スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | --/--/-- --

距離的問題

M8/Canon 35mmF1.5
ノーファインダー撮影では、やはり広角がいちばんです。
一度90mmエルマーでノーファインダーを試みたことがありますが、すぐやめました。
フレーミングガどうにもならないからです。
広角だろうが望遠だろうが真ん中をフレーミングするならどちらも変わらないだろうとタカをくくっていたのですが、90mmではまるで狙ったモノにかすりもしていません。
加えてピントがまったく来ていないのですから、すぐにあきらめました。

標準では、わたしはライツ純正のウェストレベルファインダー、通称AUFUSを持っています。
50mmレンズでは、せっかくですからノーファインダーではなく、ローライばりのウェストレベルファインダー
撮影を愉しみたいと思います。
なにせ、このファインダーは高価なうえに、けっこうな入手困難アイテムなのでぜひ使ってあげたい。

やはり広角かとなって、では何ミリくらいがちょうどいいのかという疑問が浮かびます。
これは少し考えて何ミリだってよいのではと考えました。
例えば15mm、16mmのホロゴンで人物をスナップするとなれば、ほとんど目と鼻の先くらいの距離でシャッターを切る必要がありますし、35mmでは建物の2階以上が写るか写らないかになったりで背景を取り込まなくてもいいかを考慮しないといけません。
そのへんのことが意識に入っているのならば、別に焦点距離がどうであってもかまわないというスタンスです。

ただ、距離は目測ですから、対策が必要です。
普通は、超広角を使ったり、絞って被写界深度を稼いでパンフォーカス気味にすべきところですが、わたしはなんでもかんでも開放で撮るのを基本ポリシーにしてしまっているので、35mmF1.5という広角としてはピントの薄いレンズでも開放で試すことにしました。
正直言えば半分以上がピントを外す散々な結果でしたが、もともとが実験的な試みですし、散歩スナップで失敗してもダメージmないので問題ありません。
むしろ鍛錬することで、成功率を上げたいと思います。

ピントは固定します。
今回は、道幅のある程度広いところでは3メートル、狭い路地では2メートルとしました。
それだけ近距離だと明るいレンズではより厳しくなりますが、せっかくのノーファインダーなので接近戦に持ち込みたいという目論見があります。

目測の仕方はほとんど感覚的なものです。
わたしは身長180センチなので、後から突き飛ばされて爪先が伸びきって前のめりに倒れて頭の先が来るであろうところが2メートル、後から小突かれて2歩ほどよろけてから前のめりに倒れた頭の先が3メートルになると頭の中で距離を想定しました。
かなりいい加減に思われるかも知れませんが、自分の足先を基点に前のめりに倒れて扇状に広がるだろう距離というのは案外分かりやすいように思っています。
それに立ち止ってならまだしも、歩きながらでは絶対距離感覚を持っていても感覚にブレが出てしまうでしょう。


そんないい加減な今日の腰だめですが、自転車の後部に後ろ向きにまたがる女の子です。
少し後ピンですが、それもノーファインダーならではの許容範囲でしょう。
路地ということで2メートル設定でしたが、近過ぎて自転車に乗っているのがはっきり分からないのが残念です。

また、歩きながらの腰だめは、普通だんだんと被写体との距離が詰まってくるものですが、このケースで遠ざかっていくという逆パターンでしかも自転車はそれなりにスピードがあるので、ピントとフレーミングにあせりが繁栄してしまっているようです。
ところで当の女の子がじっと何かに見入っています。
フルーツか何か食べ物なのだと思いますが、握っているバーにぐっと力を込めるほどすごく力の入った目です。
わたしにも同じくらいの目力があれば、ピントを外すなんてことはなかったのかなと思いました。
【Canon 35mmF1.5 F1.5】
スポンサーサイト
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(2) | 2011/12/06 Tue

両椀涼麺

M8/Serenar 5cmF1.5
1週間にわたった湖南の旅は、今日で終わりです。
吉首から列車で張家界へ出て、そのまま空港へ行って広州への便に乗り、バスかなにかで深圳に戻ります。
国慶節休暇の2日目で、土曜日でもあったので鉄道は混雑するだろうと踏んで早めに出てきたのですが、拍子抜けするくらい駅は空いていました。

指定席の切符を取っていましたが、30分早く出発する列車があって到着時間も早いことから、そちらの自由席に乗ることにしました。
吉首が始発で車両ごとに車掌が立って乗り込んでくる客の切符を確認しています。
わたしは切符を示してこの後の列車なのだが、飛行機の時間が気になるので30分早い列車に乗せて欲しいと頼んでみました。
車掌は、わたしには判断できないので車長に聞いてくれと相手にしてくれません。
車長とは車掌の責任者のような人のことで、事情説明すると、自由席ならいいだろうと乗るべき車両を示した上であっさりOKしてくれました。
そこでその車両に行き、女性車掌に切符を見せながら車長が了解してくれたのでと言っても信じてもらえず、また車長を呼びに戻る始末でした。
どうも中国鉄路の車掌はクソ真面目というか、公務員だからでしょうか態度が官僚的です。

作例写真ではそうは見えないかも知れませんが、わたしの乗車した車両の車掌はなかなか可愛い女性でした。
しかし、こういうタイプの女性に横柄にダメだと言われると、太ったおばさん車掌に言われるより腹が立つのはなぜなのでしょう。
女性客が笑顔で車掌に話しかけていますが、横柄車掌の前ではトラブルを避けようと誰もが下手に出てしまうようです。

吉首発長沙行きの快速列車は定刻通りの出発で順調に進んでいるように見えましたが、張家界到着は30分遅れでした。
結局、予定通りの列車に乗ったのと同じ時間に着いたというのが何か皮肉に感じられます。
いや、後の列車だと1時間遅れとかになって、かなり慌てることになったのかも知れません。

湖南でいちばんの観光地こそが張家界です。
屹立した山が延々と並んだ山水画の世界は世界遺産にも登録されていて、1年中訪れる人が絶えません。
映画アバターにそっくりな形をした山が出てくるところから、張家界の風景と映画の登場人物を重ねたポスターを作ってアバターの旅をしようと宣伝しています。
映画の版権所有者の許可を得てポスターを作っているのか心配になりますが。

張家界駅からバスでいったん町中へ出て、お昼を食べることにしましたが、屋台の麺屋さんに行列ができていて、湖南最後の食事はここにしようと決めました。
涼麺と言う汁無しの麺で、唐辛子がかなり入った刺激的な味ながら、これがクセになるような旨さでした。

相席になったOL風の女性によれば、湖南省全体にこういう涼麺があってそのほとんどが屋台で商売しているということでした。
屋台ごとに味に特徴があって、この屋台は特に人気店とのことで、最初で最後の湖南涼麺がそんなに美味しいところで食べられた幸運を感謝します。

タクシーで空港へ向かうと、開けた道に張家界独特の山並みが見えてきて、思わずカメラを構えました。
しかし、運転手はここで撮る必要はない、空港の方がよく見えるからと説明してくれました。
ソウルへ帰るのかと聞かれてなぜソウルかと聞くと、張家界はソウルの直行便があって、訪れる外国人のほとんどが韓国人とのことでした。
そうえば、そば屋にいたOLもあなたは唐辛子をよく食べるんでしょうと聞いていたのは、わたしが韓国人だと思ったのでしょう。

空港に到着して支払いしようとすると、小銭が5元足りません。
100元札を出すとお釣りが無いといいます。
5元はいいよと言うなんとも心の広い運転手でしたが、財布に唯一残っていた5円玉を進呈したところかえって恐縮されてしまいました。
技術のずっと進んだ日本で、中国の古銭のような穴あきコインが現役で使われているのが驚きだったようです。

フライトの1時間半前に着いてチェックインしてしまうと、空港ではすることがまったくありません。
運転手が空港から山並みがよく見えると言っていたのを思い出し、いったん空港ビルから外に出て写真を撮ったりして時間をつぶしました。

そして、戻るとき裏側の玄関に不思議なものを見ました。
どうしたわけか食べ物の屋台が1台停まっていておばさんがぼんやりしています。
空港の入り口の道路にはセキュリティのゲートがあって、さすがに屋台は入ってこれないはずです。
中国らしい袖の下を使ったのか、あるいは近所の人が裏道からこっそり入ってきたのでしょうか。

ありがたいことに、屋台は涼麺屋さんだったので、さきほど最後だと思った涼麺の本当に最後の一杯を味わいました。
少し慌てながら搭乗手続きに向かうと空港内の放送が流れて、もうすぐ搭乗が始まると言っていますが、中国語、英語に続いて韓国語でもアナウンスされたのが運転手の話を裏付けています。

搭乗の列に並ぶとそこからも張家界の山並みがきれいに見えます。
さきほどよりきれいに見えているのに気付いて、やっとその理由が分かりました。
日がさしてきたのです。
思えば、これが旅の最後の最後に湖南で見た、ただ一度の太陽でした。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(1) | 2010/10/24 Sun

可以看嗎

M8/Serenar 5cmF1.5
バスは吉首駅に着きました。
運転手と車掌にもお別れを告げると、すっきりとひとりきりに戻りました。
まずは、そうだと思いだして切符売り場に行くと、昨日の行列がうそのように人がまばらで、明日の張家界までの指定席が簡単に入手できました。
たかが紙切れ一枚ですが、今日から国慶節が始まっていますので、張家界のような超観光地へのチケットはもう無いと言われる心配がありました。

あるいは東京の通勤電車のような大混雑になるかも知れません。
しかし、この指定席券を確保したのですから、通行手形を手に入れたようなものです。
徳夯にもう一泊したかったのですが、この手形を入手するために戻ってきたという側面もあったのでした。

最後の目的地は、吉首郊外の乾州古城です。
昨日バスターミナル前から吉首駅まで乗ったバスに、今度は吉首駅から乗り込みます。
40分ほどの行程でしたが、路線バスなので一律1元でした。
吉首には、往復2元で行ける古鎮が存在するということになります。

大通りをひたすら直進するだけなので気付いたのですが、この道は鳳凰から来る時に通ったものと同じです。
そういえば、何か古めかしい大門があったなあと思い起こしていたところ、果たしてその門こそが乾州古城の入り口でした。
車掌に着いたら教えてと頼んでいたのですが、その車掌だけではなくやり取りを聞いていた周りの乗客が口々にあれがそうだと指さして教えてくれました。

乾州は宋代からの歴史をもつたいへん古い町で、今でも多くの古建築が城壁の内側に残っています。
しかし、観光開発のために古建築風の建物が相当数建てられて、見せかけの古い建物が本来の古建築を凌駕してしまうような困ったところが見られました。
わたしが入って来た城門も、あきらかに最近作られたもので、古代都市の雰囲気をだしたかったのでしょうが、それよりも鄙びた古村落を好むわたしにはあまりありがたいものではありません。

ここにも野外ステージがあって、国慶節の初日だからでしょう、折しも苗族の表演が行われていました。
湖南省苗族歌舞芸術団のような名前のプロのステージでしたが、あいにくの大雨で気の毒なくらいずぶ濡れになって演じていました。
客席には屋根がありましたし、取り巻くように傘をさした人もいて、多くの観衆が熱心に見ていたのが幸いでした。

有名な観光地なのでしょう乾州古城には多くのツアー客が押し寄せていました。
ツアーではガイドがマイクを持って大声で説明しながら歩くので賑やかなものです。
せっかくの休暇が雨では気の毒ですが、この地で観光業をされている人たちには気の毒を通り越した生活の問題があります。
憎たらしい長雨です。

古鎮には雨が似合います。
カラッとした快晴よりも、しっとりとした雨の方が少なくとも日中は良い舞台装置です。
ですが、雨が降れば人と出会う確率はぐっとへってしまいますし、歩いている人は傘をさしていてその表情を見ることができません。
やはり雨が降っていない方がわたしは好きです。

乾州にも風雨橋がありました。
作例写真で分かるように、かなり歴史を感じる橋で、三王閣風雨橋という立派な名前も付いています。
ところが、帰国後乾州古城を紹介している本を見たら、1993年頃の橋の写真が載っていたのですが、なんとこの当時は石でできた普通の橋で、木造の部分はその後に復元(?)されたもののようです。

雨のせいでしょうか、風雨橋の中では結婚アルバム写真を撮影している最中でした。
カメラマンの指示に従って熱いポーズをとる男女を、恥ずかしげに見つめる子どもたちがユニークでした。

旅は明日で終わりですが、移動に時間をとられるので、今日が実質的な最終日です。
いつもですと、最後になるとラストスパートするように、しゃかりきになって歩きまわったり撮影したりするのが
常ですが、この旅では悠然と最後の土地を歩けたような気がします。
雨に気持ちを冷まされたからでしょうか。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(2) | 2010/10/23 Sat

很矮的少年

M8/Serenar 5cmF1.5
宿に戻っているとすでに店開きしていて、この地方の名物の草餅を作っていました。
アズキではありませんが、素朴な甘みのある餡を入れて草餅でくるんだうえに笹の葉を巻いて出来上がりです。
見ていると、ずいぶんと器用に次々と増産していきます。
美味しそうですねと言うと、はいどうぞと分けてくれます。
日本で食べるものよりずっと素朴な味わいですが、土の香りがするような自然な風味が美味しいです。

昨日片付けたときは店を開くときもお酒のカメのセッティングなどを手伝うと言っていたのですが、滝に行っている間にすでにすべてが終わってしまっていて恐縮します。
そんなわたしに、はい、もひとつと草餅を寄こします。
働かずに食べてばかりでスミマセンと詫びつつも、うまいうまいとさらにもうひとつ戴いてしまいました。

いけない、10時を過ぎていると、奥さんにうながされました。
今日も表演があるそうですが、雨が降っていると言うと、晴れれば野外ステージで、雨の日は建物の中で毎日必ず10時と3時の2回、表演を行うそうです。
あわてて、その建物まで行ってみました。

公民館のような建物は、国慶節に演じるにはいかにも小さく、すでに満員のひとが腰掛けていて空きがありません。
しかし、外から見ていると、滝のところで会ったグループの女性が手を振ってこちらに来いと手招きしました。
彼らの椅子の前にべたっと腰掛けて見物です。

作例の踊りですが、歌詞が無く正確な意味は分かりません。
勝手に解釈すると、みんなで漁にやってきたがさっぱり魚が獲れず、幸せを勝ち取ったばかりの少女を羨みながら冷やかして、最後には祝福するというコメディ風の踊りでした。
単なる見せモノだといえばそれまでですが、ここでは伝統がどうだとか芸術のステージはどうなんだなどの無粋な反論は控えて、女の子たちがみんなきれいだからいいじゃないかと正論で答えておきたいと思います。
野外ステージより間近で見れて、息遣いや振動など踊りの激しさが肌に伝わって来るかのようです。

滝で会った若者たちは、このまま鳳凰に向かうと言って去って行きました。
すっかり気に入った徳夯でしたが、すでにかなりの観光客があってこれからもどんどん増えることでしょう、わたしも、そろそろ発つときが来たと感じます。

世話になった宿の夫妻のところにまた戻り、別れを告げました。
何もなくてといいながら、わたしが気に入った草餅を歩きながらでも食べなさいと手渡してくれました。
すごく明るい人たちでしたが、そういう人が見せるちょっと寂しげな表情は、かえって心に残るもののようです。
おふたりには、いつまでもお元気で、そして国慶節の商売がうまくいくよう願いつつ村を出ました。

バス乗り場まで歩くと、待っていた吉首駅行きのバスは昨日と同じ車体でした。
当然、運転手も車掌のお姉さんも同じ人で、ふたりとも最後まで乗っていたわたしを覚えていました。
そして、なんと矮塞で案内してくれた少年もバスに乗っていました。
昨夜、途中まで見送ってもらって、もう会えないものと思っていたのに偶然また会えて感激です。

どうも車掌のお姉さんと親戚か何かのようで、ふたりしてわたしを知っているので互いになぜなのかと聞いているようでした。
車掌さんは、少年が矮塞を案内したいきさつを話したところで驚き、しかもわたしが日本人と知って2度驚きしています。
もう小さな子どもがいると言っていましたが、まだ20代後半でしょう、ちょっと太めになってしまっていますが、結婚前は表演に出ていたと言っても不思議のない美人です。

バスは車掌と少年、それにわたしだけで出発しました。
昨日歩いた道を疾駆していきます。
書き忘れていたのですが、奇妙なかたちの山が途中1箇所見えて、姐妹山という名前だと少年に教わっていたのです。
3つのいただきが3姉妹のようだから、という理由で付いた名前のようですが、そんな美しい山の山頂付近から数百メートル離れた反対側の山の山頂まで、どうやって作ったのか電線のようなものが相当の本数のたばになって橋のように通してあります。

少年によると、高速道路を工事し始めたところだとのことです。
あんな高いところに道路ができるとは思えないのですが、もしそうであれば、この土地の象徴ともいえる姐妹山の景観をぶち壊して土地には恵みをもたらさない道路を通すことになります。
やり場のない憤りを感じずにはいられません。

そんな姐妹山を過ぎると矮塞の村が見え、少年は手を振って降りていきました。
旅は一期一会ですから、連れ帰る以外、出合った人とは必ず別れが待っているという事実を、旅の終盤に来てあらためて思い知らされるようでした。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2010/10/22 Fri

只她和我的地方

M8/Serenar 5cmF1.5
湖南に入った前週の土曜日からまるまる1週間、悪天候が続いています。
1日ずっと雨ということはありませんが、降ったり止んだり、またはずっともっていたのに突然ザーッときたり、何しろ傘が手放せません。
何より一度も太陽を見ていませんので、ただでさえ暗くどんよりした写真を撮るわたしには、しつこいくらい天気がアシストしてくれていました。

この日も目が覚めてから雨こそ降っていませんが、靄がかかったようなどんよりした朝でした。
7時をまわれば、すでに村の生活は始まっていますので、独特の空気の中でのそれを見ない手はありません。
カメラだけ持って散策に出ます。

歩き出すと今日からスタートする国慶節に備えて、早くも商品を並べる店があったり、いつもと違う朝がありました。
一方で川辺に出ると、数人が洗濯しており、これはいつもと変わらない朝の風景でしょう。

なおも進んで坂を上がっていくと、高い位置にある家からは、村の家並みが見られその向こうに例の奇妙なかたちの山が動きだしそうににょきにょきしている風景が楽しめます。
勝手に人の家の庭で腰掛けて眺めていると、おばあさんが出てきたので、おはようございますと声をかけると、顔全体で笑うような会心のおはようが返ってきました。

玄関の上がベランダのようになった面白い形状の建物は、この村に共通のものです。
50年くらい前に建てたというので、いい具合に反った柱は、その間に徐々に形成されたものかも知れません。

そのおばあさんから、滝は見たのかと聞かれました。
昨日遅くに着いたばかりでまだ見てませんと答えると、この村に来たら絶対見に行かなくてはダメよと言う程のお薦めの景点のようでした。
いったん宿に戻り主人に聞くと片道1時間近く歩くというのでびっくりしましたが、やはり行くべきというわけで、カバンと傘を取って来てから向かってみました。

洗濯していた川に沿って進んでいくだけですから道に迷うことはありませんし、さすが必見スポットだけあってずっと石が敷かれていて準舗装路で歩きやすいことこの上ありません。
わたしの得意技のひとつは早歩きなので、滝に向かって歩くということは多少は上りになっているはずですが、ほとんどフラットと変わらない道をずんずんと進んでいくと、30分ちょうどで到着してしまいました。

滝はすとーんと切り立った崖を一筋の水が真っ逆さまに落ちるもので、たいへんに美しいものでした。
直後に現れた若者のグループが口々に感嘆の声を上げるほどです。
芙蓉鎮にあった滝が横に広がったナイアガラタイプの迫力なのに比べると、こちらは高いところから一直線に落ちる日本にもあるタイプの静的な美しさがあります。

今回は両滝とも写真を出しませんが、芙蓉鎮から徳夯は近くなので、ぜひ直接ご自身の目で見ていただきたいと思います。
若者グループの記念撮影を手伝ったりしながらも、一足先に戻ることにしました。
お腹か減ってきたからですが、途中に小屋があって食べ物がありましたので、自然の中での朝食もいいなと思ったということもあります。
それに、またしても憎き雨が降って来ていて、滝の周りには腰掛ける場所もない状態で、30分歩き通しのわたしには休憩が必要でした。

まだ8時前なのに小屋は営業していて、食べ物は串焼と果物がありました。
串焼にサワガニがあったので、天然ものだという小魚と2本頼みました。
カニは3センチほどの小さなものですが、そのまま姿焼きになったのが4匹並んでいます。
火が良く通っていて、かりかりと香ばしくこんなに美味しいものかと感心するほどの美味でした。
もちろん小魚も美味しいのですが、デザートに剥いてもらった梨は、ちょっとぱさぱさしていて日本の洗練されたみずみずしい味を期待するとちょっと首をひねるもでした。

しばらく雑談していると、若者グループが追い付いてきました。
無錫近くの町から来た彼らも、またサワガニの串焼に驚き、美味しかったよとわたしの勧めに従って食べてまた美味しいと驚きしています。
リーダー格の女性が、写真のお礼にとスイカをご馳走してくれました。
梨に比べると食べ慣れた味に近く、違和感なくいただけます。

雨の中、まだ30分近い道のりが残っています。
彼らに別れを告げて、一足先に村への道を歩き出しました。
やはり30分ほどで村に戻りましたが、休憩時間を含めて1時間半の愉しい小旅行です。

滝を見に行ってきたよと、坂の上にあった家のおばあさんに報告に行きました。
朝ご飯を食べている最中でしたが、好かったでしょと言って家に上がるよう招きます。
滝がいいぞと言って、まさか好かったありがとうと戻って来るとは思わなかったからでしょう、歓迎してくれたのは嬉しかったですし、家の中まで見せていただき喜びも倍増します。

先ほど気付いたのですが、この家にはおばあさんひとりで暮らしているようでした。
子どもは鳳凰で仕事をしているとのことでしたが、ご主人がどうしたかは聞けませんでした。

家の中はかなり暗く、引き続き外で話をしましたが、その場所こそわたしにとって徳夯の特等席です。
ベランダを支えている柱がありますが、その2本の柱の間に板が渡してあって椅子のように座れます。
そこは木のぬくもりがあって、雨には振られませんし、村と山が眼前に広がる、この村を通り過ぎただけでは見つけることのできない特別な場所です。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(1) | 2010/10/21 Thu

小人村

M8/Serenar 5cmF1.5
到着した村は、徳夯といいます。
苗族の村ですが、観光開発がいち早く進んだようで入場料60元必要です。
反対に無料で見れる苗族の踊りなどの表演が1日2度も行われています。
表演については賛否両論ありそうですが、賛成する人の理由としては踊り手の若者たちは伝統を学びつつこの地で仕事できるということがあります。
そのため村には若者の姿が多く見られます。

観光客にかなりオープンになっていながら、宿泊施設は多くありません。
村の中には一軒だけ比較的大きめな宿がありましたが、他の数軒は10部屋以内程度の小さなものばかりしか見られません。
数キロ戻った幹線道路付近には2軒ほどホテルがあるのがバスから確認できましたが、この村に滞在するには個人で訪れるしかないようです。

この徳夯から3キロほど戻ったところに矮塞という古村落があります。
こちらは規模が小さく観光化されていないようでしたので、いったんこちらへ行ってみることにしました。
宿はないとのことでしたが、どこかに民泊できないか頼んでみるつもりです。
断られれば、また徳夯に戻って宿泊するからと説明して、うちに泊まりなさいと説得する商店兼宿屋のおばさんに別れを告げました。

相変わらず天気は悪いです。
信じがたいことに、こちらに来てから毎日くもり時々雨の天気が続いていて、傘が手放せません。
しかし、ちょうど止んでいるタイミングだったので、バスには乗らず歩いて3キロ先の矮塞を目指しました。
なだらかな下りで歩きやすいですし、サンダルは芋頭で縫ってもらって以来絶好調です。
サギのような鳥が飛んでいるのが見れたり、牛の散歩を追い越したり、ただでさえ景色の抜群な中、愉しい散歩になりました。

矮塞は、山にへばりつくように古民家が十数軒並んだ観光とは無縁のような村でした。
ということは宿があるはずもなく、泊めさせてもらえるようお願いしないといけません。
さっそく少年が顔を出している家を訪問し、この村で泊まれるところはないかと遠慮がちに聞いてみます。
ここにはないなあと東国原知事によく似た親父さんが答えました。
続いて、わたしは少数民族の文化を研究しているもので、こちらに一泊させていただけないものですかねえとやはり下手に聞いてみます。

すると今度は、わたしはあなたのしゃべっていることが聞きとれませんと言い出すではないですか。
すると少年が、この人ここに泊まりたいと言っているよと助け船を出してくれましたが、親父さんは余計なことせんでいいと言わんばかりに少年をにらんで、うちはとても泊まる場所が…などと口ごもっています。
押せばなんとかなるかともう一度お願いしますが、あきらかに迷惑そうで、これはあきらめざるを得ません。
突然現れた外国人が我が家に泊まるかもと期待した子どもたちが一斉に落胆したのが見て取れます。

東国原氏は面倒はイヤだけど、優しい心の持ち主のようで、少年に命じて村を案内してあげなさいと父親の威厳を見せています。
望むところだとばかり、少年がオレに着いてきなと手招きしました。
少年は13歳だと言いますが童顔の上に小柄で小学校中学年くらいに見えます。
その彼が父親の東国原氏の横に立つと、氏はものすごく小柄で恐らく身長が150センチありません。
背が中学生の息子より低くて、顔は東国原知事という村長にでもなれば、成功しそうなキャラクターに思えます。

村を案内といっても古い木造家屋が並んでいるだけで、史跡があるわけでもないちっぽけな場所ではどうしていいか戸惑っているようです。
結局、1軒1軒回って住民を呼び出し、こちらは○○さん、あちらは日本から見学に来た人、などとお互いを紹介してくれました。
上の方に美人姉妹の家があって、紹介してくれたのがありがたかったのですが、カメラを向けると恥ずかしがって奥に引っ込んでしまいました。
少年も、撮れなくて残念だったねと親身に同情してくれます。

少年の友人の家では、収穫したばかりのピーナツを軒先に吊るす作業が行われていました。
梯子でスタンバイするおじいさんに、奥さんが竹の棒にピーナツを引っかけてわたしているのがユニークです。
長身のわたしなら竹の棒なしに手渡しできそうなので、やってみると楽勝で届きました。
お手伝いさせていただきますと奥さんに代わって作業していると、いやまてよ何もおじいさんに渡さなくても自分でそのまま吊るせると気付いて、残りの作業をすべてひとりでこなしてしまいました。
これはこのご夫婦と少年たちに大ウケでした。

ここの村の人たちってみんな小柄なのかなと考えた時初めて気付きました。
村の名前の矮塞の矮って矮小とか使うけど低いという意味ではなかったっけ。
失礼なので聞けませんでしたが、もしかしたら、いや多分、この村は昔から背が低い人が多くて、こんな名前が着いたのじゃないでしょうか。

また少年の家に戻って少し雑談などをしている時にしつこくもう一度、この村で泊まれるところは知らないか聞きましたが、やはり無いとの返事でした。
では、徳夯まで戻らなくてはいけないので、失礼しなくてはと言うと、東国原氏が送るのでと言います。
バスがまだあるようなので、いいですよと返事しますが、やはり送るからと言うのでてっきりバイクで送ってくれるのかと思い、それでしたらぜひお願いしますと頭を下げました。

しかし、家にはバイクなどなく歩いて徳夯まで送るとのことでした。
東国原氏を先頭に少年二人が暗くなった道を気を付けてねと言ったりしながら4人で歩き始めました。
少年がたばこを吸い出します。
13歳のくせに吸ってはいかんと言っても言うこと聞きません。
それが矮の原因ではと余計なことを言いかけて、飲み込みました。

3キロをゆっくり歩くので1時間以上かかりそうです。
それでも彼らとしゃべりながら歩いていると、この家族の温かさに包まれているようで、とても好い気持ちでいることができます。
でも、わたしを見送ったあと、また歩いて村までもどるのでは、やはり申し訳なく思います。

30分も歩いた頃、ようやく後方からバスがやって来ました。
少年がバスを停車させて、これに乗ればすぐ着くよと笑っています。
君たちはどうするのと聞くと、家に戻るとなぜそんな当たり前のことを聞くのか不思議そうです。
不思議なのはこちらの方で、村の前で待っていればバスに乗れるのに、なんでまたこんなに歩いてまで送ってくれたのかよく分かりません。

東国原氏が気を付けてと声をかけてくれましたが、これから暗闇を引き返す彼らにこそ、わたしが声をかけるべき言葉です。
辺鄙な村にやって来たわたしを真剣に心配していたのでしょうし、泊めさせてあげたかったのだけどできなかったという申し訳ないという気持ちがあつたようにも感じられました。

バスに乗って後ろを見ると、バスのテールランプによって3人が家に向かって歩いているのがかすかに見えました。
しかしバスはかなりのスピードで、すぐに彼らの姿を見失います。
やはり、あの家族の家には泊まりたかった、今となってはもうどうすることもできないですが。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2010/10/19 Tue

馬上完了

M8/Serenar 5cmF1.5
芙蓉鎮にもう少し粘ろうかという気持ちもなくはなかっったのですが、少し考えて先に進む決断をしました。
最後に見たいと思っていた村は、やはりある程度観光化されているようで、人の少ないうちに見ておきたいという気持ちがあったからです。
翌日から中国中が国慶節休暇に入ってしまうので、今日と明日とでは滞在に大差があります。

もうひとつは、1週間の旅もう終りが近づいていて、明後日には飛行機で深圳に戻り1泊ののち日本に戻らないといけないということがあります。
中盤までは旅に気持ちを委ねていることができましたが、残り3日になって空港へのアクセスとか時間とかを気にするようになってしまったというわけです。
体は旅の途上であっても、心ではどこかで帰国後を意識し始めているのでしょう。

芙蓉鎮からバスでいったん吉首のバスターミナルに戻った時に目的地へのバスを聞くと、駅前から出ていると言います。
バスが駅経由でターミナルに着いたので、事前に聞いておけば時間短縮だったのでがっくりです。
事前情報では貨物自動車に乗せてもらって行くとあったのですが、この情報は6年前のものでこの間に路線バスが開通したということのようでした。

バスターミナル前のバス停から吉首駅行きのバスに乗り込み、いま来た道を戻って駅に着きました。
翌々日に張家界空港から深圳に戻るのですが、この張家界までは鉄道で行った方がいいとアドバイスをもらっていました。
そこで列車の時刻などの情報を得るために駅に行くと、飛行機の便に余裕がありながらちょぅどいい列車が、ここ吉首始発であることが分かりました。
しかも1時間45分しかかからないので、バスの半分の時間です。
鉄道の方が少々遅いが安くて座れて快適でいいよとの情報だったので、時間も早いのはますますの朗報でした。

もう切符を買ってしまいたかったのですが、すごい列ができていました。
旅行代理店や街中の切符売り場など、わずかな手数料で並ばずに切符が買えるところがあったりもするので、ここは目的地に行くことを優先します。

駅なので荷物預かりが目に付いたので、ここでもスーツケースを預けてバックパック&カメラバッグのスタイルで目的地に向かうことにしました。
身軽になってバスを探すと新しい路線と思っていたのに、ずいぶんとボロいバスが停車していたのに意表を突かれました。
新しい路線でも、バスはどこかの路線で散々こき使われた廃車寸前のお下がりがあてがわれたようです。

小巴と呼ばれるマイクロバスはたったふたりの乗客で出発しましたが、それは駅前から乗る人がいないだけで、繁華街を停車しつつ進むにつれすぐに満員になります。
しかし、その乗客のほとんどが途中にある村々で下車してしまい、終着の目的地まで行ったのはわたしひとりだけでした。
ちょっと寂しいと同時に、国慶節前日に来たことで観光客であふれる状況を回避できてたのだと無理やり安心しました。

やっと着きましたが、朝、芙蓉鎮で名物の米豆腐を食べただけで、かなりの空腹状態です。
とるものもとりあえず食事したのが正面に見えている「餐館」です。
おばちゃんがひとりきりでたった1つの鍋を振る、小さなお店でしたが、料理は絶品でした。
この村には10軒近い餐館がありましたが、この味に惚れて再訪を誓いました。

わたしは旅にあって成長するとか、大きく得るものがあったということとは無縁です。
ただ、個人的に愉しむばかりで、それ以上のものを手にしている訳ではありません。
空虚な旅をしているにすぎないと言っていいのかも知れません。
それでもなお、食事についてはいつも非常に恵まれていると思っています。
わたしのお腹周りがそれを証明していると言えるでしょう。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2010/10/18 Mon

你干嗎

M8/Serenar 5cmF1.5
芙蓉鎮にはやや大きなホテルが2軒ありました。
1軒はわたしが泊まったホテルで、小さいながらも4階建だったので客室は30以上あったと思われます。
シーズンオフということもあって、1泊60元(約750円)は田舎ということを割り引いて考えてもリーズナブルだったと思っています。
比較的近い鳳凰で泊まった宿は100元前後でしたが、設備的にはそう変わりません。
数日後に始まる国慶節休暇には価格が3~4倍に跳ね上がると言っていました。

芙蓉鎮のもう1軒は、500メートルくらい外れた位置で見たのですが、こちらの方が大きく、だいぶ高価なようでした。
どちらのホテルも1階にレストランが併設されていて、ツアー用なのだと分かります。
個人は、他に点在する小さな宿に泊まるのがいいかも知れません。
中国人団体客と鉢合わせになると、その騒々しさは想像を絶します。

ホテルの次は夕食です。
これもホテルと似た状況がありました。
観光客向けのレストランは、わたしが泊まらなかった方のホテル1軒きりで(わたしの泊まった方のホテルのレストランは休業していた)、他にはローカル向けの食堂が数軒あるだけのようです。
試しに入った食堂の料理は期待以上に美味しく、華南地域でこういう店に入って外れたことはないという定説通りです。

店の人たちともずっと話をして盛り上がります。
日本での外食事情になったとき、家から比較的近くに中華街があり、中国料理は日本でも親しまれているが、ほとんどが日本人向けにアレンジされた料理だと説明しました。
商売がなかなか順調なので、思い切って日本でレストランを開きたいと考えたようで、話は手続きの問題などへ進みます。

日本で働くこと、商売をすることはかなり難しいことだと説明するとがっかりしたようです。
中国人の不法就労の問題があるし、尖閣では中国人の行動によって日本全体が中国を信用していない状況にあること補足しました。
反論があるかとも思いましたが、そこは理解して聞いてくれています。

折しも今、中国の成都や綿陽などで抗日デモがあり、日本の商店やレストランを破壊したというニュースが流されていますが、こういうことに参加しそうな人に会ったことがありません。
政府による人民の不満を反らすガス抜きとしてデモを利用しているとか言われますが、本当にそうなのかも知れません。
いまいちばん恐れているのが、民主化要求の火が付くことでしょうから、目を反らすためにデモを起こすよう扇動するなんて満更作り話とも思えません。

さて、翌朝早く起きて村をあちこちと歩き回りました。
日中、商店街になる石板路も、夜中から朝にかけては門を閉ざすことから古い町並みを愉しむことができます。
しかし、より面白かったのは、そこから外れたエリアに古くひなびた町並みが残っていることでした。
ローカルの暮らしが残っていて、一般の観光客には興味の対象外でしょうが、わたしにとっては旅の理想郷です。

うきうきと散歩を始めるといろいろなものを目にすることができました。
家の軒先に新品の家財道具が並んでいて人が集まっているので結婚式だなと思い声をかけると、果たしてここの娘が嫁ぐのだということで式などを見れないかと思うと、土家族の結婚式は3日間で行うので今日はみんなで集まって食事するくらいだねえと言われます。

オープンな床屋さんが仕事をしているので見ると、何と70歳以上にしか見えない老人が髪を切っています。
50歳くらいの客が若者に見えてきました。
近くの建物はいかにも共産主義でございという星が掲げられた60年代風建物でしたが、窓から覗くと中で麺を干していてどうやら製麺所に鞍替えしたようです。

川辺に出ると、人々が洗濯しています。
見れば一様に大きな石に洗濯ものを広げて木の棒で叩いています。
この地方の洗濯方法のようですが、ばしばしよい音がするほど力強くたたいてしまっては衣類の傷みが早いのではと心配になりますし、洗剤と汚れが昨日見た滝に流れことのだなと気付いて、滝つぼ近くでだいぶ濡れてしまったことに苦笑せざるを得ませんでした。

鳳凰に対する不満のリバウンドかも知れませんが、見るものすべてを愉しく感じます。
おばあさんがふたり、門の前で対聯のように座っておしゃべりしていました。
恐らく芙蓉鎮という映画が作られた当時と変わらないような垢抜けない服装とともに惹かれるものがあります。
何枚か撮っているうちに目ざとい女性に見つかってしまいましたが、それがまたいい味を出してくれました。
こんな村なら、いつか"芙蓉鎮2"という映画を撮ってみたいなあと思わずにいられません。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2010/10/17 Sun

電影来的名字

M8/Serenar 5cmF1.5
芙蓉鎮という名前の映画が1980年代の中国で大ヒットして、この芙蓉鎮も全中国で有名になったと聞いていました。
現地で聞くとちょっと事情は違っていたようです。
芙蓉鎮はもともと王村という名で、芙蓉鎮と書かれていたり、王村と表示してあったり、王村(芙蓉鎮)と併記してあったりふたつの名称はともに使用されています。
映画は王村でロケされて、架空の芙蓉鎮という名称を使っていただけで、あまりに映画がはやって王村を訪れる人が多かったため、比較的最近になって村の名前も芙蓉鎮としてしまったそうです。

芙蓉鎮という映画は、60年代を健気に生きる夫婦がやがて起こる文革に翻弄される様子を描いたものだそうです。
制作されたのが改革開放の大きな波の中にあったことと、まだ文革の記憶が新しい民衆の指示を得たことも流行に結びついたものと考えられます。
文革を描けばかつての中共の政策を批判することになるからでしょうか、その後は近代が舞台になった映画は鳳凰でロケを見たような日中戦争関連ばかりになってしまいます。
その意味で、芙蓉鎮は貴重な映画なのかも知れません。
機会があれば見てみたいものです。
ちなみに主演は、劉暁慶となっていましたが、いま話題の人と一字違いです。

話はそれますが、芙蓉鎮の少し手前に古丈鎮という村があり、宋祖栄という有名歌手の出身地として有名です。
宋祖英は苗族なのですが、中国全土で人気があり、北京オリンピックの閉会式でブラシド・ドミンゴと共演までしています。
かなりの美人でもありますが、どうも江沢民と親密な関係にあったようで、他にも黒いうわさがつきまとっているようです。
湖南省は毛沢東の出身地ということもあるからか、どうも中共絡みの話題があちこち顔を出します。
古丈鎮は中国十大銘茶のひとつ毛尖の産地として有名と言うので試飲させてもらったりしましたが、帰国後調べても中国十大銘茶に古丈は入っていません。
地元で勝手に名乗っているのでしょうか。


さて、芙蓉鎮の石板路を下ると大きな川に出ました。
港がありますが、今では観光船があるだけのようで、この時期は閑散としています。
川に沿って左を進むと息を飲む風景が広がっていました。

大きな滝です。
幅は50メートル近くあるでしょうか、高さも数十メートルありますが、よく見れば2段になっていて上段の滝から落ちた水は一旦平地を流れてまた下段の滝を経て川に流れていきます。
水量がかなりあるのは、毎日雨が降っているからでしょうか。
ここに来るまでこんな滝の気配はなかったので、予備知識なしに来た人は忽然と現われるこの光景に圧倒されるでしょう。

かなり濡れますが、滝の内側を通り抜けることができるようになっています。
そこから階段を上がるとこれまた勇壮な古建築が並んでいます。
昨日、参道と書いたのは、れが寺院に見えたからで、吊脚楼という名前で寺ではなかったようです。
白い滝に寄り添う黒い古建築は美しい対称を見せます。

吊脚楼を突っ切って滝を横切り石板路へ戻ることができるようです。
山門のようなところに老婆がいて10元支払います。
切り立つ崖に並んだ建築は壮観で、ここから見る景色も美しいものです。
滝を横切るというところは、上段の滝の上部の流れが緩やかなところに飛び石が置いてあって、そこを通り抜けて石板路に戻るようになっていました。
危険はありませんが、万一足をすべらせて水に落ちはずみで頭でも打って気を失えば、そのまま滝まで流されてしまいますので、後から来た団体客の年配の人たちは恐ろしく慎重に歩いています。

彼らがみんな手にチケットを持っていることに気付きました。
吊脚楼の入場料10元と書いてありますが、わたしはもらっていません。
わたしが払った入場料10元は、老婆のお小遣いになったのでしょう。

建物で番をしていた土家族の少女に突然湧いた疑問をぶつけてみました。
この滝と吊脚楼は映画撮影時に作ったセットではないかというものです。
滝は天然のものだと彼女は笑います。
宿の女の子もそうでしたが、土家族の女性は可愛らしいし、優しい笑い方をするなあと感じました。

外国人はそれほど来ないそうですが、たまに団体で来る日本人を見かけるということでした。
張家界、鳳凰とともに芙蓉鎮を訪れるツアーがあるようです。
滝と吊脚楼の写真を出すのは控えますので、ぜひこの地を訪れれて自身の目で壮観な姿を見ていただきたいと思います。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2010/10/16 Sat

第三次老實

M8/Serenar 5cmF1.5
もう鳳凰はこりごりと朝早いバスで出発します。
持参した湖南省の本を調べて、昨夜のうちに行き先を決めておきました。
昨日訪れた土家族の古村落は変貌してしまっていたので、もうひとつの土家族の村、老司城を目指すことにしたのです。
周辺には、他にも苗族の魅力的な村がいくつかありましたが、いずれも7~8時間かかるとあります。
地図上では近くに見えますが、山岳の未舗装路を通るようで、今回はもうタフな移動は遠慮することにしていました。

鳳凰から吉首という交通の要衝まで70分、この程度だと感覚が半中国化したわたしにはあっという間の到着です。
同じターミナルから永順行きにすぐに乗り換えます。
乗り継ぎは最高でしたが、この地方の大都市・吉首からとなりの大きな町・永順まで途中未舗装になるとは想像もできませんでした。
1時間半程度と踏んでいたのに、倍の3時間とは、なかなか一筋縄ではいきません。

試練が始まったのは、ようやく永順に着いてからのことでした。
老司城へのバスを聞くと、ターミナルからではないので、タクシーでここに行け、あと10分くらいで出発のはずだからと言われ慌ててタクシーに乗りますが、着いたのは交差点でバス乗り場ではありません。
おかしいと思い、向かいにあったホテルで老司城にいくバスを探していると聞くと、確かにバスはこの道を通るので待っていれば来るだろうとのこと。

しかし、10分で来ると言っていたバスは、30分待っても1時間待ってもやってきません。
もう行ってしまったのか、客が集まるまで待って発車なのか分かりませんが、ぼんやり立っていても仕方ないのでタクシーを強引に停めて交渉することにしました。
1台目、行くたくないなあ、300元ならいいよ、いや結構。
2台目、遠いからなあ、150元ならいいよ、おっいきなり半額か。
100元で行ってくれ、いや120元、100元、ぬや110元、100元、分かった100元でいいよ。

聞くと30キロほどの道のりらしく100元はあきらかに高かったのですが、仕方ありません。
永順も土家族が多く暮らす村だそうで、この運転手も土家族でした。
昨日、雑貨屋のおばさんが話していた村人が金をせびってばかりいたために、古村落が変容してしまった話しが思い出されます。

タクシーは山道の差しかかると思わぬ事態が待ち構えていました。
道路工事のため通行止めとあります。
運転手は驚いて車を降り作業員と言葉を交わしますが、うんうんとうなづいてから戻って来て言うには、今日は通り抜けできないらしい、道はこれしかなく明日には開通するそうだから、また明日来るしかない。
そういうが早いか、Uターンして永順に戻ってしまいました。

バスターミナルまで戻って、30元寄こせと言います。
わたしはまだ事情が呑み込めないでいましたが、30元も走っていないのはあきらかで、20元でいいだろうと渡してしまいました。
運転手はこれしかくれないのかと嘆きながらもわたしを降ろしてとっとと去って行きました。

ここで我に返りましたが、どうも運転手の態度が芝居臭い。
バスが来なかったのは工事中のためだとすると、あるいは最初から工事を知っていて、そこまで行く芝居を打ったのか、もしかしたら老司城への道は別にあって、最初から工事している道を選んで行ったのかも知れません。
冷静に考えれば、20元でも払い過ぎで、メーターで行っていれば10元前後だったように思われてきました。
根性が出れば、新たにタクシーをつかまえて道のことを尋ねつつ再チャレンジするところですが、鳳凰に続いて土家族の村へ行くことに懲りてしまいました。

バスターミナルで降ろされたこともあって、またバスで吉首に戻って近隣の村を尋ねようと思い直しバスのチケットの窓口に並びます。
そこに芙蓉鎮行きのバスがあることを知ります。
聞くと、ここから吉首へ行く道のちょうど中間あたりにあるということでした。
芙蓉鎮は、鳳凰に次いで湘西で有名な町です。
少しまずいかなと思いつつも、吉首に真っ直ぐ戻ってから別の村に行くよりはよいかと決断しました。

芙蓉鎮は確かに観光化され切った村でしたが、規模では鳳凰よりもはるかに小さく、宿泊する人があまりいなかったので夕方到着したころはすでにひっそりと好い感じでした。
村人に教わったホテルに荷物を置いて、さっそく村を散策してみます。

入り口から参道のようになっていて両側の家は鳳凰のように土産物屋が並んでいるのは残念でしたが、観光客はほとんどいません。
何より酒吧がないので静かなものです。
のんびり歩いていても鳳凰のように、見ていけ買ってけと声がかかることもなく、ほったらかしなのもありがたいです。

路地では、路上で女性が髪を洗ってもらっていたり、その隣では減肥のためか女性が手をつないでダンスの特訓中でした。
村全体に緩い空気を感じます。
後で知らされたのですが、昨日の変貌した村や今日たどり着けなかった村と同様、ここ芙蓉鎮も土家族の村だということでした。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(2) | 2010/10/15 Fri

再来鳳凰的夜

M8/Serenar 5cmF1.5
予期せぬことで、また鳳凰に戻って来ることになってしまいました。
もう少し早ければ、また別の村に移動したかったのですが、すでに暗くなりかけていて鳳凰に滞在せざるを得ません。
スーツケースを預けてある宿には、あら、戻ってきたのと笑われるのが嫌で別の宿を探すことにしました。

鳳凰には相変わらずすごい数の観光客がいましたが、それ以上にこの町は宿にあふれています。
今回は少し趣向を変えて、少しモダンな感じのする若い夫婦が経営する宿に荷を解きました。
最上階の部屋は天窓が付いていてベッドに寝ながらにして星が眺められるのが特徴でしたが、残念ながらこの日も雨時々曇り的な天気で真っ暗な空が見えているだけです。

この宿で、わたしはとんだ騒ぎを起こしてしまいます。
自分では鳳凰に戻ったために歯車が狂ったなどと言い訳したいところですが、いま思えば冷静さを欠いた行動でした。
宿は3ヶ月前にオープンしたばかりで、初の外国人客のわたしにいろいろと気遣いしてくれましたし、オーナーの父親が書いたという苗族の文化についての本までいただきました。
さらには、いっしょに飲もうとフロントでビールまでご馳走になりました。

11時過ぎにお開きにしたのですが、その後上海からやってきた若者グループがチェックインすると、わたしの部屋の前のテーブルで宴会を始めました。
オーナーに頼んでひとつ下のフロアに彼らを写してもらいましたが、何しろ中国人は声がでかいし、12時を廻っても他の客への遠慮もなく大声が宿中にこだましている状態です。

本来ならこの連中に対して文句を言うべきですが、わたしはまだ起きていたオーナーの奥さんにクレームを付けます。
奥さんが、フロアを移したのにまだ不平を言う訳かという態度だったのに切れて、それならこちらが出ていくと階段を駆け上がり荷物をまとめますが、もう12時を過ぎたので返金できないときっぱり言われます。
騒々しくて眠れないような宿なのだから契約違反だ、全額返せと怒鳴りますが、この辺はわたしの中国語の限界を超えていて奥さんには通じていなかったと思われます。

お前じゃ話しにならんと、オーナーが寝ている部屋をノックしたのですが、手にしていた傘の柄で叩いたため、なんとドアに穴が空いてしまいました。
そんなに強く叩いた訳ではないのに、ベニヤのような素材のドアだったようです。
いずれにしてもオープン間もないホテルのドアを破壊したのは間違いありません。
この時、わたしはちょっと青ざめたのではないかと思われます。

逆に真っ赤になって怒ったのが奥さんです。
金は返さん! ドアの修理代100元出せ!
この100元の根拠はよく分かりませんが、ドアに穴を開けて1200円程度で済むのか不思議な気がしました。

オーナーも起き出しましたが、寝込みを襲われた上にビールで酔っ払っていたわけですから、先ほどまで友好的だったわたしが血相を変えていて、新婚の愛妻が激怒しているのが理解できないようです。
奥さんはまくし立てるように説明し、階上で開かれている宴会の騒々しさを指さしながらわたしが補足説明します。
ああ、分かった分かった、彼は奥さんに半額返金を指示、ドアは明日オレが直すからと言いつつ、またベッドに潜り込んでしまいました。

宿泊料は110元でしたか、奥さんは苦々しげに50元寄こしてきました。
わたしは勢い余ってドアに穴を開けてしまい、5000円くらいは弁償せざるを得ないと咄嗟に計算していましたので、思わぬ展開に奥さんに平謝りしました。
奥さんは悪態を付くかと思ったのですが、意外にも階上を示しながらあいつらには本当に申し訳ないと恐縮していたのがまたまた不思議な展開でした。

結局、双方とも頭に血が上って、冷静な対応ができていなかったことになります。
それを寝起きのオーナーがスパッと裁いてしまったというところでしょうか。
おこがましいですが、あとあとになって考えると、日中問題の構図と似ているものを感じざるを得ません。
宿をすごすごと出たわたしは、延々歩いて50元で泊まれる宿を見つけ、結局当初と同じ費用で宿泊することになりました。

さて、ちょっと前ピンな作例写真ですが、これは宿の奥さんではなく、カフェの服務員の女の子です。
前日にもふらっと入って親しくなったので、また寄ってしまったのです。
もうふたりいた服務員も美しかったのですが、鳳凰ですっかり心がすさんだわたしにとって、彼女のまだ垢抜けないところのある可愛さは心のオアシス的存在でした。

そういえば、カフェのオーナー夫人もかなりの美女でしたが、彼女はライカM6を愛用しているそうです。
M8も悪くはないけど、大きすぎてちょっとバランスが悪いから…。
うーん、侮っていましたが、奥行きの広さを感じさせずにいない鳳凰の夜でした。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(1) | 2010/10/14 Thu

花生的味道

M8/Serenar 5cmF1.5
旅は湖南省に西側地域である湘西を南から北上しています。
南端の黄土は、侗族の暮らすエリアで、だいぶ北上して鳳凰とその周辺は苗族のエリアです。
湘西にはもうひとつ土家族という少数民族の暮らすエリアもあります。
鳳凰から比較的近く、飛び地的に存在している村があるので、目指すことにしていました。

鳳凰が古鎮型テーマパークのようになってしまっていることは、実はうすうす知っていたのです。
しかし、黄土ではあわよくば侗族のお宅に民居するつもりでいたので、シャワーも浴びれない可能性があったので、鳳凰でいったん旅の汚れを洗い流したうえで、旅の中盤戦に入っていこうと目論んでいました。

結果的にはきちんとした宿に泊まったのですか、果たしてというか、シャワーを浴びることなくかなり汚いかっこうで鳳凰に辿り着きます。
そしてリフレッシュをして、スーツケースを宿に預かってもらい、小型バックパックに持ち替えて旅を続けます。
いいところと思えば2泊、まあまあ程度なら1泊だけして鳳凰に戻って次の目的地を目指す計画でした。

バックパックはカメラ用で、通常の上部ないしは全面に器材を入れるタイプではなく、下部にカメラを入れて上部はまた別のものを入れられる構造になっています。
そこで、下部に付いていた可動式の間仕切りインナーを外して、そこに小型のカメラバッグを入れて(これがぴったり入るのがありがたい)、丈夫には本やお菓子などを仕舞っておいたのを、スーツケースを預けたことで、小型カメラバッグをバックパックから出して肩に掛け、バックパックの空いたスペースに着替えなどを押し込んで、カメラ用ではなく通常のバックパックのように切り替えて使用したというわけです。

少し身軽になって鳳凰1路のバスに乗って、西にあるバスターミナルまで行きます。
ここから南西の林峰行きの小型バスに乗り込みます。
どうしたことか、バスの行き先名は覚えていますが、ずっと手前にある楽しみにして訪れた土家族の村の名前は忘れてしまいました。

バスは30分ほどでその村の入り口に着きました。
乗客みんながあの道をただまっすぐ登れば15分くらいで着くよと指差して教えてくれます。
界隈では有名な村のようです。
角に小さな雑貨屋があって、泊まりに備えて水を仕入れておきます。
芋頭村で補強してもらったサンダルは快調で、言われたとおりちょうど15分で村に到着しました。
確かに、到着したのですが…。

どうしたことか写真で確認していた、木と瓦でできた古い家はとんと見当たりません。
全部がそうというわけてはありませんが、タイルが貼られた中国の田舎で普通に目にするなんとも無粋な家屋ばかりになっています。
この先に古い村があるのだろうかと前方を見てもそんな気配もありません。
作為写真の門が閉ざされた「郷里人飯店」が、何か理由を語っているようです。

古建築も数軒ながら点在しているので、村をぐるぐると歩いていると軒先で農作業している女性と目が合い、手招きされて少し古そうな家の土間に入れてもらいました。
何もなくてといいながら村の名産だというピーナッツを分けてもらいました。
どうぞ食べてと言いますが、収穫したてをもいで渡しますので、これはもちろんナマです。
初めて食べましたが、失礼ながらやはり茹でたほうがおいしいです。

家の主人の奥さんとお嫁さん、まだ1歳の女の子の三人で語らいながら作業しているところでした。
聞いたり聞かれたり、いろいろなことを話しましたが、わたしが写真で見た村はここで間違いないことはわかりました。
数年前まで、バスでツアー客もやって来ていたのだが、最近訪れる人はほとんどいなくなったと言います。
確かに今の状態では、わざわざツアーで来るような所ではないです。
よく理由は分かりませんでしたが、観光客が来なくなったのと家が新築されてしまったのは関係がありそうです。

そういえば、男性陣は農作業中なのかと聞いてみましたが、この家には田んぼはなくピーナッツをはじめとした野菜などの畑がそこそこあるだけということでした。
そして家の主人も息子も、広州に出稼ぎに行っていて年明けの春節まで帰らないということでした。
もう数日で国慶節休暇が4日間ありますが、交通費がもったいないので、帰って来ないのだそうです。
おそらくは来年の2月まで、女性3代だけでこの家を守らなくてはいけないのです。
行く先々で見た、現金収入の乏しい中国農村地域の現実です。
そして、彼らは田舎から来た少数民族として待遇面での差別も受けている可能性が高いのが現実です。

また来ることがあったら寄ってくださいとピーナッツを袋につめて渡してくれました。
わたしはこれを断ることはせずにありがたく受け取って、代わりに持参していた飴やお菓子を手渡します。
村に泊まって食事が足りなかった場合にと持ってきたものですが、もう必要がないものです。
30もしゃべっていたでしょうか、降ろそうとしたパックパックが汚れないよう気遣ってくれたり、自慢の娘を触ってくれと差し出したり、村の変貌に失望していた中で心が温かくなる時間でした。

もと来た道を戻ってバスを降りたところに着きましたが、戻るバスはいつ来るか分かりません。
また雑貨屋へ入るとおばさんが、あらずいぶん長く行ってたのねと出迎えてくれました。
バスのことを聞くと、いまさっき行っちゃったからあと50分くらいだろうねえとのこと。
やはり、村から来て鳳凰に行くというおばあさんが、どうぞとピーナッツを分けてくれました。
あっと思いましたが、今度はちゃんと茹でてありました。
やわらかさと甘みが今までに食べたことのない味で、やみつきになりそうなくらいうまいものでした。
わたしもこんなときのためにと少量残しておいた飴をみんなに手渡します。

そうやって話しているときに村のことを問うと、雑貨屋のおばさんが少し暗い顔をして教えてくれました。
土家族でも有数の美しい村だったので訪れる人が多くいたのに、いつの間にか村人がなんでも金、金とせびるようになって村は少し豊かになったのに反比例するように客が訪れなくなってしまったのよ。
そうするとまた少なくなった客からもっと金をとってやれという風潮になってしまって、完全に誰も来なくなってしまったの。
そしたら現金も少しもてたし、観光客も来ないのだからと村人はいっせいに古い家を壊して家を新築してしまった。
そして現金はすぐになくなって、みんな村を出て出稼ぎせざるを得なくなってしまった…、本当におろかな話よね。

そんな話を聞いているとおばさんは、あらバスが来たようよとわたしたちにうながしました。
雑貨屋の中でこの間車が何台も通っているのに、遠くから近づいてくるバスの音が判別できるようです。
なるほど先方のカーブを曲がったところから、バスがかなりのスピードで近づいてくるのがわたしにもやっと見えてきました。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(1) | 2010/10/13 Wed

失望

M8/Serenar 5cmF1.5
今日は、朝早く黄土を出て鳳凰に向かいます。
直行のバスはなく、この地方の中心都市、怀化まで出て鳳凰行きのバスに乗り換えなくてはいけません。
バスを乗り継いで通道のバスターミナルまで出て、怀化行きのいちばん最初のバスに乗り込みましたので順調なスタートに思われました。

通道は、湖南省の行政単位では怀化に所属します。
日本と順序が違うのでややこしいですが、湖南省怀化市通道県黄土鎮のように住所表記します。
ですから通道を横浜に例えるなら泉区あたりの感覚でとらえていたのですが、これがそもそもの大誤解だったのです。
通道から怀化まで1時間半かせいぜい2時間ほどと見積もっていたのですが、てんで甘く、5時間かかってしまいます。

7~80キロくらいかと見込んでいたのが200キロ以上離れているのが分かったのは、いま地図を見たからです。
通道からは市内の怀化へ行くより、隣の省の桂林に行く方が近かったのでした。
何も知らずに、5時間ノンストップ満員オンボロバスの旅に乗り出してしまいました(トイレ休憩は1度あったが…)。

そして、乗り継いだ怀化から鳳凰のバスは、事前の情報で1時間半と聞いていたのですが、これまた途中のがけ崩れもあって3時間半かかってしまいました。
都合8時間半のバスの旅になると前もって分かっていれば、体力のことなども考えて途中の村に立ち寄ったのですが。

さて、体験上知っていた中国でのバス三重苦があります。
その一、前方に何かがあるたびに激しくクラクションを鳴らす騒音苦、
その二、サスペンションが効かないために起こる振動苦、
その三、一年中エアコンがかかりっぱなしの冷房苦、
の3つです。

一の対策はできています。
前方の席ほどうるさいので、最後尾の一列前あたりの席に腰掛けるようにして、かつiPod持参で音楽を聴いて過ごせばまずは万全です。
二はどうにもなりません。
タイヤ付近の席を外せばよいのではと思ったこともありましたが、ガクンガクンとくる細かい振動はどの辺に座ってもあまり影響が無いようなので、これはひたすら耐えることにしました。

三は、今回の旅では遭遇することがありませんでした。
外気が涼しい中で冷房が入ってないのはありがたかったのですが、代わって毎度毎度不快な思いをさせられたのが車内喫煙でした。
もちろん車内は禁煙なのですが、さすが中国ではルールがあってもそんなものは守らないという人が少なくないのですね。

注意すると恐縮しつつ止めてくれたので、この旅の間、2、3度注意したりしました。
しかし、離れたところで吸われては声も届かないので、結局無駄な努力と悟り、窓を開けて自衛した方が現実的だと思い知らされました。
人口抑制策をとる中国では、たばこによる健康被害など知らさない方が国の指針に沿うということなのでしょう、健康への問題など何も知らされずにたばこを吸い、周囲は受動喫煙するという状況があまりに多いのは、かえって彼らには不幸なことなのだと複雑な思いです。

そうして辿り着いた鳳凰でしたが、わざわざやって来るまでの町だったのか、わたしの答えはノーです。
麗江や陽朔がそうであったように、大量に訪れる中国人観光客によって、古鎮型テーマパークのようになってしまっていました。
鳳凰よ、お前もか、です。

古民家の1階はすべて商店かレストランに、2階から上はすべて宿泊施設にしてあらゆるスペースから金銭を派生させるべく町ぐるみの努力がはらわれています。
それだけならまだ耐えられますが、中国が生み出した観光地での最悪の習慣である酒吧までもが林立して騒音を周囲に撒き散らしています。
中国人の非常に多くが、静かなところよりも賑やかなところを好むようなので、致し方ないのですが。

わたしにできることは、なるべく閑静なエリアに宿を求めることと、翌日は店が開く前の早朝に散策開始することだけでした。
ですが、何ということでしょう、朝から賑やかだと思えば、テレビドラマのロケを行っているではないですか。
しかも、中国お得意の抗日戦争もののようで、察するに軍人さんと少数民族が力を合わせて、日本を駆逐して我々は同じ中華民族などとやるのでしょう。

門も通り抜けられずに憮然と立ち尽くしていると、スタッフに撮影が始まるぞどけどけと突き飛ばされて怒りは頂点です。
しかし、それを鎮めてくれるちょっとしたハプニングに気を晴らすことができました。
緊張感の中で撮影が始まり、国民党軍兵士が雪崩を打って駆けおりていくと、写真の壁の右の先の方でうんこ座りしている地元のおじさんがいて、カット! となりました。
スタッフからは叱責が飛び、ギャラリーからは爆笑が湧き、そしてわたしからは快哉を叫びました。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(1) | 2010/10/11 Mon

品嚐本地菜

M8/Serenar 5cmF1.5
「ニャーライ」、「ニャーライ」…。
散策を始めたわたしたちにそう小さく声がかかるのを聞いて思い出しました。
ニャーライはこんにちはという意味ですね、じつは2年前に貴州省の侗族の村を訪れた時に教えてもらったことを思い出しましたと話しかけると、わたしの案内をかってでた食堂の女性はよく知ってるわねと感心することしきりです。
同時に、侗族の言葉にはありがとうやさよならという単語が存在しないということも思い出しました。
集まっていた村の人とそんなことを雑談します。

この女性は一見すると30歳代の半ばくらいに見えますが、6歳の子どもがいましたので、あるいはまだ20代後半くらいなのかも知れません。
今は涼しくしのぎやすい季節ですが、夏は35度を超え、冬は雪が降ることもあるこの地の少し過酷な生活が表情に刻まれているようにも感じられました。

といっても暗い顔をしている訳ではなく、みんな明るくしゃべっている間は笑いが絶えません。
人柄もシャイと言うか、奥ゆかしさがあふれていて、人当たりがよいのが心地よく感じられます。
田舎の人だということを割り引いても、中国の都市部の人よりもよほど日本人に近く親しみをもって接することができます。

作例写真の奥の方の建物は、ちょっとした村人の集会所のような存在になっていますが、わたしたちはここでしばし話をしていました。
地上から10メートルほどの高さから丸太の柱を支えに、空中楼閣のような異空間になっていましたが、主婦の皆さんは午後に三々五々集まるのだそうです。
家の中ではできない話しもここならできるからと言うので、日本のお母さんたちは井戸のそばで内緒話しをしていますと説明すると、所変われどお互いに似ているところがあるねと笑いが出ます。

ところでこの建物ですが、100年以上前に建てられた歴史的建造物で、立派な○×楼という愛称もあって(正式な名前は忘れました)、柱に彫られた素朴なサルの像が民間芸術の一端も指し示してくれています。
何より高台で、眼下に村の端っこの方の民家群とそこから広がる棚田の風景が見事でした。
中央部分は土間の囲炉裏のようになっていて、寒かったこの日は薪を使って暖をとっていたのは、くぎの1本も使わずに建てた木造建築にあって火を使っていることに意表をつかれました。

面白かったのは、つい数年前まで柱が激しくきしんでいて、揺らすと建物全体が50センチほども左右に動いたのだそうです。
これじゃ危ないだろうと補修したので、いまはどっしりとしていますが、地上10メートルでぐらぐらさせながら井戸端会議を開いていたなんて怖いもの知らずのおばさんたちです。

その後、芋頭村でいちばん古く政府が1万元で買い取った古民家を案内してもらったり、村の水場である泉でのどを潤したりしながら見学を終了しました。
帰りは、さきほどお昼を作ってくれた旦那さんがバイクで黄土まで送ってくれます。
侗族の文化と心情に触れた小旅行になりました。

夕食は昨日と同じ川辺の食堂にしました。
訪れるものなき村と以前書きましたが、この日は外来のお客さんがありました。
しかも、フランスからのツアーだそうです。
熟年夫婦4組8人が1ヶ月かけて上海~広西~湖南と廻るうらやましくなるような旅をしているということでした。

わたしは第2外国語がフランス語でしたので、会話する絶好のチャンスでしたが残念ながらさっぱりしゃべれません。
こんばんは、どちらからですか、だけフランス語で、後は英語になり、またしばらくして中国語の会話になってしまいました。
ガイドのセリーヌさんはパリの出身でしたが、上海生活が長く中国語を普通に操るばかりか英語も堪能でしたし、東京でもビジネスしていたことがあるらしく、ごくごく簡単な日本語も話してしまうのでした。

もうひとり中国人のガイド楊さんも同行していて、3人で英語交じりの中国語で旅の情報交換をします。
がちがち中国人の楊さんが英語で話すのは何ともヘンな雰囲気でしたが、それ以上に金髪碧眼のセリーヌさんが中国語を流暢にしゃべるのを聞いていると、いま自分がどこにいるのか訳が分からなくなってきそうです。
楊さんは、カメラオタクでもあって、わたしのM8を見てはマイ・ドリーム・カメラと連発していました。

お昼が遅かったので、夕食は彼らの食事が終わってからにしました。
もっとも10人の料理をひとりで調理しているので、今食べたくても後回しにされていたでしょうが。
さて、今日は何をオーダーしようかと思っていると、食堂主の石さんからよければ土地の料理を家族で食べるからいっしょにどうですかと誘ってくれました。
願ってもない話しです。
ひとりだと何皿も頼めないし、昨日食べた魚が思いのほか美味しく、別のものも食べてみたいと思っていたのです。

楽しみに待った料理でしたが、どれもがおよよっとなる3皿が並びました。
まずはタニシ。
これは甘辛く茹でてあってサザエのように少し苦みある美味でしたが、以前、中国のタニシは寄生虫が多いので手を出さない方が無難と言う話しを聞いたことがあったので、及び腰で食べることに。

2皿目は、何やらモツのような炒め物です。
歯ごたえと弾力があって中身も香ばしくやはり美味しいのですが、何かと聞くと魚の腸を料理したものだといいます。
魚肉ソーセージ? 何だか分かりませんが内容物はそのままということでなければいいのですが。

最後は、ひと目で原材料が当てられる簡単料理です。
バッタと唐辛子の炒め物ですね。
石さんは、これ食べられるかと心配してくれましたが、大丈夫日本でも田舎ではバッタはよく食べるからと強がりました。
確かに以前はイナゴの佃煮を平気で食べていたのですが、テレビでイナゴの大集団が穀物を襲いながら移動していくという生々しいドキュメントを見てから、イナゴは喉を通らなくなっていました。
しかし、この日は頑張って3匹もたいらげました。

正直なところ3皿とも味はともかくとして、食材としては辛いモノがありました。
さいわいだったのは、食事前から昨日と同じ手製の米酒を飲んでいたので、少し酔いがまわっているタイミングで食事したことでした。
さらに食事中もみんなで飲んでいたので、昨日よりもハイピッチで次々飲み干して酩酊状態に自らを追い込んでティピカルフードを満喫しました。

やはり、心配した通り石さんは料金はいらないと言い出しました。
せっかくシーズンオフの客なのだから少しでももらっておけばいいのにと言うと、今日はフランス人から儲けたから、友だちから払ってもらわなくてもいいんだよという嬉しくも考えさせられる答えが返って来ました。
旅人の立場は弱く、この申し出は図らずもお受けせざるを得ません。

友だちと言ってもらったとはいえ、明日の朝早くにここを発たなくてはいけないので、この場で石さん一家にお礼とお別れのあいさつを済まします。
別に感傷的になって抱擁したりというような別れではなく、無数に繰り返される一期一会のひとつに過ぎないものと言えます。
湖南で最初にできた友人ですが、もう会えなくなってしまう、それが旅というものなのでしょう。
【M8/Canon 50mmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 50mmF1.5 | trackback(0) | comment(2) | 2010/10/10 Sun
| home | next
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。