Gaudin的故事 上

Fujinon 3.5cmF2
昨年、ルルブールの85mmというベッツバールレンズを手に入れ、ライカマウントに改造してもらいました。
金ニスぴかぴかの美しい外観のレンズに期待感いっぱいで鎌倉にて撮影したのですが、像面湾曲が激しく画面中央の何十パーセントしかピントが合わずで大いに落胆させられました。
それ以降、画面船体が平坦に写るベッツバールレンズを探したことは、先々週のダルローのときに語ったかなと思うのですが、そのダルローこそがわたしの行き着いたベッツバールタイプレンズだと思っていました。
しかし、必ずしもそうではなかったということが、今日、判明しました。

ルルブールの直後に海外オークションで、75mmくらいの焦点距離のベッツバールタイプのレンズというのが出品されていました。
ただ、レンズには名前などの刻印は一切なく、鏡胴はルルブールの美しさとは対照的に黒ずんだ汚らしい外観のようです。
メーカー不詳のボロいレンズを欲しがる人なんていませんので、確か送料込みで100ドルくらいで落札してしまったのではなかったかと思います。

75mmだとルルブール以上に短いので、像面湾曲はもっとひどくなる可能性がありました。
でも、もしきちんと写るとすれば、75mmは願ってもない使いやすい画角ですから、100ドルで夢を買うつもりで落札したというのがいきさつです。
届いたレンズは写真で見たとおりのボロさでしたが、肝心の焦点距離の方は期待を裏切るものでした。
蛍光灯の光で焦点位置を見ると75mmを大幅にオーバーしています。
ベッツバールは主点がだいたい中央にあるので、焦点距離はざっと100mmはありそうです。
なにを根拠に出品者は75mmと書いたのか、いずれにしても騙されたような気分になりました。

もちろん100mmくらいなら宮崎さんに依頼すればライカマウントに改造いただけます。
しかし、メーカー不詳の100ドルレンズで、写りまでも不明とあっては5万円もかけて改造してもらう気がまったく起こらず、そのままお蔵入りとなってしまいました。
このままでは、うす汚れたレンズとして売りに出すも売れずでごみに出されていたかも知れません。

事態が一気に好転したのは、それから1年近く経った、まさにダルローを買ったのがきっかけでした。
このダルローには名称などの刻印はあったのですが、製造番号がなくて年代特定ができず、レンズのコバ部分に何か書かれてないものかと前玉をチェックしたのです。
年代特定こそできませんでしたが、そこにはDarlotとは書かれていて蔵に入っていた無銘レンズももしかしたらDarlotとか書かれているかもと同様に前玉を外し出してみたのです。
残念ながらそこには読めない文字が書かれているだけで、少なくとも有名なメーカーによるレンズではなさそうということだけが分かりました。

ところが、その直後にksmtさんがゴーダンというベッツバールタイプのレンズを入手しましたと、自身のサイトの日誌に紹介されたのですが、このタイミングでそれを見たことがたいへん重要でした。
ゴーダンはカメラを製造したメーカーでしたが、レンズは他社から供給を受けていて光学メーカーではなかったため、わたしは聞いたことがありませんでした。
ゴーダンは、Gaudinと綴るのですが、それを見たとき、あれっあの無銘レンズも何とかdinではなかったかしらと思い出して、あらためて前玉を外して読んでみました。
果たして、Gaudinの文字が読み取れました。

鏡胴の片隅にはごく小さくAとGの文字も見られたのですが、ksmtさんのレンズにA.Gaudinとなっているのを見て、これは間違いないだろうと確信しました。
わたしははやる気持ちを抑えきれず、ksmtさんにわたしもゴーダンのレンズを持っているようだとメールします。
しかし、ゴーダンはいへん珍しいもので、ksmtさんもカメラ店が1942年製であるというので、外観が一部レストアされたレンズながら高価でも入手されていたのです。
そんなゴーダンをわたしが持っていると言っても、ksmtさんは俄かには信じられないようでした。
【X-E1/Fujinon 3.5cmF2 F2】
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thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Fujinon 3.5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2013/04/17 Wed

巴羅塞拿太遠

Fujinon 3.5cmF2
昨年の11月、カタルーニャから友人ダヴィドが来日してもう間もなくして帰国するというとき、約束しあったことがありました。
FCバルセロナがチャンピオンズリーグに勝ち続けたら、わたしがバルセロナまで旅していって、カンプノウで決勝リーグの試合をいっしょに観戦するというものです。
ベスト16ではミランと、ベスト8ではパリ・サンジェルマンと対戦しましたが、この段階ではまだ物足りません。
準決勝を見に行くべしとわたしは水面下で計画を進めていました。

バルセロナとダヴィドの住むピレネーの村タウールに滞在するつもりですが、一昨年タウールを訪れたときは9月でも朝晩は冷え込んだので、ベスト8までの4月中旬までに出向いたのではかなりの寒さを感じそうなので、バルセロナが新緑の季節を迎える4月末が日程としてベストということもあります。
それに対戦相手次第ということもありますが、ベスト8と準決勝では盛り上がりが違うでしょう。

ならば決勝を見に行けばよさそうなものですが、チャンピオンズリーグは準決勝までがホーム&アウェイで、今年の決勝はロンドン・ウェンブリーでの1発勝負と決まっています。
ダヴィドとともにバルセロナのホームで見てこそ意味があるのです。
バルセロナでは、ダヴィドがチケットを手配してくれるとも言ってくれています。

ベスト8はかなりきわどい勝負でした。
アウェイゴールを2点も奪いながらミスジャッジなどで引き分けに終わってからのホームでは先制されてしまいます。
動きにも精彩がなかったので、これはかなり厳しいのではと思っていたところ負傷していたメッシを強引に投入するや、チームが突然の輝きを放ち、ペドロがこれ以上ないほど気持ちの入った美しいゴールで辛うじて準決勝進出を決めました。

その翌日、わたしは固唾を飲んで見守っていました。
準決勝の抽選会がUEFAのサイトで生中継されていたのです。
どこと対戦するかは重要ですが、それ以上に問題だったのが最初の試合がホームになるかアウェイになるかということでした。
第1戦は4月24日(または翌日)、第2戦は5月1日(または翌日)だったのですが、5月1日はどうしてもはずせない仕事があって、対戦相手よりもバルセロナが最初にホームゲームを戦う日程を引く必要がありました。
しかし、あろうことか抽選結果は最初はアウェイ…。

さまざまに準備を進めてきたバルセロナ行きでしたが、この瞬間に計画は水泡と化したのでした。
全身の力が抜けてしまいました。
ダヴィドには残念ながら行けなくなったとメールし、いっしょにウェンブリーで観戦しようと冗談ぽく追記しておきました。
往生際が悪いですが、実現しかけていた夢が消失してしまって、なにか次善策でも考えなければならない気持ちです。
実現するとすればですが、確か決勝は5月25日のはずです。
最悪でも、ここまで勝ち上がったバルセロナをテレビ前で応援することができればと思います。

さて、作例ですが、ここ1ヶ所だけ棒切れが3本あって壁と壁に挟まれるように並んでいました。
これは壁が老朽化で倒れるか崩れるかしそうなのを支えるためのものだと思い、触れないように慎重にくぐって通ったのですが、どうも変ですね。
いま見ればこれは単なる物干し竿でしょう。
古建築の前に並んだ洗濯物はしばしば雰囲気をぶち壊すものですが、こんな物干し竿だけなら古い道具のようで悪い感じはまったくありません。
【X-E1/Fujinon 3.5cmF2 F2】
Fujinon 3.5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2013/04/16 Tue

平安値千金

Fujinon 3.5cmF2
今回滞在した深圳で、ちょっとした嬉しいニュースが待っていました。
正月の旅行中にシャッターが壊れて修理を依頼したライカM8が直ったというのです。
シャッター幕が変形してしまい交換が必要になりましたが、日本のライカ正規店で修理すると8万円以上かかります。
そこで頼みの深圳の修理職人、順平さんのところに持っていくと、シャッター幕が入手できればどうにかなるし、手に入らなければ幕を自分で作るなどと言っていたのですが、そんなことできるのかなあと正直思いました。
正規のシャッター幕を手に入れられるとは思えませんし、ましてや幕を自作とは1/8000の速度を持つM8にはいくらなんでも無理でしょう。

そんなわけで半ば、というかほとんどあきらめてしまい、だからこそフジX-E1を購入していたのですが、深圳に着くや電話を入れるとシャッターは直ったというのでびっくりしました。
いかにね中国らしい話ですが、裏ワザを使って幕を入手し、ちょうど今日直したところだから取りに来てと順平さんが電話口で得意になっていたのです。
前回頼んでおいたレンズクリーニングは手付かずでしたし、その前から依頼してあったいくつかの修理は忘れ去られている中で、わたしのメインカメラが壊れてしまったのを不憫に思っていたようでした。

さっそく取りに行きましたが、なるほど高速シャッターも問題なく切れていて露出も正確でした。
さすがだなと思います。
ただ、修理費用は、シャッター幕の費用が高く修理費とあわせて2300元のご請求です。
3万円近くかかるとは予期してなかったのでちょっと痛かったですが、正規修理と比べればずっと安いので良しとしなければいけません。

残念ながら、電池がもう切れかけていて、充電器もないので今回は撮影には使いませんでした。
次回以降では、M8メイン、X-E1サブで使い分けるか、両者をローテーションで使うか、レンズによって使用機を決めておくか、2台のデジタルカメラの棲み分けは検討中です。
折しも、昨年来欲しい欲しいと言ってきたライカMが世に出てきたようですが、一気に円安が進んで手が出づらくなったこともあり、しばらくはこの2台でいくことをここに宣言しましょう。

今日のNHKのニュースで経済が上向いたため、高価な時計やカメラが売れているとやっていました。
時計はよく見ていなかったのですが、カメラはライカMだったようで、価格が777,000円もするのですかとキャスターを驚かせていました。
アベノミクス高価でライカMが飛ぶように売れているのなら結構なことですが、それにともなう急激な円安で、海外から安くライカMを買うという計画が座礁したという人もけっこういるんじゃないですかねえ。
【X-E1/Fujinon 3.5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Fujinon 3.5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2013/04/13 Sat

富士龍的五個鏡頭

Fujinon 3.5cmF2
フジノン銘のライカマウントレンズは全部で5種類あります。

①3.5cmF2   (1954) 5群7枚
②  5cmF1.2 (1954) 4群8枚※
③ 10cmF2   (1956) 4群6枚
④  5cmF2   (1957) 5群6枚
⑤  5cmF2.8 (1957) 4群5枚

※(初期型は別の構成)

①から③までは俗に大口径三兄弟と呼ばれる、当時各レンズメーカー間で、どれだけの大口径のレンズを設計できるかというような過当競争が起きた中で生まれた徒花と言えるレンズ群です。
なぜに徒花かといえば、たとえば3.5cmF2では高価な新ガラスを贅沢に4枚も使ったからでしょう、販売価格が高価になってしまい売れなかったため、最後には在庫を叩き売るようにして捌いたとの話があるからです。

④と⑤は、ライカコピーカメラのレオタックスの標準レンズとして製造されたもののようです。
ただし、レオタックスには東京光学がレンズを供給していましたし、晩年にはレオタックスの自社レンズであるレオノンも発売されていましたので、レオタックス後期になってようやく出荷され始めたフジノンレンズはけっして多くはなかったようです。

ライカマウントのフジノンは、いずれも成功したとは言えず、時代の波に飲み込まれてしまったかのようでした。
ところが、成功せずあまり数が出回らなかったこれらレンズたちは、その後何年もしてから復権を果たします。
いずれも個性的で、高性能だったことからレンズファンによって再評価されたのです。
性能がよくて評価も高い、かつ製造数が少ないとなればたちまち市場価格は高騰してしまいます。
いずれも欲しいレンズですが、3.5cmF2は外観の汚いものを安く買ううことができましたが、他はなかなか手が出るものが見つかりません。
5cmF2も安く手に入れたものの、これは購入後に絞り羽根が1枚欠損していることに気付くというお粗末なものでした。

さて、これら5本のレンズですが、構成枚数はみんな違っていて、それぞれにかなり描写の性格が違うという特徴があります。
今回も使っている3.5cmF2はダブルガウスの最後尾に1枚追加したものだとは先日書きました。
5cmF2も同じガウス派生ですが、こちらは3群目の貼り合わせを分離させた構成です。
そこから1枚取ると5cmF2.8の構成になりますが、これはガウス型ではなくクセノタール型といった方が正確です。

一方、10cmF2の方は、4群4枚のエルノスター基本型の3群目4群目を張り合わせにした構成です。
超大口径の5cmF1.2は、ゾナー5cmF1.5の3群7枚構成の最後尾に1枚追加したようなかたちになっています。
こうしてみると、5本のライカマウントフジノンは、ガウス、エルノスター、ゾナーを構成上で改良したレンズで、5cmF2.8のみ構成上クセノタールのままになっています。
富士写真フィルムのレンズ設計者が、なんとか既存のものを研究して、よりよいレンズを作ろうとしていた気概が伝わっているような気がしてなりません。

作例を見ると、コントラストこそ現代レンズに見劣りするものの、シャープネスは十分に見えますし、解像力がたいへん高いことがわたしには意外でした。
50年代以前の広角レンズの中ではいちばんの解像力と言えるかも知れません。
開放での比較では、シャープネスは2代目のズミクロン35mmF2が優っていると思いましたが、解像力はフジノンだと思います。
これだけの高解像は、現在のフジの化粧品のコマーシャルに出演している某元アイドルの至近距離の撮影でどういう結果を出すのかという、楽しい課題を与えてくれそうです。
【X-E1/Fujinon 3.5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Fujinon 3.5cmF2 | trackback(0) | comment(2) | 2013/04/12 Fri

最速広角鏡頭

Fujinon 3.5cmF2
今回、持参したレンズは、広角がフジノン3.5cmF2、標準がゾナー5cmF1.5ですが、わたしにとって広角は控え、メインは標準レンズという意識がつよく、いつも標準レンズを優先しています。
しかし、どうしたわけか、X-E1のEVFのマニュアルフォーカスアシスト機能がうんともすんとも言わなくなってしまいました。
こうなるとわたしの視力では5cmF1.5のピント合わせは絶望的で、3.5cmF2でもかなり無理があるものの、致し方なくフジノンに代えざるを得なくなります。

なぜ広角レンズにフジノン3.5cmF2を選択したかといえば、大方の予想通り、フジX-E1を使うのでレンズも同じメーカーのものにしてみるかと考えたにすぎません。
フジノン35mmF2は2010年6月に使って以来、ほぼ丸3年のブランクですので、さすがにもう使ってあげなくてはいけません。

ところで、その2010年6月といえば、参加させていただいていたレンズ好きが集まるグループを訳あって脱退した少し後のことでした。
その最後の集まりに出たときに知り合った方から、客家の円楼に行ってみてくだいと言われていて、少ししてから実際に潮州の円楼を訪れていたことを、このフジノンでの作例に見出して思い出しました。
ながながと日記ブログをやっていると、レンズをもとに過去の記憶がたどれるのが面白いなと思った次第です。

閑話休題。
フジノン3.5cmF2レンズは、1954年発売の最も初期の高速35mmレンズのうちの1本です。
ライカマウントの大口径広角レンズがみなそうなっているように、ダブルガウス型が採用されています。
ただ、一般的な4群6枚のかたちではなく、最後群にもう1枚両凸レンズを追加したかたちの5群7枚構成です。
4群6枚では、ライツのズマロンが1946年にF3.5を、1958年にF2.8を発売しましたが、この基本構成ではF2まで設計するのは無理があったということが分かります。
ようやく1969年になって、ライツはズミクロンの第2バージョンを4群6枚で発売しています。

フジノン3.5cmF2の5群7枚は、ライツのクセノン、ズマリットとたいへんよく似た構成です。
35mm用のレンズの設計としては経験が浅かったフジフィルムでは、ズマリットやズマロンをかなり研究したのではないかと想像できます。
周辺光量確保のためでしょう、フジノンの方がズマリットよりも後群2枚がずっと大きくなっています。
ただし、開放での周辺部の崩れは顕著で、中央部がかなりシャープなことと比較すると、4隅付近まではどうにもならず周辺部の描写は放棄したかのような印象すら受けました。

発売当時はかなり批判を受けたのではと想像されますが、いま、オールドレンズを愉しむ立場から言えば、画面全体が均等な無難レンズよりも、シャープな中央部分に自然と目がいくような描写のレンズにより面白味を感じることができて好ましいことだといえます。
フジは無難なレンズを作った方がフィルム性能を強調できて、レンズとフィルムの売り上げに相乗効果が見込めたのではないかと思うのですが、あえて、特徴あるレンズを世に送り出したということであれば、大きな拍手で迎えたくなるというものです。

さて、作例ですが、散策していて気になったのが、この村のおばあさんの多さでした。
昨日は、建築ラッシュのようなことを書きましたが、一人暮らしのおばあさんまでが追随というわけにはいかず、そのおかげで何軒か残る古建築を楽しむことができました。
心の広いオープンなおばあさんだと、部屋の中まで見えるようにしていてくれて、さらに散策を楽しませていただきました。
いずこの世界にも、いまのひねくれ者を喜ばせるありがたい方々が存在するのです。
【X-E1/Fujinon 3.5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Fujinon 3.5cmF2 | trackback(0) | comment(2) | 2013/04/11 Thu

在建房子

Fujinon 3.5cmF2
横坑村は、東莞11大古村落に選ばれるという栄誉を受けながら、すぐ近隣に住んでいる人にもそうと知られていない不思議な村というのが第一印象です。
中国でもかなりの僻地にまで行くと、すべてが古いものに囲まれていて、古村落に住んでいるという意識が身についていない人がいたりということはありましたが、世界の工場とも言える東莞において、古建築がたくさんある村付近で暮らしながらそれを分からないでいるというのは不可思議に過ぎます。

しかし、老人に場所を教えてもらって歩き始めるとその理由が分かってきました。
いくら東莞市が評価したとしても、地元の住民にとっては大きなお世話だったようです。
村は俄かに建築ブームになっていて、あちこちで作例のような建築現場の風景が見られました。
古建築は見る人にとっては美しかったとしても、暮らす人にとっては電気こそ通じているものの、水やガスなどのライフラインのない不便極まりない遺物に過ぎないということなのでしょう。

村の起源は1300年ごろと、たいへんな歴史があります。
もちろんその当時の建築が残っているわけではないですが、19世紀明代の建築は作例の中央のものをはじめ多く残っているはずなのに、それらをあっさり打ち捨ててしまうところが今の中国人らしさと言えそうです。
せっかくだから外観だけでも村にフィットするような工夫があればよいのですが、庶民が建てられる家は決まってタイル貼りの安普請です。
それについては日本の住宅建築も五十歩百歩というところでしょうが。

わたしが訪れたのは、ちょうどこの古村落が終末期を迎えるところだったのかも知れません。
家が全部新しくなったとしても横坑村が終わるというわけではなく、14世紀からの歴史は続いていきます。
ただし、市政府が認める古村落ではなくなります。
自分たちの手で古村落としての歴史にピリオドを打つことに抵抗はなかったのでしょうか。
恐らく、誰かが建て替えをはじめて以降は、うちもうちもとバスに乗り遅れるな心理が働いてのことなのでしょう。
そこに待ったをかけるべきが市政府のはずなのですが…。

昨年、尖閣国有化にともなう反日デモがおこった直後のことだと思うのですが、中国経済にも大きな陰りが兆していて、工業団地は撤退が相次いで廃墟のようになっていると日本の各局のニュースが報道していました。
そのときの工業団地の映像は東莞のものです。
ニュースを見た人は東莞というところはゴーストタウン化した寂れかけの町なのだろうと連想したのではないかと思うのですが、実際はそうでもありません。

タクシー運転手と話したとき、全盛時代よりはだいぶ落ちていると認めたものの、それほど深刻に悪いというものではないと言っていました。
東莞は人口200万を超え、東西に50キロ南北に30キロもある大きな町なので、廃墟工場はその一部をとらえたにすぎません。
倒産する零細企業は多かったでしょうし、撤退する工場もあり、中国の経済成長率が降下している現状では、あのような報道が出てくるのもおかしなことではないのでしょうが、それでも尖閣のことがあって恣意的な内容になっていたのではと思えます。
少なくとも、東莞の村での建築ラッシュを見た限りにおいては。
【X-E1/Fujinon 3.5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Fujinon 3.5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2013/04/10 Wed

本地人也不知道

Fujinon 3.5cmF2
毎回、同じような作例写真ばかり並ぶので、いつも同じ場所で撮影しているのではとか、まとめて撮って来た写真を毎月小出しにしているのではとか、思われている方も多くいるかも知れません。
同じ広東の古鎮を巡っていれば、建築はどこも同じようなものですし、登場するのも老人や子供ばかりですから違いなんて分かるはずもなかろうというものです。レンズを変えて撮っているのに変化がないというのも悲しいことですが、撮影者のレベルが上がらないことにはどうにもなりません。


書いておかないと絶対忘れてしまうでしょうから備忘録的に毎度記載していますが、今回の行先は深圳からほど比較的近い東莞市の古村落をふたつ巡っています。
前回も東莞の古村落に行っていましたが、そのことを調べているときに東莞11大古村落について書かれた現地新聞のサイトの見つけて、まだ未踏の地があると気づき、しかもうちふたつが隣接しているようなので早速行ってみることにしました。
ちなみに、11のうち5つの古村落はすでに行ったことがあり、今回2つ訪れたことで残りは4つになってしまい、先細り感が募っています。

深圳駅から東莞駅まで鉄道で30分ほどで、そこからバスでやはり30分程度と分かっていたので、いつものように早起きせずに10時頃からのこのこ出掛けたのですが、結果的にはそれで十分でした。
それまで調べても見つけられなかった村だけあって、規模的にも質的にもやや物足りないところだったからです。
実際、2つの古村落とも現地についてから、古い家があるのはどこかと地元の人に聞いて、知らないなあと言われたというくらいのところです。
外来の人なんてほとんどないようなところのようでした。

最初の目的地は、寮步鎮横坑村です。
東莞汽車站から乗り込んだバスの窓から注視していると、大きな標識に右折すると横坑古村落と書かれていてすぐに分かりました。
東莞では、古村落や古寺を茶色い道路標識に書いて、歴史的な観光地を分かりやすく示しています。
ヨーロッパでも歴史的建造物を示す道路標識は茶色だったと記憶していますが、予備知識がなくても行く価値のあるものが近いと認識できるので、これは旅行者にとってはありがたい仕組みです。

ところが、バスを降りて標識どおりに歩いて行ったのに古村落が見つからず、前述のように道行く人に尋ねたのですが、知らないと言われてしまったのです。
しかも、ふたり続けて。
その後、親切な老人に聞いたところ案内するように古建築が並んでいるところまで連れて行ってくれたのですが、着いてみるとなるほど古い家はぽつりぽつりとしかなく、こんなのを見に来る人がいるとは考えられず知らないと答えたのではと合点がいきました。

新しい家にばんばん建て替えているので古建築が少なくなっているのですが、その分人通りはそこそこあるので、古村落風の場所を見つけたらそこで人が通るのを待つような撮影法をとりました。
作例は、そうやって待っているときに建築資材を運ぶ夫婦がいかにも慣れない足取りで通り過ぎるのを狙いました。
しかし、こんなやり方ではいつも通りの似たような写真を量産するばかりです。
初めて訪れる地を歩く興奮もあまり感じませんし、やはり何か物足りない気分で散策を続けていました。
【X-E1/Fujinon 3.5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Fujinon 3.5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2013/04/09 Tue

紅茶好喝的茶屋

M8/Fujinon 3.5cmF2
もうそろそろ引き返さなくてはと思いますが、もうちょっとだけと先に進んでしまいます。
龍湖古塞には何かがありそうで、この先に被写体が潜んでるかも、もうすこしだけ前進、などとずるずると足が前に出てしまうのです。

このままではいかんなあ、と思います。
若き日の沢木耕太郎さんが長いバスの旅をしていたときヨーロッパで旅を終えるきっかけを求めたように、わたしも古塞を引き返す何かを見つけなければなりません。

確か沢木さんは、ポルトガルの西のはずれ、サグレス岬まで辿り着いて宿をとり、朝目覚めてみると宿は大西洋に面していることに気付いたのでした。
まさに日本から香港を起点についにユーラシアの最西端に着いたことを悟った瞬間でした。

そして、その宿は紅茶を売りにした喫茶店も併設していて、朝食時に美味しい紅茶を飲みながらある符号に気付いたのです。
茶を意味する単語は、日本語、中国語の茶をはじめ、インドのチャイなどアルファベットの「C」で始まりますが、それがどこかから(肝心なことを忘れていてすみません)英語のTeaやフランス語のTheのように「T」で始まる国々を歩いていることに気付きます。
しかし、ポルトガル語では何というか覚えていないのですが(またか!)、「C」ではじまる言葉に戻るのです。

「C」で始まった旅が延々と「T」の地域を歩き、そしてまた「C」になった…。
これも旅を終わらせるひとつの要因になったのです(そうだったと記憶しているのですが、間違いだったら申し訳ありません)。

昨日お茶屋さんの話題を出しましたが、このとき「深夜特急」を思い出していれば、あるいは古塞を立ち去る絶好の機会になつていたかも知れません。
しかし、実際にはそうはいきませんでした。
まだ目標を見出せないまま、先に進むしかなかったのです。

そんな中、わたしにはチャンスは訪れました。
「禮門」の前に腰掛けて待ち構えていた、レモン型の顔をしたおじいさんこそそれでした。

たぶん、雨は降るし、仲間のじいさんは亡くなっちまうしと、ぼんやりたばこをくゆらせていたところだったのではと想像します。
それがカメラをもったわたしが通った瞬間、顔色を変えて話しかけてきたのです。
潮州語でしょうか、正気なんと言っているか分かりませんでしたが、破顔一笑、わたしの写真を撮ってもいいかの問いに、なんとも言えない好い表情を返してくれたのです。

これこそわたしが待ち望んだ、サグレス岬であり、紅茶の美味しい喫茶店でした。

帰りは、雨脚が強くなり、大通りまでのバイクタクシーがなかなか現れずに難儀しました。
それだからこそ、ずぶぬれで帰るきっかけもつかめず、ひたすら何かを求めて歩き続ける自分を想像して、禮門のおじいさんへの感謝の気持ちを強くしたのでした。
【M8/Fujinon 3.5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Fujinon 3.5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2010/06/13 Sun

茶商説

M8/Fujinon 3.5cmF2
さらに歩いていると雨が激しくなってきました。
そういえばお昼もまだでしたし、軒先を雨を避けながら歩いてすれ違った老人に食事ができるところはないか聞いてみたのですが、龍湖古塞の中にはないようでした。
古塞に来て何をしたというわけでもありませんが、もう帰るつもりになっていました。

生活感がいっぱいの村で、葬式のためかひと気がないのがゴーストタウンめいていて、村から早く出て行けと言われているかのようです。
夜には戻って深圳の用事があったということもあります。
とにかく、広い古塞をくまなく見ようとするには時間がありませんし、てきとうなところまで直進したら、また違う道を戻ってそのまま帰るということにしました。

作例の写真ですが、古塞のお茶屋さんです。
中国では普通に真空パックとかカンに入ったお茶も売られていますが、茶葉を確認したり時には試飲したりして買うために、計り売りが主流です。
市場などでは、分銅をずらして計る天秤秤をよく見ますが、逆に店舗なのに上皿天秤秤というのがすごいですね(この秤の名前が思い出せなくて辞書で調べてしまいました)。

お茶はテーブルの上に少し見えていましたが、そんなに種類は多くなさそうです。
それよりも人が不在で、店を開けっぱなしで葬式にいってしまったのか。
ふつうに考えれば中国では考えられないことですが、外から人がほとんど来ないから構わないということでしょうか。

潮州の山間部の方では、主に烏龍茶系のお茶の栽培は盛んなようです。
昨日の夜、宿の少女に淹れてもらったお茶もそんなひとつで、名前は失念しましたが、なにか風雅な名前のお茶でした。
そして潮州から東へちょっと行けば、烏龍茶どころの福建省になります。

そういえば、思い出すことがあります。
もう何年も前、2回目くらいに中国へ行ったとき、深圳で烏龍茶を買い求めた時のことです。
その店主が潮州人で、何種類ものお茶を試飲しながら、いろいろなことをレクチャーしてくれました。

まだ、中国語がぜんぜんしゃべれなかった頃です。
細かく味や香りの違いを説明してくれるのですが、意味がまったく分からなくて困り、紙に単語を記したりしてもらいました。
詳しくは忘れましたが、「清香」とか「濃香」などの文字を見ながら、うなづきつつ1杯1杯確認していったような気がします。

そして最後に彼が書いたのが、われわれ潮州人とあなたがた日本人が茶商にはいちばん向いている、茶の微妙な味わいは他の人たちには分からないから、というようなことでした。
潮州人がお茶を日常的に愛飲するのはお茶の味が分かるからで、それは日本人も同じである、そう彼は言ってお茶を梱包してくれたのです。
ただ、その時使用したのは天秤ではなく、デジタルで表示される電子秤だったはずでした。
【M8/Fujinon 3.5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Fujinon 3.5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2010/06/12 Sat

有点俯瞰

M8/Fujinon 3.5cmF2
中国の古い町並みは、瓦屋根の連なりが見事ということがよくあります。
チャンスがあれば高台にのぼって見下ろすと、個々の建築と町並みの形成の融合美を堪能できるのです。

龍湖古塞のすぐわきには韓江という大河が流れていて、その土手が高く盛り上がっているのが、この辺一帯ではもつとも高い場所のようです。
さっそく駆け上がってみると、瓦屋根の連なりを愉しむまでの高さこそありませんでしたが、龍湖古塞がいかに広いかが確認できます。

もともとこの地に人が生活を始めるようになって1000年ほど、古鎮としての骨格ができあがってから200年ほどが経っているようですが、当時としては大きな町だったのではと感じられます。
根拠があるわけではありませんが、韓江の水運を利用した交易で栄えたのかも知れません。

しかし、建築は古びてこそいるものの、じゅうぶんな古建築というものは見つかりません。
寺廟とそのまわりの建物は古いようですが、明代はおろか清代の建築も数えるほどしかないようです。
昨日、戦前の雰囲気色濃くと書きましたが、まさにその当時の建築が主流ということなのかも知れません。

ここでは、レンズのことに言及しないといけません。
今回、広角として持ち出したのはフジノン3.5cmF2で、これは恐らく以前から好き嫌いの好みを分けていたレンズではなかったかと思います。

理由は、これも想像になりますが、35mmF2というスペックではズミクロンのそれも初代8枚構成のレンズが代名詞のように存在します。
これより明るい、ズミルックスF1.4、キヤノンF1.5、ズノーF1.7と言ったレンズたちは、性能に対して個性的という評価で愛用されてきています。

しかし、F2になるとなぜか初代ズミクロンを基準に同程度のシャープネスが求められ、それに伍する実力がないと性能の劣るレンズの烙印を押される傾向にあるようなのです。
キヤノン35mmF2が基準を満たした勝者のレンズであり、残念ながらフジノン35mmF2は敗者の地位に甘んじています。

前述のようにこのレンズを愛好する人も少なくないようです。
個性的レンズだということで言えばその理由はさまざまだと思いますが、わたし自身は周辺の弱さやシャープなようでいくぶんぼんやりした表現をすることが気になっているという
程度でした。

今回ピクセル等倍の絵を見て気付いたことがあります。
シネ・ヴェロスティグマットの後ということもあって、なかなかのシャープネスを感じていたのですが、これは拡大するとかなり解像度は低いことが分かりました。
シャープでありながら解像度が低いというのが、実に不思議でこのようなパターンは初めてでしたが、これがシャープなようでいくぶんぼんやりの説明に他なりません。

ともあれ、わたしのフジノンは鏡胴のメッキがあちこち剥がれた見た目に怪しい個体で、一見レンズ自体はキズやくもり、カビなどの問題のないオリジナル状態のようです。
しかし、調整の失敗などがあって、本来の調子が出ていない可能性は否定できません。

そんなことをあれこれ思いめぐらす梅雨前の週末の夜でしたが、たったいまワールドカップ南アフリカ大会が開幕しました。
最初のゲームからなかなか興味深い試合です。
4年振りに悩ましいひとつきを過ごさなくてはいけなくなりました。
【M8/Fujinon 3.5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Fujinon 3.5cmF2 | trackback(0) | comment(1) | 2010/06/11 Fri

還有別的土楼

M8/Fujinon 3.5cmF2
そば屋で呑気に待っていると、汕頭方面行のバスがやってくるのが見えました。
わたしが、三饒を発つ時間がやって来ました。
後部座席に座りこむと、ほどなくして1泊を過ごした町を後にします。

旅は時として不思議な感覚を喚起するものです。
遠くへ来れば来るほど、そこを立ち去る時、強い郷愁のような気持ちを感じることがあります。
あたかもその土地が、もう行ってしまうのかとわたしの腕をつかんで強く引いている気さえしました。
これはけっして嫌な気持ちではありませんし、この感覚があるからこそ、戻ってからもまた次の旅に出て行くということでしょう。

乗り合わせたバスは、来たときと違って車掌が乗車していて、座席をまわって行き先を尋ねながら料金を徴収しています。
これは絶好のチャンスでした。
じつは、昨日三饒へ向かうバスの車窓から土楼と思しき建物が見えたのです。
その直後の村の名をなんとなく覚えたので、そこまで行きたいと告げ、近くに土楼が見えたのでと付け加えました。

しかし、車掌はカタブツのような男で、土楼だったら三饒の道韻楼に行けばよい、途中に土楼なんてない、と聞く耳を持ちません。
少し押し問答になりましたが、結局、土楼が見えたら下車する、見つからなかったら汕頭まで乗車するからと少し折れる形で納得してもらいました。
自分としては、間違いなく遠くに土楼を見たつもりでしたが、もしかすると見間違いかも知れず、ひょっとすると夢か何かみていたのではと不安にさせる車掌の強気振りでした。

しかし、途中までずっと見覚えある風景が続いたので、自信が甦りました。
記憶していた村を過ぎると、果たして土楼と思しき巨大な建造物がどーんと現れて、車掌にほらほら土楼でしょうがと得意げに話しかけます。
完敗を認めた車掌ですが、あそこは見てもつまらん、見るなら道韻楼なのになどとぶつぶつ言いながらも運転手に停止を指示しました。

こんな具合だったので、もしかすると、これは一般に知られていない、訪れるものなき未発表土楼との期待が高まります。
ですが、結果を先に言えば、車掌の言ったあそこはつまらん、こそが正解でした。

門にはしっかりと玉田楼という銘がかかげてありましたが、大きさで言えば道韻楼の3分の2程度。
門をくぐると、穀物やら薪やらごみやらが雑然と置かれ、各戸にもトタンで継ぎ接ぎして増築したような跡があって、悲しいほどに雑然としていました。
老婆がひとり腰掛けていたのであいさつしましたが、返事がかえってきません。
あらためて全体に異様な雰囲気を感じます。

長居をするところではないな、そう感じてそうそうにバスを降りた街道まで戻りました。
ここは、遠巻きに外観だけを眺めるための土楼だったのだと思うことにしました。
【M8/Fujinon 3.5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Fujinon 3.5cmF2 | trackback(0) | comment(2) | 2010/06/08 Tue

炸圈或者比薩

M8/Fujinon 3.5cmF2
早々にシャワーを浴びて荷物をまとめると、安宿を出ることにしました。
しかし、玄関には鎖が巻き付き、これは外からの侵入防止だと思いますが、中から外へ出ることもできません。
時計は6時を指しているので、7時まで待てということでしょうか、宿の朝は早くはないようです。

少しフロア内を探すと小部屋があって、中からかすかに寝息が聞こえてきます。
そっとドアを開けると昨日の少女が、ではなく眠っていたのはおっさんの方でした。
申し訳ないですが、遠慮なくたたき起こして玄関を開けてもらいます。

外は驟雨というのでしょう、起きた時は降っていなかったのに、シャワーを浴びている最中は滝のような雨が来て、今は霧雨のような霞んだ状態です。
湿度が高いのは少し不快ですが、おかげで気温が下がってそれを帳消しにします。

道韻楼へ直行しますが、昨日とは違い田んぼの中を突っ切ってショートカットすることにしました。
ところで、日本で田というと米をつくる土地に限られますが、中国語では野菜でも果物でも農作物が植えてあれば田と言います。
だから畑とか畠という字は和製で、中国には存在しません。
と言う訳で、わたしが突っ切ったのは、何か分からないいろいろな種類の野菜畑のある農道です。

この近道は大成功で、10分少々で道韻楼に到着しました。
いえ、実際には写真を撮りながらのんびり歩いたのでもっとずっと時間はかかっているかも知れませんが、昨日よりだいぶ早く着いたという感覚です。

子どもたちがよいことを教えてくれます。
空き家のところに中へ入れるようなことが書いてあったのですが、昨日は鍵がかかっていて中へ入れませんでした。
しかし、昨日も見かけた子どもたちが、ここは鍵がかかっているわけではなくて、こうすれば開くのと扉を開いてくれたのです。

1階には書画がかけてあったりで本来はギャラリーにしたかったようです。
失礼ながらここはパスして、2階へ上がり窓から外を眺めると、なかなかによい眺望です。
ふと気付くと、ここは3階建てで、もうひとつ上まで上がれました。
さらに眺望はよくなりましたが、35mmレンズでは全貌を捉えることができません。
28mm、できれば21mmを持ってくるべきでした。

申し訳ありませんが、切れている部分は想像で土楼の全貌を補ってください。

まず、いちばん内側に1階建のドーナツ型の建物があります。
次に、すぐ外側に同じ高さのドーナツがあります。
さらに外側に2階建のドーナツです。
そのドーナツ間には屋根があって3層がひとつに繋がっています。

部屋はどのように分かれているのでしょうか。
今度はこの円をピザと考えて、9本の切り込みを約20度おきに入れるとピザは18等分されます(実際には出入り口があるので19等分か?)。
このピザ一切れ一切れが一世帯になり、1階3部屋、2階3階1部屋の間取りが18戸ある集合住宅となります。

屋根が少しゆがんだりしているので、かなり華奢な建物という印象がするかも知れません。
しかし、少なくとも外側はかなり厚い土壁になっていて、それに外側は高さもありますので、全体を見て歩くとかなり堅牢な建物と気付きます。

以前に何度か紹介している広東各地の囲屋とか開平の調楼と同様、外敵からの防衛という意味があることは一目瞭然です。
客家は中世の時代に長江周辺から大きく移動した民と言われています。
その土地に根ざす前に、自分たちの身を守る必要があったのです。

道韻楼は、1477年から110年かかって完成しました。
それから423年経って、わたしはやって来たということになります。
電気やガスなどのライフラインが整ったことを除けば、おそらく当時とほとんど変わらない姿そのままに人々が生活する、時間が止まったかのような空間でした。
【M8/Fujinon 3.5cmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Fujinon 3.5cmF2 | trackback(0) | comment(9) | 2010/06/05 Sat

陸奥一人旅~⑬足

R-D1/Fujinon3,5cm F2

もう戻る時間が差し迫っていましたが、ムリして東山温泉に立ち寄りました。
会津若松市街からいちばん近い温泉で、旅の疲れを落とすつもりです。
しかし、高級感溢れる温泉街には、入湯500円などという表示は見つからず、かわりにご自由にどうぞ、の足湯で足の疲れだけでも癒すことになりました。
地元の子供達もいっしょになったのですが、足湯の効果はてき面で、ご覧の通りの元気いっぱいで階段を駆け上がっていきました。
前回と同じことになってしまいますが、せめて1泊、1泊でよいので安旅館にでも泊まって、旅して歩いた地で朝の目覚めを迎えたいものです。

僭越ですが、わたしも世間一般並みに暦通りの休みを取ることになりまして、この日記も来週半ばくらいまでお休みいただきます。
戻りましたあかつきには、変わらぬご指導いただきますよう、お願いいたします。
ではでは。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Fujinon 3.5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2008/05/02 Fri

陸奥一人旅~⑫改

R-D1/Fujinon3,5cm F2

会津若松周辺では七日町一帯を中心に魅力的な建物を見ることができます。
このお菓子屋さんは屋根が二重になっているのが面白いですが、中が蔵になっていて、軒を張り出させた部分を店舗にしたので、こういう構造になったそうです。
さらには、なまこ壁風の意匠や木格子とのれんのバランスなど美しい外観に惹かれます。

街中を歩いてはそばをすすり、文化に触れては甘味で休息する。
会津の中心にふさわしい好い町でした。
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Fujinon 3.5cmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2008/05/01 Thu
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