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パレードを振り向かせるには

Dubroni 10cmF3.5
よこはまパレードより
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
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thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/05/09 Mon

重荷を背負って

Nokton 50mmF1.5
PCが不調で困りました。
タフな旅に備えて、ノートPCではひ弱なのではと考えて、キーボードが付けられる大きめのタブレットを購入したのですが、どうも思うように使えません。
当初、マイクロソフト・エアが欲しかったのですが容量の大きいものはとても高価だったので、同スペックが半額以下になるレノボ・ヨガを選択しました。
最初こそ好調でしたが、旅を続けるうちにあちこち問題がでてきます。
このPC、どうもあまり旅が好きではないようなのです。

長時間バッテリーがウリの機種でこの点はまったく問題ありません。
しかし、ブルートゥース経由で接続されるキーボードはときどき動かなくなり、設定画面から一旦削除して接続しなければならなくなります。
薄っぺらなキーボードながらタッチ感が秀逸で気に入っていただけに残念です。
また、長時間使用していると画面がホワイトアウトすることが多いのも困りものです。
これも再起動すれば問題なくなりますが、どうにかならないものでしょうか。
プリインストールされていたワードは、やはり長時間使用していると文字が消えていく怪現象が起こりあせりますが、これもその場で保存してから再起動するとおかしくなる直前の状態に戻るので問題とはしません。

バッテリー容量確保のために重たく設計されているのが難ですが、以上のようなトラブルがなければ、サイズが手ごろですし、リーズナブルに買えたのでお気に入りになっていたはずでした。
さらに最近になって、電源を入れても起動しないという問題が発生するようになりました。
なぜかPC修復画面になって、再起動をうながす画面に行き、また修復画面、再起動の繰り返しになってしまうのです。
何度やっても同じなので、壊れたと思って3日くらいほっといたら普通に起動するようになったので、いまはこうして入力ができています。
早く日本に連れて帰ってくれと言う抗議だったのでしょうか。

PCやカメラもそうですが、電子機器は動かなくなったらもうどうにもなりません。
長期の旅ですので、現地の修理屋に持ち込む手もありますが、言葉の通じない国では症状を説明するのに難儀しますし、修理代をかなりボラレそうで心配です。
今のところカメラは壊れていませんが、バッテリーを充電せずギリギリもったということは何度かありました。
カメラの使用頻度が日が進むにつれて減ったため、充電などもついつい忘れがちです。むかしは、旅にPCなんて持参しなかったのでそんな心配はなかったですし、カメラはライカだったので電子的故障ということはあり得なかったことを考えると、いまの旅は便利になったのか考えさせられるところです。


PCもカメラも携帯電話も故障しないまでも電池がなくなっただけで動かないですし、動かないということは旅している間は重石をもって移動しているようなものでばかばかしくなります。
修復と再起動を繰り返すPCをホテルのゴミ箱に何度放り棄ててやろうと思ったことか。
カメラも同様の事態になれば同じ感情が沸き起こるのでしょうが、カメラの場合はレンズを取り外してから捨てようとするだろうと自分の姿を想像すると、何だか滑稽な気がしてきます。

今日の作例は、チェンカーンの夕日です。
撮影枚数が極端に減っていましたし、ましてや風景的なものはあまり撮らないのですが、この美しさは記録に残したいと思いました。
夕日撮影スポットとして有名なのでしょう、大きな一眼レフを持ったタイの女の子が何人かいて、それぞれのポジションで機材を扱う姿が印象的でした。
タイもだいぶ変化して中間層のひとびとが一眼レフとかノートPC、スマートフォンを持つのは当たり前のことになったようです。
見ている限り、撮影技術に関してはどの子もわたしなどよりずっとレベルがずっと高そうに見えました。
タイも日本も写真については女性が先んじているような気がしました。
それでわたしも、手前にあったバナナの木にピントを合わせた無理やりなフレーミングで撮影して対抗したのですが、ペッツバールの使い方としてはあきらかに邪道です。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(4) | 2015/05/12 Tue

ビア・シンは普通だった

Grubb 20cmF3.5
昨日のビールの話は中途半端にベトナムとラオスで終わってしまいました。
東南アジアでよりメジャーなのはタイのビールなので、少しでも触れておかないと片手落ちです。
チェンカーンではローカル・ブリューワリーがあったのですが、あいにく飲むことができず、恐らくわずかに存在する地ビールを除くとタイにはビア・シン、ビア・チャン、ビア・レオの3種が存在するのみのようです。
値段は日本のように3社横並びではなく、書いた順番に高いのですが、味も人気もその順番のように感じました。
ビア・シンが350mL缶で160円くらいだったと思います。
さすがに100円以下のベトナムやラオスより少し高いです。

ビア・シンは外国ではシンハー・ビアで通っていますが、タイ語ではビア・シンになるらしく、この方が言葉の通じない相手にもオーダーできて確実です。
ビア・チャンのチャンとは象のことで、向かい合う象のロゴはマンチェスター・シティのスポンサーとして有名になりました。
ビア・レオのレオの意味は未確認ですが、レオ・メッシを連想させる名前なのでわたしはこれをよく飲んでいました。
もうひとつビア・クロイスターとかそんな名前のビールがあったと記憶しているのですが、なくなってしまったのか見かけませんでした。

タイに限らず東南アジアではどこでもそうですが、レストランなどでビールを頼むと一緒に氷が出てくるのが普通です。
ウィスキーのオンザロック用セットのように一揃いの氷が出てくることもあり、その場合は追加料金をとられるようです。
一般にはグラスに氷が入った状態でビールとともに出てきます。
ビアマグでがぶがぶ飲むのが好きだと言う向きには氷は邪魔ものでしかありませんが、現地の人はおおむね氷の入ったビールをちびちび飲みます。
当然、氷は少しずつ溶けるので、ビールを水割りで飲んでいるような感じになります。
また、コーラなどと同様にストロー付きでビールを出すところも多く、ビールをストローで飲む姿はタイの風物詩と言えるかも知れません。

そういえば、かつて何かの本で、ビア・シンは氷で飲み少しずつ濃度が薄まることを前提にアルコール度数が高く設定されていると読みました。
飲むと酔うのが早いのはそれが理由かと信じていたのですが、この度それを確認してみるとアルコール度数5度となっていました。
普通のビールと変わらない。
これはいったいどうしたことか、一般家庭に冷蔵庫が普及したので本来の味を楽しむために氷で飲むのは止めにしてくれと、アルコール度数を下げたのでしょうか。
それとも、ガセネタに踊らされて、わたしは勝手に酔っぱらっていたのか…。

もうひとつ、タイではメコンウイスキーという怪しい飲み物があったのですが、今回の旅では見つけられませんでした。
10年以上前のタイの旅で飲んだ時はアルコール度数の高い薬臭いお酒と言う印象でしたが、もしかしたら、飲み続けると健康上の問題があるとかで製造禁止になったのでしょうか。
それと、泡盛はわざわざ輸入したタイ米を原料にしてつくられていると聞きましたが、同様の酒はタイにないのかいつか探そうと考えていて今回もそれができなかったのが心残りです。

さて、今日の作例はチェンカーンのメコン川沿いで見つけたオープンバーのお嬢さんです。
さわやか風がたなびく川べりでのんびりビールが飲めて、こんな子の撮影までできて幸せいっぱいでした。
髪の色や雰囲気からアニメオタク少女なのかと思ったのですが、わたしはそちら方面不案内なので誰かの真似をしたものだとかよく分かりません。
ポーズを決めていた時の硬い雰囲気より、タイミングをずらしたこちらの表情の方が自然体でよかったので採用しましたが、むしろアニメっぽい不自然さの方をとるべきだったかも。
撮ってから気付いたのですが、店主のお兄さんが同じような髪をしていて、どうやらご夫婦だったようでした。
ちょっとお誘いしようかとも思ったのですが、彼女が英語ができなかったために却って難を逃れたのでした。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/05/10 Sun

未だに見つからない旅の理由

Grubb 20cmF3.5
ヨーロッパの旅をし始めた二十何年か前、よく、なぜ旅をするのか聞かれたものでした。
確固とした目的を持って旅していたわけではないので、これはなかなか答えにくい質問です。
音楽や教会建築、ワイン、サッカーなどが好きだったので、本物のそれらを楽しむためになどと真面目に考えて回答していたのですが、相手はともかく自分としてはどうもしっくり来ないような気がしていました。
なぜ山に登るかと聞かれてそこに山があるからというのと同様な名回答がないものかと考えてみることにしました。

そこで思い当たった回答が、次の文句でした。
人間誰しも日常の生活と言うものを持っているものだが、それが長く続くと非日常を手に入れたくなる、だから旅に出るのだ、と。
大した回答ではありませんが、そこに山があるからのように、質問者を煙に巻きつつ、一定程度納得してもらえるような、話の展開のとっかかりになっているとは思っていました。
そもそもが、非日常を求めての旅と言うのがいかにもありそうですから、少なくとも問題はないだろうと。

しかし、今回2月から長い旅を続けて気付いたのですが、この間わたしはまったく非日常など求めていませんでした。
旅のスタイルはこれまでと変わっていないのですから、今までの旅もきっと非日常を求めていたと言うのとは違うということでしょう。
毎日が仕事に忙しくて、本当にリラックスのためにリゾート地を訪れると言うのは、非日常を求める旅と言えるのかも知れませんが、わたしはそうではなかったということですね。
そこに山があるからをまねて、そこに行きたいところがあるからとすれば正しかったようです。

1ヶ月前後旅を続けていても、家に帰りたいと言う気持ちにならないことにも気付き、これもわたしにとってたいへん意外でした。
長く旅をしていると疲れるので、きっと帰国したくなるだろうと思ったのですが、実際には、旅の中で疲れを取れれば自然とそれで好しとしていました。
旅の期間が長くなれば状況は変わると思いますが、いったいどのくらい長くなれば、帰りたくなるものなのかはよく分かりません。
何かしたいことがあるからなどというのを除いて、旅に飽きたから、旅に疲れたからという理由で帰りたくなるとすれば、半年くらいがその期間なのかなあと漠然と考える程度です。

そんなことに思いを巡らせていたら、バンコクからの機内映画でたいへん面白いものを見たことを思い出しました。
インターステラーという映画で、人類滅亡の危機から救うために宇宙船で新しい惑星を目指すというストーリーのSFです。
乗組員はまた地球に戻りたいと思いつつも、人類の未来を考えてこれが片道切符になるだろうと半ば悟っていますが、主人公は残した娘との再会のために惑星をいち早く見つけてなんとしても帰還するんだと強い意志を持ち続けでいます。
ぜひ見ていただきたい映画なのでこれ以上の内容への言及は避けますが、映画の中の世界とは言え、帰ることができないかも知れない旅があることや、出発後なるべく早く帰りたいと思ってする旅があるということを気付かせてくれました。
旅の動機や旅しながら考えていることは千差万別で、そういったことまでを踏まえて、なぜ旅するのかの回答をもう一度考えてみなくてはいけないかも知れません。

さて、今日の作例はラオスの首都ビエンチャンの郊外に見つけたお寺での情景です。
ふたりの関係を想像すると、こんな感じでしょうか。
兄弟で兄は家を助けるために僧侶になる道を選んだが、それは弟を学校にやるためでもあった。
弟は、兄の自己犠牲をうすうす気付いており、けっしてそのことを口にはしないものの、できる限り寺を訪れ兄を心から慕っていることを懸命に伝える。
ふたりの心は信じ難いまでに力強い絆で結ばれるにいたる…。
いや、顔があまり似ていないのを見れば単なる友達じゃないかと思うがと言われれば、その通りかも知れませんし、カメラの前なので仲良しを装っただけかも知れません。
旅に出て、心揺さぶられる映画を見たりすると、妙に感傷的になって空想家になってしまうものなのですね
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/07 Thu

白いスーツの美女

Grubb 20cmF3.5
ノクトンともう1本持参したレンズはグラブのペッツバールレンズです。
長い旅をするときは荷物の心配をしますが、長旅のためにレンズをいつもの3本から2本に減らしています。
にも関わらず、わざわざこんなに大きくて重いレンズを選んだのは、元の木阿弥です。
ただ、せっかく持ってきたので、20cmという使いづらい焦点距離でもかなり積極的に使用してきましたし、そのために何度も人に声をかけてはポートレイトを撮影して元を取ろうと必死でした。

グラブ社はアイルランドにあった光学機器メーカーで、現在でも老舗として望遠鏡を製造しているそうです。
アイルランドの会社と言うとギネスとキルケニーくらいしか思い出せないわたしには、この国で歴史的レンズが製造されていたことが新鮮な驚きでした。
キングスレークの本にはグラフのアブラナートと言うメニスカス貼り合わせのいわゆるアクロマチックレンズが紹介されています。
このレンズは懸命に探して、推定90mmF11というスペックのものを入手しています。
歴史的レンズでしかもライカでも使えそうな短焦点という珍品が某オークションに出品されたのですが、出品者はその価値を知って高めのスタート価格だったものの、入札者は想像通り現れずにその価格のまま落札しました。

そのアプラナットは製造番号が245番となっていてたいへん古いレンズと分かります。
1850年代中ごろから後半くらいにつくられたいうことは間違いなさそうです。
実は、今回のペッツバールには800という興味深い番号が刻印されていました。
アプラナットの方はNo.の後に番号なので製造番号と分かりますが、ペッツバールの方は番号だけが入っていて、それが製造番号なのか何か別のことを意味するのか判然としません。
ksmtさんによれば、№2603のグラブレンズが1862年製造と言う例があるので800が製造番号だとすれば1850年代だろうが、1857年に始まるウォーターハウス絞りの溝がオリジナルと思われる状態で開いており、このあたりの年代の製造かも知れないと推測しています。

1850年代すでに高性能レンズを製造できるメーカーがあったとすれば、アイルランドは進んだ国だったということでしょうか。
正確に調べてみないと分かりませんが、オーストリアとフランス、イギリス以外でこの年代にペッツバールを製造できた国はなかったように思われます。
ブラウンシュバイクに工場を新設したフォクトレンダーを例外とすれば、シュタインハイル、ブッシュがペッツバールを製造開始するのはずっと後のことのようですし、あとはアメリカのハリスンがあるくらいでしょうか。

ダブリンとロンドンの間には高速船と急行列車で18世紀半ばには結ばれていたそうですが、ガラスはロンドンから供給されていたのではなく、自社で製造していたかも知れません。
こういった資料は極端に少なくて、確認が難しくなっています。
グラブのペッツバールレンズは製造数がかなり少なそうですので、現在の感覚からすれば部品を自社製造するよりは、どこかから調達してきた方がコスト面で助かりそうですが、もともと一点物の手作り品なので、コストがどうこうということではなかったのだろうと判断したいと思います。
グラブのレンズはすべてロスで作っていたから、ロスを持っていればグラブのを買う意味はないとなったら面白くないですし。

さて、今日の作例はサパのホテルに勤める美女です。
この女性が親切だったので、泊る予定のなかったサパに1泊してしまったといことはすでにどこかで書いたと思います。
25歳独身、ベジタリアンと言っていたのが少し気になりました。
彼女にはよく似た妹がいて、翌朝、彼女と間違えてしまい恥をかくところでした。
作例の彼女は妹ではないと思うのですが、もしかしたらそれも間違いだったとすれば、また恥の上塗りになってしまいかねません。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/05/05 Tue

他人の関係

Grubb 20cmF3.5
中国を旅している間は旅行者には滅多に会いませんでしたが、ベトナム、ラオスと進むにつれて非常に多くの旅人に出合いました。
国籍はさまざまで、すべての人に聞いたわけではないですが、ヨーロッパの人が圧倒的でしたし、旧宗主国であるフランス人の比率が高かったように感じました。
ヨーロッパ以外ではトレッキングでいっしょになったイスラエル人やラオスのバンビエンで少し会話したアルゼンチン人がいましたが、アフリカ人にはひとりも会わず、北アメリカの人もあまり見ませんでした。
ヨーロッパでインドシナ旅行が流行しているのかも知れません。

とは言っても、ヨーロッパ人をひとくくりにすることはできません。
彼らは傍から見ると同じような行動をして類型的に思えてしまいますが、ちょっと話をしてみると旅の目的とか感じ方とかさまざまで、国籍とか年齢を超えて彼らの個性のようなものが感じられました。
残念なのは何度も言っているようにわたしの語学力の問題で、彼らにしてみれば、日本人がどういう旅をして何を感じているか多少は興味があったはずですが、その期待に応えられるほどの会話はできませんでした。
唯一、カナダ人のカップルがラオス、タイと回った後日本に来るということで、メールをくれたのがいちばん深い交流になったというところです。

作例のふたりは、ホテルの野外のカフェでお茶を飲んでいるときにチェックアウトで出て来て、彼女のカメラがわたしと同じα7だったのでペッツバールを見せて撮影させてもらったものです。
彼女のカメラにレンズを付けてあげたら、よく写るのでアメイジングだを連発していました。
このふたりはバイクでハノイに向けて出発してしまいましたが、もともとは赤の他人だったそうです。
男性がサイゴンで中古のバイクを買ってひとりベトナムを北上している途中で彼女と出会い、いっしょに行動するようになったんだと言っていました。
彼はハートブレイクだと悲しい表情をするので、どうしたんだと聞くと必死にアプローチしているのに彼女はわたしを理解してくれないと肩を落としています。
今は彼女の心は旅に奪われているけど、帰国したら急に君のことを思い出すだろう、そしたらきっとうまくいくよ、と慰めの言葉をかけます。
ふたりはもう帰国しているのではないかと思いますが、わたしの言う通り進んでいるかどうか。

前にも書きましたが、旅の間、少なくとも中国昆明からタイのチェンカーンまで、日本人にはたったひとりにしか会いませんでした。
竜クンと言う青年でしたが、彼はわたし以上に激しい移動に耐えられる体質のようで、タイ、ミャンマー、タイ、カンボジア、ベトナム、ラオスそしてまたタイとかなりのエリアを短期間に旅していました。
多くの場面で夜行バスを使い、宿は1000円未満の安宿を泊まり歩いていたようです。
大学、大学院と中国やタイの留学生の友達がいて、言葉を教えてもらったりしたそうで、タイ語に近い言葉を話すラオスでは道を聞いたり、食堂でオーダーしたりするのに彼の語学力に大いに助けられました。
彼がやりとりするのを見ていたら、タイ語も中国語の影響を受けているのが分かり、わたしは性懲りもなくタイ語を学習してみたいと言う気にさせられました。

ラオスでは韓国人を多く見かけましたが、ハノイでも何度か遭遇して簡単に会話もしています。
平均的な韓国人の若者が話す英語はわたしのそれと似たり寄ったりなので、話がよく通じるのでついつい長話してしまうことがあります。
ヘイトスピーチの報道の影響で韓国の若者は日本人の多くが嫌韓だと誤解しているケースが多いそうです。
ラオスまで旅行するような若者は、世界や日本に関心を持っているのでそんなことはないと知っているのですが、逆に慰安婦問題で謝罪しろと大声を張り上げているのもごく一部の韓国右翼だそうで、お互いに極端な連中がクローズアップされることで印象を悪くし合っているのは愚かなことだと言う話も出たりしました。
日韓関係の悪化は両国首脳のせいだとの論調が強いですが、市民レベルでいえば扇動しているマスコミの方が悪いというのがわたしと話をした韓国人との共通認識でした。

昨年の西沙諸島の問題以降、ベトナムから中国人は撤退した感があります。
ハノイの友人ベトアン君は食品を扱う会社を起業したので、日本ではここ何年も中国から輸入した食べ物や野菜から農薬が出たとかいう話をしたところ、日本は中国をボイコットすべきと一言で切り捨てたのが印象に残りました。
一方でラオスやタイへの中国の企業進出は激しいものがあります。
同時に旅行者も急増しているようで、彼らはグループで行動していて大声なので遠くからでもすぐに分かりました。
バンコクでも見かけるのは中国人ばかりです。
繁華街を歩いていると大きな買い物袋やスーツケースで歩いているのは、みんな中国人旅行者でした。
中国人はみな日本に旅行して買い物してくれていると思っている向きがあるようですが、そんなことはなく、彼らを受け入れるあらゆる国のショッピングエリアで見つけることができます。
少し前まで中国で製造されたものが世界に拡散していたのに、今やそれが逆になっていると言うのです。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/03 Sun

ベトナム語に惨敗

Nokton 50mmF1.5
この旅に出る前、わたしはベトナム語学習本を買っていました。
英語もダメだと言うのにベトナム語を勉強しようとしていたとは、いま考えると恐ろしいことです。
先日も書きましたが、可能であればフオンの実家付近で小さなホテルでもやれないものかと密かに計画していたので、もしそういうことになれば現地語がまったくできなくてはどうにもならないと考えたからでした。
さらに彼ら少数民族の言葉も覚えなくてはと、少なくともその時は思案していたのですが、現地に着く前にすべて挫折してしまっていました。
言葉は簡単に身に付くものないということを以下に記そうと思います。

日常会話レベルですが、中国語をどうにかしゃべれるようになるとわたしの中国への旅は劇的に変わったと確信しています。
異文化の地を歩いていると疑問だらけで、それを放っておいたのがそれまでの旅でしたが、現地の人と言葉のやり取りができるようになるとその場で確認することができます。
その人も自分たちの言葉をしゃべる外国人と分かればわたしに興味を持つようになり、お互いの会話がつながっていきます。
かなり怪しいレベルの会話ですが、関心をもっている内容なので、繰り返し話をすることで自分の語学力が徐々に向上するのが分かります。
それを自覚するので、また次の機会にも中国を旅したくなります。
これを何というのか、デフレスパイラルの反対ということがわたしに起きていたのですね。

とはいっても同じようなことをベトナム語でできるかといえば、無理だろうともちろん自覚はしていました。
中国語の場合、共通の漢字を使っているからと言うとっかかりがありましたし、毎月中国に行かなくてはならないと言う個人的事情が後押しもしてくれていましたし。
ベトナムにはそういうところは一切なかったのですが、ハノイに2回目に訪れたときあることに気付いて、これはどうにかなるかも知れないと期待を抱くようになりました。
というのは、ハノイは河内(ホーネイ=中国語読み、以下同)、ホーチミンは胡志明(フーシミン)など中国語に発音が近いことは知っていましたが、ベトナム語は日本語と同様、関係の深かった中国から多くの言葉が伝わって来て、もともとあった自国の言葉と組み合わせるようにして言語が成立していると聞いたのです。

上に書いた例でいえば、「とはいっても同じようなことをベトナム語でできるかといえば」というところは大和言葉ばかりなので話になりませんが、「中国語の場合、共通の漢字を使っているからと言う」というところは中国語、共通、漢字という中国由来の単語が入っているので、これらは中国語の読み方が分かるため他の部分のみ覚えれば何とかなりそうと考えたのです。
ベトナム語も日本語と同じ程度に中国由来の単語が使われているとすればの話ですが、地名でハイフォンは海防(ハイファン)、ホイアンは会安(ホイアン)、ホアンキエムは還剣(ホアンチェン)ということをその時知って、これならいけるぞと来たいしました。
しかし、購入した学習本の巻末の辞書を見ると中国語由来と分かる単語は、家庭を意味するジャティンだけで他の100以上の単語はすべてベトナムで生まれた言葉のようでした。
これでは中国語を学んだことがあると言うわたしのアドバンテージは生きません。
それでも第一章の自己紹介のところだけでも覚えようとしましたが、惨敗に終わりました。
わたしには語学力と記憶力の両方が著しく欠如しているのです。

ベトナムは南北にえらく長い国で、やはり北と南ではだいぶ言葉が違うようで、わたしが買った本にはハノイの正統派ベトナム語を学べるなどと書かれていました。
南北にどういう差異があるのかは分かりませんが、地理的に見ると、中国と隣接する北部はより中国語の影響を受けているだろうと想像できて、それならわたしにも馴染みやすいはずなんだがと思わずいられません。
旅の途中で中国人に出合ったので話を聞くと、まさに隣接する広西壮族自治区から来てベトナム語を勉強しているとのことでしたが、中国語の普通話ではなく広西の言葉に似ているのでなじみやすいと言っていました。
そうだとすれば、わたしも広西に行って彼らの言葉を聞き取る練習をすれば、彼女と同様になじみやすいとなるかも知れません。
まあ、そんなに甘いことはないとは思いますが。

そういえば、サパなどの少数民族のエリアでは、日常の会話は彼ら民族の言葉で、学校ではベトナム語学習でテレビもベトナム語オンリーなので、子どものころからすでに2つの言語を身に付けなくてはなりません。
昨日の通り、女性が物売りをするようになれば、それに英語が加わります。
フオンのおばあさんのように高齢の人たちは、学校に行かず、ずっとテレビなどない暮らしをしていたので、ほぼベトナム語はできないそうです。
そんな事情は中国の少数民族とそっくりでした。
今までの話とはまったく関係ありませんが、作例は少年が田んぼで取って来たドジョウを通りかかった車に売ろうとしているシーンをたまたま撮影したものです。
車に乗っているのはたぶん少数民族ではなく彼らはベトナム語でやり取りしているようでした。
ドジョウが売れるかと固唾を飲んで見守りましたが、残念ながら取引は成立せずに車は行ってしまいました。
少年はさぞかし残念がっているのかと思いきや、慣れっこなのでしょう、まったく意に介することもなく隣に座る弟と何やら遊び始めました。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(1) | 2015/05/02 Sat

畑の天使たち

Grubb 20cmF3.5
ムオンコーンでもサパでもそうでしたが、ベトナム少数民族の子どもはよく働くなあと感心させられました。
サパに到着したとき物売りの子どもたちに次から次へと囲まれましたが、小学校低学年くらいの女の子もけっこういます。
その日は日曜だったので、学校が休みだから子どもがいっぱいいるんだよと地元の人は言っていましたが、翌日トレッキングに出掛けたときも午前中から何人もの小学生物売りたちに遭遇しました。
彼らは、”Buy one for me”と数人で声を揃えて物悲しい声で歌っていましたが、その美声を活かして合唱団を結成して教会でコンサートを開いた方が、より高収入を得られるのではと余計なアドバイスをしたくなります。
トレッキングする人に対して子どもの数が多すぎるからです。

トレッキングの最中は農作業する子どもを多く見ました。
これは家の仕事を手伝っているということなのでしょう、親たちからしてみれば、家事をやらせている感覚で、当たり前のことだと考えているのではと感じました。
子どもにとって体力をつけたり健康面でのプラスになるということはあるかも知れません。
また、いずれ自分たちが主体になって農業を継ぐのですから仕事を覚えるということもあるでしょうし、両親が一生懸命に働いている姿を間近にすれば、親子の関係も良くなるということがありそうです。
しかし、物売りが子どもであることをそれこそウリにして大人より稼げる可能性が多少なりとも高まるのに対して、農作業の方は小さければ小さいほど不利であることは言うまでもありません。

わたしには子どもの人権がどうだとか、そういう話はできません。
しかし、やはり子どもたちから教育を受ける機会を奪うのは残念なことだとは思います。
少なくとも小中学校は学費がタダだと聞いたので、教科書代とかその他いろいろと費用はかかるのかも知れませんが、小学校までは出してあげられないものでしょうか。
ほとんどの家庭が専業農家ですので、現金収入はわずかだということであれば、それさえも厳しいのだろうかと考えざるを得ません。

サパでは、ガイドをしてくれたパオさんの家に2泊したのですが、家のすぐ隣が小学校で、それこそ遊びまわる子どもたちがパオさんの家にまで入り込んでくるくらい、小さな子どもを間近に見る環境でした。
小学校は村の入り口近くなので観光客も多く訪れていて、西洋人の家族連れや若者たちがどのような授業をしているのかと熱心に見ている姿をよく目撃もしました。
わたしも朝は子どもたちの歓声に導かれるように徒歩10秒の学校に行って、始業前の彼らをじっと観察していました。
ひとり大声でずっと泣いている子がいて、まわりの子どももあいつ泣いてるぞと言うようにはやし立てるので、ますます大声になるというような状態になっていたので、どうにも我慢できずにわたしはあやしに行きました。
手ごわい相手でなかなかなつきませんでしたが、最後には打ち解けてぐしゃぐしゃな顔のまま笑顔になったのが余計にいとおしく思えてしまいます。

翌朝も彼女を探して、すでに泣きそうな顔をしているところを一緒に遊び、最後には写真を撮ったりもしました。
しかし、もうわたしは出発するので明日以降彼女はもとの泣き虫に戻ってしまったかも知れません。
もしかしたら、そうして学校になじめないでいると、それなら家を助けるために学校をやめて自ら物売りになったりするのではないかと思いました。
Buy one for meの女の子たちが冷め切った歌声と、悲しげな眼をしていたのは、そういったことと関係があるような気もしてきました。
泣き虫少女と出会ってからはそれが気になって、彼女たちから何も買わなかったことを少し後悔もしました。

物売りは女性だけの商売でそれは子どもも変わりませんが、農作業は男女に関係なくみんながやっています。
小さな女の子が直射日光をものともせずに畑仕事している姿には胸が痛みます。
日本とは少し違う意味で、女性が少し不利益を被っている社会のように思えてきました。
さて、今日の作例は、ひと休みする農作業中少女です。
トレッキング中に見かけたのですが、かなり遠くからでも小さな少女が大人たちに混じって鍬をふるっているのが見え、ちょうど畑の真下に来た時に彼女が疲れたとばかり腰を降ろした時に撮影しました。
推定年齢11歳。
放課後から手伝いに合流したのだと思いますが、華奢で民族衣装姿の可愛らしい彼女は、農作業よりも友達と遊んでいる姿の方がずっと似合っています。
【Alpha7/Grubb 20cmF3.5 F3.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Grubb 20cmF3.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/30 Thu
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