スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | --/--/-- --

Voigtlander 20.5cmF3.6
申し訳ありませんが、文章は作成次第アップいたします。
【Alpha7//Voigtlander 20.5cmF3.8 F3.8】
スポンサーサイト
thema:ペッツバール genre:写真
Voigtlander 20.5cmF3.8 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/15 Thu

Xenon 5cmF1.5
申し訳ありませんが、文章は作成次第アップいたします。
【Alpha7//Voigtlander 20.5cmF3.8 F3.8】
thema:ペッツバール genre:写真
Voigtlander 20.5cmF3.8 | trackback(0) | comment(0) | 2015/10/07 Wed

海に呼ばれて

Voigtlander 20.5cmF3.6
ジロカステルは面白い町で2~3日くらいなら滞在して飽きるようなところではありません。
郊外には、自然の美しい古い教会のある魅力的な村があると教えてもらいました。
アップダウンはあるようですが、自転車を借りて1日郊外の村を巡るのも楽しそうです。
昨日の夜は朝食にと小さな店でヨーグルトを買ったのですが、せっかくだからビールもと思いあるか聞くと、ちょっと待っててねと奥に引っ込んで最後の1本だと持って来てくれました。
自分が飲むために冷蔵庫に入れてあったのを取ってきたようで恐縮していると、今日は飲む予定が無いからいいよともちろん定価で売ってくれます。
支払いを済ました後、足元に野菜や果物があるなと朝食用にリンゴを1個取って支払いしようとすると、これはサービスと言ってお金を受け取りませんでした。
観光地のローカル向け商店ですが、外国人だからといってボルどころか、逆にお負けしてしまうというのはアルバニア人のお人好しぶりを示しているといえるように思いました。

本当にもう1泊するか悩んだのですが、次の町に移動することにしました。
サランダという海辺の保養地のようなところです。
乗合バスで1時間かからず到着しました。
ジロカステルは2日とも曇り時々晴れの天気でしたが、サランダはずっと快晴で気温もぐっと高くなりました。
盆地のようなところに位置するジロカステルは目まぐるしく晴れたり曇ったりときに雨がぱらついたりの山の気候なのに対して、海べりのサランダは温暖な地中海性の気候ということのようで、山越えのバスでの1時間弱のドライブがこうまで環境を変えるのかと感心させられました。
移動を決意した最大の理由はこの気候にありました。
オフリドに泊まった翌朝辺りから鼻風邪気味で体調がパッとしなかったのです。
疲れが積み重なって体にガタが来ていたということだと思いますが、歩き回っても一晩眠れば疲れが消えていたのが、おとといの朝くらいから足がだるいのが残って、歩くのがちょっと苦痛になっていました。
重症ということではないのでそのうち回復するだろうと思っていたのですが、やはり歳には逆らえないのか、2日経っても治る気配無しだったので、体を休めるための滞在をすることにしたのでした。

車が着いた真ん前にカフェがあり、店の女性が宿を探しているのかというようなことを聞いてきたのでうなずくと、どこかへすっ飛んでいき、替わって若者がやって来て流暢な英語で同じことを聞いてきたのでまたうなずきました。
彼は目と鼻の先にあるホステルのオーナーで、ドミトリーが1泊10ユーロ、シングルが1泊14ユーロでいずれも朝食付きと言うので、わたしは部屋も見ずにシングルに泊まると告げました。
彼はメッシと名乗りました。
もっと難しいアルバニア語の名前ですが、メで始まりシで終わるので覚えてもらえるようにニックネームのようにメッシと自称しているのだそうです。
しかし、顔つきもちょっとメッシ本人に似ていて、メッシのお兄さんのような感じがしますので、これはいいネーミングだと感心しました。
オランダから長旅をしているデミトリー君が彼の仕事を手伝っていて、ベッドメーキングから洗濯、朝食の準備などひとりでこなしていました。
ひげ面のデミトリーですが、いつもおだやかな顔をしていて、人生で一度も怒ったことないというような優しい表情が好印象です。
アルバニアにはすでに1ヶ月以上いるそうで、観光できそうな町のほとんどを知っていて、その行き方やだいたいの所要時間、料金などにも答えていたのが驚きでした。
彼は、あさってからここを離れて西に向かい、ギリシャ、トルコ、中東からずっと陸路で日本に向かうと言います。
彼が来る頃にはわたしの旅は終わっているはずなので、日本で再会する約束をしました。

サランダの町は小高い山に囲まれていて、海岸から遠ざかるにつれて少しずつ高くなっていきます。
だいたいどの建物からも海が見えるようになっていて、その感じは熱海に似ていなくもありません。
わたしが泊まった格安のホステルも建物の2階にあって、入り口部分のオープンなベランダからは港と海が一望できます。
到着してしばらくは疲れていることもあって、デミトリー君の横に座って海辺を眺めながらネット検索したりメールを書いたりとぼんやりしていました。
そんなとき何気なく見たサッカー関連の記事のリンクから、わたしの旅のルートに大きく影響する重大な、しかし一般には些細な記事を見つけることができました。
ドルトムントは香川を含めた主力6人をヨーロッパリーグの次の試合には帯同させないというものです。
その試合はギリシャのテッサロニキであり、ここサランダからはバスを乗り継いで5時間ほどで行けると聞いていました。
サランダに来たもうひとつの理由は、翌日ここからテッサロニキまで行ってドルトムントの試合を観ることだったのですが、そこまですると今後の旅の日程がだいぶ苦しくなってしまうので悩んだりもしたのですが、偶然、香川は帯同しないという記事を読むことができたのでギリシャ方面に行くのはきっぱり諦めることができました。
ドルトムントの試合はぜひ観てみたかったのですが、それはいつか彼らのホームゲームでということにしましょう。

海に向かって散策してみました。
暑いせいか人通りが少なく、夏のバカンスシーズンをすぎているせいかショップやレストランもクローズしているところが散見されます。
オープンしているレストランやバーでは白昼からビールを飲む外国人旅行者か゚長期滞在者がちらほら見られ、海を見下ろすロケーションで最高のくつろぎ方だとうらやましくなりました。
わたしは、この間毎日飲んでいましたが体調が冴えなくなってきたので、今日は1日ノンアルコールデイと決めて、ビールは控えることにします。
海岸まで降りると、海水は町中にしては澄んでいてきれいですが、魚の姿は見えませんし、不思議なことに釣りをしている人も周辺一帯皆無でした。
釣りは朝一で、日が昇ったらのんびりとということかも知れません。
体長1メートル近くありそうなバショウカジキを持ったおじさんがいて、市場で1000円ほどで買ったとのことでした。
鼻と言うのか角と言うのか先端部分が折られていたので最初は魚種不明でしたが、背びれが大きかったのでバショウカジキで間違いないと思います。
英語で何というのか聞かれたので、背びれが帆のようだからセイルフィッシュ、ここが高くない同じような魚はマーリンだと教えると、日本人はこれを寿司で食べるのかと聞くので、この魚はレストランで食べられるほどたくさん獲れないので、食べたことがないというとへえと感心しながら丁寧にお礼を言って去っていきました。
バショウカジキがこの辺では簡単に釣れるのだとすると、次回はタックルを持って挑戦してみたいものです。

さて、本日の作例ですが、海に近い公園で遊んでいた子どもです。
人気の多いとは言えない町なので、後ろ向きの子どもでもカメラを向けてしまうような状況だったのですが、なぜかこちら方向を向いてくれたので、わたしの水準では十分に採用されるレベルになりました。
暑い海の町でもすでに秋の気配が漂い始めていて、午後もちょっと遅くなると西日が強く長く差してきて、逆光ではコントラストを維持するのが難しくなります。
これでもハレ切りしているので、何もしないものよりだいぶコントラストは上がっているのです。
ペッツバールタイプのレンズとしては、真逆光ではこれが限界だと感じます。
常識的に写真ブログをやっている人はこんな作例を上げないか、せめてコントラストを調整してからアップするのではと思われるてぶしょう。
いや、そうではありません。
こんな1キロ以上もするレンズを持ってヨーロッパを周遊旅行するなんて、良識ある人はけっしてしない、が正しい答えです。
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF3.8 F3.8】
thema:ペッツバール genre:写真
Voigtlander 20.5cmF3.8 | trackback(0) | comment(2) | 2015/09/29 Tue

ドラギ―、ついにあなたの町へ

Voigtlander 20.5cmF3.6
ベオグラードの中心には2つのツーリストインフォメーションがあります。
昨日書いたベオグラード市のインフォとセルビア全体を旅行するためのインフォです。
わたしはセルビアに続いてコソボを訪れるつもりでしたので、そのことについて市のインフォに聞くと、セルビアのインフォの場所を教えてくれ、そこで相談するようアドバイスしてくれました。
コソボは紛争の地として名前のみはよく知られていると思います。
紛争後にコソボ政府が独立を宣言しましたが、セルビアが認めていないのはもちろん、多くの国からも承認されていない微妙な国です。
自由の国アメリカはセルビアと戦ったこともあって、コソボを承認しており、常にアメリカ追従の日本も同様の立場のようです。
国内に分離独立の動きがあるスペイン、イギリス、中国その他の国はコソボを承認していないでしょう。
そんな状況にあって、セルビアからダイレクトにコソボに行けるのか、通貨はセルビアと共通か、治安はどうかなどを聞きに行ったのです。
そのことは後述するとして、思い出したことがあって、ついでに尋ねてみました。
ドラガン・ストイコビッチはニシュの出身ではなかったかと。
インフォの答えはイエスで、そのニシュはベオグラードからコソボに向かう途中にあるので、まずは寄ってみることにしました。

ニシュはニーシと表記されることもあるセルビアでは大きな町ですが、名前に反して東南の方角にあります。
高速バスでぴったり3時間、こんな移動が慣れっこのわたしにはあっという間の到着に感じられました。
バスターミナルでコソボの首都プリシュティナ行きのバスはあるか聞くと、毎日夕方6時発で3時間の行程とのこと。
ちなみにベオグラードで聞くとプリシュティナ行きは早朝と午後の2便で、7時間かかるとのことですから、直行するよりなぜかニシュで乗り継いだ方が乗車時間が1時間短くなります。
ニシュ到着は11時でしたので宿泊せずに、7時間ほど過ごしてそのままプリシュティナを目指すことにします。
短時間にバルカンを廻り切る日程なので、その日のうちにコソボに行けるのは助かりました。

バスターミナルの向かいが市場になっていたので覗いてみましたが、通常の野菜や肉の他に日用雑貨の店が多いのが目立ちました。
セルビアは地方に来るとモノが何でもスーパーで手に入るということでもなくて、市場が生活を支えているように見えます。
別のところでは100円ショップのような店だと思うのですが、上海市場という名前のところがありました。
運送コストを考えると、東欧のどこかで中国製品のようなものを製造できないものかと考えてしまいます。
市場の周りには車がびっしり停まっていましたが、その半数以上が20年前、30年前のたいへん古いセミ・クラシックカーでした。
この国でもかつて車を製造していて、その名もずばりユーゴという名前だったようですが、案外と小じゃれたデザインは、こういう車が好きな人はたぶんタダ同然でしょうから日本に持って帰りたくなるのではと思わせます。

市場では、ナゴヤ、ジャパンとおじさんから声を掛けられました。
わたしがすかさずドラガン・ストイコビッチ? と開けゴマのように答えると、おじさんが嬉しそうにわたしの手を取って近くの野菜売り場に連れて行きました。
パプリカを売っている男性がストイコビッチの親戚とのこと。
名前もドラギシュア・ストイコビッチと言うそうでよく似ていました。
日本からよく来たねと、手元にあったワインを開けてくれふたりで乾杯しました。
セルビアの国民的英雄の親戚が市場でパプリカを売るものだろうかと疑問に感じつつも、疑うのは止めにして、帰国したらサッカー好きの友だちにストイコビッチの親戚からワインをご馳走になったと自慢したいと思います。
ちなみに、カズの奥さんのいとこがわたしの中学の同級生で、覚えてはいませんが飴くらいもらったことはあると思うので、日本とセルビアのサッカーのレジェンドの親戚からご馳走になる栄誉を手に入れたことになります。

市場を過ぎると市の中心との境にローマ時代の遺跡を公園にした施設があって、家族連れでにぎわっていました。
その入り口にツーリストインフォメーションがあるのですが、どういう訳か土曜日が休みでした。
町中にレンタサイクルがあったので、これだと思い申し込もうとしましたが、土曜は3時までというので諦めました。
ニシュの土曜はどうも他の町とは違うようです。
対応してくれた女性に撮影させてとお願いすると快く引受けてくれましたが、彼女は地元ではなく、ドイツから友だちと自転車で旅行に来ていて自転車トラブルでここに寄ったとのこと。
ペッツバールレンズにたいへん興味を示してくれて、今度は東京か彼女の実家のあるアーヘンで会おうと約束して別れました。
その数キロ離れたところには、しゃれこうべを並べて建てた不気味なモニュメントがありました。
カンボジアのキリングフィールドを思い出させますが、こちらはオスマントルコが進行した際にセルビア軍を撃破して、兵士の首を切り落としてトルコに持ち帰ったものを返還後にモニュメントにしたそうです。
この地が戦場だったので弔っているのでしょうが、公開の仕方が社会主義のさらし首や公開処刑を連想させます。
小学生くらいの子どもたちが遠足か何かで見学に来ていましたが、これを見てどう思ったか、あるいはトルコに対する復讐心が芽生えたりするものなのでしょうか。

しゃれこうべの施設からはバスで中心に戻りましたが、まだ時間があるので中心では降りずにバスに乗り続けてみました。
錆びついたSLが置かれた線路が見えましたがやり過ごし、住宅街の終点まで行ってみました。
バス停のそばにカフェがあってサッカーの写真が額装して何枚も飾られていました。
言葉は通じませんがコーヒーを飲んでいた老人が写真1枚1枚について、説明してくれました。
中にはストイコビッチの写真もあったので、若いウェイトレスに誰だか分かるか聞きましたが知らないとあっさり言われてしまいました。
サッカーに興味のない若者にはもはや名前だけ知られる存在になってしまったようです。
知らなかった罰ゲームではないですが、セルビア人らしい美人だったので撮影させてもらったのが本日の作例です。
実際にはあどけない顔をした18歳くらいの女の子でしたが、わたしのフォクトレンダーは随分とセクシーに写るようです。
最後に先ほどのSLのところに歩いて戻って撮影していると、やはり日本から来たの、ピクシー・ストイコビッチなどと声をかけられ、ビールをご馳走になりました。
とても人の好い連中という感じで楽しかったのですが、残念ながら英語はほとんど通じません。
それにも関わらず、ひとりの男性が、日本のごま塩とシイタケは美味しいと日本語で言ったのに驚かされました。
他の日本語は一切しゃべれなかったのに。
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF3.8 F3.8】
thema:ペッツバール genre:写真
Voigtlander 20.5cmF3.8 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/26 Sat

Voigtlander 20.5cmF3.8
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF3.8 F3.8】
thema:ペッツバール genre:写真
Voigtlander 20.5cmF3.8 | trackback(0) | comment(0) | 2015/02/21 Sat

Voigtlander20.5cmF3.8
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF3.8 F3.8】
thema:ペッツバール genre:写真
Voigtlander 20.5cmF3.8 | trackback(0) | comment(0) | 2015/02/17 Tue

時置かずして熱海へ

Voigtlander20.5cmF3.8
今日からは、また熱海の作例になります。
先日の残りの写真というわけではなく、いちおうこの週末にレンズ仲間たちと熱海を再訪して撮影してきました。
今回は、芸妓さんの舞を観て、花見して、梅園散策して、温泉浸かって、食事してでしたので、む撮影のための散策というよりは、慰安旅行を楽しんでいるような気分です。
本当は1泊できればよいのですが、皆さん多忙でなかなかそういうわけにもいきません。
もうあと何年かしたら、あらためて1泊2日で新年会兼梅祭り兼桜祭りを楽しむことができるようになるのではないかと楽しみにしたいと思います。

先々週と同様、今回も快晴でしたが、前週は雨降りで桜まつりが中止されていますし、去年も雨で数年前には大雪ということもありましたので、今年は天気に恵まれたのは間違いありません。
熱海の市街地は北側と西側を山に囲まれているので、両方向からの風にはとても強く、冬場は太陽さえ出ていれば、思いのほか暖かいのです。
駅から糸川方面へは下り、海岸から梅園へは上りと、アップダウンが少々きついので、真冬でも歩いていて汗をかくことしばしばです。
梅まつり・櫻まつりの期間はシャトルバスなども用意されていますが、健康のために歩いてまわるのが良いでしょうし、やはり季節がら歩いていてとても気持ち好かったです。

歩く楽しみはもうひとつあって、国道沿いなどは新しい建物が並んでいてあまりおもしろくないのですが、多くのエリアがわたしの子どものころからあまり変わることなく残る昭和の町並みそのものなのです。
歩いていて、とても懐かしい気分に浸ることができます。
こういうところは全国無数に存在してとくに珍しくもないのかも知れませんが、わたしの日常の中にはありませんのでとても新鮮に感じます。
熱海は交通至便なので高齢者が多く訪れていますが、同じように懐かしい町並みを楽しみながら町歩きしている人が案外いるのではないでしょうか。

さて、昨年に続いて今回もまずは、「湯めまちをどり・華の舞」を見物しました。
芸妓さんの歌舞練習場は小さいながらもステージと平間席、さらにはバルコニー席やサイドのミニ・オーケストラビッドまであって、さながら可愛い熱海国立歌劇場のようです。
ここを土日のみ11時から30分ほど観光客向けに開放して、上記のタイトルで伝統の歌と踊りを見せています。
京都などでも同様の試みはあるようですが、庶民にはなかなか芸妓さんの仕事に接することは難しいので、たいへんありがたいイベントです。
実際、それほど宣伝している訳ではないのに、いつも予約でいっぱいになるほど人気があるようです。
高齢の方たちがいちばん多いですが、若者のグループもけっこういますし、外国人もいてバラエティに富んでいます。

ありがたいのは、演舞中も撮影可能なところと、終演後に撮影タイムを設けていることです。
普通は、みんなでいっしょの記念撮影なのですが、この機に乗じてオールドレンズの舞台写真もどきとポートレイトもどきを撮影するのがわたしの目的です。
先日、木村伊兵衛関連の本を買って読んでみると、伊兵衛もかなり舞台写真を撮っていることを知りました。
歌舞伎の緊張感漲る作品には「ファインダーを突き破りそうな迫力があり、…これほど息が合ったのははじめてであった」などと表現されているのですが、素人写真にも稀にそういう瞬間が撮れてしまうことがあるのかも知れません。
舞台の合間を含めて20枚ほど撮影したのですが、1枚だけ空気がピンと張りつめたような、緊張感が他とは違うようなものがありハッとさせられました。

今日はそれをお出ししようと考えていたのですが、あらためて見返すとこの緊張感は女性の写真としては少し耐え難いような気がします。
もっと女性的なやわらかさ、上品さを表現したものにすることにしました。
とは言え、残りのほとんどに比較するとこの1枚もそれなりの緊張した空気が感じられる作例のようにわたしには見えます。
他のは何となくシャッターを切ったという感じしかしないことを考えると、もちろん伊兵衛の言うレベルとは格段に違うかも知れませんが、この作例もどうにか舞台と息が少し合った1枚のように感じられないでもありません。
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF3.8 F3.8】
thema:ペッツバール genre:写真
Voigtlander 20.5cmF3.8 | trackback(0) | comment(0) | 2015/02/15 Sun

第一個福倫達

Voigtlander 20.5cmF3.8
無駄話を続けているうちに、今日がタイのシリーズの最終回になってしまいました。
ほんとうにくだらないことばかりで、モデルになっていただいたというかステージにいるのを勝手に撮らせていただいただけですが、ごく簡単に紹介しておこうと思います。

1日目の女性は舞踊団のメンバーの一人ということは書いたような気がしますが、2~4日目はミスタイとふたりの準ミスタイです。
タイでミスに選ばれるにはタイの伝統的踊りができないといけないのか、選出されてから猛特訓したのか、3人とも美しい踊りを見せてくれました。
ただ、3人のうち誰がミスで誰が準ミスなのかは分かりませんでした。
しばらく後でタイの展示を見たりしていたら、彼女たちが歩いているのを見つけ、撮影させてくださいとお願いしたのですが、ノーと断られてしまいました。
その前にはステージ上のインタビューで、日本は素晴らしいとか日本人は親切でなどと言っていたのにがっくりで、あまり言及したくなかったので、タイ旅行のエピソードばかり書くことにしたという経緯があります。

その次のタンバールの女性は、タイの伝統的な花飾りを作成していたところを撮らせてもらいました。
花飾りはプレゼントしていたようですので、来年、このイベントを見に行けるようなら、こちらもちょっとしたプレゼントでも持参して好感してもいいかななどと考えています。
室内での撮影のため、200mmでは長すぎて、唯一のタンバールの出番になりました。

昨日と今日は、"Vietrio"というタイ出身で、ロンドンやニューヨークで音楽を学んだ第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、チェロのトリオです。
第一ヴァイオリンがお兄さんで、昨日と今日の女性は妹さんのようでしたので、申し訳ありませんがリーダーのお兄さんは割愛させていただきました。。
たまたま陣取ったのがチェロの女性の前ということもあって、ksmtさんとふたり、この女性は美しいとか、素晴らしいなどと勝手放題言っていました。
あらためて撮影した何枚もの写真を見ると、立った姿勢でチェロを操る姿は優雅で、どれもとても好い笑顔で演奏していてあらためていいなあと、彼女の撮影ができただけでも足を運んだ甲斐があったと思えます。

さて、今回使用したレンズは、フォクトレンダーのペッツバールタイプのレンズです。
フォクトレンダーこそペッツバール博士がレンズを開発した時に供給先となったメーカーですから、そのレンズはオリジナルのペッツバールとも言えるものです。
ペッツバールを意識しだしてからというもの、フォクトレンダーのペッツバールを入手することを心掛け、早々に10cmF2.3というスペックのものを入手しました。
しかし、これは19世紀後半になってソフトフォーカスに設計変更されたレンズで、オリジナルのペッツバールとは違います。

フォクトレンダーのペッツバールは比較的市場に出てくるケースが多かったので、なるべく焦点距離の短いもの、できれば初期型のブラウンシュヴァイクと入っていない刻印のものを探していたのですが、そうやってもたもたしているうちにレンズ店にあったフォクトレンダーはひとつ消えふたつ消えしていつの間にかどこにも見なくなり、たまに出てくるものの価格は急騰してしまっていました。
オールドレンズの購入には不思議な出合いというものがあると思っていますし、それがないということは縁がないのだとも考えていました。
このままではフォクトレンダーのペッツバールは入手できないかも知れないとの焦りから、焦点距離20cmでフードとラックアンドピニオンのフォーカシング機構が消失してしまっているものをオークションで落札してしまったのでした。
直前にフーゴ・マイヤーの20cmペッツバールを購入して、35mmデジタルの使い勝手の悪さに辟易してもうこんな長い玉は要らないと誓った直後のことです。

悪くしたもので、そのフォクトレンダーがやって来た直後に、焦点距離が短くコンディションの良い別のフォクトレンダーを格安で入手してしまいました。
このレンズはまた近日中に使用する予定ですが、すばらしくよく写ることをksmtさんから教えられて楽しみにしているところです。

ところが、またしてももう1本のペッツバールが出現しました。
なんとも我ながら驚いたことに、掃除をしていて気付いたのですが、押し入れにしまっていたガラクタ箱の中にペッツバールが入っていたのです。
記憶はほとんどありませんが、ペッツバールにまったく関心が無く、ライカマウントレンズやレンズヘッドの珍しいものを探していた時に見つけた何かのレンズと抱き合わせで手に入れたものだと思われます。
これがあるのなら20cmフォクトレンダーは不要だったので、身近に敵は潜んでいたということでした。

とはいえ、今回使用したフォクトレンダーも実に好く写ります。
35mmフォーマットではあまりに余裕があって、像面湾曲の影響も小さく、いつもよりピントの歩留まりも良くなりました。
製造番号は、10229でこれは1862年の製造と、比較的新しいのは慌てて買ったので止むを得ないところです。
焦点距離が20cmあると巨大でとても使いにくく、次回、いつ使用することになるのか見通し立ちません。
その意味では、魅力的な笑顔とゆるやかな像面湾曲がはまって楽器の双方に概ねピントが来る作例が残せたのは幸いでした。
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF3.8 F3.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander 20.5cmF3.8 | trackback(0) | comment(0) | 2014/06/01 Sun

哥哥是姐姐

Voigtlander 20.5cmF3.8
思い出深いタイ北部の旅から帰って来てから、わたしは中国と大きく関わるようになりました。
英語がまったく通じない彼の地で中国語をしゃべれるようになるか、毎回通訳を雇うかとの選択肢を突き付けられて、前者に挑戦することになります。
大学時代に第二外国語でフランス語を第三外国語でロシア語を学んで以来の、言語への挑戦です。
まだどうにか頭が柔らかかった学生時代ですら言語はものにならなかったのですから、中国語ができるようになるとは思っていません。
ただ、中国語を勉強すると、日本語との類似点と相違点とか、興味深いことがいくつもでてきて、さらにはフリートークの相手としてとても美人の中国人と知り合うなどして、片言程度にはしゃべることができるようになりました。

縁ができかかったタイですが、そのタイミングで中国との関係ができたことでタイへの関心は徐々に薄れてしまいました。
その後タイに行ったのは、友だちとの旅と交際していた女性の旅の2回だけで、ひとりで行く機会もディープなタイの旅をする機会もありません。
にも関わらず、旅の中で奇妙な体験をすることになったので記しておくことにします。

友だちとのタイ旅行で、初日の夕食時に隣のテーブルの女の子3人組といい感じになって、そのままいっしょに食事をして、その後カフェに行くというすばらしい展開になりました。
そのうち英語が比較的できる女の子が、このあとよければウチに来ないかと誘ってくれたのです。
友だちとふたり期待に胸ふくらませて、もしかしたらやばいことになるのではとの不安も抱えながら彼女に付いて行きました。

その期待も不安もまったくの的外れで、単に小さなアパートに連れていかれた部屋にはお母さんとお兄さんがいて、友だちの日本人ですと紹介してちょっとおしゃべりして、それではと帰るような算段だったようです。
両親は離婚したそうで、温和そうなお母さんが女手一つで子どもふたりを育てたそうで、そんな話を彼女の通訳を介してしていました。
しかし、両親が分かれたという以上に彼女の家庭には、普通と違う状況がありました。
彼女のお兄さんというのが、お姉さんだったのですと言うか、もともとお兄さんだったのが、今ではお姉さんになっていたというのですと書いて意味が分かりますでしょうか。

顔は化粧していましたが、髪は角刈りに近い短髪で外ではカツラらしく、Tシャツの下の胸は少し膨らんでいました。
仕草もしゃべりも女性そのものですが、母親も娘として扱っているのが分かります。
夜、どこか飲み屋さんのようなところで働いでいるようでしたが、日本人のお客さんがふたり来たからという理由で、今日は出勤しないと行っているようです。
8時くらいだったでしょうか、もう遅いしわれわれは帰るのでとびびりながら言うと、たぶんこれは本物の女性だと思われる連れて来てくれた女の子が、いつの間にかビールを買ってきたからと、家族3人プラスわれわれの計5人で飲むことになってしまいました。
ビール瓶は10本近くあって、あれどうやって持ってきたのという感じです。

翌朝、わたしはその部屋で目を覚ましました。
1部屋しかないのでみんなで雑魚寝したようですが、友人と姉(兄)がいません。
友人はタクシーでホテルに帰ったし、兄は飲んでから仕事に行ったとのこと。
わたしは酔いつぶれていたので、お母さんたちが介抱してくれてそのまま寝付かせたらしい。
わたしは冷静にその話を聞いてから、ちょっとトイレにと言って、慌ててパスポートや財布を確認しました。
しかし、何も触られた形跡はなく、帰国後も使われたカードの請求書が届くなどのトラブルもありませんでした。
友人も彼女たちが言っていたとおり、おまえが動けなさそうだったのですまんがひとりで帰ったと笑っていました。

不思議なのは、わたしは酒に弱いので、限界の手前でセーブする習慣ができているので、未だかつて酔いつぶれたということはないにも関わらず、この時はビールだけで前後不覚になってしまったことでした。
何か一服盛られた可能性も考えましたが、最終的に被害はなかったばかりか、ビール代も払わずご馳走になったくらいでなので本当はどうなのか分かりません。
お兄さんに性的暴行を受けた可能性を考えて、自分のお尻を触ってみましたが、それもなさそうです。
タイでは日本人旅行者が現地女性に騙されて旅行中の全財産を失うという事件がしばしば起きていたようですが、その未遂事件だったのか、単なる外国人へのタイ流のもてなしだったのか真相はもはや闇の中です。
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF3.8 F3.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander 20.5cmF3.8 | trackback(0) | comment(0) | 2014/05/31 Sat

第三次泰国旅遊

Voigtlander 20.5cmF3.8
釣りで惨敗したピーピー島の旅の翌年か翌々年、3回目の旅行を敢行しました。
今度は1週間の夏休みで、タイ北部の少数民族の村を訪れてみたいというのが目的でした。
タイは1年中暑い国ですが、北部の山岳地帯は比較的凌ぎやすく、そんな山中にぽつりぽつりと高床式の村があって、自然の中の生活が営まれていると聞きました。
アカ族、リス族、カレン族をはじめ多くの民族か独自の生活様式と文化を継承しながら暮らしており、とくに女性は華やかな民族衣装をまとっていて、当時カメラを始めたばかりのわたしは彼女たちを撮影しながら親しくなりたいという夢をもってまずは北部の玄関であるチェンライを目指しました。

チェンライはタイの最北部の町ですが、すでに町中には多くの民族衣装の女性がいて、到着するや早くも気分が盛り上がりました。
山岳の村を訪れるにはツアーに参加するのが簡単で良いとガイドブックには出ていますが、それではお決まりのコースを回って用意された少数民族ショーを楽しむばかりで彼らの生活を見たことにはならないという意見もあって、わたしはそれら意見を尊重してツアー参加ではなく、観光案内所でガイドを紹介してもらって彼の案内で山の中をトレッキングしながら少数民族を訪ね歩くというかたちを選びました。

紹介されたのはベテランのガイドさんで、2泊3日の費用は6000円ほどでした。
1日あたり2000円というのはとんでもなく安いですが、まず宿泊や食事は村人の善意で泊めてもらったり食事をわけてもらうので、費用は心付けをわたすだけだということと、当時のタイの田舎の物価がかなり安いということからくるようでした。
出合って自己紹介しあってから、さあ、出発と思ったら、まずは市場へ出向きます。
まず、わたしの服装がダメで、いくら暑くても山には蚊や毒虫がいるので長袖のシャツを着ろと市場で購入し、トレッキングするのにショルダーバッグではダメだとリュックも買わされました。
しかし、ニセのリーバイスシャツとリュックで5~600円ほどと、何しろ物価の安さとガイドさんの価格交渉術の洗礼を受けることになります。

市場では大量のお菓子や飴にたばこも買い込んでいます。
日本の登山やハイキングでも休憩時に甘いものをとるのを見ますが、これらはお世話になる家の心付けにするとのことです。
山岳の村人は、現金収入がそうそうあるわけではないので、子供向けのおやつなどが喜ばれるということでした。

山に入ってさっそく手荒い歓迎というか、恐怖を味わいます。
歩き初めでいきなりガイドに腕を掴まれ止まれと言われました。
ガイドの即席杖の先には保護色のようでほとんど気付くことが不可能のような小さなヘビが横たわっています。
あれに噛まれたらお前は終わりだと実に真剣な顔で説明してくれましたが、あのときガイドがよそ見でもしていれば、わたしはトレッキング開始早々少数民族との交流もないままに、無言の帰国となっていたかも知れません。

いきなり猛毒のヘビに遭遇して今後どうなってしまうのだろうと心配しましたが、あとはスズメバチの巨大な巣とか蚊の大群を見かけた程度で命を脅かすようなものはなく安心です。
気温が下がるくらいの高さまで登るのでヘビも生活できないということかも知れません。
体力のないわたしにはかなりハードでしたが、道もそれほど険しいと言うほどでもなく、1~2時間歩くと小さな集落がひとつあってお茶をいただきながら休憩するという歩きやすいペースでした。

そうして夕方着いた村で泊めてもらうことになりました。
他も多くがそうでしたが、集落には家屋が7~8軒ほど距離を置いて建てられていて、その中で比較的大きな木で組まれた高床の家に招じ入れられました。
さっそく子どもたちが集まって来て買ってきた飴をプレゼントすると、年長の子が年下の子に配って礼儀正しく食べているのが印象的でした。
それに、どの子どもたちも目がキラキラしていて日本の子どもやタイでも都会の子とはまったく違うような気がしました。

ただ、残念だったのは民族衣装を着ているのは長老の奥さんと思しきおばあさんくらいで、あとはみんなわたしと同様町で買ってきた服で生活していることです。
チェンライから日帰り圏内のこのあたりの村は、すでに民族衣装は過去のものとなってしまつたようですし、映りは悪いですがテレビでふつうにアニメや国内ニュースを見ている姿にも予想と違った当地の生活を知りました。

タイで生きている虫をご馳走だと食べている映像を見ていたので食事が心配されましたが、このあたりは米や野菜を作っている農家ですのでごく普通の食事で、とても美味しくいただけました。
わたしたち客人をもてなすと言って、自家製のお酒をみんなでしこたま飲んで熟睡します。
じつは、このあたりの名物にもなっている阿片はどうかと勧められましたが、これはガイドが反対して体験することはできませんでした。
わたしはタバコを吸わないので、うまく吸引できないだろうというのと、阿片にも質の違いが大きく、西洋人などが時おり悪いものを吸って体調を悪くして病院に直行というケースがあるからということでした。
わたしとしても、すっかり打ち解けた子どもたちの前でそんなものを吸って、せっかく芽生えた小さな友情のようなものを壊したくないとの思いがあったので手を出すのは遠慮したのです。
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF3.8 F3.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander 20.5cmF3.8 | trackback(0) | comment(0) | 2014/05/29 Thu

皮皮島釣行記

Voigtlander 20.5cmF3.8
混沌とした状態のうちに時間が過ぎ去った初めてのタイ旅行の翌年、2度目のタイへの旅を計画しました。
まだ、カメラなどはやり始める前で、当時の趣味は釣りでした。
地元の相模湾や駿河湾で船のルアーフィッシングや相模川の河口でシーバスフィッシングにのめり込んでいた時期で、小物はぽつぽつと釣っていたものの、目標とするような大きなヤツは見たこともありません。
海外の海なら大モノも夢ではないのではと誤解して、今回はバンコクをバスしてプーケットまで行ったのでした。

その頃はまだインターネットで情報が得られるような便利な時代ではなかったので(もしくは貧乏でまだPCが買えなかったのかも知れません)、例によって予約なしに現地でビッグゲームの船探しをしないといけません。
そして、現地についてみると、船は見つかったもののフィッシングツアーは最低1泊からで、チャーター船なので7~8万円もしてしまいます。
とてもひとりでチャーターする気にはなれず、その旅行社で教えてもらったピーピー島へ移動します。

ピーピー島は、プーケットから船で2~3時間の沖合の島ですが、切り立った崖のような対岸の小島とエメラルドグリーンの海の対比があまりに美しかったうえに、ここからなら日帰りの船で釣りができるという有力情報ももらい、居ても立っても居られなくなりました。
何よりピーピー島というイージーな名前が気に入りました。
宿も、浜辺に並ぶバンガローのひとつだそうで、おとこひとりで泊るのにはロマンチックすぎるくらいです。

しかし、実際に上陸してみるとイメージしたのとは違う島の姿が目につきました。
ピーピー島は、当時すでにリゾートとしてかなりメジャーで、安く滞在できることから特に欧米人のバックパッカーなどに人気が高く、島中を彼らに占拠されているような状況でした。
海がきれいで費用が安くアクセスも悪くないのですから人が集まって当然なのですが、どうやらわたしには観光客が想定以上に多いと文句を言うクセがこのころからあったようです。

早速釣りを申し込みに行ったのですが、ちょうどその日釣りに行っていた青年が戻って来て、なんとバショウカジキが釣れたと自慢げに見せてくれました。
1メートルに満たない小型でしたが、生まれて初めてカジキを見てイヤが上にも気分が高まりました。
しかし、翌日約束よりも早く5時半に船着き場へ行くと、船長が首を振って風が強くて沖へは出れないので、近場で様子を見ながらやってみましょうと申し訳なさそうに言います。

船長のこういう顔を見てしまうと、釣り人というのは今日はダメなんだなと悟ってしまうものです。
結局、海がよくなることはなく浜辺が見えているリーフの内側の水深5~6メートルのあたりで2時間も闇雲にルアーを投げて、諦めることになりました。
外海が荒れているせいかリーフの中には小さな魚が集まるようで、船長の餌釣りにはアジのような魚が入れ食い状態です。
わたしが1万円近い船代を払っているのに、船長は釣った魚をレストランに売るようで、こういうのも漁夫の利というのかと腹立ちまぎれに考えました。

アジを狙って回遊魚が入って来ているかもとジグを落とし込んでいると、グッとアタリが来ました。
来たと叫んで、リールを巻きますがほとんど魚の引きが感じられません。
上がってきたのはイカで、これはアオリイカではありませんでしたが、やはりアジを追いかけて群れが時々来るそうで、漁師は日本製の餌木で狙うそうです。
ジグで釣れてしまうのですからイカは数が多いようで、もう2~3杯追加しましたが、釣果はそれだけでした。

翌朝がラストチャンスだったので予約しましたが、天気予報が悪く船は出せないとなって、わたしの初めての海外での釣りはイカと戯れただけで終了です。
海がさらに悪くなって心配しなくてはいけないのはプーケットに戻る船の方でした。
時間遅れでどうにか出港してくれて日本に戻る航空機には間に合いましたが、船が揺れに揺れて乗客のほとんどが船酔いでオエーっとやって修羅場のようになっていたのが、ピーピー島の美しい景色以上に記憶に残ってしまいました。

その後、スマトラ沖大地震の津波でタイのビーチの多くは破壊されました。
とくにピーピー島では、津波が押し寄せてビーチ周りを破壊する様を写した映像が日本でも繰り返し報道され、島国日本も他人事ではないと津波の恐怖が認識されたはずでした。
しかし、そのおよそ6年後の東日本大震災の津波では残念ながらピーピー島の映像は教訓とはならず、残念なことに多くの犠牲を払うことになります。
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF3.8 F3.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander 20.5cmF3.8 | trackback(0) | comment(0) | 2014/05/28 Wed

泰国美女

Voigtlander 20.5cmF3.8
わたしはタイには5回旅したことがあります。
うち4回は数日間の短期滞在でしたが、1度だけ北部を1週間さまよったこともあります。
もう以前のことなので、状況は今とはまったく違うかも知れませんが、懐かしさもあるのでエピソード的に記していこうと考えています。

初めてタイを訪れたのは10数年前のことでした。
タイはもともと観光立国のようなところがありましたから、政府観光局の宣伝も力が入っていて、タイは若いうちに行けという観光キャッチフレーズは旅好きの間では当時の流行語のようになっていました。
いまこんな言葉を聞いたら、おじさんおばさんは行っちゃいけないのかと怒るかも知れませんが。

とくに若者の間にアジアを旅することが流行し出したころで、アジア方面の航空券がずいぶん安かった記憶があります。
まだ9.11はずっと先のことで、燃油サーチャージという言葉はありません。
アメリカの航空会社の成田-バンコクは25000円程度だったように記憶しています。
おかげで週末の予約は入りにくかったですし、いつも満席で狭い座席で長時間小さくなっていなくてはいけませんが、若さゆえにみんなそんなことはお構いなしの雰囲気がありました。

まずは安さに惹かれて、タイは行けば嵌まるという噂に釣られて、わたしも格安航空券を握りしめて当時それが当たり前だったジャンボジェットに乗り込みます。
格安なだけにスケジュールが悪くて、往路は、夜の7時くらい成田発、深夜11過ぎにバンコク着、帰路は、朝の8時くらいにバンコク発、昼の3時くらいに成田に帰着する感じでした。
例えば木金と有休を取って4連休にしても、初日はホテルに直行して寝るだけ、最終日は5時前にホテルをチェックアウトするという、実質、中2日間だけ行動できるだけです。

安いのは航空券だけではなく、現地のホテルや食事も日本の物価と比較すると、現地の人に申し訳ないと詫びたくなるほど安く感じられます。
当時で1泊1000円から1500円くらい出せば、日本でいうビジネスホテルくらいのしっかりしたホテルに泊まれて、食事はシーフードレストランにでも行かない限り500円も出せばビール付きでそこそこ豪勢に食べられます。
長期滞在の旅行社はドミトリーという大部屋に1泊200円程度で泊っていると聞きましたが、そこまでする必要もなく1日の総費用が2500円程度で済んでしまい、お土産すらけちったわたしは空港の銀行で10000円両替したタイバーツを使いきれなかった記憶があります。

滞在中に何していたのかと言えば、今では考えられないですが、ガイドブックに従って忠実に観光していました。
学生時代に読んだ三島由紀夫の中に出てきたエメラルド寺院とか、チャオプラヤー川とか、謎のタイ美人(そんな表現はなかったと思いますが)といった言葉のエキゾチックな響きに魅了されていて、日本とは違う世界を求めて次々と観光名所を渡り歩いていました。
すでにヨーロッパには数回、あと韓国と香港や中国には行ったことがありましたが、東南アジアは初めてで、見るものすべてが新鮮ですので、観光名所など行かずとも町歩きしているだけで興奮していることには途中から気付くことになるのですが。

首都バンコクでは町中でほとんど英語が通じずしばしば往生したこともあって、言葉が通じた宿の従業員と親しくなりました。
彼らがわたしのタイに対する質問に答えてくれる先生でした。
わたしの最大の疑問は、ガイドブックに載っているようなタイの美人や可愛らしい女の子をまったく見かけなかったことです。
彼らの答えはやや意表をついていてわたしの記憶に残り、それがタイフェスティバルに行ったときも思い出されたのですが、その答えとはこういうことでした。
タイで美しい女性の定義とは、色白であることとされています、だから女性は日中日焼けしないように建物の中でおとなしくしているのです。
夜になったらここへ行けば、美人を見ることができるでしょう、そう教えてくれたのはバンコクで有名な夜の繁華街でした。
なるほど、そこには美女がたくさんいました。
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF3.8 F3.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander 20.5cmF3.8 | trackback(0) | comment(0) | 2014/05/27 Tue

這次泰国

Voigtlander 20.5cmF3.8
ベトナムに続いて今週はタイの作例を掲載することにします。
といってもタイを訪問したわけではなく、写真はすべて先週に東京で行われたタイフェスティバルにて、今回もksmtさんとともに撮影してきたものです。
しかし、このタイフェスティバルに来日したタイ人は美女ばかりで、わたしがタイに行ったとしてもほとんど美人ポートレイトは撮れなかったでしょうから、現地に行くより日本で待っている方がわたしの今のスタイルには合ってるのかも知れません。

タイフェスティバルは大人気のイベントだそうで、当日は午前中からすごい人が集まっていました。
舞踊や音楽のステージがあって、伝統工芸などを紹介するブースが開かれているからというわけでもなくて、ほとんどの来場者の目的はずらっと並んだ屋台で出されるタイ料理のようです。
というよりも、多くのグループがビニールシート持参でやって来ていて、タイ料理をつまみに昼間っからビールががぶがぶ飲みまくっているところを見れば、目的は太陽のもとで飲むことで、この日はタイフェスティバルなのでタイ料理も食べられると考えている程度ということのようです。

それに比べれば、わたしたちがしっかりタイ人を撮影したり、撮影後に「コープクンクラーップ」などとあいさつしてコミュニケーションを取っているのは、フェスティバルの趣旨から言えばずっと健全です。
ただ、わたしたちはグリーンカレーとシンハービール1本ずつしか飲食していないので、主催者の胸算用からすれば貢献度は低かったと言えるのでしょう。
また、ステージの撮影をしているとき、となりに座っていたのは、日本在住と思われるタイ人の女性のグループでした。
彼女たちにとって、タイフェスティバルは懐かしい故郷を思い出すための、大切な機会となっていることを教わりました。

ベトナムでは帰国後に中国と摩擦が起きたことを書きましたが、韓国に行った後にも、だいぶ経ってからですが、旅客船の沈没をきっかけに韓国内にいろいろな問題が起きています。
今回のタイフェスティバルの直後にもタイで軍部によるクーデターが起きました。
行く先々で国内問題が起きるようで心配になってしまいます。

ちころで、クーデターが先に起きたら、フェスティバルは中止になったでしょうか。
答えはノーのような気がします。
常識的に考えれば政変が起きているときに他国とは言えお祭りというのはあり得ないと思いますが、タイという国はゆるやかな空気が揺らぐことのない国で、中止しようかどうしようかとなったとしても、いいよ、やっちゃおうよと決めてしまうようなところがあるようです。
フェスティバルのことだけで1週間何か書き続けるのは厳しいものがありますので、明日からはタイを旅した時の話でもしようかなと考えています。

さて、今日の作例は、タイの伝統舞踊を踊るお姉さんです。
最初は男性のグループが農作業のような踊りを見せて、続いて女性のグループが華やかさを表現、ふたつのグループは最初は恥ずかしさからか距離を置きますが、ついには親しくなって愛を紡ぐ、のような単純なストーリーを表現しているように見えました。
しかし、分からないのは正装のような服装をしているのに、指に不思議な装飾をしていることです。
タイ舞踊では指先の動きが大切とよく聞きますので、遠くからでも分かるように付けでいるのでしょうか。
付けていない人の踊りも撮影しましたが、結果だけ見ると、指に何もない方が指先の微妙な動きが捉えられて繊細に見えます。
これって蛇足のようなものでしょうか?
【Alpha7/Voigtlander 20.5cmF3.8 F3.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Voigtlander 20.5cmF3.8 | trackback(0) | comment(0) | 2014/05/26 Mon
| home |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。