農薬餃子

Mamiya-Sekor 48mmF1.5
昨日のニュースで、中国の毒入りギョーザ事件の初公判が、容疑者の逮捕から5年振りに開かれたと報じていました。
放送局によっては取り上げない程度の実に小さな扱いでしたが、事件そのものはいま改めて考えてみても日本に大きな影響をもたらしたといえると思います。
それまで一部の人にしか認識されていなかった、中国食品の安全性が日本全体に認識されるようになったからです。
事件発覚後に突然逮捕された容疑者は、食品が売れなくなることを危惧した中国政府のスケープゴードだったのではなどとまことしやかに囁かれましたが、本当のところはどうなでょう。
逮捕された時と昨日の公判に出て来た人物は別人にも見えましたが…。

この事件をきっかけに日本国民の輸入食品への関心は一気に高まり、以降、中国のローカル紙が取り上げるような小さな村での毒混入事件や、日本の基準値を超える残留農薬食品の存在、粉ミルクで乳児が死んだ事件を受けて日本にミ観光に来た中国人がこぞってミルクを買う騒動、化学物質で作られた卵とか廃材で作った食用油等々、パッと思い出せるものだけでも当時話題になった関連ニュース十指にあまります。
日本の食糧自給率の低さとも相まってこんなことでいいのかと、騒ぎになっていなかったでしょうか。

中国にしょっちゅう出向いて向うの食事を旨い旨いと食べている人間が言うことではないかも知れませんが、自分たちの口にする食べ物の問題がこれほど過熱したというのに、今ではほとんど誰も顧みなくなったことを嘆かずにいられません。
今月になって日本もTPP交渉に入りましたが、農業分野についてはコメや乳製品などを死守するという言うばかりで、食糧自給率の問題には触れられていないようです。
主要品目を死守する代わりに他の食品がどんどこ輸入されるのは問題としないということのようですが、世界でいちばん安全でおいしい国産の食品を減らして中国よりは安全とは言え外国のものに置き換えていくことが、どの程度わたしたちの健康を脅かすのか想像できません。

さて、話は中国に飛びますが、陽山にはたった1軒だけ民家の上階が宿泊できる施設になっているところがあり、そこでは食事からお昼はそこでどうぞと教えてもらいました。
もちろん高級レストランなどではなく、家のお母さんがその場にある食材でつくってくれる農家菜という食事を出す食堂です。
すごく美味しいかと言われれば肯定派しかねますが、村で獲れた野菜と肉類で作るので普通に旨くて、何より安心して食べられます。
ほんとうはせっかく地方に来たので、その土地ならではの料理が食べたいのですが、こういう農家菜だといつも同じような炒め物ばかりになってしまうのが難点でしょうか。

作例は、歩きながらスイカを食べる女の子がいたので後を追ったら、何やら壁越しのコミュニケーション取り出したという様子です。
スイカは日本だと高級フルーツだと言うと中国ではびっくりされるくらい安価な食べ物です。
田舎では大玉のものでも5元とかで普通に売っているので、100円しないくらいです。
5~6年前2元というのを買ったことがありますが、当時のレートで25円でしたが、こんなんでも普通に美味しくて友だち数人でペロリと食べてしまいました。
果物なら安全かと言えば、やはり中国では注射器で鮮度を保つ液体を流し込んだりというのをやっていましたので油断できず、やはり農村でそこの人が作ったのを食べるのがいちばんです。

分かりにくいですが、作例の少女の左手にはスイカが握られていて、壁の向こうの友だちに美味しい美味しいと言っているようでした。
椅子が倒れるんじゃないかと心配するもうひとりの友だちの不安げな表情も印象的です。
そしてなにより、まるでギョーザ事件容疑者の娘が、冤罪でつかまっている父にスイカをこっそり差し入れに来たシーンを連想して少しだけ痛ましい気持ちを感じてしまいました。
【X-E1/Sekor 48mmF1.5 F1.5】
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Mamiya Sekor 48mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/07/31 Wed

風的通道

Gaudin 10cmF3.5
高校の時の修学旅行で訪れた萩・津和野は遙か遠い思い出ですが、古い町並み・古鎮愛好家としてはいつか再訪したい地でした。
おとといの「これまでに経験したことのない大雨」によってたいへんな被害があったというニュースには胸を痛めましたが、そんな中、職員の機転によって多くの生命を救ったという報道が印象に残りました。
溢れた水が特別養護老人ホームに流れ込んだため防犯扉を閉めて対応したものの依然として水が入ってきたため、職員の咄嗟の判断で前後の大扉を開け放ったところ、入って来た水がそのまま反対側の扉から流れ出て貯まることなく入居者に被害が及ばなかったと伝えられました。
水を止めようとするのではなく流れるがままにするという逆転の発想が、多くの老人たちの生命を救ったとのことでした。

こんなにすばらしい話ではないですが、思い出したことがありました。
陽山古村落の建築物の多くは碁盤の目状に配置されているため、風の通りがすごくよいことです。
今日や過去の作例で扉を開け放っていますが、水が滞留して溺死しかねないのと同じことで、みんなで一致協力して建物の扉を全開しているようでした。
湖南省は沖縄よりずっと南にあって中国でも夏暑いところとして知られますが、意外に凌ぎやすく感じられたのは石の家のひんやり感と風の通り道にしているところがよく機能していたのだろうと今になって感心します。

さて、今回もメインで使うつもりでいたゴーダンですが、作例は昨日と今日の2枚だけになってしまいます。
ちょっとしたマウントトラブルで、一度レンズ交換の時に間違えてライカマウントの部分を着脱しなければいけないところを間違えてEOSマウント部分を外してしまい、再度付け直したもののマウントロックがかからなくなってしまいました。
このマウント改造は、名手ksmtさんの労作で、M42タイプのヘリコイド、EOSアダプター、ライカアダプターと3段重ねになって、それらのマウントのカメラすべてで使用できるようになっています。
ところがライカ=EOSアダプターのところはわたしがケチって安物の中国製を購入したために、精度がイマイチだったからでしょう、肝心なところで痛い目に合ってしまいました。
これは、もちろんksmtさんの改造とは関係ない部分でのトラブルです。

せっかく美少女と知り合ったので、ポートレイトを撮らせてもらいたいところですがそれは果たせず、バカになてしまったロック機構を手で押さえながら、動きのないものをもたもた撮るのが精いっぱいだったのが残念です。
マウントアダプターはピンからキリまでありますが、レンズの購入価格が高かったこともあって、どれもそう変わらないだろうとついつい安いものを選んでしまいましたが、今では大後悔しています。
使用感が悪い程度ならまだしも、ちょっとガタがありますし、無限が出ているのかとの疑問も感じるほどの精度でした。
今回のようなケースでは、アダプターをケチったためにレンズを落下させてしまう危険もあったので、レンズが高かったからこそアダプターも信頼のおけるものを選ぶべきと身をもって体感した格好です。

今日の作例は、冒頭にも申し上げた通りの若干の涼しさを感じさせるものになつているのではと思います。
気温は推定32度ほどで、少々の風が吹く程度。
曇りがちですが時おり太陽が出て容赦なく地上を焼く、とそんな天気でした。
子どもたちだって、どこにいればいちばん涼しいか、ちゃんと分かっているということですね。
【X-E1/Gaudin 10cmF3.5 F3.5】
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Gaudin 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/07/30 Tue

没有未来

Gaudin 10cmF3.5
本日、帰宅して夕食をとりながらNHKのニュースを見ていると、昨夜の日韓サッカーのことが取り上げられました。
「歴史を忘れた民族に未来はない」と書かれた横断幕を試合中に掲げたことを、政治メッセージの掲示を禁止する国際サッカー連盟の規約違反だと抗議したとする内容です。
ロンドンオリンピックの時にもゴールした韓国選手が、「ドクトは我が領土」と書かれたプラカードを両手で掲げて罰金や出場停止の処分を受けたばかりということも合わせて紹介しました。
その選手は金メダルの授与も取り消されそうになったところを、文字通り政治的な動きでそこまでの処分を免れたということも含めて記憶に新しいところです。

韓国サポーターの方がついこの間の出来事も忘れてしまってこんなことをやっているようでは、よほど未来がないのではと正直に思いました。
韓国の民度はこんなにも低かったのかと笑ってしまったほどです。
しかし、その次のニュースは、冬季五輪のコーチが選手たちの飲み会の席で、じゃんけんで負けた女性の体に障るという行為をはやし立てたとかで、協議の協会から戒告処分を受けたとのこと。
咄嗟に柔道やら相撲やらでの不祥事を思い出しました。
韓国も日本もどっちもどっち、民度が低いなんてとんでもない発言で、前言を撤回します。
どこの国にも良い人がいれば悪い人もいるし、ルールがあれば不満があっても多くの人は守るがそれができない人もいる、という程度のことでしょう。

これは中国に対しても言えることです。
日本で報道される中国のニュースはネガティヴなものばかりですし、実際、とんでもないことばかり起こっているという実感はわたしにもあります。
尖閣問題などで毎度流された中国のスポークスマンは偉そうなしゃべりの男で、中国人はああいうイヤなやつばかりというイメージが日本には浸透してしまったのではないでしょうか。

わたしには中共関係の知り合いはいないせいもあってか、あの洪磊報道官のようなイヤなタイプの中国人はほとんど見ることはありません。
田舎に行くことが多いせいか、出合う青年などは礼儀正しく謙虚な人が意外に多いと感じます。
儒教による年長者を敬う伝統が息づいているからというのが理由のひとつかと思うのですが、残念ながら、よく言われるように歳が若くなるほど礼儀正しさが失われるのはひとりっ子政策の悪い影響なのでしょう。

教育とかマナーということを超えて中国人共通の特徴としてイライラさせられるのが、声がでかいということです。
例えば、日曜のお昼前後に広州や深圳の有名広東レストランに行ってみてください。
昼間は上午茶とか下午茶とか呼ぶ格安の飲茶タイムで、席がほとんど埋まってみんながみんな大声で点心を頬張りつつ会話を楽しんでいるのですが、そんな店に日本人同士で行くと耳元で大声を出さない限りあまりにうるさくて相手の言うことが聞き取れません。
飲茶のルールとしてお茶を注いでもらったら指先でテーブルをとんとん叩くことで感謝を表すというのがあり、その起源はいろいろと言われていますが、わたしの説は、ありがとうと言っても相手に聞こえないから、です。

今や金持ちになって世界中で見かけるようになった中国人の声のでかさは、マナーを守らない中国人の象徴となっています。
こちらはわざわざ中国に出向いて行く立場なので、彼らの声の大きさを我慢して付き合っていかなくてはなりません。
わたしが中国旅行の必需品に真っ先にあげるのが携帯音楽プレーヤーであるのは、まさにそれが理由です。
夜の寝台車で大声で話す連中に眠れないので静かにしてくれと言ったところ理解してもらえなかったのは、普通に話をしていただけで、何か悪いことしたかなという程度にしか感がじなかったからでしょう。
口論しても無駄なので、こんな時にはイヤフォンと音楽で彼らの声を遮断して眠るしかありません。

もうひとつ中国でちょっとだけ困る彼らの習慣があります。
人前でも、子どもがすぐ裸になることと、お母さんが幼児にお乳をやることです。
わたしは目の前で、いきなりパンツを脱いでおしっこを始めた、おしゃべりしていたお母さんがしきなり子どもをすっぽんぽんにしてたらいで入浴させた、別の若いお母さんがいきなり自分の服をたくしあげたと思ったら子どもに授乳させ始めた…、とこのような事例を何度も何度も見ています。
子どもが男の子だろうが女の子だろうがお構いなしですし、18歳の子どものような母親がお乳を与えながらニコニコ顔でわたしと会話していたということもありました。

ヘンにドギマギしてしまうと怪しい人物になってしまうので、平静を装って会話を続けたりするのですが、目のやり場に困ったり、動揺が仕草に出たりしてしまっているでしょう。
ぜひ、客人の前ではむやみに露出を控えるようにとの啓発を行っていただきたいところですが、まずは大声で話をするのはやめましょう、を優先していただいた方が良いでしょうか。
【X-E1/Gaudin 10cmF3.5 F3.5】
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Gaudin 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(3) | 2013/07/29 Mon

土酒

Angulor 28mmF3.3
デフォルメされたようなとんがり屋根がとても特徴的です。
しかし、それ以上に目立つのは、火災の跡のように見える黒い煤の方かも知れません。
煤の正体は、火釜から立ち上る煙の長年の蓄積なのですが、外観からは依然この建物の実態は分かりません。
説明のプレートが掛けられていたので、それをご紹介することにしましょう。

 この建物は醸造所で、甘い香りのするお酒を造っています
 お酒は飲んでも喉を焼くことはなく、悪酔いすることはありません
 なぜならば、地元の上等な泉の水と植物を原料に伝統的製法で作られ続けているからです
 かつて村の南にあった広東から広西への街道を通った官吏や庶民は必ず陽山に立ち寄りました
 酒を2口飲むだけで歩く力がみなぎり、足元に颯爽と風が吹くのを感じます
 陽山の地酒を絶賛しないものはいませんでした

かつて、ちょっとした魔法のような秘酒があって、それを裏付ける壁の煙跡まであるのかと感心していると、実はそうではありませんでした。
この古建築の中に、好い感じの親父さんがいて一心に作業をしているので何をやっているのかと声をかけると、酒を造っているところだとの返事でした。
あの酒はかつてのものではなく、今も脈々と造り続けられているということです。

よければ試飲してみますかと、誘っていただきました。
右隣の家が醸造主の実家で、入るなり奥さんに酒を持ってくるよう伝えています。
何でもここの酒は、濃厚なものと淡白なものの2種類あるがどちらにしますかと尋ねられて、試飲なんだから両方持ってくればいいのにと思いつつも、まずかったらそのまま退散するので余計なことは言わない方が身のためだと、ぜひ濃厚な方を飲ませてくださいと返答しました。
醸造酒の自信作もその濃厚な方だったようで、大きくうなづいています。

紙コップいっぱいに注がれて運ばれてきた酒は、無色透明で口に近づけてもクセのある臭いなどはありません。
このとき先ほどの水の消毒という発想が出てきて、まずは大きく一口飲んでみました。
醸造主と奥さんがにこにことこちらの顔をうかがっているのが分かります。
一瞬間をおいてからわたしは多分、「!」という言葉を発したんではないかと思います。
驚いたからです。
なぜかと言えば、上に書いた説明文そのままの印象を持ったからです。
ほんのり甘みのある酒は、喉に一切の抵抗感を与えずすっと胃袋へ流れ込み、その後口も高級大吟醸を連想させる超すっきりフィーリングでした。

アルコール度数は40度と言ったようですが、記憶違いかも知れないと思ったのはあまりにすっきりしていて、そんなに強い酒には感じられないからでした。
例えば近くの泉が超硬水だからとか、よほど特殊な事情があってこういう酒ができるのでしょうか。
味は中国を代表する貴州の茅台酒で、このすっきり感はやはり日本酒の大吟醸を思い起こさせますが、こんな酒は他では飲んだことはありません。
中国で旨いと思わせる酒に出会うことはなかなかありませんが(もっともほとんど下戸のわたしにとって、それは日本でも同じですが)、これははっきりと大好きな酒で、思わずこれは売っていただけるものですかと愚かなことを聞いてしまいました。

目の前で手作りする特殊な水を使った伝統酒ということで、恐る恐る値段を聞くと12元/1斤だと言います。
500mLがおよそ150円と日本だったらペットボトルのコーラと変わらない拍子抜けする安さでした。
次回、この地を訪れる機会があるかどうか分かりません。
今ある在庫を全部くれと言いたいくらいでしたが、持ち帰りようがないので、奥さんが1.5Lのペットボトルに入れましょうかというのに同意して450円分だけ購入しました。

原料はお米ですかと聞いたところ、稲谷とのことでした。
すみません、稲谷が何なのか未だ分かっておりません。
グーグル翻訳で稲谷と入力すると日本語訳はライスバレーとなりましたが、なんじゃそりゃです。
トウモロコシが転がっていたのでこれのことかと聞きましたが、それは燃料に使っているだけだとの答えでした。

現在、1.5リットルのペットボトルは冷蔵庫に入れられ、わたしは2~3日に一度くらいのペースでいただいているのですが、このお酒の性質なのか、日に日にわずかずつ味が劣化しているのを感じます。
日本酒のボトルを開栓してしまった時のように、その日のうちに飲み干さなければいけないものだったのかも知れません。
それでも飲むたびごとに、活力がつくのを感じるような気がします。
それもかつての旅人たちと同様、たった2口飲むだけで。
【X-E1/Angulor 28mmF3.3 F3.3】
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SOM Berthiot Angulor 28mmF3.3 | trackback(0) | comment(2) | 2013/07/28 Sun

洗衣机的房間

Angulor 28mmF3.3
村にあった古民家のほとんどはオープンで、扉が開けられたままのところが多く見受けられます。
最初に入れてもらった美少女の家では、この家のご先祖様の木のレリーフが祀られていたのが興味深かったですし、他の古民家でもとても古い家具や古写真などがあって関心をそそられました。
とは言え、どの家も内装はとてもシンプルで華美な感じはなく、農業以外の産業がなかっただろうこの村が20世紀以降は貧困の中にあったことを想像させます。

とくに戦後の共産党時代になってからはたいへんだったのではないでしょうか。
中国の老人たちは悪名高き大躍進と文革を経ているのですから、今の政府にどれだけ不満があったとしても当時の凄惨な暮らしを考えればその平穏さに満足せざるを得ません。
政府は政府で、抗日戦争ドラマやマスコミの論調でいかに日中戦争時代が悲惨だったかを宣伝して、その後の自らの罪の記憶を薄れさせようとしています。
こんなことを考えると、つらい過去を思い出させるのではとの心配から、老人たちとはなかなか昔話をすることができません。
とても親しくなってはじめてその人の半生を話してもらえるかも知れませんが、聞く方にも相応の覚悟が必要でしょう。

さて、作例写真は古建築の内部を撮影したものです。
分かりにくいですが、撮影位置は家の中心のリビングルームのような空間で、人物が腰かけているのは外の路地で、その手前の出入り口は日本でいうお勝手口と言えそうです。
農村では衣服を川や井戸水で手洗いしますが、洗濯機が見えているので、余裕のある過程なのかも知れません。
左側の壁に立てかけられた箒やスコップといいコントラストを出していますね。

あちこちの古民家の中までお邪魔して歩いたのにはもうひとつ理由がありまして、外気温30度くらいの蒸し暑い日だったのですが、家の中は案外ひんやりとして涼やかだったからです。
石の家は洞窟の中のように温度が一定しているそうで、真夏でも空調要らずだと聞きました。
冬のことは聞きませんでしたが、時おり積雪もあるということだったので、石の家は逆に寒いのではないかと老人の体にはこたえるのだろうなあと心配になります。

心配と言えば、自分のお腹の心配をしなくてはいけないこともありました。
例によって、こんにちはと家の中に入っていくと、おじいさんがひとりぽつんと椅子に座ってぼんやりしていました。
このときも彼は自室に戻って椅子を取ってきてわたしにかけなさいと勧めます。
奥さんが比較的最近亡くなり、子どもたちも広東省で暮らしているので、いまは独りだと寂しげでした。
ただ、日本の都会の独居老人の問題のような状況ではなく、近所の子どもが遊びに来たり知り合いが頻繁に訪れたりと孤独死という心配はまったくなさそうです。

外は暑いから喉が渇いたでしょうとおじいさんが水を持ってきてくれました。
マグカップを手渡されて、わたしは、えっとたじろいでしまいました。
カップは薄く汚れていましたし、水は透明でしたが、小さな点々が浮いているように見えます。
そもそもこの水はどこから来たものかのか考えましたが、井戸水か雨水を貯めたもののいずれかでしょう。
何か理由をつけて飲まずにお返しすべきだったと思いますが、それではおじいちゃんにとても悪いことをしてしまうという気がしてしまい、がんばって水を半分ほど飲みました。

赤痢とかデング熱とか知りもしない熱帯性の熱病になるか、よくて数日間は下痢に悩まされるのではなどと不謹慎なことを考えましたが、しっかりと会話したおじいさんが他人にそんな水を飲ませるはずはありません。
もちろんお腹を壊すこともありませんでしたが、要らぬ心配をするくらいならやはり水には手を付けるべきではあなかったと反省しています。
ちなみにその時のわたしがとった行動は、少しはアルコール殺菌できるかもと強い酒を飲んだことでした。
旅ではときにこのような愚かな行動をしてしまうことがあるものですが、賢者になる必要はなく、常に自然体で行動しなくてはならないということを再認識したできごとでした。
【X-E1/Angulor 28mmF3.3 F3.3】
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SOM Berthiot Angulor 28mmF3.3 | trackback(0) | comment(2) | 2013/07/27 Sat

金麦少女

Angulor 28mmF3.3
本日の前プロである小埠古村を見終えてメインの陽山古村に到着しました。
20キロほどと聞いていましたが、どうもそこまではなさそうです。
バイタクのプロではないおじさんの運転はやや慎重なうえに、途中の上り下りがけっこうあって平均速度はたぶん40キロに達していないと思います。
一方、走行時間は約20分でしたので、平均時速36キロとすれば、距離は12キロ。
かなり適当ですが、だいたいこんなものだったでしょう。

地図を見れば正確な距離が分かりそうなものですが、ふたつの村ともグーグルや百度の地図に地名が出てくるものの、どちらも山中にあるためか道が表示されないため、直線距離しか知りようがありません。
ちなみにバイクの速度については、後部シートから速度計を見たものの、メーターは微塵も動いておらず、最高速度すら分かりませんでした。
中国では何度もバイタクのお世話になっていますが、未だ速度計が動いているバイクというものを見たことがありません。
バイクに制限速度を守りましょうと働きかけても、誰ひとり自分の速度を認識していないので、それは意味のない交通キャンペーンになってしまうということを意味しているようです。

小埠も陽山も距離がそう離れていないので、建築の様式はよく似ています。
天井の高い建物はいずれも立派に見え、とても素人に建てられるものとは思えません。
200年くらい前に建てられたとのことですが、どちらかの村が先にゼネコンのような建築集団を雇い入れて建築群を完成させ、続いてもうひとつの村も同じグループに同様に建てさせたのではないかと想像します。
陽山の方が個性的な屋根を持った家など自由に作られている雰囲気が濃厚で、先に小埠が建ったあとに、陽山の人たちはもっと面白いヤツを建ててくれと依頼したのではないかと、やはり根拠なく想像してみました。

陽山の方は、近隣を含めて開発などの手が入ってないので素朴な味わいが楽しめますし、各建築の保存状態もこちらの方が良好です。
ところが古村落だけでは地元の人にはアピールできないということか、小埠で見た訪問者はこちらでは皆無でした。
陽山は中国十大古村落のひとつを名乗っていますが、わたしにはそこまですごいかは甚だ疑問に感じるものの、少し散策してみて500キロの道のりをやって来た甲斐は十分にあったと納得しました。

作例の女の子は何を走っているのかと見えるかも知れませんが、さすがに熱いので子どもでも走ったりというところは見ません。
右足が残っているのがその証拠ですが、左後方にある石からぴょんとジャンプしたところをたまたま撮ったのです。
どうしてたまたまかと言えば、わたしの背中側に実に面白い建築物があってそれを撮って、振り返った瞬間この少女が石の上に立っていたのでとっさに撮影し、さらに縦位置に構えなおしたときにぴょんと飛び降りたというわけです。

彼女が通り過ぎた後、右側の家を眺めていると中から、どうぞお入りと声をかけられました。
中でおばあさんが、家の中を説明してくれ、ここでもまたどうぞかけてと椅子を持ってきてくれます。
しばらく雑談していると、さっきの少女が入ってきて、あっ、この人わたしの写真を撮った人だ、と驚いていますし警戒感も見られました。
ところが、おばあちゃんがこの人日本から来たんだってと紹介すると、警戒の色は薄れたようで日本について控えめな感じでいろいろと質問してきます。
ここでダメ押しに日本から持参の飴を手渡すと目の色を変えて食べてくれます。

確か金麦だったか第三のビールのコマーシャルに出ているちょっとアンニュイな美女は何という名前か知りませんが、彼女の幼少時代だといっても疑われないのではと思えるほど、この少女は美形ですし同様のけだるい雰囲気も持ち合わせています。
わたしは、すっかり戸惑いを隠せなくなって残りの飴のすべてを差し出してしまいました。
彼女のお母さんもさぞかし美人で、コマーシャルの美女にそっくりなのではと期待しましたが、残念ながら旦那さんと広州に出稼ぎに行っているそうで合うことは叶いませんでした。
【X-E1/Angulor 28mmF3.3 F3.3】
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SOM Berthiot Angulor 28mmF3.3 | trackback(0) | comment(0) | 2013/07/26 Fri

没玻璃

Mamiya-Sekor 48mmF1.5
だいたい1時間半ほど小埠古村に滞在しましたが、そのうちの3分の2くらいはおばあちゃんたちやスイカの一家と無駄話を過ごしていたと思います。
リゾートとしての小埠は広大ですが、古村落はとてもコンパクトで1時間もいたら普通の人は退屈してしまうでしょう。
というよりは、わたしのような酔狂な人間を除いて、わざわざこの村に行って面白いという人はまずいないと言えるでしょう。

わたしが到着したのは朝2番の高速鉄道だったので他に訪れている人の姿は皆無でしたが、日曜日だったこともあってか、帰り際には車が10台くらいも停まっていました。
古建築の付近ではほとんど外来者とは出会わなかったので、彼らが古村落に関心をもって来たのでないのは明らかでしょう。
郴州市民が休みのドライブで郊外に遊びに来たという程度のものだと推測できます。
彼らにとっては、古い家よりも新しく清潔な公園の方が週末を過ごすのにふさわしい…。

少し残念なことがあります。
恐らく村全体で20から30棟の古建築がありましたが、そのところどころが傷んでいて、そういうところは補修していかないと朽ちていってしまうのにそのまま手付かずになっているのです。
多くの古鎮、古村落でそのような情景を見てきましたが、それら村のほとんどは住人の高齢化が進んで、どうにも歯止めがきかないだろうと分かるものばかりでした。

しかし、この村は若い家族が暮らしているのを何軒か見ましたし、何より新しい古建築風の塔や建物をいくつも見世物に建てているくらいですから、本来の古建築のちょっとした補修くらいついでにできてしまうはずです。
リゾート開発とは言え、古村落も取り入れてそれをひとつの売りにしているのですから、どうしてそこに目がいかないのか不思議でなりません。

作例の家は村でいちばん立派なものひとつで、通りに面しているのでよく目立っていました。
ところが、それ以上に目立つのが、資材置き場になっているのを隠そうともしないことであり、ガラスがなくなったままの窓であり、崩れかけた装飾です。
何も新品同様に改装する必要はなく、ただ、資材を別の置き場にどけて、窓と装飾を軽く直してあげればいいだけです。
住む人がいないなら、ちょっとした家具などを置いて当時の生活空間を再現して、見学できるようにしてあげればいいだけです。
参観者が多いのならカフェとかレストランにしてくれると嬉しいですが、そこまでは望みません。

そんな不平を言いたくなるところは他にもありましたが、1時間そこそこの滞在で文句ばかり言って後を濁してはいけませんね。
ただ、みんな素通りしてしまうだろう古村落の人とわずかに触れ合って、わたしはここを結構気に入りました。
塔に登ってみると、季節がいいこともあって、360度が田んぼと畑で緑がとてもきれいなのも好きになった理由です。
細い未舗装路がどこまでも続いているのが見えたし、他の三方は山で、そのうちのひとつに古建築の屋根がひしめいているのも美しいと感じました。

次に向かう陽山古村へはどう行くのか分からず、駐車場の前の家のおじさんにバイクタクシーとかないのかと聞くと、困ったような顔をしてから、ちょっと待ってくれればオレが連れて行ってやろうと言ってくれました。
ここまで連れて来たタクシーの運転手は50元だと言っていたので、その相場からするとバイクでも2~30元かと予想していたら、やはり20元だと言います。
ひとり困っていたのですから、もう少し吹っかけてもいいものですが、村人はみな正直だということなのでしょう。
そのお礼のつもりで彼の小さな娘たちに飴を進呈すると、彼自身が恐縮しつつ満面の笑みを浮かべたのが印象に残りました。
この村に何があったかと言えば答えには窮しそうですが、わたしにとっては足を運んだ価値は十分にあったと思っています。
【X-E1/Sekor 48mmF1.5 F1.5】
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Mamiya Sekor 48mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/07/25 Thu

喜歓吃稀飯

Mamiya-Sekor 48mmF1.5
今日の作例は、小埠古村の正真正銘の古建築が並ぶエリアです。
小さな村の中心部分に、およそ20棟ほどの古建築が整然と並んでいたのですが、この部分が残っていることによって村がかろうじて古村と呼ばれる栄誉を勝ち得ています。
村の起こり自体は500年ほど前に遡るようですので、この一角が無くなっていたとしても、リゾートの中の古村とディベロッパーは称したでしょうが、200年前に建てられたというこの古建築群があることが小埠古村の価値を大きく高めているのは間違いありません。

撮影位置からでは、ちょっと派手な服を若い主婦の集まりと誤解させましたが、通りかかるとみんな60最を過ぎた若くない主婦たちだったのでややがっかりでした。
しかし、ニーハオと声をかけると、座っていきなさいとわざわざ家から椅子を出してきて勧めてくれました。
見ると、収穫してきたインゲンのような豆を剥く作業を手分けしやっているところです。
もう何十年も繰り返している作業なのでしょう。
普通に会話しながら、手先の動きのペースは落ちることなく、器用に豆とさやを取り分けて行っています。
その動きは外国人であるわたしが突然やって来ても変わることはありません。

アメリカ人のツアーもここに来たことがあるそうで、外国人自体がすごく珍しいというほどではなくごく自然に日本のことを聞かれます。
ただ、湖南の田舎の訛りは強く、わたしの語学力では残念ながら4人のうち2人とは会話が成立しません。
とくに途中参戦してきた人の好いおじいちゃんは何を言っているのかさっぱり聞き取れず、その場で奥さんが訳し、それでも部分的に分からないところがあって、それをいちばん若いおばあちゃんがまた訳してくれるという、不思議な国際会議のようなやり取りになってしまいました。

それでも会話ができることに感謝しなくてはいけません。
わたしは高校生の頃、勉強をまったくしないダメ学生だったのですが、なぜか英語だけ成績が多少は良くて自信をもったりもしていました。
ですが、初の海外となる大学の卒業旅行では、それなりに言葉は何とかなるだろうくらいつもりで出掛けて行ったものの、の相手の言うことがほぼまったく聞き取れずで、途中知り合った日本の女子大生がこれもわたし同様の下手クソな英語ながら、現地の人とうまいこと会話を成立させているのを横で見ていて羨ましくて仕方ありませんでした。
恐らく彼女とわたしの間には語学力という意味での差はほとんどなく、意思を伝えるテクニックとか、言葉のセンス、慣れ、さらに英語は学問ではなく生活のためのツールに過ぎないとすでに知っていたことなどが大きな差となって言葉を使う場面に現れたのだろうと思われます。
当時はそんなことは分からず、語学や英語というものにコンプレックスを感じるばかりでした。

さて、そのおじいちゃんがご飯は食べたのかと聞くので、高速鉄道の中でサンドイッチを食べたと答えると、そんなんじゃ足りないだろうと言って家からご飯を持ってきてわたしに食べるよう促します。
ご飯は小豆の入ったお粥でしたが、これが何とも食べたことのない美味しさでした。
こうするともっと美味しいと、砂糖を大量にふりかけられたのには閉口しましたが、確かにその方がうまくなったのでびっくりしました。
シーファンと言っていました、いま調べてみると稀飯のことのようです。
こういったものは、レストランなどではなかなか食べられないので、貴重な体験でもあります。
なるほど、夏バテなどで食が進まないときには特によいのだろうと思いました。

ところで、昨日の作例に写っている一家からはスイカを食べるからおいでと、たまたま近くにいたということでお裾分けしてもらっています。
おとといのおばあちゃんは話をしている間中、暑いだろうと心配しながらわたしの方を団扇で仰いでくれていました。
この村の人たちはとてもフレンドリーで親切で、他の古鎮や古村落を歩いていれば親切な人にはよく出会いますが、これほどまでに村人みんなが親切というのは今までにないことでした。
周辺一帯の開発によって、村人の財布も潤って来たので、訪れる人に親切にしているのかと思いました。
あるいは、自分が豊かになれば、他人にも親切にしてあげようというゆとりができるということかなとも考えます。

稀飯のお礼ではないですが、いつものように日本から持ってきていた飴をひとり1個ずつとわずかですが進呈しました。
いつもはミルクキャンディなのですが、今回はハイチューの袋詰めのものにしてみました。
スイカの一家や団扇のおばあちゃんもそうでしたが、日本の飴は美味しいとみんなから高評価です。
柔らかいせいか特にちっちゃな子どもに受けが良かったです。
ひとりのおばあちゃんが、正宗日本的糖非常好吃と言いました。
ホンモノの日本の飴は美味しいという意味です。
吉宗という言葉を聞いて、スーパーなどに日本製を装った超ドメスティックな食品が溢れていることを思い出しました。
【X-E1/Sekor 48mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Mamiya Sekor 48mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/07/24 Wed

新古村落

Mamiya-Sekor 48mmF1.5
500キロの旅の果てにたどり着いたのは小埠という古村落です。
湖南省の最南端、郴州市の西20キロほどのところに位置しています。
湖南省の南のエリアを湘南地方と呼びますので、日本の湘南から中国の湘南にやって来たことになり、帰郷を果たしたような、遠い祖先の地を初めて訪れたような、そんな気持ちがしないでもありません。
わたしの住む藤沢市は、中国国歌を作曲した聶耳が鵠沼海岸で溺死したことが縁で彼の出身地の昆明と友好都市関係を結んでいますが、地名つながりで郴州との関係をつくってもよいのではと思いました。

広州や深圳と高速鉄道がつながり、今後は香港からも直行できるようになるなどアクセスが格段に良くなったことで、大陸や香港、さらには台湾の金持ちが次々と郊外の別荘を購入しているとのことでした。
洋風の豪華な一戸建てやマンションスタイルのものが1千万円くらいからあるから、日本人のあなたも買ってはどうかと村人に真面目に勧められたくらいです。
無理してそんなの買ったら、ここまで来る旅費が一切残らないと笑って誤魔化しました。

実は、この別荘の話と小埠古村とは大いに関係があります。
小埠古村は山間の小さな村だったのですが、数年前に山が丸ごと開発されて古村落もそのまま、複合施設の一部となったのでした。
施設内には、メインの別荘をはじめ、お城のような外観のリゾートホテルやゴルフ場、公園などがありますが、中でも住民がそのまま暮らす古村落は観光施設になり、村民がつくる有機野菜をレストランの食材に取り入れるなど、誰でも考えそうな、しかし、中国では目新しい取り組みでそれなりに注目されているようでした。

ところが、ちょっと困ってしまうのが、古村落をそのまま生かすのではなく、古建築風の建物をぱかぱか建ててしまったことでした。
作例に写っている建物はすべて古建築風の新築で、見た目がいかにも新しく、本来の村と調和しないこと夥しいです。
ただ考えてみると、50年も経てば西洋風別荘は古びて建て替えられる運命でしょうが、この塔などは100年経つと1世紀を経過した本物の古建築になって村に溶け込み、価値も出てくるのかも知れません。
でも、塔には名称が付けられていましたが、以前にあったものを再現したとか、かつての様式を忠実になぞって建てたなどの説明はなかったので、適当にデザインして建ててみました感は濃厚で、別荘群ともども破壊される可能性も少なからずというところでしょう。

せっかくこれだけの施設を作りながら残念なのは、この一大開発村へのアクセス手段がマイカーかタクシーに限られることです。
タクシーだと800円くらいでしたので、日本の感覚なら安いものですがバスなどの便がなくては行きたくても行かない人は多いでしょう。
ゴルフ場に高級別荘なので、はなから車も持たないような低所得層は相手にしないという方針なのかも知れませんが。

日本人の感覚だと、ゴルフ好きというのではない限り、仮に郴州市に住んでいたとしても車がないのであれば、わざわざここへ来る価値があるかは疑問です。
わたしのような古鎮・古村落愛好家であれば、この後訪れた陽山古村がなかなかよかったので、その前座に立ち寄ってもよいかというところでしょう。
500キロの道のりをやってきて、これだけ見て帰るなどということは絶対にありえません。
【X-E1/Sekor 48mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Mamiya Sekor 48mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/07/23 Tue

来回一千公里

Mamiya-Sekor 48mmF1.5
先月の1週間の休暇の反動ではありませんが、今回は深圳に3日だけの滞在です。
間の1日はまったく時間があったので、いつものように古鎮訪問にあてることにしました。
ここのところ深圳からの古鎮探訪は近場に限定されていましたが、近隣はほぼ行きつくした感があって、中国のポータルサイトによる検索で見つかるローカル古鎮は行ってみてがっかりということが多くなってきていました。
ましてや5月に浙江省の古村落、6月に雲南省の古村落と立て続けに廻っただけに、あまりに今回の落差が大きいのもどうかと思い、かなり大胆な計画を立ててみたのです。

大見得を切るほどのことでもないかも知れません。
計画は、高速鉄道を使って、湖南省の古村落を2つ尋ねる日帰り旅をするというものです。
ただ、深圳北駅から目的地のある郴州西駅まで片道479キロもあるので、往復がちょうど1000キロにもなる日帰り旅というのが我ながらすごいなと思いました。
距離的には、東京から京都と変わらないので、そう書くと大した話でもなさそうですが、あまり京都まで日帰りの個人旅行をする人はいないでしょうから、その点では大胆だったといえるでしょう。

その郴州西に行く列車の時刻を見ると深圳を8時過ぎに出て到着も10時過ぎになります。
目指す古村落は駅から15キロほどと比較的近いのでそれでも十分でしたが、2つの村をまわるのでできればもう少し早く着いておきたいところです。
さらに調べると、それより早い列車が広州南駅を7時に出て8時過ぎに郴州西に着くものがありました。
深圳をどんなに朝早く出ても公共交通機関を使ってではこの列車に乗ることはできないので、前夜は杭州に泊まることにしました。

その前夜は、深圳の仲間と食事をし誘われるままに足のマッサージにも繰り出してします。
余裕があったはずが、深圳から広州東駅への高速鉄道がかなり遅い時間帯になってしまいました。
朝7時の列車に乗るので駅のそばに宿泊したいと考え、広州東駅から地下鉄で広州南駅に向かいます。
名前が似ている両駅ですが所用1時間弱とかなり離れています。
乗り換えの公園前駅に着くとちょうど南駅行きの最終が目の前で出てしまい、途方に暮れることになります。
この近くの宿に泊まるかと考え駅員に翌朝の始発の時間を聴くと6時20分とのことで、それでは7時の列車に間に合いそうもありません。
なんとしても今夜のうちに南駅のホテルに宿泊しなくてはと考えました。

さっそく地上に出てタクシーを捕まえましたが、南駅まで7~80元かかると思うとのこと。
たったいま地下鉄に乗り遅れて、その料金のギャップを悔しく感じ、まだバスが走っているのが見えたので、南方に向かうバスに乗って、なるべく南駅近くまで行ってからタクシーに乗り換えようとせこく考えました。
バス停まで歩くと、なんと深夜バスの南駅行きというのがあるではないですか。
しかも、30分に1本となっているのにそのはずが1分もせずにやって来ました。
地下鉄を目の前で逃して今日は不運だと思っていた矢先、今日はなんと幸運なんだと思いなおすことにしました。

広州南駅は、高速鉄道の開通によってできた新しい駅で、珠海方面などのターミナルにもなっている24番線くらいまであるとてつもなくでかい駅で、郊外の辺鄙な場所に建てられています。
着いてみるとまるで空港の敷地のような所で、期待していた安宿はおろか、あらゆる宿泊施設や商店など何もありません。
ほぼ満員に近かったバスも途中でみんな降りてしまい、南駅まで乗って来たのはわたしともうひとりだけです。
その彼もわたしと同様に翌日早朝の列車のためにここに来たようでした。
同じような勘違いをするヤツがいるからでしょう、何もないバスターミナルに1台だけタクシーが待っていて、わたしたちふたりを乗せて最寄りの、それでも8キロも離れたホテルに連れて行ってくれました。

チェックインしようと値段をたずねると300元の部屋がふたつ空いているだけだと言われ、あまりに高いので別のタクシーをひろって100元くらいの宿を探すことにしました。
引き返すときに玄関にいた警備員に泊まらないのかと聞かれ、300元では高すぎるからというと、オレに任せろとなぜか180元の同じホテルにある部屋まで案内してくれました。
昨年開業したばかりのホテルの部屋はきれいでそこに泊まることにします。
さきほど断ったカウンターに行き泊まりますと言って手続しましたが、なぜ彼らは300元の部屋しかないと言ったのか理由は分かりませんでした。

1時過ぎに寝て、5時半起床、6時過ぎに出てバイクタクシーを捕まえて駅まで行ったのですが7時の列車に間に合わず、愕然としていると20分後にも郴州西に停まる列車があると聞いて助かりました。
でも、それなら苦労して南駅まで出て高い宿に泊まらずに、終電を逃した公園前駅周辺にいくつもあった安いビジネスホテルに泊まれば良かったので、昨日、幸運だと感じたのはやはり間違いだったかと訂正する気分です。

列車は1時間強で郴州西に着き、タクシーと交渉して20キロ弱の距離を60元で古村落に向かってもらいました。
作例は、その村で温かく出迎えてくれたとっても優しいおばあちゃんです。
わたしが汗を流しているのを見ると団扇であおいでくれました。
撮影をお願いしてもやはりあおぎ続け、撮影中も団扇の動きを止めることはありませんでした。
【X-E1/Sekor 48mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Mamiya Sekor 48mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/07/22 Mon

徳国的産品

Gaudin 10cmF3.5
少し前のこと、ご隠居ことNさんのブログに東京クヮルテットの解散のことが書かれていて、残念に思いました。
と言いつつも実は、東京クヮルテットを聴いたことはほとんどなく、このNさんの記事を読まなければ解散の報に触れることもなく、ついには一生聴かずじまいだっただろうと思われます。
しかし、彼らのベートーヴェンの全集が廉価でしかも良いと書かれているのを読んで、少し関心を持ちどれどれと検索してみました。
すると、80年代後半から90年代前半にかけての録音が9枚組でなんと2000円を切る値段で売られているではないですか。

もちろん新品で、押し入れにCDが多分300枚ほどギューギューに仕舞われていることを考えて、CDの購入をここ数年控えていたわたしも、これも何かの縁と購入してみることにしました。
そのネットショップではもう2枚買うと送料無料となっていたので、同じく東京クヮルテットのブラームスの弦楽四重奏集となぜだか突然思い出したティボーのヴァイオリン商品集もいっしょに注文しました。
この3セットでCD12枚になるのに4000円ちょっとというのが驚きです。
ところが、ほんとうの驚きはそれから数日経ってCDが到着してからでした。
東京クヮルテットの演奏があまりに素晴らしかったからです。

聴きやすいスメタナ弦楽四重奏団で入門して、比類なきアルバンベルク弦楽四重奏団で音楽の頂点を感じ、ウィーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団の演奏にいにしえのウィーンの音を聴き、自分と同世代のハーゲン弦楽四重奏団に若々しい溌剌としたベートーヴェンの姿を見ました。
これら4つのタイプの違う録音があれば、もう他は必要ないだろうと考えていたのです。
いざ東京クヮルテットの演奏を聴いてみると、やはりそのいずれとも違う印象を持ちました。
まだすべてを聴いたわけではありませんし、素人が1度や2度聴いたところで何が分かるはずもないのですが、楽譜の読みを徹底させているという印象を持ちました。
また、4つの楽器がひとつになるよう音楽を大切に演奏しているように感じるのに、同時に第一ヴァイオリンを他の3人ができる限り引き立てる演奏をしているというふうにも聴こえます。
オーソドックスなようで、かなり独自性が強いように直感しました。

こう書くと鼻で笑われる方も多いかも知れませんが、ベートーヴェンやドイツ3Bと呼ばれるバッハ、ブラームス等々のドイツ音楽と、ライカやコンタックスのような重厚なドイツカメラにはどこか相通ずるところがあると感じる人が多いのではないでしょうか。
重厚? いや、ライカは軽快だよという人は多いと思いますが、金属ボディのライカはやはり重厚ですし、ベートーヴェンにも軽快な曲はいくらでもあります。
重厚かつ軽快は、ドイツの自動車がそうですし、革製品とかにもあてはまりそうです。
これはちょっとこじつけですが、2002年ワールドカップでドイツの試合をゴール裏で観たのですが、コーナーキック時にゴール前に多くの巨大な選手が素早く走りこむ迫力は、やはり重厚かつ軽快だったとことを今でも思い出すことができます。

重厚かつ軽快なライカというと、わたしは5cmのズミクロンを付けたM3を思い出しますが、まあ標準レンズを付けたM6でも同じようなものでしょう。
あるいはデジタルなので重厚度は落ちますが、M8でもそれに近いものを感じられます。
正月にM8を壊して使えなくなってから半年も経ち、重厚さのないX-E1を使っているとドイツ臭さが懐かしくなってきました。
一端修理が終わったのに不具合で再入院していたM8がまた直ったというので、近いうちに重厚かつ軽快な世界を楽しめるかと思っています。
【X-E1/Gaudin 10cmF3.5 F3.5】
thema:花・植物 genre:写真
Gaudin 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/07/21 Sun

比L貴了一些

Gaudin 10cmF3.5
最近、Cマウントレンズの相場は落ち着いているのでしょうか。
マイクロ・フォーサースのミラーレス・カメラは日本や台湾、香港、中国以外では売れていないと以前に新聞で読んだことがありますが、それが本当であればCマウントレンズの価格を暴騰させたのはアジアということになります。
レンズ市場の全体を潤したのですから、世界の経済にとってはたいへん好いことをしたといえるのでしょうが、もともと16mmムービーを愛好していた人にとってはひたすら迷惑な話だったでしょう。

中古品の価格相場はまさに需要と供給のバランスによって決まるのでしょうから、いくら高くなってもそれを欲しいという人がいるのなら仕方ありません。
しかし、市場規模を予測する余裕があったなら、高すぎるので買わないそのうちに値段が下がるだろうからとやり過ごせていたと思うのですが、相場観が分からず、しかも金持ちになった中国人が売られるそばから買っていくのでモノが枯渇すると不安になって、高いのを承知で泣く泣く買ってしまった人が多かったのではないでしょうか。

ただでさえ今まで顧みられなかったレンズなので製造量は過小評価されていたようですが、市場へ頻出するところを見るとCマウントレンズは意外なほど潤沢に存在するようです。
それでもいくつかのセラーは強気の価格設定を崩さずいつか売れればよいという態度をとっているようですが、多くのショップではもともとが非常に廉価だったことを考えて売れ残るよりはと価格を下げ始めているのではと想像します。

売れなくなり始めた、市場がダブつきだした理由は、たぶんこういうことだと思います。
キノプラズマートのように周辺が同心円状にボケるレンズやF0.95、F1、F1.1のような数値上の超大口径レンズなど、Cマウントの世界には個性的なレンズがたくさんあると聞くと、誰しもいろいろなタイプを試したくなって、あっちこっちと手を出すのですが、特徴がありすぎればその分写真がレンズの個性に負けて自分の撮りたいものとは違うと感じるようになるでしょうし、個性的レンズは使っていて飽きやすいのです。

加えて中古のオールドレンズはリセールバリューがあります。
必要なければ売ってしまうことはできますし、しばしば買い値より売り値の方が高かったということもあります。
価格が下がる傾向にあると知れば下がり切る前に売ってしまいたいという心理も働くでしょう。

さらに大きな問題は、撮影が意外に難しいということです。
高速レンズは25mmでもピントが浅くて動くものにピント合わせはなかなかできず、ピントが合ったところもシャープではなくボンヤリしていると感じます。広角レンズでは4隅がケラレるものまであるではないですか。
わたしのように失敗写真でも全然気にしない人間もいますが、多くの人にとっては耐え難いことかと思われます。
写すものが限定され、シャープでハイコントラストな現代レンズに目が慣れていると写りは冴えなく感じ、25mmくらいだとボケ量は思ったよりずっと小さく、得意の広角はあまり使い出のあるレンズはなかった…。

使う前の期待は高く、値段もすごく高かったのにこんなものかと失望する人もけっこういたでしょう。
もちろん、今でも撮影を楽しんでいるCマウントレンズ愛好家は少なくないとは思いますが。
わたしだって本来なら手を出していたはずですが、気付いた時にはレンズの価格がとんでもないことになっていて断念したクチです。
今となってはCマウントまでやらなくてよかったと胸を撫で下ろしています。
ただ、相応の価格に落ち着くことを願うばかりです。
【X-E1/Gaudin 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gaudin 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(6) | 2013/07/20 Sat

李小龍的影響

Gaudin 10cmF3.5
先ほどのニュースで知ったのですが、ブルース・リーが亡くなって明日で40年になるのだそうです。
ブルース・リーの人気は衰えるどころか、伝記映画が封切られ、若いファンを獲得するなど、日本や香港ではまたブームのような状態だと言います。
ほとんど地元と言える香港での人気は理解できますが、わずかに5本の映画に主演しただけで32歳の若さで亡くなった彼がなぜにこうも人気なのか不思議な気がします。
わたしは特に熱心なファンという訳ではありませんが、映画は何度も見ましたし、飄々としていながらいざというときに力を出す彼の姿は、確かにアイドルとも呼べる魅力を感じました。

ただ、わたしの場合、ブルース・リー映画をを見たのはずっと後のことで、むしろ熱心に見たのはそれからしばらく経って恐らく香港アクション映画の人気に便乗してGメン75の香港ロケ版でした。
Gメン75というくらいなのでたぶん70年代後半くらいに見たのだと思いますが、小学生だったせいか内容はよく覚えていません。
記憶では、香港マフィアの用心棒が胸の筋肉をビキビキと鳴らすサングラスの男と鉄棒で殴ってもびしともしないジャイアント馬場そっくりの大男が常に立ちはだかりますが、最後には力を合わせたGメンが土壇場勝利する他愛ないストーリーだったと思います。

むしろ幼心に強く印象付けられたのが、香港という街の無法地帯ぶりでした。
無法というのは言い過ぎですが、マフィアの抗争があちこちで起き、チンピラが庶民に暴力を振るったりは当たり前のようです。
さらには船の上で生活する人の村があったり、確か冒頭のシーンはでは必ず航空機が離発着するすぐそばにバラックのような民家が密集し、その屋根にはテレビアンテナが雑然と並んでいるなど、まともな家に住めない貧困層が町中に溢れているようでした。
香港は魔都であり、アジアは遅れている、とわたしの脳には刷り込まれていました。

それからおよそ20年経ってわたしは初めて香港を訪れました。
1990年代後半ですので、香港は、日本の女の子たちも半ばリゾートのように訪れる都市になっていました。
ホテルライフを満喫して、エステやフットマッサージに通い、タックスフリーでブランド品を安く買い、高級広東料理に舌鼓を打つというのが彼女たちの行動パターンですが、香港は魔都でなくてはならないと考えた私は、魔窟とも呼ばれた重慶大廈に宿泊し、場末の安い飲茶に通い、誰も喜んでくれないしょぼいみやげを買い、1杯200円ほどのワンタンメンをうまいうまいとすすりました。
ブルース・リーとは関係ないところでの初香港でしたが、間接には彼の影響を受けての旅だったのかも知れません。

作例は、ブルース・リーとも香港ともまったく関係ない、おっぱままつりでのひとコマです。
ペッツパールを使ってなるべくポートレイト風の写真を撮ることを考えましたが、わたしが愛好するのは、こんなスナップというかスナップもどきというかそんな撮影です。
一瞬を切り取りたいスナップでは、ピント合わせに手間のかかる10cmレンズは一般的に不向きと考えられますが、案外町中にはスローな題材があるもので長玉のスナップを楽しむことができます。
カメラ2台が許されるなら、広角を付けたライカとゴーダン&X-E1の組み合わせは、現在の理想のように思います。

帯がほどけてしまって恥じらいの表情を見せながらお母さんに結びなおしてもらうところをスナップしたわけですが、待ちわびた少年が水を飲んでいるところにピントを合わせた方がよかったのかも知れません。
熱中症にならないようにペットボトルの水を一気飲みした子供とした方が、面白かったからです。
スナップのネタはあちこちにあったはずですが、ブログ掲載の顔出しの問題があってなかなか積極的に撮らないようになってきました。
一気飲み少年に誘発されて復活させようかしらん。
【X-E1/Gaudin 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gaudin 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/07/19 Fri

日本人在巴西

Gaudin 10cmF3.5
BRICSという言葉が生まれるはるか前、今から20年も前のことですが、一部の旅行者にブラジルがたいへんな人気でした。
1年以上かけて世界一周したバックパッカーの旅行記に書かれていたことなので真偽のほどは定かではありませんが、当時まだまだ貧しかったブラジルの中でも貧困層の女性がこぞってバブルで羽振りの良かった日本人男性旅行者と親しくなろうと接近してくるため、日本人旅行者は誰もがブラジル美女を侍らせて行動していたといのです。
旅行者といっても彼らは長期旅行者で、日本で何か月かの肉体労働で金を貯めてそれをもとに半年とか1年の旅に出るのです。

世界一周とか南米一周の旅に出た途中のブラジルでそうなるものあり、あるいは最初からブラジルが目的でいるものありですが、いずれもプレイボーイとかペントハウスの表紙に出てくるようなダイナマイトボディ(死後?)のブロンド美女が向うから言い寄ってきて、その場で愛人関係になったり、場合によっては本物の恋人関係になったり、時には複数の相手がといったように日本人というだけでモテまくるという話でした。
言葉の問題も不要で、情熱的な彼女たちとはすぐにも関係が結ばれてしまうので、ピロートークを重ねるうちに基本的なポルトガル語が習得できるとのことです。

にわかには信じがたい話ですが、その本には確かにびっくりするようなモデル級美女を侍らせた日本人の写真なども乗っていてまったくのでまかせではないことをうかがわせています。
実際にそんなカップルもそこそこいたのかも知れませんが、たぷん現実はそれほど甘いものでもなかったのではないかと思われます。
10代前半で子供を産んだシングルマザーと親しくなって、そうとは知らずにいざ彼女の実家を訪れると子供が何人もいて、いきなりパパと呼ばれるということがありそうです。

また、その頃のことだったか青森の住宅関連の団体の職員だかが南米から来たホステスに億単位の公金を貢いでしまった事件が思い出されます。
それだけの金額を捧げる相手というのはどれだけの美女だろうと誰もが思ったはずですが、スキャンダルに沸いたマスコミに登場したその女性は、誰もが、えっ?と思ったに違いない美人というには厳しいルックスでした。
ブラジルで日本人が侍らせていたという"美女"の多くも、恐らくはこのアニータさんレベルだったのではないかと容易に想像できるわけてです。

実際にはどうだったのでしょう。
ブラジルでもてたいと渇望したものの、せいぜい1週間の休みしか取れなかったわたしに彼の地は遠すぎました。
来年はワールドカップがあるのでもちなくてもいいので、ぜひブラジルを訪れてみたいですが、夢はかないますでしょうか。
新横浜に安いブラジルパブがあると教わりましたので、勉強のため訪れてみようかなと考えているところです。

作例は、おっぱいまつり、ではなかった、おっぱままつりのメインイベントであるリオのカーニバルの様子です。
このまつりでは敢えてサンバという言葉は使われず、それっぽい音楽が流れるものの彼女たちがサンバを踊っている姿は始終見られるわけではありません。
本当のリオのカーニバルは暑いので夜に行われているのだと思いますが、こちらは30度を超える炎天下ですからまじめにサンバを踊ろうものなら、踊る方も見る方も熱中症で倒れる人が続出するでしょうから、主催者は安全を第一に運営したということでしょう。
ちょっとピントがズレてしまいましたが、これはソフトフォーカスのような効果を生んで、肌の質感を高めているのではないかと思いました。
【X-E1/Gaudin 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gaudin 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/07/18 Thu

巨大遮光罩

Gaudin 10cmF3.5
高校時代、何を隠そうわたしはプログレ少年でした。
暗い部屋に閉じこもってうなだれた姿勢で没頭しつつ聴くというイメージのあるプログレッシヴロックを、高校生が愛好していたというのは暗い過去の告白のようで一生秘密にしておくつもりでしたが、案外プログレファンだったという人に会ったりということもあって、ここで白状すれば気持ちもすっきりするだろうと考えました。
これでようやく前を向いて歩いて行けそうです。

というのはほとんど冗談ですが、高校時代プログレばかり聞いていたのは事実ですし、それによって変わり者扱いされることがあったのもウソではありません。
当時すでにあのイエスですら"Owner of a lonly heart"とやっていたくらい、すでにプログレは過去のものとなっていましたので、聴くのはかつての名盤と言われるものばかりでした。
わずかなバイト代を握りしめて中古レコード屋行って、悩みに悩んで結局何にも買わないというような体験は枚挙に暇がありません。

どうして急にこんな話を書いたかといえば、プログレ青年のアイドルはロバート・フリップであり、スティーヴ・ハウであり、キース・エマーソンであり、ピーター・ガブリエルであるのが普通ですが、わたしにとってのそれはジエスロ・タルのフルーティスト、イアン・アンダーソンだったのです。
イアンをコンサートやテレビで見たことはありませんので実際にそうなのか知りませんが、LP盤のスリーヴ写真では異常な長髪にマントを羽織り、右足を上げてフルートを吹く姿はあまりにカッコ良すぎます。
そのサウンドも素晴らしいもので、ワイルドな野太い音と繊細でガラスのような音が自在に使い分けられます。

プログレは当時マイナーな存在でしたが、その数少ないプログレファンの中では王道のようなキング・クリムゾンやジェネシス、イエスのようなバンドが主流で、わたしもメインに聴くのはそれら音楽でしたが、プログレとは認められづらい向きのあったマイナーなプログレの中でもマイナーな存在だったジェスロ・タルの変人のようなフルーティストに惹かれるというのはすでに今の自分を象徴していたということでしょう。
大学以降はクラシックを聴くようになり、もう完全にイアン・アンダーソンのことは忘れていましたが、フルートを聴くと稀に彼のことを思い出すことがあります。

まつりの横笛を見てイアン・アンダーソンというのはいかにもこじつけですが、その音色はイアンとは対極ともいえる柔らかな響きが耳に残ったのは事実です。
それに涼しげな表情の少女は長髪のむさ苦しいイアンと対照的ですし、マントの代わりに首から提げた手拭いや、片足を上げるポーズではなく首をちょっと傾げた姿勢にも同様のことが言えます。

ペッツパールをはじめとした歴史的レンズの撮影でいちばん重要なことは光のコントロールです。
太陽にレンズを向ければ画面は真っ白になりますし、レンズが空に向いただけでコントラストがどんと下がる一方で、順光で露出をずはりと決められれば見違えるような画を得られることもあります。
そのためフードか必須ですがレンズオリジナルのフードは短すぎてまずは役に立ちません。
そこで利用したいのがその場に存在するものをフードにしてしまうことで、例えば大きな傘をさした人をうまく撮ればペッツパールの性能を如何なく発揮できるでしょう。
作例もそのバリエーションで、屋台越しに笛の少女を撮っているので屋台の屋根が巨大フードの役割を果たして、白く透き通るような肌がペッツパールらしいやわらかさで表現されています。
【X-E1/Gaudin 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gaudin 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2013/07/17 Wed

我的解読

Darlot 10cmF3.3
わたしは、レンズを購入する際、あるいはレンズを買ってから真っ先にするのが、そのレンズの購入年代の特定です。
単にレンズの素性がわずかとは言え明らかになるのが嬉しいですし、購入前の年代特定によってそのレンズがどうやら怪しいと気付いて購入を見送ることができたということもあります。
先日も、ローデンシュトゥックのペッツパールが売りに出ていてこれは珍しいと購入しようかと考えたのですが、製造番号が明示されていたので確認すると1905年くらいの製造ということになってしまい、これは怪しすぎると購入断念したことがありました。

もちろんすべてのメーカーで製造番号が管理されているわけではありません。
その場合は、レンズ構成が確立した年や、付けられていただろうカメラの製造年代、コーティングの有無などの条件から製造年を絞り込んでいきます。
厳密な特定はできなくても、例えば1920年代の製造など10年単位のところまで追い込んでいくことができれば、そのレンズのことがわずかに身近に感じられるようになるでしょう。

19世紀のペッツバールの時代のレンズも製造年特定が難しいメーカーがほとんどです。
フォクトレンダーやダルマイヤーなどの製造番号表があるメーカーはむしろ例外で、初期のペッツパールにはメーカー名の刻印があっても製造番号が記されていないというケースも多々あります。
今回使用したダルローもそのパターンで製造番号の刻印がありません。
もっともダルローには製造番号表が存在しないので、調べるすべは存在しないのですが。

以前に書いたのですが、このダルローには年代確定のヒントが2つあります。
ひとつは絞り用のスリットがないことで、このことからウォーターハウスが絞りを発明する1858年以前の製造か、絞りを必要としないプロジェクターかマジックランタン用のレンズと想定できます。
もうひとつはより決定的で、ダルローの初期のレンズには"Jamin Darlot"と刻印されていたのが、"Jamin"が外されたのが1861年以降のこととされていることが分かっています。

今回、もうひとつの手掛かりとして、フランスの歴史的レンズを網羅した本をあたってみました。
多くのダルローのレンズが掲載されている中で、わたしのレンズと同じ刻印のものが2つありました。
そのふたつの製造年は1864年と65年となっています。
1866年になると刻印のパターンはまったく違うものになっています。
これだけで断定しうるものか分かりませんが、わたしのダルローの製造年が1864~5年である可能性が高まりました。

この本にはダルローのペッツパールタイプのレンズが10本掲載されていますが、そのうち絞り用のスリットがあるのは1863年製造の1本だけです。
他の風景用レンズにはスリットがあるものやロータリー型の絞りが付いたものもあります。
これらのことから都合のよいように解釈すれば、ウォーターハウスが絞りを発明した1858年以降もダルローではそれを採用していなかったか、あるいは野外で使う風景用には絞りの必要性を感じていたが、スタジオ撮影に使う人物用のペッツパールに絞りは不要と考えていた、ということになります。

以上を整理しますと、わたしのペッツパールは刻印から1864~5年製造であり、当時のダルローでは人物用ペッツパールに絞りは不要と考えていたので後から穿たれたものを除いて絞りスリットはなく、わたしのダルローも人物撮影用と推定される、というのが都合の好すぎる解釈とは言え、現時点での結論ということにしておきたいと思います。


さて、昨年の同じまつりで神輿を担ぐ白髭の老人にとても目を奪われたことをよく覚えていました。
またその老人に会えることを楽しみにしていたのですが、一生懸命探したものの去年の老人を見つけることができませんでした。
きっとわたしのいたのと反対側で活躍されていたのでしょう。
作例は、あっ、いた、と撮影したもののよく見れば昨年とは違う方だったのですが、この方も数ある神輿の中で遠くからでも雄姿が目立っていて絵になっていました。
ソクラテスのようなフィロソフィーな表情が素晴らしいです。
【X-E1/Darlot 10cmF3.3 F3.3】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Darlot 10cmF3.3 | trackback(0) | comment(0) | 2013/07/16 Tue

夏天又来

Darlot 10cmF3.3
追浜観光大使というタスキを掛けているので撮影地は追浜です。
この日曜日、昨年に引き続きksmtさんとおっぱままつりを見に出かけてきましたので、今週はそのときの写真の作例をあげさせていただく予定です。
真夏の端緒ともいえるこの時期に開催するおっぱままつりは、撮影するものが激減する夏場の貴重な行事であって、長い夏を乗り切るための体力試しの場としての位置付けにもなっています。

ksmtさん同行となれば、持参するレンズはもちろんペッツパールです。
先週まで使っていたゴーダンとその前まで使い続けていたダルローの2本で、土曜日にチェックをおこない両者の焦点距離がまったく違わないことを確認していました。
余裕があれば2本の比較テストをやりたいとは考えましたが、申し訳ありませんが、テストは行いませんでした。
30度を超える暑さの中では行動力に制限が出ますし、今年も人出がすごくてかばんからレンズを取り出して交換というのがなかなかできません。

おっぱままつりの会場は公園などの施設ではなく、駅前から延びる歩行者天国にした道路と商店街だけです。
縦にとても長く、横には距離がありません。
10cmという焦点距離の人物用レンズではボケの活用という意味も含めて、縦方向に撮るのが理想的と言えました。
ただ、いま使用予定の7枚を並べてみると、狭い方の横方向の写真ばかりで、テストは行わないレンズを活かす写真も撮らないわたしの怠けモノぶりが浮き彫りになった形です。

それ以上に苦笑してしまったのは、いちはやくおっぱままつりの写真を掲載されたksmtさんの写真を見たときでした。
いっしょに行動したので当然と言えば当然とも言えるのですが、わたしのアップ予定の7枚のうち5枚の写真に写る人物がksmtさんの写真にすでに登場しています。
その状況を見て1枚だけ入れ替えをさせていただきました。
むしろレンズの比較になるので、同じような写真が両者にある方がよかったのかも知れませんが。

今日の作例の観光大使はksmtさんのサイトでは3種のレンズで登場しています。
ところが、この3枚ともが同じ大きさにうまく収まっていて、レンズ比較に格好の3枚になっています。
かくいうわたしは、不要な犬を取り込もうとしてぐっと後ろに引いた作例になってしまい、ksmtさんの3枚とは比較不可です。
おしゃべりしながらともに行動したksmtさんは、何気なく写真を撮っているように見えてやることはちゃんとやる人なのだと再認識しました。
この犬に、一皮剥けて来い、と怒られているかのようです。
【X-E1/Darlot 10cmF3.3 F3.3】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Darlot 10cmF3.3 | trackback(0) | comment(2) | 2013/07/15 Mon

歴史鏡頭的問題

Gaudin 10cmF3.5
昨日の作例を見ると周辺部のアラが目立ちます。
ペッツパールの弱点というとますば像面湾曲に起因する収差ですが、このレンズは5×4インチのフォーマットをカバーするかしないかのイメージサークルを持っているようで、そのうちの中央部分のみを使うAPSサイズでは問題とならないようです。
非点収差やコマも周辺部に顕著なので通常気付かない程度ですが、背景が樹木だとそれと分かるくらいに目立ってしまうようです。
代々木公園のように人が大勢いて緑が見られる場所は、絶好のレンズの試験場です。

写真術が始まった頃のレンズは、人物撮影する際に当時の感光材でなるべく短時間で露光できる明るいレンズを目指して設計されました。
人物さえシャープに写せれば周辺のことは二の次でしたので、現在の基準で周辺がとか収差がという方が間違っているとも言えます。
対する風景用レンズは、画角を広げるための設計になっていて、どのメーカーも色消しメニスカス1群のみで前方に絞りに相当する穴あき板を置くことで暗くなっても収差を減少させることを優先していました。

ペッツパール当時のスタジオ写真家たちはその特性をよく知っていたようです。
いま見られるダゲレオタイプ、アンブロタイプのポートレイト写真のほとんどには背景がありません。
一方で撮られた人は特徴的な服装をしたり、その人を象徴するようなものを手にして撮影されているものが多く、椅子やテーブルなども意識的に写っていることから、背景がないのは幕で覆うなど意図的に取り除いていると考えるべきでしょう。
ずっと後のティンタイプ以降のポートレイトになるとバックドロップと呼ばれる書割や壁や家具類などが背後に見られるようになります。
これはレンズの変更によるものと考えてよいのかも知れません。

今日の作例は、無限遠に近い距離からの撮影です。
フォーマットの関係もあって周辺部がながれるということはありませんし、全画面均質の絵になっています。
先ほどティンタイプ時代になってレンズが変更になったのではと書きましたが、ここに撮影スタイルが変更になった可能性が考えられます。
近距離からの胸像からぐっと距離をとった全身像への変更です。
ボケの量は小さく収差も目立たない程度に抑えられます。

以上はまったくの仮説で、裏付けになるような事実はありません。
もちろん1枚1枚の写真には何というレンズで撮ったかという記録も残されているわけでもありません。
使用レンズが分かれば、こんなに楽しいことはないでしょう。
まれに背景が分かるようなダゲレオタイプの写真を見ることがありますが、それだけでレンズが特定されるような気がしてその写真が欲しくなったりしてまいます。

週末にCSI科学捜査班という番組を見ていると、背景のボケデータを取り込むだけで回析可能な画像測定機器が作れるのではないかという気がしてなりません。
将来的には多くの古写真の撮影レンズが特定されるのではと期待することにしましょう。
そのためには、いまある歴史的レンズを使える状態に保ち続けることが必要です。
すべてのレンズを入手して自ら作例が撮れればよいのですが、歴史的レンズを集めることなど画像測定レンズ特定機の開発以上により非現実的です。
【X-E1/Gaudin 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gaudin 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/07/14 Sun

鏡頭福尔摩斯

Gaudin 10cmF3.5
ゴーダンレンズのレンズガラス側面に鉛筆書きされた文字は、筆記体とブロック体の中間のような字体です。
恐らくヨーロッパ人であれば難なく読めるのだろうと思いますが、私にはそうはいきませんでした。
例えば、VoigtlanderとかBerthiotといった馴染みがあるメーカー名で、綴りも特徴的な書き込みであれば、多少崩してあっても直感的に判読していた自信があります。
しかし、ここにあったAlexis Gaudinは、今になっては明快に分かるものの、最初に見たときは最初のAやGすら読めずでお手上げ状態だったのです。

ところがわたしはたいへん幸運でした。
ちょうど読めないものかと悩んでいるときに、ksmtさんがゴーダンというレンズを入手したと自身のサイトに詳細をアップし、わたしはそんなレンズがあるのかと興味深く、しかし自分とは関係ないことと思いながら読んだのでした。
ゴーダンという名前は初耳でしたが、スペルはアントニ・ガウディのGaudiとよく似ているので、ゴーダンのカタルーニャ語名がきっとガウディなんだろうなと考えたりしました。

このときすぐに自分のレンズもゴーダンと気付いたわけではありません。
よく覚えていませんが、ksmtさんの記事に触発されて、わたしもなんとかレンズを判明しなくてはとその場でまた鉛筆書きの謎のメッセージを見直したのだったと思います。
アレクシス・ゴーダンとアントニ・ガウディのふたりが耳元でささやいてくれたことで、鈍いわたしにもやっと分かりました。
このレンズもゴーダンだったと。

ゴーダンのカメラというのは、同じフランスのジルーに次ぐ史上2番目のカメラのような位置づけになっています。
そんなカメラに付いていたレンズをksmtさんは入手して使い始めたところに、わたしもゴーダンらしきものを持っていると言われてもにわかに信じることはできなかったに違いありません。
ksmtさんにお会いするときこのレンズを持参してみてもらった時の反応にそれは表れていました。
当初半信半疑だったものが、レンズを分解しながらそのつくりのクオリティの高さに関心し、やがて文字を読んだ瞬間に驚きの表情を見せたのです。

ksmtさんは、レンズの謎に対して一方ならぬ情熱を発揮する人で、その日持ち帰っていただき、他の判読不明部分の解読にさっそくとりかかってくれました。
ここからksmtさんが本領を発揮してくれます。
まったく不明だった部分を解読していく過程は、ホームズかポワロを思わせる冴えがありました。
ゴーダンは木製のカメラボディを製造していましたが、レンズについては恐らくそのすべてをルルブールから供給されていたと言われており、その名前が省略されて記載されていることを読み取ってしまったのでした。

わたしは、以前に無銘レンズを買ったのですが、どうもゴーダンという歴史的にたいへん価値があるレンズのようなので、鑑定のほどよろしくお願いしますと鑑定団に持ち込みます。
1万円以下で買ったものですが、ゴーダンのペッツパールであればこのくらいはするでしょうと、わたしの自己評価額は
10万円。
オープンザプライスと声がかかり、表示された金額は自己評価の倍の20万円でした。
以下は、鑑定額鑑定士のksmtさんのコメント。

「このレンズは、ゴーダンのペッツバールレンズ、本物に間違いありません。
1840年代初期の製造で、それはカメラの製造時期やウォーターハウス絞りが登場する1858年よりは前の製造だということから類推できます。
すべてのパーツはオリジナルのままで、レンズはとてもきれいですし、破損しやすいラックアンドピニオンの動きもスムーズで、170年前に製造された当時の技術の高さが分かります。
当時のパリの職人さんはいい仕事をしていました。
残念なのは、フードに大きなキズを修復した後がはっきりしている点、それと金ニスがすっかり落ちてしまっている点がコレクターにとっては大きなマイナス評価になってしまいます。

歴史的カメラのコレクターは多いですし、博物館なんかもコレクションしたがりますからカメラの値段はかなりします。
以前、クリスティーズでゴーダンのカメラが出たときは1万ポンドを超えていました。
その時は、このレンズよりも焦点距離のずっと長い、同じルルブール製のペッツパールが付いていました。
しかし、レンズだけの評価となるとぐっと下がってしまうんですね。
カメラはすでに実用向きではないですが、レンズは今でもデジタルで使ったりできるので価格が上がりそうなものですが、シネレンズなどに比べると使用者の数が少なすぎて価格が付かないんです。
わたしの知りうる限りでは、ペッツバールを実用で使ってるアマチュアは日本にはふたりしかしませんし…。
ただ、このレンズは写真史的にたいへん貴重なものですので大切になさっていただきたいですが、もちろんどしどし使っていただいてかまいません。」
ありがとうございました!
【X-E1/Gaudin 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gaudin 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/07/13 Sat

馬尾巴

Gaudin 10cmF3.5
昨日から続いてシンガポールのセレブに見えるかもしれませんが、今日からは先週出かけた東京は参宮橋から明治神宮、代々木公園の散策での作例になります。
参宮橋駅からほど近いところに乗馬場があるのですが、併設してポニーの乗馬体験ができる施設もありました。
ですから、左端に垂れている黒いふさふさは、ポニーテイルということになりますね。
さすがに真夏にポニー乗馬体験をする子供は多くないせいか、馬の背中で満面の笑みを浮かべるというシーンが見られなかったのは残念でした。

雲南のところでは旅のことで手いっぱいで、レンズについて触れる機会がありませんでした。
今日は入手のエピソードについて触れておきたいと思います。
このレンズは今から1年かそれ以上前に海外のネットオークションで手に入れたものです。
すでにレンズの販売相場はうなぎ上りで、大陸のお金持ちたちもこぞってレンズ争奪戦に参戦していたので、もはや有名メーカーのレンズを手に入れるのが困難になっていました。
そこで目を付けたのがペッツパールをはじめとする19世紀の真鍮レンズだったのですが、それらレンズの焦点距離はことごとく長くて、レンジファインダーで使える135mm以下の出物はなかなかありません。

ダルマイヤーの114mmというペッツパールをいち早く手に入れていたので、とくにそれより短いレンズを探していましたが、早々そんなレンズが出てくることはありませんでした。
そんな折にksmtさんはフォクトレンダーの120mmを手に入れてわたしをうらやましがらせます。
わたしもフォクトレンダーやダルローなどの定評あるペッツパールが欲しかったのですが、もはや贅沢は言っている余裕がなく、メーカー問わず100mm以下のペッツパールが出れば入札すべしと考えるようになりました。

そんなとき見つけたのが、焦点距離90mm位という無銘ペッツパールでした。
小さくAGという刻印がある以外、メーカー等を示す表示は皆無というものです。
素性の知れないレンズですので、スタート価格が安かった割には誰も手を出さず、安価のままで落札することができました。
実は、無銘ペッツパールの出品はけっこうあって得体の知れないレンズが跋扈していたのですが、このレンズには少なくともAGという刻印があったので、これをもとにメーカー特定できる可能性があるのではと考えたのです。

しかし、いくら調べどもADからだけではどうにも埒があかず、これは所有者のイニシャルに過ぎなかったのかも知れないとほとんど調査を諦めてしまいました。
それからしばらくしてダルローのレンズを入手した際、レンズのガラス側面にレンズ名などが書かれている例があることを知り、謎のAGレンズにもやはり鉛筆書きにより筆記体の文字があることを見つけます。
100年以上前のメッセージに心躍りましたが何と書かれているのか読めませんでした。
ところが、まさにそのタイミングでksmtさんがゴーダンという名前のペッツパールレンズを購入したのですが、その綴りである"Gaudin"こそ謎のAGレンズのコバの鉛筆書きに一致することに気付きました。
ゴーダンのフルネームはアレクシス・ゴーダンとあってAGとも符合し、やはりこのレンズはゴーダンだと確信できました。

さっそくksmtさんに連絡を取り、このレンズの調査依頼です。
その様子はwww.ksmt.comに乗せていただいています。不可解な番号という新しい謎が現れたりしたものの、kinoplasmatさんも加わっての鉛筆書きの謎解きが行われ、無事、このレンズは紛れもなくゴーダンとのお墨付きをもらうことができました。
一生分からないままだと半ば諦めていたレンズのことが明らかになり、それがかつ写真術のごくごく初期のものであるとの結果になり、二重の喜びに酔いしれることになりました。
もとはといえばこのレンズ、正体不明で格安で入手したものです。

さらにありがたいことに、レンズのマウント改造もksmtさんが買って出てくれて、EOSマウントになって即撮影可能な状態になりました。
レンズ判明の功績とマウント改造までしてくれたksmtさんにしばらくゆだねて、撮影をしていただくことにしました。
すると間違いなくゴーダンであることを裏付けるように、すばらしい作例をどしどしksmtさんは撮り続けてくれます。
いくら歴史的価値あるレンズと判明してもちゃんと写らなければ意味がありませんが、このレンズはそんな不安を吹き飛ばしてあきりある高性能です。

ブームでレンズ価格が降雨しなければ探そうとしなかったでしょうし、AGという刻印がなければ入札参加もしなかったでしょう。
コバを見ていた矢先にksmtさんのゴーダンの記事が出なければ気付くこともなかったでしょう。
それら偶然が幾重にも重なることによって、わたしはこのレンズを楽しむことができるようにになりました。
19世紀中ごろの大昔とわたしを結び付けてくれた奇跡に感謝せずにはいられません。
【X-E1/Gaudin 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gaudin 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/07/12 Fri

華人在新加坡

Gaudin 10cmF3.5
Only one dollar each.
少女に呼び止められて、思わず足を止めます。
彼女たち一家がショップハウスの並ぶアーケードの歩道で売っていたのは、缶ジュースでした。
熱帯のシンガポールで歩き始める前にしておくべきはミネラルウォーターの調達でしたが、時間がなくてそれを忘れて喉がからからになっていた矢先のことです
ほんとは水の方がありがたいのですが、少し休憩も兼ねてここで立ち話でもしてみることにしました。

まだ小学生くらいにみえる彼女は日本人だといっても分からないような顔つきの華人で、祖父が中国から渡って来た三世だと自己紹介します。
出身を聞くと広東省の潮州だと言うので、わたしは潮州の友だちが何人かいると答えると、逆に中国人かと中国語で聴かれてしまいました。
わたしも中国語でいや日本人ですと言ったところで、ええっとなって彼女の両親やおじいさんもやってきて昔話や現在の生活のことを教えてくれます。

インド人街だったので英語で話しかけたものの彼らの日常語はマンダリンでした。
潮州語はと聞くと、話せるのはおじいさんだけで、息子さんはどうにか聞き取れるものの話すことはできず、彼女にいたっては聞き取りもダメとのこと。
シンガポール人の使う英語はブロークンでシングリッシュとも呼ばれますが、くだけている分英語が得意でなくても会話しやすいと感じます。
実は中国語の方もわたしのようなカタカナレベルの中国語を話す人間に聞き取りやすいしゃべり方で、マンダリンならぬシンダリンだなと笑ってしまいましたが、実際、すでにシングリッシュ同様シンダリンという単語は存在しているようです。

食事はカレーではなく、よりシンガポールらしいものをみつけたのでチャレンジしてみました。
肉骨茶という、福建系のマレーシア移民が故郷の料理を現地の食材でアレンジした料理です。
茶と言ってもお茶が使われているわけではなく、漢方で豚肉を煮込んだスープで、肉骨茶と書いてパクテーと読むのだそうです。
むかしマレーシアを舞台にした小説か何かで読んだように記憶しているのですがそれが何だったか思い出せず、しかし、肉骨茶じたいはあっさりと美味しく熱帯の気候に合う食べ物だと満足することができました。

2時間の散策はあっという間です。
何とはなしに歩いているうちにそろそろ空港へ戻らないといけない時間になってしまいました。
地下鉄駅に戻る道を歩きながら心配していたことがありました。
空港のATMで10ドルだけキャッシングしていたのですが、残金が地下鉄料金にたぶん足りないだろうと予想され、ではまた10ドル引き出してはお金が余ってしまうということでした。

ところが、シンガポールの交通システムには意外に合理的なところがあり、無駄にキャッシングすることなく空港に戻ることができました。
空港で地下鉄のチケットを買って目的駅で下車した時、むそのチケットは回収されずに手許に残っていたのですが、今度はそのチケットを券売機に置いて料金を払うと20%ほどディスカウントされるという仕組みだったのです。
つまり紙のチケットはチャージも可能な優れもので、スイカ・パスモのような機能を果たした上に、別途デポジットを払う必要もないという旅行者にはありがたい方式でした。
手許には10セントだか20セントが残っただけで、きれいに10ドル使い切ったかたちになりました。

作例は、肉骨茶を食べたフードコートでのノーファインダー撮影での失敗作です。
シンガポール散策中はずっと超広角だったので、1840年のゴーダンにも南洋の空気を吸ってもらおうと食事を待つ間レンズ交換しました。
望遠のノーファインダーではトライアンドエラーでヘリコイドを調節しながらピントを詰めていきます。
次の1枚というところで隣のテーブルの親父さんから、こんなところで写真はいかんと中国語でたしなめられてしまいました。
中国語は分からないフリをして撮り続けるという手もありましたが、中国語でふつうに謝ってカメラをバッグに入れました。
当地で見かけたいちばんの美女でしたが、ゴーダンは力を発揮する機会を失ったまま旅を終えることになったのが残念です。
【X-E1/Gaudin 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gaudin 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/07/11 Thu

阿拉伯人在新加坡

Russar 20mmF5.6
治安が良く清潔な国シンガポール。
かの国に悪いイメージを持つ日本人はあまりいないのではないかと思います。
旅行で行ってもあまり面白いところではないとか、町が汚れるからとチューインガムの持ち込みを禁止するなど規制の多い国だとかいった程度にネガティヴなイメージがあるに過ぎないでしょう。
シンガポールが北朝鮮になぞらえる一党独裁国家だと言っても、ほとんど信じてもらえないかも知れません。

わたしだってシンガポールの政治について詳しいわけではありませんが、かの国が事実上の一党独裁で成り立っていることくらいは知っています。
簡単な検索で調べてみても、東南アジアにあって唯一の先進国だとか民主主義の国、西側諸国の一員というイメージは違う徹底的な管理のもとに運営されている国だということが分かります。
言論や政治的活動には大きな制限があって、例えば、アメリカの人権団体による報道の自由度ランキングでは195か国中の153位、CNNの国民幸福度調査では148か国中なんと最下位だとの数字も出ています。
それらに裏付けられる国民の抑圧は相当なもので、そこをとらえてシンガポールを明るい北朝鮮と揶揄する、あるいは国民自身が自虐的に表現するようになっているようです。

外見は好い国のようでありながら、一部エリートを除いた国民の不満はくすぶっていると聞くと、あれっ、これに似たことを最近何かで読んだようなと思い出すことがあります。
あの長者番付日本一社長の衣料品店や政治に進出しようとする社長の居酒屋&介護チェーンなどは、マスコミで成功者としてちやほやされていたのに、実は従業員酷使のブラック企業なのだとささやかれ始めていますが、これらとシンガポールはよく似ていると言えないでしょうか。
ちなみに両社ともすでにシンガポールには進出済のようですが、シンガポールの若者がこんな管理された国の企業ではなく自由の国である日本企業で働きたいとこれらの店に就職していたとしたらとんだ笑い話になってしまいます。

さて、もともとはマレーシアから独立した国なので、マレー系こそ先住民でイスラムが幅をきかせていそうなものですが、シンガポールではやはり華人が人口の8割近くを占めていて、マレー系は14%に過ぎないそうです。
華人による政策がとられているので、マレー系国民の不満はより大きいのではと想像されるのですが、北アフリカや中東でアラブの春の風が吹き荒れていた頃にあってもシンガポールで何かの動きがあったとは聞こえてきませんでした。
国家としてかなりの警戒をしたからなのでしょうが、それならなおのこと不満は高まっているでしょう。

単に興味本位に過ぎませんが、マレー系と知り合うことができれば、そういったことを聞いてみたいと思いました。
コーランか何か宗教上の重要な書類と思われるたばを大切に抱えて、道を闊歩するイスラムの男性を見つけました。
聖人とも哲学者とも言えそうな思慮深い顔で、付近で何かを探すようにしながら歩いているのが印象的です。
道路で何かを見つけたような表情を一瞬見せたと思うと、彼は小走りに道路を渡り去っていきました。
どうやら、横断禁止の道路を横切るため車列をずっと凝視していただけのようです。
大切に抱えていた物もよく見ればゴザで、これから公園にでも出向いて夕涼みするところだっただけなのだろうと気づきました。
【X-E1/Russar 20mmF5.6 F5.6】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Russar MP-2 20mmF5.6 | trackback(0) | comment(0) | 2013/07/10 Wed

印度人在新加坡

Russar 20mmF5.6
香港から東京へは直行便ならわずか4時間ほどですが、シンガポール経由だと乗り継ぎの時間も含めて16時間もかかってしまいます。
無料航空券なのでそういうルートになってしまったのですが、積極的にこのフライトを選んだ側面もあるのです。
ひとつはシンガポールで5時間の待ち時間があるので当地を軽く散策できるということ、もうひとつはオーバーナイトフライトで朝5時半に羽田に着くので機内でうまく熟睡してそのまま通勤できることがあります。
トランジットで短時間立ち寄ることに意味があるのかと問われれば答えに窮しますし、夜行便で職場に直行というのはかなりきついということを熟知しているので、やはりこれは無理な日程なのだと半ば自覚してはいたようですが。

入国審査こそ10分もかからず住んでしまいましたが、シンガポールでの時間が5時間あると言っても、ダウンタウンまでの道のりに片道45分かかり、搭乗前にシャワーを浴びたいので1時間半前には空港に戻って来たいと考えると現地を歩けるのはわずかに2時間だけです。
何か目的がはっきりしていればこの2時間も意味あるものになりますが、何も考えていないただの散歩なのでどこに行くかがポイントになるでしょう。

香港空港でシンガポールの古い街並みと検索すると、いくつかの情報が得られました。
ひとつはチャイナタウンエリアの街並みですが、これは近年の再開発でほとんど取り壊されてしまったと書かれています。
もうひとつはインデ人街とアラブ人街というエリアで、両社は隣接していてこのあたりはまだまだ東南アジア独特のショップハウスが並んでいてコロニアルな雰囲気が濃厚である旨説明がありました。
また、別にラッフルズホテルなどのコロニアル様式の建築を見て歩くという選択肢があったのですが、そのホテル内で英国式紅茶をいただくことを含めてそれこそがシンガポールの観光の王道のようでしたので控えることにしました。

行き方をたずねるべく空港内のツーリストインフォメーションに出向いて、インド人街へはどう行くのかとたずねましたが、この若い女性係員がまったく要領を得ないバカモノです。
そもそもインフォメーションなのに地図すら用意しておらず、近くの別カウンターにあった買い物案内のようなパンフレットの中にかなり省略された地図を見つけて、○○駅で乗り換え、××駅でまた乗り換え、◇◆駅に着くとそこがインド人街だと説明します。
地図上では○○駅のすぐ真上が◇◆駅になっているので、○○駅から歩いたら遠いのかと聞きますが、さあわたしは歩いたことがないのでと旅行者に対する誠意のかけらも見られない対応にイライラさせられました。

しかし、イライラしているわたしの方がバカモノであったことは、今でははっきりと分かります。
ビジネスでの滞在を除いて、比較的最近話題になった最上階がプールになっている高層ホテルをテレビで見て泊まってみたいと思うようなリゾート志向の人以外には、シンガポールは何ら価値のあるところではないようなのです。
コロニアル様式などの古い街並みを見たい、エスニックフードを食べたい、アジアらしい混沌を体験したいという人々が目指すべきはバンコクやサイゴン他であることは、インフォメーションで愚問を呈する以前に自明のことでした。
事実、わずか2時間とは言え、ガイドブックにも古い街並みが残ると紹介されているエリアを歩いたにもかかわらず、ただのひとりのツーリストすら見かけることはありませんでした。

やはり○○駅で下車して嗅覚を頼りに10分も歩くとインド人街と思しき雰囲気が濃厚になりました。
地下鉄駅周辺は中華系の人ばかりだったのに、教会が見えたと思うと日曜礼拝があったのでしょう、そこはすでにインド人のコミュニティの様相で、さらにインド人たちの流れについて歩いて行くとインドレストランが並ぶ通りに出ました。
シンガポールは赤道に近い国で滅茶苦茶暑いのかと思っていましたが、さすがに涼しいということはありませんでしたがいま現在の東京よりはいくぶんマシなくらいの気温で、けっこうな人が路上のテーブルで食事しいます。
香辛料の香りに刺激されて、せめてここまて来たのでカレーでも食べてシンガポールの散策を終えようとだけ考えました。

同じような顔つきと体型ですぐに姉妹だろうと分かる3人組が向かいからやって来ます。
外観のそっくり加減の反動で服装の趣味が違ってしまったのか、あまりに似ているので間違えられないようにとの配慮からなのか、3人がまったく違う出で立ちなのもユーモラスでした。
ちょうど目の前にはヴェジタリアンレストランの看板が出ていますが、彼女たちが少なくともここの常連でないことは一目瞭然でした。
【X-E1/Russar 20mmF5.6 F5.6】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Russar MP-2 20mmF5.6 | trackback(0) | comment(0) | 2013/07/09 Tue

茶是普洱

Russar 20mmF5.6
旅の話は昨日で終わりにしましたが、新たな写真がないので1枚のみ大理のものを。
喜洲から大理へのバスがあまりに順調だったので、せっかく雲南に来たのですから、普段から毎日飲んでいるプーアル茶を買って帰ろうとわずかの時間の寄り道です。
プーアル茶の産地は雲南南部なので大理では一般には消費されていません。
鶴慶でいただいたのは、大理周辺で生産される緑茶でした。
したがって町中ではまったく見かけることはなく、麗江の土産物屋と鶴慶のスーパーでみただけで、これらを買うになら深圳でも変わらないので意味がありません。

大理市は大きな町で、観光するところでもないのでプーアル茶の産地から出てきて店を開いた人がいるでしょう。
タクシーの運転手に聞くと、お茶屋さん街が近くにあると連れて行ってくれました。
小さな通りに20軒ほどの店が並んでいて、どの店にもプーアル茶は置いてあるようです。
こうなるとどこで買えばいいのかかえって悩んでしまいますが、ほとんどの店の看板が○×茶店大理支店のように書かれていたり、プーアル茶以外に手広く扱っているのに対し、1店だけ作りは地味ですが、いかにも個人でやっていますという佇まいのプーアル茶専門店があり、ここしかないと決断することができました。

入ってそうそう店主のおばさんにそれとなく確認すると、おばさんは得意そうに実家やその畑の写真を取り出してわたしに見せたうえで、麗江や観光地で安いプーアル茶を売っているが、あれはみんなニセモノだけど、ウチのは実家のとか近隣のお茶なので安心して飲むことができると胸を張っています。
その言葉自体が信用できるのかという問題はありますが、そこは彼女を信用して買うしかないでしょう。
ただ、早々に日本人だとバレてしまったので、少々ボラレるのを覚悟しなくてはなりません。

プーアル茶は、ワインによく似ています。
年代が古いものほど貴ばれますが、あとは生産地と生産者を見て決めるということになります。
知識はまったくないので、言いなりで買うしかありません。
金銭的にも荷物としても余裕がないので2つだけ買おうと考えていて、1つはヴィンテージものをと思っていたのですが、例えば2012年モノ物が100元のプーアル茶は2003年で800元のような価格差があって、勿体ないのでやめました。
個人的な意見では2年経つともう飲み頃に入るので、リーズナブルな2011年モノを2つにします。
1つは即飲んで、もうひとつは自宅熟成させることにします。

いちおう価格交渉を試みましたが、まったくまかりません。
時間がないこともあって、オーナーおばさんの言いなりでした。
また、これを書くのはちょっと躊躇われますが、ここで試飲した200元だというお茶は、わたしが深圳の知り合いから100元で買っているお茶より旨いとは感じられませんでした。
その知り合いはお母さんが雲南省出身でツテを使って安く仕入れて商売しているというものです。
言ってしまえば、わたしのような素人がプロ相手にお茶を買うというのは10年早かったということでしょう。

この店から空港まで20分ほどと聞いていたのでタクシーで向かうつもりだったのですが、驚いたことに、このおばさんが空港まで送ってあげるとハンドルを握るではないですか。
タクシーで行くと50元と聞いていたので、ありがたい50元浮いたじゃないかと素直に喜びました。
車内で息子は大学を出て北京空港で機体整備の仕事をしてると聞いたり、景色のいいマンションに住んでいると聞いたり、そもそもが中国製とは言えクラウンクラスの高級車に乗っていることなどでようやく気付いたのですが、50元浮いたというよりは、空港へ送るくらい高くお茶を買ってしまったと考えるべきですね。
おばさん曰く、今度はもっとゆっくり来なさいな、そしたら大理の好いところをたくさん案内してあげるし、知り合いの女の子を紹介するから、ときました。
そんなことになれば、わたしはプーアル茶を何個買えばいいのでしょう。
【X-E1/Russar 20mmF5.6 F5.6】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Russar MP-2 20mmF5.6 | trackback(0) | comment(0) | 2013/07/08 Mon

西蔵女性的电话号码

Sonnar 5cmF1.5
朝の雨はいつの間にか上がったので、自転車を駆使して喜洲の村全体を見て廻ることにします。
村は、意外に大きな範囲に広がっていて、古建築も点在しているのであちこち廻っていても飽きることはありません。
惜しむらくは、やはり時間があまりに限られていることで、朝から自転車の西洋人たちがいて、大理古城に宿泊していて朝からツーリングしてやって来たと聞くとうらやましい限りです。
近くには景色の美しい洱海がありますが、すぐそばまで来ていながら目にすることができません。

ただ、喜洲といえばこれ、という食べ物があって、それだけはしっかり押さえることができました。
喜洲粑粑と書いてシーヂョウパパのように読みます。
粑粑は貴州省では日本のお餅のことをさしていましたが、雲南省ではお焼きタイプ、お好み焼きタイプ等々の主食のようなお菓子のような食べ物の総称のようです。

地元では朝食に食べる人が多いと言うので、さっそく村に何軒かある店で買ってみました。
麗江で食べた麗江粑粑は、お好み焼きタイプで外観から想像できる一般的な味は、まずくはないものの美味とも言い切れないものでした。
喜洲粑粑はサクサクのパイタイプで、こちらは見た目がぱっとしないのに食感よく味も抜群の名物に列せられているのが納得の味でした。
ひき肉と野菜が入ったものとあんこの入った甘いのと2種あってどちらも美味でしたが、2個とも食べると腹いっぱいになります。
ふたりで買って半分ずつシェアするのが理想ですね。

今回の旅では、麗江のさらに北がマツタケの一大産地になっていることから、マツタケをたらふく食べるという楽しみがありましたが、旅行中マツタケのマの字も見ることはありませんでした。
喜洲粑粑がマツタケの代わりになったとは言いませんが、日本にない食べ物を旅先で口にするというのはまた別の良さがあって、マツタケのマイナスを補ってあまりあるものを感じました。
鶴慶で食べた把肉餌丝という麺が今回の最高傑作でしたので喜洲粑粑は第二位ですが、そのうち大理食堂でもオープンしてこの2品だけで営業したら日本でも絶対はやるだろうと考えています。

さて、そろそろ雲南の旅も終わりを迎える時が近づいてきました。
大理の空港を飛び立つ瞬間こそ本当の旅の終わりなのでしょうが、実質的な旅はこの村から大理行きのバスに乗り込む時と考えることにします。
では、その前に旅の締め何かしないといけません。
また、喜洲粑粑をひとつ買って食べるというのでもいいのですが、今回の旅で地元雲南のコーヒーを何度か飲んだのですが、コーヒーが得意でないわたしでもその都度美味しく感じられたので、索や立ち寄ったカフェで旅の締めくくりと考えました。

店の前に自転車で乗り付けると、まだ準備中という雰囲気でしたが、昨夜のチベット族の女の子がわたしに気付いてどうぞどうぞと店の中に導き入れてくれました。
昨日と同じこーひへをと頼むと、今日も砂糖もミルクも要らないのかと聞かれます。
わたしはコーヒーの味のことはまったく分からないけれど、日本で飲む酸味の残るものに比べてずっと飲みやすいので、そのままの味で飲まないともったいない気がするからと答えます。

これから大理の空港に向かって、明日には日本に帰るんだと言うと、彼女は残念そうな顔をしました。
昨日の夜来てコーヒー、今朝もまたコーヒー、お昼と夜にもやって来るのかと思ったと言います。
じつは、わたしが雲南を旅するのは2回目で、6年くらい前の前回の旅では彼女の故郷の香格里拉まで足をのばし、小ホタラ宮とも呼ばれるチベット寺院の松賛林寺を訪問した際、若い修行僧と親しくなってダライラマの肖像写真をプレゼントしてもらったと話したところ、民族としての気持ちを揺さぶられたのか彼女のわたしに対する接し方が変ったように感じられました。
そこでわたしが帰国の途に就くと聞いて、あいにくダライラマ関連のものも渡せるものもないからと言いながら、次回来るときのために携帯の番号を教えてくれました。

いま、中国におけるチベットの人たちの状況は日本にも伝わっていて、彼女も何かしらの影響を受けているだろうことを考えると、何か力になれないだろうかと願わずにいられません。
ただし、店内でそんな話題で話をしようものなら彼女に迷惑をかけてしまう可能性があります。
四川を旅した時に直接話を聞く機会がありましたし、自身が警察に連れていかれる目にもあっています。
携帯番号までくれたということは、わたしに伝えたいことがあるのかも知れませんし、旅行者に対する単なる社交辞令かも知れないですが、何とか再訪して誰にも聞かれる心配のない場所で彼女の話を聞かなくてはいけないと思います。

今朝もごく普通に日本の話をしたり彼女の大学時代の話を聞いたりしながら、出発の時を迎えました。
カフェを出ると、朝の雨がウソのように雲ひとつない快晴に天気が変わっていて、宿までの道はまぶしくて目が開かないほどでした。
宿の近くに不思議な建築があったので、これがラストショットかと1枚撮ることにしますが、強い逆光で露出補正をかけ過ぎてえらいオーバーになってしまった上に、ピントも合っていませんでした。
現実離れしたような作例になってしまいましたが、旅の目的だって現実逃避のようなものですから、ちょうどそれを象徴するような1枚になったと言えなくもありません。
【X-E1/Sonnar 5cmF1.5 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Sonnar(Opton) 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/07/07 Sun

童画不知道

Sonnar 5cmF1.5
大理古城と悩んで喜洲に決めたことは正解でした。
何しろ観光客がほとんどいません。
バスを降りてすぐ三輪バイクが乗らないかとやって着て、どこか好い宿に連れて行ってと頼むと8元と言われたので、5元のところをぼられているなと直感しましたが、了解して彼おすすめの宿に連れて行ってもらいました。
バス通りから古い街並みをずっと通って着いた宿は到底歩く距離ではなく、宿の人に聞けば8元は適正だったと分かりスレていない村と実感することができました。

宿は残念ながら古建築ではなく、築20年ほどとのことでしたが、伝統的なこの地域の建築様式で建てられているそうで、ベッドやトイレ、シャワーとたいへん清潔だったのでお世話になることにしました。
到着が遅れたのでもたもたする余裕がなかったこともありますが、何より伝統様式のスイートルームで1泊70元と言うのですから、あまりにリーズナブルです。
もっとも広い部屋は持て余してしまいましたが。

さらにこの宿は自転車をタダで貸してくれます。
歩くと15分くらいかかりそうな四方街という中心まで颯爽と出ていくことができました。
薄暗くなった中を散策して、時おり撮影したりしますが、ここで薄暗くなったということはすでに8時を回っていることを意味します。
すっかりお腹が空いて食事しようと思いますが、地元の人に聞くと食堂と呼べる店は1軒しかありません。
その店に行って、ひとりだけで申し訳ないがと言うと、日本人が来ることは少ないので大歓迎ですよと、このエリアの料理をつくってくれ、店で作ったというお酒はお猪口で(中国にも陶器製のお猪口かあった!)、全種タダで飲ませてくれたのでした。

すっかり酔っぱらって自転車を置いたまま散歩していると、この村にも骨董品屋があって冷やかしに入ると木製の仏像が良い味を放っているのが目に留まりました。
800元という老店主と丁々発止のやり取りで200元に値引きさせ、お持ち帰りさせていただきました。
鶴慶のブロンズの仏陀に引き続きですが、酔った勢いでこういうありがたきものを買ってよいものなのでしょうか。
実は食事の前に、回族の人が歩いていたので付いていったところ、イスラムの礼拝を見学させてもらい、すっかり感動していたところだったのですが。

いかにも真新しいカフェがあって、酔い覚ましにコーヒーでも飲んで帰ろうかと立ち寄ると、給仕してくれたのは麗江の北の香格里拉から来たというチベット族の女性でした。
日本のアニメの大ファンだと言っていろいろと聞かれたのですが、わたしは興味なくさっぱり分かりません。
ポボロンじゃなくてなんでしたっけ? ちょっと前に大ヒットしたアニメ映画の曲は聞いたことがありましたが、それすら歌えず彼女はわたしを本当に日本人かと疑っていたのかも知れません。
思い出した、ポーニョです、彼女が歌ったのは。
彼女のフェイパリットソングは、谷村新司の昴とのことでしたが、これはわたしにも歌えるのでようやく自分が日本人だと認めてもらえることができました。

そうやって雲南最後の夜は終わりを告げることになります。
ここ喜洲に着いてから会った観光客は、宿のPCでゲームしていた女の子と食堂の先客6人組だけでした。
昼間は多くの人が訪れるとチベットの女の子が言っていましたが、比較的近い大理古城に泊まってここへは日帰りという人がほとんどなのでしょう、だから食堂とカフェが1軒ずつで足りてしまうようです。
実に静かで、滞在をお勧めしたいところでした。

翌朝はいよいよ大理空港へ向けて出発ですが、12時代のフライトなので1時間ほどで着けることを考えれば10時にここをでればよいので、早起きして自転車で村中をはしりまわることにしました。
ところが起きてみると、あいにくの雨。
困ってしまいましたが、傘を持ってきていたので片手ハンドルで自転車をこぎます。
そういえば、このエリアも6月は雨が多いのですが、滞在中はほとんど降ることがありませんでした。

昆明あたりでは雨量が不足して農作物に被害が出始めていると聞き、少し心配になりました。
大理周辺はまったく影響がないそうで、市場へ出かけてみると、日本のそれと似て非なるものと呼びたくなるような野菜が大と積まれています。
前の朝に見学した沙渓の市とは違って常設のものでしたが、市場を見学するのは実に楽しく、時の経つのを忘れるほどです。
本当は、中に混じって買い物して、そのまま野菜をかじったり、宿に持ち帰って調理できればもっと楽しいのでしょう。
雨のせいで人出が少なかった市場ですが、その分ラッシュアワーの山手線のような昨日の沙渓の市場に比べて行動と撮影は楽でした。
【X-E1/Sonnar 5cmF1.5 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Sonnar(Opton) 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/07/06 Sat

英雄司机

Gaudin 10cmF3.5
沙渓を後にすると、早いものでもう残すところあと1泊を残すのみになりました。
明日の昼のフライトで大理から広州に飛び、広州で1泊した翌朝にはシンガポール航空の香港→シンガポール→羽田と大回りの帰国です。
沙渓にもう1泊してもよいですが、大理空港から比較的近い町に1泊して、余裕をもって空港へ向かいたいと考えました。

もちろん大理市内に泊まればいちばん近いのですが、大理は都会だと聞いていたので、その十数キロ手前にある大理古城かさらに十キロ手前の喜洲というふたつの古鎮が候補です。
大理と言えば大理古城が有名なので、天邪鬼なわたしはややマイナーな喜洲に行くことにしました。
少なくとも、中国人観光客が少ないのは喜洲の方でしょうから、それだけでも選択する意味があります。
余裕があれば、もちろん両方見て回りたいところなのですが。

ティンとジアンたちと学校へ行った帰りにはすぐ出発してもよかったのですが、宿に戻ると、すっかりその気にさせて実は既婚で子供までいたという小鶴が、お昼をつくるからせめてそれまでいてと言ってわたしを引き止めます。
また、騙すつもりなのと笑いながらわたしは同意しました。
この日、沙渓で週に1度の市が開かれると聞いたので見てみたかったからですが、こりままだとずるずるともう1泊してしまいそうでしたので、そこはきっぱり昼食後に宿を発ちました。

面包車で剣川に着くと大理行きのバスに乗ります。
喜洲は大理行きの幹線道路の途中にあるので、運転手に告げでおけば寝ていてもちゃんと下車して降ろしてくれます。
そのバスに乗るとき理由は分かりませんが改札のところに警察がいて、ひとりひとり身分証を確認していました。
わたしはパスポートを見せたのですが、沙渓には外国人が多いので景観はパスポートの写真を確認するだけで問題なかったのですが、そのやり取りを見ていたバスの運転手は日本信奉者だったようでこれはいへん幸運をもたらしてくれました。

彼は日本の技術がいかにすごいかと感心しているとしきりに話してきました。
腕時計はセイコーを付けていてもう5年も使っているがまったく故障はせずに正確に動いている、車や電気製品も日本製はみんなそうなんだろうと聞くのです。
わたしの父はトヨタの安い車に乗っていたが10年間一度も故障しなかった、だから日本人はものを大切にすることも知っている、中国のように何でも使い捨てていては環境破壊甚だしいというと大きくうなづいています。

彼は、運転席隣の最前列の席を空けてわたしを座らせてくれ、意気揚々と出発しました。
順調なバス旅でしたが、路程の半分を越したあたりで大渋滞に嵌まってしまいます。
大事故があったようで、車はことごとく幅の狭い小道に迂回していました。
直進は微動だにしない車列が延々と続く道、左は迂回路ですがバスが通るのは厳しそうです。
どうするのかと見守っていると、運転手はしばらく考えてからこちらを向き、挑戦してみるよというような顔で大きくハンドルを左に切りました。

幅が狭いというのはその道の入り口に大型車が入れないよう、両サイドがコンクリートで狭められていたからです。
その約2メートルを通過さえできれば、この渋滞はやり過ごすことができるわけですし、万一無理なら後続車に迷惑がかかりますがバックすればいいだけなので、このチャレンジは正解だと思いました。
さて、本当にぎりぎりの幅をバスはそろそろと抜けようとします。
わたしは窓から身を乗り出してコンクリートとバスの幅を見ますが、まさに1センチを切っていて、仮にタイヤが小石に乗り上げるとかしてバスが軽く揺れればこすってしまうほどの空間しかありません。

運転手側の幅も同様だったようで、彼の緊張感がこちらにも伝わります。
わたしが1センチ空いているから大丈夫、危なくなったら声をかけるからと言うと、彼も安心したように無言でうなづきます。
1度若干バックして切り返すと車はコンクリートと完全に平行になったらしく、隙間はさらに短くなっていましたが、それが車体の後部まで続いているのが見えたので、このままハンドルをまっすぐにしていればこちら側は大丈夫そうだともう一度声をかけました。

隙間は広がることも狭まることもなく、思ったとおりバスは通り抜けに成功しました。
完全にコンクリートを抜けたところでやったとばかり加速したので、わたしは思わず運転手に向かって拍手してしまいました。
他の乗客も続くかと思ったのですが、みんな、なんで拍手するんだとこちらを見るので恥ずかしくなってしまいました。
ごくわずかな曲がりを1度の切り返しで修正した彼の運転技術はかなり高いと思います。
乗客の命を預かるバスの運転手たるものそのくらい当たり前なのかも知れませんが、車の幅プラス1~2センチのところを通れと言われれば誰もが嫌がるでしょう。

渋滞で予定よりだいぶ遅れてしまいましたが、たぶん、この日本びいきの運転手でなければ日のあるうちに喜洲には着けなかったに違いありません。
バスを道路わきに停めて、わたしの荷物を荷台から取り出した彼に感謝の握手をしました。
やれ航空機だ、高速鉄道だと言っても地方の旅を好むわたしにとってはローカルなバスが無くてはどこへも行けないのが現状です。
ハドソン川に奇跡の不時着を成功させた機長同様、この日本びいきの運転手もわたしにとってのヒーローにほかなりません。
【X-E1/Gaudin 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gaudin 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/07/05 Fri

本地的美人

Gaudin 10cmF3.5
ゴーダンレンズのおかげですっかりモテモテ状態でしたが、そんな時こそ地元の人との交流がないことを気に留めるべきと感じます。
それに肝心のゴーダンでの撮影がここまで少なすぎるとも気になっていました。
もう8時近くなってさすがに暗くなりつつありましたが、ローカルの人を求めて散策してみます。

民家と民家の間で子供が遊ぶ声が聞こえてそっと近づいてみました。
彼女たちは最初は驚いていたものの、拒絶することなくわたしを仲間として迎え入れてくれます。
白族のふたりはティンとジアンと自己紹介します。
同い年なのに、ジアンの両親が手続きを間違えたため、ティンが小学校2年生なのに、自分は1年生なのと笑って説明してくれます。
このくらいの年代の子どもは、わたしが外国人と知っても多少驚くくらいで日本のことを聞こうとせず、自分たちのことを一生懸命に説明しようとするところが可愛いんですね。

このあと真っ暗になってから公園に行って遊びにまぜてもらいました。
公園には強い日差しを避けて夜遊ぶ子が多いらしく、夜8時過ぎとは思えないくらい子供がいっぱいで、たちまち10人くらいの仲間が集合する形で、いま学校ではやっているという遊びを外国人に教えようとなりました。
いちばんの流行は石ころを使ったもので、これはお手玉そのものでしたし、他にもロンドン橋堕ちた落ちたにそっくりなのとだるまさん転んだそっくりなのがありました。
どのような関係があるのか、子どもの遊びは全世界共通なのでしょうか。

そういえば、この間広州の丁さんからそろそろお茶しませんかと電話が入りましたが、すみませんがいまガールフレンドと遊んでいるのでもうちょっと待ってくれと返事したら、まじめな彼からどこの女を見つけたのだと後で追及されてしまいました。

戻るときに、ティンとジアンから明日学校に見学に来ないかと提案がありました。
行きたいと答えると、朝6時に出るけど大丈夫かと聞かれます。
小学校は村のはずれにあって、子どもたちの足では30分かかるからだそうですが、せっかく誘ってもらって朝早いのはちょっとなどと言っては日本の信用を失墜させてしまうでしょう。
もちろんOKして、実際に6時に彼女の家に行くとふたりは目をまるくして驚いていたのが印象に残っています。
先生を説得してわたしを授業参観させようと考えていたようですが、いざ校門に着くと、ダメやっぱり先生に言えない、ゴメンとふたりは校舎に消えてしまいました。
さいわい、村を離れる直前に彼女たちが下校してきたため、分かれのあいさつをすることができました。

もうひとりのことも、忘れないように記しておくことにしましょう。
沙渓には民宿というかゲストハウスというか感じの好い宿が何軒もあって、できるだけリーズナブルでいいところに泊まりたいと考えていました。
そのため複数を比較して決めようと思っていたのですが、1軒目で即決してしまいました。
宿自体が古建築をうまく活かしたすばらしいものだったからでもあるのですが、何より受付の女の子に痺れてしまいました。
かわいらしい真ん丸顔で仕事がてきぱきしているのに弱々しさもあって、守ってあげたい美少女タイプだったのですね。

宿は2か月前にオープンしたばかりだそうで、わたしが記念すべき日本人宿泊客第一号であり、彼女が初めて見る日本人とのことでした。
このエリアから外へ出たことがないという彼女は、外へ出たい願望が強いし、日本にも行ってみたいといろいろなことを聞いてきます。
すっかり話し込んでしまい、沙渓に来て早々何もせずに美少女と話して終わりになってはまずいと、今から散策しに行きたいのですが、よければ夜食事とかどうですかと半分冗談で誘ってみたところ、ええぜひとここ何年か絶えて聞くことのなかった了解の返事をもらってしまいました。
10部屋ほどもあるのにスタッフがふたりしかいないため忙しく、結局、そのふたりで作った料理をいっしょにいただくことになったのですが、それもまた楽し、です。

食後にお茶を飲みながらすごく好い雰囲気になって夢なら覚めないでと思い出した頃、彼女が、今日は家に帰らないといけないと言い出しました。
てっきり住み込みで働いていると思っていたのですが、実際、泊まることもあるものの、歩いて30分の家にだいたいが返っているのだとのことです。
だったら送るよと言ったのですが、それはダメとあっさり拒否されてしまいます。
最初、理由を教えてくれなかったのですが、なおも聞くと申し訳なさそうに次のように答え、わたしは愕然とせずにいられませんでした。
家に子供がいるので帰らなくてはならないのです。
知らない人と歩くと小さな村のことなのでヘンな噂が立ってはダンナに悪いから…。

ゴーダンのレンズでちやほやされて、旅先のわたしはすっかり自分を見失っており、彼女のひとことによって夢から現に引き戻してもらいました。
純粋無垢に見えた雲南の美少女は3歳の子持ち…。
翌々日の帰国時に、日本で待っているからと冗談メールをしましたが、返信はありませんでした。
【X-E1/Gaudin 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gaudin 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2013/07/04 Thu

Gaudin的吸引力

Gaudin 10cmF3.5
レンズ交換が面倒くさくなって、出番が予定よりずっと少なくなってしまいましたが、今回のメインレンズはこのゴーダンでした。
ゴーダンなどといっても知っている人は、世界中見回してもほとんどいないでしょう。
19世紀の写真術が始まって間もなくの写真機ですが、それに付いていたレンズも同じ名前が刻印されていました。
レンズの詳細はまた別の機会に譲ることにして、沙渓の話を続けさせていただくことにしますかが、ここでこのゴーダンが活躍してくれたのです。

沙渓は麗江とは対称的に小さくコンパクトで静かな村です。
団体が訪れることがないのはもちろんですが、麗江にうんざりしてもっと静かで人の少ないところはないかと求めてやってくる人がいるようです。
麗江からは3時間なので日帰りするには辛く、必然的にところどころ古民家が民宿に改装され、レストランに改装され、カフェに改装されて心地よい空間をつくっています。
本来の村のオリジナリティは失われているのですが、外観的にはそれほど損なわれていませんし、もともとが茶馬古道の旅籠なんかもあったはずだと考えれば、往時の雰囲気を取り戻したと考えられなくもないと考えることにしました。

麗江ではそれほど見かけなかった、あるいはいても中国人の群れに埋没していた外国人が俄然多くなるのも沙渓の特徴です。
狭い世界なので出会った人とはハーイとかハローとかニーハオなどと声を掛け合ったりしましたが、いろいろな国籍の人がいて退屈しません。
チェコ、フィンランド、イギリス、オランダ、マレーシア、それと中国の6か国の人たちと話をしました。
チェコ人は日本のデジタルカメラとテクノロジーを絶賛し、フィンランド人はラップランド出身だと言いその瞳がグリーンに輝いていたのに惹き付けられました。

8人組の若い中国人男女から、わたしのM6を見ながら、うわっライカだと声をかけられました。
ゆとりのある若者はみなカメラを持っていますし、ライカという高級カメラがあることは知っていますが、本物を見たのは初めてだとみな言います。
彼らは、それぞれひとりかふたりで旅していたところ大理でお互い知り合い、沙渓は好いところだと聞いて、じゃあみんなで行ってみようかとやってきたのだとのこと。

ひとりの女性がもうひとつのカメラにもずいぶん古そうなレンズが付いてますね、そう目ざとくわたしのゴーダンを指さすので、詳しく説明してあげたくなります。
曰く、このレンズが作られる数年前までは写真というものが存在していなかったこと、フランス人が写真を発明したものの感光するまで何分もかかるので、もっと高性能のレンズが必要でそんな中で生まれたレンズであること、そんな博物館クラスのレンズでありながら刻印が無いため誰も気付かず安く入手できたこと、しかしレンズを分解するとガラスのふちに鉛筆書きされていて来歴が判明したこと、100万円で売ってくれと言われても絶対に手放さないことなどなど。
まるで、歴史的発掘をした考古学者が、中国人学生を前に抗議するかのようでした。

狭い村のことです、この話はいつの間にか旅行者の間で広まって、その後あの話の日本人はあなたかと聞かれたり、その歴史的レンズを見せてくださいとわざわざ訪れる人まで出る始末でした。
その場でレンズをばらして鉛筆書きのところを見せるとみんな一様に驚いていましたが、そのレンズで撮影して液晶を見せると、あまりにちゃんと写るのでみな飛び上がらんばかりに驚いていました。
古いレンズで撮ると、歴史の教科書に出てくる古いボケた写真を連想するからでしょうが、その驚き方にこちらも驚くくらいです。

広州の写真協会に所属するという男性は、頻繁に雲南や貴州の少数民族の村を訪れて当地の風習を記録・研究していると言います。
興味津々で話をうかがっていると、動画撮影された歌や踊り、村の様子などを解説してくれました。
いつも記録用にデジタルを持参しているが、自分のための撮影にはモノクロを詰めたニコンのマニュアル機を使っています。
デジタルは便利でも写真の質ではフィルムにはまだまだ追いついていないからと語っていました。
その彼が、夜、お茶でもしませんか、あなたのことを話したら会ってみたいという人たちがいたのでというので応じたところ、現れたのは6人の女性たちです。
これもふたり組が3ペアで途中で合流して旅していたとのことでしたが、そのうちの旅大好きふたり組と話が盛り上がって、次回、わたしが中国に来るときいっしょに旅しましょうと誘われてしまいました。
それもこれもこのゴーダンがもたらした縁だと言えそうです。

作例はそのととき利用したカフェです。
彼らはロンドンから来たというカップルで、2か月の中国旅行の途上、ここには2~3泊するつもりとうらやましいことを言っていました。
後ろのボードにリアル・コーヒーなどと書かれていますが、中国でコーヒーはネスカフェと同義語なので、地元雲南で獲れたコーヒーを挽いて出すこのカフェのはまさに本物です。
一杯20元と高価ですが、それでも300円せず、マンゴーやパパイヤなどのフレッシュジュースは15元、フレッシュミルクが10元、手作りケーキはたったの6元でした。
窯焼きするという名物のピザもあったのですが、焼きあがるまで1時間かかるというので、残念ながら食べることはできませんでした。
【X-E1/Gaudin 10cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gaudin 10cmF3.5 | trackback(0) | comment(4) | 2013/07/03 Wed

往西蔵之道

Russar 20mmF5.6
鶴慶には2泊したので、朝一番のバスで沙渓に向かいます。
沙渓は小さな村なので直通バスは無く、県城の剣川行きに乗って乗り継ぐことになります。
地図を見ると剣川は鶴慶の真西で直線距離で30キロ、道路も50キロ程度なので1時間くらいと踏んでいました。
しかし、ビールをご馳走してくれた剣川出身のピンピンによれば、この道はバスが通れない悪路でのためかなりの回り道をするので3時間かかるとのことで、、やれやれです。

朝起きてまずはホテルに近いバスターミナルにチケットを買いに行くと、昨日9時発があると聞いていた剣川意気は、なんと今日は出ないと言います。
午後になるのかと聞くと1時だと言うので絶望的な気持ちになりましたが、剣川に行きたいなら8時の蘭坪行きが剣川を通るのでそれに乗ればいいと平然と言います。
またもややれやれですが、だったらなぜ最初からそう言わないのか理解に苦しみました。

その蘭坪行きに乗り込むと乗客はわたしをいれてもわずかに4人だったので、これでは剣川行きのバスが欠便してしまうのも仕方ないのでしょうね。
麗江や大理などの大きな町へのバスは需要があるようですが、地方の小さな町から小さな町へのバスは日本と同様に人口の多い中国でも採算が取れていないのかも知れません。
このバスですが、何と空港の脇を通って麗江で停車して剣川へ向かうルートで、5日前麗江空港から麗江に行ったのをなぞるようで、本来の少しずつ南下する予定と逆の北上にまたまたやれやれな気分を味わうことになったのでした。

バスは途中に謎の渋滞にぶつかったりで結局4時間の行程になります。
直線距離30キロに4時間とはため息が出るばかりですが、12時5分に到着すると12時発の沙渓方面行バスが出発遅れでぴったり乗り込むことができ、バスが遅れるのも悪いことではないなと思ったりもします。
1時間経たずに沙渓の村はずれにここから歩いてねと降ろされたのですが、剣川からは面包車も出ていてそれなら
村の真ん中まで行ってくれるらしいことは後で知りました。
料金はどちらも10元ですが、面包車は定員の7人が揃うまでは発車せず急ぐ場合は、空席分×10元払えば即出発してくれるとのことです(70元出せばチャーター可)。

沙渓はこのエリアに数ある古鎮の中でも、かつての茶馬古道の宿場であったことでその名を特にとどめています。
茶馬古道とは、チベットに茶を運ぶために作られた道ですが、唐代に開かれた古道はすでに千数百年の歴史があり、古道を使った交易もトラック輸送の流通網が完備する戦後まで続いていたと言います。
気候の厳しいチベットでは野菜をとることが難しく、ビタミンの補給のために当時の国王がお茶を飲む習慣を広めて国民の健康的な生活を築き上げたと言われているそうです。
チベット人のライフラインとも言うべき古道ですが、あるいは現在の中国の西域進出の足掛かりになっていたのかも知れず、チベットにとっては両刃の剣だった可能性は懸念されます。

それはともかくとして、わたしはかつて雲南や視線のチベット人居住エリアで彼らが朝からしきりにバター茶を飲み、外来のものにもどうぞどうぞと勧めているのを何度も目にしました。
なぜお茶ばかりと思ったものですが、今回の旅の関連で理由を知り、またその歴史についても知ることができて、俄然茶馬古道に興味がわきました。
雲南南部や四川西部で作られたお茶は、ほぼこの沙渓を通っていたそうで、その面影濃く残る沙渓はぜひとも訪れたい地になったのです。

かつて馬や荷役が通ったという石畳の道が残っている沙渓は美しい村です。
古民家にもずいぶんと立派な建物があって、作例はそのうちのひとつ欧陽大院という豪邸で、尋ねてみると実際に住んでいる欧陽さんという名字のおじいちゃんが家の中をじっくりと案内してくれます。
お孫さんもいたのですが、息子さん夫婦は広東に打工に行っているということでした(つまり出稼ぎです)。
失礼ながら欧陽家は茶の交易にかかわって利益を得て立派な家を建てたのだと思われますが、茶馬が通らなくなるや都会で働かなければならないという厳しい現実を教えられました。
【X-E1/Russar 20mmF5.6 F5.6】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Russar MP-2 20mmF5.6 | trackback(0) | comment(2) | 2013/07/02 Tue
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