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食事のツールは文化なり

Jamin et Darlot 15.5cmF4
韓国や中国では箸を使うことは誰でも知っているでしょうが、他のアジア諸国はどうなっているのかご存じないのではないかと思います。
実はわたしもよく分かっていません。
タイやベトナム、マレーシアでは華人が多いせいか少なくともソバを食べるときには箸を使うようです。
ツリーハウスの食事ではナイフとフォークが用いられていましたが、華人のレイチェルとギョンは箸を使っていたので、わたしも箸に取り換えてもらいました。
モハンメドが箸を持ったことがないというので使い方をレクチャーしましたが、案の定なかなかうまくいかず、もどかしさに悶絶していたのが印象に残っています。

日本の箸と中国の箸の違いはご存知でしょうか。
日本のは全体に細く、さらに先端はかなり細くてかなり小さなものでも簡単にとらえることができますが、中国のは先端が太いので慣れないとなかなかものをつかめません。
ソバを食べるときは問題ないのですが、魚などを食べるときはたいがい難儀します。
マレーシアは華人の影響で箸を使うと思ったので、中国式ばかりかと思っていたのですが、日本式のもよく見かけました。
ツリーハウスには両方あったので、ふたつを示してこちらが日本式あちらが中国式と説明したのですが、レイチェルやギョンはそういう認識はなかったようです。
ただ、子どものころ箸の使い方を練習するためにマメをつかんで移す練習をしたものだと話したら、ギョンもそうだったと言っていました。

ベトナムがどうだったか思い出せず申し訳ありませんが、タイやマレーシアでは普通に食事するときはフォークとスプーンを使います。
洋式でナイフとフォークを持つのと同じように、左手にフォーク右手にスプーンを持って両手で食事するのです。
スパゲティを食べるときスプーンを補助にフォークに巻き取って食べますが、タイ、マレーシアでは逆にフォークでサポートしながらスプーンに乗せて食べると言うやり方のようです。
東南アジアでは汁物が多いですが、このやり方だときれいに食べることができるので、うまい方法だと感心しました。

レストランにいけば、それがテーブルマナーとばかり皆そのやり方で食事していますが、食堂のようなローカルな場所でもそれは同じでした。
見ていると実に器用に食べるので、日本人の箸と同様に子供のころからしつけられるのでしょう、その姿は格好よく決まっています。
確かラオスで出合った竜クンもアジア通らしくフォーク・スプーンを使いこなしていましたが、ナイフ・フォークが苦手なわたしは不器用なこともあってどうも上達しません。
今度、タイ人に使い方をレクチャーしてもらおうと思います。

ラオスでは箸を使ったか思い出せないのですが、やはりフォーク・スプーンを使っていました。
しかし、ラオスで食事と言えば手で食べるのが主流です。
主食のご飯はタイ米ではなく、スティッキーライスと言われるもち米で、パラパラとならないので手でも比較的簡単に食べることができます。
とはいえ、ラオスの食べ方は、まず米を適量右手にとって少し捏ねてばらけないようにしてからおかずを一緒につかんで食べるのでそれなりに慣れが必要です。
ちょうどお寿司と似ていて、お米の量は寿司と同じくらいにしてネタを乗っけるようにおかずをご飯にくっ付けて食べるような感じです。
動作としても、寿司を手で食べるときに、ネタの方に醤油をチョンと付けるのに似ているといえます。
たぶん手が汚れるので、それを嫌ってタイやマレーシアでは件のフォーク・スプーンの手法が編み出されたのではないかと思います。

タイでもマレーシアでも手で食べる人は少なくないようで、何度かそれを目撃しました。
恐らく寿司でも同じことが言えると思うのですが、手で食べると言うことは口の中だけでなく手でも味わっているということではないでしょうか。
谷崎潤一郎がどこかで書いていたと思うのですが、日本食は目で味わい舌で味わいするものですが、さらに手で食べることでより五感を駆使しているということになるのです。
日本らしいすばらしい文化ですが、アジアに同じ発想が生きているのではないかと思うと嬉しくなります。
さて、今日の作例は何だと聞かれそうですが、食事の話とは一切関係ありません。
ふたりで向かい合って遊ぶトランプの数当てゲームのようです。
器用にカードをおでこに貼り付けていましたから、彼らに箸の使い方を教えればすぐ食事ができるようになるでしょう。
【Alpha7/Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 F4.5】
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thema:ペッツバール genre:写真
Jamin et Darlot 15.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/29 Fri

去る者は追わず

Jamin et Darlot 15.5cmF4
バンコクを出発してハジャイ、リペ島、キャメロンハイランド、クアラルンプール、シンガポールとマレー半島を駆け足で縦断する旅をして、旅の携行品リストに加えないといけないと思ったものが2つ出てきました。
先日、要るかどうか悩むようなものは持って行かないと書いたばかりですが、この2つは若干かさばるものの重量的には大したことがないので、次回の旅に持って行くつもりです。

ひとつは、リペ島の白い砂浜で痛感したのですが、サングラスは絶対に必要だと思いました。
わたしは目が悪いせいか強い日差しでも割と目を開けてられるのですが、白い砂の太陽の反射は並大抵ではありません。
砂浜を歩くときは、辛くて辛くて目を閉じたり開けたりを繰り返していました。
これだけの刺激ですから、目にも悪いはずです。
4000円の安物ですが、ツァイスのレンズを使っているというサングラスを探し出したので早速購入しました。
わたしは世にサングラスとして売られているものを信用しておらず、光学的にUVやら目に刺激的な光線やらをきちんとカットしてくれているだろうツァイス製を選択したのです。

瞳が黒い日本人は目そのもので太陽光をある程度遮っているが、色素の薄い西洋人の眼はそれができず、日中は基本的にサングラスが必需だと聞きました。
そういえば、彼らは蛍光灯の光も苦手だという話で、ヨーロッパのホテルの部屋で蛍光灯を見た記憶がなく、室内はどこも薄暗いです。
この薄暗さは逆に瞳の黒い日本人には見づらいということになるのかも知れません。
ツリーハウスでいっしょだったオードリーは瞳が薄い金色をしていてそのことを指摘するとグリーンなのだと本人は言っていました。
金にしろ緑にしろ、瞳の真黒なわたしと彼女が同じものを見ても、同じ色には見えていないということなのでしょう。

もうひとつの新規携行品は単眼鏡です
双眼鏡の方がよりよいと思いますが、場所をとって重いですし、わたしはコンパクトなのを持っていないので、単眼鏡としました。
理由のひとつは、わたしは乱視で細かいところを読むのが苦手なのですが、日本語の表記ですと完璧に見えなくても状況判断で何が書いてあるか察することができます。
しかし、英語ではそういうわけにいかず、アルファベットや数字はしばしば何と書いてあるか見誤ります。
クアラルンプールのセントラル駅の出発時間の掲示がどうしても読めず、いったんカメラで撮影して液晶で拡大するということがありました。

また、ツリーハウスでは、幸運なことに野生のサルを見る機会に3度も恵まれました。
1泊で帰ったインド人ファミリーは見ることがなかったので、申し訳なかったくらいです。
サルは恐らく10匹以上が群れになって木の実などの餌をもとめてジャングルを移動しているようですが、当然、警戒心がとても強く一定の距離以上には近づいてきません。
彼らは50メートルほど離れた木に姿を現したと思うと我々に気付いて、木の葉などに自分の姿を隠してじっとこちらをうかがっているようです。
最初は、サルが来たとばかりカメラを取り出したり少し近寄ったりしたものですから、サルはますます隠れて写真撮影は困難になっていました。

2回目以降は無関心を装って放っておいた方がいいだろうとその場で観察したのですが、思った通り徐々に警戒心を解いたサルが彼ら本来の行動をするようになりました。
しかし、それでも彼らの安全距離のようなものがあって一定程度以上は近づかないのですが、そんな中でのサルの行動がオードリーにははっきり見えて、いま何か木の実を食べているとか説明してくれるのですが、わたしにはサルの動きは分かっても何をしているかまでは見えなかったのです。
双眼鏡を持っていればと悔やまれ、今後はこんな機会はないかも知れませんが、せめて単眼鏡も旅に持参するべきだと決意させたのでした。
作例は、最接近した状況でのサルで、建物の隙間から見えたのですが、しばらくして彼もこちらの存在に気付いて逃げ去ってしまいました。
その距離10メートルほどでしょうか。
こんなに近くても彼らの表情を見るためにわたしには単眼鏡が必需でした。
【Alpha7/Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 F4.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Jamin et Darlot 15.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/28 Thu

頭のてっぺんからつま先まで

Jamin et Darlot 15.5cmF4
先日初挑戦した大判撮影は、成功とは言い難いものの結果に対しては一定の満足をしています。
とにかく撮影はできることが分かりました。
次回へのテーマとして、ピント精度を上げることと、フレーミングをもう少しどうにかしたいと考えています。
これは技術的な問題ですので、かつて王貞治氏が1本足打法を完成させるために自室でひたすら素振りを続けたように、わたしもフィルムを入れないカメラで撮影行程を繰り返してフォームを固定できるようにしたいと思います。

ペッツバールを使用して人物撮影している以上は、ダゲレオタイプ期のポートレイト写真がイメージとしてあります。
ダゲレオタイプの写真を見ると笑顔で写っているものはほとんどありません。
当時の写真は肖像画の代替物ですから、家のいちばんよい場所に飾られる肖像画はニコニコしているのではなく、威厳に満ちていなくてはいけないからです。
自分が死んだ後も子孫が代々受け継ぐのです。
ダゲレオタイプの写真はみな神妙な顔をして見えるのですが、わたしも次回はそういう表情を引き出すよう挑戦してみたいと考えています。

その代わりではないですが、旅に持って行くペッツバールはいつもどおりに適当に撮って楽しむつもりです。
作例写真は、普通に歩いていた子どもがカメラを向けた途端に、なんとも楽しい表情をつくってくれました。
子どものリアクションなんてリペ島に限らず日本でもどこでもそう変わらないのでしょうが、やはりその時の旅の気分や光景などとも結びついて自分にだけ感じられる思い入れを作ってくれると思います。
この子の場合、顔の表情もそうですが、左足つま先の反り具合が実によろしい。
注目されたり、緊張したりすると足先を反らすのが癖になっているのかもと想像します。

昨日の荷物の話のときにも痛感していたのですが、例えば今回持って行ったジャマン・エ・ダルローのペッツバールだと、バッグの中でライカのレンズ3本分以上のスペースをとります。
性能でいえば、ライカのレンズはペッツバールの3倍優れているだけでは足りないかも知れないくらいです。
しかし、注目度ということになれば立場は逆転します。
ライカレンズは知っている人なら惹きつけて止みませんが、ペッツバールはおよそカメラに関心があるなしに限らず反応してもらえることが非常に多いのです。
普通ならそれでどうということもないのですが、わたしの場合は人物の写真ばかり撮っているので、撮らせてくれというお願いの行程が大幅に短縮することができるわけです。
こんな便利なものはありません。
3倍のスペース以上の価値があると言って疑いません。

また、ポートレイト撮影時にわたしが声をかけた人から遠ざかるのも、彼らにしみれば不思議なことのようです。
カメラをやっている人なら、ははあ、かなり焦点距離の長いレンズなんだなと察してくれますが、携帯の広角レンズしか知らない一般の人から見れば、わたしの後ずさりは不可解な行動です。
手っ取り早く最初の位置だとこの通り顔も収まりきらないくらいのアップになるのでと見せれば理解してもらえますが、むかしのカメラはこのくらいの大きさの木の箱で、フィルムも大きかったので長いレンズがなどと説明してしまうと、相手はきょとんとするだけです。
昔のレンズは凄かったんだぞということを示すためには、超アップ、胸像、全身像の3枚を撮ってどうだと見せてあげればいいだけです。

こんなことがきっかけで親しくなったりするのもまた楽しいものです。
ラオスのバンビエンではカナダ人の若いカップルがたいへん興味を示し、この後タイ経由で日本に行くので東京で会おうということになりました。
写真もぜひ送ってくれと言われますが、普通の現代のレンズで撮ったのではこういう展開にはならないでしょう。
ダゲレオタイプから湿板の時代になるとカメラを持って旅する人が現れるようになったそうですが、そんな時代にも同様のことが起こっていたのかも知れません。
ペッツバールレンズにはパスポートと同じくらいの力があるように実感しています。
【Alpha7/Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 F4.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Jamin et Darlot 15.5cmF4 | trackback(0) | comment(2) | 2015/05/27 Wed

3度目のお別れ

Jamin et Darlot 15.5cmF4
レイチェルは今の仕事環境にたいへん満足していますし、毎日、山の中にいても退屈することはないと言いきります。
しかし、あまりに理解のない客が来ることが辛いそうです。
電気は何時間も使えないので懐中電灯を用意してくださいね、バスタオルはないので自分で準備してと注意喚起しているのに、充電できない、体を拭くものがない、真っ暗で怖い、虫が出た、料理に肉がないのか、ビールがないのか…等々不平不満を言う客が結構いるのだそうです。
こんな山の中で熱いシャワーと水洗トイレが使えるだけで奇跡のようなものだと思うのだけどと言うと、現代人は快適な生活に慣れ過ぎてしまって、どんなところでも自宅の生活と同じものを求めるようだということでした。

ストレス社会から逃れてせっかく大自然の中に生活していると言うのに、お客さんのクレーム処理でストレスが貯まってしまうというのは皮肉です。
とはいえ、静かに環境を楽しんでくれるゲストは少なくなく、そんな人たちがまたここに来るからねと言ってくれることに何よりも救われるそうです。
そんな話をしていると、出発前日に奈良でゲストハウスを経営する友人に会ったときに宿泊者からいろいろと注文があったり、メールの問い合わせに対応するだけで何時間もかかってとても疲れるのだと言っていたことを思い出しました。
またリペ島で、イタリア人のルカが毎日の仕事に疲れて、シーズンオフにホテルを閉めてバカンスに出ると言っていたことも。
なんだかホテル経営者がたいへんだということを知るための旅のようになってきました。

ギョンとはふたりで旅の話をずっとしていました。
クアラルンプール郊外の出身ですが、祖父母は海南島出身の華人だということで、クアラルンプールで仕事をした後、マカオのカジノで働いていたこともあると言います。
ディーラーかと聞くとマーケティングだとのことで、わたしはトランプもできないと笑っていました。
その時にフェリーで沖縄までクルージングしたことがあり、それが唯一の日本体験なので今度は東京に行きたいと言います。
彼女の携帯には旅した先のアジア各地の写真があって、その説明を聞いているだけでもわたしの興味は尽きません。
ギョンというのは不思議な名前ですが、これはマレー語で、中国語名ももちろんあります。
静かな彼女はみんなで話しているときも積極的に話すことはありませんでしたが、性格や考え方などはわたしに似ているような気がして、妹のような存在でした。

ホテルの農場は小さいですが、部屋の目の前に段々畑のように開けています。
ここで働いているのはミャンマーから来た労働者とのことです。
ミャンマーのこんにちはは何て言うんだっけと思いだし「ミンガラーバ」とあいさつすると嬉しそうに「ミンガラーバ」と返って来たので間違いなさそうです。
安い労働力としてミャンマーの難民とネパールの労働者が以前から多くキャメロンハイランドの農場で働いているそうです。
レイチェルにイスラム系のロヒンギャではないかと聞くと、彼らは山岳の方の民族だそうでクリスチャンだとのことです。
難民ですが、政府の労働許可証を持っているのでイリーガルではないですし、長い人は8年も働いていて、ここで知り合って結婚したカップルまでいて、奥さんの手には数ヶ月前に生まれたばかりの赤ちゃんが抱かれていました。

さて、朝食を食べた後もいつものようにまったりした時間を過ごしますが、11時になると出発しないといけません。
事態を理解していなかったモハンメドはどこか掃除にでも出掛けてしまいわたしを見送ってくれません。
別れが辛くて陰で泣いていたのだと解釈します。
昨日は彼が町に行ったので、今日はオードリーがレイチェルとギョンに付き添って、わたしを送りがてら買出しにいっしょの車で向かいました。
来た時は大雨であまり気付きませんでしたが、確かにこれは四駆ではないと走破できないようなアップダウンが半端でないダートロードでした。
待ち合わせしたブリンチャンを通り過ぎてキャメロンハイランドの中心の町タナメラまで着くとバスターミナルがあります。
クアラルンプール行は複数社で運行していて本数は豊富なので、お昼を食べる想定で1時間半後のチケットを買いました。

ここで3人ともお別れです。
個々に写真を撮って、ハグして別れました。
旅をしていると必ず訪れる瞬間ですが、このときはいつも以上に胸に強い締め付けを感じるものがありました。
すぐ前をバスが通り過ぎようとしていましたが、見るとスクールバスです。
バスがBUSではなくBASになっていて、SEKALAHというのはSCHOOLERということでしょうか。
マレーシアでは英語からの借用単語が多いのですが、スペルまでマレー語化しているのが面白くてタクシーはTEKSIとなっていました。
感心しながらレストランを見つけて入ると、いま別れたばかりの3人がいて、こっちでいっしょに食べようと手招きしています。
昨日の朝は、オードリーがお別れのハートのクレープを焼いてくれ、いまさっきハグしたばかりだと言うのに。
彼女たちには3度もお別れを言うことになってしまったのでした。
【Alpha7/Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 F4.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Jamin et Darlot 15.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/22 Fri

海のジプシーの島

Jamin et Darlot 15.5cmF4
リペ島のバンガローは快適で、デッキでは犬がうたた寝し、部屋には1匹の蚊すらいません。
ダッシュすれば10秒で海に飛び込むことができ、泳いで砂まみれになっても部屋のシャワーですぐきれいになれます。
こんな条件で宿泊料が安い理由は、シャワーに温水がなく、エアコンがなく扇風機が2台まわっているだけ、バルセロナが優勝を決めた試合もテレビがないために見ることができないからのようです。
リゾートは繁忙期と閑散期で極端に料金差があるものですが、閑散期料金をさらにクローズド割引してくれたと解釈することにしました。

中国語の文字を多く見かけて絶望したのはわたしの早とちりでした。
大陸中国人が来るわけではなく、マレーシアとタイの華人が訪れるために書かれていると分かりました。
なるほど見かけた中国人風の人たちはみな礼儀正しく、大声で話をしていることもありません。
レストランはバンコクよりも高かったのですが、岸まで2時間もかかる離島では水1本だって内地より高いのは当たり前で、野菜やコメを船で運んでいることを考えれば仕方ないと納得できます。
島の人やルカと話をすればするほど、リペ島に対する失望感はなくなり、予想とは違ったもののなかなかいいところである、今度はもっといい季節に来てみたいと思うようになりました。
何しろバルセロナ戦はどこかバーで見ようと思ったのに12時にはどこも閉まってしまうという健全な島なのですから。

島はたぶん数時間で1周できるくらいの大きさのようです。
朝からダイビングやスノーケリング、フィッシングなどのツアーがあって多くのツーリストは島外に出掛けますが、1週間以上滞在している人も多いので、そんな人たちは砂浜で泳いだりのんびりビーチの木陰で本を読んだりしている姿が目につきました。
島には小さな村があって子どもたちもけっこういるなと思えば、ちゃんと小学校もあるとのことでした。
ルカのように西洋人が経営するホテルやレストランがあり、バンコクなどから来たタイ人によるものも多く、恐らくローカルが直接経営しているのはほとんどない、そういう事情は中国の古鎮と似たところがありそうです。

ルカによれば、現地の人はシージプシーと呼称される海洋少数民族で、フィリピン、インドネシア、タイ、マレーシアに散在する海上で暮らす人々が100年以上前にこの島に定住するようになったのだそうです。
タイの南部はイスラム圏で、多くの島はイスラム教徒が住民ですが、この島のみそういう事情があったので、海をよく知る彼らと西洋人・タイ人が協力して自然を残す形でリゾート開発に成功したとのことでした。
実は、ルカは大学で民族学を学んでいて日本のアイヌも知っているくらいなので、ここに来る前からシージプシーについて強い関心を持っていました。
さらにイタリア国内で条件の良い仕事を見つけることが簡単ではなかったことから、15年近く前に休暇で訪れたこの島を気に入って地主や地方政府と交渉して20年契約でリゾートホテルの経営に挑戦する権利を得たのだそうです。

夕食から戻って聞いた彼の話はとても興味深いものでした。
まず、この島で営業を始めた数日後にスマトラ地震があって、津波がこの辺まで押し寄せたのだそうであわや開業早々にして失業するかもと思ったそうですが大事に至らず、映像で見た周辺地域の津波の惨状に胸を痛めることになった、しかし、それ以上にその後の日本の津波は見ていて耐え難かったと真顔で言います。
それから、専門だと言うアフリカにはどれだけの民族がいるか知っているかと、訪れた国でのいろいろな体験談をしだしました。
将来はモーリシャスに移って、またホテル経営をしたいとも。
また、アジアとタイがいかに経済力を付けて来たかを語りだしました。
彼がタイに来ていたころは、ヨーロッパ発バンコク行きのタイ国際航空の90%はヨーロッパ人でタイ人はわずかしか乗っていなかったが、いまはそれが逆転してヨーロッパ人はみな安いカタール航空などでタイを訪れている、などなど

ヨーロッパの経済危機の話をしていた時でした。
イタリアはなぜドイツやイギリス、フランスを追い抜けないのかと言う話になり、わたしはイタリア人の性格に起因するのではと自説を述べたのですが、あっさり一笑に付されてしまいました。
すべてはマフィアのせいだと言います。
せっかく政府や自治体がすばらしい政策を打ち出しても、それが軌道に乗ったところで、そこから収入を得ようとするマフィアが市民や労働者をコントロールしてストライキ状態にして、もとに戻したければマフィアにお金が流れるシステムを増設しろとやるので、折れて従うか政策がうやむやになるかでそれが繰り返されるばかりだからだということでした。
確かにその通りかも知れません。
しかし、やはりこれだけのインテリの彼が、たくさんのお客があることを知りながらホテルを長期間閉めてしまう発想の方にも、ドイツに追いつけない根本原因があるのは間違いないような気がしてしまいます。
【Alpha7/Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 F4.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Jamin et Darlot 15.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/18 Mon

恭喜卒業

Jamin et Darlot 15.5cmF4
世界一周の旅は第3ラウンドに入ります。
第1ラウンドは、自宅のある藤沢から京都、奈良を経て大阪港でフェリーに乗り韓国・釜山着、仁川からまたフェリーで青島へ、北上して北京からモンゴル・ウランバートルまで行きまた中国に戻って、西進しを続けて昆明で終了して帰国しました。
第2ラウンドは、昆明まで戻ってから南下してベトナムのラオカイ、サパに滞在してハノイへ行きバスでラオス・ビエンチャンへ、さらにバスでルアンババーンからタイのチェンカーンまで行って、バスでバンコクに到着して2回目の帰国をしています。
ですから、今回はバンコクから続きをスタートします。

旅を始める前に、バンコクまでのルートが今回は関西空港出発になってしまいました。
航空券が安かったからですが、また大阪に行くならお気に入りの奈良に寄ることができるとかえって楽しみに感じていました。
関西発は早朝になるので前泊するつもりでしたが、奈良の頼みの宿は人気でその日も空いていません。
前回泊った新しい宿も満室で、それだったらと空港にアクセスの良い大阪の中心部のホテルをとることにしました。
予約サイトで安い順にソートをかけると1泊シングルで何と1500円くらいからあります。
よく見ると空港まで南海急行1本で行ける新今宮駅徒歩5分圏内に安宿が何軒も連なっているので、条件のよいところを予約して準備完了です。

奈良には自由人のレンズ友がいるので食事でもいかがかと連絡すると、それなら写真を撮りに行きましょうと嬉しい歓迎をしてくれることになりました。
それならわたしも朝早くから行かなくてはと、バスなどのバジェットな交通手段は諦めてJALのいちばん早い伊丹行きを予約します。
これは羽田6時発で自宅からはどうやっても乗ることができないので、夜のうちに出発してネットカフェで一夜明かしました。
熟睡して翌日に備えたいところですが、この夜チャンピオンズリーグのバルセロナ・バイエルン戦の民放放送があるのでそれを見ていたら興奮して眠れず、自分でも不思議な徹夜しての撮影行になってしまいました。

何回か来ている奈良ですが、さすが路傍に通じた案内名人がいっしょですので、思いがけないことやら何やらとあって飽きることはまったくありません。
期待していたランチの店がお休みでも、近くにあった外国人の多いコンドミニアムにカレーのランチがあったので、入ると中国人を観察しながらの夏野菜カレーを楽しめ、奈良の少々前の話などをずっと聞かせてもらいます。
途中休憩で入った喫茶店ではアマチュア写真家の作品が展示されていて、感想を求められます。
わたしは楽しく撮影している姿勢に好感を持ちましたが、同行の写友は問題点をズバリ指摘してそれを直せばもっと腕を上げるだろうと愛のこもったアドバイスをしているのに感心します。

突然、天気が悪くなって困ったりもしますが、それこそどこかに入ればおしゃべりのチャンスで、ペッツバール賛歌に花を咲かせます。
奈良公園をかすめれば修学旅行の学生の多さに驚かされ、逃げるように進んでいくと、作例のお嬢さんがいたのですかさず撮影させてもらいました。
彼女は台湾人で、卒業旅行に日本に来ていたのですが、彼女が来ているのが卒業式に着るマント(?)です。
ちょうど直前にksmtさんのサイトで大阪にて撮影した台湾人の女の子が同じ服装で紹介されていたので、あっ、わたしも見つけたと思ったのですが、なぜ彼女がマントを着て日本を旅行しているのかはっきりした理由は分からず仕舞いでした。

とまあ、そんなこんなで夜の食事までずっと愉しい時間を過ごしました。
泊れなかった宿のオーナーのところにもあいさつに行って、ビールをご馳走になりながら旅のこととか宿のこととか話をしました。
よろしければわたしの部屋に泊って行ったらどげんどす、などと言ってもらえることはなく、安宿の門限があるからと泣く泣く立ち去ったのですが、見送ってもらった交差点でハグしてもらってのお別れが何とも後を引きます。
ずっと寝ていなかったのですから、とても長く感じる1日でしたが、1日いろいろあってちっとも眠くなることはありませんでした。
【Alpha7/Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 F4.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Jamin et Darlot 15.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/05/14 Thu

このジャマンはアラフォー女性か

Jamin et Darlot 13.5cmF4.5
厳密な測定ではありませんが、わたしのジャマン・エ・ダルローはライカ用のヘクトール13.5cmF4.5と同じスペックです。
エルマーにも同スペックがありますが、35mmに限らず中判、大判でも珍しくはない焦点距離とF値の組み合わせのようです。
スペックが同じだと言うとつい比較したくなりますが、残念ながらヘクトールもエルマーも長らく使用した記憶がありません。
いや、記憶が薄れていましたが、エルマーは3年前に横浜で使って、逆光のはよく分かりませんが、順光の作例はとても気持ちよく写っています。

ぜひ、ジャマン、ヘクトール、エルマーを同条件で撮り比べてみたいですが、3者には意外に差が無いのではと想像しています。
合焦部のシャープさや発色などはかなり近いでしょうから同じように見えると思うのですが、周辺部とボケにどれほどの差が出るのかに興味が集中しそうです。
ヘクトールはもともと4×5用の大判レンズをライカに転じたものだと言いますので、周辺はまったく問題ないはずですし、ボケがダメでは大判ではどうにもならないでしょう。

ジャマンは、ペッツバールタイプとしては暗いせいか周辺の乱れは最小限ですし、ボケもかなり素直です。
しかし、ボケがきれいかと問われれば、ハイと答えるのは厳しいですね。
では汚いかといえばそうでもない。
崩れかけたようなボケの作例もありましたが、今日の作例を見るとハイライトになった白い花が汚く広がるようなボケになっているのが部分的に見られるものの、概ね良好な形になっているように思われます。
細かい花や木のボケは、収差の傾向が分かりやすく出ることを考えても、やはり乱れが無いことを再確認できました。

ジャマンがコーン・サントラリザチュールを製造開始したのが1855年で、わたしのレンズの製造年はおよそ1865年頃のことです。
この10年の写真術を取り巻く環境の変化がコーン・サントラリザチュールにも強く影響したのか、オリジナルとはだいぶ違うレンズへと変貌しているように思われます。
ひとつはダゲレオタイプの時代からコロディオンへと変わったことで、露光時間が大幅に短縮されてF値は少々暗くなっても開放からシャープに撮れるような改良が施された。
もうひとつは、当初無地だった背景にバックドロップと呼ばれる書割が使われたり、その他小道具を取り入れたり、野外で撮影することも増えて、ボケというものが意識されたのではないかと思うのです。

ダゲレオタイプからアンブロタイプ、ティンタイプまでは肖像写真を撮ると、専用のケースに収めて写真を楕円型に見せる前面の飾りが付けられていました。
装飾的な意味と同時に周辺部の乱れを隠すことができたのですが、フォーマット全体がきちんと写されることを要求されてきたのでしょう。
新しいコーン・サントラリザチュールでは後郡径を大きくして周辺まで画面が均質になるよう設計され直されたのではないかと思われます。
ひとサイズ大きなカメラを使ってそれより小さなフォーマットサイズを撮影すれば問題ないのですが、スタジオが普及してアマチュア写真家登場するなどの理由で、高価な大フォーマットよりも現実的なサイズで最初から撮影する傾向が生まれたということもあったかも知れません。

手許にある1840年頃にルルブールが製造したゴーダンのペッツバールは10cmF3.5ですが、ジャマンと並べると後玉を除けばほぼ同じサイズです。
シンプルなペッツバールが同じサイズでスペックがまったく違うレンズだということは、まったく違う設計だからだとしか考えるほかありません。
後姿が20歳代前半に見えたのに、前から見たらアラフォー女性だったというのに似ています。
1850年代くらいまでのペッツバールは外観を見れば、焦点距離とF値をだいたい当てることができたのですが、コーン・サントラリザチュールの改良はそれをできなくさせたという意味では、女性の社会進出ならぬ、ペッツバールがさらに世に広まって行くためのレンズであったのかとこじつけているところです。
【Alpha7/Jamin et Darlot 13.5cmF4.5 F4.5】
thema:ペッツバール genre:写真
Jamin et Darlot 15.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2015/02/06 Fri

波尔布特的渣油

Jamin et Darlot 15.5cmF4
昨日書いたように、人相よろしくないトンレサッブ湖の検問所のようなところにいた連中にポルポト派の残党かと怒りをぶつけてしまいました。
暑い国を心地よく旅する秘訣は自分が熱くならないことですし、タイ同様、仏教への信仰心に篤い微笑みの国カンボジアで怒ったりしてはいけないのですが、理不尽な言い分にやられてしまいます。
しかし、アンコールワットに大量の観光客が日参さるのを見たトンレサッブの住民が、ウチにも来る外国人から金をせしめようとするのは、ツーリズムやグローバル化の過程として止むを得ないことなのかも知れません。
やがて、こんな料金を取っていては人が来なくなってしまうことを知り、値下げするか、そもそもここはアンコールワットのような観光資源があるわけではないので、料金をとろうとしたのが間違っていたと気付くようになるでしょう。

ポルポト派と聞いても1970年代の話なので、今の学生には何のことか分からないでしょうか。
わたしが学生の頃は、しばしばニュースで耳にする言葉で、強引に言えば、今で言う金正恩政権やイスラム国のようなものです。
権力維持のために自分たちに都合の悪い人たちを次々と粛清していったからです。
しかし、その残酷さ規模の大きさは金政権やイスラム国の比ではなく、ナチスのホロコーストに並ぶほどのものです。
100万人以上の国民がポルポトの政策により大量虐殺されており、その残虐性を後世に記録すべく彼らが行った処刑方法を展示した記念館や、虐殺現場に大量の遺骨を展示した慰霊塔を建てたキリングフィールドと呼ばれる施設があります。

それらはプノンペンにすべてあって、アンコールワットがあるシエムリアプは、快適に遺跡観光してもらうために負の歴史を知らせないよう、忘れさせようと努力しているのだろうと思います。
アンコールワットには首のない彫刻が多くありましたが、これらはポルポトを支援したクメールルージュによる破壊とされていますが、ツアーガイドはそのことには一度も触れません。
何より、遺跡周辺には未だに多くの地雷が残っていますが、それらがカンボジアの新政権に対抗したポルポト派の残党によるものだとの説明もなし。
世界遺産アンコールワットを見に来た人には、今のカンボジア人のことなどどうでもよいことなのでしょうが。

とは言え、カンボジアの近代は複雑で分かりにくいというのも事実で、シアヌーク、ポルポト、ヘンサムリンがそれぞれに対立したかと言えばそうではないようですし、それ以外にも多くの指導者が出て、今の日本の野党のように離合集散を繰り返したようなところがあるようです。
また、カンボジアと戦争になったベトナムに対抗するアメリカ、中国、タイが立場上ポルポト政権を支持してしまったことが事態をより複雑化させていたようです。
当時、カンボジアで大量虐殺が起きていると難民が訴えても、上述の3国では、難民の方が嘘をついていると認めない状況が続いたと聞きます。
日本でもアメリカと同じ立場が取られましたし、知識層が共産主義礼賛のために虐殺を否定するということもあって正確な情報が伝わりませんでした。

旅の2週間ほど前に、1984年に書かれた大石芳野さんの「女の国になったカンボジア ポル・ポト派は何をしたか」という本を見つけることがてきました。
当時は、ポル・ポト政権は駆逐されて新政権がスタートしたばかりのことで、カンボジアの内情はほとんど成果に知らされていませんでした。
取材の許可を受けた大石さんは、国民ひとりひとりに話を聞いて、噂とされていた大量虐殺が現実であったことを証明していきます。
同時に、ようやくポルポト派とクメールルージュによる恐怖政治から解放された、人々が自由の喜びを噛みしめながらも貧しさの中を懸命に生きる様も描かれています。

大石さんは報道写真家として名高いですが、わたしは以前NHKで穏やかな表情の彼女がライカを手にインタビューを受けていたのを見た記憶があります。
ジャーナリスティックな写真の力強さと、同じ場所で暮らす人々の写真の優しいまなざしの対称が印象に残りました。
先の本を読み終えて、慌てて「カンボジア 苦界転生」という同時期に撮影された写真集を注文します。
20年前の古い本で絶版でしたが、幸いきれいな新古本があって、旅する2日前に手にすることができました。
長いトンネルをようやく抜けたものの、未だ内戦の暗い影は宿して当時のカンボジアをとらえたすばらしい写真集です。
わたしは2日目の遺跡ツアー参加をドタキャンさせてもらい、友人には申し訳ないですが、ひとり田舎を訪れる決意をしたのでした。
【Alpha7/Jamin et Darlot 15.5cmF4 F4】
thema:ペッツバール genre:写真
Jamin et Darlot 15.5cmF4 | trackback(0) | comment(0) | 2014/11/24 Mon
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