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又草苺鏡頭

M8/Sonnar 5cmF1.5
いつもとは手順が逆ですが、千年瑶塞に行こうと考えるにいたったきっかけが、マクロ・プラズマートを入手したことでした。
M8で何枚も作例をあげましたが、やはり、フィルムで撮ってみないことには、こういうレンズの良さであるトーンの出方は分からないのではと考え、それでは、次回深圳に行くときに思いきった遠征をしようと候補地を選定し、真夏の広東はどこへ行っても日本より暑いので、高原気候のはずの連州の山間の千年瑶塞に行くのがベターだろうと判断したのです。

ところが、その後マクロ・プラズマートに不具合の可能性が出て、それを確認するまではいったん計画を白紙にすることにしました。
懐かしの千年瑶塞へは前回の訪問から4年経っていることを知り、マクロ・プラズマートをフィルムでという計画はあきらめたものの連州へはなんとか行ってみようと考えました。

それでは、レンズは何を持って行くかということになります。
わたしの場合、旅の持ち物はまず最初にレンズです。
そればっかり気にするあまり、よく忘れ物をするのですが、今回は暑いし水浴びするときに必要なサンダルをと思っていたのに忘れてしまいました。
それと田舎の村では夜真っ暗になるので懐中電灯が必需品なのですが、これも到着後夜になってからしまったと思い出す体たらくです。

まあ、そんなことは些細なことで、今回のレンズの選択は、コンタックス用のゾナー50mmF1.5でした。
イチゴのコンタックス・ゾナーは大好きな玉で、ブラック・ニッケルを3本とその後のクロームを1本持っていますが、戦後の西独のものは持っていなかったので、少し前に購入していました。
ずっと以前からイエナ製との違いを知りたかったのですが調べきれず、35mmビオゴンや85mmゾナーは、イエナと戦後西独ではレンズ構成も変わっているということが分かったので、イチゴのゾナーも構成はそのままだとしても何かしらの変更があるはずだろうと見切って手に入れてしまったのです。

西独のイチゴ・ゾナーは大きく前期後期に分けると、前期型はOPTON-SONNARと表記されていて、後期型はOPTONの表記がなくなります。
そこから、一般に前期をオブトン・ゾナー、後期をカール・ゾナーと呼び分けるようです。
ツァイスの電話帳を見ると、オブトン・ゾナーは49500本、カール・ゾナーは39000本が製造されたようです。
ただ、電話帳がすべてを網羅してはいない可能性は高いですが。

数が豊富でブラック・ニッケルを除くと比較的入手が容易なイチゴ・ゾナーなので、入手にあたっては自ら条件を付けることにしました。
オブトン・ゾナーは最初のロットの中の1本を、カール・ゾナーでは最後のロットの中の1本をそれぞれ入手しようと。

そして先般見つけたのが、最終ロットと思われる3000本の中の1本で、終わりから数えて27番目のシリアルナンバーだったので、フィルターリムが曲がっているなど状態はいまひとつながら手に入れたのです。
イチゴのゾナーの初登場は確か1932年ではないかと思いますが、それから数えても27年後という、奇しくも27という数字が続く妙な符合を感じさせるレンズでした。

やはりゾナーのすばらしさを堪能できる個体だと思うのですが、とても残念なことにM8との距離計連動がうまくいっておらず、ことごとく後ピンになってしまいました。
これはコンタックス・ライカ・アダプターの方の問題である可能性が高いので、レンズ自体に責任はないはずです。
作例は、最短90cmのものですが、傘の面積が広い分どこかしらにピントがあって、ボケを確認する程度のものにはなったようです。
やはりダブルガウス系とは違う、芯の残ったざわつき感の少ない、印象的なボケに思えます。
それでも肝心なところでピントを外しまくっていたので、この後使うレンズがメインになってきてしまうのが残念でした。
【M8/Sonnar 5cmF1.5 F1.5】
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thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Sonnar Grau 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2012/07/26 Thu

下次見

M8/Sonnar Grau 5cmF1.5
気の置けない友人を10年振りに訪れる旅、短い間ですが、十分堪能しました。
明日は、朝からバルセロナへ戻り、さらに翌日はロンドン経由で日本を目指します。
いろいろとしたりなかったこと、行きたいのに行けなかった場所はありますが、旅とはそういうもの、次のチャンスが訪れることを期待しましょう。

タウイ最後は、親友ダヴィドのことを少し紹介しましょう。
彼の人となりをお話したいのですが、わたしの文章力ではとても無理な相談です。
いつだかぽつりぽつりと語った、彼自身のことを中心に据えます。

彼が幼少のころのタウイは本当に何もない寒村で、訪れる人もほとんどなかったようです。
ある日ダヴィドの家に村唯一の電話線が引かれ、村の誰か宛の電話があると彼がその家まで伝令に走っていたといいます。
彼の家がいちばん村の入口に位置していたからでしょう。
そこで、農業を営んでいた彼の両親が、自宅を改造してレストラン・バーを始めました。
村、唯一のお店です。

自由闊達で頭の切れたダヴィドは、もしかしたら村で最初の大学生となってバルセロナに学びました。
わたしは、哲学専攻と誤解していましたが、よくよく確認すると言語学でした。
フィロソフィーとフィロロジーを間違えたのですね。
このときに、英語、フランス語、ドイツ語を習得しました。

明るい性格で多くの友人をつくり、趣味の音楽にも没頭した彼は、卒業後仕事には就いたようですが、思い立って
アメリカに出発します。
1年以上の滞在で、今度はワールドワイドに人脈を作ります。
これから世界へ向けて羽ばたこうという機運は高まっていたというところでしょう。

しかし、父の急逝により彼は激しく動揺します。
その翌年、母も後を追うようにガンで亡くなってしまいました。
彼には姉がいましたから、このまま自分の道を進むこともできたはずです。
しころが、彼は決心して故郷に戻ったのでした。
両親を継いで、エル・マラドールの経営を一手に引き受けたのです。

時は、1990年代。
ツーリズムは過熱し、観光立国のスペインには多くの人が訪れましたが、フランス、イギリス、ドイツ、オランダなどから静かな旅を愉しむ人たちがけっして大人数ではないものの途切れることなく訪れました。
彼の言語力はそこに役だったでしょうし、それ以上に彼の人柄そのものが訪れる人を魅了したのではないかと思います。
わたしがそうであったように。
ガイドブックにも店が紹介され、そこには短く、素敵な人がつくる素敵な料理を味わえると書かれていました。

世界に飛びただそうとした彼が、小さな村でずっと静かにしているというのは難しいことでした。
しかし、それに止まらせるだけの方法もあったようです。
それが5月と10月の閑散期を利用した旅でした。
彼は、アジアや南米を何度も歩き、空気や文化を自身の知識と感性に取り込みます。

そして、これこそがより重要だったと思うのですが、日常では友人たちが彼を支えました。
親友たちと音楽を奏でることで、しあわせを感じ、さらに自分を高めていきます。
ギター、ベース、ヴォーカルをこなし、いくつも曲を書きました。
若いころはハードロックを今ではブルースのような音楽をカタルーニャ語やスペイン語、時に英語で歌いあげます。
近くスタジオでのレコーディングの計画があるということで、CDを真っ先に送ってもらうことになっています。

わたしが滞在中、ひょっこり現れた親友キムとのジャムセッションは、たいへん印象的なものでした。
キムのギターによるインプロヴィゼーションは圧倒的でした。
見ると妙に細い煙草を口にしています。
脳を刺激し、インスピレーションを得ることで、あのような音楽が奏でられるのだと笑っていました。
その後、ペースをつかむと、今度はダヴィドと絶妙の掛け合いで盛り上げました。
ダヴィドの音もすばらしいですが、下から支えるペースがダヴィドを引き立てているのを聞くと、音楽そのものはキムから流れてきているように感じられました。


さて、出発前夜、わたしは早朝に発たなければならなかったので、夜のうちにダヴィドに別れを告げなければなりませんでした。
同時に、宿代と食事代を精算してもらいます。
前回はダヴィドが受け取りを拒否して、わたしが無理に払うようなかたちだったのですが、ユーロやスペイン経済が危機にあるいま、さすがにそんな悠長なことは言いませんでした。
ただ、通常の宿代は60ユーロだが40ユーロに負けてくれ、3食豪勢にとって飲みものもフリー状態だった食事も1日あたり40ユーロだけくれということでスムーズに支払いできました。
お土産にと、姉のコンセルがデザインしたマグカップを手渡してくれます。

もう深夜の1時で眠る時間です。
何と別れの言葉を言ったらよいのか…。
いや、何も言葉は要りませんでした。
固く抱擁し、わたしは楽しかったと言い、彼はそれはよかったとだけ言いました。
わたしたちは、意外にもにこやかに互いの部屋までいっしょに歩き、いよいよここでお別れという場面で、次は必ずいっしょにカンプノウでバルサのサッカーを見るぞと彼が言い放ちました。
わたしは、もうここへは来れないかも知れないと思っていたのですが、彼は少し遠まわしに近いうちにまた来いと言ったようでした。
【M8/Sonnar Grau 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Sonnar Grau 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2011/10/18 Tue

Free Catalunya

M8/Sonnar Grau 5cmF1.5
夜に到着した初日と、自分で運転してフランスまで足を延ばした日を除くと、ダヴィドが短いドライブに連れて行ってくれました。
ランチの後のカフェタイムが終わってからディナーの準備の前までなので、だいたい5時から7時くらいの間です。
ずっと天気が良かったので、同時にきれいな夕日も愉しむことができました。
そして、何よりふたりだけでいろいろと無駄話をすることができたのが、なにより最高の時間になったのです。

最初は、アイゲストルデス国立公園という自然公園で、地元民の特権で一般車両進入禁止エリアを越えて大自然の中に突入して行きました。
ピレネーの雪解け水が源という清流の澄んだ美しさが印象的です。
ここをずっとトレッキングするために訪れる人も多くいるほど、自然満喫のピレネーの真珠です。

2日目は、尾根線に沿って牧場を訪れたりしてから、友だちの店によってビールを飲んで談笑です。
幼なじみがいるのはもちろん、ルーマニアから来た女の子やコロンビアから来た女性もいました。
いずれも現地の男性と結婚して、家でバーや商店をやっています。
ルーマニアの子はまだ20歳で可愛らしかったのですが、コマネチって知っていると聞くとみんなよく知っていて、その女の子がコマネチの実家の隣の隣くらいの村出身だと笑っていました。
美人を輩出する地域なのでしょう。

最後は、見晴らし台経由で町へ食材の買い出しに出ました。
素朴な礼拝堂の前にある見晴らし台は、谷下には小さな村があり、前方にはピレネーの峰々が連なっています。
3400メートルのピレネー最高峰も近くに見えます(すみません、名前は忘れてしまいました)。
先客の青年ふたりが雄大な景色を前に何やら語り合っていましたが、それが、人生について、彼女のこと、ユーロ暴落の問題のいずれであってもおかしくない包容力を感じました。


ダヴィドからはさまざまな話を聞きましたが、何よりも印象に残っているのは、カタルーニャは独立すべき、でした。
10年以上前に訪れた時は、わたしの意地悪な質問に独立する必要はなく、多様な文化を誇るスペインのひとつの顔だと、カタルーニャを誇っていましたが、この間に考え方が大きく変わったようでした。

スペインでは、北東部のバスク地方がたいへん独立志向が強く、ETAなどの過激な組織の活動もあって国内では緊張関係にあります。
カタルーニャも虐げられ続けてきた辛い歴史があるものの、バスクほど過激に急進的な考えを持つ人は少なく、ちょうど多くの台湾人が答えるように、現状維持で良いと平和を謳歌する姿が大勢だったのだと思われます。

ダヴィドがぽつりと言った、スペインの他の地域の人は我々のことを好きではないんだという言葉が胸に突き刺さりました。
それに、バルセロナは商業の中心ですが、ここで稼いだ金を全部マドリードで使われていると憤ってもいました。
フリー・カタルーニャ! とシュプレヒコールをあげるデモもおこなわれているそうです。
事態は想像以上に深刻なのかも知れません。

今のカタルーニャ自治州は、バルセロナ県、ジローナ県(ダリの美術館や別荘で有名)、タラゴナ県(カザルスの生家や博物館があります)、レイダ県(タウイはここ)の4県だけの狭いエリアですが、アンドラ公国という小国家がありますし、フランスにもピレネー沿いにカタルーニャ語圏が広がっていますし、往時はトゥールーズのあたりまでカタルーニャ王国だったといいますから結構な面積です。
独立となったらアンドラを取り囲んで、フランス側の地域もカバーしてしまうことでしょう。

加えて、またサッカーのことになりますが、FCバルセロナは世界一のクラブですし、スペイン代表も半数以上がカタルーニャ人です。
そのままワールドカップに出場しても、カタルーニャがいきなり優勝してしまうかも知れません。
サッカーにおいては、十分に独立的地位は占めていると言えます。

このブログでは政治の話には深入りしないのがモットーでした。
カタルーニャが、南スーダンに続くことができるのか、注視するにとどめましょう。
【M8/Sonnar Grau 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Sonnar Grau 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2011/10/17 Mon

聯合国教科文組織

M8/Sonnar Grau 5cmF1.5
NIKEのトレーニングスーツに細いもみあげ、見覚えある後ろ姿です。
FCバルセロナのヴィリャではないでしょうか。
ちょうど前夜、同じくバルセロナのプヨルがタウイから40キロほどの村の出身だと聞いていたので、彼の招きでガールフレンドを伴ってやって来たのかも知れません。

さっそくダヴィドに、ヴィリャが来ていると知らせました。
ダヴィドは、一瞬、えっという顔をしてましたが、すぐにヴィリャのところにオーダーをうかがいに行きました。
そして、その足でわたしのところへ来て、あはははは、と思いっ切り笑い出しました。
やはり別人だったようです。

手前のカップルはニセモノでしたが、奥に見える女性と話している老人は意外な人物だと分かりました。
ユネスコのお偉いさんだということです。
ボイ谷のロマネスク教会群は2000年に世界遺産に登録されたらしく、その視察のためにユネスコの委員の皆さんが雁首そろえて最大の見どころであるサン・クリメンにやって来たのでした。
そういえば、手前にイースターエッグを並べたモニュメントが突貫工事で作られていましたが、このためだったのですね。

ところで、この世界遺産とはなんなのでしょうか、また、登録されるとどんなメリットがあるのでしょうか。
正直なところ、わたしにはまったく分かりません。
日本ユネスコ協会連盟のウェブサイトをざっと眺めてみましたが、いまひとつ前の質問に答えてくれるような事柄は書かれていないようです。
「世界遺産は、地球の生成と人類の歴史によって生み出され、過去から現在へと引き継がれてきたかけがえのない宝物です。現在を生きる世界中の人びとが過去から引継ぎ、未来へと伝えていかなければならない人類共通の遺産です」
となっていますが、よく分からない表現です。

世界遺産・厳島神社は人類の歴史によって生み出されたかけがえのない宝物ですが、日本にあまたある古く信仰を受け続けた神社は人類の歴史によって生み出されたことも未来へ伝えなければいけないことも否定されているのでしょうか。
むしろ世界遺産に登録されている有名物件の方が、すでに国や地域によって丁重な扱いを受けています。
わざわざ世界遺産だ、と別格にするまでもなさそうな気がします。

登録されるメリットについての言及はまったくありませんでした。
オリンピックなどと同じで観光客が増加してお金を落としていくという経済効果があるということでしょうか。
あるいは、ずばり登録される際にユネスコからどーんと補助金のようなものが出るのかも知れません。
観光業界の人や域内の飲食店その他メリットを共有することは可能でしょう。
世界遺産とは、お金に関するやり取りのための看板ということだと考えてみたくもなります。

なぜ、こんなひねくれたことを書くかと言えば、少なくともタウイの人々には歓迎されていないからなのです。
世界遺産になったからといって、急激にお客さんが増えたということはありません。
ボイ谷の魅力は世界遺産になったからではないことは言うまでもないですが、旅する人が行き先を選択するのに世界遺産かどうかなど考慮にいれることもないのです。
日本人など団体で来る人は世界遺産をありがたがるようで目に見えて増加しましたが、そういう人たちは残念ながら目の前に素敵なカフェがあってもコーヒー1杯飲むこともせず立ち去ってしまいます。

一方で世界遺産になることで数々の規制がかかるようです。
ダヴィドの姐コンセルは、ラ・プラーサというバーを経営していますが、建物が老朽化していてリノベーションしなくてはと言っていますが、ユネスコの条件がうるさいため改装は遅々として進まないと嘆いていました。
数日前にもPCと向き合う姿の写真を出しましたが、彼女がずっとしていた作業はその書類整備などということだったのです。
ダヴィドも、口ではなく金を出してほしいんだがといら立ちを隠しません。

でっぷりした老人を筆頭に数人の職員が視察に訪れたようですが、あきらかに地元の人には歓迎されているとは言えません。
もし、彼らがわたしのところへ来たら、わたしの住む町の近くでも世界遺産の候補になろうとしているが、わたしたちに世界遺産は不要ですから、選ばないでください、と言ってやろうと思っていましたがあいにく誰も来ませんでした。
と思っていたら、握手しに人の良さそうな老紳士が現れました。
市長さんだそうです。

上述のことを話しかけましたが、英語がまったく通じずあきらめました。
そこでダヴィドにこう提案しました。
きみ自身が市長になって、ユネスコに強気の交渉をすればいい、拒否されたら世界遺産なんか脱会するんだ、と。
ふたりで、大笑いになりました。
【M8/Sonnar Grau 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Sonnar Grau 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2011/10/16 Sun

最好吃的面包

M8/Sonnar Grau 5cmF1.5
アラン谷とフランスへの旅はつつがなく終わりました。
ダヴィドには3時には戻るからと前日告げての出発でしたが、実際に戻ってきたのは8時でした。
事故にでもあったかとか、車に乗ったまま日本に戻ってしまったのかとか心配したのではと聞きましたが、いいや別にと笑っていました。
少しは、心配してくれよ。

それにしても貸してもらったBMWのX3はすばらしい乗り心地でした。
ほんとに欲しくなったくらいです。
今日の新聞にBMW1シリーズの広告が出ていて、1シリーズはBMWの中でも最廉価なクラスだと思うのですが、そのいちばん安いものでも308万円となっています。
もちろん値引きはあるのでしょうが、税金等諸費用を払えばそれより高くなるのでしょう。

ダヴィドは、友人がカーディーラーに勤めていて、安くするから買って欲しいと言われて思いきったそうです。
それでも通常28000ユーロくらいのところを24000ユーロ諸経費込みだと言っていました。
いまユーロは値崩れしているので、とびきり安く感じられます。
次回、スペインに行った時に同額で売ってもらって、日本まで走ってそのまま個人輸入なんてことはできないのでしょうか。
登録費用とか税金とかで結局メリットもなくなつてしまうんでしょうねえ。

話は変わりますが、ダヴィドのつくる料理が旨いということは以前に書いたと思います。
わたし自身に思い入れがあるから採点が甘いのだとの指摘もありそうですが、滞在中、バルセロナ在住歴のある日本人ファミリーが来た時も料理、ワインともにたいへん褒めていたことを思い出しました。
料理自体が旨いし、ハモン・ハブーコは滅多にメニューに載らない高級品なのにこんな田舎にあるだけでもすごいと注文して美味しい美味しいと味わっていらっしゃいました。
ハモン・ハブーコは、ご存じイベリコ豚の高級生ハムハモン・セラーノの中でも最上級のもので、世界最高のハムだと言われているそうです。
どこのレストランにもあるという代物ではありません。

そこで、わたしはこの素敵な日本人ファミリーに前日にダヴィドからたまたま聞いていた話を説明しました。
小さなレストランでも、実質ひとりで切り盛りしていると書き入れ時は、オーダーを聞いてからすばやく調理して出さなくてはならない。
それに、村に数日滞在する人たちが多いので、美味しいものを提供しなければ、また来てはくれない。
だから考えた、良い仕入れをして食材にこだわり、それが生きる調理法は何か、待たせずにすばやくできる調理法はどんなものかと。
料理自体がうまいわけではなく、食材がよくて調理法が良いだけなんだ、と。

自然に恵まれたタウイの村なら食材豊富だろうと想像しがちですが、高度1500メートルほどあるため採れるものはかなり限定されます。
オリープが美味しかったので、自家製かと聞くと、気温が低過ぎてここではオリーブの木なんてないとの返事でした。
山で育った牛や羊それにソーセージやチーズ、わずかな野菜、ちょっと豊富なきのこ類、ジャムになるペリー類等々を除くと、町まで行って専門店で買ってくるしかありません。
あとは、いかに工夫して料理するか、です。
そんな話をファミリーは、よく聞いて納得して下さいました。

バゲットのパンだって、バターを付けずとも、甘みがあって小麦の馥郁たる豊穣が口に広がる絶品の味でした。
一度、食材を買いに行くというので一緒に連れて行ってもらったことがありましたが、このパンはポン・デ・スエルトの人気店で大切に作られているものだと知り、修行させてもらって日本でパン屋を開業できないものかと真剣に考えさせられました。

ちょうどバゲットをかかえて街角に立つ颯爽とした女性がいたので、写真を撮らせてもらえないかお願いしましたが、ええーっと断られてしまいました。
残念と、パン屋に入るとこの女性は店頭でご主人と娘さんを待っていたらしく、ちょうどふたりがやって来る場面を目撃できました。
娘さんがママに会って嬉しそうに何かやり取りしているさまが何とも可愛らしく、おもわず店内から撮影に及びました。
撮られるのを拒んだお母さんは手とパンだけ出演してもらいます。
美味しい食事がとりもってくれた、素敵な1枚になりました。
【M8/Sonnar Grau 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Sonnar Grau 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(2) | 2011/10/15 Sat

両坐教堂

M8/Sonnar Grau 5cmF1.5
車がスペインを越えてフランスに入ったとき、このまま東進していけばやがて日本に着いてしまうんだななどと考えたりしました。
このまま日本に帰ってしまおうかと。
フランスをずっと横切れば、ストラスブールあたりからドイツに入れるはずです。
旧東ドイツを抜けるとそのままチェコ、やがてスロバキアと、恐らくはこの車のままで走って行けると思われました。

しかし、その先が分からない。
スロベニア? クロアチア? ポーランドだっけ?
いま、ずるして地図を見たら、ハンガリーやポーランドには接していますが、スロベニア、クロアチアはずっと南でした。
それよりもウクライナに入ってずっと進めば一気に東へ進んで行けます。
ウクライナは、ロシアと決別して西寄りの路線を歩んでいたから、このまま入国して車を運転し続けられるかも知れません。

次はロシアとの国境ですが、万一ここもユーロ圏の車がフリーパスであれば、時間はかかろうとも日本へ近づいて行けます。
そういう道があるかは知りませんが、シベリア鉄道に沿ってノヴォシビリスク、イルクーツク、ハバロフスクと聞き覚えのある町を結んでいくと、ナホトカかウラジオストックまではもうあとちょっとです。
この2都市までくれば、新潟か横浜までフェリーで辿りつけるのではないでしょうか。

どれだけの日数がかかるのか想像もつきません。
昼夜走り続けるシベリア鉄道がハバロフスクーモスクワ間を1週間近くかかると聞いたような気がするので、ひとりで運転する車ではトータル1ヶ月近くかかるのかなと想像します。
ロシアの国境では、賄賂を欲しがる税関職員に数日足止めを食らうかも知れませんし、せっかくロシアに入るならモスクワでCSKの本田を応援して行きたい、もしかしたらウクライナの片田舎で農家の娘と恋に落ちる可能性も否定できない…。


昨日のサン・マリー大聖堂と今日のサン・ジュスト・ド・バルカブレールのバジリカは向かい合うように建っています。
向かい合うといっても、両者の距離は数キロ離れています。
しかし、サン・マリーは小高い丘の上にそびえ、サン・ジュストは草原にぽつんとたたずんでいるので、間に障害物もなく向き合っているといえるわけです。

両方とも11世紀のロマネスクの建築ですが、残念ながらサン・マリーはその後ゴシックの手が入ってしまっていて全体の姿としては美しくないというのが率直な感想です。
大聖堂とあるだけにこんな田舎にも司教座が置かれたので、ゴシックの時代に入ってより大型の建築にしようと、狭い丘の面積に無理に増築しようとしたことが失敗だったのではと想像します。

サン・ジュストは、ずんぐりとしたロマネスクの素朴な建物が愛嬌を感じさせます。
死を暗示させる糸杉がすっくと立ち、門口から教会に向かってお墓が並んでいるというと暗欝としていそうですが、サン・ジュストの優しさが全体の雰囲気までもやわらげていました。
美しい建築がある風景をわたしが愛する理由です。

ちょうど草を食んでいた羊がいたので主役になってもらおうと思いましたが、どこかヘンです。
暑い夏の間は、ウールのコートは脱いでしまうということなのですね。
右側の羊は刈り方がお粗末だったのか刈った後に生えてきて早くも冬の準備に入りつつあるのか奇妙に見えますが、左の子羊はすっきりしていてより可愛いですね。
この関係が、ちょうどサン・マリーとサン・ジュストのそれと似ているような気がしました。
【M8/Sonnar Grau 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Sonnar Grau 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(2) | 2011/10/14 Fri

蘋果酒

M8/Sonnar Grau 5cmF1.5
アラン谷では、3つの村を見て歩きました。
X3の運転はラクで、快適に移動できたのもこの地にじっくりとどまらせる原因でした。
雪崩博物館というところがあって、シーズンオフで休館していましたが、たまたま見たいと予約していたグループが入館するタイミングに訪れたため、よかったら一緒に見ていってくださいと見学させてもらえる幸運にも恵まれました。
戻ってダヴィドに写真を見せると、ガイドの青年は以前タウイで働いていた知り合いだと叫び、こんなところにいるのかと感慨深げに眺めている姿が印象に残りました。

さあ、今度はフランスを目指さないといけません。
前日、ダヴィドからこんな注意を受けていました。
フランスへ行くのなら気を付けるのは、食事時間の違いで、スペインでは2時くらいに昼食をとるが、あちらでは2時にはどのレストランも閉まってしまうので、空腹で泣きたくなかったら早めに食事することだ、と。

にも関わらず、アラン谷を12過ぎに出発しました。
フランス国境までは30キロもなく、これならいくらなんでも食べそこなうことはないと踏んでの余裕の運転です。
前回、西仏国境に門番がいてみんなスルーしていましたが、わざわざパスポートにハンコを押してくださいと頼みに行ったのを覚えています。
しかし、いまや門番小屋はなく、道路に国境線があるわけでもなく、「FRANCE」と書かれた標識だけが陸路国境を越えた目印とはなんとも呆気ない限りでした。

この旅唯一のフランスでの昼食です。
せつかくですから、そこそこのものを食べたいと、小さな村はパスして中規模の町のいちばんのレストランでひとりフレンチをきめようと考えていました。
というのは、わたしはフランスを2回旅したことがあり、地方では美味しいものも食べましたが、どうも総じてまずいものばかりして食べていないイメージがあって、フランス料理に満足していないという理由がありました。
特にパリはひどく、食べるものすべてが塩辛く、ワインのつまみにもならない食事の連続でした。
ここは今までのイメージを一気にくつがえす美味を堪能したいとの思いです。

好事魔多し、という言葉はこの場合誤用なのでしょうが、結局、今回も失態を犯します。
地図を見ながら進んでいたのに、いつの間にかバイパスを走っていたらしく、気付かないうちに通過してしまいました。
1時を廻ってこれはまずいと思い、通りがかった村でおしゃれなレストランを見つけたので、ここで十分と入りました。
寒村に見えましたが、地元の人などでけっこう席が埋まっています。
ところが、ランチをと言うと、もう終わってしまったとつれない回答でした。
灰色の美しい瞳の娘がフランス語訛りの英語で、遅すぎると言うと、こちらも「シー、シー、いや、ウィ、ウィ、マドモワゼル」とスペイン語で返事しかけてここはフランスだと思い出してフランス語もどきで返事します。

絶望的な気持ちになりましたが、仕方ありません。
どこか途中で食べ物屋があるかもときょろきょろしながら目的地であるサン・ベルトラン・ド・コマンジュに向かいました。
ロマネスクの回廊を持つフランスでもわりと有名な教会です。
そのことがさいわいして、道すがら1軒も食事をする場所は見つからなかったのですが、教会前にみやげ物屋とともに開いているレストランがありました。

観光地のレストランの値段とお味は推して知るべしですが、メニューそのものがパテとサラダ、チキンがメインとエル・マラドールで食べたものとほとんど変わりありません。
味は比べ物にならないくらい、ダヴィドの調理の方が圧倒的です。
じゃあ、この店は全然ダメだったかといえば、美味しいシードルが飲めましたし、給仕の女の子が今どきのフランス娘風で結果オーライになりました。
特にシードルは車を運転するのでワインは控えておこう思っていたところ、ブルターニュ料理も出す店だったためにグラス出ししていて3杯も飲んでしまいました。
万一、飲酒運転を咎められたら、えっ、サイダー飲んだだけなんだけどと言い訳まで考えて。
【M8/Sonnar Grau 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Sonnar Grau 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(0) | 2011/10/13 Thu

这辺厳禁停車

M8/Sonnar Grau 5cmF1.5
わたしがライカを使い始めたのは、十年ちょっと前からになります。
前回、スペイン旅行したときはミノルタTC-1を持っていったのをよく覚えています。
すばらしいタウイのロマネスク建築を高性能カメラで撮影したいと奮発して購入したのです。
フィルムは、リバーサルの方がよいと勧められて、プロヴィアを20本も持参したような気がします。

しかし、結果は散々、とまではいきませんが、カメラの知識がまったくないままに絞り値をマニュアル操作できるいわばAE機構を持ったカメラを持っていってもなんのことやら使いこなせるものではありませんでした。
特に夜間ストロボ撮影したものは、無意味に絞っていたため考量不足で、妙に薄暗いものばかりで、カメラが壊れてるんじゃないかと文句を言いに行ったくらいです。

この失敗と、されでも何枚かあったお気に入り写真が、わたしをライカに向かわせました。
大きな一眼レフではなく、長旅に向いたコンパクトなカメラをとの考えからいろいろと調べて購入したのが、沈胴エルマー付きのⅢfでした。
苦労しながら撮るすべて手操作による写真は、当時のわたしにはあまりに魅力的でした。
ただ、これではあまりにスローなので、携帯性を弱冠犠牲にしてM6を購入しました。
カメラ経験がなかった当時、TTLがこんなにもありがたいのかと没頭し、Ⅲfは完全に出番を失います。

エルマー1本やりだったところ、夜間にも撮影したいと手に入れたのが、ストロボ、ではなくジュピター50mmF1.5です。
絞ったエルマーに慣れた眼は、ジュピター開放の夕景に完全に痺れさせられました。
レンズのなんたる表現力。
アベノンの広角も手に入れて、わたしの器材は固まったのですが、そのときにはもう毎年行っていたヨーロッパに関心が無くなっていました。

ライカのスタイルが定着すると時を同じくして、アジアをバックパックもどきで歩くことが旅のスタイルとなってしまいました。
タフなアジアの旅にライカというのはあまりしっくりこないようですが、バッテリーが露出計のみなので長持ちかつ切れてもどうにかなり、汗や大雨などに対する防水性の高さは、ライカを持つ必然性すら感じられるほどでした。
それにライカはアジアでは高価なカメラだとあまり知られていないメリットもありました。

6年前にドイツには行きましたが、わたしにとって今回のカタルーニャが実質的な最初のヨーロッパでのライカ旅と言えます。
しかも、いつものM8に加え、モノクロを装填したM6の2台態勢です。
もっともM8では1000枚以上撮ったのに、M6では2本撮るのがやっと。
トライXを使いましたが、やはり日中絞らざるを得ないので、どうも調子が出なかったということが尾を引きました。

カタルーニャの旅でもライカが注目されることがなかったのは幸いでした。
田舎はまったく安全ですが、バルセロナは犯罪率が高く、バッグのティッシュを入れていたポケットのファスナーを開けていただけで、親切な地元の通行人から気を付けてと声かけられるくらいスリ、ひったくりの類が多いのです。
さすがにダヴィドは、おお、レイカか、いいカメラ使ってるんだなと感心していましたが。

作例は、アラン谷の村で、農作業から戻るおじいさんをスナップしたものです。
置きピン、ノーファインダーの古典的手法ですが、しゃれた金文字のスペイン語の看板にピントも露出も合わせてみました。
家の由来でも書かれているのかと思っていたのですが、帰国後調べてみると、こちら側には駐車しないでくださいと書いてあるだけと判明してがっくり。
わたしの通り道だから、停めないでとおじいさんが書いたと解釈することにしました。
【M8/Sonnar Grau 5cmF1.5 F1.5】
thema:ライカ・マウント・レンズ genre:写真
Zeiss Sonnar Grau 5cmF1.5 | trackback(0) | comment(2) | 2011/10/12 Wed
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