三年只一次

M8/W-Nikkor・C 35mmF1.8
広西の侗族を訪れる旅の最終回です。
独峒村の食堂に戻ってくると、今日はどこに泊るのかと聞かれました。
桂林に行かなくてはならないと答えると、それはもったいない、今日は村のお祭りだから見て行けばと言います。
いや、実は深夜のフライトで桂林から深圳に行って、明日、日本に帰るんだと回答すると、残念だね、3年に1度のお祭りなのにと言うではないですか。

ロボグラフィー写真家のホロゴンさんは、祭りが嫌いで、逆にそのせいかカトマンズだかを訪れたときに何十年に1度だかのお祭りにぶつかったと書かれていました。
そこまではすごくありませんが、たまたま旅した先で3年に1度の祭りに遭遇するなんて幸運はそうあることではふりません。
だいいち、わたしは祭りが大好きなのです。

今日と明日の祭りは今夜がいちばん盛り上がるそうですが、聞けば2時くらいに近隣の村から民族衣装を着飾った人たちが行進してきて、彼らの到着を合図に、演奏や宴、踊りなどがずっと繰り広げられるようでした。
もともと余裕をみて2時頃のバスで村を発つ予定でしたので、3時のバスまで延ばせばぎりぎりフライトにも間に合い、祭りのあたまくらいは見ていけそうだと計算しました。
最後に楽しみができたと喜んでいたのですが…。

2時は過ぎましたが、祭りが始まる気配はありません。
やきもきしていると、食堂の若い主人が、どうも少し遅れていて開始時間は3時頃だろうと聞いて来てくれました。
3時ぴったりに祭りがスタートしたのでは3時のバスには間に合いません。
万事休すですが、少しでもいいから祭りを見たいと思うと、奥の手を使うことにしました。
来たとき同様車をチャーターするのです。
三江までだと乗り継ぎのバスが厳しいので、龍勝までチャーターし、龍勝から桂林までは調べてあったの最終バスに乗るというかたちなら4時までいられるはずです。

いろいろと車のことを聞いてもらったり、自踏んでも確認しましたが、さすがに3年に1度の祭りの日で、みんな行きたがらないのはありありです。
値切って250元くらいと踏んでいたチャーター料はみんな500元以上、ようやく300元のところを見つけてお願いしました。

これで、帰りの足も確保できたと喜んでいると、その運転手がやって来て、300元では無理だ400元出してくれと強気の発言です。
300と言ったではないかと反論すると、おまえが言ったのは小龍勝のことかと思ったが龍勝までなら400元でも安いくらいだなどと開き直っています。
きっと誰かに入れ知恵されたのでしょう、お祭りの日に普通料金で行くなんてバカだとか。
結局、400元からはまったく下げてもらえず、飲まざるを得ませんでした。
もちろん誰に聞いても小龍勝なんて地名は聞いたこともなく、運転手が咄嗟に考えた言い訳のようです。

食堂で働いていた15歳くらいに見える女の子の写真を撮っていると、この子もいっしょに撮ってと赤ん坊を連れて来ました。
まさか、君の子どもと聞くと嬉しそうにうなづいています。
聞けば、彼女は21歳で、食堂の主人の奥さんなのでした。
それだけでもぴっくりなのに、撮影後ふたりで雑談していると突然子どもにおっぱいをあげはじめたので、またまたぴっくりです。
お母さんになると外来の人に見せても恥ずかしくないものなのでしょうか。
21歳の女性の若い胸を目の当たりにして、こちらの方が恥ずかしくなって動揺してしまいました。

さて、ある程度は覚悟していましたが、3時になっても何も起こらず、ようやく3時45分頃になって民族衣装の行進が食堂の前を通過しました。
総勢40名ほどがなぜか全員傘をさして一列に歩いて来ます。
3年に1度と慣れてないせいか、みんなきごちなく見えるのは、逆に初々しく見えます。
一行は中心の鼓楼の前で円になり演奏と踊りを簡単に披露して、宴のために鼓楼のなかへ消えていきました。
この間、ほんの15分ほどですが、もうわたしにはタイムリミットです。

作例は、宴に入る前に女の子たちに頼んで撮らせてもらいました。
最初、嫌がっていたのですが、彼女のお母さんだかが撮ってもらいなさいと言ってくれたことでどうにか撮影できたものの、見るからにやる気の無さそうな顔にちょっと悲しくなります。
なにしろ、これだけを見るために帰りの車をチャーターしたのです。
この写真1枚に400元の価値があるのだと、彼女たちには説明してもよかったかも知れません。
【M8/W-Nikkor・C 35mmF1.8 F4】
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W-Nikkor・C 35mmF1.8 | trackback(1) | comment(2) | 2012/05/20 Sun

風雨橋的故事

M8/W-Nikkor・C 35mmF1.8
11時になると携帯がなりました。
昨日、高定まで連れてきてもらったバイクの運転手に、独庶までの帰り道も連れて行ってくれるよう頼んでおいたのです。
11時頃と言ったら律儀に電話で事前確認し、時間ぴったりに迎えにやって来ました。
楊さんの奥さんに別れを告げ、バイクにまたがると昨日来た道を戻っていきます。
帰りはずっと下りなのでスピードにのり、思ったよりずっと早く昨日このバイクに乗った独峒の食堂前に到着しました。

高定は小さな村なので食べるところはなく、さっそく食堂でランチをいただきます。
11時に来てもらったのは、そういう理由からでした。
食べたのはこの地方の名物、桂林米紛です。
米紛はあくまでミーフンであって、ビーフンではありません。
深圳などにも桂林米紛の店はあるのですが、まずいところだと米でできたそばはやわらかくぷつぷつ切れてしまって食感がまるでダメです。

日本でもソーメンを食べてそういうものがけっこうありますが、3月に奈良に行った時に連れて行ってもらった三輪ソーメンの店はすごくコシと歯ごたえがあって旨かったのを思い出します。
今回の旅では3回米紛を食べましたが、同様のコシと歯ごたえで、これならソバを食べているのと変わらず、わたしにも美味しくいただけます。

せっかくだからと、運転手さんにもご馳走しようと誘ったのですが、なぜか彼は頑なに拒みました。
客からおごってもらうわけにはいかないという彼なりの倫理観でもあるのでしょうか。
しかし、それは後でとんだ勘違いで自分の甘さを思い知らされることになります。

独峒から数キロのところに巴団という村があります。
普通なら誰もが通り過ぎてしまうちっぽけな所ですが、その村は立派な風雨橋があることで知られていたのです。
これは見過ごす手はなく、わたしはバイクで連れて行ってもらうことにしていました。
米紛を食べ終わるや出発すると、ものの5分で到着してしまいます。

風雨橋とは屋根の付いた橋で、風雨を凌げるのでその名があるのだと思いますが、そのため村人がよもやま話をする集会所のような役割も果たしている点は、鼓楼とよく似ています。
そして、風雨橋も鼓楼も立派な建築という共通点があり、初I族のものは独特の様式美があって他の民族とは一線を画する彼ら固有の文化です。
鼓楼は初I族の多くの村に存在しますが、風雨橋を持っている村は数えるほどしかありません。
立派な風雨橋があれば、それだけで村が有名になるくらいです。

ところがこの地方では、三江からすぐそばの程陽に超有名風雨橋があるために観光客はみなそこへ行ってしまい、巴団まで足を延ばす人はほとんどないようです。
ただ、巴団の橋の方が10年早い1910年に建造されたそうで、ちょうど100年ほど前の橋ということになりますが、残念ながら橋脚部分はコンクリートに置き換えられています。
運転手の説明で面白かったのは、橋は左右に分かれていて、広い方を人間が狭い方を動物が通るようになっていたそうです。
彼は、当然広い方を歩いたので、わたしは狭い方を通ってみました。
巴団には30分ほど滞在して独庶Zに戻りました。

運転手に金を払おうとすると30元だと言い放ちます。
片道30かかる高定と同料金です。
ふざけるな10元でいいはずだと、10元札を手渡そうとしても受け取りません。
分かったよと10元プラスして渡そうとしても、これまた拒否です。

押し問答になりましたが、わたしの方の分が悪いのは明らかで、30元払わざるを得ませんでした。
恐らく、現地人なら5元、外国人だって10元で済むところをすっかりやられました。
言うまでもなく、先に料金を決めずにバイクに乗ったのだから、言い値で払うと意思表示したも同然なのです。
運転手を信用した自分が馬鹿でした。
2日連続で利用して話しもそこそこ合い、友だちにでもなったかのような気になっていました。

米紛を断ったのはたかが5元おごってもらってバイク代を値切られるのを避けるためだったのでしょう。
5元我慢したのだから、その3~4倍はこいつから取ってやらなくてはと考えたのかも知れません。
夢のような高定の村から小さくても町といえる独峒に戻って来て、現実に引き戻されたような出来事でした。
【M8/W-Nikkor・C 35mmF1.8 F1.8】
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W-Nikkor・C 35mmF1.8 | trackback(1) | comment(1) | 2012/05/18 Fri

尼康的発展

M8/W-Nikkor・C 35mmF1.8
日本光学の距離計連動カメラ用レンズは、26種類あったようです。
うち、レフボックス用など長焦点の距離計非連動レンズ、ステレオレンズ、マイクロレンズ(普通に距離計連動でも撮影できるがここでは除外)等の特殊なレンズを除くと、18種類になります。
それらを焦点距離別、F値別に並べてみましょう(すべてmmで表示)。

①21mmF4(アビオゴン)
②25mmF4(トポゴン)
③28mmF3.5(トポゴン)
④35mmF1.8(クセノタール)
⑤35mmF2.5(ダブルガウス)
⑥35mmF3.5(テッサー)
⑦50mmF1.1(ダブルガウス)
⑧50mmF1.4(ゾナー)
⑨50mmF1.4(ダブルガウス)
⑩50mmF1.5(ゾナー)
⑪50mmF2(ゾナー)
⑫50mmF3.5(テッサー)
⑬85mmF1.5(ゾナー)
⑭85mmF2(ゾナー)
⑮105mmF2.5(ゾナー)
⑯105mmF4(トリプレット)
⑰135mmF3.5(ゾナー)
⑱135mmF4(ゾナー)

カッコの中はレンズ構成の型です。
日本光学が写真用レンズを開発するにあたって、テッサーやゾナーを分解して徹底的に研究したというのは有名な話しですが、それにしてもゾナー型とテッサー型が10本を占めています。
さらに、ビオゴン21mmF4.5、トポゴン25mmF4に範をとった3本の広角を含めて、ツァイスの影響は強くそして長く続いたようにみえます。

年代でいうと、1945年の50mmF3.5からずっとテッサー・ゾナーのパターンで、ようやく52年になって35mmF2.5が初のガウスタイプです。
それから3年して出したのがガウスの発展型ともいえるクセノタール型のさらに発展させた5群7枚の、35mmF1.8レンズです。
翌年の50mmF1.1もガウスを発展させた6群9枚なので、このあたりになって、ゾナー型には見切りをつけてガウスタイプに移行していったと見ることができそうです。

先行するズノー50mmF1.1がゾナー発展型でしたが、このレンズを見て日本光学の設計陣はゾナーの発展はこれ以上望めないと考えたのかも知れません。
ただ、遅れて登場した日本光学のF1.1が性能でズノーを上回っていたかといえば、そうとは言い切れないと思われます。
大口径競争に遅れないためだけに、不満を残しながらも発売してしまったのではないかと、日本光学らしくないレンズに疑問を感じてしまうのです。

クセノタール型のレンズとしては、1950年のブラナー、54年のビオメターとコンタックスの35mmレンズが先行してはいましたが、それでも35mmF1.8レンズは、日本光学の距離計連動レンズの中ではいちばんの独自性があると言えると思います。
そればかりか、性能面を見ても非常に線の細やかな先鋭な描写に驚かされます。
開放でもクセがほとんどないので、絞って個性を殺すよりも開放だけで撮りたいレンズです。

このレンズは発売当時、広角の最高速を誇ったレンズでした。
ズミクロン35mmF2、ズノー35mmF1.7、フジノン35mmF2、キヤノン35mmF2等の高性能大口径広角レンズが相次いで登場する先鞭を付けたレンズでもあるわけです。
面白いのは、それらレンズがいずれもガウス発展型なのに対して、クセノタールの後継はなかったことです。
その意味でもオリジナリティを感ずることができます。

構成でいうともうひとつ面白い謎があります。
コンタックス用のテッサー50mmF3.5、ゾナー50mmF1.5、ゾナー50mmF2、ゾナー85mmF2、ゾナー135mmF4については、徹底研究した日本光学版の同構成、同スペックのレンズを出しているのに、ビオゴン35mmF2.8の構成をもとにしたレンズがありません。
日本光学はビオゴンを評価していなかったのか、それとも何らかの事情でビオゴンタイプの設計をあきらめたのでしょうか。
もし、ビオゴンタイプのレンズを日本光学が発売していれば、この35mmF1.8は開発されなかったし、ビオゴンタイプの35mmF1.5のようなレンズが世に出ていたような気がするのですが、空想が過ぎるでしょうか。
【M8/W-Nikkor・C 35mmF1.8 F1.8】
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W-Nikkor・C 35mmF1.8 | trackback(1) | comment(4) | 2012/05/17 Thu

野生茶的味道

M8/W-Nikkor・C 35mmF1.8
広西壮族自治区最北の高定村があるのは香港から北北西に約700キロ、緯度にすると台北とだいたい同じくらいです。
恐らく波照間島などが辛うじてそれより南になるものの、日本よりはるかに南に位置しています。
数年前、ゴールデンウィークに桂林に行ったことがあり、連日35度を超える暑さだったことから同様の気候を覚悟していたのですが、ずっと曇っていたことと、かなり高度のある山間だったため、涼しくたいへん快適に行動することができました。

そういえば、これまでに滞在した貴州や湖南の村も日中はそれなりに暑くなるものの夕方からはけっこう涼しくなっていたので、夏場の中国はどこもかしこも暑いことを考えると、この地方を訪れるのは正解だと言えます。
ちなみに高定は冬場に数回は積雪があって、そうなると車で山道を走行するのは危険なのでお薦めできないと聞きました。
雪景色も魅力的でしょうが、行くなら夏場ですね。

朝の散歩は特に気持ちが好く、滞在中、シャワーを浴びることができなかったのですが、さわやかに歩きまわりました。
そういえば、高台の景色の好い場所で一服している男性にあいさつして雑談していたところ、その人は製茶業をやっている人で、民家を改造したような小さな工場に案内すると、いろいろなお茶を試飲させてくれました。

日本同様緑茶がメインなのかと思っていたのですが、同程度に紅茶も飲まれ、生産量は少ないものの野生茶というのもありました。
緑茶は、杭州などで有名な龍井茶と似てあまり渋みのないタイプで、紅茶も英国式とは違い砂糖やミルクを入れずともほのかな甘みが感じられるものです。
野生茶は文字通り周辺の山にもともと自生していた品種で、独特の強い甘みをともなった味がワイルドな印象です。

いずれも、食事時に飲むお茶と言うよりも、3時の休息とか食後のひとときとかに飲む嗜好品というべきものです。
そのせいか、残念ながら何人もの村人に聞きましたが、お茶を飲む週間がある人は皆無でした。
あくまで商品作物として町に出荷されるということのようです。

すごく美味と言うわけではありませんが、特徴的な味に魅力を感じて野生茶を売ってもらえないかお願いしてみました。
ちょぅど見本用の缶入りのものがあるとのことで譲ってもらいましたが、250グラムほどで200元ととんでもなく高価でした。
その男性は野生茶はたいへん希少なのでとても高くて申し訳ない、紅茶ならずっと安いのだがと恐縮しています。
結局、交通費や食事代、宿泊代を除くと、野生茶はこの旅でわたしが使った唯一の出費になりました。

その後、楊さんの家方面へ戻ると、また別の男性が笑いながら家へ来て下さいと話しかけてきました。
やはり狭い村のことですから、外から人が来れば目立ちますし、1泊したとなれば興味津々、さらにはそれが外国人と分かった日には噂になったりもするようです。
どうぞどうぞと部屋に招かれるや、またお酒をご馳走になります。
日本のどこから来たのかとか、どうしてこの村に来たのかとか質問責めです。

子どもが3人いましたがみんなシャイで、レンズを向けると逃げ出してしまいました。
あまり外から訪れる人もなく、たまに来てもそういう人にするのは恐かったりするのかも知れません。
日本人を見るのは初めてですかと聞くと、去年も来たのだと教えてくれました。
その人もひとりで来た男性で1ヶ月ほどもこの村に滞在していったといいます。
何かの研究に来たのでしょうか。
その方にお会いしてみたいものです。

のどかで平和な高定ですが、2年前に凄惨な事件があったことを知り胸を痛めました。
「広西・無差別殺人犯を村人30人で打ち殺す村の風習」。
小さな山村では、民族の問題があるため村内や近隣での婚姻があたりまえで、どうしても血が濃くなってしまうことは否めません。
そのためかどうか、各地の村で障害のある人をよく目にします。
解決の手立てはないものでしょうか。
【M8/W-Nikkor・C 35mmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
W-Nikkor・C 35mmF1.8 | trackback(0) | comment(0) | 2012/05/16 Wed

太陽鏡頭

M8/W-Nikkor・C 35mmF1.8
いま、巷では来週の金環日食のことが話題になっています。
思い出すのは3年前に中国で皆既日食が見られるというので出掛けて行こうと思ったとき、日食を撮るのに最適のレンズは何かと考えて、太陽から名前をとったゾナーだろうと結論したことです。
結局、ゾナーを持って行くことはなく、当日は曇って日食もよく見えませんでしたが。

ドイツ語の太陽を意味する"Sonne"がゾナーの語源であるといろいろなところで読み、そういうものだと信じていたのですが、どうやらそれは間違いだったようです。
クッツは「コンタックスのすべて」の中でおよそ次のように書いています。

ツァイスは、1920年代に当時ドイツにあった主要カメラメーカーが合併してできたのですが、そのうちの一社コンテッサ・ネッテルがすでにゾナーという名前の乾板カメラを出していてそのレンズ名もゾナーだったというのです。
そのゾナーを製造していたのが、ゾントホーフェンという地名で、そこから名前が取られたのだろうと書いています。
ただ、コンタックスの高速レンズの名前を考えるにあたって、このゾナーと言う名前が太陽を連想させるので、明るいこのレンズにふさわしいと考えたのだろうとも書かれていました。

ところで、地名からとられたレンズ名と言うのはかなり珍しいのではと思うのですが、いかがでしょうか。
思いつくのは、東京光学のシムラーがやはり、工場のあった板橋区志村からとられているというものくらいでしょうか。
大船にあったオフナーというレンズというのもありましたっけ。

「コンタックスのすべて」の同じ項に、それ以上に気になる写真が載っています。
F1.5ゾナーの5cmと5.8cmの2本のレンズが並んだ写真です。
残念ながらこの写真はレンズを真横からとらえたもので、製造番号はもちろん、文字表記も一切分かりません。
さらには、写真にはレンズ名がキャプションになっているだけで、本文ではまったく言及されていません。

分かるのは、5cmの方が戦前のニッケルからクロームに移行した時期の鏡胴で、5.8cmの方はそれより前のニッケル期の鏡胴に似ているということです。
写真からだけでは、この5.8cmがニッケルとは断定できませんが、ブラックの部分はペイントに見えるので、ニッケルのような気がしてなりません。
だとすると1930年代前半に製造されたということになるでしょうか。

写真の2つのゾナーの大きさの関係は、わたしが所有するゾナー5cmと6cmと同等です。
これまでのことから、大胆に予想してしまうと、わたしのゾナー6cmF1.5は(5.8cmF1.5も)、1930~4年頃にツァイスイエナで試作されたレンズで何本かはブラック・ニッケルでコンタックス・マウントになり、残りのエレメントはその後何年かして訳あってアルミ鏡胴のライカマウントにもなったのだということができます。

予想だから何とでもいえるので、戦前のうちに5.8cmF1.5を何本かライカマウントで作った後、終戦直後、オーバーコッヘンに連れてこられたツァイス首脳の荷物の中からまた同じエレメントが発見されて、それらは6cmF1.5と刻印されたうえで組み上げられたのではないでしょうか。
コンタックスはイエナに残したままだったので、もはやライカマウントにするしかなかった…。
クッツさんは、事情をご存じかも知れないし、知らないまでも彼なりの考察があるのではないかと思われますので、ぜひともその辺のところを語っていただきたいものです。

ゾナーの話に終始しましたが、今日の作例はニッコールでした。
ここがお世話になった家で、窓から遠くを見やっているのが、楊さんの奥さんです。
旦那さんは、手製の銃をもって仲間たちに会いに行くと出掛けてしまいました。
足の悪い奥さんは、あまり遠くへ出られないようで、こうして窓辺に佇む姿を何度か目にしました。

たいへん穏やかで、優しさにあふれた女性でした。
言葉があまり通じなかったですが、いま考えれば、いろんな話を聞くことができたはずです。
世話になるばかりで、彼女の話を聞いてあげるとか、そんな簡単なことすらしなかったことが思い重なり、切ない気持になります。
【M8/W-Nikkor・C 35mmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
W-Nikkor・C 35mmF1.8 | trackback(0) | comment(0) | 2012/05/15 Tue

楊家的食卓

M8/W-Nikkor・C 35mmF1.8
夜は、楊さんご夫妻の家にお世話になりました。
わたしが村の民家に泊まりたいというと、バイクでここ高定まで連れてきてくれた運転手が、楽器を吹いた鼓楼までもどって村の長老たちに説明し、老人たちがざわつくなかであそこがいいだろうと楊さんのお宅を勧めてくれたのです。
その楊さんへもこの運転手がかけあってくれ、夫妻は何の疑問も無いという風にどうぞどうぞと泊めてくれることになりました。

1泊2食で60元とのことです。
正直に言って高いなと思いました。
空いているベッドに寝かして1食15元とすると40元が相場かなと踏んでいたからです。
外国人ということでボッているのかも知れないですが、もちろん高いからといって断ったり値切ったりというつもりはないですし、わたしは泊めてくれることに感謝の言葉を述べて金額も了解しました。

以前は、こういうケースではタダで泊めるのが普通だったようです。
それが旅人に対する礼儀だとか、少数民族にもいろいろとしきたりのようなものがあったと聞きます。
ただ、現金収入が限られた人里離れた村でのことですから、タダと言ってもいくばくかの心付けを置くのが一般的だったのかも知れません。
それだったらお互い気を使わないように最初からいくらだよと言った方がよいとかなったのでしょう。

日本風に言えば木造3階建てプラス屋根裏部屋がある立派なお宅です。
1階にはトイレやシャワーがあり、倉庫のようにもなっているスペースは、おそらくかつて家畜がいたのだと想像されました。
この家では2階に応接スペースとキッチンと一部寝室があり、夫妻はそこで寝ているようです。
3階に部屋が4つあり、わたしはベッドの置かれたひとつの部屋をあてがわれます。
コンセントがあってカメラのバッテリーを充電することができたのがたいへん助かりました。
以前、どこかの村で泊ったときは部屋になかったため、すっかり忘れてしまい、翌日の撮影がほとんどできなかったということを思い出します。

部屋は、近くの町で教師をしているという息子さんのものでした。
先日も書いたように、できればその家の子どもたちに歓迎の歌を歌ってもらえるような大家族の家に泊りたかったのですが、夫妻以外は家を出てしまっていて少し寂しい感じがしました。
とはいえ、夫妻も子どもが教師になるくらいですから、村ではインテリの家庭なのかも知れず、不便は無く楽しめました。
ただ、訛りがきつく、わたしの語学力の問題もあって、言っていることの半分も理解できなかったのが残念です。

奥さんの料理は、特別に美味と言うことはないにしても、日本人なら普通に食べれる一般的な家庭料理です。
全部で5皿あり、うち2皿が豚肉の料理ですが、これは昨日の作例にあった村の生鮮市場、というか唯一の肉屋兼魚屋さんで買ってきたものでしょう。
あとは名前の分からない野菜の料理と、卵焼きのようなもの、野菜の入ったスープで、ご飯も含めてわたしはけっこう美味しいと思いました。
このへんの人たちは辛いものが好きなはずですが、唐辛子は使用していません。

美味しいと言いながらご飯もおかわりしたので、調理してくれた奥さんも喜んでくれたように思います。
ただ、問題は、お父さんが好きだという自家製のお酒でした。
今までの経験からお酒が2種類あることは分かっています。
もち米の発酵酒か普通米の蒸留酒です。
前者はアルコール度数が低く、ほんのり甘い飲みやすい酒です。
後者を説明する必要はないでしょう。
アルコールは推定20度以上あって、酒豪ならともかくわたしは1杯飲めばくらくらです。

予想通り透明の液体のそれは蒸留酒で、久々に酒の相手が来たということで何杯も飲まされてしまい、食事を終わるころにはダウン寸前でした。
前夜あまり寝ていなかったこともあり、夫妻には申し訳なかったですが、ベッドに直行させてもらいました。
まだ、8時前だったのですが。
おかげで、翌朝はコケコッコーの大合唱に起こされるまで、完璧な熟睡でした。
【M8/W-Nikkor・C 35mmF1.8 F1.8】
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W-Nikkor・C 35mmF1.8 | trackback(0) | comment(0) | 2012/05/13 Sun

紅色汽車

M8/W-Nikkor・C 35mmF1.8
最終目的地、高定までは、お昼を食べた独峒からもうあとわずかです。
高定を紹介する本では、バイクで20元、小1時間かかると書かれています。
食堂で、高定まで行ってくれるバイクはないかと聞くと、知り合いに電話してくれ、30元で行くとチャーターしてもらいました。
本は、7年前に出版されたものなので、この間に10元も相場が上がったか、食堂の兄さんが5元くらい仲介料を取っているのでしょう。

これまでの行程を振り返ります。
自宅(2時間30分)成田空港(4時間)香港空港(1時間30分)深圳(1時間)深圳空港(1時間)桂林空港(1時間)桂林(2時間)龍勝(2時間)三江(1時間)独峒(30分)高定。
合計、16時間半かかっています。
中国に入ってからも10時間ですから、桂林に前泊する、実質1泊2日の旅には少し遠過ぎました。

いや、そんな奥地だからこそ、交通不便故の古い伝統や文化が残っているのが高定の魅力と本には書かれています。
ところが、バイクの後部座席に跨っていると、すれ違う車がありますし、そもそもが道は細いもののきれいに舗装されています。
これなら三江から直行で高定に来ていればよかったわけです。
7年の間に高定の状況は大きく変わったようでしたが、それは仕方ないことでしょう。
それを受け止めつつ、高定の滞在を楽しむことにします。

さて、これまでの作例写真についてです。

7日の茶畑ですが、三江から高定にかけてかなりの山間になり、多くのお茶が栽培されているのを目にしました。
茶畑そのものの風景も茶を摘む人々の頬っかむりした姿も、日本の茶畑のそれにそっくりです。
思わず車を停めてと叫んで撮影しましたが、運転手はなぜあんな日常的なものを撮るのか不思議がっていました。
ただ、この地方の名物のはずの棚田はあまりなく、それが少々残念でした。

8日は、鼓楼に集まる古老たちの様子です。
鼓楼というのは、侗族固有の建築で、塔のようなものです。
村の集まりごとなどがあるとここで鼓を叩いて知らせたことからこの名があるようですが、かつては外部の侵略を監視する役割もあったのではと想像できます。
ただ、今では、このように老人たちが集まるコミュニティスペースのようになっています。
ひとり、縮れ毛で色黒の黒人のような少女が、わたしの方をしきりに気にしていました。

9日は、その鼓楼に芦笙という楽器が置かれていたので興味を示していると、案内に付いてきた運転手が仲間の老人を促して合奏を始めたところです。
4つの楽器の大きさがみな違うのに注目です。
まるで木管四重奏のように高音から低音まで響かせて、その美しい音色には惹かれるものがありました。
ただ、ここでも主人公は黒人のような女の子で、音楽に酔っているようにも、わたしを何しに来たのかと訝しがっているようにも見えます。

そして今日の作例は、高定の村の入り口の門のところにやって来たものです。
どこかの家に泊めてもらうつもりだったので運転手にそう告げると、それならここへ来なくてはと門の横にあるオフィスのようなところに連れて来られました。
てっきり外来者が宿泊する場合は登録手続きのようなことが必要なのかと思えばそうではなく、そのオフィスの2階が宿泊施設になっていたのです。
そんなところに泊るのでは意味がなく、普通の家に泊まりたいのだというと、こっちの方がずっと快適なのにとやはりわたしの行動が理解できないようでした。

門を撮影するふりして子どもたちを撮ろうとすると、それはすっかり見抜かれていたようです。
中国の子どもも撮影時にはピースとやるのですが、こちらでは食べているものを突き出すのが習慣なのでしょうか。
ちなみに、彼らが乗っているのは、超小型の消防車です。
建物は、みな木でできているので、これが必需品と言うわけです。
【M8/W-Nikkor・C 35mmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
W-Nikkor・C 35mmF1.8 | trackback(1) | comment(0) | 2012/05/10 Thu

哪个位子最安全

M8/W-Nikkor・C 35mmF1.8
苦労の末たどり着いたバスターミナルでしたが、いちばんの6時半の座席が残っているかの不安がありました。
せっかく早朝に起きて、2番目のバスまで1時間待たなくてはいけないのではがっくりです。
ところが、6時でまだ薄暗いチケット売り場は閑散としていて、チケットはあっさり購入できました。
そればかりか、45席あるバスには乗客はわずか10人ほどしかいません。
拍子抜けです。

しかし、ここで安心して呑気に空いている座席に座るというわけにはいきません。
まだ、記憶に生々しい関越道のバス事故のことが気にかかります。
ニュースの映像では、防音壁に突っ込んだバスは左右に分断されるかたちになっていて、実際、運転席と反対側の座席に座っていた人ばかりが命を落としていました。
わたしも、運転席側に席を取らないといけないと心しました。

あいにく、運転席から後方に4列くらいはすでに埋まってしまっています。そこから1列空けて運転席側の中央辺りに陣取ることにします。
と、ここで少し考えて、むしろここで怖いのは、運転手の居眠りではなく、追い越しなどで対向車に衝突することだと考えました。
だとすれば、運転手は路側側にハンドルを切るので、外輪差で運転席側の後方に対向車がぶつかるのではないかと思われ、中央あたりも危険だと判断されました。
いや、ハンドルを路側側に切ればそのまま路側に突っ込むので、運転手は咄嗟にまた反対に切り直すだろうから、いちばん危ないのは運転席反対側の後方か…。

などと考えてみますが、どこが安心なのかなどよく分かりません。
いろいろなケースを想定しているうちにいつの間にか眠ってしまったようで、気付いてみると終点の龍勝に到着していました。
2時間の行程です。
結局、バスでいちばん安全な座席はどこなのでしょう?

その龍勝のバスターミナルも2年前とは違うところに立派になってオープンしていました。
感心する間もなく、バスの客引きに三江行きが5分後に出ることを告げられます。
まだ、朝食をとっていなかったので空腹だったので何か食べるものを売ってないか聞くと、ターミナル向かいに桂林名物の米紛屋さんがあってそこで食べて来いと言います。
5分では無理ではと聞くと、いいよ待っててあげるからと言うのですが、どうも5分後出発というのははったりだったようで、実際には15分後くらいにようやくバスは動き出しました。

それでもバスの乗り継ぎが好調なので喜んでいましたが、これは後で分かったことですが、この乗り継ぎ作戦は失敗だったのです。
乗り継いだバスは路線バスのようなもので、直行なら1時間ほどのところを倍の2時間かけて走るのです。
では、どうするのが正しかったかと言えば、7時くらいにあった桂林から三江への直行バスに乗るという当たり前の手段がいちばんだったのです。
桂林発龍勝行きの6時半のバスが、直達快速バスとなっていたのできっと早く着けるに違いないと考えたのですが、他のバスも所要時間はほぼ同じなのだと後で聞いてがっくりきました。

三江では、バスターミナルは旧態依然としているというか、困ったことに到着したバスターミナルは河東で次に向かう独峒行きは河西だと言われます。
小さな町なのだからバスターミナルを分割することはないのにと思いますが、路線バスに乗って河西に着くと、あろうことかわずか2分前に独峒行きのバスは出たところでした。

いま11時を少し廻ったところで、次のバスまで1時間、独峒までは1時間半。
せっかくここまで来てもたもたしてはいられません。
ターミナル前にたむろしていた軽ワゴンをチャーターすることにしました。

独峒まで40キロあって、200元だと言います。
妥当な金額にも思われましたが、大げさに驚いてそんなに高いのだったらやめるよと背中を向けます。
すると、分かった分かった150元でいいとすぐに下げて来ました。
これなら100元になるなと察せられたので、助け舟とも言うべき、80元にしてほしいと返答します。
ややあって、分かった100元ではどうかと言われ、わたしもまた臭いジェスチャーで、ええっ、高いけど急いでいるので仕方ないかと言いつつ了解します。

運転手もわたしも金額には納得できんという顔をしていますが、たぶん、どちらも内心では、ああ良かったと思っているに違いありません。
やはり、バスよりも飛ばしてくれて1時間10分ほどで独峒に着きました。
お昼をちょっと回ったところなので、すぐに食堂を見つけお昼をいただきます。
しかし、この独峒は、まだ目的地ではありません。
【M8/W-Nikkor・C 35mmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
W-Nikkor・C 35mmF1.8 | trackback(1) | comment(0) | 2012/05/09 Wed
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