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黔東南~⑧看電視

R-D1/Oude Delft Alfinon 50mm F2.8
昨日の話の中では、すでに車江を立ち去っていることになっていますが、ひとつ不可思議なシーンを見たことを思い出しました。
土間にテレビが付いていますが、どうして少女はこんなところから見ているのか。

旅先では、ときどき旅行者に理解できない不思議な光景を目にすることがあります。
何故だろうかと考え、回答を得たとき、まれに誤解してしまったときも、どちらにしても理解を深めることはできます。
少女はきっと、暗いところでテレビを見てはいけない、目が悪くなるからと言われ、わざわざ台まで出してきて、明るいところからテレビを見ているのに違いありません。
弟がウチの姉ちゃんアホやなあ、と呆れています。


ここまで旅の前半では、50mm はアルパ用のアルフィナーをアダプターでR-D1に使っています。
アダプターは例のレチナハウスで購入したもので、これはマクロスイターにはぴったりフィットしますが、小型軽量なアルフィナーではバランスが悪くなってしまいます。
しかし、距離計の連動には問題なく、使用感も良好です。

アルフィナーは、オールドデルフト独特の渋く落ち着いた発色をするレンズです。
テッサータイプですが、テッサーの華やかさはほとんど見られません。
階調がたいへん豊かなので、やはりモノクロで威力を発揮します。
木や服地の質感など再現性もすばらしいので、こういう地味な旅の伴にはふさわしいレンズです。
旅の続きには、性格正反対のふさわしくないレンズにバトンタッチします。
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thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Old Delft Alfinar 50mmF2.8 | trackback(0) | comment(8) | 2008/10/12 Sun

黔東南~⑦想私奔

R-D1/Oude Delft Alfinon 50mm F2.8
侗族は、日本ではトン族と表記されるようです。
中国語の発音表記では "Dong"なので、出合ったオランダ人は"Dong tribe"と呼んでいましたが、ドンというよりはトンに近い発音です。
彼らについて詳しい知識も何もなく貴州まで行ってしまったので、いまさら「トン族」で検索してみると、たくさんの情報が得られることに気付きます。
貴州省を中心に270万もの人口があるようです。
想像よりずっと多い。
小さな国家ができるくらいはあるでしょうが、特に独立運動とか政府との衝突といったことはないようです。
彼らが歌を愛する民族であることが、侗族を有名にしています。
以前、テレビで紹介されていましたが、適齢期の女性が1列に並んで合唱し、中の女性が意中の男性をその歌に込めて唄うという、歌による集団見合いのような古い伝統が残っているのだそうです。

そんな様子を伝える実演(中国語で表演と言われます)が、ここ車江の村の広場で行われていました。
観光バスが到着するなど、人が集まるとおもむろに歌が始まります。
こういった表演は、踊りなど動的なものが連想されますが、侗族では演劇的要素はあるものの、もっぱら静かに歌い上げるというスタイルで、逆に音楽的な洗練度が高く、目を閉じれば山村の風景を連想させる爽やかなものに感じられました。
ただ、侗族には独自の言葉があって、それは中国語の方言ではないし、文字も漢字ではなく音をアルファベットで表記するものなので、聞いていても歌詞自体はまったく分かりません。

交通の便の悪いこの地方には、そう頻繁に観光バスが来てくれる訳ではありません。
表演は少なく、みんなヒマそうにしています。
だったら、コミュニケーションをとらない手はないでしょう。
言葉が通じるか、恐る恐る話しかけると何のことはない、全員中国語普通話は通じます。
学校では普通話で授業をするので話せて当然ですが、未就学だった一定年齢以上の特に女性は普通話ができないそうです。
ですから、家庭では侗語で会話します。
英語はさすがに誰もできません、と思ったら中学では英語の授業はあるそうです。
ただ、知っている単語は、ハローとバイバイくらい。一体どんな授業なんでしょう。

国慶節休暇の1週間だけ車江で表演をするために比較的(と断るのは車で2時間くらいかかるそうなので)近くの村から来たそうです。
男性ふたりと女性10名に音楽の先生やら村長(?)も帯同しています。
おとなたちの方がシャイで、ほとんど女の子たちとばかり話し込むことになります。
ここでも、お互いの生活のこととかですね。
もうひとつよく話題にのぼったのが、日本語を教えてくださいというもの。
你好は? 謝謝は? 再見は?
なかなか覚えてもらえず、わたしには教師としての才覚がないことを知らしまれます。

じゃあ、それぞれを侗語ではなんと言うのか、逆質問です。
你好は? 「ニャーライ」、謝謝は? 「??」、再見は? 「???」
侗語には「こんにちは」はあっても、「ありがとう」や「さよなら」はないそうです。

翌朝も、約束したとおり彼女たちを訊ねました。
「やあ、ニャーライ」と声をかけると、あぁ、本当に来たわ、本当だ、くすくす、そんな風に言われていたようで恥ずかしいものですが、昨日にもまして大歓迎というか、旧友との再会の雰囲気です。
意外にも多くの女の子たちが、昨日教えた日本語を覚えていました。
夜、一生懸命勉強したのかもしれません。
午前中はずっと彼女たちと話したり、表演があるとサクラのように大拍手をしたり、近くを散策したりして過ごしました。

昨日から気になっていた女の子がいました。
小柄で華奢ですが、切れ長の目が魅力的なひと際光り輝く少女でした。
もし、学生時代にこんなシチュエーションにでもなったら、このまま旅を続けることができただろうかなどと感傷的想像をしていました。
「僕といっしょに日本に来て欲しい」
「それはできない。侗族の掟があるの」
「では、夜迎えに行くからいっしょに逃げよう」
「分かった。あなたを信じる」
月明かりの中必死に逃げまとったが、追っ手がわたしめがけて放った矢を身代わりに受けて倒れた彼女は、侗族にはさよならという言葉がないのは、いつか必ず再会できることを知っているからなの、と言い残して息をひきとったのだった。

チャーリーさんの影響からかフィクションを挿入してしまいしまたが、これはひとり旅の感傷というものでしょう。

さて、そろそろ次を目指して村を出る時間が来ました。
みんなが、昨日運転手と握手してわかれた門口まで付いて来て、手を振ってくれました。
バスに乗り込むや、わたしも手を振り返しはしましたが、やはり「再見」と言うことはしませんでした。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Old Delft Alfinar 50mmF2.8 | trackback(0) | comment(8) | 2008/10/11 Sat

黔東南~⑥像別墅

R-D1/Oude Delft Alfinon 50mm F2.8
西江を足早に去り、近くの雷山の街中でゆっくりと魚の鍋を食べます。
そこから運転手は、山岳路を俄然とばしはじめました。
帰りも5時間近くかけてひとり帰らなくてはならない彼は、3時までには榕江に着きたいからと言います。
なんでも、子供が3ヶ月前に生まれたばかりで、彼女の顔を見ながらビールを飲むのが今のいちばんの楽しみなのだとか。
だったらなんであんなにのんびり昼飯食べてたのかと突っ込みのひとつも入れたくなりますが、人のいい運転手の顔を見ているだけで許してしまいます。
でも、前方カーブで見通し悪くても、警笛を鳴らして追越をかけるような運転は勘弁していただきたい。
娘の顔を毎日見ていたいなら、もうちょっと慎重な運転をしないと。

さて、バスと車を30台くらいは追い越して、2時間後には榕江に到着。
榕江からは、道行く人にたずねたずね、10分ほどで車江の古村落に到着しました。
入口で運転手はわたしのスーツケースを下ろしながら、そっと右手を差し出します。
硬く握手しての別れとなりました。
どうぞ無事に戻って、日本人を案内してやったんだよなどの話を奥さんとのビールの肴にしてください。再見。

車江は、入口で30元の入場料が必要でした。
西江ですら無料でしたので、こんな奥地でと、少し悲しい気分です。
案の定、午後の3時頃ということで、古い街並みに観光客がかなり見受けられ、その中をスーツケースをひいて歩くのはかなり異様な姿だったと思います。
早く荷物をどうにかしたいと、村の中にあるであろう民宿を探しますが、歩けど慌てど見つかりません。
そんな姿を心配してくれたのでしょう、ひとりの青年が、宿を探しているのかと声をかけて来ました。
なんでも、ここは榕江の町がすぐ近くなので、みんなそっちに宿泊するため村の中に宿はないが、川の向こう岸に最近建った家が旅行者を泊めてくれるからそうしなさいとのこと。
止むを得ません。
1元の渡し舟で対岸の家に部屋をとります(写真の別荘風の家です)。
村の中に伝統的家屋に泊まって村民の息遣いを感じながら、という思惑は叶いませんでしたが、その村を川越しに部屋から眺めるというのもいいではないですか。
新築なので建物はもちろんですが、寝具などもたいへん清潔だし、誰も泊まっていないので対岸が見える眺めのいい部屋に入れました。
おまけに隣の部屋はこの家の美少女姉妹が暮らしています。
もっともまだ小学校3年と1年だそうですが。
さらに1泊140円と聞いて、安すぎるとうなってしまいました。
いいことづくめの、すばらしい宿です。

ひとまず荷物を置いて、また対岸に渡してもらい、宿を紹介してくれた青年に礼を言いにいきました。
青年は、中学校の先生だそうで、村の質問をしたことがきっかけで、逆に日本の生活について聞かれたり、なんだかんだと話しているうちに夕飯の時間になって、ウチで食べていってほしいと食事までご馳走してくれました。
ちょうど家族みんながちゃぶ台のような低いテーブルを囲んで、むかしのお風呂にあったような木の椅子に低く腰掛けて青年を待っていたところです。
突然の侵入者ですが、あいさつすると誰も不審の表情すら見せません。

食事は、少し辛い味付けのすき焼き風鍋に炒めた青菜など、違和感なく美味しく食べられるものばかりです。
取れたての新米は釜で炊きますから、風味があってなかなかの味わいです。おかわりしました。

実は旅行中、半袖シャツしか用意していなかったのですが、山中のためかこのあたりはかなり涼しく、みんな上着まで着ているくらいだったので、青年は心配して父が着るために作った長袖のシャツがあるのでよければ着てくれと、手渡してくれました。
白い侗族伝統のシャツでした。
さすがにサイズは少し小さかったですが、うん、これはありがたい、大切に着ますとさっそくはおりました。

夕食は遠い旅人へのもてなしだと確信しており、お金を払うようなことは失礼だろうと思っていましたが、この服をいただいてタダというわけにはいかないだろう、しかしいくら払えばいいのだろう。
たいへん悩みます。
100元(約1400円)渡しました。
彼の表情の変化で、100元が多かったか少なかったか読み取ろうとしましたが、少し笑ったようにも見える無表情で、答えは得られませんでした。
この100元の民族衣装が、この旅の唯一のおみやげということになります。
そして、団欒のひと時を感じながら暇を告げます。
また写真のおじさんを呼んでくれ、真っ暗な川を、あの素晴らしい宿に引き返しました。

戻ると、家の若い奥さんが赤ちゃんをたらいで洗ってあげている所でした。
やかんからお湯を注ぎ足しながら…。
「えっ、もしかしたら、ここにはシャワーとかお湯とかないのですか」
「そうなんです。建物がやっと建ったばかりで、水はこの井戸から汲むだけです」
「ちなみにトイレは…」
「あそこの離れです」

懐中電灯片手にその離れに行ってみると、なるほど水がないから流せないので当然ですが、家族の健康の証ともいうべきそれが、ものすごいことになっていました。
シャワーもこの涼しさでは断念です。
凱里で買っておいた量り売りのお酒を呑んだりの水分を採ることはこの日控えました。
また、この日から4日間は、体を洗わない日々が続いたことを告白いたします。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Old Delft Alfinar 50mmF2.8 | trackback(0) | comment(1) | 2008/10/10 Fri

無言的帰国

R-D1/Oude Delft Alfinon 50mm F2.8

陽朔で買ったわらじは、秀逸な履き心地でした。休日のつっかけとして常用したく、丁寧に洗い、陰干ししました。
しかし、今日、さっそく履こうと手にしてみて、メインの鼻緒部分が切れてしまっているのに気付き、ああ、がっかりです。
旅の友を失った悲しい気持ちにさせられました。

レンズは初期型アルパのマウント改造したオールドデルフトです。
くもりの影響で発色はくすんで、冬場のオランダの空のようですし、このようなケースでは解像力や表現も実力を発揮してくれないようです。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Old Delft Alfinar 50mmF2.8 | trackback(0) | comment(0) | 2006/07/16 Sun
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