優惠招待

Francais 15cmF4
今年は半ばヤケになって東南アジアの国々を訪れました。
そのほとんどが、中国の用事を済ましてから香港経由で向かうごく短時間の滞在なので、あまり大きなことは言えませんが、次のことが印象に残っています。
滞在した東南アジア8ヶ国は大きく3つのグループに分けられますが、国の雰囲気もそのとおり3つに分別できます。
すなわち、ゆるくて暖かなインドネシア、タイ、マレーシア、フィリピン、活気を感じるものの陰りも見え隠れするベトナム、ミャンマー、理路整然とし過ぎていて検体ムードのシンガポール、ブルネイとなります。

もちろん、すべてがこの型に嵌まるとか、国民全員が同様に振る舞うなんていうことはありません。
あくまでトータルの印象に過ぎませんので、例外的なことは多数存在すると思います。
それに、わたしは庶民的といえるような人たちと接することを心掛けていますが、そういう人たちには概して国境はなく、彼らが日本に来て行動しているのを見ても、何人だと判別するのは難しいだろうなあと思います。

そこでフィリピンの話になりますが、前にも書いたようにフィリピンのイメージはとても悪くて、旅行者の人気もタイやマレーシアと比べてずっと下位になると思われます。
しかし、タイ、マレーシア、インドネシアと比べてどこが違うかと言われても短期滞在者には積極的な違いは見つけられないとしか言いようがありません。
好い部分、悪い部分含めてこの4ヶ国はよく似ていると言えるのではないでしょうか。
人間のおおらかさや面倒見の好さ、物価の適度な安さ、食べ物のおいしさ、子どもたちの純粋さ、蒸し暑い気候、朝夕の渋滞、豊かさの経済成長の裏にある貧困…。

では、違いはどういうところかと、フィリピンを旅行する優位性は英語の通用度です。
シンガポールも英語が公用語になっていますが、フィリピンは戦前までアメリカ領ですので、英語人口比率はどちらもとても高いです。
シンガポールでは中国語も公用語ですが、マレーシアやタイなども華人社会があって部分的ですが中国語がよく通じます。
フィリピン、インドネシアも同様のことが言えますが、規模は小さいかも知れません。
中国語はともかく、英語がよく通じるというのは、そうでないよりはるかに旅におけるアドバンテージがあります。
わたしは現地人とのコミュニケーションを重視しているので尚のことそう感じます。

もうひとつは、宗教の違いに指を折ることができるでしょう。
東南アジアの多くが仏教国と言えますが、インドネシア、マレーシア、ブルネイはイスラム教国です。
フィリピンだけが植民地時代に宗主国スペイン下でカトリックを受け入れた、唯一のキリスト教国となります。
戒律の厳しいイスラム教は、食事やアルコールなど旅行の際に立ちはだかることがありますが、わたしにとっては女性を撮影しづらいという方が深刻な問題です。
仏教やキリスト教がわれわれ旅行者に大きく影響を与えることはなさそうですが、キリスト教の方が敷居が高いような気がして、タイでよく言われる微笑みは仏教だからこそと言うのは身びいきというものでしょうか。

フィリピンにはまた来る機会は無いだろうななどと考えていたのですが、うっかりミスでもしかしたら1年以内にまた出掛けることになるかも知れなくなりました。
市内はずれのホテルに2泊したのですが、ホテルのインターネット予約サイトで間違って3泊予約してしまっていたのです。
ホテルと掛け合って1泊をキャンセルしたいと言ったのですが、予約サイトを通してるので自分で手続きしてしなくてはならないと分かりました。
当日キャンセル扱いでいくら返金されるか分からないとがっかりていると、事情を聞いたオーナーがやって来てそれはあまりに気の毒だと、名刺の裏に1年間無料で泊れる優待券と書込んでいます。
ただ、有効期間は今日から1年間だけだよと笑いながら、彼はわたしに手渡したのでした。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
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Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/11/02 Sun

当日菲過橋

Francais 15cmF4
今年は半ばヤケになって東南アジアの国々を訪れました。
そのほとんどが、中国の用事を済ましてから香港経由で向かうごく短時間の滞在なので、あまり大きなことは言えませんが、次のことが印象に残っています。
滞在した東南アジア8ヶ国は大きく3つのグループに分けられますが、国の雰囲気もそのとおり3つに分別できます。
すなわち、ゆるくて暖かなインドネシア、タイ、マレーシア、フィリピン、活気を感じるものの陰りも見え隠れするベトナム、ミャンマー、理路整然とし過ぎていて倦怠ムードのシンガポール、ブルネイとなります。

もちろん、すべてがこの型に嵌まるとか、国民全員が同様に振る舞うなんていうことはありません。
あくまでトータルの印象に過ぎませんので、例外的なことは多数存在すると思います。
それに、わたしは庶民的といえるような人たちと接することを心掛けていますが、そういう人たちには概して国境はなく、彼らが日本に来て行動しているのを見ても、何人だと判別するのは難しいだろうなあと思います。

そこでフィリピンの話になりますが、前にも書いたようにフィリピンのイメージはとても悪くて、旅行者の人気もタイやマレーシアと比べてずっと下になると思われます。
しかし、タイやマレーシアの微笑みややさしさなどはフィリピン人にはないかと言えば、けっしてそんなことはありません。
客観的に見ても、他の東南アジア諸国同様、人々は親切でとてもフレンドリーです。
でも、そんなことは顧みられず、治安の悪さの方が大きく取り沙汰されて、フィリピン近寄るべからずのイメージができてしまうのですね。
フィリピン政府もそんなことは分かっているだろうに、残念ながらイメージ改善の努力をする気配がありません。

そんな中でわたしは素敵な女性に出会いました。
マニラ大学近辺を歩いていたとき、日本人ですかと声をかけられたのです。
わたしはフィリピン人の大半は良い人であると理解しているつもりでしたが、それでも日本人を狙った犯罪があることは間違いないでしょうから警戒してしまいました。
ましてや、作例のような美人にいきなり声をかけられるなんて不自然です。
しかし、それはとても失礼なことでした。
彼女は日本からマニラの大学に留学に来ていると自己紹介したうえで、しばらく日本語を話していなかったので、一目で日本人と分かったわたしに思わず声をかけたのだとか。

しばしの間、立ち話しました。
前述の通り、あまり評判の芳しくないフィリピンに留学しているくらいですから諸事情はあるのですが、フィリピンと日本の架け橋になりたいという希望を持っているのも確かで、そうやって若い女性がひとり異国の空のもとでがんばっている姿を目の当たりにさせられては、わたしも感じ入られずにはいられませんでした。
たいへんなことも多いでしょうが、毎日楽しいし充実しているとのことだったので、その調子で頑張ってほしいとエールを送りました。

記念に写真をと求めてもOKしてくれました。
ポートレイト用のレンズですが、そう説明しても彼女は近くで遊んでいた子どもたちをフィリピン語で呼び寄せて、みんなではい、チーズとなりました。
いきなり道端に座り込んで、子どもたちと同じ高さで写真に納まろうとする姿が彼女の性格をよく表していると思います。
最高のシチュエーションで最高の1枚にしたかったのですが、御覧の通りのピンボケが悔やまれました。
同じ場所で同じ写真を撮るために、ここまで飛んで行きたいくらいなのですが。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
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Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/11/01 Sat

的士的問題

Francais 15cmF4
わたしがフィリピンから帰国した日のニュースで、タクシーに乗っていた日本人が銃で撃たれて死亡した事件を報じていました。
場所が、わたしも訪れた竹のオルガンのあるラスピニャス市のことだと聞いて少々驚きましたが、タクシーの運転手にやられた訳ではなく、バイクに乗った賊による犯行とのことでした。
ただし、マニラではタクシーは危険で、なるべく流しのには乗らずに、ホテルなどで呼んでもらうようにと言われているようです。

そんなこととは知りませんでしたが、幸いタクシーを利用したのは空港への行き帰りだけでしたので命を取られることはありませんでした。
しかし、空港に行こうと停めたタクシーは、走り出してもメーターを倒さず抗議すると、空港までは渋滞しているので2000円寄こせと来ました。
たぶんメーターなら500円くらいで行くはずなので、ふざけるなと信号待ちの時にタクシーを降りてしまいました。
なんとタクシー運転手はもうすぐ信号が変わるかも知れないタイミングでもかまわず、車を放ったままにわたしを追いかけてきました。
いきなり手首を引っ張られたので、刃物でも出されてはかなわないと初乗り料金を払うかと財布から札を出しかけると、初乗りの2.5倍に相当する100ペソ札を抜き取って去って行きました。
見るともみ合った際に相手の爪で切ったようで、手の甲から出血していました。

続いて乗ったタクシーもメーターを倒しません。
倒さないなら降りると言うと分かった分かったとメーターを倒しますが、動作が不自然です。
見るとメーターの数字がすでに2000円以上になっていますが、このゼロは関係ないとへらへら弁解し出しました。
あまりにふざけた芝居にまた降りたのですが、今回は追って来ませんでした。
その直後に乗ったタクシーはようやくまともな人で、今までの経緯を説明すると妙に恐縮して、信号待ちのときに売り子からお菓子を買って半分分けてくれました。
空港まで渋滞はなく10分ほどで到着し、料金も200円ほどでした。

マニラにはタクシーが多く走っていますが、まともな運転手はどのくらいの割合なのでしょう。
わたしが乗ったのは比較的繁華街から近かったので観光客を狙う雲助に遭遇する確率は高かったでしょう。
それにしても3回乗ってうち2台がやばいタクシーとなると、マニラでは流しのタクシーに乗ってはいけないというのは本当なんだとしみじみ思いました。
ちなみに到着時の国際線専用のターミナルには一般のタクシーは立ち入り禁止で、料金が1.5倍くらい高い専用のタクシーが対応しています。
入国早々タクシーでトラブッては国の威信に関わると政府が改善したということのようです。
しかし、空港へ向かうためには公共交通機関が無いので、やはりタクシーで行くしかないので、いちばん好いのは行きに利用したタクシーの名刺をもらって帰りに呼んでもらうということでしょうか。
面倒臭いです。

さて、作例ですが、イントラムロスの一角でちょっと地黒の日本人と言っても分からないんじゃないかというような女の子が歩いていました。
制服を着ていて高校生のようです。
少し離れたところから1枚撮って、声をかけてもう1枚撮らせてもらいました。
2枚を比べるとポートレイト風よりもこちらの方が雰囲気あってよかったので採用します。
女子高生ですかと聞いたところ、いえ、カレッジですとの返事でした。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
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Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/31 Fri

写真師的影響

Francais 15cmF4
前月のミャンマーに行く際、この国の事情に精通している高野秀行さんの本を数冊読んでから出発しました。
情報収集と言うより、気分を高めることが目的で、それは十分以上に果たされたと思っています。
その国の現在の状況は新聞やニュースなどで表面的に知ることが可能ですが、それ以上によりディープな内情を今よりだいぶ前のことがらであっても知っておくことは、旅しているさなかのできごとにより深い意味を与えてくれる可能性を高めます。
例えば5年前、10年前のその国をニュースレベルではなく、時間をかけて旅して来た人の話を読むことから、自分のわずかな時間の旅を繫ぎ合わせて点から線に変えることが可能になってくると思うのです。

今回のフィリピンではだいぶ以前に買って読んでいた日比野宏さんのフィリピン紀行、「バハラナ」と「マガンダ」の2冊を読み返してからフィリピンに向かいました。
この2冊は1996年の出発となっているので、旅自体は20年ほども前のことになります。
高野さんの本のミャンマーとわたしの旅した時のミャンマーでは政治的な違いが計り知れないくらい大きいのですが、フィリピンの20年前は現在とどのくらい違っているのかさっぱり分かりません。
ただ、本を読み返して得た印象と旅してきて得た印象は、わたしにとってまったく変わらないものでした。

日比野さんは、本来は写真家で日本国内で活動していた方ですが、もともと仕事とは関係ないところでアジア各地を次々と旅して歩いていたようです。
それが、アジアの実情のリポートとして雑誌に取り上げられたり、エッセイを執筆したりしているうちに評価が高まったことで単行本を出版するまでになったようで、趣味で撮っていた写真や書き物を意識しない現地での出来事などが類例のない稀覯本として実を結んでいたと思います。

使用していたカメラがライカで撮るのはもっぱら現地の人々と言うこともあって、わたしは大いに影響を受けました。
わたしも観光地ではなく人ばかりを撮っていたのですが、そういう写真はなかなか人に見せても退屈されるばかりでしたが、写真の質さえ上げられれば、そのやり方そのものは間違っていないと教えられたような気がしました。
それに、当時はフィルム言うこともありましたが、日比野さんは日がなしゃかりきになって写真を撮っていたり、決定的瞬間を期待してカメラを手にしているということではなく、旅の中で写真を撮りたいという自分のタイミングを持っていて、普段は旅していることにより楽しみを感じていると感じさせるところにも共感を得ることができました。

日比野さんのフィリピンの旅は当然ながらマニラに留まるものではなく、あらゆる方面に足が向いていますし、それほど積極的な行くべき理由はなさそうでも、複数回その地を訪れているということもあって、わたしのなんちゃって2泊3日滞在とはまったく比較の対象にはなりません。
マニラのところでは、スラム地域に何度も足を運んで現地住民と親しく対等の関係になったり、繁華街ではポン引きと友人になって夜な夜な語り合ったりもしています。
わたしがイントラムロスで出合った人々に、そういった登場人物が重なり合ってしまうことは避けられなかったですが、けっしてそれも間違いではないと考えています。

イントラムロスの中にマニラ市立大学があるそうで、校門の前にオープンカフェが並んでいたのでわたしも休憩しました。
そこのドリンクは砂糖の量を選べることができたので、わたしは迷わず0%にしたのですが、それでも甘いドリンクが出てきたので、いちばん甘いのを頼んだらどうなっていたのか逆に興味が湧いたくらいでした。
作例は2テーブルくらい先にいた親しげに談笑する大学生カップルです。
モノクロ中心で表情をとらえる名手、日比野さんをかなり意識して撮影しました。
最大の違いは写真のレベルですが、レンズの焦点距離も日比野さんが28mmを愛好していたのに、わたしはもっぱら望遠好きになってしまったという違いもあります。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
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Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/30 Thu

馬尼拉的裏面

Francais 15cmF4
イントラムロスというのは、スペイン統治時代の遺構を残すエリアのことですが、今では地名として定着しています。
もともとスペイン語で、壁の内側というような意味で、城壁のような壁で囲まれており、その名残はじゅうぶんに味わうことができます。
かつてのサンティアゴ要塞は博物館として公開されていますし、マニラ大聖堂やサン・アウグスティン教会、サンタ・クララ修道院などのカトリックの施設はかつてのまま残っています。
それ以外にも西洋的な建築は多くあるので、宗主国だったスペイン人はもとより、外国から訪れる観光客や地元のフィリピン人にも受け入れられるものだと思います。

一方で、イントラムロスには、現地の生活エリアも背中合わせに存在していました。
スペイン的、西洋的なエリアなので、富裕層が住んでいると想像されがちですが、貧困層まではいかないのかも知れませんが、中間層にも満たない低所得の人々が多く暮らしているということでした。
ジプニーからここまで案内してくれた若者が教えてくれたことです。
彼は、財布を尻ポケットではなく前にしまうように、カバンもたすき掛けにして前で抱えるように持つように何度も言ってから立ち去りました。

マニラには貧困層のバラックが並ぶスラム街のようなところもあって旅行者が足を踏み入れるのは危険であると言われていますが、一方で彼らは貧しいだけで心優しき人々ばかりなので安全だったという報告もあります。
イントラムロスの生活者も所得こそ少ないものの普通に生活している人々と言う印象で、とくに危険だということはなさそうでした。
むしろ、このエリアが観光地と言うことで、勝手の分からない旅行者を狙う連中が存在していることが問題なのかも知れません。

むしろ、わたしにとって面倒だったのは、トライショーや馬車の勧誘でした。
イントラムロスがどのくらいの広さがあるのか分かりませんが、歩いてまわるのは無理なので、主要なポイントを自転車の横に客席を付けたトライショーや作例のような馬車でハイライトを巡ってあげようと誘ってきます。
わたしはそういう観光目的に来ている訳ではないので断るのですが、その先には別のトライショーが待っていてまた勧誘、また断って、またまた別のが勧誘の際限なき繰り返しでした。
トライショー利用は前月のミャンマーで体験しましたが、会計時にちょっとしたトラブルもあって懲りたこともありますし、全部を見て廻る必要もないので自分の足で歩くのに越したことはありません。

馬車で巡るというのはアジアではなかなかないことでしょうから試してみても面白かったかも知れません。
しかし。1組だけ馬車で観光している西洋人の老カップルを見ましたが、日本人がひとりで乗って似合うものではないなと悟りました。
それに馬車に乗っている人を撮影するところをよく見かけたので、馬車で観光しているというよりは、馬車で観光される側の一部になってしまっているということのように思えてますます利用したいという気になりません。

訪れたのは日曜日でしたし、最高気温が28度程と東南アジアにしては割と凌ぎやすい気候だったにもかかわらず、訪れている人はそうは多くありませんでした。
バンコクやシンガポール、クアラルンプール、あるいはサイゴンあたりの都会とマニラの違いはそこにあります。
リゾート地を別とすると、外国人観光客には支持されていない土地だということです。
アジアの他の都市とはよく似ているようで違いがあるのでしょうが、わたしにとってはそれは偏見のようで、どういうことが違うのかはこの日の滞在でいう限りさっぱり分かりません。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
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Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/29 Wed

瑪格麗塔・艾琳・戈麦斯

Francais 15cmF4
カバンの中から名刺が何枚か出て来ました。
フィリピン滞在時のものですが、昨日の作例の間もなく結婚するという女性の名前が、マルガリータ・アイリーン・N・ゴメスさんということが分かって、すごい名前だなあと感心しました。
帰国した後もバーでカクテルを飲むときにわたしの名前を思い出してねなどと、マルガリータという名前をやや自虐的に語っていましたが、それにしてもマルガリータ・ゴメスさんと聞いたら、フィリピン人ではなくスペイン人か中南米人を想像します。
彼女自身の祖先はスペイン人なのでしょうけれど。

かなりまけてもらって手に入れた木製の不動明王像をカバンに入れて歩き出すと、早速、その効能が現れたようです。
昨日の夜ビールを飲んだ後についつい現地の麺を食べてしまい、腹が張って朝食を抜いていたのですが、そろそろお腹が空いて来たかなあと思っていたところ、マルガリータの骨董品屋さんの何軒か先に古い洋風の建物があって、興味深く見ていたら、ガードマンが興味があるのか中にはレストランもあるから入ってごらんと教えてくれました。
中にあったのはレストランと言うよりバーでしたが、ランチもやっていると言って10時半にも関わらず、フィリピンのティピカルフードだというのを作ってくれました。

その料理の名前は忘れましたが、前夜食べた麺の名前はよく覚えています。
ルミというのだと教えてもらいましたが、美味しいそばの名前がルミちゃんというのでこれはこの日の夕方も食べることになりました。
検索するとルミでは見つけられませんでしたが、ローミー麺と言うのがあり、とろみのある煮込み麺だと書いてあるのでそれに間違いありません。
冷房ががんがん効いていないときついですが、かなり美味しい麺でしたので、フィリピンに行かれる向きにはお勧めします。

引退してフィリピン旅行に来ているというイギリス人男性と、そのバーで長話してしまいました。
ウエイトレスによればここ1週間以上毎日開店からディナーまでずっと座って飲んだり仕事したりしているそうです。
なんでまたと聞くと、来週からリゾートの島にくつろぎに行くのだが、それまでに仕事を片付けなくちゃならなくてね。
ここは居心地がいいんでずっと入り浸りさとウインクしています。

バーの前からは、ジプニーに乗ってイントラムロスに向かいました。
イントラムロスとは、マニラのほとんど中心にありながらスペイン統治時代の街並みを残した歴史保存エリアです。
昨日の夜のカラオケの女子大生もこの中にある大学に行っていると言っていたので、もしかしたらとも少し期待します。

ジプニーは、もともとが米軍の払下げのジープの二大を2つの長椅子に改造した、乗合ミニバスのようなもので、安価な料金でマニラ市内をくまなく結んでいる便利な乗り物です。
とは言え、行先や経由地が分かりにくいですし、治安的な不安もあるので普通の旅行者には利用しやすいとは言えません。
ただ、マニラでは、流しのタクシーに乗るべからずと言われるほどタクシーもリスクのある乗り物なので、であれば頑張ってジプニーを乗りこなすべきでしょう。

本で読んだことや自身の乗車体験では、基本的に治安面での不安はあまりないと言えます。
例えば料金を払うときは、現金を前方の人に手渡し手渡しで、リレーのように運転手に届けられます。
車内が混んでいる時も新たな乗客が乗ってくるとみな詰め合って席を作ったりということも普通にあります。
何か一蓮托生的な乗客同士の連帯感を感じられる乗り物と言えます。
わたしが乗ったときはイントラムロスと言ってお金を渡すと、まわりの何人かの乗客が、いかにも外国人が乗ってきたことに分からないことがあれば聞いてくれと言うような暖かい目で見てくれているのが分かりました。
そして実際、ジプニーには終点まで乗ってそこから少し歩かなければならなかったのですが、乗客のうちふたりがこっちだよとわたしを手招きして、イントラムロスの中心のマニラ大聖堂まで付いて行ってくれました。
作例は、その大聖堂の中での1枚です。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
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Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/28 Tue

骨董店的新娘

Francais 15cmF4
タールから戻って、ホテルのそばの安食堂で夕食をとりました。
料金は感覚的に日本の半額から3分の1くらい、内装も安っぽかったので安食堂と表記しましたが、客層は割と中間層くらいな雰囲気で家族連れなどもいて、日本で言うファミリーレストランか近所の人気店みたいなところだったかも知れません。
メニューが文字だけでさっぱり分からなくて難儀していると、そこは英語の得意なウェイトレスがやって来て、何を食べたいか、肉か魚? 肉を、ポークかチキン? 昼がポークだったのでチキン、チキンのメニューはここからここまでというようなやり取りです。

名前がいま思い出せないのが残念ですが、チキンのところに書かれたメニューも何が何だか分からなかったので、変わった名前のものをオーダーすると竈で焼いたようなスパイシーでないタンドリーチキンのようなものが出てきて美味しく、これは大当たりでした。
フレッシュジュースもあったのでビールは我慢してパパイヤのジュースも頼みました。
フィリピンのフルーツと言うと一も二もなくバナナを思い出してしまいますが、熱帯らしい季節のフルーツは豊富なようです。
これにライスを付けて400円弱だったので、ディナーとしては満足感が高かったです。

カラオケがちょっとうるさかったのですが、近くにバーがあったので入ってみました。
入ると女の子がいっぱいいて、うっとたじろぐことになりますが、怪しい店とかではないようです。
日本人でしょうと日本語で聞かれたのでボラレるのかもと、いやわたしはビジネスで来ている台湾人で、お金もあまり持っておりませんなどと言うと、片言の中国語を話す女の子が来て説明を始めます。

女の子を選んで別室でカラオケ&飲み放題ができると言います。
いやだから金がないからカウンターでいいですと答えたのですが、2時間飲み放題で3000円ほどだとのこと。
3000円も使えないし、そんなに長居したくない、カラオケはやらないし、女の子にも興味なしと言いかえしたところ、ディスカウントするからお願いだからカラオケしてくれと切願モードです。
カラオケを安くしていかがわしいことされてボッタクるんでしょと聞くと、そういう店ではありませんとなったので、まあやばくなったら有り金全部置いて逃がしてもらおうと考えました。
タール行きのタクシー代を払ったら手許には3000円ほどしかなかったので、これで全部と見逃してもらうつもりです。

最初から金を2000円だけ見せてこれだけしかないと言ったら、1時間飲み放題1000円でいいとのこと。
それでも店の女の子をひとり選んでというので、20人くらいいる中からいちばんシャイそうな可愛らしい女の子を選択します。
もしかしたら、ということもなく、ただカラオケのセッティングをするだけの女の子でしたが、聞くと彼女は女子大生で夜は健全なこの店でアルバイトしているとのこと。
わたしが昼間タールに行ったというと、そこからそう遠くない町出身だそうで、ちょっと話が盛り上がります。
大学は、明日行こうと思っていたマニラの歴史的町並みエリアの中にあるというので、明日食事でも誘いますが、これはやんわり断られました。

わたしが歌わないと言うと、もったいないからと彼女ひとりがずっと歌う状態でした。
リクエストと聞かれて、ブログサブタイトルの元になった、マドンナのライク・ア・ヴァージンを頼むとなかなかにうまいので驚きでした。
すっかり親しくなって、帰り際にまた来てねと言われて、明日の夜、日本に帰らなくてはいけないと正直に答えたところ、あれ、あなたやっぱり台湾人じゃなくて日本人だったのねとばれてしまいました。
1000円の元をとろうとビールを4本も飲んだのがいけませんでした。

作例は、その時の店ではなく、翌朝町中を歩いていて見かけた骨董品屋さんのオーナー、マルガリータさんとそのお母さんです。
木彫の小さな不動明王(?)がすっかり気に入って購入してしまいました。
フィリピンにはほとんど仏教徒がいないはずなので何であるのか不思議でしたが。
彼女のお勧めは、ポロプドール遺跡の石像でしたが、とても大きくて重くて買う気にはなれません。
そもそもポロプドールの石像持って来ちゃまずいんじゃないのと突っ込むべきだったか。

マルガリータさんは、滞在先のリゾート地で、バカンスに訪れていた年下のオランダ人男性と運命の出会いをし、交際すること1年余り、つい先日婚約したのだそうです。
結婚式は親戚だけを呼んで近く香港で挙げる予定だというのですが、その理由は、地元でやるととんでもない数の親戚縁者や知り合いが集まってしまい収拾がつかないうえに、何百万もかかるので、ようやく骨董屋の商売が軌道に乗り始めているので節約しなくてはいけないと笑っていましたが、香港の結婚式も安くはなかろうにと思うと不思議です。
さすが骨董品店の主、わたしのペッツバールを目ざとく見つけるので、写真を撮って、メールで送ることになりました。
彼女の独身最後の1枚になるのかも知れません。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
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Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/28 Tue

工事中

Francais 15cmF4
こんな道路看板に反応する人はわたしと同じ40代かそれより上の人かも知れません。
わたしが高校生の時にMen at workが流行して、Who can it be now? とかDown underなんて曲を毎日のように聴く時期がありました。
流れていたのはラジオではなくテレビで、当時ミュージックビデオが全盛でドラマもアニメも関心のない学生時代だったので、全米ヒットチャートのようなものはかなり見ていた方かなあと思います。

しかし、これは今でもそうですが、歌詞を聞き取れるだけの能力はありませんでしたし、タイトルの意味すら分からなくても平気でいたりと言うこともありました。
Men at workも、働いている人? いや、ワークは作品の意味もあるから作中の人物? とバンド名すら意味不明でした。
タールからマニラに戻る路上でこの看板を見たときも、働き人あり、という意味だと思いました。
それであっているのでしょうが、いま辞書を引くと単に「工事中」となっていました。
そんなんでよかったのですね。

わたしは、英語圏の国にはあまり滞在したことがなく、目的地として訪れたのは数年前のオーストラリアだけですが、そのMen at workの母国のオーストラリアでは工事現場を見ず、したがってこのような看板もあいにく見ませんでした。
英米などではどうなのでしょうか。
こんな看板は当たり前にあるのだとしたら、こんなものを撮っているわたしはどうかしていると思われるでしょう。

フィリピンの言語事情は複雑なようで、簡単に片づけることのできない問題でもあるようです。
そのため道路に英語の看板が立ってしまうのでしょう。
以下、依然に読んだ本や、今回聞いた話などを裏付けなしに書かせてもらいますが、確か、公用語はフィリピーノ語でそのもとになっているのがタガログですが、タガログはマニラのあるルソン島の言語です。
この関係は、中国の公用語が普通話と言って、北京語を元にしているのとよく似ていると思いました。

フィリピンは諸島国家で島ごとに言語があるようで、セブ島や周辺はビサヤ語というのを話し、使用人口はタガログより多いといいます。
他にもイスラムの島ではマレー語に近い言葉が話されていたりなど、実態はフィリピン人に聞いてもよく分からないくらいなのですが、そこを少し強引にタガログ中心にしてしまったことで歪みが生じてしまったようなのです。
フィリピンはスペインに統治されていた時代とアメリカに統治されていた時代、独立後も米軍基地が設置され続けたりと外国支配の強かった国なので、英語の通用度はかなり高いですし、各言語にスペイン語の単語がかなり混じっているとも聞きます。
123をウノ・ドス・トレスと言うとも聞きました。

加えて、多くの人が海外に出稼ぎに行っています。
これも記憶で書いているので誤りがあるかも知れませんが、ドイツの看護師やサウジアラビアの建設業、香港・シンガポールのメイドさん、もちろんかつてのじゃぱゆきさんもいて、それぞれの言葉を流暢に使いこなす人から熱心に勉強する学生まで多いそうです。
貧困ゆえに教育を受けられず語学もダメと言う人も多いようですが、押しなべてフィリピン人の語学力は高いと言われています。
この小さな旅の中でも、英語がうまくしゃべれずに恥をかいたことがありましたし、日本人ってなぜみな英語ができないんですかと聞かれたこともありました。
悔しいですが、反論できません。
英語の勉強に、Who can it be now? の歌詞の意味を調べてみようかなどと考えています。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
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Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/27 Mon

兌換鏡頭

Francais 15cmF4

タールの旅に使用したフランセのレンズは、いつものとおりksmtさんの手によって、マウント改造と素性調査を行ってもらっています。
ただし、それは今年の4月のことですので、かれこれ半年近くもわたしはレンズを放置していたことになります。
同じフランス製品でもワインなら半年の間に多少の熟成が進むかも知れませんが、レンズでは埃をよりかぶるだけです。
レンズが大ぶりで使用する優先順位を下げてしまったのが遅れた原因ですが、せっかく改造くださっているksmtさんに申し訳ないので、以降は即使いたいですが、実はまだ未使用のペッツバールが数本、机上に鎮座しています。

メーカー名のFrançaisは、フランス語とかフランスのという意味のフランス語で、英語のEnglishやドイツ語のDeutchに相当すると思います。
ただし、真のフランスのレンズを作るという意味でそういう命名をした訳ではなく、創業者の名字がフランセさんということに過ぎません。
そういえば、ソプラノの鮫島由美子さんは旦那さんは、ドイツ歌曲の伴奏で有名なピアニストのヘルムート・ドイチュさんですが、イングリッシュさんという名前の人もいるのでしょうか。

昨日、フランセは前頭クラスのメーカーのようなことを勝手に書きましたが、ダゴスティーニ氏の本でもその他メーカーのような位置づけで記載されていて、4本のレンズが紹介されていました。
フランセは、ジャン・ピエール・エミール・フランセ(1830~90年)が1865年頃始めた会社とあります。
紹介されているレンズのうち2本はコンバーチブルというレンズなのですが、わたしのフランセもそのコンバーチブルタイプのレンズになります。

コンバーチブルレンズというのは文字通りコンバート可能なレンズと言う意味で、レンズ前群や後群を取り換えて焦点距離を変えたり描写の性格を変化させたりできるレンズはこのような呼び方をされています。
フランセのコンバーチブルレンズは、通常使用するペッツバールが人物用と前群だけを使用する風景用の2通りの使い分けができます。
面白いのは、ペッツバール位置でのフランジ金具が風景用レンズとして使用するときはフード部分に付けられるようになっていることで、大判用カメラのレンズボードにフランジ金具を固定しておけば、人物用と風景用の使い分けが実に簡単です。
ksmtさんは、後群を前後逆に入れ替えるとソフト効果があることから第三の使用方法があると指摘されています。
シャープな人物用レンズと風景用レンズ、それにソフトフォーカスレンズと一粒で3倍美味しいレンズということですね。

レンズには"No,, 1638 Francais Paris"という刻印があります。
製造番号1638は、ダゴスティーニ氏の本のコンバーチブルレンズが4544と10551よりだいぶ古いことになり、この会社が1865年頃設立と言うことを考えると1866~67年あたりの製造なのではと想像させます。
しかし、レンズのコバに「1872」という書き込みがあるので、1872年製造と考えた方が正しそうです。
そう仮定すると、7年間でレンズが1638本では少なすぎるので、むしろ創設されたのが1870年くらいなのではと考えた方がよいのかも知れません。

コバにはレンズの製造元として、"Lerebours"や"Darlot"と書かれていることがしばしばあって、自社でレンズまで作っていたのではないことに気付くこともありますが、このレンズには"Francais"と書かれているので、独自にレンズ・ガラスも製造していたのかも知れません。
前にも書いた通り、このレンズのシャープネスは素晴らしいものがありますが、残念ながら解像力はルルブールやダルローより劣っていると感じていましたが、レンズのコバの手書きの文字がそのことを裏付けているということでしょう。

さて、今日の作例ですが、タール町であまり撮影もしないうちに雨が降って来てしまったので、運転手のジェフリーに頼んで20~30分市場のあたりをうろつかせてくれと頼んで、ようやく撮ったものです。
このあたりではドレスづくりの伝統があるそうで、市場の中にもウエディングドレスを中心に製造販売する店がいくつも並んでいました。
本当はウェディングドレスを試着する女性が撮りたかったのですが、さすがにそんな瞬間には立ち会えませんでした。
この子は、オーダーしていたドレスを取りに来たところだったようで、わたしは彼女の自慢のドレス姿の最初の撮影者と言う幸運に恵まれました。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(5) | 2014/10/26 Sun

前頭鏡頭

Francais 15cmF4
19世紀フランスの光学機器メーカーの実態はなかなか掴めません。
特にダゲレオタイプ期やペッツバール全盛の時代は、もっとも興味あるところなのですが、資料がほとんどなく研究はさっぱり進みません。
ひとつ漠然とながらも分かったことは、ネット・オークションなどの出現数が圧倒的なことから、ダルロー(ジャマン・エ・ダルロー銘も含めて)が最大の製造数を誇ったことが想像できます。
製造が多いといっても、わたしが所有しているレンズの描写を見れば、廉価なレンズを大量生産したということではなく、当時ほとんどが写真家のプロフェッショナル使用で、彼らの目にかなった高性能が理由だと分かります。

フランスレンズに限定しなければ、オークション出現率が高いのは、フォクトレンダーとダルマイヤーがあげられますが、それらよりもダルローはかなり見かけるので製造数が上回っているのではと考えます。
しかし、性能に於いては、恐らくこの三社は互角といえるペッツバールを製造していたと考えられるので、ペッツバール御三家と呼びたいと思います。
あるいは頭文字をとって、ペッツバールDVDと呼んでもいいかも知れません。
その後に続くのが、フランスのルルブールとエルマジー、イギリスのロスあたりということになるでしょうか。
この三社はいずれも高性能ですが、市場に出てくる機会は御三家より少ないので、製造数もやや少なくなるのかなと考えています。

話をまたフランスレンズに限定して、ダルロー、ルルブール、エルマジー以外のメーカーはどうなのかと見て行こうとすると、かなりこころもとなくなっしまいます。
名前だけで言えば、シュヴァリエという大御所がいますが、このメーカーのペッツバールは一度しか見たことがありませんし、とんでもなく高く売られていたので手が出なかったくらいなので、ほとんどペッツバールは製造していなかったのでしょう。
エルマジーに次ぐのはドゥロジーというメーカーだと思われ、さらにベルティオはその後の会社の発展でメジャーに昇格した光学機器メーカーと言えるでしょう。

さらに続くところの名前をあげると、ソレイユ、ガスク・エ・シャルコネ、オズー、デマリア、ミレー、フランセあたりがあげられるでしょう。
いずれも少なくとも2回以上ペッツバールが売られているのを見ることができたメーカーたちです。
わたしが所有しているヴァランタンやゴーダンもこのグループに入れてもよいかも知れません。
強引な例えで、フランス19世紀レンズ番付で、ダルローが横綱とすれば、ルルブールが大関、エルマジーが関脇、ドゥロジーとベルティオが小結と言うことで、以下、ソレイユ、ガスク・エ・シャルコネ、オズー、デマリア、ミレー、フランセは前頭、シュヴァリエは引退した親方と区分けすることにしましょう。

ちなみに、19世紀フランスの光学機器メーカーがそれで終わりかといえばさにあらずで、例えば、ダゴスティーニ氏の゜1800年代フランスの写真撮影レンズ」という本には全部で70ほどのメーカー名が記載されています。
それらの多くは会社存続期間が長いとは言えない弱小メーカーだったのかも知れませんが、当時最新の科学技術だった写真術から大きな産業へと転換する中で、時流に乗ろうと立ち上がったメーカーが林立したのは事実であり、そのほとんどがパリに存在していたというのも、今の日本の東京一角集中によく似た現象です。

さて、今回使用したフランセは、どうやら前頭級メーカーのペッツバールということになるのですが、一見するとたいへんシャープな描写で高性能であることを期待させるレンズです。
しかし、これを拡大してみると、どうも三役クラスのメーカーのレンズと比べて解像力が落ちるのが分かります。
たった1本のレンズを使用しただけで、このメーカーはダルローやルルブールより劣ると表現するのは問題があるので、今回使用したレンズに限ってはとお断りを入れたいと思いますが、液晶などで一見した時に素晴らしかったので少々の落胆は否めないところです。

さて、作例は、昨日少し手厳しく批判したトライシクルですが、動いていなくて、しかも少女が乗っているとあれば、なかなか被写体として魅力的のようだと気付かせてくれます。
特にサイドカー部分がメタリックな手作り感いっぱいで無骨な印象なのに、女の子がそんなことには無関心よとばかりに携帯電話を操作している対称が好いということのようです。
トライシクルの庇が濡れていることで分かるように、この時雨が降って来てしまい、ただでさえ渋滞などで短縮されたタール滞在がさらに短くなってしまうのでした。
これによって、フィリピンがいま雨季だということを初めて知ることになったのです。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/25 Sat

Taal 簡介

Francais 15cmF4
フィリピンの歴史的な町として有名なのは、ビガンという町です。
石畳の道の両側に白い石の家が並んでいてスペインの町並みがそのまま移ってきたかのように見えます。
いや、スペインの中にもこれほどにス古いペイン風の街並みのところはそうそうないかも知れません。
残念ながらマニラから400キロ離れていてバスで8時間以上かかるそうで、1泊2日でも辛い行程です。

そのビガンと並び称して、北のビガン・南のタールと呼ばれるのが、今回訪れたタールタウンです。
しかし、ビガンがあまりに有名な観光地としての地位を築いたのに対して、タールタウンの方はマニラのタクシー運転手が知らなかったくらいですから、先の例えは怪しい気さえします。
昨日も書いた通り、フィリピン人の間でタールと言えば、タールタウンのことではなく、自称世界最小火山のタール火山のことであり、またはリゾートとしてのタール湖のことを意味しています。

アクセスの悪さも問題があります。
タールタウンまではマニラから100キロ少々しかないのですが、直行のバスは無く、州都のバタンガスまでバスに3時間揺られ、ジプニーと言う小型バスを乗り継いでさらに小1時間かかると言います。
バタンガスはルソン島南部の港町で、ミンドロ島への玄関口になるため、マニラとミンドロ島を往復するたちでバスは混雑するとも書かれていました。

短時間の滞在ではバスでの往復は諦めざるを得ず、マレーシア訪問時に国際免許を取得したことを思い出してレンタカーで行くことにしていました。
しかし、以前にも書いた通り、空港から乗ったタクシーの運転手がレンタカー代とあまり変わらない金額で行ってくれると言うのでその話に乗ってタクシーで来たという訳です。
今回走ってもらったルートでは、距離表示はもちろん、交差点での表示などほとんど見当たらず、ひとりの運転では相当厳しかったことが想像されたので、タクシー利用は正解だったといえそうです。
実は帰り道でも大渋滞に嵌まってしまって、その間おまかせで眠らせてもらっていたので、それだけでもだいぶありがたかったのですが。

さて、作例は、タールの町を何気なく撮ったものです。
タール・バジリカと古い町並みが見えるもっともタールらしい風景と言えます。
タール・バジリカは、タール大聖堂と誤訳されているようですが、タールには大司教がいないので大聖堂を名乗ることはできず、町では一般にバジリカないしはチャーチと呼ばれているそうです。
東洋一大きな教会だとも言われているようですが、タール火山が世界最小の例もあるので本当だか分かりません。

バジリカ以上に作例中でタールを象徴してしまっているのが、トライシクルというサイドカー式のタクシー(?)です。
タールは坂の町なので、必要以上に重たくなったトライシクルはエンジン音をがなり立てて、白煙をもうもうと出しながら進んでいきます。
エボラ熱や感染症対策でマスク持参の方は、この町で大いに役に立つこと請け合いです。
静かさや海に近い爽やかな空気をウリにしてほしいタールなので、自転車のトライシクルが合うと思うのですが、そうはならないでしょうね。
アジアの町の宿命と考えるより他なさそうです。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/24 Fri

相機這麼大

Francais 15cmF4
ラスピニャスの教会に寄ったり、渋滞にはまったりして、8時に出発したにも関わらずタガイタイの町に着いたのが12時近くになってしまいました。
当初の予定から大幅に遅れています。
さらにタールタウンまで1時間かかると聞いてまずいなあと思い始めました。
タールタウンはスペイン統治時代の古い町並みの残る、日本で言えば小京都のような町のようで、たっぷり2~3時間は散策したいと思っていたのに、その時間がとれるのか雲行きが怪しくなってきたからです。

タガイタイはマニラから100キロほどの高原の町で、道路沿いに車を停めて湖の方を見下ろすと、世界最小の火山と言われるタール火山が湖の中に浮かんでいます。
世界最小火山でギネスブックに申請しているらしいのですが、タール火山は700メートルなのに対して、我が国の笠山は100メートルそこそこの活火山なので、全然世界一ではないのではないかと思われ、タガイタイの皆さんには申し訳ないですが、世界一の称号は難しいでしょう。

タール湖が見える位置からは、タールタウン方面へは海に向かっての下りの1本道なのですが、途中ずっと渋滞でどうやら葬儀があって車の隊列がゆっくり走っているのが原因だろうと運転手のジェフリーが冷静に分析します。
ますますまずいことになりそうでしたが、見た目よりずっと親切なジェフリーは、前方の見通しの良し悪しにかまわず対向車線をがんがん攻めて、車をどしどしと追い越しはじめました。
何度か正面衝突の危機を回避しつつ、葬儀車両をすべて追い越して一気にタールタウンまでたどり着きました。
足をぐっと踏ん張り続ける恐怖のドライブです。

タールタウンではまずしなくてはいけないことがありました。
昼食です。
市場の並びに町一番と思われるレストランが見つかったので、わたし持ちでふたりで食事します。
メニューにこの地方の伝統料理もいくつか載っているこのレストランは大当たりで、ポークのスープやら魚のフライやらオムレツやらとフィリピン料理を堪能しました。
食事の合間に隣のテーブルの団体の可愛らしい子どもたちを撮影すると、親御さんたちから感謝の言葉をもらいます。

食後に最初に行ったのがタールタウンのカメラ・ギャラリーでした。
当地に暮らした恐らくスペイン系フィリピン人の邸をそのまま膨大なカメラ・コレクションの博物館にしています。
19世紀後半くらいの木製カメラやその後の蛇腹カメラが充実していますが、1960年代くらいの日本製の機械きカメラまで網羅されていて、カメラ好きには一見の価値のあるギャラリーですし、当地での有名な観光スポットでもあるようでした。
管理者の自慢は、金色のニコンの一眼レフ(型番等忘れました)とヌルライカ(これはもちろんレプリカです)とのことでしたが、わたしがすごいと思ったのはアメリカ製のダゲレオタイプ用カメラでした。

このギャラリーで日本のカメラ博物館と違うのは、作例の8×10(?)のアンソニーを平気で来場者に触らせてくれるところでしょう。
来場者は、こんなものを生で見たのは初めてでしょうから勝手が分からず状態のようでしたので、わたしがダイヤル回してピント調整できるし、このかぶりをすればガラスに上下逆像の絵が写るよと、マニラから来たグループに解説したりしました。
暗かったのでよく見るとレンズにウォーターハウス絞りが差し込まれていて、昔の絞りはこうだったんですよと説明すると一眼レフで撮影していたお父さんが目を丸くしています。

その時あれっと気付いたのですが、彼らはレストランで隣の席だったグループです。
撮影した子どもがいたので、昔はこうやって撮影したんだよと言うと、最新のロボットでも目の当たりにしたような喜びようです。
ただ、デジタルのように簡単に撮影ができると誤解したのか、カメラの前に立って撮ってと要求しているところが、また可愛いなあと思いました。
ああそうか、こっちで撮ってあげればいいんだと撮影したのが今日の作例です。
女の子はドレスですし、男の子もワイシャツに蝶ネクタイと正装しているのが、あまりにこの場に似合いすぎていました。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/23 Thu

好好的的士

Francais 15cmF4
あまり積極的に来たくなかったフィリピンですが、早速、空港で洗礼を浴びることになりました。
夕方に到着して、到着ロビーのATMでフィリピン・ペソを引き出したまでは良かったのですが、ホテルまでタクシーで行こうと考えていたところ、そのタクシー乗り場にはすでに長蛇の列ができていました。
道路を1本挟んだ向かい側だったので気付かずに、タクシー乗り場の表示に向かって歩いて行って、ようやく乗り場付近に着いたところで行列ができていることを発見したのですが、いま歩いたのと同じくらいの距離を戻らなくてはなりません。

わたしは行列が大嫌いで、いくら旨いラーメンだと聞いても行列に並ぶくらいなら食べませんと言い切るくらいなので、バスに変更しようかと思ったのですが、バス乗り場の方にも長蛇の列ができている上に、並んでいる人に聞くとわたしが行きたい方向とは違う方に行ってしまうそうです。
それでも並ばないのなら適当なところまでバスで行って、タクシーを拾いなおせばいいと考えたのですが、出すの列はタクシーよりましなれど、並んでいるのはフィリピン人ばかりなりで、行列最後尾に付くのが気後れしてしまいました。
白タクなども声を掛けてくることもあって、結局、ずっと戻ってタクシーの列に並ぶしかありません。

行列から学ぶことは多々ありました。
ひとつは、絶対にタクシー以外の交通手段が何かないか事前確認すべきだと悟ったということです。
もうひとつは、タクシーの列は間にカートが入ったりして実際より長くなるし、家族連れなど複数で利用する人たちが多いので、タクシーが来てさえいれば進み方は想像以上に早いということです。
ただ、今回はタクシーがなかなかやって来ません。
1分に1台来るか来ないかという程度で、だから長蛇の列になってしまうということのようです。

ようやく1時間少々待ってわたしのタクシーの順番がやって来ました。
夕方着でスムーズにホテルに入れれば、マニラ湾に沈む美しい夕日が見れるだろうと期待していたのですが、残念ながら列の途中で空は真っ暗になってしまいました。
タクシーの運転手に不平を言っても仕方ないですが、彼の説明によれば、国際線ターミナルで客を乗せることができるのは黄色いタクシーだけで、料金が倍近く高いためあまり台数が多くないことと、夕方のラッシュにぶつかったためダウンタウン方面からここまでいつもの倍近くかかってしまっているくらいなので、タクシーがなかなか来ないのだということでした。

さて、今日の作例は、そのタクシー運転手のジェフリーなのですが、なぜ彼が作例で登場するかと言えば、車内の会話の中で翌日はどこへ行くかとかの話をしていたとき、わたしはレンタカー借りてタガイタイというところへ行くつもりだと答えたところ、彼がタガイタイには何度か行っているのでわたしが連れて行ってやろうという話になったのです。
さすがにタクシーで行ったらいくらかかるか分からないので、レンタカーは2500ペソで借りれるし国際免許があるので済まないが自分で行くと言ったのですが、彼はガソリン代と高速料金込みで3500ペソぽっきりでいいからとなおも誘うのでOKしてしまったのでした。

いま、あらためてジェフリーの写真を見ると、どうも誠実なドライバーと言う雰囲気はあまりないようです。
10分程度前に乗ったばかりのタクシーの運転手がこの外見だったら、失礼ながら普通は信用して翌日の貸切なんて頼まないでしょうね。
案の定、タガイタイに着いた瞬間、話の食い違いが判明しました。
わたしが本当に行きたかったのは、タガイタイではなく、その先にあるタールと言う小さな町でした。
ところがタガイタイにはタール湖というところがあって一般にはここが観光地なのです。
だから、行きたいのはタール湖ではなくてタールタウンだからね大丈夫と念押ししたのに、タガイタイに着いてタールタウンだと言い張るのでここではないと言っていたところ、タール湖ツアーに参加しないかとガイドがやって来たので、わたしはタールタウンに行きたいんだがここじゃないよねと聞いたところ、ここではなくさらに1時間くらい南下したところだとジェフリーに説明してくれてようやく納得してもらえる展開となったのでした。

やや胡散臭げなルックスのジェフリーは、3500ペソはここまでの料金だ1時間も南下するなら2000ペソ追加だと言い、わたしは昨日きちんとタウンの方だと説明したじゃないかとの口論になるだろうと覚悟したのですが、どうしたことか、ジェフリーは分かったノープロブレムタウンに行こう、料金そのままで大丈夫? もちろんOKという簡単なやり取りでそのまま南への道を突っ走るではないですか。
ついでに言ってしまえば、最後に料金を支払う段で揉めるかもとの危惧も杞憂に終わりました。
彼はとても好い人だったからだろうなと思うようにしていますが、まさか、レンタカー代に少々プラスしたタクシーチャーター料が払い過ぎだったということはないでしょう…。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/22 Wed

去日小姐之国

Francais 15cmF4
なぜかフィリピンに行ってしまいました。
ここのところ続けて、香港&深圳経由で中国のどこかへ行くパターンを止めて、深圳での用事を済ましてから東南アジアに弾丸旅行というのを楽しんでいます。
今回のフィリピン行きは、東京~香港の往復よりも、同じ航空会社にも関わらず東京~香港~マニラの方がだいぶ安いというプローションをやっていたのに便乗することにしたためです。
香港往復よりも、香港ストップオーバーでマニラに行く方が12000円くらい安かったのですが、予約クラスが下になるため半分以下になってしまいました。
にもかかわらず、香港からマニラのフライトがプレミアムエコノミーにアップグレードされたのが不思議です。

当初の考えでは香港に滞在して、抗議活動を続ける学生たちを見守ろうなどと考えていました。
何かわずかでも支援することができれば嬉しいですが、大規模な集会だけに力になることはできないでしょう。
ただ、ひとりひとりに話を聞いてみたいと思いましたし、逆に世界はあなたたちを支持しているということも伝えられたらと思いました。

しかし、これは非常にリスクを伴うことで、学生の周りには中共からの監視態勢ができていて学生の特定や接触するものの調査も進めているに違いありません。
その足で中国の入国審査を受けようとすると拒否されたり、別室に連れていかれたり、場合によっては入国後にホテルの部屋に麻薬を仕込まれるかなどして逮捕されるなどの可能性だって考えられます。
まさかと笑うかも知れませんが、数年前に尖閣沖で日本の海上保安庁船に体当たりしてきた船長の身柄を拘束したところ、すぐに中国も北京で日本人ビジネスマンをスパイ容疑で拘束して人質にするという露骨な対応をしたことを忘れるわけにはいきません。
それに、これはかなり以前のことですが、わたしのブログは中国で閲覧することができていたのですが、北京オリンピックの聖火リレーの時にフリーチベットという言葉が連呼されていたので、そのことを記事に書いた途端に、中国でこのブログは見ることができなくなってしまったということもありました。

遠巻きに写真を撮るくらいしかできないかなあなどと考えていたところで、フィリピンのプロモーションを知り、時間の関係で香港は素通りすることになってしまいました。
少し残念ですが、そんなことよりも活動を続ける彼らに危害が続けられることがなく、かつ3年後の行政長官選挙が真の民主テクなものになるよう願ってやみません。

さて、フィリピンですが、ダイビングをする方を除いてあまり好いイメージの国ではないというのが一般的なのではないでしょうか。
じゃぱゆきさんという言葉が流行したのは20年くらい前のことでしょうか。
地方の貧困の女性が来日して風俗で働いて、中間業者に搾取されたり、帰国したら旦那に金だけ取られて離婚されたりと悲劇の象徴のような印象がフィリピンにはありました。
日本からの売春ツアーも問題になっていたと思いますし、関連して現地で子供をつくりながら日本に逃げ帰って養育費を払わずというケースが相次いで、路頭に迷う母子を取り上げたニュースも多く見た記憶があります。

暴君マルコス大統領に金の猛者イメルダ夫人の名前は未だによく覚えていますが、その後大統領がいくら変わっても国はちっともよくならなかったのか、新興国としてマレーシアはもとよりタイヤインドネシア、さらにはベトナムにミャンマーまで中止されるようになったのにフィリピンの名前が上がることはほとんどありません。

治安の悪さもよく言われていて、わたしは何年か前にエルニドというリゾートに数日バカンスに訪れたことがあるのですが、島に渡る船には小銃を構えた護衛が同行したのには驚かされました。
不当な扱いを受けているとしてイスラム原理主義者がテロや殺人事件をしばしば起こしていたからでした。
誘拐もよくあって日本商社の駐在員や中国系フィリピン人がターゲットになっていたように思います。
日常の金目当ての犯罪も頻発していて、銃の規制が緩いのか、日本人が発砲されるニュースはときどき報道され、つい最近も起きたばかりですし、日本に伝えられないような暴行事件などは日常茶飯に起きているようです。

正直なところ、イメージの悪さを思うと二重の意味で行きたくないところでした。
ひとつは治安が悪いということで、自分もかっぱらいか何かトラブルに見舞われる可能性が高いのではと心配があったからです。
実際、最後の最後にトラブルに会うことになったのですが…。
もうひとつは、フィリピンに行ってきたといえば、女目当てかと白い眼で見られるだろうなと言う心配です。
女性の写真を撮らせてもらうことはみちろん考えていますが、夜はおとなしくしているつもりです。
妙な誤解を避けるためとトラブル回避のためにマニラ郊外に宿を取ることにしました。
宿泊費も安くなりますし、空港から近くなるのも助かります。
しかし。それもなかなか一筋縄でいかないのがフィリピンのようです。
【Alpha7/Francais 15cmF4 F4】
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Francais 15cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/10/21 Tue
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