人生で大切なものはいつも目に見えない

C.C.Harrison 14cmF4
昨日は韓国雑記でしたので、今日はモンゴルにいたします。
ベトナムについては1分間の滞在でしたので、今回は何も書きません。
モンゴルで悩まされたことが3つあって、ひとつは零下20度の寒さ、続いて気の強い国民性なのか何度かそれによってイヤな思いをしたこと、最後がこれは昨日と同じになってしまいますが、ことばの問題でした。
今後、世界一周を続けていけるとすれば、この言葉の問題はずっとついてまわるはずで、わたしの語学力を向上させるのは不可能なので、対処法等を考えなくてはと少しずつ思い始めています。
少なくとも通るであろうスペインと中南米のためにスペイン語を即席勉強する必要性は強く感じます。

わたしは始めて行く国では入国後すぐに言葉を教わるようにしています。
と言っても、こんにちは、ありがとう、すみません、さようならの4つだけです。
とにかくこの4つだけでもしゃべれないと、その国に個人で行ったという気持ちになれません。
小学校の頃ですから大昔の話ですが、世界のこんにちはが書かれた下敷きを持っているクラスメートがいて、その中にはニーハオとかブエナスタルデスとかあったのだろうと思いますが、私たちがこれは面白いと受けたのが、ドーブロエー・ウートローでした。
小学校時代、まさか自分が生涯に海外旅行する機会があろうとは夢にも思っていませんでしたので、どこの国の言葉とか完全に忘れましたが、それはその下敷きがプラッシーのお客さん向けのものだったということと共に頭のどこかに記憶されたままだったようです。
と言うのは、それから20年以上経ってマケドニアを訪れたとき、現地の人はハロー的なあいさつをドゥブローと言っていたのですが、これこそまさにドーブロエ・ウートローに関係あるに違いないと小学校の記憶が雷鳴のように蘇ったからでした。
そんなことがあったからという訳ではありませんが、とりあえず現地言葉のあいさつは覚えて使ってみる。
10回くらい言えば、ひとりくらいは自分たちの言葉であいさつしてくれたと嬉しく思ってくれる人もいるはずで、そうすればわたしの目的は達成されるという程度ですが、そんなことを必ず実践しています。

中国からモンゴルの国境ではわたしたちを乗せた車の出国審査に時間がかかり、ヒマを持て余したわたしは早速、あいさつを教えてくれとノートを差し出しました。
モンゴル語の表記は、もともとは独自のものがあったのですが、利便性のためか現在ではロシア語のキリル文字を使用しています。
ロシア語表記は英語と同じものもありますが、違うものの方が多く知識が無いと半分も発音が分かりません。
サッカーの本田選手がモスクワでプレイしていたとき彼の名前の表記がХондаだったことを記憶している人はいるでしょう。

わたしは第3外国語にロシア語を取っていたので、読み方は何となく覚えていたりしてモンゴル語のキリル表記に対応できると思ったのですが、同じ車で移動した青年が書いてくれた文字に言葉を失いました。
検索してみると正しいモンゴル語は下記のようになるそうです(カッコ内はわたしの耳に聞こえた発音)。
・こんにちは Сайн байна уу? Sain baina uu サェン バイノー (サイン バイヌオー)
・ありがとう Баярлалаа Bayarlalaa バヤルラー (バイエラア)
・すみません Уучлаарай Uuchlaarai ウーチラーライ (オーチュラレー)
・さようなら Баяртай Bayartai バヤルタイ (バエスタイー)
ところが、彼が書いてくれた綴りには、аやУのような母音が1個か2個ずつ多くなっています。
たぶん母音の数分長く伸ばして発音するのだと思いますが、簡単なあいさつの単語はаやУがいっぱい並んだ長いものになっていてとても覚えられません。
カタカナでルビをふってみましたが、わたしの耳は上に書いたものとだいぶ違っているのも、今となっては苦笑するしかありません。

結局、こんにちはのサイン・バイヌオーすら覚えられず、サイン…何だっけ?のようになってしまい、一度も相手に通じませんでした。
こんにちはのミャンマー語はミンガラーバ、ラオス語はサバイディー、ベトナム語はシンチャオで、これらはそれぞれ当地で多用しましたので、忘れようと思っても忘れることができません。
逆に、日本語を知らない外国人も、コンニチハやサヨナラはパッと言える人がけっこういるのは、発音しやすいからだと思われます。
それぞれ今日は、左様ならとも表記されますが、漢字からは意味が伝わらないのは、もともと意味がなく発音しやすさ重視して作られた言葉だからではないかと考えらますし、タイ語のサワディーはまさにそういう理由で作られた言葉だと聞いたことがあります。
それら単語とは発生が違うことが、モンゴル語のあいさつ単語の聞き取りにくさ、覚えにくさから感じたことでした。

発音が聞き取りにくいモンゴル語ですが、何度か聞いているうちにわたしにはあることに気付き、さらにモンゴル語を聞いているうちにそれが確信に変わりました。
それは、GMOクリック証券のCMで、日本新の女の子が枯れた草原のようなところをバックパック姿で歩きながら、現地の老人と言葉のやり取りをするのが、モンゴルだということでした。
もともとこのCMを見ていてどこなのか気になっていたのですが、モンゴルに着いてその疑問が氷解したのです。
確認のためPCでユーチューブを再生し、ホテルの受付で見てもらいました。
ところが、受付の女性は何を言っているか分からない、モンゴル語ではない、うん、これはドイツ語だと言いました。
残念ながらわたしの耳は節穴だったようで、モンゴル語ではありませんでした。
いくら節穴でもドイツ語でないことは分かりますし、わたしはどこか旧ソ連か東欧の小国ではないかと判断しました。
この女性も適当なことを言うものです。
しかし、いま調べてみると、正解はスウェーデン語なのだそうです。
スウェーデンなら旧ソ連や東欧よりよほどドイツに近い言葉でしょう。
ホテルの受付にいるのでドイツ語を耳にしたことがあって彼女はドイツ語が似ていると判断したのであって、彼女の耳は少なくともわたしよりはずっと優れているということが、今、分かったのでした。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
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C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/08 Wed

間違い探し

C.C.Harrison 14cmF4
その後中国に長時間滞在したことを考えると、韓国の滞在が短すぎたかと後悔しています。
韓国には友人が留学していて遊びに行ったこともあって、10回以上渡航したことがありました。
また、最初の旅行が、学生最後の春休みに大韓航空で行ったヨーロッパだったので、韓国が最初に見た外国ですし、日韓ワールドカップでは日本でのチケットが入手困難で韓国で準々決勝を2試合観戦して韓国の盛り上がりを目の当たりにしました。
そんなゆかりのある韓国は、わたしの印象では日本より物価が3~4割安くて、日本と似て非なる独自の文化を味わえる旅先としてお気に入りの地です。
それが為替レートの変動の影響もあって、今回の滞在では日本より物価が高いということに気付いて気持ちが離れてしまい、先を急ぐかたちになりました。

今まではソウルばかりに滞在していて、東京とそう変わらない快適の中に過ごしてきましたが、昨年、釜山から地方を訪れたことでやはり田舎の方が面白いと感じました。
わたしの中国での旅のスタイルが田舎志向ですが、以前、ヨーロッパに行っていたときにすでにそれは確立していて、毎回、レンタカーを利用してあちこち旅していました。
その時からの悩みは、田舎へ行けば行くほど言葉が通じなくなることでした。
ヨーロッパで言えば、ドイツはどうにかなりましたが、フランス、イタリアではかなり厳しく、スペインや東欧では絶望的でした。
そんな中でカタルーニャで知り合ったダヴィドは語学堪能だったため、いろいろと頼ってしまい、そのことでよき友人になりました。

一方でデンマーク、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク等の人は年齢や場所関係なくみな英語をしゃべれた印象です。
人口の少ない国では、英語ができないと他国でコミュニケーションできないからなのだと実感しました。
中国人が英語を覚えないのは当然で、人口がずっと少ない韓国は英語教育が熱心で、英語がよく通じる国だと思っていましたし、実際、ソウルではその通りでした。
しかし、前回の慶州、今回の順天と地方の町に行くと全然英語をしゃべれる人に会いませんでした。
これが中国なら筆談とか漢字を見ればある程度の意味が分かるものですし、ヨーロッパ各国でもアルファベット表記で発音するくらいはできそうなものなのに、韓国ではまったく八方ふさがりでした。

楽安のバス停で順天に戻るバスの時間を調べたかったのですが、読めるのは時刻だけで、空く数ある路線でどれが順天駅行きか分かりません。
通りかかったおじさんに聞きましたがステーションという単語すら通じず断念。
続いて来た20歳前後の若者はステーションを理解して、ノーとは言いましたが、ではどれがステーション行きかと聞いても韓国語であれこれ説明するばかりでまったく何を言っているか分かりませんでした。
そのやり取りを見ていたようで、トラックのおじさんが、「スンチョン・ヨク?」かと聞いてきて、そういえば韓国語の駅はヨクというのだったかと思いだし、ネー、ネーと返すと、そのトラックで幹線道路まで乗っけてくれて、ここから乗れば駅に行けるというような言葉を残して去って行きました。
果たしてバスはすぐにやって来て、20分後には順天駅でソウル行きの韓国新幹線のチケットを入手します。

おじさんの年代は分かりませんが、少なくとも今の50歳以下の世代は中学、高校と英語を勉強していたと言います。
30年も前のことならさっぱり忘れてしまっても仕方ないと思いますが、20代の若者もこうもしゃべれないものでしょうか。
わたしだって今も片言レベルで人のことをいうような立場にはないですが、中学や高校の時に米兵らとと会話したことはありめちゃくちゃなことを言っていたと思うのですが、意志を通じさせる程度のことはできたと思います。
ダヴィドが来日した時、何度か周囲の人に切符の買い方や道順を聞いたときに、きっちり説明してもらったらしく、日本では言葉が通じるのも魅力だと言っていたことを思い出しました。
もし、彼が日本の田舎に行くと言葉が通じなくなって、わたしのように嘆いていたのかが気になります。
政府主導で外国人観光客を増やすキャンペーンをやっていてそのために何が必要かなどの議論がありますが、少なくとも国民の語学力が上がらなければ外国人のおもてなしに差し障りあるということは聞いたことがないので、観光局でも日本国民の語学力は一定レベルにあると評価しているのでしょう。
道案内程度なら最低限の語学力で十分ですので、わたしもそれでよいと思います。

さて、今日の作例ですが、楽安で韓国ドラマの撮影をやっていて、終了後に俳優陣(エキストラ?)が三々五々岐路につくところを撮影しました。
古写真っぽいのに、よく見ると7つの間違いのように、ダウンジャケットを着ている人がいたり、冷蔵庫が見えていたリガ面白いというところを狙っています。
そういえば、わたしが見物したのは、だいぶ前に作例を出した美少女が木の上で助けを求めるようなシーンで、彼女はチャン・ジャン・ピというアイドルだと聞いたのですが、タイトルの「華政」で検索すると、豪華出演者と名前が列挙されているのに、彼女の名前が出てきません。
名前の聞き違いでしょうか。
そういえば、彼女が歩いているとき、可愛いですね、写真撮ってもいい? と英語で聞いたのですが、はぁ? という顔をされるばかりでした。
すぐさま付き人が、ごめんなさい、写真はダメなんですと英語で返してくれましたが、これだけ英語が通じないというのは、彼らの方の責任ではなく、わたしの発音がひどいからなのだろうと考えざるを得ません。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
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C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/07 Tue

同化とアイデンティティと

C.C.Harrison 14cmF4
今回の1ヶ月の旅の間に出会った少数民族は、蒙古族、回族、彝族、納西族、白族、チベット人等の皆さんで、それら以外にも見かけたけれども気付かなかった民族の方もいるといっぱいいると思います。
モンゴルにも西にはカザフ族がいて主に遊牧生活をしているが鷹匠になる人もいると、つい先日のNHKで放送していました。
中国のことで言えば、昨日も書いたようにそこに仕事あれば漢族ありで、もともとはその民族だけだった土地にも漢族がどしどし入植して、一概にここは何族と括りづらくなっていますが、概して西側に少数民族の拠点があると言って間違いありません。
交通不便な山岳地帯に居住するケースが多いですが、もともと今の江西省あたりから追い立てられて安全な居場所として定着したケースもあって、山の斜面に暮らしているから孤立してしまったんだという風には一概には言えなさそうです。

例えば、広域の大理市には上述の蒙古族以外は居住しているのですが、外観で違いを指摘することは困難です。
回族のみイスラム信仰なので男性は白い帽子を女性はスカーフをそれぞれ被っているので見分けがつきますが、他の民族は民族衣装を見てもわたしには違いを言い当てることは困難です。
今日の作例の女の子たちは白族で16日前に出した女の子は納西族ですが、衣装のデザインがだいぶ違うのでこれなら判別可能と思われるかも知れません。
しかし、子どもはたまたまこの2組が民族衣装を着ていましたが、それ以外に民族衣装を着ていたのはおばあさんと呼べるような年齢の人たちばかりです。
彼女たちも日本人同様、一定の年齢になるとデザインが黒を基調にしたかなり地味なものに変わります。
そうなると
民族ごとに微妙なデザインの違いはあるかもしれませんが、ほとんど黒っぽい衣装をまとってしまうと、少なくともわたしにはみな同じに見えてしまい判別不能となります。

これらは普段着の民族衣装で盛装はもっと特徴が出るのだと思われます。
民族衣装図鑑のような本では、納西族と白族と彝族ではどこをとっても違う服を着ているからです。
この本の衣装をざっと暗記していざ現地入りしたら絶望的な気持ちになるでしょう。
また、地域差というのも顕著にあるようで、西昌あたりで目撃した彝族は巨大な帽子をかぶっていたので、石屏の彝族の女の子に写真を見せたら、こんなのは見たこともないと言っていました。
ついでに言うと、彝族には独自の文字があって、それは絵が変化して漢字になるその過程くらいにありそうな、言ってみれば絵と漢字の中間のような文字で、道路標識などに漢字、アルファベット表記と並んで記載があります。
出会った彝族の何人もの人に聞きましたが、その文字が読める人がいなかったばかりか、あれわたしたちの文字だったんですかと言って驚く人がいたのには、わたしまで驚かされました。
一時期チベット人が弾圧されていることを示すのに、学校での教育は北京語が使われ、チベット語を話すことを禁止するなどチベット文化を抹殺しようとしているということを聞きました。
これはチベットに限らずということなのかも知れません。

彼ら少数民族の言語は互いにまったく違うので、互いにコミュニケーションを取るときは北京語が使われます。
スペイン人、イタリア人、ポルトガル人はそれぞれが自国語を話したとしても相互にコミュニケーション可能だと聞いたことがありますが、例えば、ほとんど同じエリアに住んでいるといえる納西族と白族の言葉が単語も文法もまったく違うというのは面白いと思います。
しかし、一般に火車とか電脳とか新しい言葉などは、自民族の言葉で新たに言葉を作らずに北京語の単語をそのまま拝借するようです。
また、ほとんどの民族が名前も北京語による中国名を名乗ります。

テレビを付ければ基本的にはすべて北京語で放送されているので北京語の上達は早いのでしょうが、心配なのはその民族の言葉が廃れてしまわないかということです。
辞書だってないでしょうし。
家族の会話はすべて民族の言葉なので大丈夫と聞いても不安は拭えませんでしたが、考えてみれば日本でも普段は共通語を話しているのに、実家から電話が来ると土地の言葉をなんでもなくしゃべるのは普通のことです。
日本の方言にも辞書はありませんが、消滅の危機ということもないでしょうから、中国の少数民族の言葉をわたしが心配するのは大きなお世話だということになりそうです。

詳細はよく分かりませんが、少数民族に対する漢族の差別は厳しいものがあると聞いたことがあります。
開発に伴う立ち退きの保証金に大きな差があったり、就職に制限があったといったことですが、以前訪れた瑶族の一家は地方政府が補助すると言いながらそれがわずかなため生活が厳しく肉を1ヶ月も食べていないと語ったことを思い出しました。
ロサンゼルスオリンピックの体操で活躍した李寧のことをわたしはよく覚えていますが、彼は漢族ではなく壮族で、そのことをずっと伏せて活躍していたそうです。
今でも彼が少数民族の出自だということと知らないといういう人がほとんどでした。
もっとも、むしろ外国人はよく知っているが、国内では情報コントロールされていて知らされていないということはこれに限ったことではないですが。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
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C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(4) | 2015/04/06 Mon

トランクひとつだけで

C.C.Harrison 14cmF4
作例は馬車ですが、交通手段シリーズで馬車ということではありません。
ここ1年でも、マニラ、バガン(ミャンマー)、大理で馬車を見ましたが、交通手段ではなく観光用でしたし、何しろわたしは乗ったことがありません。
今日は、旅のアイテムについて雑記いたします。

まずはカバンからですが、オールドスタイルの世界一周旅行をイメージしているところがあったので、いつもの車輪が付いたスーツケースをやめてトランクを持って行くことを検討しました。
現地で捨ててもいいようなボロトランクを古道具屋で探したのですが、トランクはブタ革を使っていてとても重く諦めました。
しかし、紙製の軽量トランクがあることを思い出しました。
イギリスのグローブトロッターの古いヤツですが、これはヤフオクなどで見つかるものの2万円以上して高すぎでした。
イギリスのeBayでは安いのがいくつもありますが、送料だけで1万円してしまいます。
そんなセラーの中に洋服もいろいろ一緒に売っていて、わたしの体に合うBossのジャケットを2000円ほどで出品していた人がいたので、5000円程度のグローブトロッターといっしょに購入しました。
締めておよそ17000円。
ジャケットはクリーニングに出したら新品同様とは言わないもののかなりきれいで、中古で同様のものを日本で探せば10000円はするでしょう。
そうするとトランク代は7000円ということになり、これなら貧乏旅行の相棒として許容できる価格帯です。

グローブトロッターは老舗なのでご存じの方も多いと思いますが、紙製と言っても特殊なファイバー加工がしてあって、象が踏んでも壊れないと戦前から宣伝していた、日本の筆箱メーカーを先行していた会社です。
飴に降られると融けてなくなるなどと言うことはなさそうです。
大きさは機内持込みサイズよりふた回りくらい大きいもので、そのまま荷物を詰めると中でぐちゃぐちゃになりそうなので、高さを合わせた小さな段ボール箱2つを中に入れて仕切りにし、1週間分の下着と靴下、シャツ等の衣類を詰めました。
シャツは4枚で、うち2枚は普通の人なら捨てている10年以上のポロシャツです。
この2枚は旅の後半に別れを告げて捨てています。
というのは、途中から気候が春に転じたのでコートが不要になりトランクに入れたらパンパンになってしまったからです。
ゴムで固定する折り畳みキャスターを買って途中使っていましたが、小さくて引いている最中に何度も足にあたるので不要だったかと思います。
それと石屏でテロリストとの誤解を受けたのは、ボロいトランクだったため爆弾を仕込んであると疑われたのかも知れません。

カメラやパスポート、PCなどを入れたカバンも長年愛用しているf64のカメラ用トートバッグで、これも途中からファスナーがバカになってしまうボロでした。
サイドのペットボトルを仕舞うポケットもゴムが伸びきって、よくペットボトルを落としましたが、それ以外は長年使ってきた勝手知ったる旅の道連れです。
心配なのはf64のバッグにはアメリカ国旗の小さなタグが付いていることで、中東に入るとこれを理由に誘拐されたり越されたりすることがあるかも知れません。
まだまだイスラム圏は先なので、破れてしまうまではしばらく使い続けるつもりでいます。

永旅で重要なのはカバンより靴でしょう。
わたしは長年ビルケンシュトックのコンフォートシューズやサンダルを愛用しています。
特にコンフォートシューズはフットベッドと言われる靴底の凹凸が適度な刺激で心地よく、つま先の広がりも指の負担軽減になっていて長く歩いて疲れない靴であると信頼しています。
長年旅で履いている革靴を今回も使用しましたが、ホテルでスリッパのようにかかとをつぶして履いていたのが原因でその部分が切れてしまいました。
しかし、修理屋さんにもちこむとわずか60円で直してもらえました。
靴に関しては安いのを履きつぶして買い替えるより、自分に合うものを直しながら履き続けるのが良いと確信しています。

最後に、今回の旅で役立った小物のベスト3です。
第3位は、平凡ですがスマートフォン。
わたしのは050電話のSIMカードに替えているので、日本からの電話も受けられるし、こちらからかけても日本国内と同じ料金で済んでしまいます。
長旅なのでところどころ用事があり、何度か電話に助けられました。
第2位はマスクです。
多くは書けませんが、トイレの汚い中国ではマスクは必需品で、鼻を密閉できるようなしっかりしたワイヤーの付いた医療用がお薦めです。
第1位はわたしの場合は圧倒的にイヤホンです。
音楽を聴くために待って行ったインナーイヤータイプのもので、耳に当たるシリコン部分を低反発ウレタンのものに取り換えてあります。
これがわたしの耳にフィットしてかなり外部音をシャットアウトしてくれました。
わたしのイヤホンの使い方は、夜寝るとき音楽を聴くためではなく耳栓代わりに使用したのです。
市販のイヤープラグはいつの間にか耳から外れていることが多く悩みだったのですが、イヤホンがわたしを助けてくれました。
途中で騒音に起こされることなく熟睡できたのが、昼間、あまり疲れずに行動する力になったと考えています。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
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C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/04 Sat

超難読麺

C.C.Harrison 14cmF4
今日は麺のことについて書こうと思います。
あらかじめ断らなければいけないのは、麺という漢字の本来の意味は小麦でつくった食品と言うような意味です。
ですから、中国では小麦を使用していない日本そばやビーフンなどは綿ではなく、逆に餃子は麺として扱われます。
ただし、ヌードル状の綿と餃子がいっしょでは、食べる方もどちらか分からないので、通常、麺といえば狭義に小麦のヌードルのことを差しますし、イタリアのパスタに長いのや短いのがあるのと同様のものが中国にもありますので、長いものだよと限定させたいときは麺条という言い方をします。

南方で主流の米で作るヌードルは紛と呼びます。
米紛ということが多いですが、米線と呼ばれるものもあり、どういう違いがあるのか分かりません。
米紛は太めの日本のラーメンの綿くらいの太さで、さらに太い紛はうどんににています。
米では技術的に難しいのか、うどんのようにコシのある紛を食べたことがなく、多くはちょっと噛むとぶつんぶつんと切れてしまって個人的には食感がもの足りません。
粉で有名なのは桂林米紛と雲南の過橋米線ですが、申し訳ないですが、わたしは両方とも好きではなくほとんど食べたことがありません。

桂林米紛の例のとおり、麺や粉は地域ごとに特色があってこれを見つけて食べるのは、中国旅の楽しみひとつになります。
これには関しては心強書籍があって、確か前にも紹介したことがあったかと思うのですが、坂本一敏さんの「誰も知らない中国拉麺之路」という本がたいへん参考になります。
これは新書でページ数が限られていますので、より体型的な中国麺のガイドのようなかたちのものも出版いただけないかと、坂本さんにはリクエストしたいのですが。

この本は数度読み返していますが、その中でも印象に残っていたビャンビャン麺というのがありました。
ビャンというのは両手で持って麺を延ばすときに出る音に由来するという説があるとのことですが、その字がすごいのです。
しんにょうのつくりの方を解体すると、ウ、ハ、月、糸、言、糸、伐、長、馬、長、心に分かれる64画もある字で、中国サイトで検索してもこの字は登録されていないためbiangbiang面と表記されています。
本には陝西省の咸陽のローカルなものと書かれていましたが、西安でたまたま見つけました。
店頭でデモンストレーションをしていて蘭州拉麺かと思ってみたのですが、めずらしく若い女性が作っているので撮影しました。
しかし、拉麺とは全然違うものを作っていて何だろうと思ったら店の看板に、上に書いたあの難しい字が書かれていて、本にあった麺だと分かりました。
昼を食べたばかりでしたが、思わず入店して食べてみました。
たぶん美味しかったのだろうと思いますが、よく覚えていません。
ただ、20元もする高いもので、観光客用のものだということだけは記憶に刻まれました。
本物のbiangbiang麺を食べたければ咸陽を訪れるべきだとも。

それ以外に食べた日本でいうところの麺を列挙します。
・北京の炸酱面
 韓国でもバリエーションのジャージャンミョンを食べていたが、タレが甘いので主食ではなくおやつの感覚です。
西安の涼紛
 ホテルのおばさんに勧められてピカピカのファーストフード店のような涼紛店に行くと朝から行列で、確かにこれは旨かった。
・重慶の雑酱面
 四川や重慶では担担麺と並んでメジャーで、味の傾向が似ていますが、汁ありとなしがあるのもそっくり。
・平楽の奶湯麺
 成都郊外の古鎮の名物のようであちこちで見つけたので食べましたが、牛乳を使っている訳ではなく牛乳のように白いスープの綿という意味とのことでした。
・西来の芝麻甜水麺
 平楽から遠くないもうひとつの古鎮ですがこちらには奶湯麺は一切なく、この店を見つけたのですが、ゴマの甘い麺という名前にも関わらず皿の下には麻辣味のスープが入っていて、甘いのと辛いのを混ぜて食べる不思議な綿でした。
・平地の涼麺
 涼麺はどこにでもあるおやつのようなものですが、時期的な関係でなかなか見つからなくて、ようやく平地であった時にはおかわりしてしまいました。
・鶴慶の把肉餌丝
 餌丝というのは米から特殊技術(?)で作る外はもちもち中はコシありの新食感ヌードルで、鶏ガラと野菜を煮込んだ超濃厚スープで食べる絶品です。
・鶴慶の名もなき麺紛
 4種類の麺と紛を客の好みで組み合わせて、辛酸っぱい不思議なタレをかけて食べるものですが、意外に旨かった。

麺粉の店はかならずどこにでもあって、安く美味しいので、上記以外にも毎日麺類は食べています。
どれも実際に美味しいものですが、わたしのお気に入りは圧倒的に鶴慶の把肉餌丝で、それも鶴翔園という店のものに限ります。
近くの麗江周辺では7月に松茸が食べられると聞きましたので、この2つを目当てにまた訪問したいと考えています。
それとは別に、今回のランダムな訪問地でも多くの種類の麺が食べられたように、下調べと現地情報に基づいた麺紀行ができないかも検討中です。
また、世界一周を再開するにあたっても、各国の麺類探求にこだわりたいと思います。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
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C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/03 Fri

なぜに立ったままなのか

C.C.Harrison 14cmF4
今日は食の話をしたいと思うのですが、巨大中国の食については簡単に語り切ることはできませんし、誤解も覚悟で経験談的に少々書きたいと思います。、
まずは、中国人はなぜか立ったまま食事ができるというを取り上げます。
日本やヨーロッパには立ち飲みをする場所がありますが、わたしは食べるのも飲むのも立ったままと言うのはイヤです。
むかし見た映画の影響で、ホテルの部屋のベッドに寝たままルームサービスの朝食を食べたいという夢を持っていますが、寝ながら食べるのは許しますが、やはり立ったまま食べたいとは思いません。
なぜ彼らは立った姿勢で箸を器用に使って食事するのか、謎を解明できないままです。

10年以上前、深圳で知り合った友達が勤めている会社に招いてくれたことがありました。
コンピューターの能力を活かして転職したのですが、そこは深圳の郊外にある工場の事務所で工場の前を通って行ったのですが、6時頃だったため若い工員たちが50人ほど制服姿のままで食事していました。
その50人すべてが社食の何とか丼のような食べ物を立ったまま黙々と食べていたのです。
わたしは中国を何回か旅行して九寨溝とか貴州省の棚田とかタクラマカン砂漠とかすばらしい風景はいくつも見ていますが、もっとも忘れられないのは、圧倒的に50人の若者たちが同じ服装で立ったまま食事しているその光景でした。
その時、写真を撮っていれば何かの写真コンテストで優勝するようなものになっていたでしょうし、光景に驚愕するわたしの表情を撮っても、準優勝くらいしたのではないか、そんな迫力があったのです。

レストランはもちろんボロい食堂でも立って食事する人なんていません。
なぜか勤務先とか自宅で食事をするときに中国人で立ったまま食事するケースがあるようです。
あのときも制服なのでどこかに腰を下ろして食事すればいいだけの話なのに、全員が痔で悩んでいるかのごとく立ったまま食べている理由が謎でした。
今回、重慶に近い古鎮で女の子が立ったまま食事しているのを見て、謎が解けたとは言えませんが、ヒントになるようなことが分かったような気がします。
幼い子供はイスに腰掛けてもテーブルの高さに追いつかないし、いろいろなおかずを食べるのではなくひとつの茶碗に混ぜご飯のようにするので、立ったまま食べた方が都合がよいし、それが習慣化するのではないかと思ったのです。
都会のマンション暮らし家庭なら幼児用のイスを買えばいいところですが、田舎ではそういう発想にならず、両親が出稼ぎに出ていて祖父母が面倒を見ているので、自分たちのやり方で食事させるのも立ち食い文化が根付くことに貢献させているように思いました。
この説を持って、次回、中国訪問の際に聞いてみようと思いますが、彼らは同意してくれますでしょうか。

もうひとつは辛い料理の話題です。
四川料理が辛いということは日本人でも知っていますが、四川省の場合は辣椒(唐辛子)プラス花椒(中国山椒とか言われるらしい)の辛さで、この花椒は口の中が痺れてくるものでわたしは苦手なのですが、辛いものが好きな中国人も花椒を抜いてと言うのをよく聞きます。
作例を見ながら疑問に感じるのは、四川省・重慶市の人は何歳くらいから花椒を食べ始めるのだろうかということでした。
辣椒の辛さは未就学児童でも耐えられるだろうし、段階的に辛くすれば問題ないように思いますが、花椒の痺れる辛さを小さな子どもに食べさせたら危険なのではと感じるのです。
もしかしたら四川省政府が子どもの食事に対する花椒の与え方のようなガイドラインを作っているのではないかと思うのですが、これについても質問しないといけないと思っています。

ちなみに日本の中国料理で有名な麻婆豆腐、回鍋肉、青椒肉丝などはみな四川料理ですが、これは日本に中国料理を伝えた人が四川出身だったことによると聞きます。
上記は、青椒肉丝以外は花椒たっぷりの痺れる料理ですが、日本ではもちん花椒を入れるようなことはまずはないので、同様に辛いが花椒を食べない湖南料理、雲南料理、貴州料理との区別がつきません。
じゃあ湖南料理と雲南料理との違いは何だと聞かれても、いくつかの料理名を言えるだけで、その定義付けがわたしにはできないので、四川との違いだけを云々するのはおかしなことになります。

辣椒をよく食べる地域の人たちは、他の地域で辛いものを食べないということをよく知っているので、麺類の店や食堂などではしばしば辣椒を入れるかと聞いてきます。
わたしはもともと辛いものは得意ではなかったのですが、何度か食べているうちに辛さが病みつきになって来ましたので、麺屋なら入れてくれと返事しますし、コミュニケーションがとりやすいような食堂だと、現地人が食べるのと同じように調理して欲しいとお願いします。
この返事はだいたい受けてくれるし、出て来た料理は本格的に辛くなります。
それを食べることによって、また次の食事でも辛いものが欲しくなってしまうのです。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
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C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/04/02 Thu

中国巴士有限公司

C.C.Harrison 14cmF4
昨日が船のことを書きましたので、交通機関つながりでバスのことに言及することにします。
この旅では、奈良、釜山、順天、ウランバートルなどでもバスを利用していますが、今日はもっぱら中国のバスのことに限定することにしましょう。
中国では最近になって急速に高速鉄道網を延伸させてますし、日本で見る春節のニュースではごった返す駅と鉄道で移動する様子が映し出されるのが常なので、鉄道が主要な交通機関だと思われがちです。
しかし、同じように高速道路網が発達し、国土の広さを隅々までいきわたらせるためにはまだまだバスの方がはるかに主力であって、バスを避けていては中国を旅行することはできないと言えます。

バスは大きく中長距離バスと路線バスに分けられますが、中長距離バスはもとより市内の路線バスのようなものにも乗ることができないと移動がタクシーばかりになってしまい、長旅では無駄にお金を使うことになりかねません。
路線バスは一票制と呼ばれる一律料金の場合と区間ごとに運賃設定されている場合があって、主に前者はワンマンバスで、後者では車掌が乗っています。
車掌がいると行き先の相談ができたりするのでよそ者にはありがたいのですが、車掌はだいたい女性で相手が外国人と分かるととても親切に対応してくれることが多く、助けられたことが何度もありました。
そういえば、雲南省の田舎の路線バスで車内に料金表が貼られていたのですが、バス停が40くらいあって、そのバス停名が縦横にすべて書かれた表は巨大で壮観でしたが、外部の人があの表から乗車と下車のバス停を探している間に乗り過ごしてしまいそうです。

さて作例は、四川省西部の泸沽の町から郊外の河辺村までのバスですが、今回の旅で乗車したバスの中で一番のボロでした。
いつ発車するのか聞いたところ、河辺からのバスが到着したらというので、いつ到着するのかと聞き返すと分からないとの返事でした。
乗客は車内で携帯をいじったり、編み物をしていたり呑気なものです。
中国のバスシステムはちょっとアメリカの航空網と似たところがあります。
例えば成都から西昌に大型バスに乗り、西昌から泸沽に小型のバスに乗り換え、さらに泸沽から河辺に作例のバスに乗るというのが、成都が大きなハブで、西昌は州レベルの大きな空港、泸沽に来るとローカルな空港ということになるからです。

紀行文中でも書いたことがありましたが、中国のバスはフレキシブルなことがあるのが楽しいと思います。
例えば、高速を走る直行バスでも、高速の出口やサービスエリアで下車できてしまうのですが、考えてみれば日本でも高速バスは同様のところにバス停が設定されていたりするので、これは中国独自とはいえないかも知れません。
もうひとつは、高速道路の入り口で乗車できることですが、これとは別の面白いシステムがあります。
バスターミナルを出発したバスが外に出たとたん、すぐそばから何人も乗って来ることがあるのです。
恐らく、バス会社はバスターミナルで売れたチケット分のキックバックを払わなくてはならず、ターミナルの外から乗る人には多少割引しているのではないかと思われます。
バスの出発がその分若干遅れるし、空いていた隣の席に人が乗ってきたりで迷惑な仕組みなのですが、こんなのを見てどういうことだろうかなどと考えたりするのが、旅の楽しみの一つになってしまったりするのです。

寝台バスのことにも触れないわけにはいきません。
北京からモンゴル国境の二連浩特までその寝台バスを利用しましたが、これがたいへんな地獄でした。
バスの内部には通常の座席が無く、鉄枠の二段ベッドが縦三列になって並んでいて、わたしは最悪の中央列冗談でした。
そしてすぐ後ろが仲良しおっさんグループで、乗車時には白酒をしこたま飲んでいて酒臭いうえに、それ以上に奴らの足が生ゴミのような強烈な異臭を放っていて、それがわたしの頭のすぐ後ろにある状態ですので呼吸もできないほどきついものでした。
しかし、幸いにもマスクを持参していたので鼻部分のワイヤーをきつく鼻に密着させることで、どうにか眠ることはできました。
ところが、夜中に目覚めると掛け布団と枕が下に落下してしまっていて、とても寒いのですが、それを取りに降りて行く気力が湧かずに十としていました。
たぶんウランバートルの寒さではなく、このことが原因で風邪をひいたのではないかと思います。
それでも布団ではなく本人が落下するよりはマシなので仕方なしとしましたが、これを教訓に、以降、寝台バスと思われるバスの切符を買うときは下段と指定して買うことにしました。

以前はまったくなかったのですが、中距離以上のバスに乗るとシートベルトを締めるよう指示するようになりました。
事故が少なくないということを裏付けていそうですが、中国での安全への意識が変化していることを示しているとも言えそうです。
これはウランバートルへ向かう乗合タクシーの中で日本語堪能のチンジュルク君から聞いたのですが、モンゴルでは経済好況で車を買う人が増えていますが、中国車を選ぶ人は皆無なのだそうです。
理由は、平原のような道なき道を走るケースも多いモンゴルでは、車のサスペンションに負荷が強くかかるので、ここがしっかりした車を選ぶからだとのこと。
そうです、中国ではバスもタクシーも中国内で製造された車が走っていますが、みな足回りがへたってしまっていて乗り心地がすこぶる悪いのです。
中国でバスに乗るためには、まず最初にそれに慣れる必要があるとアドバイスすることにいたしましょう。
【Alpha7/Raptar50mmF1.5】
thema:ペッツバール genre:写真
C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(2) | 2015/03/29 Sun

美人は美人

C.C.Harrison 14cmF4
昨日、これは世界一周なのだと宣言しましたが、何度か帰国して寸断されるような旅を世界一周とは呼ばない、という批判があるのは間違いないと思います。
それこそ世界には世界一周するような猛者は掃いて捨てるほどいて、そのほぼすべてが1回の旅行で世界一周を完結させます。
ただ、期間についてはさまざまで、半年以上1年未満という人がほとんどだと思いますが、1ヶ月とかなかには1週間という人も少なくありません。
どういうことかと言えば、世界一周航空券と言うのがあり、そうでなくてもLCCが発達したいまの世界では、各地で格安航空を乗り継げば1週間の休暇で世界一周ができてしまうのです。

かく言うわたしもだいぶ昔に、世界一周航空券による世界一周を経験したことがあります。
当時、日本発のノーマル航空券は世界一高いと言われていたのですが、お隣韓国はその半額近い安さだったので、成田から韓へ飛び、ソウル、バンコク、アムステルダム、ミラノ、デトロイト、東京というルートの世界一周を達成しました。
社会人になってからのことなので、休みは10日ほどしかなく、ソウルとバンコクは1拍ずつで、アムステルダムは乗り継ぎのみ、ミラノには6泊くらい、さらにはデトロイトは乗り継ぎの6~7時間を町歩きに使っただけというかなりの駆け足での世界一周でした。
日程的にはイタリアの地方をレンタカーでまわる、ヨーロッパ旅行にアジアとアメリカ経由で遠回りしたということに過ぎません。
デトロイトはカナダのウインザーという町に隣接しているのでそこまで足を延ばしましたが、世界一周で訪れた国は、韓国、タイ、イタリア、サンマリノ(イタリアの中にあるミニ国家)、アメリカ、カナダと6ヶ国にもなるので、いちおう世界一周っぽいとは言っていいのではないでしょうか。

飛行機でポンポンと飛んで1週間で戻って来ても世界一周だといえるのなら、なるべく飛行機は使わないが、日程の限界まで先に進み、そこからは一旦帰国して、次の日程でその続きを再開するという方が、より世界一周的なような気が私にはします。
前述の通り、先の世界一周は世界を地域ごとに見てやろうという気持ちは一切なく、ルートが世界一周的だったということすぎないからです。
かなり以前のことですが、リアカーを引いて世界一周した日本人がいて話題になりましたし、自転車やバイクで世界一周したという人はもうかなりの数に上るはずです。
リアカーの世界一周は自転車よりたいへんですし、自転車はバイクよりも体力がいりますが、リアカーの人が自転車なんて楽してそんなものは世界一周ではないとか、自転車の人がバイクの人に向かって動力を使う旅は反則で準世界一周だとか言うことはないでしょう。
月一の世界一周も反則すれすれ化も知れませんが、るやはり世界一周なんだと胸を張りたいと思います。

1ヶ月ごとに東京へ戻るということは、そのたびに航空券を購入する必要があり、費用面ではバカになりません。
バンコクから東京への往復航空券は4万円ていどでありますが、今後、離れるにしたがって航空券代は上がって行くでしょう。
しかし、原油価格が下がったために燃油サーチャージもだいぶ安くなりました。
また、以前から貯めて来た航空会社のマイレッジがそこそこ貯まっているということもありますので、そこはうまく活用して費用を抑えたいと思います。

逆に、1ヶ月ごとに戻る意外なメリットがあることに先日気付きました。
今回持参したレンズは、ハリスンのペッツバールとウォーレンサックのオシロスコープ用レンズの転用です。
ペッツバール時代のアメリカには、ハリスンとホームズ、ブース&ヘイドンズという2大レンズメーカーがあって、ホームズのレンズは先に入手して高性能に驚いていましたが、ハリスンはそれ以上の性能と言われています。
またウォーレンサックの方は、以前に何度か使ってたいへんシャープなレンズであることを確認済みです。
ところが、両レンズとも解像度の低いレンズで、今回使ってみると、まったくよくないのです。
ハリスンは他のシャープなペッツバールに比べてだいぶ甘く、長焦点甘口ペッツバールを使うとピントがよく見えなくて困ってしまいますし、ウォーレンサックは改造ではなくコントラストでシャープに見えるタイプのレンズで、わたしの嫌いなタイプのレンズと判明しましたし、35mmフルサイズで激しい歪曲が騙し絵のようです。
どちらもイヤになりましたが、これが半年の世界一周だとすれば、ずっと使い続けるしかないところ、1ヶ月で戻るので選手交代を命じることができるのです。
次は、何を持って行くか考えるという愉しみもできるというおまけ付です。

さて、今日の作例も京都からになります。
4人は顔立ちも着物の柄もそれぞれ違っていてもみな美女であることに変わりないというのを、どんなスタイルでは世界一周であるということの象徴に見立てています。
そういえば、世界一周に出るという話したところ、ksmtさんから、ぜひ美女の写真をいっぱいアップしてくださいと依頼されていました。
しかし、韓国、中国、モンゴルとほとんど美人ポートレイトを撮っていませんし、ましてや審美眼の達者なksmtさんを満足させられるものは皆無です。
それを埋め合わせるとしたら、4人の美女が写ったこの作例しかないと思いました。
もっとも京都はksmtさんの庭のようなものです。
今後、挽回していかなければいけません。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
thema:ペッツバール genre:写真
C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(2) | 2015/03/27 Fri

終わったのではなく始まり

C.C.Harrison 14cmF4
1ヶ月の旅から戻って、生活ももとに戻ったかといえば、実はそうではありません。
旅は終わったのではなく、始まったところなのです、といえば妙に聞こえるかも知れませんが、冗談で言っている訳でもないのです。
日本を出発して韓国を経由して中国入りし、モンゴルに立ち寄りふたたび中国へ、さらにベトナムに向ってから再々度の中国と言うルートが分かりにくくさせていますが、わたしは、いま、世界一周に挑戦しているところなのです。


とにかく西へ西へと進み、それもなるべく陸路で、陸路がなければ航路、それもなければ航空機もやむなし。
ルートについてはあまり下調べせず、通過しそうな国でビザが必要か、それは国境で取れるのかあるいは事前に大使館に行かねばならないのか、その程度のことだけ確認しておいて、あとは地図を見ながらあまりのんびりしない程度に進んで行こうという旅です。
イスラム圏やウクライナなど紛争状態の国々がありますし、アフリカ諸国中南米には治安が悪いとか外国人旅行者をターゲットにした犯罪がしばしば起こると言われるエリアがありますので、そういうところはもちろん予備知識として認識しながら避けなくてはなりません。
他にも細かくは制約があるでしょうが、それはさておいて、少々の体の衰えを感じ始めている今のうちを逃しては、こんなことは一生できないだろうと急遽思い立ってそんなことを始めてしまいました。

諸事情あって仕事を辞めてしまったので時間はありますが、長期間働かずに優雅な旅をするゆとりはありません。
また、1ヶ月に1度程度、これも事情があって帰国しなければなりません。
どんなルートを取るかは決めずに進みますが、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、北米、南米、オーストラリアと南極を除いて6つの大陸というか地域というかがある中で、これらをすべて通るように進みたいとは考えました。
するとかなり駆け足でも最低半年は必要になるだろうと思われました。
しかし、つい先日中国でやったように3日連続で夜行列車に揺られるというのは嫌ですし、行く先々でその国や市民を知るような時間も取らないといけません。
1年まではかけないつもりですが、トータル8ヶ月、10ヶ月という期間になってしまうような気がします。

そんなことを思いながら旅を具体化しようとすると、1ヶ月に1度帰国のための日程をまず決めて、次にその町から東京行きの往復航空券を買って戻って来ることを考えて、そのエリアの大都市まで日程内で到達するということにしなければいけないと思いました。
できれば完全に自由な旅であればそれに越したことはないですし、自由度が高いほどよいという考えは変わりませんが、このくらいの制約は致し方ないでしょう。
1回目は約1ヶ月、肩慣らし程度に中国を廻り、途中で日本行きの航空券を買うかたちをとりました。

中国を西に向いシルクロードに沿うルートは魅力的でしたが、新疆の問題があって、外国人が入境できるか不透明だったことで諦め、これは最初から気乗りしませんでしたが、モンゴルからロシア、カザフスタン、ウズベキスタンと中央アジアの平原を行くルートはあまりの寒さで断念しました。
やはり楽なのは、南下して東南アジアから南アジア方面を目指すルートのようです。
再来週には昆明に戻って旅を再開しますが、次回、東京行きのフライトに搭乗する地としてはバンコクあたりが無難だろうと検討しています。
その先はどうなるのかまったく考えていませんが、進むにつれて酷暑の地域に進んでいくのでしょうから、体力的な不安が頭をよぎります。

さて、作例ですが、世界一周の最初の寄り道の京都で撮影した可愛らしい女の子です。
見返り美人ポーズが決まっています。
もうひとりも美少女だったのですが、オリジナルのポーズをリクエストすると八坂の塔ポーズをしてくれたものの、残念ながらシリアスなわたしのブログには似合わないものでした。
お願いしておきながら申し訳なかったです…。
旅の最初の写真も舞妓さんでしたが、美人を取り上げたいというのが趣旨ではなく、あくまでその国や地域を代表するような伝統的な衣装を撮影することで、そのことを伝えたいという気持ちからた゜ということは強調しておきます。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
thema:ペッツバール genre:写真
C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(2) | 2015/03/26 Thu

帰還命令

C.C.Harrison 14cmF4
昨夜は石屏に泊る選択肢もありましたが、昆明に戻ってきて宿泊しました。
石屏のホテルで寝ているところを警官がどかどかと入って来て、やはりお前はテロリストだったかと逮捕される心配があったからではなく、今日の3時の便で香港経由で帰国するので、事故や道路事情で乗り遅れるのを心配したからでした。
バスは7時台まであったので、その切符を買い、ゆっくり向かいの食堂で夕食をとりました。
2軒の食堂が並んでいてどちらにするか迷いましたが、1軒は六妹飯店という名前だったのでそちらに決定しました。
妹という字には文字通りのいもうとという意味もありますが、単に女性とか若い女性を意味する場合の方が多くあります。
6人の若い女性が経営している食堂なんて楽しそうというのが選択の理由です。
それは正解でした。
6人のうち5人は残念ながら言及も難しい女性でしたが、いちばん下の女性は19歳だという彝族の娘さんで、外国人がめずらしいからかバスの時間待てずっとおしゃべりして過ごすことになります。
わたしの住んでいる藤沢市は中国国歌を作曲した聂耳が海水浴をしていて溺死したところだと言うと、そんな縁に驚いていました。

昆明には、主要なバスターミナルが4つあり、それぞれ北部、南部、東部、西部客運站という名前が付けられています。
地名ではなく東西南北を使うのは外部の人でも分かりやすい秀逸なネーミングです。
わたしは、西部の大理から西部客運站に到着し、東(南)部の河口には東部客運站から出発し、南部の石屏からは南部客運站に着きと、毎回違うバスターミナルを利用したのですが、その名前のためまったく混乱がありません。
夜中に到着した南部客運站も目の前にホテルのネオンがいくつも見えていて心配はいりませんでした。
最後の夜なので少しいいホテルに泊まろうかと考えて、2軒ほどあたりましたが、いずれも安い部屋は満室だと断られて、だったらいつもの通り安いところでいいやと60元のホテルに泊まります。

南部客運站から空港まで1時間だというので、3時の飛行機に乗るには12時に出ればいいでしょう。
そう考えて午前中をフルに楽しもうと早起きしました。
勢い込んでホテルから出たのですが、雨が降っています。
1か月の長旅でしたが、この間雨も雪も一度もなく、旅の最後の最後で雨にたたられたことになります。
1-0でリードしていて後半ロスタイムに追いつかれるとか、完全試合まであとひとりというところでヒットを打たれたとか、そんな感じでしょうか。

向ったのは路線バスで4つめの停留所にある官渡古鎮です。
これは地図を見ていて偶然知ったのですが、検索すると15世紀の塔や少林寺と言う寺があるようです。
しかし、町中からあまりに近すぎると危惧していたとおり、そのふたつの施設以外は見るべきもののない絶望的なまでにつまらないところでした。
もともと何もないところに古風な建物を新築して古鎮風に仕立ててみました、というようなところです。
それでも午前中の時間を潰すにはどうにかなったはずですが、雨足が強くなってきて、行動が制限されてしまったのが致命的でした。

さらに悲劇に見舞われます。
喫茶店が見つからなかったのでドリンクスタンドのようなところでパパイヤシェイクを頼んだのですが、ここのは冷たいスムージーのような飲み物でしかもXLサイズのカップで出てきました。
半分くらいでやめればいいものを全部飲んでしまうとほどなくしてお腹がごろごろ言い始めます。
近くのトイレに駆け込みます。
大用は3つありましたが、1つめ2つめは前の人の落し物がそのままどんと残っていて、とてもそこでする気にはなれません。
さいわい3つ目は何もなかったのですが、あせってしまってファスナーを完全におろす前にしゃがんでしまいました。
ピシッという音がして、ファスナーが外れるのが分かりました。
用を達した後、必死で修理を試みますが、どうにも直すことができず、そのまま空港へ向うしかありませんでした。
シャツで隠しこそしましたが、わたしは乗り継ぎのある国際線の中、前を全開にしたまま過ごすことになったのでした。

作例は、スムージーを飲んでいた時見かけた青春を謳歌する若者たちです。
最初、人民解放軍の訓練かと思ったのですが、どうも統率がとれていなくおかしいと思ったら、店の人が近くにできた美容院の従業員が運動しているのだと教えてくれました。
なるほど旗に「髪」の簡体字が見えますね。
成人用品の店からも、何かしらと女性が飛び出してきています。
しかし、美容院の女の子たちがなぜ迷彩服を着ているのかがよく分かりません。
小笠原の珊瑚を密漁する中国船のニュースが取り上げられたとき、魚業者に軍事訓練をして海上民兵に仕立て上げて小笠原や尖閣周辺に彼らを送り込んでいると報じていました。
今度は、ハサミ使いのうまい美容師たちを陸上民兵にしようと軍事訓練を開始したのかも知れません。
わたしだって何日も中国を歩くことで外人部隊にスカウトされてしまうかもしれないと危惧して、そろそろ中国の旅を終了することにいたします。
長らくのお付き合いをいただきまして、ありがとうございました。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
thema:ペッツバール genre:写真
C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(2) | 2015/03/25 Wed

テロルの決算書

C.C.Harrison 14cmF4
バスが河口に着いたのは夜中の2時でしたが、バスターミナルに隣接して2軒のホテルがあって助かりました。
選択肢はふたつですが、まよわず安い方を選びます。
向かいに食堂がまだやっていたのでビールを買い、部屋でちびちび飲んでいるといつの間にか寝てしまいました。
朝7時にぴたりと目が覚めますが、8時にイミグレーションが開くと聞いていたのでぴったりです。
1階に降りるとフロントの兄さんはソファーに掛布団1枚で熟睡していました。
チェックアウトせずにそのままベトナムを目指しました。

こんな小さな町にも路線バスが走っていてバスターミナルとイミグレーション付近を結んでいます。
道路に沿って川が流れていましたがその向う側がベトナムなのは、建物の看板の”Hotel XX”などの表記で分かりました。
中国なら「XX賓館」か「XX酒店」です。
長い行列も覚悟しましたが、中国側出国審査もベトナム側入国審査も数人がいるだけです。
それぞれ自国民は別の列に並んでいて、その列は少々長めですが、スタンプを押すまでの時間はそちらの方が圧倒的に早いので、どちらも待ち時間は3分以内と言うところです。
この1か月の間に日本、韓国、中国、モンゴル、また中国と来て5ヶ国目となるのがベトナムです。
ただ、中越国境で写真を1枚撮っただけで、中国へとんぼ返りしました。
ベトナム滞在は1分だけです。

明日の午後の便で帰国するので今日が実質的な最終日です。
ここでもたもたせずに、昆明への途中にある古鎮に寄るつもりでした。
路線バスを待つのももどかしく、タクシーでホテルに戻りチェックアウトし、バスターミナルまで歩きます。
目的の石屏や建水へのバスは早朝だけで、同方向へは30分おきに出ている蒙自行きと言うのがありました。
蒙自と建水でバスに乗り継ぐパターンで石屏には3時頃に到着します。
建水にも古鎮があるのですが、時間的には1か所しか回れそうにないので、どちらかひとつと言われれば石屏でした。
石屏のバスターミナルからは路線バスがあるとのことですが、帰りのバスの時間もあってタクシーを利用しました。
このタクシーの運転手が面白い人で話が弾んだのですが、あなたはどこから来たのか聞かれて外国(ワイグォ)からと答えたところ、ワイコという新疆のどこかから来た中国人だと思っていたそうです。
最後に日本人だと知った彼は目が飛び出さんばかりに驚いていました。

外国人が来そうもないマイナーな古鎮に来たからそういう誤解を生んだのだと思いますが、
そのことが思わぬ展開を生むことになります。
村の入り口にあった雑貨屋でジュースを買い、代わりにトランクを預かってもらって散策を始めたのですが、しばらく撮影しながら歩いていて、ふと周囲を見ると警察官に囲まれていることに気付きました。
8人もいて妙な緊張感でしたが、ひとりがそれを打ち消すように笑顔で近付いてきました。
あなたはどこから来たのかねと、続いて、手錠をジャラジャラさせた若手警官も近づいてきます。
もしかしたらここは外国人立ち入り禁止村でタクシーの運転手にチクラレたかと思いましたが、事情説明したうえでパスポート提出すると、警官がホッとした顔をしています。
雑貨屋のところに戻りトランクを開けて中を見せたところで、一気に緊張感が緩むのが分かりました。

署長だという最初の警官の説明はこういうことでした。
カメラを提げた新疆人らしき男が村を歩き回っている、汚いカバンを放置しているが爆弾テロかも知れない、そう村人から通報があったそうです。
わたしはこの周辺の古鎮に来たかったので紹介されていた本のコピーを持っていて、それを警官に見せると、へえっと警官同士で感心しながら見ています。
それでわたしが偽造パスポートを所持したテロリストではないことを了解してくれたようです。
わたしもようやく安心して、周囲を見渡すと、驚くことに村人がざっと100人くらい、やや遠巻きにしてわたしと警官のやり取りを見ていました。
それだけでも、わたしをテロリストとして通報したのが冗談ではなかったのだと理解して、背筋が凍る思いでした。
ふたりの警官とは握手して別れましたが、よく見るとそのふたりを含めて8名すべての警官が拳銃を携帯しています。
運悪くトランクを持って歩いているところだったら、ホールドアップを命じられていたかも知れません。
万一、撃たれでもしたら国際問題への進展を恐れる地方政府によって、もみ消されていた可能性も高かったのではと考えます。
足跡を残していないわたしは、ベトナムに出国したまま失踪したとの扱いだったのではと想像は膨らみます。
そうならないためにもブログを毎日更新して位置情報を発信できればよいのですが、残念ながら中国ではほとんどの日本のブログを更新できないばかりか、閲覧すらブロックされているのが現状で、アラブの春で活躍したフェイスブックやツイッターは言わずもがなです。

それはともかく、こんなことに巻き込んでしまって申し訳ないと思ったのか、警察署長と顔見知りで村の役員を務めるという男性が、よければ村を案内するし、特別に村一番の豪商だった家の内部を見せてあげようと申し出てくれました。
ありがたい話で、わたしは彼の解説でいろいろな施設を見て回りましたが、さすが豪商の家はすべての装飾が念入りに作られていて、こんなものを現在建て直したらいくらかかるか分からないというほどに凝った作り込みに感心しました。
終バスの時間ぎりぎりまで見て廻ってバス停のところまで送ってくれたのですが、それからバスは一向にやって来ません。
男性はバスの時間を間違えたようで戸惑っていましたが、畑から戻って来た三輪のバイクを停止させると、何やら交渉して自らバイクにまたがりわたしに荷台に乗ってくださいと言います。
がたがたと20分ほど走らせると町に出て、ここからならまだ石屏に戻る車があると探してくれ、しかも料金を支払いまでしてわたしを見送りました。
彼は、漢族ではなく彝族だと言っていました。
もしかしたらこの男性が通報した本人で申し訳ないのでわたしに親切にしてくれたのかと思いましたが、きっと彝族には人に親切にする伝統があるのだろうと思うことにします。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
thema:ペッツバール genre:写真
C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/24 Tue

成都の解釈、昆明の解釈

C.C.Harrison 14cmF4
念願かなって昨日ようやく食べられた把肉餌丝の他にも、雲南でぜひ食べたいと思っていた食材が2つありました。
麗江の松茸と大理の乳扇です。
松茸の方は麗江のレストランのメニューにあったものの5月にならないと採れないとのことでノーチャンス、乳扇も見つからなかったのに、昨日、昆明まで行かず大理のバスターミナル前のホテルに泊まったために、ふらふら歩いた先の食堂で乳扇を発見、無事食することができました。
これがすごく旨いかと言えばなかなか素直にそうとは言えませんが、同じく名物のヨーグルトが一般的な味になっているのに対して、乳扇の方は雲南独自の味なのでわざわざ探して食べる価値があると言えます。
あと地元で名高い喜洲粑粑も再食できたのが個人的には嬉しく、小吃の宝庫で基本は抑えられたかとホッとしています。

食事から帰って寝たのが12時、バルセロナ観戦のため起きたのが3時、観戦後シャワーを浴びてそのままバスに乗ったので、バスの中では爆睡できると思っていました。
しかし、昨日高速道路を走らないと言っていたとおり、何度かのUターン有り、未舗装路有りの奇妙なルーティングになかなか寝ることができませんでした。
昆明近くでようやく高速道路に乗ったのですが、恐竜山というサービスエリアがあり、その周辺の民家の壁にはどこにも恐竜の絵が描かれていたり、たぶん恐竜の化石でも発見されたところなのでしょうが地域ぐるみで恐竜を盛り上げている姿が、オリンピック招致の時の一部の東京の人とオーバーラップして涙ぐましく感じられてしまいました。

帰国便は3日後でしたが、バスでそのまま昆明空港に向かいました。
あらためて出入国審査の職員に10日入国25日出国は15日間の扱いになるかと問うためで、やはり即答で1日オーバーステイだと言われます。
成都での経緯を説明しましたが、昆明から出国なのだから成都の奴がなんと言おうとダメだとの回答でした。
君たちは都市によって解釈が違うのかと聞きましたが、成都の間違いさと一笑に付されます。
オーバーステイは500元の罰金が科されるとのことです。
それで済めば金で解決できるので問題ないとなるのですが、その次の中国入国がどうなるか分かりません。
大丈夫だろうかと聞くと、たぶん問題ないと彼は言いますが、次に深圳で入国した際に昆明の間違いと笑われて入国拒否されたらたいへんなことになります。
このやり取りを想定した行動を決行することにしました。

昆明からひと晩バスに揺られるとベトナムとの国境の町、河口に着きます。
空港からバスターミナルに行き、河口行きの切符を買いました。
一度、ベトナムに入国してから中国に再入国すればビザなしの滞在期間がリセットされてもう15日間滞在することができます。
いま大理からの長いバス旅を終えたばかりですが、再び長距離バスで河口に向かいます。
チケットは147元で往復すれば300元ほどと、罰金よりは安いので何となくホッとしました。
ただ時間は大幅なロスですし、雲南はちょっとした田舎に面白いところがいっぱいありそうで、無駄な行動にむなしさが募ります。

出発まで3時間あったので、近くを散策しようと考えましたが、新設のバスターミナルのようで近くに町並みが見られません。
路線バスに乗ってよさそうなところで降りるという作戦に切り替えました。
バスは進めど魅力的な町並みは現れませんが、何とか寺という停留所があったので降りてみることにしました。
寺は建物が無く、いくら寄付があったとの碑が並んでいるだけのものでがっかりです。
このあたりは昆明の東南部で、恐らく経済発展とともに市域が拡大してできた新興住宅地のようでした。
バスターミナル始発の路線バスはいくつもあったのに、いちばんつまらないバスを選んでしまったようです。

作例は、その中で撮った1枚です。
近くに学校があって下校途中の子どもたちが買い食いしようとしているところを撮ったのですが、ああっ、という感じでみなこちらを見ていますね。
こんなところでカメラを提げた人間が歩いているだけで不信感いっぱいなのに、なんでわたしたちのことを撮るの、といったところでしょうか。
その後、「野生菌」と看板の出ている店を見つけて夕食をとろうとしましたが、ここは鍋の店でみんなグループで巨大な鍋をつついていて、店員にもひとりでは、と言われたので諦めました。
野生菌は文字通り自然のキノコ類のことで、ここにも小さく松茸と書かれていたので期待したのですが…。
近くの食堂で普通に食事してバスターミナルに向かいます。
河口は単なるベトナムとの国境の小さな町で何があるでもないと聞いていましたが、そのとおり、バスの乗客はわずか4人で運転手はふたり体制でした。
なんだか申し訳ない移動でした。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
thema:ペッツバール genre:写真
C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/23 Mon

日本のコピーかオリジナルか

C.C.Harrison 14cmF4
目覚ましの音に飛び起き、宿の前の鶴翔園に把肉餌丝を食べに行きました。
これを朝一に食べるために道路をはさんだ対面の宿に宿泊していたのです。
やはり記憶に間違いなくここは別格でした。
この把肉餌丝をそのまま日本で出したら絶対に受けると思います。
まじめにここで修行して出店させてもらえないか交渉しようか悩むくらいです。
麗江を訪れる日本人は少なくないと思いますし、そのうちの何%かは麗江市内の店で把肉餌丝を食べて美味しいと感じたことでしょう。
しかし、本物はここ鶴慶にあります。
昼前にスープ切れで閉店してしまうことも多いようですが、雲南旅行の際にはわざわざ訪問する価値のある絶品です。

寝巻のまま食事に行ったので、また宿に戻ってシャワーを浴びてシャキッと散策開始しました。
道路を渡って路地を入るとそのまま骨董品屋ストリートで、昨日に続いて冷やかしながら歩きます。
わたしのささやかな旅の愉しみで、最近、小さな仏像で気に入るものがあれば買うことにしているのです。
昨日、3つの店でこれぞという像を見つけていて、それぞれ交渉の結果、千元、千元、2千元になりました。
本日、もう一巡して再交渉したところ、800元、500元、1000元に下がりましたが、まだまだ高くて買う気になれません。
本命は最後の1000元のもので、これが500元になれば買うつもりで、ダメなら前二者のどちらかを300元くらいで買おうと思います。
さて三巡目、もともと6800元だったのを交渉して2000元にしそれでも決裂、本日また出向いて1000元まで下げたものの、わたしは500元の線を譲らず、なかなか前に進みません。
いつもの手で他店に同様のものが500元だったととぼけて言いますが、ならそちらを買えばと釣られてきませんでした。

そこへ店の奥さんが登場しました。
何と2年前に来たわたしのことを覚えていると言います(確かにこの店には以前も来ましたが、購入はしていません)。
しかもわたしを中国東北地方のバイヤーと記憶しているではないですか。
あらためて500元にしてくれないかなあと言ってみますと、ウチも商売だから800元で勘弁してよといきなり下げてきました。
ウチだって商売なんで500元と言ったけど600元でと頼むと譲歩すると、いや750元、だったら700元と決定しました。
何だかひとりオークションのやり取りのようです。
この座像は仏様だと思っていたのですが、顔がやや面長で観音様に見えます。
後日、画像送信して奈良の宿の青年に鑑定を請うたところ、恐らく文殊ではとのこと。
文殊像とはたいへん珍しいですが、鶴慶から北上するとシャングリラという雲南のチベットエリアになるので、このあたりから仏像がよく出てくるのだそうです。
この像にも底部にチベット風の文様があって、昆明行きのバスに乗り合わせたチベット僧に聞いてみたのですが、文様は古いもののようだが意味までは分からないとのことでした。
しかし、文殊像はたいへん美しく、旅の知恵を授けてくれそうで、以降はレンズケースに収めて、毎晩ホテルで取り出しては手を合わせています。
旅のパートナーです。

骨董屋から洗濯屋に行ってみると、もう仕上がっていると言います。
夕方くらいに来てと言っていたのに、午前中でOKとは早くも文殊様のご利益を得られたということのようです。
慌ててホテル方向に戻り、朝食べたばかりの鶴翔園で把肉餌丝をまたいただきました。
あら、また来たのと驚いているので、これから大理に行かなくてはならないので、最後の1杯を食べに来ましたと言うと、ああそうなの、また来てねと言ってもらいました。
ホテルで荷物をまとめて交差点に出るとちょうど大理行きのバスがやって来たので手を挙げて乗り込みます。
満席になるまでゆっくり走るバスなので少々時間がかかりましたが、2時頃には大理に到着しました。
ここから少々ややこしいことになるのですが。

大理から昆明までの夜行列車のチケットを買っていたので、大理になるべく早めに着いてこの町を散策してから昆明に向かうつもりでいたのですが、今夜、バルセロナでエル・クラシコがあることに気付きました(サッカーのバルセロナ・マドリード戦のことです)。
深夜の中継ですので夜汽車に乗っては見られないと思い、バスターミナルで聞くと、バスは5時間で着くので夜8時半のバスに乗れば1時半に到着するというのでそのチケットを購入します。
続いて駅に行って25元も払って切符をキャンセルしました。
その足で大理の古い町並みを見に行きます
あまり時間が無いので駆け足になってしまいましたが、作例は、その時頼み込んで撮らせてもらった中学生です。
日本の制服に似ているのが面白かったので撮影したのですが、左側の女の子の垢抜けしないながらも仕草の可愛らしい素朴さにちょっと惹かれたところもありました(と言う割にはピントが…)。

麗江そっくりな漢族の町と化した大理にがっかりしつつ、慌ててバスターミナルに戻りました。
ぎりぎりでソバを食べる時間しかなくバスに飛び乗り、念のため到着予定時間を聞きます。
運転手の回答はそんなこと分からない、でした。
1時半に着くと聞いたのですがと言うと、それは無理だとの返事です。
高速道路が改修工事中で一般道をゆっくり走るので、早くても6時着予定なのだそうです。
それでは、バルセロナが見られませんし、夜汽車をキャンセルした意味がなくなります。
バスが発車し出しましたが、わたしは降りると大声を出して、異例のドタキャンで切符売り場に向かいます。
夜中までに昆明に着く必要があるので、鉄道をキャンセルして1時半に到着予定のバスにしたのにと言いながらキャンセル申し出ると、出発時間を過ぎているのでと50元のキャンセル料を取られました。
切符売り場の人がウソを言うからこうなったので、キャンセル料は払えないと抵抗しましたが、それも無駄でした。
売り場の人に、どうしても夜中のうちに昆明に着かないといけないのかと問われたので、これからクラシコがあるんですよ、スペインで最大のサッカーの試合ですと説明したところ、はあ? と言われてしまいました。
そのやり取りを見ていたおばさんはホテルの客引きで、4か月前にできたばかりの新しいホテルだよもちろんテレビでサッカーが見られるよと案内してくれました。
エキサイティングな試合は2-1でバルセロナの勝利。
はあ? と言われてでもバスを降りて正解でした。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
thema:ペッツバール genre:写真
C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/22 Sun

そして誰もいなくなった

C.C.Harrison 14cmF4
麗江から40分ほどで着く鶴慶を訪れたのは、重慶市の松溉の時と同じような理由です。
旨い麺屋があり、親しくなった人々がいるからですが、松溉では誰ひとりとも再会できなかったので、リベンジのつもりで意気込んでやってきました。
しかし、いきなり出鼻をくじかれます。
わたしが食べた麺類の中で5本の指に入ると自信を持って言える、鶴翔園という店の把肉餌丝が、なんとわたしの直前で売り切れになってしまったのでした。
わたしが未練タラタラこれを食べるために日本から来たのにと言うと、店員が申し訳ない、明日の8時に開けるのでまた来てくれと恐縮しています。
じゃあ、明日は必ず8時に来るからと言ったりしていると、ぎりぎり食することができた地元の人たちが、麺をすするのも忘れてぽかんとわたしたちのやり取りを聞いているのに気付きました。
俺たちがいま食っているのって、わざわざ外国から食べにくるようなものだったんだと驚いたことでしょう。

続いて前回お世話になったホテルに向かいますが、外国人は宿泊できないと追っ払われてしまいました。
2年前に泊ったのにと抵抗しますが、ダメなものはダメと相手にしてくれないし、もうひとりいた従業員もこのホテルは外国人がわざわざ泊まりに来てくれる…、などとは思ってくれていないようです。
そのあと、午後に出向いたビールの店も、店はそのままありましたが、経営者が変わってしまっていて親しくなったピンピンの名前を出しても誰も知りませんでした。
ずっと会話した懐かしいおぱあちゃんの家はいくら探してもどうしたことか見つかりません。
粘って買った骨董の店は、おばさんではなく眼光鋭いおっさんが鎮座して、あのおばさんいますかとは聞きづらい雰囲気です。
とても信じられないことに、松溉同様、ここ鶴慶でも何人かいた顔見知りの誰ひとりとして再会することができなかったのです。
この旅で、まさか2度も自分が浦島太郎になったような気分を味わうとは想像もしていませんでした。

把肉餌丝はこのあたりの名物なので違う店で食べてみましたが、確かに旨かったもののやはり少々物足りなさが残ります。
やはりあの店でないとダメなのでしょう、明日は絶対に朝一で食べないと。
もうひとつありました。
2年前利用した洗濯屋さんを今回も利用してみたのですが、前回対応してくれた女性はいませんでした。
しかも、翌日仕上げはできないとの主張でしたが、アイロンがけは不要なのでと説明して無理やり受けてもらうことはできました。
ただ、襟にホチキス留めするためのタグに、洗濯枚数分自分の名前を書かされたのが中国式です。

鶴慶はとくにこれといった特徴がある町ではなく、今回、鶴慶辺古寨という遺跡があるとの情報を得たものの、バスに乗ろうとするとすでに閉鎖されているよと運転手に笑われるようなところなのですが、古民家がかなり残っていて、旨い食べ物があって、なぜか骨董品屋ストリートまであって、それらに増して人々が温かいのでわたしは魅力を感じています。
食べ物をもうひとつ紹介すると、シート状に伸ばした小麦を練ったものをのり巻きのように丸めてから1センチ幅ほどに切っていったきしめんのような麺、寒天状の塊を包丁でスライスさせて麺のようにしたもの、雲南名物の米紛と呼ばれる麺類の3種を混ぜ合わせて、独特の酸味のあるタレをかけて混ぜ合わせる新食感麺(?)です。
これにも繁盛店があって列が少々できたりしていたのですが、麺の名前を聞けば、ちょっと考えて没有、店の名前を聞いても恥ずかしそうに没有と何とも紹介しづらいものなのでした。

この日の夜は、目星を付けていた鶴慶老字号と書かれた老舗レストランに行ってみたのですが、残念ながら結婚式披露宴で貸切のため追い返されてしまいました。
仕方なくごく平凡な食堂に行くと、田舎でよくある、メニューのない冷蔵庫の食材を見て自分でオーダーする方式でした。
この中から食材をチョイスしてこのように調理してとやり取りできるほどのレベルでないわたしは、若者たちが食べている大盛りの炒飯を見て、この野菜をスープに、それからその腸詰と卵を入れた炒飯をと頼みました。
スープも炒飯も期待通りの味でしたが、炒飯に入っているはずの卵が目玉焼きになって乗っていたのには苦笑せざるを得ませんでした。
田舎で炒飯を頼むと卵をいっしょに炒めないケースが多かったのでわざわざ卵をと頼んだのですが、これからはきちんと卵は目玉ではなくご飯といっしょに炒めてねと言わなければとの教訓になりました。
さて、これで会計するとジャスト10元(200円)。
老字号の豪華な食事を想定していたのが、すっかり安く収めることになってしまいました。

さて、本日の作例ですが、鶴慶の市場辺りで見かけた納西族の女の子です。
鶴慶は麗江空港のすぐそばにあるので麗江市に属しているように感じますが、じつは大理市の北端にあたります。
麗江は納西族、大理は白族と民族がはっきり分かれているので、鶴慶も基本的には白族がマジョリティです。
しかし、漢族、納西族、彝族、傈僳族等もいて、わたしには外観の区別がつきませんが、それぞれの暮らしをしています。
少女はどこか近辺の村から出てきたのでしょう、きっと自分たちのアイデンティティへのこだわりがあって民族衣装を着てやってきてくれたのだと思います。
写真を撮らせてと言うと本人以上にお母さんが喜んでいたのがとても印象的でした。
【Alpha7/C.C.Harrison 14cmF4】
thema:ペッツバール genre:写真
C.C.Harisson 14cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/03/21 Sat
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