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相機放在包裏面

M8/Voigtlander Portrait 1a 100mmF2.3
レンズの話ばかり長々と長く続けてしまいました。
熱海の梅園を離れると、ksmtさんはシュバリエとペンタックス67を仕舞ってしまい、本日の業務はほぼ終了モードに入ったかのようです。

わたしたちは、雪の残る函南の峠を越えて、沼津インターからレンタカーを西進させました。
清水まで出て、漁港そばの河岸の市で昼食をとるためです。
なにもここへ来なくても他にも美味しいところはあるのでしょうが、この後、第2の目的地由井に向うには妥当な選択です。
ところが、もう3時近いというのに河岸の市は大混雑で、食事も以前食べた時の好印象に比べてがっくりきてしまうほどしょぼいものでした。

楽しみにしていた由井の旧東海道は、それ以上にがっかりだったかも知れません。
戦闘モードから離脱したksmtさんはもちろん、まだまだ撮る気満々だつたわたしも、いかにも冬の日の夕方という寂しい気配の通りになかなかカメラを構えるチャンスはありません。
たまに撮ったところで、すっかり日が落ちた状況では、ゆるい描写の心地よさは感じられるものの、今日ずっと求めて来たソフトフォーカスの意外性のようなものは皆無です。

しかし、それでも懲りずにところどころで無駄な撮影を続けるのが、ksmtさんとの違いのようです。
往生際が悪いのですね。
由井の旧東海道は新築の家も増えてしまっていますが、古い雰囲気は十分に残っていて味わいがあり、休日の日中はかなりのハイカーが歩いているそうです。
町の古い部分は、シュバリエやペッツパールの年代にしっくりくるのですが、写真を撮って歩くと言うよりも、歩くことが目的でたまに写真もという、そんな歩き方がふさわしいところでした。


ホロゴン158さんは、名前の通りホロゴン・ウルトラワイドをメインに関西方面で活動されているアマチュア写真家ですが、その写真展が東京でも間もなく開催されます。
グループ展ということですので、ホロゴンさんの写真だけではないですが、個性的な他のメンバーの方のバラエティに富んだ作品も楽しめるので、ぜひうかがいたいと思っています。
3月3日(木)から9日(水)までの1週間、神田小川町のオリンパスギャラリーで開催されるそうです。

わたしは土日に行こうと考えていたのですが、ダブルブッキングに気付きました。
この期間、行かなくてはいけないところがあって、お邪魔できるのは8日か9日しかありません。
どうもホロゴンさんにお会いするのは難しくなってしまいました。

じつは、わたしはホロゴンさんとは面識がありません。
活動するエリアが違いますし、写真への取り組み、撮影技術とまったく違っていてお会いするきっかけすらありませんでした。
もともとMSオプティカルの宮崎さんに以前からお話は聞いていて、わたしはわたしでホロゴンさんのブログを愛読していたのですが(写真ブログなので読と書くのはまずいのかも知れませんが)、そのホロゴンさんと宮崎さんの言うホロゴン名人の方が同一人物と結び付かなかったのです。
今回、ようやくお会いするチャンスがやっとと巡って来たのですが…。

わたしの替わりに、というわけではありませんが、よろしければ、足を運んでみてください。
http://olympus-imaging.jp/event_campaign/event/photo_exhibition/110217_rara/
【M8/Voigtlander Portrait Objective 1a 100mmF2.3 F2.3】
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thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Portrait Objective 1a 100mmF2.3 | trackback(0) | comment(0) | 2011/02/28 Mon

看那里

M8/Voigtlander Portrait 1a 100mmF2.3
ポートレイト・オブジェクティブをMSオプティカルに送ってから2か月も経っていたでしょうか、ksmtさんが気にかけてくれて、EOSマウントに改造しましょうと申し出てくれました。
アダプターを介してNEX-3で使えばいいというわけです。
もちろんEOS5Dをメイン機にするksmtさんはそのまま使えるというメリットがあります。

ありがたい言葉だと思った、確か翌日のことです、MSオプティカルから荷物が届きました。
何事かと荷を解くと中にはそのポートレイト・オブジェクティブが入っていました。
以心伝心でこのレンズを返品してきたのかなと一瞬思いますが、すぐにそれは打ち消されました。
真鍮の鏡胴は途中から切断され、Mマウントがくっついていました。
マウント改造に成功していたのでした。

それがかなりの難工事だったことはひと目で分かりました。
まず、ペッツパール型の特徴であるフランジバックの短さを克服するため、後群レンズを外して、MS特製ヘリコイドにそのままとりつけてありました。
それでぎりぎりフランジバックを確保しています。

また、絞り位置から鏡胴を切断して、絞り値を設定できるようにされていたり、100mmF2.3が正確にライカに連動するようにかなり微妙なカムの加工がなされたりしているのが分かりました。
後群を埋め込んだ関係で、最短撮影距離は2メートルになっていましたが、ポートレイト撮影ならそれで十分です。
とにかく、すごいレンズが手元にやって来たのでした。

このレンズを試すのなら、いつものスナップよりも、できればポートレイトを撮らなくてはと思っていたところ、以前にも書いたとおり、ksmtさんがシュバリエを入手してやはりポートレイトを撮りたがっていると分かり、このジョイント・ベンチャー企画が行われたということです。
撮影のちょっとした失敗もありましたが、いろいろと声をかけられたり、みなさん快くモデルを引きうけてくれたりで楽しい1日になりました。
レンズが導き出してくれた楽しい楽しい日を過ごせたわけです。

昨日の作例では、ソフトレンズらしく露出オーバーで撮って背景をきらきらとさせましたが、それ以上にダイナミックなボケと手などのソフトな表現と全身のシャープな描写という相容れなそうな3つの特徴が同居した楽しさが描き出されています。
しかし、長躯清水まで移動して食事してからやってきた今日の油由井の作例では、日が傾いてきたため。微妙にソフトなそつのない写りの古典レンズのような描写になってしまっているのです。
この掴みどころのなさが、じつに愉しくて、19世紀レンズを使う喜びを味わわせてくれています。
【M8/Voigtlander Portrait Objective 1a 100mmF2.3 F2.3】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Portrait Objective 1a 100mmF2.3 | trackback(0) | comment(0) | 2011/02/27 Sun

不像Thambar

M8/Voigtlander Portrait 1a 100mmF2.3
わたしは、古いレンズが大好きで、19世紀の歴史的なレンズを中心に集められないものかと画策しています。
インターネット普及の恩恵でレンズ探しは以前とは比較にならないほど楽になりましたが、それでも蒐集は遅々として進みません。
シネレンズの価格が高騰したおかげで、19世紀のオールドレンズたちは安く感じられるくらいなので、値段の問題ではありません。
ライカで使いやすい50mm~90mmくらいの焦点距離のレンズがほとんど見つからないからです。

もともとこれらオールドレンズには、焦点距離の記載そのものがないケースがほとんどです。
良心的な売主は、記録をあたったり、蛍光灯の光が結像する位置などから計測するなどして、おおよその焦点距離を記載したりしてくれています。
しかし、それを読むと短くても127mmや150mmくらい、大方が200mm以上の大きなレンズになってしまいます。

結局19世紀のレンズでライカマウント化まで成し遂げたのは、ダルマイヤーのペッツパール114mmF3.6とロスのAダプレット100mmF11の2本だけで、前者は1861年、後者は1875年の製造です。
その次はもう20世紀に入ってしまって、ツァイスのアナスティグマット90mmF8の1902年ということになります。
1920年代に入るとライカとコンタックスが発売されるし、オピック、エルノスター、ゾナー等各タイプが発展するのでレンズ数は飛躍的に増えるのですが。

以前、わたし自身が計画したように、焦点距離が150mmを超えたとしても簡単なマウント化により、少なくともNEX-3などのライブビューカメラでは使用可能になります。
NEX-3を購入した当初は、すっかりその気になって5inchと書かれたレンズをいくつか買ってみたりしましたが、5inchをNEX-3に付けて35mmフォーマットに換算すると200mmほどになります。
小さな液晶のライブビューで、200mm相応レンズを見てもプレプレになつてしまい、フレーミング困難です。

それでもレンズたちが個性的な表情を見せてくれれば、苦労して撮影した甲斐もあろうというものですが、現実にはウナーもセロールもアドンもターナーライヒも似たりよったりの写りで、挑戦しようと思うと同時に挫折感が襲ってくるのが現状です。
この企画には、もうひとつアイディアを重ねる必要を感じています。

そんな折に発見したのが、このフォクトレンダーのポートレイト・オブジェクティブ1a100mF2.3というレンズでした。
きんぴかの真鍮鏡胴ですがシリアル番号を見ると1900年製と割合新しいことが分かります。
ただ、説明では、3群4枚の典型的なペッツパールタイプとあり、昨日も書いたようにペッツパールはもともとフォクトレンダーが発売していたものなので、その後継レンズがどんなものかも気になりました。

ポートレイトと名前が付いているだけに少しソフトな描写をすることも記載があります。
F2.3というのはずいぶんと明るく進歩したスペックですが、このレンズには虹彩絞りが付いていますし、何しろ100mmという焦点距離なら、MSオプティカルの技術があればライカマウント化も可能だろうと信じて購入に踏み切りました。

100mmF2.3のソフトフォーカスレンズと言うと、90mmF2.2のタンバールを連想します。
後年のライツに何かしら影響を与えたのではと想像し、いつの間にか同じくらいのサイズのレンズと思いこんでしまっていたのですが、到着したレンズはタンバールより2~3まわりでかくて、ズマレックスを2倍近い長さにしたようなサイズでした。
これは偉いことになったかもなあとひとりごと言いつつ、MSオプティカルへ郵送しました。

翌々日、MSオプティカルから電話が入ります。
第一声は、スゴイレンズを見つけましたねえ、だったと記憶しています。
そして、次の言葉は、でも、これをライカにするのは無理じゃないかなあ…、でした。
がーん、恐れていた返事が帰って来てしまった、無理な買い物をするからこうなるんだ…。
ただただ、反省するしかありませんでした。
【M8/Voigtlander Portrait Objective 1a 100mmF2.3 F2.3】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Portrait Objective 1a 100mmF2.3 | trackback(0) | comment(4) | 2011/02/26 Sat

他的失敗

M8/Voigtlander Portrait 1a 100mmF2.3
キングスレークは、シュバリエのフォトグラフ・レンズを性能はそれほど良いものではないとこきおろしています。
それゆえにペッツパールとの競争に敗れたと断じてもいます。
本当にそうだったのだろうか、ksmtさんは国民産業振興協会の審査では勝利しながらも、商業的に振るわなかった理由を探るべく、このレンズをEOS5Dだけではなく、ペンタックス67まで持ち出して探求を始めます。

キングスレークも、シュバリエのフォトグラフ・レンズを今ではほとんど残っていないと記載していますが、そのわずかに残った1本を見つけ出して撮影までこぎつけたksmtさんの探求心、ここに極まれり、です。
そして、性能はそれほど良くないと断じたキングスレークに、疑問を呈します。
それまでメニスカスの単玉か貼り合わせの色消しレンズしかなかった時代に、飛躍的にスペックの向上したレンズが登場したのです。
写りも想像以上にシャープで解像力が高く、何よりボケが個性的で楽しいです。

ペッツパールは、恐らくよりシャープで解像力が高いのでしょうし、F値はより明るく抜けの良さは現代レンズ並です。
審査が何を基準にしていたかは分かりませんが、人物用レンズの良否を判断したのだとすれば、写された側からすればシュバリエに軍配が上がったのも無理ないことなのかも知れません。
何しろ、それまでみんな写真なんてものを見たことがなかったのですから。

それでは、どうしてシュバリエのレンズは売れずに、ペッツパールは商業的に成功を収めることができたのかとの疑問が起こります。
ペッツパールの性能があまりにも良かったということはあるでしょう。
しかし、キングスレークの本を読むと、謎を解く鍵が示されているように思えます。

ペッツパールは人物用のレンズを設計すると、同じウィーンの友人フォクトレンダーに製品化を託します。
あまりにも有名な円筒型のカメラが製造されたりするのですが、やがてふたりの間には金銭トラブルが発生してしまい、ペッツパールはフォクトレンダーを離れてディーツラーにレンズ製造を委託します。
しかし、フォクトレンダーはまんまとペッツパールのレンズの製造を継続してしまいます。
ペッツパールの特許はオーストリアでしか申請しておらず、ドイツのブラウンシュバイクで製造したフォクトレンダーのペッツパール・レンズには力が及ばなかったからだとのことです。

ドイツのフォクトレンダーのみならず、シュタインハイルやブッシュが、イギリスではロス、ダルマイヤーが、フランスではエルマジー、ジャマン・エ・ダルロー他が、スイスではズーターが、アメリカでもハリスンやホームズ・ブース・アンドヘイドンズが次々とペッツパール型のレンズを製造販売し始めます。

一方のシュバリエは、祖父の代から望遠鏡や顕微鏡の設計製造もする販売店です。
プラチナメダルを取った労作レンズを、きっと各国の特許でがちがちに縛ったことでしょう。
自信満々に販売に望んだものの、恐らくはより安くていろいろな国で販売され、性能もよいとの評価が高かったペッツパールのレンズに歯が立たなかったのに違いありません。

大学教授だったペッツパールには、たかが写真レンズがこれだけの世界的広がりを見せるとは想像もできなかったのでしょう。
ペッツパールがもし、利に敏い人物だったならレンズの発展史はずいぶんと違うものになっていたはずです。
光学機器メーカーがこれほどまでに林立しなかったかも知れませんし、ペッツパールを凌ごうと各社が設計にしのぎを削ってレンズは19世紀半ばにして急速に発展したかも知れません。

上記国家には優れた光学メーカーがその後も育ったのに、オーストリアはほとんど何も花開かなかったのも、ペッツパールがオーストリアのみに特許の足かせを作ったからに違いありません。
ペッツパールが素晴らしいレンズを設計したこととオーストリアだけにしか特許申請しなかったことが、写真レンズ史を揺籃期から一躍百花繚乱期へ飛躍させたかのようです。
やはり、シュバリエはわき役で、レンズ史はペッツパールを中心に動いていたということなのでしょう。
【M8/Voigtlander Portrait Objective 1a 100mmF2.3 F2.3】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Portrait Objective 1a 100mmF2.3 | trackback(0) | comment(3) | 2011/02/25 Fri

銀牌鏡頭

M8/Voigtlander Portrait 1a 100mmF2.3
シュバリエのフォトグラフ・レンズは、キングスレークの"写真レンズの歴史"の第3章「人物用レンズ」に紹介されています。
おもしろいのはレンズそのものよりも、エピソードの方です。
カメラが生まれた直後の1840年頃、すでに今日のレンズ発展史の端緒が表れていたことにも驚かされる話です。

ダゲールの写真術を後押しするかたちで、フランスの国民産業振興協会が、レンズのコンペディションを行うと発表しました。
そこで優勝候補となったのが、地元フランスのシュバリエのフォトグラフ・レンズでしたが、アウェーのウィーンから恐るべき対抗馬が現れました。
ウィーン大学教授のペッツパールです。

ペッツパールのレンズ開発については、以前にもキングスレークの本から転載しましたので、今回は触れません。
ペッツパールのレンズは1841年に完成して、いよいよ審査が始まりました。
選考委員会はかなりの長時間をかけて両者を比較したそうです。
そして、結果はペッツパールは銀メダル、シュバリエがプラチナメダルとなりました。

ホームタウン・ディシジョンということは多分にあったかも知れません。
祖父の代から顕微鏡や望遠鏡など光学機器を扱っていたシュバリエが、レンズに初挑戦の高等数学者に打ち勝ったことになります。
しかし、キングスレークは次のように記述しています。
「時代はペッツパールに味方し、1950年までに、ペッツパールのレンズは8000本近くも売れたが、シュバリエの方はまったく忘れ去られてしまった」…。

じつは、今回わたしが使っているフォクトレンダーのポートレイト・オブジェクティブ1aというレンズはまさに、ペッツパール・タイプのレンズになります。
ただし、年代はずっと下がり、1900年頃の製造のもののようです。

本来なら1840~50年代のフォクトレンダー制のペッツパールで、ksmtさんのシュバリエに対抗したかったのですが、その年代でライカに距離計連動で使える程度の焦点距離の短いレンズを見つけられていません。
100mmF2.3というスペックは明らかにずっと後の設計だろうと想像つくものでしたが、きんぴかの進駐鏡胴が美しく、F2.3と高速であることもあって入手してみたレンズでした。

今日の作例は、すばらしい経緯があってモデルになっていただいた夫人とお孫さんになります。
これまでの3枚は、期せずして絞りがF2.8あたりに動いてしまってぐっと締まったように見える絵でしたが、今日の開放でもまったく問題なく優しげに、しかしシャープに被写体をとらえる優れたレンズだと理解できます。
わたしがアンダーぎみな作例になってしまったので単純に比較はできませんし、シュバリエ対ペッツパールと言っても諸条件が違いすぎるので、当時の審査結果を云々するという意味でもありませんが、史実を歪曲して現代に蘇らせたなどと冗談っぽく見比べていただければと思ったりもします(ksmtさんの作例)。

梅園では、つねにシュバリエを手にするksmtのそばで、このレンズを付けたライカM8をぶら下げていたのですが、製造年が1900年と新しすぎるせいか(?)、まったく注目されることがなかったのは残念です。
シュバリエの方があれだけちやほやされていたのに、です。
プラチナメダルをとりながら、銀メダルのペッツパールに商業的成功を奪われた揚句に忘れ去られたシュバリエのフォトグラフ・レンズのまさに復興と言える1日でした。
【M8/Voigtlander Portrait Objective 1a 100mmF2.3 F2.3】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Portrait Objective 1a 100mmF2.3 | trackback(0) | comment(2) | 2011/02/24 Thu

170年前的鏡頭

M8/Voigtlander Portrait 1a 100mmF2.3
突然、熱海の梅園まで出掛けて行った理由を書いておかなくてはいけません。
いや、それは書きました。
ksmtさんがポートレイトレンズを入手したたので、わたしも新あつらえのポートレイトレンズを持って、ポートレイトが撮れる環境は梅園だと決めたということでした。

しかし、単なるポートレイトレンズということでしたらわざわざくっついて行く必要もなく、こういう展開にはなり得ませんでした。
ksmtさんが入手したのはとんでもないレンズだったのです。
ざっと検索して見つからなかった程度でこう断言していいものか悩みますが、そのレンズとは、写真用レンズ史上もっとも古い人物撮影用レンズで、それも作例まで載せて紹介されるのは、販売されていた当時を別にすれば、世界初の試みだったのです。

写真術が登場した1830年代、使われたレンズは英国の科学者ウォラストンが1817年頃設計したメニスカス単玉でしたが、色収差の問題など発明者ダゲールは満足できずに、望遠鏡レンズの製作者に設計を依頼します。
そこで1839年に誕生したのが、平凹レンズと凸レンズを貼り合わせた色消しレンズでした。
平面性が得られることになりましたが、F15とたいへん暗く、人物写真を撮るときは30分以上の感光が必要なため、もつぱら風景用レンズとしての扱いを受けます。

そこで、人物撮影をも可能にする明るいレンズが1840年頃に設計されます。
今までの色消しレンズと対称位置にもうひとつ色消しレンズを組み合わせた2群4枚で、F6という驚異的な明るさを獲得しています。
フォトグラフ・ア・ヴェール・コンビネ・ア・フォワイエ・ヴァリアーブルというとんでもなく長い名称が付けられました。
このフランス語の意味は可変焦点距離の組み合わせレンズによる写真術というレンズの性格をそのまま名称にしたようですが、あまりにも長いため設計者の名前をとってシュバリエのフォトグラフ・レンズと呼ぶことにします。

このシュバリエのフォトグラフ・レンズこそ、このたびksmtさんが入手した最古のレンズなのでした。
このレンズが設計され20年にわたって販売されたことは間違いないようですが、なにしろ170年前のレンズで、どれだけ製造され現存するものがあるのかなんて情報はどこにも出ていません。
というより、レンズコレクターでも、こんなものを対象としたり探したりという人は皆無だったのではないでしょうか。
そんな幻のレンズをksmtさんは見つけ出し、自らの手でマウント改造して、ペンタ67やeosでは即使えるようにしてしまいました。
その試写はすでにおこなわれましたが、本来の目的たる人物撮影を試みるという話を聞いて、ぜひその現場に立ち会わせてほしいとわたしはお願いしたわけなのでした。

平穏な梅園にあって、このレンズはあまりに目立ちすぎていました。
何のレンズですかと声をかけられたり、なんだあれはと目を丸くする人多数と注目の的になり続けていました。
当日、老若男女を問わずオリンパスやパナソニックのマイクロフォーサーズ機を持っている方の姿が多かったのですが、そんな小型ながらも高性能を標榜するカメラに比べて、大型ながらも低性能(?)というのは時代をせせら笑うかのような痛快さがありました。

そんな中、カメラに興味があるというまんまる顔の美少女姉妹が、なんですかそのレンズと声をかけてきました。
ksmtさんが説明し、わたしはその様子を失礼させていただきます。
せっかくだから、このレンズで撮影されてみてくださいと、モデルをお願いすると快く引き受けていただいたのは、ksmtさんの人柄によるものか、レンズのインパクト故かわたしには判断つきかねます。
【M8/Voigtlander Portrait Objective 1a 100mmF2.3 F2.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Portrait Objective 1a 100mmF2.3 | trackback(0) | comment(1) | 2011/02/23 Wed

衛冕冠軍

M8/Voigtlander Portrait 1a 100mmF2.3
昨日の写真をひと目見れば分かるように、わたしには女性のポートレイトを撮る才覚は皆無です。
スナップということならば、一瞬、よいと思った時にシャッターを切って、結果を期待したとおりであったなどということはあるものです。
しかし、ポートレイトを撮るという行為は、これとはまったくの別物のようです。

技術が優れた撮影者であれば、まったく普通に撮ればよいということもあるのでしょうが、一般的な人間がポートレイトに臨むとなると、被写体がベストになる瞬間をとらえなくてはいけないという問題があります。
何もいちばん美しい表情をした時ということである必要はなく、恐らくはファインダー越しの会話があって(無言というのも会話のひとつでしょう)、その時々刻々の変化の中で撮影者がもっとも望む瞬間を写真にしないといけないということでしょう。

そんな意識は持っていたのですが、いきなり実戦でどうにかなるというものではありませんでした。
狙いはカメラを意識したポーズではなく、自然な表情だというのは誰しも考えることで、まわりの人と会話をしているときにその瞬間が訪れるのを待ちましたが、自然に話していたり笑っていたりする表情のすべてがいいというわけではありません。
何枚か撮っては液晶確認してがっくりを繰り返した後、これは強引に連写するしかないのかとも思いましたが、そこまでして何になるのだろうとも思いなおし、結局のところで面倒になって匙を投げてしまうといういつもながらの展開になってしまうのでした。

ksmtさんには、苦し紛れにこんどモデル撮影会にでも行きましょうなどと話しては見ましたが、結果は目に見えています。
不向きなポートレイトに挑むよりは、ポートレイト風スナップというスタイルを勝手につくってしまつた方がわたしの場合マシでしょう。
現実離れした美人のモデルさんがいて、それを取り巻くようにカメラの放列が目を血走らせている。
気が付くと、自分もその中のひとり、などと考えてしまうと、わたしには不適格な世界となるに違いありません。

非常に苦しい書き出しですが、今日の作例は、この日唯一目撃した着物姿の女性のスナップです。
実はこのあと、ksmtさんがお願いして梅の下で撮影もしているのですが、これがまた、ポートレイトになりきらない記念写真になってしまい、女性の自然な美しさが表出していると思われるこちらを採用しました。

このあと、梅まつりのイベントとして一般参加によるクイズが行われたのですが、よく見ると彼女が出場しているではないですか。
俄然応援したくなりましたが、彼女は問題をつぎつぎクリアして、勝ち残りの10名ほどの中に入っていました。
すごいものだと感心していると、司会者が、この中に昨年度のチャンピオンがいると言って紹介したのが、この彼女だったのでびっくりしました。
才媛だったのですね。

さらに紹介の中で小学校4年生というので、もつとびっくりしてしまいました。
とんちんかんも甚だしいですが、わたしは高校生だと思っていたのです。
こんなことひとつとっても、被写体のことを理解できないという点ですでにポートレイト撮影は失格ということが分かります。

さてさて、クイズの方はクライマックスに向かいます。
2年連続優勝を期待しましたが、その少し前に敗退してしまいました。
おとなばかりの中ですから大善戦ですが、ちょっとだけ悔しさを滲ませていたようだったのが印象に残ります。

それから1週間後、4大陸選手権でフィギュアスケートのSPの浅田真央選手を見ました。
3回転のちょっとしたミスなどがあり満足がいかなかったのでしょう、インタビューで悔しいと抑え気味に言っていましたが、その表情はどことなく梅園の着物の少女に似ているような気がしました。
【M8/Voigtlander Portrait Objective 1a 100mmF2.3 F2.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Portrait Objective 1a 100mmF2.3 | trackback(0) | comment(0) | 2011/02/22 Tue

Missin' You!

M8/Voigtlander Portrait 1a 100mmF2.3
今日から1週間は、いつもと毛色の違う写真が続くと思います。
いや、たぶん2週間になるかも知れません。
ソフトレンズをもっての散策をして来ました。

2月13日、快晴の日曜日に、熱海に出掛けてきました。
有名な熱海の梅園ですが、目的は梅の撮影ではありません。
当日のみ、ミス熱海の撮影会が短時間あるということで、これを軸に、海鮮を味わったり、旧東海道の街並みを散策したりを企画しました。

同行したのが、いまや唯一の写友となったksmtさんです。
そのksmtさんが、歴史的レンズを入手し、それがポートレイトレンズだったのですが、わたしもそれに前後するかたちでポートレイトレンズを入手したので、それを活かすための散策をしましょうということになったのです。
ミス熱海の撮影会があるからポートレイトレンズを持ち出したわけではなく、ポートレイトレンズを使うために熱海に出向いたということを誤解なきようここに強調しておきたいと思います。

熱海の梅園には、3年前にもksmtさんと出掛けていてこれが2回目になります。
このときは家を出るときに大雪で、湘南電車で西に向かうにつれて雪が減っていき、熱海に着くころには雪の気配はなく時たましとしとと雨の降る1日でした。
歴史は繰り返すと言うと大げさですが、今回も前日に大雪があって心配されましたが、いざ当日になると好天で、また翌日には大雪が降るという、熱海梅園イコール雪、というイメージが定着してしまいます。
けっして現地で降っていたわけではないのですが…。

せっかくの3連休も、初日2日目と悪天候で、最終日のみ予報がいいとなると来訪者が集中してしまいます。
いろいろ廻るということで、熱海駅でレンタカーを借りて、開園時間ちょうどくらいに梅園の駐車場に着くと、あと数台で満車というぎりぎりの到着になりました。
電車も熱海行きの快速でしたが、中高年のグループがたくさんいて、その多くは同じく梅園までやってきたようでした。
前回が悪天候でほとんど人がなくて、今回は大混雑と、梅園では両極端な状況を体験するばかりです。

さて、今日の作例は、もういきなりミス熱海の写真です。
帽子のせいで順光では顔が影だったので、半逆光がよかったのですが、どうもピントが怪しいです。
それに開放が中心のわたしの作例群にあって、絞りレバーが動いてしまったようでいきなりF2.8からのスタートになってしまいました。

最大の目的にしてこの失敗作。
せっかくの美人の並んだショットも、紹介したかったオールドレンズの良さも、どちらも活かされません。
画面の中心で主張するかのように見える、まさに「ミス」から始めることになってしまいました。
【M8/Voigtlander Portrait Objective 1a 100mmF2.3 F2.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Portrait Objective 1a 100mmF2.3 | trackback(0) | comment(0) | 2011/02/21 Mon

講英語的小妹

M8/Heligon 35mmF2.8
もう、1~2時間もしたら帰路につかないといけないとラストスパートに入ります。
写真だって、こんな日帰り遠征をすれば、デジタルの強みで200枚から400枚くらい撮りますが、この日はまだ100枚に達していません。
枚数を撮ればいいというものではありませんが、このカウンターは歩いた距離の目安であることは間違いないところです。

そんな矢先、「あれっ、あんたもここなの?」と声をかけるおばさんがいます。
しかし、よく見ても誰だったか思い出せません。
どなたでしたっけと聞くと、同じバスに乗っていたといいますが、やはり思い出すことはできません。
それにしても人口800万の深圳から500万の梅州行きのバスに乗って、かなり手前で降りたのに、そこで数時間後に再会とはすごい偶然です。

おばさんは、わたしをこの近所の人の親戚かと思ったようですが、カメラを見せて日本から写真を撮りに来たと説明するとびっくりして、ウチでお茶飲んで行ってと強くひきとめます。
撮影に専念と考えた矢先にやれやれですが、こういう偶然は大事にしたいとくっついて行きます。

いろいろと家を案内してお茶を出し、今日はどこへ泊るのかたずねます。
わたしは、あと1~2時間したら深圳に戻らないといけないと言うと、深圳から梅州の間を撮影のために往復とは信じられないと、また驚いていました。
日本の正月を説明したり、家の中や家族で食事の準備をするところなどを撮影したりしてから、お礼を言ってまた歩き始めます。

続いて隣の家に差し掛かったところで、今度はおじさんに呼び止められました。
わたしが隣の家に行くまでのいきさつを見ていたそうで、ウチにもぜひ寄って行ってくれとわたしの手を引きます。
日本は西洋の影響で元旦に正月を迎えるが、地方では旧正月といって、この日に行事を行うところもあるようだ、とこれは何回繰り返したか分からない説明などして、出されたお茶をいただきました。

このお茶ですが、ひとくち飲んでびっくりしました。
今まで出されたお茶も烏龍茶でしたが、それらとは一線を画す、かなり高級な鉄観音です。
そまことを指摘すると、よく分かるね、さすがこんなところまでひとり旅してくる日本人だと勝手に感心されます。
ふつう、誰でもいいお茶だと気付くほどの美味しさだっただけなのですが。

今回お会いした客家の人たちは、押しなべて教養が高く話がスムーズでしたが、特にここの家ではレベルが高く、教育熱心なところがよく分かりました。
長男一家は実家を出て広州で働いているそうですが、お嫁さんは美人で日本にも旅行したことがあるようで、親日家とのことです。

小学校3年生の娘が何か言ってわんわん泣いていますが、親子の会話は客家語のため聞き取れません。
すると、このお客さんは日本人で英語もできるから英語で会話しなさいと娘に命じているようです。
娘はぱっと泣きやんで、むナイス・トゥ・ミート・ユーなどと少しぎこちなくしゃべりだしました。
わたしも名前や年齢を聞いたり、初歩的な会話をして、わたしを連れて来た家の主であり、娘のおじいさんでもある潘さんに、彼女の英語力はすばらしいと褒めてあげます。
おじいさんは、もう嬉しくて嬉しくて仕方ないという風に顔を崩しています。

そうこうしているうちに、2種類のスープが出てきて、客家で正月に飲むものだといいます。
最初の黄さんの家でも伝統のスープを飲みましたが、まったく違うものです。
ひとつは塩味でしたが、もしかしたら塩漬けで干された豚肉から出汁をとっているのではと思われるふくよかな味で、もうひとつは野菜を長時間煮込んだことがすぐ分かる淡泊ながらもヘルシーな味わいで、どちらもたいへん美味しいものでした。

もうちょっとで夕食の時間だが、スープならおなかに来ないだろうし昨日のものを温めなおしてくれたのだといいます。
そして、このあと食事して、部屋も準備したので泊って行きなさいと、何十分か前に会ったばかりで、どこの馬の骨とも知れない外国人に対するとは思えない言葉をくれます。

せっかくのお話ですが、どうしても今日戻らなくてはなりません。
正直に告げると残念がっていましたが、それなら、また近いうちに今度は泊りで遊びにくるよう、半ば命令口調で言ってくれます。
こういうところが彼らのホスピタリティなのでしょう。

さて、もうそろそろ帰らなくてはいけません。
何かお礼をしたいところですが、日本から持参した飴はとうの昔に配りつくしてなんにも残っていません。
できることといえば、せっかく親戚一同集まっているので、それを記念撮影してあげることくらいです。
これは、かなり感謝してもらえましたので、ぜひ次回泊りで来る際に、少し大きく伸ばして持参することにしましょう。

おじいさんの弟さんがバス停までバイクで送ってくれると言います。
そのバイクにまたがると、ちょっと会話しただけでおじいちゃんにベタ褒めされてすっかりご機嫌だった娘さんの顔が曇って、すぐ帰ってしまうことにまた泣き出しかねない雲行きです。
それを捉えた1枚が梅州最後の写真になりました。
高速を走るバスの中に乗り込んだとき、そういえばと思い出してM8のカウンターを見ると、どうにか100枚は超えているのが分かりました。
【M8/Heligon 35mmF2.8 F2.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Rodenstock Heligon 35mmF2.8 | trackback(0) | comment(0) | 2011/02/20 Sun

春節的習慣

M8/Sonnar Grau 5cmF1.5
春節は中国のお正月ですので、春節ならではの行事や、春節に食べるお祝いの食事などがあるようです。
ただし、広い中国のことですから、それらは一様ではなく、地域によって特色があるようでした。
先日の貴州省の旅で聞いたところでは、彼らは春節にもちつきをするというのがありました。
これは、日本の正月と同じですから、どこかに関連があるのでしょう。

広東の人は春節に麺を食べるということでした。
これも理由は、長い麺を食べて長生きするということのようで、日本の年越しそばと同じルーツではないかと思われます。
よく紹介されるのは、春節に餃子を食べることで、あらかじめひとつだけ中にお金を入れておいて、それを食べた人はその年お金に困らないというのがあります。
北方を中心に広い地域で行われている習慣ですが、日本ではあまり聞かない話です。

今回の旅であった、湖南省の人や客家人は、彼らの伝統食を食べるようでした。
食事の内容は違いますが、中国では余と魚の発音が同じことから春節に魚を食べて余裕ある生活を願うのと、日本のおせち料理で鯛をめでたいと言って食べるのは似ていなくもありません。
また、冬場ということで保存食を口にする機会が多いのも、彼我のお正月の共通点と言えるでしょう。
客家の家では、作例写真のように豚肉や魚を干しておいて調理に多用するようです。

習慣ということでいえば、春節に爆竹は切っても切り離せないアイテムになっています。
本来中国では爆竹が禁止されているのですが、そこは新しい年の始まりということで当局も多めに見ているようです。
毎年のように爆竹が暴発して死傷者が出ていますし、何年か前に爆竹製造工場が爆発して強制労働させられていた小学生が犠牲になったという痛まし事故が報道されたこともあります。

もうひとつは花火です。
これは春節二日目に上げるとか決まっているのか、梅州からの帰りのバスの中で花火を打ち上げているのをイヤというほど見ました。
個人レベルでできる花火ではなく、花火大会のように打ち上げているのを2時間ほどの間で30箇所くらい(!)です。
中国全土で一体どのくらい行われたのか、おそらくギネスものの件数に違いありません。

他にもわたしのような旅行者では知り得ない春節らしい催しはたくさんあったに違いありません。
最後にひとつだけ、わたしも体験した、あるいはさせられた春節の習慣を紹介します。
お年玉です。
中国では入れ物の名前で紅包と呼んでいます。
紅包には、袖の下とか賄賂のスラングとしての意味もあるので、役人の前では使わないほうがいい単語になるのかも知れません。

さて、紅包ですが、わたしはそういう習慣があるのは知っていましたが、すっかり忘れていました。
深圳2日目の夜、ひとりだったわたしは、よく行く四川料理のレストランへ入りました。
そのときに紅包ちょうだいとせがまれたのです。
その従業員の女の子は二十歳くらいですが、安月給でアルバイトしているので顔馴染みであればチップに毛が生えた程度の間隔で紅包を渡すのがいいようです。

経理の女性に聞くと、香港人などは10元とかせいぜい20元とか渡しているということでした。
じつはこの女の子ちょっと可愛くて、お茶を出してくれたりなど気が利くところが多々あるので、特別だよなどと言って50元手渡しました。
少女が客家で、その日お世話になった客家の皆さんへの感謝を込めたという意味もあります。

彼女が大喜びだったのは言うまでもありませんが、興奮のあまり、他の従業員にもこんなにもらったと言い放っているではありませんか。
制止すれど時すでに遅し。
女の子たちがいっせいにこちらにやって来てしまいました。

いや、あれはみんなで分けてと言って50元渡したんだと、もっともらしくウソをついて他の子たちには10元ずつに減額しました。
それでもみんな喜んでくれるのが嬉しいです。

実は、もうひとりだけお気に入りの女の子がいて、その子に対しても絶対に口外してはダメだよと懲りずに50元渡しました。
翌日も同じレストランで食事しましたが、全員がこちらに来て丁寧にあいさつしてくれて、わたしは完全に店のお得意さん状態でした。

特に例の美少女ふたりの対応は完ぺきで、洗杯(食前にお茶で食器や湯飲み、箸を洗う広東独特の習慣)はしてくれるし、ビールはひとくち飲めばすぐに注ぎに来てくれます。
紅包には、袖の下という意味もあることを、あらためて思い出させてもらいました。
【M8/Sonnar Grau 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Sonnar Grau 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(2) | 2011/02/19 Sat

他説得非常多

M8/Sonnar Grau 5cmF1.5
潘さんの家を辞して、歩き始めました。
目の前に田園風景が広がっています。
老夫婦が、何か野菜を収穫しているところでしたが、何でしょうか、ちょっと分かりません。
冬野菜というよりは、この時期20度前後あったこのあたりは、もっと多種の野菜をつくれそうです。

あぜ道をさらに歩いて行くと小川がありました。
雨の少ない季節ですが、かなりの流量があります。
あともう少し幅が狭ければジャンプして越えられそうですが、ライカ持って無理するのもイヤなので、迂回して狭い橋を渡りました。

川のこちら側こそ古建築の宝庫とも呼べるところでした。
橋から続く、車がぎりぎりすれ違えないくらすの小道の右側には、とぎれとぎれながらも建物が延々と続いています。
しかし、すぐさま今日中には見きれないだろうと観念します。
すでに3時をまわって日が少し傾きかけていましたし、駆け足で少しずつ眺めては移動というより、1軒1軒じっくり見てタイムアップになったらあきらめると言うようにしたほうが、わたし好みの歩き方です。

参観者が珍しくないからでしょうか、カメラを持って古い家を見ていると、どうぞ中も見ていってくださいと声がかかります。
そこには洗濯物が乾してあったり、調理場が丸見えだったりとかなり生活の中へ足を踏み入れることになりますが、そんなことはお互い全然気にしません。
中国の他の村ではなかなかないオープンな空気を感じます。

裏庭にかかしを発見しました。
中国に限らず、恐らくかかしは全世界中にあるものだろうと思います。
ですが、中国では不思議とかかしを見た記憶がありません。
どうしてだろうと思って、ふと思い当ったことがあります。
これはまったく根拠のない想像ですが、記憶に新しい毒入りギョーザ事件です。

メタミドポスとか言う名前だったでしょうか。
ギョーザから見つかった毒物は、日本ではすでに使用が禁止された農薬でした。
そしてマスコミは、同じ農薬が中国では普通に使われていて入手も簡単だったと報道されました。
テレビ画面に大写しにされた素朴な農民は、インタビューに答えて、こんなに効果のある農薬だから、ばんばん撒いとるよというようなことを無邪気に言っていました。

そんな田畑には、鳥すら身の危険を感じてやって来ないので、かかしを設置する必要がないということなのではないか。
とすれば、ここは無農薬とは言わないまでも、日本と同程度の安全基準を持って農薬散布されているのではと想像されます。
その証拠に、この規模では商品作物ではなく、自家消費するということでしょうから。

わたしは常々書いているように政治音痴で、世界情勢にもまつたく疎い人間です。
それでも、少し前から盛んに議論されているTPPについては、日本が参加することには絶対に同意できません。
パートナーなどと名付けられる相手国のアメリカやオーストラリアは、日本とはケタが2つくらい規模の大きい農業国です。
そんな相手に対して農作物の関税を撤廃したら、あらゆるものが日本に入ってくるのはあきらかです。
ちょっと記憶が怪しいですが、何年か前、BSE感染した牛肉が入ってきて、どれが該当するものか躍起になって探したという事件がなかったでしょうか。
工業米なんていうのも、安価という理由で食用に流通した事件もありました。

あれだけの問題になっていても、ポロっと漏れて危険食品が日本にやって来てしまうし、日本国内で食用に化けて普通に売られてしまうのです。
たかが農薬漬けのコメだ野菜だなんて、どのルートで販売されたって誰も分かりっこありません。
TPP推進派の政界財界の方々は、良いところだけ取り上げて、日本農業は素晴らしいものを作っていて世界的に競争力があるのだから問題ないなどと恥知らずなヨイショをするのも情けないですね。
彼らは輸出で儲けて高価でも安全な国産の食料を手にすることができますが、安価だと言って輸入品に手を出して自ら危険を背負うのは、常に経済的弱者です。

実に不条理な事実だと思うのですが、スポンサーに支えられるマスコミがそんなことを真面目に伝えることはないのでしょう。
景気が悪い中では、何かを犠牲にしてでも経済を活性化させようとするのが世の常です。
物言わぬかかしが、そんなことを教えてくれたような気がしました。
【M8/Sonnar Grau 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Sonnar Grau 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2011/02/18 Fri

志村的建築

M8/Dallmeyer 2594 4 1/2inchF3.6
バイクにまたがること数分、到着したのは入り組んだ路地に忽然と現れた古建築でした。
黄さんが大声で呼ぶと女性が出てきて、わたしを友達だと紹介し、わたしには女性を母親だと紹介してくれました。
彼がもっとすばらしいところと言ったのは、実家だったのでした。
確かに古く立派な家ですが、自画自賛してしまうのがさすがです。

そういえば、ここへ来るまで会う人会う人に、声をかけていましたが、きっと彼は村の名士であって、幼ななじみだったり、世話になったおばさんだったり、弟分だったりで、みな親戚のように親しい間柄なのでしょう。
実家を丁寧に案内してくれたあと、用事があるので戻らないといけないと言ったとき、万一何かあれば、わたしの名前を言えばみんな知っているから助けてくれるはずだし、それでダメならここに電話をしてくれと名刺を手渡してくれました。
体ががっちりしていて短髪なので、一見すると怖い人のように見えますが、実際に怖い人なのかも知れませんが、実に世話好きで頼りになる人です。
再会の機会があることを信じたいです。

黄さんはこの家から見て歩けばいいだろうと言ってわたしを降ろして立ち去りました。
その古建築も黄さんの家とそっくりの作りです。
外観の写真を撮っているとバイクに乗った青年が来ました。
どうやらこの家の人らしく、あいさつするとよければ中を見ていってくださいと案内してくれます。

去年結婚したばかりだという奥さんも出てきて、並んで見て歩きましたが、見れば見るほどそっくりです。
その青年、潘さんは大学を出た後地元の会社に勤めているそうで、英語もできるので会話がスムーズです。
しかし、彼にゴーゴーマポを見ると面白いですよと言われて、何のことかさっぱり分かりません。
何度聞き返しても分からないわたしに業を煮やして、手を引いて彼の部屋に導きました。
それは、グーグル・マップのことで、中国から撤退したはずのグーグルは中国語風英語でゴーゴーと発音するのかとやっと合点がいきました。

グーグルマップのどこが面白いかと言えば、どんどんと拡大していってこの僑郷に持ってくると、まさしく今いるこの古建築がはっきり分かるのです。
今いるのがここ、あと同じような建物が、ここにもあそこにもと示してくれ、驚いたことに同じ形の家がざつと15以上は見てとれます。

さて、その古建築ですが、形状があまりにも特徴的です。
まずおとといの写真を見ていただければ分かりますが、正面は中国の祠堂そっくりの立派な建物と左右にふたつずつ横向きになった建物が見えます。
ちなみに、これは黄さんの実家で、木陰にいる人は、カメラを構えたらちょっと隠れてしまったシャイな黄さんのお母さんです。

続いて昨日の写真ですが、これは部分なので分かりにくいですが、家の後部は半円になっていて、中央が高く盛り上がったような立体的な形状です。
写真は、潘さんのおばあさんが、野菜などを運搬するための天秤棒を井戸の水で洗っているところです。

そして今日の作例ですが、これまた別の家なのですが、やはりほぼ同じ形状をしています。
正面前方はフラットですが、後部が弧形で尻上がりになった全体像がなんとなくお分かりいただけるのではないかと思います。
以前に紹介したことのある客家円楼は完全な円形で、多くが2階建て、3階建てになっていますが、半分はこの客家円楼とそっくりです。
僑郷の古建築は、オーソドックスな祠堂タイプの古建築と客家円楼のハイブリッド建築なのかも知れません。
東京光学のシムラー5cmF1.5レンズは、前群がダブルガウスで、後群がゾナーという構成になっていることを思い出してしまいました。
【M8/Dallmeyer 2594 114mmF3.6 F3.6】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dallmeyer 2594 114mmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2011/02/17 Thu

最后一家餐庁

M8/Heligon 35mmF2.8
村にあるレストランの最後の1軒というところで、旅が音を立てるようにして好転し始めました。
ここでも老夫婦を中心にして豪華な食事をしているのが見えたので、ダメだろうなあとすぐに分かりました。
それでもいちおう、食事できるところを探しているのですが、30分も歩いているのにどこも開いてなくて、と言い訳がましく春節で盛り上がっているに違いない店主と思しき人に話しかけました。

しかし、ここでも、御覧の通り親戚一同食事中なので、申し訳ないが料理を作れないんだとの返事でした。
空腹なので簡単なものでもいいのでお願いできないかと言うと、麺くらいならと引き受けてくれ助かりました。
すすめられるままにテーブルのすみに空いていた椅子にかけると、その中の親戚から何やら話しかけられます。
広東語でしょうか、まったく聞き取れないのでそう言うと、香港人なのかと思ったのにと、今度は中国語の普通話しに切り替えてくれました。

わたしは中国各地をひとりで旅していても、まず日本人だと思われることはありません。
辺境が多く、そんなところを外国人が歩くことは少ないので当然ですが、背が高いので東北人かと言ってみたり、ここいらでは見ない感じだから新疆人だろうと尋ねてみたり、服装を見る限りシンガポールの華僑だなと断定されたりでいろいろな説が飛び出し楽しませてもらいます。
普通話の発音の怪しさから、香港人と思われることもしばしばですが、今回は、香港人口の何割かを占める客家の人が故郷を訪ねて来たと思われたのだろうと分かりました。

はい、わたしは香港人ですとウソをついても面白いかも知れませんが、ここは正直に実は日本人でと答えました。
すると、その瞬間、あちこちでざわざわと話をしていたテーブル全体がシーンとなるのが分かりました。
むかし、日本兵に撃たれたと足をひきずる老人にあったことがあるので一瞬ひるみましたが、反応はまったく逆でした。
よくぞ来たと握手をもとめる人、いっしょに飲もうと酒のグラスをわたしてくれる人、ただ目を丸くしてこちらを見る人とさまざまでしたが、異口同音になぜこんなところへ来たのかの質問攻めに変わります。
突然梅州まで来たことを説明し、なかなか食事にありつけなくてと笑うと、主人の奥さんと思われる人が厨房に飛んで行って、わたしの麺を中止にしてしまいました。
せっかく来たのだからわたしたちの伝統料理を食べてくださいと、数皿出してくれたのでした。
恐らく、夜用に作って置いた料理の一部を温めてくれたのだと思います。
客家の豆腐を除くと、どれも初めて食べるものばかりでした。

彼らの歓待振りはたいへんなものでした。
客家の人たちはよく客をもてなすからわたしたちは客家と呼ばれるんだと冗談っぽく言いますが、遠路はるばるやってきた外国人だからということがあるのでしょう。
また、客家の人は特に親日家が多いと言われていて、敗戦後の復興や工業技術、最先端テクノロジーなど努力して築き上げた地位を自分たちの手本としたいと感じているようにとらえることができます。
それと、おめでたい春節に日本人が来た、今年はおめでたい1年になるぞというようなニュアンスもあったのかも知れません。

しばらく、食事しつつ、お酒もいただきながら、いろいろな話をしていましたが、申し訳ないが時間がなくあまり
ゆっくりできないと説明すると、店主の黄さんが、それならわたしが僑郷村を案内しようと買ってでてくれました。
バイクを出してきたので、ありがたくそれにまたがって僑郷村を目指すことにします。
食事代を聞くと、あれは親戚で食べるために作ったものだ、おまえも親戚のようなものだから金なんていらない、と頑なに受け取り拒否です。
支払いをあきらめてバイクにまたがると、黄さんのふたりの娘が「さよなら」と日本語で手を振ってくれました。
あいさつ程度の日本語はみんなよく知っているとのことで、親日家振りを垣間見ることができました。

まず最初に着いたのが南華蘆という古建築で、これは赤いちょうちんがずらっと並んだおとといの写真の建物になります。
入口に入場券を売る老人がいましたが、黄さんがこれはオレの親戚だからといって入場料をパスさせてしまいました。
そしてみずからガイドに立って細かいところまで丁寧に説明してくれます。
この建物は南口鎮を代表するもので、子供のころからなじんでいるのでとたも詳しいのだそうです。

今朝、本来は別のところへ行くはずが、調査ミスから急遽この村にやってきて、物乞いのようになんでもいいから食べさせてと入った店の人に、ひとかたならぬ親切で接してもらえる。
わたしは、再びまたがった黄さんのバイクの後部座席で、旅の幸運に感謝しないではいられませんでした。
そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、黄さんはわたしを振り返りながら言いました。
次に行くのは、もっといいところだからな!
【M8/Heligon 35mmF2.8 F2.8】
Rodenstock Heligon 35mmF2.8 | trackback(0) | comment(0) | 2011/02/16 Wed

終于到梅州

M8/Sonnar Grau 5cmF1.5
10時半には梅州に着くという話でしたが、高速に乗るまで1時間消費していますので、結局11時半になって梅州市街に入ることになりました。
4時間で着くという話は本当でしたが、10時半に着くというのは最初からでまかせで、こういうことを言う運転手は信頼されるべき人なのかそうではないのか、わたしには判断ができかねます。
昔の人はよく言ったもので、「話し半分に聞け」、そうしていればなんら問題はないということになりそうです。

しかし、バスは全線高速ですので揺れもほとんどなく快適で、ずっと寝ていられました。
寝不足は一気に解消されて、1日好調で歩きまわれました。
ただ、最初の1時間は、恩平用に持参していた中国古鎮遊⑧広東というガイドを必死に繰って梅州のどこへ行くか算段を立てていました。
比較的アクセスがよさそうな僑郷というところを目指し、時間があればあとふたつあった梅州古鎮制覇も考えるということにして、深い眠りにつきます。

梅州の20分ほど手前に興寧という町があって、ここのインターチェンジで降りる人があって停車したときに目覚めました。
バスはインターチェンジ直前の路肩に停止して乗客を降ろし、荷物を受け取った客はとぼとぼと高速出口ら向かって歩いていきます。
日本でこんなことしたら違反で御用ですが、中国では一般的な光景で、わたしも2回ほどインターで降ろしてもらい、出口から料金所までかなり距離があることを実感しています。

続いて梅州西出口でバスは高速を降り、ここでは完全に一般道に出たところで乗客数人を降ろしました。
本来なら僑郷に行くわたしも降りなくてはならなかったのですが、事前に運転手にたずねたところ僑郷方面のバスが乗れるところで降ろしてやるからと言われ状況に気づいていませんでした。

引き続き停車したのがそこから数分のガソリンスタンドで、おもむろに給油が始まりました。
そこにはタクシーが客待ちしたりしているので、あらためて運転手にタクシーで僑郷まで行ったらいくらくらいかなどと話しかけたところ、あっ、おまえ僑郷に行くんだっけと思い出す始末で、ここからタクシーでもバスでも行けるぞと不親切な回答です。

あわててタクシーと価格交渉すると、バスの運転手は30元くらいじゃないかと言っていたのに、このタクシーは70元だと抜かします。
ふざけるなとドアを閉めると、通常じゃあ60元でどうだと言ってくるはずなのに反応がありません。
あるいは、またバスの運転手が適当なことを言っていて70元は妥当なところなのかなとも考えなおします。

そこへ、白タクがやってきます。
価格を聞くと50元だと言います。
30元で行けると聞いたがと確認すると、いま春節なので50元でないとダメなのだと言い張りました。
じゃあ40元ではどうかと値切るとあっさりOKだと言います。
やつぱり30元が相場なのか、じゃあ最初のタクシーの態度はなんだったのかと訳が分からなくなりました。

僑郷村がある南口鎮に入ると、運転手は僑郷には食堂などないので、このあたりで食べたほうがいいぞと教えてくれました。
なるほど南口鎮から僑郷まで歩いても10分ほどですし、梅州方面に戻るにはここからバスに乗れともアドバイスしてくれます。
指示にしたがって、鎮内で昼食をとることにしました。

タクシーを降りて歩くと、なるほど南口鎮は小さな町ですが、食堂が何件かあっていきなり客家料理など期待できそうです。
ところが、でした。
一見お客さんがいっぱいいるこれらの店ですが、たずねると実は春節で親戚が集まったのでみんなで食事しているが、営業しているわけではないので料理は作れないと次々と断られてしまいます。

店先に黄色い10センチ四方くらいのかたまりを干すように並べている店があって、これは何か食べ物のようだと店の人に尋ねると何とか豆腐(よく聞き取れず)と言って春節に食べる客家の伝統食だということで、これをいただきました。
たったの1元(約13円)で、飢えは若干しのげましたが、このまま他に食べずに歩くのも辛いところです。

歩いていた女性にレストランとかないのか聞くと、あちこちにあるじゃないと笑われました。
いや、どこも営業してなくてと事情を話すと、前方を指差してあの先にも2~3軒あるので行ってみて、見つかるといいわねと励まされました。
そこまでたどり着くと、前方に○×飯店と大きな看板が見えて心躍る思いです。
ですが、ああ、ここはシャッターが下りしまっています。
もう食事はあきらめるべきなのかも知れないと考えるようになりました。
【M8/Sonnar Grau 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Sonnar Grau 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2011/02/15 Tue

去恩平還是梅州

M8/Sonnar Grau 5cmF1.5
昨日で旅の前半は終り、今日から後半をスタートさせます。

大鵬から戻った翌朝、早起きして、深圳から少し遠征に出かけるつもりです。
以前に紹介したことのある広東省唯一の世界遺産開平の先に恩平という町があって、そのはずれにある鄙びた古鎮がかなり魅力的に思えました。
開平まで3時間近くかかったので、恩平まで3時間半というところでしょうか。
かなりの距離ですが、春節休暇でバスや道路は空いているはずですので、この機会に出かけることにしたのです。

恩平行きのバスは何本もありますが、時間がかかるのでなるべく早いバスに乗ろうと調べると、龍崗バスターミナルの7時20分発がいちばん早いことが分かりました。
しかし、龍崗へ行こうと地下鉄始発駅の草埔に着いたところ、朝早すぎたようで悲しいことに扉は固く閉ざされていました。
長距離バスの時間を調べておきながら、地下鉄の営業時間をチェックするのを完全に忘れていました。

路線バスが通りかかったので、聞きますが、バスターミナル方面へは行くのはないようです。
かなり高くなりそうだがタクシーしかないかなあと考えていたところ、こんなに朝早いのに長距離バスが到着します。
これが恩平行きならこんなに素晴らしいことはないですが、もちろんそんな幸運はありませんでした。
それでも、まだ不運とばかり言えなかったのは、バスが梅州行きだったことです。

梅州は恩平とはまつたくの方向違いですが、じつはいつか行ってみたいと考えていた町でした。
梅州出身の知り合いがいて、実はもう何年も前にその人の実家に行ったことがありますが、その時は梅州郊外ということもあって7時間かかった記憶がありました。
そのときは、彼の親戚と有名な永定の客家円楼を見に行ったりしました。
それからだいぶ経って高速道路も整備されましたし、時間短縮されているなら急遽梅州に行き先変更も悪くはないなと思いました。

運転手に聞くと梅州まで4時間ほどだと言います。
すかさず帰りのいちばん遅いバスの時間を聞けば、7時くらいまであるとのことでした。
6時半出発ですので10時半に梅州に着いて、帰りは余裕をみて6時のバスで戻るとすると7時間以上梅州に滞在可能です。
それなら、わざわざ出かけていく意味があります。

それではとバスの値段を聞くと200元と法外な高さです。
高すぎるので断念するかと思ったところ、様子を察した運転手が春節料金で200元だが、160元に下げてもいいと自主減額してきました。
わたしは150元くらいなら乗ってもいいかと思っていましたが、運転手の弱気な態度に強硬姿勢をとることにします。
100元じゃないと乗らない、と言うと、150元で、ダメ、130元、いいや、これ以上下げられない120元、さようなら、分かった100元でいい乗れ、とにらんだ通り交渉に成功してしまいました。

しかし、公共交通機関たるバスで、料金交渉というのは不思議な気がします。
言うまでもなくこんな体験は初めてで、この後乗り込んできた乗客を注意深く見ていると、だいたいみな150元払っているようでした。
わたしに対しては最初吹っかけてきましたが、かえってそれがわたしの貧乏旅行モードのスイッチを押してしまう結果になったということのようです。
最初から150元と言っていれば、たぶん素直に支払っていたことでしょう。

さて、バスに乗り込んだのですが、バス代を安くできてラッキーと思ったのも束の間、このバスが一筋縄でいかないものでした。
バスはすぐに発車したのですが、高速に乗るまで何か所も停車して乗客待ちするのです。
皮肉なことに当初向かうはずだった龍崗のバスターミナルにまで寄って、その龍崗から高速道路に入り梅州に向け出発したのです。
こんなんでは、10時半に梅州に着くはずはありません。
【M8/Sonnar Grau 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Sonnar Grau 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2011/02/14 Mon

核電職員家吃飯

M8/Sonnar Grau 5cmF1.5
大鵬所城に着いてすぐ、古民家の脇で子どもたちが遊んでいたので、少し寄って撮影しました。
すると若い母親が出てきて、あら、ウチの子たちを撮ってるのと聞かれたのをきっかけに、休んでいってと椅子を勧められました。
休むも何もたった今着いたばかりでしたが、春節のために用意したお菓子とか出してくるので遠慮なく腰掛けることにします。

他愛もないことを話しているうちに、わたしの中国語が滅茶苦茶なのが分かって、日本人だとばれてしまいました。
すると、奥で親戚と麻雀していた旦那を呼び出し、夫婦で遠いところよく来なさったのように言って労をねぎらって(?)くれます。

今度は、彼らの言葉がちょっと変なのに気付きました。
あなたたちは地元ではないのですかと聞くと、湖南省から来ているのだと答えます。
よく聞いてみれば、客家人の伝統的な囲屋である大鵬所城に住む人の過半数は、湖南や四川など外地から来ている人なのだそうです。
深圳市街地には、出稼ぎにやってきた外地人がたくさんいますが、こんな辺鄙な土地にどうしてかと問えば、多くの人が近くにある原子力発電所に勤務しているとのことでした。

深圳に原発があるのは知っていましたし、来る途中のバスから「核電」の文字が見えましたのでうすうすこちら方面にあるとは感づいていましたが、ここからバスで10分ほどと聞いてちょっと驚きました。
安全性の問題等聞いてみましたが、まったく問題ないし、創業から無事故だと胸を張っています。
安全基準が緩いのではとか、秘密主義国家で信用できるのかなどと言っては怒らせてしまうので、それ以上突っ込むのは差し控えました。

春節用に湖南料理を作ってあるのでよければ食べていってと言われ、いちおうはお断りしつつも、強く押されていただくことになりました。
カモ肉や川魚、地元の野菜などはすべて実家から送ってもらってつくったという料理は、いずれも初めての味で、湖南らしく辛いものばかりでしたが、レストランでは味わうことのできない美味ばかりでした。
お節料理のような華やかさは皆無ですが、年一度の行事に伝統料理を食べて、故郷のことをしのぶのでしょう。
わたしも、広東にいながらにして、湖南の春節を舌で感じることができました。

さて、それから大鵬を歩き始めたわけですが、ひととおり廻って、また帰る前にもういちど子どもたちの写真を撮らせてもらおうと寄ってみることにしました。
ちょうどお母さんと娘がなにやらやっていて、どうぞ撮っていってくださいと再訪を歓迎してくれます。

遠慮なく撮影していると、お母さんがたらいを使って娘の頭を洗ってやっているところでした。
古い建物なので内部にシャワーがなくて外で洗うのかも知れません。
活発だった女の子がママのいいなりで頭を洗われている姿がユニークでこれも撮ろうとすると、娘は気付いて嫌がるかと思えばこちらを見てVサインを送ってきます。

洗い終えると、なんとお母さんが子どもの服を脱がせにかかりました。
客人の前で、それ以上に多少引っ込んだ場所とは言え、観光客の目につくところで体を洗い始めました。
いくら6歳の子どもでも、一糸まとわぬ姿でVサインされて、それを撮るわけにはいきません。
誤解を避けるためにカメラをバッグの中に仕舞うことにしました。

ぜひ夕食も食べていってとお誘いいただきましたが、残念ながら夜は別に約束があって辞退せざるを得ません。
4回目の大鵬所城訪問で、もう来ることはないかも知れないと思っていましたが、新しい友だちができて、再々々々訪の楽しみができました。
次回は、夕食をごちそうになりに写真と日本酒でも持っていくことになるでしょう。
【M8/Sonnar Grau 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Sonnar Grau 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(1) | 2011/02/13 Sun

灰色的脳細胞

M8/Sonnar Grau 5cmF1.5
2年前、夜遅くに帰宅して、いつものように何とはなしに某オークションサイトで掘り出し物レンズを探していると、微妙な変化があることに気付きました。
長らく欲しいと思いつつも価格の高さから手を付けずにいたレンズが、どういうわけか値下げされていたのでした。
確か半額近くと極端な下がり方だったので、何かの間違いだったかも知れません。
しかし、間髪入れずに"Buy it now."という即決ボタンをクリックして、手続きを進めていくと、そのレンズは遠くドイツから極東の地までやって来たのでした。

それは、アリフレックス・マウントのゾナー5cmF1.5で、鏡胴全体がグレーペイントされていました。
詳しい解説はありませんでしたが、製造番号を調べて1941年製造だということが分かっていました。
戦時中のグレーペイントと言えばライカⅢcの陸軍仕様のものがあり、このゾナーも陸軍用のアリフレックスに装着されていたものではないかと想像が膨らんでいきました。

そうは言ってもなんら根拠のあることではありません。
実を言えば、このレンズを売っていたドイツのショップ自体が胡散臭いカメラやレンズの宝庫だったので、普通のアリフレックス・ゾナーがたまたま1941年製だということに気付いて、わたしみたいに想像逞しいおっちょこちょいが食いつくに違いないと思ってグレー塗装して高価に売ろうとしたが、売れないので安くしてみたということあたりが真相かも知れません。

それを裏付けるかのように、レンズにはしっかりしたマルチコーティングが施されていました。
ツァイスがマルチコートを始めたのがいつのことか調べていませんが、1941年製造の玉には見えません。
描写も当時のレンズとしては、あまりにすっきりした写りで、少なくともイエナ時代のコンタックス用ゾナーとは大差がありそうです。

念のためレンズ研究の大家であるksmtさんに、シリアル番号を確認いただきました。
シリアル番号からは、300本のロットで、1939.8.15から1942.11.19までArriflexに出荷との記録が残っているようです。
それ以上のことは分かりません。
以下は、根拠なき想像で、300本中数本がHeer、つまりドイツ陸軍に納入され、民生用と分けるためにグレー塗装された。
偵察等の目的にも転じられるよう、解像力を高めるため硝材の変更等大幅な改良がおこなわれた。
また、世界初のマルチコーティングが試みられ、著しい効果をあげた。
かなりの手前味噌ですね。

5cmはアリフレックスのような35mmシネカメラでは中望遠に相当します。
だからというわけではないでしょうが、作例では、古民家の連なりが望遠の圧縮効果のような奇妙な写りになっています。
戦争を写したレンズというより、中国の何気ない日常を撮った映画のレンズという方があっているように思います。
【M8/Sonnar Grau 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Sonnar Grau 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(2) | 2011/02/12 Sat

悠閑的瞬間

M8/Sonnar Grau 5cmF1.5
歩きっ放しだったので、少し休憩したい気分です。
昨年訪れた時は、「茶」のクラシックな看板を出した店があってゆっくり休憩したのですが、この日は残念ながら扉が閉じられていました。
がっかりしてまた歩いていると、今度は正面の門のすぐそばに別の「茶」の看板を見つけました。

やっと休めると思い店に入ると、店主が出て来るやわたしを見るなりアッと声をあげています。
あなたは、確か日本人ではとたずねられました。
そうですが、どうして知っているのかとたずね返すと、去年もお茶を飲みに来たでしょうと言います。
去年わたしが利用した場所から、ここへ引っ越して来たそうなのです。
それにしても、そのとき1度だけ利用しただけなのに、よくわたしのことなど覚えているものです。
正直、わたしはこの店主のことは思い出せませんでした。

この日も1杯50円ほどのお茶をいただきました。
お茶といっても、鉄観音とか龍井のような中国茶ではなく、涼茶と呼ばれる広東省や香港などではお馴染みの薬草を煎じているようです。
薬効のような能書きがあって、漢方茶と言った方がいいのかも知れません。
自然の甘みがあって、たいへん飲みやすいお茶でした。

古い家具に囲まれながらゆっくりお茶を啜っていると、ときどきお客さんが入って来てお茶を求めていきます。
商売は順調のようだねと水を向けると、いや、そうでもないんだ、と店主は肩をすくめてみせます。
売り物が1杯50円のお茶だけではそれも当然で、100杯売れれば5000円で粗利が8割で月120000円になりますが、すごく良い日で100杯出るかも知れませんが、平日など10杯も売れず0という日だってあるでしょう。
1年前来たわたしを覚えているのが、客が少ない証拠です。
素人目にも、もっと大胆な工夫がなければ、家賃を払って赤字になるのは目に見えています。

ただ、この店主を見ていると、しゃかりきになって働いてまで儲けたいという感じではまったく無いようです。
収入がそこそこあって、日がな一日をゆったり過ごすのを好むというタイプの人が華南には多く存在するような気がします。
香港人の友人もそうで、いま小学校の先生をしていますが、40歳代にして引退して細々と商売しながら深圳に買ったマンションでののんびりライフを計画しています。
タイやマレーシアに行けばそういう志向の人はもっと多くなるでしょうから、暑い地域に根付いた考え方なのでしょう。

そんなことを考えながら清代そのままの椅子にかけていると、外を歩いていた人から写真を撮らせてくれと声をかけられました。
いいとも答える前にもう撮られて謝謝と去っていきます。
いつのまにかモデルになってしまっていたのでした。

わたしもカメラを取り出し、ぽつんと置かれた自転車を背景に通行人を撮り始めます。
作例は、左半身だけの人ですが、足が微妙に接地直前なのが気に入りました。
カルティエ=ブレッソンの決定的瞬間の写真を思い出させたからです。
雪が深々と降る今宵は、むかし買い求めた彼の写真集成を久し振りにめくりながらのんびり過ごすことにしましょう。
【M8/Sonnar Grau 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Sonnar Grau 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(4) | 2011/02/11 Fri

洗滌的事情

M8/Sonnar Grau 5cmF1.5
大鵬所城の歴史はたいへん古く、華南地域の海を守る要塞として1394年に築かれたのに始まります。
この地域に移住して来た客家は、周囲を城壁で囲い、内部に民家を建てて行きました。
アヘン戦争、第2次世界大戦と要塞としての役目を果たした後、客家の人たちが暮らす平和な村へと変わります。
遊園地などの娯楽施設しか観光資源のない深圳では、ほとんど唯一といっていい歴史的な観光名所として知られるようになります。

それでも少し前までは、訪れる人はまばらでした。
市の中心から40キロ以上も離れていて、バスだと2時間もかかったからです。
しかし、今や急行バスが出現して30分あまりで行けるようになった上、中間層以上の多くの市民がマイカーを持つようになって、大鵬あたりはちょっとした郊外の感覚になったようです。

初二と呼ばれる春節2日目ということで、大鵬所城にはかなりの人が訪れていました。
中国での観光客は、大声を出したり、自分の写真を撮るためには周囲を無視したりと、とかくマナーが悪いことに辟易させられましたが、ここではそんなこともありません。
最先端都市の深圳の富裕な市民だから、自然とマナーが身に付いているということがあるのでしょう。
経済発展のプラス面として評価したいところです。

作例の檻で囲われたスペースが何だかわかるでしょうか。
四角く穴が開いてますが、これがじつは井戸なのです。
そして、手前の人が裸足で何かやっていますが、何しているか分かるでしょうか。
井戸から水を汲んで、足を洗っている、ようにも見えなくはないですが、正解は足で洗濯物を洗っている、でした。

中国の田舎を歩いているとテレビの普及率が想像以上に高いことに驚きますが、反面、洗濯機はあまり広まっていないように思います。
ではどうやつて洗うのかと見ていると、ひたすら手で洗うという一般的に思える方法と棒で叩くというワイルドな方法、それに足で踏むというかえって逆効果じゃないのかと心配になる方法の3通りがあることが分かりました。
このおじさんはまさに3番目の方法で洗っていて、聞いた訳ではないですが、こうすれば洗濯物がきれいになって同時に足もきれいになる、一石二鳥じゃないか、わっはっは、とか思っていそうです。

ところで、この井戸は当ブログに3回目の登場になります。
中将姫光学の定番アイテムですね。
1回目に見た時は、この囲いが無くて、危険ではないか、子どもが落ちたらどうするんだと問題提起しました。
http://zunow.blog51.fc2.com/blog-entry-502.html

2回目に訪れると、囲いができて、わたしの願いが届いたと安堵しました。
http://zunow.blog51.fc2.com/blog-entry-1481.html

そして3回目の今回は、これだけ観光客が訪れるようになったのに、足踏み洗濯とはいかがなものかと不平を述べることにします。
いつ来ても話題提供に事欠かない、すばらしいアイテムです。
【M8/Sonnar Grau 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Sonnar Grau 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2011/02/10 Thu

新萌岳

M8/Sonnar Grau 5cmF1.5
昨年4月、アイスランドの火山噴火で、航空機のキャンセルが相次ぐなどの影響が出たことは記憶に新しいと思います。
ヨーロッパを旅行していた人が現地で足止めを食ったり、物の供給が滞ったりということもありました。
個人的には、
サッカーの欧州チャンピオンズリーグ準決勝で、敵地ミラノへ向かう航空便が欠航になってバス移動になったことによる疲労のため、我がFCバルセロナがインテルに大敗したということが最大の火山の影響です。

宮崎県の新燃岳の噴火でも、地元の航空便が何便か影響を受けたと報道されていました。
しかし、まさか自分が搭乗した成田-香港便にまでその影響が及ぶとは想像できませんでした。
成田を飛び立った飛行機はしばらくすると機長のアナウンスがあります。
その説明によれば、航路上、新燃岳の上空を通ることになっていたが、北に迂回せざるを得ず、また、強い偏西風の影響もあるので、定刻より40分ほど遅れるだろうとのことでした。

22時25分香港着の便で、23時ちょうどのバスに乗るとぎりぎり九龍鉄路の最終の羅湖行きに乗り継げます。
羅湖駅は、香港と中国側深圳のボーダーになっていて、下車後、香港の出国審査を受けて徒歩で中国側に入り、入国審査を受けることで深圳に到着することができます。
香港だって、もう何年も前にイギリスから中国へ返還されていますが、一国二制度の建前と中国人が大挙して香港になだれ込んでしまうことを規制するためにボーダーは残ったままなのです。

とにかく、バスと鉄路を使うのが、深圳へ入る最もリーズナブルかつ割とスムーズな方法です。
しかし、到着の遅れで23時をまわってしまうため、羅湖のボーダー通過をあきらめざるを得ません。
それでも23時30分のバスを使ってまわり道して行く手は料金的に割安ですが、時間がかかり過ぎるので、ここはダイレクトに落馬洲のボーダーを目指す、シャトルバスを利用することにしました。

シャトルバスといっても5~7人乗りのワゴン車で、このシャトルの偉いところは、香港の出国審査が車に乗ったままできてしまうことです。
ですが、価格の方もえらい高く、先述のバスに比べると4倍くらいかかってしまいます。
長旅で疲れているし、夜中でもあるので、まあ、仕方ないでしょうなどと自分に言い訳して、安易なシャトルバスコースで深圳に向かうことにしました。
最初に書いたとおり、これも新燃岳の影響なのです。


さて、今日の作例ですが、大鵬所城では毎日2回、表演が行われていて、女性陣の踊りを撮影したものです。
客家の文化を伝える表演という触れ込みでしたが、彼女たちの手にしているのが客家の涼帽という伝統的な帽子を使っているなど確かにそういう部分もあったものの、見ていてなにが客家なのかはちんぷんかんぷんでした。
女性たちの一糸乱れぬ動きは、むしろ北朝鮮を連想させてしまい、不快感さえ感じました。

せっかくだからという程度にシャッターを切っておいたのですが、帰宅後見てびっくり。
こんなセクシーな衣装だったのですね。
完全な逆光が眩しくて、おへそが出ているなあくらいにしか思っていなかったのですが、その逆光を利用したサービス精神旺盛コスチュームだったとは。
もっと撮っておけばよかった…。

大鵬所城は入場料が15元ですから200円弱というところです。
それさえ払えば、この表演はタダで鑑賞可能です。
1日2回と書きましたが、午前中の部は太陽位置が違うためこうは見えないと思われます。
深圳でヒマを持て余している男性諸氏は、午後3時半の部の方を見に、ぜひ大鵬まで足をお運びください。
【M8/Sonnar Grau 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Sonnar Grau 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2011/02/09 Wed

向北北東的意思

M8/Sonnar Grau 5cmF1.5
今回、中国へは2月3日の夜の香港行きの便で向かいました。
まさに春節当日のフライトで、混雑するのかなあと不安でしたが、拍子抜けするくらいがらがらでした。
成田の自動チェックイン機で座席指定する際、どこでもよりどりみどりで、エコノミークラス中央最前列を取ったところ、搭乗してみてもその3人並びのシートには他に座る人もなく独占状態でした。
ざっと40人くらいしか乗っていなかったんじゃないかと思います。

理由は簡単で、香港も中国も春節休暇が1週間ほどあるので、ビジネス客はいなくなるし、ショッピングエリアも閉まるところが多いので、買い物目当ての客も少なくなるということのようです。
当の香港人や中国人だって、春節を実家で過ごすためには遅くとも前日の便に乗るでしょうから、春節当日の夜の便に人がいないのは当然のことです。

こんなに空いたフライトは初めてかというと実はそうでもありません。
成田-広州のビジネスクラスに数回乗ったことがありますが、そのうちの2回はビジネスクラスの乗客がわたしひとりだけでした。
美人フライトアテンダントがマンツーマンで対応してくれて大感激です。

貧乏旅行のお前がそんなにビジネスクラスを利用していたのか、そんな疑問が聞こえてきそうですが、そのとおりすべてマイレッジを利用したものです。
今はどうか分かりませんが、広州空港のビジネスクラスラウンジは、缶ジュースとぱさぱさサンドイッチが出るだけのあまりにしょぼいもので、タダで利用しているとは言え、なんとも損な気分を味わわされました。

このときは、ビジネスクラスにひとりだけでしたが、エコノミーにはたくさん人がいました。
わたしの最小乗客記録は4人です。
ファーストクラス、ビジネスクラスは乗客ゼロで、エコノミーにのみ4人座っていただけです。
小型機の話だろうと思われるかも知れませんが、当時の最新鋭大型機ボーイング747-400、通称ジャンボでのことです。

日付は正確に覚えていませんが、2001年9月14日頃のことだったと思います。
そう、あの忌まわしい9.11事件の直後のフライトだったのです。
事故を起こしたのはアメリカン航空とユナイテッド航空のフライトでしたが、わたしが登場したのは同じアメリカのノースウェスト航空でした。
いまは経営破たんしてデルタ航空に吸収されてしまったノースウェストですが、その原因は、石油価格の高騰とそれにさきがけて起きた9.11にあったのかも知れません。

9.11を受けてアメリカの航空会社は、しばらくの間フライトを運休させましたが、その間、各空港はセキュリティ体制の見直しなどをおこない、数日後に運休が解除されました。
そのまさに復活した日の成田-香港のフライトに搭乗したのですが、さすがにあの貿易センタービルに航空機が立て続けに突っ込んでいく映像を見ればみな予約をキャンセルしたのでしょう。
どうしても乗らざるを得ない理由があったのか、恐怖体験愛好家だったのか、世間に疎くてそんな事件を知らなかったのか、とにかくわたしを含めた4人のみが勇気ある乗客として乗り込んでいるだけでした。

アテンダントは、10人以上いましたので、マンツーマンどころかメンツーマン(?)で本来両手に花の状態になるはずてしたが、ここは若い女性は2~3人であとはおばさんやおにいさんばかりで、あまり嬉しくないばかりか、乗客の相手も全然してくれてなかったように記憶します。

命知らずなわたしですが、その鈍感振りをこに告白します。
わたしは、すでに変更できない夏休みを取得してしまっていたので、いまさら飛行機が飛ばないとなると、とてもまずいと考えていたのです。
ですから何度も航空会社に問い合わせて最初は未定とか言っていたときには、まずいぞとあせりまくり、やがてその日から運航再開が決まったとの返事をもらった時は、何日間か足止めを食った人がいるのだからフライトはオーバーブッキングでたいへんなことになるのではと、いつもより早く成田に到着したくらいでした。

当時、怖くなかったのかと問われましたが、まったく怖くなかったとは言わないまでも、大丈夫だろうとの確信がありました。
というのは、イスラエル航空のことを本で読んでいたからです。
国内、特にパレスチナであれだけテロが頻発しているのに、イスラエル航空はまったく安全だと言います。
それは、当然狙われる可能性が高いのでセキュリティが尋常でないくらい徹底しているからだというのです。
9.11のような事件があったのだから、そうとう安全対策がなされているはずで、その確信がなければフライト許可が出ないだろうし、乗務員が誰も乗りたがらないだろう、そう思ったのです。

もちろんフライトは順調で何事も起こりませんでした。
勇気あるわれわれ4人は称えられてしかるべきとも思いましたが、なんにも褒められもしません。
ちなみに帰りのフライトは満席だったこともよく覚えています。


関係ない話に字数を費やしてしまいました。
今日の作例は、昨日の刺繍に続いて、中国女性に人気の高い編み物です。
中国ではどうしてか立って編み物をする人が多いのです。

ただ、作例のようにせっかく3人でいるのだからおしゃべりしながら編んでればいいものを、V字型に配列している意味がよく分かりません。
ツートップのひとりが日なたに、もうひとりが日かげに立っているのも不自然です。
何だか分からないけどシュールな絵だと思いカメラを向けると、犬までもがあらぬ方向に顔を背けてしまいました。
こんなんで何を編んでいるのか、気味が悪すぎてたずねることもできませんでした。
【M8/Sonnar Grau 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Sonnar Grau 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2011/02/08 Tue

十字刺繍

M8/Sonnar Grau 5cmF1.5
新年快楽!

迂闊でした。
毎月、だいたい月末に訪中しているのですが、2月末はスケジュールが合わず1週間ずらして航空券を予約してしまいました。
それがまんまと中国新年の春節の日程にそのまま重なってしまっていたのでした。

出掛ける2週間ほど前にいつも深圳の友人等2~3人に日程を知らせることにしているのですが、最初の連絡で春節だったことを教えられ、結局、アポイントメントを取ろうとした3人とも実家へ帰るので不在ということが分かりました。
いくつかの予定がこなせなくなることになりましたが、仕方ないので、滅多にない春節時期の滞在をのんびり楽しもうと発想を切り替えることにしてみました。

春節時期に広東エリアでなにか行事は無いかと調べてみたのですが、そういう情報は現地のサイトを見てもなかなか得ることができません。
各自治体などに観光課のようなところがあって、ホームページ上に観光地の情報を載せているのですが、最新の更新が3年前だったり、それでも読むとどこかの記事をそのまま転載しているだけだったりと、まったくの役立たずです。
では、電話して問い合わせればいいのですが、そこまでするだけの語学力も根気も無いし、仮に電話したところで分かりませんと切られてしまうのも、まあ間違いないでしょう。

結局、大まかなアタリを付けて適当に歩くという、いつもと変わらぬパターンになってしまいました。
こんな時だからこそ、少し遠くて訪れるチャンスがなかった恩平に行ってみようかと考えていましたが、朝早く起きられず、さりとてじっとしていてもつまらないしで、向かった先が深圳市内の大鵬所城です。
4回目の訪問で、たぶん深圳市民でも、そんなに行ったことがある人はほとんどいないだろうくらいの、再々々々訪問となってしまったのでした。

1回目はいつのことか忘れましたが、2回目が2007年10月、3回目が2010年4月とある程度期間が空いているのでよしとしましょう。
この間の進歩としては、以前は普通のバスを乗り継いでいましたが、快巴と呼ばれる急行バスの存在を知ったので、勘を利かせてあのあたりのバス停から乗車できるだろうと向かってそのとおり乗車できるという、現地人並みのフットワークで到着できたことです。
あまり自慢にはなりませんが。

この数年の間に大鵬も少しずつ変わっているのが分かります。
その小さな変化を求めて同じ道筋をたどるのも面白そうですが、わたしの場合はそれができません。
今まで見て来なかったものを求めて、ずかずかとあちこちを歩き回ることにします。
数時間そうしたことで、見えたことは多少はあったかも知れませんが、やはり見えなかったことの方がずっと多かったことでしょう。
旅するとはそういうことだと思います。

さて、今日の作例は、自宅の庭で働く女性です。
最初何をしているか分かりませんでしたが、彼女は刺繍をしていて、よく見るとお手本と照らし合わせながら進捗具合を確認しているようでした。
刺繍ということであれば、恐らく趣味でやっているのでしょう。
もしかしたら完成品を買い取ってもらったりということもあるかも知れませんが、中国では女性がこの刺繍を作っている姿をよく目にします。

暖かい日だったので、日かげで作業していたのですが、その女性の位置での露出を思い切ってオーバー目にして背景を飛ばしぎみにしてみました。
壁の陰影だけで面白い効果が出るものなのですね。
いつもアンダーを意識していますが、たまにはこういうのも楽しいかなと思います。
ただ、この程度の露出操作では、この女性のものと想像されるパンツまでは飛ばせません。
ハート型になって、彼女の頭上をひらひらしています。
【M8/Sonnar Grau 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Sonnar Grau 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2011/02/07 Mon

没結束的台階

M8/Summicron 40mmF2
鎌倉散策の最終回は成就院から、の予定でしたが予定変更します。
成就院には縁結びの不動明王像があって、タイミング良くカップルが詣でていたのでその後ろ姿を掲載してハッピーエンド的に鎌倉散歩を終了したかったのですが、あまりにも凡庸ではの声があがりました。

そこで浮上したのがこの作例です。
何だか訳が分からないと思われますが、成就院は高台にあって向かいも同様の高さがあります。
昨日お話しした星の井通りがその谷間を縫うように通っていて、ここは極楽寺の切り通しと呼ばれています。
成就院からは通り越しに向かいにあるこの階段が見えているということになるわけです。

2日続けて失敗だった準広角的標準レンズの距離感覚がここでは成功しています。
もっとも自分が動いて近づいたり引いたりできないので、意図的なものではないということになりますが。

こんな角度から見ると階段の状態が分かりにくいですが、かなりの傾斜で、しかも高さもあるという人間にやさしくない階段に思えます。
ですがきっと上にはいくつかの住宅があって、子どもからお年寄りまで毎日毎日きつい登り下りが繰り返されているのでしょう。

このすぐ隣には、また別の坂があります。
九十九折りのように、と言っても折り返しは2箇所だけですが、ちょうど逆Z字のように下る坂です。
これまたタイミングよくそこを下る女性がいたので撮影しました。
作例写真と好対照の一対であり、両方お出ししたいくらいですが、悩んだ末に、電線がうるさいけれど先の見えない階段というのが面白くてこちらを取りあげた次第です。

ここからは、江ノ電の極楽寺駅がほんの目と鼻の先です。
もうそろそろ戻らないといけない時間なので、歩いていると、藤沢方面の電車がやって来てしまい、これは間に合いませんでした。
しかし、わたしは江ノ電がきっちり12分間隔で走っていることを知っています。
駅でひとり12分待つことはなく、駅名になっている正面の極楽寺を見物します。

魅力的な名前ですし、門が茅葺になっているのも惹かれますが、残念ながらここは撮影が禁止されているので、長居無用です。
本堂で手を合わせてからゆっくり戻ると、今度は鎌倉行の電車が通りかかってトンネルに吸い込まれて行き、おじいさんに手をひかれた子どもが目を輝かせているところでした。

江ノ電の車両こそモダンなものに変わりましたが、この光景はわたしの幼少時代と何ら変わるところはありません。
成就院の興りは、平安のむかしに弘法大師がこの風光明媚な土地で修行したことに始まるそうです。
この江ノ電も、同じだけの時間を走り続け、かつてのわたしやこの少年のように、終わりなく愛され続けているのでしょうか。
【M8/Summicron-c 40mmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Summicron-C 40mmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2011/02/06 Sun

星の井通

M8/Summicron 40mmF2
昨日の御霊神社の踏切を渡って路地を歩くとすぐに少し広い通りにぶつかります。
星の井通りです。
いかにも何か言われのありそうな通り名ですが、調べるとやはりありました。
しかも、ふたつの異なった話です。
どちらも短くご紹介しましょう。

天平の時代、諸国を行脚して社会事業を行っていた名僧・行基は、この地で虚空蔵求聞持法という修法を行いました。
すると井戸の底に明星が輝き、中から黒く光る石が現れます。
行基はそれを虚空蔵菩薩の化身であるとして像を彫り、この地にお堂を建てて安置たというものです。
それは虚空蔵堂という名で、御霊神社から星の井通りに出たすぐのところに現存しています。

もうひとつの話は、むかしむかし、鬱蒼とした山深い場所だったために、井戸の水面には昼間でも星が映っていたと言います。
ところが、ある日、村の女が水を汲みにきて、うっかり包丁を井戸に落とすと星影が切れてしまい、以後、井戸に星影が映ることは無くなったというものです。
その井戸は、虚空蔵堂のとなりに星月夜の井という名前で今も残っています。

鎌倉には、このような伝承のかたちで伝わる話が非常に多く残っています。
そういえば、以前、腰越の龍の話を書いたこともありました。
鎌倉文学館の近くですし、鎌倉には文学ゆかりのものが多いですし、鎌倉にゆかりの作家も多くいますが、古い伝承が少なからず影響してのことなのかも知れません。

さて、作例写真ですが、未来に向けて伝承すべき現在の事象として、この巨大なお婆ちゃんを取り上げました。
その巨体で、郵便ポストがちっちゃく見えます。
というのはまったくの出鱈目で、実は、このポストの方がどういうわけか背が低いのです。
他の場所でも見たのですが、なぜか地中に少し埋もれているようなポストには何か理由があるのでしょうか。

レンズは、昨日からズミクロンC40mmF2に切り替えています。
ライカCLの標準レンズだったズミクロンCですが、M8でも問題なく距離計連動で使えるようです。
ズミクロンの名前どおり、35mm、50mmと同様にすばらしくシャープな描写を見せます。
CLがM5の廉価版のような性格があって、このズミクロンCも鏡胴の作りは少し廉価な印象ですが、レンズに対しては手抜きは一切認められません。
近接撮影での激しい2線ボケまで、35mm、50mmズミクロンそっくりです。

このレンズを使用する問題をひとつあげるとすれば、50/75mmのブライトフレームが出てしまうことでしょうか。
ふだんこの焦点距離のレンズを多用しているので、ついつい50mmのフレームに収めようとしてしまいます。
さの結果が、昨日と今日の作例に顕著です。
写り込む範囲を事前にチェックしていれば、もう少しイメージどおりにフレーミングできるのですが。
【M8/Summicron-c 40mmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Summicron-C 40mmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2011/02/05 Sat

御霊神社

M8/Summicron 40mmF2
長谷通りをまっすぐ由比ヶ浜の方へ向かわずに、踏切より手前で右の路地に入ります。
ちょうど長谷寺の裏手あたりにあるのが、御霊神社です。
このあたりの路地はとても鎌倉らしくて、散歩していて楽しくなってきます。
わたしが住む藤沢にも、こういう路地がいくつもあったように記憶していますが開発の波に呑まれて今はほとんどありません。
残念なことですが、そんな子どもの頃の記憶も呼び覚ましてくれる鎌倉が近くにあってくれて感謝の気持ちでいっぱいです。

御霊神社は2回目で、前回はksmtさんといっしょに2年前のアジサイの季節に来たのだと思います。
参道の間に踏切があって、江ノ電がパーっと通過するのが面白かったので撮影しようと思ったのですが、あまりに俗っぽくて、ksmtさんに白い目で見られそうで断念しました。

今回はひとりなので遠慮は要りません。
ちょうど向かいから美女がやって来て踏切待ちになったので、江ノ電の通過する瞬間を狙いました。
距離が中途半端で、フレーミングガひどいのは、ksmtさんはわたしの背後に常にいて、そんなもの撮るんですかとダメ出しするのが原因でしょうか。
レリーズのタイミングだけが成功だったというような写真になってしまいました。

さて、昨日の続きでサッカーの話になります。
ふたつのニュースのうちひとつは長友選手のインテル移籍でしたが、もうひとつは、実は日本がいまサッカーの世界チャンピオンだということです。
アジアカップを制したからとかそういうことではなく、ある人たちが考えたルールによって、日本は今チャンピオンベルトを防衛中だというのです。

どういうことか説明しますが、また聞きの話なので正確でないところがあるかも知れませんがご容赦ください。
サッカーで代表レベルの世界チャンピオンというとワールドカップの優勝国ということになってしまいますが、これは4年に1度しか開催されないので次のワールドカップ開催まで優勝国が4年間居座ることになります。
それでは面白くないので、勝手にルールをつくって、チャンピオンを認定している人たちがいるそうです。

そのルールとは、ワールドカップの覇者は世界チャンピオンになり、以降の試合は防衛戦とし、勝てば防衛成功だが負けると勝者が新チャンピオンの座に就くというものです。
ヨーロッパ選手権からワールドカップの予選、親善試合などいろいろな試合があるわけですが、国際Aマッチであれば防衛戦とみなしてしまうのがこのルールの面白いところです。

昨年のワールドカップの覇者はスペインでしたが、同じ年の9月にブエノスアイレスに遠征をおこない、親善試合でアルゼンチンに1対4と大敗しています。
メッシ、イグアイン、テベス、アグエロがゴールするという豪華な結果だったようです。
優勝の余韻が残る中での親善試合ですので、結果をどうこういっても仕方ないところはありますが、とにかくスペイン王座防衛に失敗し、アルゼンチンが新チャンピオンとなりました。

こう書けば、もうお分かりの通り、1か月後、アルゼンチンはほぼ同じメンバーで来日し、日本代表と防衛戦を行います。
結果は、岡崎のゴールによって1対0で日本が勝利しています。
ここに世界チャンピオン日本が誕生したことになります。
アジアカップ優勝後にザッケローニ監督不敗神話などと言われたように、その後日本は引き分けをはさみながら、まだ負けていません。
その間ずっと世界チャンピオンを防衛して来たことになるわけです。

なんともくだらない話だと一笑に付す方も多いでしょう。
しかし、先にも書いたとおり、国家レベルのサッカーの世界チャンピオンは4年に1国しか誕生しませんから、ほとんどの国でチャンピオンになれる可能性がありません。
ワールドカップ後に行われたアンケートでも、日本がワールドカップで優勝するのはいつのことかの問いに、多くの人が永遠に無理と答えていたのが、16強入りして盛り上がった時だけに、印象に残りました。

そもそもワールドカップに出場できない国の方が多いのが現実なのです。
だからこそ冗談のようなかたちでも一定のルールのもと世界チャンピオンになることができるなんて非常に面白いアイディアだと思ったわけです。

アジアカップの予選ラウンドでは、緒戦のヨルダンに0対1とリードされロスタイムに追いついたのですが、もしヨルダンが逃げ切っていれば、なんとヨルダンが世界チャンピオンになっていたのです。
そのあとも勝った負けたでチャンピオンはアジアの国々に転々としていたことでしょう。
ヨルダン、残念!

一方防衛中の日本は、特別参加のコパアメリカが待っています。
なんと予選はアルゼンチンと同組になりました。
リターンマッチというところですが、日本が優勝するのは非常に難しいでしょう。
わたしが提言するコパアメリカの戦い方は、チャンピオン死守のため、予選全試合で引き分けて敗退して帰国する、です。
【M8/Summicron-c 40mmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Summicron-C 40mmF2 | trackback(0) | comment(2) | 2011/02/04 Fri

光則寺

M8/Summicron 40mmF2
鎌倉文学館から長谷の交差点までは、もうほんのすぐそこです。
ははん、さては長谷寺か大仏のある高徳院だなとの予想を裏切って、光則寺に向かってみました。
初めての訪問ですが、このふたつのビッグネームの間にあって訪れる人は多くなく、道路からかなり引っ込んでいるのでたいへん落ち着いたたたずまいです。
四季の花が丁寧に配置されていて、門にはお花マップが置かれていました。

光則寺は日蓮ゆかりの古寺です。
言われを紹介します。
北条時頼の家臣、宿屋光則は、日蓮が佐渡に流罪になっている間、高弟の日朗を土牢に閉じ込めて監視しましたが、ついには光則自身も日蓮に帰依し、屋敷を寺に改築したのが光則寺の興りです。
この土牢は現存していて、中へは立ち入れませんが、13世紀のむかしにこの中へ幽閉されたのかと感慨深く見学することができます。

花の寺ですが、残念ながら冬のこの時期は、梅がわずかに咲いているくらいでなかなか絵になるところまではいきません。
4月に薄桃色の花をつける樹齢200年の海棠がすばらしいとのことでしたので、暖かくなってから再訪したいところです。

書くネタが尽きてきたところで、日本がアジアカップを制して盛り上がっているサッカーに関して、興味深いニュースがふたつ飛び込んできました(今日は2月3日の春節にあたる日だと思いますが、事情があってその2日前に書いています)。
ひとつめは、日本代表の左サイドバック、長友選手のイタリア・インテル移籍決定のニュースです。
ワールドカップから帰ってきて、いきなり昇格組とは言えイタリアのクラブ移籍が決まって半年にして、ビッグクラブへの移籍ですから、3段飛びの大出世と言えるでしょう。

ビッグクラブでプレーする日本人としては、ローマにいた中田選手を凌ぐということになります。
出場機会がないのではとの声もありますが、通常、冬の移籍市場ではクラブにとって即戦力かそれを埋めるための補強なので、この選手なら使えるとの判断が働いての移籍決定のはずです。
ましてや、今後リーグ戦とチャンピオンズリーグの2本立てという厳しい日程が待っているので、いずれかでどしどし起用されることになるでしょう。

少し前から興味を示しているチームがあったとの報道がなされていましたが、最終的にはインテルに電撃移籍になりました。
その理由になったのがアジアカップ決勝の長友選手の活躍にあったのは間違いなさそうです。
対峙するオーストラリアのディフェンダーにスピードがなかったため、何度も突破を成功させて目立ってたうえに、右サイドの内田選手は攻撃面でクロスがまつたく上げられずいいところがなかったことも相対的長友評価を押し上げたような気がします。

実は、我がFCバルセロナも長友に関心ありとの報道がなされていました。
インテル、バルサに限らず、サイドバックは人材不足で、ディフェンスとしての強さと縦に走るスピード、体力を要求されるポジションだけに、一定年齢を超えると使えなくなるからということもあります。
インテルの事情は分かりませんが、アウベスとの契約が揉めていて、センターバックにまわることが多くなってしまったアビダルのことを考えると少し若いサイドバックの補強はバルサの急務に見えます。

しかし、カウンターで飛び出すとか、縦に強引に突破とかという役割がほとんどなく、他の選手とのパス交換で局面打開を図るのが中心となっては、長友選手の現在のパス精度や足もとのテクニックではバルサになじめるとは考えにくいです。
結局、興味は持ったものの、バルサ初のアジア人選手の誕生は夢と消えてしまいました。

むしろ、本田の方がボールをうまくコントロールして左右にちらしたり、近くの選手とパス交換から突破させたりとシャビの後継者的にバルサのサッカーにフィットすると考えられたのですが、これも現実にはならないでしょう。
中盤では、ケイタがずっと控えていましたし、マスチェラーノ、アフェライととっていながら試合に出られない、ミッドフィルターの飽和現象がおこってしまっていますので、
それに、来年こそセスクが移籍して来るのではとの噂もあるからです。

それはともかくとして、長友をはじめ、岡崎、松井、家長、槙野、内田、川島、安田他、非常に多くのプレーヤーが欧州のクラブに所属するようになりました。
厳しいのは間違いありませんが、ぜひともがんばっていただきたいものです。
【M8/Summicron-c 40mmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Summicron-C 40mmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2011/02/03 Thu

鎌倉文学館

M8/Speed Panchro 75mmF2
吉屋信子記念館の次は、きっと鎌倉文学館に違いない、多くの人がそう思ったことでしょう。
はい、正解です。
ここは、鎌倉文学館ですが、有名な昭和初期の洋館ではなく、なんでこんなところにあるんだろうと気になったトンネルを採用することにしました。

ここは、少し小高くなっているので、洋館や庭からも海を望むことができます。
真正面に伊豆大島がでーんと座り、正午前の太陽が真正面で豊穣の相模湾をきらきらとさせていました。
庭にはバラ園があってこの時期は残念ながら1輪も咲いてませんでしたが、時期を選べば華麗な赤、黄、ピンクが迎えてくれることでしょう。

とは言っても、文学館ですから、この地を訪れたならぜひその展示を見ながら鎌倉ゆかりの文学に思いを馳せたいものです。
高浜虚子の自筆の歌や大仏次郎の原稿用紙など興味深い展示が少なくありません。
わたしは、むかし読んだ三島由紀夫の小説に鎌倉の広い別荘に過ごすシーンがあって、ひょっとしてこの文学館がモデルではと思ったりもしました。

しかし、わたしにとって鎌倉の文学としていちばん影響を受けたのは吉田秀和氏です。
吉田氏は、文学というより音楽評論の人ですが、随筆家でもあって、鎌倉文学館でもその名を連ねています。クラシック音楽が好きな人でもなければ聞かない名前かも知れませんが、吉田氏は日本に於いてなみの音楽家以上に影響力を持つクラシックファンになくてはならない存在だと思います。

わたしは、高校まで音楽といえばロックしか聴かない少しとんがった若者でした。
それがどうしたことか、大学に入ったことをきっかけに何かまったく新しいことにチャレンジしたいと、大学の管弦楽団に入部してしまったのです。
同期は10人ほどいて、みなブラスバンドをやっていたとか、楽器は初心者だがクラシックが好きでとか、多かれ少なかれ音楽と接して来た人たちです。
そんな中、唯一わたしはクラシックのクの字も知らないで(古めかしい言い回しでスミマセン)、何を聴いたらいいかも分からない状態でした。

入って早々、夏の定期演奏会に向けて先輩たちは稽古に余念がありません。
そのパート練習にちょこっと顔を出したり新人同士で練習したりしていましたが、1ヶ月ほど経った頃でしょうか、全体の合奏を聴くチャンスがあって、そこで演奏されたシベリウスの交響曲第2番ニ短調に痺れてしまったのです。
生で聴いたことでロックしか知らない青年を一瞬にして感動させてしまう素晴らしい曲でした。

記憶力の悪いわたしはシベリウスが覚えられず、レコード屋さん(ディスクユニオンです)でそのLPを買おうとしましたが、間違ってベルリオーズを買って来てしまいました。
幻想交響曲です。
この曲は、聴きようによってはプログレッシブロックそのものです。
違う曲じゃんかと落胆しつつもこの曲のファンになってしまいます。

そんなことではクラシックの泉に入っていくことができませんので、同期の仲間に何を聴いたらいいのか相談することにしました。
彼は、親切に教えてくれ、なおかつ勉強するならこれだと文庫本を貸してくれました。
それが、吉田秀和著「LP300選」(新潮文庫)だったのです。

お堅い音楽評論家の書いた古典音楽書なんてこれ以上つまらない本はないのではと心配する方も多いでしょう。
ところが、この本が最高に面白いのです。
まずは、この書に沿って古典派やロマン派の音楽を聴き始めればよかったですし、それと同様、いやそれ以上にこの人の書く文章が面白くてすっかりのめりこむことになります。
LP300選なんて無粋なタイトルが付いていますが、内容は深遠な音楽世界を文庫本1冊に凝縮したエッセンスそのものでした。

吉田氏は1913年生まれといいますから、もうすぐ百歳になろうというのに現役ばりばりの音楽評論家です。
日曜朝にNHKFMを聴くと「名曲のたのしみ」という番組でその声を聞くことができます。
その元気っぷりはすごいですが、やはり好い音楽を聴いていると、脳や細胞が活性化されるのでょうね。
円熟を通り越して、神のような存在です。

ウィキペディアの略歴を見ると、とにかく日本の音楽と文学への接点のすごさに唖然とさせられます。
中学時代伊藤整に英語を学び、そのころヴィオラを弾いていた小林多喜二がアンサンブルに家を訪れ、大学では中原中也にフランス語の個人レッスンを受け、小林秀雄や大岡昇平とも交流し、社会人となっては斎藤秀雄らと音楽教室を開設し(一期生に小澤征爾、中村紘子)…、と文字通り枚挙にいとまがありません(書いてて疲れました)。

その吉田氏は以前から鎌倉に居を移していて、鎌倉市の名誉市民に選ばれています。
食道ガンを克服して音楽活動を再開した小澤征爾氏が最近大きな話題になりました。
全身を使う指揮ではまず体力の問題があるので、75歳ともう若いとは言えない小澤氏の活躍はすごいことです。
しかし、その小澤氏の先生とも言える吉田氏がまもなく百歳という高齢で音楽を紹介している姿も引けをとりません。
どちらも日本の誇りです。
【M8/Speed Panchro 75mmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Cooke Speed Panchro 75mmF2 | trackback(0) | comment(2) | 2011/02/02 Wed

吉屋信子記念館

M8/Speed Panchro 75mmF2
短めな御成通りは、ずんずんと突き進むと、少し大きな通りにぶつかって終了します。
江ノ電の踏切が左手にあり、越えていくとすぐ下馬の交差点です。
今回は反対に右へ曲がりしばらく南南西に進路をとります。
調べるとこの長谷に向かうバス通りには、由比ヶ浜大通りという立派な名前が付いています。
大通りと呼ぶには道幅が狭いですが、むかしは大仏に参拝する人がたくさん通ったのではないかと想像され、自動車が登場する前の通りだとすれば、じゅうぶんに大通りだったのだと思われました。

歴史を見て来た通りにふさわしく、左右に昭和初期以前の古建築をちらほらと見ることができ、おしゃれなカフェやレストラン、和菓子店に骨董屋さんも並ぶ魅力的な散歩コースです。
しかし、今回は、鎌倉彫り屋さんの先の路地を右に曲がって、住宅地を抜けていきます。

その途中見つけたのが、吉屋信子記念館でした。
吉野は、明治末から昭和にかけて活躍した女性作家だったようですが、申し訳ありませんが、わたしは未読です。
記念館なので公開はしていますが、年間十何日かときわめて限定されています。
本来、記念館とは、その人のファンが訪れるところなのでしょうが、知らなかった人が訪れたことで興味を持ち、その作品に触れてファンになるというかたちがあってもいいのではないかと思いますが、どんなものでしょう。

近くには、旧川端康成邸がありますが、こちらは完全に非公開で、今回探しましたが見つけることができませんでした。
そういえば、川端はとなりの逗子のマンションで自殺したと小学校の時に習った記憶があります。
明日紹介予定の鎌倉文学館もすぐ近くで、もともと文学にゆかりのある鎌倉にあっても、この周辺は特に文学の香り高いエリアです。

さて、話は飛びますが、この作例写真はなんだか夕方のように見えないでしょうか。
実際は、まだ十時半くらいなのですが、全体に黄色っぽくなっていることで、陽が落ちてきている雰囲気を作っています。
黄色っぽくなっている理由は、レンズが黄色いからにほかなりません。
じゃあなぜレンズが黄色いのか聞かれれば、はっきりとは分かりませんが、先月書いたトリウムレンズの可能性があるということになります。

これには諸説あるので、あくまでひとつの考え方だとお断りしたうえで、進めさせていただきますが、使用したスピードバンクロはある時期から黄色いレンズが使われるようになります。
トリウムレンズはもともと無色ですが、径年によって黄変してしまうと言われているのです。
映画を撮影するための高級レンズですので、高い性能を求めて異常分散ガラスを使ったのだが、やがて黄変してしまい使えなくなったという説があれば、もともとがモノクロ時代のレンズなので、トリウムとは関係なく最初から黄色いレンズで設計していたという説もあるようです。

前述のように、スピードバンクロは初期のノンコーティングを除くと焦点距離に関係なく黄色いレンズが使われています。
わたしのもっている35mmはノンコートで無色、40mm、75mmはコーティング付きですが、黄色レンズです。
残念ながら50mmは所有していません。
むかしは捨て値で売られていたスピードバンクロ50mmF2ですが、比較的最近になって高性能レンズとして人気が高まり、手に出ないレンズになってしまったためです。

無色、黄色を問わずリーズナブルな同レンズをずっと探していますが、入手は難しいかも知れません。
さいわい製造数が多かったので所有している方は多いのではと思います。
黄色レンズを所有されている方は、色の補正を行っているのか気になっています。
【M8/Speed Panchro 75mmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Cooke Speed Panchro 75mmF2 | trackback(0) | comment(7) | 2011/02/01 Tue
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