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ミャンマーは黙して語らずか

Boutrais 18cmF6.3
チャウタンのヒンドゥー寺院を出てからは、バスでヤンゴンに戻って食事してから空港に向かっていますので、もう写真は尽きました。
昨日で修了としてもよかったのですが、今日をミャンマーの旅の最終回として、旅の途中で見かけた少女のポートレイトで締め括りたいと思います。
人物撮影用レンズを持ち出したので、人物撮影の作例も出さなければいけません。

今回も、1860年代に製造されたペッツバールを持参していますので、写真が発明されて20年ちょっとでいかに完成されたレンズが設計されていたかを世界に知らしめるべく、現地の人のみならず、先日のニューヨークの父娘の作例のようにいろいろなところで布教する活動を続けました。
ミャンマーはカメラそのものが一般に普及しているとは言えず、現地の人には古いレンズを付けている意味はまったく理解されなかったのが実情です。
また、焦点距離が長いために撮影許可を得てから後ずさりすることの意味も、理解してもらえなかったでしょう。
今回も自分の活動と現地の人とのギャップにがっかりさせられることになります。

旅の間は10人くらいの現地の人に声を掛けましたが、断られたことはないもののレンズに関心を示してくれたのは女子大生と思われる3人組だけでした。
彼女たちがいなければ全滅だったことを考えると、感謝の意味でもその写真を使いたいところですが、とてもインパクトの強い少女がいたので、それを今日の作例とします。
ニャウンウーの宿の近くの店の前で番をしていた女の子ですが、鋭い目つきでぼんやりしていたのが印象的で声を掛けました。

しかし、英語は理解できないのか、表情を変えないまま写真を撮っていいのか分からず、構わず撮影するしかありません。
レンズ越しにも鋭い目つきのままなのが分かって、撮影していいなんて誰が言ったと怒られているような気分ですが、撮影拒否ではなかったようです。
笑顔をくださいと笑い掛けましたが、表情はまったく変わらず、3枚の写真はすべて同じ顔のままでした。
ありがとうと頭をさげても特に返事もありません。
彼女に対してはレンズの説明も何もするどころではありません。

あらためて作例を見ると、現地の人にしてはかなり服装に凝っていることが分かります。
髪の色は自然ではないですし、髪飾りも可愛らしいもので、耳飾りが見えていることも考え合わせると、かなりファッショナブルだということが再確認できます。
腕にまでタナカを塗っているのも肌に相当気配りしているということでしょうか、他に見た記憶が無く、ミャンマーでも珍しいのではと思います。
それらを総合して考えると、どうもわたしなどに声を掛けられても無視するような気位の高いイケている女性だったと判断せざるを得ません。
結果的にこの作例を最後に選択したのは、正しいことだと確信しました。

ミャンマーという国はASEANに加盟していて、自他ともに東南アジアの一員という位置づけです。
さらには仏教国と言うこともあって、非常に馴染みやすい印象を持っていたのですが、同様の国と見なしがちなベトナム、カンボジア、ラオスなどとはだいぶ違っているという印象が、この2回の短時間の滞在で高まりました。
地図を見ても、東で接しているのがタイ、ラオス、中国なのに対して、西ではインドとバングラディシュが国境線なので、東南アジア的でない何かを感じたわたしの印象を裏付けていると言えるでしょう。
国土の位置づけに加えて、イギリスの植民地から第二次大戦の混乱を経て独立したもののすぐに軍事独裁政権下で鎖国していたという時間軸の問題があって、ますます人々の生活や考え方などは理解の外に置かれてしまいました。
ところが、アジアのラストフロンティアだと騒ぎ立てられて多くの国と企業がこの地を目指して進出してきている現状では、グローバル化の波に抗い切ることはできないでしょう。
この国を訪れるとしたら今しかない、そう思いました。
【Alpha7/Boutrais 18cmF6.3 F6.3】
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thema:ペッツバール genre:写真
Boutrais 18cmF6.3 | trackback(0) | comment(4) | 2015/01/24 Sat

第二のチベットは嫌だ

Boutrais 18cmF6.3
ミャンマーのシリーズも3週目に入ってしまい、書くこともそろそろ無くなってきて申し訳ないですが、もう少し続けさせていただきたいと思います。
作例は、村からの帰り間際、ジョジョのお父さんである和尚さんが、お寺を案内してありがたいお経を授けてくれたのですが、そんな時に可愛らしい心身深い仏教徒が現れたときのスナップです。
和尚さんも、この姿にはよしよしとうなづいて何か声を掛けていたのがとても印象的でした。

話はこの前夜に戻りますが、バガンの遺跡見物から戻った私は、ジョジョに夕食の相談をしました。
周辺は外国人観光客用のレストランばかりだったので、地元の人が行くような食堂か、せめて現地の料理が食べられるところを教えてくれと聞いたのです。
ジョジョは待ってましたとばかり、ニャウンウーにはそういうレストランはないので、よければビールを飲みに行きませんかと誘ってくるのでした。
もちろんわたしにも異論はなく、近くのビア・レストランに行くことになりました。
この店も完全に観光客向けでしたが、仕方ないですね。

世界各地から若者が集まるゲストハウスの仕事はストレスが激しいとか、言いたいことが言えないとか想像していましたが、やはりジョジョの舌は酔う前からかなり滑らかでした。
ただ一方的にしゃべられても困るので、この夜はわたしの興味があることをどんどん聞いて答えてもらうよう仕組みました。
一部を紹介したいと思いますが、まずはビールの話題から。
ミャンマーではかつてマンダレービール一種だけだったのですが、ミャンマービールが登場して味もシェアも圧倒しているそうです。
最大の理由は、マンダレービールが中国人に買収されてまずくなってしまったとのこと。
さもありなん。

彼はミャンマーとは言わずビルマ(またはパーマ)とずっと言っていたので合わせますが、わたしが気になっていたのは、ビルマ人が日本をどのように思っているかでした。
タクシーの運転手やカフェのウエイトレスなどことあるごとにスーチーさんを好きですかと聞くと100%の確率で好きだという答えが返ってきたのですが、スーチーさんの父アウンサン将軍は英国からの独立を求め日本軍と協力体制を取りましたが、結果的に日本の敗戦もあって戦後すぐの独立は果たせず、その後アウンサン将軍は暗殺されてしまいます。
当初、ビルマの独立に尽力した日本軍も東南アジアが主な戦地になると、逆にビルマを利用しようとしていたと考えられており、それがアウンサンの立場を悪くして結果的に暗殺されたとビルマ人が日本を悪く思っているのではと考えたからです。
しかし、ジョジョの答えはノーであり、ビルマ人の考えはいろいろかも知れないがと断ったうえで、欧米の植民地支配からの解放が日本の考え方だったと理解しているし、そのことで日本を嫌っている人はいないと思うとのこと。

むしろ戦後の復興はたいへんな尊敬を集めているし、なかなか手の届かないものだとしても日本のテクノロジーに憧れも持っています。
道路を走る車のほとんど日本車ということもあって、右側通行にも関わらず村に行く道路の料金所も右側につくっているというくらいの親日国ということのようです。
逆に先のビールの例でもあったように、中国が極端に嫌われています。
理由の第一は華僑がビルマ経済の主要な部分を牛耳っていて、ビルマ人が豊かになれないという構造があることですが、ビルマ軍事政権で世界中が経済制裁したにも関わらず中国が援助してきたということにもあるのではと想像しています。
先日、タイが中国からの高速鉄道の建築許可したことが報道されましたが、ビルマは同様の話があった時拒否したそうです。
そんなことをやらしてはビルマは第二のチベットになると国民みんなが反対した成果だと、ジョジョが胸を張っていました(関係ありませんが、作例を見直すとジョジョのお父さんがダライラマに似ていなくも無いような…)。

新聞を毎日読んでいるような人なら、日本と中国が間にある小さな島を巡って関係悪化していることはよく知っているというし、南沙諸島を埋め立てて基地を作っていること、ベトナム船に衝突したり各地で傍若無人に振る舞っていることもよく知っていました。
ビルマも中国と接していてこれまでの歴史を考えれば敏感にならざるを得ないということでしょうし、日本の対中戦略はビルのみならずアジア諸国の国民が注視しているということでしょう。
ジョジョからはビルマ人の世界に向ける目のことから生活の細かいことまであらゆることを論じたりしましたが、それらを紹介し切れないことは残念です。
ビールを3杯ずつ飲んで食事は地元の料理をと言っていたのに、トムヤンクンがあったのでそれも頼んでしまいました。
わたしもジョジョも旨い旨いと食べ、なんでこんなところにまでタイ料理があるんだろうとわたしが言うと、うっ、これタイ料理と怖い顔をしています。
今回、隣国タイとの話はしませんでしたが、ビルマ人がタイに寄せる心情は想像できるので、冗談半分でわざと日本人はみなタイ料理が大好きだよと教えてあげると、彼は苦虫を潰したような顔をしていました。
【Alpha7/Boutrais 18cmF6.3 F6.3】
thema:ペッツバール genre:写真
Boutrais 18cmF6.3 | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/19 Mon

股間の問題

Summicron 5cmF2
翌日は5時半に起きて、また自転車でバガンを目指しました。
バガンの朝日が素晴らしい、とりわけ何とかいうとても高い遺跡から見るそれは最高、という情報を得たからでした。
しかし、2日続けて自転車と言うのはかなりしんどくて、足はすぐにぱんぱんになり、昨日から続いていたお尻の痛みがすぐにピークに達しました。
そこで体勢を変えたりしながら漕ぎ続けたのですが、その無理が体にではなくはいていた綿のパンツに来てしまいました。
お尻のところが縦にベリッと破けてしまったのです。
しかし、もはや遺跡エリアに来ていたので、構わず先を急ぎ、真っ暗いうちにここで見るべしと聞いていた遺跡に到達しました。

遺跡から見る朝日は最高で、当初は2015年最初のブログの写真はこれでいこうと考えていたのですが、帰国してから見直すと感動が覚めたからでしょう、日の出を撮った平凡な写真に変貌してしまっていました。
そういえば、朝日を見た遺跡は急こう配のピラミッドのような建築物でしたが、ここにものすごい数の人々が集まっていたことの方が圧巻だったかも知れません。
わたしは高所恐怖症なので腰が引けていましたが、西洋人の中には恐怖心がみじんもない人がいるようで、ふちのところに横向きに体育座りしているのがけっこういて、誰かが歩きざまに強めに接触したら間違いなく転落するのに何にも感じないのが不思議でなりませんでした。

そういう他人のことはどうでもよくて、わたしの綿パンは股間部分が完全に切れていて、後ろから見ると完全にパンツが露出している状態だと気付きました。
実はこれ、カンボジアの市場で買ったもので長さはちょうどよかったのですが、太めの私にはお尻がぴったりフィットで、購入時からこうなってしまうかもとの不安がありました。
ただ、暑い中はいていて心地よかったので、ラオスでもここミャンマーでも持参していたのですが、気に入っていただけに残念でなりません。

遺跡を降りて行くと、土産物売りが声を掛けてきましたが振り切って、自転車の方へ戻りかけたとき、まあ、何と言うことでしょう、わたしのはいているのと同じような綿のパンツを売る女性が声をかけてくるではないですか。
助け舟とばかりにパンツを選択し、価格を聞くと800円と吹っかけてきます。
カンボジアの価格やミャンマーの物価を総合すると300円前後が適正価格と考え、500円程度なら手を打とうとも腹を決めていましたが、いくら粘っても1円すら負けてくれません。
どうしてかと聞くと、彼女はにやりと笑って、だってこれを買わないと敗れたパンツのまま遺跡を見て歩くのと言われ、泣く泣く言い値の購入になりました。
わたしが歩いているのを見て、パンツが敗れているのに気付き、ずっと降りてくるのを待っていたそうです。

さて、新たなパンツはわたしの見立ての300円の価値もないものでした。
何と自転車に乗って30分もしないうちに破けてしまったのです。
こう書くとわたしを相当な肥満体型だと想像するでしょうが、当たっているとは言わないまでも遠からじなのかも知れませんが、いくらなんでも800円でこれはひどいなと思います。
縫製がすかすかなんですね。

そこでさらに買ったのが、ミャンマーの国民衣装と言えるロンジーです。
ロンジーはかなりゆったりした筒状になったスカートのようなものなので、さすがのわたしでもこれが破れるなんてことはあり得ません。
着物のようなもので着こなすのはやさしくはありませんが、手順に慣れれば外国人だということを割り引けば、どうにかかっこはついていると言えるくらいにはなっていると自負しています。
このロンジー、さすがミャンマーに定着している民族衣装のようなもので、見た目もフォーマルっぽいですし、何より涼しくて着心地が最高でした。
帰国してからも夏場はこれで外出するぞと決意表明したくらいです。
作例の女性が物色しいるのがそのロンジーです(女性用はタメインと呼ばれます)。
手ぬぐいのようで、とても着るものには見えないかもしれませんね。
【Alpha7/Boutrais 18cmF6.3 F6.3】
thema:ペッツバール genre:写真
Boutrais 18cmF6.3 | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/15 Thu

彼らはスクオッターなのか

Boutrais 18cmF6.3
バガン全体で遺跡がどのくらいあるのか分かりませんが(調べようとしないのは申し訳ないです)、小さなものやら崩れかけているものまで入れれば、それこそ無数にあるのではと思えるほどです。
その大部分が入り口を閉ざして立ち入りできないようにしていて、ごくごく一部の遺跡のみ内部まで見学できたり、階上に登って周囲の眺めを楽しんだりできるようになっていました。
これは宿の人に聞いたのですが、見学できる遺跡には必ず管理者がいて、見学者の簡単な案内や遺跡そのものの保全にあたっています。
彼らはみな国家公務員なのだそうですが、さすがに最貧国のミャンマーだけに給料は安く、とても厳しい生活を強いられているそうです。

そういえば、わたしが見学したところでは、その管理者に絵を売りつけられそうになりましたが、丁寧にお断りしたところ、遺跡の中にも大きな仏像があって、心身深い管理者はさすがに強要まではできないようでした。
絵は砂を顔料で溶いたものを絵具代わりにして、布のカンバスに描いたオリジナルアートだそうで、夕日に染まるバガンの風景は美しいものでしたので、生活の厳しい公務員のことを思えば1枚買ってあげてもよかったかなとやや後悔しています。
ただ、わたしが話を聞いているあいだ、他に訪れていた人たちは誰ひとり関心を示さなかったので、オリジナルアートと言うのは真っ赤な嘘で、土産物屋などでも売られているモノだったのではとの疑念もあるのですが。

とは言え、その絵の影響を受けて、あんなに夕日を受けて赤く染まる景色を見てみたいと思ったのは事実です。
宿に戻ってもすることがなかったからというよりは、途中、いい具合に夕日の風景が見られることを期待してゆっくり戻ったというのが本当です。
そして、夕日の時間となり、機体が高まる中、赤い遺跡が夕日でより赤く染まるのは見られましたが、絵に見たような夕焼け空にはなりませんでした。
これも宿の人に聞いたのですが、冬場は夕焼けの確率が高いものの、いくつかの気象条件が重ならなければならず、見られれば幸運だという程度の確率だとのことでした。
まあ、そんなものでしょう。

そんなことともつゆ知らず、夕日が沈みかけて必死になって自転車を漕いでベストポジションはどこかなどとムキになっていたのは我ながら滑稽なことでした。
一昨日の作例のように、遺跡の間にはところどころ樹があって、なかなか全体を見渡すところはありません。
やはり高台に登らなければダメだと気付いたのですが、前述の通り、登ることのできる遺跡は限られていて、帰り道の範囲では見つからなかったのです。
あらかじめ下調べすることのない旅行者にありがちな悲劇です。

どうしたかと言えば、完全に崩れ落ちた廃墟の1.5メートルほどの壁後によじ登ったのです。
これでも地上レベルよりは遠くが見渡せましたが、言うまでもなくわずかに見晴らしがよくなった程度でほとんど意味はありません。
幅の狭い壁の上でよろけながら平原のバガンの風景を撮りましたが、なお悪いことにほぼ日が沈んでいたため、日を浴びた遺跡ですらなくなっていました。
仕方ないので、180度向きを変えてすぐ手前の遺跡を撮影したのが今日の作例と言うことになります。
ふらふらしていたので水平が出ていないのはご容赦ください。

公務員が管理している遺跡がある一方で、作例の方は、貧困層に占拠されかかったとも言うべき遺跡です。
近寄ると意外にフレンドリーで子どもたちもあいさつしながら寄ってきたりしたのですが、残念ながら言葉が通じないため、なぜここで生活しているのかとか聞くことができませんでした。
ただ、遺跡に面して井戸があったので、水が確保できるというのがここにいる理由のようだと察しました。
家畜の牛とニワトリがいましたので、近くに農場もあってそれらを生活のよりどころにしていると考えられます。
ざっと10世帯50人程度が暮らしているようですが、ここに定着と言うのは無理があるように思います。
メイン道路に面したところなので、あらゆる観光客から見られることを考えると、行政も放ってはおけないはずですが、そこは仏教らしい慈悲の心で、自由にさせているのかも知れません。
【Alpha7/Boutrais 18cmF6.3 F6.3】
thema:ペッツバール genre:写真
Boutrais 18cmF6.3 | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/14 Wed

奥さんなのか娘なのか

Boutrais 18cmF6.3
時間がたっぷりあったので、さらに自転車を漕いで行けるところまで行ってみようと考えました。
どうせ早い時間に宿に戻ってもニャウンウーではすることはなさそうです。
かなり進んできたところが突き当りになって道は左右に別れましたが、何となく右に進路をとるとすぐに行き止まりになって、雄大な川を見下ろす高台になっていました。
イラワジ川です。
現在はミャンマー政府によりエーヤワディー川と名前を変えましたが、ヒマラヤを水源にミャンマーという縦長の国土を見事なまでに南北に貫く大河です。

続いて踵を返して先のT字を反対方向に進みます。
こちらはひたすら200キロ以上進めばヤンゴンまで達しているそうで、長い道のりが続きました。
途中、ちょっとした町があったので、何度も食べたソバを頼んで休憩にしましたが、ヤンゴンですら30円だったのが、こんな田舎で100円だと言われ驚いてしまいました。
残念ですが、バガンには観光客プライスがはびこってしまっているところがあるようです。

もっと残念なこともありました。
すっかり遺跡に飽きてしまって、コースアウトして素朴な村をのんびり散策していました。
民家のほとんどは所謂バンブーハウスです。
バンブーハウスと言うのは、竹を組んで建てた家ではなく、柱を木で固定してから周りを竹を薄く剥いだ皮状のものをあみだに合わせてシートにしたもので覆った家のことです。
女性が鳴れた手つきで竹の皮をくみ上げているところを遠巻きに見ることができたのですが、上下と左右の竹を隙間なくするのに金づちとノミを駆使していて、かなりハードな仕事だと感心させられました。

そんなものを見られたのですっかり村が気に入って子供の写真を撮ったりしていたのですが、突然子供からプレゼント、と言われました。
モデルになったんだからプレゼントを寄こせと言うのです。
飴を持っていたのであげたのですが、プレゼント、プレゼントと連呼していて、どうも金を出せと言うことらしいのです。
親がこういうことを教えるのでしょうか、それともかつて安易にお金を渡す旅人がいたのか。
すっかりイヤナ気分になったので、この辺で折り返してニャウンウー方面へと向かおうと考えました。

作例は、帰り道の遺跡をぼんやり眺めていた時に出合ったカップルです。
男性がわたしのレンズに興味を示したことから、撮影させてもらいました。
こんな古いレンズでちゃんと写っていると目を白黒させているのが印象に残ります。
どこから来たかと聞けばニューヨークと答えたので、わたしの語学力では会話にならないかと心配になりましたが、そんな不安を察したのかわたしのレベルに合わせてやや速度を落として話してくれました。
詳しいことは聞きませんでしたが、映画関係の仕事をされているとのことでした。

よろしければいっしょに見て歩きませんかと誘っていただいたのですが、ふたりで楽しんでいるのに申し訳ないと辞退してしまいました。
最初にカップルと書いたようにご夫婦だと思ったのですが、それにしては女性が若すぎるし、よく見ると顔つきが似ていて、父娘の関係だったのではと今では考えています。
それにしてもふたりともとてもいい顔をして写ってくれているなと感心します。
レンズに興味を持ってくれたからかも知れませんし、アメリカ人は写真を撮らせてと言ってもアジア人のように照れずに普段通りの顔をしているだけという気もします。
まさか映画関係って仕事は俳優で、撮られ慣れているからではないでしょう。
ショーン・コネリーに似ていなくもないですね。
【Alpha7/Boutrais 18cmF6.3 F6.3】
thema:ペッツバール genre:写真
Boutrais 18cmF6.3 | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/13 Tue

遺跡を俯瞰す

Boutrais 18cmF6.3
iニャウンウーを離れ続いて向かったのはアンコールワット、ポロプドールと並ぶ世界三大仏教遺跡のバガンです…、というのはちょっとウソで、実はニャウンウーこそがバガンに隣接する町なのです。
もっぱらニャウンウーを訪れる観光客の目的は100%バガンの遺跡群ですので、こんな小さな町にも空港があって、1日複数便のフライトが満席の客を乗せて飛んでいます。
早朝に着いて、宿を確保し、念願の戦時中からの写真館を訪れ、次にしたことはバガンへ向かうことでした。
わずか数キロしか離れていない、というよりは町の入り口付近に遺跡があるくらいなので、宿探しに使った自転車をそのまま漕ぎ出して見物に行けます。

自転車にはかごが付いていなかったので、トートバッグタイプのカメラ用かばんはファスナーを締めてデイパックのように背負いました。
もちろんカメラは首から提げますが、ペッツバールが付いたα7は漕ぐたびにぶらぶらとしてとても不安定です。
とはいえ、道はほとんど平坦なのでu慣れれば大したことはありません。
実際、バガン方面へ走る自転車が多くあるのでくっついて行けばよいだけです。
国籍、男女の別、年齢差と関係なく自転車組は不思議な連帯感が生まれていたようです。

到着時は長袖が欲しいくらい涼しかったのですが、日が高くなると一気に30度近くに上昇します。
お昼を食べた直後と言うこともあり、ちょうどいい具合に木陰の商店があったので、ビールを買って店の前のリクライニングチェアで早々の休憩になってしまいました。
遺跡ファンやバガンを楽しみに来た人なら先を急ぐでしょうが、先々月のアンコール遺跡の時にも書いたように、わたしはまったく遺跡に興味がありません。
遺跡かビールかと言えば、喉が渇いていれば間違いなくビールで、この休憩には必然性がありました。

途中で気付いたのですが、電動自転車とバイクの合いの子のようなeバイクという乗り物があって、それを利用している人が多いようです。
距離的に大したことがありませんし、こういう場では自分の足で行ってこそ価値があると言えそうなので、自転車選択は間違いとは思いませんが、初めて見たeバイクにも心惹かれるものがなくはありませんでした。
あとで聞くと、自転車が1ドルに対してeバイクは5ドルもするそうです。
ちなみに、ひとりではもったいないですが、ふたり以上の旅なら馬車を利用するのが楽しそうです。
地元の子がおじいさんといっしょに馬車にちょこんと腰掛けているのを見ていたら、母をたずねて三千里のマルコ少年を思い出してノスタルジックな気持ちになりました。

さて、また漕ぎ出してしばらく行くと、道路の左右に古い寺院がぽつりぽつりと見え始めて来たのですが、荒野に植物がぽつりぽつりの間に見えるそれはなかなかの迫力です。
アンコール遺跡の時は本や映像ですでに頭の中にできていたイメージそのものが現れたので感動と呼べるものはなかったのですが、バガンではどんなところかも知らなかったこともあってかなりのインパクトでした。
比較的高い遺跡には人が登ったりしているのが見えたので、わたしもぜひ挑戦してみることにしました。
廃墟ひとつひとつにも寺院名があるのですが、わたしが登ったのは何と言うところか分かりません。
それほど高いところでもありませんが、それでも寺院の上に立つと爽やかな風を肌に感じられ、また、高い位置から見渡してみるとあらためて遺跡が広い範囲に点在していることが確認できました。

望遠が得意でないはずのペッツバールにあって、このレンズはよく写っているのでやはり性格が違ったレンズことを確信できたような気がします。
古いカメラやレンズを扱う本にブートレの記載を見つけましたが、全文フランス語をうまく訳すことができませんでした。
わたしは学生時代、第二外国語にフランス語を選択したのですが、これがまったく役に立っていません。
写真史の始まりを意識している今ほどフランス語が重要な時はないと言うのに。
学生時代はまだ国外を旅したことがなく、将来の関心についても違う方向を向いていたので、外国語の重要性に気付いていませんでした。
【Alpha7/Boutrais 18cmF6.3 F6.3】
thema:ペッツバール genre:写真
Boutrais 18cmF6.3 | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/12 Mon

ネイルの達人

Boutrais 18cmF6.3
ミャンマーの地に持参したメインレンズは、Boutraisという1850~60年代の古いフランス製ペッツバールです。
発音はブートレですが、フランス語に自信のなかったわたしは、ニャウンウーを敢行していたフランス人マドモアゼルに確認したので間違いありません。
ただし、ブートレのレは、ゴエッのようなレで、フランス語に馴染みのない方には、ブウトグウェッのように聞こえます。
そのマドモアゼルも撮影させていただきましたが(実際には彼女を撮影したくて、さらには古いペッツバールを自慢したくて声をかけた)、フランスで起きたテロ事件追悼のため、その写真は出さないとにいたします。

選択理由は、昨日も書いたように写真館に持ち込んで古い日本のカメラで撮影してもらいたかったからですが、それは果たせませんでした。
8x10ですから、このクラスのペッツバールが全面カバーはしませんが、5x4サイズはどうにかなりそうでしたので、そのさいずだけでも写った肖像を撮ってもらえれば御の字と考えました。

ペッツバール・レンズの多くはF3.6~F4の明るさが採用されていますが、これで200mmもあれば立派な大口径レンズです。
昨今の大口径レンズで、50mmF1.4とかF1.2などというレンズたちが高額になってしまったのに対して、ペッツバールの大口径は価格が上がるということも特にないことがわたしの方向性を決めてしまったところもなくはありません。
ところが、このブートレは細身の鏡胴でマウント改造を施工してくれたksmtさんの計測でF6.3だというので、大口径と言うよりは中口径と呼びたいスペックです。
それでもピントを外しまくりましたが、やはり今日の作例のように被写界深度が広がっているのがよく分かる写真になります。

2絞り暗い分やはりシャープですが、描写的にはペッツバールというよりF値の近いレクチリニア系のレンズのような印象があります。
さすがに180mmの焦点距離があるとフォーマットにも余裕があって、周辺での像面湾曲の影響が少ないのもレクチリニアのような印象を高めます。
それ以外にも、スペックで無理をしていないので、非点収差の軽減などのメリットがあるかも知れませんが、それらはもっと大きなフォーマットで撮影して比較してみないとなかなか判断の難しいところです。
なお、ダゴスティーニ氏のフランスレンズの本は8メーカーが主体で、IX.SMALLER FRENCH MANUFACTURESの項にもブートレは登場せず、辛うじてSOME OTHERS...にその他大勢扱いで1行記載があるだけでした。

さて、今日の作例ですが、馬の蹄を削っているシーンを見かけました。
ニャウンウーは交通機関として未だ馬が現役で、観光用、一般用として馬車が走っている素敵な町なのですが、観光のため車も走るため主要道路が舗装されていて、蹄のメンテナンスは重要なのだと気付かせてくれました。
馬車は2頭立てで蹄の音をカッポカッポと立てて聴覚にも優雅な雰囲気を伝えてくれますし、馬車も御者の横に乗ったり後ろ向きに乗ったり人それぞれに乗車しているのが見て取れて楽しげでした。
ただ、歩みはあまり早くないので自動車の走行の邪魔になっていたのはもちろん、わたしの漕ぐ低速自転車よりも少し遅いのに幅が広いため追い越しに難儀させられました。

それにしても脚力が強いはずの馬の足を自らの足に挟んで、トンカチとのみ(?)で削り落としていくところは、馬が人々の身近にあることを裏付けてくれますし、見事な職人技と言えるでしょう。
ミャンマーでは東北部のシャン族の象使いが象とコミュニケーションをとりながら生活していることで知られていますが、ニャウンウーでは馬と同様のことをすることができるのですね。
感心しながらカメラを構えていると、お尻を向けた男性に何だろうと近付いた犬が、うわっ馬の足を切っている、とばかりオーバーアクションで驚いている姿まで入り込んで撮影を盛り上げてくれました。
【Alpha7/Boutrais 18cmF6.3 F6.3】
thema:ペッツバール genre:写真
Boutrais 18cmF6.3 | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/11 Sun

カチンから来た女性

Boutrais 18cmF6.3
ニャウンウー、チャイティーヨー、モウラミャイン、ヘーホー、チャウイントン、ブーターオ…。
何とも可愛らしいような不思議な響きですが、これらはみなミャンマーの地方都市の名前です。
ミャンマーでは、ヤンゴンとマンダレー、それに新首都のネピードーは名前をよく知られていますが、地方に行くと名前同様に特徴ある町が点在しているようです。
いつかそれらの町をひとつひとつ訪ね歩くことがわたしの夢です。

ヤンゴンやマンダレーなどの中心部の周囲には少数民族の民族名を冠した州があって、前述した地名はそれら少数民族の居住地域の町に当たります。
ですから、独特の響きを持つ地名は彼らの言語と関係があることが想像できます。
恐らくは、現地の人が○○のあるところのように現地語で呼んでいた名前がそのまま地名になったのでしょう。

それら州は、シャン州、カチン州、カレン州、モン州、チン州、カヤー州、ラカイン州と7つあり、民族名がそのまま州の名前になっています。
ミャンマー族も国内ではマジョリティですが、地球レベルで言えば少数民族と言えますので、ミャンマー国内には大きく8つの少数民族の括りがあると言えます。
その中に、ワ族、ナガ族、パダウン族などなど非常に多くの細分化された少数民族が存在していますが、さらに昨日書いた華僑系、印僑系、バングラディシュ系等を加えてミャンマーという国家を形成しています。

ミャンマーは典型的な上座部仏教の国で、小さな村にも寺院が存在していますが、印僑のヒンズー教、バングラディシュ系のイスラム教、華僑系の仏教(ミャンマー人は中国仏教と呼んで分けている)もヤンゴンでは盛んです。
一方、カチン州のように山間の地方ではもともとアミニズムの信仰があり、その後ヨーロッパからの宣教師の布教活動によりカトリックが根付いているそうです。
ミャンマー人と対立してきたカチンなどの少数民族は、ミャンマー人と同じ宗教を選ぶというわけにはいかないという事情もあったのかも知れません。

作例の女性は、ヤンゴンの象徴である仏教施設シュエダゴンパゴダで見かけたグループのひとりにカメラを向けたものです。
かなり暗かったのでISO感度を上げて画面が荒れていますが、特にトリミング等したものではありません。
胸に貼られたステッカーが、ツアーでヤンゴンまで来たことを教えてくれます。
どこから来たのですかと問いかけると、言葉が通じず不思議な顔をされてしまいましたが、グループの中に英語ができる人がいて我々はカチンだと教えてくれました。
服装こそ一般的ですが、髪を覆う布はすべての女性が付けていて、それがカチン族の誇りを表しているように感じられました。
手製の布と思っていましたが、作例で見るとタオルのような既製のもののようですね。
ただ、カバンはあきらかにハンドメイドのもので、売って欲しいと言いたくなるような美しい色使いでした。

カチン州は縦長のミャンマーにあって最北端の一角を占める州ですが、独立の意識が高く、比較的最近までミャンマー政府と内戦状態にありました。
前回ミャンマーを訪れたときに知り合いになった青年がカチン出身で、今回、再会を楽しみにしていたのですが、どうしたことか彼は不在で会うことができませんでした。
政府批判で投獄された経験があるので、あるいはと心配になりましたが、一旅行者では確認を取ることは叶いませんでした。
しかし、いま改めて作例を見ると、この女性の顔つきは青年のそれによく似ています。
なぜ時間を割いてでも探し出して会いに来てくれなかったのだと咎められているような気持ちになりました。
【Alpha7/Boutrais 18cmF6.3 F6.3】
thema:ペッツバール genre:写真
Boutrais 18cmF6.3 | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/08 Thu

ヤンゴンの先のそのまた先へ

Boutrais 18cmF6.3
ヤンゴン到着は深夜ですが、翌日は早く起きてまずやらなければいけない大切な用事を済ませに行きました。
翌日の航空券の手配なのですが、5軒ほどを聞きまわった甲斐あって、ぎりぎりどうにか入手することができました。
前回はこれに失敗してヤンゴンの実の滞在になってしまったので、ホッと一息です。
屋台のそば屋で前回は食べなかった汁なしのそばを試してみましたが、これがなかなかうまくて、今回の旅ではことあるごとに食べてしまいました。
ほとんど汁の無い冷やし中華のようなもので、量は少ないですが1杯30円と安く、3時のおやつにいいですし、2杯食べるとランチにもなる国民食のような存在です。

中途半端な時間でどこに行くか考え、ヤンゴン川対岸のダラという村を再訪してみるかと思い立ちました。
前回はフェリーだったので、今回は渡し船で行ってみようと試みましたが、外国人は法律で乗せられないのだと船着き場の係員がつれない態度です。
見かねたインテリ風の男性が乗せてあげたらと、それこそ助け船を出してくれたのですが、なんでも役人に見つかると罰金を取られるとかで取りつく島なしでした。
ただ、そのやり取りで、インテリ男性からダラの先にあるトワンテという町もいいよと教えてもらいました。
情報はそれだけですが、その一言だけで本日の目的決定です。

フェリー乗り場に行くと自称ガイドという人が集まって来ます。
みなダラの村の貧しい青年たちで、中には小学生くらいの子どももいて彼らを袖にするのは申し訳ないですが、今回はダラには行かないので何人となく断らなければなりませんでした。
ガイドが不要なら絵葉書買ってと来るので一人当たり2回のお断りを繰り返します。

フェリーが数分で対岸のダラの船着き場に着くと、今度はトライショーやバイクタクシーから激しい勧誘がありますが、これらは大人たちなので無視してやり過ごします。
トワンテは町だと言っていたのでバスくらいあるのではと思っていたら、果たしてバスが停まっていて、車掌のおじさんがいくつかの地名をいう中でトワンテと聞き取れたので乗り込みました。
英語はできないようですが、ハウマッチに対してファイブハンドレッドと即答する程度はヤンゴンとその周辺では当然のことのようです。
わたしが乗っていたフェリーの人々でバスはすぐさま満席になって出発しました。
トワンテに着いたら教えてと身振りで言うとOKと笑いましたが、何のことはない、このバスの終点がそのトワンテなのでした。

町には市場があって、古い民家もぽつりぽつり、町中には子どもが遊んでいて等々カメラを持っての散歩に適した町でした。
おもしろかったのは、喉が渇いたので雑貨屋でビールを買ったら、あなたもしかして日本人と聞かれそうだと答えると、その人が家族やら近所の人やらに声をかけてその多くが携帯持ってきて、わたしとのツーショット写真を撮って喜ぶという不思議な展開があったことです。
外国人が珍しいところとは思いますが、写真を撮るという意味が分かりません。
少しアイドルにでもなった気分でした(珍獣扱い?)。

さて、その店の店主に町の見どころを聞くと特にという感じで反応はいまひとつでしたが、何でもいいから面白いところをと聞き直すと、ポタリーをメイキングしている集落があると教えてくれました。
さらに、近くにいたバイクを招きよせて50円で行けと指示してくれます。
ポタリー・メイクとはやはり素焼の窯元のようなところで、建物は藁葺で室内で焼いたり絵付けをしたりしているのを、挨拶して上がり込んで勝手に見学させてもらいました。
集落にはお寺を囲むようにそんな窯元が10軒くらい並んでいて、なるほどこんなところもあったかと感心しました。
ヤンゴンは今首都ではありませんが、ミャンマー最大でアジアでも有数の都会ですが、そこからわずかなところに鄙びた面白い町がみつかりました。
またひとつミャンマーが好きになります。
【Alpha7/Boutrais 18cmF6.3 F6.3】
thema:ペッツバール genre:写真
Boutrais 18cmF6.3 | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/05 Mon
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