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这就是万灯

M8/W-Nikkor-C 35mmF1.8
川奈シリーズは、やはり万灯をご紹介して最終回とします。

神社の下に差しかかった神輿が、あの急角度で長い階段を上がっていきました。
続いて各町の万灯もそれに続きます。
万灯に続いていた山車は神社下を少し通り越したところで止まり、下からお囃子を続けりを盛り上げ続けます。

わたしは、神社の下の鳥居のところにスタンバイして、神社に上がるタイミングをうかがいます。
最後に行われる万灯こそ、このりの歳代の見どころと聞いていました。
しかし、この階段を上がっていくのは、万灯とその持ち手である各町10名程度の人だけで、見物客が上がっていいものか不安を感じます。

ちょうど役員とおぼしき人がいたので、上がって良いかと尋ねると、今はちょっと待って欲しいとの返事でした。
一基目の万灯が上がった直後のことです。
そして、二基目が上がったところで、役員の方から、今だ、上がれと声をかけていただきました。
躊躇することなく、長い階段を一目散に駆け上がりました。

神社の前には、やはり関係者のみが集まっています。
わたしには居場所がなく、隅にスペースを見つけて小さくなって見学することにしました。
そこへ三基目の万灯が上がって来て、神事が始まりました。

高齢の宮司が現れて神輿が奉納されると、いよいよ万灯が登場しました。
各町から数名が代表になって、万灯を持ち上げて、大きく振ります。
ここは撮影しなくてはいけないと判断して、少し前に出てカメラを構えますが、あまりに暗くF1.8開放でも、シャッタースピードは1/2になってしまいます。
感度を上げる手もなくはありませんが、粒子が極端に粗くなるのを嫌い、万灯にならって両足を踏ん張ってホールドして手ブレしないようトライしてみることにします。

重量が60キロもある万灯には、少し高い位置握り部分があるので、そこを掴んで持ち上げます。
60キロならなんとか上げられそうな重さに感じられるかも知れませんが、重心が高い位置にあることと担ぐのではなく握りを掴んで持ち上げなくてはならないことから、かなりの習熟がないと上がらないと言われます。
ただコツはあるようで、上に伸びた竹が後ろに垂れていることから後ろにバランスしますので、いったん前に押し出すようにしてから渾身の力で上に少し上げて、後方向へ倒れかかるところを全身で支えます。

常に重みが後ろにかかりますので、それを前にぐっと押し出すようにバランスをとるようなのですが、このときに力の入れ具合が足りないと、一気に体ごと後ろへ持っていかれてしまいます。
この説明をしてくださった方も若いころ失敗して、肩を脱臼骨折したと笑っていました…。
かなり危険だと言うことです。

この段階でバランスをとることができれば、腰でぐっと踏ん張って、万灯を振ることできます。
万灯を振るとは、下に垂れさがった竹を遠心力を利用して回転させることを言います。
ハンマー投げのように体を軸にして、大きくぐるーんと回すわけです。
ただ、体はまっすぐを向いたままで、ハンマー投げのように本人は廻りません。

万灯振りは、2回転させるようなのですが、持ち上げてからこの2回転まで決められるのは、挑戦者の半分くらいになってしまうようです。
緊張によって力を発揮できない人もいるでしょうし、早朝からりに参加してきて体力の限界でのチャレンジになると言うこともあるでしょう。
ただし、決めれば英雄です。
心からの祝福の拍手を得ることになります。

もともとが漁師の力自慢が起源のようですが、残念ながら参加者の多くは両市ではなくなってしまっています。
恐らくは、自営業だったりサラリーマンだったりなのでしょう、日ごろから鍛えていなくては非常に厳しいのは言うまでもありません。
それだけに万灯を無事振り終えた時には、心からの拍手も出ようというものです。
見物客でも力が入るし、熱くなる、それに暗闇にわずかな灯りの中での万灯が振られる姿は何より美しく感じられます。

写真はほとんどすべてがブレていましたが、それはそれでいいでしょう。
暗い中で、ピントが合っているものほとんどありませんでした。
写真撮影するものではないということです。


後日、このりを教えてくれた方に、愉しんできたことを報告にうかがいました。
りの素晴らしさを興奮気味に語ったことで、この方にもわたしの満足度を理解してもらえたようでした。

教えていただいたように、最後の万灯を振るところがいちばん素晴らしかったとお礼を述べた時です。
その方は、えっと驚き、あの場面を直接見たのかとわたしにたずねました。
あなたがあれこそがハイライトだと教えてくれたので、頼んで神社まで上がって間近で見学したのだと答えます。

するとこう教えていただきました。
あそこは、氏子以外は上がれないところで、今まで部外者で上がった人はいないんじゃないのかな、よく上がれましたね。
…。
わたしは、返す言葉が思いつきませんでした。
【M8/W-Nikkor-C 35mmF1.8 F1.8】
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thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
W-Nikkor・C 35mmF1.8 | trackback(0) | comment(2) | 2010/10/31 Sun

又新又旧的

M8/Cinematograph 2inchF3.1
夕方になるとりはいちだんと盛り上がりをみせ始めました。
いちばん南側の小浦町の漁港のところから、ゆっくりと神社にの方向へ進み始めます。
山車はライトが点灯され、いよいよクライマックスに向かってムードも高まります。

この山車は最新仕様になっていて、例えば車のものと同様のハンドルが付いていて、動力こそ人力で引くもののコントロールは運転手が行います。
一見安易に思える部分ですが、いくら伝統行事でも公道を動かす山車は警察の許可が必要で、運転手も許可を得た人が酒を断って真剣に行います。
万一、建造物にぶつけて壊したり、人にあたって怪我させたりでもすれば、責任を問われることになるのです。

基礎部分は新しい設計でも、上部の壁にあたるところには美しい彫刻と彩色が施されたかなり古いものだと分かります。
刷新するにあたって、古く使えなくなった山車を博物館に仕舞いこむのではなく、なるべく採り入れようとしたことが分かります。
ご先祖さまも一緒に参加しているように感じられるでしょうし、外観としても動態保存をしていると言えます。

奏でられるお囃子も一気に盛り上がって来ているのが感ぜられます。
おとなも子どもも山車に乗って、町会の総力をあげて高みを目指すかのようです。

そのお囃子についても面白い話が伝わっています。
もともと伊豆に伝わるお囃子はひとつで、それが歴史を経て土着化するにつれて土地ごとにオリジナリティがあるものになっていったようなのだそうです。
はっきりそうだと言う証拠はないのですが、例えば川奈の3町、東町、小浦町、宮町のお囃子は、よく似ているものの違う曲で、少しずつ変容していることが分かるのだそうです。

現在では、万灯が行われているのは川奈だけですが、隣の富戸にも万灯そのものは残っていると聞きます。
あるいは、かつては伊豆一帯で同じ曲を奏で、同じ万灯のりが行われていて、それが時代を経るにつれて土地ごとのスタイルに変わり、唯一オリジナルのかたちで残ったのが川奈の万灯なのではという説もあるようです。

海岸に面した通りから、細い路地に入ると神社はもうすぐそこです。
歩みはゆっくりで、というよりはほとんど止まってしまいましたが、りそのものはピークを迎えているように感じます。

そのとき気付いたのですが、明るかった少し前まで何人もいたカメラマンたちは岐路についてしまったのかほとんど見られず、地元の人ばかりになってしまいました。
狭い路地に神輿と3基の山車と3つの万灯がいますし、地元の人だけでもかなりのひしめき具合です。
カメラを持ってうろうろするばかりのわたしも、気持ちが高ぶって来るのが分かりました。
【M8/Cinematograph 2inchF3.1 F3.1】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Cooke Cinematograph 2inchF3.1 | trackback(0) | comment(0) | 2010/10/30 Sat

浴衣与手甲

M8/Cinematograph 2inchF3.1
すっかり寝過ごしてしまいました。
川奈の美しい海岸を見ながら、りを見に戻ります。

川奈は伊東市の市街地から数キロ南に下ったところにあります。
ちょうど川奈の北のあたりから岩礁の海岸がはじまって、富戸、城ヶ崎、伊豆高原と断崖絶壁の岩場が続いています。
八幡野を過ぎると熱川、稲取に代表される温泉の町が点在してゆったり過ごすのにいいところです。
近くには桜で有名な河津があって、シーズンには春の訪れを感じに訪れる多くの観光客で賑わいます。
さらに南下すると下田市ですが、ここからはもう十数キロで最南端の石廊崎に達して、東伊豆は終わります。

温暖で風光明媚なうえに、海水浴、ダイビング、釣りと海のレジャーにはことかきません。
東京・神奈川からほど近く、軽くドライブに行くというのにもぴったりです。
さすがに土日は激しい渋滞に見舞われ、夏場の日曜日など、通常2時間半で着くところに8時間かかったなどの話は枚挙にいとまがありません。


さて、会場に戻ると山車のお囃子が子どもたちに替っていて、和やかながらもまた別の緊張感を作っています。
子どもたちの真剣な表情が素晴らしいですし、奏でる音楽も練習の成果を出しきっているという充実が感じられました。
父親や近所のお兄さんが真剣にお囃子に取り組んでいる姿を間近で見て育っているからでしょうし、神輿や万灯はちょっとでも気を抜けば大けがになるというのを知っているからでしょう、お囃子もきわめて真面目に取り組まれているようです。

着ているものにも注目です。
りでは、おとなも子どもも、浴衣を着用しています。
おとなは3つの町会ごとに色が決まっていますので、浴衣を見ればどこの町会かが一目瞭然になります。
こどもたちの浴衣はそれぞれに趣向を凝らしたものになります。

モヒカンのような髪型の少年がいたり、ちっちゃな子なのにずいぶんと渋い着物を着た男の子がいたりして異彩を放っていましたが、やはり浴衣は女の子の世界です。
色とりどりの浴衣姿が、りに華やかさを添えていました。
お母さんのお手製でしょうか、浴衣の生地をドレスのような衣装に仕立てた女の子が目立っていましたし、どの子もエクステンションを付けて髪型から派手に演出したりお化粧したりで、ファッションショーのような華やぎです。

子どもはみんな腕に手甲をしています。
手甲は、元来が武具だったり作業着の一部だったものですが、りにも装身具として使われるようです。
わたしは初めて見た気がしますが、浴衣の華やかさや可愛らしさをぐっと引き締めているように見えます。
なるほど、もともと武具だったことを考えれば納得ですし、手甲をすることでりを見に来ているのではなく、参加しているという意思表示にも見えてきます。

りの定番衣装だと思っていた法被は川奈ではまったく目にしませんでした。
理由を聞き忘れましたが、伝統を守っていることと関係があるのかも知れません。
これも定番の袢纏は、役員の方のみ許されているようです。


逆光に弱いシネマトグラフですが、やはりこの程度の日差しでもコントラストがかなり低下してしまいました。
線の太い緩い描写にも見えますが、その分力強さを持っていると言えそうです。
戦前のレンズらしい写りが、古い祭りの伝統を表現するのにふさわしく感じます。
伝統を頑なに守る祭りには、頑固なレンズで対抗するしかありません。
【M8/Cinematograph 2inchF3.1 F3.1】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Cooke Cinematograph 2inchF3.1 | trackback(0) | comment(6) | 2010/10/29 Fri

3片頭

M8/Cinematograph 2inchF3.1
早起きしたことと、緊張感の強いりに見学者の気持ちも高ぶったこと、それに午前中からお酒をいただいたことで、昼過ぎにはすっかり疲れてしまいました。
りは続いていましたが、夕方のハイライトに向けて、失礼して少し休ませていただくことにしました。

りの会場から、海岸の道に沿って歩いて行くと岩場の浜に出ます。
気温が高く汗ばむ陽気でしたが、このあたりでは潮風が心地よく、大きな岩に横になってしばし昼寝タイムにしました。
合わせてりの紹介も小休止して、レンズのことに言及します。

クックのシネマトグラフという謎めいた名前ですが、同じ名称のレンズはダルマイヤーにもあります。
焦点距離は両者ともに2インチですが、F値は前者がF3.1、後者がF1.9で、当然ながら構成の違う関連のないレンズです。
シネマトグラフは映画という意味ですが、もともとは1895年にルミエールが発明した映写機も兼ねた映画撮影機の名前です。
それがそのまま映画を意味するようになったのですが、その後登場する映画撮影装置もシネマトグラフと言う固有名詞が一般名詞化したようです。
1920~30年代以降は、アスカニアをはじめ、より進歩した撮影装置が登場していきますので、それらをすべてシネマトグラフと呼ぶよりも、個々の名前で呼ぶようになってきたのだと想像されます。
シネマトグラフと言う名前をレンズに付けたのは、撮影装置がそう呼ばれていた頃の専用レンズを意味していたのでしょうが、恐らくはスティルカメラ用とは違う映画撮影用の高級仕様というイメージを持たせたかったのに違いありません。

このレンズも、かなり古い35mm映画撮影装置に付いていたのを発見して購入したものです。
撮影装置の方は、木箱にシンプルな歯車で構成された手回しのもので名称すら分かりません。
しかし、レンズにはシリアル番号が入っているため、1920年前後の製造だと言うことが分かります。

レンズ構成は、3群3枚、つまりトリプレットということになります。
そう、これはクックのトリプレットと呼ばれる1893年にデニス・テーラーが設計したレンズの改良型です。
かなり以前から、このレンズを探していてついに入手しライカマウントに改造したものを、ついに登場させることができたのでした。

何度かこのブログに記しているように、35mm用レンズには大きな発展の流れがいくつかありますが、最大勢力をガウスタイプとするならば、もう一方の雄であるゾナータイプの原型こそがこのトリプレットなのです。
トリプレットは、改良によってスピーディック型やヘリアー型なども生み出しますが、本流ともいうべき幹は、エルノスター型を経てゾナー型へと引き継がれます。

わたしがライカを初めて最初に買った交換レンズは、ジュピター3というゾナー50mmF1.5のコピーレンズで、続いてそのゾナーを入手し、やがてエルノスター型のマクロスイターに心酔します。
その後エルノスターの原型とも言うべきウルトラスティグマットという幻と思われたレンズも手にすることができました。
しかし、どうしても手に入れたかったクックのトリプレットは探せど探せど見つかりません。

焦点距離の長いものならありそうなので、50mmは諦めて望遠で探すかと思っていたところ、偶然にも見つかったのがこのレンズでした。
スピードパンクロを始めとしてクックのレンズは人気があるものが多いのですが、このレンズはF3.1と暗いためか誰も見向きもしなかったようです。
かなり安価に入手することができました。

これで、トリプレット→ウルトラスティグマット→エルノスター→ゾナーという一連の発展史を揃えることができました。
購入の順序はまったく逆で、歴史を遡るように手許に来たのも何か因縁めいたものを感じます。

レンズは、当然ノンコートですし、単玉3枚の組み合わせは色消しになっていませんし、シネレンズということでのイメージサークルの問題など、写りはかなり厳しいことが予想されました。
しかし、いざ撮ってみると、かなりシャープですし、ボケもなかなか好く、周辺は崩れますが思ったほどひどくはありません。
独特の滲みは色収差に起因しているように感じますが、逆に色ヌケは抜群で、年代を考えると評価できるレンズです。

とは言っても、光線にはかなり神経を使います。
作例写真は、ハレ切りしてコントラストを上げた状態でようやくこの程度になるというものです。
その前のコマでは、ハレ切りなしのためにフレアが全面を覆い、コントラストに無頓着なわたしをしてがっかりさせる結果を見せていました。

戦前レンズは、日中かなり神経を使わないとどうにもならないことがしばしばです。
そのあたりの確認をしながら撮影できるのはデジタルの強みと言えます。
それでも、ほとんどの人は、当時のわたしの状態そのままの、眠たい描写にしか見えないのだろうとは自覚していますが。
【M8/Cinematograph 2inchF3.1 F3.1】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Cooke Cinematograph 2inchF3.1 | trackback(0) | comment(2) | 2010/10/28 Thu

只有8個人

M8/Cinematograph 2inchF3.1
愛称は川奈の万灯でも、本来の主役は神が乗っている神輿の方かも知れません。
8人で担がれる神輿は、力強くも軽快で、縦横無尽に動き回っていました。
担ぎ手の表情も自信に満ちて見えます。
やはりりの花形なのでしょう。

しばらく見ていると、表情はかなり厳しさを湛えていることに気付きました。
最初の印象のようにはやさしいことではないようです。
担ぎ手は途中交替するようでしたが、その時にひと仕事終えてやってきた青年の肩を一瞬見て驚いてしまいました。
内出血のように真っ赤になって、一部皮膚が破れて血も流れているようでした。

そのあと、自身も担がれたことがあるという年長の方に神輿について話を聞く機会がありました。
それは、わたしが想像したような生易しいものではありませんでした。

まず重量が見た目以上に重く、ひとりの肩にのしかかる重みは40キロになるそうです。
これより重い神輿はもちろんたくさんありますが、ほとんどが16人とかそれ以上で担ぎます。
仮に重量が倍でも担ぎ手も倍の人数がいれば、ひとりあたりの負担は同じになりますが、その人数の中で少し休んだりなどの調整が可能になります。

しかし、8人だけでは、ひとりが手を抜いた瞬間に神輿が傾きます。
左右どちらかに傾くと、傾いた側の負担はさらに大きくなってしまい、すぐに立て直さないと崩れてしまいます。
その意味でも手抜きは許されません。
たいへん重い負担ですが、みんなで支え合って、大切な神輿が崩れないように助け合わなくてはならないのです。

出血までしている人を見たので、なぜ肩を保護せずに担ぐのかと聞きました。
肩にはパツドを入れ、さらにタオルを巻いているのだが、それでもああなってしまう、それほどたいへんなのだと教わりました。
神輿は左右どちらかの肩でずつと支え続けなければならず、途中で左右を変えることはできません。
かと言って上述の通り手抜きもできず、どうしてもああなってしまうようです。

万灯めがけて神輿が何度も突進する場面が見られました。
それを万灯の持ち手たちが体で止めて押し返します。
激しい体のぶつかりあいですが、万灯側は神輿に対して、なんだその程度の力か、物足りないなもっと力いっぱい来ないか、などとはっぱをかけて神輿をあおります。
神輿は、恐らく限界近いところでぶつかっていっているはずですが、まだだめだと言われ、さらに力いっぱい万灯めがけて突進していかなければいけません。
まさに、8人の男の意地で神輿を動かし続けなければならなくなっているのです。

危険だってともないます。
紙をくわえながら担いでいる人がいて理由をたずねると、不慮の動きがあると舌を噛み切る可能性があるので、口を開けないようにしているためとのことでした。
また、気勢をあげながら回転するシーンがあって、ここでもあおられながら回転を徐々に早めたため、勢い余って前方のふたりがはじき飛ばされてしまいました。
しかし、それでも怪我はなく、また神輿も崩れることなく、立て直しに成功します。

他では見たことが無かった、勇壮な神輿ですが、作例写真のようにけっしてマッチョな男たちががっちりと担いでいるというわけではありません。
もともとは川奈の負けん気強い漁師さんたちが、意地を貼りあったりした伝統から生まれたスタイルのように思われました。
今では優しい顔立ちの青年たちが、体力のみならず、精神力をもって重い重い神輿を支えているのが圧巻でした。
【M8/Cinematograph 2inchF3.1 F3.1】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Cooke Cinematograph 2inchF3.1 | trackback(0) | comment(0) | 2010/10/27 Wed

万灯来了!

M8/W-Nikkor-C 35mmF1.8
予定より遅れた11時になって、神社の神事は終わりました。
この時を待ちかねたアマチュアカメラマンたちに緊張が走ります。
川奈の万灯は観光的な要素は採り入れていませんので、毎年10月16日に実施と決まっています。
今年はそれが土曜日と重なったため、写真クラブの人たちを中心に20人くらいのアマチュアカメラマンがやってきていました。
わたしもそのひとりということになります。

見学者にとっていちばんの見ものである三島大社の急階段を清められた万灯が降りてきます。
その前に、まずはふたりの青年が持った大太鼓が降りてきました。
重量もそうですが、なにしろ角度のある階段ですから、そうとう持ちにくいようで、ふたりとも苦しげな表情に見えました。
観客から、大丈夫かと声がかかると、ええ、でも楽ではないですねと言うように答えています。
きついとは言えないが、それをほのめかすような回答に感じられます。

続いて神輿が登場しました。
神輿はどのりでも勇壮にかつぐもので、もちろん川奈でもそれは変わりませんが、その厳しさたるや他の追随を許さないものがあります。
のちに教えていただいたのですが、そのことについてはまた後で書くことにします。

神輿が通過したことで神社の周りはより活気づいてきました。
いよいよ万灯が降りてきます。
作例写真では分かりづらいですが、重い万灯は神輿とは違いたったひとりで運ばれていきます。
万灯についても、りの主役ですから後日詳細を記すつもりですが、普通に歩くだけでも足許に注意を払わなくてはならない急坂をゆっくりゆっくり歩く様が、すでにりの重みを象徴するかのようでした。

川奈の三町がそれぞれ順番に万灯を降ろしますので、3回その姿を見ることができましたが、すでに人間の体力の限界を競うような力強さと緊張感が、見学者の気持ちを高ぶらせました。
階段を降り切ったところには鳥居があって、高さのある万灯を寝かしながら通り抜け、いよいよ町の山車とも対面して一気に活気づくわけです。

観光りではないと言っても見学者を拒んでいる訳ではありません。
神社に集った人たちは、これまでの間近での出来事に気分を高揚し、りに参加しているというような一体感を味わわせられます。
この時の感情をあえて表現するとすれば、りに酔う、という状態だったのではと感じます。
いくつもの祭りを見ましたが、今まで感じたことのない気持ちのたかぶりでした。
【M8/W-Nikkor-C 35mmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
W-Nikkor・C 35mmF1.8 | trackback(0) | comment(4) | 2010/10/26 Tue

伝統的祭祀

M8/Cinematograph 2inchF3.1
10月16日、伊豆の川奈へ行ってきました。
万灯という伝統的な祭りを見るためです。

ここのところ、中国と祭りの写真ばかりアップしているなと見られそうですが、実際、このふたつに特化してブログを続けてもいいかなと思い始めたりもしています。
祭りは見せモノのような、観光のためのような存在で、だからこそ写真も撮りやすくブログ更新に重宝していました。
しかし、奈良井の祭りを見た後、住民の家に少し招かれて家族の団欒を見た時に、祭りを見せモノと考えるのはどうかという気持ちになりました。

そんなとき、祭りについて一家言もった方と知り合いになります。
祭りについていろいろなことを教わりましたが、簡単には語りきれない多様さがあることも知りました。
元来が神事なので、観光を廃した祭りだって存在します。
川奈の万灯という祭りは、神事の伝統を強く守りながら、地域の特性も採り入れた見る価値ある祭りとの紹介をいただき、今回ひとり出掛けてきたわけです。

と、少し殊勝な書き出しですが、作例を見ても分かる通り、勉強本位に行動したわけでも、ましてや写真の質が向上している訳でもありません。
ただ、わずかに親交のある方がブログの中で、祭りについて書かれていたこともあって、漫然と祭りを見に行って不見識に写真を撮っているだけでは意味がないと考えるようになりました。
従来のままでは、どの祭りに行っても同じようなものしか撮れませんので、自身を叱咤するという意味はあります。

早朝から神事は始まりますが、見せ場は10時頃と夕方6時頃にあると聞いていましたので、10時前に到着して祭りの意味合いについて注意を払いながら見学しました。
祭りの名前になっている万灯は、まだ三島大社の脇に安置されていますが、大社の下には早くも三基の山車がスタンバイしています。

さっそく聞いてみると、川奈は海側から見て右から東町、宮町、小浦町と分かれていて、それぞれ競うように万灯と山車、お囃子を持っているのだそうです。
なるべくすべてを見ようと心掛けましたが、今回は多くを東町の方のアドバイスにお世話になったことをお伝えしておきます。

観光の祭りではないので、歓迎されると言う訳ではなく、かといって毛嫌いされることもなく、関心を持ってくれたのであればしっかりと教えて差し上げましょうというような対応をいただいたと感じます。
祭りに集中しなくてはならない中で、丁寧に接していただいたことに感謝の気持ちでずっといました。
しかし、子どもさんにはよそ者だと警戒されてしまったのか、当初は鋭い目で見られてしまいました。
【M8/Cinematograph 2inchF3.1 F3.1】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Cooke Cinematograph 2inchF3.1 | trackback(0) | comment(1) | 2010/10/25 Mon

両椀涼麺

M8/Serenar 5cmF1.5
1週間にわたった湖南の旅は、今日で終わりです。
吉首から列車で張家界へ出て、そのまま空港へ行って広州への便に乗り、バスかなにかで深圳に戻ります。
国慶節休暇の2日目で、土曜日でもあったので鉄道は混雑するだろうと踏んで早めに出てきたのですが、拍子抜けするくらい駅は空いていました。

指定席の切符を取っていましたが、30分早く出発する列車があって到着時間も早いことから、そちらの自由席に乗ることにしました。
吉首が始発で車両ごとに車掌が立って乗り込んでくる客の切符を確認しています。
わたしは切符を示してこの後の列車なのだが、飛行機の時間が気になるので30分早い列車に乗せて欲しいと頼んでみました。
車掌は、わたしには判断できないので車長に聞いてくれと相手にしてくれません。
車長とは車掌の責任者のような人のことで、事情説明すると、自由席ならいいだろうと乗るべき車両を示した上であっさりOKしてくれました。
そこでその車両に行き、女性車掌に切符を見せながら車長が了解してくれたのでと言っても信じてもらえず、また車長を呼びに戻る始末でした。
どうも中国鉄路の車掌はクソ真面目というか、公務員だからでしょうか態度が官僚的です。

作例写真ではそうは見えないかも知れませんが、わたしの乗車した車両の車掌はなかなか可愛い女性でした。
しかし、こういうタイプの女性に横柄にダメだと言われると、太ったおばさん車掌に言われるより腹が立つのはなぜなのでしょう。
女性客が笑顔で車掌に話しかけていますが、横柄車掌の前ではトラブルを避けようと誰もが下手に出てしまうようです。

吉首発長沙行きの快速列車は定刻通りの出発で順調に進んでいるように見えましたが、張家界到着は30分遅れでした。
結局、予定通りの列車に乗ったのと同じ時間に着いたというのが何か皮肉に感じられます。
いや、後の列車だと1時間遅れとかになって、かなり慌てることになったのかも知れません。

湖南でいちばんの観光地こそが張家界です。
屹立した山が延々と並んだ山水画の世界は世界遺産にも登録されていて、1年中訪れる人が絶えません。
映画アバターにそっくりな形をした山が出てくるところから、張家界の風景と映画の登場人物を重ねたポスターを作ってアバターの旅をしようと宣伝しています。
映画の版権所有者の許可を得てポスターを作っているのか心配になりますが。

張家界駅からバスでいったん町中へ出て、お昼を食べることにしましたが、屋台の麺屋さんに行列ができていて、湖南最後の食事はここにしようと決めました。
涼麺と言う汁無しの麺で、唐辛子がかなり入った刺激的な味ながら、これがクセになるような旨さでした。

相席になったOL風の女性によれば、湖南省全体にこういう涼麺があってそのほとんどが屋台で商売しているということでした。
屋台ごとに味に特徴があって、この屋台は特に人気店とのことで、最初で最後の湖南涼麺がそんなに美味しいところで食べられた幸運を感謝します。

タクシーで空港へ向かうと、開けた道に張家界独特の山並みが見えてきて、思わずカメラを構えました。
しかし、運転手はここで撮る必要はない、空港の方がよく見えるからと説明してくれました。
ソウルへ帰るのかと聞かれてなぜソウルかと聞くと、張家界はソウルの直行便があって、訪れる外国人のほとんどが韓国人とのことでした。
そうえば、そば屋にいたOLもあなたは唐辛子をよく食べるんでしょうと聞いていたのは、わたしが韓国人だと思ったのでしょう。

空港に到着して支払いしようとすると、小銭が5元足りません。
100元札を出すとお釣りが無いといいます。
5元はいいよと言うなんとも心の広い運転手でしたが、財布に唯一残っていた5円玉を進呈したところかえって恐縮されてしまいました。
技術のずっと進んだ日本で、中国の古銭のような穴あきコインが現役で使われているのが驚きだったようです。

フライトの1時間半前に着いてチェックインしてしまうと、空港ではすることがまったくありません。
運転手が空港から山並みがよく見えると言っていたのを思い出し、いったん空港ビルから外に出て写真を撮ったりして時間をつぶしました。

そして、戻るとき裏側の玄関に不思議なものを見ました。
どうしたわけか食べ物の屋台が1台停まっていておばさんがぼんやりしています。
空港の入り口の道路にはセキュリティのゲートがあって、さすがに屋台は入ってこれないはずです。
中国らしい袖の下を使ったのか、あるいは近所の人が裏道からこっそり入ってきたのでしょうか。

ありがたいことに、屋台は涼麺屋さんだったので、さきほど最後だと思った涼麺の本当に最後の一杯を味わいました。
少し慌てながら搭乗手続きに向かうと空港内の放送が流れて、もうすぐ搭乗が始まると言っていますが、中国語、英語に続いて韓国語でもアナウンスされたのが運転手の話を裏付けています。

搭乗の列に並ぶとそこからも張家界の山並みがきれいに見えます。
さきほどよりきれいに見えているのに気付いて、やっとその理由が分かりました。
日がさしてきたのです。
思えば、これが旅の最後の最後に湖南で見た、ただ一度の太陽でした。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(1) | 2010/10/24 Sun

可以看嗎

M8/Serenar 5cmF1.5
バスは吉首駅に着きました。
運転手と車掌にもお別れを告げると、すっきりとひとりきりに戻りました。
まずは、そうだと思いだして切符売り場に行くと、昨日の行列がうそのように人がまばらで、明日の張家界までの指定席が簡単に入手できました。
たかが紙切れ一枚ですが、今日から国慶節が始まっていますので、張家界のような超観光地へのチケットはもう無いと言われる心配がありました。

あるいは東京の通勤電車のような大混雑になるかも知れません。
しかし、この指定席券を確保したのですから、通行手形を手に入れたようなものです。
徳夯にもう一泊したかったのですが、この手形を入手するために戻ってきたという側面もあったのでした。

最後の目的地は、吉首郊外の乾州古城です。
昨日バスターミナル前から吉首駅まで乗ったバスに、今度は吉首駅から乗り込みます。
40分ほどの行程でしたが、路線バスなので一律1元でした。
吉首には、往復2元で行ける古鎮が存在するということになります。

大通りをひたすら直進するだけなので気付いたのですが、この道は鳳凰から来る時に通ったものと同じです。
そういえば、何か古めかしい大門があったなあと思い起こしていたところ、果たしてその門こそが乾州古城の入り口でした。
車掌に着いたら教えてと頼んでいたのですが、その車掌だけではなくやり取りを聞いていた周りの乗客が口々にあれがそうだと指さして教えてくれました。

乾州は宋代からの歴史をもつたいへん古い町で、今でも多くの古建築が城壁の内側に残っています。
しかし、観光開発のために古建築風の建物が相当数建てられて、見せかけの古い建物が本来の古建築を凌駕してしまうような困ったところが見られました。
わたしが入って来た城門も、あきらかに最近作られたもので、古代都市の雰囲気をだしたかったのでしょうが、それよりも鄙びた古村落を好むわたしにはあまりありがたいものではありません。

ここにも野外ステージがあって、国慶節の初日だからでしょう、折しも苗族の表演が行われていました。
湖南省苗族歌舞芸術団のような名前のプロのステージでしたが、あいにくの大雨で気の毒なくらいずぶ濡れになって演じていました。
客席には屋根がありましたし、取り巻くように傘をさした人もいて、多くの観衆が熱心に見ていたのが幸いでした。

有名な観光地なのでしょう乾州古城には多くのツアー客が押し寄せていました。
ツアーではガイドがマイクを持って大声で説明しながら歩くので賑やかなものです。
せっかくの休暇が雨では気の毒ですが、この地で観光業をされている人たちには気の毒を通り越した生活の問題があります。
憎たらしい長雨です。

古鎮には雨が似合います。
カラッとした快晴よりも、しっとりとした雨の方が少なくとも日中は良い舞台装置です。
ですが、雨が降れば人と出会う確率はぐっとへってしまいますし、歩いている人は傘をさしていてその表情を見ることができません。
やはり雨が降っていない方がわたしは好きです。

乾州にも風雨橋がありました。
作例写真で分かるように、かなり歴史を感じる橋で、三王閣風雨橋という立派な名前も付いています。
ところが、帰国後乾州古城を紹介している本を見たら、1993年頃の橋の写真が載っていたのですが、なんとこの当時は石でできた普通の橋で、木造の部分はその後に復元(?)されたもののようです。

雨のせいでしょうか、風雨橋の中では結婚アルバム写真を撮影している最中でした。
カメラマンの指示に従って熱いポーズをとる男女を、恥ずかしげに見つめる子どもたちがユニークでした。

旅は明日で終わりですが、移動に時間をとられるので、今日が実質的な最終日です。
いつもですと、最後になるとラストスパートするように、しゃかりきになって歩きまわったり撮影したりするのが
常ですが、この旅では悠然と最後の土地を歩けたような気がします。
雨に気持ちを冷まされたからでしょうか。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(2) | 2010/10/23 Sat

很矮的少年

M8/Serenar 5cmF1.5
宿に戻っているとすでに店開きしていて、この地方の名物の草餅を作っていました。
アズキではありませんが、素朴な甘みのある餡を入れて草餅でくるんだうえに笹の葉を巻いて出来上がりです。
見ていると、ずいぶんと器用に次々と増産していきます。
美味しそうですねと言うと、はいどうぞと分けてくれます。
日本で食べるものよりずっと素朴な味わいですが、土の香りがするような自然な風味が美味しいです。

昨日片付けたときは店を開くときもお酒のカメのセッティングなどを手伝うと言っていたのですが、滝に行っている間にすでにすべてが終わってしまっていて恐縮します。
そんなわたしに、はい、もひとつと草餅を寄こします。
働かずに食べてばかりでスミマセンと詫びつつも、うまいうまいとさらにもうひとつ戴いてしまいました。

いけない、10時を過ぎていると、奥さんにうながされました。
今日も表演があるそうですが、雨が降っていると言うと、晴れれば野外ステージで、雨の日は建物の中で毎日必ず10時と3時の2回、表演を行うそうです。
あわてて、その建物まで行ってみました。

公民館のような建物は、国慶節に演じるにはいかにも小さく、すでに満員のひとが腰掛けていて空きがありません。
しかし、外から見ていると、滝のところで会ったグループの女性が手を振ってこちらに来いと手招きしました。
彼らの椅子の前にべたっと腰掛けて見物です。

作例の踊りですが、歌詞が無く正確な意味は分かりません。
勝手に解釈すると、みんなで漁にやってきたがさっぱり魚が獲れず、幸せを勝ち取ったばかりの少女を羨みながら冷やかして、最後には祝福するというコメディ風の踊りでした。
単なる見せモノだといえばそれまでですが、ここでは伝統がどうだとか芸術のステージはどうなんだなどの無粋な反論は控えて、女の子たちがみんなきれいだからいいじゃないかと正論で答えておきたいと思います。
野外ステージより間近で見れて、息遣いや振動など踊りの激しさが肌に伝わって来るかのようです。

滝で会った若者たちは、このまま鳳凰に向かうと言って去って行きました。
すっかり気に入った徳夯でしたが、すでにかなりの観光客があってこれからもどんどん増えることでしょう、わたしも、そろそろ発つときが来たと感じます。

世話になった宿の夫妻のところにまた戻り、別れを告げました。
何もなくてといいながら、わたしが気に入った草餅を歩きながらでも食べなさいと手渡してくれました。
すごく明るい人たちでしたが、そういう人が見せるちょっと寂しげな表情は、かえって心に残るもののようです。
おふたりには、いつまでもお元気で、そして国慶節の商売がうまくいくよう願いつつ村を出ました。

バス乗り場まで歩くと、待っていた吉首駅行きのバスは昨日と同じ車体でした。
当然、運転手も車掌のお姉さんも同じ人で、ふたりとも最後まで乗っていたわたしを覚えていました。
そして、なんと矮塞で案内してくれた少年もバスに乗っていました。
昨夜、途中まで見送ってもらって、もう会えないものと思っていたのに偶然また会えて感激です。

どうも車掌のお姉さんと親戚か何かのようで、ふたりしてわたしを知っているので互いになぜなのかと聞いているようでした。
車掌さんは、少年が矮塞を案内したいきさつを話したところで驚き、しかもわたしが日本人と知って2度驚きしています。
もう小さな子どもがいると言っていましたが、まだ20代後半でしょう、ちょっと太めになってしまっていますが、結婚前は表演に出ていたと言っても不思議のない美人です。

バスは車掌と少年、それにわたしだけで出発しました。
昨日歩いた道を疾駆していきます。
書き忘れていたのですが、奇妙なかたちの山が途中1箇所見えて、姐妹山という名前だと少年に教わっていたのです。
3つのいただきが3姉妹のようだから、という理由で付いた名前のようですが、そんな美しい山の山頂付近から数百メートル離れた反対側の山の山頂まで、どうやって作ったのか電線のようなものが相当の本数のたばになって橋のように通してあります。

少年によると、高速道路を工事し始めたところだとのことです。
あんな高いところに道路ができるとは思えないのですが、もしそうであれば、この土地の象徴ともいえる姐妹山の景観をぶち壊して土地には恵みをもたらさない道路を通すことになります。
やり場のない憤りを感じずにはいられません。

そんな姐妹山を過ぎると矮塞の村が見え、少年は手を振って降りていきました。
旅は一期一会ですから、連れ帰る以外、出合った人とは必ず別れが待っているという事実を、旅の終盤に来てあらためて思い知らされるようでした。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2010/10/22 Fri

只她和我的地方

M8/Serenar 5cmF1.5
湖南に入った前週の土曜日からまるまる1週間、悪天候が続いています。
1日ずっと雨ということはありませんが、降ったり止んだり、またはずっともっていたのに突然ザーッときたり、何しろ傘が手放せません。
何より一度も太陽を見ていませんので、ただでさえ暗くどんよりした写真を撮るわたしには、しつこいくらい天気がアシストしてくれていました。

この日も目が覚めてから雨こそ降っていませんが、靄がかかったようなどんよりした朝でした。
7時をまわれば、すでに村の生活は始まっていますので、独特の空気の中でのそれを見ない手はありません。
カメラだけ持って散策に出ます。

歩き出すと今日からスタートする国慶節に備えて、早くも商品を並べる店があったり、いつもと違う朝がありました。
一方で川辺に出ると、数人が洗濯しており、これはいつもと変わらない朝の風景でしょう。

なおも進んで坂を上がっていくと、高い位置にある家からは、村の家並みが見られその向こうに例の奇妙なかたちの山が動きだしそうににょきにょきしている風景が楽しめます。
勝手に人の家の庭で腰掛けて眺めていると、おばあさんが出てきたので、おはようございますと声をかけると、顔全体で笑うような会心のおはようが返ってきました。

玄関の上がベランダのようになった面白い形状の建物は、この村に共通のものです。
50年くらい前に建てたというので、いい具合に反った柱は、その間に徐々に形成されたものかも知れません。

そのおばあさんから、滝は見たのかと聞かれました。
昨日遅くに着いたばかりでまだ見てませんと答えると、この村に来たら絶対見に行かなくてはダメよと言う程のお薦めの景点のようでした。
いったん宿に戻り主人に聞くと片道1時間近く歩くというのでびっくりしましたが、やはり行くべきというわけで、カバンと傘を取って来てから向かってみました。

洗濯していた川に沿って進んでいくだけですから道に迷うことはありませんし、さすが必見スポットだけあってずっと石が敷かれていて準舗装路で歩きやすいことこの上ありません。
わたしの得意技のひとつは早歩きなので、滝に向かって歩くということは多少は上りになっているはずですが、ほとんどフラットと変わらない道をずんずんと進んでいくと、30分ちょうどで到着してしまいました。

滝はすとーんと切り立った崖を一筋の水が真っ逆さまに落ちるもので、たいへんに美しいものでした。
直後に現れた若者のグループが口々に感嘆の声を上げるほどです。
芙蓉鎮にあった滝が横に広がったナイアガラタイプの迫力なのに比べると、こちらは高いところから一直線に落ちる日本にもあるタイプの静的な美しさがあります。

今回は両滝とも写真を出しませんが、芙蓉鎮から徳夯は近くなので、ぜひ直接ご自身の目で見ていただきたいと思います。
若者グループの記念撮影を手伝ったりしながらも、一足先に戻ることにしました。
お腹か減ってきたからですが、途中に小屋があって食べ物がありましたので、自然の中での朝食もいいなと思ったということもあります。
それに、またしても憎き雨が降って来ていて、滝の周りには腰掛ける場所もない状態で、30分歩き通しのわたしには休憩が必要でした。

まだ8時前なのに小屋は営業していて、食べ物は串焼と果物がありました。
串焼にサワガニがあったので、天然ものだという小魚と2本頼みました。
カニは3センチほどの小さなものですが、そのまま姿焼きになったのが4匹並んでいます。
火が良く通っていて、かりかりと香ばしくこんなに美味しいものかと感心するほどの美味でした。
もちろん小魚も美味しいのですが、デザートに剥いてもらった梨は、ちょっとぱさぱさしていて日本の洗練されたみずみずしい味を期待するとちょっと首をひねるもでした。

しばらく雑談していると、若者グループが追い付いてきました。
無錫近くの町から来た彼らも、またサワガニの串焼に驚き、美味しかったよとわたしの勧めに従って食べてまた美味しいと驚きしています。
リーダー格の女性が、写真のお礼にとスイカをご馳走してくれました。
梨に比べると食べ慣れた味に近く、違和感なくいただけます。

雨の中、まだ30分近い道のりが残っています。
彼らに別れを告げて、一足先に村への道を歩き出しました。
やはり30分ほどで村に戻りましたが、休憩時間を含めて1時間半の愉しい小旅行です。

滝を見に行ってきたよと、坂の上にあった家のおばあさんに報告に行きました。
朝ご飯を食べている最中でしたが、好かったでしょと言って家に上がるよう招きます。
滝がいいぞと言って、まさか好かったありがとうと戻って来るとは思わなかったからでしょう、歓迎してくれたのは嬉しかったですし、家の中まで見せていただき喜びも倍増します。

先ほど気付いたのですが、この家にはおばあさんひとりで暮らしているようでした。
子どもは鳳凰で仕事をしているとのことでしたが、ご主人がどうしたかは聞けませんでした。

家の中はかなり暗く、引き続き外で話をしましたが、その場所こそわたしにとって徳夯の特等席です。
ベランダを支えている柱がありますが、その2本の柱の間に板が渡してあって椅子のように座れます。
そこは木のぬくもりがあって、雨には振られませんし、村と山が眼前に広がる、この村を通り過ぎただけでは見つけることのできない特別な場所です。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(1) | 2010/10/21 Thu

朝上的風景

M8/Kino-Plasmat 1inF1.5
夜が明けたという気配を感じて突然目が覚めました。
何か物音がしたとかということではなく、あくまで気配を感じたようにして静かに眠りから覚めます。
窓の方を見ると薄いカーテン越しにもわずかに明るくなりつつあるのが分かりました。
ゆっくりと起き出して、扉を開け、ベランダに出ます。
そこには、信じられないような光景が広がっていました。

昨日、ところどころで見ていた、周辺にある奇妙な形の山が宿の正面にまるで生き物のように並んでいました。
昨夜は闇夜で気付きませんでしたが、このベランダこそ徳夯村の桟敷席だったのです。
村は、いくつかのこんな形の山に囲まれていますので、昨日のうちにこのような風景には慣れていたはずですが、扉を開けた瞬間に飛び込んできた光景に、まだ目も覚めやらぬ頭は相当の衝撃を受けたのでした。

あけぼのの色彩は刻々と移り変わります。
薄暮から黄色っぽくなったかと思うと、空はにわかにピンク色に変化していきました。
ここで初めて気付いてカメラを取りに部屋に戻ります。
ファインダーをのぞくと山々と屋根の一部がどーんと迫力いっぱいに収まります。
手前にある家も採り入れなくてはいけないと気付き、もう一度部屋に戻って、広角レンズに変更しました。
周辺がケラレますが、こんな写真であればブラックアウトもひとつの表現のように見えなくもなくなります。

惜しむらくは、澄んだピンクが映し出せなかったことです。
レンズを取りに行ったりもたついたのと、古民家のつくりが分かるように露出を開けるとやはり空の色は出せませんでした。
撮影技術の問題ではありますが、表現の選択の問題でもあると言えます。

20分もじっと見ていたでしょうか、やがて宿の夫婦が起き出してきたので、あいさつを交わし洗面で顔を洗いすっきりと現実に舞い戻りました。


昨夜、すっかり暗くなって矮塞から徳夯に戻るとまっさきに昼間話をした商店兼宿屋に向かいました。
ここの奥さんはわたしが戻って来ると確信していたものの、なかなか来なかったので少し心配していたようです。
それに、わたしがもう泊まるものと決めてかかっていましたが、こんな宿は数軒確認していたので、わたしとしては比較して決めるつもりでした。
部屋はごく一般的なものでしたが、破顔して案内する奥さんの押しに負けて泊まることにしました。

1泊本当は50元だけど40元にしてくれると言います。
明日から国慶節価格で150元になるからずいぶんとお得だよと笑っていましたが、その時はちょっと信じられませんでした。
しかし、翌朝には家族連れがやって来て泊まりたいのでと価格交渉が始まり、彼らは130元でまとまりましたので、奥さんがわたしに言ったことはウソではなかったと信じられました。
また、徳夯は大型休暇にはベッド数が不足するはずで、もっと強気の価格設定をしても良さそうなものなのに、そのへんにも奥さんの人の好さが出てしまっているようです。

夫妻とは話をしながら明日に備えた作業をしていました。
姜糖というこのあたりの苗族の村の名物で、鳳凰では観光客に製造工程を見せるようにして売り込んでいたものです。
切り刻んだ生姜を加えて砂糖や黒糖、胡麻などを煮詰めた甘い中に生姜の辛みが隠し味になったちょっと大人の味のする飴なのですが、徳夯の姜糖は近くの泉の水を使っているのが特徴のようです。

徳夯の風景が印刷されたきれいなパッケージで売られていたのでどこかで仕入れて売っていたのかと思えば、飴は全部手作りして、パッケージも自分たちで印刷させたオリジナルとのことでした。
小さく印刷された苗族の美女の写真を示しながら、これはウチの娘なんだと自慢します。
紹介してくれとお願いすると、だいぶ前に大きな家に嫁いでいって、今は中学生の子どもがふたりいるというのでがっくりでした。

夫妻はもともと、ずっと田舎で野菜や果実を栽培して自ら売っていたのだそうですが、半年ほど前にこの建物を借りて商売を始めたと言います。
孫が中学生ということで逆算すれば、夫妻は50歳は超えているはずで、かなり思い切った転身に感じます。
もともと野菜売りもやっていたので商売は自家薬籠中のもののはずですが、わたしに対しては妙に消極的で、飴はタダでくれてしまうは、売り物の量り売りの酒は全部試飲させてしまうはで、わたしは腹がたぷたぷになってしかも酔っ払ってしまい購入することができません。

わたしのことをずっと香港人と思っていたらしく、実は日本人と打ち明けると驚くかなと思えば意外に平然としています。
なんとこの半年の間に滞在した外国人はわたしが3人目なのだそうで、過去のふたりが中国語がさっぱりできなかったので、わたしのたどたどしい中国語でも楽に応対できると外国人扱いしてくれないようでした。

かつて泊まったひとりは日本人で、学生のようだったがついに何の話もせず去っていったし、もうひとりはベトナム人で、数日滞在したものの食事が合わなかったようで、ずっとカップラーメンばかり食べ続けていたとのことでした。、
ふたりとも、店の酒も飴も口にしなかったので、外国人にはこういうものは合わないかと思っていたと笑っています。

夜の8時ごろでしょうか、店を閉めるからと夫婦が立ち上がったので、自然とわたしも手伝うことにしました。
何がたいへんと言って、量り売りのお酒は20種類くらいあるのですが、大きなカメに入って並べてあるのを全部店舗内に仕舞わないといけません。
これは、力のあるわたしにまかせてと気合いを入れましたが、腰を悪くするよと半分も運ばせてもらえません。
確かに、重いカメに入った酒の移動はかなりの重労働です。
これを毎日2回やっているのかと思うと、夫妻の年齢を思うと切なくなるものがありました。

鳳凰にも同様の店がありましたが、あちらは宿泊者がたくさんいるのでそれなりの売り上げがあるでしょう。
しかし泊まる人が少ない徳夯では、日中さっと現れて酒を買う人がそれほどいるとは思えず、中身はなかなか減っていかないだろうと想像がつきます。
よしと一度部屋に戻ってペットボトルの水を飲み干し、やはりお酒を売ってくださいとペットボトルを差し出しました。
頼んだのはアルコール度数のいちばん低い、つまりは安いお酒だったのですが。
【M8/Kino-Plasmat 1inF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Meyer Kino-Plasmat 1inF1.5 | trackback(0) | comment(2) | 2010/10/20 Wed

小人村

M8/Serenar 5cmF1.5
到着した村は、徳夯といいます。
苗族の村ですが、観光開発がいち早く進んだようで入場料60元必要です。
反対に無料で見れる苗族の踊りなどの表演が1日2度も行われています。
表演については賛否両論ありそうですが、賛成する人の理由としては踊り手の若者たちは伝統を学びつつこの地で仕事できるということがあります。
そのため村には若者の姿が多く見られます。

観光客にかなりオープンになっていながら、宿泊施設は多くありません。
村の中には一軒だけ比較的大きめな宿がありましたが、他の数軒は10部屋以内程度の小さなものばかりしか見られません。
数キロ戻った幹線道路付近には2軒ほどホテルがあるのがバスから確認できましたが、この村に滞在するには個人で訪れるしかないようです。

この徳夯から3キロほど戻ったところに矮塞という古村落があります。
こちらは規模が小さく観光化されていないようでしたので、いったんこちらへ行ってみることにしました。
宿はないとのことでしたが、どこかに民泊できないか頼んでみるつもりです。
断られれば、また徳夯に戻って宿泊するからと説明して、うちに泊まりなさいと説得する商店兼宿屋のおばさんに別れを告げました。

相変わらず天気は悪いです。
信じがたいことに、こちらに来てから毎日くもり時々雨の天気が続いていて、傘が手放せません。
しかし、ちょうど止んでいるタイミングだったので、バスには乗らず歩いて3キロ先の矮塞を目指しました。
なだらかな下りで歩きやすいですし、サンダルは芋頭で縫ってもらって以来絶好調です。
サギのような鳥が飛んでいるのが見れたり、牛の散歩を追い越したり、ただでさえ景色の抜群な中、愉しい散歩になりました。

矮塞は、山にへばりつくように古民家が十数軒並んだ観光とは無縁のような村でした。
ということは宿があるはずもなく、泊めさせてもらえるようお願いしないといけません。
さっそく少年が顔を出している家を訪問し、この村で泊まれるところはないかと遠慮がちに聞いてみます。
ここにはないなあと東国原知事によく似た親父さんが答えました。
続いて、わたしは少数民族の文化を研究しているもので、こちらに一泊させていただけないものですかねえとやはり下手に聞いてみます。

すると今度は、わたしはあなたのしゃべっていることが聞きとれませんと言い出すではないですか。
すると少年が、この人ここに泊まりたいと言っているよと助け船を出してくれましたが、親父さんは余計なことせんでいいと言わんばかりに少年をにらんで、うちはとても泊まる場所が…などと口ごもっています。
押せばなんとかなるかともう一度お願いしますが、あきらかに迷惑そうで、これはあきらめざるを得ません。
突然現れた外国人が我が家に泊まるかもと期待した子どもたちが一斉に落胆したのが見て取れます。

東国原氏は面倒はイヤだけど、優しい心の持ち主のようで、少年に命じて村を案内してあげなさいと父親の威厳を見せています。
望むところだとばかり、少年がオレに着いてきなと手招きしました。
少年は13歳だと言いますが童顔の上に小柄で小学校中学年くらいに見えます。
その彼が父親の東国原氏の横に立つと、氏はものすごく小柄で恐らく身長が150センチありません。
背が中学生の息子より低くて、顔は東国原知事という村長にでもなれば、成功しそうなキャラクターに思えます。

村を案内といっても古い木造家屋が並んでいるだけで、史跡があるわけでもないちっぽけな場所ではどうしていいか戸惑っているようです。
結局、1軒1軒回って住民を呼び出し、こちらは○○さん、あちらは日本から見学に来た人、などとお互いを紹介してくれました。
上の方に美人姉妹の家があって、紹介してくれたのがありがたかったのですが、カメラを向けると恥ずかしがって奥に引っ込んでしまいました。
少年も、撮れなくて残念だったねと親身に同情してくれます。

少年の友人の家では、収穫したばかりのピーナツを軒先に吊るす作業が行われていました。
梯子でスタンバイするおじいさんに、奥さんが竹の棒にピーナツを引っかけてわたしているのがユニークです。
長身のわたしなら竹の棒なしに手渡しできそうなので、やってみると楽勝で届きました。
お手伝いさせていただきますと奥さんに代わって作業していると、いやまてよ何もおじいさんに渡さなくても自分でそのまま吊るせると気付いて、残りの作業をすべてひとりでこなしてしまいました。
これはこのご夫婦と少年たちに大ウケでした。

ここの村の人たちってみんな小柄なのかなと考えた時初めて気付きました。
村の名前の矮塞の矮って矮小とか使うけど低いという意味ではなかったっけ。
失礼なので聞けませんでしたが、もしかしたら、いや多分、この村は昔から背が低い人が多くて、こんな名前が着いたのじゃないでしょうか。

また少年の家に戻って少し雑談などをしている時にしつこくもう一度、この村で泊まれるところは知らないか聞きましたが、やはり無いとの返事でした。
では、徳夯まで戻らなくてはいけないので、失礼しなくてはと言うと、東国原氏が送るのでと言います。
バスがまだあるようなので、いいですよと返事しますが、やはり送るからと言うのでてっきりバイクで送ってくれるのかと思い、それでしたらぜひお願いしますと頭を下げました。

しかし、家にはバイクなどなく歩いて徳夯まで送るとのことでした。
東国原氏を先頭に少年二人が暗くなった道を気を付けてねと言ったりしながら4人で歩き始めました。
少年がたばこを吸い出します。
13歳のくせに吸ってはいかんと言っても言うこと聞きません。
それが矮の原因ではと余計なことを言いかけて、飲み込みました。

3キロをゆっくり歩くので1時間以上かかりそうです。
それでも彼らとしゃべりながら歩いていると、この家族の温かさに包まれているようで、とても好い気持ちでいることができます。
でも、わたしを見送ったあと、また歩いて村までもどるのでは、やはり申し訳なく思います。

30分も歩いた頃、ようやく後方からバスがやって来ました。
少年がバスを停車させて、これに乗ればすぐ着くよと笑っています。
君たちはどうするのと聞くと、家に戻るとなぜそんな当たり前のことを聞くのか不思議そうです。
不思議なのはこちらの方で、村の前で待っていればバスに乗れるのに、なんでまたこんなに歩いてまで送ってくれたのかよく分かりません。

東国原氏が気を付けてと声をかけてくれましたが、これから暗闇を引き返す彼らにこそ、わたしが声をかけるべき言葉です。
辺鄙な村にやって来たわたしを真剣に心配していたのでしょうし、泊めさせてあげたかったのだけどできなかったという申し訳ないという気持ちがあつたようにも感じられました。

バスに乗って後ろを見ると、バスのテールランプによって3人が家に向かって歩いているのがかすかに見えました。
しかしバスはかなりのスピードで、すぐに彼らの姿を見失います。
やはり、あの家族の家には泊まりたかった、今となってはもうどうすることもできないですが。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2010/10/19 Tue

馬上完了

M8/Serenar 5cmF1.5
芙蓉鎮にもう少し粘ろうかという気持ちもなくはなかっったのですが、少し考えて先に進む決断をしました。
最後に見たいと思っていた村は、やはりある程度観光化されているようで、人の少ないうちに見ておきたいという気持ちがあったからです。
翌日から中国中が国慶節休暇に入ってしまうので、今日と明日とでは滞在に大差があります。

もうひとつは、1週間の旅もう終りが近づいていて、明後日には飛行機で深圳に戻り1泊ののち日本に戻らないといけないということがあります。
中盤までは旅に気持ちを委ねていることができましたが、残り3日になって空港へのアクセスとか時間とかを気にするようになってしまったというわけです。
体は旅の途上であっても、心ではどこかで帰国後を意識し始めているのでしょう。

芙蓉鎮からバスでいったん吉首のバスターミナルに戻った時に目的地へのバスを聞くと、駅前から出ていると言います。
バスが駅経由でターミナルに着いたので、事前に聞いておけば時間短縮だったのでがっくりです。
事前情報では貨物自動車に乗せてもらって行くとあったのですが、この情報は6年前のものでこの間に路線バスが開通したということのようでした。

バスターミナル前のバス停から吉首駅行きのバスに乗り込み、いま来た道を戻って駅に着きました。
翌々日に張家界空港から深圳に戻るのですが、この張家界までは鉄道で行った方がいいとアドバイスをもらっていました。
そこで列車の時刻などの情報を得るために駅に行くと、飛行機の便に余裕がありながらちょぅどいい列車が、ここ吉首始発であることが分かりました。
しかも1時間45分しかかからないので、バスの半分の時間です。
鉄道の方が少々遅いが安くて座れて快適でいいよとの情報だったので、時間も早いのはますますの朗報でした。

もう切符を買ってしまいたかったのですが、すごい列ができていました。
旅行代理店や街中の切符売り場など、わずかな手数料で並ばずに切符が買えるところがあったりもするので、ここは目的地に行くことを優先します。

駅なので荷物預かりが目に付いたので、ここでもスーツケースを預けてバックパック&カメラバッグのスタイルで目的地に向かうことにしました。
身軽になってバスを探すと新しい路線と思っていたのに、ずいぶんとボロいバスが停車していたのに意表を突かれました。
新しい路線でも、バスはどこかの路線で散々こき使われた廃車寸前のお下がりがあてがわれたようです。

小巴と呼ばれるマイクロバスはたったふたりの乗客で出発しましたが、それは駅前から乗る人がいないだけで、繁華街を停車しつつ進むにつれすぐに満員になります。
しかし、その乗客のほとんどが途中にある村々で下車してしまい、終着の目的地まで行ったのはわたしひとりだけでした。
ちょっと寂しいと同時に、国慶節前日に来たことで観光客であふれる状況を回避できてたのだと無理やり安心しました。

やっと着きましたが、朝、芙蓉鎮で名物の米豆腐を食べただけで、かなりの空腹状態です。
とるものもとりあえず食事したのが正面に見えている「餐館」です。
おばちゃんがひとりきりでたった1つの鍋を振る、小さなお店でしたが、料理は絶品でした。
この村には10軒近い餐館がありましたが、この味に惚れて再訪を誓いました。

わたしは旅にあって成長するとか、大きく得るものがあったということとは無縁です。
ただ、個人的に愉しむばかりで、それ以上のものを手にしている訳ではありません。
空虚な旅をしているにすぎないと言っていいのかも知れません。
それでもなお、食事についてはいつも非常に恵まれていると思っています。
わたしのお腹周りがそれを証明していると言えるでしょう。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2010/10/18 Mon

你干嗎

M8/Serenar 5cmF1.5
芙蓉鎮にはやや大きなホテルが2軒ありました。
1軒はわたしが泊まったホテルで、小さいながらも4階建だったので客室は30以上あったと思われます。
シーズンオフということもあって、1泊60元(約750円)は田舎ということを割り引いて考えてもリーズナブルだったと思っています。
比較的近い鳳凰で泊まった宿は100元前後でしたが、設備的にはそう変わりません。
数日後に始まる国慶節休暇には価格が3~4倍に跳ね上がると言っていました。

芙蓉鎮のもう1軒は、500メートルくらい外れた位置で見たのですが、こちらの方が大きく、だいぶ高価なようでした。
どちらのホテルも1階にレストランが併設されていて、ツアー用なのだと分かります。
個人は、他に点在する小さな宿に泊まるのがいいかも知れません。
中国人団体客と鉢合わせになると、その騒々しさは想像を絶します。

ホテルの次は夕食です。
これもホテルと似た状況がありました。
観光客向けのレストランは、わたしが泊まらなかった方のホテル1軒きりで(わたしの泊まった方のホテルのレストランは休業していた)、他にはローカル向けの食堂が数軒あるだけのようです。
試しに入った食堂の料理は期待以上に美味しく、華南地域でこういう店に入って外れたことはないという定説通りです。

店の人たちともずっと話をして盛り上がります。
日本での外食事情になったとき、家から比較的近くに中華街があり、中国料理は日本でも親しまれているが、ほとんどが日本人向けにアレンジされた料理だと説明しました。
商売がなかなか順調なので、思い切って日本でレストランを開きたいと考えたようで、話は手続きの問題などへ進みます。

日本で働くこと、商売をすることはかなり難しいことだと説明するとがっかりしたようです。
中国人の不法就労の問題があるし、尖閣では中国人の行動によって日本全体が中国を信用していない状況にあること補足しました。
反論があるかとも思いましたが、そこは理解して聞いてくれています。

折しも今、中国の成都や綿陽などで抗日デモがあり、日本の商店やレストランを破壊したというニュースが流されていますが、こういうことに参加しそうな人に会ったことがありません。
政府による人民の不満を反らすガス抜きとしてデモを利用しているとか言われますが、本当にそうなのかも知れません。
いまいちばん恐れているのが、民主化要求の火が付くことでしょうから、目を反らすためにデモを起こすよう扇動するなんて満更作り話とも思えません。

さて、翌朝早く起きて村をあちこちと歩き回りました。
日中、商店街になる石板路も、夜中から朝にかけては門を閉ざすことから古い町並みを愉しむことができます。
しかし、より面白かったのは、そこから外れたエリアに古くひなびた町並みが残っていることでした。
ローカルの暮らしが残っていて、一般の観光客には興味の対象外でしょうが、わたしにとっては旅の理想郷です。

うきうきと散歩を始めるといろいろなものを目にすることができました。
家の軒先に新品の家財道具が並んでいて人が集まっているので結婚式だなと思い声をかけると、果たしてここの娘が嫁ぐのだということで式などを見れないかと思うと、土家族の結婚式は3日間で行うので今日はみんなで集まって食事するくらいだねえと言われます。

オープンな床屋さんが仕事をしているので見ると、何と70歳以上にしか見えない老人が髪を切っています。
50歳くらいの客が若者に見えてきました。
近くの建物はいかにも共産主義でございという星が掲げられた60年代風建物でしたが、窓から覗くと中で麺を干していてどうやら製麺所に鞍替えしたようです。

川辺に出ると、人々が洗濯しています。
見れば一様に大きな石に洗濯ものを広げて木の棒で叩いています。
この地方の洗濯方法のようですが、ばしばしよい音がするほど力強くたたいてしまっては衣類の傷みが早いのではと心配になりますし、洗剤と汚れが昨日見た滝に流れことのだなと気付いて、滝つぼ近くでだいぶ濡れてしまったことに苦笑せざるを得ませんでした。

鳳凰に対する不満のリバウンドかも知れませんが、見るものすべてを愉しく感じます。
おばあさんがふたり、門の前で対聯のように座っておしゃべりしていました。
恐らく芙蓉鎮という映画が作られた当時と変わらないような垢抜けない服装とともに惹かれるものがあります。
何枚か撮っているうちに目ざとい女性に見つかってしまいましたが、それがまたいい味を出してくれました。
こんな村なら、いつか"芙蓉鎮2"という映画を撮ってみたいなあと思わずにいられません。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2010/10/17 Sun

電影来的名字

M8/Serenar 5cmF1.5
芙蓉鎮という名前の映画が1980年代の中国で大ヒットして、この芙蓉鎮も全中国で有名になったと聞いていました。
現地で聞くとちょっと事情は違っていたようです。
芙蓉鎮はもともと王村という名で、芙蓉鎮と書かれていたり、王村と表示してあったり、王村(芙蓉鎮)と併記してあったりふたつの名称はともに使用されています。
映画は王村でロケされて、架空の芙蓉鎮という名称を使っていただけで、あまりに映画がはやって王村を訪れる人が多かったため、比較的最近になって村の名前も芙蓉鎮としてしまったそうです。

芙蓉鎮という映画は、60年代を健気に生きる夫婦がやがて起こる文革に翻弄される様子を描いたものだそうです。
制作されたのが改革開放の大きな波の中にあったことと、まだ文革の記憶が新しい民衆の指示を得たことも流行に結びついたものと考えられます。
文革を描けばかつての中共の政策を批判することになるからでしょうか、その後は近代が舞台になった映画は鳳凰でロケを見たような日中戦争関連ばかりになってしまいます。
その意味で、芙蓉鎮は貴重な映画なのかも知れません。
機会があれば見てみたいものです。
ちなみに主演は、劉暁慶となっていましたが、いま話題の人と一字違いです。

話はそれますが、芙蓉鎮の少し手前に古丈鎮という村があり、宋祖栄という有名歌手の出身地として有名です。
宋祖英は苗族なのですが、中国全土で人気があり、北京オリンピックの閉会式でブラシド・ドミンゴと共演までしています。
かなりの美人でもありますが、どうも江沢民と親密な関係にあったようで、他にも黒いうわさがつきまとっているようです。
湖南省は毛沢東の出身地ということもあるからか、どうも中共絡みの話題があちこち顔を出します。
古丈鎮は中国十大銘茶のひとつ毛尖の産地として有名と言うので試飲させてもらったりしましたが、帰国後調べても中国十大銘茶に古丈は入っていません。
地元で勝手に名乗っているのでしょうか。


さて、芙蓉鎮の石板路を下ると大きな川に出ました。
港がありますが、今では観光船があるだけのようで、この時期は閑散としています。
川に沿って左を進むと息を飲む風景が広がっていました。

大きな滝です。
幅は50メートル近くあるでしょうか、高さも数十メートルありますが、よく見れば2段になっていて上段の滝から落ちた水は一旦平地を流れてまた下段の滝を経て川に流れていきます。
水量がかなりあるのは、毎日雨が降っているからでしょうか。
ここに来るまでこんな滝の気配はなかったので、予備知識なしに来た人は忽然と現われるこの光景に圧倒されるでしょう。

かなり濡れますが、滝の内側を通り抜けることができるようになっています。
そこから階段を上がるとこれまた勇壮な古建築が並んでいます。
昨日、参道と書いたのは、れが寺院に見えたからで、吊脚楼という名前で寺ではなかったようです。
白い滝に寄り添う黒い古建築は美しい対称を見せます。

吊脚楼を突っ切って滝を横切り石板路へ戻ることができるようです。
山門のようなところに老婆がいて10元支払います。
切り立つ崖に並んだ建築は壮観で、ここから見る景色も美しいものです。
滝を横切るというところは、上段の滝の上部の流れが緩やかなところに飛び石が置いてあって、そこを通り抜けて石板路に戻るようになっていました。
危険はありませんが、万一足をすべらせて水に落ちはずみで頭でも打って気を失えば、そのまま滝まで流されてしまいますので、後から来た団体客の年配の人たちは恐ろしく慎重に歩いています。

彼らがみんな手にチケットを持っていることに気付きました。
吊脚楼の入場料10元と書いてありますが、わたしはもらっていません。
わたしが払った入場料10元は、老婆のお小遣いになったのでしょう。

建物で番をしていた土家族の少女に突然湧いた疑問をぶつけてみました。
この滝と吊脚楼は映画撮影時に作ったセットではないかというものです。
滝は天然のものだと彼女は笑います。
宿の女の子もそうでしたが、土家族の女性は可愛らしいし、優しい笑い方をするなあと感じました。

外国人はそれほど来ないそうですが、たまに団体で来る日本人を見かけるということでした。
張家界、鳳凰とともに芙蓉鎮を訪れるツアーがあるようです。
滝と吊脚楼の写真を出すのは控えますので、ぜひこの地を訪れれて自身の目で壮観な姿を見ていただきたいと思います。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2010/10/16 Sat

第三次老實

M8/Serenar 5cmF1.5
もう鳳凰はこりごりと朝早いバスで出発します。
持参した湖南省の本を調べて、昨夜のうちに行き先を決めておきました。
昨日訪れた土家族の古村落は変貌してしまっていたので、もうひとつの土家族の村、老司城を目指すことにしたのです。
周辺には、他にも苗族の魅力的な村がいくつかありましたが、いずれも7~8時間かかるとあります。
地図上では近くに見えますが、山岳の未舗装路を通るようで、今回はもうタフな移動は遠慮することにしていました。

鳳凰から吉首という交通の要衝まで70分、この程度だと感覚が半中国化したわたしにはあっという間の到着です。
同じターミナルから永順行きにすぐに乗り換えます。
乗り継ぎは最高でしたが、この地方の大都市・吉首からとなりの大きな町・永順まで途中未舗装になるとは想像もできませんでした。
1時間半程度と踏んでいたのに、倍の3時間とは、なかなか一筋縄ではいきません。

試練が始まったのは、ようやく永順に着いてからのことでした。
老司城へのバスを聞くと、ターミナルからではないので、タクシーでここに行け、あと10分くらいで出発のはずだからと言われ慌ててタクシーに乗りますが、着いたのは交差点でバス乗り場ではありません。
おかしいと思い、向かいにあったホテルで老司城にいくバスを探していると聞くと、確かにバスはこの道を通るので待っていれば来るだろうとのこと。

しかし、10分で来ると言っていたバスは、30分待っても1時間待ってもやってきません。
もう行ってしまったのか、客が集まるまで待って発車なのか分かりませんが、ぼんやり立っていても仕方ないのでタクシーを強引に停めて交渉することにしました。
1台目、行くたくないなあ、300元ならいいよ、いや結構。
2台目、遠いからなあ、150元ならいいよ、おっいきなり半額か。
100元で行ってくれ、いや120元、100元、ぬや110元、100元、分かった100元でいいよ。

聞くと30キロほどの道のりらしく100元はあきらかに高かったのですが、仕方ありません。
永順も土家族が多く暮らす村だそうで、この運転手も土家族でした。
昨日、雑貨屋のおばさんが話していた村人が金をせびってばかりいたために、古村落が変容してしまった話しが思い出されます。

タクシーは山道の差しかかると思わぬ事態が待ち構えていました。
道路工事のため通行止めとあります。
運転手は驚いて車を降り作業員と言葉を交わしますが、うんうんとうなづいてから戻って来て言うには、今日は通り抜けできないらしい、道はこれしかなく明日には開通するそうだから、また明日来るしかない。
そういうが早いか、Uターンして永順に戻ってしまいました。

バスターミナルまで戻って、30元寄こせと言います。
わたしはまだ事情が呑み込めないでいましたが、30元も走っていないのはあきらかで、20元でいいだろうと渡してしまいました。
運転手はこれしかくれないのかと嘆きながらもわたしを降ろしてとっとと去って行きました。

ここで我に返りましたが、どうも運転手の態度が芝居臭い。
バスが来なかったのは工事中のためだとすると、あるいは最初から工事を知っていて、そこまで行く芝居を打ったのか、もしかしたら老司城への道は別にあって、最初から工事している道を選んで行ったのかも知れません。
冷静に考えれば、20元でも払い過ぎで、メーターで行っていれば10元前後だったように思われてきました。
根性が出れば、新たにタクシーをつかまえて道のことを尋ねつつ再チャレンジするところですが、鳳凰に続いて土家族の村へ行くことに懲りてしまいました。

バスターミナルで降ろされたこともあって、またバスで吉首に戻って近隣の村を尋ねようと思い直しバスのチケットの窓口に並びます。
そこに芙蓉鎮行きのバスがあることを知ります。
聞くと、ここから吉首へ行く道のちょうど中間あたりにあるということでした。
芙蓉鎮は、鳳凰に次いで湘西で有名な町です。
少しまずいかなと思いつつも、吉首に真っ直ぐ戻ってから別の村に行くよりはよいかと決断しました。

芙蓉鎮は確かに観光化され切った村でしたが、規模では鳳凰よりもはるかに小さく、宿泊する人があまりいなかったので夕方到着したころはすでにひっそりと好い感じでした。
村人に教わったホテルに荷物を置いて、さっそく村を散策してみます。

入り口から参道のようになっていて両側の家は鳳凰のように土産物屋が並んでいるのは残念でしたが、観光客はほとんどいません。
何より酒吧がないので静かなものです。
のんびり歩いていても鳳凰のように、見ていけ買ってけと声がかかることもなく、ほったらかしなのもありがたいです。

路地では、路上で女性が髪を洗ってもらっていたり、その隣では減肥のためか女性が手をつないでダンスの特訓中でした。
村全体に緩い空気を感じます。
後で知らされたのですが、昨日の変貌した村や今日たどり着けなかった村と同様、ここ芙蓉鎮も土家族の村だということでした。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(2) | 2010/10/15 Fri

再来鳳凰的夜

M8/Serenar 5cmF1.5
予期せぬことで、また鳳凰に戻って来ることになってしまいました。
もう少し早ければ、また別の村に移動したかったのですが、すでに暗くなりかけていて鳳凰に滞在せざるを得ません。
スーツケースを預けてある宿には、あら、戻ってきたのと笑われるのが嫌で別の宿を探すことにしました。

鳳凰には相変わらずすごい数の観光客がいましたが、それ以上にこの町は宿にあふれています。
今回は少し趣向を変えて、少しモダンな感じのする若い夫婦が経営する宿に荷を解きました。
最上階の部屋は天窓が付いていてベッドに寝ながらにして星が眺められるのが特徴でしたが、残念ながらこの日も雨時々曇り的な天気で真っ暗な空が見えているだけです。

この宿で、わたしはとんだ騒ぎを起こしてしまいます。
自分では鳳凰に戻ったために歯車が狂ったなどと言い訳したいところですが、いま思えば冷静さを欠いた行動でした。
宿は3ヶ月前にオープンしたばかりで、初の外国人客のわたしにいろいろと気遣いしてくれましたし、オーナーの父親が書いたという苗族の文化についての本までいただきました。
さらには、いっしょに飲もうとフロントでビールまでご馳走になりました。

11時過ぎにお開きにしたのですが、その後上海からやってきた若者グループがチェックインすると、わたしの部屋の前のテーブルで宴会を始めました。
オーナーに頼んでひとつ下のフロアに彼らを写してもらいましたが、何しろ中国人は声がでかいし、12時を廻っても他の客への遠慮もなく大声が宿中にこだましている状態です。

本来ならこの連中に対して文句を言うべきですが、わたしはまだ起きていたオーナーの奥さんにクレームを付けます。
奥さんが、フロアを移したのにまだ不平を言う訳かという態度だったのに切れて、それならこちらが出ていくと階段を駆け上がり荷物をまとめますが、もう12時を過ぎたので返金できないときっぱり言われます。
騒々しくて眠れないような宿なのだから契約違反だ、全額返せと怒鳴りますが、この辺はわたしの中国語の限界を超えていて奥さんには通じていなかったと思われます。

お前じゃ話しにならんと、オーナーが寝ている部屋をノックしたのですが、手にしていた傘の柄で叩いたため、なんとドアに穴が空いてしまいました。
そんなに強く叩いた訳ではないのに、ベニヤのような素材のドアだったようです。
いずれにしてもオープン間もないホテルのドアを破壊したのは間違いありません。
この時、わたしはちょっと青ざめたのではないかと思われます。

逆に真っ赤になって怒ったのが奥さんです。
金は返さん! ドアの修理代100元出せ!
この100元の根拠はよく分かりませんが、ドアに穴を開けて1200円程度で済むのか不思議な気がしました。

オーナーも起き出しましたが、寝込みを襲われた上にビールで酔っ払っていたわけですから、先ほどまで友好的だったわたしが血相を変えていて、新婚の愛妻が激怒しているのが理解できないようです。
奥さんはまくし立てるように説明し、階上で開かれている宴会の騒々しさを指さしながらわたしが補足説明します。
ああ、分かった分かった、彼は奥さんに半額返金を指示、ドアは明日オレが直すからと言いつつ、またベッドに潜り込んでしまいました。

宿泊料は110元でしたか、奥さんは苦々しげに50元寄こしてきました。
わたしは勢い余ってドアに穴を開けてしまい、5000円くらいは弁償せざるを得ないと咄嗟に計算していましたので、思わぬ展開に奥さんに平謝りしました。
奥さんは悪態を付くかと思ったのですが、意外にも階上を示しながらあいつらには本当に申し訳ないと恐縮していたのがまたまた不思議な展開でした。

結局、双方とも頭に血が上って、冷静な対応ができていなかったことになります。
それを寝起きのオーナーがスパッと裁いてしまったというところでしょうか。
おこがましいですが、あとあとになって考えると、日中問題の構図と似ているものを感じざるを得ません。
宿をすごすごと出たわたしは、延々歩いて50元で泊まれる宿を見つけ、結局当初と同じ費用で宿泊することになりました。

さて、ちょっと前ピンな作例写真ですが、これは宿の奥さんではなく、カフェの服務員の女の子です。
前日にもふらっと入って親しくなったので、また寄ってしまったのです。
もうふたりいた服務員も美しかったのですが、鳳凰ですっかり心がすさんだわたしにとって、彼女のまだ垢抜けないところのある可愛さは心のオアシス的存在でした。

そういえば、カフェのオーナー夫人もかなりの美女でしたが、彼女はライカM6を愛用しているそうです。
M8も悪くはないけど、大きすぎてちょっとバランスが悪いから…。
うーん、侮っていましたが、奥行きの広さを感じさせずにいない鳳凰の夜でした。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(1) | 2010/10/14 Thu

花生的味道

M8/Serenar 5cmF1.5
旅は湖南省に西側地域である湘西を南から北上しています。
南端の黄土は、侗族の暮らすエリアで、だいぶ北上して鳳凰とその周辺は苗族のエリアです。
湘西にはもうひとつ土家族という少数民族の暮らすエリアもあります。
鳳凰から比較的近く、飛び地的に存在している村があるので、目指すことにしていました。

鳳凰が古鎮型テーマパークのようになってしまっていることは、実はうすうす知っていたのです。
しかし、黄土ではあわよくば侗族のお宅に民居するつもりでいたので、シャワーも浴びれない可能性があったので、鳳凰でいったん旅の汚れを洗い流したうえで、旅の中盤戦に入っていこうと目論んでいました。

結果的にはきちんとした宿に泊まったのですか、果たしてというか、シャワーを浴びることなくかなり汚いかっこうで鳳凰に辿り着きます。
そしてリフレッシュをして、スーツケースを宿に預かってもらい、小型バックパックに持ち替えて旅を続けます。
いいところと思えば2泊、まあまあ程度なら1泊だけして鳳凰に戻って次の目的地を目指す計画でした。

バックパックはカメラ用で、通常の上部ないしは全面に器材を入れるタイプではなく、下部にカメラを入れて上部はまた別のものを入れられる構造になっています。
そこで、下部に付いていた可動式の間仕切りインナーを外して、そこに小型のカメラバッグを入れて(これがぴったり入るのがありがたい)、丈夫には本やお菓子などを仕舞っておいたのを、スーツケースを預けたことで、小型カメラバッグをバックパックから出して肩に掛け、バックパックの空いたスペースに着替えなどを押し込んで、カメラ用ではなく通常のバックパックのように切り替えて使用したというわけです。

少し身軽になって鳳凰1路のバスに乗って、西にあるバスターミナルまで行きます。
ここから南西の林峰行きの小型バスに乗り込みます。
どうしたことか、バスの行き先名は覚えていますが、ずっと手前にある楽しみにして訪れた土家族の村の名前は忘れてしまいました。

バスは30分ほどでその村の入り口に着きました。
乗客みんながあの道をただまっすぐ登れば15分くらいで着くよと指差して教えてくれます。
界隈では有名な村のようです。
角に小さな雑貨屋があって、泊まりに備えて水を仕入れておきます。
芋頭村で補強してもらったサンダルは快調で、言われたとおりちょうど15分で村に到着しました。
確かに、到着したのですが…。

どうしたことか写真で確認していた、木と瓦でできた古い家はとんと見当たりません。
全部がそうというわけてはありませんが、タイルが貼られた中国の田舎で普通に目にするなんとも無粋な家屋ばかりになっています。
この先に古い村があるのだろうかと前方を見てもそんな気配もありません。
作為写真の門が閉ざされた「郷里人飯店」が、何か理由を語っているようです。

古建築も数軒ながら点在しているので、村をぐるぐると歩いていると軒先で農作業している女性と目が合い、手招きされて少し古そうな家の土間に入れてもらいました。
何もなくてといいながら村の名産だというピーナッツを分けてもらいました。
どうぞ食べてと言いますが、収穫したてをもいで渡しますので、これはもちろんナマです。
初めて食べましたが、失礼ながらやはり茹でたほうがおいしいです。

家の主人の奥さんとお嫁さん、まだ1歳の女の子の三人で語らいながら作業しているところでした。
聞いたり聞かれたり、いろいろなことを話しましたが、わたしが写真で見た村はここで間違いないことはわかりました。
数年前まで、バスでツアー客もやって来ていたのだが、最近訪れる人はほとんどいなくなったと言います。
確かに今の状態では、わざわざツアーで来るような所ではないです。
よく理由は分かりませんでしたが、観光客が来なくなったのと家が新築されてしまったのは関係がありそうです。

そういえば、男性陣は農作業中なのかと聞いてみましたが、この家には田んぼはなくピーナッツをはじめとした野菜などの畑がそこそこあるだけということでした。
そして家の主人も息子も、広州に出稼ぎに行っていて年明けの春節まで帰らないということでした。
もう数日で国慶節休暇が4日間ありますが、交通費がもったいないので、帰って来ないのだそうです。
おそらくは来年の2月まで、女性3代だけでこの家を守らなくてはいけないのです。
行く先々で見た、現金収入の乏しい中国農村地域の現実です。
そして、彼らは田舎から来た少数民族として待遇面での差別も受けている可能性が高いのが現実です。

また来ることがあったら寄ってくださいとピーナッツを袋につめて渡してくれました。
わたしはこれを断ることはせずにありがたく受け取って、代わりに持参していた飴やお菓子を手渡します。
村に泊まって食事が足りなかった場合にと持ってきたものですが、もう必要がないものです。
30もしゃべっていたでしょうか、降ろそうとしたパックパックが汚れないよう気遣ってくれたり、自慢の娘を触ってくれと差し出したり、村の変貌に失望していた中で心が温かくなる時間でした。

もと来た道を戻ってバスを降りたところに着きましたが、戻るバスはいつ来るか分かりません。
また雑貨屋へ入るとおばさんが、あらずいぶん長く行ってたのねと出迎えてくれました。
バスのことを聞くと、いまさっき行っちゃったからあと50分くらいだろうねえとのこと。
やはり、村から来て鳳凰に行くというおばあさんが、どうぞとピーナッツを分けてくれました。
あっと思いましたが、今度はちゃんと茹でてありました。
やわらかさと甘みが今までに食べたことのない味で、やみつきになりそうなくらいうまいものでした。
わたしもこんなときのためにと少量残しておいた飴をみんなに手渡します。

そうやって話しているときに村のことを問うと、雑貨屋のおばさんが少し暗い顔をして教えてくれました。
土家族でも有数の美しい村だったので訪れる人が多くいたのに、いつの間にか村人がなんでも金、金とせびるようになって村は少し豊かになったのに反比例するように客が訪れなくなってしまったのよ。
そうするとまた少なくなった客からもっと金をとってやれという風潮になってしまって、完全に誰も来なくなってしまったの。
そしたら現金も少しもてたし、観光客も来ないのだからと村人はいっせいに古い家を壊して家を新築してしまった。
そして現金はすぐになくなって、みんな村を出て出稼ぎせざるを得なくなってしまった…、本当におろかな話よね。

そんな話を聞いているとおばさんは、あらバスが来たようよとわたしたちにうながしました。
雑貨屋の中でこの間車が何台も通っているのに、遠くから近づいてくるバスの音が判別できるようです。
なるほど先方のカーブを曲がったところから、バスがかなりのスピードで近づいてくるのがわたしにもやっと見えてきました。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(1) | 2010/10/13 Wed

現在的鳳凰

M8/Elmar 90mmF4(Triplet)
今日は苦言をまとめて発散させていただく場になることをあらかじめお断りしておきます。

釣り人の作例ですが、好い趣味ですねえなどと声をかけたら怒られてしまうかも知れません。
よく見れば竿は4本も出していて、この人は漁師さんです。
鳳凰には観光客向けのレストランがそれこそ無数にありますが、どの店もウリはここ沱江の天然魚なので10月1日からの国慶節休暇を前に漁師は必死に竿を振っています。

そんな沱江は大切にされているのかと言えばまったくそんなことがないのが、無性に腹が立ちます。
経済発展著しい中国ですが、環境について関心を払う人はごくごくわずかなようで、川は流れるごみ箱だとばかり、観光客も地元民も平気でゴミを捨てます。
夜は観光客がこぞって灯篭流しをしますが、この紙製の灯篭もすべて流しっぱなしで、大量の灯篭がその後どうなるかなんて気に留める人は皆無のようです。

昨日も書きましたが、もともとが古く静かな町並みだった鳳凰は、観光化の波をもろに受けて賑やかと言うのを通り越して騒々しい町になってしまっています。
その象徴が酒吧ですが、この西洋のバーを中国式に変容させた大音量生演奏付きのオープン飲み屋さんが無限に並んで静かな環境を求める旅人を鞭打ちます。

雨の鳳凰を傘をさして歩いていると、狭い路地を次から次とすれ違う人が通り過ぎます。
しかし、彼らは自分の傘を避けることはありません。
傘同士がぶつかって当たり前で、お互いがちょっとだけよけることで、傘がぶつかり合わずに済むという気使いのようなものは微塵もないのです。

鳳凰はずれのレストランで。
オーダーを聞かれ、野生のきのこと肉の炒め物をまずたのみ、あともう一皿何か注文したいけど何かお薦めあるかと服務員に聞いたところ、大椀飯というのが美味しいというので従いました。
しばらく待つと2皿同時にやってきましたが、なんと前者がきのこだったのが後者では野菜が使われているだけで、他は使用具材から見た目、味付けまですべて同じです。
なんでそっくりな料理を勧めるのと叱っても、ただへらへらするばかりで何ら説明なし。

どれもこれも、鳳凰での体験ですが、冷静になってみれば中国と付き合っている中で、今まで何度も体験したようなことだといえばその通りです。
そんな時は、これが中国だ、けど昔の日本がそうであったように、中国もそのうち変わるからとやり過ごせてきたのが、鳳凰に来てすべてが勘に触るようになって来ました。

思い起こせば、そのきっかけになったこんな出来事がありました。
怀化から鳳凰に向かうバスでのことですが、途中、山間の道で崖崩れがあって立ち往生する場面がありました。
しかし、よく聞くと、崖崩れではなく崖崩しというか、長雨が続いていて地盤が緩んでいる危険な崖があったので、ブルドーザーを動員して崖をわざと崩してその土砂をスペースに避ける作業をしているところでした。
ですから、よく見ればブルドーザーがスムーズに作業を行っていて、10分も待てば全部片付くという感じです。

運転手もそう説明して、大方の乗客がまあ納得、という車内の雰囲気を作っていました。
ところが、それに噛みつく乗客がいました。
えらくなまっている上に大声で怒鳴るのでなにを言っているか分かりませんが、推測するに、こっちは高い金払ってバスに乗ってやっているのに遅れるっつうんは何事じゃ、舐めとるんかお前、などとゴネているようです。
誰もが早く着きたいのを大人しく辛抱しているのに、実に不愉快な奴です。

運転手のせいではないので、最初は困りながらいなしていたものの、あまりに理不尽に怒鳴られるので、売り言葉に買い言葉になったのか、かなり険悪な雰囲気になって来ました。
今や乗客の誰もが固唾を飲んで見守るような状況でしたが、引き続き推測で、こんなクソバス乗ってられっか、歩いて行ったるわと、怒鳴っている親父とその仲間3人は降りていってしまいました。
やれやれです。

やがて予想通り10分もするとどうにかバスが通り抜ける程度に片付いて出発しました。
一本道なのですぐに3人組に追い付いてしまいました。
泥水でも跳ね飛ばしながら置いてけぼりにできれば痛快なのですが、やはり両手を広げ乗せてくれと猛アピールされれば、運転手も乗せないわけにはいかないでしょう。
どんな顔してバスに乗って来るかと思えば、3人とも何事もなかったかのような澄まし顔で、周囲の感情などまるで気にする素振りすらありませんでした。

しばらくしてふと気付いたのですが、周りの嘲笑も気付かずに理不尽に怒鳴り散らして相手を屈服させ好き勝手に振舞い、やがて相手が正しいと思ってもそれはおくびにも出さずに平然と元の位置につく…。
これって尖閣問題の時の某国の姿勢そのものではないですか。
ノンポリがこのブログのポリシーなので、これ以上このことに言及はしませんが。

いや、もうひとつ思い出しました。
これも別のバスの中でのことです。
間もなく出発というバスにふたり組が乗り込んできたのですが、座席はひとつしか空いていません。
どうするかと思えば、係員が来て5歳くらいの女の子にお母さんの膝の上に座って、席を開けてあげてと指示しました。
小児料金は半額ですから、まあ妥当なお願いで、この子の家族も了解しました。

しかし、この女の子が突然叫び始めました。
席は譲らない!
さあ、両親はどうするかといえば、ただうろたえるばかりです。
いい子だからわたしの上に座ってとお母さんが言っても、すでに結果は目に見えています。
席は譲らない!
両親とおじいさん、おばあさんがいましたが、誰もおろおろするばかりで自分の娘(孫)を説得することも叱ることもできずに困った状況になってしまいました。

そんなものを待ってられませんので、バスは発車してしまいました。
どうなったでしょう。
後からの二人組の女性が、お菓子を出してこれをあげるからと撮り直して席を空けてもらったのです。
女の子は、それを待っていたかのように承諾して、席を譲りました。

このエピソードも某国そっくりに思えます。
自分がちょっと引けば丸く収まるのに、強引にゴネて第3者から利益を得てしまいます。
外交ベタとこき下ろされた閣僚のみなさんも、一度、地方の長距離バスに乗ることをお勧めします。
きっと相手国の考え方の源のようなものが見えてくることでしょう。
【M8/Elmar(Triplet) 90mmF4 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Elmar 90mmF4(3 Elements) | trackback(0) | comment(1) | 2010/10/12 Tue

失望

M8/Serenar 5cmF1.5
今日は、朝早く黄土を出て鳳凰に向かいます。
直行のバスはなく、この地方の中心都市、怀化まで出て鳳凰行きのバスに乗り換えなくてはいけません。
バスを乗り継いで通道のバスターミナルまで出て、怀化行きのいちばん最初のバスに乗り込みましたので順調なスタートに思われました。

通道は、湖南省の行政単位では怀化に所属します。
日本と順序が違うのでややこしいですが、湖南省怀化市通道県黄土鎮のように住所表記します。
ですから通道を横浜に例えるなら泉区あたりの感覚でとらえていたのですが、これがそもそもの大誤解だったのです。
通道から怀化まで1時間半かせいぜい2時間ほどと見積もっていたのですが、てんで甘く、5時間かかってしまいます。

7~80キロくらいかと見込んでいたのが200キロ以上離れているのが分かったのは、いま地図を見たからです。
通道からは市内の怀化へ行くより、隣の省の桂林に行く方が近かったのでした。
何も知らずに、5時間ノンストップ満員オンボロバスの旅に乗り出してしまいました(トイレ休憩は1度あったが…)。

そして、乗り継いだ怀化から鳳凰のバスは、事前の情報で1時間半と聞いていたのですが、これまた途中のがけ崩れもあって3時間半かかってしまいました。
都合8時間半のバスの旅になると前もって分かっていれば、体力のことなども考えて途中の村に立ち寄ったのですが。

さて、体験上知っていた中国でのバス三重苦があります。
その一、前方に何かがあるたびに激しくクラクションを鳴らす騒音苦、
その二、サスペンションが効かないために起こる振動苦、
その三、一年中エアコンがかかりっぱなしの冷房苦、
の3つです。

一の対策はできています。
前方の席ほどうるさいので、最後尾の一列前あたりの席に腰掛けるようにして、かつiPod持参で音楽を聴いて過ごせばまずは万全です。
二はどうにもなりません。
タイヤ付近の席を外せばよいのではと思ったこともありましたが、ガクンガクンとくる細かい振動はどの辺に座ってもあまり影響が無いようなので、これはひたすら耐えることにしました。

三は、今回の旅では遭遇することがありませんでした。
外気が涼しい中で冷房が入ってないのはありがたかったのですが、代わって毎度毎度不快な思いをさせられたのが車内喫煙でした。
もちろん車内は禁煙なのですが、さすが中国ではルールがあってもそんなものは守らないという人が少なくないのですね。

注意すると恐縮しつつ止めてくれたので、この旅の間、2、3度注意したりしました。
しかし、離れたところで吸われては声も届かないので、結局無駄な努力と悟り、窓を開けて自衛した方が現実的だと思い知らされました。
人口抑制策をとる中国では、たばこによる健康被害など知らさない方が国の指針に沿うということなのでしょう、健康への問題など何も知らされずにたばこを吸い、周囲は受動喫煙するという状況があまりに多いのは、かえって彼らには不幸なことなのだと複雑な思いです。

そうして辿り着いた鳳凰でしたが、わざわざやって来るまでの町だったのか、わたしの答えはノーです。
麗江や陽朔がそうであったように、大量に訪れる中国人観光客によって、古鎮型テーマパークのようになってしまっていました。
鳳凰よ、お前もか、です。

古民家の1階はすべて商店かレストランに、2階から上はすべて宿泊施設にしてあらゆるスペースから金銭を派生させるべく町ぐるみの努力がはらわれています。
それだけならまだ耐えられますが、中国が生み出した観光地での最悪の習慣である酒吧までもが林立して騒音を周囲に撒き散らしています。
中国人の非常に多くが、静かなところよりも賑やかなところを好むようなので、致し方ないのですが。

わたしにできることは、なるべく閑静なエリアに宿を求めることと、翌日は店が開く前の早朝に散策開始することだけでした。
ですが、何ということでしょう、朝から賑やかだと思えば、テレビドラマのロケを行っているではないですか。
しかも、中国お得意の抗日戦争もののようで、察するに軍人さんと少数民族が力を合わせて、日本を駆逐して我々は同じ中華民族などとやるのでしょう。

門も通り抜けられずに憮然と立ち尽くしていると、スタッフに撮影が始まるぞどけどけと突き飛ばされて怒りは頂点です。
しかし、それを鎮めてくれるちょっとしたハプニングに気を晴らすことができました。
緊張感の中で撮影が始まり、国民党軍兵士が雪崩を打って駆けおりていくと、写真の壁の右の先の方でうんこ座りしている地元のおじさんがいて、カット! となりました。
スタッフからは叱責が飛び、ギャラリーからは爆笑が湧き、そしてわたしからは快哉を叫びました。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(1) | 2010/10/11 Mon

品嚐本地菜

M8/Serenar 5cmF1.5
「ニャーライ」、「ニャーライ」…。
散策を始めたわたしたちにそう小さく声がかかるのを聞いて思い出しました。
ニャーライはこんにちはという意味ですね、じつは2年前に貴州省の侗族の村を訪れた時に教えてもらったことを思い出しましたと話しかけると、わたしの案内をかってでた食堂の女性はよく知ってるわねと感心することしきりです。
同時に、侗族の言葉にはありがとうやさよならという単語が存在しないということも思い出しました。
集まっていた村の人とそんなことを雑談します。

この女性は一見すると30歳代の半ばくらいに見えますが、6歳の子どもがいましたので、あるいはまだ20代後半くらいなのかも知れません。
今は涼しくしのぎやすい季節ですが、夏は35度を超え、冬は雪が降ることもあるこの地の少し過酷な生活が表情に刻まれているようにも感じられました。

といっても暗い顔をしている訳ではなく、みんな明るくしゃべっている間は笑いが絶えません。
人柄もシャイと言うか、奥ゆかしさがあふれていて、人当たりがよいのが心地よく感じられます。
田舎の人だということを割り引いても、中国の都市部の人よりもよほど日本人に近く親しみをもって接することができます。

作例写真の奥の方の建物は、ちょっとした村人の集会所のような存在になっていますが、わたしたちはここでしばし話をしていました。
地上から10メートルほどの高さから丸太の柱を支えに、空中楼閣のような異空間になっていましたが、主婦の皆さんは午後に三々五々集まるのだそうです。
家の中ではできない話しもここならできるからと言うので、日本のお母さんたちは井戸のそばで内緒話しをしていますと説明すると、所変われどお互いに似ているところがあるねと笑いが出ます。

ところでこの建物ですが、100年以上前に建てられた歴史的建造物で、立派な○×楼という愛称もあって(正式な名前は忘れました)、柱に彫られた素朴なサルの像が民間芸術の一端も指し示してくれています。
何より高台で、眼下に村の端っこの方の民家群とそこから広がる棚田の風景が見事でした。
中央部分は土間の囲炉裏のようになっていて、寒かったこの日は薪を使って暖をとっていたのは、くぎの1本も使わずに建てた木造建築にあって火を使っていることに意表をつかれました。

面白かったのは、つい数年前まで柱が激しくきしんでいて、揺らすと建物全体が50センチほども左右に動いたのだそうです。
これじゃ危ないだろうと補修したので、いまはどっしりとしていますが、地上10メートルでぐらぐらさせながら井戸端会議を開いていたなんて怖いもの知らずのおばさんたちです。

その後、芋頭村でいちばん古く政府が1万元で買い取った古民家を案内してもらったり、村の水場である泉でのどを潤したりしながら見学を終了しました。
帰りは、さきほどお昼を作ってくれた旦那さんがバイクで黄土まで送ってくれます。
侗族の文化と心情に触れた小旅行になりました。

夕食は昨日と同じ川辺の食堂にしました。
訪れるものなき村と以前書きましたが、この日は外来のお客さんがありました。
しかも、フランスからのツアーだそうです。
熟年夫婦4組8人が1ヶ月かけて上海~広西~湖南と廻るうらやましくなるような旅をしているということでした。

わたしは第2外国語がフランス語でしたので、会話する絶好のチャンスでしたが残念ながらさっぱりしゃべれません。
こんばんは、どちらからですか、だけフランス語で、後は英語になり、またしばらくして中国語の会話になってしまいました。
ガイドのセリーヌさんはパリの出身でしたが、上海生活が長く中国語を普通に操るばかりか英語も堪能でしたし、東京でもビジネスしていたことがあるらしく、ごくごく簡単な日本語も話してしまうのでした。

もうひとり中国人のガイド楊さんも同行していて、3人で英語交じりの中国語で旅の情報交換をします。
がちがち中国人の楊さんが英語で話すのは何ともヘンな雰囲気でしたが、それ以上に金髪碧眼のセリーヌさんが中国語を流暢にしゃべるのを聞いていると、いま自分がどこにいるのか訳が分からなくなってきそうです。
楊さんは、カメラオタクでもあって、わたしのM8を見てはマイ・ドリーム・カメラと連発していました。

お昼が遅かったので、夕食は彼らの食事が終わってからにしました。
もっとも10人の料理をひとりで調理しているので、今食べたくても後回しにされていたでしょうが。
さて、今日は何をオーダーしようかと思っていると、食堂主の石さんからよければ土地の料理を家族で食べるからいっしょにどうですかと誘ってくれました。
願ってもない話しです。
ひとりだと何皿も頼めないし、昨日食べた魚が思いのほか美味しく、別のものも食べてみたいと思っていたのです。

楽しみに待った料理でしたが、どれもがおよよっとなる3皿が並びました。
まずはタニシ。
これは甘辛く茹でてあってサザエのように少し苦みある美味でしたが、以前、中国のタニシは寄生虫が多いので手を出さない方が無難と言う話しを聞いたことがあったので、及び腰で食べることに。

2皿目は、何やらモツのような炒め物です。
歯ごたえと弾力があって中身も香ばしくやはり美味しいのですが、何かと聞くと魚の腸を料理したものだといいます。
魚肉ソーセージ? 何だか分かりませんが内容物はそのままということでなければいいのですが。

最後は、ひと目で原材料が当てられる簡単料理です。
バッタと唐辛子の炒め物ですね。
石さんは、これ食べられるかと心配してくれましたが、大丈夫日本でも田舎ではバッタはよく食べるからと強がりました。
確かに以前はイナゴの佃煮を平気で食べていたのですが、テレビでイナゴの大集団が穀物を襲いながら移動していくという生々しいドキュメントを見てから、イナゴは喉を通らなくなっていました。
しかし、この日は頑張って3匹もたいらげました。

正直なところ3皿とも味はともかくとして、食材としては辛いモノがありました。
さいわいだったのは、食事前から昨日と同じ手製の米酒を飲んでいたので、少し酔いがまわっているタイミングで食事したことでした。
さらに食事中もみんなで飲んでいたので、昨日よりもハイピッチで次々飲み干して酩酊状態に自らを追い込んでティピカルフードを満喫しました。

やはり、心配した通り石さんは料金はいらないと言い出しました。
せっかくシーズンオフの客なのだから少しでももらっておけばいいのにと言うと、今日はフランス人から儲けたから、友だちから払ってもらわなくてもいいんだよという嬉しくも考えさせられる答えが返って来ました。
旅人の立場は弱く、この申し出は図らずもお受けせざるを得ません。

友だちと言ってもらったとはいえ、明日の朝早くにここを発たなくてはいけないので、この場で石さん一家にお礼とお別れのあいさつを済まします。
別に感傷的になって抱擁したりというような別れではなく、無数に繰り返される一期一会のひとつに過ぎないものと言えます。
湖南で最初にできた友人ですが、もう会えなくなってしまう、それが旅というものなのでしょう。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(2) | 2010/10/10 Sun

涼鞋維修

M8/Serenar 5cmF1.5
近くにここよりもっと古い村があるので行ってみたら。
昨夜食事して、米酒も酌み交わした石さんが、そう勧めてくれました。
通道の町と黄土の間は、30分間隔ほどで小さなバスが走っていますが、5分くらいのところで降りて2キロの道のりを歩いた先にある芋頭村がそれだと言います。

午前中はゆっくり黄土の村を歩き回ったので、またお昼を石さんの食堂でとってから芋頭に行こうと考えていました。
12時半頃食堂に行きましたが、どうしたことか開いている気配がありません。
いや、オープンエアの食堂なので、開いているといえば開いていますが、誰もおらず今日のランチタイムは営業しないようでした。

ああ、どうしようと思っていたところ、大きなクラクションの音が響きました。
これは村をバスが発車する合図です。
この村が始発ですので、だいたいバスは村の入り口のところに停まっていますが、発車の前に警笛を鳴らすという船のようなシステムになっていました。

バスは出発してしまいましたが、走って行って手を振ると止まってくれました。
芋頭に行きたいと告げると料金は2元で、しばらく走ってからやおら停車し、この道をただまっすぐ歩いて行くと着くからとわたしを路口に降ろしてくれます。

ゆるやかに登りになった山間の舗装路ですが、稲刈りが終わった棚田とたまに現れる民家を眺めながらのちょっとしたハイキングです。
さいわい雨があがっていて、2キロなら30分かからずに歩けるでしょう。

そう思っていたのですが、ハプニングに見舞われました。
愛用のサンダルのゴム底が剥がれてしまい、いちいち脱いで底の位置をなおしてやらないと歩けなくなりました。
50メートル歩いては立ち止まり、ずれた底位置をなおしてはまた歩き始めるを繰り返します。
少し絶望的な気持ちになりながらも、1時間以上歩いてようやく芋頭村に着きました。

お昼がまだだったので空腹がピークでしたが、さいわいここにも1軒だけ食事できる店がありました。
黄土よりもずっと人口が少なく、観光シーズン以外訪れる人もほとんどないところなので店自体は閉まっていましたたが、火事をしていた女性に食事できないか聞くと快く中に通してくれました。

メニューはなく何を食べるか聞かれますが、こちらも答えようがありません。
冷蔵庫を開けて食材をみせてくれますが、いちじんの得意料理1点と新米のご飯とだけオーダーしました。
調理するのは奥から出てきた旦那さんで、了解、という感じで調理を始めます。

そのあいだに奥さんと雑談していましたが、やはりすぐ化けの皮が剥がれて中国人でないことはすぐにばれてしまいました。
日本人だと白状するとさすがに少し驚いていましたが、そういえば2ヶ月くらいまえにやはり日本人がひとりで食事に来たことがある言うので今度はこちらが驚きました。

サンダルを修理したかったので、この村にバイクの修理をするところはないか尋ねました。
パンク修理用のゴム用接着剤で補修してもらおうと思ったのですが、この女性はわたしのサンダルを見るやわたしが直そうと買って出てくれました。
てっきりこの家にもゴム用ボンドでもあるのかと思いきや、なんと針と糸で縫い出したのにはまたまたびっくりです。

サンプルの革部分はまだしも、厚いゴムは縫い針が通らないので、千枚通しでいちいち穴を開けてから丁寧に縫っていってくれました。
食事が終わってもまだ完成していなかったので1時間近くかかって修理してもらいました。
謝礼を渡そうとしますが受け取ってくれません。
仕方なく日本から持参していた飴を進呈したところ、これが大うけでホッとしました。

作例写真は、食堂のわきに咲いていたちょっと不思議な感じのする花を記録したものです。
茎に草が巻き付いたようなかたちになって、まるで自然のブーケのようです。
昨日の作例では、キヤノン50/1.5の前ボケを見ましたので、こちらでは後ボケです。

近距離での描写が苦手なゾナータイプのレンズですが、ボケがうるさくなるのを防ぐためにかなりアンダーにしてあります。
これだけ距離があれば、ボケは気になりませんし、コントラストが低くて一般受けしないレンズもわたしにとってはトーンのよく出るお気に入りです。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2010/10/09 Sat

俯瞰黄土

M8/Serenar 5cmF1.5
旅行記に入る前に、外電で某国の民主活動家がノーベル平和賞を受賞したというニュースを聞きました。
この項には政治的な話題を避けるよう努力していますので、これ以上のことは書きません。
しかし、とても良いことだとこの方にとっても、国にとっても良いことだと確信します。
おめでとうございます。


さて、黄土について、ここで簡単に紹介しておきたいと思います。
黄土は、少数民族の侗族のみが暮らす村です。
川と地形により小さな4つの村が合わさって形成されています。

以前に見たように侗族の特徴である風雨橋や鼓楼があり、他にも清代の建築が散見されます。
もちろん昨日見たように一般の住宅でも50年以上を経た古い建築が並んでいて、古鎮としての風格をも保っています。
歩いていてわくわくしてくるような古村落だと言えるでしょう。

また、黄土はまたの名を皇都侗族文化村ともいいます。
かつて古夜郎族の国王が移動中にこの村を訪れて、ここの文化にすっかり惚れ込んだことから名付けられたようです。
黄土と皇都は、中国語での発音はほとんど同じなので、うまく字を当てたものなのでしょう。
中国では地名が変化することは多いのですが、黄色い土よりは皇帝の都の方が箔が付くと思うのに、あえて古来の地名を使い続けていることなのでしょうか。

交通便利とは言えない黄土を平日訪れる人はあまりないようで、地元の人しか見かけません。
しかし、歩いているとひんぱんに声がかかるので、退屈することはありませんでした。
侗族の人はおしなべてシャイなのですが、案外とフレンドリーです。

昨夜からの雨は降ったり止んだりでしたが、突然強くなることもありました。
そんなとき宿に戻るのですが、そこには散歩はどうだったと心配してくれたり、いま作ったからと粽を差し出してくれるオーナー夫妻がいます。
宿を含めて、村全体が旅行者を見守ってくれているかのようです。

わたしの部屋は3階に、夫妻の部屋は2階にありますが、宿が高台にあるために2階の部屋からも村全体が臨める光景が楽しめました。
風景を楽しむのは、奥さんの日課でもあるようで、ずっと見入っている姿が印象的です。
その背中は、黄土の家並みに勝るとも劣らない美しさでした。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(1) | 2010/10/08 Fri

摩托車牌照

M8/Serenar 5cmF1.5
今回の旅のルートは一地域に絞ったわりと単純なものでした。
湖南省は毛沢東が生まれた内陸部の省とくらいしか説明しようがないのですが、湖南料理は辛いことで有名なのでご存知の方もおられるるかも知れません。
中国語の学習者が教わるこんなことわざがあります。

 四川人不怕辣
 貴州人辣不怕
 湖南人怕不辣

不と怕と辣の位置を入れ替えることで、四川省、貴州省、湖南省のひとの食生活を表しています。
簡単に訳すと、

 四川人は、辛いのを恐れない
 貴州人は、辛いモノを恐れない
 湖南人は、辛くないモノを恐れる

わたしの解釈では、四川料理は辛いことで日本でも有名ですが、その程度は当然として冒頭に扱われ、料理の中に辛いモノがあっても恐れない、しかし、貴州省の人は辛いどんな料理でも恐れないのだと自慢します。
ところが、湖南省はその程度は当たり前で、むしろ料理の中に辛くないモノがあるのを恐れると言うことです。
それほど、湖南省では辛いモノが好まれるのですが、例えば有名な辣子鶏は、皿の上にひたすら唐辛子が山盛りになっている中に小さな鶏肉がところどころに入っているのを探して食べる湖南料理の典型です。

どうして湖南省で辛いモノが好まれるようになったのか、わたしにはよく分かりません。
よく聞くのが、南方の内陸部で夏暑く冬寒いという気候の厳しさと、唐辛子の成分が体にマッチしたということがあげられます。
また、食品が傷みやすいので唐辛子を多用するうちに習慣化したとも聞きますし、貧しい地域なので空腹を紛らわすために唐辛子ばかり食べてしのいだという説もあるようです。
ちなみに、わたしも湖南料理は大好きで、よく食べに行きます。

さて、その湖南省の西側は貴州省と広西壮族自治区と隣接していて、このボーダーエリアの山岳地帯には多くの少数民族が暮らしています。
大まかには、南から侗族、苗族、土家族という順番で住むエリアが分布しているので、このルートで見て歩こうと言うのがこの旅の狙いです。

桂林からスタートして、途中少数民族の村などに立ち寄りながら、1週間後に張家界に着いて飛行機で戻るというプランです。
ほとんどの人にとっては、その桂林や張家界自体が景観のすぐれた最大の観光地なのですが、わたしは両者に空港があると言う理由で出発地と終着地に選んだだけで、いずれにも立ち寄ることはしません。
こう説明すると必ず中国人は驚きましたが、ある人はそういう旅もあることに納得してくれましたので、けっして悪いことではなかったと思っています。

湖南省の面積は約21万平方キロ、人口は約6400万人でざっと日本の半分くらいとみていいでしょう。
わたし個人では湖南省ともっとも関係あることがらとして、以下の事柄を記しておきます。
神奈川の湘南と言う地域名ですが、中世に鎌倉に広まった禅宗がもともと湖南省南部の湘南というところから命名されたという説が有力ということです。

滞在している黄土も湘南ないしは湘西と呼ばれるエリアに含まれていて、ここから北上していったわたしは湘南~湘西を旅したことになります。
そう、中国の省は漢字一字で略した呼称を持っていますが、湖南省は湘と呼ばれているのです。
親しみを持ってこの地を旅することができました。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(1) | 2010/10/07 Thu

風雨橋的故事

M8/Serenar 5cmF1.5
目的地に着いてまずしなくてはいけないのが宿探しです。
さいわい黄土村に着くと「住宿」の看板を掲げている宿が3軒ほど目に付きました。
中では、普修橋という立派な橋の脇にある宿が、ロケーションとして魅力的です。

たずねていくとベッドの3つ入ったわりと清潔な部屋が15元でした。
わずか200円です。
シャワーの出が悪いという問題もありましたが、宿のご夫婦の人柄が好いので細かいことは気にせず泊まることにしました。

昨日の写真は、その宿から撮ったものです。
風雨橋と呼ばれる特に侗族ならではの様式の普修橋の立派さが手ブレした中でもよく分かると思います。
今の普修橋は清代のものですが、この橋には次のような伝説があるそうです。

 まだ橋のなかったむかしむかしのお話、川の両岸に仲の良い若い男女が住んでいました。
 祭りの日、少女が少年に会うために船に乗って川を渡っていたところ、突然、黒い大波が起こります。
 黒い波は黒龍になって、少女を飲み込むように連れ去ってしまいます。

 少女が消え去ってしまい、少年は不眠不休で、少女の行方を川に問い続けます。
 そんな姿に感動した白龍が現れ、ついに黒龍を打ち負かし少女を助け出します。
 やがてふたりは結婚しますが、2度とこのようなことがないよう橋を架けました。
 橋を龍の形にして。

ようやく、荷をほどいて、身軽になったところで次は食事ですが、これも幸運なことに橋の手前の灯りの点いている建物がレストランでした。
場所を考えると観光向けのように見えましたが、地元の人も食べにくる庶民的食堂です。
家族経営で、旦那さんが調理し、奥さんが接客、おじいさん、おばあさんが小さなふたりの孫の面倒をみているあたたかな雰囲気に満ちています。

すぐに家族とは親しくなり、食後には彼ら手製の米酒を振る舞ってもらいました。
甘くほんのり酸味のある、やわらかなお酒です。
アルコール度数が20度もあると聞きましたが、とてもそんなきついものとは思いません。

飲み方はこんな感じです。
コップになみなみと注ぎますが、しゃべったり時につまみをいただいたりしながら合間に少し飲んだりします。
話しに間が空いたり、相手があんまり飲んでなかったりするとコップをやや少し上げて相手を見ながら、手近な器などにコップをコツンと当てて乾杯のような仕草をします。
しかし、これは乾杯ではなく、さあ飲みましょうという意思表示なのだそうで、また少し飲めばよろしい。

そんな繰り返しの後、コップの残量が1/3くらいになったところで、相手のコップに自分のコップを当てて乾杯し、この時は酒は飲み干さないといけません。
アルコールが50度以上ある拍手の乾杯はきついですが、それほどきつくない酒を少量一気に飲めばいい、ゆるやかな中国式飲み方は酒もゆっくり味わえ、健康的でもあってなかなか気に入りました。

3杯飲んだところでお開きになりましたが、程よく酔えたので、気持ちのいい布団に潜り込んですぐ熟睡しました。
翌朝早く起きると、昨日からの雨が続いていましたが、すっきりした気分でさっそくの散策に出ます。
バケツを持って村の坂道を登る老人に付いて行くと、彼は高台の井戸で水を汲んで、また同じ道を下って行きました。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(1) | 2010/10/06 Wed

白坐面的了

M8/Serenar 5cmF1.5
広西壮族自治州の北のはずれ龍勝のこじんまりしたバスターミナルに着いた時、すでに午後2時になっていました。
朝5時に出発した深圳は広東省で、省レベルでは隣接していて、しかも飛行機を使っているのに、もうこんなに時間が経つとは中国は広いとあらためて感じます。

通道行きのバスは2時間後だったので、とりあえず近くを歩いて良さ気な食堂でお昼にします。
時間はたっぷりあるのでゆっくり食事するつもりだったのですが、途中もしやとと思わせるものがずらーっと並んでいて食事はせっかちになりました。

そのもしやとは、日本で言う軽のワゴン車がたくさん停まっていたのです。
たぶん中国語で面包的士(通称メンディ)と呼ばれる私家版軽タクシーと直感しました。
ここ龍勝は、有名な棚田や温泉の起点となる町で、恐らくそれら観光地への足になっているのでしょう。
今はシーズンオフだからか、お昼過ぎで観光客が途絶えたからか、ひと気のない中で車ばかりが20台あまり置かれていました。

バスは安いですが、2時間半待ってからの出発では現地着は暗くなってからになってしまうでしょう。
さすがにバス、電車、バス、飛行機、バスまたバスと乗り継いで疲れていましたし、多少出費しても、ここは時間をお金で買うべきと判断します。

料金は交渉になりますが、困ったのは相場が分からないことです。
運のいいことに頭上には道路標識があって、通道まで110キロほどと表示されています。
以前の経験から50キロくらいでタクシーなら100元で行ってくれました。
軽の面的ならもえ少し安いはずで、150~180元を目標に交渉して見ることにしました。

車はほとんどが無人でしたが、フロントガラスを掃除している人がいました。
さっそく切り出してみましたが、300元と言われて、高過ぎるとぷいと後ろ向きに歩き出します。
待て待て、じゃあ250元でどうだ、と言ってくれれば交渉の余地も出てきますが、声はかかりませんでした。
決裂です。

しかし、別の車で横になっている兄さんがいましたので、声をかけると150元だと言います。
交渉するまでもなくいきなり目標達成ですが、ここでOKしてはいけません。
不満そうな顔をつくって、高過ぎる100元だと返します。
結局、簡単なやりとりの中で120元で、無事、落札(?)することができました。

依然として、相場と言うものは分かりませんが、あきらかに土地のものでない観光客があっさり120元という数字を引き出せるのですから、地元相場は100元以下なのでしょうか。
120元は円高の今、たったの1500円です。
ざっと東京から熱海までの距離を、車チャーターして1500円と言うのは日本だったらガソリン代払って終わりです。

そんな皮算用をしている時に何やら言われたのですが、意味が分からず聞き流してしまったのは失敗でした。
多少の山道でしたが快適なドライブだったのですが、通道まであと20キロ程度のところで降ろされることになったのです。
どうしてだと聞くと、彼ら龍勝の車は広西壮族自治州で営業許可をとっているが通道は湖南省なのでそのまま目的地で降ろせば、100元の罰金を課されると言うのです。
そしたら20元しか手許にのこらなくなっちまう、だから省境までと言っただろうと返してきて、さきほどは聞き取れなかった単語が省境までしか行かないということだったのかとようやく分かりました。

辺鄙な村でしたが、ここで待っていればバスが来るはずだからとわたしをなだめます。
来ることは来るでしょう。
たぶん2時間後に、最初わたしが乗ろうと思っていた龍勝発通道行きのバスが。

それではチャーターした意味がまるでないので、必死の再交渉が始まります。
最初に話がついていたことなのでここで放り出されればそれまでだったのですが、分かった分かったともう10キロほど進んで通道行きのローカルバスが停まっていた村まで運んでくれました。

運転手は若い兄ちゃんでしたが、どうやら人の好い苗族の中でもさらにお人好しだったようです。
この先、世知辛い中国社会を彼が渡り歩いていけるのか、余所者のわたしが心配するという、何だか自分のことをもっと心配しなくてはいけない状況を忘れさせる旅になって来てしまいました。

こうしてバスにまた乗り込む訳ですが、こんな辺境とも言える田舎に忽然と現れた外国人にびっくりしつつ、通道まで急いでいるというわたしに気を使ってか、ボロボロのバスは車体をぎしぎし軋ませながら猛スピードで通道のバスターミナルまで突進していきました。

ああ、こんなにもたもた書いていたら、この旅の日記も2日目が終わろうと言うのに未だ最初の目的地に達していません。
通道では大雨が降り始めましたので、目的地までのバスはあきらめてタクシーで向かいました。
この辺でもひと悶着あるのですが、そんなことまで今後も書いていたら旅日記が生涯終わらなくなってしまうでしょう。
ようやく出発してから11時間後の4時半、侗族の村、黄土に到着しました。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(2) | 2010/10/05 Tue

車上送別

M8/Serenar 5cmF1.5
先週の金曜日、仕事を切り上げると羽田空港へ向かいました。
9月最終週、ぎりぎりの夏休みを1週間もらって中国を旅して来たのです。

こんな時期に大丈夫かと心配と言うよりも、好奇心からあたたかく声をかけていただいたりもしましたが、わたしが歩いた田舎の方はまったく問題ありませんでした。
都市部では未だデモのような活動も散発しているそうですが、さすがにそういうシーンをテレビのニュースなどでも見ることはありません。

尖閣問題と言えば、ちょうど羽田空港へのバスの中で、船長釈放のニュースを見ました。
何故と思いながらチェックインしたところ、搭乗口に多くのマスコミやカメラマンがいたのです。
まさかその船長が同じ便で帰国するのではと思いましたが、当事者はぎりぎりに搭乗したため誰だか確認できません。

フライトアテンダントにVIPが搭乗しているようだがと話すと、最初は、そうですか、聞いてみますねと言っていたのに、再度尋ねると当機にはVIPは乗っていませんと冷たい態度に豹変してしまいました。
これは何かあるのかと、いよいよ疑惑は高まりましたが、どうにも確認しようがありません。

もし本当に船長なら香港空港にはさらにマスコミが殺到しているはずと期待します。
しかし、マスコミは1組いただけで、それでも誰を待っているのか聞くと、日本人のアーチストだと言うことだが、名前もよく分からなくてとあいまいな答えで、結局、疑問は解消されないまま旅を続けることになりました。
少なくとも、機内で見たニュースで船長釈放を決定したのは沖縄地裁と報道していたので、羽田から搭乗することはないと分かってしまっていたのですが。

さて、深夜に香港に着いて、バスで深圳まで移動します。
よく行くフットマッサージ屋で仮眠しつつ、朝一番の列車で広州まで出て、さらに空港バスで広州の空港へ到着します。
桂林行きのフライトは満員でしたが、ぎりぎりにチェックインになってしまったわたしは後方の中間の座席と言う窮屈感の中で桂林空港へ降り立ちます。
この窮屈な移動は、今回の旅の間ずっと味わわされることになるのですが。

桂林へは深圳からもフライトがありますが、どうしたわけか夜の便ばかりでしかも割引がほとんどありません。
広州からわたしが乗った便は60%オフの格安で、距離こそ短いですが、3000円程度というのがありがたいです。
ですが、桂林はまだ目的地ではありません。

再び桂林空港からバスで街中で降ろしてもらいます。
15分ほど歩いて桂林客運站というバスターミナルまで着きました。
目的地に近い通道行きのバスは、3時間先までないので、途中の龍勝まで行く20分後のバスに乗ります。

こんなこと細かく書いていても仕方ないですね。
バスが桂林客運站を出るとき、並んで止まっていた行き先も分からないバスに乗っていた少年と目が合いました。
孤独な旅でしたが、彼に見送ってもらい、わたしも彼の道中の安全を祈ることで、ようやく旅が始まった、そんな気がしたのでした。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(3) | 2010/10/04 Mon
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