ニッチなレンズ狙いで

Jamin et Darlot 13.5cmF4.5
数年間ずっと使い続けたペッツバールレンズのことで残念だったのは、資料がほとんど見つけられなかったことです。
ライカマウントのレンズ群に比べると、ウェブサイトや書籍、カタログなどの資料があまりなく、レンズを使っては疑問点を調べて興味を増幅させるという行程がなかなか得られなかったのは残念です。
そんな中でキングスレーク氏の写真レンズの歴史とダゴスティーニ氏の”Photographic Lenses of the 1800’s in France”に大いに助けられました。
しかし、教えられる以上に疑問点の方が多く、ペッツバールを集めて使うというのは悶々とした気分を伴うことでした。

もうひとつの問題は、35mmフォーマットにフィットする焦点距離の短いペッツバールがなかなか市場に現れないということでした。
手に入れた7cmという焦点距離はデュブローニのカメラでは直径4cmのフィルム用で、現在の35mmに近いフォーマットといえますが、この焦点距離のペッツバールは他にもう1本見たことがあるだけです。
続いて10cmという焦点距離がありますが、まれにオークションに登場するとおおむねかなり高価になって手が出ません。
20cm前後だと潤沢にあるせいか割合リーズナブルなので、長過ぎを承知で不本意ながら購入していました。

これらに反してわたしはクラシックカメラ専科を以前から買い揃えていたり、他にも国内で発行されたレンズ関連書、レンズ特集を組んだ雑誌などを何冊か所有しており、その多くで日本製のライカマウントレンズの記載があり、特に古いものはレンズ設計者のインタビューなどがあってたいへん興味をそそる内容です。
くわえて、日本にいるということは世界のどこよりも日本製のレンズを手に入れやすい環境にいるということです。
戦前から戦後間もなくは、ツァイスやライカのレンズのデッドコピーをつくっていたというので馬鹿にしていたのですが、調べると相応の理由があったり、コピーしたのに性能は著しく劣っていると当時から言われていたりと、むしろそういったレンズを集めて自分でも使ってみたいと思うようになってきたのです。

日本にはカメラコレクターが多く、貴重なカメラに付いているレンズなどはすでにかなり高価ですし、そもそも市場にはあまり出てこなさそうです。
超大口径レンズも、レンズブームが去りつつあると思われるいま現在でも超高値安定で、例えば、ズノーのピンポン玉と呼ばれる初期型の5cmF1.1など入手をあきらめざるを得ないレンズは少なくありません。
狙うは、地味スペックで安いけど何かいわくのあるような国産レンズに絞られます。
さっそく、こんなに安くて申し訳ないとお詫びしたくなるようなレンズを数本入手したので、来週以降、もともと所有のレンズに織り交ぜながら使って行こうと思います。
一般には平凡なものばかりだとは思いますが。

さて、今日の作例ですが、なんやかやと言いつつ3日続けてのペッツバールになります。
これもホイアンのはずれの路上で、ココナッツを買いに来たモデルのようにちょっとセクシーなポーズをとる女性と、そんなこと構わずに背を向けてココナッツをカットする女性の対比です。
このレンズは13.5cmの長さに比べて被写界深度が深いので、両者にピントが合っているように見えたのですが、よく見ると両方ともピントが合ってないようです。
最近になって、ピーキングと拡大を併用してピント歩留まりを上げる努力をしていたのですが、どうも夕方薄暗くなると、ピント精度が怪しくなってしまうのです。
【Alpha7II/Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 F4.5】
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Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/02 Sat

2度の失敗で挫折感

Jamin et Darlot 13.5cmF4.5
昨日の書き方では、ペッツバールと決別してエルマー、ヘクトールを使用していくと宣言しているようにも読めてしまいますね。
ペッツバールには、描写そのものに魅力があり、レンズ史的な意義も合わせると一切使わないというところまでは考えていません。
今後は、日の目を見ていない、ライカマウントの望遠レンズの比重を高めようという程度の緩い方針転換なのでした。

ペッツバールについては、2009年にダルマイヤーのものを入手し、ライカM8で使うために距離計連動にマウント改造して使い始めました。
その後、メイン機材がミラーレス一眼に切り替わったことで連動が不要になり2013年からペッツバールの数は増えていき、α7導入による撮像素子のフルサイズ化で焦点距離200mmくらいまで使いでは良くなって各メーカーのペッツバールが集まりました。
ペッツバールタイプのレンズはどれも同じ設計に見えながら、今回のレンズのようにやや広角なものや、少しソフトなものなど、それなりにバリエーションがあることも使っているうちに判ってきました。

大判カメラ用のレンズが揃ってきたのですから、次のステップとして4x5に挑戦したいと考えるのは自然なことでした。
スピグラにペッツバールの組み合わせで、数回、手持ち撮影を試みました。
しかしこれはピント合わせの問題が克服できず、レンズを距離計連動に改造するか、三脚使用を考えざるを得なくなります。
一眼レフのグラフレックスを入手して手持ちにこだわってみましたが、短めのレンズではミラー当たりの問題があると分かり、未だ撮影を行えていません。
フィルムや現像のランニングコストが馬鹿にならないことや、撮影結果をウェブ上でアップする手間も相当であることから、休止状態になっています。

その後何か新しいことを始める気になったかといえば、むしろ逆で、フルサイズのデジタルカメラを使い出して一定時間が経っているのに、未だフルサイズで撮影していないレンズがかなりあることが気になりはじめました。
また、書籍の記載とは異なるレンズ構成であると気付いたレンズが何本かありますので、その検証もしなくてはと思っています。
基本はライカのレンズとノンライツのレンズに据えるべきなのではと考えるようになってきました。
というのは、ミラーレスを使用していると、マウントアダプターの種類は多様になりましたし、ヘリコイドにレンズヘッドをテープ止めしてしまえば、ほとんどのレンズが使用可能になってしまいます。
際限ない中でこれ以上何でも屋的なレンズの使用を拡大するより、本来のスタートの姿だったライカマウントのレンズのみという制約を課さねばと考えたのです。
これだけレンズを所有してきたので、いくら制限しても不自由になることはないはずです。

さて、今日も作例は、ジャマン・エ・ダルローのペッツバールで、ホイアンの名物、ランタンの屋台を撮影したものです。
ランタンはどこでも似たような品揃えに見えたので工場で大量生産しているのかと思いましたが、ハンドメイドのところもあるということのようです。
夜灯かりをともすと現像的で好いなと思いますが、ご覧のように竹の骨組みと布張りで畳めずにかさばってしまうので、購買意欲は起こりませんでした。
【Alpha7II/Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 F4.5】
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Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/07/01 Fri

望遠レンズを見直すときかも

Jamin et Darlot 13.5cmF4.5
ベトナムの旅に持ち出したもう1本のレンズは、ジャマン・エ・ダルローのペッツバールレンズでした。
このレンズは、コーン・サントラリザチュールという下部が円錐形をした独特のシェイプで、シャープなペッツバールタイプのレンズの中でも特にシャープなことで評価が高いようです。
一般的なペッツバールは中心部のみがシャープで周辺に向かうにつれ像面湾曲や非点収差などの影響で像が乱れるのに対して、このレンズは135mmとペッツバールとしては短い焦点距離ながら画面全体で画質があまり落ちず、だいぶ使いやすくなります。

イメージサークルが広くなっているということだと思われますが、そうだとすれば広角のレンズということになりますし、F値が暗くなるのも納得できます。
ペッツバールの改良型といえるでしょう。
以前はそのことが気に入っていたのですが、ペッツバールらしさということでは物足りない気がするようになってきました。
一般的なライカマウントの望遠レンズを使うのと差がなくなってしまうからです。

とはいえ、このレンズはペッツバールとしては細身かつ軽量で、旅に持ち出すには好都合です。
およそ150年前のレンズなので、そう説明しながら撮影させてもらったりもしました。
逆にベトナム人ツーリストからわたしの撮影しているところを撮らせてと言われたこともありました。
レンズのことを聞かれたので、ベトナムは1887年にフランスの植民地になったのですが、その少し前にフランスで作られたものだよと自慢しました。

しかし、13.5cmF4.5というスペックは、戦前のライカのエルマーやヘクトールと同じで、描写に優位性があるとも思えません。
他のものも含めてペッツバールは相当使っているのに、エルマー、ヘクトールというライツの名レンズはほとんど防湿庫に眠ったままです。
かつて135mmはライカで使いにくい焦点距離でしたが、ミラーレス一眼レフになって使用感も変わっているでしょう。
方針転換の時が来たかなあとの思いを強くしました。

さて、本日の作例ですが、ホイアンの中心からはずれた路地でみつけた家内制工場です。
春巻き用のいわゆるライスペーパーを製造していました。
ライスペーパーは、フエのスーパーで何種類も売られていましたが、それらはもっと大規模な工場で作るのでしょう。
ホテルでスタッフと食べる夕食というサービスがあり、前菜でライスペーパーを使った生春巻きをおいしくいただきました。
作例の手作りライスペーパーは、レストランやこういうホテルなどに卸されているのではないか、だから特においしかったのではと思いました。
【Alpha7II/Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 F4.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/06/30 Thu

超人口密度体験

Jamin et Darlot 13.5cmF4.5
楽園での日々はあっという間に過ぎ、ラグーンのホテルを発つ日が早くもやってきました。
事前のやり取りからずっと面倒を見てくれていたアンちゃんともお別れです。
華奢で笑顔のまぶしい20代前半のベトナム娘アンちゃんにはいろいろとわがままを聞いてもらいながら、リゾートのウリだったスパは利用せず、最終日には夕食まで外で食べてしまって売り上げに貢献せず申し訳なさいっぱいです。
フエ大学で英語を学んだにもかかわらず、勉強中だという日本語を積極的にしゃべっていた努力家の彼女に、せめてもの罪滅ぼしで移動の車を頼みました。

目指すはもうひとつの歴史の町、ホイアンです。
ホテルからホイアンまでは、来た道を戻って国道を南下し、ダナンを過ぎた少々先にあります。
先日触れたベトナムの南北を分かつハイヴァン峠ですが、来たときには日本が最近竣工させたことを示す日の丸プレートが貼られたトンネルを通ったので、見ることができませんでした。
今度は20~30分の時間のロスはあるそうですが、旧道を使って峠越えするようお願いしました。
風光明媚なのは好いのですが、ハイヴァン峠は観光地化が進んでいて、駐車場に停めるや否やカフェの客取り合戦でコーヒーを飲むよう勧められ、中国人の団体ツアーも押し寄せたりでいい気持ちがしません。
本来ならここでホイアンがどんなところか気付くべきなのに、わたしのカンはリゾート暮らしで鈍っていたと反省します。

その後通り抜けたダナンのビーチ付近には道路沿いにシーフードレストランがずらっと並んでいるのですが、そのすべての店の看板が中国繁体文字表記になっているのが驚きでした。
さらに到着直前にはマーブルマウンテンというのがあり、文字通り大理石の産地で切り出した石で彫刻作品を販売する店に立ち寄ることになります。
売り上げればドライバーのキックバックになるのでしょうが、わたしたちはもともとあまり買い物する方ではないし、旅行者にとって石でできたものほど重くて買い物に適さないものはないんじゃないかとも考えます。
それでも、連れてきただけでなにがしかの見返りがあるかも知れない運転手を気遣って、店内を案内に連れられ1周しました。
彫りが雑で興味すら惹かないばかりか、全部手作りだと説明して、石をノミで削っているフェイク老彫刻家を配置する稚拙な演出まであって苦笑させられました。
ホーチミンのツアーに参加するとキャラメル工場に連れていかれるというのが有名ですが、わたいたちもキャラメルだったら義理で買ったかもしれませんが、荒い機械加工の石の像はタダだと手渡されても置いて帰っていたでしょう。

そのような分かりやすい場所を経由してもまだ何もピンとこなかったわたしは、歴史地区は車で入れないとドライバーに町の入り口から歩いて中心にある古民家の宿に連れてきてもらって初めてそれに気付きました。
ホイアンは完全に中国人に占拠された町だと。
そもそも中国人商人を中心に自由貿易港のようにして栄えた町なので、今も昔もそれはど変わってないという見方もあるかも知れませんが、それにしても中国人旅行者の数は尋常ではありません。
あまりの人の多さに道を歩いていてもなかなか前に進めないほどの大混雑です。

宿の人に何かイベントでもあってこんなに人がいるのかと聞きましたが、いつもこんなものだ、ランターンフェスティバルの夜はこんなものじゃないと自嘲気味に説明してくれました。
ホテルの無料オプションで、軽食を取りながら川をガイド付きでクルージングして歴史を学ぶというようなものがあって参加申し込みしましたが、わたしのみドタキャンして歴史地区を外して散歩しました。
思ったとおり中国人グループがいっしょで、英語が通じないからかガイドの説明聞かずに騒いでいたので、コースがかなり省略されたとひとり参加した友人が憤っていました。
町のど真ん中の宿では、10時頃まで喧騒が響き渡って落ち着かない夜を過ごすことになりました。
中国政府の強引な政治手法は国際的に非難され続けていますが、そうでもしなけりゃこれだけの人民は治められないかもなあなどと寝床で考えてしまうのでした。
【Alpha7II/Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 F4.5】
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Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/06/24 Fri

撮影交渉成功

Jamin et Darlot 13.5cmF4.5
アキュラーがプロミナーと同じレンズかを確認するために、プロミナー35mmF2.8レンズを見てみたいのですが、なかなかネット検索では新情報がつかめません。
レンズの外観と作例を掲載されているサイトがありましたが、自分の写真と見比べてもまったく同じ写りだと特定するのは不可能でしょう。
とてもシャープなことや無限遠で周辺光量落ちがないのが共通点と言えますが、使用カメラがフルサイズではないと書いてあるのを見つけ、F値が未記載で周辺のことは比較できないと気付きました。

「クラシックカメラ専科No.40」の特集が「コーワのすべて」だったので期待しましたが、発売されたカメラの写真と諸元データは網羅しているのに、交換レンズのことは触れられてもいませんでした。
同じ朝日ソノラマ社の単行本「ズノーカメラ誕生」にも「コーワカメラのすべて」の章がありましたが、さきのクラカメ専科No.40の「コーワカメラのあゆみ」の記事とまったく同じものです(後半部分に修正されているところが多いですが)。
ズノー誕生が第一人者の萩谷剛さんでクラカメ専科は高崎晶夫さんとなっているのが不思議です。
クラカメ専科No.40には萩谷さんの記事が他に2つあるので、バランスを考えて高崎さんというペンネームに切り替えたのでしょうか。

話が反れてしまいました。
プロミナー35mmF2.8は、もともとコーワ・カロワイドというレンズシャッターカメラに付いていたレンズの評価が高かったので、後年になってライカマウント版を製造したと言われています。
真偽のほどは分かりませんが、もし本当であるなら、時すでに大口径化の風潮の中で過去レンズの焼き直しとなれば、いくら高性能をうたっても廉価レンズの位置づけだったでしょう。
反響もあまりなく、時代が一眼レフに移行していたこともあって、ほとんど製造しないうちに撤退してしまったのかも知れません。

コーワカメラのすべてによれば、同社は戦前、愛知県で繊維業を営んでいて、終戦後に関連のあった光学と医薬品の事業を立ち上げたそうです。
工場は蒲郡にあったといいますが、ロッコールやシムラーのように地名からレンズ名を名付けていたら、ガマゴラーとかガマゴンなどになっていたのでしょうか。
プロミナーでよかったなあと思います。
しかし、医薬品の方はコルゲンコーワにカエルのケロヨンのキャラクターを登用しています。
もしかしたら、蒲郡のガマと関係あるのではと訝っています。

さて、今日の作例ですが、奈良の春日大社の若い神職さんです。
さんざんアキュラーだコーワだと書きながら、作例のレンズはダルロー製のコーン・サントラリザチュールで、時代違い、申し訳ありません。
ハンサムな神職さんは、すこし前にNHKのサラメシという番組に出演された方で、春日大社の無料案内をしてくださいながら、天下のNHKのみならず、わたしの撮影要求にも応じていただきました。
あえて顔の分かりづらいアンダーの写真を採用しましたので、神職さんを見てみたいという方は、20年の式年造替の春日大社をぜひ訪れてみてください。
【Alpha7II/Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 F4.5】
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Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 | trackback(0) | comment(0) | 2016/06/16 Thu

日本のシェイクスピアの故郷

Jamin et Darlot 13.5cmF4.5
熱海から東京方面の上り列車はピーク時で15分に1本ほどあります。
東京まで2時間かかるので、急ぐ向きは新幹線を使えば45分前後ですので早いですが、真鶴から小田原の間の海岸べりの風景も捨てがたいのであえて東海道線に乗るのも好いでしょう。
もっともわたしは途中の藤沢駅で小田急乗換ですので、はなから新幹線に乗る必要はありません。
1時間の道のりも、昨日の作例の夏海さんがブログをやっているので見てくださいと言うので、車中でずっと読んでいました。
この日午後に梅園で見かけて撮影、1時間後くらいにまた出口付近で見つけて撮影と2回目撃しただけですが、すっかり彼女のファンです。

電車に乗る前、梅園の坂を下り切る途中を右の路地に入り、温泉や別荘もある高台で見晴らしのいい住宅街方面を歩きました。
去年も訪れた双柿舎を訪れてみようと考えたからでした。
これも、電車が15分刻みであることが事前確認できたからで、帰りの時刻が計算できるのはありがたいことです。

双柿舎は坪内逍遥が晩年を過ごした家で、現在は彼が勤めた早稲田大学の施設としてゼミなどに利用されているようですが、ありがたいことに日曜のみは一般に開放されていて無料で見学が可能です。
坪内逍遥の名前は知っていても何をした人物かと言われて即答できる人は意外に少ないのではないでしょうか。
実は、わたしもそのひとりでした。
文学者だとは分かりましたが、何を書いたか、代表作は何かと言われても出てきません。
建物には地元のボランティアのガイドさんがいて、到着早々に逍遥の最大の業績をご存知ですかと尋ねられます。
前回訪問時は先述の通り答えられませんでしたが、今回はその時のことを覚えていました。
正解は、翻訳です。
シェイクスピア全集を訳して日本に紹介したのが彼のいちばん知られた仕事です。

小説や詩、戯曲などの文学作品も多くあるようですが、第二の業績は教育者としてのもので、東大を出た後に開校した早稲田大学の前身で講師になり、そのまま早稲田の教授として教鞭を振るったそうです。
以下はウィキペディアからになりますが、出身は岐阜県の美濃加茂市で、1859年の生まれです。
名古屋の愛知県外国語学校で英語を学びました。
東大文学部を卒業して文学士になり、数々の小説の発表や外国文学の翻訳に力を注ぎます。
晩年は、ここ熱海の双柿舎に移り住み、1935年にひっそりと亡くなったそうです。

わたしのレンズが1865年頃の製造ですので、逍遥と同年代ということになりますね。
そんなことを思いながらガイドしてくれた女性を2~3枚撮影させていただきました。
逍遥の死後、妻のセンは10年ほどこの地で暮らしたそうです。
彼女は根津の遊郭の娼妓だったころ学生だった逍遥が数年通い詰めて結婚に漕ぎつげたのだそうですが、長年の思いが通じてしあわせな結婚生活だったのではと想像させるものがあります。
わたしも学生であったなら、芸妓の小夏さんのところに通い詰めたかも知れませんが、すでに時遅しでそのチャンスはありません。

作例の場面はガイド女性が、まさにここに双柿舎の名前の由来になった柿の木があったのですが、寿命で折れてしまった(だったと記憶しています)と説明しているところです。
この女性は生まれてからずっと熱海だそうで、逍遥の妻のセンがひとり暮らしていたであろう頃、この辺で遊んだことがあったと教えてくれました。
残念ながら会うことはなかったそうです。
この前はシンガポールの人が来たけど英語ができないので、コミュニケーションできずたいへんでしたと言うので、かの国の華人は中国語もできるので筆談すればよかったんですよ、ただしあそこは簡体字なので日本の漢字は理解できないかも知れないですがというやりとりから始まって、どこそこの国の人はどうだこうだとはなしが盛り上がって1時間近くも滞在してしまいました。
ご迷惑をおかけしたことをお詫びしたいですが、わたし自身も帰宅が予定より1時間遅くなってしまったのでした。
【Alpha7/Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 F4.5】
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Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/02/08 Sun

冬の熱海と夏の海

Jamin et Darlot 13.5cmF4.5
熱海の梅祭りには毎年のように出掛けていますが、お前はそんなに梅が好きなのかと問われればけっしてそうとは言えません。
花は美しいものだ思いますので、旅をしていてきれいな花を見つけるといいなと感じますが、カメラを構えたとしても、人物や街並みの脇役として撮るという程度になります。
以前は何でもかんでも目に付いたものに無暗にレンズを向けていた時期もありますが、旅をしたり週末カメラ散策をしたりの機会が増えると、自然と自分のスタイルができるものです。
逆に花を専門に撮影するということも、季節や地域と密接に関連するのでとても面白いと思っています。

最初に熱海梅祭りに出向いたのは、もう7年も前のことでした。
当時、入手困難だと思われていたセプタックのレンズヘッドをわずか2万円ほど入手して、ライカ用に距離計連動に改造してもらったものが仕上がってきたので意気揚々と出掛けようとしたことを鮮明に記憶しています。
張り切っていたのに、前夜から大雪が降って出鼻をくじかれたことも同様に。
この間ほぼ毎年熱海行きは続いていますが、意外に当日の天候不順が多く、去年も傘を差しての撮影でしたが、雪も雨もこの季節ならではの風情を味わえてけっして悪いものではありません。

熱海の梅祭りでは、ミス熱海が観光PRの活動をしているのを何度も撮影しています。
しかし、当時はライカM8での撮影でしたので、ライカで撮るのはスナップてあって、モデルさんにこちらを向いてとお願いして撮るのは御法度であるとの思い込みからブログに採用しなかったり、敢えてこちらを向いていない談笑中のものを採用したりしていました。
ミスの存在は、その頃のわたしにとってそれほど意味がなかったのです。
いまでは、ペッツバールで撮影するようになり、このレンズの背景を調べるうちに、声掛けしての人物撮影が主体になってきましたので、梅祭りを訪れる大きな理由がミスに会いに行くに変化してきました。

さて、梅園までの坂道を早足で登ったので足がくたびれていたので、梅園内の足湯で休もうと思っていたのですが、疲労感の方が勝って早々に帰宅することにしました。
ところが、梅園出口のところで、ミス熱海のおふたりに再会してしまい、また、撮影をお願いすることになりました。
もともと梅祭りでは、毎週日曜にミス熱海の撮影会が設定されています。
ミスの撮影会と聞くとアマチュアカメラマンがポーズするミスを取り囲んでシャッター音が鳴り響くような絵をイメージしますが、ここでは、訪れたお客さんから希望があれば携帯でいっしょに記念撮影したり、観光客を記念撮影してあげたりなどコンテストに勝利して選ばれし美女たちであるミスが観光協会のアルバイトのような状態になっているのが気の毒であり面白くもありました。

作例は、その細やかなホスピタリティの様子がとても目を惹いていた夏海さんです。
先日の芸妓さんが小夏さんでしたので、南国の熱海らしい夏つながりかと思ったのですが、彼女は実家が静岡市で東京の大学に在学中なので熱海はその中間点で、もともとはあまり縁がなかったとのこと。
熱海は小さな町なので、毎年ミスを選定していると地元出身の対象者は減少傾向なので近隣からも選ばざるを得なくなるのは止むを得ないところです。
しかし、その分クオリティが上がるのもまた自然なことで、夏海さんがこれまで撮影したミスの中で一番の存在です。
わたしの贔屓目ですが、きれいであるということだけでなく人に接する所作ひとつひとつに、人となりがしっかり現れているように感じられて、好印象だったからです。

色温度調整に失敗して、表情は不自然に硬く、小道具に取り出したベッサも恐ごわ持っている感じでしかもそのカメラの方が主役のような作例になってしまいました。
2月は撮影に向かう場所もないし、また彼女の撮影のために熱海まで足を延ばしたいと考えています。
今回はひとりで熱海を目指しましたが、行けずに悔しがっていたレンズ仲間に声を掛けての再訪を計画中です。
この時期の熱海詣では、年中行事にして毎年続けていけたらいいなと思います。
【Alpha7/Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 F4.5】
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Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 | trackback(0) | comment(3) | 2015/02/07 Sat

助けてほしかったのだが

Jamin et Darlot 13.5cmF4.5
ここ数日の報道を見る限り、イスラム国に拘束されていた後藤健二さんは、助かるはずだったところを見捨てられたのではないかと思えてなりません。
人質交換のためにトルコ国境付近まで移動させられていたという情報があるからですが、それが真実だとすれば、イスラム国は開放するつもりでいたのに、ヨルダンはそのことを知りながら取引に応じず後藤さんを見捨てたということになります。
なぜ、ヨルダンは世界の世論があれだけ後押ししていた後藤さんを助けようとしなかったのでしょうか。
いくつか理由は考えられますが、本当の理由は永遠に明かされないのでしょう。

取引に応じるなとのアメリカからの圧力があったのでしょうか。
自国パイロットの救出の切り札を外国人には使えないと判断したのでしょうか。
その時の報道ではパイロットの安否が確認できるまでは取引に応じられないという態度を示していましたが、膠着した中で日本人の人質だけでも助けなくてはと思わなかったのでしょうか。
わたしには、ヨルダン政府はパイロットはすでに殺害されていたことが分かって、それでも人質を日本人救出に差し出すよりは、パイロット殺害の発覚後に報復しろと騒乱が起きたとき死刑執行して暴動にまで広がらないための切り札の役目として撮り置いたと思えてなりません。
日本人との人質交換に応じないとパイロットを殺害すると脅迫されていたので、交渉でそれ以上の条件を取り付けられな以上は、やはり交換に応じるしかないのにそれをしなかったのが、わたしの考えを裏付けているといえないでしょうか。

後藤さんの死の報から直ちに親族の方の発言中に、これをきっかけに報復の連鎖が起きないことを願うという趣旨の発言をされました。
これはたいへん尊い言葉で、親族を殺害された方が悲痛の中で語ったからこそ多くの人の心を打ち、また支持もされたと思います。
一方で、パイロットの親族から発せられたのは、彼はわたしの子どもというだけではなくヨルダンの子どもなのだ、と報復を呼びかけるように聞こえる言葉でした。
実際、ニュースに写る人々は口々に報復をと叫んでいました。
そんなタイミングで後藤さんと交換されるはずだった死刑囚の死刑が執行されたのは、報復の情熱に燃える人たちの気持ちをいくらかやわらげたかのように見えました。

もし、日本の親族が報復をといえば、日本人の多くから後藤さんはそんなことを望んでいないなどの意見が出るなど、国が報復の機運に傾くことはなかったと想像できるし、逆にヨルダンで報復はいけないなどと言えばそれでも親族かと非難を浴びたことでしょう。
どちらが正しいとか好い親族だなどと言うことを別にして、これが両国の文化の違いだということです。
後藤さんの親族が気丈に振る舞ったことは、多くの日本人にはその心情が理解でき、より同情の気持ちを高めましたが、パイロットの親族の発言も同様の意味があるのだと思いました。
やはり、目には目を、がアラブの文化なのか、と。

エジプトのシシ政権になってから、ムスリム同胞団の締め付けが強く、裁判でも何十人を同時に死刑判決するというのも同じところからきているのでしょうか。
報復が続く限りパレスチナに和平が訪れるはずもありません。
どちらかが無くなるまで半永久に続くと解釈せざるを得ません。
あるいは文化そのものを変える努力をするかです。

さて、今日の作例は、熱海梅園にある韓国庭園の建物です。
表額の文字がハングルですし、床が旧式のオンドル、さらには人物の服装がまったく違うので、わたしたちには韓国と分からない人でも、日本でないことはすぐに分かります。
しかし、アラブの人たちが見れば、建築様式やら顔付やら日本との違いは分からないという人がほとんどでしょう。
これは、日本人から見たアラブ世界についても同じことが言えるので、先に書いたことがすべての国や部族に通じることではないかも知れないことも申し添えなくてはなりません。
そういえば、韓国と日本て、すごく違いますよね。
【Alpha7/Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 F4.5】
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Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/02/05 Thu
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