這就是火車站

M8/Ultrastigmat 50mmF1.9
おそらく、中国には蒸気機関車くらいはふつうに走っているだろうと多くの方が考えていることと思います。
確かに調べてみると、炭坑内など企業の中での石炭の運搬に使われたりなどの例は、いくつかあるようです。
しかし、そういったところでは鉄道ファンなどが気軽に撮影できないませんし、ましてや旅客として乗車できる路線があるのは、どうやらほぼ1箇所だけのようです。

その唯一の乗車できる蒸気機関車は、瀋陽から車で北に1時間少々の調兵山という町にあります。
ここもやはり炭鉱が点在している地域で、調兵山はその中心に位置しています。
驚くべきは、その調兵山を起点に4つの路線が文字通り4通していて、そのすべてを蒸気機関車で運行していることでした(一部ディーゼルもあるようですが)。
それぞれが4~5往復していのですが、おおむね発車時刻を揃えているために、ホームにSLが2両、3両とスタンバイしている姿を見ることができます。

これを1910年代のレンズで捉えるとたちまち戦前の風景のように映ります。
しかし、このSLのプロフィールを読むと、やはり中国だったかと驚かされました。
ここのSLはすべて上遊という型ですが、なんと製造はすべて1990年代半ばだと言うのです。
時代の遺物に見える写真のSLが、製造されてまだ10年そこそことは不思議な感覚にとらわれます。

ここに来る前、瀋陽北駅のそばで中国新幹線が走り去るのを目撃しました。
鉄っちゃんの解説では、ドイツ製車両だそうで、最高時速250キロほどで北京に向かって走るそうです。
その新幹線とSLが踵を接するようにして同居しているということです。
そういえば、おとといの写真は馬車でのモノ売りでした。
その馬車を何台ものベンツや時にはフェラーリすらが追い越して行きます。

これこそが今の中国です。
まったく年代が違うものが、対比の対象にすらならないはずのものが、堂々と並存しています。
人間も同じです。
改革開放の波は多くの富裕層を生み出しました。
一方で貧困から脱出できない社会の底辺を支える人たちは、減ることなく存在します。
SLはそれを象徴する鏡かというとそんな訳でももなく、ごく当たり前の中国的一風景に過ぎません。
【M8/Ultrastigmat 50mmF1.9 F1.9】
スポンサーサイト
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gundlach Ultrastigmat 50mmF1.9 | trackback(0) | comment(4) | 2009/08/31 Mon

別叫 Ernostar Type

M8/Ultrastigmat 50mmF1.9
そろそろレンズのことにも言及しておかないといけないですね。
Gundlach Ultrastigmat といってもほとんどの人がご存じないと思います。
ウルトラスティグマットとは、いかにも趣味の悪そうなネーミングの比較的新しいレンズと誤解されそうです。
実は、1916年というたいへん古い時代に設計された、歴史上、意外なまでに重要な役割を果たしたレンズです。

まず、このいかにもドイツからの移民を思わせる名前のアメリカのガンドラック社ですが、詳しいことは何一つ分からないでいました。
しかし、ksmt さんが調査してくれ、10D日誌に紹介しています。
ちょっと孫引きですし、本人の承諾も得ていませんが、かなり短いのでそのまま書き写してしまいましょう。

”Gundlach社は1884年にニューヨークで設立され、1902年にManhattan Optical社を買収。
Koronaカメラや、双眼鏡や、顕微鏡や、ターナー・ライヒの5枚貼り合わせのアナスチグマットなどを製造します。”

忙しいですが、今度はレンズについてキングスレークの「写真レンズの歴史」に飛びます。
1893年にクックのテーラーがトリプレットを開発します。
有名なクックのトリプレットと呼ばれるレンズです。
トリプレットは、F3と当時としてはかなり明るいところまで改良されますが、より明るいレンズへと設計が進みます。
1900年にボシュが試みて1924年にリーがF2.5で完成させるいわゆるスピーディックです。
3枚目の凸レンズをを分割して4群4枚としていますが、これはアストロのビーリケが設計したパン・タハーF2.3、F1.8の方がよく知られています。

しかし、トリプレットをより明るくするためには、もっと優れた方法がありました。
1枚目と2枚目の間に凸のメニスカスを入れるというものです。
これがエルネマンにいたベルテレによる有名なエルノスターで1919年の設計です。
エルネマンはやがてツァイスに吸収されますが、1930年、ベルテレはそこでエルノスターをさらに発展させてついにゾナーを完成させます。

これが大雑把なトリプレットからゾナーへの流れです。
ここで忘れてならないのが、エルノスター登場以前の1916年にシカゴの光学者と思われるマイナーが1枚目と2枚目の間にメニスカスでない凸レンズを入れてF1.9という驚異的な明るさのレンズを設計します。
それをガンドラック社がウルトラスティグマットとして発売したという訳で、トリプレットとエルノスターの間に位置づけされるレンズがここに生まれました。

トリプレットからエルノスターが生まれるのは、恐らく必然の流れだったのでしょう。
ですが、わたしはその間でウルトラスティグマットが果たした歴史的役割は大きかったのではないかと想像します。

と言うのは、ウルトラスティグマット・タイプのトリプレットに1枚追加しただけの単純なレンズは後にいろいろなメーカーに採用されたと例が書かれています。
アグファ、アンジェニュー、エナ、イスコ、コダック、マイヤー、ローデンシュトック、テーラー・ホブスンと多くの国の名だたる光学メーカーです。

ベルテレがエルノスターを設計したのは若干23歳の時です。
彼は光学史上の大天才ですから、いきなりエルノスターを設計してしまう可能性もあったのでしょうが、むしろウルトラスティグマットをもとに徹底研究して、ついにエルノスターを生み出したと考える方が自然な気がします。

トリプレットの系列のレンズとしては、他にもヘリアーやライツの各種ヘクトールやタンパールなど多くが存在します。
それらレンズが旧タイプ、その後発展したエルノスター、ゾナーが新タイプだとすれば、このウルトラスティグマットこそ、トリプレット・ファミリーが新から旧へ発展する橋渡しをしたレンズとして重要な存在だったと言っては無理があるでしょうか。
キングスレークがわざわざ取り上げながらほとんど知られていないこのレンズを、ついつい贔屓したくなってしまいます。

そして、文献上の知られざるレンズとして入手は不可能かなと思っていたウルトラスティグマットですが、ひょんなことから手に入れることができました。
ksmt さんも探されているレンズで、もし75mmでしたら ksmt さんにお譲りしたかも知れなかったのですが、一眼レフには辛いかも知れない50mmでしたので、MSオプティカルにライカマウント化の改造をお願いし、今回いち早くテストのために大連・瀋陽の旅に持ち出したという次第です。

1916年の設計にも関わらず、中心部はかなりシャープです。
条件次第では、コントラストもそこそこあるし、さすが4枚玉ですから色ヌケも上等です。
ハイライトが滲まずに頑張っていますが、もともとがシネ用レンズなので周辺は辛いようです。
瀋陽でよく見かけた、前輪部分にリアカーを付けたような三輪自転車タクシー(?)ののんびり感がよく捉えられているので、嬉しくなってしまいました。
【M8/Ultrastigmat 50mmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gundlach Ultrastigmat 50mmF1.9 | trackback(0) | comment(2) | 2009/08/30 Sun

7年前的故事

M8/Ultrastigmat 50mmF1.9
瀋陽と聞いて何か知っていることはあるでしょうか。
正直、わたしは何にもありません。
しいて言えば、何年か前に瀋陽の日本領事館に脱北者の親子が助けを求めて逃げ込んだ映像を思い出すくらいでしょうか。

彼らは、侵入してきた警官に取り押さえられて、子どもが泣き叫ぶ姿が、脱北者を支援するグループによって撮影され、当時の日本のトップニュースになりました。
中国警官は国際法違反だとか、それにも増してその警官の帽子を拾ってやっていた呑気な日本の大使館員は何をやっているんだとか非難が集中したことは案外記憶に新しいのではないでしょうか。

なぜかその時の子どもの名前を覚えていて、ハンミちゃんと言ったかと思います。
彼女の姿がとくに世論を動かすことになり、外交的に一家の亡命を認めることになったのではなかったかと記憶しています。

当時の模様を撮影していた支援グループのことが明るみになったのも興味深いことでした。
中国当局も脱北者の検挙に全力をあげていたため、どうしても水面下での行動が求められます。
支援者に助けられながら、建物から一歩も出れないような窮屈な生活を何日も続けてからの亡命だったと紹介されていました。
脱北者を探す秘密警察がいたり、情報提供者に対する謝礼制度があったりなど、町全体に緊張感が張り詰めているように報道されていたと思います。

しかし、今回の旅でそんな雰囲気などは当然のことながら微塵も感じられません。
他の中国の町と変わるところはないですし、同行の鉄っちゃんも治安面での不安は一度も感じなかったと言っているくらいです。

ところが一度だけ、今思えばあれがそうなのかなという場面があることはあったのです。
歩き疲れた足を癒してもらおうと、フットマッサージ屋さんを探していたところ、ちょうど警察官が来たので道を教えてくれと聞きました。
すると逆にパスポートの提示を求められたのです。
その時は、なんとも思わずに言われるままにパスポートを見せましたが、発音から外国人なのはあきらかなので、北朝鮮人かと疑われたのかもと思います。
特に問題はなく、対応もフレンドリーでしたが。

さて、瀋陽は東北三省でいちばん発展している遼寧省の省都で、人口740万人の大都会です。
それでも、馬で商いにやってくる老夫婦なんかがいて、びっくりさせられました。
見ているとコメの量り売りで、けっこう買いに来ている人がいます。
おんなじ場所で何十年も商売を続けているのでしょうね。
まっ黒に日焼けしたおばあさんが笑った時に見せた白い歯が、たいへん印象的でした。
【M8/Ultrastigmat 50mmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gundlach Ultrastigmat 50mmF1.9 | trackback(0) | comment(4) | 2009/08/29 Sat

夜上吃韓国料理

M8/Ultrastigmat 50mmF1.9
瀋陽の西塔地区は、韓国レストランが集まる一大コリアンタウンです。
夕方戻ったわたしたちは、韓国料理を食べるべくこの地にやって来ました。

中国を旅する楽しみの中では食事がかなりの比重を占めます。
食べたいものは多過ぎて、3泊4日くらいの食事ではもの足りなく感じます。
ですが、初中国の鉄っちゃんのことを慮って、ここは1食韓国料理を挟むことで、飽きさせないよう気を使います。

わたしはもっぱら中国南部へ行くのがほとんどで、深圳や広州へ来ていれば華南料理のバリエーションの広さで対応可能です。
大連や瀋陽の東北料理も品数は豊富ですが、ほとんど食べたことがないものばかりで、分かりやすい品名のものを頼むと、どうも似たような料理がダブッたりしてしまいます。

中国にある韓国料理店ならメニューは写真付きでしょうし、中国なので日本で食べるより安いでしょうし、韓国人の店員がいれば英語のオーダーも可能かもしれません。
安易ですが、そういうわけで西塔に繰り出したのでした。

タクシーを降りると何十軒もレストランが並んでいて壮観でしたが、迷っていても仕方ないのでいちばん手前の店に入ります。
店内は、韓国人でほぼ満員状態で、この店は当たりだったと思わせるものがありました。

可愛らしい制服の女の子にテーブルまで案内され韓国語で話しかけられますが、ちんぷんかんぷんで中国語で返事します。
女の子は中国人ではないのは明らかでしたが、中国語はわたしと同レベルくらいには理解できるようです。
英語はダメでした。

案の定写真付きだったメニューで指差しオーダーしていると、突然音楽が鳴り出しました。
何が始まったのでしょう、目の前のステージでウェイトレスの女の子たちが演奏し出したのです。
韓国語で歌詞内容は分かりませんが、かなりあか抜けない民謡ポップ調という不思議な調べが店内に広がりました。

なぜか客席は大いに盛り上がっています。
写真を撮っている人もけっこういたので、わたしも真似して撮影しました。

ステージは、チマチョゴリトリオのハーモニーあり、フルートの入ったインストルメンタルあり、おおとりのおばさんの熱唱ありと変化をつけています。
しかし、どの曲も野暮ったくて、じっと聴いているには辛いものがあります。
むしろ何か上から強制されて演奏しているような、彼女たちのひたむきな姿の方がずっと印象に残りました。

料理はなかなか美味しかったこのレストラン。
まるで世界に背を向けたかのような非洗練が気になります。
不思議な瀋陽の韓国料理店でした。
【M8/Ultrastigmat 50mmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gundlach Ultrastigmat 50mmF1.9 | trackback(0) | comment(8) | 2009/08/28 Fri

假的火車

M8/Ultrastigmat 50mmF1.9
2日目は、大連から瀋陽に移動します。
約400キロありますが、空の便はありません。
鉄道ですと、特快が約4時間で結んでいますが、1日3本しかなく不便です。
他の列車では、5~7時間もかかってしまいます。

バスでも高速経由なので4時間余りですし、本数もかなりあって、いちばん利用しやすいのが分かります。
わたし自身が長距離バスに乗り慣れていますし。
ですが、これは鉄っちゃんとの旅です。
朝8時の特快で行く予定がすでに組まれていました。

実は、前日早々のうちに大連駅の列の並んで、そのチケットを入手しようとしたのですが、指定席はすでに売り切れていました。
あるのは「無坐」と書かれた乗車券だけ。
4時間立ち乗りだったら、バスで行かないかと恐る恐る提案しましたが、中国国鉄初乗車に燃える鉄っちゃんには耳に入るはずもないのでした。

いざ列車に乗ると、同じく無坐だった中年女性が日本人学校の先生と言う幸運で、空いている席を見つけてもらいどうにか座席を確保することができました。
喜びもつかの間、次の駅で指定席を持った人がどっと乗って来て、再び無坐の座に転落します。
次の駅でまた人が降りて座り、その次の駅でまた乗って来てという椅子取りゲームのような状況のうちにようやく瀋陽に到着しました。

瀋陽自体には、市電が走ってませんし、周辺にこそ鉄道としての魅力の地があります。
当初鉄道で向かうつもりだった撫順へは、2時間以上立ちっぱなしであったわたしに配慮してか、タクシー利用に変更になりました。
タクシーの交渉も得意とするところです。
50キロ離れていますが、100元で行ってもらいました。

撫順には、世界最大の石炭露天掘りが行われていて、運搬に最近までSLが使われていたということから重要地として見学に行きました。
しかし、それ以上に重要だったのは、この地には細かい鉄道網が広がっていて、やはり比較的最近まで戦前の日本製の車両が使われていたという事実です。

これら車両を求めてタクシーをあちこち走らせます。
そして、その名も車庫という名の駅の奥地に、まさしく旧式車両の溜まり場を発見しました。
「旅の栞」に掲載された旧式車両がひととおり揃っています。
三菱や川鉄のマークが見えて、かつて日本で製造されたことが証明されています。
また、いちばん古いと思われる車両の金属部分に旧満鉄のものと思われる刻印も見つかりました。

そんなわたしたちの行動を見つめる老人がいました。
かってに侵入してきた不審人物をとがめに来たのかと思いましたが、わたしたちが日本人と分かるとたいへん友好的に接してくれるのでした。

老人は長年列車の整備をやってこられたそうで、日本製車両の優秀性に感心しながらの半生を歩んできたことになります。
そこへ、その車両を探し求めて日本人がやって来たというので、すっかり感じ入っているということのようでした。
ひとつひとつの車両を解説してくれました。

写真の車両は、わたしたちが最もみたいと思っていた戦前日本製のジテ型です。
と思いきや、それをコピーした中国製だそうです。
鉄っちゃんは少しがっかりしていたようですが、わたしはコピー車両の方が中国的でいいじゃんなんて呑気に喜んでいました。
【M8/Ultrastigmat 50mmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gundlach Ultrastigmat 50mmF1.9 | trackback(0) | comment(0) | 2009/08/27 Thu

東北有美人嗎

M8/Ultrastigmat 50mmF1.9
今回の大連へは、大韓航空の成田→ソウル→大連→ソウル→成田という格安航空券を使っています。
いまだに韓流は健在なのか、ソウルをハブに日本各地から世界へと言う大韓航空の戦略が成功しているのか、搭乗した4回とも満席という人気ぶりでした。
大韓航空恐るべしです。

そんな行きの機内で、鉄っちゃんは、こんなものを作ってみましたと、かなり厚手の冊子を差し出しました。
ネットや雑誌からの情報をコピーした手製の資料で、堂々97ページもある今回の旅の栞です。
宿泊するホテルのバウチャーや町の地図なども一部挿入されていますが、それ以外は当然のごとく鉄道情報オンリーで、どこに出ていたのか細かい車両の特徴なども記載されていて、早くも行きの機内でかなりのマニア度の高さを思い知らされました。

その中のスケジュールによれば、初日はほぼ1日路面電車の見学にあてられています。
路面電車は、そもそもレトロ電車と新型車両の2種類しかなく、それらが混成で5分間隔の頻度で来るので常人なら1時間も見ていれば飽きてしまいます。

しかし、そこは鉄っちゃん。
背景を変えたり、レトロと新型のすれ違いを見たり、乗車した車内からすれ違いを見たりと、興味は一向に衰えを見せません。
それどころか、見れば見るほど細部に目が行き、関心はいっそうの高まりを見せるかのようでした。
ものすごいバイタリティです。

路面電車の見学には、2か所の車庫も含まれていました。
現役を退いた車両が見れるのではとの期待があってのことですが、残念ながら車庫は一般人立ち入り禁止です。
しかし、1件目の車庫では断られたものの、もう1軒では職員の独断で立ち入りを許可されました。

かなり古い車両が1両置かれただけですが、彼にとってはたいへん嬉しい出来事だったようです。
立ち去るときに何で入ったんだとばかりに、許可してくれた職員の上司と思しき人に怒鳴られたりしたくらいですので、貴重なこの車両を今日はアップすべきところでしょうが、やはり普通の人が見てもあまりおもしろくないでしょう。
代わりに、その車庫から近くにあった夜市で刺しゅうする少女の写真にしました。

大連のある遼寧省ととなりの吉林省、黒竜江省の3つを合わせて中国の東北地方と呼びます。
この地は美人の多いことで知られていて、大連にもモデル学校があったりと、わたしは鉄道よりもそちらの方に大いなる期待をかけていました。
ですが実際は、たまたま運が悪かったのか、ほぼ全滅と言えるほど美人を目撃することは少なくともこの大連ではありませんでした。
昨日と今日のこのふたりを除いては。

ですからピントが甘くてアンダーですが、かまわず路面電車ではなくこの少女を採用します。
スレンダーなので、段ボールの上に座っても問題ないようでした。
【M8/Ultrastigmat 50mmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gundlach Ultrastigmat 50mmF1.9 | trackback(0) | comment(4) | 2009/08/26 Wed

当導遊

M8/Ultrastigmat 50mmF1.9
鉄道マニアの後輩がいます。
休みは近場でも鉄道利用で列車の撮影に出掛け、愛読書は時刻表。
雑誌に鉄道関連の連載記事を書いているらしい。
愛称は、そのまま鉄っちゃんとしましょう。

その鉄っちゃん、国内の鉄道は制覇してしまったのか、活動の場を外国にまで広げてしまいました。
昨年スイスに鉄道研究の旅をして来たとは噂で聞いていました。
今年は、なんとしても中国に行きたかったそうで、そのガイドを依頼されて、4日間の大連・瀋陽の旅に同行してきました。

費用は一部負担いただくことになりました。
しかし、この地方に行ったこともなく、語学的にもまだまだ未熟でガイドが務まるのか。
またしても、珍道中の予感です。


さて、最初に訪れた大連には、路面電車が運行されていますが、驚いたことに日本統治時代の車両が若干の刷新を受けながらもそのままの姿で走っていました。
レトロ車両です。
恐らく半数くらいは、2両連結された新型車両が走っていますが、主力は1両編成のレトロ車両です。

観光的な意味合いもあるのかも知れませんが、70年以上前の車両が現役とは、当時の技術力がいかにすばらしかったか分かります。
鉄っちゃんの説明では、車両を低く設計すると線路との接点などで接触があり、特殊な技術が必要になるため路面電車は専門メーカーでないと製造できないということでした。

また、ずっと後に投入された東欧製の車両も相当数存在したようですが、これらはすべて廃止されてしまっています。
いま、エコロジーの観点から見直されている路面電車ですが、良い物を作ればこれほど耐久性があるのですから、日本でももっと導入を検討していただきたいものですね。

良いことは理解できましたし、路面電車にも興味が持てました。
しかし、わたしはどちらかと言えば、現地人との組み合わせで撮影したくなります。

下車してくる人を入れて撮るのがわたしのスタイルです。
逆光でローコントラストになってしまったのが痛いですが、タイミングよく東北美人が降りてきて表情が好かったのでこの写真から旅を始めることにします。
こんな写真を撮っていたのかと、鉄っちゃんにバレないように気を付ける必要はありそうですが。
【M8/Ultrastigmat 50mmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gundlach Ultrastigmat 50mmF1.9 | trackback(0) | comment(7) | 2009/08/25 Tue

大猩猩肌肉美

M8/Canon 85mmF1.8
本来なら新しいシリーズに移行する月曜ですが、諸般の事情で浅草シリーズをもう1日だけ。

昭和軒という店名から想像するに、レトロをウリにした居酒屋がありました。
レトロでしたら、こちらも負けてません。
Macro-Plasmat や Xpres は大正時代でしょうし、R-Biotar は昭和一桁です。

わたしがお借りした Canon 85mmF1.8 は昭和30年代とぐっと新しくなって、この店の雰囲気の年代のものでしょう。

そのレンズですが、シャープさが身上だからでしょうか、このような金属の精緻な描写は目を瞠るものがあります。
普段、どちらかというと繊細な描写が好みのわたしですが、こういうのもたまにはいいかと納得します。
繊細レンズを細マッチョとするなら、Canon 85mmF1.8 はゴリマッチョ系のレンズと言えそうです。

作例は、たまたま停車していたユンボを古き良きものの破壊者に見立てた象徴的写真のつもりです。

適度な散歩のあと、待望のビールをいただきました。
これぞ至福のひとときです。
そして、その時のレンズや歴史のことで盛り上がった会話こそが、それ以上の御馳走でした。
【M8/Canon 85mmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 85mmF1.8 | trackback(0) | comment(0) | 2009/08/24 Mon

桃子很多

M8/Canon 85mmF1.8
雨があがったので、この界隈を散策してみることにしました。
少し運動して、冷房の利いた店でビールをキューっと飲む、これこそこの時期の楽しみのひとつでしょう。
蒸し暑さの残る浅草周辺をぐるりと1周してみました。

今回はすばらしいメンバーが揃いましたので、その様子を紹介したいのですが、プライバシー保護の観点から人物特定できるような記述は避けさせていただきます。
ですが、この時のメンバーでライカで撮影していたのはわたしひとりで、他の方はそれぞれのカメラを使用しています。
いつもではありえないライカ使用率で、やはりこれはメンバーの個性を裏付けるものでしょう。

主な使用レンズは、Makro-Plasmat 5cmF2.7、Ross Xpres 3inchF1.9、R-Biotar 5.5cmF0.85 と、歴史的名玉が揃いました。
わたしひとりライカにキヤノンのレンズを付けた凡人状態です。

そんな状況下のスナップは、なぜか平凡な写りになっているように見えるのが不思議です。
非常にシャープに写りますが、中望遠的な圧縮があまりなく、50mmF2 クラスで撮った作例のように見えます。
3inchF1.9 よりも個性的な写りを見せることができないところが、この画角の難しさと関係しているのでしょう。
【M8/Canon 85mmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 85mmF1.8 | trackback(0) | comment(6) | 2009/08/23 Sun

用一万紙幣付銭

M8/Canon 85mmF1.8
勤務先のある新宿で、中古カメラ市を開催中です。
土日は所用で行けないので、初日の水曜日に少しのぞきに行ってみました。
なんと、ライカ2台にイギリスカメラ1台を購入してしまいました。

というのはちょっと間違いで、それぞれが表紙になった"クラシックカメラ専科"のバックナンバーを3冊買ってきたのでした。
ほんとは何か珍しいレンズを求めてさまよったりしたのですが、欲しいレンズこそ数本あるものの、金額的に手が出ません。
高いが少し無理して買ってしまおうと心変わりする前に、書籍を買って、秋の夜長を読書で過ごしてレンズのことは忘れようというのが狙いです。

今は読んでしまうと記事に触発されて、またカメラ市に逆戻りの可能性があるので読まないつもりです。
しかし、ぱらぱらと目次を見ると、ちょうど Canon 85mmF1.8 の記事があることが目にとまり、例外的にここだけ読ませていただきました。

記事そのものはレンズ紹介というよりは、筆者のカメラ遍歴が主な内容です。
新しい情報が得られなかったのは残念ですが、いろいろなレンズを愛好してきた筆者が、この Canon 85mmF1.8 を選択して記事にしているのが、何か使ったものだけが知る魅力を秘めているような気にさせてくれました。
M3に付けてルックスが好い点も褒めています。
これはレンズのオーナーで、めきめきM3使いの風格を表しだしたY形さんにとっても、嬉しい話でしょう。

さて、ピントもすばらしい Canon 85mmF1.8 ですが、それだけに外すと逆にそれが目立ってしまいます。
少女の表情が好かっただけに、これは残念です。
【M8/Canon 85mmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 85mmF1.8 | trackback(0) | comment(0) | 2009/08/22 Sat

濡湿的金髪

M8/Canon 85mmF1.8
85mmF1.8 というスペックのレンズは、レンジファインダー機の交換レンズには他に見当たりません。
85mmF2 では、Zeiss Sonnar、Dallmeyer Dallac、Nikkor、Jupiter-9 などがあります。
85mmF1.5ですと Nikkor、Canon、それに Leitz Summarex があります。
ですが、あえてライバルをあげるとすると、Leitz Summiron 90mmF2 をあげるのが妥当かも知れません。

天下のズミクロンですが、解像力、シャープネスで互角、コントラストはズミクロン、ボケがキヤノンと大雑把に比較できるような気がします。
重量を比較すると、ズミクロンが604グラムあるのに対して、キヤノンは100グラム少ない504グラムしかありません。

よほどコントラスト重視でなければ、キヤノンの方をわたしは勧めたいと思うのですが、いかがでしょうか。
双方、少々使った程度の直観的感想ですが、使用頻度の多いとは言えない中望遠では、キヤノンの 85mmF1.8 が希少性だけでなく、性能面でも十分以上に実用になると思います。

しかし、もともとコントラストが低めなのに、光の具合をしっかりコントロールできないと、眠たい絵になってしまいます。
雨だったので、逆光を意識せずに撮ったら、せっかくのブロンド三姉妹がゆるゆるになってしまいました。
【M8/Canon 85mmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 85mmF1.8 | trackback(0) | comment(8) | 2009/08/21 Fri

馬拉松是孤独的

M8/Canon 85mmF1.8
レンジファインダー・キヤノンの 85mm レンズ4本の製造年代を見てみましょう。

85mmF2 1948-1952
85mmF1.9 1952-1961
85mmF1.5 1953-1961
85mmF1.8 1961-1971

こう見ると、キヤノンの明るい中望遠レンズの販売戦略のようなものが見えるような気がします。
初代の F2 は、F1.9 の登場とともに製造中止されますが、その1年後にはハイスペックの F1.5 を登場させて8年間併売させます。
標準レンズでは F2 と F1.4 の併売は普通にありますが、85mm でここまでするのは需要があったということでしょう。

そして、この2本ともを製造中止して登場させたのが F1.8 です。
性能向上と言う自負があったのかもれませんし、単にコストダウンとか理由はさまざま想像できます。
10年間にわたって製造されていたのが不思議で、ボディの方の7sは 1968年に製造が終わっていて、その後も交換レンズが製造されていたとは考えにくいです。

また、製造数は分かりませんが、この F1.8 は他の 85mm レンズと比べて圧倒的に製造が少ないようなのです。
あるいは受注生産に近い形態がとられていたことが想像されます。
なかなか、謎めいたレンズですね。

今夜の作例ですが、突然のゲリラ雷雨で、大勢いた観光客は瞬く間に屋根の下に逃げ込んだ瞬間です。
何しろ大雨だったせいか、雨粒もけっこう写りこんでいるのが面白い。
そして、逃げ遅れたおじいさんが必死に屋根に向ってダッシュしている姿をスナップしました。
雨で濡れたでしょうし、走ったりすれば大汗かいたはずですので、全身ずぶ濡れになったのではなかとお気の毒です。
【M8/Canon 85mmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 85mmF1.8 | trackback(0) | comment(2) | 2009/08/20 Thu

一二三、茄子

M8/Canon 85mmF1.8
残念ながら、わたしはレンジファインダー・キヤノンのレンズについての文献等、詳しい資料を持っていません。
実際にそのような資料が市販されたことがあるかなどの情報もなく、偉大な足跡を残したレンズ群の不遇を感じずにいられません。
ファンの方は多いはずですので、ぜひ今からでもレンジファインダー・・キヤノン・レンズ大全のような本を刊行していただきたいものです。

【世界のライカレンズ Part2】の中の"キヤノンレンジファインダーカメラとその交換レンズ群"という宮崎洋司氏の書かれた記事が、わたしの唯一の資料になります。
以下は、上記資料を参照していることを初めにお断りします。

まず、85mm レンズは、F2、F1.9、F1.8、F1.5 の4種類が存在します(同スペックで設計変更してるものはカウントしていません)。
F2 は記載がなく構成不明ですが、F1.9 は4群6枚、F1.8 は4群5枚、F1.5 4群7枚となっています。
あくまで推理ですが、F1.9 はダブルガウス、F1.8 はユニライト(クセノタール、ビオメター)、F1.5 は F1.9 に1枚追加したガウス変形ではないかと思われます。

この F1.8 の4群5枚は、まずエルノスター型だろうと思いましたが、レンズの反射面を見ると絞りを挟んだ後群が4面あることからエルノスターとは考えにくいと判断しました。
とすれば、ユニライト型が急浮上するわけで、これはダブルガウスから3群目の貼り合わせを1枚に変更したものです。

しかし、それ以外の構成という可能性は十分にあります。
こういう想像をすることが、新しいレンズを手にした時の楽しみの一つで、やはりその解答はどうしても気になるところです。

作例は、雷門前での記念撮影をスナップしたものです。
とても蒸し暑かったせいでしょう、少女に元気がありません。
逆に愁いを帯びた眼のあたりに、哲学的な雰囲気すら感じます。

ボケも前後ともすばらしく、これだとちょっとガウス系とは違うかなとの疑問が生じます。

あらためて気付いたのは、"グワシッ"です。
海外で、まことちゃんブームが起きているのでしょうか。
【M8/Canon 85mmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 85mmF1.8 | trackback(0) | comment(4) | 2009/08/19 Wed

低迷的時候去這裡

M8/Canon 85mmF1.8
スランプになったら浅草へ行け。
どこで読んだのか、誰が言ったのか記憶にありませんが、写真家の金言としてそんな言葉があるようです。

なるほど、着物姿のきれいどころ、表情豊かな子どもたち、純なカップル、粋な兄さん、わくわく顔の外国人等々スナップの題材には事欠きません。
もっと深い理由がこの言葉にはあるのかも知れませんが、スランプ脱出の糸口になりそうだということをわたしにも実感できます。

そうであれば、使い慣れないレンズのテストを浅草で行うのは、理にかなっていると言えそうです。

しかし、人手が多い中では思ったようなカットが撮れないのも事実です。
浴衣の女性だけの後ろ向きが撮りたかったのですが、人の流れはついぞ切れません。
それでも、顔の向きがほとんど逸れたこの1枚はなんとかブログにアップできそうなものになりました。

おふたりとも美人でした。
が、よく見ると、ポールに寄りかかっているのが、いただけません。
【M8/Canon 85mmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 85mmF1.8 | trackback(0) | comment(4) | 2009/08/18 Tue

日本刀和草帽

M8/Canon 85mmF1.8
先週の話になりますが、内外重鎮の会合があるというのを聞き付け、強硬参加させていただいて来ました。
ひとりで参加は恐ろしかったので、Y形氏にも道連れをお願いしました。

あわせてご好意で、キヤノンの比較的めずらしい中望遠レンズもお借りしました。
85mm、90mmは、わたしにとってまだまだ苦手な画角ですが、せっかくの機会ということもあり、このレンズで1日通してみました。

しかし、85/1.8 というスペックは一朝一夕に使いこなせるようになるという甘いものではありません。
シビアなピントはもちろんですが、独特の距離感がうまく掴めません。

外的要因もありました。
この日は浅草を歩いたのですが、ものすごい人出で望遠スナップには厳しい状況でした。

作例ですが、ちょうどY形さんも同じシーンを自信のブログにアップされていました。
Y形さんは、より難易度の高い距離計非連動の 55mmF0.8 という化け物レンズですが、イメージサークルが足りないのを逆手に取って、邪魔な部分をカットしたすっきりした絵にしています。

いっぽうのわたしは不要な人や者の写り込みに、終日悩まされます。
人が多過ぎて止むを得ないところがありますし、ピントあわせに手いっぱいで、周辺に目がいかなかったという未熟もあります。

75mm はMacro Switar 75mmF1.9 を使いこむことで、それなりに自分の画角とすることができたつもりでした。
85mm はその延長でどうにかなると過信していたのですが、そうは問屋が卸してくれません。
75mm と 85mm の間に大きな溝を感じる1日になったのでした。
【M8/Canon 85mmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 85mmF1.8 | trackback(0) | comment(4) | 2009/08/17 Mon

可愛奉行

M8/Zunow 3.5cmF1.7
四川への旅は終わりましたが、もう1日だけ番外編をアップします。

帰国便が午前中だったため、その前日に成都を経ち深圳に前泊というかたちで滞在しました。
あれ、成田~広州往復ではなかったかと追及されそうですが、あまり土地勘の無い広州に泊まるより、深圳にした方が良いと考えました。
深圳から広州までは、中国新幹線で1時間です。

しかし、深圳に到着する前、成都空港でも一悶着起こりました。
チェックインしようとすると、わたしの予約がキャンセルされてるというのです。
濾定のネットカフェで入れた予約で、カードの支払いも済んでいます。
その旨伝えるも相手にされず、トラブル対応の空港職員に引き渡されます。

いつも利用している旅行社で今までこんなトラブルはなかったんですがと言うと、その旅行社のカウンターが空港にも設置されていてそこでの交渉になりました。
そこで調べてもらうと、確かに一度支払いは受けたが、何らかの理由で払い戻されやはり予約は取り消されています。

理由が分からないのが怖いですが、すぐさま嵐山の警察のことが思い浮かびました。
何か警告的な示唆行為だろうかとも考えますが、こんなことをする意味が分かりません。
電子取引上のちょっとしたトラブルだろうと思いこむことにしました。
痛かったのは60%オフでの予約が取り消されたため、買い直したチケットは正規運賃になってしまい、5千円以上損したのはちょっとした額とは言えません。

また、このトラブルでもめているうちに時間がなくなり、空港で食事をする時間がなくなりました。
空腹をかかえて深圳に降り立ち夕方近くの昼食になりましたが、これはのちのち好い結果をもたらすことになるとはこの時は気付いていません。

深圳では、翌朝一番の列車の切符を買いに行ったり、次回の旅のための地図を購入したりと所用を済ませます。
そして、ようやく落ち着いたところで、すっかり常連となってしまっているコスプレ・カフェに顔を出します。

先月写真を撮ったアップルに見つかって、さっそくいつ来たかとか帰るかとか質問攻めにあいます。
実は個人的にはお気に入りだったチェリーは辞めてしまっていました。
Vサインの日本語学習中の女の子も本業が忙しいらしく、あまり出てこないらしい。
かわっていちばん最初に来たときに、ひそかに写真を撮らせてもらっていたアニーと3人で話しをします。

アニーは四川省出身で、その四川を旅してきたのだと話すと、湖南出身のアップルに勝ったと思った訳ではないでしょうが、何とも嬉しそうです。
ただ、丹巴はもちろんのことせいぜい成都程度しか行ったことがないようで、話や写真に目を輝かせているのが印象的です。

もう8時になっていて、夕食は済ませたかと聞かれますが、成都空港での一件を話してこれから食べるところだといいます。
それなら、わたしたちは9時にあがるので、いっしょに食べに行こうと唐突に誘われました。
いや、実はこちらから誘おうと目論んでいたのですが。

そして出掛けたのが近くの火鍋屋さんです。
火鍋は重慶がもっとも有名で、アニーはその重慶の隣町の出身ですので、当然のごとく鍋奉行を襲名して何から何までを仕切ります。

それにしても彼女たちの食べること食べること。
早い時間ですが、すでに夕食を済ましてたはずの彼女たちは、注文した皿を次々に平らげていっては、もう食べれないとのたまい続けていました。
可愛かったのはアップルで、一皿ごとに席を立ってはその場でぴょんぴょん跳ねて、胃の中を圧縮していました。

さて、楽しい時間も過ぎて店を出るときが来ます。
会計しようとするとその必要はないと止められました。
この店は前金製だそうで、すでに彼女たちが支払いを済ませていたのです。
当然それは許されないので、返そうとしますが、かたくなに受け取ってくれません。

では、今度はわたしが日本料理を御馳走いたしましょう。
むしろありがたいくらいの次回の約束まで取り付けて、この場は解散となりました。
どうやら、四川を旅してお金を使ったであろうわたしに対して、精一杯の心遣いをしたということのようでした。
なんだか、じーんと来るような話です。
旅の締めくくりとしても、最高だと自負します。

しかし、思わぬ旅の最後がわたしを待っていました。
もう帰国するだけと思っていた翌朝、朝一の列車に乗り込むとまだ、5分ほど時間があります。
向かいのホームに止まっていた列車を撮ろうとホームに降り立つと、わたしの列車がおもむろに発車してしまいました。

まさに何事が起きたか分からぬというように呆然と立ち尽くしましたが、荷物は電車の中です。
最後に大失態を演じ荷物を失ってしまうのでょうか。
仕方なしに駅員に説明したうえで、15分後の次の列車に乗り込みました。
この列車も早く出発したようです。
時計で確認すると4分も早くフライングで動き出しています。

駅員と車掌に伝えて荷物は広州駅で受け取ることができました。
この分ですと、次の成田行きの飛行機が心配ですが、さすがにそこまで、交通機関を見守る神様がいたずらすることはなく、どうにか無事に旅を終えることができました。
【M8/Zunow 3.5cmF1.7 F1.7】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zunow 3.5cmF1.7 | trackback(0) | comment(11) | 2009/08/16 Sun

好友們

M8/Super Rokkor 5cmF1.8
部屋に戻る手前で小さな女の子に声をかけられました。
あなた、さっきガイドといっしょに見学していたでしょう、そう言って笑っています。
この子だったら覚えています。
橋のところにいたでしょ、ほら、とその時撮った写真を見せました。
うわー、いつの間に撮ったのと、今度は驚いて、近くにいた友達を呼んでみんなでわいわいと見ています。

やはり、わたしたちも撮って、となりました。
女の子が4人、いつもならひとりひとりが順番に得意のポーズをとるのがお決まりごとですが、彼女たち仲良しカルテットはみんなでいっしょがいいようです。
あれこれ相談しながらこう撮ろうとか、こんなポーズでとか、最初はわたしたちが前だったから次はあなたたちが前にとか、てきぱきと決めては次々と撮影させます。
完全に彼女たちのペースですが、面倒などとは感じません。
ペースに巻き込まれてなお楽しいというか、いままでいらいらしていた気分を開放してしまうようなノリがありました。

彼女たちは小学校4年の同級生で、夏休みは家計を助けるために草を使って花やばったや鳥なんかを作って観光客に売っています。
ほんとうは、せっかくの夏休みなら遊んでいたいだろうに、もっと勉強しなくちゃいけないだろうに、朝6時から夕方6時までずっと働いています。
だからこそ自分たちの時間になった今、いきいきとしてくるのかも知れません。

ひとりが多く売れれば、売れなかった子にアイスをおごったりもするようで、仕事を通じて競争心ではなく協調する心を育んでるようです。
ですから、彼女たちには悲壮感はまったくありません。
観光客は経済的にゆとりがある人たちが来てるでしょうから、そういう子どもに自分のつくったグラス・クラフトを売るという悔しさもあるのかも知れません。
しかし、彼女たちはそんな不平を言ったりということはなく、自分たちの仕事をたんたんとこなし、やがて新学期には普通に授業に戻っているのでしょう。

最初、小学校4年生にしては幼く思われましたが、行動をともにするにつれ、たくましさすら感じられるようになりました。
小さな職人たちは、ひとりずつ自分たちの作品をプレゼントしてくれ、楽しかったと帰っていきました。

たいへん賑やかな通りの入口にレストランが7~8軒並んでいて、どの店も客引きに必死です。
ガイドと通った時に熱心に勧誘していた少女の店で、夕食を食べることにしました。
どうもこの店は両親がシャイなために、娘が孤軍奮闘で観光客に声かけするものの、ライバル店に水をあけられてばかりというのが傍目に分かってしまうようなところがあります。
こんばんはと少女に声をかけると、わたしのことを覚えていて、嬉しそうに席をつくってくれます。
わたしが来たのが嬉しかったのではなく、他に客がいなかったのでホッとしたのです。

この少女は高校生か、あるいは高校に上がらず家の仕事を手伝っているのか(切り盛りしているといった方が実態に近い)、雅女の称号にふさわしい色白ぽっちゃりの美人です。
注文を聞いたり、料理を持ってきたりするうちに、ヒマだからでしょう向かいの椅子に座って話を始めました。
わたしの旅のことが知りたかったようです。

丹巴の村の美しさについて話していると、ここ上里はどう思うか聞かれます。
いい村なのにこの賑やかさでは雰囲気がぶち壊しだと思うと正直に答えましたが、彼女もそれには同意していました。
いまは観光シーズンなのでうるさくて申し訳ないが、普段はしずかな村なのだと言います。
だったら、観光シーズンも普段通りにすればいいのにと言うと、中国人観光客は賑やかなところが好きだからと笑います。

そんなところへ昼間のガイドさんがやって来ました。
ここで食事しているのね、ふふっと笑いかけます。
あれっと見るとエプロンしていて、夜はいちばん端の店でアルバイトしていたのでした。
昼間は申し訳なかったと詫びますが、何のことか分からないと言って、自分の食べていた焼き鳥を半分分けてくれました。
もう上がる時間だという彼女に、次回来た時もまたガイドをよろしくと別れました。

入れ替わるかのように、今度は少女の妹がやってきました。
彼女は店の手伝いをするには小さすぎるようですが、ビールを運んだりお姉さんを一生懸命に助ける姿が何とも愛くるしい。
お姉さんも、わたしのことを日本から来た友達というように紹介して、さすがお姉さん外国人の友達がいるのと尊敬度をアップさせています。

写真では分かりにくいですが、彼女はお姉さんを凌ぐ美少女です。
本人もその自覚があるのか、歌と踊りを習ってるそうで、将来はアイドルになりたいと願っているのかも知れません。
有名になって稼いで両親と姉さんを助けたい、そう聞いたわけではありませんが、お姉さんが頑張っている姿を毎日見ていれば、きっとそう思っているに違いありません。
歌は恥ずかしがって歌ってくれませんでしたが、踊りは店の奥で披露してくれました。
体の柔らかさと敏捷性を巧みに活かしたその踊りは、ほんとうにその道を目指せそうな、応援したくなるものです。

暑さでビールを飲んではいましたが、それが原因とは思えない、自分としては不可解な行動をこのあとしてしまいました。
別の店でけんかが始まり、何があったかと少女といっしょに見に行きます。
口論から殴り合いになりかかったとき、どうしたことかわたしは、やめろと割って入りけんかを止めてしまったのです。

腕をつかんで止めたのは、昼間ジュースを飲んだ時の店員です。
一瞬ざわついた感じが静まって、けんか相手だった数人の客はそそくさと逃げ去っていきました。
女性の店員が何だか早口でわたしにまくし立て、意味も分からずうなづくと、ありがとうと握手しました。
原因を聞き返すと、会計のとき60元程度だったのに200元と領収書を書けというので断ったら、口論になった、成都から出張に来ていた役人だったので税金をおまえらの小遣いにされてたまるかと言ったら殴りかかって来たと言います。
それで、女性が日本にはあんな役人はいないでしょう、中国の恥でしょうと聞いたとのこと。

人垣は散り、何事もなかったかのように人々は食事を再開しましたが、逆にわたしは時間が経つにつれて冷静さがもどって何でけんかを止めに入ったのか自問しますが答えは得られません。
ふだんの自分からは絶対に考えられない行動です。
不思議な気分のまま宿にもどり、今日1日の長さを実感しながら深い眠りにつきました。

翌朝、成都空港へ向けて早い時間に宿を出ます。
もしかしたらと思い橋の方を見ると、果たして昨日の女の子が同じ場所でもう働いていました。
さよならを言おうと思い近づくと、村の出口まで送ると言います。
断る間もなく、近くにいた友達を使って昨日のメンバーを勢ぞろいさせます。
橋から車乗り場までは約10分の道のりでしたが、女の子たちに囲まれて、これがわたしの今回の旅を締めくくる花道のように感じます。

乗り場の手前は昨夜のレストランのあるところです。
昨日の少女は、朝から店番に立っています。
何でわたしが女の子たちを引き連れているのか不思議そうでしたが、賑やかな一行を手を振って見送ってくれました。
残念ながら妹はいませんでしたが。

車はすでにわたしを待っていました。
昨日ここまでわたしを連れてきてくれた親子の車です。
手を振り続ける女の子たちをミラーで見ながら、親父さんは、あの子たちは誰かと聞きます。
わたしは、手を振り終えると、親友だ、と答えました。
【M8/Super Rokkor 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Minolta Super Rokkor 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(2) | 2009/08/15 Sat

自我嫌悪

M8/Super Rokkor 5cmF1.8
翌日の昼過ぎの便で、成都から四川省を離れることになっています。
濾定から成都の間の、できれば成都寄りでどこかいいところがあれば、1泊するスケジュールを組みたいと考えていました。
調べるとありました。
雅安市上里鎮は、清代の木造古建築が密集する古鎮です。

嵐安を早朝に出発したので、昼過ぎには到着の見込みでしたが、渋滞に巻き込まれたため雅安市内に入ったのが3時半になってしまいました。
しかし、拾う神もあったようで、わたしがバスの中で僧侶とのやりとりを聞いていたすぐ後ろの親子も、雅安に行くところで、彼らの助けで上里方面へのバス停まで簡単に辿り着けました。

さらにバス停では、1時間に1本のバスが出たばかりだったのですが、上里にもどるワゴンの親子が30元で乗せてくれることになって待ち時間なく上里へ向かえました。
あとで聞いたらタクシーだと200元くらかかるそうで、あなたはなんてラッキーなんだと現地のガイドにあきれられます。

安宿探しが心配でしたが、これもその親子の知り合いが宿を始めたそうで、紹介してもらいます。
紹介してもらうまでもなくあちこちに宿泊施設はありましたが、案内されて行ったその宿は、入場料の必要な歴史的四合院建築の一角で、古さと静かさは申し分ありません。
シャワー付きで60元は、入場料10元免除の特典付きを考え合わせるとたいへんリーズナブルで、何より遅く到着して宿探しの手間を省略できたのが助かりました。

宿の手続きを終えると、若い女性が現われて、ガイドはいかがですかと売り込んできます。
中国語でガイドされても恐らく歴史的な単語はちんぷんかんぷんでしょうし、何より時間がないのでさっさと見て回りたいと断ります。
しかし、あまりに熱心に案内すると迫るうえに、その女性はなかなかの美人で、親しくなったら旅の最後の食事くらいお付き合いいただけるかも知れないぞと妙な気を起こしてOKしてまいました。
1時間でまわるというのでその中で総論をつかんで、後にひとりで各論を見て回れますし、通常60元だけどここの宿泊者は半額になるというおまけも付きました。

さて、最初に教えてもらったのが、雅女という言葉があるということです。
雅安の女性ということですが、年の半分以上が雨で湿度が常に高く日もでないことから、色白で餅肌の美人が多いということを、みやびとひっかけて言う言葉です。

さっそくあなたは雅女の典型だと賛辞を贈ったところ、わたしの子どもの方がずっと色白で…。
子どもがいるそうです。
がっくり…。

がっかりはそれだけではありません。
観光客がやけに多く、迎え入れる村の方も商売っけ丸出しで、福島の大内宿以上に全家屋商店・レストラン状態で賑やかなこと右に出るものなしです。
静かさを求めて来たのに、古鎮のテーマパークに来たかのようです。

そんながっくりと、昼間の渋滞のいらいら、旅の疲れの蓄積などが重なったからでしょうか、ついつい美人ガイドさんに絡んでしまいました。
チベット産のお茶を加工して飲ませてくれる販売所がありました。
観光地によくある試飲して気に入ったらぜひ買ってください、ガイドにもコミッションが入りますというアレです。

時間がないのに、そんな所に連れて来られて怒りが爆発してしまいました。
これを作ってる会社の社長は漢族でしょう、会社ぐるみでチベット人の土地に踏み入って文化を持ち去ってしまう、それで金もうけしての金で土地も奪う、それが漢族のやり方で、そうやって領土を拡大しようとする、チベット、ウィグル、モンゴル、ヴェトナム、アフリカ諸国、南沙諸島、尖閣諸島…。

彼女の悲しそうな顔に気付いて、言葉を続けられなくなります。
こんなことを言っても仕方ないし、女性に対していきなりこれでは最低です。
すぐに詫びましたが、もうこんなことは取り返しがつかないことです。
最悪の空気の中、以降のガイドの説明が耳に入らなくなりました。

この賑やかな村で、ひとりになってみるとものすごく孤独を感じました。
自己嫌悪もあって、写真を撮ることもおっくうになります。
いちばん古い村の雰囲気を残しているところで1枚撮影して、いったん部屋に戻ることにしました。
【M8/Zunow 3.5cmF1.7 F1.7】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zunow 3.5cmF1.7 | trackback(0) | comment(2) | 2009/08/14 Fri

它是馬還是牛?

M8/Super Rokkor 5cmF1.8
警察から解放されて宏クンの家に戻りました。
特に誰かに監視されるということもなかったようですし、宏クンとの会話がぎくしゃくということもなし。
あくまで、安全上の問題で登記手続きをしただけと思いこむことにしました。
平穏な生活が戻ったというところです。

明日の朝早くには村を出なくてはいけません。
少しでも記憶に焼き付けたいと、散策したり、子どもと遊んだりして夕方を過ごしました。
そして、最後の夕食。
メニューはいつもほとんど変わりませんが、この旅では出色のおいしさでした。
今回も限界まで食べましたが、その味は忘れ難いものがありました。

朝6時半、朝食の時間もなく、迎えにきた軽トラに慌しく乗り込みます。
宏クンに清算をたのむと60元だといいますが、2箔食事付きでそれは安すぎるからと100元手渡しまた。
律儀な宏クンは釣りを取って来ると、いらないと止めるわたしを振り切って走ってどこかへ消えてしまいました。
タイミングが悪いことに、この時軽トラは出発してしまい、宏クンにサヨナラを言うことができませんでた。

昨夜は雨もなかったので、警察が言うような崖崩れの心配はないと思ったのですが、博打好きの運転手の様子がどうもヘンです。
皮帯が…、と言ってるのでシートベルトしろと言ってるのかと思いましたが、首を振ります。
彼の普通話も聞き取りづらくて難儀しましたが、どうやらファンベルトが切れて補修したが、濾定まで着けるか自信がないと言っているのでした。

運転手の自信なさそのままに車は何度かストップを繰り返しました。
途中中学生くらいの女の子が3人くらい乗ってきて、こんな状況をきゃっきゃ言って喜んでいます。
とはいえ、帰り道はずっと急な下り坂です。
なんだかんだで、1時間後には濾定の町に無事到着していました。

今日は旅の最終目的地の雅安を目指します。
濾定のバスターミナルで聞くと始発のバスはなく、停車したバスに空席があれば切符を売るとのこと。
最初に来たバスは行く方面違い、2番目は2席しか空いてなく、先に並んでいた人がそそくさと乗り込みます。
そんな風に待つこと1時間ようやくバスに乗り込むことができました。

しかし、ここでもトラブルが。
次の町でまた乗客を乗せたのですが、車掌のミスでひとり多く乗客を乗せてしまいました。
トイレに行って最後に戻ったわたしは、いきなり降ろされます。
それはないだろうと思う間もなく車掌はあとから来たバスを強引に停めて、こいつを雅安に乗せてやってくれと交渉してくれたのでした。

座席に着こうとすると1席しか空いていません。
そこは、僧侶の隣で、本来は空けるべき席なのかも知れません。
ですが、目があったとたん僧侶は笑顔を浮かべて、隣の席にかけるよう勧めてくれました。

トラブルはまだ続きます。
地獄の渋滞です。
途中断続的に工事している区間があり、そこでバスはまったく動かなくなってまいました。
それどころか反対側からも、車は1台とてやって来ません。
交通量はすごく多い訳ではありませんが、この地方の幹線道路たる国道です。
大事故でもあったのでしょうか。

渋滞の原因は工事で間違いありません。
しかしまったく動かなかった理由はすぐに理解できました。
中国人の性格による大渋滞です。

渋滞を抜けるためには、まず待つという忍耐力がいります。
しかし、中国人ドライバーの多くはそれができないのです。
渋滞の列を見るとそこで待つことをせず、追い越して行く車が後を絶ちません。
前の車がいけば、よしおれもと付いていく便乗派が次々現れます。
気付くと道路いっぱいに同じ方向を向いた車がずらっと並ぶことになります。

容易に想像できるのは、反対側でも同じ現象が起こっているだろうということ。
つまり、渋滞の先頭では互いに車線いっぱいに横並びになった車が対峙して、前進も後退もできない状況になっているようです。

しばらくすると反対側から車が何台もやって来ました。
やっとこれで渋滞から抜けられるかと思うも束の間、車が途切れるや後方にいた車が我々のバスをどんどんと追い越して前に出ていきます。
大馬鹿者たちのせいで元の黙阿弥です。

3時間、なんと3時間ものあいだ、バスは1mmとして動きません。
そしてようやく車が動き出し渋滞を脱出しましたが、その距離はわずか3キロ程度。
案の定渋滞の先頭部分では対向車両が4列になってこちらを向いていて、それらをかわすため車は歩道に乗り上げての走行を余儀なくされました。
中国ならではの大渋滞に苦笑を禁じえません。

バスの中ではずっと隣の僧と話していました。
チベット僧と思って旅の経路を説明してると、彼は大連から来た漢族だと言います。
丹巴で会ったラマが近くの学院で教えていると言ったところ、まさにその学院で修行しているというので驚いてしまいます。
では、ダライラマはと小声で聞くと、もっと小さな声で、信仰のすべてと答えました。

成都まで行く彼とは雅安でお別れです。
今度中国に来たら電話をくださいと名前と携帯の番号をくれました。
もちろん名前は漢字で書かれていました。


写真は黄昏時の嵐安です。
畑仕事から帰って来た親子でしょう、カメラを向けると親父さんは笑顔でこたえ、シャイな娘はうつむいてしまいました。
この次のカットは、馬をひく娘の横顔で、これは間違いありません。
気になるのは、親父さんの連れている動物です。
馬と思っていましたが、どうもちょっと太り過ぎているような。
でも牛にしては少しスリム過ぎませんでしょうか。
【M8/Super Rokkor 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Minolta Super Rokkor 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(12) | 2009/08/13 Thu

被拘留了

M8/Super Rokkor 5cmF1.8
大丈夫、手を握っていてあげるから降りてきなよ。
宏クンは、そういって手を差し出しますが、その1メートル先の段にどうしても降りられません。
Vサインする宏クンが歩いているその先は、直角に近く切り立った崖です。
足場が崩落すれば、草につまづけば、そのまま真っ逆さまで命はありません。
一段高い安全な場所にいますが、谷間に吸い込まれるようで、へっぴり腰の撮影になってしまっています。

ほんとうは、絶景の湖があるという北側の山に登りたかったのですが、3時間くらいかかるそうで、今回は南側の崖までやってきたのでした。
ここまで、宏クンの家から徒歩20分ほど、ずっと続く畑の中を歩いて来ました。
ここからの眺めがいいんだと少し高台に上がったのがここで、天気がいいとずっと先に5000メートル級の雪山が見えるそうです。

左端の中央から細い道が見えています。
頼りなげに続く道は、うねうねと小さな尾根を越え、左上の蛇行する下り坂に連なります。
これこそが、わたしが軽トラで登って来た道なのだなと感慨深いものがありました。

いまいる高台のわきに石が無造作に積んであったのでたずねると、ここにも昔、塔が建っていたそうです。
歴史ある塔が崩落してしまったのです。
言葉や文化が絶滅の危機にあるこの村を象徴しているように感じられました。


のんびりした散策でしたが、帰路、思わぬ出来事が待ち構えていました。
高台にいるわたしたちに向って大声で叫ぶ人がいます。
急いで降りて行くと制服を着た警官がふたり待っていました。
どうかしたのか聞くと、署まで同行願いますと、冷たい口調ではっきり告げられました。

動揺は隠せませんでしたが、従うより仕方ないので警官に付いていきます。
宏クンを見やると、大丈夫だ心配ないという顔をしていますが、その神妙な顔は事態の深刻さを物語ってるのでしょうか。
すぐさま、昨日の朝、濾定で出合ったこれから法廷に行って陪審を聞くといっていたチベットの青年のことを思い出しました。
彼は実は政府がマークする危険分子で、親しく接触したわたしを警察が尾行してきたのかも知れない。

つとめて冷静を装って、あらためて理由を聞くと、外国人はこの村では登記が必要なのでと言います。
なぜ登記が必要かと食い下がると、万一事故などがあった場合に備えてとの回答。
もっともらしい答えですが、そんな程度のことのためにわざわざ警官がふたりも探しに来るものでょうか。

だいいちわたしがこの村に来たことを警察はどうやって知ったのでしょう。
こんなことは思いたくもありませんが、村人の中に警察と通じている人がいて密告されたのでは、などなど不安な中で、いろいろなことがらが次々と思い浮かんできます。

ランドクルーザーの警察車両に乗せられたので、まさか濾定の拘置所に連れて行かれるのかと心配しましたが、300メートルほど先の小さな警察署で降ろされました。
署では、別の警官が待っていて、やはり外国人のための登記をするので協力お願いしますと告げられました。
20代後半と見えるその警官は色白で、あきらかに土地の人間ではありません。
あとでたずねるとやはり江蘇省出身の漢族でした。
どのような理由で、ここで警官をやっているのかは確かめるすべもありませんでしたが。

外国人登記にはマニュアルがあるようで、その冊子を隠そうともせずに書類に記入してきます。
質問されたのは、ごく一般的なことでわたしの個人情報はパスポートをコピーして、さらに旅程やいま泊まってるところを口頭で説明します。

最初のうちこそわたしの緊張が伝わってしまったためか、かなり固い雰囲気で質疑応答が進みましたが、そのうちにフレンドリーになって雑談も交わすようになりました。
日本は経済危機のようだがどんな感じだいと警官が聞けば、わたしは彼の出身地を聞いたり、もしわたしが中国語をいっさい話せなかったらどうしてたかなどと聞いたりしました。
日本人なら漢字が読めるのでしょうと言ってマニュアルを指さして何とかなると答えます。
じゃあ西洋人が来たらどうすると突っ込むと、西洋人はこの村に来たことがないとのことです。
中国人向けとは言えガイドブックに紹介されたこの村ですが、わたしが最初の外国人なのではと言うのが意外でした。

特に政治的な質問などはなく、ほんとうに単なる登記のために呼び出されたのかと信じようかと思いました。
しかし、いつこの村を出るのかと聞かれ、明日の朝と答えると、万一崖崩れでもあって村を出れなくなると帰国できなくなる恐れもあるから、わたしは今日のうちに村を出ることを勧めるがどうすると聞いてきます。
穏やかな物言いですので、親切心で勧めてくれてるように思われますが、早く出ていけ、でないとその身に何が起こるか分からないぞと遠まわしに脅しているようにもとれます。
一瞬、回答を躊躇し、迎えに来た宏クンの顔をうかがいました。
彼は平然としていて、顔からはサインのようなものは汲み取れません。
何もないだろう、そう信じて、わたしはこの村にもう一泊したい、アドバイスはありがたいが、万一の場合の責任は自分で負うのでと答えると、そうか、じゃあ気を付けてとあっさり滞在を認めてくれたのでした。

わたしのパスポートをコピーに行った若い警官がなかなか戻ってこなかったことで、あれは別室で危険人物リストとの照合とかやっているのではと思ったものです。
それに、万一のための登記とはいってましたが警察の書類に記載されパスポートのコピーが渡っています。
どんなリストに登記されたのか、やはり気にせずにはいられません。

ご協力ありがとう、そう言って笑顔で右手を差し出した警官を、わたしは信用するしかありませんでした。
【M8/Super Rokkor 5cmF1.8 F2.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Minolta Super Rokkor 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(4) | 2009/08/12 Wed

就是宏

M8/Super Rokkor 5cmF1.8
余さんの家にはおじいさん、おばあさんも健在です。
一家四代同居というのが自慢で、こういうところに中国の家族のあり方が見えたりするものです。
お昼はのおじいさん、おばあさんといっしょに食べることになりました。
するとお父さんは遠慮するのか出てこなくて、4人用の食卓にあぶれないようにしているようです。
おばあさんが食べ終わる頃、入れ替わりにお母さんが加わって、テーブルは常に満席状態です。

たくさん食べるように勧めるのは日本も中国も変わりませんが、こちらではおかずをとって茶碗のご飯の上に乗せてくれます。
その時の箸はその人が使っているもので、衛生観念がとか下手すれば肝炎になどと考えていては、とても一緒に食事はできません。
ありがたくいただきます。

ご飯も黙っているとお代りをよそってくれます。
3杯食べるのがマナーなのか、平均的なのか、断っても断ってもお代りをよそうので食べきらないといけません。
それに3人がかりでおかずをとってくれますので、食事のたびにお腹ぱんぱんで、これには参りました。

中国では、よく食事を適度に残すのが招待された側のマナーだと言います。
しかし、いまは不要乱費といって残さず食べるのをよしとするようですし、ましてや家庭では食事を残すのは日本同様に失礼という気がします。
そんな訳で、帰国後体重を計ったら6キロも増えていました。

余さんの名前が宏とうことが分かりました。
余宏は、普通話では"ユィ・ホン"のように発音しますが、わたしは当然のように"ひろし"と呼びました。
午後には雨も上がったので、そんなひろしと散歩に出ました。

最初に案内してくれたのが、写真の村でいちばん古いと思われる家です(ピントが甘いのをお許しください)。
記録がないのではっきりしませんが、100年くらいは経っているだろうとのこと。
おとといの写真では、石作りの家が並んでいまたが、基礎部分こそ石で頑丈に作るものの、それ以外の多くの部分が木で作られています。
古い家ほど木の装飾が緻密で、生きた美術館と言っては言いすぎでしょうが、民族博物館的な趣は十分です。

このあたりは震源から遠く離れていて、昨年の大地震でも揺れはしたものの被害はまったくなかったそうです。
しかし、見せていた打た家の中は、さすがに荒れて来ていて、彼らの言語ほどではないとしても、せっかくのすばらしい家が廃れていくのがいかにも惜しく感じられます。


このレンズのことに言及するのを忘れていました。
Super Rokkor 5cmF1.8 は、1957年というライカ・スクリューマウント・レンズとしては最晩年に世に出た悲運のレンズです。
M3の発売からすでに3年の歳月が経ち、ニコンやキヤノンなどの一部メーカーを除きもはやレンジファインダーカメラはあきらめられ、各社が一眼レフへ移行する過渡期だったためあまり日の目を見ることなく時代の波に呑み込まれてしまったようです。

しかし、このレンズのシャープネス、コントラスト、解像力は当時としては群を抜いていて、あるいは35mmカメラ用として発売されたレンズの最高傑作と評価される方は多くいます。
ガウスタイプの最大の欠点は、コマフレアによるコントラストなどの低下があげられますが、このレンズを設計した松居吉哉氏は、苦心の末コマフレア削減の方法を発見しました。

元ミノルタの神尾健三氏が「ライカに追いつけ!」でこの時のエピソードを紹介しています。
5か月間苦心して設計するがコマフレアが取れなかったのが、ふと気付いて2群目の貼り合わせを分離したところスカッとコマがとれたと言います。
このアイディアはその後も活かされ、現行一眼レフのF1.4クラスの標準レンズはほとんどがこの型かこの型のバリエーションです。
ライカR用の50mmレンズも、やはりほとんどが2群目分離でした。
やがて土居氏は、収論の大家としてキヤノンに移ってしまうのですが。

余計なことまで書けば、一代前の Super Rokkor 5cmF2 の方は Summiron 5cmF2 のデッドコピーと言われていて新種ガラスが使われていないことを除けば、ズミクロンのデッドコピーなのだそうです。
1953年発表のズミクロンの写りは、当時のミノルタにとってM3の登場同様のショックだったのではないでしょうか。
ライカに追いつけは、パルナックライカしかり、M3しかり、そしてズミクロンにも追い付けだったのではと読めます(そのような記述は一切ないですが)。

Super Rokkor 5cmF2 の方はさほどの性能ではなかったと聞きますが、Super Rokkor 5cmF1.8 で、ついにズミクロンに追いついたかに見えます。
少なくとも、ボケについては圧勝しています。
他の部分はどうか、いつか比較してみたい課題です。
【M8/Super Rokkor 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Minolta Super Rokkor 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(4) | 2009/08/11 Tue

主客転倒

M8/Super Rokkor 5cmF1.8
広くはない村に一晩とちょっといると、よそ者が来たという話はかなり伝播するようです。
余さんの向かいの家の軒先で雑談していると、いろんな人が次から次へとやって来ました。
昨日会った人がいますし、自己紹介していく人もいますが、なかなか覚えられません。

その向かいの家には大学生の高クンがいて、村の情報源になってくれました。
なにしろ普通話が通じるのがありがたく、普段はぜんぜんしゃべれない中国語普通話がいつの間にか自分の言葉になっています。

それにしてもこの村から出た貴重な大学生だから、村民の全期待を背負ってたいへんだねえなどと振ると、照れつつも、村からは大学に行った人はすでに何人かいると説明してくれます。
では、女子大生はと聞くと、やはりいないようでした。
この村も18歳くらいになると町に出稼ぎにいってしまうようで、男女とも二十歳前後で会ったのは彼ひとりだけでした。

訪れた最大の珍客は、わたしに日本人ならオレのパソコンが直せないかと言ってきた青年でした。
仕事でパソコンを使っているかと聞かれもちろんと答えると、じゃあ直せるのではとわたしを彼の部屋に連れていきます。
おとといパソコンが起動しなくなってしまったので、昨日濾定の町まで行って復旧ソフトを買ってきたがいくらやっても直らないと言います。

どれどれと起動しますが、やはりエラーメッセージが出ます。
そして、これが中国語でまったく意味不明です。
ソフトを挿入してみます。
何かが動きだましたが、やはり中国語でよく分からないので、端から順に動かしみるしかありません。
はい、まず左上から、カチッ。
あれ、動き出したと思ったらウインドウズのメニュー画面が。
くださんの青年が狂喜しています。
直してしまったようでした。

次のお客さんは、赤ちゃんを抱いたおばちゃん。
今ではめずらしくなった赤ちゃん用の帽子をかぶらせて、写真を撮ってくれと言ってきます。
実は、今回の旅にはいつものM8といっしょにモノクロを詰めたM6も持参していて、落ち着いたこの村では2台のライカを首から提げて闊歩していました。
多くの村人が、写真家だと錯覚していたとしても無理はありません。

赤ちゃんはちっともカメラの方を向いてくれません。
近くにいた大人が総力戦で赤ちゃんの気を惹こうとしますが、その不自然さがかえって赤ちゃんの不信感につながったようで俯いてしまいます。
そんな姿にみんなで大笑いとなります。

食事中この騒ぎ聞きつけてやってきたのでしょうか。
おかずで赤ちゃんの気を惹こうとしていた、おばあさんの笑いが最高でした。
密かに撮って、その液晶画面をみんなに見せると、また新たな笑いが起こります。

いま思うと、この時はほとんど互いに言葉を発したとか、通じたとかいうことは意識していません。
カメラを通して、みんなの笑いでじゅうぶんにコミュニケーションとれていました。
言葉は必要であるが、ときになくても構わない、そんな当たり前のことを写真が気付かせてくれるのですね。
【M8/Super Rokkor 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Minolta Super Rokkor 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(4) | 2009/08/10 Mon

在下雨上散歩

M8/Super Rokkor 5cmF1.8
深夜、雷と激しい雨の音で目覚めましたが、すぐにまた熟睡したようで、目覚めの良い朝を迎えました。
しかし、窓を開けて外を見るとまだ雨はぽつぽつと残っていました。
向かいの路上では、雨を避けるようにして屋根の下で、野菜を洗っている女性の姿が見えます。

まだ、6時半、朝食には少し早いので、体を洗い、シャンプーしました。
多少、水が跳ねましたが、二つのたらいを駆使して、我ながら器用にこなしたものです。
ひと足早く起きていた余さんから朝食にしようと声がかかります。
少しほかほかの饅頭をメインにした朝食も。なかなかの美味です。

今日は、余さんの案内で遠く山向こうの湖まで歩いて行く約束だったのですが、雨のため中止になってしまいました。
かわりに村の中を歩いてまわることにしましたが、それもまた楽しです。

言葉の不自由を越えて、話しをしながら歩きます。
嵐安には一村から三村まで3つの村があり、人口は3000人ほど。
滞在しているのが一村で、余さんの奥さんは二村出身で子ども連れて実家に帰っています。
周囲に他の村はなく、隔絶された土地です。

以前買った四川省の本に4行ほどこの村が紹介されていて、それを読んだことがここへ来たきっかけです。
それによれば、村は独自の言葉が話されていて、独自の文化が息づいているということでした。
それを尋ねますが、残念ながら独自の言葉は余さんのおじいさんの世代なら話すことができますが、余さん自体がすでにりかいできなくなってしまっているのでした。

つまり、おじいさん世代が亡くなるだろう、今から10年後、20年後には、嵐山独自の言葉は絶滅してしまうことになります。
いや、日常的に使われていないその言葉は、一日一日忘れ去られ、そう遠くない日をもって完全に忘れ去られてしまうのでしょう。

雲南省の納西族のトンパ文字は、絵文字のような独自の字を使うことでよく知られています。
このトンパ文字は、何とか絶滅しないよう若い人たちに懸命に伝承しようと努力していることを余さんに話して、どうにかならないものかたずねましたが、すでに余さん自身がしゃべれない言語には関心が薄いようで、仕方ないと言うばかりでした。

では、独自の文化とは何かたずねると、少し考えていうには、まず衣服は嵐安だけのもののようで、他のチベットの人とは違っているようです。
また、お祭りでは独特の踊りなどがあるようです。
文化は、すでに生活に染み付いていますので、どの部分が自分たち独自で、どの部分はチベット族共通かなどということは突然聞かれても分からないでしょうから、何か面白く感じたらその都度聞くしかありません。

わたしたちは、まず村唯一の寺廟を訪れました。
特別のことがない限り普段閉ざされた廟ですが、余さんがたのんで鍵を開けてもらいました。
管理しているのは近くの老人で、わざわざ開けてもらった礼を言うと、ちょうど掃除しようと思っていたのでと、逆に訪ねてきてくれたことを喜んでいました。

手を合わせ、どうぞ村の文化が廃れませんようにと、文化人類学者のような殊勝なお願いをします。
5元札を賽銭に置かせてもらうと、そんな態度は老人には好印象だったようです。
大切なお願いをしたのでと照れる私に、なんども礼を言います。
鐘を突き、建築や祭りに使う道具を見せてもらって、辞することにしました。

この廟は高台にあります。
門を出ると屋根が並んだ家並みのすばらしい風景が広がっていました。
歩いていて小さな村に感じ、人口3000人は何かの間違いだろうと思っていましたが、意外な規模の大きさに十分納得したのでした。
【M8/Super Rokkor 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Minolta Super Rokkor 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(6) | 2009/08/09 Sun

嵐安的中心路

M8/Super Rokkor 5cmF1.8
散策で油を売り過ぎたようで、すっかり薄暗くなってしまいました。
真っ暗になるとお世話になる余さんの家が分からなくなりそうで、慌てて戻りました。
ここが、村のメインストリートで、やはり雑談や畑仕事を終えた村人が三々五々家路を目指しています。

さあ、食事にしようと、余さんが家の前で待ち構えています。
余さんは30歳代の前半で子どもがふたりいますが、奥さんの実家に行っていて、余さんの両親と4人での夕食です。
お母さんは料理の名人で、ブタの腊肉や鶏肉、自分たちの畑で採れた野菜を使って5皿の家庭料理が並びました。
わたしが来たから、豪勢なのかと冗談っぽく聞くと、これが普段の食事だと胸を張ります。

中国正月の春節では、多くの家庭で魚を食べます。
魚の発音が「ユィ」で余と同音のため、お金があり余るようにとの願いを込めてのことです。
山奥の嵐安では魚はありませんが、余さんの家は文字通り村では裕福で、食事の立派さもそうですが、家が並んで2軒あって、新しい方の部屋が空いているので、わたしを泊めてくれたというわけです。

食後はみんなでテレビを見ます。
家族は誰も普通話を離せませんでしたが、テレビの普通話は問題なく聞き取れます。
しゃべれないのに聞き取れるのが最初不思議に感じましたが、普通話と四川語はほとんど同じで発音が少しばかり違っているだけだそうで、なるほど日本の地方で方言がきつい人でも、普通にテレビを見ているのと同じことだなと気付きました。

豪快な男というイメージの余さんなので、自家醸造酒とか飲むのかと心配とも期待とも言えない予感があったのですが、実は家族の全員が下戸だそうで、見た目で判断してはいけないのはいずこも同じです。
11時に就寝する習慣のようで、時間になるとお休みと部屋に戻りました。

書き忘れていましたが、チベット人の多くは入浴とかシャワーは使用しないようで、宿泊させていただいた民家ではいずれもこれら施設はありませんでした。
特に西藏と呼ばれるチベット地域は空気がたいへん乾燥しているので、むやみに体を洗うと皮質がむき出しになって荒れやすくなるため、入浴しないと聞いたことがあります。
体のメカニズム的にも汗をかきにくくなっていたりということもあるかも知れません。
実際そうなのかは聞き忘れましたが、夏場はお湯で体を拭く習慣はあるようでした。

わたしにもお湯を用意していただきましたので、少し無理がありましたが、お湯を最小限使って頭と体は洗わせてもらいました。
郷に入れども、どうしても郷に従えないこともあるのが我ながら情けないところです。

ベッドには蚊帳がつられていましたが、蚊や虫の気配はなく、蚊帳を下ろすことなく眠りました。
清潔なベッドは快適で、朝までぐっすり寝ることができました。
昼間の足裏マッサージと合わせて、すっかり疲れを取り去ることができたようです。
【M8/Super Rokkor 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Minolta Super Rokkor 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(8) | 2009/08/08 Sat

表情不自然

M8/Super Rokkor 5cmF1.8
謎多き村へのバスは、前後座席の付いた軽トラックで、3~4時に発車する1本だけと聞きました。
3時に出てしまうかも知れないとそれより前から待っているようでは、中国通とは言えません。
きっと遅れてきて乗り遅れる奴がいるからサバを読んでいるとみるべきです。
よくて4時発車、うっかりすると4時半だなと判断します。
3時頃までマッサージの女の子と雑談して、乗り場に着きましたが、運転手は博打に興じています。

あそこで飯食ってくるからと、言い残して向かいの食堂で遅い昼にしました。
食堂では、メニューが読めなくてなんて言うと、どうしたどうした、おまえ外国人か、おーい皆出て来いみたいな感じで、珍客の到来を家族総出で見学します。
オーダーも彼らがやってくれることしばしばですが、けっしてボラレることはありません。
いなかの人はみなお人好し出し、家族でボッてやれなんて恥ずかしくてできないからでしょう。

4時少しまわって乗り場へ戻りましたが、やはり発車する様子はなく、博打の輪はかえって大きくなっていました。
まだ出ないのか聞きますが、もう少し待ってくれというばかりで、もはや客の存在は眼中にありません。
仕方ないので、近くを撮影して歩こうかと思いますが、このあたりには何にもないのは確認済みです。
バイクがひっきりなしに通るので、レンズを絞って流し撮りの練習をして時間をつぶしました。
100枚以上撮ったでしょう。
最初はプレプレだった写真も、しまいにはスローな自転車まで流せるようになって、流し撮りの達人クラスだと自嘲していました。
これはデジタルならではの暇つぶし法です。

気付くと運転手が、おーい、何やってんだー、出発するぞとどなり声をあげています。
5時半になっていました。
何やってるんだはおまえの方だろう、そうは思うものの、これが中国のいなかの時間感覚というものだなと割り切ります。
嵐安を訪れる予定の方は、バスの発車時間は博打がお開きになった時、と覚えておいてください。

濾定から嵐安までは30キロほどのはずですが、1時間半かかるといいます。
未舗装の山道をひたすら登るのです。
ところどころがけ崩れの跡があり、標高1000メーター近くを一気に駆け上がる感じで、高所恐怖症のわたしは下を見るととができません。
その上震動が激しく手すりにつかまっていないと頭をぶっつけます。
苦行のような1時間です。

やがて浅い川をばしゃばしゃと渡ると、平坦になり村が見えてきました。
村に1軒だけ旅館があるとのことでしたが、わがままを言って古民家に泊まりたいんだとお願いしました。
運転手は無理だと言いましたが、最後には根負けして村人が集まる場所で、誰か泊めてやってくれとお願いしてくれたようです。
すぐに豪快な若者がウチへ泊れと買って出てくれました。

若者は余さんと名乗り、わたしが外国人と知るとかなりひるんでましたが、前述のとおりまずは豪快さがウリという雰囲気の若者なので、そこはかえっていいぞと歓迎してくれます。
困ったのは、彼も普通話がしゃべれず、四川語なのでたまには聞きとれますが、たいがいは何度も聞き返してやっと理解するという時間のかかるコミュニケーションが必要でした。

とにかく、到着は7時でしたが、まだ少し日は残っています。
食事の支度をするから散歩でもして来たらという余さんを残して、ひとりふらふらと歩きだしました。

少し歩くと十数人が集まって談笑している人たちに出くわしました。
カメラを提げた姿が珍しいらしく、さっそく何しに来たのか、どこから来たのか、どこに泊まるのか、等々質問攻めにあいます。
何しには、写真を撮りに、こんなところ何にも撮るものはないでしょう、あなたたちを撮りたいんです、わーっ。
どこからは、東京からですが、知らないなーどこだろ、
泊まっている場所は、余さんのところで、余さんはこの村に多いんですよ、どこの余さん、その先の、その先は全部余さんだからねえ…。
何とも気の抜けた会話が続きます。

集まりはおじさん、おばさんたちですが、その中で群を抜いてすばらしい被写体がいました。
さっきから会話には加わらず、ひとり黙々とキセルをくゆらせてます。
いきなりカメラを向けると、全員からやんやの喝采が。
おーい、写真に撮ってもらっているぞ、笑って笑って、カメラの方を向きなさい…。
余計なことを言うものですから、渋い表情が一転してカメラ意識丸出しに、テンポく吐き出していた煙が停滞してしまいました。

しかし、それもまたユーモラスでよろしい。
最初のカットは、村を象徴するようなユニークで人間臭い一枚になりました。
【M8/Super Rokkor 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Minolta Super Rokkor 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(4) | 2009/08/07 Fri

藏人的接吻

M8/Super Rokkor 5cmF1.8
日食の余韻はまだ体に残っています。
しかし、先を急がねばなりません。
濾定まで乗合タクシーで移動しました。
しかし、濾定から今日の目的地である嵐安まであると踏んでいたパスがありません。
調べると嵐安へは1日1往復軽トラックの便があるそうで、聞けば出発は3、4時くらいと、数時間潰さなければならなくなりました。

慌ててやってきたので少し拍子抜けですが、食事に1時間とりますし、帰りの航空券を買わなくてはと思っていたので、あとは町を散策すれば少し長いですがちょうどいいくらいかも知れません。
探せど旅行社は見つからず、ネットカフェで成都→深圳の予約を入れました。
いなかのネットカフェは安く、1時間近くPCを使っても料金は30円弱です。

用事を済ませば散策に出たいところですが、すっかり晴れ上がって蒸し暑さに足が動きません。
路地裏で古民家の前にミシンを出して仕事する少女ふたりという、蜃気楼のような光景を目のあたりにしたのをきっかけに休むことにしました。
運よく足底按摩屋を見つけ、疲れた足を癒します。
冷房の利いた部屋でかわいらしい四川娘がやさしく足を揉んでくれすっかり夢見心地でしたが、朝のできごとを思い出して、はっと我に返りました。


康定で日食を体験した後、安宿を引き払ってバスターミナルを目指したのですが、その途次買い物をしたところで、少し展開に変化が起こったのです。
店にいた店員とは別の男が話しかけてきました。
あなたは外国人か、よければ話を聞いてもらいたいのだがというので、何か面倒な依頼をされるのかと思いました。
彼は真剣な目で真摯な態度、迷惑をかけるような人には見えません。
バスターミナルへ行くのなら歩きながらでもいいからと言うので、並んで歩きながら話を聞きました。

彼は、近くの町で商売をしているが、今日は休みをとって康定にやって来たと言います。
日食を見るためか問うと、そうではなく、今日この町でもっと重要なことがあるからだとの返事。
彼の中国語普通話は少したどたどしくわたしにとって聞き取りにくいものでした。
重要なこととは、マンションで2年、3年、5年、10年…、何のことかさっぱり分かりません。
お互いに困ってしまいました。

逆にチベットをどう思うかと聞かれました。
ダライラマの本を熱読したこと、昨年騒乱が起きて多くの僧が拘束されたこと、そのため聖火リレーでは政府に抗議行動が起きチベットに自由をという言葉が流行語のようになったこと、これらはわたしのみならず、世界中の非常に多くの人に知られチベットが支持されていることなどを話しました。
彼は、たいへん満足したようでしたし、まさにそのことで、重要なことがあるんだと再度説明し出しました。

マンションで決定、2年、3年、5年、10年、パイシン、パイシン…。
やはり何のことか分からず、抗議デモをするのかと聞きましたが、そうではありませんでした。

濾定へはバスはなく、乗合タクシーで行くのだと教えられ乗り場に着きました。
乗合タクシーは客さえ集まればさっさと出発してくれますが、客はわたしひとりきりで乗客が集まるまでひたすら待つしかありません。
わたしたちは、乗り場の前に腰掛けて話を続けました。

みたび、マンションで決定、2年、3年、5年、10年、パイシン、パイシン…を聞いてふと気付きました。
パイシンは"陪審"のことではないのか。
文字で書くと、はたしてその通り、マンションではなく法院で、昨年の騒乱期に逮捕されたチベット人"政治犯"の判決が今日下されるのだということでした。

もしや友達や家族が捕まったのかと聞くと、そういうわけではなく、あくまでチベット人としてアイデンティティを主張しただけのチベット人が裁かれる瞬間を見届けなくてはならないから来たのだと言います。
けっして人を傷つけたり、町を破壊した訳ではないが、政治犯として捕まれば実刑は免れない、これが実情だ、彼はあらためて厳しい顔をしながらも、怒りを表に出すことなく静かに内に飲み込んだかのようでした。

ほどなくして乗合タクシーが客が集まったぞとホーンを鳴らし、わたしたちの話はこれで終わることになりました。
静かにしていて逮捕されなければ、われわれはまた会うことができるからということで、アドレスを交換しました。
彼の書いてくれた文字はチベットの文字でした。
漢字は読めるが、書くことはできないとはにかむように笑いました。
漢字を読み書きできることは、あるいは彼にとってチベット人のアイデンティティの放棄を意味するのかも知れません。

最後に英語は分からないという彼に、昨年全世界が唱えた"フリーチベット"という言葉を教えました。
"自由"という言葉が何より彼には嬉しかったようです。
タクシーに乗るとき手を差し出すと、彼は両手でわたしの手を包みこみ、そっとその手に口づけしました。
【M8/Super Rokkor 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Minolta Super Rokkor 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(2) | 2009/08/06 Thu

2009/07/22 0907

M8/Macro Switar 75mmF1.9
三日月のように見えますが、これは太陽。
7月22日朝、皆既日食を体験しようと、康定の公園にやって来ました。
康定は、この付近では皆既日食が見られる絶好の場所として、前日の新聞にも取り上げられていました。
500年に1度の出来事なので、みんなで見に出掛けましょう、と。

中国では、成都、武漢、上海などで皆既日食が見れることになっていました。
もし皆既日食だけを目的に中国を訪れるならば、天気に留意して前日にベストな場所に移動しておけば、それがいちばん確実です。
その時間帯に東行きの飛行機に乗れば、さらにより確実にかつ長時間見られるという裏技も紹介されていました。

どこで見るか。
わたしは天文マニアでもないので、曇ったらとあきらめればいいだけです。
旅のスケジュールを優先させて、ルート上の康定あたりで運だめしとしました。

運と言えばこんなことがありました。
勤務先のそばのYカメラで日食観察グラスをワゴン売りしているのを知っていたのですが、もたもたしているうちに売り切れてしまいました。
下敷きとかサングラスとかで見ると失明の危険があるので、日食観察グラスを使うようNHKなどテレビで紹介されたのが原因のようです。

その後どこを探しても売り切れであきらめたのですが、成田空港へ向かう上野駅で特急の発車まで15分ほどあり、時間つぶしに入った電気店にそのグラスが売られていました。
実はここでも売り切れていたのですが、たまたま取り置いていた1個をレジの引き出しから取り出してくれたのです。
これはたいへんなラッキー、きっとこのグラスで日食もばっちり観察できるだろう、そう確信せずにはいられません。

さて、当日、もう写真でも分かるようにどんよりと曇りです。
結論を言えば、写真のような部分食は確認できましたが、太陽を月が完全に覆ってコロナがプロネネントがダイヤモンドリングが、などというものはまったく見えませんでした。
せっかく奇跡的に入手した日食観察グラスでしたが、これだけ曇っているとグラス越しには太陽が見えません。
肉眼で十分でした。

わずか3分弱の短時間でしたが、皆既日食の時間帯はまったくの闇が訪れました。
日食のことを知らずにうろたえる人が多くいたそうですが、残念ながらわたしがいた公園の周囲は、みな日食を見にきた人ばかりだったようで、みな整然としてこの不思議な暗闇を愉しんでいます。

暗くなった瞬間に奇声をあげる若者が多くいましたが、それよりも神秘性を尊んでいるのかあの賑やかな中国人にして静かに静かに日中の暗黒を受け止めているようです。
真っ暗闇ですが、近くのホテルのレストランの従業員でしょう、コックのかっこうをした3人が白くぼんやりと浮かび上がって見えます。
近くの農村から来たのか、馬を4頭従えた青年がぱかっぱかっと通り過ぎました。
いずれも、ここ康定ならではの日食を盛り上げる演出のように思えてきます。

短いようで長かった3分間がいま過ぎ去ったようです。
真っ暗だった空が、夜明けのようにゆっくり白んできました。
いえ、すでに太陽が空高くにあるからでしょう、明るくなる速度は夜明けよりもずっと早く感じます。

日食が始まる前、下側にあった三日月形の太陽は、今度は上側に見えて、あれっと思いました。
当り前のことかも知れませんが、太陽と月がそれぞれに動いたからだなとやっと実感します。
しかし、また、雲が現れ太陽はすっかり覆われてしまいました。
康定での天体ショーが終わりを告げた瞬間でした。

出発前、日食が撮影できるか調べてみました。
やはり明るすぎるため、専用のNDフィルターがないと撮れないし、フィルターは高価でしかも品切れ状態とのこと。
別に手持ちのライカで撮る必要もないかと、撮影意思は放棄していたのですが、曇ったためにF8の1/8000でそれっぽい写真になりました(実際には、写真の時点ではもっとずっと明るかったのですが、そのとおりに撮ると太陽の形がはっきりしなくなります)。

もうひとつ曇ったおかげで良かったなーと思うことがあります。
当日、非常に多くの人が日食を観察したはずですが、少なくともわたしが出掛けた公園では、日食観察グラスなどのアイテムを持った人は皆無でした。
日食があることが報道されても、日食を直接見ることが危険とは一言も触れられなかったのでしょう。

そのため携帯だのデジカメだのでの撮影はもちろん、肉眼どころか双眼鏡持参で現れた人たちもけっこういました。
もし、雲が出ていなかったら、かなりの人が眼をやられていたのではないでしょうか。
日食を邪魔した憎き雲ですが、みんなの眼を守ったのですから許してあげようと思ったのでした。
【M8/Macro Switar 75mmF1.9 F8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kern Macro Switar75mmF1.9 | trackback(0) | comment(10) | 2009/08/05 Wed

塔宮的打工

M8/Macro Switar 75mmF1.9
丹巴を朝早くに出発し、次の目的地、康定を目指します。
百数十キロ、バスで3時間ほどの行程ですが、前日の思わぬ展開から1日がかりの行程へと変更になってしまいました。

一度利用した面的(メンディ。軽ワンボックスのタクシー)の運転手が、こんな話を持ちかけてきました。
 丹巴から康定までふたつのルートがある。
 ひとつはバスルートで、これは近いがあまり面白くない道だ。
 もうひとつのルートが素晴らしい。
 途中、温泉があり、美しい雪山と草原があって、ヤクや馬が草を食んでいる。
 美しい風景の連続に目を瞠るだろう。
 時間は倍の6時間かかり、普通700元かかるルートなのだが、ふたりの娘を康定の大学に送り   届けなくてはいけないので、400元に大幅値引きしよう。…

300元のディスカウントはさほど魅力的ではありません。
普通にバスで行けば30元程度のはずです。
しかし、女子大生とドライブで温泉にも浸かれ、ちょっとかわったルートで、しかも通常より300元安いと言うと様子は変わります。

ただ、この親父はどうも胡散臭いのが気になります。
美人谷に行く時も、あそこの連中は普通話ができないから苦労するぞ、あんなとこへ行くならオレの家に泊れ、と大ボラ吹いて言うこと聞いてくれません。
着いたら追加料金寄こせとかもめそうな雰囲気もぷんぷんしていますが、まあ愛娘の前であまり阿漕なこともしないでしょう。
人助けだと思って仕方ないなあくらいの芝居をうって、了解しました。
きっと、満足させるからな、ガハハーと独特の豪快笑いを残して、面的は去っていきました。

ガハハーの親父とふたりの女子大生を乗せた面的は、約束の時間よりも早くわたしを待っていました。
しかし、どうも様子が変で、あいさつに出てきたのは、その3人に加え、弟、その妻、その息子、妻の母親といて、わたしを加えると8人の大人数です。
寿司詰めで賑やかな軽ワンボックスの面的。
すっかり女子大生とのドライブの期待は砕かれました。
出発前から早くも出し抜かれた気分です。

出発後も、事前説明とかなり違う展開にいらいらさせられます。
景勝地は走る車の中から眺めるだけ。
温泉に期待して短パンを用意していましたが、これも道端にちょろちょろと湯が沸いている程度のもので浸かってくつろぐことはできません。
みんなに倣って湯で顔を洗って潤すのみです。
ヤクが群れる草原では写真を撮りたいから停まってくれと頼みましたが、やつらは噛みつくので危険だ、車の中から撮れと相手にしてくれません(ほんとか?)。

運転席の親父と助手席のわたしの間には険悪な空気が流れていたかも知れません。
しかし親父と狭苦しい後部座席で会話が盛り上がり、車内は家族旅行の雰囲気そのものです。
わたしは、話が違うじゃないか、何が満足させるだ、と文句のひとつも言いたい気分ですが、この雰囲気をぶち壊す勇気まではありません。
何か言ってはガハハーと笑っているのを苦々しく眺めるだけです。

それでも、昼頃になって塔宮の町に着いて、塔宮寺の見学と昼食に一心地つきます。
いや、この塔宮も中国語読みターコンから、美人谷の美女が打工(アルバイトの意味で、これもターコンと似たような発音をする)しているところと勘違いしていて、自分の語学力の問題とは言え失望させられたのでした。

塔宮は、かなり標高の高い位置にあるのでしょうか。
空気がたいへん乾燥していて、視界が蜃気楼のようにざわつき、夢の中にいるような感覚です。
写真も、意識したつもりはないのですが、かなりアンダーになったのがまた不思議です。

レンズは、Zunow35/1.7 、Super Rokkor 50/1.8 、に続く Macro Switar 75/1.9 です。
7、8、9トリオは、わたしにとって最強の下位打線です。
特にこの Macro Switar 75/1.9 は空気感を映し出すのが得意ですので、このような場面で力を発揮してくれます。

昼食は、さすがに御馳走してもらいましたし、この地で食べたヤクのヨーグルトは美味でした。
しかし、その後の道のりも満足というには程遠く、何かわざわざ遠回りしたというだけのように、ようやく夕方になって康定の町に着いた時には疲れがどっと噴き出してくるような状態です。
いや、やっとひとりになれると安心したというべきかも知れないですが。

どうだ楽しかっただろう、ガハハーと言い残して、親父はわたしを安宿の前に降ろして立ち去っていきました。
娘たちを町はずれの大学に連れて行くためです。
言い忘れていましたが、その女子大生たちは、ふたりがふたりともなかなかの美人でした。
【M8/Macro Switar 75mmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kern Macro Switar75mmF1.9 | trackback(0) | comment(8) | 2009/08/04 Tue

還一個問題

M8/Super Rokkor 5cmF1.8
宿泊禁止令が解かれていてようやく泊まれた丹巴の宿は、丹巴の町のいちばんはずれでその町に向き合うように経っています。
5階建ての同じような建物が4棟並んでいて、わたしの滞在した宿の他はふつうのアパートのようでした。
建物の背後が急峻な山というか崖になっていて、わたしの泊まった部屋は窓を開けるとすぐ手に届く位置に岩が迫っていました。
大雨で宿泊禁止にした理由が分かるような気がします。
圧迫感いっぱいの一夜でした。

1階は、雑貨屋や食堂が並んでいます。
宿の隣にあった店の娘が、もしや美人谷出身ではと思わせる美少女でした(東北の盟友のためにこの子の写真を出す予定でしたが、中学生だとまたおばさんあつかいの可能性があるので、今日はやめておきます)。
話を聞くと、地元のチベット族ではなく、仕事を求めて成都から一家でやって来た漢族だといいます。
いま、中学校に通っているが、ほとんどがチベット族の丹巴の学校では、なかなか友達もできず少しさ
びしい思いをしているとのだとか。
ウルムチでは政策的にウィグル人の土地に漢族を移住させて民族浄化を図っていると言われていますが、まったく違う意味で異民族の地にやって来て、辛酸を舐めているといっては言いすぎかも知りませんが、それなりの苦労を強いられている漢族の人たちも少なからずいるようでした。

事情あって明日丹巴を経つことになっていたので、世話になった宿の一家を御馳走することにしていました。
せっかくなので、雑貨屋の美少女にも声をかけたかったのですが、雰囲気をみれば宿の主人たちと雑貨屋の一家の仲がいいものとは言えないことが明白だったので、へんに摩擦を起こすようなことは控えるべきと、誘うことを断念せざるを得ませんでした。

丹巴はチベット人の町ですが、四川省に属していて、町中の人は日常会話でも四川語が使うなど、ラサなどのチベット自治州の町とは状況が異なるようでした。
表記されるチベット文字はまったく共通ですが、話し言葉は丹巴とラサではまったく違っていて、互いに通じないといいます。
民族は同じですが、エリアによって、環境によって、考え方はひとつになっていないのです。

もちろん丹巴にも、観光開発によって漢族が大挙してやって来て、我々のアイデンティティが脅かされるのではと危機感をもっているでしょうし、あるいはラサその他で頻発する同胞に対する政府の弾圧への怒りがくすぶったりということもあるでしょう。
しかし、一方でようやく観光客もだいぶ訪れるようになってきて、経済的な実入りもそこそこ出てくれば、泥沼のような民族問題に翻弄されるくらいなら現状でいてくれた方がいいと、少なくとも観光関連に携わっている多くのチベット人が考えているでしょう。

わずか数日の滞在で判断するのは早計かも知れませんが、ここではチベット人と漢族の対立というのはまったくないように見えました。
ですが、やはり観光で金を落として帰る漢族と、金を求めて働きにやって来る漢族では、チベット人の目にもまったく別に写っているのでしょうか。

おとなしい漢族の一家は、この土地に来て4年になるというのに、毎日顔を合わせている隣人と親しくなることができません。
壁1枚隔てているだけなのに、その壁は一生かかってもがいても取り除けない厚みをもって、一家を隔離しているかのようです。
チベットエリアの一角ですから、どうしてもこのようなことを考えさせられる場面がありました。
中国の辺境を歩いていると、どうしても避けて通れない問題かも知れません。


写真は、丹巴の山合いの道です。
何だか小腸のようにも地上絵のようにも見える不思議さを含んでいます。
河に沿って並ぶ民家が多いのにもかかわらず、多くの伝統的な家はこのように山腹に建ってるのも不思議な感覚です。

なぜこんな所に彼らは家を建てたのか、そんなところから理解を重ねていくことが、ひいてはチベットの問題とされるものを理解する糸口になるような気がします。
曲がってはいても1本の道だということもできます。
【M8/Super Rokkor 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Minolta Super Rokkor 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(5) | 2009/08/03 Mon

中路見聞

M8/Super Rokkor 5cmF1.8
前日の美人谷への山登りはそうとうにこたえていたようで、股関節から足首まで経験したことがないような筋肉痛になっていました。
ふもとの公路までの下り坂は踏ん張りが利かず、かえって高速で降り切ることができましたが、これが原因で筋肉痛は翌日さらにひどい状態となって、自分の足ではなくなってしまったような感覚です。

公路に着くとほどなくパスがやって来たので、手を大きく広げて乗車意志を示します。
さいわい、1つだけ空いている席があって、丹巴の町へはあっさりと戻ってくることができました。

初日の宿に着いてみると、何事もなかったかのように営業しています。
宿泊禁止令は1日で解除され、昨日からは普通の生活に戻ったのことでした。
何年もここでホテルをやっているが、がけ崩れなんて1度だってないし、去年の四川大地震の時も少し揺れたけどもちろん影響はなかった、いまさら宿泊禁止と言われてもねえと憤慨しています。

おととい着いたときと同じように食堂で雑醤麺を食べていると、ラマ(チベット僧)から声をかけられました。
テーブルに置いたM8が気になったようで、ダライラマはライツ社からライカを寄贈されるなどライカ使いだと聞いたことがあるので、あるいはその関連で話しかけてきたのかも知れません。

話しは自然とダライラマのことにも及びました。
小さな声で話さざるを得ませんでしたが、ダライラマは世界中で尊敬されていて日本など仏教国はもちろん欧米にも赴いて平和のための講演活動をしている、いっぽうで某国首相の温なにがし氏は自国の経済力を盾にやはり欧米で講演したが靴を投げつけられる始末…。
やはりラマにとって、外国でどのように伝えられているかは関心事のようで、ダライラマに関する事情は熱心に聞き入っていました。
そのラマからは、チベット経典の本と機会があれば寄るようにと彼が勤める仏教学院の住所をいただきました。

いつの間にか話にくわわっていた宿の家族からは、近くにも仏教寺院があるから行ってみませんかと勧められました。
次の町をめざして立ち去ったラマを見送ったあと、宿と食堂を閉めてみんなで中路という村にある寺院に出掛けました。
なんだかピクニック感覚です。

上の写真に娘といっしょに写っているのが食堂のおばちゃんですが、実はこの中路出身だそうで案内をかって出てくれます。
寺院の中庭にはやかんが写っていますが、これは下に見えているアンテナ状の鉄板から太陽光を集めて中身を熱するもので、沸騰まではしないと思われますがじゅうぶん実用的なこの地方によく見られるエコアイテム(?)です。

路上に村人が集まって酒をまわし飲みしているところに出くわします。
2本から来たのかと、駆けつけ一気の手荒い歓迎を受けます。
重慶産の白酒はアルコール60度となっていて、ゆっくり飲んでいきなさいという甘い誘いを断るのに十分な理由となりました。

次いで、おばちゃんたちにこの草を触ってごらんと言われるままになでなでしていると、突然指先に激痛が走りました。
草かげに毒蛇かサソリでもいたのではという痛みで、悲鳴を上げてしまいましたが、おばちゃんたちは
平然と笑っています。
ホーマー(?)という名のこのあたりでは一般的な植物だそうで、刺すと痛いけどそれを中和する植物というのがまたあって、近くに生えていた草をごしごし擦っているとじきに治るということでした。
おかげで、白酒の酔いはいっぱつで覚めてしまいました。

高台のがけのはずれまで歩くと、おばちゃんが少し神妙になって古い話だけどと語り始めます。
このがけは、昔、死者を弔ったところで、ここに死体を置いておくと鳥や動物がやって来て、きれいにしてくれたんだよ。
それは鳥葬ですか?
よく知っているね、わたしが生まれるちょっと前にはなくなった習慣だけど、ほらあの板がかつての塚のように残っているでしょう、神聖な場所だから村人は今も当時のままに残しているのさ。
…。

重たい空気を引きずるように、中路の村の方に戻って行きました。
鳥葬跡を見てから憑かれたように、誰も口をきかなくなってしまいました。
途中、白黒ぶちが可愛いウシが繋がれていたので、あれはパンダですかと大真面目な顔で聞いたら親子におお受けで、それをきっかけにまたもとの和やかな雰囲気が戻りました。

中路には、碉楼と呼ばれる塔が多く、一望に見られるスポットもありました。
しかし、ホーマーによる指の痛みと痺れは、どうしたことか中和されることはなく、夕暮れの美しい風景を写真に収めることができませんでした。
【M8/Super Rokkor 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Minolta Super Rokkor 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(4) | 2009/08/02 Sun
| home | next