Nikkor 5cmF1.5
申し訳ありませんが、文章は作成次第アップいたします。
【Alpha7/Nikkor S・C 5cmF1.5 F1.5】
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Nikkor S・C 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/21 Mon

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Nikkor S・C 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/16 Wed

ブダペストの思い出

Nikkor 5cmF1.5
今日の午前中の飛行機で、ブダペストからヘルシンキ経由でいったん帰国します。
昨日目の当たりにした難民の様子はとても気になりましたし、空港の比較的近くに蚤の市があって行ってみようかとも思いました。
しかし、疲れがだいぶたまっているようで気力が追い付かず、どこにも寄らないで空港を目指すことにしました。
宿から地下鉄駅までは目と鼻の先で、切符売り場で空港まで行きたい旨告げると、地下鉄は2つ先の駅で乗り換えて終点まで行き、そこから空港行きのバスに乗るようにと丁寧に説明してくれました。
さすがに空港までの道のりは前夜に調べておいたのですが、まったくそのとおりの説明に安心することができ、切符については地下鉄の分とバスの分と発券してくれ、手間が省けました
ブダペストは地下鉄、トラム、バスが走る交通至便な町ですが、地下鉄に乗車すると車内の電光掲示で次の駅名と接続するトラムやバスの番号も表示され、ここまで徹底している町は珍しいのではと感心させられます。

逆にがっかりなのが空港です。
出発ロビーが狭すぎる上に椅子もほとんどなく、人でごった返していました。
わたしはずいぶん早めに着いてしまったので、混雑の中、することもなく、椅子もなくでぼんやりするばかりでした。
しかし、いざチェックインを終えて出国審査を過ぎると免税店に直行して、ワインを物色します。
バックパックにはスペースがあって、お土産を入れて帰る準備をしていました。
ハンガリーでワインと言えば、貴腐ワインで有名なトカイがあります。
広い売り場に所狭しと何種ものトカイが並んでいて選択に悩みましたが、残念ながら最高級のエッセンシアはありません。
これでワイン通の友人を驚かすことはできなくなり残念ですが、ソムリエ風のお姉さんがに相談して数本をセレクトしました。
デザートワインなので、ワインを飲まない人にも受け入れてもらえるでしょうか、空港免税店とはいえ、めずらしく土地のお土産が買えてよかったと思います。
これで今回の旅を終了して日本に帰ることになります。

ところで、今から24年前、わたしはブダペストを旅行したことがありました。
その数年前に卒業旅行でヨーロッパを周遊していて、2回目に選んだのがウィーンとハンガリーでした。
その前の旅行でドイツやフランスなど西側世界を覗き見たので、社会人になって最初の旅行で当時民主化したばかりの東側世界に足を踏み入れてみたいと思っていました。
ユーゴスラビアとかルーマニアなどもっとディープな東欧世界もありましたが、治安などの心配もあって消極的になって選んだのがハンガリーです。
ウィーンで音楽が聴きたいと言う欲求もあって両者を組み合わせるプチ東欧ツアーをひとり敢行しました。
ウィーン学友協会のホールではロシアのオーケストラがショスタコーヴィチの交響曲を演奏した記憶があり、立見席のわたしは座り込んで目を閉じ、演奏はクライバーとウィーンフィルによるものだとその時心酔していた音楽家の演奏を聴いていたつもりになったりしていました。
そのとき立見席にわたし以外ただひとりいた地元の女性と親しくなります。
同い年の保母さんをしていた若い女性で、英語が同じくらいしゃべれない同士でコミュニケーションがとれる面白さに、半分徹夜で音楽のことや互いの文化のことを話し合いました。

そのせいか、翌日のウィーン西駅到着が遅れてしまいました。
ぎりぎりのタイミングで列車を探してやっと見つかったと思った列車が発車してしまいます。
走って追いかけて行き、最後尾の車両のドアのところで見送りの人に手を振っていた女性にわたしの手を引っ張ってもらってぎりぎり列車に乗ることができました。
終着のブダペストでは、ガイドブックに書かれていたとおり、個人経営のペンションのおばさんがプラカードを持って何人か行き交っているのが見えました。
車両から降りようとしているわたしのところへひとりのおばさんがすっ飛んできて、荷物を降ろすのを助けてくれ、わたしはそのまま彼女のアパートに向かいました。
ウィーンからブダペストの国際列車では乗るときも降りるときも女性に助けられたことになります。
地下鉄に揺られてまた15分も歩くと彼女のアパートがあり、もともと娘の部屋だったというきれいな一部屋をあてがわれました。
旦那さんと男の子もいましたが英語ができるのは彼女だけで、あいさつを済ますとふたりとも恥ずかしそうに自室に引っ込んでしまいました。
料金は20ドル。
民主化したものの自由主義の大海に放り出された政権は不安定で、自国通貨はあまり信頼されず当時存在しなかったユーロの変わりは米ドルだったのです。

アパートのおばさんはとても親切で、スーパーまで案内してくれたり、食事やフルーツなどを分けてくれたりもしました。
親切なのは彼女だけでなく、美術館の係員の老人はわたしをランチに誘いご馳走してくれまでしました。
ヘレンドの専門店のショーウインドーにベートーヴェンの胸像があって気になっていました。
モノとしてはとても安いのですが、割れ物を持ち帰る心配があったのです。
最終日にどうしても欲しくなり店に行きましたが、まだ閉まっていて、開店までまだ1時間もありました。
しかし、なぜかややすると店員が出勤してきて、わたしが事情を説明するとショーウインドーに入って行ってベートーヴェンを取り出し、開店前だと言うのに売ってくれたのです。
梱包が雑だったので、かばんには入れずにずっと抱えるようにして持ち帰ったことを思い出します。
細かい数々の親切や気持ちよいあいさつなども含めて、ブダペストはわたしにとってすばらしい町という印象しか残っていません。

最初の卒業旅行の時にも同じ気持ちだったかも知れませんが、わたしはこのときのウィーンとブダペストの旅で自分の旅のスタイルと言うべきものを決定づけられたような気がします。
つまり、観光は二の次、何となく自分の気になるところへ行き、土地の人に会い、できれば親しくなる。
こんなのでは旅とは言えないかも知れない、そんな旅がこの時を機に確立したと思えば、わたしの旅の故郷はここブダペストだと言えるのかも知れません。
さて、作例ですが、本日は写真撮影をしませんでしたので、前日に撮った1枚になります。
彼らがなんの活動をしているのかはよく分かりません。
しかし、何だかとても楽しそうだったので、写真を撮らせてくれと言うと喜んで応じてくれました。
全員の笑顔がすばらしいですが、たぶん、わたしが最初にブダペストを訪れたときも同じような笑顔で旅していたのかなあと思ったりします。
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Nikkor S・C 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(2) | 2015/09/14 Mon

我慢してる時がいちばん可愛い

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ペンションをチェックアウトしていったん荷物を預け、午前中は旧市街方面を目指して散策しました。
ブラティスラヴァは初めてきましたが、20年前に訪れたプラハと比べて町の洗練度や快適度が随分と劣るという印象があります。
いちばん困ったのが水やビールの確保で、宿の周辺はもちろん、旧市街周辺にも10時を過ぎて営業している店が1軒も見つけられず、バーで売ってもらうしかありませんでした。
しかし、今朝あらためて散策してみると、旧市街から外れた微妙な位置に24時間営業のミニスーパーがあって、思わずもっと目立つように営業してくれなくちゃと文句を言ってしまいました。
ここでサンドイッチと水を買って朝食にして旧市街を目指しましたが、観光客が多くてあまり長居することなく踵を返しました。
ここで面白かったのは、いちばん中心の市庁舎前の広場に日本大使館があって、スロバキアの中枢とも言うべき場所に日の丸がはためいていたことで、たまたまそこに入居しただけなのでしょうが、何とも場違いな印象を内外の人々に与え続けていそうでした。

昨夜見つけていたアンティークショップに行ってみますが、土曜日・日曜日はお休みとなっていてがっかりしましたし、ブラティスラヴァに来た意味を失ったような気がしました。
ただ、幸運なことはあって、昨夜プライベートなパーティをやっていたホールで市民のバザールのような催しがあって、野菜やローカルビール、手作りお菓子など、30くらいのブースが出ていて、雰囲気を楽しむことができました。
朝からビールに行っちゃおうか悩んでいたところ、ケーキのブースのところで日本語でおはようございますと声を掛けられ、以降は英語ですが互いにどういうケーキなのかとどういう旅をしているかを話しあって、そのケーキを食べてみることにしました。
タルトのような生地にチーズたっぷりの焼き菓子で、ケーキではないのではと確認しましたが、スロバキアではキーシュという名前で英語にするとケーキの意味だと教えてくれました。
チーズケーキというよりもチーズパイに近いと感じますが、ずれにしてもわたしの旅の中でいちばん美味しいスイーツだと断言できるものでした。
わたしにとってのスロバキアはこのケーキがすべてと言っていいかも知れません。
後からやって来た母子が別の種類のケーキをセレクトしていて、女の子がとても嬉しそうな素敵な顔をしていたので、1枚失礼させてもらい本日の作例にしました。
写真には笑顔で収まっても、口元は早くケーキを食べさせてと語っているのを隠さないのがまたキュートです。

ケーキのボリュームのせいか生理現象を催してしまい、ペンションに戻ってトイレを借りたのですが、チェックアウトしているのにまた掃除させやがってとブツブツ文句を言われました。
支払いの時も予約サイトの価格より数百円高く請求されたので揉めたのですが、我々はあのサイトとは関係ないと言い切ったので、サイトのレビューにこのことを書くぞ、ああ勝手にしろ的なやり取りがあって、支払いしてしまいました。
日本好きだと言っていた太ったオーナーですが、宿泊者のために何かしてくれるようなタイプの人間とは言えず、こういう仕事には向いていないので、ペンション業が破たんするのは時間の問題のような気がします。
宿泊代をケチっていましたので、ボロい宿、臭い宿、狭い宿、遠い宿と辛い思いは何度かありましたが、これほどまでに不快な体験は珍しいです。

トランクを手に、ザッハトルテの入ったバックパックを背中に、カメラやパスポートなどの貴重品の入ったバッグを肩に、遠い駅を目指してふらふらと歩いていると途中の公園で旗を振り回している危なそうな男がいました。
当然、無視するところですが、もうひとり仲間がいて、彼の着ているTシャツにイスラムとモスクのシルエットに×が描かれていて活動の意味が分かりました。
まさに昨日、クラコフでアンドリューたちと連絡を取ってくれた友達からメールが届き、今日の報道でシリアやアフリカの難民たちがドイツ目指して東欧方面から大挙して西進しているが、そのような状況は見られないだろうかと質問してきていたのです。
難民の子どもが遺体で見つかったとヨーロッパで報道され、たちまち人権活動家たちが動いてヨーロッパでも難民を受け入れるよう国境の門が開いたところだとの説明です。
難民を見かけることはありませんが、彼らに反対する小グループをこうして見かけたので、恰好からして右翼の怖そうな連中でしたが簡単にインタビューしてみることにしました。
ジャーナリストではない日本人の一旅行者だと断って聞きましたが、彼らは歓迎してくれヘタクソな英語で説明してくれました。
それによれば、イスラム教自体を否定するものではなく、大量のイスラム難民が流入してイスラムの活動をするとわれわれの文化や伝統が脅かされるのを心配している、という趣旨でオランダとベルギーから来たのだそうです。
彼らは撮影にも応じてくれ、趣旨に賛同した地元女性とともに笑顔で写真に納まってくれました。

ブラティスラヴァ駅に着いて、特急列車でブダペストに向かいました。
この区間はまったくの田舎を走りますが、ドナウ川に沿っている部分が長くとても風光明美です。
最初はブドウ畑の多い農村の景色が続き、途中の町では山頂に城がそびえその下にドナウの流れともうひとつの城が見えるという絶景もあり、ブダペストに近づくにつれもうひとつの田園風景が楽しめました。
そして、列車がブダペストの終着駅に滑り込んで、駅に降り立つと自宅をペンションにしている女性から声を掛けられました。
今回も宿は予約済みだったのでそういって断ると、その女性は日本人かと確認したうえで気を付けてねと地図をくれました。
この地図には大いに助けられて、これがなければ宿の発見に倍の時間がかかったかと思われます。

その宿を探す前、ブダペストの駅前はたいへんなことになっていました。
若者が集まってコンサートをやっているかと思ったのですが、それはただのコンサートではなく、難民支援のための集会と募金を集めるためのものだったのです。
難民歓迎の大きな幕が貼られていました。
その様子をロイターと書かれたジャケットの男性がビデオに撮影し、それ以外にも報道と思われるカメラマン10名近くが撮影して歩いているのが分かりました。
旅行者も混じっているのかも知れませんが、ハンガリー語のステージに熱狂しているのは地元のハンガリー人で、彼らの演奏が終わるとイスラムの男性がスピーチし、司会者が英語で彼は数年前にシリアからブダペストにやって来たが、今ではハンガリー語でしゃべれるまでに国に溶け込んでいると説明します。
主催者と思われる人がわたしの近くを通ったので話を聞くと、難民は命を懸けてヨーロッパにやって来ている、われわれが支援しなければ何万人もの人が命を落とすことになるだろうと興奮気味に話しました。
後ろの男性が募金箱を示したので、わたしはハンガリーの通貨が無いがユーロの残りでよければと小銭すべてを箱に放り込みました。
半地下のスペースにはテントが大量に貼られそこにいるのは紛れもなくシリアからの難民でした。
家族で脱出してきた人が多いようで女性や子どもが不安そうにしている姿が目につきます。
体調が悪そうにしている男性がテントの中で横になって介助の人の指示を受けています。
周辺には、食料や衣料が並べられていて、ボランティア団体や個人が支援に乗り出しているところであることを示していました。
わたしは、ブラティスラヴァでイスラム流入阻止の活動を見て来たばかりのところを、まったく反対の支援活動の現場のただなかに立たされて混乱するばかりでした。
とにかく両替して宿に行き荷物を降ろさなければと考え、緊張が渦巻く中を通り抜けて、地図をたよりに歩いて行くしかありませんでした。
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Nikkor S・C 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/13 Sun

あいつは何者だったのか

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まず、昨日の作例について記載し忘れていましたので、そのことに簡単に触れておきます。
文章の流れからすると作例の彼こそがアンドリューと誤解されてしまいかねませんが、違います。
たまたまクラコフ散策中に古い車を見たので話しかけ、せっかくですからオーナーと彼のお気に入りの同じ車種のミニカーも屋根に乗せて記念撮影しました。
フィアットのマークの上にPOLSKIの文字が入っていたので聞くと、ポーランドで生産されていた車で、最初期タイプはエンジンはイタリアから送られていましたが、以降はポーランドですべて生産されるようになったそうです。
ポーランド中で十数台しか現存しないクラシックカーだと言うのがオーナー氏の自慢でした。
さて、朝目覚めていつものようにシャワーを浴びてから、ゆっくり目のチェックアウトをしました。
このホステルのチェックアウト時間は少々早目の朝10時で、レセプションに大書するだけではなく、wifiのパスワードをcheckout10amにするほど徹底しています。
ウクライナまでの町と違って、ここでは中国人を多く見かけましたが、彼らがそういうホテルのルールを守らないからとかそういうことと関係あるのかも知れません。
しかし、ここにもうひとり時間を守らない奴がいました。
アンドリューです。
彼とは12時にこのホテルで待ち合わせていたので、チェックアウト後ずっと待っていたのですが、現れたのは1時半でした。
彼は、チェコのブルノに出張していて昨日待ち合わせたロシア人のガールフレンド、スベトラーナに英語で通訳させながら、ポーランドに入国するのに10時間かかってしまい、その間寝ていなかったから起きられなかったと言い訳していました。
そういって悪びれずにニコニコしているアンドリューをわたしは許してしまうのでした。

今日は彼らの提案で、郊外のヴィエリチカという町に世界最古のソルトマインがあるので見に行こうという話になりました。
もちろん異論はありません。
が、ソルトマインってなに? よく分かりません。
アンドリューはスウェーデンのターボ付きのスポーツ仕様車に乗っていて、運転は思っていた通り荒くてちょっと酔いそうでしたが、20分も走ると到着して、その外観を見てソルトマインとはソルト(塩)のマイン(炭鉱)で岩塩坑だということが分かりました。
すでに使用されていない岩塩坑の跡を見学できる施設ですが、多くの人が集まっていて、言語別にグループにまとめられてガイドとともに次々と地下世界へと吸い込まれて行っていました。
わたしたちがチケットを買うと20分後の英語のツアーが割り当てられ、ガイドとともにひたすら岩塩坑の最低部目指して階段を下りて行くことになりました。
最大で120メートルほども深さがあるそうで、地表をまっすぐそれだけ歩くのはどうということがないのに、同距離を真下に下るのはどうしてこれほどまでにたいへんなのでしょう(登りはどうなることかと思いましたがリフトがありました)。

岩塩坑は13世紀には開業していた世界一歴史のあるもので、見学したのは主に18~19世紀に掘削された深い部分でした。
坑内には塩を掘ったり運搬するための設備が再現されています。
そういう現場的なもの以外にも岩塩を削った空間に礼拝堂まで設置されていて、その眺めは舞踏会場のようでした。
ガイドの説明では岩塩坑の労働者の給料はとても高く、そのためサラリーという言葉の語源はソルトからとられたと説明してくれましたが、調べるとローマの時代に給料が貴重だった塩で支払われていたからとあって、どちらが本当なのか、たぶん後者が正しそうです。
ところで、あまり観光名所とか遺跡とか好きでないわたしは、途中ですっかり退屈していました。
アンドリューは英語のガイドがまったく聞き取れないのでさらに退屈なようで、開始早々から何やらわたしに冗談を言ってはグループと別行動を取らせていました。
しかし、彼に舐めて見ろと言われ壁の一部を削って口に入れると塩辛く、彼の命令で岩塩坑がインチキでないことを知ることができました。
その彼にぞっこんで通訳もしなくてはならないスベトラーナもそのうち加わってきて、わたしたち3人は集団行動が苦手な修学旅行生のようにずっとガイドから遅れて勝手に話をしながら歩く不良少年状態でした。

岩塩坑の中にはレストランもあって、見学が終わった後、3人で食事することにしました。
すると見学者の中にアジア男性がいたので声を掛けると日本人とわかり4人でテーブルを囲みました。
彼はイギリスに留学して学位を取得し、それを持って途上国での井戸や水道など、水インフラに特化したスペシャリストになるべく就職活動するが、その前に陸路を東に向かって旅しながら日本を目指すと言っていた若い猛者です。
ブルガリアからこの方初めて見た日本人で、クラコフでは中国人はじめアジア人も少なくなかったのですが、それ以前に会ったのはスチャヴァでツアーが一緒だった香港人と、ウクライナでニーハオと3人組の若者に声を掛けられて英語でわたしは中国人でなく日本人だと言ったところ、先方にひとり中国人がいることに気付いて中国語でどこから来たのかと聞いたところ、わたしは韓国人ですとたどたどしい日本語で返事されるという冗談のようなやり取りのあったその韓国人と会っただけです。
食事中はずっと日本とロシア・ウクライナの質問合戦のような展開になりました。
例えば、日本で市長と町のお寺の住職が会議に同席する場合、どちらが上座に着くのかなど答えにくい質問の連発で語学力もないだけに困りました。
夕方になってアンドリューの運転で4人クラコフの町に戻り、時間が遅くなったこともあって、それぞれ宿と駅に送ってもらって解散になりました。
ありがとうアンドレイ、スベトラーナ、そう言ってふたりとは強くハグして別れます。
アンドレイはわざとタイヤを鳴らす急発進で、あっという間に視界から消え去ってしまいました。
きっとふたりにはこの後のお楽しみがあるのでしょう。

それにしても、あのふたりはいったい何者だったのでしょう。
アンドリューはウクライナのパスポートを持っていて、かつてウクライナの軍隊にいたのですが、プーチンを好きかと聞くと好きだと答え、クリミア半島はどちらのものだと答えると、歴史的に考えれば明らかにロシアだと、ウクライナだったら殺されかねないようなことを平気で言っていました。
職業もよく分からず、クラコフで自動車部品を開発してポーランド全土に売っていると言っていましたが、それだけで家や車を持っての生活ができるとは考えにくいです。
そもそも、スベトラーナに彼って車関係の仕事だよねと聞くと違うと否定していたのです。
彼はウクライナ語はもちろん、ロシア語、ポーランド語もネイティヴなみらしく、語学力にはかなり長けていそうなのに英語は苦手だと言っていました。
ポーランド語でイエスをタークと言うと教えてくれたので、冗談でグーテン・タークと言ったら、それはどういう意味なのだと聞き返してきて、いくらなんでもこんなドイツ語の簡単な挨拶言葉を知らないなんてあり得るだろうか、英語が苦手と言うのもわたしを欺いているのかもと不審がらせました。
プライベートの家族構成も話してくれたところでは謎と言うか矛盾もあって、本当にスベトラーナが彼女なのかも疑問に感じることがありました。
これは詳しく書けませんが違法書類を持っていて、それが原因で彼はポーランド警察に拘束されていっしょに来られなかったのではと心配させるものでした。
また、彼は写真は断固として拒否で、スベトラーナも同様だったため、ふたりの写真はただの1枚も撮れませんでした。

彼らと電話のやり取りをしたわたしの友人は、やばい人たちの可能性があるのではと指摘しました。
わたしもそう思うところがありましたし、友人は勘の鋭い人なので心配になりましたが、結果的に被害はなかったので良しとしたいと思います。
冗談ですが、彼らが何者だったのかを推測してみました。
①トランスポーター説 表向きは車の部品屋を装い車のメカニズムに強いがそれは改造のためで、映画のトランスポーターのように物を運んで収入を得ている。
②運び屋説 ①よりシンプルにポーランドとウクライナの間を往復して麻薬か武器を運んでいる。彼の言うことを聞くと、ポーランドから西側の武器を親ロシア派に横流ししているなどの可能性があるのではという気が。
③人身売買業説 彼は甘いマスクでジョークが得意なので、ウクライナの田舎に住む若い女性においしい話を持ち込んで、ポーランドの売春組織に売り飛ばして荒稼ぎしている。
スベトラーナも危ないかも知れない。
④国際捜査官説 とてもそうは見えないが、国際犯罪に立ち向かう組織のエースかも知れない。そういう映画の主人公はしばしばそうとは見えない男が演じている。そうだとするとわたしは彼にテロリストか何かと疑われ接近されたものの、尻尾を出さないのでポーランド国境でトラブッたふりをしてわたしひとりを泳がせたのかも知れません
どれも突拍子もなく聞こえるでしょうが、未だわたしは可能性を否定するものではありません。
ただし、何度か書いているように彼とわたしは実に馬が合い、とても好い友達になったのも事実です。
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Nikkor S・C 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/11 Fri

誰も見ようとしないUSSR

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物価がヨーロッパ到着以降いちばん安く、食事はなかなか、町並みもロシア臭いと言うことなく違和感がない、そんなウクライナ南部の町には親しみを覚えていましたが、旅の前半でもたもたしたことで帰国日程が押してきてしまい、国境に近いルヴィフから隣国ポーランドへ移動することにしました。
昨日眠たい目をこすりながら降り立った鉄道駅に向かいます。
駅前から旧市街のど真ん中にトラムが走っていたので、バスよりも簡単に駅に行くことができました。
トラムはかなり古い車両で、切符を運転手から買うことができます。
ほんどの町では切符は券売機か売店で事前購入が建前なので、小銭がなくてもトラムが来れば飛び乗れるこのシステムはたいへんありがたいです。
買い方も、運転席は隔離されているので、小銭が入るくらいの小窓にお金を入れて窓をトントン叩いて合図すると、運転手が小窓を運転席側に反転させてお金を受け取り、切符とお釣りを小窓に入れてから再反転させてくれるので、乗客はそれを受け取ればいいだけです。
車内混雑の時は、後ろの人から前の人へとお金がリレーされ、小窓付近の人が代行して切符購入手続きして、その切符はお金と逆方向に渡って行って、元の人に戻っていきます。
戻って来なかったり、途中でネコババされるということはないようです。
中国のバスでもよく見る光景ですが、社会主義独特の習慣なのでしょうか。

駅の窓口は何ヶ所かありましたが、1つだけインターナショナルの表示があって、残念ながら国際列車の切符売り場にも関わらずクレジットカードが使えませんし、窓口女性の英語も何だかよく聞き取れません。
夜行列車が11:59分に1本あるだけで、チケットも8000円以上して高価です。
その路線にフライトがあるのかは調べてないものの、これなら航空券と変わらないのではと思いましたが、前回の売り切れの反省からあきらめてチケットを購入します。
重たいトランクを荷物預かりに渡します。
トランクはプラスチック製の折畳みカートに載せて運んでいたのですが、昨夜のチェルニフィツィーの路上でタイヤが取れて使えなくなってしまっていました。
ヴェトナム以降数々の悪路を頑張ってくれた愛用のカートも、ついにはウクライナの石畳で耐え切れず壊れてしまったのはたいへんショックでした。
以降、フーテンの寅さんがそうしていたように手で持って運びますが、推定14キロくらい、5分も持って歩いているとかなり辛くなってきます。
辛いのは、1960年代製と思われる古いグローブトロッターのトランクそのものも同様なはずで、何だかいとおしさが増してきてしまい、寅さんのトランクで寅クンと親しみを込めて呼ぶことにしました。

夜中の列車の時間までまた町に戻って、散策を開始します。
勧められた旧市街のど真ん中にある市庁舎の塔に登ってみることにしました。
比較的新しい建物ですが、エレベーターは無く途中から狭くなった階段を上り続けると、歯車がゆっくり進む大時計の機械内部が見られるようになっています。
そこまではよいのですが、何しろ階段がきつく、屋上に到着して自分が高所恐怖症だったことを思い出ししてで、来てしまったことを後悔しました。
みんな平気で手すりのところに肘をついて眼下の町並みを楽しんでいますが、わたしにはそんなことはできません。
高所恐怖症の人がみな同じなのか分かりませんが、あの姿勢だと手すりが前のめりに倒れて下に落ちそうな恐怖心に囚われるし近寄っただけで突風が吹いて肩から提げたカバンがあおられてそれを抑えようととっさに手を伸ばして手すりを乗り越えてしまいそうな気がしてきてしまうのです。
手すりまで寄り切らずにへっぴり腰で町並みを撮影していたわたしの姿はとても人様にお見せできるようなものではありません。

広場ではセグウェイのレンタルというか試乗をやっていました。
確か10分300円とかそんなものだったと思いますが、挑戦してみようと思ったものの順番待ちしているのが子どもばかりで恥ずかしいのでやめました。
見ていると10歳くらいの子どもでもすぐに慣れて、スピードこそゆっくりですが、スムーズに動かしています。
どこかの空港で警備員がセグウェイに乗っているのを見たような気がしますが、町中で見るのは初めてのことで、石畳でも走行できるのかなど気になりました。
などと感心していると今度は公園でセグウェイのハンドルというか支柱というかの部分を取っ払ってタイヤと足置きだけの乗り物で遊んでいるふたり組がいました。
高校生くらいの女の子たちだったので、何だいそれはと声を掛けてみました(女の子だったから声を掛けたのではなく、高校生なら英語も通じるだろうと声を掛けたのであって、誤解無きよう)。
何という名前だか忘れてしまいましたが、ウクライナでは最新鋭のスポーツだそうで、先ほどのセグウェイ同様の滑らかな動きを見せてくれ、撮影にも応じてもらいました。

ルヴィフでのいちばんのお気に入りは、たまたま道を間違えたところで見つけたロシアンカメラカフェです。
この町に限らずですが、ヨーロッパの町中では看板が目立たずに通り過ぎてしまうような店が多いですが、たまたまウィンドウ内を覗いたら大きなシネカメラが置かれていて、さらに奥を見ると壁がカメラでびっしり埋まっていて、入ってみることにしました。
中はとても上品で落ち着いた普通のカフェです。
オーナーのコレクションだと言う恐らくはソ連時代に製造されたほとんどのカメラの展示がなければ。
ふたりの美人給仕はカメラに興味が無いようで話はできませんし、さすがにロシアカメラをずっと眺めていてもすぐ飽きてしまいますが、このマニアックさを全面に出した空間は同類として敬意を表さない訳には参りません。
昨日に続いて今日も出掛けて店の女の子とも顔なじみになりました。
壁から外したカメラを持って彼女のポートレイトでもと考えましたが、このお店はコーヒーが美味しいせいか人の出入りが多くて撮影できず代用の作例になり残念です。
何人も見た客の中にカメラに関心を示す人はひとりもいなかったことを合わせて報告しておきます。

カフェでケーキを食べたのがまずかったようで、なかなかお腹が空いてきません。
オペラ劇場があって何かやっていれば鑑賞していきたかったのですが、まだシーズンに入る前でしばらく日程表がブランクになっていました。
しかし、そのオペラ劇場の地下がやはりカフェになっていて、食事もできるとのことで入ることにしました。
オペラ座の地下がカフェと書いても普通のことと思われるでしょうが、ここは何かの空間を利用したちょっとしたスペースで、入り口にはキリル文字で読めない何かが書かれているだけなので、ほとんどの外国人は気付かずに見過ごしてしまうような空間です。
カメラカフェと並んでよく見つけたものと自画自賛しておきましょう。
ここにもえらい美人なお姉さんがいて、カメラカフェと互角の勝負、両方行かれた方はどちらがより美人かかなり迷うことでしょう。
いや、そんなことはどうでもよかった、食事して11時近くなったので駅に向かおうとしたのですが、わたしは悲劇と喜劇の自作オペラを演じることになります。
それについては、日付を跨ぎますもので明日のブログに記載することにいたします。
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Nikkor S・C 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/09 Wed

バルセロナから来たセスクさん

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昨夜乗った過去最悪の夜行バスのことから書いておかねばなりません。
バスの車体自体はごく普通のしかしたぶんロシア製のものでしたが、道路の状態が悪く小刻みにかなり揺れました。
それでも、わたしの隣の座席は空いていたので二人分のシートで眠れるはずだったのですが、出発直前に20人くらいがどかどかと乗り込んできて、そこは空いているかと座られてしまいました。
ウクライナに行く国際バスのはずが、国境までは自由に乗り降りできる路線バスも兼ねているということのようです。
隣に人が座っても寝れなくはないのですが、立っている人も10人くらいいて、彼らが長時間直立しているはずもなく、わたしのシートに寄りかかったため肩に接触して、しかもしばしば動くためにとても眠ることはできませんでした。
国境に近い町に2時近くに到着したころにはようやくほとんどの国内路線バス利用者は降りていましたが、それまで眠れないのですからかなり辛いバスです。
その町で休憩したので何か飲みたかったのですが、タクシーに根こそぎ現金を取られていたので買うことができません。
カバンから1ドル札を出して両替できないかと頼むと店では断られましたが、運転手が応じてまっとうなレートで交換してくれました。
思わず買ったビールが旨かったこと。
カバンに米ドルを少々しのばせていたおかげで、干からびずに済みました。

到着したのはチェルニフィツィーという町です。
地図の地名表記を見たときチェルノブイリに見えたのでそんなところへ行ってはまずいかと思いましたが、ウクライナにはチェル何とかという町がいくつかあって、ウクライナ語によくある接頭語なのかも知れません。
後で確認すると、チェルノブイリは首都キエフからさらに東の遥かかなたでした。
まだ真っ暗な6時前に着きましたが、びっくりするくらい寒くて、暖房が効いている待合室に逃げ込みました。
半袖シャツに短パンで着いたそこは夜間の気温が10度前後しかなく、日中35度のキシナウから200キロしか離れていないのに別世界です。
やや明るくなってきた7時前に待合を出て、近くの人に中心がどこか聞きますが、わたしが乗ってきたバスの運転手が言ったのと逆の方向を指さしています。
運転手が言った方向に道は無く、彼の言う方は開けていそう、しかし念のためもうひとりに聞くと、何と今度もまた別の方角を指さしました。
町全部の人がわたしを騙そうとしているかのようで、どちらに歩き出すか悩みました。
しかし、フランス人バックパッカーが通りかかったので彼にホテルがどこにあるか聞くと、携帯で調べてくれ、またしてもいままでの3人とは違う方向に5分くらいのところにあると言うのでした。
わたしも地図を見せてもらったので間違いないはずで、彼の言う通りホテルを見つけることができました。
これはあとで分かったことですが、チェルニフィツィーの中心は5キロくらい離れたところで、バスターミナルのある町の中心はすぐそば、ここの地域の中心はホテルのあったところと、言ってみれば中心はいくつかあって、みんなの言うことはそれぞれに正しかったのです。

朝の8時にも関わらずホテルはチェックインして構わないと言います。
バスの分を取り返すべく熟睡したのですが、2時間に目覚ましをセットしたのに起きられず、目覚めたのは2時でした。
6時間も昼間に寝てしまっては、夜行バスを使う意味が無くなってしまいます。
急いでシャワーを浴びて食事しました。
ホテルの中にカフェテリア式のレストランがあり、出来合いの料理を指さして注文します。
ビンに入った白い液体がヨーグルトなら飲もうと思って聞きますが通じず、牛乳かなとモ~と言いながら乳を搾る動作をしたらそうだと言われるものの、この奇妙な行動が大うけで3人いた従業員が会計が済むまで大笑いしていました。
ここで面白かったのは、ナイフやフォーク、スプーンまで使うと料金を取られることで、3種取るのは悔しかったので、フォークとスプーンのみ取ってタイ式で食事しました。

レセプションでもらった地図を頼りに、旧市街に向かいました。
大きなパンタグラフの付いたトロリーバスで15分ほどかかり、ちょっと歩くには辛い距離です。
中心とおぼしき所で勘で降り、地図と照らし合わせようと通り名を見ると、Ludvig van Beethoven通りとなっていました。
歩いて2分の位置にツーリストインフォメーションがありましたが、信じられないことに英語が通じません。
外国人ツーリストがまったく来ないほどマイナーではないですし、実際、夕食を食べたレストランには外国人がかなりいました。
町自体がかなり気に入りましたので、インフォメーションの改善を強く求めたいと思います。
それでも町はコンパクトで地図がしっかりしているので街歩きは堪能できました。
町中あちこちで結婚式をしていて、花嫁さんからドレスの子ども、民族衣装の男性などポートレイトのモデルに事欠きません。

残念だったのは、この町のコンサートが明日あり、次に行くつもりの町で今日サッカーの代表戦が行われていることでした。
滞在の順番が逆なら両方見られただろうに、仕方ないのでサッカーの方はバーで観戦します。
ヨーロッパ選手権の予選でウクライナ対ベラルーシという隣国同士の戦いでしたが、地元ウクライナが司令塔コノパリュンカの大活躍で3-1と圧勝しました。
そのバーがレストランを併設していたのでそのまま夕食に向かいました。
半年前にできたばかりですが、かなり気合の入ったレストランで、内装がかなり豪華ですし、アコーディオンのおじさんがグループの人たちと合唱したりしています。
ツーリスティックなレストランかと思えば、お客さんの多くは地元の人だそうです。
ウェイトレスたちがフロアに並んでダンスすると言うパフォーマンスまであって、みんな大盛り上がりです。
料理もすべて美味しく、ウクライナの民族料理がウリですが、ロシア料理もあってオーダーに悩みます。
ボルシチ、ウサギ肉の煮込み、オデッサの赤ワイン、カプチーノと頼んで1000円しません。
ダンスまで披露するくらいですから、スタッフが親切なのも嬉しいです。
この町にずっと滞在したいと切に願いました。

このレストランではもうひとつ愉しい出合いがありました。
わたしが座席に着いたとき、向かいにいた男性がわたしもひとりなのでいっしょに食事しましょうとテーブルに招いてくれたのです。
バルセロナから来ているセスクさん、旅と仕事を組み合わせて東欧を廻っているとのことですが、これまで旅した国は90ヶ国とスチャヴァであったアメリカ人夫婦と同数だったのが驚きでした。
あなたは日本人かと尋ねますのでそうだと答えると、いま娘が日本を旅行しているのだと言い、なぜいっしょに日本に行かないのだと聞けば10年前に行ったことがあるからと答えます。
日本の物価は高すぎると嘆いていましたので、今はバルセロナよりもずっと安いはず、ぜひ娘さんに聞いてみて、確認できたら次は日本に来ることと勧めました。
彼もカタルーニャはスペインから搾取されていると考える独立支持派のようで、そういった事情やFCバルセロナのファンだということで話しは盛り上がりました。
このあとバルセロナに行くのだと言うと、サグラダファミリア教会の近所に住んでいるので案内するから連絡するようにと言ってくれたばかりでなく、わたしが招いたからと食事代をもってくれました。
彼はこれから夜行で、わたしが行こうと考えた町に行くとのことで、寝台が安いので朝のうちに駅に切符を買いに行くようアドバイスしてくれ去っていきました。
作例は、朝方、ホテルに向かって歩いているときに見かけた老人です。
立派なスーツの胸には誇らしげなバッジが並んでいました。
かつてのソ連の政治家か軍人でしょうか、未だにこんなものを付けて歩いているところがあるとすれば、中国と北朝鮮くらいかと思っていたので、貴重な1枚になったと思っています。
【Alpha7/Nikkor S・C 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Nikkor S・C 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/06 Sun

贈り物にささやかなお礼

Nikkor 5cmF1.5
今日は、ようやく修道院をたずねるツアーに参加します。
ペンションまでガイドの青年がピックアップに来てくれて、続いてすぐそばの交差点でフロリダから来たというわたしより若干年上の夫婦が乗り込んできました。
最後は、わたしが初日に泊まったホテルで日本人の30代半ばと思しき青年が乗って来ました。
日本人が参加すると聞いていたのでそう思っていたのですが、彼は香港人で、どうやら日本人とはわたしのことのようでした。
フロリダの夫妻やガイドの青年は当然として、香港人も英語が達者で、わたしひとりが会話に追いついていけない悲しい事態に陥りました。
それというのも、最初の自己紹介の時に見栄を張って早口でしゃべってしまったため、誰もわたしの語学力がひとり劣ることに気付いてくれないためです。
その後しゃべる機会が激減した私に、なんでこの人は口数が少ないんだろうと皆訝しがったに違いありません。

途中までは昨日と同じ道を通り、1時間近くかかって最初の修道院に到着しました。
わたしはこういうツアーに参加したことがなかったので、勝手が分からず、入場料等はツアー代に込みだと思っていたのですが、修道院ごとに5レイ(約150円)取られました。
さらに撮影する場合は、もう10レイ追加とのことです。
ツアーでは4つの修道院を廻るので、全個所で撮影したら1800円もかかってしまいます。
ちょっともったいない気がして2番目、3番目の修道院では撮影せずに600円浮かせました。
なんだかせこい話ですが、4つの修道院とも16世紀に当地式のゴシック様式で建築された兄弟のような建築なので、わたしにとってはすべての撮影をする必要はありません。
現在は修道院として使われていないし、収入は政府のものになるとのことでしたので、あまり撮らないのに写真代を払うのは癪でした。

20年近く前にヨーロッパを旅行していた時、重点を置いていたのがロマネスク様式の教会巡りでした。
ロマネスクの教会はヨーロッパ中にあるという訳ではなく、主にフランス、スペイン、イタリアに集中しています。
探すと他の国にも同時代のものが散在していますが、ルーマニアにあるのはそれより後の時代のもので、この国への旅には興味が持てないでいたのですが、東部にあるモルダヴィア地方の教会建築については16世紀とロマネスクよりはずっと後の時代ながら、建築の内外を覆うように描かれたフレスコ手法による宗教画の見事さから関心を持っていました。
そのことはすっかり忘れていたのですが、旅の前にたまたまルーマニア関係のことを調べていてこれを思い出し、今回の旅行の最重要事項に位置付けていたのです。
当時の記憶では鄙びた田舎にある教会で、訪れる人はほとんどなく、地元の人が熱心に祈りに訪れるばかりの知られざる存在でした。
しかし、ツアーが組まれるくらいですから教会はメジャーな存在になっていて、観光客はひっきりなしに訪れ、当時の写真で感じた素朴な美しさは姿を消していました。
肝心のフレスコ画は思ったよりも損傷が激しく、日の当たる部分はかなり消失してしまっていましたし、内部はろうそくの煤が原因で黒ずんでいるため懸命の修復が行われていました。
わたしには積年の思いがあったのでガッカリ度が高かったのですが、民衆に聖書の内容を知らせるための各場面のフレスコ画の美しさや絵そのものの面白さは秀逸で、やはり待ってまでツアーに参加して来た甲斐はありました。

昼食の時のことにも触れておきたいと思います。
ガイドの青年は、ローカルのスープを楽しんでほしいと言っていて、それはパンフレットにも書いてあり、さらにはテーブルを囲んだ時にも説明していました。
それがひとつのウリのレストランでもあるわけですが、そのティピカル・スープをオーダーしたのはわたしとガイドのみで、さらによければと言われた地元のケーキを頼んだのも同じふたりだけ。
別に奇を衒ったスープでなければ、高いわけでもないのに、他のメンバーはガイドの話を真剣に聞きながら、なぜかそれぞれに自分の好きなものを頼んでいました。
スープもデザートも、同じレストランに来たら同じものを頼みたいくらい美味しかったし、スープに付くパンがあればメインディッシュはいらないとガイドが言うとおりのボリュームだったのに。
食事中は旅の話に花が咲き、わたしが世界一周中でこれまでに訪れた国の話をすれば、香港青年はタイや大陸中国などで2~3年の生活経験があり、アメリカ人夫婦に至ってはこれまでに90ヶ国の旅行経験があって、来年にはその数が100に達するだろうと我々を驚かせていました。
そんな話をまだイタリアにしか言ったことがないというガイド青年が目を輝かせながら聞いていたのも印象に残ります。
彼はまだ大学出たての22歳だというので、同じような旅の人生を歩むことになるでしょう。

待望の教会訪問をやっと実現したので、明日は早朝にも出発するつもりです。
スチャヴァという地味な町に思わぬ長期滞在になってしまったと思っていましたが、帰って来たペンションで奥さんから今日は広場でコンサートがあるから見に行きなさいと勧められました。
ステージをセッティングしているとこを見ていたのでロックか何かかと思っていたら、地元のプロのオーケストラで、しかも入場無料とのことです。
何日もいてくれたからと、町がわたしに最後の夜にプレゼントしてくれたのでしょうか。
広場での野外コンサートですが、しっかり椅子が並べられて、たぶん千人近くが聴きに来ていたと思います。
地元出身と思われるソリストが出演したり、子どもを飽きさせないように曲に合わせたレーザーのショウのような演出があったり、途中に難病のための寄付の活動があったり、最後には花火が豪快に打ち上げられたりで、純粋に音楽を楽しむというものではありませんが、シュトラウスのワルツからルーマニアを代表するエネスコの曲、ポピュラーのアレンジまで演奏された誰もが楽しめる内容で、その雰囲気が周りから伝わってくるすばらしい夜になりました。
難病寄付の場面では、ボランティアの若者が募金箱を持って呼びかけていますが、わたしは明日には出国するつもりで現金の持ち合わせがありません。
しかし、財布を見ると1000円札が1枚入っていたので、そっと差し出しました。
集計した人たちは野口英世の紙幣を見て、きっと日本人も聴きに来ていてわれわれのために募金に応じてくれたと横んでくれることでしょう。

さて、作例ですが、教会の建物を向かいの塔から撮影したものです。
ここでは教会と記載しますが、もともとの施設としては修道院で、そのうちの教会堂部分のみが公開されているようなかたちだと思います。
近くに修道僧のための施設もあったはずですが、すでに修道院としては使用されておらず、見学することもかないませんでした。
フモール修道院という名前で、ほとんどフレスコ画は消失して真っ白になり、上部などに少々残っているだけなのが確認できるでしょうか。
見学した他の修道院も検索の形状やフレスコ画の状態はほぼ同様です、
日の当たらない北側部分は状態がずっとよかったので、できればそちらの写真を採用したかったのですが、それには広角レンズが必要でした。
恐らく、屋根の形状はそのままでもともとは藁ぶきだったのではと想像します。
フレスコ画がそっくり残っていて、藁ぶき屋根のこの検索を想像するのはたやすいことてした。
【Alpha7/Nikkor S・C 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Nikkor S・C 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2015/09/03 Thu
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