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ゴーストタウンの少女

Perken Son & Rayment 16.5cmF5
たまたまガザへの出国審査で知り合った老人とは、昨夜、食事をともにし、今朝もいっしょにブレックファストを食べに行きました。
彼は、1980年代にガザを脱出してサウジアラビアで教師になり、カダフィ政権下のリビアに移ったのち、アメリカに移住して教師を続け晴れて米国籍を取得して数年前に引退したとのことでした。
わたしよりはるかに英語が達者で、ガザへのパーミッション申請の電話をかけてもらえるだけで、ホテルの部屋をシェアした意味がありました。
しかし、昨日から何度電話しても誰も出ません。
老人もわたしも口にはしませんでしたが、イスラエルが最初からわたしたちにパーミッションを発給するつもりなどなく、ウソの電話番号を教えてあしらおうとしたのは明らかに思えました。
老人はあきらめよく、あんたには済まんが、ワシはこのままアンマン経由でアメリカに帰るよと言って、去って行ってしまいました。
バスまで見送りに行くと、世界一周でアメリカを通るようならぜひウチに寄ってくれと電話番号をくれます。
今回の結果を報告するためにもぜひ会いに行きますと言って別れました。

マレーシア留学中のモハンメド君とはパレスティナ入り後ずっと連絡を取り続けていましたが、わたしがガザに入れなかったのがショックだったようで、高飛車な彼らしくもなく、何度も済まないと詫びていました。
それに彼の父親がイスラエルとの検問所でわたしを待っていたとも書いてきました。
きっと、招待のためにご馳走を用意していたに違いありません。
いつ来るのかと首を長くして待っていてくれたであろうモハンメド君のお父さんのことを考えていたら何だか涙が出てしまい、もはや絶望的とは分かりながらもなんとかガザ入りできないかと探ってみることにしました。
たまたま宿泊していたホテルから徒歩圏に、在パレスチナ暫定自治政府日本国政府代表事務所という施設があり、訪問して相談してみることにしました。
日本人がいると思ったのに職員は英語の流暢なパレスティナ人で、わたしの英語力で理解してもらえたか冷や汗ものでしたが、問題はイスラエル側の対応にあるのでパレスティナではどうにもできないのですとの、分かりやすい返事をもらいました。
あとできるとすれば在イスラエル日本大使館に問い合わせることくらいでしょうと電話番号を渡してくれます。

大使館に電話するのは2度目のことになります。
最初ははるか昔の卒業旅行で、夜行列車の車内で盗難にあい、警察に行った後に大使館に助けてもらえと電話番号をもらったのですが、出て来た職員はウチに電話されても何にも助けられない、自宅に電話したらとあっさり切られてしまい、不快な対応に腹が立ち、わたしの外務省に対する不信のきっかけになりました。
今回もイヤな気分になるかと最大限丁寧に電話すると、親切丁寧に回答してくれ、自分が何も確認せずにガザに行こうとしたことを恥じる結果になりました。
ガザには事前申請のあるジャーナリスト、国連関連、一部NGOだけに日本政府がレターを出しているそうで、いくら地元の人からの招待だと言っても一般人には渡航禁止のお願いをしているそうです。
事態の変化が激しく大使館としても情勢をつかめないこと、また、アメリカ人とカナダ人の一般人がガザ入りしたものの、イスラエルは半年以上も戻ることを認めていないそうです。
恐らくわたしがガザに入れば、同様にイスラエルによってガザに足止めされるだろうと言うのが大使館職員の意見でした。
ジャーナリストや人権活動家などのバックがある人ならともかく、ガザのパレスティナ人と行動していろいろと話を植え付けられた人間を簡単には自国に帰すことはできないというのが、イスラエルの立場だということのようです。
ガザに入るよりも戻ってくることの方が難しいと聞いて、わたしは大使館員にお礼を言い、ガザ行きを完全に諦めました。
モハンメド君にもその事実を伝えます。

ガザで数日過ごすことを前提にテルアビブからイスタンブールへ飛ぶ航空券を買ってしまっただけに、パレスティナとイスラエルで日数を消化しないといけません。
モハンメド君から、エルサレムとジェリコー以外では、ベツレヘム、ヘブロン、ナブレスなとどの町がよいとの連絡があり、素直にそれらの町を訪れることにしました。
パレスティナは国連への加盟が認められていますが、首都をエルサレムとして申請したことは認可されず、実質的にラマラーが首都機能を持っているそうで、上記の町へのバスがいずれもここラマラーからあるとのことでした。
どこに行っても行かなくてもどうでもいい感じですが、まずはヘブロンに行ってみることにしました。
バスではなく、サービスタクシーと言う8人乗りのワゴンが満員になると出発する乗合バスのようなものです。
1時間半ほどで到着しましたが、この運転手が親切な人で、安いホテルを探してくれとその前まで行ってくれました。

ホテルは120シェケルというのを頼み込んで100シェケルに負けてもらいました。
レセプションのラミさんは政治的な活動をしている人だそうですが、そのせいか外国人には親切で、モスクとハンディクラフトの工房に行くよう地図を渡しながら説明してくれました。
また、フランス人写真家のマチューさんと言う人が長期滞在していて、やはりガザにも行きたがっているようでこの間の経緯を説明すると、ラミさんとふたりで熱心に聞いてくれ、アメリカ人たちがガザエリアに軟禁状態なことにイスラエルへの怒りをあらわにしていました。
彼らによれば、ここヘブロンには旧約聖書で知られるアブラハムの墓があるアブラハム・モスクで名高いそうで、ぜひ見に行くように勧められました。
アブラハムは、紀元前18世紀に神の預言者として活躍した人で、100歳のときに最初の子を授かり175歳で亡くなってこの地に葬られたそうで、旧約聖書上の人なのでキリスト教のみならず、イスラム教でもユダヤ教でも聖人とされていて、ヘブロンがパレスチナに属することからモスクに墓があるということのようです。

アブラハムが175歳のときってどんなだったのだろうという興味を除いて、またしてもこれら史跡を訪れても興味を感じませんでしたが、そのモスクの近くにとても関心を惹く場所がありました。
その名もゴーストタウン。
イスラエル側の説明文によると、パレスチナが「ついでの戦争」を2000年にこの地で仕掛けて犠牲者が出たためこの辺の商店や住居を一斉に閉鎖してしまったのだと書かれています。
パレスチナ側にも言い分があって、ここヘブロンからイスラエルが撤退することが協定で決まったのに、例のアブラハムの史跡があるためか全面撤去しないため、ずっと緊張状態にあったのだそうです。
実際、この町はエルサレムを除くと唯一、パレスティナ人とイスラエル人が区域を分けて共存する町で、両国間で何か問題が起こるとすればそれはここからなのだろうという緊張感をはらんでいました。
作例の少女は、もっともイスラエル寄りのパレスティナ側に住んでいて、わたしがイスラエル兵士を遠巻きに撮影していたところ、わたしも撮ってとモデルを買って出てくれました。
しかし、こんな場所に暮らしているからでしょう、ちょっと一筋縄でいかないぞと思わせる雰囲気が作例でも感じられるのではないでしょうか。
【Alpha7/Perken Son & Rayment 16.5cmF5 F5】
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thema:ペッツバール genre:写真
Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/08/04 Tue

アツアツのピザをどうぞ

Squire & Co 14cmF3.6
UAEもそれなりに広いので、砂漠サファリとか紅海の大物釣りとかのアクティビティを考えるとけっして退屈な国ではないだろうと思います。
しかし、ドバイに限定してしまうと、世界一高層のホテルやらでのホテルライフ以外に楽しみは一切なさそうです。
そういうホテルが存在しなかった20年近く前に1度ヨーロッパの経由地としてドバイに数日滞在したことがあります。
ドバイに行ってみたかったというよりは、近寄りがたい雰囲気を発していた中東に一度足を踏み入れてみたいと思ってのことで、その時もすることがなくて思い付きでレンタカーを借りてラクダの隊商らしきものを見かけたりしながら砂漠の上のハイウェイを飛ばしてオマーンまで行って折り返して来ただけの何もない滞在でした。
そういえば、船中泊のフィッシングツアーがあると聞いて、参加できないかと船長まで会いに行ったところ、ずいぶんと大きなクルーザーで2泊3日15万円くらいのことを言われて即答で断ったことも思い出しました。

一般的に滞在中の国で見かけた人は現地人と見なせますが、UAEの場合、外国人労働者を相当数受け入れているようで、わたしが会った人がUAE人かそうでないのかなかなか判別できないのが困りました。
というより、ひとりもUAE人を見かけた可能性すらないのではと心配です。
肌の黒い南アジア系の顔立ちの人が多いのですが、これを前回はすべてインド人とみなしていましたが、宗教的なことを考えればパキスタンやバングラデシュ人もいる可能性が高いと思われます。
カトマンズからドバイのフライトもそれなりに混んでいたので、ネパール人もUAEには少なくないと推定できます。
アフリカ系と思われる黒人も多く見かけます。
モーリタニアやソマリアなど東アフリカにいくつかイスラム国があるそうなので、それらの国から来ている可能性がありますが、わたしには彼らの国籍を特定するのは不可能です。

最難関は中東風の顔立ちやコスチュームの人々です。
彼らは、地元ドバイの人なのか、UAEのどこか地方から来ているのか、あるいは周辺国から来ているのか、そういうことが一切分からないし、失礼なので聞くこともできません。
以前、何かで見たことがあるのですが、産油国UAEは税金や社会保障費が極端に安い一方で公務員なども高収入なので、労働的な仕事はすべて外国人が引き受け、現地人はもっぱらオフィスワークに従事するとのことでした。
ドバイの町中にはショッピングモールやスーパーマーケットがこれでもかというくらいに多いのですが、そこで見る警備員やレジ打ちなどには見る限りUAE人はいなさそうです。
全然お客さんがいなくて暇そうにしている店員などはUAE人っぽいですが、もちろん確証はなくこれだったら失礼でもないので聞いてみてもよかったかなどと思ったりしています。

そのUAEも20年前にはまったく見なかった中国人が大量に存在していました。
中国料理店はそこかしこで見ましたし、中国人旅行者が多いのもとても目につきました。
香辛料を多く扱う通りがあったのですが半分観光地化したそこは、わたしが歩いているとニーハオと声をかけられ、わたしでは聞き取れない恐らく何か香辛料の名前を中国語で言って中に招じ入れようとします。
わたしはアラビア語が分かりませんととぼけて言うと、今度は日本語で、こんにちはサフラン、バニラあるよと切り替えてきます。
こうなるととぼけきれず、断って逃げるしかありません。
このあたりに東洋人が来たら、彼らのファーストチョイスが中国語で続いて日本語と、日本人より中国人がずっと多く来ているだろうということを証明してくれています。

暑い暑いドバイを日中散策すると、どこかでビールで休憩したくなりますが、さすがに厳格なイスラム国だけにビールを入手するのは困難です。
外国資本の高級ホテルのバーに行けば高価だがある、という情報を得ましたが1泊だけなのでそこまでする必要はありません。
あきらめていましたが、ふと、スーパーに入ると小ビンのバドワイザーが並んでいました。
こっそりこういうものも売られているのか、それとも滅茶苦茶高くて誰も買えないような値段なのかとよく見ると、ラベルにNAと書かれています。
ノーアベイラブルかと思いましたが、言うまでもなくノンアルコールと解するべきでしょう。
130円ほどと他の炭酸飲料よりは倍くらい高いですが、思ったよりは安かったので1本試してみることに。
日本のノンアルコールビールがどんな味かはよく分かりませんが、たくあんを1日浸けておいたような何ともえぐい味がしました。
日本のノンアルコールがこんな味でないことを強く願いたいとだけ思いました。

中東らしい政治とは裏腹のアメリカへの憧憬があるためか、ドバイにはハンバーガーをはじめアメリカっぽいファストフードをあちこちで見ました。
ケバブバーガーなんかは美味しそうで、できれば食べてみたかったと残念です。
言うまでもなくマクドナルドやケンタッキーはあちこちにありましたし、日本で何年か前に大流行したクリスピークリームドーナツも見かけたのは、これでもかという甘さが現地で受け入れられていることを意味していそうです。
作例は宅配ピザですが、灼熱の中をムスリム服で正装しながらバイクというのがユニークです。
よく見るとヘルメット越しにこちらをにらんでいる様子が分かります。
気温が45度ですので、のんびり宅配したとしても、いつでも熱々のピザが食べられるのが受けているのかも知れません。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/24 Fri

同じ民族に見えません

Squire & Co 14cmF3.6
ボドガヤで出合った日本語のできるインド人の話によれば、パキスタンも、バングラデシュも、ネパールも、スリランカも民族はみなおなじインド人とのことでした。
そしたらモルディブもそうかと聞けば、彼はわたしに指摘されたのを照れながら、そうモルディブもと付け加えました。
彼の言わんとする正確な意味はよく分かりません。
例えばインド国内だけでも民族や宗教、言葉がいくつにも分かれていて、ガンジーの肖像が書かれた10ルピー札には15の言語で表記されていることで知られています。
ヨーロッパでアングロサクソン系かラテン系かと分ける分別法に照らせばそういうことになるのかも知らず、中国人が日本人、韓国人、モンゴル人はみな我々中国人と同じだと言っているのだと同様とすれば、あまり穏やかな物言いではないのかも知れません。

前にも書きましたが、インドのゴラクプールからネパールのルンピニに入ると人々の顔つきは少し違って見えました。
もちろん、ゴラクプールの人がみんな同じ顔をしていた訳ではないので、ぼんやりした印象での話ですが、それにしても相対で見ればネパール人はインド人と同じとはとても思えず、さらにポカラに行くとそれはいっそう顕著になりました。
ネパールは山岳少数民族の多い国だと聞いたので、民族ごとに顔つきが少しずつ変わってくるということがあるでしょうし、チベットと国境を接していてむかしから宗教上のつながりがあったので、血が混じったということもありそうです。
いずれにしても、先のボドガヤのインド人をポカラに連れてきて、全然違うように見えるがと問えば、そんなはずはないと不思議がることでしょう。

インド人よりネパール人の方が全体に実直でややシャイな人柄というのがわたしの感想で、人口がずっと少なく、国自体がいなかと言えるネパールの方が素朴であるのは当然のことです。
とはいえ、これはニューデリーはじめインド人に騙され続けたわたしの意見であって、ネパールで騙されてインドで救われたという人がいれば、まったく逆の感想になる可能性は否定しません。
また、外国人がまったく来ないようなインドの田舎とカトマンズのみを旅行しても、真逆の印象を持った可能性が高いと思います。
インドのコルカタ、ボドガヤ、ニューデリー、プシュカルとネパールのルンピニ、ポカラ、カトマンズを旅したうえでの感想と言えば、案外それなりに的を射ているのではと思わなくはないですが。

言語について分かることはあまりないのですが、コルカタ近辺とバングラデシュは共通のベンガル語が使われていて両者の間はよく通じるそうです。
しかし、インド全体で話されている共通語はヒンズー語で、ヒンズー語とベンガル語はわずかに似ている部分もあるそうですが、まったく別の言葉になります。
両者とも独自の文字を持っていて、一見するとよく似ていますが、これもまったく違っているとのことでした。
一方、ネパールでもヒンズー語が話されていて、インドとほぼ同じ文字で表記するのですが、発音はけっこう違うところがあるとのことです。
慣れている人はインドとネパールのヒンズーを使い分けられるそうですが、それがそう簡単なことではなかったのが、インド映画を原画のままネパールのテレビでそのまま流し続けたりしたためか、ネパールにはヒンズーのバイリンガルは多いそうです。
これは東京と鹿児島の人が会話をするようなもので、鹿児島の人は東京の人に対して標準語でやり取りできますが、鹿児島人同士の会話は東京人には聞き取れないというのに似てそうです。

わたしが会ったインド人はみなモディ首相を信頼していると語っていました。
就任直後に日本に行ったことや安倍首相と会談したこともみなよく知っていました。
一方、ネパールのトップはよく分かりませんが、政治についてはポカラで話をした人のほとんどが否定的でした。
その理由は、インドに支配されてしまっているから、でした。
ネパールでは政党も政治家もインドの政党や政治家と密接な関係があって、彼らの政策に左右されて国民を考えることはないというものです。
わたしがポカラに到着した日はタクシーの運転手がストライキを起こしていたそうですが、ネパールではストライキやデモがよく発生するそうです。
それを聞いて、わたしがネパールに入った翌日にルンピニ行きのバスが出なかったのもストライキが原因だったのではと思い当たりました。
ポカラのタクシーも全部がストライキしたわけではなく、市民に迷惑がかからないよう、部分的にストライキやデモを決行するのがネパール流なのだそうです。

さて、本日の作例はポカラの郊外の私立と思われる小学校の生徒を撮影したものです。
4人はとても似ていて全員が兄弟か、少なくとも両サイドの女の子は姉妹だと分かります。
その両サイドのふたりは彫が深くて、もしかしたら西洋人とのハーフではと思うくらいでしたがそうではなく、西洋風の顔立ちは多くはないもののときどき見かけました。
ネパールでは、土着型のインド人タイプ、北方の人が混血したと見られる西洋人タイプ、チベット人か中国移民の地が入った日本人に似ているタイプ、いずれにも該当しなそうな恐らく少数民族タイプ、の4タイプに大別できるのではと思いました。
そういえば、英語はインドでもネパールでもよく通じましたが、それは私立の学校で教えるものなのでしょうか、まったくしゃべれない人が多いですし、もっと困るのは何をしゃべっているのかさっぱり分からない人で、得意になってわたしに話しかけるのですが、わたしはほんどと理解できずで会話にならなくて、お前は英語ができないのかとあきれられることが2~3度ありました。
ヒンズー語に由来するのか巻き舌で話す人が多く、R音は特にひどいので、例えばAre you doctor?は、アー・ユー・ドクター?ではなく、アル・ユー・ダクタル?のように聞こえます。
毎回2度も3度も聞き返すので、相手も疲れて話しかけてこなくなるのですが、こちらから金を取ろうと思っている連中は、何度聞かれてもずっと引き下がらず、それだけで互いにだいぶ疲れてしまうのでした。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/23 Thu

災害に屈せず

Squire & Co 14cmF3.6
わたしの旅した範囲ではネパール大地震の影響は、少なくとも視覚的にはあまり感じるところがありませんでした。
テレビニュースでは、地震で破壊されたところや避難生活を強いられているところばかり映像で流すので、ついついほとんどのエリアがそういう現状なのかと錯覚しがちです。
しかし、地震の被害がなかったところを映像で流しても意味がないので、倒壊した建物ばかり見せていかに地震が凄かったかを示そうとする報道姿勢はある意味誇張主義で正しくないのではないかと思うのですが、いかがなものでしょうか。。
例えば、カトマンズでは市街地で推定2%の建物が倒壊していますが、都市機能はまったく損なわれておらず、不運にも倒壊したがれきをボランティアと片付けながら多くの人がこれまで通りの生活をしています、一方で近隣の農村では簡素な石積みの家、干乾し煉瓦を重ねた家など被害は甚大で、多くがビニールシートを張った仮住まいでの生活を余儀なくされており、けが人が収容しきれないこと衛生状態の悪化から彼らの救済が急がれますが、政府も全体の規模を把握しておらず、水や食料などの緊急支援物資を大目に送るよう呼びかけています、などとやれば、何となくではあれ状況が大づかみできると思われます。

わたしがネパールを訪れたときには地震からすでに3ヶ月も経っていたにも関わらず、現状を知るすべがありませんでした。
日本の旅行会社や航空会社は、もう地震から3ヶ月で安全だからどしどし旅行してくれとはまだ言えないでしょう。
まだ大きな余震の可能性があって、それによる被害が無くても交通機関がマヒして帰国が1日遅れるでもしたら、日本の場合は大きな問題になる可能性があるからです。
ましてや、旅行者本人が怪我でもしたら、お前の会社が安全と言ったじゃないかと補償問題になるので、余計なことは口頭でも言ってはいけません。
いちばんいいのはネパール政府がすべてをオープンにして、まだ絶対に安全ではないですが、観光はつつがなくできますし、大きな余震が起こる確率は我が国の気象庁予測で何%なので、これでもよければぜひ自己判断で観光に来てください、と説明することだと思います。
ネバールに行きたいけど心配と二の足を踏んでいた人たちが、それならとこぞってやってくるでしょう。

一部の報道の範囲で知るだけですが、震災後の東北を支援するという活動は、少なくとも日本国内における最大のものだったのではと思います。
地震直後はもちろん、震災から何ヶ月と時間が経過してもボランティアの活動はずっと続きましたし、東北の物産をなるべく購入したり、東北を積極的に旅行するという傾向は今でも続いています。
被災した東北の力に少しでもなれればとみな考えたからですが、これは世界の人がネパールに向ける目という意味でも同様なはずです。
東北は震災には屈していないと現地の人たちが頑張って笑顔で接することで、物産を買ってよかった、旅してよかったと思わせてくれたのが何よりよかったと思いますが、ネパールの人たちも苦しさを内に秘めつつ、笑顔で旅行者に接してもらいたいです。
旅行しようというきっかけは、現地が復興の努力をしているという情報であるし、旅行してよかったと思うのはその情報通りに現地の人が笑顔で頑張っている姿を見ることができたときだと思うからです。
現在、日本に大量に旅行者を送り出している中国ですが、ネパールに対しても例外ではなく、それに対応するためかポカラにもカトマンズのタメル地区にも10軒近い中国料理店があってその凄まじさを感じ取ったものです。
しかし、いったん危険となると見事なくらいに人がいなくなるのも中国らしいというか、一部ビジネスの中国人らしき人を見た他は、中国人旅行者はほぼ皆無でした。
危険となれば、すぐ行かなくなってしまうあたり中国らしいと言えるでしょうし、それ以上に中国が情報をシャットアウトする社会なので、なかなか地震後のネパール情報が得られずに行くことができないでいる人が多いのではないかと思います。
新聞でも、ニュースでも、ネット情報でも、すべてが官制の、つまりは中国共産党のソースからしか情報が得られないのですから、まことに気の毒な人たちだと同情しないではいられません。

中国と言えば、ポカラで食べた中国料理はなかなかいけました。
ポカラ到着後、カトマンズを経つまで、恥ずかしながらわたしは胃の調子が最悪で、見地料理、つまりはカレーを食べる気になれず、インターナショナルな料理があるカフェでスパゲティを食べたり、日本料理屋でうどんや天丼を食べたりしたのですが、一部の店のカルボナーラが美味しかったのを除けば、かなり厳しい味だと言わざるを得ませんでした。
日本に行ったこともない人が、恐らくは日本食レシピをネットから翻訳して少なくとも見た目は日本料理風に仕立てたものという程度なので、味まで追求するには無理があります。
ところが中国料理の方は、少なくともわたしが入った店は中国人がオーナーで、コルカタに着く前に昆明で食べた中国料理などよりずっと美味しかったのです。
もともと中国料理を食べるつもりはなかったのですが、店の前に置かれたメニューが写真付きでどれも本格的中国料理で、ほんとにこんなのが出てくるのか試してみようと入ったところがその通りの料理だったのですっかり感心してしまったのです。
日本の中華街の中華料理は中国人が日本人向けにアレンジして作っていますが、ネパールの方は中国人観光客向けに作っているので本格度ではずっと上を行っています。
行き当たりばったりの場合、日本料理はやめておきなさいと言いますが、中国料理はメニューの写真が美味しそうで中国人が経営と確認できれば、お勧めしたいと思います。

食べ物ついでにフルーツのことも。
今回はたまたまマンゴーの収穫時期と旅が重なったようで、バングラデシュ、インド、ネパールといたるところでフレッシュなマンゴーを食べることができました。
だいたいどこでも1キロで50~80円くらいですが、1キロと言うと大きいので3つ小ぶりなのでは4つ買うことができ、一度に食べるのに十分な量です。
マンゴー専門屋台かマンゴーも扱うフルーツ屋が至るところにあるので頼んでカットしてもらいます。
マンゴーは中心の縦長部分が硬くて食べられないので、それと並行に2ヶ所カットして3つに分けてもらいます。
左右は皮以外をペロリと食べ、中央は皮を剥いて硬い部分を避けて食べます。
それを3つ4つと食べるとけっこう満腹になるし、みずみずしさで渇きも癒される気分になります。
栄養価がいかにも高そうなマンゴーは、胃の苦しさでまともに食事ができない時の精神的な支えにもなってくれました。
ネパールの震災時に食料と水の配給が不足していると報道されていましたが、もし、マンゴーの出回っている時期であれば、それを解決する大きな手段なっていたのではないでしょうか。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/23 Thu

超父性社会か

Squire & Co 14cmF3.6
ボドガヤにはわたしがインドで唯一見たツーリストインフォメーションがありました。
インドではツーリストインフォメーションの看板を出しているのはみな旅行代理店で、おそらくホテルを紹介してくれと依頼すれば多額なコミッションを取られ、観光地の相談をすればそこへはタクシーでないと行けないから特別手配してやるなどと言われ、ようするに情報を得ることと引き換えに多大な損失を被るのがインド式のツーリストインフォメーションだとわたしは解釈しました。
ニューデリー駅のそばで、プシュカルの滞在やゴラクプールの切符の手配をしたのが、やはり表向きツーリストインフォメーションと書かれたオフィスで、わたしは途中でおかしいと気付いたものの抵抗し切れずまんまと騙されてしまいました。

ボドガヤのインフォメーションはちょっと違っていて、しっかり職員を名乗る男性がふたりいました。
日本語のパンフレットも手渡してくれ、わたしは疑うことなく公的なツーリストインフォメーションであると信用しました。
初老の男性が、近くを案内すると言います。
外はとても暑く断ればよかったのですが、着いて行ってしまいました。
徒歩圏の寺院をあまねく案内しようと、日本のお寺が建てた大仏像から見学がスタートします。
2つ目の寺院の見学中に、このままでは熱中症になると考え、そのむね伝えてホテルに戻ろうとしましたが、老人は聞く耳持たずで平然と次の寺院へ連れて行こうとします。
このままでは、わたしもあなたも体が危ないと言ったのですが、そんなことはないと聞き入れず、お寺の中で口論になってしまいました。
それでも言うことを聞かないので、もらっていた日本語パンフレットを突き返して、もうわたしに干渉しないでくれと小走りでホテルに戻りました。
ホテルにあった1リットルの水を一息に飲み干すほどに喉が渇いていました。

老人は仏教寺院を案内しながら、自身はヒンズー教徒だったのですが、インド人は仏教をヒンズーから派生した傍流とみなしているので、ヒンズー流解釈で勝手に説明してしまうようです。
インド人やヒンズー教に、身勝手さや自分中心の発想があると感じるようになりましたが、きっかけになったのがこの老人との寺院見学でした。
以降、会う人会う人、他人のことを全然配慮しないなあという印象がより高まり、それが修正されることはありませんでした。
ボドガヤでは、日本語を話すインド人が派閥を形成するようなところがあって、日本人とみるとその利権にたかりつこうと露骨に争っているということも以前のブログに書きました。
ボドガヤに行かなければ、自分のインド感は違ったものになったのではと後悔しますが、それは後の祭りです。

インドでホテルやゲストハウスに宿泊するときはパスポートの提示とともに、宿泊台帳のような分厚く大きな帳簿に必要事項の記載を求められます。
名前や住所は分かりますが、父親の名前を書く欄があってこれにはいつもとまどいました。
なにしろ台帳なので次に記載する人は、前に記載した人の住所や電話番号、年齢、父親の名前まで個人情報がバレバレです。
どうせ確認しやしないのだし、ホテル従業員を含めてインド人に情報が渡るくらいなら適当に書いてやれと、途中からいい加減な記載をしていました。
さすがにこれまでインドからDMが来るなどの不愉快な思いはしていません。

この台帳には、もうひとつ、どの町から来たかと次にどの町へ行くかも記載しないといません。
どこから来たかを書くのは容易なことですが、わたしのようなあまり計画のない旅をしていると次の行先がなかなか書けずに困ります。
中国であれば地名はいくらでも出てきますが、インドの地名を述べてみよと言われても位置関係とともに言えるのはいくつもありません。
コルカタで記載するときはつまってしまって、どうしようと思っているときにガヤという地名を思い出して、適当にそう書いたらちょうど列車で8時間くらいの距離だったので不自然ではないと分かり、ホテルの人からハウラーという駅から行けることも教えてもらい、嘘から出た実ではないですが、実際のガヤにいくことになってしまいました。
この欄だっていい加減な記載でいいと後で気付いて、以降は知っている地名を思いつくままに書くにとどめました。

さて、作例はガヤ付近の町並みの中に見た自転車の青年です。
近くに市場がありそうだったので、今夜のメインディッシュ用にトリを一羽購入したもののようで、自転車の推進力を高めるために、こんなところに括り付けているわけではないと思われます。
中国でも東南アジアでも、トリを生きたまま買ってきて足を縛って上下逆さに運搬するのはありきたりの風景ですが、自転車に括り付けているのは初めて見ました。
このエリアではほかにも、ペットボトルを頭の上に載せたまま歩いている女性を見たり、2メートル近いハンガー掛けに服を50着くらいビシッと並べて売り歩くおじさんがいたり、被写体には事欠きませんでした。
ただ、その後急速にインドに関心を失って写真をほとんど撮らなくなります。
写真が無いと、そのときインパクトを受けて眺めたちょっとした事象がすべて記憶から消失してしまうことに気が付きました。
撮影には記録するという意味があるということを俄かに忘れてしまっていたのでした。
【Alpha7/Frilon 5cmF1.5 F1.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/21 Tue

ロマンスは起こらず

Squire & Co 14cmF3.6
ジュール・ベルヌの80日間世界一周で、インドは、主人公が世界一周するにあたっていちばん重要な国でした。
シーンのひとつが、まったく女っ気がなかったストーリーに囚われの身だった未亡人美女を救出するというロマンスです。
じつは、わたしもインドでのロマンスに大いに期待していました。
恋愛感情が起こるかは別として、美女が現れてちょっと親しくなるとか、そんな展開がわたしの世界一周でも起こるのではないかと。
しかし、結論を先に言えば、それはまったくの不発で、インド女性は箸にも棒にも掛からぬようなものしか見掛けませんでした。

わたしが旅した間に見たインド人の97%がヒンズー、2%がイスラム、1%がシーク教や仏教などその他宗教という感じの割合でした。
少なくとも女性ではそんなものではないかと思いますが、なぜそれが分かるかと言えば、ヒンズー女性は必ず鼻の左側に金色のピアスをしているからで、イスラム女性の象徴であるヘジャブで顔を覆う女性とたぶん仏教徒と思われるごく一部を除いて、老若女女問わずみんなかみんな、鼻にピアスをつけていました。
ピアスの穴は幼児の頃パチンと開けてしまうんだそうです。
大きくなってからだと事故が起きたり痛みが続くことがあるが、幼女のころなら1日泣けばそれで済むからだと聞きました。
そうであるならヒンズー家庭に生まれた女の子は、本人の意思が確認できるようになる前にヒンズー女性の象徴のような穴を開けられてしまうということのようです。
子どもの人権団体からクレームが来そうな話ですが、問題になったりしないのでしょうか。

わたしがインド女性は箸にも棒にもといったのはこのピアスのことではありません。
とにかく、今回もペッツバールレンズ持参でしたので、どこかでポートレイト撮影をと意気込んでいましたが、その対象になりそうな女性はほぼ皆無でした。
少なくとも、訪れたコルカタ、ボドガヤ、デリー、プシュカル、ゴラクプールでは。
町中で見かける男女比率は、子どもや学生を除くと9対1以上の差で男性が多いのも不思議です。
理由を聞く機会はありませんでしたが、女性が社会進出するのが日本よりはるかに厳しい世界だからとか、独身女性があまり人前に出てはいけないという暗黙のルールがあるのではとか゚そんなことを想像しました。

プシュカルはヒンズーの聖地で、宗教的に重要な時期が近いこともあって、訪れている女性が多数いましたが、いずれも中年以上でした。
そしてそれら女性たちは例外なく太っていますし、それはプシュカルに限らず滞在地のいずれもそうでした。
男性も肥満が圧倒的に多いですが、インドは暑いから体をあまり動かさず必然的に太るのか、あるいは肥えていることが富の象徴のように考えられていて競って太るのでしょうか。
女性はサリーを着ていてうまくすれば体形を隠せますが、横から見るとだぶだぶのウエストがよく見え、何かの折にお腹の出っ張りも目立ってしまうので、じっとしていなければ太り具合はバレバレです。
万一、美人がいたとしてもあの体形をみるとゲンナリです。
子どもや学生でも肥満はけっこう多くて、なかなかな女子高校生くらいの子なのにもう腹が出ちゃったりで、この子に麗しき青春時代というものが存在するのだろうかと余計な心配までしてしまいました。

本来行きたかった北インドのシムラーからカシミール地方には、色白で彫りの深い美人が多いとそうですし、以前、何かの本でそのあたりの女性こそ世界一の美人の住むエリアだと聞いたことがあります。
もし、ニューデリーから入っていれば間違いなくそのあたりを訪れて実地調査の苦を厭わなかったでしょうが、コルカタ、ボドガヤ、ニューデリーと散々インド人の嫌な部分のみを見せつけられて疲労困憊になった神経には、その勤めを果たす使命感は残されていませんでした。
仮に美女がいたとしても、性格までもが北インドでは一気に変わるということはないでしょうから、がっかりさせられる前に断念しておいて正解だったと慰めを言うことにしておきます。

さて、本日の作例ですが、プシュカルで見かけた自称ジプシーの女性二人組です。
散歩中、突然声を掛けられて写真を撮れと、こんなポーズをしました。
かつてハンガリーや北イタリアに多くいたアジア系移民は、エジプト人ではとの誤解からエジプトがなまったジプシーの名で呼ばれましたが、のちにインド系であることはよく知られ、彼らが自称するロマと今では呼ばれています。
彼女たちがジプシーだと名乗る意味はよく分かりません。
いきなり手を押さえつけられ、幸せになれるという模様をハーブ素材の液体のようなもので手のひらいっぱいに描かれてしまいました。
そして終わるや否や、金をよこせ、です。
当然、拒否して揉めますが、こちらが折れないとみると、分かったもういいさっきの写真をデリートしてと言われ、オレの手のひらの絵をデリートしたら写真もデリートすると返したら、わかったそのままでいいと立ち去ってしまいました。
手のひらの絵は、困ったことに、その後1週間ほど消えることはありませんでした。
【Alpha7/Frilon 5cmF1.5 F1.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/20 Mon

ドバイの熱い朝

Squire & Co 14cmF3.6
カトマンズからドバイへの便は夜の11時出発予定ですが、その時間をまわっても搭乗ゲートすらどこか表示されていませんでした。
悪天候のため到着が遅れていますとのアナウンスがありましたが、同時間帯のフライトはおおむね時間通り飛び立ってしまったので、言い訳臭い気がします。
昼間のニュースで読んだ、ちょうど1年前にウクライナの親ロシア派軍によって撃墜されたとされるマレーシア航空も、大量の中国人を積み込んで定刻通り飛んでいってしまいました。
結局2時間遅れの出発になりましたが、このフライ・ドバイという会社はお詫びのアナウンスすらありません。
フライ・ディレイに改名すべきと手紙でも書いてやりたいです。

到着予定は夜中の1時半でしたが、2時間遅れで3時半になってしまいました。
さらに入国審査で長蛇の列の上、わたしの順番の時、係員に顔が違うと不審がられIDを出すよう明示されたので免許証を示すと、わたしの顔、5月に作り直したばかりのパスポートの顔写真、数年前撮影の免許の顔写真を見比べて、不審な顔をしつつも入国スタンプをポンと押して、さあ行け行けと命令調に指示されました。
ここのところあまり見なくなった高圧的な入国審査員にイライラしつつも、さすがにイミグレーションの列が長かっただけに荷物はすでにターンテーブルを回っていて、すぐに両替に向かうことができます。
ATMで2000円程度の両替をするつもりでしたが、さすがUAEの銀行はそんな低額からの扱いはしてくれず、最低15000円からになっていて断念せざるを得ません。
両替商があったので、どこかの国のビザ用にと用意していた米ドルを20ドル両替しました。
ホテル近くまで行く24時間運行の100円程度のバスがあるはずでしたが、誰に聞いてもそんなのはないと言われるばかりで、700円ほどでプリペイドカードとバス代を支払って別のバスに乗りました。

バスはだいぶ高い分とんでもなく親切で、乗車した人全員の行先をひとりひとり聞いてその近くで降ろしてくれます。
わたしの予約したホテルはマイナーなため運転手は知らなかったのですが、何々通りのコマーシャルバンク裏側などと書かれていて、たぶんこの辺だろうと降ろされた通りに、CBIと大きく書かれた建物があって、これがそうではと裏に回るとまさにホテルがあったので、今回のスピーディなホテル発見には自分でも驚いたくらいです。
しかし、到着はすでにうっすら明るくなり始めた朝の5時です。
もしかしたらチェックインは拒否されるのではと心配しましたが、こういうことになれていそうなレセプションはささっと処理して、遅い到着なのでチェックアウトは14時で構わないと柔軟な対応ぶりでした。
ホテル予約サイトで4番目に安いホテルでしたが、それでも5000円もして、個人的には予算をだいぶオーバーしています。
しかし、フィードバックの高評価どおりの価格以上の対応と、新宿でこのクラスのホテルなら2万円くらいしてしまうんだろうなあという広さや設備に納得しているうちに、昼まで熟睡しました。

チェックアウトした1時からフライトの20時半まで時間がありますが、残念ながらホテルに地図はなくあてのない散策になりました。
気温は40度くらいでしょうか、時折風が吹きますがそれがまるでドライヤーの熱風のように感じられます。
最初の5分間のみこの程度の気候ならどうにかなると思っていたのですが、やはりダメで、全身から汗が噴き出したと思うとそれは止まらず、ペットボトルの水はすぐに底をついてスーパーに入らないといけなくなります。
水を飲めば渇きからは一時的に解放されますが、汗が噴き出すのでまた補給と繰り返すことになり、サウナに入っているのといっしょなので体には好さそうにも、熱中症のリスクから体に悪そうにも感じられて、考えれば考えるほど頭がくらくらしそうです。
わたしだけ暑がっているのかといえばそんなことはなさそうで、道行く人の背中は誰もが汗でぐっしょりになっていました。
つい昨日までラマダンが行われていたはずですが、こんな暑さの中で何か作業をして水も飲めないとなったら、それこそ死を覚悟しないといけないのではと深刻に考えたりもします。

歩く方向の勘が悪かっただけかも知れませんが、予想した通り歩けど歩けど関心を惹くような建物も人の溜まりも何も見つかりません。
予想できていたので散策なんかしなければよかったのですが、この暑さの中を数時間歩いたことが自分としてはアラブ体験の入門編としてちょうどよかったと納得することができます。
ドバイと言えば、世界一の高層ホテルとか海に突き出してモミの木が枝をはるように建物を配置したホテルとか有名なものがありますが、ホテルマニアでないわたしには関心が湧きません。
そういうのは日本ではハコモノと呼んで批判されるんだよと言いたいところですが、UAE人からあなたの国のオリンピック会場は何なのと反論されるでしょうから何も言えませんが。

4時間近く歩いて駅の表示を見つけてここから地下鉄で折り返そうかと思ったところ、何ともうまい具合にヘリテージハウスという1850年に建設されて今は伝統的なUAEの暮らしを再現する博物館を見つけました。
新築のように改装されていたために見落としていましたが、たまたま職員が出てきたところで何だろうと見たら目が合い、ミュージアムを探しているのかと聞かれ反射的にイエスと答えて中に招じられました。
この博物館の素晴らしいのは部屋ごとに冷房ががんがん利いていることで、そうでなければ素通りしてしまいそうな説明表示をゆっくり読むことができます。
中庭では砂場で遊ぶ子どもの様子が再現されていて、このあたりの土地はもともとは砂漠で、そのうえにドバイの町が構築されていったことを思い出させてくれました。
小一時間見学していましたが他に来館者はなく、作例になるような写真は撮れないでいましたが、建物を出るとその脇がなかなかいい具合に曲がった路地になっていて、ぴったりのタイミングで男性が歩いてきたのでどうにかブログ用の写真撮影も1発で終わらせることができ、その足で地下鉄に乗って荷物を預けてあるホテルに戻りました。
テレビの釣り番組で、全然釣れないのに終了間際の最後の一投で狙いの魚がかかって、がんばった甲斐がありましたと胡散臭く終わることがしばしばありますが、わたしのドバイはそれとよく似ていました。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/18 Sat

吊り橋怖い

Squire & Co 14cmF3.6
本日、夜のフライトでドバイに行くつもりですが、そのチケットが購入できません。
満席で予約が入らないという理由ではなく、いちばん安い24000円のチケットのオンライン決済がうまくいかず、タイムアウトしてしまうのです。
2日間何度試してもダメだったので諦めざるを得ず、近くの代理店で購入することにしました。
代理店は星の数ほどあって、ボッてくる店もあるので、1軒で決めずに何軒か比較する必要があります。
最初の5軒は同じような値段で、そこいらが相場かとあきらめましたが、ここが最後と入った店は他より4000円も安かったので購入しました。
たかが、4000円と思う向きもあるでしょうが、この地でのホテル2泊分、節約する人だったら食事代5日分といえば歩いた報酬としては十分と感じます。
しかし、航空券代は30000万円になってしまったので、オンライン決済の不調のためにこれでも4000円損しています。

ホテルに戻ってチェックアウトを済まし、夜のフライトの時間までどうしたらよいものかと相談すると、地図を手渡してくれたうえでいくつかのスポットにマークを入れてくれました。
無目的に歩いて何も見なくてもいいのですが、どこの土産物屋でもぶら下がっているTシャツなどに描かれていたブッダの眼がカトマンズの象徴だと思いだし、どこかの寺院に行けば見られるかと思い聞いたのですが、ホテルから2~3キロほどとのことで歩いて行ってみることにしました。
もちろん正式な名前のある寺院ですが、いま思い出せないので別称のモンキー・テンプルと呼ぶことにします。
このホテルのマネージャーはヒンズー教なので別のヒンズー寺院に行くことを勧められましたが、ホテルから仏教寺院とは反対方向にあって歩くのはたいへんそうです。
空港までのタクシーをホテルに依頼して支払いもしてしまったので、あとは昼食代と夕食代分くらいしか残っておらず、移動にタクシーが使えません。
もうひとつホテルから近いダルバール広場も行くべきと勧められたので、ここを通って仏教寺院で1日過ごすことにしました。

しかし、ダルバール広場に着くと職員に呼び止められて入場料を払うように言われました。
広場なのに入場料が必要なのかとしぶしぶ財布を出すと、750ルピーと言われて驚きのあまり言葉を失います。
ネパールのかつての王宮建築やら何やら、この国を代表するものが揃っているとの説明ですが、物価を考えると1000円というのはだいぶ高すぎるような気がします。
地震当初のニュースで、歴史ある建物が完全に倒壊してしまいましたと報じていたのがここだったようで、入場料はその修復に充てられるのかも知れませんが、それにしてもここで支払ってしまうとほぼ食事抜きになってしまいます。
旅行者には厳しい価格設定ですね、本日、帰国なので現金の持ち合わせがないので見学はあきらめますと言ってUターンしました。
職員も申し訳なさげでした。

地図を眺めながらモンキー・テンプルを目指すと、町中だというのに小さな川に吊り橋がかかっています。
ルンピニ~ポカラ、ポカラ~カトマンズとバスの中で何度か峡谷の中の吊り橋があって、あの高さと長さではわたしには渡る勇気は出ないだろうなとおぼろげに考えましたが、ここなら問題なく渡ることができます。
しかし、下の川を見ると真っ黒に汚れていて、落ちた場合の恐怖は峡谷の橋に勝るとも劣らずです。
絶妙のタイミングで子どもが手をつないでやって来たので、本日の作例とさせていただきました。
橋から20分ほど歩いてようやくモンキー・テンプルに到着しましたが、なるほど別称の由来でしょうサルがあちこち駆け回っています。
しかし、俺はヒンズー教だからブッダなんて知ったこっちゃないよと言う態度の現地人たちが、大きな仏像の膝や掌の上に無神経に腰掛けていました。
山頂のストゥーパに描かれたブッダの眼が悲しげに見下ろしているように見えます。
マホメットの風刺画を描かれて怒るイスラム教徒の気持ちが少しだけわかったような気がしました。

またタメルエリアに戻ると昨日、楽器演奏を披露してくれた男性にまた出合いました。
あと数日で田舎へ戻らなければいけないので朝からずっと外国人に声を掛けているとのこと。
たまたま中国語で話している中年男性がとおりかかったので、助けにならないかと中国語で楽器や学校のことなど事情説明しましたが、興味なさげに立ち去っていきました。
少し中国語ができるので説明してみたんだけど相手にしてもらえなかったと報告すると、中国人は自分のことしか考えない人たち、日本人や西洋人でないと理解してもらえないですという、返事でした。
少なくとも彼は中国人をよく思っていないのは態度からも理解できましたが、過去に嫌な思いをしたのか、ネパール人自体がそういう印象を持っているだけなのか、少し気になりました。
タメルには日本料理、韓国料理、チベット料理、イタリア料理などの各国レストランがあって、町に溶け込むようなたたずまいですが、中国料理店のみ真っ赤な巨大看板を掲げた店が目立っていてあきらかに浮いています。
こういうところからもネパール人の中国に対する反感が広がっているような気がしました。

夕方遅くなってなおも歩いていると、またダルバール広場前に出てしまいました。
チケットオフィスにはすでに人影がありません。
それを狙って来たせこいヤツのようで気まずいということもあって、写真を撮ったりはせずに建物だけ見て通り過ぎました。
絶望的なくらいすごいがれきの山と被害を免れた建物でも倒壊の可能性があるものには近寄れないようロープで規制しているのが目につきます。
がれきというと、福島県の津波によるがれきを自治体で分担して受け入れるという時に、拒否した市があったりしたことを思いますが、そういう不愉快なことを除くと、地震が日本国民の気持ちをひとつにしたというか、逆境によって向かうべき方向性を示してくれたようなところがあったような気がします。
ネパールではどうなのでしょうか。
同じようなことは言えるだろうと期待しますし、地震被害国同士で日本に親しみを感じたネパール人も多くいたのではと思っています。
しかし、インドやネパールで感じた彼らの自分だけよければという考え方が、復興の障害になっていないか心配です。
楽器演奏の男性が、家は倒れてしまったが今度は地震でも大丈夫な家を建て直したいと言っていたように、彼らの生活が地震以前よりよくなってくれることを願わずにいられません。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/17 Fri

サランギという名の楽器

Squire & Co 14cmF3.6
ずっと快適なバスであることを期待して1700ルピーの超デラックスバスでカトマンズに向かいました。
ポカラからカトマンズまでは、6時間というのでルンピニからポカラより近いですが、料金が倍以上なので倍以上よかったかと言えばそんなこともありません。
劣化が激しいバスはすでに製造メーカーも判別できず、車掌として乗務していた兄さんは英語がさっぱりできず休憩が何時までなど確認もできません、
などといちいちケチをつけていてもしようがないので、1時の到着予定が3時半だったということだけ書くにとどめましょう。
ホテル探しはポカラでの反省から近くまで来たと思しき所でカフェに入りグーグルマップで位置確認すると案外あっさり見つかりました。
ただ、少し奮発して2500円相当の宿を予約したのに、悩んだ1500円程度のホテルの方が清潔かつセキュリティがしっかりしていそうでがっかりしました。
何しろ内側から鍵がどうやってもかからないという不思議な構造のホテルでした。

ポカラのホテルの青年から、カトマンズに泊まるならツーリストが集まるタメルというエリアのホテルがよいと聞いていたのでその通りにしましたが、確かにレストランやショッピングなどには便利なものの、ツーリスト目当てにできたそんな街を歩いていてもあまり楽しくはありません。
とは言え、残りシャツの枚数が足りないことに気付き、1枚洗濯しなくてはいけない状況で乾かないことを考えて、Tシャツを買うことにしたのですが、ホテル近くの店ではオリジナルを作っていて、塔のような絵とI survive from the earthquakeという象徴的な文字が書かれたものがあったので、それをホロシャツにデザインしてもらったものを購入しました。
内容的にきついジョークのようでどうかとも思われますが、何しろネパール人自身が考えて作成したものなので、同じ地震国の日本で自らの戒めに着るのは悪くないと判断しました。

食事は今日も日本食レストランになってしまいました。
小さなレストランですが、満員に近い盛況で少なくとも手前のテーブルには日本人4人組が食事しているのが外から覗けます。
カトマンズ駐在の人か旅行者でもガイドブックで評判の日本レストランということで来ているに違いありません。
ポカラでもカトマンズでも多くのレストランがヨーロッパのように店先にメニューを置いていて、価格や何を食べるかなどを確認してから入店することができます。
メニューにあった冷やしうどんがわたしの弱った胃をとらえて、ここで食べるしかないだろうと訴えたこともあって、残り1つのテーブルに向かって突進しました。
これだけ繁盛しているのですから、冷やしうどん以外のメニューは美味しいのでしょう。
4人組は中国語で会話していて、ここのレストランまあまあだねなどというのが聞こえ、日本人ではないと分かりました。
うどん自体はひどいものでしたが、つゆはわさびとねぎを入れると懐かしい日本の味がするようで美味しく感じられ、うどんを食べ終わった後もゆっくり飲み続けました。

食後にホテルに戻る途中、弦楽器を弾く男性に楽器を買ってほしいと日本語で話しかけられました。
胡散臭い状況でネパールのキャッシュも底を尽き掛けていたのでお断り申し上げたのですが、日本円でもいいからと食い下がってきます。
パンフレットを取り出して、収益は身寄りのない子どものための学校の運営にあてられるという説明でしたが、これだって騙しの常套手段のような気がします。
本来なら完全に断るケースですが、この人はどこからどう見てもウソを付いたり騙したりというタイプに見えず、強くノーを言うことができません。
いろいろとやり取りがあった後、5000円と言っていた楽器は2000円でいいのでということで、演奏方法を指導してもらったうえで買うことにしました。

もしよければCDもと言うので、そら来たかと思いましたが、これは価格がないのでいくらでも構わないと言われます。
ネパールの伝統音楽をアンサンブルで弾いているというCDはインデックスのところにその男性の名前と顔写真までありました。
彼はプロの演奏家で地震以降できないでいるが演奏会などもやっていて、何年か前に日本に演奏旅行に来たこともあると言います。
NHKでも取り上げられたというので、もしかしたらネパールを代表するすぐれた演奏家なのかも知れません(もちろん全部作り話かも知れません)。
その後の話で、ポカラに近い村全体が地震で崩壊してしまったこと、演奏家一家だが家族にはその楽器を製造している人もいること、今は演奏家の仕事が激減してしまったのでボランティアのためにカトマンズで演奏家仲間たちと活動していることなどを話してくれました。
子どもたちの未来こそネパールの未来だという言葉を聞いて信じない気持ちにはならず、日本で必要ないくらかを差し引いて日本円を渡しCDをもらいました。

感激した彼は数曲演奏を披露してくれました。
楽器はバイオリンと同じような大きさの4弦楽器で弓で弦をこするところもバイオリンそっくりですが、音は中国の二胡のようなすすり泣くような哀調が特徴です。
この場にあまりにふさわしい「上を向いて歩こう」は、彼の気持ちを演奏したのか、それとも日本人のわたしへの単なるサービスでしょうか。
それよりも、クライスラーが作曲したかのような弓で弾きながら左手ピッチカートの難曲が魅力的でした。
最後の曲では近くにいたお茶を飲んでいた人がいっしょになって口ずさみ始めるほど国民みんなが知っている伝統的な曲です。
作例は、男性が演奏中に撮影させてもらったものです。
じつはこのとき停電していて、発電機を動かしているホテルなどを除いてどこも真っ暗でした。
おそらく、とても柔和な表情で奏でていたと思いますが、その人柄がにじみ出たような顔はとらえることができず、ましてや音楽の内容までも聴こえてくるような写真にすることは不可能でした。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/16 Thu

私立校の精鋭たち

Squire & Co 14cmF3.6
そろそろ帰国の日程を意識しなくてはならない時期になりました。
理想とするコースはインド、パキスタン、イランでしたので、イランから近く、ハブ空港であることから他の都市ともアクセスの好さそうなドバイからの帰国便を往復購入済みです。
しかし、旅はインドからネパールへ東進する形になってしまったので、空路は極力避けるつもりが、カトマンズからドバイへのフライトを使わざるを得なくなりました。
ドバイへは以前も旅したことがあって、わたしにとってシンガポールと並んで滞在する価値のない町という評価なので、1泊で十分とし、カトマンズも大都市だし震災復興の邪魔になるとも考えて1泊にして、ポカラをもう1泊増やしました。
ポカラには3泊ということになりますが、そんなに気に入ったかと問われればそうでもなく、体調が思わしくなくなってきて移動するのが面倒でついつい滞在延長いうのが本音です。

もう出かけるところがなければ、湖畔のカフェで風に吹かれながら読書をしようと考えていたのですが、オールドバザールという古い町並みがわずかに残る場所があるとのこと。
バスで行こうとしましたが、タクシーを勧められコミッションがわずかでも欲しいのだろうと察し、行きのみタクシーを使うことに同意しました。
なるほど100年ほど前に建てられたという、全体の煉瓦と窓枠の装飾的な木を組み合わせた美しい建築が数軒残っていました。
しかし、オールドバザールという名前から想像した昔から変わらない活気ある市場のようなものは見られませんでした。
かつて市場だったのか、朝一が9時にはもう跳ねてしまったのか、期待したほどではない感じです。

ヒンズー寺院の参道で休憩しようとオープンレストランに入ってラッシーを飲んでいると、いかにも人の好さそうな主人が現れて、あなたは日本人かと話しかけてきました。
今は引退したが、ずっと山岳ガイドをやっていて日本人と何回も6000メートル級以上の山に登ったとのこと。
みんな相当な登山の猛者なんでしょうが、わたしでも登れますかと聞くとまったく大丈夫と、そんなこと聞くまでもないのにという顔で返事します。
遭難の経験はないそうですが、これまでに2度グループの中で死者が出たと教えてくれました。
1度は個人のテントで寝ていた人が翌朝になってもそのまま起きてこなかった、もういちどはキャップ地に着いて腰掛けていた人がよく見ると息をしていなかったというブラックジョークのような話でした。
次回、ネパールに来たらいっしょに登山しましょうと誘われましたが、丁重にお断り申し上げました。

タクシードライバーからはこの近くにもチベット難民キャップがあってバスで行けると聞いていました。
バスとはワゴン車の中に椅子を並べた一見するとバスとは絶対気付かないようなもので、そのためか外国人が乗るはずはないと最初から無視するように何台か通るバスを停めようとしてもみんな通り過ぎてしまいました。
客を降ろそうとしていたバスに強引に乗って難民キャップと告げると、乗客全員が不思議そうな目でこちらを見ています。
オールドバザールでもそうですが、こちら側のエリアには外国人はほとんど来ないようです。
こちら側のチベット難民キャップでもチベット絨毯のショールームや民芸品売り場がありましたが、恐らく訪れる人はめったにいないのでしょうし、ここで何か売れることはまずなさそうです。
修行中のお坊さんばかりで暇そうな人と話をすることもできず、そそくさと退散しました。

ところで、5月に発生した地震についてですが、滞在中は余震等はいちどもなく予想通り危険を感じるようなこともありませんでした。
なぜ予想通りといえば、ニューデリーの旅行代理店のウソつき職員が、ネパールはまた地震が来るから危険だ行かない方がよいを繰り返していたからむしろ安全だと思ったというだけのことで、それ以外の根拠はありません。
東日本大震災でも何ヶ月にもわたって余震が続いたことを考えれば、たまたま何もないタイミングで旅行しただけで幸運だったということかもしれません。
ポカラはカトマンズに比べてずっと揺れが小さかったので、被害はほとんどなかったそうですが、山岳の村でいくつか村全体が壊滅的被害にあったということも聞きました。
一部の村では石積みと泥を組み合わせた非常に簡素な家だけのところがあって、さらに地盤が弱かったなどの理由も重なったのでしょう、そんな村ではわずかな揺れで倒壊してしまったのだそうです。
ただ、幸いなことに地震の発生が日中だったため、みんな農作業や学校に行ってたりで崩れた家に押しつぶされて亡くなるということはなかったようです。
前回の大地震も70年前の話で人々の記憶にはなく、当然、対策というものも皆無だったと思われます。
それどころか、日本でも大地震があって津波で1万人近くが亡くなっていることを知らない人が多いのには驚きました。
日本の津波でもスマトラ地震の津波を教訓にできませんでしたが、他国のできごとを対岸の火事とせず、痛みを分かち合いつつ自身の対策に役立たせるような取組が必要なのではと素人ながらに思うのでした。

さて作例は、たまたま目の前に停車したスクールバスです。
たぶんネパールでも状況は同じだと思いますので、インドで聞いた話をもとに少々説明します。
インドでは授業料がほとんど無料の公立学校と、だいたい1ヶ月5千円くらいからの私立学校が小学校から存在します。
公務員の給料が安いせいで公立学校の教師の質が低いからと、誰もが無理してでも子供を私立学校に通わせたがります。
私立学校はスクールバスを持っているので、校門前に10台くらいバスが停まっている学校があって驚くこともありました。
公立学校の生徒は授業料が不要な分、毎日、徒歩で登下校するのでしょうが、誰もが私立校に入れたがる状況で公立学校がたくさんあるとも思えず、毎日1~2時間かけて歩く子供の姿を想像すると不憫に思います。
インドでも、ネパールでもみな競うように可愛らしい制服が採用されているものの、びしっとした印象もあって、これはもともとがイギリスの古い学校の制服をもとにしているからなのではと想像できました。
子どもたちも学校や制服が自慢だからでしょう、カメラを向けると喜んでポーズしてくれました。
ところで、作例の子どもたちがなぜ手を出しているかというと、どうも右手の建物はヒンズーの聖なる祠のようで、きっと両親からあそこに停まったら手を伸ばして触りなさい、頭が良くなるからとか言われているのではないかと思います。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
thema:ペッツバール genre:写真
Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/15 Wed

ヒマラヤはすぐそこなのに

Squire & Co 14cmF3.6
ネットで国際記事を読んでいたら、インド北部のアラハバードと南部のラジャムンドリーというところで同日に将棋倒しによる死亡事故発生のことが書かれていました。
今さっきまで旅していた国の悲劇に謹んでお悔やみ申し上げたいと思います。
とは言え、詳細が分からないのでこう書くのは正しくないかも知れませんが、インドの将棋倒しは起こるべくして起こったことのように思えてなりません。
わたしは何度かニューデリー駅で階段を上り下りしましたが、いずれも将棋倒しか起きるのではとの恐怖を感じていたからです。
何度か書いたようにインド人は相手に道を譲ったり鉢合わせになったので相手をやり過ごしてから進むと言う発想がありません。
そのため通路で立ち話している人などがいればそこの流れが血栓のようになりますが、下りでそんな状況になってそれを知らない人が上からどんどん降りてくればたちまち将棋倒しです。
バスでも降りる人が済む前に我先に乗ろうとする人が多いですが、宗教行事でもご利益預かりたいと聖なる河めがけて殺到したのではと想像します。
この性質が改善されるとも思えないので、とにかく旅行者は巻き込まれないよう注意してくださいとしか言いようがありません。

インドでは自称「ならず者」で、さんざん不快な思いをしましたが、同様に現地人に迷惑をかけてきました。
ポカラに着いてしたかったのは、体を酷使して達成感を得られるトレッキングでした。
荒行で厄を落とすようなものですが、今後、旅がイスラム圏に入っていけばより過酷になると想像できる中で自分に自信をつけるという意味もあります。
ところが登山やトレッキングの代理店で聞くと、シーズンオフなのでツアーのようなものはなく、ガイドを雇い、入山許可を取り、ベースまでタクシーで往復し、ホテル代を払うとなると2泊3日でも3万円くらいかかってしまいます。
加えて雨季のためヒマラヤの冠雪した山々のパノラマという眺望は期待できず、悪ければカッパを着てぬかるんだ道を寒い寒い言いながら歩くような感じのようです。
ヒマラヤトレッキングと言うと、山間にテントを張ってシェルパが淹れてくれたコーヒーーをゆっくり啜るとイメージしたのに、テントどころか山小屋ですらなく快適なホテルに泊まると聞いて初心者のためのハイキングのようなもので、わたしの趣旨とは違うと断念せざるを得ませんでした。

そこで考えたのが自転車を借りて少し長めの距離を走ってみるというものでした。
ホテルのレセプションに相談すると好いアイディアだと褒めてくれ行先を示した地図をくれたり、レンタルバイクを紹介してくれました。
レンタル料は1日1000ルピーと高かったのですが、ここでも700ルピーに割引してくれ、いちばん高級だというジャイアントのマウンテンバイクを貸してくれました。
まずは南の外れにあるホテル推薦の滝を目指しましたが、近いはずなのにまったく見つかりません。
かわりにすぐ近くに洞窟があったので入場料100ルピー払って入ってみました。
ハイギア、高スピードで一気に自転車を漕いだ体に洞窟の涼しさが心地よいです。
先端まで行ってハッとしました。
ないないと探していた滝が洞窟の先にあったのです。
しかも、ものすごい水量で轟音を立てて落ちてきているのが洞窟の先に見えています。
それなのに足元の水は普通に流れているだけ。
滝の水のほとんどは別の水流になっているのでしょうが、ここからだと滝がこちらに向かって押し寄せてきているように見えます。
冒険映画を見ると、洞窟の中で財宝に辿り着く直前まで来たものの神殿の柱が崩壊して洞窟が一気に激流になるようなシーンがありますが、まさにその直前を目の前に見るような大迫力です。
ユニバーサルスタジオネパールと名付けたいと思います。
それにしても、滝というものを見て興奮したのは生まれて初めてのことです。

続いて自転車を漕ぎ出した時でした、上り坂で立ち漕ぎした瞬間、チェーンが切れてしまいました。
さいわい近くに自転車屋さんがあったので、修理代を聞くと70円とのこと。
修理依頼して最高級ジャイアントのチェーンが切れたとクレームの電話をすると、今からすぐ行くから修理を止めさせることとの返事です。
そのむね修理屋さんに伝えると、15分ほどでレンタサイクルの兄さんがやって来ました。
スクーターに乗っていましたが、後部座席の男性が重量挙げのように自転車を頭上で持って来ていて、それに乗り換えてくれと言い、チェーン切れジャイアントは同様に頭上にかかげてふたりは去っていきました。
じつは電話で場所を聞かれたとき正確な名前が分からず、滝のある洞窟のそばというあいまいな答えをしていたのですが、ポカラには洞窟がいくつもあるにもかかわらず平然とここに辿り着いた彼らにはGPSは不要なのでしょうし、次はバイクが壊れて自転車二人乗りでバイクを待ちあげて走るのを見せてくれるかもという期待感がありました。

アクシデントのあと向かったのがチベット難民キャップです。
チベット難民と言うとダライラマの住居もある北インドのダラムサラが有名ですが、ネパールにも各所に難民居住区があるそうです。
キャンプといっても仮設住宅のようなものではなくきちっとした施設のようでした。
チベット寺院があって少年僧が案内してくれました。
作例は、彼がマニ車の廻し方を指導してくれた時のものです。
マニ車にはお経が書かれていて回すことでお経を読んだのと同じ効果があるので、チベット寺院には必ずあるものです。
両親が1950年ころにここに逃れてきたという女性がいて、インタビューのようにいろいろと話を聞くことができました。
さすがに中国は許し難い存在で、独立したいということもあるが、それ以上に中国から離れたいという気持ちが強いようでした。
それなのに今やこの地を中国人がかなり訪れるようになってしまい、思いはかなり複雑です。

いったん昼食に戻ったりしながら、最後は宿のオーナーの息子が勧める湖の北側にあるハッピー・ビレッジに行ってみました。
この息子さん、香港から中国、チベットと通ってポカラまで自転車の旅をしたことがある冒険野郎で、明日は近くの村の建物が震災で倒壊したのでソーラーライトを設置しに行くと言っていた好青年でもありました。
ハッピー・ビレッジがなぜそんな名前で呼ばれているのか分かりませんでしたが、ところどころ舗装されている程度のアップダウンのある悪路をしばらく走って着いてもその理由は不明なままでした。
しかし、休憩しようと入った湖畔のカフェに、ハッピー・アワー、ビール200ルピーと書かれていたので思わず湖水までほんの1メートルの野外テーブルで乾杯してしまいました。
Happy Village, Happy Hour and Happy Throat、これが村の名前の由来だと確信しました。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
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Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/14 Tue

カワセミの中に星が

Squire & Co 14cmF3.6
ルンピニからポカラに行く直通バスがあるというので、今朝のバスで移動しました。
エアコン付のデラックスバスで、途中停車しないから早いよという触れ込みでしたが、確かにエアコンは付いているものの古くて機能できるような状態になく、最悪だったのは道端で人が手をあげれば乗降自由な鈍行バスだったことです。
もともと乗客はわたしともう一人だけだったので、申し訳なく思っていたくらいだつたのですが、そんな気持ちを後悔させるほど村に差し掛かるたびに何人か乗ってまた何人か降りるようなバスでした。
はるか下に渓流が流れるような緑の中を走るバスと言えばロマンチックな響きですが、ガードレールもない崖の上をがんがん突っ走るので、手のひらに大量の汗をかくほどの恐怖を味わいました。
もう一度乗るかと言われても辞退せずにはいられない、そんなバスでした。

到着は聞いていた時間より1時間半遅れた程度だったのはさいわいでした。
ネパールはカトマンズしか知らないと言いましたが、そういえばポカラというところも聞いたことがあると思いだしていました。
トレッキングの基地になる高原の町という知識だけで、地名もバカラだかポカラだかよく覚えていませんでしたが、地震の影響がほとんどなかったところだと聞いて安心して向かったのです。
天気が良ければヒマラヤの景色を楽しめるでしょうし、体調が悪くなければ2~3日のトレッキングにも調整したいと考えています。
今回のインドからの旅はまともなホテルには1泊もしていません。
せめてポカラでは安いなりにもリラックスできるようなホテルに泊まろうと、予約サイトで3000円ほどの評価のとても高い宿を予約していました。

実はこれが裏目にでて、ホテルではどうしてこうも試練ばかりなのかお釈迦さまにおたずねしたい気持ちになりました。
バスが到着した目の前の通りが、わたしのホテルのある通りと同名だったので、これは近いと思いました。
道行く人に聞くとあっちの方だよと言うので歩き出しましたが、10分歩いて何も見えないので、また尋ねるとこの通りは違う、バスステーションのところで垂直に交わっていた方だと言うので戻ることになります。
しかし、この情報こそ後でわかりましたが最大のウソで、まったく違う通りを反対方向に延々歩くことになりました。
やはりおかしいと思った頃郵便局があったので、これは確実と聞くと、管轄外なのでよく分からないが、たぶんあっちだろうとまた違う方向に歩き出します。
途中、ホテルがあったので道をたずねつつ、ホテル名を告げるとそれなら近くだと説明してくれましたが、そこは最初の3文字のみが同じ別のホテルでした。
ポカラは有名な山岳基地かつ避暑地なのでホテルは100軒以上あるそうですが、不運なことにわたしのホテルはバスステーションからいちばん遠くにあって、結局、あちこちと歩き回って3時間もかかってしまいました。

トレッキングしようと思っていたのはどうでもよくなってしまいました。
ポカラの町中を3時間歩けばもう半日トレッキングしたようなものです。
チェックイン時に、涼しいはずのポカラで汗だくになって肩で息をしているわたしがおかしいと思ったのでしょう、だいじょうぶかと聞くので事情説明しました。
ホテル予約サイトの予約確認メールには地図が無く、地図のリンクが付いているのですがWIFIが無く、いずれにしてもこのメールの不親切さと自分自身の愚かさが原因にも関わらず、ホテル側でいちばんいい部屋にアップグレードしてくれました。
角部屋でバルコニー付ですが、なぜかエアコンなしで、お湯が出ないためシャワーは隣の部屋のを使ってくれとのこと。
とはいえ、前日のルンピニの中国人ホテルとはまったく比べ物にならない、内装が凝っていて設備のしっかりした、しばらくぶりのゆったりできるホテルでした。
夜寝られなくなるくらい気になったのは、オーナーとの以下の会話です。
いっしょに来ていた奥さんはどこへ行ったんだ、ひとりで来ましたよ、あんたが入って来た時奥さんが一緒だっただろ、誰だそれは?

ポカラの登山やトレッキングは9月から4月までがシーズンで、もともとホテルはローシーズン価格を出していますが、さらに地震で多くいた中国人、韓国人がまったく来なくなってしまったので、かなり安い価格を出したものの本日の宿泊は4組だけとのことでした。
徒歩2分でレストラン、カフェ、土産物屋、旅行代理店が軒を連ねるメインストリートに出ます。
観光客がほとんどいないのでどこも閑古鳥ですが、タクシーもすることがなくて路上にずらーっと停まっていて、歩いているとみな使ってくれと懇願してきます。
レストランでもローシーズン価格を出していて、多くの店で20%オフとのことでそんな1軒をたずねました。
1・2階合わせて30テーブルくらいありそうな店に客はふたりだけで、普段なら早めでないと取れなそうな2階のバルコニーのような席に座ってくれと案内されました。
胃の調子が悪くて頼んだのはカルボナーラでしたが、これがパスタの柔らかいのを除けば日本で食べるのと変わらない旨さで、しかも値引きで300円ほどだというので申し訳なくなりました。

胃の状態はしばらく順調だったのですが、エアコンのない蒸し暑い満員バスが停車したランチの時に、禁ビールを解いて飲んでしまったことからまたじわじわと痛み出してきて困っています。
ビールは最安の何とかスターというラベルのもので、ネパール製だというので頼んだのですが、妙に酸味が強くて炭酸もほとんど入っていないやばそうな味でした。
こんなの飲んで平気だろうかと眺めて気付いたのですが、瓶の刻印はインドのキングフィッシャービールとなっていました。
弱小のビールメーカーなので、瓶はキングフィッシャーから供給を受けて製造しているのか、みんなが残したビールを溜めてキングの瓶に入れてそのままではばれるからマイナーなラベルを貼って出しているのか、後者だったら怖いので何も聞かず食事も途中でやめました。
さて、作例はこの日唯一撮影したポカラの少女です。
右側の子は日本人だと言われても分からないような風貌でしたが、どうやらネパールは民族が多数存在するようで、こんな親しみのある顔の人を多く見かけました。
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Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(2) | 2015/07/13 Mon

仏の生地でヒンズーを語る


前夜は国境の町、ベラヒヤという町に泊まったのですが、なんとここからお釈迦さま生誕の地ルンピニまで25キロほどだと聞きました。
ベラヒヤから隣のシッダルタルナガル経由でバスを乗り継いで1時間かからないとのこと。
何も知らないインドでも、コルカタ、デリー、ムンバイ、ゴア等々いくつか地名が出てきますが、わたしはネパールというとカトマンズ以外の地名を知りません。
ちょうどブッダガヤでブッダが生まれたのは、インドではなくネパールのルンピニだと聞き、ネパールに行ったらぜひルンピニにと思っていたら、それが1時間圏内とはなんという幸運でしょう。

しかし、幸運と喜ぶのは早すぎました。
理由不明ですが、シッダルタルナガル(そういえばこの名前もシッダールタと関係ありそう)からルンピニへのバスが今日・明日の2日間運休とのこと。
さあ、困りました。
他に数人ルンピニに行けずに困っている人がいて、そこへルンピニまで1000ルピーで行くというタクシーが現れたので、少し高いけどシェアしていきますかなどと話していたところバスがやって来て、ルンピニへの分岐で降りればそこから2キロだよというので、みんなでバスに乗ってしまいました。
憐れ、タクシーの運転手は契約寸前で行先違いのバスに今日の収入の大部分を奪われてしまいました。

バスでは後部座席を確保しましたが、後からやって来た目の不自由な赤ん坊を抱えた若い母親に誰も席を替わらないのに腹が立ち、遠くから声をかけて席を譲りました。
続いて最後尾の人が席を立ったので、また座ったのですが、ルンピニへ向かう試練なのか今度は男性が赤ん坊を抱いて立っているのに気付きました。
そのとき隣の男性が何事かわたしに話しかけてきていたのですが、わたしは男性にまた席を譲るか、いや男にまで譲らなくてもいいかなどと考えていたので、返事しませんでした。
すると隣の男性が、あなたは英語ができないのかと言うので、はい、わたしは学校で習いましたが、あまり英語は得意ではありません、と皮肉っぽく答え、しかし、わたしは仏教徒なので子どもを抱いて立っている人に席を譲る常識は持っていると言って先ほどの男性に席を譲りました。
すると話しかけて来た男性がすばらしいことだと言うので、そうではない、ネパール以外の国では当たり前に誰でもすることで、この国の人が誰もしようとしないことが不思議なくらいだ、席を譲らないのは、あなた方がヒンズー教だからなのではないか、インドでもそうだったが、他人に対する思いやりを一切感じないのはあなた方の宗教と関係ないのですかと、ほとんど乗客全員を敵に回すようなことを言ってしまいました。
習慣的なもので宗教とはさすがに関係ないだろうに失礼なことを言ったと後悔しましたが、続けて男性が、確かにヒンズーと関係あることかも知れない、申し訳ないと言ったのに驚きました。
そのあとは男性とはごく自然な会話をして、到着時には気を付けてと握手までしてもらいました。
最初にわたしがヒンズー批判したときに数人の男性がこちらを睨むように見ていましたが、何か起こるということもありませんでした。
あとあと隣だった男性が何か言われていないか心配です。

バスを降りた地点からルンピニの町までは2キロありましたが、トランクを転がしながら歩いてちょうど30分でした。
ホテルは観光地だけにコルカタやニューデリーよりも高く、2000ルピーを1800ルピーに負けてくれた中国人経営の宿に決めました。
そのせいで、ホテルから出るとリキシャや子供からニーハオと声をかけられます。
久し振りにまともな中国料理が食べられるかと宿でランチにしたのですが、メニューを見てびっくり料金が今までの倍くらい高いのです。
中国からの旅行者ならそれくらいのことは気にしないのでしょうが、さすがにばかばかしくてチベット料理のモモという餃子風食べ物とエベレストという名のネパールのビールをたのみました。
客はわたしひとりだけなので、これだけしかオーダーせずがっかりされてしまいました。

ビールは大瓶だったので、炎天下30分歩いた体には強烈に効いて、昼寝することにしました。
目が覚めるともうちょうど3時です。
お釈迦さまの生地詣でにちょうどいい時間と思ったのですが、ビールが体内に残っているらしく、アルコールが入ったまま来てくれるなとの暗示か、体がベッドから離れようとしません。
1時間横になり続けたまま、ようやく重い体を引きずって外に出ました。
ヒンズー文字表記の地図をもらいましたが、見方が全く分からず聖地まで1時間かかってしまいました。
5時までなら閉まるタイミングですが、ネパールには9時5時という概念がないようで、平然と開いていました。
お坊さんを中心にした中国人の団体がいましたが、彼らはお坊さんでもうるさいようで、すぐに中国人だと判別できます。
生まれながらの仏教徒で今では旅の仏像コレクションをしているわたしですが、残念ながらブッダ生誕の地に来たという感動はありませんでした。
しかし、ここまで来られたと言う感慨はあります。
「お釈迦さま、あなたの生地までお導きくださいまして、ありがとうございました」

ネパール政府のアイディアなのか、お釈迦さま生誕地周辺はたいへんなことになっていました。
日中韓、チベット、東南アジア各国が聖地としてあがめているので、それを利用してうまい商売を考え付いたようです。
生地を中心に土地を分譲して、そこに寺院を建てさせるという方法です。
各国には信者からお金を集めたいお寺や宗教団体がたくさんあるということに目を付けたようで、各国ひとつずつ寺院があれば足りそうなものを複数の寺院が競って建設され、恐らく母国のお寺のパンフレットには、お釈迦さま生誕地にわたくしどもの寺院がありますと宣伝されていることでしょう。
しかし、ここからの費用が地震復興の資金源となっているなら、好いことではないですか。
黙ってこういうものなのだと考えるだけにとどめておきます。
作例は、韓国の寺院だったかの前にいたなかなか可愛い女性を撮影させてもらいました。
笑顔を、と言っても笑ってくれない、意外に厳しそうな女性でした。
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Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(0) | 2015/07/12 Sun

最後の最後でまた騙され


ニューデリー発8時20分のゴラクプール行きは20分遅れて出発しましたが、到着は4時間遅れの14時でした。
ゴラクプールからインド・ネパール国境まで100キロと聞いていたので、もし国境が5時に閉まると微妙な時間に思われ、遅延証明でももらって国境のイミグレーションで言い訳しようかとか考えましたが、もちろんインドで遅延証明など出していたら、それをもらうのに長蛇の列で、遅延証明のために次の作業が遅延しかねません。
そもそも、わたしはチケットを有していない状態で、車掌の独断で乗せてもらっているので何時間遅れても文句を言える立場にありません。
しかし、このふざけた旅行代理店にはクレームをつけなければおさまりません。
支払った代金の半分以上が手数料だったと思われますが、さらに予約していない切符の分は丸々取っておいて、そのことを一切本人に伝えないのですから詐欺です。
京都の四条付近で兄弟がインド料理屋をやっていると言っていたので、何としても探し出してお前ら兄弟の悪事をバラシてやると叫ばなければ気がすみません。
 
それはともかく、ゴラクプールは名前に反して娯楽に乏しいのか、ここで降りた外国人はどうせネパールに直行するに違いないと考えられているように、駅前の人すべてがネパール、ネパールと聞いてきます。
どうもそれらの情報によれば、国境の出入国は夜でも問題ないようです。
また、最初はタクシーで行けと客引きが攻勢をかけてきましたが、やり過ごすうちにバスもあることが分かりました。
100キロをタクシーで行けばいくら取られるのか想像もできません。
まよわずバスに乗り込みました。

バスは国境を越えてネパールまで行くものではなく、単に国境近くまで行く路線バスで、雨でぬかるんだ道をゆっくり、途中、客を拾いながら走るので、予想を大幅に上回る4時間かかって100キロを走り切りました。
バスが来た道をそのまましばらく歩けば国境だとのこと。
そのかたちは、タイのメーサイからミャンマーのタチレクへ抜ける国境と似ています。
もともと1本の道に国境という線引をしたために、その場所でわざわざ手続きをしないと通り抜けられなくなったということを示しています。
と思えば、インド国境と書かれた簡易なゲートは多くの人が何もせず素通りしていき、続いて通ったネパール国境も誰も何もせずに通過していきます。
どうやらインドとネパール国籍の人は出入国審査が省略されているらしいのです。
このままくっ付いて行ってしまっては、わたしは違法出国、違法入国で両国から指名手配されかねません。
慌ててインド側の方に戻り出国手続きをお願いしました。

すると問題が発生したようで、なかなか出国スタンプを押してくれません。
もしかしたら一度そのまま出国してしまったことをとがめるのかと思いきやそうではなく、インドの入国スタンプがないと言ってきました。
わたしはコルカタの空港に着いてからのことをよく覚えていて、アライバルビザ申請ブースでビザスタンプを押してもらってから入国審査に並ぼうとしたところ、ビザ職員にもうスタンプを押しているので不要だと列の脇を通してもらいました。
その旨説明すると、それならコルカタの入国管理のミスだなと言って、出国スタンプをビザのすぐ下に押してくれました。
パスボード上、わたしはインドに入国せず出国だけしたことになっているようです。
もうインドに用はないので問題になることもないでしょうが、こんないい加減なことで済むならビザ取得の手続きをもっと簡易化してくれよと言いたいところです。

このインド出入国審査官たちがまた悪党で、インドルピーが余っているなら向かいにある両替所でネパールルピーに替えなさい、と強く勧めるのですが、どうも胡散臭いのです。
わざわざレートを示して、いまあなたが持っているのは何ルピーだから、ネパールのお金でいくらになると計算してくれたり、それだけじゃ足りないし、ネパール側の両替所はもう閉まっているから、日本円も米ドルも大目に両替した方がいいとかしつこく言ってきます。。
もちろん日本円を両替するならインドでネパールルピーに替えるのは日本円→インドルピー→ネパールルピーの二重両替になって損します。
キャッシュはないのでATMで引き出すというと、地震の影響でネパールのATMは動いていないとまで言います。
後で確認すると、聞いたレートはインチキでしたし、両替屋もやっているし、ATMも動いている、さらにはネパール側も国境の町なのでインドルピーをそのまま使えたのでした。
インドはイミグレーション職員までもが束になって、最後の最後までわたしを騙そうとするのかと考えたら、ネパールに足を踏み入れてから振り返って、もうお前たちの手の届かないところにいるぞと大声をあげたくなりました。

さて、作例ですが、本文とは関係なく恐縮ですが、
前日にデリーのどこかの駅でニューデリー駅行きの列車を待っていた時に撮ったものです。
列車がホームに入ってくると、ホーム側ではなく線路側に学生が猛ダッシュして入り口に殺到していました。
こうでもしないと乗れないのか、列車が動き出してもまだ乗れずにどうしようとなっている学生もいて、そのうちに事故でも起きるのではと心配になりました。
ちなみに、前日の作例はプシュカルで飲んだシュガーケーンを作ってもらっているところです。
いずれにしても、インドに来てから写真を撮らなくなりました。
撮影なんてレリーズボタンをちょんと押すだけのことですが、被写体に対する興味や敬意、美しいとか面白いとか思う気持ちなどがなくてはできない自発的行為です。
わたしにはこの国でそれらの事柄がほとんどなくなってしまったということのようです。
【Alpha7/Squire & Co. 14cmF3.6 F3.6】
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Squire & Co. 14cmF3.6 | trackback(0) | comment(2) | 2015/07/11 Sat
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