打倒俄羅斯

M8/Ultrastigmat 50mmF1.9
エリスマン邸の並びにあるベーリック・ホールには名前の通りホールがあって、しばしば催しが行われるようです。
わたしが訪れた時は、フィンランドにゆかりがある女性が講師になって、クリスマスに飾る花の装飾のようなものを作る教室が開かれています。
何組かの小学生くらいの子どもとお母さんが対象のようで、楽しげな空気がホール全体に広がっていました。

ここでは、フィンランドがテーマ国になっていて、ドレスやクリスマスディナーの調度などが展示されています。
針葉樹が配されていたり青白い照明が使われていたり、暗示にかかりやすいわたしは、いかにも北欧のクリスマスが演出されているように感じました。

フィンランドといえば、サンタクロースの故郷だったように思いますが、そういうイメージは本国にはないからなのかサンタが特に登場するということもありません。
今日はちょうど聖夜ですし、あるいはサンタさんもあちこち出張で忙しかったのでしょう。

ニュースによるとロシアのメドベージェフ大統領が当地のテレビ番組に出演して、日本に北方領土を返す気はないと明言したようです。
わたし自身が政治音痴ですし、いつも書いているように当ブログでは政治ネタを回避しているのでそちら方面に向かわないよう無難な線で続けますが、ロシアに接する国はいずれも不幸を背負っているわけです。

ロシアはきっと日露戦争の恨みを永遠に忘れないのでしょうし、いまでは嫌われ者同士で仲良くなったように見える中国ですら比較的最近までソ連との間に領土などたくさんの問題を抱えていました。
チェチェンは言うに及ばず、バルト三国、アフガニスタン、北オセチア、中央アジア…、ソ連に組み込まれていた国は独立に際して多かれ少なかれ紛争やら軍事介入やらに巻き込まれています。
ウクライナでは親米路線の大統領が当選するや暗殺されかかったり、ライフラインをストップさせたり、こんな露骨なことが行われていいのかと驚かされたのは記憶に新しいところです。
いずれにしても経済援助では、見返りに北方領土が返還されるとはとても思えず、相当強引な外交を展開するか、血を流すかしなければ状況は変わらないのではないでしょうか。

フィンランドも長くロシアの圧政下で苦しみ、独立を果たしたのはなんと1918年のことです。
その歴史はあまりに複雑で、ここで紹介しようと思って関連書を見ましたが、書き起こすには膨大すぎ断念しました。
その独立に少なからず影響を与えたと言われるのが、シベリウスの作曲した「フィンランディア」(1899年)です。
重々しい出だしはロシアの圧政を暗示し、やがてフィンランド的な旋律が朗々流れるとそれは勝利の歌となるというもので、愛国的過ぎるという理由でロシア政府が演奏禁止にするなどして民衆がひとつになることを恐れたようです。
いくら演奏禁止にしても、水面下ではフィンランドの国民の間で聴かれるようになって、結果的に応援歌のような役割を担っていったと考えられます。

映画ダイハード2でも、フィンランディアの音楽が重要な役割を果たしています。
空港テロのストーリーですが、ちょっと笑えるテロリストが乗って逃げようとした航空機を爆破するラストのシーンの後、フィンランディアの有名な旋律が流れます。
じつは、ダイハード2を監督したのはフィンランド人のレニー・ハーリンで、テロリスト=帝政ロシア、主人公の勝利=フィンランドの独立をそのまま表現したのではと考えられます。
かなり露骨な音楽の使い方ですね。

シベリウスでは交響曲第2番ニ長調も、フィンランディアに通じるところのある曲です。
圧政からの解放という雰囲気ではないですが、やはり第4楽章は勝利の賛歌が高らかに鳴り響きます。
実は、わたしはクラシックを生で聴いたのがこの曲が初めてでした(実際は前プロ、中プロも聴いているはずですが…)。
そして、この第4楽章にしびれてクラシック音楽を聴き始めるようになった思い出深い曲なのでした。
【Ultrastigmat 5cmF1.9 F4】
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thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gundlach Ultrastigmat 50mmF1.9 | trackback(0) | comment(0) | 2010/12/24 Fri

卓別林的背面

M8/Ultrastigmat 50mmF1.9
本郷界隈にはあちこちに古建築が点在していますが、ここがハイライトと思います。
木造三階建ての学生下宿、本郷館です。
散策会の興奮もここに極まれりというところでしょうか、メンバーで建物を取り囲んでしまっています。

本郷館は、1905年に建築され、関東大震災や東京大空襲にも動じず105年の下宿屋の歴史を持ち、またそれは続いています。
残念ながら内部の見学は禁止されていて、それでも侵入しようとする人が後を絶たないことからかなり神経質になっているようです。
気をつけたいものです。


さて、今回使用した Ultrastigmat 5cmF1.9 について、言及したいと思います。
昨年8月、鉄っちゃんと大連・瀋陽を旅したときにデビューさせたレンズで、その際調べうる限りのことは、愚論を挟みつつも紹介したつもりです。
情報は、少なく書くこともほとんどなかったのですが。

1年近くを経ても状況は変わっていません。
ただ、今回、散策会にも参加したH氏が、レンズの歴史的価値と描写のすばらしさに惚れ込んで、ついにウルトラスティグマット5cmF1.9のレンズヘッドを入手されたとのことでした。
わたしのレンズを見てもらうと、まったく同じレンズという判定でしたし、彼の撮影したプリントを見てもわたしのものと瓜二つの写りと判断できました。
知りうる限りでは、世界中で2本だけ、ウルトラスティグマット5cmF1.9が同じライカマウントとして使用されていることになります。

情報は、もうひとつだけ入手できました。
このレンズが付いていたカメラについてです。
もちろんスティルカメラではなく、シネ用の Bell & Howell 2709 というカメラでした。
16mmてはなく35mmシネです。

1911年に世に出たカメラですが、その後1950年頃まで使われていたといいます。
特に、1930年頃までのアメリカの有名な作品のほとんどがこれで撮影されたということです。

ズームレンズのない時代でしたので、焦点距離のバリエーションが豊富だったスピードバンクロも、このカメラに付けて使用されたようです。
しかし、スピードバンクロの登場は1931年ですので、ウルトラスティグマットが設計された1916年から31年まではこのレンズで撮影された可能性は高いと思われます。

この時代のアメリカ映画にはどんなものがあるのでしょう。
時は、まだサイレント映画の時代だったようです。
映画のことはさっぱりなので検索してみると、映画の父と呼ばれたグリフィスがいます。
代表作の「イントレランス」(1916年)、「散り行く花」(1919年)は、ウルトラスティグマットで撮られた可能性があるかも知れません。

さらに20年代に入ると、チャップリン、クララ・ボウ、クラーク・ゲーブルといった有名人が活躍します。
なるほど、そういう時代だったのですね。
もうひとつ想像を膨らませれば、そんなスーパースター達をまさに撮影したそのレンズが、巡り巡ってわたしの手許にやって来たのかも知れません。
こんな勝手な空想も許されるのが、オールドレンズを使う楽しみのひとつだったりします。

【Ultrastigmat 5cmF1.9 F4】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gundlach Ultrastigmat 50mmF1.9 | trackback(0) | comment(0) | 2010/07/17 Sat

長城加来卡加英国鏡頭

M8/Ultrastigmat 50mmF1.9
散策会のランチは外れがありません。
ローライ中心の中判カメラの集まりは、美食家の集まりでもあって必ず美味しいお店が選ばれます。
土地勘のないところでも鋭い嗅覚がはたらくようで、やはり美味しい店が選択されることになります。

本郷では日本の最高学府で教鞭を取られる親族を持つTさんがいて、近隣の名店リストが完成しています。
毛色が変わっているということでしょうか、ベトナム料理のランチになりました。
コーヒー付きのランチが600円とたいへんリーズナブルで、美味しい越南料理を堪能しました。
学生に人気のある店のようでしたが、さいわい土曜日で席が空いていたので、ゆっくりと仲間内のレンズ話ができました。

そんなレンズ話のネタにもなると持参したのが作例のカメラです。
中国製の6×6一眼レフカメラ「長城」と言っても知っている方はほとんど皆無でしょう。
6×6一眼レフと言えば、最高級機のハッセルブラッドが思い浮かぶのが普通と思いますが、長城の方はミラーシャッターにプラスチックパーツの多い普及機です。
見た目、使用感とも安っぽさの感覚はぬぐえません。

しかし、おもしろい点もあります。
マウント部分が39mm径なので、いちおうライカのレンズを取り付けることができます。
もとのフランジバックが短いため、ライカレンズを付けても超近接撮影にしか使用できません。
そこで工夫が必要になって来ます。

135mmヘクトールのレンズヘッドを付けてビゾフレックスに使用するためのアダプターがあります。
これはエッジが出っ張っていて削り取る必要こそありましたが、ヘクトールを付けると無限が出ました。
90mmレンズでは無限まで到達しないのですが、39mmねじのエクステンションチューブなら何種類も持っています。
適当に組み合わせすれば9cmエルマーでも無限は問題ありません。

これで要領を得ました。
手許にある19世紀のブラスレンズを試してみることにしましょう。
Dallmeyer Rapid Rectilinear は焦点距離がはっきりしませんが100mm前後のようです。
これも適当な延長チューブを噛ませてあげると、無限から1.5メートルほどまでピントが来るようになりました。
まずは、この組み合わせでテスト撮影することにしてみましょう。

なんでまた、こんなことをやろうと考えたのか…。
ライカマウントに改造すべく購入した古いレンズが何本かありますが、距離計連動の問題、改造してもF値の暗い地味なスペックの望遠レンズは使う機会もない等、お蔵入りしているのが現状です。

いずれ売却してしまえばいいのですが、散策会がもともとローライクラブのメンバー主体ということで6×6カメラが主流になっているので、自分なりにオールドレンズを活かした6×6を使ってみたいと考えていました。
そんな矢先、中国で長城の出物があって、何か面白いことができるかも知れないと直感したことが始まりでした。

中判でも、レンズ交換可能なカメラならマウント改造で、多くのレンズが使用できます。
しかし、高価なカメラを新規購入したり、レンズの改造を外部委託したりする余裕はもはやありません。
今回紹介してみたのも、既存のアダプターとテープだけで、特別なコストをかけずに完結できたからに他なりません。

ライカマウントの方で、人生を投げ出すようなレンズの揃え方をしてしまいました。
中判では、はやりのエコでスローなスタイルを貫こうと思います。
この方面には、身近に師匠と呼べるような人がいるのも心強いです。
【Ultrastigmat 5cmF1.9 F1.9】
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Gundlach Ultrastigmat 50mmF1.9 | trackback(0) | comment(0) | 2010/07/16 Fri

対西班牙隊忠言④

M8/Ultrastigmat 50mmF1.9
本郷菊坂のメインストリートは、ここ、きくさかどおりのようです。
名前がひらがな表記なのはいいですが、菊花のマークは、警視庁を連想させてあまり趣味の良いものとは思えません。
この作例では殺風景な通りに見えますが、古い老舗のようなお店も並んでいて、歩いていて楽しさを感じる通りです。

このあたりに習熟している大判のT氏から、途中にある肉屋さんのコロッケが美味しいと聞き、昼前でしたが1個いただいてみました。
空腹だったということもあるでしょうが、これが絶品でした。
揚げたてのサクサク感と中の肉とジャガイモのほくほく感で、幸せ気分になります。

作例をパッと見ると、日中から街灯を点けているように見えないでしょうか。
実際、ここに立ったとき、わたしも渋いランプ風の灯りが点いていると思ったのですが、よく見れば違っています。
ランプの傘が、太陽光を反射しているだけだったのですね。
おもしろい演出に感じられました。


さて、今夜もしつこく、素人のスペイン代表放言シリーズを始めることにしましょう。

ワールドカップ決勝を前にして話題になったことのひとつに、スペインはバルセロナ・スタイルのサッカーを展開しているが、それをたたきこんだのが、かつてオランダでトータルフットボールを掲げていたクライフだということでした。
クライフは、現役時代にアヤックスからバルセロナに移籍して下位に低迷していたチームを優勝に導きましたし、引退後は監督としてバルセロナに戻りドリームチームをつくって4連覇を果たしています。

わたしが、バルセロナのファンになり、世界のサッカーを見るようになったのが、クライフ擁するバルセロナが欧州チャンピオンとして来日してトヨタカップを戦ったときです。
それ以前のバルセロナのスタイルは知りません。
もともと攻撃的なサッカーをするスペインのクラブチームたちですが、それでもやはりクライフが来てからサッカーは大きく変わったのでしょう。
バルセロナをずっと見続けている市民ですら、それを否定しないと言います。

そんなクライフにとって、今回のワールドカップ決勝は特別な思いがあったはずです。
クライフは、かつて何度かオランダ代表の監督に招聘される直前までいったことがあったようですが、結局は一度も監督をしませんでした。
サッカー協会との確執とか、いろいろな噂があるようですが、熱望しているはずの監督を受けなかった理由は謎のままです。

思い入れあるスペインではあっても、優勝してほしかったのはオランダの方のはずです。
ワールドカップ毎に自国の試合に厳しいコメントをするクライフが、今回も手厳しい記者会見をしたようです。
試合前のコメントでは「デルボスケ監督のチームは成長しており、決勝で最高潮に達する。わたしはオランダ人だが、スペインのサッカーを支持する」と言っています。

試合後のコメントはさらに刺激的なもので、少し長いですが引用することにします。
「決勝は、美しいプレーを消すことが唯一の対抗手段と考えるチームと、優勝候補との一戦となってしまった。オランダのスタイルは醜く低俗だった。スペインを動揺させるために、スペースを完全につぶして厳しい当たりを見せただけで、これといった見どころのない内容に終始した。スペインは最初の20分間は素晴らしかったものの、相手の汚いプレーがあまりにも多かったために、自分たちのサッカーをさせてもらえなかった。この状況が続いたことにより、試合終盤までスコアが動かなかった」。

確かに醜いラフプレーは一度ならずありましたが、激しいあたりを見る限りでは、まるで親善試合のようなお互いの怪我を恐れたようなプレーに終始した準決勝のドイツより見ごたえがあったとわたしは思います。
自国オランダに対しては、理想のサッカーをして欲しいという思いが伝わるコメントと解することはできそうです。

じつは、わたしはかなり以前から日本代表の監督にクライフを招くべきだと主張してきました。
今でこそ、スペインの選手は日本人と変わらない体格なので手本とすべきとよく言われますが、ボールを触らせずにパスを回すクライフ流のサッカーは、あたりに弱く細かい技術を持つ日本に適しているからということからでした。

ところが、日本は独自のスタイルを確立することなく、ディフェンシブで面白みのない結果のみを追い求めるサッカーを貫き、ノーマークだった外国メディアからは賛辞(お世辞?)をもらいましたが、それこそ醜く低俗だつたと言わざるを得ません。

クライフが監督を受けるはずはないですが、もしそうなれば、バルセロナが確立したようなスタイルを日本にもたらしたのではとの期待が高くあります。
そのときは、恐らく予選リーグで惨敗していたかも知れませんが、美しく意図のあるサッカーを随所に見せて、今回言われた以上の感動や評価を内外から受けたのではないでしょうか。
汚なく勝ち残るか、美しく散るかです。

それでも、前者がいいという意見が勝るかも知れませんが、ワールドカップの出場国のすべてがそんなサッカーに
なってしまったら、わざわざ深夜に起き出して見るような大会ではなくなっているでしょう。
結果がすべてと、判で押したように日本人は言いますが、わたしにとっては、サッカーは結果ではなく内容です。
【Ultrastigmat 5cmF1.9 F5.6】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gundlach Ultrastigmat 50mmF1.9 | trackback(0) | comment(0) | 2010/07/15 Thu

対西班牙隊忠言③

M8/Ultrastigmat 50mmF1.9
菊坂のあたりは家が密集していましたが、それ故でしょうか、軒先やベランダに花を飾ってあるシーンをよく目にしました。
ライカの最短撮影距離の問題もあって、わたしは花の撮影には興味が向きませんが、生活の中にある花はいいものだと思います。

それと、「空は見れど」での花を背景と対比させる美しい写真をずっと見てきましたので、これはそうとう影響を受けています。
物まねになってしまいますが、わたしも早朝から名所に出掛けて、花と背景と空気を写し撮って来たいと考えています。

今日の作例は、散策会主宰のT氏らと歩いていた時に、偶然生まれたものです。
このアジサイを撮影するにあたって背景をどうするかという話になったとき、T氏はこのポスターの女性をボケさせて背景にするのが面白いのではと言われました。

なるほど、ポスターそのものが普通に描写されてはつまらないですが、アジサイと対比させることで面白い効果が出るような気が直感的にしました。
当然文字は外したかったのですが、電柱が邪魔してどうやっても「する」の2文字が写り込んでしまいます。

そのむね再度T氏に説明して、アドバイスをもらおうとすると思わぬ回答が返って来ました。
「するはスルーしてください」
ああ、聞くんじゃなかったです。


さて、しつこいですが、ワールドカップのスペインにちょっと苦言シリーズ開始です。

1998年のワールドカップ・フランス大会で地元フランスが優勝を決めたとき、アフリカ系の選手を多く擁するフランス代表に対して批判が集まるどころか、人種差別を超えたところでチームワークを発揮した点が高い評価を生むことになりました。
スペインには、外国起源の選手はいなかったように思います。
問題としては、カタルーニャやバスクなど独立志向が多少なりともある選手も混じってひとつのスペインとしてチームの和を保っていることでした。

このワールドカップでは、ひとつのスペインは疑う余地なく実現されていたように見えます。
しかし、バルセロナとレアル・マドリードの確執はまったくなかったのでしょうか。
代表チームはバルセロナのスタイルを踏襲していると表現されましたが、マドリードの選手はそれを素直に受け入れたのでしょうか。

そんなことは問題にもならなかったのでしょう。
だからこそ、ひとつに結晶したチームはスペイン初のワールドカップを手にしたのだと思います。
ですが、試合が終了してから、なにかまずいものを見てしまったような気がします。

表彰式の中で優勝トロフィーであるワールドカップは、キャプテンのカシージャスに手渡されました。
彼は、その栄冠を受け取った誰もがしてきたようにカップに口づけします。
そして、続いてそれを手渡したのは、同じマドリードのセルヒオ・ラモスでした。
年長者でチームの軸であったプジョルやシャビが次に受け取ってもよさそうなものですが、まだまだ若いラモスが2番目の栄冠を手にしたかたちです。

その後画面が切り替わったので、どのような順序でカップが受け継がれたのかは分かりません。
次に記憶しているシーンでは、ワールドカップを囲んでメンバー全員で記念撮影しているところがあります。
ここでは、バルセロナの選手ばかりでカップを取り囲んでいます。

いずれも偶然そのようになっただけかも知れません。
とは言っても、テレビに大写しにされてみると、妙に強調されて、確執はあった! と思わせるに十分なインパクトでした。

凱旋パレードは、当然、首都マドリードで行われました。
市民はどのように受け取ったのでしょう。
リーガと呼ばれるリーグ戦に重きが置かれるスペインでは、みんな複雑な気持ちを内包しての祝福だったに違いありません。
スペイン代表チームの今後に遺恨を残すことがなければよいがと、ニュースの画面を見ながら真剣に考えてしまいました。
【Ultrastigmat 5cmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gundlach Ultrastigmat 50mmF1.9 | trackback(0) | comment(1) | 2010/07/14 Wed

対西班牙隊忠言②

M8/Ultrastigmat 50mmF1.9
本郷三丁目駅を出発した散策は、菊坂近辺をくまなく歩いて行きました。
作例は、凡庸な住宅地の風景のようですが、この周辺は風情があふれていました。
何しろ古い建物が散在していますし、建物は新築されていても、どことなく戦前の空気が残っているように感じられます。

路地を入ると、樋口一葉の旧居も現存しています。
何代も引き継がれたような床屋さんがあって場所をたずねると、接客しながらも地元の自慢をようこそ見に来てくれたと言わんばかりに説明してくれました。

そこは、古い建物と緑に囲まれた一角で、本当に当時のままのような建物に寄り添うように、古井戸が残っているのも素敵な演出のようです。
五千円札ですっかりなじみになった一葉が、玄関の引き戸を開けてすっと出てくるのではとの錯覚をしてしまう、真夏の朝の散策でした。

作例では、「国際インキ」の看板が妙に目立っています。
インクではなくインキと表記されることで察せられますが、インキは英語ではなくオランダ語から派生しているようです。
蘭学が日本に伝わった時にいっしょに入って来たものと言われます。

一方、インクという表現も日本で定着していますが、これには以下のような説があるようです。
すなわち、蘭学とともに輸入されたインキは、書物の印刷などと関連したもので、印刷用の液体をインキと呼びます。
その後、筆記具とともに英語として輸入されたのがインクです。

本郷は、日本の学問の総本山でしょうから、筆記具という可能性もゼロではないでしょうが、ここは印刷工場も見かけたこともありますし素直に印刷用インクなのだと受け入れることにしましょう。
そう書けば、このしょぼい作例からも、どことなく輪転機の音やインキの臭いが感じられないでしょうか。


話は飛びますが、蘭学と言えば今回もあと一歩でワールドカップを手にできなかったオランダが気になります。
バルセロナがクライフ人脈の流れでオランダ人を多く在籍させていて、ファン・ボメル、ファン・プロンクホルストなどは少し前まで主力選手として活躍していましたし、アシスタント・コーチだったデ・プールもバルセロナの一員でした。
さらに、2大スーパースターだったロッベンとスナイデルは、ともに昨シーズンまでレアル・マドリードに所属していました。

しかし、現在はオランダの選手はスペインにはレアル・マドリードのファン・デル・ファールトひとりしか存在しません。
マドリードで言えば、ロッベン、スナイデルは怪我がちであまり活躍できなかったことから追い出され、バルサは世代交代時にオランダ人脈こそ悪であると一切を断ち切ってしまったのでした。
ワールドカップ決勝には、オランダ人のスペインへの報復の意味もあったはずだったのですが…。

それもあってか、選手個々の闘志ではオランダが勝っていたと思います。
逆に準決勝のドイツは、あまりに気合いが抜けた戦いでした。
あきらかにドイツ、オランダの中間のような戦い方が良かったはずで、チリ、パラグアイとの苦戦を考えてもブラジル、アルゼンチンと戦わずに済んだことも含めて、スペインはかなりラッキーに勝ち進んだような気がします。
【Ultrastigmat 5cmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gundlach Ultrastigmat 50mmF1.9 | trackback(0) | comment(0) | 2010/07/13 Tue

対西班牙隊忠言

M8/Ultrastigmat 50mmF1.9
7月10日土曜日、恒例のT氏主宰の散策会に出掛けてきました。
本郷界隈の散策です。
梅雨の合間の暑い日でしたが、途中、かき氷休憩も挟んでのんびりした休日を過ごしました。

そういうわけで、今週は散策の様子を順を追って記載する予定です。
しかし、今日はその前に書いておかなければいけないことがありました。
散策とも写真とも関係ないことなのですが。

散策会の翌晩、というよりも今朝と言った方がよいでしょうか。
ワールドカップ南アフリカ大会はスペインの優勝をもって幕を下ろしました。
長くて短い1ヶ月でしたが、これでようやく寝不足の日々から解放されます。

中国で購入したスペイン代表のユニフォームをずっとパジャマ代わりにしてきたわたしには、最良の結果だったわけですが、どうも腑に落ちない部分もあります。

そもそもが、クラブチームファンにとって代表チームのサッカーは魅力ではひとつ劣るところがあります。
ブラジル、アルゼンチン、オランダなどは、代表選手が各国のリーグに分散していますので、豪華メンバーが集結するワールドカップでは見ごたえがあります。
しかし、スペイン、イングランド、イタリア、ドイツでは、ほとんどの選手が自国のリーグでプレイしていますので、それらクラブチームより魅力的な代表チームを作るのは難しくなります。

今回のスペインは、その典型です。
準決勝・決勝の先発メンバー11人を見ると、7人がバルセロナ(ビジャは今期から加入ですが)、3人がレアル・マドリード、1人がビジャ・レアルです。
つまり、キーパー、両サイドバック、フォワードの選手を入れ替えると、そのままバルセロナになります。

スペイン代表は、ボールを常に支配してバスをつなぎながらスペースに人が飛び込む、バルセロナの戦術を一定踏襲しています。
確かに両者は同じ方向を向いてはいますが、内容には大きな違いがあります。
かりに違いがなかったとしても、スペイン代表にメッシのドリブル突破や、アウベスの縦のスピード突破などが加わった方が魅力が増すと感じる人が多いのは間違いないでしょう。

デルボスケ監督には、スペイン代表にバルセロナにはない魅力を全面に出して欲しかったのですが、それは見られなかったように思います。
中盤に5枚置くということなら、ユーロ2008に優勝した前後のシルバ、セスク、セナを登用していた時の方が面白かったし、両サイドにヘスス・ナバス、サンティ・カソルラの高速ドリブラーを同時起用するなどの布陣も見てみたかったものです。
あえて言えば優勝したいという執着心の強さが、今回のスペイン代表の最大の特徴だったのかも知れません。
【Ultrastigmat 5cmF1.9 F1.9】
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Gundlach Ultrastigmat 50mmF1.9 | trackback(0) | comment(0) | 2010/07/12 Mon

我的撮影展Ⅱ

M8/Ultrastigmat 50mmF1.9
写真展2枚目は、このブログで掲載したことがあるものを出しています。
3年半以上ブログを続ける中で、旅の内容の過酷さなどを褒められたことはありましたが、写真そのものをお褒めいただいた唯一の写真です。

出展にあたっては、写真の出来不出来よりもまずレンズありきで選んでしまったため、1枚だけでも客観的評価をいただいたものを出さなくてはいけないと考え、あえてブログとの重複を承知で出しました(たぶんにお世辞というものがあるのは承知していますが…)。
http://zunow.blog51.fc2.com/blog-entry-1134.html#comment

そういう訳で、今日は写真展3枚目の説明になります。
今年7月大連&瀋陽に旅した時のものです。
鉄道研究家の友人のお供として出掛けたので、歩き方も写真も相手に合わせる状態が続いていました。
しかし、最後の最後、帰国まで数時間前というときに再開発直前の魅力的なオールドタウンを発見し、喜々として歩き始めたところです。

庶民の暮らしの匂いが感じられるどころか、そのまま目の前で生活が繰り広げられる世界です。
接近戦すぎるため、かえって撮影しにくいくらいでした。
もちろん歩いているだけでも、楽しさがこみあげます。

そんな中、最大のシャッターチャンスが訪れました。
解体される運命の古い家屋の中にはだかの幼児がいます。
その前にスカートをはき忘れたのかパンツ姿の女の子、それにひだひだワンピースのおしゃれなお姉さん。
3人は窓の格子越しに何やらやり取りしていますが、何をしているかや彼らの関係はとんと分かりません。

お菓子をプレゼントしているところに見えますし、指きりげんまんしようとしているところにも見えます。幼少のキリストを描いた宗教画のようであり、愛煙家の幼児がタバコを買ってきてくれと小銭を渡しているブラックな絵ともとれなくありません。

幼児が真っ暗な背景からリアリティをもって浮かび上がり、女の子の足は背伸びしているという緊張感が伝わります。
それでいて、左上のカーテンや女の子の頭髪、衣類が妙に絵画的な描写をしています。

見る者の想像力を掻きたててくれる魅力を、わたしはこの写真に感じました。

今回、もっとも気に入っていた1枚でしたが、実は、とんだ手違いによって台無しにしてしまいました。
ラボでは、ブログ掲載用の縮小された画像を延ばしてしまったため、ジャミングだらけの鑑賞に堪えない仕上がりになってしまったのです。
指示及び確認ミスです。

キリストか天使だった幼児は、悪魔の子どものような怖い顔と言われただけで注目されないまま、本日の写真展閉幕を迎えたのは何とも残念なことでした。
【M8/Kino-Plasmat 3,5cmF1,5 F1,5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gundlach Ultrastigmat 50mmF1.9 | trackback(0) | comment(4) | 2009/11/14 Sat

河豚与蝎子

M8/Ultrastigmat 50mmF1.9
ロシア街があれば、やはり日本街もあると言うので行ってみました。
なぜか新築の一軒家がきれいに並んだ住宅展示場のような空間が広がっていて、戦前の日本風建築を期待して出掛けた身には肩透かしです。
今までまったく見なかった、日本からのツアー団体もいて、やはりここは何なのだろうかというようなつまらなさそうな顔でぞろぞろ歩いています。

ここで唯一おもしろかったのは、入口にあったふぐ屋さんで、かんばんに大きく安倍晋三の文字が掲げられています。
店番の女の子にどうして安倍晋三なのか聞きますが、要領を得ません。
オーナーが安倍晋三かいと聞くも、いや中国人だと言うし、オープン時の首相の名を勝手にいただいたのでしょうと結論付けました。
その後の首相交代のスピードはすさまじく、かんばんの付け替えも間に合わず中国人老板は後悔したことでしょう。

日本街が10分で済んでしまったので、予定が狂いました。
ここで思い出しのが、前回の四川の旅で教えてもらった阿蘭のことで、彼女のCDを探してみることにしました。
残念ながらCDはありませんでしたが、DVDを購入することができました。
それに阿蘭は現地でも知名度は高いようで、店員にたずねるとさっとDVDを手渡してくれます。
値札は15元で、店では絶対に正規版と言い張っていましたが、ちょっと安すぎます。
Voice of Earth というアルバムで、日本でリリースされたDVDをアジア各国に頒布するためにライセンスされたものだと但し書きがあります。

曲は、ほぼすべて日本語のものですが、1曲だけ四川省でロケされた映像があります。
出身地の丹巴周辺なのかも知れませんが、わたしが旅して歩いたところではありませんでした。
ここに登場する町並みはチベットの風情があってなかなか魅力的です。
それに阿蘭はやはりたいへんに美しい女性です。
美人谷への思いがふたたび募ってやみません。

閑話休題。
駅近くに戻って散策すると夜市がお昼にも営業しているのに出くわしました。
最後のお昼でしたから、少し豪勢な食事をとろうかとも考えていましたが、少しお腹が空いていたのと帰国便のソウルの乗り継ぎに2時間近くあるのでそこで韓国料理を食べようということになり、ここの屋台で適当につまみ食いすることにしました。

中国に行って小吃は楽しみのひとつですから、あちこちで買っては食べしてすぐ満腹になります。
白眉は臭豆腐で、いままで中国に同行した友人や新宿の某店で誘った友人は食べるのを拒否しましたが、鉄っちゃんは予備知識がなかったせいか、これは旨いと喜んで食べてくれました。

どうしても手が出なかったのが、ここ昆虫屋でした。
名前は偽りありで、昆虫の姿はなく、手前から奥に向かって、サナギ、ムカデ、クモ、でかいサソリ、カップルが手にしている小さいサソリ、その他正体不明の虫系生き物が串焼きになって香ばしさを振りまいています。

奥の黄色いやつはドリアン餅で、唯一美味しそうに感じられましたが、中からクモがぽろりとかっていう仕掛けがあるのかも知れず、やはり手が出ません。
こんなんで商売になるのか人ごとながら心配になりますが、広い中国、きっと愛好家も百万人単位で存在していて、店じまいの時間には在庫も捌けてているのでしょう。

旅も終わりになって、鉄っちゃんに中国らしいものを食べ物の数々を見せることができ、満足感いっぱいに帰路につくことができました。
【M8/Ultrastigmat 50mmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gundlach Ultrastigmat 50mmF1.9 | trackback(1) | comment(6) | 2009/09/06 Sun

走在俄国街

M8/Ultrastigmat 50mmF1.9
昨日のレンズの歴史の続きではないですが、今日は大連の歴史を少しだけ。

日露戦争のメイン舞台にもなっているので、歴史ある都会のイメージがありますが、もともと大連は地方の小さな町に過ぎませんでした。
都市として開けたのは日清戦争をきっかけにします。
海に面した大連は、防衛施設が築かれることで徐々に開けました。
が、戦争に敗れた清は、1898年ロシアに大連の租借を余儀なくされます。

ロシアは大連を貿易の拠点とすべき都市計画を進めます。
大連駅や大連港が続けざまに造られました。
しかし続いて勃発した日露戦争によって、1905年には租借権が日本に移ります。
日本は、ロシアが築きつつあった都市計画を引き継いで、西洋近代建築をつぎつぎに建てていきました。

しかし、第2次世界大戦末の1945年に日ソ中立条約を破棄して参戦したソ連に、大連はまたしても占拠されてしまいます。
1951年までソ連の管理下に置かれた大連ですが、改革開放後の1990年代に入って外国企業の誘致によって、多くの日本企業が進出してきています。
それに、朝鮮半島と遼寧省が隣接しているほどの至近ですので、韓国企業の進出は日本以上のようです。

このようにあまりに外国に対して開かれ過ぎていた町であったせいか、他の中国の町に比べて、わたしたちにはオープンな歓迎ムードが感じられました。
食事やタクシーなどは当たり前ですが、瀋陽行きのキップを買うときなども行列の中にも関わらず丁寧に対応してくれ、中国ではなく台湾にいるような錯覚を覚えるほどでした。
蹂躙の歴史というイメージでいたので、むしろ反日感情の矢面に立たされるのではと心配もしていたのですが。

町並みの中には、外国が色濃く残っています。
宿泊した大連賓館は、かつてロシアの都市計画でできた広場に日本が建てて運営していたクラシックホテルでしたし、その広場に接するすべての建物が当時のままの姿で残っています。
鉄っちゃんは旧満鉄に関わる施設をいつくか早起きして見てきたと言ってましたが、これらも当然当時の日本が建てた西洋建築です。

一方、ロシア人が大連駅を建造したこともあって、駅のそばにロシア街があります。
赤の広場風の遊園地みたいな建物があったり教会も残されていますし、例のキリル文字の標識もあったりして現在でもロシアとの関係が続いていることをうかがわせます。
ロシア街には土産物屋が多くあって、大方の予想通りマトリーシュカがずらっと並んでいますが、売っているのは黒竜江省とか山東省から出てきた中国人でした。

それと気になったのは、大連賓館をはじめとして日本による建築物の多くが銀行などに転じて未だ活用されているのに対し、ロシア街はせっかくの建築物の多くが休眠状態だったことです。
一部、レストラン程度には転用されていましたが、放置されているさまが目立ちました。
ロシアが所有権を主張したりなど、問題発生しているのでしょうか。
どうしても、日本の北方四島の返還問題が連想されてしまいます。
【M8/Ultrastigmat 50mmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gundlach Ultrastigmat 50mmF1.9 | trackback(0) | comment(0) | 2009/09/05 Sat

3枚玉的発展

M8/Ultrastigmat 50mmF1.9
このウルトラスティグマットについては、依然として新しい発見はないのですが、その流れであるトリプレット=エルノスター=ゾナーを傍観しておきたいと思いました。
今回も、キングスレークの「写真レンズの歴史」を基に、つまりは転載によって記述していることをお断りいたします。
早く"Vade mecum"を入手しなくては。

まずは、1893年のテーラーによるクックのトリプレットに始まります。
彼は、同じ屈折率の薄い凸レンズと凹レンズを並べるとペッツパール和(非点収差と像面湾曲を示す数式の和)がゼロになるので、2枚の凸レンズの間に両凹レンズを入れることで、収差の少ないトリプレットを開発しました。
これ以前にもトリプレットタイプの凸凹凸と並んだレンズは、ダルマイヤーやツァイスなどでも設計されていましたが、中央の凹のエレメントが弱かったため、クックの先駆とはなりませんでした。

続いて1900年にフォクトレンダーのハーティングがヘリアーを設計します。
ヘリアーは、1、3枚目の凸レンズを貼り合わせのダプレットに変更することで、レンズ設計の自由度を増やし、収差を減らすことを目指しました。
ヘリアーは、ハーティングが考えるほどには収差を除けなかったのですが、コンピューター設計の現代になって復活を遂げます。
2006年のコシナのヘリアー・クラシック50mmF2と2009年のMSオプティカルのアポクォリア50mmF3.5の優秀な限定レンズです。

ヘリアーの変形では、1919年のダルマイヤーのペンタックがあります。
ヘリアーのふたつのダプレットの向きを逆にしたもので、F2.9の明るさを実現したうえに、収差はかなり抑えられたために優れたレンズとして、発売当時から高い評価を得ています。

時代を少し戻ります。
トリプレットを明るくするために3枚目を凸レンズ2枚に分割した4群4枚レンズが設計されました。
もともとはボシュが1900年に試みていましたが、1924年になってリーによって完成します。
彼のレンズ名をとってスピーディック型と呼ばれますが、このタイプでより有名なのはアストロのパン・タハーです。
キングスレークが非点収差が悪くなっていると書いているとおり、パン・タハーは周辺で同心円状のボケが激しさが面白いレンズです。

トリプレットをより明るくしたのは、先日書きましたが、マイナーというアメリカ人で、これは1916年にガンドラック社からウルトラスティグマットとして発売した今回使用しているレンズです。
1枚目と2枚目の間に凸レンズを入れた4群4枚で、このタイプのレンズはシネ用として多くのメーカーから発売されています。

このタイプのレンズの完成度を高めたエルノスターを設計したのは、エルネマン社のベルテレです。
ウルトラスティグマットから3年、1919年のことです。
このレンズは短命にも関わらず、エルマノックスというフォーカルプレーンカメラに搭載されたことで名声と商業的な成功を得ます。
2枚目をメニスカスにした4群構成ですが、初期のF2タイプでは1、2群目をダプレットにした4群6枚、改良型のF1.8タイプでは2群目を3枚貼り合わせにした4群6枚です。

トリプレットの凸凹凸の1枚目と2枚目の間にメニスカスを置いたタイプのバリエーションは多く、これらも基本的にはエルノスター・タイプと呼ばれています。
その優秀性故でしょう、多くのメーカーからこのタイプのレンズが発売されました。
有名なものとして2つあげると、アンジェニューのType Yという名のほとんどの望遠レンズと、マイヤーのプリモプランがあります。

エルノスター・タイプで忘れてはいけないのが、スイス・ケルン社のスイター・レンズ群です。
構成図が見つけられなかったので、これは kinoplasmat さんのサイトからの借用になりますが、50mmF1.4、50mmF1.8、25mmF1.4の各Cマウント・スイター・レンズはすべてエルノスター・タイプです。
またアルパ用のレンズとして有名なマクロ・スイター50mmF1.8も、後群の凸レンズの前にもメニスカスのダプレットを置いた5群7枚のエルノスター・タイプです。

そして、エルネマンがツァイスに吸収されたことでベルテレもツァイス社の設計者として活躍します。
1930年、エルノスターを発展させたゾナーを設計して、ついにトリプレットは究極のかたちに発展しました。
F2は3群6枚、F1.5は3群7枚、発展の軌跡をたどればトリプレットからゾナーへの流れが理解できますが、このゾナーだけを見てもトリプレットを連想することはもはやできません。

ダブルガウスの発達に押されて、表舞台から消えていたゾナーですが、これも最近になって一部のレンズファン向けに復活しています。
MSオプティカルの2007年のMSモードS50mmF1.3と来月発売予定の名称未定レンズ25mmF1.1です。
ゾナーが長らく追及されなかったのが不思議なことですが、最近になって宮崎さんによってたいへん明るいレンズとなって好評を得ているのはご存じのとおりです。
世間がガウス、ガウスと騒いでいるうちに、トリプレット系列の個性的な写りは忘れかけてしまったようですが、名作が多いうえに新しいレンズも細々と世に出ている研究しがいのある分野と言えます。

さて、今日も、おととい、昨日と続いて大連駅のそばのオールドエリアからです。
ちょっとセクシーなお姉さんが歩いて来たので、カメラを構えかけましたが、一瞬先に通ったのび太メーク(?)の少年の方がユニークと気付き慌てて撮った1枚です。

ふたりは姉弟に見えます。
姉が正統派トリプレットとすれば、弟はやんちゃなスピーディックと言ったところでしょうか。
【M8/Ultrastigmat 50mmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gundlach Ultrastigmat 50mmF1.9 | trackback(0) | comment(4) | 2009/09/04 Fri

新的古鎮

M8/Ultrastigmat 50mmF1.9
わたしたちは、今回の旅行では見事なまでに鉄道に関する場所以外訪れていません。
瀋陽には、北京のそれと並ぶ故宮があって世界遺産になっていますが、見学する以前に検討の候補にすらあがっていません。
大連の最大の観光地は旅順で、日露戦争の要塞などが日本人にとっての見所ですが、やはり足を向けることはありませんでした。

鉄っちゃんも気を使って、わたしが行きたいところがあれば、ぜひそこも加えましょうと言ってくれていました。
わたしは古鎮と呼ばれる古い村を訪れるのをライフワークにしていますので、当然この付近のそういった村をリサーチしましたが、どうも遼寧省を始めとした東北三省には古鎮と呼べるものは存在しないようでした。
適当に想像すると、東北部は木造の家が中心でしたが、開放以降石やレンガの家に建て替えられて訪れる価値のあるような古民家の集落が無くなってしまったのかも知れません。

行きたいところが全くないと告げるのも悲しいので、じゃあ北朝鮮レストランで食事したいと願い出ました。
夕食なら鉄道見学には影響しないので、これはあっさり採用され、瀋陽で食事を果たすことができました。

さて、リレータクシーで瀋陽に戻り、わたしたちは夜汽車で大連に戻りました。
瀋陽から大連への快速特急は時間が合わなかったので、6時間ほどかかる遅い夜行列車をホテル代わりにしてしまうというアイディアでした。
駅前の外国人不可の旅社(安宿)に中国人になり済ましてチェックインして、シャワーを浴びてすっきり気分で瀋陽を後にします。

やってきた列車には「烏蘭浩特⇔大連」と書かれていて、ウランバートル発の国際列車かと思われました。
瀋陽は、北京発モスクワ行きとか、平壌行きとかの国際列車の停車駅だと聞いていました。
これは、モンゴル発の国際列車だとふたりで少し興奮気味でしたが、残念ながら後で調べると、ウランホトという中国内モンゴル自治区の町でした。

ふたりとも疲れが溜まっていたようで、寝台の中でそこそこ眠ることができ、旅の最終日の大連の町にさわやかに降り立ちました。
空港へ行くまで5時間ほどありますので、どこへ行くか協議します。
旅の初日に市電に乗って、実に雰囲気のいいところを通り過ぎたので、今度はそこで市電を撮影したいということになりました。

停留所を降りたところにちょうど「老辺餃子」というどこかで聞いたような店があって、朝食をとりました。
餃子がうまかったのは言うまでもありませんが、少し興味深い話を聞くことができました。

この餃子店も、かれこれ30年近く商売している老店ですが、このあたり一帯が100年ほどの歴史のある大連ではもっとも古い町なのだそうです。
しかし、大連の再開発地区の中心で、もうしばらくで町はすべて解体されることになっていると言います。
そう説明するおかみさんの眼は悲しげで、オリンピック前の北京で立ち退きを余儀なくされた多くの市井の人々のことが思い出されました。

鉄っちゃんは、ここでしぱらく市電を撮影したいというので、今回初めての別行動ということで、わたしは取り壊し直前のこの町を散策してみることにしました。

歩いてすぐ気付きました。
ここは、わたしにとって新しい古鎮とも呼べる、散策の喜びを味わえるところです。
鉄道にどっぷり嵌まるのも案外と楽しい経験でしたが、最後の最後にこんな庶民の生活の息遣いが感じられる町を歩けたのは、偶然とはいえ、はるばるやって来た甲斐がありました。
【M8/Ultrastigmat 50mmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gundlach Ultrastigmat 50mmF1.9 | trackback(0) | comment(8) | 2009/09/03 Thu

的士的故事

M8/Ultrastigmat 50mmF1.9
調兵山ではSL乗車体験もできて、満足のうちに瀋陽に戻ります。
面倒くさいのでタクシーで戻りましょうとうながされて、駅前で客待ちしていた運転手と交渉します。
あっさり200元でOKになり、粘って少し下げるより急いで戻るべくそのタクシーに乗車しました。
しかし、これがとんだ食わせものだったのです…。

われわれを乗せた車は快速に飛ばし、と思いきや住宅街の方へ入っていき、客をふたり拾いました。
どうやら乗り合いタクシーに化けてしまったようなのですが、運転手は謙虚な親父さんで申し訳ないがと恐縮しているので許してしまいました。
ここでゴネなかったのが大きな失敗になります。

このタクシーは、のちのち分かるのですが、調兵山ではなく、途中の町、鉄嶺から来たものでした。
およそ30分後鉄嶺に着くや、ふたりの客は降りていきました。
が、途中電話連絡していた別のタクシーがやって来て、われわれもそちらへ移ってくれと言われます。

新しいタクシーもあろうことか瀋陽に向かう別の客をふたり拾いました。
やれやれという感じです。
しかし、やり取りはスムーズで、時間のロスはあまりないため、文句を言うほどでもありません。

さて、幹線道路を高速で飛ばしていたタクシーですが、またしても電話でやり取りを始めました。
いやな予感がしましたが、果たして、反対から来たタクシーと並んで停まるや、またしても乗り換えてくれと来ました。

そのタクシーにもしっかり4人の客が乗りこんでいて、客が4対4でそっくり入れ替わります。
今までのタクシーは鉄嶺のもので、鉄嶺に向かう4人を乗せてそのまま鉄嶺に引き返しました。
言うまでもなく今度のタクシーは瀋陽から来ていたタクシーで、瀋陽に行きたいわたしたち4人を詰め込んで瀋陽にとんぼ返りするという訳です。

手際よい連携のもとに瀋陽に戻ったものの、さすがに行きの2倍の時間がかかってしまいます。
それで貸し切りだった行きと同じ200元というのは納得いかず、下車時に負けろとゴネてみました。
これは、明らかにルール違反で文句は乗り換えの段階でつけなくてはいけません。
やはり、前の運転手から200元と引き継いでいるし、それまでの金も払っているからと受け付けてもらえません。

料金は200元では高いと感じ、これなら半額の100元で済んだはずだと思いました。
しかし、よく考えると乗合タクシーに乗ったということは100元×2人で200元はやはり適正ということになるのか。
むしろ高速等使っても200元だった行きのタクシーが安すぎだったのか、何だか分からなくなってきました。

少しいらいらぎみのわたしをなだめるように鉄っちゃんが言ったことには説得力がありました。

「こんな面白いシステムを体験できたのだからいいじゃありませんか。
調兵山でSLに乗った時、終点の手前駅で30分も停車してSL同士のすれ違いがありましたよね。
あれはおかしいと思うんです。
調兵山の鉄道局は、このタクシーのシステムこそ見習うべきですよ!」
【M8/Ultrastigmat 50mmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gundlach Ultrastigmat 50mmF1.9 | trackback(0) | comment(10) | 2009/09/02 Wed

這就是火車站

M8/Ultrastigmat 50mmF1.9
おそらく、中国には蒸気機関車くらいはふつうに走っているだろうと多くの方が考えていることと思います。
確かに調べてみると、炭坑内など企業の中での石炭の運搬に使われたりなどの例は、いくつかあるようです。
しかし、そういったところでは鉄道ファンなどが気軽に撮影できないませんし、ましてや旅客として乗車できる路線があるのは、どうやらほぼ1箇所だけのようです。

その唯一の乗車できる蒸気機関車は、瀋陽から車で北に1時間少々の調兵山という町にあります。
ここもやはり炭鉱が点在している地域で、調兵山はその中心に位置しています。
驚くべきは、その調兵山を起点に4つの路線が文字通り4通していて、そのすべてを蒸気機関車で運行していることでした(一部ディーゼルもあるようですが)。
それぞれが4~5往復していのですが、おおむね発車時刻を揃えているために、ホームにSLが2両、3両とスタンバイしている姿を見ることができます。

これを1910年代のレンズで捉えるとたちまち戦前の風景のように映ります。
しかし、このSLのプロフィールを読むと、やはり中国だったかと驚かされました。
ここのSLはすべて上遊という型ですが、なんと製造はすべて1990年代半ばだと言うのです。
時代の遺物に見える写真のSLが、製造されてまだ10年そこそことは不思議な感覚にとらわれます。

ここに来る前、瀋陽北駅のそばで中国新幹線が走り去るのを目撃しました。
鉄っちゃんの解説では、ドイツ製車両だそうで、最高時速250キロほどで北京に向かって走るそうです。
その新幹線とSLが踵を接するようにして同居しているということです。
そういえば、おとといの写真は馬車でのモノ売りでした。
その馬車を何台ものベンツや時にはフェラーリすらが追い越して行きます。

これこそが今の中国です。
まったく年代が違うものが、対比の対象にすらならないはずのものが、堂々と並存しています。
人間も同じです。
改革開放の波は多くの富裕層を生み出しました。
一方で貧困から脱出できない社会の底辺を支える人たちは、減ることなく存在します。
SLはそれを象徴する鏡かというとそんな訳でももなく、ごく当たり前の中国的一風景に過ぎません。
【M8/Ultrastigmat 50mmF1.9 F1.9】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Gundlach Ultrastigmat 50mmF1.9 | trackback(0) | comment(4) | 2009/08/31 Mon
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