海参墙

M8/Canon 35mmF2
岩科学校の国道をはさんで向かい側に集落がありました。
少し松崎寄りに戻ったところです。
何か情報があった訳ではありませんが、突然直感的にちょっと寄ってみようと直前で急ブレーキを踏み、細い橋を渡って集落の方に入っていきました。

結論から言えば、この判断は大正解でした。
車がすれ違うことのできない細い道を少し進むと、左右にちらほらとなまこ壁の民家や蔵が見えてきました。
かなり先まで行ってからスペースに駐車させてもらい、ゆっくり歩いてなまこ壁の建造物を撮影していきます。

確か倉敷の通りに町並みそっくりなまこ壁というところがあったのではと記憶していますが、伊豆半島にも多くのなまこ壁が存在します。
わけても松崎とその周辺は、かつて町全体がなまこ壁の建物で占められていたようで、多くは取り壊されましたがところどころ現存してその白く美しい姿で訪れる人の目を楽しませてくれています。

そもそもなまこ壁とはどんなものでしょうか。
意外に歴史はそれほど古くないようで、明治から昭和初期にかけての様式です。
壁に平瓦を貼り、その目地部分に漆喰をかまぼこ状に盛り固めたもので、その形がなまこに似ていることからそのものずはりのなまこ壁という名称が付けられています。

作例では平坦に見えるかも知れませんが、黒い瓦部分に対して白い漆喰部分は5センチ以上盛り上がっています。
もちろん装飾が目的ではありません。
保温や防湿のために考えられたもので、夏場でも案外建物内をひんやりさせるのが、伊豆の気候とフィットしたのかも知れません。

もうひとつの目的が、防火のためでした。
火事自体を抑える効果がありますし、何より家の壁同士が接近した町並みにあって、一軒に火事があっても火が広がっていくことを防ぐことができます。

そんな機能的ななまこ壁ももっとシンプルな構造での設計だって可能なはずです。
しかし、日本人の美意識がはたらいたのでしょうか。
白と黒が絶妙なバランスで、しかも斜めのラインを左右対称に引かせて建物を覆うようなデザインにまとめてしまいました。
機能を追求するだけではなく、そこに見た目の美しさまでもが結実した建築を見ることができます。

住民の方からそんな話を聞いたりしながら立ち話していると、雨が徐々に激しくなって来て、バケツをひっくり返した状態になりました。
たまらず車に戻りましたが、前日まで好天が続いていたので、わたしは雨男なのではという疑問が頭をもたげてきました。

明日、信州に祭りを見に行くのですが、やはり予報が芳しくありません。
お誘いいただいた方にも迷惑がかかりますし、お願いですから天気がもってほしいと願いつつ、床に就こうと思います。
【M8/Canon 35mmF2 F2】
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thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 35mmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2010/08/11 Wed

想起来小学的時

M8/Canon 35mmF2
棚田のある岩部から海岸に戻るルートと山中を走る2ルートで、いずれも10分もかからず松崎町岩科に出ます。ひなびた田舎としか言いようのない、川沿いの土地です。
さらに少しだけ北上すると、ずいぶん立派な建物が忽然と出現します。
それが岩科学校です。

明治13年に竣工した岩科学校は、甲府の旧睦沢学校、松本の旧開智学校に次ぐ現存する学校建築と言います。
甲府や松本のような都市と比べ、前述のとおり松崎はひなびた漁港ですし、さらに数キロ内陸に入った、当時の岩科村は当時から田舎だったはずです。
なぜにこれほどまでの学校が建ったのか誰もが不思議に思うことでしょう。

文明開化を経て、松崎周辺では教育熱が非常に高まったということです。
岩科にも立派な学校を建築すべく、今でいう官民が一体になって建築費用を集め、地域特有のなまこ壁をもとに、寺院建築と西洋建築の折衷による美しい校舎が竣工されました。

恐らく、明治以降、ここまで立派ではなくとも、木造の美しい校舎を持つ学校はいくつも建てられてきたのでしょう。
しかし、地震国日本での耐震性の不安や火災による焼失、さらには新しいものを良しとするバブル的発想から次々と姿を消していったものと思います。
それが、岩科学校はあまりに立派だったことと、田舎の地にあったことが幸いしたのでしょう、修復などを経て現在まで残ってわたしたちの目を楽しませてくれています。

現在では国の重文に指定され、一般の人が見学できるように整備してあります。
新しい学校もすぐ左隣に建てられていました。
自分たちの両親やおじいちゃん、おばあちゃんの学び舎がすぐ隣にあって、子どもたちも誇り高いでしょうし、文化財や老人を敬う心も自然と培うことができることと思います。

じつは、わたしが卒業した小学校も、明治に建てられた校舎でした。
もちろん、こんなに立派ではありませんでしたが、歩くと床がぎしぎし言うような歴史的な建物でした。
当時は、同級生同士でも市内でいちばんのオンボロ学校と自虐的に呼んでいましたが、反面でこういう学校で勉強していることに自負心がないわけではありませんでした。

しかし、わたしたちの世代以降、学生数が増えたこともあってか、卒業後、すぐに校舎は建て替えられてしまいました。
やはりその時は、みんなでええーっなんでと、がっくりきたことを覚えています。

こんな小学校・中学校の体験をしたからこそ、今になって古い建築に愛着心を持てるのでしょうし、ひいては古いレンズを愛でたりもしてしまうのでしょう。
そんなことを考えさせられた、岩科学校への訪問でした。
【M8/Canon 35mmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 35mmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2010/08/10 Tue

西伊豆之旅

M8/Canon 35mmF2
先日、軽く伊豆にでかけてきました。
広角レンズを付けたM8をカバンの片隅に入れていたので、何枚かの写真を紹介してみたいと思います。
撮影は、途中立ち寄った西伊豆の松崎だけですが、初めて訪れたこの町はすばらしく、近くゆっくりと再訪したいと思っています。

いきなり分かりにくい写真で恐縮ですが、松崎の南に数キロ走ったところにある石部の棚田からスタートします。
現在では、一般からオーナー制度を採り入れて再生された石部の棚田ですが、その歴史は相当に古いようです。
詳しい歴史は分かりませんが、1820年頃に山津波が起きて棚田が全壊したという記録が残っているとのことです。

その後20年かけて棚田は復活し、10ヘクタール1000枚の規模になって米作りが行われ続けます。
平成になってからも、それは細々と続いたようですが、恐らくは急斜面での過酷な労働や後継者の問題など、規模が大きく縮小したところで、この美しい棚田を残すべくオーナー制度の導入や施設の整備によって、かつての素晴らしい輝きを取り戻しているのだそうです。

写真の茅を葺いて建てた建物は休憩小屋だそうで、この他にも交流館や水車小屋など、棚田の良さを知ってもらうための施設を作って都会の人を受け入れています。
田植えや刈り入れのシーズンには、オーナーはこの地を訪れ、農業体験を通して棚田の良さを知ることができるという仕組みです。

撮影時は、とんでもない大雨でしたが、斜面にあるため風が心地よく抜け、てっぺんまで行くと駿河湾を望むことができます。
緑の棚田越しの青い海は、この土地の素晴らしさを示して余りありました。

かつて10ヘクタールあった棚田で現在でも稲が植えられているのは、20%ほどだそうです。
ざっと見ると残りの80%の何割かは、荒地であったり、果樹畑だったり、野菜が植えられたりしているようでした。

車で一気に山頂まで上がり、ところどころで降りて写真を撮ったりしながら下っていて、唯一出合ったのが写真の女性です。
あいさつして少し話をうかがうことができました。

何も分からずに、果物か何か育てているのですかと聞くと、これが桜の木なのだそうです。
ええっと聞き返すと、桜餅のための桜の葉を収穫しているとのことでした。
松崎地域だけで全国シェアの7~8割だそうで、このあたりでは貴重な現金収入になります。

桜餅、久しく食べてないですし、柏餅などと同様葉っぱをはがしてから食べていました。
周末にでも和菓子屋さんに行って、しっかり葉ごと味わってみることにしましょう。
棚田の情景を思い浮かべながら。
【M8/Canon 35mmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 35mmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2010/08/09 Mon

司机看一看東西

M8/Canon 35mmF2
バス停に舞い戻りました。
実は、来るときに途中バスの車窓から古い建物がちらほら見えていたので、そこへ行ってやろうと考えたのです。
始発ですから路上に2台のバスが停まっていましたが乗客はいません。
正式な時刻表があるとも思えない路線バスでしたが、ほどなくすると運転手はエンジンをかけて出発しました。

その最初のバス停付近に人だかりがあります。
といってもバス待ちというわけではなく、小さな商店に人々が殺到していました。
運転手は、唯一の乗客であるわたしに何やら声をかけると、またエンジンを切ってバスを降りてしまいました。

どうしたのか聞き返すと、店で靴の特売をやっているので見たいということでした。
はあ~? と思いましたが、どうせ暇ですから、じゃあわたしもと付いて行きました。
特売の靴は、大量に投げ出されるように店先に大量に置かれていましたが、一目見てこれは欲しくなるようなものはないと気付かせるほどしょぼい品揃えです。

運転手は、お気に入りを探すべくとっかえひっかえ靴を眺めていましたが、やはりひどいものばかりと気付いたからか、あきらめてバスに戻っていきました。
バスに向かって歩いているのがその運転者です。
ひとりだけとは言え、いちおう乗客がありながら特売のくつを見たいという理由でバスを停車させてしまう緩さがわたしにはたまりません。

虎門に着いてから35mmレンズに交換していたため、ぎりぎり作例のような当時を記録するような写真を撮ることができました。
そのレンズは、キヤノンの35mmF2ですが、これはレンジファインダー・キヤノンの最晩年に登場したレンズです。
1963年登場ということは、ライカM3発表から9年も経っています。
このカメラの登場が、国産ライカ・コピーに引導をわたしたことになっており、それからずっと後のキヤノン35mmF2はライカのレンズ群に対抗しうる性能を有していたことでしょう。
これより後には一眼レフ用にも転用された19mmF3.5しかありません。

しかし、この構成を見て驚きを隠せませんでした。
4群7枚と言う構成は、2代目のズミクロン35mmF2(いわゆる角付きを含めた7枚玉ズミクロン)と同様の構成です。なんだズミクロン・コピーかと思えばそうではなく、なんとキヤノンのこのレンズに遅れること6年で7枚玉ズミクロンが登場しています。

ライツが高性能で名を馳せたこのキヤノンの35mmF2の存在を知らずに7枚玉ズミクロンを出したとは思えません。
どの程度の影響があったのでしょうか。
何しろ初代ズミクロンは6群8枚で、簡単に言えばその3群目を取ってしまったのが7枚玉のズミクロンでと見なし得ます。

写りはそっくりです。
すごくシャープでコントラストも高い。
しかし、ここでも驚きなのは、ボケは先に出ていたキヤノンの方が自然で美しいと言えるのに、ズミクロンの方ははっきりした二線傾向にあります。
ただ、それ以上のことは残念ながら、わたしには説明ができません。
両者の徹底した比較が必要でしょう。

わたしはどうも、このシャープでハイコントラストな写りが苦手です。
この作例で言えば前ボケにキヤノン35mmF2ならではの主張があるかも知れません。
ですが、他の部分を見ても特徴を見出すことができないでいます。
最新コンデジで撮った作例でございとやっても、誰も気付かないのではないかと思ってしまうのです。
【M8/Canon 35mmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 35mmF2 | trackback(0) | comment(6) | 2010/04/14 Wed

亀尾坐老人家

M8/Canon 35mmF2
逆水流亀村堡を立ち去ろうとすると、門のところに老婆が腰掛けていました。
深いしわをたたえたその顔は、穏やかというよりはけわしさが前面に出ているように感じられます。
通りがかりでこんなことを言ってはいけないかも知れませんが、老婆の人生の辛苦振りが写しだされているように感じてなりません。

おとといの井戸汲み女性も昨日の赤ん坊を抱く少女も、地方から出稼ぎにやって来た人たちでした。
何度かこの周辺には工場の進出が多いと書きましたが、その下請け、孫請けを含めて安い労働力としての地方からの出稼ぎ労働者も多く受け入れられています。

かつて民工潮とか盲流という言葉が存在するほど、地方からの労働力は都会にさえ出ればどうにかなる的な行き当たりばったりなものが主流でした。
子どもを預けっ放しの長期間出稼ぎや家族離散といった負のイメージをともなうものです。

それが、空き家を借りることによる、家族全員でその地に根を張った新しい出稼ぎのかたちが確立していたのでしょう。
はかれない苦労も多いとは思いますが、明るい彼らの表情を見て、ホッとするものを感じました。

しかし、一方でもともとの住民はごくわずか残っているだけだという彼らの言葉が気になります。
古い石の建築は、わたしが崇拝するのに反比例して暮らしにくさが顕著になります。
ましてや、このあたりは都会ですから、誰もが不便な生活を捨てて、近隣にできはじめている高層マンションに移りたいと思うことでしょう。

そうして、ひとり減りふたり減りして、残ったのがバイタク運転手の親父であり、この写真の老婆なのではと思えます。
中国の発展はあまりに早く、一例をあげれば、家庭に電話が設置されるようになる前に携帯電話が普及しきるという具合です。
どこかで時間がどーんと進んでしまって、家族はつぎつぎ出ていき、老婆が、親父が取り残されていったのではないかと寂しい気持ちとともに考えてしまいます。
家族はもちろん、ずっといっしょに暮らしていた近所の人たちはいつの間にか地方から来たよそ者に代わってしまったというわけです。


そんな具合ですから、逆水流亀村堡という古建築群の風変わりな名称の由来は分かりませんでした。
帰国後検索してみると、次のような簡単な説明を見つけました。
曰く、四方を池に囲まれたこの建築群は、まるで池で亀が遊んでいるように見えるからこの名前が付いたとのことです。

かつて北端にあった高い建物が亀の頭と言われていたようです。
四隅には、やはり少し高い建物があってそれぞれが足だったと思われます。
撮影したこの位置は橋ですが、なるほどさしづめこれが亀の尻尾と言うことなのでしょう。
【M8/Canon 35mmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 35mmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2010/04/13 Tue

五圓太貴了

M8/Canon 35mmF2
虎門は、深圳から北西に高速バスで1時間強くらいのところにあります。
その中間に深圳空港があって、前後には宝安、福永、沙井、長安などの鎮があって、内外の多くの企業が一帯に工場を構えています。
華南に進出した日本企業も周辺に進出しているケースが多く、このエリアは意外に日本人に馴染みのあるところのようです。

バスは、虎門の中心にあるバスターミナルに到着しましたが、そこからまた白沙村行きの路線バスが出ていたのですかさず飛び乗りました。
逆水流亀村堡がとせこにあるのかは分かりませんが、白沙村にあるのは間違いないので、そこから捜索開始します。

終点・白沙村のバス停の前が市場になっていて、バイタクが1台しっかり客待ちしていました。
恐る恐る逆水流亀村堡を知っているか聞きます。
実は、虎門バスターミナルでもあちこち聞いて誰も知らなかったので、少し及び腰になっていました。
すると、バイタクの親父さんは、そこなら知っている、なぜならわたしはそのそばに住んでいるからという回答が待っていました。

料金を聞くと5元と言います。
バイタクは地元の人には3元の最低価格が設定されているようですが、よそ者には5元からという不文律があるようなのを体験的に会得しています。
意外に近くなのかもと思いつつ、バイクの荷台に跨りました。

その近さは意外なんてものではありませんでした。
羽田発伊丹行きの航空機が、離陸後上昇していると思っていたらやがてすぐに下降を開始して瞬く間に着陸するかのように、バイクは加速しきるとすぐに減速しあっという間に到着してしまいました。
所要20秒、歩いても5分かからない目と鼻の先だったのです。

いくらなんでも、すぐそこだから歩けと言えばいいようなものを、しっかり瞬間芸的に5元せしめたのでした。
真顔で着いたぞと言う親父さんに、わたしは怒る気になれず、ハハハッと笑うしかありませんでした。
これはトラブルとは言えないと思いますが、どうも中国でバイタクに乗ると、一筋縄でいかない喜劇のような世界が待ち構えているようです。


さて、そんな気分が散策する姿に現れていたのでしょうか、昨日の井戸のところでは美味しいからどうぞと水をご馳走になり、少し歩いたところでは女の子と知り合いになりました。
写真では緊張したからでしょうかあまり可愛く見えませんが、切れ長の涼しげな眼をした美しい少女です。

外国人を初めて見たと言ってましたが、前述のように外国企業が多く進出しているエリアですので知らないうちに外国人を見ていた可能性は高いと思います。
ただ、眼や鼻のそっくりな弟の方は、たぶんわたしが初めての外国人ということで間違いないでしょう。
【M8/Canon 35mmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 35mmF2 | trackback(0) | comment(0) | 2010/04/12 Mon

別的地方汲水

M8/Canon 35mmF2
1時間そこそこの大鵬所城だけではもの足りません。
翌日のもう半日ある時間で行けるところを探すべく、その夜ネット検索しました。
もちろんグー○ルは使いません。
百度というポータルサイトで、近隣の東莞市に古鎮はないかと検索を繰り返しました。

東莞には南社という古鎮が比較的有名でばしばしヒットしますが、すでに2007年6月に出掛けていました。
なおも執拗に検索を続けますと、ピンと来るところがありました。
ほとんど見落としそうなところに出ていた村で、読んでもわざわざ行くまでもなさそうな小さくしょぼい所のようです。

しかし、それだけに訪れる者はほとんどないでしょうし、ましてや日本人初踏破そして本邦初公開(?)の可能性は高いと言えそうです。
なぜピンと来たかというのは他でもありません。
名前が気にいったのです。
東莞市虎門区白沙村逆水流亀村堡、なんだか長ったらしくて、面白そうな名前ではないですか。

いい加減長時間の検索にうんざりして、翌朝は何も考えずにここへ行けばいいと、さっさと眠りに就いた訳です。
さいわい深圳から虎門へのバスはたくさんあります。
村が想像以上にしょぼくても何かしら撮影してくることは可能でしょう。

ホッとできたのは、作例のとおり、大鵬で撮れなかった井戸水汲みの場面から逆水流亀村堡でも撮影できたことです。
無茶な理由でやって来た村でも、それなりに楽しめてしまうのが、中国古鎮の懐の深さということにしておきましょう。
今回の中国シリーズは昨日で終わりと見せかけて、もう1週引っ張ることにいたします。
【M8/Canon 35mmF2 F2】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Canon 35mmF2 | trackback(0) | comment(4) | 2010/04/11 Sun
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