黒塗りライカの名手

Derogy 15cmF4
昨日の続き。
ダゴスティーニ氏の本にわずかにドゥロジー・レンズの製造数に関する記載があります。
それによれば、「製造されたレンズは1866年には製造番号5166番に達し、1893年までにはおよそ25000本になっていた」そうです。
昨日書きましたが、ドゥロジーは1851年頃に自社のレンズを製造開始したと推定できますので、製造開始から1866年までは年平均340本ほど、1866年から1893年までは年平均730本ほどのレンズを製造していたことになります。

もちろん毎年一定数製造していた訳ではなく、飛躍的に増えた年はあるでしょうし、何らかの事情で製造数が減ることもあったでしょう。
メーカーの製造番号表でも発券されない限りそこまでの確認はできないので、平均で計算してみますが、わたしのドゥロジーは製造番号が22169番で、1889年(プラスマイナス2年くらい?)の製造と推定しておきます。
古典的ペッツバールの姿そのものの外観から想像していたよりも、ずっと新しいレンズと分かりました。
年号は明治22年で、日本では東海道線が新橋~神戸間全線開通し、パリでは万博があり、エッフェル塔が落成式を行った年だそうです。

ダゴスティーニ氏の本には1902年のカタログにドゥロジーが9種類のレンズが掲載されていたことを紹介しています。
そのうちの2本がペッツバールタイプのレンズで下記の様な表記になっているようです。
1.人物撮影用高速レンズ(Rapid for portraits)F4 画角40°
2.人物撮影用超高速レンズ(Extra-rapid for portraits)F2.3またはF3  画角35~38°
わたしのドゥロジーはF4なので、1.の人物撮影用高速レンズではないかと想定して、画角40°と合致するか計算してみました。

検索すると画角計算ができるサイトがあって簡単に割り出すことができたのですが、焦点距離15cmで手札判(80mm×127mm)だと38.6°となるのでほぼ合致すると分かりました。
ペッツバールの20cmがよく4×5(102mm×127mm)をカバーすると言われますが、18cmで計算すると39.6°となるので、15cmの手札判との関係とも合致して、この辺の焦点距離とフォーマットが関連性が分かりました。
それに、1902年のドゥロジーカタログに出ているというレンズと同じレンズであろうということも。
ちなみに、2.のより明るいレンズの画角が若干狭いのは同じ焦点距離でも明るいほど周辺が使えないということを意味しているということでしょうか。

レンズにはさらに"Derogy Fabt Brevete Paris & Londres"という刻印があり、王冠のようなマークが付いています。
Fabtの意味は分かりませんが、Breveteは特許の意味で、パリとロンドンで特許取得と言う意味なのですが、何の特許かよくわからないので、あるいはパリとロンドンで登記されたドゥロジー社と言うような意味なのかも知れません。
王冠についてもよく分かりませんが、共和制だったフランスがナポレオンの失脚後に何年間か復古王政を敷いたことがあり、それがドゥロジーの創業時期と重なることから、そういう関連があるのかも知りませんが、これも特に根拠がある訳ではありません。
やはりそういう情報を載せたフランス語文献がある可能性があるので、ドゥロジーを知るためには確認したいところです。

さて、鎌倉最後の作例は、鶴岡八幡宮内のボタン園で出合った謎の美人です。
ボタン園は入園料を500円もとるわりには規模が小さく、花の写真を撮らないわたしがわざわざ大金を投じた理由が、池の対岸から着物を着た彼女の姿を見つけたからでした。
同行のksmtさん持参のわたしのライカD型に関心があって手にしているところを撮影しましたが、夕方になって色温度を調整しなかったためにかなり青っぽくなる失敗でしたが、彼女の魅力的な表情がそれを救っています。
江の島のシャンパンに続いての演出的小道具ですが、これはまたやってみたいと考えています。
【Alpha7/Derogy 15cmF4 F4】
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thema:ペッツバール genre:写真
Derogy 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/02/01 Sun

泥仕合のDerogy愛

Derogy 15cmF4
今回の江の島・鎌倉散策には、ラオスに持参したドゥロジーのペッツバールを使用しました。
ラオスでは久々に使った35mmレンズのズノーが主体になってしまい、ドゥロジーの作例が4枚しか出せなかったので、レンズの説明等をはしょってしまいました。
年末で忙しくてドゥロジーについて何も調べなれなかったということもあるのですが、このメーカーはダルロー、エルマジーに次ぐフランス19世紀光学界のビッグネームであるはずなのに資料があまりに少ないのです。
フランスの文献は存在するかも知れませんが、それすら見つからず、また見つけたとしてもわたしでは到底歯が立たないでしょう。

ダゴスティーニ氏の大著"PHOTOGRAPHIC LENS OF THE 1800's IN FRANCE"ではドゥロジーを8つのレンズメーカーのうちのひとつとして大きく扱っています。
ここでも情報量としては他のメーカーと比べて少ないですし、英語で書かれているのに意味が良く理解できません。
わたしの英語力の問題ではあるのですが、ダゴスティーニ氏にももう少し分かりやすく書いて欲しかったと言いたくなるくらい
意味が分かりませんでした。
何とか解釈できないかと考えましたがやはり無理でしたので、前半部分を不要部を覗いて箇条書きにしてみます。

・1820年にパスカル・ワール(Pascal Wallet)によって、パリ北部のオワーズ(Oise)地区、シュリー(Sully)に会社が設立された。
・ワールといとこは、レンズ製造を得意とする光学の専門家だった。
・エロワ・パスカル・ドゥロジー(Eloi Pascal Derogy)は、老眼鏡用のメニスカスレンズの製造で有名で尊敬もされていた。パスカル・ワールは大きなレンズを使った望遠鏡の製造で知られていた。ふたりの会社は1843年に合併され、当時まだ手作業が当たり前だった時代に半機械化による工業化された工場を新規に設立したことで評判を得ることになる。ラフにカットされたレンズは機械によって洗浄され、自宅で作業する地元の職人により研磨と仕上げが施された。
・1820年代、パスカル・ワールの兄(いとこ?)のジャン・バプティスト・ワール(Jean-Baptiste Wallet)は、パリのケ・ド・ロルロージュ(Quai de l’Horloge)73番地に光学工房を設立する。彼は、老眼鏡、双眼鏡のレンズと接眼レンズ、長焦点のレンズ、ライト・コンデンサーを専門に製造し、ダゲール(Daguerre)の発明以降は写真用レンズがそれに加わった。ダゲールのカメラ用のレンズをシュヴァリエに供給していたと思われる。
・1848年にジャン・バプティスト・ワールの義理の息子エロワ・ウジェーヌ・ドゥロジー(Eloi Eugene Derogy)は、シュリーで老眼鏡を製造していたレンズメーカーの息子とパートナーシップを結んでおり、1851年に会社の経営者になってから、パリの工房とシュリーの作業場の製造物を統合させた。シュリーの作業場はその後1800年代終わりまで、商業用レンズやカメラ用レンズの製造を目的としていた。

人間関係と時期と会社が符合しにくいので、シンプルにして解釈を加えて時系列にリライトします。

・1820年、パスカル・ワールがパリ北部シュリーに光学会社を設立。
・1820年代、パスカル・ワールのいとこのジャン・バプティスト・ワールが、パリのケ・ド・ロルロージュ73番地に光学工房を設立。
・1843年、パスカル・ワールの光学会社とエロワ・パスカル・ドゥロジーの老眼鏡等を製造していた会社が合併。
・1848年、ジャン・バプティスト・ワールの義理の息子エロワ・ウジェーヌ・ドゥロジーは、シュリーのパスカル・ワールの息子とパートナーシップを結ぶ。
・1851年、エロワ・ウジェーヌ・ドゥロジーは会社の経営者になり、パリの工房とシュリーの作業場の製造物を統合させた。

ドゥロジー社の起こりはこのようなところではないかと思います。
シュヴァリエやルルブールなどと同様に写真発明以前に発足した望遠鏡メーカーと眼鏡メーカーが合併してできたようです。
そして、シュヴァリエのダゲレオタイプ用のレンズのガラスはドゥロジー社が供給したとあり、それはダゲレオタイプの発明を考えれば1839年頃のことであると言っていいでしょう。
フォクトレンダーがペッツバールと袂を別ってブラウンシュバイクでペッツバールタイプのレンズを製造し始めるのが1849年で、この頃から特許の及ばないヨーロッパ各国にペッツバールタイプのレンズの製造が広まりましたので、ドゥロジーが自社のためのレンズを製造し始めたのもこの頃ではないかと推測されます。
ダゴスティーニ氏は、エロワ・ウジェーヌ・ドゥロジーが経営者になってからレンズ製造を始めたと別頁で記載しているので、1851年と仮定することにします。

今日はここで終わりにします。
明日は使用したレンズの製造年を推定することにします。
作例ですが、3人の美女に続いて、今度は2人の美女に遭遇しました。
左の女性は韓国からの留学生とのことでした。
韓流ドラマに登場しそうな美しい顔立ちが印象的でした。
【Alpha7/Derogy 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Derogy 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/31 Sat

偶然のペッツバール

Derogy 15cmF4
ニエプスとダゲールの写真術の発明以降、レンズの発展は多くの必然によってもたらされていると言えます。
反射率や屈折率の違う何種類ものガラスの使用、コーティングの導入、ヘリコイドによる焦点合わせの採用、虹彩絞りによる露出のコントロール、コンピュータによるレンズ設計などは、レンズ性能と使いやすさを進歩させ続けました。
それ以外にもカメラの発展やフィルムの性能アップ、カメラマンの技術向上なども間接的にレンズの進歩に寄与しています。
一方でまったくの偶然と言うか、意図したこととは関係なくレンズが大きく進歩したと思われることも存在します。
映画が撮影されるようになってそのためのレンズを設計するとか、引退したルドルフ博士が第一次大戦の敗北によるインフレで一文無し同然になって復職してプラズマートを設計したとか、数えればいくつもの出来事に指を折ることができるはずです。

偶然がもたらしたレンズ発展の最初期の2大出来事は、フランス政府がダゲレオタイプの特許を買い取って誰でも使用可能としたことと、ペッツバールがオーストリアでしか特許取得していなかったためフォクトレンダーと喧嘩別れした以降、ヨーロッパ各国やアメリカでペッツバールレンズとそのバリエーションが盛んに製造されたことと言えると思います。
前者では、仏政府の特許買い上げが無ければ、カメラとレンズもダゲールの独占になり、しばらくの間はジルーカメラとしシングルエレメントあるいはアポクロマートのレンズのみしか存在しなかったでしょう。
ダゲレオタイプの写真術が広まったことが、フランスの国民産業振興協会の優れたレンズに対する懸賞金となり、それがウィーンに伝わってペッツバールがレンズを発明したというのは実に偶然が連鎖しているように思えます。

そのペッツバールのレンズはウィーンのフォクトレンダーによりカメラとともに製造されましたが、報酬額の問題から両者は喧嘩別れしたものの、ペッツバールの特許がオーストリア国内でしか有効でなかったため、フォクトレンダーはドイツで製造を継続し、他の欧米のレンズメーカーも追随しました。
有名な話ですが、もしふたりがケンカしなければペッツバールレンズはフォクトレンダーの独占で他のメーカーのものが存在しなくなり、もしペッツバールが欧米各国で特許申請してからケンカしていればウィーンのディーツラーというメーカーがその後のペッツバールレンズを独占製造していたでしょう。
いずれにしても、わたしがペッツバールのレンズを手にすることなどできなかったに違いありません。

歴史上のもしもは不毛なのでこの辺で止めておきます。
ただ、ペッツバールレンズは、写真史の中の必然と偶然の中で幸運にも生まれたレンズだということを再認識したことでますます愛情を感じられる存在になりました。
フィルムからデジタルに変わり写真術の世界は未だ全身を続けていますが、レンズもそれは同様でしょう。
しかし、サインのデジタルカメラに装着してもまったく違和感なく使用でき、撮影結果についてもとても150年も前のレンズで撮ったものとは思えないというのは、いつも書くことですがすごいことだと思います。
ただ、それだけ完成されたレンズがありながら、レンズ史の中ではさらに優れたレンズが設計されたことの方がよりすごいことだとも言えるかも知れません。


さて、鎌倉駅についてアメ横のようになってしまって品を失った小町通りの混雑を抜けて、いつものように鶴岡八幡宮に到着しました。
参道を歩いていると早々に着物の美女が目に留まります。
しかも、それはひとりだけではなく3人もいて、その3人が3人とも美人なので驚いて思わず撮影させていただきました。
混んでいる参道内なので、下がり方が甘く、両側が大きく切れてしまったのは残念ですし、また太陽光が眩しそうな表情なのももったいないことをしました。
冬の撮影では、低い太陽に対して順光では被写体が眩しく、逆光ではレンズが眩しく、どちらも撮影には好ろしくありません。

鎌倉にも京都のような時間貸しの着物レンタルがあって、寺社を記念撮影しながら観光できると若い女性や外国人に好評だそうで、そういうところを撮影できればと思っていたところ、彼女たちは明らかに自前の着物です。
時期的には初詣だからと言う意味もあっての着物だったかも知れませんが、最近若い女性が着物を楽しんでいる姿を目にする機会が着実に増えています。
観光客、中でも外国人の誘致に必死になっている自治体は少なくないと思いますが、例えば、鎌倉へ行けばなんちゃってレンタルでない本物の着物の女性がいっぱい歩いているとなれば、それだけで行きたいと思う外国人は少なくないということを考えれば、着物を着ようと呼びかけることから初めてみればと思います。
どこかの遊園地でゆかたで来ると半額などとやっていましたが、同じことを鎌倉市でもぜひ検討いただきたいものです。
【Alpha7/Derogy 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Derogy 15cmF4 | trackback(0) | comment(2) | 2015/01/30 Fri

フランスつながり

Derogy 15cmF4
週の半ばで中途半端になりますが、今日から東京ドームの翌週に出向いた江の島と鎌倉の作例に切り替えることにします。
最初の江の島とは毎年出向いている江の島寒中神輿錬成大会で撮影したものになります。
何といっても寒中神輿が海に入って行く勇壮たる姿がこの大会のみどころですが、どうにも長焦点のペッツバール向きの画題ではありません。
砂浜から海に向って進んでいく激しさを捉えようと28mmレンズで突き飛ばされながら接近戦を望みましたが、これも何となく迫力ありますが、今の私の好みではあまり面白い写真ではないのでボツにしました。

結局、神輿上で舞っていた新成人の振袖の女の子に声をかけて撮影させてもらいます。
いつもと同じパターンですね。
そこでご家族が手にされていたシャンパンをお借りして、祝賀的な雰囲気を高めてみようと考えてみました。
お祝いでよく用いられるシャンパンなので、祝賀的になるかと言うとそうでもないようです。
むしろ女性が酒好きに見えてしまう失敗だったかも知れません。
ペッツバールの人物撮影で、初めての小道具の導入でしたが、そんなに簡単ではないということですね。

ちなみに太陽に向いていもらったため眩しさで目を細めてしまいましたが、彼女自身もかなり可愛らしい女性でした。
何枚も撮れればよいのですが、15cmのペッツバールで着物女性を撮ろうとすると相当後退せざるを得ず、そのあいだにシャンパンの新成人が撮影に応じてるぞとばかりカメラマンが集まってしまい、それ以上手が出なくなってしまったのです。
わたしも以前はそうでしたが、日本のアマチュアカメラマンはほとんど声をかけて撮影することをしません。
シャイだからなのでしょうか、しかし、撮影してもいいよ的な状況になると我も我もと人が集まる傾向があります。
彼女も談笑しているところを声かけて2~3枚撮らせてもらうつもりが、大勢に何枚も撮られることになってしまい、申し訳ないことになってしまいました。

シャンパンにはもうひとつ意味があって、今回使用しているのがフランス製のペッツバールなので、その辺に絡めてレンズの説明をしようと思ったのです。
しかし、人だかりでそんな余裕はなくなってしまいました。
わたしのドゥロジーもモエ・エ・シャンドンのロゼに引けを取らない高級レンズだと言いたかったのですが。
そういえば、"Moet et Chandon"をモエ・エ・シャンドンと呼んでいますが、モエテ・シャンドンが正しい読み方ではないかと思うのですが、どうなんでしょう。
合わせて"Derogy"がドゥロジーでいいのかも気になります。
デロギーと書かれているのもどこかで見ました。

江の島寒中神輿錬成大会は、真冬のイベントとしてはだいぶ認知度が上がって来ていて、当日はかなりの人が集まりました。
場所柄、江の島観光や江島神社参拝に立ち寄ったという人も多かろうと思いますが、これを見るために来たという外国人もけっこういました。
ヨーロッパ、アメリカ、南アジア、南米の人が本格装備だったり、海に入るために短パンだったり(当日はとても暖かかった)、自撮り棒で上から撮ったりそれぞれに楽しんでいるのを見てわたしも楽しみました。
がっちりロシア人は上半身裸になって、日本のいかつい兄さんたちと肉体美を競うという国際交流もありました。

こうなると来年はペッツバールだけではなく50mmレンズを持って行って、日本の伝統を自国のスタイルで楽しむ外国人たちを撮らなくてはいけないと思います。
ただし、今回は作例1枚だけで、明日は鎌倉の写真になります。
錬成大会見物後は、いつものようにトン汁と日本酒をありがたくいただき、江島神社に初詣に行きました。
それから途中の食堂でシラス丼を戴いて、江ノ電に乗り込みます。
満腹になって暖かな中で江ノ電にことこと揺られていると夢うつつのしあわせ気分に浸れるのがいいですね。
【Alpha7/Derogy 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Derogy 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/01/29 Thu

他的妹妹

Derogy 15cmF4
ルアンパバンの旅の最終回です。
滞在最終日はお昼のフライトで時間まで散策するつもりでいましたが、結局、写真はあまり撮らず、何となく古い町並みを見て終了です。
早朝の托鉢を見終わってから部屋に戻りシャワーを浴びていた時に、カームロイ君がやって来て、朝食を食べに行き、長話などしたため時間が無くなってしまったのでした。

そのため、今日の作例は、前日に行った高校女子寮で撮らせてもらった丸顔の生徒さんです。
可愛いね、写真撮らせてと声をかけると、最初は引いていたものの、日本からラオスの美女を探しにやって来たと出鱈目な説明をしたところあっさり撮影許可してくれました。
カメラを構えると、寮の仲間から、ヒュー、ヒューと冷やかしが飛んできて、少し表情に恥ずかしさが見え隠れしています。
しかし、顔にピントが来ていません。
胸元を狙ったような写真になってしまいました。
カームロイ君の妹には会えませんでしたが、いたとすればこんな感じだっただろうかと言うことで。

前日、カームロイ君にはある相談を受けていました。
わたしが彼の前で、中国人観光客と雑談しているのを見て彼は興奮しています。
ルアンパバンを訪れる中国人はとても多いので、中国語を勉強したいとずっと思っていたとのことでした。
彼はレストランでバイトしていて、外国人観光客に英語で接していますが、中国人はまったく英語が通じず、中国語を勉強する必要を感じているともらしました。
それに、郊外へ出ると気付きますが、進出している中国企業が多く、中心からちょっと外れると中国料理のレストランが多く見られます。
彼は、中国語をものして、卒業後に中国企業か中国と接点のある会社で働きたいと考えていると語りました。

そこで彼からの相談があり、それは、大学で中国語のセミナーがあるのだが、別料金のため今のぎりぎりの生活では受けることができない、少しでいいので援助してくれということでした。
中国語をいま教えてほしいとのリクエストを受けて、勉強したことがあるのかと聞けばまったくないとの返事で、ではといくつかの簡単な言葉を発音しても知っているはニーハオだけで、シェシェもツァイジェンも聞いたことがないということでした。
しかし、ラオス人のほとんどが同様の状況なので、話せるようになれば即戦力になると張り切っています。

わたしが中国人なら彼の考えを歓迎していたでしょう。
しかし、わたしは片言程度の中国語を話しますし、中国にほぼ毎月行っていますが、もちろん中国のすべてが好きという訳ではなく。
むしろ腹立たしいことの方が多く、政府が進める海洋進出や見返りを求める援助には不快感を感じているので、ラオスへの中国人の増加もそういったこととの関連を考えると、とても愉快なこととは思えません。
中国政府はアセアン諸国でインフラ整備の援助と称して巨大建築物などを造っていますが、それが周りと不釣り合いで景観を壊す問題があったり、工事そのものを中国企業が受注して中国人技術者・労働者を流入させるため地元に金が落ちないし技術も伝わらないなどの問題があるばかりか、プロジェクト自体が当事国の政治家を買収して環境団体の反対を封じ込めているなどということは、しばしば噂にのぼることです。
そんな国の言葉を学びたいから、援助してくれ…?

この日、一緒に朝食を食べながら、わたしは中国と言う国が世界でどのように思われているか、日本やフィリピン、ヴェトナムが領土を一方的に失う可能性があり、ラオスだって例外ではないかも知れないことなどを話しました。
だから、ビジネスとしての中国語を勉強するのは反対しないが、君は中国を知れば知るほどあの国が嫌いになるだろうから、それは覚悟するようにと前置きして、財布から3千円取り出して彼に手渡しました
昨日近隣の村に連れて行ってくれたのは友だちとしてだと言っていましたし、給油や食事代はわたしがもっていますので心付けは不要なのですが、この3千円をガイド料として払うことにしたのです。
中国語のセミナー料にはまったく不足でしょうが、ガイド料としては多いくらいだと判断しました。
彼は日本円を不思議そうな顔を眺めながらサンキューと言い、いくらくらいなのかと聞きます。
USD25くらいだと答えましたが、彼は表情を変えなかったので、その額に不満なのかはわたしには分かりません出した。
【Alpha7/Derogy 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Derogy 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/12/21 Sun

毎天早上的

Derogy 15cmF4
村から宿に戻って、少しだけ寝てから夕食に向かうつもりでしたが、目を覚まして時計を見ると12時を指しています。
6時くらいに宿に戻ってきたはずなので、6時間も眠っていたことになります。
今回、珍しくも古建築のなかなかの高級ゲストハウスに宿泊したのですが、ベッドの固さがわたしにフィットしていて、それも熟睡した原因でしょう。
慌てて外に飛び出してみますが、レセプションのお兄さんに、もうこの時間ではみんな閉まっていますと引き止められました。

一応、どこかやっていないか散策してみましたが、すべてが扉を閉ざしていました。
夕食なしですが、仕方ありません。
またベッドの上で参ったなあなどと考えているうちに寝てしまいました。
考えてみれば、ここへ来るまでに忙しい日が続いていて、前夜も羽田発の夜行フライトでのわずかな睡眠でしたので、寝心地の好いここで爆睡になったのも致し方ないことです。

しかし、結果的にこれが正解でした。
朝6時に目覚めたので、合計12時間も寝ていたことになりますが、6時と言うのがまさに托鉢の始まる時間でした。
わたしが寝ていたのは2階の角部屋で、テラスがあるのですが、そのテラスは当然のようにL字型に長く、籐のイスとテーブルが置かれていて朝夕のお茶タイムなどを優雅に過ごせるようになっています。

その椅子に腰かけて待っていると、まだ暗い中、遠くに僧侶の列がゆっくりとこちらに向かってくるのが見えました。
部屋にカメラを取りに戻り、慌てて真下を通る僧侶たちを次々撮影します。
なかなかこういう位置から托鉢を見る機会はないだろうなあと思うものの、写真としてはパッとしません。
やはり横着せずに通りに出なくてはいけないですね。

昨日も宿付近で撮影しましたが、自分が宿泊していながら言うのも身勝手ですが、ゲストハウスが多いこのあたりは欧米人が目立ってしまい、ローカルな雰囲気が希薄でした。
地元民ばかりのところはないものかと、通りをひたすら進んで行ってみました。
1キロ近く歩いたでしょうか、お寺にぶつかって道は途絶えてしまい、結局観光客が存在しないところはないという結論になりました。
観光の町ルアンパバンですから仕方ないですし、それならいっそローカルとツーリストが並んでタンブンする姿を撮るのがこの土地ならではで良いのではと思うことにしました。

タンブンとは喜捨のことで、確かこれを行うことで来世は幸せになれるのだということだったと思います。
篭に入った例のスティッキーライスは観光客向けに用意されていて、おかずとともに僧侶ひとりひとりに喜捨します。
托鉢の終点付近なので、作例の僧侶のおひつのような入れ物からお米が満杯で見えていますね。
僧侶の食事は午前中一度だけですが、さすがにこれ全部食べたら太ってしまうでしょう。
こっそりと僧侶の後を付いて行くと、お寺に入って行って、数ある仏像ひとつひとつにお供えしてまわっていました。
他にも貧しい家に逆喜捨(?)したりもするそうで、食べ物はけっして粗末にしないようです。
美しい習慣は、どんなに観光化されてしまっても、ぎりぎりのところで仏教の教えを守って日々続けられていくということなのでしょう。
【Alpha7/Derogy 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Derogy 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/12/20 Sat

過河村落

Derogy 15cmF4
20分ほどバイクに跨っていたでしょうか、ヴィエンチャンまで3百何十キロという表示が出ている山道を越えて、さらにずっと行った先の平坦な土地に目的地がありました。
路地を50mも入ると土地が開けて、ここがカームロイ君の妹が通う高校だと言います。
わたしに紹介しようと探したのですが、どうやら休みということで、友だちとどこかへ出掛けてしまったとのことで彼は残念がっていました。
もちろんわたしもたいへん残念です。

妹の高校と言っても彼らの家がこのあたりにある訳ではないそうです。
実家はルアンパバンからバイクで4時間もかかる僻地だそうで、貧しい家だと語ってくれました。
彼は4人兄弟の長男で、本人と親の夢だったのでしょう、必死に勉強してルアンパバンの大学に入り、英語を勉強しています。
妹も学力があるからなのか、ルアンパバン郊外のこの高校の寄宿舎で生活しているので、彼を追ってルアンパバンの大学を目指すのだと思います。
もともと首都だった文化都市ルアンパバンには、複数の大学があるようです。

わたしたちは高校の校庭を突っ切って、500メートルくらい歩き、最後は背が高く前方の視界が効かないトウモロコシ畑の農道を進んで、さほど幅の広くない川のほとりに出ました。
ここから20円ほどの料金を払って渡し船に乗せてもらい対岸で降ろしてもらいます。
そこにカームロイ君がわたしを連れてこようとした村がありました。
妹のいる高校には何度か来たことがありましたが、その時に1度だけ散策してこの素朴な村も歩いたので、ここならわたしも気に入るだろうと考えたとのことです。

ラオスでは土日は学校が休みなのだそうで、道々に子どもが駆け回っています。
そんな姿を見られる村の第一印象は悪くありません。
見掛けた子どもたちを手当たり次第に撮影していきましたが、カメラを持った人がそうそう来ることもないだろうこの村で、騒ぐでもなく逃げるでもなく、好奇心の目でこちらを見る程度の好いモデルになってくれたケースが多かったのはありがたいことでした。

今日の作例は、そんな子どもたちのうちのひとりです。
気温が30度前後でポロシャツ1枚のわたしが汗だくになる前で、ダウンジャケットのような上着を着ているのがわたしには衝撃的でした。
ふと思って、この日撮った写真をざっと見たところ、もちろん半袖の人も多くいましたが、老若男女を問わず上着を着ている人が多くいました。
特に日焼けしないためとかではなくて、彼らにとっては涼しいくらいの感じなのでしょう。
夜は実際かなり涼しいので、そのまま脱いでいないだけかも知れませんが、汗まみれのわたしからはやはり信じがたい姿です。、

それともうひとつは、鼻水ですね。
彼女が風邪をひいていて上着を着て鼻水垂らしているという訳ではありません。
小さな子どものほとんどは、同じように鼻水を垂らしながら遊んでいたのです。
日本では鼻水の子なんて赤ちゃんくらいしか見なくなりましたが、わたしが子どもの頃は当たり前によく見たというか、わたし自身もハナタレ小僧だったような気がします。
それが昭和のいつかの時点で、鼻水垂らしていてはみっともないと、ディッシュでチーンを常時行うのが当たり前になってハナタレ小僧はいつの間にやら姿を消してしまったのではないでしょうか。
作例に思わず懐かしさを感じてしまいました。
【Alpha7/Derogy 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Derogy 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/12/11 Thu

芸術橋

Derogy 15cmF4
朝食のことをもう少し詳しく書くと、購入したのはメコン川の焼き魚(レンギョとかソウギョなどのあまり馴染みのない魚?)、メコン川の海藻(彼らはそう呼んでいましたがモズクのような食べ物)、ブタ肉の炒め物、豆腐の炒め物、トリ肉のスープ、それに蒸したもち米です。
もち米は彼らの家でも製造途中で、コンロのような器具の炭で鍋の水を沸騰させ、その鍋の上に竹の籠を置いてバナナの葉に包まれたもち米をゆっくりと蒸しているのを見せてくれました。
素朴な仕組みですが、これでいつでも熱々のご飯は食べられるということが理解できます。

もち米はスティッキーライスと英語で言うそうです。
くっ付きやすいご飯ということですから、餅のイメージとも合致する表現です。
ただ、ご飯を手で食べるとき、ちょうどお寿司くらいの分量をとって右手で数回ぎゅっと握って若干固めつつ形を整えるのですが、このときにけっして手にstickyになることはなく、手をべとべとにするような感じにはなりません。
たぶん日本の米で同じようなことをすれば、手がべたべたになるだろうし、うまい具合の固さになったり形が整ったりしないだろうし、手で食事するのにはよほどスティッキーライスの方が向いていることが分かります。

そうして米をおかずの上に乗せながら肉とか野菜を手で米に付けてそのまま口の中に入れて食べます。
スープも米を浸しすことで味が付いて美味しく食べられるのですが、やはり日本の米だとスープに浸せばいくらかはスープ側にぽろっと落ちてしまうでしょうが、スティッキーライスはここでも威力を発揮して、しっかりスープを吸収しつつ口の中まで届けてくれます。
以前、インドなどでカレーを手で食したことがありましたが、インディカ米はぱさぱさでにぎってもうまくまとまらず、しかもカレーが熱くて指が熱い熱い言いながら、米をぽたぽたこぼしながら悪戦苦闘したことを覚えています。
その点、ラオスでの手の食事は見様見真似ですぐに慣れ、そのスタイルも実に気に入りました。

しかし、みんなでおかずをシェアするこのスタイルは衛生的とは言い難いものがあります。
どうしても指におかずの汁などが付いてしまうのですが、それをこっそりぺろっと下で舐めざるを得ず、同じ指で共同の米から取って、シェアするおかずに指を付けて、またそれを舐めての繰り返しになります。
誰かが肝炎などに感染していれば、それが広まるのを防ぐことはできないでしょう。
いや、実を言えば、食事の前に誰も手洗いしていないので、スタート時点でかなり不衛生です。

満腹になって、さあ出発ですが、みんなから美味しかったですありがとうと声をかけられました。
ラオスでは食事前に仏様への感謝を捧げるのだそうですが、彼らのあいさつはご馳走様の代わりなのかも知れません。
彼らのアパートは小さなレンガ造りですが、2階建てで8部屋あって住人のほとんどは大学生のようでした。
ラオス版シェアハウスですが、となりの部屋が女子大生3人組で彼らとも親しかったようなので、どうせなら彼女たちともいっしょに食事したかったです。
扉がオープンなのでこっそり覗くと、じっと鏡を見ている子やら服を床に並べて何を着ようか悩んでいる(?)子、勉強している小とそれぞれで、こういう感じは世界共通なのかと思いました。

アパートの前のダートロードを大学方面に走り出すと早々に降りてくれとカームロイ君が言います。
先方に小さな橋があって、崩れかけているので危険だということのようでした。
木の板を組んだような手作り感が強い橋でしたが、下の支えが抜けてしまったのか中央に向けて急こう配で、歪みも加わったことでねじれかけたような形状になっています。
それでいて板木は割れたり隙間ができたりということなく、いったいどうすればこのような乱れ方をするのか理解できません。
手すり部分もジェットコースターのレールさながらで、もしかしたら美術学部の作品なのではと思うような世にも奇妙な橋なのでした。
【Alpha7/Derogy 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Derogy 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/12/10 Wed
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