御成通

M8/Speed Panchro 75mmF2
先週は都内を歩きましたが、昨日は鎌倉を軽く散歩してきました。
わたしは、となりの藤沢市に在住していますので、自分の庭だとまでは言いませんが、地元の感覚で歩くことができます。
それは、逆に新鮮味が薄いということも意味しますので、散策のたびにコースを変えるなどして、変化を付けています。

今回は、鎌倉寺社のビッグネームをあえて外して、地味なルートを歩いています。
冬のこの時期ですし、写真に撮るものがあるのか不安でしたが、なければないでいいとあくまで散歩しに来たつもりで短時間歩いてみました。
あまり歩かないコースということで、ちょっとした発見にあふれた散策になったようです。
気負わず歩くのはいいですね。

スナップ好きの人は、同じ場所を繰り返し訪れるタイプの人と、常に新しい場所を求めるタイプの人がいるのではないかと思います。
わたしは完全な後者で、同じところに出掛けるとしても、全開右側を歩いた通りは左側を歩くとか新鮮さを追い求めてしまいます。
そんなわたしからは、前者はものごとを極める研究家肌のタイプなのだとも思えるし、ときにおんなじこと繰り返して楽しいのかなと不思議にもなります。

しかし、そんなことを言っていると撮影できる場所なんて限られていますから、すぐにネタが尽きてしまいます。
新しい場所ばかり求めていては、段々と行き先が遠方へと広がっていきそうです。
それも面白いですが、現実的なところで言えば、2年くらいに1度は同じコースを巡って、微妙なあるいは大きな変化を見つけ出すのも面白いかなと考えています。
ただ、前回はここを撮ったとか鮮明に覚えていたりして、そんな過去の記憶を振りほどきつつ撮影しないといけなくなったりもします。

さて、鎌倉駅をいつもとは反対の山側に出てみます。
横須賀線の逗子方面に沿って小道がありますが、これが御成通りです。
道の広さなどは、反対側の小町通りによく似ていますが、小町通りは観光化がひどくて俗っぽくあまり魅力的では
ないのに対し、御成通りも観光化しているとは言え、鎌倉っぽい個性という点ではずっと歩いて面白い通りです。

今回、タイミングが悪いことに、ちょっと話し声が大きめなカメラマン集団がいて行く手を遮られるようなかたちになりました。
こういう場合は追い越してしまえばいいのですが、いざ追い越してからわたしが撮影しているところへ彼らが追い付いてしまうと、なんだあいつ、あんなもの撮ってるよとか思われそうで、小心者のわたしは後方を行く道を選びます。

この通りでは有名な旧安保小児科で撮影しようと思っていたのですが、考えることはみな同じで、彼らもこの周囲で思い思いに撮影を始めてしまい先に進む気配がありません。
仕方ないので、少しやり過ごすつもりで御成通りを外れたところ見つけたのが、このユーゲント・シュティール風の美しい看板でした。
カフェ鎌倉美学という名称も、看板負けしない美しい名前で、店に自信を持っていることが表れていると思われます。

今回は時間がなく、お茶すらいただけなかったのが残念ですが、次回はコースを強引に捻じ曲げてでもおじゃましたいと思います。
ホームページを見るとスペインやラテンアメリカ系の食事が楽しめるようです。
メニューは意外にもかなりリーズナブルで、ランチはもちろん夜はバーになるようですが、スペインのバルとメニューも価格もそっくりなのが、もう10年もスペインに行っていないスペインファンにアピールしています。
【M8/Speed Panchro 75mmF2 F2】
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thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Cooke Speed Panchro 75mmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2011/01/31 Mon

没人人力車

M8/Tessar 7.5cmF3.5
浅草の用事が済んで、本日の散歩は終了です。
せっかくここまで来たので、何か撮影するものはないかと一応うろうろしてみますが、観光客の波に人酔いしそうでがんばる元気が出て来ません。
カメラを持ち続けつつも、自然と地下鉄駅方面に足が向いてしまっていました。
美し過ぎるスパイを撮れたことだし、もう今日はいいかなという感じです。

最後に昭和レトロっぽい神谷バーを撮って終えることにしました。
信号を渡って1枚撮り液晶を見ると、すでに薄暗くなっていたためスローぎみのシャッターで車が流れている状態です。
ここは、今まで開放ばかりだったのを少し絞って、流し撮りでもしてみるか、車を流しても面白くないので、人力車に挑戦してみようと考えます。

ところが人力車はなかなか通りがかってくれません。
何台も人力車が停車しているのですが、それらは客が来るとまさにここ神谷バーの前でUターンして雷門方面へと走り去っていきます。
じゃあ雷門前で撮るかとも考えますが、わずかな距離戻るのが面倒くさくて、もう帰ろうという気になってしまいました。

そんな矢先通ったのが作例の無人の人力車です。
流し撮りはやったことがある方ならご存知だと思いますが、シャッタースピードが適切であってかつ真横で流すのであれば実に簡単なテクニックです。
ましてやデジタルならば、数枚撮れば確実にきれいに流れてくれるのが確認できるでしょう。
ただし、歩いている人とか、遅過ぎるものはやはりかなり難しくなります。

この客のいない人力車は比較的ゆっくりだったし、いきなりやって来た1枚目だったので失敗覚悟でしたが、たぶん1/30秒くらいと早目立ったせいか簡単に流れてくれます。
面白いのは、背景が適度に流れ、反対向きに進む自動車はもつと流れしているのに、横断歩道のゼブラ模様は止まって見えることです。
車夫の上半身や人力車は止まっていますが、彼の足や人力車のスポークは動いていることが分かって、何か慌ただしさを表現しているように感じられます。
今日1日の行動を象徴しているようにも見えなくありません。

さて、最後になりましたが、レンズ紹介です。
使用したのはルドルフ博士の設計になる古いテッサーで、もう何年か前に入手したものです。
鏡胴が金色の真鍮で、銘版にはテッサーの文字は無く、シリーズⅠcと刻印されています。
わたしはてっきりツァイスの1900年前後に製造されたブラナーか何か歴史的レンズかと思い手を出してしまいました。

しかし、ツァイス研究の第一人者K氏に尋ねると、それはテッサーだと言います。
テッサーはもともとF6.3からスタートしてじょじょに明るくなって来たレンズですので、F3.5ともなると1903年の登場からずっと後のものになります。
シリアル番号を追うと1920年製ということが分かりました。
なんだ、そんなに新しいレンズだっのか(?)とがっかりです。

テッサーは安定してシャープな写りをするというイメージがありますが、当時としては4枚構成でかなり明るいということもあって、かなりのむクセ玉だということが分かりました。
特に逆光には弱く、ちょっとした斜光程度でもコントラストががくんと落ちて、かなり白っぽくなってしまいます。
それでも真順光では、テッサーらしいしまったシャープさですし、古いレンズにしてはコントラストもかなりあるのに驚かされます。
まさに、太陽位置で性格が180度変わるジキルとハイド的レンズの代表と言えます。

入手したのは絞りの付いたレンズヘッドで、テッサーだと分かってしまうとMSオプティカルで改造してもらう気が起こらずにお蔵入りしてしまっていました。
最近になって、キズ玉のヘリアー75mmを捨て値で入手したので、鏡胴を活かしてテッサーをくっつけてもらい、ライカ距離計連動の新しいテッサーが完成しました。

数があまりに多いのと、常に期待通りの優秀な描写をする故に不人気なテッサーですが、このレンズはかなりの暴れ玉で、待ちに待って改造してもらった甲斐があったと思います。
やはり、後年キノプラズマートという不思議なレンズを世に出したルドルフ博士だけのことはあります。
【M8/Tessar 7.5cmF3.5 F8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Tessar 7.5cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2011/01/30 Sun

太漂亮的間諜

M8/Tessar 7.5cmF3.5
立ち止まることを許されない歩行者天国で、マグロになった気分を味わいつつ、最終目的地の浅草を目指します。
蔵前橋通りから江戸通りを歩けば、雷門までたいした距離ではありませんが、時間を気にして末広町から銀座線に乗って浅草まで出てしまいます。

浅草には、修理名人で有名なカメラ店がありますが(カメラを売っている修理屋さん?)、修理を受け付ける小さな時計屋さんがあって、だいぶ前に修理依頼した腕時計がありました。
いえ、実はオーバーホールをお願いしたのですが、戻ってきた時計がすぐにおかしくなったので、直してもらったのです。
あまり、出掛ける用事の無い浅草なので、直って以降も時計は預けっぱなしになっていたのを取りに行ったというわけです。

時計は無事に受け取り、いまわたしの左手首に巻かれています。
しかし、約1週間経った現在、1日1分近く遅れることが分かりました。
ああ、調整してもらいに、また浅草へ向かうか、否、もうここの修理は見限るべきか…。

そんな浅草では、写真を撮るものがなくて困っていたのですが、少し前に話題になったある人物を発見しました。
作例写真を見ていただければ一目瞭然。
美し過ぎる女スパイです。
スパイを秘密裏に撮影してしまうとは、わたしにもその才覚があるのでしょうか(それ以前にピント外しで写真の才覚がないのに気付くべき…)。

さて、先日、ロンドンで古い時計を買った話を書きましたが、そのきっかけになったのは、それより何カ月か前に出掛けた台湾でした。
友人とした台湾旅行でしたが、海が見てみたかったわたしはショッピングに行きたいという友人と分かれて、半日だけ淡水という台北郊外の町へ向かったのでした。

今は、淡水は地下鉄で繋がり週末などはかなりの台北市民や観光客が訪れますが、その当時はバスで行くしかなく、割合とひなびた港町のような雰囲気でした。
淡水名物の阿給という日本人が伝えた揚げ物をいただき、かつてのオランダ人の砦を見物しました。
そして、何より見たかった淡水の大きな夕陽を全身で浴びます。

商店街のようになった通りでは、土産物屋さんが並んだりしていましたが、骨董品屋も数件あります。
本当ならば、残された時間はお土産用に現地ならではの食べ物を探すのに使われるべきでした。
ところが、家具類を中心にした骨董屋さんが妙に気になってしまい、ついには中に入って物色し始めてしまいます。
実は、当時引っ越ししたばかりで、自分用のソファーを買おうかとずっと思っていたところで、古びた中国式の椅子が目に入ったのです。

中国式の椅子と書きましたが、実際は何と言うのでしょうか。
椅子2脚と間に置くテーブルがワンセットになっています。
いずれも木でできていて、背もたれの真ん中に漢字の文字が彫刻されていたりします。
中国南部などでは家の前に置かれていて、真ん中のテーブル上の烏龍茶をすすりながら、老夫婦が夕食前の会話を楽しむというような絵を連想させる椅子です。

理由は分かりませんが、これがすっかり気に入ってしまいました。
試させてもらうと、座り心地はいいとは言えませんが、時代離れしたようななにか時間を遡るような感覚があります。
ただ、わたしの貧相な家にはとても似合うとは思えませんし、2脚買っては置き場がありません。
何より値段が気になりました。

店主と思しき親父さんに声をかけますが、英語がまったく通じません。
当時、わたしは中国語はさっぱり分からなかったので、トラベル何とか実用レベルの英語だけが頼りだったのでこれには困ってしまいました。
店主の方はぜんぜん慌てず店の奥に行ったと思うと若い娘を連れて戻ってきました。
大学生だという娘を通訳として連れて来たという訳です。

古いものでは明代のものもあるし新しいものでは清代で100年以上経っていると言います。
明は300年以上前なのでちょっと信じがたかったのですが、確かによくありそうなリプロダクツを古く見せているものではなさそうです。
恐る恐る値段を尋ねると日本円にして、わずか3万円ほどということでした。

2脚で3万円なので、1脚1万5千円にしてもらえないか相談します。
娘が店主と相談しますが、店主は大きく首を振っています。
セットだからこそ価値があるので、バラして売ることはできないようです。
実は椅子を見た時、直感的に2万円以下なら買おうと思っていました。
なんとか1脚1万5千円で売ってもらおうと粘りますが、店主が頑として認めてくれません。

そんなとき、わたしはあることに気付きました。
店の奥にあった店主がさっきまで座っていた椅子も同様に古い椅子で、それはどうやら2脚セットではないようだったのです。
では、あれなら1脚だからいいんだよねと聞いてみます。
よく見ると、その椅子だけデザインが少し違っていて、木も黒光りした、店内でもっとも魅力的とも言えるアイテムです。

店主の顔色が変わりました。
あれは、わたしの大切なもので売り物ではないと拒否です。
そう言われるとますます欲しくなります。
再度熱意を込めて売っていただけないかと願いしました。
店主が少したじろぐのが見て取れましたが、やはりダメだとの返事でした。

しかし、そこへ思わぬ伏兵が現れました。
いや、すでに現われていたのですが、通訳の娘が、めずらしい外国からの客に加担してくれ、恐らくは、パパ、売ってあげなさいよのように説得にまわってくれているようです。
わたしはわたしで、実は家を建てたのだが、書斎に中国の古い椅子が必要でそれを求めて日本から来たのだと滅茶苦茶な説明を始めます。

閉店間際ということも追い風になったのでしょう、分かった分かった売ってやろう、ただ、わたしの愛用の椅子だ大切にしてやってくれと、店主はついに折れたのでした。
値段は2万円だとのこと。
わたしはの予算どおりでしたが、いちおう1万5千円にしてもらえないか相談しますが、はっきり断られます。
強く言えば売ってくれなくなるかもしれないので了承します。

デザインが少し違っていたのは、この椅子は肘掛けがカーブになっていたからで、これは娘がアームチェアだと説明してくれました。
本当かは疑わしいですが、約300年前の椅子だそうで、よく見るとその肘掛け部分に補修の跡がありました。
しかし、あばたもえくぼ、座り心地までもがよく感じられてしまいます。

慌てて戻った台北の食事はこの話で盛り上がりました。
友人は、その店主と娘が共謀して1脚だけ残った椅子を売るために、わたしを罠にかけたのではないかと言うのです。
そんなバカなと思いましたが、なるほど、そういう展開だとしたらかなり面白いストーリーです。
友人には、そんなことは絶対ない、店主と娘とは親しくなってアドレスの交換までして来たんだと説明しますが、それでも友人はわたしが騙されたのだと言って譲りません。

実は、この骨董屋での話は続きがあって、お金を支払った後しばらく雑談していたのですが、台北行きのバスは混むので椅子の安全を考えてタクシーで帰るよう言われました。
わたしは、財布を見せながら今の支払いでもうほとんど残金がなくて、たいへんだろうがバスで帰るしかないと答えました。

それはいかんと言った店主は、何とわたしにタクシー代2千円を手渡してくれたのです。
もちろん誇示しましたが、ぜったいにタクシーで帰るんだと店主も引き下がりません。
結局、わたしはありがたく受け取ってタクシーを使って台北まで戻りました。

価値の無いものに2万円も払ったからだとか、いろいろ考えられることはありますが、わたしは素直にこの店主が椅子を大切にして欲しいという気持ちがそうさせたのだと考えることにしました。
ましてや、友人が言うような連係プレーなどとは信じません。

あれから数年後、台北を訪れたわたしは彼らとの再会を楽しみに、開通したばかりという地下鉄に乗って淡水に向かいました。
懐かしの淡水は開発が進んでいて、印象が変わってしまっていましたが、あの骨董屋さんへの道を忘れるはずはありません。
しかし、辿り着いたそこには飲食店が並んでいて、数件の骨董屋もろともその店は無くなっていました。
彼らはどこに行ってしまったのか、まるであの時の出来事は夢だったのではないかと思われました。
【M8/Tessar 7.5cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Tessar 7.5cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2011/01/29 Sat

重新開始

M8/Tessar 7.5cmF3.5
カメラ関連書籍を漁っているうちにだいぶ時間をとられてしまいました。
神保町から秋葉原はもう目と鼻の先です。
地名で言っても、神田神保町から外神田へと動いただけで、両者とも神田のくくりでした。

もう歩行者天国が復活したんじゃなかったっけと思えばその通りでしたが、マスコミ関連がかなりいて様子がヘンです。
これは帰宅してニュースを見て分かったのですが、まさにわたしが通りかかった20分ほど前に、歩行者天国が再開したばかりで、その様子を伝える報道のカメラがあちらこちらに陣取っていたのでした。
そんなのに映し出されてはたいへんです。
せっかくの歩行者天国でしたが、車道ではなく、歩道の端をこそこそと歩かざるを得なくなりました。

何か撮影しなくてはと立ち止まると、コスプレのお兄さん、お姉さんがちらほらいましたが、パフォーマンスのようなものは一切ありません。
これもニュースで知ったのですが、パフォーマンスはもちろん、チラシ配りや、なんと立ち止まって写真を撮ることすら禁止されていたそうです。

わたしが撮影した、緑の髪のお兄さんや、ピンクのセーラー服のお兄さん、悪魔コスチュームのお姉さんなど、すべてニュースのインタビューなどに登場していたのには苦笑せざるを得ませんでした。
目立っていた人はマスコミにとっても格好の取材の標的だったということのようです。

それにしても、歩行者天国という美名とは裏腹に、あれはダメこれはダメと規制が多すぎます。
共産主義ではあるまいに、なんでも抑圧する意味はなんなのでしょうか。
ニュースでは、歩行者天国内でのチラシ配りが禁止というので店舗の敷地からちらしを配っていたら警官が飛んできて何やってんだコラ、と一喝していましたが、これなんか中国そのまんまです。

歩行者天国がいったん中止されたのは、ここで通り魔殺人事件が起きたからで、それは理解できます。
しかし、復活させるにあたって、パフォーマンスやらちらし配りやら立ち止まっての写真撮影やらを禁止するというのは理解できません。
これらの行為と通り魔殺人に因果関係があるのでしょうか。
加藤某は、ネットに書き込みされて通り魔の暴挙に出たと報道されていましたが、パフォーマンスに腹が立ったとかちらし配りが気に入らなかったとかなどとも供述しているのでしょうか。

監視カメラを相当数設置したと言いますし、警官のみならず商店会など多くの方が警戒に当たっています。
規制を考えなくとも、十分な効果が期待できると思います。
通り魔殺人は、むしろ駅前などで起こっていますが、全国の鉄道駅で同様の措置をとらないのは問題にはならないのか不思議です。
結局、秋葉原に行くような連中は信用できんと言っているようなものだととらえざるを得ません。
秋葉原の若者から今後声があがらないようなら、それこそ中国化していく危機を感じます。
【M8/Tessar 7.5cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Tessar 7.5cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2011/01/28 Fri

到神保町去

M8/Tessar 7.5cmF3.5
靖国神社から数百メートルで皇居のお堀が見えてきます。
千鳥ヶ淵とありました。
あれっと思い、北の丸公園方面へ進んでいくと、てっぺんに玉ねぎがのっかった建物が見えてきました。
武道館です。

高校生くらいの女の子がいっぱい並んでいて、建物からはロックの生演奏が聞こえてきます。
アイドルのコンサートかと思いましたが、ポスターにはアニメのイベントだと書かれていました。
見たことも聞いたこともなくわけが分かりませんし、女の子があふれるようになった会場付近にカメラを持ったおじさんがいるのは不自然です。
そのまま通過することにしました。

新書サイズの地図を持参していましたので、あらためてコース取りを考えます。
事情があってゴールを浅草にしていましたので、遠ざからない範囲で進路上に何かないか探しますが、これといったものがなく、神保町の古書街を目指すことにしました。
昨日の骨董ではありませんが、古書にも関心がないわけではありません。
古書店の主人と知り合いになったのをきっかけに古書でも少し集めるかなどと考えた時期もありましたが、これはその後レンズ蒐集が始まったこともあって、まったく実現をみませんでした。

ですから、今回も古書探索というよりは、安価な古本探しという程度です。
時間のこともあるのであんまりゆっくり見ていられないと思っていたら、首尾よく美術書を扱う店に写真関連書もかなりあるのを見つけたので物色することにしましょう。

写真集や専門書など高価なのかなと思えば、中には定価の半額とかリーズナブルなものもちらほらあります。
ざっと欲しくなった本は数冊ありましたが、ここは冷静になってハドレーに収まる2冊だけいただきます。
うち1冊は、1936年刊の佐和九郎氏のハードカバー本ですが、最新のレンズとしてズマールのことが構成図付きで紹介されています。
ズマールが「ズマアル(ズムマー)」と表記されているところが実によいんです。
きっと何か発見があると思われますので、読了のあかつきにはぜひ紹介させていただきたいと考えています。

それにしても、世がデジタルカメラだと言えばフィルムに固執する人がいて、スマートフォンがこれだけ普及しても機械式時計にこだわる人はむしろ増え、eブックだと騒がれれば古書のすばらしさが注目され、日本の趣味人はさすがだなと再認識します。
もちろんわたしも、最新のレンズがシャープネスと解像力が抜群でも、オールドレンズの味を追求しなくてはいけませんね。
【M8/Tessar 7.5cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Tessar 7.5cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2011/01/28 Fri

買古玩

M8/Tessar 7.5cmF3.5
靖国神社の参道で骨董市が開かれていました。
この参道は思いの外長くて、大型バスが何台も駐車しているくらいでしたから、骨董市の出展もかなりなものです。
わたしは、クラシックレンズを蒐集していますし、古い手巻きの腕時計を使っているくらいですから骨董は嫌いではありません。
冷やかしながら進んでみることにします。

好きではありますが、非常にケチな性格なので中古カメラ・レンズを除いて骨董を買ったことはたぶん無かったと思います。
ただ、旅先では、けっこう骨董の類に手を出してしまうことがあります。
気が緩むからなのか、実際に安くてお得感があるからなのかはよく分からないのですが。

気が緩むというのは、骨董は基本的に1点モノで、この機会を逃すともう2度とお目にかかることはないとか、買っとくべきだという方向に思考が進んでしまうというのがあります。
十数年前、ロンドンの有名なポートベローを冷やかしていた時、わたしより若干年上と感じられる青年が腕時計を売っているのに目が止まりました。

その中の1本、オメガ製の戦時中のものだという時計はケースにブロードアローという刻印が入っていて、第2次大戦で英国軍兵士が実際に使っていたものだと言います。
風防ガラスとクラウンは後からのものだが、ケースや中の機械はすべてオリジナルとの説明でした。
もともと白かったであろうダイヤルが経年でグレーっぽく変色していたり、耳元で聞くとこつんこつんと現在の時計には無い独特の音色を響かせているところにぐっと惹かれました。
値段を聞くとやはり予想よりは高く、こういうケースでは値引き交渉かと希望価格を伝えたりしましたが、ジェフリーを名乗るこの青年は、この時計には特別の思い入れがあって値引きはできないんだと一歩も譲るところがありません。

交渉決裂となって、わたしは諦めることにしました。
意外と自分でもあっさりしているところがあるのだなあと、この時思ったのをよく覚えています。
しかし、その夜安宿に戻っていま寝ようかという時になって、枕元にジェフリーが現われました。
もちろん、それはわたしの妄想ですが、彼がわたしに分かりやすいように少しゆっくりとした英語で、こんな風に語り出しました。
じつはあの時計は祖父の形見なんだ、だから誰にも売れるというものじゃない、だがお前は時計を日本に持って帰ってからも大切にしてくれそうな気がする、時計の音を耳元でずっと聞き入っていたときの嬉しそうな表情に、オレはそう確信したんだ…。

結局、翌日も開催されていたポートペローのフリーマーケットまで出向き、彼の言い値で時計を買うことにしました。
彼は、頼みもしないのに500円程、値引きしてくれました。
まさか、わたしが再訪して実際時計を買うと言ったことが嬉しかったのかも知れません。

この時計は非常に気に入って、しばらくずっと使い続けましたし、その後何点か古い腕時計を買うきっかけにもなつてくれました。
この時計の買値は、18000円ほどです。
一部パーツが交換されているとは言え、第2次世界大戦の英国軍の刻印入りオメガにしては安過ぎでしょう。
オーバーホールの時、時計店の方がムーヴメントは本物だと確認してくれましたが、ブロードアローのことを聞くと何も答えず笑っていました。
わたしも、それ以上は質問するのを差し控えるようにしました。

骨董の購入経験はそれほどありませんが、数少ない分だけ購入したものは、ひとつひとつにそれなりの意味を持っていると感じています。
それをいちいち書いていてはきりがないので今日のところは、このへんで切り上げることにいたします。
ちなみにですが、靖国神社の骨董市でも興味を惹くものは何点かありましたが、購入にまでは至りませんでした。
【M8/Tessar 7.5cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Tessar 7.5cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2011/01/26 Wed

因為他問我

M8/Tessar 7.5cmF3.5
散歩は23日の日曜日の11時ごろ、市ヶ谷駅からスタートしました。
駅前の通りを線路沿いに御茶ノ水方面に歩いて5分ほどで靖国神社に着きます。
日曜の午前中ですが、ご覧のとおり、人出はかなりのものです。

昨日の写真も、境内の中にある洗心亭という茶室でのひとコマです。
和服のお姉さんが大勢でしたが、立ち入り禁止になってしまっていて、遠巻きに着物を見やるだけです。
隣接する日本庭園の池にはきれいな鯉が群れていましたから、カラフルな彼らを着物に見立てて撮影します。

遊就館を見学するかどうかはずっと迷いました。
初めて来た靖国で、ここの展示を見るのを楽しみにしていたのですが、どうも冷静に見切る自信が起きなくて、次回に譲ることにしました。

そもそも、今回の散歩を靖国神社からスタートしたのは、年末年始の貴州の旅が発端でした。
本里村で楊さんたちにお世話になっている時、食後の団欒の中で、突然、次の問いかけがあったのです。
「チングォセンサ」には行ったことがあるのか?
何度聞き返しても何のことかさっぱり分からず、紙に書いてもらったのが「靖国神社」の文字でした。

誰にそう聞かれたのかよく覚えていませんが、わたしは反射的に言ったことがないと答えると、周囲の人からは案外と無関心だというような反応でした。
後になつて考えれば、行ったことがると言ったところで、それを非難するとか、戦争中日本がどうしたと説教するとかそんなつもりはなかったようです。
ただ知識として、日本の靖国神社というものを知っていて、わたしがそれにどう関わっているのか、何となく聞いてみたというところではなかったかと思われます。

とすれば、わたしが行ったことがないというのは、周囲を少し失望させたのかも知れません。
行ったうえで、わたしはこう思うというような日本人代表的な意見を聞きたかったのだというように思えました。
帰国したら、ぜひ機会をつくって靖国を訪れなくてはと決意します。

そして、暇だったわたしは、さっそく靖国を訪問したという訳ですが、結局のところ遊就館をじっくり見学するだけの心構えができていなかったということになります。
逃げたということになるのでしょう。
また、いずれどこかで「靖国神社」へ行ったことがあるかと問われる機会がやってくるのではと思います。
その時までには再訪して、自分なりの考えを整理しなくてはとつよく感じています。
【M8/Tessar 7.5cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Tessar 7.5cmF3.5 | trackback(0) | comment(1) | 2011/01/25 Tue

太質樸的

M8/Tessar 7.5cmF3.5
貴州省の旅は昨日の記事でおしまいにして、今日からは都内を散歩した様子を1週間綴ることにします。
年末年始の海外旅行にしては内容も写真もあまりに地味な貴州の旅でしたが、今週の散歩はそれをはるかにしのぐ超地味散策です。
こんなんで1週間も何を書いたらいいのか、早くも絶望的な気分になってしまいました。

わたしが愛読している写真関連のブログに毎日4回前後記事を更新していて、さらに写真ブログとしては異例の長めの文章がついたものがあります。
たいへんに話題豊富な方で、恐らくは書きたいことが泉のごとくこんこんと指先から湧き出てくるのだろうと察しますし、文章もしっかりと格調が備わっています。

わたしも真似してみたいといつも思いますが、わたしの方の水源は完全に枯渇状態で、どうにもならなくなっています。
唯一旅した時だけが、いろいろなできごとをそのまま文章に起こせばいいので、どうにか日記スタイルが継続しています。
週末の撮影行だけではとてもではありませんが、どこかからこっそりコピー&ペイストでもしていかない限り、毎日1本の記事を書き続けることはできなくなるでしょう。

当初の目的だった、レンズの個人的な記録帳としてのブログの継続には限界が見え始めてきました。
写真のモチーフとしてつねに人物を(時には他の生き物を)登場させてきたのですが、そもそもこれが肖像権などの問題を内包していて難しい挑戦だったわけです。
人物の表情や所作のおもしろさを採り入れてきたので、自分なりにはどうにかなってきたかなと思っていますが、では明日からは風景専門でいくとか、ちょっとしたテーマで町を切り取るとか、そんなことではわたしの撮影技術ではまったく見るに絶えないものになることは間違いありません。

このままだましだまし継続するか、旅の写真に特化するか、あるいは撮影技術を習得してから新しい分野にチャレンジするか、いま、そんな隘路に立っている気持ちです。
いずれにしても、レンズのことにのめり込むあまり始めたブログですので、その柱だけは揺るがざるものにしていきたいとは思います。
【M8/Tessar 7.5cmF3.5 F3.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Tessar 7.5cmF3.5 | trackback(0) | comment(4) | 2011/01/24 Mon

臉頰的触覚

M8/Angenieux 50mmF1.5
学生諸君は、遠路はるばるやって来た異国の旅人に何とか少しでももてなしたいという気持ちがあふれていました。
もうすぐ試験があるにもかかわらず、近くに小山があるので寒いけどみんなでハイキングに行きましょうという女の子がいると思えば、僕の実家は1時間もかからないので明日遊びに行きましょうと買って出る青年がいたりで、旅人を幸せいっぱいにします。

まさに新年が明けたばかりでしたので、今年は好い1年になるなと確信しました。
こういう環境になると舞い上がって、そんなことを考えてしまうようです。
しかし、そんな初夢は、大陸の天気によってすべて打ち砕かれました。
めったに雪の降らない地で降雪したということは、中国南西部は巨大な寒波に覆われているところだったのです。
このあとの展開で、今年の不幸のスタートを呪うということになってしまうのでした。

彼らに会った翌日は、大寒波のために雪混じりの雨か1日降ったり止んだりで、ハイキングも青年の実家への旅も中止になってしまいました。
明日、天気がよくなったら行きましょうかとなって、みんなと食事と侗族の歌で盛り上がったのは昨日書いたとおりです。

大寒波は、それだけで済むほど生易しいものではありませんでした。
その日、ホテルに戻ったときロビーがごった返したりでどうも様子がおかしかったので話しかけると、凱里へ向かう幹線道路が雪と凍結で通行止めになったということでした。
わたしは明後日の貴陽から深圳へのフライトを予約していて、朝のバスで貴陽空港へ行くつもりでしたので、そのころには通行止めが解除されるか聞きましたが、分からない、たぶん無理だろうという返事です。
後頭部を強打されるような衝撃を感じました。

これは、もたもたしていられません。
へたをするとこの地に足止めで、帰国できなくなります。
バスターミナルへ飛んで行って、あわてて確認します。
やはり、通行止めは本当で、天気予報を見る限り数日は解除されないだろう、深圳に行くならラッキーだ、南行きのバスは動いているから明日1時の便に乗って帰ればいいと、あまり心配してくれません。

すでに航空券は購入済みですし、18時間もかけてバスで帰るなんて辛すぎますので、別ルートで貴陽に出る手はないのか、タクシーに聞きます。
検問はあるが通行止めではないので行けないことはないということでしたが、チャーターした場合凱里まで約7000円、凱里から貴陽までバスは動いていないので、さらにチャーターが必要だろうとの答えです。
その話は、他の人から本気で止められました。
雪道に慣れていないタクシーで行くのは危険だし、そもそもタクシーが行けるのならバスが運休なんてしないというものです。
ここまで来る時に見ていた、美しい棚田とガードレールがところどころにしかなかった山岳道路を思い出し、やはりバスで直接深圳へ行くしかないと決断せざるを得ません。

さっそく学生のみんなに連絡して、明日の午後に帰ることになったと告げました。
電話越しに残念がっている様子が伝わりましたが、天気が相手では仕方ありません。
午前中は授業もあるようなので、残念ですが、この電話でお別れを告げました。

翌朝も同様に小雨と小雪が降るようなあいにくの天気でしたが、旅の最後の半日を無駄にしたくはないと思い、2年前に侗族の表演を見た車江村まで行ってみることにしました。
ここ榕江からは、乗合の三輪タクシーで15分ほどと至近です。
懐かしの村は変わることなくと思ったら大間違いで、ざっと数えただけでも10軒近くの古民家が真新しい家に新築されてしまっていました。
中国の旅行ブームの恩恵がこの村にもあったということでしょうが、古い建物の多い村だからこそ人が訪れていたのであって、それが新築の家ばかりでは今後が心配になってしまいます。

しかし、何もかもが真新しくなってしまったということではなく、わたしが訪れた時もまさに伝統のお葬式が行われようとしているところでした。
故人の遺影の前に、ブタがまるまる一頭お供えしてあったのがすごい迫力でしたが、もう一頭屠らんとギャーギャー泣いて抵抗するブタを担いで連行する痛々しい場面にも遭遇したりしました。

前回、夕食をご馳走してくれた家も残念ながら、新築されてしまい、ゲストハウスをオープンしていました。
ちょっとがっかりしつつ前を通り過ぎようとすると、中にいた女性が、あの時のとわたしを指さし、日本人でしょう覚えてますよと親しげに肥をかけてきました。
わたしの方ではこの女性があの時いたかを覚えていませんでしたが、話をすれば、教師である青年の奥さんだというので、ではいっしょにご飯を食べたはずだと合点がいきました。

あれから子どもを授かったとのことで、招じ入れられた家の中で2歳の男の子がおばあちゃんと遊んでいます。
そうそう思い出しました、ここには90歳ちかくになるひいおばあちゃんもいたのですが、よかった元気そうに暖房にあたっていました。
青年のお父さんもやって来ましたが、あの時はお父さんの民族シャツを譲っていただいたのでした。
そんな思い出したことを話しながら、ああ、もう2年も経つのかあなどと笑い合ったりします。

ここへ来るまでの顛末を説明し、雪のために今日の1時のバスで深圳へ戻ると言うと泊まって行って欲しかったのに残念だが、それなら昼飯を食って行ってくれとあわてて食事の準備をしてくれました。
ここでも残念だったのは、前回、釜で炊いたご飯だったのが炊飯器に代わっていたことです。
生活が改善されていることに、わたしがとやかく言うべきではないとは思いますが。

貴州最後の食事もブタと白菜の激辛鍋でした。
すっかり体に馴染んだ鍋の味でしたが、これが最後だと思うと感慨も一入です。
お父さんが、飲めるんだろうと言って自家製米酒の容器をもって来ました。
これまた最後の酒盛りです。
最後だと思うと食べれるだけ食べて飲めるだけ飲んでしてしまい、すっかり酔っ払ってしまいました。
彼らとも再会を約束し、慌てて榕江に戻ります。

1時のバスだと言うのに、もう12時半を廻っています。
チケットをまだ買っていなかったし、ホテルのチェックアウトもしなくてはだし、かなり慌ただしくなります。
バスターミナルへ行くと、楊小妹がわたしを待っていました。
2年前表演を見せてくれ、今回中学校で再会を果たした彼女です。
前回同様わたしを見送るために、授業を抜けてわざわざ探しに来てくれたようです。

半分酔っ払いつつも感激は隠せません。
欧米式だけど最近は日本でも普通にみんなやっているからと言って、ハグしてからバスに乗り込みました。
18時間の長距離バスは、わたしの感情を知ってかそれからなかなか発車せず、わたしも楊小妹もずっと手を振り続けていました。
15分くらい経ったでしょうか、ようやく発車したバスの車窓からははあっという間に彼女が見えなくなりました。
しかし、わたしの両頬には、彼女の柔らかく暖かな温もりがまだ辛うじて残っていました。
【M8/Angenieux S5 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Angenieux S5 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2011/01/23 Sun

終於找到

M8/Angenieux 50mmF1.5
午後になって巴沙から榕江の町に戻ってきました。
ここで、2年前に出合った侗族の青年達の捜索を再開することにしていました。
本里で捜索中に、榕江の中学校に行けば、手掛かりが得られるはずだという有力情報を得たからです。

しかし、有力と言うのは単にわたしの思いこみであったことをすぐに思い知らされました。
タクシーで中学校までと言うと、町には中学校が2つあるがどっちだと聞くのです。
近い方にと答えますが、両者は距離的に大差ないそうです。
しかし、いろいろと聞くうちに、一方には大きな寮があることが分かり、そちらの方が可能性が高いと判断して向かうことにしました。

中学校には門番がいますが、恐らく事情を話したところで面倒くさがって追い返されてしまいかねないので、隙を見て強引に突破してしまいました。
夕方4時頃でしたが、生徒の出入りが多かったので、素知らぬ顔で並んで入って行ったのです。

しばらく歩いて人のよさそうな女の子を見つけたので、さっそく事情説明の上、写真を見てもらって知っている子はいないかと聞いてみました。
わたしが外国人と言うことで協力的になってくれているのが伝わりましたが、残念ながら写真の中に知る顔は無いとのことです。

こんなやり取りを繰り返すつもりでいたのですが、この女の子はわたしの期待以上に親切でした。
わたしを連れて、彼女の担任の先生のところに行って知らないかと聞いてくれたのです。
一気に期待値は上がりますが、これが共産中国と言うものなのか、若い女の先生は写真を少し見ただけで悪いが知っているのはいないと、わたしを追い出すように言い放ちました。

期待値はまたしぼんだわけですが、先生の対応に落胆したのはむしろ女の子の方で、今度はわたしを寮方面へ導きます。
彼女は、写真の女の子たち(本当は男の子もいたのだけど)は彼女より上級生と思ったらしく、先輩を捕まえて聞いてくれました。
その先輩女子は写真の中に知っている人はいなかったのですが、何やらこの人探しを国際捜査のような重要なこと
と感じてくれたようで、友だちを探して同様に質問してくれました。

そのふたり組のうちひとりが美少女なのでびっくりしました。
捜索に失敗してもその彼女とつながりができた方が好いのではなどと本来の目的を見失いかけたのを現実に引き戻したのが、隣にいた女の子がひとり見た記憶がある人がいると写真を指さした時でした。
あのクラスじゃないかと、最初にたずねた女の子も含めて女の子4人が一丸となって教室を目指します。

そこは音楽のクラスでした。
なるほど2年前車江で表演をしていましたが何人かは民族楽器を弾いていました。
教室には数人の学生がいて、写真を見せるとすぐに、ウチのクラスの子ですと異口同音に言います。
引き連れて来てくれた美少女を含めた4人も、やっぱりそうだった、見つかったと喜んでいます。
早速、携帯で呼び出すこと数分、彼女は不思議そうな顔をして教室に姿を現しました。

まさに写真の女の子でした。
彼女はわたしを見るなり一瞬不思議な顔をしていましたが、すぐに思い出したようで目を丸くしています。
わたしも思い出しましたが、2年前わたしが車江を去る時、ずっと見送りしてくれたふたりのうちひとりが彼女だったのです。
タクシーでもめた時は少しあきらめかけていたのですが、十数名のうちの一人だけとは言え、今回、二年前の侗族の女の子に再会でき感動すら禁じ得ませんでした。

周囲も祝福ムードと言うか、なんだか漫画っぽい展開が受けているというか、盛り上がりを見せてくれています。
ここまで連れて来てくれた女の子たちは、問題解決したことで帰ろうとしています。
せっかくだからしばらくここにいるよう言いましたが、夜、また授業があるのだそうです。
お礼だと言って四人の写真を撮らせてもらいましたが、肝心の美少女は手ブレで二重顔の笑顔になってしまいました。

ピアノのある教室で音楽を奏でてもらったり、それぞれの出身の村のことなど話はつきません。
3時間も無駄にいてしまい、みんなの音楽の練習に迷惑をかけてしまいました。
そう言えば、お腹が空いたでしょうと学食から食事を持って来てくれる子もいて感激です。
わたしもこうなることを期待して用意していた日本のお菓子を目いっぱい広げましたが、学生時代入っていた管弦楽団の練習の合間のお茶会を思い出して学生に戻ったような懐かしいような帰って来た青春的な気持ちです。

いつまでもこうやっている訳にはいきません。
みんな寮で暮らしていますが、ふたりだけ榕江の町から通学している女の子がいて、いいホテルがあるから帰宅がてら案内してくれると言います。
しかも、非常に幸運なことに、そのふたりは教室にいたメンバーの中で一番と二番の可愛らしい女の子でした。
ふたりとは食事の話が出たのをきっかけに一緒に屋台で焼鳥や臭豆腐を食べたりまでしてしまいます。

作例写真は、その翌日に榕江でいちばん高級なレストランで、みんなと食事した時のものです。
田舎だからとタカをくくっていたのですが、さすがにいちばんのレストランだけあって、わたしが中国で体験したいちばん高価な食事になってしまいました。
それでも5人で食べて、横浜中華街の高級レストランのコース料理のひとり分よりもずっと安かったのですが。

レストランでは個室を用意してもらったので、カラオケでもなんでもありだったのですが、何より嬉しかったのは彼らが侗族の合唱を何曲も披露してくれたことでした。
ここでもNEX-3は大活躍で、しっかり録画して、美しいハーモニーと恋歌の掛け合いの妙などを記録にとどめました。
彼らは、自分たちの画像を嬉しさいっぱいに眺めていて、その様子を見ているだけでこのカメラを持って来てよかったと実感します。

愉しい時間を過ごせたのですが、実は複雑な思いもあったのです。
昨夜、いっしょに屋台に行った子や教室にいた他の子もみんな、この昼食会に誘ったのですが、やって来たのは4人だけでした。
この4人は近郊の村に住む侗族で、他の子たちは苗族か侗族の言葉をしゃべれない榕江に住む子です。

教室の中では、みんな仲良く見えたのですが、それぞれの背景があって壁ができてしまっているのかも知れません。
わたしが、侗族の子を探しにやって来たということで、苗族の子ややや都会化した侗族の子はひいてしまったように思われます。
昨夜のように大人数でわいわいできなかったのが少し残念でしたし、政府が強調する民族融和にほころびがあることを垣間見てしまったような気にもなりました。
【M8/Angenieux S5 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Angenieux S5 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(2) | 2011/01/22 Sat

零下五度下表演

M8/Angenieux 50mmF1.5
一時止んでいた雪が、表演を待っていたかのようにまた舞い始めました。
次の日の天気予報で、従江の最低気温がマイナス3度となっていましたが、より高度のある巴沙はさらに気温が低かったと思います。
革手袋をしていた指はすぐ痛くなって来ましたし、鼻や耳は凍ったかのようでした。

防寒対策なしには、このくらいがじっと見ている限界のようです。
いっしょうに見ていた中国人は、しっかりスキーウェアのようなものを着込んで万全の態勢でしたので余裕しゃくしゃくです。
わたしは、手をすり合わせたり、足踏みしたりして、どうにか寒さに耐えしのびました。

しかし、この寒さに耐えないものがありました。
ライカM8のバッテリーです。
旅の間は、3つのバッテリーをローテーションで使っていて、この時は1つを宿で充電中でしたが、フル充電完了バッテリーを2つ持っていました。
1日1バッテリーで持つか持たないか程度の撮影量でしたので、どんなに頑張っても2バッテリーで明日の午前中までもつ計算です。
それが、極度の低温のため、なんと2本とも1時間もたずに空っぽになってしまいました。

表演は、祭りの時などに行われる踊りを皮切りに、素朴な婚礼の儀式を経て、大トリは驚きの散髪でした。
ちょんまげ風の部分を残して、両サイドの髪を彼らの刀を使ってそり落としていきます。
刀の切れ味が抜群で、5分と経たずして美しいモヒカンに仕上げたのが圧巻です。
残念ながら、それらをM8で撮影することはかないませんでした。
自分が使っているのが、気象環境によって撮影できなくなる非機械式カメラだということをこの時ほど実感させられたことはありません。

そんな状況で静かに表演を見学していればそれはそれでよかったと思うのですが、困ってしまうのはバッグの中にサブカメラのNEX-3が入っていたことでした。
せっかくの表演なのでと、子どもの運動会を撮るおとうさんのようになってムービー撮影に動き回ってしまいました。
いいアングルを求めてというよりは、寒さでじっとしていられなかったので致し方ありません。

表演を見終わって巴沙を後にするのですが、苗族のデータを備忘録的に記しておきたいと思います。
紀元前26世紀ごろ、漢族の祖先と苗族の祖先が戦争して漢族側が勝利したため、苗族の祖先は長江流域に移住して暮らし始めたという伝説が残っています。
史実としては、秦の始皇帝の圧政によって土地を追われてしまい、山岳地帯の貴州、雲南などに逃れたとあります。

不幸の歴史はなおも続き、明代以降、貴州・雲南に多数流入して来た漢族と先住の苗族との間で摩擦が起こり、苗族の反乱と明朝・清朝の鎮圧が繰り返されます。
人口が3分の1にまで激減した時期もあり、タイ、ラオス、ビルマ、ベトナムなどのインドシナ地域へ移住していった苗族も多数出てしまいます。
苗族は、中国語でミャオという発音で日本でもミャオ族と表記するのが一般的なようですが、インドシナ地域ではメオ族と呼ばれています。

歴史的に漢族から弾圧され続けていた苗族ですので、根っこの部分では漢族に対する怨恨の情はかなり根深いものがあるようですが、現在はチベット問題、ウィグル問題のようにおもてだって対立するようなことは無いようです。
中国政府だって1つの中国をかかげて躍起になって民族融和政策をとっていますから、表面的に問題が起きているようには見えません。
ですが、苗族は、チベット問題、ウィグル問題を静かに、しかし熱く見守っているようです。
これ以上のことは、政治分野に足を踏み入れることになるので差し控えることにしますが。

苗族の人口はアジア全体で400~1000万人くらいとはっきりしません。
調べた資料ごとに数字がばらばらで、正確なことは最初から期待していませんが、大雑把なところもよく分かりませんでした。
信憑性の高そうな出展から類推して1000万人超としておきます。
これは、もう少数民族と呼ぶには巨大過ぎる人口です。

そんな中のわずか数千人の村を訪れ、古い伝統を守る苗族に接してきましたが、彼らが日本人のルーツというのは本当なのでしょうか。
人間のDNAの解析がだいぶ進んできて、日本人も人によってさまざまな足跡をたどって日本にやって来たことが分かってきています。
そのうちの一つのパターンとして、紀元前、あるいは秦の時代に移住を余儀なくされた苗族が日本へ辿り着いた可能性は排除できないでしょうし、すでにそれは実証済みかも知れません。
そうとなれば、稲作、食文化、衣服、まげ等の関連の謎も、いずれ、解き明かされてしまうのでしょう。
【M8/Angenieux S5 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Angenieux S5 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2011/01/21 Fri

苗族的一朗

M8/Angenieux 50mmF1.5
昨夜泊めてくれなかったゲストハウスで、たき火にあたりながら米粉を食べていました。
満腹してなおも食べ物のことなどで雑談していると、ここの奥さんに、これから表演があるみたいだから見に行ったらと勧めてくれます。
情報提供の礼を言って、村の入り口に向かうと、なるほど民族衣装の男女が大勢集まっていて、何かが始まる気配です。

若い女性20名ほどが後方に、それほど若くもなさそうな男性10名ほどが前方に、それぞれ楽器を吹きながら踊りが始まりました。
かなり勇壮な音楽が奏でられ、楽器を吹きながらも力強い踊りをより熱の入ったものにしています。

それはあっけないほどすぐ終わってしまいました。
驚くのは、続いて男性陣がそれぞれ銃を空に向けて放ったことでした。
一見空砲ですが、直後に散弾を込め直しているのを見ましたので、それぞれ実弾発射していたものと思われます。
その銃はすべて手製で、あるいは銃身など精度が問われるものは別注しているのかも知れませんが、パーツひとつひとつが手作り感いっぱいで、アマチュア的なハンドメイドがすぐ見て取れるユニークなものです。
見比べると、それぞれディテールの仕上げなどに違いがあって、恐らくひとめでこれは自分のだと分かるようになっているし、クセなども熟知しているのでマイ銃でないといけないということだと分かりました。

あっという間の表演でしたが、これだけでもグッと引き込まれる迫力がいっぱいです。
しかし、観客はわたしを含めて8人ほど、うちガイドさんがふたりいたので、わたし以外のお客さんは5人と言うことになります。
ちょっと寂し過ぎますが、恐らくこのガイドの属する旅行社が、今日の朝客が行くので表演よろしくねという具合に契約しているようでした。

しかし、あっさりした表演だと思えば、実はそうではなかったようで、後で分かったのですが、これは村の入り口でお客さんの歓迎の儀式だったのでした。
今度は、村のいちばん奥の広場までぞろぞろと歩いて行って、表演の本番が始まります。
その前に、途中の仏教の祠に参拝します。
巴沙の苗族も信仰深いことがよく分かります。

さて、作例写真は、10年連続200本安打の緯業を達成してパッドを高々とかかげるイチロー選手、ではなく、手製の銃を空に向けて構える苗族の青年です。
撮り方がまずくて分かりにくいですが、彼の鉢巻きと髪型に注目です。
まず中国で鉢巻きというのを初めて見ましたし、髪型はちょんまげそのものです。

わたしを巴沙へ招いたのが、まさにこの"ちょんまげ"でした。
男性は、まげを結い、額とサイドを剃り、日本の武士のような着物を着ています。
刀も持ちますが、日本刀のような長さはなく長いナイフと言うサイズです。
代わりに持つのが、先に書いた銃ですが、これは戦闘用ではなくもっぱら狩猟用として使われていたものです。
現在は法規制があって、かつての猟から家畜へと大幅シフトしてしまいました。

これらは、巴沙の人々が文化や生活をずっと守り続けて来たということのようです。
彼らは、古代の苗族文化を我々が唯一継承していると自負しています。
前述のように猟には制限がありますし、髪型も不便ですので、今では普通のスタイルの人の方が多いようですが、それでも何割かのおとなと大部分の子どもは、ちょんまげのような髪型を守っています。

ヘアースタイルと着物が似ていることから、彼らが日本人のルーツだなどとまことしやかに言う中国人がいるようです。
蔑視する少数民族と日本人を同列に見下そうという悪意がある場合が多いようですが、確かに面白い符合だと思います。
いつかは見てみたいと考えていたところ、昨年9月に湖南省を訪れた時、現地で知り合った人に日本人との関連性があるのは間違いないから、自分の目で判断すべきだと言われ、かなり気になったところへ今回の貴州行きの最終目的地に据えてみたという次第でした。

彼らは、本当に日本人のルーツなのでしょうか。
ということは、我々は、彼らの末裔ということなのでしょうか…?
【M8/Angenieux S5 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Angenieux S5 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2011/01/20 Thu

下雪下脱粒

M8/Rokkor 28mmF2.8
ちょっと寄り過ぎてしまって分かりづらいですが、作例写真は、巴沙スタイルの素朴な脱穀風景です。
お嫁さんが梃子式のきねを一定のリズムで足踏みして、お婆さんがタイミングを見計らって稲を動かししています。
意外にテンポは速く、まだうす暗い中では、少々露出オーバーで撮影することできねの動きをぶらすことができるのに気付きます。
このスピードは、気を抜くとお婆さんが怪我しないか心配になるほどです。

誰でもできそうな作業に見えますが、意味の位置の微妙なずらしなど、この道○十年のお婆さんの技術があればこそなのでしょう。
お嫁さんの方は左手でひもを握っていて、最初これできねを操作しているのかと思いましたが、よく見るときねはあくまで足で動かしています。
上から下がったひもは、単なる吊革の役割を果たしているに過ぎないのでした。

他の家でも見られた村では平凡な風景と思われますが、わたしにとっては新鮮で、長らく見学させていただきました。
本当は、この米をどう研いで(たしか研がなかったような…?)、どう炊いて、どのように食べるかまで見届けたかったのですが、そこまでの時間はありません。
いつかは、お手伝いしつつ、すべての工程を見せてもらいたいものです。

別の家では、洗濯シーンを見ることができました。
極寒の中、桶に溜めた水を洗濯モノにかけて、なんと素足で踏んで行きます。
単に踏むのではなく、これも一定の細かいステップで時計回りに回転しながらくまなく足踏みしていっています。

少数民族の村でも川があれば、川辺で選択するのが一般的ですが、巴沙は高台にあって川がないので、このような洗濯スタイルになるようです。
足があかぎれしそうで、自分の足に痛みを感じるほどです。
洗濯ひとつとってこれだけの苦労をするのかと目頭が熱くなってきました。

そうやって散策しているうちに、細かな雨がいつの間にか雪に変わっていました。
どおりで寒いはずです。
1月2日でしたが、思わぬところで初雪を体験することになりました。
前日、あまりに寒いので雪が降るのではと宿の人などに聞いたりしたのですが、この辺はめったに雪は降らないし、降ったとしても年に1回あるかないかだとの返事でした。
そんなめったにない雪を体験するのですから、わたたしは雨男のみならず雪男でもあるのかも知れません。
それを痛感するのは、実はさらに後日のことなのですが。

そんな中で、実に億だったツールがあります。
革製の手袋です。
防寒用の分厚い手袋ではなく、むしろ薄っぺらな印象の手袋ですが、これを付けているといないでは雲泥の差があったはずです。
前月に山西を訪れた時、寒い中で手袋をいただいて無感覚になりかけていた手が甦った体験から、念のため持参した革手袋がここでも助けてくれたかっこうです。

この手袋は昨年オーダーしたもので、実質的に今回の旅がデビューになります。
手袋をするとライカのようなマニュアルカメラでは操作性が悪くなるので、使用しない人の方が多いのではと思います。
しかし、こんなのもあるよと友人に教えてもらったのがこの手袋で、キャッチコピーが"つけたまま文庫本が読める
手袋"です。

エチオピア産シープの革の特性であるしなやかさやほどよい伸びを利用して、手にぴったりとフィットする手袋をオーダーメイドしました。
まるで、手術用手袋のようなぴったり感で、なるほどこれであれば素手に準じる操作性を得られるので、ライカのシャッタースピードダイアルやレンズのフォーカスや絞りなどなんなく操作できます。
あえて言えば、前述のように薄い生地なので防寒にはなりませんが、それでもやはり素手よりはずっと好いです。
また、ぴったりということでは、装着にやや時間がかかりますし、破けるのではとの不安もありますが、革の質が抜群なのと縫製がしっかりしていて絶対に壊れないそうです。

冬場の撮影に必携のツールと言うことを再確認できた巴沙の雪でした。
もちろん撮影などの細かい指の動きがないのなら、もっと分厚い完全防寒の手袋を使えばいいのですが、このフィット感は何物にも代えがたいと実感しました。

ご関心の向きには一度ホームページを見ていただければと思います。
多摩センターのブロッサムという店で検索するとすぐに見つかります。
けっして安い買い物ではありませんが、これよりも高い手袋はいくらでもあるので、この使用感を体験すると割安感があるのではないかと思います。

それとオーダーメイドですので、自分だけの一品を所有できる喜びもあります。
カラーサンプルが豊富で、ステッチも含めて色選びに悩むほどです。
名前のタグも付けてくれるので、わたしは迷わず中将姫と入れてもらいました。
宣伝のようになってしまい恐縮ですが、カメラマン用の手袋がなくてと嘆いている方の話を聞いたこともあったので、ご自身で見て判断してもらえればと思い、当ブログでは珍しく紹介させていただいたことをご了承ください。
【M8/M-Rokkor 28mmF2.8 F2.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Minolta M-Rokkor 28mmF2.8 | trackback(0) | comment(0) | 2011/01/19 Wed

M-Rokkor的故事

M8/Rokkor 28mmF2.8
中国の改革開放以前、外国の文化が入って来ることは非常に稀だったようです。
映画では高倉健や山口百恵が高い人気だったと言いますし、瀬戸の花嫁とか北国の春は大ヒットしたと聞きました。
1970年代の話なので、これらを見たり聞いたりして青春を過ごした世代は、すでに還暦かそれに近い世代のはずです。

ところが、以前、20歳代の人たちとカラオケに行った時、何か日本の歌をとせがまれて北国の春をかけたとき(わたしは超音痴のためほとんど歌えず)、ほとんどの人が聞いたことのある曲だと言っていました。
意外にも広く深く、日本の歌謡曲が日中草の根外交に貢献していたのかも知れません。
アジア各地では、かつておしんが大ブームになって、どんな辺境でも日本人が旅行していると、おしん、おしんと声をかけられたという話も思い出しました。

また、瀬戸の花嫁と聞くとわたしが思い出すのは、段々畑とさよならするのよ~、幼い弟行くなと泣いた~、という一節です。
花嫁衣装またはウェディングドレスを来た美女が、なぜか段々畑のあぜ道をゆらゆら歩いていて、一回りくらい年の離れた鼻水垂らしたいがぐり頭のボウズがわんわん泣いている絵を想像して、なにか現実離れしたマンガのような世界に感じられたものです。

いつものとおり前置きがやや長くなりましたが、巴沙の段々畑にはそのような非現実ではなく、家族の数日間分または、市場で売って来るため分の野菜をかついだ野良着姿の女性と言うなまなましい現実があるだけでした。
昨晩からの霧雨で足もとがすっかりぬかるんでいて、滑ってばかりの上に靴をすっかり汚しながら、畑にやって来た旅行者に呆れているようにも思われます。
得意だったノーファインダーもピントで失敗していますし。

レンズは、M-ロッコール28mmF2.8という、CLE用にミノルタが設計した広角レンズです。
ライカのエルマリート28mmF2.8より高性能との評価が高まって、7~8年前の中古相場が10万円程度していた人気レンズです。
パンケーキに近いコンパクトな鏡胴でエルマリートの半分くらいの大きさというのも旅にはぴつたりです。
ライカを始めてからしばらくして購入して、M6との組み合わせで本当によく使ったものです。

しかし、この高性能広角レンズを頻繁に用いたことが、わたしにとっての命とりだったのかも知れません。
その後、個性的でおもしろい写りだと聞いたズミルックス35mmF1.4を手に入れてしまったことで、わたしはどんな時でもズミルックスを持ち出すようになってしまい、M-ロッコールの存在を忘れてしまいます。
毎度かっちり写るM-ロッコールに物足りなさを感じたのか、ズミルックス開放の不思議な淡く滲んだ描写にはまり、かっちり撮りたい時はズミルックスをF4に絞ればいいというユーティリティ的な使い方で満足するようになったのでした。

こんな発想は、全国的あるいは世界的な最近のトレンドにもなっているのか、驚いたことにズミルックスの価格相場が当時とそう変わっていないかむしろ上昇しているのに対して、かつてのスターだったM-ロッコールは4~5万円程度まで価格帯が暴落してしまっているようです。
だからという訳ではないですが、今回、実に久し振りにこのレンズを持ち出して、小型軽量のありがたみと、このレンズ独特の緑色の発色を楽しませてもらいました。

そもそもCLE自体がすごく好きなカメラで、CLEコンセプトのライカMマウントカメラを作って欲しいと何年も前から力説しています。
それが実現する暁には、M-ロッコール現代版も同時リリースして欲しいですね。
もちろん高性能レンズを再現する必要はまったくありません。
欲しいのは、F1.4ながらなるたけコンパクトで、開放では怪しく滲む、ズミルックスのリメークスタイルです。
いま、こんな企画が実現すれば、支持する人はかなりいると思うのですが、いかがなものでしょう。
【M8/M-Rokkor 28mmF2.8 F2.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Minolta M-Rokkor 28mmF2.8 | trackback(0) | comment(2) | 2011/01/18 Tue

早餐吃炒粉

M8/Angenieux 50mmF1.5
朝の散策を続けます。
7時半をまわるとだいぶ明るくなってきて、村が活動を始めます。
小さな村を、畑に向かう人、米の脱穀をする人、荷物を持った人などが行きかって俄かに活気を感じさせます。
村人にとってはいつもと変わらない日常ですが、旅人には生きている村を見る新鮮な喜びを感じさせました。

作例写真は、何かの廃墟のように見えるかも知れませんが、この地域の特徴的な風景と言えます。
借り入れた稲を干すために木を高く組んであるのです。
恐らく9月頃の収穫期に来ると、この木組み一面に稲が並べられているところが見られたことでしょう。
なかなかに壮観なはずです。

日本でも借り入れた稲は乾燥させなくてはいけないので、地域ごとにさまざまな干し方があるようです。
10年近く前、新潟県に出掛けた折、確か村上のあたりだと思いますが、この巴沙の村と同様の高い木組みに干しているのを見たことがあります。
そして、その近くの宿のご飯はとても美味しく、おかずがなくなっても漬物だけで3杯おかわりしたことを思い出します。

このときは、干してあったのを目撃しているくらいですから、新米を食べたので味も格別でした。
しかし、昨日の晩コンニャクとブタと白菜の炒め物といっしょに食べたご飯も、新潟のご飯におとらない味だといえば、かなり旅の感傷が舌を鈍らせてしまっているということでしょうか。

おとといの写真では、棚田が写っていましたが、あれはごく一部です。
ざっと見渡した印象では、写真に写り込んでいる棚田の5倍以上の面積の田んぼがありました。
すべて収穫すると、どのくらいの量になるのか分かりませんが、この大きな肋木のような木組みもざっと20基くらいはありましたので、村人の1年分の食料を確保するにはじゅうぶんなのでしょう。

これだけの収穫なので、一部は販売されたりもするのか聞いてみました。
貴重な現金収入になるかと思ったからです。
ごく一部は従江の町に流通するのものもあるようですが、基本的にはすべて自家消費するとのことでした。
周囲一帯が穀倉地帯のためコメの単価が安過ぎることと、榕江から従江までえらく時間がかかったように道路インフラがまだまだ未整備なことが主要な原因と思われます。

そのコメは、白米として消費される他にもうひとつの食べ方があります。
米粉です。
米でつくるうどん状の食べ物ですが、美味しい米粉には、よい米ともうひとつよい水が必要と言われます。
この村にはよい泉があるようで、米粉もよく食べられています。
麺は食べないのか聞きましたが、小麦粉で作る麺はうまくないとみな同音異句に言います。
米どころでは麺は不人気と言うことのようです。

昨夜、宿泊を拒否されたゲストハウスですが、たまたま通りかかると家の前で昨日の明るい女性が調理しているところでした。
何を作っているのか聞くと、それがまさに米粉だったのです。
子どもの朝食に作っていると言います。
歩き回ってお腹が空いていたので、わたしのためにも作ってくれないかと頼むと、昨日、宿泊拒否した負い目があるのか、もちろんと言って、子ども用に調理中のものをまずはわたしに出してくれると言います。

それはさすがに子どもたちに悪いので断りましたが、辛いものも大丈夫だと知ると米粉を増量して、わたしの分も追加していっしょに調理してくれました。
こちらでは炒飯よりもポピュラーな炒粉です。
これが、今まで食べた米粉の中でいちばんの旨さでした。
調理テクニックも大きいのでしょうが、おいしさの秘密は、コメの天日干しがしっかりなされたことにあると分析してみました。
【M8/Angenieux S5 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Angenieux S5 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(3) | 2011/01/17 Mon

洗操后快出去

M8/Angenieux 50mmF1.5
足許がどうか見えるくらい暗くなるまで散策して、宿探しに切り替えました。
巴沙でもどこかの家にお世話になれればおもしろいですが、何しろもう2日間風呂に入っていません。
今日は、ゲストハウスに泊まってシャワーを浴び、人心地つかないとと思います。
さいわい数件あるゲストハウスは、比較的大きな自宅の空いている部屋を貸し出す、日本でいうところの民宿ですので、民泊するのとそう変わりません。

高台にあっていかにも見晴らしのよさそうな宿にあたりましたが、いま使える部屋が無くてと断られてしまいました。
住宿と書かれた看板を出していたので、じつに意外な返事です。
あるいは、外国人だと悟って拒否されたのかも知れません。
明るいおばさんの対応がかえって恨めしく感じましたが、仕方なく近くの1軒に行ってみます。

こちらでは快く受け入れてもらいました。
まずは部屋を見せてもらうと実に清潔ですし、ふとんにはヒーターが付いていて安堵の気持ちです。
今日は、気温がかなり下がっていて、せっかくゲストハウスに泊まるのに、また服を着込んだまま寝たくはなかったからです。
トイレ・シャワーは共同ですが、これは前に言ったとおり、上面に温熱ヒーターが付いていて、寒くても問題なくシャワーを浴びられます。

値段を聞くと、20元(240円)とかなり良心的です。
ここでお世話になることに決めて、夕食もお願いしました。
外は寒かっただろう火にあたりなさいと、ソファーの席をずれてわたしに勧めてくれたので、炭火に手をかざしました。

何を食べるかと問われますが、こんな時の答えは決まっています。
ここの人が普段食べているモノ、です。
唐辛子も大丈夫です、とこれは、貴州、四川、湖南では付け加えるのを忘れてはいけません。
じゃあ来てと、家の三男の青年がわたしに調理場へ来るよううながしましたた。
素材を見て決めろということでした。

冬場だから食材は限られています。
野菜は、日本と変わらないものばかりだし、それにブタ肉とトリ肉が加わるだけです。
じゃあブタ肉と白菜、あと他の野菜もいれて炒めてください、卵もあるんですか、ではそれでもう一品お願いします、とオーダーすると体が冷えているだろうから卵はスープにしましょうかと訂正してくれ、こけはむろんOKします。

そうだ、こんなものもありますよと出したものを見て、わたしは驚きを隠せませんでした。
コンニャクでした。
中国にもコンニャクはあったのか、もしかしてこれは苗族だけか。
あわててこれも調理してとお願いして、ここではこれを食べるのか尋ねます。
苗族だけではなく、従江やたぶん周辺一帯ではふつうに食べるそうです。

日本にも同じものがあって昔から食べられているし、いまは健康にいいということで人気があるというと、今度は彼の方が日本にもあるのかと驚く番でした。
やはりコンニャク芋から作るのですが、普通は作られたものを市場で買って来るようで、そんなところも日本と同じです。

言葉のことで、数字が侗族の言葉とよく似ていることはおととい書きましたが、食文化も貴州と日本の繋がっているのかも知れません。
言葉も食事も共通点を調べていくと、日本人の起源に少し迫ることがてぎるように思いますが、わたしのような旅行者が簡単に見つけ出せるものなので、そのへんの調べは進んでいて当然でしょう。
確認したいところです。

食後は、家族と語らったり炭の火を囲んでゆったり過ごしましたが、暖かくなると自然に睡魔がとこからともなくやって来て寝るよううながしました。
敷きふとんのヒーターをオンにしてバタンキューで熟睡します。
そして、そのかいあって翌朝は予定通りの6時半に自然に目覚め、暖かなシャワーを浴びて、旅の汚れを洗い流しました。

さっぱりして、体も少し温まって早朝の散策スタートです。
昨日は気付かなかった路地の合間から見えた村の風景が絶品でした。
霧だか霧雨だか分からないイヤな天気でしたが、それが屋根を艶っぽくして、特徴ある家並みを強調します。
その先には低い山があったはずですが、下からもくもくと湧きおこる霧だか雲だかに覆われて、稜線を隠しています。

幻想的な光景にしばらく足を止めて眺め入っていました。
時間が止まったかのような、わたしがここに来て時間をとめたかのような不思議が眼前に横たわっています。
こんなものはカメラでは捉えられないと思ったのですが、帰宅して画像を見返して、あの時の見たままがそのまま甦って来ました。
完全に再現されていると思えるのは気のせいでしょうか。
アンジェニューS5を連れて行ってよかったと心から感ぜずにはいられません。
【M8/Angenieux S5 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Angenieux S5 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2011/01/16 Sun

縫紉機的位子

M8/Angenieux 50mmF1.5
本里は、入浴できないこと以外はたいへん快適です。
ずっといてもいいかも知れませんが、あらたな地を目指して旅立つことにします。

朝、お世話になった人のところへ顔を出してあいさつしておきます。
この村について最初に案内してくれた街道脇の林さんの家には、友だちふたりを引き連れて中三の娘が帰省していました。
この3人が3人とも美少女で、そのひとりがウチに遊びに来て、食事をいっしょにしましょうと誘ってくれていたのですが、楊さんの手前それが実現できなかったのが心残りです。
その彼女は、あいさつの時にいなくて、よろしく伝えて欲しいと言うばかりでした。
食事を用意して家族みんなで待っていてくれたかもしれず、辛い気持ちになります。

南行きのバスから車窓を眺めていると、田園風景の中に本里の人々の顔が重なって見えてきます。
それはすごく鮮明なものですが、10日経った今となっては、思い出せるのは数人だけ。
鮮明度も落ちてしまっています。
自分のいい加減な記憶をおぎなってくれる写真と出来事を記録するこのブログは、ポスト・トラベルのツールともなってくれています。

榕江で従江行きのバスに乗換えます。
このバスが鬼門でした。
このふたつの町は名前が似ている上に、地図上でも柳江という川に沿って75キロほどの平坦路のため、1時間強で着くように錯覚してしまいます。

しかし、未舗装区間が多い、バス本数が多いためか利用者が少なくなかなか発車しない、途中の乗降が多い、かつ途中で給油休憩あり、洗車休憩ありで3時間オーバーの行程です。
おまけにあせって降車して、愛用のiPodを忘れてしまいました。
翌日、その捜索をお願いしたため、大幅に時間もロスして、結局iPodは貴州の地に行方不明です。

ちっぽけなバスターミナルの脇に並んだ食堂でソバをすすって、今回の旅の念願だった巴沙を目指しました。
従江からは7キロしかなく小巴と呼ばれるバスが出ていますが、時間が不定期とのことで、タクシーを利用しました。
価格交渉になるかと思えば、巴沙へは今日低料金が定められていて30元だと言われます。
ちょっと高過ぎですが、観光地化しているためこういう料金設定がなされたのでしょう。
これは信じるしかありません。

ところで、巴沙の巴の上には、山冠が付きます。
巴だとパと発音するので中国人もパーシャと呼んでいましたが、実際にはピアシャというのが村の名前でした。
柳江に沿う町並みの従江からは、ひたすら登り坂を上がっていく山岳の村です。
住民は100%苗族で、人口は約3000人と言うので、本里と規模は変わりません。
しかし、本里とはちがって観光化しているので、入場料を12元(約140円)取られます。

観光化ということでは、巴沙にはゲストハウスが数件ありました。
また、表演と呼ばれるショーのようなものもあります。
しかし、冬のオフシーズンと言うこともあって、上記を除くと特にツーリズムを感じさせるものは見当たらず、人々の生活も本里と同様に素朴なものが感ぜられます。

バスに乗っている時間が長過ぎてもう暗くなりつつありましたが、F1.5の高速レンズで写真を撮れるあいだは散策することにしました。
ところどころで、たき火を中心に女性や子どもが集まって、世間話しながら編み物や生地の仕込みをしている姿が見られます。
寒いので屋内でやればいいようなものですが、これが週間とか伝統と言うものなのでしょう。
少しは暖かくなっても薄暗い室内より、明るく開放的なアウトドアを好んでいるようです。

それを象徴しそうなのが、野外でミシンを踏む女性です。
美しい棚田風景を楽しみながらとも見えますが、女性の位置からでは木が邪魔して見晴らしは悪かったはずです。
それでも、こんな環境で縫っていけば、カラフルで素敵な衣装ができるんでしょうね。
【M8/Angenieux S5 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Angenieux S5 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2011/01/15 Sat

文化很像

M8/Tele-Elmarit 90mmF2.8
竹馬している子がいっぱいいてびっくりしました。
なんて遊びなのかと聞くと、「高脚」と返事が返ってきました。
なんの捻りもない、そのまんまな名称です。
さらに、他では見たことがないけどと言うと、そういえばこのあたりだけしかやらないかも知れないと老人が答えてくれました。

中国に竹馬があるのか寡聞にして知りません。
竹馬で調べると違う中国では遊びを指すとか、中国の竹馬はもともと少数民族の遊びと書かれています。
それを鵜呑みにして、かつ勝手な想像も加えて考えると、中世の頃、貴州から日本にやって来た少数民族が伝えたと考えられるかも知れません。

同様のこととして、餅つきがあります。
これは以前に記したことがありますが、恐らく貴州や四川では春節に行われる餅つきですが、中国の他の地域ではたぶんないんじゃないかと言うことでした。
日本では元旦にもちつきをすることが多いと言うと、その話をした苗族の人が多いに感心していました。

2日目の夜、また楊さんや近所の人と雑談していると、楊さんから、せっかくだから日本語を教えて欲しいと言われました。
そういえば、わたしも侗語をまったく知りませんので、相互に教え合うことにしました。

わたしが知りたいのは、旅に使える実用的な単語で、食事(ジーオウ)、睡眠(ナンナー)、すみません(トゥイミーリー)等々を教わります。
楊さんが知りたい日本語は、幼稚園で習うような基本単語で、顔は、目は、鼻は、口は、耳はと次々に聞いてきます。
丁寧に回答しましたが、みみと答えた時、みんなから失笑がもれました。
理由は不明ですが、秘密を中国語ではミーミーと読むので、耳=秘密、という関連性が面白くて笑ったのかも知れません。

こんなことをずっと繰り返している時、じゃあ数字はと聞かれました。
いち、にー、さんと数え始めると空気が一瞬にして変わるのが分かります。
さらに、しー、ごー、ろく、しち、はち、きゅう、じゅう…。
すかさず楊さん今のは侗語で言ったのかと聞きますので、いや、日本語ですと答えると、今度は楊さんが侗語で数え始めたのですが、なるほどよく似ています。
日本語、侗語、中国語普通話を列挙すると次の通りです。

日   侗   中   
いち  いち  いー 
に   に   あーる
さん  さん  さん
し   しー  すー
ご   んごっ うー
ろく  ろっく りゅう
しち  しっち ちー
はち  ぱー  ぱー
きゅう ちゅう ちゅう
じゅう しっぷ しー

比較するとよく分かるのが、侗語は1~7まで日本語とそつくりで、8~10は中国語に似ているということです。
これはどういうことでしょう。
そこで、冒頭にあげた竹馬や餅つきの例が頭をよぎってきます。
侗族が日本に直接かかわったかどうかはともかくとして、どこかに接点があるのは確かでしょう。
非常に興味深いことですが、残念ながら現時点でこれ以上のことはまったく分かりません。

ここに面白い符合があります。
侗族は少数民族といいながら、人口はなんと1300万人あります。
日本はその10倍の1億3000万人です。
そして中国は、13億人です。
3者の人口比は1対10対100になるんですね。

おととい、昨日、今日と使用したレンズはテレ・エルマリート90mmF2.8です。
クラシックレンズと現代レンズの中庸をいくような写りですが、すばらしい描写には目を瞠るものがあります。
ライツの90mmはすべて優秀、の言葉に偽りなしです。

無限遠ばかりになつてしまうとライカで90mm以上の望遠はつまらなくなりますが、適度な距離感を保てると50mmの大口径とは似て非なる表現を愉しむことができます。
F2.8でも予想以上に深度が深く、美しいボケが魅力的です。
とって付けたようなレンズ紹介ですが、このテレ・エルマリートは、かなり気に入りました。
【M8/Tele-Elmarit 90mmF2.8 F2.8】
Leitz Tele-Elmarit(Fat) 90mmF2.8 | trackback(0) | comment(0) | 2011/01/15 Sat

三大苦悩(後)

M8/Tele-Elmarit 90mmF2.8
昨日、食事の喜びと悲しみを書いたので、入浴と手洗いについて続けることにしましょう。
客観的な記述に努めますが、潔癖症の方、食事前または後の方等々は、遠慮された方が良いかも知れません。

では、まず入浴についてですが、昨日、水が貴重だと言及したのでもう書くまでもないでしょう。
少なくとも冬場は入浴しないのが普通のようです。
おととし泊まった占里の家にはシャワーがありましたがお湯は出ず、今回の楊さんの家にはシャワーの設備はありませんでした。

では、どうするかといえば、多分夏場は雨水等を貯めておいて、日中浴びるのだろうと思います。
冬は、まれに電熱器を使って温めて浴びることもあるのかも知れませんが、通常はタオルを使って温めた水で体を拭くのにとどめます。
わたしが滞在した2日間では、顔と足のみ拭いただけで、体はそのまんまでした。

2日間まるまるシャワーも浴びなかったわけです。
風邪覚悟でシャワーを浴びるというテもりますが、基本的には2~3日シャワーを浴びられないのは耐えられないという人は民泊はあきらめざるを得ないでしょう。
ただ、1日ならどうにかという人なら、民泊と町のホテルでの宿泊を交互にするのもいいかも知れません。
そのうちに2~3日そのまんまでも平気になって来ることでしょう。

今回、占里の次に訪れた村は観光客が多いところだったためかゲストハウスがあってそこにお世話になりました。
1泊20元(約240円)でしたが、共同のシャワーからはきちっとお湯が出るばかりか、天井に温熱ヒーターが付いていて、お湯を止めているときも暖かい状態でいられるというすばらしい宿でした。

ついでに言えば、歯磨きもなかなか難儀します。
やはり、水が大切なものだからですが、作例写真のようにさいわいにもだいたいどこの村にも雑貨屋くらいはありますので、ミネラルウォーターを購入してこれで歯磨きしていました。
ちなみに中国の農村のほとんどの人が、基本的に朝だけしか歯磨きしません。

続いて禁断のトイレについてです。
まず、農村に一般的な水洗トイレがないのは当然ですが、便器そのものもないのがほとんどです。
だいたい離れのような小屋があって、浅い穴か溝が掘ってあります。
その穴や溝が、ちょうどしゃがんだときにちょうどいい幅なので、小屋にはいった瞬間すべてを察することができます。

トイレは、家畜の小屋と隣接しています。
排せつ物が、一部は小屋の住人の大切な食料になっていることが察せられます。
そうやって育ったブタの肉を美味しくいただくわけです。
これも、食物連鎖と言うのでしょうか。

排せつ物にはもうひとつの重要な役割があります。
いうまでもなく、農作物のための肥料です。
どんなところに使っているのか不勉強で分からないのですが、昨日の作例写真では田んぼの中に女性が膝まで浸かっていますので、たぶんここには肥料は撒かれないのでしょう(と願いたいです)。

楊さんの家にもトイレはあったようですが、周辺の住人はみんな小学校のトイレを使っていました。
中国式公衆トイレについてはご存知の方も多いと思いますが、日本人女性が便秘になって帰国するという、慣れないと勇気を要するものです。
男女に分かれていますが、中に入ると個室が無く、腰の高さくらいの仕切りがあるだけです。
ですから中へ入った瞬間に何人用足し中だとかが瞬時に分かります。

下には長い溝があって、そこに向けて排せつ物を落とします。
都会のトイレでは10分に一度とか定期的に水が流れますが、何度も言うように水が貴重なところではそうそう流すわけにもいきません。
恐らく、1日1回、朝一番で流しているのだと思います。
ここは、小学校のトイレなので、トイレ当番の小学生がその大切な任務を担っていそうです。

その直後にいけば、それなりに快適にトイレを使用できるかも知れません。
しかし、そうでなければ、嗅覚的・視覚的に辛い時間を過ごさなければなりません。
また、恥ずかしいので人のいない時に入ったのに、後からひとつとなりくらいの位置にしゃがむ人がやってきてしまうと、うつむいて顔を合わせまいとしたり、自分の用が済んでも相手が出ていくまでじっと待ったりしてしまいます。

以上は、けっしてわたしの趣味でこんな記述をしているわけではありません。
あくまで、このような旅を考えている方の案内をと考えています。
不快な思いをされた方も多いかもしれず申し訳ありませんでしたが、これが農村の普通の暮らしであって、滞在する以上避けて通れない道です。

しかし、食事も入浴もトイレも、そんなに昔でない日本で同様のものがあったのも事実です。
わたしたちのDNAをもってすれば、けっしてまったく馴染まないものではないと確信します。
【M8/Tele-Elmarit 90mmF2.8 F2.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Tele-Elmarit(Fat) 90mmF2.8 | trackback(0) | comment(2) | 2011/01/13 Thu

三大苦悩(前)

M8/Tele-Elmarit 90mmF2.8
わたしの旅行記やスナップに感動して、わたしもこの地をぜひ訪れたいなどと思う人は皆無でしょう。
しかし、もしかしたら、まあ行ってみても悪くはないかなあと考えた奇特な人もいないではないかも知れません。
ラクな旅をしていると思われていそうで、厳しいところもあるということを書いておかないと、こんなにきついことがあるのかと無責任のそしりを受けかねません。
今日は、旅のハードな面について正直に記しておくことにします。

現地までの長い道のりを行く交通手段がすでに苦痛の始まりですが、今回はそれには触れないことにします。
今日は、田舎の少数民族の村などで民泊した場合の苦労を説明します。
お世話になっているので、こういう不平とも取られかねないようなことはふだんは書きませんが、違う文化圏からやってくれば、当然のこと苦労かあるわけです。
ここでは、批判とか不満とかではなく、同様な旅をした場合、こういう苦労もありますよという側面から、仕方なしに情報提供するのだとご理解ください。

苦痛とか苦労とか書きましたが、苦悩とあらためます。
自分からすすんでお世話になりに行くので、苦痛や苦労という表現はきついし失礼な感じがします。
苦悩だと似たようなものかも知れませんが、みずから悩む的な試行錯誤感がしっくりくるような気がします。
その滞在中の3大苦悩が、食事、入浴、トイレです、当たり前過ぎですが。

まず、食事についてですが、さいわいにして貴州省をはじめ中国南部の少数民族が暮らすエリアは、食文化的に日本に近いと言えます。
何よりありがたいのがご飯で、広東省など長粒種米が主食のエリアと違い、短粒種の米を焚き立て熱々で食べるので美味しいと感じられる日本人は多いはずです。
ですから、問題はおかずの方になります。

まず困るのが、貴州省、湖南省、広西壮族自治区では、たいがい唐辛子を大量に使った料理が普通たと言うことがあります。
わたしは辛いものが好きで、激辛も何とか食べられるので大きな問題ではありませんが、辛いものが食べられない人はおかず抜きになるかも知れません。
ふりかけや嫌味にとられるかも知れませんが辛くないラー油を持参するのがいいかも知れません。
四川省ではさらい花椒が加わりますが、下が痺れて量が多いと口の中が麻痺します。
辛いモノ好きの日本人は意外に多いですが、花椒も平気という人は見たことがありません。

こんなに辛いモノを食べながら、水を飲まないというのも日本人には辛いでしょう。
おとなは代わりに米酒を飲みますが、かえって口の中で火を噴くような状態になるかも知れません。
少なくとも個人的にドリンク類を持参して行かないと、喉の渇きで夜中に目が覚めること必定です。

これは、それぞれの家庭の事情が大きいと思いますが、毎日、場合によっては毎日昼と夜が、同じ食事と言うことが十分考えられます。
本里村には2泊しましたが、昼食夕食はすべて火鍋でしたし、1回具材がブタ肉だったのを除くと、ここの特徴である牛肉の鍋が続きました。

鍋には、あと白菜と唐辛子が大量投入されています。
自家栽培の白菜も、日本のそれと同様美味しいです。
生姜や他の出汁用の野菜も入れられていますが、鍋の中は基本的に肉と白菜だけですので、このふたつを交互にとってご飯といっしょに食べます。
繰り返しますが、ここはお米が美味しいので、この単調さでもわたしはけっこう美味しくいただけます。
数日前滞在したフランス人がこの食事をどう思ったか分かりませんし、そういうわたしだってこの食事が毎日2食1週間続いたらもうイヤだとなっていたかも知れません。
もちろん食材が増える冬以外は、きっと食事のバリエーションが増えるのでしょう。

食事と関連して衛生面の問題があります。
ある意味こちらの方が大きな問題ですね。
いなかに限らず中国では、自分の使っている箸で他の人におかずをとってあげるということは普通にあります。
むしろ、自分の箸でゲストに食事をとってあげるのは中国流テーブルマナーなのかも知れません。

食べるペースが遅かったりすると、何を遠慮しているのと言うように肉をとってわたしの茶碗に乗せてくれたりします。
それが若いお姉さんだったりすると感激ですが、普通は家の主人だったりおじいさんおばあさんだったりしますので、その箸が相手の口に出入りしたとか考えてしまうと食事が喉を通りにくくなってしまう可能性があるので、ここは心を空にして食べるのに専念します。
ただ、よく唾液を介して肝炎に感染などとはよく聞く話なので、やはり気が気でないのが本音です。

そもそも、電気は通っていても水道やガスなどのインフラはほとんどの村では未整備です。
飲み水は泉から汲み、洗濯や食器洗いには雨水が使われるというのはごく普通のことです。
貴重な水ですから、箸や食器、鍋がすごく丁寧に洗われているとは限らないと考えるのが普通でしょう。
ある意味、それらが雑菌の繁殖場になっているかも知れません。
旅にあっては、絶対にそういうことは考えませんが、ときおりそんなことを思ったりして、複雑な気持ちになります。

いろいろと書きましたが、1食1食の食事はほんとうに美味しいのです。
食の喜びを感じられるので余計なことを考えない、それが旅を愉しむ鉄則です。
そういい加減な締めをして、この項を閉じたいと思います。
あと、ふたつの苦悩については紙数が尽きましたので、明日に続きます。
【M8/Tele-Elmarit 90mmF2.8 F2.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Tele-Elmarit(Fat) 90mmF2.8 | trackback(0) | comment(2) | 2011/01/12 Wed

早上的風景

M8/Angenieux 50mmF1.5
宴会が始まったのが5時半だったので、終了したのはせいぜい7時だったと思います。
いくら盛り上がっても、食べ物がなくなると米酒だけで宴を続けるのは長過ぎるのでしょう。
それよりも、夜の寒さの方が辛いからかも知れません。
気温はほぼ東京の同時期と同じ感覚で、この日は夜には4~5度に下がったようです。
雪は、年に1回降るか降らないかくらいというのも、東京に近いと言えそうです。

楊さんの家に戻って、楊さん夫婦と雑談しました。
しばらくして、かなり酔っていたわたしはいつの間にか話をしつつも舟を漕ぎ始めたようです。
もう寝ましょうと、2階にある夫妻の子ども部屋にわたしを通しました。
申し訳ないと思いつつも、コートを脱いで、下のみ寝間着に着換えて、靴下はそのままに眠ってしまいました。
爆睡です。

朝は、村が起き出す雰囲気につられて目が覚めました。
外はまだ薄暗いですが、時計を見るともう7時を廻っていました。
前夜は、たぶん9時前に寝てるはずですので、10時間以上眠っていたことになります。

階下では物音がしているので、当然ですが、夫妻はもう起き出しているようです。
寒さで蒲団から出るのをためらっていたのですが、このまま横になっている訳にもいかず、思い切って跳ね起き着替えて、降りて行きました。

おはようと声をかけようとして驚きました。
なんと、家に、子どもたちが群れ集まっています。
寝起きの頭でしばらくなんだこれはと考えましたが、やり取りを見ていてやっとのみ込めました。
楊さんは夫妻は、朝食を作って軒先で売り、それを通学途中の小学生が買いに来ているのでした。
家は、小学校の校門のまん前なので、混乱に近い状態で子どもたちが食べ物を買い求めてようとしています。

見ると、隣の家、向かいの家、斜向かいの家でも同様に朝ご飯を売っていて、やはりいずれも盛況でした。
詳しく確認していませんが、それぞれ違うものを作って売っていて、子どもたちは気分で毎朝違うものを買うようでした。
たぶん1食10円程度のようですが、自宅で朝を食べないのも不思議な気がしましたが、向かいや隣では麺もあって、こちらはおとなが美味しそうにすすっている姿がちらほら見られます。

この日は日本では大晦日ですが小学校は登校日で、明日は元旦節、明後日は日曜、その次は国民の休日のようなかたちで3連休になるそうです。
お伝えしたように一昨日まで侗年の3連休だったはずなので、子どもたちにはうれしい休みが続いているという感じなのでしょう。

ぼんやりしていると、楊さんから、子どもに売っているのと同じものを朝食だと手渡されました。
ごはんにブタ肉がのった、台湾の魯肉飯に似た食べ物です。
なるほどこれは美味しいし、こどもたちにも好評なのがうなづけます。

作例写真では、普通の服装のこどもばかり写っていますが、1割近くの女の子は民族衣装を着ていたのが印象的でした。
侗年の直後だからかなと聞いてみると、そうではなくて年間を通して着る子はずっと着ているようです。
ただ、高学年になるほど着用率は減ってしまうのが感じられました。
これはまったく想像ですが、服が気に入らなくなったのではなく、おしゃれの年頃になってきて、みんなと同じではなく着るものにも個性を主張するようになってきたからではないかと思いました。
【M8/Angenieux S5 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Angenieux S5 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2011/01/11 Tue

唱得非常好

M8/Angenieux 50mmF1.5
宴は静かに盛り上がりを見せています。
女性も含めて多くの人が米酒を楽しんでいますし、小学校の校庭とは言えアウトドアの場ですから、誰しも開放的になるのでしょう。
寒い最中に熱々の激辛料理で体が火照るという状況が、さらに盛り上がりを煽っているような気もします。

さあ、宴もたけなわという時、女性数人がわたしの背後にやって来ます。
何やら口上を述べたと思うと、唐突に歌が始まりました。
一昨年、同じ貴州省の侗族の村である占里に滞在した時は、小学校低学年の4人組でしたが、こちらはそのお母さんよりもずっと年上世代のベテラン歌手たちです。
はじまった音楽は合唱曲で、ハーモニーというよりはユニゾンによる高音のインプロヴィゼーションのようなテクニックを感じさせるすばらしいものでした。

楊さんが耳元で歓迎の歌だよと教えてくれます。
1曲終わると、感激する間もなく女性がコップを差し出します。
コップの中身は言うまでもなく米酒で、受け取って飲もうとすると、女性はそのままコップをわたしの口もとへ持って来て有無を言わせず胃袋の中へ酒を流しこみます。
ひとりが終わると、次の人、また終わって次の人と、4杯飲まされくらくらです。
周囲は笑いながら見ていましたが、最後には飲みきったことで拍手が起こりました。

続いて今度は女性ソロが中心の歌が始まりました。
これも素晴らしい歌唱でびっくりさせられます。
目の前でマリア・カラスでも聴かされているような興奮が火照った体を駆け巡ります。

歌が終わって拍手つながら、また強制的に酒を飲まされるのでと逃げるポーズをすると、まわりから笑いが起こります。
しかし、今度は心配する必要はありませんでした。
女性は、シンプルですが伝統の刺繍の入った帯を取り出して、わたしの首にかけてくれます。
歓迎の行事が完結したということのようです。

聞くと、首にかけた帯はいろいろな使い方をするそうで、ベルトのように腰に巻くのが一般的ですし、ふたつにして靴下の上部に巻いてもよいといいます。
首にかけてくれたからネクタイにしてはダメかと上段っぽく聞くと、それだっていいよと言うので、本当にネクタイのように結んでみました。
酔った勢いの行動でしたが、これが意外に大ウケで、爆笑が起こります。

おかげで、その後はお酒を注ぎにやって来てはあいさつしていく人が出たりで、ちょっと溶け込むことがことができたかなあと実感します。
代償として、かなりへべれけに近くなりましたが。

作例写真ですが、これは宴が始まった頃、ばんばん飲まされて写真どころではなくなると悟った頃に、テーブルを廻って撮らせてもらったうちの1枚です。
M8ですので、35mmフォーマットに置き換えた周辺の具合は不明ですが、開放からとんでもなくよく写ることを同意いただけると思います。

レンズは、昨年の12月16日の記事で言及しているアンジェニュー50mmF1.5です。
実際には Kodak Cine Ekton という名称ですが、鏡胴にはしっかり Angenieux とも刻印されています。
有名なアンジェニューS21と同じレンズと期待して購入しましたが、少なくとも前玉のサイズが小さいことが分かりがっくり来たところに、MSオプティカルからはS21とまったく同じ球面収差を持っていると診断いただいて基本的には同じレンズかと思い直していました。

そして、今回使用してみて、やはり違うレンズではとほぼ核心を得るに至りました。
何度もS21の作例を見ましたが、開放でここまで安定してシャープでボケの安定しているものは無かったからです。
こちらの方が高性能だと言っているわけではありません。
同一条件で比較してみないと分からないことはたくさんありますし、このレンズにも前後ボケにかなりクセがあることは分かっています。

知りたいのは、S21とどのような違いがあるかと言うことです。
このレンズを入手できたことで、高価なS21は不要と考えましたが、まったく違うレンズであれば、再度S21を視野に入れ直さないといけません。
関心は、レンズ構成と硝材ですが、情報に乏しくその道は険しいのは間違いありません。

直感的な感想として、このレンズは質感描写に優れたレンズと感じました。
繊維それぞれをうまく描き分けているような気がしますし、子どもの肌のふっくら感も好きな表現です。
一方で、立体感はどのカットでも乏しく感じていました。
アンジェニューにしては発色も地味なのが、ずっと気になってもいました。

分からないことだらけですが、ざつと検索すると、同じマウント・同じ鏡胴デザインで25mmF0.95や25mmF1.5もあることが分かりました。
だとすると、アンジェニューにはS1 50mmF1,5というレンズがCマウントで存在するので、その転用説が俄然有力になります。
S1のM8やR-D1、などの作例を探さないといけません。
やはりS1転用かと推定で判明するかも知れませんし、いや違ったとなるかも知れません。
と言いつつも、できれば後者であれば嬉しいというのが本音ではあります。
【M8/Angenieux S5 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Angenieux S5 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(4) | 2011/01/10 Mon

侗年宴会

M8/Angenieux 50mmF1.5
林さんの案内から戻ると、楊さんがわたしを待ちかねていたようでした。
今日は、ウチに泊まって行ってくれと言ってもらいます。
この村には宿泊施設が皆無なので、泊めて欲しいとお願いするか、宿のありそうな町へ移動するかの二者択一と考えていたので、これは願ってもない申し出です。

昨日記したように、ほとんどの家では青年世代が出稼ぎに出ているので、空いている部屋はあるはずです。
そこを貸すか貸さないかは、ひとえに客人が信用できるか否かにかかっていると言えます。
今回、息子の写真を持って現れた外国人ということで、お願いすれば宿泊許可は得られるだろうと踏んでいました。
ですが、泊めさせてくださいとお願いするのは図々しい感じがして、なかなか切り出せなかったりします。
泊まって行ってくれというのは、今回は社交辞令的に言っているようではなさそうですし、本当にありがたいことでした。

しかし、楊さんは続けて、あなたは非常に不運だと言います。
意味が分からずなんのことですかと尋ねると、2日前に侗年があって、その時に来ていればいろいろな体験ができたのにとのことです。
侗年とは、どうも侗族独自の暦があってその新年のことのようでした。
この日12月30日でしたから、あさって西暦の新年だが、さらに2月の春節と、立て続けに3回の新年があるのかと聞くと、そうなんだわたしたちは記念日が好きなんだと笑います。
元旦は単に中国でも祭日なだけですが、侗年は春節同様重要な日になるのだそうです。

ビデオがあるから見ようとつけてくれました。
町から撮影部隊が来て録画していったものが早くも配布されたようです。
2日間にわたっておこなわれたお祭りですのでとても全部は見きれませんが、小学校のグランドに民族衣装の人々が大きな円をつくって、歌や踊りで盛り上がっています。

後日、また歌の話はするつもりですが、侗族にとって歌はもっとも大切なものです。
ソロを歌う女性はかなりの美声で、声量もたっぷりあることが、楊家のテレビを通して伝わってきます。
よく見れば、楊さんや林さんも列の中にいます。
アルコールが入っているのか、なんだかご機嫌な顔をしています。

数人の西洋人が列に入っていたので聞くと、フランス人一家が見学に来ていたそうです。
ご主人はかなり中国語のできる人で、熱心にいろいろと聞いていたと言いますので、文化人類学者とか何かの研究者かも知れません。
去年は、日本人も来たそうで、てっきりわたしがこの村を訪れた最初の外国人か少なくとも最初の日本人であることは間違いないだろうと確信していたのですが、ふたつともそうではなかったことがあっけなく分かってしまいました。

侗年の祭りは昨日で終わってしまいましたが、今日は後夜祭なのでしょうか、みんなで野外で食事するとのことでした。
楊さんが泊まって行ってと言ったのは、それに参加してほしいからという理由からのようです。
祭り当日はフランス人と他にも中国人観光客が何人かいたそうで、後夜祭ではわたしひとりとは言え、やはり外国からの来賓がいるということが重要な意味を持つのかも知れません。

まだまだ明るい5時半から宴が始まりました。
あいさつがあったりということもなく、ひたすら食べては飲むだけのようです。
半円のテーブルを囲んで、銭湯にあるような低い椅子が並びます。
互いに肩触れあうような、親密感いっぱいの雰囲気が生まれました。
(楊さんは、写真左から2番目の人ですが、お酒を片手に嬉しそうです)

料理は鍋がふたつで、ひとつは豆腐がメインの鍋、もうひとつはブタ肉と白菜の鍋ですが、味付けはまったく違うもののともに唐辛子が大量投入された激辛鍋です。
わたしは全然平気ですが、くだんのフランス人たちは、激辛の多い貴州省でどういう食生活を送ったのかがきになったりもします。

もちろん主食は炊きたてご飯ですが、この地方を旅していてありがたいのはお米が美味しいことです。
これがもっと北の陝西省あたりだとトウモロコシの入った米だったり、四川省では青稞という穀物だったり、さらにチベット人のエリアでは例のツァンバという練モノだったりしますので、炊きたてジャポニカ米を新米で食べられる貴州省はそれだけでもありがたく感じます。

そして、最後にこれだけは避けられないのが米酒です。
アルコール度数30度くらいある自家醸造のお酒です。
高粱で作る50度以上の白酒ほどではないですが、日本酒と比べると同じコメのお酒なのにわたしにはかなり強過ぎです。
口当たり良く飲みやすい酒ですが、強引に表現すれば、わたしには焼酎を日本酒で割ったような味のように感ぜられます。

よりソフトな味わいなのがもち米で作った儒米酒で、甘くてより飲みやすいのですが、それほど作らないようで今回の旅では1度しか飲む機会はありませんでした。
儒米酒もアルコール度数は変わらないので、1度飲めば十分でした。
酒でもてなすのがルールでしょうから、はっきり飲めないと断らないと次々つがれてしまって、最後はへべれけです。
【M8/Angenieux S5 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Angenieux S5 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2011/01/09 Sun

攀登架

M8/Angenieux 50mmF1.5
大きなジャングルジムで大人が遊んでいます。
数えてみると16人もいます。
思い思いに違った動きをしていて、なんだかみんな自由で楽しげです。

無理のある出だしで申し訳ありません。
もちろん写真は、本里の村で行われていた家を建築している風景です。
村の家々から続いていましたが、そのはずれで畑に面した傾斜地でしたので、これは間違いなく建て替えではなく、新しい場所に新築しているということでしょう。

ふと、林クンが広東省に高校を出てすぐ出稼ぎに行っていると聞いたことを思い出します。
経済発展著しい沿岸の広東省と遠く離れた小さな村は、一見すると、その発展とは無縁のようですが、やはりそうではありません。
広東省まで出稼ぎに行けば一度に大金を得られるわけではないですが、村で暮らすよりもはるかに大きな現金収入を手にすることができます。

この家の主がどんな人かは知る由もありませんが、若くして広東に出稼ぎし歯を食いしばって十年、大きなお金を手にして、凱旋、この村に戻って来たのかも知れません。
そのまま広東みたいな空気の悪く、人心の知れないところにいたくはない、オレは故郷に帰るんだ、そんな気持ちで頑張ってその間できた家族といっしょに戻ってきた、青年の姿が想像されてなりません。

大通りから小学校へ通ずるメインの道を村人総出でコンクリート舗装している姿も見ましたが、なるほど冬場は農閑期なので、この時期に大掛かりな仕事をみんなで行うのだなと気付きました。
日本で旧暦は名前の通り過去のものになって久しいですが、中国では農歴といって現役で使われている暦です。
中国で新年は元旦ではなく春節を祝うのは、ご存知の通りです。
その農歴には、農閑期の冬場に家を建てましょうと織り込まれているということのようです。

しかし、それにしてもと考えざるを得ません。
貴州省の少数民族の村では、いずこも学校を出た男女は都会に働きに出てしまいます。
自給自足していて、多少は売ったりする作物もありますが、高収入の商品作物があるわけではないので、実家にいて就農する若者は皆無です。

わたしが訪れたことのある貴州の村はことごとく、学生以外の若者は存在しません。
学生だって、村の中に中学があるのは稀で、小学校を出ると近くの町の中学へ行くため家を出て寮に入らないといけません。
なんとも奇妙な空洞化というか、小学生以下の子ども、余裕がある家ではお母さん、老人しかいないのです。

日本でも状況は同様のものがあるのでしょう。
ずっと大昔の小学校の頃、三ちゃん農業という言葉を習ったことがありますし。
それでも、しっかり農業高校・大学とあって、農業を学んだり、そうでなくても実家で就農する人のパーセンテージは中国よりずっと多いはずです。
農業に志を持つ若者も少なくないことと期待もします。
(これら観点からは日本がTPPに参加することを反対せざるを得ません)。

少数民族の村を歩いていて、寂しいと感じることがあるとすればまさにこのことです。
村を歩いていて青年と会うことが無い、家族と食卓を囲んでいてもやはり青年がいない、子どもは父親の背中を見て育つわけではない、夜になっても若い奥さんは…。
やはり、これは健全な姿ではないと言って間違いないと思います。
【M8/Angenieux S5 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Angenieux S5 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2011/01/08 Sat

愉快的村民

M8/Angenieux 50mmF1.5
本里村は、貴州省黔東南地域にある少数民族の侗族が暮らす村です。
人口は4千人弱と、エリアの村としては比較的大規模でした。
もっと小さな村を想像していたので、フルネームが分かれば人探しは簡単だと思っていました。

そんな中で、バスを降りて最初に会った人である楊翁に、林クンを探していると告げると、林という名字は村の3分の1を占めているのでちょっと分からんなあと一緒に探してくれることになったのです。
楊翁の記憶では、確かあの辺にいたようなということで外れまで歩いて行きましたが、これは勘違いだったようで見つかりません。
さらに2軒ほど尋ねたところで有力情報があり、その林クンの実家は、なんと楊翁の6~7軒隣の家だと判明しました。

果たして林クンは、と胸躍らせてふたりで門を叩くと、母親はいましたが残念ながら本人は不在でした。
2年前は高校3年生でしたが、昨年無事卒業して、今は出稼ぎに行っているとのことです。
少々残念でしたが、林クンが元気なこと、お母さんに会えたことで目的の半分以上は達成できたと感じられます。

ところで、今どこにいるのかと聞くと東完市虎門だというのでびっくりしました。
東完は旅の出発地、深圳の隣ですし、虎門へは昨年訪れたことがあります。
今回は時間が無いですが、次回、深圳訪問時には容易に会いに行けるでしょう。

お母さんの友だちも集まったりして、2年前撮った何枚かの写真を見てもらっていると、写っている何人かはこの村の人ではないが見覚えがあると言います。
そして、林クンと写るもうひとりの男性が、この村の人とのことでした。
彼には名前を記入してもらわなかったので名前が分からなかったのですが、楊クンというようです。
案内してくれた楊さんと同じ姓ですが、親戚ではない模様。

また、楊さんの案内で、今度は200メートルほど離れた楊クンの実家へ行くことになりました。
ほんとうに楊さんには歩かせてばかりで申し訳なかったですが、わざわざ訪ねてきた人を助けないという惜しみない尽力の気持ちが伝わって、感動を禁じ得ません。
ほんとうに残念でしたが、楊クンもまた、離れた高校の寮にいるとのことで会うことができませんでした。
何より、楊さんが残念がっているのが分かり、なんだかそのことの方がわたしを辛い気持ちにさせます。

楊クンの両親はじめ、親戚とかご近所とかやはり写真を取り囲んで盛り上がっていると、林クンも楊クンも知っているという林さんというおじさんが現れて、本里村を案内しましょうとかって出てくれます。
ふたりがいれば、この村に滞在していくつもりでしたが、不在とあってはどうすべきか決めかねます。
村を後にすることになるのであれば、ぜひひと回りして彼らの田舎を見ておきたいところです。

さて、この林さん(この村で名前を聞いた人はすべて林さんか楊さんで、ややっこしくて困ったものです)いかにもなお人好しですが、困ってしまうのは、なかなか話が噛み合わないタイプというか、わたしの意思が理解してもらえないところが多々ありました。
わたしが、自然が美しいのはすばらしいが、写真に撮りたいのは人々の生活なんですと言っても、撮るべきものだと案内するのは村一番の大木とか、山からの眺めとか、感覚的なズレはついぞ修正できません。

だから人が撮りたいんだってとちょっと強く言うと、子どもたちを何人か掴まえてはほら写真を撮るから一列になってとかそんな調子です。
撮影結果の液晶画面を子どもに見せるよううながしては、子どもたちに何か言ってわははと笑っています。
きっと、わたしのことをオレを尋ねて外国から来た友人なんだぞとか言って自慢しているのかも知れません。

ところで、男性は普通の中国人と変わらない出で立ちですが、女性は結婚を機に民族衣装を着るようで出合ったほとんどの女の人が侗族の衣装を着ていました。
これら衣装は基本的に同じデザインで、刺繍が施されているものの作業着にもするためか割合と地味目な服という印象です。

ところが、ひとり向こうからやって来る女性は、刺繍がかなり凝った美しいものを身につけていてかなりのおしゃれのように思われました。
そこで、きれいですね、写真を撮らせていただけませんかと声をかけたのですが、彼女には中国語の普通話が通じません。
林さんが通訳とばかり侗語でなにやら言うと、女性は自分のこだわりを褒めてもらっていることが嬉しいのでしょう快くモデルを引き受けてくれました。

また、ところがです。
何を考えているのか、今度は林さん、写真にいっしょに入ろうとします。
女性にあんたは邪魔というように一喝され押し出されましたが、林さん、また懲りずに女性ににじり寄って奇妙なポーズで笑顔を作ります。
女性の衣装よりも、林さんの性格が出た写真として、今日はこれをご紹介です。
記念写真のようでつまらないとも言えますが、背景が村の様子を伝えているのも採用ポイントになりました。
めずらしく絞ってF4です。
【M8/Angenieux S5 50mmF1.5 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Angenieux S5 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(6) | 2011/01/07 Fri

元旦好

M8/Angenieux 50mmF1.5
新年快楽!
明けましておめでとう、を中国ではこう言います。
懲りず、新年を中国で過ごしましたので、こんなご挨拶から2011年を始めたいと思います。
今年も、よろしくお願いいたします。

今回、旅したのは貴州省です。
去年の年末年始も貴州省でしたし、5月連休も貴州省でしたので、よほど好きなんだなと言われそうです。
それは否定しませんが、本当は他のエリアにも足を伸ばしたいと思っています。
ただ、1週間の休みではどこへでも旅して行けるという訳にはいきません。
航空券がリーズナブルな、東京→香港→深圳というルートをとると、貴州省は地域的・期間的に歩きやすい位置にあるのは事実です。

しかし、慣れた貴州省ということで油断がありました。
自然の影響ということもあるので致し方ないかという部分もありますが、旅自体は失敗だったと反省しています。
いや、旅には本来、成功も失敗もないはずなのですが、思い通りにいかないことがあって、それが続くと失敗したという気持ちになります。
そのことは、追々書くことにします。

ちょっとした躓きは到着した貴州省の省都、貴陽から早くも起こりました。
空港からはバスで勝手知ったるバスターミナルに着いたのですが、そっくり引っ越していて、いきなりかなりの時間ロスに見舞われました。

その後、到着した凱里では、去年の年末年始とゴールデンウィークに会ってすっかり親しくなった石チャンこと石敏小妹と情報交換がてら半日行動をともにする予定だったのですが、彼女の友人の友人の結婚式にぶつかってしまい、1時間ほどで立ち去られてしまいました。
それ自体もがっかりでしたが、旅行会社に勤める彼女に次の目的地への交通手段を相談できなかったのが、また痛かったのでした。

交通手段については、自分で探すしかなくなりました。
ダイレクトに行くのであればバスを利用すればリーズナブルです。
一方、途中、いくつか魅力的な村があるので、できることならそういうところを見物しつつ目的地に着ければ理想的で、2年前はタクシーをチャーターしました。

今回も、タクシーと交渉したのですが、どうしたわけかどのタクシーも料金は2年前の倍以上の言い値で、とても交渉して前回同様というレベルに持って行くところではありません。
何台もタクシーを停めては、明日、車をチャーターしたいいくらで行くか、などのやり取りをしてすっかり疲れてしまいました。
そのうちに、5月に施洞までチャーターしたバイタクの運転手とばったりあってしまいお互いびつくりで、彼なら安く連れて行ってくれそうでしたが、さすがに真冬に長距離バイクに乗る気はせず、ここでタクシーと交渉するのはあきらめることにしました。

結局、朝一のバスに揺られること3時間、やっと到着したのが本里という小さな村です。
ほとんど知られていない、観光とはおよそ縁の無い村ですが、吊脚式の家が並んだ美しいところでした。
2年前、車江という村で出合った青年、林クンの家がここにあるので尋ねてみたのです。

バスを降ろされたところに、いかにも村の長老然とした威厳と優しさの両方を感じさせる老人に事情説明したところ、わしは知らないが、探してしんぜようと案内をかって出てくれました。
作例写真はその時のもので、心当たりを尋ねてくれています。

いきなりピンボケ写真でスタートしてしまい申し訳ないですが、心優しいこの老人が後ろ姿とは言え写っているのはこの1枚しかありません。
70歳になるというこの楊さんが、突然現れた見知らぬ外国人のために必死になって手を貸してくれた姿は、わたしにとって非常に大切なものです。
林クンに会うことはできるでしょうか。
【M8/Angenieux S5 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Angenieux S5 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(4) | 2011/01/06 Thu
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