M3の前年デビューって

Tanar 5cmF1.8
法輪寺から法隆寺まではすぐ近くのはずですが、迷ってしまい移動に30分近くかかってしまいました。
歩いてもその半分ほどで行ける距離ですが、法起寺、法輪寺で三重塔をランドマークのように見ながら向かえたので、法隆寺は五重塔が見えるはずだからと進んで通り過ぎていたのでした。
法隆寺はこの2つの寺院よりはるかに広くて中央にある高い五重塔が見えないのです。
スケールの大きさもそうですが、それ以上に法隆寺の拝観料1500円というのにも驚かされました。
五重塔や金堂などの世界最古の木造建築を誇る法隆寺は、保安コストが並大抵ではないのでしょう。

田中光学のカメラとレンズの関係を記しておきたいと思います。
カメラ雑誌に掲載されたメーカー広告を集積した本がありますが、田中光学ではその時の現行カメラ1機種と(例外的に2機種の時期もあり)、選択できる標準レンズが必ず記載されていました。
カメラ機種は次の6種類の販売期間(一部は類推です)、レンズを記載しますが、最後のTanack VPは発売前に田中光学が倒産したので、広告はありません。
Tanack 35 (1953.11 – 1954.8) 5cmF2.8, 5cmF3.5
Tanack IIIS (1954.8 – 1955.2) 5cmF2.8, 5cmF3.5
Tanack IVS (1955.2 – 1958.11) 5cmF2, 5cmF2.8, 5cmF3.5
Tanack SD (1957.7 – 1958.12) 5cmF1.5
Tanack V3 (1958.12 – 1959.12) 5cmF1.5, 5cmF1.9, 5cmF2.8
Tanack VP (Unreleased) 5cmF1.8

田中光学がカメラを製造していたのはわずか7年で、そのなかで6機種製造していたのですから、Tanack IVSが3年半少々製造され続けたのを除くと、どれも1年程度の短命です。
標準レンズは、当初F2.8とF3.5というオーソドックスな2本でスタートしていますが、もっと明るいレンズをという要望はユーザーにも社内にもあったのでしょう、IVS型から待望のF2が登場します。
Tanack SDはそれまでのバルナックライカそっくりだったデザインを一新して、ニコンS2のような外観の一眼式ファインダー、レバー巻き上げ、自動パララックス補正を備えた画期的なカメラとし、それに見合う大口径のF1.5レンズを投入しました。
しかし、過度の変更のため製造はうまくいかず、スペックダウンさせたV3に変更するのですが、なぜかレンズもいっしょにスペックダウンしてF1.9になってしまいます。
さらに、VP用のレンズもF1.5かF1.9、F2で十分そうなものなのに、新レンズのF1.8を投入しようとして、田中光学は息切れてしまいました。

田中光学がカメラ事業に手を染めた1953年は、日本のカメラメーカーにこれはかなわないと根を上げさせたライカM3が発売された前年で、力のあるメーカーや決断力のあるメーカーはレンジファインダーを捨てて一眼レフに転じて、そのことにより逆に日本のカメラの一時代を築くことになるのですが、開発力の問題などでレンジファインダーカメラに固執したメーカーは悲劇的な運命をたどります。
田中光学もライカM3を見た段階でカメラ製造から撤退していれば、カメラ関連企業として生き残れたかもしれないのに、カメラもレンズも矢継ぎ早につくっていわば自分の首を絞めるようにして倒れたように見えます。
しかし、そのおかげでわたしはユニークで意外に優秀なレンズ群を楽しむことができるのですから、田中光学の努力とわずかの栄光を讃えないではいられません。

さて、本日の作例ですが、法隆寺の西院から東院へ向かう途中の境内で撮影したものです。
有名な五重塔や夢殿より、何百年も前からまったく変わらない空間が残っているように見えるここがすばらしく感じました。
目の前を歩いていた男女が手をつないでいるのかと思えば、よく見ると1つの数珠でふたりの手首を結んでいると気付き、思わずシャッターを切りました。
初めて訪れた法隆寺ですが、やはり期待通りにすばらしくまた訪れたいですが、次回はぜひ境内で柿にかじりつきたいと思います。
【Alpha7II/Tanar 5cmF1.8 F1.8】
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Tanaka Kogaku Tanar5cmF1.8 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/23 Tue

伝統寺院の非伝統への対応

Tanar 5cmF1.8
15日のほうらんや火祭、16日の稗田阿礼祭に続いて17日は法隆寺に参拝に行ってきました。
法隆寺は、JRの同名の駅があって奈良から10分ほどで着きますが、奈良町の滞在先からJR奈良駅まで徒歩約20かかり、法隆寺駅から法隆寺までも20分くらい歩くというので、それならばと今回も自転車で行ってみることにしました。
自転車用のオイルを買ってきて、チェーンとギア部分にたっぷり注油し、作動部の音が軽快になったのを確認してから出発します。
2日続けて借りるので大切に使わないといけません。

昨日の経験で奈良町から郡山まではまったく平坦でしたが、法隆寺はその先でしたので素直にそう行けばよかったのですが、地図でより最短のショートカットを目指したのが失敗でした。
具体的には、西の京の少し先から富雄川に斜めにぶつかる道ですが、このあたりは丘陵の住宅地帯で緩やかですが長い上り坂がきつく、奈良の最高気温が連日37度前後になっている中でくらくらになりました。
漕ぎ続けてようやく下りになって地獄から天国へ変わり、コンビニが見えてきたので飲み尽くしたドリンクの補充のため休憩をとります。

この日はトータルで500mLのペットボトル4本と1Lを1本飲みましたが、こんな暑い中で自転車に乗るのはかなり無理があるなと実感できる量ですね。
いつもお茶系のドリンクばかりですが、最近は炭酸水もしばしば飲むようになりました。
炭酸水は、無糖のお茶のペットボトルのないヨーロッパでよく飲んだものです。
むかし誰かの旅行エッセイで、ガス入りのミネラルウォーターは味がなくてまずいというのを読み、そんなにまずいものかと試してみたら冷えていれば意外にイケると感じ、以降、ヨーロッパを旅した時は必ずガス入りの水を飲み続けていました(もちろん夜はビールかワインです)。
まずいと言った人はきっとコーラ系のドリンクが好きで、炭酸水は甘くなくて味がないと感じたのでしょう。
日本ではその頃炭酸水なんて売っていませんでしたが、最近は自販機でこそ見ませんがコンビニ、スーパーでは普通に売られるようになったので、わたしのようなファンが増えているに違いありません。

奈良市内は車の交通量が多くて、それを回避したいということもあって妙なルートになってしまったのですが、富雄川にぶつかると川辺の走りやすいサイクリングロードになって、快適度が一気に上がりました。
大和郡山から斑鳩町に入ってすぐに法起寺の美しい三重塔が見えたので今日最初の参観です。
法起寺はお宮さんだったのを寺に改めた、聖徳太子建立の寺のひとつだと言われる古刹です。
シルエットの美しい三重塔は西暦708年の創建で国内最古ですし、奈良時代の十一面観音像や美しい蓮の池など、大きな寺院ではありませんが訪れる価値は高いと思います。
駅から離れているため車がないとアクセス不便で、道路沿いながらひっそりした感じも気に入りました。

続いて本日の作例ですが、法起寺にほど近い法輪寺の表門付近です。
ポケモンGOはいけませんよとわざわざ貼紙しているのは、なにかトラブルがあったのか、評判を聞いていち早く禁止とする先鞭を付けたのか気になりました。
法輪寺は、聖徳太子が病に倒れたときに御子によって回復を願って建立されたと言われる寺院で、やはり奈良時代の仏像があり、間近で見られることもあってすばらしさを肌で感じられます。
国宝だった三重塔は1944年に落雷で焼失してしまい、写真のものはその後に再建されたそうです。
2週間前に徳島を訪れた際にも同じころ大地震があって津波により町が流されたという話を聞きましたが、終戦前の苦しいときに各地でたいへんなことがあったのですね。
自然災害はむしろ増えているのですから、こうした過去の災害に学ばなければいけないと強く思います。
【Alpha7II/Tanar 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Tanaka Kogaku Tanar5cmF1.8 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/22 Mon

聡明な語り部の末裔たち

Tanar 5cmF1.8
奈良県、大和郡山市稗田
【Alpha7II/Tanar 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Tanaka Kogaku Tanar5cmF1.8 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/21 Sun

上から入れてたのでした

Tanar 5cmF1.8
タナー5cmF1.8は、100本程度の製造数だとおととい書きましたが、この数字には自信がありません。
わたしの知っているオールドレンズ愛好家二人が所有していて、さらにクラシックカメラ専科No.45と世界のライカレンズPart2の2冊にも掲載されているので、わたしのを入れると5本が現認できてしまうからです。
100本のうちの5本ですから5%で、例えばライツの初代8枚玉35mmズミクロンのスクリューマウント版は確か700本ほどの製造だったので、じゃあ知り合いや書籍に掲載分合わせて35本も出てくるかと言えば、絶対にそんなことはありえないでしょう。
100本という製造数がどうも怪しいようです。

5本のうち4本は製造番号が82118、82121、82326、82345と分かっていますが、Camerapediaというウェブサイトに82325、82426がタナックVPというカメラに付いていたと記載されています。
そのタナックVPですが、このカメラは設計が進んでいたものの1959年12月に田中光学が倒産したために、レオタックスGなどと同様、債権者ないしは修理工が仕掛品を組み上げて少数が世に出ただけの幻のカメラと言われています。
レオタックスGは500台くらいかという説がありますが、タナックVPは数台から数十台程度ではと言われているようです。

タナックVPが計画された1959年は、すでにライカM3が発表されて5年が経ち、ニコンFやキヤノン・フレックスなどの高級一眼レフが発売になった年ですから、旧タイプのレンジファインダーとしては、M3を超える高性能を打ち出すか、機能を落として低価格で勝負するかのどちらかしかありませんが、国産各社ではF2以上の高速レンズを搭載したレンズシャッタータイプの低価格カメラが普及し出したときで、もはや田中光学の余命は残されていなかったのです。
ニコンSPを思わせる前衛的なファインダーにはパララックス補正機能が省かれ、シャッターも高速と低速の2軸のままで最高速は1/500秒と、見た目と性能のアンバランスな中途半端なカメラになったのはやむを得ないでしょう。

このタナックVP用に用意されたタナー5cmF1.8は、カメラのデザインにフィットするようシルバーの深い切り込みをローレットに意匠したゼブラタイプのユニークなデザインのレンズです。
しかし、このデザインは前掲の製造番号82325以後のもので、821番台は平凡な黒鏡胴です。
821番台はVPのデザインが決まる以前のプロトタイプかも知れませんが、サンプル数が少なすぎて推測することもできません。
ゼブラタイプもサンプルは少ないですが、82325から82426まであるというので、そこだけをとらえれば100本程度になります。
何本かはカメラとセットで、それ以外はレンズ単独で、債権回収の少しでも足しになればと売りに出されたのでしょうが、まともな値段で欲しがるところがあるとも思えず、二束三文でまとめてどこかが引き取ったように思われます。
後年になって、希少価値のためにカメラもレンズも高価に取引されるようになるのは、時代の皮肉といえるでしょうか

さて、本日の作例ですが、5月に大和郡山を散策した時に面白かった、カフェにある金魚の電話ボックスを再訪して撮ったものです。
稗田阿礼祭はお昼前にいったん午前の部が終了となり、午後に子ども神輿渡御などが行われるというので、お昼を食べてから戻って来ることにしました。
こうなると自転車は便利で、近くでラーメンを食べてまだだいぶ時間があったので、電話ボックスのことを思い出して行ってみたのですが、今年から始めたというかき氷を食べて、オーナーの方からどうしてこのカフェをオープンさせたのかの話をじっくり聞くことができて充実の昼休みでした。
彼のコーヒー豆の炒り方へのこだわり、家族に対する愛情、さまざまな幸運などが重なって個性的なカフェを作らせたとのことで、そんな話を聞いたらコーヒーも飲みたくなってすばらしい深煎りを味わわせてもらいました。
倹約しているときにかき氷とコーヒーで、わたしとしては思わぬ出費でしたが、価値ある使い道でしたし、またコーヒー飲みに行きたいと思います。
【Alpha7II/Tanar 5cmF1.8 F1.8】
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Tanaka Kogaku Tanar5cmF1.8 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/20 Sat

1300年前の偉業を讃えて

Tanar 5cmF1.8
ほうらんや火祭に続いて、8月16日は稗田阿礼祭があると今回もUSさんに教えていただき出掛けてきました。
大和郡山市の稗田で行われるそうで、電車なら近鉄で奈良から大和西大寺経由の大和郡山駅へ出て徒歩15分くらいですが、友人が奈良町から20分で行けるからと自転車を貸してくれたので、炎天下に必死で漕いで体力不足でどうにか30分かけて到着しました。
会場は売太神社となっていて、えっ? バイタ神社かと焦りましたが、メタ神社と読むそうで失礼いたしました。

稗田阿礼は、ひえだのあれいと読みますが、7世紀後半に生まれて天武天皇の舎人となり、優れた記憶力によって天皇に関する伝承である帝紀、旧辞を諳んじたという人物です。
後年、阿礼が思い出しながら読んだ帝紀、旧辞を文官であった太安万侶が筆録して、天明天皇の命によって712年に編纂されたのが日本最古の歴史書である古事記でした。
古事記の序の中で、人となり聡明にして、目に度(わた)れば口に誦(よ)み、耳に払(ふ)るれば心に勒(しる)す、と阿礼の聡明ぶりが書かれています。

稗田阿礼祭りは、児童文学者であり夕焼け小焼けの作詞者としても知られる久留島武彦が阿礼の語り部としての功績を日本のアンデルセンと讃えて関係者に呼び掛け、阿礼ゆかりの稗田で1930年に始まりました。
今年が67回目になります。
小学生の巫女による阿礼さまの舞が奉納され、地元の子どもたちの阿礼さま音頭などの踊りがあり、むかしばなしの読み聞かせや子ども神輿渡御など当初からの趣旨が守られた祭りと言えると思います。

宿を出ていくのが遅れてしまい、わたしが懸命に自転車を漕ぎ漕ぎ到着した時には、すでに肝心の阿礼さまの舞が終わってしまっていました。
次の子どもたちの踊りを前にして円形に引かれた白線に沿ってカメラマンたちが陣取っていたので、そのすぐ後ろで待っていたのですが、白線に沿って踊るので線付近の方はもう1メートル下がってくださいとアナウンスがあり、その人たちが下がって後ろに並ぶ形になったことでわたしは繰り上げ当選のように最前列になりました。
これはラッキーと後列の人に気遣い地面に座り込みましたが、ちっともラッキーではありませんでした。

さて、本日の作例をご覧ください。
もともと逆光の位置なのに座ったことでなおも太陽の方向にレンズを向けることになってしまい、ひどいフレアが画面を覆いました。
仕方ないので置きピンにして左手をフードにしたハレ切りでやっと作例の状態ですが、竹を編んだ菅笠が鏡のように白く飛んでいてびっくりしました。
中玉のくもりの影響を思い知りました。
最前列で身動きできなかったので全体を撮ったりもできず、せっかく一生懸命練習して本番に臨んだのだろうに、カメラマンから至近距離で撮影されて緊張を隠せない子どもたちに、申し訳ないなあと詫びたくなるばかりでした。
その罰が当たったのでしょうか、その夜ローカルニュースを見ていると稗田阿礼祭が紹介され、これを見に行ってたんだと知った友人が、子どもたちの踊りの画面の奥に座り込んでぼんやり撮影しているわたしの姿を見つけてへらへらと笑うのでした。
【Alpha7II/Tanar 5cmF1.8 F1.8】
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Tanaka Kogaku Tanar5cmF1.8 | trackback(0) | comment(2) | 2016/08/19 Fri

祭効果で会心の写り

Tanar 5cmF1.8
当麻寺から坊城に移動して、ほうらんや火祭を見物しました。
この祭は毎年8月15日におこなわれる行事で、割り竹に藁や菜種殻、竹笹を巻き込んだ松明を坊城の16の地区でつくって、順番に神社の境内を担いで1周し、さらに2週目3週目は松明に火をつけて最後に拝殿前に奉納することで厄払いにする奇祭です。
暑い時期になぜ火のついた松明というさらに暑くなる祭りなのだろうと思いましたが、かつて1年を前後期に分けて考えていた時代に、正月の左義長火祭に対する後半期初頭の火祭との説明があり納得しました。
300年とも言われる古い歴史を誇りますが、1度だけ開催されなかった年があり、その年は災いがあったことから、以降必ず行われているといいます。

松明づくりは早朝から行われるそうです。
年に1回だけのことで、町を小さく分けた単位ごとにおこなうので、松明づくりなど細かい部分を正確に知っている人が少なく、いちばんお年を召した方が指示します。
松明の大きさに決まりはないようで、平均的なもので300キロくらい、大きいものでは500キロを超えるそうです。
いわば地区の長老がうちらは元気いっぱいだし目立たなくてはと考えると巨大松明になり、わしらの地区は高齢化が進んでるし無理せんでおこうとなれば控えめサイズになるのだとか。
担いでみればどこの松明も立派なものですが、各地区から松明が集まった段階では各地区が比較されて、巨大な松明に歓声が上がったり小さめのものは冷やかされたりで、そんなやり取りが楽しかったりもしました。

東京や大阪などへ出ていってしまった人も少なくないですが、ちょうどお盆ということもあって帰省してきて担ぎ手が揃うそうです。
松明が完成してから慣れない日本酒を飲まされてふらふらになっている若者を見ましたが、いざ松明を担ぐと祭りの厳粛さと重さ、暑さでしゃきっとなったように見えました。
法被ではなく浴衣姿なのが面白いですが、なにしろ藁がよく燃えるので浴衣や髪によく燃え移って危険と隣り合わせだとも聞きました。
ここまでしないと、災いから我が地区を守ることができないのでしょう。
ユニークで迫力いっぱいの祭りでした。

忘れないうちにレンズのことを記載しておきます。
使用したのは、田中光学のタナー5cmF1.8で、ツァイスのF2ゾナーと同型の3群6枚ゾナータイプのレンズです。
田中光学については先月13.5cmF3.5を取り上げて、謎の多い光学メーカーだと書きましたが、この間、資料探しをしたものの見つからないうちに、珍品レンズと言われるこの5cmF1.8を入手してしまいました。
前回の調査の段階では製造数が100本程度と考えられ、試作で終わった5cmF1.2などを除く量産レンズとしては田中光学最少のレンズと考えられます。

これだけ珍しいレンズですととにかく見つかればコンディションは二の次に手に入れたいと思っていましたが、キズ、くもりがあると書かれているのも構わず3万円オーバーでオークションにて落札しました。
残念ながらくもりは深刻なもので、今回はテストだと考えて構わず使いましたが、昨日の作例のように半逆光くらいになるとハイライトがフレアになってしまいます。
しかし、本日の作例のような順光では影響を指摘するのは難しいでしょう。
くもりは後群の前面に出ていますが、オーバーホールで治るのか、購入費用が高かっただけに悩むところです。
【Alpha7II/Tanar 5cmF1.8 F1.8】
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Tanaka Kogaku Tanar5cmF1.8 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/18 Thu

ブログの拠りどころを訪れて

Tanar 5cmF1.8
8月15日に当麻寺と橿原市坊城のほうらんや火祭を見物に出掛けてきました。
先日、東大寺や春日大社近辺を案内してくれたUSさんから、坊城のほうらんやは300年の歴史を持つすごい祭りと教えていただき、仕事で行けないUSさんには申し訳ないですが、ひとりで見てきたのです。
坊城ってどこだろうと路線図を見ると、近鉄橿原線に乗って橿原神宮前駅で近鉄南大阪線に乗り換えた2駅目にありました。
さらに5駅先には当麻寺駅があったので、午前中は当麻寺、午後は火祭の2本立てで回ってこようと計画しました。

それにしても、当麻寺も坊城も何だか読めない字です。
坊城は調べてぼうじょうだと分かりましたが、当麻寺の方は勘違いしたまま読んでいました。
奈良県には難読地名が多いように思うのですが、ちょっと読めなさそうな駅名を10個拾ってみました。
1.当麻寺、2.平群、3.御所、4.京終、5.平城山、6.掖上、7.志都美、8.大阿太、9.忍海、10.畝傍
1.たいまでら(有名なお寺の名前なのでご存知の方は多そうですがわたしはたいまじと真面目に読んでいました)、2.へぐり(こんなのが話題になってました http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160901-00000097-it_nlab-life)、3.ごせ(知らなければ普通はごしょと読むでしょう)、4.きょうばて(滞在している宿のそばに北京終というバス停がありペキンおわりかと思いました)、5.ならやま(当て字かと思ったら平城と書いてならと読むのは万葉集にも出てくるそうです)、6.わきがみ(えきではなくわきですが、前者は音読み後者は訓読みだそうです)、7.しずみ(女性の名前のような響きですが、しづみでなくしずみなのが不思議です)、8.おおあだ(県内近鉄線で利用者の最も少ない駅だそうです)、9.おしみ(葛城市のウェブサイトに寄れば、藤原京の時代にはあった地名で鉄生産技術を持って朝鮮半島から渡来した忍海氏に由来するそうです)、10.うねび(JRの難読駅名1位になったことがあるとか)。

閑話休題。
当麻寺は、7世紀に創設された、聖徳太子の弟が開基したとも言われる由緒ある寺院です。
しかし、当麻寺は、なによりも中将姫が出家した寺であり、中将姫ゆかりと言われる地に住み、厚かましくも名前を使わせてもらっている身分としてはようやく念願かなっての訪問になりました。
西暦762年、中将姫が16歳の時、毎日経典を書き写し続けて1000巻の写経を達成すると、夕日の中に阿弥陀仏が浮かび上がり空一面に極楽浄土が広がる光景を見たといいます。
あの仏さまに仕えたいと歩き続けると観音様に導かれるように着いたのが当麻寺でしたが、当時は女人禁制だったため入山を許されず、門前の石の上で一心に読経をするしかありませんでした。
すると、数日後に中将姫の足元の石に彼女の足跡が刻まれており、その奇跡に感銘を受けた住職が女人禁制を解いて中将姫を迎え入れたと伝えられています。
この石は、中将姫誓いの石として現在でも見ることができますが、彼女はかなり太めだったのかと心配になるほどの深い足跡でした。

翌年、剃髪して尼僧になった中将姫は自らの髪で刺繍しますが、蓮の茎を集めよとのお告げを受けます。
茎を集め糸を取り出して井戸の水で清めると不思議なことに五色に染まったので、観音様の化身と中将姫はその糸を使って壮大な曼荼羅を織り上げます。
そこには、出家前に見たあの夕日の中の極楽浄土が表現されていたのでした。
曼荼羅をもとに中将姫は人々に教えを説き続けますが、彼女が29歳の時にその身のままで極楽浄土に旅立たれたということです。
曼荼羅は、多くの写しとともに広く信仰の拠りどころとなり、状態が悪いため非公開ですが、当麻曼荼羅の名で国宝として保管されているそうです。
以上は、当麻寺ホームページから抜粋いたしました。

さて、本日の作例ですが、当麻寺の境内で撮った三重の塔と中之坊です。
中将姫伝説ばかりを取り上げましたが、当麻寺の建築や庭園、仏像はすばらしく、十分に足を運ぶ価値があります。
中之坊では写経や写仏も体験できるそうで、わたしが訪れたときも、写経に没頭する人の姿がありました。
帰り道にもうひとつの楽しみが待っていました。
中将堂さんという伝統のよもぎもち屋さんがあって、おみやげの他に店内で食べることもできます。
よもぎもちと煎茶のセットはたった300円で、冷たいお茶が選べました。
暑い中で人心地つけるだけでもありがたかったのですが、このもちはよもぎの風味がしっかりしていてあんこも甘すぎない、絶妙なおいしさでした。
おみやげを持ち帰ったら、これぞ本物のよもぎもち(ニセモノが奈良市内にあるらしい)とたいへん好評でした。
【Alpha7II/Tanar 5cmF1.8 F1.8】
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Tanaka Kogaku Tanar5cmF1.8 | trackback(0) | comment(0) | 2016/08/17 Wed
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