聖誕節在西方式建筑

M8/Super Rokkor 5cmF1.8
気付いてみると、もう今年もあと2週間になっていました。
当ブログももたもたしてはいられません。
2010年最後を飾る特集で締めて、新年を迎えたいと考えました。

横浜・山手の西洋館では、毎年「世界のクリスマス」という特別展示を行っています。
歴史的建造物として、現在では横浜市の所有になっているいくつかの西洋館はふだんから一般公開されていますが、この期間のみ各館にゆかりのある国のクリスマスらしいデコレーションをおこなって、それぞれの国のクリスマスをしのんで楽しんでもらおうという催しです。

ヨーロッパでは、家の中を飾り立ててクリスマス当日を家族と静かに過ごしますので、若干華美なところもあるかも知れませんが、各国のクリスマスの様子がよく分かるのではないかと思います。
日本ではここ何年か自宅を電飾でちかちかさせるのをよく目にするようになりましたが、ああいったものもどこかにあるのかも知れませんが、どこか東南アジアのいなかの飲み屋さんめいていてどうも違和感を感じずにはいられません。

この世界のクリスマスをとりあげようと思う理由がもうひとつありました。
山手西洋館は7つあって、それぞれの国をテーマにクリスマスに対応していますが、7ということはちょうど1週間分です。
1日1つずつ紹介していって、国が違うのだからレンズもすべて変えていくのもおもしろいかも知れないと、アイディアがすぐまとまりました。

せっかくだからテーマになっている国のレンズを使いたかったのですが、ポーランドやフィンランド、ベルギーもあってこれらの国のレンズは所有していませんので、そこまで厳密にこだわるのはやめます。
むしろレンズ比較的な意味を若干込めて、F2くらいの大口径標準レンズで製造国はそれぞれ変えることにしようと考え、以下のように組み合わせを考えてみました。

山手111番館 ハンガリー Minolta Super-Rokkor 50mmF1.8
②横浜市イギリス館 イギリス Ross Xpres 2inchF2
山手234番館 ポーランド FED 50mmF2
④エリスマン邸 スイス Kern Switar 50mmF1.8
⑤ベーリック・ホール フィンランド Gundlach Ultrastigmat 5cmF1.9
⑥外交官の家 ドイツ Leitz Summicron 5cmF2
⑦ブラフ18番館 ベルギー SOM Berthiot Cinor 5cmF2

午後、関内駅で降りて中華街の脇をかすめて港の見える丘公園を突き抜けして、最初に着いたのが山手111番館です。
わたしとしてはかなり珍しく、訪問順を綿密にスケジューリングしたのですが、寝坊もあって1時間近く遅れて歩き始めました。
そのせいで、かなりあせっていて、最初の山手111番館はやり過ごす形になってしまいました。

これでいこうと思っていた、建物の外から窓越しにクリスマスツリーに見入る少女と言うのがよかったのですが、ガラスの反射でぐちゃぐちゃになってしまい没にせざるを得なかったのが残念です。
逆光でコントラストが落ちて、どこの建物かも分からないような作例になってしまいましたが、他にないのでいたしかたないところです。

せっかく、お膳立てを整えたで最初が肝心だったのですが、はやくも企画倒れの気配濃厚となってしまいました。
先週も、ゴースト付きの写真は使ったばかりですし。
山手111番館の庭側は、喫茶店になっているので、もっと余裕をもつたスケジュールでコーヒーでもすすりながら撮影すべきだったといきなりの反省スタートです。
【M8/Super Rokkor 5cmF1.8 F1.8】
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thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Chiyoda Kogaku Super Rokkor 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(0) | 2010/12/20 Mon

我的撮影展X

M8/Super Rokkor 5cmF1.8
写真展に出した写真の説明は終わりましたが、なお、もう1枚ここに紹介させていただきます。
昨日、シネレンズでもスペシャルレンズでもないレンズを使用したため、ボツにしましたと書いた写真です。
少し旅の思い入れがあったものですから…。

これは7月に四川省を回った旅の最後に訪れた上里鎮での1枚です。
四川省のチベット人が住むエリアを旅して、彼らの質素な生活を見るとともに、虐げられているという訴えを生で聞く場面もありました。
かなり複雑な心境のままにチベット族の地域を脱して、漢族の観光地に入り、そこに何とも言えない違和感を感じます。
しまいには、現地で知りあった女性に口喧嘩を売ってしまうまでになり、自己嫌悪に落ち込みます。
そんなとき出合ったのが彼女たちでした。

学校は夏休みですが、彼女たちに休みはありません。
たまたま家が観光地にあるということで、訪れる観光客に目の前で草を折って花とか昆虫とかを作って売っているのです。
言うまでもないですが、アルバイトではなく、豊かではない家計を助けるためです。
観光客が帰って行って静かになると仕事を終えてみんなは集まり、日没までのわずかな時間、彼女たちのとても短い夏休みを過ごすのです。

そんな中にたまたまわたしを覚えていた女の子がいて、声をかけてきたため、小さな交流が始まりました。
みんなで写真を撮っては、液晶で確認して、あれこれと言い合ったり、時にひとりがおどけたポーズで写っていて大笑いしたり、そんな他愛もない遊びで盛り上がりました。
わたしも、一員に加えてもらって撮ったり撮られたりに熱中します。
いつの間にか沈んでいた気持ちが開放されていました。

やがて、日は落ちてしまい、彼女たちが家に帰るときが来ました。
それぞれに商売道具である草の入ったカゴを背負って別れを告げたのですが、その姿は今までの普通の小学生とは違う彼女たちの姿を伝えるものに思え、最後の1枚を撮らせてと頼みました。

みんなすごくいい笑顔ですし、みんなピンクのサンダルを履いていて、やっぱり女の子なんだなあと今になってまた新たな感慨がわき起こります。
アンダーな記念写真に過ぎない写真ですが、わたしにとって、この時の旅のすべてが詰まっているような思いがあるのです。
【M8/Super Rokkor 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Chiyoda Kogaku Super Rokkor 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(7) | 2009/11/18 Wed

好友們

M8/Super Rokkor 5cmF1.8
部屋に戻る手前で小さな女の子に声をかけられました。
あなた、さっきガイドといっしょに見学していたでしょう、そう言って笑っています。
この子だったら覚えています。
橋のところにいたでしょ、ほら、とその時撮った写真を見せました。
うわー、いつの間に撮ったのと、今度は驚いて、近くにいた友達を呼んでみんなでわいわいと見ています。

やはり、わたしたちも撮って、となりました。
女の子が4人、いつもならひとりひとりが順番に得意のポーズをとるのがお決まりごとですが、彼女たち仲良しカルテットはみんなでいっしょがいいようです。
あれこれ相談しながらこう撮ろうとか、こんなポーズでとか、最初はわたしたちが前だったから次はあなたたちが前にとか、てきぱきと決めては次々と撮影させます。
完全に彼女たちのペースですが、面倒などとは感じません。
ペースに巻き込まれてなお楽しいというか、いままでいらいらしていた気分を開放してしまうようなノリがありました。

彼女たちは小学校4年の同級生で、夏休みは家計を助けるために草を使って花やばったや鳥なんかを作って観光客に売っています。
ほんとうは、せっかくの夏休みなら遊んでいたいだろうに、もっと勉強しなくちゃいけないだろうに、朝6時から夕方6時までずっと働いています。
だからこそ自分たちの時間になった今、いきいきとしてくるのかも知れません。

ひとりが多く売れれば、売れなかった子にアイスをおごったりもするようで、仕事を通じて競争心ではなく協調する心を育んでるようです。
ですから、彼女たちには悲壮感はまったくありません。
観光客は経済的にゆとりがある人たちが来てるでしょうから、そういう子どもに自分のつくったグラス・クラフトを売るという悔しさもあるのかも知れません。
しかし、彼女たちはそんな不平を言ったりということはなく、自分たちの仕事をたんたんとこなし、やがて新学期には普通に授業に戻っているのでしょう。

最初、小学校4年生にしては幼く思われましたが、行動をともにするにつれ、たくましさすら感じられるようになりました。
小さな職人たちは、ひとりずつ自分たちの作品をプレゼントしてくれ、楽しかったと帰っていきました。

たいへん賑やかな通りの入口にレストランが7~8軒並んでいて、どの店も客引きに必死です。
ガイドと通った時に熱心に勧誘していた少女の店で、夕食を食べることにしました。
どうもこの店は両親がシャイなために、娘が孤軍奮闘で観光客に声かけするものの、ライバル店に水をあけられてばかりというのが傍目に分かってしまうようなところがあります。
こんばんはと少女に声をかけると、わたしのことを覚えていて、嬉しそうに席をつくってくれます。
わたしが来たのが嬉しかったのではなく、他に客がいなかったのでホッとしたのです。

この少女は高校生か、あるいは高校に上がらず家の仕事を手伝っているのか(切り盛りしているといった方が実態に近い)、雅女の称号にふさわしい色白ぽっちゃりの美人です。
注文を聞いたり、料理を持ってきたりするうちに、ヒマだからでしょう向かいの椅子に座って話を始めました。
わたしの旅のことが知りたかったようです。

丹巴の村の美しさについて話していると、ここ上里はどう思うか聞かれます。
いい村なのにこの賑やかさでは雰囲気がぶち壊しだと思うと正直に答えましたが、彼女もそれには同意していました。
いまは観光シーズンなのでうるさくて申し訳ないが、普段はしずかな村なのだと言います。
だったら、観光シーズンも普段通りにすればいいのにと言うと、中国人観光客は賑やかなところが好きだからと笑います。

そんなところへ昼間のガイドさんがやって来ました。
ここで食事しているのね、ふふっと笑いかけます。
あれっと見るとエプロンしていて、夜はいちばん端の店でアルバイトしていたのでした。
昼間は申し訳なかったと詫びますが、何のことか分からないと言って、自分の食べていた焼き鳥を半分分けてくれました。
もう上がる時間だという彼女に、次回来た時もまたガイドをよろしくと別れました。

入れ替わるかのように、今度は少女の妹がやってきました。
彼女は店の手伝いをするには小さすぎるようですが、ビールを運んだりお姉さんを一生懸命に助ける姿が何とも愛くるしい。
お姉さんも、わたしのことを日本から来た友達というように紹介して、さすがお姉さん外国人の友達がいるのと尊敬度をアップさせています。

写真では分かりにくいですが、彼女はお姉さんを凌ぐ美少女です。
本人もその自覚があるのか、歌と踊りを習ってるそうで、将来はアイドルになりたいと願っているのかも知れません。
有名になって稼いで両親と姉さんを助けたい、そう聞いたわけではありませんが、お姉さんが頑張っている姿を毎日見ていれば、きっとそう思っているに違いありません。
歌は恥ずかしがって歌ってくれませんでしたが、踊りは店の奥で披露してくれました。
体の柔らかさと敏捷性を巧みに活かしたその踊りは、ほんとうにその道を目指せそうな、応援したくなるものです。

暑さでビールを飲んではいましたが、それが原因とは思えない、自分としては不可解な行動をこのあとしてしまいました。
別の店でけんかが始まり、何があったかと少女といっしょに見に行きます。
口論から殴り合いになりかかったとき、どうしたことかわたしは、やめろと割って入りけんかを止めてしまったのです。

腕をつかんで止めたのは、昼間ジュースを飲んだ時の店員です。
一瞬ざわついた感じが静まって、けんか相手だった数人の客はそそくさと逃げ去っていきました。
女性の店員が何だか早口でわたしにまくし立て、意味も分からずうなづくと、ありがとうと握手しました。
原因を聞き返すと、会計のとき60元程度だったのに200元と領収書を書けというので断ったら、口論になった、成都から出張に来ていた役人だったので税金をおまえらの小遣いにされてたまるかと言ったら殴りかかって来たと言います。
それで、女性が日本にはあんな役人はいないでしょう、中国の恥でしょうと聞いたとのこと。

人垣は散り、何事もなかったかのように人々は食事を再開しましたが、逆にわたしは時間が経つにつれて冷静さがもどって何でけんかを止めに入ったのか自問しますが答えは得られません。
ふだんの自分からは絶対に考えられない行動です。
不思議な気分のまま宿にもどり、今日1日の長さを実感しながら深い眠りにつきました。

翌朝、成都空港へ向けて早い時間に宿を出ます。
もしかしたらと思い橋の方を見ると、果たして昨日の女の子が同じ場所でもう働いていました。
さよならを言おうと思い近づくと、村の出口まで送ると言います。
断る間もなく、近くにいた友達を使って昨日のメンバーを勢ぞろいさせます。
橋から車乗り場までは約10分の道のりでしたが、女の子たちに囲まれて、これがわたしの今回の旅を締めくくる花道のように感じます。

乗り場の手前は昨夜のレストランのあるところです。
昨日の少女は、朝から店番に立っています。
何でわたしが女の子たちを引き連れているのか不思議そうでしたが、賑やかな一行を手を振って見送ってくれました。
残念ながら妹はいませんでしたが。

車はすでにわたしを待っていました。
昨日ここまでわたしを連れてきてくれた親子の車です。
手を振り続ける女の子たちをミラーで見ながら、親父さんは、あの子たちは誰かと聞きます。
わたしは、手を振り終えると、親友だ、と答えました。
【M8/Super Rokkor 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Chiyoda Kogaku Super Rokkor 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(2) | 2009/08/15 Sat

它是馬還是牛?

M8/Super Rokkor 5cmF1.8
警察から解放されて宏クンの家に戻りました。
特に誰かに監視されるということもなかったようですし、宏クンとの会話がぎくしゃくということもなし。
あくまで、安全上の問題で登記手続きをしただけと思いこむことにしました。
平穏な生活が戻ったというところです。

明日の朝早くには村を出なくてはいけません。
少しでも記憶に焼き付けたいと、散策したり、子どもと遊んだりして夕方を過ごしました。
そして、最後の夕食。
メニューはいつもほとんど変わりませんが、この旅では出色のおいしさでした。
今回も限界まで食べましたが、その味は忘れ難いものがありました。

朝6時半、朝食の時間もなく、迎えにきた軽トラに慌しく乗り込みます。
宏クンに清算をたのむと60元だといいますが、2箔食事付きでそれは安すぎるからと100元手渡しまた。
律儀な宏クンは釣りを取って来ると、いらないと止めるわたしを振り切って走ってどこかへ消えてしまいました。
タイミングが悪いことに、この時軽トラは出発してしまい、宏クンにサヨナラを言うことができませんでた。

昨夜は雨もなかったので、警察が言うような崖崩れの心配はないと思ったのですが、博打好きの運転手の様子がどうもヘンです。
皮帯が…、と言ってるのでシートベルトしろと言ってるのかと思いましたが、首を振ります。
彼の普通話も聞き取りづらくて難儀しましたが、どうやらファンベルトが切れて補修したが、濾定まで着けるか自信がないと言っているのでした。

運転手の自信なさそのままに車は何度かストップを繰り返しました。
途中中学生くらいの女の子が3人くらい乗ってきて、こんな状況をきゃっきゃ言って喜んでいます。
とはいえ、帰り道はずっと急な下り坂です。
なんだかんだで、1時間後には濾定の町に無事到着していました。

今日は旅の最終目的地の雅安を目指します。
濾定のバスターミナルで聞くと始発のバスはなく、停車したバスに空席があれば切符を売るとのこと。
最初に来たバスは行く方面違い、2番目は2席しか空いてなく、先に並んでいた人がそそくさと乗り込みます。
そんな風に待つこと1時間ようやくバスに乗り込むことができました。

しかし、ここでもトラブルが。
次の町でまた乗客を乗せたのですが、車掌のミスでひとり多く乗客を乗せてしまいました。
トイレに行って最後に戻ったわたしは、いきなり降ろされます。
それはないだろうと思う間もなく車掌はあとから来たバスを強引に停めて、こいつを雅安に乗せてやってくれと交渉してくれたのでした。

座席に着こうとすると1席しか空いていません。
そこは、僧侶の隣で、本来は空けるべき席なのかも知れません。
ですが、目があったとたん僧侶は笑顔を浮かべて、隣の席にかけるよう勧めてくれました。

トラブルはまだ続きます。
地獄の渋滞です。
途中断続的に工事している区間があり、そこでバスはまったく動かなくなってまいました。
それどころか反対側からも、車は1台とてやって来ません。
交通量はすごく多い訳ではありませんが、この地方の幹線道路たる国道です。
大事故でもあったのでしょうか。

渋滞の原因は工事で間違いありません。
しかしまったく動かなかった理由はすぐに理解できました。
中国人の性格による大渋滞です。

渋滞を抜けるためには、まず待つという忍耐力がいります。
しかし、中国人ドライバーの多くはそれができないのです。
渋滞の列を見るとそこで待つことをせず、追い越して行く車が後を絶ちません。
前の車がいけば、よしおれもと付いていく便乗派が次々現れます。
気付くと道路いっぱいに同じ方向を向いた車がずらっと並ぶことになります。

容易に想像できるのは、反対側でも同じ現象が起こっているだろうということ。
つまり、渋滞の先頭では互いに車線いっぱいに横並びになった車が対峙して、前進も後退もできない状況になっているようです。

しばらくすると反対側から車が何台もやって来ました。
やっとこれで渋滞から抜けられるかと思うも束の間、車が途切れるや後方にいた車が我々のバスをどんどんと追い越して前に出ていきます。
大馬鹿者たちのせいで元の黙阿弥です。

3時間、なんと3時間ものあいだ、バスは1mmとして動きません。
そしてようやく車が動き出し渋滞を脱出しましたが、その距離はわずか3キロ程度。
案の定渋滞の先頭部分では対向車両が4列になってこちらを向いていて、それらをかわすため車は歩道に乗り上げての走行を余儀なくされました。
中国ならではの大渋滞に苦笑を禁じえません。

バスの中ではずっと隣の僧と話していました。
チベット僧と思って旅の経路を説明してると、彼は大連から来た漢族だと言います。
丹巴で会ったラマが近くの学院で教えていると言ったところ、まさにその学院で修行しているというので驚いてしまいます。
では、ダライラマはと小声で聞くと、もっと小さな声で、信仰のすべてと答えました。

成都まで行く彼とは雅安でお別れです。
今度中国に来たら電話をくださいと名前と携帯の番号をくれました。
もちろん名前は漢字で書かれていました。


写真は黄昏時の嵐安です。
畑仕事から帰って来た親子でしょう、カメラを向けると親父さんは笑顔でこたえ、シャイな娘はうつむいてしまいました。
この次のカットは、馬をひく娘の横顔で、これは間違いありません。
気になるのは、親父さんの連れている動物です。
馬と思っていましたが、どうもちょっと太り過ぎているような。
でも牛にしては少しスリム過ぎませんでしょうか。
【M8/Super Rokkor 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Chiyoda Kogaku Super Rokkor 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(12) | 2009/08/13 Thu

被拘留了

M8/Super Rokkor 5cmF1.8
大丈夫、手を握っていてあげるから降りてきなよ。
宏クンは、そういって手を差し出しますが、その1メートル先の段にどうしても降りられません。
Vサインする宏クンが歩いているその先は、直角に近く切り立った崖です。
足場が崩落すれば、草につまづけば、そのまま真っ逆さまで命はありません。
一段高い安全な場所にいますが、谷間に吸い込まれるようで、へっぴり腰の撮影になってしまっています。

ほんとうは、絶景の湖があるという北側の山に登りたかったのですが、3時間くらいかかるそうで、今回は南側の崖までやってきたのでした。
ここまで、宏クンの家から徒歩20分ほど、ずっと続く畑の中を歩いて来ました。
ここからの眺めがいいんだと少し高台に上がったのがここで、天気がいいとずっと先に5000メートル級の雪山が見えるそうです。

左端の中央から細い道が見えています。
頼りなげに続く道は、うねうねと小さな尾根を越え、左上の蛇行する下り坂に連なります。
これこそが、わたしが軽トラで登って来た道なのだなと感慨深いものがありました。

いまいる高台のわきに石が無造作に積んであったのでたずねると、ここにも昔、塔が建っていたそうです。
歴史ある塔が崩落してしまったのです。
言葉や文化が絶滅の危機にあるこの村を象徴しているように感じられました。


のんびりした散策でしたが、帰路、思わぬ出来事が待ち構えていました。
高台にいるわたしたちに向って大声で叫ぶ人がいます。
急いで降りて行くと制服を着た警官がふたり待っていました。
どうかしたのか聞くと、署まで同行願いますと、冷たい口調ではっきり告げられました。

動揺は隠せませんでしたが、従うより仕方ないので警官に付いていきます。
宏クンを見やると、大丈夫だ心配ないという顔をしていますが、その神妙な顔は事態の深刻さを物語ってるのでしょうか。
すぐさま、昨日の朝、濾定で出合ったこれから法廷に行って陪審を聞くといっていたチベットの青年のことを思い出しました。
彼は実は政府がマークする危険分子で、親しく接触したわたしを警察が尾行してきたのかも知れない。

つとめて冷静を装って、あらためて理由を聞くと、外国人はこの村では登記が必要なのでと言います。
なぜ登記が必要かと食い下がると、万一事故などがあった場合に備えてとの回答。
もっともらしい答えですが、そんな程度のことのためにわざわざ警官がふたりも探しに来るものでょうか。

だいいちわたしがこの村に来たことを警察はどうやって知ったのでしょう。
こんなことは思いたくもありませんが、村人の中に警察と通じている人がいて密告されたのでは、などなど不安な中で、いろいろなことがらが次々と思い浮かんできます。

ランドクルーザーの警察車両に乗せられたので、まさか濾定の拘置所に連れて行かれるのかと心配しましたが、300メートルほど先の小さな警察署で降ろされました。
署では、別の警官が待っていて、やはり外国人のための登記をするので協力お願いしますと告げられました。
20代後半と見えるその警官は色白で、あきらかに土地の人間ではありません。
あとでたずねるとやはり江蘇省出身の漢族でした。
どのような理由で、ここで警官をやっているのかは確かめるすべもありませんでしたが。

外国人登記にはマニュアルがあるようで、その冊子を隠そうともせずに書類に記入してきます。
質問されたのは、ごく一般的なことでわたしの個人情報はパスポートをコピーして、さらに旅程やいま泊まってるところを口頭で説明します。

最初のうちこそわたしの緊張が伝わってしまったためか、かなり固い雰囲気で質疑応答が進みましたが、そのうちにフレンドリーになって雑談も交わすようになりました。
日本は経済危機のようだがどんな感じだいと警官が聞けば、わたしは彼の出身地を聞いたり、もしわたしが中国語をいっさい話せなかったらどうしてたかなどと聞いたりしました。
日本人なら漢字が読めるのでしょうと言ってマニュアルを指さして何とかなると答えます。
じゃあ西洋人が来たらどうすると突っ込むと、西洋人はこの村に来たことがないとのことです。
中国人向けとは言えガイドブックに紹介されたこの村ですが、わたしが最初の外国人なのではと言うのが意外でした。

特に政治的な質問などはなく、ほんとうに単なる登記のために呼び出されたのかと信じようかと思いました。
しかし、いつこの村を出るのかと聞かれ、明日の朝と答えると、万一崖崩れでもあって村を出れなくなると帰国できなくなる恐れもあるから、わたしは今日のうちに村を出ることを勧めるがどうすると聞いてきます。
穏やかな物言いですので、親切心で勧めてくれてるように思われますが、早く出ていけ、でないとその身に何が起こるか分からないぞと遠まわしに脅しているようにもとれます。
一瞬、回答を躊躇し、迎えに来た宏クンの顔をうかがいました。
彼は平然としていて、顔からはサインのようなものは汲み取れません。
何もないだろう、そう信じて、わたしはこの村にもう一泊したい、アドバイスはありがたいが、万一の場合の責任は自分で負うのでと答えると、そうか、じゃあ気を付けてとあっさり滞在を認めてくれたのでした。

わたしのパスポートをコピーに行った若い警官がなかなか戻ってこなかったことで、あれは別室で危険人物リストとの照合とかやっているのではと思ったものです。
それに、万一のための登記とはいってましたが警察の書類に記載されパスポートのコピーが渡っています。
どんなリストに登記されたのか、やはり気にせずにはいられません。

ご協力ありがとう、そう言って笑顔で右手を差し出した警官を、わたしは信用するしかありませんでした。
【M8/Super Rokkor 5cmF1.8 F2.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Chiyoda Kogaku Super Rokkor 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(4) | 2009/08/12 Wed

就是宏

M8/Super Rokkor 5cmF1.8
余さんの家にはおじいさん、おばあさんも健在です。
一家四代同居というのが自慢で、こういうところに中国の家族のあり方が見えたりするものです。
お昼はのおじいさん、おばあさんといっしょに食べることになりました。
するとお父さんは遠慮するのか出てこなくて、4人用の食卓にあぶれないようにしているようです。
おばあさんが食べ終わる頃、入れ替わりにお母さんが加わって、テーブルは常に満席状態です。

たくさん食べるように勧めるのは日本も中国も変わりませんが、こちらではおかずをとって茶碗のご飯の上に乗せてくれます。
その時の箸はその人が使っているもので、衛生観念がとか下手すれば肝炎になどと考えていては、とても一緒に食事はできません。
ありがたくいただきます。

ご飯も黙っているとお代りをよそってくれます。
3杯食べるのがマナーなのか、平均的なのか、断っても断ってもお代りをよそうので食べきらないといけません。
それに3人がかりでおかずをとってくれますので、食事のたびにお腹ぱんぱんで、これには参りました。

中国では、よく食事を適度に残すのが招待された側のマナーだと言います。
しかし、いまは不要乱費といって残さず食べるのをよしとするようですし、ましてや家庭では食事を残すのは日本同様に失礼という気がします。
そんな訳で、帰国後体重を計ったら6キロも増えていました。

余さんの名前が宏とうことが分かりました。
余宏は、普通話では"ユィ・ホン"のように発音しますが、わたしは当然のように"ひろし"と呼びました。
午後には雨も上がったので、そんなひろしと散歩に出ました。

最初に案内してくれたのが、写真の村でいちばん古いと思われる家です(ピントが甘いのをお許しください)。
記録がないのではっきりしませんが、100年くらいは経っているだろうとのこと。
おとといの写真では、石作りの家が並んでいまたが、基礎部分こそ石で頑丈に作るものの、それ以外の多くの部分が木で作られています。
古い家ほど木の装飾が緻密で、生きた美術館と言っては言いすぎでしょうが、民族博物館的な趣は十分です。

このあたりは震源から遠く離れていて、昨年の大地震でも揺れはしたものの被害はまったくなかったそうです。
しかし、見せていた打た家の中は、さすがに荒れて来ていて、彼らの言語ほどではないとしても、せっかくのすばらしい家が廃れていくのがいかにも惜しく感じられます。


このレンズのことに言及するのを忘れていました。
Super Rokkor 5cmF1.8 は、1957年というライカ・スクリューマウント・レンズとしては最晩年に世に出た悲運のレンズです。
M3の発売からすでに3年の歳月が経ち、ニコンやキヤノンなどの一部メーカーを除きもはやレンジファインダーカメラはあきらめられ、各社が一眼レフへ移行する過渡期だったためあまり日の目を見ることなく時代の波に呑み込まれてしまったようです。

しかし、このレンズのシャープネス、コントラスト、解像力は当時としては群を抜いていて、あるいは35mmカメラ用として発売されたレンズの最高傑作と評価される方は多くいます。
ガウスタイプの最大の欠点は、コマフレアによるコントラストなどの低下があげられますが、このレンズを設計した松居吉哉氏は、苦心の末コマフレア削減の方法を発見しました。

元ミノルタの神尾健三氏が「ライカに追いつけ!」でこの時のエピソードを紹介しています。
5か月間苦心して設計するがコマフレアが取れなかったのが、ふと気付いて2群目の貼り合わせを分離したところスカッとコマがとれたと言います。
このアイディアはその後も活かされ、現行一眼レフのF1.4クラスの標準レンズはほとんどがこの型かこの型のバリエーションです。
ライカR用の50mmレンズも、やはりほとんどが2群目分離でした。
やがて土居氏は、収論の大家としてキヤノンに移ってしまうのですが。

余計なことまで書けば、一代前の Super Rokkor 5cmF2 の方は Summiron 5cmF2 のデッドコピーと言われていて新種ガラスが使われていないことを除けば、ズミクロンのデッドコピーなのだそうです。
1953年発表のズミクロンの写りは、当時のミノルタにとってM3の登場同様のショックだったのではないでしょうか。
ライカに追いつけは、パルナックライカしかり、M3しかり、そしてズミクロンにも追い付けだったのではと読めます(そのような記述は一切ないですが)。

Super Rokkor 5cmF2 の方はさほどの性能ではなかったと聞きますが、Super Rokkor 5cmF1.8 で、ついにズミクロンに追いついたかに見えます。
少なくとも、ボケについては圧勝しています。
他の部分はどうか、いつか比較してみたい課題です。
【M8/Super Rokkor 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Chiyoda Kogaku Super Rokkor 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(4) | 2009/08/11 Tue

主客転倒

M8/Super Rokkor 5cmF1.8
広くはない村に一晩とちょっといると、よそ者が来たという話はかなり伝播するようです。
余さんの向かいの家の軒先で雑談していると、いろんな人が次から次へとやって来ました。
昨日会った人がいますし、自己紹介していく人もいますが、なかなか覚えられません。

その向かいの家には大学生の高クンがいて、村の情報源になってくれました。
なにしろ普通話が通じるのがありがたく、普段はぜんぜんしゃべれない中国語普通話がいつの間にか自分の言葉になっています。

それにしてもこの村から出た貴重な大学生だから、村民の全期待を背負ってたいへんだねえなどと振ると、照れつつも、村からは大学に行った人はすでに何人かいると説明してくれます。
では、女子大生はと聞くと、やはりいないようでした。
この村も18歳くらいになると町に出稼ぎにいってしまうようで、男女とも二十歳前後で会ったのは彼ひとりだけでした。

訪れた最大の珍客は、わたしに日本人ならオレのパソコンが直せないかと言ってきた青年でした。
仕事でパソコンを使っているかと聞かれもちろんと答えると、じゃあ直せるのではとわたしを彼の部屋に連れていきます。
おとといパソコンが起動しなくなってしまったので、昨日濾定の町まで行って復旧ソフトを買ってきたがいくらやっても直らないと言います。

どれどれと起動しますが、やはりエラーメッセージが出ます。
そして、これが中国語でまったく意味不明です。
ソフトを挿入してみます。
何かが動きだましたが、やはり中国語でよく分からないので、端から順に動かしみるしかありません。
はい、まず左上から、カチッ。
あれ、動き出したと思ったらウインドウズのメニュー画面が。
くださんの青年が狂喜しています。
直してしまったようでした。

次のお客さんは、赤ちゃんを抱いたおばちゃん。
今ではめずらしくなった赤ちゃん用の帽子をかぶらせて、写真を撮ってくれと言ってきます。
実は、今回の旅にはいつものM8といっしょにモノクロを詰めたM6も持参していて、落ち着いたこの村では2台のライカを首から提げて闊歩していました。
多くの村人が、写真家だと錯覚していたとしても無理はありません。

赤ちゃんはちっともカメラの方を向いてくれません。
近くにいた大人が総力戦で赤ちゃんの気を惹こうとしますが、その不自然さがかえって赤ちゃんの不信感につながったようで俯いてしまいます。
そんな姿にみんなで大笑いとなります。

食事中この騒ぎ聞きつけてやってきたのでしょうか。
おかずで赤ちゃんの気を惹こうとしていた、おばあさんの笑いが最高でした。
密かに撮って、その液晶画面をみんなに見せると、また新たな笑いが起こります。

いま思うと、この時はほとんど互いに言葉を発したとか、通じたとかいうことは意識していません。
カメラを通して、みんなの笑いでじゅうぶんにコミュニケーションとれていました。
言葉は必要であるが、ときになくても構わない、そんな当たり前のことを写真が気付かせてくれるのですね。
【M8/Super Rokkor 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Chiyoda Kogaku Super Rokkor 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(4) | 2009/08/10 Mon

在下雨上散歩

M8/Super Rokkor 5cmF1.8
深夜、雷と激しい雨の音で目覚めましたが、すぐにまた熟睡したようで、目覚めの良い朝を迎えました。
しかし、窓を開けて外を見るとまだ雨はぽつぽつと残っていました。
向かいの路上では、雨を避けるようにして屋根の下で、野菜を洗っている女性の姿が見えます。

まだ、6時半、朝食には少し早いので、体を洗い、シャンプーしました。
多少、水が跳ねましたが、二つのたらいを駆使して、我ながら器用にこなしたものです。
ひと足早く起きていた余さんから朝食にしようと声がかかります。
少しほかほかの饅頭をメインにした朝食も。なかなかの美味です。

今日は、余さんの案内で遠く山向こうの湖まで歩いて行く約束だったのですが、雨のため中止になってしまいました。
かわりに村の中を歩いてまわることにしましたが、それもまた楽しです。

言葉の不自由を越えて、話しをしながら歩きます。
嵐安には一村から三村まで3つの村があり、人口は3000人ほど。
滞在しているのが一村で、余さんの奥さんは二村出身で子ども連れて実家に帰っています。
周囲に他の村はなく、隔絶された土地です。

以前買った四川省の本に4行ほどこの村が紹介されていて、それを読んだことがここへ来たきっかけです。
それによれば、村は独自の言葉が話されていて、独自の文化が息づいているということでした。
それを尋ねますが、残念ながら独自の言葉は余さんのおじいさんの世代なら話すことができますが、余さん自体がすでにりかいできなくなってしまっているのでした。

つまり、おじいさん世代が亡くなるだろう、今から10年後、20年後には、嵐山独自の言葉は絶滅してしまうことになります。
いや、日常的に使われていないその言葉は、一日一日忘れ去られ、そう遠くない日をもって完全に忘れ去られてしまうのでしょう。

雲南省の納西族のトンパ文字は、絵文字のような独自の字を使うことでよく知られています。
このトンパ文字は、何とか絶滅しないよう若い人たちに懸命に伝承しようと努力していることを余さんに話して、どうにかならないものかたずねましたが、すでに余さん自身がしゃべれない言語には関心が薄いようで、仕方ないと言うばかりでした。

では、独自の文化とは何かたずねると、少し考えていうには、まず衣服は嵐安だけのもののようで、他のチベットの人とは違っているようです。
また、お祭りでは独特の踊りなどがあるようです。
文化は、すでに生活に染み付いていますので、どの部分が自分たち独自で、どの部分はチベット族共通かなどということは突然聞かれても分からないでしょうから、何か面白く感じたらその都度聞くしかありません。

わたしたちは、まず村唯一の寺廟を訪れました。
特別のことがない限り普段閉ざされた廟ですが、余さんがたのんで鍵を開けてもらいました。
管理しているのは近くの老人で、わざわざ開けてもらった礼を言うと、ちょうど掃除しようと思っていたのでと、逆に訪ねてきてくれたことを喜んでいました。

手を合わせ、どうぞ村の文化が廃れませんようにと、文化人類学者のような殊勝なお願いをします。
5元札を賽銭に置かせてもらうと、そんな態度は老人には好印象だったようです。
大切なお願いをしたのでと照れる私に、なんども礼を言います。
鐘を突き、建築や祭りに使う道具を見せてもらって、辞することにしました。

この廟は高台にあります。
門を出ると屋根が並んだ家並みのすばらしい風景が広がっていました。
歩いていて小さな村に感じ、人口3000人は何かの間違いだろうと思っていましたが、意外な規模の大きさに十分納得したのでした。
【M8/Super Rokkor 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Chiyoda Kogaku Super Rokkor 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(6) | 2009/08/09 Sun

嵐安的中心路

M8/Super Rokkor 5cmF1.8
散策で油を売り過ぎたようで、すっかり薄暗くなってしまいました。
真っ暗になるとお世話になる余さんの家が分からなくなりそうで、慌てて戻りました。
ここが、村のメインストリートで、やはり雑談や畑仕事を終えた村人が三々五々家路を目指しています。

さあ、食事にしようと、余さんが家の前で待ち構えています。
余さんは30歳代の前半で子どもがふたりいますが、奥さんの実家に行っていて、余さんの両親と4人での夕食です。
お母さんは料理の名人で、ブタの腊肉や鶏肉、自分たちの畑で採れた野菜を使って5皿の家庭料理が並びました。
わたしが来たから、豪勢なのかと冗談っぽく聞くと、これが普段の食事だと胸を張ります。

中国正月の春節では、多くの家庭で魚を食べます。
魚の発音が「ユィ」で余と同音のため、お金があり余るようにとの願いを込めてのことです。
山奥の嵐安では魚はありませんが、余さんの家は文字通り村では裕福で、食事の立派さもそうですが、家が並んで2軒あって、新しい方の部屋が空いているので、わたしを泊めてくれたというわけです。

食後はみんなでテレビを見ます。
家族は誰も普通話を離せませんでしたが、テレビの普通話は問題なく聞き取れます。
しゃべれないのに聞き取れるのが最初不思議に感じましたが、普通話と四川語はほとんど同じで発音が少しばかり違っているだけだそうで、なるほど日本の地方で方言がきつい人でも、普通にテレビを見ているのと同じことだなと気付きました。

豪快な男というイメージの余さんなので、自家醸造酒とか飲むのかと心配とも期待とも言えない予感があったのですが、実は家族の全員が下戸だそうで、見た目で判断してはいけないのはいずこも同じです。
11時に就寝する習慣のようで、時間になるとお休みと部屋に戻りました。

書き忘れていましたが、チベット人の多くは入浴とかシャワーは使用しないようで、宿泊させていただいた民家ではいずれもこれら施設はありませんでした。
特に西藏と呼ばれるチベット地域は空気がたいへん乾燥しているので、むやみに体を洗うと皮質がむき出しになって荒れやすくなるため、入浴しないと聞いたことがあります。
体のメカニズム的にも汗をかきにくくなっていたりということもあるかも知れません。
実際そうなのかは聞き忘れましたが、夏場はお湯で体を拭く習慣はあるようでした。

わたしにもお湯を用意していただきましたので、少し無理がありましたが、お湯を最小限使って頭と体は洗わせてもらいました。
郷に入れども、どうしても郷に従えないこともあるのが我ながら情けないところです。

ベッドには蚊帳がつられていましたが、蚊や虫の気配はなく、蚊帳を下ろすことなく眠りました。
清潔なベッドは快適で、朝までぐっすり寝ることができました。
昼間の足裏マッサージと合わせて、すっかり疲れを取り去ることができたようです。
【M8/Super Rokkor 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Chiyoda Kogaku Super Rokkor 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(8) | 2009/08/08 Sat

表情不自然

M8/Super Rokkor 5cmF1.8
謎多き村へのバスは、前後座席の付いた軽トラックで、3~4時に発車する1本だけと聞きました。
3時に出てしまうかも知れないとそれより前から待っているようでは、中国通とは言えません。
きっと遅れてきて乗り遅れる奴がいるからサバを読んでいるとみるべきです。
よくて4時発車、うっかりすると4時半だなと判断します。
3時頃までマッサージの女の子と雑談して、乗り場に着きましたが、運転手は博打に興じています。

あそこで飯食ってくるからと、言い残して向かいの食堂で遅い昼にしました。
食堂では、メニューが読めなくてなんて言うと、どうしたどうした、おまえ外国人か、おーい皆出て来いみたいな感じで、珍客の到来を家族総出で見学します。
オーダーも彼らがやってくれることしばしばですが、けっしてボラレることはありません。
いなかの人はみなお人好し出し、家族でボッてやれなんて恥ずかしくてできないからでしょう。

4時少しまわって乗り場へ戻りましたが、やはり発車する様子はなく、博打の輪はかえって大きくなっていました。
まだ出ないのか聞きますが、もう少し待ってくれというばかりで、もはや客の存在は眼中にありません。
仕方ないので、近くを撮影して歩こうかと思いますが、このあたりには何にもないのは確認済みです。
バイクがひっきりなしに通るので、レンズを絞って流し撮りの練習をして時間をつぶしました。
100枚以上撮ったでしょう。
最初はプレプレだった写真も、しまいにはスローな自転車まで流せるようになって、流し撮りの達人クラスだと自嘲していました。
これはデジタルならではの暇つぶし法です。

気付くと運転手が、おーい、何やってんだー、出発するぞとどなり声をあげています。
5時半になっていました。
何やってるんだはおまえの方だろう、そうは思うものの、これが中国のいなかの時間感覚というものだなと割り切ります。
嵐安を訪れる予定の方は、バスの発車時間は博打がお開きになった時、と覚えておいてください。

濾定から嵐安までは30キロほどのはずですが、1時間半かかるといいます。
未舗装の山道をひたすら登るのです。
ところどころがけ崩れの跡があり、標高1000メーター近くを一気に駆け上がる感じで、高所恐怖症のわたしは下を見るととができません。
その上震動が激しく手すりにつかまっていないと頭をぶっつけます。
苦行のような1時間です。

やがて浅い川をばしゃばしゃと渡ると、平坦になり村が見えてきました。
村に1軒だけ旅館があるとのことでしたが、わがままを言って古民家に泊まりたいんだとお願いしました。
運転手は無理だと言いましたが、最後には根負けして村人が集まる場所で、誰か泊めてやってくれとお願いしてくれたようです。
すぐに豪快な若者がウチへ泊れと買って出てくれました。

若者は余さんと名乗り、わたしが外国人と知るとかなりひるんでましたが、前述のとおりまずは豪快さがウリという雰囲気の若者なので、そこはかえっていいぞと歓迎してくれます。
困ったのは、彼も普通話がしゃべれず、四川語なのでたまには聞きとれますが、たいがいは何度も聞き返してやっと理解するという時間のかかるコミュニケーションが必要でした。

とにかく、到着は7時でしたが、まだ少し日は残っています。
食事の支度をするから散歩でもして来たらという余さんを残して、ひとりふらふらと歩きだしました。

少し歩くと十数人が集まって談笑している人たちに出くわしました。
カメラを提げた姿が珍しいらしく、さっそく何しに来たのか、どこから来たのか、どこに泊まるのか、等々質問攻めにあいます。
何しには、写真を撮りに、こんなところ何にも撮るものはないでしょう、あなたたちを撮りたいんです、わーっ。
どこからは、東京からですが、知らないなーどこだろ、
泊まっている場所は、余さんのところで、余さんはこの村に多いんですよ、どこの余さん、その先の、その先は全部余さんだからねえ…。
何とも気の抜けた会話が続きます。

集まりはおじさん、おばさんたちですが、その中で群を抜いてすばらしい被写体がいました。
さっきから会話には加わらず、ひとり黙々とキセルをくゆらせてます。
いきなりカメラを向けると、全員からやんやの喝采が。
おーい、写真に撮ってもらっているぞ、笑って笑って、カメラの方を向きなさい…。
余計なことを言うものですから、渋い表情が一転してカメラ意識丸出しに、テンポく吐き出していた煙が停滞してしまいました。

しかし、それもまたユーモラスでよろしい。
最初のカットは、村を象徴するようなユニークで人間臭い一枚になりました。
【M8/Super Rokkor 5cmF1.8 F1.8】
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Chiyoda Kogaku Super Rokkor 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(4) | 2009/08/07 Fri

藏人的接吻

M8/Super Rokkor 5cmF1.8
日食の余韻はまだ体に残っています。
しかし、先を急がねばなりません。
濾定まで乗合タクシーで移動しました。
しかし、濾定から今日の目的地である嵐安まであると踏んでいたパスがありません。
調べると嵐安へは1日1往復軽トラックの便があるそうで、聞けば出発は3、4時くらいと、数時間潰さなければならなくなりました。

慌ててやってきたので少し拍子抜けですが、食事に1時間とりますし、帰りの航空券を買わなくてはと思っていたので、あとは町を散策すれば少し長いですがちょうどいいくらいかも知れません。
探せど旅行社は見つからず、ネットカフェで成都→深圳の予約を入れました。
いなかのネットカフェは安く、1時間近くPCを使っても料金は30円弱です。

用事を済ませば散策に出たいところですが、すっかり晴れ上がって蒸し暑さに足が動きません。
路地裏で古民家の前にミシンを出して仕事する少女ふたりという、蜃気楼のような光景を目のあたりにしたのをきっかけに休むことにしました。
運よく足底按摩屋を見つけ、疲れた足を癒します。
冷房の利いた部屋でかわいらしい四川娘がやさしく足を揉んでくれすっかり夢見心地でしたが、朝のできごとを思い出して、はっと我に返りました。


康定で日食を体験した後、安宿を引き払ってバスターミナルを目指したのですが、その途次買い物をしたところで、少し展開に変化が起こったのです。
店にいた店員とは別の男が話しかけてきました。
あなたは外国人か、よければ話を聞いてもらいたいのだがというので、何か面倒な依頼をされるのかと思いました。
彼は真剣な目で真摯な態度、迷惑をかけるような人には見えません。
バスターミナルへ行くのなら歩きながらでもいいからと言うので、並んで歩きながら話を聞きました。

彼は、近くの町で商売をしているが、今日は休みをとって康定にやって来たと言います。
日食を見るためか問うと、そうではなく、今日この町でもっと重要なことがあるからだとの返事。
彼の中国語普通話は少したどたどしくわたしにとって聞き取りにくいものでした。
重要なこととは、マンションで2年、3年、5年、10年…、何のことかさっぱり分かりません。
お互いに困ってしまいました。

逆にチベットをどう思うかと聞かれました。
ダライラマの本を熱読したこと、昨年騒乱が起きて多くの僧が拘束されたこと、そのため聖火リレーでは政府に抗議行動が起きチベットに自由をという言葉が流行語のようになったこと、これらはわたしのみならず、世界中の非常に多くの人に知られチベットが支持されていることなどを話しました。
彼は、たいへん満足したようでしたし、まさにそのことで、重要なことがあるんだと再度説明し出しました。

マンションで決定、2年、3年、5年、10年、パイシン、パイシン…。
やはり何のことか分からず、抗議デモをするのかと聞きましたが、そうではありませんでした。

濾定へはバスはなく、乗合タクシーで行くのだと教えられ乗り場に着きました。
乗合タクシーは客さえ集まればさっさと出発してくれますが、客はわたしひとりきりで乗客が集まるまでひたすら待つしかありません。
わたしたちは、乗り場の前に腰掛けて話を続けました。

みたび、マンションで決定、2年、3年、5年、10年、パイシン、パイシン…を聞いてふと気付きました。
パイシンは"陪審"のことではないのか。
文字で書くと、はたしてその通り、マンションではなく法院で、昨年の騒乱期に逮捕されたチベット人"政治犯"の判決が今日下されるのだということでした。

もしや友達や家族が捕まったのかと聞くと、そういうわけではなく、あくまでチベット人としてアイデンティティを主張しただけのチベット人が裁かれる瞬間を見届けなくてはならないから来たのだと言います。
けっして人を傷つけたり、町を破壊した訳ではないが、政治犯として捕まれば実刑は免れない、これが実情だ、彼はあらためて厳しい顔をしながらも、怒りを表に出すことなく静かに内に飲み込んだかのようでした。

ほどなくして乗合タクシーが客が集まったぞとホーンを鳴らし、わたしたちの話はこれで終わることになりました。
静かにしていて逮捕されなければ、われわれはまた会うことができるからということで、アドレスを交換しました。
彼の書いてくれた文字はチベットの文字でした。
漢字は読めるが、書くことはできないとはにかむように笑いました。
漢字を読み書きできることは、あるいは彼にとってチベット人のアイデンティティの放棄を意味するのかも知れません。

最後に英語は分からないという彼に、昨年全世界が唱えた"フリーチベット"という言葉を教えました。
"自由"という言葉が何より彼には嬉しかったようです。
タクシーに乗るとき手を差し出すと、彼は両手でわたしの手を包みこみ、そっとその手に口づけしました。
【M8/Super Rokkor 5cmF1.8 F1.8】
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Chiyoda Kogaku Super Rokkor 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(2) | 2009/08/06 Thu

還一個問題

M8/Super Rokkor 5cmF1.8
宿泊禁止令が解かれていてようやく泊まれた丹巴の宿は、丹巴の町のいちばんはずれでその町に向き合うように経っています。
5階建ての同じような建物が4棟並んでいて、わたしの滞在した宿の他はふつうのアパートのようでした。
建物の背後が急峻な山というか崖になっていて、わたしの泊まった部屋は窓を開けるとすぐ手に届く位置に岩が迫っていました。
大雨で宿泊禁止にした理由が分かるような気がします。
圧迫感いっぱいの一夜でした。

1階は、雑貨屋や食堂が並んでいます。
宿の隣にあった店の娘が、もしや美人谷出身ではと思わせる美少女でした(東北の盟友のためにこの子の写真を出す予定でしたが、中学生だとまたおばさんあつかいの可能性があるので、今日はやめておきます)。
話を聞くと、地元のチベット族ではなく、仕事を求めて成都から一家でやって来た漢族だといいます。
いま、中学校に通っているが、ほとんどがチベット族の丹巴の学校では、なかなか友達もできず少しさ
びしい思いをしているとのだとか。
ウルムチでは政策的にウィグル人の土地に漢族を移住させて民族浄化を図っていると言われていますが、まったく違う意味で異民族の地にやって来て、辛酸を舐めているといっては言いすぎかも知りませんが、それなりの苦労を強いられている漢族の人たちも少なからずいるようでした。

事情あって明日丹巴を経つことになっていたので、世話になった宿の一家を御馳走することにしていました。
せっかくなので、雑貨屋の美少女にも声をかけたかったのですが、雰囲気をみれば宿の主人たちと雑貨屋の一家の仲がいいものとは言えないことが明白だったので、へんに摩擦を起こすようなことは控えるべきと、誘うことを断念せざるを得ませんでした。

丹巴はチベット人の町ですが、四川省に属していて、町中の人は日常会話でも四川語が使うなど、ラサなどのチベット自治州の町とは状況が異なるようでした。
表記されるチベット文字はまったく共通ですが、話し言葉は丹巴とラサではまったく違っていて、互いに通じないといいます。
民族は同じですが、エリアによって、環境によって、考え方はひとつになっていないのです。

もちろん丹巴にも、観光開発によって漢族が大挙してやって来て、我々のアイデンティティが脅かされるのではと危機感をもっているでしょうし、あるいはラサその他で頻発する同胞に対する政府の弾圧への怒りがくすぶったりということもあるでしょう。
しかし、一方でようやく観光客もだいぶ訪れるようになってきて、経済的な実入りもそこそこ出てくれば、泥沼のような民族問題に翻弄されるくらいなら現状でいてくれた方がいいと、少なくとも観光関連に携わっている多くのチベット人が考えているでしょう。

わずか数日の滞在で判断するのは早計かも知れませんが、ここではチベット人と漢族の対立というのはまったくないように見えました。
ですが、やはり観光で金を落として帰る漢族と、金を求めて働きにやって来る漢族では、チベット人の目にもまったく別に写っているのでしょうか。

おとなしい漢族の一家は、この土地に来て4年になるというのに、毎日顔を合わせている隣人と親しくなることができません。
壁1枚隔てているだけなのに、その壁は一生かかってもがいても取り除けない厚みをもって、一家を隔離しているかのようです。
チベットエリアの一角ですから、どうしてもこのようなことを考えさせられる場面がありました。
中国の辺境を歩いていると、どうしても避けて通れない問題かも知れません。


写真は、丹巴の山合いの道です。
何だか小腸のようにも地上絵のようにも見える不思議さを含んでいます。
河に沿って並ぶ民家が多いのにもかかわらず、多くの伝統的な家はこのように山腹に建ってるのも不思議な感覚です。

なぜこんな所に彼らは家を建てたのか、そんなところから理解を重ねていくことが、ひいてはチベットの問題とされるものを理解する糸口になるような気がします。
曲がってはいても1本の道だということもできます。
【M8/Super Rokkor 5cmF1.8 F1.8】
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Chiyoda Kogaku Super Rokkor 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(5) | 2009/08/03 Mon

中路見聞

M8/Super Rokkor 5cmF1.8
前日の美人谷への山登りはそうとうにこたえていたようで、股関節から足首まで経験したことがないような筋肉痛になっていました。
ふもとの公路までの下り坂は踏ん張りが利かず、かえって高速で降り切ることができましたが、これが原因で筋肉痛は翌日さらにひどい状態となって、自分の足ではなくなってしまったような感覚です。

公路に着くとほどなくパスがやって来たので、手を大きく広げて乗車意志を示します。
さいわい、1つだけ空いている席があって、丹巴の町へはあっさりと戻ってくることができました。

初日の宿に着いてみると、何事もなかったかのように営業しています。
宿泊禁止令は1日で解除され、昨日からは普通の生活に戻ったのことでした。
何年もここでホテルをやっているが、がけ崩れなんて1度だってないし、去年の四川大地震の時も少し揺れたけどもちろん影響はなかった、いまさら宿泊禁止と言われてもねえと憤慨しています。

おととい着いたときと同じように食堂で雑醤麺を食べていると、ラマ(チベット僧)から声をかけられました。
テーブルに置いたM8が気になったようで、ダライラマはライツ社からライカを寄贈されるなどライカ使いだと聞いたことがあるので、あるいはその関連で話しかけてきたのかも知れません。

話しは自然とダライラマのことにも及びました。
小さな声で話さざるを得ませんでしたが、ダライラマは世界中で尊敬されていて日本など仏教国はもちろん欧米にも赴いて平和のための講演活動をしている、いっぽうで某国首相の温なにがし氏は自国の経済力を盾にやはり欧米で講演したが靴を投げつけられる始末…。
やはりラマにとって、外国でどのように伝えられているかは関心事のようで、ダライラマに関する事情は熱心に聞き入っていました。
そのラマからは、チベット経典の本と機会があれば寄るようにと彼が勤める仏教学院の住所をいただきました。

いつの間にか話にくわわっていた宿の家族からは、近くにも仏教寺院があるから行ってみませんかと勧められました。
次の町をめざして立ち去ったラマを見送ったあと、宿と食堂を閉めてみんなで中路という村にある寺院に出掛けました。
なんだかピクニック感覚です。

上の写真に娘といっしょに写っているのが食堂のおばちゃんですが、実はこの中路出身だそうで案内をかって出てくれます。
寺院の中庭にはやかんが写っていますが、これは下に見えているアンテナ状の鉄板から太陽光を集めて中身を熱するもので、沸騰まではしないと思われますがじゅうぶん実用的なこの地方によく見られるエコアイテム(?)です。

路上に村人が集まって酒をまわし飲みしているところに出くわします。
2本から来たのかと、駆けつけ一気の手荒い歓迎を受けます。
重慶産の白酒はアルコール60度となっていて、ゆっくり飲んでいきなさいという甘い誘いを断るのに十分な理由となりました。

次いで、おばちゃんたちにこの草を触ってごらんと言われるままになでなでしていると、突然指先に激痛が走りました。
草かげに毒蛇かサソリでもいたのではという痛みで、悲鳴を上げてしまいましたが、おばちゃんたちは
平然と笑っています。
ホーマー(?)という名のこのあたりでは一般的な植物だそうで、刺すと痛いけどそれを中和する植物というのがまたあって、近くに生えていた草をごしごし擦っているとじきに治るということでした。
おかげで、白酒の酔いはいっぱつで覚めてしまいました。

高台のがけのはずれまで歩くと、おばちゃんが少し神妙になって古い話だけどと語り始めます。
このがけは、昔、死者を弔ったところで、ここに死体を置いておくと鳥や動物がやって来て、きれいにしてくれたんだよ。
それは鳥葬ですか?
よく知っているね、わたしが生まれるちょっと前にはなくなった習慣だけど、ほらあの板がかつての塚のように残っているでしょう、神聖な場所だから村人は今も当時のままに残しているのさ。
…。

重たい空気を引きずるように、中路の村の方に戻って行きました。
鳥葬跡を見てから憑かれたように、誰も口をきかなくなってしまいました。
途中、白黒ぶちが可愛いウシが繋がれていたので、あれはパンダですかと大真面目な顔で聞いたら親子におお受けで、それをきっかけにまたもとの和やかな雰囲気が戻りました。

中路には、碉楼と呼ばれる塔が多く、一望に見られるスポットもありました。
しかし、ホーマーによる指の痛みと痺れは、どうしたことか中和されることはなく、夕暮れの美しい風景を写真に収めることができませんでした。
【M8/Super Rokkor 5cmF1.8 F1.8】
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Chiyoda Kogaku Super Rokkor 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(4) | 2009/08/02 Sun

約定長得美人

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美人不在の美人谷というショックはありましたが、この村の滞在はきわめて快適なものでした。
前々日の全景写真のように村はたいへんコンパクトで、暑い中でもじっくり歩けます。
それでも、道々は迷路のように入り組んでいて、同じようなつくりの民家が並んでいるため、あれここは通ったっけと不思議な感覚がつきまとったりもします。
乳牛やブタが放し飼いにされていましたが、ウシは鷹揚に見送ってくれますし、ブタは臆病でうわー変な奴が来たとばかりに道を譲ってくれます。

ときどき出合ったおじいさん、おばあさんが、よかったらお茶でも飲んでけと声をかけてきます。
遠慮もなくお邪魔すると、例の酥油茶というバター茶を茶碗いっぱいに注いでくれます。
成都で働いているという娘の写真を見せてくれもしました。
昨日の阿蘭に勝るとも劣らない美人で、うわー美人ですねと父親に告げると、そうだろうと笑ってさあもっとお茶を飲んでと促します。
ご飯の茶碗に似た湯呑で3杯もいただくと、そろそろおいとまという感じです。
寒くて乾燥した地で飲むと抜群に旨い酥油茶ですが、真夏に飲んでもけっこういけるものです。

また、のんびりと高さんの家に戻ると内装工事の真っ最中で、天井の板を貼り付けているところでした。
高い所でしたらまかせてください、そういって高さんたちに混じって手伝いすることにしました。
おう、ありがとありがと、助かるよ、そんな感じで仲間に入れてもらいます。

伝統的な民家ですから、独特の建築手法があるのかと思ったのですが、材料はいたって一般的なベニヤ板と金色のスレッドを使用します。
かなり大ざっぱにベニヤを切断して天井に固定し、細部は刀でスパスパと形を整えていきます。
サイドと中央を金のスレッドで仕上げると、簡単にチベット風な天井が仕上がります。

1時間半で1坪分くらい完成。
じゃあ休憩しましょうと、奥さんがまた酥油茶を持ってきて、みんなで啜ります。
よそ者にも感じられる、ああ~、落ち着くなあという感じが内装工事中の埃っぽい部屋に広がりました。

四川省は北京から遠く西にあります。
夜の8時になってもまだ、うっすらと明るさが残ります。
それより1時間くらい前だったでしょうか、家族と食事をともにしました。
昼いただいた料理にカモ肉とご飯がくわわっただけのシンプルな晩餐ですが、この環境が作用するのか、不思議なことに味わい深く、満腹感を得ることができました。

ここでは、酥油茶ともうひとつ自家製のヨーグルトドリンクもいただきました。
素朴なやさしい酸味で、これまたかなりいけます。
高さんたちはこれをご飯にかけておじやのようにして食べていたので真似しましたが、唯一旨いと感じられなかった、ご飯とヨーグルトの組み合わせでした。

高原では、夜になるとすっかり涼しくなります。
ふとん被って横になると、いつの間にかすぅーっと眠りに引き込まれたようです。
目覚めのいい朝を迎えました。
健康的な食、ストレスない生活、適度な労働、そして自然な睡眠。
こんな快適な暮らしがあったんだなと、今更ながらに気付かされました。


翌朝、朝の風景を見に山登りしたあと、家族にお礼を言って村を出ることにしました。
村の出口の畑で、すっかり忘れていた美人のことを思い出させる美少女の家族にすれ違います。
エジプト神話風のワンピースに、誰に教わったか魅惑のポーズ。

近未来の美女に別れを告げて、昨日登ってきたばかりの道を、今度は足早に下りていきました。
【M8/Super Rokkor 5cmF1.8 F1.8】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Chiyoda Kogaku Super Rokkor 5cmF1.8 | trackback(0) | comment(8) | 2009/08/01 Sat
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