旅のご馳走

Nokton 50mmF1.5
もう何年も前(ここのところ昔話ばかり書いているようで申し訳ないですが)、ペルーを旅してクイという料理を食べました。
クイはペルーの名物として有名で、物価の安い当地でそこそこの値段だったと記憶しています。
最初は旨いと思って食べ始めたのですが、途中でフォークとナイフがピタリと動かせなくなりました。
そのクイとはネズミのことで、最初はワインの酔いと好奇心が優っていたので食べられたのですが、途中から落ち着いてしまい現実に引き戻されたからのようです。

タイやベトナムでは田んぼのネズミが人気食材だと聞いたことがありますが、たまたま通りかかった市場のそばの家の前でその調理シーンを見かけてしまいました。
わたしが食べたクイは全長30cm近くある大きなネズミでしたが、タイのはだいぶ小さくて食べるところが無いんじゃないかと思うほどでした。
見ているうちに、昔食べたクイが思い出されて気分が悪くなってきたので、調理を最後まで見届けられませんでしたが、から揚げか何かにして食べるのでしょうか。
イタズラ好きなタイ人の友達がいたら、食べた後に、お前が食べたのはネズミだよとやられるかも知れないのでこのあたりを旅するのは用心が必要です。

小学生のころ、埼玉の親戚の家で自家製のイナゴの佃煮を食べたことがあります。
これは姿が分かりにくくなっていたものを出されて、知らずに食べたところ甘辛くて美味しいと思ったのですが、あとで原型をはっきりとどめたヤツを見せられておえっとなりました。
美味しいと言ったんだから食べられるよと勧められましたが、半泣きで拒否したことを思い出します。
イナゴとバッタの違いがよく分からないのですが、その時以来、仮面ライダーを見てはあの味を思い出し、アフリカで大移動するイナゴの大集団の映像を見ては吐きそうになったりしました。

タイではより恐ろしい映像をテレビドキュメンタリーで見たことがあります。
東北タイは土壌が悪いためコメや野菜が思うように収穫できず、貧しい家庭では蛋白源として昆虫が欠かせないのだとやっていたのです。
わたしはてっきり日本同様に佃煮のような食べやすい調理法をとっているのだと思ったのですが、画面には夜の林に懐中電灯を照らした桶を置いて、水の中に突っ込んでくる蛾などの虫を羽をバタバタさせている状態のままむしゃむしゃ食べる子どもたちの姿がありました。
仕方なく食べているのかと思えば、子どもたちが口々に美味しいと喜んでいるのを見て、その時はさらに気持ち悪く感じたものです。

しかし、先のネズミと同様、虫を食べるのは土地の必然から生まれた食文化なのだろうと今では思います。
イスラム教でブタが禁忌なのも、太地町のイルカ漁も、アジアでの犬食も他人が避難するものなのか。
昆虫の場合、生でというか生きたまま食べて衛生上の問題はないのか少し気がかりですが、あれだけ美味しそうに食べていたのです。
実際、アフリカなどの貧困地域で虫を食べることで栄養を確保できると研究がされているというのを聞いたことがありますし、日本にも虫のてんぷらが食べられる店があったと思います。
韓国ではカイコの幼虫のサナギがよく食べられますし、中国でも芋虫を食べる地域があり、北京の屋台街ではムカデやサソリその他の串揚げが普通に売られています。

もうひとつタイではタガメを食べるのがよく知られています。
これもテレビの旅番組か何かで見たのですが、タガメを丸々食べるのではなく、尻尾をちょん切ってそこから出てくるエキスを美味しそうにすすっていました。
合わせてタガメは鋭い前足を使って小魚も食べる獰猛な虫だと紹介されていました。
そんな虫をてんぷらなどでなくエキスだけいただくというのは誰の発明なのでしょう。
フグの調理法同様、最初にこれを発見・確立した人は偉いなあと感心せざるを得ません。
日本では蜂の子が高級食材だと言いますし、蛇を食べたりもします。
刺身とか寿司だって、生の魚を食べると言うと気味悪がる外国人は未だに少なくないですから、タイと日本の特殊食事情は近いものがあるのではと思います。
しかし、4本足では机以外、2本足では両親以外何でも食べると言う中国にはまったく勝ち目はないでしょうね。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F1.5】
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Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/11 Mon

マイケル・ジャクソン賛歌

Nokton 50mmF1.5
たぶん20年ちかく前だったと思いますが、世界のビールを紹介するテレビ番組が数回シリーズで放送されました。
それが確かNHK教育での放送だったと思うので、ビールと青少年教育との関係が気になったりしましたが、解説していたのがマイケル・ジャクソンというビール評論家で、番組の内容はすっかり忘れた今でもその名前だけは忘れていません。
とは言え、わたしのビール知識のすべてはこの時のもので、その後、長いあいだビールは飲むばかりでその後まったく進歩していません。

番組の中ではアジアのビールは取り上げられなかったような気がします。
欧米での制作だから主にヨーロッパのビールばっかりだったと記憶していますが、マイケル・ジャクソン氏の著書自体ではアジアのビールも日本のビールも美味しいものは高く評価しているように、東南アジアのビールもけっして負けていません。
ベトナムやラオスはフランス領だったことから、いち早くヨーロッパの技術が入っていたようですし、タイの有名なシンハービールもドイツ系だと聞きました。

ドイツの租界があった青島の青島ビールもドイツの会社が元で、現在発売している、青島純生というちょっと高いビールはホップが効いていてなかなか美味しいです。
しかし、それ以外は中国で飲むビール飲むビール、日本の第3のビール並みの味でした。
地方のビールは大瓶で3~4元ですから60~80円と安いので、仕方なしというところでしょうか。
中国にはエリアごとにビールメーカーがあって、訪れた町でそれを見つけるのが楽しみでしたが、今回の旅でどうも各地の銘柄が減少しているのではと感じました。
タクシーの運転手にそのことを聞くと、雪花ビールというメーカーが台頭して地方ビールをかなり吸収したからとのことです。
以前は青島ビールが中国の全国ブランドでしたが、今や雪花が出荷量ナンバーワンかも知れません。
もちろん日本でと同様、ビールの出荷量が味や人気をそのまま反映しているわけではありません。

そんな中国からベトナムに陸路で入って、最初に飲んだビア・ハノイにおやっと思いました。
からり美味しく感じたからです
飲み物と言うのは湿度とか一緒に食べたものなどに影響されるのでそういう理由かと思ったのですが、チェコからの旅行者と話をしていた時そのことを聞くと、ビア・ハノイをはじめベトナムのビールは旨いと太鼓判を押していました。
彼はビールの聖地と言える、ピルスナーの語源になったピルゼン出身のビール好きなのでこれは信用できます。

一方、ラオスで飲んだビア・ラオもビア・ハノイに負けない味でした。
ビエンチャンのコンビニに行ったとき食品を見ると、多くのものがタイ製か中国製だったので、このビア・ラオは唯一、ラオス国内の製造物かも知れないと他の旅人と笑い合ったりしました。
このビールもタイのチェンカーンで出合ったレストラン経営するスウェーデン人が絶賛していて、少なくとも自国のビールやカールスバーグ、ハイネケンなどのインターナショナルなものより上だねと言っていたので信用することにしたいと思います。
ビア・ラオにはダークタイプもあって、これも絶品でした。
ベトナム、ラオスのビール恐るべしです。

ところで、中国やタイでは白昼ビールを飲む人々の姿をよく目にしますが、ベトナム、ラオスではツーリストを除くとまずは見ませんでした。
アルコール類は夜飲むものだと決めつけているところがあるのではと思いますが、もちろん日中暑いところでは、ランチ時などに喉を潤すのは最高の気分です。
作例は、ラオスのルアンプラバンからタイのルーイへ向かうバスのお昼休憩時に撮影したものです。
乗客のうちここでビールを飲んだのはわたしだけ。
ビア・ラオを飲める最後のチャンスと思ったから飲んだのですが、前述のとおり到着したルーイの先チェンカーンでも愛好されていると知らずひとり悦に行っていました。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F1.5】
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Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/09 Sat

性的マイノリティとは

Nokton 50mmF1.5
LGBTという言葉が定着しつつあるそうです。
ヨーグルトか何かと思ったら、それぞれレスビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの頭文字で、性的マイノリティーの人々を指す言葉だと先日知ったところです。
ニュースなどで性同一性障害が取り上げられたりで漠然とその存在は知っていましたが、身近に該当する人がいなかったのでピンと来るものがありませんでした。
知ろうとすることは何に於いても必要ですが、LGBTに関しては問題が問題なだけに、何か聖域のような安易には調べられないような感覚があって関心も持てなかったと言うのが事実です。。

しかし、よく考えてみると、タイを旅するたびにTに該当する人たちを多く見かけていました。
レディボーイと呼ばれる人たちです。
以前、中国人の友達とタイを旅行することになったとき、行ってみたいと言われた場所のひとつが、ニューハーフショーと呼ばれるレディーボーイのステージでした。
なるほど出掛けてみると美人が多く、総じて女性より長身のうえにスタイルがすばらしく、たいへん申し訳ないですが、昨年見たミスタイランドより軽く上を行っていたように思います。

また、バンコクのツーリストエリアにはバー街の様な地域があって、その中にかなりの比率でレディーボーイが混じっています。
混じっているという言い方になってしまうのは、わたしには完全に判別ができないからです。
明らかにそれであるとみなせるボーイたちも少なくないですが、声が低いのでそうだろうとか、直感的に女性ではないようだとか、そんな判断をしてレディーボーイ認定するしかありません。
タイ人の長身女性はレディボーイと勘違いされやすいのではと余計な心配をしてしまいます。

以前、タクシーで移動中、交差点にドレスの美女が数人いて見とれていたら、それに気付いた運転手にあれはレディーボーイだよと笑われたことがあります。
後でこっそりその場所を訪れてみたら、確かにそうではないかと思われる人がたくさんいてびっくりしました。
普通ならポートレイト撮影をお願いするところですが、彼女(?)たちは商売中なので、声をかけたらお客さんとしてどこかへ連れて行かれるリスクを考えるとそれができませんでした。

どうしてタイにはTの女性が多いのでしょうか。
噂では男性の大切な部分を削除手術する医療技術はタイが世界一で、世界各国からそれを望む人々が集まると言いますが、それがレディーボーイの増加と関係はありそうです。
関連するかどうか、浮気が絶えない旦那のそれを奥さんがはさみでちょん切ったが、男性はそれを手にして病院に駆け込んだところ無事再生されたという話も聞きました(機能が戻ったのかは知りません)。
タイ社会自体がいち早く男性の性同一性障害を受け入れて来た事実があり、少年にして公表しても友達や学校がそれを認めていたと言うことも聞いたことがあります。
また、タイ人のDNAがそうさせているなどの生物学的な理由が存在するのではと思っていますが、その方面の報告は未確認です。
旅行者は美女が向こうから近づいてきたら詐欺を警戒するようよく言われますが、タイに限ってはそれがレディーボーイであることを心配せよと言う金言があるのは有名です。

さて、ビエンチャンでは歓楽街を見なかったので、レディーボーイが存在するのかはよく分かりませんでしたし、そもそもそんなことを確認するために旅しているわけではありません。
しかし。とある中国系学校の前で、たいへん見てくれのよろしい少年に写真を撮らせてと声をかけたところ、そのお仲間の中にレディーボーイがいることに気付きました。
正直、怖い感じの女性(???)でしたが、撮影後に礼を言うと丁寧に礼を返したので、心優しい人だったようです。
社会主義のラオスでTの人々がどの程度の市民権を得ているのか分かりませんが、一般には厳しいことが想像されます。
ただし、ラオスはタイとほぼ同一民族であるため、先の生物学的理由説が正しければ、まだまだ潜在的に多く存在することでしょう。
ちなみに個人的な感想ですが、そのこととはまったく関係なく、ラオスは可愛らしい女性がとても多い国だと思いました。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F4】
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Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/08 Fri

ちょっとだけフェイスブックなど

Nokton 50mmF1.5
ベトナムのラオカイに滞在するにあたってフェイスブックを利用して待ち合わせなどをしてきたことを以前書きましたが、もちろんわたしはSNSなどとはまったく無縁で、ツイッターやLINEを含めて登録だけしてまともに使ったことなどありませんでした。
どういう仕組みなのか、フェイスブックではログインすると知り合いかもと何人もの名前と写真が表示されますが、実際にその中に知り合いが何人もいて、ということは相手にもわたしの写真が見られている可能性が高いのだと気付いて、フェイスブックなんてやらなければよかったと思っていたくらいです。

その後ハノイでもフェイスブック経由で別の友達と会って、彼の仲間とフリーハグ活動をしたこともどこかに書いたと思います。
その仲間たちと言うのが15人くらいなのですが、その全員とフェイスブック上の友達になりました。
フェイスブックは強制力がないとはいえず、誰か友達になっている人が書き込みしたりするとそれを通知するシステムができていて、フェイスブックを日常使用している彼らからのアクションですっかり賑やかになってしまいました。
こちらも「いいね!」ボタンで応答したり、ときどきコメントしたりでフェイスブック浸透度が高くなります。

さらに、旅の心配をしてくれた彼らに、こちらからも旅の一服などを発信してみることにしました。
食事のメニューとか風景を携帯で撮影して、一言コメントを入れて投稿します。
ラオスに入ってここがメコン川ですとか、ランチで食べたトムヤンクンが美味しかったとか他愛もないことですが、友達から義理いいね!や義理コメントが来てという具合にフェイスブックのコミュニケーションが続きます。
しばらくそんなやり取りをしているうちに、ひとり旅をしていると、どこかにつながっているということは、案外悪くない感覚だなと思えるようになってきました。

しかし、うっかりと何度も投稿すると自分の行動が筒抜けですし、友達に見ることを強要するようなところもありそうです。
ブログの場合は、投稿するときに時間のズレをつくることが可能ですし、勝手に投稿するだけで誰かに読むことを強制することもありません。
フェイスブックとブログのどちらを選択するかは好みや行動パターンによるでしょうし、わたしのように旅をするなら両者を併用してうまく付き合うのがいいような気がします。
幸いなのは、ベトナム語がさっぱり分からないので、彼ら内のやり取りにまでは参加する必要はないということで、日本人のつながりに入っていると苦労は絶えないようです。

安価に旅を続けようとすると、WIFIがなかったりあっても電波が脆弱でインターネット接続困難ということがしばしばです。
そういうものだと割り切っているので構わないのですが、フェイスブックの更新は待ってくれず、久しぶりに開くと状況が大きく進展しているのにわたしは無視しているようにとらえられるようになっていたりなかなかたいへんです。
また、お気に入りの女の子に少々気持ちの入ったコメントをして、あいつはあの子を狙っているらしい的な空気を作るヘマをやったことがありました。
まさか、この年で20歳そこそこの女の子をどうこうしようという気はないのですが、コメントと言うのは誤解とか拡大解釈とか怖さがあるというのを実感しました。

さて、今日の作例はフェイスブック友達とのフリーハグの活動の一コマです。
白めがねの女の子はわたしが声をかけたのですが、手にしているはさみでゴミを拾ってもらい、男の子が持った”YOU ARE THE HERO”と書かれたボックスに捨ててからメンバーとハグしてもらいます。
公園美化活動なのかハグによる平和活動なのかよく分かりませんが、フェイスブック上でも仲間の活動が出てきたりして、同じ活動をするグループがベトナム全土にあることが分かります。
あるいはそのフェイスブックの記事を遡って読めば、活動趣旨が理解できるかも知れませんが、そこまでフェイスブックに付き合うつもりはありません。
現在、フェイスブック上に友達が31人いて、内訳は、日本人5人、タイ人2人、モンゴル人1人、ラオス人1人、ベトナム人19人です。
ちなみに中国では政府の方針で、フェイスブックは閲覧できません。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F1.5】
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Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/06 Wed

ラジオ体操に非ず

Nokton 50mmF1.5
今回は、実に久し振りにフォクトレンダーのノクトンを持参しました。
ブログの記録によれば、前回の使用が2010年8月となっているので、およそ5年ぶりに手にしたことになります。
レンズを所有し過ぎているのでこういうことになってしまうのですが、このレンズの場合はもうひとつ事情があって放置されたままでした。
わたしはF1.5のレンズを集中して使うと言う意味のないこだわりを実践していたのですが、それでも使用できない理由があったのです。

わたしのノクトンはオリジナルのライカマウントではなく、プロミネントというカメラに付いていたレンズのため、MSオプティカルのアダプターでライカに使用できるようにしています。
このアダプターにもう1枚L/Mリング(ライカ・バヨネット。アダプター)と言うライカスクリューマウントからMマウントに変換するアダプターも付けているのですが、これが工作精度の低いもので通常より薄いらしく、それに合わせて連動カムも削ってあるそうなのですが、いったんそのL/Mリングを外したらどこかに紛失してしまい、以降、他のリングを代用したもののライカの距離計とは正確に連動しなくなってしまいました。
プロミネントにはノクトンの他にウルトロンとカラースコパーといういずれも個性的な名玉があってそれらも所有していることから、安いアダプターを買いなおして使おうかと思っているうちに時間ばかりが経過してしまっていました。
そのうちにライカをやめてα7をメイン機にしたところ、普通に無限が出て使えるということが分かり、このたびの再使用になったという次第です。

使用してみると、どうも描写が思った以上にやわらかくて好い感じに思いました。
しかし、ちょっとヒントを外れたところのハイライトが滲んでいたり、逆光のフレアもひどかったりなど、どうにもおかしな気がしました。
一見するときれいなレンズですが、光を透過して見ると中玉の周辺部にカビが出ていました。
どうにかならないかと鏡胴を捻ると前群部分がスクリューになっていて外れたのでクリーニングできるかと思ったのですが、カビは前群の内側だったためどうにもなりません。
専用工具がなければクリーニング不可のようで、少なくとも旅の間はそのままで撮るしかありません。
ハノイには古いカメラを扱う店もあったのでそこで開けられるかとも思ったのですが、時間が取れませんでした。
まあ、こういう描写も旅のノスタルジーが写るようで好しとしましょう。

カビに気付く前、サパのパオさんの家の隣の学校で授業が始まり、みんながお行儀よく並んで体操を始めました。
ちょっとだけ日本のラジオ体操と似ているところがありましたが、ベトナムのそれは省略型のようで、せっかくならラジオ体操を音楽ごと進呈してウォーミングアップに使ってもらったらいいのにと思います。
そんな姿を撮影しているとき、全体が写るようにと珍しくF4に絞って撮影したのが今日の作例です。
隅々までシャープに写っているのに感心しました。
いま思えば、レンズのカビは周辺部だけなので絞ることでカビ部分を避けるという効果もあったということで、レンズ本来の性能が発揮できたようです。
ただ、絞ってしまうとシャープなばかりで普通によく写っているだけと感じてしまいます。
フレアっぽい方が好いとは言いませんが、やはり開放の方が面白いなとは思います。

フォクトレンダーはペッツバール博士の設計に基づいて、最初にペッツバールレンズを世に出した会社ですので、わたしのとっては神のような存在です。
しかし、ペッツバール博士とは仲違いしてしまい、本拠ウィーンを離れれば特許が及ばないことを示したことで、他国メーカーにも多くのペッツバールレンズを製造させる功績があったと言えばペッツバール博士に怒られてしまうでしょうが、実際、わたしの所有しているペッツバールレンズのすべてがそうして製造されたものだと言えます。
しかし、日本におけるフォクトレンダーに対する認識は、ベルクハイルやベッサ、ヴィテッサ、そしてこのプロミネントなど、先進的なアイディアの詰まったカメラを世に出し続けたカメラメーカーとしての評価が圧倒的です。
レンズでいえば、少なくとも35mmではノクトンとウルトロン、セプトンくらいしか人気がないこともそれを裏付けています。

フォクトレンダーの代名詞と言えば、ハーティング設計のヘリアーですが、このレンズには35mm用がないので中判以上をやらなければ使う機会がありません。
性能はどうなんでしょうか。
シュナイダーのクセノンなどもそうですが、製造数が多過ぎて手に入れるのが簡単な割にはそれほど安くもなくてどうも手を出す気になれません。
プロミネント用ノクトンも数が多いために安いレンズで、プロミネントのボディ付きで2万円くらいで売っていることがよくありました。
しかし、今やプロミネントのボディを欲しがる人はいませんが、レンズはとても人気があって価格が高騰してしまったようですし、かつてのようにどこにでもあるようなものではなくなりました。
検索してもNoctonと入力するとまったく別の新しいレンズが引っ掛かるばかりで、いらいらさせられるのは、他のフォクトレンダーのレンズと同じです。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F4】
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Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/05/04 Mon

英語は彼らに学べ

Nokton 50mmF1.5
名所旧跡よりも人々の生活に興味を持って旅しているわたしにとって、言葉は非常に大切な旅のツールです。
現地の言葉ができないのは止むを得ないとしても、英語は学生時代にそれなりに勉強したつもりですし、旅の中で使う機会が多いと言うのにまったくものになっていません。
しゃべるのはダメですが聞き取りがまた辛く、欧米人の旅行者との会話では何度も聞き返し、そのうち申し訳なくなって何を言っているのか理解していないのに、うんうんと相槌を打っている自分に気付いて情けなくなることが何度もありました。

データとしての裏付けはありませんが、音楽経験者は語学能力が高い人が多いように思います。
音感があるので聞き取り能力に優れているからで、以前会った女性はしゃべるのはダメですが、イギリス人の英語をほとんど聞き取っていて、ときどき何々と言う単語ってどういう意味でしたっけとわたしに聞きながらどうにか会話を成立させていました。
持論にしたがって音楽が得意なのではと聞いたら、ピアノの先生だと言うので合点がいきました。
音大生でウィーンやパリに留学する人は少なくないと思いますが、送り出す大学側では君は音楽がこれだけできるのだから、現地の言葉の問題を心配する必要はありませんよと説明しているのではと想像します。
ピアノ経験者と語学力の関係を統計できたら面白そうです。

それよりもどこか国際機関で世界英語力ランキングを作成したらより面白いのではないでしょうか。
1位はイギリスかアメリカだろうと思われるかも知れませんが、いずれも移民が多くて英語をしゃべれない人が多いと聞きます。
英語ができないと国籍取得できないのであれば両国のどちらかが1位かも知れません。
しかし、南の島の小国とかが全人口しゃべれて優勝になるのではという気がします。
下位の方も気になりますが、日本は中国よりはずっとましだと思いますが、海外脱出熱の激しい韓国には完敗かも知れません。
アジアでの英語力は、わたしの予想では中国人を受け入れないできた人口の少ないシンガポールが圧勝のような気がします。

ランキングで日本は下位になり、韓国にも水をあけられたとなれば、文部科学省では英語教育により力を入れざるを得ないでしょう。
観光立国を目指しているところですし、このままでは東京オリンピックでおもてなしできなくなるので、核汚染水は管理下にあると言ったり日本はオリンピック招致に向けて嘘ばかりついていたと中韓から突き上げられてしまいますので。
今の勉強の仕方ではしゃべれるようにならないと、会話重視の授業に切り替えられることになると思いますが、英会話の授業を新設して講師を観光に来た欧米人から抜擢していけば、観光と両立して好いのではないかと思います。

なぜ会話重視で英語が身につくかと言うのもわたしにはよく分かりませんが、それを証明してくれていたのは、サパで出会った少数民族の女性たちでした。
物売りの人たちですが、十代半ばくらいの少女でもわたしよりはるかに流暢に英語を操っていました。
小学校から英語を勉強するのかと聞いたところ、勉強はしていないということでした。
同業の仲間から教わったところも多少はあるのでしょうが、基本的にはすべて物を売るときに欧米人との会話のやり取りから覚えたのだということでした。
その証拠に、男性は物売りにならないので英語は誰一人しゃべれませんでした。
彼女たちの発音はとてもきれいですが、逆に苦手なのはわたしのようにカタカナ英語でしゃべられることで、イギリス人とはスムーズに会話しているのに、続いてしゃべったわたしに何と言っているのか聞き取れないと何度も中断させられたことは屈辱の記憶になりました。

物を売ろうとする行為だけでは、当然、売買会話なるものしか身に付きませんので、それにまつわるところから会話の輪を広げるなどして語学力を身に着けて行っているようです。
売らんがためと必死になっている女性ほど英語力は弱く売るのにより苦戦しているようでしたので、そういう悪例に学びながらいろいろと会話して相手の関心を惹きつつよければ買ってほしいのですが的に攻めるのが効果的だと学んでいるのが理解されます。
英語レベルが上がればトレッキングガイドやよりよい職業への転身も可能なので、そういう目論見もあることでしょう。
ひたすら会話することと語学力を高めてのし上がるんだと言うハングリー精神が、英語学習には必要なのですね。
ちなみにパオさんの一家では、ガイドをしているパオさんと物売りの長女は英語ができますが、旦那さんや男の子たちは絶望的にしゃべれません。
作例の少女はパオさんの末っ子ですが、パオさんたちが頑張っているおかげでモノ売りの
必要はなく、したがって木登りするようには英語をしゃべることはできないのでした。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F1.5】
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Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/01 Fri

チェンカーンの贈り物

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チェンカーンは本当に小さな町で、メコン川に並行する狭い通りに沿って作例のような古い木造家屋の街並みが続いています。
家屋はほぼすべてが商店やゲストハウスに改装されてしまっており、昨夜到着したときは、古い街並みと言う気配も感じられなかったのですが、日中、門を閉じたままの閑散とした家並みを見るとなかなか風情があります。
観光地化しているので近郊の町より物価は高いのかも知れませんが、タイ人向けのせいか、わたしには価格はどこもリーズナブルなように感じられました。

日程が厳しくなっているので、まずはバンコクへの足の確保が必要です。
ルーイにはバンコク行きのバスがあるだろうと思っていましたが、そのバスはここチェンカーンが始発だというので、またソンテウに1時間揺られる必要がなくなったのが助かりました。
バンコクまで10時間で昼行と夜行があると言います。
もちろん夜行を選択しますが、その夜行は2種あって、普通バスとVIPバスのどちらにするかと聞かれたので、500円くらい高かったのですが、7時出発、3列シートのVIPのチケットを購入しました。
小屋のようなチケット売り場でしたが、さすがタイともなるとしっかりコンピュータを備えていて、座席指定ができるようになっています。
クラクション音の影響を受けにくく、後ろに気兼ねせずにシートを倒せる最後尾の席をとりました。
これで出発時間までゆったり過ごせます。

前夜にゲストハウスの主人にどこかよいレストランがあるかと聞くと、隣が値段が安いし美味しいと教えてくれて行ってみると実際その通りでした。
外国人はそれほど多くないし、お隣の紹介とあってか、自分たちが食事を始めるといろいろと取り分けてくれて、わたしにおすそ分けしてくれます。
そんなこともあって夜、昼、夜と3回も利用させてもらいましたが、毎回料理2品とビールを頼んで300~400円くらいと安く、ベトナム、ラオスの共産圏から自由のタイへ来て物価も上がると懸念していたのに、財布が痛まないままに旅できることを理解できました。
最後の食事の後はこれからバスでバンコクへ向かうと言うと、バス停までバイクで送ってくれる親切ぶりでした。
英語はあまり通じない人たちでしたが、田舎の人がみな親切であることは韓国から中国、ベトナム、ラオスと一貫して感じてきたことです。

わたしはレンタサイクルを借りようとしたのですが、これもレストランのおじさんが出てきて、自転車なら宿のがあるのだからそれを使えばいいよとアドバイスしてくれ、主人不在で無断借用でしたが、自転車で郊外まで走ったにも関わらず、返却時に文句を言われることもありません。
近くにチェンカーンイミグレーションというのがあって気になっていたのですが、メコン川の渡し船の出入国管理がなされているものの、ラオスに行きたいと言うと外国人の利用は不可なので、申し訳ないねと言われました。
反対方向に走るとお寺があって英語の達者なお坊さんがいました。
子供さんを交通事故で亡くしたことをきっかけに仏門に入ったとのことで、いま一生懸命勉強しているところだといろいろな話を聞かせてくれます。
しかし、さすがに外国の仏教事情までは知らなかったようで、日本のお坊さんは結婚して子供をつくるし、お酒も飲めるんですよと言うと、本当かと目を丸くしていました。

今日は前夜の雨の影響あってか割と涼しかったのですが、午後には日が出て暑くなってきました。
そうなることは織り込み済みで、宿にハンモックが吊ってあったのでビール片手にまどろみました。
猫とじゃれたり揺られているうちにいつの間にか眠りに落ちたのですが、この体験が今回の旅の中でいちばんアジア的な時間を過ごせたと言えるのかも知れません。
そのあとメコンの川岸に出て見た向こう岸に落ちる大きな夕日がきれいでした。

チェンカーンからバスに乗ったのはわたしの他に前方に男性がひとりいるだけでしたが、遅れてもうひとり乗り込んできました。
チケット売りの男性でした。
チケットを買いに来たのがふたりだけだったからでしょう、わたしのことをよく覚えているようで、乗り込んでくるや親しげに話しかけてきます。
バンコクからホテルまでの行き方を教えてくれたり、何かと世話好きな人のようです。
あなたもバンコクへ行くのかと聞くと、そうではなくて住まいがルーイなのでこのバスでルーイまで戻るのだとのことです。
フェイスブックで去年生まれたという子供の写真を自慢げに見せてくれたりして、お互いにアドレスを交換しました。
バスは30分ほどでルーイ市街に入り、ここがわたしの家だと彼は去っていきました。
続けてバスターミナルに到着し、10人近くが乗り込んできましたが、バスはまだすいています。
となりにもバンコク行きのバスが停まっていて、選択しなかった普通バスのようでした。
後部座席の子供がこちらを見ているので手を降ると答えてくれて、互いにベロベロバーとか窓越しにキッズ・コミュニケーションしていたところ、彼らの方が30分早い発車で行ってしまいました。
こちらのバスもそろそろ出発かという時間になって、わたしを訪ねてくる人がいました。
それはチケット売りの男性で、いちど家に戻ってからわたしにプレゼントを渡しに来たんだよと小さなアクセサリーを手渡してくれました。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F1.5】
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Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/25 Sat

20時間のバス旅

Nokton 50mmF1.5
わたしをバスに送り届けた女性の名前はフオンでしたが、これは奇しくもラオカイの少数民族の友達と同じ名です。
彼女は昨日公園でフリーハグ活動をしたときも、食事の時もつねにわたしのそばで何かと気遣ってくれていました。
わたしに個人的に関心がということなら非常に嬉しいですが、そうではなくて彼女の面倒見の良い性格と日本に対する強い興味が理由のようです。
彼女のフェイスブックを見たらテレビ局の仕事で少数民族の村を訪ね歩いている写真が何枚かありました。
内容はよく分かりませんが、村の置かれる現状をリポートして早急に解決をとリポートしているように感じられ、そんな問題解決の糸口を先進国・日本に見出そうという意識が自然と働いていたのかも知れません。
わたしがサパで感じたことを話した時も、熱心に聞いてくれたように思われました。

そんな真面目な彼女が必死で捕まえてくれたバスだったので本人には申し訳なくて言えなかったのですが、行先が違っていました。
わたしが次の目的地に考えていたのはラオスの京都とでも言うべきルアンプラバンでしたが、このバスの行先は現在の首都ビエンチャンでした。
また回り道になってしまいますが、そんなことよりぎりぎりのタイミングでバスに乗れたことの方がいかにもわたしの旅らしく重要です。
バスは中国式の3列寝台タイプで、ありがたいことに半分くらいしか乗客がなくゆったりしています。
イギリス人はじめ西洋人の男女の若者たちが8人ほどいましたが、せっかく上下二段になっているベッドの下段が空いているにも関わらず、上段に陣取っているのが半分くらいいます。
彼らは、バックパッカーらしくあえて過酷なベッドを選ぶのでしょうか。

わたしが下段のベッドに横になり、そのままでは膝を曲げているしかない足を通路に伸ばしていると車掌がやって来てチケット代550000ドンを出せと言ってきます。
500000だときいたがと言うと、いや550000だと押し問答になりました。
差額の50000ドンは約300円ほどですが彼のポケットマネーになるのでしょう、だったらチケットを発行しろと言うと、分かった500000ドンでいいとあっさり引き下がりました。
休憩時にもうひとり日本人が乗っていることが分かり、この1件を話したところ、チケットはそんなに安かったのですかとショックを隠せないようでした。
わたしがホテルで言われたのと同じ62ドルで彼はチケットを買っていたのでした。

わたしがハノイの高速道路下でバスに乗り込んだのは夜の7時で、到着予定を聞くと夕方4時ころだと言うので21時間もかかることになります。
ほぼ丸1日近くバスに乗っているのでさぞかしきついと思われるかも知れません。
しかし、今回、下段ベッドに寝られたことで足を通路に置くなど姿勢が自由になり、懸念された未舗装などの悪路もなかったようで、ほとんど楽に感じられるバスの旅でした。
同じようなバスに乗った北京から二連浩特のバスは上段だったため姿勢が変えられず(姿勢を変えた瞬間前の人の頭を蹴っ飛ばすか、自分が落下する)、後ろのやつらの足が匂って地獄のようなバスでしたが寝る位置によってはそうはならなかったでしょう。
移動が快適かどうかは、案外と紙一重なのだと感じます。
わたしは陸路移動がポリシーなので使いませんが、ハノイからはビエンチャンにもルアンプラバンにも航空便があってしかも安いので多くの旅行者はそれを利用します。
しかし、以前機内で隣に乗り合わせたインド人の香水(?)があまりにきつくて耐えられず、座席を移ったことがあるので、短時間の飛行機がバスより快適とは言い切れないことも申し添えておきたいと思います。

バスは早朝にベトナムとラオスの国境に到着しますがイミグレーションオフィスのオープンが7時のようでしばらく停車してタイミングを見計らって車掌が起こしてくれます。
ベトナム出国審査を終えて、徒歩約10分で国境の緩衝地帯を過ぎ、ラオスの入国審査を受けました。
陸路越境の洗礼なのかいずれも1ドル手数料を請求されたのですが、これも係官のポケットマネーではないかと疑われるもので、ここで出し渋って出国拒否、入国拒否になっては一大事なので笑顔で支払します。
わたしはドルの持ち合わせがないので余っていたベトナム紙幣を渡しましたが、だいぶ足りないのを負けてくれたりしてくれたところをみても、公式のものでないのは明らかです。
その後、昼食休憩をとったりしながらバスはビエンチャンに到着しましたが、なぜか予定より1時間も早い3時に到着しました。
バスターミナルは市街から離れているようで、路線バスを探していたところイギリス人たちが10人まとめて10ドルで乗り合いバスに話を付けてくれました。
距離が分からないので何とも言えませんが、5ドルとかでもいけたのではと思われます。
運転手のほくほく顔がそれを証明していました。

もうひとりの日本人の竜クンはバックパッカーなので安宿に荷を下ろしましたが、わたしはもうちょっといいところがないかと探して、高級リゾートホテルのようなところで1泊28ドルと言うのを見つけました。
予算オーバーですが、この施設なら大満足だと支払しようとすると128ドルとなっていました。
さっき28ドルと聞いたがといって少し揉めましたが、さすがにいくら物価が安いラオスでもここが28ドルはあり得ません。
ワンハンドレットの部分を聞き落とすとは考えにくいので、ちょっと胡散臭い感じがしましたが、わたしが聞き間違えた申し訳ないと詫びて、ウェルカムドリンクまで飲んでいたのを無罪放免してもらい、別の安宿に落ち着きました。
ハノイのホテルもそうでしたが、どうもアジアの都会のホテルは一筋縄でいかないところがあるようで、以降気を引き締めたいと思います。
さて、作例はホテルから徒歩10分ほど、夕涼みにメコン川まで出てみると多くの人たちが遊んでいたので、女性に声をかけて撮影させてもらったものです。
対岸はもうタイです。
それはともかく、この女性のスカート、少し短すぎやしないでしょうか。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/20 Mon

今度はハグする

Nokton 50mmF1.5
そろそろ帰国の日程を意識しなければいけなくなってきました。
もともとはハノイに立ち寄る予定はなく、中国・雲南からベトナム・ラオカイに入り、サパで憩ってからディエンビエンフー経由でラオス・ルアンプラバンへ抜けようと考えていました。
このルートは地図を見る限り昆明から石屏を通るバンコクへの最短ルートであって、ハノイまで足を延ばすのはかなりの迂回になります。
もともとラオカイのフオンから実家に遊びに来てほしいと言われていたので、上述のルートで旅脛中で立ち寄ろうと思いフェイスブック上でその旨やり取りしていました。
しかし、どこで漏れてしまったか、昨年、ハイフォンでビールを散々飲んだ友人からラオカイまで来るのならハノイにもぜひ来るようにと直前になってオファーがありました。
断る理由はないですし、もともと予定あっての旅ではないので、このようにルートが変わることは歓迎します。

昨夜、酒の席とはいえ、若者たちは口々に日本を賛美して、私を日本に連れて行ってと真面目な顔で言う子まで出てくる状況でした。
逆に中国に対してはブーイングで、去年同様のことが話題になった時に中国を悪く言う人がいなかっただけに、西沙諸島の問題以降の対中感情の悪化がよく理解てきました。
とにかく日本好きというか尊敬している部分が大きく、中国に反感が強くて、自国を愛しつつも自虐的になっているので、みんな熱心な親日家として接してくれて居心地が抜群に好いのです。
ただ、それに甘えてズルズルとハノイに滞在していては先に進むことができないので、昨夜、明日の夜にはハノイを出発してラオスに向かうと宣言していました。
すると、では明日お別れ会をやるから出席てきる人は集まるようにとなったので、翌朝、のこのこと友人宅にタクシー(やはりバイクタクシーには乗りたくない)で出向きました。
友人とふたりだけになるかなあと思っていたのですが、他に女の子が4人来てくれ、中にはハグしてくれたテレビレポーターの子もいて感激です。

総勢6名なので、昨日の食事はご馳走になったこともあり、日本食のレストランでご馳走しようと申し出たのですが、それはまたハノイに来たときにねと言われてしまいした。
カフェでおしゃべりしたあと、友人宅のそばの市場にみんなで買出しに行き、女性陣が調理して食事することになりました。
出てきたのは生春巻きでした。
ちょうど日本の手巻き寿司のように、調理時間のない時などこちらの人は仲間内でよくやるのだそうです。
具材は10種類以上あって、手巻き寿司ならかなり悩むところですが、生春巻きは巻けるものは何種も巻いてしまうので、好きなものをがんがん取ってという感じです。
わたしが巻くのは不器用で遠慮がちにしていると見るや4人の女の子たちがかわるがわる巻いては手渡ししてくれて、ほとんどハーレムというか介護されているような状態でした。
これでは絶対にまたハノイに来て、彼女たちに日本食をご馳走しないといけません。

少し困ったことがありました。
ベトナム料理が好きかという話になって、もちろん大好きだ、旅の初めに奈良でベトナム料理を食べてきたくらい、と答えたのですが、では何という料理が好きかと聞かれて、うっと言葉に詰まってしまったのです。
ベトナム料理の名前と言われて知っているのは、わずかにこの春巻きとフォーくらいのものです。
これではいま好きだと答えたのに矛盾しています。
さらに、いま食べているのは春巻きではないとまで言われて愕然としました。
日本では揚げ春巻きと生春巻きと言いますし、途中のレストランの英語メニューでFried Spring Roll or Fresh Spring Rollという表記を見ているので、他の外国人も同じように春巻きを認識していそうですが、どうやら当のベトナム人は生春巻きには違う名前を付けて別物として区別しているようです。
そのあたりがよく理解できなかったので、こんど日本語堪能なベトナム人に確認してみたいと思います。

そんなどうでもいいことも含めて楽しい時間を過ごしましたが、ラオス行のバスに行く時間になりました。
みんなとはお別れですが、ハグの子がバスターミナルまでバイクで連れて行ってくれると言います。
ホンダのスクーターに体重の重いわたしと機内持ち込みサイズより一回り大きなトランクを載せてもらうのは申し訳ないを通り越して危険なような気がしたのですが、彼女も義務感にかられたように大丈夫だと言い張っています。
他のメンバーたちとはここでお別れして再会を誓いました。
彼女にギュッとつかまっていたいようなセンチメンタルな気分ですが、トランクは彼女とわたしの間に縦にしておくので、わたしはトランクを抱く形で出発します。
しかし、こんなに重たいものを積んで走ったことがなかったのでしょう、いきなりバイクはバランスを崩したためにわたしの肩が路上の屋台にぶつかり、乗っていた食べ物の半分くらいが落下してしまい、わたしと彼女は顔面蒼白になりました。
見送りに立っていた友人たちが飛んできてくれて、慌てふためく売り子のおばさんを取り成してくれ、わたしは意味もなく中国語で対不起、対不起と詫びながら、立て直したバイクにしっかりつかまって走り去りました。
悲しい別れが一転、振り返ると、コメディドラマのような状況にみんなが大笑いしているのが見えました。

ところが、この後すべてがうまくいったと言うわけではありません。
前夜、ホテルでラオス行のバスチケットを代行販売しているというので予約しようとすると62ドルだと言われ、ちょっと高すぎると思い購入を思いとどまりました。
コミッションとバスターミナル送迎料をかなりボッテいるように思えたのです。
検索するとラオス行のバスが出るターミナルが分かったので、直接行ってチケットを買うことにしました。
しかし、そのターミナルにバイクが着くと、ここからはラオス行は無いと言われます。
少し動揺しましたが、たぶんわたし以上に動揺したのは彼女の方だったと思います。
わたしにしてみれば、バスに乗れなければもう1泊して明日向かえばいいし、むしろ彼女を誘ってこのままふたりで食事に行く手もあると呑気に考えたのですが、彼女の方ではこれからベトナムを去る人を送り届けることができなくてはベトナム人の名折れだとでも思ったのか、必死になってあちこち電話してラオス行のバスを追跡してくれたのです。
今いるところから比較的近くに高速の入り口があるので、そこを経由するようにとでも指示したようで、そこで無事にバスを捕まえることができました。
そして料金は50000ドンだというので、20ドルほどでした。
やはりホテルでは3倍もの料金を吹っかけてきていたのです。
高速のガード下にはバスがすぐさまやって来て、いよいよ彼女ともお別れのときになりました。
わたしはトランクを足元に置き、無言で彼女にハグします。
それは10秒ほども続きました。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/19 Sun

恥をかき捨てられず

Nokton 50mmF1.5
ラオカイのバスターミナルと駅前からは多くのハノイ行のバスが出ていました。
もともとあった路線に、高速道路の開通もあって多くの会社が参入してきているようです。
多くがハノイ郊外のバスターミナル止まりなのに対していくつかのバスが中心まで行くのに料金は全社一律なことから、そんなバスを選択して乗り込みました。
バスは中国のものと同様の3列スリーパータイプでしたが、乗車率は3割程度なのでかなり楽ちんです。
出発してすぐに高速に乗ったので、一気にハノイまで突き進みそうでしたが、やはりそうそう甘くはないのが東南アジアのバスです。
高速の路肩にはときどき人が立っていて、それを認めるとバスは停車してハノイに行きたい人は拾っていくという仕組みなのでした。
何度かこれを繰り返して合計15人くらい乗ったり降りたりしたので、せっかくの高速道路の威力も半減してしまったかのようでした。

さて、そうしてハノイに着いたのですが、このあととても恥ずかしいミスを2つ立て続けにヤッてしまいます
最初はまずホテルですが、ハノイも3度目なので安宿で交渉しようとホテル予約サイトで目ぼしいところの価格を調べてそこでは予約せず、直接ホテルで交渉して価格を下げようとせこい試みをしました。
Aurora Hotelというのが23ドルとなっていたので、サイトを通さないことで20~21ドルで宿泊しようとしたのですが、あっさりそれは成功します。
しかし、部屋に入ると妙に埃っぽいし配線とかむき出しで、とても口コミ評価の高いホテルには思えません。
ハノイの友人が迎えに来てくれることになっていたのですが、いつまで経っても来ないのも不自然でした。
おかしいと思ってロビーに降りてみると、ホテル名はAllura Hotelとなっていました。
通りに出ると7~8軒先に本来泊るべきAurora Hotelがあって、中では友人があれっという顔でわたしを見つめているのでした。

ミスは立て続けに起こります。
その友人のお宅で食事することになり、彼は自転車でわたしは彼が行先を告げたバイクタクシーでその家を目指します。
てっきりバイクがゆっくり走っていっしょに行ってくれると思ったのですが、バイクはあっという間に先を進んでしまいました。
そして、ここだと言って卸されたところで最初に言われていた50000ドン渡そうと財布を見ると200000ドン札しかありません。
150000ドン釣りをくれと言いながら手渡すと、何か大声で叫ぶや否やそのままバイクは走り去ってしまいました。
勢いよく走り去るバイクに追いつけるはずもなく、わたしはすっかりやられてしまったのです。

これだけでも恥ずかしいことですが、それからがまた恥の上塗りでした。
当然バイクがわたしを降ろしたところは友人が言った場所とは違っているでしょう。
わたしは友人のところに行かなくてはと思いましたが住所が分かりませんし、電話もなかったので、まずは警察に行くべきと判断しました。
英語の通じそうな高校生に警察はどこか聞きましたが近くにはないと言います。
その次にインテリ風の男性に声をかけましたが、その人は英語が通じないようで、こちらで失礼しましたと頭を下げると、男性がちょっと待てと言う風に店の中にいた青年に声をかけてくれました。
彼は英語ができるのだろうと同じように警察はと話しかけるも英語はダメでした。
がっくりしてありがとうと言うと、あなた日本人?と日本語で聞かれました。
なんと彼は日本に留学している学生だと言い、わたしの説明を聞くと友人に電話して呼び寄せてくれました。

そこで、わたしは申し訳ないがこれから警察まで付き合ってくれ、150000ドンも持ち逃げされて泣き寝入りはできないと言いますと、ふたりは、えっ、という顔をしています。
わたしは15万という単位をよく考えずに大金を持ち去られたと動揺していましたが、それは800円程度に過ぎなかったのでした。
物価の安いベトナムではそれなりの価値のある額ですが、その程度ならベトナム人でも諦めるよと友人に笑われながら友人宅に向かうことになりました。
1キロくらい離れていましたが、もちろんバイクで行くのは拒否して歩きます。
ちなみにその青年は、一時帰国していたものの翌週、新宿の学校にまた通い始めるとのことで、日本で再会することを約束しました。

友人は、昨年ハイフォンを訪れたときに知り合った青年で、彼はその後、ハノイで食品商社の事業を始めたそうです。
自宅がオフィスで弟や親戚が従業員している規模ですが、しっかりと登記してオリジナルのロゴ入り製品も出していました。
自宅は市場のはずれの庶民的エリアですが、野菜や肉が安く手に入るからと、彼の会社の腸詰も入れて鍋の食事を楽しみました。
遅くなって帰るときは、ビア・ハノイでかなり酔っていましたが、バイクタクシーは嫌だと言うと思ったのでしょう、わざわざ知り合いを呼んで送ってもらいました。
バスの移動、ホテル間違い、バイクの持ち逃げ、再会祝いの鍋とどたばたの1日で、撮影はそのバイクの後ろから撮った数枚だけでした。
こんなに混沌としている中を飛ばしていたのですから、やはり胡散臭い運転手と気付くべきでした。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/04/18 Sat

わたしから買ってください

Nokton 50mmF1.5
「コン・ニオン・ハーイ」。
これが、わたしが覚えた唯一のモン族の言葉で、こんにちはの意味だそうです。
何しろ出合ったモン族の人は英語を器用に操るので、彼らの言葉を知ろうとする旅行者はみかけず、わたしのみが連発していました。
最後のハーイは、英語でハーイと伸ばして挨拶するのと同じイントネーションでしたので、発音しやすかったのですが、あるいは外国人の挨拶を聞いて自分たちの挨拶にも採り入れたのかも知れないなどと思いました。
ちなみにベトナム語のこんにちはは「シン・チャオ」ですが、このチャオの部分もイタリア語から採られたのではと勝手に想像しています。
また、日本語のはい・いいえのはいは、広東語から採用されたそうです。
すれ違うモン族の人々にコン・ニオン・ハーイとやると、だいたい7割くらいの確率でコン・ニオン・ハーイと返ってきていましたので、FCバルセロナのボゼッションと同じ程度の率で迎え入れてもらっていた感覚でした。

モン族はとても温厚で真面目な民族であるとの印象を持ちましたが、もちろん良いことばかりではありません。
これは本来彼らの責任ではなく、観光化に伴い外国人が多く現れてモン族の価値観を一変させるほどの現金が持ち込まれたことに起因するものでしょうが、あらゆる人々がモノを買ってくれとしつこく迫ってくるのには苦しめられました。
サバ到着日は日曜で学校が休みだからでしょう、それこそ年端もいかない少女から老婆までが観光客を見かけると、わっと近づいていってブレスレットだ刺繍の財布だと言って、買ってくれ買ってくれと複数人に囲まれます。
脈ありと見られるとかなりしつこいので、お金がないのでごめんねとか言っても、1個50円のもあると言って離してくれません。
ようやく解放されても、10歩も歩かないうちに別の物売りに囲まれてでなかなか前へ進めません。

ハイキングの途中の村では小学生くらいの女の子が4人並んで低い声で歌いながら現れました。
讃美歌のように美しい響きでしたが、よくよく聞くと「Buy One For Me. Buy One For Me.」をひたすら繰り返していました。
それが懇願するような顔ではなく、まったく無表情だったので何かその旋律とあいまってハイカーの悲しみを誘うようなところがあります。
いつまでも耳から離れませんでした。
ガイドのパオ自体がまたモノを売りたがっている雰囲気でしたので、通りすがりの人から何か買ってしまうと、後であの少女から買ったのにわたしからは何にも買ってくれないのと言われそうで、彼女の家に着くまでは耐えるしかないと思っていました。
案の定、到着早々何か買ってくれると嬉しいと来ましたが、それは彼女自身だけでなく、パオの妹だという女性と仲良くなった14歳の娘からもあり、必要のないテーブルクロスとカメラのバッテリー入れに転用できそうな財布、これはまったく使い道の思いつかない唇の間に挟んではじくことで妙な音を出す伝統楽器をそれぞれ購入せざるを得なくなりました。
テーブルクロスは、それを使って食事しているようなおしゃれな生活する誰かへのお土産にしたいと思いますが、そんな知り合いを思いつきません。
藍染の手製のものですが、どなたかもらっていただけないでしょうか。

さて、今日がハイキングの最終日ですが、依然としてパオの顔色が冴えませんし、昨夜も4歳の孫が調子悪くなって夜中に泣き叫んだこともあって、無理せずそのままサパに向かって歩いてもらいました。
夕方のバスでラオカイに行って、夜汽車でハノイに行くか、ラオカイに1泊して朝のバスでハノイに向かうかすることにしたのです。
お昼はサパの食堂でしたが、体調不良で日程が短縮されたようなかたちになったので、パオがご馳走してくれました。
ただ、料金は約束通り3日分30ドル相当のベトナム紙幣を支払います。
中日は3食付で、初日の朝食と3日目の夕食はなかったので、一律1日10ドルというのも変なのですが、それ以上に楽しませてもらっているので何も文句はありません。

道すがら、ホテルの並ぶ通りからわずかばかり離れてポツンと建つ1軒のホテルが気になっていました。
各部屋にベランダがあって花が飾られており、そのベランダの正面には山々が対峙していて、目隠しでここに連れてこられたらヨーロッパ・アルプスのどこかのホテルと間違えてしまいそうです。
時間に余裕があったので、ここでビア・ハノイをいただきました。
ビールの国のチェコ人、ヤコブもこのビア・ハノイを絶賛していましたが、ビールのまずい中国から来ると最高の幸せを感じられます。
ビールを飲みながらホテルのレセプションの女の子に、ハノイへの列車の時間を調べられるか聞いてみました。
すると、どうしても鉄道で行きたいのですかと尋ねられます。
フオンから鉄道もバスも時間はあまり変わらないので、寝台列車で行った方が楽だと聞いていたのでそのように言うと、何でも少し前に高速道路が開通したのでバスならそれまでの10時間が半分の5時間で行けるようになったとのことでした。
それはたいへんな朗報です。
時間が短縮した分徒歩では行けなかった奥地の村を訪ねるべく、その情報をいただいたホテルに敬意を表して宿泊することにしました。

村への訪問についてもレセプションの少女は手を貸してくれて、そこまで行くならバイクがいいとスクーターを手配してくれました。
さっそく跨りましたが、ビールが効いてふらふらしていて、それではバイクは危険だと止められてしまいました。
そもそもわたしはスクーターを運転したことがなくどうやるのか聞いたことが、事故ってバイクを壊されると不安にさせたのでしょう、結局、運転手付きのバイクがやって来て彼の後ろに乗っていくことになりました。
30キロ近く離れたタイ族の村まで行きましたが、これだけ奥地まで行けばより素朴な生活が見られると期待したのですが、確かに観光客やモノ売りはまったくいないものの家屋も村の雰囲気もそれほど変化なくちょっと期待外れでした。
作例は19歳の美少女ですが、ここまてで来た甲斐あったと盛り上がりましたが、よく見れば背中にはしっかり彼女の子がすやすや休んでいるのでした。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(6) | 2015/04/15 Wed

みんな英語が達者

Grubb 20cmF3.5
パオさんのハイキングツアーに集まったのは、チェコ人のヤコブとイギリス人のルーク。
ヤコブのガールフレンドと妹は前日、バイクで怪我したらしく不参加になってしまい残念。
ヤコブ自身がいかにも伊達男なので、ふたりともかなりの美女と想像されたし、女性が同行すればトレッキングのスピードも遅くなって最長老のわたしにはありがたかったので。
しかし、ヤコブもルークも30代前半のとてもいい奴と呼びたくなる青年で、道々楽しく会話しながらハイキングを楽しみました。
問題は、わたしの英語力で、こればかりはどうにもならないのですが、彼らの会話からいくつか単語や表現を学ぶことができたし、勉強になるツアーでした。

わたしは短期のトレッキングツアーに2度参加したことがあります。
タイのチェンライとペルーのイキートスというところですが、いずれもツアーはわたしの単独参加で、現地ガイドとのマンツーマンになりました。
習慣や気候、植物、動物その他もろもろ聞くべきことは山ほどあるので、ガイドとコミュニケーションが取れれば、他の参加者がいるのは邪魔なことのように思っていました。
しかし、異文化の若者がいっしょになると話の方向があちらこちらと広がります。
特に彼らの視点から現地の文化をどのように感じているのかを聞くのはとても興味深いことでした。
彼らは当地の人たちの生活のいろいろなところを驚きをもって見つめていましたが、けっして蔑視したりということはありません。
価値観の違いとして一目置いているのがよく理解てきました。

ハイキングは、過去の経験から、ジャングルのようなところを歩くようなイメージでいたのですが、高原のサバでは植物が密生しているという感じではなく、みちもしっかりしていて、本格的トレッキングというのとは違うのかも知れません。
そもそもガイドのパオもサンダルで歩いているし、ヤコブとルークは短パンです。
もっともわたしも革靴で歩いているくらいで、こんなんではそもそもハイキングともいえなかったでしょう。
ただ、アップダウンはかなりきつく、前々日まで雨だったという道はところどころぬかるんでいて、急な下りでスリッピーな個所はかなり危険でした。
一方で、高度2000メートル近くあるために強い日差しの中でもそれほど暑くなく、時折吹く山の風が爽やかで、景色の美しさと相まってこんなに気持ちのいいこともないと感じました。

少人数のツアーはいくつも出ているようで、20組くらいの人たちと会いましたが、すべて西洋人でした。
ガイドの現地人を除けばわたしが唯一のアジア人です。
しかし、現地の人たちは英語が堪能で、子供たちを含めて、サバにいる人々の中でわたしがいちばん英語力がなかったようです。
途中、合流したふたりのイスラエル人ギャルまで完璧な英語でわたしに質問するのですが、半分も聞き取れないのに、パオは何でもないように会話していました。
ラオチャイ村のパオの家でみんなでランチを食べ、隣村のタヴァンまで歩くと、日帰り参加のヤコブとルークはバイクでサバに戻りました。
絶妙なタイミングでヤコブの彼女と妹が現れ、やはりふたりとも美人で、このふたりを引き連れて旅するヤコブが羨ましくてなりません。

夜はイスラエル人のダニエラたちと泊りましたが、彼女たちは5ヶ月間かけてタイ、ミャンマー、カンボジア、ラオス、ベトナムと旅して来たそうです。
ふたりとも二十歳で初めての旅だそうですが、すでに風格も出てきていて旅のベテランです。
彼らをすばらしいと思ったのはコミュニケーション能力で、英語力があるので旅行者同士ではすぐ親しくなるし、言葉の通じない現地の子供たちとも仲良しになっていました。
ふたりとも通じていないのを承知でしっかり目を見ながらゆっくりした英語で話しかけていました。
子供たちは、分からないまでも一生懸命聞くことで何とか意思の疎通を図ることを成立させていました。
言葉が通じていなくても語り掛けることでなんとなく意味を通じさせられるということを理解しました。
そのほかこのふたりからは学ぶことが多くあって、わたしもローカルの子供の一人だったように感じました。

作例はパオさんです。
モン族という民族ですがモン族は3つの系統があって、赤っぽい服を着ているレッド・モン、華々しい服のフラワー・モン、そして彼女たちは黒っぽい衣装のブラック・モンです。
ブラックと言うとブラック企業のようにダーティなイメージですが、そのようなことはないので安心ください。
角が生えているように見えますが、これはバッファローの角に炭を入れて真空にしてから額につけています。
頭痛によく効くのだそうです。
彼女は36歳にしてすでに3歳と4歳の孫がいますが、彼女自身の子供にも6歳の子がいて、このへんの家族関係を理解するのに2日かかってしまいました。
わたしよりずっときれいな英語を使いますが、彼女は英語を勉強したことがないそうです。
外国人とやり取りするうちに自然と覚えたそうです。
逆にわたしのように発音が悪いと、彼女にはなかなか理解してもらえませんでした。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F1.5】
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Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/13 Mon

雲南から越南へ

Nokton 50mmF1.5
携帯にPCまで持って旅していると、俄然それらをフルに活用したくなります。
しかし、それではずっとネット情報にコントロールされたような旅になってしまうような心配があります。
特に少しずつ移動していくような旅は多くの人が似たようなルートを取るので、誰かの旅のブログを読んでしまえば、それをなぞるような旅になってしまいかねません。
ネット検索はなるべく控えて、情報はできるだけ現地で、を鉄則にしたいと思います。
実際、建水ではそれが奏功して、少し前に鉄道が開通したという話を聞いて、ピカピカの新車両で河口まで行くことができ快適でした。
確認してみましたが、ネット検索してもそんなことはどこにも出ていませんでした。

河口、ラオカイ間の国境はすでに前回、中国滞在をオーバーステイしないためだけに越えています。
陸路国境越えは新鮮味や緊張感があってもいいはずですが、新宿駅の改札を通るような感覚でした。
今回は、ベトナム側の入国審査を終えたところに待ち人がいます。
以前にハノイで知り合いになったフォンとここで会うことになっていました。
当時、大学生だったフォンは昨年の夏に地元の学校教師として就職を決めました。
わたしが中国からベトナムに陸路入国すると知って、ぜひ、ラオカイの実家に来てほしいとメールしてきたのです(実際はFacebookのチャット)。
2時半の待ち合わせでしたが、前回、ハノイの空港に遅れてきた彼女も、さすが地元だけに時間通りやってきました。
実は、わたしの方が、中国・ベトナム間の時差のことを忘れていて、1時間早く着いてしまっていたのです。

少数民族の彼女の家はラオカイからさらにバイクで30分のところだといいます。
実際には、重たいわたしとトランクを載せているので彼女のバイクで1時間近くかかりました。
ムオンコーンという村のいくつかある集落のひとつだそうで、少なくともその集落を訪れた最初の外国人ということだそうですし、外国人を連れてきた最初の村民ということで彼女の鼻も少し高くなっているように見えました。
彼女の家は周辺一帯ではよく見かけた、畑仕事用の牛(いわゆるバッファロー)や豚の小屋を併設した平屋建てで、キッチンが別棟になっている典型的農家のようでした。
夕方近くでしたが両親は畑から戻っておらず、80歳だというおばあちゃんが何やら歓迎の言葉をかけてくれます。
この年代の人は民族の言葉をしゃべれても、標準ベトナム語は理解はできるが話すことはできないそうです。
もっともベトナム語を話されてもわたしにはちんぷんかんぷんですが。

夕食までの間、裏に広がる畑を見に行きました。
ベトナムというとコメどころとして有名ですが、このあたりは緑茶で名高く、ベトナム人もコーヒー同様、緑茶をよく飲むのだそうです。
静岡の茶畑と同様に斜面にずらっとお茶の木が並んでいますが、さすがに静岡ほどきれいに並んでいません。
お茶は彼女からもらってきたので帰国後試しますが、日本のお茶と比べてどうなのか、クオリティ的には厳しいでしょうか。
また、パイナップルも周辺の名産で、道々で路上販売されていたので買って食べましたが、適度な甘みで美味しいです。
しかし、斜面に大量に植わったパイナップル畑は葉の色が紫っぽくてきれいとは言えず、山に人工物を植えているような醜さを感じてしまいました。

夕食は、ご馳走やら手製の酒やらと振る舞っていただき、みな美味しくいただきました。
ただ、何しろ言葉が通じません。
中国の少数民族の村には幾度となく泊って、曲がりなりにもコミュニケーションが取れてきたことを考えるととてももどかしい気持ちです。
というのも、唯一通訳可能なフォンがまったく気が利かず、意思疎通の手助けをするとか、そんな配慮が微塵もないのです。
もう少し何とかしてくれと文句も言いたいところでしたが、両親の手前そういうこともできず、アルコール度数が高そうなトウモロコシの酒が全身にまわっていくのを抑えられない自分もまあ似たようなものかと朦朧と考えながら、宴が早く終わるのを期待するばかりでした。

さて、作例ですが、妹が思いのほか可愛いかったので、撮影依頼したのですが、恥ずかしがって逃げ回ってしまったので、逃げなかったおばあちゃんを載せさせていただきます。
おばあちゃんもちょっとシャイに微笑んでいて、やっぱりフォンの一家はそろって恥ずかしがり屋だと分かります。
木の幹をシャキッ・シャキッとスライスするように切っていたので何かと聞くと、バナナの木を切っているとのことでした。
バナナの木も甘いのだろうかと、今夜のご馳走を想像したのですが、これはブタのエサだよと大笑いされてしまいました。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/11 Sat

戻ったことが好い方向に

Nokton 5cmF1.5
前回までの大阪から昆明までの行程では、最終日に昆明で雨にたたられたものの、それ以外に雨はなく、自分は晴れ男だと自画自賛だったのですが、とんだ誤解だったようです。
今回は到着翌日が早くも雨降りでした。
いままでのルートが冬の乾期の乾燥地帯中心でしたので、雨が降るはずもなく、雲南は名前の通り雲が多くその分雨の確率も高いということでしょうか。
傘をささないでもどうにかなる程度でしたので、石屏に近いもう一つの古鎮、団山民居に向かうことにしました。

団山は石屏の隣町の建水にありますが、隣と言っても両者は50キロ近くも離れていて、一見すると簡単には行けそうもありません。
しかし、前夜、石屏に向かうバスから、団山民居はここで降りよとの高速道路の案内が見えていて、地図と照合すると高速出口から4キロ程度しか離れていません。
長距離バスを高速出口で下してもらって歩いていけばどうにかなりそうですし、運がよければ降りたところで路線バスや白タクがあって歩かずにすむかも知れません。
それを念頭に朝一6時半のバスで行くことにしました。
不運なことに、そのバスは高速を走らずしばらく下道で村人を拾いながら進みましたが、その後は目論見通り、高速出口からしばらくのところにバスがあって2時間ほどで団山民居に着くことができました。

しかし、団山民居は入場料50元とメジャー古鎮並みの高さで、貧乏旅行者には厳しいところでした。
とは言え、細部の装飾まで凝った美しい民家が、ほとんど手を加えることなく何軒も残されていて、わざわざ出向く価値のある古鎮に思えます。
途中から雨も上がり、立派な建物を左右に見ながら古い石畳を闊歩して歩きます。
マイナーな古鎮だと思っていたのですが、いろいろなメディアに取り上げられていて、欧米人や日本人の訪問も多いと聞きました。
ところどころ訪問者自ら手書きしたと思われる英語やフランス語の道しるべがあったのがユニークでした。
感心しつつ石屏に戻ります。

ランチのために石屏に戻ると、ほとんど望み薄だと思っていた、前回親しくなった女の子に再会することができ、2時間以上も話をしてしまいました。
思惑通りの旅の再開になってきましたが、きっと親戚の女性がこの前の日本人がまた来て、明日も来るって言っていたと教えたので、自動車学校を休んできてくれたのだと信じることにします。
世界一周から帰ったら、また石屏に来て彼女の運転でドライブすることになりましたが、実現の日は来るでしょうか。

石屏にもかなり古い家が残った古鎮があるので、女の子に古鎮本のコピーを見せると歩いていけるところだと教えてくれました。
こちらは町の中心に古い家並みが残ったままというところなので、入場料不要ですし、何より庶民の生活と密着しているようなところが気に入りました。
古建築の軒先では近くの村から出てきたと思わせる少数民族の女性が笑顔で野菜を売っていたりします。
そっとカメラを向けると別の女性が気付いて、何か冷やかすようなことを言ったようですが、本人は照れつつも顔を背けたりしません。
観光客がほとんど来ない素朴な町らしい、好い雰囲気を楽しみました。

団山民居と石屏は甲乙つけがたい古鎮ですが、今日の作例は石屏の方にします。
天秤男性も、ずっとカメラを構えられながら意に介せずとまっすぐ歩いてくるところがいいではないですか。
団山民居は古民居を広角レンズなしで撮るのに苦戦しましたが、旅を中断して日本に戻ってきたときのインターバルに紹介できればと思っています。
親しくなった女の子の作例も出す予定です。
相変わらず撮影枚数は少ないですが、こんな旅をしていると写真も書くこともどうにかなってしまうのが大いに助かるところです。
【Alpha7/Nokton 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander Nokton 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(8) | 2015/04/10 Fri
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