働き手のいない宅配業者のアルバイトの日給が、年末年始のときに2万円になったというニュースがありました。
ゴールデンウィークも同じ状況だろうからクロネコでバイトしようと密かに考えていましたが、少なくとも奈良にはそんな景気のいい話は見つかりません。
半年間の酒蔵の仕事で疲労がたまっていたわたしは神奈川県へ帰省することにしました。
2万円バイトに固執し過ぎたため出足が遅れて、安価な高速バスはことごとく満席になっていたので、年末年始に続いて在来線乗り継ぎで実家を目指しました。
奈良から自宅にもっとも近い相模線門沢橋駅まで7340円とバスより少し高いですが、バスも奈良から京都まで鉄道で出る必要があり、トータルではどっこいどっこいです。
それに、JRの長距離きっぷは途中下車が自由なので、28日29日あたりの静岡県のイベントを調べてもらって、そんなのを見ながら帰れば長時間も退屈しないというメリットがあります。
清水の湯舟さんにはいろいろ調べてもらい申し訳なかったのですが、これぞという行事が静岡県には無く、結局、29日に愛知県の弥冨である藤祭りに立ち寄ることにします。
それで28日が暇になったので、葛城の竹内街道を歩いてみました。
竹内街道は、聖徳太子から遣隋使に派遣された小野妹子が大陸の使者とともに帰国の際、大阪の港から明日香までの道として整備された日本書紀にも記された日本最古の官道と言われています。
遣隋使の飛鳥時代は大陸の文化がもたらされたこともあって繁栄したものの、遷都により衰退します。
しかし、中世には街道の起点にあたる堺が商業都市として栄えたことで盛り返し、江戸時代には伊勢街道として使われたことでにぎわったようです。
古民家と農村、遠くに二上山と開放的な風景は、毎日の酒蔵での労働の疲れを癒します。
また、竹内集落には、大和棟(高塀造ともいう)という伝統家屋がわずかに残っていました。
大和棟は中心の母屋の左右の壁を高くして切妻の茅葺屋根を設置し、左右の塀に釜屋をつなげた構造の住宅です。
塀が高いほど屋根が急角度になるので、うだつのようにできるだけ高くすることで、家の格式を表したそうです。
高度成長期までは奈良県内にふつうに見られた大和棟ですが、しっかり茅葺のままで残っているものは少ないそうで、今後は県内に大和棟を尋ねる散策をテーマに採り入れたいと思います。
帰省の際に立ち寄った弥冨は金魚の町として知られていて、その歴史は江戸時代に大和郡山の金魚売りが熱田に向かう際、弥冨宿で休むにあたって池をつくって放った金魚を見た地元の人が可愛らしいと買ったことに始まるとあります。
わたしは奈良から関西本線で2時間半ほどで着きましたが、当時の金魚売りはどのくらいの時間をかけて、金魚を運びながら弥冨までやって来たのでしょうか。
樹齢350年のフジはまだ咲き始めでがっかりでしたが、ミス弥冨とミス弥冨金魚の撮影会に金魚のフンのように付いて回ることができ、駅から30分も歩いて来た甲斐がありました。
時間調整の意味もあって弥冨市歴史資料館に朝一で立ち寄っていたのですが、受付をした学芸員のような女性が藤祭りにも手伝いに来ていました。
この女性は個人的に来年のミス金魚に推したい魅力的な方でした。
弥冨から名古屋、豊橋、浜松、静岡、沼津、茅ヶ崎と乗り継いで帰りましたが、豊橋の10分ほどの乗り換え時に駅前でよさこいイベントをやっていたので、ひとっ走り撮影させてもらいに行きました。
もうひとつわたしにとっての楽しみは由比で桜エビのかき揚げ丼を食べることでしたが、いつもの食堂は大混雑で1時間待ちのうえ、料金がずいぶん上がっていました。
地元の人に愛されていた食堂でしたが、もはや観光客プライスとなっていて、おいしさや気持ちの良い接客が変わっていなかったことを考えても今回が最後となるかなという気がします。
実家まで持参したレンズは、東京クィンテットシリーズの最終回、東京光学トプコールS 5cmF1.8です。
いつもの白澤氏の「トプコンカメラの歴史」では1959年に「完成した」レンズと記載されていますが、その表現の裏付けとして白井達男氏の「幻のカメラを追って」にカメラは1959年に試作され同年に発売する計画でしたが、レオタックスカメラ社は同年に倒産してしまい、下請け企業が半ば進んでいた製造を引き継いで、約800台が製造販売されたとあります。
おそらくレオタックスカメラに供給したものの直後に倒産して、代金は回収できなかった東京光学の経営を揺るがしかねなかったレンズだったのではないかと思われます。
800代には廉価版のレオノン50mmF2付きで発売されたものもあり、そう考えるとトプコールS 50mmF1.8の製造数は多くて800本、もしかしたら500本以下かも知れないと、新宿のカメラ店で見かけたときに思わず買ったのが今回使用したレンズです。
それから2年以上の月日が流れていますが、希少なはずのこのレンズはオークションなどで10回近く見かけていおり、1000本以下しか作られなかったとは思えません。
レオタックスG型の当初の製造計画にしたがって2~3000本くらい製造され、レンズ単独でも販売されたのではなければカメラ本体より中古市場での出現率が高い理由の説明がつかないからです。
いずれにしても、新宿で若干高めのレンズをあわてて買ったことを反省させる、、わたしにとってもレンズ蒐集を揺るがしたレンズなのでした。
さて、本日の作例ですが、往時の美しい姿をとどめていた大和棟の古民家を右側に見た竹内の町並みです。
この角度では分かりにくいですが、屋根が少し高くなっているところが母屋で、その手前が釜屋になります。
釜屋と同じ棟は反対側にもあり、正面から見ると母屋を中心にした左右対称のかたちです。
母屋と釜屋はつながってはいますが、境目の高い塀で独立した母屋に釜屋を後付けしたような様式になっているのが、大和棟の特徴です。
屋根が急角度なのは雪深いことと関係があるのかと思っていましたが、むしろ雨対策のために傾斜をつけていると聞きました。
竹内集落からは西へ2キロも行くと大阪府に入るあまり雪の降らない地域に位置しています。
わたしは大阪方面ではなく、北に1キロほど歩いて中将姫ゆかりの當麻寺でお守りを購入しました。
その際、牡丹の咲いている中之防の拝観を勧められましたが、ここまでの散策で多種多様の花を見ていますので、わざわざ500円払ってお花を見ることもないと罰当たりにもお断りしました。
花より餅のわたしは、當麻寺駅前前の中将堂に寄って、好物の中将餅をいただいて帰りました。
葛城市竹内
【Alpha7II/Topcor-S 5cmF1.8 F1.8】