいて30元で行くだろうと少々強気に言い返してみます。
反応は悪く50元でないと行けないのでと交渉に乗ってくる気配もありません。
少なくとも50元出せばたどり着けるということが分かったので、本当にバスはないのか再確認しようと近くの商店で聞いてみるとやはりないとの返事。

そうこうしているうちに面包車に別の客が来て途中まで行くので、お前は40元でいいよとなってその言い値で面包車に乗ったのですが、その間にさらに客が3人増えて、同乗者がこんなに増えたのだからもっと安くしろと言ってみたものの、お前は40元で同意しているのだからダメだと相手も強気で結局そのまま車に乗っていくことにしました。
乗客は全員すぐそばの村で降りてしまったので、確かに10元の値引きは良心的だったと後で分かりました。
最初の50元も特にぼっている訳でもなく相場くらいだったのかもと考えていた矢先、塘河についたのですが、やられたと思ったのは降ろされたのはバス乗り場もある村の中心でしたが、さらに古鎮まで行くにはバイタクで5元払わないといけなかったことで、車でも行ける古鎮入り口で降ろせばよさそうなものをわたしがよそ者のくせに強気な態度だったので仕返しされたのかも知れません。

古鎮に入るとすぐに「酒」と古い看板を掲げた家があって、実際に甕を並べてお酒を売っていたのでとりあえず少量買うことにしました。
また荷物を短時間預かってもらって宿泊できるところを探すためですが、その心配はすぐになくなりました。
たまたまそこに居合わせた女性がすぐさきの家で食堂をやっているし、隣の建物に宿泊できるからと言ってそちらの方まで案内してくれたのです。
もっとも塘河古鎮には1つの通りがあるだけなので、どんなにぼんやり歩いていてもその食堂と宿を見逃す方が難しいくらいだったのですけれど。

1分かかるかかからないかでそこに到着したので、写真を撮りたいのだがもうこんなに日が傾いているのでひとまず荷物を置かせてくださいと頼むと、快く応じてくれじゃあ宿の人にも話をつけとくからと言ってくれました。
ヨーロッパでも日本でもそうですが、田舎へ行けば行くほどおおらかで心優しい人の割合が高くなると感じます。
わたしが田舎歩きが好きな理由のひとつです。

塘河は去年重慶を旅する前に買った本に重慶十大古鎮之一と紹介されていたので大いに期待したのですが、実際に歩いてみるとええっという感じでした。
ひとつは規模の小ささで、本当に1本の通りと左右の古建築があるだけで、それすらもそれほど長くはありません。そんなに小規模の古鎮ですので、住んでいる人もまことに少ない。
1泊2日で、わたしがあいさつしたり会話したりした人が20人ほどでしたが、それ以外にあと10人くらい、つまりは塘河古鎮の全人口は30人そこそこだと想像される規模なのです。
もうひとつは、その前に散策した福宝にあまりに似ているということでした。
坂があって階段があって同じ様式に見える古い建物…。
もっとも、古鎮なんてどこも似たようなものなのかも知れないのですが。

ここではよく映画の撮影が行われるとも話してくれました。
中国版の時代劇のようなものでしょう。
栄華の撮影ならもっと規模の大きなところでやればよさそうなものだと思いましたが、人口が少ないところなので野次馬もいなくて、住民の撮影同意がもらいやすいなどのメリットがあるのかも知れませんね。
何軒かの古民家の中に、中国の有名俳優と家族がいっしょに写る写真が家宝のように飾られているのを見せていただきました。
俳優の方はわたしはさっぱり知らないというのに、その隣の破顔の老人は無銘なのにいま話をしていたのでよく知っているというのが、実に不思議な感じです。
【X-E1/Sonnar 5cmF1.5 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Sonnar(Opton) 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/09/23 Mon

奇天烈先生

Dubroni 10cmF3.5
井上ひさしでしょうか、それとも50年後のキテレツ君?
中国の田舎を歩いていても美女を見かけるチャンスはあまりないですが、不思議な雰囲気を醸している老人などに会うことはしばしばあります。
時として撮影するのですが、それをその都度アップしていては、ブログが奇妙人物図鑑になってしまうので控えていたのですが、偶然すれ違った老人はあまりに個性を放っていたので採用せざるを得なくなりました。

中国のいろいろな土地を歩いていますが、頭に固定されたこんな傘を見たのは初めてです。
彼は発明家で、人生最後の大博打でこんな傘を製造してみたもののさっぱり売れず、発明家のおじさんだと子どもたちに指さされながらも落胆を隠せないでいるのではなどと想像してしまいました。
帽子が右肩上がりに眼鏡が右下がりにズレても気にすることすらしないのも、逆にこちらが気になってしまいます。
それに、着ているのが懐かしい中山服です(日本では人民服と呼んでましたが)。
かつて人民の象徴だった中山服も改革開放から20年もたてば、着ている人はあまり見かけなくなりましたが、田舎ではまだまだ現役ですし、さすが発明家の井上氏は着こなしも決まっていますね。

さて、5時間もかけてやって来たのに宿泊できないと分かって3時間で撤退を余儀なくされた福宝からの移動についてですが、地図を見ると、外国人でも宿泊できる何もない村からさらに数十キロ行くと次に訪れようと思っていた古鎮があるので、一気にそこまで進んでしまうことにしました。
その古鎮直前が省境になっていて、明日以降は重慶市の話になります。
重慶と言えば薄熙来ですが、その薄熙来に今日無期懲役の判決が出て、日本のニュースでも取り上げられていますので、あまり関心のある人はいないかも知れませんが、そのことについて言及します。

とは言え、わたしは薄熙来に対して詳しいわけではないですし、彼がこのようなかたちで訴追されたことがミステリーのように感じられてもいるくらいです。
報道で言われるとおり、薄熙来は権力闘争に敗れて失脚し、国民の人気があまりに高いために復活の芽を摘むために裁判で実刑にされたのでしょうか。
一部報道では、本来の贈収賄だけでも中国刑法で死刑に値する罪状があるのですが、それでは彼を支持する重慶市民がデモや暴動を起こして政権を脅かす可能性があるので、5年程度の懲役に落ち着かせるためにそれ相応の収賄事件のみを取り上げるシナリオをつくり薄熙来の同意も得られていたと言われています。
腐敗を容赦しないという政権の姿勢と薄熙来支持者をもまあ仕方ないかと納得させるところに着地点を見出したということでしょう。
薄熙来自身も服役後に政治復帰する道が残されているという説明を受けていたとも聞きます。

中国政府としては完璧な段取りを組んで、さらには信憑性を高めるために裁判のインターネット中継という異例の対応まで準備しました。
ところがどうしたことでしょう、裁判当日、薄熙来は手に平を返して自分は無実だと主張を始めました。
その時の映像を見ると、彼が何とも自信に満ちて余裕のあるような顔をしているのが印象に残ります。
しかし、よく言われるように中国の裁判所は中立ではありません。
中共の管轄下にあるので、例えどれほど絶対的な証拠があったとしても、あの証拠はねつ造だったとひっくり返すのは訳ないことです。
判決は大方の予想通り無期懲役でしたが、証拠すら提示できない薄熙来にどんな判決を科すのも自由自在でしょう。
ここでは、裏切って無罪を主張したために当初の短い刑期が党首脳の逆鱗に触れて無期になったとも報道されています。

どうしていくら無罪を主張しても無駄と知りながら彼は自信をもってあんな態度に出たのか、どうして重慶市民が暴動を起こしたりそうでなくても政治不信を高める可能性が大きくなるのに予定通りの短い刑期にしなかったのか、わたしには謎としか写りません。
中国の町中で政治のことをましてや外国人と話したりするのはタブーと言われていますが、今回の旅でそのことを確認しつつ薄熙来についてどう思うか多くの人に聞いてみましたが(と言っても6~7人ですが)、回答の100%が彼は無実、彼は正しい、彼は利用されているというものでした。
難しくて外国人には理解できないだろうとか、これ以上言ってはまずいということとかは語ってもらえなかったということは割り引いても、彼の信頼度や影響力の高さは実によく理解できました。

判決によってすべてが終わったとはとても思えません。
司法取引で薄熙来が海外に亡命するとか、彼が党幹部の腐敗を暴露するとか、2審にもつれて党長老の裏取引から逆転無罪になったりとか周囲をあっといわせるような展開があるのではと期待します。
わたしは別に彼のファンという訳ではありませんが、重慶市民があれだけ彼を支持する姿を目にしたら、ちょっとだけ見方をしたくなってしまいました。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/09/22 Sun

改名古鎮

Dubroni 10cmF3.5
福宝の起源は元末に始まるということでしたので、およそ700年近い歴史を持つ村と言うことになります。
さすがにその当時の建物はありませんが、地形に合わせたアップダウンのある土地には数多くの明代清代の古民家が並んでいて、その通りを歩いていると200年前の世界に時間移動したかのような錯覚を覚えるほどです。
特に、建築様式は他で見たことのないもので、大きな切り妻屋根に碁盤のような梁が外側にも露出しているところはチューダーボーン様式を思わせるところがあります。
坂に面してそんな家が並んでいるところは福宝の象徴とも言える姿で、わたしはその写真を何度か見て、いつかはこの地を訪れたいと考え、ついにそれを実現させることができました。

村の名前は、もともと仏保と言っていたようです。
これは、山奥にあってあまりに交通不便で生活もたいへん厳しかったため、せめて仏様の加護があるようにと命名されたようなのです。
しかし、明代末期に大火事があって村が焼けてしまい、ようやく再建されたときに鵞卵石という貴石の玉を設置して厄除けとしたことを機に仏宝と名称変更します。
そして、中国政府が誕生した時に、恐らく信仰の自由の制限から名前に仏とついていることを問題視されたのでしょう、再度の改名で村は福宝として落ち着きました。
仏保も仏宝も福宝も中国語では発音は同じですが、解明に村の歴史が色濃く反映しているのが面白いと思います。
なお、いまでも多くの人が以前の仏宝を使っているのが、また面白いところです。

昨日書いたように重慶から5時間もかかりましたし、四川省方面からでは近くの中心である合江までバスで1時間半かかり、さらにそこから成都まで2~3時間はかかるでしょうから、かなり不便なところです。
1時間圏内に景勝地のようなところはあるようでしたが、観光ということでは孤立した存在です。
古鎮としては確かにそれなりに知られた村だとは思いますが、さすがに朝から雨がジャンジャン降っている平日とあっては、この日訪れたのはわたしひとりだけだったでしょう。
にも拘わらず、古鎮の入り口に管理所のようなものがあって、しっかり入場料10元を徴収されたのは不思議な気がしました。

荷物をレストランに疼けてある手前、まずは宿探しが急務です。
古鎮の中に1軒だけ宿泊できるところがあったのですが、中を見せてもらうとそれほどひどくはなかったものの、建物全体に酸っぱいようなあまり気持ちいいとはいえない臭いが漂っていたため弱気になってここでの宿泊はあきらめました。
橋を渡る手前に小さなホテルが2~3軒見えていたので、今日はそちらに泊まろうと考えたのです。

そこで古鎮エリアをひととおり散策してから、橋を戻り川沿いにあるホテルをたずねてみました。
上の方の部屋なら川越しに古鎮が見下ろせるのではと期待したからですが、女主人の案内で部屋を見せてもらうと古いながらも清潔な部屋の窓からは、期待通りとは言えないものの古建築がところどころ見えて宿泊を決意します。
ところが、ここで思わぬ事態に見舞われます。
身分証を提示するように言われ、パスポートを手渡すと女主人は目を丸くして、あんたは外国人が残念ながらここには泊まれないと言い出しました。
宿泊受付の隣は小さなスーパーで、それもこの宿に泊まる利便性を高めていたのですが、そちらに向かって彼女は娘にこっちに来てと呼び出し、なんとその大学生の娘が英語で福宝は未開発地区なので外国人は宿泊できないのだと説明してくれました。

だったら部屋を案内するときにわたしの中国語を聞いて気付いてもよさそうなものですが、彼女たちはたいへん親切ですぐに公安局へ電話をしてここから最寄りの外国人でも宿泊できる村を確認してくれました。
何という村だったか忘れてしまいましたが、バスで40分くらいのところだということでした。
その村には見どころとか古建築とかあるのかと聞いてみましたが、たぶんないだろうとのこと。
では、申し訳ないが、ここにこっそり泊めてもらえないだろうかと頼んでみましたが、田舎のことで外国人の存在は目立つのでそれはできないとあっさり断られてしまいました。
宿泊料を上乗せしてもらって構わないとも言ってみましたが、彼らはまじめな人たちだったようで首を横に振るばかりです。

重慶からのバスで同乗していた人の実家がホテルでスイス人も泊まったと言っていたので、そこなら泊まれるでしょう。
そのホテルはすぐに見つかり事情説明したのですが、やはり外国人は泊まれないと受け入れてくれません。
スイス人が泊まったんでしょう、やはり日本人だと政治的問題でダメなんですかと聞いてみましたが、今まで外国人が泊まったことなんてないし、そもそもここが実家だというそんな人は知らないと言い出して、もう訳が分からなくなりあきらめざるを得なくなりました。

作例は、実は古建築が並ぶ通りではなく、恐らくそれより新しい建物が並んでいる通りで撮影しました。
ちょうど小学校の下校時間だったようで、元気な子どもたちが雨をものともせずに賑やかに通り過ぎていくので、バイクを目印に置きピンで何枚か撮ってみたものです。
狙った女の子はご覧の通りの前ピンですが、ここで撮ったものはすべて前ピンで、どうやらわたしの視力だと遠景のものはどうしても早めにシャッターを切ってしまうクセがあるようだということが分かりました。
女の子の方は、わたしが撮影しているのがよく見えているような顔をしているので、むしろわたしがここを歩いて彼女に撮影してもらった方がよかったのかも知れません。

福宝を紹介する写真は、同じ写真の使い回しでは思いたくなるほどどれも同じ位置から撮影されたものなのですが、なるほど統治に赴いてみるとあの家々全体をとらえられるのはその1ヶ所しかないからそういうことになるのかと気付きました。
当然わたしも同じ位置から撮影していますが、また同じような定番写真を作例にしては芸がありません。
そこで、唯一福宝式チューダーボーンの家が1軒のみとはいえ見えているのを発券した、小学校そばのこの写真をピンボケでも構わず今日の作例とした次第です。
切り妻屋根の輪郭線が長い歴史のうちにいびつになっているのもあって、建物が切り絵のようなのが気に入っています。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/09/21 Sat

打的故事

Dubroni 10cmF3.5
麗江から重慶へのフライトは随分と格安で、搭乗客も半分強くらいとがらがらでした。
夜の11時に着く時間の遅さも原因かも知れません。
空港から町の中心までは15キロほどしか離れていないと機内のアナウンスでも言っていましたが、残念ながらこの時間では地下鉄やバスなどの公共交通機関は終わっていてタクシーを利用するしかありません。
重慶到着日と翌日に合計3回タクシーを利用しましたが、いずれも一筋縄ではいかない体験で、重慶のタクシーは混雑するバス並みにタフな乗り物だと言いたくなります。

空港からのタクシーは、走り出して10メートルで急停車して、別のふたり組の客を乗せようとします。
重慶では相乗りは当たり前なのかも知れませんが、さすがに空港ではまずかったらしくすぐに警官が飛んできて違反切符を切って相乗り客も降ろされてしまいました。
すると運転手はわたしに八つ当たりし出して、翌日早朝にバスに乗る予定で重慶バスターミナル付近の安宿に泊まろうと考えそういうと、重慶バスターミナルは3ヶ所あるがどれのことだとか、運転しながら難癖を付け始めました。
わたしは地図を持っていたのでここだと言って事なきを得たのですが、あの雰囲気では全部のバスターミナルに行ってここでいいのかなどとやりかねない不穏な空気で、重慶では少なくとも空港からはタクシーに乗るべきではないと思いました。

しかし、それをすぐに忘れてその2時間後にはタクシーにまた乗車しました。
バスターミナルそばの安宿は外国人不可ということで、結局、いつもの旅行会社に電話してここからいちばん近く最安の宿を取ってもらいました。
ホテル名や住所がどうしても聞き取れず、そばの商店の女性に聞いてもらったところ歩くと20分かかるがタクシーならワンメーターなのでタクシーで行けと言われて素直にしたがったのですが、そのタクシーはもっとひどかった。
商店の女性が書いてくれたホテル名と住所を運転手に見せると、ヤツは嬉々として発車させたのですが、ワンメーターのはずがメーターはガンガン上がっていきなかなか着かず30元になったところでようやく到着します。
運転手はよそ者だと判断してそうしたのでしょうし、実際にそのとおりなのですが、方向感覚はしっかりあるのでまっすぐいかずに遠回りしているのにわたしも途中で気付きました。
その間どう対処すべきか考え、下手に騒ぐのはまずいだろうと思い、到着時にちょっと待ってねと荷物をさっさと降ろしてから、おかしいなあホテルの人は8元で着くと言っていたのに30元か、いまホテルの人に確認してくるからもうちょっと待ってねとホテルの建物に入って振り返ったところ、くだんのタクシーはあきらめたのか金の受け取りをあきらめて発進していきました。

翌朝もタクシーでバスターミナルに行かなくてはならず、そうしたのですが、ちょっと油断した隙に別の客も途中乗せてしました。
タクシーは高架道路の入り口のようなところで停車して、バスターミナルへは信号を何回か曲がらないと入れない複雑なところにあるので、ここから歩いたほうが早いといけしゃあしゃあと抜かします。
前夜到着していてそんなことはないことを知っていたわたしは猛抗議しましたが、後から乗った客までもが運転手に加勢して2対1の状況になってしまい、どうしようもありません。
こんなところでもめてバスに乗り遅れてもバカなので、タクシーの言いなりで雨の中荷物を持って歩く羽目になってしまいました。
3打数3安打打率10割ですが、重慶にはまともなタクシーはいないのでしょうか。

バスターミナルからは、四川省の福宝行きの長距離バスに乗ります。
福宝とは演技の好さそうな名前ですが、四川でも重慶でも知っているという人はほとんどいないような小さな村です。
ただ、古宝は古鎮としては愛好家によく知られていて、特に、福宝と言えばこれというくらい独特の建築様式の家が並んだ写真で有名です(中国古鎮ファンの仲間がいるというわけではないので推論含みですが)。
そんな村行きのバスなので、わたしのようなコアな古鎮マニアが同乗しているかと期待したのですが、あきらかに村に戻るために乗っているローカル風情なおじさんおばさんばかりでした。
なぜ、そんなバスが重慶から出ているのか不思議でしたが、あらためて地図を見ると福宝はほぼ重慶市に隣接しているので、この周辺エリアと重慶を結ぶ役割と同時にちょっとは知られた古鎮まで行くことで観光客の足にもしてしまおうと考えのでしょう。

バスの中ではあきらかにわたしひとりが後者の古鎮目的で浮いていたのでしょう、発車前に話しかけてくる人がいました。
いろいろと聞かれ、日本人だと分かると釣魚島がどうこうと少し生臭い話にもなったりしましたが、福宝まで3時間ほどで着くこと、なんとこの人の実家がホテルで以前にスイス人一家も泊まりにきたことがあるのであなたもよければ寄ってくれとメモにホテル名を書いてもらったことなど有益な情報を得ることができました。

出発からおよそ3時間でこの男性はいま住んでいるという村の前で下車したので、もう福宝は近いと思ったのですが、ここからがたいへんでした。
ずっと道が工事中で舗装がなくなりただでさえでこぼこ道になったうえに、大雨でぬかるんでいるためか坂ではタイヤが空転して立ち往生までするような状況になりました。
当然渋滞なども発生して、恐らく20キロ程度の距離に2時間もかかってようやく福宝に到着しました。
7時45分発のバスが到着したのは12時半で、腹がぺこぺこでしたが、出発前にわたしたちのやり取りを聞いていたのでしょう近くに座っていた夫婦が、自宅の前がレストランなので案内しましょうと申し出てくれ助かりました。
ローカルの人たちで賑わうこのレストランが実に美味しかったのですが、実はこの食事がわたしがこの旅で食べた唯一の四川料理ということになってしまうのですが…。

福宝には川が流れていて、ヨーロッパ式に言うなら左岸がバスの発着所や食堂、市場などがある新市街で、右岸が古鎮のある旧市街でした。
食堂でひとまず荷物を預かってもらって、古鎮への行き方を聞くと、その先の橋を渡ればすぐそこだとのこと。
早足で古鎮を目指すと、橋の下には茶色く濁った川が濁流になっていました。
朝から降り続いている雨は未だやみそうもありません。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/09/20 Fri

新入生勧誘大作戦

Dubroni 10cmF3.5
人民解放軍の若い女性兵士でしょうか。
いいえ、これは麗江郊外のとある大学です。
作例は、9月が入学シーズンの中国では普通に見られる新入生をクラブに勧誘する1コマですが、彼らは入学後何か月間かは迷彩服を着て過ごさないといけないそうです。
理由はよく分かりません。
彼らが厳しい大学生活に耐えられるかを見極めるためにのハードな野外訓練があるから、ということでもなさそうでした。

なぜ、わたしが大学にいるのかと言えば、前夜、女子大生たちと食事をしたときに大学へ遊びに行ってもいいかと聞いたことが原因です。
もちろん行くつもりで行ったわけではなかったのですが、朝起きると天気が悪くてこの日も観光が厳しかったことから彼らが気を利かせて呼んでくれたという経緯で訪れたのでした。

もともとは、友人の女の子が勤務している会社でアルバイトしている女子大生が、その友人と食事でもしようと誘ったところ、いま日本の友だちが来ているからということで、だったらみんなで食べに行こうよということになったようです。
実に気の利く友人です。
女子大生3人が待っていたのは鶏まるまる一羽を使った火鍋の店で、去年重慶に行った時もいただきましたが、中国の鍋の中ではもっとも美味しいものなので、喜びに花を添えてくれました。

それは彼女たちにも同じことで、学生のほとんどは6人部屋の寮で暮らしていて、食事はひどいものだと言います。
せっかくだからと選んだレストランは、平日なのに地元の人たちで満席になっていて、味と人気が比例したリーズナブルなところでした。
彼女たちのうちふたりは漢族でしたが、ひとりはミャンマーに隣接したところから来た景頗続という少数民族です。
景頗続は勇壮な民族として知られていますが、景頗をチンポーと発音するというので、そんなこと意識しなければいいのですが、日本語の意味を説明したら彼らのプライドは傷つくのだろうかなどとどうしても考えてしまい複雑な気持ちでした。

大学を訪れた日は、キャンパスの外にあるレストランでみんなで食事したのですが、ここも生徒や教職員で混んでいてやはり料理がたいへん美味でした。
ちなみに到着日の夜は友人とふたりだったのですが、彼女のたっての希望でピザハットで食べました。
日本のピザハットはたぶんデリバリーピザ専門だと思いますが、中国ではファミリーレストランを展開していて、確か中国の10大チェーンレストランの一つになっているくらい人気があります。
彼女は旨い旨いと食べていましたが、日本人の感覚ではとても食べられた味ではありません。
麗江の町にはいくらでも旨いレストランがありそうなものなのに、どうしてよりによってこんなところで食わなけりゃいかんのだと友人を恨みましたが、翌日の食事で帳消しどころか女子大生と一緒でいきなり首位に躍り出たくらいの評価を差し上げたいと思いました。

大学に着いた頃には雨が上がったので、食後、彼女が前々から行ってみたかったという観光地に向かいました。
わたしにはやはり退屈なところで名前すら忘れてしまいましたが、すでに高得点を上げている彼女の評価は若干下がったものの首位はキープしたままです。
それでも、わたしはどうせ行くなら昨日の作例の白沙のような素朴な村でのんびりしたかったと少々残念でした。
もっとも、雨さえ降らなければ、1泊2日で沪沽湖に行っていたはずなので、恨むべきは彼女ではなく天気の方ですが。

女子大生と仲良くなれて残念ですが、この夜、わたしは麗江を発ちます。
沪沽湖へ行っていれば、またバスに何時間が乗って四川省に出るという計画だったので、どうやって重慶まで行くか悩み鉄道やバスのスケジュールを調べもしましたが、麗江から重慶への直行便があるのを知り検索すると料金も中秋節連休前ということもあってか安く、航空ルートで重慶に行くことにしました。
本当は、地を這うようにバスや鉄道を駆使する旅にするつもりだったのですが、巨大な四川の西端から東端までの移動は大きな時間のロスなので止むを得ません。

残念ながら午後ずっと授業がある女子大生は来てくれませんでしたが、友人だけが空港行きのバス乗り場で見送ってくれて、わたしの旅の前半は終わりを迎えます。
友人とは言いつつも彼女とは次にいつ会えるか分かりませんし、もう2度と会わない可能性の方が高いかも知れません。
欧米ではもちろん、日本でも別れの時はこうするのだと偽って、彼女をすっと抱き寄せてハグしました。
嫌がられるかなとも思ったのですが、映画などでそういうシーンを見たことがあったからでしょう、驚きつつもハグの姿勢のまま見送りの言葉を言ってくれたことがわたしの印象に残りました。
また来年来られるのであれば、彼女のところや就職しているはずの女子大生たちの勤務先を尋ねてみたいなどと考えています。
もちろんチンポー族の村へも。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/09/19 Thu

坐公交与騎馬去

Dubroni 10cmF3.5
麗江2日目は朝6時に起床しました。
天気がよければ、沪沽湖まで1泊2日の遠征に出ることになっていたからですが、天気予報であらかじめ分かってはいたものの、やはりザーザーと雨の音が聞こえてきて計画を断念せざるを得なくなりました。
山岳路で一部修理中もあるという悪路を雨の中行くのは、事故や足止めの危険があるからと言われていたからです。

現地の友人から、この雨では出掛けるところはないので様子をみましょうと電話があり、それではと昼近くまで寝なおすことにしました。
昼になっても雨は降り続いていたので、お昼に連れて行ってもらうことになりましたが、麗江古城内はどこも観光客向けだからとちょっと郊外側にある地元民向けの小吃店に行きます。
小吃店とは小皿料理の店のことですが、特に地元ならではの料理を中心に何種類もメニューがあって、ランチにはふたりで5皿程度がちょうどいいのですがどれも試してみたくてオーダーに大いに悩みました。
メニューにマツタケがあったのでこれだけは嬉々として即決したのですが、残念ながら8月いっぱいで終わってしまったそうで、昨日の把肉餌丝と続いて大魚を逃してしまったことになります。

昼食時に雨が上がったので、郊外の観光地を訪れてみることにしました。
玉水塞というところで、大型観光バスが何台も乗り入れて団体がわんさか行くようなところなので行ったのはちょっと後悔でしたが、ちょっと好いことも後述のようにありました。
友人の方は大学を出て1年、まず半年間深圳で働いてから麗江に転勤になってまだ半年で、仕事も多忙で周辺にすらまだ行けていないのでということで彼女の希望で出掛けたわけです。

玉水塞へはツアーに参加するかタクシーで行くほかに8路の路線バスの終点が近くまで行くので、地元の人がそうするようにバスで向かいました。
ただ、せっかく近くまで行くのですから終点を玉水塞の入り口まで延ばせばいいものを、徒歩15分くらい手前で降ろされてしまいます。
そこで手ぐすね引いて待っているのが地元のおばさんたちでした。
馬を連れていて、これに乗っていけば入場料込みでひとり200元だと言うのです。
高いので結構と断りますが、いつまでも着いてきて値段を少しずつ下げ始めました。
入場料は100元と聞いていたので、ふたりで200元なら利用するなどと言うと、昨日の面包車と同じ発想からか分かったよと馬に乗せられました。

歩いても15分なのですぐに着いてしまうと思っていたのですが、途中から道なき道を延々と馬に揺られることになります。
値切ったので入場させまいとしているのではと聞いたところ、そうではないもう少しで入り口だとの返事。
30分も経ったでしょうか、金網のフェンス沿いに進んだところで馬から降ろされ、まさかと思う間もなく目印していた金網をぐいっとあげてここから入場するんだ付いて来いとすばしっこいおばさんの後を歩かされました。
ちょっと行ったところに建物が見え、あそこの正面にまわりこめば大丈夫、わたしは戻るからと言って去っていきます。
実際その建物には観光客が群れていて、そっと近寄り彼らに混じったところで見つかる心配もなくなりました。
捕虜の脱獄劇のようなどきどきの入場を楽しみましたが、前述のように中の施設は観光地化甚だしくわたしには楽しめるものではありませんでした。

それよりも、ここへ来た唯一の収穫は8路のバスが白沙という麗江郊外の村を通ることを知ったことでした。
かつての麗江らしさを残した白沙には、小さな村ながら静かさや素朴な住民、古建築があって、中国人にはいまひとつ不評なようですが、外国人にはそれなりに人気があります。
友人には申し訳なかったので、翌日の早朝に8路のバスでひとり出掛けてみることにしました。
その日も朝から雨でしたが、バスに乗ってしばらく行くと止んでしまったので、もしかしたら、麗江古城ばかり雨が降って周辺はそれほどでもなかったのかも知れません。

白沙を1時間ほど散歩できました。
ほんとうはもう少し滞在して、この地で有名な15世紀頃の納西族の壁画を見たかったのですが、それは果たせませんでした。
しかし、作例のように古建築に寄りかかって、自分の畑で採れた少量の野菜を売るやさしい顔立ちのおばあちゃんたちの姿を眺めていただけで大満足です。
何十年と変わらぬ村の姿を見たような気分でした。
ということは、また何年か後に訪れても変わっていないのでしょうから、いつか再訪して、そのときに壁画をゆっくり楽しめればいいかなと思いなおしたのです。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/09/18 Wed

西班牙人告訴我

Summicron 3.5cmF2
石鼓古鎮へは面包車という7人乗りの軽ワゴンが麗江との間を往復しています。
昨日、麗江から70キロと記載してしまいましたが、47キロの間違いでしたのでお詫びの上訂正いたします)
ただ、その面包車の存在を知ったのは石鼓に着いた時で、麗江のバスターミナルで石鼓に行くバスはないと言われて落胆したわたしは、どこへ行きたいんだと話しかけて来たチャーターするタイプの面包車と交渉して、200元で半日だけ包車してもらうことにしました。
面包車に包車とややこしいですが、中国でパンのことを面包と言うので、切る前の食パンにかたちが似ていることから軽ワゴンのことを面包車と呼ぶようになりました。
また、包車は車をチャーターするという意味で、車を包み込んじゃえということを意味するということでしょうか。

わたしの訪れた翌々週には中秋節の3連休が、さらに翌々週1週間は国慶節の休暇が控えていて、いま麗江の観光業界はそのときを静かに待ち構えている状態のようです。
面包車の包車は距離にもよりますが、半日で4~500元くらいが普通で、国慶節などの長期休暇には800~1000元取られるそうですが、その書き入れ時前ということで小遣い程度稼げればいいというありがたい時期だと教えられました。
ちなみにわたしが泊まった宿は150元でしたが、国慶節は500元になるそうで、本当は1000元でも満室になるのは分かっているのだけど、それではお客さんに申し訳ないのでと宿の主人も余裕の表情でした。

宿の主人はなかなかの好青年で、滞在中、ずっと話し込むことになります。
恐らく30歳代前半に見える彼は、2年前にこの宿をオープンしましたが、場所は栄えている古城口からいちばん遠い側にあって、商売的にはなかなか厳しいものがあるように見えました。
わたしは2泊しましたが、1泊目は子連れの夫婦が1組いただけで、翌日彼らがチェックアウトしてしまうと客はわたしひとりになってしまいます。
かえってわたしが心配したくらですが、2つの連休を控えていたので、宿代のときに書いたように心配はいらないと余裕の表情でした。

麗江空港のすぐそばの鶴慶出身の白族である彼は、理工系の大学を出てから電気技師の仕事をこなしていましたが、あまりに忙しくて自分の人生に疑問を感じ高校の同級生が始めていた宿の経営を思い立ちます。
どのように見つけたのか聞き忘れましたが、隣町出身なのでツテがあったのでしょう、商売したくともなかなか貸し手が見つからない麗江に2年前7部屋の宿をオープンさせます。
こっそり教えてくれたところでは、開設費用は20万元、家賃は月7000元ということです。
掃除洗濯等もろもろのことをしてくれる地元の人をひとり雇っているだけで他は自分でやっているといいますが、繁忙期はたいへんなのでしょうけど、見る限り時間はたっぷりでいろいろなことにチャレンジしているようで、今の生活にとても満足していると胸を張っていました。

7部屋とはずいぶん小さな宿だと思われるかも知れませんが、麗江古城外のホテルを別とすれば、みんな規模は10部屋前後のものばかりです。
というのは、麗江はもともとそのサイズの古民家が集まっているところで、そういうところを買い取るか借りるかして古民家の風情を活かした改装をして宿にするので大きな宿は存在しないのです。
しかしねその数を聞いた時にはのけぞらんばかりに驚きました。
麗江古城には、なんと1500軒の宿があるというのです。
各10部屋だとすると1万5千室もあるのかと言うと、国慶節には満室になるから各部屋ふたりで3万人が古城内に泊まっていることになるんだよと彼は笑っていました。

大きく儲かることはないのかも知れませんが、収入や生活は安定していて何もかも満足かといえば、彼は問題意識をしっかり持っていて、それがわたしが彼を評価する理由です。
それは、以前にも書きましたが、麗江は世界遺産の登録などもあって中国各地から観光客が押し寄せるようになり、同様に各地から商売に来た人々に町を乗っ取られたかたちになってしまい、本来の納西族の文化や人々自体がいなくなる空洞現象が起きていることを憂いていることです。
そんな外観だけの町になってしまったら麗江に何の意味があるのかと疑問を抱いているということで、理解しあえました。
麗江はディズニーランドと同じで来た人が楽しんで金を落としていけばいいとしか考えない商売人ばかりの中で、そうではないと考えながら商売している青年と出会えたことが、今回の麗江でいちばんの収穫と言えたかも知れません。

今日の作例は、石鼓の古い町並みからです。
短い時間でしたが太陽が顔を見せたかと思うと、みるみる強い日差しに包まれ、その影響でしょうかずいぶんと青かぶりしてしまっています。
カメラの設定などがおかしかったのかも知れませんし、広角レンズではライカデジタルのような色の問題があるのかも知れませんが、よく分かりません。

そういえば石鼓にはもうひとつの名所があって、金沙河という長江の支流が大きく半円を描いて流れているところが長江第一湾と呼ばれ、古鎮などよりもよほど人気があるくらいです。
帰り道にちらっと寄ったのですが、ここに西洋人のグループがいて男性から面白いカメラを使っているねと声をかけられました。
彼らはスペインから来ていると言うので、わたしは日本からだと答えると、いきなりおめでとうと笑いかけられました。
その発表が東京出発と重なっていたので知らなかったのですが、彼はトーキョーがマドリードに勝ってよかったねとオリンピック開催地決定のことを教えてくれたのです。
でも、自国のマドリードが負けたのになんでそんなに嬉しそうなのと聞くと、彼はこう答えました。
俺がバルセロナ人だからさ!
【X-E1/Summicron 3.5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Summicron 35mmF2 1st | trackback(0) | comment(0) | 2013/09/17 Tue

非決定的瞬間

Dubroni 10cmF3.5
相変わらず今回の旅も失敗の連続でしたが、そもそも深圳空港へ向かう出だしから躓いたのが尾を引いたようです。
深圳に着いてからもろもろの用事を済ませて友人と食事をしたのですが、中国人の友人は空港へは2時間前に着いていないといけないなどと戯けたことを言うので、30分前まで大丈夫だが余裕を見て1時間前に到着しておくつもりだと答えると、そんなことはないとちょっとした口論になりました。
心配してくれたその友人には申し訳なかったのですが、やばいというのを聞かずに予定通りに空港へ向かったところ、バスが何らかの理由でなかなかやってこず途中の渋滞も重なって、本当にギリギリの30分前の到着になってしまいました。
猛ダッシュでチェックインカウンターに駆け込むと、本来なら搭乗は締め切っている時間だが5分ほどディレイしているのでお前は助かったなどと言いながら手続してくれ災難を逃れました。

深夜到着した昆明のホテルでは、わたしが外国人だと知るや難癖をつけて予約した料金の倍寄こせと言ってきました。
もう夜中なので従順に従うと思ったのでしょうが、わたしは、分かったよ、だが予約した旅行社には一報を入れるし、ホテルの評価にもこのことを書きこむ、明日以降予約がなかったとしてもそれはわたしのせいではないですからねとわざと低姿勢な口調で話すと、相手は手のひらを返したようにさらに低姿勢になって、申し訳ありません、もちろん予約いただいた金額でけっこうですと友好的に話してきました。
時代劇の悪代官を目の前にしているようでしたが、中国には案外とこういう輩が存在するので、その都度冷静に対応する必要があります。

翌早朝、昆明からの短距離フライトで麗江に着きました。
この旅で一番最初にしなくてはならなくて、非常に楽しみにしていたことはすぐそこです。
麗江空港は、麗江まで40キロほど離れていますが、鶴慶県にあって、前回訪れた鶴慶まで15キロ弱しかありません。
鶴慶の楽しみとは、前回も食べた把肉餌丝という米の麺を食べることにありました。
この麺がとんでもなく旨く、いつかまた食べられますようにとずっと願っていたのです。

その願いがかなう日がこんなにも早くやって来るとはと心躍らせましたが、結論から言えばこの麺を食べることはできませんでした。
交通手段がなかったのです。
バスは麗江行リムジンのみだったので、タクシーかと思い聞きましたが、麗江と同じ100元でないと行かないと突っぱねられました。
40キロでも15キロでも100元なのかと言い返しましたが、麗江まで100元で利用する客は多く、そうしないと空港に入るときに料金をとられるタクシーは割に合わないとのことでした。
何台かの運転手にたずねましたが、示し合わせたように100元と言われどうのもなりません。

そのうちに20元で今すぐ麗江まで行くが乗るかという車が寄って来たので、あきらめてその車で麗江まで向かってしまいました。
今考えれば、他では食べられない絶品なので、タクシーに100元出してでも行く価値はあったと思います。
また、これは後日聞いたのですが、空港から歩いて15分くらいのところに村があって、そこからバスが出ているということでした。
そういう可能性も含めて、交通手段を事前に検索したり、空港で聴いたりしたのですが結局情報は得られず、把肉餌丝は幻となってしまいました。
麗江にも餌丝じたいは何軒もあって、土鶏餌丝というのを食べてみたのですが、なかなか美味しいものの味は足元にも及ばず、無理してでも鶴慶に行かなかった後悔が増すばかりでした。

さて、麗江に着いて、最初に向かったのが石鼓という古鎮です。
麗江は霧雨模様でしたが、70キロほど離れた石鼓はなぜか好天で、坂のある村をあちこち歩き回りました。
どうも石の階段が白く反射しているのがイヤで露出を1段マイナスにしたのですが、アンダー過ぎになってしまいました。
ただ、最初撮られるのを嫌がってかジグザグに階段を降りて来た女の子が、親切に道を案内してくれたりしたのが印象に残ったので、石鼓の1枚はそのファーストカットとすることにします。
つま先の浮き具合はてんで違いますが、ちょっとだけブレッソンの有名な写真に似ているような気がしたのも選択の理由です。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2013/09/16 Mon

信茶馬古道

Dubroni 10cmF3.5
長らくのお休みをお詫び申しあげます。
1週間の休暇はヨーロッパの人にはあまりに短いと同情されますが、もちろん日本ではとても長い休みと羨ましがられること多々あり、では中国ではというと春節や国慶節にまるまる1週間を一斉に休むので何とも思われないということになるようです。
1週間は、ヨーロッパの田舎まで行くには厳しい長さで、どこか他に候補地はと考えましたが、準備せずにふらっとローカルなところまで行ける中国に、やはり出掛けることにしました。

中国はあまりに巨大で行き先にはいつも悩まされますが、6月に旅した麗江で知り合った友人から、2日間休暇がとれるのでよければ沪沽湖にいっしょに行ってみませんかとメールがあって、熟考の末、誘いに乗ってみることにしました。
麗江には3ヶ月前に行ったばかりということもあって、続けて行くのはどうかと思ったのですが、その沪沽湖ルートで四川省まで抜けられるので、ゴールを成都か重慶にバスと鉄道で移動するような旅を検討したのです。

ルート上には、いくつもの古鎮や風光明媚な村があることが分かったので、それらの点を結んで1本の線にするような旅にしようと考えました。
四川省にあって成都よりも重慶にずっと近い福宝という古鎮は、イギリスのチューダー様式のような古い家屋が印象に残る写真を見たことがあって以前からずっと訪れてみたいと考えていたことを思い出したので、福宝鎮を旅の最後目的地に、路上バスの時間や行先に相談する白紙の計画が出来上がりました。

とりあえずは、成田~香港の往復と、深圳から麗江まで、重慶から深圳までの航空券のみ購入しました。
続いてルート上にある行くべき村の情報集めを試みましたが、中国のポータルサイトで検索してみてもほぼ新情報は得られず、以前中国で入手した本に出ている古鎮の説明だけで他には何の下調べもせずにいい加減な旅をスタートしました。

しかし、行き当たりばったりは自由で思い掛けない発見がある反面、様々な問題に突き当たることがしばしばです。
その最たるものが天気の問題で、雲南から四川、重慶というととても暑い土地だという先入観があって、半袖のシャツしか持っていかなかったのですが、空港に到着した時なんでこんなに冷房を利かす必要があるのかと誤解するくらい涼しかったので意表を突かれました。
涼しいというよりは寒いくらいで、半袖シャツでうろついているのはわたしだけで、みな上着をもう1枚はおり、コートを着ている人もいるくらいです。

もうひとつは、毎日雨降りだったことで、最後の2日のみ見事に晴れて救われました。
重慶は雨が多く、地元では太陽を見た犬が何だあれはと驚いて吠えるくらいだという例え話があるくらいなのですが、そんなことをすっかり忘れていて現地でしまったと気付く体たらくです。
ところが、地元の人に聞くと、今年は何日も雨が降らず困っていたくらいなのに、ちょうどわたしが到着した日から雨が降り出してホッとしていたところだと言います。
最後に着いた深圳でも突然雷雨になるなど、前回の恵州で洪水に見舞われて以来、どうやらわたしは雨男になっているようです。
ただ、雨男に類する言葉は中国には無いようで、いくら説明しても運の無い男くらいにしか理解してもらえませんでしたが。

麗江では、ずっとしとしと雨で、時にやんだり本降りになったりで行動が制限されることになりました。
何より残念だったのは、沪沽湖までの道は途中に悪路があるので大雨で通行不可になるリスクがあるとのことで、断念することになってしまったことです。

そんなわけで、今日の作例は雨降りの麗江からです。
レインボーカラーの傘が妙に目立っていて、派手過ぎのデザインはあまり古鎮には似合わないように見えました。
しかし、レインボーカラーということは、早く雨が上がって虹が出てくれればいいという気持ちがこもっているのかなと思いなおしました。
古色蒼然とした町には虹が似合いそうですが、この日は雨が強くなる一方で、本物の虹が姿を見せることもありませんでした。
【X-E1/Dubroni 10cmF3.3 F3.3】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dubroni 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2013/09/15 Sun

準備馬上好

Darlot 10cmF3.5
少し前にも書きましたが、明日から1週間ほどの夏休みをとることになっていて、拙ブログもしばらくの休暇をいただきます。
そういうわけで今日がサマーブレーク前の浅草シリーズの最終回ということになります。
最後に大逆転でブラジルの美女が登場と期待されたのでしたら、大いに裏切ってしまい申し訳ありません。
いつもとそう変わらない路地のスナップということになります。

少しアンダー目にすることで落ち着いた雰囲気にしたのとフレア軽減を狙っていますが、実際にそうはなっていると思います。
しかし、その代償として顔や腕が不自然に赤黒くなってしまったようです。
ペッツバールタイプのレンズでの発色表現は意外にセンシティヴですが、光がよりあたっている靴や足が割合と素直に発色しているのに対して、それより暗い部分である顔や腕の色が転んでしまったようです。
ペッツバールに限らず、貼り合わせメニスカスのアクロマットレンズ然りで、黎明期のレンズは発色が安定する露出レンジが狭いと思えてなりません。

加えて、ペッツバールの撮影では光線の捉え方により気使いしないといけません。
昨日の作例と今日の作例を見比べて、同じレンズで撮っているとは思えないほどの差が出てしまいます。
以上のことを考えれば、ペッツバールはレンジファインダーよりも一眼レフの撮影に適していると言えます。
条件や状況を頭に入れて、光と露出をコントロールしたうえで、撮影結果をのちのち楽しむというのは上級者のペッツバールの楽しみ方ですね。

さて、何度か予告したように、明日から夏休みで中国を1週間ほど歩いてくる予定です。
慌ただしくパッキングしながら合間に、このブログを書いているような状況ですが、ふと見た現地の天気予報はあまり思わしくないもので、予報が当たるとすれば雨に降られながらの旅になってしまいそうです。
それでも、今回はいつも以上に撮影に力を入れてきたいと思っています。
理由のひとつは、MSオプティカルにて最高性能のペッツバールと評価をいただいたレンズをksmtさんにX-E1でも使えるように改造してもらって、使うのが楽しみでならないからです。

もうひとつは、前回、意外なまでに面白い結果をもたらしてくれたフィルムの撮影を再検証したいということがあります。
1本科かせいぜい2本しか撮らないのがこれまでの常でしたが、今回は購入した4本すべて持って行って使い切って来たいと意欲満々です。
フィルムで使うレンズも少し迷いましたが、山崎光学写真レンズ研究所で修理完了した1本をフル活用のつもりでいます。
合わせたライカの広角レンズも1本持参して比較的な意味で多用したいと考えています。

旅は、その準備段階が実に愉しいものだということはこのブログにも何度か書いたことがありますが、その様子を描いたことはなかったと思います。
いま初めて、カメラ関係も含めたパッキングをしながら、わくわくしながらそんな場面に少し触れてみました。
もう明日の朝は4時半には起きないといけないのに、もう1時過ぎになってしまいました。
早起きの目覚ましは、これも修理が上がったばかりのメモヴォックスに託します。
修理が不安だったら寝過すのが怖いので、普通に携帯のタイマーをセットしますが、今回の旅に関連してはレンズ、フイルム、腕時計と先週の土曜日に集結させたモノたちの活躍の場なのです。
パッキングは一足早く終わっていましたが、ようやくブログの方もこれで完了です。
それでは、また休み明けにお会いいたしましょう。
【X-E1/Darlot 10cmF3.3 F3.3】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Darlot 10cmF3.3 | trackback(0) | comment(0) | 2013/09/06 Fri

地震打雷和龍捲風

Darlot 10cmF3.5
昨日の朝のこと、会社で仕事しているときに大きな地震に見舞われました。
震度4と報じられましたが、老朽化したビルの比較的上階にいたのでより強い揺れだったように感じられます。
恐らく2年半前の震災より以前であれば地震を余裕でやり過ごせたと思います。
正直に言えば、震災後であっても地震による被害が出ることはないだろうという根拠なき自信を持っているところがありました。
ところが、数日前に特集された大地震に関するテレビ番組を見たことで、それまで知らなかった地震のメカニズムの知識ができたことが、わたしの考えを一変させたようです。
最悪のシナリオが思い浮かび、そうならないよう頭の中で歯を食いしばって祈る自分の姿に気付いたからです。

その日とその前の日には北関東で竜巻が発生して大きな被害をもたらしました。
竜巻なんて自然現象は北米のみで起こるもので、、何年か前まではせいぜい大きなつむじ風が舞って運動会のテントを飛ばして生徒が軽い怪我をしたというニュースが日本にはあるだけだと思っていました。
台風も大きな恐怖ですが、多くのニュース映像で見限り竜巻には視覚に与えるインパクトはより強烈で、現場にいれば台風より恐怖を感じさせられることは間違いありません。

そして、昨夜のこと、神奈川県を中心にたいへんな豪雨に見舞われました。
わたしの自宅周辺は特にひどかったようで、ほとんど一晩中豪雨と雷が続いていました。
深夜に近くで何度も落雷があったようで、そのたびに起こされてまともに寝ることもできませんでしたが、雷と豪雨で寝られなかったなんて初めての体験です。
雨量も9月の観測史上最高を記録し、出勤の道は川となり、電車の到着は50分も遅れました。
もっとも前日の名古屋方面の方が、降雨被害はより深刻だったようですね。

こうも自然災害が連日続くとそこにばかり目が行きがちになりますが、ある意味それ以上に深刻な問題があることをより注視しないといけません。
原発汚染水の流出の問題です。
まさか、汚染水処理を東電に任せっぱなしで国が管理していなかったのは驚きでしたが、急遽決まった汚染水処理のための国費の追加が国民を守るとか海への流出を何としても防ぐためではなく、五輪招致を意識しての決定だと報道されているのを見たときは驚きを通り越して笑うしかなくなりました。
オリンピック招致に熱心に取り組んでいる皆さんには申し訳ないですが、東京は敗れてその理由としてこんな危険な国でオリンピックは開けない、それよりもまずはやることがあるだろうと国際世論を突き付けてほしいと願います。

ついでに言えば、マドリードの招致委員からスペイン国民の91%がマドリードでのオリンピック開催を支持していると自信満々で述べていました。
昨年カタルーニャ人のダヴィドが来日した折に話す機会がありましたが、カタルーニャが独立の動きを強めたのは経済危機がささやかれる頃からバルセロナ等カタルーニャの金を中央のマドリードで吸い上げて自由にさせないため、ついに中央政府が信じられないという機運が高まったというのが大きな理由だと言っていましたが、そんなカタルーニャ人もオリンピックには能天気に賛成するというのでしょうか。
より深刻なバスクの問題もあって、91%の国民が支持するなんて馬鹿も休み休みだし、スペイン人自身が笑っているんじゃないでしょうか。

自国開催のためなら平気で人をあざむくオリンピック周辺の世界ですが、日本の柔道界同様に改革が費用なのではないでしょうか。
サッカーの方もひどいことになっていて、FIFAの改革をしようとしていますが、現体制の利権の壁を崩せずにいるそうです。
なんだか自然災害の話と全然関係なくなってしまいましたが。

さて、今日の作例は、ダルローの開放の実力をご覧いただきましょう。
これだけシャープでコントラストがあれば、わたしはこれ以上何も望みません。
それと、浅草では、サンバダンサーがいなくてもモデルになってくれる人がいくらでもいます。
【X-E1/Darlot 10cmF3.3 F3.3】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Darlot 10cmF3.3 | trackback(0) | comment(0) | 2013/09/05 Thu

巴西美女

Darlot 10cmF3.5
レンズにフィルムに腕時計と2時間半ほどで重要な3つの用事をこなしました。
ふだん行き当たりばったりの行動をするわたしにとっては、これだけ密度の濃い3連続はあまり例のないことで、前夜寝る前に行動パターンを繰り返し頭に叩き込んで、どうにか間違えずにすべてをクリアできたのです。
子どものお使いではありませんが、自分を褒めてやりたい、そんな気分です。
あとは迷わずに家に戻るだけですが、せっかく浅草まで来たのですからこの辺で撮影していくことにいたしましょう。

実は、この日都内のどこかで何かやっていないかとチェックしたのですが、サンバカーニバルがあることが分かりました。
しかも場所は浅草なのでこれは好都合です。
しかし、浅草に着いた時がびっくりで、銀座線の改札を出て出口の階段を上がろうとしても、出口が詰まっているらしくて前に進んでいかないのです。
ようやく地上に出ましたが、その混雑ぶりはもはや推して知るべしです。
立錐の余地すらないとはこのことで、水道の蛇口をほんの少し開けたような心細い人の流れが歩道に沿ってゆっくり進んでいるのに抗えず、自分の意図は関係なくとぼとぼ歩いて行くことしかでません。

浅草サンバカーニバルは40万人の来場者があるなどと書いてありましたが、むこういう主催者発表というのは相当にサバを読んでいるものと思っていました。
いや、それはわたしの浅知恵というものですね。
歩きながらわたしはささっと数えてみたのですが、確かに40万人の人がサンバを見ていました。
定員40万人の浅草では、400001人目のわたしのための場所は用意されていませんでした…。
そうまでは言わないとしても、わたしは人混みや行列が大嫌いな人間で、加えて気温36度とあってはあの中に紛れ込むだけの気力はどこからも湧いてきません。

それでどうにかまずは時計を取りに行かねばと美宝堂に行ったのですが、その店の前をいま踊りを終えたサンバの参加者が続々と通り過ぎていきます。
転写のSさん曰く、踊りが終わっても着替える場所に戻るルートも決まっていてそれが毎年ここを通るんです、サンバの人たちを撮る穴場になっていて、知っている人はみんなけっこうここで撮影してますよとのこと。
なるほど見ているとブラジル人と思しきダンサーに声をかけてポートレイト風に撮っている人が数人いました。
ksmtさんもサンバカーニバルに来ていたようで、その悪戦苦闘ぶりが写真とともにwww.ksmt.comに出ていましたが、人物写真なら来年はここで撮るべしと教えてあげなくてはいけません。

昨日の作例は、そんな中での1枚ですが、わたしは小心者で声をかけて撮るという勇気がないので、せいぜいこんなものしか撮ることができません。
というのは、夏休み最後の土曜にあたる日の日は、浅草中どこを歩いてもかなりの人出なので、人波を縫ってサンバの美女のみをスナップ的に撮るというのは困難なのです。
28mmくらいの広角でぐっと寄れば、話はまた別なのですが。

これだけでは悔しいので、もう一度サンバ会場に戻って最後尾から強引に撮ったのが今日の作例です。
恐らくは3芬ほどここで頑張って10枚ほど撮りましたが、これが唯一まともな写真で、X-E1は液晶が固定されているので、あてずっぽうに腕を伸ばしてシャッターを切ったものはことごとくサンバとは違うものばかりが写っていました。
これも広角であればもうちょっとどうにかなったはずですが、それでも結果は豆粒でしょうから、今日の作例程度で満足するしかありません。
来年またチャンスがあるとすれば、その時こそは勇気を振り絞って声掛けして、ペッツバールでポートレイトを撮りたいと思います。
【X-E1/Darlot 10cmF3.3 F3.3】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Darlot 10cmF3.3 | trackback(0) | comment(2) | 2013/09/04 Wed

50年代名表

Zunow 50mmF1.9
大久保の山崎光学写真レンズ研究所、恵比寿のフォトシャトンとお邪魔して、最後に向かったのは浅草の美宝堂です。
2本のレンズと4本のフイルムを仕舞って少し重くなったカメラバッグを提げて地下鉄に乗ったのですが、日比谷線で銀座に出てまた銀座線に乗り換えるというルートで40分近くかかりました。
浅草はわたしにとって、都区内ではけっこうな遠隔地と言えます。

山崎さん、フォトシャトンと来て浅草と言えば早田カメラに行くのが定石ですが、カメラ関連の用事は先の2軒で済んでしまっていて、浅草では修理完了した腕時計を取りにいったのでした。
美宝堂というのは浅草唯一のアンティーク時計ショップで、購入したものでなくても安く修理を受け付けてくれるので重宝していました。
わたしが唯一新品で買った時計は、クロノスイスのオーパスというクロノグラフで手に入れるまでちょっとしたいきさつのあった思い入れある時計なのですが、そのオーバーホールをお願いしたところ驚くくらい安価だったうえに、しばらく使用してみると機械式時計とは信じられないくらいの精度になっていました。
その信頼感によって、以降、大切な時計のオーバーホールとこれぞという修理はお願いすることにしていたのです。

今回の依頼品は、ルクルト・メモヴォックスのワールドタイム仕様です。
恐らく1950年代頃に製造された手巻きの時計ですが、竜頭から延びる巻き芯が空回りしてしまう状態だったのを直してもらいました。
その経緯は、以前ちらっとここに振れたことがあって、安く中国で直してもらおうとしたのですが、部品交換しないと無理だと言われたと書いたと思います。
ところが、美宝堂の店主Sさんによれば、部品交換の必要なく修理できたので、今回は手間賃だけいただきますと
こちらが恐縮するような少額を請求されただけでした。

まだ戻って来て数日ですが、時計の方はすこぶる好調です。
精度の調整もしてくれていたのでしょうか、わたしの手首で正しい時間を刻み続けています。
メモヴォックスというのは"Memovox"と書きますが、メモした時間を声で知らせてくれるというような意味だと思いますが、これは今でいうアラーム気候です。
機械式時計なので電気的にアラーム音が出るのではなく、セットした時刻になるとゼンマイが激しく振れてジリジリジリという音を発するというものです。
ワールドタイムでアラーム付となれば、50年代のトラベラーズウォッチと呼べるので気に入って手に入れたのですが、この機能は以前よりまったく問題なく、修理から戻ってからはいち早く試してジリジリ音を楽しみました。

美宝堂は浅草唯一のアンティークウォッチショップなのにすごくこじんまりとしています。
無理に広げてコストをかけるよりも、1本1本にしっかり手をかけて安くファンに届けたいというSさんの気持ちが感じられてわたしは好きです。
場所柄外国人の客は多く、金満アジア人がドサッと買っていくケースもあるようですが、むしろ口コミで面白い古いヤツがあると聞いて訪ねてくる人、渋い品ぞろえを評価するリピーターが多いそうです。
それに、浅草ですので業人関係者がステージの前などに立ち寄って、気に入ったものがあるとすっと買っていくパターンも多いと言います。

町中が老舗だらけの浅草にあって美宝堂も例外ではなく、Sさんは3代目だということでした。
長い歴史の中で培った人間関係の中で、腕の良い時計師仲間がいるからこそ、今回のメモヴォックスは再生されたのでしょうし、仕入れのソースも多様にあるということでしょう。
リーマンショック後、市場にはアンティーク時計が次々と出てきてきたのに、その反動からかいまはなかなか出物がなくてアンティークウォッチ業界は苦境に立っているところだと聞きました。
そんな中でも独自のルートで名品を確保しているところは店舗の在庫をみてもよく分かりました。
欲しい時計があって悩みましたが、今回はぐっとこらえて諦めることにします。
レンズの修理とフイルムの出費がありましたし、来週の旅に向けて節制しなくてはと考えたからでした。
【X-E1/Zunow 5cmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zunow 5cmF1.9 | trackback(0) | comment(0) | 2013/09/03 Tue

ISO25胶卷

Zunow 50mmF1.9
続いて向かったのが恵比寿のフォトシャトンです。
わたしはいつもJRに乗って行くので恵比寿のですが、代官山のと言った方が正しいようです。
駅からの10分の道のりにはおしゃれ過ぎて敷居の高そうな店やレストランが並んでいて、いつもながらによそ者気分を味わわされます。
というよりも、フォトシャトんそのものが本来わたしには敷居の高いはずの専門店なのですが、それを救ってくれるのが店主のIさんの人柄です。
写真や機材について全方位的ともいえる知識を持っていながらそれをひけらかすことは一切せず、相手がより関心を持つような語り口で説明してくれるので居心地の悪い思いをしたことがありません。

来週の夏休みにはまたぜひフィルム撮影もしたいと思い、前回衝撃を受けたORTHO25を使いたいと思いました。
ORTHO25に再チャレンジしたくて、その機会として夏休みの旅を利用するという方が正しいかも知れません。
そのORTHO25といえば、他にも売られているのかも知れませんが、なんといってもフォトシャトンです。
4本でいいので取り置いてくださいと事前に一報を入れておいて、土曜日にもらいにうかがったのでした。
フイルム4本を買うためにわざわざ出掛ける価値のあるフイルムであり、わざわざ訪れる価値のある専門店がフォトシャトンなのですね。

ORTHO25についてねフォトシャトンのサイトは次のように紹介しています。
 可視光赤色に対する感度は低く、
 逆に可視光を越えた短波長側にも感度がある古典的なオルソクロマチックフィルムです。
 市販フィルム中、屈指の微粒子でおどろくほど尖鋭、繊細な画像が得られます。
 クリアベースと急峻な階調を持つその特性は古い時代のレンズ、
 古典鏡玉および軟焦点鏡玉との組み合わせにとりわけその妙味を発揮します。

可視光を越えた短波長は紫外線のことだと思いますが、そこに感度があるということがどういうことなのか分からないでいました。
ORTHO25を受け取るときに聞いてみようと思っていたのですが、それよりも先にIさんから、段階露出するようにとアドバイスをもらいました。
例えば戸外と室内とでは紫外線の量は違うので、段階露出によって目に見えない紫外線量の違いを補うべきということでした。
なるほど、条件によって紫外線量は違うので、その適正露出も一定ではないということですね。

もうひとつは現像液とのマッチングもデリケートだということも教わりました。
わたしは現像まではできません。
可能であれば、Iさんに現像を依頼できないかと考えているのですが、そのためにはきちんとしたものを撮らないといけません。
こんなの撮っているようでは、今後、あなたには大切なフィルムは売れませんと言われないように。


さて、今日の作例を見て、アレッ? という感じの強烈なハイライトの滲みです。
前玉の激しいキズを研磨して新品になったように見えるズノーですが、F1.1ならともかくF1.9でこの写りがオリジナルとはとても思えません。
見た目には問題があるとは思えないですが、どこかに不具合があるのでしょう。
再度チェックしていただかなければなりません。

昨日の作例は日陰でハイライトがないため問題がないかのようですが、背景のボケ量が開放にしてはわずか過ぎるのは、レンズ間隔にズレが出ているのかも知れません。
この状態のままでもポートレイトを撮ると面白いのではなどと思いましたが、検索しても作例をほとんど見つけられなかったこのレンズのオリジナルの写りをまずは見てみなくてはいけません。
【X-E1/Zunow 5cmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zunow 5cmF1.9 | trackback(0) | comment(0) | 2013/09/02 Mon

鏡頭修好了

Zunow 50mmF1.9
今日からは、昨日、浅草を散策した作例を出させていただきます。
本来ならば今日までがよさこいの写真が続くところですが、今週末の土曜から夏休みの予定で拙ブログも1週間休みを頂戴するつもりのため、作例の切り替え日も1日前倒しとさせていたただきました。
とはいっても相変わらず代わり映えのしない写真がだらだらと続くことは説明する必要もないことでしょう。

昨日はなかなかに慌ただしい1日で、朝起きてから自宅の雑事を即行で片づけ、大久保、恵比寿、浅草とそれぞれの用事を済ませてそのまま浅草で短時間の撮影に及びました。
前日から東京にも暑さがぶり返していて、2日連続で36度を超える猛暑日の中でのタイトスケジュールでしたが、それぞれにぜひとも話をうかがいたくなる主がいて、その方々にお会いするだけでもわたしには意味あることです・
タイトスケジュールなので短時間でしたが、それぞれで話をしたりやアドバイスをいただいたりで、意義深い1日になりました。

最初に訪れたのは、山崎光学写真レンズ研究所です。
通称山崎光学ですが、こう書くと山崎光学研究所と混同してしまいそうです。
山崎光学研究所はコンゴーレンズで世界的にも知られる日本では歴史的なレンズメーカーですが、ホームページを見るとテッサータイプ、トリプレット、テレタイプ、オルソメタータイプ、変形オルソメタータイプの5種類のレンズを製造していて、今でも中判大判ユーザーには信頼がされていることが想像できます。
今回訪れた山崎光学はレンズ研磨のスペシャリストですので、混乱を避けるためレンズ研磨の山崎光学と呼ぶことにしますが、コンゴーレンズの山崎光学とは親戚の関係にあると聞きます。
ニコンやキヤノンなどの大企業とは違う意味で、山崎さんは日本の光学の発展を支えてきたということですね。

レンズ研磨の山崎さんには、先月、3本のレンズの研磨をお願いしていました。
うち2本が仕上がったということで、取りにうかがったのです。
レンズの研磨については賛否があり、もちろん研磨をしないで使用するに越したことはありませんので、研磨の必要ないレンズを買うということは大前提だと思います。
しかし、オールドレンズの中には既存の個体が少なく、レンズの状態にはこだわっている余裕がないようなものも多く存在します。
また、長く愛用したレンズで何かのはずみにキズを付けてしまい元の写りが望めなくなった場合など、思い入れある個体をいかすため、それらケースではオリジナル状態を復元するための研磨をわたしは肯定したいと思います。

レンズは正しく研磨された場合設計上の性能には多くの場合影響ありませんが、薄いメニスカスなどでは球面収差などにも有意差が出てしまうそうです。
例えば前玉にキズが付いてしまったというケースで、ダブルガウスやゾナータイプでは前群にメニスカスが使われていますので、写りに影響が出ないのかをよく相談してから研磨を依頼することが肝要です。

山崎さんを訪れたのはレンズを受け取ることはもちろんですが、山崎さんの話をうかがう楽しみもあります。
研磨のこと、コーティングのこと、バルサムのことなどわたしの質問に的確に回答していただき、研磨以外の修理を次回お願いしてみようと考えています。
また、もうひとりの職人さん(お名前を失礼ながら聞き忘れました)が中国痛で華が盛り上がり、四川省の話になった時には白玉というところが好いと教えてもらいました。
地図で見てみると四川北西のチベット自治州に接するエリアで、桃源郷と名のみ聞く徳格の近くだったのでいつか足を延ばしてみたい地です。

さて、2本の修理完了したレンズはその場で試写するようにうながされました。
山崎さん自らがモデルになって、わたしを最短距離の開放で撮ってくださいとのことです。
2本とも近くの蛍光灯の光を拾うこともなく撮影結果は良好に見えます。
このときの山崎さんの写真を今日の作例にしたかったのですが、そのお顔は職人としての風格と柔和さがあって美女のポートレイトにも引けをとらないと思ったものの、画面いっぱいにお顔ではあまりにアップ過ぎました。
その機会は次のレンズの修理が上がった時に譲ることにいたしましょう。
【X-E1/Zunow 5cmF1.9 F1.9】
Zunow 5cmF1.9 | trackback(0) | comment(0) | 2013/09/01 Sun
| home |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。