大芬的故事

Hektor 2.8cmF6.3
今日、NHKのニュースを見終わってちょっとすると、続いてアムステルダムの風景が写し出されゴッホ美術館ですと紹介されました。
美術を特集した番組かなと関心を寄せると、美術館を出た観光客が近くの売店でゴッホの複製画をよくできているねと見入っているシーンで、インタビュアがこの複製画がどこで描かれているかご存知ですかと尋ねました。
この瞬間、わたしは、あっと思いましたが、案の定インタビュアがチャイナですと言うと、観光客がええっと驚きました。
これは、わたしがしばしば訪れる大芬油画村のことに違いないと確信しました。

地球イチバンという番組で、今日のお題は世界一の油絵村となっていました。
やはり深圳の大芬村だと早々に説明され、何度も行った馴染みある光景が映し出されます。
早速、モネの模写の名人が現れ、名人芸を見せたうえで苦労話を語ります。
村に来た当初は、描けども描けども評価されず、もう田舎に帰ろうかというときに、モネの絵を模写してみたところ若い頃田舎でも描いていた睡蓮が自分の原点に呼び戻し、やがてモネの模写では右に出るものなしと呼ばれるようになったと。

大芬には約8000人の画家がいると紹介されますが、それは正しい表現ではなく模写をしているような絵描きは画家ではなく画工と呼ばれるに過ぎません。
画家と名乗るためには深圳市主催の展覧会にオリジナルの絵を出品して3回の入選が必要とのことで、それを果たしているのは143人しか(も?)いないとのことです。
かつて、そして未だも模写によって世界一の規模までに成長した大芬でも、オリジナルの絵が求められ、画工たちもそんな絵を描くことができる画家になることを目指しているのだということでした。

もともと大芬油画村の起こりは、香港で複製画を描いていた黄江という画家がコストの安い地を求めて、80年代にここで絵を描きはじめたことに始まるそうです。
その頃の写真を見ると、おお、なんとわたしがせっせと出掛ける広東の古村落そのものの姿をしています。
差し詰め、平政の古村落そっくりの姿が、絵が売れるとともに今のごちゃごちゃした姿に変貌していったということのようでした。

番組後半に登場するのは、画家を目指す陳さんという30代の青年でした。
彼は偶然この村に来て運命を見出したかのように画家を目指すようになった人でした。
銭鐵石さんという大芬では数少ない画家に師事する幸運にも恵まれ、また本人の懸命の努力もあって7年間のうちに腕をめきめきと上げていき、ついに展覧会での2度の入賞を果たします。
そこで彼は自分の絵を売るための店まで開店するのですが、絵はさっぱり売れません。
もう一度入選して、深圳市から画家のお墨付きをもらわなければこの困窮から脱することはできないと、次の展覧会に出品する絵を描く日々です。

自画像を描き、師匠のもとを訪れ見てもらいます。
師匠は優しい人ですが、絵を見るなりこれではダメだと一喝します。
絵を描く人はそのモチーフを見て感動したのでそれを絵にするのだ、それがなければ人を感動させる絵は描けないと諭します。
今の絵では、写真を模写したに過ぎないとも。
陳さんはすっかり肩を落として家に戻ります。

さて、それからしばらく経って陳さんはどうしているでしょうかと、取材のカメラがアパートを訪れます。
奥さんととても楽しそうに食事しているところでした。
収入の少ない陳さんのために奥さんは深圳の中心で必死で働いていて、週末にしかふたりは会うことができません。
妻の支えがあるからこうやって絵を描くことができる、わたしは彼女と結婚して何と幸せなのだと、彼は臆面もなく言い切ります。

演出でそう見せているのでしょうが、自画像を描いていた陳さんは入賞して画家になるんだという前のめりな気持ちが顔に表れているように見えましたが、奥さんを前にして実に純粋な表情をしていました。
そして、今まで以上の集中力で一心に描いているのは、その妻の絵でした。
妻への感謝の気持ちを伝えるためにも、彼女の絵を描いているんだと力強く語ったところで番組は終わります。
テレビ番組らしく大芬を美化しすぎているきらいもあるのは間違いありませんが、ここにもいろいろな人がいてそれぞれの人生を生きているんだなあと率直に思いました。
今回は足を運ばなかった大芬ですが、次回の滞在では彼らに会いに行ってみようと考えています。
【Alpha7/Hektor 2.8cmF6.3 F6.3】
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Leitz Hektor 2,8cmF6.3 | trackback(0) | comment(1) | 2013/11/28 Thu

他在吃飯

Hektor 2.8cmF6.3
四角楼の裏手に小さな古民家が並んでいるエリアがあったので、さっそく散策してみることにしました。
恐らく建物は50棟くらいはありそうで、ざっとその半数近くに住人が暮らしているようです。
最初に会った老人にあいさつすると、その人はこの村で生まれ育った生粋のジモティーでした。
客家かと聞くとそうだとの答えで、やはりこの村も惠東のほとんどがそうであるようにもともとは客家村だったことが分かりました。

客家は元来が江南の地に住みながら諍いに巻き込まれ、それを避けるべく南下して主に福建省南部や関東全域に定住するようになった人たちを指す総称です。
そんな歴史ゆえか、建物を囲うように壁を作っているケースが多く、囲屋と言われる形式の村が広東には多く、惠東の古村落の多くは囲屋の形態がそのまま残っています。
伝統を貴ぶという客家の思想と壁で囲われているために開発がしにくいことから、囲屋は至るところに残りますが、一方で経済発展著しい広東では若者がどんどん都会に移り住んでしまい、地方の古村落は徐々に廃れていく運命の途上にあると言えます。

産業が発達したことで他省からの出稼ぎが多く集まり、彼らの居住先として古建築の空き家があてがわれることになりました。
これは、やって来る側には安価な住宅が用意されることを意味し、受け入れ側でもインフラ整備の必要なく人手不足を解消できるということで、双方にとって好都合だったはずです。
さらには、わたしのような古鎮・古村落ファンには、村が廃墟になることなく生活の雰囲気を残したまま保存されるという状況を作ったということで一石三鳥にもなっているのです。

とは言え、出稼ぎに来ている人たちがこんなところに一生居座るつもりはなく、もともとの住民は高齢化が甚だしいとなると、これら広東の古村落は残念ながらあと何年かの運命なのかも知れません。
特色ある村は、旅行ブームを利用して観光のための古村落に衣替えするなどして生き残りを図っていたりもしますが、広東にはそれだけの魅力を持つ古村落はほとんどありません。
経済が陰りを見せている今となっては税金を使って村を残そうということにはならないでしょうから、5年とは言いませんが、少なくとも20年後にはわたしが訪れた広東の小さな古村落のほとんどは無くなるか廃墟として打ち捨てられていることでしょう。

今日の作例は、孫をあやしながら内職の靴作りに精を出すおばあちゃんと、親戚か単なるご近所さんか赤ん坊にお乳をあげるお母さんです。
おばさんに見えるでしょうが、彼女はたぶん20代の前半23~4歳くらいです。
中国の女性は子供ができると羞恥心よりまずは養育と考えるのか、町中でも恥ずかしげもなくポロリをしながらおっぱいをあげている姿を普通に見かけます。

さすがにそんなシーンを撮影しようとは思いませんが、この家並みを撮るには仕方なしでこんな作例になってしまいました。
カメラを構えてもまったく臆するところがなかった、お母さんには拍手を送らねばなりません。
もっとも夜の営みは、こんなにも大胆にすることなくこっそりと行うのだと思いたいですが、わたしは地方を旅した時に、ホテルで行為を行っている際の女性の声を数回聞いたことがあります。
やはり、中国女性は大胆なのですかねえ。
【Alpha7/Hektor 2.8cmF6.3 F6.3】
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Leitz Hektor 2,8cmF6.3 | trackback(0) | comment(0) | 2013/11/27 Wed

笑一笑

Hektor 2.8cmF6.3
昨日の立派な外観の建築には、四角楼という名前が付けられていました。
その由来は分かりませんが、たぶん上から見ると正方形になることからそういうネーミングになったのだと推測します。
一般的には、建物の名前はいかにも風水師が付けたような縁起のいいものばかりで、立派だと思えるような、例えば龍華楼とか忠義楼とか英傑楼とかいかにもな名前が付いているのが普通なので、四角楼というのは主がユニークな人だったのではと想像させてくれます。

重要建築でも洗濯物が干してあるのが見えて、人の住んでいる気配濃厚です。
ずけずけと中に入っていくと、3世帯くらいが暮らしているようで、おばさんたちが並んで作業をしていました。
靴を作る内職で、そういえば惠州は中国での一大靴生産地として有名だということを思い出しました。
いま自分が履いているメイドインチャイナの靴が、こんな古建築の中で作られたのかも知れないと考えるのも面白いですね。

残念ですが、暮らしているのはみなこの地で生まれ育ったわけではなく、江西省から出稼ぎにやって来た家族や親戚ということでした。
それでも住む人無く、さらに管理する者もなければ、風雪に荒れて行くばかりでしょうから、彼らの存在がありがたいのは間違いありません。
住みやすいとは言えない、四角く囲われたある意味監獄のような古びた家で暮らしている彼らに感謝したいと思います。

作例の子は、この地で生まれたのかも知れず、古建築に誇りをもって育ってもらいたいものです。
などと考えながらカメラを向けたら、驚いたのでしょうか泣きだしてしまいました。
ああ、これはまずいと思いつつも、お母さんが笑っているので1枚撮影してもらいます。
気にも留めていなかったのですが、その後見ると、泣き顔が実に素晴らしいのです。
こんな好い泣き顔って初めて見ましたが、いかがなものでしょう。

レンズは、ヘクトールですが、質実剛健の13.5cmとも気まぐれな7.3cmとも違う、どっしりと濃厚な描写は広角としてはわたしの好みです。
しかも、やっと入手したこのレンズは、初期型のニッケルメッキされたかっこいい鏡胴なのです。
ライカマニアなら泣く子も黙るレンズなのですが、やはりと言うべきかさすがに作例の子が黙ることはありませんでした。
【Alpha7/Hektor 2.8cmF6.3 F6.3】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Hektor 2,8cmF6.3 | trackback(0) | comment(1) | 2013/11/26 Tue

当地人也不知

Hektor 2.8cmF6.3
東京から香港へのフライトはバリエーションが豊富で旅行者にとってはたいへんありがたい状況です。JALなど日系の快適なフライトがあり、香港のナショナルフラッグであるキャセイ航空も便数が多くて便利です。アメリカ系の航空会社はサービスの質や発着時間帯の悪さで知られていますが、料金がリーズナブルで人気があります。さらに台北や上海、ソウルなどを経由するフライトもあって、時間にゆとりがあればストップオーバーしてちょっとした別体験も味わえる航空券もあります。

今回さらに、LCCの直行便が参入したことで、選択肢がさらに広がったのは嬉しいニュースです。羽田を深夜発深夜着の便なので近くに住んでいないと使い勝手は悪いのですが、このスケジュールですと、金曜夜に仕事を終えてから出発し、土曜まるまると日曜の夕方まで滞在できるので、はやりの弾丸ツアーに近くなりますが、有休を使わずに往復できるのが航空券の安さと並んで大きな魅力です。
そういうわけで、この土日にこのフライトを体験すべく香港を往復してきました。

といってもここでシートピッチがどうこうなどとフライトのレポートをするのも面白くないので、今回も日帰りで訪れた深圳近郊の古村落について書くことにいたします。
場所は、深圳の東隣の恵州市の東にある惠東県の中で東郊に位置する吉隆鎮平政村という小さな村です。
恵東県は深圳から高速バスで1時間半の近場にあって、適度に鄙びた古村落がいくつもあるのですが、いよいよある程度知られたところは行き尽した感ありで、もはや地元の人でも首をひねるような知名度がゼロに近いような村をネット検索して尋ねるより他なくなってきました。

地図である程度の場所を調べておき、その近くでバイクタクシーを捕まえて行くしかないのですが、平政村まではバイタクもよく知っているものの、そこの古い家が多くあるところといっても、分からないときっぱり言われます。
ただ、惠東には親切な人が多くて、この運転手もバイク仲間を呼び寄せてあちこちあたってくれ、ついにあああそこかというところの検討をつけてくれました。

もっとも親切でなくてもせっかくのよそ者の客が来たのですから、人に聞いてでもバイクに乗せてぼらない手はないでしょう。
10元だと言われ、よく分からないのでハイとふたつ返事したのですが、実際に着いてみるとけっこうな距離で10元は安いと感じたのですが、帰りに乗った別のバイタクは8元だったので、しっかり2元上乗せされていたのです。
こればっかりは、燃油サーチャージをとられたと思ってあきらめるしかないと思いつつも、8元が相場なのか分からないので、やはりもっとぼられているのかなあとも思います。

到着したのが作例の建物の裏手で、いきなり立派で保存状態も良好な古建築に興奮させられました。
広東省の重要建築物のプレートが貼られていました。
なかなか幸先良いスタートに思えましたが、結論を先にいうと平政村で立派な古建築はこの1棟だけで、あとは古建築というよりはボロ家と言った方が分かりやすいような、古い家があるだけでした。
そうですね、こんな立派なのがいくつも並んでいたら、バイタクの運転手が知らないはずがありません。
【Alpha7/Hektor 2.8cmF6.3 F6.3】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Hektor 2,8cmF6.3 | trackback(0) | comment(0) | 2013/11/25 Mon

江之島的故事

M8/Hektor 2.8cmF6.3
6駅目は江の島ですが、湘南海岸公園から600メートル、藤沢からは3300メートルです。
江の島駅を出るとすぐに鎌倉市に入ってしまうので、江の電沿線散歩は今回ここまでとしようと思います。
江の電の江の島駅から小田急の片瀬江の島駅まで歩けば、家に帰るのも楽ですし。

かすかな記憶ですが、江の島と言って思い出すことがあります。
小学校1年か2年のとき、当時住んでいた石上駅から江の電に乗って海までひとり旅をしたのです。
なぜそんなことをしたのか、よく覚えていません。
とにかく駅から片瀬海岸まで出て、海を眺めました。

そして、何を思ったのか服を着たまま海に入り、ひと泳ぎしてしまいました。
もう、夕方だ家に戻らなくてはと浜に上がったところあることに気付きます。
ポケットに入れていたお金が無くなっていました。
ズボンを履いたまま泳いで、中の小銭が全部流されてしまったのです。

しまった、帰りの電車賃がない、そうひどく動揺しましたがどうにもなりません。
あわてて泳いだあたりの海底をまさぐりましたが、お金はどこにも落ちていません。
あきらめて歩いて家に向かいました。
たぶん、3キロ近い道のりですので1時間半くらいは歩いたのではないかと思われます。

予期せぬできごとで黄昏時を延々と歩いたのですから、肉体的にも精神的にも相当に辛かったはずです。
そのことはまったく覚えていませんが、よく覚えているのは、そんな状況でもけっして泣いたりしなかったことです。
それは、ただ一度の偶発的なできごとで、たぶんその後2度とひとりで海へ行ったりはしていないと思いますが、社会人になってからひとり旅したりあちこち散策したりするのが好きになったりする萌芽のような小さな事件だったのかも知れません。
しかし、逆境に強くなったかといえばそんなことはまったくなく、むしろあきらめの早い性格が身に付いてしまったようです。
【M8/Hektor 2.8cmF6.3 F6.3】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Hektor 2,8cmF6.3 | trackback(0) | comment(0) | 2012/07/15 Sun

相机和郵票

M8/Hektor 2.8cmF6.3
鎌倉行の江の電は、鵠沼駅を出るとすぐに片瀬川の橋を渡ります。
この駅と橋の間は、江の電では数少ない複線区間で、かつ絶妙な感じにカーブしていて、撮影には絶好の場所です。
江の電はきっちり12分間隔で運行しているので、十数分の間に上り下り2本ずつ駅向きと橋向きの8回の撮影機会があることになります。

この橋が歩行者も通れればよいのですが、残念ながら人は5分ほど上流にある別の橋まで廻り道しないといけません。
そこから先も江の電の線路としばらく離れて歩くことになります。
藤沢から鵠沼までがほぼずっと線路と並んで歩けたので、それを通してもらいたいところですね。

鵠沼の次の駅、湘南海岸公園までは800メートルあるそうです。
今までが600~700メートルだったので、橋の川幅分だけ距離が延びたような気がしてきたりします。
それに今まではずっと線路に沿っていたのに、この区間はけっこう廻り道するので、歩行距離は1キロを超えるでしょう。
これまでで一番の難所と言えそうです。

大学時代に比較的この近くでアルバイトをしたことがあり、そのとき気になっていたところがありました。
ちらっと見かけた住宅地にぽつんと佇むカメラ店です。
そのころはカメラなんてまったく興味はなく、気になりはしたものの立ち寄りたいと思ったわけではありません。
ただ、周囲に店なんて1軒もない、完全なる住宅地の一角に、ショーケースにいかにも古くさいカメラを並べた不思議な店の存在がちょっとだけ気になったという程度です。
例えていうなら、そのあたりの家の屋根に古風な風見鶏があって、風に合わせて音を立てて回っているのが見えてそれが妙に印象に残ったというのと大差ありません。

ところが、20年以上も経っているのに、カメラをやっているというだけが理由か、このあたりを歩いているうちに、そうだ確か近くに古いカメラを展示した小さなカメラ屋さんがあったぞと記憶を呼び覚まされたようなのです。
記憶違いとか探せど見つからない可能性とか考えられましたが、探そうと思ってほどなくすぐに見つかりました。
江の電の線路際にあったからです。

記憶のとおりの店だったので、かなり驚きました。
20年以上前の記憶としては鮮明すぎるので、その間にこの店を見かけたということかも知れません。
その記憶の中では、店はすでに営業していなかったかも知れませんが、古カメラ自体は展示されていたように思います。
ところが、いま、店の前に立つとショーケースがあったと思しきところは木の板で覆われていました。
やはり営業もしていないようです。
やがて踏切が鳴って江の電が通り過ぎると、コニカカラーのノボリが風を受けてそよいでいました。
【M8/Hektor 2.8cmF6.3 F6.3】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Hektor 2,8cmF6.3 | trackback(0) | comment(0) | 2012/07/14 Sat

八百利支店

M8/Hektor 2.8cmF6.3
4駅目の鵠沼までは、柳小路から700メートルだそうです。
かつて住んでいた石上からも1300メートルなので、やはり当時の印象よりだいぶ近かったのだと感じました。
ここで暮らしていたのは、小学校2年生までだったので、鵠沼駅周辺は活動範囲を超えていたということのようです。
それでも、小さな子どもが楽しめるような場所があれば出掛けて行ったのでしょうが。

鵠沼駅からは、まったく離れていますが、わたしは6年間を鵠沼小学校に通学しました。
在学中になんども聞いた鵠沼ゆかりの話しが、明治文学とのかかわりです。
鵠沼は、今みると古くからの住宅地のように思えますが、明治期にはまったくの田舎で、当初は海に近い温暖な地の利を活かした別荘地として開発がスタートしました。
その当時は、売り出せば即完売という状況ではなかったのですが、その後の江の電の開通が買い手を一気に増や
したようです。

中には購入した別荘地で旅館や貸別荘を始める人もいたようです。
当時はまだまだ静かな環境で、東京からのアクセスも悪くなく、著名な作家がそれらに長逗留して執筆しました。
学校で教わったのは、谷崎潤一郎や芥川龍之介でしたが、明治の多くの文豪が鵠沼の旅館や別荘には関わったとも言います。

当時の旅館や貸別荘の建物はすでになくなってしまっています。
明治文学黎明の地だなどと宣伝したり、谷崎が歩いた散歩道とか、芥川の記念碑とかあってもよさそうなのに聞いたことがありません。
閑静な住宅地なので、外来の人が来てほしくないからとか事情があるのでしょう。
わたしだって強引な観光地化は反対ですが、かつての雰囲気を留めているようにも見える鵠沼の一帯には、文学を求めてやって来る人の気持ちを豊かにさせるような何かがもうひとつあってもいいかなと思います。

鵠沼駅から先は、片瀬川が道を遮っているのでどこか橋を渡らないといけないのですが、これがよく分からず周辺をかなりさまよい歩いてしまいました。
歩きながら大きな古いお屋敷をいくつも見た反面、古い建物を壊して家を新築しているところを何軒も目撃したのです。
明治の雰囲気はもちろんですが、わたしが幼少の頃の1970年代の雰囲気すら風前の灯になりつつあることを実感しました。
【M8/Hektor 2.8cmF6.3 F6.3】
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Leitz Hektor 2,8cmF6.3 | trackback(0) | comment(0) | 2012/07/13 Fri

小龍蝦的味道

M8/Hektor 2.8cmF6.3
石上駅から柳小路駅までも600メートルしかないそうです。
石上から藤沢はほとんど見えていましたし歩いてお買い物にもでかけていたので近いとは分かっていましたが、逆方向へはもっぱら自転車だったせいか1キロ以上あるものだと思っていました。
ただでさえ小さな頃は歩くスピードが倍以上遅いので、距離も倍以上に感じるのも当然でしょうね。

柳小路とは、とても風流で美しい名前ですが、幼少の頃にはもちろんそんな良さを感じたことはありません。
柳の木が並んだ小さな通りがあったかなと見渡しましたが、駅から見える範囲ではちょっとなさげです。
子どもの頃はもしかしたらあったっけと記憶を辿ろうとしたものの、思い出すことはできませんんでした。

わたしの柳小路の記憶はすべて、鵠沼女子高校前にあった池に集中しています。
蓮池と呼ばれていた、その池はサッカーグラウンドくらいの大きさだったのではないかと思いますが、これも小さな頃の記憶ですので実際はもっと小さかったかも知れません。
そこへは、網、棒切れ、タコ糸、さきいかの4点を持ってよく通いました。
ザリガニ釣りですね。

いまの子どもだったらゲームの釣りに熱中するのかも知れませんが、まだ携帯電話もテレビゲームもない時代です。
釣りができる近所の池というのは、子どもにとって格好の遊び場でした。
では、釣ってきたザリガニはどうしたかといえば、おやつ代わりに食べていたということはなく、飼おうとしたことこそあったかも知れませんが、すべて帰るときには逃がしていました。
小学校低学年の少年にしてキャッチアンドリリースのスポーツ・フィッシングを楽しんでいたのですね。

学校の前であり、住宅地の中でもある池ですので、この何十年のうちに埋め立てられて家が建っていてもおかしくないのですが、懐かしの蓮池は姿を変えながらも活き残っています。
ご時世がらか柵で立入禁止になっていましたし、学校のグラウンドができたためか面積は半分以下に縮まっていましたが。
それでも少年時代の思い出の地が姿をとどめているのが何より嬉しいものです。
あるいは、池を埋め立てる計画もあったが、やはり大切に思っている関係者が反対したとかいう経緯があったのではなどと想像します。

ザリガニといえば、数年前、中国雲南省を旅したとき、こんなことがありました。
山中のレストランの夕食どきメニューを見ると、小龍蝦の料理があったのです。
小龍蝦とは、小型の伊勢えびまたはロブスターのことで、値段も安かったのでオーダーしたのですが、でてきたのはアメリカザリガニを茹でたものでした。
海のない雲南の奥地で伊勢えびが出るわけがありません。

わたしは子どものことを懐かしむばかりで、ザリガニに箸を付けることはできませんでしたが、伊勢えびと思っただろう中国人の友人は、ひとりぱくぱくと食べていました。
食後、感想を聞くと、肉がぱさぱさであまり美味しくなかったと残念そうに教えてくれました。
罪悪感があって、あれは伊勢えびでないことが伝えられず、きっと海からここまで運ぶ間に鮮度が落ちちゃうからだろうね、ととぼけた相槌を打ってしまいました。
【M8/Hektor 2.8cmF6.3 F6.3】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Leitz Hektor 2,8cmF6.3 | trackback(0) | comment(0) | 2012/07/12 Thu
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