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パレードを振り向かせるには

Dubroni 10cmF3.5
よこはまパレードより
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
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thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/05/09 Mon

重荷を背負って

Nokton 50mmF1.5
PCが不調で困りました。
タフな旅に備えて、ノートPCではひ弱なのではと考えて、キーボードが付けられる大きめのタブレットを購入したのですが、どうも思うように使えません。
当初、マイクロソフト・エアが欲しかったのですが容量の大きいものはとても高価だったので、同スペックが半額以下になるレノボ・ヨガを選択しました。
最初こそ好調でしたが、旅を続けるうちにあちこち問題がでてきます。
このPC、どうもあまり旅が好きではないようなのです。

長時間バッテリーがウリの機種でこの点はまったく問題ありません。
しかし、ブルートゥース経由で接続されるキーボードはときどき動かなくなり、設定画面から一旦削除して接続しなければならなくなります。
薄っぺらなキーボードながらタッチ感が秀逸で気に入っていただけに残念です。
また、長時間使用していると画面がホワイトアウトすることが多いのも困りものです。
これも再起動すれば問題なくなりますが、どうにかならないものでしょうか。
プリインストールされていたワードは、やはり長時間使用していると文字が消えていく怪現象が起こりあせりますが、これもその場で保存してから再起動するとおかしくなる直前の状態に戻るので問題とはしません。

バッテリー容量確保のために重たく設計されているのが難ですが、以上のようなトラブルがなければ、サイズが手ごろですし、リーズナブルに買えたのでお気に入りになっていたはずでした。
さらに最近になって、電源を入れても起動しないという問題が発生するようになりました。
なぜかPC修復画面になって、再起動をうながす画面に行き、また修復画面、再起動の繰り返しになってしまうのです。
何度やっても同じなので、壊れたと思って3日くらいほっといたら普通に起動するようになったので、いまはこうして入力ができています。
早く日本に連れて帰ってくれと言う抗議だったのでしょうか。

PCやカメラもそうですが、電子機器は動かなくなったらもうどうにもなりません。
長期の旅ですので、現地の修理屋に持ち込む手もありますが、言葉の通じない国では症状を説明するのに難儀しますし、修理代をかなりボラレそうで心配です。
今のところカメラは壊れていませんが、バッテリーを充電せずギリギリもったということは何度かありました。
カメラの使用頻度が日が進むにつれて減ったため、充電などもついつい忘れがちです。むかしは、旅にPCなんて持参しなかったのでそんな心配はなかったですし、カメラはライカだったので電子的故障ということはあり得なかったことを考えると、いまの旅は便利になったのか考えさせられるところです。


PCもカメラも携帯電話も故障しないまでも電池がなくなっただけで動かないですし、動かないということは旅している間は重石をもって移動しているようなものでばかばかしくなります。
修復と再起動を繰り返すPCをホテルのゴミ箱に何度放り棄ててやろうと思ったことか。
カメラも同様の事態になれば同じ感情が沸き起こるのでしょうが、カメラの場合はレンズを取り外してから捨てようとするだろうと自分の姿を想像すると、何だか滑稽な気がしてきます。

今日の作例は、チェンカーンの夕日です。
撮影枚数が極端に減っていましたし、ましてや風景的なものはあまり撮らないのですが、この美しさは記録に残したいと思いました。
夕日撮影スポットとして有名なのでしょう、大きな一眼レフを持ったタイの女の子が何人かいて、それぞれのポジションで機材を扱う姿が印象的でした。
タイもだいぶ変化して中間層のひとびとが一眼レフとかノートPC、スマートフォンを持つのは当たり前のことになったようです。
見ている限り、撮影技術に関してはどの子もわたしなどよりずっとレベルがずっと高そうに見えました。
タイも日本も写真については女性が先んじているような気がしました。
それでわたしも、手前にあったバナナの木にピントを合わせた無理やりなフレーミングで撮影して対抗したのですが、ペッツバールの使い方としてはあきらかに邪道です。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(4) | 2015/05/12 Tue

ビア・シンは普通だった

Grubb 20cmF3.5
昨日のビールの話は中途半端にベトナムとラオスで終わってしまいました。
東南アジアでよりメジャーなのはタイのビールなので、少しでも触れておかないと片手落ちです。
チェンカーンではローカル・ブリューワリーがあったのですが、あいにく飲むことができず、恐らくわずかに存在する地ビールを除くとタイにはビア・シン、ビア・チャン、ビア・レオの3種が存在するのみのようです。
値段は日本のように3社横並びではなく、書いた順番に高いのですが、味も人気もその順番のように感じました。
ビア・シンが350mL缶で160円くらいだったと思います。
さすがに100円以下のベトナムやラオスより少し高いです。

ビア・シンは外国ではシンハー・ビアで通っていますが、タイ語ではビア・シンになるらしく、この方が言葉の通じない相手にもオーダーできて確実です。
ビア・チャンのチャンとは象のことで、向かい合う象のロゴはマンチェスター・シティのスポンサーとして有名になりました。
ビア・レオのレオの意味は未確認ですが、レオ・メッシを連想させる名前なのでわたしはこれをよく飲んでいました。
もうひとつビア・クロイスターとかそんな名前のビールがあったと記憶しているのですが、なくなってしまったのか見かけませんでした。

タイに限らず東南アジアではどこでもそうですが、レストランなどでビールを頼むと一緒に氷が出てくるのが普通です。
ウィスキーのオンザロック用セットのように一揃いの氷が出てくることもあり、その場合は追加料金をとられるようです。
一般にはグラスに氷が入った状態でビールとともに出てきます。
ビアマグでがぶがぶ飲むのが好きだと言う向きには氷は邪魔ものでしかありませんが、現地の人はおおむね氷の入ったビールをちびちび飲みます。
当然、氷は少しずつ溶けるので、ビールを水割りで飲んでいるような感じになります。
また、コーラなどと同様にストロー付きでビールを出すところも多く、ビールをストローで飲む姿はタイの風物詩と言えるかも知れません。

そういえば、かつて何かの本で、ビア・シンは氷で飲み少しずつ濃度が薄まることを前提にアルコール度数が高く設定されていると読みました。
飲むと酔うのが早いのはそれが理由かと信じていたのですが、この度それを確認してみるとアルコール度数5度となっていました。
普通のビールと変わらない。
これはいったいどうしたことか、一般家庭に冷蔵庫が普及したので本来の味を楽しむために氷で飲むのは止めにしてくれと、アルコール度数を下げたのでしょうか。
それとも、ガセネタに踊らされて、わたしは勝手に酔っぱらっていたのか…。

もうひとつ、タイではメコンウイスキーという怪しい飲み物があったのですが、今回の旅では見つけられませんでした。
10年以上前のタイの旅で飲んだ時はアルコール度数の高い薬臭いお酒と言う印象でしたが、もしかしたら、飲み続けると健康上の問題があるとかで製造禁止になったのでしょうか。
それと、泡盛はわざわざ輸入したタイ米を原料にしてつくられていると聞きましたが、同様の酒はタイにないのかいつか探そうと考えていて今回もそれができなかったのが心残りです。

さて、今日の作例はチェンカーンのメコン川沿いで見つけたオープンバーのお嬢さんです。
さわやか風がたなびく川べりでのんびりビールが飲めて、こんな子の撮影までできて幸せいっぱいでした。
髪の色や雰囲気からアニメオタク少女なのかと思ったのですが、わたしはそちら方面不案内なので誰かの真似をしたものだとかよく分かりません。
ポーズを決めていた時の硬い雰囲気より、タイミングをずらしたこちらの表情の方が自然体でよかったので採用しましたが、むしろアニメっぽい不自然さの方をとるべきだったかも。
撮ってから気付いたのですが、店主のお兄さんが同じような髪をしていて、どうやらご夫婦だったようでした。
ちょっとお誘いしようかとも思ったのですが、彼女が英語ができなかったために却って難を逃れたのでした。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/05/10 Sun

未だに見つからない旅の理由

Grubb 20cmF3.5
ヨーロッパの旅をし始めた二十何年か前、よく、なぜ旅をするのか聞かれたものでした。
確固とした目的を持って旅していたわけではないので、これはなかなか答えにくい質問です。
音楽や教会建築、ワイン、サッカーなどが好きだったので、本物のそれらを楽しむためになどと真面目に考えて回答していたのですが、相手はともかく自分としてはどうもしっくり来ないような気がしていました。
なぜ山に登るかと聞かれてそこに山があるからというのと同様な名回答がないものかと考えてみることにしました。

そこで思い当たった回答が、次の文句でした。
人間誰しも日常の生活と言うものを持っているものだが、それが長く続くと非日常を手に入れたくなる、だから旅に出るのだ、と。
大した回答ではありませんが、そこに山があるからのように、質問者を煙に巻きつつ、一定程度納得してもらえるような、話の展開のとっかかりになっているとは思っていました。
そもそもが、非日常を求めての旅と言うのがいかにもありそうですから、少なくとも問題はないだろうと。

しかし、今回2月から長い旅を続けて気付いたのですが、この間わたしはまったく非日常など求めていませんでした。
旅のスタイルはこれまでと変わっていないのですから、今までの旅もきっと非日常を求めていたと言うのとは違うということでしょう。
毎日が仕事に忙しくて、本当にリラックスのためにリゾート地を訪れると言うのは、非日常を求める旅と言えるのかも知れませんが、わたしはそうではなかったということですね。
そこに山があるからをまねて、そこに行きたいところがあるからとすれば正しかったようです。

1ヶ月前後旅を続けていても、家に帰りたいと言う気持ちにならないことにも気付き、これもわたしにとってたいへん意外でした。
長く旅をしていると疲れるので、きっと帰国したくなるだろうと思ったのですが、実際には、旅の中で疲れを取れれば自然とそれで好しとしていました。
旅の期間が長くなれば状況は変わると思いますが、いったいどのくらい長くなれば、帰りたくなるものなのかはよく分かりません。
何かしたいことがあるからなどというのを除いて、旅に飽きたから、旅に疲れたからという理由で帰りたくなるとすれば、半年くらいがその期間なのかなあと漠然と考える程度です。

そんなことに思いを巡らせていたら、バンコクからの機内映画でたいへん面白いものを見たことを思い出しました。
インターステラーという映画で、人類滅亡の危機から救うために宇宙船で新しい惑星を目指すというストーリーのSFです。
乗組員はまた地球に戻りたいと思いつつも、人類の未来を考えてこれが片道切符になるだろうと半ば悟っていますが、主人公は残した娘との再会のために惑星をいち早く見つけてなんとしても帰還するんだと強い意志を持ち続けでいます。
ぜひ見ていただきたい映画なのでこれ以上の内容への言及は避けますが、映画の中の世界とは言え、帰ることができないかも知れない旅があることや、出発後なるべく早く帰りたいと思ってする旅があるということを気付かせてくれました。
旅の動機や旅しながら考えていることは千差万別で、そういったことまでを踏まえて、なぜ旅するのかの回答をもう一度考えてみなくてはいけないかも知れません。

さて、今日の作例はラオスの首都ビエンチャンの郊外に見つけたお寺での情景です。
ふたりの関係を想像すると、こんな感じでしょうか。
兄弟で兄は家を助けるために僧侶になる道を選んだが、それは弟を学校にやるためでもあった。
弟は、兄の自己犠牲をうすうす気付いており、けっしてそのことを口にはしないものの、できる限り寺を訪れ兄を心から慕っていることを懸命に伝える。
ふたりの心は信じ難いまでに力強い絆で結ばれるにいたる…。
いや、顔があまり似ていないのを見れば単なる友達じゃないかと思うがと言われれば、その通りかも知れませんし、カメラの前なので仲良しを装っただけかも知れません。
旅に出て、心揺さぶられる映画を見たりすると、妙に感傷的になって空想家になってしまうものなのですね
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/07 Thu

白いスーツの美女

Grubb 20cmF3.5
ノクトンともう1本持参したレンズはグラブのペッツバールレンズです。
長い旅をするときは荷物の心配をしますが、長旅のためにレンズをいつもの3本から2本に減らしています。
にも関わらず、わざわざこんなに大きくて重いレンズを選んだのは、元の木阿弥です。
ただ、せっかく持ってきたので、20cmという使いづらい焦点距離でもかなり積極的に使用してきましたし、そのために何度も人に声をかけてはポートレイトを撮影して元を取ろうと必死でした。

グラブ社はアイルランドにあった光学機器メーカーで、現在でも老舗として望遠鏡を製造しているそうです。
アイルランドの会社と言うとギネスとキルケニーくらいしか思い出せないわたしには、この国で歴史的レンズが製造されていたことが新鮮な驚きでした。
キングスレークの本にはグラフのアブラナートと言うメニスカス貼り合わせのいわゆるアクロマチックレンズが紹介されています。
このレンズは懸命に探して、推定90mmF11というスペックのものを入手しています。
歴史的レンズでしかもライカでも使えそうな短焦点という珍品が某オークションに出品されたのですが、出品者はその価値を知って高めのスタート価格だったものの、入札者は想像通り現れずにその価格のまま落札しました。

そのアプラナットは製造番号が245番となっていてたいへん古いレンズと分かります。
1850年代中ごろから後半くらいにつくられたいうことは間違いなさそうです。
実は、今回のペッツバールには800という興味深い番号が刻印されていました。
アプラナットの方はNo.の後に番号なので製造番号と分かりますが、ペッツバールの方は番号だけが入っていて、それが製造番号なのか何か別のことを意味するのか判然としません。
ksmtさんによれば、№2603のグラブレンズが1862年製造と言う例があるので800が製造番号だとすれば1850年代だろうが、1857年に始まるウォーターハウス絞りの溝がオリジナルと思われる状態で開いており、このあたりの年代の製造かも知れないと推測しています。

1850年代すでに高性能レンズを製造できるメーカーがあったとすれば、アイルランドは進んだ国だったということでしょうか。
正確に調べてみないと分かりませんが、オーストリアとフランス、イギリス以外でこの年代にペッツバールを製造できた国はなかったように思われます。
ブラウンシュバイクに工場を新設したフォクトレンダーを例外とすれば、シュタインハイル、ブッシュがペッツバールを製造開始するのはずっと後のことのようですし、あとはアメリカのハリスンがあるくらいでしょうか。

ダブリンとロンドンの間には高速船と急行列車で18世紀半ばには結ばれていたそうですが、ガラスはロンドンから供給されていたのではなく、自社で製造していたかも知れません。
こういった資料は極端に少なくて、確認が難しくなっています。
グラブのペッツバールレンズは製造数がかなり少なそうですので、現在の感覚からすれば部品を自社製造するよりは、どこかから調達してきた方がコスト面で助かりそうですが、もともと一点物の手作り品なので、コストがどうこうということではなかったのだろうと判断したいと思います。
グラブのレンズはすべてロスで作っていたから、ロスを持っていればグラブのを買う意味はないとなったら面白くないですし。

さて、今日の作例はサパのホテルに勤める美女です。
この女性が親切だったので、泊る予定のなかったサパに1泊してしまったといことはすでにどこかで書いたと思います。
25歳独身、ベジタリアンと言っていたのが少し気になりました。
彼女にはよく似た妹がいて、翌朝、彼女と間違えてしまい恥をかくところでした。
作例の彼女は妹ではないと思うのですが、もしかしたらそれも間違いだったとすれば、また恥の上塗りになってしまいかねません。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/05/05 Tue

他人の関係

Grubb 20cmF3.5
中国を旅している間は旅行者には滅多に会いませんでしたが、ベトナム、ラオスと進むにつれて非常に多くの旅人に出合いました。
国籍はさまざまで、すべての人に聞いたわけではないですが、ヨーロッパの人が圧倒的でしたし、旧宗主国であるフランス人の比率が高かったように感じました。
ヨーロッパ以外ではトレッキングでいっしょになったイスラエル人やラオスのバンビエンで少し会話したアルゼンチン人がいましたが、アフリカ人にはひとりも会わず、北アメリカの人もあまり見ませんでした。
ヨーロッパでインドシナ旅行が流行しているのかも知れません。

とは言っても、ヨーロッパ人をひとくくりにすることはできません。
彼らは傍から見ると同じような行動をして類型的に思えてしまいますが、ちょっと話をしてみると旅の目的とか感じ方とかさまざまで、国籍とか年齢を超えて彼らの個性のようなものが感じられました。
残念なのは何度も言っているようにわたしの語学力の問題で、彼らにしてみれば、日本人がどういう旅をして何を感じているか多少は興味があったはずですが、その期待に応えられるほどの会話はできませんでした。
唯一、カナダ人のカップルがラオス、タイと回った後日本に来るということで、メールをくれたのがいちばん深い交流になったというところです。

作例のふたりは、ホテルの野外のカフェでお茶を飲んでいるときにチェックアウトで出て来て、彼女のカメラがわたしと同じα7だったのでペッツバールを見せて撮影させてもらったものです。
彼女のカメラにレンズを付けてあげたら、よく写るのでアメイジングだを連発していました。
このふたりはバイクでハノイに向けて出発してしまいましたが、もともとは赤の他人だったそうです。
男性がサイゴンで中古のバイクを買ってひとりベトナムを北上している途中で彼女と出会い、いっしょに行動するようになったんだと言っていました。
彼はハートブレイクだと悲しい表情をするので、どうしたんだと聞くと必死にアプローチしているのに彼女はわたしを理解してくれないと肩を落としています。
今は彼女の心は旅に奪われているけど、帰国したら急に君のことを思い出すだろう、そしたらきっとうまくいくよ、と慰めの言葉をかけます。
ふたりはもう帰国しているのではないかと思いますが、わたしの言う通り進んでいるかどうか。

前にも書きましたが、旅の間、少なくとも中国昆明からタイのチェンカーンまで、日本人にはたったひとりにしか会いませんでした。
竜クンと言う青年でしたが、彼はわたし以上に激しい移動に耐えられる体質のようで、タイ、ミャンマー、タイ、カンボジア、ベトナム、ラオスそしてまたタイとかなりのエリアを短期間に旅していました。
多くの場面で夜行バスを使い、宿は1000円未満の安宿を泊まり歩いていたようです。
大学、大学院と中国やタイの留学生の友達がいて、言葉を教えてもらったりしたそうで、タイ語に近い言葉を話すラオスでは道を聞いたり、食堂でオーダーしたりするのに彼の語学力に大いに助けられました。
彼がやりとりするのを見ていたら、タイ語も中国語の影響を受けているのが分かり、わたしは性懲りもなくタイ語を学習してみたいと言う気にさせられました。

ラオスでは韓国人を多く見かけましたが、ハノイでも何度か遭遇して簡単に会話もしています。
平均的な韓国人の若者が話す英語はわたしのそれと似たり寄ったりなので、話がよく通じるのでついつい長話してしまうことがあります。
ヘイトスピーチの報道の影響で韓国の若者は日本人の多くが嫌韓だと誤解しているケースが多いそうです。
ラオスまで旅行するような若者は、世界や日本に関心を持っているのでそんなことはないと知っているのですが、逆に慰安婦問題で謝罪しろと大声を張り上げているのもごく一部の韓国右翼だそうで、お互いに極端な連中がクローズアップされることで印象を悪くし合っているのは愚かなことだと言う話も出たりしました。
日韓関係の悪化は両国首脳のせいだとの論調が強いですが、市民レベルでいえば扇動しているマスコミの方が悪いというのがわたしと話をした韓国人との共通認識でした。

昨年の西沙諸島の問題以降、ベトナムから中国人は撤退した感があります。
ハノイの友人ベトアン君は食品を扱う会社を起業したので、日本ではここ何年も中国から輸入した食べ物や野菜から農薬が出たとかいう話をしたところ、日本は中国をボイコットすべきと一言で切り捨てたのが印象に残りました。
一方でラオスやタイへの中国の企業進出は激しいものがあります。
同時に旅行者も急増しているようで、彼らはグループで行動していて大声なので遠くからでもすぐに分かりました。
バンコクでも見かけるのは中国人ばかりです。
繁華街を歩いていると大きな買い物袋やスーツケースで歩いているのは、みんな中国人旅行者でした。
中国人はみな日本に旅行して買い物してくれていると思っている向きがあるようですが、そんなことはなく、彼らを受け入れるあらゆる国のショッピングエリアで見つけることができます。
少し前まで中国で製造されたものが世界に拡散していたのに、今やそれが逆になっていると言うのです。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/03 Sun

ベトナム語に惨敗

Nokton 50mmF1.5
この旅に出る前、わたしはベトナム語学習本を買っていました。
英語もダメだと言うのにベトナム語を勉強しようとしていたとは、いま考えると恐ろしいことです。
先日も書きましたが、可能であればフオンの実家付近で小さなホテルでもやれないものかと密かに計画していたので、もしそういうことになれば現地語がまったくできなくてはどうにもならないと考えたからでした。
さらに彼ら少数民族の言葉も覚えなくてはと、少なくともその時は思案していたのですが、現地に着く前にすべて挫折してしまっていました。
言葉は簡単に身に付くものないということを以下に記そうと思います。

日常会話レベルですが、中国語をどうにかしゃべれるようになるとわたしの中国への旅は劇的に変わったと確信しています。
異文化の地を歩いていると疑問だらけで、それを放っておいたのがそれまでの旅でしたが、現地の人と言葉のやり取りができるようになるとその場で確認することができます。
その人も自分たちの言葉をしゃべる外国人と分かればわたしに興味を持つようになり、お互いの会話がつながっていきます。
かなり怪しいレベルの会話ですが、関心をもっている内容なので、繰り返し話をすることで自分の語学力が徐々に向上するのが分かります。
それを自覚するので、また次の機会にも中国を旅したくなります。
これを何というのか、デフレスパイラルの反対ということがわたしに起きていたのですね。

とはいっても同じようなことをベトナム語でできるかといえば、無理だろうともちろん自覚はしていました。
中国語の場合、共通の漢字を使っているからと言うとっかかりがありましたし、毎月中国に行かなくてはならないと言う個人的事情が後押しもしてくれていましたし。
ベトナムにはそういうところは一切なかったのですが、ハノイに2回目に訪れたときあることに気付いて、これはどうにかなるかも知れないと期待を抱くようになりました。
というのは、ハノイは河内(ホーネイ=中国語読み、以下同)、ホーチミンは胡志明(フーシミン)など中国語に発音が近いことは知っていましたが、ベトナム語は日本語と同様、関係の深かった中国から多くの言葉が伝わって来て、もともとあった自国の言葉と組み合わせるようにして言語が成立していると聞いたのです。

上に書いた例でいえば、「とはいっても同じようなことをベトナム語でできるかといえば」というところは大和言葉ばかりなので話になりませんが、「中国語の場合、共通の漢字を使っているからと言う」というところは中国語、共通、漢字という中国由来の単語が入っているので、これらは中国語の読み方が分かるため他の部分のみ覚えれば何とかなりそうと考えたのです。
ベトナム語も日本語と同じ程度に中国由来の単語が使われているとすればの話ですが、地名でハイフォンは海防(ハイファン)、ホイアンは会安(ホイアン)、ホアンキエムは還剣(ホアンチェン)ということをその時知って、これならいけるぞと来たいしました。
しかし、購入した学習本の巻末の辞書を見ると中国語由来と分かる単語は、家庭を意味するジャティンだけで他の100以上の単語はすべてベトナムで生まれた言葉のようでした。
これでは中国語を学んだことがあると言うわたしのアドバンテージは生きません。
それでも第一章の自己紹介のところだけでも覚えようとしましたが、惨敗に終わりました。
わたしには語学力と記憶力の両方が著しく欠如しているのです。

ベトナムは南北にえらく長い国で、やはり北と南ではだいぶ言葉が違うようで、わたしが買った本にはハノイの正統派ベトナム語を学べるなどと書かれていました。
南北にどういう差異があるのかは分かりませんが、地理的に見ると、中国と隣接する北部はより中国語の影響を受けているだろうと想像できて、それならわたしにも馴染みやすいはずなんだがと思わずいられません。
旅の途中で中国人に出合ったので話を聞くと、まさに隣接する広西壮族自治区から来てベトナム語を勉強しているとのことでしたが、中国語の普通話ではなく広西の言葉に似ているのでなじみやすいと言っていました。
そうだとすれば、わたしも広西に行って彼らの言葉を聞き取る練習をすれば、彼女と同様になじみやすいとなるかも知れません。
まあ、そんなに甘いことはないとは思いますが。

そういえば、サパなどの少数民族のエリアでは、日常の会話は彼ら民族の言葉で、学校ではベトナム語学習でテレビもベトナム語オンリーなので、子どものころからすでに2つの言語を身に付けなくてはなりません。
昨日の通り、女性が物売りをするようになれば、それに英語が加わります。
フオンのおばあさんのように高齢の人たちは、学校に行かず、ずっとテレビなどない暮らしをしていたので、ほぼベトナム語はできないそうです。
そんな事情は中国の少数民族とそっくりでした。
今までの話とはまったく関係ありませんが、作例は少年が田んぼで取って来たドジョウを通りかかった車に売ろうとしているシーンをたまたま撮影したものです。
車に乗っているのはたぶん少数民族ではなく彼らはベトナム語でやり取りしているようでした。
ドジョウが売れるかと固唾を飲んで見守りましたが、残念ながら取引は成立せずに車は行ってしまいました。
少年はさぞかし残念がっているのかと思いきや、慣れっこなのでしょう、まったく意に介することもなく隣に座る弟と何やら遊び始めました。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(1) | 2015/05/02 Sat

畑の天使たち

Grubb 20cmF3.5
ムオンコーンでもサパでもそうでしたが、ベトナム少数民族の子どもはよく働くなあと感心させられました。
サパに到着したとき物売りの子どもたちに次から次へと囲まれましたが、小学校低学年くらいの女の子もけっこういます。
その日は日曜だったので、学校が休みだから子どもがいっぱいいるんだよと地元の人は言っていましたが、翌日トレッキングに出掛けたときも午前中から何人もの小学生物売りたちに遭遇しました。
彼らは、”Buy one for me”と数人で声を揃えて物悲しい声で歌っていましたが、その美声を活かして合唱団を結成して教会でコンサートを開いた方が、より高収入を得られるのではと余計なアドバイスをしたくなります。
トレッキングする人に対して子どもの数が多すぎるからです。

トレッキングの最中は農作業する子どもを多く見ました。
これは家の仕事を手伝っているということなのでしょう、親たちからしてみれば、家事をやらせている感覚で、当たり前のことだと考えているのではと感じました。
子どもにとって体力をつけたり健康面でのプラスになるということはあるかも知れません。
また、いずれ自分たちが主体になって農業を継ぐのですから仕事を覚えるということもあるでしょうし、両親が一生懸命に働いている姿を間近にすれば、親子の関係も良くなるということがありそうです。
しかし、物売りが子どもであることをそれこそウリにして大人より稼げる可能性が多少なりとも高まるのに対して、農作業の方は小さければ小さいほど不利であることは言うまでもありません。

わたしには子どもの人権がどうだとか、そういう話はできません。
しかし、やはり子どもたちから教育を受ける機会を奪うのは残念なことだとは思います。
少なくとも小中学校は学費がタダだと聞いたので、教科書代とかその他いろいろと費用はかかるのかも知れませんが、小学校までは出してあげられないものでしょうか。
ほとんどの家庭が専業農家ですので、現金収入はわずかだということであれば、それさえも厳しいのだろうかと考えざるを得ません。

サパでは、ガイドをしてくれたパオさんの家に2泊したのですが、家のすぐ隣が小学校で、それこそ遊びまわる子どもたちがパオさんの家にまで入り込んでくるくらい、小さな子どもを間近に見る環境でした。
小学校は村の入り口近くなので観光客も多く訪れていて、西洋人の家族連れや若者たちがどのような授業をしているのかと熱心に見ている姿をよく目撃もしました。
わたしも朝は子どもたちの歓声に導かれるように徒歩10秒の学校に行って、始業前の彼らをじっと観察していました。
ひとり大声でずっと泣いている子がいて、まわりの子どももあいつ泣いてるぞと言うようにはやし立てるので、ますます大声になるというような状態になっていたので、どうにも我慢できずにわたしはあやしに行きました。
手ごわい相手でなかなかなつきませんでしたが、最後には打ち解けてぐしゃぐしゃな顔のまま笑顔になったのが余計にいとおしく思えてしまいます。

翌朝も彼女を探して、すでに泣きそうな顔をしているところを一緒に遊び、最後には写真を撮ったりもしました。
しかし、もうわたしは出発するので明日以降彼女はもとの泣き虫に戻ってしまったかも知れません。
もしかしたら、そうして学校になじめないでいると、それなら家を助けるために学校をやめて自ら物売りになったりするのではないかと思いました。
Buy one for meの女の子たちが冷め切った歌声と、悲しげな眼をしていたのは、そういったことと関係があるような気もしてきました。
泣き虫少女と出会ってからはそれが気になって、彼女たちから何も買わなかったことを少し後悔もしました。

物売りは女性だけの商売でそれは子どもも変わりませんが、農作業は男女に関係なくみんながやっています。
小さな女の子が直射日光をものともせずに畑仕事している姿には胸が痛みます。
日本とは少し違う意味で、女性が少し不利益を被っている社会のように思えてきました。
さて、今日の作例は、ひと休みする農作業中少女です。
トレッキング中に見かけたのですが、かなり遠くからでも小さな少女が大人たちに混じって鍬をふるっているのが見え、ちょうど畑の真下に来た時に彼女が疲れたとばかり腰を降ろした時に撮影しました。
推定年齢11歳。
放課後から手伝いに合流したのだと思いますが、華奢で民族衣装姿の可愛らしい彼女は、農作業よりも友達と遊んでいる姿の方がずっと似合っています。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/30 Thu

伝統を考える

Grubb 20cmF3.5
作例の写真を見ても、これが何だかわかる人はまあいないでしょう。
まずがったのは、たまたま通りかかった牛が入り込んでしまったことで、これのせいで牛が臼を曳いているように見えてしまいますね。
答えは糸を紡いでいるところです。
背中の女性が植物の茎からこよって糸にしたものを継いでいって長い糸にして、巨大リールに巻き取っていっています。
あいさつすると笑顔をこちらに向けながらも、手は止めずにそのまま淡々と作業する様子は職人のようでした。

トレッキングコースにある観光用の施設なのかとも思ったのですが、そうではないとパオさんは言います。
別の家には滑車で木の棒を前後させる臼を曳いている女の子を見かけましたし、パオさんの家のそばでは大きな樽で布を濃紺に染める藍染をしているところも見せてもらいました。
いずれも誰かに見せるためではなく、あくまで生活のため、商売のために伝統的におこなっているとのことです。
どの家でもすべて行われている訳ではないようですが、少なくとも村単位では伝統が生活の中に残されていることを目の当たりにすることかできました。

高台で棚田を一望できる展望台のようなところがあって、そこには物売りの少女やらおばさんが多く陣取っていましたが、彼らは仲間同士でおしゃべりしながらも、先ほどの糸を使って器用に手を動かしながら縫物をしていました。
その完成品などを観光客に売っているのです。
普段みやげ物をほとんど買わないわたしがところどころで小さな入れ物や敷物などを買ってしまったのは、工場生産品ではなくそれら光景を見てきたことが理由です。
そういった背景を知らなければ売られているものはあまり面白くもないので、人に差し上げても受けそうにないのが残念です。

村では、石に彫刻した置物を製造販売しているところが何軒か見られました。
これはもともと伝統手工業ではなく、観光客が多く訪れることから地元で採れるやわらかい石を利用して商売に結び付けたということのようです。
彫刻のモチーフには伝統的な事柄や仏像、自然風景などを扱っていて、村と無縁のものだと言うことでもありません。
石が素材なので重たい荷物になるのでわたしは興味を持てませんでしたが、欧米人には一定の人気があるようでした。
木や竹を加工した道具や家具などを手作りしている民族なので、そのような技術でカップなどの食器や小物を作ってもらいたいですし、Tシャツが観光地風のものしか売られていなかったので彼ららしいデザインのものを何種類もつくれば確実に売れるのではと思いました。

また、歩いているときにイヌを絞めているところを目撃しました。
人によっては目を剥くような話かも知れませんが、ベトナムも中国や韓国同様に犬食を伝統的に行ってきた国です。
彼らの価値観からすれば、ウシやブタはよくてイヌを食べてはいけない理由は何なのか教えてほしいとなるでしょう。
むしろ、イヌに服を着せて話しかけたり自分たちの食事よりはるかに高価なペットフードを与えていることを知れば、その方がよほど尋常でないと彼らは主張するのではないかと思います。
日本の一部で行われている伝統的な漁業に対して避難している不快なグループにも同様のことを言いたくなります。
彼らがもともとの先住民の文化を破壊して国全体の支配者になった歴史をよく顧みるべきと教える必要があります。

日本の例といえば、わたしがヨーロッパに行っていたころ、しばしば日本では生の魚を食べるんだってと好奇心いっぱいに聞かれたものです。
インターネットがなかった20年前、日本を訪れる観光客はあまり多くなく、日本食レストランも大都市の一部を除いてそれほどなくて利用者もごく一部限られた人だけだった時代でした。
当時は、調理していない魚を生のまま食べるなんてと、口には出しませんが野蛮人扱いだったのではないかと思われます。
しかし、今や寿司や他の日本食は世界中に広まり、各国でもっともポピュラーな外国料理の地位を得ています。
犬食が世界で人気になるということはないでしょうが、理解が進んで偏見がなくなる日が来ることは期待します。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/29 Wed

起業諦めるも

Grubb 20cmF3.5
すでに帰国しているので、しばらく自宅から旅を振り返ってのブログ更新をしていく予定です。
中旬くらいにまたバンコクから旅を再開するまで、しばしの充電期間にしたいと思います。
帰国したらずっと暇になると考えていたのですが、日本社会の常識から考えれば確かに何もしてないも同然とは言え、それなりにやらなければいけないことだらけでかなりバタバタしています。
18日間も家を出てふらふらしていたのですから当たり前です。
アジアモードから切り替えて、少し気合を入れていかなくてはと思います。

中国からベトナムに入って最初に滞在したムオンコーン村は、期待に反して風光明美ではなく特徴のない地味なところでした。
ラオカイ近くにはそのあと訪れたサパと言う有名な村があって、過去に何度も写真を見てすばらしい景観だということを知っていました。
谷の集落は周りを棚田に囲まれ、さらに前方を見ると急峻な山があったり、渓流が流れていたり、そんな中を独特の華やかな衣装を身にまとった人々が素朴に生活を送っている、そんなイメージの写真です。
フオンが住む村もそんなところだろう、そうわたしは考えていたのでそのギャップが大きすぎたようです。

実を言えば、もし可能であれば日本を離れたところで何かできないかと考えていて、フオンの実家付近で小さなホテルでも開くことが可能かを確認するつもりでいました。
しかし、村に着いて間もなく、これは無理だと分かりました。
まず、このあたりはコメをほとんど作っておらず美しい棚田がないばかりか、当地の作物の主流であるパイナップル畑は樹木の色がなぜか人工的で、見た目が良くありません。
そして、村の人々はほとんど民族衣装を着用していないと言うのが、人を呼び込むには絶望的に思いました。
サパや周辺にある村にはモン族が暮らしていて、彼らは民族衣装に誇りを持っているのと大きな違いです。
家屋にも特徴がなく、お茶が特産と言う以外に名物と呼べそうなものもありません。
これらは、比較的都会であるラオカイから30分と至近にあることと関係あるのでしょう。

ゲストハウスをオープンして、フオンたちを雇用してあげようと言う計画は到着早々立ち消えになりました。
高原性の気候で日本より夏涼しく冬暖かい緑豊かな地でのんびり暮らすという考えも、少なくともこの地では夢と消えました。
もっとも地図を見ると、ムオンコーン村は案外と中国国境から近くて、中国側は国境警備の軍隊を手厚く布いているらしく、ベトナムと中国の関係がよろしくない現在ではあまりのんびりとは暮らせないところなのかも知れないですが。

ホテル経営のことはともかくとして、翌朝、フオンが連れて行ってくれた市場でわたしは少しホッとすることができました。
フオンの家の周囲を散策して、家族とともに食事して、泊めさせてもらっても、彼ら民族の特徴を見出せず、わたしが訪れた中国の漢族の農村と違いがないとまで言えるくらいでしたが、市場にはそれほど多くはなかったものの華やかな民族衣装を着た人を散見することができました。
彼女たちのほとんどがムオンコーンの村からさらに徒歩で何十分歩くとか一山超えたところに住んでいる人たちだとのことです。
ムオンコーンには2軒の商店がありラオカイの町までバスの便もありますが、民族衣装の女性が買い物をするのは週2回開かれる市以外に物を売り買いする機会などないようです。
そんなところに住んでいる人たちは、きっとムオンコーンとは違う伝統的な生活を続けているに違いないと想像できました。

中には作例の少女のように中学生なのに美しい民族衣装で着飾った女の子までいました。わたしは狂喜乱舞して撮影の依頼をしましたが、当然ながら言葉が通じません。
カメラを見せて撮らせてくれというジェスチャーをしたところかなり困惑していて、もしかしたらカメラを知らないのではと逆に不安になるくらいでした。
焦点距離200mmのレンズなので、全身を撮ろうとするとかなり後ずさりしなくてはなりませんが、少なくともわたしがそうした意味を彼女は理解してくれず、だいぶ離れたところで振り返ると立ち去ってしまっていて、また捕まえてそこにいてねということを分かってもらうのに苦労させられました。
しかし、あらためて彼女の笑顔を見ると、民族のプライドとそれを記録してもらう喜びに満ちているようで、苦労も報われたなあと言う思いになります。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/04/28 Tue

箱にサインを

Grubb 20cmF3.5
朝の航空機に乗った時点で、今回の旅も終了になります。
2月23日にスタートした世界一周を目指した旅は、間に休みを挟みながら今日で50日になりました。
一旦、所要を処理するために帰国し、準備を整えたうえでゴールデンウイーク明けには旅を再開させるつもりです。
バンコクから東京へはLCCのチケットを買うのがいちばん安上りのようです。
しかし、バンコクの旅行会社のサイトで格安航空券を探すと、LCCの往復プラス数千円程度でベトナム航空やキャセイ航空のチケットが入手できます。
ベトナム航空はハノイで11時間の乗り継ぎ時間があるので、その間に友達になった人たちと食事に行ってつかの間の再会を楽しむことができますが、ラウンジ利用やマイル積算などのメリットを考えてキャセイを購入しました。

キャセイだと香港経由になりますが、乗り継ぎ時間が5時間もあったので空港にずっといるのはやめて香港に入境します。
時間が短すぎるので今回は深圳に行くのは諦めて、久しぶりの香港街歩きをしてみることにしました。
香港から町中へは速いが高い空港快線という鉄道や2階建てバスが有名ですが、今回は貧乏旅行の延長で東涌までバスで地下鉄に乗り継いで向かってみました。
お昼近かったので、まずは6~7年前によく通ったソバ屋に行ってみることにします。
香港の中環にある店ですが、勘違いして隣の上環まで行ってしまったため、歩けど歩けど店が見つかりません。

しかし、午前中の香港島をさまよったおかげで、美女の撮影会に出くわして便乗で少々撮影させてもらいました。
さらにその近くでは、またしても映画撮影のロケをやっているではないですか。
本当に映画関係によく出合う旅です。
町中のロケには映画撮影中と書かれた車が停めてあって他の車を迂回するように警備が配置されていました。
日本なら警視庁の許可をとるのに時間がかかりそうですが、映画産業が町に根付いている香港では無許可でこのような撮影ができるのかも知れません。
どうして日本人と分かったのか、警備のスタッフに日本語でどうぞどうぞと道を通してもらいました。

作例は、その時に撮影したものですが、俳優らしき人が写っているものの知識が無くて名前不明です。
顔を拡大するとちょっと怖そうで、香港マフィアの役柄のように思われます。
それで思い出したのがもう6年も前のことですが、深圳にある日本の居酒屋チェーンに食事に行ったときに、香港の俳優、張耀楊さんがいてサインをもらったことがありました。
わたしは香港映画なんて全然知りませんが同行の女性がファンだったため、あの人は俳優だと言うので彼女のためにサインをもらってきたのです。
日本から来たものですというと、外国人にも認知されていると気を良くしたのか快くサインと握手に応じてくれたことが印象に残っています。
当時流行したインファナル・アフェアにも出演していたようですが、どの映画にもマフィアなどの役で出ているそうです。
悪役だから日本のブラック企業の居酒屋の深圳支店で食事していたのかも知れません。
香港のロケはともかく、大都会の深圳でなかなか香港の映画スターに会うなんてことはないでしょうから、その当時からわたしは映画付いていたということでしょう。

ようやく着いたソバ屋は昼時にぶつかってしまい行列ができていました。
オフィス街にあるので勤め人たちが昼休みにやってきているようですが、香港のソバは小さなどんぶりで大盛りなどと言うものもなく、あれ1杯で夜までもつのか不思議です。
わたしは以前同様に雲吞麺をオーダーして、おかわりするつもりでいましたが、一口食べて大いなる失望を味わいました。
雲吞に以前のような弾力に富んだぷりぷりの食感が失われていたからです。
ただ、わたしが魔法の調味料と呼んでいた秘製辣椒油は健在で、2~3滴垂らすとちょっと辛くなりますが、味が一気によくなります。
とは言え、雲吞が不発だったのでおかわりはせず、販売もしている秘製辣椒油の方を買って帰るにとどめました。

それから空港に戻るときにまずいことに気づきました。
購入した2瓶の辣椒油は液体ですので機内持ち込みできません。
わたしの航空券はバンコク-香港-羽田の往復で、トランクは搭乗券同様すでにバンコクで羽田までチェックイン済みです。
勝手に香港で空港外へ出て買ったものを香港にて追加で預けることは可能なのでしょうか。
わたしがキャセイ航空の上級会員になっていることと関係があるのか、答えは、可能、でした。
専用のボックスを持って来て梱包までしてくれ、わたしはその箱に名前を書き込むだけでした。
航空券は一般に高価なものですが、電子チケットになってありがたみがなくなりましたし、カウンターのチェックイン手続きも、呼ばれてからあいさつしてパスポートを手渡すだけ、係員は黙々とコンピューターに向かっていて印刷された搭乗券を手渡して好い旅をなどと言うだけで終了してしまいます。
何枚綴りもなっていて専門用語が書かれた航空券を手渡しして、1枚切り取られたそれをまた受け取る行為にありがたみを感じていましたが、わたしが専用のボックスにサインする作業はあの時代の手続きを懐かしく思い出させてくれました。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
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Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/04/27 Mon

ママと買い物に

Grubb 20cmF3.5
バスは予定より少々早い5時前にバンコク北部のバスターミナルに到着しました。
モーチット・バスターミナルというそうですが、もうちっと遅い時間に到着してくれればもうちっと寝られたのにと名前に不平を言います。
とは言え、今までの長距離バスの乗車体験中いちばんの乗り心地の良さで熟睡できたので10時間のバスはまったく苦痛ではありませんでした。
到着するバスが列をなして乗客を吐き出し、これから出発するバスの客引きが大声を張り上げと、こんな時間にもかかわらずターミナルは活気にあふれています。
ラマ4世の写真が入ったアクセサリーを手渡してくれた男性が、市街地行きの路線バスがあるからと教えてくれた通り、こんな時間でも公共交通機関が使えるのは助かりました。
すでに予約済みの安宿のある地名を告げると、何番のバスで途中乗り換えだと教えてくれます。
料金徴収に来た車掌に同じように告げると、乗り換えるところで教えるからと親切な対応でした。

バックパッカー向けの安宿はずいぶんと入り組んだところにあって、途中乗り換えた土地勘のあるタクシーでもなかなか見つかりませんでしたが、GPSを駆使してようやく到着することができました、
しかし、その宿は7時にならないとスタッフが来ないらしく、警備員と雑談したりして1時間も待つことになります。
7時きっかりに英語の流暢な青年が現れて手続きしてくれ、ちょうど1部屋空いているのでもう部屋に入っていいと言います。
宿のチェックイン時間は2時となっていましたが、バックパッカー向け宿だけにこういうところがフレキシブルです。
こんなに早く町中に出てもしようがないかとベッドの上で考えているうちに眠ってしまいました。

目を覚ますと9時でした。
今日が今回の旅の実質的な最終日で、翌朝6時半にまた日本に戻ることになっています。
バンコクではまったく予定はありませんが、バンビエンであった青年とはフェイスブックのやり取りで、市内を案内してもらうことになっていて、早速、到着したとメッセージを入れてからシャワーを浴びました。
部屋はツインルームですが、安宿だけにシャワー・トイレは共同です。
ただ、朝の中途半端な時間だからか2つあるシャワーはどちらも人影なく、真新しい施設は清潔で、快適に利用することができました。
シャワーから戻ると返信が届いていましたが、そこには、申し訳ないが、今日はママと買い物に行くのであなたを案内することができなくなったと書かれていました。
いかにもありがちな展開ですが、むしろ案内してもらった後に家で食事をなどとなって、弁護士一族の前で緊張の時間を過ごさなくてはいけないかもという心配がなくなったことを喜ぶことにしました。

ホテルを出てしばらく歩くと屋台があってドリアンが売られていました。
でかい鎧のような身をナタで器用に割ってパック詰めしている最中でしたが、いちばん安いのが100バーツでしたので、朝食にと購入しました。
最初の1個は美味しくいただいたものの、ドリアンはそうまとめて食べられるものではなく、2個食べるのが精いっぱいで、残りを持ち歩くわけにもいかず、店に返却しました。
大通りに出ると最初に来たバスに飛び乗ります。
行先不明ですが、車窓から景色を眺めつつ面白そうなところで下車して歩く作戦です。
テレビ番組でも似たようなものを最近見かけますが、旅行者が知らない町でよく使う手を参考にしたのでしょう。
もっともテレビ番組ではほとんどが下調べに基づいたヤラセなのだと思いますが。

路上にまで張り出した市場が見えたところが庶民的でおもしろそうで降りて散策開始すると、小運河に船が走っていました。
バンコクの船は未体験だったので乗ってみるとバンコクの中心付近まで一気に行きます。
こんな交通機関があったのですね。
暑かったのでデパートのカフェに入り涼んでいると、自分ではイケていると思っているのでしょうがわたしの眼には奇抜にしか見えないサイド高露出黒づくめファッションの美女を発見したので、撮影させてもらおうと後を追います。
外に出るといつの間にか激しい雨が降っていて女性はダッシュでタクシーに乗ってしまったのが残念でした。
暑いうえに雷雨で何をしていいかわからずにいるとマッサージ屋さんがあったのですが、市の中心部ということで先ほどの市場付近で見かけた店よりよりだいぶ高かったのでやめて、だったら市場方面へ戻ろうかとも思ってまた船に乗りましたが、どこから乗ったか忘れてしまっていてまた別のところをさまよいます。

去年来訪したときに宿をとったスクンビットというエリアに行くと、公園で音楽祭のようなイベントをやっていました。
高級マンションもあるところなので、そんな家から子供と遊びにきていると思われる身なりのいい家族連れが目立ちます。
作例は、やはり近くに住んでいるのではないかと思われる女性で、先ほど大物を逃していたので日本から来たカメラマンでバンコクの美女を撮影してますと必死で出鱈目を言って撮らせてもらいました。
そろそろ疲れて来たので、去年も利用したフットマッサージの店に入りました。
去年来たときは安かったとの記憶があってまた利用したのですが、再び来てみると料金はさきほどのデパートのそばの店よりさらに高かったので少々混乱しました。
値上げしたのかと思ったのですが、そうではなくて、長い旅をしているうちにわたしの金銭感覚の方が去年来た時とは違っていたということなのでしょう。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
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Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/04/26 Sun

タイ唯一の古鎮へ

Grubb 20cmF3.5
ここに書くのは恥ずかしいのですが、わたしは日程の計算違いをしていました。
ルアンプラバンに2泊、あるいは近郊の村に泊るつもりでいたのですが、すでに予約したバンコクから羽田への日付を見ると、今日にはラオスを出ないと航空券が紙くずになってしまうということに気づきました。
それが夜のことだったので宿の兄さんのミャー君に相談すると、タイのルーイ行きのバスを予約したので朝7時にここから出発するよう言われました。
普通朝7時出発だと荷物をまとめるくらいしかできることはなさそうなものですが、ルアンプラバンには去年も見ている有名な托鉢があります。
5時から6時まで行われるので、せめて見学に行こうと思いました。
前夜排水用の溝に足を落としてくるぶしを切って足が痛かったため、到着が大幅に遅れましたが、どうにか最後の一瞬だけ托鉢の様子を見ることができたという感じです。

7時きっかりにトゥクトゥクが迎えに来てバスターミナルへ連れて行ってくれました。
到着後、運転手は降りずに待っているようにと言いチケットを買っていたのですが、どうもおかしいと後で確認してみると、わたしが聞いた金額より500円ほどバス代は安いようです。
トゥクトゥク代はせいぜい100円でしょうから、残りがミャー君と運転手のコミッションになったというわけですね。
またバスの出発自体は8時とのことで、ずいぶんと待たされることになりました。
暇している間見学していると、ここからハノイ行きやビエンチャン行きの他、ディエンビエンフー行きや昆明行きなどというものもありました。
前夜、中国人を何人か見かけましたが、まさか彼らはバスで昆明から来たわけではないでしょう、ルアンプラバンには国際空港があるのですから。
いったいルアンプラバン発昆明行きって、どんか人が利用するのでしょうか。

バスは7割がた埋まっていましたが、西洋人はひとりも乗っておらず、韓国女子3人とわたし以外はタイ人のようです。
タイの東北部はイサーンと言いますが、イサーンにはラオスに親戚がいるという人が珍しくなく、バスやメコン川を渡る船で行き来するのはよくある光景だと教えてもらいました。
バスには車掌がふたりも乗っていていろいろと世話を焼いてくれるのですが、まずジュースとビスケットが配られたと思ったら、途中で寄るレストランの昼食もチケット代に含まれているからと、写真入りメニューを出してどれがいいか注文取りしていたのにはちょっと驚かされました。
このバスもご多分に漏れず、途中の町で乗車したり下車したりできるので、少しゆっくりな印象で、ルーイまでは10時間もかかるとのことです。
ラオスの出国審査は少し時間がかかりましたが、ハノイから入国したときのように1ドル出せとは言われず、やはりあれは胡散臭いものだったのだと確信させます。
ラオス出国審査が全員終わるとまたバスに乗りしばらく走ってタイの入国審査に向かいますが、ここのみ全員荷物を持たされてX戦による荷物検査も受けます。
麻薬類がこの検査で見破られるとも思えないので、銃器類をチェックしているのでしょうか。
もう沈静化していると思いますが、隣国ラオスやミャンマーでは武力行使している少数民族がいるということですので、このような措置をとっているのかも知れません。

ルーイはラオスに国境を接するタイ北部の町です。
ルアンプラバンからはチェンマイ行きのバスもあって西洋人はみなそちらに乗っていましたが、わたしがルーイを選んだのには理由があります。
以前、タイで古い街並みがあるようなところを探していて、チェンカーンというルーイ郊外の町があることを知りました。
バンコクから気軽に行けるところではなかったので、なかなか訪れるチャンスがなかっただけにルアンプラバンからルーイ行きがあると聞いて飛びついたのでした。
世話になった車掌に礼を言ってチェンカーン行きのバスはどこから乗るのか聞くと、バスは無いので、ソンテウという乗り合いトラックで行けとのことでした。
チェンカーンはタイ人の間では有名な観光地だと聞いていたのにバスもないと聞いて、逆に期待感が高まります。
ソンテウはちょうどすぐに出るところでやはり人を乗せたり降ろしたりがあるので、1時間ほどかかりましたが、同乗していた女子大生が場所を教えてくれたりしてどうにかたどり着きました。

到着が7時ころなので古い街並みは閑散としているかと思ったのですが、完全に観光地化した古い街並みのはずの通りは、ミニ鎌倉小町通りのように賑わっていました。
一瞬がっかりですが、よく見ると店の表示はほぼタイ語オンリーで、外国人がほとんどいないことが分かり、これは面白いと思いました。
中国を後にしてから、サパ、ハノイ、ビエンチャン、ルアンプラバンと外国人だらけで、バンビエンにいたっては韓国人ばっかりと言う状況でしたから、観光化しているといっても自国民だけというのは新鮮な印象です。
宿を探すべく英語が通じるカフェに入ってネット検索していると、そこには珍しく西洋人がいて、スウェーデンからもう何年も前にタイに来てどこだかのビーチでレストラン経営しているが、海がシーズンオフになったので旅しているとのことでした。
彼は、宿を探しているのならここへ泊ればと勧めてくれます。
てっきりカフェだと思っていたそこは、ゲストハウスも兼ねているということでした。

学生時代をアメリカに過ごしたという主人は、また驚くべきことに元映画プロデューサーで、まだ若いのにリタイアしてのんびり宿を始めたとのことです。
韓国で最初に訪れた地でドラマの撮影をしていて持参のペッツバールがスタッフに大うけし、ソウルではカメラマンのキムさんと会い、青島からの列車では隣が写真学校を受験する女子高生で、ウランバートルからの列車のコンパートメントでは内蒙古人の映画監督といっしょになり、タイでは映画プロデューサーの宿に泊まりというのですから、わたしの旅は写真や映画に縁があるということを言ったら、彼のガールフレンドはバンコク在住の日本人フォトグラファーだよと、縁をもうひとつ追加してくれました。
この宿、もともとベースになる家があって、それを手仕事で増築。改装していったともてユニークな外観をしています。
窓からはメコン川が見えて対岸はラオスとのことでした。
夜遅くなって雨が降ってきて主人は雨漏りするかもと気にしていましたが、雨は何ともなかったものの、蚊帳の中まで潜入してくる蚊に悩まされました。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
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Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/04/24 Fri

アベノミクスを英語で何と

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夜中に大騒ぎする声が聞こえて目覚めたりしたのですが、何かあったのでしょうか。
朝食時にあらためて宿の主人に聞くと、韓国人の若者たちが酔っぱらって3時頃大騒ぎしながら戻って来たので、叱責して静かにさせたそうです。
起こしてしまったとは申し訳ないと詫びられますが、あなたのせいではないし、恐らく騒いだ若者はこれから兵役に行くと言っていた連中だと思われるので、これから2年近く辛い訓練生活が待っているので、迷惑かけるのはいかがなものかと思うが、でも許してあげましょうなどと会話を交わしました。

ハノイのリーズナブルなホテルは予約サイトの評価を見ると、どんなに高評価の宿でも朝食の評価はぐんと下がるのに対して、この宿は朝食が絶賛されていたので期待していました。
3種ある中からわたしはパンケーキをチョイスしましたが、焼き立ての生地に何か練りこんであるのでしょうか、いままで食べたことのない味で確かに美味しくいただきました。
ハノイはどこも朝食がビュッフェで、これは高級ホテルを意識したのだと思いますが、いかにも作り置きの感じで不味く、この宿のようにひと手間かけたオリジナルの朝食で勝負した方がずっといいのにと思いました。
いや、高価なホテルだって1泊5万円するようなところは知りませんが、一般にビュッフェの朝食で旨いと思うようなところはないので、多くのホテルがこの小さなゲストハウスの朝食を見習ってほしいと思いました。
もっとも客室が100を超えれば、そんな細かいサービスはやってられないのでしょうが。

このゲストハウスでもルアンプラバン行きのバスが予約できるというので、他の看板を掲げている旅行社と価格比較してみましたが、まったく変わらないので手配をお願いしました。
ルアンプラバンまで5時間というので数本ある中から夕方着の1時発を選択すると、それまでブルーラグーンに行ってみてはと主人が勧めてくれました。
どうやら件の韓国で紹介されたいちばん人気の場所らしく、それこそ韓国のどこかの観光地のように韓国人だらけの心配がありましたが、それはそれで仕方ありません。
困ったのはマウンテンバイクを借りていくべきと聞いたのに、近くのレンタサイクル屋にはママチャリしかなかったことですが、これも仕方なしです。
ここでも12時に戻るからと料金交渉して少し負けてもらって出発します。
漕ぎ出すとバギーで同じ方向に向かう韓国人集団がいました。
バギー自体は面白い乗り物ですが、轟音と砂埃がすごいので静かなバンビエンにはふさわしいとは思えません。
バギーは専用コースで遊ぶとかしてもらいたいものだと思いますし、韓国人以外はみな自転車に乗っていたので、みな同じように考えていたと思います。

未舗装の緩やかなのぼりが続く10キロほどのブルーラグーンへの道をママチャリで行くのはつらいものがありました。
わたし以外見かける人はみなマウンテンバイクで、自転車のせいばかりではないでしょうが、何人かに追い越されていくのは情けない思いでした。
そんな中、前方にママチャリをとろとろと漕ぐ若いカップルを発見。
もうちょっといい自転車借りればよかったねと声をかけて、いっしょに走りました。
カナダ人のカップルですが、この後日本に2週間ほど滞在して帰国すると言うので、東京で落ち合う約束をしました。
わたしのペッツバールにも興味を持ってくれたので、ひげが立派な青年は着物とか着せて、帰国後ksmtさんに8×10で撮影してもらおうなどと考えました。
ブルーラグーンは小さな池ですが、水の鉱物成分の関係か不思議な色をたたえていて魅力的でした。
韓国の若者たちが騒ぎながら飛び込んだり泳いだりしているのがまた残念でした

バスと聞いていた車は9人乗りワゴンでした。
車がなかなかやってこないので、昨日のバスのように最後だと席が真ん中になると危惧していたとおり、最後尾の真ん中で両隣はドイツ人とフランス人。
最後列はよく見るともともと荷物置き場にシートを後付したもので、前の座席まで近く、大男がくっつくようにして3人並ぶとても厳しい環境でした。
車に9人乗りと書いてあるのに総勢12人乗っているねと指摘すると、みんな1、2と数えてから本当だ、うわーなどとあきれています。
ドイツ人の青年は、ギターを持っての旅で早々に音楽を聞き始めたので、わたしはフランス人と延々会話することになります。
最初のうちは旅のルートとか、コメの種類の説明とか、日常会話レベルでやり取りが成立していたのですが、彼がおもむろにフランス紙のタイ版を取り出して読んでいる中でアベノミクスの記事があると言って、アベノミクスとはなんだ説明してくれと言われたところから一気に雲行きが怪しくなり、全然説明できず逆にフランスでは右翼が盛り返していると聞いたがというような余計なことを話したところ、彼の説明が理解できずで、ついに相手にされなくなってしまいました。

車はずいぶんとろとろ走って6時頃ルアンプラバンに到着しましたが、もう少し時間を意識して運転してくれれば1時間以上短縮できるはずです。
ちょうど暗くなってからの到着なので、宿を予約していた韓国女子3人組を除いた全員が停車したところのゲストハウスに泊りました。
わたしは、隣に座っていたフランス人を誘って夕食に行くつもりだったのですが、それまでのやり取りであきれられていた上に、彼らがドミトリーを取る中でひとりシングルの部屋に行ったことで見限られたようで、以降彼の姿を見ることはありませんでした。
わたしは竜クンが宿泊すると言っていた宿を探し出したのですが、彼は6時のバスでビエンチャンに行ってしまったと聞きました。
とても残念ですが、彼は思い出の人と再会することはできなかったようです。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/23 Thu
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