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4枚玉?

R-D1/Hugo Meyer Trioplan 10.5cmF2.8
栃木駅から20分くらい歩くでしょうか、散策コースのはずれに、岡田記念館という代官屋敷があります。
実は、去年すでに訪れていたのですが、ここには別館のような形で扇島という建物があり、こちらは別荘風で風情いっぱいです。
今回は、こちらのみ拝観してみました。

庭のすぐ脇に巴波川が流れていて、かつてはここから舟に乗り利根川まで出て大きな舟に乗り換えるというかたちで、物の取り引きがされていたそうです。
栃木という内陸部にあってこれは重要なことで、商業が栄えた一因ですし、岡田邸にあっては建築材の取り寄せに大活躍しました。
例えば、2階の杉の一枚板は今の価値で一億円はしますし、細部をとっても全国各地の入手困難な材料がふんだんに使われています。

と、以上は右側で箒を持っている家主の女性に教えていただきました。
話は懇切丁寧で、当時の大工が補修のときに既製品を使われないよう特殊なサイズで作ったなどのエピソードも混じっておもしろく、メモを取れなかったことが悔やまれました。
古建築はすばらいかったですが、何よりこの女性の話が印象に残りました。

窓ガラスも当時のものだそうで、不純物が混じって平面にもなっていない手作りの味わいあるものでした。
では、その窓越しに女性を失礼させていただきます。
ブレたのもあって、前々週の Switar や Kinematograph のような写りになってしまいました。
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thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Meyer Trioplan 10.5cmF2.8 | trackback(0) | comment(0) | 2008/10/31 Fri

往后面走

R-D1/Hugo Meyer Trioplan 10.5cmF2.8
予想していたこととはいえ、105mmレンズでのスナップは苦戦の連続です。
R-D1ですと150mmくらいになってしまいますので、考えてみれば、ksmt さんでもこのくらいの焦点距離はあまり使っていなかったですね。
少し力が入りすぎました。

まずファインダーに105mmなんてフレームが存在しません。
いちばん近いものでも、50mmですから、これをもとに、だいたいここからこの辺まで入ると言うのをざっと覚えて、あとは細かいフレーミングを無視することで、レンジファインダーらしい撮影法が確立されました。
この日は好天でしたので、F2.8は安心できる明るさですが、調子にのって日影でも雑にシャッターを切るとわずかに手ブレしたものもありました。
この辺の注意と言うのは、慣れないとつい忘れがちです。

そんな感じで、初心者らしい謙虚さももって、撮り歩いていきます。
すぐ気付いたのは、撮りたいものがあれば通常は近寄るものですが、この画角ではすぐ遠ざかる必要がありました。
それに歴史的建物なども取り込もうと思うと、遠ざかるだけではダメで、縦位置にしないと収まらなくなります。
やはり、栃木では多くが縦位置の写真になってしまいました。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Meyer Trioplan 10.5cmF2.8 | trackback(0) | comment(6) | 2008/10/30 Thu

対先進的賛詞

R-D1/Hugo Meyer Trioplan 10.5cmF2.8
歴史的レンズの蒐集家であり、そのレンズをマウント改造してデジタル一眼レフで使用する名人 ksmt さんが、最近すっかり様変わりしてしまっています。
コンパクトデジタルカメラを改造するのは、いつもながらの神業ですが、そこに小さなDマウントレンズを付けて楽しんでおられるのです。
メインはあくまで一眼レフ、片手までコンデジというスタイルかなと思っていたのですが、もうしばらくコンデジ一筋のように見えます。
5Dに真鍮の100mmF2なんてレンズの組み合わせはたいへんな重さになるので、体力的にきついはずです。
高橋尚子ではないですが、事実上の引退宣言かもしれません。

ふだんよくして下さっている周囲の方はほとんどレンジファインダー派で、多くは50mmくらいの画角の改造レンズなんかを愛用しています。
そんな中にあって、一眼レフ一筋で、ヘビー級レンズを何本も持ち歩く ksmt さんは、男気の強い人だとそれだけでも尊敬に値していたのです。

まあ、引退は冗談ですが、今後の動向を静かに見守ろうと思う次第です。

重いレンズと言うこと以上に脅威だったのは、短くて75mm、平均で90mm、100mmなどの望遠レンズをぶんぶん振り回してスナップを決めていることです。
レンジファインダーですと制約があるということもあって、50mmより長いレンズはなかなか使えません。
そこで、今回意を決して、105mmという長いレンズをあえて使って、栃木を歩いてみようと考えたのでした。

ですから、これは ksmt さんへのオマージュです。
当然、同じように撮ることは叶いませんでしたが、なかなか楽しい経験であったことは、あらかじめ報告させていただきます。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Meyer Trioplan 10.5cmF2.8 | trackback(0) | comment(6) | 2008/10/29 Wed

到蔵的城市去

R-D1/Hugo Meyer Trioplan 10.5cmF2.8
一週間遅れになりますが、先週の日曜日栃木に行ってきました。
小山に用事があって車で出掛け、せっかくここまで来たのだからと隣町の栃木まで出て、駅前に車を停めて2時間散策したというわけです。
栃木には去年も来ています。
その時は出張ついでで、わずか1時間の滞在。
1年前の記憶を辿りつつ、行けなかったところまで足を伸ばしながらの、短い短い2時間を楽しみました。

佐原、川越とここ栃木が、関東の三大歴史的町並みと言われるようで、その前の週に出かけたばかりの佐原と比較してしまいます。
町の大きさや古い屋号の老舗が商売を続けているところなどよく似ています。
巴波川が町中を貫いていて、かつてはその水運で商業が栄えたというところもそっくり。

ただ、栃木は古い建物がやや分散している印象で、佐原の密集具合と比較するとやや散漫にも思えます。
しかし、とてもいい町です。
まずは、屋根が自然に回帰しつつある不思議なお店から失礼させていただきました。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Meyer Trioplan 10.5cmF2.8 | trackback(0) | comment(8) | 2008/10/28 Tue

平局再比賽

R-D1/Dallmeyer Kinematograph 2inF1.9
2本のお借りモノレンズによる、不毛の対決シリーズはいよいよ本物の最終回です。
前夜、Apo-Rodagon は、ネタ切れから凡庸な1枚を大将に送り込んできたので、ここで Kinematograph は楽勝の逆転勝利確実だったでしょう。
が、しかし、ネタ切れにはネタ切れで答えるというフェアプレイ精神を発揮して、この勝負を引き分け出来レースに強引に持っていったのでした。

今回、偶然にもお祭の日に佐原を訪れることになったのですが、これがたいへんに楽しめました。
法被姿の老若男女から見物客までみんな自然に楽しんでいて、自分もそれに加わっているような錯覚がありました。
あとは、写真ですね。
せっかくのチャンスですから、もう少し雰囲気を伝えられるようなものをものしたいところです。
せっかく良いレンズを持ってきているのですから。

貴重なレンズを快くお貸しいただいた両氏には、この場で篤くお礼申し上げます。
C氏には、佐原のみならず、自作のマウント改造高性能レンズを毎度見せていただいていますし、レンズ業界ではすでに国内はもとより今や世界レベルでの有名人になりつつある方です。
G氏は、この業界での紅一点にして優しさに溢れる方で、一方ではわたしのデートのお誘いなど星野監督のように固辞される、意思のたいへん強い方でもあります。
おふたりの今後のご活躍を心よりお祈りしています(つまり、また貸していただきたいなあ、ということです…)。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dallmeyer Kinematograph 2inF1.9 | trackback(0) | comment(8) | 2008/10/27 Mon

障碍物

R-D1/Rodenstock Apo-Rodagon 50mm F2.8
ファイナル・ピリオドの闘いです。
しかし、ご覧のとおり Apo-Rodagon はすでにネタが尽きていました。
山車は向こう側からやってきて、橋を渡り、折り返すように向こう側へ行ってしまいます。
その最も困難なシーンを記録するような写真です。
誰の顔も写りこんでおらず、動きも感じられず、アンダーなパッとしない1枚になってしまいました。

質感描写などこのレンズならではのすばらしさを見出すことは不可能とは言えませんが、ここへ来てネタ切れではローデンシュトック社からクレームがついても仕方ないでしょう。
そもそもが企画倒れの対決でした。
Kinematograph の方は最初からお借りして持ち出させていただいていましたが、こちらの Apo-Rodagon は現場で急遽お借りしたということで、当然ですが対決させるという意思は毛頭なく、ただ、あまりにも撮影結果が対極になるこの2つの名玉を交互にアップさせれば、写真のアラが消せるのではと安易な発想がまずかったです。
お貸しくださったふたりにはもちろん、ご覧いただいた皆様にもこの場を借りて(なんだか借りてばかりですね)お詫びしておきます(こういう表現になるのは、明日が最終回だからなのですが)。
やはり、傾向の似ているレンズ、共通点のあるレンズを、同条件で比較するのが本道です。
早くも反省。

さて、写真に少し戻ると、この山車高さがあって電線をくぐるときに通り抜けるための意表をつく工夫があります。
同様の祭があることで知られる川越や栃木は、この点を確認しましたが、このふたつの古い街はすでに電線は地中に埋まっていて障害物はないようでした。
佐原だってそうしたいのですが、観光客がけっこう往来するようになって、なかなか大工事には踏み切れなくなってしまったのだろうと推測しています。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Rodenstock Apo-Rodagon 50mmF2.8 | trackback(0) | comment(4) | 2008/10/26 Sun

在尽頭休息

R-D1/Dallmeyer Kinematograph 2inF1.9
時間帯が遅くなるにつれ、Kinematograph に逆転のチャンスが巡ってきます。
しかも、Apo-Rodagon の得意技たる立体感で真っ向勝負です。
護岸から、柵、法被の人物、歩く人物、塀、門、山車、後の建物と位置関係が一目瞭然に見て取れます。
中央の解像度もけっこう高いです。

肝心の山車が流れていますが、これだけの描写であれば、目を瞑ってもよいのではないでしょうか。


これだけの使って愉しく、しかし希少なレンズですが、理解ある友人がいるおかげで借りることができ感謝です。
いえ、実は、お貸しくださったのは友人ではなく、それどころか初めて電話で話しをしたばかりの面識もない方です。
いえいえ、面識はないですが、厳密に言えばまったく知らない存在ではなく、恐らくはお互いを少しは意識してはいました。
そして、その方は、実は女性なのです。
貴州では、少数民族の少女と出会いながら、何事もなく旅を終えています。
Kinematograph をお貸しくださった未だ見ぬ女性とは、今後どのように展開していくのでしょうか。
心臓の高まりを抑えることはできそうにありません。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dallmeyer Kinematograph 2inF1.9 | trackback(0) | comment(3) | 2008/10/25 Sat

向后面進去

R-D1/Rodenstock Apo-Rodagon 50mm F2.8
戦いは終盤の第三クォーターへ入りました。
Apo-Rodagon は、ここへ来て一気に距離を詰め、群集の中に突入していきました。
このごちゃごちゃした密集で、威力を発揮させる作戦でしょうか。
おーっと、予想通り、ひとりひとりの重なりがしっかり分かる立体画像が目を引きます。
色の出方もこのレンズの特徴が余す所なく出ているのではないでしょうか。

確かに素晴らしいのですが、なぜか、祭の熱気を伝える写りというのとは違うような気がします。
山車の引き手たちが今度は、互いに背を寄せ合って山車を押すという面白い場面で、周囲は盛り上がりを見せているところです。
それを熱い目で見つめるというよりは、覚めた目で客観的に眺めているような絵のように感じるのです。
報道するものの視線なのでしょうか。

完璧な描写故の、情緒をすべて取り除いてしまったような写り。
実は、この感想こそが、対極にある Dallmeyer Kinematograph と日ごと交互に入れ替える手法を思いつかせたものです。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Rodenstock Apo-Rodagon 50mmF2.8 | trackback(0) | comment(0) | 2008/10/24 Fri

二重焦点

R-D1/Dallmeyer Kinematograph 2inF1.9
Apo-rodagon の失策から Kinematograph に大きなチャンスが巡って来ました。
ここで、美しい写真が提示できれば、この対決、リードを奪うチャンスです。
ああ、しかし、ここで登場したのは、前日をも凌ぐ失敗作。
みすみす勝機を逸したのでした。

ピントは山車の手前あたりの若い衆たちに合わせようとしていますが、かなり前ピンで中央の柵に合ってしまっています。
しかし、よく見ると、手前左の柵やその上の柳の葉にもピントが来ています。
これはどういうことでしょうか。

ズミルックス35/1.4など限界に近い明るい設計のレンズでは、こういう現象がまれにあるようです。
まったくの素人推測になりますが、イメージサークルが16mmシネ用に設計されているため、像面歪曲がサークル外で極端に大きくなって、ずっと手前にもピントがくる現象なのではないかとずっと思っていました。
1m以内と10メートルほどのところが同時にピントが合うのは、かなり不自然なことではありますが。

陳腐な推測にあきれられたことと思いますが、ぜひ正しい見解をご指南ください。


今日は、佐原で日本最古と言われる油屋さんを紹介することにしましょう。
有名なじゃーじゃー橋からもほど近い油茂製油は、創業350年になんなんとする超老舗です。
ここの名物が、ごま油から作ったラー油です。
ごま油独特の風味のよさとラー油の辛さがひとつになった一品で、辛モノ好きには食卓に欠かせない調味料のひとつになること間違いありません。
古式搾油法にこだわって製造されているそうで、風味の好さは日本の伝統と結びついていることが分かります。

この製油や味噌・醤油、つくり酒屋など、佐原の水運の発達から生まれた産業が今でも現役でがんばっているのを知るのは楽しいことです。
これらがすべて滅んでしまっては、映画のセットのような中身のない町になってしまいます。
今ある佐原の活気も当時の町並みがそのまま残っていることと、古い産業がそのままに残って下から支えているということがあると信じます。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dallmeyer Kinematograph 2inF1.9 | trackback(0) | comment(10) | 2008/10/23 Thu

白頂

R-D1/Rodenstock Apo-Rodagon 50mm F2.8
お借りした2本の対極レンズ対決は、第2ラウンドに入りました。
アポロだゴンこと Apo-Rodagon は、使用時間が短かったというハンディがあったことをお伝えしておかねばなりません。
しかもその短時間は、肝心の時間帯に情報錯そうから佐原を離れてふらふらしていた時で、絶対枚数でも佐原での枚数でも圧倒的に少なかったため、しょぼい写真が続くことをレンズ提供者にお詫びしなくてはなりません。

ビール片手の美女に惹かれましたが、残念ながらこの近距離では肖像権問題に抵触してしまいますので、その白いうなじで勘弁してください。
この近距離にも関わらず背景のボケ方を見ると、どうも開放ではないようです。
これは大きなミスです。
その分美しい描写が際立っていますが、ピントの甘さも浮き彫りになってしまっています。

その失態を覆い隠すべく、突然ですが、とっておき佐原情報をお知らせしましょう。
といっても、この情報もレンズ提供者たるC氏からの受け売りなのですが、佐原に最高に旨いレストランがありました。
「トランキュルよしや」というフランス料理ですが、店は1900年に建てられた町屋建築を改装したもので、佐原に来たという日本情緒のままに一流のフランス料理を愉しむことができます。
オーナー・シェフは、パリでも有名な1羽ごとにシリアル番号を付けてくれることで知られるあの店で修行した実力者ということでしたので、ああなるほど全品が美味しかったのも納得です。

わたしはフランスに行ったことはありますが、彼の地で美味しいものを食べたという記憶はありません。
まあまあ好かったかな、というレベルとまりです。
よい店を知らなかったということが原因ですが、やはりパリではドレスコードがあるような店でないと、ほんものの美味にはなかなか出会えないように感じます。
混んでいる店に飛び込んだり、宿の兄さんに聞いたりで試したところは、まあまあではありましたが、これは旨いというところまでいきません。
意外でしたが、これがパリでの旅行者が味わうフランス料理の実態ではないでしょうか。

その意味で、フランス人が来日したら、ここ「トランキュルよしや」にお連れして感想を聞いてみたいですね。
ユーロの為替レートの関係もありますが、この値段でこの味を楽しめるレストランは、パリには存在しないのではと思うからです。

すごく宣伝めいたことを書きましたが、このブログでどれだけ書きたてても宣伝効果がまったくないことは確かです。
ただ、写真やレンズを趣味とされる方なら、佐原を訪れたいという向きは多いはずで、お昼はどうしようと悩んだとしたら、この店のことを思い出していただければと思います。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Rodenstock Apo-Rodagon 50mmF2.8 | trackback(0) | comment(4) | 2008/10/22 Wed

藍色対紅色

R-D1/Dallmeyer Kinematograph 2inF1.9
訪れた佐原はとんでもない晴天で、これは困ったことになったと思いました。
R-D1ユーザーの最大の悩みである、明るいレンズが開放で使えなくなるという問題に直面したからです。
通常NDフィルターの使用など対処して実践に立ち向かいますが、お借りしたレンズにはフィットするフィルターがありません。
こんなケースでは2つの対処法があります。
F2.8程度の最小限絞るか、オーバー覚悟で開放のまま撮り続けるかです。

わたしは迷わず後者。
どこかしらが日影であれば、露出は合うでしょうし、真っ白な写真でも何かは写っているので、それはそれで構わないというスタンスです。
かなりの無駄なカットが生まれたのは事実ですが、逆にユニークな作例を作り出すこともあります。
画面の3分の1程度が恐ろしくシャープで、他はどーんと崩れ、ハイライト部分はストーンと落ち、周辺近くの流れが独特の動きを生み出す。
ずばりはまれば、レンズの名称そのままの映画のシーンのような面白い絵が出来上がると言う寸法です。

さすが、Dallmeyer の名玉。
16mmシネ用のはずですが、Kinematograph な結果を存分に発揮して、Apo-Rodagon にヒケをとらない第一ラウンドでした。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Dallmeyer Kinematograph 2inF1.9 | trackback(0) | comment(8) | 2008/10/21 Tue

小蘇伊士運河

R-D1/Rodenstock Apo-Rodagon 50mm F2.8
1週間遅れになってしまいますが、3連休中日の日曜日、佐原を散策してきました。
偶然にも、ふたりの方からそれぞれ貴重なレンズをお借りする機会に恵まれましたので、佐原で試させていただいたのです。
おふたりは、まったく性格の異なる違うタイプの方なのですが、そのレンズもオーナーの性格を反映してか、写りがまったくの正反対で、これを同日に初見で試せたのが、思わぬ楽しい体験になりました。
若干、時系列的には前後が出てしまいますが、このふたつのレンズの作例を交互に出して比較と言うか対決と言うか、そんな遊びをこころみてみようと思います。

同行したメンバーは、佐原を準ホームグラウンドとする、レンズの猛者たちでしたが、佐原郊外にはあまり出たことがないからということで、水郷の潮来方面まで、舟をチャーターしました。
チャーターと言っても、シーズンオフのため安くするから乗っといでと、船頭のお母さんにそそのかされた程度のものです。
せっかく安く乗った舟でしたが、潮来に着くと佐原に戻る電車が目の前で発車してしまい、タクシーで帰るはめになって、かえって高くついてしまいます。
このあたり、わたしの中国旅の影響が出てしまったかもしれません。

ただ、この舟の旅が面白いのです。
通常、途中で折り返して元の船着場に戻るのですが、潮来まで出るということで、水門をひとつ越えます。
水門に入ってから門を閉ざして増水し、次に進むと言う運河のような体験を楽しめました。
プチ・スエズ運河体験ですね。


さて、このアポ・ロダゴンの描写はどうでしょうか。
解像力の高さ、ピタッと浮かぶ立体感、透き通る発色、これらすべてが共存した驚くべきレンズです。
左側に種類の異なる草木が何種類も並んでいますが、それらも性格の違いを描き分けるように、もうひとつの遠近法として表現しているかのようです。
描写には非の打ちどころがないのですが、あえて不平を言うと絞りリングが動きやすく、いちいち開放かどうかを確認しないといけないのが面倒でした。

こんなレンズを先に出してしまうと、もう1本のレンズは大苦戦間違いなしでしょう。
1回のウラの攻撃やいかに。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Rodenstock Apo-Rodagon 50mmF2.8 | trackback(0) | comment(4) | 2008/10/20 Mon

黔東南~⑮看梯田

R-D1/SankyoKoki W-Komura 35mmF2.8
侗族の村を出たところで今回の旅は終わりです。
本当は、从江から乗った帰路のバスでとなりの女性から誘われて闘牛を見たのが最後なのですが、帰国後のトラブルで、それは最初に書いてしまいました。

しかし、棚田の様子をちらっとしか触れていなかったことを思い出しましたので、貴州の旅の最終回と言うことで途中見かけた美しい景観を紹介します。
この時期はまだ刈り入れの直前だったため、色彩的な変化には乏しくもっぱら幾何学的な形状を楽しむ感じです。
これが田植え前の水がはられた状態だと、かなり違った印象になるはずですし、ほんとうは四季折々の変化を楽しめれば最高です。

やはり、ある程度見下ろす角度の方が美しいですが、道路上からではなかなかうまい具合に見えるところは通りません。
それでも車窓の実に6割くらいはずっと棚田の風景で、これは変化にも富んでいるため、見ていて飽きることがありません。

それに、これだけの棚田を開墾していくには相当な時間と労力がかかっているはずで、そんなことを考えていると、お世話になった呉さん一族の先祖が山を切り開いて泉の水が流れ込むように鍬で土を掘り起こしている様子が目に浮かびます。
懐かしくも美しい、そんな風景を食い入るように見続けました。


今回の旅の様子は、特に変化が少なかったこともあって、細大漏らさず書いたつもりです。
まず写真を選び、毎日の更新ごとにその写真を見ながら旅のことを思い出して即興的に書いた文章なので、どうも写真同様に稚拙さが目立ちます。
それに、そもそもが目的も成果もないような地味な旅は、当事者はまだしも、はたから見れば多くが無意味なものに思えたはずです。
にも関わらず、全般に好意的なコメントを多数いただいたことは、それ自体が嬉しいですし、ひいては貴州の少数民族が肯定的な関心を持って受け入れていただいたように感じて、あつかましくも彼らに代わってお礼を言いたい気持ちになります。
このことを書くのは何回目になるのか忘れましたが、そう、ありがとうは言わないお約束になっています。
ご容赦いただけますたでしょうか。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
SankyoKoki W-Komura 35mmF2.8 | trackback(0) | comment(7) | 2008/10/19 Sun

黔東南~⑭他告訴

R-D1/Kern Switar 50mmF1.4
なんにもすることなく、滞在時間が過ぎ去りました。
今日、この村を発ちます。
部屋に戻ってパッキングしますが、旅の間に増えた荷物は途中譲っていただいた侗族の服だけですから、簡単に準備は終わります。
むしろ、写真を何枚か撮った分SDカードの残量が減っていたので、旅の間の荷物は増減ゼロというところでしょうか。

スーツケースを提げて階下に降りると、庭で談笑していた家族のみんながこっちを見ますが、遠巻きに見るだけで何も言いません。
こちらから切り出すより仕方ありません。
お世話になりましたが、今日、帰らなくてはなりません。皆さんありがとう。
それでも、誰からも言葉はなし。
そうでした、彼らには、ありがとう、さよなら、という言葉はなかったのでした。

家の主人である医師の呉先生のもとに行き、別れを告げ、宿代の支払いをしようとしますが、彼は、不要、と答えます。
部屋だけでなく、食事もいっぱい出してもらい、ガイドもしてもらいました。少しですが受け取ってください。
不用、不用(中国語では、このケースでは「不要」ではなく「不用」が正しい)。
そんなこと言わずに。では、このお金を紅輝たち子供の教育費の一部にあててください。
わかった。では受け取りましょう。

彼らは遠慮して要らないと言ったのではないと思います。
旅の人を泊めてあげて、食事を振舞うのは当然のこと。
恐らくそれが彼らの伝統的習慣なのでしょう。
では、旅人がすべき当然のこととはなんでしょうか。
わたしには分かりませんでした。

村から从江の町まではバイクに乗せてもらって帰るつもりでしたが、何と誰も運転できないといいます。
置いてあるバイクは、いま出稼ぎに出ている男たちのもので、バイクはあっても運転手がいません。
困りました。
さすがにガイドブックにならって徒歩とか舟とか言っていては、今日のうちに凱里に戻ることは不可能です。
思い出しました。
タクシー運転手の彭クンが困ったときは電話をくれと言っていたではないか。
さっそく電話を借りるとふたつ返事で来てくれるといいます。
いや、彼が困ったときは電話くれと言ったのは人助けではなく、帰りの足に自分を呼んで欲しいと考えていただけかとも思いなおしましたが。

さて、タクシーが来るまで、1時間待たなくてはいけません。
そこへ、目を疑うような人物が歩いてきました。
麻生太郎です。
キセルをくわえて口のはしが上に持ち上がっているところまでがそっくりです。
これは、写真を撮らせてもらわないと。
お願いして、1枚ポーズをとってもらいました。
あれ、今こうしてみると、さほど似てないですか。

まあいいです。
この時ふと、思い立ったことがあります。
そうだ、家族みんなの写真を撮ろう、それに手紙を添えて送ってあげよう。
古典的手法ですが、その時思いついた旅人がすべきこととは、その恩を返す手段をその人なりに考えることだと思いました。
写真を送ることが恩を返すことではなく、恩を忘れず礼を尽くすことで、手紙を書き、彼らのことに関心ある人に紹介し、いつまでも忘れない。
それで好いのではないか、そんな風に考えてみました。

その意思を伝えると、みんな喜んでくれたようです。
すぐにも撮りたかったのですが、普段着から民族衣装に着替える人あり、化粧する人あり、弟を探してくると消える人あり、で大騒ぎになり、ちょうど何枚かの写真の撮影が終わる頃、タクシーの警笛が聞こえてきました。
いよいよ、この家族と村ともお別れです。

もう言うまでもありませんが、今度も彼らには、さよならは言いませんでした。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kern Switar 50mmF1.4 | trackback(0) | comment(7) | 2008/10/18 Sat

黔東南~⑬地与時

R-D1/Kern Switar 50mmF1.4
侗族の村を象徴する建造物が2つあります。
1つは風雨橋。
橋に瓦屋根があり、美しく装飾されています。
しばしば両端がずっと長椅子になっていて、村人にはおしゃべりの場になり、村の外に仕事に出掛けて戻るときのしばしの休憩の場になります。
前日の写真を見れば一目瞭然、この村の川はほんの小川で、川幅は数メートルしかなく、残念ながら板をわたした程度の橋があるだけです。
この旅ではついに風雨橋を見ることはありませんでした。

もう1つが鼓楼ですが、こちらは旅のあいだ何回か見る機会がありました。
というよりは、侗族のすべての村に存在するものなのかもしれません。
最上楼に鼓があって、何かあればそれを叩いて村人を集めたため鼓楼という名前があるようです。
形状は"楼"というより"塔"と言ったほうがいいような高さがあり、侗族建築の特徴である釘を使わない木組みだけで、頑丈で美しいシルエットを描き出します。

鼓楼の周囲は広場になっていて、村人が全員集合できるようになっています。
侗族を紹介する写真には、よく鼓楼を取り囲んで男女が踊る祭のシーンを見ることができますが、なるほど鼓楼が村の中心になっていて、村人の心のよりどころともなっている様子が分かるようです。
自ずと鼓楼はより高くなったでしょうし、装飾的になり、洗練度も増していったでしょう。
この村の鼓楼こそ景色に溶け込んだ美しいものですが、他の村では高すぎたり、モノトーンの村の中で色使いが派手すぎたりと、浮いた存在になっている鼓楼も見かけたのは少し残念でした。

わらを運んだり、鍬を持ったり歩いている村人がいますが、実は各家庭にはオートバイが普及しています。
町までは20キロもあるので歩いていてはたいへんです。
悪路ですがオートバイは村人の足になっているところもあるようです。
数日前の村の全景写真では白い丸があちこちに見られます。
これはテレビアンテナで、これまた各家庭にテレビが普及していることが分かります。
例えば旅行時に乳児用のミルクで赤ちゃんが亡くなる事件が問題になっていましたが、新聞もインターネットもない村では、テレビを見なければ誰も知ることができないのです。
ただ、テレビを付ければ都会の様子も外国ドラマも自由に見ることができますので、子供たちへの影響とか気にならないわけではありません。
あともうひとつですが、村ではかなりの割合で携帯電話が持たれているようでした。
これも緊急連絡など便利アイテムですが、狭いエリアの中で生きている彼らにどれだけ必要性があるのか不思議な気がしました。

一方で、腕時計をしている人は見ませんでした。
聞いてみると、時間は感覚的にとらえていて、畑仕事は太陽の位置で決まりますし、お腹が空くのは毎日同じような時間なのでそのときみんなで食事するのだそうです。
地球の自転を割り算していった概念よりも、自然の流れと体内時計にしたがって生きる彼らの生活を尊重したいです。
そんな感覚的時間生活をしていても、いえずっとしているからこそかも知れませんが、写真のふたりは田んぼの帰り、ほとんど毎日同じような場所で、こうやって出会っているのでしょう。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kern Switar 50mmF1.4 | trackback(0) | comment(6) | 2008/10/17 Fri

黔東南~⑫晩飯前

R-D1/Kern Switar 50mmF1.4
わたしのお世話になった家の、家族関係はたいへん複雑です。
家計図でも書いてもらわなくては理解できそうもありませんが、あまり深く考えることはせず、適当にお付き合いしました。
家族中で最初に目に留まるのが、4歳の可愛らしい女の子で、一家のアイドル的存在です。
この子がいつもなついていて母親だと思っていたのは、世話になった紅輝クンのお母さんでした。
では本当のお母さんはと聞くと、20代前半のこれまた可愛いちょっと気になっていた女性で、なるほどと思いつつも、ちょっとがっかりでした。
ではその旦那はあのおじさんかと問えば笑われ、あれはおじいさん、旦那さんはいま、町に出稼ぎに行っているとのこと。

かなり若いおじいさんは、わたしの部屋の真下でこそこそ何かやってるな、お客さんが頻繁に来るなと思っていたら、実は村唯一のお医者さんだったのでした。
診察するところを覗かせてもらいましたが、白衣こそ着ていないものの、聴診器に触診と日本の農村医療と診察風景は変わらないように思いました。
もし再訪の機会があれば、血圧計とか自動体温計とか、ちょっとした医療器具を持参すると村の長寿に貢献できるかもしれません。

朝と夕刻は団欒タイムになります。
3つの家の間がちょっとした庭になっていて、三々五々という感じで、各家の家族が集まって談笑します。
すごく和やかな空気が生まれ、いま思えば、ああいう時の表情を撮影すれば、好い写真になっただろうなと感じます。
到着した初日こそパカスカ写真を撮っていましたが、翌日になるともう写真なんてどうでもいいやという気持ちになってしまい、カメラバッグをどこへ置いたかも忘れる始末です。

談笑している中でいちばん困ったのが、蚊の存在でした。
この地方のみなのか、始めて見る、見えない蚊です。
何しろ小さいのです。
サンダル履きだったので、足をさんざんやられましたが、シャーペンの芯の先っぽというサイズで、ほとんど0.5ミリ以下。
わたしの視力では足にとまっていても、まったく気付くことができません。
そして、これがおそろしくかゆい。
かきむしりましたから、2週間経った今でも跡がくっきり残っています。

話の合間には果物をかじったり、枝豆のような豆をつまんだりします。
この豆がなかなかいけます。
この地方の豆腐は、この豆を使うと聞きましたが、肝心の豆の名前が思い出せません。
そういえば、滞在中は農作業を手伝ったり、レンズで生活のすべてを記録したいなどとの意気込みが少しはあったはずですが、そのいずれも実行されませんでした。
こういったことが、文化人類学者にも写真家にもなれない凡庸な旅人の限界を示しています。

夕方、ここに置いたんだっけと、トイレ脇にカメラバッグを見つけ、家の前で撮ったのが上の写真です。
スイターは、隅々まできっちり写ると聞いていたのですが、わたしのは周辺が大暴れします。
例の同心円状のボケではなく、放射状に流れるタイプで、これは平面性が保てなかったフィルムのようで、いまひとつ好きになれません。
R-D1の小さな液晶画面でもそれが分かります。
なんだかどうでもよくなって、家族の庭に戻ることにしました。

このわずかの時間に庭のメンバーが増えていました。
何か深刻な話し合いがもたれていたような気配を感じ、少し緊張します。
今まで見たり見なかったりで印象が薄かった女性が言いました。
今日はわたしの家で食事しましょう。
もし誤解でなければ、深刻な話し合いは、今夜あいつの夕食をどこの家で食べてもらうかということだったようです。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kern Switar 50mmF1.4 | trackback(0) | comment(16) | 2008/10/16 Thu

黔東南~⑪厳検査

R-D1/Kern Switar 50mmF1.4
この村には2泊3日滞在しました。
部屋を借りた家と隣接するもうふたつの家も、兄弟の家で近しく、この3つの家族にお世話になりました。

到着した日の夜、早速、大人たちに促されて少女が4人歓迎の歌を披露してくれました。
澄んだ歌声が冷たい夜空に響き渡り、聖堂で歌われる宗教曲のようでした。

食事はおまかせでしたが、家族間の連携がイマイチで、朝食と夕食を2回ずつ摂った日がありました。
食べ終わったところで、おーい一緒にご飯食べようと声をかけられるのですが、もう食べちゃったと断ってもいいからいいからと輪に入るよう背中を押されるのです。
親戚家族でも隣に来ると少し雰囲気が違うのが面白く、遠慮もなしに再びいただくことになったのでした。

当然、家族が揃ってみんなで食べます。
低い丸テーブルに器がずらっと並べられ、全員がそれを囲むように銭湯にあるような低い椅子に腰掛けます。
箸は使います。
ただし、おかずには箸を使いますが、ご飯はボールから手にとって少しこねて口に入れるという食べ方です。
普通に炊いた米では手がねばねばですが、硬めに蒸しているような状態の米は手でちょっとこねるといい感じに丸まって、ご飯とは少し違う食感の食べ物に変化します。
インドやタイでは右手を使いますが(理由はあえて書きません)、ここでは右手箸を持つので、ご飯は左手で食べます。

おかずは肉と野菜がふんだんに使われます。
スーパーなどはないので、肉も野菜もすべて自家製です。
野菜はそれほど種類は多くなさそうでしたが、たとえばかぼちゃなどを食べると、日本のそれがだいぶ洗練されて感じるほど、素朴な味わいです。
肉は、家の周りにいる家畜がすべてそうだと思えばよいでしょう。
牛は食べないらしいのですが、ブタ、トリ、カモ、アヒルがいて、ペットだと思っていたイヌも食卓に出てきたときはいささかのショックを感じました。
彼らは大好きだと言ってましたが、少し大味に感じられます。
韓国料理でスパイシーな鍋で食べるイヌ肉は美味ですが、水煮のようなイヌ肉はじゃれついてきた彼らの記憶とも相俟って、どうもわたしには苦手です。

中国ではわざと多めに調理して、あまったものはばんばん捨てるのが普通というイメージがありますが、ここでは余りものは大切にしまわれ、次の食事に活用されます。
食べ物はたいへん大切にされていることが分かりました。

もうひとつ、侗族で、特に女性に大切にされているのが、自分たちの衣服作りです。
いわゆる藍染めですが、一般にイメージされる柔らかい布ではなく、固めの生地を使って光沢のある服を作ります。
藍染めのやり方は見ていてすぐ分かりました。
藍を搾って液体にした原料の入った樽に生地を1昼夜つけ込み、川でよく洗います。
1日ベランダに干して水分をとばしてから、畳んで今度は火で数時間いぶします。
それで藍が生地に固着され、あとは縫製するばかりです。
2日で縫製は仕上がるということでしたので、もっと早く気付けばオーダーしたのですが、残念ながら間に合わないので、今度来たときにはすぐに作ってあげるからねと言ってもらいました。
その機会は訪れることやら。

写真は隣の家のおばあさんが、藍の色合いをチェックしているところです。
満足気な表情に見えますね。

そしてレンズは昨日と同じ Switar 50mmF1.4 です。
16mmシネ用のレンズですが、チャーリーさんからこのレンズの素晴らしさを教えられ、そのチャーリーさんの好意で価格が上昇する前に入手して、改造は宮崎さんに依頼したものです。
普段はNDフィルターを使ってまでも開放のみで撮影するようにしていますが、このレンズについてはその宮崎さんから、ぜひ F1.7 も試して欲しい、開放からわずかに絞ることで劇的に描写が変わるはずだからと薦められて試してみたのでした。
そして実際にその変化を見ると目覚しいものがあります。
絞っているので当然ですが、その先鋭さは息を飲むほどですし、前後のボケの美しさや木、布地の質感描写は完璧といえるものです。
階調もすごく出ています。モノクロでも力を発揮するレンズのはずです。
開放では暴れまくる扱いにくいレンズですが、この1枚だけでも、アメリカ発船橋経由貴州行きの長旅をさせただけの甲斐があったと思わせるに十分です。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kern Switar 50mmF1.4 | trackback(0) | comment(7) | 2008/10/15 Wed

黔東南~⑩小朋友

R-D1/Kern Switar 50mmF1.4
从江からの悪路を村まで運んでくれたタクシーの運転手、彭クンは弱冠20歳。
侗族ではなく、苗族なのだそうで離れた村から从江の町に出てきて、タクシー運転手としてひとり立ちしたんだと言います。
長い1時間の悪路は、互いの質問で盛り上がりました。
彼の話では、苗族も侗族も漢族も日本人も、顔だけ比較すれば区別はつかないが、服装や話し言葉を聞けば違いが分かるそうです。
しかし、話はもっぱら彼が聞く日本の話題が中心で、なにしろテレビで見たことがあるだけの外国人を初めて見たばかりか自分の隣に座っているのですから、聞きたいことは山ほどあるという勢いです。
それは好奇心ではなく、向学心です。
内容は、生活から経済、経済から政治、政治から歴史、歴史から国際問題と次々と変化し、もはやわたしの語学力の限界を超え、分からないを繰り返す聞き役に成り下がってしまったことが彼には申し訳なくてなりません。

そんな期待はずれのわたしに、彭クンは最後まで親切でした。
村へ着くやそばにいた住民に、この旅の人を泊めてやってくださいと、宿探しを手伝ってくれたのです。
そして、万一何か問題でもあればここへ電話してくれと携帯の番号を渡して立ち去りました。
今度は、話し相手もなく、1時間の悪路をひとりもとの町へ戻るために。

人づてに部屋を誰が貸すかなど話されたようで、あっという間に、ここへ泊まってくれと部屋を案内されました。
こんな山奥にホテルも民宿もありません。
いよいよ、当初の念願だった、伝統的な古民家に宿泊しての生活を体験します。

断られる可能性も高く、宿探しがいちばん心配だったのですが、案外あっさりと宿泊が決まって村に受け入れられたように感じました。
彭クンが骨を折ってくれたのも一因ですが、思わぬところから受け入れられることになったのではと実感しました。
それはふたつあって、ひとつが先の車江の村で中学教師の家族に譲っていただいた侗族の衣装を着ていたことで、われわれの服を着たおかしな外国人が突然現れたという、ユニークさが受けたという理由。
もうひとつが、これも車江の村で少女達に教えてもらっていた、「ニャーライ」というあいさつ言葉を連発したことで、特に普通話を解さない高齢者に好評だったようです。
すごく幸運に、この村まで導かれたような不思議な気がします。

到着時はすでに夕方でしたが、ちょうど米の収穫時期だったため一部女性陣と子供たちを除いて家には人気がありません。
退屈するのを心配したのでしょう、一家の愛すべき腕白坊主、紅輝クンが村を案内してくれました。
ちっちゃい村なのですくに歩きつくし、山に登って棚田を見下ろして気分もほぐれてきます。

行く先々では、出会った人とあいさつを交わしましたが、すでに日本人が村にやって来たという情報は伝播していたようです。
おお、こいつがそうか、よろしくなとか、あらやだ、外国人といってもわたしたちとそんなに変わらないじゃないとか、そんな反応が待っていたので。
今思うと、紅輝クンは、わたしを案内すると同時にみんなに対してあいさつ廻りさせてくれたのかもしれません。

彼はこの後も、わたしのためにずっと世話を焼いてくれ、すぐに友達のような親しみを感じました。
気の効くいい少年です。
翌日聞くと、父親が長く町に出稼ぎに行っていて、この国慶節休暇にも戻って来ないといいます。
わたしを父親の姿と重ね合わせたのでしょうか。
非常に強く切なさを感じずにいられませんでした。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kern Switar 50mmF1.4 | trackback(0) | comment(8) | 2008/10/14 Tue

黔東南~⑨去那村

R-D1/Kern Switar 50mmF1.4
車江で出合った侗族の女の子たちには、後ろ髪を引かれる思いがありました。
背が低くて線の細い子供のような外見なのに時折り大人っぽい表情を見せていた美少女の存在は気になります。
それももちろんですが、彼女たちが自分たちの村にぜひ来て欲しいと招待してくれていたのが、ずっと心に引っかかっていたのです。

彼女たちはの住まいは、車江から50キロ離れた地図にも載らない小さな村ですが、こことは違って昔ながらの生活そのままの美しいところだと言います。
貴州省の東、黔東南苗族侗族自治州には地図を見ると100以上の地名が記されていますが、さらに小さな村落を含めると無数と言っていいほどの数になるのだと思われます。
車江に来るまでにも、車窓越しにたくさんの美しい村落をやり過ごしました。

しかし、そのような村に無断で立ち入ることはできません。
省政府が観光用の村と指定しない限り立ち入りは許されず、開放された村は20にも満たないのです。
ここ車江がそうであるように、観光客に開放された村となれば必要以上にインフラが整備されていたり、いちばん美しい所にみやげもの屋があったりとそれなりに開発が進んでいる可能性が高まります。
ここまで奥地まで来ながら、そんな観光村に滞在することに意味があるのか、もっと素朴な村へ行くことはできないのかと考えていたので、彼女たちの招待は渡りに舟というか、興味津々たるところでした。
観光客は立ち入り不可でも、彼女たちの朋友ということであれば、問題ないのでしょう。
絶好のチャンスです。

ですが、彼女たちは今週ずっと車江で表演して、週末に村へ戻る日程なのだそうです。
わたしは週末は香港経由で東京へ戻らなければなりません。
非常に残念ですが、これでは諦めざるを得ません。
彼女たちも残念だったようで、わたしのガイドブックにだいたいこのあたりと村の位置のマークをいれて、自分たちの住所を書いてくれました。
次に貴州まで来るときは、必ず村を訪れるように。そう言い添えて。
ぜひまた訪れたいのは間違いありません。
ですが、そんな機会はあるでしょうか…。

そこで、また例の夢想が表れます。
もし、学生時代だったら、日程なんていくらでも遅らせられた。
彼女に先回りして村に入って驚かそう、そして1年後の表演では侗族の笛を吹く青年にひとり背の高い男が加わっていた…。

現実に立ち返ったわたしは、車江から相乗り三輪車で着いた榕江で昼食をとり、从江行きのバスに乗り込みました。
やはり、貴州に来るきっかけになった「神奇延続600年」の村に行ってみることに決定します。
バスの中で初めて気付いたのですが、この村へ行くバスはなく、それどころか比較的近い村までバスで行ってそこから舟に乗り、船着場からまた1時間半歩く、と書いてありました。
これなら観光客に開放されていると言っても、観光バスが横付けというのとは全然違います。
期待感が高まりました。

しかし、スーツケースを手にこのルートは厳しいものがあります。
何か他の交通手段はないのでしょうか。
やはりありました。タクシーが村まで行けるようです。
从江から20キロだそうですが、未舗装のでこぼこ道なので200元(約2800円)でないと行かないと言われます(ちなみにタクシー初乗りは約70円)。
交渉決裂で次のタクシーに。
うーん150元かなあ、高過ぎる、じゃあ120元。
これも交渉決裂ですが、なんとなく相場が分かり、よし100元なら利用しようと決めました。
次の運転手は、半年前にこの仕事を始めたばかりというお兄さん。交渉不慣れです。
100元であっさりOKしてくれました。

しかし、この道、これが本当に悪路でした。
20キロの道のりに1時間以上かかります。
そして、急坂を降りきってやっと辿り着いた村は、期待通り、観光客の訪れない美しい村でした。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kern Switar 50mmF1.4 | trackback(0) | comment(8) | 2008/10/13 Mon

黔東南~⑧看電視

R-D1/Oude Delft Alfinon 50mm F2.8
昨日の話の中では、すでに車江を立ち去っていることになっていますが、ひとつ不可思議なシーンを見たことを思い出しました。
土間にテレビが付いていますが、どうして少女はこんなところから見ているのか。

旅先では、ときどき旅行者に理解できない不思議な光景を目にすることがあります。
何故だろうかと考え、回答を得たとき、まれに誤解してしまったときも、どちらにしても理解を深めることはできます。
少女はきっと、暗いところでテレビを見てはいけない、目が悪くなるからと言われ、わざわざ台まで出してきて、明るいところからテレビを見ているのに違いありません。
弟がウチの姉ちゃんアホやなあ、と呆れています。


ここまで旅の前半では、50mm はアルパ用のアルフィナーをアダプターでR-D1に使っています。
アダプターは例のレチナハウスで購入したもので、これはマクロスイターにはぴったりフィットしますが、小型軽量なアルフィナーではバランスが悪くなってしまいます。
しかし、距離計の連動には問題なく、使用感も良好です。

アルフィナーは、オールドデルフト独特の渋く落ち着いた発色をするレンズです。
テッサータイプですが、テッサーの華やかさはほとんど見られません。
階調がたいへん豊かなので、やはりモノクロで威力を発揮します。
木や服地の質感など再現性もすばらしいので、こういう地味な旅の伴にはふさわしいレンズです。
旅の続きには、性格正反対のふさわしくないレンズにバトンタッチします。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Old Delft Alfinar 50mmF2.8 | trackback(0) | comment(8) | 2008/10/12 Sun

黔東南~⑦想私奔

R-D1/Oude Delft Alfinon 50mm F2.8
侗族は、日本ではトン族と表記されるようです。
中国語の発音表記では "Dong"なので、出合ったオランダ人は"Dong tribe"と呼んでいましたが、ドンというよりはトンに近い発音です。
彼らについて詳しい知識も何もなく貴州まで行ってしまったので、いまさら「トン族」で検索してみると、たくさんの情報が得られることに気付きます。
貴州省を中心に270万もの人口があるようです。
想像よりずっと多い。
小さな国家ができるくらいはあるでしょうが、特に独立運動とか政府との衝突といったことはないようです。
彼らが歌を愛する民族であることが、侗族を有名にしています。
以前、テレビで紹介されていましたが、適齢期の女性が1列に並んで合唱し、中の女性が意中の男性をその歌に込めて唄うという、歌による集団見合いのような古い伝統が残っているのだそうです。

そんな様子を伝える実演(中国語で表演と言われます)が、ここ車江の村の広場で行われていました。
観光バスが到着するなど、人が集まるとおもむろに歌が始まります。
こういった表演は、踊りなど動的なものが連想されますが、侗族では演劇的要素はあるものの、もっぱら静かに歌い上げるというスタイルで、逆に音楽的な洗練度が高く、目を閉じれば山村の風景を連想させる爽やかなものに感じられました。
ただ、侗族には独自の言葉があって、それは中国語の方言ではないし、文字も漢字ではなく音をアルファベットで表記するものなので、聞いていても歌詞自体はまったく分かりません。

交通の便の悪いこの地方には、そう頻繁に観光バスが来てくれる訳ではありません。
表演は少なく、みんなヒマそうにしています。
だったら、コミュニケーションをとらない手はないでしょう。
言葉が通じるか、恐る恐る話しかけると何のことはない、全員中国語普通話は通じます。
学校では普通話で授業をするので話せて当然ですが、未就学だった一定年齢以上の特に女性は普通話ができないそうです。
ですから、家庭では侗語で会話します。
英語はさすがに誰もできません、と思ったら中学では英語の授業はあるそうです。
ただ、知っている単語は、ハローとバイバイくらい。一体どんな授業なんでしょう。

国慶節休暇の1週間だけ車江で表演をするために比較的(と断るのは車で2時間くらいかかるそうなので)近くの村から来たそうです。
男性ふたりと女性10名に音楽の先生やら村長(?)も帯同しています。
おとなたちの方がシャイで、ほとんど女の子たちとばかり話し込むことになります。
ここでも、お互いの生活のこととかですね。
もうひとつよく話題にのぼったのが、日本語を教えてくださいというもの。
你好は? 謝謝は? 再見は?
なかなか覚えてもらえず、わたしには教師としての才覚がないことを知らしまれます。

じゃあ、それぞれを侗語ではなんと言うのか、逆質問です。
你好は? 「ニャーライ」、謝謝は? 「??」、再見は? 「???」
侗語には「こんにちは」はあっても、「ありがとう」や「さよなら」はないそうです。

翌朝も、約束したとおり彼女たちを訊ねました。
「やあ、ニャーライ」と声をかけると、あぁ、本当に来たわ、本当だ、くすくす、そんな風に言われていたようで恥ずかしいものですが、昨日にもまして大歓迎というか、旧友との再会の雰囲気です。
意外にも多くの女の子たちが、昨日教えた日本語を覚えていました。
夜、一生懸命勉強したのかもしれません。
午前中はずっと彼女たちと話したり、表演があるとサクラのように大拍手をしたり、近くを散策したりして過ごしました。

昨日から気になっていた女の子がいました。
小柄で華奢ですが、切れ長の目が魅力的なひと際光り輝く少女でした。
もし、学生時代にこんなシチュエーションにでもなったら、このまま旅を続けることができただろうかなどと感傷的想像をしていました。
「僕といっしょに日本に来て欲しい」
「それはできない。侗族の掟があるの」
「では、夜迎えに行くからいっしょに逃げよう」
「分かった。あなたを信じる」
月明かりの中必死に逃げまとったが、追っ手がわたしめがけて放った矢を身代わりに受けて倒れた彼女は、侗族にはさよならという言葉がないのは、いつか必ず再会できることを知っているからなの、と言い残して息をひきとったのだった。

チャーリーさんの影響からかフィクションを挿入してしまいしまたが、これはひとり旅の感傷というものでしょう。

さて、そろそろ次を目指して村を出る時間が来ました。
みんなが、昨日運転手と握手してわかれた門口まで付いて来て、手を振ってくれました。
バスに乗り込むや、わたしも手を振り返しはしましたが、やはり「再見」と言うことはしませんでした。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Old Delft Alfinar 50mmF2.8 | trackback(0) | comment(8) | 2008/10/11 Sat

黔東南~⑥像別墅

R-D1/Oude Delft Alfinon 50mm F2.8
西江を足早に去り、近くの雷山の街中でゆっくりと魚の鍋を食べます。
そこから運転手は、山岳路を俄然とばしはじめました。
帰りも5時間近くかけてひとり帰らなくてはならない彼は、3時までには榕江に着きたいからと言います。
なんでも、子供が3ヶ月前に生まれたばかりで、彼女の顔を見ながらビールを飲むのが今のいちばんの楽しみなのだとか。
だったらなんであんなにのんびり昼飯食べてたのかと突っ込みのひとつも入れたくなりますが、人のいい運転手の顔を見ているだけで許してしまいます。
でも、前方カーブで見通し悪くても、警笛を鳴らして追越をかけるような運転は勘弁していただきたい。
娘の顔を毎日見ていたいなら、もうちょっと慎重な運転をしないと。

さて、バスと車を30台くらいは追い越して、2時間後には榕江に到着。
榕江からは、道行く人にたずねたずね、10分ほどで車江の古村落に到着しました。
入口で運転手はわたしのスーツケースを下ろしながら、そっと右手を差し出します。
硬く握手しての別れとなりました。
どうぞ無事に戻って、日本人を案内してやったんだよなどの話を奥さんとのビールの肴にしてください。再見。

車江は、入口で30元の入場料が必要でした。
西江ですら無料でしたので、こんな奥地でと、少し悲しい気分です。
案の定、午後の3時頃ということで、古い街並みに観光客がかなり見受けられ、その中をスーツケースをひいて歩くのはかなり異様な姿だったと思います。
早く荷物をどうにかしたいと、村の中にあるであろう民宿を探しますが、歩けど慌てど見つかりません。
そんな姿を心配してくれたのでしょう、ひとりの青年が、宿を探しているのかと声をかけて来ました。
なんでも、ここは榕江の町がすぐ近くなので、みんなそっちに宿泊するため村の中に宿はないが、川の向こう岸に最近建った家が旅行者を泊めてくれるからそうしなさいとのこと。
止むを得ません。
1元の渡し舟で対岸の家に部屋をとります(写真の別荘風の家です)。
村の中に伝統的家屋に泊まって村民の息遣いを感じながら、という思惑は叶いませんでしたが、その村を川越しに部屋から眺めるというのもいいではないですか。
新築なので建物はもちろんですが、寝具などもたいへん清潔だし、誰も泊まっていないので対岸が見える眺めのいい部屋に入れました。
おまけに隣の部屋はこの家の美少女姉妹が暮らしています。
もっともまだ小学校3年と1年だそうですが。
さらに1泊140円と聞いて、安すぎるとうなってしまいました。
いいことづくめの、すばらしい宿です。

ひとまず荷物を置いて、また対岸に渡してもらい、宿を紹介してくれた青年に礼を言いにいきました。
青年は、中学校の先生だそうで、村の質問をしたことがきっかけで、逆に日本の生活について聞かれたり、なんだかんだと話しているうちに夕飯の時間になって、ウチで食べていってほしいと食事までご馳走してくれました。
ちょうど家族みんながちゃぶ台のような低いテーブルを囲んで、むかしのお風呂にあったような木の椅子に低く腰掛けて青年を待っていたところです。
突然の侵入者ですが、あいさつすると誰も不審の表情すら見せません。

食事は、少し辛い味付けのすき焼き風鍋に炒めた青菜など、違和感なく美味しく食べられるものばかりです。
取れたての新米は釜で炊きますから、風味があってなかなかの味わいです。おかわりしました。

実は旅行中、半袖シャツしか用意していなかったのですが、山中のためかこのあたりはかなり涼しく、みんな上着まで着ているくらいだったので、青年は心配して父が着るために作った長袖のシャツがあるのでよければ着てくれと、手渡してくれました。
白い侗族伝統のシャツでした。
さすがにサイズは少し小さかったですが、うん、これはありがたい、大切に着ますとさっそくはおりました。

夕食は遠い旅人へのもてなしだと確信しており、お金を払うようなことは失礼だろうと思っていましたが、この服をいただいてタダというわけにはいかないだろう、しかしいくら払えばいいのだろう。
たいへん悩みます。
100元(約1400円)渡しました。
彼の表情の変化で、100元が多かったか少なかったか読み取ろうとしましたが、少し笑ったようにも見える無表情で、答えは得られませんでした。
この100元の民族衣装が、この旅の唯一のおみやげということになります。
そして、団欒のひと時を感じながら暇を告げます。
また写真のおじさんを呼んでくれ、真っ暗な川を、あの素晴らしい宿に引き返しました。

戻ると、家の若い奥さんが赤ちゃんをたらいで洗ってあげている所でした。
やかんからお湯を注ぎ足しながら…。
「えっ、もしかしたら、ここにはシャワーとかお湯とかないのですか」
「そうなんです。建物がやっと建ったばかりで、水はこの井戸から汲むだけです」
「ちなみにトイレは…」
「あそこの離れです」

懐中電灯片手にその離れに行ってみると、なるほど水がないから流せないので当然ですが、家族の健康の証ともいうべきそれが、ものすごいことになっていました。
シャワーもこの涼しさでは断念です。
凱里で買っておいた量り売りのお酒を呑んだりの水分を採ることはこの日控えました。
また、この日から4日間は、体を洗わない日々が続いたことを告白いたします。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Old Delft Alfinar 50mmF2.8 | trackback(0) | comment(1) | 2008/10/10 Fri

黔東南~⑤也考慮

R-D1/SankyoKoki W-Komura 35mmF2.8
西江の古村落がとても美しいことは否定しません。
しかし、実に残念なことに、観光客を広く受け入れる方策をとっているため、街中は整備され過ぎの感ありで、観光スレしてしまっているようで落ち着きませんでした。
メイン通りを軽くやり過ごして、はずれまで歩いてくると一面田んぼの素敵な風景が広がっていてホッとできました。
ガスで見づらいですが、山にはずっと棚田が連なっています。
農作業はまったく機械化されておらず、伝統的な農法が守られているように見えます。
村の足として各家庭にバイクがあるようでしたが、田んぼまでは歩いて向うようです。
誰しも天秤棒を担いで。

運転手とふたり牧歌的感傷に浸っていると、すぐわきに大型バスが乗り入れてきて、大量の観光客を吐き出しました。
賑やかで楽しそうではありすが、やはりどうしてもこう風景に団体旅行は似つかわしいとは思えません。
ひとしきり写真を撮ったりしたあと、ガイドに先導されてメイン通りの方へすぅっと消えていきました。
恐らくは午前中ずっと通りを歩いて、みやげを求め、食事してから次の村落を目指すのでしょう。

やれやれといった感じですが、ここでふと考えさせられます。

村は、住民の意思決定によるものか、政府の指導によるものかは分かりませんが、観光客に開放され、住民の好むと好まざるとに関わらず、彼らを受け入れなければなりません。
そのためには、簡単なインフラ整備が進められ、見世物としての伝統的舞踊や歌唱を披露することになります。
それは半ば不本意であっても、生活の根本が揺るぐものではありません。
うまく分業をすすめれば、生活はそのままで利便性が高まったうえに一定の現金収入が得られます。
あわせて自分達の文化を知らしむる効果も考えれば、何が悪いことだと言えるでしょう。

などと考えれば、きょろきょろと覗き見ばかりで現金を落とさないわたしのような人間はここでは招かれざる客で、団体で想定の範囲の行動をしてくれる彼らこそ熱烈歓迎の対象ということが明白になってくるのです。
やはり、ここでは長居は無用。
運転手をうながして、先を急ぐことにしたのでした。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
SankyoKoki W-Komura 35mmF2.8 | trackback(0) | comment(6) | 2008/10/09 Thu

黔東南~④苗族村

R-D1/SankyoKoki W-Komura 35mmF2.8
さあ、今日から貴州の奥深くへ向けて旅を開始します。
昨日購入のガイドブックに出ていた町、凱里から南へ160キロの県城・榕江を本日は目指すことにしました。
となりに「侗区最美麗的地方」といわれる車江の村があり、ここで宿泊するつもりです。
しかし、この160キロは山岳路で、バスだと6時間かかるとのこと。
途中の古村落にも魅力的なところがあるそうで、熟慮の末、タクシーをチャーターすることにしました。
今回の旅のスタイルでタクシーはあまりに不似合いですが、ここはお許しいただきたい…。

さて、予想に反して時間通りの朝7時にホテルに迎えに来てくれたタクシーですが、遠出するのでガソリンを満タンにしなくちゃと、いきなり給油所へ行ってしまいます。
しかも給油所は8時オープンで、なんだ結局1時間遅れのスタートで、やっぱり中国的な出だしとなってしまいます。
それでも「千戸苗寨」の西江へは1時間たらずで到着します。
旅は、ここ西江から始まりました。

このエリアは、黔東南苗族侗族自治州という名称で呼ばれ、一般的な中国人の漢族はほとんど存在せず、苗(ミャオ)族と侗(トン)族のふたつの少数民族で90%以上を占めるそうです。
この後わたしが訪れるのは侗族の村ばかりなので、ここ西江が唯一の苗族の村になります。
しかも典型的なこの地域の村です。

切り妻瓦屋根の木造の家はほとんど2階建てで、だいたいどの家もベランダがありました。
その軒にはとうもろこしと唐辛子が吊るされています。
川に隣接する家が多く、その川は洗濯や水浴びに利用され、生活用水の役割を担います。
当然、職住が近接していて、家のうらがすぐ田んぼだったり、離れで家畜が飼われたり、目の届く範囲の中で生活のサイクルが廻っているように見えます。
のどかなのどかな世界です。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
SankyoKoki W-Komura 35mmF2.8 | trackback(0) | comment(6) | 2008/10/08 Wed

黔東南~③無関心

R-D1/Kern Switar 50mmF1.4
みなさまのご心配をおかけしていましたエプソンのビューワーは、成田空港駅の遺失物保管所から、どうにか無事戻ってきました。
ようやくこれで、旅のスタートラインから話をはじめることができます。

しかしその前に、なぜこの時期に貴州省の山奥に行ったのか、これだけ書かせていただきます。

夏休みを交代でとることになっているので、いつもなら9月に1週間休んでいたのですが、今年に限って調整がつかずで、10月にかかる最終週に強引に休みを入れるかたちになってしまいました。
行き先もどこかアジアの海辺へということで、東南アジア方面へ安くアクセスできる香港への航空券を購入しています。
かなりドタバタですが、ここまではわたしの感覚ではまずまず順調です。
ところが、いつもの旅の道連れが複雑な事情の下、突然のキャンセルとなってしまい、わたしひとりだったらと行き先を中国に変更することになってしまいました。
そして、出発直前、この時期は最悪の国慶節休暇と重なっていることが判明。
中国中で民族大移動があるため、航空券やホテル価格が軒並み急上昇してしまうので、計画していたチベットや新疆あたりの遠隔地は断念することになります。

では、どこへ行くか。
これがなかなか決まりませんし、ついに決まらないまま日本を出発してしまいました。
夜間香港着。そのまま深圳へ移動してホテルで宿泊。
翌日、本屋へ飛び込んで旅行書コーナーで、どこへ行ったらいいかあせりまくりつつ探しました。
そして、決断したのが貴州。
かなりの田舎ながら深圳からさほど遠くなく、物価は安そうですし、なにしろ人気がそれほどないでしょうからうまく行けば今日の航空券もとれてしまうかも。
次点の四川とも迷いましたが、去年行ったばかりだし、地震の復興状況がよく分かりません。
唯一のガイドブックとして購入した「中国古鎮遊」シリーズの表紙が、民族衣装のおばチャンたちが赤ん坊をあやしつつ編み物している表紙が、なにしろ旅情をかきたてて後押しします。
意外な盲点・貴州省。
すばらしい選択に思えてきて、急ぎ、旅行代理店に向いました。

さすがに当日の搭乗は厳しいようです。
翌朝一番のチケットを買ったのですが、つい1時間前まで、名前すらまったく忘れていた貴州に行くことになるというのが、非常に不思議な感覚でした。

貴州省にさえ行けば、あとはもうどうでもよい、という訳にはいきません。
飛行機内でくだんのガイドブックを見ていったところ「神奇延続600年」のタイトルを冠した村があります。
空港のある貴陽からはかなり離れていますが、悩んでいる時間はありません。
辿り着けなければ、それはそれでよし、とりあえずの目的地はこの村にしよう、ダメならその手前にもいくつか良さそうなところはあるし、なんとかなるだろう…。

駆け足でお伝えすると、こんな流れで、旅の無計画がスタートしてしまったのでした。


では、そのスタートですが、貴陽からこの村近くの町までのバスもあることが分かったものの、半日以上かかるようです。
いきなりそれは体力的に厳しいですし、目的地にはそれなりの速度と心構えでアプローチしたいものです。
地図を見て、エリアの玄関口になる、凱里にひとまず向いました。

さてさて、凱里バスターミナルに到着してホテルを探して歩いているとき、すぐに目に留まり、最初に声をかけた貴州人が写真の青年です。
体を悪くして生活に困窮している状況を詩にして、市民に訴えかけているようです。
中国ではよく見かけるシーンなのですが、どうもインチキくさいのが多いのに対して、彼は真剣な目で見つめわたしが手にしたカメラを見るとぜひ撮ってくれと訴えかけているようでした。
わたしを記者と誤解したのかもしれません(このあと街中を撮影していたら、食堂の女性に記者なのかと聞かれた)。

ホテルを早く見つけたいがために、彼ともっと話をしなかったことが悔やまれます。
翌朝、凱里を出発する時おなじ場所を通りましたが、どこにも彼の姿を見つけることはできませんでした。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Kern Switar 50mmF1.4 | trackback(0) | comment(2) | 2008/10/07 Tue

黔東南~②斗牛士

R-D1/SankyoKoki W-Komura 35mmF2.8
大観衆といっしょになって観たもの、それは闘牛でした。
昨夜、謎めいた質問をしながら、なんたが大したことのない解答で申し訳ありません。
実は、ここに至るまでこんなところで闘牛をやっているだなんて知らなかったのですが、ここまで導いてくれた経緯がなかなか面白かったのです。


翌日のフライトで省都・貴陽から深圳まで戻らなくてはならなかったのすが、滞在した村から貴陽まではバスを乗り継いで約14時間かかるため、今日のうちにこの地方の中心都市・凱里まで到着する必要がありました。
間に合わなかった~、では許されないので少し早めに村を後にしてバスに揺られていると、途中、家財道具一式に近いような荷物を持って乗り込んできた家族がいました。
積み込みにかなりの時間を要しています。

やれやれ、こういうことがあるのでたいぶ早めに出発しておいて良かったと思いつつ、待っているあいだ近くを撮影していました。
戻ると隣だった、いかにも人の好さそうな太っちょ母さんという風貌の女性がわたしの行動を見ていたようで、あれ、ここの人じゃなかったのと話しかけてきます。

「東京というところから来ました。ご存知ですか」
「東京…。聞いたことあるけど、どこだったかしら。北の方?」
「ええ、かなり北のほうです。ちっちゃな島があって、そこに東京という少し大きな村があるんです」
「あらそう。それで、こんなとこまで、何をしに来たの?」
少数民族文化の研究をしてまして…」(中国語で説明が面倒なので、ウソの答えをしてしまう)

こんなとりとめない会話をしていたら、研究しているならちょうどいい、ぜひウチの村まで来なさい、そう誘ってきます。
残念ながら日程の都合で凱里まで戻らなくてはいけないので、時間がありませんと返事すると、凱里までその女性の村の隣村からバスがあって、最終便が4時にあると言います。
それなら2時間半くらいは時間がとれそうです。
でも、本当にそのバスがあるのかと思っていると、わたしたちの話を聞いていた他の乗客までもが、異口同音に大丈夫、絶対に寄って行くべきだと口を揃えだしました。
ええい、みんながそう言うなら、どうにかなるだろう寄ってみるかと思いますが、その村に何があるのか分かりません。
聞いてみると、乗客たちが言ったのが、「闘牛」というわけなのでした。

闘牛を見学したことでわたしの"研究"に多大なプラスになったということはなかったかもしれません。
しかし、どこの馬の骨とも知れないよそ者を見返りも期待せず案内してくれた太っちょ女性の純粋な優しさ、はるばる見に来た闘牛もでしゃばって前に行くことなく遠巻きに眺める地元の人々のあたたかいまなざし、晴れの舞台で自分達の牛にがんばってもらわなくっちゃと村人の団結心、そんなことを強く意識しました。
これこそが、快適とはいえない滞在した村の生活にあって、住み心地のよさを感じることができた理由なのかなとひとり戻るバスの中で考えたりしました。

そういえば、ひとつラッキーなことがありました。
凱里のホテルは国慶節休暇のため、ことごとく満室だったらしいのですが、この寄り道のため予定より遅く着いたわたしは、偶然にもその場でキャンセルが入り、隣で交渉していた中国人旅行社を尻目にまんまと最後の一室に泊まることができたのでした。
お母さん、謝謝你!
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
SankyoKoki W-Komura 35mmF2.8 | trackback(0) | comment(6) | 2008/10/06 Mon

黔東南~①失体面

R-D1/SankyoKoki W-Komura 35mmF2.8
1週間お休みをいただき、また中国をほっつき歩いてきました。
小さなハプニングには見舞われながらも、どうにか道中無事に帰国できたのですが、帰国後に大失態をやらかしました。
撮影データを保存したビューワーを失くしてしまったのです。
これは幸い帰路の成田エクスプレスに忘れていたようで、問い合わせると、現在、成田空港駅で保管してもらっているようです。
新宿で降りるときに忘れたのですが、ビューワーはそのまま折り返して成田空港まで行って、たぶん清掃時に発見されたのでしょう。
まるで、ビューワー自らの意思でまた海外を目指したかのようで、思わず感心してしまいました。

いえ、この失態のために写真が手許になく、最終日のデータがSDカードに何枚かあったものをひとまずアップしてみます。
旅日記風に日を追って進めるつもりだったのに、いきなり最終日からとは我ながら情けなくなります。

今回の行き先は、貴州省。
四川省、雲南省などに挟まれた、日本から見るとかなり地味なエリアで、茅台酒が有名ですが、酒をわざわざ飲みに行っても仕方ありません。
そうではなく、貴州省は少数民族が多く暮らしていることでも知られていて、そんな村のひとつに滞在してみることにしたのです。
特に少数民族の生活を研究するという高尚な理由ではありませんし、現地の特産を仕入れて日本で商売するとか嫁さん探しとかそんなのでもありません。

では何故にそんな僻地にまでと問われれば、回答は思いつきません(どれだけ遠かったかは追って記載します)。
何にもないところでのんびりしたかった、というのがいちばん心情的に近い気がします。
現地でお世話になった方々には申し訳ないですが、これではほとんどリゾート気分で出かけていったというのと変わらないかもしれません。
しかし、わずか数日でも、ストレスのない本当にリラックスした滞在ができ、最高のリフレッシュになりました。

写真は、たまたま運良く遭遇したある行事を見学したときのものです。
推定5万人くらい? すごい人出でした。
その行事が何かは明日、説明いたします。おやすみなさい。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
SankyoKoki W-Komura 35mmF2.8 | trackback(1) | comment(10) | 2008/10/05 Sun
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